例え最大であっても
序、史上最大の硬骨魚類
リードシクティス。
史上最大の硬骨魚類である。
その復元図は最低でも14メートル。最大で21メートルと、魚類としては破格。軟骨魚類だと、ジンベイザメがその程度のサイズにはなるが、個体によってはそれよりも更に大きい可能性があるとも言える。
魚としては鯉に近い種であり。
いわゆる濾過食をする魚で。
無数の歯を使ってプランクトンをこしとって食べていた、大人しい魚である事が分かっている。
その一方で、鈍重な存在とも知られ。
ジュラ紀末期に暮らしていたこの魚は。
更に強力な生物の脅威に、常に晒され続けていた。
この時代は海棲ワニ類や首長竜が多数棲息しており。勿論強力な魚竜もまだまだ健在だった。
まさに魔界ともいえる海である。
しかも同サイズかそれ以上のこれら生物は。
極めて獰猛な肉食であり。
リードシクティスが抵抗できる相手では無かった。
更にリードシクティスは動きも鈍かったのでは無いかと言う分析もされていて。
良くひれなどを食い逃げされていたのでは無いか、という分析までされている、ある意味というかあらゆる意味で気の毒な魚である。
そんなリードシクティスに関して。
興味深い論文が上がって来ている。
私はそれをぼんやりと読んでいたが。
ほどなくデスクにつくと。
論文を書いた学者について調べ始める。
前に大外れを引いた私は。
この辺り、過剰なほど神経質になっていた。
しかしながら、よく考えてみれば、学者がどんな実績を残しているか調べるのは当たり前とも言えるので。
今まで私は迂闊だった。
そういう事なのだろう。
調べて見た感じでは、そこそこのベテラン。
それほど有名な論文を出してはいないが。
それでも学者として三十年以上活躍している。
有名かと言えばそうでもないが。
堅実な実績を積んでいる。
そういう学者である。
ならば、別に問題は無いだろう。
アクセスは法務部に任せる。
負荷分散をするように。
口を酸っぱくして、医者に言われているのだ。
それを守らない理由は無い。
私自身も、ストレスでガタガタになっているのは自覚しているので。
きちんと医師の指示には従う。
それだけだ。
リードシクティスか。
一応エンシェントにもいる。
一般的な説に基づいた姿だが。
こんな鈍重な生物が、どうして生き残れているのかは謎でならなかった。
シミュレーションをしても、真っ先にカモにされ。
魔界に等しい海の住人達に、片っ端から貪り喰われてしまう。
当たり前の話で。
シーラカンスのようにまずいわけでも、深海に最終的に移住したわけでもない。
動きも鈍い。
それでありながら単純に大きい。
巨体を武器にして身を守っていたかというと。
襲われた証拠も化石として残ってしまっている。
バケモノのような巨大な捕食者がウヨウヨいた海である。
こんな脆弱生物が。
よくもまあ存在できたものだ。
ただシミュレーションをしてみると、どうしてもリードシクティスは生き残る事が出来ない。
何かしらの生き残るに必要な条件を備えていたのはほぼ確実で。
それが分からなかった。
今までも、シミュレーションでは設定を弄って、襲われにくくする、という「逃げ」で茶を濁していたのだけれども。
今度の論文で、それを解決できるかもしれない。
もしも上手く行けば。
それはそれでとても素晴らしい事だと私は思うし。
上手く行かなかったとしても。
それで悲しむ人は誰もいない。
だからそれでいいのである。
「それにしても、どう思いますの? 本当にこのリードシクティスが、生き延びる事が出来たと思います?」
「論文の内容を見る限り、これが正しかったのだとすれば」
「……そうですわね」
愚問か。
AIにも査読はさせている。
それでOKが出たのだ。
そう答えるに決まっていた。
私は疲れている。
やはりその結論には、間違いが無い。だから少し休む。その結論にも間違いはない。だが、その後。
休んだところで。
ストレスは消えるのかと聞かれると。
分からないとしか言えない。
薬は飲んでいる。
人間との接触も極力減らしている。
それでもまだストレスは高水準のまま進んでいる。
私はこのまま。
まだ十代半ばにも到達していないのに。
ストレス死するのではあるまいか。
可能性は決して低くはないだろう。
そんな悲観的な考えが。
頭の中を巡る。
色々末期だと自分でも思ってしまうが。
だからこそ医者に行っているので。
別に今更驚くことでも無いし。悲しむ事でもない。
法務部がメールを入れてくる。
トラブル発生だそうだ。
学者と連絡を取ったところ。
社長が直接顔を見せろと面罵されたそうである。何というか、不愉快な学者だ。だが、論文は面白い。
事情を伝えたのか確認したが。
勿論それでも、だそうである。
そうなると、頭が固いと言う事なのだろう。
精神の病気は、肉体の病気が解決するようになった今でも、解決が難しい事で知られている。
それに偏見を持っていると言う事は。
頭が相当に周回遅れだと言う事だ。
かといって、専門外の事に関して知識を殆ど持っていない学者は、別に珍しくも何ともない。
この学者を無能と決めつけるのは少し早いだろう。
もう一度連絡を取って、医師の診察についても付帯して書類を送るように指示。
私はしばし待つ事にする。
メールは返信されてきたが。
やはり私が顔を出さないと、学者は納得しないという返事をして来ている様子だ。
はあ。
論文は魅力的なのに。
また学者は外れを引いたか。
だが、仕方が無い。
私が顔を出して。
それで収まるなら、譲歩する意味はあるだろう。
エンシェントのためだ。
私も身を削りすぎるわけにはいかないが。
多少の負担は、仕方が無いとも言える。
仮想空間にアクセスし。
頑固者の学者と相対する。
なんと今時アバターを使っていない。
珍しい話だ。
「やっときたか。 使い走りを丁稚にするとは、何様のつもりだ」
「精神に大きなダメージを受けていて、通院している所です。 出来るだけ人間との接触を減らせと医者にも指示を受けています」
「知るかボケが! 論文だったら勝手に使え。 お前が顔を出すのが大事なんだよ、分かってんのかオラ!」
また随分と。
随分と高圧的で威圧的な言動だ。
ともあれ、許可は取れたと判断する。
AIが契約書を締結するが。
その内容についても文句は出さなかった。
「シミュレーションの結果についてもお前が持って来い。 分かっているな」
「はあ」
「分かってるなら良いんだよ。 こういうのはな、筋を通すのが大事なんだ。 分かったらとっとと行け」
「……」
何だこの学者は。
一礼して仮想空間からログアウトするが。
不快感で胃が沸騰しそうだった。
偉そうな態度を終始崩していない。
筋を通すというのは分かるが。
それと今の行動は違うだろう。
筋を通さない人間に対しては、私も腹は立つ。確かに昔は、筋を通そうとすると「子供」だとか「幼稚」だとかいう罵声が飛んだらしいと言う話も知っている。
だがさっきの学者の言動は。
それとはまるで別物だった。
腕組みして考えてしまう。
ともあれストレスが相当に危険な様子なので、法務部にメールを送った後は、カプセルで休む。
AIがぼやくように言った。
「今回は失敗でしたね。 人格的に問題がある人物だとして、最初から行動するべきでした」
「どうしてあんな輩だとデータに出ませんでしたの」
「それは恐らく、学会では問題を起こしていないからでしょう」
「……まったく」
苛立ちに思わず歯ぎしりしたくなる。
だが我慢だ。
此処で怒っても仕方が無い。
ともあれ、少し休んでストレスを飛ばした後。
今度は会議を行い。
リードシクティスのアップデートに関しての話をする。
幸いここのところ大きめのトラブルは起きていない。
前に起きていた問題もあらかた収束済み。
プログラム班はアップデートに全力投球できるし。
私ものんびりマイペースにCMを作成することが出来る。
あの学者自身が不愉快である事はもう横に置いておく。
会議でも話は振らない。
ただ、法務部には注意の喚起をさせておく。
何をしでかすか分からないからだ。
会議を終えた後。
他の仮想動物園で、あの学者の論文を採用していないか調べて見る。
どうやら採用例はあるようだが。
特に問題は起こしていない様子だ。
よく分からない話だが。
何かいわゆる地雷を踏んだ、ということなのだろうか。
だとしたら面倒極まりない。
そんなものにいちいち配慮している余裕は無いし。
そもそもあの学者についているAIは何をしていると言うのか。
人間の作り上げた「コミュニケーション」なんてものが、極めてええ加減な代物だと言う事くらいは、とっくにわかりきっている。
だからAIが必要だし。
あの学者にもついているのに。
あの行動は何だ。
