封土の火

 

序、忌まわしい敗憶

 

1988年。八月。

深いジャングル。霧雨が立ちこめる中を、一個小隊の米兵が息を殺して進んでいた。兵士達はいずれも筋骨隆々としており、迷彩服がはちきれんほどの筋肉に身を包んでいる。素手で猛獣と渡り合えそうな者達ばかりだ。彼らは暗視ゴーグルを装備して大型の銃を持ち、殆ど音もなく目的地へと進んでいく。

目的地には、米国とずっと戦い続けている組織のベースがある。能力者の集団だそうで、小隊レベルで米軍の特殊部隊が何度も壊滅させられているという。細心の注意を払わなければならない相手だ。

恐怖が徐々に高まってくる。

斥候が戻ってきた。敵は此方に気付いていないと言う。兵士達のリーダーがハンドサインで部下達に指示を出し、総攻撃の合図を出した。如何に能力者の集団といえど、不意を付いて銃弾をぶち込めばひとたまりもない。事実彼らは対能力者特殊部隊として、何度も怖れられた能力者を仕留めてきたのだ。

心臓の高鳴りが抑えられない。全身の震えが止まらない。

音も立てずに、兵士達が散開しようとする。敵の数も位置も把握済み。先手さえ取れば必ず勝てる。此処が敵地であったとしてもだ。

「舐めてくれたものだな。 この程度の兵士で、我らを不意打ちする気だったのか?」

声が響く。ああ、ダメだ。殺される。逃げなければ、逃げなければ、逃げなければ。

兵士達がとっさに反応し、それぞれ遮蔽物の陰に隠れ込む。奇襲が失敗したことを、誰もが理解し、リーダーが軽く戦って後に撤退とハンドサインを出す。そのハンドサインを出した腕が、消し飛んだ。上半身もろともに、である。

悲鳴一つ、上がらなかった。

降り注ぐ得体の知れない攻撃に、太い木ごと隠れこんだ兵士達が輪切りにされ、胴切りにされ、頭を吹き飛ばされる。しばし銃声が響いていたが、それがくぐもった悲鳴に代わるまで三十秒と掛からなかった。生き残ることが出来たのはたった一人だけ。しかも、敵が殺す価値もないと判断し、無様な壊滅を味方に伝達させるために生かしたのだと一目瞭然だった。

恐怖のあまり糞便を垂れ流して蹲る兵士を嘲るようにして、上空を甲高い声の鳥が旋回していた。噎せ返るような濃い血の臭いの中、兵士は身動きすることも出来なかった。彼は知った、今まで自分たちが相手にしてきた能力者が、二流三流に過ぎなかったと言うことを。

闇の中、黒い人影が浮かんでいる。月の光がその横顔を照らす。兵士は知った。それが今だ幼さを顔に残した少年であることを。ネイティブ系の格好をしたその少年は、目に計り知れない闇を湛えたまま、立ちつくしていた。

 

ベットから跳ね起きたケヴィン=マークレットは、冷や汗を拭いながら、枕元のスコッチの小瓶に手を伸ばした。

悪夢は彼の寝台にいつも容赦なく侵入してくる。今月に入ってからもう四回目だ。あれからもう18年も経っているというのに、精神についた傷はいまだ癒えることがない。

あの負け戦の後、ケヴィンの人生は転落の一途を辿った。軍では叱責され、給料を半分に減らされた。今では当時の水準を上回っているが、それでも痛手は深い。精神的にも不安定になり、アルコール中毒になりかけ、一時はドラッグにまで手を出しかけた。精神病院への通院も行った。五歳年下の妻には見捨てられ、既に四年が経つ。そういえば、娘はもう五歳になっているはずだ。うるさい弁護士のせいで、写真を見ることさえ許されない。今はどんな顔になっているのか、見当も付かない。苛立たしいことに、半径五キロに立ち入っただけで逮捕されるのだ。誰のために命を賭けて戦ってきたのかも分からない。風の噂によると、妻は再婚して、稼ぎの良い夫とよろしくやっているそうである。多分娘は自分の「父親」と血が繋がっていない事さえ知らないだろう。

特殊部隊は年がら年中仕事があるわけではない。腕をさび付かせないように訓練はしていたが、それ以外はスコッチの小瓶がいつも彼の傍らにあった。現実を常に見据えるほど、彼は強くなかったのである。

四十三歳のケヴィンは、からになったスコッチの瓶を放り捨てると、イライラを消すことが出来ずに、冷蔵庫を漁った。酒が足りない。彼は腕の良い兵士だったが、指の震えを消すことが、近年とみに難しいと感じるようになっていた。人間の理屈を越える相手がいる事を思い知ってからと言うものである。

携帯電話が鳴った。五回鳴らしてから出ると、軍の上官であった。あの悪夢の作戦失敗から、ケヴィンに対する風当たりは強くなる一方で、無能者と罵られることも少なからずあった。今日も酔声に嘲笑が返されるかとも思っていたのだが、反応は違っていた。

「はい、何でしょうか」

「またスコッチか? 朝から酒なんか飲むんじゃない」

「余計なお世話です。 それで?」

「仕事だ。 M国に飛んで貰う」

一気に背筋が伸びるのをケヴィンは感じた。M国こそ、あの負け戦の舞台であり、因縁の地でもある。陽の翼の戦闘能力を警戒して、今では米国の対能力者部隊もM国での任務は避けているのが現状なのだが、それがどういう風の吹き回しなのだろうか。

まさか、陽の翼と何かしらの理由で、全面戦争をするつもりなのだろうか。

「陽の翼と本気で事を構えるつもりですか? 湾岸戦争どころの騒ぎじゃなくなりますよ」

「そんなのはお前の知ったことではない。 今回、お前は日本側から派遣されてくる能力者チームと合流して、連携して陽の翼と戦って貰う」

「はあ、そうですか」

「お前は信じないかも知れないが、軍の上層部だってお前の戦闘能力は買っている。 それにお前は三年もM国にいて戦い続けた経歴もあるし、対能力者部隊では最古参の一人だ。 着実に任務を果たすことを期待しているぞ」

その後は、バックアップチームとの合流地点(といっても軍基地だが)と合流時間を告げられ、電話は切れた。

シャワーを浴びて頭を洗い、髭を剃って正装に着替える。日本は先進国には珍しく能力者が多いとケヴィンは聞いている。しかもここ数年、民間の政府協力能力者も含めて、質が急激に上昇しているという。主に五人の能力者がそれに関与していると言うが、其奴らの顔や経歴まではケヴィンも知らない。

定刻までに準備を済ませ、家を出る。三回故障して修理工場送りになった経歴を持つ4WDの愛車は、今でも何とか動いてくれてはいるが、妻と一緒でいつ機嫌を損ねるか分からない。事実軍基地まで向かう過程でも、エンジンからは怪しげな音が漏れ続けていた。こんな時、日本車にしておけば良かったとケヴィンは思う。

基地に着くと、見知った顔が何人かいた。情報戦担当要員が既に基地内にスペースと機材を与えられ、十人以上のオペレーターと密接に話し合いながら、何かのミッションを進めている。特殊部隊内でもベテランに位置するケヴィンは敬礼しながら彼らの間を通り抜け、呼びつけた上官の前に出る。ユンカート中佐。三十三歳の若造だが、特殊部隊出身の精鋭士官で、胸には厳めしく勲章を飾り付けていた。それが決して飾りではないことを、ケヴィンは知っている。他のチームメイトも皆集められ、具体的な作戦案を告げられる。

要するにケヴィン達は別働隊で、本隊として動く部隊のサポートとして、日本から派遣されてきた能力者六名及び日本側の支援チームと共同で陽の翼を攻撃、攪乱に当たる。もし機会があれば、太陽神の暗殺も考える。そのためにはM国の地理を詳しく知る人間が必要不可欠であり、ケヴィンはそれに打ってつけだと言うことだった。こういう作戦では、下っ端に全体的な詳細情報は知らされない。ただ、この支援部隊の様子からして、一個師団以上の兵力が動くのは間違いなさそうであった。

ユンカートは若いが、声には威厳が、態度には有無を言わせぬ迫力がある。大まかな説明を終えると、整列する兵士達に彼は言う。

「何か質問は?」

「太陽神の暗殺は能力者達に任せるとして、小官が持っていくのは軽装備で良いのですか?」

「いや、君にはキャリアを生かしての実戦も行って貰う予定だ。 第一能力者だけに戦闘を任せて、君は逃げ回るだけという訳にもいかないだろう」

苦笑一つ上がらない。この場にいる人間は皆知っている。対能力者戦闘のエキスパートとされていたケヴィンの小隊が、陽の翼の能力者一人に手もなく壊滅させられたという事実を。

「分かりました。 しかし、今まで日和見していたというのに、何故急に攻撃行動に出ることになったのですか?」

「詳しくは分からないが、M国から領土の割譲と、機密の譲渡の打診があったのではないかという話だ。 M国側も手に負えないと考えているのではないのかな」

「なるほど、納得しました」

ケヴィンは納得していない。M国の領土のうち、米国にとって美味しい場所は全部以前ふっかけた戦争でぶんどってしまったはずだ。米国が動いたのには、まだ何か理由があるのだろう。全面介入を辞さないほどの、大きな理由が。

「それよりも、貴官は連中と戦えるのか?」

「やってみるさ」

同僚の心ない一言にさらりと返すと、ケヴィンは曲がっていたネクタイを締め直し、M国に出かけるべく自宅に戻った。準備をしているうちにメールで資料が届く。装備のあらまし、移動経路、現地での協力者のリスト、潜伏すべき場所などのリスト。協力者の中には、知っている名前も一つ二つ見受けられた。そして、日本側から派遣されてくる協力者のリスト。自衛官は若手から中年の男性まで八名。いずれも実戦経験はないが、勤務態度や能力的な実績などに問題も傷もない。それらを頭に入れながら、能力者達の写真を出したケヴィンは硬直していた。

「何てこった……全員ガキじゃないか」

写真に写っていたのは、皆子供ばかりだった。しかも女である。ハイスクールとユニバーシティの生徒だという事だが、そのうち二人はローティーンにしか見えない。しかも六人の中で唯一ユニバーシティに通っているという女の子がそのうち一人なのだから始末に負えない。日本人は童顔だと言うことをケヴィンは知っていたが、これでは今度の仕事は、軍人としての任務ではなく学校の先生みたいだ。子供を引率して、世界最強の能力者集団と事を構えなければならないと言うのか。

日本側から派遣される能力者達はいずれも豊富な実戦を経験していると資料には書いてあったし、能力者の中には若い内から大人顔負けの実力を発揮するものもいるとは聞いているし知ってもいる。しかし通訳がいるとは言え、異文化の持ち主と接するのは大変だし、彼らを引率して戦わなければならないと言うのならもっと大変だ。更に女はきゃあきゃあとやかましく、しかも感情を行動原理の大きな部分にしているから、大勢を引率しなければならないの本当に骨だ。教官をやったこともあるケヴィンは一気に血が沈鬱していくのを感じた。

大きなため息をつくと、ケヴィンは乱暴にデスクから紙を引っ張り出し、書き殴るようにして遺書を書き始めた。アルコール中毒から立ち直ってから、いつ頃か身に付いてしまった習慣だ。彼は何か辛いことがあるとすぐに遺書を書き始める。既にデスクの引き出しは、遺書で一杯になっているという惨状である。

書き上がった遺書を乱雑に引き出しに突っ込むと、ケヴィンは新しいスコッチの小瓶を全て開けてしまい、出撃までに許されている時間をふて寝に費やすことにした。

どうせ今回も生きては帰れない。いつも生きて帰っているのに、そんなことをケヴィンは思うのだった。彼は高い戦闘能力をもつ反面、すっかり社会に対していじけてしまっている、寂しい中年男だった。

 

1,M国の土

 

中南米では比較的安全だと言われるM国。アステカ文明の遺跡も多く、観光スポットには事欠かない。だが、まだまだ先進国と呼ぶにはほど遠いインフラ整備と、比較的不安定な政情もあって、あまり安全に観光を楽しむことが出来る場所ではない。例えば、この国を代表し世界的にも知名度が高い仮面ショープロレスであるルチャ・リブレなどは、観光客が呑気に見に行くには少し危険な場所で開催されているのである。まして、今は陽の翼による反乱行為によって、国内が騒然としている状態である。

そして、とうとう事態の収拾を不可能と判断。非公式ながらも米軍の介入を容認し、更に日本もそれに併せて零香を始めとする能力者六名、自衛隊の特務分隊を派遣することとなった。他にも英国やフランス、ドイツなども特殊部隊を派遣しているという。

零香は高校生になってから、世界各地を旅して廻るようになった。アフリカでは強力な実体化まがつ神や、人食いライオンの退治もした。中東ではテロの嵐巻き起こる町中に潜入し、テロリストの組織四つを粉砕した。勿論顔など見せてはいない。そういった状況下で腕がさび付かないようにしてきたのだ。そんな零香だから、騒然としているといっても、今のM国は平和で安全だと思う。まあ、夜に女性が一人歩きするのは難しいが。

M国に到着して二日目。冬休みの間に片を付けられると良いのだが、なかなかそう都合良くは行かないだろう。現在いるのは、M国首都Mシティ。標高二千メートルを超える高地で、空気が薄い上に汚い。真由美が高山酔いするのではないかと最初零香は心配したが、結構頑丈な様子で、少し安心した。主要道路の側は空が暗くなるほどの排気ガスが充満しており、脇道に入るとかなり治安が悪い。そこで、人口密度自体が低い郊外にベースを作ることにして、今は情報を集めているのだ。

今日は零香と由紀と利津が周囲を探索する番であり、皆めいめいに散ってMシティを探索していた所である。それも先ほど一段落し、周囲の地形を一通り把握し終えたため、石畳の坂を上ってベースへ急ぐ。帰る途中に無線を入れるが、今のところ変事無し。陽の翼はまだ一切ちょっかいを出してきていないが、油断をするのは危険だ。

車道が狭くなる。走り抜ける車体に錆が目立つようになる。左右には白い壁の家が林立し始めた。白いだけに、排気ガスですすけて気の毒な有様になっている家も多い。周囲では浅黒い肌の子供達が、ボールを使って遊び回っていた。貧しいが、しかし活力の高い子供達だ。側を通り過ぎると、親らしい人間が必ずいて、零香を一瞥する。時々犬も見かけたが、太っている個体は殆どいなかった。

やがて、ダウンタウンの一角に零香はたどり着き、石壁に蔦がまとわりついている寂れたペンションの戸をノックした。すぐに返事がくる。

「合い言葉は?」

「ひょうすべ」

「よろしい。 どうぞ入ってください、零香ちゃん」

「てか、気配で分かってるだろうに。 それに合い言葉に趣味を入れすぎだってば」

戸を開けた黒師院桐に肩をすくめてみせると、零香はペンションの中へ足を踏み入れる。其処は近代的な機器が運び込まれ、防弾設備や緊急時の発電機なども設置されている、近代的なベースに生まれ変わっていた。外からは設備が見えないように工夫が凝らされ、中からは外が一望できるように配置を配慮してある。最初ガタが来ていた扉も、裏側に鉄板を目立たないように張り、強化を施し済みである。更に其処へ、桐と淳子が相談の末、色々と手を加えている。

「何か変わったことはありましたか?」

「特になし。 途中でスリを見かけたから、誰にも見付からないようにぶちのめしてメインストリートに転がしておいたけれど、それくらいかな。 そっちは?」

「特になし。 進展は今のところありませんね」

「了解。 少し寝ておくわ」

ペンションの奥へ歩く。といっても、狭いペンションである。廊下を曲がると、もう自室が見えている。

此処は零香がM国で当分過ごす戦略拠点である。ペンションを一つ丸ごと買い取って、ベースに仕立てたのだ。今では自衛官の八名と零香達能力者六名が詰める、M国での拠点に生まれ変わっている。周囲には桐や淳子が作ったトラップが山のようにあり、特殊部隊でもうかうかと近づくことは出来ない。M国の特殊部隊とは連絡を取り合っており、今は情報収集をしている段階だ。日本での戦闘を見る限り、連中の保有戦力は強大。本拠地に攻撃を掛けるにしても、情報を集め、連携を確保してからでないと、絶対に失敗する。

米国軍も既に特殊部隊を潜入させているとかで、協力態勢を取るという。明日には協力要員が派遣されて来る予定だ。この他に、英国、中国、フランスなども特殊部隊を派遣してきている可能性があるという。ただし、零香自身に正式に知らされてはいない。

ペンションは横に長い作りになっており、一階建て。東西に三部屋ずつ、中央に管理人室がある質素な作りだ。一応水と電気、それに電話は通じている。ただ、淳子は水を一瞥した瞬間生では絶対に飲まないようにと周囲に念を押していた。

