二人の超越者

 

序、バノッサの妄念

 

サイジェント城の玉座の間には、かって退廃と腐敗が蜷局を巻き、現在は無気力と倦怠が鎌首をもたげていた。その主であるバノッサは、自らが召喚した大悪魔達が、器用に玉座の間を掃除していくのを見やりながら、ただぼんやりとしていた。大悪魔達は別に文句も言わず、雑用をこなしていく。頬杖を突いて、魚のような目で、バノッサはそれをただ無心に見ていた。

樋口綾に勝ってからというもの、彼は明らかに精彩を欠いた。全てを捨てて勝負を挑み、そしてねじ伏せた敵。相手の優しさを利用する形で、もぎ千切った勝利。人間でもないくせに、召喚術を使いこなした宿敵の最後。あまりにもあっけないその結末に、バノッサは明らかに絶望を感じていたのである。敵の死体は見つからなかったが、そんな事は全く関係がなかった。

現在、無色の派閥の者達は、なにやら様々に動き回っていて、城の中には数名の幹部しか残っていない。防御司令官を任されているのは、バノッサが召喚した大悪魔の中でも最強の実力を誇るランザルフェルである。ランザルフェルはヴェロキラプトルによく似た姿をしていて、背中からは二本の骨が飛び出していた。それは槍のように鋭く、更には幕を張って空を滑空する事も出来るのだ。足からは人間の掌ほどもある巨大なかぎ爪が飛び出していて、それは鋭利に冷酷に輝いていた。副官はガガンボの幼虫に蜘蛛の足を生やしたような姿をしたワレイシェフェルであり、此方も能力は非常に高い。ランザルフェルは部下を良く統率しており、掃除がちゃんと終わった事を確認すると、バノッサに頭を下げた。

「マスター、掃除が終わりました」

「……そうかよ。 じゃあ、適当にやすんどけ」

「はっ。 者ども、三交代で休憩に入れ」

悪魔や大悪魔達は、ぞろぞろと持ち場に戻ったり、休憩に移ったりした。献身的で精密なランザルフェルを見ていたバノッサは、気紛れに問いかける。

「なあ、ランザルフェル」

「何でしょうか、マスター」

「……大悪魔様が、掃除なんか、クソ真面目にやって楽しいか?」

「仕事ですから、楽しいも何も」

バノッサが見ていない所でも、ランザルフェルは良くやっている。それはカノンが報告してきた事だから、信憑性はあった。何も目標が無くても、緻密に忠実に仕事が出来る存在。元々ひねくれ者のバノッサは、素直に憧憬や尊敬を抱く事が出来なかった。だが、今は相手を憎むほど、心の油が残ってはいなかった。以前燃えさかっていた憎悪の炎が一旦鎮火してしまうと、油の量も着実に減っていたのである。

「マスターは、何か目的がないと、やる気が出ないのですか?」

「ああ、そうだな」

「ふむ。 ……ところで、もう気付かれていますか? サイジェントの街に、巨大な気配が現れた事に。 巧妙に隠してはいますが、実力は超一級かと」

「俺の敵じゃあねえよ。 ……城に入ってこなければ、関係ねえ」

無気力なバノッサの台詞に、ランザルフェルは口の端をつり上げ、礼をすると玉座の間を出ていった。

 

階段など通らず、そのまま垂直に城壁の上に登るランザルフェルの横に、いつの間にかワレイシェフェルが列んでいた。

「司令、マスターの反応は?」

「さてな、よく分からん。 何かを越えたら、更に強力な相手を捜せばよい物を。 どうやらマスターにとって、敵とは以前倒したという娘だけだったようだな」

「ほほう。 或いはその娘に、恋慕していたのでありましょうか?」

「ある意味では、そうだろう。 ただし、途轍もなく歪んで、捻れた、一方的な恋慕だがな。 マスターはおそらく、幼少期に余程強烈なトラウマを宿したのだろう。 そうでも考えぬと、精神の失調と欠落に説明が付かぬな」

城壁の上に登り終えると、ランザルフェルは尻尾を揺らし、サイジェントの街を眺めやった。騎士団と軍の尽力で、治安は維持されているが、住民の不安は此処にいても肌で感じ取る事が出来る。同じようにはい上がってきたワレイシェフェルは、口の周りの触手を揺らしながら問いを続ける。

「リィンバウムの社会は、いつまで経っても進歩しないようですな」

「我らを行使しているようで、その実我らに頼り切っているのだから仕方がないさ。 それに、我らサプレス人だって、安定した社会を作るのにどれだけの時を要した事か。 他人の事は言えぬよ。 さて、防備を固めるように、配下達に伝えろ」

「いよいよ、例の気配が来ますか?」

「十中八九、間違いないな。 厳しい戦いになるぞ、気をつけろ」

口調が楽しげなのは、戦い自体を楽しみにしているからだ。ワレイシェフェルにも悲壮感はなく、むしろ楽しみな様子で、壁を這い下っていく。もう一度街の方を、南スラムの方を見やりながら、ランザルフェルは舌なめずりした。

 

オルドレイクは、サイジェント城の中庭で、木に背を預けていた。通り行く悪魔達は、バノッサにするよりもずっと丁寧な態度で、礼をしていく。昼少し前、ザプラが、オルドレイクの前に跪いた。

「同志オルドレイク様、突破作戦の準備は、全て整いました」

「うむ。 いつもながら見事だ、同志ザプラよ。 では主力は予定通りの行動をするように、同志トクランにも伝えておいてくれ」

「はっ!」

敬礼したザプラは、身を翻しかけて、ふと思い出したように言った。

「それで、どうして同志オルドレイク様はお残りになられるのですか? スペアナンバー19のお守りなど、同志クジマ一人で充分なのではありませんか?」

「……何、下らぬ用事だ。 知己が来るのでな、最後に挨拶をしておこう、と思っただけだ。 いわゆる野暮用だとも」

「なるほど、それならば私の出る幕はございませんな。 作戦の実行に、全力を尽くします。 ただ、お気をつけ下さい」

「うむ。 同志ザプラも、油断はせぬようにな」

信頼するザプラを送り出すと、オルドレイクは愛用の大剣を抜きはなった。輝くような刀身は、これ以上もないほどに磨き抜かれている。そしてその刀身の柄には、誰にも見栄はしなかったが、剣の名が刻み込まれていた。

この大剣の名は、サモナイトソードと言った。樋口綾の所有するサモナイトソードとは形状が違うが、同じ名を持っていた。そして、創造主も同じだったのである。

 

1,サイジェントの夜明け

 

樋口綾がフラットのアジトに帰還したのは、予定していた試練スケジュールを丁度消化しての事であった。新しく加わったメンバー四名はアジトには住み込めなかったので、其方はアキュートが住居を提供した。元が孤児院で、かなり広い建物だとは言え、流石にもう住める人数の限界を超えていたからである。

一日ゆっくり休んだ後、主要メンバーは、アキュートのアジトに集まった。全員が揃った事を確認すると、リシュールは街の地図を広げ、ラムダ、レイド、綾の顔を順番に見回していった。

「お疲れさま、大変だったろ」

「ああ、だが実り多き三週間でもあった」

「世界を見て回るというのは良い事だな」

「予定通りに事が済んで、幸いでした」

多少場が和んだのを確認すると、レイドが咳払いし、視線をリシュールに戻した。此処しばらくの活躍で、彼の指導力は誰もが認める物となっていた。

「リシュール、ペルゴ、エドス、現在の状況の説明をしてほしい」

「そうさな、フラットの情況については、後でな」

「アキュートには、さほど動きはありません。 軍師殿、街の情況を御願い出来ますか?」

「じゃ、街の情況を説明する。 ぶっちゃけ言うと、そんなに悪くはなっていない」

リシュールは頷くと、サイジェントの地図の上に、指を走らせていった。

「騎士団は街の中の重要地点の何カ所かに小規模な陣を張って、城を監視する体制を整えてる。 敵の勢力圏は城だけだが、防備は鉄壁だな。 街は、安定を保ってる。 みんな不安は抱えてるが、食い物も提供されてるし、城から化け物が出てくるわけでもないからな。 それに、騎士団の非常に丁寧な警備体制も、安心を呼ぶ一因だろう。 それに、マーン家三兄弟は、私財をかき集めて、彼らのサポートをしてる。 それで、何とか状態が安定してると言っていいな」

「蒼の派閥や、金の派閥は?」

「微動だにしない。 ずっと同じ所に陣取ったままだ。 サイジェント軍は色々動いてるが、彼奴らにはやる気の欠片も見えんな」

ガゼルがギブソンを白けて目で見やり、ギブソンは慌ててフォローした。

「いや、エクス様には、考えがあるはずだ」

「どうだかな」

「「ガゼル、戦いの前に、くだらん争いの種を作るな」」

レイドとリシュールが同時に言ったので、ガゼルは不機嫌そうに頬杖を突いて黙り込んだ。話を先に進めたのは、ラムダだった。

「では、早速攻略戦について、策を練ろう。 リシュール、どうすればいいと思う?」

「南門に全戦力を投入。 抵抗戦力の主力だけを潰した後、バノッサを狙う」

「ふむ……お前には珍しく力業だな」

「勿論、戦うのは我々だけじゃない。 北門、西門は別の者達に押さえて貰う」

リシュールの言葉を受けて、ペルゴが頷き、指を鳴らす。部屋に入ってきたのは、何人かの護衛を連れた、サイサリスだった。サイサリスは何度も刃を交えたアキュートの面々の顔を見やっていき、そしてイリアスの所で視線を止めた。何か言おうとしたが、それを飲み込み、頭を振って続ける。

「リシュール氏との協議の結果、北門、西門の制圧は承りました」

「どういう風の吹き回しだ?」

「今、アキュートと我々で争う事に意味はありません。 それに、イムラン殿の公約を見て頂ければ、もう今後とも戦う理由はないかと」

ラムダが視線を向けると、リシュールはそのまま人数分の紙束を配った。ざっと目を通した綾は、素早く思惑を巡らせた。

『税制の改革、労働条件の法整備、工場等の設備投資、政治犯及び税金滞納者の釈放、南スラム北スラムに対する経済支援……どうやら、識見が目覚めたというのは本当のようですね。 しかもサイジェント城を奪い返す事に成功すれば、騎士団の株も上がりますし、何より混乱に乗じて改革は非常にスムーズに進行するはずです。 裏切ったときは、流石に騎士団も民衆も黙っていないでしょう。 これをイムランさんが自ら提案したというのなら、実行の準備が出来ているのなら、確かに戦う理由は消え失せます』

「信用して良いのか、リシュール」

「もし奴が嘘を付いたら、今度こそ民衆の一斉反乱が起きる。 城を取り返してやったあと、奴が裏切ったら、民衆の先頭に立ってイムランと領主の首を叩き落とせば良いだけの事だ」

「なるほど、確かにその通りだな」

ラムダは苦笑し、地図上を改めて見やった。リシュールは幾つかの駒を、順番にサイジェント城の周囲に並べていく。騎士団を示す紅い駒を、北門、西門に。フラット・アキュート連合軍を示す蒼い駒を、南門へ。東門には何も駒がおかれず、イリアスがそれを見て挙手した。

「東門は放っておいて良いのか? リシュール殿」

「かまわん。 城を完全包囲して戦うよりも、むしろ露骨に逃げ道は残しておいてやった方がいい。 もし東門から逃げれば、サイジェントの外で捕捉して、外にいる連中と共同して叩き潰すだけの事。 既に敵の逃走予想経路上の住民は、避難が完了している。 ちなみに、サイジェントの外壁東門も、目立たない程度に手薄にしておいた」

松葉杖の先で、床を数度叩きながら、リシュールは解説する。逃げ道を残しておく事で、敵の必死の抵抗を防ぐのは、包囲戦での基本的な戦い方だ。露骨に完全包囲すると、必死の反抗を呼び、被害を大きくしてしまう。余程彼我の戦力差が大きい場合を除いて、それは好ましくない。無論、逃げ道を開けておくと言っても、伏兵等によって敵の戦力を削る工夫は必要になってくるし、情況によって柔軟に布陣を変えねばならないが、それは戦である以上仕方がない事だ。イリアスはその説明を受けて納得したが、少し考えた後に、綾が挙手した。

「あの、いいですか?」

「何か質問か?」

「はい。 もし敵が、隠し通路や下水道等、我々の知らない退路を通って城の外に出たらどうしましょうか? その上、既に撤退戦を視野に入れていて、包囲陣を攪乱、突破する術を持っていたら」

「そうなったら、蒼やら金やらの派閥に頼る以外に、追う方法はないな。 それを防ぐためにも、バノッサを必ず仕留めて貰うぞ。 そして、それを完遂するためにも、キミには最前線に立って貰う」

最前線に立って、バノッサと戦う。必要とあれば斬る。改めてそれを確認した綾は頷き、それを良しとしてリシュールは話を進めた。

「バノッサの能力については聞いた。 何かそれを封じる秘策はあるか?」

「秘策はありませんが、能力は身に付きました。 ただし、これは相手の召喚術を一度特定条件で見ないと、発動する事が出来ません。 そこで御願いがあるのですが、バノッサさんのブラックラックと悪魔召喚を一度わざと受けます。 その際に、防御を御願い出来ませんでしょうか」

「ふむ、悪魔召喚については、皆が周囲を固めれば問題がないな。 もう一方のブラックラックは、聞いた所によると中庭をまとめて吹き飛ばす程の物だそうじゃないか。 そんな出鱈目な業、常識的な方法で防げるのか?」

「それに関しては、私が何とかする。 身につけた召喚術が、充分用を為すはずだ」

名誉挽回と言った感じで、ギブソンが言った。彼の口調には、普段の論理性以上の自信があり、後で実演してみせるという言葉で、まだ不安を隠せない者達を納得させた。一旦戦いに関する会議はそこで終了し、数分のインターバルを挟んで、挙手したのはエドスだった。エドスはレイドを見ながら、自信深げに言う。

