原初から今まで

 

序、変わらぬもの

 

古くから形を変えていない生物は何種類もいる。その中には、身近な者も多く含まれている。

良い例が頭足類だ。

多様に変化はしているが、カンブリア紀に出現して以降。頭足類という生物は基本的には完成していると言っても良い。

魚類はどうか。

もっとも有名な、古くから存在する魚類がいる。

鮫である。

鮫はラブカなどの深海種に原形を残す者がいるが。いずれにしても、もっとも古い魚類の一種。

現在まで生き延びてこられたのは。

頂点捕食者ではなく。

かといって弱くもない。

適度な実力を保ち続けて来た、というのが大きい。

またこのほかにも、古くからまったく変わっていない生物としては。

昆虫がいる。

昆虫に至っては完成形であるが故に。

もはやこれ以上己を変える必要がないのだろう。

他にも幾つも生きた化石と呼ばれる種は存在しているが。

その中の一つに。

シーラカンスがいる。

シーラカンスとは、古く4億年ほど前に出現した魚類であり。

当初は浅い海から川を中心に広がった。

特徴は幾つかあるが。

いずれもが現在栄えている魚類とはかなり違っている。

ただし、広く栄えた種であると言う事を忘れてはいけない。

シーラカンスの中には、現在存在している「生きた化石」二種の他に多様な種が存在しており。

本来は小型種が中心だった。

大型種も存在し。

最大のものは三メートルを超え、四メートルに達する者もいた。

また形状も様々で。

平べったいものから丸っこいものまで、様々な形をしていた。

私は病院帰りに、論文を見ている。

医者に文句を言われそうだけれど。

これくらいは別に良い。

ベルトウェイに立ったままだから、誰かにぶつかる事もないし。

何より私は論文を読むのが好きなのだ。

私が通院しているのはストレスが原因なので。

ストレスを発散するための手段は。

むしろ有意義とも言えるだろう。

家に着くまでに。

論文を四つ読破した。

どれもが、既存のシーラカンス化石に対する研究で。

これといった新しいものもなく。

既に知られている種の新しい化石が出てきたから補完してみた、程度のものであって。

革新的なものではなかったし。

発想も特に珍しいものもなかった。

時間の無駄とは思わない。

現在動かしているエンシェントでも、たくさんのシーラカンスが泳いでいるが。

いずれもシミュレーションで徹底的に検証してから動かしているものばかり。

私もどう動かしたかは覚えている。

故に論文を見れば、今動かしているシーラカンスがどうなのかは一発で分かる。

今見た中では、多少の相違点はあったが。

いずれも修正するほどでもない。

わざわざ修正する理由も感じられない。

考察程度の部分でしか相違点が存在しなかったため。

手を入れる必要はない。

逆にそれが分かっただけでも。

論文を読みこなしたのは大いに有意義だった、

自宅でベットに転がると。

他の論文を見る。

多少古くても良い。

次は「生きている化石」と呼ばれる種の中の。

絶滅種を扱うつもりだからである。

シーラカンスは6500万年前の大絶滅で、大半は恐竜やアンモナイトと命運を共にしたのだが。

深海で二種だけ生き延びた。

その前に棲息していた種を取り扱いたい。

というのも、現存のシーラカンスについては、厳重に保護され、現在では水族館でも飼育が為されている。

昔は謎だった生態も多くが明かされており。

今更今生きているシーラカンスをエンシェントで展示しても意味がないのである。

それならば、昔生きていたシーラカンスとの比較をして見て。

実際にどれだけ違うのか、というのを見た方が面白いだろう。

十ほど論文を見終えた後。

良さそうなのを見つける。

最近という程では無いが。

同種の論文としては、一番新しいもので。

中々に面白い内容である。

シーラカンスは浅い海を中心に棲息していた種だが。

それが深い海に適応していった過程が書かれている。

あくまで仮説だが。

その中間種。

深海に適応しつつある種が取りあげられていた。

比較的最近発見されたシーラカンスで。

全長は二メートル五十センチほどと、現有種より一回りほど大きい。

深海の生物は大きくなる傾向があるが。

シーラカンスもそれは例外では無かった、と言う事だ。

理由はエサを逃がさないようにするため。

この辺りは鉄板なので。

驚くには値しない。

問題は、このシーラカンスが、どちらかといえば浅い海に棲息していた種では無いかと、今までは定説が出ていたことで。

これを変えなければならなくなってくる。

ふむと私は唸った後。

論文を隅から隅まで確認。

更に、学者の素性を調べさせる。

この間ろくでもない学者にあたったからか。

私は相当用心深くなっていた。

まあこれくらいは。

仕方が無い事ではあるだろう。

「比較的若い学者ですわね」

「とはいってもマスターより倍も年を取ってはいますが」

「……」

それは別にかまわない。

問題は、その学者が実績をきちんと上げているか、だ。

奇をてらった論文では無いのか。

手っ取り早く名前を売るために、既存の説をひっくり返すような論文を仕立ててくる学者はいる。

まあ学会で笑いものにされるだけだが。

実際にその手の論文に引っ掛かり掛けた事もある。

確認をすると。

一定の評価を得ている論文のようで。

ちょっとだけほっとした。

後は学者自身の評判だが。

此方も人間関係などで問題を起こしている、という事は無いようだ。

今の時代、AIのサポートがあるので、人格面で問題を起こす、と言う事はあまりないのだけれども。

この間の学者のような例外もいる。

だから私は気を付けるようにしたし。

問題が起きたときの下準備も欠かさないようにしている。

幸い今回はその辺りは大丈夫そうだし。

特に気にすることもないだろう。

学者に連絡を取るように指示。

幸い、さほど忙しくない学者だからか。

すぐに接触する事が出来た。

軽く話をするが。

相手はエンシェントを知っていた。

「これは光栄ですね。 此方としても、歓迎したいところです」

「分かりました。 それでは契約については……」

契約はAIが全て行う。

人間同士だと、悪意があろうが無かろうが、穴が生じる事があるからだ。そうなると、どちらにとっても不幸なことにしかならない。

ケアレスミスをしないAIは。

こういうときに、隙無く作業をこなしてくれる。

「では、契約は以上で」

「はい。 よろしくお願いします」

握手をして、仮想空間からでる。

ちなみに相手は、何故か七面鳥のアバターだった。

学者には、自分が研究している生物のアバターを使う人が多いのだけれど。

少しばかり珍しいタイプである。

契約内容をAIが再確認。

問題ないと言う事を告げられてから。

私は会議に出る。

病院帰りだが。

今回は薬を貰っただけだ。

アレから入院沙汰は起こしていないし。

今の時点で特に問題も無い。

会議でも無理をするつもりはない。

シーラカンスの論文について告げると。

プログラム班は頷く。

シーラカンスはエンシェント創世記に、かなりたくさんのモデルを造り。多数の論文を調べた事がある。

他の生物もそうだが。

生態系で多数存在し。

基礎となる生物に関しては、念入りに綿密な調査を行ったのだ。

だから古参のプログラマーは。

殆どがシーラカンスについて熟知している。

だから任せてしまって大丈夫だろう。

会議は最小限の時間で済ませ。

更にSNSの調査を行うために立ち上げた法務部の新部署について、軽く説明を受ける。

これは私の負担を減らすために立ち上げた部署で。

新しく二人社員を雇い。

五つのサポートAIを新規追加し。

現在既に動いている。

本人達の顔は知らないが、今までの調査での犯罪歴などはない。

まあ今の時代。

