白い世界の果て

 

序、苛立ちと諦め

 

仮想動物園エンシェントは、優良企業である。

AIによる判定はそうなっているし。

実際何度か入っている査察でも、優良企業の太鼓判を貰っている。

株式会社というものが無くなってから既に二世紀が経つが。

それでもこの外部査察機能がないと。

どうしても法を悪用する輩は出てくる。

AIがどれだけ取り締まっても。

それでもやろうとする輩はいる。

自称病気だから。

それで誤魔化して、詐欺を行おうとする連中は。

平均的な人間の見本であり。

故に私の嫌悪の対象だった。

私はこのような連中からメールを何度か受けているが。その度に警察に即時で転送。

スパムがあふれかえっていた時代と違い。

現在はスパムはそもそも届く前に駆除される時代が来ているので。

警察のネット業務もきちんと仕事をしてくれる。

さて、である。

査察が帰った後。

私は不機嫌なまま、腕組みしていた。

古細菌のアップデートの後。

そのまま、超古代の生物という事で。

ストロマトライトのアップデートを行ったのである。

ストロマトライトはラン藻類。

つまり地球に酸素をもたらした存在が作り上げていく岩石で。

現在もラン藻がストロマトライトを作っている地域はごく少数だが存在している。

年に数ミリも成長しないため、これがまた非常に化石としては有用で。

どのような年月を掛けて、ラン藻がストロマトライトを構築していったかを理解する事が出来る。

文字通り、今の地球環境を作った存在であり。

その足跡であるとも言える。

人間にとっては当然足を向けて眠れない相手であるが。

だがしかしながら、人間がこれに感謝することなどない。

というわけで、大規模アップデートを行い。

地球を造りし存在として、大いにアピールしたのだが。

残念ながら。

客足はかろうじて黒字という所だった。

色々と今まで獲得してきたノウハウを利用して客足を稼いだのだが。

それでも黒字が精一杯。

そもそも、誰も来なかった先カンブリア紀の展示に。

人は来るようになった。

それだけでも充分以上に大きいとは言えるが。

それでも満足できる結果では無い。

人類に大事なのは。

進化の究極だとか。

進化の最先端にいるとか。

そういう寝言と迷妄を今こそ払いのけること。

弱肉強食ではなく。

実際には適者生存であり。

戦闘力が高い生物が繁栄するというのは大嘘であると言う事を理解しなければならないという事。

それらを何度も示しているのに。

どうしても客はそれを理解しない。

学習はしているはずだ。

それなのに、古細菌はホラーコンテンツ扱いされるし。

ストロマトライトは癒やし系背景画像として人気が出る始末だ。

お前らの先祖であり。

地球の環境を作ってくれた大恩人だぞと、何度ぼやきたくなったか分からないが。

それでも客は客。

金は落ちた。

故に査察も満足して帰って行った。

大きめのもうけが出る度に、きちんとボーナスを払っているのも、その理由の一つであるらしいが。

まあそれについては。

社長としてやるべきことをちゃんとやっているだけ。

気にすることでもない。

問題なのは。

黒字は出るが。

それ以外は悉く上手く行かない、という事である。

私は古代生物が好きだが。

その魅力を伝えることに関しては。

三流以下だと。

自分でも、思い知らされていた。嫌と言うほどに。

だが、それでもやらなければならない。私は古代生物が好きで、故にこの仮想動物園を作ったのだから。

誰かの笑顔を見たいとか。

そういう理由で仕事をしている奴もいると思う。

それはそれで大変に立派だ。素直に尊敬できる。

だが私は。

愛する古代生物を仮想空間で再現したいのだ。

何よりも大好きだから。

それを妨げる奴は許さないし、笑う奴だって許す気には到底なれない。

私に取ってこの会社が全てで。

他には何も無い。

貯金は一応ある程度はあるが。

今の時代、社長だからと言って平社員の十倍二十倍の給料を得ているわけではない。私はせいぜい平社員の五割増し程度の給料しか得ていない。

だからもし社長を辞めた場合。

後は静かに、最低限の生活で余生を過ごすことになるだろう。

別にそれはそれでかまわない。

今の時代、最悪労働をしなくても生活は保障されているのだから。

ただ夢が破れるというのは辛い。

そして今。

私の夢は。

破れかけているとも言える。

いずれにしても、ストレスが酷いというのは、何度もAIに警告された。かなり体内も荒れているという。

ロボットに身繕いさせるが。

髪の毛などに枝毛も増えているそうだ。

だったらどうすればいいとぼやきたくもなるが。

しかしぼやいていても始まらない。

私は論文を見ながら。

何だか楽しくないな、と思い始めていた。

そしてすぐに思い返す。

古代生物が何故好きなのか。

忘れてしまったのか。

ため息をついた後。

一旦論文を読むのを止める。

そして取り出したのは。

昔の記憶が入った媒体だった。

今の時代の人間は。

基本的にロボットに育てられる。

そもそも結婚する人間というのが極めて希。社員にいるにはいるが、普通は行わない事の方が多い。

理由は簡単で。

リスクが大きすぎるからだ。

21世紀頃から、特に「先進国」と呼ばれる国での出生率低下が問題になっていたが。これは結婚のリスクが大きすぎるからである。特に中産階級以下の結婚率は、22世紀になった頃には非常に低下していた。