「早速だが、お前さんたちがいない間に、ワシらは大分力を増したぞ。 エルカも、もう充分に前線に立てると思う」

「それは心強いな。 戦力を倍に計上出来るというのは、かなり大きい」

「俺らも苦労したんだぜ? まあ、今日の戦いじゃぁ、無様な所は見せないさ。 エルカの嬢ちゃんも、偉い張り切っててなあ。 多分見事な空中戦を見せてくれるはずだぜ」

『そういえば、身の軽さにおいてエルカさんは超一級でしたね。 それを生かした戦い方を身につけたのなら、大いに活躍してくれそうです』

「さて、そろそろいいか?」

レイドが立ち上がり、周りを見回した。皆の表情が引き締まり、自然と気持ちが一つになる。皆が思う事は一つ。この場にいる者達が、団結している理由は一つ。基本的に、人間が団結するには敵が必要である。今回も、その理由は違っていなかった。

「出撃する! サイジェント城を、バノッサと、無色の派閥の手から取り戻す!」

「おおっ!」

「出撃は、昼食を摂った後とする。 それまで、各自休憩しておくように」

 

一旦解散した後、綾はサイジェントの街をあてもなく歩いていた。四つのエルゴに認められてからというもの、魔力が常識ではあり得ないほどに上昇した。その分使う召喚術の破壊力と魔力消費量も桁違いに上昇したのだが、それを補って余りあるほどに力が増したのだ。

だが一方で、力を使えば使うほど、感情や感覚が記号的になっていくのも実感出来ていた。嬉しいではなく、嬉しいと体が感じている。痛いではなく、体の何処其処がどのように損傷した。そんな風に感じるようになり、悲しみさえ、心が痛んでいる、と感じるようになってしまった。しかもその分析可能な痛みさえ、減りつつあった。そして、自らの状態に悲しみを覚えているのに、表情に影さえ差さなかった。自分で、創ろうと思わなければ。

綾がふと気付くと、そこは商店街だった。そして、聞き覚えのある声がした。以前から世話になっている、八百屋のおばさんであった。

「おや、アヤちゃん、戻ってきたんだね」

「あ、はい。 おかげさまで」

「城に入ったっきりいなくなったって聞いたから、心配してたよ。 まだ若いし綺麗なんだし、無理しちゃ駄目だよ」

「ありがとうございます」

今からその城に、命をかけて戦いに赴く事は言わずに、綾は丁寧に笑顔を作って、上品に手を振ってその場を離れた。

このまま行くと、いや行かなくても、もう綾は人ではなくなるのが確実である。おそらく老化はもう止まってしまっているし、余程の事がなければ死なないだろう。サイジェントの街を綾は好いているが、自分が人で無くなったとき、サイジェントの人達は綾に何をするか。それは分かり切った事だった。仲間達は護ってくれようとする、それは確信があった。だが同時に、まともな幸せなど今後は得られようもない事は火を見るよりも明らかだった。愛する人との幸せな結婚、平和な世界での安定した生活。子供を育てて、夫と一緒に年を取って。それらの全ては、もうかなわぬ事だった。

綾はふと市民広場を通りかかって、慌てて身を隠した。そこではむくれたサイサリスに、イリアスが必死に弁解していたからである。

「お話は分かりましたが、騎士団長のなさる事ではないと思います」

「すまん、サイサリス。 しかし」

「しかしも案山子もありません。 騎士団長としての自覚をお持ち下さい」

何度か顔を見たサイサリスは、いつもクールで、何事にも動じないように綾には見えた。だが今腕を組んでそっぽを向いているサイサリスは、好きな相手の不備を責める女の子だった。奥手で色恋沙汰に疎い綾にも分かる程度だから、他の誰が見ても一目瞭然だろう。それにしても、イリアスの狼狽ぶりは情けない限りだった。

『ごめんなさい、イリアスさん。 此処は退散させて頂きます』

回れ右して綾は広場を後にし、工場区まで行って一息ついた。工場区では、閉鎖された工場で、機械をいじる音がしていた。何気なしに覗いてみると、其処にいたのはエスガルドとエルジンだった。壊れてその辺に散らばっていた機械を、実に嬉々としていじるエルジン。エスガルドはサイボーグだから、表情も何も無かったが、だが其処には紛れもなく暖かい雰囲気が存在していた。邪魔しては悪いと思って、綾はその場を後にした。

仲間達は感情をぶつけ合って、今を生きていた。或いは強く、或いは護られ、或いは支え合って。

それを確認した綾は、一度頷くと、合流地点に指定されたアキュートのアジトに戻っていった。これで良いと思ったからである。もう悩みは、綺麗に消え失せていた。

 

2,サイジェント城奪還戦

 

サイジェント城南門に、フラット・アキュート連合軍が集結したのは、予定通り昼過ぎの事であった。アキュートの一般兵士達は騎士団に協力して西門及び北門へ集結し、此処にいるのは一流の使い手ばかりである。彼らの少し後ろには、蒼の刃と騎士団の一部が築いた簡易陣地があり、リシュールが作戦の総指揮を執るべく詰めていた。陣自体は簡単な作りになっており、作戦の進行次第によって位置を動かす事が容易だった。

この一ヶ月、リシュールは彼方此方をかけずり回り、騎士団と、蒼の刃とのパイプを築くのに成功していた。元々彼女の人脈は広く、情報網は大きい。騎士達もリシュールの実力は認めていて、指示にはきちんと従い、逆らう様子は見せなかった。リシュールの指示があまりにも的確だったので、逆らう必要がなかった事もある。

戦力を一点集中して敵を突破、バノッサを沈黙させる。これ以外の戦略はない。バノッサの能力が極めて危険な物である事、悪魔の戦闘力が相当な物である事、更に敵には相当な使い手が何名もいると確認されている事。これらの判明した事実からしても、全面攻勢を行うのは危険すぎる。最前衛に詰めるのは、ラムダ、イリアス、レイド、エスガルドとカザミネ。その後ろに、綾と、ガゼルとアカネ、それにカシスがサポートに入る。城の見取り図は何度も確認し、敵が潜みうる地点は既に全員の頭に入っている。やがて、ゆっくりとレイドが前に進み出、剣を抜いた。他の者も一斉にそれに習い、カイナが前に進み出た。同時に、綾が素早く印を切り、呪文を唱え始める。

鬼神さま、おいで下さい

音もなく、最前衛にガイエンが現れる。ガイエンは固く閉じられた城門の前に立つと、大剣を振り上げ、轟音と共に振り下ろした。一撃では流石に扉も開かなかったが、二撃目、三撃目が次々に繰り出され、六回目の斬撃でついに扉が砕けた。ガイエンが亀裂に手を掛け、ゆっくり左右に押し開いていく。敵の反撃が開始されたのは、その瞬間だった。

扉が内から吹き飛ぶほどの爆発が起こり、ガイエンがよろけ、煙を上げながら仰向けに倒れる。カイナが慌ててガイエンを戻すのと同時に、ガイエンの後を追うように、扉が倒れる。そこには、当然のように無数の悪魔がいた。何体かは以前交戦したゼクルフォンのように、光弾を発射して攻撃をする能力を有しており、それを発揮してガイエンに光弾を見舞ったのは、ありとあらゆる状況証拠から明らかだった。そして、悪魔達が第二射を放つ前に、綾が呪文をくみ上げ、反撃に出た。

「誓約において、樋口綾が命ずる! 吠え猛ろ、機界の破壊虫王、ガフォンツェア!」

呼び出されたガフォンツェアが、体の左右だけでなく、格納されている全兵器をオープンにする。上にも下にも、更には複数階層に格納されたミサイルが、その威圧感を余す事無く空気にさらす。綾が左手の指を二本立て、風を切るように横に振った。

「全兵器斉射!」

「了解!」

およそ六十発の小型ミサイル、十二門の荷電粒子砲、六門のレールガンの火力が完全解放され、半ば崩れていた扉を吹き飛ばし、悪魔達に襲いかかった。爆発が連鎖し、逃げ遅れた不運な悪魔を吹き飛ばし、粉々にうち砕いた。爆発が収まると、扉は跡形もなく消し飛んでおり、シールドを展開した者や、何とか強運に護られた者を除いて、悪魔達は壊滅していた。綾はさほど消耗した様子もなく、悠々とガフォンツェアを故郷へと戻す。

「す、すげえ……」

「獣王クラス召喚獣の火力を完全解放すると、これほどの威力を示すのか」

「行くぞ! 一気に道を切り開く!」

あまりの光景に絶句するガゼルとギブソンを叱咤し、ラムダは真っ先に駆け出す。同時に、生き残った悪魔達も地響き立てて総反撃を開始し、サイジェント城は血肉と殺戮の展覧会場と化した。

南門で待ち伏せしていた悪魔達は、全体の戦力からすれば僅かであった。それは内部へ進めば進むほど、露骨に明らかになっていった。下級の悪魔ばかりが、兎に角数を頼りに攻め寄せてくる。最前衛のラムダ達がそれらをなぎ払い、中衛のガゼルやアカネが的確にサポートする。最前線で戦い続ける者は当然消耗が大きく、だが次々に新手が変わる事が出来た。レイドが後退すればエドスが、イリアスが後退すればペルゴが、前に出て敵と激しく交戦した。また、召喚師達もセシルやジンガを中心とする護衛達がしっかりガードし、戦力の温存を図った。リシュールが練り上げた陣形は的確に敵の浸透を阻み、同時に味方の攻勢をサポートする。

エドスは武器を扱う技能に、ペルゴは冷静な戦いぶりに、共に磨きをかけていた。特にエドスは持ち前のパワーに技量が加わり、その破壊力は悪魔達を怯えさせる。ジンガは技量を十二分に高め、セシルのそれにも迫りそうな強烈なストラ拳を悪魔に叩き込む。モナティはまだ多少怖がってはいたが、充分な戦闘技術を身につけており、達人級の剣士に成長したローカスと共に、敵をなぎ払う。エルカはその身軽さを利して、屋根や木々を飛び回り、悪魔に頭上からナイフの雨を降らせた。ギブソンは以前以上にポワソを的確に使いこなし、スタウトが投げる名人芸のナイフが、それをサポートする。心配されたエルジンは、今日は冷静に召喚術を使って、皆のサポートに達していた。無論、周囲もそれをサポートして、悪魔を側には寄らせなかった。

悪魔達も、負けてはいなかった。地の利を生かし、奇襲戦法を中心として反撃に出る。それで時間を稼ぎつつも、徐々に態勢を立て直す。南門に続いて、悪魔側の激しい抵抗が開始されたのは、サイジェント城中庭の事であった。中庭に足を踏み入れたラムダが、血で染まった大剣を振るい、目を細める。少し高い位置を中心に、悪魔十五体、大悪魔五体が、実に堂々たる布陣で待ちかまえていたからである。現時点で、最前衛にいるのはモナティ、ガウム、ラムダ、レイド、エスガルドの五名。ガゼルは一旦後退し、スタウトとアカネ、それにエルカが中衛で綾と一緒に戦っていた。後衛は地の利を生かして後ろに回り込んだ敵の奇襲に手を焼いており、前衛をカバーする余裕がない。

大悪魔の中から、一体が進み出、自己紹介した。その目には強烈な意志力があり、手強い相手である事は一目瞭然である。

「天晴れな戦いぶりだな。 私はランザルフェル、この城の防衛司令官を任されている」

「無駄な戦いはしたくありません。 バノッサさんは何処ですか?」

そう言って、綾は素早く後方へ視線を送った。ギブソンは少し後ろにいるが、遊撃部隊に護られていて、ここへ来る事は可能である。綾の行動を知ってか知らずか、ランザルフェルは小さな前足を顔の前で左右に振り、舌を鳴らして見せた。

「ちっちっ、野暮な事を言いなさるな。 これほどの強敵を前にして、我らに戦うなとおっしゃるか? それは美味しい肉を目の当たりにして、体を縛り付けるような残酷さではありませんか。 マスターは我らの護る奥におられる。 戦いたくば、我らを倒してゆくのだな!」

「やむを得ません……」

「者ども、乾坤一擲の戦いだ! 全力でかかれっ!」

ヴェロキラプトルに似たランザルフェルが吠えると、大悪魔達の全身から殺気が迸り、悪魔達も興奮してわめき立った。その体はいずれも巨大。レイドが素早く視線を移し、綾は頷く。

「此処は敵の懐ですし、伏兵がいる可能性があります。 防御主体に、一体一体片づけていきましょう。 時間は掛かりますが、それしかありません」

「それが無難だな」

「行くぞっ!」

ラムダの咆吼を開始の合図に、両者はぶつかり合った。

 

最初に突貫してきたのは、ワラジムシに似た大悪魔であった。ワラジムシはいわゆる団子虫に似ているが、より扁平で、球状の防御姿勢を取る事が出来ない。その代わり、団子虫より遙かに素早く動く事が出来、狭い所にも潜り込めるのだ。この大悪魔は無数の節から長細い毛をたなびかせており、悪魔を二体まとめてなぎ払ったエスガルドに、強固な装甲を武器に突貫した。その姿は、さながら装甲車である。

凄まじい激突音が響き渡り、地面が揺動する。六メートル近い巨体を正面から受け止めたエスガルドは、数メートルをずり下がり、背中のブースターから炎を囂々と吐く。力が拮抗すると、それを待っていたワラジムシの大悪魔は全身から高圧の電流を発した。細長い毛は、発電器官だったのだ。エスガルドの全身をスパークが襲い、ロレイラルの紅き騎士は絶叫した。

「ウォオオオオオオオオッ!」

「エスガルド!」

「オラオラ、よそ見してる暇はねえぞっ!」

僚友を見て絶叫するラムダに、スコップのような巨大な前足が真上から叩き付けられた。叩き付けたのはケラのような姿をした大悪魔で、体の前面が強固な装甲に覆われている。また、パワーも見かけに恥じず、一撃は凄まじく重かった。この大悪魔も、隣にいるワラジムシの大悪魔にそう劣らない巨体の持ち主である。ラムダは何とかそれをかわしたが、数歩さがる事を余儀なくされた。間髪入れずに、今だランザルフェルの側に控えている、橙色のアメフラシに似た大悪魔が四メートル以上もある巨体を蠕動させ、紫色の霧を体から吹きだした。霧は辺りを徐々に浸食していき、視界の透明度が著しく下がる。怯えたモナティが、思わず声を上げていた。