能力者六名と自衛官達は、それぞれペンションの東と西に分散している状態だ。西側の三部屋を自衛官達が使っている。東側の三部屋のうち、二部屋を零香ら六人で使い、管理人室の隣の部屋を資材置き場に。そして管理人室をコントロールルームに作り替えてある。コントロールルームは常に自衛官達が詰めていて、零香が見た分でも一時間に一回は新しい情報を入手し、本国と連絡を取り合っている様子であった。

部屋を覗くと、真由美が折り畳み式の小さな黒机の前に正座して、教科書とノートを広げ、宿題に必至に取り組んでいた。この子はどうも物理が苦手らしくて、いつも冷や汗を流しながら教科書とにらめっこしている。時々ご機嫌な様子の桐に相談しては、答を教えて貰っているのを見る。壁を叩くと、真由美ははっと顔を上げる。これでは困る。

「宿題も良いけど、気を抜くと死ぬよ」

「……ごめんなさい」

「まあまあ、零香ちゃん。 今は此処に四人も居ますし、ね」

隣の部屋には淳子もいる。父が作ってくれたというハンディ浄水器を使って、水道水を美味しく作りなおしている所だ。機嫌良く微笑んでいる桐に、零香は小さく嘆息した。此処は彼女の顔も立てておくべきだし、戦力としてカウントできるようになった以上、真由美もそろそろ萎縮させ続けては可哀想だ。

「分かった分かった。 ま、実戦の時には気抜かないようにね」

そのままバネが利きすぎているベットに転がって、罅だらけの天井を見る。桐はスキップしそうな勢いで、入り口に戻っていった。

桐がご機嫌な理由は簡単である。昼寝したい放題だからだ。決して油断しているわけではなく、時間が余るのである。更に体力を蓄えておく必要もあるし、余った時間に眠っておくのは義務になっているわけだ。そのため、肌がつやつやになるほど桐は機嫌がいい。一方で、部外者がずっと周囲にいるため、由紀は極めて機嫌が悪い。にこにこしているが、ストレスが相当溜まっているのが零香には手に取るように分かった。

零香と真由美と桐が一番奥の部屋、淳子と利津と由紀がその手前の部屋になっている。由紀と利津は二人で組んでMシティを見回っており、少し前に零香にも連絡があった。まだ見回りに時間が掛かると言うことであった。

周囲を警戒したまま昼寝にかかる。目をつぶって、この間の対タラスク戦を思い出す。

強大な古代龍タラスクに、白虎戦舞は必殺の破壊力を発揮することが出来なかった。二式は殆ど実戦投入した実績がないと言う理由も確かにあるが、それ以上にやはり、神衣の形式に問題がある。例えば、クローは負荷に絶えることが出来なかった。ブレードだって多分ぶつけていれば同じ結果になっただろう。更には、肉体負荷も大きすぎる。しかも、由紀の話によると、敵にはアジ・ダハーカという更に強力な古代龍がいる可能性が高い。

桐の話によると、アジ・ダハーカというのは中東発祥のゾロアスター教に登場する強大な悪龍である。一千の魔法を使いこなす三頭の龍であり、多分実在の暴君をモデルにしているのではないかという話だ。しかも傷付けると無数の災厄が世界に撒き散らされる等、能力も多彩である。どれくらいその能力を再現できているかは分からないが、今の状態で正面から戦うのはかなり厳しいだろう。

つまり、より白虎戦舞を使いこなすために、今とは違う神衣を作る必要がある。

今までどんな苦しい戦いでも、創意工夫で乗り切ってきた零香である。安易なパワーアップなど出来はしないことは良く分かっている。今は草虎に相当する人物だって側にはいない。だからこそ、頭を柔軟に使う必要がある。

今までの神衣を捨てるわけではない。白虎戦舞のために、新しい神衣を開発するのだ。今までずっと一緒にやってきた神衣は、白虎戦舞以外のためなら理想的なパラメーターに調整してある。しかし、白虎戦舞とは相性が悪いのである。

さて、どうしたものか。幾つか案を出して考えているうちに、いつのまにか意識は闇に沈殿し、本当の眠りが訪れていた。

 

むくりと起きあがった零香は、四時間くらい時間が経っているのを確認した。既に利津と由紀も戻ってきている。真由美は丁度今宿題が一段落したようで、零香が急に起きあがったのでびくっとしていた。小動物的な反応が面白い。

コントロールルームからテレビの音がする。どの部屋にもテレビは設置されているが、通訳が面倒くさいので零香は殆ど見ていない。朝、通訳の任務で来ている土方二曹が重要な記事の翻訳はしてくれているので、それを見るくらいである。

欠伸をしながら廊下に出る。眠りが醒めた理由は分かっている。隣室の雰囲気だ。真由美以外の皆が隣室に集まっていた。零香も覗いてみると、あーでもないこーでもないと話し合っていた利津が顔を上げた。

「やっと起きましたの?」

「うん。 その様子だと、何か進展があった?」

「ありましたわ。 陽の翼の一人が、周囲を哨戒中の此方にアクセスしてきたのですわ」

目を細めた零香に、利津はメモ書きを差し出す。翻訳の術を使いこなす陽の翼とは、幸いにも今までコミュニケーションの疎通に苦労したことがない。零香は真由美を手招きすると、六人で一室に円陣になり、メモ書きを中心に置いて改めて話を利津に聞く。

「この話を持ってきたのは、誰?」

「あのキヴァラですわ」

となると、特定個人の独断と言うことはないだろう。零香は直接顔を合わせたことはないが、奴は単純な一戦士であり、独立して兵団を動かすような指揮官タイプではない。側でメモ書きを覗き込んでいる真由美が、深刻そうに眉をひそめた。彼女は陽の翼に対する深い怨恨を判断に含ませ気味だが、それもまた仕方がないことである。

「罠……じゃないでしょうか」

「その可能性は高いね。 単純に此方に内紛を起こさせようと考えているって可能性もある。 ただ、向こうが組織ぐるみでアクセスしてきた以上、此方も単独でアクセスするわけには行かない。 少し面倒くさいけど、大島さんにも話しておかないと、ね」

「まあ、皆の意見も大体そうまとまっていた所や」

「分かった。 じゃあ、わたしが交渉してくる」

大島さんとは、自衛官達のリーダーとして派遣されてきている大島美智代一尉の事である。桐とは顔見知りであり、指揮ぶりを見ている限りかなりの切れ者だ。今後、能力者と自衛官の壁を無くすためにも、此処は単独行動を控えるのは止めた方がいいだろう。バックアップスタッフとして、彼女らは有能なのだから。

メモ書きには、意志疎通のための、会合を開こうと記されていた。しかも、自衛官は交えず、能力者だけで、である。

会合は明日。明日来るという米軍の特殊部隊員にも一応話しておいた方がいいだろう。メモ書きを取ると、零香はコントロールルームへ赴く。部屋に足を踏み入れた途端、警戒の視線が飛んでくるのは仕方がないことであった。そんな中、唯一中立的な大島さんの視線が優しい。だから、彼女らをハブにするような提案がされてきたことを伝えるのは、少し心苦しい。

説明を終えて部屋に戻る。当然、返事はしばし保留だ。大島さんの権限で決められることではないし、判断だってすぐにはできないだろう。隠密任務ではあるが、今回の敵側の提案は、零香らに対して行われたものである。

会合を予定した上で、不意に奇襲をかけるのは戦術の初歩だ。今晩は三交代でツーマンセル(二人一組)による警戒を行うことに決め、皆休むことにした。ベットに転がり、ぼんやり天井を見上げていると、また物理の宿題に取り組み始めた真由美が声を掛けてきた。

「零香先生、あの……」

「物理はわたしも苦手だから、教えられないよ」

「えっ? あ、いえ、そうじゃありません。 ……もしも、ですよ。 陽の翼が戦いを止めようって言ってきたら、どうするんですか?」

「話を良く聞いて、もしもわたし達と利害が一致するようなら、和平を米国と日本に提案してみる。 それだけだね」

利害という点で物事を判断するのは、男の考え方だと、零香は以前何処かで聞いたことがある。これに対して気持ちとか感情とかで判断するのは、女性的な考え方なのだとか。色々異論はあるが、頷ける点も多い。そしてこの判別法で言うと、真由美は確実に後者である。それに対して、零香は典型的な前者だ。

案の定、真由美は唇を結んで俯いてしまった。分からなくもないのだが、大勢の命が掛かっている状況で気持ちも何もない。陽の翼はこのまま行くと、高い確率で完成近づいている抑止兵器のデモンストレーションを行うはずだ。そしてそれば、砂漠での核実験等という極めて平和的な代物とは全く別の、惨劇を伴う代物になる。何しろ彼らが集めた負の力は、人間に対しての殺戮に用いるとき、最大の威力を発揮するのだから。

「辛いとは思うけれど、何十万の人間の命が掛かっているって考えて。 そうすれば、割り切れるようになるから」

「私には、まだ無理です。 どうしてそう割り切って考えられるんですか」

「嫌な奴も戦力としてカウントしなければいけないときもある。 好きな奴とも戦わなければならないときもある。 組織を運営していくと、どうしてもそういう現実と直面してくるからね。 ましてわたしは小学校の頃から、大人を相手に組織運営をしてきたんだし、そんな風に考える事が出来る。 理屈じゃなくて体の芯からね」

そう、それが零香と真由美の最大の差であった。単純な戦闘だけではなく、それに勝るとも劣らない人間の本性がさらけ出される政争の中で揉まれてきた零香は、蝶よ花よと育てられ、暫く前まで実戦も殺戮の苦さも知らずに育った真由美と大きな差があって当然なのだ。

真由美は成長している。人を自分の手で殺しもしたし、いざというときは戦えるようにもなった。だから力量面での不足を差し引いても、仲間としてカウントしているのだ。だから、少しの言葉で今回も戦えると期待する。

「もう寝る。 時間が空いたら寝られるようにしておかないと、今後は生き残れないよ」

「……はい。 おやすみなさい」

電気を小さくしてベットに潜り込む真由美の背中は、まだまだ頼りない。父の背中のように、背を預けるにはほど遠い。

遠くで、野犬の悲鳴が聞こえた。そういえば、街で見かけた犬はどの個体も皆痩せていた。この街の治安は、日本のどの都市よりも悪かった。

 

会合の場所に指定されたレストランは、街の外れにあった。

排気ガスに煙る道路を、現地調達したエンジン音うるさい車を走らせて、一時間ほどで到着。

今回来ているのは、零香と真由美ともう一人。この他に、いざというときに備えて淳子と利津が二キロほど離れた地点に待機し、ベースには由紀と桐が残っている。自衛官達の中には、最後まで会合に同席したいと言い張る者もいたが、その仕事は米軍から派遣されてきた機嫌が悪そうな細身のおじさんが代わって受けることとなった。ケヴィンというこのおじさん、かなりの使い手であることは分かるのだが、何だか常に憂鬱そうである。運転席に座った彼は結局そわそわする真由美を見もせずに、レストランに到着しても参加するとは言い出さなかった。

車に残ったケヴィン氏を後に、レストランにはいる。中は暖房が適度に効いていて、環境にはよく配慮されている。ざっと周囲を見回して、奥の方にキヴァラを発見。サングラスを掛けた陽気そうな黒人の青年は、遠くからでも目立った。

奥へと歩く。持ってきている鞄に意識をやっている真由美に対して、零香は落ち着いている。席に着くと、キヴァラは真っ白い歯を見せながら、メニューを取ってくれた。

「ヨお、来たな。 確かレイカって言ったな」

「そうだよ、キヴァラさん。 こっちは真由美。 よろしく」

「おう、ヨろしくな。 ここのはどれも美味いぜ。 メニューが分からないんだったら、俺が適当に選んでヤろうか?」

「ありがとう。 頼むよ」

「OKOK。 COOLで結構だ」

随分フレンドリーな様子に、真由美はどぎまぎしている。さっきのケヴィン氏がむっつりし通しだったので、反動も大きいのだろう。

周囲のテーブルを見回す。

この国の食物は、この国起源である玉蜀黍、唐辛子、トマトをふんだんに用いていることが多く、このレストランも例外ではなかった。タコスなどは日本でも有名だが、それは軽食の部類に属する。玉蜀黍を使った料理は他にもあり、スープ類もかなりの種類が揃っている。食にはかなりうるさいのがM国の特色だ。出る前に幾つか主要な料理を調べては来ているが、此処は相手の顔を立てるのが上策である。

第一印象は悪くない。駐車場もあるかなり大きなレストランであり、外観も綺麗で壁もきちんと手入れされている。客もかなり入っていて、家族連れもいた。この中に陽の翼の構成員が混じっている。零香の見たところ、隅に座った家族連れがそうだ。驚くべき事に、家族連れは子供に到るまで、実戦経験があるようだった。他にも何人か戦闘経験がある人間が混じっているが、零香は此処では仕掛けてこないだろうと確信していた。

理由は簡単である。由紀と戦ったときのキヴァラの台詞だ。

悪いと思っているから、出来るだけ一般人は巻き込まないようにしてきた、と此奴は言った。実際この台詞は信用できる。少なくとも人間、特に一般人に対して、彼らは一度も積極的に牙を剥いていないのだ。である以上、もし不意打ちを考えているのなら、一般人が大勢いるレストランではなくて、自分たちの拠点なり廃ビルなりを指定してくるはずだ。それであれば零香も緊張して赴いたのだが。

勿論今日だって、実際レストランに入るまでは緊張していたが、今は若干リラックスしている。此処に紛れ込んでいる陽の翼の者達も数が少ないし、周囲に殺気もない。まあ、此方の態度次第では、すぐに血を見ることになるだろうが。彼らが一般人を巻き込みたがらないだけで、いざというときは容赦なく巻き込むことは、今までの実戦が照明している。

料理が運ばれてきた。唐辛子が多めに使われているらしいかなり赤いスープと、日本でも有名なタコスの盛り合わせだ。タコスは軽食に位置するそうだが、最近では海外の観光客を意識してレストランでも出る所が多いのだという。サイズはどれもでかい。遠慮無く赤い具が入ったタコスを取る零香とキヴァラを見て、おろおろしていた真由美はやっと手を伸ばした。食べた所、毒はない。ただ、辛い。かなり辛い。一口食べた途端、真由美は固まっていた。因みに水は有料だ。陽気にキヴァラは笑う。

「HAHAHAHA、そっちの嬢ちゃんには、ちときついか?」

「それよりも、食べながらで良いので、用件を話してくれないかな?」

「ん、ああ、そうだな。 OK、じゃ本題にはいるぜ。 盗聴器通してジャパニーズアーミーの連中も聞いてるんだろ? そのつもりで話すぜ」

零香の隣で、真由美が咳き込んでいる。なんというか、まだまだ経験が足りない。スープにスプーンを差し入れる零香に、キヴァラはサングラスの奥の双眸を光らせた。

「まず最初に言っておくが、俺らはあんたらに恨みもないし憎しみもない。 確かにあんたらが言うとおりのものを作ろうとはしているが、それとあんたらは無関係で、使った後も迷惑を掛けるつもりはねえ」

「それについては大体理解してる。 ただね、わたしとしても、それを見過ごすわけには行かない」

「ほう? どうしてだ?」

「対処する能力がわたし達にはあるからだよ。 抑止兵器として君らが作ろうとしているものを機能させるには、大規模なデモンストレーションが必要になる。 大量の人命が関係した、ね。 手に届く範囲内にそれがあって、阻止できる可能性があるなら、阻止するのが義務ってものだよ。 力を持っている人間の、ね」

新しいタコスをキヴァラが手に取る。零香が口に運んでいるスープは結構美味しいが、これもやはり少し辛い。真由美は汗をだらだら流しながら、ノルマ分のタコスとスープを口に運んでいる。ちと真面目すぎるのがこの子の最大の難点か。

「なるほど、戦闘狂だって聞いてたが、随分しっかりしたモラルの持ち主なんだな。 少し感心したぜ。 同じ戦闘狂の俺でも、そのモラルは真似できねえからな」

「面白いね、キヴァラさん。 それで、今からでも、引き返すことは出来ない?」

「悪いが無理だ。 あの神さんが、無理だって判断したくらいだ。 俺達全員も、神さんの判断には納得してる」

「そうか、それなら仕方がないね」

零香も二つ目のタコスに手を伸ばした。タコス一つをどうにか食べ終え、スープをいそいそと飲み終えた真由美が、残った最後のタコスを見て、手を伸ばそうか躊躇していた。だがキヴァラが見かねてもう一つ取ってくれた。案外良い奴である。