犯罪を犯す人間はよっぽど、であるし。

そもそも犯罪を犯せばほぼ確実に捕まるので。

犯罪歴がないのが普通なのだが。

軽く打ち合わせをした後。

私は休む事にする。

医師に口を酸っぱくして言われているのだ。

仕事をしすぎだから、休みを取るようにと。

月400時間とか、非人道的な労働を平然とさせていた時代もあったらしいが。今それをやらせたら重罪になる。

多分一生刑務所から出られないだろう。

私の場合も、法定の労働時間をぎりぎりはみ出しかけていて。

医師にそれを指摘されてもいた。

カプセルに入って休む。

まずい薬も飲む。

ぼんやりしていると。

不意にアラームが無かった。

三十分ほどしか休んでいないが、アラームが鳴るというのは相当だ。

何かあったという事である。

目の前に画像がでる。

「どうやら問題が発生した様子です」

「どういう問題ですの」

「此方をご覧ください」

地球の水族館で、大きな事故。

飼育中のシーラカンス五匹を含め、多くの貴重な魚が死亡。

どうやら事故の原因は、新規に導入されたプログラムに問題があり、水温が上がりすぎた事らしい。

こんな古典的な事故、滅多に起きないのだが。

どうやらこの水族館、余程古い設備を導入していたらしく。

AIですら古すぎて内容を把握できておらず。

それで今回の事故が起きた、というらしい。

コレは困った。

こういう事故は、現在は滅多に起きない。昔はテロだ何だで人がゴミクズのように死んでいたが。

今ではテロなんて過去の遺物だ。起きようがない。

だから、恐らくだが。

相当に人の心に残るはずだ。

頭を抱える。

今度シーラカンスのアップデートをすると決めた矢先にこれだ。

何か私は呪われでもしているのか。

AIが言う。

「今回は少し時間をおくか、アップデートを見送る方が良いかと想います。 タイミングがよくありません」

「分かりましたわ。 時間をおくことにしましょう」

「はい。 そのように手配します」

映像が消える。

私は色々と不運に思えるが。

こう立て続けに最悪の偶然が起きると。

いわゆるオカルト的なものを想起してしまう。

勿論そんなものはある筈が無いのだが。

こう続くと、私も弱気になる。

嘆息。

まず、順番にやっていく必要がある。

AIにスケジュール管理は任せたからそれは良い。

CMの作成のスケジュールも、少し遅らせた方が良いだろう。こういう事故の時に、空気を読まないCMを作ると売り上げにモロに影響する。

SNSのチェックは法務部がやるとして。

私はCMの構想を練る。

ただ今回は。

こんな事故があった後だ。

内容にもある程度の配慮が必要だろう。

災害の後の自粛は何の意味もないが。

死を悼まない事はそれはそれで違う。

私はしばらく考え込んでいたが。

やがて続報が来る。

またアラームだ。

今日はゆっくり休む事も出来ないらしい。

「マスター。 重要報告です」

「今度は何ですの……」

「実は、事故を起こした水族館から連絡が来ています。 コラボをしたいのだとか」

「む……」

コラボか。

確かに事故を起こして、大きな損失を出しているはず。

少しでも取り返すために。

実績があるうちと組むのは決して非合理的な考え方ではない筈だ。

ならば此方も。

乗って見ても悪くないか。

いずれにしても法務部に検討させるように指示。

私はまた少し休む。

コラボとなると。

ホンモノの、いま生きているシーラカンスと、CMで何かしらの形で絡ませるのも有りかも知れない。

勿論現存の二種は。

恐竜が滅びる前から地球に存在していた種だ。

今回取り扱うのは。

2億年ほど前に存在していた種。

遭遇していた可能性は、ほぼ無いとはいえ。

もしも遭遇していたら、と思うと。

少し面白い。

とはいっても、鮫でも大型種は小型種をエサにするように。

同じシーラカンスと言っても、種が違えば別物だ。

なおシーラカンスは卵胎生で。

鮫にしてもそうだが。

別に卵胎生が新しい生態では無い事をよく示している。

さて、此処からだ。

私は半身を起こすと。

カプセルからでて、デスクに向かう。

しばらく考え込んでから。

CMを作り始めた。

 

1、古代からずっと

 

シーラカンスは複数の特徴を備えた魚だ。

兎に角ひれを多数備えており。そして肋骨が存在していない。

さらにシーラカンスは恐ろしくまずい。

これについては、色々な説があるが。

体を構成しているアミノ酸が古代の生物のものと同じ比率だからだとか。

深海魚特有の特徴だとか。

色々言われているようだ。

とはいっても、タラのように深海魚でも美味しいものは存在しているので。

何か別の理由なのだろう。

ダイオウイカのように、体が大きくても食べられたものではない深海生物は他にも存在している。

多分ではあるが。

あくまで体を深海に慣らさせるには必要な事だったのであって。

肉をまずくすることによって、捕食者から逃れるという目的はなかったのだろうと、私は推測している。

まあこの辺りは、学者にでも聞いてみないと分からないか。

遺伝子の変化速度が遅いとか言う説もあるようだが。

6500万年前の大滅亡の前には。

浅い海や川にもシーラカンスは棲息しており。

普通に環境適応能力は有していた。

また、生物の95パーセントが滅びたとまで言われている、最悪の大絶滅。ペルム紀の大絶滅もシーラカンスは耐え抜いており。

それを考えると、シーラカンスはかなり生存能力が高い生物、という事になる。

けっしてか弱い存在では無い。

図太く生き抜いてきた古豪なのだ。

或いは、環境適応よりも。

環境が変化しにくい場所を探すのが得意な生物なのかも知れない。

少なくとも。

万物の霊長を気取っていた人類よりは優れた環境適応力を持った生物だと言う事は、断言できる。

まず第一に。

私は事故を起こした水族館のデータを取り寄せる。

一応人類が宇宙進出を始めた頃……高度AIが出現し、人類の犯罪率が激減、更には人口増加もストップが掛かった時期に作られたものだ。

だがそれにしても、既に数世紀が経過しており。

設備としては、古典としかいえない。

水族館の館長は既にかなり年老いた人物で。

親から子へ、子から孫へと、この水族館を受け継いできたらしい。

なるほど、それでは潰したくない筈だ。

水族館は定期的に改築、施設の修繕はしているようで。

目玉にしているのは、ダイオウイカの展示。

生きているダイオウイカを展示している、地球上にある数少ない水族館である。

これについても極めて貴重だ。

深海に棲息するダイオウイカは、その生きた姿を撮影するのさえ昔は難しく。

生きたまま捕獲することが出来るようになってからも、長生きさせるのは非常に難しい生物だとして知られていた。

現在は安全な飼育方法が確立されているが。

それもこの水族館が運営される途中で出来た技術で。

逆に言うと、事故が起きたときには。

その「遅く作られた水槽」であったが故に。

事故の被害を免れることが出来た、という事情もある。

私は頷くと。

順番に情報を整理していった。

古めの水槽には、昔はやった超大型の水槽や。

ジンベイザメなどの花形が入っているものがあったのだが。

これらでの被害は比較的小さかった。

問題はデリケートな生物たちで。

シーラカンスの他にも。

何種類かの深海魚や深海生物。特にクラゲなどに、大きな被害が出ていた。

特に最大のクラゲで知られるキタユウレイクラゲなどは、七匹の展示の内三匹が死んでしまっており。

昔と違って最大サイズまで成長させることが出来る状態での死とあって。

非常に痛い損失だった。

キタユウレイクラゲは傘の直径が3メートル近くにまで成長する最大のクラゲであり、此処の水族館に飼われていた個体も、最大で2.8メートルのものから、2.1メートルのものが存在していた。