「ま、マスター!」

「エルカさん、頭上から偵察してください!」

「分かったわ!」

モナティには応えず、綾は飛びついてその体を押し倒した。同時に、光球が、今までモナティがいた空間を抉り去っていた。

『成る程、二体は前線で敵を引きつけ、一体は視界を封じる。 今の狙撃は、視界を封じたアメフラシさんか、残りの二体のどちらかですね。 的確な戦い方です』

「きゃああっ!」

激しい殴打音と共に、綾のすぐ側にエルカが叩き付けられた。右腕を大きく切り裂かれており、きっと上を向くと、其方に向けて何度も魔眼を発動する。綾はその頭を押さえると、地面に伏せさせた。間をおかず、再びすぐ側に光球が着弾、炸裂した。エスガルドとラムダとレイドが、二体の大悪魔相手に持っている事を期待し、綾は叫んだ。

「スタウトさん、アカネさん! 霧が晴れたら、頭上の敵を攻撃してください!」

「おうっ!」

「任せといて!」

弾かれるように綾は立ち上がり、小さく深呼吸して目を閉じた。そして素早く印を切り、出来るだけ術の消耗を軽減すると、叫んだ。

「ヴォルケイトスっ!」

空間の穴から、ヴォルケイトスが巨体を振るわせて這い出し、巨大な口をめい一杯に開く。まるで雷のような光の球が、その中で巨大化していく。そして、綾が指を向けた先……光弾が飛び来る先へと、雷の弾を放った。それは敵が放った光を無造作に蹴散らし、霧をはじき飛ばしながら疾走した。敵が音で此方の居場所を察知している事を、もう綾は気付いていたのである。

一瞬の間の後、悲鳴と爆発音が響き渡り、霧が晴れ行く。霧の向こうにいたのは、体の大半を抉られ、粉々に飛び散ったアメフラシの大悪魔。呆然とするケラの大悪魔、ワラジムシの大悪魔には、ラムダとエスガルドが息を合わせて猛烈な反撃を叩き付けた。更に、頭上にいた大悪魔、先ほどエルカを叩き落とした相手に、アカネとスタウトがタイミングを合わせ、無数のナイフと手裏剣を投擲する。それは蟷螂によく似た大悪魔であり、刃物のように研がれた四枚の鎌を持っていた。蟷螂に似ている分、動きは敏速であったが、しかし華奢で繊細である。不意打ちでの、体への損傷はそれほどでもなかったのだが、羽を何カ所も打ち抜かれては体のバランスを崩すのもやむを得なかっただろう。

「ぐ、ぐおおおおおおおおおっ!」

地響きを立て、巨体が地面に落下する。蹌踉めく綾を、慌ててモナティが支えた。

「マスター! 大丈夫ですの!?」

「私は大丈夫、それよりエルカさん! あっちを! レイドっ! 後ろです!」

エルカは頷くと、起きあがろうとする蟷螂の大悪魔に向けて、目を光らせた。緑色の光がその眼から発せられ、それをもろに受けた蟷螂は、一瞬の痙攣の後動けなくなる。拘束時間はほんの数秒だが、それで充分だった。レイドが振り向き、間を詰め、剣を振るう。蟷螂の頭が宙を舞い、三回回転して血をばらまいた後、地面に転がった。不運な蟷螂の大悪魔は、殆ど力を発揮する間もなく倒れた。

残った悪魔達が、アカネとスタウトに殺到し、乱戦になる。何体かが片膝を突いている綾にも襲いかかったが、其方はモナティが叩きのめし、或いは突き飛ばした。エスガルドは高圧の電撃に耐え抜くと、攻勢に転じ、ドリルを振り回して的確に敵の関節部を抉った。一撃では致命傷にならないものの、何度も熟練の一撃を打ち込まれ、ワラジムシの大悪魔は辟易してじりじり下がる。ケラの大悪魔は装甲が厚い分動きが鈍く、ラムダを攻めきれかった。その上、レイドの参戦もあって、徐々に劣勢へと追い込まれていった。

今まで綾達が対戦した大悪魔に比べて、今戦っている大悪魔達が弱いわけではない。パワー、スピード、技量、いずれも今まで同様に優れている。いずれもが切り札を有し、数十人の兵士を正面から相手にする力を持っている。ただし、敵の力量が変わっていないのに対し、味方の力量と連携技術が増している。それだけである。その事実が、如実に出ていた。

「ちいっ! 獣王クラス召喚獣の能力を完全に引き出すとは。 もう少し離れていなければ、私も危なかったですね……」

壁に張り付くようにして、戦場を見下ろしていたランザルフェルが呟いた。彼は重力がないかのように柔らかく飛び降りると、ゆっくり綾に歩み寄っていく。エルカが右腕を押さえたまま、モナティがガウムを構え、綾の前に立ちはだかった。

「此処は、通さないですのっ!」

「どけ、ガキ共! 私が戦いたいのは、お前らの後ろの娘だけだ」

「モナティ、エルカさん、どいて。 私が戦います」

綾は、モナティとエルカが負けるとは思っていなかった。今の二人は、充分に一人前の戦士である。しかし、その程度では、例え勝つ事が出来ても傷つくのも分かっていた。この大悪魔は、他の者達より遙かに強い。もはや常識的な使い手では、二人がかりでも容易には勝てない相手である。二人を護るためにも、綾が戦わねばならなかったのだ。二人は無言で後ろに下がり、綾がゆっくり前に出た。

予備動作すら存在しなかった。ランザルフェルは足を高々と上げると、凄まじい勢いで振り下ろす。ギロチンの刃が如き勢いでそれは綾に降りかかり、かぎ爪が地面を激しく抉った。そう、空を抉ったのだ。一瞬早くサイドステップした綾に、ランザルフェルは即座に首を向け、鋸のように均等に列んだ鋭い牙でかぶりつこうとする。反応速度は凄まじく、第一攻撃から第二攻撃までの間がほとんど無い。残像さえ残るほどの早さであった。牙が綾の頭上でかみ合わされ、態勢を低くした彼女に、間髪入れずに鞭のような尻尾が叩き付けられる。いずれも喰らえば、普通の人間ならひとたまりもない一撃ばかりである。数メートルを飛びずさった綾に、ランザルフェルは飛びつくように間を詰め、今度は斜め上からかぎ爪を叩き付けた。綾は身を引きざまにサモナイトソードを走らせ、両者の間に火花が散った。かぎ爪は鋭く、口の端をつり上げると、ランザルフェルは更に攻撃を連続して繰り出す。綾は時々攻撃を弾きながら、じりじりと下がり、だが容易に勝ちを譲らなかった。攻防自体は地味であったが、いずれもが途轍もなく速く、そして重い。

「ほらほら、護るだけでは勝てませんよっ!」

「そうですね」

「ふっ、笑う余裕さえありますか。 だが、それまでだッ!」

身をひねると、ランザルフェルは低い弾道から尻尾を薙いだ。その攻撃射程は広く、必然的に綾は後方に跳躍して飛んだ。同時にランザルフェルの右前足から光の刃が生え、鋭く突き出されたそれは、空中で身動き出来ない綾の心臓目掛けて容赦なく延びた。綾は素早く左手で最小限度のゼロ砲を放って自らの軌道をずらし、致命的な一撃をかわす。だがランザルフェルの切り札はそれだけではなかった。地面に押しつけられるように降り立った綾は、全身が重くなるのを感じた。いや、そのような生やさしい物ではない。全身を真上からひねり潰されるような感触であった。

「……くっ!」

「動きを読み切った私の勝ちですね……くく。 そのまま、押しつぶしてくれるわ!」

『局所的に、重力を発生させたようですね。 なるほど、先ほど壁に張り付くのにも、動きを加速するのにも、これを使っていましたか』

大きく口を開いたランザルフェルは、ふらつきつつも、勝ち誇って叫んだ。膨大な魔力がその全身から迸る。綾は何とか体を起こそうとするが、その度に凄まじい重力が更に追加される。徐々にランザルフェルにも余裕が無くなり、表情が鬼気迫る物へと変わっていく。綾の余裕がある表情が、ランザルフェルの表情を強張らせ、重力波を更に苛烈にするが、状況は変化しない。両者とも身動きしない、だが激しい戦いは、十秒ほども続いた。

戦いの末に、綾は悲しげに眉をひそめる。彼女は何とか右手を挙げ、サモナイトソードの刃をランザルフェルに向けていた。その意味に大悪魔が気付いたときには、もう遅かった。

次の瞬間、綾の右手から飛んだサモナイトソードが、ランザルフェルの胸に深々突き刺さっていたのである。蹌踉めくランザルフェルは大量に吐血し、声まで蒼白にしながら言った。

「な……今の……精神放出能力の応用……か!?」

「重力操作、確かに凄い業です。 しかし、強力に使用すればするほど身動き出来なくなるのが、最大の弱点ですね。 それに……」

ゆっくり振り向いたランザルフェルは、味方がもう全滅しているのを見て唖然とした。ワラジムシの大悪魔は頭部をエスガルドに砕かれ、ケラの大悪魔は体中にナイフを突き刺されて息絶えていた。綾がわざわざ長期戦を行ったのは、指揮官である彼を味方から引き離すため。更には、もしこのまま戦いが進行しても、後ろから斬られていたであろう事は疑いなかった。もう勝利したラムダやレイドから視線を逸らし、胸の傷から大量の血を垂れ流しながら、ランザルフェルは言った。

「く……くく……私は、とんでもない相手と戦って……いたようで……すね」

「いいえ、紙一重です。 ……今、楽にしてあげます」

「させるかああっ!」

最後のあがき、ランザルフェルはその太い尻尾を旋回させ、綾に叩き付けた。しかしそれはもう綾に読まれていた。誓約者は柔らかく跳躍して間を詰め、無造作にサモナイトソードを掴み引き抜いた。大量の血が吹き出した。体の重心をぐらつかせ、平衡感覚を失いながら、ランザルフェルは下がる。口から、大量の血が流れ出す。

「……くっ……力及ばず……くく……くくくくっ……」

無念そうでありながら、何処か楽しそうな言葉を吐き、大悪魔は横倒しになった。大量の血が地面にしみこんでいき、綾は無言のまま敬礼した。尊敬すべき敵には、敬意を払うのが当然だったからである。

 

3,二人の超越者

 

ランザルフェルが倒れた後は、掃討戦に移行した。全軍が一度合流し、一旦治療を施した後、陣形を立て直す。そして、地図を見て改めて状況を確認した後、玉座の間の途上にある、敵が隠れていると思われる場所を周り、一カ所一カ所潰していった。

その間も、リシュールからの情報は絶え間なく届いていた。曰く、北門、西門へは何度か悪魔の襲撃があったものの、突破されるには至らず。また、東門から敵が脱出した形跡は無し。

手近な敵の大戦力が潜伏出来る箇所を全て叩き潰すと、レイドは周りの者達を見回した。

「では、いよいよバノッサの元へ踏み込む」

レイドは怪我が少ない者と、まだ余裕がある者を見回す。力を温存して戦っていたギブソンを最初に、モナティ、エドス、ガゼル、ラムダ、ローカスとイリアス、スウォンそしてカシスが選抜された。玉座の間はそれほど広くないため、あまり大人数が踏み込むと身動きが取れなくなってしまうのだ。カイナは鬼神を数体呼びだして辺りの哨戒に当たり、カザミネ、エスガルドはそれぞれ気配を消して予想される退路へと回った。これはバノッサの逃走に備えると同時に、増援を防ぐ意味もあった。

満を持して綾が先頭に玉座の間に踏み込んだときには、既に戦闘開始から六時間が経過していた。

 

バノッサの反応は、綾が予想していたとおりだった。悪魔に囲まれ、気力の欠片もない様子で玉座に座っていたバノッサは、綾をみて濁った目を見開き、言葉を垂れ流したのである。

「幻覚かよ。 何が攻めてきたかと思ったら、幻覚か。 くだらねえ……」

「バノッサさん、私です。 幻覚ではありません」

「……その声……本当に……」

しばし唖然としていたバノッサの顔に、見る間に精気が戻っていく。やがて、白き悪鬼は、身をよじらせて哄笑し始めた。目には爛々たる悪意が灯り、涎を拭いながら嬌笑する。

「ヒ……ヒヒヒヒヒヒ……ヒャハハハハハハハハハハハ! 生きて、まさか生きていやがったとはなあっ! おもしれえ、おもしれえぜっ! 今度こそ、今度こそ粉々に切り刻んで、脳味噌踏みつぶしてやるっ!」

「魅魔の宝玉を渡す気はない、という解釈でよろしいですね?」

「ヒャハハハハハハハ! その通りだよぉ……ヒヒッ! 何かしっくりこねえと思ったら、そうか、生きてやがったのか! ヒヒ、ヒヒヒヒッ!」

「うっわ、もう完全に狂ってるね☆」

カシスの言葉に、綾は首を横に振った。表面上は確かに狂気を発しているが、バノッサはまだ行動に整合性がある。全てを賭けて綾を超える事を決めた彼は、再びやる気を引き出される要素に出会って、狂喜しているのだ。

それに、綾はもう気付いていた。バノッサの寿命が、もう長くはない事を。魅魔の宝玉の力が、精神だけでなく、肉体も大きく蝕んでいる事を。玉座を蹴るように立ち上がると、バノッサは部下の悪魔達をけしかけた。下等の悪魔ばかりだが、数は十体。侮れる戦力ではない。しかもバノッサの横には、カノンと、ガガンボの幼虫に似た大悪魔が一体控えている。

「ヒヒヒヒッ! 殺せえええええええええっ!」

『バノッサさんを観念させるには、圧倒的な力の差を見せるしかありません。 それで心が本当に壊れるとしても。 カノン君、バノッサさん、ごめんなさい』

「作戦通り行くぞ!」

レイドが剣を引き抜き、先頭の悪魔に叩き付けた。悪魔達は後方に控えている大悪魔の指揮で、被害を出しても臆することなく、的確に連携して攻め込んできた。対しレイドも的確な指揮を続け、敵の戦力を徐々に、確実に削り取っていった。四体目の悪魔が倒され、戦力が半減した悪魔達が一時後退に移る。バノッサと綾が動いたのは同時、その瞬間だった。

