小さな小さな島

 

序、そのものは島

 

その生物は。

強豪ひしめく海で、マイペースに生きる事に成功していた、珍しい種だった。

勿論、強大な捕食者が存在する外海に出なかった、と言うのも理由としてある。また、襲われなかった訳では無く、襲われた化石も残っている。

そのものの名前はアーケロン。

見つかっている中では最大のウミガメであり。

全長四メートル、全幅五メートル、体重二トンオーバーという、現在最大のウミガメであるオサガメの倍に達するサイズの持ち主であった。

この巨大なウミガメは、白亜紀に棲息していた事が分かっており。

現在のウミガメ同様、主に頭足類に狙いを絞って食べていた可能性が高い。

中にはアンモナイトを主食にしていた、という説もあり。

それもあながち嘘では無いだろう。

当時アンモナイトは、海の中で大繁栄していた種族であり。

頭足類を狙って食べていたのなら。

アンモナイトを襲っても何ら不思議は無いはずだから、である。

一方で、この程度のサイズで鈍重なら、リードシクティス同様、当時の魔界に等しい海ではカモにされるのも当然で。

故に外海に出なかった。

出る能力がなかった、という話もあるが。

実際には出られなかったのでは無いか、という説が今は強い。

私に取っては、この古代の亀の王は。

一度背中に乗ってみたい、と思っている存在で。

エンシェントで何度か設定を弄って背中に乗ってみて。

その絶景を満喫したことがある。

ただし設定を弄る際に、幾つか注意がある。

このウミガメは、オサガメ同様、甲羅は決して頑強では無かった。

つまり背中に乗るとき、無理をすると背中を傷つけてしまう、という事である。

設定で背中が傷つかないようにしないと気の毒な思いをさせてしまうので、それは注意をした。

それと当然だが。

もぐられるとこっちは海の中に入ってしまうので。

浮いてくれるように設定。

更に海面にいるときは、大型海棲爬虫類たちの格好の的になるので。

狙われない、という設定も入れなければならなかった。

これらをクリアして。

やっと亀に乗って、白亜紀の海で、のんびりと遊覧を楽しむ、と言う事が出来る。

とはいってもワールドシミュレーターだから出来る事であって。

もし実際の白亜紀に行く事が出来たとしても。

こんな事はしない。

アーケロンに迷惑だし。

危険だし。

何一つ良い事がないから、である。

ワールドシミュレーターだから行えることだ。

それは私も理解しているし。

エンシェント以外では絶対にやらない。

当たり前の話である。

人間は自然環境と既に切り離されている。

下手に接するべきでは無い。

既に切り離された以上。

別の存在なのであって。

此方のオモチャにしようとしてはいけないし。

自分が既に、地球の環境からは切り離されていることを自覚もしなければならない。

そうしなければ、過去に人間が行って来た蛮行の数々を、再び繰り返すことになるし。また昔に戻る事になる。

如何に寛容な地球も。

既に更なる蹂躙には耐えられないほど資源が厳しくなっている。

現在太陽系の小惑星から様々な資源を集め。

軌道衛星上で調整を行ってから、地球に投下して環境を戻す作業を行っているが。

それら作業を行えば行うほど。

地球で人間がやってきた行動の、その結果が見せつけられる。

以前SNSで話した、その仕事をしている人間が。

丁度そういう事を言っていた。

少し前に、環境保全に金を出したいとごねていた学者と遭遇したが。

ある意味気持ちは分かる。

だが、専門家に任せろ。

私としては、そうとしかいえない。

ともあれ、だ。

私は今、論文を手にしている。

アーケロンについてのものである。

アーケロンは状態が良い化石が見つかっている事もあり。

研究がかなり進んでいる生物である。

勿論肉食ではあるが。

それほど凶暴で獰猛な生物ではなかっただろうとも言われており。

温厚でマイペースに海を泳ぎ。

危険地帯を避けながら。

運悪く遭遇した頭足類を食べていた。

或いは現在のウミガメのように、クラゲ類を食べていたかも知れない。

そういう生物だっただろう。

現在のウミガメがそこそこ素早く海の中で泳ぎ回るように。

アーケロンもそうしていた可能性が高い。

大きなひれは優れた遊泳力を産みだし。

それが故に。

海の中では、ある程度の自衛力を備えていた。

勿論、白亜紀の海の中では、それでも安心は出来なかったが。

それらの定説に。

一石を投ずる論文。

読んでいて興味深い。

実はアーケロンは、復元以上に大きな生物だったのでは無いか、というのが論文の主旨だった。

まずひれなどだが。

骨がある部分以上に実は長く肉がついていて。

想定以上の速度で泳ぐことが出来た。

そして柔軟な体は、大量の空気を体内に蓄える事が出来。

海面では無く。

むしろ海底に貼り付くことに特化していた。

そう論文では主張していた。

あり得ない話では無い。

というのも、実際問題骨格と実物が著しく乖離するケースは多いからである。

象の骨などは良い例だ。

これが長い鼻を持っている生物だなど、最初に見て気づける人はどれだけいるだろうか。

またペンギンの骨格も同じく。

とてもではないが、あの姿を骨格から想像できない。

それほど見かけと骨格が乖離しているのである。

此処で問題になるのは、アーケロンは「亀」ということだが。

この論文は、元々柔らかかった甲羅に着目。

事実ウミガメの仲間の甲羅は柔らかいものがあり。

現在の最大種であるオサガメなどは、それが顕著だ。

それを元に復元例を作成した結果。

長いひれによって海の中を高速で泳ぐ強い遊泳力。

甲羅は柔軟に。

その代わり体の筋肉は頑強に。

餌は柔らかい頭足類だから、相手をそのままかみ砕いて屠るほどの顎の力は必要ないので。

しかしながら、首などは柔軟に動かす事が出来。

海底から一気に獲物を狙って浮上。

襲っては海底に戻る。

そういった狩をしていたのでは無いか、というのが論文の結論である。

甲羅は柔らかいため。

体の中に大きな肺を持ち。

これにより、長時間、大深度海底への侵入が可能となり。

そういった場所に生息していたクラゲや大型アンモナイトを積極的に狙っていたのではないか。

論文にはそういったことも書かれている。

面白い。

アーケロンの論文は既に枯れていると思ったが。

こんなにアクティブで。

攻撃的なアーケロンの論文は初めて見た。

ただ、実際には鈍重なイメージのあるペンギンも。

ひれは殴れば人間の骨くらいは簡単にへし折るし。

海の中では、文字通り「水の中を飛ぶ」と称するのが相応しい素晴らしい動きを見せる。

骨格からだけでは。

想像できない生態を持っている可能性は極めて高いし。

何よりもこの説には。

幾つかの傍証も存在している。

論文で取りあげられている説の幾つかだが。

その中に、新しく発見されたアンモナイトへの噛み跡があり。

これがどうやら。

相応の高速で喰い破られたもので。

しかも歯形がアーケロンに一致する、というのである。

それならば、説にも説得力が出てくる。

いずれにしても面白い論文だ。

取りあげてみる価値はあるだろう。

すぐに法務部に連絡。

学者に連絡を取らせる。

そして此方でも。

学者を調査する。

色々問題がある学者に当たっていたせいか。

私もかなり慎重になっているが。

さて、今回は大丈夫だろうか。

法務部からは、学者と連絡が取れない、というメールが来たが。まあすぐに連絡が取れない可能性はあるだろう。

私は学者についての調査を続行。

そして、二時間後。

思わず口を閉じていた。

学者は一年前。

死んでいたのだ。

 

