伸びぬ芽

 

序、お仕事続き

 

アガレスがぐったりしていると、珍しくアモンが肩を揉んでくれた。普段怠けていると、酷い仕打ちをする極悪非道な部下なのに。

まあ、今回は仕方が無いだろう。

滅多に来ない人間が。一日に二度も来るという珍しい事態が起きたのだ。

それから一月ほど経っているが、まだ疲れが抜けていない。

最初に来たのは、鉄道模型マニアの男性。

家ではこつこつと模型をやっているらしいのだけれど、最近はこれといったものが感じ取れなくて、人生が空白に近いと、愚痴を言われた。

心の闇自体は薄味だったけれど。

対価は対価だ。

くれてやったのは、グスタフ列車砲。そのモデル組み立てキットだ。

グスタフ、つまり80センチ列車砲は、言うまでも無く史上最大の列車砲。実際に運用された兵器の中では、最大級の浪漫兵器だ。二次大戦のドイツで使われたこの兵器は、未だに歴史上での語りぐさとなっている。

実際に戦闘に参加もしているが、何よりもその巨大さと迫力で、モデラーの中では伝説的な知名度を誇る。

カール自走砲とならんで、モデラーの最終目標とさえ言われるほどの存在だ。

これの、ある人物が作り上げて、結局市場には出なかったモデルをくれてやった。その人物は若くして事故死し、遺族が価値を理解しないで彼の工房を処分してしまったので、誰にも文句を言われる筋合いはない。

後で調べたら、このグスタフをくみ上げた後、男は鉄道模型に興味を無くしてしまい、仕事に専念するようになったという。

ただしくみ上げたグスタフは博物館に寄付。

その大迫力のリアルな造形に、来る人達を沸かせているそうだ。一流のジオラマ師が周囲をくみ上げたこともあり、博物館の名物になっていると言う。

結局、男は究極に到達して、満足した。

周囲の人間も、男が真面目に働くようになって、大満足。

誰もが喜ぶ結果に終わった。

男は四日ほど徹夜してグスタフをくみ上げたそうだけれど。おそらく、それは人生を掛けての仕事だったはず。

それで、男は虚無と化し掛けていた趣味から、足を洗ったのだ。

勿論、趣味を一生物にする場合もある。

アガレスも、それは知っている。

だがこの男は、趣味を人生と同義にする存在では無いと、その過去を覗いて判断したのである。

もう一人は、まだ若い女だった。

この女は非常に複雑な状況の持ち主で、ちょっとやそっとでは語り尽くせないほど、アガレスも苦労した。

今も疲れ果てているのは、その余波だ。

闇は、とても美味しかったのだけれど。

消耗が激しすぎて、ぐったりしていた。

アモンが手紙を持ってくる。

天界側の調整役である、ウリエルからのものだ。ウリエルは天使であり、本来はアガレスにとっては敵というか天敵なのだが。悪魔の監視者であるということもあって、天界と魔界の関係が一段落した今は、調整役として活躍している。

昔は随分とやりあった間柄だ。

何度か戦いもしたけれど。

結局、勝負はつかなかった。

聖典に書かれているほど、天使と悪魔の戦力差は一方的ではない。神が加わってしまうと話は別なのだけれど、天使は悪魔に比べて、そう強いわけでもない。というか、天使の上層部は、強いほどえらいというわけでもない。

天界でもコネクションが重要になる。

一番知名度が高いミカエルなどが良い例で、アガレスはある醜聞を知っている。神が彼を寵愛する理由があるのだ。

さておき、手紙に目を通す。

久方ぶりに顔合わせをしたいというので、出てこいというのだ。

面倒くさい話だが。

流石に今更、悪魔と天使で殺し合いもないだろう。以前の戦いで、どちらも大きな被害を出して、うんざりしているのだ。

天使も悪魔もほぼ寿命が無い分、死を怖れる傾向がある。正確には死では無くて、その後に副次的に加えられるあるものを怖れる。蘇生するものだから、死そのものは最初怖れられてはいなかったのだけれど。

ある天使が余計な事を始めてから、悪魔も反撃を開始。

結果、戦いは極めて陰惨なものとなったのだ。人間達がするように。

勿論どちらにも過激派がいるが、ウリエルはどちらかと言えば中立派で、今更過激派に与するとも思えない。

小さくあくびをすると、鈴を鳴らす。

此処にアモン以外の同胞を招くのは、久しぶりだが。それでも、留守は誰かに預けておかなければならない。

上につまらなそうに上がって来たのは、フルレティだ。

無精髭のおっさんであり、アガレスに対していつも厳しい目で見る。部下の一柱ではあるけれど。

此奴もアモンと同様、家臣と言うほど力の差は開いていないのが実情だ。

「呼んだか、アガレス」

「ウリエルから手紙が来てな。 少し留守にする」

「アモンだけを連れて行くのか」

「そうだ。 其処で、此処の空間を、時間歪曲しておいてくれ」

長身のフルレティは、一階を任せている。それ以上に、彼には重要な役割があるのだ。

時間の操作。

ここに入った人間の、時間を歪めるのである。

あり得ない三階で、アガレスが人間の闇を喰らうとき。外での換算時間は、実のところ、かなり長い。

そのまま時間を流してしまうと、外部との時間に矛盾が出てしまう。下手をすると、人間なんて一瞬で老いてしまうのだ。

其処で、フルレティの存在が必要になってくる。

勿論、この三階での時間を、限りなく遅くすることも可能だ。

アガレスが出かけて、帰ってくる間くらい、人間の時間を停止しておくことも出来る。

どのみち、悪魔や天使が活動している世界での時間は、此方の世界とは流れが違っているのだから、それで問題ない。

空間を歪める作業をしている者もいる。それが、二階を任せているゴモリだ。此処、あり得ない三階に来るためには、二階で作業をする必要があるのだが。それは、実は二階がゴモリの体内そのものだから、という理由がある。

「ウリエルは我らとの調整役だが、大丈夫なのだろうな」

「知るか。 だが、どちらにしても、簡単にやられるほど、私もアモンも脆弱ではないさ」

「お前は兎も角アモンはな」

「五月蠅いな」

頭を掻く。

確かに、めっきり力を落としたアガレスに比べて、アモンは全盛期の実力を維持している。

ある事件でアガレスは致命傷に近い打撃を受けて、その時に起きたことが原因で、実力の低下が起きたのだ。勿論、単純な戦闘力に限っての話だが。

今でも魔術に関しては現役時代の能力を維持しているし、悪魔の中ではトップクラスの使い手なのだけれど。

単純な格闘戦は、もう出来る状態にない。以降も出来ないだろう。

こういう事が起きるから、悪魔も天使も死を怖れるのだ。

「兎も角、此処は任せるぞ。 天界側の調整役であるウリエルの誘いを断るわけにもいかないからな」

「最強硬派のメタトロンが権力失墜して天界もだいぶおとなしくはなっているが、油断だけはするなよ」

「わかっている」

アモンと一緒に、壁へ歩く。

其処へ穴が出来た。

悪魔や天使が活動する世界への入り口だ。

まあ、アモンもいるし、余程のことがなければ大丈夫だろう。小さくあくびをすると、アガレスは、自分の本来いる世界へと、足を踏み入れた。

其処は、心だけがある世界。

肉体は本来存在しない場所。

悪魔と天使。

精神生命体が、古くから暮らし、そして主戦場にして来た空間だ。

 

1、小さなからだ

 

西島昂(にしじますばる)は、高校に入ってからも身長が伸びなかった。全国平均に比べて、十二センチも小さい。

中学のころの成長期までは普通に伸びていたのに。

其処から、いきなり伸びなくなってしまったのだ。

女子だったら、まだ良かったかも知れない。

だが、昴は男子だ。少し背が低い程度なら良かったけれど。このままだと、百五十センチそこそこで、成人してしまう。

周囲には、一年で十五センチも伸びた奴もいたのに。そして、成長期が終わってからも、一切背が伸びないことに、業を煮やした両親が医者に連れて行ったけれど。成長ホルモンを投与されても、まるで背が伸びる気配がなかった。

運動が、それほどできるわけでもない。

というよりも、顔からも幼さが抜けない。

ガキみたいな奴だと、周囲からは散々からかわれる。それがいやでならなかった。

かろうじて勉強は普通通り出来るけれど、運動は出来ない。

背丈が違えば、足の長さも筋力も違ってくる。背が高くても運動が出来ない奴もいるけれど。

昴ほど背が低くて、運動が出来る場合は、よほど素質に恵まれている場合。元々昴は運動に関しては極めて凡庸で、高校に入ってからは体が育たないこともあって、完全に周囲から取り残されていった。

一応性的な成熟に関しては普通に進んだのだけが幸いか。

別にイケメンというわけでも、顔が可愛いというわけでもないし、女子にもてる事も無い。

ただ、背丈が低いという事が、昴にはマイナスにのみ働いていた。

歴史を見ると、昔の日本人は、今よりずっと平均身長が低かった時期もあったというけれど。

今は今だ。

医者には、何かの病気ではないと、太鼓判は押されているけれど。

年を重ねれば重ねるほど、背丈の低さは、昴にコンプレックスとなり、重くのしかかっていた。

しかも人間関係が希薄な今である。

漫画ではあるまいし、悩みを相談できる相手なんて、そうそうはいない。

更に言うと、昴は三人兄弟の長男である。

次男と長女は、一歳違い。

二人とも、既に昴よりも、背が高かった。

男部屋と女部屋に流石に別れてはいるけれど。弟は既に身長が百八十センチ近く、昴よりも頭一つ大きい。

しかも運動神経が抜群で、どうあがいても昴では勝てなかった。

学業成績がスカポンタンだけれども。

それがなければ、昴は完全にコンプレックスに潰されてしまっていたかも知れない。何しろ、中学のころの弟の服が、今の昴にぴったりな位なのだ。

それに、勉強が出来ると言っても、せいぜい二流大学に入れる程度。国立やら六大学やらは夢のまた夢。

学校でも、チビとからかわれるのは、日常茶飯事で。

今でも、弟と共用の部屋で、肩身の狭い思いをしていた。

「なあ、兄貴」

「何だよ」

「彼女の誕生日なんだけど、何が喜んで貰えるかな」

「知らん」

突き放すが、実際わからない。

弟は二年前から、今の彼女と交際している。勿論童貞も卒業済み。それは嬉しそうに、昴に報告してきたときには、うんざりした。

ただ、馬鹿な弟と、同レベルな阿呆女なので、高校生の間にうっかり子供を作ってしまわないかが、家族の心配事だった。

その場合、取り返しがつかないことになりやすいのだ。

人工中絶を行うと、母体へ深刻なダメージがある場合が多い。後に子供を作ろうとしたときに、流産してしまうパターンもある。

何度か弟に親が説明していたけれど。

あまり理解しているようには、昴にも見えなかった。弟は、根本的に、あまり頭が良くないのである。

「どうでもいいけど、やる時には気をつけろよ」

「何度も言われたから、気をつけてるよ。 でもなあ、ゴムって高いんだよなあ」

「バイトして稼げよ」

「うん」

幸いにも。

弟は、昴に対して高圧的に出たりはしない。頭が悪い弟は、昴のことを今でも無邪気に尊敬しているからだ。だから、言う事は素直に聞く。

だから、恐らくは。

悩みにも、気付いていないだろう。

のっそりと、背だけ高い弟が部屋を出て行くと、昴はため息をつく。背が高くて運動が出来ると言うだけで、弟は昴よりもてる。

男友達しかいない昴とは、随分環境が違っていた。

うちが資産家なら、まだ色々とあったのかも知れないが。

残念ながら、昴の家はしがないサラリーマンの父と、パートタイマーの母が稼ぐだけの、ささやかな収入しかない。

今後、大学に行っても、未来が開けているとは思えない。

何だか、憂鬱な気分だ。

灰色の未来しかない。

勉強も手に着かないので、寝ることにした。時間だけが、無駄に過ぎていく。

 