「ヒヒッ! 俺の力を忘れたか? 持久戦になれば、おまえらに勝ち目はねえんだよ!」

『……! 来ました。 まずは!』

綾はサモナイトソードを鞘に収めると、胸の前で両掌を組み合わせた。絡み合った指の間から蒼い光が漏れ、周囲を覆っていく。バノッサはそれを見て眉をひそめたが、構わずわめき散らす。

「来いっ! 悪魔共!」

鈍い音と共に空間が歪み、現れる悪魔達。数はおよそ十体。同時に綾も掌を放し、無言でバノッサを見上げる。バノッサは口の端をつり上げると、次の瞬間には精神の均衡を失い、口から泡を飛ばして叫んだ。

「どうした! なんで怖がらねえ! なんで怯えねえんだッ!」

「……バノッサさん」

「殺してやるっ! ずたずたに切り刻んでやるっ! 悪魔共の餌にしてやるっ!」

綾の表情に哀れみを見て取ったバノッサは爆発した。悪魔達がレイド達に襲いかかるが、レイドは冷静に指揮を執り、敵を迎え撃った。ローカスは軽妙な剣技で、イリアスは鋭い剣技で、次々に悪魔を切り裂く。ラムダの剛剣が一閃し、モナティに横から食いつこうとしていた悪魔の首をはねとばした。スウォンは適当な柱の影に陣取ると、次々に矢を放ち、もはや神業の域に達している弓業で、悪魔達を貫いた。ガゼルは機動力を生かし、辺りをかけずり回って敵の急所に次々にナイフを叩き込んでいく。エドスとモナティは連携して、自分より大きな悪魔を殴り倒し、投げ飛ばした。ギブソンは少し後ろに陣取って、時々援護をしながらも、力を温存していた。

悪魔達が攻めきれなかったのは、玉座の間の狭隘な地形も原因となっていた。体が大きな悪魔達は、一度に多数が人間に襲いかかれなかったのだ。それに大悪魔は冷静に戦況を見たまま動かず、バノッサもカノンも前線には出てこない。レイドは狭い道を利用して、的確に味方を入れ替え、防御に徹し、隙を見せた悪魔を一体一体確実に仕留めていく。冷静かつ堅実な用兵であり、見事なまでに基本を護り、その長所を生かしていた。業を煮やしたバノッサは、再び悪魔を呼び出そうとしたが、その瞬間綾が動いていた。数度印を切ると、人差し指と中指を立て、バノッサに向けて短く叫ぶ。

「封殺!」

「? 来い! 悪魔共!」

その場に訪れたのは、死より深い沈黙。大悪魔が驚きに身をよじり、悪魔達も増援が現れない事に浮き足立つ。レイドはその機会を逃さなかった。防御主体から、一斉攻勢へと戦い方を切り替えたのだ。正に絶妙のタイミングであった。

「良し! 今だ、突撃!」

「な、なんで悪魔が来ないんだよっ! ち、ち、ちきしょうッ! 来い、悪魔共!」

「封殺! 何度やっても同じです!」

再び悪魔は現れない。バノッサの顔に、怯えが走った。怒りがそれに取って代わり、焦燥が再び塗り重ねられる。情緒不安定なバノッサは、なにやら独り言を呟きつつ、狂ったように地面を蹴りつけた。無言のまま大悪魔が前に出て、カノンに言う。浮き足だった悪魔達は次々に撃破され、前線はバノッサに向けて見る間に近づいていた。

「此処は引き受けます。 撤退を」

「バノッサさん、逃げましょう!」

「……おそらくアレはスペルブレイク! 呪文を中和し、発動を阻害する能力です。 最低でも、あなた方が言う獣王や、それ以上の存在がまれに使う超高度技能です。 相手はただ者ではありません。 此処は逃げ、力を蓄え下さい!」

「うるせええええっ! 俺は逃げねえ! 逃げねえぞっ!」

バノッサは両手を広げると、何度か印を組み、呪文を作り上げていく。それを見た綾はギブソンに目配せし、自らは再び胸の前で掌を組み合わせた。再び高密度の蒼い光が辺りに漏れ、周囲を覆っていく。大悪魔は前に出ようとしたが、バノッサの顔を見て、一歩後退した。バノッサは目を血走らせ、わめき散らした。同時に、ギブソンが最前線に出て、召喚術を発動した。

「誓約において、バノッサが命ずる! 滅ぼし焼き尽くせ、ブラックラック!」

「誓約において、ギブソン=ジラールが命ずる! 我らを護り賜え、聖天使エルエル!」

最大出力のブラックラックが炸裂し、玉座の間が炎に蹂躙された。窓が内側から吹っ飛び、炎が絨毯を、壁を、絵画を焼き尽くしていく。前線で戦っていた悪魔達も生きながら丸焼きにされ、呪詛の声を上げて倒れていった。

煙が晴れたとき、其処には四枚の板を縦に重ね、一本の太い芯で貫いたような存在がいた。その存在は前面にシールドを張っており、その背後には全く無傷の人間達がいた。板は余裕を見せつけるように、それぞれが時計回りにゆっくり回転しており、虫の羽音のような微細な音色を奏で続けていた。

聖天使が消え失せると同時に、ギブソンが後ろ向きに倒れ、モナティが慌てて支える。今の術は、虚弱体質のギブソンにとっては大きすぎる業であった。綾はギブソンを優しく床に横たえると、サモナイトソードを引き抜き、バノッサを見据えた。

「後は任せてください」

「あ、ああ。 すまない」

「ち、ちきしょう! ちきしょーっ!」

絶叫したバノッサは再びブラックラックを唱えようとしたが、綾が指二本を立てて叫ぶと、同じように霊界の魔術師も現れなくなってしまった。バノッサの顔に、絶望が浮かぶ。生き残っていた悪魔達も次々に屠られていき、そして、前線を最初に突破したラムダが、大剣を振るって血を落とした。

「年貢の納め時だ、バノッサ!」

「……僕が相手です」

「ふっ、面白い。 来い!」

カノンが捨て身でラムダに突貫し、巨大な剣を振るって打ちかかった。しかし、ラムダは鬼神将ガイエンとまともに戦ったほどの使い手である。数度のぶつかり合いで、もう勝負は明らかだった。カノンは防戦一方になり、額から汗を飛ばして叫ぶ。

「は、早く、逃げて!」

「あ、うあ……ち、ち、ちきしょうっ! ワレイシェフェル!」

「……私の部下を生きたまま焼き殺した貴方には、忠告を無視して状況を悪化させ続けた貴方には、もう従えない。 後は私の好きで戦う」

唖然とするバノッサの脇を通り抜け、大悪魔ワレイシェフェルは、絶望的な戦いへと突撃していった。

「私は大悪魔ワレイシェフェル! 我が戦い、見届けるが良い!」

ワレイシェフェルは壁を自在にはい回り、光の矢を口から放ち、綾達を苦しめた。動きは素早く、また戦い慣れしていて、そのスピードは見事だった。だが、相手が悪かった。スウォンの矢が突き刺さり、動きを止めた彼に、ガゼルのナイフが十本以上も突き刺さる。絶叫した大悪魔に、イリアスとローカスが突撃、剣を繰り出し貫いた。大悪魔はそれでも屈せず、体から触手を伸ばして辺りをめった打ちに打ち据えたが、柱の破片を持ち上げたモナティが、轟音と共にそれを投げつける。絶叫した大悪魔に、同じく柱の破片を拾い上げたエドスが突撃、串刺しに貫いた。手近な悪魔を蹴り倒したカシスが、ゆっくり痙攣している大悪魔へ近づいていった。

「今、楽にしてあげる」

「はあ、はあ、はあ……ふっ、ふふっ……ふふふっ……感謝する」

カシスが召喚した巨大な剣が、真上から大悪魔を貫いた。

 

残り僅かになった悪魔達が殲滅されていく。カノンは柱際に追いつめられ、必死の抵抗をしているも、絶望的な力の差にいつ負けるかも分からない。大悪魔ワレイシェフェルは、バノッサの身勝手を指摘し、(誇りある戦い)に殉じて死んだ。わなわなと震えるバノッサ。綾は、突っかかってきた悪魔を一体なで切りにすると、もう一度覚悟を確認して、バノッサへと歩み寄っていった。必要とあれば、斬る。バノッサはしばしわなわなと震えていたが、やがて絶叫した。もう怖いという感情など無い。バノッサを見ても、痛々しいという記号的な感覚が浮かんでくるだけだった。

「は、はぐれ女ぁああああああああああっ! 殺す! 殺してやらああああああっ!」

突貫したバノッサが、双剣を振るい、連続して綾に叩き付ける。技術よりも、その凄まじい怒りが前面ににじみ出し、乱打は凄惨さを帯びた。綾はそれに対し、表情一つ変えず、そのまま冷静に剣を捌きながら、ぼそりと言った。

「右中段の時は、眉毛が跳ね上がります」

「ああんっ!?」

「左上段からの時は、右目の瞼が少し下がります。 間を詰めようとするときは、左足が少し下がります」

乾いた音がした。バノッサの愛剣が、右手に持った一本が、半ばから折れ砕けていたからである。砕かれた刃が地面に突き刺さり、呆然とバノッサは綾を見た。誓約者は更に続ける。

「召喚術の時は、左手の人差し指が少し不自然に動きます」

「……」

「以前からの癖、消せてはいなかったのですね。 もう、バノッサさんの動きは、剣を見なくても分かります。 これでも、まだ戦いますか?」

二歩下がったバノッサは、右手の剣を放り捨てた。彼も剣士、今綾が指摘した事が如何に絶望的な事態か、分かり切っていた。それが、表情の変化からも明らかだった。だがバノッサは、震える右手を左手に添え、わめき散らしながら綾に突撃してきた。

「うるせええええええええっ!」

『……仕方ありません』

綾からしてみれば、ラムダやエスガルド、先ほど戦ったランザルフェルに比べれば、もうバノッサの斬撃など止まって見える程度の代物だった。召喚術を封じてしまえば、如何に力を加速度的に増しているとしても、塔の力でアカシックレコードから剣豪達の、いやそれをも越える超絶なる剣術をダウンロードした上に、数々の強敵との戦いで死線を潜ってきた綾の敵ではなかった。その上、何をやってくるか分かり切ってしまっているとなると、もうバノッサに負ける事はあり得なかった。

大上段からの一撃を軽くいなすと、綾はそのまま無造作にサモナイトソードを振った。張りつめた糸を、鋏で切るような音が響き、バノッサの右手は中ば千切れかけていた。サモナイトソードが、肉を切り、腱を切断したのである。思わず剣を放すバノッサ。綾は体を沈めると、ラムダが得意としていた、強烈な前蹴りを叩き込んだ。

「ぎぎゃああっ!」

蹌踉めき、バノッサが数歩下がる。そして綾はその間を詰めると、サモナイトソードを横に振った。

一撃は、バノッサの腹を、横一文字に切り裂いていた。

 

「バノッサさーんっ!」

絶叫したカノンが、ラムダの蹴りで壁に叩き付けられ、意識を失う。戦いは終わった、かに見えた。しかし、違っていた。唖然と立ちつくすバノッサ、それを見つめるフラット・アキュート連合軍は、思わず生唾を飲み下していた。驚いていたのは、綾も同じだった。彼女は、真っ二つにするつもりで剣を振るったのである。人間の肉体強度なら、それが十分に可能な一撃だったのだ。

「ひ……ひっ! な、なんだこりゃああああっ!」

絶叫したのはバノッサである。切り裂かれた腹から溢れたのは、内蔵でも赤い血でもなかった。白濁した、粘性の強い液体だったのである。そして、その内側に見えるのは、さながら蚯蚓のように蠢く触手達と、内蔵に根を張って、肉に食い込んでいる魅魔の宝玉だった。動揺を隠せない皆を押しのけて、前に出たエドス。彼は、バノッサを、諭すように言った。

「バノッサ、目が覚めたか? これが、お前の覚悟とやらの結果だ!」

「あ……ああああああ……あああああ……!」

「綾、そのくそったれな宝玉を、壊すかむしり取ってしまってくれ! 今なら……バノッサは、まだ人として……!」

頷いた綾は、そのまま二歩、三歩と、呆然としているバノッサに歩み寄っていった。そして、腹に手を伸ばそうとした瞬間。場に紅い光が割り込み、爆音が轟いたのである。凄まじい光が、綾とバノッサが立っていた所を直撃し、濛々と煙を巻き上げる。

「何者だっ!」

「悪いが、それ以上はやらせぬ」

イリアスの誰何に、低い声が応えた。ラムダが剣を構えるが、それより早く、小柄な影が動き、カノンを掴んでかき消えた。焼けこげた玉座の間に、巨大な気配が二つ出現していた。一つは今カノンを掴んだ影。今ひとつは、濛々たる煙の中から、堂々たる歩調で現れた。

同時に、カシスが引きつった。彼女の顔は見る間に蒼白になり、へたり込んでしまう。咳き込んでいた綾の側には、深い亀裂が走っており、バノッサと彼女の間を隔てていた。煙の中から現れた影は、綾が良く知る人物だった。優しい心を持ち、それが故に現状の世界を否定する言葉を吐いていた人。可哀想なトードスを心から友と呼び、弱き者達を護り、無法に怒りを覚えていた人。

「オルドレイク……さん」

「君か。 まさか、君とこんな形で再会する事になるとはな。 残念だよ」

「此処にいると言う事は、まさか」

「そう言う事だ。 私は無色の派閥総帥・オルドレイク=セルボルト。 其処にいるカシスの、父親だ」

それはあまりにも、惨く絶望的な現実を告げる言葉だった。

 

