反撃の時

 

序、ペンを巡る攻防

 

世界の国々の支配者達が小さな島に注目していた。その島を支配する一人の上位種に着目していた。

巨大な力を持つ能力者を何十人と集め、米国の攻撃を一ひねりに撃退し、そしてついに伝家の宝刀である核を使わせようとさえしている。負の意味であっても、そんな偉業を成し遂げた、人外のものの去就に着目していた。米国の動向も無論注視の対象となっている。これが世界的な転機になりかねないと、気付いている者も何人かいる。

陽の翼の行動に対し、勿論米軍も黙ってはいない。既に彼らの最大戦力である第七艦隊が極秘に動き始めていた。前回のおよそ四倍の戦力が既に整えられており、空母だけでも三隻が集結している。出撃を待つ艦載機は二百を超え、ゆうに国一つを焦土と出来る戦力が手ぐすねを引いていたのである。

M国では既に、大統領の失策を責める声が大半を占めるようになりつつあった。今まで同国を支え続けた最大戦力を切り捨ててしまったばかりか、もし戦いに勝つことが出来たとしても、大幅に米国に譲歩しなければならないのは確実である。更に領土をむしり取られる可能性も高い。

米国を退けた陽の翼の戦闘力は、集蛾灯にも似た効果を示している。既に何グループかのテロリストが、陽の翼に接触を図り始めている。中には以前陽の翼によって壊滅させられたにもかかわらず、媚を露骨に売っている組織さえもあった。殆どが相手にされず、強引な接触を試みて殲滅されてしまった者達もいたが、それでも後から後からすりよる連中は湧いて現れるのだった。

陽の翼にすり寄るのがテロリストだけならまだ状況は良かっただろう。しかし既に幾つかの国家もそれに負けじと裏から手を回し始めており、水面下で米国との深刻な対立が始まっていた。陽の翼という強大な力は、さながら濃厚な蜂蜜のように、人間と呼ばれる蟻たちを引き寄せたのだ。力を求める者同士の争いまで始まり、M国の治安システムは崩壊寸前になっていた。

現在、M国には無数のテロ組織が潜入しており、各国の特殊部隊も虎視眈々と事態の推移を見守っている状況だ。それらのつぶし合いは日常茶飯事に発生しており、民間人が多く巻き込まれており、警察では対処しきれず軍までもが動員されている。

複雑な状況は一般人の理解の外にある。陽の翼の協力者の中にさえ、事態の完全な把握をしている者は殆どいないのが現状なのだ。事件中枢の協力者でさえそうなのだから、マスコミに到っては全容を掴んでいるものなど皆無であった。

米軍の不審な動きや、M国の混乱、それに陽の翼の名前までは突き止めることが出来た者は確かにいた。だがそれ以上踏み込んで事実を知ることが出来た者は存在しなかった。だからこそに、大手のマスコミを中心に、まるで砂漠で水を求めるように、極めて貪欲に情報を集める動きが出始めたのである。

もし、陽の翼と、その周辺で現在起きている事実を記事に出来れば、特ダネは間違いない。特ダネどころか、記者の名前は歴史に残ることとなる。情報がほとんど無いために、却ってそれを求める動きは加熱した。中にはテロリストと接触しようとして軍に捕縛されたり、逆に賄賂を軍人に渡して情報を得ようとして逮捕された者さえいた。

だからこそに、米国を代表する高品質新聞であり、世界的にも信頼されているワシントン・ウィーク紙の編集長は、陽の翼からのアクセスに小躍りしたのである。陽の翼は、取材の代わりに、彼らに良いものを見せてやると約束した。撮影する場所と、時間を指定してきた。編集長はそれがM国のただの空であることに小首を傾げながらも、すぐに熟練した記者とクルーを派遣、蟻一匹見逃さない態勢で状況の観察に入った。

ペンは剣よりも強しと、一時期言われた。だが「剣より強い」という事は、それ自体が剣と同じように利用される意味も秘めているのだ。人間が操るものに、万能な存在などない。剣でもペンでもそれは道具に過ぎないのだ。それを操るのが、人間という、欲に起因した行動を第一とする生物である限り。

 

ワシントン・ウィーク紙を監視していたCIAのエージェントからの情報が、M国に詰めている零香の元に届いたのは、ダハーカ王との戦いから数日が過ぎた時であった。満足に動けるようになっているのは由紀だけで、他の全員が今だ回復しきっていない。今陽の翼側の攻撃があれば、対処は極めて難しい。

ベースの、自室ベットに腰掛けたまま、零香は携帯に入ったメールを見ていた。回復術の連続使用で疲れ切っている利津が、となりの部屋で寝ている。お腹に手を乗せて、すうすうと寝息を立てている姿は、本当に子供のようである。更にその隣の部屋で寝ている真由美が右往左往しているのは、十中八九あまりにも利津の寝姿が可愛いので平静を保てないからだ。しかも本人がそれを敏感に感じて腹を立てているので、どうしていいのか分からないのであろう。面白い奴である。

面白い奴ではあるが、もう少し感情制御を鍛えて貰わないと、今後は困る。今回は良い機会である。口を出さないで、感情を制御する術を、自己学習して貰う。

「入りますよ」

「ん、いいよ」

見知った声に短く返事を返すと、桐が部屋に入ってきた。どうやら彼女の携帯にも、もう同じ内容のメールが来ているらしい。携帯を見せたときの笑顔ですぐに分かった。

「利津ちゃんの予想、見事に当たりましたね」

「そうなると、米軍の核攻撃は、もう避けられないのかな」

「……さて、それはどうだかまだ分かりませんが。 その時に備えて、動く必要がありますね」

いざというときは、ワシントン・ウィーク紙の記者達を捕捉して、丁重にお帰りいただく必要も生じてくるだろう。陽の翼側も当然その動きを予想しているだろうし、交戦が生じる可能性は大いにある。そうなってくると、CIAだけでは荷が重いだろうし、零香達が動かないとまずい。

ダハーカ王は想像以上に強かった。六人がかりでの総力戦をしかけてあの結果であったし、次に戦ったらどうなるかは全く分からない。傷はまだ治りきっておらず、体の節々が痛む。米軍が戦力を集結させる時間を稼いだとはいえ、此方の犠牲も小さくはない。結局仕留めることは出来なかったし、由紀の切り札も敵に知られた。今後の戦いが更に厳しくなるのは間違いない。

五翼は全員が健在。その上強力な古代龍が最低でもまだ三体スタンバイしているのだ。そのうち二体は能力も未知数で、しかも忠誠心が高い。さらに敵が保有する実体化まがつ神は、まだ数十体をカウントできるだろう。能力者もまだ四十人以上が稼働可能なはずだ。まだまだ悪い条件は重なっている。そろそろ、敵はケツアルコアトルを完成させているだろうというのがそれだ。

「ワシントン・ウィーク紙のクルーが向かっている場所が分かれば、随分撃退が楽になるんだけどなあ……」

「M国に入られると、CIAでも追尾は難しいでしょう。 恐らく陽の翼が、隠密護衛に当たるでしょうし」

「五翼を相手にするのも厳しいけれど、古代龍まで出てこられたら……まずいね」

「可能性は低いですけれど、警戒の必要はありますね」

米国による核及び通常兵器による攻撃がいつになるか分からない現状、古代龍が敵本拠を離れる可能性は極めて低い。だから古代龍に対する警戒は低めで問題ないと考えて良いはず。だが、今までの戦闘で実際に確認した、敵の優れた作戦遂行能力を考慮するとそれは絶対ではなくなってくる。零香の見たところ、多分陽明辺りは空間転送の能力を持っているし、それを上手く活用されると古代龍が神出鬼没の活躍を見せる可能性もある。

「それにしても、ワシントン・ウィーク紙が動いたと言うことは……」

「核攻撃の詳細なスケジュールを把握したと言うことですものね。 やはりCIA中枢に、敵のスパイが潜り込んでいると、考えて間違いないでしょうね」

「そうなると、此方の行動もある程度敵に読まれている可能性があるね。 この辺の住民は、あらかた陽の翼の味方だろうし、そっちも警戒しないとダメか」

会話が途切れたのは、ケヴィン氏が帰ってきたからである。頑丈な零香も桐も、どうにか立って歩けるというレベルにまでしか回復していないし、淳子や利津に到ってはまだまだ休まないと動くのは厳しい。真由美に到っては自室から出すわけにはいかない有様で、どうにか戦えるのは由紀だけである。

ケヴィン氏は真っ直ぐ零香の部屋に来た。彼の最近の情報から、米国の核攻撃にはまだ時間があるという事が分かっているが、真っ直ぐ来ると言うことは何か起こったのだ。ドアを開けたケヴィン氏は、ベットに腰掛けた零香を一瞥すると言った。

「いきなりで悪いが、ワシントン・ウィークが動いたってのは、もう聞いてるだろう」

「はい。 先ほど聞きましたが」

「なら話が早い。 島を監視していた連中から報告だ。 陽の翼が動き出した。 十中八九、記者どもを護衛するための隊だ」

「……敵の戦力は?」

ケヴィン氏は言う。古代龍は無し。その代わり実体化まがつ神が五体、それに能力者が数名。中にはキヴァラと陽明がいる事が確認されている。そうなってくると、予定地点に古代龍を転送する可能性がある。護衛の戦力は侮れないし、米軍だけでは対処するにしても相当な損害を覚悟しなければならないだろう。

今までの戦いで少なからぬ犠牲を出しつつも、ついに米軍は索敵で相手の上を行ったのだ。これは間違いなく、大きな成果であった。

「軍の中には、テロリストの仕業を装って、ワシントン・ウィークの連中を皆殺しにしてしまえばいい、なんて考えを持っている奴もいるらしい。 だが、陽の翼のことだ、他の新聞社にもさまざまな形で声を掛けているのは間違いねえ」

「同感です。 強攻策は無意味でしょう。 零香ちゃんは、どう思いますか?」

「そうだね。 わたしは、此処は逆にチャンスだと考えるべきだ、と思うけどね」

「ふむ……流石ですね。 私も同意見です」

零香のプランはそう難しい内容ではない。ただし、実行自体は極めて難しい。すぐに出立するわけには行かない。今は少しでも休んで、傷を回復させる必要がある。

零香は作戦案をケヴィンに伝達すると、自分はベットに寝転がった。そしてケヴィンを部屋から追い出し、昼寝にはいる。桐が買い物に向かっている由紀にメールを出す。勝負は恐らく二三日の後だ。それまでに、可能な限り傷を回復しておかねばならない。

零香は勝利に貪欲である。神子相争で鍛え抜かれた結果だが、それ故に好機の到来にも敏感だ。始めて敵の上を行った今回は、この戦い始まって以来の好機である。此処を逃せば、恐らく陽の翼は作戦通りに全てを遂行しきるであろう。

目を閉じると、すぐに眠くなる。必用に応じて眠り、必用に応じて食べ、必用に応じて体を回復させる。そんな事が出来るのは余程訓練された人間だけだが、零香にとっては小学生の頃からの、呼吸と同じ日常生活の一部だ。

今はただ、眠って力を蓄える、それだけであった。決戦に備えて。

 

1,錯綜する最前線

 

人身売買。奴隷制度。

人類が社会を発展させてからと言うもの、一貫してつきまとった悪習である。古代にはすでにあり、近代でも無くならず、現在でも残っている。

古代ローマ時代、奴隷はものを言う道具と呼ばれた。これほどに、真実を現している言葉は無いであろう。奴隷に要求されるのは、まさにそれである。人間としての知性を持つ道具。何故そんなものが必要になってくるのか。それは、労働力を低賃金で押しつける相手が、一部の豊かな生活を実践するには必要不可欠だからだ。

そしてそれらは、決して先進国の住民にとっても、無関係な話ではない。発展途上国の農場では、人身売買によって供給された労働源、主に子供によって過酷な労働が行われている。内戦が行われる国でも同じ事だ。最近の武器は小さく破壊力が大きいため、使い方さえ覚え込ませれば子供にも扱うことが出来る。更にいえば子供は調達も簡単であり、コストも安い使い捨ての兵士として活躍する。だから、チャイルドソルジャーなどと呼ばれる子供の兵士達が、半ば弾よけとして、悲惨な戦場に投入され続けるのだ。

人間は理性の皮を一剥きすれば、こんな本性を容易に現す生物なのだ。勿論長年の努力によって少しずつ減りつつあるこの悪習だが、今度は人間の能力に追いついてきた技術力に、その腐った性根が押しつけられつつある。今後は、機械の奴隷であるロボットが酷使虐待されるのはほぼ間違いない。技術に無賃労働を押しつけて、人間はのうのうと豊かな生活を享受するわけだ。人間よりも力が弱い他星の知性体が発見されたら、過去の搾取が繰り返されるのもまた疑いない。

怒るのは簡単だ。何かに責任を押しつけるのも簡単だ。事態を見ないのも簡単だ。だから人間はそうする。だから人間は進歩しない。だから、手を汚してでも事態を見る人間が、どんな下劣な品性の持ち主でも社会をリードする。だから政治が腐る。

そして殆どの人間にとって、それらは遠い世界の話だから、直視しない。真実を知ろうもしない。

だが、それが間近な世界であり、生きてきた場所である人間達も少なからずいるのである。例えば、キヴァラは、その一人だった。

陽の翼の幹部であり、地翼と呼ばれるキヴァラは、熟練した能力者である。彼の能力は空間断絶。振るう光の鞭は実体があるものではなく、空間に亀裂を生じさせる彼の力が集まったものなのだ。だから、彼の攻撃は、文字通りの絶対。ダイヤモンドだろうがセラミックだろうが、防ぐことは絶対に出来ない。どのようなものでも貫き通す。また、切り札の一つである光の鎧は、空間断絶の能力を体の肌から僅かに浮かせて纏う技であり、攻防一体の奥義である。

いかなる防御も意味を為さぬ究極の攻撃技能。それがキヴァラの特質といえる。そのため、彼は今まで拠点防衛型の天敵として、数々の戦いを勝ち抜いてきた。彼が仕留めきれなかった拠点防衛型は、唯一黒師院桐だけである。ただ、絶対攻撃と言っても無敵攻撃という訳では決してない。効果範囲は狭いし、術の展開もあまり出来はしない。

そんな彼の非常に実用的かつ強力な技の数々を鍛え上げたのは、実戦そのものだった。単純な実戦経験では、彼こそ陽の翼の、現役の人間の中でトップであったかも知れない。

アフリカ大陸には内戦を行っている国が幾つもあるが、キヴァラはその何処かで産まれた。何処かというのは、自分でも知らないからである。物心着いた頃には戦場でオートライフルを握りしめ、戦っていた。彼らの仕事は、地雷原に守られた敵陣地に突撃する事であり、毎日のように同じ年頃の子供達が死んでいった。地雷を踏んで足が吹っ飛び、動けなくなった場合、味方が治療費を惜しんで「処分」する事さえあった。それが当たり前の世界だった。

自分が戦闘用の奴隷として売り飛ばされたというのを理解したのは、七歳の頃だった。それから運だけで生き残ってきた。いつだったか、自分よりずっと強いチャイルドソルジャーが、冗談のように簡単に死んだ。眉間に弾丸を受けて即死したのだ。戦いに勝ち残るには、技も、判断力も、それに運も必要だった。判断は間違えていなかった人間が、流れ弾に当たって死ぬのなんて、日常茶飯事であった。危険を避ける嗅覚ばかりが、生き残るに連れて育っていった。いつも怖かった。死ぬことが怖かった。生き急いでいた。

十三歳の時だった。流れ弾を喰らって、彼は生死の境をさまよった。その頃にはすっかりベテランの兵士に成長していたことが命を救った。惜しんだ周囲によって、治療をして貰えたのである。皮肉な話であった。二年前だったら放置され、死んでいただろう。だが、治療をして貰えたと言っても、状況は最悪だった。場所は最前線近くの軍病院であり、物資はほとんど無く、生き残るには自身の生命力を頼むしかなかった。やせこけた体だったが、どうにか病魔に勝った。

しかし勝ったときには、彼の周囲には誰もいなかった。味方は敗退し、動ける人間はとっくにみんな病院から逃げ出していたのである。

キヴァラは病み上がりの体を引きずって、あてもなく逃げ回らなければならなかった。幸い見つけたカラシニコフが命を救ってくれた。必死に敵の包囲網を突破はしたが、安全な所で知ったのは、味方が全滅的な打撃を受け、降伏したという事だけだった。