腹の虫が収まらない。
ともかく、また少し休んでから。
次の作業に入る。
ストレスがこう苛烈だと。
正直休んでいる余裕が無いが。
何というかそうも言ってはいられない。私は私で、やらなければならない事が幾つもあるのだから。
嘆息すると。
私は順番に、一つずつ状況を確認。
まずチャートは問題なく作られている。
今時チャートなんかは人間の甘い裁量では無く、AIが各自の能力を見つつ、法定範囲の労働時間内で作業が収まるように作成する。
だからまず問題はない。
タスクの処理についても。
少しずつ始まっている。
そして私は。
開発機にログインして。
実験的に、設定を少し弄ってみて、リードシクティスの動きについて、改良を加えてみた。
勿論設定を弄っただけなので。
本番では使えないが。
効果は文字通り劇的だった。
確かに、捕食者に殺される率が激減する。
これは、凄いかも知れない。
論文は面白かったが。
シミュレーションで動かしてみると効果は絶大だ。
これだったら、あっというまによってたかって食い尽くされるような事も無いだろう。充分に生物として生きられる。
私は嘆息すると。
あの学者が、学者としてはそれなりに出来る奴なのだと言う事を改めて理解させられて。
それ故に憂鬱となった。
またあの学者と顔を合わせなければならない。
それが確実だからだ。
今時仮想空間でアバターも使わないような学者である。
私なんかとは変人の次元が違う。
勿論専門職を極めた人間には、変人が相当数いるという事は私も分かってはいたけれども。
あれはちょっとその中でも更に次元が違っている気がする。
今から憂鬱だ。
薬を飲むように言われたので。
まずい薬を口にする。
今回はリードシクティスの生態について、大幅に改良できるという喜びがあると同時に。
あの学者とまた顔を合わせなければならないのかという憂鬱もある。
不可思議な気分である。
此処まで両極端に嫌な仕事は久しぶりだ。
ともあれ、リードシクティスの斬新な説を導入できるだけで、良いと自分に言い聞かせて作業をする。
CMも作成する。
まだシミュレーションを本格的にやっていないから骨子だけだが。
それでも作る事は出来るので。
サクサクと進める。
作業自体は楽しい。
問題はそれ以外が。
何もかも楽しくないことだが。
メールが来る。
法務部からだ。
学者のクレームかと一瞬身構えたが、そんな事もない。迷惑行為、具体的にはチートをやろうとしていた客を発見したので、通報。
警察が逮捕した、という内容だった。
まあ勝手にしてくれればそれでいい。
お疲れ様と返信し。
私は自身の作業を続ける。
とりあえずだが。今回は、リードシクティスの生まれ変わった姿を見たいと言う気持ちと同時に。
このどうしようもない仕事をさっさと終わらせたいという気持ちがどうしてもある。
あの学者の顔をもう一度見なければならない。
だが出来れば見たくない。
嘆息すると。
私は作業を続け。そしてAIに言われるまま、休憩を適度に取った。それでも、ストレスは消えなかった。
1、鈍重なその姿
どういうわけかは分からないが。
硬骨魚類はあまり大型化しない。
鮫という軟骨魚類の傑作がいるから、だろうか。
それとも、陸上に上がった両生類にバトンを託したからだろうか。
どちらも違うだろう。
実際問題、種として栄えているのはむしろ硬骨魚類だ。
現在の最大種はマンボウだが。
何故か一時期マンボウは貧弱生物という噂が立ったのとは裏腹に。
実際には大型個体になると、ライフルの弾をはね返すほどの皮膚強度を誇る個体も存在している。
生態系のニッチの中層から下層を独占する事で。
むしろ繁栄を確かにする。
そういう戦略を採っている、というべきなのだろうか。
いずれにしても、硬骨魚類は弱者ではないし。
海での繁栄も揺るぎない。
それは間違いの無い事実である。
私は黙々と作業を続け。
その過程で、リードシクティスについて何度も調べ直す。
膨大な論文を読み。
再勉強する。
催眠学習も使う。
こうすることによって。
人間は知識の蓄積を、暗記能力という個人性能に頼っていた時代とは別物にすることが出来るようになった。
勿論現在でも個人性能は重要だが。
少なくとも知識を蓄えることに関しては。
不平等はなくなった。
そういうものだ。
その上で適性を上手く利用すれば。
誰でも社会で活躍出来る。
結果として、無駄はなくなった。
また遺伝子プールが蓄えられたことにより。
万が一の有事にも、人類は対応が非常にやりやすくなった。
これらを昔は非人道的だとわめき散らしていた連中がいた。だが実際に実行してみると、メリットが非常に多く。
今ではカルトを除くと。
非人道的云々という声は聞かれなくなった。
実際便利だと分かると。
馬鹿な事を言う奴はいなくなる。
人間というのは、色々な意味で現金な生物である。もっとも、欠陥生物である事はそれ以上に大前提なのだが。
「マスター。 休憩の時間です」
「ん……」
AIに言われて、外に出る。
軽く買い食いをするが。
これではストレスが減らないことが最近分かってきた。
統計で、である。
私も外で甘いものをかなり食べているが。どうもAIが分析したところによると、効果が著しく薄いという。
逆に浪費でストレスを解消できる人もいるらしいので。
この辺りは個人差が大きいのだろう。
まあ仕方が無い、としか言いようが無い。
クレープを適当に食ってから、家に戻る。ベルトウェイでは、相変わらずほぼ誰ともすれ違わない。
今の時代、家から一歩も出ずに死ぬ人も珍しくないのだ。
そもそも外に出てアグレッシブに動いている私の方が、少数派なのだと言えるだろう。もっとも、外で人と会ったとしても、会話する事はないが。目も合わせることもない。必要がないし。
そも医者に、出来るだけ他人との接触は避けろともいわれているのだから。
家に戻ってから、ぼんやりとソファで横になる。
しばらく横になっていると。
メールが来た。
法務部からだった。
この間のネットメディアとの訴訟関連で。
進展があったという。
まああのネットメディアはサイト閉鎖に追い込まれたが。
その後にもまだ何かあったという事か。
軽く内容を精査するが。
スポンサーの企業が数人の人間との絶縁と出入り禁止を宣言。
またこの数人は。
複数の脅迫容疑で逮捕されている。
まあ言われなくても分かる。
此奴らが、ネットメディアを実際に経営していた人間、と言う事だ。あの時の事は良く分かっている。
此奴らが如何に性根が腐っていて。
AIが補助していても関係無く。
生粋のクズだ、と言う事は。
はっきり言って殺処分した方が早い気もするのだが。
まあその辺りは法の対応に任せるべきだろう。
今は法がきちんと機能している時代なのだ。
金が法を凌駕し。
金さえあれば好き勝手が許されていた時代とは違う。
今の時代は、金があろうが法には逆らえない。
そもそも金があっても個人資産を使うのには厳しい制限が課せられている。
人類の発展には。
最下層の底上げと。
過剰な富裕層の切り下げが。
どうしても必要だったのだ。
「これ、背後にいる企業にペナルティは?」
「検索しましたが、既に課せられています。 監督責任違反という事で、このネットメディアが被害者から巻き上げていた金以上の罰金を取られている様子です。 逆に、前に被害に遭った企業には、保証金が払われているようですね」
「因果応報ですわね」
「古くからある言葉ですが、実際にきちんと機能するようになったのは最近ですね」
全くだ。
結局の所、因果応報という基本法則さえ守れなかったのが人間とか言う欠陥生物である。私もその一匹だ。
だから自分を特別だなんて思わないし。
人間が素晴らしいとも思わない。
少し休んでから、作業に戻る。
CMの作成を進めていると。
プログラム班から連絡があった。
ちょっとした問題が発生した、というのである。まあ、対応をせざるを得ないだろう。
会議を開く。
さっそく皆を集め内容を確認すると。
どうやら、かなり大がかりなバグが出てしまったらしい。
工数を余分に取っていたのだが。
少し足りなくなるかも知れない。
まあ、アップデートの時期はざっと決めただけだ。
それについては、仕方が無いだろう。
「分かりましたわ。 バグ取りのために、工数の増加を許可します」
「申し訳ありませんですのだ」
「AI、すぐにチャートの修正を」
「対応します」
即時に動くAI。
まあこれで何ら問題は無くなった。
他に何か困っていることはないかと聞くと。
少し黙った後。
プログラム班の一人が言う。
「人員が少し足りないかなと思います」
「人手が足りないというわけではなくて」
「はい。 それぞれ皆得意分野があるのですが、どうも対バグの専門人材が少ないように思えまして……」
