幸運の使徒
別に優れてもいないもの
哺乳類。
現在人類が含まれる生物のグループであり。
その先祖は、有名なディメトロドンが含まれる単弓類である。
単弓類はれっきとした爬虫類の仲間だ。
要するに、爬虫類は気持ち悪いなどと言っている輩は。
自分達の先祖は気持ち悪い生物だったと言っているのと同じなのである。
そして単弓類から様々に分化した結果。
哺乳類は白亜紀にはとっくにその姿を完成させていた。
そう。
恐竜と同程度の歴史を持っている存在なのである。
哺乳類というものは。
よくある勘違いだが。
哺乳類は脊椎動物の完成型で。
もっとも進化した存在である、というものがあるが。
大嘘である。
哺乳類なんぞ、恐竜と同レベルの歴史がありながら。
実際には歴史の表舞台に出る事も出来ず。
恐竜に怯えながら、物陰に隠れて生活していた程度の存在に過ぎない。
進化した生物などという言葉自体が間違いで。
進化という概念そのものがおかしい。
生物は、生活環境に合わせて「変化」していくものだ。
様々な環境に適応できる生物も存在しているが。
それはあくまでそれ。
結局の所、変化によって生物は環境に適応する。
環境に適応しすぎると、環境の変化が起きたときに対応出来ずに死ぬが。
しかしながら環境に適応を進めないと。
淘汰されてしまう。
難しい所だ。
いずれにしても。
古い時代の教科書では。
両生類、爬虫類と進化し。
そこから鳥類と哺乳類が出現した、みたいな書き方が為されているが。
それは正しい。ただし、出現したからといって、世界の支配者になった訳では無い。
爬虫類の一派として哺乳類が出現し。
その後は鳴かず飛ばずで恐竜に脅かされ続け。
世界の隅っこで細々と暮らしていた。
それが事実である。
進化の究極が聞いて呆れるが。
現実とはそういうものだ。
勿論大型種は白亜紀にもいたし。
腹の中から未消化の恐竜の子供が見つかっている、などというケースもあるようだが。
逆に言うと子供の恐竜くらいしか補食できなかった存在、というわけで。
大型肉食恐竜に襲われたらひとたまりも無かった。
そういうことである。
結局の所。
6500万年前の大絶滅で、環境に適応を果たしていた恐竜が壊滅。
そのニッチを埋めるべく。
哺乳類が環境の隙間を埋め始めた。
そういう事であって。
恐らくだが、6500万年前の大絶滅を恐竜が乗り切っていた場合。
哺乳類は今でも日陰者として、こそこそ隠れながら生活をしていた可能性が高い。
それどころか、6500万年前の大絶滅の時にも。
その後継者として、哺乳類が発展できた可能性なんて、そんなに高いとは私には思えない。
それこそ良く言われるように頭足類が台頭していた可能性もあるし。
爬虫類の中から恐竜とは別種の種族が台頭していた可能性も高い。
要するに。
別に哺乳類は「最も進化した脊椎動物」などでは断じてないし。
単に運が良いから地球上で現在発展しているに過ぎない。
更に言えば、最も地球上で発展している生物は昆虫類で。
その発展は哺乳類などとは比較にもならない。
「気持ち悪い」として馬鹿にしている昆虫の方が哺乳類よりも遙かに多様性を確保して、環境にも適応しているし。
同じく「気持ち悪い」として馬鹿にしている爬虫類の方が、余程生物としての完成度が高い。
更に言えば、人類は哺乳類の中でもっとも進化した生物などではない。
もっとも進化した生物だったら。
此処まで環境を荒らしに荒らし。
幸運が無ければ生き残れなかったなどと言う醜態をさらすことは無かった。
人類ほど。
よそから見て、滑稽な生物は存在しないだろう。
それが現実である。
私はそれを知っている。
私はココアを飲みながら。
論文を読んでいた。
哺乳類に関する論文ではあるのだが。
あまり好感は持てない。
一時期に流行った、「人間は万物の霊長」だとかいう噴飯モノの主張を、どうにかして正当化しようとしているもので。
如何に哺乳類が優れているか。
如何に霊長類が進んだ生物であるのかを書いているが。
この論文、学会で笑いものにされたらしい。
それも当然だろう。
客観性に著しく欠け。
内容は完全にカルトそのものである。
AIにも相当な駄目出しをされたらしいが。
周囲の失笑を振り切って無理矢理発表し。
大恥を掻いた筋金入りの代物だとか。
まあ、これが恥を掻く時代になった分だけ、マシだと言えるのかも知れない。
論文を読み終えると。
何も残らなかったなと、私はぼやく。
はっきりいってチラシの裏にでも書いた妄想作文でも読んだ方がまだ時間的に有意義だったかも知れない。
ちょっと古代生物に知識があるだけでも。
哺乳類なんぞ大した生物では無いと言う事が分かる。
例えば、変温動物と恒温動物を比べた場合。
恒温動物が全てにおいて勝っていると考える人がいるが。
この時点で既に間違っている。
恒温動物は、体温を自分で作り出す事が出来、その結果高い出力を得られるのだが。
その分燃費が著しく悪い。
例えば人間で言うと、一日二食から三食が必要な所を。
変温動物、例えば蛇ならば、一週間に一食で充分である。
厳しい環境下では変温動物の方が有利に生活しているのはそれが理由で。
実際恒温動物は、砂漠や深海では殆どニッチを変温動物に奪われている。
ましてや人類は。
エゴの暴走の元に。
地球もろとも全ての生物を滅ぼしかけておきながら。
万物の霊長を気取るという失笑ものの失態を犯した事実がある。
生物として環境のニッチに食い込むのは当たり前だが。
自分もろとも生活環境の全てを滅ぼそうとしたのなら、それは紛れもなく生物としては失敗作である。
知能が高いかというと、そんな事もない。
現在AIで補助がされるようになるまでは、人類史は歴史学者が呆れるような愚行の連続だったし。
愚行と分かっていながら愚行を続け。
過去の失敗に学ぶことさえせず。
現在だって、偶然上手く行ったからまだ存続できているに過ぎない。
そしてAIの補助を受けていながらも。
それでもなおまだ生物としてのいい加減さが表立っており。
未然に防止しなければ、際限なく自滅行動を行う。
排他的行動も凄まじく。
どんなSF映画に出てくる三流エイリアンよりも余程残忍で破滅的。
それが客観的に見た人間という生物であるのに。
今だ創作では無責任な人間賛歌がまかり通っている。
歪みきった自己愛の塊。
それが人類なのである。
現実としてそういう事がある。
くだらない論文だった。
呆れながら私は論文を放り捨てると、現実を見ながらあくびをする。
こと人類は、自分の事となると、「霊長類」などという噴飯モノの分類から一として、客観性を悉く放り捨てて自己愛の塊と化す。
だからエンシェントでは1000万年前までの生物しか扱わない。
実は古代人を扱って欲しいと言う希望が来たことがあるのだが。
今後も扱うつもりは無い。
少なくとも猿の仲間は扱うかも知れないが。
類人猿を大規模アップデートする気は無いし。
今後もその方針に変更は無い。
私は古代生物が好きだが。
だからこそに。
人類を敢えてこの古代生物の仮想動物園で扱うつもりは無いし。
美化されまくったその歴史を、敢えて客観性皆無で描写するつもりなんぞない。
そんなものは、別の仮想動物園や、歴史博物館とかに任せる。
私はやらない。
それだけである。
別の論文を手にしながら、ココアを淹れる。
此方も哺乳類関連の論文だが。
単弓類から変化したキノドン類より発生した、原始的な哺乳類を題材にしたものである。
哺乳類は二億年前には既に存在していたが。
その最も古い品種である。
現在でもオーストラリアなどには、原始的な哺乳類が存在している。
哺乳類なのに卵を産むカモノハシやハリモグラがそれだ。
哺乳類は必ずしも胎生ではないし。
爬虫類から変化してきた種族だと言う事はこの辺りでも確認できる。
にも関わらず、爬虫類を気持ち悪いとか言ったり。
自分が嫌いな相手を爬虫類扱いして蔑視する頭の弱い連中の事を、私はどうにも理解が出来ない。
元々哺乳類は「哺乳類型爬虫類」と呼ばれる爬虫類の一派単弓類から分岐した生物であり。
爬虫類と哺乳類は切っても切り離せない関係である。
別に哺乳類の方が優れている訳でも何でも無く。
爬虫類の環境適応形態の一つが哺乳類に過ぎない。
昔ある爬虫類の専門学者が口にした言葉だが。
地上の脊椎動物は、爬虫類がベースになっていて、その亜種に過ぎない。
それだけ爬虫類は優れた生物モデルであり。
哺乳類も鳥類も、其処から環境適応して派生しただけの存在に過ぎないのだ。
生物にある程度知識があれば当たり前として知っているべき事だし。
今では催眠学習で習う程度の内容なのだが。
それでも人類は自分が「気持ち悪い」と思う事を優先する。
この間のアンモナイトの事件でそれを思い知らされた私は。
人類に対する不審を強めていたが。
故に、むしろ冷えた目線で。
客観的に論文を読めるようになったのも事実だった。
さてこの論文では、かなり古い哺乳類を題材に扱っているからか。
比較的内容は客観的で。
相応にまとまっている。
そも、哺乳類がそれほど優れた生物だったら。
