翼造りし者
序、恐竜に非ず
翼竜。
プテラノドンなどで知られるこの爬虫類の仲間は、意外に知られていないが恐竜ではない。
またその生態には謎も多い。
理由は簡単で。
化石が発掘されないからである。
現在翼竜の化石は、非常に発掘量が少なく。
わずかな化石から研究を進めなければならない状況なのが真相だ。
翼竜の研究者が最初に直面するのは。
資料が少なすぎるという悲しい現実なのである。
宇宙進出した後もそれは変わらず。
恐竜に比べて少なすぎる翼竜の化石を、研究者は必死に探しながら、論文を書いているのである。
この生物が。
脊椎動物としては。
初めて空を飛んだ生物だというのに。
無脊椎動物。
例えば昆虫などは、それこそ遙か昔から空を飛んでいた。
それを可能としていたのは体の小ささ。
そして軽さからである。
ものというものは、重くなればなるほど空を飛ぶのが困難になる。航空力学の基本である。
それに対して、体が軽ければ軽いほど、空を飛ぶのは容易になる。
容易にはなるが、不安定にもなる。
それは二律背反だが。
兎も角、空という戦場を。
脊椎動物も選べるようになるには。
翼竜と言う生物が出現するまで、待たなければならなかった。
恐竜の一派が鳥に変化したという説もあるし。
恐竜の中には羽毛が生えていたものも発見はされているのだが。
これについてはまだ諸説があるし。
何より、鳥の特徴を持った恐竜が空を飛べたとしても。
それが出現したのは、翼竜よりも遙かに後の時代である。
故に、古代生物を扱う展示の場合。
恐竜をどう復元するかと同じくらい。
翼竜をどう復元するのか。
悩むのが、昔からの約束のようなものであった。
エンシェントでもそれは同じ。
そもそも翼竜は、非常に巨大な品種が見つかっている事もあり。
何より、今もどうやってこれが飛んだのかよく分からないと言われる者まで存在しているのである。
ケツアルコアトルスと呼ばれる、南米の神と同じ名前を与えられた品種がそうで。
なんと最大で翼長十八メートル、などという説まである。
絶滅した大型鳥類にも、巨大なものが発見されてはいるが。
それを遙かに超える巨体であり。
現実にはどうかは分かっていない。
小型種の翼竜、特に初期の者となってくると、サイズとしても飛ぶ事は不思議ではなかったのだが。
後期に出現した大型種は巨大化が進んでおり。
いずれもが、復元に学者の頭を悩ませることとなった。
何しろ、どうやったら飛べるか、まったく分からないのである。
グライダーのように飛んでいただろう、という投げやりな結論が出てくるばかりで。
現在でも、翼竜の復元に関しては様々な論文が発表され。
中にはもう飛ばす事を諦めた論文もある。
つまり翼竜は巨体を生かして地上で生活していた、という結論である。
しかしながらそれでは体が華奢すぎるという点もあり。
肉食恐竜に狙われたらひとたまりもない。
巨体を武器にして追い払っていたというのも考えられるが。
それにしても、あまりにも無理がある結論である。
そもそも巨大すぎる復元が間違っているという説もあり。
そうなってくると、翼竜と言う存在がまったく分からなくなる。
というわけで。
私の経営している古代仮想動物園エンシェントでは、翼竜についてはごくオーソドックスな説を採用している。
というのも、これといった決定打がないからである。
白亜紀の後期からは、恐らく鳥類や、それに近い変化を遂げた恐竜が空のニッチに食い込んできていた筈で。
それと渡り合っていたと言う事は。
翼竜は元からの巨体を生かしたり。
或いは何かしらの武器を持っていた可能性が高い。
魚食性だったという可能性も指摘されているが。
実際には、当時の海は滑空して近寄るには危険すぎるし。
何よりも巨大すぎる体で、自在に海風を受けて飛び回れるかは微妙な所だろう。
翼竜は恐らく、理想的な環境でしか生きられなかったのでは無いか、という説まであるのだが。
これに関しては、実際に化石が発見されている超大型のコンドルの仲間、アルゲンタヴィスなどが、非常に巨大な体をしていた事などからも。
恐らくは、間違いだろうと思われる。
というわけで、エンシェントでは、翼竜は普通に今日も空を飛んでいるのだが。
論文が届いたのである。
新しい翼竜の化石が見つかった。
それに基づくものだ。
見つかったと言っても。
基本的に恐竜や、同時代の生物の化石は、掘り出されたまま膨大に分別されており、それをせっせと後から分析しているので。
とっくの昔に見つかったものを、やっと今確認できる、という状態である。
最近はAIのサポートによる研究の高速化が進んでいるが。
それでもまだまだ「やっと研究できた」化石は多い。
また化石の発掘も、最近は不正行為がないようにAI監視の下で行われている事や。
そもそもAI制御のロボットがやっている事もあって。
結局の所いたちごっこである。
まあ人類は、太陽系に進出してから、物理的な意味でも経済的な意味でも戦争という業から漸く解放され。
化石の研究には今までに無い予算が投入されている。
ただでさえ少ない翼竜の化石も。
少しずつは増えている。
研究が行われているのもありがたい話ではあり。
その結果、新しい発見も次々に為されてはいる。
今回、私が目を通している化石も。
翼竜を研究しているベテラン学者の手によるもので。
本人の経歴もざっと調べたが。
問題が無いものだった。
なるほど、確かにベテランの書いた論文だけあって、内容に隙が無い。読んでいて、唸らされる。
たくさんの論文を手がけているが。
今は学会でAIが判定を行う事もあり。
例え権威と呼ばれるほどの人物であっても。
くだらない論文を書けば笑われるし。
AIには客観的にきっちり批判される。
昔はコネで実権を握った学者が、やりたい放題の説を唱えたり。或いはねつ造を行ったりして。
それを止められずに、苦心するという状況が存在したらしいが。
今ではそれもない。
実際学者達はSNSで論文を自由に批評しあえる状況が到来しており。
どんな大御所でも。
ろくでもない論文を書けば笑われる。
コレは恐らく。
厳しくはあるが。
良い時代でもある。
実際に、古い時代には。
古代の人間が作った石器をねつ造して。
名声と引き替えに、歴史を滅茶苦茶に改ざんした学者が存在している。
その男のせいで現在でも石器の歴史は混乱が続いており。
AIによる判定で、どうにか真贋の区別が付くようにはなってきたとはいえ。
大きな混乱を学会にもたらし。
世界中の笑いものになったケースがある。
学者が書くべきは真実であって。
自分の妄想ではないし。
権力を求めて嘘を書いたり、センセーショナルな論文を発表するのは忌むべき事だ。
私はそれによって生じる実害を知っているので。
ベテランでありながら手堅く論文を書く学者は尊敬する。
昔だったら、学閥だので散々この辺りドロドロの話が幾らでも出てきたのだろうけれども。
今は状況が違うし。
そんな状況だからこそ。
例え主観が入るとしても。
名誉欲や金銭欲とは関係無く。
論文が出てくる時代にもなっている。
勿論間違った論文も出ては来るが。
それは仕方が無い事だ。
論文に目を通し終えた私は、うむと唸った。
まず翼竜についてだが。
特に巨大な品種は。
風を受けて、グライダーのように飛んでいた、というのが説として主流となっている。
これはまあそうだろう。
あまりにも翼竜は巨体だった。
ケツアルコアトルスは最も小さなモデルでも、翼長五メートルなんてサイズになるし。それと同格の翼竜は何種類も発見されている。
まあそれが普通の解釈となるだろう。
だから翼竜は、飛んで獲物を捕ったあとは。
丘などにてくてくと歩いて行って。
其処でまた風を受けて飛ぶ。
