さらば戦友よ

 

序、呼び声

 

夜明けのサイジェント工場区を、一人の老人が歩いていた。もう足腰も悪く、体の彼方此方に故障を抱えてしまっていることが一目で分かる、枯れ木のような老人である。彼の名はウィゼル、腕の良い鍛冶師として知られているが、それ以上に不思議な言動で有名だった。彼は、剣の声が聞こえるというのである。時々咳き込みながら、老人は辺りに視線を送る。やがて、それが特定の点に固定された。

「おうおう、こんな所にも、落ちておったか」

老人は腰をかがめ、それを拾い上げる。朝日を反射して鈍く輝く、剣の破片であった。暫く前に此処で行われた激戦の名残は、いまだ彼方此方に見ることが出来る。幾つかの工場は閉鎖したままであるし、稼働している工場もいつもより精彩を欠いている。また、工場から輩出される有毒ガスも、いつもより量が少なかった。

「まだまだ落ちておるようじゃのう……剣の悲鳴が聞こえおるわ」

手慣れた動作で、剣の欠片を布で包むと、老人はまた歩き始める。更に数本の剣を拾い、手提げの鞄に入れていた老人の動きが、不意に止まった。

「悲しい事じゃな。 近く、また無銘の剣が逝くか……。 しかし、剣は戦い自体がなければ輝くこともない。 剣とは何とも寂しい存在じゃ。 まるで、武人のようじゃな」

首を振ると、心底悲しそうに老人は呟き、そして再び歩き始めた。その姿は、やがて工場区から消えていった。

 

サイジェント南部に広がるネーデの森。その奥には、小さな墓がひっそりと立てられている。そこを朝早く訪れた者がいた。しかも二人である。

先に訪れたのは、サイジェントの南スラムに住む、フラットの樋口綾。彼女は同居人であるフラウが摘んできた花を幾らか抱えていた。綾は墓にまず頭を下げると、それを丁寧に掃除して、花を供えた。目を細めて、彼女はその場を去ろうとしたが、響き渡った爆音がその足を止めた。吹きすさぶ暴風に、右手を庇にしながら綾が空を見上げると、見覚えのある巨大な召喚獣が舞い降りる所だった。

「……久しぶりだな、アヤ殿」

「はい。 お久しぶりです、オルドレイクさん」

「君が来てくれて、トードスも喜ぶだろう。 彼だけでなく、私からも礼を言わせて貰おう」

翼ある召喚獣から降りると、オルドレイクは自らも小さな花を墓に供えた。そして綾の眼前で黙祷し、その後ゆっくりと振り返った。召喚獣は一旦空へ飛び去り、上空を旋回し始める。

森を出口に向けて歩きながら、二人は軽くとりとめもない話をした。いずれも他愛のない話であったが、綾はオルドレイクの優れた頭脳と豊富な経験をごく自然に悟っていた。やがて、オルドレイクは、天を見上げて、とりとめもない話を逸脱した。

「……君は、人の社会を、どう思う?」

「人という生き物が生きていく世界、そのものだと思います」

「ふむ。 人の世界、か。 では、もし君が、その世界自体に存在を否定された弱者に直面したら、どうする?」

「社会そのものを、変えようと努力すると思います」

オルドレイクは綾の返答に、しばし考え込んだ。そして、しばしの沈黙の後、また口を開く。

「……君は、昔の私そっくりだな」

「オルドレイクさん……今は、どう違うんですか?」

「そうさな……君の中には、今だ未知が産む希望が満ちあふれている。 私は色々知った分、その希望がない。 そんな所だ」

綾は反射的に反論しようとしたが、喉まででかかったそれを押しとどめた。相手がいかほどの悲しみと共に、そういう状態になったのか、即座に悟ったからである。発作的に相手に噛みつくのではなく、相手の行動理由を考えてから動く。なかなかに出来ることではなかった。オルドレイクは微笑すると、また正面に視線を戻しつつ、続けた。

「人は歴史上、社会に矛盾を抱え続けてきた。 何故、それは解消されないのだと思う?」

「人が、不完全な生き物だからだと思います。 でも、その不完全さは、未来を産む原動力にもなるはずです」

「ふむ、なるほど。 では、私の意見を言おう。 ……何故、社会が矛盾をはらみ続けているか、人が進歩出来ないか。 それは、二つの病巣を抱えているからだ。 人という種族自体に、マクロ的な意味で進歩する気がないのが一つ。 そして、この社会という存在自体が、そもそも世界そのものと矛盾をきたしている、というのが一つ。 この二つが、根元的な、致命的な癌細胞となって、人の進歩を阻害しているのだ」

「確かに、一理あると思います」

綾はそれだけ言うと、後は黙り込んだ。オルドレイクの言葉は、確かに否定的な物であったが、安易に批判出来るような理屈でもなかったからである。人類という存在にマクロ的な進歩がないことは、歴史を勉強した綾は良く知っていた。綾の世界で最新最良とされている政治制度の民主主義など、ギリシャ時代には既に考案実行されていた。また、孫子や韓非子などは、悠久の時を経た現在でも十二分に内容が通じてしまう。これはどういう事かというと、人間という存在に、人間の社会に、極大的な意味で全く進歩がないからに他ならない。例外的に科学技術だけは進歩しているが、それを使いこなすべき人間は全く技術革新に追いつけていないのである。また、非弱肉強食を旨とする人類社会が、弱肉強食を旨とする世界そのものと矛盾している事も、綾は良く知っていた。

オルドレイクは、殆どの人間が見て見ぬ振りをしているその二つの問題を、正面から提示して見せたのである。それはさながら、綾を試しているかのような行動だった。少し考え込むと、綾は笑みを浮かべた。

「人は、業が深い生き物ですね。 ……でも、私は、護るべき人達が大好きです。 どちらも、人に変わりはないのですから」

「そうだな。 私も、それに関しては同じ意見だ」

その言葉を最後に、二人は手を振って別れた。綾の前で、オルドレイクを乗せた召喚獣が羽ばたき、見る間に遠くへ消えていった。

……根元的に似ている者は、何処かで引き合う事が多い。次に綾とオルドレイクが再会するのは、サイジェントの中心部であった。そしてその再会は、人間として想像しうる限り最悪の形となったのである。

 

1,飛び交う物は

 

メスクルの眠りがサイジェントにもたらした混乱が沈静化してから、一週間ほどが経過した。一応表面的に事態は沈静化したものの、ますます支配態勢に対する市民の反発は強まり、逆に騎士団やアキュートに対する人気が高まっていった。兵士は一人では外を歩けなくなりつつあり、またサイジェントの中でも法が及ばぬ地帯が増え始めた。治安もじりじりと悪化し続け、自衛のための武器や防具はよく売れた。

レイドも黙って無収入を続けていたわけではない。彼は知己の要請を受けて、以前とは違って大人を相手に青空武術教室を始めたのである。ジンガも暫くは繁華街での賭け試合が行えなくて困っていたため、講師として呼ばれた。それは案外な盛況を示し、結局以前とは違う形で収入が復活した。以前ほどの安定収入ではないが、ともあれ収入が復活したことは吉事であった。

そんな中、とある情報がフラットに飛び込んできた。いつものように綾は釣り道具を持って外に出かけ、充分な釣果を上げて帰宅した。経済的に苦しくなっている時だったから、彼女の行動は大いにフラットにとって助けになった。リプレが綾に礼を言い、魚を受け取る横で、ガゼルがにやにやしながら言う。

「おい、アヤ、知ってるか? 街でお前の噂が広がってるらしいぜ」

「私がですか?」

「おう。 マーン家三兄弟を痛い目に遭わせてる奴が、南スラムにいるってな。 しかもそいつは、召喚術を使いこなすらしいとよ。 ちょっとした英雄扱いだぜ」

『確かに、今の状態では、召喚師達に不利な噂は歓迎される傾向にあると思いますけど……少し妙ですね』

ガゼルの言葉に苦笑すると、綾は思考を巡らせた。そのまま椅子に座ると、思考を進める。

『イムランさんとの交戦、キムランさんとの交戦。 どちらも周囲が印象を残すほどの物ではありませんでしたし、カムランさんとのは戦いとさえ呼べませんでした。 ……この状態で、誰が噂を流したんでしょうか……いずれにしても、ありがた迷惑な話です』

「ん? 何を考えてるんだ?」

「あ、いえ。 ただ、少し気になった物で」

「素直に喜んでおけよ。 お前があの三兄弟をぶちのめしてるのも、それがみんなに力を与えてるのも事実なんだしよ」

その時点では、綾は素直に同意して頷くだけですませた。だが、街にはこの後、異様な怪情報が飛び交うことになるのである。

 

最初に流れた綾の噂は、それほど警戒すべき物ではなかった。だが、続いて流れたのは、皆の心を震撼させるに充分な物だった。その情報を最初に耳にしたのはレイドであったが、彼が耳にして二日後には、街中にそれは広まっていた。レイドは一旦会議を収集し、皆の顔を見回しながら言う。

「もう知っているかもしれないが、街に驚くべき噂が流れている」

「ああ。 イリアス騎士団長が、謀反を企んでる、っていうんだろ?」

「あり得ない話だとも皆が思っているようだが……アキュートの動きがまた活発化したらしいと言う情報も、私の耳に入ってきた。 気になるな」

「実は、ワシの方にも、気になる情報が入ってきた。 オプテュスが、また最近動きを再開したらしい。 ただ、バノッサが表に出てきてはいないというし、どういう事なのだろうな」

レイドの言葉にあわせるように、エドスが言った。皆が一斉に綾をみたのは、彼女が考え込んだからである。綾の頭脳は、既にフラットの全員が認める物であった。

『イリアスさんが謀反など、あり得ないことです。 謀反するつもりなら、もう何度も機会はあったはずですし。 可能性があるとすると、アキュートの謀略でしょうか。 オプテュスが行動力を回復したというのも、少し気になる所ですが……』