学校帰りに、新古書店に通うことにしている。

漫画を立ち読みできるからだ。

昴が通っている新古書店は、二階に大きなゲーム屋もあり、時々其処で良さそうなゲームを見繕うこともあった。

高校生の小遣いでは、大したものは買えなかったけれど。

ただ、少し難しいのを買うと、弟は出来ないと、すぐに音を上げる。だから、簡単そうなのを、選んでいくようにしていた。

弟や妹が遊べるようなものを。

昔から、そう考えて、買い物はしていた。

家族に対する孝行だって、欠かしたことはない。

悪行の類は、ほぼしていない。

動物に対する虐待だってしていない。いつも弟や妹のために、行動もしていたのに。どうしてこう、報われないのだろう。

一応、学業に関する努力が、大学への進学を困難ではないものへしている事は、わかる。わかるけれど。

もっとこう、報われて欲しいと思うのだ。

努力に対する成果に、満足できない。

新古書店に足繁く通っている理由は、もう一つある。此処で働いている女性店員だ。昴よりも更に少し背が低い彼女は、周囲に愛想を振りまいていて、とても可愛らしい。ただし、無愛想なひげ面の、もう一人の店長らしい店員と仲良くしているのを見てもいるので、高望みはしていない。

今では半ば諦めているけれど。

後ろ姿を見ているだけで良いので、今も此処に通う習慣は続けていた。

だから、声を掛けられた今日は。

とびきりびっくりした。

此処は基本的に立ち読みOKな新古書店なので、店員が声を掛けてくることは、滅多にないのである。

ましてや昴は、マナーの悪い読み方は一切していないのだから。

「ねえ、君」

「あ、はい」

「ここに良く来ているけれど、本が好きなの? そうは見えないけれど」

接客の時の愛想が良さそうな声とは、だいぶ違う。

単純に此方を量る様子の声。

ちょっとドキドキする。

背があまり高くない昴だ。小柄な彼女と、あまり目線は変わらないのである。

「ど、どうしてそう思うんですか?」

「だって、読んでいる本にも、買っていく本にも、一貫性がないから。 本当に本が好きな人は、大体雰囲気でわかるんだよ」

「……」

「ひょっとして、都市伝説を聞いて、ここに来ているの? だったら、迷惑だから、止めて欲しいな」

都市伝説、なんだろう。

その言葉自体、昴は知らなかった。

首を横に振ると、じっとしらけた目で昴を見た後、女子店員は去って行く。彼女が中島という名字だと言う事は知っているけれど、それ以上の情報は持っていない。少なくとも、接客に戻った彼女は、いつも通りの愛想が良い女性になっていた。

適当に本を買ったら、家に帰ることにする。

あんな風に言われるとは、思っていなかった。彼女を目当てだと気付かれていなかったのは良いのだけれど。少しショックだったのは事実だ。

今日買ったのは、弟や妹でも読めるような、簡単な内容のもの。

特に弟は、難しい漢字が出てくるだけで読めないとか言い出すので、選ぶ本はいつも気を遣っていた。

漫画しか買わないのも、それが理由。

最近の子は漫画さえ読まないという嘆きを聞くけれど。

それには同意だ。

昴が読まなければ、弟は漫画さえ読むことがなかっただろう。活字も、字が大きいやつなら、どうにか読めるという程度。

国語の教師に、何度か文句を言われたことがある。お前の弟は、あまりにも頭が悪すぎると。

実際、弟に。

満面の笑顔で。今日は二冊も漫画読めたんだと、言われたことがある。昴に褒めて欲しくて、そう言ったのだと思うと。

情けなくて、言葉も出ない。

だが、例えコンプレックスの原因になっていたとしても。弟のことは大事だから、そんな事をいわれてしまうと、悲しくなってきてしまう。本当に馬鹿なのだとわかってしまうから。

家に戻ると、妹が帰ってきていた。

オカルトにどっぷりで、星占いが大好きな奴だ。ただし乙女チックな趣味と言うには、ちょっとダークサイドに入り込んでしまっているが。

妹に聞いてみると、案外あっさり答えが戻ってくる。

「都市伝説ってのは、物語性がある噂話のことだよ」

「ぴんと来ないな」

「たとえば、トイレの花子さんとか、そういうの。 日本だと怪談話が多くて、アメリカだと犯罪関係の都市伝説が多いんだって」

やはりよく分からない。

妹は内向きの性格で、説明はあまり上手ではない。此奴にオカルトの話を聞いてみても、埒があかない可能性が高い。

部屋にある古いパソコンで、ネットにつないで調べて見る。

それでわかってきた。

都市伝説の一つに、店というものがあるらしい。

それによると、何でも願いを叶えてくれる店が実在しているのだとか。それは一階が新古書店、二階がゲーム屋になっている店の、あり得るはずがない三階に存在していて。其処に足を運んだ人間は、不思議な体験の後に、願いを叶えて貰えるのだとか。

馬鹿馬鹿しい。

しかし、店員の彼女は言っていた。

都市伝説が目当てで来ているのだったら、迷惑だから止めて欲しいと。つまり、ある程度周知されているという事だ。

しかも、あの店は。この都市伝説に、特徴が合致している。目当てに、マニアが来るのも、無理はないのかも知れない。

少しだけ、興味が出てきた。

もしも願いが叶うなら。

勿論、内容は決まっている。

背を伸ばすことだ。

他の人間が聞いたら、馬鹿馬鹿しいと笑うことだろう。だが、昴にとって、これは死活問題だ。

昴の家族は、両親も背が高い。

昴だけが、特別に背が低いのだ。これはコンプレックスの原因となるには、充分すぎるほどである。

シークレットブーツも試してみたことがあるけれど、非常に不自然な事になるので、二度とやりたくない。

幾つか、店について調べて見る。

場所については、諸説あるようだ。東京近郊。これは、いつも昴が通っている店もそうだ。

他にも、九州とか、埼玉とか、色々ある。

決まっているのは、二階で何かをすると、三階への路が開く、というものだけれど。どれも内容がばらばらで、とてもでは無いが本当だとは思えない、突拍子がないものばかりだった。

どれも嘘くさい。

しかし、どうしてこの都市伝説が、こんなに好まれるのだろう。

一応昴も現代っ子だから、ネットには触れている。ネットの情報を、遊び半分で触れる人間も多いし、からかい半分で煽る奴も、身近にいることを知っている。だが、この都市伝説は、少し違うような気がする。

何というか、願望が表れているような。

そんな気がするのだ。

確かに願いが叶えば嬉しい。

昴だって、思うのだ。

大学に行っても、今の時代、良い企業へ就職が出来るとは限らない。そればかりか、ろくでもない企業に行ったあげく、使い潰される可能性だって、決して低くはない。わかっているのだ、そんな事は。

希望というものを馬鹿にする風潮が出来てから。

みなが、苦しんでいる。

未来が先行き見えなくて、恐怖に怯えている。

一人だけ明るい未来が見えている奴がいたら、みんなで引っ張り下ろそうとさえする。そんなのが、今の同級生達の本音だと、昴も知っている。

だが、本音は。

自分だって、少しはマシな生活をしたい。

未来を見てみたい。

だからこそ、こんな都市伝説にすがるのだ。

馬鹿馬鹿しいと、昴には思えなかった。昴自身がコンプレックスの塊だし、何より未来が見えない先行きの怖さは、身で味わっているからだ。

パソコンを落とすと、ベットに横になる。

弟が帰ってきたので、漫画を渡すと、素直に喜んでくれた。

「難しい漫画より、こういうのが好きだ!」

アホ丸出しの弟だけれど。

それでも、昴には大事な家族だ。コンプレックスの原因だったとしても。

普通に、背が伸びてくれるだけで良かったのに。どうして、昴は背が伸びなかったのだろう。

 