この時代、人は中々死なない。生まれるのをコントロールしているように、である。死ぬ事も中々ないのだ。

学者の件については、とても残念だった。

弔辞は送ったが。

それはそれとして。

現在論文がどう扱われているか、というのが問題になってくる。

例えば、家族がいない場合。

資産を受け取る者がいない場合。

これは現在の地球人類の大半が該当するのだけれども。

その場合には、資産は基本的に国が接収する。

子供は自動で育てられ。

ロボットに介護を受けながら。死ぬまで生きていく。

死ぬにしても、基本的に高度な健康診断を常時受けており。体に問題が発生した場合は即座に対応される現在である。

遺伝病に関する治療も確立している。

死ぬというのは。

相応の事、と言う事だ。

学者の経歴を漁ってみると。

なるほど、何となく分かってきた。

この論文、古参中の古参。

120歳を超える学者の提出したものだったのだ。

宇宙時代に人類が慣れ始めた頃を知っているかも知れない。現在では、その気になればクローンに記憶を移して、生き続けることが出来るからだ。

この学者は信条的なものか何かで。

生き続けることを望まず。

結果老衰死をしたらしい。

それについては個々の自由だし。

止めるつもりは無い。

家族についてはいたのか。

調査をして行くと。

どうやらいたらしい、と言うことが分かってきた。

100歳を超えた後、遺伝子データバンクを活用して子供を作ったらしく。

現在17歳の娘がいる。

資産はこの娘が引き継いでいる様子だ。

なおこの娘だが。

学者ではなく。

現在では衛星軌道上に展開している太陽熱発電の専門技術者として活動しているようである。

まあ別に親の職業を子が継ぐこともあるまい。

別にそれについてはどうでも良い。

まず確認をして。

連絡を法務部に取らせ。

論文の使用許可について確認する。

法的にはガチガチに決まっているので。

それに沿った手続きだけすれば良い筈だ。本来なら。

作ったのが個人で。

更には現在、所有者が専門家では無い、と言うのが非常に面倒くさいことになる。

法的手続きについてはいい。

問題はそれ以外の事で。

例えば問題がシミュレーションで発覚したとき。

確認する相手がいない。

これについては、アーケロンの専門家の学者を見つけて、其方に精査を求めるしかないだろうが。

その件についても、法務部が対応する事になる。

負担が決して小さくないが。

それでも頑張って貰うしかない。

思わず溜息が漏れるが。

もっと面倒くさいケースもあったのだし。

何より法務部だ。

こういうのに対応する部署である。

場合によっては犯罪組織が相手になったケースも、過去の時代にはあったと聞いている。このため、大手の企業は、凄腕の法務部を抱えていたとか。

馬鹿馬鹿しい話である。

誰が誰を相手にしようと、平等に施行されるのが法だ。

それが弁護士の腕だの、裁判官の思想信条だのでねじ曲げられていた時代が存在していて。

それによって法務部に「優秀な」人材が必要になった、というのだから。

人間に法を扱う資格は無い。

話には聞いているが、弁護士の資格は5000時間近くの勉強をして、始めて取得の土俵に立てる、とかいう世界らしく。

そんなものにどんな意味があるのか。

今考えてもてもさっぱり分からない。

ましてや催眠学習が成熟していない時代。

それこそ本やら何やらが頼りで取得していた資格だろう。

それでは、おかしな弁護士や裁判官が出てくるのも当然だと言えるし。

今のAI判断で即決裁判が終わる方が。

あらゆる意味で遙かにマシだ。

ともあれ、法務部に任せつつ。

私はアーケロンの専門家を探す。

現在学者の中で、アーケロンを専門に扱っている人物は何名かいるが。その中で、実績がある人間を絞り込んでいると。

法務部から連絡が来た。

「論文の保有者から連絡が来ました」

「どう言っていますの」

「懸念が当たりました。 かなりごねるつもりのようです」

「……」

まあそうだろうな。

そう思う。

100歳超えて作った娘だ。

どうして急にそんな事をしようと思ったのかはよく分からないけれども。

いずれにしても、一緒に暮らしていたのだとすれば。

何かしらの確執があったのかも知れない。

「どのようにごねていますの」

「論文については興味が無いから、エンシェントの経営権の一部を寄越せ、と言っています」

「論外。 却下」

「はい、その方向で進めます。 これは司法の介入を検討してもよろしいですか」

頷く。

どうやら、余程性格がねじ曲がっているらしい。

いや、何かしらの理由で、論文を使って無茶を通せると思っているのか、或いは。

相手に嫌がらせをするのが目的なのか。

論文自体は素晴らしいのに。

現在の所有者のこの性格は。

あまり褒められたものではないだろう。

後の対応は法務部に任せ。

そしてそもそも、アーケロンの論文を書いた学者について、もう少し調べていくが。

此方も相当のくせ者だったようだ。

公開されているログが出てくるが。

本人は凄腕の学者だったようだが。

それに反比例するような凄まじい性格の持ち主だったようで。

学会でも荒れるのが常識。

奴が出てくると、学会に嵐が起きる。

そうとまで言われていたらしい。

何だかかっこうよさそうな響きの言い回しだが。問題を起こして学会を引っかき回していたとしたら、当事者はたまったものではなかっただろう。

或いは娘の方も。

実のところ、似たものだったのかも知れない。

性格が似たもの同士の場合、反発するか、仲良くなるかは両極端だが。

何しろ100歳と言う年齢差。

しかも今時珍しすぎる親との同居。

これで仲良くなる要素が見つからないのが厳しい。罵声が飛び交うような家庭だったのではあるまいか。

頭が痛い。

今回は、そもそも。

シミュレーションを組み立てる所まで行けるかどうか。

そこが、最大の関門になりそうだった。

 

1、大いなる亀

 