いずれもこの水族館の売りだったため。

館長は嘆いていた。

マスコットが死んでしまったのだ。悲しむのは道理だろう。此方としては手を合わせるしか無い。

ともかく、仮想空間でミーティングをする。

今回は社員も含めて、である。

コラボ企画という事もあるし。

何しろデリケートな問題でもある。

実際ニュースとしてかなり騒がれてもいて。

今回の事件は、波紋を呼びそうだった。

或いは水族館の飼育プログラムに、法改正が行われるかも知れない。

現在の統一政府は、それくらいの事をする余裕がある。

宇宙開発についても、他の生命体がいないか念入りに調査しつつ、丁寧な外宇宙進出計画を進めているし。

現時点では信頼して良いだろう。

人間が政治をしなくなった。

それだけで此処まで政府がまともになるとは、多分誰も信じていなかっただろうし。

絶対にディストピアか何かと想像されただろうが。

現実問題として公平に法が作られ。

悪は裁かれ。

努力は報われるようになっている。

私の幸福度は決して高くは無いけれど。

きちんと色々とやってくれるという安心感はあるので。

少なくとも「AIに頼りっきり」だとか、「人間の尊厳」だとか、そういう言葉を口にするつもりはない。

また人間に政治を任せたら。

昔に戻るのはほぼ確定だ。

政府というのは、偉い人間を作る場所じゃあない。

税金をどう分配するか決める場所だ。

人間はそれを、政府というものを作って以降、一秒だって出来たためしは無かった。AIが登場して、漸くそれが出来た。

この水族館の事故に反省しての法改正だって。

今までの人間の政府では出来なかっただろう。

「今回はコラボ企画を受けていただいて有難うございます。 此方としても名高いエンシェントと合同で仕事を出来るのはありがたい限りです」

アバターで頭を下げたのは、相手側の水族館館長。

現在のシーラカンスを飼育している水族館でもあるし。

今回の事故で、飼っていたシーラカンスを多く失ってしまった被害者でもある。

プログラムについては外注であったらしく。

しかしながら相手側も装置が古すぎる事を指摘しているらしく。

現状ではAIの判断を待つしかないという。

いずれにしてもイメージの回復をするためには。

自粛では無く。

企画を立ち上げるしかない。

此方としても、シーラカンスのアップデートをしようとしていた所なのだ。

丁度良いとは言わないが。

話を断る理由は無い。

ただそうなると。

学者と水族館と。

三者の間で話をつけなければならなくなる。

負担も当然大きくなるのは。覚悟しなければならなかった。

法務部に二人追加した所でこれだ。

さっそく仕事をして貰う事になるだろう。

医者の言う通り、人員を追加していなかったら、どうなっていたことか。

冷や汗さえ流れる。

「それで、コラボの内容ですが」

「此方を」

まず、此方の手札を見せる。

既に絶滅したシーラカンス。

現状生きている種より一回り大型で。

深海へ適応する過程の種だ。

それの立体映像を見ると。

流石に専門家だけあって。すぐにその正体を理解したようだった。

「これは、この間化石が発見された新種ですな。 学名はまだついていなかったはずですが」

「深海への適応過程の種だと考えられています。 今度エンシェントでこの種をアップデートする予定でしたので、これをコラボの内容にしましょう」

「分かりました。 此方としても異存はありません」

動物園と違って、水族館は、飼っている生物の負担が比較的小さい。

現在では人間も多少は入るが、多くの場合はドローンを用いて内部を遠隔で見るのが主流になっている。

動物園のように、完全にドローンによる観察が主体ではなく。

ドローンによる観察の方が遙かに多い、くらいの比率だ。

当然のことながら、ネットを通じて観察するわけで。

仮想空間を用いて観察する客も多い。

故にエンシェントとは、ある程度相性も良いと言える。

実は動物園とのコラボはした事がないし。

水族館もしかり。

今回はプログラム班にも、少し負担を掛ける事になる。

ましてや相手は骨董品のようなプログラムを使っているのである。

互換性を持たせるのは大変だろう。

幾つかプログラム班が質問を開始。

それに対して、水族館の館長のAIが、情報を提示した。

口で説明しても仕方が無いので、電子ファイルで、だが。

それを見たプログラム班が呻いていた。

「これは、本当にこんなOSで動かしていたんですかニャー」

「お恥ずかしながら。 こちらは小さな水族館で、それほど潤沢な資金も無く。 国からの援助でどうにかやっている状態でして」

「確か国からプログラム更新専用のAIを派遣してくれるサービスがあった筈ですだ」

「それも活用させていただいていますが、それでも追いつかない状態でして」

なるほど。

文字通りのカツカツ、と言うわけだ。

ずっと古くからある水族館だ。

しかも同族経営状態。

危険な生物の飼育はロボットやAI制御でやっているだろうけれども。それも更新の度に、色々と多大な手間が掛かる。

飼育には清掃やエサやりも必要で。

とてもではないが、人間がそのままやるには危険すぎる作業となる。

故にどんどん施設は更改していかなければならないのだが。

水族館の数自体が今はあまり多くは無く。

あるとしても大型のものばかり。

こういう中途半端な水族館は。

資金調達も運営も。

うちのような完全仮想化動物園とは、比較にならないほどに大変なのだろう。

「今回の事件もあって、政府からは査察も来る予定です。 その際に、窮状を訴えてみるつもりではあります」

「現状の飼育している生物に何か害は出ていませんか」

「いえ、其方は大丈夫です」

「それならば良かった……」

貴重な飼育生物が、多く失われたばかりである。

これ以上の被害が出ないと言うのなら、それは素晴らしい事である。

私は胸をなで下ろすと。

今度は法務部を呼んで。

幾つかの取引を開始させた。

後は見ているだけで良い。

法務部も、AI同士のやりとりが主体で。

それも人間では目で追うのも難しい高速でのやりとりになっているため。

此方では結果を確認するだけである。

ただし時々AIがストップして、かなりの長考に入ったりもしている。

何しろ骨董品システムが相手だ。

まともな約束を取り付けるには、相当な苦労が必要なのだろう。

苦労は察するが。

そのためにいるのがAIだ。

法務部も電子ファイルをすぐに作成しているが。

これは手間暇が掛かる事だろう。

大まかなやりとりをした後。

後は互いに情報をまとめて。

次の会議に提出することになる。

一旦会議終了。

三十分に達する長丁場だった。今の時代は、こんなに会議が長引くことはまずない。

少し疲れた。

ロボットに持って来られたのは、栄養のことを考慮した食事。つまるところ、味は考慮されていない。

もの凄くまずいが。

体のためだ。

仕方が無く、食べる事にする。

黙々と舌が千切れそうな味の食事を続けていると。

やがてプログラム班からメールが来た。

わざわざ会議をするほどではない、と言う事か。

「今回はシーラカンスの担当と、相手システムとの連結班に分かれて作業をすることになりそうですニャー」

「それで、相手システムとの連携はどうですの?」

「もう現役では殆ど使われていないシステムですし、ベテラン勢が総力であたりますニャー。 とにかく、ネット上などにある情報をフル活用して、スムーズな連結を目指しますニャー」

「お願いしますわ」

まあ上手くやってもらうしかない。

今回は会社の負担が非常に大きくなる。

普段は此処まで社員に負担を掛けることはないのだけれども。

今回ばかりは仕方が無いだろう。

ココアを淹れさせて。

適当に飲みながら、ざっと資料に目を通す。

今回の件はあらゆる意味で苦労が絶えないだろうとは予測しているが。今後も先行きくらい話ばかりだ。

まず政府の査察が明日、水族館に入る。

水族館では機器類やAI、プログラムなどを政府機関に全て提示。

政府側が支援の内容を決める。

これにだいたい一週間ほどはかかると予想されている。

プログラムの更改を水族館側もやるとして。

その内容は、決して楽では無いだろう。

何しろ同族経営なのだ。

話してみたが、適性はあったとしても最低限。

本当に無茶をして運営をしている事がよく分かる。

これで今までよく事故が起きなかったと、逆に感心してしまうほどだ。

どんな天才でも、子孫まで天才とは限らない。

むしろ適性は劣化するのが当たり前。

そういうものなのである。

なお、うちには実機械を用いた水族館や動物園の管理プログラムのノウハウは無い。

一応ツールは有料で販売されているが。

わざわざそれを用いて作るには、相当な時間が掛かるだろう。

水族館側も、それは分かっているようで。

システム更改のためには、外部の会社に頼むしかないことを承知はしている様子だった。それならばいい。

それもやってくれとか言われたら。

頭を抱えるしか無かった処だ。

そして、現物の生き残ったシーラカンスを見る。

現在生きているシーラカンスは、深海にて群れを作って過ごしている。

不思議な事に、この群れは成体だけで構成されていて。

長らく生態の謎とされていた。

からくも今回の事件から生き残った個体が、減ってしまった群れで、寂しそうに泳いでいる様子が映っている。

気の毒だが。

現在シーラカンスは厳重に保護されていて。

安易に此処に新人を入れるわけにはいかない。入れるとしても、色々な苦労が伴うだろう。此方では何もできない。

幸いこの水族館では繁殖に成功はしていて。

ノウハウは確立している。

幼魚は今回の事件では無事だったので。

成魚になりしだい、群れに混ぜることになるだろう。

客に展示している部分だけでは無く。

いわゆるバックヤードも水族館には存在している。

むしろそのバックヤードの方が巨大なほどで。

展示するには問題があるほどデリケートな魚の繁殖を行っていたり。

或いはストレスに弱い魚が隔離されていたり。

そういった、繁殖を行うという点で重要な水族館の、もう一つの心臓部になっている。

この辺りは実物を取り扱っていないエンシェントでは。

苦労が分からない部分の一つと言える。

メールが来る。

法務部からだ。

「相手側のプログラムに、かなり大きな問題点を複数見つけました。 法に抵触するレベルです」

「それで、相手側の回答は」

「今回の件で更改するという話でして。 その更改するのを前提として、プログラム班には連結プログラムを組んで貰う事になるかと思います」

「手配をお願いいたしますわ」

すぐに指示を出す。

それにしても。

今回はそもそもシーラカンスについて考えるよりも。

被害を出してしまった水族館と、どう連携していくかの方が、重要になりそうだ。

面倒くさい。

そして、法務部を作って良かった。

そうとしか、私には思えなかった。

 