「アヤ、どう思う?」

「今のところは、判断材料が少なすぎて何とも言えません。 ただ……」

綾は顔を上げると、真剣な表情で言った。

「今後は、警戒する必要があると思います。 この噂が嘘であることは、おそらくほぼ間違いないと思うのですけど、もしアキュートが絡んでいるとなると、油断は出来ない所です。 相手の出方を探るため、包括的な情報収集が必要になると思います」

「そうだな、では各自警戒すると同時に、情報収集に励もう」

レイドはそれだけ応えると立ち上がり、ジンガの方を見た。

「ジンガ、君は暫く青空武術教室で講師の助手をしてくれないか? 君の授業、かなり評判がいいんだ。 もし手が足りないときは、アヤに手助けを頼んでくれ」

「おう、分かったよ」

「私はこれから情報収集に力を注ぐから、もし不在の時はよろしく頼む」

レイドにとって、いや綾にとってもガゼルにとっても、アキュートはただならぬ感情を抱く相手である。話を聞いていたガゼルも、小さく頷くと、綾に耳打ちした。

「なあ、アヤ。 俺も何か出来ること無いか? アキュートが絡んでるかも知れないとなると、いてもたってもいられねえんだ」

「そうですね、ちょっとまってください」

「ああ」

『……アキュートが何かを企む場合、この街の政権転覆に関連しているはずですね。 現時点で考えられるのは、暴動、経済破壊活動、暗殺、情報操作による体制弱体化、反乱牽引……などですけど。 いずれにしても、情報操作を仕掛ける相手は、労働者を含む市民、軍隊、実質的な支配者階級である召喚師達、このどれかのはず』

ガゼルの視線を受けつつ綾は思考を進め、やがて頷いた。幾つかの可能性と、今後の戦略がまとまったからである。

「レイドが得意としている情報網は、おそらく軍と騎士団に関する物でしょう。 ガゼルは、マーン家を探れませんか?」

「あんまり立ち入った探索は無理だけど、行動くらいはな。 何とかなると思うぜ」

「それで充分だと思います。 今後はおそらく、包括的な情報がどうしても必要になるはずですから」

綾は笑みを浮かべ、ふと疑問に思ったガゼルは聞き返す。

「で、なんでマーン家なんだ?」

「今のサイジェントでは、領主さんはいてもいなくても同じだからです」

「……では、ワシも、石工の仲間や、北スラムの知り合いから、情報を集めて来よう」

綾とガゼルが振り向くと、そこにはエドスがいて、深刻な顔をしていた。彼がバノッサに抱く同情的な態度と、一旦決着が付く前のバノッサの態度から、嫌な予感を覚えた綾は、慎重な口調で言った。

「お願いします、エドス。 でも、くれぐれも気をつけてください」

「おう、心配するな。 ワシも、無理はせんよ」

 

数日が経過した。フラットの面々は、仕事の片手間に皆で集まって訓練をし、情報を集め、忙しい日々を送った。そろそろほとぼりを冷めてきたため、ローカスも外出するようになってきたが、流石に彼も南スラムから出ることは出来なかった。いつのまにかローカスはフラットに居着いてしまったが、時々滞在費を入れたため、特に問題にはならなかった。

その間に、面白い事態が発生した。案の定レイドは忙しくなり、ジンガが青空武術教室の講師をすることが増えたのだが、講師助手補佐として呼ばれた綾が、市民達に人気を得たのである。若い受講生の中には、露骨にナンパする者までいたが、ジンガに凄い目で睨まれて殆どがすぐに諦めた。更に、綾の戦闘力がジンガ以上だと言うことが知れると、諦める男は更に増えた。

フラットの者達は普段から普通に接しているから忘れているが、綾は充分以上に優れた容姿の持ち主である。更に、誰にでも平等に優しいと言うことと、穏やかで理知的な性格だと言うことが、更に人気を後押しした。青空武術教室には、綾を目当てで来る者まで出始め、それに反比例してジンガの機嫌は悪くなった。ただ、綾の図抜けた頭脳が知れるようになると、それに従ってナンパまでする者は減っていき、ジンガの不機嫌も直っていった。綾は苦笑したが、じきにそれは苦笑ではすまない事態になった。

綾は武術を教える片手間に、簡単な数学や理科も請われて教え始めていた。市民達の教育水準は、最近まで読み書きが出来なかったガゼル達を例に出すまでもなく極めて低く、四則演算でさえ修得している者は希だったからである。別に綾でなくても、日本から召喚された者であれば、ほぼ全員が講師をやれたかも知れない。また、綾の人気を後押ししたのが、その謙虚な性格だった。彼女は知らないことはそうだと素直に認め、他人の長所を見つけると例外なくそれを褒めた。それが本人の自信の希薄さに(克服されはじめてはいたが)起因していることを知らない者達は、それで綾の評価を更に上げた。

だが同時に、綾にとって故郷と同じ事が起こり始めた。彼女のことを、色眼鏡越しに見るものが増え始めたのである。綾がふと気付くと、彼女は雲の上の人として皆に見られていた。それは虐めよりも、無視されるよりも、遙かに強烈な心理的圧力を綾に与えた。

 

綾は悄然として、居間で頬杖をついていた。故郷での、級友達の対応が如何に彼女にとって苦痛だったかは、少し前にリプレにはき出したとおりである。それによって折角自信(漠然とした物ではなく明確な)をつけ始めていたのに、青空教室で接する人達の態度が、またそれを崖の下に引きずり降ろそうとしていた。

普通に接して欲しいのに、素の自分を見て欲しいのに。そんなことを察してくれる人は、青空教室には誰もいなかった。珍しく何も思考を働かせないまま、綾は頬杖をついて、空いている右手の指先で机を無心につついていた。そんな彼女に、レイドが不意に咳払いした。

「アヤ、少し良いか?」

「レイド、どうしましたか?」

「リプレから話は聞いた。 青空教室の事は、すまないことをした。 それで、これからどうする? いっそのこと、もう講師を降りるか?」

「……」

顔を上げた綾の表情には、悲しみがそのまま形を取って張り付いていた。それを見たレイドは、目を少し伏せながら続けた。

「しばらく、降りたほうがいい。 君のトラウマは、すぐに克服出来るようなものじゃない。 フラットの皆は、君を色眼鏡越しに見たりしないが、残念ながら世間の人はそうではないんだ。 だから、皆と一緒に、ゆっくり克服していこう」

「……分かりました。 ごめんなさい」

「謝る必要はないさ。 ところで、また一つ、奇妙な情報が流れ始めた。 今から会議を招集するから、君には意見を聞きたい」

その後すぐに会議が行われて、新しい情報が公開された。それは、先に流れた物と関連した情報であり、だが別種の物であった。ガゼルは身を乗り出し、レイドに思わず聞き返す。

「アキュートの協力者が、騎士団や軍にもいるだと?」

「ああ。 だが、これに関しては本当だ。 ……疑問なのは、何故今頃こんな情報が、まことしやかに流れ始めたか、だ」

アキュートに、退役した軍人や騎士が含まれているのは、サイジェントの兵士や騎士なら皆知っていることである。アキュートの首領であるラムダが先代の騎士団長である事などは、特に有名であった。そればかりか先の暴動では実際に幾人かの兵士がアキュートに協力しており、これも有名な事実である。綾は少し考え込んだ後、ガゼルに聞き返す。

「ガゼル、マーン家の周囲は、どうなっていますか?」

「いつもと変わりねえぜ。 特に警戒している様子もねえ」

「護衛の人が増えている様子もないんですか?」

「いつもの通り、私兵が結構彷徨いてるけどよ、あまり代わり映えはしないな」

ガゼルの言葉を聞いて、綾は再び思索を巡らせた。どうも、流れている噂に、意図や意味が見えなかったからである。

『今の時点で、暴動を起こすには、要素が足りなさすぎます。 また、こんな情報を流した所で、領主や召喚師が、兵士や騎士達に弾圧を加えるとも思えませんし……』

「なんか、やばいことが起こりそうか?」

「いえ、現時点では、まだ大丈夫だと思います」

綾はそう答えたが、漠然とした不満を抱えた。彼女はリプレに断って、リシュールの部屋からサイジェントの周辺地図を持ち出した。サイジェントは九つの衛星都市を従える小国家であり、散在する村等を考慮に入れると、人口は合計して六万五千に達する。サイジェントの北部には鉱山地帯が、西部にはアルク川が、南部にはネーデの森が、東部には荒野が存在している。幾つかの街道が東と南に延び、衛星都市との接続に一役買っているが、交通の集積には良いが便自体はさほど良くない。戦略的見地から、サイジェントは攻めるに難く守るに易い土地であり、また聖王国本土から遠い土地にもあるため、独立を勝ち取れたのだと、地図を見ながら綾は自然に推察していた。

サイジェントの街の近くから、鉱山地帯に延びているのは、線路に見えた。綾がその旨を聞くと、ガゼルは忌々しげに言った。

「ああ、召喚獣鉄道な」

「召喚獣鉄道?」

「マーン家の連中が作らせた物だよ。 鉱山で取れた鉱石を、この街とこの街に輸送しているほかには、連中が鉱山に行くために私用でも使ってる。 ヌーグってばかでかい召喚獣に引かせて動いてるんだけどよ、俺らには縁のない代物だな。 一応乗ることは出来るらしいけど、家が何件も建つような金を取られるらしいぜ。 まあ、確かに迫力だけはあるな」

サイジェント自体には、鉱石はさほど流れ込んでこない。サイジェントの街に存在する工場は紡績用の物が主体で、鉄鋼業の物はほとんど無いのである。即ち、サイジェント近くの駅から鉱山に引かれている線路は、かなり無駄な物だと言わざるを得ない。

『となると、召喚師さん達が自らの権威を示すために使っているんですね。 ……本当に、お金の使い方を知らない困った人達です』

一応召喚獣鉄道の経路だけは覚えると、頭を振り、綾は思考を切り替えた。先ほどの会議で触れられた、幾つかの噂と事実について、整理を開始したのである。現時点で何が起こるか分からないとしても、何が起こっても大丈夫なように態勢を整える工夫は絶対に必要だったからである。それが、まとまった力を持つ者としての責任だった。