全てを失ったキヴァラは、いつのまにか自分が力を得ていることに気付いた。そして目的もなく、生きるためだけにさまよい歩く内に、先代の五翼筆頭をしていた陽の翼のスカウトに拾われたのである。

陽の翼で、キヴァラはめきめきと力を付け、そして五翼の一角にまで登り詰めた。かってと違い、目的のある戦い。尊重される意志。守るべき者。そして自分を使い捨ての駒ではなく、同志として扱ってくれる組織。それは居場所であった。

キヴァラは充実していた。今なら、戦いで死ぬことも怖くない。だから今は、かってとは比較にもならない力を発揮することが出来るのだった。太陽神を守るために。

 

今回キヴァラは、陽明と組んで行動している。能力者五名と労働員二十名、それに実体化まがつ神五体が同行するチームであり、人員搬送用のトラック四台に分乗して進んでいる。荷台には武装した労働員達と実体化まがつ神が潜み、能力者達とキヴァラ達が助手席に交代で詰めて警戒に当たる。かなり大規模な部隊だが、既に陽明の転送地点周囲には支援戦力が待機していて、GOサインが出ればユルングも駆けつけることが出来る。それになにより。

ついに、実験段階とは言え、上位種達の協力と太陽神の力でケツアルコアトルが完成したのである。今回の行動は、最強の古代龍の、実践投入の意味もあるのだった。労働員達は皆興奮していて、任務中だというのににやけている者もいる。キヴァラ達だって嬉しいのだし、あまり彼らを責めることも出来ないだろう。

燃料も食料も充分に積み込んであるし、補給物資を搬送するのも簡単だ。協力者達が多い地域を率先して抜けながら、トラック四台はM国の地を走り抜ける。ラジオを付けると、何処で発砲事件があっただの、何処でテロリストが逮捕されただの、物騒なニュースばかりである。ベートーベンのCDをカーステレオにかけたままキヴァラはぼんやりしていたが、妙な気配を感じて西の空を見た。

何かいる。此方に敵意は向けていないようだが、何かがいる。

携帯が鳴る。陽明からだ。

「どーしたメイ」

「感じたか?」

「ああ、感じた。 この気配、覚えがあるぜ」

「ほう? 敵か?」

「敵……といえるんだろうヨ。 ほら、日本の能力者共のジョーカーになっている、マユミって子がいるだろ。 以前レイカと彼奴と会ったときに感じた。 報告にある、一緒に行動してる集合霊だろうな。 まあ、こっちに気付いてもいないしヨ、逆に仕掛けて逃がすと面倒だ。 ほっとけ」

以前感じたときよりも、ずっと気配が強くなっているのだけが、気にかかった。前も数十体は体内に悪霊を取り込んでいるようだったが、それが更に増している感触だ。これならば、実体化まがつ神並の力を発揮するかも知れない。

そういえば、奇襲とは言えあのアジ・ダハーカに対して痛烈な打撃を与えたという報告もある。それならば余計に、触らぬ神に祟りなしだ。放っておくに限る。

「ふむ、そうか。 それなら放っておいた方が良いだろうな」

物わかりが良い陽明は一言それだけ応えて、後はその話題には触れなかった。それから暫く何もなかったのだが、二時間ほどして、今度はモーツアルトを聞いていたキヴァラは気付く。また彼奴だ。今度は少し先を浮遊している。浮遊したまま、近くを彷徨く悪霊を片っ端から喰っているようだった。報告では少女の霊だという話だが、貪欲な奴だ。一旦車列に停止するよう指示を出すと、近くの脇道にそれ、通行ルートを探索させる。カーナビ等という豪華なものは当然ついていないので、地図を広げて調べるしかない。幸いこの辺りは道路らしい道路もない僻地で、怪しまれることはない。

「どうした、キヴァラ殿」

「感じてるだろ、また奴だ。 見付かると面倒だしヨ、道を変えるぜ」

「……うむ、そうだな。 しかしこれは偶然なのか?」

「少なくとも奴に、俺達に気付いている様子はないぜ?」

「それは拙者にも分かるのだが、しかし気になるな。 まあ、道を変えること自体には、拙者も賛成だ」

結局、数分で適当なルートが検索されて、其方に切り替えることとなった。少々道が悪いが、今度のルートも協力者の村が周辺に多く、危険は極めて少ない。これは単純に現地までの行程で最大限消耗を避けるための工夫である。元々キヴァラも陽明も好戦的な人間だが、それでも無駄な戦いをしたいとは思わない。プロフェッショナルとは、そういう存在である。

数時間ほど山道を走っている内に、周囲には森が増え始めた。開発が進んでいるとは言え、M国の各地にはまだまだジャングルが残っている。ジャングルの中を貫くようにして車道が延々と彼方此方へ延びているが、いざ道路を踏み外してしまうと其処は非常に危険な世界だ。

その危険な世界のただ中を通っている、そんな時の事であった。

「……!」

キヴァラが大きく舌打ちしたので、運転していた労働員が少し仰け反った。荒々しく携帯を引きずり出すが早いか、すぐに陽明にかける。三コールもしない内に、戦友である現代の侍は携帯に出た。

「感じたろ、メイ。 ちょっとこれは偶然じゃねえな」

「うむ、三度続いてしまうと、流石に偶然とは片づけられないな」

「ちいっ! 何のつもりだかわからねえが、むかつくぜっ!」

キヴァラが感じた気配の主は、例の集合霊ではない。その代わり、もっと面倒な相手だった。奴の主人の仲間、ユキである。車に乗っているらしく、時速五十キロほどでこっちに向かっている。殺気は感じられない。此方に気付いている様子もない。

スピードを落とさず、車列は進んだ。既に荷台の実体化まがつ神達や、能力者達には、話を回してある。そして奴とすれ違う前に脇道にずれ、少し距離を取る。如何に気配を隠していても、奴くらいのレベルの使い手になってくると、側を通り過ぎてしまえば確実にばれる。しかも、奴の能力特性から言って、発見されたら高確率で逃げられる。それだけは避けなければならない。アジ・ダハーカとの死闘で大怪我をしているとは言っても、奴らに加えて米軍が総力を挙げて襲ってきたら手も足も出ない。

不快だが、此処は偶然だと思って距離を取るしかないのだ。仮に奴を仕留めることが出来たとしても、計画が全て無駄になったらお終いだ。最終的には勝つことが出来るかも知れないが、此方は人材も少ないし、無駄な損害は極力避けなければならない立場なのである。

ユキは気付かないまま、時速五十キロほどを維持したまま、二キロほど彼方をすれ違っていった。気配が感じられなくなってからも、キヴァラは自身のトラックを最後尾にして、警戒を続けた。奴の使うキネティックランサーとか言う術の破壊力は身をもって知っているし、それ以上の術をアジ・ダハーカ戦で見せたそうだ。更に、奴は超一流の高速機動型能力者で、速さだけならこの場の誰よりも上だ。故に、後方からの奇襲には最大限の警戒を払う必要がある。

あくまで慎重に進む内に、どうにかジャングルを抜け、荒野に入り、山越えも終わって、漸く拠点とすべき村が見えてきた。村が見えたとき、運転手が嘆息した。キヴァラだってそうしたい気分である。

寂れた小さな村である。海のすぐ側で、錆の匂いが混じった潮風がいつも吹いている。海岸には港があり、小さくて古い型式の船が沢山浮かんでいて、赤銅色の肌をした漁師達が、その日暮らしをしている。そんな村である。此処は以前麻薬密売の中継地になっていて、マフィアが住み着いていたのを、陽の翼が根こそぎ掃除した過去がある。そのため村の者達は皆陽の翼に感謝しており、ベースとするにはもってこいだ。こういう陽の翼に恩がある小さな村は、M国に三百以上存在している。

ワシントン・ウィークの記者達が来るのは、このすぐ近くだ。連中の取材能力は侮れないから、村の者達には事前によくよく言い含めておかねばならない。すぐに労働員達が周囲に散り、村の中に紛れ込んでいった。それと並行して港の倉庫の中にトラックが運び込まれ、強力な無線装置が設置される。更に武装が展開され、実体化まがつ神がぞくぞくと出てきて体を伸ばした。窮屈なトラックの中で我慢して貰ったのだから、今の内に休ませてあげたい所である。一体一体が戦車以上の戦闘力を発揮する彼らは、今回も重要な戦力である。彼らが休む横、てきぱきとベースを設置する労働員達は、流石に鍛え抜かれているだけあって極めて有能である。

キヴァラはすぐに外に出て、村を細かく見回っていった。嫌と言うほど戦闘経験値を溜め込んでいるキヴァラは、地形を少し見るだけで、どう敵が潜むか、どう攻撃すべきか、すぐに判断することが出来る。入念に村全体を見回り、危ない場所を十カ所ほどリストアップし、さまざまな戦術を自身で検討しながら倉庫に戻ってきた頃には、既に夕刻を過ぎていた。

少し疲れたので、自分の私物からお気に入りのCDを出す。自分でチョイスしたクラシックの名曲を焼き込んでおり、疲れたときにはこれを聞いてリフレッシュするのだ。最近日本で仕入れた、CDも再生できるウォークマンに突っ込むと、片耳にだけイヤホンを入れて聞き始める。労働員達の仕事もあらかた終わっていて、交代で警戒に当たりながら休んでいる。憩いの一時。だがそれは長続きしなかった。

村の者達が騒いでいる。嫌な予感がしたキヴァラがイヤホンを外して外に出ると、港の外、海の向こうに艦影があった。

米軍の巡航艦だ。しかも、数隻の駆逐艦とフリゲート艦を従えている。ゆっくり此方を徴発するように進んでいく艦を見て、色めきだつ労働員達。

「此方の存在に、気付かれたのでしょうか」

「まさか。 だったら艦載機を飛ばして攻撃してくるだろうヨ。 連中は今、三隻も空母をこの辺に展開してるんだ。 わざわざ軍艦を此方にも見える位置に停泊させる訳がねえ」

「拙者も同感だな。 しかしこれで四回目だ……」

「……入念に周辺を洗え。 ひょっとしたら、俺達の動きが何処かで漏れているのかもしれねえ」

 

それから二日経って、漸く件の記者達が到着したという報告がキヴァラの元に入った。その頃には労働員達は、皆例外なく疲れ切ってしまっていた。無理もない話である。キヴァラも陽明も、実体化まがつ神達さえ疲れ切ってしまっていたのだ。

沖合には嫌がらせかと思えるほどに、例の巡航艦が従属の艦もろともずっと停泊している。動く気配もない。漁師の協力者達に話を聞いた分では、油断もしていない。それだけなら別に問題がない。末端の労働員達だって、敵地での活動は散々経験してきているのだ。しかし今回は勝手が違う。日本から来た能力者や、その関係者が近くを何度も通りかかり、その度に高度の警戒態勢を取らねばならない。しかも昼夜構わずである。

これは偶然の域を完全に超えている。しかし敵意もなく通り過ぎるし、行動も別に此方を伺っている風でもないため、手を出すわけにも行かない。何度か陽明が後を付けては見たのだが、敵の能力を考慮してかなり距離を取った曖昧な追尾しか出来ず、結局殆ど何も分からなかった。こういった追尾が得意なナージャヤはこの間の戦の傷がまだ癒えていないし、パッセは島に集まった何名かの上位種との折衝に当たっていて、島を離れられない。ジェロウルも今は他に仕事を抱えていて、手が足りないのだ。

だから、やっと記者が着いたと聞いて、キヴァラは胸をなで下ろしていた。取り合えず、到着先の協力者達に監視を依頼すると、当初の予定通りチームを組んで、護衛に入る手はずを整えた矢先であった。

護衛対象が着いた村とこの村の間に、ユキが現れたのである。いつものように車に乗って、のんびりと通り過ぎていく。しかもその通り道は曲がりくねっていて、通り抜けるまで随分時間がかかるのだ。出鼻をくじかれたキヴァラは、忌々しい気配に対して、地団駄を踏んでいた。

「ちっ! またかヨ!」

「連中のベースでも、近くにあるのか? 幾ら何でもこれは……」

「なあ、こっちの情報が漏れてるって事はねえだろうな」

「流石にそれは分かりません。 ただ、以前逃走したリズ以外に、我らの作戦を漏らす者の存在は考えられません」

「そうだヨな、すまねえ。 気にしないでくれ。 それにリズだったら、今回の作戦を知ってる訳がねえし、知ってたとしても詳細な情報が分かる訳がねえヨな」

思わず労働員に当たり散らしかけたキヴァラは素直に謝ると、皆に通り過ぎるのを待つように指示した。今は記者達の隠密護衛が最優先だ。彼らにICBMの撃墜を全世界に向け生放送させて、始めてミッションを達成できるのである。今回の目的は戦うことではない。ケツアルコアトルによるICBMの撃墜と、それの撮影を邪魔させないことなのだ。だから、可能な限り戦いは避けなければならない。

程なく、ユキが通り過ぎていった。観光をしている訳がないし、此方を探すにはまだ向こうの戦力が回復しきっているはずがない。不安げに、陽明が吐き捨てた。

「増援を呼ぶか」

「……メイ、てめーの気持ちは分からないでもないんだが、俺は反対だ。 この状況、人数を増やせば増やすほど、発見される可能性が高くなる。 待機している戦力に五翼はいないし、ユルングだって簡単に呼び出したら島の守りが危ういぜ」

「うむ、しかしこれは幾ら何でも偶然ではないだろう。 敵が何を企んでいるのか、把握しておく必要がある。 拙者らは護衛で手一杯だし、ジェロウルを呼んで敵を探索させるか、或いは敵のベースに陽動攻撃を掛けるか、どちらかを選ぶ必要があるのではないか?」

「俺は賛成できねえ。 今まで俺達は散々陽動攻撃を行ってきたし、それ自体が読まれる可能性もある。 それにジェロウルの仕事、結構厄介だそうじゃねえか。 他の奴に代行できるのか?」

話は平行線であった。どちらの言うことも正しく、それぞれに利がある。仲がよいが故に、こういったときには逆に意見がまとまらない。特にキヴァラと陽明は五翼でも地位が互角であり、どちらかの言うことを優先できないのだ。

話がまとまらないと決まった以上、上に判断をゆだねるしかない。すぐに無線を使ってパッセを呼び出す。パッセはしばし話を聞いていたが、やがて口を開いた。

「任務を続行した方が良いでしょう」

「しかし、パッセ殿」

「陽明の言うこともわかりましゅ。 しかし今回ジェロウルは手が空いていませんし、ユルングは隠密潜行が苦手です。 此方の守りについては、ケツアルコアトルが予想以上の性能であったからどうにかなりますが、偶然の可能性と、敵が此方に気付いていない可能性がある以上、隠密潜行を貴方達だけで続けてください。 それが出来ると判断して、此方も人員を選抜しているのでしゅ。 疲れているとは思いますが、お願いします」

腰を低くして上役にそう言われると、陽明も退き下がざるをえない。再び車列は動きだし、どうにかそれ以降は敵に遭遇することも近くを通りがかられることもなく、クルーのいる村に入った。以降は村のベースを起点に、交代で監視に当たることになる。一応敵クルーの人員は全員を把握しており、村の地理も調べ尽くしてある。

村の隅に簡易ベースをすぐに作らせ、労働員を五人、キヴァラと陽明のどちらかが常時詰めるようにする。実体化まがつ神は本体と一緒に、本部ベースで待機。いざというときは十五分で辿り着けるし、その間ならキヴァラと陽明、どちらでも耐え抜くことが出来る。こうして、紆余曲折を経ながらも、どうにか監視態勢が整った。だが誰の心にも、漠然とした不安が残り続けていた。

 

恐らく陽の翼の連中がベースを作っていると思われる村を、四キロほど離れた小高い丘から双眼鏡で覗き込んでいるのは、輝山由紀であった。高性能な軍事用双眼鏡は精度が高く、だがそれをもってしても陽の翼の幹部は確認できなかった。これ以上近づくと敵に察知されるし、難しい。