絶句する綾に変わって、エドスが前に出る。その目には、炎が宿っていた。

「貴様が、貴様が全ての糸を引いていたのか! バノッサを利用し、たぶらかしたのか!」

「ききづてならぬ事を言うな。 私は、同志達の未来のため、約束の地を作るために戦ってきた。 そして、別にバノッサを利用して等いない。 強いて言うなら、バノッサに協力して貰ったが、同時にバノッサも私達を利用していた。 そして、たぶらかす必要もなく、バノッサは自主的に魅魔の宝玉に手を出した」

「……っ! 城の人達を殺しまくったのも、北スラムを滅茶苦茶にしたのも、その約束の地とやらの為だというのかっ!」

「その通りだ。 其方に関しては、な」

絶叫したエドスが突貫した。綾が止める間もなかった。オルドレイクの全身から紅い光が迸り、右手を向ける。次の瞬間、エドスは十メートル以上も吹き飛ばされ、壁に叩き付けられて吐血していた。

『……! 召喚術!? いや、私のゼロ砲と似ています。 まさか!』

「気付いたか。 私は君と同じ、塔の力の持ち主だ」

オルドレイクは、少し寂しげに、綾に笑みを浮かべた。混乱する綾に、ガゼルが慌てて駆け寄り、オルドレイクとの間に入って構える。スウォンがエドスを助け起こし、ラムダとレイドはもう間合いをはかりに入っていた。

オルドレイクの背後には、先ほどカノンをラムダの側から持っていった者が控えていた。それは、以前ギブソンを襲撃し、綾と戦った少年だった。混乱する皆を代表するように、ガゼルが言う。

「話が見えねえよっ! なんで、アヤと無色の派閥のボスが知り合いなんだ!」

「前に、荒野で助けていただいたことがあります。 それに、トードスさんの親友でもあった方なんです。 オルドレイクさん……どうしてこんな事を! それに、カシス! どうして、そんなに怯えて……!」

「これ以外に、より弱き者を恒久的に救う方法がない。 それだけだ。 それにしても、君とこんな形で再び出会ってしまうとは……残念だな」

「魔王を呼びだし……世界を壊す事で、救われる人がいると言うんですか!?」

「ほう……其処まで分かっていたか。 ふっ、答えはイエスだよ」

綾は俯いた。エルゴに言われた言葉から、彼女は事態を推測していた。そして、此処に突入する前に、(無色の派閥は分かっていて魔王を呼ぼうとしている)と結論を出していた。そしてその結論は、オルドレイクの登場で裏付けられてしまった。何度か話しただけで、綾にはオルドレイクの大きさ、強さ、知性が分かりすぎるほど分かっていた。そんな人が、無計画に、意味もなく魅魔の宝玉など利用するはずもないのである。更にはエルゴの言う誓約者の第一候補がオルドレイクだった事も今分かってしまった。

カシスが蒼白になり、まるで熊の前に出た子鼠のように怯えきってしまっているのも、綾には辛かった。あのカシスが、あれほど怯えるのは、余程の事がなければあり得ないのだ。オルドレイクがカシスにどんな事をしてきたのか、それだけでも一目瞭然だった。

心が軋みを上げていた。以前だったら、そのまま倒れてしまうほどのショックだった。心が希薄に、記号的になりつつある今でさえ辛かった。思わず頭を両手で押さえる綾。オルドレイクは、小さく嘆息すると言った。

「同志クジマ、カノンとバノッサを連れて撤退せよ。 私はユローで後から行く」

「承知しました、同志オルドレイク様」

クジマ少年が頭を下げると同時に、壁の一部が砕け、ドラゴンが顔を出した。クジマは悠々と倒れているバノッサとカノンを担ぎ上げてその背に乗り、竜をせかす。一声上げると、ドラゴンは翼を広げ、これ以上もないほど力強く飛び去っていった。そう、空という退路が、まだあったのだ。リィンバウムの科学文明のレベルから、つい綾も失念していた事であった。

「カシスに……何をしたのですか? オルドレイクさん!」

「私はより弱き者の盾であり、剣である。 だからこそ、産まれながらにして社会的強者である事が約束された理不尽な者には、怒りを禁じ得ない。 カシスは道具として育て上げた。 それがどうかしたか?」

「自らの娘を、道具だと! 最低の外道が!」

「別にお前達に、褒め称えて貰おうとか、崇拝して貰おうなどとは思っていない。 無論、行動に対する理解も求めてはいない」

レイドの言葉にも、オルドレイクは全く動じなかった。綾は気付いていた。オルドレイクは、今のレイドの視線を、受け慣れているのだと。いや、もう何かしらの、あきらめを持ってそれに接しているのだと。混乱が加速していく。オルドレイクの印象は、現在も変わらない。しかし、親友である、大事な仲間であるカシスを、狂わせた張本人である事ははっきりした。無機的で、過剰に合理的すぎる、まるで感情もない存在に育て上げてしまった事は確認した。カシスが感情を持ち始めるまでに、どれほどの摩擦と、苦労を経験してきたか。それが、今の綾には、充分以上の怒りを呼び込む事となっていた。仲間を護りたいという何よりも強い心が、記号的になりつつある感情の底から、原初的な怒りを引きずり出したのである。

ゆっくり立ち上がった綾が、ガゼルを押しのけ前に出た。その全身から蒼光が迸り、玉座の間を蹂躙していく。オルドレイクが、小さく呟いた。

「ほう。 これは素晴らしい。 私とまともに戦えそうな者は久しぶりだ」

「カシスを侮辱する事は……私が許しません。 貴方がカシスを絶望の淵に叩き込んだ事は……絶対に許しません!」

「これは、何よりも辛い台詞かも知れないな。 ……しかし、それも覚悟の上だ」

オルドレイクの瞳に宿る憂いが、一瞬だけ強さを増した。だが、一瞬でしかなかった。オルドレイクが、手にした巨大な剣が淡く輝く。綾が手にしたサモナイトソードも、それに対抗するように輝き始めた。綾の蒼い光と、オルドレイクの紅い光がぶつかり合い、囂々と風の音が鳴る。

「その剣……まさか」

「君と私はぶつかり合う運命にあるようだな。 そう、君が手にしている刀と、兄弟になる剣だ。 これも、サモナイトソードという名を持っているのだよ

両者の光が、凄まじいスパークを立て始める。じりじりと間合いを計るレイド、ラムダ、それにイリアスとローカスだったが、彼ら達人の技量を持ってしても、打ち込む隙が見いだせなかった。ギブソンは消耗が大きすぎ、エドスは全身を強打して動けない。カシスは自らの肩を抱いて震えるばかりで、スウォンは弓を構えたまま動けなかった。ガゼルはじりじりと間合いを取り、綾のサポートをしようとしていたが、彼にしても情況は同じだった。ナイフを叩き付けても、当てられる気がしなかったのである。

何も前触れ無く、風がなった。鋭い金属の激突音が響き、綾とオルドレイクが、どちらも先とは全然違う位置でぶつかり合っていた。予備動作無しの移動である。しばし両者は拮抗した力でぶつかり合っていたが、それも短い間に過ぎなかった。

「せえええええええいいっ!」

「おおおおおおおおおおおおおおっ!」

凄まじい剣撃が応酬される。返し、返され、突き入れ、突き返し、弾き、弾かれる。超高速でのぶつかり合いは、凄まじい火花を散らし、轟音を立ててぶつかり合った。両者ともに一歩も引かず。だが均衡状態は、長くは続かなかった。乱れ始めた綾をみて、オルドレイクは口の端をつり上げ、叫ぶ。

「ふむ、ここに来るまでに、かなり消耗していたようだな。 それでは、私には勝てん!」

オルドレイクが、一瞬の隙をつき、綾を蹴飛ばした。壁に叩き付けられ、くぐもった声を漏らす綾の背後では、壁が円状に砕け、罅が入っている。ラムダとレイドが同時に、二方向からオルドレイクに打ちかかる。だが、二人を同時に相手にしながら、オルドレイクにはまだ余裕があった。ブースト状態のエスガルドでも、鬼神将ガイエンでも不可能な事を、平然とやってのけているのだ。その実力は、少なくとも接近戦においては、確実に綾を凌いでいた。

「野郎、化け物かよっ!」

死角に回り込んだガゼルが、ナイフを絶妙のタイミングで放った。それを身を低くして軽くかわすと、オルドレイクはまずレイドを、続けてラムダをはねとばした。そして間合いから逃れようとするガゼルと、同じ速度で間を詰め、大上段から致命的な一撃を振り下ろす。一瞬早くイリアスが間に合い、剣で一撃を受け止めるが、横殴りに蹴りを貰って吹っ飛んだ。ローカスが間をおかず逆方向から突っこみ、定距離を取ったガゼルがナイフを数本放って、更にはスウォンが必殺の気合いで矢を放って、突撃を支援する。だがオルドレイクは剣圧だけで飛び道具を全て吹き飛ばし、ローカスを裏拳ではねとばした。更にモナティが柱の破片を投げつけるが、飛び来たそれを、一刀両断にしてみせる。カシスはずっと震えていたが、誰もそれを責められなかった。

誰も致命傷は受けていないが、大悪魔以上の出鱈目な戦闘力を見て、戦慄しない者は一人もいなかった。ゆっくりオルドレイクが振り向く。其方には、壁からずり落ちながらも、印を切り終え、ヴォルケイトスを呼び出した綾の姿があった。壁には鮮血が伝っており、どれほど凄まじい衝撃を綾が受けたかは明らかだった。

「ほう……雷帝竜ヴォルケイトスか。 直撃を受ければ、ただではすまぬな」

『お願いします……! ヴォルケイトス、皆を護って!』

大きく口を開いたヴォルケイトスが、特大の光球をオルドレイクに叩き付ける。対しオルドレイクは、素早く数度印を切り、叫んだ。

「プラミュデセス!」

オルドレイクの少し上に現れたのは、巨大な目玉だった。目玉の周囲は半透明の膜が覆っており、体の周囲には無数の突起がある。それは少し斜め下を見ると、飛び来るヴォルケイトスの光球に向け、雷撃の束を射出した。爆発が巻き起こり、突風が玉座の間に吹き荒れる。綾は身を伏せようとしたが、もう体が動かなかった。だが、とっさにラムダが彼女を庇い、無数のつぶてから体を張って守り抜いた。

煙が晴れると、其処には流石にかなりの傷を受けたオルドレイクがいた。だが、まだまだ倒れる様子はない。額を手の甲で拭うと、オルドレイクはにいと笑った。

「ふむ、流石だな。 ……そろそろ時間だ。 私はこの辺で引き上げるとしよう」

先ほどドラゴンが開けた穴から、巨大な鳥が、以前綾も見た事のある空駆ける召喚獣が入ってきた。その背に跨ると、オルドレイクは一度だけ振り向き、飛び去っていった。誰も、追おうとする気力が残った者など、いはしなかった。

 

4,明かされ行く謎

 

フラットアジトの居間では、カシスがうなだれ、その隣に沈痛な顔をして綾が座っていた。他に此処にいるのは、レイド、ガゼルとリプレとエドス、後はラムダ、それにミモザとギブソンだけだった。部屋に入ってきたジンガは、あまりの暗い雰囲気に驚いたが、ラムダに鋭い視線を鋳込まれて咳払いした。

「リシュール姉さんからの、伝言なんだけど……」

「何だ?」

「無色の派閥は、包囲陣からの脱出に成功。 最初にドラゴン十体を含む戦力で攻撃をかけた後、一番脆い点に全戦力を集中して突破したらしいよ。 その際に何かあったらしくって、金の派閥の陣地が大騒ぎになってるとか。 それ以上の情報は、残念だけど分からないって。 それだけだけど……」

「分かった、ありがとな。 悪いけど……外してくれ」

ガゼルの視線を受けて、ジンガは何か言いかけたが、結局は従った。暗い沈黙が続いた後、最初に発言したのはリプレだった。

「カシス、そんなに気を落とさないで」

「……ごめんなさい」

「どうして謝るの?」

「だって私……みんなを……裏切ってたんだから。 初めて私を人間扱いしてくれて、認めてくれた仲間のみんなを、裏切ってたんだからっ! ごめんなさい、なんて言えないよね。 許してなんて、言えないよね。 私、私……!」

机に突っ伏して、カシスは泣き出した。何も出来ずに、沈鬱に俯く綾の前で、リプレはカシスの背中を優しくさすった。しばし、カシスの泣き声だけが、居間に響いていた。しばしして、ガゼルが咳払いした。

「……なあ、一つ聞いて良いか? お前、俺達と一緒に暮らすようになってから、無色の派閥に俺達の情報流してたのか?」

「ガゼル……」

「頼む、それだけでも良い、応えてくれ」

「流してない……私……逃げ出してきたから。 でも、流してたも同じだよ……。 彼らが私の居場所を知ってるのには気付いてた。 だから、ずっとびくびくしてた。 彼奴らは、お父様は、私なんて最初から殆ど眼中になかった。 でも、私がいるって事で、フラットはずっとマークされていたんだよ。 だから、情報を流してたも同じなんだよ……!」

「……お前は、俺達を裏切って何ていねえよ。 隠し事なんて、誰にだってあるじゃねえか。 お前の手伝いで、綾は誓約者の力を手に入れられた。 お前のお陰で、サイジェントから無色の派閥を追い出せた」

「その通りだ。 君がいようといまいと、結局私達は無色の派閥に目をつけられていただろう。 気に病む事はない」

「でも……!」

「カシス、子供達の遊び相手してくれたよね。 それに、私達の友達になろうとして、色々変わってくれたよね。 だから、謝らなくていいよ。 そんなに、罪悪感を抱かなくてもいいよ」

「私、カシスを仲間だって思ってます。 私を見て、私を評価してくれたから。 それに、私をずっと護ってくれたから」

「ワシも、フラットのために尽くしてくれたお前さんに感謝しとるよ。 お前さんは、もうワシらの仲間だ。 誰にでも、胸を張ってそういえる、な」

「……ありがとう……みんな……」

ガゼルも、レイドも、リプレも、エドスも綾も。それぞれに、心からカシスを仲間だと思っていた。それを悟ったカシスは、大粒の涙をこぼしながら、それだけ言った。後は、ただ泣き続けた。

 