「ふむ」
そういえば、昔の企業は。
通常通り動く場合にしか成り立たない人員編成で回していた、と聞いている。
勿論今はそのような愚かしい真似はどのような企業もしていない。
実際エンシェントでも。
きちんとトラブル時にも回るよう人員を確保している。
プログラム班からそういう意見が出たのなら。
検討しなければならないだろう。
持ち帰って検討すると返答すると。
ジャッジを掛ける。
AIは特に問題を指摘しなかったので。
会議はこれにて解散。
戻った後、先ほどの人員確保について、AIに計算させる。
この辺りはかなり難しい。
社員に給金を払わなければならないし。
かといってバグ取りの人員が足りずにエンシェントが動かなくなったら、それはそれで大問題だ。
人員は余裕を持って入れるのが現在の当たり前であり。
会社をきちんと動かす秘訣でもある。
人材を無駄遣いし、ゴミのように浪費していた暗黒の時代を乗り切り。
そしてやっと人類がたどり着けた結論である。
地球が滅びる前に。
人類がその結論にたどり着けたのは。
幸運中の幸運でしかない。
しばらくAIは計算していたが。
やがて結論を出した。
「バグ取り用の人員を増やすのは、悪くない案です」
「長期的な利益につながると」
「はい。 それに近年、バグによる負担が増えています。 それを減らすためにも重要であるかと」
「……分かりましたわ」
ならば話は早い。
すぐに人事部に話を廻し、人員の確保を指示。
まあ確保はすぐに出来るだろう。
ただ、エンシェントが膨らみ続けると言う事は。
扱う金の量も増えると言う事だ。
企業が大きくなって行くに連れて。
負担も当然増えていく。
その結果、私に扱いきれる範囲で収まってくれるのだろうか。
こればかりは、もはや何とも言えない。
私はしばらく無言でいたが。
人事部への話を撤回しようかと思いかけ。
そして止めた。
どうも決断力が鈍り始めている気がする。
自信を失いかけているのかも知れない。
色々あった。
だが、それで屈するのが私だったか。
しかし、そういって自分を奮い立たせるのにも限界がある。事実医者にも、出来るだけ他人と関わるなと言われていたではないか。
自問自答を繰り返す内に。
やがて新しい人員を雇ったという報告が来る。
昔は一人新人を雇うだけで相当な金が掛かったらしいのだけれど。
今はこの通りあっさり終わる。
AIによる作業がとても早いのである。
更にあらゆる意味で作業効率が上がっているので。
時短も著しい。
私は満足したが。
しかし、腹を焦がすような不安は。
どうしても残り続けている。
休むように。
AIが言い出したので。
癇癪を起こしかけたが。
何とか自分を押さえ込む。
ため息をつくと、カプセルに入ってぼんやり。負担はきちんと想定通りに減らせているだろうか。
そう思いながら。
目を閉じて、疲れを少しでも減らすように努力する。
それが本当に報われるかは。
今はいい。
まずは、リードシクティスに関して。
認識を更改するのが先だ。
リードシクティスは巨体の割りに動きが鈍く。
ひれを時々食い逃げされるほど鈍重だった。
大きな体と言っても、この時代には同格以上のサイズを誇る海棲爬虫類がウヨウヨ存在しており。
とてもではないが身を守りきれる状態ではなかった。
それが今までの定説だった。
だが、大型種の生物は、基本的に長生きするものである。
深海に住むオンデンザメは数百年生きる種もいる。
鯨も同じく。
リードシクティスは、中型から大型の鯨に匹敵する巨体を誇る濾過食生物であり。
その巨体を維持するには、相当量のプランクトンを必要とし。
更には成長までの時間も相当に掛かった事が窺われる。
だがバケモノ揃いの海の中。
そんな余裕が与えられただろうか。
今回確認した論文では。
リードシクティスには、身を守る術があった、という新説が唱えられている。
実際問題、身を守るすべが無い巨体。それも他の肉食獣と同程度のサイズ、など。文字通り浮かぶ美味しいごちそうに過ぎず。
生きていけるかはかなり怪しい。
この当時の巨大海棲爬虫類は、奇襲などをこなす種も多く。
美味しい餌や。
カモとして狙いやすいエサは。
積極的に狙っていく知能程度は当然持ち合わせていただろう。
そんな中リードシクティスは生きていた。
と言う事は。
身を守るすべを持っていたと結論するのが一番自然である。
ではどうやったのか。
二つの要素があったのでは無いか、と論文では推察している。
化石の構造を調べた結果。
リードシクティスは相当に重かったのでは無いか、というのである。
この重さは。
堅い上に。
逆立った鱗にあった、というのが論文の結論だ。
これによると、リードシクティスの鱗は非常に鋭く逆立っていて。
食べると口の中や食道、腹の中を著しく傷つける。
勿論リードシクティスが大きくなればなるほど、この鱗は凶悪になる。
当時の海棲爬虫類は、生半可な相手など一噛みで粉砕するほどの顎の力を持ってはいたし。
それでもリードシクティスを食い千切ることは簡単だっただろう。
だが、リードシクティスが食い散らかされた化石は残っていない。
これも論文には残されていた。
つまり、喰らった後。
その鋭い鱗が、口の中腹の中を傷つけ。
場合によっては死に至らしめる。
それを捕食者達は知っていたのだ。
更に、そのひれだが。
敢えてとれやすく。
更には再生する構造になっていたのでは無いか、という結論も出されている。
要するにリードシクティスは。
適当に捕食者が満足してくれる自切可能なひれ。
更には本体を喰らったら命に危険がある食べづらい体。
この二つを利用し。
捕食者に知能が備わっていることも利用し。
合計三枚の盾によって。
己の身を。
場合によっては一族の身を。
守り続けていた、という事である。
なるほど、興味深い説だ。
だから私は論文を見て取り入れたいと思った。
学者があんなのだとは思わなかった。
下調べしたのに、あんな学者が出てきてしまった。
だが、それはもう仕方が無いとして。
兎に角今は。
この引いた「当たり」を最大限に生かし。
従来の説とは裏腹の。
自衛能力を持つリードシクティス、をエンシェントに再現する。
それが重要だ。
そうやってリードシクティスを考えて行くと。
元気も出てくる。
古代生物は大好きだ。
私に元気をくれる。
勿論実物にあった場合、向こうは此方を殺そうとするだろうが。
だからこその仮想動物園。
ワールドシミュレーターだ。
私に取ってはその世界は。
私の好きが実現される場所。
だからとても貴重。
社長としてのモチベーションもかなり落ちてきていた。それは自分でもよくよく分かっていた。
だが、こういった成果を見ると。
また元気が振り絞られるようにして出てくる。
頑張ろう。
自分に言い聞かせ。
自分を奮い立たせる。
そして、進捗を確認。
実際に動いている進捗途上のリードシクティスを見ると。
以前より。若干外観が禍々しくなったように思える。
ひれは大きく、そしてゆったりとしているが。
これは多少囓られても平気なように。
そも自切出来るのだから。
それも当然だろう。
或いは、切りおとした方のひれから。
血を大量に流す仕組み、なども備えていたかも知れない。そうした方が、捕食者の気を引けるからだ。
側を泳いでみる。
現在は16メートル級の側を泳いでいるが。
それ以上のサイズの海棲爬虫類が、ウヨウヨいる。
数匹の群れを作って泳いでいるリードシクティスは。
鈍重というイメージから。
重厚というイメージに。
明らかに切り替わっていた。
装甲としての鱗では無い。
喰らった相手を共に死なせるための鱗だ。
子供のリードシクティスも一緒に泳いでいるが。
特に周囲を怖れている様子は無かった。
悠々と泳いで行くリードシクティスは。
前と違って。
鈍重で、身を守る術も無く。
怯えながら、もたもた逃げ惑う弱々しい生物という存在からは完全に脱却し。
自分に自信をつけ。
攻撃を受けたら死なばもろともに相手を殺す。
そんな攻撃的な意志に溢れていた。
確かにこの性質だったら。
こんな魔界に等しい海でも。
生きて行けた可能性が高い。
私は頷くと。
進捗が順調なことに満足した。
問題は、あの学者に直接的に会いに行かなければならないことだが。
AIに相談してみると。
しばらく黙った後。
アドバイスをくれた。
「恐らくは、本人が直接契約の場に現れれば、いきなりあのように興奮して怒り狂う事はないかと思います」
「次は大丈夫だと」
「はい。 人間には怒りのツボのようなものがありまして、それを突かれると激高するケースはあります。 あの学者には、取引の相手に代理が出てくる、と言う事がそれなのだと思います」
「……」
