決戦アトランティス
序、異形の島
アトランティス。
ヨーロッパの伝承に登場する、謎の存在である。大陸であったり島国であったり、その正体は十七世紀前後まで判然としなかった。
フィールドと呼ばれる、軍隊でも侵入が不可能な超危険地帯が特に多数出現するようになった十七世紀前後から、その姿は露わになった。何度か出現しては消えていったそれは、海中を移動し、時々海面に浮上する、生きた島とも呼ばれる存在だったのである。それは楽園でも理想郷でもなく、入った人間がとても生きては帰れない、最高難易度を誇るフィールドであった。
西暦1661年の出現後、およそ三十年周期で大西洋に姿を見せていたアトランティスは、深層海流を移動していた事が判明している。調査艇の報告によると、深海でも空気のドームに覆われて、不可思議な発光現象を起こしているのだという。
そのアトランティスも、何度かの大規模な調査で多大な被害を出しながら、少しずつ分かってきたことがある。
上陸し、生きて帰った調査隊によると。どうやら人間が暮らしていたことがある、らしい事が判明した。これは独自の進化を遂げた装飾品や生活用具などからも分かっている。驚くべき事に、これは東洋と西洋の文化を巧みに取り入れており、かってムー大陸と呼ばれた太平洋上の謎の存在が、アトランティスと同一であったという説を裏付けることになった。
また、フィールドらしく島の上には奇怪な生物が山盛りに生活しており、その殆どが恐るべき事に接触した相手を石にする能力を持っているという。一時期はギリシャ神話に登場するゴルゴンの三姉妹は、このアトランティスの怪物がモデルになっているのではないかという説まで登場したほどである。
他にも幾つか分かったことはあるが、調査隊の犠牲が大きすぎた。そして犠牲の割にはあまりにも成果が小さかったため、各国は一旦調査を打ち切り、以降は立ち入り禁止令を敷いて、犠牲の拡大を防ぐようになったのである。実際、探検隊が持ち帰ったものの中には、金目のものなど無かったのである。
やがて、1814年の出現を最後に、アトランティスはぱたりと出現を止めた。そして十三年前、三日ほど大西洋に姿を見せて以降、その行方はようとして知れなかったのである。それなのに、しばらく沈黙していたアトランティスが。あまりにもこのたび、大々的に姿を見せたのだった。
今回の出現で泡を食ったのはT国である。何しろ沖合に、視認できるほどの近さでアトランティスが姿を見せたのだ。しかも最強最悪のフィールドの一つとして名高い場所である。貧しいT国は国連に救援要請を出し、N社とC社に声が掛けられたのだった。
最強の精鋭を多数有するN社は、フィールド探索者の会社としては世界最大最強であり、その気になったら総力戦態勢の米軍でもたたきつぶせると噂されている。だがそのN社でさえ、今回の探索には慎重にならざるを得ない理由があった。
N社の重役会議の場に呼ばれたMは、傲然と丸テーブルの最上座にいた。他にも周囲には、いずれもが国家軍事力級と噂される桁外れの猛者ばかりである。魔法班の長として君臨している最強も名高い魔法剣士リンクが、皆を見回しながら告げる。まだ若々しい細面の男だが、その積み重ねた戦闘経験は尋常ではない。Mの跡を継ぐのは彼しかいないという噂さえあるほどだ。
「結論から言いますが、アトランティスから漏れ出ている異神の気配と、この間F国にて採取されたサンプルが一致しました。 十中八九、アトランティスは異神の城だと言えます」
「ふん、それでは今まで歴代の猛者達が攻略できなかったのも当然か」
Mが鼻を鳴らすと、弟のLが不安げに周囲を見回す。
宇宙での戦闘を得意としている女戦士Sが、宇宙服にも似た戦闘衣を付けたまま、それに合わせた。
「アトランティス、ムー大陸、ルルノイエ。 それらが全て同じものの呼称だった、というわけね。 しかしそうなってくると、やはり其処に鎮座しているのは、例の発音できない神かい?」
「いえ、どうもそれが違うようでして。 その存在については、今までも歴史上の介入が幾度か確認されています。 しかし二十年ほど前に、ぱたりと消息が絶えておりまして」
「そいつは殺されて、別のが王に成り代わった、というところか。 やれやれ、難儀なことだね」
Sの言葉に、リンクがさようでと頷いた。
発音できない神とは、異界の神の中でも、かなり高位にいる者としてN社が把握している存在である。人間には発音しがたい名前だが、無理に発音するとなるとクルールーとかクトゥールーというのが近い、らしい。
実力は言うまでもなく強大で、その干渉によって滅びてしまった国さえあるという。腕組みして話を聞いていたMは、頷いた。
「いずれにしても、しっかり相手の目的を見極めなければなるまい。 場合によっては私とLで出向くが、何名か手練れの増援が欲しい所だな」
「僕がいこうか?」
小さな手をちょこんと挙げたのは、ブラックホールと異名を持つKA。ピンク色の球体状の生物だが、その戦闘能力は凄まじく、以前侵攻を掛けてきた異星人の小規模艦隊を単独で滅ぼしたことがある。Mとしても信頼できる戦友だが、此処はすぐにはいと言う訳にはいかない所がもどかしい。
会議を続けている内に、急報が入る。
「アトランティスに、強引に侵入した者がいます! 気球を使い、警戒中の艦隊を出し抜いたようです!」
「何、気球だと」
また、随分無謀な輩である。ローテクを駆使して敢えてハイテクの探知機器を欺く知恵だけは敬服に値する。それ以外は侮蔑以外の感情が湧いてこないが。
接近したヘリが退去を勧告しているようだが、聞く耳を持たないという。撃墜するかと、パイロットが聞いてきていると言うことだが、Mは首を横に振った。
「捨て置け。 ミサイルの無駄だ」
「わかりました!」
「それにしても、この時期に侵入者とは。 何処の阿呆だ」
ヘリのカメラからのライブ映像が届く。
映し出されたのは、気球の中で不安げに身を縮めている、まだ若い男だった。
「情報照合。 中堅企業に属する、ウィルというフィールド探索者です。 実績は殆ど無く、まだ駆け出しのようですね」
「所属企業は?」
電話を手にしていたリンクが、ため息をつきながら受話器の電源を切る。その様子だけでも、大体状況は推察できた。
「社長が出ました。 どうやら独走を知らなかった様子です」
「それでは会社を責める訳にはいかんな。 やれやれ、慎重な対応が必要な時期だというのに」
Mは頭を振った。
これほどの暴挙をやらかしたと言うことは、よほど何かアトランティスに深い思いがあるのだろう。
Mも若い頃は色々と無茶をした。闇の世界の顔役Kの守る城に単身殴り込みを掛けたり、異世界からの侵略者と拳一つで渡り合った。そう言う意味では今も本質は代わっていないが、準備の有無という点では段違いだ。
しっかり戦略を整えることは恥ではない。無謀な行動は、最終的には自分の死という最悪の破滅を招く。あの若者もそれなりに準備をしているのかも知れないが、どうせN社が募集を掛けるのである。其処で応募すればよいものを。独走して、どうにか出来る場所ではないだろう事くらいは、この業界に入ったことがあるのなら、分かっているだろうに。
「ホーク1、撤退しろ」
「了解。 そろそろアトランティスの索敵範囲に入りますし、一旦距離を取ります」
ヘリからの連絡が途絶える。Mは咳払いをすると、会議の再会を促した。
ヘリが遠ざかっていく。大きく嘆息したウィルは、思わず丸鍔帽を抑えた。熱気球は安定した高度を保ったまま、アトランティスに確実に向かっている。
海の向こうに見える伝説の大陸は、黒々とした大地に、多くの遺跡らしきものを見せつけていた。
あれの何処かに、師匠がいる。
きっと、ウィルの助けを待っている。
ごくりと、唾を飲み込む。師匠を助けるために、此処まで来た。そして、もはや引くことは出来ない状態だった。
会社に辞表は出してきている。今頃社長は鮹のように真っ赤になって怒り狂っているだろう。もはや後には退けなかった。
ウィルは、駆け出しのフィールド探索者である。
数年前までは、師匠について修行をする身だった。一緒に小規模なフィールドを何度か攻略して、些細な宝を得て。殺し合いというよりも、冒険を楽しんでいたような記憶がある。
やがて、そんな日々に終わりが来る。
腕利きで知られる師匠が、単身アトランティスに向かったのだ。
もちろん、浮上している状態のアトランティスではない。潜水艇を使って、潜水中のアトランティスに、直接乗り込んだのである。
師匠は元々変人として知られていた。天才的な発明家ではあったが、同時に筋金入りの無政府主義者で、会社もいつも手を焼いていた。怪しげな発明によって四十代の姿を保っているが、実際にはJ国で起きた最後の一揆にも参加していたことがあるという。ウィルも、いつも散々振り回されたものである。
だが、師匠のことは今でも親だと思っている。
ストリートチルドレンであり、体格に恵まれず弱って死にかけていたウィルを拾ってくれたのは、師匠だけだった。乱暴で待遇は悪かったが、それでもきちんと一人前の人間としても扱ってくれた。
だから、師匠が行方不明になった時は愕然とした。会社にも周囲にも助けを求めたが、誰もが鼻で笑うか、或いはアトランティスの名を聞いて二の足を踏んだ。
再び一人になってしまったウィルは、小さな仕事をしながら、機会を待った。いつかアトランティスが浮上したら、必ずや乗り込んで、師匠を助けに行くのだと。生きている確率は限りなく低い。だが、あの師匠が、簡単にくたばるわけはなかった。
準備は入念にした。アトランティスの過去の移動パターンや深層海流から、次に現れる位置を予測し、近くの街に倉庫を借りて念入りに物資を蓄えた。アトランティスが現れたら、N社が出張ってくるのはほぼ確実。そうなると国連軍も出てくるだろうから、最新鋭の装備をした軍の警戒網を抜ける必要もある。気球を使うことを考えたのは、それが故だ。最新鋭の装備が相手なら、逆にローテクの方がやりやすいと思ったのである。
そして、やっとウィルは此処に来た。
軍の警戒網も抜けた。後は、アトランティスに降り立って、師匠を捜し出し、一緒に帰るだけだった。
「待っていてください、師匠」
孤独な青年、ウィルは呟く。
師匠に呼びかけ、なおかつ己の心に活を入れるために。
ここから先は、歴戦のフィールド探索者でも死を覚悟しなければならない、魔境中の魔境だ。無謀な行為の代償は高く付く。だが、それでも、ウィルは引く訳にはいかなかった。
1、黒い影の島
ウィルはようやく故郷では成人したばかりである。背丈は170センチ後半と平均より若干高く、しっかり鍛えていることもあって贅肉はない。均整の取れた肉体の持ち主だと言える。
フィールド探索者と言うこともあり、特殊能力も備えている。逆に言えば、これがあるから師匠が育ててくれた。師匠は有能だが、天才的であったが故におかしな部分もあった。時折見せる冷酷さには、ウィルも冷や汗が流れるのを感じたものである。
熱気球から顔を出し、地面の様子を伺う。
禍々しい外見とは裏腹に、随分麗らかな島だ。何処までも草原が広がっており、時々茶色の石畳のようなものが広がっている。写真だけ見せられたら、多くのフィールド探索者の生き血を啜ってきた魔境だなどと、誰も信じはしないだろう。
方位磁針を取りだしてみる。
呻いたのは、早速異常が現れたからだ。
針が異常な速さで回転している。火花を散らしそうなほどである。
もう一度、地面を観察してみる。そうすると、違和感が早速沸き上がってきた。
小動物の類が見あたらないのである。それどころか、双眼鏡で確認してみると、昆虫の類もいない。これだけ青々と茂っている草があって、昆虫が見あたらないというのは異常すぎる。この星は昆虫こそもっとも多種多様に変化しており、離島でもその姿を見掛けないことは、まず無いのだが。
熱気球の高度を下げる。撤収の際の命綱だ。もっとも、放置しておいて、無事で済むかはわからないが。
この島には、邪神がいるとも言われている。フィールドでは、何が起こっても不思議ではないのである。普通の物理法則や常識など通用しない。霊的存在が現れるのなど日常茶飯事だし、文字通りの神と呼べる相手に出くわすこともある。師匠に救われて命を拾ったが、思い出したくない戦いも幾つかあった。
徐々に高度を下げた熱気球は、理想的な位置に着陸した。
火を消して、気球をしぼませ、畳む。降りて踏んでみると、案の定だった。茂っているように見えるのは、草ではない。草のように見えるが、人工芝生にも似た、よくわからない存在だった。
直接触るのは危険だから、手袋越しに触れてみる。妙な感触だ。表面はざらついていて、しかししっとりもしている。切り取ってみると、急に鋭く揺れた。そして、地面の中に、鋭い空気音とともに引っ込んでしまう。
残ったのは、孔だけだった。
これは雑草ではなくて、生物だったと言うことだ。或いはイソギンチャクに近い存在なのかも知れない。海底の砂地に棲息するイソギンチャクには、危険が迫ると砂の中に待避する種類がいる。それを思わせる素早さだった。
思えば、地上に出ているより海底に沈んでいる方が長いような島である。地上の生態系の常識など、通用しないのが当たり前かも知れなかった。
装備を確認。水は問題ない。節約すれば一週間は大丈夫。濾過器も問題なし。最近のはハンディタイプで、かなり汚れた水も飲める状態にしてくれる。ただし、使う予定はない。魔術的な汚染はどうにもならないからだ。この島では、水があっても魔術的に汚染されている可能性が極めて高い。
呪われた異界の神の島なのだから。
他の装備も確認終了。食料類も、ハンディなものに纏めて、充分に用意してきた。水同様、食料も得られないと思った方が良さそうである。ついでにいえば、遭難した時に救助が来る可能性もまず無い。
ザイルも六十メートルほどしか用意できなかった。さっき気球から偵察した感触だと、中央部に進むと空からの侵入は無理である。分厚く雲が覆っていて、熱気球では何が起きても不思議ではない。地上を行く以上、本当はもっと持っていきたいのだが、しかしこれ以上リュックに詰め込むと身動きが取れなくなる可能性もある。既に常人では歩くのがやっと、という程度の重量になっているのだ。ましてやこの島では、どんな相手と交戦することになるかわからないのである。
師匠が最後に残してくれた小型携帯爆薬「ボン」の所持数を確認する。ざっと千ほど。小指の先ほどの分量で、TNT換算にして百五十グラムほどの火力を発揮できる危険な武器である。それを十秒分ほどの導火線とセットにし、包み紙に入れてある。かってある海戦で絶大な破壊力を発揮した下瀬火薬並の危険物質だと師匠は笑っていたが、実際幾つかのフィールドで使ってみて、その言葉が嘘でないことは知っている。安定性は抜群なのだが、威力が尋常ではないからである。
一通り準備が終わる。
そうすると、不意に生暖かい風が吹いてきた。
気球はしぼみ、既に木陰に隠し終えた所だ。戦慄するウィルの前に、甲高い叫び声が聞こえる。
どうやら、既に此処は、敵に嗅ぎつけられた様子であった。
走り出す。まずは島の中枢を目指して、其処から師匠のいる所に当たりを付ける。あの師匠のことだ。ひょっとすると邪神を既に倒して、のうのうと島で研究を続けている可能性さえある。
それくらいのことをやりかねない人なのだ。あまりウィルは、悲観的にはなっていなかった。
無数の影が見えてくる。どうも、蝙蝠であるらしい。しかしかなりの大型種で、しかも此方を正確に追尾してきていた。
昼行性の蝙蝠は存在している。フルーツなどを食べる大型種が該当するが、中には肉食のものもいるかもしれない。ましてやあの草の様子では、この島の生態系がまともだとはとても思えない。
走る。徐々に、距離が詰まってくる。蝙蝠は頭上を取ろうとしている様子で、明らかにかなり高い知能を備えていた。ジグザグに走って攪乱しながら、灌木のある辺りを探す。まだボンの射程距離ではない。火力が大きいとはいえ、空を飛ぶ相手に当てられるほど簡単ではないのだ。狭い所におびき寄せて、爆風が反響するようにすれば、一気にまとめて片付けられるだろう。
だが、どうしたことか。
走れど走れど、森や林の類は見えてこない。そればかりか、蝙蝠はウィルのもくろみを嘲笑うかのように、確実に此方を包囲し始めた。先行した数匹が、手前に糞を落とす。何か危険な空気を感じたウィルは足を止めて飛び退く。
糞が掛かった草が、おぞましい絶叫を挙げて痙攣する。そして、見る間に萎びていった。
口を押さえると、走る。蝙蝠は既に辺りを埋め尽くすほどの数だ。あれが一斉に、あの恐るべき毒の糞を落としてきたら、ひとたまりもない。やむを得ないと感じたウィルは、ボンに着火して、空に複数放り投げた。
爆圧が、空を蹂躙する。
蝙蝠が悲鳴を上げてばたばた落ちてくる。草がその体を捉えると、すっと土の中に引っ込んだ。やはりイソギンチャクのような性質らしい。土の中から、ばきばき、むしゃむしゃと、恐ろしい食事音が聞こえる。
大きな草もある。当然、あれもイソギンチャクだろう。人も食えそうだと思って、ウィルは身震いした。
更に数個のボンを空に投げ、相手が混乱している隙に走り抜ける。これは、本当に大変な場所だ。
ひよっこの自分が来て良い所ではないと、ウィルは知っていたつもりだった。だが最初から、これほどの危険度を見せつけられるとは、思ってはいなかった。思っていなくても、敵は容赦などしてくれない。当然の話だ。今のウィルは、彼らにとってたやすく仕留められる上に、珍しい御馳走なのだろうから。
一匹蝙蝠が低空飛行で迫ってきた。ボンを投げつける。破裂した蝙蝠の肉片が飛んできて、服に当たった。
その服が、見る間に石になっていく。
ウィルは悲鳴を上げていた。必死に服の一部をはぎ取って捨てる。
もう、此処で何かの動物に触れたら、即座に石になる。そう思った方がよいのかも知れなかった。さっきの草は平気だったが、それはなぜかよく分からない。或いはウィルの存在に気付いて、周囲の動物が皆石化の能力を起動したのだろうか。
時々ボンを後方に投げ、追ってくる蝙蝠を爆破しながら逃げる。どうやら粉みじんになった味方にまで、蝙蝠は群がり肉を貪っている様子だ。昆虫が殆どいないというのと、この島の過酷な生態系に、あまり関わりはないらしい。
やっと森が見えてきた。
それに、大きめの遺跡も。石といっても、不思議な丸い形状のもので組まれていて、まるでビーズ細工か何かのようだった。といっても、もしもそうだとしても、作ったのは巨人だろうが。
中に逃げ込む。蝙蝠は追ってこなかった。
入り口から外をうかがうと、森の近くで滞空して、ギャアギャアと声を挙げている。ひょっとすると、木のように見えるのも、大きなイソギンチャクなのかも知れない。そうなると、油断するとぱくり、だろう。
戦慄である。この遺跡も、ひょっとして巨大な生物ではないのか。
そう思うと、ウィルは頭を抱えたくなった。この丸い石のような材質も、そもそも何なのかさえもわからない。
これも猛毒か何かで、触ると死ぬのではないのか。そう思うと、この場から逃げたくなってくる。呼吸が乱れてきて、おびえを押し殺すのに、必死にならざるを得なかった。
しばらく壁に貼り付いて息を殺していると、やっと落ち着いてきた。
昔から、師匠に良く言われた。
お前は考えすぎると。
ありもしない恐怖を勝手に想像して、それに怯えると。師匠は口が悪い人だったから、それこそぼろくそにいわれたものである。
大丈夫だ。今は、そんな可能性を想定しても仕方がない。
踏んでみると、丸石のようだが、ある程度安定している。体重を掛けてもびくともしない所を見ると、かなり工夫して組まれているのだろう。
人は、此処で生活したのだろうか。そう思ったのは、よく見れば遺跡は人間が暮らすのに丁度いいくらいの大きさだったからだ。天井もそれほど高くないし、ウィルくらいの背丈で暮らすにはかなり快適である。
中に入ってみると、かなり大きな遺跡だ。歩く度に、かつん、かつんと音がする。音がそれだけ反響する素材と言うことだが、何かが住み着いていたら、当然もうウィルには気付いているだろう。
出来れば、何も出てこないでくれよ。そう念じながらウィルは歩く。持ち込んでいるボンだって、無限ではないのだ。さっき数十個は使ったし、この調子だと師匠を見つけて帰る頃には無くなってしまう。
それに、まだ能力は温存したい。島の中枢にはまだまだ距離があるし、もしも師匠が言うような存在がこの島を支配しているとすると、命が幾つあっても足りない。支配者とやらがいるとしたら、出来れば戦いは避けたいし、戦うまで切り札は温存したいのだ。
ざわりと、気配がした。
いる。何かが此方を見ている。
ウィルは慌ててライトを向ける。気配と、此方に来る無数の這いずる音。背筋を、恐怖が這い上がっていく。
落ち着け。呟くが、どうしても鳥肌は引かない。