更に元々人間という生物が、出産から妊娠にかけて、負担が大きすぎる欠陥を抱えている事も問題だった。

例えば、子供を産んで世代を交代したら即座に死ぬような生物ならば、それはそれで問題はない。

人間は三世代以上をつないで、やっと他の生物と渡り合えるという事が問題になる。

人間の肉体の構造は、そういう意味では「進化した生物」などであり得るはずもなく。

万物の霊長というにはお粗末すぎる代物だ。

かくして宇宙に人間が運良く進出出来た後は。

遺伝子登録法が制定され。

余程の物好き以外は結婚もすることはなくなり。

子供の頃からロボットに育てられ。

教育そのものも催眠教育で極めて効率的に行われるようになり。各人のスペックが十全に引き出され。なおかつスペックを生かした仕事が出来るようになった。

ロボット法も整備され。

ロボットを安く使えるから人間を雇わない、というような企業は企業免許が取り消されるようにもなり。

心配されていたAI、ロボットと人間の対立も起こらなかった。

法を破る事に執心する人間も。

AIの凄まじい進化によって、法の壁を突破出来ず。

更に裁判をAIが行う事によって。

今までの裁判で起きていた無法。

判例による無体な判決の数々。賄賂による裁判の買収。裁判官の腐敗や思想の偏向による不平等な裁判など。

全てが解消された。

そんな時代に私は生まれ。

そして最初に。

このデータを見た。

不思議な動物だなと、思った。

いま生きている動物の中にも、変わった姿の奴はいる。

海中に生きている動物は特にその傾向が強い。

私が最初に心引かれたその生物は。

ウミサソリと言った。

陸上に上がった節足動物の中でも、最大に進化したヤスデの仲間。アースロプレウラに匹敵する巨体を誇った、海の最大節足動物。

最大種では二メートルを超える者もいた、節足動物の雄の一つ。

ウミサソリとは言うが、現在の蠍と違い、毒針は持っていない。

不思議な生物だなと思い。

興味を持ったのが。

私の古代生物とのなれそめだった。

その後に調査を進めて。

現在にも、毒針を持っていない蠍に近い生物である「カニムシ」という存在がいる事を知り。

無知を嘆いた。

また、ウミサソリがカブトガニの近縁種という事を知り。

随分と興奮もした。

地球には実際に降り立ったことは無いが。

地球にある動物園にドローン経由でアクセスし(現在は、動物にストレスをかけないため、動物園にはドローン経由でアクセスするのが普通である)、カブトガニも見てきた。

カブトガニは一時期絶滅を心配されるほど激減していたのだが。

現在では養殖に成功し。

また海での生息数も回復している。

随分と楽しんだ後。

私は決めたのだ。

適正がある社長という立場を生かして。

古代生物の良さを。

他の人にも伝えたいと。

私は差別が大嫌いだ。

だからあらゆる古代生物を調べ。

その全てを好きになろうと決めた。

勿論それら古代生物と本当に遭遇したら。

エサと認識して襲ってくるケースもあるだろう。

だから仮想空間で古代生物と会うことが一番だとも考えた。

実際問題、仮想空間で、絶滅動物とふれあえる動物園は既に幾つか作られていた。私が作り上げたエンシェントほど本格的なものは殆ど無かったが。

いずれにしても。

私はエンシェントを作る事を決め。

会社を立ち上げるためのスタートアップ支援制度を受けて。

会社を作った。

サーバを借りて。

人員を集め。

愛を込めて仮想空間を作り。

まずは最も人気があるジュラ紀、白亜紀の地上……つまり客寄せ用の恐竜から、仮想空間で再現していった。

スタッフにも、応募時に古代生物好きであることを必須条件とし。

同好の士を揃えたつもりである。

やがて作り込みが話題になり。

エンシェントの運営は軌道に乗った。

そしてどんどん色々な時代を作っていった。

人気のある時代も。

人気のない時代もあった。

利益はいずれ安定し。

スタートアップ時に作った借金は帳消しになり。

アップデートする度に、社員にボーナスも出せるようになっていった。

この頃が。

今になって思えば、一番楽しかったし。

充実していたと思う。

何時からだろう。

楽しくなくなっていったのは。

AIが会議の際に言うようになった。

もっと恐竜の展示に力を入れれば稼げると。

社員達も同じ事を口にすることが増えた。

社長は趣味に走りすぎていて、利益を考えていないと。その度に、私は反論し、そして成果を出してきた。

だが、何時からか。

エンシェントはキワモノ扱いされるようになりはじめていた。

この間の古細菌の展示が決定的になった気がする。

苛烈な環境の中で生き抜き。

地球の次代の生物にバトンを渡した古細菌達の生き様を楽しむどころか。

客はお化け屋敷の類として認識し。

あげくにホラーゲームとして楽しむ客まででた。

現在では先カンブリア紀の展示は。

ホラーゲーマー達が多数アクセスして、設定を弄くって古細菌と戦うゲームを行っている。

そういう事も出来るようにはしてあるが。

どうしてこうなってしまったのだと。

私は嘆かざるを得ない。

じっとウミサソリを見る。

このウミサソリにしても、二億年以上海の中で生存し続けた古豪である。

近縁種のカブトガニも同じく。

二億年間、ほぼ姿を変えていない。

これはそれだけ優れた生物モデルと言う事を意味しており。

環境適応力が高い、と言う事も意味している。

実際この二億年の間に、大量絶滅が発生し。

それを耐え抜けなかった生物も多いのだ。

そんな中、姿を変えていないのである。

カブトガニは深海でじっとしている生物ではなく。

海岸にまで上がってくる生物であることを考えると。

様々な環境下で生きる事が出来る事を意味しており。

その生物としての完成度は高い。

きっとウミサソリもそうだったのだろう。

カブトガニが蜘蛛の近縁種である事を考えると。

現在の蜘蛛が、非常に繁栄している種族である事も加味し。

その能力の高さは、言うまでも無いだろう。

しばらくぼんやりとしていたが。

私は頬を叩くと。

決める。

客にはもう。

金輪際期待しない。

社員も、金さえ稼げれば良いと思っているようだし。

此方と同じように、古代生物を愛してくれなくても別に一向にかまわない。

むしろそんな、好きを共有しよう、などと考えていたから。

今まではむしろ上手く行かなかったのではあるまいか。

人間は宇宙にでて、個々が好き勝手にやれるようになって、ようやく真価を発揮できるようになった。

AIのサポートあっての事だが。

そもそも人間が、極めて強烈な排他衝動と攻撃性を持つ欠陥生物である事を考えると。

AIの補助くらいあって、やっと生物として一人前ともいえる。

そんな生物なのだ。

好きに言わせておけば良いし。

勝手にさせておけば良い。

こっちはこっちで楽しむ。

それが全てだ。

深呼吸すると。

私の「最初」であるウミサソリを見る。

節足動物として、一時期は頂点捕食者にまで上り詰めた存在。

海の中だからこそ実現し得た巨体。

自分の家にある開発機でシルル紀に出向き、会いに行く。

勿論ウミサソリは此方を愛してなどくれないが。

見ているだけで充分である。

しばらくウミサソリが海底でエサを漁っている様子を、相手が此方を認識せず、攻撃もしない状態に設定し、見て楽しむ。

動物と人間は距離を置く必要がある。

私もそれはわきまえている。

しばしウミサソリに癒やされた後は仮想空間からログアウトし。

気分を入れ替えて、論文を読み直し始める。

多少は気分転換になった。

それに、今後は一切合切客に媚を売らないこと。

どんな無茶ぶりでも稼ぐことで社員にも文句を言わせないことを自分に言い聞かせ。

それで良いことにする。

私はある意味独裁者になるのかも知れないが。

社員に還元もするし。誰かを害することでもない。

そういう意味では、米国に存在したノートン一世を思い出す。

米国において皇帝を自称した人物だが。その非常に優れた見識と、誰にも好かれる人柄で、現在でも名を残している。

皇帝として、誰からも奪わず、誰も殺さなかった。

そう墓碑銘に刻まれ。

ある橋には、彼の像まで造られているほどに愛されている。この橋は、彼が生前作るべきだと主張し。

そして実際に近隣のインフラを大いに向上させた。

ノートン一世はある意味、私に近いのかも知れない。

ならば私も。同じように振る舞うだけだった。

 

1、ウミのサソリ

 

サソリは現在でも良く知られている生物である。

蛇蝎のように嫌われるという言葉があるが。

この「蝎」はそのままサソリの事である。

強い毒を持つサソリは古くから怖れられてきた。

実際に人間を殺せるほど強い毒を持つサソリはかなり限られているのもまた事実なのだが。

蜂や毒針を持つ蟻。

更には人間を殺傷する事が可能な毒を持つ蛇と並んで。

人間に怖れられてきた生物であることは事実だろう。

だが、人間に好かれようが嫌われようが。

蛇も蠍も。

生態系にて、重要な役割を果たしている事に変わりは無い。

ウミサソリについても。

それは同じだ。

いにしえの地球にて。

海底の王者だったこともあるウミサソリだが。

流石にその「最強」は海底に限られ。

最強だった時代も決して長くは無かった。

しかしながら、捕食者としては優れており。

大型のものから、掌サイズの者まで。

様々な種類の者が存在していた。

私が見つけてきた論文は。

ウミサソリとしては中型。

60センチほどの種である。

近年化石が発見されたもので。

ウミサソリの仲間としては中型種だが。

化石を分析すると。

かなり動きが速かったことが分かっている。

ウミサソリと一口に言っても、大まかな形は同じでも、細部はそれぞれ様々な形をしていて。

この種類は海底を俊敏に動き回り。

狙って来る魚から身を隠しつつ。

そのハサミで海底のエサを摘み、口に運んでいたことは容易に想像がつく。

つい最近発見されたばかりの種のため、学名はまだついていないので。

素早いウミサソリと仮称する。

仮称の段階では、そんな感じで別にかまわないのである。

学名は遊び心が加わっているものも珍しくないし。

実際に学名がついたら、もっと頓珍漢な名前になるかも知れない。

既に論文を書いた学者とは連絡を取り。

契約も済ませた。

会議に今論文を持ち込み。

説明をしている所だが。

この種が生存していたのはおよそ三億年前の海。

この三億年前は生物の時代としては非常に重要な時期で。

両生類から爬虫類が出現。

つまり脊椎動物が上陸を果たした時代である。

昆虫はもう少し早く上陸を果たし、大発展を遂げていたのだが。

昆虫ではどうしてもできなかった「巨大化」を、爬虫類は内骨格の都合上達成することが出来。

爆発的に多数の種を産み出していった。

その中には、後に哺乳類の先祖になる単弓類も含まれていた。

またこの時代は。大気の状態も色々と複雑で。

二酸化炭素が現在の水準にまで落ち着いた反面。

酸素濃度は35パーセントにまで達していた。

更に氷河期であり。

過酷な寒冷期の中。

様々な生物は暮らしていた時代でもある。

酸素はいうまでもなく毒物だ。

呼吸に必要ではあるが。

現在の人間がこの時代に行くと、恐らく相応に酷い目に会うだろう。巨大生物に襲われる以前に、下手をすると酸素中毒を起こして死ぬ。

地球の環境は。

決して人間に優しいものではない。

こういう風に常に苛烈な変化を遂げてきており。

その環境に適応した生物が。

その時代に応じて、生きている。

そういうものなのである。

同じ環境でより環境適応してきた結果、今人類がいるのでは断じてない。

様々な環境に切り替わっていく世界の中。

生物が環境適応を必死に繰り返してきた結果が現在の地球なのであって。

別に現在の生物が、古代の生物に比べて優れている訳でも何でもないのだ。

さて。論文について社員達が読み終わった後。

軽くモデリングをする。

こういったモデリングのツールは、会議の場でさっと作れるほどに。

現在は進歩している。

海の中を俊敏に歩いたと言う事で、足は長く。更にひれとしての役割も果たしていた。

ハサミは大きく。

俊敏な動きと同時に力強さも備えていた。

体長は60センチほどだが。

俊敏な動きで、襲ってくる大型の魚や頭足類から逃れつつ。

小型の生物を巧みに補食していた。

それが姿からもすぐに分かる。

実際論文でも、現在の海老などを例に。

相当に素早く動いただろう事が記載されている。

「今回の大型アップデートは、この新発見のウミサソリで行いますわ」

「問題は展示の売りをどうするか、ですがニャー」

「ウミサソリは姿も現存していても不思議ではありませんし、気持ち悪いとはさほど思われないのですのだ」

「だと良いのですが……」

何だ、悲観的な意見が目立つな。

私は開き直ったから。

此奴らの悲観論にはあまり同意できない。

「まずは案を。 古細菌の展示でもきちんと客は呼べているのですわ。 ならばこれも工夫次第で、稼げる筈ですわ」

「そ、そうですね……」

「まず、サイズが60センチほどということもあります。 更に浅瀬から、比較的浅い海を中心に海底で生活していたこともありますので、やはり車からの鑑賞ツアーが無難かと思いますのだ」