 

翌朝、綾は少し早めにアジトを出、薪拾いを手早くすませると、召喚獣鉄道の現物を見に向かった。ある程度の運行スケジュールは公開されていたので、それに基づいての観察行であった。

召喚獣鉄道の駅は、十数人のマーン家私兵に警備されていて、近づくのはあまり賢明とは言えなかった。兵士達もいたが、彼らは露骨に端の方へ追いやられていた。別に駅には、近づく必要もなかった。召喚獣鉄道とやらは、予想外に大きな姿を、駅の内外に晒していたからである。少し離れた小高い丘の上から、綾はその偉容を充分に味わうことが出来た。

鉄道自体は、綾の故郷にもあった鉄道の客車とそう代わりはなかった。多少時代がかってはいたが、博物館に行けば充分見られるレベルの形状である。ただ、全体を金属板が覆っており、まるで要塞のような頑健さであった。機関車は存在せず、変わりに餌らしい干し草をのせた大きな貨物車が、そしてその前には、巨大な召喚獣がつながれていた。

体高は約九メートル、体長は十四メートル強。四本の足は太く力強く、長い鼻で時々貨物車から餌を採って、口に運んでいる。綾の故郷にいたアフリカ象に似ているが、違うのは額にある長い角と、左右それぞれ三つもある丸い目である。大きくて力強いが、大人しいことは一目で分かる生き物だった。

一旦それを見終えると、綾はアジトに戻り、釣りを終えると調査作業に戻った。最近はジンガと一緒に、フラウが青空教室に向かうことが多く、それを横目で見ながら綾は召喚獣鉄道の運行スケジュールを確認する。フラウは講師として教室に赴くのではなく、ジンガにお弁当を作って持っていくのである。フラウの考えは見え見えだが、肝心のジンガがどうひいき目に見ても、残念なことにそれに全く気付いていなかった。ただジンガが、まとわりつくフラウを決して悪くは思っていない様子だけが、救いであったかも知れない。午後、訓練をしながら、綾はカシスとアカネに、それにガゼルとエドスに幾つかの相談を持ちかけ、それに基づいて自分の考えをまとめていた。

夕方、再び会議が行われた。新しく二つの情報が入手されたからである。一つはレイドが、一つはカシスとローカスが持ち帰ってきた物だった。ジンガは欠席しており、アカネはそもそもこういった席に興味がないらしく、会議と聞いただけで帰ってしまった。レイドは集まった皆の顔を見回すと、単刀直入に切り出した。

「今回入手した噂は、実に直接的な物だ。 兵士と騎士の一部が結託し、イリアスを旗頭に押し立てて、反乱を企んでいるそうだ。 しかもそれには、アキュートと、暴動に参加した労働者達が荷担するらしいとか」

「何というか、毎度笑えねえ噂が流れやがるな」

「俺からは、吉報とも取れる情報だ。 スピネル高原に本拠を置く盗賊団の一つのアジトが発見されたらしい。 どうもこっちは本当らしく、イリアスが直接討伐の指揮を執るそうだ」

「私も同じ噂聞いたよ。 城が慌ただしく動いてたから、多分事実に間違いないと思う」

ローカスの言葉に、カシスが更に付加する。そして、この瞬間、綾の中で結論が出た。

「……アキュートの目的が分かりました」

「何!」

「杞憂だと良いのですが、ほぼ間違いないと思います。 そして、それは絶対に止めなければ行けないことです」

「回りくどいな、奴らは何を企んでいる?」

ガゼルがせかし、綾はサイジェント周辺の地図を机の上に広げると、その一点を指さした。それは、召喚獣鉄道の線路の一角であった。狭隘な峡谷の間を、蛇行しながら線路が走っている地点であった。

「この地点で、マーン家三兄弟の、イムランさんを暗殺することです。 私によってマーン家三兄弟が叩きのめされた噂が流れたのは、召喚師に対する畏怖を暗殺によって抹殺する下準備でしょう。 人々が抱く召喚師に対する畏怖と恐怖を和らげて置いて、自分たちでそれにとどめを刺すつもりだと思います。 おそらく暗殺の決行は、明日か、遅くても明後日だと推測しました」

数秒の沈黙。普段冷静なレイドでさえ、困惑を顔に張り付かせていた。驚き固まる皆の中で、唯一動き発言し得たのがガゼルだった。

「なっ……! 出来るのかよ、そんなことが!」

「出来ます。 以前交戦した時にはっきり悟りましたが、普通の召喚師は単体ではさほど強くありません。 特にイムランさんがラムダさんと戦いでもしたら、一瞬で真っ二つにされると思います」

「……具体的な説明を聞こうか」

深刻な表情で考え込んだレイドに、綾は頷くと、細かい説明を始めた。皆の視線が、机状に広がられた地図、その上を滑る綾の指先に注目する。

「此処しばらくの噂を私なりに総合分析してみましたが、いずれも暴動を直接起こす物ではありませんでした。 市民達は、基本的には自分の命に直接危険が迫らない限り立ち上がらない存在です。 反乱が起こるかも知れない、だけでは、誰も反乱を起こそうとはしない、それが現実です」

「なるほど」

「続いて、アキュートの性質を考慮してみました。 アキュートは、極右思想の持ち主ですが、それは即ち、街を元の姿に戻すことを目的にしている集団だと言えます。 街を元の姿に戻すというのには、幾つか手段がありますが、最低限の条件としてあげられるのが、権力中枢に入り込んだ召喚師達の排除です」

「確かに、奴らいる限り、この街の情況は何一つ変化しないだろうな」

「同感だ。 ワシも、そう思う」

忌々しげにローカスが同意し、エドスも頷いた。綾は今の発言に更に幾つかの根拠を付け加えると、話を進めた。

「先ほどの結論からしても、反乱を起こす意図はアキュートにはないと結論します。 また、今までの事象から言っても、アキュートにはクーデターを起こすほどの力もないと言えます。 また、既に傷ついている紡績工場に、テロを仕掛けても効果は薄いと考えられます。 となると、それらとは結びつかない行動をしている以上、彼らの目的は、召喚師の直接排除、即ち暗殺であると結論出来ます。 そして、その対象は、明らかに召喚師達のリーダーであるイムランさんでしょう。 次は、アカネさんとカシスから、暗殺について色々お聞きして、その具体的な方法を考案してみました」

綾が視線をカシスに向け、頷いた彼女は淡々と暗殺の技術論に触れた。

「暗殺の基本はね、安心、或いは油断しているターゲットを、確実に殺るって事に尽きるんだ。 方法としては、召使いや側にいる人を買収して、毒を食料に盛ったり飲ませたり、或いはベットの上で本番してる最中に刺し殺したり。 沢山SPに囲まれている状態でも、殺す方法はあるよ。 的確な地点にさしかかった所で退路を塞いで奇襲するか、或いは危険地帯を抜けた瞬間に、狙撃すればいい。 ただ、これらの方法は確実性に欠けるし、余程優秀な暗殺者を複数有してないと駄目だね☆ アキュートに暗殺者はいるかも知れないけど、そこまでの力はないと思う」

「そ、そうか。 どーでもいいけど、お前、相変わらず遠慮のない物言いだな……」

「ありがと。 それで、アヤちゃんの情報を元に考えてみたんだけど、まずアキュートの連中は、騎士団とイムランを引き離す手に出たみたいだね☆ この間交戦して分かったけど、騎士団は士気も高いし一人一人も強い。 彼らが周囲にいたら、流石のラムダもすぐにはイムランに迫れないと思ったんだろうね。 今までの情報は、漠然と軍と騎士団の不審をイムランに覚えさせる物で、現に召喚獣鉄道の警備からは騎士団が外され、兵士も減らされてる。 それはもう、アヤちゃんが確認してきた。 続いてこの位置だけど、見て欲しい。 岩か何かで前後を塞げば、もうすぐには逃げられない。 ラムダにとって、士気が低い上にまともな訓練も受けてないマーン家の私兵なんて相手じゃない。 更に言うと、走る要塞にも見える召喚獣鉄道の中にいれば、イムランも油断する。 加えて、仮にイムランが逃げても問題がないよ。 騎士団は盗賊の討伐に行ってる途中で、多分間に合わない。 余裕でおいついて、背中からばっさり」

それだけ言うと、カシスはガゼルに視線を振った。此処暫くマーン家を監視していたガゼルは、静かに頷いた。

「……イムランの野郎、明日、鉱山の労働者達と交渉に行くみたいだぜ。 警護の兵士を減らした分、山ほど用心棒雇うみたいだけど、今まで聞いた情報で行くと、連中じゃ役に立たないだろうな」

「なるほど。 ……どうやら、間違いはないみたいだな」

レイドは頷くと、しばし考え込んだ。彼に対し、ローカスが言う。その視線には、複雑な感情が織り込まれ、微妙な光を放っていた。

「どうするんだ? 放っておくのか? それとも止めさせるのか? アンタが決める事じゃないのか?」

「……少し、考えさせて欲しい」

「アヤとこの街について話した。 俺も、少し前までは召喚師の連中を力尽くでたたき出せば、街は良くなると思ってた。 だが、現実はそう単純なものじゃないって、今は知ってる。 召喚師どもをおいだせば、街は時間を掛けて元の姿に戻るかも知れないが、特にキルカ織産業は致命傷を受ける。 おそらく、今後も召喚術を利した新しい産業が誘致出来なくなる。 更に言うと、元に戻る過程で、確実にサイジェントには大規模な混乱が起こり、下手をするとそこを聖王国なり旧王国なりにつけ込まれて、植民地化されるだろうな。 そうだろ、アヤ?」

「はい。 確かに今のサイジェントは、明らかに良くない体制だと思います。 でも、この現状を出来るだけ生かして、新しい街の発展へつなげることを考えるのが一番建設的だと、私は思います。 それに……テロリズムが歴史を建設的な方向へ動かすことは、まずありえません」

