始まりの魚
序、始めに光あり
魚類は短期間に進化した生物だ。直角貝の天下が終わった頃には、ダンクルオステウスが海の中で我が物顔に振る舞うようになっていた。ダンクルオステウスは顎を本格的に活用し、海の中での覇者となり。
それが逆に徒となって滅びていった。
魚類ごと滅びなかったのは本当に運が良かったとしか言いようが無い。
もしそうなっていたら、今の地球の生態系は大きく変わっていただろうから。
では、更に前の魚類はどうだったのだろう。
頭足類が圧倒的な強者であり。
海を超ド級の頭足類、直角貝が支配していた頃には。
魚類はまだまだ発展途上の生物に過ぎなかった。
そして更に戻っていくと。
カンブリア紀に。
魚類の先祖が出現する。
色々な説があるが。
その中でも特に画期的な存在が。
ハイコウイクチスである。
まだ骨すら持たなかったこの生物は。
顎も当然まだ持っておらず。
その代わり、ついに目を獲得した。
目を獲得することと。
骨はないが筋肉を上手く活用する事で素早くなった。
素早く敵の接近を察知し。
素早く逃げる。
二つの意味で素早さを活用したことで。
己の身を、当時の頂点捕食者であるアノマロカリスから守る可能性を上げる事が出来た。
カンブリア紀の生物は、環境適応のためにあらゆる試みを行ったが。
この魚類の始祖とも言え。
脊椎動物の始祖とも言える生物は。
まずは目を獲得することで。
速さを獲得したのである。
そしてそれは、大いに画期的な環境適応の手段へとつながった。
環境適応の過程で、光を必要としなくなった生物の中には。
この貴重な存在「目」を捨ててしまった者も存在はしているが。
カンブリア紀に登場した脊椎動物の祖は。
まずは目を獲得したことで。
その環境適応を開始し。
更にはやがて骨を得て。
少しずつ、生物としての完成度を上げていくこととなる。
それは何よりも偉大なる一歩であり。
年がら年中戦争を行い。
無駄な殺し合いで資源を浪費し続けた人類などよりも。
遙かに偉大な歴史の一歩。
生物としての発展の一歩だとも言える。
またハイコウイクチスはまだ顎を持っていなかった事もあり。
肉を食い千切ることは出来ず。
プランクトンを濾過食していたと思われ。
素早い動きを得意としていた割りには。
温和な生物だった、という事である。
彼らの子孫があのダンクルオステウスである事を考えると。
その凄まじい変貌ぶりには驚かされるが。
ともあれ最初の魚は。
不肖の子孫どもとは違って。
平和的で温和な生物だった、という事である。
面白いからと言う理由で大量虐殺をし。
弱肉強食という理論を曲解してエゴを好き勝手に通すような生物に子孫がなった事を知ったら。
彼らは呆れたことだろう。
私は論文を見ながら思う。
今度見つけてきた論文は。
魚類の。
そして脊椎動物の祖である。
ハイコウイクチスの更に先祖。
もっと古い魚類の貌。
仮に始祖魚類とでも名付けておくべきか。
いずれにしても、そういった存在である。
勿論骨もなく。
目の原型をようやく獲得し。
更に口も小さい。
動きもハイコウイクチスほど素早くなく。
海底近くで、プランクトンを食べていた。
原初の、更に原初の存在。
泳ぐことは出来たが。
其処まで速くもなく。
生存能力が決して高くは無かったが故に。
数を増やすことで。
どうにか捕食者に食い尽くされるのを防ぐ。
そういった事をしていた生物だった。
だが、それはそれで未来への道筋を作るための環境適応の過程。それを見て「弱い生物」だとか抜かしたり。
その時点で生き残れなかったら「可能性がなかった」とかほざくのは。
後の時代の環境適応した脊椎動物全てを侮辱する行為であり。
ただの阿呆の戯れ言でしかない。
研究はどんなものでも、免許を取って行えば補助金が出る。
今の時代では学者はそうやってあらゆる研究をしているが。
それは何が役立つか分からないため。
何が今後の未来に大事になるか分からないため。
かのエジソンは、電球を作り出すために数千回の失敗をした。もしも、最初の失敗で、可能性がないとかほざいて研究を投げ出していたらどうなっていただろう。
人間如きが弱肉強食を曲解し、可能性を語るというのは。
そういう事だ。
人間から見てどんな滑稽な生物であっても。
環境に適応した結果、どのような影響を与えるかは分からない。
それが真相であり。
人間程度はその程度の事もわからない低脳だと言う事だ。
今回の論文はこの生物を扱おう。
私はそう決めると。
まずは事前に決めているとおり。
AIに、学者の人物像を徹底調査させた。
この間の失敗で懲りたからである。
なまじ知能指数が高いからか。
学者の適性持ちには、AIがサポートしていても、それでもどうしようもない変人が多数いる。
これは仕方が無い事ではある。
元々特定分野に適性を持っている人間は、尖った性質を持っている事が多く。
それをスポンサーが使いこなせてこそ。
大きな実績を上げられるのである。
逆に言うと、他と同じに無理矢理矯正することは最低の悪手で。
才覚を潰してしまう事になる。
一時期国ぐるみでそれをやった結果。
大半の人材を潰してしまい。
滅亡寸前にまで行った国家も存在した。
悪しき例として。
真似してはならない事である。
ほどなく。
AIが調査の結論を出した。
「やはり相当な変わり者のようですが、その一方で排他性攻撃性はそれほど高くは無い様子です。 法務部に任せても大丈夫でしょう」
「ならばそのように」
「分かりました」
AIが法務部にメールを出す。
この辺りは全て任せてしまって問題ないのが嬉しい。
昔だったら或いは。
AIにメールを出させるとは、人間に対する冒涜だとか、意味不明の怒りをまき散らす脳みそが沸き立った輩がいたかも知れないが。
今の時代、AIと人間が一緒に働くのは当たり前で。
どんなに優れた知能を持つ人間でもAIの補助を受けている。
故にその手の寝言をほざく人間は。
余程の例外だけである。
しばしして、法務部が仕事をした。
学者と接触。
論文の使用許可を取り付けた。
この間のような事にはならず。
学者も快く引き受けてくれた。
では、ここからが。
エンシェントの腕の見せ所。
古代生物を論文の通り再現し。
アップデートする。
そうすることで客を呼び。
そして多くの人に楽しんで貰いつつも、古代生物のその姿を満喫して貰う。
エンシェントは仮想動物園だ。
仮想空間にあるワールドシミュレーターの一種だから。
其処ではアクセスした人間が何でも出来る。
本当だったら、実際にスキューバして動物の至近で見て欲しい。
だがそうもいかないのが悲しいところで。
今でも透明な専用車両でのツアーが主体で。
殆どのユーザーが、それを使っている上。
エンシェントのUIは不便だとか。
ユーザーフレンドリーではないだとか。
そんな意見までもが飛び交っているのが事実だった。
色々法務部が調査をしてくれているし。
他の仮想動物園を調べてくれてもいるのだが。
これといった、効果のある「ユーザーフレンドリーなUI」というのはまだよく分かっていない。
どうすれば客は満足してくれるのか。
それは未だによく分からないのが実情だった。
ともかく。プログラマー達を集めて、会議を行う。
今回はハイコウイクチスの更に先祖。
始祖魚類とでも呼ぶ存在だという説明をすると。
皆沸き立った。
「脊椎動物共通のご先祖様ですのだ」
「それをいうなら、以前扱った古細菌もそうですのニャー」
「確かにそうですが、より近いですね」
「問題はその魅力を如何に伝えるか、ですわ」
そう私が口にすると。
皆黙り込む。
それが如何に困難かは。
皆分かりきっているのである。
そもそも爬虫類は気持ち悪いとかほざくのが人間だ。
陸上の脊椎動物は、爬虫類から分化した。
これは恐竜も鳥類も哺乳類も同じだ。
哺乳類の先祖である単弓類などは、モロに爬虫類だし。
一部では恐竜の仲間であるなどと勘違いもされるほどである。
むしろ馬鹿な子供とかは、哺乳類の先祖が爬虫類である、という話をしたら。その人間を馬鹿にするだろう。自分がバカである自覚も無しに。
文字通り。
人間とはその程度の生物だから、である。
「今回は、脊椎動物の先祖と言う事で一部の原理主義者がまた絡んでくるかも知れませんし、法務部にはきちんと対策を事前にさせますわ。 幸い最近法務部はしっかりした成果を上げてくれているので、信頼出来ますが」
「エンシェントが攻撃を受けた場合容赦のない反撃をするという情報は、既にSNSでは話題になっていますのニャー。 その辺りは心配しなくても良いと想いますのニャー」
「そうだといいのですけれども」