「毒針もありませんし、触ることを想定して、スキューバは」

勿論、この時代の海に本気で潜ったら、一瞬で死ぬだろう。

現在の海とは状況が違う。

勿論現在の海にも危険な生物が幾らでもいるが。

それでも、ある程度危険な生物についての知識は、人間が有している。

この時代の海は、人間が知らない生物がたくさんいる上。

そのそも大気の状態もまるで違っている。

だから、逆に。

仮想空間であると言う事を利用し。

スキューバでの観察を体験するというのは。

貴重な経験になる筈だ。

そう私が述べるが。

あまり賛成意見は出てこない。

「ジェットパックでの観察ツアーがあまり延びないように、スキューバでの直接観察もあまり需要があるとは思えないですニャー。 設定は簡単にできるので、敢えて手を入れる必要もないくらいですけれども……」

「オススメのツアーがたくさんあると、客を混乱させる事にもなりますのだ。 オススメのツアーとしては車両で、後はカスタマイズコースの中に、スキューバを入れておくと良い感じになるのでは」

「ふむ……」

まあ意見を聞くのは悪いことでは無い。

ではカスタマイズコースをもう少し凝ってみるか。

スキューバの他には何か良い案は無いか。

そうすると、社員から案が出てくる。

「水中式ドローンを使っての観察はどうです」

「仮想動物園で、ドローンを使っての観察!?」

「今までも主観視点のみでのツアーはありましたし、決して悪くは無いと思うのですが……」

私がむっとしているのに気付いてか。

語尾はとても小さくなったが。

まあ良い。

咳払いすると、案の一つとして検討するようにと指示だけはしておく。

ざっと他にも案を聞くが。

これといったものは出てこなかった。

さて、こんな所か。

ではジャッジをAIにさせて。

特に問題も無かったので、開発に移らせる。

今回は今までのノウハウをそのまま生かして行くが。

まずCMはごくあっさりと原型だけを作っておく。シミュレーションで色々と修正点がでる可能性が大きいからだ。その修正点も、学者とすりあわせる可能性が高いので、あまり本格的にはやれない。

最初にやる事は、別アカウントで、ウミサソリの魅力を伝える動画を作る。それだ。

この別アカウントは、現在ではエンシェントの公式アカウントよりも閲覧数が多いほどで。

色々頭に来る。

なんと別アカウントに、公式アカウントをやったらとかいうアドバイスが来たこともあって。

私は内心穏やかでは無かったが。

さらりと流した。

公式アカウントでこういう動画を流していたら、散々おちょくるようなことをしていたから。

敢えて客という視点から、動画を作って見たという体裁でやっているのに。

巫山戯ているにも程がある。

ともあれ、今回も動画を作るのには。

さほど苦労はしなかった。

ウミサソリが悠然と海底を行く。

海中には、巨大な生物がたくさんいる。

勿論その中には、ウミサソリを狙って来る者だっているが。

ウミサソリも黙って食べられているだけではない。

さっと逃げる。

海の中を俊敏に行く。

巨体とは思えない速さ。

そしてそのハサミは。

砂の中に隠れているエサを的確に探し出し。

場合によっては器用に殻をこじ開け。

口に運ぶ。

魚や頭足類が海中の支配者であれば。

海底の支配者はウミサソリなのだ。

勿論大型のウミサソリが、小型のウミサソリを捕食することもある。

逆に言うと。

それくらい、色々な種類がいるという事である。

大型の魚が泳ぐ影の下。

砂に半ばもぐっていたウミサソリが。

不意に姿を見せる。

小型の魚が射程圏内に入った瞬間。

躍り出たのだ。

こういった擬態や、砂に隠れて獲物を待つ生物は現在も普通に存在しているが。ウミサソリも当然似たような事をこなすことが出来た。

魚を補食するウミサソリ。

その姿は、現在でも通用する。

完成した機能美に満ちている。

さて、動画を流す。

このアカウントでは、色々なエンシェントの生物を扱った動画を流している事もあって。動画が流れ始めると、すぐにアクセスがあった。

ウミサソリはそこそこメジャーな古代生物と言う事もあり。

議論もすぐに始まる。

「エンシェントでウミサソリ見に行ったことある奴いる?」

「あるにはあるけれど、他のついでだな」

「まあそうだよなあ。 ウミサソリがいた時代って、他に面白い生物がたくさんいるもんな……」

「確かに」

いきなりの不評か。

というか、前のような攻撃的な批判ではないのが進歩なのかも知れない。

ピーコックランディングにも持ち込むが。

彼方でも似たような感じだ。

「カブトガニと並べるわけには行かないか」

「近縁種だけれども、別に共存していた訳ではないしなあ」

「相変わらずモデルは素晴らしいと思う」

「動きは生き生きしているな。 だが足がたくさんある生物は苦手な人も多いのではないのかな」

何を馬鹿な。

例えば海老なんかは各国で愛されている。

アレなどは足がたくさん生えている。

形状もウミサソリによく似ているでは無いか。

少し腕組みして考えた後。

アプローチを変えて見る。

ウミサソリはどうやって、環境のニッチに入り込んでいたのか。

大きさ、ではないだろう。

大型種もいたが、小型種もいたのだ。

俊敏さか。

いや、俊敏な種もいたが。明らかにゆったりと海底を泳ぐ種もいた。

大型種が必要以上に俊敏である必要はない。

動きが鈍い獲物を狙えば良いし。

ハサミのパワーから考えて、多少の装甲くらいなら問題にしないくらいの力はあったのだから。

何がウミサソリの強みだった。

当時の海の環境は魔境に等しかった。

頭足類は甲殻類を好んで襲う。

コレは現在も昔も変わらない。

節足動物であり、装甲で武装していたウミサソリも当然狙われたはずだ。ましてやウミサソリはむしろ大型で、大型頭足類から見れば垂涎のエサだっただろう。その上頭足類は寿命が短い分成長が早い。

成長が早いという事は。

貪欲にエサを求めるという事だ。

ウミサソリにして見れば、頭足類は脅威だったはず。

ましてや当時の海には、現在とは比較にならないほど、巨大で俊敏な頭足類が充ち満ちていたのだ。

どうやって身を守っていた。

数か。

いや、数で対抗していたのなら、小型種が大繁栄していたはず。

ウミサソリは大型種も多かった。

そうなると、生息域で差別化していたか。

頭足類が専門にしていた海の中層は論外。

海底でも、少しでも深い場所になると大型頭足類が手ぐすねを引いていたはずで。

かなり浅い海に専門的に集中して住んでいた、と考えるのが自然か。

ならばそれでいこう。

頭足類から逃れる事をまず第一に。

ウミサソリの動画を再構築する。

半分砂に埋もれたウミサソリの上を。

巨大なアンモナイトが泳いで行く。

アンモナイトも、直径二メートルクラスのものが普通にいて。

此奴らは「直径」二メートルである。

円形の生物は、非常に巨大に見えるのだが。

当然これらのアンモナイトも、恐ろしい程巨大で。とてもではないが、ウミサソリには対抗できなかっただろう。

ウミサソリは微動だにせず。

恐るべき捕食者が去るのを待つ。

アンモナイトが逃げる。

更に凶悪な捕食者である、大型の鮫が来たからだ。

この時代は、かのダンクルオステウスが既に存在せず、魚類と言えば最強は鮫だった。

鮫は大型種が色々な時代に出現しており。

ダンクルオステウスが埋めていたニッチを、当然埋めている種もいた。

その顎は凄まじく。

現在でもホオジロザメの顎の力は有名だが。

アンモナイトでは対抗できなかった。

魚竜が現れるまでは、鮫の天下が続いていたのだが。

二メートルクラスのアンモナイトでも。

当然十メートルクラスの鮫には勝てる訳がない。

慌てて逃げ出すアンモナイト。

それを見届けると。

ウミサソリはじっとまた待ち続ける。

其処へ現れたのは。

小型の魚である。

そして、雷光のように。

ウミサソリは動いた。

奇襲は成功。

後はもがく魚を解体しながら。

口に運んでいくだけ。

しばしして、魚を完食したウミサソリは。血の臭いで天敵が寄ってくるのを避ける為に、移動を開始。

移動する時も、かさかさと足が動いているが、非常に静かだ。隠密性の高さが尋常ではない。

音も無く移動し。

砂に隠れて獲物を待ち。

そして一撃必殺で仕留める。

現在では、似たような捕食をする生物が多数いるが。

ウミサソリはそうして、天敵から身を守りつつ。

エサを狩っていたのだ。

勿論上手く行かない場合もある。

移動し終え、砂にもぐろうとした瞬間。

さっきのよりは小さいが。

より俊敏なアンモナイトが襲いかかったのである。

後はどうしようもない。

凄まじい硬度を持つ鴉鳶は、ウミサソリの甲殻を容易く砕き。

触手は絡みついてウミサソリを離さない。

バリバリと海の中で凄まじい音が響く。

血も大量に流れる。

瞬く間に美味しい部分だけを食べると。

血の臭いに鮫が引き寄せられるのを避ける為か。

アンモナイトは器用に泳いでその場を去っていった。

残された残骸に。

小さな海の生物たちが群がり、食べ始める。

これが。

食物連鎖だ。

ふむ、この動画ならどうだろう。

流して見ると、前よりは好評だ。

「動画が前より明らかに良くなってるな。 作る度に進歩が感じられる」

「アンモナイトって言うと魚竜や首長竜にカモにされていたイメージが強いけれど、頭足類である以上貪欲な捕食者だった事はほぼ間違いないんだよな。 彼奴ら成長も早いし寿命も短いし、こんな風にエサを積極的に食い散らかしていたんだろうな……」