6500万年前に恐竜が絶滅するまで、恐竜に怯えながら生きているような事も無かった筈である。
また、6500万年前の大絶滅で、哺乳類が絶滅した可能性も十二分にある。
本当に現在哺乳類が発展しているのは、「運が良かった」からにすぎない。
6500万年前の大絶滅の際にも、もう一度同じ事を繰り返してみれば、例えば頭足類が長年の悲願を達成して、地上に上がって来ていた可能性もあるし。
他の脊椎動物が、恐竜の後釜になっていた可能性もある。
更に言えば恐竜が生き延びていた可能性も充分あり。
恐竜がもし生き延びていたら。
その環境適応力で。
また地上の覇者になっていただろう。
それだけの話である。
論文を見ていくと。
初期の哺乳類が、完全に生態系では下位に位置していたことがはっきり明記されている。
まあそうだろう。
現在哺乳類には、世界を白黒で見ている種類が相応にいるが。
これは多くの哺乳類が、夜行性を経てきた事を意味していると論文にも記載されている。
何故か。
昼は恐竜の独壇場だったからで。
哺乳類は恐竜が活動しない夜。
こそこそと逃げ回りながら生きていたからである。
それでも恐竜に普通に捕食されていた辺り。
大した生物では無い事がよく分かる。
冷静に哺乳類が如何にして夜の闇に潜んで、必死に生き延びる事を画策した弱者だったかをこの論文では丁寧に書いていて。
読ませる。
ただ、読ませる論文が正確とは限らないのが悲しいところでもあるのだが。
しばし論文を読み終えた後。
別の論文に掛かる。
ペルム紀について記載されたものだ。
ペルム紀は、先に言及した単弓類が繁栄した時代でもあるが。
いわゆるビッグファイブ。
生物史で5回発生した大量絶滅でも知られている。
ペルム紀の大量絶滅は特に凄まじく。
生物種の九割以上が消滅。
後の恐竜の台頭につながっている。
このペルム紀を、どうやって哺乳類が乗り切ったか、の論文だ。
ふむと頷きながら、私は読む。
基本的に大量絶滅が発生すると。
強い者から滅びる。
弱肉強食などと言う言葉は大嘘だ。
環境が変わると。
真っ先に滅びていくのは頂点捕食者で。
このペルム紀の大量絶滅でもそれは同じ。
哺乳類は弱かったから生き延びられたようなもので。
昆虫と同じようなものである。
しばらく無心に論文を読んでいると。
連絡が入る。
以前、何度か論文を受けた科学者からのメールだった。
新しい論文を書いたので、見て欲しいと言う内容である。
まあ即座に返信する必要もあるまい。
今は昔と違って。
24時間態勢でビジネスを行い。
ビジネススピードが過熱しすぎた結果、意味不明の仮想経済が、凄まじい勢いで回っていた時代とは違う。
しばらく論文に目を通し。
哺乳類の過去の弱々しさと。
実際には大した生物では無い事をしっかり証明した論文であった事に満足した私は。
メールに添付されていた論文に取りかかる。
またこれも。
哺乳類に関する論文だ。
6500万年前の大絶滅の後。
恐竜のニッチを埋めるようにして、哺乳類と鳥類が大発展した。
鳥類は恐鳥と呼ばれる獰猛な捕食者が出現したし。
哺乳類はカバの近縁種が海に進出。今では鯨と呼ばれる者になった。今では極端に大型の肉食捕食者の鯨はいない。最大種がマッコウクジラ、最強種がシャチで。マッコウクジラはそれほど凶暴な品種ではないし、シャチは精々九メートル程度にしかならない。しかしながら初期にはモササウルス類や大型首長竜を彷彿とさせる、シャチより遙かに大きく凶暴な肉食性の大型鯨が多数出現している。
皮肉な話だが。
彼らの一部には、「サウルス」という名前がついている。バシロサウルスなどが良い例である。
この「サウルス」というのは蜥蜴を意味する言葉だが。
勿論バシロサウルスは哺乳類である。
皮肉な話で。
哺乳類を神聖視する一部の阿呆が特に持ち上げる鯨の仲間が。
彼らがもっとも非論理的視点から馬鹿にする蜥蜴呼ばわりされているわけだ。
哺乳類に関する論文は。
これら恐竜のニッチを埋めて発展した、大型のものを読むケースが多かった。
或いは初期の、恐竜に怯えながら暮らしていた小型のものが多かった。
だが今回送られてきた論文は。
その間の哺乳類。
恐竜の時代に、それなりの大きさを保っていた哺乳類のものである。
これは少し面白いかも知れない。
早速私はロボットに髪型その他を整えさせると。
前に面白い論文を送ってきた科学者だという事もある。
気合いを入れて。
論文を読むことにした。
1、ニッチの中間種
単弓類は勘違いされやすいが、恐竜ではない。
ディメトロドンが、帆を背負った特徴的な姿から有名で、それで恐竜と勘違いされやすいようだが。
ともかく、勝手な人間の勘違いであり。
直系ではないにしても、むしろディメトロドンは哺乳類の先祖に近い生物である。
ただ。
ペルム紀の大絶滅の余波もあって。
単弓類の子孫である哺乳類は発展したものの。
より優れた環境適応力を持つ恐竜の存在もあり。
長い間ニッチの最下層から中間層に甘んじることになった。
というか、そのままニッチの底辺でずっといた可能性も決して低くはないし。
或いはジュラ紀末辺りの環境異変で絶滅していた可能性もある。
生物の歴史は無数の偶然から成り立っており。
海で広く繁栄していたアンモナイトが、何かの間違いのように絶滅したという実例もある。
一時期アンモナイトは「進化の袋小路に入り込んで絶滅した」などという説がまことしやかに流布されたことがあるが。
これは大嘘である。
そもそも「進化」という言葉自体が非常に問題のある言葉で。
実際には環境適応のために体を変化させた結果新種が出ると言うのが正しく。
適応しすぎた結果、環境が変化した場合対応出来なくなり、絶滅するというケースが実際には非常に多い。
恐らくだが。
もし今後、大量絶滅が発生した場合。
その時哺乳類は生き残れないだろう。
現在の環境に適応しすぎたからである。
生き残れるかも知れないが。
頂点捕食者の座を取り戻す事は恐らく出来ない。
実際問題。
あの恐竜でさえそうだったのだから。
ともあれ、だ。
白亜紀には、哺乳類にはそれなりに大型の品種が出てきている。
とはいっても、所詮現在の犬程度のサイズに過ぎない。
この犬程度のサイズの哺乳類の中から、小型恐竜の幼体の、未消化の化石が発見された事から。
哺乳類はこの当時から優れた勢力を誇り。
恐竜を脅かしていた、などという説も出たが。
実際には、生態系の最下層にも恐竜が進出していて。
生態系の下層にいた哺乳類が食べる事もあった、程度の事に過ぎない。
何を勘違いしているのか知らないが。
犬程度のサイズの生物なんぞ。
恐竜にとってはただのカモである。
むしろ、そんな小型生物の餌になるほど小さな恐竜も存在していたという事で。
如何に恐竜の多様性、環境適応力が優れていたかという逆の証明になるほどである。
哺乳類を過剰に持ち上げる行為は。
歴史を歪めて認識するだけなのだ。
さて、その辺りの事情を踏まえて。
新しく来た論文を読んでみる。
この論文によると、白亜紀。
一億年ほど前から、新種の哺乳類の化石が発見されているという。
なるほど。
興味深い話である。
コレによると、この哺乳類は夜行性特化。
大きな目を持ち。
樹上で暮らしていた可能性が高いそうだ。
大きさは少し大きめの猫くらい。
人間がペットにしている猫よりも二回りほど大きく。
子供くらいなら殺傷できるサイズである。
このくらいの時期になると。
既に鳥類が出現しており。
翼竜と一緒に空を飛び回っていた。
この新種の哺乳類は、勿論食肉目ではなく、大きな猫くらいのサイズではあるが。勿論猫の先祖でも何でも無い。
食性としては小型の鳥や恐竜を主に襲っていたようだが。
勿論相手が小型に限る。
しかも夜行性。
恐らくは木々の間に隠れて日中は身を潜め。
夕方以降になって活動を開始。
悠々と眠っている大型恐竜の間を縫ってこそこそと逃げ回りながら移動し。
小鳥や、小型の恐竜を襲って喰らっていた。
そういう事なのだろう。
しかも相手を襲う際。
悲鳴などを上げられると。
眠っている絶対的捕食者を叩き起こす結果につながる。
もしそうなったら一巻の終わりである。
故に、現在のフクロウのような。
サイレントキラー。
音も無く相手に近付き。
一瞬で息の根を止める。
そういう暗殺者のような生態を持っていたのではないかと、論文では分析していた。
なるほど、興味深い。
化石そのものは、数体分しか発見されていないが。
分類としては顆節目と呼ばれる、白亜紀末期では比較的種類が多かった哺乳類の一種の先祖である事が判明している。
比較的積極的に獲物を狩る肉食獣であった事や。
この顆節目が後に様々な哺乳類の先祖になった可能性がある生物である事などを考えると。
この論文は中々に面白い。
なおこの生物は、勿論頂点捕食者などでは無い。
もしも大型の恐竜に発見されたら、その瞬間エサにされただろうし。
この間読んだ論文のように。
翼竜がもし樹上生活者だった場合。
もしも生活する高度がかち合ったら、即座に食われていただろう。
この間の論文にはまだ未解明な部分はあるとしながらも。
