誓約者と制約者

 

序、光と影

 

サイジェントを包囲する蒼の派閥・金の派閥連合軍陣地の奥に張られた天幕で、エクスがレポートに目を通していた。レポートは汚い紙に細かい字でみっしり書き込まれていて、常人ならすぐに放り出したくなるような代物だが、エクスは丹念に細部に至るまで目を通していく。レポートを書いた二人は個性派であり、個性派の作る文書には読みにくい物が多いのは、長く生きてきたエクスには常識だったからである。

難しい顔でレポートの半ばまで読み終わったエクスは、額を抑えて小さく息を吐いた。疲れた彼が視線をずらすと、彼の協力者であるファミィが、難しい顔で隣に立っていた。

「ファミィ、どうした?」

「どうして持久案に持ち込んだのか、説明してもらいにきましたのよ。 この情況で長期間の戦いを行えば、時間が経てば立つほど味方が不利になります。 分からない貴方じゃないでしょうに」

ファミィの言葉は正論である。元々戦力さえ多くても、まとまりのない集団なのだ。その上、指揮をする者達は明らかに敵に力量が劣る。聖王国の将軍達も、召喚術は使えてもそれ以外はまるで無能な度し難き派閥幹部達を、いつまでも御しきれないだろう。つまり、純粋な戦力以外では、全てが敵に劣っているのだ。圧倒的な戦力を生かして敵を押しつぶすのが、唯一有効な戦略である。ファミィの言葉に、エクスは無言のまま視線を移す。

「このレポートは、サイジェントに潜入している私の部下が送ってきた物だ。 彼方の半分はもう読み終わったから、是非目を通して欲しい」

言われるままにファミィはエクスの示したレポートを手に取り、素早く目を通していった。そして彼の倍以上の速度で読み終えると、頬に手を当てて小首を傾げた。

「サビョーネルから報告は聞いていたけど、本当だったのね。 困った話だわ」

「そして、此方の報告は、新しいエルゴの王についての物だ。 信じがたい話だが、あの二人が嘘を付く理由は見あたらない。 この情報に基づけば、我らが大きな犠牲を払うよりも、エルゴの代行者に敵を任せた方が安全だ」

「そうでしたの。 まあ、事情は分かりましたわ。 では次の話ですけど、うちの派閥長を、近いうちに処分しましょう」

あまりにもその言葉はさらりと吐かれたので、エクスは上体を少し浮かせたほどである。ファミィは手慣れた手つきで地図を広げると、包囲陣の一角を示した。

「もしエルゴの代行者として覚醒したその子が相手でも、今までの戦歴から判断して、あのオルドレイクは簡単には倒れないでしょう。 彼の事だから、的確に包囲陣を突き崩して逃げる算段を取るでしょうね。 そこで、この地点に、わざとうちの派閥長を配置しておきましょう。 すでに、パムフ将軍には話をつけてあります」

「なるほど、此処は確かに突破するには最適の地点だ。 そして、奴らが恨み重なるビルイフ派閥長を見逃すわけもない。 ……それに、此処で無理に倒すのではなく、敵を合流させてまとめて叩く方が効率がいい。 そう言う事だな」

エクスの言葉に、ファミィは全く変わらぬ笑顔のまま頷いた。誰もが好きそうな、優しそうで暖かな笑顔のまま。実際にファミィは、とても優しく良心的な側面も持っている。だが同時に、恐ろしく切れ味さえ渡るカミソリでもあるのだ。何か特定の強烈な個性が相手にあった場合、人はそれが全ての性質であると誤解しがちだが、それは違う。人はいくつもの個性を使い分ける生物であり、年を重ねれば重ねるほどそれが上手くなっていくからだ。装いはあれど、嘘はない。即ち、いずれの個性も、真実の一つであるのだ。カミソリのファミィも、春の日差しのファミィも、どちらも間違いなくファミィの真実だった。だからこそに、恐ろしいのである。

「君は、怖い人だな」

「いいえ、こうでもしないと、派閥の改革はなりませんよ。 この闇の時代を終わらせるには、仕方がないことですからね。 貴方も、カンゼスさんを処分する方法を、今のうちに練っておいてくださいね」

そう言ってファミィはエクスの肩を叩き、静かに天幕を出ていった。自分より遙かに年下の人間に、エクスは小さな恐怖を抱いた。しかし、信頼はそれ以上に勝っていた。

 

金の派閥長ビルイフは、有能ではあったが集団戦には疎かった。彼はファミィに話を持ちかけられた時も、その内容にさほど疑問を抱かなかった。

「私の居場所を移動する?」

「はい。 この場所は、非常に見晴らしが良くて、指揮が取りやすいのですよ」

「ほほう。 どれ、是非行ってみるとしようか」

肥満した体を揺らして、彼は部下達と共に、ファミィが行った地点へ移動し、一目で気に入った。確かに其処は見晴らしが良く、辺りが見渡せるように見えたのである。

「気に入った。 此処へ私のテントを移すように」

「はい、そのように手配いたしますわ」

春の日差しと表現される、優しく温かい笑みを浮かべて、ファミィは言った。結局ビルイフは、生きている間は、ファミィの真意に気付く事が出来なかった。家柄だけで派閥の長に収まる事が出来る時代は、終わりつつあった。その事実にも、ビルイフは生涯気付く事がなかった。

……金の派閥の歴史上、ビルイフは事故死で片づけられている。無色の派閥の乱で、彼が死亡した事実は伏せられ、それを知るものは少ない。

 

1,鬼神の社へ

 

剣竜の峰を出立した綾他十名は、山越えを行い、旧王国の国境線を突破する事に成功した。旧王国は寒冷の地であるが、目的地周辺は既に雪が降り始めていて、防寒着を調達せねばならなかった。特に高い山でもないのに、である。今までは予想以上のペースで進行出来ていたのに、辺りで大型の獣を探して仕留めねばならず、それは大幅な時間のロスとなった。四百キロはある熊を捌きながら、スウォンが言う。剥いだ皮は、慣れた手つきで、アカネが縫っていった。ここは、豪雪地帯のすぐ手前にあった洞窟である。中には充分な広がりがあり、奥まで調べた結果、安全な事は既に確認されている。

「少し生臭いかもしれませんが、我慢してください」

「かまわぬさ」

レイドは女性陣に防寒着を優先するように指示してから、カシスとガゼルがまとめた周辺の詳細地図に目を通した。ガゼルは白い息を吐き出して、寒いのをこらえながらそれに応える。当然火は焚かれているが、やはり寒い物は寒いのだ。凍死するほどではないのだが。

「なんでも、古い戦争の名残だとかで、この辺りは一年中雪が降ってるんだと。 それで地元の連中は怖がって近づかないそうだぜ」

「きっと、エルゴが言っていた世界間戦争の事ね。 気候が変わってしまうほどに、凄まじい戦いが展開されたなんて。 ……それにしても、猟師の人達ケチね。 お金は払うって言ってるのに」

「旧王国の政治はかなり過酷だそうで、よそ者にはあまり良く出来ないんだそうだ。 彼らを責めるな」

ミモザを窘めると、レイドは一旦洞窟の外へ出て、視線を真っ白な山へ移す。丁度降雪地帯の真ん中にあるその山は、高く険しく、そして真白き雪に頂上から裾まで化粧されていた。熊の毛皮は六人分にしかならず、手に息を掛けて暖めると、レイドは周囲に向け言った。

「もう一頭仕留めなければならないな。 スウォン、意見を聞きたい」

「さっき森を歩いた感じからすると、猟師が入っていないだけあって、熊の数は非常に豊富です。 後一頭程度なら、生態系を崩す事もないと思います」

「そうか。 出来るだけ早めに片づけよう。 手が空いている者は、来てくれ」

素早くレイドが促したのは、雪が降り始めたからである。今日は目的地の探索を諦めるにしても、早めに防寒着くらいは調達せねばならない。急ぎ足になるスウォンは、洞窟の中で眠りに着いている綾を一度だけ見ると、頭を振って歩き始めた。

綾は今、わざわざ睡眠薬を取って眠りについている。というのも、剣竜に力を渡されてから、体の不調が更に本格化したからである。以前は脈だけだったが、今度は欲望にも影響が出始めていた。体調は変化していないのに、食欲や睡眠欲が目立って減少し始めたのである。それをもろに感じて精神的な体調を悪化させた綾に、セシルが睡眠薬を勧めたのだ。強大な力を扱うリスクが目に見えて出始めていた以上、その場の誰もがあまり平静ではなかった。

 

雪は深々と降り始めたが、遭難するほどの降雪ではなかった。また、寒さもそれほどではなく、短時間なら防寒着無しでも耐えられる。スウォンは先ほど歩いた感じから、既にこの森における熊の勢力図を頭にインプットしており、一番手近で手強く無さそうな個体の縄張りを、わざと挑発的に歩いていた。側にいるのは、ミモザとガゼル、それにイリアスとレイドだった。眠りについている綾の側をカシスは離れなかったし、アカネは昨晩中辺りを偵察した上に、防寒着まで縫っていて疲労が大きい。セシルは念のために綾の側に残り、ラムダは彼女らの護衛である。カザミネは昨日寝ずの番で、先ほどから入り口の側で座ったまま寝ていた。

「カザミネが着いてきたのは、意外だったな」

「きっと、心底自分の力を上げたいのね。 私達がこれから強敵と戦い続ける事になるのを、彼も分かっているのよ」

「となると、ジンガと同類だな。 全く、どうしてこう暑っ苦しい奴ばっかり俺達の周りには集まるんだ?」

「静かに。 近いですよ」

ガゼルとミモザを黙らせると、スウォンは身を隠すように指示した。雪がうっすら積もった茂みが揺れ、巨大な熊が姿を見せる。体重は軽く五百キロ、歴戦の猟師でも苦戦する大物である。しかも恐るべき事に、この森ではまだまだ小さい個体である。

「ちったあ彼奴の負担を減らさなきゃならねえからな。 此奴ぐらいは軽く片づけるぜ」

「くれぐれも、油断はしないで下さいよ」

「ああ、分かってるっ!」

素早く身を隠していた茂みから飛び出すと、ガゼルは相手が対応するより早く、三本のナイフを放った。二本はそれぞれ右目と鼻を抉り、痛烈な打撃に熊が吠え猛る。同時に飛び出したスウォンが、弓を引き絞った。風を切り、けしかけられた猟犬のように矢は熊の残った左目に襲いかかり、深々と突き刺さる。恐ろしい咆吼が上がり、熊は両腕を振るって無茶苦茶に暴れ始めた。剛腕が近くの木を激しく叩き、大量の雪がガゼルを頭上から襲った。足場が悪い事もあり、ガゼルは避けきれず、白い塊の下へ消えた。

「誓約において、ミモザ=ロランジュが命ずる! 現れ出でよ、フォールフロールっ!」

ミモザがフォールフロールを唱えた瞬間、熊は彼女に向き直り、半トンに達する巨体を振るって突貫した。慌てて後ずさろうとするミモザに、後足で立ち上がった熊は、強大な前足を叩き付けようとする。フォールフロールが熊に巻き付き、更にスウォンが二射目を叩き付けるが、熊の動きを止めるには至らなかった。熊は頑丈な毛皮と分厚い脂肪に身を護られており、その防御力は鉄壁を誇り、更に純粋なパワーだけなら陸上に住む肉食性のほ乳類で最強を誇るのだ。その上、この熊は寒冷地帯出身である。寒冷地帯の猛獣は、限度を超して強大化する傾向があり、それはこの熊においても例外ではなかった。みしみしと軋みながらフォールフロールは揺さぶられ、長大な爪はミモザを引き裂こうと迫った。第三射も効果を示さず、万事休すかとミモザが目を閉じた瞬間、鈍い音が響いていた。