翌日の夜。

メールが飛ばされてくる。

法務部からだ。

査察の様子が、此方にも情報として回されてくる。

査察と言っても、政府から派遣された人間は一人だけ。これに加えてロボットが十二体、サポートAIが三十という編成だ。

それだけ今時の査察は。

専門の人員が少なくて済む、という事である。

もっとも、ロボットが安物と言う事は無いし。

サポートAIも最新のものである。

査察では案の定、二百を超える問題点が出たらしく。

水族館の方に、大きな支援が決定され。

経営にもメスが入るようだった。

財政支援策の一端として、今回のコラボは歓迎されている様子で。

査察班からもメールが来たそうである。

進捗を寄越すように、と。

やれやれ。

更に手間が増えたか。

今回はそれほど黒字にならなくても。

プログラム班にはボーナスを出さなければならないだろう。

さて、SNSの方はどうか。

医者にも言われているように。

既に私は、SNSを実際には見ないことにしている。

法務部によると。

やはり久方ぶりの大規模事件と言う事で。

かなりの騒ぎになっているそうだ。

まず水族館自体が老舗中の老舗で、貴重な展示も多く、それ故に今回の事件では相当な被害が出たこと自体が話題になっていると言う。

流石にこの水族館にしか展示していない生物はいなかったが。

それでもそも現在では、水族館は貴重な生物の繁殖を行う場所という側面が大きい。

経営者層の責任を追及する声もあったが。

そも経営がカツカツだったことは既に公開提示されており。

それを追求しても、何も良い事がないことは誰もが一目で分かるため。

あまり不毛な罵声はわき上がってはいなかった。

その一方で、エンシェントのコラボについては。

余程慌てたんだなと言う失笑混じりの声が上がっており。

個人的には、直に見たら頭に来ていただろうなという不快感しかない。

人の不幸を楽しむのが人間とは言え。

こうも露骨だと頭にも来る。

私は嘆息すると。

大体分かったと、報告を取り下げさせる。

これはしばらくCMを作るどころではあるまい。

構想は既に出来てはいるけれど。

今回は老舗水族館の復興と連携して動かなければならないし。

コラボ企画の開始時期も。

少し先に設定しなければならないだろう。

頭を掻き回すと。

どれからやるべきかと、色々考える。

負荷分散をしたのは正解だったが。

今後優先順位を決めていくのは私の仕事だ。

また、水族館側の状況についても。

逐一気を配らなければならない。

政府が新規の機械やプログラムを支給するとして。

それがどう導入されるかを確認し。

導入された場合には、連結をすぐ出来るように、先回りして動く。

そのためにはプログラム班との連携が必要で。

指示をするのは。

私の仕事だ。

勿論サポートAIによる支援はあるが。今回はシーラカンスについて考えるよりも。複雑に絡んだ状況を同解きほどくかに、重点を置いて考えなければならない可能性が高いだろう。

順番に一つずつ整理していく。

まず査察班からメールが来る。

向こうもエンシェントとの連携については知っている様子で。今後どういう機械とプログラムが導入されるかについては、気前よく教えてくれた。

有り難く情報を受け取り。

プログラム班に回す。

そして水族館とも連絡を取り。

導入は上手く行きそうか確認。

水族館では現在専門のスタッフを新たに雇い入れ。

作業を始めているらしい。

とはいっても財政難に苦しんでいた水族館だ。

政府の支援を受けての作業になるだろうし。

厳しい監視も受けながらの、針のむしろでの作業になる。

サポートAIが経営を支援していただろうから。

やはり水族館は儲からない、と言う事なのだろう。

だが貴重な生物の繁殖を行う施設として、なくてはならない場所でもあるので。

政府としての支援を得られることだけは救いか。

水族館側と何とか会議を行い。

順番に情報を受け取って。

これもプログラム班に回す。

連結試験が大変だろうな。

そう思ったが。

今の時点では口にしない。

現場のスタッフは分かりきっているだろうし。

口にしたところで、ストレスにしかならないからだ。

社員のメンタルケアも社長の仕事。

とはいっても、私はメンタルケアはむしろ受ける方なので。

専門のAIを派遣する事が仕事、というのが実情だが。

自分の肩を叩くと。

今度はプログラム班と打ち合わせする。

AIが編成したとおりに、連結プログラムと、シーラカンスのアップデートに別れて作業をしているが。

一部の者は、既存の展示のバグ取りとシミュレーションの検証をして貰っている。

これは、今回のアップデートは。

少し時間が掛かるかも知れない。

とはいっても、エンシェントは優良企業。

まだまだ資金は潤沢にある。

だが、資金は無限では無い。あまり無駄遣いは出来ない。

無くなるときはあっという間に無くなるだろう。

しばし考え込んだ後。状況について細かくAIにチェックさせる。人員が足りない方に振り分けられるように、柔軟に状況を把握するためだ。

大きめのフローはAIに作らせるが。

それがきちんと回っているか、ヒアリングをするのは私の仕事だし。

人員配分の責任を負うのも私の仕事である。

如何にシーラカンスのアップデートにある程度の実績があるといっても。

それに胡座を掻いていたら。

どんなミスをするか分かったものでもない。

少しばかり忙しい。

作業時間よりも。

頭の中で、処理しなければならない問題の数が多すぎる。

一つ一つ丁寧にやっていけば良い、というのは分かってはいるのだが。

それでも難しいものは難しかった。

AIに警告される。

仕事時間が多すぎると。

私は頷くと、もう後は反論せずにカプセルに入る。

倒れた後なのだ。

無理は出来なかった。

 

2、混雑する糸の行く先

 