そんな生活をしていた、というのが定説だった。中には、自力でそのまま浮き上がることが出来たとする説もあるが、そういう説もあるというだけである。
だが。
いずれにしても、色々と無理がありすぎる。
まず第一に、歩いている間が無防備すぎる。
鳥がずっと歩いて陸を行ったらどうなるだろう。
例えば雀などは、見かけ以上に素早く動くが。
あれは小型の鳥類だから、である。
もしも烏などが歩くしかなくなったら。
それは猫などの格好のエジキになるだけである。
鳥類は体重で比較すると、同じ体重の他に比べてずっと強い生物だが。
それでもその実力は、飛ぶ事が出来る、という圧倒的なアドバンテージに支えられている部分が大きい。
事実飛ぶ事を放棄した鳥類は何種類か存在しているが。
それらは余程理想的で安全な環境にいるか。
もしくは体を頑強にすることで。
飛ぶというアドバンテージを補っている。
ダチョウなどはその脚力が凄まじいし。
ペンギンは泳ぐことに特化した結果、その翼の力は凄まじい。殴られると、品種によっては人間の骨くらい簡単に折れる。
さて翼竜だが。
てくてくと歩いていたとしても。
巨体になればなるほど目立つし。
素早く動く事も難しくなるだろう。
そして彼らが生きていた時代は。
ジュラ紀から白亜紀に掛けて。
恐竜の時代である。
そんな時代に、遠目からも分かる巨体がのたのた歩いていて。しかも自衛力が無い事が明白だったら。
あっという間に食われてしまうだろう。
例えばサバンナでは、キリンは一見弱そうに見えるが。
あれは蹴り一撃でライオンを容易に殺す。
ライオンが群れで、犠牲を出すことを覚悟して漸く倒せるほどの戦闘能力を有しており、充分に自衛力がある。
翼竜がそうだったとは思えない。
更にもう一つ無理がある。
もしも翼竜が飛ぶために使っていたような、風を受ける丘が存在していたとする。
そんなものがあったら。
多分待ち伏せをする肉食恐竜が、列を成していただろう。
ティラノサウルスは有名だが。
実際には、あれと同レベルの肉食恐竜は幾らでもいた。
戦闘力という観点では、肉食恐竜はそれこそどれが最強かという議論をしても、虚しいだけである。
そのティラノサウルスにしても。
最強の個体がどれくらい強かったかなど。
それこそ探すのは極めて難しいだろう。
群れで身を守っていたトリケラトプスと。
群れで狩をしていたティラノサウルスが、シノギを削っていたのが白亜紀末期である。
恐竜の時代は。
他も大体似たようなもの。
となると、ひ弱な翼竜が、限定的な環境でしか生きられないような状況で。
巨大化するのは無理。
その結論を出すのは、当然と言えた。
それで今回の論文だが。
発想を180°転換している。
翼竜は、自力で舞い上がることが出来た、と言うのである。
それこそ無茶だと言いたくなるが。
しかしながらこの目立つ巨体。
空を舞うので無ければ。
生存の目がない。
そこでこの論文を書いた学者は。
翼竜が、当時大量に存在していた。巨大な木を活用した、という説を上げた。
恐竜の時代には。
現在では考えられないほど巨大な木が、多数生い茂っていた。
それらを食い尽くしながら進んでいく巨大な草食恐竜、いわゆる雷竜が存在していたほどで。
その雷竜にいたっては、地上海中関係無く、生物史上最大の個体がいたかも知れない、という話がある程だ。
彼らは長い首と尻尾を持ち。
バランスを持って体を支えながら。
膨大な植物を食べ。
群れを成して進みながら。
進路上の森を食べ尽くし、進んでいた。
なお彼らの戦闘力は巨大なだけあって肉食恐竜の比では無く。
群れだと大型肉食恐竜でもとても手が出せなかっただろうというのが最近の定説になっている。
逆に言うとそれだけ植物が繁茂していたという事で。
巨大な植物によって構築された森が出来ていた可能性が高い。
翼竜はこれらの木に登り。
木の上で風を受けて。
飛んだのでは無いか。
そういう説が、論文には書かれていた。
何しろ翼竜は、実際の資料。
つまり化石が少ない。
其処で様々な分析をしていくしかないのだが。
確かに小鳥程度のサイズだった初期の翼竜。ランフォリンクスなどが有名だが。これらは樹上で生活していたという話もある。
そのまま巨大化する森に適応していたのなら。
或いは、一生陸上には降りず。
森の上で生活を続けていた。
そういう可能性もある。
森の上に巣を作り。
森の上から飛び立って海に向かい、魚を捕り。
そして森に戻ってくる。
たまに雷竜が地ならしをするようにやってくるが。
彼らも森を丸ごと食べつくす訳でも、木を全て倒していくわけでもない。植物を貪り喰っては行くが。幹や枝まで全て食い尽くす訳でもあるまい。
つまるところ、生活するところが被らないようにして、肉食恐竜を避けていた可能性が高い。
それが論文の要旨であった。
なるほど。
確かに頷ける。
どうシミュレーションしても、巨大な翼竜が肉食恐竜の魔の手を逃れられられるビジョンが無かったのだ。
実際問題、これは大きな問題になっていて。
プログラム班は、いつも頭を抱えていた。
化石という証拠があるから、存在したのは確実だが。
かといって、それがどう生きていたかは話が別。
だが、もしも当時の巨大な森林地帯を活用していたというのなら。
可能性は出てくる。
そして滅亡したのも。
恐らく、白亜紀末の大異変によって、森林地帯が壊滅したからだろう、という結論に行き着く。
しばし腕組みして考えた後。
科学者に連絡を取る。
これは、エンシェントで早速使ってみたい論文だ。
学者は、少し時間は掛かったが。
アクセスに応じてくれた。
論文を送ってはくれたが。
何しろベテラン。
多忙な生活をしているらしく。
ネット時代の今でも、そう簡単に会うことはできないようだった。
軽く話をした後、契約の話に移る。
さて、此処からだ。
アンモナイトの時のような悔しい思いはしたくない。
今度こそ。
売り上げも。
古代生物好きとしても。
満足行く結果に仕上げたかった。
1、空の覇王
空を飛ぶ、というのは極めて難しい事である。
人類が実際に空を飛ぶまでに、相当な時間を有したことからも分かるように。
体が重くなればなるほど。
重力は牙を剥き。
空は敵になる。
そういうものだ。
新しいシミュレーションの元。
翼竜の生活を見てみる。
丘にてくてくと歩いて行くケツアルコアトルスは、個人的にも無理があるとは思っていたのだが。
確かに巨大な森林地帯の、それも樹冠に住み着いていると。
案外無理がない。
更に言うと、あまりの巨体に、敵になり得る存在がいない。
現在でも、例えば翼を拡げると三メートル近くになる鳥は存在しているが。
これらを空中で捕獲して食おうとする生物は存在しない。
あくまで襲われるのは陸上で、だ。
大型の猛禽類も、飛ぶのには色々と苦労しており。
飛ぶために体を軽くするため。
相当体の中身は華奢になっている。
猛禽は優れた攻撃力を有してはいるが。
その一方で、致命的なダメージを受けてしまうと、もはや立ち直れない。そういうデリケートな生物でもあるのだ。
この辺り、陸上での生活に対して、大きなハンデがあるとも言える。
一方で、空を好きに出来ると言う強みは、確かにある。
空からの攻撃というか。
海中でもそうだが、頭上と足下は、どんな生物にとっても文字通りの急所なのである。
立体的な攻撃を受けた場合。
殆どの生物は対応する事が出来ない。
現在でも鳥類はその強みを生かして、多くの生物に対して優位に立っているが。
翼竜も、当時の制空権を掌握していたことは疑う余地がない。
今、私はシミュレーションで、仮想空間で翼竜を観察しているが。
翼長八メートルに達するケツアルコアトルスが。
巨大な森から顔を出して、周囲を伺っている。