こわごわ目を開けたミモザの眼前で、熊が地響き立てて倒れる。そしてその前には、剣を振るって血を払うレイドとイリアスの姿があった。更には、頭を振って、雪の中からガゼルが起きあがる。イリアスは、嫌みのない笑顔を浮かべて、ミモザに手をさしのべた。

「大丈夫ですか? ミモザ殿」

「ありがとう、助かったわ」

「はあ、やっぱり結構きつかったな。 冗談じゃねえ」

「でも、これで人数分の防寒着は確保出来そうだな」

剣を納めるレイドの横を通って、ミモザは熊の死体をこわごわと調べた。熊は心臓と肺の辺りを剣で一突きにされて死んでいた。フォールフロールに拘束されていたからとはいえ、神業級の剣技がなければ出来ない事であった。地味に腕を上げ続けているレイドもそうだが、イリアスの剣技も確実に向上していたといえるだろう。

「腕を上げたな、イリアス」

「皆の足を引っ張るわけには行きませんからね」

「腕に全く問題がねえ騎士団長様が、そんな事をしなきゃいけねえんだもんな。 如何に強力な敵を相手にしてるか、今更ながら思い知るぜ」

「こほん、早く運びましょう」

スウォンが咳払いし、雑談する皆に釘を差した。ミモザがフォールフロールを使って熊の亡骸を引っ張り、荷車に乗せる。着実につもっていく雪を払いながら、五人は洞窟へ熊を運び込み、解体を始めた。全員に防寒着が行き渡った頃、洞窟の外は本降りになっており、スウォンの先見の明が示されていた。

「にしてもよ、守護者もこんな雪の中にいるのかな」

「それは、まず間違いないと思って良いだろうな」

「となると厄介だぜ。 早めに雪上での戦闘に慣れる必要があるな」

先ほどの戦いで、普段なら何でもない攻撃をもろに貰ったガゼルは吐き捨てて、雪が降り続く外を見やった。機動力は彼の持ち味であり、それを殺されるのは文字通りの死活問題だった。

サイジェントの周辺は、冬場はかなり寒くはなる。ただし豪雪地帯というわけではないから、雪上戦には皆殆ど経験がなかった。レイドは解体した肉を焚き火で炙りながら、周囲を見回した。

「雪上での戦いに慣れた者は、この中にいるだろうか」

「アタシはパス。 シルターンでも、結構けっこー暖かい所に住んでたから」

「拙者も同じくでござる。 こんなに雪深い地方は、シルターンでもそれほど多くはなかった。 ただ……」

「ただ、何だ?」

「鬼神の一族は、こういった豪雪地帯を好むと聞いた事がござる」

むうと呻いて、レイドは下を見た。以前交戦した鬼神化カノンの圧倒的な戦闘力を思い出したのだ。味方も実力をあのときとは比べ物にならないほど高めてはいるが、雪上での戦いである以上条件は悪い。もし鬼神が出てきたら、かなり分が悪い戦いを強いられる事になるだろう。咳払いしたのはラムダで、彼はいつも通り、重苦しいバスで言った。

「悩んだ所で仕方がない。 今日は英気を養って、明日に備えておく方が良いだろう」

「……そうですね、それが一番かも知れません」

鶴の一声に、議論は一息に収束した。まだ目を覚まさない綾に一度だけ視線を送ると、レイドはそれ以上雪上戦に触れようとはしなかった。ただしガゼルは、自主的に、かなり遅くまで外で戦闘訓練をしていた。

 

綾が目を覚ますと、陽の光が洞窟に差し込んでいた。毛布代わりに駆けられた熊の毛皮を押しのけて起き、小さく欠伸をする。見渡せば、辺りの人間は皆眠りについていた。ただ一人例外だったのは、洞窟の入り口で番をしているカシスで、彼女は綾が起きた事にすぐ気がついて手を振った。

「アヤちゃん、おはよーっ!」

「おはようございます、カシス」

「見て、外。 雪が小降りになってる。 今日は絶好の探索日和だね」

小さく頷くと、綾は供与された防寒着を服の上から着込み、洞窟の外に出た。雪は本当に少量しか降っておらず、まぶしい白の大地には所々日光さえ降り注いでいる。また、空気は澄み渡っており、確かに探索には絶好の日よりといえた。

全員が起き出してくる前に、綾は思念を集中し、目を閉じて小さく息を吐いた。その体から蒼い光が迸り、辺りを染め上げていく。美しく質感溢れたそれが消えると、額の汗を拭い、綾は傍らのカシスに言う。

「地図、ありますか?」

「これでいい?」

「有り難うございます。 今、調べてみますね」

洞窟の中に戻り、適当な岩の上に地図を広げて、綾はそれに触れた。そして、ほんの二秒ほどで目を開け、地図上の一点を指し示す。そこは近くに見える中で最も標高が高く、最も険しい山の中腹であった。焚き火に差してあった熊肉を囓りながら、カシスは地図をのぞき込んだ。

「結構高い所にあるみたいだね☆」

「でも今から急げば、昼までにはつくはずです」

「私達だけならね。 キミの体、大丈夫?」

「はい。 ……何というか、不必要なほどに調子はいいです」

カシスは笑顔を保ったまま、その話題には二度と触れなくなった。やがて他の者もちょくちょく起き始め、綾の指し示した地点を確認すると、探索へと移った。かさばる荷物は洞窟の奥へ移して覆いを掛け、偵察要員としてアカネとカシス、それにガゼルが先行した。

既に作ってあった地図は、かなり大雑把な物であったが、山自体が険しくとも見晴らしが良かったので、迷うような事はなかった。目的地点に二時間ほど掛けてたどり着くと、一旦戻ってきた偵察要員も交えて、レイドは辺りを見回した。

この辺りは、積雪も少なく、また高低差も少ない。所々むき出しの地面さえあり、枯れ草が彼方此方に生えていた。

「この辺りで、間違いはないのか?」

「はい。 おそらく、この近くだと思います」

「何か目立つような物はあったか?」

「そういえば、紅い柱が二本立ってたぜ。 何だろうな、アレは」

ガゼルの言葉に、アカネと綾が同時に反応した。綾はサモナイトソードを鞘に収めたまま、地面に鳥居を書いてみせる。そして、アカネと頷きあった。

「ガゼル、それはひょっとして、こんな形状ではありませんでしたか?」

「おお、これだ。 間違いねえよ。 で、これって、一体なんだ?」

「これは、鳥居と言う物です。 私の世界だけではなく、おそらくシルターンにも存在すると思います。 私の故郷にあった(神道)と呼ばれる宗教の、神社と呼ばれる神殿の敷地の入り口に立てられる建造物で、神社の規模によって形状や大きさは様々……」

「あー、とりあえずそれは後回しだ。 何にしろ、其処に何かあるのは確実だな。 こっちにあったぜ、ついてきな」

心底楽しそうに鳥居を語る綾の言葉を中断させると、ガゼルは防寒着のポケットに手を突っ込んだまま雪を踏みしだいて歩き出した。程なく、朱色の柱の、立派な鳥居が姿を見せた。高さはさほどでもないが、その堂々たる威圧感は本物である。アカネは目を輝かせ、興奮して両手を上下に振った。

「うっわ、うっわー! 懐かしー! シルターンに帰ってきたみたいだよ!」

「確かに懐かしいが、しかし面妖な……。 これも、過去の戦の名残とやらなのでござるか?」

「分かりません。 ただ、鳥居があるなら、きっと神社も……ありましたね」

懐かしさに目を細めた綾の、視線の先には、小さな神社が佇立していた。真っ先に掛けだしたアカネを追って、皆も神社へ銘々向かう。アカネは興奮しており、賽銭箱を見つけて歓声を上げた。その横で、レイドが冷静に綾に言った。

「で、守護者はここか?」

あの、どなたさまですか?

「おそらく、間違いないと思います。 気配も間近に……」

あの、すみません。 ひょっとして、ドロボウさんですか?

蚊が鳴くような小声と、微少な気配に気付いた綾が振り向くと、巫女装束の上から蓑を着込んで、こわごわと遠くの木立の影から此方を伺っている娘がいた。綾以上に小柄で、手には箒を持ち、気が非常に小さそうである。丸顔には眼鏡がかかっていて、怯えが露骨に表情に出ている。しばし呆然とした後、ラムダが大剣に手を掛けながら言う。

「……まさか、あれか?」

「はい」

……ごめんなさい、盗る物なんて何もありません。 帰ってください

「我々は泥棒ではない。 エルゴの守護者に会いに来た者だ」

「何もしないから、出ていらっしゃい」

レイドとセシルが口々に言うと、ようやく娘はこわごわながら、皆の前に姿を見せた。おどおどとした視線及び態度は、相手の顔色をうかがうようであり、不愉快そうにラムダが眉をひそめる。綾は一歩前に出ると、出来るだけ丁寧に笑顔を作って言った。

「こんにちわ、エルゴの守護者さん。 エルゴの試練を受けに来た、樋口綾と言います」

えっ……あなたがリンカーさまですか?

「ええ。 一応、そう言う事になっています」

良かった、優しそうな人で……。 怖そうなおじさまだったらどうしようって、ずっと思っていました。 申し遅れました。 私はカイナと言います。 エルゴさまに命じられて、ここであなたをずっと待っていました

ようやく小さく笑顔を浮かべたカイナに、綾は胸をなで下ろした。強き事に価値を見いだすラムダはイライラしている様子であったが、此処でカイナに逃げられでもしたら、試練が進まなくなってしまう。相手を驚かせないように、慎重に言葉を選びながら、綾は続けた。

「時間が余りありません。 出来れば、すぐに試練を始めて頂きたいのですが……」

はい……。 私の試練は、私と鬼神さまに勝てば合格です

「……!」

鬼神さま……おいで下さい

カイナが呟き、鈴を鳴らす。間をおかず空間が歪み、巨大な鬼神が、空間の裂け目から現れ、剣を抜きはなった。以前交戦した鬼神化カノンよりも二周りは大きく、そして目には知性の輝きがある。更に、それより若干小柄な鬼神が、六体ほど場に実体化する。安心したように、ラムダが口の端をつり上げた。

「手応えがありそうだな」

 

2,鬼神将ガイエン

 

神社の境内は、多少は掃除されていたが、彼方此方に積雪があり、足場は悪い。更に、それをものともせず、鬼神達は咆吼を上げて突進してきた。レイドの視線を受け、綾は言う。

「接近戦は出来るだけ避けた方が無難でしょう。 召喚術の攻撃をメインに、一体一体、集中攻撃で倒しましょう」

「なるほど、それが賢明だな」

レイドの答えを聞きながら、綾は素早く印を組み立てた。今はもう名を呼ぶだけでも召喚獣を呼び出せる彼女だが、やはり正規の手続きを踏むと消耗は小さくなる。印を組む作業も充分手慣れていて、問題なく終え、綾は叫んだ。