最初のモデルが出来上がった。

論文と照らし合わせ。

更に開発機で動かしてみる。

シーラカンスは多数のひれを持っていて。

動きはあまり速くはない。

その代わり、独特の姿勢制御が出来るし。

この種は深海への適応を始めている者だ。

海の中層から深海に掛けて棲息していて。

動きは別に速くなくても問題は無かった。

ただ棲息していた時期が、よりにもよって2億年前。

この時代は、強大な捕食生物が幾らでも存在していて。勿論現在の生物に対しても通用する種ばかりだった。

大型の魚竜にとっては。

美味しくなくとも、シーラカンスは適切な栄養だっただろう。

だから生存のためには、色々苦労する必要があるのだった。

例えば現有種のシーラカンスは。

深海で、まとまって群れを作っている。

二メートルの大型魚としては珍しい生態で。

それも岩場の影などに、群れで棲息しているのだ。

これは恐らくだが。

強力な捕食者から逃れるため。

生存率を少しでもあげるため。

そういうった理由あっての行動だろう。

新しい環境に適応しようとするシーラカンスに関しても。

これは同じだったはず。

元々シーラカンスは川、そして浅い海に棲息していた魚だったのだ。

生態系ではどちらかと言えば底辺に近い位置にいただろう。

大型種はその体の大きさだけを武器にしていた筈で。

小型種は積極的に狙われ。

食われていた。

逆に言うと、捕食対象だったからこそ。

多数の種を産みだし。

環境適応に必死になり。

長い間生き延びる事に、最終的には成功してきたとも言える。

私の目の前で。

シーラカンスは、ゆっくりながらも、確実に巨大な魚影を避けて泳いでいる。

ふむ、と腕組みする。

動きが鈍いことで。

逆に見つかりづらくしている、と言う事か。

だとするとこれはこれで面白い。

ナマケモノなどもそうだが。

動きを遅くすることで、敵に発見されづらくなる、という利点は確かに存在している。

もしも発見された場合には、全力を出して泳げば良い。

シーラカンスは普段はゆったり泳いでいるが。

エサは小魚や烏賊などである。

これらは相応に素早く泳ぐ。

と言う事は、シーラカンスは必要に応じて、速く動ける、と言う事だ。

緩急をつけて泳ぎ。

普段はカモフラージュさえ利用して海中層から深海を狙い。

適切な獲物が現れたら、一気に食い千切る。

そういう動きをしているのを見て。

私はなるほど、と感心した。

今の時点で、おかしいと思える点は無いので。

このモデリングをしたプログラム班をメールで褒め。

徹底的にシミュレーションをするようにも指示。

魚竜がこの時期幾らでも存在していて。

ベレムナイトをエサにしていた。

ベレムナイトも魚をエサにしていたわけで。

このサイズのシーラカンスに手を出せるベレムナイトはそれほど多くは無かっただろうけれども。

その一方で、魚竜にとってはカモとなるサイズだ。

ベレムナイトより食いでがあると思わせないためにも。

シーラカンス達は色々と工夫をしなければならなかっただろう。

味がまずいのもその工夫の一端か。

いや、流石に其処までは考えなくても良いだろう。

多分このゆったりした動きで相手の注意を惹かないようにしつつ。

群れを作って生存率を上げ。

更には敵の警戒を解く。

これらを並行で行いつつ。

少しずつ、深海へと移動していたのだろう。

見ている限りは、良く出来た生物だと私は思う。

決して素早く機敏に動き。

攻撃能力が高いだけが。

生き残るコツでは無い。

恒温動物は素早く強靱かも知れないが。

一方で膨大なエサを必要ともするのだ。

それは決して有利な事ばかりでは無い。

このシーラカンスにしても。

魚竜が好んで深海に来ないことを。

何処かで理解していたのかも知れない。

何しろこの時代はベレムナイトもアンモナイトも食い放題。

わざわざ深海までもぐって。

まずいシーラカンスを食い荒らす必要もなかっただろうから。

さて、シーラカンスをしばらく眺めていたが。

妙な動きに気付いた。

時々逆立ちするようにして。真下を見るのだ。

何だこれは。

確か現存種のシーラカンスは、浮き袋に脂肪を詰め込んでいるはず。

深海で生活するための工夫の筈だが。

その影響だろうか。

しばらく様子を見ていると。

私はふと気付く。

これは恐らくだが。

体のバランスが取れていない。

リュウグウノツカイなどの深海魚は、海面に向けて立ち泳ぎをする事がある。これは撮影されてもいる立派な生態である。

だがこのシーラカンスの行動は。

餌を探しているとは思えないし。

何より、襲ってくる敵から最大の隙を晒すことにもなるだろう。

すぐにプログラム班にメールを入れる。

向こうでも検証してくれると、即座にメールが戻ってきた。

肩を叩く。

ロボットにマッサージをさせながら、ココアも淹れさせる。

私は机に突っ伏すと。

次のメールを開くように指示。

音声ソフトで読み上げさせた。

法務部からだ。

どうやらエンシェントと事故を起こした水族館のコラボが行われる事が話題になっているらしい。

昔、地球では。

大きな災害が起きたとき、「楽しむ事を自粛する」とかいう訳が分からない文化が存在したという。

言う間でも無いがこれは被災地の復興を妨げる行為で。

百害あって一利も無い。

変な配慮が産み出した。

有害なだけの文化だ。

それの残滓を少しだけ感じさせる反応だという。

「歓迎ムードがある中、こんな時にまず金かよ、という揶揄の声が出ています。 エンシェントをハイエナ扱いする者も」

「エンシェントには昔から熱心なアンチが少数いますわ。 その手の輩でしょう」

「分かっています。 対応は如何いたしますか」

「適当に行っておいてくださいまし」

アホらしい。

本来なら私がSNSに通報でもしなければならないのだが。此処はせっかく負荷分散をしたのである。

負荷分散したのだから。

相応に対応して貰う。

それだけである。

「他に問題は」

「シーラカンスについて、水族館で特集のCMを組んでいるようで、既に流し始めています」

「……」

「連携が取れていないですね」

全くだ。

CMを流すなら、此方に相談してからやって欲しかった。

この辺り老舗と言っても、やはり何代も同族経営をしている場所なのだろう。

同族経営何て適性無視の経営をしていれば。

いずれこういったことも起きる様になる。

なおCMの内容だが。

お世辞にも良いとは言えない様子だ。

法務部には、とりあえず先のアンチの対応をさせるとして。

私は私で。

水族館に連絡を取る。

向こうは恐縮していたが。

CMの話をすると、不意に態度を硬化させた。

「確かに助けは求めましたが、そんな事まで貴方にわざわざ指示を仰がなければならないのですか?」

「そうはいっていません。 今回はコラボと言う事で、歩調を合わせなければならない、ということです。 勝手に色々とされては困ります」

「CMを流すことくらい、勝手でもなんでも無いでしょう」

「いや、その考えが既にまずいです」

これだから同族経営は。

社長の適性検査の時。

散々色々な知識を催眠教育で詰め込んだ。

その中には、企業間で連携するとき。

どうやって足並みを揃えるか、というものもあった。

相手にはそれが無い。

丁寧に説明をして行くと。

相手は不満タラタラではあったが。

どうにか納得はしてくれた。

だが流してしまったCMは仕方が無い。

此方でも急いでCMを作らなければならないだろう。

負担が余計に増える。

頭痛の種も増える。

ただでさえ医者に通っている身だというのに。

頭が痛い話だ。

ただでさえ今回は、水族館に査察が入って、機械類が更新して、それを動かすプログラムがと、長期的なコラボになる。

CMを流すのはもっと後でもかまわなかった。

それをこんな早い段階からCMを流してしまったのは相手のミスだ。

負担ばかり増やす事をして。

言いたくは無いが。

相手の経営層が無能なのを、私は悟った。

だがそれでも。

コラボを受けてしまったのは事実だし。

古代に生きていたシーラカンスと。

現在に生きているシーラカンスとで。

夢のコラボを実現できるのも。

これはこれで嬉しい事だった。

だからこそ、我慢する。

我慢しすぎると精神衛生上良くない事は分かってはいるのだけれども。

それでもやらなければならない。

頭をむしゃくしゃして掻き回した後。

私はAIに指示。

「水族館側の動きを監視。 何か始めようとしたら、すぐに私に連絡するようにしてくださいまし」

「分かりました。 そのようにいたします」

「まったく、余計な手間を取らせてくれる……」

「世の中は思うようには動かないものです」

そんな事は分かっている。

だが、やはり世襲制度は悪だとこういうのを見ているとよく分かる。

今の時代、個人資産なんて持っていても仕方が無いのだ。

経営者は自分の子孫に経営を引き継がせないで。

さっさと適正のある別の人間に譲れば良いのである。

それが出来るシステムも整っている。

今回はそんな事も分かっていない経営者だったからこそ。

起こしてしまった人災だったのでは無いのか。

売り上げが無くてどうしようもなかったと最初は好意的に見ていたが。

相手側と良く接してみたら。

自業自得、という言葉が浮かび上がってくる。

流石に貴重な生物が失われてしまった以上。

面罵するのはあまり好ましい行動では無いのは分かっているが。

それでも苛立ちを抑えるのは少しばかり難しかったし。

何よりも足を引っ張られたことには、腹も立つ。

さて。私は一通り指示を終えると。

病院に向かう。

その間も、メールを幾つか処理。

かなり長文のメールも混じっていた。

どうやら水族館側が。

査察とかなり揉めているらしい。

最新鋭の機器の導入を、低利の貸し付けでやってくれるという話をしてくれているのに。

使い方が分からないとか。

実績はとか。

散々揉めているのだそうだ。

思わず口をつぐみたくなったが。

コラボすると決めたのは私だ。

それに査察に対して、横やりを入れる訳にもいかない。

少なくとも契約をする段階では、相手は大人しく振る舞っていたのだ。

此方から、契約を破棄する訳にもいかないのが色々と面倒くさかった。

それにしても。

或いは私の素性を調べた上で。

経験が浅い相手だから、軽く利用できるだろうとか考えて、コラボを持ちかけてきたのだろうか。

だとしたら更に頭に来る。

契約時は大人しく振る舞っていたのも。

全て演技だったとしたら。

ぎりぎりと歯がみしたが。

此処で怒っていても仕方が無い。

胸を押さえて。

息を鎮める。

そして病院で、診察を受けた。

採血も受け。

そしてAIが私の症状や、起きた事について説明。

此方で話す事は特にない。

というのも、診療の際、客観的な発言をするAIの方が、人間が主観的に話すよりも、遙かに治療の効率を上げてくれるからだ。

医師もAIの説明の方が分かり易いらしい。

これについては、医師がSNSで話しているのを良く聞く。

医師は特に会話もせずに。

薬を普通に出してくれた。

副作用が少しばかり強めだが。

精神に一度ダメージを受けると。

復旧までに相当な苦労をするらしく。

副作用が出る薬を処方されるのは、仕方が無いと諦めるしか無い

家に戻りながら、またメールをチェック。

ベルトウェイに乗ったまま、メールに添付されていたシミュレーションの画像を確認する。

どうやらあの逆立ち泳ぎについては、やはり単なるバグだったらしい。

勿論餌を探すために下を向くことはあるだろうが。

彼処まで極端に逆立ちをして。

しかも長時間それを維持すると言う事は。

よく調べてみると、あまり考えられない、と言う事だった。

実際海底の餌を探す魚も。

体を斜めにして、餌を探すことが多い。

これは天敵に狙われたとき、無防備な状態を晒すことを避ける為で。

早めに気がつくことが出来て良かった。

客観的にものを見られるAIでも。

こういう所は見落とすことが多い。

私は頷くと、修正ご苦労様とメールで送り。

そしてぼんやりと前を見つめた。

ご苦労様か。

そういえば、一時期から変なビジネスマナーが出現し。

ご苦労様は目下相手に。

お疲れ様は目上相手に。

そんな風潮が出来たとか。

実際には、古くはどちらも同じように使われていたもので。

ある時期から急に変なビジネスマナーとして確立されたのである。

アホらしいので今は撤廃されているが。

当の「ビジネスマナー講師」でさえ把握できないほど訳が分からないマナーが量産された時期。

働いている人間達は、皆もの凄く肩身が狭く。

何よりも生活が苦しかったそうである。

元々人間の能力なんて多寡が知れているのに。

それを更に圧迫するビジネスマナーなど必要ない。

勿論私もそんなものは気にしないし。

今の時代、そんなのを気にしている奴がいたらただのアホだ。

だからどうでもいいなと、私はメールを打ち終えてから、鼻を鳴らした。

自宅に着くと。

少し休むように言われたので。

ソファに横になって、メールをチェックし。返信が必要なものだけより分けておく。対応は言われた通り少し休んでからだ。

私が倒れたことは、社員達も知っている。

だから返事を急かしてくることもない。

何より今の時代。

ビジネススピードが狂気のチキンレースをしていた状況とは違って。

一秒を争って全員が命を削り合っている訳でも無い。

あくびをすると。

メールを寄り分け終わったので、休む事にする。

今は無理をしても、一部の得も無い。

昔と違って。

人間を人間がリアルタイムで監視しなくても良い。

AIに出来る事は任せ。

そして私は、負荷を軽減しなければならなかった。

 