無数の足を持つ何かが、近付いてきている。引きずる音も、する。歯の根が合わなくなってくる。慌ててボンを取り出そうとして、足下にばらまいてしまった。拾い集めている内に、それが姿を現す。
巨大な貝。いや、違う。
人間の半分ほどもある大型の貝を背負ったヤドカリだ。それが数十はいる。鋏は、腕など簡単にちょん切れそうなほどに大きい。きちきちと音を立てているのは、此方に対する威嚇音だろう。
「く、来るなっ!」
叫んで、ボンを投げつける。
さっと殻に引っ込んだヤドカリたち。ボンが炸裂して派手な音を立てるが、爆発が収まった後には、傷一つ無い殻の姿があった。もちろん、ヤドカリは何事もなかったかのように前進してくる。
あの殻は何だ。ボンは小さいとはいえ、相当に火力が大きい。普通の貝殻など、瞬時に粉々だ。だが傷一つ付いていないと言うことは。宿主は一体どんな素材であの殻を作ったのか。
鉄を取り込んで体を作る深海性の貝が話題になったことがある。フグも毒を体内で生産せず、外部から取り込んでいるのは有名な話だ。あの貝は、セラミックを体内で合成でもしているのか。
しかも、あの蝙蝠の様子から言って、触れると即死する可能性も否定できない。石になった自分を貪り食うヤドカリの群れを想像して、ウィルは失神しそうになった。
近付いてくると、ヤドカリの姿がよく見えてくる。深海に住むダイオウグソクムシのように、サングラスを思わせる巨大な複眼を持っていた。それにしても、何という数か。迂回路はないのか。
ボンを投げつけ、さっと殻に引っ込んだ隙に跳び越す。反転しようとするヤドカリが、仲間とぶつかり合って巧く行かない。何度かボンを投げつけながら、ウィルは走る。
途中、一回素早く動いたヤドカリに、足をはさまれ掛けた。
どうにか走り抜ける。呼吸を整えながら足を見ると、靴は半ば石になっていた。やはり、そうだ。此処の生物に触られると、石になってしまう。
呼吸を整える。ヤドカリは足が遅かったが、それでももたもたしていれば追ってくるだろう。もはや安息の地など無いことは分かりきっていたのだ。腹をくくるしかない。
遺跡の奥へ奥へ。出口がなかったら、またあのヤドカリどもに追いかけ回されなければならないだろう。それに、奥の方にもヤドカリどもが住み着いているかも知れない。それを考えると憂鬱になった。帰り道のことだってあるのだ。
頭を振って、不安なことを考えないようにする。
臆病でアホだと、師匠に良く言われたのだ。それならば、頭は必要なことだけに使って、今は進むべきだった。
数機の輸送ヘリが、アトランティスに向かっている。それにはMを筆頭に、名だたる猛者達が乗り込んでいた。
極秘資料を紐解きながら、今回の探索班リーダーであるMが他のメンバーに説明する。
「前回の探索チームからの報告書を、もう一度おさらいしておく」
誰も返答はしない。此処が最強最悪と名高いフィールドだと、皆知っているからだ。下手をすると、このヘリがいきなり撃墜されることもある。
歴戦のヘリ、バンゲリングベイ。各地のフィールドで活躍した傑作機であり、パイロットは離着陸数三千七百回を越えるベテランだ。紛争地域での活動も経験があり、異界の戦闘機と交戦して撃墜したこともある。乗り込むのに、これ以上のヘリはない。
だが、それでも不安にさせられるのが、この土地の恐るべき所であった。
「この島では、見掛けた生物には絶対に触るな。 直接触ると、石になってしまう」
「強い石化の魔力を帯びている、ということでよろしいか」
「その通りだ、ロード・アーサー。 蝙蝠に似た種類は非常に強い毒性を持つ糞で獲物を仕留め、それから貪り食うという報告もある。 あらゆる生物が、見かけよりも遙かに危険だと考えてくれて間違いない」
逆に言えば、通常の生物でさえ、それだけ危険だと言うことだ。島の主がどれほどの存在なのか、想像を絶するほどであろう。
「島はあの見えている部分だけが全てではない。 地下にも巨大な空洞が存在し、さらには並行世界や、重異形化フィールドになっている場所もあるという」
「それは恐ろしいな」
「各々方、努々油断する事なかれ。 我らの偉大なる先輩達が、ついに潰せなかった魔の島だ。 まずは武勲よりも、味方の生存、それに敵の撃破を中心として動いてくれ」
「応っ!」
隅の方で、こんな面子に混じって良かったのだろうかと、身を縮めているのはスペランカーである。Mを筆頭に、N社の精鋭が数名。C社からも以前共闘した騎士アーサーに加え、何名かの猛者が出てきている。
この間共闘したアリスと川背はまだ通院中だ。出たいと言ったのだが、医師がOKを出さなかったのである。特に川背は肋骨が痛んだままで、激しい運動をすると肺に刺さる可能性があると言うことで、しばらくは入院と言うことであった。
一通りの説明が終わった所で、挙手したのは如何にも軍人然とした四角い顎の男だった。C社の精鋭の中でも、サバイバル能力を買われた人物で、ジョーという。かっては傭兵をしていたそうで、非常に厳しい戦場からの生還経験が豊富だそうだ。スーパージョーと呼ばれるほどの男である。
「そういえば、M。 先走った若者がいると言うことだが」
「S社のウィルという若者だな。 変わり者で知られる師匠が、数年前に潜水艦でアトランティスに乗り込み失踪。 それを探しに行った可能性が高いと言うことだ」
「愚かな。 探索チームに加わった方が、よほど確実であっただろうに」
ジョーが厳しいことを言い、それ以上は興味を失ったようだった。厳しい言葉ではあるが、戦場を生きてきたシビアな男らしい台詞である。
スペランカーは彼らのやりとりを見つめていた。
どうも妙だ。こんな歴戦の猛者を、どうして今更にN社とC社は投入することになったのか。
病院でアリスに聞いたのだが、アトランティスの探索は、今までも何度か行われているという。そのたびに何処のフィールド探索者の会社も大きな被害を出し、それに対しての成果があまりにも小さいが故、探索は封印される傾向にあったそうである。
それなのに、この大規模人員投入。
何かがあったとしか、思えなかった。
或いはあの時戦ったダゴンが何か関係しているのだろうか。
「スペランカーさん、大丈夫ですか?」
「あ、はい」
隣に座っていた中性的な容姿の感じが良い少年が、にこやかな笑みを浮かべてくる。ローブを着てマントを羽織り、なおかつ三角帽子を被っているという如何にも魔法使い然とした彼は、今回の探索における魔法解析などを担当するという。
ダーナという名前の彼は、スペランカー同様あまり経歴が華やかではない中の選出である。何でも、石に関する術式のエキスパートと言うことで、選ばれた側面もあるという事だ。さっきの話を聞いている分だと、それも納得できる。M氏は自分を石に変えたり解除したりできるそうだが、歴戦のフィールド探索者でも、そこまで器用な人間は珍しい。彼がいるといないでは、チームの生還率が格段に変わってくる。
隣ではジョーが、無言でアサルトライフルの手入れをしていた。手榴弾もかなり持ち込むようである。
「ジョーさん。 此方が、言われていた弾になります」
「ああ、すまんな」
ジョーが、なにやら毒々しい色の弾丸を受け取っていた。
スペランカーを一瞥するが、それ以上は此方に興味を見せなかった。歴戦の傭兵としては、特殊能力に頼り切りのスペランカーは、お荷物くらいにしか考えられないのだろう。スペランカーも自分がお荷物だと思うので、相性がよいフィールド探索者がアーサーくらいしかいない今回は、非常に肩身が狭い。
アーサーも、スペランカーのことばかり気に掛けてはいられないだろう。周囲の負担を、少しでも減らす工夫が必要だった。
島の端に到着。小型のジープも一緒に投下された。乗るのではなく、荷物を運ぶためだという。或いは要救助者を発見したら、乗せて輸送するためのものだそうだ。
装備類は分ける。全てをジープには積載しない。いつジープが破損するかわからないので、補給物資以外は全て手持ちである。M氏は生活用品以外を身につけても、殆どリュックが空だと笑っていた。一方、ジョー氏は、リュックがどう見ても百キロはありそうである。しかし、それでも平然と歩き回っている。
スペランカーは持ってきた缶詰類をジープに乗せて、自身は歩くことにした。ジープの上には軽機関銃も備え付けられているが、果たして効果がどれほどあるだろうか。
バンゲリングベイが飛び去っていく。無線を弄っていたM氏が、眉をしかめた。
「おい、この無線は最新式だぞ。 これでも通じないのか」
「貸してみろ」
ジョー氏が弄ってみるが、結果は同じだ。アーサーが周囲を見回して舌打ちする。その目はいつになく真剣だ。
そういえば、以前彼と共闘した時。こんな目をしていたような気がする。
「これは尋常な魔力ではないぞ。 島そのものが、巨大な怪物だと思った方が良いかもしれんな」
「あんたが倒した大魔王よりも強いか」
「大魔王か、そうだな。 ざっと見た感じでは、かなり格上だな。 というよりも、異星の神となると、強いのは当然か」
「異星の神? 何ですかそれ」
スペランカーがアーサーの雄偉なる体躯を見上げる。髭もじゃの騎士は、むしろ驚いたようだった。
周囲の何人かも、怪訝そうにスペランカーを見ている。
「おや、スペランカーどの。 貴殿は当事者の一人だと聞いていたが」
「え? 何のことですか?」
「お前が倒したダゴンとクトゥヴァは、この星の神ではない。 そして、多分此処にいる奴もな。 しかも、どうもこの島の浮上には、色々と面倒な条件が絡んできていてな、その中にはこの間の事件が絡んでるんだよ」
Mが教えてくれる。スペランカーがえっと呟いたので、知らされていなかったのかと、アーサーが渋面を作る。知らんとMがそっぽを向いた。
やはりという感はある。フリーランスに近いスペランカーは、所属しているフィールド探索者の会社も権限が弱く、必要な情報が入ってこない事も多い。腕利きならばある程度も優遇されるのだろうが、それもない。スペランカーは特化型で、とにかく派手さに欠ける。会社としても、地味な実績しか上げられないスペランカーに、無い袖は振れないと言うことだ。
今回の探索だって、病院の治療費が保険が利いたとはいえそれでもがっぽり取られてしまったと言うこともある。餓死するのはいやなので、参加しているのである。この辺りは、スペランカーは日雇い派遣の労働者とあまり扱いが代わらない。一回の給金自体は決して安くないが、いつも仕事がある訳ではないのが現状なのだ。
一旦全員が展開する。周囲に敵影は無し。ジープはジョーが運転し、進み始めた。翠が何処までも広がる麗らかな草原だが、さっきのアーサーの言葉からして、まともな場所だとは思えない。
蜂が飛んできた。
大げさにも、Mが手から火球を放って焼き尽くす。
異常が起こったのは、その瞬間だった。
どっと、辺りの草が地面に引っ込んだのである。あまりにも異様な光景だった。草原が、いきなり荒れ地に変貌したのである。
思わずブラスターに手を伸ばしたスペランカーは、円陣を作るベテラン達に押し出されそうになった。追い出されてしまったのはダーナで、小さな悲鳴を上げて地面に転がってしまう。
ジョーはジープの上で軽機関銃を構え、獣のような目で辺りを見ていた。あれで睨まれたら、虎や獅子でも逃げ出してしまうかも知れない。また、蜂。M氏は舌打ちすると、跳躍。ただその一動作だけで、数十メートルは天に向けてその体が跳ね上がる。
M氏が天に手をかざし、その頭上に数メートルはあろうかという火球が出現。次の瞬間、辺りに流星雨がごとく炎がまき散らされていた。爆発が巻き起こり、焦げた匂いが周囲に充満する。凄まじい火力である。
蜂など、粉みじんに消し飛んでいた。
悲鳴。円陣から離れようとした一人が、地面から伸びてきた翠の草に、くわえ込まれたのである。草ではなく、イソギンチャクだったのか。見る間に石になっていくその男の下で、アーサーが剣を振るう。おぞましい悲鳴を上げて草が両断され、石になって落ちてきた男を、Mの弟Lが受け止めた。
「小僧、早く回復しろ」
「は、はいっ!」
ダーナが慌てて術式を唱え始めるが、すぐに回復する訳ではない。真っ白の石になってしまった男を見て、アーサーが呟く。
「やはり恐ろしき人外の地よ。 他に怪我人は」
「大丈夫です!」
「皆、孔には気をつけろ。 あの草はどうやらイソギンチャクのような捕食生物のようだな」
着地したMが舌打ちする。向こうの空に、真っ黒になるほど凄まじい数の何かが見えたからだろう。
「対空砲撃戦用意! 近づけさせるな! 全滅させるぞ!」
スペランカーはこうなるとやることがない。Mが滅茶苦茶な大きさの火球を造り出し、投げまくっているのを横目に、脂汗を絞り出しているダーナに駆け寄る。
「大丈夫? 怪我はない?」
「大丈夫です。 僕、どうも弱々しくって」
「何でも得意な人なんていないよ。 魔法が使えるだけでもすごいじゃない」
石になっていた男に、徐々に赤みが差してくる。彼が息を吹き返した頃には、Mが展開した無茶苦茶な火力で、遠くの空にいた何かの大軍は、欠片も残さず消し飛んでいた。それにしても凄まじい。米軍の艦隊あたりが総力で艦砲射撃を喰らわせたのと同じくらいの火力なのではないか。
いや、だが昔のフィールド探索者が、今より弱かったという話も聞かない。ならばこの島の脅威は、この程度では済まないと言うことなのだろう。
「最大限の警戒をしつつ進む。 おいダーナとか言ったな、魔法使いの小僧。 お前はジープだ。 さっさと乗れ」
「え?」
「石になった奴もジープに乗せる。 出来るだけ機動速度を上げて、敵に捕捉される可能性を下げていくぞ」
M氏が鬼のような形相になっている。
何かを感じているのだろう。そうとしか思えなかった。スペランカーは不安になってアーサーを見たが、彼も同じだった。
これは容易ならざる状況だ。それを悟り、スペランカーはヘルメットの緒を締め直したのだった。
そして半ば諦める。先に入ったという若者は、多分生きていないだろう、と。
2、闇の世界
もしも、願いが何でも叶うとしたら。
師匠は「知識」と応えただろう。自分の全てを犠牲にしてでも、その貪欲すぎる知識欲を満たそうとした人。そういう印象がある。極端なたとえだが、ウィルを生け贄にしなければならないとなったら。師匠は確実にウィルを生け贄にし、世界の全ての知識を自分のものとしただろう。
師匠とは、そう言う人だ。
ウィルは物陰に隠れて、息を殺しながら、それを思い出す。
もしも全てを失うとしても、師匠は知識を得るためなら、喜んだだろう。例えば、視線の先にいるような姿になってしまったとしても。
視線の先には、骸骨だけになっても動き続ける呪われた戦士達が複数、哨戒に当たっていた。しゃれこうべの頭部には髪が僅かだけ残っており、その無惨な様を余計に強調している。骸骨達の手には、それぞれ様々な得物が握られていた。中東風の曲がった刀シャムシエルを持つ者、J国式の鋭く美しい刀を手にしている者、それにトゥーハンデッドの西洋剣を持っている者さえいる。
よく見ると、彼らはカルシウムではなく、石で出来ていた。
つまり此処で果てたフィールド探索者か、或いは金目当てに侵入した者達の末路という訳だ。石になってもそのままでいてくれるかと言われると、ノーというのが正しい所なのだろう。
やがて骸骨達は、示し合わせて何処かに行ってしまった。
がちゃん、がちゃんという非生物的な足音に、ウィルは首をすくめた。集中だ、集中。自分にそう言い聞かせて、向こうを伺う。
ヤドカリがたくさんいた遺跡を抜けると、洞窟に出た。典型的な鍾乳洞だが、とんでもない深さで、既に数キロは潜っている。しかもどういう事か、遠くに雷鳴のようなものは見えるし、既に異常な物理法則が支配する世界にいるとしか思えない。
此処は、異界の神の土地だという。それくらいは、普通なのかも知れなかった。
ぞわりと、全身が総毛立つのを感じた。
振り返ると、全長四メートル以上はありそうな巨大な芋虫が、此方を見ていたのである。しかも、獲物を狙っているのは確実だ。その円筒形の巨大な口が、鋭い牙を見せつけながら、押し開かれる。
反射的にボンを投げ込む。
後ろでとどろく断末魔の悲鳴に耳を塞ぎながら、ウィルは走る。周囲から、がちゃがちゃと響くのは、此方に気付いた骸骨の戦士達に間違いない。見つかる。連中は、まるで猿のような跳躍を見せ、見る間にウィルとの間を詰めてきた。
かちかちと鳴っているのは、石になった髑髏の顎だ。死ねばああなる。恐怖に足が止まりそうだ。悲鳴を上げながら、ボンをばらまく。爆風に巻き込まれた髑髏が消し飛ぶが、すぐに別の骸骨が現れ、また追いすがってくる。
どうみても生物としての範疇を逸脱しているだけあって、骸骨のくせに動きは速い。生者よりも機動力が高いほどだ。
ぶらんと、目の前に巨大な芋虫がぶら下がってくる。しかも、大量の鳥もち状の粘液をはきかけてきた。飛び下がるが、転んでしまう。
「うわっ!」
情けない悲鳴を上げて、尻餅をつく。
其処までだった。
目の前に、剣を突きつけられる。前にも後ろにも、骸骨の戦士達が、十重二十重の包囲網を作り上げていた。
彼らは逃げ回った挙げ句、爆弾を撒いたウィルに、相当頭に来ている様子だった。
手を挙げるが、分かってくれているかはわからない。骸骨の戦士の一人が剣を向けて何か人間には聞こえない言葉を言うと、大人しく芋虫は天井に引っ込む。途轍もなく巨大化したグロウワームのような生物なのかも知れなかった。それにしては知能がかなり高いようだが。
よく見ると、緑色に輝いている全身は、ルシフェラーゼの光に包まれている。どうやら予想は当たったようである。
「言葉ハ分カルナ。 立テ」
骸骨が威圧的に喋る。人間の言葉が分かるのなら、コミュニケーションも出来るかも知れない。
もう終わりだと思わないように、ウィルはそう自分に言い聞かせた。
M氏が地面を纏めて焼き払い、イソギンチャクも蜂も蝙蝠も、全て焼き肉にしてしまった。暴力的なまでの行動だが、しかし石になるよりはマシである。
そこに、ダーナが術式をかける。床を石で舗装し、ある程度の奇襲を防げるように対処を済ませた。手慣れた動作で、ジョーがキャンプを張る。他のメンバーは、めいめい偵察を開始していた。
草原は一段落して、小高い丘の上に出ている。本来なら麗らかな光景だが、周囲に生えている草が肉食性のイソギンチャクもどきであり、見掛ける生き物がことごとく危険な石化の魔力を秘めていると思うと、とても気楽ではいられなかった。
丘の下には、ギリシャの神殿を思わせる遺跡がある。とはいっても、それを構成しているのはよく分からない丸石で、どうやってあの形に積み上げているのかがよく分からない。相互の接着も、セメントか何かを使っているのだろうか、ぱっと見では判断が付かなかった。
「スペランカー。 おっと、スペランカーさん、というべきかな」
「えっ!? はい」
M氏が凶暴な笑顔を浮かべている。何かろくでもないことを考えているのは、一目瞭然だ。
姿勢を正してしまうのは、M氏がスペランカーとは比較にならない経歴の大先輩だからだ。もちろん、それ以外にも、圧倒的な迫力が相手に備わっているという事もあるだろう。それにしても、まるで肉食恐竜が笑顔を浮かべているかのようである。
「ちょっとあの遺跡を偵察してきて欲しい」
「あ、はい。 分かりました」
「スペランカーどの。 我が輩も同行しようか」
M氏の横暴な行動を見かねたか、アーサーが助け船を出してくれる。だが、この面子の中でスペランカーが出来ることと言ったら、生存能力の高さを利用しての偵察任務か、神的存在に対する必殺の打撃くらいしかない。アーサーは歴戦の猛者であり、強力な能力を生かしての戦闘という花形任務も抱えている。此処は、スペランカーの仕事だった。
「大丈夫です。 無理はしませんから」
「それは頼もしいことだ」
にやにやしているM氏は、咳払いするとジョーの方に行った。単純な戦闘能力はともかく、歴戦という点でこの面子の中でもジョー氏はずば抜けている。M氏としても、様々に相談したい点はあるのだろう。
ジープには、既に何名か石化したフィールド探索者やその装備が積まれている。彼らを回復していたダーナが、ヘルメットを被り直すスペランカーを見て、駆け寄ってきた。
「スペランカーさん、僕も行きましょうか?」
「大丈夫だよ、待ってて」
「貴方の能力のことは知っています。 しかし石化の魔法に対しても、カウンターが働くものなのでしょうか」
「平気だよ」
本当に平気かは分からないが、このおっとりした中性的な少年を、スペランカーは嫌いになれない。だから、心配は掛けたくなかった。
既にアトランティスに潜入してから二日が経過している。まずは地図を作る作業にM氏は終始しており、なおかつ見掛けた生物は根こそぎ皆殺しにしていた。ジープによる惜しみない補給物資の提供もあり、既に日本列島くらいの広さの大まかな地図が完成している状況である。