翌日。

帰り道、同じように店に寄った。

やはり店員が働いている。近くを通りがかったとき、都市伝説について調べて見たと言ってみる。

殆ど愛想のない返事しか、帰ってこなかった。

脈は無しか。

昴も中学生ではないのだから、脈がない相手につきまとうようなことはしない。下手をすれば、今の時代、一瞬でストーカー認定だからだ。

ただ、優しそうだなと思っていた店員さんが、実は結構はっきり物を言う性格だと知って、ちょっと驚いていたのは事実である。

今日は良さそうな本もなかったし、何よりお金が足りなかったので、そのまま店を出る。店を見上げるけれど。

どう見ても、三階があるとは思えない。

此処には、本当に都市伝説のような、あり得ない三階があるのだろうか。

路で何かとすれ違う。

妙にすらっとした、金髪の男性だ。顔立ちは整っていて、モデルかとさえ思った。それなのに、不思議な話で。

周囲は、誰もその姿を追っていない。

モデル級の美貌に、芸能人も裸足で逃げ出す佇まいなのに。思わず振り返った昴に、金髪の男性が、向こうも足を止める。

「何だ、私が見えているのか、人の子よ」

「ヒトノコ? 何……?」

「ふむ、少し言い回しが古かったか。 いずれにしても、無神論者のこの国の民には、あまり興味が無い。 ただ、どうして私が見えた」

「どうして、って」

そういえば。

この電波男、影もない。

背筋が総毛立つ。

ひょっとして今、昴だけが話しているように、周囲には見えているのだろうか。だとすれば、恥ずかしい。

いや、そういう問題ではない。これが何かのトリックで無ければ、自分が一体何と相対しているのか、わからない。

こんな事が、物理的にあり得るとは思えないのだ。

「お前、ひょっとして幽霊か何かが見える性質か」

「そんな性質ないよ」

「だとすれば……ふむ。 まあよい。 どちらにしても、実害はあるまい。 それにお前のような小僧っ子が、何を言おうと周囲は耳を貸さぬだろう」

男が雑踏に紛れて消える。

何だろう。

何だか、とんでも無い事に、巻き込まれはじめている気がした。

急いで家に帰る。

嫌な予感がする。

ばくばくする心臓を抑えながら、部屋に飛び込んだ。

しばらくは静かにして、不安を抑えるのに専念する。

たっぷり三十分ほど時間を掛けて、恐怖を押さえ込んでいった。

築三十年の襤褸一軒家だけれど。やはり、部屋に戻ると、落ち着く。此処が昴にとって、巣に等しい場所だからだろう。

人間も、所詮は動物と同じ。こういった所でなら、気分を落ち着かせやすいのだ。

呼吸を整えると、明日の準備。

さっさと終わらせて、後はゆっくりするためだ。寝る前に準備をすると、失敗することが多い。

作業を済ませたら、パソコンを起動。

あの変な男は何だったのだろう。あれも都市伝説なのだろうか。

昨日までは知りもしなかった言葉なのに。

どうしてだろう。どんどん興味が出ているのが、わかりはじめていた。

ネットを漁っていると、店についての情報が、どんどん出てくる。しかし、どれもこれも似たようなものばかり。

まとめサイトのようなものはないだろうか。

検索エンジンから、色々と調べて見るけれど。まとめサイトは出来ても、あまり長期間はもたずに、潰れてしまっているようだった。

どうしてだろう。

ネットを調べる限り、店の都市伝説は、かなり人気がある。

SNSなどでも、時々話題が飛び交っているのを見るほどなのだ。それなのに、どうしてまとめサイトなどが長続きしないのか。それがわからない。

何だか、ひょっとして。

とても恐ろしい場所に、足を踏み入れようとしているのではないのか。

もしそうだとすれば、おぞましいことだ。

寒気が止まらない。

それなのに、何故か作業は続けてしまう。

ため息をついて。額を拭う。何だか、このままだと、取り返しがつかないことになる気がした。

親に夕食を呼ばれて、パソコンを落とす。

やっと、これで一段落付けた。今日はもう調べるのは止めて、寝ることにしよう。それに、家族が揃って食事をするのは、あまり多くないのだ。

食事をしている間、いろいろな事を聞かれる。

学校はどうだ、学業はどうだ。

問題ないと応えた。

事実、問題は起きていない。授業にはついていけているし、大学も合格圏内のままだからだ。

今まで、学業で問題は起きていない。

一番出来ない科目でも、赤点を取ったことは無いのだ。

食事を済ませると、勉強を少しして、それでもう眠った。珍しく、今日はいろいろな事があったからか、眠れなかった。

弟は幸せそうに大いびきを掻いている。

それが羨ましくてならない。いっそ、此奴のように、何も考えない馬鹿だったら良かったのに。

 

2、欲しいものの全て

 

体育は嫌いだ。

特別に運動神経が鈍い奴が相手なら兎も角。正直な話、今の昴には、同年代の男子の相手は厳しいからだ。

特に、力が純粋に必要とされる競技については、苦手極まりなかった。

今日は柔道の授業。

本来柔道は力なんて必要としない筈なのだけれど。しかし、実際には、高校生の素人では、如何に力を抑えるかではなくて。力がどれだけあるかが、重要になってくるものなのである。

小柄な昴は、或いは速度を生かしたり、小回りを利かせたりすることも出来るかも知れないけれど。

流石に其処までは上手く行かない。

というよりも、柔道をきちんと学んだセンスのある奴なら、それも出来るだろうけれど、昴には無理だ。

教師は色々アドバイスをしてくれたけれど。天才でもない昴は、飲み込みもそれほどは早くない。

案の定、散々放り投げられて、今日の柔道の授業も終わった。

ため息ばかり漏れる。

「おーう、西島ー」

「なんだよ」

「めし行こうぜー」

同級生に、食事に誘われる。

断る理由も無いので、適当についていった。周囲は自分から見れば、背が高い相手ばかりだ。

弟ほど傑出して高い訳では無いけれど。

それでも昴に比べてしまうと、相当に違う。普通に育っただけなのに。それが、口惜しくてならなかった。

一時期、医者から渡されていた成長ホルモンを飲んでいたのだけれど。

周囲から馬鹿にされることもあって、今では弁当の時には飲まない。それでも、時々笑いものにされる。

人間は、他人の苦しみなんてどうでも良い。

それを昴は、思い知らされている。

はっきりいって、他人が血を流そうが苦しもうが、心配する奴なんて、そうそうはいないのだ。

成長期に、不意に背が伸びなくなった。

それは昴にとっては、深刻な悩みであっても。

他の高校生にとっては、鼻で笑い、昴を馬鹿にして。そして、自分より下の存在にみなすための道具に過ぎない。

弁当を食べながら、午後の授業について話をする。

昴がついていったグループは、大学の進学も怪しいような奴らだ。弟はもてるけれど、此奴らは殆ど女子と縁がない。

高校生で、男女交際している奴なんて、実際には一割もいない。

それは、以前弟から聞かされた話だ。実際に交際している弟の話によると、殆どが見栄を張っているか、自分でそうだと思い込んでしまっているだけ。また、交際を始めても続かないことも多いのだという。

この辺り、弟は嘘をつかないだろうから、信用はしていた。

「それで西島ー。 数学のコツとか、教えてくんね?」

「コツっていわれてもな。 公式を覚えて、数をこなすしかねーよ」

「んだよ、メンドくせー」

「我慢しろよ。 お前天才じゃなくて凡人だろ。 天才だって、反復練習して覚えるって聞いているぜ。 ましてや凡人が、ものを覚えなくて何が出来るんだよ」

そういうと、男子達はチビの癖にと、鼻で笑う。

二言目にはこれだ。

基本的に何か自分が気にくわないと、昴をチビといって見下す。おそらく悪意はないのだろうけれど。

周囲に完全に心を開けないのが、この辺りだ。

コミュニケーションが云々とか良く聞くけれど。そんなもの、普通の人間が備えているのか、疑問でならない。

「じゃあ、宿題ももう教えてやらん」

「待て待て、悪かった。 だから機嫌直せよ」

「……」

流石にそれはまずいと思ったか、それ以上は背のことを言っては来なくなる。だが、此奴らが反省なんてするはずもない。

いずれことある事に、背丈のことを馬鹿にしてくることは、それこそ火を見るよりも明らかだ。

昼食を終えると、さっさと教室に戻る。

体育で疲れているから、少し昼寝したいくらいなのだけれど。流石に午後からも幾つかの授業がある状態で、それは出来ない。

授業について、予習だけは済ませておく。

周囲が言うように、昴はチビだ。

それが悪いか。

だが、周囲と互角以上に渡り合って行くには、せめて勉強が出来るようになっておかないとまずい。

昴だって、天才なんかじゃない。

勉強しても、せいぜい二流の大学に行くのが精一杯だろう。

つまり、勉強しなければ、そもそもがどうにもならない程度の力しかない。ならば、やるしかないのだ。

午後からは数学や英語の授業が連続する。

周りには、居眠りしている生徒も目だった。ノートをとり続けている昴のシャープペンシルの音は、かりかりと嫌に大きく響く。

隣の女子は、昴のことなんか人間扱いしていない。

五月蠅そうに眉をひそめるのが、何度かわかった。勉強をしているのに、周囲に鬱陶しがられるなんて。

まあ、今に始まったことでは無い。

面倒くさくてならなかった。

 

昴は一応部活に所属しているが、殆ど活動実績がない部だ。そもそも、人員が昴しかいない。

去年までは五人いたのだけれど。

三年生が四人抜けてしまい、昴だけが残った。

今のご時世、新入部員も期待出来ない。それに、この学校では、部活が停止状態になっている事は、珍しくもない。

何も昴だけが、幽霊部員ならぬ、幽霊部のメンバーではなかった。

一応部室を覗くが、当然新入部員などいるはずもない。

漫画ではあるまいし、昴一人に女子がわらわらなんてあり得るはずもない。もしそうだったとしても、どうせ昴なんて、男子どころか人間扱いさえされないだろう。そういうものだ。

部室の鍵を閉じる。

囲碁部も、もう終わりかも知れない。

ちなみに昴の腕前は雑魚以下である。そもそも将棋と比べて囲碁は競技人口が少なく、プロの道も相当に厳しい。

仮に真面目に頑張ったとしても、昴が行ける所なんて、多寡が知れている。

ごく少数のプロになるのは、ほぼ無理だ。

プロがどれだけのセンスや読みを必要とするかなんて、流石ににわかでも碁をやった以上、知っている。

彼奴らは普通の人間とは次元が違う。

それに、上級生がいたころ、昴はその誰にも叶わなかった。同じ部活のメンバーにさえ叶わないのに、プロになれる筈もない。

ため息をつくと、家に帰る。

何もかもが、空白だ。

背が伸びれば、少しは変わるのだろうか。

いや、そんな事、内心ではわかっている。背が伸びたところで、昴はきっと何も変わらない。

周囲と互角の立場には立てたかも知れない。

コンプレックスは、抱かなかったかも知れない。

だが、どうせそれだけだ。

屑が多少マシになったところで、普通の人間とは並べない。普通の高校生。何とも美しい響きだけれど。

少なくとも昴が、そうでないのは明らかだ。

普通以下のゴミクズ。

周りがそう昴を思っているのは確実で、わかりきっている。だから、昴も、何処かで自分を諦めていた。

コンプレックスを解消したとして。

昴が何を出来ただろう。

二流大学に入るのがやっとの頭だ。どうせ大学を出たところで、大した就職先なんて、見つかるはずもない。

囲碁のプロになれる筈もない。

この不況が続く今の世の中、将来の展望もない。参政権を得たところで、昴に何が出来るだろう。

立候補してみるか。

無理だ。

日本で政治家になるには、看板、鞄、地盤が必要なことくらい、昴だってよくよく知っている。

小学生だって知っている事だ。この国が、民主主義なんかではないことくらいは。

知名度。金。そして地元でのコネ。

この三つだけが、政治家には必要とされる。だから昴には無理。

わざわざ言うまでもない事であり、今更どうしようもないことだ。

このまま、社会に揉まれて、ゴミのように死んでいく。それが昴の未来にある唯一の道。帰りに、そういった確実な将来を考えて、憂鬱になるけれど。

もはやどうしようもないことだ。

せめて明るい気分になろうと思って、新古書店による。明るそうな本を読んでいたが、いきなり主人公以下全員が敵に惨殺されて終わるという、全滅エンドになってしまった。愕然とする。