「ともかく、我々は論文を見ながら、今回の始祖魚類をしっかり仕上げますですのだ」
「お願いいたしますわ」
AIにジャッジさせ。
OKが出たので会議を切り上げる。
今回は十分。
ちょっと長めか。
AIが仕切るようになってから。
会議というものは極めて短く終わる。最長でも三十分ほどである。
昔の会社では、これを数時間もやっていたらしいが。
文字通り工数の無駄である。
しかもその自覚さえなかったらしいので。
はっきり言って救いようが無い。
ともかく、会議は終わった。
会社全体がしっかり動いている事を確認した後。
私は軽く伸びをして。
開発機に入る。
現在のカンブリア紀の状況を再確認しておくためだ。
アノマロカリスが元気に泳いでいて。
三葉虫を一とする様々な動物に対して、頂点捕食者として君臨している。
だが頂点捕食者というのは。
環境が変われば真っ先に転落する存在だ。
まさに驕れる平家も久しからず。
ろくでもない歴史ばかり作り出す人間だが。
この言葉だけは正しい。
今回、このカンブリア紀の環境に。
ちょっとしたアップデートを加える。
そもそもカンブリア紀はエンシェントでも人気があるコンテンツ。
古代生物のアイドルであるアノマロカリスを見に来る人がたくさんいるから、である。
また大きすぎる動物がいないのも人気の理由らしく。
見るだけで恐怖を煽られるような巨大生物がいないことで。
ゆっくりできるのだとか。
何だかよく分からない話だ。
カンブリア紀は現在と環境が違いすぎるから。
人間が下手に足を踏み入れたりしたら、速攻で死ぬだけなのだが。
それが落ち着く環境とか。
どういう思考回路なのだろうと、首を捻ってしまう。
この辺りからして。
古代動物園を経営していて、それが故に人間という生物が分からない。
私も人間だが。
私が他の人間と思考回路が著しくずれていて。
今だから良いものの。
昔だったら家族含めた周囲全てに迫害され。
場合によっては殺されていただろう事も知っているから。
人間に心を許すつもりにはなれなかった。
カンブリア紀の環境からログアウトすると。
AIに指示してチャートを表示させる。
立体映像で表示されたチャートを見る限り。
私がCMを作る時間は充分に捻出できる。
また、社員に無理もさせずに済むだろう。
結構な話だ。
「チャートは問題ありませんわね。 何か懸念事項はありますの?」
「いえ。 現時点で社内に問題はありません。 また、この間のリードシクティスの人気がまだ続いていまして、SNSでもまだトレンドに上がっています。 その結果、アクセス数は底上げされています。 このタイミングで魚類の先祖のアップデートをするのは、正しい判断かと思います」
「いや、そういうつもりではなかったのですけれども」
「偶然だったとしても悪い判断では無いと考えます」
頭を掻く。
まあ良いか。
AIは客観的に思考することが良いところなのだから。
そういう意見が出ると言うことは。
私はあまり心配しなくても良い、と言う事だ。
ともあれ、次のアップデートに向け。
社員達が仕事に集中できるように、環境を整える。
それが私の仕事だ。
社長というのは会社で一番偉い人間などでは無い。
会社の命運を肩に乗せ。
会社の金を配分する人間だ。
だから忠誠心を得られるかは。
社長であるから、ではなく。
社員達の生活を向上させ、その仕事をやりやすくする事に掛かっている。
王は国家第一の奴隷、などという言葉もあるが。
社長は会社第一の奴隷だ。
私もその程度の事は自覚しているから。
せっせとその作業をする。
ストレスは激甚で。
湯治をするようになった今でも、まだ解決は仕切れていないが。
それでも自分がするべき事については、理解しているつもりだ。
ロボットに肩を揉ませながら。
論文を元に、始祖魚類のモデリングを作る。
これは大まかに、だ。
後でプログラム班が作ってきた完成版に差し替えるので、多少は適当で良い。
こうしてみると、まだまだ環境適応に余地があることが分かる。
これでもそれなりに素早く動けたようだが。
まず軟骨を得て。
それから硬骨を得る。
そうすることで体内に芯が通り。より頑強な体と、しなやかな動きが実現できるようになる。
そして顎を手に入れる事により。
より獲物を捕らえやすくなり。
逃がさないようにすることも。
獲物をかみ砕いて仕留める事も出来るようになる。
ダンクルオステウスは多少過剰すぎる顎を備えていたが。
以降の脊椎動物で顎が必須の存在になった事からも分かるように。
顎というのは、それほど優れた発明だったのである。
まだこの時代の。
魚類の中でももっとも原始的な生物は。
顎を持っていない。
だが、それが故に。
私にはむしろいとおしかった。
しばし目を細めてモデルを見やると。
私は作業の進捗を一度確認し。そしてCMをどうするか、本格的に考え始めたのだった。
1、社長会合
人間同士があまり接触する事がなくなったこの時代だが。
それでもSNSなどを利用し。
同じような立場の人間が会合を持つことはたまにある。
あくまでたまに、だが。
私も面倒くさいながらも。
声を掛けられたので。
参加することにした。
別に動物園関連の社長ばかりではない。
バーチャルアイドルの事務所社長。
SNSの運営会社社長。
ロケットの部品製造工場社長。
色々な社長がいて。
皆適性持ちだ。
SNSで軽く話し合うだけ、という体で始まった会合だが。最初から、あまり空気は良くなかった。
それぞれが何をやっているかを軽く自己紹介したが。
私が仮想動物園の社長だと名乗ると。
いきなり揶揄が飛んだのである。
AIがそれを咎め。
そして謝罪してきたが。
いきなり気分が悪い。
どうやら娯楽全般に対する偏見を持っている人物らしい。
ベルトウェイ製造の会社社長らしいのだが。
何か勘違いをしているのではあるまいか。
現状では、確かにベルトウェイは外に出て、コロニー内で移動する時にはとても役立つが。
そもそも家から一生出ない人間もいる時代である。
別に必須のインフラでは無い。
それが、「たかがお遊びだから」とかいう理由で。
仮想動物園を貶すというのは。
あり得る話では無い。
此奴が社長の会社はさぞ大変だろうなと、むしろ社員の方を心配してしまったのだけれども。
私は更なる不快感を、立て続けに味あわされることになった。
年齢をそれぞれが名乗っていく。
13と私が名乗った瞬間。
またしてもさっきの社長が、露骨に馬鹿にして掛かって来たのである。
たかが13の人間程度に出来るお遊びが。
会社事業と言えるか、と。
あまりにも露骨だったので、今回の会合を開いたAIが警告。
もう一度問題発言を起こした場合、ペナルティが課せられると宣言したが。
涼しい顔である。
どうやら完全に舐めて掛かっているらしい。
立て続けにそいつは。
私に対して言った。
「ガキが会社なんか持っててもしようが無いだろう。 俺に資産ごと寄越せや。 有効活用してやるよ」
「はい退去」
「おい、ふざけ……」
AIがペナルティを課し。
社長が会合から放り出された。
その上で、かなり重い罰が降される。
SNSにて、会社が実名公開され。
社長の凶行が全て公開されたのである。
会合前に、このペナルティについてはきちんと説明されていたのに。
ろくに聞いていなかったのだろう。
案の定SNSは大炎上。
更には、警察も動き出したようだった。
元々目をつけられている会社だったのかも知れない。
まああの言動だ。同格の社長相手に、である。
社員相手にどう振る舞っているかなど。
見なくても見当がつく。
しばし気まずい沈黙が流れたが。
やがてそれも終わった。
「気に為されるな。 ああいうのはどこにでもいる」
バーチャルアイドルの事務所社長が、私にフォローを入れてくれる。
昔は芸能界関係者と言えば、反社。要するに反社会的団体、指定暴力団やマフィアとつながっているのが当たり前だったのだが。
反社が駆除され死滅した今の時代では。
ごくまっとうな仕事になっている。
この社長も、ごくごく良心的な性格なようだった。
会合を主催しているAIが、最初にあのような人物が混ざってしまった事を謝罪。皆がそれを受け入れる。
それから、会合が本格的にスタートした。
「今回の会合の要旨は、それぞれの会社で抱えている問題と、それについての話し合いです。 それぞれ気楽にお願いいたします」
「分かりましたわ。 それでは私から」
腹がむかむかすることもある。
さっさと言いたいことは言ってしまおうと思ったので。
私が最初に発言。
それを咎める者は他にいなかった。
まあ私の心情を察したか。