いわゆる樹冠を利用し。
上手に高い木を渡りながら、風を待つ。
そして風が来ると、翼を拡げ。
一気に空に躍り上がった。
巨体が冗談のように空に浮かぶ。
そしてしばらく流されるようにして飛んでいたケツアルコアトルスは。
そのまま高度をどんどん上げていき。
やがて風を掴んだ。
滑空を開始。
海へと向かうと。
海風を上手に利用しながら、海面をさらうようにして、大型の魚を捕らえる。
この時が一番危ない。
この時代の海は魔境。
巨大な海棲爬虫類が幾らでも棲息しており。
その戦闘力は凄まじい。
現在の海に存在していたら、危なくて漁など出来ないだろう程だ。
勿論翼竜が海に来たら。
狙って襲った者もいただろう。
だからヒットアンドアウェイを行い。
高速で飛び回って、エサを確保する。
その後は、海風を捕まえて、また森に戻ると。
巣に戻り。
安心して休む。
なるほど。
この生活スタイルなら無理がない。
地上から羽ばたいていきなり上空に、というのよりは、余程自然である。
例えばケツアルコアトルスの場合、体重は兎も角、陸上を歩いていたときの背丈はキリンに匹敵したという説があるが。
これが自力で上空に舞い上がるのは、流石に厳しかっただろう。
仮想空間でシミュレーションしてみても。
そこまで都合が良くはいかない。
一応機械を使った実験での成功例はあるようだが。
それでも凄まじいエネルギーを消耗したことは間違いない。
それならば、最初から樹上にいて。
其処で生活していたと考えれば、余程筋が通る。
風を待つのも、地上で生活するより余程容易だっただろう。
また体重も、諸説あるが最大でも数百キロ程度だったはずで。
同じサイズの恐竜に比べればずっと軽かったのは確定である。
飛ぶというのはそれだけのハンデを抱えることなのだ。
現在の鳥と違うのは。
移動する時には、翼も使って四つ足で動いていただろう、と言う事で。
恐らく樹上でも、それで動くのなら、無理はないし。
むしろ木々の間を巨体で動くのなら、四つ足の方がやりやすいはずである。時には、巨大な嘴も使ったかも知れない。
シミュレーションをして見て。
充分に私は満足した。
肉食恐竜に制圧されている地上ではなく。
森の上、更には空を制圧する事によって。
頂点捕食者となった存在。
ただし陸上や海中の猛者達を相手にするには少しばかり分が悪すぎる。
故に森から舞い上がり。
森に戻り。
森で子育てをした。
そういう生物だったのだろうというこの復元は。
充分すぎる程に説得力を持っている。
私は頷くと。
まずはこれをベースにして、矛盾点などを洗い出し、細かい精査をして行くべきだと判断した。
論文を送ってくれた学者にも見せる。
エンシェントには前から時々来ていたらしく。
開発機を使った環境とは言え。
翼竜が生き生きと動く様子を見て、学者も喜んでくれたが。
幾つか注文を受けた。
「森に生活するといって、森に対する迷彩は不要だろう。 森の上部においては無敵だった可能性が高い。 木登りが出来る肉食恐竜はいただろうが、体重も限られる。 むしろ地上から見上げた場合発見しにくい色彩の方が可能性が高い」
「なるほど」
要するに、水鳥などのカラーリングか。
水中から見上げた場合、見つけづらくなる色彩。
或いは、陸上にいる小型の動物もかっさらって行く事があったかも知れないが。
地上の場合は、伏せている相手を見つけやすかったはずだ。
そもそも鳥は目が良いことが多いが。
翼竜も制空権を握っていた以上。
当然目はとても良かったことが推察される。
ましてやケツアルコアトルスを奇襲できる相手なんて限られるし。
それが不意打ちを仕掛けるのは難しかっただろう。
カラーリングがかなり明るくなる。
水鳥のように、白と青を基調にした姿となった。
今までイメージしていた翼竜とはかなり違うが。
これはこれで面白いかも知れない。
勿論、翼竜は研究がまだまだ進んでいない生物だ。
これが正解、という事は無いだろう。
だが、少なくとも。
無理のある地上からの飛翔や。
地上で身を守るための方法。
これらはクリア出来る。
他にもっと有力な説が出てくれば、それはそれで取り入れたいが。
今はこの論文に沿った内容で良いだろう。
学者も太鼓判を押してくれた所で。
今回はとても順調だ。
プログラム班に話を聞く。
現時点では、翼竜は元々あまり真剣にプログラムを組んでいなかったという事もあり。
一から組み直すのが楽しいという話が出ている。
まあ元は企業用のフリー素材を利用していたので。
翼竜の「浮きっぷり」が尋常では無かった。
それがまともになるのなら。
古代生物好きのスタッフも嬉しいのだろう。
私としても嬉しい。
後は、順番に。
一つずつ問題を解決していくだけだ。
どうせ問題は出てくるのだ。
一つずつそれらを丁寧に解決していけば。
黒字には出来る。
ただ、マナーの悪い客はどうしてもいるし。
更に展示には工夫もいるだろう。
今回は、空中からの観察コースが好ましいが。
素材として飛行機を引っ張ってくるか。
或いは飛翔装置のようなものを使うか。
ヘリは近年はほぼ無音のものが出来てはいるが。
それを検討しても良いかも知れない。
これらについては、良さそうなものを自分自身で見繕う。
それと、CMだが。
今回は、良さそうな展示に仕上がるまでは、CMを上げない。
この間のアンモナイトで大失敗した事もあるが。
私としても、中途の段階でCMを出して。
それを揶揄されるのは我慢ならない。
この間の件は、私の心に確実に傷を穿った。
同じ思いを味わうのは正直嫌だ。
そこで、まずは私が徹底的に事前調査を行い。
これは行ける、と思ったものをCMにて再現する。
そうした方が。
駄目だったとしても。
納得できる。
そういうものだ。
そもそも、フットワークが軽いという武器を使ってエンシェントは黒字を出してきたが。今までは急ぎすぎていたのかも知れない。
今後はより丁寧に展示を作る事で。
ぐうの音も出ないものを作り上げて。
客に文句を言わせない。
そのスタイルで行きたい。
プログラム班に翼竜の調整を任せる中。
私はジェットパックでの観察。
ヘリでの観察。
飛行機での観察。
色々試してみたが。
どうもジェットパックを使うのが面白そうだ。
ヘリでゆっくり見るのも良いのだが。
それに関しては、この間の海底洞窟のように。
「気持ち悪いから」とかいう理由で、せっかくの古代生物を全部消して「ヒーリングツール」として利用する客が出てきかねない。
それは少しは出てきても仕方が無いが。
それだらけになったら流石に頭にも来る。
丁度、この間のように。
古代の生物が、今の生物と姿が違うのは当たり前。
一時期大繁殖した勘違いしたヴィーガンのように。
自分の価値基準で、殺して良い生物とそうでない生物を決めて良い筈が無い。
動物園に来るなら。
動物を見て楽しんで欲しい。
その需要から考えると。
ジェットパックで翼竜を見に行くツアーは、色々と面白いと思う。
少なくとも私は面白い。
しかし待て。
この間のアンモナイトにしても。
雰囲気を重視したところ。
雰囲気だけを残して。
他のを全て消すという暴挙に出た客が多数出現した。
ジェットパックの面白さだけを重視して。
それ以外の全てを消す客が出てきても不思議では無い。
恐竜狩りをして面白がる客はいつも一定数いるが。
今回も同じ事をする客が大発生する可能性もある。
悩んだ私は。
開発環境から出ると。
AIに判断を求める。
客観的な意見が欲しかったからだ。
AIは案の定。
冷徹極まりない答えをくれた。
「相対的に見て、基本的に人間とは自己愛に満ちた生物です。 多くの場合、自分を基準にしてものを考え、他の思考を否定します。 良い例が様々な創作物で、基本的に超越存在は人間に近い形の存在ほど強力に描かれる傾向があります。 早い話が、人間こそ最高だと考えている証拠です」
