灼熱スープの星

 

序、生物は古くから

 

そも生物とは何か。

DNAを持ち。

自己複製する機能を持った蛋白質の塊。

それ以外に定義がしようがない。

細菌はそういう意味では生物だし。

ウイルスは生物とは言い難い。

また、生物とウイルスの中間である、プリオンという存在もある。これは狂牛病などで有名だ。

古い古い生物は。

まだ地球がやっと形になり。

どかどか隕石が降り注いでいた時代には。

既に存在していた。

およそ40億年前には。

煮えたぎったスープの中に。

生物たちの先祖がいたのである。

そして38億年前には。

古細菌と呼ばれる、現在の細菌達の先祖となる生物も出現。そしてこの時点で、かなり環境適応を進め。

様々な種類の古細菌が出現していた。

しかしながら、多細胞生物が出現するまでには此処から20億年以上が掛かった。

最初の多細胞生物は10億年前ほどに出現したという説が主流で。

そこから更に四億年以上掛かって。

やっとカンブリア紀の、いわゆるカンブリア爆発が始まる。

カンブリア紀が五億年以上前に開始したとは言え。

地球は誕生から46億年経過しているが。

誕生から6億年で生物と呼べる者が出現し。

それから5億数千万年前までは、多細胞生物はロクに出現しなかった。

それを考えると。

30億年弱ほどは、単細胞生物の時代が続いていた、という事になる。

ラン藻によって地球が文字通りのテラフォーミングを受けるまでは。

環境も完全に違う状態だった。

つまり。

古細菌こそが。

本来の地球に適応した生物だった。

そういう事である。

私は会議の場で、改めてこの認識を皆と共有する。

授業でも何でも無い。

古代生物好きには周知の事実であり。

故にこれを展示として成功させるには。

如何に難しいか。

それもよく分かる話である。

そもそも隕石が日常茶飯事に落ちていた時代だ。

生物が環境適応どころではなかっただろう。

文字通りハンマーで熱した鉄を叩くようにして。

生物は揉まれ。

やがて巨大隕石の落下が一段落した頃になって。

ようやく環境適応を、安心して行えるようになっていった。

それが真相である。

逆に言えば。

地球の環境がもっとも厳しかった頃に。

古細菌が踏ん張ってくれなければ。

地球で生物が発展することなど無かった。

例えば昆虫などは。

あまりの脊椎動物との違いから、「宇宙から来た生物ではないか」などという安易な説があるが。

別に昆虫の近縁種は幾らでも存在しているし。

節足動物が海から上がって来て、陸に適応していった過程も説明されている。

それこそ、様々な模索をしながら環境適応していった生物たちに対する侮辱だろう。

「まずは意見を聞きたいですわ」

「古細菌を主体に展示を行うとして、まずはどうぐつぐつのスープ同然の世界に行くか、ですが……」

「仮想空間だからそれは大丈夫だとしても、見所は……」

「まず客を細菌サイズに縮小するのは」

私の提案に。

皆はあんまりいい顔をしなかった。

「細菌サイズに縮小するプランは現在でも実施していますが、あまり良い評判は聞かないですのニャー」

「リアル地獄体験ツアーとかいう動画が上がっている位でして」

その動画を見せられる。

勿論エンシェントで撮影という説明が最初にされているが。

古細菌の展示を見に行った客が。

此方の許可の範囲での動画を紹介している。

煮えたぎった海。

噴火を繰り返す山。

落ちまくる隕石。

それも直径十qクラスがドカドカ。

こんな状況、悪夢としか思えない。

そう動画には、コメントがたくさんついていた。

わざわざ見に行きたいとも思わない。

そういうコメントも、である。

「有り体に言うと、恐怖心をストレートに刺激しているのですニャー」

「言いたいことはそれだけですの?」

「い、いえ、そういうわけではないですのだ」

「社長、その……」

何だこの。

無理、と言いたい感は。

やる前から諦めるのか。

そもそもさっきも確認したように。

こんな地獄のような環境でも、古細菌達が踏ん張り。環境適応を進めて、どんどん複雑な生物を出現させ。

そしてラン藻がやがて出現し。

地球をテラフォーミングしなければ。

今の生物など存在していない。

古細菌には圧倒的感謝をしなければならないくらいなのである。

確かに地獄と言うのも生やさしい状況だっただろう。

木星が出現し。

地球に直撃コースだった隕石の大半を引き受けてくれて。

更に月もその役割の多くを買ってくれて。

ようやく太陽系の星々が安定した後も。

それでも地球には隕石が落ちた。

なお太陽系の惑星には、鉄より先の元素が存在するが。

これは基本的に、恒星内部で核融合によって出現するものである。それも、寿命が近い恒星の内部で、だ。

当然それがあると言う事は。

その恒星が超新星爆発したと言う事で。

故に現在の太陽系は二代目以降の存在となる。

一度超新星爆発で消し飛んだ太陽系が。

もう一度再構築されたのが今の太陽系なのだ。

前の太陽系がどんな存在だったのかは分からないが。

はっきりしているのは。

少なくとも今の太陽系では、地球はハビタブルゾーンと呼ばれる「生物が生存可能とされる」条件が整った座標に存在し。

隕石がどかどか降ってくる最悪の状況を脱するまで。

古細菌達が踏ん張ってくれて。

そしてある程度落ち着いたところで。

ようやくカンブリア大爆発が開始した、という事である。

想像を絶する地獄を。

耐え抜いてくれた古細菌の魅力を伝える。

それくらい出来なくて、何が知的生命体。

文明に生きるものだろうか。

順番に一つずつ説明していくと。

やがて閉口していたらしいプログラマーが言う。

「確かに社長の言う通りだと思いますニャー」

「別に阿諛追従はいりませんわ。 それで」

「問題は、どうやったらそれで客を呼べるか分からない、と言う事ですニャー」

まず私は。

古細菌に関する論文を取り出す。

27億年前の地球に存在した古細菌だ。

現在の細菌よりもかなり小さく。

構造も単純である。

だが、38億年前の地層から発見されている者に比べると。

かなり環境適応を進め。

体を複雑化させている事が分かる。

もう少しで細菌に。

そして多細胞生物に。

そうなろうとしているのが分かるほどだ。

だが20億年ほど前にも、大規模な異変が起きている。

まだまだこの時代には。

安寧はほど遠く。

環境適応を地獄のような状況で進めようとしても。

宇宙から到来する隕石によって、散々邪魔をされていた。

それが分かる論文である。

この論文は。

少し前。

翼竜の展示をした頃に発見し。

学者に連絡して、許可を貰っている。

少し遅れてしまったが。

そろそろアップデートを行おうと思っていた。

契約そのものはしているので。

何時でも可能。

そして相手も、古細菌の展示が客を呼べるかは厳しい事は理解してくれているので。

アップデートに関しては、やれるときにやってくれれば良いと、寛容な姿勢を見せてくれている。

「まずは、この論文の通りにモデルを作るのですわ」

「はあ……」

プログラマー達が確認する。

典型的な高温適応しているタイプの古細菌で。

酸素に弱い。

ただしその代わり高温に適応するために強固な体を持っていて。

数百度くらいの熱には余裕で耐えることが出来た。

この手の古細菌の中には、灼熱だけでは無く、強酸、強アルカリなどにも平然と耐え抜く種が存在しており。

これもその一つ。

原初の地球が、如何に過酷な環境だったのかが、これだけでもよく分かる。

今回の古細菌は梨のような形状をしていて。

全体的に見て愛嬌がある。

とはいっても、他の細菌の死骸や、或いは自分よりも小さい細菌。場合によっては同種の細菌さえも捕食しながら繁殖し。

そして細胞分裂で増えていくのだが。

当然のことながら、単細胞生物なので。

己のクローンをそのまま作り出す事、つまり細胞分裂が「繁殖」なのだ。

勿論このやり方だと、環境が変化した場合、一網打尽で滅亡してしまう。

そのため、これら古い生物は、頻繁にエラーが起きるほどに、細胞分裂を過激に繰り返し。

世代交代のサイクルを短くしている。

病原菌などによく見られる耐性菌などと同じで。

こうやって、己を脅かす者に対抗できる存在を、素早く生み出せるようにしているのだ。

これは如何に過酷な環境で生存してきたか。

そして環境が如何に変わりやすかったかを。

如実に示している。

「細菌と古細菌の違いはツアー内で説明するとして、現在でも古細菌は現役で、バイオマスでかなりの割合を制圧していること、そして彼らの活躍無くして生物は誕生しなかった事を強調するのですわ」