しばらくして落ち着いたカシスは、目の下を腫らしたまま、自分の知る全てを話し始めた。ギブソンは綾に筆記具とメモ帳を手渡し、自らも書き込みを開始していた。

「私……お父様の、本当に沢山いる子供の一人なの」

「へー、召喚師ってのは、沢山女を囲えるんだな」

「ううん、違う。 話に聞いたんだけど、ロレイラルの機械に、人の情報を掛け合わせて赤ちゃんを作る機械があるんだって。 それを使って、お父様は数十人の子供を、短期間に作ったらしいよ」

「そ、そんな事が可能なのか!?」

「私の世界にも、似たような技術はあります。 ただ、ロレイラルのものに比べると、ずっと劣っているでしょうけど。 ロレイラルの科学技術と、生物的に劣化しているという情況を考えれば、あるのは自然な事だと思います」

カシスの言葉を、綾がフォローした。頷くと、カシスはそのまま、順を追って話していく。

「私はね、迷霧の森って枯れ果てた森の奥底で育てられたんだ。 不要なものは何にもなかった。 暗殺術と、召喚術を機械的に教わって、日を過ごしてた。 で、君達と会う少し前に、命令が下ったんだ。 兄弟で、殺しあえって」

「……何……だと!?」

「私達は張られた結界の中で、残りの一人になるまで殺し合ったよ。 私と同じ年の兄弟達も、みんな死んでいった。 護衛獣も。 食べるものは、人間の死体や、召喚獣の亡骸しかなかった。 ……私、知らないまま、誰よりも大事だった、唯一心を許せた人の肉を、食べちゃったんだ。 食べた後に気付いて、私……」

絶句した皆に、カシスは乾いた笑みを浮かべてみせる。

「それがお父様達の狙いだったんだって。 お父様達は、私を生贄に使って、魔王を呼ぶつもりだったんだ。 心に膨大な罪悪感を抱えた人間こそが、それに相応しかったって、お父様の言葉から分かったよ。 でもね、大事な人……妹のクラレットを食べちゃってから、罪悪感を抱く以上に、私壊れてたんだ。 感情が、それによって突発的に産まれてたみたい。 怖くて、怖くてね。 気がついたら、隣に君が倒れてた。 辺りは粉々に吹っ飛んでて、私、慌てて逃げたよ。 それからは、君達が知ってるとおりだよ。 私、君達の仲間になれて……本当に嬉しかった」

「ごめんね、辛い事話させて」

リプレは落涙していた。綾も悲しいとは感じていたが、もう涙は出なかった。あれほど力を乱用したのだから、それに相応しい副作用が出て当然だった。記号的な悲しみに従って、沈鬱な表情をすることしかできなかった。それが、余計に記号的な悲みを増やしたが、もう涙一つでなかった。ラムダはずっと黙っていたが、しばしの沈黙の後に言う。

「無色の派閥について、出来るだけ話して欲しい。 幹部達の素性は分からないか?」

「お父様については、教えてもらえなかった。 幹部様達については、色々派閥員の人達が話してたのを覚えてるよ。 大幹部は四人。 トクラン様、ラーマ様、クジマ様、ザプラ様って方達がいて、みんなから尊敬されてた。 トクラン様は、(罪を犯した一族)の出身だって言ってたよ」

「罪を犯した一族!」

「知っているのか、ギブソン」

ラムダの言葉に、ギブソンはハンカチで冷や汗を拭いながら言った。彼としても、もう情報を隠しておける状態ではないと思ったのである。

「あ、ああ。 ……二百年ほど前に、ある召喚師が事故を起こして、街を一つ吹き飛ばしてしまったんだ。 彼は即座に断罪されたけど、問題はその後で、彼の一族や、その親戚は、ただ(彼と血が近い)って理由でスラム街に押し込まれて二百年近く虐待され続けたんだ。 最近では、コロシアムで彼らをドラゴンに喰わせて、ショーにさえしていたらしい。 何年か前に、まとめて姿を消したって聞いているが……」

「……なんで、そんな事になったんだよ!」

「私には、其処までは分からない。 ただ、金の派閥の権力闘争が裏にあるって話だけは聞いている」

「続けてくれ。 他の幹部達は?」

ガゼルは尋常ならざる怒りを目に宿らせつつも、カシスに視線を戻した。

「ラーマ様は、アルナ族って言ってたよ。 でも、これは調べてみたけど、全然分からなかった」

「……アルナ族については、私が詳しいわ」

今度はミモザが、眼鏡を直しながら言った。彼女はうつむき、出来るだけ表情を隠しながら言う。

「彼らは元々山間に住む少数民族だったの。 特に好戦的な民族でも、排他的な民族でもなかったから、昔は普通に生活していたのだけれど。 いつ頃か、彼らの肉が至上の珍味だって噂が流れてしまったのよ。 彼らは次々に捕まり、(養殖)(加工)され、彼方此方の好事家に出荷されたわ。 今では、純血のアルナ族は、世間では生きていけないそうよ。 混血でも、浚われてしまう事が珍しくもないらしいわ」

「おい、確認させてくれ。 アルナ族って……人間だよな」

「好事家や貴族の中には、舌が不必要に肥えすぎて、普通の珍味では満足出来ない者もいるの。 悔しいけど、召喚師にも、沢山そう言った連中はいるわ。 しかも、彼らの肉を販売するネットワークは、金の派閥が握っているのよ。 私も……そう言う奴らは、召喚師どころか、人間の恥だと思う」

「……くそったれがッ! そんな人非人どものせいで、世界はぶっ壊れようとしてるってのか! アルナ族って奴ら、そいつらを殺さなきゃ行けねえのか!? 仮に殺さなくても、俺達が勝ったら、そいつらはどうなるんだっ!」

ガゼルが吐き捨て、机を一打ちした。ラムダは出来るだけ口調を変えずに、続けるように促したが、声は微妙に震えており、内在する凄まじい怒りが伺える。

「クジマ様については、よく分からない。 でも、あの人は、私の暗殺術の師匠で、並の使い手じゃないよ。 気をつけて。 ザプラ様については、蒼の刃の首領だったって聞いているけど」

「そうか、それは……」

「知ってるんだな?」

「……金の派閥と、蒼の派閥は、数百年も世界の覇権を賭けて暗闘を繰り返してていたんだ。 それを終結させたのが、現在の蒼の派閥副派閥長をしているエクス様と、金の派閥副派閥長をしているファミィ様なのだが……それは一筋縄でいく作業ではなかった。 無数の協議を重ねた結果、エクス様は、当時の蒼の刃の首領を生贄にして、戦いを終わらせたんだ」

ギブソンは自らも感情を抑えるのに苦労しながら、言葉を紡いだ。

「昔の蒼の刃首領は、自我を与えられていなかったらしい。 蒼の派閥の幹部達は、殺戮人形と彼を呼び蔑ずんでいたそうだ。 当然、使い捨てるのにも、躊躇を覚えなかったらしい。 エクス様はそれを止められなかった事をずっと後悔していて、以前酒の席で、少しだけ話しておられた。 あのとき、ザプラを救えなかったのは、自分の力が足りなかったせいだと」

「ケッ! 後悔だけなら、猿にだって出来るんだよ」

「これではエルゴが怒るのも無理はない話だな。 私も、正直自制心を押さえるのに苦労しそうだ」

「だが、奴らを倒さないと、世界は滅茶苦茶になってしまうだろう。 それに、奴らがやってきた事も、忘れてはならない。 無色の派閥も、犠牲者ではあったが、同時に冷酷な加害者である事は疑いない事実だ。 戦いは、不可避だ」

ラムダが、皆の迷いを一刀両断にした。敵にも、背負うもの護るべきものがあるのは当たり前の事だ。そして今回の場合、敵を倒さねば、魔王とエルゴの手によって、世界そのものが粉々になるかも知れないのだ。

「カシス、疑問なのは、魔王を呼びだしたら世界そのものが駄目になってしまわないか、と言う事です。 その辺は、どうなっているのでしょうか」

「ごめん、それは全然分からない。 でも、お父様の事だから、きっと何か入念な準備をしているんだと思う。 あのお父様のことだから、おそらく君でさえ計画の一端で利用していたはずだよ。 魔王を呼びだして、後は運を天に任せる、何て事は絶対にないはず」

「わざわざ自分の子供を大量生産して、生贄を作ったのも、それに関係しているのでしょうか? それに、何故バノッサさんを選んだのでしょうか。 思い当たる節はありませんか?」

カシスは首を横に振った。思考を練り始めた綾を横目に、エドスは皆を見回した。

「で。 これから、どうするんだ?」

「決まってる。 連中を追っかけて、魅魔の宝玉をぶっ壊す」

ガゼルの言葉には、彼の微妙な心理が表れていた。無論一人前の戦士に成長した彼は、いざとなったら敵を斬る事が出来る。だが、敵の生存環境を知った以上、出来ればそうしたく無いという本音が、如実に言葉に出ていた。

「後……バノッサが人間であるうちに、助けてやらないといかんな」

「ああ。 最低の野郎だったけどよ、あれじゃああんまりだ」

「実は、バノッサに関しては、幾つか判明している事がある。 ……本当は蒼の派閥のシークレットになるのだが、誓約者であるアヤと、その仲間である君達に隠し事をしても、今後の解決が遅くなるだけだろう」

「ギブソン、どうしたの? 随分口が軽くなって」

揶揄するようなミモザの言葉に、ギブソンも乾いた笑みを浮かべてみせる。

「私も、君やエクス様と同じ考えだ。 現行の世界を、決して良くは思っていないのさ」

「へえ、それは……少しだけ、安心したぜ。 お前にも、人間らしい所があったんだな」

「言葉を返すようだが、凶行を繰り返している者達だって人間だ。 逆に言えば、人間だからこそ、無惨な凶行を繰り返し、世界を無茶苦茶にしてきたとも言える」

「違いない。 だが、それが全部ではない」

ラムダの言葉に頷くと、ギブソンは一旦中座し、紙束を持って戻ってきた。それには、バノッサに関する重要な事が書かれていた。

「バノッサの父が、召喚師だという事は君達も知っている事だと思う。 問題は、我らが突き止めたその正体が、そこいらの三流召喚師では無い事だ」

「まさか、派閥のボスじゃないだろうな」

「当たりだ、ガゼル。 バノッサの父親は、父親と呼べる存在は二人いる。 バノッサが産まれる前に、バノッサの母を愛人にしていた男は、ビルイフ=タクェルト。 現在、金の派閥の長をしている男だ」

息をのむ皆の顔を見回しながら、ギブソンは続けた。

「その上……血統上の父親は、あのオルドレイク=セルボルトだ」

「それは、本当ですか?」

「間違いない。 元々庶民の女性など豚同然にしか考えていなかったビルイフ派閥長は、バノッサの母を容姿だけで選んで、数ヶ月で飽きて捨ててしまったらしい。 元々心優しく、人を疑うより信じる性格だったバノッサの母は、大きなショックを受けて、彼方此方を放浪した末にサイジェントに流れ着いたそうだ。 そして、その時に、オルドレイクと何かしらの形で接触して、バノッサを渡されたと言う事だ。 調査によると、オルドレイクは、他にも複数の女性に子供を渡していたようだ。 そして無色の派閥は、その子供達の事を、(スペア)と総称していたらしい。 その子供はいずれもオルドレイクの子である事は、発見された資料から立証されている」

「それを、バノッサさんは、知っているのですか?」

「其処までは分からない。 すまない」

綾は口を押さえて考え込む。他にも幾つか情報の交換が行われ、休憩を入れようかという話が上がったとき、再びジンガが居間の戸を叩いた。

「何だ、ジンガ」

「またリシュール姉さんが。 あの、アネゴと、カシス姉さんにだけ用があるって」

 

言われるままにアキュートのアジトに赴いた綾は、其処に四人の姿を確認した。一人は感じがいい笑みを湛えた女性で、今一人は妙に威厳が漂う少年。その背後には、一目で実直さが分かる中年男性の姿があった。今一人のリシュールは、腕組みをして難しい顔をしている。完璧な角度でいつものように礼をする綾に対し、少年はエクス、優しげな女性はファミィ=マーン、中年男性はグラムス=バーネットと名乗った。

『エクスというと、この人が、蒼の派閥の副派閥長。 こちらの人は、先ほど聞いた金の派閥の副派閥長ですか。 彼らが直接出てきたと言う事は、ギブソンさんとミモザさんの資料は、余程信頼されているのですね。 リシュールさんが偽物を連れてくるはずもありませんし、信用しましょう』

「ギブソンとミモザが世話になっている。 君達の事も、彼らからの報告で聞いた。 リシュール殿は、会見の仲立ちを務めてくれた。 彼女は少し前から蒼の刃を通じて我らと連絡を取っていて、今この機会を設ける事が出来たのだ。 立ちっぱなしもなんだ。 取り合えず、かけてくれないか?」

「ありがとうございます。 カシス、座りましょう」

「う、うん」

グラムスが席を勧めたので、綾はカシスを促して着席した。しばし綾を品定めするように見据えた後、エクスは子供らしい声にだが威厳を含ませ言った。

「さっそくだが、用件に入ろうと思う。 私達は、これから無色の派閥根拠地がある、迷霧の森に総攻撃をかける。 それで、君達にも協力して貰いたいと言うのが、申し出の内容だ」

「総攻撃ですか? おそらく、緻密な攻撃案を練っている時間は、もうないと思いますが」

「敵の実働戦力は約五百名、我が軍は現地で合流する分も併せて一万一千。 召喚獣戦力を加味しても、負ける事はあり得ない。 それに加えて、我が軍の先遣隊は、もう陣を張り始めている。 私の部下である蒼の刃の首領が、先ほど迷霧の森から帰還し、敵の本拠がある事が確実である事を裏付けてくれたのでな。 迷霧の森はサイジェントの国境を越えてすぐの所にある。 それに、迷霧の森自体は、我らも前から目をつけていた場所の一つであるが故に、地図を幾つか所有している。 そう言ったわけで、総攻撃はすぐにでも出来るが、しかしこれはある意味陽動だ」