翼竜は恐らく樹冠に近い森の一番高い部分で生活していたという説を取り入れていたため。
暗殺者としての生態を持っていただろう、この猫のような哺乳類とはかち合う事はなかっただろうが。
或いは翼竜の側でも、森の中を器用に這い回り。
昼間は隠れて眠っているこの生物を探しては。
おやつ代わりに食べていたかも知れない。
少なくとも、昼間に海まで飛んでいって、危険を冒して魚を食うよりは、よっぽど安全だっただろう。
論文による復元図を見ると。
猫と鼠を足して二で割ったような姿をしている。
まだ論文の段階なので学名はつけられていない。
近年は、古代生物の新種を発見した場合、複数の過程を経て学名が名付けられるのが常識となっており。
この生物に関しても、それは同じになるだろう。
故にまだ学名がないこの生物に関しては。
「顆節目の祖先である猫っぽい暗殺者生物」とでも呼ぶしか無い。まあ仮に暗殺者と呼ぶ事にしよう。
興味深い。
白亜紀の哺乳類に関しては、あまり関心を持つ人がいないので、エンシェントでは力を入れず扱ってこなかったが。
今回はこれを主体にしてみるか。
早速メールでやりとりをする。
すぐに返信が来た。
実は以前、単弓類の展示で契約したことがあり。
相手もエンシェントのフットワークの軽さには感心していたので。
わざわざ論文を送ってきたし。
此方について信頼もしていたのだろう。
仮想空間で会うと。
AIの立ち会いの下、契約を交わす。
論文についても、他の科学者を呼んで立ち会いをし。
精査をした。
私もある程度の知識があるが。
足りない分はAIが補助してくれる。
どうやら、複数の科学者が。
論文に関しては、問題ないと認めているようだ。
学会での発表時も、AIが問題指摘をする事もなく。
すんなり終わったという。
「これならば、まだ新しい発見でどうひっくり返るかは分からないにしても、現状の判断材料では問題は無いでしょう」
「此方も同感です」
「ありがとうございます」
やりとりを見ながら、私も頷く。
後は軽く打ち合わせをした後。
エンシェントに論文を持ち込む。
白亜紀の哺乳類については、スタッフもあまり手がけた経験がない。
一応、白亜紀の後期にはそれなりに哺乳類もいたのだが。
地上がとにかく大混乱していた時代である。
南半球は歴史的な大噴火により壊滅状態。
現在の北米近くには直径十qを越える隕石が直撃。
その破壊力は1億メガトンに達し。
文字通り当時の生態系をなぎ倒した。
環境の激変の中、恐竜が倒れていき。そのニッチを様々な生物が埋めていた。
哺乳類が恐竜を追い込んだのではないし。
ましてや絶滅させたのでもない。
環境が激変したから。
頂点にいた者が滅びた。
弱肉強食なんて言う嘘っぱちでは無い。
適者生存と、更には運という生物の歴史を動かしてきた要素により。
哺乳類が少しずつニッチに入り込み始めていた、というだけ。
それも殆ど全てはたまたま。
故に、6500万年前の大絶滅が一段落した後は。
哺乳類も鳥類も、ニッチに無理矢理食い込んだ結果。
明らかに構造欠陥がある生物が多数生じている。
そういうカオスの時代の生物に関しては。
どうしても完成度が劣る傾向がある。
スタッフも、そういう完成度が低い生物を再現する事に関しては。
あまり気が進まないようではあったが。
ともあれ、今回の論文を見せると。
面白そうだと、皆納得してくれた。
ましてや今回は。
私もあまり詳しくない分野なので。
学者に、しかも専門家複数に、AIまで交えて事前に精査して貰っている。
私の行動を見たスタッフも。
動く気にはなったようだった。
「敢えて白亜紀で哺乳類の展示をやるという事に関してはあまり賛成できないのですが、それでもこの生物については面白そうですニャー」
「しかし、いいんですのだ?」
「どういうことですの?」
「いや、社長は哺乳類を嫌っているかと思っていたので……」
ほう。
そんな風に思われていたのか。
アバターのティラノサウルスのまま、私は咳払いする。
そして勘違いをただした。
「私が嫌っているのは、別に地球の生物の進化の頂点(笑)でも何でも無い哺乳類を、人間と同種の生物だからと言って過剰に持ち上げる風潮ですわ。 人間の可能性が無限大だとか、無責任な人間賛歌とか、人類が地球を食い潰す寸前まで行っていた暗黒の時代の残滓そのものだから嫌っているだけですわよ」
「なるほど、確かにそういう意味では、わかりますのだ」
「ならば結構。 早速仕事に掛かってくださいまし。 私はCMの作成に移りますわ」
「お願いいたします」
AIに会議をジャッジさせる。
問題点はない。
議事録もAIが勝手に作るので。
任せる。
議事録なんか、テンプレに沿ってAIが適当に造れば良い。
そういえば少し前にげんなりするものを見てしまった。
昔の地球では。
なんと表計算ソフトを使って方眼紙を造り。
其処に意味不明のテンプレで議事録を書くという文化があったとか。
その上その方眼紙を作る人間は異常な給金を貰っており。
現場で働いているプログラマーや開発者をバカにしきっていたという。
頭が痛くなる実話だが。
コレ一つをとっても。
人間という生物がバカという良い証拠だろう。
面白い事に、この方眼紙をネ申とか呼んでいたらしく。
当時から揶揄の声はあったそうである。
つまり問題だと分かっていたにもかかわらず続け、しかもそれをやる人間が異常優遇されていたわけだ。
AIが一瞬でぽんと作った議事録に目を通した後。
私はため息をつくと、CMの作成に入る。
哺乳類が嫌いな訳では無いが。
別に進化の頂点でも無いし。
優れた生物モデルというわけでもない。
そういう意味では。
あまり気は進まない。
ただ今回の論文は面白かった。
そういう意味では、モチベーションは確保されてはいる。
二律背反の中。
私は仕事を始める。
エンシェントのCMが冷めたものになった。
それは少し前から、SNSで話題になっている様子だった。
私も前に翼竜のCMを作ったときに確認したが。
客が困惑している様子は確かに確認できた。
とはいっても。
アンモナイトのCMを作った時。
散々私を馬鹿にした害悪客が。
挙げ句の果てにやらかした凶行を忘れるつもりは無い。
古代生物を愛する全ての人間を馬鹿にするも同然の行為を連中はやらかした。
だったら此方も。
今後は相応の対応を。
客を金づるとして見るだけだ。
楽しんで貰おうと熱意を込めて作ったCMを馬鹿にするのなら。
此方も必要な分だけ労力を込めるのみ。
単純な話である。
今回は、闇夜に潜む暗殺者として。
復元図の哺乳類を書く。
とは言っても、格好良いものではない。
暗殺者そのものが決して現実では格好良くなどないように。
夜に紛れてこそこそ動き。
眠っている大型恐竜の側を潜んで歩きながら。
適当な獲物を探す。
小鳥。
小型の恐竜の子供。
見つけた獲物は、一瞬で仕留める。
全ての行動に、音を出さない。
そして、食事も巣で行う。
仕留めた獲物を咥えて器用に木に登り。
そして木のうろに入って、エサを食う。
それだけのCMである。
白亜紀の哺乳類の実態、という一文をつけはしたが。
それ以上の説明は不要と判断した。
一時期、恐竜は滅びるべくして滅びたとかいう説が広まったことがあったが。
あれは単純に環境の激変に、生態系を独占して環境適応していた恐竜が耐えられなかっただけである。
それを何か勘違いした哺乳類崇拝者が。
実際は恐竜は哺乳類に絶滅させられたとか、好き勝手な説をぶち上げた事があり。
顰蹙を買った事がある。
現在では迷妄は流石に打ち払われてはいるが。
いずれにしても、そんな過去の迷妄に迎合するつもりは無い。
少し考えてから。
餌を食べて満腹した暗殺者が。
いきなり翼竜に食われてCMが終わるシーンで締めようかと思ったが。
それは止めておく。
下手に凝ると。
また揶揄するような害悪客が湧くだけだからだ。
さてCMを流すと。
すぐに反応があった。
「エンシェントのCM、また随分とあっさりしてるな。 凝ったストーリーはもう見られないのかな」
「そりゃあなあ。 前みたいな事があると、もう流石にいやなんだろう」
「まったく誰だよ……あのアンモナイトの展示だって、悪くなかったのに」
「世の中には、自分に理解出来ない相手を馬鹿にすることで、自分が偉いと錯覚するアホがいるんだよ。 AIが犯罪を押さえ込むようになってくれた今の時代になってもな」
覚めた目でやりとりを見る。
今更何を言っているのか。
CMの内容そのものについての会話もある。
「白亜紀末には恐竜の衰退にかこつけて哺乳類が大繁殖、何て説もあったみたいだが……」
「元々白亜紀末は、南半球でインド関連の火山の大噴火があって、生態系が壊滅。 北はあの隕石だ。 仮に繁殖していた哺乳類も、まとめて皆殺しだろうよ。 このCMの描写が一番正しいんじゃないのかな」
「過酷な時代だな……」
「ペルム紀末よりマシだろ。 ペルム紀末なんか、話によると95パーセントの生物が滅びたらしいし」
わいわいと話している中。
鋭い意見が出る。