「はあ、なるほど……」

「そして、動画を作りますわ」

此処からだ。

私が以前、鳥類の先祖の動画をエンシェントの公式とは別アカウントで流し。

それで相応の好評を得ている。

その実績を再現する。

古細菌が如何に激しい環境で生きていたのかを。

動画で見せる。

ストーリー性はいらない。

気合いを入れて作れば作るほど馬鹿にする者が出てくるからだ。

むしろ、そのまんま作った中で。

面白そうな映像が取れるまで粘る。

それで良い。

そう説明すると。

プログラマー達は、社長がそれで良いのならと、反論を口にしなかった。

諦めている。

それが分かって、少しげんなりするが。

私は社長だ。

例えば、プログラマーや末端で働いている人間に、「売るための責任」を押しつけるような社長はカスだ。

地球時代には多く存在したらしい。

社長と言うだけで自分が偉いと錯覚しているただの阿呆である。

会社の先端に立って会社を引っ張る。

その素質を。適性を持つと判断され。

13で社長をやっているのだから。

私はその適性に応える。

会社の命運が両肩に乗っているのだ。

昔と違って、客観的にもの見る事が出来るAIの補助もある。

故に私はワンマンリーダーにもならないし。

周囲にイエスマンを侍らせて悦に入るバカ殿になるつもりもない。

ともかく、出来ると言う事を。

私が示さなければならない。

エンシェントでもっとも人が来ない先カンブリア紀。

それを無駄ではなく。

収益につながると示すためにも。

今こそ私が動かなければならないのだ。

一旦AIにジャッジさせるが。

AIは難色を示した。

「確かにエンシェント公式とは別名義で動画を発表することで、間接的に客の興味を惹くことは出来るかと思います。 しかしながら、古細菌はあまりにも客の興味を惹くには地味な存在です」

「止めはしませんが、大きな利益収入にはつながらないかと思います」

そうか。

確かにそうだろう。

だが、それを覆せば。

そもそも、私は今まで散々客に振り回されてきた。

今度は逆に。

客を此方でコントロールしたい。

「気持ち悪い生物を展示している」「気色が悪い仮想動物園」みたいな認識をしている客はまだ多い。

そんな客に。

地球の生物史を支えてきた存在がどのようなものなのか。

示すには丁度良いのである。

とにかく、会議は解散。

私は開発機を使って。

良さそうな動画を作るべく。

現時点でのエンシェントの、27億年前の海に入る。

とはいっても倍率は最大。

細菌と同サイズにまで縮小。

そうすると。

まったく違う世界が見えてくる。

水温は数百度。気圧も何もかもが違うから蒸発はしていない。

生命の元となった、アミノ酸のスープとも言われる海。

大気中は二酸化炭素だらけ。

勿論海の中にも膨大な二酸化炭素が溶け込んでいる。

古細菌は酸素を必要としない。

むしろ酸素は毒物だ。

周囲には無数の栄養。

そして、瞬く間にと言うペースで増え、そして死んで行く古細菌達。

凄まじい勢いで生き。

死んで行く。

その有様は。

現在の生物と、同レベル以上の過酷な生き様である。

勿論、現在でも細菌達はこんな感じで生きているだろう。

環境適応のためにじゃんじゃん自分を増やし。

可能な限り生体サイクルを短くし。

「コピー」ではなく「変異体」を積極的に産みだす。

普通「変異体」は最適化された通常の個体には勝てず淘汰されてしまうが。

環境が変化すると。

今度は運良く生じた「変異体」が、周囲の環境に適応できなかった者達の死体を貪り喰いながら、凄まじい勢いで増えていく。

これの一種が、抗生物質などに対応能力を持つ耐性菌である。

ダイナミックな生物の営みだ。

あっという間に増えていく古細菌達だが。

凄まじい灼熱が、波となって押し寄せる。

運良く生き延びた者を除くと。

一瞬で殆どが全滅した。

この時代には、大気も現在に比べて貧弱。

今だったら大気圏内で燃え尽きていた隕石も。

容赦なく大気圏内に降り注いで来た。

サイズが小さければ地面に突き刺さる程度でも済むが。

サイズ次第では、当然クレーターが出来る。なにしろ、音速の数十倍という凄まじい速度で飛んでいるのだから。

それでも、生き延びた古細菌達は。

仲間の死体を喰らいながら。

また増え始める。

そして変異体をどんどん作り出し。

環境適応を続ける。

やがてその中から酸素を作り出す生物が出て。

地球を安定させるまで。

酸素は古細菌には猛毒だった。酸素は古細菌達を蹂躙し、遠ざけた。だが、それによって大気は安定し。地球はテラフォーミングされた。そして多細胞生物が出現し。カンブリア大爆発につながっていくのである。

以上の状況を撮れないか。

分かり易い映像が無いか。

四苦八苦する。

だが、止めるつもりはない。

私が、言い出した事なのだから。

 

1、最大の難題は最小の世界

 

古細菌の世界。

そう銘打った動画を、SNSに流す。

エンシェントで撮った動画だとは最初に断りを入れるが。

エンシェント公式のアカウントは使用しない。

まずは、視点をいきなり古細菌にするのを避ける。

赤い地球を、外から写す。

エンシェントでは、これくらいの事は出来る。

設定を色々と複雑に弄らなければならないが。

家に開発機を持ち込んで、散々検証をしているのである。

これくらいは朝飯前だ。

とはいっても、この発想に至るまでは相応に時間が掛かったが。

隕石が。

落ちる。

地球は赤い。

そして、灼熱の海が拡がっている。

視点は隕石だったから。

凄まじい勢いで地表に接近し。

そして海の中で爆裂した。

熱と光の中。

バックで流している音楽が止む。

そして灼熱の海がズームアップされていく。

其処にあるのは、無数の死だ。

灼熱の、アミノ酸のスープの中。

大量の古細菌達が死んでいる。

だが、その中にはわずかに生きている者もいる。

嫌気性で。

灼熱に耐える細胞膜を持った。

古代の地球に適応した細菌達。

彼らは衝撃から立ち直ると。

勿論何も考えず。

始める。

食べる事。

それによって栄養を得る事。

そして栄養を得たら増える事。

栄養の元が、命無くした同胞であろうと関係無い。そして増えた先の存在が、自分と同じでなくてもかまわない。

すぐに死ぬ。

だが、引き継がれた命のバトンは。

高確率で変異する後続へと、どんどん引き渡されていく。

灼熱の海の中で。

古細菌達は。

未来のために、その過酷ながらも単純な営みを続けていくのだ。

そしてまた視点がぐっと引かれる。

地球に再び接近する隕石。

容赦なくそれは。

また地球を蹂躙した。

爆発が巻き起こる。

今度は視点を接近させない。地球の彼方此方に、隕石が絶え間なく落ちている様子を見せたいからだ。

何度も爆発が巻き起こっているのが、視点を引いているから分かる。どれだけ過酷な状況なのかも。

不意に、また視点を接近させる。

古細菌達は。

屈していない。

まずは、此処までを動画にした。

さて、反響はどうか。

ピーッコックランディングにも流したが。

素人、専門家。

両方の意見を聞きたい。

この間、エンシェントの面白動画を上げたアカウント、と言う事もあってか。

すぐに反応はあった。

「これ、大気もロクにない時代の地球だよな。 生物の痕跡が40億年くらい前から一応見つかっているんだっけ? 27億年前……というと、こんな過酷なんだな」

「エンシェントで有名なリアル地獄だよこれ。 海はグッツグツに煮立ってて、下手すると強酸だったり強アルカリだったり。 そんな中にアミノ酸が溶けてて、こういう古細菌がいたらしい。 一度見に行ったんだが、下手なホラー映画より怖かった」

「うっわ、昔の宗教に出てくる地獄そのものじゃねーか。 しかも隕石ドカドカ落ちてるし」

「太陽系がまだ安定していなかった時代だからな。 今は木星、月と二重のバリアがかなりの隕石をそらしてくれていて、更に小さいのは大気圏で燃え尽きる。 でもこの時代はそれもなくて、隕石は落ち放題よ。 この時代に落ちた彗星が、今の地球の水のかなりの量を支えてるって話だ」

一般でも詳しい人間はこれくらいの知識はあるか。

でも、リアル地獄呼ばわりしているのが気になる。

正直な話をすると。

地球人類が全部台無しにしかけた、宇宙進出直前の時代こそが。

地球にとっての最大の危機だったと思うのだが。

「これって怖い者見たさで見に行く感じ?」

「うーん、今見てきたんだが。 説明によると、この時代を生き抜いた古細菌から、酸素を出す生物が出現。 億年単位で地球を酸素の星に変えていって、オゾン層とか現状の大気とか出来て。 多細胞生物が生まれて……って流れらしい。 つまり古細菌が踏ん張ってくれたから、今の地球があるという事らしいね」