私も古代生物に関して侮辱されれば激高する。
だからそう言われて見れば、少しは分かる気もするが。
しかしそれにしても。
アレはいくら何でもおかしい気がするが。
咳払いすると。
どうにかしてストレスの軽減を出来ないかのアドバイスを受ける。
AIは長考した後。
冷静に返してきた。
「苦手意識がついてしまったのだと思います。 いきなりあのような態度に出られたので、仕方がありません」
「何か対策は?」
「ただでさえ負担が大きいことは分かっています。 相手側のAIに事前に連絡を取って、対策を協議します」
「お願いしますわ」
さっきまで高揚していたのに。
あの学者とまた顔を合わせなければならないかと思うと。
それだけで気分が沈む。
私も随分と浮き沈みが激しい人間だ。
こればかりは、仕方が無いとも言えるのかも知れないが。
「リードシクティスについてですが、進捗は如何ですか」
「まあまあですわ。 いきなり話を変えてきましたわね」
「先ほどまで、リードシクティスのシミュレーションを見ていて、とても嬉しそうにしていましたから。 ストレス軽減には、楽しむ事が一番大事なのです」
「まあそうですわね」
医者にも同じ事を言われた。
だが楽しい事以上に。
嫌な事に遭遇しすぎるのだ。
この世の中は。
それがどうしても。
私の心身に深い傷を抉っていく。
それによって、私は入院までした。
同情しろなどという事は言わない。
だがそれと同時に。
人間のどうしようもない醜さを、傷つく度に感じてしまう。それだけは、どうにもならなかった。
2、姿を変えた鈍重の者
鈍重な生物と言えば。
古くと今とで、まったくイメージが違う生物が存在する。
恐竜である。
特にティラノサウルスは顕著だろう。
古い時代の復元では。
いわゆるゴジラ体型で。
ピンと体を立てて歩いているのが普通だった。
この復元だと。
歩く速度は時速八キロ程度になるらしい。
また、ステゴサウルスなども。
尻尾を噛まれた場合、痛いと認識するまで八秒かかったなどという学説が流れていた。
これらも、恐竜は鈍重な生物だという認識がもたらした錯誤だろう。
だが、今では違う。
恐竜は強靱で俊敏で。
恒温動物だった可能性も極めて高い、優秀な生物種として認識されている。勿論現在に生きていても通じるだろう。生態系の頂点だけではなく、広く環境にてニッチを奪い去ることはほぼ間違いない。
恐竜の失敗は、生態系の頂点に入ってしまったことで。
それは他の動物もやってしまった失敗であった。
古い時代は。
そうとさえ誰も認識出来ていなかった。
爬虫類なのだから、大きくても頭が悪く。
そして動きも鈍いに違いない。
そんな認識がまかり通っていた。
愚鈍で邪悪なデカブツ。
それが恐竜に対する認識だった。
爬虫類全般が、「人間から見て気持ちが悪い生物」だから。
そんな認識が生じたのだろう。
恐竜も「万物の霊長」である人間の脅威にならないような、鈍重で愚かな生物だという事にされた。
いずれもが、人間に特徴的な、ナルシズムの結果である。
現在ではこれらの恐竜鈍重説はあらかた否定されているが。
結局の所、人間にとっては、自分を中心に物事を考え。
都合が悪ければ現実も改変する。
それが恐竜に対しても、向けられた結果だろうと私は見ている。
よく考えてみれば。
それほどの巨体を維持するのに。
鈍重でやっていけるわけがない。
もしも恐竜がそんなに鈍重で愚かで適応力もない生物だったら。
ジュラ紀にとっくに他の生物が地上を支配していただろう。
それとも、白亜紀の哺乳類の腹の中から小型恐竜の幼体が出てきたとか言って、大喜びしているバカのように。
哺乳類は実はジュラ紀の頃から世界を支配していたとでもほざくつもりだろうか。
だったらなんで哺乳類は恐竜がいなくならなければ、こうも発展できなかった。
ただの阿呆の寝言である。
私はそういう愚かな連中と一緒になるつもりはない。
黙々と作業を進めていく。
リードシクティスが鈍重だという説を。
広め始めたのは一体誰なのだろう。
例えば現在の海にも、ウバザメやジンベエザメといった、プランクトンを濾過食する魚は存在している。
ウバザメは見た目がホオジロザメに近いため、メガロドンと勘違いされたり。
死んだ後に肉が海底に剥落する際、首回りの肉が最初に落ちるため。
腐敗した死体が首長竜の死体と勘違いされたりと。
色々と別の意味で話題にはなるが。
彼らはゆったり動く事はあっても。
更に大きな捕食者に脅かされることもないし。
逆に攻撃的に捕食者を追い払うわけでもない。
むしろ性格は温厚なほどである。
これは恐らく、シャチくらいしか自分の命を脅かす相手がいないからであって。
リードシクティスの時代とは根本的に状況が違う、というのも事情としては存在している。
そもそもリードシクティスの時代には、彼らですら小さく見える凶悪な捕食者が多数存在し。
それらがしのぎを削り合っていた。
文字通り魔界のような海であって。
そこで鈍重なだけの図体がでかい魚が生き延びられるほど。
世界は甘くない。
存在したからには。
環境適応していたはずなのだ。
という事は。
鈍重だという結論がおかしい。
それがやはり正解になるのだろう。
シミュレーションの結果が上がってくる。
幾つかおかしな点は出ているが。
やはりリードシクティスは、身を守ることが上手に出来るようになりはじめている。
まずリードシクティスは、艦隊のように群れを造り。
主に幼体を守りながら。
その周囲を親達が固める。
知恵があると言うよりも。
本能でそうしているのだ。
そうすることによって、リードシクティスは生物として、魔界のような海で生きていく。
周囲の大型捕食者は、リードシクティスを喰らう事にそれほど積極的ではない。
その鱗が。
喰らうと腹の中で胃壁に突き刺さったり。或いは口の中を傷つける事を知っているからである。
鱗は軽さと鋭さを両立し。しかも軽いために非常に多く。鱗が軽いにもかかわらず体重は多くなった。それだけ凄まじい武装と化し。
巨大な捕食者達でさえ面倒くさがる凶器へと変貌を遂げていた。
またそのひれは自切用に構造が複雑化し。
食い逃げされることはあっても。
機能を致命的に失う事も。
二度と再生しないことも。
なくなっていた。
これぞ、リードシクティスという、史上最大の硬骨魚類が生き残るために採用した戦略。捕食者へのリスクを上げ。
同時に自分が負うリスクを減らす。
そのために、食べると害になる事を周囲に示す。
実は、現状の生物界でも、同じようにして周囲に警戒を促す生物がいる。
蜂やヤドクガエルである。
彼らは敢えて派手な体色を纏うことによって。
強烈極まりない毒を持っている事をアピール。
襲う事にリスクが伴う事を、周囲に示している。
これを警戒色という。
シミュレーションの結果。
リードシクティスは、むしろ目立つ配色に生まれ変わった。
これは恐らくだが。
襲った海棲爬虫類が。
酷い目にあった事を何度も思い出すようにするための警戒色。
確かに、食べると口の中が血だらけになるような魚である。
それくらい派手なアピールをすれば。
食べる側も躊躇うようになる。
自然な道理である。
また、それでも襲ってくる捕食者に対しては。
群れの外側にいるリードシクティスが、身を以て幼体を守る。
そうすることで、一体が食われる事はあっても。
その喰らった海棲爬虫類は酷い目に会い。
二度と襲わないようになる。
もしくは下手をすると死ぬ。
そしてその結果。
リードシクティスの幼体の安全度は上がる。
愛情と言うよりも。
未来を見据えた戦略である。
何度も頷かせられる。
動きそのものは敏捷性を欠くかも知れないが。
しかし鈍重で身を守るすべの無い弱者、というイメージが、これで根本的にひっくり返った。
確かに考えてみれば、何かしらの強みがあるから適者として生存しているのであって。
何ら強みがない存在は、環境のニッチに入り込む事は出来ない。
ニッチに存在していたと言う事は。
そうなりえた理由があったという事。
このシミュレーションは、正解とは限らないが。
リードシクティスの名誉を回復するために、大いに役立つだろう。
会議でシミュレーションを見せられた後。
私は大いに頷いた。
「素晴らしい出来ですわ」
「ありがとうございますですのだ」
「それよりも、またこれをあの怒りっぽい学者の所に持ち込まなければならないのですが、大丈夫ですかニャー」
「こればかりは、仕方がありませんわ」
法務部に任せたいが。
そうもいかない。
これだけの魅力的なモデルを作るに至った論文だ。
勿論それが正解かどうかは、文字通りタイムマシンでも作って現物を見てこなければ分からない。
現在の技術でも、復元の際には「推測」が入るし。
過去には「思想」も入った。