夢を見た。

シーラカンスが此方を見ながら泳いでいる。

ふと気付くと私は、スキューバで深海にもぐっていた。

深海スキューバは、現在はロボット同伴で技術が確立されている。流石に海には人間を殺傷できる生物が相応にいるので、護衛用のロボットを同伴するのが必須だ。スキューバ自体が危険なので、仮想空間でスキューバするなら兎も角。現実空間でスキューバする場合。特に浅い海では無く深海に行く場合は、ロボットによる護衛が法的に義務づけられている。勿論浅い海でも、護衛のロボットの介助は何処の業者でもやる。事故が起きた場合、業者の責任になるからだ。スキューバの道具は、現在専門業者からレンタルするシステムに法で決められているのである。

私の側にも護衛のロボットがいるが。

シーラカンスには手出ししない。

シーラカンスは此方を見ながら。

特徴的な多数のひれを揺らしつつ、泳いでいる。

何となく気付く。

このシーラカンス。

コラボ先の水族館で飼っていた。

死んでしまったシーラカンスだ。

恨みがましく此方を見ている訳では無いが。

何となく心が痛んだ。

やがてシーラカンスは光り始め。

消えていく。

シーラカンスは非常に長生きする魚だと言う事で知られている。

深海に住むオンデンザメの一種にも、数百年生きる者が確認されているが。

シーラカンスもそれに負けず劣らず長生きだ。

残ったのは、現在生きている、水族館にいるシーラカンス。

何十年も一緒に泳いでいただろう相手だ。

悲しくは無いのだろうか。

そう思って見ているが。

特にそんな風には感じていないようだった。

まあ、それはそうか。

感情というものは、生物が便利だから獲得していったものだ。

恐怖は強敵に遭遇したとき、逃げるために。

歓喜は利がある行動を積極的にするために。

哀しみは同じ失敗を避けるために。

逆に言えば、それらが発達していなくても。

生きられる生物は生きられる。

全てが本能に刻まれている生物にとっては。

別に感情など必要ない。

シーラカンス達は無音で泳いでいる。

此処は、水槽の中なのか。

周囲を見回すが。

特にそういう雰囲気はない。

そして、気付く。

私に並んで。

エンシェントで今モデリングしている、シーラカンスが泳いでいた。

一回り大きい昔のシーラカンスを見ても、何も今のシーラカンスは興味を示さない。

交配ができる程近い種でも無いし。

命の危険があるほど大きい種でもない。

エサになるほど小さい種でもない。

だから興味が無い。

そういう事なのだろう。

冷えている。

冷え切っている。

そう素直に感じた。

元からこういう生物なのか。

深海で長い長い時間を生きる生物に熱情など不要。激しく動き回る事はそれだけ体力を消耗させる。

天敵にも狙われやすくなる。

深海には、巨大な生物もたくさんいる。

二メートル程度の体躯では、無敵とは言い難い。

だからこそ、冷えていなければ。むしろ体を危険にさらしてしまう、と言う事なのだろう。

そうか、これくらい静かに冷えることが出来れば。

むしろ私は。

社長として、動きやすくなるのかも知れない。

私は今まで熱くなりやすすぎた。

だからこそ、無意味に消耗し。

通院までする羽目に陥った。

私はもっと静かに。

そして合理的に。

動くべきだったのでは無いのだろうか。

 

目が覚める。

夢の内容は覚えていた。

手を見る。

私は人間だ。

「マスター、うなされていましたが。 ……ストレス値はそれほどたまっていないようですね」

「悪夢を見たわけではありませんわ」

「そうですか。 ともあれ、お薬を」

「ん」

薬を飲むと。

作業に移る。

その時自身に言い聞かせる。

静かであれ。

冷えろ。

それは一つの生き方だ。

私に取っては。むしろそれこそが、良いやり方なのかも知れない。

決して恥ずべき行為ではない筈。

私は社長として。

多くのものを背負ってきている。

そして今後も背負わなければならない。

今までのやり方が完全に正しかったと思うと、どうしても思考回路が硬直する。ならばもっと心を冷やすことが重要になってくるかも知れない。

シーラカンスはそうやって。

今まで生き延びてきた。

少なくとも人間より実績がある生物だ。

真似ることは、決して恥では無いだろう。

心が冷えたからか。

不意に仕事が楽になった。

これからは、更に心を冷やしていく事が出来れば。

私は、そうも思った。

 

3、静寂の巨魚

 