「気が長い話だな。 て、地球の酸素って、生物が作り出したの!?」

「そういうことみたい。 しかも古細菌にとって猛毒だったらしくて、今ではすっかり古細菌は極限環境に追い込まれている、って話らしいよ」

まあその通りだが。

それから先が問題だ。

怖い。

恐ろしい。

近付きたくない。

そんな感想ばかり出てくる。

どうしてだろう。

こんな状況で踏ん張った古細菌達がいるからこそ。

今の時代があるというのに。

敬意が少しでも湧いてこないのだろうか。

腕組みして考え込みながら、ピーコックランディングも見に行く。

こっちは面白がっていた。

「これはシミュレーターとして悪くないな。 てか、教材としてそのまま使えるんじゃ無いのか」

「昔の学校だったらねえ。 今は催眠教育で仕込むからあんまり関係無いかな」

「確かにそうだけど」

「ちょっと見に行って来たが、説明は間違っていないし、この時代の地球の環境を良く再現していると思う。 だが専門家以外は、見所がないと感じるんじゃないのかな。 はっきりいってエンシェントに見に行くよりも、この動画見ている方が楽しい」

思わずへの字口になる私。

AIがリラクゼーション用の音楽を流す。

分かっていた筈だ。

だから抑えろ私。

自分に言い聞かせながら。

何がまずかったのかを分析していく。

いずれにしても、この動画ではダメだ。

ドラマティックではある。

エンシェント公式の動画では無いから、オーバーリアクションとも取られない。

古細菌の時代がどういったものだったかも、これで良く伝わるだろう。

だが、それで客が来るかと言うと。

答えはノーだ。

何しろ、怖い、が第一反応である。

地球が灼熱の星で。

二酸化炭素まみれで。

海は灼熱地獄。

酸にアルカリの極限状況。

そして其処で繰り広げられているのは。問答無用の適者生存。

適者生存の究極に到達した結果。

どんどん変異体を産みだし。

変異体の屍の山を築き上げながら。

それでも環境適応を模索していく。

そんな時代を。

怖いと思うのは、自然のことなのだろうか。

どういうわけだそれは。

一時期人類は、弱肉強食を、自分達が環境を破壊して好き勝手するための免罪符にしていた筈だが。

この強烈で過酷な環境適応社会は。

むしろ人間が喜ぶ状況では無いのか。

何故怖がる。

腕組みした後、AIに分析を求めるが。

答えは私の想像の外にあった。

「専門家は面白がっていますが、そもそもこの動画で充分と判断している様子です。 専門家以外は、苛烈すぎる状況をただ怖れていると分析出来ます」

「それで?」

「妥協が必要かと思います」

「妥協……」

AIは言う。

とにかく怖いと言う意見が目立つ。

人間は自分に都合が良い弱肉強食は歓迎する傾向があるが。実際に存在する適者生存は怖れる傾向があるし、社会に受け入れようともしない。

例えば、親から資産を引き継いだだけの無能な二代目が組織のトップに座り、瞬く間に組織を崩壊させるというケースが昔は目立った。

これは弱肉強食でもなんでもない。

本当に弱肉強食だとするのなら。

もっとも有能なトップを常に選出し続け。

それによって結果を出させ。

結果が出ないなら即座に交代させる。

それくらいの事が必要だろう。

だが、実際にはそんな事は起きず。

「コネも実力のうち」などという寝言を垂れ流しながら。

一部の層だけが金を独占し。

結果として地球を滅ぼしかけたという事実がある。

つまるところ、人間は「自分に都合が良い弱肉強食」を求めていても。

「ホンモノの弱肉強食」など求めてはいない。

都合が良い理屈を並べ立てて必死にそれを否定するのは。

適者生存からも反している。

これを変えたのが人間を明らかに上回る性能のAI。そしてAIが、根本的な所から客観的アドバイスを行える現在の社会だ。

現在の社会は適者生存。

それも極めて緩やかかつ効率的な適者生存で回っており。

その適者には、古き時代無能な人間に都合よく使われていた「弱肉強食」で切り捨てられていた弱者も含まれる。

つまりきちんと適者の道を見いだされ使われている。

これこそ適者生存の究極系である。

しかしながら、今でもAIに対する不満の声はある。

そして私の中にも。

指摘をされると。

確かにそれはあるとしか言えない。

AIのジャッジは客観的だし。

何よりも正確だと言うことは良く分かっている。

法律関連はAIに任せてしまって大丈夫だし。

実際問題、もめ事の解決も。犯罪の防止も。人間よりも、客観的に判断し行動できるAIの方が適性が高い。

「それで妥協とは具体的には?」

「古細菌が生物のメインストリームとして生存した時代に対する反応を見る限り、苛烈すぎる適者生存に恐れを成している傾向が強いです。 勿論そういう時代だったのだという事は分かりますが、別のアプローチが必要でしょう」

「……」

「ここから先はAIとしては、客観的に分析する事しか出来ません。 ただ、現状とアプローチを変えない限り、活路は見いだせないと愚考します」

分かったと手を振ると。

ココアを淹れさせる。

ロボットが持ってきたココアを飲みながら、少し考える。

この時代の地球が怖い、か。

散々弱肉強食と言いながら、実際には金持ちに都合が良い独占主義を標榜してきた人間だ。

それは社会を弱体化させ。

そればかりか自分もろとも貴重な生物の星である地球を滅ぼしかけた。

そんな愚鈍な生物にあわせるためには。

現実のもっとも重要な部分だけではなく。

もう少し何かこう。

興味を惹いてやるような工夫が必要になるという事だろうか。

私は古代生物が好きだ。

何度も言うがこの事実に変わりは無い。

あらゆる古代生物が好きだ。

だからエンシェントを経営している。

だが、その魅力を伝えるには。

妥協がいる。

それは分かっているが。

妥協の加減が良く分からない。

ため息をつくと、ならば何を好むのか、考えてみる。

可能性か。

そういえば、人間には無限の可能性がとか、寝言をほざく作品が好まれる傾向にあった事を思い出す。

人間には愛があって。

それは生物で人間だけが到達できたとか言う大嘘が喜ばれる傾向についても思い出す。

愛なんぞ単なる本能の変種。もしくは単なる勘違い。

絆がどうのこうのという話も聞く。

絆なんてものが嘘っぱちだったのは、太陽系に進出した人類が、直接触れあわなくても、もっとも平穏で安定した文明を構築している事からもよく分かる。

だが、それでも。

なんか人間にしかないものを、人間は欲しいのか。

そんなものはありはしないのに。

そもそも進化の頂点だとか、究極の進化の果てに誕生したとか。人類は異常な自画自賛をするし。

動物に対しても自分の価値観を投影する傾向がある。

犬に服を着せたり。

過剰な動物愛「誤」活動をしたり。

それらを脱却するのに、人類は本当に長い時間を必要とした。

それでもこの間のカルトを見るように。

人間は、己が「特別」な存在だと思い込みたいのだろうか。

AIに聞いてみる。

少し悩んだ後。

複数のAIが、ほぼ同じ言葉を返してきた。

「その認識は概ね間違っていないかと思われます。 実際問題、あらゆる宗教でも人間は特別視される傾向にあります。 良い意味でも悪い意味でも、ですが。 特に後代に作られた宗教にその傾向が強いことから考えても、思考停止した人間には、「お前は特別だ」という言葉は刺さるのでしょう」

「ふむ、故に進化の究極だとか、無限の可能性だとか、愛は人間だけが持っているだとか、絆がどうのこうのだとか、そういうのを喜ぶと」

「そういう事です」

「……なるほど、突破口が見えてきましたわ」

頷くと、私は動画の切り口を変える事にする。

AIはそれ以上。

何も言わなかった。

 