まさか、こんな終わり方をする作品だとは、思ってもいなかった。

どうして、こういう気分の時に、こんな本を引くのか。

他の本を読む気力も湧かない。

ため息をつくと、店を出た。店員さんの姿を見るのが少し前までは楽しみだったけれど。今は、彼女に好かれていないことがよく分かったし、その楽しみも失せた。

不意に、また変な奴とすれ違う。

黒髪の子供だ。着込んでいるのも、何だか真っ黒な服。ゴスロリという奴だろうか。隣には、秋葉原にいるようなメイドがいる。

子供は黒づくめなのに、滅茶苦茶に目立つ。

人形みたいに顔が整っているし、何より髪が足下まである。しかも艶のある、綺麗な髪なのだ。

メイドの方も、胸が洗濯板に等しいが、すらっとしていて、とても綺麗な女である。

おかしな事に。

この間の、金髪電波男と同じく、周囲が興味を示していない。

これだけ目立つ二人組にもかかわらず、だ。

思わず目を擦って、二度見するけれど。

そいつらも、昴に気付いた。

「何。 我らが見えているのか」

「……」

思わず口を結んで、一歩下がってしまった。

やばい、関わり合いにならない方が良い。この間もそうだったが。どうしてこう、変なのにばかり絡まれるのか。

「捕らえますか」

「いや、放っておけ。 ……どのみち、我らが見えたところで、何ともならん」

じっと見つめられる。

昴より更に小さな子供は。何だか目つきがおかしい。空虚というか、退屈そうと言うか。少なくとも、子供らしさはまるでない。

袖から見えている小さな手は、とても可愛らしいのに。

目つきや表情が、子供らしいかわいらしさを、ことごとく打ち消してしまっているのだ。

「な、何だよ」

「お前、まさか店を探しているのか」

「店……!?」

「都市伝説にある店だ。 その様子だと、私が張った網には掛かっていないようだが……珍しい事もあるものだ。 私が見える体質のものが、私が丁度帰ってきた所に居合わせるとはな」

不可解な事をいわれる。

しかし、都市伝説の店に、興味があるのは事実だ。

しばらく子供は考え込んでいたが。

隣にいる、長身のメイドを仰ぐ。

「どうだ、此奴は」

「かなりの薄口かと」

「でも、無いよりはマシだろう。 まあいい、さっさと上がれ。 願いが叶う店に案内してやる」

店に入っていく子供。

メイドがいつの間にか、昴の後ろに回っていて、背中を押される。どうしてか抵抗できず、店の中に押し込まれてしまった。

そして、其処は。

いつも知っている、新古書店ではなかった。

真っ黒い空間。

何も無いタールみたいな壁が、何処までも続いている。恐怖で、心臓が一気に跳ね上がった。

何だ此処は。

人間の住む場所なのか。

明かりがないトンネルより暗くて怖い。

うめき声のようなものも聞こえる。背中を押すメイドが、笑顔のままで言う。

「本来このルートで、お客様を案内することはないんですけれどね。 今日は主君の気が向いているだけです。 特別ですよ」

「そ、そんなこと言われても」

「この壁はいわゆる地獄そのものです。 足を踏み外すと死にますよ」

口から飛び出しかけた悲鳴を飲み込む。

此奴ら、いかれているのか。

いや、しかし。今起きている不可解極まりない出来事を、説明できるか。幻覚剤の類を嗅がされる暇は無かったはず。店に入った途端、このわけのわからない光景が広がったのだ。とてもではないけれど、幻だとか夢だとか、そういうものだとは考えにくい。

前を歩いている子供は、平然としている。

こんな恐ろしいトンネルを歩いているのに。どういうことなのだろう。

「全くウリエルの奴、くだらないことで呼びつけおってからに」

「この国の土着神から不安だと声が上がったらしいですし、仕方が無いですよ。 それぞれの信仰範囲で、神々は力を持っています。 この国の土着神とやり合っても、今のアガレス様では不利ですよ」

「んなことはわかってる! それにそれはお前だって同じじゃないか」

「アガレス様を、命がけで逃がすくらいは出来ます。 最悪の場合は、いつだって私が盾になりますから」

何だかよく分からない会話をしている。

とりあえず、あの子供がアガレスというのはわかった。それからも会話は続いていて、メイドはアモンと呼ばれていた。

何処かで聞いたような名前だ。

そうだ、何かのゲーム。

アガレスというのは、それで聞いたことがあった。ゲームには、神話や伝説から名前が取られることが多いとか、聞いたことはある。

だが、此奴らは。

なんでそんな訳が分からない名前を名乗っている。

見た感じ、日本人だとは思えない。どちらも造作が、日本人離れしているからだ。

確か外国では、偉人の名前を執る事が多いと聞いているけれど。アガレスとは、何かの偉人だろうか。

不意に、トンネルを抜けた。

足下が、木の床だ。

建ち並んでいるのは、棚。

天井は、六メートルはあるだろうか。何処かの博物館のような場所。

メイドはもう背中を押さない。

奥の方に、畳が何故か敷かれていて、重厚な木の机がある。女の子はひょいと其処に登ると、ちょこんと音を立てて座った。

「アモン、お茶」

「はいはい、ちょっとお待ちください。 お客様、此方に」

「え、えっと」

「此方に」

アッハイとしか言いようが無い。

無言の圧力とでも言うのか。とにかく、逆らえる空気では無かった。座布団を出されたので、それに。

子供は頬杖をついて、退屈そうに昴を見ていた。

「普通は私がネットに撒いている網に掛かったのが、店に来るのだけれどな。 お前の場合は、特別だ」

「は、はあ」

何故子供相手にびびっているのだろう。

よく分からないけれど、何か無言の圧力的なものを後ろから感じる。此奴ら、何かの宗教か。

いや、そうとは思えない。

見ると、周囲の棚には、いろいろなものがある。

ゲームソフトから古文書まで。どれもこれも、良く整理されていた。何よりも、凄いのは、その数と種類だ。

ゲームソフトは少しはわかるけれど。

どう考えても、何万という値がつきそうなレアソフトが、ゴロゴロと置いてある。

新古書店の二階にあるゲーム屋も、かなりの品揃えだったけれど。

此方は何というか。レア専門。

それも生半可な店では手に入りそうもない、極上の品ばかりだ。

生唾を飲み込んでしまう。

「それで、何が目的だ、お前は」

「此処が、本当に都市伝説のお店、なのかな……」

「そうだが? 本来は、お前のように棚ぼたで入れる場所ではないのだがな」

やはり子供は退屈そうだ。

昴には、何の価値も見いだしていないことが明らか。こんな子供にさえ見下されるのかと思うと、悔しくなってくる。まあ、クラスの女子は昴のことを裏でチビと呼んで馬鹿にしているし、今に始まったことでは無い。そのくせ、テストの前には、勉強を写させてくれとか言ってくる奴までいるけれど。

「何か勘違いしているようだが、私はお前の見かけなんぞどうでもいい。 ましてや背丈もな。 ただ要求は一つだ。 抱え込んでいる闇を見せろ」

「闇……?」

「そうだ。 私はお前の闇をいただく。 その代わりに、お前にとって最高の有用な品を提供する。 簡単な取引だ。 私は神やその眷属とは違って、人間に無条件の奉仕など要求はしない。 対価に見合った取引をするだけのことだ」

訳が分からない。

ただし、それもすぐに過去の話となった。

子供が、指先を額に突きつけてくる。

意識が、消し飛んだのは、直後のことだった。

 

頬杖をついたまま、アガレスはちょっとげんなりした。

此奴の闇は非常にわかりやすい。

反復なのだ。

特にこれといったトラウマがあるわけではない。逆に言うと、日常の全てがトラウマになっている。

体質の問題で、ある一点から、急に背が伸びなくなった。

弟も妹も長身なのに、自分だけが背が伸びない。その苦しみが、毎日のように、コンプレックスを育てていく。

一年で、弟に背を抜かれた。

次の年には、妹にまで。

クラスの奴らも、どんどん自分より大きくなっていく。

これだけは、努力ではどうにもならないのだと、苦しみの中ではき出す。

それが、コンプレックスになって行く。

後はスパイラルだ。

全てが闇に向かっていく。

周囲の態度全てが、自分に対して悪意のあるものだと思い込む。そして、人間は極めて下劣な生物だから、相手が自分より劣っていると思えば、際限なくそれを突くようになって行く。

それが、更にコンプレックスを加速する。

人間はこの点では、鶏と同レベルの生物だ。

面白い事に、イジメを行う人間の中には、鶏だってやるのだと、自己正当化する者がいる。つまりそれは、自分が鶏と同レベルの生物だと認めているのと同じである。

スパイラルに次ぐスパイラル。

周囲ではどうにも出来ない。

更に、頭が悪い家族が、それを後押ししていく。

誰も悩みに気付かず、毎日のように地雷を踏む。だから、毎日のように、コンプレックスが肥大化していく。

悪夢の循環の中。

心は、閉ざされていく。

うんざりしたアガレスは、げっぷをした。勿論おっさんがするような下品なのではなくて、だが。

背中をアモンにさすらせる。

薄味の闇を大量に摂取すると、胃もたれが凄まじい。

突っ伏しているこの昴という子供は、大量の薄められた闇を、心にため込みすぎた。薄味でも量が量だ。

味の薄い炭酸水でも、大量に飲まされたようなもので、これはアガレスにとってもあまり良い食事ではなかった。

此奴は、もう少し熟成してから、ここに来るべきだったのかも知れない。

そうなれば上質なワインのような味わいを、アガレスも楽しむ事が出来たのに。まあ、いずれにしても、約束は約束だ。

はてさて、此奴には、何をくれてやったものか。

アモンが黙々と作業に取りかかる。

アガレスが思考したリストの中から、選びはじめたのだ。しばらく無言でその後ろ姿を見ていたが。

気付く。

昴とやらが目覚めない。

「アモン」

「はい。 あれ? おかしいですね」

面倒くさい奴だ。

この様子だと、何かされていると見て良い。最近、ミカエルの奴がこの辺りをうろついていたと、フルレティが文句を言っていたけれど。

ひょっとすると、奴か。

仕方が無い。

客を死なせるわけにはいかない。

「少し潜る。 面倒くさいが、サポートして貰えるか」

「わかりました」

「全く、ミカエルの奴。 大規模な殺戮をしなくなったのは良いが、こういう悪戯をするのは勘弁して欲しい物だな」

「戦いを神に禁じられて、ストレスが溜まっているのでしょう。 彼は多神教でいう軍神ですから」

ため息をつくと、アガレスは、親指を囓って、血を出す。

そして血を、昴に垂らした。

 