零香は知っている。彼らの組織から逃亡者が出て、今日本政府にかくまわれていると言う事実を。しかしそれをここで言っても藪蛇になるだけだ。今は敢えて黙っておく。

「……もし引き返す気があるなら、いつでも連絡頂戴。 わたしにはそんな権限無いけれど、力の及ぶ限り手助けするよ」

「ありがとうヨ。 それと、次からはヨび捨てしてくれてかまわねえ。 代金は俺が支払っておく。 後、今の言葉、皆にも告げておくな」

終始、どちらも殺気を発することはなかった。零香が席を立ったので、軽く一礼して真由美も慌てて後を追う。何人かの陽の翼関係者が、ちらりちらりと視線を送ってきたが、誰にも目を合わせず外に出る。車に乗り込むと、話を聞いていたらしいケヴィンが呟く。彼は意外にも、日本語が堪能だ。

「いいのか? 独断で好き勝手な話して」

「構わないでしょう。 政府側の見解なんて、もう向こうには周知の事実でしょうし」

「……それにしても、案外驚いた。 思っていたよりガキじゃないな」

「随分はっきり言いますね。 それもまた面白いですが」

車に乗り込んだ途端、慌ててあめ玉を取りだして口に入れる真由美。話は聞いていただろうが、まだまだ感覚に対する耐性が少ない。岩塩スティックを取りだし、零香は言った。

「戻りましょう。 車、出してください」

「アイサー。 さっさと帰って寝るぞ、馬鹿馬鹿しい」

さて、それはどうだろうか。先ほどM国政府から面白い情報が入っていたのを、零香は知っている。

陽の翼が、M国各地の遺跡に出没、どうやら負の力を回収して廻っているようなのだ。日本で集めた力が足りなかったのか、それともまた別の理由があるのか。分かっているのは、間もなく此方に出動が掛かると言うことである。

案の定。中程まで帰り道を進んだ所で、大島さんから連絡。北部の遺跡に急行して欲しいという事であった。

 

2,遺跡の戦い

 

M国は、古代遺跡の宝庫である。アステカ帝国だけではなく、もっと古い時代の遺跡も多数あり、貴重な観光資源になっているほか、人類の貴重な足跡として熱心に研究されている。

勿論、それらを造った人間はもう生きていない。だがただ一人だけ、遺跡が遺跡ではなく、神殿やさまざまな施設として生きていた頃の生き証人がいる。その生き証人は、遺跡に施された仕掛けや、それらがどう使われていたか、何が隠されていたのか、全てを知っている。勿論、遺跡のことごとくを知っているわけではないが、四百年ほど前までの遺跡であれば、あらかた見知っているのだ。また、古い時代の伝承にも詳しい。現在にまで伝わりきらなかった幾つかの伝説も、記憶に収めている。

勿論、その生き証人の名は、陽の翼首領・太陽神である。

陽の翼の根拠地である小さな島。急ごしらえの神殿の最奥、御簾の向こうに彼女はいる。食物にも困らず、今のところ作戦遂行物資にも困っていない。「貯金」は順調に回収しており、もう少しで抑止兵器の完成を達成することが出来る。日本の能力者の思わぬ抵抗で伸びていた龍神ケツアルコアトルの復活だが、間もなく問題なく執り行うことが出来そうだった。

それに、いざというときには、各地に蓄えた物以外にも、貯金はある。他ならぬ、この島に、である。数百年間蓄えた巨大な太陽神自身の力は、今まで様々な方法で外部に蓄積していたが、それももう島へ運び込んである。最もこれらは抑止兵器完成後の、最後の切り札である。出来れば使いたくはないのだが、いざというときは仕方がない。

日本側の能力者が、米軍の特殊部隊と協力し、もうこの国に上陸しているのは掴んでいる。彼らの案外高い能力から考慮するに、貯金の回収に支障が出る可能性もある。もう大体は回収の手はずが済んでいるのだが、米軍の情報収集能力と、日本側の能力者の力が合わさると危険である。早めに手を打つ必要があった。

御簾の向こうで、誰かが跪いた。部下の一人、高速機動型の能力者だ。戦闘能力は低いのだが、高速移動だけに特化した能力を持ち、伝令としてよく動く働き者である。

「太陽神」

「何か」

「敵の動きは予想以上に迅速です。 回収に動いた臣パッセが、米国が派遣した能力者三名と既に交戦に入っています。 ファーフニールも併せて交戦中。 今のところ若干優勢ですが、長引けば日本側の能力者が出張って参りましょう。 至急援軍をとの事です」

「ファーフニールだけでは足りぬと言うこと、じゃな」

「御意……」

タラスクがあそこまで叩きのめされた現状を考えるに、確かにファーフニールだけでは、対処が難しいだろう。能力者をさがらせ、外にいる龍達に呼びかける。

「目覚めよ、者どもよ」

「何事でございましょうか、太陽神よ」

無数の声が応える。そのいずれもが、深い忠誠心を太陽神に寄せてきていた。

これが、太陽神の能力であった。彼女は、龍を自在に操る存在である。元々陽の翼は、実体を失った古代のまがつ神を復活させる技術を有しているが、それを能力に加味するとその破壊力は人知を超越する。普段は非常に原始的な龍であるワームやドレイクを周囲に侍らせているが、能力としてはそれらと比較にならぬ物を持つ上級の龍を何体か今は有している。その中でも、特に強大な力を有しているのが、作戦開始と共に中東へ派遣したチームが回収してきた、アジ・ダハーカだ。

「我が主よ、今回のお呼び出しの理由は如何に」

「我が部下の一人パッセが苦戦しておる。 他の部下もすぐに向かわせたい所だが、彼らも今は任務に従事中で二線級の人間しか手が空いていない。 そこで、そなたらの一柱が、救援に行ってはくれぬか」

「ふむ……あのパッセ女史が、ですか? にわかには信じられませぬが……それほど強力な能力者が敵に?」

「ラドンたんよ、おんしもみたじゃろうが。 にんげんどもはいま、ものすげえきょーりょくなぶきをたくさんもっておるでのー。 めにもみえないとおくから、こうげきしてくるよーなものもあるでの。 さすがにたくさんあつまったら、あのパッセたんもあぶないかもしれんのー」

ギリシャ神話の悪龍である、荘厳なラドンの声に応えるのは、オーストラリアの現地住民に信仰される神龍ユルングだ。ユルングは虹の化身と呼ばれる巨大な龍で、アジアの蛇神信仰と同一の流れを汲んでいると思われる存在である。どういう訳か誰の名前にも「たん」を付けて呼ぶ。口調もかなり危なっかしいが、一応ボケはまだ来ていない。一方ラドンは、黄金のリンゴと呼ばれる宝を守り続ける番龍であったが、ギリシャ神話最強の英雄ヘラクレスに敗れ去った存在である。

「何、我が輩が向かえば済むこと。 即座に片づけてきましょうぞ。 うはははははは」

「フー。 相変わらず自信家であるな、アジ・ダハーカよ。 それで、太陽神よ。 我らの中の、誰を派遣いたすのですか? この島の守りのためにも。 フー」

自信満々なアジ・ダハーカに応えるのは、いつもけだるげにため息が言葉に混じるガンガーだ。インドの川の女神である龍である。ただ現在は、水神としての性質よりも龍神としての性質をより表に出している。この手の地形神や自然神は、そうしないと「領土」から出ることも出来ないケースが多いからだ。ああでもないこうでもないと四体の巨大な龍達は話し合っていたが、やがて提案はラドンから為された。

「太陽神、わが女神よ。 このラドンめが、パッセ女史の救援に向かいましょう」

「うむ。 即座に向かって欲しい。 勇戦を期待しておるぞ」

「はっ! 我が勝利を、我が女神への花束としましょう。 何体か実体化まがつ神を借りていきます」

紳士を体現したようなラドンの気配が消える。

もう、ケツアルコアトルの完成には、負の力だけが集まれば充分である。島に攻撃を掛けてくる特殊部隊も増えており、あまり時間はなかった。

「フー。 所で、此処から三十キロほど先に、米軍が簡易ベースを築いております」

「うん? 本当か? 我が輩には何も感じぬぞ」

「上手に気配を隠しています。 多分能力者が側についているのでしょう、フー」

ガンガーは大河の女神であり、水を感覚器官とリンクさせることが出来るという。太陽神も感じ取っていなかったから、これはかなり強烈な探知能力である。太陽神は今の説明が本当であったのなら、ガンガーを間近に置いておくべきだと思った。奇襲をほぼ確実に防ぐことが出来るし、全体的な戦力強化にも繋がる。

「なんじゃい、ぶすいなやつらじゃのー。 どれどれ、わしがいって、ちとあたまをなでてきてやろうかいのー」

「いや、此処は我が輩が行って来よう。 如何に技術が進歩したとは言え、人間にはそれぞれ本分というものがある。 それを悟らぬ身の程知らずの愚か者共に、古代龍の恐ろしさを思い知らせてくれる」

「うむ。 では、アジ・ダハーカ、其方は頼むぞ」

「お任せあれ、我が太陽よ」

続いて、アジ・ダハーカの気配も消えた。程なくして、遠くより雷が炸裂するような破壊音が響き渡り始めた。

 

M国北部の遺跡。石によって作られた古代の神殿であり、あまり派手な作りではないため観光客には人気がないが、重要な文化的遺産であることは間違いない。陽の翼にとっても重要な場所で、石畳整備された其処の一角に、以前太陽神が将来を見越して負の力を溜め込んだ。それを回収しに来た所であった。

パッセとファーフニールの前に、米国の特殊部隊と、同国お抱えの能力者が立ち塞がったのである。

米国政府お抱えの能力者は、その殆どがサイキックと言われる超原始型能力者である。能力そのものを術のように洗練することなく、単純な波や力の渦に変えてぶつけたり、それで体を持ち上げたり、或いは空間を転移したりする。原始的なだけにパワーは大きいが、燃費は悪く、超一流と呼ばれる能力者の中には殆どサイキックが含まれない。

それなのに、米国がサイキックを主体に取り込んでいるのには、当然の事ながら理由が幾つもある。最も大きな理由の一つが、量産が利くと言うことだ。

術型能力者は、基本的に己の考えで動くことが多く、仮に政府に協力して貰ったとしても、気に入らない任務を押しつけられようものなら即座に臍を曲げる。つまり制御がとてもしづらいのだ。しかも豊富な実戦を経験させないと役には立たないし、考え方も偏屈な場合が多くて、周囲と交わりたがらないものも少なくない。

それに対して、サイキック系の能力者は、ある程度の素質さえあれば、薬物を使って覚醒させる技術が確立されている。実戦に使える者を育て上げるのはそれなりに大変だが、マニュアル式の学習で教え込ませる事が出来るし、何より政府への忠誠心を刷り込ませることが出来る。更にパワーを数値的に計ることが出来るため、戦闘能力の目分量が計りやすい。米国式サイキックは、能力者の世界では大量生産のロボットに近い代物として考えられているのだ。ちなみに、これは別に米国発祥の能力者ではない。現在米国で最も大々的に受けいられている手法だと言うことである。

他にもキリスト教系の勢力が未だに術系能力者を目の敵にしているという事情もあるし、長年培ってきたお家芸とも言える存在だと言うこともある。最近ではもう対能力者特殊部隊にはサイキックが毎回一人若しくは二人配備されるシステムが確立されており、大きな戦争ではサイキックのみで構成された小隊が動くこともあるのだという。

パッセの眼前に立ちはだかっている三人組も、サイキックに間違いなかった。恐ろしいほどに個性がない痩せぎす長身の青年達で、目に感情らしいものが見あたらない。まるでマネキンと対峙しているかのようだ。肌は当然のように白く、金髪で。青い目をしている。これらは、白人社会での古い美意識の歪んだ現れであろうか。

「どきなさい。 どかなければ、実力で排除しましゅ」

返答無し。と言うよりも、此奴らに感情があるのかさえ疑わしい。近くではファーフニールに対して、米軍の特殊部隊が激しい攻撃を仕掛けている。さっきからヘリ数機が辺りを飛び回っており、ヒットアンドアウェイでファーフニールにミサイルを叩き込んでいる。ファーフニールは翼を丸めて防御に入っており、敵の攻撃のパターンを把握に掛かっている。攻撃ヘリ数機が相手では流石に手を抜くわけには行かないだろうし、慎重なファーフニールらしい戦い方だ。

パッセが一歩前に出る。同時に、三人いたサイキックが三方向に散った。右左、そして上に。彼らが手を胸の高さにまで挙げ、掌を此方に向けてくる。同時に、高密度の力の波が、パッセに覆い被さってきた。不可視の力とは言え、その凄まじい圧力は、怒濤が如き大波を思わせる。じりじりとさがるパッセに、更に上に飛んだサイキックが、蠅叩きのような圧力をぶつけてきた。足下の石畳に、罅が走り、周囲に見る間に拡大していく。

かなり保有している力は強大だが、それが確認できれば充分。遊びは終わりだ。

二歩、さがる。それだけでサイキック達は力のぶつけどころを見失い、体勢を崩す。余裕を持って剣を引き抜いたパッセは、向かって右のサイキックに、ジグザグに疾走しながら躍りかかった。振り下ろした剣が、慌てて展開された力の膜とぶつかり合う。激しい火花が散るのも一瞬に過ぎない。剣の腕にものを言わせて膜を斬り破ると懐に飛び込み、蹴りを叩き込んでやる。吹っ飛んだサイキックは遺跡の石壁に叩き付けられ、血を壁になすりつけながらずり落ちていった。

仲間が倒されたというのに、殆ど感情を見せずに、左右にサイキックは散る。もう一人へ三歩で間合いを詰めると、大上段に振りかぶった剣を叩き付ける。相手は防御を考えず、そのまま力の波をぶつけてきた。判断は間違っていないが、しかし相手が悪い。

はああああああっ!

叫び声と共に、パッセが剣を一閃させた。波は両断され、衝撃波がサイキックを吹き飛ばす。石畳に叩き付けられた彼は、トマトのように肩を弾けさせ、体中の骨をへし折りながら吹っ飛んでいった。

最後の一人が頭上に回り込む。三角錐状に加工した力の固まりを、渾身の一撃を叩き込んで一瞬の硬直に陥っているパッセに頭上から叩き込んでくる。どうにか間に合い、再び二歩ほどさがってその一撃をかわすが、間髪入れずにはり倒すような広範囲の力の波が襲いかかってきた。倒れている味方を気にしないかのような冷徹な攻撃だ。片膝を付いて凌ぎに掛かるが、全身の肌、空気に露出している部分が切り裂かれて血をしぶかせる。こんな連続攻撃は本人への負担もとんでもなく大きいはずなのだが、ましてサイキックの場合は。また三角錐を叩き付けてきたので、今度は前に出て、跳躍する。目を閉じ、神経を一点に集中。己の愛剣を信じ、空へと滑らせるかのように、一閃。

三角錐の先端点と、剣の軌跡が交わりあい、三角錐が打ち負ける。

軌道を反らした三角錐が、パッセの体を掠め、地面に大穴を穿つ。サイキックの額からは力を使いすぎた反動から、血が流れ始めていた。四歩前に歩いて、遺跡の壁を蹴って三角飛びの要領で跳躍、サイキックの背後に出る。そして、容赦なく切り伏せる。パッセの愛剣がサイキックの右腕を完全に根本から切り裂き、多量の血が空に赤い虹を作った。

パッセが地面に着地するのと、サイキックが地面に落ちるのは同時であった。指揮官らしい米兵が叫ぶ。

「SHIT! 退くぞ! サイキック共を回収して撤退!」

たちまち嵐のような乱射がパッセにも飛んできた。左右に歩いて交わすうちに、一糸乱れぬ動きで米兵達が倒れているサイキックを背負い、味方の援護を受けながら退いていく。ファーフニールには三機の攻撃ヘリが肉薄、チェーンガンの猛射を浴びせて動きを封じ、その隙に味方の撤退を完了させた。流石に米軍、士気も高いし練度もこの国の兵士とは比較にならない。だが、ヘリの一機は撤退し損ねた。下がりかけた瞬間、ファフニールが火球を放ち、直撃したのである。火だるまになった攻撃ヘリは、遺跡の郊外へと墜落していった。爆発音。残り二機は、尻尾を巻いて逃げていった。

体中の傷を確認して後、パッセは僚友に言う。

「ファーフニール、大丈夫でしゅか?」

「問題ない。 彼らの攻撃能力と、攻撃パターンは掴んだ。 次は即座に叩き落としてやる」

ファーフニールは致命的なダメージを受けていない。あれほど攻撃ヘリから猛撃を浴び続けていたというのに、である。防御に徹していたというのもあるし、元々この巨龍は強大な古代の生物が実体化まがつ神となったものである。戦闘経験豊富な巨獣は、戦い方を感覚で知っている。それでも鱗の何カ所かは剥げ、鮮血が滴っている場所は少なくない。かなり痛いはずでもある。