最初の視点は、隕石がドカドカ落ちる灼熱の海。

アミノ酸はあるがそれだけ。後は強酸性だったり、強アルカリだったり、地獄よりも地獄らしい場所。

これに関しては変えない。

変えるのはその先だ。

自己分裂で、どんどん増えていく古細菌。

その中に、違った者が出てくる。

だが、違った者が迫害されることは無い。

環境適応できなければただ死ぬ。

環境適応できれば生き延びる。

そして、環境は。

毎日のように激変する。

ここからが味噌だ。

激変する環境下では。

「これぞ究極」という形がない。

環境が日常茶飯事で激変するその場所は。

現在とは根本的に違う。

だから怖がられる。

しかしながら。

故に其処は。

実験場でもあるのだ。

環境が激変し。ばたばたと倒れていく古細菌達。

だが違った者の中に。

その環境に適応するものが出てくる。

出てこなかったとしても。

他の古細菌の中には出てくる。

生体サイクルを極限まで短くし。

環境の変化に対応出来るようにしているからだ。

環境の変化に対応することを全力で模索した結果。

変異が簡単に起きるようにし。

そしてその変異した者は。

決して異物ではなく。

希望となる。

そう、可能性だ。

人間が大好きな奴である。

可能性となった変異は、仲間達の屍を喰らい、どんどん己を増やしていき、今度は主流に躍り出る。

例え隕石に焼き尽くされようと。

例え理不尽な環境激変が日常茶飯事で起きようと。

それに変わりは無い。

場合によっては本来ならすぐ死ぬような変異体が。

激変した環境下での生存の切り札となる。

そんな時代が何十億年も続き。

やがて最高傑作とも言える。

テラフォーミング生物。

ラン藻が出現する。

その結果、酸素が地球に満ちていく。

古細菌達の努力は。

無駄では無かったのだ。

この方向性ならどうだ。

私は、動画を送り出す。

編集はしていない。

兎に角、変異したものがどんどんメインストリームとして生き残っていくこと。

そして酸素を産み出す生物へとバトンタッチしたこと。

これを主軸に書いていく。

人間が大好きな可能性を主軸に据えた内容で。

これ自体は何一つ間違っていない。

で、これを動画として流す。

評判を見る。

今度は。

今度こそどうだ。

ざっと見る限り、最初は静かな反応だった。

だが、徐々にコメントが増えていく。

「こんなに激しく入れ替わりが起きていたのか」

「何しろ灼熱のスープ状態で、隕石がドカドカ落ちてたんだぜ。 これくらいの対応能力がないと、とてもじゃないと……」

「現在でも、海底の熱水噴出口なんかに古細菌は普通にいるからな」

「ふえー、すげえな」

始めて褒める言葉が出た。

というか、偉大な先祖に対して褒めるというのもおかしな話ではあるのだが。

いずれにしても。

今までとは違う反応が、始めて出てきた。

情報を集める。

動画が拡散されていく。

「ちょっと方向性を変えてきたな。 異物として扱われるんじゃ無くて、異物こそが可能性になっていくのか……」

「一時期の地球人類とは大違いだわ。 一部の人間が作った変なルールが蔓延して、それが絶対正義になって、異物には人権が無かったんだろ」

「この時代も、異物に人権があったわけじゃないぞ。 ただ安定していないから、異物が天下を取る可能性が高かった、ってだけだ。 そしてどんどん異物を作り出していかないと、安定していないから、そもそも生物が存続していけないってだけでな」

「それで、酸素を作り出す生物が登場するまでもたせたんだな……」

その通りだ。

とはいっても、古細菌にとって酸素を作り出す生物は文字通り毒ガス発生装置にも等しい。

現在でも古細菌は酸素がある場所を避けるように。

この環境適応は、あまりにも劇的すぎた。

逆に言うと。

地球の環境をひっくり返すほどの生物が出現するくらい。

過酷な環境適応合戦が繰り広げられていた、という事でもある。

進化ではない。

実際問題、酸素を産み出す生物の出現によって。

古細菌は文字通り鏖殺されたからだ。

環境適応の結果、変異種が現れ。

それがたまたま毒ガスをばらまきはじめ。

その毒ガスが、環境に対してのメインストリームになった。

それだけだ。

そもそも酸素で呼吸する生物だけでは無いだろうというのは昔から言われていて。

他の惑星で生物が見つかった場合は。

別の方法で呼吸し。

生命維持をしているのでは無いかと言う話は、いくらでもある。

現時点で、太陽系内では残念ながら生物は見つかっていないのだけれども。

もし酸素呼吸しない生物が見つかった場合。

青い地球を恐怖の目で見るのでは無いか、という話もある。

ピーコックランディングはどうか。

此方は予想通りというか。

あまり反応は変わらない。

「生物の環境適応に対する可能性の描写を強調してきたか。 確かにこの方が一般的には分かり易いな」

「動画作った奴は並々ならぬ古代生物愛の持ち主だが、ある意味尊敬するよ」

「それで、どう思う?」

「いや別に。 分かりきったことだし」

まあ学者から。

専門家から見ればそうだろう。

進化という言葉自体がそもそも問題の塊で。

「優れた者が生き残る」という思想を作り出しがちだ。

だから今世界を支配している者は優れていると。

無能な支配者達の自己正当化にも使われてきた。

実際には違う。

生物は環境適応しているだけであって。

環境が変われば、「最強の戦闘力」をもった生物から真っ先に滅びていく。

これは生物の歴史上。

一度も変わった事がない事実だ。

つまるところ、進化という言葉自体が間違っている。

環境により適応した方が生き延びる、というのが正しく。

それに優れているも強いも関係無い。

どんなに戦闘力が高かろうが関係無い。

これを勘違いした輩が。

進化という言葉を都合よく使ってきたのが人類の歴史で。

それ故に。

本来起きて来た環境適応は隅に追いやられた。

そもそも、である。

環境適応自体も万年単位でゆっくり行われていくのが自然界の習わしであり。

一代で何かを為したような個体は、別に「優れている」訳でも無い。

実際人間は。

地球を丸ごと潰しかけたのだから。

優れた生物などでは無いのである。

いずれにしても、前よりは手応えもある。

このタイミングで、CMも作るとする。

なお、論文に沿った古細菌については、すぐに出来た。

生物としてはとても単純なので。

モデル化するのも簡単だし。

シミュレーションで動かすのも難しくない。

また生存環境を再現するのも同じ。

何しろ多様性がそもそも存在せず。

多数の変異体を作り出しながら。

環境適応できるモノだけが生きている世界。

其処には主流も何もなく。

激変する環境の中で。

ひたすら適応できる個体を作り出していくだけの世界。

再現は難しくない。

そして本来の意味での。

進化というのも。

これなのだろう。

安易に進化という言葉を口にする人間には。

良い薬になる筈である。

いずれにしても。

これにて準備は整ったと言える。

古細菌だからといって。

客が来ないという迷妄は私が打ち払わなければならない。見所がないなら見所にすればいい。

客商売だから客に媚を売らなければならないというのは。

本来なら忌むべき事だが。

いつの間にかそれが当たり前になってしまっていた。

その当たり前も。

私が吹き払ってくれる。

会議に掛け。

CMを流す許可も得る。

そして、私は。

約束通り。

これで思った通り客を集められなければ。

社長を辞するつもりで。仕事に取りかかった。

 

2、本来の意味での弱肉強食

 

思えば人間は。

多くの言葉を自分の都合に良いものとして使い倒して来た。

弱肉強食。

これは金を持っている人間が暴虐を働くために。

或いは腕力が強い人間が暴虐を働くために。

自然の世界でもそうだと。

実際には違う。

自然の世界では、頂点捕食者は安楽に暮らしているかというとそんな事はない。

例えばライオンだが。

群れのリーダーのオスは常に他のオスに地位を脅かされており。

年を取ってくると、あっという間に他の若いオスに叩き潰され。

後はのたれ死にすることになる。

そしてこの若いオスは。

前のオスの子供を皆殺しにする。

この習性はライオンだけではなく。

哺乳類全般に見られ。

猿の仲間にもやる奴がいる。

猫なども行う。

理由は簡単で。

子供を殺せばメスは発情する。

手っ取り早く自分の子孫を残すには。

それが一番速いからである。

動物がそうしているのだから。

人間もそうして良い。

そういう理屈で。

弱肉強食と言う言葉を。

腕力が強かったり。金を持っている人間は。

自己正当化のために使って来た。

だが人間という生物が他の生物から支配権を奪取したのは。

生物としてのリソースを全て使うようになったから。

弱肉強食の理が。

人間を強くしたのでは断じてない。

実態は全くの逆で。

弱肉強食の理を上手く押さえ込む事が出来た文明こそが。

リソースを上手く使いこなし。

そして発展した。

コレを理解していない権力者の国家は。

短期的に繁栄しているように見えても。

長期的には廻りを丸ごと巻き込んで、全てを崩壊させていく。

進化という言葉も同じである。

人間ごときが進化の頂点にいるはずが無い事など、生物の歴史を少しでも囓ればすぐに分かる事だし。

ましてや人間だけが特権的に持っているものなどない。

やっと「知的生物」に相応しい状態になる事が出来た今も。

偶然作り出せた高性能で人間に逆らう事がないAIのサポートによるものがとても大きく。

コレが無ければ、人間は宇宙でも好き勝手な理由を振りかざして地球時代と同レベルの奇行を繰り返し。

挙げ句の果てに、異文明と接触しようものなら。

その文明に対して、三流SF映画に登場した邪悪なクリーチャーでさえ目を背けるような行為を、嬉々として行っただろう。

北欧のヴァイキングや東洋の倭寇。

そして近代の海賊達が。

犠牲者に対して、嬉々として行ってきたことが。宇宙規模で拡大再生産されて実施された、と言う事だ。

私は。

この世界がAIに支配されたディストピアだとかいう人間の論説には賛成できない。

人間はこれくらい、しっかり管理されて。

やっと「知的生命体」になれたと言える。

実際問題、人間が作った法治国家の醜悪な現実は。

今から見れば、あまりにも身勝手なものだった。

現在は、ようやく推定無罪の原理が、画餅ではなくなったが。

昔は結局の所、金と権力を持っている人間が好き勝手をするために、推定無罪の原理は利用されていた。

現実問題として、邪悪の権化であったマフィアのボスは。

司法を買収し。

数百人を殺しておきながら。

毎度無罪になり。

そればかりか自分を捕らえた警官に復讐して警官も家族も虐殺しておきながら。

誰一人この鬼畜を止めることは出来なかった。

法は金と権力の前には無力だった。

それが現実だったのだ。

今。

人間は改めてその醜悪な歴史を思い出すためにも。

本当の意味での環境適応。

進化だと思い込んでいた変異の確保。

そして極限環境で生きる生物が。

どういう存在なのかを。

知る必要があるだろう。

私は、その願いを込めて。

だがストーリー性は排除して。

CMを作る。

そして、そのCMは。

あまり時間を掛けずに出来た。

古細菌に関する大規模アップデートをエンシェントで行う。

告知をした後。

これだけをいう。

「地球の歴史において、環境適応……今でも勘違いして使われている進化という言葉の、本来の意味である環境適応が最も激しく行われていた時代の存在、古細菌。 苛烈な環境適応の現場を見に行きましょう」