ただし、この島はオーストラリアの半分ほども面積があり、それでもまだごく一部、という所である。しかし既に拠点として確保している地点にはバンゲリングベイによって追加の補給物資が輸送されてきており、まずは順調、という所であろう。ただし、蜂や蝙蝠に触っただけで石になってしまうので、ジープに積まれている被害者を例に出すまでもなく、既に損害は出始めていた。幸い、死者は出ていないが。
現時点で四つの遺跡が確認されており、それぞれの内部空間は数キロに達するという調査機器類の結果も出ている。それだけではない。超音波探査などで地下の巨大鍾乳洞も発見されている。しかもフィールド内に、更に重異形化フィールドも存在していることが分かってきており、まだまだ此処は入り口だと言うことがはっきりした。M氏の嫌がらせというわけではなく、実際に偵察に行く意味はある。
過去の調査チームの報告書には、これら遺跡の中から、更に並行世界や別フィールドへ通じる路が発見されたというものもあると、M氏は言う。そう言う意味でも、偵察は重要であった。
意を決して、遺跡に向かう。
他の偵察チームも戻ってきている。時々彼方此方でドカンドカンと音がしているのは、何か生き物を見掛けている、という事だろう。触れば石になってしまうのだから、過剰反応も仕方がないのかも知れない。事実N社やC社から精鋭ばかり集めているのに、石になる者が何名も出ているのだから。
荘厳な神殿を思わせる入り口に着く。丸石で作られた円柱は、近くで見ると何処か不気味だった。触ってみると、ちょっとぴりっとした。何か、強い呪いでも掛かっているのかも知れない。
見上げると、丘の上で此方をアーサーとダーナが見ていた。特にダーナの方は、女の子みたいな仕草でこっちを不安げに伺っている。ちょっと面白いと思った。そう言えばあの子は、どうも中性的では済まない雰囲気である。ひょっとしたらと思うが、それは敢えて口にせずにおく。
遺跡の入り口はぽっかりと口を開けており、ある種の深海魚が獲物を誘っているかのごとく、である。
奥は当然真っ暗。ヘルメットは今回ライトつきのものが支給されているので、四苦八苦しながら点灯する。奥の方は、しかし。ライトの光を浴びせているにもかかわらず、光が吸収されてしまうかのようだった。
ゆっくり、慎重に。
渡された地図に、少しずつ書き足していく。ぎょっとしたのは、外から見えている遺跡の外枠と、明らかに内部の空間が一致していないことである。やはり物理法則など、最初から通用しない場所だと考えるべきなのかも知れない。
何か、ぬちゃりと、音がした。
天井から、激しい音とともに何かが落ちてくる。息が出来なくなる。
最初からこれか。絶息して、意識を失う。目が醒めた時には、辺りには粘液が飛び散り、服が再生中だった。ヘルメットも酷く腐食している。
粘液そのものが生物となった存在、だったのだろうか。ライトがかろうじて無事だったので、天井に向けてみて、ぞっとする。
辺り中、その粘液まみれだったのだ。
それらが、一斉に飛び掛かってくる。
これでは、確かにどんなチームを送り込んでも、犠牲が大きくなりすぎるはずだ。また遠のく意識の果てで、そうスペランカーはぼやく。
咳き込みながら、立ち上がる。
全身が酷くだるい。いつもより、復帰時の消耗が大きいようだ。やはり、この島に満ちている魔力とやらが強く影響しているのかも知れない。辺りを見回すと、粘液状の生物が、遠巻きに此方を伺っていた。
服が再生途上なので、胸を隠して、立ち上がる。体中がひりひりする。多分あの粘液が、全て強い酸なのだろう。気持ち悪い。
スペランカーがてふてふと歩くと、粘液状の生物がその分下がる。
頷くと、スペランカーは、遺跡の奥へと歩き始めた。
早速、遺跡の中で戦いの気配がする。
腕組みして様子を見ているMを一瞥したアーサーは、それきり何も言わない。髭もじゃの顎に手を当てて、なにやら考え込んでいる。
同じ年ごろに見える相手と言うこともあるし、ひ弱な自分に良くしてくれていると言うこともある。ダーナはスペランカーが心配でならなかった。能力の特性については聞いているし、魔力を見ることが出来るダーナはその全身を覆う禍々しい呪いには戦慄させられていた。魔法を扱う者の世界では、スペランカーの体を覆っている呪いの凄まじさが時々話題に上がるが、実際に目にすると噂以上だった。あれは、本当にとんでもない神と契約したのかも知れない。
また、偵察チームが怪我人を出して戻ってきた。石になってしまっている。名が知れたフィールド探索者だというのに。
「L、どうした」
「兄貴、すまない。 崖の下を調査していたら、土の下からいきなりばかでかい芋虫が出てきてな」
「焼き殺したか」
「それはすぐに。 ただ、一人石にされちまった」
無言でダーナが解析に掛かる。
同じ石になると言っても、症状にはだいぶ個体差がある。恐らく生物がそれぞれ秘めている石化魔力の破壊力に起因しているのだろう。
此処は地獄だ。水辺に行けば魚が飛び掛かってくるし、草原を歩けば蜂や蝙蝠に石にされてしまう。知的生物も、当然いるようだ。既に偵察チームの中には、半魚人の群れに襲われたと証言する者達も出始めている。半魚人に石にされた人間は、特に石化解除が難しかった。
芋虫にされた人を元に戻す。嘆息しながら首を鳴らすその人は、ダーナなど問題にもならない戦績の持ち主だが。それでも、この島では通用しない部分が多かった。
「兄貴、戦略はこのままでいいのか?」
「しばらくはな。 一旦地上部分を全て探査しておきたいところだが、状況によっては柔軟にうごかなけりゃならんだろうよ」
「しかし、このままだと本当に被害が出始めるぞ。 今回はその若造がいるから、石化した連中も復帰できてはいるが。 それでも粉々にされたら、死ぬしかないだろう」
「何だ、怖いのか」
Lは別に、と呟いてそっぽを向く。
仲がよい兄弟ではないと聞いてはいたが、どうもそれは本当らしい。LはMに対する不満を押し殺しているようにも見えるし、MはMで弟の精神的な弱さに失望を隠せない様子であった。
夜が来る。
時計からすると、丁度昼過ぎの筈なのだが、どうも時間の流れまでもおかしいようだ。キャンプを張って、何交代かで休む。アーサーはダーナのテントの側で見張りをしてくれていた。ダーナには常に手練れが護衛に付くという戦略だから仕方がないとはいえ、少し緊張する。
スペランカーが戻ってきたのは、夜が明けてからだった。
酷くぼろぼろになっている。しかし、絶対生還者の二つ名は、伊達ではなかったという事である。他にもいる女性のフィールド探索者が毛布を持ってきて掛けて上げる横から、Mは無遠慮に話を聞こうとしていた。
「ふん、流石だな。 それで、敵地の様子は」
「非常に危険です。 奥の方は半魚人みたいな人達がたくさんいて、組織的に襲ってきました。 入り口の方もいろんな生物がいて、何回石にされたことか」
「具体的な地図と、敵の配置を見せて欲しい」
必死の思いで生還してきたスペランカーに対する行動に、流石に非難の目を向ける周囲。だが、Mはまるで水を掛けられた蛙だった。毛布を被ったスペランカーにホットミルクを出そうとした女性フィールド探索者に、Mは後にしろと声を荒げた。
この辺りの残虐性が、逆に言えばミッションの成功率を上げているのかも知れない。Mが世界最強と言われるのは、その強力な能力もさながら、この辺りの半分人間を止めているような精神にも要因があるのだろう。
流石に槍を手にしようとしたアーサーを制止する。こんなところで仲間割れを起こしたら、チームは全滅だ。
「ロード・アーサー。 落ち着いてください」
「槍を磨くだけだ。 それにしても、紳士たらんとせぬ男よ。 腕は認めるがな」
しばらく話を聞いていたMは、やがてリンクを呼ぶ。Mとはかなり古いつきあいらしいN社のナンバー2フィールド探索者は、なにやら魔法陣を書き始める。ダーナも横目に見るが、構造が複雑すぎて何をする魔法陣なのか理解できなかった。世界最高の術者の一人だと聞いているが、それも頷ける話である。
跪いてなにやら術を唱えているリンクを横目に、Mが地図になにやら書き込んでいる。そういえば、探索チームを派遣する度に、そうしていたような気がする。冷酷と言っても、歴戦の猛者だ。もちろん、何かしら戦略があって行動しているのだろう。
やっとホットミルクにありついたスペランカーの側に行く。既に治療は全員分を終えていた。
「ダーナくん」
「スペランカーさん、お疲れ様です。 そんなぼろぼろになるまで無茶をして」
「良いんだって。 私にはこれくらいしか取り柄がないから。 みんな色々身を削りながらご飯の糧を得てるでしょ? 私にとっては、自分が痛い思いをすることが、そうだっていうだけ」
アーサーが嘆息する。歴戦の騎士は、戦場で色々なものを見てきているだろう。もちろん、スペランカーの言葉が正しいことも理解しているに違いない。
だが、ダーナはあまり認めたくはない。
この仕事をするようになったのも、せめて誇りとともにありたいと思ったからだ。
だが、不思議とスペランカーが誇りを捨てているようには見えないのだ。著しく我慢はしているようには見えるのだが。
「もう二三箇所だな」
向こうでMが呟いている。ホットミルクを飲み終えたスペランカーが、はあとため息をつく。
「もう出発かあ。 元気だね、Mさん」
「あれの体力は常人と比較してはならんものだ。 我が輩でも、総力戦を挑んで勝てるとはとても思えん」
悔しそうにアーサーが呟く。
世界最強の男は、キノコから作ったエキスを一気に飲み干すと、全員にキャンプを畳むように指示し始めた。
ウィルは手足を縛られて、その間に棒を通され、つり下げられた。
どうもあの骸骨や生物たちは、自分の意思で石にするかしないかを切り替えられるらしい。かといって安心できない。これでは、まるで未開人に運ばれる御馳走のようだからだ。彼らの主君が、人肉を好まないという保証は何処にもないのである。
洞窟の奥へ奥へと揺られていく。
よく観察してみると、骸骨達は決して人形という訳ではない。途中此方には聞き取れない言葉で会話しているし、面倒くさげに頭を掻いたりもしていた。或いは、人間だった時の習慣や意識が残っているのかも知れない。
洞窟を出る。
麗らかな平原とはまるで無縁の、恐ろしい場所に出た。
まず、空が真っ暗である。だというのに光があり、どうしてか周囲を見ることが出来る。辺りにあるのはイースター島のモアイ像やピラミッド。しかも、どれもが本来のものよりもぐっと大きい。
師匠の学説を思い出した。
師匠によると、人間の脳内にはアーキタイプともいうようなものがあるという。各地の神話がにかよるのは、何も文化的な流れが社会全体を覆っているから、だけではない。文化的に隔絶したはずの地域にも、そういったアーキタイプの影響を受けている文明が存在しているからだ。
師匠の学説には、常に干渉者という言葉が出てくる。
人類の歴史に影から関わり、干渉し続けてきた何者か。時々気紛れに文明を与え、その奇形的な発見を嘲弄とともに見守り、やがて飽きたら捨ててしまう。そうして、不可解な壊滅と消滅を遂げた文明が幾つもある。
神は決して人間を愛して等いない。
玩具として、愛でているだけだ。
その冷笑的な学説は、当時反発を様々な方向から受けた。学会からも相手にはされなかったし、宗教系の勢力からは暗殺者まで送られたという。だが、師匠は何処吹く風であり、その学説を裏付けるためにも、アトランティスに向かうとウィルに言った。アトランティスであれば、実際に師匠が考えている神に遭遇できるかも知れない、というのが理由だった。
自分の命など二の次三の次である。師匠にも家族がいないこともなかったのだが、そちらともとうの昔から絶縁状態だったと聞く。ウィルも反対したが、聞く耳など持ってはもらえなかった。
孤高と言うよりも、社会と関わる事自体に向いていない人だったのだろう。
今、ウィルが助けに向かっているのも、たった一人の肉親だと言える存在だからだ。だが、師匠は来たウィルを見ても、煩わしそうな顔しかしないような気もする。なんだか、全てが暗い方向へ、思考が進んでしまう。
やがて、不意にどすんと下ろされた。
自分が生け贄を捧げるアステカのピラミッドのようなものの前に運ばれて来たことに気付いて、ウィルは呻いた。
アステカの文明では、太陽は生け贄を捧げ続けないと運行を停止すると信じられていた。そのため、戦争までして生け贄の人間を確保していたほどである。もっとも、生け贄になるのは名誉なことだとされていて、スポーツをして勝った方が生け贄にされる、というような事もあったそうだ。
だが、ウィルはまだ死にたくないと思う。あの形状のピラミッドで、同じ事が為されるのだとしたら。
もがく。
しかし縄の結び目は非常にきつく、とても逃げられるものではなかった。
「逃ゲラレルナドト思ウナ」
機先を制して骸骨が言う。周囲には巨大な芋虫が複数、獲物を狙う毒蛇のように蠢きながらウィルを見ていた。
こういった原始的な生物にとって、待つという行動は全く苦にならないはずだ。ウィルが逃げる機会は完全に失われた。
骸骨達が、かちゃかちゃと音を立てながら去っていく。
何とか縄だけでもどうにかしないと。
遠くで凄い雷の音がした。身をすくめるウィルの側で、芋虫が涎を流している。美味しそうな獲物だと、ウィルを見ているのは明らかであった。
幸いにも、ボンは取り上げられていない。リュックもまだ背中にある。
どんな生物でも眠るはずだ。あれだけ大柄の生物だと、どうしても心身のリフレッシュが必要になるはずで、必ず時間さえあれば隙が出来る。心を落ち着かせれば、きっと活路だって見えてくる。
師匠は冷酷な人で、見込みがないと思えば以降は教えてくれなかった。だから、殆どは自力で習得した。ウィルは頭が良い方ではなかったし、覚えも遅かったからである。時々師匠がウィルを見る冷たい目は忘れないだろう。
だが、それでもウィルにとっては親なのだ。
転がされたまま、ウィルは必死に縄抜けの方法を考える。縄さえ抜けてしまえば、勝機はまだあった。
スペランカーは三つめの遺跡に挑戦させられていた。やはり不思議な丸石を素材として使っている。柱や壁も、全てが、である。
それで崩れてこないのだから不思議だ。ヘルメットの明かりを向けると、天井までもがそうなっているので、落ちてこないか怖くて仕方がなかった。
アーサー達には告げていないのだが、遺跡の奥まで見てきたら、其処に置いてくるように言われているものがある。見た感じはちょっとごてごてと色々装飾が着いた棒のようなものだ。
M氏の腹心であり、N社のナンバー2フィールド探査者である魔法剣士リンクが作ったものらしい。ソナーのようなものだとM氏は言っていたが、そんなものがどうして必要になるのかはよく分からない。
ざわざわと、遺跡の奥から足音がする。
とても人間のものとは思えない。奇妙なうなり声のようなものも聞こえてくる。
時々、生活臭を遺跡の中で感じる。此処で生活している者達は、案外幸せな生活を享受しているのかも知れない。というのも、争いの形跡が全く見られないからだ。外敵に対して襲いかかっているだけで、ひょっとして侵略者はスペランカー達の方ではないかと、M氏の暴力的なまでの火力殲滅を見ていると思ってしまう。
しかし、ダゴンと同じ気配を、奥の方から感じるのも事実である。そうなると、決してこの島の支配者は善良な存在ではないだろう。
柱の陰に隠れて、様子を見る。もちろんヘルメットのライトは消した。息を殺して隠れていると、現れたのはミイラ男だった。数はどう見ても数十はいるだろう。動きは鈍く、手を前に出したまま、のたり、のたりと辺りを歩き回っていた。
「気配があったのはこの辺りか」
「ああ。 西の遺跡も侵入者がいて、かなり損害を出したらしい」
「神がお怒りになるな」
「ああ、面倒な話だ」
意外に流ちょうな言葉が聞こえてくる。しかもどういう訳か英語である。手元にある電子手帳には、しっかりと英文が表示されていた。
驚いたのは、ミイラ達が明らかに神を喜ばしく思っていない、ということだ。ひょっとすると、彼らと何かしらの方法で協力が出来るかも知れない。殲滅だけが路ではないと、すこしだけ思うことが出来た。
ミイラの一体が腰を下ろす。別のミイラが差し出したのは石か。とにかくそれを口に入れ、ばりばりと噛み砕き始めた。他のミイラ達は、めいめい別々の方向に散っていく。
「ああ、うめえな」
「三十年ものだ。 結構見つけるのに苦労したぜ。 上流から流れてくる量も、少しずつ減ってやがる」
「難儀な話だ。 神が政権交代したってのも、本当らしいな」
「前の神さんは邪悪だったが気前は良かったからなあ。 今度の神さんはどうもけちくさくっていけねえや。 とはいっても、反抗しても勝てる相手じゃねえしなあ」
自虐的な笑いが、ミイラ達の口から漏れる。何とも人間くさい連中であった。石のようなものも、実際には何か別の物質なのかも知れない。
スペランカーは柱の影にそっと棒を隠すと、その場を後にした。
M氏は今の話を聞いても、容赦などしないだろう。何だか敵が気の毒に思えてきた。もしも彼らが神と呼ぶ恐らくは異星の存在を倒せば、どうにか出来るのだろうか。そうも思えない。
戦争は残酷だ。いつも犠牲になるのは弱い者ばかりだ。
やりきれないと思いながら、帰路を急ぐ。途中何度か巨大な芋虫に襲われたり半漁人に噛みつかれたり蝙蝠に噛みつかれたり軟体生物に溶かされたりしたが、いずれも相手が怪我をするだけで終わった。
でも、服は元に戻らない。芋虫に丸呑みされたのが特にいたかった。何というか、お外はあまり歩きたくないほどに痛んでしまっている。
多分侵入してから三十七時間ほどが経過しただろうか。どうにか、外に出ることが出来た。
出口に到着して、陽の光を見ても、どうしても気は晴れなかった。
M氏はスペランカーを見ると、また早速質問を始める。ぼろぼろのスペランカーに同情してくれる人もいるのだが、お構いなしという感じだ。一応見かねたSという女戦士が毛布を掛けてくれるのだけは許してくれた。とても優しすぎて、涙が出るほどである。
向こうではアーサーが額に青筋を浮かべてくれているのがせめてもの救いか。でも、アーサーのことを尊敬しているスペランカーでも、それは出来れば止めた方が良いと思う。熟練の戦士にて圧倒的な強さを持つ騎士であるアーサーだが、それでもMには歯が立たないだろう。
「ほう? それは本当か」
意外な所に、Mが食いついてきた。さっきのミイラ達の話である。
冷酷非情なMにも人間味があるのかと思ったら、しかし一瞬後に裏切られる。やはりMはMだった。
「敵から内通者を募ることが出来れば、より戦いが楽になるな。 リンク、今の話をどう思う」
「僕も同感です。 敵が内紛で頭数を減らしてくれれば、突破作戦も容易になるでしょう」
何だかいやな予感がする。
今だ探索段階なのに、突破作戦とか言う単語が出てきている時点で、何かろくでもないことをM氏が考えているとしか思えない。
そしてそれは、間もなく現実となった。
一旦探索が停止される。戻ってきた戦力を一晩掛けて回復させて、それからM氏は皆を見回しながら言う。
「これから、突破作戦を開始する」
「何を。 何処で」
不快感を隠さず、アーサーが応じる。
C社のトップエースである可変型戦闘ロボットRが出てきていないことからも分かるように、N社が今回の探索ではイニシアチブを取っている。とはいってもナンバー2のアーサーや歴戦のジョーが出てきている時点で、C社も主導権を好き勝手にさせない気なのは明白だ。
それに、アーサーは今までスペランカーに対してM氏がしてきた横暴に一番腹を立ててくれている。それも原因の一つだろう。
「まずは聞け、騎士アーサー。 今まで、偵察チームにこの棒を撒いてきて貰った。 これはなんだと思う」
「独特の魔力周波を放っているようですが……」
スペランカーの隣で、不安そうにダーナが応じる。今まで石化解除の魔法を大量に使ったため、疲弊で顔が青い。
スペランカーも色々酷い目に遭ってきたが、ダーナもかなりこの島に来てから酷い目に逢いつづけているようで、同情してしまう。
「まあ、一言で説明すると一種の魔術的なソナーだ。 しかもリンクが作った、もの凄く複雑な仕組みの、な。 これで、今まであの魔法陣を使って、この島の構造を、魔術的に、立体的に組み立てて調べていた」
にやりと、Mが笑う。
多分、誰も気付いていなかったことが快感なのだろう。歴戦の猛者達でさえ、今までこのような絨毯爆撃的な探索に意味があるのだろうかと口を揃えていたのである。戦略はあるのだろうとは推察していたが、まさかこのようなことを言い出すということは、既に解析が完了したと言うことなのか。
「リンク、説明しろ」
「はい。 僕と、N社の構築チームが作り上げたスパコンが解析した結果、この島は七重の多次元時空構造になっていることが分かりました」
「多次元時空構造?」