「誓約において、樋口綾が命ずる! 我が敵に怒りの雷を放て、ガフォンツェア!」

現れたガフォンツェアが、体の左右にあるミサイルポッドを同時に開く。射出されたミサイルはおよそ二十、空中に跳ね上げられ、角度を変えて、鋭角に鬼神達へ襲いかかる。そのうちのおよそ半数が着弾し、五体の鬼神が吹き飛ばされて沈黙した。だが、残りの半数は、敵に届かなかった。一番大きな鬼神が巨大な剣を一閃させ、衝撃波で叩き落としたからである。続けてカシスが召喚術を発動させる。以前大悪魔戦で見せた霊界の邪虫フォーワームである。双頭の芋虫は、炎の息吹を鬼神に叩き付けたが、それも敵に届かなかった。体を低くした鬼神が、居合いのように凄まじい速度で剣を振るい、炎をはじき飛ばしたからである。そればかりか衝撃波はカシスにまで届き、無言のままカシスは後ろに吹っ飛んだ。

「や、野郎っ!」

「ガゼル!」

振り返ることなく、ガゼルは横に飛び退いた。轟音と共に、先ほどのガフォンツェアの攻撃に耐え抜いた鬼神が、拳を振り下ろしていた。拳は地面を砕き、ガゼルは舌打ちして数歩飛び退く。剣を持った大きな鬼神は、まだ後方に控えていて、カイナを護るように立ちつくしていた。

無言のまま、レイドとイリアスが鬼神に突貫した。レイドの一撃がまず鬼神を襲い、一歩下がってそれを避けた鬼神の膝を、イリアスの斬撃が砕く。絶叫し、よろけた鬼神に、ラムダの一撃がとどめを刺した。彼が振るった大剣は、凄まじい勢いで鬼神の肩から腹に掛けて切り裂いたのである。鮮血をぶちまけながら鬼神は倒れ、身動き出来なくなる。それを見た大きな鬼神は、人間の言葉で言った。

「ほう、見事な連携だ。 並の鬼神では荷が重いな」

「お前も来い。 是非、手合わせしてみたい」

「ふっ、そう言うわけには行かぬ。 この鬼神将ガイエン、人間如きに振るう剣は持っていない。 それに……まだ此方の戦力は充分なのでな」

再び場に、六体の鬼神が召喚された。カイナは鈴を鳴らしただけであり、だというのに先ほどと同等の大きさを持つ鬼神が六体。ほどんど消耗した様子もないカイナを見て、ガゼルは奥歯を噛んだ。カシスはゆっくり立ち上がり、埃を払って綾の側へ歩み行く。

「まずいな、流石に守護者、伊達じゃねえぞ」

「接近戦に切り替えましょう。 あの様子だと、まだ増援が出てきます」

「それが良さそうだね☆ アヤちゃん、サポートするから、一気にあの眼鏡っ子黙らせて」

ふ……ふえ……

カシスの言葉に、露骨に怯えるカイナ。その表情を見て、困り果てて笑みを浮かべる綾に、カシスはのうのうと言った。

「何、殺りづらいの? だったら私が代わろうか?」

「大丈夫、私が倒します。 でも、少し戦いづらいですね」

「なんで? 容赦なく殴り倒して喉踏みつぶせばいいじゃん☆」

カシスの言葉には、恣意的な部分はない。そうしろと言われれば、容赦なくカイナに今言った事を実行するだろう。綾はカシスにそうさせないためにも、自分でカイナを黙らせなければならなかった。綾の決意を見て取った、レイドは手を横に振って言った。ラムダは大剣を構え直し、ニヒルな笑みを浮かべた。

「隊形を組み直せ、アヤの突撃を援護するぞ!」

「力尽くでも、俺の相手になって貰おうか。 何、失望はさせないさ」

「此方も隊形を組み直せ、主君の元へは通させるな!」

ガイエンの言葉に、鬼神達は円陣を組む。綾が最初に地を蹴り、十名の仲間がそれに続いた。右往左往するカイナを後目に、両者の間は一気に詰まって行く。

「おおおおおおおおおおっ!」

吠えたのはガイエン、巨大な剣を大上段に構え、一気に振り下ろす。発生した衝撃波が、風の龍となり、唸りを上げて綾達に襲いかかった。フォールフロールを呼び出したミモザが、それを盾にして展開するが、一撃はそれを貫いた。濛々たる煙と悲鳴が上がり、ガイエンは口の端をつり上げるが、一瞬後煙を斬り破って、綾が躍り出る。そして最も手近な鬼神に突貫、全身から蒼い光を放った。

「エルゴ達よ、我の願いを聞き届けたまえ。 この存在を、速やかなる運命と共に、故郷へと送り返せ! 送還っ!」

「何っ!?」

ガイエンが驚いたのも無理はない。綾が手を触れた鬼神はかき消え、何も痕跡が残らなかったからである。更に、煙を斬り破って続々とレイドやラムダ、ガゼルが飛び出し、乱戦に持ち込んだ。ガイエンは舌打ちし、懐に飛び込んできたラムダに剣を叩き付けたが、ラムダは余裕を持ってそれを受け流し、二度、三度と剣撃をお返しした。

「どうした、それが鬼神将とやらの力かっ!?」

「おのれ人間如きが! 調子に乗るなあっ! 主君!」

は、はいっ!

慌ててカイナは鈴を鳴らし、更に六体の鬼神を呼びだしたが、直後に綾のゼロ砲ではじき飛ばされた鬼神がすぐ側に尻餅をつき、悲鳴を上げて転んでしまった。更に眼鏡を落としてしまい、辺りを這いずるように、慌てて眼鏡を探し始めた。ガゼルは雪上戦に慣れ始めており、軽快なステップで鬼神を翻弄しながら的確に鬼神へ攻撃を叩き付ける。レイドはイリアスと、見事な連携で鬼神に斬撃を連続して叩き付け、敵を翻弄した。更にカザミネ、カシス、アカネが続々と参戦。イリアスの剣で膝をなぎ払われ、蹌踉めく鬼神を、カザミネが一息に切り伏せる。レイドに拳を叩き付けようとした鬼神の横っ面に、フォーワームが炎の塊を投擲する。更に、味方の援護をしようとした鬼神の膝に、アカネが投げた手裏剣が次々に突き刺さる。蹌踉めきつつも立ち上がったミモザが、フォールフロールを組み直し、手近な鬼神に巻き付ける。そして、動きが止まった鬼神に、セシルが最大出力のストラ拳を叩き込んだ。ラムダもガイエンと丁々発止の横綱相撲を演じ、スウォンは遠距離を保ったまま、次々に鬼神へ矢をいかけていった。

息のあった連携で次々と鬼神を仕留めていく綾の仲間だが、流石に敵は鬼神である。一時の混乱から立ち直ると、反撃を開始した。袈裟懸けにカザミネに斬られつつも、拳で侍をなぎ払い、はじき飛ばす。身軽な動作で回し蹴りを見舞い、ガゼルは慌てて後退して構え直す。ストラ拳を貰っても蹌踉めきつつ立ち上がり、全身に切り傷を貰っても倒れず咆吼して暴れ狂う。大きな岩の破片が飛び、ミモザは何とか回避したが、悲鳴を上げて地面に叩き付けられる。ガイエンは技量では埒が空かぬ事を悟り、咆吼と共に大上段からの一撃を叩き付けた。ラムダも流石に鬼神のパワーには抗しきれず、砕かれた地面もろとも吹き飛ばされる。だが不敵な笑みと共に、剣を杖に立ち上がった。双方共に甚大な被害を出しながらの消耗戦は続き、鬼神の拳を紙一重でかわしつつ、レイドは叫ぶ。

「アヤ、まだかっ! そう長くは持たないぞ!」

彼は必死に敵の鋭鋒を捌き続けながら、視線を辺りに飛ばした。見れば綾は、三体の鬼神とまともに正面から交戦している。既に額には汗が浮かび、かなり消耗している事は一目瞭然である。無理もない、三体の鬼神を同時に相手にしているのだ。カイナは未だに眼鏡を探しており、またとないチャンスである。レイドは小さく頷くと、汗を飛ばしてカシスへ叫ぶ。

「カシス、何とかアヤを支援出来ないか?」

「もう少し敵を減らさないと! 召喚術組んでる暇がないっ!」

「分かった!」

レイドは一歩踏み込み、そのまま体ごと今交戦している鬼神へと突貫した。それを見たアカネが、素早く複数の手裏剣を投擲して突撃を支援する。捨て身の一撃に鬼神は大きく蹌踉めき、だが拳を組み合わせ、レイドの背中へうち下ろす。鎧が砕け、血を吐いたレイドが前のめりに倒れ、だが同時に敵のアキレス腱を叩ききった。絶叫した鬼神が後ろ向きに倒れ、イリアスとカザミネと交戦していた鬼神に倒れかかった。その隙をつき、イリアスが突貫、敵の股を一息に差し貫く。鬼神は大きく蹌踉めき、尻餅をついた。そして、カシスは二体の敵が戦線離脱した隙をつき、複雑な印を何度も組み替え、そして召喚術を開放した。フォーワームに続いて、着実に力を伸ばしている彼女が修得した、最新の大業を。カシスは蹌踉めきつつも、全魔力をその業に注ぎ込んだ。

「閃光と共に、破壊と大いなる死を! 砕き貫け、魔神剣乱軍!」

虚空を切り裂き、四本の剛剣が降る。一本一本が長さ三メートル、しかも分厚く途方もない重量感を持つ。それは容赦なく鬼神達に降り注ぎ、うち二本が、綾と交戦している鬼神を直撃した。脇腹を、そして肩をえぐられた鬼神が絶叫し、倒れ伏す。更に綾は汗を飛ばして残った一体との間を詰め、サモナイトソードでアキレス腱を斬った。

ああ、良かった……めがね、ありました

「主君! 後ろだっ!」

呑気にカイナが眼鏡を拾い上げ、嬉しそうに掛けた。そして、ガイエンの言葉に、緩慢な動作で振り向き、綾の手刀を延髄に受けて意識を失った。倒れ伏すカイナを見ても、ガイエンは戦意を失わなかった。部下の鬼神はもう四半減しているが、半ば戦線離脱状態のレイドと言い、倒れて動かないカシスと言い、綾達も情況がよいとは言えない。また、密着状態から、また召喚術メインで戦うように、フォーメーションを組み直すのも難しい。綾も額の汗を拭い、サモナイトソードを地面に突き立てて、何とか立っている状態である。召喚術に送還術、それにゼロ砲を何度も使っているのだから、無理もない話ではあるが。

まともにガイエンと交戦していたラムダは、かなりの傷を受けている。対してこの鬼神将は、傍目から見てもまだまだ充分に余裕があった。鬼神は体を揺らし、怒りと憎しみを乗せて絶叫した。

「おおのれええええっ! 小生意気な人間共が、一匹たりとて生かして帰さぬぞ!」

「野郎、まだ戦う気かよっ!」

「ラムダさん! すみません、加勢します。 一気に片づけましょう」

「……仕方がない、すまんな」

綾は、歩きながら印を切り、口中で呪をくみ上げていく。もうノースペルで大業を発動するほどの余裕がないのだ。剣竜と戦ったときに比べれば、まだ余裕はあるのだが、乱戦の上に敵の戦力が今だしぶとく残っている以上、倒れると非常に危険である。更に密着状態の乱戦である以上、ヴォルケイトス及びガフォンツェアは使えない。呪を完成させた綾はサモナイトソードを構え直すと、ガイエンに向けて走り出した。

 