「哺乳類自体は恐竜とさほど変わらない時期に出現しているのに、この為体だった事を考えると。 実際には、哺乳類は生態系の中間辺りにいた方が、幸せだったのかも知れないな」
「どういうことだ?」
「人類は本当に幸運が重なって宇宙に進出出来たが、そうでなければ地球を文字通り全て食い尽くしていただろう。 要するに早い話が、地球の頂点捕食者になる器じゃ無かったんだよ」
「それはまた、厳しい意見だな」
無言でやりとりを見守る。
私と近い意見だからだ。
「見に行くとするよ。 いずれにしても、現在の哺乳類の先祖の姿を見れば、思うところもあるだろう」
「……そうだな」
CMの評判は上々か。
AIに言われた事を思い出す。
私が空回りしているのを。
周囲の人間は面白がっていた。
故に害悪客も湧いた。
もしそれが真実だとすると。私はむしろ、適当にCMを作った方が良いのかも知れない。だがそれは。
いい加減な奴の方が。
世界で重宝されるという事を意味しないか。
何だかアホらしい話だ。
生物の歴史を見ればみるほど分かるが。
どの生物も環境に適応しようと必死だ。
強くなろうとしているのではない。
その場にて生きる事に必死になっていたのが現実である。
強い事は決して最重要要素ではない。
環境適応した結果、強くなることもあった。
それが事実で。
因果関係が逆である。
生態系のニッチという関係上、頂点捕食者という存在が出現するだけ。
そして頂点捕食者なんてものは。
環境が変われば真っ先に滅びる。
むしろ罰ゲームも同然の立場である。
そうやって考えてみると。
或いは人間は。
自分達が作っている組織に、生態系を当てはめて考えてしまっているのだろうか。
あり得る話だ。
王様になればやりたい放題。
故に生態系の頂点は素晴らしい。
バカ抜かせ。
実際には王様なんてやりたい放題どころか、行動次第ではあっという間に文明そのものを傾け、文化圏そのものを滅ぼす。
ああ、そういう事か。
愚かな擬人化が。
人間の目を曇らせているのか。
勿論仮説に過ぎないが。
そうだとすれば、人間とはバカだなと、もう一度私は苦笑いするしかなかった。
ともあれ、CMの評判を見ながら。
スタッフとも連絡を取り。
大型アップデートに向けて準備を進めていく。
私は自分の目が。
少しずつ。
確実に冷えているのを感じていた。
2、暗殺者の現実
シミュレーションを見せられる。
スタッフは渋い顔をしていた。
まず夜中になるのを見計らい、件の暗殺者が動き出す。
木を音も無くおり、地上に。
ところが、である。
その瞬間、待ち構えていた肉食恐竜に真横から食いつかれ。
一瞬でかみ砕かれた。
恐竜は恒温動物だったという説が現在は主流であり。
その反応速度は凄まじい。
大きかろうが関係無い。
しかも、降りてくるタイミング。
体が空中に浮くタイミングを完璧に見きっての攻撃だった。
回避など出来ようはずもなかった。
ばりばりと音がするが。
おやつ程度にしかならなかったのか。
鼻を鳴らして、肉食恐竜はその場を去っていく。
別に肉食恐竜は最大種のティラノサウルスでは無い。
いわゆる獣脚類の、中型肉食恐竜で。
ニッチの中では中の上、くらいの存在だ。
背丈もせいぜい私の二倍程度しかない。
獣脚類は肉食でも、ティラノサウルスのような暴君から、魚食性のもの。更には草食のものなど、多様に変化した種類だが。
それ故に環境適応力は凄まじく。
大きさもピンキリで。
生態系のニッチのあらゆる階層だけでは無く、あらゆるジャンルにも食い込んでいた。肉食草食雑食、肉食にしても夜間徘徊、待ち伏せ、腐肉食、その他全てである。恐竜が進化が行き詰まった結果滅びたなどというのは大嘘なのである。
そして一部の種は知能も高かった。
これは狩りには知能が必要なケースがあるからだが。
事実として、かなり大きな脳を持った恐竜も発見されている。
哺乳類の方が恐竜よりも頭が良かったなどという戯言は。
哺乳類がもっとも進化した種族で。
恐竜を駆逐して世界の覇者になったなどという寝言を正当化するために。
誰かが作り出した戯言に過ぎない。
そんな事は分かりきっていたはずなのに。
暗殺者が、暗殺者(笑)に過ぎなかった事を見て。
私は思わず仮想空間で真顔になっていた。
プログラマーが補足説明をしてくれる。
「ユタラプトルが有名ですが、この時代の恐竜には知能が高い種が幾らでも存在していました。 6500万年前の大絶滅が無ければ、人間のように変化していった種がいたのではないかと言われている程です。 いわゆる恐竜人類ですね。 そんな時代だったのですし、音を立てない、夜中に行動する程度の浅知恵では、見ての通りとても生き残る事はできないとシミュレーションで出ました」
「……どういう工夫をしますの?」
「そうですね。 今の個体の場合、巣穴を見つけて、待ち伏せをしていました。 巣穴から離れた場所から木を降り、周囲を警戒してから餌を探す、くらいの知恵は最低でも必要になるかと思います」
事実として。
暗殺者が実在したのは、化石として示されているのだ。
ならばどう生きていたのかを探っていかなければならない。
また別のシミュレーションを試す。
なんと眠っているように見せかけて、側を通った暗殺者を捕食する恐竜。
そればかりか、辺りに敢えて小さな木の枝を撒き。
音を立てた瞬間暗殺者を捕食する恐竜。
情け容赦のない現実が其処にはあった。
なるほど。
哺乳類が進化の頂点などでは無いと、シミュレーションでも証明してくれる訳だ。
乾いた笑いが漏れてくる。
本当に6500万年前の出来事は。
運が良かったのである。
恐竜は図体だけではない。
知能でも哺乳類を大きく上回っていたのだ。
「流石に映画に出てくる恐竜ほどではないですが、この時代の哺乳類の知能程度では太刀打ちは出来なかった種が幾らでもいました。 これは何かしらの工夫をしないと……」
「数で補うのは?」
「罠に掛かって一定数が食われるのを前提に、ですか?」
「そうですわ」
実はそれもシミュレーションで試しているという。
見せられる。
かなりの数が木の幹に隠れているが。
そうすると、今度は大型肉食恐竜が来て、ふんふんと鼻を鳴らす。
恐竜の鼻は頭の上にあったり前にあったりと位置が一定していないが。
はっきり分かっているのは、かなり優れた嗅覚を有していた、という事である。
スカベンジャー専門の恐竜がいたことさえ分かっている程で。
実際問題、ティラノサウルスも腐肉食をしただろう、という説が最近では主流になっている。
勿論腐肉食「も」したであって。
普通に狩をしていただろう事も確実だが。
そして、大型肉食恐竜は。
いきなり木に食いつくと。
暗殺者達が隠れている木の幹をかみ砕いた。
ティラノサウルスに代表される大型肉食恐竜の顎の力は凄まじく。
現在生存している大半の生物を凌ぐ。
それも比較にならないレベルで、である。
木の幹なんて一瞬でぐしゃりだ。
たくさん潜んでいた暗殺者はまとめておやつになり。
ばりばりとかみ砕いていた肉食恐竜は、
やがてぺっと木くずを吐き捨てると。
歩き去って行った。
「ご覧の通りです」
「……」
「他にも此方を試してみました」
今度は、暗殺者達がもっと木の高い所に、枝などに紛れて潜んだケース。
だが、その場合。
今度は頭上から、翼竜が顔を出し。
ひょいと食いつくと。
一瞬でさらっていった。
そう。
この時代は、超巨大な翼竜が幾らでも棲息していたのである。
森の上部は彼らに制圧されていた、という説をこの間取り入れたばかり。
何処へ行っても逃げ場などない。
それが見ているだけで思い知らされた。
「ともあれ、彼らがどう生き延びたか、シミュレーションを進めてくださいまし」
「分かっています。 ただ、白亜紀末の混乱期なら兎も角、この時期の恐竜を相手に、このサイズの哺乳類が渡り合うのはかなり厳しいのも事実でして……」
「渡り合わなければ良いのですわ」
「分かりました。 色々工夫します」
彼らもプロだ。
私が見込んだ専門家達である。
だから、恐竜については詳しいし。
その魔の手をどうやって逃れるかについても、考えた上でシミュレーションを組んだはず。
それが困り果てて。
私の所に来た。
その時点で、相当に状況が厳しいのは。
わざわざ私が口にするまでも無い事。
だが、どちらにしても。
仕事である以上。
どうにか活路は切り開いて貰わないと困る。
私は学者に連絡。
さっきのシミュレーション結果を見せる。
学者の方も頷きながら見ていたが。
なるほどと呟くと。
少し考えてみると言って、通信を切った。
さて、どうする。
現場の人間には、任せる。
これは鉄則だ。
とはいっても、社長は構えているだけでは駄目で。
現場の状況を見ながら。
的確なアドバイスをしなければならない。
今回は現場から状況を知らせてくれたので。
軽くアドバイスをしたが。
専門家の意見を聞いた上で。
現場が動きやすいように、此処からお膳立てをする準備をしなければならない。
それが社長というものだからだ。
でんと構えているのが社長ではない。
社長というのは。
社員全員の命を背負っているものであって。
偉い存在でも何でも無い。