CMの内容は、こうだ。

隕石が落ち続ける煮立った海。

その中で、必死に変異を続けながら、命のバトンをつなげていく古細菌達。

上手く行ったものはどんどん増やせ。

環境適応できるかも知れないから、変異もどんどん起こせ。

上手く行ったら何でも良い。

変異した者もどんどん増えよ。

これこそが。

環境適応だ。

それだけの内容である。

CMの内容は極めて完結。

見に行くプランにしても。

設定を弄って、古細菌と同レベルのサイズになり。

他のプランでも使っている車に乗って。

煮立った海に入り。

多様性を確保しようと必死になっている古細菌達を見に行く。

それだけのものである。

ホンモノの弱肉強食というのはこういうものだ。

強さなど何の役にも立たない。

数も。

金も。

そんなものは使い物にもならない。

何しろ降り注ぐ隕石。

灼熱の海。

酸にアルカリ。

極限の環境。

何かを奪ったから、それがどうだ。

すぐに死ぬのは皆同じだ。奪うだけ、力を使う。そして多少増えたところで、隕石がドカドカ落ちている状況。

すぐ死ぬ。

そんな中で生きて行くには。

文字通り即座に変わっていく環境に対して。

生物としてその都度適応していくしかない。そして、その適応は、必ずしも戦闘力を上げることではないのだ。

大いに勘違いされているこの現実を。

このツアーでは見られる。

CMにはその思いを込めた。

後は思いが通じさえすれば。

まああまり期待はしていないが。

CMが流れると。

SNSでは話題になる。

最近のエンシェントでは、白亜紀やジュラ紀でのアップデートが多かったが。一気に古細菌に戻った。

それもあるが。

古細菌の展示なんて、誰も来ないものに力を入れる。

それが逆に話題になった。

「前に古細菌の過酷な世界をエンシェントで撮影してきた動画が話題になっただろ。 アレで気をよくしたのかな、エンシェントの社長」

「どうだろうな。 いずれにしても、アップデートをかけるなら、良い機会だからリアル地獄を見に行くのもありかもな。 多少は取っつきやすくしてくれているかも知れないし」

「とっつきやすくといってもなあ。 本当に煮立った海の中で、細菌がいるだけだぞ……」

「まあ楽しく見られるように、工夫くらいはしてくれるんだろう」

あまり通じているようには見えない。

まあ愛情を注いだものが。

相手を感心させるかは、まったく別の話だ。

それは私も分かっている。

だから何も言わない。

ただ。そうだろうなと思うだけだ。

続けて、ピーコックランディングも見る。

「お、今回は古細菌と同サイズにまで縮んで、更に車に乗って灼熱の海を見て回るツアーになっているみたいだぞ」

「そんなプランがあるのか。 面白そうだな」

「行って見るか。 嫌気性細菌が主流だった時代は、今の多細胞生物が主流の時代よりもずっとずっと長く続いている。 そういう意味では、地球にとってはその時代の方が普通だったのだしな」

此方はむしろ好評か。

まあいい。

ともかく、CMの第二弾も作る。

此方に関しては、もっとあっさり目で流す。

灼熱地獄の環境をより強調し。

そこで生きるためには。

それを見に行こう。

真の環境適応が其処にある、と。

それだけでいい。

私のCMはストーリー性が相手に対して訴えかけるものがない、という点でどうしようもないものであったし。

それはAIに指摘されなくても分かっている。

あらゆるSNSでの反応からも。

一般客からは滑稽に見えてしまうことも理解している。

だからCMは出来るだけ簡素にする。

むしろ、その後に。

別名義で、ストーリー性の強い動画を出せば良い。

CMとは別に。

エンシェントではこんなものもやりようによっては見られる。

そういうツールとしての側面を強調したものを見せる事によって。

私や。

社員達が作ったものに。

より大きな価値が出てくる。

それでいい。

会議を行い。

現状の状態を確認。

アップデートは何時でも出来る。

古細菌は何しろ単純な構造をした生物だ。

そもそも環境は既に作られているし。

其処に新しく発見された古細菌を混ぜるくらいなんでもない。

うちの優秀なスタッフなら。

簡単な事だ。

とはいっても、今の時代は適性を発掘され。催眠学習で適正に応じた能力開発が極限まで行われるので。みんな優秀なのだが。

「それでは、三日後にアップデートで。 それまでに、可能な限りのデバッグを行ってくださいまし」

「わかりましたですニャー」

「それにしても、不安です。 本当に客は来るのでしょうか」

「……」

そんな事は。

私の方が聞きたい。

でも、客がこなかったとしても。

古細菌の展示は止めない。

何しろ、極限環境における適応の展示としては、これ以上無い程のものだからだ。

彼らの努力が無ければ。

酸素を産み出す生物も出現しなかった。

そう考えると、人類にとっての大恩人である。

「いずれにしても、今回の展示で赤字を出すようなことがあれば、私は退社しますわ」

「……」

皆が黙り込む。

私が本気だと言う事を悟ったからだろう。

もう後に引くつもりは無い。

これは私に取って最後の妥協点。

媚態を客に尽くして売り上げを伸ばすつもりなんぞない。

今の時代は昔とは違う。

客ときちんとやっていく事は良いだろう。

だが、殿様商売をしたり。

逆に客を神として扱ったり。

そんな旧時代の悪しき風習は断たなければならないのだ。

勿論社長に関しても同じ。

社長は絶対者でも何でも無い。

給金を分配するための最高責任者であって。

命の重さは他の社員達と同じ。

そんな当たり前の事さえ分かっていなかったのが、地球時代の人間というどうしようもないクズの集団であって。

それらと私は同じになるつもりはない。

だからこそに私は。

今回で勝負を付けるつもりだ。

 