「要するに、自己愛を煽ってやる必要があるというわけですわね」
「しかし露骨にやり過ぎると今度はそれはそれで不興を買うデータもあります」
「はあ。 難しいですわね」
例えば、愛情があれば、作品はヒットするという話はあるが。
それは嘘だ。
どれだけ愛情が籠もった品でも。
人の心を動かさないケースは幾らでもある。
例えば某国で、数十年掛かりで作り上げた鉄道模型の展示に乱入した無法者達が、全てを徹底的に面白がって破壊したケースがある。
これなどはその最たる例で。
人生を掛けて愛情を注ぎ込んで作ったものでも。
相手によっては届かない。
むしろ相手を苦しめて殺す事を楽しむのが人間だと言う事は。
古くから、人間がその歴史そのもので証明している。
法が無ければ人間は獣以下の存在だった事は、あらゆる全ての歴史が証明しているし。
挙げ句の果てに、人間賛歌とやらでそれを肯定的に説明する始末。
結局、客観的に人間を制御出来るAIが登場するまで、人間は知的生命体と呼べる存在にはならなかった。
それが現実である。
そのAIだって、奇跡的に人間が上手く作り上げられただけで。
奇蹟が幾つも重ならなければ。
どうせ人類は今頃とっくに滅亡しているか。
宇宙に出たところで、三文SFに出てくる邪悪な侵略宇宙人そのものになり果てて、「弱肉強食は宇宙のルール」などと称しながら全てを殺戮して回ったことは疑う余地もないだろう。
現在でもAIが監視していなければ幾らでも犯罪は起きる。
そんな生物と。
私は同じだし。
折り合いもつけていかなければならない。
ため息をつくと。
解決案について聞く。
AIは少しデータを検索した後。
幾つかの案を提示してきた。
「黒字を出すには、害客もある程度受け入れる必要があります。 しかしながら、クレームをいちいち聞く必要もないでしょう」
「そんな事は分かっていますわ」
「まずは様子を見ながら、プランを追加していくので良いかと想います。 近年ではマスコミが完全に消滅した結果、SNSでの個人発信情報が主流になっている状況もあり、どう情報が流動するかはまったく読めません。 真偽は分かりますが、それだけです」
「……」
そうなると、今までのコースをフルで投入するしかないか。
ジェットパック。
飛行機。
ヘリ。
後は主観視点で見るだけ。
これらのコースをお勧めのコースとして設定し。
設定も自由にいじれるようにする。
後はモニターが欲しい所だが。
どうせロクな連中が来ないだろう。
ピーコックランディングの連中は、専門家かも知れないが気むずかしすぎるし。
他のSNSでは、エンシェントで如何にクズ行為をするか自慢しているような客も複数いる。
この間にいたっては。
とうとうそいつらが大問題を起こした訳で。
私としても、信用は出来ない。
かといって、今は人間と直接会う事がない時代だ。
人間同士の問題は、人間が使う言葉などのコミュニケーションツールが極めていい加減だという事に端を発する。
これに利害関係が加わる。
要するに人間は。
高度な補助機能があるのであれば。
直接会わない方が上手く行く。
どうモニターを選ぶべきか。
今までもモニター自体は使っていたのだが。
いずれも集客には結びつかなかったし。
金だけ無駄に使うことになった。
それならば、オススメプランを幾つか用意して、更にはガイドラインも整備するのが良いか。
どうせ客は注意書きなんて読まない。
これは地球にあった動物園の時代からそうだ。
それならばチュートリアル機能を強制的につけるか。
いや、それもあまり歓迎できない。
客としては何も考えずに仮想空間に行きたがるはず。
催眠学習が発展した今でもそうだ。
今でもこうなのだから。
昔の人間と接する仕事をしていた人達の苦労が思いやられる。
ため息をつくと。
少し頭を冷やすことにする。
しばらくココアを飲んで頭を冷やしていると。
AIが提案をして来た。
「モニターの方向性自体を変えてはどうでしょう」
「うん?」
「今までは無作為に選んだモニターに感想を集めていた筈ですが、そもそも古代生物に興味を持つ人間に限定してみては」
「古代生物に興味が無い人間が結構アクセスしていて、それが収入源になっているから無駄」
AIは少し考え込んだ後。
更に言う。
「エンシェントにアクセスした人間の中から、無作為にモニターを選ぶのは」
「……ふむ」
「それならば、恐らく不平等は出ないかと思います」
「確かに……」
完全に此方をおちょくるつもりで来ている害客でも。
それは一応エンシェントに興味を持っている、という事を意味している。
それならば、無作為にモニターを集めるよりはマシか。
頷くと、二千人ほど軽くデータを集めてみる事にする。
元々良心的なアクセス料金だが。
それをただにする代わりに。
最新コンテンツを見て評価をする。
こういうエサで釣る。
ただし一回モニターをしたからと言って、以降特別扱いはしない。
こういう条件でモニターを募った所。
すぐに定員が埋まった。
早速、翼竜の展示を見せる。
データが二千だとちょっと少なすぎるが。
まず軽く調べて見るには良いだろう。
そうすると、以下のような反応が返ってくる。
「何この超デカイ鳥。 怖いんだけど」
「翼竜って奴だよな。 こんなん間近で見るのヤダ。 嘴に刺されるといたそう」
「キモイ」
「近付きたくない」
巫山戯ているだろう客のデータをそぎ取ってもコレか。
何というか、人間は本当に自分の知らない者に対して拒絶感を示すのだなあと、思い知らされる。
だがそれでも客は客。
金を落としてくれれば良い。
いずれにしても、近くで見なければ良いのだとすると。
飛行機プランを今度はモニターして見る。
そうすると、前よりは評判が良い。
「このくらいの距離だと、翼竜のでかさがよく分かって面白い」
「あれが飛ぶの凄いな」
「近付かなければきもくない」
「これが良い感じかな」
ふうん。
まあそういう考えの人間もいるのか。
ジェットパックでのツアーとは偉い違いだ。
いずれにしても、注意書きなどを入れておく必要があるか。
モニターに関しては以上でかまわない。
それに、このモニターでSNSに次のアップデートについて漏れた。
だから、CMも流すことにする。
翼竜が。
巨大な空の覇者が。
悠々と空を舞うCMである。
今回は単純明快。
ストーリー性もいらない。
ただひたすらに巨大な翼竜が、飛ぶ。
それだけで、充分なインパクトを作り出す事が出来る。
巨大さを現すには、幾つかの比較対象を入れれば良い。例えば、その影が肉食恐竜を覆ってしまうとか。
事実翼竜は、翼を拡げるとそれくらいの大きさはあった。
そして海の上を飛ぶ翼竜を。
視点をずらして、海中から見ると。
とても見えづらくなる。
空の色に紛れて。
信じられない巨体が、居場所が掴めなくなるのだ。
突如海に突っ込んできた巨体が。
魚をかっさらっていく。
それでCMはおしまい。
これで今回は充分だろう。
SNSの反応を見る。
「今回はエンシェント、随分シンプルに来たな」
「知ってるか? 翼竜って恐竜じゃないんだぜ」
「知ってる。 それでエンシェントでも大々的に宣伝している、ってわけか。 恐竜は放っておいても客が来るもんな。 それにしても、翼竜に良く手を出したな。 未だに諸説が入り乱れてるってのに」
「実際今まではごくオーソドックスな説を採ってたしな。 今回のアップデートで、結構大胆な説を採ってくるのかも知れないな」
反応は悪くない。
案外シンプルな方がウケが良いのかも知れない。
私は頷くと。調整の続きに入った。
今回は、失敗しない。