3、迎え

 

ぼんやりと、空を見上げる。

永遠に繰り返される、背に関するコンプレックス。一度や二度なら良かっただろう。それに、思春期でなければ、笑って過ごすことだって、出来たかも知れない程度の事に過ぎない。

自分だって、馬鹿馬鹿しい悩みだって事は、心の奥底で、わかっている。

それなのに。

昴はいつの間に、此処まで卑屈になってしまっていたのだろう。

遠くから、自分を呼ぶ声がする。

友人は、いる。

少なくとも昔の友人は、今の連中とは違う。勉強を写させろと言ってくるだけの寄生虫ではなくて、本当の。

いや、待て。本当の友達というのは、何が基準なのだろう。

「誰だよ……」

ぼやく。聞いたことが無い声だと、気付いたからだ。少なくとも、年頃の女子で、昴をこんな風に呼ぶ奴とは、出会ったことがない。

妹は最近昴を完全に見下して馬鹿にしているし。同級生で昴を人間扱いしている奴なんて、いない。

学校での恋愛なんて、夢物語だ。

不意に、手を掴まれて、気付く。

すぐ側に、誰かがいたことを。

「面倒くさい奴だな。 思考の渦に囚われおって」

「誰……」

「忘れたか。 アガレスだ」

掴んだ手は、とても小さい。

少しずつ、その誰かが、像を結びはじめる。そして、声にならない悲鳴を、昴は上げていた。

そこにいたのは、先ほどまで相対していた、黒い髪の子供などでは無かった。

いや、形はそうだ。人形みたいに整った顔の、やたら長い髪の子供。しかし、背中には、蝙蝠、いやよく分からない翼が三対も。

そして全身から漂う禍々しい気配は、一体何だろう。はっきり言って、形容が出来ない。こんなおぞましい存在と、接したことは、一度も無かった。アガレスは鼻を鳴らすと、言う。

「ふむ、一つ言っておこうか。 昴とやら」

「な、何です、か」

「お前が囚われているのは、自己暗示だ。 それを今、少しばかりタチが悪い奴に利用されて、自己暗示の渦から抜けられなくなっている」

「そ、そんなこと」

内心では、わかっていたことだ。

だが、どうすればいいというのだ。

昴は背が低い。しかも、最初から背が低かったのではない。中学までは普通に伸びていたのに、高校からは急に伸びなくなった。それもまた、どうしてなのか、よく分からない。

年に十センチ以上伸びる奴が、周囲にはゴロゴロしていたのに。

何故、昴だけが、成長期から見捨てられてしまったのか。

「薄味とは言え、お前の心の闇は喰った。 だから、助けてやるし、商品もくれてやる」

「……?」

「上がってこい」

不意に、全身が引っ張られる。

気がつくと、目の前に、大きく肩で息をついているアガレス。アモンとか言うメイドが、なにやらお菓子を山盛りに持ってきていた。

アガレスが、手を怪我しているのがわかった。

しかし、どういうことか。

手の傷が、見る間に塞がって行くでは無いか。生唾を飲み込む昴は、アモンが非難するような目で、此方を見ているのに気付くけれど。しかし、どう声を掛けて良いか、わからなかった。

幼い頃は、女の子ともっと気安く接することが出来ていたような気がするのに。

「アガレス様、此方を」

「うむ……。 意外に骨が折れた。 全盛期の力を発揮するのは、中々に疲れるわ」

「では、私は商品を探します」

「そうしろ」

むしゃむしゃと、山盛りのお菓子を食べ始めるアガレス。

居心地が悪くなって、彼方此方を見回す昴は、気付く。少し、周囲の雰囲気が、とげとげしくなっている。

アガレスはお菓子を見る間に食べ終えてしまうと、咳き込んだ。

そんなに急がなくても、お菓子はなくならないだろうに。尊大なしゃべり方なのに、此処だけは本当に子供みたいだ。

同じように用意されていたジュースを、一気に飲み干すアガレス。

それでようやく人心地がついたようだった。

「アモン、準備は出来たか」

「はい、此方に」

アモンがぶら下げてきたのは、丁度昴が一抱え出来るほどのサイズの、段ボール箱だった。

アガレスはしばらくそれを見ていたが。腕組みする。

「確かにこれが最適だが……お前はどう思う」

「アガレス様の、御心のままに」

「そうやって結論を丸投げするな」

「まあ。 そうですね、私個人の考えからすると、この子のコンプレックスは反復で養われたものです。 これで解消するにしても、根本的な解決にはならないでしょうね」

時間だけが、解決に役立つ。

そうアモンは言い切る。

昴は居心地が悪くなって立ち上がろうとしたが、アガレスに止められた。

「これはくれてやる。 だが、釘を刺して置くが。 あくまで、これはお前自身で、コンプレックスの解決をする補助をするためだけの存在だ。 万能ではないし、絶対でもないから、心しておけ。 郵送しておく。 二三日の間には届くだろう」

「はあ、そうです、か」

度肝を抜かれたのは。

霧に溶けるようにして、アモンがその場から消えたことだ。

何だか先ほどから、怪奇現象ばかり目撃しているような気がする。あり得ない事ばかりが起きているけれど。

だが、もう感覚が麻痺してしまっていた。

「さて、もう帰ると良いだろう。 この店にはもう足を踏み入れようと思うなよ」

そう言われても。

少しばかり、この店に来たいなと思ったくらいで。今では、来たことを、後悔さえしている。

巨大な波に翻弄され続けたような感触だ。

気がつくと、家の近くを歩いていた。幻覚だったのかと思ったけれど。そうでは無いことは、全身に掻いた冷や汗が証明していた。

 

家に帰ると、自室で弟が彼女とゲームに興じていた。

以前昴が買ってきたものだ。

いわゆるパーティゲームで、弟や妹でもわかるような単純な物、と思ったのだけれど。最近はもっぱら、弟が彼女を連れてきたとき、一緒に遊んでいる。

弟の彼女は、弟と知能レベルが同じで、はっきりいって頭が悪い。

挨拶されたので、適当に返す。

「兄貴、一緒にやろうぜ」

「いいよ別に。 彼女と仲良くやってな」

「ああ、わかった」

気を利かせてやったのだけれど、気がついたのだろうか。

荷物だけを下ろすと、居間に。テレビを付けるが、碌な番組はやっていなかった。

やがて弟の彼女が帰ったので、部屋に戻る。

ゲームを片付けている弟に、荷物が来るかも知れないことを告げて置いた。あの店で起きたことは、嘘だとは思えない。

「なんだ、ゲームか?」

「いや、懸賞で当たったんだ。 中身はよく分からん」

「そっかあ。 兄貴は運も凄いんだな」

そう言って弟は素直に感心するけれど。本当に運が良ければ、あのような場所に迷い込むことはなかっただろう。

それ以前に。

こんな小さいまま、年ばっかり重ねることだって、なかった筈だ。

牛乳だって小魚だってきちんと食べていた。偏食だって、していなかった。それなのに、どうして。

体質の問題と言う事をいわれても、わからない。

昴が一体、何をしたというのか。

ただ、少しだけ、気分は晴れたかも知れない。

背が低いことに関しては、もはやどうしようもない。それについては、今の時点では、あきらめはついた。

ならば、どうやって、補えば良いのだろう。

弟は夜になると、あっさり眠りはじめる。いびきは五月蠅いけれど、今更この程度で眠れないという事もない。

悩みが無さそうな弟の様子を見ていると。

むしろこうだったら、昴も楽だったかも知れないと、思うのだった。

一眠りして、朝に。

昨日よりも、更に少しばかり楽になったかも知れない。

家族で朝食の卓を囲む。

まず最初に弟が家を出る。次に妹。最後に昴が、両親に見送られて、家を出る。これは、部活の内容の問題だ。

事実上帰宅部の昴と、運動部所属の弟と妹では、起きる時間も、学校へ行くタイミングも異なってくる。

そういうものだ。

ただし、弟の所属している部活は、けっして強豪ではない。近隣の運動部での大会があると、大体は一回戦で敗退するレベルだ。

それでも、運動部に所属している長身の男子と言うだけで、存在意義があるのだ。

妹の部活も同じ。

何度か大会は見に行ったが、毎回一回戦で敗退。

しかも行くたびに嫌な顔をされるので、この間からは足を運ばなくなった。まあ、最近は口も利かないから、別にどうでも良いが。

学校でも、少し空気が楽になった気がする。

考えて見ると、馬鹿にする視線は、それほど多くはない。

女子は元々昴のことを人間扱いしていないが、それは別に今に始まったことでは無いし、別にどうでも良い。

男子も便利屋くらいにしか此方を考えていないが。

それでも、イジメを受けているわけでもない。

実際、昴が勉強を見せてやらなければ、どうにもならない奴が何人かいる。そいつらのことを考えると、昴はさほど周囲に比べて不幸でもない。

授業が終わって、放課後。

やはり囲碁部は、誰もいないけれど。これはそろそろ、廃部の申請を出すべきなのかも知れない。

この学校では、部員が五名以下の場合は顧問がいなくても大丈夫。

その代わり、部費も出ない。

場所だけは提供してくれるので、囲碁部はまだ残っているけれど。

碁盤自体はあっても無駄にはならない。実際問題、昼休みに年配の先生がここに来て、囲碁をしている事はよくあるのだ。

いっそ、職員室に寄付してしまうのもありだろう。

部室に鍵を掛けると、帰ることにする。

恐らくは、今日か明日。荷物が届くはずだ。

あの不可思議な経験をした店で、何が起きたのかは、正直今でもよく分からないのだけれど。

ただ、荷物が何なのかは、素直に楽しみではあった。

今日は、新古書店には寄らない。

それだけ、まずは家に帰りたかったからだ。

家に帰ると、母が荷物を受け取ってくれていた。自室に行くと、ベッドに段ボールが乗せられている。

早速、梱包を解いてみると。

中から出てきたのは、無骨な土台のようなものだった。

かなり重量もある。

マニュアルが入っていたので、引っ張り出してみる。ざっと目を通すと、組み立て方が書いてあった。

何だろう、これは。

まず第一に、台座はこの部屋に置かない方が良いだろう。

家の庭に、雨風が吹き込まない場所がある。昔は自転車を置いていたのだけれど、諸処の理由で、誰も使わなくなって、今では空きスペースになっている。其処へ、台座を置く。

問題は、他の部品だ。

何に使うのか、全く見当がつかないものばかり。

しかも、組み立てに関して、かなり細かい説明が入っている。ボルトやネジも、たくさん段ボールに入れられていた。

電子部品らしいものもある。

一体これは、何なのだろう。

触っていても、何か見当がつかない。そうこうしているうちに、弟が部屋に入ってきた。いつの間に帰ってきたのだろう。

「おう兄貴、何だそれ」

「今調べてるところだ」

「ふーん。 何だか、凄そうだな」

「さあな。 組み立ててみないと、何とも言えない」

とりあえず、段ボールを抱えて、外に移動。

台座の所に、ブルーシートと野外用の椅子を置くと。其処に座って、作業を始めた。いずれにしてもこれは、簡単に終わるようなものではない。腰を据えて、じっくりやっていかないといけないだろう。