「おおおおおおおおおおおっ! 人間がああああっ!」

「せえええいいっ!」

ガイエンが吠え、ラムダが迎え撃つ。身長差は二倍以上だが、ラムダは絶倫の技量と、人間離れしたパワー、そして何より豊富な実戦経験とタフさを生かし、ガイエンと真っ正面から戦っていた。元々人類でも最強レベルの剣士である彼だが、此処しばらくの、ギリギリの戦いを通じて、更に力量を増していた。ただし、その彼を持ってしても、敵の猛攻を何とか凌いでいる、程度の事しか出来ていない。綾は素早くガイエンの後ろに回り込みながら、思惑を巡らせる。

『送還術を発動させるには、今の時点では相手に触れないと行けません。 しかしガイエンさんの力量を鑑みるに、おそらく簡単には触れさせてもらえないはず』

綾の思考はいつも通り、事実を整理し、組み立てていく。冷静に間合いを取る綾だが、すぐには接近出来ない。ガイエンは体を沈めると、旋回するように斬撃を放ったからである。周囲全角度をカバーする攻防一体の一撃であり、ラムダも綾も剣で押さえ込むように受けたが、数メートル飛ばされるのを余儀なくされた。流石にダメージが大きいラムダは肩で息をつきながら立ち上がり、綾は後ろへ滑りながら更に思惑を進める。

『しかし、頭に血がのぼっているようですね。 ならば、付け入る隙を作るには、更に頭に血をのぼらせれば良い事です』

ラムダの代わりに、今度は綾が間を詰める。ガイエンは振り返ると、頭上から叩き落とすような一撃を綾に見舞う。綾はそれをサイドステップして避けると、態勢を低くして雪を掴み、ガイエンの顔に投げつけた。更に、忌々しげに顔を向けてきたガイエンに、小石を蹴飛ばす。それは右目の瞼に辺り、ガイエンは血走った目を更に赤くした。簡単な挑発にもろに乗り、ますます頭に血を登らせた鬼神将は、剣を振り回して偏執的なまでな攻撃を綾に叩き付けた。下がり、それを紙一重でかわし続けながら、綾は遠くへ目配せした。

次の瞬間、ガイエンの右肩に、スウォンが放った矢が突き刺さった。更に間を詰めていたラムダが、膝の裏へ剣を突き立てる。蹌踉めいたガイエンに、ガゼルが放った十本以上のナイフが次々に突き刺さり、鮮血を吹き上げる。流石のガイエンも、これにはたまらず、身をよじって絶叫した。

「お、おおおおおおおおおっ!」

「ごめんなさい、ガイエンさん」

ガイエンが気付いた時には、もう綾が彼に手を触れていた。蒼い光が迸り、ガイエンはシルターンへと強制帰還させられる。他の鬼神達は、既に屠られるか倒れ込んで動けなくなっており、その場に立っているのは人間だけになっていた。

 

倒れていたカイナは、しばしして目を覚ました。カシスは水をぶっかけるべきだ等と主張したのだが、流石にそれは皆が止めた。問題なのは回復手段を持つセシルもカシスも、同様に精神力を著しく消耗していた事である。致命傷を受けている者はいなかったが、応急処置を行うセシルの顔は緊迫していた。早めに洞窟に戻って休息しないと、傷が悪化する可能性があったからである。そんな中、カイナは目を覚まし、ゆっくりと起きあがった。

ぁ……もう、終わってしまいましたか?

「見ての通りだ。 試練は合格、と言う事でよいのか?」

カイナは静かに頷き、こわごわと綾をみた。綾は笑みを浮かべて、務めて優しく言った。

「まだ生きている鬼神さん達も沢山います。 出来るだけ、助けてあげてください」

はい。 あの……

「何でしょうか?」

……私も、連れて行ってくださいませんか? エルゴさまから、貴方をお守りしろと言われています。 もし、よろしければ、なのですけれど

顔色をうかがいながら言うカイナに、露骨にラムダは嫌そうな視線を向け、ついとそらした。カザミネはまんざらでもなさげな様子でカイナの挙動を見ており、綾は彼らを見回して後言う。

「厳しい戦いが続きます。 それでも、よろしいですか?」

……はい! ありがとうございます、アヤさま

「あの、様はつけなくてもいいですよ」

いいえ、そう呼ばせてください。 ……嫌ですか?

泣きそうになるカイナを見て、綾はそれ以上反論出来ず、がっくりとうなだれて下を見た。ガゼルがその肩を叩く。

「アネゴ、マスター、今度はアヤさまか。 くっくっく」

「もう」

綾が頬を膨らませてそっぽを向いたので、皆は遠慮無く笑った。

 

洞窟に戻り、手当と出立の準備を整えている最中、綾の頭の中にエルゴの声が響き渡った。塔の天井が、再び十枚以上もはぜ割れる感覚の中、荘厳な声は響き続ける。

「リンカーよ、三つ目の試練、ご苦労だった」

「後味があまり良くない試練でした」

「今回の試練は、より弱き者を必要に応じて倒せるかという物だった。 お前は守護者を斬り捨てなかったが……」

綾が視線を巡らせると、カイナは鈍重に動き回って、皆を手伝おうとして却って邪魔していた。召喚師としての実力はおそらく今まで綾が会った中でも最強レベルだが、それ以外は本当に何も出来ない娘だった。しかし、何かが出来る出来ないという基準だけで、綾は相手を判断したくなかった。

「それでいい。 もし必要なら、お前は守護者を斬っていた。 覚悟が出来、その能力があるからこそ、我らはお前を認めたのだ」

エルゴの声は、それで消えた。以前ほど強烈な拒絶反応はなかった。否、肉体が変容しており、もう強烈な肉体的な拒絶反応が出得ない、と言う方が正しかった。吐き気はあったものの、充分に我慢出来るほどの物だった。

寂しさを視線に湛えて、綾は自分の手をみた。いずれ、肉体的な痛みも無くなってしまうのは確実だった。否、痛みをダメージとして、精神的な記号として完璧に処理出来てしまうのだ。傷の治りも異常に早い。体力の回復も然り。

綾は確実に、人間では無くなりつつあった。

 

3,楽園の要塞

 

一日休んで体力を回復した後、綾と十一名の仲間達は、一旦旧王国国境を抜け、西へ西へと向かった。最後の試練がある森まで、数日の道のりであるが、予定を若干繰り上げて進む。それはかなりの強行軍になり、案の定途中でカイナが音を上げたが、カザミネが文句も言わずに彼女を背負って歩いた。既に出立してから十三日が過ぎており、時間的な余裕はもう無かったのだ。

道すがら、綾はカイナに話しかけた。ラムダやレイドは話しづらそうだったので、何とか彼女が橋渡しをしようとしたのだ。精神的に弱いというのは、昔の綾にも、否、今の綾にも充分共通している事であったから、出来るだけ力になって上げたいという気持ちもあった。

以前なら絶対に出来ない事であったが、今の綾は、自然にそれが出来るようになっていた。相変わらず普段は殆ど自主的には行動しなかったが、もう必要なときには問題なく自分から動けるようになっていたのである。

「カイナさんは、シルターンではどういった所に住んでいたのですか?」

私は、鬼道の巫女として、産まれたときから鬼神さま達と社で暮らしていました

『鬼道というと、魏志倭人伝で触れられている、邪馬台国で卑弥呼さんが信仰していたものでしょうか? 色々言われていますが、シャーマニズム的な宗教でしょうか』

アヤさま、どうしました?

唇に指先を当てて考え込む綾に、不思議そうにカイナが小首を傾げた。いつもの事だと、もう周りの者達は慣れっこになっていた。

「あ、いや、なんでもありません。 鬼道とは、どう言った物なのですか?」

カイナはそれは嬉しそうに鬼道について話し始めた。要約すると、やはりそれはシャーマニズムの一種であり、同時に鬼神を使役するエキスパートとしての側面も持っていた。カイナは細かい技術論にも時々触れながら、嬉々として言う。

十五になったとき、エルゴさまのお告げがありまして、アヤさまのお手伝いをするように言われました。 エルゴさまの代行者である誓約者さまのお手伝いが出来るなんて、身に余る光栄でした

「私のお守りで、本当によろしいのですか?」

それまで、本当に私何も出来なくて、役にも立たなかったんです。 だから、何かの役に立てるどころか、エルゴさまのご指名があるなんて、本当に嬉しくて嬉しくて。 それにアヤさまはとてもお優しくて、今とても幸せです

「此奴は優しすぎるからな。 本当は護れるくらいお前が強くないと、困るんだぜ」

横を歩いていたガゼルがぼそりと言い、セシルが咳払いした。カイナは確かに惰弱だが、戦力としては申し分ない。あのガイエンを使いこなす実力と言い、今後の戦いで確実に強力な戦力となる事は疑いない。無色の派閥と戦う以上、カイナは必要な人材である。セシルは綾の側に列んで歩きながら、ガゼルの代わりに話しかけた。

「それで、カイナさんは、どれくらいあの山にいたの?」

もう、一年近くになります

「! ずっとひとりぼっちで?」

……私、故郷ではずっと役立たずだって虐められていました。 だから、シルターンにいるよりは幸せでした

口をつぐんだセシル、綾は頭を振った。

『何処の世界でも、人がする事は同じなのですね。 弱者を嬉々として痛めつけ、強者には尻尾を振って媚びへつらう。 ……せめて、私は同じにならないようにします。 絶対に』

「もう、貴方を虐める人はいないわ。 でも、カイナさん、私達と強くなる努力もしましょう」

私も、強くなれるでしょうか?

「それは分からないわ。 強くなれる人なんて、本当に一握りですものね。 でも、私達も一緒に努力してあげるから、頑張りましょう」

 

幾つかの街を経由して西進すると、やがて地図上にあった広大な森が姿を見せた。早速スウォンがアカネと共に中に入り、一時間ほどで戻ってきた。スウォンの表情は、若干余裕があった。

「大丈夫、さほど危険な森ではありません。 ただ、一部に磁石が狂う場所があるそうなので、気をつけましょう」

「では、早速足を踏み入れよう。 何か気をつける事はないか?」

「湿気が多いので、生肉は早めに処理しましょう。 森の規模から言って、二日以内には目的地に到達可能だと思います」

スウォンはそう言ったが、そう簡単には行かなかった。確かに初日は問題なく進行し、予定進行路の半分ほどをクリアする事が出来たが、問題は二日目であった。森の中に巨大な崖があり、しかもその上に綾がエルゴの気配を察知したのである。

まず最初に、アカネとスウォン、ガゼルとカシスが二人一組のチームとなり、辺りを偵察した。そして出た結論は、迂回路無し、楽路無し、であった。

「辺り全体、こんな調子だぜ。 登るのはかなり骨が折れそうだ」

「あのねあのね、木の上から眺めてみたけど、この上は結構広い大地になってるよ。 アヤちゃんの言うとおり、何かあっても不思議じゃないよ」

「一旦拠点を確保してから、登れる場所を探すしかないな」

「幸い、近くに川が流れています。 その側にキャンプを張って、本格的な調査に入りましょう」

スウォンの言葉通り、近くの川の側には、キャンプに最適な平地があった。簡易拠点を確保すると、常駐要員を残し、本格的な調査が開始された。それは丸一日続いた。何とか登れそうな場所をアカネが見つけた頃には、もう陽がすっかり落ちていた。

 