ローカスの言葉を受けて綾が言い、レイドは押し黙った。彼に助け船を出したのは、エドスであった。

「……まあ、まだ時間はあるんだし、ゆっくり考えた方がいいだろう。 ワシは、結局今のままじゃ良くないとは思うが、アヤが言うように暗殺は良くないと思う。 でも、アキュートの連中の気持ちが分からないわけでもない。 それに、フラットのリーダーはお前さんだ。 お前さんの決断で、今までワシらは助かってきた。 だから、今回も頼む」

「ああ。 明日の朝、必ず結論を出す。 それまで待って欲しい」

 

2,戦いへ向けて

 

会議が終わると、居間にはレイドと綾だけが残った。綾はしばしの沈黙の後、心中で呟いた。

『レイド……何か、ラムダさんに対する態度は、期待に添えなかったという以上の物を感じます。 何があったのか、聞くべきなのでしょうか。 でも、私なんかが、レイドの悩みを受けられるんでしょうか。 助けになれるんでしょうか……』

少し前の綾なら、そこで諦めていただろうが、今の彼女は違った。以前カシスの心を開いたときとは、また違う情況である。あのときはせっぱ詰まっていたが、今はそこまで差し迫った情況ではない。だが、綾は動くことが出来た。リプレに言われたことを思い出し、精神的に二三回深呼吸をすると、口を開く。

「レイド、ラムダさんとの間に、何があったんですか?」

「アヤ……前に話したとおりだが?」

「……それ以上の物を感じます。 いつもレイド、ラムダさんのこととなると凄く苦しそうです。 あの、もしよろしければ、話してくださいませんか? 私でも、ひょっとすると助けになれるかも知れませんから」

沈黙が訪れ、しばしダンスを踊った。それが終わるまで、たっぷり一分以上かかった。レイドは俯いていたが、だがついに重くさび付いた心の戸を開いたのである。

「……私のせいだ。 私のせいで、ラムダ先輩は退役したんだ」

レイドは、少しずつもやもやをはき出すように、隠されていた過去を話していった。それは、彼の生真面目さから考えれば、発狂するほどの苦痛を伴うと、聞き手には自然に悟らせる話だった。

 

……三年半ほど前。サイジェントは混乱していた。新しく来た召喚師であるマーン家三兄弟の強引な政策が、民衆の激しい反発を呼んでいたのである。この時期リシュールが逮捕されたことからも分かるように、反対勢力やマーン家に都合が悪い者に対するかなり強引な取り締まりが行われ、それに起因するデモや暴動が時々発生していた。若き騎士であるレイドは、一部隊を率いて城の守りについていたが、彼を強烈に苦悩させる事態が生じた。暴徒化したデモ隊と兵士達が衝突し、その過程で繁華街の北部に火がかけられたのである。

レイドは悩んだ。騎士としての本分を護り、持ち場を死守するか。市民の盾となるべき義務のために、市民を助けに出るか。結局レイドは、市民のために、持ち場を放擲することを選んだ。

レイドや、他にも何人かの騎士達が苦闘したお陰で、繁華街の住民達に対する被害は最小限に抑えられた。だが、帰ってきたレイド達を待っていたのは、職務怠慢に対する激しい叱責だった。打ちひしがれる彼を庇ったのは、他ならぬラムダだった。

繁華街の住民達は何とか助かったが、暴徒を結局取り締まれなかったラムダは、責任を追及され、更にレイドらの罪もかぶって、退役した。片目を失っていたにもかかわらず、ラムダはレイドを笑って許し、後のことを託すと言い残して城を去っていった。だが、ラムダが去ったことは、召喚師を押さえる者の消滅を意味した。もはや誰一人、マーン家三兄弟の暴走を止める者はいなくなった。何とか食い下がろうとした数人が、領主の命令で退役させられてしまうと、もう面と向かって楯突く者はいなくなった。レイドは、無力感と罪悪感に全身を掴まれ、発狂しそうになった。そして彼は、ついに逃げてしまったのである。他の騎士達と同様に、ラムダに託された責任から。

 

「私は、臆病者なのだ。 先輩に蔑視されて当然の、な」

レイドが吐き捨てたその言葉に、どれほどの悲しみが籠もっていたか。どれほどの罪悪感が籠もっていたか。そして、ラムダと対峙する際、レイドが言われた言葉に、どれほど傷ついたか。絵に描いて空に映し出したかのように明らかだった。

だが綾は、レイドを臆病だ等とは思わなかった。なぜなら彼は、今までフラットのリーダーとしての責務を、誰より立派に果たしてきたからである。過去の事は過去の事、未来の事はまた別の問題であるはずだった。リプレにして貰ったことを思い出しながら、綾は言った。

「レイド、貴方は臆病などではない、と私は思います」

「気休めは良い」

「人には、出来る事と出来ないことがあります。 レイドは、自分の出来る範囲内で、必死に頑張ったんじゃないですか。 孤立無援の中、誰よりも働いたんじゃないですか」

「しかし、結局ラムダ先輩の託してくれた責任を、果たせなかったんだっ!」

激高したが、レイドはそれ以上の言葉を続けられなかった。綾が変わらぬ笑みを浮かべ続けていたからである。

「昔出来なくても、今なら出来るかも知れません。 昔の失敗は、今の償いで果たせばいいんです。 取り返しの着かないものは確かにあります。 でも、これは、取り返しが着く問題のはずです」

「……」

「レイドは、私なんかよりずっと強いじゃないですか。 臆病な私だって、戦えているんです。 だから、貴方なら、きっと……」

しばしの沈黙の後、レイドは僅かに笑みを浮かべた。今まで綾が見た事のない、感謝の笑みだった。

「ありがとう、為すべき事が、見つかった気がする」

「今まで良くしてくれた御礼です。 少しは、返す事が出来ましたか?」

「充分だ」

先ほどまでとは別人のような活気を目に湛えると、レイドは立ち上がった。その全身からは、充填された決意があふれ出さんばかりだった。

翌朝レイドは、アキュートの作戦阻止を皆に告げた。フラットの面々は、或いは安心し、或いは決意と共に、それに同意したのだった。

 

綾が予測したとおりの地点、とおりの日時に、アキュートは陣を張っていた。兵員は十五名ほどだが、騎士団員にも劣らぬ強者揃いである。線路の左右には断崖絶壁がそそり立ち、奇襲にはもってこいの地形であった。ただ、衝立のような崖ではなく、ラムダ達が佇んでいるのはその中でも若干傾斜が緩やかな場所である。高さも、召喚獣鉄道の屋根に近い。彼らから少し離れた逆側の崖、その高い地点にはクジマが岩に腰掛けており、彼の後ろには二体の鬼神が控えていた。驚くべき事に、角が生えている以外は、殆ど人間と変わりがない容姿である。

純粋な鬼神族は、人間に近い容姿を持ち、戦闘時には巨大化強大化する事が出来る。その戦闘力は非常に高く、上位の者は大天使や大悪魔、ドラゴンなどに匹敵する戦闘力を持つ。その鬼神が二体、大きな方が大剣を、小さな方が双剣を持って、命令を待って佇んでいた。どちらも人間同様に個性的なファッションに身を包み、大きな方に至っては葉巻をくわえていた。

遠くから響き来るのは、召喚獣鉄道が、線路の上を滑り来る音。ラムダがゆっくり手を挙げ、タイミングを計って鋭く振り下ろした。大きな方の鬼神が、命令と同時に大岩を押し、それが崖下に転げ落ちる。更に数個の大岩が落とされ、それに気付いたヌーグが吠えた。本来、線路工事の際にどけられていた大岩は、鬼神達の手によって危険地帯に押し上げられていたのである。

「ヌ、ヌゥグウウウウウウウウウウウウ!」

名前の由来でもある吠え声と共に、ヌーグが急停止する。鉄道の車輪がけたたましい音を立て、火花を散らした。更に、もう一体の鬼神が、後方で同じように岩を落とし、退路を塞ぐ。更に二両ある客車のうち後方にも、大きな方が岩を落とした。凄まじい音と共に岩が客車にめり込み、天井を破砕して中にいた護衛達を粉砕した。断末魔の絶叫と、悲鳴が迸った。鉄板で補強されていても、そんなものは重力によって加速された大岩の前には紙も同じであった。安全だと思っていたが故に、彼らは無惨な死を遂げる事になったのである。

殆ど同時に、鉄道の上に姿を見せた存在がいる。イムランらマーン家三兄弟を常に影から護衛しているサビョーネルであった。彼は周囲を見回して舌打ちした。そして、間髪入れずに、大きな方の鬼神が、彼に言葉の手袋を叩き付けた。

「おう、サプレスの大天使様よ。 俺は鬼神族のゼンキってもんだ。 こっちは俺の相棒でゴキ。 ちぃと、俺らと勝負して貰うぜ?」

「……どうやら、戦わざるを得ないようですな」

「そういう事だ。 俺らと戦いながら、その中のおっさんを逃がせると思うなよ。 ま、俺らとの戦いから逃げなきゃ、卑怯な真似はしねえよ」

翼を広げると、サビョーネルは勝負を受けた。即ち高空へ飛び上がり、ゼンキから見て太陽の中に入ると、急角度に飛び降りつつの一撃を見舞ったのである。ゼンキも余裕を持ってそれを受け止めると、大剣を振るって反撃する。更にゴキがそれに加わり、激しい戦いの音が辺りに響き渡った。クジマはそれをしばし見やっていたが、やがてついと視線を背けた。

鉄道の天井にある非常用扉が開き、生き残ったマーン家の護衛兵士達と、イムランが現れる。イムランは慌てて周囲を見回し、状況を確認しようとしたが、彼の背後で斬撃の音、更に悲鳴が数度立て続けに響いた。おそるおそるイムランが振り返ると、両断された、或いは首をはねられた数人の護衛達の間に、ラムダが返り血を浴びて立っていた。まだイムランの周囲に護衛は数人残っているが、勝ち目がないのは明白である。大剣を軽々と振るって、ラムダは血を落とす。イムランは声に露骨に恐怖を含ませながらわめいた。サビョーネルが召喚獣と戦い、彼を護れないと言う事も、恐怖を増幅する要因となっていた。