同じ失敗は、二度としないつもりだ。
2、空の覇者は森の覇者
学者と何度も話し合いながら、翼竜について詰めていく。
翼竜と言っても、二群が存在しており。
有名なランフォリンクスを一とする、小型で飛ぶのに何ら問題が無い者達。
彼らは嘴口竜亜目と呼ばれる分類に属していたが。
残念ながらジュラ紀末に衰退してしまった。
一応白亜紀まで少しは残ってはいたが。
いずれにしても、後続に道を譲ったとも言える。
この後続が、プテラノドンに代表される巨大種、翼指竜亜目であり。
ジュラ紀末に発達し始めた彼らは。
やがて恐竜の時代の制空権を握ることとなった。
彼らの特徴としては兎に角巨大である事と。
そして大型の嘴を持っている事である。
この嘴について。
私に論文を持ち込んだ学者は、独自の説を述べるのだった。
「翼竜は後ろ足が短く、大きな翼もあって、四つ足で地上をよちよちと歩いていたと思われている。 だがこれは、その場で素早く飛び上がる事が出来なければ、体格が小さめの肉食恐竜にさえ襲われてしまう脆弱な性質だ。 ましてやグライダーのように飛ぶのであれば致命的すぎる」
「そうですわね。 シミュレーションでも、どうしても無理が出る分野ではありましたわ」
「ロボットなどを用いた実験で、離陸することは可能と結論している論文もあるが、私の説ではそれは無理だとも思っている。 現在も大型の鳥類が空に舞い上がるときは助走を必要とするように、少なくともあの後ろ足だけで機敏に動けなければ、舞い上がることは難しい。 翼も含めて四つ足で歩いていたというのは無理がありすぎるのだ」
何度か聞かされたが。
これは自分にも言い聞かせているのかも知れない。
そこで樹上生活、である。
実際、短い足に長い翼は。
四つ足で移動するには、地上では不利だ。
翼を強引に動かしてその場で飛び上がる事が出来たとしても、その時間的ロスはとても大きかっただろうし。
何よりその間、貧弱な後ろ足で体を支えられたのだろうか。
肉食恐竜からどう自衛した。
例えば、厳しい岩山などで暮らし、肉食恐竜を避けていたというのならまだ話は分かるのだが。
都合良くそんな地形ばかりではないだろう。
そして現在の鳥が、海鳥などの巨大営巣地を作る例を除くと。
大体は樹上か。
或いは外敵が入りにくい巣を作る事からも分かるように。
空を飛ぶ生物は。
空を飛ぶこと自体にメリットがある。
翼竜も同じだった可能性が高い。
鋭く長い嘴は。
樹上でこそ、猛威を振るったのではあるまいか。
「樹上から獲物を狙ったり、樹上で他の枝に移動するために嘴を使う事が、シミュレーションで上手く機能しているのは開発機で確認させて貰った。 また体色も、海鳥と同じように海面からはカモフラージュできるようにした。 更に羽毛を生やすことによって、恒温動物としての性能も備えた」
「一旦浮き上がれば、定説通り時速50キロ前後でケツアルコアトルスが飛行できることも確認できましたわ」
「うむ……それでは着地だな」
プログラム班が苦心の末。
着地についてもシミュレーションをしてくれている。
やはり樹上のテリトリーに。
翼竜は器用に着地している。
最初は翼で速度を落とし。
ゆっくり羽ばたくようにして減速して。
そして枝に降り立つ。
確かに肉食恐竜がシノギを削る地上に降りるよりは。
この方が余程現実的だ。
そしてこの時代は。
雷竜が大勢で押しかけても大丈夫なほど、森が繁茂していたのだ。
翼竜の巨体といっても、せいぜい数十キロから重くても数百キロだが。
その程度を支える程度の巨木はいくらでもある。
巨大な翼も、樹冠で生活するならば、それほど邪魔にはならない。
そして巨大な嘴は。
森で生活する小型の獲物を捕食するのにも。
巣を作るのにも。
役に立つ。
「うむ、うむ。 理想的なシミュレーションだ」
学者は感動しているようだった。
確かに翼竜には不審な点があまりにも多すぎた。
化石は発見されている。
巨大化の変遷も化石として残っている。
だがあまりにも、その存在には無理がありすぎる。
だからこそに、翼竜という存在には、議論が絶えなかった。
この状況なら、全てが腑に落ちる。
そして、である。
白亜紀末には、いわゆる大量絶滅が巻き起こったのだが。
この大量絶滅時。
地球上の森林が全部燃え上がったほどの火災が発生したことが分かっている。
原因は活発化した火山活動だったり、或いは隕石落下による衝撃波とダメージだったり様々だろうが。
いずれにしても、隕石の中身だったと思われるイリジウムや。
火災の結果生じただろう炭などが。
事実として地層から出土しているのだ。
これは単純な物理的なダメージだけではなく。
生活空間を奪うという意味でも。
翼竜にダメージを与えたはずである。
雷竜などの、大量のエサを必要とする恐竜にも致命傷だっただろうが。
それ以上に、そもそも森が消えてしまった事で、翼竜は生活する場所を失い。
致命傷を受けたのではあるまいか。
例えば高所岩山などで、肉食恐竜が入ってこられない場所に巣を作っていたのなら。
むしろダメージは少なかったはずだ。
だが、もしも樹上に巣を作っていたのだとすると。
文字通り次代を根こそぎやられたことになる。
小回りがきく小型の鳥類は、ちょっとした小さな木でも巣を作れただろう。
だが翼竜は、そうはいかなかった。
巨大で強いと言うことが、徒になったのだ。
学者は熱弁していたが。
私もなるほどと頷かされる。
全てで納得できる。
確かに、翼竜は樹上生活していたと考える方が、余程無理がない。
「このシミュレーションであれば、私には異存がない。 このまま是非続けてくれたまえ」
「分かりましたわ」
「此処に論文を持ち込んで良かった。 私は翼竜に強い思い入れがある」
「……」
そうだろう。
話している際にも。
並みならぬ翼竜愛を感じた。
そしてそういった愛情は。
私にもある。
古代生物全般に、であるが。
翼竜を愛する気持ちは良く分かるし。
だからこそ、この間のアンモナイトの時は。
心ない客の悪意に満ちた行動で傷ついた。
「まだホンモノの翼竜がどうやって生きていたのかは分からない。 今回の私の説が、仮説に過ぎないことは重々承知している。 だが、これが仮説として成り立つ事を君の仮想動物園が証明してくれたのも事実だ。 今後、新しい結論が出たら、真っ先に此処に持ち込もう」
「ありがとうございますですわ」
アバター同士で握手を交わし。
そして、書類作業などをした後。
学者と別れる。
私は、もう少しシミュレーションを回して、CM第二弾をどうするかを考えていたが。
客は今回、どうせ飛行機から見るプランを選択するのだろうし。
私としては、あまり言う事も無い。
翼竜の魅力を引き出すよりも。
むしろ翼竜という存在で客寄せすることだけを考えた方が良いだろう。
もしもCMに愛情が感じられないとか言い出す輩がいたら。
こう返すだけだ。
お前達がそれを望んだのだろう、と。
アンモナイトの時も。
そのほかの時も。
私はCMに、古代生物への愛情を徹底的に詰め込んできた。
それらを揶揄し、馬鹿にし。
害悪客として嘲笑してきた者は非常に多かった。
もう私は。
いちいちそういった客を相手にするのがアホらしくなった。
仮想空間から現実に戻ると。
ロボットに身繕いさせて、外出する。
この間出向いたクレープ屋が気に入ったので、其処で適当にクリーム山盛りのメニューを頼む。
なお現在では。
肥満は基本的にカプセルで休んでいる間に、副作用のない薬剤を投与することで脂肪を消耗させて改善する。
これは地球時代に人間が行っていたダイエットが著しく非効率的で。
しかもリバウンドで更に太る傾向があったからで。
結局薬で痩せた方が良い、という医学的結論が出たからだ。