「アンモナイトは大きな殻を背負っていたかもしくは体内に持っていただろうから、海底近くはエサ場だっただろうしな。 勿論ウミサソリも生息域を工夫して、食われにくいようにはしていただろうけれど、アンモナイトもこんな手頃なエサを見逃すほど甘くはなかっただろうし」

「面白い動画だな」

評判は上々か。

エンジンは掛かって来た感じでまあ良い。

次はアップデートをかけるウミサソリについてだ。

進捗を確認する。

現時点で94%と言われた。

まあウミサソリについては色々な種類を既に導入しているので、ノウハウがある。今回の種についても、特別に変わっているわけではない。かなり素早く動いた、というのは分かるが。

それ以上でも以下でもない。

充分に現実に存在しうる範囲だ。

ただ、一つ気になる事を言われた。

「シミュレーションを進めていますが、恐らくこの種は上陸もしていたと思われます」

「元々ウミサソリは浅瀬にいた可能性も高い種ですわ。 不思議ではありませんことよ」

「確かにそうなのですが、もっとこうアグレッシブに陸上で動き回っていた可能性も」

「そうなると、生息地は浅瀬の岩場?」

要するに砂地よりも。

むしろ海岸のすぐ側。

磯と呼ばれるような場所に住み着き。

其処で大型の敵に狙われるのを避けながら。

海中の、場合によっては陸上の獲物を食らっていた、という可能性が浮上して来る訳か。

確かにこの発達した足からして、それは考えられる。

学者に要相談だ。

此方だけで判断するのはあまり賢い行動では無い。

他にも幾つか疑問点が出てくるのでまとめる。

この辺りは、いつも古代生物を再現している歴戦のスタッフだ。

私もその一人だし。

手早く、かつ合理的に進められる。

会議を終えた後。

私はCMの作成に移る前に、学者に連絡。

今回の論文の学者はそこそこのベテラン。とはいっても、かなり幼い頃から学者をしていたらしく、まだ三十前だ。

着実に実績を重ねている人物で。

現在ではウミサソリ研究の第一人者でもある。

論文についての疑問点をメールで送信し、返事を待つ。

しばしして。

簡潔な返事があった。

「学会で四日ほどメールの返信が出来ません」

またか。

でも業界の重鎮となってくると仕方が無い、とは言えるのかも知れない。

ともあれ、話し合いを終えるまではCMも作れないか。

また会議を行い、軽くその件について話しておく。

別に今回も納期は無い。

その時間分丁寧にバグ取りやシミュレーションをしておけば良いだけの事であって。

それでより完成度が高いものが出来れば言うことは特にない。

ともかく、皆にそれだけを告げると。

すぐに会議を切り上げる。

さて、私はどうするか。

今回、ウミサソリの生態がかなり変わってくる可能性がある。

そうなると下手にCMは作れないか。

しばし考え込んだ後。

私はたまには、まとまった休暇でも取るかと思った。

休暇を取るとして、何をしよう。

たまには他の仮想動物園をあらかた回ってみるか。

それも良い。

私は、やる事を決めると。すぐに、どんな仮想動物園があるかチェックする。幸い、金なら余っているのだから。

 

2、ウミサソリの黄昏

 

節足動物は完成度が高い生物だ。その究極点が、飛ぶ、装甲を持つ、単体でもある程度の戦闘力を持つと、いわゆる走攻守が揃った昆虫ではあるが。昆虫は肉体の構造上の問題で大きくなれない。

まあ昆虫の場合は、大きくならず食物連鎖の底辺のニッチを独占するという戦略で生き延びてきている訳で。

それはそれとして戦略としてはありだ。

似たような意味で、蜘蛛も完成度が高い生物でもある。

蜘蛛は生まれると糸をパラシュート代わりに使い、風を用いて遠くに飛んでいく。

これは近親交配を避けると同時に。

新天地に拡がる可能性を考慮した上手いやり方だ。

勿論リスクは相応にあるが。

そのリスクを考慮した数を産み出すので、何ら問題はない。

蜘蛛には主に待ち伏せ型と徘徊型がいるが。

いわゆる巣を張るのが待ち伏せ型。

巣を張らないのが徘徊型になる。

待ち伏せ型の方がイメージ的には強いかも知れないが。

小さくて機敏な動きを見せるハエトリグモや。ゴキブリ退治のエキスパートとして知られるアシダカグモなど、侮れない存在感を示す徘徊型の蜘蛛も多い。

また水中に巣を作って生活する蜘蛛も存在しており。

ごく一部だが、磯などに棲息する種もいる。

昆虫も流石に海中には進出していないので。

蜘蛛こそ、陸海空全てに進出を果たしている生物、とも言える。

いずれにしても節足動物は「足が多いから気持ち悪い」などと人間に愚弄される反面、人間を鼻で笑うほどの発展を遂げており。

昆虫などは生物種の七割を占めると言われるほどである。

だが、そんな節足動物にも滅びた種はいるわけで。

カブトガニの近縁種であるウミサソリもその一種だ。

というよりも。

滅びたところで、幾らでも環境適応していく、というのが節足動物の戦略となっている現状。

大型種が基本だったウミサソリは、いずれにしても滅びる運命だったのかも知れない。

とはいっても、現在でも百足、海老、蟹など。

大型ながら棲息を続けている節足動物はいる。

この中で最大になる蟹でも、ウミサソリには及ばない(長さだけならタカアシガニという例があるが)。

またこれらの大型節足動物は。

頭足類にとっては完全にカモにされており。

蟹などは特に、蛸の気配があるだけで全力で逃げに掛かる程で。

蛸の方も蟹を好物にしている。

さて、四日の休日を活用した。

私は節足動物の仮想動物園を中心に見て回ってきた。

節足動物といっても、現在確認されている種類を全般的に展示している仮想動物園であり。

最大種の百足であるガラパゴスオオムカデや、ペルーオオムカデなども見てきたし。

最大の重量を誇るゴライアスオオツノハナムグリも見てきた。

重さで言うと、実はカブトムシやクワガタムシよりも、ハナムグリ方が上の種がいるのである。

古代生物が専門の私だが。

昆虫は古代よりも最も繁栄している生物種。

大いに敬意を払っているし。

何より私に古代生物の魅力を教えてくれたウミサソリの親戚でもある。

ただし、これらは仮想動物園での展示である。

地球にある動物園でのドローン展示は見に行かなかった。

というのも、仮想動物園だと当然触ることが出来る。

本来は昆虫に触るのは好ましい事ではないのだが。

設定をいじる事で、触った事で相手に反撃されない状況で、自由に触って近くで観察する事が出来る。

これが私には有り難い。

他にも海中の節足動物である蟹、海老、大型のヤドカリ類、最大種の蜘蛛についても見てきた。

蜘蛛のUMAにチバフーフィーと呼ばれる者がいる。

これはコンゴのUMAで、体長一メートルを超えるという超ド級の蜘蛛だが、実は陸上性の蜘蛛としては限界サイズとして考えれば「いるかもしれない」存在である。

陸上の節足動物だと、大型のもので椰子ガニがいるが。これは大体最大で五キロほどになる。

タランチュラの体長は最大で三十センチほど、これが二百グラムくらい。一メートルならば二百グラムの27倍でこれと大体同等になる(伝承では1.5メートルだが、流石にこのサイズは無理。 酸素が濃かった時代なら或いは可能かも知れない)。

いてもおかしくは無いUMAである。

このチバフィーフィーを仮想空間で再現した個体を見てきた。

勿論こんなサイズの蜘蛛がいたら、猛獣として扱うべきで。いわゆる特定動物として接しなければならないだろう。

更に大型化することで知られるタランチュラの仲間は、体に毒の体毛を生やしており、敵にはコレを飛ばして警戒の姿勢を見せる。

勿論毒は目つぶし相応の威力がある。

タランチュラ自体は、実際には性質的に憶病な蜘蛛で。言われる程毒も強くはないのだが。

こういった自衛能力はきちんと備えており。

チバフーフィーの実物が存在していたら、似たような防御能力を持っていてもおかしくないし。

数センチに達する毒牙で噛みついても来るだろう。

当然仮想動物園なので、設定を弄って触ることが出来たが。

中々にスリリングな体験だった。

私は足が多い生物に対する嫌悪感はないが。

このチバフーフィーはタランチュラ同様毛に毒を持っているという設定で。

本来なら触っただけでかぶれる所だった。

とりあえずぞくぞくわくわくしながら触り。

再現度に愛を感じて。

たっぷり楽しんできた。

なお、ウミサソリにはこれの倍以上のサイズのものが見つかっているので。

別にウミサソリだったら不思議でも何でも無い。

四日分のメールを処理した後。

アポを入れておいた学者と仮想空間で会う。

相手は当然のようにウミサソリのアバターで。

握手をした後。

幾つかの話を進める。

話が分かる相手で。

此方の質問に対しても、すらすらと応えてくれた。

まず磯に住んでいた可能性については。

あり、ということだった。

ウミサソリはやはり天敵である頭足類から逃れるため、海底や浅い海に住む傾向が強かった、というのが学者の説で。

その説から考えても。

砂浜程度になら、上がってもおかしくは無かったし。

場合によっては、陸上にいる蟹などを補食していた可能性もあったという。

まあ確かにその通りだ。

他にも幾つかの質問をした後。

出来たモデルを見せると。

概ね完璧と、太鼓判を貰った。

どうやら事前にエンシェントを確認していたらしく。

ウミサソリの展示が充実していると、嬉しい言葉をくれる。

だが、それだけではなかった。

「このウミサソリは、長い間陸上には上がれなかったかも知れない」

「ひょっとして、足が細すぎるが故、ですか」

「その通りだ。 陸上での長時間での活動は、この細い足に負担を掛けた可能性が高いと見て良いだろう。 恐らくは短時間しか海から出られなかったはずだ」

「分かりました。 考慮します」

完成版が出来たらまた見せる。

そう説明すると、学者は喜んでくれた。

すぐに会議に掛けて、問題点を修正するように指示。

私は概ね概要が掴めたので、早速CMの作成に入る。

此処からだ。

今回は私が最も大事に思っている古代生物、ウミサソリ。

半端な結果は出したくない。

 