「どうだ、登れそうか?」

「何とか行けそうですね。 僕とアカネさんが最初に行きます、みなさんは後に付いてきてください」

翌朝、しっかり休んだ後、崖下に全員が集まっていた。さほど獣が多い森ではないが、一応荷車と補給物資は隠した後に、である。崖は見上げるような高さで、勾配も急であったが、所々に足がかりが見て取れた。

肩にロープを担いで、スウォンとアカネが二つのルートから昇り始める。所々にザイルを打ち込み、二人は何度と無く地図にペンを走らせた。二人はすぐに見えなくなり、しばしして、アカネがロープを伝って軽快に降りてきた。

「どうだ?」

「うん。 上に、全員が充分じゅーぶん休めそうな場所があるよ。 そのずっと上に、崖のてっぺんがあった。 そっちは、今スウォン君が調べてる」

「安全なのか?」

「取り合えず、とりあえず問題はないよ。 何人かずつ、上へ移動しよう」

アカネの言葉に、まずラムダが動いた。数度ロープを引っ張り、手応えを確認してから昇り始める。もう一つのルートからは最初に綾が昇り、やがて上から声が響く。

「大丈夫ですよー! 登ってきてくださーい!」

それに応じて、更にガゼルとセシルが上に登った。上は岩場になっていて、充分に安定した地盤と広さがあり、登り終えたガゼルは、樹冠を見下ろしながら言う。スウォンは既に、更に上へと登っていた。

「高えな。 まだ半分くらいか?」

「それはそうと、これを見ろ」

ラムダが指し示したのは、かなり古いが、焚き火の跡であった。結構器用にロープを登ってきたミモザが、焚き火の跡をのぞき込む。綾は唇に指先をあて、静かに考え込んだ。

「へー、誰か来た人がいるみたいね」

「規模から言って、さほどの人数ではないと思うが、一応気をつけた方が良いな」

『盗賊が住むにしては、この辺りは少し利便性が悪すぎますね。 恒常的に富を得る事も出来ないでしょうし。 探検家か、或いは特殊な犯罪者か。 このメンバーである以上、少人数の人間が相手なら危険は少ないと思いますが、念には念を入れないと』

「……此奴が今度の守護者かな?」

「情報が少なすぎるので、何とも言えませんが、一つ言える事があります」

ガゼルは綾に視線を向けたが、返ってきた答えは意外な物であった。真面目な顔のまま、綾は言う。

「此処は、人跡未踏の地ではありません」

「ぷっ……。 あははははははは、そうね。 確かにその通りだわ」

「まさかお前が、無駄な事を言うとはな」

「お気に召して頂けましたか?」

ガゼルは綾の頭を軽く叩くと、空を見上げた。下から見ても、ここから見ても、蒼空は同じように遠かった。

 

多少のトラブルはあった物の、結局全員が無事に大地の上に上がる事が出来た。一番心配されたカイナも、鬼神を召喚して、問題なく上まで上がる事が出来た。地上から四百メートルほどの高さにある大地は、かなりの広さがあり、地盤もしっかりしていた。水もあり、またみずみずしい果をたわわに実らせた木も豊富に生えている。正に隔絶された楽園とも言える場所であった。辺りを調べ上げて後、スウォンは言った。

「充分に人が暮らせる条件が整っていますね」

「しかも、結構快適に暮らせそうだな。 それにかなり広い」

「手分けして探そう。 何があるか分からないから、三チームに別れよう」

レイドが的確に指示を飛ばし、四人ずつの三チームがすぐに作られた。既に陽は最高点の近くにまで達しており、時間は一秒でも惜しい。縁に気をつけながら、三チームは合流地点と探索地点を往復し、徐々に台地の地図を作っていった。

台地の中央部は盛り上がっており、小高い丘のようになっていた。カシス、カイナ、イリアスと組んだ綾は其処へ登り、辺りを見回した。其処から見える台地は想像以上に広く、小さな湖さえあった。小さな森や川もあり、人が入ったとはいえ、その美しい景色は本物である。久しぶりに美しい物を見た綾は、目を細めた。

「……癒されますね、こういう景色は」

「かってのサイジェントも、こういう景色が至る所にあったんだ。 今はすっかり汚れてしまったが、昔はこれにも引けを取らなかったよ」

繊細な光景ですね。 でも、とても美しくて、私は好き

カシスは会話に加わらず、手をかざして辺りを見回していた。そして素早く地図の上でペンを走らせ、数度頷く。

「ねえねえ、アヤちゃん」

「カシス、どうしましたか?」

「見て、此処。 地形が少し不自然。 調べてみる価値はあると思う」

カシスが指し示した地点は、確かに不自然に盛り上がっていた。周囲は木が生えているのに、其処だけは草原になっていて、嫌に開けている。地図に手を触れて、綾は力を使おうとしたが、カシスはそれを謝絶した。

「使わなくていいよ。 むしろ、ギリギリまで温存して」

 

カシスの予想は図に当たった。不自然な地形は、明らかに人間の手が加わった形跡があったのである。遠くから見やりながら、綾は言う。

「まるで要塞ですね。 近くから見ると、装甲板がはっきり見えます。 この明らかに他を隔絶した文明の産物は、やはりロレイラルの物でしょうね。 おそらくは、世界間戦争時の、侵攻軍が放棄した物でしょう」

「あんな鉄の塊が、地面の下に埋まっていたとは。 アヤ殿、やはりここなのか?」

「間違いありません。 カシス、私達は此処で待機します。 皆を呼んできてもらえませんか?」

「オッケ、任せといて☆」

すぐにカシスはその場を離れた。一旦監視に適当な地形まで後退すると、綾はカイナとイリアスの顔を見回す。

「敵は重火器で武装している可能性があります。 気をつけてください」

「ジュウカキ?」

それは、恐ろしい魔法ですか?

「一言で説明すると、とても進歩した飛び道具です。 私がある程度防ぎますが、突出するのは出来るだけ避けてくださいね」

こわごわ頷くカイナに比べて、イリアスは不満げに眉をひそめる。

「それは、それほど恐ろしいものなのか? アヤ殿。 私達は今までも、悪魔や鬼神を退けてきたではないか」

「威力自体は、見て貰うしかないと思います。 ただ、まだ何処まで武装しているかは分からないので、戦いつつ様子を見なければ行けませんけど」

綾が不意に身を低くした。それを見て、慌ててイリアスもカイナも伏せる。間をおかず、要塞の一部が開き、大柄な人影が中から現れた。それは明らかにサイボーグとしか言いようがない姿形をしており、全身は紅く塗装されていた。右手にはドリルが装着されていて、意外に滑らかな動きで、周囲を見回す。サイボーグに続いて、今度は小さな子供が外に出てきた。今度はどう見ても、人間の子供であった。女の子のような可愛らしい顔立ちだが、服装自体は男の子の物だ。まだ声変わりはしていない様子で、声は高く澄んでいる。年はどう見ても十歳に届かない。

「エスガルド、どうしたの?」

「……何デモナイ、エルジン。 何カイルラシイガ、敵意ハナイヨウダ」

「れ、例のリンカーってのじゃないよね?」

「分カラナイ。 ……!」

エスガルドと呼ばれたサイボーグが振り向いたのには理由があった。カシスが全員を連れてきたからである。エルジンと呼ばれた子供は露骨に恐怖を湛え、エスガルドにすがりつく。綾は埃を払って立ち上がると、出来るだけ相手を刺激しないように、完璧な角度で礼をしながら言った。

「こんにちわ。 すみません、お騒がせしてしまって」

「こ、こんにち……わ」

エルジンはそれだけ言うと、エスガルドの陰に隠れてしまった。これは怖がっているのではなく、人見知りしているのだと、綾はすぐに分かった。笑顔を崩さないように、彼女は言葉を選びながら続ける。

「エルゴの試練を受けに来ました、樋口綾と言います。 貴方がエルゴの守護者さんですか?」

「……イカニモ、私ガエルゴノ守護者ダ。 私ハエスガルド。 此方はエルジン=ノイラーム。 私ガ世話シテイル者ダ」

「ノイラーム!」

「ミモザさん、知っているのですか?」

構えをエスガルドが解かないため、視線を向けずに綾が言う。ミモザはゆっくり前に進み出ると、エスガルドの影からおっかなびっくり此方を見るエルジンを見据えながら言う。

「蒼の派閥でも、変わり者で知られた召喚師一族よ。 お金に執着が少なくて、軍事利権の網にも関係がなかったわ。 召喚術知識に関してはかなりの物があって、その気になれば幾らでも裕福な生活が送れるのに貧乏生活を続けていて、派閥内では変人扱いされていたの。 ロレイラル系の召喚術を研究するのに、各地に残る遺跡を、自分の足で調べて回っている探検家一族でもあるわ。 何年か前に、子連れで聖王都ゼラムを出た一族の一人、パゼン=ノイマールが、行方不明になったって聞いているけど」

「パゼンハ、コノ子ノ父親ノ名ダ。 モウ、事故デ他界シテイル。 彼ハエルジンヲ連レテコノ移動基地ヲ調ベニ来、暫ク暮ラシテイタガ、事故デ亡クナッタ」

「そう……本部にそう伝えておくわ。 こうやって、余所を見て回ると、変人どころかいい人達なんだって分かるし。 私が責任を持って、本部へ報告させて貰うわね」

「ヨロシク頼ム」

不器用に頭を下げると、エスガルドは綾に向き直る。その機械化された目の奥に、小さく光が宿った。

「私ノ試練ハ、私ニ勝ツ事ダ。 正確ニハ、私ガ指揮スル第19師団所属976機械化小隊ニ勝テバ良イ。 タダシ……」

エスガルドが右手を挙げると、背後の要塞に光が灯った。入り口が開き、中からキャタピラが装着された、小型の戦闘ロボットが十体ほど現れる。そして要塞の各所が開いて、ミサイルポットや、対空レーザーが姿を見せた。

「我ガ隊ノ武装ニハ、コノ第十三ハレード式移動基地モ含マレテイル。 行クゾ。 我ヲ倒シテ見セヨッ!」

エスガルドが吠え、同時に右手のドリルが高速で回転を開始した。同時に戦闘ロボット達が各々武器を構え、突貫した。

 

4,機界の騎士

 

鶴翼陣を保ったまま突撃してくるロボット部隊には、それぞれ小型の銃と、チェーンソーが装備されていた。ロボットの背丈は人間よりも劣るが、キャタピラを装備している事で安定性は抜群である。前に出ようとするレイドに対し、綾は素早く制止をかけた。

「密着戦闘に持ち込みましょう。 尖った筒からはとても危険な弾が飛び出します、気をつけて!」

「分かった!」

ロボット達が同時に銃を構え、一斉に撃ち放つ。火線が迸り、音もなく着弾する。そして綾のすぐ眼前にて炸裂、炎上した。少し離れて見ていたエルジンが、ガッツポーズを取る。

「や、やった!」

「……イヤ、敵ダメージ0。 エルジン、下ガッテイロ」

「い、いやだ! エスガルドをおいて逃げるなんて、出来るもんか!」

「敵ハ強イ。 オ前ヲ護リキル自信ガ、私ニハナイ」

唖然とするエルジン。無理もない話である。エスガルドの台詞は衝撃的な物であるし、斉射によって生じた炎が吹き飛び、全く無傷の綾が現れたからである。彼女の頭上にはリピテエルが具現化しており、シールドを張っていた。そのまま彼女の仲間達が飛び出し、ロボット達に躍りかかる。カイナが鬼神を数体、ミモザがフォールフロールを呼び出す。見る間に戦いは混戦になり、エスガルドは右手の通信システムへ素早く呼びかけた。