幸い、ニッパーだとかハンダとか、道具は使わない。

それだけが救いだろうか。

ただ、ドライバーは必要だし、場合によっては力作業もありそうだ。その辺りは、最悪親や弟に手伝って貰う必要もありそうだ。

説明書は分厚くて、書いてある文言も難しい。

妹が通りがかった。

此方に声も掛けてこない。汚物でも見るような目で昴を見ると、家に入っていった。

相変わらずムカ突く奴だけれど。

正直、今はどうでも良かった。

 

土日になって、組み立てが一気に進む。

それまでは、ブルーシートをかぶせてちまちまと作業を進めていたのだけれど。土曜はせっかくなので、朝から作業をすることにしたのだ。

目標がある一日が、これほど気持ちいいとは思わなかった。

黙々と、作業を進めていく。

時々、グリセリンを塗れと書かれている場所があったので。備品として入っていたグリセリンを塗る。

また、エアブラシを使って、埃を取る。

まだ、ガワには着手できない。

不意に、何かが差し出されたので、顔を上げると。妹だった。親が作ったらしい昼飯を、持ってきてくれたのか。

「珍しいな」

「五月蠅いな。 持って行けって言われたから」

「そうか。 置いておいてくれるか。 後で食べる」

「別に良いけど、もう二時だよ」

そう言われると、確かにそうだ。

八時に飯を食ってから、ずっとぶっ通しで作業をしていた。この辺りで、一旦休憩も良いかもしれない。

飯を食べ始めると、妹がしらけた目で見下ろしてきていた。

「で、何それ」

「さあな。 僕にもよく分からん」

「なんでよく分からないものに、そんなに一生懸命になってるわけ?」

「別に良いだろう、そんな事」

妹に、事情を話すつもりはないし、したところで意味がないことだ。

鼻を鳴らすと、妹が家に戻る。

食事だけ済ませてしまうと、昴も作業に戻って、黙々と進めていった。

陽が落ちるころに、ようやく形になってきた。

これなら、日曜には完成させることが出来るかも知れない。ブルーシートをかぶせて固定すると、自室に戻る。

そして、何度も見直したマニュアルを見る。

どうしてだろう。

この時点では、まだこれが何か、よく分からない。何度も読み返しているのに、頭に入ってこないのだ。

単に昴の頭が悪いだけなのか。

他の理由なのかは、よく分からないけれど。

とにかく、まだ正体がどうにも掴めないことだけは、確かだった。

弟が戻ってくる。

今日は部活で、大会前だから忙しかったという。いつもより多く食べて、そして部屋ですぐに寝てしまう。

邪魔をしては悪いから、居間に移って、マニュアルをもう少し確認。

明日くみ上げるとして、最後に何かミスは無いか、確認しておいた方が良いからだ。

「まだ起きてたの?」

「ん? ああ」

気がつくと、妹だ。

そして、時間は11時を廻っていた。

確かにそろそろ寝た方が良いだろう。逆に此奴は、今のような時間に何だというのだろうか。

「どうしたんだ」

「何って、トイレに起きて来ただけだよ」

「そうかよ。 もう寝るから、先に行けよ」

「……」

視線をそらされる。

やっぱり不愉快だ。まあ、女子が昴をゴミクズ扱いするのは、これに始まったことでは無いから、どうでもいい。

マニュアルを片付けると、部屋に戻る。

明日、あれがどのような存在に組み上がるのか、今から楽しみでならない自分がいる事に気付く。

そして、何となく、気付いてもいた。

出来たところで、変わる物では無いと。

そもそも、アガレスが言っていたでは無いか。

お前次第だと。

 

日曜の夕方。

完成した。

完成したのは、半円形の何か良く分からない装置だ。くみ上げてみても、最後まで何だかよく分からなかった。

丁寧に埃を取りながら作業したから、内部に砂粒とかは入っていないはずだけれど。

一旦家に上げる。

コンセントをつなげて、電源を入れてみると。ふわりと音がして、天井近くになにやら映り込んだ。

マニュアルを見る。

幾つかあるダイヤルを回してみると、光が変わる。

腕組みして、マニュアルを見てみると。

何故なのだろう。

今まで理解できなかったのに。どうしてか、すぐに内容を把握することが出来たのだった。

これは、プラネタリウムだ。

そう言う物があると言う事は、昴も知っていた。

電気を消してみると、確かに非常に美しい星々が、天井に映り込んでいる。ダイヤルによって、季節を調整することが出来る。

更には、もう一つあるダイヤルを廻す事によって、時間までも。

それだけではない。

小さなモニタに、操作機構がある。

これを使うと、地球上での観測地点を操作できるのだ。つまり、日本で見る場合、アメリカで見る場合、色々と状態を想定できる。

それだけではない。

ダイヤルでは、一月単位、一時間単位での調整だけれど。

此方の小型モニタからは。なんと一日、一秒単位での調整を、カスタマイズする事が出来る。

更に、自動で、時間を進めることも出来る。

つまりその時期の星空を、完全にオートで再現することが出来る、という事だ。

今更に気付く。

自分が、もの凄いものを作り上げたという事に。

こんな狭い部屋で使うのは、はっきり言ってもったいない。というかこの装置自体が、そもそもとんでも無い高級品なのではないのか。

何処かの博物館なんかに置くレベルの品だ。

星の精度も凄い。

更にマニュアルを調べて見てわかったのだけれど。肉眼では見えないレベルの星まで、設定できるというのだ。

一体どういう機構を内部に取り入れているのか。

今更ながらに不安になるけれど。

幸いにも、中核部分は、最初から組み上がり済み。昴がくみ上げていたのは、あくまで外側の部分。

外で作ったからと言って、中に砂とか埃とかが入る怖れはないだろう。

「うっわ、スゲー!」

弟が部屋に入ってきた。

素直に感動して、目をきらきら輝かせている。妹が無理矢理連れてこられて、部屋に入ってきて。やっぱり驚いた。

「何これ!」

「プラネタリウムだよ」

「兄貴スゲーな!」

「凄いのはこの機械だよ」

ただ、褒められて、悪い気分はしなかった。

これは、何かに使う事が出来ないだろうか。親も見に来たので、機能を軽く説明。

動かしてみたりもすると、感動された。

この機械が凄い所は、本来昼間で、見えないはずの星空まで見えると言う事だ。しかも時間の進め方を、五倍速から百倍速にまで上げる事が出来る。

文字通り、何でも出来るのである。星空に関しては、だが。

これ以上の精度を求めるとなると、宇宙開発の最前線に投入される非常に特殊な機械くらいしかないだろうと、昴にさえわかる。

光量を上げると、文字通り満天の星空になる。

空気が綺麗で、邪魔な光がない田舎でも、此処までの星空になるのだろうか。それを考えると、凄まじい。

擬似的とは言え。

都会では絶対に見られない空を、今見ているのだ。

一旦電源を切る。

マニュアルを再確認して、出来る事をもう少し調べていく。ただ、どう見てもこれは、市販品では無い。

市販品だったら、多分完成した状態で届くはずだ。

そうなると、壊れてしまった場合、取り返しがつかないだろう。

これは、宝だ。

大事にしなければならない。もう一度、昴は口中で繰り返す。

自分にとって、これははじめて得た、かけがえのない物だ。

 

親に言われて持ち込んだのは、近くの公民館だ。

非常に珍しいプラネタリウムを持っているという話を親がしたら、使ってくれないかと言われたのである。

部屋で使うには、少し光量が強すぎるとは思っていたけれど。

公民館の大きなホールを暗くして使って見ると、丁度良いことがよく分かった。

欲を言えば、天井が円形なら良かったのだろうけれど。

プラネタリウムを作ってから、星の勉強をはじめた。まだまだ付け焼き刃も良い所だけれど、無いよりはずっとマシ。

出し物がなくて困っていたという公民館の人は、随分人が集まったと、かなりのバイト料をくれた。

驚いた。

工場で半月ほど働いたのと、匹敵するほどの金額だったからだ。

ただし、料金設定や入った人数を考えると、当然だっただろう。星の説明については、たまたま知識がある公民館の人がやっていたけれど。それもやる事が出来るようになれば、もっと儲かるかも知れない。

お金が儲かるから、宝なのではない。

それは昴も、よく分かっていた。

星の知識は、背が高かろうが低かろうが、関係無い。

このプラネタリウムが、一体何処の企業が作った物かはわからないけれど。恐らくは工業用か、学校など向けに作られた品なのだろう。

企業ロゴが入っていないところを見ると、作りかけで製作が中止された品だという可能性もある。

或いは何処かの人が作った後、廃棄された品かも知れない。

というのも、一カ所に見つけてしまったからだ。

イニシャルらしきものを。

メンテナンスをするために、ガワを分解して、外枠を確認していたときの事だ。ガワの内側に掘られていたから、それまでは気付かなかった。

こんな精度の高いプラネタリウムを作った人は、どんな気持ちで手放したのだろう。

あの悪魔と自称していた二人組は、どんな気持ちで昴に託したのだろう。

大事にしなければならない。

星についての興味も、俄然出てきた。

この圧倒的な性能を前にして、しかも稼げることがわかったのだ。公民館で一度仕事をしてから、たまに土日に、声が掛かるようになった。

バイトに行くと一日潰れてしまうけれど。

少なくともバイト料金は、数万は入る。

他の高校生のように、コンビニやファーストフードで汗水垂らしてバイトするよりも、こっちの方が多分効率が良い。

それに、星の知識がついてきて、天体ショーの説明が出来るようになってきてからは、更に評判も良くなってきた。

高校を出るころには、もういっぱしの星についての知識が身についていたし。

大学に入ってからも、継続して星の知識を学び続けた。

まだ珍しい、宇宙工学科のある大学に入る事が出来たのは、幸運だったかも知れない。しかも、アメリカの第一線で活躍しているという女教授が授業を見てくれた事で、本職への夢も更に近づいた。