最大の節足動物。

陸のアースロプレウラ。

海のウミサソリ。

どちらも節足動物は巨大になれないという現実に立ち向かい。

最大限まで巨大化した種である。

ウミサソリは大きさも様々だったが。

二億年以上繁栄したことから考えても。

かなり優れた生物だった事がよく分かる。

だが、他の節足動物にも押され。

環境適応にも失敗し。

徐々に衰退していった。

そんな中、このウミサソリは現れた。

海の中を機敏に動き回り。

エサを捕食し。

天敵である頭足類から上手く逃れる。

海岸近くにいたため。

陸にも上がった。

そしてこのウミサソリは。

六十センチという適切な大きさで。

当時のウミサソリの希望の星となった。

だが、時代は既に変わり。

ウミサソリのような大型節足動物には厳しい時代が来ていた。

細々と生き残る事を決めるか。

或いは勝負に出るか。

陸に上がった節足動物は、いずれも成功している。

昆虫を筆頭に。

蜘蛛も百足も。

海でも、ウミサソリ以外の節足動物が繁栄していた。

その中で、この機動力を生かしても。

大きすぎるという事は徒になりつつあった。

気がつくと。

すぐ後ろに単弓類の大型種が。

逃げようとするも、逃げ切れない。

ウミサソリは毒を持っている訳では無いし。

脊椎動物ほど大きくない。

一度捕まってしまうと、もうどうしようもなかった。

食い千切られ、捕食されるウミサソリは。

陸に上がったことは失敗だったと嘆くも。

既に時遅し。

残骸が、海に流れていった。

CMはこんな感じである。

ざっと作って見たが、ストーリー性は最小限に抑えつつ、素早く動き回り、なおかつ砂浜にも磯にも上がれるという万能性を表現できたと思う。

ただし海から上がると、その足が機動力をそぎ。

当時陸上を制圧しつつあった爬虫類……単弓類に襲われただろう事はほぼ間違いない。

哺乳類型爬虫類とも呼ばれる単弓類は。

当時はまだまだフロンティアだった陸上に環境適応すべく試行錯誤を繰り返し。その過程で大いに巨大化もしていた。脊椎動物のメリットを生かすべく、環境適応の過程で、そのフルスペックを発揮するべく、全力で挑んでいたのだ。

ディメトロドンが有名だが。

あれほどではないにしても、いずれにしても節足動物では勝ち目がないサイズで。

しかも帆を張ることにより、変温動物の弱点である熱の補給という課題を克服し。

当時の陸上を席巻していた。

勿論まだまだ完成形には遠かったが。

当時の環境を席巻するには充分で。

その戦闘力も。

機動力も。

充分過ぎるほどに高かった。

故にもはや環境適応力を失い始めていたウミサソリが海上から上がろうにも。

その居場所は無かった。

このCMには全てを詰め込んでみたが。

さてどうだろう。

反応を確認すると。

まあまあという所だ。

「ウミサソリってあれだろ。 海老の先祖みたいな奴」

「カブトガニの近縁種らしいな。 カブトガニは二億年以上もあの姿だし、環境適応はおう完璧と考えているんだろう。 実際生き延びている訳だしな」

「この間エンシェントで撮影したウミサソリの動画が出回っていたが、エンシェントもアレを見てアップデートを決めたのかな」

「いや、案外関係者の動画かもしれないぞ。 いずれにしても、結構面白いじゃないかこれ」

以前ほど攻撃的なコメントは飛んでこないし。

何より興味を惹くことにも成功している。

これは、前とは状況が違うと言う事で良いのだろう。

胸をなで下ろす。

ともかく、どんどん状況を進めていく。

シミュレーションで問題を起きていないか確認しつつ。

CMが変な方向で話題にならないか。

監視もさせる。

もう基本的には、客には期待していないので。

相手がどう動くか次第で、柔軟に決めればいいと私は考えている。

一喜一憂していたのがバカみたいに思えてくる。

相手を案山子か何かと考えればいいのであって。

相手を情の通った人間で。

互いに理解出来ると思っているから、色々馬鹿を見たのである。

渾身の、古細菌の展示をホラーゲームとして楽しまれた時点で。

もうそうやって私は割切ることを決めていた。

ピーコックランディングでも。

ウミサソリ展示のCMは流す。

そちらでは、評判は普通だった。

冷ややかでも無いし。

むしろ強いていうならば冷静である。

「エンシェントのCM、どんどん熱量が下がっているように感じるな。 作ってきているものは出来が良いのだが……」

「そりゃあこれが原因だろ」

「どういうことだ?」

「この間の古細菌。 客の統計が発表されているが、見ると分かる」

さっと、アクセスがそのコメントに集まる。

私も会社法に基づいて、経営の状態は公開しているが。

つまるところ。

それは現在、古細菌の展示。先カンブリア紀へのアクセスが、完全にホラーゲームを遊ぶ客に独占されている事を示していた。

更にそれだけではない。

他の展示でも、客は古代生物愛など関係無く行動している。

水族館で、クラゲをヒーリンググッズ扱いしていた時代があったらしいが。

クラゲはれっきとした生き物だ。

生き物を勝手にヒーリンググッズにするのは。

賢い行動なのだろうか。

「ああ、これは……何というか同情するな」

「エンシェントの社長は、論文を書いた学者とかなり話し合って本気で仮想空間での展示を作っているからな。 こんな風な楽しみ方をされれば、面白くないのも分かる。 客と距離を取りたがるだろうよ」

「ああ、それには同意するが、内情を知っているような言い分だな」

「以前論文を書いたとき、エンシェントの社長と話し合いをしたんだよ。 普通の仮想動物園だと、大体商売優先で、見栄えが良い方を選んでくるんだがな。 エンシェントの場合、再現した生物をシミュレーションで動かしてみて、それで上手く行かない部分が出てくると、確実にそれを素直に話して聞いてくる。 妥協しなければならない部分についても、誠実に話をしてくる」

此処は学者が集っているSNSだ。

まあ、昔の客がいてもおかしくは無いだろう。

すぐに興味を持ったらしい学者が、話を振る。

「詳しく」

「詳しくも何も、彼処の社長は古代生物に対して本気で愛情を注いでいるって事以上でも以下でもない。 立派だと思うが、それが「普通の」人間と相容れるかどうかは話が別だって事だ。 此方でも論文を採用した後契約もきっちりやって、金も貰ったが。 その後の客の行動を見て、気を揉んでいたからな。 愛情を込めた作品が受け入れられるかって言うと、それはノーなんだよ」

「まあ実際に一緒に仕事をしたと言うなら説得力のある話だが……」

「社長の適性は高いんだと思うが、一方で商売の適性については、むしろプロを雇った方が良いんじゃないかと思う。 今までは偶然で黒字になっているようなもので、そのうち何かの切っ掛けで一気に赤字に転落しかねない」

冷静な言葉である。

更に、ウミサソリについても。

動画はあまり評価されていない。

「既存の論を一歩も超えていないな。 確かに論文の通りに作ってはいるのだろうが」

「この時代のウミサソリはもう衰退期だ。 衰退期の大型種は滅亡まっしぐらだからな……」

「正確な展示だが、おもしろみもないな」

「見に行かないのか」

正確な展示だから見に行く。

そんな返答だった。

学者というのはよく分からん。

私はぼやいて頭を振ったが。

しかし、これ以上嘆いていても仕方が無いか。

嘆息すると。

次の作業に取りかかる。

社員達の様子を確認。

学者からの回答を元に、ウミサソリの修正を行っているが。

問題は発生していないか。

確認すると。

シミュレーションで動かす限りは。

学者の言う通りになるという。

「足の強度にやはり問題があり、素早く動かすと長時間は保ちませんね。 短時間、例えば敵から逃げるとき、エサを捕縛するとき、そんなときだけ素早く動く。 この巨体では出来てその程度かと。 シミュレーションでも、長時間高速で動くと、体にダメージが出ています」