側には米国の特殊部隊が駆る車が用意されている。ジープではない普通の四輪駆動だ。一応特殊部隊の備品なので、壊すとまずい。運転しているのはケヴィン氏で、荒っぽいようで安定感のあるハンドル捌きをする。一度村から距離を置くと、今日の成果をベースに報告。無線は携帯と違い、すこぶる感度が良い。

「というわけでぇ、マキちゃんの見る所、敵さんは大分疲れてきてますぅ」

「お疲れさま。 こっちはわたしと桐がもう動けるよ。 利津と淳子はまだ少し厳しいかな。 それも、明日まで持ちこたえてくれれば、全力は発揮できないにしても駆けつけられる」

「了解、しましたぁ」

「何がですぅだよ。 この化け猫が」

隣でぼやいているのはケヴィン氏である。アイドルのイメージを崩したくないので、優しい由紀は聞かなかったことにしてあげる。一度車を出し、この近くに特殊部隊が建設した秘密ベースに移動。明日の嫌がらせ計画を確認に戻る。

米国の軍事衛星技術は世界に冠たるものがある。今回、陽の翼の動きを事前に察知し続けられたのも、その技術による力が大きい。ただ、オールヴランフ島には現在でも陽の翼関係者による出入りがかなり多く、ただ監視するだけでは今回の成果は上げられなかっただろう。事前に敵の策を看破している人間がいなければ。

わざとらしく敵の通りそうな場所を彷徨いて見せたのも、巡洋艦を停泊させて見せたのも、いずれも勿論偶然ではない。全ては銀月零香を中心とした、神子相争卒業者が考え出した、えげつのない策の一端である。それを米軍が採用しただけのことだ。

前回の戦いでアジ・ダハーカを米軍の損害無しで瀕死にまで追い込んだ零香達の事は、既に米軍内部でもかなり評価が高まっている。戦略の転換を即座に行えるのが良き伝統となっている同軍は、すぐにその発言を取り入れて、作戦行動を起こしてくれた。

後は、ICBMを使っての、策を完成させるだけである。

村々が点在している中、ぽつんと存在している街。交通の中心点にあるために発展した場所であり、産業もなければ人口も少ない。そんな寂れた街の一角、少し前に巣くっていた中国系マフィアからぶんどった事務所に、今特殊部隊がベースを構えている。ちなみに、前の住人は由紀が一人残らず始末した。この手の連中が嫌いなのは何と言っても淳子だが、由紀も同じで、今まで海外公演の時、鬱陶しい場合は何度か自分の手で掃除している。勿論、痕跡など残す訳もない。ベースにはいると、詰めている要員が敬礼してきた。由紀はアイドル然とした洗練した笑顔で応えながら言う。

「ワシントン・ウィークの方はどうなってます?」

「既に周辺からは撤退して、偵察衛星による監視に切り替えています。 ただこれだと情報入手が遅くなりますが、いいのですか?」

特殊部隊員の口調は丁寧である。彼は由紀に以前の戦いで命を救われており、自然とそういう態度を取るようになっている。他の特殊部隊員達も、軒並み腰が低いのは、以前の戦いで由紀の凄まじい活躍を見続けているからだ。

「必要があるのは、村から離れるのを警戒することだけですよぉ。 今は陽の翼を消耗させるだけ消耗させて、後で粉砕するだけですぅ」

「分かりました。 それで、こちら側の戦力ですが」

「マキちゃん含めて六人がかりで対処しますし、問題は無いでしょう。 貴方達は、雑魚の掃討をお願いしますよぉ」

「了解しました。 其方はお任せ下さい」

後は報告書を全て見せて貰い、気になる所は無線で零香に告げておく。最高機密の部分以外は見せて貰える状況になっているので、この辺は楽だ。

後、注意するのは、このベースを嗅ぎつけられるのだけは避けなければならないと言うこと。キヴァラも陽明も、まともに由紀が戦えば勝てるかどうか五分五分になるレベルの相手であり、出来れば二対一以上での交戦に持ち込みたい。しかも敵側にはかなり使える能力者が最低でも五人は一緒について来ている。此方はサイキック部隊の支援を期待できるが、多分ふたりがかりで一人を抑えるのが精一杯だろう。その上、実体化まがつ神も相手にしなければならない。戦闘ヘリか、攻撃機の支援が欲しい所であり、つまり、今は戦いを極力避けたい。

妙な話である。由紀と陽の翼、どちらも戦うためにきているのに、どちらも戦いを徹底的に避けようとしている。更に此処で戦うと、民間人をかなり大勢巻き込むだろう。もし本気でぶつかり合えば、この街くらいなら簡単にこの世から消えて無くなる。多分、陽の翼もそれは望んでいない。

街に出る。サングラスで顔を隠して、注意を引かないように気配を薄くして歩いてみると、分かることがある。住民の殆どが混血かインディオ系なのだ。陽の翼の支援基盤にはインディオ系の勢力が多く、彼らを巻き込むのは出来るだけ避けるはず。出来るだけ、以上ではないだろうが。

サングラスをして隣を歩いているケヴィン氏が、指先でサングラスを少しずり上げながら、ベースの方へ振り返る。

「上手くいくと……いいけどな」

「上手くいかなかったら、第三次世界大戦が勃発するだけですぅ。 まあ、この状況なら、最悪でもマキちゃん達が死ぬだけで済むでしょうけれど」

「縁起でもねえこというんじゃねえよ」

ケヴィン氏は人間の戦士としてはトップクラスの実力者だ。何より機転と判断力が素晴らしい。能力者でも間違いなく超一流の使い手になれただろう。この点では、神子相争卒業者全員が一致した見解を持っている。だがそのネガティブ思考が力を著しく削いでいるのも皆が一致して認める所であり、最近はわざとポジティブに考えるよう誘導しているのだ。

「……なあ、この戦いが終わったら、おまえらどうするつもりなんだ?」

「マキちゃんは……そうですねえ。 まずは日本のマスコミを膝下に抑えて、世界進出を狙うか、情報の女帝になるか、どっちかです」

こんな事をいうのも、ケヴィンはもうだいたい猫かぶりに気が付いているからだ。それにケヴィンがそれを知った所で、日本の腐敗し弱体化しきったマスコミに情報が漏れることはないし、漏れた所でもう打つ手はない。ケヴィンは十字を切って頭を振ると、心底から恐ろしげに言った。

「やっぱりてめえはおっそろしい女だな……。 他の奴らも大体そんな所か?」

「淳子ちゃんは美味しい水を作り続ける普通の生活を望んでいるでしょうけれどぉ、他の皆が皆、多分何かしらの飛躍を考えているでしょうね」

「謙譲の美徳ってのは日本人の道だって聞いていたんだけどな……」

「それはそれ、これはこれ」

笑顔のまま、由紀はぴしゃりと言った。

社会の安定のために、作られた美徳が日本には多い。曰く、力は持っていても使わない方がよい。曰く、力を持っていることをアピールするのは良いことではない。曰く、武道は精神の鍛錬のために行うのだ。曰く、武は身を守るためだけのものなのである。

そういった思想が闘争心を弱め、社会を平均化し、社会上層への反抗心を実に効率よく押さえ込んできた。平和な社会でそれは理想的な状況だと言える。否定するつもりは由紀にはない。しかし、由紀が生きているのは、そういった常識美徳の外にある世界なのだ。

芸能界は魔窟だ。実力よりもコネクションが出世に影響し、スポンサーの意向で嘘の情報がしたり顔で垂れ流され、内部は陰湿な虐めの巣窟である。そのためカルト宗教に走るアイドルは後を絶たないし、ストレスで心を病んでしまう人間も珍しくない。マスコミとは金儲けという点で低レベルな癒着が行われ、半ば納得ずくのスキャンダルがいつでも作り出されている。末路も無惨だ。飽きられたアイドルはアダルトビデオに放り込まれ、尊厳までしゃぶり尽くされて、捨てられる。テレビ局に、人権などと言う概念はない。金儲けがそれに優先するのである。

腐敗した平和の方が、健全な戦争よりも遙かにましだ。それは確かなのだが、腐敗した平和と清心な平和では、後者がいいに決まっている。由紀の現時点における目的は、日本のマスコミを三十までに膝下に組み伏せて、内部の改革を断行することだ。

当面の目標は、キャラクター重視主義を終わらせて完全な実力主義を導入する事。素人いじりなどという新しい呼び方でデコレーションした弱いもの虐めをバラエティー番組で堂々とたれ流し、しかもスタッフの使い回した笑い声で無理に「面白さ」を視聴者に押しつけるようなシステムは由紀の手で滅ぼす。

更に、腐りきったテレビ局の末端からの徹底改革。更にタブロイド紙(といっても、現在の日本では大手新聞までもがタブロイドの要素を持ってしまっているが)と芸能界の癒着を切断し、なあなあで大金が流れるシステムを終わらせる事。それが終わったとき、日本の芸能界とテレビは、由紀が握っている。もう半ばまでは握っているのだ。後少しで、完全な独裁体制が出来上がる。こういった組織を改革する場合、独裁は必要不可欠だ。綺麗事で、改革は成り立たない。

その際、今後は総理大臣を目指している零香や、経済界を裏と表からそれぞれ握ろうと考えている桐と協力できれば更に効率が良くなるだろう。単純な意味で自らの力を生かして「平穏な生活」をしようと思っている利津や淳子を巻き込む気は最初から無い。

夢は近い。そしてその夢を邪魔させる訳には行かない。勿論、家族を害させる訳にもいかない。築いたものを壊させる訳にもいかない。

戦いに負ける訳には、いかないのだ。

由紀に、陽の翼を皆殺しにする気はない。この作戦が成功すれば、一気に彼らは追い込まれるはずだ。そうなれば、交渉のテーブルに引っ張り出すこともできるはず。後は米国の手腕次第だ。殲滅戦に持ち込むつもりは今のところ無い。米軍に強要されても拒否するだけだ。

街を歩くと、容姿整う由紀に自然と視線が集まる。洗練された笑顔で視線に手を振り返しながら、巨大な野望秘める娘はいく。戦に勝ち、己の野望を、完遂するために。

 

2,混戦の始まり

 

ICBM。核兵器を乗せて飛ぶミサイル。日本語で正式に表記すると、大陸間弾道弾となる。文字通り大陸を飛び越えて目標に襲いかかり、核の火で焼き尽くす必殺兵器である。人類に滅亡をストレートに予感させた核兵器を、更に恐ろしいものへと変貌させた、最強最悪の存在でもある。射程距離は一万キロをこすものもあり、速さは当然音をも越える。

冷戦の時代に、米ソが競って作りあったこの兵器も、結局実戦で使われることは一度もなく、究極の抑止兵器として各地の軍基地で眠り続けていた。現在は機械寿命による退役、さまざまな理由による削減などで数を減らしつつあるものの、それでも人類を滅亡させるには充分な量があり、いざという時には猛威を世界中で振るうことであろう。文字通りの、ギャランホルンを吹き鳴らす存在なのだ。

そのICBMが、今回の作戦における焦点となる。

前回の大規模な戦いで、ラプター戦闘機多数と戦闘用艦艇数隻、更に千名以上の兵力を失った米軍は、陽の翼に対する攻撃に、非常に慎重になっている。そのため、首脳部は核攻撃による一挙解決に傾いた。如何に古代龍といえども、核の火の前には無力である。これは名案だと思った者も多かった。これに利権の匂いを嗅ぎつけた者も多かった。事実、攻撃は寸前まで用意されたのである。

大統領が側近を集めて、密かに協議を行ったのは、発射の前日のことであった。陽の翼の本拠であるオールヴランフ島に向けて、合計五発のICBMが準備された。しかし、ただ核弾頭がセットされた訳ではない。ここで一つの滑稽な、しかし重大なトリックが密かに仕掛けられたのである。

結論から言えば、米国がそのトリックを仕掛けることが出来たのは、零香らによる陽の翼の目的看破があったからである。如何に軍事に卓絶していても、能力者や実体化まがつ神、それに古代龍の能力のことを実際には殆ど知らない米国だけでは、おそらく思うつぼにはまってしまっていたことだろう。

今まで、零香達もそうだが、陽の翼は状況をリードし続けてきた。攻撃者の優位という奴なのだが、それも終わるときが来る。それに気付いているものは、あまり多くはなかった。

 

小高い丘に腹這いになって、双眼鏡を覗き込んでいた零香が、口の端を軽くつり上げた。距離はおよそ六キロ、光の反射に気をつければ絶対に気付かれない。居場所を把握していさえすれば、科学の力を利用してこういう事が出来る。昔と違い、現在では科学の力が人間の能力を大きく凌駕している。

視線の先にいるのは陽明だ。奴をどうにかして最初の攻撃で仕留めることが、今回の奇襲の課題となる。難しくはないはずだが、実戦では何が起こるか分からない。

ワシントン・ウィーク紙の記者達が滞在している村の側。零香は既に、戦場となるその村を完璧に把握していた。よくしたもので、陽の翼側も戦闘を想定して非戦闘員をとっくに避難させているようだ。ただ一般の住民の協力者も周囲の警戒に当たっていて、彼らの武装も侮れない。陽の翼が供与したのだろう。

まだ少しびっこを退きながら、丘を真由美が登ってきた。この間の戦いで見せた気迫は本物だった。今後は更に大きな戦力として計算できる。天賦の才持つ、零香としても将来が期待できる弟子だ。

「零香先生?」

「ん、どうしたの?」

「ケヴィンさんが呼んでいます」

「……来たか。 うん、分かった。 すぐに戻るって伝えて」

おそらく、米軍がCIA内部のスパイを把握し、作戦実行にはいるのだろう。この辺りには攻撃ヘリ十機以上、戦車二十両以上、それに艦砲射撃による援護に加え、戦闘機も動員されるはずである。

ただ、敵には古代龍の増援が確実に現れるし、それでも勝てるとは限らない。特に奇襲が察知されると危ない。今の時点で敵に古代龍は来ていないが、現れた時点で間合いを計り直さなければならない。それ次第で奇襲の成功率も変わってくる。

失敗は、許されないのだ。

丘を降りる。先を歩く真由美はいつも以上に気合いが入っているようだった。この戦いの結果如何で、敵を交渉のテーブルに引きずり出せると聞いてからだ。現金な子である。しかし、敵の援軍にジェロウルが現れたとき。その笑顔は、保たれたままだろうか。憎悪は容易に思考をかき乱す。もしある程度憎悪を殺し、任務を遂行できたとき。

真由美は戦士として、一人前の存在になる。その時こそ、零香は真由美を弟子ではなく、仲間の一人としてカウントしようと考えている。

敵方の村は殺気立っている。見張りは特にイライラしている様子だ。当然のことで、由紀が散々嫌がらせ彷徨きを繰り返しているからだ。敵も斥候を飛ばしてきてはいるが、見付かるようなヘマはしていない。ただ、普通の能力者ならともかく、キヴァラや陽明だと結果はどうなるか分からない。会議は手短に、速攻で済ませる必要がある。

街に戻ると、ベースに皆が勢揃いしていた。いつぞやのユンカート中佐が陣頭指揮を執るらしく、彼がベースに直接出張ってきていた。これだけ見ても、米軍と零香らの足並みがよく揃っていることが分かる。というよりも、ようやく士気においてこれで敵と肩を並べることが出来たと言える。ユンカート中佐と並んで、大島姉弟も来ていた。自衛隊の協力部隊も、今回の戦いには参加するのだ。

村の地形が説明される。攻撃のタイミングとなるトリックについても。能力者と向き合うことになった場合の対処法や、実体化まがつ神が現れたらどうするのかも。

零香達は、まず総掛かりで陽明に仕掛けることを決めている。奴を屠ることが出来るか出来ないかで、今回の戦いの結果が全く違ってくるからだ。

念入りに突入地点が検討されていくが、これらは過去六回の会議で既に決定済みの事項だ。今日零香が確認してきたが、村の地形に大きな変化は無い。ただ、バリケードが用意されており、それをすぐに展開できる態勢も整っている。奇襲に失敗すると、かなりまずいことになるだろう。勝負は一瞬である。

最初に攻撃を仕掛けるのは由紀だ。キネティックランサーを陽明に叩き付ける訳だが、それと同時に零香と淳子が仕掛ける。利津は上空に回り込み、ヘリ部隊と共同して敵の攻撃に当たる。桐は真由美と戦車隊の一両に乗って突入し、後は攻撃の支援。古代龍が出てきた場合は、零香が仕留める。