爬虫類には何種類かの系統が存在する。

恐竜や鰐、翼竜などが属し。更には鳥の先祖にもなった「主竜類」が有名だが。

それ以外のものも存在している。

亀はその一つだ。

とはいっても近縁種ではあるが。

ともかく、亀は古くから存在し。

現在まで生き延びている。

それなりに環境適応力のある生物である。

大型種も何種類か存在しており。

アーケロンは最大種の「一つ」であって。

同格の亀も何種か存在していた。

必ずしも海棲だったわけではないが。

いずれにしても、頑強な肉体と、強い力は、環境適応するのには優れていた、という事である。

亀の甲羅は頑丈というイメージがあるが。

実際にはスッポンの仲間のように柔らかい種もおり。

またこれらの種には、非常に巨大になる種もいる。

また頑強な甲羅を持つ亀の中には。

獰猛で重厚なことで知られるワニガメやカミツキガメが存在しており。

これは外来種として。

一時期各地で猛威を振るった。

理由としては、自称「ファン」が飼いきれなくなって捨てたのが原因であって。

そういう連中は論外としても。

勝手に捨てられたあげく。

駆除される運命になったワニガメやカミツキガメにしてみれば。

迷惑千万であっただろう。

少なくとも、人間の身勝手な好意に対する被害者である事は、疑いのない事実である。

さて、陸で川で海で。

様々な環境適応を遂げた亀だが。

動きは遅くとも力は強い種と

力強く動き回る種で。

かなり差がある。

論文をもう一度見て。

この力強く動き回るアーケロンを。

是非エンシェントにお迎えしたいと思ったが。

まだ法務部が揉めている。

法務部はかなり力を入れて強化したこともあって。前に私が酷い目にあった頃のような負担を、私にまでは持ち込んでこないが。

それはそれとして。

今回の相手は厄介極まりなかった。

とにかくごねる。

相手が聞かないのを分かった上で。

要求を呑まないなら、絶対に論文は使わせないと喚く。

ごねればそれで相手が譲ると思っている人間は。

地球時代にはかなり多かったらしいとは聞いている。

現在は人間がそれぞれAIのサポートを受けているので。

相手に対して高圧的に出ることは。

すなわち法に対して直接触れる事を意味する。

それでもごねると言う事は。

余程相手を困らせたいらしい。

だが、此方は法の専門家を。法について全てを知っているAIと一緒に働かせているのだ。

相手は一人である以上。

いずれねじ開けられると見て良い。

SNSなどを使った炎上を戦術に使ってくる可能性もあるが。

それについては既に備えている。

恐らくだが。

相手はエンシェントが相応に繁盛しているのを見て。

単に気にくわないと思ったのではあるまいか。

はっきりいって迷惑極まりないので。

法務部にも負担を掛けるし。

論文の権利を手放して欲しい。

あまりにもこじれるようだったら、政府に問題を持ち込むようにと法務部には指示している。

一部の有用な論文などを、こういった問題のある個人が独占した場合。

政府が介入して、使用を許可させるケースがある。

勿論面倒な法的手続きを踏まなければならないが。

それはそれとして、此方としても喧嘩を売られた以上。

買うにはそれなりの手間暇がいる、というだけの話である。

勿論、無茶を言っているのが彼方である以上。

充分に勝ち目はある。

法務部に連絡。

現状の収入は。

確認すると、問題は無いという。

恐竜関連のコンテンツは相変わらず安定して客が入っているし。

少し前に恐竜対策の専門部所が幾つかのアップデートをしたので、客入りも加速している。

リードシクティスや初めての森などの、最近アップデートしたコンテンツについても。

一定の客がリピーターになっており。

相応に稼げているという。

要するに客足は充分。

収入も充分。

ボーナスを出せるかどうかはともかくとして。

少なくともお給金はしっかり払えるくらいは稼げているし。

赤字になる要素がない、と言う事だ。

ならば、一度私は休憩する。

湯治に出かけるが。

その途中、ロボットを連れた女性とすれ違った。

何となく、知っている人の気がしたが。

まあいい。

外で人間とすれ違う事さえまれな時代だ。

外に出る用事は、全てロボットにやらせる人だっているほどである。外で誰かと出会えば、デジャブか何かを刺激されても不思議では無い。

温泉に出向いて。

しばらく湯加減を楽しみ。

湯から上がったあとは、オンドルで寝る。

十代前半の趣味とは思えないが。

しかしストレスで体を壊した私には。

こうしてじっくり体を治さないと。

寿命を縮めると、医者に宣告もされているのである。

だからしっかり努力して。

体を治すようにする。

はっきり言うと。

不健康は苦しいのだ。

生活があれると、それだけあらゆる全てが不便になる。

私もそれは実際、不健康になって見るまで理解出来なかった。そして不健康になって見て、始めて分かった。

健康とは。

どれだけ貴重なものなのかと。

じっくり暖かい床によって体の体調を整えて。

それから起きだす。

家に直帰するのでは無く。

休憩スペースで、タブレットを使ってメールを確認。

どうやら相手側は。なんと法廷に持ち込むつもりらしい。

とはいっても、ごねているだけだ。

勝訴は確定だが。

ただ、法廷に持ち込むことを喧伝するという姿勢を隠していない、と言う事だ。

要するに、此方の要求が全て通った後も。

散々ごねてやると宣言している訳で。

法務部にはメールを打っておく。

もう面倒くさいから、一切の論文に関する権限を、一定の金銭を払うことによって此方で買い取るようにしろと。

勿論適性金額で。

相手がふっかけてくるようなら。

此方から裁判にするだけだ。

貴重な論文を死蔵させるよりはその方が良い。

なお、相手のことを調べて見たが。

仕事については普通にやっているようだが。

基本的に自宅からリモートで行う仕事である。

特に忙しい仕事という事もなく。

週辺りの労働時間は二十時間を切っていると聞いている。

現在法定労働時間は、週辺り三十時間で、これを突破すると法的なペナルティが課せられるのだが。

いずれにしても、相手はそれに対する問題も無く。

更に健康体と言う事で。

病院などに取られる時間もないだろう。

ならば問題は無い筈なのに。

どうしてこうも嫌がらせを続けられるのか。

自宅に戻ると、一眠りする。

そしてアーケロンの話は敢えてせず。

他に何か問題が起きていないか確認。

細かいバグが幾つか出ているらしいと聞いたので。

対応について指示。

私自身は、今まで作ったCMの修正をしながら。

論文に記載されていたアーケロンを、泳がせるCMについて、構想を練っていた。

論文の新発見生物を私物化しようとしていた学者と。

今回のようなケース。

どちらがマシなのだろう。

どちらもどちらとしか言えない気がするし。

私としては、正直どちらにも関わり合いになりたくない。

しかも今回は。

相手が学者でさえない。

こんな不愉快なケースは初めてだが。

それでも対応しなければならないのが、社長という面倒な仕事だ。

ため息をつくと。

黙々と作業を続ける。

そして、法務部が。

ようやく決着を付けたのは、一週間後だった。

あらゆる手管を尽くした結果。

論文を買い取ったのである。

本来、固有資産を無理矢理買い取るのは出来ないのだが。

今回はそもそも論文であり。

生物史などで大きな影響を与える人類の財産、というのが問題になった。

そしてこの論文を個人所有から。

政府所有のアーカイブに移した、というのが大きい。

つまりエンシェントで金を出して。

相手に手放させた、というのが近い。

エンシェントの私物にした訳ではなく。

誰でもアクセス出来る、公的論文にしたわけである。

学者が所有権を手放した論文には、たまにこういうものがあるのだけれど。そういう状態にした訳だ。

これでもう相手は。

一切ごねることはない。

法務部にはお疲れ様、と声を掛けると。

私は早速。

アーカイブ化された論文を、政府に所定の指示を取って使う許可を得た。

これで、あの腐れバカ娘と関わること無く、このアーケロンをエンシェントにお迎えできる。

多少の金は消耗したが。

エンシェントの完成度を上げるためには必要な犠牲だし。

何よりも金なんか、今の時代大した価値も無い。

むしろ散々ごね倒した元の所有者は。

今回の件が公開裁判から話題になり。

SNSが大炎上。

全てのアカウントを削除するはめに陥ったようだった。

ざまあみろである。

炎上に荷担するつもりは無い。

此方は淡々と。

論文に沿って、アーケロンを再現するだけだ。

プログラム班にも資料を渡し。

すぐに作業に取りかかって貰う。