「精鋭を率いて、オルドレイクさんをピンポイントで倒すつもりですか?」

綾の言葉に、エクスは少し身を浮かせ、グラムスに視線を移した。咳払いすると、グラムスは言う。

「どうして、そう思われるのですかな?」

「無色の派閥は、オルドレイクさんの求心力によって団結しているから。 あの人がいなければ、烏合の衆に過ぎないから。 逆に、オルドレイクさんに逃げられてしまうと、その求心力でまた無色の派閥が作られるから。 貴方達がそう考えると推測しました」

「ふむ、報告通りの洞察力だな。 ずばりその通りだ」

「私達は私達で、迷霧の森へこれから行こうと考えています。 あなた方と連携出来れば、おそらく私達としても、魅魔の宝玉を効率よく破壊出来ると思います。 ただ……」

綾は言葉を切り、少しためらった後に、言った。

「貴方達の狙いは何ですか? ただで、私達に協力してもらえるとは思えません」

「……」

「私達にとっては、確かに嬉しい申し出です。 しかし、裏がある事が確実である以上、すぐに受けるわけにはいきません。 幸い、今は音が聞こえる範囲内には、私達しかいません。 もし本当の事を言って頂けるなら、協力します。 そうでなければ、貴方達を撃破してでも、魅魔の宝玉は私達が斬ります」

むしろ驚いた様子で綾をみたのは、カシスとリシュールだった。激しい決意を言葉にしてはき出した綾は、自然な笑顔を湛えたまま、相手の出方を待った。

「……なるほど、分かった。 全てを話そう。 誓約者に嘘を付くのは、おそらく無理だろう。 何しろ、大悪魔を多数配備するサイジェント城を、二十人程度で落としてしまった常識外の強者だ」

エクスの言葉は事実だった。綾はバノッサの動作に関する癖を解析したが、それは気配探知能力と剣術を磨きに磨き抜いた結果、近距離の相手の発汗、体温変動、呼吸変化まで詳細に見抜く力を手に入れていたからである。エクスはファミィに視線を移し、頷くのを確認すると、改めていった。

「これは他言無用に願う。 今回我々は、腐敗の根源たる派閥長達を抹殺する事を考えている。 世界は確かに腐敗している。 それには、蒼の派閥の内部に縦横に巡らされた軍需産業利権の網、金の派閥内部の権力争いが大きく絡んでいる。 それを改革するには、我らがある程度の権力を握り、少しずつ改革していくしかないのだ。 我らはじっくり時間をかけて改革を進めてきたが、やはり今の立場では限界がある。 改革を成し遂げるそのためには、現在の派閥長達を排除する必要がある。 そして、その一端は、既に成った」

「!」

「金の派閥長ビルイフは、先ほどの戦いで無色の派閥に拉致された。 まだ消息は分からないが、殺された事はまず間違いない。 そして今後の戦いで、我らは蒼の派閥長カンゼスも殺す。 すぐに世を良くする事は出来ない。 急激な改革は、急激な混乱を招くだけだ。 今の社会は矛盾も多いが安定していて、その恩恵にあずかっている弱き者達は沢山いるのだ。 しかし、改革はする。 長時間をかけて、根本的な部分から改革をしていく事は約束しよう」

「……なるほど。 貴方達の目的は分かりました」

綾の返答を聞くと、エクスは多少自嘲気味に表情を緩めた。

「……私達も、汚いと思うか?」

「汚いのは、むしろ人間の本質だと思います」

「反論出来ないな。 では、我らの作戦について説明したい」

エクスは机上に地図を広げた。成る程、それは確かに詳細な迷霧の森の地図だった。ある一点には紅い印が付けられており、綾はカシスに向け小首を傾げる。

「カシス、この地図は信頼出来ますか?」

「うん。 ×印も、正確に中央部に着いてるよ。 少なくても、私が逃げ出す前は、この地図で正しかった」

「では説明する。 君達は、無色の派閥にマークされている。 我々は最精鋭を連れて、君達が無色の派閥と交戦している隙に、オルドレイクを直接狙う。 倒す方法は、既に用意してある。 出来れば、この辺りから侵入して欲しい。 味方へ君達に攻撃はしないように徹底はさせる」

「つまり、囮になる事が、私達に望む事ですか?」

「そう言う事だ。 君達自身はサポート出来ないが、その代わり金の派閥、蒼の派閥軍は総攻撃を行うから、敵の力はある程度削がれるはずだ」

綾の言葉に、エクスは頷いた。地図をしばし眺めていた内、綾は森の辺縁部の数カ所に指を走らせた。

「仲間達と相談してみます。 それと、私達にしても、あなた方が危地に落ちても助ける事は出来ないと思います。 ……では、私からも。 この位置、この位置、それにこの位置に、攻撃を集中して頂けると助かります」

「何か、意味があるのか?」

「敵の布陣を予想すると、防御施設を築いていたとしても、この地点からの攻撃で大きな損害を与える事が出来るはずです」

「その通り。 良い読みだな」

リシュールに綾は笑みを返していた。アキュートとの戦いの際、綾はその卓絶した推測能力で味方を助けたが、それは充分に健在だった。そしてこれは、無色の派閥の力を削ぐ事で、味方の負担を軽減するという意味もあったのである。エクスはグラムスと少し話し合った後、頷いた。

「分かった。 条件はのもう」

「もう一つ。 戦いが終わった後、非戦闘員の人達を保護出来ませんか? 特にアルナ族の方々を、金の派閥から護れませんか?」

エクスは何かに殴られたような顔で、綾の顔を見た。そして震えながら、視線を下げた。

「すまない。 金の派閥の上層部は、彼らの引き渡しを条件に今回の戦いへ参戦する事を了解したんだ。 私とファミィの力だけでは……」

「仕方がありません。 代わりにはなりませんが、カシスの身柄の安全を保証してください。 貴方達に引き渡さなくて良いと、約束してもらえませんか?」

「分かった、其方は何とかしよう」

「カシスが知る情報については、ギブソンさんから報告を受けて下さい。 では、仲間達と協議に入ります。 席を外してもよろしいですか?」

白い額に汗を浮かばせて、エクスは頷いた。汗をグラムスに拭わせて、少年の姿をした副派閥長は小さくため息をついた。綾も頭を振って小さく何か呟くと、早足で部屋を後にしたのだった。

 

部屋の外には、レイドが綾を待っていた。更には、アジトの外には、フラットとアキュートの主要メンバーが全員揃っていた。不安そうな皆を前に、綾は大体の事情を説明した。それを聞いたガゼルが顎を摘んで、不審げに考え込む。

「なあ、連中がオルドレイクを倒したら、魅魔の宝玉はどうなるんだ?」

「その点は心配がありません。 彼らは、そもそもオルドレイクさんを倒す事しか考えていません。 オルドレイクさんを倒す事は出来ても、悪魔を際限なく呼べるバノッサさんに対抗する手段は無いでしょう」

「つまり、バノッサはどちらに転んでも、ワシらで何とかしなければならないわけだな」

「一応、後でその旨も伝えておきます。 もうこの様子では、彼らも魅魔の宝玉の回収を諦めているのでしょうね。 或いは特大威力の攻撃で、まとめて消し飛ばすつもりかもしれません」

ざわつく皆を静かにさせると、レイドは頷き、言う。

「では、多数決を取ろう。 これより出撃して、迷霧の森に向かい、魅魔の宝玉を破壊する。 その際、蒼の派閥、金の派閥連合軍と協力する事に賛成の者」

レイドや綾も含めて、全員が挙手した。力強くレイドが頷いたのは、皆を安心させるためか、はたまた自分を納得させるためか。

「厳しい戦いになる事は間違いない。 更には、協力するとは言っても、全面的には信用出来ない相手だ。 取り合えず今晩は休んで、明日出発しよう。 皆、何か思い残す事がある者は、今の内に片づけておくようにな」

今までに類がないほど厳しい戦いになる事は、誰もが分かっていた。緊迫した空気が流れる中、夜は流れていった。

 

5,決戦前夜

 

蒼の派閥、金の派閥の連合軍を突破して、迷霧の森に帰還した無色の派閥軍は、手みやげを所持していた。殺気立つ派閥構成員達の前に引き立てられたのは、豚のように太った男だった。金の派閥長、ビルイフ=タクェルトである。包囲陣を突破する際に、のこのこと現れた所を、トクランが捕獲したのである。

ビルイフの口には詰め物がされて、自殺を防ぐべく処置はされている。タクェルトの背中を蹴飛ばして、地面に転がすと、トクランが舌なめずりした。その背後では、ラーマが腕組みをして、ビルイフを見下ろしている。アルナ族の者達や、罪を犯した一族出身者も、人垣を作って様子を見守っていた。

「さーて、どうする? このブタ」

「決まってるでしょう?」

「人格が崩壊するまでぇ、ありとあらゆる拷問をして」

「壊れてからは、生きたまま細かく手足の先から切り刻んで、箱に詰め込んで、巣へ送り返してあげましょう」

息があった様子でトクランとラーマは言った。そして互いの顔を見て笑いあうと、ハイタッチした。長年恨みを蓄積させた、憎悪発生の根元が、眼前にいたからである。

「私達アルナ族と、この子達罪を犯した一族の恨み、たっぷりはらさせて貰うわよ」

「痛覚神経持って産まれてきた事、後悔させてあげるからぁ。 みんな! じっくり見てなよぉ!」

歓声が上がった。失禁しているビルイフの前で、トクランとラーマは、見るだけで恐怖のあまり絶叫しそうな拷問危惧を、山と持ち出し始めた。そして、自らの発言を、寸分違わず実行したのである。極限の苦痛を完璧に維持しつつ、拷問は実に六時間半に及んだ。

……翌朝、金の派閥が急構築した陣の前に、箱が捨てられていた。それを開けた兵士達は、紅い得体が知れない肉片が山ほど入っているのを見て、小首を傾げた。それが人間の肉片である事に気付き、彼らが絶叫するまで、少しばかり時間がかかった。

 

「親愛なる同志達よ。 いよいよ、明日が決戦になる」

オルドレイクは、幹部達を見回した。ラーマの手によって、既に土木工事は完成し、迷霧の森は要塞化している。如何に敵の戦力が二十倍以上と言っても、非戦闘員達が隠れている森の最深部まで数日で侵入するのは不可能である。戦意も、補給も申し分ない。目立つ工事は最近まで出来なかったが、それ以外は完璧に整っていた。文字通り、手ぐすね引いて待っていた、という状態であった。もっとも、敵を殲滅するという事は、最初から誰も考えていなかったが。

「いよいよ、計画の最終段階ですな」

「うむ。 後は負の力を周囲で高め、タイミングを見計らって、スペアナンバー19の絶望を究極へ導いてやればいい」

「と言う事は?」

「明日は、四人とも、力の限り暴れ回って良いと言う事だ。 思う存分、憎しみを叩き付け、復讐を満喫するがいい。 奴らに、真の恐怖を見せつけてやるのだ」

トクラン、ラーマ、ザプラ、クジマの目に、それぞれ炎が灯った。興奮に目を輝かせるトクランと比べ、若干余裕を保っているラーマが挙手した。ザプラも少し不安げに立派な髭を撫でつつ、それに続く。

「ただ、問題はアヤと言いましたっけ、あの子達ですけど」

「それに、蒼の派閥当たりが、同志オルドレイク様をピンポイントで狙ってくる可能性もあります」

「何、案ずるな。 私を誰だと思っているのだ?」

圧倒的な自信に満ちたオルドレイクの言葉に、幹部達は満足げに頷いた。後は作戦の詳細を確認すると、五人は立ち上がる。オルドレイクは、親愛なる同志達を見回した。計画の最後の確認で、皆は流石に少しひるんだが、オルドレイクは笑みを絶やさなかった。彼が信頼を得続けた一因は、自身を特別扱いせず、自らの犠牲を厭わなかった事にあった。

「同志達よ! 理想世界を、創りに行くぞ!」

「おおっ!」

五人は拳を振り上げ、信頼に満ちた表情で頷きあった。地上で最も結束硬き五人の、決意の結晶が其処にあった。例え暗い情熱であったとしても、その決意と覚悟は、誰もが認めるほど強く、誇り高かった。

 

迷霧の森の奥。奇怪な祭壇にもたれかかったバノッサは、腹を押さえて呻き続けていた。腕はもう動くようになっていたが、腹はまだ治らなかった。傷口で蠢き続ける触手を見て、カノンが目を背け、言った。

「バノッサさん……」

「へ、へへ、へへへへ……か、体が、おかしくなっちまった。 文字通り、も、もじどおり、バケ、化け物に、なっちまったな」

「今なら、まだ今なら!」

「やめねえかっ! カノン!」

宝玉をもぎ取ろうとしたカノンを、バノッサが一喝した。彼はうつろな目のまま、悲しみを湛える弟を見やった。

「これは、さ、最後の希望なんだ。 俺にとって、最後、のひ、光なんだ。 これがあれば、まだ俺は、は、はぐれ女に勝て、勝てる、可能性がある。 でも、これが無くなったら……ヒヒヒヒ、無様な負け犬として、ドブの、ドブの中で、し、死ぬしかねえんだよ……ヒ、ヒヒッ、だから、取らないでくれ」

「お姉さんに、どうして其処まで勝ちたいんですかっ! もうバノッサさんは、充分に強いじゃないですか! その辺の召喚師なんて、問題にもならないほどに!」

「うるせえ……彼奴じゃねえと……あ、彼奴に勝てねえと……い、い、意味がないんだよぉっ!」

涎を拭い、バノッサは狂気の笑みを浮かべてみせる。彼の目は充血し、言葉もとぎれとぎれになっていた。精神が侵され、それによって攻撃性が上昇し、思考が散漫になっていた。言葉も明快さを失い、聞き取るのが難しくなり始めていた。だが、バノッサの中には、唯一変わらぬ気持ちがあった。

彼奴に、勝ちたい。彼奴を、越えたい。彼奴を、ねじ伏せたい。

一度成し遂げてしまったとき自分がどうなったか、もうバノッサは忘れ果てていた。バノッサにとって、もう綾を超える事だけが、全てだった。もう一つだけ、絶対的な地位を占める気持ちがあったのだが、それにはどうしても今のバノッサは気付かなかった。かってカノンが指摘した事もあった、その気持ちには。自由が欲しいという気持ちには。