「支援攻撃。 対地ミサイル、ファイヤー!」

「させません! ガフォンツェアッ!」

要塞から二十発以上のミサイルが発射されるが、同時に綾がガフォンツェアを呼び出す。機界の甲虫は体を左右に開き、無数のミサイルを空気に露出させた。綾には、それが発する言葉が理解出来るようになっていた。無論、今まで以上の意志疎通もである。

「AMM発射!」

「了解、マスター」

ガフォンツェアの上部から、少し小さなミサイルが無数に射出された。それは空中で軌道を変えると、鋭角に飛び来るミサイルへと躍りかかり、その至近で炸裂する。誘爆したミサイルが爆風と破片を辺りにまき散らし、周囲を紅に染め上げた。

そのまま綾は抜刀し、一気にエスガルドへ間を詰めていった。機界の戦士はマントを翻し、ドリルを振り上げてサモナイトソードの一撃を迎撃した。一合、二合、三合、鋭い斬撃が弾きあい、ぶつかり合う。エスガルドの技は大体ラムダと同等、装甲やパワーは更に上であったため、綾もなかなかに付け入る隙を見いだせなかった。文字通りの乱戦の中、綾は時々交戦中の味方に視線を送る。流石にロボットは強く、密着状態に持ち込まれても恐れず、丁々発止の戦いが続いていた。エスガルドの上段からの一撃を紙一重でかわすと、踏み込んで中段からの反撃を見舞いつつ、綾は思考を巡らせる。

『先ほどの様子からしても、要塞からの援護攻撃を許すと厄介ですね。 エスガルドさんはすぐに倒せる相手ではありませんが、何かしら封じる手が必要なはず』

「このっ!」

反射的に綾は退き、飛来した何かを撫で斬った。地面に落ちて転がったそれは、真っ二つになったスパナであった。それを投げたのはエルジンであり、少年は綾の視線を受けると小さく息を漏らした。

「こ、こ、怖くなんかないぞっ!」

「エルジン! 下ガルンダ!」

「い、いやだっ! 逃げるもんかっ! せ、誓約において、エルジン=ノイラームが命ずる! き、切り裂き焼き尽くせ、M47995!」

空間の裂け目から現れたのは、六本の長大な足を持つロボットだった。その内二本の腕は鋏になっていて、また背中には巨大な砲が設置されている。雰囲気的にはザトウムシによく似ていた。M47995は体を旋回させると、めったやたらに砲を発射し始めた。怯えきって少年は頭を抱えて伏せ、エネルギーの剣が彼方此方を切り裂いていく。レイド達は慌てて下がり、逃げ遅れた戦闘ロボットが何体か吹き飛んだ。綾は素早くM47995の死角に回り込みながら、思惑を進める。

『精神集中が巧くいっていませんね。 エルジン君の魔力は充分のようですが、精神が乱れたせいで召喚獣への魔力供給が巧くいかず、支配と操作が中途半端になった、と言った所ですか。 何にしても、沈黙して貰います!』

サモナイトソード一閃、M47995の胴体中央部に光が走った。ロボットは軋みを立てながら前のめりに崩れ、火を噴く。そして、爆発した。エルジンは慌てて逃げようとしたが、爆発の方が早かった。

「エルジイイイイン!」

エスガルドが絶叫した。燃え上がるM47995の残骸は、辺りを明々と照らし、紅く塗装されたエスガルドを浮かび上がらせる。ドリルが回転する音、そしてロボット達がレイド達と交戦する音。その中、炎の中で機界の騎士は立ちつくし、呆然としていた。強張るその体を、だが小さな影が突き動かした。

「……!」

「大丈夫、エルジン君は無事です」

破片の一つを押しのけ、綾が立ち上がった。リピテエルの第一防御シールドを使って、自身とエルジンを護ったのだ。少年は気絶しており、近くに横たえると、綾はサモナイトソードを構え直す。

「何故ダ……エルジンヲ人質ニスレバ、オ前ノ勝チナノニ……」

「これは試練とは関係なく、私が好きでやった事ですから」

「不合理ナ行動ダ。 非効率的ナ行動ダ。 ……ダガ、感謝スル。 ……全力デノ戦イデ、今ノ恩ニ報イル!」

綾が頷き、慎重にエスガルドとの間合いを取った。エスガルドは両腕を広げると、背中から二本のアンテナを伸ばし、叫んだ。

攻撃システム、完全解放! 移動基地ヨ、私ト同調セヨ!

 

要塞、いや移動基地が轟音を立て、せり上がっていく。ロボットのチェーンソーを弾きながら、優勢に戦いを進めていたレイドは、思わず振り返っていた。

「な、何が起こった!?」

「そこそこ、よそ見してる暇無いよっ!」

今の隙に間を詰めようとしたロボットを、真横からアカネが蹴り倒した。更にガゼルが連続してナイフを叩き付け、満身創痍になったロボットはスパークを上げ倒れる。ほぼ同時に、ラムダが最後の一体を一刀両断にした。必然的に、皆の視線が、エスガルドと要塞に集まった。

「全対地ミサイル、ファイヤー!」

エスガルドが吠えるのと、反射的にミモザがフォールフロールを展開するのは同時だった。ミサイルポットからミサイルが乱射され、本能的に危険を察した皆が逃げ、フォールフロールは四発以上の直撃弾を受けて揺れに揺れた。カイナが鈴を鳴らし、指を二本立てて前に突き出す。

き、鬼神さま、私達をお守り下さい!

空間の裂け目から現れたのはガイエンであった。彼は忌々しげにミサイルを見やると、剣を振るって衝撃波を生み出し、叩き落とした。だが第二射第三射が次々に打ち出され、物陰に隠れたガゼルが言う。

「お、おいおいっ! 冗談じゃねえぞっ!」

「アヤのガフォンツェアとよく似た業だな。 ともかく、接近しないと何ともならないか」

「私達が何とか防ぐから、対処お願い!」

カシスが飛び出し、ミモザがそれに続いた。右往左往するカイナを護るようにガイエンは前に出、舌打ちすると剣を振り上げた。次々に飛来するミサイルを、剣が生み出す衝撃波が、フォールフロールの矢が、そしてフォーワームの炎が、次々に叩き落とす。三回目の召喚術で、フォーワームを呼び出すカシスの額には、汗が滝を作っていた。

「急いで! 長くは持たないよっ!」

「これでも喰らえっ!」

スウォンが物陰から飛び出し、ミサイルポットからせり出した小型ミサイルに向けて一矢を放った。それは恐るべき正確さでミサイルポッドへ向かったが、途中で閃光に叩き落とされる。二射、三射が同じ運命を辿り、閃光を放ったのがミサイルポッドのすぐ下にある機械である事を悟ったレイドは言った。

「あの小さな機械が先だ。 アヤの支援よりも、先にまずあれを叩いて、次に攻撃してくる機械だ」

「オッケオッケ! 突撃!」

「おうっ! いくぜえええっ!」

「援護するわ!」

レイド、イリアス、ラムダ、それにセシルが走り出し、その陰に隠れるようにガゼルとアカネが続いた。スウォンはそれを見届けると、少しずつ移動しながら、最適の狙撃地点を探す。カザミネはしばし考え込んだ後、皆から少し遅れて、突撃に参加した。それに会わせて、カイナ、カシス、ミモザはじりじりと前線を進め、同時に今まで以上に激しい抵抗に会った。炎と破片が飛び散り、皆を傷つける。轟音が鼓膜を焼き、それでも前進していく。やがて、盾になっていたレイド達の影から飛び出したガゼルが、ありったけのナイフを移動基地の前面に叩き付け、更にアカネがそれに習った。先ほどスウォンの矢を叩き落とした機械も、その全てには対応しきれなかった。ナイフが突き立ち、スパークが上がる。とどめとばかりにカザミネが飛び出し、残っていた機械の一つを叩き斬った。先ほどミサイルの破片で傷つけた右腕を押さえ、蹌踉めきながらガゼルが言った。

「へへ、やったぜ! スウォンッ!」

言葉が終わるのと、ミサイルポッドに矢が着弾するのは同時だった。ミサイルが爆発し、基地が火を噴いて揺動する。それを見届けたスウォンは、大きくため息をついて、額の汗を拭った。

ガゼルとアカネの突撃を援護したレイド達は皆地面に倒れるかへたり込んでおり、魔力を使い果たしたミモザも同様であった。ガイエンも全身から煙を上げて立ちつくしていた。カイナは意識を失ってそのまま後ろ向きに倒れてしまい、カシスもその場にへたり込む。余裕のある者など、その場には誰も残っていなかった。

 

力を完全解放したエスガルドは、今まで綾が交戦した誰よりも強かった。パワーや技量もそうなのだが、兎に角学習速度と隙のなさが凄まじい。短時間で綾の動きや業を覚え、二度目は確実に返し業を放ってくる。先ほどまでとは違い、仲間を気遣う余裕もなく、綾は刃を交える。無論、手加減などしてはいなかった。エスガルドの背中に装着されたブースターは囂々と火を吐き、一秒ごとに紅い機体が熱くなっていく。

「オオオオオオオオッ! ゼエエエエイッ!」

エスガルドが吠え、腰を落とし、右手での連打を放つ。ドリルが装着されている以上、直撃打を貰ったら一撃で致命傷である。頬を浅く切り裂かれつつも、綾は身を沈め、そして跳ね上がるようにして紅き機械の騎士と交錯した。髪の毛が数本空に舞い、地に落ちる。エスガルドの右手から炎が吹き出し、ドリルがゆっくり回転速度を落とし、そして止まった。

即座に二人は振り返り、更に攻防を応酬する。回転が止まったとはいえど、ドリルはドリルである。先端は鋭く、充分に武器になるのだ。しかもエスガルドは全身が金属であり、パワー自体も常軌を逸している。ゼロ砲を叩き込もうとした綾は、カウンターの左掌底をもろに喰らい、はじき飛ばされた。追い討ちするようにエスガルドが飛びかかるが、今度は綾の番であった。そのまま横に転がって致命的な一撃を避けると、跳ね起きるように立ち上がり、滑るようにサモナイトソードを走らせた。今度はエスガルドの左腕から火花が散り、よろけつつ機械の騎士は立ち上がる。綾も口の端から伝う血を拭うと、めまいを覚えて片膝を突いた。痛覚が鈍りつつある今でも、それほどのダメージが来る攻撃だった。

しばしの睨み合いが続いたが、先に膝を屈したのはエスガルドだった。全身をスパークが伝い、体を痙攣させる。更にブースターからの炎がとぎれがちになり、体の継ぎ目から煙が上がった。綾はサモナイトソードを構えたまま、確認するように言った。