「それにしても、相変わらずの縮地の冴え、驚いた」

「いや、まだまだ修行が足りません」

謙遜して首を振るパッセを、ファーフニールは目を細めて見やっていた。

パッセの能力は、縮地である。剣術の奥義で言う縮地は、歩方を工夫することによって相手に動きを錯覚させる技だが、パッセが使う縮地は文字通りの意味を持つ技だ。五メートル以内の任意の空間を接続、一歩で移動することが出来るのである。

力の消費はそれなりだが、最大の利点は連続して使用することが可能である事だ。ただし、障害物を飛び越えることは出来ない。陽明の能力と比べると一長一短だが、向こうがあくまで輸送用の長距離固定移動能力なのに対して、パッセのそれは近距離戦闘用の超実戦型能力だ。

剣士としては非常に強大な能力だが、その分リスクも大きい。パッセが剣腕と空間固定剣以外殆ど芸がないのもそのせいだ。また、移動時に運動エネルギーを蓄えることも出来ないので、高速機動戦闘型がよく切り札として用いるチャージ(運動エネルギーを炸裂させる突撃技)もあまり使うことが出来ない。移動自体はスムーズに出来るが、攻撃能力はどうしても劣るのだ。

だから幼い頃のパッセは、ひよっこパッセとかみそっ歯パッセと呼ばれて、一人こっそり涙を零すことが少なくなかった。差別は陽の翼で許されていないが、年齢経歴に合わない未熟者を嘲ることは許されているので、むしろこういう場合に風当たりは強くなる。能力者なのに剣しか取り柄がなかったパッセは、尊敬する太陽神の役に立てなかった自分に何度も憤りを感じた。同年代の誰にも劣っている自分が許せなかった。だから必死に技を磨いて自らを鍛え抜いた。剣腕を磨いて五翼の頂点に登り詰めた今でも、差し歯を入れずにいるのも、みそっ歯と呼ばれたひよっこ時代の苦しい思い出を忘れないようにするためだ。

東洋に臥薪嘗胆という故事成語があるが、これを地で実行し、大成したのが五翼筆頭、天翼のパッセなのである。

無線を取りだして、味方に連絡し、「中継地点」の用意をして貰おうとした矢先であった。剣を引き抜いて、飛来したライフル弾を叩き落とす。斬ってから随分してから射撃音がする。おそらく一キロ以上先から狙撃された。能力者による行動か、或いは凄腕のスナイパーによる一撃か。

間髪入れず、周囲に無数の気配。今度はサイキックが最低でも五人。そのうえ、空から襲い来るこの轟音からして、敵は攻撃ヘリだけではなく、A-10サンダーボルト攻撃機まで持ちだしている。敵の第二波が来たことを、パッセは悟った。無線に連絡する内容と、連絡先を変更。本拠地に向けて、支援要請。貯金を回収し損ねるのは、今後の事にかなり大きく関わってくる。多分全てを回収しなくともどうにか許容量には達するだろうが、安易に放棄してよいものではない。

「いっそのこと、見られても良いから回収してしまうのはどうだ?」

「なりません。 まだ他に残している貯金はありましゅから。 敵を一気に蹴散らして、後方の安全を確保してから、貯金の回収に入りましゅ!」

「……ならば、いざというときは、私が盾になる。 如何なる手段を用いても、この戦いに勝つぞ!」

「言われずとも!」

威圧的な爆音を響かせて、遺跡の影からせり上がるようにしてアパッチがその威容を現す。更にこの時、パッセはもっと厄介な敵と、強力な援軍の接近を感じていた。

 

米軍から支援要請を正式に受けた大島さんらの手配によって、零香は真由美と、更に途中で淳子と利津を拾って、M国北部の遺跡に急行することになった。だが、M国は広い。車が少ない道を最短距離で飛ばしても、大変に時間はかかる。その上敵には援軍が現れること確実で、できれば桐と由紀も回して欲しいと零香は無線を通じて大島さんに頼んだのだが、拒否された。別の作戦行動が生じたそうで、今からベース内の全戦力を動員して其方へ向かうのだという。謝る大島さんに笑って気にしなくて良いと返答すると、実は内心穏やかではない零香は、良い腕で車を飛ばすケヴィン氏に言う。勿論車で行くのではなく、米軍なりM国軍なりに連絡して、輸送ヘリもしくは輸送機を回して貰うために、一旦郊外に出るのだ。

「武装は何を持ってきていますか?」

「拳銃と防弾チョッキ、後は自動小銃を一丁。 医薬品とレーション類が幾らか。 弾は結構持ってきてる」

「狙撃用のライフルは?」

「無い。 て、まさか。 能力者と正面からやりあえってのか? 俺はあくまで地理的な案内要員だぞ」

この人は能力者との交戦経験があるとは聞いていたが、今の反応を見る限り問題ないらしい。普通の軍人が見せる反応としてはごく妥当だ。零香だって能力をもし持っていなかったら、絶対に能力者との交戦は避けるだろう。

「情報を総合するに、今貴方の国の軍隊と戦っているのは、陽の翼の幹部で最強の能力者です。 更に古代龍が一匹、時間を掛けるともっと増える可能性もあります。 此方は援軍を期待できない以上、ネコの手でも借りたいのが本音です」

「俺はネコじゃねえ!」

そうこうしているうちに、利津が手を振っているのが見えた。隣にはオートステルスと神衣を解除した淳子が、水筒の水を飲んでいる。少し狭いが、後部座席に三人乗って貰って、再び車を走らせる。

「俺は嫌だぞ。 化け物と戦うために来たんじゃないし、そんな装備だって持ってないからな!」

「情けない。 それでもネイビーシールズですか」

「俺はシールズじゃねえ!」

「じゃあグリーンベレー?」

愉快なやりとりが続くが、ケヴィン氏は怒りながらもきちんと車を走らせ、きちんと目的地へ向かっている。零香がからかっているのも、そういう性格を見越してのことだ。それにしても流石は米国人。意思表示がはっきりしている。

やがて怒り疲れたケヴィン氏と、からかいあきた零香が黙り込む。後ろでは終始どぎまぎしながらその有様を真由美が見ていて、利津は窓の外をずっと見やり、淳子は水筒にしか興味がないようであった。女子が四人も集まってこう静かなのは極めて状況的に珍しいとも言える。

まだ遺跡までは何時間もかかる。ハイウェイに出て一気に加速するが、まだまだ道のりは遠い。そんな時に、無線連絡が入る。M国軍が輸送ヘリを供与してくれるとのことであった。ケヴィン氏は帰りたいと思っているようだったが、一緒に戦うようにとのお達しを受けたようで、がっかりしながらハイウェイを降りる。スナイパーライフルも供与されるようだ。

「ああ……俺の人生もこれまでか……」

妙に寂しげなケヴィン氏の言葉が耳に残った。

 

遠くで閃光がちかちかと瞬いていた。戦闘音も聞こえる。輸送ヘリの足は速く、完全武装した兵士達に混じって、零香達も緊張せざるを得なかった。この先にはあの女剣士がいる。零香と桐の二人を同時に相手にして、互角以上の戦いを繰り広げた怪物だ。

淳子はすでにいない。少し手前でロープを伝って降りたのだ。遠距離から支援攻撃に徹するのが彼女の此処での役割になるわけだから、当然であろう。更に利津が、ドアを開けて飛び降りる。神衣を発動して飛行能力を展開、ヘリを追い越して高く舞い上がっていく。兵士達の何人かは、能力者を見るのは初めてらしく、度肝を抜かれている様子であった。恐らく彼らは、陽の翼の恐ろしさだけを聞くだけで、本物を見たことがないのだろう。

遺跡から一キロほどの距離で降りる。山の斜面で、遺跡からは見えない位置だが、此処まで距離が接近していると全く意味がない。向こうはもう此方の存在を感じ取っているだろう。上空では既に利津がガーディアンバードを発動したらしく、二つ目の太陽になって旋回を始めている。米軍は果敢に攻撃を仕掛けているようだが、当然の事ながら戦況はかなり悪いようだ。

ヘリが着地すると同時に、遺跡の方から物凄い音が響き渡り、不慣れらしいM国軍兵士の一人が頭を抱えた。真由美も真っ青になって呆然としている。ケヴィンが懐からガムを取りだして、口に放り込みながら自動小銃の状況をチェックする。

「A10のバルカン砲だな。 戦車でも一発でスクラップにする代物だが、連中に通じるのか?」

「さあて、それはどうだか。 わたし達の仲間と戦った龍族は、アパッチのチェーンガンを全身に浴び、顔面にミサイルを喰らっても平然と動いていたという話ですから」

「……とんでもねえバケモンだな。 しかももう、俺らのことも気付かれてるんだろ?」

無言で頷く零香を見て、露骨にM国の兵士達は動揺した。言葉は分からなくても、今の会話の意味くらいは理解できたのだろう。

零香が先頭になり、走る。真由美はもうリュックを背負い直し、肥前守を手にしていた。今回は後方支援が充実しているとは言え、接近戦要員は零香しかいない。真由美はファーフニールの相手をして貰うとして、淳子の支援がしやすいような状況に持って行かねばならない。

遺跡に到着。酷い有様であった。既に遺跡は半壊してしまっている。近くに炎上するヘリの残骸、点々とする血痕。自動小銃を乱射しながら後退する兵士の背には、深々と切り裂かれた戦友の姿が。そして空には、翼を広げ今まさに火球を撃ち放とうとするファーフニールの姿。照準の先には、回避行動をするアパッチ。

神衣を展開、跳躍。ファーフニールは即座に反応し、火球を零香に向けて放ってきた。だが、所詮はとっさの反応である。飛来した火球の狙いは甘く、若干の余裕を持ってクローではじき返す事が出来た。大きく軌道をずらした火球は、既に半壊し穴だらけになっている遺跡に直撃、粉砕した。その隙に安全圏に逃れ去るアパッチを確認すると、零香は着地、至近で陽の翼幹部最強の女戦士と顔を合わせた。

間髪入れずに、西洋剣が振り下ろされる。傷だらけになっているが、動きは鈍っていない。横滑りに逃れる零香だが、女剣士の動きは異常に速く、間合いを一秒と掛からず詰め、斜め下から抉り挙げるような一撃で追撃してくる。クローで押さえ込むようにして受け止めるが、深めに踏み込んだ女戦士は剣をねじるようにして力の均衡を外し、当て身を浴びせてきた。さがって威力を殺すが、それでも猛烈な当て身で五メートルほども飛ばされる。軽く打ち合っただけでも、相当な技量差が明らかだ。真由美は既に閻王鎧を具現化させ、必死に格上のファーフニールに食らいついて行っている。米軍は撤退を開始、必死に負傷者を担いで戦場から逃れていく。

互いに心配な戦場は同じなようで、零香も女剣士も真由美とファーフニールの死闘を時々横目で見やっていた。二合、三合、五合、八合、刃が交錯するたびに火花が散る。やがて踏み込み突き込んだ零香の間合いからとびずさって逃れた女剣士が、肩を回しながら言う。

「一対一で私と戦うつもりでしゅか?」

「心にも無いことを言うものじゃないですよ。 気付いているでしょうに」

淳子がそれに割り込むようにして、状況に介入。下がりかける女剣士に、横殴りにスプレッド弾が浴びせられる。それに対し女剣士は、ゆっくり二歩さがった……だけのように見えた。にもかかわらず瞬間的に十メートルはさがった。スプレッド弾は全て空を斬り、地面に穴を穿つ。桐の仮説と、自身の仮説が正しいことを、零香は悟った。

此奴ら、五翼と名乗る陽の翼の最高幹部達は、空間そのものに干渉する能力の持ち主だ。此奴は多分、近距離の空間同士を接続する能力の持ち主だろう。それによって、文字通りの縮地を実現しているわけだ。

「縮地ですか……」

「日本の剣術の奥義の名前でしたね、それは。 古来から、剣をきわめんと思う者が考えることは何処でも同じという事でしゅね」

「その能力、極めるまでは大変だったんじゃないですか? そんな強力な能力のせいで、他には殆ど何も技がないみたいですし」

「ならばそんな芸のない私を、ねじ伏せてみなさいっ!」

図星だったのか、女剣士は褐色の顔を若干浅黒くして、突撃してきた。距離感がどうしても狂う。十メートルの間合いが二歩で縮まり、上段からの剣撃が密着状態より飛んでくるのだ。しかもこの女剣士が振るう西洋剣は、かなりの力が加わった業物の中の業物である。

上段からの重い一撃を、どうにか左腕のブレードで防ぎ抜く。重い。ブレードへの負荷が大きい。その隙にクローを腹に叩き込んでやろうとするが、縮地を使われ真横に回り込まれる。横殴りに振られる西洋剣。中段の一撃は避けにくいが、零香は前に突進することでそれを避けぬき、しかし背後ががら空きになる。背中に張り付く敵の殺気。振り向きざまに、西洋剣をブレードで打ち抜くようにして受け止める。

「はあっ!」

「せいっ!」

叫び声が重なる。ブレードがへし折れる。剣が空を切る。

ブレードを犠牲に、這うように地面へ伏せた零香が、真下からタックルを浴びせて組み付いた。顔を歪める女剣士。悪いが、此方は近接戦闘強化型。こうなってしまえば縮地も何も関係ない。地面に押し倒す。高速機動型にしては相当にパワーがあるが、押さえ込んでしまえば若干身体能力で勝るこっちの勝ちだ。同時に、背中に迫る殺気。

絶対の好機、逃すわけには行かない。しかし、これは回避しなければ死ぬ。忌々しい一瞬が、まるでコマ送りのように過ぎていく。

飛び離れる。腹をえぐる西洋剣。血が噴き出すのが見えた。鼻の先を、火球が掠めていった。

既に原型を残していない、古代のピラミットに、ファーフニールが放った火球が直撃。そしてキノコ雲が上がるほどの爆発が辺りを蹂躙した。

 

真由美は呆然としていた。

ファーフニールの首筋には、真由美が繰り出した肥前守が突き刺さっていた。しかも、深々と、である。ビュッ、ビュッと定期的に、多量の鮮血が噴き出し続けている。

元々この白銀の鱗を持つ巨龍は、真由美と戦う前にかなり傷ついていた。鱗は何カ所も剥がれ、血が流れ出ていた。翼もボロボロで、痛ましいことに体の何カ所には弾丸が突き刺さってさえいた。

そして、今である。必死に食らいついていた真由美の攻撃を無視するかのように、零香先生に組み伏せられた味方を援護するために、この巨龍は火球を放ったのだ。その結果、チャージを仕掛けた真由美は、殆ど無抵抗の相手に一撃を思う存分仕掛けることになった。

着地。同時に、巨龍が地面に墜落した。同時に、火球が巻き起こす爆裂が、辺りを蹂躙し尽くした。

「しっかり! まだ戦いは終わってないよ!」

葉子の叱咤に、伏せていた真由美ははっと顔を上げた。濛々たる煙の中、黒い影となってファーフニールがすぐ近くにいることが分かる。手元に肥前守を引き寄せる。妖刀が肉から離れる音と、それに刀に憑く無数の悪霊が歓喜していたことが、嫌と言うほど分かった。

「……主君は逃れた、か。 あの馬鹿力に押さえ込まれて、腕一本で済んだのだから……良しとすべきだな……」

明かな致命傷を受けているファーフニールが、ゆっくり、噛みしめるように喋る。喋る間も、口からは多量の血が零れ続けていた。実体化まがつ神だから、以前に死を経験していないとは思えない。元々人間が勝手に作った法則に基づいて、勝手に作られた命で、勝手に酷使されているはずなのに。真由美は涙がこみ上げて来そうになった。

「マユたんっ! 呆けてないで!」

葉子の必死の声。意識はある。意識はある。状況は分かっている。自分の手で、自らの命を省みず、味方を守ろうとした誇り高い龍を殺したのだ。

もう助からない。煙が晴れてきて、深い大きい傷口が見えてくる。骨さえ見えている。鱗の間を抉るようにして、巨龍の喉を肥前守が切り裂ききったのだ。

「ファーフニール!」

悲痛な敵の女戦士の叫びが、真由美の耳と、それ以上に心を打った。だが、俯いてばかりではいけないと思ったばかりだ。唇を噛みしめ、顔を上げる。そして、悪龍の生き様を目に焼き付ける。

「今より、空間浸食を展開する……今のうちに、回収して、さっさと逃れるのだ!」

「……ごめんなさい、ファーフニール」

「謝るな。 我は我の戦いたいように戦い、守りたいように守る! さあ、いけええええええええっ! 我の犠牲を、無駄にするなああっ!」

空高く、ファーフニールが吠え猛った。女戦士の気配が、かき消すように離れた。同時に、周囲の光景が一変した。

 