アップデートの日が来た。

とはいっても、仮想空間の動物園である。

社員がその日に限って特別忙しくなるわけではない。

ただログを確認しながら。

問題が起きたら対処する。

それだけである。

昔はサーバの大規模メンテナンスなどが入ると、提供しているアプリも停止するのが当たり前だったが。

今の時代はアプリを動かしながら同時にメンテナンスを行い。

プログラムを書き換えることも難しくは無い。

昔はキャッシュなどが悪さをする事もあったのだが。

今はそれらの問題も解決されている。

自室で。

私はココアを淹れさせて。

ココアを楽しみながら。

状況の推移をAIに報告させていた。

「想定よりも客は入っているようです」

「想定って、どの程度を最初予想していたんですの」

「赤字を」

「ほう」

流石に歯に衣着せない言い方だ。

だが、だからこそAIには存在意義がある。

此奴らは最初から、私が社長を退任すると考えていたと言う事なのだろう。だが予測は外れた。

あくまでAIは高度なサポートを行うものである。

客観的な意見を出し。

専門知識がある場合はそれも出す。

だが一方で。

完璧な未来予知が出来る訳ではない。

犯罪などに関しては、人間がやりそうなことをあらかた把握しているので、事前に手を回して防止する、くらいの事はしてくれるのだが。

それはそれ、これはこれ。

AIは万能の予想ツールではなく。

あくまで人間というダメ生物の補助をするために存在するもの。

故に今回の結果を予想できなかったとしても。

価値はいささかも揺るがない。

次のココアをロボットに頼むと。

私はぼんやりと、じわじわ伸びていくアクセスを見る。

今まで誰にも見向きもされなかった先カンブリア紀のアクセスが。

白亜紀やジュラ紀ほどではないにしても。

着実に伸びている。

今回のオススメプランは幾つか用意しているが。

いずれもが、古細菌と同レベルのサイズまで縮小して。

その苛烈な環境適応の世界を体験しよう、というものだ。

進化という言葉はそもそも適切ではない。

それについても、きちんと理解して貰いたい。

それが故に。

今回のツアーでは。

古細菌と同レベルにまで小型化して。

その世界を、同じ目線で味わって貰いたい。

それが私の願いである。

勿論通じない可能性も高いが。

願うだけなら自由だろう。

程なく、SNSに感想が上がり始める。

「文字通りの地獄ツアーだった。 海の色もおかしいし、周囲は巨大細菌だらけ。 しかもそれが仁義無き殺し合いを続けてるんだぜ」

「SAN値直葬とはこのことだ」

「おっそろしい世界だな……」

「で、それがみんな大好きな弱肉強食って奴じゃ無いのか?」

すっと、フォローが入る。

黙り込む連中。

今の時代も。

弱肉強食原理主義者は存在している。

弱肉強食が国を強くするとか。

そういう寝言をほざく阿呆がいるのだ。

その手の連中には。

現実を見せるのが一番だろう。

そして皮肉な事に。

現実では、弱肉強食が実施されると。

別に戦闘力が高い生物が生き残るわけでもないのである。

人間はこれを否定した。

だが否定しきれなかった。

そしてAIというものの手を借りて。

やっとのことで、宇宙に出たころに知的生命体になる事が出来た。

AIの助けが無ければ知的生命体になれなかったのだから。ある意味半人前の知的生命体である。

だからこそに。

現実を知る必要があるのだ。

「この海の温度、100℃超えてるんだろ。 なんでこんな状態で生物が生存できるんだよ……」

「今も海底にある熱水噴出口は、軽く100℃超えてる海水の中に、この手の細菌がいるんだぜ。 しかも強酸性だったり強アルカリだったりな」

「マジかよ……」

「正気じゃないと思うだろ? そんな時代から、酸素を出す生物が地球を造り変えて、時間を掛けてゆっくり今の環境が出来たんだよ」

おののきの声。

彼らは思い知ったのだろう。

紛争地帯やら。

スラムやらで。

地獄と言う言葉が安易に使われているが。

そんなものは天国だったという事を。

今の時代、もう紛争地帯はないし。

スラムも存在しない。

だが、それらの過去の負の遺産については、誰もが知っている。教育で叩き込まれる。人間の失敗の結果として。

だが、それでさえ生ぬるい事実が此処にある。

人間が大喜びする弱肉強食というものは。

実際にはこういうものなのだ。

「とりあえず気分悪くなってきた。 てか単純に怖い」

「下手なホラーコンテンツより怖いな。 でもこれが昔の地球の現実だったと思うとなあ」

「まあ、可能な限り現実に近づけた仮想世界だけどな。 大差はない、と思うぜ」

「ひーえー」

怖い者みたさ、なのだろうか。

これらの声が上がり始めると。

アクセス数が更に微増する。

いつものアップデートに比べると、ささやかだが。

しかし、普段は見向きもされない先カンブリア紀が。

こうもアクセス数を稼いでいるとは。

AIが予想を外すくらいだ。

私は驚くべきなのだろうか。

ココアの次を入れさせる。

しばらくは横になって休む。

どうせトラブルがあったらメールが着信する。

そうすると五月蠅いので分かるし。

分からなくてもロボットが私を起こす。

ここしばらく精神に掛かる負担が大きかった事もあるし。

多少休んでもばちはあたるまい。

あくびをしながら横になると。

しばし休む事にする。

疲れが溜まっていたからか、すぐに瞼が落ちて。

気がつくと、四時間ほど眠っていた。

起きだしてから、メールをチェック。

クリティカルなものは来ていない。

基本的に待機しているスタッフも自宅で交代しながら作業をしているし。

問題があった場合も、デバッグの大半は自動でプログラムがやってくれる。

人間が対処しなければならないような場合でも、仮想空間を稼働させたまま更新できるし。

急ぐ必要もない。

さて、SNSのログはどう推移している。

確認すると。

意外な方向に飛び火していた。

「これ見てから、人間の可能性がどうのこうの言ってる創作、今後まったく信用できなくなったわ。 此奴ら古細菌の方がよっぽど苛烈な環境で、可能性を模索してるじゃん」

「しかも隕石がドカドカ落ちてる中でだぜ」

「本当だよ。 しかも20億年くらい前に大規模な環境異変もあったんだろ。 隕石ドカドカ落ちてる状況で、環境異変って言えるくらいの奴が」

「恐ろしすぎて想像もしたくない」

何だかおかしい。

確かに可能性の模索というものについて、真剣に考えてくれ始めたのは良いが。

どいつもこいつも他人事だ。

しかもお化け屋敷か何かのように楽しんでいやがる。

今はホラーゲームでも、仮想空間ではリアルすぎるものではなく、むしろ古典的なお化け屋敷のようなものの方が流行りだが。

これは一時期リアルすぎるものが流行った結果。

刺激が強くなりすぎて。

一部の愛好家だけのコンテンツになってしまったからである。

その結果の回帰として。

今はホラーものは、むしろ過激すぎない描写のものが流行るようになっている。

故にか。

やはりというか何というか。

ホラー好きが、押し寄せている様子である。

「噂通りこえー(笑)。 しかも格安料金。 下手なホラーゲームよりずっといいぞこれ」

「車にバンって古細菌が貼り付いてきたとき、思わず変な声が上がったわ。 しかも露骨に此方を食おうとしてやがったし、殺意高い」

「これ、ホラーゲームとして出してくれないかな。 車無しで。 古細菌から逃げ切る感じで」

「TPSにしたらよくね? 古細菌撃ってサバイバル」

頭を抱える。

アクセスは順調に伸びている。

そして、生物が可能性を模索する事の過酷さについても。ある程度は伝わったつもりではある。

だが、その一方で。

私の意図した方向とは全く違う感触で。

アクセスが伸びている。

「エンシェントに連絡して、この仮想空間のコピー売ってくれないか頼んでみるわ。 地獄のステージとか、このまま使って古細菌と戦うゲームとか、いろいろ使えそう」

「彼処の社長気むずかしい事で有名だぞ……まあ蹴り出されないと良いけどな」

「でもこれ儲かるぜ」

「いや、CM見ろよ。 あの社長、多分可能性ってものの模索が如何に大変かを知って欲しいんだと思う。 それなのに、お化け屋敷とかホラーゲーム扱いしたいからデータ売れなんて言ったら、キレると思うぞ」

その通り。

残念そうに引き下がるアカウントを見て。

私はブロックしようかと思ったが、止める。

直接喧嘩を売ってきたわけでは無いし。

其処までする必要もないだろう。

嘆息。

私はSNSのチェックを一時中断。

外に出て。

クレープを食べにでも行く事にした。

護衛のロボットが。

不安そうに声を掛けてくる。

「やはり体調があまり良くないようです。 クレープなら買ってきましょうか」

「いや、結構」

「しかし」

「いいから」

この手のメイドロボットは、セクサロイドを兼ねているケースもある。うちで使っているのは、少し年上の女性に見えるタイプだ。

基本的に政府からロボットは支給され。

どんな貧乏な人間も、或いは働く事が出来なくても。

所有物のロボットが働く事で、最低限の暮らしは出来るようになっている。

だからこの世界では不満を口にする者はいない。

当たり前の話で、誰でも生活出来るのだから。

仕事にしても、適正に応じて簡単に用意される。

昔と違って、面接などと言う謎の儀式を経る必要もない。

弱肉強食を取り違えていた頃の人類は。

こんなことにも気づけなかった。

適者生存を理解していなかった頃の人類は。

こんなことも分からなかった。

クレープを買うと。

家に戻る。

適当にクレープをもふもふ食べながら、ぼんやりする。

最終的な結果集計まで待とう。

そう思った。

何というか、リアルタイムで状況の推移を見ていると。

あまり精神衛生上良くないと感じたからである。

 