愚かな生物なのだから。
鈍重に違いないとかいうのがそれだ。
そして、今回の論文を書いた学者は。
独自の理論で動いている人間である。
相手側のAIも補助はしてくれるだろう。
覚悟は決めて行ってくるしか無い。
「それよりも、問題点の洗い出しについては、これで充分ですのね。 私はあの学者に何度も会いたくありませんわよ」
「それは恐らく、問題ないと判断してかまわないですのだ」
「そうですの……」
とりあえずAIにジャッジさせ。
問題なしと判断。
会議を切り上げる。
さて。
楽しい時間は此処までだ。
此処からはかなり嫌だが。
リードシクティスという、偉大なる巨魚のイメージを変えられるのなら、多少のストレスは我慢しなければならない。
私は何度か深呼吸すると。
学者と連絡を取り付ける。
AIの方でサポートして貰い。
メールを書いて送った。
しばしして。
返事が来る。
学者はそれほど忙しくないようで、横柄に「すぐ来い」と書かれていた。
何様だ。
まあ学者様のつもりなのだろう。
昔と違って、今では学者は生活保護用の補助金が出る。故に、何に役立つか分からない研究をしていても、生活をする事が出来る。
これが非常に文明の発展に役立っている。
何が役に立つかまったく分からないのが世の中で。
ものを実用化するまでには大量の無駄を必要とするのも世の中だからである。
経済が過熱しすぎていた時代には、そんな事も分からない阿呆が多数存在していたらしいが。
今は違う。
ただ、こういう勘違いしてしまっている人間も出るのが。
面倒な話だった。
仮想空間にログインする。
相手は此方をにらみつけるように。
最初から唸り声を上げる狼か何かのような表情だった。
「シミュレーションモデルと、その作成過程で浮上した問題点を持ってきました」
「ふん、とっとと見せろ」
「はい」
AIが取りなしてくるが。
学者は無視。
自分一人で黙々と画像を見て。
そして何度か頷いていた。
どんな難癖をつけるつもりなのだろう。
その間に、AIが耳打ちしてくる。
「うちのマスターが本当に申し訳ありません。 昔気質の任侠を描く映画に幼い頃にはまってしまって、あんな性格になってしまいまして。 本人はああすることが格好良いのだと、本気で思ってしまっています。 腕は確かですし、公平にものは見られはしますので、それで許してください」
「いえ、そんな」
「ご迷惑を掛けます」
平謝りするAI。
あの尊大な学者をサポートしているAIとはとても思えないが。
まあ客観的なのがAIだ。
多分何を言っても主人は話を聞かないし。
自分が謝るしかないことを理解しているのだろう。
やがて学者はデータを見終えると。
此方に振り返った。
「まあまあいいじゃねえか。 とりあえず回答はメールで送っておく。 修正差分はメールで送れ。 OKならそれで許可の返信をする」
「はい。 ありがとうございます」
「最初から自分で来れば良いんだよ。 そうすれば俺も怒鳴ったりしなくていいのに、馬鹿な奴だ」
鼻で笑いながら学者がログアウトし。
そしてAIが平謝りしながらその後を追った。
私はしばし唖然としていたが。
しかし、気を取り直す。
ともかく、問題は無いという事がはっきりしたのだ。
これで仕事を先に進める事が出来る。
それでいいではないか。
ストレスは強烈にたまったが。
もう二度と会わなくてもいいのだと思うと。
それで気も少しは楽になる。
私は嘆息すると。
仮想空間からログアウトした。
そして、メールを法務部に送り。先ほどのログも添付する。
学者からのメールも、半日と経たずに来たらしい。
もの凄く横柄な内容だったらしいが。
要点は押さえていたそうなので。
別に此方としては文句を言う理由も無い。
すぐにシミュレーションに手を入れさせる。
その間、私は。
開発機からエンシェントの開発環境にログイン。
怪物のような巨獣が蠢く魔界の海に。
艦隊を作って生き延びているリードシクティスの様子を見て。
少しでもストレスを減らすべく。
自主努力をしていた。
うちのプログラム班は優秀だ。
メールが届けば、すぐにそれにそってシミュレーションをやりなおす。設定を微調整し、動かし直す。
今回はほぼ完成している状態だったこともあり。
特に此方でするような事も無い。
私としては、CMを造りながら、見ているだけで良かった。
二日ほどで。
修正を加えたリードシクティスのモデルが完成。
会議で確認した後。
約束通り学者にメールで送る。
すぐに問題ないという返答が来たので。
後は、公開するだけになった。
CMについての管理は。
法務部が行う事になっている。
私はCMを作るだけ。
CMについては、既に構想が出来上がっていたものがあったので。
それに修正を加えただけだ。
実はリードシクティスの復元については、前から不満があった。だから、今回の論文は天啓だった。
本当だったら、論文を書いた学者と色々友好的に話をしたいくらいだったのだけれども。
残念ながらあんな相手だったので、そうも行かなかった。
しかも私は学者にはあまり適性がないので。
自分で論文を書くわけにもいかない。
書くにしても。
論文の材料になる資料だってない。
故に、色々な資料を基に作られた今回の論文は。
色々な意味で有り難かったのだ。
まあ私の考えていたものと多少相違点もあったが。
それはどうにか修正する。
CMの内容はこうだ。
巨大な海棲爬虫類たちが泳ぐ海に。
リードシクティスが姿を見せる。
それは一匹だけでは無い。
徐々に数が増えていく。
やがてそれは綺麗な艦隊を構築し。
内側に幼体を庇い。
上下左右前後を大人が守る。
リードシクティスの巨体を見て。
狙おうというものはいない。
理由はすぐに分かる。
リードシクティスにカメラが接近すると。
その体に無数に備わる鋭い鱗が見えてくるからだ。
触るだけで切り裂かれるような、カミソリのような鱗が、体中にびっしり生えている。
大きな口を開けて、プランクトン食をするリードシクティスは。
穏やかな魚だ。
だが、穏やかな魚が、穏やかに生きて行くには。
この海は魔界過ぎる。
だから生きていくために。
身を守る術として。
強靱というよりも。むしろ攻撃に適した鱗を、全身に生やしたのだ。
やがてリードシクティスの艦隊はその場を去る。
海には巨体が満ちあふれている。
そんなCMだ。
会議ではすぐに許可が出た。
そして、アップデートの日が来るまで。
少し時間が余ったので。
私は社員達に休暇を出し。
私自身も。
少し休む事にした。
家の外に出て、ベルトウェイに乗ってコロニーの端まで行く。
必要がない外出を、たまにするように。
良い気分転換になる。
そう病院で言われた。
だからそうしているのだ。
ロボットの護衛もついているから、何ら問題は無い。
コロニーの端には公園がある。
昔、公園ではボールを持ち込んで遊んではいけないとか、騒いではいけないとか、謎のルールが蔓延したらしいのだが。
現在の公園ではそれらの謎ルールは撤廃されている。
というよりも閑散としているし。
人間に対して飛翔物などがあった場合、反発軽減するフィールドが展開もされている。
何より護衛のロボットもいるので。
危険は皆無である。
私はぼんやりと、地球から持ち込まれた複数の植物と。それを世話するロボットを見やる。
ベンチに腰掛けていると。
何だか気分が溶けるかのようだ。
あの学者ともう会わなくて良い。
それだけでも充分に嬉しいし。
今回はやりたいことをほぼやりたいようにやれたという満足感もある。
それもまた嬉しい。
何か買ってこようかとロボットが言うが。
首を横に振る。
今日はぼんやりするだけでいい。
そう告げると、ロボットは頷き、側で護衛の任務に集中し続けた。
現在では、硬骨魚類では、リードシクティスほどの巨体になるものはいない。マンボウは丸いのでかなり巨体に感じるが、それでもリードシクティスの方が数倍も大きい。
古く古くから存在している鮫が。
それだけ完成度の高い生物、と言う事だ。
大型の魚類は殆ど鮫が独占してしまっている。
濾過食を行う種も例外では無い。
リードシクティスのように、濾過食をする大型硬骨魚類が今も存在していたら、或いは面白かったのかも知れないが。
生態系の頂点に立つと言うことは。
環境変化時の滅亡を意味する。
例えば現在の鯨類も。
環境に大きな変化が起きた場合は。
ほぼ確実に生き残る事が出来ないだろう。
艦隊を組んで泳ぐリードシクティスは。
口を大きく開けて。
プランクトンを食べて。
ゆったりと生きていた。
だが、あの艦隊は。
子供達を守るためという意味もあった。
つまりゆったり生きているように見えていても。
外側の大人達は、常に命を捨てることを考えていた……正確には生物的な戦略として、そういう生き方をしていた。