3,古代の獣と神話の邪悪

 

ファーフニールは、北欧神話に登場する不死身の英雄ジークフリードに倒された悪龍である。ニーベルンゲンの歌と呼ばれる有名なこの話で、ジークフリードはファーフニールの血を浴びることで不死身になった。しかし倒したときに背中に葉が一枚付いていたため、その部分だけは不死身になれず、後にその弱点を突かれて殺される。

ファーフニール自体は元々小人が宝物を守るために悪しき龍に変じたものとされている。西洋型のドラゴンは無意味に洞窟で宝を守る事が多いのだが、これは人間の悪しき欲の象徴だとも一説には言われている。

だが、それらは結局の所、後付に過ぎない。神話や伝承には、それの源流となるものが必ず存在する。都市伝説のように、個々の人間の恐怖が源流になる浅いものから、古代の遺物が源流となってくる極めて古い代物まで、それはさまざまだ。

ファーフニールの源流は、途轍もなく深い。

人類が漸く地上で最強の生物となった時代。まだ氷河が世界中に残り、巨大なほ乳類が闊歩していた時代。

これらの存在の中では、マンモスやバルキテリウムを始めとする巨大な草食獣が有名だ。だが地上を歩き回る巨大な動物たちは、何も草食動物だけではなかった。巨大草食獣を獲物にする肉食獣も、また威容を誇ったのだ。

日本にはマチカネワニという、七メートル級の鰐が生息していた。ヨーロッパやアメリカには、ホラアナライオンという、現在のライオンよりも更に大きな食肉目がいた。サーベルタイガー(スミロドン)という、子供でも知っているような伝説的な獣もいた。恐竜を思わせる大蜥蜴メガラニアが、オーストラリアには住んでいた。

そして、ホラアナグマと呼ばれる、洞窟をねぐらにする巨大なヒグマもまた、そんな時代の生き物だった。

古代、そういった巨大肉食獣は名前からも察することが出来るように、各地の洞窟に住み着くことが多かった。勿論道具を使うことを覚えた人間はそれらを倒すことが出来たが、一対一で勝負するのは当然無理であっただろうし、罠や猟犬を使った上で倒すのに死者を生産することも覚悟しなければならなかっただろう。それに肉食獣は肉がまずく、倒しても利点があまりに少ない。だから、人間は森林と共に洞窟を怖れた。洞窟は森林と同じく、踏み込むにはあまりにもリスクが大きい魔境だったのである。

現にジークフリードもまともな勝負をしようとはせず、ファーフニールが洞窟から出てきた所を不意打ちして撃破しているのだ。

ヨーロッパの伝説で、ドラゴンが大概洞窟に住み着いているのも、そういった古代の獣の存在が色濃く口伝されていったからである。勿論後の時代に、考えられないほどに巨大な骨や化石が、良く洞窟から見付かったという事実もあるだろう。そして洞窟のよどんだ空気は、そういった獣が吐き散らした悪意とされた。悪龍に毒を扱うものが多いのも、少なからずそれらに起因している。

そんな記憶の名残が、ファーフニールを始めとする西洋型ドラゴンの原型だった。

ファーフニールは人が変じた怪物と言うことになっているが、ヨーロッパ型の怪物にはこの系統のものが少なくない。人狼や吸血鬼などもこのイメージである。遙か昔の欧州には人の手が及ばぬ深林や洞窟が多く存在しており、そう言った場所へ踏み込んだ人間が帰ってこないと言うことが、そういった「怪物化」思想の発生要因の一つである。古代の欧州では犯罪者が森に逃げ込むことは珍しくなく、こういった凶暴な逃亡型犯罪者を狼男と呼んだこともあったのである。

そして人間が森を征服し、洞窟の奥まで踏み入り、其処にはドラゴンも狼男もいないことが分かったとき。魔女狩りという悲劇の時代が始まった。人は常に邪悪を求める。自分を正義と定義するために、否定すべき存在をハイエナのように探し求める。妄想と空想の中で浮かび上がってきた、洞窟の中に眠る、古代の獣を原型とする強大なる邪悪。それがドラゴンだ。

世界的規模で、広範にある古代の蛇神信仰も其処には絡んでいるだろう。古代の思想を否定することで、新しい思想の力を示すのは、世界中何処でも行われることだ。身近な所では、西遊記などもそうである。あれは仏教による道教の制圧という意味も作中にて含んでいる。

ファーフニールは目を開ける。体がぐっと縮んでいるが、能力は健在だし、パワー感は充分だ。後少し、後少しであれば戦える。

辺りは光無い洞窟。そう、ファーフニールが生きていたときに暮らしていた、北欧スカンジナビア半島の一角。彼は一族の中でも最強最大のホラアナグマだった。人間を何十人と殺してその持ち物を巣に運び込んだ、無敵の戦士だった。彼のテリトリーは、一つの王国であった。

彼は勇者ではあったが暴君ではなく、食べる以上の獲物は決して殺さなかったし、領内で不届きを働く者も許さなかった。むしろ彼のテリトリー内部では人間によって乱されつつある生態系が調和を保ち続け、草食動物も安心して暮らしていた。他の場所がそれほど危険だったという事情もある。

年を経ていくうちに、ファーフニールも衰えた。やがて体力を維持することが出来なくなってきたが、誰も彼の王国を奪おうとはしなかった。どのホラアナグマも、暴威ではない彼に敬意を払っていたからである。やがて、彼は戦利品の数々を陳列した、ねぐらの中で死んだ。

何百年もして、彼のねぐらに人間が入り込んだ。そして見た。何十という人間の白骨を。それに囲まれるようにして眠る、巨大すぎる骨を。悲鳴を上げて逃げ散った人間は、群れの仲間に話した。洞窟でみた巨大すぎる怪物の亡骸と、その犠牲になった者達のおびただしい骨を。

これが、ファーフニールの、最原型となった。彼は人間が確固たる文明を築く前の、人間以外が主である王国の、支配者だったのである。

ゆっくり一歩を踏み出す。体から流れ出る血は止まらないが、それでもごつごつした鍾乳洞の床が気持ちいい。体重は実に一トン。グリズリーどころか、最大級のホッキョクグマに匹敵する体格で、しかもパワーと戦闘経験では比較にならない。対抗できるような猛獣が殆どいないホッキョクグマと違い、彼の時代は、一族最強を誇った彼ですらうかうか手を出せないような巨獣共がうようよしていたのだ。

光源無し。完全なる闇。だから匂いで敵を判別。

見つけた。一人、あの虎が如き戦士は臭いからして、深手を負っている。多分腹だろう。更にもう一人も発見。これは好都合だ。もうファーフニールはあまり長く現世にとどまれないが、どっちか一人くらいは倒していけそうだった。パッセのためなら、ファーフニールは何でもするつもりだった。太陽神に逆らえと言われたら、逆らったかも知れない。

彼はゆっくり獲物へと間合いを詰めていく。懐かしい感触だ。この洞窟の中なら、目が無かろうが鼻が利かなかろうが歩き回れる。ここで、彼に勝てる者など存在しない。

最初に狙うのは、未熟な方の戦士だ。喉を掻ききるなどという、しょぼい事はしない。

古代の獣たちの間で、最強のパワーを誇った前足が今はある。これを使って、頭を木っ端微塵に吹き飛ばしてやる。

 

完全なる闇。しかも空気の流れからして、辺りは少し手狭な洞窟。真由美は自分が置かれた状況に気付いて、心を乱さずにはいられなかった。何が起こったというのか。零香先生が言っていた空間浸食というのがこれだと気付くまで十秒ほど。平衡感覚さえ定まらないが、それでもどうにかして迎撃態勢を整えなければならない。携帯を取りだし、ライトを付ける。そして鎧の腰帯に差す。それで辺りがうす茶色の鍾乳洞だと漸く分かる。周囲をくるりと照らしてみて、足場にも問題がないことを理解する。さて、問題はこれからだ。

「これって、零香さんが言ってた空間浸食?」

「うん……そうだと思う」

「マズイよマユたん。 だって空間浸食って、敵が自分に有利な空間を作る能力なんでしょ? てことはあのドラゴンの原型って、こういう暗い所で戦い慣れてる奴って事じゃんか。 しかも元から相当にパワーアップしている可能性が高いっていうじゃん!」

葉子に言われるまでもない。ただでさえ格上の相手だったのに、最悪の事態である。ライトを付けているのもまずい。敵に発見してくれといっているようなものだ。

「動くのはまずいよ。 敵の自宅でうろうろしたら、相手の思うつぼだ」

「うん、分かってる。 何とかして、暗闇に慣れ……」

ライトの灯りにそれが照らされた。

熊だ。でかい。いや、でかいなんてもんじゃない。

ヒグマが可愛い小熊に見えてくるほどの大きさだ。立ち上がったら多分四メートルに届くのではないか。此奴はもう普通の生物じゃない。

生きた戦車だ。

何トンもある実体化まがつ神と何度も対峙してきたというのに、それらの誰よりも、この巨熊は怖かった。多分リアリティのある範囲内での、桁違いの大きさだからだろう。膝が震える。体が、動かせない。

真っ正面から来た。熊の動きじゃない。殆ど残像が残るほどだ。

空気が唸りを上げる。

悲鳴を上げる暇もない。振り上げられた前足が、空気を蹴散らしながら迫ってくる。当たったら一発で死ぬ。後ろを見ずに、最大速度でバックステップ。前足が地面を直撃、クレーターが出来る。

直径数メートルのクレーターが。

縮んだというのに、パワーは変わっていない、いやむしろアップしている。

「きゃ、きゃあああああああああああああっ!」

どうして悲鳴が上がったのか、真由美自身にも分からなかった。吹っ飛んで、そのまま激しく背中から壁に叩き付けられる。肥前守を手放しそうになる。目を開けると、もう至近に奴が迫っていた。巨大な掌の肉球が見えるほどに。

熊の爪って長いんだ。そのような印象が、真由美の脳裏を流れる。

硬直。完全な絶望を閉ざすように、爪が迫ってきて……。

「はあっ!」

ライトに影が割り込み、音速の四半分ほどの速さで、熊の横顔に跳び蹴りを叩き込んだ。一トンあるだろう巨体が強烈なベクトル変更で斜めに揺らぎ、真由美のすぐ真横に叩き付けられる。洞窟が揺動した。今度はクレーターの中に投げ出され、顔面から地面に突っ込む。鼻が痛いが、それどころじゃない。葉子が叫ぶ。

「呆けてない! 立って!」

ライトに照らされる、零香先生。腹の辺りの神衣が真っ赤に染まっていた。ゆらりと起きあがる超巨大熊。なぜだか分からないけど、これがあのファーフニールの原型なのだと、今更に悟る。熊は当然のことのように口を開いて、人語を吐いた。

「流石に速いな……来る前に仕留めることが出来るかと思ったのだが……。 忠誠に対する最後の見返りくらい、冥土へのみやげとして持たせてくれても良かろうに」

「嫌いじゃないな、そういうの。 ……その忠誠心に応えて、わたしも全力でいかせてもらう!」

「お互い手負い、しかも我はもうそう長くは持たぬ。 一気に決めるぞ。 主であるパッセのため、片足だけでも貰っていく!」

零香先生と対峙する巨大な熊。ようやく見る余裕が出来た其奴は、物凄い向かい傷だった。顔を横断するもの一つ、右斜め上から鼻に掛かっている傷一つ、左目瞼には二つの傷が上から下に貫くようにして走っていた。左耳は上半分がない。体中、こんな有様なのだろう。それ以上に、顔に満ちた使命感と忠誠心。それが凄惨さを更に上塗りしている。

何という凄まじい顔なのだろうか。真由美は圧倒された。尊敬に近い感情が沸き上がってくる。

戦いとは残酷なのだと、思い知らされる。もし良い奴悪い奴という区分けなら、このファーフニールは人間に害を為す存在であっても、後者ではないはずだ。だが、全力で殲滅しなければならない。しなければ殺される。

肥前守を構える。見ているだけはもう嫌だ。俯いてばかりではいけないのだ。尊敬できる相手と戦う。せめて全力で、出来る限りのことをしてみせる。決意を頭の中で纏めていく。

零香先生は灯りなど気にしていない様子で、じりじりと間合いをずらしていく。気配だけで自分と相手の位置を正確に認識できるのだろう。真由美には其処まで出来ないから、ゆっくりファーフニールの前に立つと、印を組んで詠唱開始。

手は考えてある。単純だが、多分効くはずだ。

詠唱終了。ゆっくり大上段に構え、じりじりと間合いを詰める。ほんの僅かだけ、ファーフニールが前足を退いた。

それが、合図だった。

残像を残すほどの勢いで、巨体が突進してくる。距離十八メートルが半秒以下で詰まり、真由美に向けて巨大な前足が降ってくる。知っていた。ファーフニールはほぼ間違いなく、真由美を狙ってくることを。同時に、真由美も前に出る。そして、相手の顔面に向け、振り下ろす。

巨大熊が口を開いた。熊の頭は相当な強度を持ち、正面からでは簡単には突き破れない。だが真由美もそれは想定済み。唱えていた術を解放、刃に光が宿る。以前巨龍の牙を一撃で斬り飛ばして見せた、葉子が考案した切断の術だ。巨大な慣性は急な停止を許さない。それに気付いても、熊は止まれないと判断する。

ファーフニールが至近で、火球を吐く。とっさのことでそれほど大きな火球ではないが、真由美の閻王鎧に、直撃。吹き飛ばすには威力充分。肥前守が真由美の手を離れる。ファーフニールが急停止するのと、真由美が鍾乳石を二三本へし折って岸壁に叩き付けられるのは同時。

叩き付けられた衝撃で、閻王鎧が解除される。真横に回り込んでいた零香先生が、左腕に装着していたスパイラルクラッシャーを叩き込む。

反応が、一瞬だけファフニールの方が早い。

零香先生の動きを鈍くしているのは、腹の傷だ。それに対して、既に死ぬことを覚悟しているファーフニールは、残った力の全てを躊躇無くつぎ込んでいる。

「かあああっ!」

「……っ!」

ファーフニールが吠える。零香先生の動きが一瞬だけ鈍る。真由美には見えた。空気そのものがゆらりと歪む様を。多分詠唱無しで、空気抵抗そのものを操作したのだ。異常なスピードの秘密はこれか。毒ガスもこれを利用した技だろう。瀕死の状態でこの桁違いの能力である。致命傷を受けていなかったら、この大熊状態のファーフニールは一体どれだけの力を発揮したというのか。

必殺の破壊拳が空を切る。真横に二度跳ね飛んだファーフニールは、体勢を崩した零香先生に特大の火球を撃ち放とうとし……。

今度こそ、動きを止めた。

多分、肥前守が突き刺さった瞬間には気付いたはずだ。閻王鎧の解除が、ダメージによってではなく、意図的なものであったのだと。

具現化した葉子が、肥前守を受け取り、ファーフニールの脇腹を光の刃で横一文字に切り裂いていた。

「おおおおおおおおおっ! まだまだあああああっ!」

それでも、なおファーフニールは衰えない。空気抵抗を操作して、無理矢理に腹の傷からの出血を押さえ込みながら、飛んできた零香先生の拳を、左前足を振り上げてうけとめる。当然内側から爆ぜるようにして木っ端微塵になるが、意に介せず旋回し、零香先生にかぶりつきに掛かる。地面に粉々になった腕の破片が飛び散り、爪が突き刺さる。腹からは内臓を垂らしたまま、後ろ足で伸び上がるようにして立ち、残った右前足をたたき込みに掛かる。

それに対して、零香先生は凄まじかった。両足を踏ん張って腰を落とすと、真っ正面からその拳を受け止めて見せたのだ。

二人が立っている辺りが、瞬時にクレーター化する。衝撃波の紋が洞窟をなで回し、コンマ五秒を置いてまんべんなく破壊が叩き潰して廻る。二人が等しくはじき飛ばされる。葉子は回避しようとするが、しきれず吹っ飛ぶ。真由美も同じく、強か洞窟の地面に叩き付けられる。今度こそ手もなく、肥前守が宙に浮く。真由美の意識もかなり限界近いが、血を吐き捨てて印を組み直す。まだ、切断剣の術は生きている。そして、葉子と肥前守のリンクを利用して、術を発動。

囂々と、拳と爪が交錯する。零香先生のクローと、ファーフニールの爪がぶつかり合い、闇の洞窟の中、火花を散らし合う。

流石に自宅だけあり、これだけの規模の破壊を巻き起こしてもファーフニールは落石を見もせず避け、勘で同じ事をしている零香先生をじりじりと押している。知識があるだけ強い。片腕だというのに、だ。