兵器を使った部分の細かい打ち合わせも、零香達には重要だ。作戦の足並みを合わせるには、どう戦術を展開するのか、良く知っておく必要がある。最初に狙撃を仕掛けるのは、敵の労働員達だ。これは能力者に仕掛けても効率的に打撃を稼げるか疑わしいからで、更には殺気から攻撃を察知される可能性もある。

他にも細かい打ち合わせが続き、一段落すると、大島美智代さんが皆にコーヒーを入れてくれた。砂糖なしが苦手らしい真由美はかなり辛そうだったが、それでも笑顔を崩さない辺りが成長を伺わせる。

「ICBM」が発射されるのは、今晩になる。これはこの間の戦いで、ユルングの能力を確認することが出来たからである。もし日中にユルングと交戦することになると、手も足も出せずに全滅させられる可能性も低くはない。夜間に交戦することによって、その危険を減らすことが多少は出来る。つまり、作戦は夜中に行われ、朝までには決着を付ける必要性があるわけだ。

ユンカートが作戦を纏め、皆がそれぞれ持ち場に着こうとしたとき、それは起こった。零香達が全員一斉に立ち上がる。殆ど間をおかずに、真由美もそれに習った。瞬時に表情に緊迫を称え、大島さんが聞いてくる。

「どうしたの?」

「……まずい。 来ました」

それだけで、その場の全員が事態を悟る。桐がすぐに神衣を具現化させ、腰を浮かせた特殊部隊員達が武器を手に取る。タイミングが最悪だ。会議をやっているときに、ピンポイントで双方の索敵範囲が交錯するとは。この気配は零香にも分かる。あのキヴァラだ。かなり熟練した戦士である以上、此方の狙いに気付く可能性も高い。

どちらにしても、生かして帰す訳には行かない。此処で仕留める。同時に、第一案は放棄。第二案と、第三案を同時に進める。

これが大混戦の始まりだと、この場の誰もが悟っていた。

 

ガムを噛みながら、ヘッドフォンを掛け、寂れた街を大股に歩く黒人の姿あり。サングラスを掛けている彼の名は、キヴァラだ。

彼は陽明とパッセに相談した。これは明らかに敵に位置を嗅ぎつけられていると。陽明は応えた。それでも隠密行動を崩すべきではないと。パッセも同意見であった。敵が此方の目的まで察知しているとは限らず、その可能性は低いとも。そこで、キヴァラは提案したのである。自身が囮になって突出して偵察することにより、敵の目的を把握したいと。それに、敵が此方の位置を把握しているのに黙ったままでは、怪しまれる可能性も低くはない。パッセは悩んだようだが、条件付きでオッケーしてくれた。

条件とは、陽明を戦力にカウントしないこと。これはキヴァラも望む所である。というよりも、空間接続の能力を持つ陽明はこの作戦の要であり、古代龍を含む増援の到着を三時間以上は早くできる。そのため、彼を失うことは作戦そのものの失敗を意味するのだ。だいたい、ケツアルコアトルは忙しい。ICBMを撃墜したら第二派攻撃に備えてすぐに本拠に戻らなければならず、その忙しい作戦行動を実行するには陽明の能力が必要不可欠なのだ。

島周辺に展開している敵を探っているジェロウルも苦労しているようだった。米軍のサイキック部隊が五人一チームで彷徨いており、しかももう四十キロラインは把握されている様子なのだ。しかも敵は常時攻撃ヘリを飛ばして警戒に当たっていて、五翼以外では探索任務から生還するのが難しい状況が続いているらしい。ようやくナージャヤは動けるようになったようだが、彼女はジェロウルの仕事の手伝いが決まっていて、此方には来られない。状況を聞いてしまうと、キヴァラにも文句を言う気はしなかった。

だから、一人で近くの街や村をタクシーで回りながら、念入りに調べていっている。そして四つ目の街に入った所で、キヴァラは足を止めた。そしてヘッドフォンの形状をした無線に、小声で語りかける。

「見つけた。 シルトヴァ市だ」

「敵の戦力は?」

「……能力者が二人、いや三人以上。 はっきりとはわからねえが、多分五人か……いや六人はいる。 あの日本から来た能力者共が、おそらくは勢揃いしてヤがるぜ。 一緒にいる連中も、手練れ揃いだ」

「何だとっ! となると、多分貴殿の読みが当たったな」

陽明に頷き返すと、キヴァラは鼻を鳴らす。戦力を集結させていると言うことは、総攻撃の準備を整えていると言うことだ。しかもあの六人は、米軍も対能力者戦闘の要と考えているはず。

陽明もパッセも良い能力者で、優れた戦士だ。キヴァラとしても尊敬する所が多い。だが、実際の戦闘経験に関しては、やはりキヴァラに一歩劣る。今回の件で、戦いの中育ってきた男は、それを確信していた。

「すぐに増援頼む。 此処で連中と決着付けるぞ」

「そう焦るな。 今パッセ殿と交渉する」

「状況はわかってんだろ? 連中が主力を集めてるって事は、こっちの作戦も多分把握されてるぜ。 悪いが、この作戦は失敗だ。 一旦退いて、戦力の建て直しと機会を計るべきだな。 あのダハーカだって破れた相手だぞ、作り出されたばかりのケツアルコアトルが負ける可能性もあるんだ」

「だから、まずは落ち着けキヴァラ殿。 一旦貴殿は其処から離脱しろ。 貴殿といえど、奴らが総掛かりを押さえ込む事など出来まい」

応えながらも、陽明はもうパッセと回線を開いて、話を始めているらしい。かなり素早い対応だが、この状況では遅すぎる。

奴らが動き出した。キヴァラもすぐに走り出し、路地裏に走り込むと、壁を蹴ってビルの屋上へジグザグに駆け上る。そして街を見下ろしながら、郊外へと駆け抜ける。これはキヴァラが広い場所での戦闘を得意としていること、レイカやユキを相手にしながら、ジュンコを此処で相手にするのは危険すぎること、等が関係している。それにあの六人を同時に相手にして、どうこうできると考えるほどキヴァラは愚かではない。ビルの屋根を蹴って走る走る飛ぶ飛ぶ行く。まず追いついてくるのは、と思ったときには、殺気が接近してきた。そしてその距離は、瞬く間にゼロとなる。

弾きあう。

キヴァラが作り出した光の鞭が一閃し、振り抜かれた剣を半ばから斬り飛ばしていた。しかしその一方で退路をふさがれる。塞いだのは、この間のサムライアイドル・ユキだ。双方無傷のこの状態、本来なら舌なめずりするほどの好条件だが、今はそんな事も言っていられない。

再びユキが残像すら残しながら鋭角に躍りかかってくる。流石に早い。あしらうのが精一杯だ。しかしビルの影に逃げ込めば、ジュンコの恐ろしく正確な狙撃が追ってくる上に、レイカやキリも追いついてくるだろう。激しく斬り結びながら、キヴァラは街の外へ向かう。

街の外に出て、一キロほど行けば増援と合流できる。陽明は最後まで納得していなかったようだが、戦端が開かれ、それが総力戦になりうる以上、作戦そのものを潰させないためにも増援を派遣してくるはずだ。その増援は恐らく古代龍で、かなりの戦力が期待できる。

「……させるか!」

大砲でも撃つかのような音が響いたのは、その直後。飛んできたのは、錆が浮き、放棄されていたらしい高架水槽だった。あまりに非常識な飛来物に、キヴァラは一瞬対応が遅れ、見事に直撃を貰って吹っ飛んだ。

そのままビルの隙間へ落ち、ゴミ捨て場に突っ込む。

真上から容赦なく降ってきたのはユキの剣だ。話に寄れば、奴は質量操作の力を持っているはず。素早く鞭を手元に集め、空間を切り裂いて剣が手元へ到達できないようにする。展開が間に合い、必殺の破壊力を持つ剣は砕けて消えた。しかし殆ど間をおかず、十本以上の矢が、四方八方から飛来する。ジュンコの技だ。この状況を読み切っていたか。流石に、超一流の隠密狙撃型。何度か戦って確信したが、彼女の実力はナージャヤより上だ。まずいと思うが、対応が間に合わない。

其処へ、味方の援軍が到着した。

「……はあっ!」

トマホークを二閃三閃、キヴァラが対応しきれなかった矢を全て叩き落とす。頼りになるその背中は、ジェロウルだ。任務が忙しいと聞いていたのに。どうしてか、酷く嬉しい。無愛想な大男は、視線も向けずに言った。

「待たせたな、友よ」

「なあに、そんなに待っちゃいねえヨ。 だが、ありがとうな」

ゴミを払って立ち上がる。一人が二人に増えても、此処での戦闘は結局不利。何しろ戦力差は三倍である。一度郊外へ逃れるしかない。

戦いは、まだ始まったばかりだった。

 

米軍にはスクランブルがかかっていた。三隻の空母に満載された戦闘機群は既に発艦準備を整え終えていたが、各護衛艦がそれに併せてトマホークミサイルと砲の準備を整える。ただし、まだ攻撃は仕掛けない。前回の失敗を警戒しているのもあるし、敵の戦力をもう少し島から引きはがす必要があるからだ。

その引きはがす側の戦力の指揮を任されているユンカート中佐は、日本から来た協力者達がケヴィン率いる精鋭数名と敵能力者との交戦に入ったのを見届けると、すぐにベース側に待機させていた車に各自分乗し、すぐに街の外へ出た。待機していた機動戦力にすぐに連絡を取り、突入のタイミングを計らせる。

実体化まがつ神と日本の能力者達が呼ぶモンスター達は手強いが、ミサイルが直撃すれば充分倒せるし、戦車砲だって相手によっては有効であることが実験済みである。つまり、近代兵器は充分戦力になる。後は、突入のタイミングを正確に把握するだけだ。

兵士達にはRPGがもれなく配られる。自動小銃や軽機関銃程度では、能力者にもモンスター共にもおそらくは通用しないはずだからだ。

野戦陣地に十分ほどでたどり着く。本来は今夜2200時が攻撃開始の予定時刻であったのだが、さまざまな事態が想定されていて、事前にマニュアルは整備されている。既に攻撃ヘリは臨戦態勢で、戦車もいつでも出られるようになっていた。街に残った特殊部隊員から、戦況が逐一報告されてくる。通信員が、かなり忙しそうにペンを走らせて、時々報告を上げてきた。

「敵に増援出現! 「五翼」の一人、ジェロウルかと思われます!」

「本拠から来たのか?」

「恐らくは。 日本の能力者達が激しく攻め立てているようですが、すぐに決着が付くかは難しいようです。 敵は徐々に郊外に移動中!」

「狙撃を仕掛けられないか? 能力者達を支援したい」

「……ケヴィン氏が無線に出ました。 中佐と代わって欲しいそうです」

無言でユンカートは無線を受け取る。ケヴィンの不機嫌そうな声がする。無線の向こうからは、激しい戦闘音が響き続けていた。

「悪いがな、はっきりいって狙撃は無理だ」

「どういう意味だ」

「隙が全くねえ。 狙撃なんか仕掛けたら、次の瞬間に首が飛ばされるぞ。 あのジェロウルって野郎、前にもちらりと見かけたが、手強い!」

「ならばどうする。 まさか六対二で彼女らが敗れるとは思わないが……」

少し返答が途切れる。舌打ちが続く。不安になったユンカートが聞き直す。空気が一気に緊迫した。

「お、おい。 どうした、何があった!」

「あのガキ……!」

「誰のことだ」

「マユミだ。 あのガキ、ジェロウルにカミカゼ仕掛けやがった! 馬鹿が、戦士としての格がまだ違う! 殺されるぞ!」

 

息をのむ。視界が狭くなる。呼吸が速くなっていく。そいつを見つけたとき、真由美の中で、何かが爆発した。

ようやく見つけた。いることは分かっていたのに、今まで運が悪くてなかなか見つけることが出来なかった敵手を、ついに見つけたのだ。

昨日の出来事のように覚えている。シレトコカムイに蹂躙されたコロポックルの村。逃げまどうコロポックル達。小さな子供まで容赦なく殺された。必死に戦いを挑んだ真由美は、シレトコカムイの音波攻撃を防ぐのだけで精一杯だった。あの無念の、破壊の日の元凶。

かっては身動き一つ出来なかった。だが、今は違う。

考えるより先に、体が動いていた。

「マユたん、駄目っ! まだ勝てないっ!」

葉子の制止も耳に届かない。瞬間的に沸騰した真由美は、普段の温厚で優しい少女の中に眠る、猛獣の性を完全にさらけ出していた。既に混乱が始まっている街の最辺部。住民は逃げ出し始めており、置き去りにされた子供の泣き声がする。それなのに、真由美の目にはジェロウルしか映っていなかった。

何度も言い聞かせたのに。敵にも戦う理由があるのは当然だと。何か事情があって、悪いことをしたのだと。それなのに。それなのに。それなの、に。

淳子先生の猛烈な射撃を防いでいたジェロウルが振り返る。真由美が振り下ろした肥前守と、ジェロウルのトマホークがぶつかり合った。紫電が散り、パワーで押し負けた真由美が吹っ飛ぶ。奴の足下に大きな罅が入る。空中で態勢を立て直し、ビル壁を蹴って第二撃を入れようとしたその瞬間、視界が激しく真横に飛んだ。

「離して! 離してくださいっ!」

「よく見て、ほら」

零香先生の冷静な声に、幾分か頭が冷えた真由美。今の瞬間、真横から飛んで入った零香先生が、真由美を抱えてジェロウルの間合いから逃れたのだ。真由美が言われたように見ると。真由美が第二撃の起点としようとしていたビル壁に、大きな亀裂が走っていた。その亀裂を生じさせたのは、ジェロウルではなかった。ジェロウルと相互支援しながら街の外へ逃れようとしている、キヴァラだった。キヴァラの右手には光の鞭が巻き付いていて、まるで生き物のように蠢いていた。

言われるまで、気付きもしなかった。今更ながらに、背筋を冷気が這い上がる。

「元々格上の相手だし、今の真由美じゃ正面から戦っても絶対に勝てない。 頭冷やさないと、死ぬよ」

「でも、でも!」

「いいから。 淳子に言われた事を思い出して」

「聞けませんっ!」

涙が零れてきた。どうにも制御できない自分自身にも、あれだけの事をしながらのうのうと生きているジェロウルにも。何もかもが許せなかった。

気持ちの整理は付けたと思ったのに。戦いの中で少しは成長したと思ったのに。零香先生が舌打ちした。その目に、冷たい怒りが宿ったのを、真由美は見た。その怒りの正体を、真由美は知っている。期待を裏切られたときに、浮かべるものだ。

「葉子ちゃん、閻王鎧、解除して」

「ん……うん。 分かった」

「! 待って! ……あ……っ!」

真由美の閻王鎧が、意志と裏腹に消えていく。ショックで真由美は思わずへたり込んでしまった。葉子までも、自分を強く諫めていると分かって、腰砕けになってしまったのだ。

「暫くそこで頭を冷やした方がいいかな。 まともに頭が働くようになったら、戻って来ていいよ」

弧を描いて飛んできたトマホークを左腕のブレードではじき返すと、零香先生は舌なめずりし、既に街の外に逃れたジェロウルとキヴァラを追って走り去っていった。間近で見ると分かる。零香先生もジェロウルも、まだまだ、真由美では足元にも及ばない使い手なのだと。ようやく思い出す。自分は彼らに打撃を与えうる能力は得たが、まだまだようやく一人前になった程度なのだと。

自己嫌悪で一杯になる。今だって零香先生に助けられなければ、一撃で真っ二つにされていただろう。自分に納得させようと散々努力もしてきたのに、この有様は一体なんだろう。まるで子供ではないか。

涙が止まらない。見てきたはずだ。この国の現状を。聞いてきたはずだ。この国の歴史を。陽の翼、あの人達が辿ってきた、地獄のような道程を。常に死と隣り合わせだった、悲しい辛い過去を。

あの人を許すことが出来ない。それはそれで問題がないはず。だが、それを精神の最優先事項にしてしまってはいけないはずだ。真由美はもう素人でも一般人でもない。戦いを論理的に考えられる戦士のはずだ。そうやってきちんと考えて、事態を少しでもよく動かせるようになろうと思ったはずではないか。いざというときには刃を振るえるように、でも必要がないときは、私怨で戦わないように、決めたはずではないか。もしも和平の道が拓けたときは、許すことが出来るように。