やっとかと、会議でこの話をすると。プログラム班達はうんざりした様子で私を見たけれど。

こればかりは仕方が無い。

プログラマーの一人がぼやく。

「何だか社長が持ってくる案件は、どうしてこう毎度毎度炎上するんですのだ」

「知りませんわよ」

「ともかく、法務部がなんとかしてくれたのニャー。 我等としては、このダイナミックに泳ぐ力強いアーケロンを再現するだけですニャー」

「お願いしますわ」

ぶっちゃけ。

泣きたいのはこっちの方なのだが。

それはそれで、察しろとは言わない。

そんな空気を察しろみたいな発言は。

地球時代に滅びた。

どうしても意図が伝わらないなら、AIの支援をさせるだけだし。

私は黙っているだけである。

言語なんていい加減なツールを使うから相手に意図は伝わらない。

その辺りは、ある程度諦めるしかない。

会議をジャッジして締めると。

仮想空間からログアウト。

やっと私は。

開発機に向き合って。

アーケロンのCMを作り始めていた。

今回の新しいモデルのアーケロンは。

海の中をゆったり泳ぎながら、頭足類やクラゲを喰らっていた従来のモデルと違い。

海底に出来るだけ貼り付きつつ。

獲物を海底から奇襲を掛けて一気に仕留め。

海上には呼吸のためにたまに上がり。

そしてまた海底で過ごす。

そういった生活をしていた事が最重要ポイントとなっている。

これについてだが。

描写としては、むしろワニのような待ち伏せ型のハンターに近く。

浅いとは言え海底にて。

周囲の警戒を引かない、地味な配色をしていたのではないかと、個人的には思える。

まあシミュレーションの完成待ちだが。

ともかく、論文通りにアーケロンを再現していく。

アーケロンは存在感の大きな生物だ。

丸形だから、長い生物より更に大きく感じる。

実際、淡水エイなどの大型の丸い生物は、非常に巨大に見えるものなのだが。

アーケロンもそれは同じである。

現在でも一トンにまで成長するオサガメが存在しているが。

オサガメもアーケロンよりは小さいものの、相当な存在感を周囲に示しており。

その迫力は中々に素晴らしい。

今回は。

新しいアーケロンを。

ゆったりした優しい海の長老という雰囲気から。

穏やかだが、時に烈火のように相手を襲う捕食者として。

描写を劇的に切り替える。

狙う相手は大型の生物ではないとはいえ。

その今までのイメージとはまったく異なる動きは。

恐らく客を驚かせるはずだ。

私も設定を軽く弄り。

論文にあったとおりのアーケロンを再現すると。

行動させてみる。

勿論本格的な再現ではなく。

シミュレーションで出来上がってくるものほどの完成度はないが。

それでも、やはりというか。

イメージが180°変わる。

海底に潜んでいるアーケロンは。

微動だにしない。

通りがかる烏賊の群れ。

そうすると、アーケロンはいきなり海底から飛び出すと。

凄まじい勢いで獲物に襲いかかる。

わっと逃げ散る烏賊の群れだが。

その内一匹をばくり。

更にもう一匹を咥えつつ、海上に躍り出る。

どっと海水を蹴散らしながら。

咥えた一メートルほどもある烏賊を、食い千切り。

そして飲み込む。

しばらく日を浴びて。

体内に熱を蓄えると。

海水を噴き出すようにして呼吸し。

そして海底に戻っていく。

此処はとても浅い海。

天敵になる凶暴な海棲爬虫類は殆ど入ってこない。

餌を採りに、彼らがいる外洋に出かける事もあるアーケロンだけれども。

今は餌を充分に確保できている。

だから敢えて危険を冒す必要などない。

それが、待ち伏せ型の捕食者、というものだ。

海底に貼り付く「静」。

そして獲物を一気に急襲する「動」。

亀とは思えないアグレッシブさに。

私も思わず見ていて何度も頷いていた。

これぞ大迫力。

こういうのを求めていた。

だが、これを得るために。

文字通りの阿呆と法的なやりとりも含めて、散々やり合ったのも事実。更には、それなりの金も消費することになった。

相手には相応の報いはくれてやった。

だがそれはそれとして。

エンシェントも、支払った対価の分くらいは、稼がなければならない。

そうしなければ、苦労が無駄になってしまうからだ。

金に幾ら価値が無い時代と言っても。

それくらいはしてもいいだろう。

少なくとも。

浪費した時間と。

法務部の苦労くらいは取り返さなければならない。

さて。

しばしして、プログラム班からメールが来る。

問題が出たという。

法務部には、既にシミュレーションの検証をして貰う学者との連絡はしてもらってある。快く引き受けてくれたそうだ。

だから問題はなかろうと思ったのだが。

これが、結構な問題だった。

論文の通り再現してみた所。

泳ぐ速度は問題が無い。

だが、体の熱を蓄える仕組みに問題が出てきているという。

詳しく話を聞くと。

浅い海とは言え、それでも海底に貼り付くという性質上。

変温動物特有の弱点。

自力で熱を作り出せない、という事が響いてくる、というのだ。

このため、ある程度の時間は海上に浮上する必要が生じてくる。しかも巨体なので、熱を蓄えるのにも時間が掛かる。

ひょっとすると。

狩りは現在の蛇などの大型爬虫類がそうであるように。

夕方などに行ったかも知れない。

そういう話だった。

ふむと、腕組みして唸った。

現在でも、例えば日本におけるカナヘビと青大将の関係性を取って見る。

小型のトカゲの仲間であるカナヘビは、朝から日光を浴び。

積極的に動き回って、餌を捕食する。

午前中は、青大将は熱を蓄えるためにじっとしていて。

カナヘビを積極的に襲う事はない。

だが。

夕方以降、充分に熱を蓄えると。

恐怖の時間が始まる。

体が大きいと言う事は、熱を蓄えると、それが中々外に出て行かないことを意味している。

青大将は、動きが鈍くなったカナヘビを容赦なく襲い。

エジキにしていくのだ。

この辺りは、変温動物の仕方が無い性能によるもので。

互いに弱点を補うため。

それぞれ工夫している。

カナヘビはデッドラインになる夕方以降は、さっさと身を隠すし。

青大将は、そのカナヘビを狙うべく、デッドラインを見極めて餌を探す。

勿論餌はカナヘビだけではないが。

少なくとも、青大将にとってはボーナスタイムとでも言うべき時間が夕方なのは事実である。

カナヘビにとっては悪夢の時間だが。

もしも、アーケロンがこれに近い性質を持っていたとしたら。

或いは日中は、砂浜に上がって、ぼんやりとしていたかも知れない。

打ち上げられた烏賊や魚を食べたりはしたり。

或いは此方を恐竜が狙っていたら海に逃げ込んだりはした可能性があるが。

海面に漂うよりも。

砂浜の方が、熱吸収の効率が良いはずである。

そもそも浅い海に棲息していた事が分かっているアーケロンだ。

遊泳力が高まって、深海に行けた可能性が出てきた今でも。

変温動物である以上、熱を蓄える必要はあるはずで。

それをどうクリアしていたかは課題になる。

シミュレーションの結果、それがモロに出てきた以上。

対応策を私は示さなければならない。

「海面に出る場合と、砂浜に出る場合の危険性をそれぞれ比べてくださいまし」

「分かりました。 すぐに対応します」

「……」

さて。

論文が根本的に間違っていた、という結論はどうにかして避けたい。

これほどアグレッシブに動き回るアーケロンは、確かに実現していて欲しい。

だが、もしもあり得ないとなったら。

例え赤字になるとしても。

それは諦めなければならないだろう。

エンシェントはワールドシミュレーター。

其処に趣味を入れてはいけない。

あくまでシミュレーションして、生存しうると判断したもの。

そして最新の学説。

両方を取り入れて。

初めてワールドシミュレーターと呼べるのだから。

私は自分の趣味を、あり得た現実に優先してはいけないと思っている。

それは浪漫と言えるかも知れないが。

だがワールドシミュレーターにおいては、生物に対する冒涜だ。

生物に対する私物化でもある。

悪しき例を多数見てきている私は。

それらの例を作った連中と。

絶対に一緒にならないと決めていた。

目にとまった論文が、革新的で心動かされたとしても。

明らかに動かしてみて、無理だと判明した場合はボツにする。

今まで、何度か実際にあったのだ。

数例しかなかったが。

その時は悲しかったが。

ボツを出すしか無かった。

さて、今回はどうか。

アーケロンは。

アグレッシブに、海を泳いでくれるのだろうか。

 

2、複数の困難

 

現在海に棲息しているウミガメは、泳ぐことに特化した体を持っている。造りからして、陸上に棲息している亀や。河川に住んでいる亀とは、完全に違ってしまっているのである。とはいってもこの程度の変化は、比較的容易に起きる。