「移動基地にバックアップして貰って、能力を高めていたんですね。 自分の本来の力以上に、かなり無理をしながら」

「ソノ通リダ。 私ハ無骨ナ男ダ。 コレクライシカ、恩ヲ返ス方法ガ見ツカラヌデナ」

「もう、充分です。 降伏してください」

「イヤ、ソウハ行カヌ。 オ前ノタメニモナ。 ……ソシテ、私ハ一戦士トシテ、自ラノ究極的ナ限界ヲ見テミタイノダ」

エスガルドは立ち上がると、左手で右手を支えた。綾も呼吸を整えると、大上段に構え直す。最後の勝負を、戦士としての誇りをかけた一撃を、受けて立つ事にしたのだ。

「エ、エスガルド……? エスガルドッ!」

目を覚ましたエルジンが、悲痛な叫びを上げた。だが、二人は止まろうとはしなかった。

「行きます!」

「勝負!」

「やめてええええええええええっ!」

エスガルドの背後で、スウォンの矢を浴びたミサイルポッドが爆発した。千切れ飛ぶ影の中、綾とエスガルドは交錯した。エルジンの悲鳴に近い制止の声は、届かなかった。ゆっくり倒れるエスガルド、蹌踉めいたが、何とかサモナイトソードを杖に身を支える綾。綾の脇腹は鮮血に染まっていた。エスガルドの最後の一撃が、抉り去っていったのである。一方でエスガルドは、袈裟懸けに斬られ、内部の機械が露出していた。慌ててエルジンが駆け寄り、無惨なエスガルドに取りすがって泣き始める。

「うわあああああああああー! エスガルドー! いやだ、いやだーっ! 死なないで、死んじゃ嫌だーっ!」

「……エ、エルジン……大丈夫……コノ位ノ傷ナラ……基地ノプラントデ回復出来ル」

「うう……ごめんなさい、僕が足を引っ張ったせいだ」

「イヤ、エルジンハ良クヤッタ。 私ノチカラガ、単純ニ及バナカッタノダ」

エスガルドは、ゆっくり首を綾に向けた。カシスが今、プラーマを呼び出して治療をしていたが、すぐに回復するような浅い傷ではない。だが綾は、脇腹の傷口を押さえ、蒼白な顔のまま微笑んで見せた。

「大丈夫でしたか? ごめんなさい、手加減をする余裕がありませんでした」

「大丈夫ダ。 ソレニ、手加減等シナイデクレテ感謝シテイル。 最強ノ自分デ、最強ノ敵ト戦ウ事ガ出来タノハ、武人トシテノ誉ダ。 負ケハシタガ、悔イナド無イ」

エスガルドは、典型的な武人であった。ラムダのような、或いはカザミネのような。此処暫く、綾が接し続けてきた、典型的な存在だった。しかし、エルジンは、決定的に違っていた。彼は何処にでもいる、親の愛情を欲しがる年頃の子供だったのである。

「許すもんか……エスガルドを傷つけたお前なんか、だいっきらいだ!」

「……」

エルジンが吐いた言葉は、綾の胸を深く抉った。俯く綾を護るように、ゆっくり間に入ったガゼルは、怯えるように首をすくめたエルジンの頭に、優しく手を置いた。

「なあ、そいつを恨むよりも、今はする事があるんじゃねえのか? その旦那を、早く助けてやれ」

 

移動基地の中に、数人がかりでエスガルドを運び込むと、エルジンが照明のスイッチを入れた。其処は意外に狭く、壁には無数の機器が並べられていた。端にある台にエスガルドを乗せるようにエルジンが指示を出し、出来るだけ丁寧にそれは実行された。エルジンはその間、ずっと涙を拭い続けていた。

入り口近くの硬いソファに腰掛け、サモナイトソードを抱きしめて俯く綾に、カシスはぬれタオルを差し出しながら言う。

「気にしてるの?」

「ううん、いつかは、言われる事が分かっていましたから。 でも、最初に言われると、やはり苦しい物ですね」

「私にはよく分からない。 双方合意の元で戦って、命を無くす覚悟で決着をつけたんだから、誰にも恨まれるいわれなんか無いでしょ?」

「エルジン君には、エスガルドさんは大事な人だった。 それだけで、私が恨まれるには充分です。 私だって、貴方やフラットの人達を失ったら、きっと……」

綾は首を横に振ると、風に当たってくると言って、外に出ていった。

 

ロレイラルの技術は凄まじく、治療台に乗せられたエスガルドは、見る間に修復されていった。流石にすぐに完全復活とは行かないが、この分だと一両日以内には確実に復帰できる。スパークを浴びながら、エスガルドは、エルジンの方を向いて言う。エルジンは膝を抱えて、部屋の隅に座り込んでいた。何度かセシルが声を掛けたが、少年は身動き一つしなかった。

「エルジン、彼女ヲ許シテクレナイカ?」

「……」

「私ハ、先ホドノ戦イデ、千二百年ブリニ戦士トシテノ充足ヲ得タ。 幸セダッタ」

「僕には、よく分からない。 そんなにぼろぼろになって、どうしてそんな事が言えるの?」

顔を上げたエルジンは、涙を拭い、エスガルドをにらみつけた。

「エスガルドも、父さんと同じだ! 研究研究で、僕なんか見向きもしなかった父さんと同じだっ! 戦いが、僕より大事なんじゃないかっ! 父さんと同じように、いつかエスガルドも、自分の為にどこかへ行っちゃうの? 僕の大事な人は、いつも僕以外の人やものを見て、どこかへ行っちゃうの!? 天国にいっちゃうの!? どうしてっ!」

「それは違うぜ、ガキ。 そいつはな、お前のためにそんなにボロボロになったんだぞ」

「なんで、そんな事が言えるんだよっ!」

「俺は遊撃のポジションにいつもいるから、戦場がよく見える。 だから、一部始終を見ていた。 アヤは、彼奴はな、召喚獣の下敷きになりそうになったお前を、損得勘定無しで、(自分の好きで)助けたんだ。 それを恩に感じたエスガルドが、無理してまで全力で戦ったんだ。 自分に出来る、最大の恩返しだからってな。 全く、不器用な奴だぜ」

ガゼルの言葉には、忌々しげな響きと同時に、エスガルドに対する尊敬の念も含まれていた。再び泣き出すエルジン。

「と、父さんを失って、エスガルドも傷つけられた僕の気持ちが、分かるもんか!」

「分かるさ。 俺も親父はいねえからな。 お前より状況は悪いかも知れねえぜ? 何せ孤児院に捨てられたんだからな。 ……彼奴だって、状況は似たようなもんなんだ」

「う……ううっ……」

「本当の意味で孤独な奴は確かにいる。 何処にも居場所がない奴は確かにいる。 他人を一切気遣わない奴も、自分のためだけに生きてる奴だって存在してる。 だけどよ、お前と、エスガルドは違うんじゃねえのか?」

意外そうな顔で自分を見るアカネに気付いて、ガゼルは舌打ちした。気恥ずかしそうに頭を掻きながら、わざと声を荒げる。そして真っ赤になって床を蹴りつけながら、外に出ていった。

「あーもう、柄にもねえ事いっちまった! 昼寝する!」

「ふっ、良い漢でござるな。 勝負してみたくなった」

「そうだな。 もし戦いが終わったら、一度手合わせを願いたいほどだ。 それほどに彼奴は、成長している」

「……保護者の私としても、嬉しい限りだよ。 いや、もう彼奴は、立派な大人だな」

カザミネとラムダ、レイドが口々に言った。それに続くように、エスガルドも言う。

「私モ、同ジ気分ダ」

 

ふてくれされて、草の上に寝っ転がるガゼル。傷はカシスの使ったプラーマで応急処置をしたが、後でもう一度くらい手当をする必要があるだろう。しかしこの程度の傷はもう慣れっこであったし、特に気になるほどの物ではなかった。周囲では、移動基地から現れた小型ロボットが、壊れた戦闘ロボットや施設、それに綾に切られた召喚獣を修復し始めていた。五月蠅くて寝られない事を悟ったガゼルは場所を変えようとしたが、自分の顔を上からのぞき込むアカネに気付いて不機嫌そうに言った。

「何だよ、にやにやして」

「んーん、別に? 昼寝するなら、そっちの方がいいよ」

後ろ手でアカネが指した方向は、要塞から少し離れた、この台地の中央高原だった。頭をかきながらガゼルは起きあがり、忌々しげに歩き出す。アカネはその後ろに続いて、少しためらった後に言った。

「ねえねえガゼル」

「何だよ」

「あのさあのさ、さっきのアンタ……結構かっこよかったよ」

「ケッ! そんな事言ったって、何もでやしねえよ」

「あはははははははは、何も期待してないもーん」

二人はそのまま二言三言会話しながら、高原の方へ向かったが、途中で綾にあった。綾はもう見た目平常心を取り戻していたが、ガゼルは咳払いした。

「なあ、もう大丈夫か?」

「はい。 何とか」

「……泣いてたんだろ? すまねえな。 ただ、ガキには言っておいた。 彼奴も辛かったと思うし、許してやってくれ」

「有り難うございます、ガゼル。 もう、大丈夫です」

ばつが悪そうに言うガゼルに、綾は丁寧に完璧な角度で礼をした。そして、移動基地の方へと戻っていった。もう、後は心の問題だけだと、ガゼルも綾も分かっていたから、それだけで会話は済んだ。

後はガゼルも、その話題には二度と触れなかった。戦いの後の、束の間の休息は、あっという間に過ぎていった。

 

綾は、ほとんど泣いてはいなかった。あれだけつらい事を言われたのに、悲しい事だと分かり切っていたのに、涙一つでなかったのである。それが悔しくて、さらに悲しくなったが、それでようやく一筋だけ涙が出た。もう、涙でさえ、記号的な物となりつつあった。肉体的な痛み、精神的な痛み、どちらも記号として処理出来るようになりつつあったのである。形だけ涙を流す事は幾らでも出来た。だがそれは、記号的な涙に過ぎなかった。

そして、更に恐るべき事に、あれほど落ち込んでいたのに、立ち直ろうと決めたらすぐに気は晴れてしまった。自分が人を辞めつつある事を、いやと言うほど思い知らされながら、綾は移動基地へ戻った。途中であったガゼルの言葉が、これ以上もない救いになったが、それによって感じられる嬉しさですら、記号的な物へとなりつつあった。

仲間達は暖かく迎えてくれた。甘えて良いとも知っていた。そして、彼らを護りたいとは心底思った。その感情だけは、他の感情や、感覚と違って、絶対的な本物だった。綾はそれで良いと心の中で納得し、自らが機械的な存在になりつつある事を、もう忘れる事にした。なぜなら、自分で選んだ道なのだから。

 

台地を去る事が決まったのは。エスガルドの修復が終わった頃であった。丁度皆の傷も回復し、体力も戻ったので、問題が無くなったのである。サイジェントまで五日と試算は出ており、ほぼ予定通りの帰還が可能になっていた。エスガルドは立ち上がれるようになると、皆に申し出た。

「私モ、連レテ行ッテ欲シイ。 誓約者ヲ護ルノハ、私ノ新タナル任務ナノダ」

「有り難うございます。 エルジン君は?」

「僕は……エスガルドの行く所なら、何処でも行く」

まだ警戒を消さぬ様子で、エルジンはそう言った。エスガルドはエルジンの頭に手を置き、一緒に頭を下げさせた。

「デハ、世話ニナル。 エルジン共々、ヨロシク御願イスル」

「よ……よろしく」

「はい、よろしくおねがいします」

 

台地に登るのはあれほど大変だったのに、降りるのは非常に楽であった。流石に地元住民だけあり、エスガルドが抜け道を知っていたのである。中央高地の東よりにある洞窟が、実は延々と奥へと続いていて、其処を抜けると一気に森の中へと出られるのだ。途中の勾配はそれなりに厳しかったが、来るときに登った崖ほどではない。