夢と、希望。

この不思議なプラネタリウムは。

両方を、昴にくれたのだ。

それまでは、卑屈な考えしか持つ事が出来なかった昴であったのに。いつの間にか、背筋もしっかり伸びて、前を見て歩けるようにもなっていた。

もはや身長が伸びる見込みはなかったけれど。

それはいつの間にか、どうでも良くなっていた。

 

以前は公民館ばかりだったけれど。

最近は、それ以外にも、天体ショーの仕事が入るようになっていた。非常に評判が良いとかで、彼方此方から声が掛かるようになっていたからだ。

此方はまだ大学生なので、忙しい時もあるけれど。

将来のことを考えると、出来るだけ仕事は受けておいた方が良い。それくらいの事は、昴もわかっていた。

お金だけの問題ではない。

人脈の問題もある。

たとえば、日本の宇宙開発機構などに就職できなかった場合。このプラネタリウムを直しながら、生活していくという可能性もある。その場合、出来るだけ仕事を受けておくことで、人脈を作っておけば、大きな意味が後々出てくるだろう。

或いは大学院に進んで、天文学者になるという路も、考えている。

したたかに頭が回らなければ、この後の社会で、生きていくことは難しいのだ。

いずれにしても、星に関する専門知識は必須だし、今のうちに経験は積めるだけ積んでおいた方が良い。

天体ショーをやってくれと言われて、愛用のプラネタリウムと一緒に出かけるとき。

昴は説明をしている時に、気付くのだ。

これはプレゼンに近いかも知れないと。

分かり易く説明をする。

しゃべり方を工夫する。

一回ごとに、何処が駄目だったのか、わかってくる。次はもっとお客を呼べるかも知れないと、気付く。

次には工夫して、更によくする。

試行錯誤していくことで、更にお客が増える。

目に見えて効果がわかってきているから。昴のモチベーションも、上がるのだった。

それに、不思議な事も続いてはいる。

プラネタリウムの部品が、まだ時々届くのだ。

あの悪魔と呼ばれた二人組からだろうか。

レンズなんかは、どうしても摩耗する。光源に使っているライトだって、いずれは切れてしまう。

こういった物は、今ではある程度補充の目処がついたけれど。少なくとも、一年前は、随分有り難かった。

時々それでも送られてくるのは、何故なのだろう。

いずれにしても、珍しい品だ。手元にあって、損するものではない。無いよりはあったほうがいい。

だから、重宝してはいた。

「おーい、兄貴!」

弟が、嫁と一緒に来る。

高校を出て、すぐに結婚したのだ。図体がでかい弟は、バイト代の一部を目当てに、手伝いに来る。

どうせ潤沢にバイト代は貰えるし、力仕事はどうしても苦手だから、助かっている面はあった。

「今日も手伝う」

「頼むぞ。 今日は隣の市の小学校だ」

「よしきた」

ライトバンに機材一式を詰め込むと、すぐに出た。

このライトバンは、大学の学費をプラネタリウムのバイトで稼いで、そのあまりで買ったものだ。

それだけこのプラネタリウムの関連作業は、お金になっていると言うことである。もっとも、今は周辺地域でブームになっているだけという事もあるだろう。そもそもプラネタリウムは、そう儲かるものではない。

同業他者がいないと言う事も、大きいはずだ。

セッティングは全部自分たちでやるから、それなりに手間暇も掛かる。今回は体育館を使うのだけれど。

子供が悪戯をしないように、すぐ側で見張る人間も、一人必要になる。

実際、一度あったのだ。

建物にあわせて、光源の位置を調整しなければならない事がある。台座に乗せたりしなければならない場合だ。

危うく子供が、その台座をひっくり返すところだった。

プラネタリウムの主要部品である光源は、言うまでも無く大変デリケートな装置だ。最初に屋外で組み立てたのは、今でも冷や汗を掻くほどに。内部には電子部品も多いし、倒しでもしたら確実に壊れる。

その場合、部品がどれだけ届いても。

しばらくは、使い物にならなくなってしまうだろう。

体育館に到着。

学校の先生と打ち合わせをした後、実際に試運転をして見る。

静かに見る子供なんてまずいないから、メガホンを使って話をする事になる。実際プラネタリウムを起動してみると、やはり位置がまずい。体育館のほぼ中央に置いてみるのだけれど、どうしても一部の星が微妙にずれ込んでしまう。

机を幾つか運び込んで、固定。

その上に乗せる。

勿論、この場合、側で見張る人間が必須だ。

星には全く興味が無い弟に、見張って貰う。弟は見張りの際は強面だから、小学生達も近寄ろうとはしない。

それでいい。

弟の嫁はヘルプ要員だ。いざというときが来る事は滅多に無い。

この仕事が時々来るようになってからは、流石に場数を踏んで慣れても来たから、あまり他人の手を煩わせることもなくなった。

動かしてみても、ブレーカーが落ちるようなこともない。

大きな所で動かすような光量の場合、結構電力を喰うのだけれど。

今回に関しては、問題ない。

最終調整を兼ねて、光源を確認。

電球はまだ壊れないだろう。最悪の場合にも、予備は用意してある。

後は子供が電源に足を引っかけても平気なように、テープで固定。これらの機材は、消耗品として、自分で持ち込んである。

監督役の先生が、感心したように言う。

「いやはや、手際がいい」

「同じような仕事を、何度もしていますから」

「将来は宇宙関連の仕事に?」

「つければ良いんですが、地元の大学で天文学者になるというのも選択肢です。 実際、宇宙に関する技術を磨くよりも、星そのものを調べる方が好きですから」

そういえば、このプラネタリウムだけれども。

基幹部分のアップデートが時々行われる。

とはいっても、光量が強い星は殆ど発見され尽くしているから、非常に微細な変更でしかないが。

それだけ宇宙では、まだまだ多くの発見が、日夜相次いでいるという事だ。

アマチュアの天文研究家が、星を発見することも多い。

特に小惑星は、その業績が顕著だ。

下手をすると地球を直撃するかも知れない小惑星は、サイズによっては一気に人類を滅ぼしかねない。

彼らは、この地球のために、充分役立っている。

子供らは合計で120名ほど。4クラスだけだ。

この学校の生徒はもっと多いのだけれど、今回は六年生だけが対象になる。昔はもっと生徒が多かったらしいのだけれど。

いずれにしても、それは昴にはどうにも出来ない事ばかりだった。

「それでは、予定通りにはじめます。 子供達が機械に悪戯をしないように、くれぐれも注意をしてください。 プラネタリウム自体は僕の弟が守りますけれど、コードや何かは守りきれませんから」

「わかりました」

この機材の値段を聞くと、大体の人が青ざめる。

もっとも、昴はこれを、殆ど偶然に近い形で、ただで入手した。一体あの二人は、どうやって入手したのだろう。

わからないけれど。

今、この機材は。

生活とも、未来とも。そして、希望とも、一体になっている。

 

4、理の先

 

久しぶりに、外を出歩くことにした。アモンも連れているのは、いざというときのためだ。

今でこそ駄目悪魔のアガレスだけれど。

一時期は武闘派で鳴らしたこともある。とはいっても、周囲が勝手にそう認識していただけで、昔から格闘戦闘は苦手だった。魔術で相手の心理の裏をつくような戦いが得意だったのだ。

ただし戦果は相応に上げてきた。

一神教の悪魔であるアモンは、天使とは対等だが、神が絡んできてしまうとどうにも出来ない。それが一神教というものの性質だからだ。

かなりの数の天使は倒してきたけれど。

それでも、結局は負け戦が多かった。

悪魔は死なない。

天使も。

正確には、死んでも復活する。

だから戦いでは、相手の力を奪うことが多い。アガレスもそうやって何体もの上級天使から力を奪い。自分もそうやって、力を奪われた。

ただ、力を奪われた今は、むしろそれで良かったとも想っている。戦う力は、あまり持っていても嬉しいものではなかったのだ。

負け犬の思考である事は自分でもわかっている。

ただ、今後基本的に敵と戦う事は無いだろうとも、考えていた。身を守ることは、魔術でどうにか出来るのだから。

アモンと組み始めたのは、天界との戦いが本格化し始めたころから。

そして戦いが決着したころには、アモンとアガレスは、すっかり一緒で組むことが定着していた。

アモンはアガレスのために動いてくれる。

時々酷い事をされるけれど、それもアガレスのためにしている事だとわかっているから、あまり多くは言わない。

それが、この一見あまりにも越権行為をしている部下と、アガレスが、上手く行っている理由だ。

外で買い物をする事はあるけれど。

食べ物だけは買わない。

アガレスは食べると、それだけ全て取り込んでしまうからだ。だから、外の世界に、悪い影響をその分与えてしまう。

天界との戦争は、正直こりごり。

盟約を崩してまで、また戦いたいとは、思わなかった。

アモンと一緒に、街を歩いていると。随分と変わった事を、実感せざるを得ない。

この国に来てから数十年は経つけれど。

文化も風俗も、めまぐるしく変わっている。若者の格好も、以前とは全く違っている。これは大人も同じだ。

以前の歴史では、こんなにめまぐるしく文化が変わる時代はなかった。もっと何倍も、変わり方は緩やかだった。

今の時代が必ずしも良いとは想わない。確かに技術は人間の歴史上最高潮に達しているけれど。

発展しすぎた社会が、明らかに人間の能力を超えてしまっているからだ。いずれ何かしらの破綻が起きる可能性が、今のままでは極めて高い。まあ、アガレスにはどうすることも出来ない。

ただ食事を、今のまま続けていくだけだ。

アモンが子供服を買い込んでいるのを横目に、幾つかの品を物色。

アガレスも好きなものはある。

お菓子や食べ物もすきだけれど。

実は、まだ他にも好きなものがあるのだ。

鰐をかたどったグッズである。

昔々。ソロモン王の72柱と言われたころから、アガレスはドラゴンや鰐と関連が深い存在とされてきた。

その頃から、アガレスは鰐のグッズが大好きで、使い魔も鰐の形にしている事が多かった。

それが伝承に残ったのである。

大きな鰐のぬいぐるみを見つけたけれど。アモンが咳払いしたので、手を伸ばすのを止める。

確かに、ちょっと気分転換で外に出て、買おうとするにはお高い物だった。

「アガレス様、帰りましょうか」

「うむ……」

ちらちらとぬいぐるみを見るアガレスに、咳払いするアモン。笑顔のままだけれど、こうなるとアモンは絶対に引かない。

仕方が無いので、帰ることにする。

確かにコレクションにするには、あまりにも量産品である事が丸わかりの品だ。これが何かしらの理由で廃棄されていたり、或いは一品物だったりしたら、手に入れる価値はあるのだけれど。