「一言で言うと、空間がパイの皮のように積み重なっているんです。 遺跡の中で落雷が起こる広い空間が観察できたり、突如砂漠に出たチームもいたそうですが、それも当然の話です。 早い話が、七つの世界がこの島の上で混じり合っていると考えてください」
アーサーが腕組みして頷く。
最初のベースに、バンゲリングベイが追加投入してきた物資の中に、大きな箱があった。それが多分スパコンだろう。それにしても、よく調べたものである。リンクの調査能力は認めざるを得ない。
「そういえば、魔界に近い空気も感じる。 それでか」
「はい。 外に無線が通じないのも、魔法的な事よりも、むしろ時空間的に通じていないからです。 行方不明になった過去のチームの幾つかも、そうやって次元の断層に落ち込んでしまったのでしょう」
難しい話である。小首を捻るスペランカーに、もう一度ダーナが噛み砕いて説明してくれた。
それでどうにか理解できたが、それがどう突破作戦につながるのかは、まだ分からなかった。
「そこで、我々としては、その構造を逆利用します」
「壁に孔を開けると言うことか」
「流石は騎士アーサー。 サーの称号を受けているだけのことはありますね」
にこりとリンクが笑う。どうしてか、裏を感じてしまう笑顔だ。造作的にはとても感じがよい筈なのだが。
この場に来ているフィールド探索者の中にも、空間操作系が何名かいる。川背が使う空間接続は決して珍しい能力ではないのだ。彼らの力を借りて、パイの皮を剥くように、強引に正面からアトランティスを潰すのだという。
「言うまでもないことだが、パイの皮の中心にこの島の支配者がいる。 奴を潰せば、長年海を漂い、多くの人間を死地に連れ込んだアトランティスの伝説は終わることだろう」
Mは自信を湛えて、凶暴な笑みを浮かべた。
そうなると、此処からは正面突破だ。今まで面に対する攻撃をしていたのを、いきなり点への攻撃に絞ることになる。
今まで愚直に探索を続けていたのも、恐らくはこれの布石だったのだろう。スペランカーはようやくその辺りが理解できて、却って安心してしまった。
「流石だ。 世界最強の名を欲しいままにするだけのことはあるな」
「でも、安心しました」
「ん? スペランカーどの、どうしてだ」
「これで一気に勝負が付く可能性が高いって事ですから」
できれば、あまり犠牲は出したくない。
それが、あのミイラ達の会話を聞いた今、スペランカーが正直に思うことだった。
ピラミッドの前にウィルが転がされてから、しばらく時間が経った。
相変わらず人食い芋虫たちは周囲を見張っているが、まるで他の動きはない。骸骨達も、ぱたりと姿を見せなくなった。
最初恐怖で胃が焼け付くようだったが、しばらくすると落ち着いてくる代わりに、腹が減り始めた。リュックは近くに転がされている。ボンも入ったままだ。いざとなったら、食事をするより先に、隙をつかなければならないだろう事も、ウィルを憂鬱にさせた。
当然、排泄の欲求もある。縛り上げられたままでは、そのまま垂れ流すしかない。
場合によってはそれも覚悟していたとは言え、益々気分は沈んでいった。
「あ、あのー」
人食い芋虫に話し掛けてみる。芋虫は首を揺らして、不意に獲物から話し掛けられたことで警戒している様子だ。
最初はそれで黙ったが、もう一度話し掛けてみる。どうせ殺されるのなら、多少は待遇を良くして貰っても良いはずだ。それに、相手が油断していれば、隙だって突きやすいだろう。
「縄、ほどいて貰えませんか。 その、排泄をしたいんですが」
言葉が通じる訳無いだろうなあとウィルは思っていたが、意外な展開になる。
空間に穴が開いて、其処から何体か、骸骨が現れたのだ。彼らはウィルを一瞥すると、縄をほどく。ただし、ほどいている以外の骸骨は、全員がウィルに武器を向けていた。
そのまま、谷に連れて行かれる。ピラミッドの裏手は文字通り千尋の谷になっていたのだ。何でこんな危ない場所に、ギザのもの以上のピラミッドを造ったのだろうとウィルは思ったが、よく見ると違う。
地盤が、崩壊したのだ。
ピラミッドはかなりの技術で作られている遺跡であり、地盤の調査から、正確な測量までもが取り入れられている。現在でも、分かっていない技術も使われていた可能性が高いとさえ言われているのだ。特にエジプト式の高度なものが有名だが、南米式も相当に高度である。
そんな技術が取り入れられているのに、このような危険な場所にピラミッドを造る訳もない。
「其処デシロ。 変ナ真似ヲシタラ突キ落トス」
「あ、はい。 すみません」
これでは、逃れる術もない。人間に監視されているわけではないとはいえ、非常に不愉快だった。
とりあえず排泄を済ませると、また後ろ手に問答無用で縛り上げられた。食事もさせて欲しいと頼むが、こっちは無視された。だが、この間に、ウィルは手の中に、ボンを幾つか落とすことに成功していた。
骸骨達が、また空間の孔に消えていく。
今のではっきりしたが、彼らはどうもウィルを即座に殺したり御馳走にしたり石にする気はないらしい。そうなると、長期戦を考慮して、ある程度作戦を練ることが出来る。若干選択の幅が広がって、ウィルは安堵の嘆息をすることが出来た。
行動を起こすとしたら、何か突発的な事故が起こった時だ。敵の混乱を突くのが一番確実だろう。
ろくでもないことをまた考え始めてしまうので、頭を振って追い払う。ウィルは、師匠に良く言われたものだ。蜘蛛を見習えと。
必要とあればいつまででもじっとしていて、いざというときは稲妻のように動いて敵を襲え。
師匠は、どうしているだろうか。
ウィルは縄の様子を確認しながら、そんな事を考えていた。
3、突破作戦
巨大な魔法陣が地面に出現する。リンクが作り上げた代物だ。文字は複雑で、何が描かれているのかさえよく分からなかった。じっと見つめている内に、淡く輝き出す。
少し前から、時々此方を伺うようにとんできた蜂や蝙蝠も、姿を見せなくなっている。下手な戦力では返り討ちにあうだけだと気付いたか、或いは迎撃作戦に向けて陣地でも作っているのか。もしもそうなると、半魚人やミイラ、骸骨の戦士達が主力になってくるのだろう。ぞっとしない話である。
ミイラだけではなく、他の者達にも意識があるとしたら、それは純然たる戦争であり、殺し合いになるからだ。
当然敵もあらゆる手を使って迎撃をしてくるだろう。戦争にルールなど無い。あるのは、生き残るか、死ぬかだ。
スペランカーは中腰で、リンクの作業を見ていた。N社のナンバー2フィールド探索者である青年は、噂によると人間では無いともいう。そう言えば耳が少し尖っているし、雰囲気も少し人間のものとは違う。バルン族のグルッピーのように、或いは重異形化フィールドで生まれ育ったのかも知れない。
リンクは火が出るような視線の中、黙々淡々と作業をこなしている。時々薬品を撒いたり、別の魔法陣を描いたり、呪文を唱えたり。時には踊るように、何かの動作をしていることもあった。そのいずれもが、魔法的な行動なのだろう。
ぱきんと、鋭い音。
M氏が周囲を見回した。
「空気が変わったな」
「七層の内、我々は今まで三層にいました。 一層を貫通して、四層に入った所です」
「後三枚か」
「はい。 多分もう敵は気付いたと思います。 迎撃の準備を」
周囲の風景が、蜃気楼のように歪んでいく。同時に、今まで嫌みのように晴れ上がっていた空が、真っ黒になっていった。
大地が砂漠になり、遠くに見えるのはピラミッドか。それも、エジプトにあるような奴ではなく、どうも階段式に見える。
「威力偵察。 何人か、辺りを探ってこい。 他はいつ何が出てきても対処できるように、円陣を。 ジョーどの、それにアーサーどの。 ダーナを守れ」
「我が輩は偵察に加わりたいのだが」
アーサーは攻めの探索で知られる男だ。M氏もしばし考慮した後、鼻を鳴らす。
「ふん、まあいいだろう。 L、お前が代わりに護衛に付け」
「兄貴、この俺が護衛か」
「そうだ。 その小僧が死んだら、この島を突破するまで、石になった奴は元には戻れぬからな。 そうなれば戦力ががた落ちだ。 ぶつぶついわんで、とっとと守りに入れ!」
露骨に顔を屈辱に歪めるLに命令すると、後は一瞥もしない。
アーサーがスペランカーの肩を叩く。
「行こうか。 さっきとはどうも敵の気配が比べものにならん。 何かに気付いたら、すぐに知らせてくれい」
「はい。 頼りにしてます、騎士アーサー」
「うむ」
三チームが編成された。いずれもがツーマンセルかスリーマンセルの小規模威力偵察チームである。スペランカーはアーサーとともに、ピラミッドの方へ行く。
途中、突然アーサーが中空に巨大な槍を造り出し、地面に叩きつけた。アーサーの能力、ウェポンクリエイトだ。体重以下の武器防具なら、一瞬で作成することが出来る。しかも複数も可能である。
槍を突き刺された砂漠から、悲鳴を上げて巨大な影が躍り出た。ミミズにも見えたが、何度かスペランカーを襲った人食い芋虫の色違いだと分かった。アーサーが踏み込むと、手にしていた大槍で刺し貫く。大量の鮮血が辺りに飛び散るが、すぐにアーサーは飛び退いて、それを浴びるような不覚を取らない。悲鳴を上げてのたうち回る芋虫は、すぐに動かなくなった。
相変わらず頼りになる。
普段戯けることも多いアーサーだが、こう言う所では、騎士そのものだった。
「行くぞ」
のしのしと歩くアーサーに、早足でついていく。何しろ足の長さが全然違うので、ゆっくり歩くとすぐに置いて行かれてしまう。
砂漠は少し進んでみて分かったが、もの凄く歩きにくい。砂が細かい上に、じんわりとした冷たさが足下から伝わってくる。そう言えば何処かのフィールドを探索した時に、砂漠は昼間灼熱地獄で夜は極寒地獄だとか聞いた。事実なのだと、入って少しでよく分かった。
他のチームはオアシスを探しに行ったようなので、スペランカーはピラミッドにまっすぐ向かう。時々アーサーが空を見ているのは、星を見て方角を図っているのだろう。
「北極星は一応出ているな。 他の星座もおおむね位置は正しい。 此処は異界とはいえ地球の上らしい」
「流石ですね、私頭悪いから、そう言うの殆ど分かりません」
「何の、そう卑下するでない。 そなたは充分に優れた戦士だ」
アーサーはそう言ってくれるが、どうも今になってもスペランカーは自分を誇ろうとは思えないのだ。この仕事だって飢餓から逃れるために、痛いのも怖いのも嫌ながらやっているのである。それこそ戦いに命を賭けているアーサーやM氏とは、根本的に考えから違うのである。
だから、スペランカーはせめて他人のことを否定しないように努めてはいる。しかし、そんなダメダメなスペランカーに良くしてくれる人が多く出るのは、何でだろう。嬉しいことではあるのだが。
砂丘を一つ越えた所で、アーサーにあたまを下げるように言われた。そのまま、近くの大きな砂丘の側に伏せた。
何かいる。結構な数だ。
暗いのに、明るい不思議な砂漠である。星明かりと言うには明るすぎて不気味である。一体どういう原理で照度が保たれているのか、さっぱり分からない。
「数は四十から五十という所だな。 骸骨の戦士が殆どだが、あの大きな芋虫が数匹混じっている。 先制攻撃を仕掛けることが出来れば一気に叩けるが」
「増援を呼びに戻りませんか?」
「それが賢明だな。 もう少し近付いて、様子を探ってから戻ろう」
アーサーは勇敢な戦士だが、無謀であることとそれは同義ではない。いくつもの魔界と呼ばれる重異形化フィールドで、孤独な戦いを続けておびただしい戦果を上げ続けただけの事はある。
ピラミッドから見えにくい位置を、アーサーは低い態勢で行く。匍匐前進だとちょっときつそうだったので、スペランカーは遅れてさかさか歩く。転んでも下が砂だと死なないのが少し嬉しい。
三つほど、砂丘を越えて敵に近付く。
骸骨の戦士達は、何か声を張り上げていた。
「む。 見ろ、捕らえられている者がいる」
「人間でしょうか」
「先走ったフィールド探索者の少年がいたという話だ。 その者かも知れん」
もう少し近付こうと、アーサーが言う。
頷いて砂丘を越えた。そろそろ、敵にも見つかる可能性のある位置だ。ピラミッドはかなり高く、その上にも骸骨の戦士は登っている様子である。彼らの目がかなり良いことは、既に実戦で証明されてしまっている。
此処がギリギリだろうと、アーサーが砂丘に背中を預けながら言う。それにしても重装鎧を着込んでいるアーサーよりも、身軽なスペランカーの方が既にへばっているというのは、情けない限りである。
ガッと鋭い音がしたので、首をすくめた。
どうも骸骨の戦士が、捕らえた相手を蹴ったらしい。拷問と言うほど酷いものではないようだが、取り調べと言うほど甘くもないようである。触られただけで石になると思っていたのだが、どうも意志で切り替えられるのか、また蹴る音が響いた。
酷いとは思うが、まずは状況を見ないと何ともならない。アーサーが眉間に皺を寄せていく。
「下郎どもが」
「ひどいですね」
スペランカーも同意して頷くが、しかしすぐに飛び出すような行動にはつながらない。そう言う行動を取るには、二人とも経験を積みすぎている。まずは二人、砂丘の影から、凶行の様子を見守る。
骸骨の戦士達は、手に手に武器を持ち、なにやら騒いでいた。
「ソノヨウナコトヲ信用出来ルカ! オ前ガ今コノ島ニ攻メ込ンデ来テイル連中ノ先兵ダトイウ事ハ分カリキッテイルノダ!」
「ごほごほっ! ぼ、僕は、ただ師匠を助けに」
骸骨の蹴りがもろに鳩尾に入ったらしく、少年はもんどりうって転がった。どうも手足を縛られているらしく、満足に逃げることも出来ない様子である。
「既ニ我ラノ同胞ガ、数千ト殺サレテイル! 貴様ラノ目的ハ何ダ! 富カ! コノ島ノ撃滅カ!?」
「貴方たちこそ、この恐ろしい島で、何を企んでいるんだ」
「質問ニ質問デ返スカ。 ナカナカ、巫山戯タ真似ヲシテクレルモノダ! 教育ガ必要ナヨウダナ!」
今度は、顔を踏みつけられたらしい。アーサーが憤然と立ち上がる。スペランカーも、流石にこれ以上は見ていられないと思った。
アーサーも黙って今まで見ていた訳ではない。救出が可能だと判断したから、行動を開始したのである。スペランカーは隙を見て、あの少年を助けてくる役以外は出来そうにないので、ナイフを用意する。敵を斬るのではなくて、縄を切るのだ。
「仕掛けるぞ。 少年を救出するのは任せる」
「私、あまり足は速くありませんけど、大丈夫ですか?」
「何、あの場にいる連中を我が輩が即座に殲滅する。 増援を睨んで、撤収と少年の救出を任せたい。 良いかな」
頷く。
ミイラ達の人間味溢れる会話を聞いた後だと、悲しい部分もある。それに話を聞く分だと、あの骸骨達は明らかに味方の死を悲しみ怒っている。ある意味彼らの怒りは正統なものだし、彼らには怒る資格があるのかも知れない。
だが。あの少年に対する暴行を、これ以上見過ごす訳にはいかない。
見たところ、スペランカーの見かけの年と大して変わらないような年だ。少し背は高めだが、顔立ちは幼いし、体つきもかなり痩せている。あんなひ弱な少年を、屈強にものをいわせていたぶるのはやはり看過できなかった。
アーサーが、カウントダウンを始める。業を煮やした骸骨の戦士が、剣を振り上げた。指の一本でも切り落とそうというのだろう。
「Go! Fire!」
アーサーが吠えた。
同時に中空に出現した無数のトマホークが、回転しながら骸骨達に襲いかかっていた。
切られる。首をすくめたウィルの頭上に、恐ろしい音を立てながら、無数の斧が飛来した。
骸骨達が、次々に吹っ飛ぶ。斧の破壊力は凄まじく、彼らを瞬時に粉砕し、木っ端微塵に吹き飛ばした。芋虫たちも、ことごとくが輪切りにされ、膾にされ、悲鳴を上げながら絶命する。
阿鼻叫喚の中、走り寄って来る二人。
一人は鎧の騎士。見たことがある。E国最強と歌われるフィールド探索者、アーサーだ。もう一人、ヘルメットを被った小柄な女性は、見覚えがない。此処に来ているという事は、最悪でも中堅どころのフィールド探索者だろう。やたら鈍そうに見えるが、何かの特殊能力特化型なのかも知れない。
アーサーが鬼神のように暴れ回っている所を、小柄な女性が縫うように走ってくる。途中、すてんと転んだ。アーサーの猛攻からからくも逃れた骸骨戦士がその頭を叩き割ろうと鉈を振り下ろす。ヘルメットに直撃。
ああ、とウィルは嘆くが、大量に返り血を浴びた骸骨の髑髏が、次の瞬間には消し飛ぶ。そして少しすると、女性は何事もなかったかのように立ち上がり、ぽてぽてと此方に駆けてきた。
目を擦りたい気分にかられる。今の現象は、一体何だ。髑髏を失った骸骨の戦士は地面でしばらくもがいていたが、やがて動かなくなった。
「大丈夫?」
「え、ええ。 貴方こそ」
「平気。 ちょっと我慢してね」
ぶきっちょな手つきで、縄が切られていくのが分かる。手足をそのまま切られないか、不安になった。だが、どうにか事故も起こらず、きちんと解放される。
「走れる?」
「何とか。 君は?」
「ん? ああ、私子供っぽい顔だから同年代に見られてるのかな? 私は大丈夫だから、急いで」
何だか腑に落ちない。見たところアジア系のようだが、ずっと年下に見える。童顔だと良く言われるウィルでも、此処まで子供ではない。
周囲では、アーサーが殆ど骸骨戦士達を殲滅し終えていた。急ぐ必要はないような気も一瞬したが、考えてみれば敵は増援を幾らでも繰り出せる可能性が高いのである。アーサーが殿軍になって油断無く周囲に目を配る中、小柄な女性に手を引かれて急ぐ。こっちの方が早く走れるのだが、まあ厚意には甘えることにした。
砂丘を幾つか越えて、物陰に。
案の定、増援がピラミッド周辺に湧き出てくる。だがそのたびに即応したアーサーが、槍やらトマホークやらを叩きつけ、時には焼夷弾のような何かも投げつけていた。松明のようにも見えるが、あの威力はあり得ない。
「えっと、北極星があれだから、あっちが」
「だ、大丈夫ですか?」
「大丈夫。 ちょっと待ってね。 ええと、こっちだ」
また、手を引かれて走る。アーサーが追いついてきて、小柄な女性に頷く。そっちで良いと言っているように思えた。
どれだけ走り続けただろうか。
しばらくすると、野戦陣地が見えてきた。軽機関銃を備えたジープもある。
そして、腕組みして立ちつくしているのは、世界最強も名高いフィールド探索者Mではないか。
あんな大物が来ていたのか。急に骸骨達が血相を変えて尋問に来るはずである。確かに数千の同胞が倒されたというのも、嘘ではないのかも知れない。
「スペランカーさん、その少年は?」
「嫌みを言ってる場合じゃありません。 アーサーさんが殿軍になっています。 すぐに増援を出して上げてください!」
「威力偵察といったのだがな。 まあいい。 何名か、騎士アーサーどのの支援に向かってくれ」
ちらほら見た顔が、頷いて砂漠に駆けていく。
疲れ果てたらしくへたり込む小柄な女性。スペランカーさんとか呼ばれていたが、まさかあの噂に聞く絶対生還者か。それならば、さっきの不可解な現象にも説明が付く。せいぜい中堅どころかと思ったら、別の意味で有名な特化型だったわけだ。
ジープに積まれた荷物を漁り出すスペランカーを一瞥すると、Mはまるで凶暴な猛獣のような笑顔を、ウィルに向けてきた。
「S社のウィルだな。 お前が先走ったおかげで、随分面倒なことになった。 帰ったらただじゃあすまさんからな。 覚悟しておけ」
「すみません」
「やはり先走った原因は、お前の師匠か?」
背筋を冷たいものが走り抜ける。其処まで調査されていたのか。
スペランカーはアーサーの事が心配なのか、ちらちら砂漠を伺ってはいたが、それと同時に荷物から缶詰を取りだしてもいた。J国製の缶詰らしく、どれも美味しそうである。
「尋問は後にして。 まずはご飯を食べさせて上げたいのですけど、いいですか?」
ぎろりと、Mがスペランカーを睨む。
だが、スペランカーは気圧されもせず、Mを見返した。周囲が不思議そうな顔をしている。
そして、先に視線を逸らしたのは、Mの方だった。
「ふん、好きにしろ。 どうせ、大したことは聞き出せん」
Mが不機嫌そうに向こうに行く。ジープに乗っていた無口そうなおじさんが、重苦しく口を開いた。
「どうした。 今までMには言われたい放題だったのに」
「あ、はい。 私は何をされても我慢できます。 でも、他の人は違うって知ってますし、なによりこの子を守らないとと思いましたから」
「……そうか」
それきり、おじさんは何も言わなかった。ウィルは、年下にしか見えない女の子に庇われた事に不快感を感じたが、それ以上にどうしてか嬉しかった。
こんなに良くして貰ったことが、今まで一度もない、というのも原因かも知れない。
「ええと、スプーン、フォーク、どっちがいいかな」
「あ、箸使えますから、大丈夫ですよ」
「私の分しか、お箸は用意してないの。 あまりはあったかなあ」
些細なことで困り果てている様子のスペランカーに、ウィルは苦笑していた。