もし偉いのだとしたら。
それは責任を取るから。
責任を下に押しつけ。
利益だけ吸い上げる。
そういった社長が大量に存在した地球時代では。
完全に勘違いした資本主義もどきが、地球そのものを食い潰しかけていたが。
私はそんな時代の、愚かな社長達と同じになるつもりはない。
私の方でも、開発機を調べ。
シミュレーションを確認した上で。
打開策を図る。
もっと小型の品種であったら。
別に何の問題もないのである。
問題なのは、中途半端に大きいという事で。
故にエサとしても有用性が出てきてしまう、と言う事だ。
実際問題、さっき肉食恐竜に狙い撃ちされたのも。
半端な性能だから、である。
もっと小柄なエサだったら。
わざわざ恐竜も狙ったりしない。
もっと小型の恐竜が、エサとして狙ったかも知れないが。
それならば対抗策は普通にある。
中途半端な大きさなのがまずいのである。
これに関しては、以前発見された超大型アンモナイトと同じ悩み。
悪目立ちするサイズだから。
却って狙われるし。
カモになる。
かといって、離島にこの暗殺者が生活していたとは考えにくい。
時代的にどんな島にも恐竜がいた訳で。
しかもその環境適応力は非常に高かった。
頂点捕食者なんてのは夢のまた夢。
身の程を知れ、という状態である。
私の方でも、幾つかシミュレーションを試してみるが。
少し大きな猫くらいのサイズが。
悉く生存の邪魔をする。
或いは、子供時代が主体で。
大人になったらすぐに交尾して子供を産み。
そして死ぬ。
そういう生態の可能性も考慮したが。
哺乳類という生物である以上、その可能性は決して高くないだろう。
ハツカネズミのように超小型の哺乳類だったら兎も角。
猫よりも大きいくらいのサイズになってくると。
成体になるまでの時間も相応に掛かる。
つまるところ。
恐竜からある程度は逃げ延びなければならないのである。
潜り込めるニッチは無いのか。
考えながら、色々シミュレーションを試す。
ひっきりなしに送られてくる、社員が試したシミュレーションのデータを確認しながら。自分でも試す。
結果として突きつけられるのは。
無理、という。
無情な答えばかりである。
同じくらいのサイズの恐竜はいるが。
それらは基本的に、環境のニッチにばっちり食い込んでおり。
食われる立場でありながら。
食う立場でもある。
生物として完成度が高いのだ。
勿論もっと大型の肉食恐竜に襲われるし狙われるが。
それでもある程度の数は生き残れるように上手に立ち回る。
その立ち回りを参考にして見るが。
上手に狭い場所に逃げ込んだり。
敵の歓心を買わないように死角に潜り込む術を心得ていたりと。
伊達に地球上であらゆる環境に適応してきた生物ではないと、凄みを見せつけてくる。
哺乳類は。
ずっといわゆる負け犬だった。
最も進化した種族なんて。
大嘘なのだと。
何度も何度も思い知らされ。
私は大きく嘆息した。
駄目だ。
今度はAIにも試させるが。
このサイズの哺乳類だと、かなり厳しいという答えが出るばかりである。
なお戯れに猿の仲間を放り込んでみたが。
一瞬で全部食い尽くされた。
人間の先祖がジュラ紀白亜紀にいたら。
一瞬で全滅しただろう。
まあ、人間なんぞそんな程度と言う事だ。アホらしい話だが。
学者から連絡が来る。
「遅れて済まないね」
「いえ。 それでどうですの?」
「此方の開発機は何しろ古くてね、色々と困りながら動かしてみたが……やはり其方の指摘通り、かなり厳しいようだね」
「そうでしょうね」
しかし、化石という証拠は残っている。
実際それなりの期間生存したことも分かっている。
生物は絶滅するまで、基本的に万年単位で生きるものである。
人間が手当たり次第に殺戮したのが異常なだけであって。
普通、生物というものは、試行錯誤しながら環境の中で万年単位の生を送っていくものなのだ。
化石という証拠がある以上。
何かしらの手段を持って、肉食恐竜の魔の手から逃れていたのは事実。
ならば何があったのか。
「一つ試してみたことがある。 此方の開発機の性能では厳しかったのだが、其方でなら出来るかもしれない」
「伺いますわ」
話を聞いた後。
なるほどと思った。
確かにそれならば。
有りかも知れない。
早速礼を言って。
試してみる。
スタッフにもメールを送り、試すように仕向けた。
結果。
今までとは比較にならないほど上手く行った。
なるほど、こういう手があったか。
確かに、考え方としては。
有りかも知れない。
夜。暗殺者が動き出す。
肉食恐竜の中には、それに気付く者もいるが。
自分の巣にでも近付かない限り放置。
やがて暗殺者は相応に俊敏な動きで。自分より小さな生物に襲いかかり、仕留める。恐竜の幼体だったり。もっと小型の哺乳類だったり。或いは昆虫だったり。
仕留めた獲物を咥えて、巣に戻るが。
大型恐竜は、暗殺者に見向きもしない。
体に近寄られたら、威嚇するくらいである。
暗殺者の方でも、恐竜には近付きすぎない。
それでも、たまに。
虫の居所が悪い相手や。
腹を空かせている相手に、捕食されたが。
だが、それでも生還率は格段に高い。
理由は簡単。
おぞましいまでにまずいのである。
例えば現在でも。
様々な動物食文化はあるが。
あらゆる生物を食べるとさえ言われる中華文化圏でさえ、猫は嫌がられる。
おぞましいまでにまずいからである。
肉食の動物がまずいという話もあるが。
実はアレは単なる俗説。
豚などは肉も積極的に食べるが、その肉がどれだけ愛好されているかは言うまでも無い事だし。
鶏なども、昆虫は積極的に食べるが。
その肉もよく食べられている。
魚類も同様。
草食の魚類が美味しいかというとそんな事はない。
また、恐竜の味については研究が進んでいて。
トリケラトプスなどの角竜は、肉が実はとても美味しかったのでは無いか、という説が浮上している。
恐竜も味を理解していた可能性が高い。
つまり、その優れた機能を。
逆利用するのである。
まずいという特性を獲得することで。
恐竜の補食意欲を削ぐ。
もっとも、それにはある程度の個体数の犠牲。
更には、まずいといっても空腹などで仕方が無い場合は襲ってくる恐竜に食われる数を吟味。
その結果、シミュレーションを調整した結果。
恐竜の巣などを襲って卵を奪うというような行為に出ず。
肉食恐竜からは可能な限り距離を取り。
更に出来るだけ目立たないように動けば。
生存は可能という結果が漸く出た。
情けない話だが。
これが哺乳類の先祖の現実である。
或いは猫も。
古い時代には更に強力な捕食者の存在に晒され続け。
故にまずくなった、という可能性も否定出来ない。
まあ環境における猫の適応能力を考えると、流石に考えにくい話ではあるのだが。
それでも、或いはその先祖が、という可能性はある。
ともあれ。
まずいという特性を得る事によって、どうにかこの暗殺者は、生存の目を得る事が出来た。
シミュレーション班はほっとしていたし。
私もやっと安心できた。
学者にも感謝のメールを送ると。
それを基準に、更に細かい部分まで詰めるように指示。
まずいと言っても。
悪目立ちすれば、それは駆逐される。
あくまで必要なのは、ニッチに入り込む事だ。
あらゆる大型生物のニッチが掌握されている中。
主流だった哺乳類が、小型種ばかりだったことを考えると。
暗殺者のサイズは大きすぎた。
だから、悪目立ちしないで。
ニッチに何とか入り込み。
周囲に怯えながら生きていた。
それが正しい形だろう。
環境が大混乱した白亜紀の末期だったら、まだ話は別だっただろうが。
この暗殺者が生きていた時代は、恐竜の時代である。
全盛期ではなく。
恐竜という種族が、その環境適応能力をフルに見せつけていた時代、である。
環境そのものがひっくり返らない限り。
哺乳類に出る幕は無かった。
シミュレーションを繰り返しながら。
私はそれを思い知らされる。
これはまた。
生物史の教科書が書き換えられ。
「常識」が覆るかも知れないな。
そうとさえ感じる。
哺乳類に対する異常な優遇描写は今後どんどん減っていくかも知れない。
本当に6500万年前。
運良く生き残れなければ。
哺乳類はただ歴史の闇に消えていたかも知れない。
恐竜は逆に。
6500万年前に運悪く絶滅しなければ。
また地球の覇権を握っていたかも知れない。
それは自然の摂理などではない。
単なる運の問題だ。
ビッグファイブと呼ばれる大量絶滅では。
環境が根底からひっくり返った。
そのビッグファイブを何度も乗り切ったアンモナイトさえ、絶滅したのだ。
本当にそれを乗り切るかは。
運でしか無かったのだ。
肉がまずいという特性を利用し。
敵を刺激しない路を選び。
こそこそと隠れながら。
弱い相手を狩る。
これを見て、哺乳類は恐竜を狩っていたと大喜びしている学者がいるとしたら。それはただのアホだ。
既に絶滅した、マスコミ辺りだったらそんな記事を書くかも知れないが。
流石に其処まで頭の悪い学者がいるとは信じたくない。
それにしても餅は餅屋とは良く言ったものだ。
流石本職。
それもベテラン。