「生物は基本的に体が破損するほど無理に体を動かしませんわ。 そうなると、やはり磯などにいたとしても、待ち伏せ型の狩をしていたと考えて間違いないでしょうね」

「ううむ、それなのですが。 此方を見てください」

ウミサソリを動かしてみる。

それによると、待ち伏せして、獲物を狩るというよりも。

普段は一切動かず、ハサミが届く範囲に来た獲物を狩り。

敵が来たときに逃げる。

磯にいる以上、海岸線に獲物を漁りに来る大型の単弓類が天敵になる訳だが。

それまでの歴史上存在し得なかった、高速で動き回る大型捕食者を前にして。

「狩りの際」「逃げる際」両方で快足を使っていたら、もたない。

そういう結論が出てしまっていた。

要するに、どちらかしかなかった。

そして狩りの際だけ素早く動いたとなると。

逃げる事は出来ず。

生き延びられない。

節足動物として、60センチは相当なサイズだ。

このサイズになると、此処まで成長するまで時間が掛かるだろうし。

カモとして狩られていたら。

とてもではないが、生物としての命脈を保てない。

ある程度は自衛能力が必要になってくるわけで。

毒針もない。

殻の中に美味しい身が詰まっていて狙われやすいウミサソリには

何かしらの、決定的な逃げのための切り札が必要になる、と言う事だ。

それが快足だとすれば。

やはり。

逃げに用いる他ないだろう。

「普段は砂などに半分埋まったり、或いは磯などでじっと動かず、ハサミの届く範囲内のエサだけを狙って食べ。 そして外敵が来たら全力で海に逃げ込む。 そういう生物だったという結論だけしかでないです」

「……分かりましたわ。 最終結果として、学者の方に意見を聞いてきます」

「お願いします」

仮想空間からログアウト。

すぐに学者にメールを入れる。

今回もまた、一日後にと言われた。

昔と違って、簡単に接触できる時代なのに。

流石に相応に実績のある学者だ。

簡単にはやりとりできない。

まあ、もっと高い知名度を持つ学者と仕事をしたこともあるし。その時はもっと大変だったから。

別に苦は感じないが。

いずれにしても、また時間が余った。

社員にはデバッグとシミュレーションの調整をするように指示。

それにしてもこれだと。

現有種だと、一部のエイやカレイに近い生活だ。

カレイはともかく、エイは強烈な毒針で武装している事で有名で。

砂に半ばウミサソリがもぐって身を隠し。

近づいて来た獲物を捕食していたとすると。

ハサミ以外に、何か身を守るための切り札が必要だったのではないだろうか。

快足がそうだとするのは簡単だが。

それだけでは足りない気もする。

腕組みして考え込むが。

どうも良い結論は出なかった。

熱量が足りない、とピーコックランディングで言われていた事については、もう気にしていない。

彼方を立てれば此方が立たず。

それについては諦めている。

というかピーコックランディング側でも問題を把握していたように。

熱量を込めても。

愛情を込めても。

結果何て伴わないのだ。

ならばいちいち目くじらを立てても仕方が無いし。

私にはこれ以上、考えたいことも無かった。

もう少しで、準備は整う。

次の展示も黒字にする。

それだけで満足するべき。そう、私は、自分に言い聞かせていた。

 

3、隠れ逃げる

 

学者とのやりとりの結果。

見せたシミュレーションにケチはつかなかった。

まあ喜んで貰えたのなら別にかまわない。

それに許可も出たと言う事は。

これで展示できる、と言う事だ。

CMの第二弾を流す。

待ち伏せし敵を捕らえる。

捕食のための動きは最小限。

このため、小さな獲物を専門に捕らえる。

大型のエサを捕らえると、想像以上に抵抗が激しいからである。

力は基本的に、温存し。

そして敵から逃げるための快足に生かす。

生物として決してもう強くは無いウミサソリは。

爆発的に環境適応して大型化している単弓類からも。

海の中で襲われる可能性がある大型生物からも。

いずれからも逃れるために。

いつでも逃げられるように、力を常にため込んでおかなければならなかった。

それがこの時代のウミサソリの生存戦略。

勿論ウミサソリの種によっても違った。

小型種は数を生かして立ち回っただろうし。

更なる大型種は、重武装を生かして、大きいと言う事を武器にして身を守っただろう。

だがこのサイズのウミサソリにはそれは出来ない。

素早い事を利用する方が合理的だし。

環境への適応だって出来た。

第二弾のCMは。

素早く逃げるウミサソリと。

呆然と獲物を視線で追う単弓類。

そして普段はじっと砂に埋もれて動かず。

射程圏内に入った獲物を、一瞬で捕らえる様子。

見ていると、本当にカレイやエイだ。

器用に砂にもぐる様子も。

CMには盛り込んだ。

客の評判についてはAIに集めさせ、目は通さない。

悪評が集まっているようだったら確認するが。

それ以上の事はしないと決めた。

馬鹿馬鹿しいし。

何よりストレスに直結するだけだ。

そんな事をしていても、精神衛生上良くないし。

何より一文にもならない。

客は此方の誠意も熱意も理解しないのだから。

此方だって同じように接するだけで良い。

私の結論は。

既にそうなっていた。

「クレープを買ってきてくださいまし。 いつもの奴で」

「分かりました」

ロボットを使い走りにだすと。

私はぼんやりと、開発機で動いているウミサソリを見つめる。

ウミサソリは黙々と、砂浜で捕らえた巻き貝の一種を分解して食べていた。毒針こそないものの、その動きはサソリそっくりである。

遠くで単弓類がそれを見ている。

性能を変えた途端、挙動が変わった。

この距離からだと逃げられる。

そう判断しているのだろう。

生物は基本的に、厳しい世界で生きている。

ある程度知能がある生物はそれを活用するし。

そうでない生物は本能に対応方法を最初から刻み込んでいる。

あの単弓類は。

ウミサソリを見つけてはいるが。

この位置からは逃げられる、と判断し。手を出さずに放って置いている。隙を見せたら即座に捕らえに行くだろうが。

一方ウミサソリも、この位置なら逃げられると判断している。

故に平然と食事をしている。

そういうものだ。

食事を終えると同時に。

ロボットがクレープを買って帰ってきた。

いつもの奴だ。

この辺りのファジーな判断も、今のロボット(正確にはロボットに搭載されているAI)はこなすことが出来る。

昔のAIは、ファーストフードに行って買い物をしてこい、というような命令はとてもこなせなかったらしいが。

今の時代のAIは違う。

クレープを適当に頬張りながら。

後は、予定の期日を待つ。

全てが予定通りに進んでいる今。

何も前倒しでアップデートを行う必要もない。

プログラマー達にも、工数に余裕を持って動いて貰えば良いし。

もしもバグが見つかった場合は、余裕のある工数の中から、対応時間を見繕って貰えば良いのだ。

ふと気付くと。

いつの間にか単弓類が、ウミサソリの視界から外れていた。

ウミサソリも食事を続けながら、さっきとは向きを変えている。

警戒していると判断して良いだろう。

次の瞬間。

いきなり海から躍り上がった単弓類が。

ウミサソリに食らいついていた。

だが、一瞬の差で。

その顎が、ウミサソリを捕らえ損ねる。

ウミサソリはそのまま捕食者の顎をかわすと。

さっと海に逃げ込み、そのまま戻ってこなかった。

わざわざ迂回して海に入り奇襲までしたのに逃げられた。

食う食われるの世界だ。

ウミサソリだってエサになるつもりはないし。

単弓類は変温動物。海に下手に入るのは自殺行為である。此処までやって失敗したとなれば、痛手は小さくあるまい。

群れで狩りを行うライオンの、狩りの成功率は半分を切ると言われている。

この時代最強のハンターである単弓類も。

この様子では、毎回狩りが上手く行っていたとは言えないのだろう。

クレープを食べ終えると、頷く。

これならば。

展示としての完成度は充分だ。

「寝ますわ。 後はアップデートの時間になったら起こしてくださいまし」

「分かりました」

私は、ある意味図太くなった。

ここしばらくの経験で。

ろくでもない目にばかりあったから、かも知れない。

 

アップデートの日が来た。

今回は、磯を中心とした展示である。

一応ドローン視点で鑑賞できるカスタムプランも用意したが。

前から人気のある車を使ってのプランが、今回でも人気があるようだった。

ホバーやスキューバを使って直接見に行くプランもカスタムプランとして用意しているのだが。

やはりあまり人気は無い。

直接古代の生物に触れたいとは。

誰も思わないのだ。

分かりきっているのだし、今更頭にも別に来ない。勝手にやっていればいい。

しらけた目で客足を見ている。

AIの提出によると。

SNSではそこそこに評判だったらしいので。

客足は伸びるだろうとは判断していたが。

予想通りそこそこにアクセスがある。

現在と酸素濃度が著しく違う地球は。

大気も全く違う。

空の色も。

そんな中、生きているウミサソリ達は。

磯で。

或いは浅海の砂の中で。

或いは砂浜の砂の中で。

獲物を待ち、静かに生きている。

のしのしと歩いて来る単弓類。あわよくば、弱っている個体などがいないか、見て回っているのだろう。

それぞれがかなり食いでのある獲物だ。

素早く逃げるとは言っても。

どの個体もそうだとは限らない。

単弓類にとって、エサの時間は早朝になりやすい。

張った帆に熱を受けることで、他の変温動物よりも早く熱を蓄え。まだ動きが鈍い相手に先んじる。

それが故にだ。

だがウミサソリは元々海の生物。

低温には慣れている。

故に、相手の射程距離を見極め。

悠々と砂にもぐっていた。

開発機経由で。

完成版のウミサソリを見ているが。

大体予想通りの生態だ。

見ていて、頷かされる。

うちのスタッフは腕も悪くない。

私も充分に満足出来るものを作って来る。

だからこれ以上は望まなくても良い。

売り上げを伸ばすために、専門の人間を雇う必要なんぞない。

ビジネススピードが加速しすぎて、地球が焼き尽くされる寸前まで行った時代とは違うのである。

社員を食わせて行かなければならないのは事実だが。

それでも其処まで客に媚びなくても良いし。

逆に殿様商売をしているつもりもない。

提供している品は良質だという誇りがある。

事実今も。

学者が太鼓判を押した品質で、ウミサソリが再現されているのだ。

AIがログを出してくる。

客足はそこそこ。

其処まで大黒字にはならないだろうが。

赤字にもなることは無さそうだ。

また、今回はそれほど酷い害悪客もいない。

砂浜でバーベキューを始めた奴はいるが。

実際にこの時代そんな事をしたら。

単弓類に食われるか。

もしくは酸素中毒で死亡。

下手をすると、濃すぎる酸素の中で火をつけたことで、大爆発が起きる可能性もある。まあそうなったらむしろ良い位なのだが、残念ながら仮想空間である。そういう事は起きない。