「き、き、貴様はラムダっ! ち、血迷った真似をしおってぇっ!」

「血迷っているのは、街を私物化し、民を虐げ、無法を繰り返している貴様らの方だ、イムラン=マーンよ。 悪逆非道の数々、今ここで償って貰うぞ!」

「ひぃいいいっ!」

悲鳴を上げるイムラン、逃げ腰になる護衛達。ラムダが剣を振り上げ、そして舌打ちした。護衛達の後ろから、綾が現れたからである。彼女は既に抜刀しており、ゆっくりイムランの前に出ると、手を横に広げる。イムランは、困惑と共に、綾に叫んだ。

「な、き、貴様、何のつもりだっ!」

「貴方なんか、私は大っ嫌いです。 街の人達だって、私の仲間達だって、そこにいるアキュートの人達だって、貴方なんか大っ嫌いです! でも、貴方は、サイジェントにまだ必要な人間です。 此処は私達がくい止めます、さあ逃げてください」

「く、くうううっ、お、おのれええぇ! バカにしおってぇっ!」

逃げようとせず、イムランは綾に食ってかかろうとしたが、次の瞬間乾いた音が響いた。綾が空いている方の左手で、イムランの頬を即座に張ったからである。呆然とする彼を、綾は悲しみと共ににらみつけた。

「早く! 私達の気が変わらないうちに去ってください! そして、為政者としての責任を、今度こそ果たして下さい! さあ、行って!」

「く、おおおおおっ! 憎い、憎い、憎いぃっ!」

わめき散らしながら、頬を腫らしたイムランは転げるように鉄道の前の方に駆けていった。そして這いずるように大岩を越え、埃だらけになりながら逃げていく。

ラムダがゆっくり視線を上げると、既に彼の仲間達はフラットの面々と交戦状態に入っていた。今、誰も加勢に出なかったのは、それが原因の一つであった。狭い崖上であったから、一度に二三人ずつしか交戦出来ず、全面戦闘には至らない。だが、フラットにしてみれば、敵戦力の浸透を阻みさえすればいいのであって、極めて有利な状態であるといえた。未だ交戦せず、後方で指揮を執るレイドに、ラムダは野太い声で問いを投げかけた。

「レイドよ、どういうつもりだ?」

「ラムダ先輩、私は貴方の教えを護ります。 そして、貴方を止めます! 例え市民が歓迎するとしても、テロによって救われる者など誰一人いません! テロなどしても、歴史は決して良い方向には動きません! 貴方なら分かっているはずだ!」

「責務から逃げ、召喚師達の独走を許した貴様が、今更何を言うか、レイドよっ!」

「私は確かに逃げてしまった! だが先輩、私はもう逃げない! そして以前の償いをするためにも、今此処で先輩達を止めます!」

ラムダは小さく嘆息すると、上へ呼びかけた。

「ペルゴ、お前はレイドを押さえろ。 セシル、お前は其方の召喚師の娘と、紅い服の娘を。 スタウト、お前は其方の小柄な少年を頼む。 後の者達は、狙撃手を牽制しつつ、敵前線の突破をはかれ」

「「「了解!」」」

信頼する幹部達に的確に命令を配ると、ラムダはようやく綾に視線を戻した。即座にフラットの主力を見切るその戦略眼、なかなかに大した物である。そして、ラムダは満を持して大剣を構え直す。辺りに、膨大な殺気が充ち満ちた。

「さあて、わざわざ俺の前に出てきたと言う事は、楽しませてくれるのだろう? あれからどれほど力を付けたか、見せて貰おうか」

「行きます……!」

下段に構え、綾が呟くように応える。崖の上では、左右で共に死闘が続けられ、剣撃の音が響き続けていたが、綾の耳には入らなかった。

 

3,戦友の最期

 

崖上の少し戦いにくい地形で、フラットとアキュートの死闘は続いた。前線が著しく狭い戦場であるが故、圧倒的な力量差がない以上、勝負はすぐにつくべくもない。アキュートの兵士達は強者揃いで、幹部達は三人ともレイドと同等かそれ以上の力量を有していたが、それもこう狭くては実力を発揮しきれない。召喚獣鉄道を襲撃する、もしくは万が一の時騎士団を迎撃するには問題がない布陣だったのだが、敵防衛戦を突破するには喜ばしくない陣形であった。また、今回アキュートの軍師であるリシュールは参戦しておらず、その信頼感もあって、若干彼らの動きは鈍かった。

一方、今回フラットはわざわざ南スラムを大回りして移動し、ローカスも加えた動員可能な全戦力を投入していたが、此方も情況は大差がなかった。ガゼルは最初しきりにリシュールを探していたが、彼女がいないとなるとむしろ安心し、今では積極的に戦う意志を見せている。前線で奮戦していたのはエドスやモナティら一部で、レイドは素早く辺りに目を配ると言った。アキュートが積極攻勢に出てくるのは疑いなく、先手を取る必要があったからである。

「カシス、アカネ、後方を迂回して、敵の側面を突いて欲しい。 ガゼルは、そこの崖を登って、上に出られないか? スウォンはガゼルの援護を頼む。 ジンガは、後方にさがって、怪我人の救護を頼む」

「分かった、行って来るよっ」

「おう、まかせとけっ!」

すぐにカシスとアカネが後方へ消え、ガゼルが少し前線からさがって崖を登り始めた。元々喧嘩巧者である上に若く、最近はレイドやローカスから戦い方の基本を学んだ彼は、フラットの内部でも最も成長著しい一人である。スウォンの援護を受けながら、彼は崖上に素早く登り、投げナイフを取りだして援護に移ろうとしたが、殺気を感じて慌てて飛び退いた。一瞬前まで彼がいた地点を、鋭い剣閃が貫き、ガゼルの背中を冷や汗が伝った。彼が振り向くと、後ろの崖に背中を預けるようにして、禿頭の男が立っていた。手にしているのは、シミターと呼ばれる、刀身が曲がった剣である。やるきなさげな表情だが、今のガゼルは相手が強者だと自然に悟っていた。

「誰だ!」

「スタウトって言う、ちんけな元暗殺者さ。 フラットのサブリーダーのガゼル君」

「……へえ、おもしれえじゃねえか。 行くぜ!」

肌を通して伝わってくる相手の力量に武者震いを感じながら、ガゼルは愛用のダガーを構え直し、素早く地を蹴った。スタウトも弾かれるように態勢を変えると、シミターを曲芸のように振り回して迎撃体制に入る。狭い足場の上で、二人は激しく剣を交えた。

 

敵陣後方へ迂回を計ろうとしていたカシスは、殺気の存在に気付き、慌ててサイドステップした。アカネも同時にバックステップし、同時に地面が爆裂する。構えを取り直す二人の前に、濛々たる煙の中から現れたのは、以前リシュールに肩を貸していたセシルという女性であった。その両手には、乳白色の光がまとわりついている。ジンガと同じ技に見えるが、その光の量は段違いである。また、両手には手甲をつけており、それを胸の前で打ち合わせる。今の爆発は、上空からセシルが躍りかかり、ストラの逆利用で地面を爆砕した事はほぼ疑いない。

「悪いけど、此処は通さないわよ」

「そっか、じゃあ力尽くで突破するしかないね☆ アカネちゃん」

「オッケーオッケー、行くよっ!」

同時に二人は左右に飛び、タイミングを合わせて両側から躍りかかったが、セシルは冷静に両者のスピードを見切り、一瞬早くアカネの方へ間を詰めた。そして膝蹴りを見舞うと振り返り、カシスが投擲したナイフを手甲ではじき返すと、後ろ回し蹴りをきれいに決めた。カシスはガードしたが、衝撃は殺しきれず、数メートルさがって舌打ちした。

「……強いね」

「ありがとう、お嬢ちゃん」

素直な賞賛は、相手の力量を悟ったからである。カシスは高速で召喚術を唱え始め、アカネは低い態勢から滑空砲弾のようにセシルに襲いかかる。セシルはアカネをあしらいつつ、カシスにも警戒を払い続け、容易に隙は見せなかった。

 

中央戦線では、前線に出てきたペルゴが、エドスとモナティを同時に相手にしていた。どちらもペルゴよりパワーはあったのだが、残念ながら武器を使った戦闘術の習熟度が違った。最初にモナティが前蹴りをもろに喰らって吹っ飛び、目を回して地面で延びた。エドスはそれにつけ込もうとしたが、もろにカウンターを貰って手にしていた鉄棒を弾かれてしまった。ローカスは二人がかりでの攻撃をさばくのに手一杯で、加勢する余裕はない。ペルゴの鋭い槍がエドスの胸板を貫こうとした瞬間、その前にレイドが躍り出た。

「エドス、他のアキュート兵達の相手を頼む。 ローカスの援護をしてくれ」

「おうっ! すまんな、ワシの手には余る相手だ」

「いや、相性が悪いだけだ。 それに、訓練次第ではすぐに追いつける。 ……ペルゴ、刃を交えるのは何年ぶりかな」

「そうですね、私が退役する半年ほど前に戦って以来ですから、四年ほどですね。 言っておきますが、以前の私と同じだと思うと、痛い目を見ますよ」

「それは私も同じ事だ。 ラムダ先輩に追いつくために必死だったからなっ!」

剣と槍は相性があまり良い武器ではない。槍は戦場で主力兵装になる事から分かるように、非常に使い勝手の良い武器である。同等の力量の使い手同士であれば、まず間違いなく槍使いが剣士に勝つ。だがレイドはまず一流と言っていい剣士であったし、ペルゴの槍と五分に戦い、いやむしろ押していた。しかしペルゴも槍の利点であるリーチを最大限に生かし、レイドの剣を捌きつつ、鋭い一撃を何度も繰り出した。二人の戦いは長引いたが、それには理由がある。どちらも石橋を叩いて渡るタイプの冷静な戦闘スタイルの持ち主であったからで、危険な賭けには出ようとしなかったからである。