プログラマー達が四苦八苦してもどうしても導き出せなかった解を。
比較的簡単に割り出して見せた。
私もこれくらい頭が回るようになりたいものだが。
学者の適性は。
残念ながら無かった。
適正がある分野で勝負するのが定石とされているこの時代。
私はそれでもレア適性である社長というものを生かして。
それで生きていくつもりだ。
プログラム班が、連絡を入れてくる。
概ね細かい部分まで詰めることに成功。
これで多分アップデートに取りかかれるという。
後は調整が済めば行けると言う事だ。
私は頷くと。
CMの作成に取りかかる事にする。
骨子が出来てから。
本番稼働までは。
相応に手間暇が掛かる。
AIによる補助や。
バグ取りの手間が昔から著しく減っていると言っても。
それに変わりは無い。
会議を行い。
今後の方針を決めてから。
それぞれ動く。
私も、CM第二弾は極めて簡素に描写するつもりだ。
熱量は展示そのものに注ぐ。
CMで空回りしている様子を馬鹿にされたというのなら。
もう力は入れない。
それだけである。
人間に言われたのではなく。
限りなく冷酷な視点から、客観的にものを判断しているAIにそう指摘されたのなら。そうだと割切って諦めるしかない。
事実SNSでも、私を揶揄する声は一切なくなった。
黙々とCM作りに移る。
今回のCMは。
哺乳類の真実について。
それ以上でも以下でもない。
別に客に啓蒙をするつもりはない。
まともに催眠学習をしていれば知っている程度の事だからだ。
新しい説が出て。
更に真相が補強された。
それくらいの事でしかない。
私は、CMを作るための愛機に取りつくと。
支援プログラムを走らせ。
CMを作り始めていた。
3、隠れ潜む黒い影
単弓類が滅び。
キノドン類から哺乳類の先祖が発生して。
そして哺乳類は、二億年以上前に地上に出現した。
殆どが小型種ばかり。
同時期に出現した恐竜の圧倒的な環境適応能力に勝てる筈も無く。
ただ逃げ回ることしか出来なかったからだ。
小型種であれば。
小回りも利く。
生態サイクルも早ければ。
環境適応もしやすい。
その代わり、恐竜に怯えながら、夜の闇を生きなければならなかった。
一時期、この説を躍起になって否定しようとする者達がいたが。
それは多くの場合、白亜紀後期の状況を元にしている。
白亜紀後期は、南半球の環境を壊滅させた大噴火が発生し。
更には誰もが知る巨大隕石の落下による致命的破滅があった。
巨大隕石は直径十キロ。
火力は1億メガトン。
史上最大の水爆が50メガトン程度である事を考えれば。
その火力の凄まじさがよく分かる。
こんな状況では。
環境の激変がおき。
環境に適応していた生物が壊滅するのは当たり前の話で。
恐竜が混乱の中。
ニッチの奪い合いが激化したのも、当然の話だった。
それを持ってして、「哺乳類は恐竜と互角以上に渡り合っていた」「恐竜は種としての命運を全うした」「進化の果ては滅亡」などという珍説が多数出現したが。
そんなものは大嘘だと、今の研究でよく分かっている。
さあ見てみよう。
実際の哺乳類を。
この猫より少し大きな哺乳類の姿を。
夜闇に紛れて行動するこの種族は。
肉食恐竜に見向きもされない。
気付かれているが。
余程虫の居所が悪いか。
腹が減っていないか。
巣にでも近付かない限りは。
食われない。
理由はまずいからだ。
まずいという特性を獲得することにより。
彼らは肉食恐竜から見て、「どうでもいいエサ」という認識を得る事に成功した。
故に生き延び。
自分より小さな餌を狩って。
巣に持ち帰る。
それが当時の哺乳類の現実。
そんな弱々しい生物でも。
恐竜の気まぐれで。
巣ごとかみ砕かれたり。
翼竜に巣に嘴を突っ込まれ、幼体を丸ごと全て食われたり。
そんな苦難の中生きていた。
哺乳類は。
恐竜が環境の激変で壊滅するまで。
文字通り何もできなかったのである。
進化の頂点などと言うのは何度も言うが。
大嘘だ。
CMの骨子は以上。
とはいっても、ダイナミックな流れで今の話を書くわけではない。軽く触れる程度である。
私が気合いを入れて作っていたCMが空回りしていたというのなら。
軽く流すだけの事。
それでも文句を言うようなら好きにすれば良い。
もう私は知らない。
さて、第二弾CMを会議に流す。
反対意見は特に出ない。
現場のチームも、シミュレーションで散々四苦八苦したからだ。
恐竜は研究が進めば進むほど、優れた生物だった事がよく分かってくる。
環境のあらゆるニッチを制圧し。
文字通り環境の覇者だった。
知能も高く。
能力も高く。
不幸な悲劇が無ければ、人類のように知的生命体になっていてもおかしくない種族だった。
それだけの話である。
会議でOKが出たので。
SNSに流す。
意外に静かに。
このCMは受け入れられた。
「肉がまずい、か。 確かに猫の肉がまずいって話は聞いたことはあったが、生き残るためにまずくなるってのは、何というか……」
「哺乳類の神格化に対してNGを突きつけるのは個人的に良いかなとも思う。 実際人間とか、進化の頂点でも何でも無いしな。 生物として欠陥だらけだし」
「まあ熱意は欲しかったんだが……そうすると変なのが湧くしなあ」
「本当に何だったんだよ彼奴ら。 エンシェントの社長のCM、熱くて好きだったんだけどな……」
そんな声が上がる。
だったら熱意を込めたCMをつくっていた時。
そう言ってくれれば良かったのに。
本当に頭に来る。
だが今更怒っても仕方が無い。
「そういえば、昔このサイズの哺乳類が、小型恐竜の幼体を食った化石が出て、哺乳類が恐竜を狩っていたとか大喜びしていたアホなマスコミがいたらしいな」
「本当にアホだな……」
「まあだから滅びたんだろ」
「そうだな……」
すぐにその実物が発見されてくる。
記事を見て、SNSでは失笑がわき上がっていた。
そりゃあ生態系のニッチをあらゆる分野で制圧していたら。
小型種だって出る。
ましてや幼体である。
食われることだってあるだろう。
馬鹿な話である。
生態系のあらゆるニッチを制圧していたという大きな証拠になるだけなのに。
その程度の頭も働かないのだから。
そんなマスコミが高給取りで。
しかも自分達を神か何かと錯覚していて。
金のためには他人の命を踏みにじっても平然としていたという話もSNSに出てくると。
苦笑は引きつった笑いに変わる。
今の時代に生きていて良かったな。
そういう言葉でSNSは満ちた。
まあその通り。
マスコミは滅ぶべくして滅びた。
恐竜と違って。
不幸な事故などでは無い。
存在する価値も意味もなくして。
存在しなくなった。
それだけである。
其処に不幸など存在しない。
殿様商売を続けて、自分は偉いと思い込んだ愚か者達が、勝手に自滅した。それだけの話。
そして人類も危うくそうなるところだった。
哺乳類の歴史を過剰に装飾したのも、或いは。
その一環だったかも知れない。
ピーコックランディングも見に行く。
向こうも、前に比べて大人しかった。
「哺乳類の歴史は確かに誤解されがちだ。 恐竜絶滅の要因についても、少なくとも哺乳類のニッチ強奪が原因では無い事は確かだしな」
「それにしても、此処までそれを徹底的に書くとは。 相変わらずエンシェントは攻めるのが好きだな」
「論文としてはこれだろう。 今回HPを見に行ったが、協力者に著者の名前が追加されていた」
「確かに面白い論文だ」
前と違って。
うちに対する攻撃的な言動は減っている。
これもAIの助言に従った結果だと思うと。
色々複雑である。
まあ別にかまわない。
此方としても、あのままストレスを溜めていたら、何か奇行に走っていたかも知れないから。
そうなれば。
害悪客を更に喜ばせただけだっただろう。
適当な所で引けたのは。
あらゆる意味で良かったのかも知れない。
とはいっても、不満は今でもまだまだ残っているが。
「この描写からすると、本当に弱い生物がニッチに入り込むための工夫をした、という感触だな。 哺乳類を神格化している人間からすると刺激が強すぎるかも知れないが」
「まあ頭足類が6500万年前に上陸していた可能性もある。 その場合は、哺乳類ではなく頭足類が地上の覇者になっていた可能性も高い」
「まるでクトゥルフ神話の世界だな」
「ああ、ある意味それが近いかも知れないな。 だが、如何に頭足類は環境適応力が抜群で、知能が高いと言っても、短時間で人間同等の文明を作れる存在が出現したかは大いに疑問だが」
更に会話が別方向に飛び火する。
どうやら、哺乳類の専門学者が加わったらしい。
「小型の哺乳類に関しては、むしろのびのびとやっていたが。 しかし競合相手は大型昆虫だったしな。 むしろエサとしては、そういった小型哺乳類だった方が適切かも知れない」
「小型恐竜の幼体を狩った化石が見つかったというだけで大喜びした阿呆どもの二の轍を踏む必要はない、か。 まあ分からないでもない」
「化石そのものは正しいようだ。 この中途半端なサイズの化石が、魔境に等しい環境で生き延びる方法を真面目に考察した点は大いに好感が持てる」
「それについては同感だ」
ふむ。