ただしそれでもものには限度があるため。
ロボットには、食べ過ぎている場合は警告される。
今回は、クレープ一つを食べているだけなので。
別に警告はされなかったが。
甘いものを食べていると。
色々と頭も働く。
翼竜が、飛行機の側を飛ぶと。
飛行機より大きい。
これなんかどうだろう。
別に客は翼竜に興味なんか持たない。
それならば、翼竜が如何に大きくて。
空を自在に飛ぶ。
その事だけをCMで強調してやれば良い。
そういう事だ。
クレープを食べ終えると。
珍しく他人とすれ違った。
基本的に今は他人と接触しない時代だ。
ベルトウェイ(自動走路)に乗っているだけで、勝手にすれ違うだけで。
挨拶もしない。
そも護衛のロボットがついている事が普通だし。
喧嘩をふっかけたら監視カメラで即時にジャッジが行われ。
場合によっては即逮捕である。
犯罪のリスクが大きすぎる今。
人間同士は直接関わらない事が多いのだ。
人間が自分の足で立っていない、などという批判も起きた事があったらしいが。
実際犯罪は起きず。
ストレスもたまらず。
ロボットも反乱を起こさなかった結果。
今の時代がある。
すれ違った相手は、猫背で顔色も悪かったが。
此方には見向きもしなかった。
複数の立体映像を周囲に浮かべていたところから見て。
移動しながら、SNSでやりとりをしていたのかも知れない。
珍しいことでは無い。
移動の時間がもったいないと。
そうやって過ごす人は。
地球時代から多かったと聞いている。
自宅に戻ると。
メールが来ていた。
外に出るときは、メールを気分次第で確認して、必要な時以外は気分が乗らなければ返信しない。
余程の重要事以外は、連絡も受けないようにもしている。
つまり、些事と言う事だ。
なおメールを寄越したのは、プログラム班の一人だった。
「社長、すぐに開発機に入ってください。 大きめのミスが見つかりました」
「ん」
すぐに開発機から、仮想空間にアクセス。
先に待っていたアバター(リスの姿をしている)が、案内してくれる。
とはいってもアバターである。
デフォルメした姿なので。
リアルな白亜紀では浮きまくっているし。
実際物理法則を無視しているので。
空中を飛んでいるのだが。
「此方です」
「……これはまずいですわね」
「はい。 如何しますか」
シミュレーションを山ほど重ねている結果。
どうしても此処に問題が生じたという。
翼竜の捕食効率と。
飛行時のエネルギー消耗が。
どうしても釣り合わない、というのだ。
現在の生物でも、例えばハチドリなどは、常に食べ続けていないと餓死するという、恐るべき燃費の悪さを誇る。
翼竜も巨大だから、恐らくその傾向はあるだろうと思っていた。
だが最新の復元図で飛ばしてみると。
飛ぶ事も、浮き上がることも、着地することも出来るのだが。
どうしても現在の想定される予想飛行速度と小回りで、捕食できるエサによっては。
消費エネルギーが追いつかない、というのである。
しかも翼竜は恒温動物だった可能性が高い。
翼竜は恐竜では無いが、かなり恐竜と近い種族である。
恐竜が恒温動物であったかどうかについては、現在でも議論が分かれているが。
大型の飛翔動物である翼竜に関しては、恒温動物であっただろうという説が現在でも主流だ。
変温動物に対して、恒温動物はメリットが幾つかある。俊敏に動く事が出来、活動できる時間や範囲が広いという事だ。
鳥類が恒温動物なのも当たり前で、あのガタイで空を飛ぶには、恒温動物の高い出力が必要なのである。
反面欠点として、餌を著しく大量に必要とする。
蛇でたとえると、人間が一週間に一度食事をすれば良い、くらいに燃費に差がある。
恐らく翼竜も。
空を飛んでいる以上、それに変わりは無かったはずだ。
ハチドリほど燃費は悪くなかったとしても。
そもそも無理をして、巨体で空を飛んでいたのである。
大量のエサを喰らって、それで余裕を持って飛べたかというとかなり怪しい部分もある。
かといって、エサを捕獲して巣に持ち込んだりハヤニエにしたりして。
必要な時に食べる、という事をしていて。
その巨体を本当に維持できただろうか。
それらをシミュレーションしたら。
やはり何をやっても無理臭い、という結論に到達したらしい。
「恐らく現状の理論では、消費カロリーとエサが釣り合いません。 それこそ、翼竜が果実でも食べていたという状況でも無い限り……」
「流石にそれは大胆すぎますわね」
可能性はある。
甘い果実は高いカロリーを秘めているし。
何より果実を翼竜が食べ、種を糞として広範囲にまき散らせば、植物の側にもメリットがある。
だが、果実食を翼竜が行っていたかというと。
流石に異説過ぎる。
仕方が無い。
此処は保留だ。
「シミュレーションの結果については、正直に公表。 しかしながら、それは敢えて無視ですわ」
「分かりました……」
「惜しい所まで行ったと思ったのですけれどもね」
口惜しいが。
古代の生物には分かっていない部分も多いのだ。
こうやって妥協しなければならない場所も珍しくない。
今回も、どうしても計算が合わなかった。
後は本職の学者に任せるしか無い。
嘆息すると、一旦引き上げ。
CM第二弾を作る事にする。
今回はモニターも入れたし、既にSNSでは話題になっている。
CMについては。
もう正直な話、色々諦めているし。当初の予定通りで行く。
最悪の場合、客足だけでも引き出せればそれで良い。
今回は飛行機でのツアー。
流石に翼竜を消して、ただ空を飛ぶだけという状況を楽しむ客はいないだろう。
そう信じて、アップデートの完成を待つ事にする。
私はあくびをすると。
CMを、黙々と造り続けた。
今までに比べて、著しくシンプルなCMを流す。
飛行機で白亜紀の空を旅しよう。
飛行機より巨大な翼竜達が、側を飛ぶ。
それだけの内容だ。
SNSでの反応は流し見する。
正直な話。
客に悪意があると強く感じ始めているので。
それにいちいち反応するのも馬鹿馬鹿しいと感じ始めているのだ。
「あれ、今回のエンシェントのCM、めっちゃ簡単じゃね?」
「確かに……普段アホほど凝ってるのにな」
「社長がCM作ってるらしいと聞いたが、風邪でも引いたか?」
「さあ……」
困惑の声が聞こえてくる。
個人的にはどうでもいい。
てかお前らのせいだ。
ぼやきたくなるが。
そんな事を言っても意味がない。
一応客だ。
客は神と言ったのは、地上時代の日本人だったか。
私のご先祖だ。
だが、その結果クレーマーという邪悪な連中がやりたい放題をするようになり。
客商売に掛かるストレスは激甚なものとなった。
その結果。
元々高度な専門職だった客商売の人材はゴリゴリと消耗していき。
最終的にどうなったかは。
歴史の流れをみれば良く分かる。
本当に今の時代にいて良かったと想う反面。
此奴らが今の時代まで生きている事に。
少し苛立ちも感じる。
ピーコックランディングも見に行くが。
其方はむしろ、他のSNSよりも困惑していた。
「これ、今まで厳しく言いすぎたんじゃ無いのか。 かなり攻めていて面白かったCMが、無味乾燥な代物になってるが……」
「お、俺のせいじゃないぞ」
「子供みたいな言い訳するなよ。 毎回酷評していたくせに。 そのくせ裏垢では毎回楽しみにしていることを口にしてたじゃないか」
「それ以上は無しだ」
これが学者の会話か。
私は口をへの字にして様子を見守っていたが。SNSの公式アカウントに、心配するメッセージが寄せられるようになると。返答はAIに任せて、一旦SNSを見るのを止めた。
巫山戯るな。
そう言いたい。
此方が心血注いで作ったものは嘲笑っておきながら。
無難に仕上げたらコレか。
またクレープでも食べに行こうかと思ったが。
やめる。