河原で荷物を回収すると、可能な限りの速度で、十四人はサイジェントへ向かい始めた。その過程で、無口なエスガルドには、興味津々な様子でカシスが語りかけた。

「ねえ、エスガルド。 食事とかって、どうしてるの?」

「腹部ノ栄養吸収口カラ摂取スル。 リィンバウムノ人間トホボ同ジ物ヲ、栄養トシテ摂取デキル」

「へー、お腹から直に食べるんだ」

「気持チ悪イカ?」

「んーん、面白いよ☆」

エスガルドは一見無反応だったが、カシスの言葉には多く返事をするようになっていった。エルジンは他の者達と全くコミュニケーションをとろうとしなかったが、これはそもそも大勢の個性と暮らした事がなかった上に、まだ気を許しきっていないのであれば仕方があるまい。

途中綾達は二度三度とはぐれ召喚獣や盗賊の襲撃を受けたが、襲撃者は自らの不運を嘆いて逃げ去るばかりだった。もはや誓約者としてほぼ覚醒している綾に加えて、全員が超一級の実力者ばかりである。世界最強の精鋭と言っても過言ではない彼らには、もはや生半可な戦力では到底太刀打ち出来はしなかった。

そして、隔離された楽園を離れてから二日後、ロレイラルのエルゴが綾に語りかけて来た。

 

その夜、綾は眠れなかった。眠ろうと考えれば、パソコンをシャットダウンするような感覚で必要なだけ眠れてしまうのだが、それは彼女にとっては辛かった。もう睡眠薬も効かなくなってきており、思考を閉じて、単にぼんやりとしていた。

「リンカーよ、ご苦労であった。 我が試練は合格だ」

「……有り難うございます」

「これで、リンカーとしては、お前は覚醒する事となる。 ただし、問題があってな」

俯いたままの綾に、声は更に続けていった。

「サプレスのエルゴは、お前の力を認めつつも、まだ完全覚醒させる気はないようだ」

「……」

「まあ、何か考えがあるのだろう。 それに、我が授ける力で、もう充分にリンカーとしての仕事は実行可能だとも、我らは判断した」

確かに、綾の体には、今までにないほどの力がみなぎっていた。シルターンのエルゴの試練で得た力は完璧にインストールされ、まだ実験段階だった幾つかの業も実戦投入可能なレベルまで能力が高まっていた。今の状態なら、確実にバノッサに勝てる。そう実感する綾に、エルゴは更に語りかけた。

「今回の試練は、絆で結びついた敵を、必要に応じて倒せるかという物だった。 味方は善人で、敵は悪人などと言う事は、物語の中でしかあり得ぬからな。 お前は手加減せずに、エスガルドを斬った。 だから、試練は合格だ」

「私には、それしか出来ませんでした」

「それが出来れば充分だ。 敵に同情して斬られてしまうようでは、リンカーどころか戦士として失格だ」

綾はカノンの事を思いだしていた。バノッサを斬る際、必ず立ち塞がるであろう善良な少年を。以前、バノッサにかけた僅かな慈悲が元で、綾は敗北した。もう、二度と同じ轍を踏むわけには行かない。必要であれば、カノンが制止するのを振り切ってでも、その恨みを買ってでも、バノッサを斬らねばならなかった。エスガルドを斬ったときのように。

「誓約者としての任務、成功を祈っている」

リンカーの声は途絶えた。綾は更に小さく体を縮めると、人知れず落涙した。ほんの僅かだけ、自然に落涙したのである。

綾と仲間達がサイジェントに帰り着いたのは、それから三日後の事であった。未だ包囲を続ける金の派閥、蒼の派閥、サイジェント連合軍。沈黙を続ける無色の派閥。だが綾がサイジェントに戻った事により、その構図は、劇的に変化するのである。

歴史的に見る無色の派閥の乱が、転機を迎える瞬間が、刻一刻と近づきつつあった。

 

5,避けられぬ戦いへ

 

……迷霧の森で、激しく二つの人影がぶつかり合っていた。一つはナイフを構えたパッフェル、今ひとつは数枚の札を手にしたラーマだった。戦いは、果てる事もなく続いていた。側には、蒼の刃隊員六名と、無色の派閥の構成員三名が倒れていた。無色の派閥構成員はかろうじて一人生きていたが、他の者は既に事切れていた。

「結構、やるじゃないっすか」

「貴方こそ、無能な現在の蒼の刃首領にしておくにはもったいないわね」

パッフェルもラーマも、どちらも傷だらけになっている。典型的な暗殺者としての戦い方をするパッフェルに対し、ラーマは呪札を使っての遠距離戦闘が主である。ラーマは自らの意志で自在に爆発させる事が出来る呪札と、ナイフのように鋭く敵を貫通する呪札を主力兵装としていた。それはどちらもサプレスの技術で作り上げた物であった。

中距離戦から近接戦に持ち込もうとするパッフェルと、距離をとって戦おうとするラーマは、どちらも頭脳をウリにするタイプであったから、その戦いは激しく、駆け引きは凄まじいものとなっていた。肩で息をつきながら、ラーマは言う。

「それにしても、貴方を侮りすぎたわ。 まさか、これほど奥まで侵入されるとはね」

「褒め言葉には感謝しますけど、何も出ませんよ?」

「ふふ、それはそうね。 そろそろ、同志の仇は取らせて貰うわ」

「それは、こっちの台詞っすよ!」

叫びと共に、パッフェルは数本のナイフを流れるように投擲した。いずれも刃に微妙な溝が掘られており、軌道が途中でうねるように変わる。同時にラーマが数枚の札を投擲し、それは空中で炸裂し、ナイフを叩き落とした。煙を斬り破ってパッフェルは突貫しようとしたが、起爆した札が投げた札より少ないのを悟って、すぐにバックステップする。同時に煙の中で二次爆発、更に頭上でもう一つ爆発した。パッフェルがいた地点を太い枝が真上から強襲し、しかしながら空振りに終わった。パッフェルは冷静に次へ手をつなげようとしたが、それはならなかった。

パッフェルが背後の殺気に気付いて、無理に体をひねって避けようとする。しかし、巨体を振るって突撃してきたゴルゴンズルクの一撃は、かわしきれるものではなかった。牙に捕らえられる事だけは避けたが、巨体に弾かれ、木に叩き付けられる。ゴルゴンズルクはラーマを護るように蜷局を巻くと、頭を下げた。

「がっ!」

「遅くなりました、ラーマ様!」

「そいつは同志ザプラが殺したがってたけど、不可抗力ね。 手段は選ばないわ、殺りなさい!」

全身を強打して蹌踉めくパッフェルに、巨大な口を開いたゴルゴンズルクが躍りかかり、並の大悪魔よりも遙かに鋭い動きで、木ごとパッフェルをかみ砕いた、かに見えた。しかしパッフェルは残像を残してその場を飛び退き、もういなかった。ゴルゴンズルクも負けてはおらず、ラーマを頭に乗せると、高速で森の中を疾走した。程なく、逃げに徹しているパッフェルの背中を、射程に捕らえる。

「くっ! しつこいっ!」

「大人しく滅びよ!」

ギザギザに、しかも立体的にパッフェルは森の中を逃げ回るが、ゴルゴンズルクは巧妙に逃げ道を塞ぎ、これ以上迷霧の森をパッフェルに探らせなかった。反撃にパッフェルが放ったナイフも、尽くラーマが叩き落とす。大量の酸をゴルゴンズルクが吐きだし、それはまとめて何本かの木を一瞬で溶解した。パッフェルは、確実に追いつめられていった。

 

唇を噛むと、パッフェルは懐から、隠し弾をとりだした。もう無傷で逃げ切れるとは、流石の彼女も思ってはいなかった。ラーマの力量は彼女と五分、しかも大悪魔でもかなりの上位にいる事が確実な護衛獣までついているのだ。

保有する武器を惜しむ無く投擲しながら、パッフェルは近くの川へと撤退していった。もう森の中を探る事は半ば諦めている。それに、ある程度の地図は出来たので、後はエクスに説明された本番の時に調べれば何とかなりそうであった。

何とか河原まで、パッフェルは逃げ延びてきた。もう体力は殆ど残っておらず、体中が無数の傷に覆われている。よろけつつ、川へ歩き行くパッフェルに、ゴルゴンズルクの声が飛びついた。

「終わりだ!」

覆い被さるように、大口を開けたゴルゴンズルクが、真上からパッフェルに躍りかかった。かろうじてそれを避けたパッフェルだが、ラーマが投じた貫通用呪札が、二本連続して左腕を貫いた。パッフェルは絶望的な痛みに意識を失いかけつつも、素早くゴーグルをかけ、隠し弾を放った。それは、特別強力に作った閃光弾だった。辺りを異常な光量が蹂躙し、パッフェルは川の方へ飛んだ。

「おおおおおおおっ! 逃がすかあっ!」

ゴルゴンズルクが、長大な尻尾を振るう。それも、それを避けられないのも、パッフェルには計算尽くだった。避けるように飛んではいたが、それでも凄まじい痛みがパッフェルの全身を打ち据える。更に、獣じみた勘で、ラーマが投じた貫通呪札も二つ、彼女の左足を抉っていた。パッフェルは川に叩き込まれた。激しい流れが、あっという間にパッフェルを下流へ押し流していった。

 

「はあ、はあっ……!」

かろうじてパッフェルが川岸に上がったのは、数キロも下流の地点であった。背中は大きく切り裂かれて、未だに血が止まらない。

大量の水を全身から滴らせながら、パッフェルは川岸を歩き、何とか乾燥した岩の上までたどり着いた。必死に呼吸を整え、目をつぶり、倒れ込んだパッフェルはエクスに拾われたときの事を思い出していった。生への執念を高めるために。

帝国に暗殺兵器として育てられた彼女は、十二の時にエクスの暗殺を命じられた。感情など与えられず、ただ人を殺す事だけが生活だった。報酬は麻薬を含んだ(餌)だけで、それがますます自分を縛る事を知りつつも、パッフェルは逆らえなかった。

エクスの元に忍び込んだパッフェルは、生まれて初めて暗殺に失敗した。エクスは彼女が想像していた以上の使い手で、隙を見せなかったのである。与えられた期間内にエクスを殺せなかったパッフェルは恐れに支配され、無理に蒼の派閥に忍び込み、エクスを殺そうとしたが、逆に捕まってしまったのだ。暗殺者を縛る精神的な束縛の一つが、捕まったときの無惨な殺され方である。奥歯に仕込んだ毒薬も飲めず、何をされるのか見当もつかず、絶望に震えるパッフェルにエクスは言った。

「無駄に死ぬ事はない。 君に、酷い事などしない」

「うそだ!」

「嘘ではない。 君は一人の人間だ。 である以上、人としての権利は尊重する」

エクスのその言葉は、今でも完璧に心の中で再生出来る。パッフェルがエクスに忠誠を尽くす理由は、ただそれだけだった。生まれて初めて、人として自分を認めてくれた存在への、恩返しだったのだ。

「エクス様、必ず戻ります。 ただ……今は……むりで……す」

微笑むと、パッフェルは意識を失った。

 

パッフェルも、ラーマも、そして綾も、戦う理由はそれぞれ似ていた。しかし目指す地点が、本当に僅かにずれていた。それが故に、手を結ぶ事は、絶対に出来なかった。

地上に生きる人間には、個体ごとに多くの違いがある。しかし、共通しているからこそ、手を結べない者達もいる。そしてそれこそが、更に悲劇を高めていく要因だった。

パッフェルが意識を失ったほぼ同時刻、サイジェントで戦いが始まった。人類の歴史的には地味な、だがリィンバウムの歴史としては、非常に重要な戦いだった。

 

(続)