アクセスしている人間に攻撃したり殺したりするような設定にも出来るが。

基本的に痛みなどはある程度自動でカットされるし。

何よりアクセスしているのは意識だけなので。

最終的には何の問題にもならないのが現実である。擬似的に襲われる体験をするだけだ。

それが分かっているから害悪客はやりたい放題なわけで。

此方としても腹が立つが。

何しろ一人でアクセスしているわけだから。チートを使わない限りは、通報することも出来ないし。

違法行為を行った場合はAIが自動で対応するので。

人間に出来る事はない。

今回は、生物をあらかた消すような客はいない反面。

ウミサソリよりも、単弓類を見に来ている客も目立ち。

特にディメトロドンを見に行って。

ウミサソリには見向きもしない客も目立った。

ディメトロドンは何しろこの時代の花形だ。

客の人気があるのも分かるには分かるのだけれども。かといって、此方がウミサソリを新規アップデートしているのにそれを完全に無視するのも。それはそれでどうかと思うのだが。

まあもうこれ以上は仕方が無い。

ぼんやりと見ているだけにする。

前回は想定外の黒字だったが。

今回は想定内の小規模黒字だ。

予想していたことだし。

いつも予想以上の黒字、というわけにもいかないだろう。

アップデートを行った事で。

相応の客足が見込める。

それだけで充分である。

私は頷くと。

一度社員達に連絡を入れた。

会議を開くが。

会議を開く際には、私はいつも優先度を提示している。

今回は優先度低。

三つある優先度の中で、一番下のものだ。

だから社員達の顔に、緊張や不安は見られなかった。

メールでもいいのだけれども。給金に関する話だから、会議で直接伝えておきたかったのだ。

「今回の黒字では、申し訳ないですけれどもボーナスは出せませんわ」

「それは、大丈夫ですのだ」

「いつもボーナスが出るとは限りませんですしニャー」

「給料が安定して貰えているだけで充分です」

そうか。

そう言ってくれるのならありがたい。

私は他に幾つか連絡をしておく。

AIの集計結果。

害悪客は少ないが、ウミサソリそのものを楽しんでいる客もまた少ない。

ウミサソリのツアーに関しては、車は失敗だったかも知れないという分析も、同時に行っておく。

というのも、やはり砂浜にもぐって獲物を待ち。

その長い足を逃走限定に使う今回の種は。

車からだとその生態を観察しにくい。

しかしながら、良い方法を思いつかなかったのは私の責任でもある。

故に、新しい方法について。

案があったら出して欲しい。

そう皆に告げた。

勿論今すぐでは無い。

次にアップデートを行うまでに、である。

それも絶対では無い。

出来れば、という範囲である。

昔、成果主義というものがあったが。

これは実際には、成果など評価していなかった。

実力主義とは似て非なる者で。

結局の所、コミュニケーションと称するごますりが上手な人間だけが得をする仕組みになっており。

その結果、社会全体を弱体化させた。

人類が滅びかけたのも。

耳に優しい言葉を優先し。

上司にこびへつらう部下を優秀とする制度を確立し。

事実上の奴隷制度を復活させていったからで。

それら全てにメスを入れるには。

先進的AIの登場を待たなければならなかった。

そのAIに判断をさせる。

今までの情報を総合したAIは。

すぐに結論を出してくれた。

「恐らくですが、生物の観察に関して、車両はかなり優れたツールではあると思いますが、同時にある程度の改良が必要かとも思います」

「ふむ、具体的には」

「生物へのその場での干渉機能です」

「……なるほど」

要するに見ているだけではなく。

その場で、何かしらの方法で生物に干渉。

姿をみせさせたり。

その行動をよりよく把握できるようにする。

個人的には、ジェットパックやスキューバで、至近距離で生物を見れば、それが出来ると思うのだが。

事実これらのお勧め設定を選ぶ客は殆どいない。

ある程度距離を取りたがる客の方が多い。

ならば、車の中から干渉して、その生態をみるべき、というわけか。

「まず車の中から、その場での即時での設定干渉機能を。 それも此方でカスタマイズしたものを行使できるようにするべきでしょう。 このボタンを押すと、隠れている生物が見られる、などと言った感じで、です」

「それは自然な生態とは言えませんわ」

「勿論その通りですが、事実古細菌の展示の時のように、客がオモチャにして遊びだしたらそれこそ本末転倒です。 ある程度の妥協は仕方が無い事なのかと思います」

「……」

そうなるか。

分かった。

では、技術的な話はプログラム班に任せる。

私もある程度は出来るけれど。

本職にやらせた方が良いだろう。

勿論その結果に文句を言うつもりは無い。

更に、AIだけではなく。

人間側からも意見を当然募ることにする。

私としても。

現状では限界があることは分かっている。

だから、積極的に意見などは募集していきたいのである。

今の時点では、建設的な意見を出せる社員はいないようだった。それならばそれで、別にかまわない。

もしもその意見が、大きな成果を上げたなら。

ボーナスを出す。

それを明言すると。

AIによるジャッジを掛けて。

いつものように会議を終えた。

ログはまだリアルタイムで集められている。

ウミサソリを真摯に見に来てくれている客も少数はいる。

「でっかい海老みたいだなあ」

そんな声が聞こえる。

不思議な話で。海老と言えばたくさんの足を持っている生物なのに。どの国でも食材として扱われるからか、殆ど嫌われない。

これに関しては蟹も同じだ。

シャコなどもそうだろう。

寿司のネタにされているが。

あれ自体は足がたくさんある生物だ。

貝類に至っては足が無いし。

ホタテ貝などは大量の目を持っていて。海底を常に監視している目を怖がる人には恐ろしい面もある生物である。

だが、そんな事は誰も気にせず。

バター焼きを楽しんでいる訳であり。

人間なんてそんなものである。

蛸や烏賊に対する恐怖感を感じる人もいるようだが。

それを食べる文化圏の人間は気にしないし。

昆虫もしかり。

昆虫食が根付いている文化圏では。

昆虫の足が多くて気持ち悪い、などという事を口にする者は少数派だ。

「生態は海老よりもヒラメに近いんだなあ。 立体的に動けて、陸上に出られる分、ヒラメよりも有利なのかな」

「いや、これを見ていると、外骨格なのが不利に働いているんだな。 ヒラメはもっともっと巨大になるが、ウミサソリは巨大になると比例して動きが鈍くなる。 海から出るのも厳しくなるだろう」

独り言を呟いているその客は。

熱心に観察を続けていた。

一度ログアウトした後。

プランを変えて入り直す。

興味を得たらしく。

今度は私がお勧めに設定した、スキューバのプランで入り直してきた。

料金はごくごく良心的だ。

だから殆ど気にする事もない。

現実でスキューバをすると、道具類を集めるところから、もぐるところまで、相当に手間暇も金も掛かるし。

何より専門の知識や訓練がいるのだが。

仮想空間ではそんな事もない。

スキューバに必要な知識は、そのまま擬似的な肉体にインストールすることが出来るし。

当時の大気組成も無視。

陸上、海中問わずに、棲息している危険な生物も無視してスキューバを楽しむことも出来る。

その客は、今度はスキューバで、海に潜りながらウミサソリを探し。

随分長い間、ウミサソリの側でその行動を楽しんでいた。

こういう客が増えてくれれば。

此方としても嬉しいのだが。

そうもいかないだろう。

なお仮想空間では、時間の圧縮も出来るので。

現実時間に比べて、何倍も時間を圧縮して、じっくりたっぷり楽しむ事も出来る。この辺りも、仮想空間ならではの良い所だ。

さて、SNSを見るか。

前と違って随分気が楽になっているので。

別に悪口を言われていても気にしない。

まあ前は、カルト思想の人間が主導して、エンシェントへの攻撃を行っていたのだが。

今はそれもない。

むしろ淡々としていた。

エンシェントの感想ブログもあるが。

いずれも好意的か。

好意的ではないにしても。

作り込みに対する評価は為されていた。

「とりあえず何回か見てきた。 海岸であんな風に生きていたとなると、色々息苦しかったのかな。 大きさも中途半端、逃げ足が特に優れている訳でも無い。 天敵は陸上にも海の中にもいる。 隠れていても、天敵は見つけてくる」