最終的な結論として。

黒字になった。

ただし、私の最初に想定した形では、ないが。

リアルなホラーゲームに飢えていたマニアが途中から殺到。

大喜びで何度もアクセスし。

充分に満足して帰って行ったのである。

思わず真顔になる私の顔色におののきながら。

社員が大まかな結果を口にする。

「満足度は高、ですが。 リピーターも獲得し、充分な黒字になったとはいえ……その……」

「責任は貴方にはありませんわ。 だからさっさと続きを」

「はい……」

アバターの中身に敵意は無いし。

罵るつもりは無い。

客の声を聞くのも社長のつとめだ。

やはり想定通りの内容だった。

怖い。

リアル地獄。

絶対に行きたくない。

そういう声がまず目立つ。

この怖いには。

それを楽しんでいる声も含まれている。

そして環境適応の過酷さ。

人間が進化だと思っているものの苛烈さ。

人間が弱肉強食だと考えているものの真実。

それらを楽しんだのは、ごく一部。

殆どはホラーゲームとして楽しむか。

もしくは怖い者見たさでアクセスしていた。

特にホラーゲーム勢は、設定を弄り。

灼熱の海の中で古細菌に追いかけ回される「ゲーム」を勝手に作り出し、楽しんでいるらしい。

今も相当な数の「ホラーゲーム勢」がアクセスしていて。

今まで誰も来なかった先カンブリア紀の仮想空間は。

ホラーゲーマーの天国とかしていた。

それを聞いている私が完全に無表情になっているのに気付いて、報告をしているアバターが絶句するが。

私は責めない。

報告している者に責任などないからだ。

AIがさらりと口を挟む。

「黒字になったのだから、結果は享受すべきです。 社長としての役割を果たすべきでしょう」

「……分かりましたわ。 みなさん、良くやってくれました。 今回も売り上げは上々ですし、ボーナスは配布します。 そして私は黒字にもなりましたし、社長を続行しますわ」