それに対して零香先生は、わざと落石の下に下がると見せ、オーバヘットキックの要領で砕けた鍾乳石をファーフニールに浴びせて視界を塞ぎ、その隙に死角に回り込む。旋回して追おうとするファーフニールだが、もう体が付いていかない。無理矢理押さえていた傷口から、派手に鮮血がしぶいた。だがそれでも火球を一発。落ちてきた鍾乳石の一つが、それに弾かれて零香先生を直撃する。数百キロはある巨岩が、ガードが間に合わない零香先生を跳ね飛ばす。

ファーフニールが蹌踉めく中、同じく大ダメージを今の衝突で受けた零香先生も間合いを詰め直し、拳をひらめかせる。クロ−が腹に突き刺さり、横に引き破る。内臓がはみ出す。全く気にせず、真下に向けて、火球を発射するファーフニール。零香先生は避けきれず、火に包まれたまま横っ飛びする。転がって火を消しつつ距離を取り、第二射を弾き散らす。第三射は弾ききれず、ガードして下がりながら威力を殺す。

ファーフニールがこっちを見る。考えたことは分かる。零香先生を仕留めるのが無理だから、真由美を消しに掛かったのだろう。多分今の「距離取り」も、その目的のためのはずだ。口に光が集まる。特大の火球が発射……されない。

右手を横に振る。心の中で謝りながら。

「……ん……ぐ……っ! う……!」

ファーフニールが、呻く。

顔面に真横から突き刺さった肥前守。前田先生との戦いでも使った遠隔操作能力だ。柄まで突き刺さったそれが、とどめとなった。

ついに巨熊が倒れる。巨木が倒れるように、物凄い地響きを立てながら。最後の咆吼を上げようとしたようだが、その力は、もう残っていなかった。

地面に、大量の血が広がっていった。どうしてこんな物凄い傷で動けていたのか分からない。いつの間にか、落石も止んでいた。

空が、元に戻っていく。洞窟が消えていく。倒れたファーフニールは、地面に沈むようにして、溶けていった。何処か、無念そうで、それでいながら満足そうな表情だった。その顔を、真由美は一生忘れないだろう。種族と生を超越した誇りというものを、今真由美は知ったのである。

 

辺りは完全に元に戻る。無惨な姿になった遺跡、炎上を続けるヘリの残骸、倒れている負傷者はいない。真由美だけだ。

もう、あの女剣士はいなかった。支えが無くなった真由美が前のめりに倒れ込む。手をひらひらと振りながら、零香先生が周囲を見回した。そして、一点で視線を固定した。

最悪だ。

其処には、ファーフニールよりもより蛇に近い、長い胴をした龍が、翼を羽ばたかせて滞空していたのである。しかも無傷。実力は、真由美が見ても分かる。多分ファーフニールと互角か、それ以上だ。

「私の友を倒しましたか……。 人の子よ」

「……敵討ちってわけ?」

「そうなります。 パッセ女史はもう目的を達しましたし、此処で戦うのに、それ以上の意味はありませんからね」

「そう。 受けて……立つよ」

紳士的な喋り方をする龍だった。しかしそれが故に、押し殺した怒りが却って怖い。全体的にグリーンで、腹は黄土色。鱗には時々赤が鮮烈に混じり込んでいる。翼は大きく、体と同じ位長さがあるだろう。頭の後ろにはかなりの本数角が生えている。口は大きく、歯は鋭く、特に犬歯が二本、鋭く口の脇からはみ出している。手足は小さく、ファーフニールのようにパワーで戦うタイプではないようだった。プレッシャーはファーフニールに負けず劣らず凄まじい。

遺跡の外側で爆発音。何とか上半身を起こした真由美は見た。旋回する赤尾さんが、数体の実体化まがつ神にまとわりつかれている様を。この分だと、淳子先生も其方の相手で手一杯だろう。米軍はとっくに撤退してしまっているようだし、自分たちだけで此奴を相手にしなければいけないと言うのか。零香先生も傷ついているし、真由美はまともに動けないのに。

「疲弊が激しいようですが、一切容赦はしません。 私の名はラドン。 覚悟、なされませ」

「ご託は良いよ。 さっさと来たら?」

「そうさせて頂きましょう」

二つの影が、舞った。

 

4,散戦

 

陽の翼本部、神殿地下。

其処には複数の「壺」が林立し、其処に膨大な負の力が溜め込まれていた。それらはいずれもがケツアルコアトルのために用意され、充分に練り上げられていた。そして、その中の二つには、まだ負の力が満ちきっていない。これらが満ちたときに、目的は成る。

御簾から出て、太陽神は地下室を歩き回っていた。死神達は、もう調整が済んでおり、誰も歌声を上げるものはいない。この戦いが終わったら、すぐに解放してあげるつもりだ。

今まで、色々と、酷いことをしてきた。生き残るために戦うというのは、生きようとする外の者を押しのけると言うことだ。生物界で共生という言葉があるが、実際には殆どの場合寄生に近く、本当の意味での共生などはまずない。相互扶助のシステムである社会だってそうだ。それによって守られるものは多いが、それは同時に檻でもあるし鎖でもある。

壺の一つを触る。質感が冷たい。死体に触っているかのようだ。

肉の塊が、脈打ちながら、地下室に立ち並んでいる。肉塊には目もあり口もあり、時々苦しそうに蠢く。血管に取り巻かれた全身からは、汗のような粘液も垂れていて、時々異臭も漂う。

これが壺だ。死神の実体化まがつ神を集めて、作り上げた負の力の器。核兵器に等しい抑止兵器の母胎となるエネルギータンク。

死神というのは、生きている人間を殺して魂をかり集めるものではない。そういうものもいるが、あくまで例外に過ぎず、殆どは死者の魂を集める存在なのだ。その特性を利用して、実体化まがつ神を集めて古代の術によって作り上げたのが、この壺である。

エネルギーの飛来を感じた太陽神が顔を上げた。物質を透過して飛んできたエネルギーの固まりが、開いている壺の一つに入り込んでいく。ズルズルと麺を啜るような音がして、壺が蠢き、エネルギーを飲み込んでいった。

地下室に降りてきた侍臣の一人が、跪いた。

「太陽神」

「何用か」

「はっ。 臣ナージャヤから、貯金の回収に成功したと報告がありました」

「うむ、了解した。 パッセはどうなっている」

侍臣はすばやく手にしている端末を操作して、すぐに結論を出す。情報量が多く、皆が皆即座に反応してくれるわけではない。

パッセは先ほど貯金を回収はしたが、右腕をへし折られ、ファーフニールを失って逃走中と報告があった。殿軍にラドンが向かったが、ここぞとばかりに敵は追撃を掛けてくるだろう。

ファーフニールはパッセが自ら回収した実体化まがつ神であった。北欧で回収したかの古代龍は、長年の悪意の集積に苦しんでおり、自らを正確に理解してくれたパッセに限りない忠誠心を寄せていたようだった。あり得ないことだが、もしパッセが反旗を翻したら、それに従って太陽神の能力に逆らおうとしたかも知れない。それくらい、あの古代龍の忠誠心は篤かった。

「臣パッセは、どうにか安全圏に逃れ、今は労働員の車で本部に向かっておられるようです。 回復術を使える能力者が、護衛付きで向かっています」

「うむ。 タラスクはどうなっている?」

「ガンガーが回復に務めています。 後二週間ほどで、どうにか動けるようになるでしょう、との事です」

頷くと、太陽神は外に出た。まだ明るいというのに、空は真っ暗に曇り、雨が降りそうだった。

忠勇無双のファーフニールに、敬意を表して、太陽神は黙祷した。ケツアルコアトルを羽ばたかせるまで、一体どれだけの犠牲が出るのか。皆納得しているとは言え、やはり辛かった。

産まれてから何年経っても、上位種になって何年経っても、この苦痛を克服することは出来なかった。

 

M国の兵士達は、既に逃げ散ってしまっていた。無理もない話である。ケヴィンだって逃げ出したい。彼らを責めることなど出来ない。

ハリウッドムービーやジャパニーズアニメに出てくるようなモンスターが空には何体もいて、度が外れた火力を持つ能力者共と人外の戦いを繰り広げている。さっき輸送機の中で手榴弾と軍用のM24スナイパーライフルを譲渡されたが、こんなものでどうやってあのバケモノ共と戦えと言うのか。しかも奴らはそれぞれ常識外の能力を持ち、自らの技に熟達しきっているのだ。

戦士として錬成しているからこそ、ケヴィンには分かる。まともに戦ったら、瞬間的に捻り潰される。

「冗談じゃねえ、全くよ……」

対能力者戦では、独り言どころか心音でさえ存在を察知される要因になると、ケヴィンは知っている。だが、ぼやかざるを得ない。ライフルに弾丸が入っていることを確認すると、空飛ぶ巨龍の動きをよく見て、その攻撃射程外に出る。遺跡の外は荒野が広がっていて、身を隠すにはよろしくない。しかし、どんな地形でも、狙撃に格好の条件を満たす場所は存在するものだ。

嫌と言うほど積んだ訓練が、体を自然に動かす。岩の間に隠れ込むと、極限まで気配を消し、息さえ静かにしていく。どんな生物でも脆い場所は必ずある。狙うはあの長い翼を持つドラゴン。射抜くのは、目だ。

ライフルを固定。スコープを覗き込む。此処からは、持久戦だ。空をうねるように飛び回るドラゴンは、傷ついたレイカとマユミに攻め掛かっているが、そんな時こそ絶対に隙ができる。

その時こそ、ケヴィンの出番だった。

 

真由美は痛む箇所に手を当てながら、体の回復に務めていた。零香先生の指示である。今は兎に角、動けるようになっておけとの事であった。事実なので、ぐうの音も出ない。体が回復しきれば、どうにか逃げることだけは出来そうだし、出来るだけ急ぐ必要があった。これ以上足手まといになるのはごめんだ。

元々真由美は自分の傷を癒すことが出来ないが、今は違う。赤尾さんがぶつぶつ文句を言いながら、不可能を可能にする術具を作ってくれたのだ。それは黒色の指輪で、自分を回復できる代わりに、いつもより消耗が大きくなる。また、使用にも制限があって、ある程度使うと壊れてしまう。原価はとんでもない額らしく、出来るだけ使うなと言われていたのだが。今は使うしかない。

閻王鎧を具現化することで、どうにか痛みも我慢できるレベルに落ち着いたので、傷を一つずつ修復に掛かる。まずは足から、次に腕。最後に腹。二の腕に十センチほどもある尖った岩塊が刺さっていたので、引き抜く。痛みが麻痺していて、あまり怖いとも思わなかった。

激しい戦いを後目に、じりじりと下がって、遺跡の残骸の影に。先ほどから敵の攻撃が激しくなってきていて、何度もラドンが口から放ったブレスの余波が至近に直撃していた。今の状態では防御術も万全ではないし、まともに喰らえば意識を手放す可能性が高い。人間大の岩塊に隠れこんで。どうにか一息。本格的に全身の回復に掛かる。

不思議と、動悸が乱れることはなかった。岩塊に隠れこんだからといって、敵から身を隠し抜けるわけでもないのだが、それでも回復に専念するには充分だ。全身の痛みが和らいでいくが、その分消費する力も桁違いに大きい。

大きなダメージを受けているのは、葉子も同じだ。具現化した状態であんな物凄い攻撃の余波を受けたのだ。その上真由美と違って肉体そのものはあまり鍛えていないから、暫くは分離行動は無理だろう。選択肢はかなり少なくなっている。

岩塊の影から覗く。零香先生はかなり不利だ。元々お腹に深手を負っていた所に、ファーフニールと正面からぶつかり合い、更にダメージを受けたのだ。その上今度は中距離戦を得意とするラドンとの交戦である。真由美ならとっくに倒されている所だ。

ラドンは見たところ、逐次投入された戦力と言うよりは、追撃防止の殿軍だろう。そうなってくると、全力で零香を仕留めるつもりはなく、大きなダメージを受ければ無理をせずに退くだろう。それくらいのことは、真由美にも分かる。

ちらりと空を見ると、赤尾さんにまとわりついていた実体化まがつ神の一体が、眼下の森からの射撃で叩き落とされていた。あっちはじりじり押しているが、実体化まがつ神を全部撃破するまで零香先生は持たないだろう。

此処は真由美がどうにかするしかない。

座り込んだまま、肥前守に術をかけ直し、切れ味を上げる。切れ味が上がると言うよりも、空間ごと切り裂くと言った感触の術なのだが、それはどうでもいい。力がもう殆ど残っていない。閻王鎧を具現化できるようになってから、力の絶対量がどんどん増えていっているが、それでも足りない。

使える術は、後一つか二つ。それで、ラドンの隙をつき、大ダメージを与える策を練らなければならなかった。

 

ラドンの口中に光が集まる。ブレスが来る。土煙渦巻く中、ジグザグに走りながら遺跡の破片となる大石を掴み上げ、カタパルトシューターにセット。ラドンのブレスが発射される。奴のブレスは火でも毒ガスでもない。レーザーのような光線だ。それが一度に数十発も、四方八方に放たれる。一撃一撃の威力は小さいのだが、回避が極めて難しい。今も数発が体のすぐ側を掠めた。

離れながら、カタパルトシューターの岩石を打ち出す。ラドンはそれを尻尾で粉砕、少し高度を上げ、零香に向けて多量の光線型ブレスを放ってきた。位置の把握が恐ろしく正確である。

先ほど、パッセから離れるときに、奴の腕をへし折ったのは良かった。しかし奴もさるもの、零香の腹をえぐって逃げ去っていった。そのダメージがずっと響いている。それがファーフニール戦で更に酷くなっており、今は意識に靄がかかり始めていた。疲労も酷い。せめて淳子と合流して回復術を受けたい所だが、そんなことをしていたら真由美が死ぬことになるだろう。それはまずい。此処は零香が体を張らなければならない。

本部の護衛に残してきた二人の内、どっちか一人でも来てくれれば、戦況は随分良くなる。そんな他力本願な自分の考えに、苛立ちが抑えきれない。疲労が激しい証拠だ。

ラドンが煙渦巻く地上から少し距離を取りながら語りかけてくる。ちらちら周囲を伺っているのは、多分援軍を意識しているのだろう。奴はまだまだ此方の力を削ぐつもりだ。場合によっては、ファーフニールの仇を討つつもりでもあるだろう。

「素早いですね。 流石にファーフニールを倒しただけのことはある」

「傷がなければ、もう少しましに動いてみせるよ」

「ははは、それは再戦の時が楽しみです。 そんな機会は与えませんがね」

大きく口を開いたラドンが、翼を複雑なリズムで羽ばたかせる。羽音自体が呪文詠唱になっているのだ。虚空に出現する六つの球体。どれも不思議な質感で、半透明。どう使うのかは、大体零香にも見当が付いた。石畳の一つを引きはがすと、抱え上げる。

「はあああああああっ!」

再び撃ち放たれる光のブレス。それは分散しながら、半透明の球体に打ち当たる。そして乱反射しながら、無数の散弾となって、地上にまんべんなく降り注ぐ。まるで、千万の機関銃に、一斉に射撃されているような状況だった。

見る間に石畳の周囲は穴だらけになっていった。盾もすぐに穴だらけになっていき、体中にさまざまな角度で光弾が突き刺さる。勿論傷口にも、だ。

「がっ! うぐっ!」

「回避などする余裕は与えませんよ。 蜂の巣になりなさい!」

これはまずい。全身に傷が見る間に増えていき、血がしぶく。眼鏡が割れ砕けて、顔から落ちた。まずい。白虎戦舞を使うしか、此奴をどうにかする方法はない。だが使えば、周囲全部を巻き込む。その上、神衣の改良はまだ済んでいない。ファーフニールやタラスクの力量から考えて、ラドンをそれで仕留めきる自信はない。仕留め切らなくともこの場合は良いのだが、少なくとも下がらせるだけの打撃を与える自信がない。せめて隙があればいいのだが。

白虎戦舞による不必殺が、零香の自信を著しく削いでいた。乱射される弾丸は雨も同然で、逃げる場所もなければ避ける隙間ももう無い。盾が吹っ飛ぶ。身を縮めてガードポーズを取る零香だが、その抵抗力は一秒ごとに裂かれていった。中央突破しかないのは分かり切っている。だが、パッセに深手を負わされ、ファーフニールとの死闘で疲弊した今、白虎戦舞を使わないとそれは無理だ。

ラドンが更に猛射を浴びせてくる。能力者で言えば広域爆撃殲滅型。現在の状況では、あまりにも相性が悪すぎる相手だ。機動力による攪乱も難しいし、絶対攻撃に近いこの光の雨をどうにかする手段も今ではない。桐の盾だって、防ぎ抜くのは難しいのではないか。だからこそに、自分に言い聞かせる。

こんな時にこそ、絶望に囚われるな。最後まで勝つ努力をしろ。

今は反撃の手段がない。奴の攻撃が弛んだ一瞬に、最大の攻撃を叩き込むしかない。見たところ、奴は光球を展開し、ブレスを連発することで、同じ位置から動けずにいる。

やるしかない。自信はないが、白虎戦舞しかない。

しかし現在の身体状況では、一式しか使えない。二式を使えば体が負荷に絶えられずにバラバラになってしまうだろう。一弾が脇腹に深く刺さり、肋骨を削った。足下の血だまりが広がっていく。好機を、好機を待つ。

その時、狙撃の音が響いた。

ライフルによるものだと分かった。米軍か。いや、音からしてもっと近い。そして、ブレスの連射が止まる。

激しく右手を地面に叩き付ける。術の力、解放。眼鏡は砕けてしまっている。丁度いい。手間が省けたというものだ。

リミッター解放。狂気浸食率、三十%。

白虎戦舞・一式!