水族館側の準備が整った。

査察が経営陣に問題があると判断。

現社長を更迭し。

新しく別の社長を就任させたのだ。

現社長には、オーナーという形になって貰い。

水族館の運営からは退いて貰った。

これはごく妥当な話である。

勿論オーナーが変わっても、コラボ企画は変わらない。

また昔と違って、水族館での工事そのものも。

それほど時間は掛からない。

大型水槽でも、一日もあれば充分。

流石に太陽系に進出するところまで、技術を高めていない、と言う事だ。

新しい水族館の館長は、非常に話がしやすく。

適性持ちの人間と言う事もあって、論理的に動けるので楽だった。

プログラムの結合試験も上手く行き。

更にシーラカンスのシミュレーションもほぼ完了。

学者にも見せ。

問題点の指摘を受け。

修正を実施。

大体が完成したのが。

最初にコラボの話が出てから、一月ほどだった。

査察と、その関連のごたごたで、時間の八割以上が食われた感触である。勿論結合試験などでも時間は食ったが。

それはそれだ。

ともあれ、完成したシーラカンスを見る。

現有のものより一回り大きく。

だがゆったりと泳ぐ姿については殆ど変わっていない。

特徴的な多数のひれと。

静かで堂々たる動き。

今回のコラボでは、ドローンによる観察から。

違和感なくエンシェントへのログインを実施。

古きシーラカンスの観察へ移ることが出来る。

勿論エンシェントから入って、二億年前の海で深海適応しつつあるシーラカンスを観察し。

そこから水族館に移って、ドローンで現在のシーラカンスを観察する事も可能だ。

残念ながら死んでしまったシーラカンスについては剥製にされ。

色々と話し合いが行われ、法的措置をクリアした結果。バックヤードで飼われていた控えのシーラカンスが、新しく水槽に移されている。

前からいたシーラカンス達と上手くやれているようで何より。

こういう引っ越しの際。

気が立った生物同士で、致命的な諍いが起きる事がある。

稀少動物の繁殖などでは結構見られる光景で。

勿論気を抜くと悲劇になる。

だが、シーラカンスはとても静かな生物であるが故か。

新しい仲間を平然と受け入れ。

攻撃することも。

逆に攻撃されることも無かった。

静かな生物だ。

また、新しい館長は。

エンシェント側との連携を強化するために。

自分でも連結システムを試し。

コレで申し分ないと、メールを送ってきた。

CMに関しても両者で連携。

水族館側はプロの業者を雇ってCMを造り。

その内容を見ながら、私もCMを作った。

私が作ったCMは。

ゆったり泳ぐシーラカンスを描いたものである。

浅い海域にいた小型のシーラカンスが。

徐々に動きが素早い硬骨魚類に押されていく。

彼らはゆっくりと動きながら。

押されるなら仕方が無いと。

海底へと、徐々に移動していく。

そう、まるで仕方が無いと言うように。極めてマイペースな環境適応だ。その間に攻撃されるが。

徐々に体を大きくさせることで適応。

その体は魚類としては大型になり。

やがて深海に半適応した。

ゆったりと泳ぐ姿は。

現有のシーラカンスより更に大きい。

その静かな泳ぐ姿は。

環境が安定した深海にはむしろ相応しく。

強く速い事だけが全てでは無いと知らしめてくれる。

やがて、全てが滅んだとき。

深海には、シーラカンスが静かに生きていた。

CMの内容はこんな所である。

一方水族館側のCMはこんな感じだ。

魚竜全盛期の海。

シーラカンスは徐々に浅い海から追われていき。川からも姿を消していった。

とはいっても、一定のニッチは占めていた。

そんな中、シーラカンスの一部は深海を目指し出す。

自分達の環境適応が遅いことに気付いたのだ。

故に環境の変化が小さい深海こそ。

新天地だと考えたのである。

さあ深海へ行こう。

勿論深海にだって敵はいる。

だがそこは静寂の世界だ。

静かな闇の中、群れを作って過ごそう。

それで安定する。

地上では隕石が落ちたり、火山が大噴火する中。

深海で静かに過ごしたシーラカンスは。

姿を変えながら生き延びた。

そして今でも生き延び。

水族館で。

君を待っている。

ちょっと個人的には擬人化しすぎだなとは思ったが。これはこれで別にかまわないだろう。

既に絶滅したシーラカンスと。

現在生きているシーラカンスの。

夢のコラボである。

そういう意味では、このCMはそれぞれが意見を出し合った上で作ったものだし。考え方も悪くないはず。

私は少なくとも納得した。

水族館側も、私がCMを作っている事を知り。

そして驚いたようだが。

これで納得してくれた。

互いに同意がとれたので。

CMを流す。

後は法務部に任せる。

私はCMの反応で、不要なダメージを受けていた。

だから、これからは。

いちいち反応を確認せず。

それが客を呼べたか、呼べなかったか。

それだけを知れば良い。

次のCMを作る際にも。

同じく前の結果を参考にし。

機械的に造れば良い。

どうせ感情を込めて作れば笑いものにされるし。機械的に作れば熱量が足りないとか言われるし。

いちいち一喜一憂しているだけ時間と労力の無駄だ。

それならば。

あのシーラカンスのように。

静かにたゆたえば良いのである。

さて、全て準備は整った。

アップデートを行い。

水族館も、部分的に閉鎖していたコンテンツを再開放する。

今度の館長は、きちんと適性持ちの人間だ。

水族館に関しても愛着を持っている。

同族経営で腐りきった水族館のシステムをきっちり修正してくれたし。

私としても信頼度が高い。

では、後は結果を待つだけ。

ココアでも飲みながら。

時間が経つのを、デスクで待つだけである。

しばし待つ。

法務部からメールが来たのは、二時間後だった。

それまで私は、ココアを飲みながら、優雅に今まで作ったCMの手直しをしていた。今になって見るとまずい部分はいくらでもあるし。

技術が上がった事で変えられる点は幾つもある。

本来はこういったリメイク作業というのは、創作意欲を著しく削ぐらしいのだけれども。私はCM作りに関しては文句を言われることで疲弊しているので。逆に昔のCMをよりよくする事だけはしておきたいのだ。

法務部によるとこうである。

「アクセスは水族館も弊社もそこそこに伸びています。 CMの評判も悪くありません」

「具体的な内容を聞くとどうせ疲れるでしょうし、大まかな予想黒字だけを提示していただけますの」

「分かりました」

曲線が提示される。

こういった機能は、今時簡単に作る事が出来る。

思考と直結したシステムで、仮想空間で作ることにより、イメージ通りにデータを操作できるのだ。

昔の表計算ソフトと違い、難しい知識など必要ない。

そのまま誰でも思うとおりに動かせる。

イメージする能力さえあれば。

その通りに動かす事が出来る。

このためプレゼンは。

昔の比では無く簡単だ。

今も、私が一目で分かる内容にして、即座にデータ化して送ってきた。

見た感じでは、黒字ぎりぎり、という所か。

法務部も流石にもっとも楽観的なデータを提出したいのだろう。

最悪の状況になった場合のデータの提示を求めると。

少し悩んだ後、データを提示してくる。

それでも、赤字にはならないか。

つまるところ。

それだけ振れ幅が小さいという事である。

今回のコラボは、負担が大きかった。やらなければならない事も多かったし、何よりも皆に対する工数が非常に増えた。

私自身に対してもそうだし。

水族館側も大きなトラブルを抱えた。

そうなってくると。

この結果もまた、仕方が無いのかも知れない。

「何か問題は起きていませんか」

「危惧された不謹慎という声は、ほぼ聞かれていません。」

「他には」

「……そうですね。 データを集計した感じでは、弊社に対する悪口や悪評はほぼ見かけませんね」

そうか。

本当にそうならいいのだが。

しかし、疑っても仕方が無い。

医者にそもそも、負荷分散をしろと言われているのだ。

法務部があれでも。

AIがサポートしているはず。

あからさまな嘘は連絡して来ないだろうし。

これで良いとする。

小さくあくびをすると。

一旦休憩に入る。

連絡をしてきた内容を見る限り。

私のCMが問題視されていることも無い様子だし。

私が出向かなければならない問題も起きていないだろう。

論文の学者も、シーラカンスについては特に何か言ってきている様子も無い。

既に実際に動くところを見せているので。

文句を言う理由も無いのだろう。

少し休んでから。

開発機から、エンシェントに入る。

シーラカンスを見に行くためだ。

予定通り、特に問題の無い動きをしている。

海の中層だから。

本来だったら、人間が素潜りするには危険すぎる海域だが。

仮想空間だから何ら問題は無い。

無心に泳いでシーラカンスに併走している。近くに魚竜がいるのに気付いたからか、シーラカンスはゆっくりと深度を下げ始めた。私もそれに沿って潜りはじめる。

今回は海底の生物では無い事もあって。

潜水艦を使ったツアーを提案し。

それで受け入れられているようだ。

スキューバについてはカスタム設定で使えるようにはしてあるが。

泳ぎながらログをチェックする限り。

使っている人は一割いるかいないか、というところのようである。

仮想空間を使ったコンテンツでは。

複数人数が同時にログインする事はない。

或いは多人数がログインするツアーを組んだりしたら、スキューバも人気が出るのかも知れないが。

どうせ悪事に利用されるだけだ。

そのまま、現存のシーラカンスを見に行く。

エンシェントのものより多少小柄だが。

あまり変わらない。

ただ。現存の者は。

もはや深海から出るつもりが無い。

環境の変動が無い場所で。

静かに暮らしている。

昔は、そういった生物を馬鹿にする風潮があったが。

彼らが何をしたと言うのか。

人間は強い生物だという錯覚をした結果の風潮であって。

静かに閉鎖空間で暮らしている生物が。

貶められる謂われは無い。

シーラカンスは此方に殆ど興味を示さない。

まあ当たり前で。

データにアクセスしているだけだからだ。

向こうはホンモノの生きたシーラカンス。

水族館のデータを仮想空間に丸々コピーして。

其処で私が泳いでいるに過ぎない。

だからそもそも。

此方を認識さえ出来ていない可能性が高い。

多くの特徴的なひれを動かし。

泳いでいるシーラカンスは。

とても優雅で。

静かだった。

無害で。

強い生物では無いかも知れないが。

穏やかな存在だ。

勿論獲物を殺して食いもする。

だがそれは生きて行くために必要な範囲内での事。

人間のように。

ハンティングが面白いからなどという理由で。

数十億匹もいたリョコウバトを皆殺しにするような生物ではない。

それだけは、断言できた。

ログアウトする。

少し汗を掻いていたので、シャワーを浴びる。

まだ十三だというのに、あまり体の調子が良くない。肌の張りが云々という言葉もあるが。

それも良いとは思えない。

適当に髪を乾かして、デスクにつくと。

丁度メールが来る。

論文の学者からだった。

私と同じタイミングで、シーラカンスを見に行っていたらしい。現在のものも、だ。

なるほど、似たような感じで様子を見ていたのだろうか。

話を聞くと、設定を弄って相当におさわりをしたようだ。

まあ仮想空間だから別にかまわない。

実際にやったら反撃を受けただろうし。シーラカンスだって嫌がっただろうが。仮想空間で設定を変更しているので平気である。

「いや、実に感動した。 私が研究した通りにシーラカンスが動いていて、仮想空間とは言え触ることが出来る。 これほどの幸せは無いね」

「ありがとうございます。 また次の仕事の機会があれば、よろしくお願いいたします」

「うむ、此方もよろしく頼む。 これならば、仕事を安心して任せられる」

そうか。

私は少しだけほっとした。

この間の学者とは何もかも違うな。

自分の考えた格好いい古代生物でなければ嫌だとだだをこね。

挙げ句の果てに醜態の限りを晒した。

あんな学者が未だに存在すること自体が驚きだったし。

あってはならない事だとも思った。

事実あってはならない事だろう。

AIによるサポートで。

人間はやっと知的生命体になる事が出来た。

今回の学者は。

AIと上手くやっていけている学者なのだろう。

それでいいのだと私は思う。

AIに促されたので。

少し休む。

薬も飲む。

AIが私の体調を逐一病院に報告して、その度にどうするべきかを確認してくれている。この辺りとても助かる。

医者が殆ど必要なくなった所以だ。

本当に高度な治療で無ければ、医者に行かなくてもいい。

これは大きい。

とはいっても、未曾有の災害や病気の蔓延という可能性は現在でもあるわけで。

そのためにも医者は必要になる。

いくらコロニーごとに人間が分断され。

人間そのものも殆ど互いに接触しないとは言え。

何が起きるか分からないのがこの世の中だ。

だから医者はいるのである。

事実私も、病院には随分助けられているし。

今こうやって遠隔とは言えきちんと治療も受けられている。

ぼんやりとしていると。

やがて、またメールが入った。

前より確度が高い黒字の予想額だそうだ。

ざっと目を通すが。

今回はボーナスを出すと、備蓄の金がかなり削られる。

それが結論だった。

だが社員は皆頑張ってくれたし。

今回は大変な事業をよくやってくれた。

ささやかだが、ボーナスを出すという選択肢以外はあり得ないだろう。

AIに指示して。

ささやかなボーナスを出すように、指示をしておく。

モチベーションは全てでは無いが。

今回は誠意として、社長としてやるべき事をやらなければならない。

そして私は社長であり。

AIの補助でやっと知的生命体になっている身だとしても。

やるべき事をやる。

それだけだ。

 