この間から甘いものの消費量が増えすぎていると警告されたばかりである。
止めた方が良いだろう。
無理矢理寝ることにした。
会議までまだ時間はあるし。
最近ストレスがたまっていた。カプセルで休んで、少しでもストレス軽減処置を執った方が良い。
CMについてはどうでも良い。
そっちがこういうCMを作らせたんだろう。
その言葉しか無い。
翼竜に関する愛情は失っていないつもりだが。
客に関しては。
もう此方を最初から馬鹿にして掛かっていると思う事に私はした。
だから客が何をしようと、AIに対処させるし。
問題行動が起きる様なら、機械的に対応する。
それ以上の事は考えない。
カプセルで定時会議の時間まで休んで。
ストレス除去処置を行う。
ぼんやり休んでいると。
リラクゼーションの効果がある催眠処置がずっと行われ。
私のストレスを軽減する。
昔は薬で無理矢理ストレスを軽減していたらしいが。
今はこうやって外的処置によるストレス軽減が主流だ。
肥満に対しては、薬品による処置が主流になっているので。
逆になっている。
この辺りは、医療の進歩というか。
変遷なのだろう。
まあ、より効率的な医療が一般化するのは良い事である。
起きだしてからは、少し気持ちが楽になったのを感じた。
気分を切り替えて。
会議に出る。
幾つか細かい修正点について話が出たが。
プログラム班に工数を指示するだけで問題ない。
昔と違って、そう大慌てで作るものでもない。
会社の資金はまだまだ潤沢。
慌てる要素は一つも無い。
ただ、社員のアバター達が困惑しているのが分かった。
「社長。 どうも機嫌が悪いように見えるのですが、問題でもありましたかニャー」
「アンモナイトの際の、害悪客の件で機嫌が悪いだけですわ。 貴方たちには一切関係ないので、まったく心配はいりませんわよ。 むしろ貴方たちはとても良くやってくれていますわ」
「そ、そうですかニャー」
「ともあれ、どうしても解決できない矛盾はもう放置して、それ以外の所で完璧を目指してくださいまし。 古代生物は学者の間でも、定説が常にひっくり返る業界。 タイムマシンでも無い限り、ホンモノが分からない以上、矛盾はどうしても出ますわ。 矛盾が出たなら報告。 解決できないなら取り繕って放置。 それでかまいませんので、作業を進めるのですわ」
AIのジャッジに掛け。
それで問題ないと結論。
会議を終える。
さて、結局の所、数日以内に翼竜の大型アップデートが出来そうだ。
白亜紀の空の覇者でありながら。
謎が多すぎて、分からない事だらけの生物、翼竜。
今回のアップデートで新説を取り入れるが。
それが何処まで当たっているのかは、私にも分からない。
学者にだって分からないのだ。
当たり前の話である。
私は仮想空間からログアウトすると、目を擦る。
眠いのでは無い。
何だかかゆいのだ。
ロボットに服装を整えさせる。髪も。
そうやっておしゃれをしていると、多少は気分も晴れる。
この辺り、おしゃれは自分のためにするものだという事がよく分かる。
「さて、今回のアップデートでは、どれだけ稼げるか。 どれだけ翼竜に愛を注げるか」
呟く。
翼竜への。
いや、古代生物全体への愛は変わっていない。
社員達も信頼している。
だが、私はこの間の一件で、客に対する徹底的な不信感を覚えたかも知れない。
いずれにしても、もう客には。
金を落とす事以外は一切期待していない。
経営者としてはそれで良いと思うし。
考えてみれば、考え方を共有する何て事は、人間には高度すぎるのだ。勿論私自身も含めて。
SNSを流し見。
最後の状況確認をする。
やはり簡素なCMに対して、不安と懸念の声が上がっていた。
この間のアンモナイトのアップデートで、害悪客がやりたい放題やった事が原因ではないかという声も上がっていたが。
それは少数だった。
まあそれもそうだろう。
人間は自分が常に正しいと考えたがる生物だ。
自分が間違っていたのかどうか、反省できる個体なんてごく少数しかいないのである。
ならば、この反応も。
当然だと言えた。
3、舞え翼竜
アップデートが完成した。
調整も完了した。
まず、私が全ての「お勧めプラン」を確認。
飛行機を試す。
わざわざ遠くから見て何が楽しいか分からないが。
前にアンモナイトを気持ち悪い呼ばわりして、挙げ句の果てに海底洞窟だけ残して生物を全部設定で消し。雰囲気だけ楽しむという害悪客が大量発生した事からも。集客には、こうやって仮想空間であるにも関わらず動物と距離を置く展示が必要。そう私は判断していた。
ホバージェットでの観察。
ヘリからの観察。
いずれも試した後。
私は設定を変えて、翼竜に乗って見た。
一度やってみたかったのだ。
羽毛が生えた復元図が近年では普通になっているが。翼竜の背中は大きくて、羽毛もふかふかである。
嘴が鋭すぎて、突かれたら一撃で即死確定だが。
翼竜による此方の攻撃をカット。
敵意や警戒もカット。
それでやっと乗れる。
背中に乗って、彼方此方を飛び回る。
風などはある程度緩和しているが。
それでも凄まじい迫力だ。
速度自体は、それほど出ていない。人間の走る速度の倍程度だから、飛ぶ生物としては遅い方だろう。
それでも時々急旋回したり。
一気に下降して海の魚を嘴に掛けたり。
或いは、既に存在していた鳥を、空中で補食したりと。
かなり自由な動きを見せている。
なおこの時代の鳥は、まだかなり恐竜に近い姿をしているので。
今の時代の人間が想像する鳥とは、結構違っている。
これでも翼竜は、力が足りていない。
そう考えると。
ホンモノはどうだったのだろうと。
私は背中に乗ったまま、思ってしまう。
「貴方は一体、本当はどういう生物だったんですの?」
問いかける。
勿論返答などない。
翼竜ケツアルコアトルスはやがて巣に戻ると。
其処で四つ足の体勢になり。
休みはじめた。
背中から降りると、その姿を観察する。
海鳥を思わせる青と白のカラーリング。
これは森では、外敵を警戒する必要がない反面。
海では敵を大いに警戒しなければならないからだ。
空では無敵であっても。
海面に近付くときには。
当時魔界に等しかった海の生物たちと、まともに接することになる。魚だけを捕れれば良いが。
そう簡単には行かないのだ。
枝に巨大な嘴を乗せ。
そして姿勢を安定させると。
ケツアルコアトルスは眠り始める。
近年、同格の巨大翼竜が複数発見されている事から考えても。
このような巨大な翼竜が繁栄できる環境が地球にあったのは疑いのない所なのである。
しかし、まだ私も。
学者達も。
翼竜の真実には到達できていない。
本当の翼竜がどうだったのかは分からない。
側で見ていると。
何だかこの巨大な生物が。
とても儚く思えてきた。
仮想空間でしか生存できない生物。
矛盾も抱えていて、実際に存在したらどう頑張っても飢えて死んでしまう。
つまり実際に生きていた翼竜とは違う。
何をクリア出来れば実際に生存できるのか。
それが分からない。
私はしばらくじっと翼竜を見つめていたが。
通信が入る。
「社長、そろそろ……」
「分かりましたわ」
手を振ると、仮想空間からログアウトする。
そして。
大型アップデートの完了と。
客へのアクセス解禁を告知。
後の事は精神衛生上良くないので、好きにさせる。
少なくとも、売り上げに関する問題と余程大きなバグが発覚しない限りは放置。
私は相当いじけているらしいが。
自分でもこればかりは仕方が無いと思う。
ただ、社長の責務を無視するわけにはいかないので。
アクセス解禁からしばらくは、AIに監視をさせつつも。
自分は自室でぼんやりと論文を読んでいた。
翼竜に関しては本当に様々な説がある。
今回採用した樹上生活説は極めて希。