バノッサの側には、食事が盛られていた。食器も使わず、手づかみで犬のようにむさぼり食いながら、バノッサは小刻みな笑いを漏らし始めた。カノンはもう何も言わなかった。うつろな目で、遠くを見ながら、バノッサは呟く

「召喚術でも、剣術でも、業でも、もう彼奴には勝てねえ。 彼奴の戦闘力は、大悪魔以上だ。 だが……何か勝てる要素があるはずだ。 あ、彼奴、俺を斬るとき少しためらった! バ、化け物以上の強さを手に、手に入れて、いても、まだ、ま、まだ人間である証拠だ! ぬるい彼奴である証拠だ!」

「……」

「そ、そうだ……ヒヒヒヒッ、ヒヒッ、あるじゃねえ、えか!」

バノッサの右腕が、異音と共に盛り上がった。犬歯が鋭くなり、髪が伸び、肌が変色し始める。爪が伸び、体が硬質化して行き、声のトーンが低くなって行く。

「力だ。 た、単純なパワーだ! み、魅魔の、魅魔の宝玉から力を、俺自身の体に注ぎ込んで、やる! ヒ、ヒヒッ! 見てろ、見てろ、はぐれ女ァアアアアアアアッ!」

カノンは逃げなかった。ただ、異形へと変じていく兄を、無言のまま側で見ていた。いつまでも、夜が更けても。側からは絶対に離れなかったのである。

 

移動を開始している蒼の派閥軍の陣地の中で、エクスは佇んでいた。側には何とか起き出してきたパッフェルと、右腕であるグラムスが控えている。パッフェルは多少びっこを引いていたが、召喚師達の手で順調に回復し、明日は参戦する予定である。

「二人とも、告げておく事がある」

エクスは神妙な面もちで振り返った。陽気で道化てはいるが、心の底から忠誠を誓ってくれているパッフェル。良識的で堅実で、そして誰よりもこの国と世界を愛しているグラムス。二人は文字通りの両翼であり、自らの分身だった。

「私は明日の作戦で派閥長もろとも死ぬつもりだ。 もしそうなったら、ファミィに全てを託すと告げてくれ。 蒼の派閥は、グラムス、お前に任せる。 ミモザとギブソンは有能な部下達だ。 大事に使え」

「エ、エクス様」

「軽々しく、死ぬなどと言わないでください」

二人の部下をみやると、エクスは悲しげな笑みを浮かべる。

「……ザプラも、アルナ族も。 二回の戦いで、死んでいった部下達も。 みな、私は救う事が出来なかった。 私は多くの罪を背負った人間だ。 そしてその理由の大半は、私自身の力の無さにある。 それに……オルドレイクも……私がしっかりしていれば、おそらく誓約者として、世界を守護してくれたはずだ。 私は、何らかの形で、そろそろ責任を取らねばならないのだよ。 ファミィは、私よりずっと強い人間だ。 彼女なら、必ず改革を成し遂げてくれるはずだ」

「あの、元暗殺者の私が、こんな事いうの間違いかも知れないっすけど」

エクスの前で、パッフェルはおずおずと言った。グラムスも、禿げ上がった頭を撫でながら唱和する。

「私、エクス様に、死んでほしくないです」

「人は罪を犯す生き物だ、等と安っぽい事は言いません。 そんな言葉は、人間の罪深さをごまかし、悪を肯定する言葉ですからな。 しかし、罪を償うにしても他に方法はありませんか? エクス様は、蒼の派閥に必要な人材です。 罪なら、私が代わりに背負いましょう。 憎しみや悲しみなら、私が代わりに引き受けましょう」

二人の部下に、エクスはすまないと言って、頭を下げた。エクスは、この部下達のためにも、勝たねばならぬと考えていた。自らの死に対する覚悟と同時に、それが心の中で大きな要素を持ち始めていた。

 

アキュートの本部では、ラムダが強い酒を飲んでいた。スタウトもペルゴももう眠りについており、側にいるのはセシルだけだった。セシルはラムダが好んで飲むような強い酒を飲むとすぐに眠ってしまう。寝息を立てているセシルに毛布を掛けてやると、ラムダは己のペースで、酒を飲み続けた。

「……ん、邪魔したか?」

階段の上から声がして、ラムダが振り向くと、其処にはリシュールがいた。手すりに持たれて、頬杖を突いてにやにやと笑みを浮かべている。彼女のリハビリは順調であり、じきに松葉杖を手放せると、セシルが太鼓判を押していた。

「いや、構わぬ」

「戦神の如きキミでも、怖いのか?」

「戦いは俺にとって喜びだ。 だが、今度ばかりは怖いな」

情報戦の達人であり、政治の事を知り尽くした賢母。言葉遣いは乱暴だが、優しく良識を持った、だが強靱な心を持つ娘。フラットの創設者であり、アキュートにとっても不敗の軍師である支柱。リシュール=ブライテス。この戦いが終われば、引退を考えているラムダとは根本的に違う。この戦いの後、如何にサイジェントを復旧し、発展させるかを考えている智恵の泉。それに向け、ラムダは己の弱みをはき出した。それを聞き終えた後、リシュールは彼女らしい、理論的な活を入れた。

「それが普通だ。 英雄って奴は、恐怖を知らない奴らじゃない。 恐怖を知って、それと的確につきあってきた奴らだ。 勝てない敵とはきちんと距離を置き、力を蓄えてから勝負に出る。 また、準備をしてから戦いに出る。 慎重さと勇気を兼ね備えて、初めて英雄になれるのさ」

「俺は、そんな器ではない」

「いやいや、キミは伝説の英雄として、レイドと一緒にサイジェントの歴史に名を残すだろう。 だから、引退なんて考えるなよ。 これからも、バシバシこき使ってやるからな」

苦笑するラムダの前で、リシュールはさっさと身を翻し、自室に戻っていった。この卓絶した軍師の前では、隠し事は不可能だった。ラムダは知っていた、もし産まれと周囲の状況次第では、大帝国を築くレベルの軍師となっていた娘を、部下に持てていた事を。

眠っているセシルに、今一度視線を移すと、再びラムダは酒に口を付けた。まだ夜は長く、恐怖に身をならすには、時間がかかりそうであった。

 

綾はフラットの屋根裏に上がって、サイジェントの街を見ていた。もう睡眠は殆ど必要なくなっていたし、疲れも取れていたからである。力を使えば使うほど、回復力は強くなり、睡眠欲や食欲は消えていった。感情は、どんどん記号的になっていった。流石に、それにももう慣れてきていた。手すりに持たれて風に吹かれる彼女の顔に、もう焦燥や悲しみは殆どなかった。

綾は皆が何処へ行ったか、大体把握していた。戦い慣れた者達は、大事な者との会話を手短に済ませると、休む事に専念していた。彼らが生きて帰れるように、綾は無理を幾らでもするつもりだった。今も、生還率を上げるために思考を巡らせていた。それを中断したのは、リプレが近づいてくるのに気付いたからである。振り向いた綾の視界の中に、リプレがいた。

「アヤ、眠れないの?」

「ううん、そうではないのです。 皆が生き残れるように、色々と考えていました」

「そう」

リプレは綾の隣に列ぶと、少し笑った。綾が理由を聞くと、少しためらった後、言う。

「さっき、ガゼルがね、アカネちゃんに告白されて右往左往してたから。 ついおかしくなっちゃって」

「え、ええっ!?」

ワンテンポ遅れて、綾は驚いてみせる。正確には、驚きを記号的に把握したので、それにあわせて肉体を動かしたのだ。もうそれほどに、感覚の記号化は進行していた。

ガゼルとアカネの件に関しては、そういえば綾にも思い当たる節があった。リプレは声を低くすると、アカネの告白の結果には触れず、更に色々と話し始めた。これは、当然綾の口の堅さを知っているからである。この辺は、やはり家事の達人であるリプレも、恋愛関連の情報を愛好する女の子だ。

「ジンガ君、フラウに泣かれて、大変だったみたいよ。 生きて帰ってくるって約束して、ようやく放して貰ったみたい」

「フラウちゃんの気持ち、よく分かります」

「え?」

「頼れるお兄ちゃんが、危ない所に行くのだから、当然ですよね」

リプレはその返答を聞いて、お気の毒様と顔に書いたが、綾には理由が分からなかった。

「エルジン君は、大丈夫ですか?」

「さっき様子を見に行ったけど、基本的にあの子はエスガルドさんと一緒にいればゴキゲンだから。 それよりもね、あのカザミネさん」

「カザミネさんが、どうかしましたか?」

リプレはもう一度吹き出すと、綾の耳に口を寄せて、(その時)の様子を詳細に語った。鏡の前で前髪の跳ねを三十五回も直すは、事もあろうにラミに格好いいか聞くわ、小首を傾げるカイナに用件を伝えるまで三十五分もかかるわ。その間中、顔どころか体中真っ赤にして右足と右手を同時に出して歩くわ。

「あれは、後々までからかわれるわよ」

「カザミネさん、存外に初だったのですね」

「まあ、修行しかした事がなかったみたいだから、無理もないけど」

しばし笑った後、綾は悲しい笑顔で、リプレに言った。

「……世界を壊す事で、自分たちの幸せを得ようとしている人達がいます。 彼らはとても不幸で、社会のシステムの不備が生み出した犠牲者達です。 そのリーダーさんは、オルドレイクさんは、とても思慮深くて、私なんかよりもずっと優しくて、信じられないくらいに強くて。 それに……とても悲しい人です。 少し話しただけで、分かりました」

「アヤ……」

「私は、みんなを護りたい。 世界を護りたいなんて、たいそうな事はいいません。 私を仲間だって言ってくれた、みんなを護りたいだけなんです。 そのためには、未来を奪われ続けた彼らの、希望ある明日を奪わなければなりません。 彼らが地獄の中で願い続けた、新しい世界を壊さなければなりません。 戦争がこういうものだって分かっていても、とても悲しいですね」

「……貴方だけには、背負わせはしないよ」

リプレは綾の背中を、二度叩いた。そして、懐から小さなネックレスを出して、綾の首に掛けた。飾りに小さな宝石をあしらった、見るからに安物のネックレスだったが、これ以上もなく心強かった。

「貴方が殺した人の命、私達も背負ってあげる。 貴方が奪った人の未来、私達も償ってあげる。 私達のために、感情や、人としての未来も……。 全部捨てた、貴方へのせめてもの御礼だよ。 だから、生きて帰ってきて。 子供達も、貴方を待ってる。 貴方は、何年経っても、何処まで遠くへ行っても、私達フラットの仲間なんだから」

リプレは綾を抱きしめて、続けた。やはりこの人は、フラット全員の母だった。

「生きて帰ってきて。 みんなの家に」

 

自分の部屋に戻ってきた綾は、自らの部屋の前にいるカシスを見つけた。カシスはじっと俯いていたが、綾が来た事には敏感に反応して、こわごわと顔を上げた。

「カシス、眠れませんか?」

「うん……」

立ち話もなんだと言う事で、綾は自分の部屋にカシスを招いた。ベットに列んで腰掛けて、カシスは足を揺らしながら言った。

「私、多分、お父様には絶対に勝てないと思う。 多分前に出ただけで、足がすくんじゃうと思う。 足手まといになっちゃうんじゃないかなあ」

無理もない話だった。何しろ、異常な環境における絶対者である。相当な精神力の持ち主でなければ、幼児期から仕込まれた恐怖にうち勝つ事など出来はしない。先天的に、或いは後天的に、そんな強さを得られる人間など数が限られているのだ。

何故オルドレイクがカシスや自らの子供達に此処まで惨い事をしたか、綾には幾らか見当がついていた。オルドレイクは言った。産まれながらに社会的強者である事が約束された者には、怒りを禁じ得ないと。おそらく、カシスはオルドレイクと召喚師の、しかも相当な名門召喚師の娘だ。オルドレイクは召喚師の遺伝子を集めて、自らの遺伝子と掛け合わせ、大量に子供を作り上げたに違いない。それはほぼ確実だったが、問題はその理由だった。どうしてもそれが、綾には推測出来なかった。

俯いたまま、カシスは言う。

「私、残ろうか? 迷惑……かけるかもしれないから」

「カシスは、どうしたいんですか?」

「……」

綾は笑みを浮かべ続けていた。顔を上げたカシスははっとしたような表情になり、拳を固めた。そして、十五秒ほどの沈黙を経て、決意と共に言った。

「私、行きたい。 君の、騎士になるって決めたから。 君を、護るって決めたから」

瞳に決意を湛えて、カシスは立ち上がった。その顔に浮かんでいたのは、以前の線がきれたような笑みではなく、自然で、決意に満ちた微笑みだった。

「ありがとう、アヤちゃん。 私、戦ってみる。 話聞いてくれて、ありがとう。 ……おやすみ」

綾は、リプレに貰った気持ちを、カシスにも分けてあげる事が出来た。それが、暖かい満足へとつながった。これ以上起きていると、皆が心配する。そう思い、綾は思考を閉じ、パソコンの電源を落とすように眠りについた。

 

それぞれの思惑を絡ませ、決戦前夜は過ぎていった。迷霧の森の周囲には、刻一刻と大軍が終結し、攻撃命令を待つ。聖王国から派遣された将軍達は、無能な派閥幹部達を説得するのに苦労しながら、戦略をくみ上げていった。一方で、迷霧の森の中では、ありとあらゆる事態を想定し、完璧とも言える防御態勢が整えられていた。誓約者とその仲間達は休息を取って決戦に備え、力を蓄えるのに余念がなかった。

そこに、正義はなかった。戦いとは、そう言うものだった。総合的な力が勝っている方が勝つ。運や頭脳も含めての話であるが、それが冷厳なる事実だった。

凄惨なる戦いが始まったのは、早朝の事であった。そしてたった一日で、合計で三千人以上が、迷霧の森周辺で命を落とす事になる。

リィンバウムの歴史上では、ごく小さな局地戦。だが凄惨で、酸鼻で、激しい戦いの終幕は、今此処に始まろうとしていたのである。

 

(続)