帰る途中、アモンが新聞を買っていく。

とは言っても、大新聞ではない。殆どの場合アモンが買うのは、地元のペーパー紙だ。

店に到着。

そろそろコタツを出したいと言うと、アモンが無言で新聞を差し出してきた。

「お、また誰かが載っているのか」

「ええ」

見てみると、なるほど。

以前かなり特殊な状況で店に連れ込んだ、あの昴だった。

少し前に天文学者になった昴は、移動式のプラネタリウムを使って、彼方此方の学校などで天文ショーをしていると言う。

非常に精度の高いプラネタリウムと、分かり易い授業で、好評だとか。

本人の天文学者としての技量は、残念ながら二流止まりだそうだけれど。

それでも、これだけのことが出来るのは、立派だ。

或いは、商売の方に、才能があったのかも知れない。

また、彼の授業は評判で、人気もあるとか。

学者として偉大な人間が、教師としての才能があるとは限らない。

昴の場合は、学者としての才能はなかったけれど。人に星の魅力を伝える才能の方は備えていたのだろう。

まあ、その辺りはわかっていた。

だからあのプラネタリウムを渡したのだ。

あれは企業が作った品ではない。

ある非常に性格が悪い天文学者が、黙々と一人で作り上げていった品だ。

彼は天才的な素質を持った人間だったのだけれど。他人を敬うという事が、一切出来ない人間だった。

漫画か何かだと、天才だったり顔が良かったりすれば、何もせずとも周囲から人間が寄ってきたりするものだが。

実際には、そんな都合が良いことなど起こらない。

常に孤独だった彼は、黙々と自分の理論に基づいた作業を続けて。そして、最終的にプラネタリウムを自分の思うように作る事を思いついた。

世間にあるのは、馬鹿が馬鹿用に作った馬鹿プラネタリウムだ。

そう広言して止まなかった彼にとって、自分が楽しむためのプラネタリウムは、必須だったのだ。

もとより家族などいない。

幾つも大きな業績を残した学者だったから、金だけはあったけれど。それ以外の何も無かった。

設計図から造り、金型も自作した。

そうして黙々と作り上げたプラネタリウム。

休日は、カスタマイズをしながら、自分で設計した星空を、室内で見ることだけが楽しみだった。

やがて孤独死した彼は。

誰にも発見されず、豪邸の中で干涸らびて見つかった。

室内には死臭がこびりつき。稼働中だったプラネタリウムも、気味が悪いと言う事で廃棄された。

粗大ゴミとして廃棄されたプラネタリウムには、死臭がこびりついていて、専門の業者が引き取ったほどだ。

やがて、完全に粉々にされて、ゴミ捨て場に廃棄されたものを。

アモンが拾い上げた。

処理にはかなり手間取った。

部品の再生もそうだが、こびりついた死臭と、何より怨念が凄まじかったからだ。

人間の怨念は、時に悪魔さえも手間取らせる。

アガレスが最後まで除去したけれど。それでもあの天文学者の怨念は、昴が引き取ったプラネタリウムを、今でも気にしている。

更に言えば、昴がぞんざいに扱ったら、多分アガレスの中で暴れ出すことだろう。

面倒だから止めて欲しい。

ただ、昴には、天文学者としての素質があったし。

何よりアガレスはそれを見抜いていたから、プラネタリウムをくれてやったのだ。実際、本来だったら外に出るはずも無かったプラネタリウムは。

個人だけが楽しむためのものから。

多くの人々を喜ばせ、そればかりか星空に興味を抱かせるための架け橋として、機能しているのだ。

目の前に、どんと置かれたのは、ゴミの山にしか思えない品。

実際には、古くなったブリキのおもちゃだ。

ソフビも処理が大変なのだけれど。ブリキも難しい。アモンが此処に持ち込んでいるという事は、粉々になった本体を直したりと言った、根本処置は終わっている。後はアガレスが、色々と細かい処置をすれば、店に出せる。

「こ、こんなに?」

「少し前に収集家が亡くなって、処分されるところだったのを拾ってきたんです」

「そうだが、この量は……」

「終わるまで、ご飯は抜きです」

涙目になったアガレスにも、アモンは容赦してくれない。

肩を落としたアガレスがブリキのおもちゃに、再び命を吹き込む作業を始めるのを横目に。

アモンは型紙を作り始めていた。

どうやら、鰐のぬいぐるみを作ってくれるらしかった。

 

結局、天文学者としては、大成できそうにもなかった。

昴は今、国立大学で、天文学者をしている。一応学者にはなる事が出来たのだ。教授として、大学から雇われてもいる。

一応、幾つかの星も発見して、論文も貰ってはいた。

しかし、知名度は下の中程度。

二流の天文学者として、国内ではマニアが知っているかもしれない、程度の存在にしかなれなかった。

それでも、毎日は充実している。

今日は大学で教鞭を執る。

そして、明日は移動プラネタリウムで、中学校で授業をする。

他の教授に比べると、裕福な方だと聞いている。

大学生しか買わない本を出版するよりも。

こうやって招かれて授業をして、皆に星の良さをわかって貰う方が、何倍も有意義だった。

授業が終わったので、自宅に戻ってきた。

妻はまだ帰ってきていない。

子供達も学校だ。

だから、今のうちに、プラネタリウムをメンテナンスしておく。

自分でも、研究はしているのだけれど。

このプラネタリウムを作った奴は天才だと、知識がつけばつくほどわかってくる。しかも、まだこのプラネタリウムは完成途上だったらしいと、最近気付いた。

どれほどのこだわりが、此処に詰め込まれていたのだろう。

一種偏執的でさえある。

これを作った人には、多分星しかなかったのだ。

星を好きと言うよりも。

自分が認められる場所が、空想の中の星空しかなかったのだろう。

だから、此処まで緻密な物を作る事が出来た。

完成度は極めて高い。

だがそれは、きっと孤独と悲しみから産み出されたものなのだと、昴は今では知っている。

自分だって、高校生のころは、虚無感に囚われていた。

きっとこのプラネタリウムを作り上げた人は、昴なんかとは比較にならないほどの孤独と、戦い続けていたはずだ。

そして報われることもなく、命を落としたのだろう。

これが未完成である事が、その証拠だ。

あの悪魔達が、どうやってプラネタリウムを手に入れたかはわからない。しかし、これだけはわかる。

本来これは。

昴などの所には、来る筈がなかったものなのだと。

メンテナンスが終わる。

今の昴に出来る事は、精々現状維持。それ以上のことはまだまだ無理だ。多分一生掛かっても、改良なんて夢のまた夢だろう。

天文学の専門知識がついた今でも、それは変わらない。

此奴と一緒に過ごして既に十三年になるけれど。

それでも、今のプラネタリウムに比べても、慄然とするほどの技術差がある。これを作った人間が本物の天才だと、使う度に思い知らされる。

何しろワンオフ品なので、業者にメンテナンスも頼めない。

これのために、電子部品などの知識も身につけたのだけれど。配線などが非常に独特で、機嫌が悪いときは、今でもマニュアルとにらめっこをする必要があるのだった。

妻が帰ってくる。

自室をひょいと覗き込んだ妻は、手に買い物袋を提げていた。

「あら、貴方。 帰っていたの」

「ああ」

妻とは、仕事を通じて知り合った。

二歳年下の妻は、昴と殆ど同じ背丈だったのだけれど。

どういうわけか、二人の子供はぐんぐん背が伸びていて、中学のころにはもう昴を追い抜きそうだった。

かって、身長は昴にとっての地雷だったけれど。

今では、それほど大きな問題ではない。家族と別れて暮らすようになったからだろうか。

違う。

一番近い恒星でも、光の速さで飛んでいって、何年もかかる。

宇宙のスケールから考えれば、人間の背丈なんて、どれほどの意味があるだろう。

天文学は、昴を救ってくれた。

ありとあらゆる意味で。

「明日も、またお仕事?」

「地元の中学校だ。 弟に手伝って貰うつもりだ」

「弟さんも、まだ工場で稼いでいるの?」

「そうだな……」

弟は結局、まともな企業では長続きせず、彼方此方の工場で日銭を稼ぐ毎日を送っている。

だから、昴がプラネタリウムの仕事が入ったというと、喜んで飛んでくる。

確かに、工場で働くよりも、ずっと実入りが良いのだから、当然だろう。

弟は今でも、昴を誇りに思っているようだ。

一方で妻は、あまり弟や妹を良く想っていない。

そもそも昴に嫁いだことを失敗だとさえ考えているようだった。まあ、大学教授というのが、噂ほど儲からないのが、理由だろう。

それに昴は、二流程度の学者なのに、星に対しての情熱は人一倍と来ている。このプラネタリウムも、妻がいるところには置いておかない。壊されたり、捨てられたり、しかねないからだ。

大学教授になって、結婚してから、金庫も買った。

金庫の番号は、妻にも教えていない。

プラネタリウムは此処にしまう。

結婚して子供が二人いるにもかかわらず。

現状は、仮面夫婦というのが、近い関係だった。

結局の所、昴の人生は成功したのだろうか。

社会的には、むしろ成功した方だろう。

両親から受け継いだ家に住んでいる。稼ぎも並のサラリーマンよりいい。二十年前の生涯賃金3億のサラリーマンならともかく、今ならなおさらだ。

それでも、妻は昴には不満を隠さない。

結局、恋愛の賞味期限は三年という事実だけが、此処に残っていた。

だが、それでも。

子孫を残すという、最低限の事はした。

趣味を仕事にするという、望みも叶えた。

「これ以上を望むのは、贅沢か」

昴はぼやくと、明日に備えてメンテナンスを済ませたプラネタリウムを、金庫にしまう。

最近妻が喫煙をはじめたことを、昴は知っている。

浮気をしていると言う噂もあるけれど。

まあ、それはいい。問題が起きるようだったら、弁護士を間に入れて、慰謝料を取るだけだ。

ふと思い当たる。

これは、プラネタリウムを作った誰かの呪いではないのだろうかと。

馬鹿馬鹿しい。

そのような事が、ある筈もない。

頭を振ると、昴は下に降りる。食事はまだかと聞くと、妻は出来合いの、買ってきたどこかの総菜を、視線で指した。

 

(続)