それは平穏と言えたのだろうか。
少なくともはっきり分かるのは。
人間が鈍重だとか。
愚鈍だとか。
馬鹿にする資格は無い、という事である。
人間に同じ事が出来るか。
飢餓の時には、子供を交換し合って食い合っていた人間が。
死んでもまた産めば良いと、子供を軽視する生態をずっと続けていた人間が。
そこまでの事が出来たか。
むしろ人間の生態から考えれば。
いざという時には子供を囮にして、大人が逃げる事を考えただろう。
はっと、鼻で笑ってしまう。
何度も思い知らされるが。
人間はAIに補助されるようになって、やっと知的生命体になる事が出来たのだ。
今だってそれは同じ。
AIに補助されてなお。
知的生命体と言えるかは微妙な奴も少なくない。
それが人間という存在であって。
けっして万物の霊長でも。
進化の頂点でもない。
それをよく示していると言えた。
伸びをすると。
私は帰ることを告げる。
家に着いたら、少し眠って。
ストレスを緩和する薬も飲んで。
休日を満喫してから。
いよいよリードシクティスの、新規アップデートを行う時間だ。
3、艦隊出現す
CMの管理は法務部に任せる。
SNSも見ない。
私はアップデートが行われた後は。
逐一報告を受けるだけだ。
まずCMを流し。
それからアップデートを行う。
この流れはいつも通りである。
リードシクティスは、発見されている中で史上最大の硬骨魚類と言う事で、相応に人気がある。
今回はそれを大胆に替えてきたと言う事で。
かなりの話題になっている様子だ。
最近はマイナーアップデートやコラボが目立っていたこともあり。
大胆な生物像の変更にも取れるアップデートは。
古代生物好きのピーコックランディングでも。
勿論他のSNSでも。
相応に話題になったようで。
何よりである。
「アップデート完了後、三時間で、既に相応の人数がエンシェントにログインしています」
「そういえば今回も、いつものプランですの?」
「はい。 やはり車両に乗ってリードシクティスを見るプランに人気が集中しているようです」
「スキューバは?」
人気がないという。
というか、この時代は巨大海棲爬虫類たちの時代だ。
鮫なんかおやつにすぎない彼らにとっては。
リードシクティスほどの巨体であっても、身を守るためにこんな工夫をしなければならなかった。
身を守るすべが無いという学説が主流であったほどで。
この時代は。スキューバをするには怖いのかも知れない。
とはいっても、他の時代の鑑賞ツアーでも、スキューバは人気がない。
古代生物と間近で触れあうのは。
そんなにいやなのだろうか。
私には分からない。
アクセスはかなり伸びているらしい。
それならば、赤字の心配は無いだろう。
今回はそもそも、人員を少し増やしたくらいで。
赤字になる要素もなかった。
むしろこれだけのアクセスが稼げていると言う事は。
最近にない、大胆なアップデートと言う事で。
普段は静観しているエンシェントのユーザーも。
見に来ているのかも知れなかった。
それはそれで有り難い話である。
まず滑り出しは順調。
しばらく様子を見る。
SNSでの評判は上々のようで。
アクセス数も更に伸びているようだった。
好ましい。
私はココアを淹れさせると。
CMのチェックを行う。
自分でもチェックはしているが。
アップデートした後に、色々ミスに気付いたりするものなのである。この辺りはメールなんかと同じだ。出した後にミスに気付いてしまうあれである。
黙々とメールチェックをしていると。
連絡がある。
法務部からだった。
「どういたしましたの」
「SNSでちょっとした炎上騒ぎが」
「具体的には」
「リードシクティスの展示で、違法行為では無いのですが、悪戯をしたユーザーが動画を載せていまして」
悪戯。
内容は。
確認すると、リードシクティスの群れの中で爆発を生じさせ。
木っ端みじんになったリードシクティス達の死体を、小魚が貪る様子を映像にしたらしい。
「巨大魚木っ端みじんにして見た」とかいう動画をSNSに上げているらしく。
それ自体は違法では無い。
個人的にはイラッと来るが。
まあそれは犯罪でも威力業務妨害でもないので、見ているだけである。
ただ。どうしてこれが炎上したのか。
見ていると、どうやら「非道」と認識されたらしく。
動画をアップした人間は、袋だたきにされているようだった。
まあ本来はそれが当たり前の筈なのだが。
SNSでそれが起きるのも不思議な話だ。
そも仮想空間だし。
人間を襲う可能性がある熊を撃ち殺したら、可哀想だとか騒ぐ脳みそが花畑になっている連中とはまったく状況が違う。
それを加味しても。
炎上しているというのは、個人的には少し驚いた。
「介入しますか?」
「放っておくのですわ。 阿呆が阿呆らしく炎上した。 知った事ではありませんことでしてよ」
「分かりました。 エンシェントからの公式コメントは避けます」
「そうしてくださいまし」
ほどなく、問題のアカウントは削除されたらしい。
此方としてはどうでもいいが。
まあ心の中でこう呟いておく。
ざまあみろ、と。
少しだけ溜飲も下がった。
私はそれから、幾つかの報告を受ける。
まずはSNSの意見をまとめたものだ。
「文字通り艦隊だった。 スペースオペラものの、宇宙戦艦が組むような立体的な艦隊って奴」
「紡錘陣形だな」
「そうそう、それ。 あの鯨みたいなサイズの魚があんな陣形を組むと、大迫力だな」
「確かに魚だから、逐一浮上しなくていいのも大きいな。 それに真ん中に幼体を置くことで、効率よく子供も守れる」
全体的に好意的な意見が目立つようだ。
やはり超巨大魚が、艦隊を組んで泳いでいるインパクトは相当なものがある、と言う事なのだろう。
そしてその周囲を泳いでいる、それらにも劣らない巨体を持つ海棲爬虫類たちもまた。
恐れを喚起させているようだった。
「すっげえでけえ」
「何あれ。 こんなんいたら、シャチでも手も足もでなくね」
「シャチなんてこの時代にいたら問題外だよ」
「ひえ。 確かに生き残るための工夫が必要になるな……」
現在の海にて最強の捕食者、シャチ。
だがこの時代の海では、せいぜい中堅が良い所である。
それくらいの凄まじい能力を持つ海棲爬虫類がいくらでもいた時代で。
現在だからこそ。
シャチがデカイ顔をしていられるという話だけなのである。
思うに、海棲哺乳類は。
海棲爬虫類のニッチを埋めるのに、失敗したのかも知れない。
6500万年前の大絶滅後。
バシロサウルスを一とする、巨大な捕食者としての海棲大型哺乳類は出現したが。
現在まで存在することは出来ていない。
それはすなわち環境適応に失敗したと言う事。
海棲爬虫類にできた事が。
哺乳類には出来なかったのだ。
哺乳類はこれだけを見ても。
進化の頂点などにはいない事がよく分かるのだが。
それはまた別の話か。
「この魚、鯉に近い種なんだってな」
「そういえば、鯉も際限なくでかくなるんだよなあ。 これは流石に桁外れだけれどもさ……」
「鯉の場合は捕食できる生物があんまりいないからな。 あれだけ図体がでかいと、それだけで武器になる」
「思うに、このリードシクティスって魚、生まれた時代があまりにも悪かったのかも知れないな。 この時代じゃなければ、丁度ジンベイザメみたいに悠々と生きられただろうになあ」
そんな同情の声もあるのか。
まあ炎上騒ぎになったくらいだし。
それだけ耳目を集めた、と言う事だろう。
ピーコックランディングの方でも、それなりに話題にはなっているらしい。
「あの偏屈と良く契約を締結できたな」
「案の定ひと揉めしたらしい」
「あー、そうだろうな……」
「ともあれ、今回のはなかなかの出来だ。 リードシクティスの画期的な説として、着目しても良いかも知れない」
学者達は基本的に冷徹な見方をするものだが。
今回は比較的優しい。
ただ、あの学者。
偏屈扱いされているのかと思うと、もっと早くそれを知りたかったと思ってしまう。
それならば、もっと下調べして。
こんなにストレスをため込む状況にはならなかっただろうに。
私はため息をつくと。
報告を一旦切りあげさせる。
そしてカプセルに入って休む。
どうせ不評なども聞かなければならないのである。
車を使っての見学ツアーも、いつまでも続けるわけにはいかないだろう。新しい試みも必要になってくる。
スキューバの良さをユーザーが理解してくれれば。
それで多少は刺激になると思うのだが。
どうしてそれが上手く行かないのだろう。
何かいい手は無いものだろうか。
意見を求めるにしても。
会議では何度もやった。
分析も何度もAIにさせた。
いずれも上手く行っていない。
私がやりたいようにさせているだけではないのだし。