それにしても、スペランカーは幾つなのだろう。結構ベテランだと聞くし、この様子だと成人しているのかも知れない。J国の人間は童顔だと聞くが、これはちょっと予想を超えている。
しかし、女性に年齢を聞くのも失礼に当たる。もやもやした気持ちを抱えながら、ウィルは久し振りに解放された手足をさすった。
アーサーが戻ってくる。他の探索者チームも、めいめい帰還した。石にされたメンバーも最小限で、未帰還者は無し。アーサーも、敵を蹴散らして意気揚々と帰還してくれた。
だが、Mは渋い顔である。
「此処まで派手にやれとは言わなかったのだがな」
「ならば虐げられしものを見捨てろと貴殿は言うか。 あの時点では、これがベストであったと我が輩には断言できる」
「……まあいい。 確かに、これ以上此方の情報が漏れることもこれでないし、先行していた奴の情報を此方は逆に得ることが出来るからな」
一瞬、M氏とアーサーが激しく火花を散らしたが、殆ど同時に両者が視線を逸らす。戦えばM氏が勝つだろうが、それでも無事では済まないだろうくらいに、アーサーは強い。
非常に仲が悪い二人だが、此処で仲間割れすることの意味くらいは分かっていると言うことだろう。しかし、どっちも一流以上の戦士で、それぞれ譲れないこともある。いざというときには、覚悟は決めなければならないかも知れない。スペランカーもちょっとどきどきした。
「リンクが次の壁を抜くまで二時間ほどだ。 敵も当然守りを固め始めているだろうし、次は次元の壁を抜いた瞬間、敵の防衛部隊に接触する可能性がある。 それぞれ、油断だけはするな」
「壁を抜く?」
「この島、いくつもの世界がパイの皮みたいに重なってるみたいなの。 それを、直線的に突破して、この砂漠に来たんだ」
ウィルが不思議そうに言ったので、解説しておく。多分これで合っているはずだが、少し自信がない。
Mは幾つか細かい話をする。今回も、主要な戦略課題は、やはりダーナの保護。また、作戦が失敗した場合、撤退する経路についても打ち合わせる。
既にここに来る時に使用した孔は、リンクが固定したらしい。空の一部に、草原が見えている。あそこからなら脱出できるという訳なのだろう。
その後は、食料の備蓄などについての話になる。まだ数日分の食料はあるそうだが、どこまでジープを持って行けるか分からない。体格の良い戦士が基本的に分担を多めに、いざというときは運ぶ方向で話が決まった。
後は細かい戦術の話に移る。圧倒的火力を誇るM氏や他のベテラン達にしても、今回のフィールドは極めて面倒な場所である。敵に触られただけで終わるというのは、やはりかなり厳しい条件なのだ。
結論として、如何に敵を殲滅するかよりも、敵の接近を防ぐ方向で、話が進展した。いずれにしてもスペランカーにはあまりできることがない。基本的に敵が攻撃してこなければ、何も出来ないのである。相手が邪神や何かであれば一撃だけ必殺の攻撃を浴びせられるが、それも射程は極めて短いし、連射も効かない。
殺気だって議論している歴戦の勇者達を前に欠伸などしたらげんこつくらいではすまないだろう。
ある種の気配だけは読めるが、それ以外はさっぱりなスペランカーである。敵の接近を察知することも出来ないし、アーサーの意見が採用されるといいなあとか思いながら、時々ウィルの様子を伺うことくらいしか出来なかった。
ウィルはと言うと、時々Mに呼ばれて、今までの状況から得た知識を披露している。しかし、先行していたという割には、やはりあまり知っていることは多くない。元々戦闘能力もあまり高くないようだし、逃げ回っていては見えるものだって見えない。
ほどなく、大体の結論が出た。
スペランカーの出番はまだ無い。次の壁を抜いて、周囲に敵影がなかったら、偵察するくらいである。
一旦解散となる。ヘルメットを被りなおすスペランカーに、ジョーが声を掛けてくれた。
「何処へ行く」
「壁が破れるまであと少しらしいので、偵察でもしてこようかなって」
「ならば、俺も行く。 他に行く奴は」
「我が輩も行こうか」
ウィルも手を挙げた。どうもM氏の側は気が滅入るらしい。まあ、無理もない話だ。
ジープから降りたジョー氏は、あまりずば抜けた長身という訳ではないが、やはり近くで見ると筋肉が目立つ。一人で一軍に匹敵するつわものの事をワンマンザアーミーと言うそうだが、この人は掛け値無しにそれだ。
砂漠を歩き始める。アーサーは殿軍になって、後ろを守ってくれる。ウィルに対して、少し高い目線から、ジョーが言う。
「Mはああ言っていたが、気にするな。 お前にとって、命に替えても助けたい相手なのだろう」
「はい。 冷酷で非情な人ですけど、僕には唯一の家族なんです」
「そうか。 なら、俺はお前を責めない。 ただし、それはこれまでの行動に対してだけだ。 これ以上周囲に迷惑を掛けるなよ。 大勢の戦士が死ぬことになるからな」
大人らしい渋い言葉である。ジョー氏は担いでいるアサルトライフルを肩から外すと、低い位置に銃口を向け、歩き始めた。いつ何が現れても対応できるようにしているのだと、一目で分かる。
フィールドで怪物達を戦う以上に、人間相手の殺し合いを長く続けてきた人だ。多分戦い方も、それに準拠するのだろう。
今度は、スペランカーが話し掛けてみる。
「ジョーさんは、どうして戦っているんですか」
「これ以外に、向いている仕事がない」
「奇遇ですね。 私もです」
「食費のために戦っていると聞くが、それは難儀だな。 多くの貧困国で、子供が戦うのと同じ理由だ。 豊かなJ国に産まれたのに、そのような生き方しかできないとは、不憫なことだ」
何か返事をしようとしたスペランカーの前で、ジョーが口の前で指を立てる。しっと音がしたので、緊張が全身を駆けめぐるのを感じた。
何かいるのだ。
アーサーも気付いて、ウィルの頭をつかんで下げさせる。スペランカーも砂地に腹ばいになった。砂丘に半ば背中を預けたジョーが、顎をしゃくる。砂漠の向こうに、濛々たる砂煙が見えた。
「我が輩が見た所、どうやら敵は勝負に出たな」
「ざっと二万という所か。 しかも最初とは戦力の質が違う。 Mでも簡単にはいかないぞあれは」
「二万!」
フィールドで多数の敵に囲まれる経験は、スペランカーも何度もしてきた。しかし万を超える敵は流石に経験がない。
戦慄が走る。しかし、隣でウィルが縮み上がっているのを見ると、怯えてばかりもいられない。ジョーはすぐに撤退と呟き、アーサーも頷く。さっきも話に出たが、今回の戦いでは、まず敵に対して先手を取らなければならない。先に此方が敵を発見できたのは僥倖で、それを味方本隊に伝えなければならないのだ。
「ミイラ男が前衛だ。 あの様子だと、遠距離攻撃の手段も持っているな。 上空には蝙蝠と蜂がわんさかいる。 あっちは多分十万を超えるぞ」
「合わせて十二万ですか!? ひええ」
「大丈夫。 まず、落ち着こう」
露骨に怯えるウィルを諭すと、ジョーの言うまま撤退に掛かる。今度は一番早く走れるジョーにいってもらい、此方は殿軍だ。いざというときはスペランカーが最後尾に残って、少しでも時間を稼ぐ必要がある。
敵の進撃路は、此方の本隊から微妙にずれているようだ。多分ピラミッドの部隊の救援に向かっているのだろう。砂丘を走る。時々、ジョーが貸してくれた双眼鏡を覗き込むと、槍や剣で武装したミイラ男達が、一糸乱れぬ隊形で進んでいるのが見えた。
あのミイラ男達もいるのだろうか。スペランカーは敵軍と並行に走りながら思う。そうなると、M氏が暴虐的な攻撃を振るえば、きっと傷つくのだろう。悲しい話であった。
本隊に戻る。
M氏は既にジョーから報告を受けていたようで、リンクに作業を急ぐように指示。リンクは脂汗を流しながら、魔法を唱え続けていた。
「次の場所に逃げ込むのか」
「それが賢明だ。 空間の孔を固定できれば、敵の迎撃が容易になる。 まあ、そう巧く行くとは思えないがな」
M氏がうなり声を上げ、突然巨大化した。彼のもっとも有名な能力である。身長八メートルほどもある巨人に変化したM氏は、ついで全身を白く変色させる。となりで、N社の人間が教えてくれる。高熱を自在に操る形態だという。
砂丘の影で行軍中の敵からは見えないはずだが、しかしびっくりした。本当に恐ろしい人である。
「リンク、後どれくらいだ」
「四分少々」
「よし。 問題はその後だが」
「敵が此方を捕捉! 陣形を整えつつあります!」
双眼鏡を覗き込んでいたN社の人間が絶叫した。アーサーは既に槍を片手に、呪文詠唱を開始している。
どうやら、更に厳しい戦いが始まるようだった。
殆ど間をおかず、北の空が真っ赤に染まる。それが無数の火球によるものだと気付いて、思わずスペランカーはウィルの前に飛び出していた。
「弾幕展開!」
M氏の怒号とともに、それぞれの能力者が、一斉に火球を放つ。それこそ万を超える火球と、それぞれの超常の能力が、中空にて激突する。一瞬置いて、衝撃波が砂漠をしたたかに叩きのめした。
膨大な砂塵が巻き上がり、ブリザードを思わせる極寒の砂嵐が吹き荒れる。それは灼熱の焔圧と混じり合い、さながら地獄をその場に造り出した。ちらりとリンクを見るが、魔法陣を固定したまま、まだ呪文詠唱を続けていた。流石の胆力である。
「敵、長距離攻撃に専念しています!」
「陽動だ! 必ず接近戦を挑んでくる!」
「地下より気配複数! 高速で接近中!」
ジョーの言葉に応えるように、砂漠に手を突いていたC社の人間が叫んだ。無言でLが飛び出すと、Mと同じように巨大化。砂漠に、燃え上がる拳を突っ込んでいた。
核爆発のように、茸雲が上がる。凄まじい砂塵に、顔を庇いながら、思わずスペランカーは呻く。
なにやら肉塊が降ってくる。多分、あの人食い芋虫たちのものだろう。水中と同じく、地中も衝撃波には弱いはずだ。クレーターの中央に立っていたLは、赤熱した手を振りながら、落ちてくる砂の滝の中笑っていた。魔王の笑いだった。
まだ空中での弾幕展開は続いている。だが、いくら何でも数が多すぎる。ついに、一つ二つと、火球が着弾し始めた。
「魔術によるものだな。 数から言って、ミイラどもの放ったものだろう」
ジープを後退させて、ジョーがダーナに辺りの砂漠を石で覆うように指示。頷いたダーナが、作業を始める。
至近で爆発。一人吹き飛ばされた。砂漠に叩きつけられたその人は動かない。
西の空に、真っ黒な影。航空部隊だ。蝙蝠と蜂が中心のようだが、近づけてしまえばおしまいである。
また、砂漠に茸雲が上がる。
「後一分三十秒!」
「負傷者を内側に庇え!」
女戦士Sが、宇宙服のようなスーツの中から、エネルギービームを連射しつつ叫ぶ。空の敵はどうも防ぎきれそうにない。能力の相性の問題もあって、こう言う時何も出来ないスペランカーはもどかしい。
「拙いな、とても防ぎきれんぞ」
アーサーが呻いた。西の空の敵は、空を覆い尽くすほどの数だ。十万とさっき言っていたが、多分もっと多い。とっくの昔に黄金の鎧を纏い、数々の魔術を展開しているアーサーだが、それでもとてもではないが、全周からの攻撃には対処しきれない。
「リンク!」
「あと七秒!」
また至近に着弾。弾幕が薄いぞ。誰かが叫んだ。だが、空ではあのM氏が鬼神のような火力を展開し続けている。敵の物量が圧倒的に過ぎるのだ。
「東より敵地上部隊! 数、およそ三万五千! 高速で接近中!」
「この状況で増援だと!?」
「ちいっ! 敵の動きが速すぎる!」
「空間の孔、開きます!」
リンクが鋭く手を打ち合わせると、周囲の光景が変わっていく。Mが中空で吠えた。
「全員逃げ込め! 負傷者を内側に円陣を組め! 殿軍は私が努める! リンク、お前はすぐに孔を閉じろ!」
「しかし撤退が」
「今はそれどころではない! あの数、とてもではないが支え切れん!」
M氏が、直径十メートルはありそうな火球を放ちながら叫ぶ。我先に変異空間の中心に集まるフィールド探索者達。すぐにリンクが次の術式の展開準備に入る中、M氏はこれ幸いと数発の火球を放った後、飛び込んできた。
辺りが、いつの間にか一変していた。
空は真っ暗で、雷が飛び交っている。ウィルは見覚えがあるようで、呻いていた。どうやら、途轍もなく広い洞窟のような空間である。辺りの地面は粒子が粗く、ごつごつと石も転がっていた。
呻き声が聞こえる。
さっき吹き飛ばされたフィールド探索者はかなりの重傷だ。ベテランであるのに、一撃で此処までの打撃を与えうる力を敵は有していると言うことだ。
「空間の孔、塞ぎました」
「これで退路はなくなったか」
女戦士が、銃を下ろしながら呟く。M氏もアーサーも、むっつりと押し黙ったまま、何も言わなかった。
幕間、焦りと絶望
小柄な女性がいる。名前はアンリエッタ。少し前にアトランティスに渡り、邪神を操る秘宝を用いて、この島の支配者を従えた。
島に来る前と来た後で大きく容姿が変わっているのは、変装を解いたからだ。今の彼女は、目つき鋭く、黒髪をストレートに流している。以前の野暮ったい田舎娘という容姿は消えて失せ、代わりにシャープなイメージの硬質な女性が其処にいた。
テレビモニターの向こうには、大柄な影がある。とても人間のものとは思えないサイズで、事実丸っこいシルエットは、むしろ亀のものに似ていた。
闇の帝王、大魔王K。裏の世界の顔役であり、あのM氏の宿敵である。
あらゆる裏の世界を牛耳っていると言われる男だが、人身売買と麻薬の密売だけはしないという。一方で戦争の輸出には非常に積極的で、核兵器以外のあらゆる武具を取り扱い、さらには傭兵として配下の猛者達を紛争地域に送り込むことがあるという噂だ。
その圧倒的威圧感は、己の武力よりも、その権謀術数であのM氏と渡り合ってきたと言うことだけはある。噂によると異世界の軍勢と通じているとも言うし、その戦力は恐らくこの世界でもトップクラスだろう。N社でさえうかうかと手を出せないほどの相手だ。
だが、そのKは。
モニターの向こうで葉巻をくゆらせながら、アンリエッタの提案をせせら笑った。
「それで?」
「今の光景を見て何とも思いませんか。 あのMが、尻尾を巻いて逃げざるをえなかったのです。 これほどの戦力があれば、世界の勢力図は一変します。 貴方に煮え湯を飲ませ続けたMもN社も、世界の頂点からたたき落とすことが」
「多分Mにも言われたのではないか?」
からからと、どす低い声でKが笑う。その後ろに控えている幹部達も、くすくすと含み笑いをしているようだ。
W博士という男が発言する。眉毛を動かせることで有名な人物である。ロボット工学の権威で、此方はC社のエースであるRのライバルとして知られている。高齢だが、場合によっては自身も己の発明したマシンに乗って戦う武闘派だ。
彼は厳密にはKの部下ではなく、同盟者に近いという。だが、今回は、意見が一致している様子だ。
「そのけったいな鈴、恐らくはお前さんに扱いきれる品ではないのう」
「そんな事はありません! 見ての通り、私の指示通り、軍勢は動いております!」
「それは、軍の後ろにいる邪神が、お前に今は従った方が得策だと考えているからにすぎんよ」
Kがぴしゃりと言った。Mと、同じ事を言った。
Mの予言は、見事に当たってしまった。
屈辱に歯をかみしめるアンリエッタ。一族の悲願が、せっかく日の目を見たというのに。こうもあっさり、しかも根本的な所から否定されるなんて。
それだけではない。他のK軍幹部も、あまり好意的ではない様子だ。
最後に、Kが言う。
「言っておくが、俺が欲しいのはあくまで今のこの世界だ。 邪神の支配下に落ちた世界ではない。 それに関しては、多分この場の全員が同意していることだろうな」
「制御できん兵器なんぞ、ただの危険物にすぎんよ。 それはこの儂が、身をもって知っておるわ」
自嘲的にWが言うと、辺りは押し黙る。アンリエッタも、Wの経歴は知っている。彼は一度ならず、飼い犬に手を噛まれたことがあるのだ。
だから、黙らざるを得なかった。
突如Kが、今までになく威圧的に声を放った。
「一つ、言っておく」
「な、何ですかっ!」
「そのくだらん鈴で余計なことを始めたら、たとえどんな手を使ってでも、俺がお前を潰す。 俺はMのように優しくはないぞ。 世界中の裏の人間が、お前を狙うことになるからそう思え」
ぶつんとモニターの接続が向こうから切られた。
屈辱に身を震わせるアンリエッタ。その顔が、憎悪に歪んだ。
異星の邪神を操るこの鈴。アンリエッタの先祖が、ロマノフ朝ロシアの宝物庫でこれを見つけてから、一族の運命は狂い始めた。並の富や名誉では、とても満足できない所まで、一族の欲望は膨らんだのだ。
長い年月を掛けて、計画は練られた。愚かな連中を焚きつけて生け贄にし、人脈も幅広く作った。そして、前回のF国での作戦で、計画は半ば巧く行ったのである。Mが、それにフィールド探索者どもが、常識外の力を発揮して、ダゴンとクトゥヴァを葬るという番狂わせを行わなければ、今頃アンリエッタは国連軍辺りと事を構えていたことだろう。しかも、大魔王Kや、裏世界の顔役達を背後に据えて、だ。現在の秩序を快く思わない幾つかの国も、アンリエッタになびいていたはずだ。
それなのに、旧共産圏の国々でさえ、アンリエッタの提案を無視した。一部の過激派は応じたが、本格的な取引にはいる前に、N社や国連に潰されてしまった。そして、大魔王Kに袖にされた今、もはやアンリエッタに帰る場所はなかった。
「どうした、小娘。 随分腐ってるな」
「貴方には……」
いつの間にか後ろに彼奴がいた。振り向いて毒の言葉をはきかけてやろうかと思ったが、気の利いた台詞が出てこなかった。
ハーフグラスがずり落ちそうになっている。屈辱に震える手で眼鏡を直すアンリエッタに、彼奴はにやりと笑った。
「お前さんは今まで小物としか交渉してこなかったんだな。 ああいう手合いは、計算がしっかりできる。 だから海千山千の化け物どもが凌ぎを削る裏世界でボスをやっているんだよ。 お前さんのその鈴が、利益よりも被害の方が大きいとなると、やはり手はださんだろう。 最初に言った通りになったな」
「……貴方だって」
学会から無視され、研究の全てを否定され、最後にアトランティスの秘宝を求めて此処に来たのではないか。
そう言いたかった。だが、今は何も言えなかった。
「Mの奴、また消えたらしい。 第一から第四師団までが血眼になって探しているが、この様子だと近いうちに現れるかもしれんな」
「その時は貴方も終わりではありませんの?」
にやりと、彼奴は笑う。
此処は、暗い暗い空間。
周囲には、無数の闇の気配。アンリエッタは、ぞくりと身を震わせる。この鈴がもし本当に、役に立たないのだとしたら。
今、此処に自分がいる意味は何だろう。生きてきた時間は何だったのだろう。
恐怖が、心を蝕み始めていた。
4、少年飛翔
リンクが絶望的な報告をMにしているのを、ウィルは側で見ることになった。
「二時間半もかけて、やっと出た結論がそれだと!?」
「申し訳ありません、M。 しかし、これは事実です」
居場所は、あっさり特定できた。今、七層の内第六層に来ているという。つまり後一枚を破れば、敵の本拠地に肉薄できると言うことだ。それ自体はいい。もう二枚だと誰もが思っていたから、朗報だと言える。
問題は、もう一つの事実だった。
壁を破るまで、およそ三十七時間。それが、リンクの絶望的な報告であった。
「三十七時間だと!?」
「はい。 今度の次元の壁は、とんでもなく強固です。 そもそもフィールドという非常に不安定な状況だから壁を破って内側に肉薄できていたのですが、まるで何百年も安定している空間のようでして」
著しく拙い事はウィルにも分かる。そんな時間、敵が此方を発見できないとはとても思えない。此処は既に敵本拠のすぐ側であり、しかもさっきの超常的な攻防を見る限り、どうみても敵側の戦力は二十万を越えている。その全てが、触った相手を石化し、なおかつ一部に到っては歴戦のフィールド探索者を一撃で戦闘不能に陥れる火球を放つのだ。
そして、何よりさっきの統率が取れた動き。あれだけの軍勢でありながら、此方の弱点を把握して、確実な勝ちに向けて動いてきていた。指揮官は並の手練れではない。師匠が言っていた、異星の邪神というのは、本当なのかも知れない。
「結論を急ぐ必要がありそうだな。 いっそ、空間を破るのを諦めて、探索を進めて、敵本拠への路を探すか」
「それとも此処で息を潜めて体力を温存し、最後の決戦にかけるか」
「実は、気になることがあってな」
アーサーが挙手する。歴戦の騎士は、眉根を曇らせていた。
「なぜ、一気に二層を抜けた。 これは罠という可能性は考えられないか」
「充分あり得る話だ。 相手は異星の神だろう? どんなことをしてきてもおかしくはない」
「でも、神さまの気配はまだ感じません」
スペランカーが妙なことを言う。小首を傾げるウィルの横で、彼女はなおも続けた。