AIが補助したのかも知れない。
「私の仮想動物園では、UIについての不満が出ています。 仮想動物園を訪れる客が、ユーザーフレンドリーなUIではないという不満をたびたび口にするのです。 様々なUIを用意しているのですが、どうしても満足していただけなくて。 何か良い案はないでしょうか」
「仮想空間でのUIは、基本的にこれといった決定版を一つ用意して、後はカスタマイズ案を並べ、その他には支援AIつきでの詳細設定が出来るようにするのが基本ですね」
「はい、そのようにしています。 その決定版が気に入らないようなのです」
「ふむ……」
社長達が真面目に悩んでいる。
それぞれの本名、経営している会社などは明かさないという条件での会合だ。
だから、大まかなアドバイスしかできない。
だが、あまりにも問題のある発言をするようなら。
最初に放りされた阿呆のように、ペナルティもある。
故に緊張感のある中。
大まじめに考え。
案を出さなければならない。
「UIについては、うちの会社でも相当な苦労をしました。 かなりの金額と工数を掛け、近年ではやっと満足いただけるものを用意できたと自負しています」
そう言ったのは、コロニー間を航行するロケットの会社社長だ。
ベルトウェイがそうであるように。
旅行用のロケットなんぞ、今時別に必須の技術では無い。
逆に輸送用のロケットは政府が抑えていて。
会社も存在していない。
だから、別に態度は偉そうでは無かった。
それが当たり前なのである。
そもそも、社長だから偉い、と考える方がおかしいのだ。
それに気づけていない人間が。
どうしてさっきの阿呆のように、社長になれたのか。
その方が謎だ。
「此方でも、UIについては困っていますね。 色々な要望が来るのですが、取り入れるとそれに対する不満が来る。 得てしてお客様は兎に角我が儘だと言う事で、ある程度諦めるしかないのかも知れません」
「それは言えていますね」
「うちもUIについては苦労しています」
そうか。
うちだけではないのか。
いずれにしても、アドバイスとして有用そうだと思ったのは。
金を掛け。
丁寧にし。
分かり易く。
そしてカスタマイズもしやすい。
そういうUIが理想、と言う事だった。
そうなると、うちでもUI専用の社員を雇うべきなのかも知れない。これだけの会社が手間取っているという事は。
UIというのは、今後会社にとって、非常に重要な要素になるのかも知れなかった。
社長になる時、研修は受けている。
UIは簡単なのが理想で。
必要になったらカスタマイズ出来るようにする。
そしてサポートは可能な限り充実させる。
それが理想だと。
その通りにやってきてはいる。
多分此処にいる社長皆がそうだろう。
それにしても、皆が苦労していると言う事は。
今の時代、それだけ社長は皆、苦労しているのかも知れなかった。
他にも色々な話を聞く。
社員の問題行動については、ほぼ話題が出ない。
今の時代、会社が駄目なら容赦なく社員が離れる。
当たり前の話で。
無理をしてまで、会社で働く理由も無いし。
サポートAIが法律面での支援もしている。
社員が無力で。
会社に搾取されていた時代とは違うのだ。
社員の方も、AIがサポートしていることからも、不正はしづらい。
さっきのアホ社長のようなのがいる場合は。
会社が長持ちしない。
恐らくあの社長、社長になったばかりだったのだろう。
そして調子に乗っている内に。
気がついたら社長として終わっていた、というわけだ。
まあどうでもいいが。
話題になる問題は。
やはりユーザーとの接し方。
勿論違法行為をするユーザーは論外だが。
客を呼び。
定着して貰い。
そして良い関係を構築するには。
それは、何処の会社でも、頭を悩ませている事のようだった。
幾つかの事例が挙げられるが。
他人事では無いと私も感じる。
ほどなくして。
会合は終了した。
軽く会談した後、切り上げる。
ふと先ほどのバカについて調べたら。
もう会社が倒産していた。
まああれだけの事を、社長が集まる会合でやらかしたのだ。元々問題行動も散々起こしていたのだろう。
炎上発生から、社員が間髪入れず内情の告発をしたのかも知れない。
今頃あの阿呆は。
家で発狂しているかも知れないが。どうせすぐに警察に踏み込まれる。逃げる方法など存在しない。
あんなのがどうなろうが文字通りすこぶるどうでも良いので。
仮想空間からログアウトした地点で、既に忘れていた。まあ、AIには動向を監視するように指示しておいたので、問題は無いだろう。それにベルトウェイの会社の場合、倒産したら事業はすぐに別の企業が引き継ぐ法になっていたはず。社員達のためにも、その方が良いだろう。
あんな阿呆が社長をしていたら。
社員達が可哀想だ。
それにしても、今の時代にもあんなのがいるとは。
AIによる支援があって本当に良かった、としか言えない。
まあいずれにしても長続きはしなかっただろうが。
一秒でも早く滅びるべきものが。
今日まで生存してしまった事自体が問題だ。
私は頭を掻き回すと。
チャートを確認。
特に遅れは出ていない。
法務部に連絡して。
先ほどの会合のログを分析して貰う。
勿論ログは全世界に公開されている。
そんな中であのような発言をしたのである。
あの阿呆がどれだけの阿呆だったかなど。
言うまでも無いだろう。
「これは災難でしたね。 既に査察が入って、問題が露見して会社が倒産したようですが……」
「あれで見過ごされるようだったら法治国家は終わりですわ。 それはそうと、倒産した会社の阿呆は」
「社員に対する違法行為が発覚し逮捕されています。 経営陣は既に新しい人員に変わっているようですね」
「ならば結構……」
流石に今の時代。
逮捕まで速い。
多分有罪判決が出るまですぐだろう。
そして実刑になれば。
後は監視がつく。
二度と会社社長に返り咲くことは無いだろうし。
此方が迷惑を被ることもない。
まったく、いやな会合だった。
嘆息すると、作業に戻る。
CMを作っていくが。
今回は始祖、というのを重点に置く。
骨を持っている。
顎を持っている。
それが如何に重要なのかを。
巨大な体格を持つに至った恐竜と。
強力な顎で水中の覇者になったダンクルオステウスを使って。
効果的に描写する。
その後、始祖魚類を描写。
まだ顎を持たず。
骨も持たない。
それでも相応に動けるが。
やはり出来る事は限られてくる。
目も構造が未熟だ。
だから目があれば避けられた攻撃で捕らえられたり。
骨や肉があったら出来た動きができなかったりして。
捕食されてしまう。
だが、それでも彼らは環境適応を努力した。その結果、彼らは生き延び。そして環境適応し。
目を。
顎を。
骨を。
順番に手に入れ。
そして最終的には、魚類として、世界中の海に拡がっていった。
うむ、これでいいだろう。
実際にはもっと複雑な経緯を経た、というのはどうでもいい。
ともあれ、脊椎動物の進化の節目にある生物として。
まだ脊椎動物では無いこの始祖魚類が。
重要だった、という事を分かり易く伝えられればそれでいい。
CMにストーリー性は必要ない。
そう散々言われて来たし。
もう今更ストーリーをCMに盛り込む必要もないだろう。
後はこれを、シミュレーションの結果上がって来たものと差し替えて。
可能な限りブラッシュアップすればそれで良い。
私は社長として。
後は総括管理をしていけばいい。
少し休むようにAIに言われたので。
それに従う。
まずい薬を飲んで。
ソファに横たわると。
先ほどの会合について言われた。
「お気になさいませんように。 この時代になっても、やはり人間は知的生命体とは言い難い、と言うだけの事です」
「分かっていますわ。 それにしても、どうしてああいうのが社長になるのか……」
「適性の検査には問題はありません。 いずれにしても、問題を起こした人間のデータは蓄積されます。 いずれ有効に対応がなされるとは思います」
「だといいのですけれども」
ぼんやりとしている内に。
少し眠っていた。
目が覚めると。
少しからだが重い気がする。
熱があると言われたので。
カプセルに入って、風邪の初期消火に努める。
風邪なんか引く要素は本来ないのだが。
たまに体内の免疫を高めるためにワクチンを入れ。
その結果、少し体調を崩す事がある。
とはいっても、ワクチンなしで重篤な病気にかかるよりマシ。
これは仕方が無いものだと割切って、諦めるしかない。
ぼんやりしていると。
メールが来た。
法務部からだった。
内容は重要度中。
一応確認しておくと、どうやらリードシクティスのヒットの件で、取材を申し込みたいというネットメディアがいるらしい。