痛恨だった。心の芯が折れてしまっていた。淳子先生が言ったことの価値が、ようやく分かった。

混乱する真由美。葉子は何も言わない。その時、やっと怯えて泣きじゃくる子供の声が耳に入ってきた。見ればすぐそばにトマホークが突き刺さったままになっている。両親は彼をおいてとっくに逃げ去ってしまったらしい。

自らの頬を叩く。涙を拭く。歩いていくと、子供は怯えきった声を上げて、身を縮こまらせた。自分がこの子にとってはあの時のジェロウルと同じなのだと、真由美は悟る。他人が暮らしている街で勝手に戦いを始めて、命を脅かしたのだ。怖がられるのは当然じゃないか。

トマホークはコンクリの壁に深々突き刺さっていた。大人の体重以上もあるような、バケモノのような大斧だ。だが、今の真由美には、手に負えるサイズの存在である。コンクリ壁に足をかけ、トマホークを引き抜く。コンクリの破片がばらばらとこぼれ落ちた。引き抜くと、トマホークは霧か霞のように消えてしまった。ため息も出ない。

腰をかがめると、泣いている子供を抱きしめる。この国の言葉は分からないが、翻訳の術を出る前にリズさんにかけて貰った。だから、意志は通じるはずであった。

「ごめんね……怖い思いをさせて」

謝罪はこの子にだけ向けたものなのか、真由美本人にも、自信がなかった。気持ちの整理がつかない。

遠くで、赤尾さんが攻撃を開始したらしい。キノコ雲が上がるのが見えた。

 

ユキをどうしても振り切れなかった。ジェロウルも追い切れないほどの速さで、一撃離脱を繰り返し、レイカと綺麗に連携を組んで攻撃を叩き込んでくる。時々タイミングを完璧に合わせて、ジュンコやリツの火力支援もあるのだからたまらない。背中合わせに目まぐるしく立ち位置を変え、荒野で激しく戦いながら、キヴァラは背の盟友に言う。既に全身は傷だらけだ。ジェロウルも傷を貰い始めている。

「OHCH! 流石につええ……簡単には、逃がしてくれそうもねえな!」

「強者との戦いは喜びだ。 今は窮地にあることよりも、それを思え。 力が湧いてくるぞ、我が友よ」

「HAHAHAHAHAHAHAHA、OKOK、SO COOL! それでこそあんただぜ、ジェロ!」

飛んできたキネティックランサーを、光の鞭で吹き飛ばす。しかし破片は威力を失わず、頬を、耳を、肩を、鋭利な刃物となって切り裂いた。ジェロウルが敵の行動軌跡を呼んでトマホークを投擲するが、どれも有効打にならない。当たりそうなものもあるのだが、レイカが的確に割り込み、はじき返してしまう。更に悪いことに、仮に有効打を浴びせることが出来たとしても、キリがのほほんと展開している陣の中に逃げ込まれ、傷を癒されてしまうのは目に見えている。

マユミが自爆同然の離脱をしても、今だ五対二の状況は変わらず、著しく不利だ。ただ、さっきよりは有利である。敵の人数が減ったからではない。此処でなら、ジェロウルの切り札が使えるし、古代龍の支援も期待できるからだ。その上、今は昼少し過ぎ。此処でユルングが来れば、確実に勝てる。

この時刻のユルングは、まさに無敵だ。ただ、そうなると本拠の守りが若干不安になる。もしユルングが倒れた場合、ケツアルコアトルとガンガーのみで守らなければならなくなるのだ。これは厳しい。もし来るとしたら、タラスクだろう。ユルングには劣るにしても、奴も充分に強い。戦闘能力的には、もし奴が数体の実体化まがつ神を連れてくれば、五分に持ち直すことが出来る。

しかし。何かが引っかかる。キヴァラの戦士としての経験が、何かがおかしいと告げていた。しかし、その何かを確定する時間を、レイカもユキも与えてはくれない。猛攻を凌ぐのも、そろそろ厳しくなりつつある。

レイカが左腕を変形させた。カタパルト状のそれに、すぐ側で拾い上げた岩をセットする。そして打ち出してきた。なるほど、高架水槽はこうやって飛ばしてきたのかと感心する暇もなかった。

目立つ動作で気を引いた瞬間、ジュンコの矢が四方八方から襲いかかり、頭上からは人間大の火球が降ってくる。全方位からの一斉攻撃と言うに等しい。凄まじいまでに息が合っているなどと感嘆する時間はないし、手段を選んでもいられない。地面に手を着き、一気に術を完成させる。

「ジェロ、上を頼む!」

「オウッ!」

地中に術を発動させる。それは本来なら、身を守る術ではなく、必殺の体型に持っていくための攻撃補助術。

「ストラグル・アイアンメイデン!」

鋭い爪が果実をつかみ取るように、それは現れる。地面から突き上がってきた無数の光の爪。勿論鞭と同じ特性を持っていて、ジュンコの矢が尽くそれにぶつかって弾け散る。更にジェロウルが渾身の投擲を頭上に行い、リツの火球を半ばで撃墜した。だが、火球は大爆発を起こし、風圧が二人を地面に叩き付ける。それに、レイカの放った岩は砕けこそすれ消えることはなく、その破片が容赦なく傷ついた体を打ち据えた。

とっさに発動させたものだし、かなりの消耗であった。煙の中立ち上がるキヴァラは、かなり力を消費してしまった事に気付いて舌打ちする。援軍が来るまで持つかどうか。この術は周囲を絶対防御するためのものではない。確かに敵本体の到達は阻むことが出来るが、爪の隙間を抜けてこられたらどうにもならないし、ジュンコならそれくらい朝飯前にやってみせるだろう。再び地面に手を着き、術を解除。濛々と立ち上る煙が晴れてくる。近づいてくる気配。間に合ったと、大きなため息が漏れた。

無数の光弾が辺りを掃射する。六体の実体化まがつ神が、猛然とレイカらと刃をかわしていた。そして少し離れて様子を見ていたキリは、タラスクと真っ正面から渡り合っている。埃を払い落とし、血だらけの手を一嘗めすると、何処かに違和感を残しながらキヴァラは叫ぶ。

「Hey、サムライアイドル! これで五分だ。 一気に決めヨうぜえっ!」

 

敵の増援を確認した零香は、まだまだ兵力を引き出せると判断した。此処で削るだけ削っておく。敵の戦意に致命傷を与える例の策を発動させるのは夜になるし、それまでに敵の兵力を可能な限り潰しておかなければならない。下手をすると、ケツアルコアトルとの交戦があるかも知れないからだ。

作戦の第二案と第三案は並行で稼働できるようにしてある。おそらく、もう米艦隊はスクランブルを掛けていて、陽の翼もそれを察知しているだろう。本拠からどれだけの戦力を裂くか選ばざるを得ず、しかもユルングかケツアルコアトルは残さなければならない。ICBM撃墜をどう行うのかは分からないが、零香が読む分では多分その役はケツアルコアトルがこなすだろう。これは象徴的な意味も、試運転もかねているはずだ。敵の動きが、ありとあらゆる状況証拠が、零香の説を裏付けている。そしてその説を元に考えると、防衛の負担を必要以上に大きくしないためにも、ユルングは出ることが出来ないはずだ。

「この間はよくもコケにしてくれたな……」

「うふふふふ、戦術の妙と言ってくださいな」

「じゃかましいっ! 腹黒い小娘めが、ぶち殺してくれるわっ!」

殺気を撒き散らしながら、タラスクが桐に躍りかかった。前回の戦いで、零香も呆れるような物凄い悪口を浴びせたと言うから、無理もない話だ。

それを横目で見ながら、激しい攻撃を仕掛けてくる実体化まがつ神達をあしらいつつ、キヴァラとまともに戦い始めた由紀を確認。二体の実体化まがつ神が高空へ上がっていく。彼方は利津と街に残ったままの淳子に任せてしまって構わないだろう。後は陽明を引きずり出せれば言うことがないのだが、流石にそれは無理か。

零香の相手は、ジェロウルと、実体化まがつ神四体となる。鳥に似た奴が二体、蛇に似た奴と、蠍に似た奴が一体ずつ。幸い、蛇のは龍族ではないらしく、気配が小さい。少し面倒くさいが、今までに叩き込んだ打撃を考えると、かなり良い勝負だ。後は別働隊として動いているケヴィン氏が、絶妙のタイミングで支援に入ってくれれば言うことがない。真由美は今回、零香は確実な戦力にはカウントしていなかった。その代わり、希望的な戦力としてはカウントしていた。

今回は試練だと、零香は思う。一度失望したくらいで見捨てるほど、贅沢な嗜好を零香は持ち合わせていない。あの子は必ず立ち直ることが出来る。そして立ち直ることが出来れば、きっと更に強くなることが出来る。

「本気で打ち合うのは久しぶりだな……虎の戦士よ」

「そんなに時間が経ったとは思えないけれど、そういえばそんな気もするね」

鋏を振りかざして躍りかかってきた蠍に似た実体化まがつ神の一撃をブレードのついた左腕ではじき返しつつ、至近を滑るように動き回りながら尻尾での一撃を入れようとしている派手な彩色の実体化まがつ神にも警戒を怠らない。蠍の動きは予想外に速い。

頬が薄く裂ける。避けたはずなのだが、どういうトリックか。蛇が後ろに回り込んできており、更に鳥も旋回しているため、蠍から離れすぎるのは得策ではない。再び鋏が繰り出され、避けるも今度は足に小さな傷を作られる。連続して鋏を繰り出してくる。そのうちに、零香には相手の技のネタが分かった。鋏の大きさが目視できているものと違うのだ。鋏の外側に、多分びっしりと見えない棘が植えられている。しかし、その大きさ場所は、既に見切った。

鋏での攻撃を右から左から繰り出していた蠍に、じりじりと間合いを詰める。蠍は攻撃が当たらなくなったことに焦り、少しずつ下がる。狙い通りだ。そして毒針を繰り出して来た瞬間に加速、神衣の片耳を飛ばされつつも針を避けて懐に入り、顔面に自力スパイラルクラッシャーを叩き込む。蠍の巨大な全身に、罅が走っていく。一度おおきく痙攣した蠍は、力無く崩れ臥し、消えていった。だがその時には、ゆっくり歩み寄ってきていたジェロウルの姿も、また消えていた。

太陽の中に、奴の影を発見。蛇が下がり、鳥二匹が光球を連続で発射してくる。爆発が連鎖して巻き起こり、何発かが直撃する中、飛び来る巨大なトマホーク。間合いは必殺、しかも人間が最も苦手とする頭上からだ。避ける術はない。だが、零香は焦らない、状況的に言って、これは必殺ではないからだ。

トマホークが真横から飛来した淳子の矢に弾き散らされる。眉をひそめたジェロウルが動くより先に、零香が動く。飛んできたトマホークの柄を掴むと、全身で回転して鳥の実体化まがつ神へ投擲。唸りを上げて飛ぶトマホーク。回避に入る鳥。流石に速い。翼を傷付けられながらも、どうにか避けてみせる。

大きなモーションで隙ができた零香に、右から蛇の実体化まがつ神が、左から新しいトマホークを具現化させたジェロウルが迫る。それに対して、零香は足下の地面に、スパイラルクラッシャーを躊躇無く叩き込んでいた。

「むうっ!」

足場を崩されたジェロウルと蛇が大きく姿勢を崩す。ここぞとばかりに光球を連射する鳥の実体化まがつ神。避けきれず、爆発に吹き飛ばされながらも、零香は拾い上げた小石をさっき傷付けた一体に投げつけていた。それは目を直撃、悲痛に一声上げた鳥の全身を、無数の矢が貫き通す。流石は淳子だ。戦場全体を把握して、的確な支援が素晴らしい。

だが、この隙に迫ったジェロウルの一撃を零香は避けきれなかった。ブレードで直撃は受け止めるものの、ものの見事に吹き飛ばされ、地面に叩き付けられる。二度バウンドして転がる。

跳ね起きるが、今度は至近に大きな口を開けた蛇の実体化まがつ神が迫っていた。鋭い牙からは、毒液が滴っている。全身白筋の利点を生かし、雷のような勢いでかぶりついてくる蛇の実体化まがつ神。踏みとどまり、クローを振るう零香。

勝負は無情。

蛇の牙は届かなかった。至近、本当に至近。後一ミリで、零香に牙が届いていたのだが。零香が突き上げたクローが、蛇の顎を真下から串刺しにしていた。しかし、流石にこのタイミングを計っていた実体化まがつ神、これだけでは終わらない。

「潰れよっ!」

「……っ! ぐあっ!」

地面に叩き付けられる零香。何が起こったのか、把握するのに、一秒以上の致命的な時間がかかってしまう。自分の周りの地面がひび割れている。蛇の実体化まがつ神が、弱点である頭部を貫かれながらも、尻尾で零香を頭上から打ち据えたのだ。しかし、今の瞬間、奴の体は弛緩していたはず。どういう事か。

素早く巻き付いてくる。妙に蛇の体が濡れている。凄まじいパワーだ。視界の隅に見えるのは、抜け殻。しかも、頭部がまるまる残っている。それなのに、今締めてきている「本体」には、しっかり頭があった。ダメージを受けた部分を「脱皮」し、全身を不完全ながら再生させるとは。両腕の自由を封じた蛇は、大きく口を開いて、零香の喉に毒の牙を叩き込もうと躍りかかってくる。それに対し、零香は不意に力を緩め、一瞬後に爆発的に両腕に力を込めた。

真っ二つに引きちぎられた蛇が、唖然としながら消えていく。確実に全身に傷を作りながら、零香は敵を一体一体仕留めていった。全身の筋肉が、骨が、ダメージを痛みとして訴えかけてくる。傷も多く、疲労もたまり始めている。更に、さっき締めてきていた蛇の脱皮後粘液による不快感も酷い。しかし、休む暇など無い。

今の隙に、斜め後ろに回り込んできていたジェロウルが、容赦なくトマホークを叩き込んできたからだ。それに併せて、頭上の鳥の実体化まがつ神が、再び光球を乱射してくる。反応速度が落ち始めている零香は避けきれず、激しい爆発を浴びながら、ジェロウルと斬り結ぶ。体の傷は、着実に増えていく。

「がああるあああああああああっ!」

タラスクの怒号が響く。桐は一対一でタラスクに敗れるとは思えないが、同時に支援している余裕もないだろう。上空で響く爆音から言って、利津も此方に手を出す余裕はないはずだ。そうなれば、戦況を崩すのは、零香しかいない。

振り下ろされた巨大トマホークを、腕をクロスさせて防ぐ。乾いた地面に、クレーター状に罅が入る。ブレードが激しくきしんだ。そろそろブレードが限界だ。神衣の再起動を行いたい所だが、このままだと時間が稼げない。丁度いい高度に陣取り、光球を乱射してくる鳥の実体化まがつ神をどうにか出来れば、少しは時間が稼げるのだが。

不意にジェロウルが蹴りを叩き込んできた。丸太のような太い足からの蹴りで、しかも今まで見せていない技だ。避けきれず、はじき飛ばされる。だが、飛ばされるときに、足にカウンターを入れてやった。眉をひそめるジェロウル。タイミングを合わせ、脹ら脛の裏に人差し指と中指を少し立てた拳を零香が叩き込んだのに気付いたのだろう。普通だったら筋が裂けている所なのだが、流石に鍛え方が違う。僅かに肉離れする程度で済んだのだろう。

構えを取り直したジェロウルが、態勢を低くする。印を切るのを、零香は見た。ひっきりなしに鳥が攻撃を仕掛けてくるので、近寄れない。

「……やはり、近接戦闘では貴様が上手か、虎の戦士よ」

「そういえば、貴方の術ってトマホーク生成以外見たことがないね」

「ならば、見せてやろう」

飛ぶようにして下がる。視界の隅で、タラスクが特大の火球をゼロ距離から桐の陣に叩き込んでいた。鳥はと言うと高度を上げ、零香の攻撃にも淳子の攻撃にも充分備えた態勢だ。その翼を、不意に銃弾が打ち抜いた。体勢を崩した所を、携行地対空ミサイルが襲いかかる。爆発に巻き込まれた鳥は、錐もみ回転で落ちていった。