UIがユーザーフレンドリーでは無いとか言われても、此方としてはではどうすればいいんだよと頭を抱えるほかないのである。
いかん。
またストレスがたまってきた。
少し目を閉じると、深呼吸する。
リラクゼーション用の音楽を流すと。
後はぼんやりと、時間が過ぎるのを待った。
四日後に一旦の集計をする。
今回はアクセス数が伸び続けているらしく。
巨大魚艦隊、とかいう話題で、ニュースにまでなっているそうだ。
ネットメディアにはあまり信頼感はないし。あまり此方でも良い思い出が無いのだが。
法務部が確認した所。
比較的公平なものの味方をしているネットメディアで。
そこそこのアクセスが稼げているそうである。
エンシェントは仮想動物園でも大手。
古代生物を扱っている仮想動物園としては最大手の一つだ。
ライバル企業はあるにはあるが。
基本的に特定の動物や時代に絞っているものが多く。
あらゆる時代の地球を再現しているエンシェントとは、少しばかりニーズが違っている。
その気になれば40億年前の地球でも1億年前の地球でも行く事が出来るのがエンシェントなのであって。
石炭紀の地球だけを楽しみたいのなら、別の古代仮想動物園が存在したりしている。
其処ではエンシェントとは別方向から。
古代生物愛を爆発させている様子だ。
勿論私も視察はするが。
今の時点で、此方にも生かせそうなものはない。
収益予測については、現在もアクセスが伸びていると言う事で、もう少ししないと出せない。
それについては素直に会議で社員達につげ。
更に、問題が発生している場合に備えてのバグ取り、監視をしばらく続けるように指示する。
今回はボーナスを出せるだろうとも。
リードシクティスは確かに史上最大の硬骨魚類で。
そこそこの知名度もある。
だがまさか、此処までのアクセスがあるとは思わなかった。
我慢した甲斐があった、とでも言うべきだろうか。
あの学者も。
あれ以降、何も言ってこない。
言ってきたとしても、契約はAI同士でばっちりかわしているので。
問題を起こしたり。
難癖をつけてくる可能性もない。
一応念のために動向は監視させたが。
SNSにも興味は無いらしく。
エンシェントにも数度アクセスしたが。特に不満も無い様子で、リードシクティスをスキューバで見ると帰って行った様子だ。
つまるところ、不安要素は全て無くなった。
それにしても、あの頑固そうな偏屈が。
良くもクレーマーに一変しなかった。
そういうケースはよくあるらしいと聞いているのだけれども。
今回は幸い違った、と言う事だろう。
まあクレーマーが好き勝手出来た時代はもう終わってはいるが。
いずれにしても、神経に来るのも事実。
ともかく、あの学者と、これ以上のトラブルがないのは、とても歓迎できることだった。有り難い。
それから更に三日。
細かい作業を続けていると。
ようやく大まかな終始が出た。
すぐにボーナスとして社員達に利益を還元するように指示。
今回は純利益がかなり大きかったので。
設備投資などにも、更に廻せるかも知れない。
勿論それを考慮した上でいつも仕事をしているが。
今回の利益は、特別と考えるべきだろう。
運が良かった。
リードシクティスが巨大生物中の巨大生物で。
インパクトがあった、というのも理由ではあるだろう。
だがそれにしても。
こんな幸運は何度もない、と考えるべきだ。
これを基準にして次の仕事をどうするか考えたら。
高確率で失敗する。
それを私は理解していたから。
ボーナスを配布する話をする会議で。
まず最初に。
釘を刺した。
社員達も皆、それについては理解している様子で。
特に不満を口にしたり。
今こそ攻勢に出るべき、というような事を言う者はいなかった。
それでいい。
私はようやく、少し安心できたかも知れない。
会議を終えて。
一段落した。
今回の大型アップデートは、大きな利益をもたらしたし。少し冷却期間をおくのも有りかも知れない。
或いは次は敢えてマイナーな生物を取り扱い。
利益を抑えて。
皆には普段はこういうものだと認識して貰うのもありだろう。
私はいずれにしても。
ロボットに身繕いをさせて。
鏡に自分を映す。
最近鏡を見るのが怖くなってきていた。
窶れているのが自分でも分かってきていたからだ。
それでも久々に。
勇気を出して、鏡を見る。
相変わらずお嬢様ファッションに、具体的には髪を縦ロールにして。
ひらひらの服を着た私が。
其処に自信たっぷりの表情で立っていた。
実際には精神をかなりやられて、病院通いしている身なのだが。
それでも見かけはこれだけ自信満々に見える、と言う事か。
不思議な話だ。
オホホホホ、と久々に楽しそうに笑って見るが。
色々ありすぎたせいで。
内心はちっとも楽しくない。
しばらく鏡の前で回ったり髪を手入れしたりしていたが。
ほどなく飽きた。
鏡の前から離れる。
ため息をついている自分は。
見たくなかったからだ。
こんな事をして何になる。
もう一人の自分が言っているような気がする。
バカみたいな格好をして。
漫画のギャグキャラみたいな言動をして。
笑われるために存在しているのかお前は。
もう一人の自分が囁く。
心の中にいるもう一人は。
醜悪な顔をして。
耳元で続ける。
今回は運が良かっただけだと自分でも分かっているくせに。
精神を病んでいる分際で。
何を勝ち誇っている。
お前など、所詮は三流の社長だ。
お前などいなくても会社は回る。
事実今回の利益もお前の功績などではないだろう。
ペットを大事にする人間が獣医に向かないように。
古代生物に思い入れがある人間が。
古代生物の仮想動物園をやるなんてのは、文字通り向いていないんだよ。
そうひとしきり嘲ると。
私の影は高笑いしながら消えていった。
いつも私が冗談っぽくやっている高笑いと違う、本当に邪悪な笑い声だった。
呼吸が乱れている。
勿論もう一人の私の声なんて、AIには聞こえていない。
だから、AIは声を掛けてくる。
「急激にストレス値が上昇しました。 何かありましたか」
「何でもありませんわ」
「少しお休みを。 後投薬します」
調子に乗っていたから、引き締めようと思っただけなのに。
分かっている。
あの声は、単なる精神的負荷のフラッシュバック。
それ以上でも以下でもない。
人間は今だ世界の真理に辿りついてはいないが。
妖怪の類がいたとしても。
勿論そんなものではないだろう。
私は頭を抑えると、呼吸をゆっくり時間を掛けて整えていく。
まずい薬を飲んだ後。
ソファで静かにする。
さて、次は。
どうする。
一旦冷やすかと思ったが、やはり好きなように好きな生物をアップデートするのがいいのだろうか。
それともあらゆる論文を無作為に読んで。
面白そうな古代生物についての論があったのなら、それを取りあげるのがいいのではないのか。
悩んでいる内に。
いつの間にか時間が随分経っていた。
メールの着信音がする。
メールを確認すると。
内容は法務部から。
重要度は低。
ボーナスの支給が終わった、というだけの内容だった。
問題ではないから、メールの重要度を下げた、という事なのだろう。
本来ならボーナスの支給についてなどは重要度の高いメールになる筈だが。
法務部も感覚が麻痺している事を意味する。
なおAIに当然精査させる。
法務部にもAIはついているから不正はないと思うが。
社長としては当然の義務である。
AIは客観的にものをみる。客観的にしかみられない。
だから不正がないと断言し。
そしてそれが間違いない事を、私も心配せず受け入れる事が出来た。まずは、これで今回の事は一段落、でかまわないだろう。
法務部からもう一つメールが来る。
此方は重要度設定無し。
つまりどうでもいいメール、と言う事だ。
「SNSでは、リードシクティスが話題になっています。 アクセス数も減っておらず、今後もエンシェントに定期的な収益をもたらしてくれるかと思います」
「良い傾向ですわ。 そのまま動向は監視するように」
「了解いたしました」
さて、此処からだ。
メールを閉じると、ソファで横になる。
ロボットにマッサージを指示し。
マッサージを受けながら考える。
ストレスはもうどうにもならない。
今回は、利益は上がった。
だがそれは幸運だったからだ。
その幸運の分は。
何だかよく分からない、時代錯誤の雷親父みたいな学者に出会うことで帳消しになってしまった気がする。
二度と同じ失敗をしないように。
私は備えなければならない。
今回は学者の実績について調査した上で。
失敗してしまった。
では、やるべきは何だろう。
学者の人格調査か。
いや、学者の人格と論文の出来は全く関係ない。
事実今回のリードシクティスの論文は、大いに利益をもたらしたし。