まずネットメディアの素性の調査。
それから取材の内容についての確認。
相手が作ってきた記事の内容確認。
それらを済ませてから、もう一度メールを寄越すようにと指示。
此処で、「自分で考えて動け」とかいうつもりは無い。
此処で指示を出すのが社長の仕事だから、である。
昔のクズ社長と同じになるつもりはない。
何でもかんでも出来る部下を奴隷労働させ。
利益だけは自分で独占する。
そんな事をやっていたから地球は滅び掛けた。
誰もがしる事実を。
今更私が再現するつもりは無い。
小さくあくびをすると、熱っぽい頭でぼんやりと考える。
AIに、出来るだけ考えない方が良いとアドバイスされたけれど、今はちょっと考え事がしたかった。
「私は思うのですわ。 6500万年前に隕石が落ちなかったら、地球はもっとずっとマシな時代になっていたのではないかと、ね」
「ふむ、恐竜から発生した知的生命体によって、ですか」
「そうですわ」
「こればかりは、何とも言えませんね。 何しろ実証できるデータが存在しません」
まあ、そうかも知れない。
実際、恐竜は極めて優れた能力を持った生物だ。
6500万年前の破滅がなかったら。
知的生命体が環境適応の結果出現していたかも知れない。
それがどんな知的生命体になったかは。
誰にも分からない。
相当に知能が高い恐竜が出現していたのも事実だ。鳥の知能の高さも、それに起因しているとも言われている。
哺乳類から環境適応した類人猿よりも。
恐竜から環境適応した恐竜人類の方が。
まだ可能性があったのではあるまいか。
「分かっているのは、極小の可能性を通り抜け、地球人類が奇跡的に宇宙進出を果たし、破滅を免れた、と言う事です。 地球人類が地球で資源を食い尽くして破滅する可能性は極めて高かったでしょう。 あまりにも多くの幸運が重なりはしましたが、それでも地球人類は宇宙進出を果たすことが出来ました。 結果は、それだけ、ということです」
「……」
そうか、まあそうだろう。
結局は可能性の問題だ。
類人猿から発生した人類は、自分を万物の霊長とかほざくクソ生物で。自滅しなかったのが不思議なくらいのカスだが。
恐竜から発生した恐竜人類が、それよりマシだった可能性は、分からないとしか言いようがない。
いずれにしても、分からないとしか言えないのが悲しいところだ。
どれだけシミュレーションをしても。
この結果は変わらないだろう。
人類はたまたま奇蹟を得られた。
それだけだ。
その奇蹟にしても、先人の努力に寄るものでもなんでもない。
AIにもし強烈な欠陥があったりしたり。
宇宙に出た後に色々綺麗に解決したりしなければ。
今頃宇宙で人類は果てしない殺し合いをしているか。
もしくは宇宙に進出しただけで、滅亡していた可能性も決して低くは無いだろう。
そういうものだ。
しばらく休む。
熱はほどなく引いた。
体を維持するために必要なための熱だ。
勿論問題があれば相応の処置はされただろうが。
ワクチンによる微熱だし。
最悪病院にいくだけ。
特に問題は無い。
起きだすと私は、口を引き結んだまま。
CMのブラッシュアップを続ける。
今回の仕事は、今のところ順調だ。
エンシェントに問題は起きていないし。
この間のリードシクティスのヒットが、未だに黒字を大きくしてくれている。
SNSは直接見ないようになったが。
それでも問題があれば法務部が知らせてくれる。
法務部が何も言ってこないという事は。
何も問題は起きていない。
そして法務部は人間だけではなく。
AIも管理に参加している。
もしも人間が悪意を持って情報を止めていたら、AIが通報してくる。そして人間にAIを買収する手段はない。
開発機に入り。
自分で確認を軽くする。
カンブリア紀の生態系を自分でもう一度よく見て。
このCMに問題点がないか確認するのだ。
ワールドシミュレーターである以上、其処に問題があれば顕在化して分かる。
これでも私は、専門家なのだ。
しばらくアノマロカリスと混じって泳いでいたが。
問題は無さそうだと判断。
浮上し。
そして開発機からログアウトした。
さて、このまま何も起きなければ良いのだけれど。
そう私は思うが。そう上手く行くはずも無いだろう。
ここ最近は呪われているのでは無いかと疑いたくなる程にトラブルが多発している。念入りに対策をしているにもかかわらず、である。
である以上、今回も何か起きる可能性は高い。
いや、既に起きた。
社長会合で、あんなのと遭遇した直後だ。
これから更に何か起きても不思議では無い。
泣きっ面に蜂、だったか。
二度ある事は三度ある、だったか。
そういうことわざは。
少なくとも私には、そのまま突き刺さるものだと考えて差し支えないだろう。
憂鬱だが、少しずつやっていかなければならない。
私は社長だ。
だからこそに。
病院に行くことはあっても。
会社を支える事から逃げる訳にはいかなかった。
2、構造複雑化の結末
環境適応して行く過程で。
生物は様々な種を産み出していった。
まず脊椎動物と無脊椎動物。
そして脊椎動物は。
魚類。
両生類。
爬虫類。
そして鳥類。哺乳類。
大まかにこれらを誕生させていった。
いずれも環境適応の結果であって。「進化」の結果ではない。
また「進化」した生物の方が強いわけでも何でも無い。
そも「進化」という言葉がそも間違っている。
良い例を挙げれば、爬虫類である蛇の好物の一つは哺乳類の鼠である。大型種になると人間を捕食する種も存在する。
これだけを例に挙げても分かるように。
進化と言う言葉が如何に薄ら寒いかは、明らかである。
体は環境適応に応じて複雑化していった。
だがそれが必ずしも優れていたかは。
話が別なのだ。
だから環境適応という言葉が近年では使われるようになり。
進化と言う言葉は過去の遺産となっていった。
今、私は。
始祖魚類を見ている。
骨もなく。
顎もなく。
目もまだ原始的。
それでも彼らは生き。
やがて骨を持つ生物へと、バトンをつないで行った。
進化では無い。
その方が環境に対して有利だったから、適応した。
それだけのことである。
退化という言葉も同じように。
忌むべきものと考えるべきだろう。
単に生物は環境に適応した。
飛べない人間を恐れなり鳥などは。
そういった例の一つ。
飛ぶという高リスク行動を必要としなくなったから。
飛ばなくなっただけ。
それだけのことであって。
其処には進化も退化もない。
環境適応があっただけ。
戦闘力は低下したかも知れない。
だが戦闘力が高い生物が、環境が変化すると生き残れるかというと、それはまったく別の話だ。
知能が高ければどうか。
同じ事だ。
白亜紀の末期には。
知能が高い恐竜など幾らでもいた。
それも環境の激変には耐えられなかった。
早い話が、知能が高かろうが、戦闘力が高かろうが。
環境の激変には耐えられない。
必要なのは環境適応能力であって。
強さでも。
知能でもないのである。
此処で外来種をばらまく阿呆が、したり顔で弱い生物は滅ぶべきだとか言う寝言を垂れ流すことがあるが。
これもまた間違っている。
その環境において再適応した生物に対して、無理な環境を適応すれば。
それは短期的には劇的な変化をもたらすが。
やがて反動が返ってくる。
生物の世界では、何が何を抑えているかまったく分からないのが現実だ。
もしも新しく入ってきた生物が、踏み荒らした結果。
とんでも無い生物が大繁殖を開始し。
それが病気を媒介でもしたら。
それこそ未曾有の大災害になる。
人間が知的生命体では無いと、AIが断言する理由がこれだ。
弱肉強食という言葉を、無法を正当化するために用い。
己の楽しみのために、目先の利益を優先し。
挙げ句の果てに大量殺戮を笑いながら行う。
地球史上もっとも愚かな生物。
それが地球人類である事は、疑いがないだろう。
私は古代生物を見ればみるほど。
生物のバトンを引き継いできた、環境適応を続けて来た生物を見ればみるほど、それを思い知らされる。
例えば両生類にしても。
当時海で押され気味で、川に環境適応した魚類が。
その過程で陸上に上がる必要に駆られ。
環境適応した結果。
少しずつ、出現して行ったのだ。
まずは浅瀬で動きやすくするために。
水が少ない場所で動きやすくするために。
彼らは強いからその形質を手に入れたのでは無い。
弱いからその形質を手に入れたのだ。
これだけで、したり顔で阿呆がほざく「弱肉強食」の理屈は崩れ去る。
其処にあるのは環境適応であって。
環境に適応することによって、様々なものが生まれ出る。
戦闘力が強いか弱いか。