「……以外と早かったね」

「此方は、任せてください」

零香の視界の隅にいたのは、真由美だった。既に閻王鎧を復帰させていると言うことは、葉子が大丈夫だと判断したのだろう。岩陰に隠れているのはケヴィン氏か。鳥が体中から煙を上げながらも体を起こす。そして空へと舞い上がった。

真由美はジェロウルを、憎悪と悲しみが籠もった目で見たが、ついと視線を逸らした。それでいい。この子は一戦ごとに、逆境ごとに成長する。理想的な反応だ。

「ふむ……嫌われたようだな。 俺はあの子を、戦士として決して悪くは思っていないのだが……無理もない話か」

「人間のコミュニケーションなんて、所詮そんなものだよ。 互いの思考なんて交わらないし、言葉なんて不完全なツールで意志の同期化を計らなければ行けないから、齟齬だって埋まらない」

「案外と博識だな。 まあ、いい。 此方もこれ以上、戦力を消耗する訳には行かない」

「それは奇遇だね。 此方も、此処で少しでも戦力を削っておかないと行けない……」

状況は、ほぼ五分。いや力量とダメージから考えて、零香が僅かに不利。

「ゆくぞおおおおおおおっ! 誇り高き虎の戦士よおおおっ!」

「受けて立つ! 来い!」

二人の殺気が炸裂し、大地を揺るがす。

竜虎水入らずの死闘が、此処に始まった。

 

3,竜虎激突

 

キヴァラは由紀と激しく刃を交えていた。光の鞭を繰り、相手の動きを読んで叩き付けるが、相手もさるもの、直撃などさせてくれない。お互い生じさせる僅かなミスを突いて、少しずつ傷を増やしては行くが、互いの力量の高さも相まって、致命傷にはなかなか達しない。

「HAHAHAHAHAHAHA……楽しいな、サムライアイドル!」

「……マキちゃんとしては、もう少し楽な相手と戦いたかったですぅ」

「OH!? そういうなヨ、本心ではたのしんでんだろ? あ、そっか、今JAPANで流行りの「TUNDERE」とかってヤつだな? OKOK! COOL!」

キヴァラの全身に光の鞭がまとわりつく。以前由紀に対して使った、光の鎧の術だ。だが、この間とはバージョンが異なる。というよりも、由紀くらいの相手に、同じ術など二度と通用しない。

「……気付いてるんだろ? ジェロのヤつ、本気を出す気だぜ」

「もうちょっと離れないと、危ないかもしれませんねぇ」

意見があったことが妙に嬉しい。白い歯をむき出しに笑うと、キヴァラはこれより生ける破壊神と化すジェロウルから走って距離を取る。ユキもそれにならい、二人は孤立するほどの勢いで、戦場から距離を置いた。

 

山猫のような顔をしたタラスクが、眉間に皺を寄せた物凄い表情で、大盾にかぶりついてくる。前足が激しく盾を叩く。そして至近から放たれる火球。猛烈な攻撃に、普通なら辟易してしまう所だが、桐はこういう戦いには慣れきっている。というよりも、白虎戦舞を発動させた零香に比べればまだあしらいやすい。

先ほど無線で聞いたのだが、街の方に潜んでいる淳子も、実体化まがつ神の対処に追われているそうだ。彼方は特殊部隊と淳子でどうにかなる。また、参戦した真由美は、ケヴィン氏と息を合わせて、鳥の実体化まがつ神と五分の戦いを展開している。零香に対する的確極まる攻撃と、あのタフネスから見て、かなり強力な実体化まがつ神だ。さまざまな特徴から考えて、恐らく北欧神話に登場する魔の鳥、フレースヴェルグの一種だろう。手強いのも無理はない。

「ふう、ふう、ふうっ!」

「どうしました? 少し息が上がっているようですが……」

「流石に拠点防衛型。 しかも貴様、その年齢とは似つかわしくない戦闘経験を積んでいるようだな……」

「お褒めにあずかり光栄です」

あまり嬉しくないのは秘密である。冷静にはならないように、誘導して行かねばならないからだ。此奴が空間浸食を展開すると、流石に桐も面倒だと思う。何しろ白虎戦舞発動状態の零香ですら、仕留めることが出来なかったのだ。

「どうやって、あの平和な国でそれだけの実戦経験を積んだ。 肝力を養った」

「それはまあ、色々と」

「ふん……まあいい。 どうやら儂を熱くさせて、無駄に体力を消耗させたいようだな」

表情を崩さないで、桐は内心舌打ちする。これはどういう事だ。どうして不意にそれに気付く。

生じる違和感。

アブソリュートディフェンスが無ければ死んでいた所だった。

斜め後ろから差し込まれてきた長い刀。いや、それは刀ではなく。爪だ。弾かれるように体を捻り、顔面に十手を叩き込んでやる。だがそれも振り上げられた爪にガードされ、闖入者に弾かれる。火花が散る。安全圏に逃れる闖入者。人間ではない。伸縮自在の爪を持つ生き物だ。この間合いまで、桐に気配を悟らせないとは、一体何者だ。

更に、タイミングを合わせ、再び至近からタラスクが火球を叩き込んできた。濛々たる煙が、桐の視界を覆う。そして、敵が空間浸食を展開した。

 

一度見せた攻撃は二度と通用しない。そう言うかのように、鳥の実体化まがつ神は、真由美に全く隙を見せなかった。距離の取り方も的確で、もうライフルによる狙撃は通用しそうにない。じりじりと戦場から鳥を引きはがし、もう戦場の音も聞こえない辺りにまで来ると、肥前守を抜き、真由美は振り返らずケヴィン氏に言った。

「援護、お願いします」

「任せておけ」

巻き込まれないように、ケヴィン氏は更に距離を取る。狙撃の腕は、ケヴィン氏の方が真由美より上だ。実体化まがつ神は、白銀の美しい体を持つ大きな鳥で、先ほどのミサイルによる攻撃でも致命傷を受けていない。空間切断剣を浴びせるしか、真由美には倒せる手段がない。その一方で、敵の攻撃も現状では気にしなくて良い。あの程度の火力では、真由美の防御術を突破できない。零香先生だって、散々浴びていたのに、重傷には一つもなっていないのだ。

鳥が光球を連続して放ってくる。真由美はそのまま防御術を展開し、無造作にそれを防いだ。慣性防御のフィールドは、光球の侵入を通さず、爆発も熱も、真由美に届くときには涼しい風に変わっていた。鳥はしばし上空を旋回していたが、当然のように戦法を変えた。

鳥が距離を詰めてくる。高度を下げれば、それだけライフルによる狙撃に対応が難しくなるはずなのだが。アウトレンジ戦法では効果が無いと悟ったからだろう。鳥の全身が輝き始める。背筋に寒気が走った真由美は、素早く印を組んだ。

喝と、鳥が吠えたような気がした。奴が白くてきらきらした、なにか固まりを吐く。それは空中で四分五裂し、まるで雪の結晶のように地面に降り注ぐ。全力で防御術を展開する真由美。同時に、それが来る。

地面が凍結する。とんでもない冷気だ。一気に氷点下まで周囲の気温が下がり、視界が曇る。見れば、ケヴィン氏の所まで届いてはいない。つまりこれは、空間浸食の一種だろう。局所的に、異常なまでに温度を下げてきたのだ。

北海道出身の真由美は、どちらかと言えば寒さにはかなり強い。それでも、こんな急激な変化には、流石に体が悲鳴を上げる。靴にまで氷が這い登ってくる。地面に霜柱が一斉に浮く。嘲弄が空から覆い被さってきた。

「それなりに防御能力が高いようだが、いつまで耐え抜けるかな、人間……!」

「ちいっ!」

「おっと。 気が短いな」

ケヴィン氏の狙撃に、ひらりと鳥が身をかわしてみせる。そして、鳥の体がまた光り輝き始める。第二射を撃ってくるつもりだ。そこまでは、真由美の予想が当たっていた。だが、其処からは違った。

鳥が吐き出したのは、今までの十倍はあろうかという、巨大な光球だったのである。

冷気弾が来るかと思っていた真由美は、対応しきれなかった。凍り付いた地面もろとも、容赦なく吹き飛ばされる。鳥の羽音が近づいてくる。必死に顔を上げると、鋭い爪が至近にまで迫っていた。爪は十五pはありそうだ。もしあれで顔面を掴まれたら、終わりだ。

夢中で肥前守を抜き打ちする。鳥はさっと身を翻すと、再び上空へ。しかもただ逃げるのではなく、逃げるときに真由美の肩を遠慮無く爪でえぐり去っていった。ケヴィン氏の援護狙撃が何度か入るが、どれも鳥には当たらない。強い。能力はともかく、判断力、戦慣れ、どちらも真由美が戦ってきた実体化まがつ神の中では最強レベルだ。

「さあーて、今度はどちらかなあ!」

鳥が再び距離を取り直すと、全身を光らせる。冷気弾には防御術が通じないし、巨大光球には防御術を展開しないと防ぎきれない。ケヴィン氏は舌打ちすると、一旦ライフルに弾を補給し、位置を変えた。鋭い爪の一撃で、真由美の肩は焼け付くように熱い。それなのに、体は凍えるように寒い。まだまだ、先ほどの冷気弾の効果は健在なのだ。

狙うなら、鳥が攻撃をする瞬間だ。しかし、またしても真由美は鳥に上をいかれた。

ライフルに切り替えるが、鳥は不意に大きく翼をはためかせ、無数の風切り羽根を放ってきたのだ。慌てて防御術に全力を込める真由美だが、羽はいずれも至近で炸裂、煙幕と化す。しまったと呟くが、声が出きらない内に、冷気弾が着弾していた。氷点下三十度ほどにまで、気温が落ちる。

生唾を飲み込んでしまう。膝が崩れた。全身が、異常な冷気に悲鳴を上げていた。こんな薄着で、この寒さでは、死ぬ。北海道で生まれ育った真由美は、それを敏感に感じ、限りない恐怖を覚えた。更に、煙幕が消えきらない内に、次が来る。集中が乱れた隙をついて、大型の光球が叩き込まれたのだ。

防御術は突破され、真由美は霜が浮いた地面に痛烈に叩き付けられた。頭が痺れて、何も考えられなくなる。この鳥は、さっき零香先生が相手で、しかも混戦だったから、慎重に戦っていたのだと、今更ながらに思い知らされる。

羽音が近づく。とどめを刺しに来たのだ。体中が凍えて動かない。意識が遠のく。必死に肥前守に手を伸ばす。遠くで、狙撃音がする。爆発音も。それが、一気に意識を引き戻した。

コマ送りのように流れていく世界の中、先ほどのミサイルで傷ついた鳥の右翼近くで、爆発が起こっていた。小さな爆発だったが、鳥の姿勢を崩すには充分だった。徹甲弾から炸裂弾に切り替えたのだと、真由美は悟る。そのまま、肥前守で、至近に迫った鳥に斬りつける。右足を叩き落とす。悲鳴が上がる。

脇腹に激痛。鳥が残った左足で、無理矢理真由美を掴んだのだ。物凄い足の力、それに爪が閻王鎧の隙間に容赦なく突き刺さった。更に鳥は真由美の姿勢を無理矢理崩し、俯せに地面に叩き付けてきた。火花が眼前で散る。さらに、迫ってくる鳥の巨大な嘴。あれでかぶりつかれたら、真由美の細い首など一撃で引きちぎられてしまうだろう。

次々と、鳥の体を徹甲弾が貫く。流石はケヴィン氏である。的確な判断、行動だ。異常に頭がさえ渡る。多分葉子が力を貸してくれているのだ。逆手に持ち替えて、自分を掴んでいる鳥の左足に突き刺す。そして僅かに力が弛んだ瞬間、必死に体を捻り、敵の喉へと肥前守を叩き込んでいた。

「があああああああああああああああっ!」

更に頭を打ち抜かれた鳥が、鋭い悲鳴を上げる。そして断末魔の一撃に、至近から光球を叩き込んでいた。自動車とブロック塀にプレスされるような感触が、真由美の全身を打ちのめした。更にさっき無理に体をひねったときに、激しく傷ついた腹の傷からも鮮血が吹き出す。

鳥が消えていく。無念の声を上げながら、空に溶けていく。

「おいっ! 大丈夫かっ!」

ケヴィン氏の声が遠い。耳鳴りがして、体中が痛くて、何処から声がするのか良く分からない。手が動かない。お腹が痛い。

背中に担ぎ上げられたのだと感じる。ケヴィン氏のことだから、淳子先生の所か、桐先生の所へ運んでくれるはず。不思議な信頼を感じる。取り合えず、目前の戦いに勝つことが出来た充足と、ジェロウルを見ても今度は理性が飛ばなかった自分に対する僅かな信頼が、痛みの中で真由美の意識を支えていた。

 

ギガノトサウルス。あのティランノサウルスをも凌ぐ巨体を誇った肉食恐竜である。単体としての戦闘能力は、地球の歴史に存在した陸上肉食獣の中では最強の一角を担い、ティランノサウルスと肩を並べる数少ない存在だ。体重、大きさはティランノサウルスを僅かに凌ぎ、その代わり若干顎の力は弱かった。しかし一説には時速四十キロに達したと言われる速さと、すぐれた視力嗅覚を誇り、その戦闘能力が高い次元にあったことは疑う余地がない。

恐竜は隕石によって絶滅したと一般では信じられているが、実際にはそうではない。隕石が地球に激突した六千五百万年前の少し前から、地球は大規模な地殻変動と、それに起因する地球規模の異常気象と植生の変化に見舞われており、各地で生物の絶滅が相次いでいた。生物的な競争力の低下から各地で数を減らしていた恐竜は、それによって弱体化しきり、更に最悪のタイミングで降ってきた隕石によってとどめを刺されて地球から消えていったというのが正しい。

ただし、生物的な競争力の低下というのが、恐竜より更に強い生物がいたという結論には繋がらない。少なくとも戦闘能力に関しては、恐竜は滅び去るその時まで、地球史上最強最大の存在だったのである。その中でもティランノサウルスとギガノトサウルスは、まさに歴史上最強最大の陸上肉食生物であった。

単純な強さという点では、非常に優れた知能を誇ったユタラプトルや、他のティランノサウルスに派生した恐竜類、高名なアロサウルスなど、ライバルと呼べる者達がいた。だが代表者はやはりこの二種であっただろう。

つまり、戦闘に特化した点では、恐竜は地球史上最強にて、今だそれを超えるものが存在しないのである。その中でもこの二種こそが代表種であった。

ジェロウルの先祖が何処かで出会ったのは、このギガノトサウルスの中でも、最強の一体の霊だった。北米に生息していたのは何と言ってもティランノサウルスだが、どうしてギガノトサウルスの強力な霊体を見つけだしたのかは分からない。しかし、はっきりしているのは、ジェロウルの先祖が陽の翼にいた頃には、もうこの魂と一族は一心同体であったということだ。

ジェロウルの先祖は、米国政府にもっとも長く抵抗したアパッチ族である。強制移住法によって住処を追われ、その数を減らしていったネイティブアメリカンの中でも最も戦闘的だったアパッチの一族は、戦いが終わった後も苦しい生活を続けた。国内にとどまれず、海外に逃げ出した者も少なくはなかった。そうして、陽の翼に籍を置くようになった先祖。だがジェロウルは、それ自体についてはあまり感慨がない。

ジェロウルにとって、大事なのは、幼い頃から面倒をみてくれた、太陽神への忠誠を尽くすこと。忠誠を尽くすに値する相手であるからだというのが、その理由だ。太陽神は戦士としてのジェロウルの誇りを尊重し、戦いをくれ、そして力に相応しい地位をもくれた。しかも、何代にも渡ってだ。自分だけではなく、先祖達をも助けてくれた太陽神への忠誠は、絶対的なものである。地位が上がってからはダーティーワークも行わなければならなくなったが、それでもジェロウルは満足している。戦士としての性か、不思議と他の陽の翼の面子と違い、ジェロウルに怨恨という感情はない。彼はただ、強い相手と戦えれば満足であり、死ぬときは死ぬときだと割り切っている。

だからこそに、最強の龍の魂が、彼の体を住処としているのだ。

もし実体化まがつ神となっていたら、それこそユルングやアジ・ダハーカに肩を並べるであろうギガノトサウルスの魂。名前はリフという。リフは単に見たがる。その、幾多の獲物を倒した優れた視力を使うことをただただ好む。それがジェロウルの視力を異常なまでのレベルで強化し、常識外の気配探知と奇襲を可能とするのだ。そしてジェロウルが相応しいと感じたときには、その力の全てを貸す。

そうして、人間の器の中に、ギガノトサウルスの巨大すぎる力が、降臨するのである。

全身からあふれ出す殺気。殺したい、喰いたい、八つ裂きにしたい、匂いを嗅ぎたい、そして見たい。全てが狩りに対する欲求だ。

リフの頭脳はあまり練り込まれていない。彼はただ最強であり、ただただ最強であり続ければ良かった。それは人間の地位に対する野心とは全く別の次元であり、単純に強き者を倒して喰うことで、自分がそれ以上の者になっていきたいという欲求であった。古代の、人類の風習にも、似たものがある。自らの闘争心を高めるために、リフは己の本能に、異常なまでに忠実であったのだ。だから徹底的なまでに純粋であり、徹底的なまでに最強であった。それが、人間の中に降臨するのだ。

長くは持たない。吠え猛りながら、ジェロウルは自らの意志が、ギガノトサウルスの凶暴な欲求に塗りつぶされていくのを感じる。目の前にいる虎の戦士を確実に屠り去るには、これしかない。

最強の戦士の力と、自らの技を併せて、討つ。

「どうやら、こっちもやらなければならないみたいだね……」

知っている。レイカが使うその技は、タラスクに聞いている。白虎戦舞とか言う、身体能力を完全解放する術だ。奴の神衣が切り替わる。何の武器も着いていないそれは、白虎戦舞を行うために特化したものに間違いなかった。

これぞ、待ちわびた時!

GAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAA!

迸るそれは、歓喜と戦意。だだ漏れになる本能。レイカも術を解放する。自らに匹敵する闘気が、敵の体からあふれ出す。

「全力で行く……! 白虎戦舞、三式!」

予備動作など必要ではない。後は、ただ体を動かすだけだった。

相手を喰らいたいという、本能に従って。

 

白虎戦舞、三式。狂気浸食率、九十%。

二式ですら浸食率は六十%である。いまだ未知の領域であり、今までの白虎神衣で使っていたら、回復術を掛けても数ヶ月は復帰できなかっただろう。そんなレベルの術である。この白虎戦舞に特化した神衣でも、使った後は果たしてどうなることか。

しかし、何時かは使わなければならない。特に太陽神が心血注いで作り上げたケツアルコアトルは、四式でもどうにかなるか分からないような相手だ。三式は、実験をかねて何時かは使わなければならなかったのだ。

本当は、アジ・ダハーカ相手に使うはずだった。だが奴は危険を察知して、見事に逃げることに成功してしまった。そして今、目の前にジェロウルがいる。切り札を完全な形で発動したジェロウルが、である。

この後、ワシントン・ウィーク紙の記者達がいる村での戦いに、これで零香は参加できない。しかし、それでもいい。ジェロウルを止めるには、この術しかない。奴は強い。分かってはいたが、今の奴は、空間浸食を展開した古代龍並だ。

徐々に意識が混濁していく。狂気が思考を覆っていく。

後は、本能に従って、体を動かすだけだ。八つ裂きにしたいという欲求に従って。

ふと、空白が訪れる。それが戦いの開幕であった。

「オオオオオオオオオオオオオッ!」

「があああああああああああっ!」

拳と拳がぶつかり合っていた。間合いを侵略しあった両者が、互いに拳を叩き込んでいたのだ。体が浮き上がる程の衝撃を双方ともに叩き込み合い、間髪入れずに次の攻撃に入る。回転後ろ回し蹴りを仕掛ける零香に対して、巨大な掌で掴みにかかってくるジェロウル。踵が奴の顎に真横からめり込むのと、足首を掴まれるのは同時。振り回され、地面に叩き付けられる。地面がクレーター状に陥没する。三十メートル四方に渡って。

楽しすぎる。

空いている足で、顎を真下から蹴り上げる。わずかに力が弛んだ隙に足を引き抜き、両足揃えてロケット砲のような蹴りを叩き込む。

だが、奴は吹き飛ばされつつも、風圧を強引にねじ伏せて態勢を立て直し、地面に叩き付けられた衝撃すら逆利用して跳ね起きる。ジグザグに地を蹴って間合いを侵略して来る。ジェロウルは目を爛々と光らせながら咆吼を上げ、避けようとした零香に、頭上からの拳を叩き込んできた。避けきれないと本能で判断、腕をクロスして受け止める。一撃は身体を通して地面に伝わり、更にクレーターが深くなる。血を吐きながらも、零香は更に蹴り返し、ジェロウルは殴り返す。密着状態での凄まじいどつきあいで、一秒ごとに穴が深くなっていった。

「せえあああああっ!」

何度目の拳だったか、覚えていない。叩き込まれたそれを、頭突きで受け止めて、態勢を立て直す。何本かもう骨が折れているようだが、関係ない。知ったことか。大口を開けてかぶりついてくるジェロウル。馬鹿が。わたしの肉は高いぞ。両手で顔面を押さえて受け止めるが、そのまま穴の壁まで押し込まれて、背中から叩き付けられる。穴の入り口近くまで亀裂が一気に走り、大量の土砂が崩れ落ちてきた。瞬時に六発の蹴りを叩き込み、ジェロウルを引きはがすと、壁をジグザグに蹴って穴の外へ逃れる。地面の一部を吹き上げて、ジェロウルが追いかけてきた。土を無理矢理吹き飛ばし、人間ドリルとして追ってきた。

素晴らしい。こうでなくては困る。こうでなければ、三式の白虎戦舞を使った意味がない。

全身を愉悦が充たす。繰り出される拳を、拳で迎撃。物凄い圧力に、双方弾きあう。二抱えもある大岩を投げつけ、素手でそれを相手が砕くのを見ながら、低い態勢からタックルを仕掛ける。五十メートル以上も水平に飛び、枯れ木を数本蹴散らしてから、五メートル以上はある大岩に激突、一撃で粉砕。両手を固めて、背中に一撃を叩き込んでくるジェロウル。再び地面に巨大なクレーターが穿たれる。両手で腕立て伏せの要領で体を支えて凌ぎきり、反転、更に繰り出された正拳での一撃を横っ飛びに逃げる。乾いた地面に大穴が穿たれ、砕かれた岩が吹き飛び、いや吹き上がる。顔を上げたジェロウルに、ドロップキックを叩き込むが、奴が振り上げた腕に防ぎきられる。その代わり、奴は地面に腰ほど迄めり込んだ。

「ガアアアアアアアッ!」

体を引っこ抜いて飛び出してきたジェロウルが、彗星のような拳を頭上から叩き付けてくる。神衣を削られつつも腕をとり、巴投げの要領で投げ飛ばす。そうだ、そうだ、そうだ!もっと強く、もっと速く!

頭から叩き付けられたジェロウルは、すぐに立ち上がり、血だらけの顔で再びかぶりついてきた。左腕にかぶりつかれ、骨を噛み砕かれるが、そのまま膝で顎を強烈にたたき上げてやる。軽度の脳震盪を起こしたらしいジェロウルは流石に動きを止め、零香のハイキックをもろに喰らう。地面に叩き付けられ、七度バウンドして、しかしそれが終わったときには、もう意識を取り戻す。

そして追いついて拳を叩き込んだ零香に、まともに対応してみせる。膝で拳を受け止めると、今度は零香の脇腹に見事に蹴りを叩き込み、最初に開けた穴へと叩き込んだのである。

穴へ落ちた零香は、そろそろ頭が冷え始めているのを感じた。ジェロウルが穴に飛び込んでくる。岩を抱えると、叩き付ける。殴り砕かれる。岩の破片を縫って間合いに飛び込み、鳩尾に膝蹴りを叩き込み、更に顎を蹴り上げる。流石に蹌踉めくジェロウル。奴も、頭が冷え始めているのだ。

拳を叩きこみあう。地面に叩き付け、壁に蹴り付け、逆に頭から地面に叩き付けられ、踏みつけられる。

ダメージは、五分。手数は零香の方が多いが、ガタイの良いジェロウルは流石に頑丈だ。零香の方が近接戦闘におけるスキルから有利かと思っていたのだが、その辺りは術の特性で埋めてきている辺り流石だ。

あまりに楽しい勝負だが、全身の痛みも顕在化し始めており、ダメージも限界に近い。そろそろ、決着が付く。跳ね起きた零香が、ジェロウルに飛びつき、顔面に膝蹴りを叩き込む。蹌踉めく。やったかと思った瞬間、想像以上に強烈な頭突きを鳩尾に叩き込まれていた。背中から壁に叩き付けられる。落ちてくる岩を邪魔だとばかりにはじき飛ばしながら、零香は見た。頭から血を流しながら、ついに立ち上がれないジェロウルの姿を。二歩、三歩、落ちてくる岩の中を、零香は歩く。全身が、ばらばらになるかのようだ。体中から出血している。傷が開いていない所からも、何箇所かから血が噴き出していた。体を、限界を超えて酷使した、当然の報いだった。

無線を取り出す。よく壊れていなかったと感心。無線のスイッチを押すだけで、渾身の力が必要だった。かみ砕かれた左腕は、もう動かない。

「……此方、零香。 回収班、お願い、します」

「勝ったの?」

「どう、にか。 当方、穴の……中」

相手が生きているかどうかも分からない。膝から崩れる。もう、力は残っていない。

零香は、五翼の一角を、ここに仕留めたのである。

無線を取り落とす。もう何も聞こえない。

もう何も、見えない。

敗者に続いて、勝者零香も、地面に崩れ落ちていた。

 

4,混戦の収束

 

地上で行われた零香の凄まじい戦いを一部始終目撃した利津は、ほぼ同時に勝利を収めた淳子に対して、無線で連絡を入れていた。特殊部隊員が何人か倒されたようだが、淳子自身は無事だ。一応、民間人は全員無事のようである。

「そちらはどうなっていますの?」

「どうにか勝ったで。 零香ちゃん、凄い戦いしとったなあ……」

「ええ。 流石ですわ」

そのまま、無線で確認を取る。今、由紀は全力でキヴァラと戦っており、桐はタラスクの空間浸食に巻き込まれたままだ。一番状況がまずいのは桐だ。タラスクの他にも、至近まで桐に接近を悟らせないような奴が一体、空間浸食に混じり込んでいる。特性上あれを発動されると逃げられないから、生きるか死ぬかしか結果がない。真由美は勝ったには勝ったが、意識を手放し、今淳子の元へ撤退中だ。

利津を攻撃していた実体化まがつ神は、既に撤退した。仕留められなかったのは残念だが、回避と支援に特化したタイプだったらしく、逃がしても損はない。

戦力はある程度温存した。この状況なら、第二案の作戦を実行できる。ただ、古代龍に空間浸食を展開されるとまずい。其処は工夫が必要になってくるだろう。

ユンカート中佐に、戦況を報告。ヘリを回そうかという提案をやんわりと断る。ヘリで仕留められるような雑魚は此処には残っていないからだ。

「じゃあ、うちはこれから由紀ちゃんの援護にまわるで」

「お願いしますわ。 私は、零香さんの回復と、ジェロウルの捕縛をしなくては」

「気いつけてや。 相手は伸びてるいうても、あのジェロウルやさかいな」

「分かっていますわ」

頷き返すと、高度を下げて、穴の底へと降りていく。穴の底で、向かい合うようにして倒れている零香とジェロウルが利津の視力ならよく見えた。

しかし、凄まじい威力だった。白虎戦舞三式。これと戦うことがもう無いと言うことを、利津は心の何処かで、運命に感謝していたかも知れない。穴の底に着地した利津は、その深さにもう一度戦慄する。腰をかがめて、まずは零香に対する回復から始め、術を発動させると、無線を手に、大島さんに詳しい状況の説明を始めた。

 

キヴァラがゆっくり歩み寄ってくる。流石に切り札を開放した五翼一角は、凄まじい強さだった。

「どうした? もう終わりかヨ」

単なる威圧のために喋る余裕すら、今のキヴァラは持ち合わせている。その全身に絡みつく光の鎧はまだ獲物が欲しいようで、鎌首をもたげて蠢いていた。先ほどその一部が掠めた右腕は、ぱっくり抉られている。傷口を押さえながら、由紀は呼吸を整えていた。

キヴァラの鎧が、一斉に鎌首をもたげる。奴の体に、無数の光の蛇が絡みついているのだ。連中は飛ぶ。由紀に向けて。由紀が走る。光の蛇は皆自律思考の能力を持っているらしく、的確に退路を塞いでくる。しかも、軽く時速五百キロは出ている。

速度をあげる。掠めた蛇から、キヴァラの手が生えていて、再び由紀の体を掠めていった。血しぶく。転び掛ける。無数の蛇が一斉に襲いかかってくる。必死にジグザグに走って逃れる。すると、目の前に、キヴァラがいて、鞭を振り下ろしてくる。

横っ飛びに回避。しかし、間に合わない。

「ぐあっ!」

脇を深く抉られていた。右足もやられた。地面に転がる由紀の前で、蛇がキヴァラに戻っていく。かなり疲れているようだが、しかし余裕が見て取れる。

あの蛇は、一つ一つが空間の裂け目。そしてキヴァラはその裂け目を使って、自在に出たり入ったりが出来るのだ。しかも、キヴァラの能力特性上、クリーンヒットが入ればその時点で勝利が確定する。その上、攻防に自在に応用が出来る。これほど質が悪い術は、由紀も見たことがない。

だが、こんな強力な術となると、必ず欠点があるはずだ。消耗の大きさもそうだろうが、何か必ずつけ込む隙があるはず。必死に立ち上がる。右足の脹ら脛が、ぱっくり切り裂かれていた。だが、まだ少しながら走れる。

そういえば、腑に落ちない点が一つある。キヴァラがこの術を使い始めてから、無意味に話しかけてくるのだ。

……なるほど。ようやく由紀は敵の術の弱点を悟る。ただし、まだどうやって撃退するかまでは分からない。肩を回して、歩み寄ってくるキヴァラ。手元に残った剣を構えなおしながら、必死に頭を働かせる。

やはり此処は、いつも通り力業で行くしかないだろう。かといって、キネティックランサー以上の術はもう使えそうもない。由紀の術は消耗が小さい分体にかかる負担が大きいので(ドラゴンインパクト除く)どうしても戦い自体が大味になる。キヴァラはガムを取り出すと、それを噛みながら、思い出したように言う。

「そういヤ、サムライアイドル。 JAPANじゃレディの前でガムを噛むのはマナー違反になるのか?」

「いや、大丈夫ですよぉ。 それが何か?」

「ん? ああ、何、簡単な事ヨ。 俺も産まれ育ちが色々とアレでヨ、マナーとか作法とかに全然自信がねえんだ。 だから確認させて貰っただけだヨ。 悪かったな」

「いいえー。 別にそのくらいは、全然構わないですぅ」

キヴァラが、何か言いかけた瞬間だった。

飛来した矢が、死角から襲いかかる。それをキヴァラは回避できなかった。矢が背中から突き刺さり、逆くの字に体を折り曲げるキヴァラ。仕掛ける瞬間が、ついに来た。

「うおあっ!」

「貰った!」

最後に残る力を振り絞る。そのまま突撃、飛んでくる蛇は予想通り少ない。やはりこの術、チャージに異常に時間がかかるのだ。だからキヴァラは無駄話でその時間を稼いだ。ちょっと自己嫌悪。多分零香や桐や淳子なら、この程度のこと最初の術発動で見抜いていただろう。

必殺の間合いで、由紀が剣を振り抜く。しかし、キヴァラの姿がかき消える。鎧の特性を逃走に使ったのだ。蛇の一匹に潜り込み、そこから由紀の背後に当たる空間に出たのだ。

「おおおおおっ! 逃がすかあっ!」

激しい叫びとともに、振り向きざまに、剣を投げつける。脹ら脛からは激しい出血があり、足がまともに動かなくなる。更に蛇が一匹、反撃に飛んできた。それとすれ違うようにして、剣がキヴァラの肩に突き刺さる。蛇もまた、無事だった由紀の左腕を抉り去っていた。