やはり何というか。
私の熱意は。
悪い方向に作用していたと認めざるを得ない様子だ。
下衆共を単純に面白がらせていた。
そうだったのだろう。
色々と頭にも来るが。
熱意を注ぐ場所を変えれば良い。
それで私は結論する。
以降はエンシェント内の、アップデートに熱意を注ぐ。
それで良いだろう。
そう、自分に言い聞かせなければならない。
人間がどういう生物かは分かっている。
会社を背負って立つ以上。
そいつらと上手につきあっていかなければならないのだから。
つまりはそういうことだ。
嘆息すると。
会議を行う。
進捗の確認だが。
現時点では予定の日時までに完了する、ということだ。
大きなトラブルが起きる事を想定して、少し多めに工数はとってある。
これは当然の対応で。
トラブルが起きないことを前提に工数や人員を組むと。
それだけで地獄絵図が発生する。
コレが理解出来ていない社長が昔は非常に多かった様子で。
「安物買いの銭失い」という言葉が古くからあったにも関わらず。
無茶な安値での営業に飛びつき。
結局大損をするという知的生命体とは思えない行動に出ていたとも聞く。何処ぞの学者が、地球に知的生命体など存在しないと断言する訳である。
私はそいつらとは一緒にならない。
それだけの話だ。
進捗についてはOKだ。
今回は、展示を見る方法として。
いつも通りのプランで出来るようにする。
恐竜などの、「格好良い」生物に関しては、客が間近で見たがるので。
展示している生物の攻撃本能などを除去した設定を組み込んだ、間近で見られるプランが推奨されていて。
これが一定の売り上げを出している。
今回もそれを使う。
今回は恐竜では無いが。
哺乳類だ。
人間は哺乳類を神格化する傾向があるから。
「気持ち悪い」生物を間近で見る展示プランよりも。
此方を選ぶ可能性が高い。
他にも、ホバージェットを背負って細かい観察をするプランや。
ヘリなどから、望遠鏡でAIのサポートを受けつつ覗くプランなど。
潤沢に観察のプランは用意する。
それで問題は無いだろう。
客のモラルには一ミリも期待していない。
これだけ教育が進展した時代であっても。
「自分が知らない事を言っている奴はバカ」だとか。
「バカだと思った相手には何をしても言っても良い」だとか。
そういう思想を持った人間は多数いる。
その程度の生物を相手に。
モラルなんぞ期待する方が間違いだ。
故に、AIが人間をやっとまともにしたし。
AIが関与しない部分では自衛しなければならない。
それだけの話である。
プランについても話が終わると。
AIにジャッジを掛ける。
今回の生物が、「人間から見て見目麗しい」事もあって。この観察プランで問題ないだろうとAIも判断。
客観的判断を行えるAIがそう判断したと言う事は、それで問題ないだろう。
悔しいが、私よりもAIの方が客観的に判断する事が出来る。
そういうものだからだ。
会議を終える。
後は、展示開始の時を見れば良い。
SNSからの情報を、AIが集めてくる。
「エンシェントのクオリティの高さに関しては定評があります。 今後もこの路線で問題ないでしょう」
「分かりましたわ。 後は害客さえ入らなければいいのですけれどね」
「明確な犯罪行為で無い限り、何をしても許されるというのがこの世の理です。 そして法制整備に関しては、昔なら兎も角今はしっかり行われています」
「そう信じますわ」
「情報収集を継続します」
鼻を鳴らす。
法制の整備は完璧、か。
それはそうだろう。
貧富の格差はほとんどなく。
努力すればするだけ稼ぐことが出来。
底辺であっても生活は充分にすることが出来る社会。
差別は明確に基準が設けられてきっちり定義され。
法によって厳格化もされている。
人間が思いつきそうな悪事は。
全てAIが先回りし。
待ち構えて犯罪者をキャプチャする。
ここ数十年、AIの裏を掻いて犯罪を行った者は存在していない、という事実もある。
昔なら兎も角。
現在のAIの優秀さを、私は疑わない。
感情的には反発だってある。
だけれども、それはあくまで感情的な反発。
社長である以上、抑えなければならない事なのだから。
「今回はエンシェントの展示生物にしては可愛いな」
「足が一杯ある生物なんて表示するなよな。 気持ち悪いんだから」
「足が一杯ある生き物なんか、全部滅びればいいのに」
「恐竜は何度か見に行ってるからそのついでに行くわ。 気持ち悪いのは見る気も起きないけど、哺乳類だったら良いだろ」
そんな発言もSNSに流れている。
たしなめる意見もあるが。
嘲弄が湧くだけだった。
古代生物好きはそういった意見を無視はしているが。
そいつらにしても私を前はずっと馬鹿にしていた訳で。
昔で言うと「弄ってやっていた」というような感覚だったのだろう。
ますます人間不信が強くなるが。
どうでもいい。
私は黙々と。
稼ぐための準備を、丁寧にやっていくだけのことだった。
4、反発
展示の当日。
あくびをしながら起きだした私は、アップデートのタイミングに合わせて、ロボットに身繕いをさせる。
何が起きるか分からない。
アップデートし。
展示が見られるタイミングには起きている。
それが社長としての当然の責務。
私はそう考えている。
起きだした後は、ココアを淹れ。
心を落ち着かせながら飲み始めたが。
そうすると、少しずつ展示を見た人間の感想が出始めていた。
「何だよこれ。 なんで哺乳類がこんなこそこそしてなきゃいけないんだよ!」
「一億年前だか知らないが、もっとも進化した生物が哺乳類なんだぞ! それがどうして恐竜の顔色伺いながら生きているんだよ! もっとしっかり現実を書けよ! 嘘ばっか書きやがって!」
「頭来たから恐竜を設定で全部消したわ。 また泣けばいいんじゃねーのあの社長」
「バカ」
低レベルなものから。
感情的なものまで。
強烈な反発がSNSに溢れていた。
哺乳類が二億年前には既にいて。
恐竜の顔色を窺いながら生きていた。
そんなのは学者も認めている現実だ。
白亜紀末期には混乱に乗じて生態系のニッチに食い込み始めてはいたが。
それは結果論に過ぎない。
哺乳類なんて生物は。
別に進化の頂点にいる訳でも無い。
そもそも進化などと言う言葉自体が間違い。
そういっても、この手の連中には何もかも無駄だ。
自己愛の塊と同じなのだから。
「抗議のメール入れてやる」
「それよりも嫌がらせしようぜ。 展示に入る度に、気持ち悪い生物全部設定で消してやるのが面白そうじゃね?」
「此奴らか。 前、アンモナイト全部消して面白がってた奴ら」
「ID特定。 キャプチャ取得。 ハラスメント行為の現行犯でSNS管理AIに通報するわ」
不意に。
違う意見が湧いてくる。
私はしらけた目で見ていたが。
いきなり多数のIDがロックされた。
この辺りはいきなり消えるので分かる。
更に、SNSの方から、私にメールで連絡が来る。
同時に、ヒステリックに送りつけられてきていたハラスメントメールや、クレームメールも、ぴたりと止んだ。
「以前、其方に対して大規模なハラスメント行為を行っていた集団について、SNS側で調査を進めていました。 今までは組織的に相手がログの消去などを行っていましたが、今回リアルタイムでの監視によって尻尾を掴む事に成功しました。 即時罰則適応で、以降はSNSの利用制限、エンシェント含む仮想娯楽コンテンツの利用に制限が掛かります」
「ハ。 それで?」
「其方から被害届が出ていれば動く事も早くできたのですが、何しろ通報があったのがつい最近でして」
「……」
今回の件。
どう楽しもうが、仮想コンテンツは自由、という事もあった。
私の側から言う事は無かったし。
そう楽しみたいなら好きにしろという言葉しか無かった。
だが集団でのハラスメント行為という法律違反に抵触したのか。
ちょっとまだ不勉強だったかも知れない。
もう少し調べて見るが。
どうやら今回の場合。
音頭を取った人間がいて。
それに対して、私を面白がっていた連中が同調。
揃ってハラスメント行為を行い。
それが法に抵触したらしい。
なんとAIは既にSNS側から要請を受けてログを提出済みであり。
連携して動いていたそうだ。
法務部には任せっきりだったから。
把握していなかった。
冗談抜きに苛立ったが。
まあ我慢するとして。
顛末を聞く。
「音頭を取っていたのは、以前チートコードを使って出入り禁止になったカルト教団の人間です。 貴方を逆恨みしていたのでしょう。 SNSを調べながら、貴方の行動が「空回り」して面白がられている事を発見、それを逆手に取って、グレーゾーンから貴方に対するハラスメントを行うべく行動をしていた、というのが事実のようです」
「だったらどうして事前に防げませんでしたの?」
「犯罪行為に抵触していませんでしたので。 貴方自身がそういうものだと受け入れていたと、AI側からも説明を受けていました」
冗談抜きに。
苛立ちがピークに達する。
確かにその通りかも知れないが。
AIがこういうときに先回りしていれば。
此処まで不愉快な目に会う事も無かったのだと思うのだが。