例えば鯨と河馬は似ても似つかないが。

この二種は近縁種である。

勿論環境適応を開始し、分化したのは、6500前の大絶滅後。

つまり数千万年程度で。

生物は元と似ても似つかぬ存在へと変わり果てるのである。

亀がリクガメとウミガメで。

全く違うのも、まあ道理と言えば道理である。

それにしても今回のアーケロンの論文は。

呪われている。

そんな声が、既にスタッフから上がり始めていると聞いた。

まず第一に、最大の問題が蓄熱である。

現在生きている何種かのウミガメも、当然変温動物なので。

それについては様々な方法でクリアしている。

だがアーケロンの場合は大きすぎる体が問題になる。

そしてシミュレーションから換算される状況を見ると。

やはり浅瀬で暮らしていた生物だとしても。

海底に潜み。

餌を待ち伏せていたには無理が出てきてしまう。

幾つかのデータが出てきたが。

海面にて体温を補充するのは、自殺行為と言う結論が出てきた。

まあそれはそうだ。

白亜紀の海で。

ウミガメが海面近くでぷかぷか浮いていたら。

凶悪な首長竜や海棲ワニ類に襲われ、あっという間にバラバラに食い千切られてしまうだろう。

甲羅なんぞ何の役にも立たない。

ホオジロザメを遙かに凌ぐ顎の力で。

一瞬でかみ砕かれて終わりである。

ひれだけ持って行かれれば幸運な方。

ましてや、海面に浮かぶと言う事は。

首長竜たちが得意としていた、海底からの攻撃をモロに食らう事になるのである。それも、死角から。

例えアグレッシブに動けるようになっていても。

奇襲を喰らったらひとたまりもない。

現実でも、生物界最速を誇るツバメが。

蛇に時々捕食されることがあるが。

それと同じ。

殺気を感じ取る、何てことは。

修羅の世界を生きている動物たちにも難しいのである。

勿論相手の臭いや音で。

攻撃を察知することは出来るが。

あくまで其処までだ。

限界はある。

喰う側にも餌がなければ死ぬという現実があるから、手を抜く事は無いし。彼らだって必死なのだ。

さて、アーケロンは結局海岸で熱を蓄えるという結論になったが。

そうなるとまた問題が出てくる。

今度は恐竜が来るのである。

当時は肉食恐竜が当然最大級にまで発達していた。

いわゆるビッグファイブ、白亜期末の大絶滅の少し前に、南半球は大噴火の影響で既に壊滅していたが。

少なくともそれまでは。

全世界で恐竜は、元気に生態系の上位から下位まで幅広く存在していた。

勿論海から上がって来た鈍重なアーケロンなんて。

見逃す筈も無く。

好機さえあれば襲っていただろう。

体が小さい内はまだ良かったはずだ。

迅速に動き。

海に逃げ込むことも出来たし。

体熱を蓄えるまでに掛かる時間も短かった筈だから、である。

だが体が充分に成長したらどうか。

やはり大型の変温動物がそうであるように。

熱を蓄えるまでは、ろくに動けない。

そういう事態になった筈だ。

そうなってしまえば。

もう肉食恐竜のカモである。あっというまに襲われ、海に逃げ込む前にかみ砕かれてしまっただろう。

シミュレーションが上がってくる。

やはり、海岸線付近でひなたぼっこをするアーケロンを。

狙う肉食恐竜が出てくる。

当然だが、当時は草食恐竜も高い自衛力を持っていた。

有名なトリケラトプスなどは。

あの強烈な殺意に溢れた角。

更に群れを成すことで。

ティラノサウルスの攻撃を防ぎ抜いていたケースもあった様子だ。

化石に、体の一部をかみ砕かれながらも、生き延びたものが残っている。

そんな熾烈な状況下で。

鈍重な餌を見逃して良い道理などない。

生きるためにも。

肉食恐竜達も必死。

しかも彼らは恒温動物だった可能性が極めて高く。

餌も豊富に必要だっただろう。

陸に上がると言う事は。

相応のリスクを伴ったのだ。

アーケロンは、或いは。

発見されている大きさまで成長するのではなく。

そのくらいの大きさになると。

捕食される可能性が格段に上がってしまっていた、のではないのだろうか。

実は生きている限り環境が整えば際限なく成長する生物は実在するが。

そういう生物も、ある程度大きくなると悪目立ちして、捕食されてしまうケースが殆どである。

アーケロンも。

そうだったのだとすると。

説明がつきやすい。

とはいっても、シミュレーションはまだ未熟な状態だ。

そもそもかなり斬新な説なのである。

色々と不具合が出てくるのは当然とも言えるし。

何よりこれが現実的にあり得たのか、というのを。

今検証している段階なのだから。

頭を振って疲れを払うと。

シミュレーションで出てきた問題と。

改善すべき内容をまとめたものを、メールして貰う。

此方で目を通しながら。

論文に矛盾しない範囲で、修正できる部分は私が指示していく。

海の中を颯爽と泳いでいる間は良い。

だが海面で。

砂浜で。

体熱を補給している間のアーケロンは。

従来の復元図よりも。

更に生きづらそうにしているように見えて。

シミュレーションだと分かっているのに。

私は開発機で、何度も心苦しく思ってしまった。

勿論現在のエンシェントにもアーケロンはいるが。

此方はゆったりと浅い海を巡回している従来のモデルで。

素早く動けない代わりに。

素早く動く必要がない。

人間が船で彼方此方を略奪し、悪の限りを尽くしていた時代だったら。

クラーケンと勘違いされたかも知れない。

クラーケンは蛸や烏賊と思われている事が多いが。

クラゲや、島のようなものだったという証言も残されている。あくまで伝承上の動物だが、イメージと資料は乖離するケースが多いのである。

アーケロンだったら。

その凄まじいサイズからしても。

クラーケンと勘違いされても、おかしくは無いだろう。

そもそも今回は。

論文を使えるようにするまでが、本当に大変だった。

それまでで私も精神的に疲れていたから。

ちょっと休む事にする。

一度湯治に出る。

どうせ今回は長期戦だ。

エンシェントの運営は軌道に乗っているし。

気にする必要はない。

あくびをしながら、いつもの温泉に向かう。

ベルトウェイですれ違う相手はいないものの。

コテコテのメイドスタイルのルックスをしたロボットが。

何か買い物をするべく出てきていた。

うちは普通にロボットと一目で分かるものにしているが。

まあセクサロイドを兼ねているタイプだろう。

私もその内男性型に世話になるかも知れないし。

別に偏見もないので。

そのまま通り過ぎる。

温泉に到着。

すっかり顔なじみになったのか。

温泉で働いている唯一の人……経営者だろう。その人から、笑顔で挨拶される。私も頷くと、料金の支払いなどは連れてきているロボットに任せる。

基本的に他人と直接会話しないのが現在の「普通」だが。

今日は、相手が話を振ってきたので。

温泉には世話になっていることもあるし。

応じる事にする。

なお相手は、人が良さそうなおっさんだ。

「いつも温泉を利用してくれてありがとうねえ」

「いえ、ストレスで色々体にガタが来ていて」

「その年でかい」

「今時はこの年でもありますよ」

それで察したのかも知れない。

私の場合社長という高ストレスな仕事だ。

適性はあるが。

或いは人間と接することそのものがストレスになっている可能性も低くないと、医者には言われている。

だから会話も早めに切り上げると。

温泉で休み。

オンドルに潜り込むと、タブレットを操作して、メールを確認。

また、追加で解決しなければならない問題点が上がって来ていた。

まずシミュレーションで動かすと。

現時点では、生き残れない。

砂浜で休む形式を採用しているが。

その場合、現在発見されている四メートル級になる頃には、肉食恐竜のエジキにされてしまう。

だが、そうなってくると。

どうすればいいのだろう。

少し悩んだ後。

崖の下や。

或いは磯などで休む方法についてはどうか、確認をして見る。

例えば崖を背にした場合。

肉食恐竜はそう簡単に襲ってくる事はないし。

何よりも気にしなければならない方向を、相当に限定することが出来る。

これは身を守るために非常に有利だ。

浅い海で暮らしていたと言う事は。

そういった場所は熟知していたはず。

砂浜には、或いは産卵のためだけに上がった可能性もある。

それも夜の間にさっさと上がり。

さっさと産卵して海に戻る。

まるで現在のウミガメのように。

砂浜には、限定した状況でしか上がらなかったのではあるまいか。

可能性についてシミュレーションして結果を出すよう指示。

その後は、オンドルでひたすら眠る。

起きだしてから、ゆっくり背伸びし。

そして帰宅するが。

その時、此処の経営者らしいおじさんは、声は掛けてこなかった。多分私の高ストレスについて、AIに可能性を指摘され。

それで喋らない方が良いと判断したのかも知れなかった。

此方としてもその方が助かるので。

向こうのAIには感謝である。

まあ今の時代は。

AIは人間の最も身近で有用な道具にして。

客観を人間に持たせる者。

よほどの事がなければ。

AIの重要性を、ましてや誰もが義務として側に置かなければならないAIの言う事を。理解出来ていない者はいないはず。

あの温泉の経営者は。

そうだった。

幸いにも。

それで私はかまわない。

帰宅してから、自分で開発機に入り。

シミュレーションをチェック。

そうしてみると。

出るわ出るわ。

問題が大量に出てくる。

さてはこの論文を書いた博士。

体の衰えよりも、頭の衰えを自覚できていなかったな。

そう思った。

だが。論文自体には確かにセンスがあったし。

興味深いと思わされるものもあった。

だから、自分から積極的にシミュレーションの内容をチェック。

更にはタスクの状態を開発機で確認して。

チャートがかなり進展が遅れていることも、しっかり把握した。

さて。

此処からどうするか。

砂浜ではなく。

どうにか崖下などの、襲われにくい地形でアーケロンが体熱を補給するという説については。

シミュレーションで動かしてみると。

かなりしっくりきた。

だからこれはそのまま行く。

問題なくこのままでいいだろう。

だが、他にも問題は幾つもある。

体熱を補給し。

夕方から夜に掛けて狩りをするとして。

恐らく子供の頃のアーケロンと。

大人の頃のアーケロンでは。

狩りにでる時間帯も違ってくるはずだ。

ティラノサウルスも、群れで暮らしていたらしいが。

敏速に走れる子供と。

鈍足だが力が強い大人で。

役割分担をしていた、という説が出てきている。

まあこれについては私は眉唾だと思うのだが。

変温動物になってくると。

この傾向は更に強くなってくるはずだ。

例えばまだ体が小さい頃のアーケロンは、多分砂浜に出ても大丈夫だった筈。悪目立ちしないし、動きも素早い。

新しい復元図のアーケロンは、ひれも力強く長く、泳ぐのに適しているだけではなく、砂浜をかなり敏速で動けたはず。ただし、サイズが小さければ。

だからサイズが小さい子供のうちは、砂浜で体を温め。

日中に餌を取っていた。

それで間違いないだろう。

だが体が大きくなってくると。

そうはいかなくなってくる。

多分本能に刻まれていただろうが。

体を温めるための崖下などを探し。

其処で体熱を補給。

そして狩りの時間も。

日中から夕方に、やがて夜へと変わっていく。

勿論それでも、襲われる場合は襲われただろう。

だから休む場所は、群れで利用していたのでは無いか。

そういう説を提示して。

シミュレーションさせる。

少しずつ、形になっていく。

良い事だ。

ただ「格好いい」だけだった生き物に。

生きていくための理屈がきちんと付与されていき。

未完成だった理論が。

完成に近付いていく。

こう言うとき、ワールドシミュレーターは便利だ。

他の生物が存在していて、それぞれ独自に考えて動いているのだから。

無理があればすぐに分かる。

もっとエンシェントの完成度が上がってくれば。

或いは、此処を。

科学者が利用してくれるようになるかも知れない。

環境を此方で提供して。

科学者が実験をする。

勿論金は取るが。

実験の結果新しい事実が明らかになれば。

それは素晴らしい事である。

エンシェントは現時点では、ワールドシミュレーターでも、「動物園以上」の段階だけれども。

これが科学者達も認める、「過去世界のデジタル再現」になったら。

或いはその時こそ。

私に取って。

夢が完成形になる時、かも知れない。

開発機から出る。

AIに警告されたからだ。

仕事の熱量が上がり。

つい労働時間が延びていた。

重要度が高いメールが来ていないかを確認した後。

自分が見つけた問題点をメールしておく。

後は、プログラム班の仕事だ。

横になって休む。

さて、アーケロンは。

きちんと形になって。

エンシェントで力強く泳いでくれるだろうか。

それだけが。

今は心配だ。

 

3、海を飛ぶ

 