もんどり打って地面に倒れる由紀と、悲鳴を上げて地面に倒れるキヴァラ。キヴァラの体に、連続して淳子の矢が突き刺さる。足にも、腕にも。蛇がもがくが、体に出来た傷はどうしようもない。ぎりぎりと歯を噛むキヴァラ。勝負、あった。

「SHIT!」

鋭い舌打ちが由紀の所まで届いた。ジープの駆動音がする。それに淳子が乗っているのが見えた。すぐに特殊部隊員がばらばらと降りてきて、由紀の傷を診察にかかり、キヴァラに銃を向けた。淳子は青龍の大弓を構えたまま、静かに言った。

「チェックメイトや。 死にたくなかったら、光の鎧の術、解除しい」

「ぐっ、う、うるせえっ! 殺すなら、殺せっ!」

「……陽の翼の事を思うなら、此処で死ぬのは得策やないで? 逃げる機会もあるやろし、状況次第じゃ和平交渉のテーブルに米軍を引っ張り出せる。 もし陽の翼の目的が達成されたとき、あんさん死んでたら、損やろ?」

歯を噛むキヴァラが、うなだれ、術を解除する。同時に特殊部隊員達が、麻酔弾を打ち込んだ。縛り上げられるキヴァラ。サイキック部隊が監視に当たるのだろう。それに、利津が作った術封じの道具で散々体を縛り上げることになるだろう。とりあえず、彼らの扱いについては、後で交渉する必要がありそうだ。

戦況は落ち着いてきた。後は桐だ。由紀は傷の深さから言って、第二次作戦に参加するのはほぼ無理だから、彼女の状況次第で作戦案を変えることになる。

ため息とともに、額を拭う。もう少しで、この混戦にも一段落付きそうだった。

 

タラスクの能力特性は、事前に零香から聞いていた。だから桐も、この状況にすぐに順応することが出来た。

辺りはさび付いた赤銅色の土。さまざまな防御用と思われる建造物が、所狭しと並んでいる。物見櫓、馬防柵、掘りに兵員を収容するらしい小屋。小規模だが理にかなった配置で、砦としては良くできている。そして大剣で肩を叩きながら、桐を鬼のような顔で睨み付けているおっかないおじさんの姿。あれがタラスクのアーキタイプという訳だ。あの奇襲を仕掛けてきた奴の姿は、周囲には見あたらない。最大級の警戒をしなければならないだろう。

アブソリュートディフェンスは健在。盾は現在四つを具現化していて、まだ力は充分に余裕がある。だが、空間浸食を展開した古代龍と、更に暗殺に特化した実体化まがつ神を同時に相手にしなければならないのだ。油断は出来ない。

「遺言は?」

「ん? そうですねえ。 世界中の神と悪魔と神話と物語を、全て知ってから遺言を言うつもりです。 というよりも、その前には口惜しくて死ねませんから」

「巫山戯た小娘め……」

「うふふふふふふふ。 それは私にとって、最大の褒め言葉ですよ」

タラスクがかき消える。流石に速い。巨大な剣を振りかぶり、叩き付けてきた。大盾に見る間に罅が入り、眉をひそめた桐は印を切る。余っている盾の一つが横殴りにタラスクを襲うが、奴は盾を蹴ってそれをかわし、物見櫓の一つに取り憑いた。流石に零香と五分以上に戦っただけのことはある。凄まじい身体能力だ。

「はあっ!」

残像を残しながら周囲を駆け回り、次々に斬撃を叩き込んでくる。最初はまず、動きを見せてもらう。激しい斬撃で盾を次々に壊されるが、その分は即座に補充する。踏み込んで、正面から大上段の一撃。砕かれる盾の裏には、すぐ次の盾が。だがタラスクは、それを思いっきり蹴り飛ばしてきた。以前、神子相争で、零香が似たような手を使ってきたことがある。だから、対応できる。横にあった盾の一つをぶつけ、弾きあわせて防ぎ抜く。

だがそうやって出来た隙間に、タラスクは入り込んできた。流石だ。振り下ろされる大剣を、十手で防ぐ。もう一体を警戒しなければならない所が痛い。本来ならそろそろ地雷を仕掛けて、足を止めてやる所なのだが、流石に頭の処理が追いつかない。

飛び離れたタラスクは、肩を回しながら言う。

「……ふん、そこそこにやりおるな。 大したパワーではないか」

「貴方を下した零香ちゃんと、随分戦ったものですから」

「はん、それが理由か。 どうやら、この武器では多少相性が悪いようだな。 変えるか」

来た、と桐は思う。以前の記憶が確かならば、その経験則から導き出される結果は。タラスクが複数の武器を具現化し、その中からモーニングスターを手に取る。予想通りだ。桐のような防御の硬い相手には、剣よりも打撃武器が有効だと、昔から相場が決まっている。

しかし、打撃武器には弱点がある。最大の弱点は、やはり重くて扱いづらいという点である。つまり、地雷を踏ませやすくなる。と、思った矢先であった。

「モーニングスターが重くて使いづらいとか、ひょっとして思うてはおらぬかな?」

「!」

大きく振りかぶったタラスクが、十メートル以上離れた間合いから、モーニングスターを叩き付けてくる。鎖が伸びたとか、そういう状況ではない。盾を二枚重ねて防ぐが、外側のシールドは一撃で粉砕された。そういえば、タラスクの武器にはいろいろと特殊能力が付いているのだった。

「おおらああっ! 防ぎきれるものなら、防ぎきってみろおっ!」

上から右から左から、縦横無尽にモーニングスターが飛んでくる。一撃一撃は凄まじい重さで、次々に粉砕される盾。手元にまで破片が飛んでくる。盾の生成速度はどうにか追いついているが、しかしこれはあまり面白くない。

……まずは、余計な邪魔者から処理するか。桐は冷厳にそんな事を考えると、印を組む。多分引っかかるはずだ。後はタラスクと一騎打ちになるが、それはどうにか出来るだろう。怪我をすることになるが、我慢するしかない。それに、事実そろそろ防御陣が限界なのだ。

「せえああっ!」

体を撓らせ、モーニングスターを振るうタラスク。かなりの腕を持ついい戦士だ。印を組みながら攻撃を防ぎ続ける桐の頬に汗が浮かぶ。多分、同じ手は使ってこないだろうなと思っていたから、罠を組んだ。そして、それは成功する。

足下に、違和感。地面の下から突き出された長い刃、あの暗殺型実体化まがつ神の爪が、桐の右脇腹と、二の腕を、深々と傷付けていた。だが、そこで止まる。微動だにしなくなる。眉をひそめる桐は、印を組んでいた手をさっと横に振る。地面から突きだしていた爪の根本から、血が噴き出してきて、すぐに消えていった。

「……? な、なんだ、何をした!」

「っ、やっぱりかなり痛いです。 あまり長くは戦えませんか」

腕の傷が深い。出血を止めようにも、タラスクが手を止めてくれる訳もない。此処からは、速攻だ。

昔、零香に陣を破られたことがある。足下の地面をひっくり返されるという、由紀もびっくりの力業で。その時神衣を改良して、陣を発動後、足下の空間を固定することで、同じ手を使えないようにする処置をした。

その処置を、わざわざ一瞬だけ解いた。死角からの攻撃で仕留めることが出来なかったさっきの暗殺者が、隙を作ってみせれば、今度は多分足下から狙ってくるだろうと言うのを予想して。そして爪を突きだした瞬間に、空間固定を再起動した。後は地面の中に発生させた盾で、押しつぶすだけであった。

わざわざ怪我をしてまでそんなことをしたのは、単純に攻撃範囲が狭い桐では、それしか奴を仕留める手がなかったからだ。それにしても、傷は案外深い。骨が見えているほどで、帰ったらすぐにでも治療しないと危険だ。

どうしてか、タラスクが攻撃してこない。

「どういうつもりですか?」

「ふむ……少し誤解していたようだと思ってな」

「なに、大したことではありません。 戦術の初歩ですよ」

「いや、分かっていても、其処まで出来る奴は珍しい。 貴様は本物の戦士だ。 敬意を払わなければなるまいて」

タラスクが構えを取り直す。憎悪が消えている。これは少しばかり厄介だ。感情を制御できていない方が、相手にするのにはいいのだが。

まあいい。どちらにしても、相手は最初から死ぬ気だ。この間の戦いで、自分のしてしまった失敗は大きいと考えているのだろう。それに勝つか負けるかしかないこの状況、手を抜く訳にも行かない。目を細めた桐は、全力で行くことを決意する。十手を握ったままの手で、素早く印を切った。

激突。激しい戦いは、長く長く続いた。

 

5,夕焼け

 

空間浸食が解除される。全身ぼろぼろになった桐が右腕を押さえながら、ひょこひょこと歩みでて来た。空を見ると、もう夕焼けが訪れていた。

淳子がもう外で待っていた。他の面子も大体いる。特殊部隊員達が、ほっとして銃を降ろしていた。

「お疲れさま、ですわ」

「……ええ」

桐が無事であると言うことは、結果は一つ。タラスクは、死んだ。桐に全力で技をぶつけきって、手の内を出し切って、満足して地雷の炎の中に消えていった。桐もかなり苦戦した。全身の傷がそれを物語っている。

見れば、零香も由紀も行動不能。真由美は相当に消耗してはいるが、どうにか動ける。つまり、戦力は半減している。血を大量に失った桐も、全開時ほどには戦えない。

手頃な岩に腰掛ける。零香の戦いにでも巻き込まれたか、物凄い力で抉られた跡があった。その跡にちょこんと上品に座る。駆け寄ってきた淳子が回復術を掛けてくれた。

輸血パックを持ってきてくれるように頼みながら、自分でも回復術を掛けつつ、桐は言う。

「状況は、どうなっていますか?」

「……ジェロウルとキヴァラは抑えた。 実体化まがつ神は四体撃破。 残った敵は村に籠もりっぱなしや。 もう撤退したかもしれへんな」

「そうだといいのですけれど。 ワシントン・ウィーク紙の方々は?」

「こんだけ近くで騒いで出てこないと言う事は、連中に足止めされてるんやろな」

とはいっても、陽の翼は迷っているはずだ。当初の計画通り、ICBM撃墜策を実行するか、或いは策を読まれたと判断し、戦力のこれ以上の消耗を抑えるために撤退するか。後者を選んでくれれば、攻守はこれで完全に逆転、交渉のテーブルについてくれる可能性がより高くなる。

この混迷した状況、どうにか先が見えてきた。今回五翼の面子も減らすことが出来たし、敵は交渉に乗る可能性がもっと高くなる。後は、下らない茶番を敵が見るまで粘るかどうか。

「おい、吉報だ」

とても吉報とは思えない不機嫌そうな顔で、ポケットに手を突っ込んだケヴィン氏が歩いてきた。零香はまだ目を覚ましていないし、由紀も体を起こせないが、皆を見回してそのまま言う。

「斥候による偵察と、先ほど届いた衛星写真から、敵の撤退が確認できたそうだ。 ICBMの発射は、中止に決定」

ため息をつく者、おうと思わず叫ぶ者。色々だった。これで村に突入し、近代兵器と協力して敵を掃討する第二案、この荒野に更に敵を引きずり出し、掃討作戦を展開する第三案も必要なくなった。真由美は胸をなで下ろし、本当に嬉しそうにしている。だが、少し悲しそうでもあった。

「これから村に突入して、残敵がいないか確認する。 それにワシントン・ウィーク紙の連中がどうなったか、きちんと確認しておかねえといけないからな」

「ならば、私と淳子がついていきますわ」

「よろしく頼む。 ヘリ部隊と戦車隊にも一応臨戦態勢は保って貰うから、支援は充分に期待して良い」

一番戦力を残している二人が、ケヴィン氏についてジープに乗り込む。輸血を受けて一息ついた桐も真由美も、まだ臨戦態勢を解くことは出来ない。臨界点は、これで越えた。陽の翼の、最大の目的は、砕かれたのだ。

太陽神は頭が切れると聞く。この状況下、無駄に米軍が攻撃を仕掛けでもしない限り、ケツアルコアトルを対人殺戮兵器として発動させるようなことはないだろう。ただ、ICBMの発射に備えて、ケツアルコアトルの攻撃試射くらいはするかも知れない。それを伝えておくと、ユンカート中佐は分かったとだけ短く応えた。多分、いいように取りはからってくれるだろう。

「あの、桐先生」

「なんですか?」

「ジェロウルさんとキヴァラさん、大丈夫でしょうか。 人体実験とか、されないでしょうか」

「……今の時点では、大丈夫でしょう。 彼らの実力は誰よりも米軍が知っていますし、迂闊なことは出来ないしする気も無いでしょうし。 それになにより、今後の交渉に、彼らは重要な質になります。 慈悲深いと噂の太陽神が、このエサに食いつく可能性は、決して低くはありません。 この程度の計算は、米軍には出来るはずですし、心配する必要はないでしょうね」

心配そうな真由美にそう返すと、桐は敵が潜んでいた村に目を向ける。村人達は知りもしなかっただろう。自分たちが歴史の分岐点に立っていたという事など。ただ、陽の翼に好意的な人間が多い村だそうだし、間違いが起こらないように作業は慎重になる必要があるが。

まだ休む訳には行かない。村からは、程なく敵の完全撤退と武装解除の確認、ワシントン・ウィーク紙の記者達の保護が確認された。陽の翼のいう何かが、当然彼らには知らされていなかった。だが直接陽の翼の隊員に接したことで、その士気の高さと訓練度の高さを知ることが出来たと、記者達は大興奮していたという。命知らずな連中であり、勇敢である反面、愚かでもある。自分たちの報道が、世界を大混乱に叩き込む可能性を、全く想定していなかったのだから。

それより、桐は真由美に驚かされた。ジェロウルを心配することができるというのは、精神的にまた一歩成長できた証拠だ。好ましいことであり、我が事のように嬉しかった。

ユンカート氏から続けて報告が来る。ICBMに施されていた仕掛けも外された。仕掛けというのは、二つである。一つは、ICBMからは核弾頭が外され、代わりに花火が詰め込まれていた。そしてもう一つ。狙いは、陽の翼が潜んでいた村になっていたのだ。

もしICBMが発射されていたら。陽の翼の隊員達は、本拠の島ではなく、自分たちがいる村へ真っ直ぐ飛んでくるICBMを目撃していた事になる。そして、直撃する寸前に、素晴らしく美しい六尺玉の光の乱舞を見ることとなっていただろう。唖然としている彼らに、四方八方から米軍と零香達が躍りかかる。そういう筋書きだったのだ。下らない上にえげつない策であり、勿論世界に向けて陽の翼の目的を発信することなどできはしない。だが、それすらもが必要なくなった。

軍事的作戦が必要なくなると言うのは、好ましいことだ。桐は太陽神の判断に、この日感謝した。

 

この日最後の事件は、夜起こった。

真夜中、もしICBMが予定通りの時間に、予定通りにオールヴランフ島に向け発射されていたら、通った軌道上に向けて。正確に、オールヴランフ島から、光の塊が発射されたのである。

それはICBMが発射されていたら通過した地点で、完璧なまでに正確に炸裂。直径一キロに及ぶ光の球を作り出した。

M国では当然大騒ぎになったが、テレビ局の「プラズマ発光体である」という説明が流されると、すぐに騒ぎは沈静化していった。「科学的説明」は現代社会でもっとも信頼を得られるソースであり、これを元にされると殆どの人間は思考停止するものなのだ。

ベットで寝ていた零香は、傷の痛みをこらえながら、それを見た。なるほど、もしICBMをこんな凄まじいものが撃墜していたら、世界の秩序は一変していただろう。しかも連射した所から判断して、ケツアルコアトルの最大火力はこんな程度ではない。

恐るべき報告は大島さんからもたらされる。彼女の説明によると、今の攻撃の分析結果、かなりの可変性を持つ上に、有効射程距離は最低でも五千キロ、最悪の予測では一万八千キロに達するという。つまり、地球の裏側近くにまで届くと言うことだ。もちろん、米国はもっとも楽観的な予測を取ったとしても、その全部が射程距離に収まる。

米国がこれを見て、判断を誤らなければ良いのだが。零香はため息とともにそう思った。今回の勝利は大きい。しかしそれがすぐに戦いの終わりを示すものには、どうやらなりそうもなかった。

 

(続)