 

「よし……!」

完璧なタイミングで狙撃を成功させたケヴィンは、思わず呟いていた。距離480。目標のサイズから言えばまずまずの結果だ。敵が動きを止めたのを見計らい、口から光を吐こうとした瞬間に、目を狙撃したのだ。相手はバケモノであるし、どれくらい効いたかは分からない。だが目を閉じている所を見ると、少なくともゴミが入ったくらいには効いているはずだ。

「羽虫が……! どうやら先に死にたいようだな!」

今まで慇懃だったバケモノの口調が一変した。或いはこっちが本性なのかも知れない。それとも弱者を軽蔑しているタイプなのか。ケヴィンにとっては知ったことではない。次の弾丸を装填して、遮蔽から飛び出し、土煙を利して身を隠しながら別の遮蔽、どうやら遺跡の壁の一部だったらしい岩塊の影に逃れ込む。状況は分かっていた。今後の展開も、である。完全に意識をそれたバケモノを、あのレイカって子が放置するわけがない。少なくとも、戦歴を見る限りでは。

ケヴィンに向け、正確にバケモノが口を開けるが、その顎の下を戦闘機みたいな勢いで突撃したレイカが蹴り上げた。大きく身を仰け反らせたバケモノの、口の中で光が爆発する。必死に身をよじって後退に掛かるバケモノだが、着地したレイカは土煙を吹っ飛ばしながら走り、跳躍。首筋にすがりつく。血で全身が真っ赤になるほど傷だらけなのに、大したタフネスだ。リミッターを無理矢理外す術なのか、パワーもスピードも段違いにアップしている。だがあの手の術は負担が大きい。術が切れたときが少し心配だ。

とりあえず、ケヴィンの仕事は終了した。敵の首筋を太股で挟み込んで鉄拳の乱打を浴びせているレイカと、暴れてどうにか振り下ろそうとしているバケモノを見る限り、さっさと此処から離れるのが吉と見た。バケモノの飛行速度から見て、この場にいると巻き込まれる可能性が高いからだ。

身を低くしたまま遮蔽物から飛び出し、遺跡外まで走り抜ける。途中、同じように遺跡の破片の一つの影に隠れこみ、腹這いになってライフルを構えているマユミって子とすれ違い、一瞬だけ目があった。距離700近いが、大丈夫なのだろうか。近接戦闘強化型だと聞くが、狙撃も出来るとは芸が細かい。二つのことを考えながら、ケヴィンはどうにか逃げずに残っていた輸送ヘリへ、一目散に駆け込んでいた。

 

真由美はサイレントキラーの遺品であるライフルのスコープを覗き込んだまま、微動だにしなかった。側を、今の狙撃を成功させたケヴィンが駆け抜けたことには無論気付いていたが、それに対してアクションを起こす余裕はない。零香先生同様、真由美も殆ど限界に近いからだ。

閻王鎧を発動した状況では、殆どの術が強化される。ライフルも同様で、具体的には弾速がかなり向上している。精度も上がっているが、その分消費する力も段違いに大きい。チャンスは一回。

観測手がいればもっと精度は上がるのだが、あまり多くは望めない。好機を、スコープ越しに零香先生の死闘を見ながら待つ。あの人もそうしたのだろうし、真由美だってやらなければならない。

スコープの向こうで、零香先生がラドンの鱗を引きはがして、むき出しの肉にクローを叩き込んだ。絶叫するラドンの苦痛が此処まで伝わってくる。零香先生の動きは徐々に鈍くなってきており、ラドン自体も冷静さがどんどん失われているようだ。

好機。狙うは、零香先生が振り落とされた瞬間だ。現在の弾速と距離を頭に入れ、素早く着弾までの時間と軌道修正の角度を計算。わずかにスコープのずれを直す。狙いは今零香先生が引きはがした鱗のあった場所である。

神経を更に絞り込んでいく。後のことは考えなくて良い。汗に紛れて鮮血が額を流れ落ちていくが、気にしない。

「がああああああああっ! しぶとい! 落ちなさい!」

「死んだら、落ちてあげるよっ!」

「それは出来ない相談ですね! はやく、さっさと落ちるのです!」

鰐が獲物を食いちぎるように、ぐるりぐるりと空中で廻るラドン。本当に、鰐が何かしらの形で伝説化し、古代龍ラドンのベースとなったのかも知れない。更に一枚、鱗を引きはがした零香先生だが、動きが露骨に鈍くなった。そして、ついに振り落とされてしまう。ほとんど意識がない様子だが、庇っている暇はない。

大口を開けたラドンが、丸飲みにしようと躍りかかる。

真由美が、引き金を引いた。

青い光の線が、一直線にラドンの傷口へと走った。まるで天馬が空を駆けるかのようであった。

直撃、命中。

同時に精神力を使い果たした真由美の意識は、闇に沈んだ。

 

「っ……! ちいいっ、これ以上の損害はあまりよろしくないですね。 総員、撤退開始!」

傷口を再び貫かれ、激しい痛みにのたうち回っていたラドンは、地面に叩き付けられながらも起きあがり此方を睨んでいる零香と、刻一刻と撃破されつつある実体化まがつ神達を見て、そう決断せざるを得なかった。最初に打ち抜かれた右目も痛い。はやく刺さった弾丸を摘出して、ガンガーに回復の術を掛けて貰いたいものだ。

実体化まがつ神達は、空舞うものも地這うものも、揃って逃げにはいる。途中から米軍も支援に入っていたようだが、何しろ数が数であったし、追撃する余裕は敵になく、一体も損じず撤退していく。

それを見届けた後で、冷静さが戻ってきたラドンは、今一度零香を見据えた。

「名を聞いておきましょう」

「最後の狙撃をした子は真由美。 わたしは零香」

「ほう、貴方が。 ……覚えておきましょう。 さっきは機会など与えないと言いましたが……本気で再戦を楽しみにしています」

撤退を完了した味方を追って、ラドンは戦場を後にした。殿軍の役割は果たした。ファーフニールを倒されてしまった事は残念だったが、それもまた武運というもの。味方には顔向けが出来るはずだ。

だが、戦後の心地よい高揚と、苦い全身の痛みに包まれていたラドンは、一瞬にして打ちのめされる事となった。別方向から飛んできたユルングとかち合ったのである。虹色に光る派手な空泳ぐ蛇。体長は四十メートルに達する、古代龍でも最大最古の存在が彼だ。打ちのめされたのは、彼による話を聞いたからであった。

「おう、おう。 ラドンたんや。 いまかえりかえ」

「そちらこそ、本部の守りを放っておいて、どうしたのですか」

「きんきゅうじたい、だったでの」

思わず息をのむラドンに併飛しながら、ユルングはゆっくりした喋り方で、事情を説明してくれた。

此処とは別働隊の、貯金回収部隊が、回収に失敗したというのである。部隊自体は動きを阻害されることも無かったのだが、回収用の「中継点」が破壊されたのだという。敵がまさか、回収の仕組みに気付いていたとは。ラドンは悔しさに歯がみしていた。

「お、おのれ……!」

「どうもやったのは、じゃぽんののうりょくしゃらしいでのー」

「向こうは向こうで、別の陽動作戦を展開していたというわけですか。 く……先ほどのレイカの手並みも見事でしたが、流石と言うべきか。 結局、負の力は許容量に達しなかったのですか?」

「おう、そうじゃ。 あとわずかだったというのにの。 それにこんごはあつめることもできなくなってしまったでの。 しかたがないので、かみたんが、すこしじかんかけて、じりきでつくりだすそうじゃー。 すうじつはかかるというで、しんぱいだのう」

そうなってくると、後は時間を稼ぎつつ、防衛に徹するしかない。米軍は今回の戦いの結果を見て、艦隊も繰り出してくるだろう。

本拠に飛びながら、ラドンは更に詳しい話をせがむ。ユルングは五分ほど考えを整理していたが、やがて意外にも理路整然と話し始めたのであった。

 

5,逆撃

 

ベースに残っていた桐は、米軍による支援要請を大島さんが受ける所に、露骨に出くわしていた。支援要請として指定されたのは二カ所。一カ所は陽の翼本拠近く、米軍の攻撃ベースキャンプ。もう一カ所は北部遺跡、陽の翼の動きを察知して奇襲をかけるも、苦しい戦いが続いている場所であった。支援は任意の人数で良いから、すぐに回して欲しいのだという。

北部へは零香を向かわせると、大島さんは言った。そして米軍のベースへは、桐と由紀に行ってもらおうと言い出したのだが、桐は第三の道を示すことにしたのである。

「ちょっと待ってください」

「黒師院さん、どういう事?」

「……現在、敵が展開していると思われる地点が分かりますか?」

言われるまま、自衛官達はM国の地図を用意する。そして攻撃を受けている二点と、更に連中が向かったらしい遺跡に点を付けていく。更に人口密集地帯を塗りつぶし、少し考え込んでいた桐は、結論を出した。

「由紀ちゃん、この地点に向かって貰えますか? 大島さん達も支援としてお願いします」

「いいですけどぉ、どういう事ですか?」

「この地点に、連中が負の力を集める鍵となるモノ……多分実体化まがつ神がいます」

アイドルモードしていた由紀の目の奥に、苛烈な光が宿る。大島さんが、もっと真剣な表情で、桐に詰め寄った。

「根拠を説明してくれる?」

「そうですね。 では簡単に。 今まで陽の翼が負の力を採取した場所はあらかた調べましたが、痕跡は一切無し。 これはどういう事かというと、多分彼らの配下の中に、ある特殊な能力を持つ実体化まがつ神、もしくは能力者がいると言うことです」

「具体的に言うと?」

「空間転送。 この場合では、物質ではなくエネルギーという事になりますけれど。 しかもその能力者なり実体化まがつ神は、恐らく特定条件を満たせば、その場にいなくても、特定の場所に転送が可能なのでしょう」

桁違いの能力だが、条件として幾つか厳しいものを指定すれば可能だと、桐は既に結論を出していた。

多分その条件とは。まず一つに、受け手に何か特定のものがある事。この特定のモノは、多分死神に関係した何かだろう。そしてもう一つは、見られないように回収すべきエネルギーのある地点に何かしらのフラグを立てること。これらは今までの戦闘におけるあらゆる状況証拠が裏付けている。そして最後に、多分本人が何かしらのリスクを負うこと。

桐はこの仮説を早い段階から立てていたのだが、この間結論を出すことが出来た。日本に潜入していた英国の諜報員、米国の諜報員、更に日本の調査機関のデータを、M国に来ることが決まったときに見せて貰ったのだ。それによるデータで割り出すことが出来た。

答は、中間地点だ。

今までのデータを洗い直して気付いたことがある。陽の翼の実働部隊と、支援部隊が、不自然な動きを見せているのだ。そして負のエネルギーを奪取した地点と、支援部隊の中間点に、必ずあるものがあった。それは、過疎地域だ。

しかも航空機や電車の交通がない場所ばかりであった。それさえ発見できれば後は簡単であった。案の定、日本にいる東堂氏に調べて貰った所、不自然な残留物や力が多数存在していた。仮説は実証されたのである。フェイクにしては不自然すぎる。

「敵は襲撃地点とその時間から考えて、このルートで移動しています。 此処でなら、今から急げば不意を打つ事が出来るでしょう。 奇襲には私よりも由紀ちゃんの方が向いていますし、こんな能力を持っている以上多分敵には大した戦闘能力はありません。 ただし、敵もバカではありませんし、支援部隊を連れているでしょう。 油断だけはしないようにしてくださいね」

「……い、一尉」

「分かったわ。 貴方のその結論に、賭けてみましょう」

不安そうな声を上げる通信士官に、大島さんは言った。そして殆ど時間をおかず方々に作戦案を伝達。容れられたのである。

「では、皆準備して! 零香さんには、私から言っておきます。 状況開始!」

「状況開始!」

唱和する自衛官達の中で、桐はまだ思索を練り続けていた。米軍のキャンプを襲撃しているのは、一体なんだ。もしかして、件のアジ・ダハーカか。しかし言い出しっぺである以上、その場合は桐が米軍の撤退支援を手伝わなければならない。

これは自分が奇襲をすると言った方が良かったかなと、面倒くさがりの桐は、一瞬だけ思った。もっとも、いくらなんでも、そんなことは出来ない。由紀は桐の数少ない親友で、策に従ってくれている以上、その命は桐の双肩に乗っているのだから。

 

自衛隊の特務小隊と共に米軍の輸送ヘリに乗り込んだ由紀の元には、ひっきりなしに北部遺跡の良くない戦況が飛び込んできていた。米軍のサイキック部隊はいいように敵の女剣士に蹴散らされ、攻撃ヘリも何機も落とされているという。地上部隊の被害も甚大だそうで、零香が駆けつけなければ全滅していた可能性が高いとか。その零香も、先ほどファーフニールが展開した空間浸食に巻き込まれて大打撃を受け、どうにか撃破はしたものの、今は新手の古代龍と交戦しているとか。文字通り、踏んだり蹴ったりである。耐久力の無い由紀だったら、絶対にもう死んでいる所だ。

まだ敵は見えない。気配も感じない。辺りは鬱蒼とした森で、途中で車道を見つけて降りる。気配はする。確かにする。素早く展開する自衛官と米軍兵士達。由紀は軽くつま先で道路をつついていた。日本の道路に比べて整備が良くないが、走るには充分。ヘリが飛び立つ。スカートを抑えて、通り過ぎるのを待つ。ちょっと鬱陶しい。

人前では着ないが、実際一番いいのは、ジャージだと由紀は思っている。機能性に関しても動きやすさに関しても、あれの右に出る物はない。あるとしたらお茶碗くらいだろう。そんな不思議な事を、由紀はおおまじめに考えることがあった。

周囲に散った米兵と自衛官は放っておいて、由紀は歩き出す。途中で通りがかった車の運転手が陽気に手を振ってきたので、アイドルスマイルで振り返す。しかし、もうとっくに由紀は素に戻っていた。

気配が徐々に強くなってきている。敵の護衛部隊に、能力者がいると厄介だ。森の中に潜り込むと、由紀は渡されている無線を弄って、大島さんを呼び出す。

奇襲というものは、基本的に相手に存在を察知させずに接近し、その上で相手の正確な戦力と位置を把握、それで始めて成功する。その点、今回は此方が先に察知したという点が有利である。後は正確な位置だ。こういうときは人間の技術が役に立つ。

まだ神衣は付けない。無言のままちくちく歩いて、ゆっくり敵への距離を測る。利津のように目がいいわけでもないし、淳子のように耳がいいわけではない。零香ほどの超感覚もない。だが、それでもかなり高い水準で鋭い感覚を持つ由紀は、三角測量を続けて、敵との距離を分析していく。

発見。同時に大島さんから連絡。

「見つけたわ」

「こちらもですぅ☆ 位置をしらせてもらえますか?」

大島氏が告げたのは、大体予想通りの場所であった。ただ、由紀が分析した場所とは少しずれがある。多分感知した気配が別の物だったのだろう。能力者なり、実体化まがつ神なりが護衛に付いているのは分かり切っている。それにしても、そうなってくると、予想以上に中継点の能力は低いことになる。大島さんの言葉を聞いているうちに、由紀は表情を強張らせていた。

分かってはいた。実体化まがつ神の中には、そういうものもいることを。むしろ、ちゃんとした形をしているものの方が珍しいのだ。護衛は六、うちカラシニコフを構えているのが五で、最後の一人は手ぶらのまま辺りを見回しているという。狙うとしたら、そいつだ。