論文としては私も読んでいて素直に完成度が高いと思った。これに関しては、あの学者に悪印象がある今でも、変わっていない素直な感想である。良く出来ていた論文だと断言できる。
しかしながらあの学者のような輩とまた会うのは御免被る。
医者に言われたように、出来るだけ人間との接触を減らす。
それは大前提。
ああいう特殊事例ではないか。
先にもっと丁寧な調査をする必要があるだろう。
あの学者は独自ルールで動いていたが。
ああいう独自ルールで動いている人間かどうか。
事前にしっかり確認しておけば。
今回のようなトラブルは避けられたのかも知れないのだから。
それにしても悔しい話だ。
訳が分からないマナーだの作法だのは、ようやく駆逐され。
宇宙時代に入ってから、人類はくだらない事で人格否定されたり、社会的生命を抹殺されたりする事はなくなった。
その筈だというのに。
まだああいうのが生き残っているのは。
何かの間違いではないのか。
それについては、過ぎたこと。
次に反省を生かせば良い。
苦悩は忘れろ。
自分に言い聞かせると。
私はマッサージを終えたロボットに。
アイスを買ってくるように頼む。
アイスはバニラのが良いだろう。
ソフトクリームでは無くアイスだ。
そういうと、ロボットは返してくる。
「いつものでよろしいですか」
「かまいませんわ」
「わかりました」
そういえば。
最初にバニラの買ってこいと言った時。
アイスクリームには、アイスミルク、ラクトアイス、アイスクリームの三種類が存在していて。
固定乳脂肪によって分類される。
バニラアイスというとこの三種類のいずれかであるケースが殆どで。
好みで分かれるが。
どれが欲しいかと。
真顔で聞かれたのだった。
この時のロボットの言動は、「気が利かない」ではなくて、主人を思いやって好みを聞いて来たのであったのがすぐ分かったので。
私はうんざりしながら、ラクトアイスと応えたのだが。
それ以降。
バニラアイスというと。
大体ロボットはラクトアイスを買ってくる。
いつもの、というわけである。
ほどなくいつも通りにラクトアイスを買ってきたので、それを口にする。今の時代はお菓子一つをとっても、昔の高級店並みの味を再現している。アイスもそれはまったく同じである。
しばらくカップのラクトアイスを頬張っていると。
少し眠くなってきた。
AIがアドバイスをくれる。
「眠る前に歯磨きをした方がよろしいでしょう。 それはそうとして、今回の件ですが、以降は特殊事例に含まれる学者では無いか、此方で事前に調査を行います。 余程の事が無い限り、社長が直接学者と顔を合わせなくても良いように此方から調整を行います」
「……」
「学者側のAIも、自分の主人が迷惑を散々掛けていることは理解している様子で、此方に対して謝罪の言葉を掛けてきていました。 マスターには聞こえていなかったかも知れませんが……」
「そうですの」
アイスを食べ終えると。
歯を磨いてから、眠る事にする。
目を閉じると。
先ほどもう一人の自分から浴びせられた罵声の数々が、脳裏に浮かび上がってくる。
そんなものは妄想だと分かっている。
それでも、払いのけることが出来ず。
ただひたすら。
私は寝苦しい時間を送った。
会社は利益を出した。
社員達も皆幸せにやれているはずだ。
私は社長としての責任を果たしているし。
皆に利益だって還元している。
仮想動物園としても。
皆に娯楽を提供し。
可能な限りユーザーに対して誠実であろうとも心がけている。
それなのに、何一つ報われている気がしないのは、どうしてなのだろうか。
私は生きていていいのだろうか。
ふと、手首を切るイメージが強烈にフラッシュバックして。
私は飛び起きる。
いつの間にかカプセルに寝かされていた。
ロボットが気を遣ったのだろうが。
気がつかなかった。
ソファで寝たと思っていたからだ。
目を擦った後。
手首を見る。
手首を切るイメージ。
嫌に鮮烈だった。
私はまだ十三。
いや多感な時期だからか。
あんなイメージを強烈に脳裏に焼き付けてしまった。
大きくため息をつくと。
私はもう何もかも疲れたと。
顔を押さえて、呟いていた。
4、湯治
病院で湯治を進められたので。
私はコロニーの隅にある温泉に向かった。
温泉と言っても今は一人で入るものが主流で。
しかも地球にある様々な温泉を成分まで完璧に再現して、入る事が出来るようになっている。
勿論有害なものは再現出来ないし。
AIが常に見張っているので。
これを利用して悪さをする事も出来ない。
監視用のシステムは非常に徹底されているが。
これは温泉の中には、人体に有害な物質が含まれる事もあるからで。
まあ妥当な話だと言える。
温泉を何種類か堪能した後。
いわゆるオンドルでゆっくり休む。
これは地熱で温めた床の上に布団を敷いて眠る事で。
地熱による体力回復効果を促進する事が出来る。
勿論この温泉施設にもある。
温泉に入ることを楽しみに来る客もそれなりにいるのだが。
その一方で、湯治をするつもりで来る客も私のようにそれなりの数が存在していて。それで利用できるようにするためだ。
勿論今の時代は、個室で楽しむのが主流である。
大部屋もあるのだが。
殆ど誰も使っていないようだった。
まあそれはそうだろう。
そもそも人間同士が殆ど接触を持たない時代なのだから。
オンドルは医療用カプセルとは違った意味で非常に気持ちが良く、精神的に相当参っていた私にもかなり効果が高かった。
ゆっくり眠る事が出来たし。
休んでいる間は何というか、溶けるように何も考えずに過ごすことが出来た。
これは良いかも知れない。
ベルトウェイでの移動時間も十分ほど。
場合によっては、椅子を使ったりしてもいい。
折りたたみ式の椅子くらいは昔からあるし。
ロボットに持たせれば荷物にもならない。
そして現在のベルトウェイは、昔のものとは違って。基本的に巻き込み事故の類も起こさない。
別に上に椅子を載せても何ら問題は無い。
しばしオンドルで惰眠を貪る。
少し疲れがたまりすぎていたのかも知れない。
だからこれは、必要な休息だ。
おかしな話だ。
カプセルできちんと休息は取っていたはずなのに。
こんな風に感じるなんて。
タブレットはロボットに預ける。
重要度高のメール以外は全て無視しろ。
そういう指示も与えておいた。
今は何も考えず。
単純に惰眠を貪り続ける。
ふと、夢を見た。
リードシクティスが、艦隊を組んで泳いでいる。
先頭に立っているのは、一番大きな個体。
上には老いた個体が集まっていた。
つまるところ。
前方と上が。
一番危ない場所、と言う事なのだろう。
一番若くて力もある個体が前方を守り。
餌になってもかまわない個体が上にいる。
案の定、奇襲を仕掛けて来た首長竜が、上にいたリードシクティスに食らいつき、引きちぎって喰らい始めるが。
艦隊はそれを無視して、悠然と進んでいく。
やがて首長竜は、鋭い刃物に等しい鱗で口の中を傷つけられ。
悲鳴を上げてもがき、逃げていった。
死んだリードシクティスの、鱗を避けて身だけを食べている小型の魚や海棲爬虫類たち。ある意味此奴らが一番賢い。
外側が危険で。
内側は食べられる。
それを知っているのだから。
リードシクティスの群れはゆっくりと進みながら、プランクトンを食べ。静かに艦隊を維持したまま泳ぐ。
そのスケールは圧巻で。
そして此奴らを襲うと酷い目に会うと知っているのか。
超大型の首長竜が側を通ったが。
相手にせず、通り過ぎていった。
この首長竜にしても、リードシクティス以上の巨体なのだが。
それでも彼らをして攻撃を躊躇わせるほど、と言う事なのだろう。
ほどなく私は目を覚ます。
リードシクティス達は、ただ生きていた。
それを再現出来ただろうか。
自衛能力もないのろまで間抜けな魚。
そんな印象をひっくり返せただろうか。
私は温泉を出ると。
AIに告げる。
「凄くゆっくり休む事が出来ましたわ。 中々侮れませんわね此処は……」
「人によって良く利く治療法は違ってくるケースがあります。 今回の効果については、既に病院に資料を送りました。 今後は定期的に此処にて治療を行いましょう」
「ええ、それがよろしいですわ」
家まで良い気分を味わう。
まだいつ壊れるか分からない不安定な私の心だが。
それでも今回の温泉はとても良かった。
次からも、何か問題が起きたら湯治することにしよう。
実際に効果があることはよく分かった。
自宅に着くと、ロボットが栄養のある食事を作ってくれる。
私は任せると。
まずは、重要度が低いとは言え、それなりに来ているメールの処理から始めた。
(続)
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