一週間ほどして。

集計が出た。

同時に法務部も、私の所にSNSでの結果を店に来る。

結果がきっちり出るまでは、SNSには関与しないように。

医者にはそう言われているので。

従うだけ。

私はカルトの信者じゃない。

医者の言う事を聞かないような患者では、治らないのも当たり前だからだ。

「過去のシーラカンスと今のシーラカンスを比べるのはかなり面白いコラボだな。 水族館の方も、この機に同族経営から脱したそうだ」

「もう少しコラボをやってくれると面白いんだが、あくまでエンシェントは古代生物専門だもんな。 シーラカンスがギリギリのラインか……」

「多分だけれど、水族館は今後、現在の動物を扱っている古代動物園とコラボをして行くんじゃないのかな。 経営者が変わったし、それくらいは柔軟にやってくれるとは思うんだが」

「社長の適性が無い人間が経営をやると駄目だってはっきり分かるな。 私腹を肥やしたり同族経営したり。 そんな企業がまだ残っていたのは驚きだが……」

SNSでの会話を見る限り。

エンシェントへの悪口はほぼ見受けられない。

ただ今回は。

経営に対する評価が殆どの様子だ。

エンシェントがどうシーラカンスを展示したかについての会話は。

あまり見受けられなかった。

これは、はっきり言って困る。

次回どう改善するべきか。

それが私に取っては、更に言えばエンシェントにとっても重要なのだから。

「シーラカンスはどうだった」

「大きくて変わった魚だな。 これを生きたまま展示できたり、過去のシーラカンスと比較できたりってのは面白い」

「だが、何度も見に行きたくなる展示でもないな」

「それは仕方が無い……」

ああそうですか。

ぼやきたくなる。

それはシーラカンスには華が無いかも知れない。

派手に動くわけでも無いし。

獰猛に獲物を襲うわけでも無い。

色合いも地味だし。

何より静かだ。

だが私は、シーラカンスに色々教えられた気がする。

あくまでも、私がそう勝手に思い込んでいるだけではあるのだけれども。

それでも、シーラカンスと関わって、私が楽になったのは、紛れもない事実であるのだ。

それが自己完結だったとしても。

私は一向にかまわない。

「過去の生物と今の生物の比較って展示は面白いんだが、エンシェントは現生生物の展示はしてくれないもんなあ」

「今後も生きた化石系統のコラボを待つしかないだろうな。 ただこのシーラカンスの展示については、今後もコラボを継続するそうだ。 双方に負担は一切無いし、やっていても損は無い、という考えなんだろう。 どっちにも金は入るみたいだし」

「まあ確かに安いし、気が向いたら行っても良いかな……」

「まあそうだな」

客とは勝手なものだ。

分かっているので、それにいちいちけちをつけない。

なおピーコックランディングだが。

酷評もなく。

一方褒めちぎっていることもないようだった。

「展示としては面白いが、別に目新しいところはないな」

「シーラカンス好きには良い展示だろう。 だがそれ以外に見るべき所はない展示だとも思う」

「何でも好きな人間はいる。 需要があるのだから良いだろう」

「そうだな」

あっさりした受け答えだ。

まあ古代生物に触れ慣れている学者ならそう判断するのが妥当か。

以上だと言われて。

AIにログの閲覧を停止させられる。

ストレスになると判断したのだろう。

私は頭を掻き回すと。

言われたまま、ログの閲覧を停止した。

経営についてのデータを続けて出させる。

今回は黒字が小さかった上に。

その黒字を悉くボーナスとして放出してしまったので。

トイトイである。

まあこればかりは。

自分がそうするべきだと思ってやったのだから、仕方が無い事ではある。

また、社員が本当の意味で頑張ってくれたのだから。

それに報いるのは当然だ。

一時期の企業経営者のように。

忠誠心というのは社員が持って当たり前、というような、頭の湧いた考え方はしてはいけない。

社員が頑張ってくれたのなら。

此方はそれに報いるのが当然の話である。

それが出来ない人間に。

経営者の資格は無い。

勿論稼ぐことも必要だが。

備蓄はあるし。

これから取り返していけば良いだけだ。

そも、恐竜に関するコンテンツで、相応に継続的に稼げているのである。

会社経営は優良と査察でも言われているし。

現時点ではそれほど気にする事もない。

「負担が増えています。 休んでください」

「分かりましたわ……」

AIの指示に従う。

私は社長としてやれている。自分に言い聞かせながら回復用のカプセルに入り。

私はまずい薬を飲んだ。

 

4、暁の光

 

あれから。

開発機でエンシェントにアクセスして。

シーラカンスと泳ぐことが増えた。

何だか分からないけれど。

シーラカンスが自分でも理由が良く分からないながら、凄く気に入ったらしい。ストレスの軽減効果も認められると言う事で。AIも私の行動を止める事はなかった。

現実の古代の海では。

この種のシーラカンスは恐らく、魚竜に常に脅かされていた筈だ。

だがエンシェントでは。

設定を弄っていることもあり。

魚竜におそわれる事はない。

マイペースに泳ぎ。

烏賊や魚を食べ。

静かに暮らしている。

何かそれが悪いのだろうか。

自然の摂理に反する。

それを言い出したら人間がもっとも自然の摂理に反している。

自然の摂理がどうこう言いたいなら。

裸でジャングルで暮らせ。

それ以外に言葉は無い。

少なくとも現実の生物に迷惑を掛けずに生きられる所まで、やっと人間は来られたのである。

私はその一端を実現している訳で。

このくらいの事は許されても良いはず。

ゆったり泳いでいると。

いつの間にか深海に。シーラカンスはついてこない。

まだ深海適応していないからだ。

深海の海底近くに行くと。

もっと巨大な魚が複数、ゆったりと泳いでいた。

本来ならロボットの介助無しでは絶対に出来ないスキューバで。しかも専門の装備もない状態では、こんな深海までは絶対に生身では来られないのだが。

此処はエンシェントだ。

これもまた、いいだろう。

変わらない環境。

静かな世界。

大型のアンモナイトが、側をゆっくりと通り過ぎていった。

しばらく音の無い世界で私は深海の生物の中で泳ぎ。

そして、気が向いたところでアクセスを終えログアウトする。

顔を上げると。

メールが何通か来ている。

いずれも仕事のメールだ。

どれもこれも比較的優先度が高い。

早々に処理しなければならない。

ストレスはまだまだ体をむしばんでいるが。

それでも確実に作業は処理していく。

幾つかは、仮想空間で相手と会わなければならない。

AIのサポートがあるとはいえ。

話が通じる相手ばかりでは無いと、この間思い知ったが。

それでもやらなければならないのが社長だ。

黙々淡々と作業をこなし。

全てが終わったタイミングで、AIに言われる。

「ストレスがたまってきています」

「分かっていますわ」

「それならば、早めの休憩を」

「……それも分かっていますわ」

薬を口に放り込む。

苦いが仕方が無い。

昔は、精神の病の治療は本当に大変だったと聞いているが。

今は投薬でどうにでも出来る時代が来ている。

だからそれを使う。

無理にでも投薬で病を克服し。

それで次に向かうだけだ。

論文を取り寄せる。

最新のものをあらかた、である。

次に何を扱うか。

エンシェントは攻める。

どんどん最新の学説を取り入れていく。

私はそれで疲弊するかも知れないけれど。

エンシェントはそれでも攻める。

仮想動物園は。

刹那の楽しみでしかない場所でしかありえないのかも知れない。

だが人間の娯楽は。

いずれもがそうだったはず。

私もそれは理解している。

刹那であろうと。

それに私は全てを賭けてきたのだ。

刹那と悠久は。

どこか通じ合う所があるのだろうか。

あるのかも知れない。

少なくとも刹那に賭けてきた私は、悠久を体現するシーラカンスに心を動かされた。

今後も私は。

攻めのみで行く。

それだけは変わらない。

 

(続)