アーケロンが海を高速で泳ぎ。

真下から大型のアンモナイトを捕食。

そのまま殻ごとかみ砕き。

飲み込む。

現在のウミガメも、烏賊やクラゲを補食している。優れた生物モデルである烏賊を襲って食べている。

それだけ素早いと言う事だ。

アーケロンも現在のウミガメとはやり方は多少違うものの。

その優れた遊泳力で。

当時主流だった頭足類であるアンモナイトを襲い。

こうやって喰らっていた。

だったらいいのだが。

会議に出て、羅列された問題点をプログラマー達と再確認する。皆が頭を悩ませている問題を、一つずつ解決していく。

まずひれを食われた化石が残っていると言う事だが。

これは化石として残っていると言う事は。

当然捕食者がアーケロンを狙ったことを意味している。

まあ当時の海は魔界だ。

遊泳力を多少上げたくらいでは。

アーケロンでも太刀打ち出来ない相手が幾らでもいただろう。

海棲ワニ類はまだ良かっただろう。

既にアーケロンのいた頃には絶滅していた魚竜はともかく、首長竜は恒温動物だった可能性もあり。

そうなってくると、運動性能が根本から違っていた可能性も否定出来ない。

むしろ外洋で大物を狙う大人の大型首長竜ではなく。

小型の首長竜が。

アーケロンをカモとして狙った可能性もあり。

それは否定出来ない。

彼らも魔界で生きた海の覇者達だ。

アーケロンもとても油断できる相手ではなかっただろう。

「社長、その」

「何ですの」

「今回は、とても厳しい案件ですニャー」

「論文を手に入れるのは大変でしたのだ。 それは分かりますのだ」

「……」

何が言いたいかは分かる。

これは問題だらけだから。

切り上げるなら判断は早い方が良い。

もしも間違った判断に固執すると。

傷を拡げる可能性が大きい。

そう言いたいのだろう。

分かっているから、私は何も言わない。

彼らの意見が出尽くすのを待つ。

「確かに遊泳力が上がったアーケロンは、幾つかの問題を解決しました。 しかしそれ以上に、新しい問題を生じさせているのです」

「現時点での問題を絞り込むには、シミュレーションを重ね、工数を費やすしかありませんですニャー」

「もしも止めるのであれば、判断はお早く」

「そうですわね」

分かっている。

だが、私は。

まだこの論文のアーケロンには、充分な可能性がある、と判断している。

だから私は咳払いすると。

ティラノサウルスのアバターで、皆を睥睨した。

「現状、エンシェントの収入は黒字で安定しており、来期はまたボーナスを出せるかと思いますわ」

「……」

「要するに、慌てなくても大丈夫、と言う事ですのよ。 勿論時間は有限ですけれども、私も支援しますので、後二週間。 時間を見繕って、シミュレーションを続けて、可能性を探してみるのですわ」

「分かりましたニャー」

言いたいことがあるなら言うように。

そう付け加えると。

古参のプログラマーが、重い口を開いた。

「今回は論文を使えるようになるまでで、既に相当に面倒なハードルが立ちふさがりました。 今後の事を考えると、皆気が滅入っています」

「その件は法務部が解決しましたわ」

「分かってはいますが、実際に論文通りに動かしてみると問題だらけ。 オカルトを信じる訳では無いのですが、何というかこの論文に皆苦手意識を持ってしまい始めていると思います」

「なるほど、ね」

まあそれも無理はないか。

私は少し時間をおいてから。

敢えてゆっくり言う。

「分かりましたわ。 此方も最大限の協力をしますので、この論文に可能性があるかどうかを、徹底的に調べますわ」

「しかし……」

「論文に関しての法的な問題はクリア。 後は精神的な問題ですし、それさえ片付けばどうと言うこともありませんのよ」

「確かにそうかも知れませんが」

そうかも知れないではない。

そうなのだ。

会議を終える。

ジャッジにも、AIは異議を唱えなかった。

ログアウトしてから。

嘆息。

プログラム班は相当参っている。

とは言っても、参っているのは私も同じだ。

そもそも学者でもない輩が、利権目当てに論文を握り続け。

散々ごね倒し。

やっと手に入れてみれば。

彼方此方かゆいところに手が届いていない。

これでは、プログラム班や。シミュレーションをしている人間が音を上げるのも無理はない。

だが、それでも。

アーケロンには魅力がある。

古代生物は美しい。

だからエンシェントを作っている。

そうではないのか。

自問自答した後。

ベットでごろごろ左右に転がり。

AIにぼやく。

「モチベーションを上げる、何て事は言いませんわ。 効率化に何か良い手段はありませんの?」

「現状から考えると、この論文からは手を引くのが最適解かと思います」

「ああ、そう言うと思いましたわ」

「しかしながら、アーケロンの生態については、客観的に見てもこの論文に正解がある可能性を否定出来ません。 エンシェントを優れたワールドシミュレーターにしたいとマスターが望むのであれば。 このまま時間をある程度区切った上で、作業を続けていくのもありでしょう」

ふむ。AIがそう言ってくれるか。

ならば、やるしかあるまい。

メールを幾つか出す。

そして私はAIに言い含める。

これから全力で集中して開発機にもぐって作業する。

アーケロンを徹底的に観察し。

プログラム班と連携して。

問題点を解決するべく動く。

だから、無理をしていると判断したら即警告しろと。

後、休憩用のカプセルもすぐ使えるようにしておくようにと。

「分かっています。 いつもそのようにしています」

「念押しですわ」

「それだけ気合いを入れて臨みたい、と言う事は分かりました。 此方でも、全力でサポートさせていただきます」

「有り難くて涙が出ますわね」

勿論嫌みだが。

それに対してAIが嫌みを返してくるような事は無い。

ただ機械的に対応するだけだ。

私は頬を叩くと。

開発機にログイン。

まずは崖下に集まっているアーケロンの側に移動する。

開発機で、開発者権限でログインしているのだから、何でもありだ。

今は楽しむつもりはないので。

呼吸とかそういうのは一切無視して。

空中で作業している。

現状エンシェントのあらゆる生物が私に触ることが出来ず。

認識も出来ない。

空を飛びながら、アーケロンのパラメーターを徹底的に確認。会議でも上げられていた問題点を一つずつ洗い出していく。

そして丁寧に修正案を出し。

その都度メールをして行く。

時間も止めて。

アーケロンについて、徹底的に分析を続けていく。

見ていて頷けるのは。

この遊泳力の高いアーケロンは、生物としては理にかなっている、と言う事だ。

その一方で、甲羅を背負った生物としては、大きすぎるというものも確かにある。

例えば現在も棲息し、数を順調に増やしているガラパゴスゾウガメ。

幾つかの島で絶滅した固有種も、復活プロジェクトが進められている。

これらガラパゴスゾウガメは、とにかくあまりにも大きすぎるため。

その甲羅があからさまに枷となっている。

重すぎるのだ。

確かに鉄壁の防御を誇るが。

ひっくり返された場合などは、起き上がることは出来るには出来るが。それも大変に苦労する様子である。

生活のあらゆる全てが。

甲羅に邪魔されてしまっている。

大きくなりすぎたアーケロンもまた。

それは同じだったのではあるまいか。

オサガメなどの、似た姿をした生物も色々と研究はして見るのだが。

しかしながらも、そもそも白亜紀の海と、現在の海では、環境があまりにも違いすぎている。

オサガメを積極的に脅かす敵はそれほど数が多くないのに対して。

白亜紀の海でオサガメを放ったら、生き残れるかはかなり微妙な所だろう。

また一つメールを送る。

そして止めていた時間を動かし。

更に海中に移動。

アーケロンを動かし。

更には、浅瀬にも来ていただろう首長竜の仲間に襲わせる。

色々なシチュエーションで。

勿論首長竜は様々なサイズを準備。

四メートルくらいのものから。

十五メートルに達するものまで。

主に遠洋でくらしていた大型首長竜だが。

海岸にアザラシを狙って来るシャチ同様。

海岸に来てもまったく不思議は無い。

色々試してみるが。

遊泳力を上げたアーケロンは、かなり機敏な機動を見せ。

相手の攻撃を、かなり回避する事が出来るようになっている。

ただしやはり食われるときは食われる。

大型の首長竜に襲われた場合は。

その凄まじい顎で。

甲羅ごと食い裂かれるし。

小型種にひれを抉られ。

そのまま逃げられる事も多かった。

頷きながら、メモを取り。

徹底的にデータの分析を続けていく。

AIに警告されたので、開発機を出る。

そしてメールを見て、チェック。

幾つか、これは無理とか、これは行けるとか、非常に簡潔な内容で、私のメールに対しての回答が返ってきていた。

皆カツカツなのだ。

返事をしてから。

後はカプセルで休む。

オンドルが効果がある。

それを理解したAIが。

カプセルの環境をオンドルに近いものにしてくれる。

大変に気持ちが良いが。

ホンモノには及ばないか。

とはいっても、地上にあるホンモノのオンドルは。

どうなのだろう。

温泉にある、擬似的に再現したオンドルより気持ちが良いのだろうか。

こればっかりは。

本当に地上に降りてみないと、分からないだろう。

眠るようにと念押しされたので。

これ以上ぶちぶち言われる前に寝る。

数時間眠った後に起きだし。

軽く体を動かしてから。

すぐにメールをチェック。

改善点が増えてきている。

開発機にログインする。

しばらくは。

この作業の繰り返しだ。

 