「私達と戦ったダゴンさんは、因果律、でしたっけ。 何だかすごいものを操作したり、空間をきりとったり、ブラックホールを造ったり出来るようでした。 その神様に近い存在なら、そもそも私達の浸透を、どうして今まで阻んでいたのかよく分かりません」
「ふむ、そうなるとイレギュラーケースの可能性もあるな」
「いずれにしても、此処で待っているのは自殺行為だ。 敵の軍勢の数はさっき見ての通り。 座して死を待つよりは、進んで活路を開くべきだな」
そうなると、ジープは高い確率で置いていくしかなくなる。
この辺りはクレバスも多く、岩も転がっている。ジープでは行ける距離に限界があるだろう。
無言でジョーが重要な物資だけをおろし始めた。無事な者達の内、屈強な戦士達がそれを背負う。
しばらくMとアーサーは話し合っていた。如何に仲が悪いと言っても、それぞれ世界を代表する実力者である。それに戦士としての力量はともに超一流。戦場での判断については、互いの意見が聞きたいのだろう。
やがて結論が出たらしく、アーサーがウィルを見て言う。
「一つ我が輩から聞きたい。 そなたの能力は? なんら力もなく、アトランティスまで乗り込んできている訳ではあるまい」
「僕の能力は……。 っ、呪文増幅です」
「ほう?」
本当は言いたくなかったが、仕方がない。ウィルはしぶしぶ、己の能力を明かした。
ウィルの能力、呪文増幅。あらゆる呪文を増幅して、発動する魔術なり呪術なりの威力を上げる、というような便利なものではない。非常に制限が多い面倒な能力である。
まず、増幅できるのは、最低でも数百年を経たいにしえの術に限られる。それも、現在詠唱中の術式ではだめで、何かしらの物体に込められたものでないと使用できない。それら条件を満たした石版なり道具なりに触れると、かって使われた呪文を過去にさかのぼって増幅し、発動した術式を己の能力に追加することが出来る。
強みもある。この追加能力は永続式と言うことだ。もちろんウィルが人間である以上追加できる能力には限界もあるだろうが、今の時点でそれはない。ただし発動には、また面倒な条件が必要にもなってくる。
師匠を助ける時のためのとっておきだったのだが、これでは仕方がない。骸骨戦士達に囲まれた時にも、能力は展開しなかった。場を打開できるものが無かったと言うこともあるのだが、それ以上にやはり切り札として伏せておきたかったのだ。
「それで、どうして僕の能力を?」
「これから、突入部隊を編成するのだ。 空間に孔を開ける作業は諦め、本隊とは別に一気に敵中枢にせまる戦力を選抜する。 周囲を偵察して、敵本拠へ迫る路を探す。 そのためには、全員の能力を把握する必要があるからな」
作戦にはスペランカーも加わるという。さっきみた不可解な能力が関係しているのだろうか。
アーサーとジョーが敵を散らして突破口を作ると言うことだが、それでも心許ないという事で、ウィルが呼ばれたのだろう。
「M氏は?」
「本隊を率いて別行動だそうだ。 何か思う所があるらしい」
「しかし、敵中で兵力を無為に分散することになりませんか」
それはもっともとってはいけない戦略の一つの筈だ。ウィルでもそれくらいは知っている。
アーサーは、にこりと髭だらけの顔で笑う。
「あー、そうさな。 今なら別に話しても構うまい。 さっき我が輩とMとで話をして決めたのだが、どちらかが敵の首魁の所までたどり着ければいい」
「そんな」
「そう言う勝負だ。 邪神が何者であろうと、我が輩かMが其処までたどり着ければ、かならず討ち取ってみせる。 だが、敵の物量に押し切られればそれで負け。 もう一チームくらい、邪神に肉薄する戦力があれば良かったのだが、どうもそうはいかぬでな」
アーサーの言葉に悲壮感はない。そうだ。この男は、ずっとこんな戦況で、戦い抜いてきた、という事なのだろう。
ジョーが点検していたアサルトライフルを構えて歩き出す。
スペランカーがヘルメットを隣で被り直していた。この四人だけで、敵の中枢へ一気に先行するという事だ。
或いは、ウィルを此方に混ぜて、厄介払いをしたかったのかも知れない。
遠くでは雷がとどろき続けている。まるで真夜中なのに、辺りが明るいことも、不気味さを後押ししていた。
「覚悟は良いな」
「……はい」
このままで良いのか。
師匠を助けるという目的は、確かにある。だがこれほどの戦士達が命を賭けて、邪神の撃滅に向けて動いている中、自分はこれでいいのか。
忸怩たるものを、ウィルは感じる。
四人が進み始める。スペランカーは見ていると歩くのでさえ危なっかしく、アーサーが盟友として頼む部分をどうしても感じられない。途中何度かすっころび、しばらく停止して、また起き上がって歩き始める。
ふと見ると、時々転んでいるのに、すりむいてもいなければ打ち身も作っていない。不気味だった。
ふと、大地が途切れている。
深いクレバスの中を覗き込むと、星が輝いている。異常な空間に背筋が寒くなった。
「ふむ、迂回するか」
「僕に、任せてください」
ウィルは決意とともに発言すると、リュックから小さな石版を取りだした。
この能力を展開する時に、必要な条件。媒体の内容を正確に覚える必要がある。模写したか、或いは精巧な媒体の模型に触れる必要がある。
そして最後に、能力の発動を、周囲に見せる必要があるのだ。
暗いクレバスの上に、徐々に雲の路が出来ていく。それはやがて質感を伴い、ほどなくしっかりした白い道に生まれ変わっていた。
「二百キロくらいまでの重量になら耐えられます。 急いで渡ってください」
「うむ、だいぶ時間が短縮できるな」
ジョーが最初に渡り、向こう側から手を振ってくる。
すぐに全員が渡りきる。念のため、雲はその場に残しておくこととした。
闇の中を進む。途中、スペランカーが足を止める。
「あっちから、嫌な気配がします」
「ならば、我が輩達はそちらに進むことにするか」
アーサーが不敵に笑みを浮かべると、ジョーも同意して頷いた。
気配はそれほど強いものではない、という。だから、何時間も歩く。途中何度か休憩を入れる。不安定な足場であり、時に先行したアーサーがスペランカーを引っ張り上げたり、ジョーが皆に警戒を促し、移動中の骸骨の群れをやり過ごしたりもした。
既に敵はこの周辺に集結を開始しているようである。遠くの稲光も強くなる一方で、一度などは至近に落ちた。
周囲は洞窟のようなままかわらず、時々鍾乳石もある。問題はそのサイズで、まるで小山のような大きさのものもあった。物理法則が、根本的に違う世界なのかも知れない。
河もある。だが、流れている水は青く濁っていて、飲めそうには思えなかった。時々魚が跳ねている。だが、魚は骨のようにも見えた。
丸一日が経過しても、同じ光景は変わらない。
一旦三時間ほどの休憩を取る。大きな鍾乳石の根本に、入り込めそうな孔が見つかったからだ。何かの獣の巣穴だったのかも知れない。少なくとも今は、周囲に気配はなかった。
「見張りにつく」
「交代で休もう。 我が輩は先に寝ているぞ」
ジョーは無言で孔の外に出て行った。スペランカーは疲れ切っている様子で、奥でころんと横になると、すうすう寝息を立て始める。しかし、ひ弱なのなら、あれだけ歩けば足は豆だらけで、痛くて寝るどころではないはずだ。あの時、ヘルメットを叩き割られて死んだようにも見えたのに。それに関係しているのだろうか。
「お前も寝ておけ」
「騎士アーサー、貴方は」
「安全を確保できたらな。 食欲があるなら、食べておくといい。 スペランカーどのの持って来たJ国の缶詰はなかなか旨いぞ。 正直、我が輩の祖国の料理よりも、ずっと美味いくらいだ」
「……ありがたくいただきます」
缶切りが無くても開けられる構造の缶詰。技術の無駄遣いをしているようで、ウィルはちょっと眉をひそめてしまった。それにさっきスペランカーに缶詰を貰って食べたのだが、それも面倒なので黙っていた。
さっきとは違う缶詰である。中に入っていたのは魚の煮付けのようだが、骨まで食べられる。味も決して悪くはない。缶詰としては破格のおいしさだ。軍用レーションの凄まじいまずさを知っているウィルは、むしろ呆れてしまった。
「騎士アーサーは、どうしてスペランカーさん、の事を信頼しているんですか?」
「うん? どうしてだ。 お前も散々助けられただろう」
「それは、そうですが。 鈍いし遅いし、頭だって」
「そんな事で図ることが出来る相手ではないと言うことだ。 まだ若いから無理もないが、人を見る目は養った方が良いぞ」
一刀両断である。缶詰を食べ終えると、アーサはは壁に背中を預けて目を閉じる。
むっとしたが、しかしウィルも分かってはいるのだ。忸怩たる思いの一部は、あのスペランカーの行動を見ていて感じている、と言うことは。
師匠は。
捕まっているどころか、この島を支配しているかも知れない。そして優れた知識を得られる可能性を手に入れたら、ウィルを躊躇無く使い捨てるだろう。そう言う人だ。家族だと思っているし、向こうだってそうだろうが。しかし、家族でも、躊躇無く捨てる人なのだ。
何のために自分は此処にいるんだろう。
ウィルの焦りは、更に大きくなっていった。そうなってしまうと最悪で、悶々として眠るどころではなくなってしまった。
眠れず、三時間はあっという間に過ぎる。じっくり寝ていたスペランカーは気力をしっかり回復していた。
冒険なら、自分の方がこなしているはずだ。
そう自惚れていたウィルは、眠れず体力を回復できなかった自分とスペランカーを比べてしまい、ますます落ち込むことになった。初陣の小僧も同然の失態である。まだ十代とは言え、師匠に連れられて冒険自体は何度もこなしているはずなのに。
自分が情けないと、ウィルは思った。
既にM氏の部隊とは、連絡どころではない状況に来ている。向こうが大軍に包囲されていても何も出来ないし、その逆もしかり。
大きな鍾乳石が、まるで城壁のように連なっている。その向こうには、なにやら人工物らしい建物が見えた。
「嫌な気配を感じるな」
「はい。 ドンドン強くなってきてます」
鍾乳石の影で、アーサーとスペランカーが喋っている。
既に此処に来てから、四十キロくらいは歩いたか。何度も休憩を挟んだとはいえ、意外に進んでいない。いや、広さから考えると、存外に近いと言うべきかも知れない。
一旦周囲を探って回る。建物は四キロ四方ほど。ギリシャ建築を思わせる巨柱が全体を支えており、丸石で構成された神殿とは雰囲気が違う。しかも黒を基調としているため、闇色の空の下で、保護色のようにとけ込んでいる。
敢えて言うなら、ギリシャ式の神殿に比べて、ずっと禍々しい。
その建物の入り口から、ぞくぞくと半魚人の群れが行軍していく。数は数千はくだらないだろう。それぞれが三つ叉槍のトライデントを手にしている。
多分、M氏の本隊が見つかったのだ。
進撃していく半魚人達の視界の影から、神殿に潜り込む。
見ればおぞましい彫像が多数飾られていた。蛙のように歪んだ顔。師匠に聞いたことがある。イン何とかいう、魔の影響を受けた存在だ。魚のような顔に、目が多数ついているものもある。見ているだけで気が狂いそうな造詣だ。
「この彫像、ダゴンさんだ」
「えっ?」
「聞いてなかった? この間戦ったんだよ。 やっぱり、異星の神々の島だって言うのは本当みたいだね」
「我が輩も報告は受けている。 何万回と殺されたのだろう?」
スペランカーは頷くと、てふてふと何事もなかったかのように奥に歩いていく。
何万回も、殺された?
訳が分からない。ジョーが肘で小突いてきた。疑問より先に奥へ進め、という事なのだろう。
神殿の奥は広い作りになっていて、彫像に隠れながらなら、充分奥へ進める。ジョーに頭を掴まれ、態勢を低くするように呟かれた。半魚人が二人いる。いずれもがトライデントで武装し、しかも首から笛を提げていた。ホイッスルのように、吹くタイプのものだ。あれに触られたらおしまいだ。下手をすると、あの数千が一斉に反転してくるだろう。
辺りを探るが、丁度奥へ続く通路の前に立っていて、とても死角を突ける状況ではない。
隣で、ジョーがリュックを下ろし、狙撃銃を組み立て始めている。あまりごついタイプではないが、距離は数十メートルであるし、どうにかなるだろう。スコープを付け、膝を立てたまま、ジョーが引き金を引くまで、三十秒ほど。恐ろしく手際が良い。
ホイッスルが、砕ける。というか、半魚人の腹に、見事着弾。
半魚人の頭も、続けて吹き飛んでいた。
発射音はほとんどしなかった。無言でアーサーとスペランカーが出て、半魚人の死体を引きずって戻ってくる。物陰に隠すと、すぐに通路の奥へ。その間に、ジョーは狙撃銃をしまい、リュックを背負い直していた。異常に手際が良い。
「此処からは時間との勝負だ。 後の敵は見つけ次第蹴散らすぞ」
「し、しかし、この奥に何もなかったら」
「その時はその時に考えるさ」
やはり、劣等感は晴れない。
通路に出た。
感じる。
奥の方から、より大きな気配がある。人間とか動物とか、大型の怪物とかの気配は全く読めないスペランカーだが、これは肌で理解できるのだ。
スペランカーの呪いの主の、同類がいるのだと。
「暗いな。 しかし、此方から懐中電灯のビームライトは避けたいが」
「僕がやります」
ウィルが、リュックから石版を出す。そして、能力を発動した。
一気に、辺りが明るくなる。
既に周囲には、点々と半魚人達の死体が転がっている。アーサーとジョーが片っ端から撃ち抜いたのだ。時々散発的に半魚人が現れるが、いずれも位が高そうな、ごてごてした衣服を身に纏っている。
そして、どの半魚人からも、邪神の残り香がした。
磯の香りがするような気がする。
周囲には生活感の溢れる部屋がたくさん。兵士達は、多分此処とは違う地域で生活しているのだろう。中を覗くと書物が多く、さっきまで執務をしていたような所もあった。丸机に置かれたままのペンとインクを見ると、今行った戦いで、彼らの生活を奪ってしまったことがよく分かる。
不意に振り返ったジョーが、アサルトライフルを腰だめして撃つ。そういえば、さっきからマガジンを替えているのを見ない。これがジョーの能力なのだろうか。槍を持った半魚人の兵士達が、正確無常な射撃に、次々打ち倒される。ウィルは部屋に飛び込むと、辺りの本を見て、リュックに詰め込んでいた。
「これは凄い! どれも伝承にしか出てこないような本ばかりです!」
「駄目。 罠とかにかかっちゃうよ」
目の色が変わっているウィルの腕をつかんで、部屋から引っ張り出す。既に戦いは終わっていた。だが、アーサーの表情は険しいままだ。そろそろ、敵が組織的な反撃に出ると、精悍な騎士は言った。
「さっきよりも敵の集結がかなり早い。 いつまでも黙ってやられてはいないだろう」
「ええっ! もう少し、本を物色したい……」
ぎろりとジョーに睨まれて、ウィルが黙り込む。まあまあとスペランカーが宥めると、ジョーは舌打ちした。
「貴様のことは認めているが、あまり子供を甘やかすな」
「ごめんなさい。 ほら、謝って」
ウィルは露骨にむくれるが、しかし言われたままあたまを下げてくれた。ほっとするまもなく、前後の通路に、敵影が現れる。後方に向け、ジョーが無言で射撃を続ける。そして手榴弾を放り投げた。
伏せる。爆音がとどろき、無数の破片が周囲に飛び散るのが分かった。
「ガス室の脱出で手榴弾の扱いは慣れているが、この爆音だけはどうしてもいやなものだな」
「急いで!」
ウィルの手を引いて、前に。一足早く突撃したアーサーが、右に左に半魚人を切り払っている。その手練れは凄まじく、一人として二合目を渡り合える半魚人はいなかった。後ろで続く規則的な射撃音。的確に屍を積み上げながらも、ジョーは確実に後退しつつある様子だ。
アーサーが不意に飛び下がる。スペランカーはウィルの手を離すと、無言で前に跳びだした。
一斉に半魚人達の口から、鬼カマスに似た魚が飛来したのはその瞬間である。数十匹が全身に突き刺さる。仰向けに転倒したスペランカーは、意識が吹っ飛ぶのを感じた。
目を開けると、半分程度えぐり取られた鬼カマスの死骸が、辺りに点々としている。アーサーが、剣を鞘に収めていた。アーサーが今の瞬間に詠唱した術式で、まとめてなぎ払ったらしく、通路は黒こげになっていた。半魚人の死骸も、炭同然になっている。
「すまんな。 我が輩単独でも対処は出来たが、ウィルに当たると思ったのだろう?」
「いつつ、やっぱり何回やってもなれませんね。 怖いし痛いし。 アーサーさんを信じていなかったわけじゃないんですが、体が勝手に動いてしまって」
アーサーに手を貸してもらって、立ち上がる。
後ろで、青ざめたままウィルが立ちつくしていた。怖がらせてしまったと思って、スペランカーは宥めようと思ったが、少年は首を横に振った。
「ち、違います。 情けないです!」
「え? 情けないって、どうして」
「あんたたちと覚悟が違うって事は分かってました! でも、それに甘えてた! ほ、本当に、す……!」
「それ以上は言わないで。 もう良いから。 今は、此処を生きて突破して、抜けることを考えよう?」
少年が乱暴に目を擦り、涙を落とす。
後ろでは、まだ散発的に突撃銃の射撃音が響き続けている。ひゅっと音がして、地面に三つ叉の槍が突き刺さった。
「後ろの戦力は、恐らくは引き返して来た連中だ。 このままだと押し切られるぞ」
「ジョー殿。 殿軍を頼めるか」
「あまり無理は効かんぞ。 弾は大丈夫だが、俺は魔法の類には抵抗能力がない」
手榴弾を、ジョーがまた放る。アーサーは平然と爆音を聞き流しながら、耳を押さえて地面に伏せているスペランカーの上で雄々しく頷いた。
「分かった。 我が輩が、責任を持って路を拓く」
「貴殿の騎士の約束には千金の価値があるな。 任せるぞ」
小僧と、ジョーが声を張り上げる。リュックを乱暴に投げ落とす。
「数日分の食料が入っている。 お前が担いでいけ」
「は、はいっ!」
「武器も入れてあるが、それは置いていけ! お前には使えまい」
スペランカーもリュックに飛びついて、中に詰め込まれていたいろんな武器類を出す。ウィルは二つリュックを担ぐことになるが、男の子だし、どうにかなるだろう。
アーサーは既に、前方の安全を確認し、来るように手招きしている。
「生きて、また会いましょう」
「当然だ」
言葉短く、ジョーは応えた。そして、一つの戦闘機械と化した歴戦の傭兵を後ろに、スペランカーは、顔つきが変わったウィルと一緒に走り出した。
やっと、ウィルはもやもやの原因が分かった。
覚悟の違いだったのだ。
この人達は、覚悟が出来ている。状況次第で手を汚し、場合によっては自分が傷ついても味方を助ける覚悟が。
自分は何処か、それが出来ていなかった。きっと、だから骸骨の戦士達にも遅れを取ったのだ。
温存すると言いながら、能力を使いもしなかった。あれを出し惜しみしないで最初から使っていれば。
走りながら、石版を取り出す。体が軽くて仕方がない。隣をぽてぽて走るスペランカーは、前で鬼神のように暴れ回っているアーサーに視線を固定しながら、言った。
「やっと、本気になれそう?」
「ええ!」
前の方で戦っている数十の半魚人。剣を振るい槍を繰りだし、空中に無数のトマホークを出現させて投擲し、さらには焼夷弾並みの火力を持つ松明を辺りにばらまくアーサーの凄まじい武勇は彼らを一歩も寄せ付けない。だが、スペランカーの能力も、連中に対処するには向いていない。走りながら、壁に手を突く。
そして、術式を発動しながら、後ろにボンをばらまいた。
目を閉じる。
目を開け、全ての半魚人の体内に、ボンを転送。
握り込んで、発動ワードを唱えた。
「爆っ!」
アーサーが飛び退く。数十の半魚人が、内側から消し飛び、内臓と骨と鱗をまき散らす。空間転送。ウィルが使える技の中でも、もっとも強力な一つ。ただし、相手が発動の瞬間、ウィルに攻撃できる位置にいて、なおかつタイムラグが生じるのが弱点だ。
それでも、半魚人はまだまだ現れる。しかし、今の隙に詠唱を終えたアーサーが、今度は槍を突き出しながら術式を展開。通路が瞬間的に焼き尽くされ、辺りに焦げ臭い香りが漂った。
通路を、走り抜ける。
巨大な黒い孔。恐らくは、あれが最深部への通路。スペランカーの言葉は、正しかったことになる。
アーサーが進み出る。最深部を守る敵は、半魚人だけでも数百。ミイラも数十はいる。骸骨の戦士達も、数多くいた。
其処は広いホール。無数の円柱が立ち並び、しかし壁は真っ黒になっていて見えない。空には、雷が走っているのが見えた。まるで宇宙空間に、二列に柱が立ち並んでいるかのような異常な光景である。
その中、整然と並ぶ半魚人とミイラ、それに骸骨。彼らは整然と隊形を組み、剣を向けているアーサーをねめつける。
「我らの聖域をなぜ侵す、人間!」
孔の下に立ちつくす、今までで一番豪奢な服を身に纏った魚人が言う。他より一回り大きく、長い顎髭を蓄えたその魚人の目には感情が見えないが、物腰には威厳が備わり、長年一族を束ね挙げた長としての貫禄があった。