知能が高いか低いか。
そんな事はまったく環境適応には関係無い。
実際問題。
知能が高いと自慢していた人類は。
地球を丸ごと巻き添えにして、滅ぶ寸前までいったのだから。
文字通り最悪の欠陥生物だったのを。
「人間賛歌」などというナルシズム丸出しの代物で、正当化していた、というだけに過ぎないのである。
始祖魚類に対して、微調整が掛かっていく。
まだ出来ない事が多い生物だが。
環境が激変していくカンブリア紀の中。
必死に適応すべく、出来る変異を繰り返していく。
その結果、本来だったらあり得なかった形質を持つ者が優位に立ち。
群れの中で主になっていく。
それが環境適応。
私が見ている前で。
その過程にいる生物は。
ワールドシミュレーターの中。
過酷な時代を生きている。
カンブリア紀の生物たちは。
それこそ実験場に放り込まれたに等しかった。
刻一刻と様々な変化が試され。
どうすれば環境に適応できるかを、あらゆる生物が試し続けた。
偉大なる海の雄である頭足類が生まれたのも、カンブリア紀である。
魚類も。
滅びてしまったが、三葉虫。
それにアノマロカリスも。
みな、カンブリア紀に生まれた。
いずれもが、何らかの形で後世に影響を残した。
この始祖魚類も。
その点は同じだ。
私はだから。
この始祖魚類は、見ているだけでいとおしい。
海底近くを泳いでいる。
海底からの攻撃を防ぐために、海底スレスレでは無く、あくまで少し上を。
そして上から襲ってくる最大の捕食者、アノマロカリスを避ける為にも。
海底から離れすぎないように。
砂色の背中は。
アノマロカリスを警戒するため。
目が見えなくとも。
そういった特質に環境適応した存在が。
海の中で生き延び。
結果として繁栄していったのだ。
だいたい形は出来ただろう。
後はシミュレーションを実際にして見て。
出てくる問題点を学者に投げて。
それが片付いたら。
アップデートをする。
その前にCMを流す。
いつもの流れだ。
CMについては出来ている。順調だ。
チャート通りに進んでいるし。
タスクの中でも処理が出来ていないものはない。
バグ取り専門の要員を雇ったのは大正解だった。
非常にタスクの処理がスムーズになったし。
工数そのものが圧縮できるようにもなった。
それ自体は一見すると人員の拡張とも取れ、給金を余分に払うことのようにも見えるのだが。
そもそも人員を増やすのは、長期的な目で見れば会社のためだし。
人材育成をするのは、社会のためだ。
当たり前の事をしているだけであって。
何の問題も無い。
まあ目先の事しか分からない人間には、愚かな行為に見えるのかも知れないが。そんな連中は放っておけば良い。
それだけだ。
念のため、会議を開いて。
進捗を確認。
此方でもチャートは確認しているが。
問題が起きていないか、丁寧に目を配るのは。
社長としての責務である。
今の時代、会議はすぐに終わるので。
社員達にとっても大した負担にはならない。
幾つか、話を聞く。
その中で、妙な話をされた。
「シミュレーションで、一つだけおかしな挙動があって、解決できずにいます」
「おかしな挙動?」
「はい。 それが一部の始祖魚類が、不意にアノマロカリスに寄っていくんです」
「……ふむ」
それはいわゆる、一種の自殺行為と言う奴ではあるまいか。
レミングスのそれが有名だが。
あれは実際にはデマだと言う事がわかっている。
だが、自然界には。
自殺を意図的に選ぶ生物がいる。
例えばアブラムシだが。
数が増えすぎると、なんと天敵であるテントウムシを呼んで、仲間を食わせるケースがある。
アブラムシでさえ知っているのだ。
無闇に増えすぎると、破滅につながるだけだと言う事を。
同じようにして、敢えて死を選ぶ生物は他にも何種類かいるのだが。
それではないのか。
私はそう指摘するが。
どうやらちがうらしい。
「その可能性も考慮したのですが、どうも違うようでして。 卵を持っている個体なども、同じ事をすることが分かっています」
「法則性は見つけられませんの?」
「いえ、なんとも」
「少し気合いを入れて調べている所ですニャー。 もう少し社長にはお待ちいただきたい所ですニャー」
チャートを見る。
バグ取り用の期間はきっちり設けてある。
現時点で、既に前倒しで作業をしている状況なので。
今の時点では何の問題も無い。
更に言うと、別にアップデートの時期が多少遅れたところで、会社には何ら損害は生じない。
困る事が一つもない以上。
私がどうこう言うつもりは無い。
「別に慌てることもないので、心配せず作業を進めてくださいまし。 もしも問題がどうしても解決できないようなら、早めの連絡を」
「分かりました」
ぺこりと頭を下げられる。
なお、バグ取り用に雇った社員なので。
専門家であるはずなのだ。
嫌な予感はどうやら当たったらしい。
今の時代、高度な催眠教育で、誰もが高度な知識と技能を身につけることが出来る。適性もあるから、プログラマーとして就職してきた筈なのだ。
それなのに分からない、ときた。
此方でも確認をする必要があるだろう。
少し調べて見る。
まず開発機に入ってみて、条件を再現。
ざっと数万ほど、始祖魚類の個体を調査。
条件を変えながら。
その動きを、丁寧に観察する。
その結果、確かにおかしな動きが見られた。
アノマロカリスが現れると。
殆どの始祖魚類は海底近くに隠れ。
その付近で、海底に紛れて脅威が去るのを待つ。
当たり前の行動だ。
目がまだ不完全とは言え。
臭いなりなんなりで。
アノマロカリスという最大の脅威の接近は、感じ取れるのだから。
何しろカンブリア紀でも桁外れの巨体を誇る生物である。
見ていると、三葉虫もさっと砂の中に潜り。
他の生物もせわしなく隠れている。
それだけ暴君は。
圧倒的な力を持ち。
驚異的な存在だったという事である。
始祖魚類だけが、変な動きをしている。
これだ。
一つの例に着目。
一匹の始祖魚類が、不意にアノマロカリスに近付き。
一瞬で捕食された。
まあ当然の結果である。
ざっと分析をするが。
周囲に仲間がいて、それを庇ったわけでもないし。
年老いていて、おかしくなっている様子も無い。
海底に捕食者もいない。
確かにおかしい。
勿論バグ取り班の仕事なので。
これ以上の詮索はやめておくが。
心には留めておいた方が良いだろう。
どうも嫌な予感がするのだ。
ここのところ、ろくでもない事ばかりおき、ストレスが心を蝕んでいる。心だけではなく体もだが。
だから、オカルトなどは信じないにしても。
それでも、何か嫌な予感を覚えて、身構えてしまう。
私もまだまだ脆弱だと言う事だ。
これが何かとんでもない事につながるのでは無いかと考えてしまう。
しばし溜息をついてから。
AIに軽く相談する。
AIは、明快に応えてくれた。
「マスターが分かっているとおり、これは専門職の仕事です。 どうしても駄目な場合は、設定でバグを押さえ込むだけです」
「まあそうですわね」
「はい。 悩むことなど、何一つありません。 ストレスを自分で増やす事につながってしまいますので、以降は考えないようにしましょう」
「分かりましたわ」
まあ仰せの通りだ。
黙々と自身の作業を進め。
言われたタイミングで休む。
そして数日が経った。
やはり。
嫌な予感が、形になって顕在化した。
チャートはまだ予定通りに動いているが。
タスクの一部が圧迫されている。
会議を開いて確認した所。
やはり例のバグだった。
どうしても原因が分からない、という。
私は期日を指定。
その期日までに解決しないのなら、設定で押さえ込むようにと指示。
まあAIと同じ結論だ。
どうしても解決できないバグなら。
力業で対処するしかない。
そして時間を掛けて。
余暇がある時に、じっくり調べれば良い。
今回は時間が足りないわけでも、社運が掛かっているわけでもない。
リードシクティスの「巨大魚艦隊」はまだ大人気で。
多くの客がアクセスして、大喜びして見ている。
エンシェントの売りがまた一つ増え。
収入が底上げされている状態だ。
急いで新しい顧客を開発する必要もないし。
無理に社員を消耗させる理由も必要も存在していない。
それを丁寧に説明した後。
どうしても駄目なら、後でゆっくりバグ取りをするように、と指示した。
社員は感謝したが。
私に取って大変なのは、実は此処からだったりする。
一旦設定でこの不可解な行動を押さえ込んだ後。
また変なバグが顔を出すかも知れないし。
別のトラブルにつながるかも知れない。
もっと広域に、状況を見なければならないのだ。
エンシェントは古代仮想動物園。
つまりワールドシミュレーターだ。