「攻撃は一撃強襲で、まず能力者らしい手ぶらな男を仕留めます。 みなさんは、由紀ちゃんの後に続いて、残りをうち倒すなり捕縛するなりしてくださいねぇ」

「了解」

無線を切る。入念に攻撃入射角を計る。ベンドランサー改を使っても良いが、まずはキネティックランサーで強襲。対応の隙無く、護衛を全部処理する。最初は実体化まがつ神を倒して一撃離脱するつもりだったが、より確実なこっちに切り替える。

部隊が小規模な分、敵には精鋭が揃っているだろう。能力者との戦闘経験もあるに違いない。勝負は、一瞬で決まる。元々勝負とはそういうものだ。零香のように人外の耐久力を持っていたり、桐のように凄まじいタフネスと防御術を持っていたり、古代龍のように桁違いの頑丈さを誇って、始めて長期戦とは実現するのだ。武器が発達しすぎた現在、どんな屈強な大男でも、攻撃を貰ってしまえばひとたまりもないのである。

自衛官達が、米兵達と二手に分かれ、六百メートル程まで距離を詰める。大島さんを始めとして、全員が狙撃の訓練を受けている。敵はまだ気付いていない。

神衣を展開。同時に、木の葉を蹴立てて、全力疾走開始。二秒で時速三百キロに達した由紀は、双剣を引き抜き、真っ先に気付いた丸腰の男へ突貫した。同時に、自衛官、米兵が全員第一次支援狙撃を敢行。護衛兵の一人が蜂の巣になり、もう一人が頭を吹き飛ばされ、もう一人が腿に穴を穿たれる。そして由紀が、キネティックランサーを叩き込んだ。

敵小隊の直前で急停止した由紀は、敵能力者の声を聞く。撤退と支援要請をしているのは間違いない。同時に健在な護衛三名が反撃開始、カラシニコフが火を噴いた。乱射される弾丸の間を縫って走りながら、由紀は再加速。視界の隅にターゲットの実体化まがつ神と、薄い膜のような防御壁に突き刺さり、その半ばを粉砕した双剣を見た。なるほど。予想はしていたが、やはり拠点防衛型か。

実体化まがつ神は自力で動くことも出来ないようで、台車に乗せられ運ばれている。多分近くまではトラックか何かで搬送するのだろう。カラシニコフを乱射しながら下がる護衛兵達の一人が、台車に手を掛けた所で頭を吹き飛ばされた。その男の名前だろう、叫びながら能力者が、再突撃を掛けた由紀に向けて突撃してきた。手にはククリが具現化していた。下がりながら、数合交える。かなりの剣の腕だ。五翼ほどではないが、相当な使い手である。この程度の能力者なら、陽の翼にはゴロゴロいるのだろう。

敵に増援が現れる。森の中に潜んでいた陽の翼労働員であろう。米兵が交戦に入ったらしく、実体化まがつ神への射撃が薄くなる。だが、関係ない。最初の一撃で敵の戦力は半ばを沈黙させたし、後は敵の本隊が来る前に、殲滅するだけでいい。

一撃離脱を繰り返し、その度キネティックランサーを叩き込む。能力者の男は薄い膜でどうにか防いでいるが、もう底は割れた。最大加速して、森の中一気に一キロほどの距離を開ける。そして、クラウチングスタートのポーズを取った。

由紀は結局、今も昔も力業で戦う人間だ。アイドルとしてはルックス以上に歌唱力とダンスで、客を強引に惹きつけてきた。ゆるめの言動などは余技に過ぎない。神子相争では力業を極めた術の幾つかを効率的に使い、戦術以上の破壊効果をもたらしたときに勝つことが出来てきた。

それが効率の悪いことだと、良く分かっている。事実、神子相争でも、一番勝率が低かったのは由紀なのだ。

直線上には、実体化まがつ神。敵の能力者は狙いを悟ったようで、必死に交戦している後ろの労働員達に叫んでいる。だが、移動などさせる時間はくれてやらない。速攻、即決、一撃必殺。それが由紀の信条である。

食らえ。由紀の信条を。

空気が火花を散らす程の加速。引き抜いた双剣を、一直線に構え、詠唱を完了。

ドラゴンインパクトではない。助走距離一キロ、直線、発動位置、発動ターゲット固定。更に力の最大量の三割を消耗。十秒の溜め。その全部のリスクをクリアして打ち出す事が出来る、キネティックランサーの上位術、タイラントランサーだ。

森の中を、黄色い龍が舞うかと思えただろう。衝撃波が木々を揺らし、落ち葉を台風のように巻き上げる中、由紀は双剣に全運動エネルギーを載せ、更に螺旋回転を加えて放った。それに対し、能力者も、己の最大の防御術らしい、光の盾を展開する。

最大級の術が、激しい戦いが行われる森の中、炸裂した。

舞い上がった木の葉が落ちていく。激しい疲労に息を荒げている由紀の前で、ゆっくり能力者の男が崩れ臥す。剣は刺さっていない。防御術と相討ちになった。そして力を使い果たした能力者を、誰かが狙撃したのだ。大島さんかも知れないし、違うかも知れない。必死に荷車をおして逃げようとしていた最後の労働員が、蜂の巣になって倒れた。同時に、米軍に仕掛けていたらしい一隊も静かになった。全滅したか、投降したか、それとも撤退したか。

荷車の方へ歩いていく。倒れている陽の翼の労働員達は露骨に息がないが、きちんと気配を探って死んでいるか確認しながら。そして、荷車の前に立つ。

『殺して……』

頭の中に、直接声がした。

『仕事が終わったら、眠らせてくれるって言ってた。 だから頑張ってきた。 でも、私は、もう本当は……眠りたいんじゃない。 死にたいの』

直視しなければならない。もう由紀は社会的にはともかく、大人なのだ。かってのように、寄って立つ誰かがいなければ動けないのでは、話にならない。

台車の上には、生首があった。直径二メートルほどの青白い脈動する肉塊から無数の管が伸びていて、その一つにぽつんとついていた。左半分は美しい女の顔であった。残りの半分は膿崩れ、蠅が周囲を飛んでいた。剣を振るって、飛んでいた蠅を全て切り捨てる。肉塊からは時々膿汁が零れていて、異臭を周囲にばらまいていた。

多分、何処かの神話の女神だったのだろう、この実体化まがつ神は。それがさまざまに後世にて歪められ、狂った部分が組み合わさってさまざまな条件が重なった結果、こんな哀れな姿の実体化まがつ神になってしまった。しかも不幸なことに、美的意識を残したままに。真由美が保護したという死神のように、人間的感情のほとんど無い状態で再構築されたものは、まだ幸せなのだ。

実体化まがつ神が人間を基本的に恨む場合が多いのも、良く分かる。

分からなければ、和解も出来ないし、理解だって出来ない。

「どうすれば、楽にしてあげられる?」

『ありがとう……。 本体の肉塊を砕いて。 それで……楽になれる』

「最後に。 あんたが、中継点だったんだな?」

『そうよ。 ごめんなさい、こんな姿を見せてしまって、辛い思いをさせてしまって』

「気にすんな。 辛いのは、お互い様だよ」

肉塊にキネティックランサーを叩き込んだ由紀は、その後帰宅するまで、一言も喋らなかった。陽の翼の力の一角を確実に奪い去ったというのに、誰にも誇る気にはなれなかった。ただ、人間の業に、また嫌気が差しただけだった。

 

6,浮かび来るもの

 

神子五名と真由美が、ベースに帰還したのは、翌日の昼であった。何とか死者は無し。しかし、酷い戦いばかりだった。

零香はベットに寝転がって、ぼんやり天井を見ていた。特に酷い右腕の傷は、まだ包帯が取れない。実は時々どう神衣を改良するかシミュレーションしたりもしているのだが、それはそれ、これはこれ。疲れてもいるし、ぼーっとしている時間の方が長い。ぼーっとしているとなんだか気持ちがいい。昼寝中の桐の気分は、こんな感じなのだろうか。

桐は間に合わなかった。駆けつけたときには、恐るべき古代龍は既に帰還し、米軍のキャンプは機能を喪失、生き残った負傷者が右往左往している状態だった。決して桐が遅れたわけではない。輸送ヘリで、最大速度で飛ばして貰ったのだから。

桐は助けられる人間を回復術で助けて廻ったが、三百人ほどの規模を持っていたキャンプの、半数が戦死していた。生き残った者達も心神喪失状態で、暫くまともに動けそうにない。六機配備されていたヘリは全滅、戦車や装甲車も同じ運命を辿っていた。

零香は真由美同様手ひどい傷を負って、応急手当を受けた後、ずっと利津と淳子の回復術を受け続け、翌朝に漸く目を覚ました。北部戦線ではサイキック十二名が投入されたそうだが、そのうち五名が再起不能、残りもしばらくは身動きできないと言う。ヘリ三機が撃墜され、兵士も米軍M国軍併せて十五名が戦死した。しかも貴重な文化遺産は、粉々に砕かれたどころか地面まで掘り返され、ほとんど痕跡が無くなってしまった。恐るべき戦いの余波が掠っただけだというのに。

利津と淳子は十を超える実体化まがつ神と死闘を繰り広げており、零香も真由美も支援する暇がなかった。

敵の戦力は、予想以上に大きい。それよりも、相当な損害を出した米軍が、この後どういう動きに出るのかが心配だ。泡を食って敵本拠近くに展開していた戦力は尽く撤収したそうだが、その後の動きが掴めない。

更なる大戦力を投入するのか、或いは撤退するのか。

後者はありえない。米軍が本腰を入れたのは、陽の翼が抑止兵器の完成に近づいているという確報を得たからだろう。問題は、どの程度の大戦力を投入するつもりなのか、という事だ。場合によっては、敵本拠に乗り込み、抑止兵器を破壊する必要が出てくるかも知れない。

今は体力と力を回復することが第一だ。そのためには、休んでいた方がいい。状況が厳しい今だからこそ、休んでいなければならないのだ。

自衛官達が零香達を見る目が、大分柔らかくなっているのが救いか。桐が恐るべき頭のキレを見せつけたし、由紀も鬼神が如き奮戦を見せたからだろう。

ケヴィン氏は自衛官達の部屋でふて寝をしている。あまり自衛官達となれ合う気はないらしい。……というよりも、根本的な人間嫌いの匂いが、零香にはかぎ取ることが出来た。

苦戦の中で、由紀の奮闘によって、敵の抑止兵器開発が露骨に遅れたのは、唯一の光だった。どれほどの遅れが敵の作戦行動に生じたかは分からないが、此処で攻勢に出ることが出来ればよいのだが。

「お腹が空いたな……」

岩塩スティックを囓りながらぼやく。部屋の隅で膝を抱えて座っていた真由美が顔を上げるが、すぐに視線を落とす。今回はかなり前向き積極的に戦うことが出来たこの子だが、やっぱり戦いが終わってしまうとまだ心が整理しきれていないらしい。結構結構。若者は大いに悩むべし。

むくりと起きあがり、零香はぼやく。

「みんなで料理でも作って食べるか。 うん、良い考えだ」

気分転換は必要だ。どっちにしても、単体で攻撃を仕掛けるには手が足りないのである。大島さん達は必死にやってくれているし、その間に実戦担当の零香達は力を蓄えておく。それでいいではないか。

「零香さん、起きている?」

「はい。 なんですか?」

「これから、此方に一人くるの。 是非、貴方達全員に立ち会って欲しいと思って」

「誰でしょうか」

VIPなら零香が会う意味はない。そういうのを捌くのが大島さんの仕事だ。東堂氏は日本から動けないし、日本側の能力者も多くがまだ動けない状況にある。そうなると、米軍からの増援か、他の国の能力者が合流してきたのか。興味はある。

まだ少し体は痛いが、ベットから起き出す。ペンションの玄関に出ると、淳子と桐に挟まれるようにして、浅黒い肌の少女がいた。真由美より少し背は高いくらい、顔かたちからして多分インディオだろう。年齢はミドルティーンくらい、黒い髪を三つ編みにして首の脇からぶら下げている。丸っこい顔には幼さが残っていて、体つきも貧弱である。花柄のサンダルが幼さを助長している。戦闘要員ではないらしく、萌葱色のワンピーススカートを着込んでいた。特徴的なのは、その猜疑心が強そうな目だ。零香はこのタイプの目を知っている。非常な悲しみに襲われて、まだ心が整理し切れていないとき、他者に向ける目だ。

「此方、リズさん。 翻訳の術が使えるそうで、日本語は通じるわ」

「よろしく……」

「よろしく、リズちゃん。 で、この子は?」

「陽の翼からの脱走者。 東堂さんが情報の引き渡しあらかた終わったからって、此方に回してくれたのよ」

「! へえ、それはそれは」

オフレコで聞いてはいた。日本が陽の翼の脱走者を保護したと。そして会ってみたいとも思っていた。単純な興味心から。

陽の翼は一枚岩で鉄の結束を誇ると聞いていたし見てもいたが、やはり人間の集団と言うこともあるし、意見の違いは出てくるのだろう。それを数百年も纏め続けたと思われる太陽神(仮説に過ぎないが)の苦労は、零香には分からない。そんな組織の中から、どんな裏切り者が出てくるのかも。零香はそのキャリアが十年満たないし、父が地盤を築いた後だからだ。だから、会ってみたかったのだ。

「聞いておきたい情報とかあるでしょう。 遠慮無く何でも聞いて貰って構わないそうよ」

「……なんでも、聞いてください」

「ふうん、嬉しいですね。 此方へ。 立ち話も何ですし」

淳子は玄関側の壁に背を預けたまま、視線だけで頷いた。意味は分かる。攻撃の可能性があるから、自分は警戒に廻る。情報回収に務めて欲しい。そう言うことだ。

そして、零香にはこの子の悲しみの理由が大体分かった。情報を漏らすことに、こうも積極的な理由も、である。

この子は多分、仇が討ちたいのだ。相手は恐らく恋人だろう。陽の翼の性質から言って、逃げるときにでも盾になって死んだか。

人の考えることは人の数だけ種類がある。その善悪は、零香には興味がない。今興味があるのは、敵の具体的な情報だけだ。

部屋に用意されたテーブルに、淳子を除く能力者五名と、大島姉弟が座る。

「まず、最初に敵が開発しようとしている、抑止兵器について教えてくれる?」

「ケツアルコアトルのことですか?」

「! ケツアルコアトル……」

「はい、ケツアルコアトルです。 太陽神様は、その存在を完全な形で実体化し、島を守る完全なる守護神として作り上げるとおっしゃられました」

恨んでいても、敬語を使って呼ぶ。この子はひょっとして、恋人の仇を討つ気はあっても、太陽神に反旗を翻す気はないのではあるまいか。

ケツアルコアトルとやらなら零香も聞いたことがある。それほど有名な存在だ。くわしい説明と解説は後で桐にして貰うとして、話を今は続けて貰う。

「ケツアルコアトルは太陽神様の伝説から産まれた神です。 そのため、波長が非常に良くあうのだとか。 そして、その体を媒介にして、人の領域を遙か超える術を行使することも容易だと聞きました」

「また、それは凄い話ですわ」

利津は半分呆れたように言う。零香も同感である。まさか古代神の伝承根元になる人物が、その古代神そのものを実体化して使役しようとは。そして、それが何故抑止兵器となり得るのかも、少女は言う。

「ケツアルコアトルは、その気になれば人間だけを広範囲から消すことが出来ます。 もし本気でその術を発動した場合、Mシティにいるおよそ一千万の人間は、全滅するという事です。 そして、太陽神様は、生贄として二十万ほどの人間を消すつもりだとか……!」

思わず立ち上がったのは真由美だった。何と言っていいのか分からないのだろう。目に混乱が浮かんでいる。

どうしてそんな非道なことに、あれだけ誇り高い者達が必死に取り組むのか、分からないのだろう。零香には大体の事情が分かる。世界中を見て回ったからだ。

リズは言う。

「太陽神様を止めてください。 私には、どうしていいか……!」

言われるまでもない。とっくに決めていたことだ。零香は視線を利津に向け、由紀に向け、桐に向け、そして真由美に向けた。頷きあう。大島姉弟はしばし話の規模に唖然としていたが、やがて頷いた。

「言われるまでもない。 ただし、戦後に太陽神の命がどうなるかまでは分からないよ」

三十秒ほどの沈黙の後、リズは頷く。もうどうしようもないと分かっていたのだろう。涙をこぼしながら、現地住民の英雄を裏切った少女は、頷いたのである。

大島姉弟が通信室に走る。零香達は順番に、敵の幹部の名前と分かる限りの能力、知っている限りの敵戦力を聞き出していく。

由紀がしたことが如何に大きいか、今更ながら良く分かる。稼がれた時間が如何に貴重かも、である。

浮かび上がってきた真実は、零香が予想していたとおりの姿をしていた。しかし底は想像していた以上に深かった。

地獄は間近に近づいている。回避できるかどうかは、まだまだ全く分からない状況であった。

 

(続)