指定した二週間ギリギリ手前で。

此方で解決できる問題は、あらかた片付いた。

本当に大変だった。

論文を何度もチェックしつつ。

無理がある場所は除き。

生かせる場所は生かし。

実際に存在しうるかを確認しながら。

アーケロンを仮想空間動物園、エンシェントにて再生していった。

いきいきと泳ぐアーケロンを会議で流すが。

皆へとへとになっているのが分かる。

昔、ペンギンが泳ぐ様子を見られるように最初に工夫した動物園では。その姿をペンギンが飛んでいるようだと、感動してスタッフが涙を流したという噂もあるが。

今の我々は。

そんな気にはなれなかった。

やり遂げるとか。

やりがいとか。

そういうのはどうでもいい。

とにかく休みたい。

誰もがそう口にしていた。私も同じなので、彼らを責めない。

これは美談ではない。

私は嬉しかったし。

仕事としては「やりがいがある」分野には入っただろう。

だが、それと疲弊とは話が別。

ワールドシミュレーターである以上、他にも住んでいる生物はいるわけで。

彼らはプログラムであるとはいえ。

それぞれの生き方に沿って動いている。

である以上、彼らをないがしろにするわけにはいかないし。

何よりも生態系が組み上がっているところに手を入れるとなると。

生物一種でも。相応に苦労はある。

それが、あまり無理がない範囲であればいいのだけれど。

今回のような、大型、それもかなりの大型生物が、相当なアグレッシブさで動き回るような改変となり。

その生物にとっても相当な無理がある改変だと。

やはり大変なのは、どうしようもないことだった。

私はあくびをかみ殺しながら。

会議を出来るだけ手早く進める。

流れはいつも通りに。

法務部に指示。

その後咳払いすると、まず私が見つけてあるアーケロンの専門家に、このデータを渡し、シミュレーションに問題が無いか確認。

問題が無いか確認できた後は。

バグ取りをしている間にCMを流し。

そしてバグ取りや最終調整が終わった後。

アップデートを告知。

一般客へ解放を行う。

以上である。

「流れはいつもの通りに。 それではお願いいたしますわ」

「はい。 分かりました」

「プログラム班は、法務部の作業が終わるまでしっかり休んでくださいまし」

「有難うございますニャー」

解散。

此処からは法務部の仕事。

プログラム班は、昔のような寿命を削るような仕事ではなかったにしても。それでも疲れ果てただろう。

私から直に休むように声を掛けて。

休んで貰う。

私はソファに転がってぼんやりしながら、法務部が判断を求めて来たときに、応えられるようにする。

いずれにしても一段落だが。

今までで一番大変だったのではあるまいか。

AIに確認。

例の論文を最初に持っていた奴。

今はどうしているか、確認。

SNSで散々叩かれた後。

今はすっかり大人しくなって。

仕事を普通にやるだけになっているのだとか。

まあそれなら別に良い。

SNSで炎上するのは私も経験したことがあるし、結構辛いものだが。

彼奴の場合は。

完全に自業自得だ。

だから私は、特にコメントを持たなかった。

横になって休んでいると。

法務部から、学者へ接触したと連絡があった。

シミュレーションの確認をして貰う。

この時、この学者とも手続きをしなければならないので、いつもとは色々と作業手順が異なる。

普段は論文を持っている学者とその辺りも含めて交渉してしまうのだが。

今回は論文を書いた学者が既に死んでいる事。

論文が政府所有に移っていること。

学者が資格を持っていて、政府の所有している論文にアクセスし、それに関するデータを精査すること。

それぞれの手続きをしなければならない。

勿論此方でだ。

学者にもお金を渡さなければならない。

まあ金なんかどうでもいいが。

手続きの工数が色々厄介である。

昔と違ってお役所仕事では無いので、任せられる部分はAIにやらせてしまって問題ないのだけれども。

それでも、学者本人と接する事などは。

法務部に苦労して貰う事になるだろう。

丸一日この作業で掛かり。

私はソファで休みながら、問題発生時に備えていたが。

今までの呪われているにも等しい状況からか。

どうにか、これ以上のトラブルは起きなかった。

まずは一息、と言う所だが。

まだまだ本番はこれからである。

学者へシミュレーションデータを渡す。

アーケロンを一とする亀に関する研究をしている学者で。

れっきとした実績を持っている人物だが。

他人の論文に関するデータを精査しなければならないことや。

普段とは手続きが違う事で。

色々面倒くさそうにしていたという。

まあ仕事はしてくれた。

かなりの駄目出しが出てきていたので。

プログラム班に対応して貰う。

そして二度目の修正案を出して、それもまた少数の駄目出しが出た。

学者側も神経質になっている。

それが、法務部がメールで送ってくるやりとりを見て、私にも一目で分かるほどだった。大変だな、としか言えない。

昔は私がこれをやっていたから。

その分が地獄だった。

まあ精神的な体調を崩してしまった今となっては、負荷分散をしているが。

それでも他者がその分苦しんでいると思うと。

あまり笑顔にはなれない。

まあ当たり前の話である。

私に取っては、やはり人間は出来るだけ、色々な意味で接触したくない相手だし。今後もそれは変わらないだろう。

二度目の駄目出しに対応して貰い。

それを提出して。

ようやくOKが出た。

完成品を見て、私もCMに修正を入れ。

完成版を法務部に渡す。

後は、法務部の仕事だ。

法務部も一人でやっているわけではなく、役割分担を徹底しているので。この辺りはそれぞれの負担も小さい。

一人ずつが手早く動き。

そして対応をして行く。

スタッフはげんなりしているようだったが。

あくまでワールドシミュレーター、エンシェントの通常業務だ。

出来るだけ完成度が高い世界を。

それには最新の学説を取り入れた、量子コンピュータで動くかどうか確認した生態系を再現。

それによって、初めて。

エンシェントは完成に近付く。ワールドシミュレーターとして、その存在は確立される。

古代生物が好きだからこそ。

この苦労にもどうにか耐えられる。

私は人間を軽蔑しているが。

古代生物が好きなことには。

今の時点でも代わりは無いし。

今後も変わる事はないだろう。

CMの修正が完了。

駄目出しが出された部分はかなり多く。CMに反映しなければならない部分も当然かなりあった。

それらを全て修正し。

その結果、どうにかCMも見られる出来になった。

この手の個人製作映像は、今ではそれほど手間暇掛けずに作る事が出来るが。

それでも今回は本当に色々ときつかった。

ため息をつきながら、法務部にCMを納品。

後は、いつもの流れ通りに。

そう指示した後。

私は湯治に出向くことにした。

少しずつ改善していた体調が。

今回の悲惨な苦労で。

ほぼ全て台無しになってしまっていた。

 