つまるところ仮想とは言え一つの世界。仮想空間に造られているとは言え、其処には世界があるのだ。
だからその視点で。
ものを見なければならない。
社長である以上当然だ。
ものを作った以上。
それに責任を取る。
それをしないで、何が社長か。
そして末端の人間に責任を押しつけるようでは、それは社長と言うには値しない。そんなのはただのカスだ。
地球時代の無能な社長ではあるまいし。
私はそうはならない。
会議を終えて。
私は無言で開発機を立ち上げる。
始祖魚類の設定を変更。
アノマロカリスに食われないように、無理矢理設定を弄る。
そしてしばらく観察していると。
やはり問題が起きた。
今度は別の生物。
具体的にはハルキゲニアが、アノマロカリスに食われに行ったのだ。
これはどうやら、始祖魚類の問題ではないな。
私は即座に動く。
バグ対策班に連絡のメールを入れ。
軽くアドバイスをする。
アドバイスの内容についても、AIにアドバイスを受けながら、相手のプライドを傷つけないように丁寧に書いた。
しばしして、バグ対策班でも、問題を確認。
どうやらこれは。
全体的な、もっと包括的なバグらしい。
そう結論が出る。
頭を抱えたくなるが。
しかしながら、正体不明のバグに悩まされるよりかは遙かに良い。
そして、私の懸念は当たった。
多分何かろくでもない事が起きるだろうと思ったのだが。
その通りになってしまった。
バグ取り班にはそのまま動いて貰うが。
私は私で、ログを確認する。
そして、はっきり確信した。
これはバグでは無い。
ログにはバグはあるにはあるが、明らかにこれとは関係無い所のバグばかりである。
嘆息。
多分これは正常な挙動だ。
だが、正常な挙動自体が異常という、一番厄介なパターンである。
バグをバグとして認識出来ていないか。
それとも、正常な挙動として組んだデータが、何かしらの誤動作を起こしていて。その動作が正常と認識されているか。
どちらにしても、厄介極まりない話だった。
頭を振って、しばし考え込む。
これは下手をすると、相当にやばいかも知れない。
緊急会議を招集する。
即座にバグ取りに関する、総力戦態勢を指示。
これを解決しない限り。
次に進む事は不可能。
そう宣言した。
3、蝕むもの
おかしな話だと思う。
環境適応した生物は、どんな影響を周囲に与えるか分からない。それが現実なのだ。
例え弱々しい生物に見えても。
其処の環境において、どのような重要要素を担っているか知れたものではない。
だからこそ、環境アセスメントという概念は重要だし。
無闇に外来種を持ち込むべきでは無い。
人間は愚かなので。
これに関して山のように失敗を繰り返し。
多数の環境を蹂躙した。
人間が賢い生物などと自称するのは。
まさに笑止の極みである。
そして、それを分かっていた筈なのに。
私は今。
恐らく、ワールドシミュレーターであるエンシェントが突きつけてきた。環境適応に関する問題にて。
頭を悩ませている。
所詮は私も人間だと言う事は分かっているし。
人間である以上AIがいないと知的生命体とは言い難い事だって自覚している。だが、それにしても。
これは困った。
色々と試してみたが。
ハルキゲニアを弄れば今度は三葉虫が。
三葉虫を弄れば別の生物が。
アノマロカリスに食われに行くのである。
勿論バグなど生じていない。
さて、どうしたものか。
腕組みして考え込んでいる私に。
メールが届く。
プログラム班の一人からだった。
「社長。 一つ、提案があります」
「なんですの」
「生物の絶対量を増やしてみてはどうでしょう」
「ふむ、詳しく」
プログラム班の一人によると。
他の時代で、似たような現象は確認されていないという。
一方で、カンブリア紀では。
誰も気付いていなかっただけで。
今までも同じ現象が起きていた、というのだ。
つまり、今回のは。
たまたま発見された大規模問題。
それもカンブリア紀だけに発生していると言う事は。
カンブリア紀のシステムに、全体的な問題が生じていて。
それはバグとは別の形で発生している、という事を意味している。
私も社長の適性持ち。
プログラムの睡眠学習も受けている。
ならば当然、これくらいは即座に理解出来る。
「分析をしてみたのですが、アノマロカリスの餌の量が足りていないようなのです。 化石などから分析するに、アノマロカリスは適切な数がエンシェントでは存在している事は確認済みです。 つまり……」
「餌となる生物が足りていない」
「そうです。 そのため、つじつま合わせのために、エンシェントは自動的にアノマロカリスの餌になる生物を剪定していて、今回はたまたま始祖魚類がやり玉に挙げられた、という可能性が高いのかと思われます」
「……」
なるほど。
ワールドシミュレーターと言う事は、バランスを取る存在だと言う事だ。
確かにその可能性は高い。
頷くと、私は。
許可を与える。
「良いでしょう。 開発機の一つを貸しますので、まずはそれで実験してみなさい」
「分かりました。 直ちに取りかかります」
今の時代は。
ちょっとやそっと遅れたくらいで、機会損失にはつながらない。
ビジネススピードがサーキットバーストを起こしていた時代とは違うからである。
故にそれほど心配はする必要もない。
丸一日ほどおいて。
その間にココアを飲んだり。
クレープを食べたり。
湯治に行ってくる。
オンドルはすっかり癖になったし。
AIが絶賛するほど効果がある。
私も頭がすっきりすると思うし。何より、それがいわゆるプラシーボ効果だったとしても、実際に効き目がある以上続ける意味はある。
丁度時間を潰して戻ってくると。
開発機を使った実験には、成果が上がっていた。
「どうやら間違いないようです。 頂点捕食者アノマロカリスに対して、食糧になる生物が足りていなかった。 それ故に、エンシェントそのものを動かしているワールドシミュレーターが、餌を提供していた様子です」
「対策はどうしましたの?」
「生物の生息数を見直しました。 ただ、今後は更に新種を追加して、バランスを取っていくのが必要かと思います」
「分かりましたわ……」
頭の痛い問題だ。
餌が足りていなかった。
それだけのことで済んだが。
今後はそうとは限らない。
今回の問題にしても、私が早めに総力戦態勢を命じなければ、どんなトラブルに発展していたか分からない。
もたついていたら、それこそ玉突き事故のように異常が起き。
一度カンブリア紀の。
それこそ人気コンテンツの、一時閉鎖と徹底調査をしなければならなかった、かも知れない。
AIも調査には加わっていたはずだが。
それでもこんな異常には気づけなかったと言う事は。
今回は運が良かった、というだけ。
最悪の場合は。
もっと酷い事になっていただろう。
せっかくオンドルでストレスを飛ばしてきたのに台無しだ。
しばらくソファに横になってぐったりする。
これでチャート全体に異常が出たが。
それはAIが修正してくれる。
以降は特に問題なく進んでくれると良いのだが。
二度ある事は三度ある。
私としては。
あまりこれ以上トラブっては欲しく無い、というのが本音だが。
こればかりはどうしようもない、というのも事実だった。
無言のまま、私は。
タブレットを弄る。
エンシェントに好意的だというネットメディアの記事について、法務部が知らせてきていたので。
それを見ようと思ったのだ。
内容はごく当たり障りがないもので。
私がこだわっている部分にはほぼ触れていなかった。
リードシクティス艦隊についての話だったが。
お勧めのプランで見に行くと圧巻だとか。
巨大魚が艦隊を組んで泳いで行く様子は、怪獣達も避けて行く迫力に満ちているとか。
好き勝手なことを書いている。
怪獣など存在しない。
リードシクティスがいた時代には、バケモノのような巨大海棲爬虫類が山のように棲息していたが。
いずれもがきちんと生物として。
この地球に生きた存在だ。
怪獣では無い。
これだからネットメディアはとぼやきたくなったが。
しかしながら、マスコミの時代でも。
どうせ似たような記事が書かれただろう。
だったら同じ。
SNSでも、似たようなコメントが溢れているんだろうなと思うと。憂鬱極まりなくなって、タブレットを閉じた。
目を閉じて、しばし思考を抑える。
これは休んだ方が良いだろう。
こんな記事を見た後だと。
何もかもをネガティブに考えてしまう。
向こうに悪意がないことは分かったが。
それだけしか分からなかった。
私はひねくれ者だ。
勿論悪意無く書かれた記事にクレームを入れるつもりはない。好きに書いてくれとしか言えない。