確かにハラスメントかどうかは判断が難しい。
今回犯罪として摘発できたのは。
私が体調を崩していたから。
AIからそのデータを受け取ったことにより。
因果関係が証明され。
犯罪として成立したという。
まあ元がカルトだ。
更に現在。
知能犯の類は重罪である。
二度と表でまともな生活をする事は出来ないだろう。
刑罰にしても、現在では更正プログラムを催眠学習で叩き込まれる仕組みになっている。私の前には二度と現れる事もあるまい。
大きくため息をつくと。
私は色々言いたいのを堪えて。
そして礼を言う。
大規模ハラスメントを行っていた集団がいなくなったのは事実なのだ。
そして今回の件も。
哺乳類を悪く扱うという事を不愉快に思うという、人間のくっだらない真理を逆手に取り。
展示の内容を見て、更にハラスメントを加速させることを。
AI側が先に予測。
網を張っていたのだろう。
現在、知能犯はAIには絶対に勝てない。
それが証明された、というわけだ。
馬鹿馬鹿しい話だが。
「以降も、ハラスメントであると判断したら、即座に連絡をください。 因果関係さえ証明できれば、即座に逮捕できる可能性もありますので」
「……分かりましたわ」
「それでは失礼します」
メールが止む。
私はしばらく黙り込んだ後。
思い切り壁を蹴りつけていた。
痛いだけだったが。
しばらく無言で痛む足を引きずって、デスクに戻る。
何度も大きな溜息が出た。
法について、少し催眠学習をしておく必要があるか。
いや、会社運営に影響する法については、徹底的に勉強した。
だが私は。
恐らく社会に関する法についての勉強が足りなかった。
そういう事なのだろう。
会社の法務部に連絡を入れる。
向こうも既に事態は把握しているようだった。
「社長、済みません。 社長が受け入れているようでしたので、的確なアドバイスが出来ませんでして」
「別にもうかまいませんわ。 それで、しばらく此方も社会関連の、特に対ハラスメントの法について勉強いたしますわ。 催眠学習の時間が必要になりますので、それは認識くださいまし」
「分かりました。 スケジュールに組み込まれることを認識します」
会議もすぐに開く。
プログラム班に確認するが。
今の時点で、これ以上のハラスメントは発生していないという。
実際、展示されている動物を全部消すような行為に出ていた連中は。
悉くアクセスがストップ。
また、SNSでも。
様子がおかしかった連中についての話題が上がっているという。
「そういえば、ログが見つからないってのも変だったよな。 最初から知能犯だったんだな……」
「はっきり言って踊らされた連中アホだな。 動物園に行って、雰囲気だけ楽しむとか、バカそのものだし」
「とはいっても、エンシェントの社長の熱意を嘲笑ってた奴が、かなり引っ掛かって同じ行動に走ったんだろ。 反吐が出る」
「あまりこういうことを言うと怒られるかも知れないが、実際見ていて面白かったからな……」
そうか。面白かったか。
咳払いする社員。
「いずれにしても、ハラスメント行為をしている客のログはほぼ無くなりました。 今後は問題なく運営できるかと思います」
「信用できませんわ」
「お気持ちは分かります。 ただこちら側としても、今後は気をつけて模倣犯に備えます」
「……」
ともあれ、会議を切り上げる。
私は自室に戻ると。
法勉強の催眠学習ツールを有料ダウンロードする。
頭に相応の負担が掛かるが。
今回は私の不勉強も原因の一つだったのだ。
犯罪防止AIにしても、グレーゾーンの犯罪について、頭を冷やして考えると先回りして良く行動してくれていた。
実際私の周辺のAIと接触し。
体調を崩していることをしっかり確認した上で、相手への取り締まりに走ったのだから。これについては、ぐうの音も出ない。
後は私が。
ハラスメントに対する対応策を身につけること。
社員のためでもある。
私自身が不愉快に感じる、と言う事は割とどうでも良いことだが。
エンシェントが潰れたら。
社員の生活に影響が出るし。
露出している私だけなら兎も角。
社員にも負の影響が出ることは否定出来ないのだから。
学習は時間が掛かるが。
現在の催眠学習は、義務教育などと言う無駄だらけの代物と違い、確実に知識を植え込んでくれる。
脳への負担もあるが。
それも考慮しながら学習を進めてくれるので。
時間さえ確保すれば問題は無い。
私は社長だ。
だったら、もっともっと。
様々な事に対して。
対応策を身につけなければならなかった。
対応が一段落してから。
今回の白亜紀哺乳類展についての客足や、解析についてAIから説明を受ける。
まずSNSだが。
犯罪者集団が捕まった後。
すぐに反応は沈静化したという。
「恐竜の時代だもんなあ。 哺乳類はまあこのくらい虐げられていたってのが事実としか言いようが無いな」
「確かに哺乳類なんて別に進化の究極でも何でも無くて、二億年前に生まれてる。 それで天下を取れなかったって事が、事実を全て現しているな」
「今回の展示は勉強になったわ。 むしろ外野でのやりとりがな。 人間を過剰に持ち上げることが、無意味で滑稽で、カルトに直結するって事が分かったしな。 哺乳類にしても同じ事だ」
「言い方は辛辣だが、同意はする。 足が多いから気持ち悪いとか、そういう生理的な反応についても分からないでもないが、だからって足が多い生物が劣っているわけでもなんでもない。 爬虫類にしても両生類にしても、偉大な生物の歴史に冠たる存在である事に違いはないしな。 人間の美的感覚なんぞ何の役にも立たないって証明しているようなもんだ」
意見は随分冷えている。
なるほど、こうしてみると。
今まで私を揶揄していた連中には。
今回組織的に動いて、ハラスメントをしていた輩が、かなり混じっていた可能性を否定出来ないだろう。
いずれにしても、今回の件で。
私は人間賛歌が大嫌いになった。
勿論褒めるべき所は褒めるべきだろう。
だが、生物史を忠実に。
最新の学説に沿って描写したら。
これだけヒステリックなカルトに攻撃を受ける。
それが現実だと言う事がよく分かったからだ。
いずれにしても、今後は対策をガチガチに固める。
それと、私が悪かった部分についても改めなければならないのは事実だろう。
今までは好きを熱意に変えてCMにぶつけていたが。
他人の好きを揶揄することで。
自分が偉くなった気分になる人間が相応数いて。
そういった輩の方が、社会的には「多数派」である事も良く分かった。
ならばもうそういうものだとして。
諦めるしかあるまい。
展示については黒字だ。
マナーの悪い客もゼロではないが、かなり減った。
普通に楽しむ分には充分面白い。
そういう意見がかなり増えた。
恐竜から人間への攻撃要素をカット。
スターライトスコープをつけて、闇夜を生きる暗殺者(笑)を観察するツアーに関しては。
恐竜時代の哺乳類がどういう存在だったのかよく分かると、非常に好評までも得た。
なおハラスメントをしていた中心人物の逮捕速報は出たが。
マスコミは既に死んでいるので。
警察からの直接発表である。
とはいっても人為的な発表ではなく。
半自動で動いているAIによる発表なので、人為的な要素が入る隙もない。
刑期なども発表されていたが。
私にはどうでもいい事だった。
いずれにしても、黒字であったのだから。
それで良いとする。
それにちょっとは無念も晴れた。
私は今後も好きかってする事は出来ないだろうが。
それはそれ。
これはこれだ。
さて、クレープでも食べに行く事にする。
ここのところ、不快感を紛らわすために甘いものを食べていたが。
今回は久々に。
凱旋気分で食べに行く。
適当に家の外に出ると。
まばらというか、殆どいない人間。
まあ今の時代はそういうものだ。
クリームを山盛りにしたクレープを注文し。
適当に食べる。
食べているだけで体に悪いことが分かるが。
別に気にしない。
体の調整は家で勝手にカプセルがやってくれるし。
体に悪いことくらいやらないと、この状況を精神的に乗り切れる気がしないからだ。
今回は勝った。
だが虚しい勝利だった気がする。
適当にクレープを食べた後、家に帰る。
クレープはロボットが作ったものだが。
別に人間が作ったものより美味しいなどと言うこともないし。逆にまずくもない。ただクレープなだけだ。
家に戻ると、メールが来ていた。
学者からだった。
理想的なものを作ってくれて感謝する。
また新しい論文が出来たら、其方に送るので、アップデートを検討して欲しい。
そういう内容だった。
自由にそうできればそうするが。
そうもいかない。
溜息が零れた。
古代生物が好き。
大好き。
それだけなのに。
人間はどうして、自分と違う考えの相手を、こうも否定し。
相手が哀しみ苦しむ様子を見て笑えるのか。
まあ根本的にそういう生物なのだから仕方が無いと、諦めるしか無いか。
私はもう一度嘆息すると。
次のアップデートに向けて。
論文を探し始めていた。
(続)
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