「この島は、今まで多くの人間の血を吸ってきた」
「それは、お前達が侵略を仕掛けてきたからだ!」
「一理あるな。 だが、お前達が崇める異星の神が、どのような所行をしているか、知らぬ訳でもあるまい。 我が輩は、その邪悪なる神を討ち取りに来た」
半魚人の長老は口をつぐむと、憐憫の目でアーサーを見た。
スペランカーが進み出ると、長老は目を見開く。ウィルは、今は信頼を持って、隣にいる小柄でひ弱に見える女性を見つめていた。
スペランカーは言葉を選んだ。相手を辱めないようにしたかったからだ。
「もしもあなた方が抵抗を放棄するなら、攻撃はしません」
「貴様、さてはこの島で恩を受けたものか」
「いえ、この島には来たこともありません」
「しかしその力は、明らかに先代の支配者である……」
長老の言葉は聞き取れなかった。クルールーとかクトゥールーとかいうのが近かったような気はするが。更に、長老は瞠目して、全身を振るわせた。その視線は、熱さえ帯びて、スペランカーに注がれている。
「それに、ダゴン様の力も感じる! お、お前は」
「通してください」
「……長老、行かせてやろう」
ミイラの一人が、半魚人の長老を見上げる。
剣を既に下ろしている骸骨の戦士もいた。半魚人達にも、戦意がない者が少なからずいるようである。
「俺達の仲間を散々殺したのは気に入らんが、はっきりいって今の神さんはもっと気に入らん。 側に控えている人間どももな」
「ども?」
眉をひそめる。
今、人間ども、と言ったか。一人ではないと言うことなのか。
もしそうだとすると、一人は予想が付く。この間F国でダゴンやクトゥヴァと戦った時に、裏で糸を引いていたらしき人物。最初は保護対象として接触した人物。アンリエッタ・ロマノフ。
素朴な雰囲気の平凡な優しい女性に見えた彼女は、だがしかし高確率でダゴンらを操っていた張本人だ。もっとも、ダゴンの雰囲気から言って、どうも利用されていた、だけの可能性も強いが。
問題は「ども」の部分だ。他にも邪神を操作できるような人間がいるというのか。そうなると、かなり面倒なことになるかも知れない。いつでも、一番怖いのは人間だと言うことを、スペランカーは知っている。
長老の半魚人は、首を横に振る。大きく嘆息すると、此方に背を向けた。
「戦おうにも、これでは戦にならぬ。 好きにするが良い」
「勇気ある決断、我が輩は感服した。 必ずや寛大なる処置をとる」
「ふん……」
「一つ、聞きたいことがあります!」
不意に、ウィルが前に出た。そして、さっき不満を零したミイラの前で、懐から慌ただしく写真を取り出す。
不思議な雰囲気の人だ。若いようにも置いているようにも見える。小柄な男性で、髪は金属的な銀。目つきは鋭く、赤黒いサングラスの奥から、此方を睥睨しているようだった。
「もしかして、人間の一人は、この人ではありませんか?」
「ああ、此奴だ。 色々な名前があるとか嘯いていやがったな。 昔はゴンベと名乗っていたこともあるそうだ」
「間違いない。 師匠だ」
「師匠だと?」
ミイラがぼやく。アーサーが、ウィルを見て呟いた。
「無駄足か?」
「いえ。 予想の、範囲内です」
「いざというときは斬るが、構わぬな」
僕が、その時は。そう、ウィルは言った。
5、決戦
かってない敵の大軍勢を前に、Mは口の端をつり上げていた。
ジョーが置いていったジープを移動させたのは、背後を突かれる恐れがない崖であった。退路もないが、しかし全方位から攻撃されるよりマシという判断である。壁も床も、念入りにダーナに石で舗装させた。これで地下からの奇襲は防ぐことが出来る。
何処とも無く現れた敵の大軍勢は、もはや算定不能。確実に十万は超えている。
リンクは剣を抜き、戦いに備えて構えを取っていた。他の手練れ達も。ダーナも魔法の杖を構えて、多少青ざめながら敵を見つめている。
敵はおよそ七百メートルほどの距離を取り、扇形の陣を組んで、此方に相対していた。火力を最大限集中するための陣形である。また、空には無数の飛翔生物の姿が見える。
あの時、Mはアーサーと話した。
スペランカーを連れて、敵の本陣に乗り込んで欲しいと。
N社の調査では、スペランカーは異神の呪いを受けている。その影響か、どうも異神そのものの気配を感じることが出来るらしいのである。人間や動物の気配は全く読めないのに、面白い女である。
つまり、奴なら邪神への最短距離を見つけることが出来る。
再三偵察に行かせたのも、それが目的だ。しかし表層では、気配をあまり感じなかったらしく、その手の報告はなかった。業を煮やしたMは、リンクに空間の壁を破らせたのである。
此処はもう最下層に近い。此処なら、まず発見できるとMは踏んだ。そして実際、スペランカーは気配を感じた。
歴戦のジョーも、それに潜在的な可能性があるウィルも連れて行って欲しいと頼んだ。アーサーは渋々ながら話を引き受けてくれた。
美味しい話を、アーサーに譲った理由は一つ。Mの方が、気配が大きいからだ。より敵に察知されやすい。
今まで散々派手に暴れたのも、この時のためである。敵に、Mの圧倒的破壊力を見せつけるためだ。アーサーが路を拓けば、スペランカーは必ず異神を討ち滅ぼして見せるだろう。
それに、手柄を譲った訳でもない。アーサーが邪神を滅ぼそうが、スペランカーが倒そうが、総指揮を執ったのはMなのだ。史上誰もが成し得なかったアトランティスの壊滅を成し遂げた英雄。
既にあらゆる戦場の名誉を得ているMにとって、今欲しい称号は、これくらいしかなかった。
「超過勤務手当は出るんだろうね」
不満そうに女戦士Sが言う。Mは鼻で笑いながら応じた。
「グアムに一月ほど、別荘つきで出してやるわ。 恋人とともにでも行って来い」
「あいにくだが、特定の相手はいない」
ヘルメットのバイザーをSが下げる。敵軍は、距離を保ったまま動かない。前衛のミイラ部隊は、既にいつでも火球を放てる状態にあるのだが、仕掛けてこようとはしない。
何かあったのは明白だ。
Mも、構えを取ったまま動けない。敵の数は算定不能。Kの放った大軍勢でも、此処までの威圧感はなかった。
だが、それでも心は滾る。
Mが、戦士であるが故に。敵の雰囲気が変わった。仕掛けてくるつもりだ。Mは凶暴な笑みを浮かべると、肩を掴んで、腕を回した。
「さあて、始めるとするか」
闇の孔の中、飛び込む。
その先は、案外静かな空間だった。巨大な石造りの部屋。周囲を見回していくウィルは、二つのものに視線を止めた。
一つは、青い巨大な顔。
魚類にも見える。人間にも似ている。耳は少し尖っている。
隣を見ると、スペランカーがリュックから玩具みたいな銃を取り出しているのが見えた。つまり、彼奴がアトランティスの支配者、と言うことだ。アーサーも、既に視線をその巨大な顔から外そうとはしない。
確かに、見ているだけで全身が震え上がるようである。そして、もう一つ。
顔の下に、見覚えがある人がいた。
「ようこそ、私が指揮統率している異神の領域に。 ほう? 懐かしい顔がいるな」
「自身の弟子に対して、もっとまともな言葉はないのかな」
「暇つぶしに育てた弟子に、親愛の情などあると思うのか。 君は確か騎士アーサーだったか。 肩書きに相応しい、温い脳みそだな」
「その少年は、貴様を実の家族と慕っていた。 それについて、貴様はどう思う」
別に何もと、師匠が応える。ああ、いつもの師匠だと、ウィルは思った。
アーサーは舌打ちする。ウィルの方も、師匠の方も見ようとはしない。
「わが輩達は、あれの相手で手一杯だ。 あっちのゲスは、お前でどうにか出来るな」
「やって、見ます」
「一つ聞いておくが、あれで正気なのだな」
「昔から、師匠はああいう人でした。 知識のためには百万死のうと知らない。 自身の利益のためなら、核兵器を撃つことだって厭わない」
でも、ウィルは望んでいた。
此処で師匠を助けて、礼を言われることを。笑顔で、お前は私の自慢の息子だと、言ってくれることを。
現実を見なかった。甘えていた。だから、今までウィルは子供だったのだ。
きっと、越えるべき壁を見つめる。
師匠は、純粋すぎる。
だから単身、欲求を解消するためにアトランティスに乗り込んだ。そしてこの様子では、目的のものを手に入れたのだろう。
だから、笑っている。今までウィルが見たこともないほどに、満面で。
「ウィル、こっちへおいで。 一緒に不老不死の研究をしよう。 そして全てのことを知ろう」
「僕はどうせモルモットでしょう」
「光栄に思うがいい。 私の研究がいつも完璧であることを、その成果が偉大であることを、お前は知っているだろう」
「……」
無言で、ウィルはリュックを投げ捨て、上半身をはだけた。
隣にいたスペランカーが、眉をひそめる。
上半身に刻まれた、無数の入れ墨。そして埋め込まれた宝石類。入れ墨は複雑怪奇な呪文を定着させる効果を発揮し、宝石はそれを増幅する。これが。ウィルの特異体質の正体だ。
後天的な能力。最初に師匠がウィルにしたことが、これだった。そしてこの激痛と拒絶反応に生き残ったから、ウィルは師匠の側にいることが許されたのだ。
普通の家族の愛情なんて知らない。物心ついた時には、既にスラム街を彷徨っていた。
だから、普通に扱って貰うだけで嬉しかった。例え、どんな恐ろしい実験につきあわされたとしても。無謀な冒険で、荷物持ち代わりにされても。戯れに与えられたボンを、ズボンのポケットの中で握りしめる。
貴方は、僕の唯一の家族。
だからこそに、今此処で、止めなければならないのだ。
「馬鹿なことを言っていないで帰りますよ、師匠。 そして、罪を償って貰います」
「なん、だと。 お前、誰に向かって口を利いているか、分かっているのだろうな」
「もちろん、僕が貴方に言っています」
口の端をつり上げた師匠が、ポケットに手を突っ込む。
再び手が視界に洗われた時。それは大きな宝石を握りしめていた。
師匠の特殊能力は不老。ただしこれに不死は備わっていない。逆に言うと、師匠はその能力に頼らず、己のポテンシャルと発明品、それに知識のみで、腕利きの二つ名を手にしたほどの男なのだ。
しかも、ウィルの手の内は、あらかた師匠に知られている。
勝つためには、知られていない切り札を用いていくしかなかった。
「子供には躾をしなければならないことを忘れていた。 我ながら、うっかりものだ」
師匠の顔から怒りは消え、満面の笑顔が戻っていた。
アーサーは、巨大な敵面から、片時も視線を外さなかった。
否、それは違う。外せないのだ。
側で見ているスペランカーにも分かる。これは、尋常な相手ではない。ダゴンと同等か、或いはそれ以上に見える。
「名を聞こう、異星の神。 我はアーサー。 騎士なり」
返答はない。いや、頭の中に、直接名前が浮かんできた。ゼム・ズロ・ザヴィーラ。それが、あの顔だけの魔神の名前であるらしい。
邪悪で残虐であっても、ダゴンは卑劣な存在ではなかった。此奴も同じで、わざわざ名乗り返してくる所を見ると、結構律儀な存在かも知れない。
作戦は、ただ一つ。
アーサーが作った隙に、至近でブラスターを叩き込む。ただそれだけだ。
念じてみる。
「貴方は、どうしてこの島にわざわざ余所の星から来たのですか。 ダゴンさんは食事だと言っていましたが」
「それは我も同じだ。 我が目的は、質がよい食事の確保である」
返事があったので、驚いた。アーサーも目を見張り、眉をひそめていた。
中空に浮かぶ巨大なザヴィーラの顔は、微動だにしない。ただ、脳に言葉が直接跳んできている。
「人間の文明に干渉したと、ダゴンさんは言っていました。 貴方も」
「そうだ。 お前達が畑を耕すように、人間を効率よく増やすため、知識を与えた。 もっとも、この世界ではイレギュラーケースが多すぎて、お前達のような異物があまりにも多く生じてしまったようだが」
すらすらと、ザヴィーラは応えてくれた。ダゴンと同じく、紳士的な存在らしかった。人間を捕食対象と考えていることまで一致しているようだが。
「帰っては、いただけませんか。 あなたの目的は分かりましたが、私達もむざむざ食べられる訳にはいきません」
「拒否する。 我は長き時間、上司の命によりこの作業を続けてきた。 そして上司がいない今、ようやく力を独占する好機が巡ってきた。 お前達は人類でも屈指の精鋭だと分かっている。 だから、まずはお前達を血祭りに上げることで、捕食行動の足がかりとする」
「もういい。 スペランカーどの」
アーサーが、名乗りを上げた。
「騎士アーサー、推して参る! 人間として、貴殿の捕食を見過ごす訳にはいかぬ! いざ来られよ、邪神ザヴィーラ!」
その、名乗りが終わるやいなや。
視界が、真っ白になった。
吹き飛ばされたのだと気付く。アーサーが、即応して、剣を振るうのも見えた気がした。
地面に大きなクレーターが出来ている。上がっている煙は酷く有毒のようで、何度もすっては息絶えて、また蘇生する。アーサーは己の鎧を金色に輝かせ、槍を投擲。次の光と相殺した。
中空で、巨大な爆発が巻き起こる。
アーサーが光を纏う武器を投擲しながら走る。ゆっくり動きながら、ザヴィーラはその全てを迎撃してたたき落としていた。口から火球が出ているのではない。空中から突如として出現しているのだ。それも、直径十メートル以上はありそうで、しかも青色の高熱を纏った炎である。
見る間に、巨大な広間の温度が上がっていく。
頭を振って立ち上がると、スペランカーは走り出す。敵は頭上十五メートル以上というところか。ブラスターの射程はせいぜい十メートルで、しかもへっぽこなスペランカーの腕では、最大距離での命中は難しい。ザヴィーラの足下に近付く。後ろから見ると、丁度お面のように凹んでいるのが分かった。
まるで、仮面が空を舞っているかのようだ。
がぼりと、嫌な音。
仮面が二つに割れる。ただし、左右でも縦でもない。虫が脱皮するように、分厚い仮面が同じ形に、二枚に別れたのである。
一つは茶色く、もう一つは青い。
二つの仮面の間には、粘液に塗れた触手が大量に蠢いていた。
顔を背けたくなるような音とともに、触手が千切れる。アーサーが放った大量の斧が、根こそぎにしたのだ。
見る間に、青い方の仮面が、再び厚みを増していく。
茶色の仮面が、アーサーを押しつぶそうと落ちてきた。無言で伝家の宝刀エクスカリバーを引き抜いたアーサーが、一刀両断に茶色の仮面を斬り伏せる。模造品という事だが、それでも先祖の秘宝に匹敵する力という。真っ二つに切り裂かれた仮面は、おぞましい臭気をまき散らしながら消えていく。
と、思ったが。
臭気が形を為し始め、無数の人型が辺りの中空で姿を現し始めていた。
いずれもが目も鼻も口もなく、ひたすらに真っ黒である。何となく分かる。あれは多分、ミイラ男達と同一の者だ。
「スペランカー殿、我が輩の側に」
「アーサーさん!」
「正直、巻き込まれずにいられる自信がないのでな」
今度は大量のナイフが、中空に出現する。アーサー、全力である。光を纏ったナイフが、出現したばかりの人型を貫く。それはレーザーのように青い光を放ちながら、ジグザグに空中を蛇行し、滅茶苦茶に黒い人型を引き裂いた。
だが、青い仮面が嘲笑うようにして、また分裂を始める。
さらには、引き裂かれた人型は、今度は無数の目玉になって地面に落ちてきた。それぞれがミミズのように胴体を生やしていき、昆虫のような声を挙げ始める。
「ほう。 さながら悪夢のような光景だな。 だが、魔神の腹の中で戦ったこともあるこの騎士アーサー! 並の悪夢などには屈指はせん!」
今度は十字架をアーサーが出現させる。
目映い光が辺りを照らし、蒸発させていく。だが、青い仮面は平然としていた。それに、目玉の怪物達も、光に当てられて溶けたかと思うと、今度は中空で別の形を為していく。
「無駄だ。 我の分身は、我そのもの。 その程度の拙き技で、滅ぶと思うてか」
「拙き技か、見せてやろうぞ」
アーサーの額に脂汗が浮かぶ。精神力と引き替えに呪文詠唱を簡略化できると聞いているが、多分それだろう。
「父と子と聖霊の御名において、我が輩アーサーが命じる!」
中空に出現した、巨大な黒い槍が、一斉に周囲から降り注いでいた。
だが、ためらわず、アーサーは術式を展開。
「闇は闇へ戻れ! アーメン!」
辺り全体が、押しつぶされるように、地面に一直線に進んだ。槍は急角度に地面に突き刺さり、ぐしゃりとつぶれ、なおかつ溶け消えていく。
青い仮面だけが、それでも平然と、中空に浮かんでいた。
「無駄だと言ったはずだ。 我は異星の神ザヴィーラ! 宇宙の中心に座する白痴の眷属にして、七つの星系をすべし者! 現地の旧神の力など、我の前には赤子も同然!」
茶色の仮面が、再び青の仮面から分離していた。
何かおかしい。敵の気配が、小さくなる様子がないのである。あれだけのアーサーの攻撃だ。ダゴンであっても無事では済まなかっただろうに。
そういえば、ウィルは。
いない。何処か、別の次元で戦っているのかも知れなかった。
敵の大軍勢の中に突入したMは、星の光を解放していた。
星の力。
Mの切り札の一つ。全身のエネルギー活動を極限まで高め、実に千七十万度を超える熱量を帯びて敵と対峙する技だ。長時間の連続展開は出来ないが、熱量だけではなく膨大な魔力も帯びており、この状態のMの体当たりを受けては例え邪神と言えども無事では済まない。Mの火球に耐え抜く敵であっても、この熱量の前には無力だ。
無数の敵を蹴散らしながら、生きた魔星と化して空を駆けるM。大量の敵が、その体に触れることさえかなわず溶けて消えていく。思わず道を空けようとする彼らの後ろから、鋭い叱責が飛んだ。
「下がるな!」
後ろで爆発。Mの部下や仲間達が、大暴れしているのだ。わずか二十名弱という小勢でありながら、すでに四時間以上、彼らは持ちこたえている。
Mは光を帯びたまま、声の主を見据える。
分厚い味方に守られているそいつは。髪の色も雰囲気も違うが、見覚えがある。アンリエッタ・ロマノフだ。
巨大な鳥の怪物の背中に跨っているアンリエッタは、青ざめていた。
分かる。もはや居場所がないのだと。
「やはりKに断られたな。 制御も出来ん道具を兵器とは言わんと、奴は言ったのだろう」
「黙れッ!」
アンリエッタが開いている左手で、何か剣のようなものを取り出す。
アトランティスの秘宝だろうか。この間は持っていなかったものだ。背中には小さなリュックがあり、まだ何か入っていそうである。
「降伏しろ。 もうすぐそいつらの主も、別働隊が潰す。 アーサーは私には劣るが、それでも超一流の使い手だ。 並の邪神など相手にならん」
ざわつく、邪神の部下達。
アンリエッタは、顔を恐怖と絶望に歪めていた。小物だ此奴は。自分の器もわきまえず、どうして世界を支配しようなどと思えるのか。
Kでさえ、世界の征服はなかば諦めているのが、Mには分かるのだ。奴は同時攻撃で七つの国を一時期制圧したことがあるが、それでも支配は短時間しかもたなかった。現在の世界には強者が幾らでもおり、しかも情勢が安定している。紛争やテロが絶えない国もあるが、全体的には史上最も平和な時代だとも言える。そろそろ宇宙への本格的な進出が始まろうとさえしている時である。そんな状況で、世界を単独の存在が支配することに、どんな意味があるのか。
資本主義に限界があるのは、Mも良く知っている。
誰にも言ってはいないが、貧困国の子供を働かせるような農場の解放運動には裏から協力しているし、幾つかの孤児院はスポンサーもしている。素性を隠して、特に酷い独裁政権を二つ、潰してもいる。
だが、それでも。この世界をどうこうしてしまおうとは思わない。
「お前達が何者かは知らん! だが、もうすぐこのアトランティスは滅ぶ! 邪神の支配は終わるのだ!」
突っかかってきた怪物が蒸発する。
空に浮いたまま、膨大な星の光を放ちながら、Mはなおも宣告する。
「その時には、出来るだけ寛大な処遇を約束する! だからとっとと降伏せよ!」
「聞くな! はったりだ!」
「さて、それはどうかな!?」
Mが頭上に高々と手を差し出すと、巨大な火球が出現する。底知らずのMの体力を見た怪物達が、恐怖のあえぎを漏らす。
アンリエッタが、絶叫しながら剣を振るった。
Mは躊躇無く、火球を愚かな一族の夢に振り回された女に向けて、叩きつけていた。
狭い空間だった。
師匠が、激しくなるアーサーと邪神の戦いを見て、不意に術を展開。気付くと此処にいたのだ。
さっきの広間に比べると、大きめの民家の居間くらいしかないこの部屋は、手狭に過ぎる。だが、いざというときには自爆だって狙える。師匠に勝つには、捨て身で行くしかない。
否。
殺すのではなく、目を覚まさせたい。
「此処は、アトランティスの、今ひとつの最深部。 私がザヴィーラに言って作らせた空間の一つだ」
「それで?」
「実験はいつもここで行う。 それだけだよ」
今になって思えば、師匠は悲しい人だ。J国の出身らしいのだが、圧政に晒され、どうにか地方政権の転覆には成功したが国を追われた。長い間世界を彷徨い、様々な経験をして、何時しかその心は醜く歪んでいった。