そして、だからこそに。
私は今こうして、ストレスを溜めている、と言うわけだ。
「マスター、しばらく眠った方が良いでしょう」
「オンドルでたっぷり寝てきた後ですわ。 もう眠れませんわよ」
「睡眠導入剤を処方しましょうか」
「……もういい」
手を振ってAIの善意を追い払うと。
むくれて開発機のデスクに座る。
例の問題は解決しているが。
まだチャートを確認すると。
最後の方が少し残っている。
タスクの幾つかが処理仕切れていない。
やはりバグ取りに全力投球した影響が、まだ出ている、と言う事だ。
優秀なスタッフが揃っているのに。
まったく私が不甲斐ないばかりに。
開発機からログアウト。
しばらく出来る事がない。
やはりSNSなんぞ見るべきでは無かったか。
人間とは出来るだけ接しないようにと、医者にも言われているのに。結局その言葉が正しかった。
ぼんやりしていると。
AIにアドバイスされる。
「仕方が無いので、また歩いて来ましょう。 公園辺りに行きますか」
「どうやらそれしかないようですわね」
外に出る。
ベルトウェイに乗って、今までいったことがない公園に向かう。
人は相変わらず殆ど見かけない。
たまに人を見ても、ロボットだったりする。
私は何も買わず。
タブレットはロボットに持たせ。
そのまま公園に向かうが。
途中、珍しい親子連れに出会った。
ロボットが子供を連れているのかと思ったのだが。
どうやらホンモノの親子連れらしい。
社員にもいるにはいるが。
今時珍しい。
ちょっとだけ視線が向いたが。
すぐに視線をそらす。
ただ、聞こえてくる。
「昨日行ったエンシェント面白かった! お魚おっきかった!」
「良かったね」
「うん!」
素直な言葉。
そうか、素直に楽しんでいるのか。
だが、それだけだ。
それだけで、満足するべきなのか。
事実、そうやって私より小さい子供が楽しんでいる。
いや、小さい子供ならそれでいいのだろう。
大人がそういう楽しみ方をしていていいのか。
今は誰もが教育を受けている。
それも誰もが全てのスペックを引き出せる方法でだ。
それなのに。
私は大きくため息をつくと。
しばらく天井を仰ぐ。
此処はコロニーだ。
だから天井がある。
ずっと遠くだけれども。
それが地球とは違っている。
仮想空間の地球には空があって。それがこのコロニーとは違っているが。重力は1Gだし、大気組成も地球と同じ。
人間が、地球と変わるのかと聞かれれば。
それは否だと応えるべきだろう。
それなのに、どうしてだろうか。
私は、これで満足するべきなのかも知れないと、何処かで思い始めてしまっている。それでいいのだろうか。
ぼんやりとしている内に。
時間が過ぎていく。
ロボットに肩を掴まれ、揺すられた。
どうやら、意識がおかしな所に行っていたらしい。
「マスター、大丈夫ですか?」
「……」
「帰宅しましょう」
AIがロボットを促す。
私は言われたまま立ち上がり、帰路につく。その途中、ぼそりと先ほどの疑念について、口にする。
今のままで。
満足するべきなのかと。
AIは、しばらく考え込んだ後に応えてくれる。
「もしも、先ほどの親子の会話が気になったのだとすれば。 楽しみ方については、人それぞれとしか言いようがありません。 どれほど高度な教育を受けていたとしても、高度な感想を口に出来、楽しむ事が出来る人間は限られています。 何に感銘を受けるかも、人によって違います。 人間は多様性を確保することが、宇宙時代にいたってようやくできましたが。 あの子供のような思考も受け入れるのが多様性の一環であると考えますが」
「そのような事、言われなくても分かっていますわ」
「分かっているのであれば、受け入れる、以外の答えはないのでは」
「……そうですわね」
確かにそうだ。
そういえば、昔は他者の趣味を攻撃する事が珍しくなかったと聞いている。
「幼稚」「反社会的」といった自己正当化をするものから。
「男の趣味では無い」「女らしくない」といった、それぞれのあり方を勝手に定義するものまで。
様々な否定の仕方があったという。
どんな楽しみ方をするとしても。
それは多様性なのだとすれば。
確かに受け入れなければならないか。
嘆息して。
気がつくともう家についていた。
私は開発機の前に座ると。
しばらくの間。
ぼんやりしていた。
問題が解決し、シミュレーションを学者に確認。
OKが出たので、アップデートを実施する事を決める。
いつもと全ては同じように。
まずはCMを流す。
始祖魚類の宣伝は、全て法務部に任せる。SNSに関する情報も、フィルターを通す。そうすることによって、ストレスを減らすためだ。
私は大問題が起きたとき。
判断をするだけで良い。
社長の負荷を減らせ。
医者にそう言われている。
専門家にそう言われているのだから、従うだけ。
ましてや今の医者は、催眠教育で高度な教育を受け、免許も更新制。非常に厳しいAIのサポートも受けている。
そんな高度専門職の言う事を疑っていたら、やってられない。
CMはそこそこ好評なようだ。
カンブリア紀は元々人気がある時代だ。
色々な、現在では考えられない姿形の生物が存在し。
頭足類が出現し。
魚類の先祖も出現した。
あらゆる生物たちの先祖がいた時代。
だから、そこにいた生物だというだけで。
ある程度の客を呼べる。
そういう事なのだろう。
そのままSNSで問題が起きていないかを確認してから。
正式にアップデートを行う。
会議もしたが。
これといって、問題は起きていないから。
ごく短時間に、議題も殆ど出ずに終わった。
私は見ているだけで良い。
開発機でログインして始祖魚類の様子も見たが。
ごくのびのびとやっているし。
時々へまをした個体が、アノマロカリスに襲われている。
決してアノマロカリスにわざわざ食われに行ってもいないし。
アノマロカリスが始祖魚類をえり好みして襲ったりもしていない。
そういえば、古くはピカイアという生物が、全ての脊椎動物の始祖だという説が強かったが。
今では否定的な見解が強いそうだ。
だが、新しい発見があれば、どう学説が変わるか分からない。
学会とはそういう場所。
そして数億年前の地球を正確に再現するには。
太陽系中に拡がった人類でも。
まだまだ手が届かないのである。
今回の始祖魚類も。
或いは新しい学説がすぐに出て。
アップデートを掛けなければならなくなるかも知れない。
逆に言えば。
このエンシェントが更に進歩すれば。
ワールドシミュレーターとしての価値を得て。
学校などでの教材として使われる可能性もある。
まだまだ今は「学説」に基づいた世界を作っているだけだが。いずれ完全に自立した世界として、動かせるようになるかも知れない。
そうすれば化石などのデータを入れるだけで。
生物が完全再現される、という事も出来る可能性がある。
そこまでいったら、その仮想世界は。
もう一つの世界とも言え。
生きている者達は。
データの塊とは言えなくなるだろう。
尊重しなければならなくなる。
その場合は、設定を弄って無法の限りを尽くす、というような事は許されなくなってくるし。
動物園として今扱っているのも。
難しくなる。
まあその時はその時。
現在はワールドシミュレーター以上でも以下でもない。
テクノロジーが更に進歩した場合の未来の話で。
まだ百年、いやもっと掛かるだろう。
私は何か大きな事件が起きなければ、多分その時も生きているだろうけれども。その頃は、世界のあり方もだいぶ変わっていて。
こんなにストレスばかり感じなくて良い世界になってくれていれば助かる。
ログアウトすると。
メールをチェック。
特に問題のあるメールは来ていない。
法務部からも、特にSNSで問題は起きておらず。
堅実にアクセス数は伸びている、と言う事だった。
今回は兎に角地味な展示だが。
何しろ脊椎動物の先祖となる生物だ。
ご先祖様を見に行こう、という考えを持つ者はそれなりにいる、ということなのだろうか。
まあ脊椎動物全ての祖となると。
その偉大さは文字通り計り知れない。
確かに一度くらいは見ておきたい、と考えても不思議では無い。
だが、私の予想は。
完全に外れていた。
ざっと集めたSNSの意見は以下のようなものだった。
「魚の先祖っていうと、何か面白そうだな」
「脊椎動物の先祖らしいぞ」
「それがどうかしたの?」
「いや、俺ら全部の先祖」
まて。
わざわざ言わなければ分からないのか。
思わず真顔になるが。
SNSでは、こういう会話が彼方此方で繰り広げられているという。
それで興味を持った人が。
見に行く、という流れになっているようだ。