湯治から戻り。

更に幾つかの細かい作業を終えた後。

法務部と連携し。

その後の作業に入る。

とはいっても、此処からは殆ど流れ作業だ。私はメールでやりとりをしながら、問題点について対応を返答。

そしてアップデートのGOサインを出すだけである。

まあここからが。

今まで同様大変なのだが。

まず、実際にホンモノを流し始めた後。

SNSでトラブルが起こる可能性がある。

これはSNSというものが登場してからというもの。

絶対不可避であって。

どんな専門家がいても。

突発的に起きる事故のようなものだ。

そして事故のように起きてしまうのなら、相応に対応して、処置をしなければならない。

SNSの炎上は対応が兎に角厄介だが。

それはエンシェントがらみも変わらない。

私がこの辺りも対応していた頃は。

兎に角大変だった。

精神もゴリゴリすり減らされた。

だが、それでも今は負荷分散のおかげで。

対応は楽になっている。

さて、新しいアーケロンは。

どう客の目に映るか。

まあそれはどうでも良いが。

価値が伝わるか。

そっちには興味がある。

今回は本当に大変だったが。

客にとっては、此方の苦労など、それこそどうでもいいのである。その真理については、昔も今も変わっていない。

アップデートと。

ツアーを開始。

ツアーについては、少しずつ毎回修正し。

今回もやはり、亀の歴史について解説しながら。

現在のウミガメと対比しつつ。

アーケロンについて、どのような生態を持っていたのか、見せていくスタイルを取った。

勿論、自分で好きなようにアーケロンを見るプランも用意している。

細かく自分で設定も改変できる。

これらは一人でログインする仮想空間だからこそ出来る事であって。

複数人でログインするシステムの仮想空間(現在では滅多に存在しないが)では、あってはならないシステムだ。

さて、後は構えていれば良い。

現時点でも今までの売れっ子コンテンツはスタンダードに稼いでくれている。

稼ぎについては気にする必要も特にない。

私は特に大きな問題が出るまではただ見ていればいいだけなので。

たまにプログラム班に連絡し。

バグの確認と。

発生した場合は即座の修正を。

指示するくらいで良かった。

アップデートが行われてから半日ほど。

法務部から連絡が来る。

重要度は中、だった。

なるほど、ちょっと厄介な問題発生か。

内容について確認すると。

SNSの方で、炎上だそうである。

ただしエンシェントが直接炎上しているわけではなく。例のごうつくばりの方が、二次炎上しているようだった。

どうも今回のアップデートそのものは相応に好評らしい。

客の満足度も高く。

想像を絶する巨大な亀が。

海の中をダイナミックに泳ぐ様子は。

非常に見ていて好感度が高いそうだ。

餌も小型のものが中心なので。

残虐シーンとしては映りにくいらしい。

まあ何を殺そうが、捕食すれば残虐シーンには違いないと思うのだけれども。それはまあ敢えて突っ込まない。

問題は、これを見た客が。

散々ごね倒した元論文所有者を叩き始めたことで。

更にエンシェントでの再現度が高いことが。

炎上を拡散させているという。

「如何しますか」

「此方に飛び火しない限りは放置で」

「分かりました」

こっちとしても。

異常なごね方をした相手のことは、まったく良く想っていない。典型的なクレーマーであり。

地球時代だったら、タチの悪い団体とかに所属して、ろくでもない事をしていたかも知れない。

そんな輩が酷い目にあうのは、文字通りの自業自得だし、私としては知った事ではないので。どうなろうと、好き勝手に。というかざまあみろとさえ言いたいが。それについては何もしない。

敢えてそんな事を口にすれば。

炎上が自分の身に移る。

それが目に見えているからだ。

なお炎上している相手は、完全に沈黙。

別アカウントをSNSで立ち上げて反論するようなこともないそうだ。

なおやつが勤めている会社に確認もしたが。

炎上で相当精神的に参っているらしく。

私のように、SNSから離れることを医者に提案されているらしい。

私は結果的にSNSから離れることになった。

だがこいつの場合は自業自得。

医者としても、客だから扱ったということで。

あるいは社会的にもあまりいい影響を与えない炎上というものを、できるだけ早く沈黙させるための措置だったのかもしれない。

ともかく、うちは手出ししない。

監視だけはする。

そのスタイルを伝えると。

私は、そこそこに好評なアーケロンツアーが、客足を自然と伸ばしている曲線と。売り上げ予想は三日後、ということだけを告げられ。

後は、ゆっくり寝て休むことにした。

この状況なら、もうしばらく大きなトラブルはおきまい。

おきたとしても。

それは仕方がないものだとして、あきらめるべきだ。

そう私は判断していた。

 

4、島は浮かぶ

 

アーケロン見学ツアーと並行して、恐竜のアップデートが行われたこともある。

恐竜に関しては、今も積極的に研究が行われていることもあって、専門のスタッフが定期的に更新をかけている。

しかもアーケロンと恐竜がいた時代は同じ白亜紀である。恐竜はジュラ紀にもいたが、まあ白亜紀についでに観光、という客もいたのだろう。

アクセス数は相乗効果もあって伸び。

最終的にはボーナスをまた出せるほどにまで行った。

まあお金がそれほど価値を持たない今の時代だ。

プログラマーをはじめとするスタッフには、感謝の気持ちとしてボーナスを出すのである。

私は感謝している。

一人では、とてもではないが、この難局を乗り切ることなどできなかっただろうから。

スタッフへの感謝を終えると。

私は病院に出向く。

今回の件で、かなり疲弊がひどい。

それについては自覚もしていたし。

AIに指摘もされていた。

だから、しっかり精密検査を受けておこうと思ったのだ。

病院では、医者がむっとした様子で待っていた。

また無理をして。

顔にはそうかかれていたが。

こちらとしては、返す言葉もないとしか、言うほかはなかった。

「せっかく回復してきていたのに台無しですね。 いいですか、あなたは体をかなり疲弊させてしまっているということを、忘れてもらっては困ります」

「すみません。 今回は本当にいろいろ大変で」

「AIに断片的な情報は提示してもらっています。 負荷分散は、更に進めたほうがよいでしょう」

「……わかりました」

頭を下げどうしだが。

これは此方が悪いのだから。仕方が無いと言える。

医者に謝った後。

精密検査を受けて。

色々薬を貰った。

丸一日を潰してしまったが。こればかりは仕方が無い。精密検査が終わって、後は帰る。しばらくは食事も見直せと言われたので。帰った後にロボットが出かけてきて、食材を色々仕入れに行くそうだ。

病院が提示したメニューにするそうである。

げんなりするが。

こればかりは仕方が無い。

そもそも判断としては。

アーケロンの論文を持っている相手が、完全にスジ者同然だった時点で、手を引くべきだったのだろう。

だがワールドシミュレーター、エンシェントへの愛着が。

それを許さなかった。

古代生物の画期的な論文を私物化する好意への怒りが。

それを認めなかった。

結局私は苦労を自分から背負い込んで。

会社の金も使い込むことになった。

想像以上の黒字にはなったが。

今回の件は、自業自得だと自分でも理解出来ている。だからあまりこれについて、口にすることはない。

「マスター、オンドルの環境を再現しました」

「てか湯治に……」

「駄目です。 湯治では、食事まで良いものが出る訳ではありません」

「分かりましたわ……」

カプセルに入る。

確かに気持ちいい。オンドルと区別が付かない。

しばらくぼんやりして。

それから、ロボットが作った料理を口にする。

凄く味気なくて。

オンドルでゆっくり休んだことが、全て台無しになるほどだったが。それも我慢はする。これは仕方が無い事なのだから。

溜息がこぼれるが。

どうしようもない。

法務部から、SNSでの反応がまとめて送られてきたが。

ざっとだけ目にする。

エンシェントは最近目立って良くなってきた。

そういう意見が多い。

アーケロンも大迫力だと、好評だった。

大迫力だが、残酷ではないところが良いと言う。

そんな的外れなコメントもピックアップされていた。

法務部は単にAIで無差別収集しただけだろうから、別に私に気を遣ったわけではないだろう。

まあ気を遣われても困るが。

いずれにしてもげんなりである。

捕食に残酷もクソもあるか。

相手の命を奪う行為である、という点には何ら変わりはないのである。

である以上、それは残酷である。

その程度は、教育を受けている以上、理解して欲しいものなのだけれども。世の中そう上手くはいかないのが、厳しい所である。何だかこの世の縮図を見せられるようで、胃が痛む音が聞こえる気がした。

またオンドル状態にしたカプセルに潜り込むと。

其処でしばらく寝ている事にする。

だが、こうやって無理矢理疲れを取って。

本当に意味はあるのだろうかと、自問自答してしまう。

私は此処でこうしていて。

ちゃんと生きていると言えるのだろうか。

エンシェントのスタッフも。

本当はうんざりしているのでは無いのか。

別にうんざりされるのは良い。

私は人に好かれようなどと思っていないからである。

だが、それにしても。

エンシェントを作るのは私一人では無理だし。

スタッフとは、顔を直接あわせないにしても。

ある程度は上手にやっていかなければならない。

アーケロンを見に行く。

海をダイナミックに泳いでいる大亀は。

同時代に存在した捕食者達が、本格的な狩り場にしていた遠洋には出ていかないものの。浅い海で、悠々堂々と生きている。

この姿を見られただけで。私は満足するべきなのだろうか。

私はしばし口をつぐんだ後。

頷く。

それでいいのだと。

私はエンシェントを作りたいのであって。

誰かに好かれたい訳では無い。

誰かを喜ばせたい訳では無く。

私が喜びたいのだ。

エゴイスティックかも知れないが。

そもそも私はこれに関わる人間に報酬は惜しんでいないし。

ああだこうだ言われる筋合いは無い。

社員にブラック労働だってさせていない。

地球時代の会社じゃあるまいし。

しばし、無言でアーケロンとのツアーを楽しんだ後。

私は、再びカプセルに潜り込み。

重要度高のメールが来ない限り起こすなとAIに指示し。

後はぐっすりと眠る事とした。

 

(続)