ウィルを子供として育ててくれたのも、何処かで寂しかったのではないか。もはや家族も仲間もなく、師匠が見ていたものは何だったのだろう。
「さて、大口を叩いたからには、面白い芸を見せてくれるのだろうな、ウィル」
手の中に隠していたボンを後ろに落とし、師匠の体内に転送。
だが、爆発しない。
飛び退く。頭があった地点で、爆発が巻き起こっていた。
背中が壁に付く。ひんやりと冷たい。
「そんなものが通じると思ったか?」
「思っていません」
飛び退きながら、次の術を準備。師匠は鼻を鳴らすと、指を弾く。
同時に、全身が一気に重くなった。床にたたきつけられるウィルは、思わず悲鳴を上げていた。
「うあっ!」
「そもそも、このアトランティスに隠された謎とは、なんだと思っているのだ」
「どうせ、ろくなもんじゃないでしょう!」
師匠が指を弾くと、更に辺りが重くなる。
まるで、石の壁に押しつぶされているようだった。悲鳴を上げるウィルを見て、師匠は退屈そうに呟く。
「先に言っておくが、ボンを大量に爆破してともに自爆などと言う戦術は通用しないぞ」
「その気は、ありません!」
重圧の中、呼吸を整える。
そして、術式を発動。叫ぶ。
「わあっ!」
「な、にっ!?」
重圧が消え去る。
冗談のような術式。叫ぶことによって相手が生じさせる動揺を、数倍に増幅するというものだ。動物や何かだと完全停止が見込める。師匠の場合は、術式を解除してしまう辺りが精一杯だったが。
唯一、ウィルが師匠に勝っているのは体格である。跳ね起きると、拳を固めて師匠に迫る。
立ち直った師匠は、宝石をかざす。
はじき飛ばされ、また壁に叩きつけられた。
そうか、あの宝石か。多分師匠がずっと欲しがっていた、全ての知識の塊。いや、そう師匠に錯覚させるだけのものを持つ、邪悪なる何か。
「面白い技を覚えてきたな」
「まだ、まだっ!」
上を指さす。
身構える師匠。だが、これは単にウィルの体力を、ほんの僅かずつ、上に指を向けている間だけ回復するというしょぼい術式である。どうしようもない術式だが、それでも、最後に向けての行動には役立つ。
苛立つ師匠。
今、先手を取っている。しかしながら、後手にもう一度回ったら終わりだ。
術式を発動。切り札とも言える術だ。此処で勝負に出る。
舌打ちした師匠は、再びあの重力の術式を展開する。しかしウィルは、一瞬先に、動いていた。
「あああああっ!」
「ふん、来るがいい!」
師匠が、宝石をかざして、障壁を作る。
それを待っていたのだ。
するりと障壁を、そして師匠の体を、ウィルがすり抜ける。
唖然とした師匠の後ろで、ウィルは拳を固めて振り返っていた。
透過の術式。あらゆるものを透過する術式だが、ごく僅かな時間しか持たない。
振り返った師匠の顔面に、拳を思い切り叩き込む。小柄な師匠は、流石にウィルのパンチにひるむ。どんな拳法をやっていても、体格の差と、それによって生じる腕力の差は非情だ。
ましてや、師匠は典型的なインドア派である。武術の類には、何ら知識どころか興味もないだろう。
連続して、もう一発。よろめいた師匠は、それでも目に激しい炎を宿していた。宝石をかざそうとする。その、手首をつかんだ。
そのまま、地面に押し倒す。
「お、おのれっ! 離せ!」
何度も、師匠の手を床にたたきつける。宝石が、ついに手を離れて転がり落ちた。
ボンを投げる。腹に激痛。師匠が素早く抜き取ったナイフを、ウィルの腹に突き刺していた。
痛みに耐えながら、宝石の中に、ボンを転送する。
「があああああああっ! やめろおおおおっ!」
「一緒に、地獄に行きましょう、師匠っ!」
周囲が、不意に闇一色に染まる。
恐らくは、破れかぶれになって師匠が発動した術式だ。ボンが炸裂しない。師匠が、勝ったと思ったことだろう。
だが、ウィルは、これに対する術式を持っていた。
ただ、辺りを光らせる。それだけの術。
光が生じ、それが宝石に届いた瞬間。
師匠を狂わせ、いや他の多くの人も惑わせてきた魔の石は。木っ端微塵に吹き飛んでいた。
絶叫する師匠と一緒に、何処までも続く闇の孔に落ちていく。
腹から大量の血が噴き出しているのが分かった。だが、どうしてか、これでいいのだと、ウィルは思った。
既に周囲は、敵しかいないというのも生やさしい状況だった。敵によって埋め尽くされていると言った方が正しい。
ありとあらゆるアーサーの戦術は、ことごとく効果を示さず。超常の技の数々は、虚しく敵の数を増やすばかりだった。
エクスカリバーの光の一撃が、一度青い仮面を直撃したのだが、罅一つ入らなかった。
絶望は微塵も感じない。それは凄いのだが、しかしそんな超常の騎士アーサーの顔にも、疲労が見え始めている。何度か直撃が入りそうになったので、スペランカーがそのたびに身代わりになった。流石は邪神の攻撃であり、燃やされたり溶かされたり粉々にされたり酷い目にあったが、それでもどうにか復帰する。
そして、やはりダゴンと同格の存在からか。呪いのカウンターは通じていない。スペランカーの身を纏う不老不死の呪いは、死んだ時に欠損部分があると周囲から物質を補って蘇生させ、その欠損が悪意ある攻撃によって生じた場合、攻撃者の肉体から欠損を補填する。
だが、高位の邪神になってくると、それも通らない。ダゴンに到っては、数万回分の死による呪いで、やっと大打撃を与えられたほどだ。
無数に蠢く影。悪夢の産物としか思えない生物の数々。触手。そして、大量に分裂した仮面。
結論を出したのは、アーサーだった。
「さては貴殿、本体を何処かに隠しているな?」
「気付くのが遅い」
「いや、勝機だ。 スペランカー殿、ブラスターの準備を」
「はい! いつでも!」
既に靴は失われ、ヘルメットも。服も再生途中で、おなかはスースーするし、ズボンは破れて多分ぱんつが見えてる。ちょっと背中を合わせているアーサーに振り返って欲しくない。ただ、今はアーサーが言うのだから、勝機が来ているはずだ。精神を集中する。
アーサーが、何かペンダントのようなものを取り出す。
愛する人の持ち物だろうか。ザヴィーラがそれを見てせせら笑った。
「どうした、勝機では無かったか」
「勝機だとも」
アーサーがにやりと笑う。
最終攻撃を、繰り出すつもりだ。
もしも何かあるとしたら、もう一人。ウィルが師匠と呼んでいた、あのおじさんが関わっているだろう。もしもウィル君が勝てば、一気に最後の一撃を入れる好機が訪れるはずだ。
「茶番には飽いた。 忌ね」
一斉に、周囲の、この巨大なホールを覆い尽くすほどの影が根こそぎ襲いかかってきた。
アーサーが、ペンダントを掲げ挙げる。
アーサーを中心として、円形状に空間が削りとられたかのように見えた。怪物達が、膨大な降り注ぐ光に当てられて、消滅していく。広がっていく光。アーサーが、眉をひそめ、大量に汗を流しているのが分かった。金色の鎧も、徐々に光を失っていく。
「哀れな。 そのような術し……」
ザヴィーラの、声がとまる。怪物達の動きも。
露骨に、敵の軍勢に乱れが生じた。
本当に来た。勝機だ。ウィルが、勝ったのだ。
アーサーは術を解除。スペランカーを不意に抱え上げる。鎧の冷たい小手で、剥き出しの脇腹を思い切り掴まれたので、情けない悲鳴を上げてしまう。
「ひあっ! ちょ、ちょっとっ! アーサーさんっ!?」
「行って来い、スペランカーどの!」
本当に、そのまま放り投げられた。
白目を剥いて、絶叫しているザヴィーラ。脳の中に、膨大なノイズが飛び込んでくる。スペランカーはブラスターを、空中で向ける。見る間に近付いてくる、ザヴィーラの巨大な顔。
無念。
絶望。
こんな遠い星まで来て、思いを遂げられなかった悲しみはどれほどだろう。
だが、彼らの存在は、基本的にスペランカー達地球人とは相容れない。家畜と、消費者。両者の関係が、それである以上。存在を認めてはいけないのだ。
「お、おのれ、おのれえええええっ!」
仮面のようだった顔が、初めて歪む。額の赤い宝石が、目映く輝いていた。
ごめんね。
呟くと、スペランカーは、その赤い宝石を、ブラスターで撃ち抜いていた。
6、明らかになるアトランティスの謎
ウィルが目を覚ますと、手当がされていた。隣には、縛り上げられた師匠が転がされている。師匠は遠い目で、ぶつぶつと何か呟いていた。
手当をしてくれたのは、どうやらジョーらしい。ぼそぼそと説明してくれる。後方から殺到してくる敵を食い止めていたら、突然ウィルと師匠が落ちてきたそうだ。師匠を一撃で殴り倒して気絶させると、ウィルの傷を見て、意識はないが致命傷でもないことを確認してそのまま戦闘続行。時々ウィルの手当を進めながら、邪神を倒したアーサーとスペランカーが戻ってくるまで、見事に耐え抜いたそうである。
タフな大人だ。まさにワンマンザアーミーである。
既に、周囲の戦闘音はない。そればかりか、神殿の通路では、武器を放り出して呆然としている半魚人達の姿が目立った。
体を起こそうとするが、止められる。ジョーは、武器を分解し、リュックに詰め込んでいた。
「まだ寝ていろ」
「あ、はい。 すみません」
「ロード・アーサーによると、お前のおかげで邪神は倒せたのだそうだ。 後でN社から報償も出る」
必要なことだけ告げると、ジョーはリュックを背負う。そして、半魚人達に何か告げた。担架が運ばれてきて、半魚人に乗せられた。触れても石にならない所からすると、本当に邪神は滅びたのだろう。
神殿の外には、Mが来ていた。他の面子も大体無事のようだ。
「これは、名誉の負傷だね」
女戦士Sが傷口を見て、処置は完璧だと保証してくれた。無事ではあっても、全員が激しく傷ついている。にも関わらず笑っているのは、勝ったから、というだけではないだろう。
戦士だからだ。
当然のように無傷のMが、長老と何か誓約書を交わしていた。内容は、アトランティスは今後この海域に停泊すること、独立国として認められること、国連軍はその安全を保証すること、などなどだという。この辺りは何T国の領海だが、戦略的な価値はなく、漁場としても価値が低い。ただ、当然T国および幾つかの先進国にはある程度の見返りを渡す必要が生じてくるだろう。もっとも、先進国側も、簡単にこの島に侵攻は出来ないだろうが。
こういった、重異形化フィールドが独立国として認められることは、この世界では良くあることだ。
ただし、N社を始めとする研究チームが来ることを、阻むことも出来ないだろう。それに邪神がいない今、本気で戦えば敗北するのは彼らの方だ。だから、これらの条件は呑まざるを得ない。
師匠は当然、牢獄行きになる。多分終身刑になるはずだ。時々面会に行きたいが、それも許されるかどうか。或いは師匠の知識や経験が、N社に必要とされて、ある程度の待遇は与えられるかも知れない。
バンゲリングベイが降りてくる。医療班が到着したのだ。怪我人が乗せられ、輸送されていく。医師達は半魚人とも話し合い、彼らの重傷者の怪我も見ると話をしていた。他にも大型の輸送機が来て、赤い十字架の腕章を付けた医療チームが続々と周囲にテントを貼り始めた。
もう、此処にいても邪魔になるだけだ。
始まる喧噪の中、Mが歩み寄ってきたので、緊張する。
「邪神を倒した決め手は、お前の一撃だったそうだな」
「はい……」
「そうか。 俺から、S社の方に話はしておく。 今後は先輩達を困らせるような事はするなよ」
Mは師匠を一瞥すると、大股に歩み去っていく。
ウィルは嘆息した。これで、きっとウィルは一人前になることが出来たはずだ。ジョーが師匠を立たせる。バンゲリングベイに乗せて、連れて行くのだろう。
「師匠」
うつろな目を、師匠がウィルに向けてきた。ジョーは早くしろと視線で語ると、後は黙っていた。
「このアトランティスは、一体何なのですか」
「此処か。 此処は、異神の揺りかごだ」
ぼそりと、師匠が呟く。
かって、この島に降りてきた異星の神々がいた。彼らはその優れた技術を使って世界に干渉し、人間を進化させた。神々にとって都合がよい食料にするために。
だが、神々同士の争いもあり、また、異常に強く進化しすぎてしまった人間にみきりをつけたこともあり。多くの神々は星を離れた。
後は、神々の揺りかごと、僅かな人数だけが残った。揺りかごには多くの知識が、手つかずのまま残されていた。
いつしか、海底に沈んだこの島には。神々と、彼らに仕えるべく作り上げられた生物と、奇怪な生態系だけが残されたのである。
神々の要塞であるが故に、複数次元を使った迷路のような構造が作り上げられた。そして、ここを訪れる人間の多くは、その桁違いの知識のために神々に心酔して、その走狗となっていった。
時には、一部だけではあったが、神の制御に成功した人間もいた。師匠もその一人だった。
語り終えると、師匠は暗い目をウィルに向けてきた。もう、和解は不可能かも知れない。
「この島は、人間の知識を大きく進歩させる宝の山だ。 もっとも、お前が宝石を砕いてしまったせいで、その一部は失われてしまったがな」
「……」
学究の徒として、それは忸怩たるものがある。
だが、一つ。これだけは言いたかった。
「師匠。 僕は今でも、貴方を家族だと思っています」
「……そうか」
きっとこの島でも、孤独だったであろう師匠。神を制御して、その命とも言える宝石を預かって。しかし、満たされることはあったのだろうか。
ミイラ男達も骸骨の戦士達も、半魚人達も。師匠を理解したとは思えなかった。
バンゲリングベイが浮上して、次元の孔に消えた。別のヘリがまた降りてくる。
「あ、ウィルくん!」
スペランカーが手を振っている。何か疲れ切っているように見えるのはどうしてだろう。それになぜか服がさっきとは違う。
何だかエキゾチックというかエキセントリックというか、ギリシャ風というか、そんな服だ。そういえば半魚人達と同じ服ではないか。生地が薄いからその貧弱すぎる体型がかなり露骨に出ているが、あまり気にしていない様子なのが頭が痛い。
「何ですか、その服」
「ああ、前のはアーサーさんに放り投げられたとき、着地でビリビリになっちゃったから、半魚人さん達に貰ったの。 ウィル君は、もう帰るの?」
「はい。 スペランカーさんは残るんですか?」
「ちょっとだけね。 半魚人さん達に頼まれたことがあって」
彼女は邪神の呪いを受けているという。それならば、此処はとても居心地が良いかもしれない。あくまで想像だが。
ウィルの担架も運ばれる。一旦テントの中で治療を受けた。ナイフは刺さっていたが、内臓を巧く避けており、二月ほどの入院で対処できるという。ただ、それまでは絶対安静という事であった。
輸送機に乗せられて、そのままアトランティスを離れる。
ウィルは一度だけ、アトランティスを窓から見た。
知識。師匠を狂わせたもの。それは一体、何だったのだろう。人間は知識を得て進歩したが、生物としては何も変わっていないと聞いたこともある。
悩みは、まだある。
だが、これからは、もう前に進める。
頭を切り換えて、これからの人生を行きよう。そして師匠の失敗を、繰り返さないようにしよう。
ウィルは、そう誓った。
混乱が収まって数日。外ではまだ医療班が動き回り、M氏がN社やC社のお偉いさんと交渉を続けている。国連の幹部達も島を訪れていた。
交渉は巧く行っているようで、大体予定通りの条約が締結されるようだ。殆どのフィールド探索者達も帰還していった。
そんな中、スペランカーは残っているアーサーと一緒に、独自の行動を続けていた。
「この間はすまなかったな、スペランカーどの」
「もう、紳士だと信じてましたのにー」
「手持ちに術が残っていなかったのでな。 帰ったら我が輩がどこか高級店でおごるから許して欲しい」
結構根に持っているスペランカーに、アーサーが苦笑しながらそんな事を言う。
この人はずっと年下の恋人に苦労しているという話だし、こういう不器用な所に好感を覚える。
「あ、それなら川背ちゃんのお店が良いですね」
「おう、川背どのの店か。 それなら我が輩も金を出す意味があるな」
「美味しいですもんね。 他の人も誘って、今度行きましょう」
雑談しながら、アーサーと一緒に、神殿の奥へ。曲がりくねった階段を下りていく。綺麗な白磁だった壁が薄汚れていき、最深部は鍾乳洞同然だった。其処には鉄の檻が填められた牢獄があり、まるで蟻の巣穴のように点々と並んでいる。
その一つ、恐らくはもっとも罪が重い人間が入れられる牢の前に立つ。見覚えのある人が入れられていた。
アンリエッタ・ロマノフ。
髪型も雰囲気も随分違う。だが、スペランカーには分かった。アンリエッタはスペランカーを一瞥すると、鼻を鳴らして視線を逸らす。
「やっぱり、貴方だったんですね。 この島を浮上させたのは」
「だったら何だって言うの?」
アンリエッタは。
M氏との戦いの時に、部下に反逆されたのだという。M氏の凄まじい戦闘能力を目にしていた上に、邪神が滅ぶと聞いた部下は。自らに跨っていたアンリエッタをその場で石化させたのだという。
戦いは、それで終わった。蝙蝠や蜂達さえ戦闘を放棄し、それぞれの巣穴に逃げ帰っていったという。そして殆どの怪物達からは、事実石化の能力が失われていた。
半魚人の長老によってアンリエッタの石化は解除されたが、それは牢の中での事だった。
そして、今である。スペランカーに、恭しく半魚人の一人が差し出す。やはり見覚えがある。呼び鈴だ。
以前F国でアンリエッタの家を最初に訪れた時、その呼び鈴の古風さから印象に残っていたのだ。半魚人によると、これを逆さにして振るう事で、異神を呼び出し使役するのだという。
「もう少しで、この世界を私の一族が操れたのに」
「それが、貴方の目的だったんですか?」
「そうよ。 政って、そういうものでしょ? 貴方の国だって、民主主義とかいっときながら、票を集めるためには正しい政じゃなくて、如何に派手なパフォーマンスをするかじゃない。 民衆は愚劣よ。 だから国は、世界は力があるものが支配するべきで、それには力とブレインとスポンサーが重要なのよ。 私の一族が、何十年も血の涙を流しながら練った計画で、力は得られた。 この島でブレインだって手に入れた! なのに……」
M氏に、話は聞いている。
闇世界の顔役達は、誰もがアンリエッタの提案を鼻で笑ったと言う。それはただの危険物で、兵器などではないと。
スペランカーに、難しい話はよく分からない。
だが、一つだけ、言えることはある。半魚人に、スペランカーは頷く。
「この鈴、床において離れてください」
「はい」
「ちょっと、何をするつもり!?」
ブラスターを向ける。アーサーが、無言でそれを見つめていた。
「これは、此処に存在していてはいけないものです」
「馬鹿なことは止めなさい! ふざけるな、馬鹿ーっ!」
「或いは、これを上手に使える人が出てくるのかも知れないです。 でも、今の人間には、きっと無理」
鈴が震え始める。
やっぱりこれは、鈴の形をした邪神なのだ。
「数日は、目を覚まさないかも知れませんので、医療班には言っておいてください」
「うむ、後は任せておいてくれ」
「あんた、自分のやっていることが分かってるの! それがあれば、世界は一つにまとまるかも知れないのよ!」
「家畜として、ですか?」
「愚民なんか、昔っから権力者の家畜でしょうが! 如何に効率よく管理するかが、全てだっていうのに! この馬鹿! 幼稚園児以下の倫理観念で、世界の可能性を、壊すんじゃないっ!」
何だか気の毒だ。
人を否定するのは嫌いだ。だから出来るだけ否定しないようにもしている。嫌いな人はいるが、だからといってその人の理屈まで否定しようとは思わない。この人の過激な理屈には、真実が混じっているのかも知れない。でも、いずれにしても。これだけは断言できる。
そんな理屈が如何に正しくても、今の人間には扱えない。
世界中の人間が少しずつ努力して、少しでも良い世界を造っていくしかないのだと、紛争地域に出向いたこともあるスペランカーは思う。地獄は、人間が造り出す。ならば、人間が地獄ではない世界を造ることが出来るかも知れない。未来には。
スペランカーは、ブラスターの引き金を引いた。
半魚人達は、スペランカーの体内の呪いとダゴン神を貴重な者だと考えてくれているらしい。それで、象徴としてで良いから、崇めさせて欲しいと、この島を時々訪れて欲しいと懇願してきた。この島を、貴方の家にして欲しいとも。
断れないし、それに。初めて得た帰るべき場所。
ならば、なおさら。スペランカーは、この島のためにも、鈴を壊さなければならない。そして、この島の外にいる、友達のためにも。
誰よりも、この鈴のせいで、狂気に囚われてしまったアンリエッタのためにも。
鈴が壊れるのを薄れる意識の中で、スペランカーは見て。
そして、やっと一つ何かえられたのかも知れないと思った。
(終)
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