エンシェントは良心的な価格でログインできる。見るだけなら手間もない。
そして、見に行く。
そういう流れで、客が増えているようだ。
公園での親子の会話を思い出す。
殆どの人間がああいう感じ。
更にAIに言われた事を思い出す。
多様性を尊重しなければならない。
ああそうか。
そうだよな。
思わず毒づく。
確かに多様性だ。感じ方は人それぞれ。興味をどう持つかも人それぞれだ。
今の時代は、それによって他の生物に害を与えられる事がなくなった。
人間は動物に直接接しない時代が来たからだ。
例えば昔は「楽しいから」という理由でスポーツハンティングが行われ、大量のアメリカリョコウバトが文字通り虐殺され。
同じく「楽しいから」と言う理由で、ブラックバスの類が本来は棲息していない清流に放たれ。生態系を滅茶苦茶に破壊した。
それらを自称「ファン」が正当化し。
悲劇は更に拡大した。
今は、そういった悪い意味での価値観的多様性は否定され。
法によって実際に環境へ害を与える嗜好は封じられている。
だからこそ、受け入れなければならない。
そういうものなのだと。
ピーコックランディングでは。
そこそこに評価が高いようだが。
彼処は元々尖っているし。
そもそも高評価でも、アクセス数とはあんまり関係が無い事も分かっている。
そればかりか、細部を散々つついてくるので。
此方としても精神衛生上良くない。
これ以上どう細部を凝れというのか。
何度ぼやいたことか。
私はしばらく頭を振って。
考えない事にする。
法務部とのやりとりも一旦打ち切ると。
大きくため息をついた。
今回のアップデートは。
相応に苦労した。
トラブルが多発したし。
何よりも苦労した。
だが苦労が報われるとは限らない。
そんな事は分かりきっていたが。
それでもこういう結果が出ると、あまり嬉しいとは言えないのが事実だった。
私がやってきたことは無駄で。
それも受け入れるべきなのか。
高品質な仮想動物園を用意してきた。
それのアップデートは可能な限り誠実に行い。
最新の学説に沿ったものにしてきた。
だが、客は。
あくまで「面白そうだから」という理由以外で見に来ない。
知識が行き渡り。
教育が均一化され。
誰もが平等に教育を受けられるこの時代なのに。
私は大体の黒字予測を聞かされる。
今回はボーナスは出ないが。
給金に関しては充分出せるという。
次に少し大きめの収入があれば。
またボーナスを出せるという試算だそうだ。
だが、それを聞いている間。
私は意識がもうろうとしていて、あまり言われている事が頭に入っていなかった。
AIに言われて、それで気付く。
限界かも知れない。
だが、だからといって。
此処で引いてしまったら、何もかも全てが台無しである。
私はエンシェントでやると決めたのだ。
ならば、エンシェントを最高の仮想動物園にしなければならない。
しかし、つらいのだ。
寒いとも言える。
理解者は存在しない。
いや、いるにはいるが。
AIは誰にとっての理解者でもある。
かといって甘やかすような事は論外である。
私は。
何が欲しいのだろう。
少なくとも、客に対して不誠実な行為は一切していない。
それなのに。
どうして私はこうも苦しんでいるのだろう。
それがよく分からない。
オカルトを信じるわけでは無いが。
私は前世で何か大罪でも犯したのだろうか。
ぐったりと開発機のデスクに溶けかかると。
偉大なる先祖を、「面白そう」という理由だけで見に来る客のモラルについて、愚痴る事も出来ない状況を恨む。
AIに言っても。
それが多様性だと応えられるだけだ。
そして私もそれを受け入れなければ行けないと諭されるだろう。
その通りだと私も思う。
だからこそに。
私は一切救われなかった。
4、先祖の姿
古き時代。
カンブリア大爆発と呼ばれた時代が存在した。
今の生物の祖となる生き物たちが。
実験場のような海で環境適応し。
大量に出現して。
泡沫のように消えていった。
そんな時代。
まさに環境適応の実験場であり。
そのまま上手く環境適応出来ずに消えていった存在もいれば。
その内似ても似つかぬ姿になって、覇を唱えるに至った存在もいる。
そんな中。
魚類の祖となる存在は。
仮想空間とは言え。
群れを成して泳いでいた。
私はぼんやりと、ログインさえせず。
画像だけで、その様子を見やる。
ログが流れていて。
それを一緒にチェックするためだ。
ログインしている客は、いつものように車両を使い。そこで解説を受けながら展示を見ている。
側をアノマロカリスが通ると。
殆どの場合、其方に対して興味を向ける。
どうでもいいのだ。
脊椎動物共通の先祖など。
この程度の思考しか。
教育が行き渡った人類は持っていないし。
そしてそれを多様性が故に受け入れなければならない。
私はげんなりしながら、流れてくるログを見ていたが。
やがて、メールが届いたので、スライドして画像を横に移動させる。内容が「重要度高」だったからである。
法務部からだ。
「何ですの?」
「自主製作の映画サークルが、エンシェントの画像を使いたいと申し出てきています」
「では、法定に沿って、金額を提示してくださいまし」
「それが、映画で宣伝をしてやるから、ただで使わせろと」
相手側のAIは何をしている。
イラッときたが。
此処で相手のペースに乗ってしまえばおしまいである。
私は大きく深呼吸すると。
出来るだけ感情を抑えながら。
丁寧に。
怒りを抑えながら返信をする。
「門前払いで」
「分かりました」
「それと、SNSにその経緯を掲載するようにしてくださいまし」
「はい。 相手側とのログも併せて掲載します」
それでいい。
大きくため息をつくと。
再び画像を確認する。
ログはまだ流れている。
アクセス数はそこそこ。
結局始祖魚類を見に来る人間よりも。
元々のカンブリア紀の人気の方が勝って。リピーターのような形で、来る客が増えているという分析がAIによって為された。
確かにそれならば。
アノマロカリスばっかり喜んで客が見ているのも納得できる。
それも多様性だ。
分かっている。
だから我慢しなければならない。
しばらく私はログを無心に見ていたが。
妙なログがあった。
「この小さいのがお魚さんのご先祖様?」
「魚だけではなく、脊椎動物全ての先祖です」
「うそだあ」
「本当です」
客は幼児だろうか。
AIに対して不満を口にしている。
もっと特別に違いないと、不満をたらたら垂れ流していたが。
やがて癇癪を起こした。
「絶対嘘だ! もっと格好いいに違いないもん!」
「これは化石を元にもっとも忠実に復元した図です。 学者も太鼓判を押している復元図です」
「そんなの間違ってるもん! 私達の先祖が、こんなちっちゃくて弱そうな生物なわけないもん!」
やがて癇癪を起こしていた子供は。
エンシェントからログアウトした。
無言のまま見つめていた私だが。
AIが言う。
「あれも感じ方の一つです。 精神的に成熟すれば……」
「人間の精神なんか成熟するわけありませんわ」
「確かに、精神が一切成熟せずに、体ばかり大きくなるケースもあるようです」
「ああいうのが、エンシェントに否定的なコメントを飛ばしているんですのね……」
どう楽しもうと客の勝手だ。
多様性だからだ。
それについては私ももうこれ以上どうこういうつもりは無い。
だが、前にウミサソリの時に。
遭遇した学者を思い出す。
自分で発見した化石を私物化しようとし。
自分の理想を投影しようとした。
そんな奴だった。
生物の私物化。
理想の投影。
そんなもの、迷惑なだけだ。
古い時代にテレビ番組でやっていたような、動物に人間の理想を押しつけて、その思うように動かしたり。
動物の子供が可愛いとか言って、写真を載せたり。
そういうものを彷彿とさせる。
もういいや。
何か、ふつりと大事なものが切れた気がする。
こう言う時は湯治に限る。
湯治に行くと言うと。
AIはロボットに指示し。
すぐに準備を始めた。
何もかもを忘れて温泉に入り。
オンドルで死んだように眠ろう。
そうすれば、宇宙時代になってもこんな生物のままである、人間という愚物の現実も忘れる事が出来る。
私もその一匹だと言う事も。
だから湯治だ。
それが一番だ。
私は口を引き結んだまま、外に出る。
すれ違った人間が、私を見て怯えているのが分かった。
そんなに険しい表情をしていただろうか。
まあどうでもいい。
私は、医者の言う通り。
可能な限り人間とは接しないようにしなければならないのだから。
(続)
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