「いや、今の大体の生物もみんなそうだしな」

「まあそうなんだが……」

「むしろ、あれだけの汎用性があれば、上手く行けば生態系のニッチに食い込んで延命は出来たかも知れないな。 実際近縁種のカブトガニは現在まで生き延びているんだから」

まあ、それが伝われば充分か。

私はココアを頼むと。興味深い意見が出ていないか、全体を見ていく。

ピーコックランディングも含め。

当たり障りのない意見ばかりだったが。

一つ、興味深いのを見つけた。

「何度かログインして見てみたが、このエンシェントという仮想動物園は全体的にとても惜しく感じる。 最新の論文を反映し、生物の生態を仮想空間で再現する事に関しては多分随一の出来だろう。 だが害悪客に対する対策を講じすぎた結果、どんどん無難になっている気もする。 車での鑑賞ツアーを殆どの客が利用している事からも、それは明らかだろう」

そう言われてもな。

こっちとしても、あんなものは使いたくはない。

だが、客は古代生物とは距離を置きたがる。

相手が攻撃しない設定にしても、だ。

気持ちが悪いから。

そういう意見が必ず出てくる。

最近はアップデートを掛けていないのだが、アースロプレウラなどは良い例だ。

地上に上がった節足動物としては史上最大。

勿論見つかっている範囲内では、だが。

それでも、最大の節足動物という時点で、大いに価値がある生物だが。

見に来た人間が、口を開くと最初に出てくる言葉が。

気持ち悪い。

自分の価値観から見て、気持ち悪いかどうかが重要。

それが人間というものだ。

なんでそんなのに此方があわせなければならないのか。

精一杯の妥協はしている。

それ以上の何を求めるというのか。

それでも、心を鎮めて。

続きを読む。

「客商売としては現時点で成立しているが、それは恐らく仮想動物園としての完成度の高さからではないだろう。 これは恐らく、エンシェントというコンテンツ自体を笑いに来ている客が相当に売り上げを支えているはずだ。 芸人は相手を笑わせる仕事という言葉があったが。 実際には、殿様商売を始めた結果、相手に笑われるようになっていった」

無言。

私が殿様商売をしているとでもいうつもりか。

それと既に滅びたマスコミの走狗であった芸人を引き合いに出すつもりか。

だんだん苛立ちが募ってくるが。

我慢だ。

「エンシェントでは殿様商売はしていないが、その代わり客に対してかなり不親切な部分が目立つと感じた。 チュートリアルについては最小限だし、客に対する自由を優先するばかりに、客に対する手伝いが足りない気がする。 古代生物への愛は充分過ぎるほど伝わってくるが、どこをどうすれば其処までいとおしいのかが、客として利用した人間には分からない。 かくいう私も分からなかった。 気持ち悪いというコメントを残している客も散見されたが、それも仕方が無いと思う。 人間は異質な存在を、気持ち悪いとレッテル張りして、差別する生物だ。 現在では人間に対する差別はAIが厳しく取り締まり、場合によっては犯罪になる。 人間同士が昔と違ってほぼ個体同士で接触しなくなった現在は、差別も大きな社会問題ではなくなった。 だが、こういった仮想空間では、その差別がやはり鎌首をもたげてくる。 人間が駄目な生物であるのは周知の事実ではあるのだが、その駄目な部分が表に出てくる印象だ」

口を引き結んだまま。

文章を続けて読んでいく。

ふと気付くが。

このコメント。

相当数の閲覧が為されている。

ひょっとすると、このコメントに、同意している客が相当数いる、ということなのだろうか。

SNSには昔からまとめ機能があったが。

これにヒモ付いた意見を見てみる。

なるほど。

そういう事か。

何となく分かってきた。

そして、書いた当人が誰かも、である。

私は大きく溜息をつくと。

メールを入れた。

相手は。

私が仮想空間で時々仲良くしている人。

ユカリさんである。

一応メールアドレスの交換はしているのだが。

実のところ、たまに仮想空間のカフェで会う以外に接点がない。

だが、幾つか気になる事がある。

ユカリさんは話していて気があう人間だが。

基本的に古代生物の話を積極的にするわけではない。

だが、さっきの文章に。

幾つか彼女のものだと思われる癖が見られたのだ。

ユカリさんからのメールは。意外にも、すぐに返ってきた。

ユカリさん本人が何者かは知らない。

今の時代は、それが普通だ。

雇っている社員の大まかな経歴は知っていても。それが本当は誰かは分からないケースもある。

今はそういう時代なのである。

ましてや、仮想空間のカフェで会う人だ。

誰か分からなくても、何ら不思議でも何でも無い。

「SNSのコメントに気付いたんだね」

「ええ。 これ、書いたの貴方ですわね」

「そうです」

認めた。

やはりか。

ユカリさんは、特に悪びれることも無かった。

此方も怒ってはいない。

悪意があっての文章では無いと感じているからだ。

もしも悪意があっての文章だったら。

もっと辛辣だっただろうし。

個人的な意見が表に出ている。

比較的客観的に書かれている文章であると私は感じた。まあ客観の権化であるAIほどではないが。

「私がエンシェントの社長だといつ気付いたんですの?」

「たまたまです。 喋っている内容に、共通点が多いと見つけて、AIに分析を掛けさせました。 それからは証拠がどんどん揃っていって、AIがこの間ついに一致率100%とはじき出しましたから」

「迂闊でしたわ……」

「いずれにしても、それでも貴方のパーソナルデータは分かりません。 共通の人物だと言う事しか」

まあそれもそうか。

そして、咳払いすると。

私はメールを打ち込む。

仮想空間で顔をつきあわせて話すべきなのかも知れないが。

今はそんな気分にはなれなかった。

「エンシェントについて随分辛辣ですわね」

「事実を書いただけです。 愛情は嫌と言うほど感じられるのに、客との距離を置いて、むしろ間に壁を立てている。 そんな風にさえ感じました」

「壁……ですの」

「はい。 とても良く出来ている仮想動物園だと思うのに、色々と残念だと思いましたので、目に触れる可能性を考慮して書きました」

相手側も苦悩していたのが分かる。

だから私は激高しない。

正確には、そうしないように気持ちを抑える。

「エンシェントは続けてください」

「これは私の生き甲斐ですわ」

「分かっています。 貴方の全てが詰まっている場所だと感じます」

「……」

メールを切る。

もうユカリさんとは、カフェで会わないかもしれない。

いずれにしても私は。

大きなため息をつくしか無かった。

 

4、壁の貌

 

そこそこの黒字を出し。

アップデートの売り上げは集計が出た。

ボーナスは出せなかったが。

掛けた労力に見合う売り上げにはなった。

いずれにしても分かっているのは。

今後もエンシェントは安泰、と言う事だ。

だが、ユカリさんの言葉は刺さって抜けない。

エンシェントを見に来ているのでは無い。

エンシェントを笑いに来ている。

その言葉は。

私の心に、大きく突き刺さっていた。

しばらく膝を抱えて放心している。

仕事はしているが。

ぼんやりする時間が増えた。

客との距離がある事は分かっていたが。

しかしながら、それでもだ。

いくら何でも、此処まで徹底的な分析を書かれると、私も神経に結構大きなダメージを受ける。

ましてや相手はユカリさんである。

珍しいリアル知人の一人であり。

普段、何気なく話をする相手でもある。

そんな人が、此処まで痛烈な意見を書いたという事実そのものが。

私に大きなダメージを与えていた。

勿論それに悪意があったとは思わないし。

事実だとも思う。

AIに分析させればもっと辛辣な事を言う可能性も高いし。

そもそも相手に正体を見抜かれていた時点で色々と問題もあったのだ。

溜息がまた零れる。

「マスター」

「何」

「既に21時間飲まず食わずです。 そろそろ栄養を得てください」

「食欲がない」

更に言うと。

パジャマから着替えてもいない。

エンシェントの仕事はしているが。

何をしても精彩を欠いた。

これはいずれにしても。

少しばかり、対策をしなければならないだろう。

だが、体が動かない。

ロボットに、カプセルに入るように言われる。

危険値に入ったそうである。

体内の栄養が不足していて。

このままだと悪影響が出るという。

「……」

トイレに行ってから。

カプセルに入る。

多分点滴で栄養を入れられるのだろう。割とどうでもいい。ぼんやりしながら、夢を見る。

指を差して笑われている私の姿。

地球時代だったら。

こういうことをされていたのかも知れない。

過密な空間で学習し。

精神論が横行し。

無駄な学習で多くの時間を無意味に浪費し。

相手に媚を売る能力が高い人間だけが出世する仕組みが作られていった。

その結果。

人類は滅亡しかけた。

だがその時代の方が、人間味があったとか口にする輩は今でも存在している。

問題だらけどころか、地球ごと滅ぼしかけた時代だったのに。

私は今になって思う。

人間は自分より下の存在を作って嘲笑い、それで自己承認する生物だ。

だから際限なく卑しい。

むしろ、だからこそ。

今の、自分より下の人間を作れない時代は。

人間にとっては地獄に等しいのではあるまいか。

カプセルの中で何度も夢を見る。

私を嘲笑う無数の影。

指を差すもの。

石を投げる者もいる。

私は今に生きていなければ。

殺されていたのかも知れないなと、ぼんやり思っていた。

 

(続)