「……」

「では会議解散」

仮想空間から出る。

私は思わず全力で壁を蹴り。

そして痛くて悶絶していた。

この時代の壁は、宇宙コロニーの一部と言う事もあり、非常に頑強である。

私が蹴ったくらいでどうにかなるわけがない。

ロボットが無言で救急セットを出してくるが。

不要と手で示し。

大きくため息をつくとソファに横になる。

今回は稼げた。そういう意味では勝ちだ。ある意味誰も予想していなかっただろう。黒字になると。

勿論稼いだからと言って、それを社員に還元しなければ。

それは自分の足を食う蛸と同じ。

優れた生物である頭足類だが、どうしてか自分の足を食うという謎の行動に出ることがあり。

足は消化もされず。

欠損分の足は再生もしない。

それと同じだ。

軟体動物屈指の高い知能を持つ蛸がどうしてそんな事をするのかは分からないが。いずれにしても真似をするつもりはないし。

私も社長としてのつとめはきっちり果たすつもりだ。

だが、今はしばらく。

拳をソファに叩き付け。

無言でいたい。

工夫に工夫を重ねて。

無理だと社員達が諦める中。

死んでいたコンテンツを復活はさせた。

いや、最初から死んでいたのだから、ようやく起き上がらせた、というべきなのだろうか。

いずれにしても、古細菌と先カンブリア紀は今後、他の時代と同様に客足を稼いでくれるコンテンツになるし。

リピーターも増えるだろう。

だがそれは。

私の意図した形では無い。

実際問題、今もログに記録されているという。

完全にホラーゲームの代用として扱われていると。

ネットブログなどからも、取材が来ているそうで。

私は対応しない。

面倒くさいので、広報にやらせてはいるが。

やはり「ホラーゲームとしての完成度の高さ」「雰囲気の怖さが凄い」「この怖さを作るためにした拘りとは」とかを聞かれているらしく。

いずれも私に聞かせたら逆鱗フルスイングと同じだろうと判断して。

その場で応じた後。

AIを通して、私に結果だけ話しているそうだ。

それで別にかまわないが。

いずれにしても、どうしてこうなったのか。

大きな溜息が漏れる。

最初の内に。

もうこれはあかんと判断し。

さっさとSNSでのログを見るのを止めたのは正解だった。

ずっと見続けていたら。

きっとそのまま介入に入っていたか。

それとも公式アカウントでキレ散らかしていただろう。

敢えて相手の行動に対し。

黙って待つ事も必要だ。

ましてや私は多くの社員の生活を両肩に乗せている。

社長の適性持ちは珍しい。

勿論今の時代。

会社が潰れても、社員達は別の場所で暮らしていける。

だが、それでも。

私の会社が良いと、入ってくれたのだ。

そんな社員達のためにも。

私がエゴでキレ散らかして。

炎上を引き起こすわけにはいかないのだ。

しばらくむくれてソファに溶けかかっていると。

ロボットが聞いてくる。

「クレープを作りましょうか」

「いや、パンケーキ」

「分かりました」

「……」

パンケーキか。

一時期を境に、バターと蜂蜜という定番が。

山盛りのクリームを載せるという定番に切り替わっていった食べ物。

確か21世紀くらいからだったという話だが。

いずれにしても、現在はありあまる資源もあって。

カロリー計算がとても難しい食べ物として、敬遠されがちである。

昔はまずいクリームを量だけ載せるようなケースもあったようだが。

今は良質のクリームをたっぷり使い。

相応においしく仕上がっている。

実はクレープの方がさっさと食べられるから好きなのだけれども。

パンケーキもまた、良いだろう。

ましてや、こんな日は。

ほどなく、三枚のパンケーキに、クリームをたっぷり載せたのが出てくる。

勿論食べ残すつもりはない。

やけ食いである。

ムシャムシャしていると。

メールが届く。

重要度高のメールはメロディが鳴るようにしているから。

大したものではあるまい。

なおスパムは今の時代。

出す事自体が犯罪で。

出せば間違いなく捕まるので。

殆ど流通していない。

昔はメールというものを潰し掛ける程、大量のスパムが飛び交っていたらしいが。

今はそんな事もないのである。

なおメールの内容だが。

今回の古細菌の論文を書いた博士からだった。

とても興奮した。

まさか先カンブリア紀の、地獄の海を此処まで再現し。

古細菌と同じサイズで、その環境を体験できるとは思わなかった。

今後も論文を書いたら、是非エンシェントに持ち込みたい。

その時はよろしく頼む。

そんな内容だった。

適当に返礼を書くと。

私はパンケーキを黙々と食べる。

量が多すぎるので作業に近いし。

途中から苦行になってくるが。

それが目的なのだから、別にかまわない。

やけ食いとは。

そういうものである。

しばしして。

クリームをガン盛りしたパンケーキが綺麗さっぱり消える。

消化剤を渡されたので、頷いて飲む。

この消化剤は、カロリー吸収も阻害し。

更に既に脂肪になっているカロリーも無理矢理燃焼させる効果がある。

肥満が社会問題になった時期があったが。

それもこれらの肥満解消薬で解決していった。

勿論専門の処方箋が必要だが。

今の時代は、各家庭に配備されているロボットが、全てこなせる。

勿論人間の医者でも良いが。

その医者も、ロボットやAIを活用し。

適切な薬を処方しているくらいなので。

差はあまりない。

薬を飲んだ後は、医療用カプセルで代謝などを調整し。太らないようにする。

肥満や過度の痩せが問題を起こすことは古くから分かっていたし。

現在では、自分の趣味で太る人を除くと。

基本的に適切な体重が維持されるように、家庭で勝手に調整が行われるようになっている。

今、私がやけ食いをする事をAIもロボットも止めなかったが。

その後は処置はする。

そういう事である。

私もその処置を、非とするつもりはない。

ロボットとしても、私がストレス発散のためにやけ食いしているのは分かっていただろうし。

それを自分の動かせる資産の範囲内でやっていた事も理解している。

だから、それについて何か言う事も無かった。

しばらく眠って。

起きだす。

SNSは、相変わらずエンシェントでのホラーゲーム開催についての話題が飛び交いまくっていた。

完全にコミュニティが作られ。

重度のホラーゲーマー達が。

どういう設定にすれば寄りホラーを楽しめるか。

真剣に考えている。

いずれも興味が無いので、そういうブームになっている事だけを把握できれば良い。

あれほど、「金にならないからいっそのこと無くせ」と言っていたAIも。

今はそういう事は無かった。

此方も、非常に頭には来るものの。

楽しみ方にけちをつけるつもりは無い。

ただし、私が何を感じ取って欲しいと思って作ったのか。

それを侮辱するようならキレる。

それだけである。

一旦AIに、黒字の予想額を算出させる。

相当数のホラーマニアが、繰り返しログインしているようで。

今回の稼ぎは、恐竜のアップデートを行った時と大差が無い程だそうだ。

ネットブログなどでも話題になっており。

エンシェントで恐怖体験をとか。

巨大細菌に地獄のような海で追いかけ回される原初の恐怖を体験してみようとか。

そんな記事が乱立しているようだった。

それがまた更なる売り上げを作り出し。

ボーナスとしても。

相応の金額を支給することができそうである。

でも、さっぱり嬉しくないのは。

どうしてなのだろう。

私と周囲の感覚がずれているから、だろうか。

そういえば。

古い時代は、感覚が周囲とずれていることは悪だとされ。

無理矢理矯正を要求されることがあった、と聞いている。

酷い場合は、左利きを右利きに矯正するような事まで行われていたらしく。

それで性格がねじ曲がったケースまであったとか。

今は、そんな事は勿論ないのだが。

しかしながら、違法にならない範囲内でのSNSで人間の行動を見ていると。

やっぱり、感性が違うだけで苦労する、というのはあるのだなと、思い知らされてしまう。

そして今後も。

同じようにして苦しめられるのは。

確定だろうとも。

私は感じる。

どうして周囲にあわせなければならないのか。

それは勿論、人肉を食いたいとか、人を殺したいとか、クリティカルな欲求を他人に直接ぶつけるのはアウトだ。

だが私の感性の違いは。

そういったクリティカルなものとは違っている。

阻害される謂われはない。

少し熱が出ていると言われたので。

横になって休む。

この間から、随分と体が弱くなっている気がする。

一応きちんとその度に処置はしてくれているのだが。

最悪、専門の病院に行くことを勧められるかも知れない。

ストレスの解消が難しい。

そう、ずばりAIにも言われている。

眠っている間などにもストレス解消のためのプログラムを動かしているらしいのだが。

ため込むストレスの量が、解消できる量を上回っているらしく。

どうしても消しきれないのが現実のようだ。

社長をしばらく休むか。

いや、勿論社長を辞めるわけでは無く。

休暇を取るか、と言う意味だが。

しかしながら、エンシェントは私が社長として音頭を取り。

此処まで大きくしてきた仮想動物園だ。

私が休むわけには行かない。

ましてや昔と違って。

今は自宅から一歩も出ずに仕事をできるし。

通勤の苦労というのもない。

会議や他人と会うのも、基本仮想空間で行えるため。

時間という点でもコストも掛からない。

だから、休日は、気がつくとまったく取らずに過ごしている、と言う事もままある。

そういう場合はAIに警告され。

無理矢理休まされるのだが。

そして今回。

とうとうAIが、それを宣告してきた。

「ストレスが危険域に到達しています。 会社側と此方が連絡するので、三日ほどの休みを入れましょう。 その間外部との情報を遮断、特に会社関連の情報を遮断した上で、カプセルで休眠していただきます」

「……そうしないと体が危ないと」

「その通りです」

「……ちっ」

此奴が嘘をつくことはあり得ない。

だから、本当に私の体に悪影響が出ると判断しているのだろう。

会議にはせめて私も出ると言ったが。

それも考えなくて良いと断られた。

もうならばいいか。

何もかも忘れて。

言われた通り、最低三日休む事にする。私としても、それで別にかまわない。ちょっと確かに、ストレスでおかしくなっているとは感じていた。

そして分かる。

三日休んだところで。

ため込んだストレスは一旦解消できるかも知れないが。

その後またたまっていくストレスは。

どうにもならないという事くらいは。

休眠剤を飲んだ後。

カプセルに入る。

目が覚めた後。

状況が好転している可能性は無に等しい。

それでも、今のストレスを解消すれば。

多少は動きやすくなる筈だ。

私は何がしたかったのだろう。

ぼんやりと夢うつつの中で思う。

好きなものをCMで表現すれば笑われる。

好きなものをエンシェントで表現すれば、どれだけクオリティを上げても頓珍漢な楽しみ方をされる。

どれだけいっても人間同士でさえ、AIの補助が無ければ相容れないし。

昔は相容れない相手を殺しても一向に構わないと言う思想がまかり通ってもいた。

今でなければ。

私は殺されただろうし。

私が殺された方が悪いとされて。私を殺した者達は無罪放免だっただろう。

気持ち悪いとか頭がおかしいとか。

そういう罵声も当たり前のように浴びせられ。

罵声を浴びせた人間も。

無罪放免だっただろう。

地球時代に生まれていたらそうだった。

今でさえこんな目に会っているのだ。

私は、何か凶星か何かの下に生まれでもしたのだろうか。

あまり、そういう事は。

考えたくは無かった。

 

4、苦い勝利の末

 

三日の休眠の後。

仕事に出る。

古い時代は、有給を取るとそれだけで暴力を振るわれたり、退職を勧められたりするケースがあったらしいが。

今はそのような事は無いし。

社長が休むことも当たり前だ。

職種によっては、親の死に際に会えないのは当たり前、などという言い方さえもあったらしい。

とはいっても、今の時代は子供の頃から自立して生活するのが当たり前で。

親とはそもそもあった事がない人間の方が多い。

私も親の顔は知らないし。

会おうとも思わない。

そういうものだ。

起きだしてから、しばらくぼんやりしている内に。ロボットが身繕いの類を全て終えてくれる。

朝食を取った後。

メールをチェック。

特に難しいメールは来ていないようだった。

幾つかのメールに返信をした後。

会議に出る。

今回の私の休暇に伴って、休暇を取った社員は多いらしい。それぞれ交代で休暇を取った様子だ。

とはいっても、今の時代の労働は、地球時代と比較にならないほど負担も小さいし。

休暇も取りやすい。

だから特別、休みをたくさん取って、この機会に何かをする、と言うわけでも無く。

気分転換のつもりで休暇を取って貰って此方としてもかまわない。

そしてもちろんだが。

休暇を取ったからといって評価を落としたり。

叱責するような愚行はしない。

ただ、私は機嫌がまだ悪い。

ストレスを取り切れる訳がないのも。

対処療法に過ぎないのも。

分かりきってはいたが。

「今回の黒字で、皆には充分なボーナスを支払うことが出来たかと思いますわ。 次のアップデートについては、論文を精査してから通達いたしますので、それまではデバッグとシミュレーションの精査を続けてくださいまし」

「分かりましたですニャー」

「それでなのですが……」

社員の一人が意見を言い出す。

まあ別にそれはどうでも良いが。

問題はその内容だった。

「1000万年前前後の動物を扱ってはどうでしょうか……」

「ダメですわ」

「どうしてまた……」

「そんな最近の生物なんぞ、扱っても私が面白くないからですわ」

古代生物に触れていると。

1000万年なんてごく最近である。

人類の先祖が500万年前とか800万年前とかに誕生したとして。

そんなものは新参も新参。

環境の洗礼にもロクに晒されておらず。

生物としては本来評価にさえ値しない存在だ。

そもそもホモサピエンス自体がそうであり。

霊長類(笑)を含む類人猿でさえそうなのだ。

哺乳類が、恐竜が滅びたことによって生じたニッチに運良く入り込めなかったら、地球の生物の歴史は大きく変わっていた可能性が高いし。

何より哺乳類が、発展したのがごく最近の事なので。

生物としては極めて私としても評価が低い。

だいたい人間の無能ぶりを見る限り。

哺乳類と言う生物種そのものが駄目だと言う結論が私の中では強くある。

そんなモンを。

「進化の究極」だとか言って、展示するとか。

ぶっちゃけ吐き気がする。

ナルシズムの極みで。

ものには限度があるという言葉の見本だろう。

自分を好きになる事はまあ結構だが。

それも度を超すと害になる。

明らかに度を超している例なので。

私は害になると思って手を出さない。

それだけの話だ。

「しかし、稼ぎにはなるかと……」

「私の想定した範囲ではなかったとはいえ、古細菌ですら稼ぎにはなりましたわよ。 今後は、想定する範囲に入れつつ、今まで稼げていなかった時代、生物で、稼げるように力をつけていくのが建設的ですわ」

それだけで、私は以降の意見を封じた。

三日で何か面白い論文が見つかったかと聞くが。

それについては、誰も何も言わない。

そうか。

ならば此方で探すか。

「それでは、通常業務を。 体調に問題が出たら、即座にAIの指示に従い、適切な処置を受けるように。 会議終了」

AIにジャッジを掛けさせ。

さっさと会議を終える。

そして私は。

最近の古代生物に関する論文を大量に取り寄せ。

目を通し始めた。

「次は何の生物にするつもりですか?」

「良いものがあったらなんでも。 まあ白亜紀以降を取り扱うことは恐らく無いかと思いますけれども」

「意図的な排除を感じますが」

「別に、そんなもんどこの仮想動物園でも取り扱っているから、ですわ」

恐竜の猿まねをしながら環境適応した哺乳類なんぞ。

面白くも何ともない。

結局猿まねにも失敗し。

恐竜とは比較にならないほど小型の種ばかりが海棲種以外では生き残り。

その生物としての限界を、たった6500万年で早くも露呈している。

面白そうな論文、と言いながらも。

私は1000万年前より最近の生物に関する論文は、意図的に排除していた。

哺乳類以外で面白いのがあったら取りあげるが。

そうでなければ取りあげない。

色々と頭に来ているし。

精神衛生上良くないからだ。

この間のカルトのような連中とも関わり合いにはなりたくないし。

何より進化の究極なんて言葉そのものが。

カルトそのものだと私には思えている。

面白そうな論文を七つにまで絞り込み。

そこから更に絞り込みを開始する。

次もまた。

現在は客を呼べていない古代生物を題材にアップデートを行いたい。

私は守りには入らない。

自分の考えのまま。

攻めるだけだ。

 

(続)