 

ラムダが轟音と共に、綾に剣を叩き付ける。スピード、パワー、テクニック。いずれもレイドのそれを数段上回る一撃である。かろうじてそれを弾いた綾に、容赦なく第二撃第三撃が轟音と共に襲いかかる。いずれもが途轍もない重さを誇り、受けるだけで体力が失われていく。受ける際の音も凄まじく、刀に一秒ごとに無理な負担がかかっているのが明白だった。無論受け損ねれば、一発で三途の川を渡る事になるのが確実である。必死に相手の鋭鋒を避ける綾、淡々と攻め付け、じりじりと前進するラムダ。

『なんて重い一撃……! 長引けば、長引くほど不利ですね……! イメージトレーニング通り、あれを狙うしかありません』

「どうした、我々の襲撃地点や日時を割り出したのは君なのだろう? レイドを力づけ、戦う意欲を起こさせたのも君だろう? 少しは出来るかと期待していたのに、頭でっかちなだけで終わりか? 残念だ、実にな! リシュールが君を警戒していたが、それも杞憂だったようだなっ!」

不意にラムダは体を沈めると、さながら猛牛が突進するかのような前蹴りを放った。不意の攻撃スタイルの変動に、綾は対応しきれなかった。何とかガードする事だけは出来たが、威力を殺しきれず、後ろに吹っ飛ぶ。数度屋根の上で転がり、思わず綾は咳き込んでいた。屋根の上で、体を起こそうとする綾を、ラムダは冷徹な目で見つめる。この男は騎士だが、女性に手加減するという要素はないようだった。或いは、綾の事を、一人前の敵として認めているからかも知れない。まだ起きあがれぬ綾に攻撃しないのは、圧倒的な実力差が生み出す余裕か、或いは武人の情けか。

「か、かはっ! ごほっ!」

「レイドは体術をさほど積極的に攻撃に混ぜぬからな。 ……俺との戦いを想定して何度も彼奴と模擬戦を行ったのだろうが、俺と彼奴を同格に思うなよ」

ガードの上からの蹴りでも、強烈なダメージが綾の体を貫いていた。腹を押さえながら、綾はゆっくり立ち上がった。乱れた呼吸を整え、剣を構え直す彼女の闘志は、未だ衰えない。小さく頷くと、ラムダは表情を変えぬままつかつかと歩み寄り、再び剣を叩き付ける。鈍い音、凄まじい打撃音。だが、今度は綾が反撃に出た。ラムダの中段の一撃を、態勢を低くしてかわすと、顎に伸び上がるような掌底を見舞ったのである。

「むぅっ!」

ラムダは呻いて一瞬蹌踉めいたが、間髪入れずに逆側からの剣撃を叩き付ける。それの威力を殺しきれなかった綾は再び弾かれ、悲鳴と共に転がった。ラムダは顎を強烈に突き上げられたにもかかわらず、小揺るぎもしない。その姿は、孤高の剣士と言うよりも、もはや剣を手にした魔神である。再びかろうじて立ち上がった綾は、既に体力の数割を失い、ダメージが大きい事がありありと見えた。だが、その目に宿る炎は衰えない。ラムダはその様を無感動に眺めやりながら、言った。

「ふむ、そういえば君は体術も相当に使えるのだったな。 特に掌底とローキックはかなりの威力だと、スタウトの報告で聞いている。 それに、蒼い光の力だったか、不思議な力もあるのだったな。 それを使われると厄介だ。 そろそろ、勝負をつけさせて貰うぞ」

『……来る! チャンスは、おそらく一回だけです。 召喚術を使わなかったのも、集中を使わなかったのも、このときに備えて力を温存するため! この機を、逃すわけには行きません!』

綾は出来るだけ平静を保ちつつ、待ちに待った瞬間を最大限に生かすべく、精神を集中していった。そして、必死に自分に言い聞かせる。自分の中に芽生えた、自信を必死に喚起する。

『出来ます、絶対に出来ます! ラムダさんは、力ある相手以外は認めない人……彼と交渉に持ち込むためには、レイドと和解して貰うには、最低限私が此処で頑張らないといけません! レイドのために、それにラムダさんのためにも!』

ラムダはゆっくり剣を大上段に構える。足場が狭く、横に逃げる事は実質上不可能。以前、一撃で綾の戦闘意欲を粉砕した超高圧の剣。強者揃いの騎士団内で、その名を伝説と化し、轟かせた恐怖の一撃。その名は、断頭台。ラムダが得意とする、大上段からの必殺剣。大上段に構えたラムダには、絶対的な自信と、圧倒的な闘気が備わっていた。綾は呼吸を整えつつ、じりじりと前に出る。ラムダも少しずつ間を詰め、二人の距離は縮まっていった。そして、先に仕掛けたのはラムダだった。

召喚鉄道の天井を踏み抜かんばかりの凄まじい踏み込みと共に、ラムダは愛剣を振り下ろした。相手を殺すつもりの、正真正銘本気の断頭台である。一撃は恐ろしい唸りを上げて、綾の頭上に降りかかった。だがその瞬間、凄まじい音が響き渡った。同時に踏み込んだ綾が、下がるどころか前に出て、同じように大上段からの一撃を放ったからである。二つの剣は凄まじい勢いでぶつかり合い、次の瞬間、ついに負荷に絶えきれなくなった綾の刀が、半ばからへし折れた。ラムダの剣は、綾の刀の刀身を激しく削り取り、鍔で止まった。鍔には亀裂が走ったが、ともかく止まったのである。

そのまま綾は左手を刀から離し、ラムダにもう一歩踏み込もうとしたが、その動きが板をハンマーで叩き壊すような音と共に止まった。ラムダが、膝蹴りでのカウンターを、これ以上もないほど見事なタイミングで綾の鳩尾に叩き込んでいたからである。綾が吐血するが、だが彼女は弾かれなかった。そのまま左手で、繰り出されたラムダの膝を抱え込んだからである。ラムダは舌打ちすると、右手を剣から離して綾の服、その首の後ろ辺りを掴む。更に左手で剣を振り上げ、敵に向け振り下ろした。無言のまま綾が右手の刀を、振り下ろされる剣に向けた。ラムダの剣は、綾の刀の刀身を粉砕しながら速度を落としたが、その威力はやはり凄まじい。亀裂が入った鍔を砕き、綾の右手にラムダの剣の刃が食い込み、そこで止まった。ラムダの顔が、驚愕に歪む。相手が此処までの展開を読み切っていた事を悟ったからである。ラムダが綾の服を掴むのさえ、である。綾はそのまま、さっきまで敵の膝を抱え込んでいた左手を、その掌を、ラムダの腹に向けた。そして、口の端から血の糸を引きながら、絶叫した。

「チェックメイトですっ!」

最大出力、全精神力をつぎ込んだゼロ砲が、密着状態からラムダに叩き込まれた。その破壊力、ヴォルケイトスの一撃に勝るとも劣らぬほどの物であった。しかもなまじ綾の服を掴んでいたから、ラムダはその威力を全て受ける事になったのだ。蒼き光が、凄まじい爆音と共に炸裂する。二人は大きく弾かれ、ラムダはそのまま背中から召喚獣鉄道の天井に落ち、綾は軽い分更に大きく弾かれて、召喚獣鉄道の天井の端にて止まった。弾かれる際、ラムダの剣が更に綾の右手を傷つけており、転がった軌道がこびりついた鮮血で一目で分かった。だが、それでも綾は、変わり果てた姿の愛刀を手から離さなかった。

全身を襲う虚脱感と痛みに耐えながら、何とか綾が顔を上げる。自分が極めて危険な位置にいる事も気付かず、必死にラムダを見る。これを受けて立ち上がられたら、もう正真正銘打つ手がなかったからである。

『お願い、立たないで、立たないでください……!』

その願いは叶わなかった。数秒後、何事もなかったかのようにラムダが身を起こしたからである。彼が着込む重装鎧は、腹部から大きく砕けていた。流石に大ダメージを受けている事が明白だったが、驚くべき事に、ラムダはそのまま立ち上がったのである。口から伝った鮮血を、手の甲で拭うと、ラムダは倒れて動けない綾を見据えた。

「……俺の背中を床に触れさせた相手は、一体何年ぶりだ。 恐るべき娘だな」

「……っ……!」

「時間切れだな。 もう幾ら急いでも、追いつく事は出来ん。 皆の者、撤退だ!」

ラムダの言葉と同時に、アキュートの者達の間から、急速に戦意が萎んでいった。フラット側にも追撃する余裕など無く、戦いは休息に沈静化していった。ラムダは、レイドを見上げると、いつもより若干精彩がない様子で言った。

「やってくれたな、レイドよ」

「ラムダ先輩……」

「これだけの事をしてくれた以上、覚悟は出来ているだろうな。 ……後で、改めて話をつけよう」

ラムダは振り返ると、そのまま歩き去っていった。それとほぼ同時に、綾はバランスを崩し、列車から落下した。同時に、意識を失った。

 

列車から落ちそうな綾の姿は、セシルとの小競り合いを終えたカシスの目にも見えた。彼女は崖を滑り終えると、そのまま鉄道に飛び移った。カシスが飛びつくように手を伸ばすのと、綾が落ちるのは、ほぼ同時。珍しく顔中に焦りを湛えたカシスは、何とか綾の手を掴むのに成功して、静かに嘆息した。

カシスは、クジマの存在に気付いていた。しかし、今はプレッシャーを感じていなかった。クジマとその召喚獣達は、いずれも既に姿を消していたからである。サビョーネルと痛み分けになり、撤退したというのが自然に成り立つ推測だった。

綾は意識を失っても、まだ刀の残骸を離さなかった。他の者も、慌てて列車に飛び乗り、綾を引き上げる。小柄な綾はそれほど普段は重くなかったが、現在は気絶しているため重い。それは仕方がないことだろう。

「何とか、何とか撃退出来たな」

綾をリプシーで回復するカシスの横で、ガゼルが言った。何とかスタウトに食いついていった彼は、かろうじて互角に戦う事が出来ていた。ただ、長期戦になれば負けていた事は、他ならぬ彼自身が一番良く悟っていただろう。カシスとアカネも決定打に欠け、セシルを攻めきれなかった。レイドも、結局ペルゴと千日手になってしまい、勝負はつけられなかった。かろうじて痛み分け、という所であっただろう。

カシスはリプシーでは埒が明かないと悟り、新しく修得した召喚術を唱える。それは、リプシーが変態成長した、サプレスの高等霊的生命体であった。

「誓約において、カシスが命ずる。 我が盟友を助けたまえ、聖母プラーマ!」

現れたのは、五つのボールを重ね合わせ、それぞれから二本の突起を延ばしたような生物。カシスは知らなかったが、それはオルドレイクが召喚したプラーマと同じ個体であった。

淡い光が辺り一帯を包み、皆の傷を溶かすように癒していく。保有する膨大な魔力によって代謝機能を強制強化高速化し、また疲労を回復しているのだ。流石に瞬間的に傷が全快するほどではないが、襤褸襤褸になった皆は、何とか一息つく事が出来た。だがその分カシスの消耗も激しく、片膝を着いて額の汗を拭っていた。今ので何とか綾の容態は安定したが、まだ目は覚まさなかった。

「一旦戻ろう。 騎士団が来たら、いらぬ誤解を招く可能性がある」

レイドの言葉に、綾を背負うとカシスが立ち上がる。他の者も銘々立ち上がり、戦いの場を後にした。凄まじい戦いは、この瞬間何とか集結したのである。マーン家の私兵達の亡骸を見て、ジンガが呟く。

「……俺っち達がもう少し強ければ、あいつらも助かったのかな」

「気にすんな。 あれも仕事のうちだよ。 剣を持った以上、命を落とす覚悟をするのは当然の事だからな。 お前のせいでも、誰のせいでもないさ」

ガゼルが、自身も釈然としきれない口調で呟いた。分かっていても、彼としても納得はしきれない事であった。

 

綾が目を覚ましたのは、夕方、自室でであった。側にはカシスがつきっきりでおり、無言のまま椅子に座って、綾の寝顔を見下ろしていた。綾が目を開けると、カシスが笑みを浮かべた。

「あはは、生きてた☆」

「……ありがとう、カシス。 運んでくれたんですね」

「気にしない気にしない。 一応右手も傷塞いだけど、二三日は重い物持っちゃーだめだよ。 あ、そうそう、それとねー、これ拾っておいたから。 なかなか離さなくて、手当大変だったんだから」

そう言って、カシスは綾に、刀の柄の残骸を差し出した。鞘も続いて、布団の上に載せる。刀の柄には、僅かにひび割れた刃が残っていて、綾は目を伏せてそれを鞘に収めた。そして無言のまま、紐で柄と鞘を縛る。子供達が触って、怪我でもしたら大変だからである。カシスはそれを、不思議そうに見やった。

「何でそんなに大事にするの?」

「フラットに来てから、この刀と一緒に、ずっと戦い続けてきましたから」

「だって、物でしょ?」

「……でも、戦友でした」

刀を抱きしめると、綾は心の中で別れを告げた。リィンバウムで、今まで共に戦い続けてきた戦友に。そして、礼を言ったのである。

 

ほぼ同時刻。アキュートのアジトでは、憮然としたラムダが、セシルのストラで手当を受けていた。近くのテーブルには、リシュールが座っていて、林檎を囓りながら言う。

「やせ我慢してるだろ、キミ」

「ああ。 凄まじい一撃だった。 鎧を着ていなければ、確実に落ちていたな」

「凄くいたくない?」

「恐ろしいほどにいたい。 今晩は物を食えそうにない」

ラムダは不器用に笑って見せた。セシルが喋らないように促し、黙り込んだ彼に代わって、ペルゴが言う。

「それで、効果の方は?」

「上々。 街に埃まみれの泥まみれ、しかもボロボロになって、頬に痣まで作って逃げ込んできたイムランは、繁華街中にその姿を晒した。 誰かにぶちのめされたのは明白、召喚師の威信は地に落ちた。 暗殺自体は失敗したけど、奴らに勝てないと言う市民の思いこみは、これで綺麗に消え去るはずだ」

「流石はセンセイだな。 負けた後の事も、きちんと考えてる。 正直、敵に回したくないぜ」

スタウトが肩をすくめたが、リシュールはそれに対しては何も応えなかった。彼女にしてみれば、噂だけから作戦の詳細や決行日時まで割り出した相手と、敵対している事実が、強烈な不安要素となっていたからである。

また、鬼神を使う召喚師も、あれから姿を見せない。それもまた、嫌な予感をリシュールに覚えさせるには充分だった。

ラムダが紙に筆を走らせ、皆がそれに注目する。それには、こう書かれていた。

「暗殺はもう無理だな。 しかし、市民が立ち上がる準備は整った。 だがその前に、やるべき事がある」

「了解了解。 レイド君だっけ、キミの後輩と決着をつけておく必要があるね。 ま、数日待って。 キミの回復を待つのと同時に、こっちもスケジュールを詰めておこう」

リシュールの言葉に、ラムダは頷く。そして、視線を落としたのである。彼が自嘲を感じていた事を、側にいた誰もが悟っていたかも知れない。

 

4,不思議な刀

 

死闘の翌朝は、フラットの全員が精彩を欠いていた。綾とガゼルは筋肉痛になっていたし、カシスはやる気無さげに遠くを見ていた。アカネはアジトをそもそも訪れず、エドスは庭で素振りしていた。ジンガは時間を間違えて授業に出かけてしまったし、レイドは無言で街に調査に出かけた。ローカスは離れに閉じこもっていた。スウォンは、いつものように獲物の一部を分けてくれたが、彼にも元気がなかった。モナティとガウムは子供達と一緒に遊んでいたが、昼寝の時間がいつもの1.5倍に拡大していた。

前線は狭かったが、それが故に戦い自体は激しく、長引いた事。それが全体的な疲労を増やしていた。特にカシスとアカネ、レイドとガゼル、それに綾は、力量が同等かそれ以上の相手との死闘を行っていたため、他の者より更に疲労が激しかった。

それでも綾は、いつも通り日課をこなしていた。ただ、案の定、午前中の釣果は散々であり、ため息をつきつつアジトに戻った。釣果は上がったものの、いつもの五分の一程度で、とても食費の足しになる分量ではなかったからである。魚を渡すと、リプレは笑顔で綾の全身を見回した後、そのままの表情で言った。

「アヤ、疲れてる?」

「はい、かなり……」

「今日は散歩でも行ってきなさいよ。 心の疲れは、体の疲れが取れるのを遅くするんだから」

リプレの観察力は、綾のそれを遙かに凌ぐ。良くそれを悟っている綾は、言葉に甘えて散歩することにした。腰に刀をつけていったのは、無意識的な行動である。ただ、それは以前より遙かに軽かった。

筋肉痛という事もあり、多少歩調が乱れるのは仕方がない事であったかも知れない。痛む足を引きずって、綾は街を散策した。決して今は雰囲気が良くはなかったが、それでも良い気晴らしにはなった。幾つかの店をウィンドウショッピングした後、綾は知己の接近に気付いた。以前、この近辺で助けた老人である。名はウィゼルといった。綾がほほえみかけると、老人は枯れ木のような首を縦に振り、しきりに頷いた。

「お、おうおう、ええと確か」

「樋口綾です。 ウィゼルさん」

「おうおう、アヤさんだったの。 この間は世話になった」

老人はスローな動作で礼をし、反射的に綾も完璧な角度で礼をしていた。しばし二人は列んで歩きながら、とりとめのない話をした。やがて、ウィゼルはしわしわの顔に笑顔を湛えると、目をしばたき、ゆっくりと小首を傾げた。

「おお、おお。 そのなんだ、腰に差している物じゃがの」

「これですか? 私の愛刀……でした」

「どれ、見せてくれないかの」

「もう割れてしまっていますから、気をつけてください」

綾がそれを渡すと、老人は差も愛しそうに鞘をなで回し、目を細めて何度も頷いた。そして、紐を解きながら、不思議な事を言った。

「この刀、お前さんに礼を言っておる」

「……?」

「元々名のある鍛冶に作られた傑作であるでもなく、華々しき戦場に出られたわけでもなかった。 埃多き倉庫に入れられ、ただ寂しさに泣いておった。 しかしお前さんの手で、幾多の敵と戦う事が出来、そして素晴らしき剣豪と戦って散る事が出来た。 満足だ、と刀は言っておるよ」

ウィゼルは鞘から刀を抜き、その砕けた刀身を見て目を細めた。ひび割れた鍔を見て、愛しげに触った。しばしウィゼルはそのまま佇んでいたが、やがてゆっくりと綾を見上げた。

「……わしの仕事場に、良ければ来てもらえぬか。 渡したい物がある」

 

綾はすぐにウィゼルが言う事を信じたわけではない。だが、彼が悪人だとも思えなかった事、刀が辿った経歴をぴたりと言い当てた事、等から単純に興味を覚えたのである。それに、老人に優しくしてあげたい、言う事を聞いてあげたいというのは、綾がごく自然に抱く感情だった。勿論物事には限度があるが、今のところその限度に触れる恐れはまずあり得ない。

「ここが、わしの仕事場じゃ」

そう言って、ウィゼルは古びた店の前に立った。その建物には煙突があり、もうもうと蒸気が噴き出している。ウィゼルの後に続いて綾が中にはいると、そこには無数の武器が展示されていた。モーニングスター、フレイルなどの打撃武器。様々な長さの日本刀、洋刀、グレートソードや短剣などの剣類。槍、長刀、ランスなどの長柄武器は、種類が最も豊富だった。弓も幾つかかけられていたが、ボウガンはなかった。また、流石に銃器の類はなかった。壁際に置かれた籐の籠には、様々な矢が、まとめて入れられていた。

「師匠、お帰りなさいませ」

「うむ。 こちらはお客さんだ。 粗相がないようにな」

弟子らしい若い男にそういうと、ウィゼルは綾を奥に案内した。鉄を打つ音が辺りから響き、蒸気が沸き上がる。だが店の奥は以外にも静かで、そこには鉄製の冷たい金庫が設置されていた。金庫の周りにはどうしたわけか注連縄が張り巡らされ、床には奇妙な模様が描かれていた。ウィゼルは綾の刀を床に置くと、金庫を明け、中から布包みを取りだし、綾に渡した。その感触に、綾は覚えがあった。

『これは……刀? でも、凄く軽い……』

「受け取って欲しい」

「待ってください、こんな高価な物、頂けません」

「……この刀は、もらいもんでの。 アヤさんに渡しても、わしは何の損もせん。 だから、受け取ってもらえぬか?」

困ったような笑みを綾が浮かべたので、ウィゼルは苦笑し、理由を話し始めた。

「……わしはな、武器の言葉が分かるんじゃよ。 信じてもらえぬかも知れぬが、これは本当だ。 禿頭に誓って本当だとも。 うむ。 そしてわしは長く生きてきたが、壊れてしまった刀があれほど嬉しそうに語るのを初めて聞いた。 本当に心から、刀はお前さんに礼を言っておったんじゃ。 完膚無きまで壊れてしまったというのにな」

「……」

「その刀は、少々特殊な奴でな、普通の人には渡せぬ。 わしはむしろ、その刀の持ち主を見つけるのが人生の楽しみの一つだったと言っても良い。 そしてその刀の持ち主が、今此処におる。 あれほどにまで刀に信頼される者。 戦いを決して好まず、他人のために必死になれる者。 アヤさん、アンタ以外にないんじゃ。 だから、本当は、頼むというのが正しいな。 頼む、アヤさん、受け取ってくれ。 老い先短き、この老いぼれの願いじゃ」

無言のまま綾は刀を握りしめ、視線を落とした。ウィゼルは笑みを浮かべると、乾いた笑い声を上げた。

「かっかっか、刀も、お前さんと一緒にいたい、と言っておるよ」

「分かりました。 ……でも、もし私が、自分がこの刀に相応しくないと思ったら、返しに来ても良いですか?」

「おお、そうじゃな。 だが、わしはお前さんを信じるよ。 代わりに、この壊れてしまった刀はわしが預かろう。 新しく打ち直して、新たな刀生を歩ませてやるから、心配せぬようにな」

 

アジトに戻った綾は、早速渡された刀を抜いてみた。鞘は質素な作りで、鍔も工夫がある形状ではない。だが、刀身は凄まじかった。形状はそのまま日本刀なのだが、その怪しいまでに美しい刀身は、さながら鏡のように磨き抜かれていた。

しかも、これが見かけ倒しかというと、そうではなかった。スウォンに断り、綾は森に出かけて、枯れ木を斬ってみたのである。その切れ味、尋常ならず。以前の刀よりも数段上の切れ味で、しかもまるで刃こぼれしない。数本の木を切った後、綾は心中で嘆息していた。切り口は、まるでヤスリを掛けたかのように滑らかであった。この分だと、果物や野菜を切った場合、くっつく可能性すらある。気をつけないと、触っただけで指が飛ぶ。

『凄い刀……でも、とても危ない刀ですね。 本当に、責任を持たないと、扱えない刀です。 私が扱ってしまっても、良いのでしょうか』

その時、陽光がタイミング良く刀身に反射した。刀が苦笑したように綾は思ったので、一旦鞘に納めると、布に挟まれていた紙に気付いた。それには、ウィゼルの伝言が書かれていた。中身は単なる刀の名前を告げる物であった。

「この刀は……サモナイトソードですか」

綾は刀を近くの切り株に置くと、人間にするように挨拶した。ウィゼル老人の言葉が本当だとすると、武器には意識があるのかも知れない。となると、礼節を欠くわけには行かないと思ったからである。生真面目な綾であったから、考え得た事であった。

「よろしくお願いします、サモナイトソード」

綾はこのとき、サモナイトソードを単なる名刀と考えていた。だが、その認識が甘すぎるものだと、後に知る事になる。

 

アジトに戻った綾は、レイドに呼び止められ、会議に参加する事になった。エドスが、気になる情報を入手してきたからである。

「オプテュスが、また勢力を回復し、北スラムで我が物顔に振る舞っているらしい」

「ケッ、また攻めてきたら、何度でも返り討ちにしてやるだけだぜ」

エドスの言葉に、ガゼルが言った。実際問題、現在のフラットの戦力は以前とは比較にならない。個人個人の実力も増しているし、人数もずっと増えている。明らかに油断しているガゼルを、カシスが窘めた。

「暗殺の基本言ったでしょ? 死にたくなければ、どんな相手が敵でも、油断しちゃ駄目だよ」

「へいへい。 しかし繁華街で、奴ら全然見かけねえぞ」

「それがな、妙なんだ。 連中、北スラムから出ようとせんし、目立って組織的に行動するようになったそうなんだ」

「バノッサさんは?」

綾の言葉に、エドスは首を横に振った。バノッサとカノンは、此処暫く見かけた者がいないというのである。レイドは考え込むと、皆の顔を見回した。

「アキュートの事も警戒せねばならないが、同時にオプテュスに関しても備えを怠らぬ方がいいな。 嫌な予感がする。 各自、警戒するように」

 

5,些末な場所

 

蒼の派閥のエクス副派閥長の元には、ひっきりなしに様々な情報が飛び込んできていた。蒼の刃が総力で無色の派閥を探っている事もあるし、そのほかの密偵もフル稼働している。しかし危険度は依然として高く、消息を絶つ蒼の刃構成員は後を絶たなかった。

そんな中、パッフェルが資料をまとめて、エクスの部屋を訪れた。無言で顎をしゃくり、報告を促すエクスに、パッフェルは言う。

「えーと、良くないお知らせが。 同時に、良いお知らせが幾つか」

「単刀直入に頼む」

「まず第一に、ナプリの穴、それにクラプの森なんですが、完全にフェイクだったって分かりました。 結論から言うと、あそこに無色の派閥の本部はありません。 前の二度の討伐隊は、犬死にしたって事になりますねぇ。 あはははは、すみません」

エクスの表情が変わらなかったので、パッフェルは気まずい気分を味わい、次の報告に移った。

「えー、あははは。 次に、いくらかの報告から、面白い事が分かりました。 無色の派閥の連中、本部は都市部に作っていないと思います。 連中の足跡を調べた所、持ち物に特産品とか名産とか、そーゆーのに一貫性が全然見つからないんですよ。 布とか食べ物とか、普通気にしない物にもですよぉ。 てことは、連中は独自のコロニーをどっか都市部以外に作ってるんだと思います。 そう、誰も来ないような場所に。 で、そこに無作為に物資を集めてるか、召喚術で補給してるか、どっちかだと思います」

「続けてくれ」

「はい。 それで、連中の活動地域から、候補地を幾つか割り出しました。 これから大規模な探索部隊を派遣して、一カ所ずつ潰していきます」

そういってパッフェルは幾つかの土地を指さしていった。エクスが頷き、パッフェルは上司の表情が多少軟らかくなったのを受けて安心した。

「そして、連中が動いてる都市を発見しました。 シオンさんからの報告なんですが、連中の幹部級の奴がいるみたいです。 うちの偵察員を派遣するのも勿論なんですが、エクス様からも腕利きで実戦経験がある召喚師送ってもらえませんでしょか?」

「何故だ?」

「それがですねえ、どうも連中がまともに独立国家とか作ろうとしてるとはおもえんのですよ。 私にとって、あくまで守備範囲は人間の世界ですからね。 召喚術とか、余所の世界とか、人間以上の存在とかは管轄外ですから、そーゆーのに詳しい人の派遣が必要だと思います」

「都市の名は?」

パッフェルはそのまま地図上で指を動かし、聖王国辺境にある、小さな都市国家を指さした。

「サイジェント。 金の派閥が半私物化してる、小さな都市国家です。 ずっと前に聖王国と戦争して独立したのは良いけど、農業国家としてはにっちもさっちもいかなくなってたところに金の派閥がつけ込んで、半ば乗っ取ったみたいっすね。 今では強引な政策のせいで不満が爆発寸前で、かなーり政情不安に陥ってるみたいですよ」

「分かった。 若手で有能な二人組がいる。 彼らを手配しよう」

 

パッフェルが退出した後、エクスは別の地図を広げた。それは正規軍の情況を示す物で、既に二千ほどが組織された事が明記されていた。明確な敵の所在地が分からぬ為、まだ軍は集結していないが、後暫くすれば軍事行動が可能になる。司令官には聖王国から中堅どころの将軍が派遣される事になっている。

また、金の派閥側も、着々と準備を整えていた。此方も既に三千ほどの戦力が整理され、司令官には同じく聖王国の将軍が参陣する事も決まっている。戦いの準備は、着々と整いつつあった。

エクスには、ファミィから密談を促す手紙が届いている。金の派閥内で珍しい良識家とされるファミィだが、その実の姿はカミソリである。その気になれば、幾らでもえげつない策を取れるのが彼女の怖さだった。本質的には良識家であるが、幾らでも手を汚す事が出来る人物でもあるのだ。

手紙の中には、恐るべき提案が記されていた。それは最も効率的ながらも、エクスには実行をどうしてもためらいたくなる策略であった。だが、二つの派閥を効率よく改革するには、それしか手がないのかも知れないと、エクスは半ば諦めていた。

……即ち、今回の戦いを利用しての、腐敗の元凶たる現派閥長達の抹殺である。

 

(続)