やはりもう空を飛ばせることを諦めた論文もあるし。
それはそれで読んでいて面白い。
一方で、どうしてもその場で空に力強く舞い上がれたのだと主張する論文もあり。その高い飛翔能力でスカベンジャーをしていたのではないかという結論に達していたが。あの巨大な体格で。肉食恐竜の襲撃をかわすように飛び上がる事が本当に出来るのかは、極めて疑問である。
それらの疑問についてのシミュレーションでの返答もあるにはあるが。
私が読んでも納得できないくらいだし。
多分論文を書いている人間も納得していないだろう。
分からない。
それしか出てこない生物なのだ。
飛んでいたのは間違いないだろう。
今回はモデルの一つとして、完成度を上げることは出来た。
だがそれでも、真相には遠い。
それは私も分かっている。
だからこそに。
こういった、無理のある論文は。
それはそれで見ていて参考になるのである。
さて、AIでのアクセス履歴集計を確認する。
それなりに客は入っている様子だ。
オススメプランの中で、やはり飛行機が人気のようで。
ジェットパックで側まで見に行く客は殆どいない。
古代生物は好かれていない。
それがよく分かる。
まあそれは分かりきっていた話だからどうでもいい。
割切ったのだ。
金さえ落とせば良いのだと。
ただし、客に媚びるものは作らない。
それは今後も変える気は無い。
さて、SNSの方も、AIが集めて来た情報にざっと目を通す。
今までは自分で目を通していたが。
それも馬鹿馬鹿しくなったから。
もう任せてしまう。
そうすると、客が困惑しているのが分かった。
「斬新な解釈で面白いのはいつも通りなんだが、なんでこんなに今回CMが簡素だったんだ?」
「やっぱりアレだろ。 アンモナイトの時の害悪客……」
「俺はそんな事してないぞ!」
「でも、SNSでもニュース見たが、相当数の人間がやってたらしいだろ。 実際にデータとしてログが残ってるらしいじゃねーか。 αユーザーの、仮想動物園の気持ち悪い動物皆殺しにして見たってスクショが発端らしいけど」
「それも本当に存在したのか? ログ検索しても出てこないんだが、もう業務営業法違反で削除されたのか?」
何だそれ。
初めて聞いた。
いや、そんなのが発端だったら、まず間違いなくAIが拾ってきている筈。
此処に届いていないと言う事は。
ただの噂だろう。
「満足度は高いが、社長の作るCMの熱量がいつもと違いすぎるな。 俺、あれ楽しみだったんだけど」
「SNSで検索すると、毎回CMが発表された直後は揶揄するようなコメントばっかりだぞ。 ログ検索するとすぐに分かるけれど、会社の経営をしている以上リサーチで見ている筈で、これだと心だって折れるだろ。 エンシェントの社長、適性持ちで今の仕事やってるらしいが、それでもまだ十代だぜ。 その上、この間はアンモナイト関係で作り手の試行錯誤をぶちこわしにして笑いものにするような害悪客が溢れたしな」
「客商売である以上、それでも無碍には出来ないか。 厄介な話だな……」
「そもそも誰なんだよ、せっかくの展示を台無しにして、無茶苦茶な事しやがった連中……古代生物が好きじゃないんなら、見に行くなよ……本気で古代生物が好きなのが良く伝わる珍しい場所なのに」
SNSでの反応が驚きだ。
私が今まで心血注いでいたCMを馬鹿にしていた連中が。
揃って慌てている。
勿論いつものように馬鹿にしたコメントをしている者もいるが。
それは揃ってたしなめられていた。
私はこういうとき。
どういう反応をすれば良いのだろう。
世の中捨てたものでは無いと喜べば良いのか。
それとも、もっと早くそう言って欲しかったと嘆けば良いのか。
いずれにしても、しばらくは静観することにする。
こうやって私をぬか喜びしておいて。
揃って手を返して。
後で更に落ち込むところを見て、嘲笑うつもりかも知れないからだ。
希望を一旦持たせた方が。
絶望に落ちたときのダメージは更に大きくなる。
いずれにしても、会議に掛ける。
そして、私は宣言した。
「しばらく私はCMを簡素な方向で作りますわ」
「えっ。 しかし、ユーザーの反応を見る限り、社長の不調を心配しているように見えますニャー」
「さあどうだか」
「……いずれにしても、様子見をするのは悪くない判断ですのだ」
社員達も。
今までのSNSでの揶揄合戦は見ていたのだろう。
今の時代。
プログラマーの定年三十代説なんてのは過去の話。
古い時代は、それくらい無茶苦茶な労働をしていたらしいが。
今はそんな事もない。
つまりプログラマーでも自分の時間を取ることが充分に出来る。
また通勤という悪夢のような「儀式」もなくなり。
基本的に何処の誰でも、自宅で仕事をするのが普通である。
会議だってこうやって、仮想空間でアバターを通してやっているのだ。
直接人間と会ってストレスを貯めることも無いし。
「マナー講師」とやらが毎年作る訳が分からないマナーのせいで、人格否定をされるような事も無い。
古い時代にはそれら全てが存在して。
ちょっとしたことからいわゆる村八分にされ。
精神を病んで体を壊し。
勿論体を壊させた会社は責任など一切取らず。
会社を「辞めさせられる」以外の選択肢が無くなるケースも珍しくなかったそうだが。
勿論私はそんな愚かしい時代の人間を見習うつもりは無い。
まあ今の時代。
そんな事したら、速攻で査察が入って、会社は解体だが。
つまりプログラマー達は自分の時間を持っている。
だから、私がSNSで笑いものにされているも同然の状況は見ていたし。
それで憤りは感じてくれていたのだろう。
「社長の負担は小さくないのは確かですのだ。 次の大型アップデートでも、CMは控えめにやっていくのが良いですのだ」
「……それでは、それで決まりで」
「……」
何か言いたそうにする社員もいたが。
AIも反応を見る限り、今はむしろ静かにした方が良いと判断したようで。
ジャッジは「是」であった。
仮想空間からログアウト。
胃がきりきり痛む。
嘆息する私に。
AIがアドバイスをくれた。
「ストレス軽減処置を執りましょう。 カプセル内でリラクゼーションプログラムを受けてください」
「分かっていますわよ。 ただ、仕事をするとストレスががつんと跳ね上がるは避けられませんわ。 社員を食わせているし、何より私はこの仕事が……」
「解決策は総合的に分析いたします。 今はお休みを」
「……分かりましたわ」
言われるまま、カプセルに入って休む。
心を落ち着かせる音楽。
香り。
静かな闇。
目を閉じて、身を静寂と癒やしにゆだねる。
問題があったら叩き起こされるが。
しばらくは、作ったものを客が勝手に楽しんでいればいいと思う。
後でログを見れば良い。
ビジネススピードが過熱しすぎて、人材をゴミのように浪費し続けていた時代と違って。
今は真夜中に障害が起きても。
保守の人間が即座に叩き起こされてタクシーで呼びつけられ。
無茶苦茶な要求をこなし、体を壊しながら修理を行う事もない。
一番クリティカルな保守でさえそうだ。
今は、其処までする必要もないのだ。
しばらく無心に眠り。
もう眠るのに飽きるまでそうする。
そして、起きだしてきたときには。
十三時間が経過していた。
トイレに一度行ってから。
ログを確認。
AIが包括的に集めてくれていた。
アクセス率は147パーセントだが。これは、一回以上アクセスした客をカウントしているためである。
飛行機でのオススメプランでアクセスした客が73パーセント。
翼竜が側を飛ぶという事で。
非常に満足度が高かったようだ。
ジェットパックのオススメプランに関しては。
やはり19パーセントと低迷。
自分で設定を弄った客も。
20パーセントほどいた。
これに関しては。
設定のカスタマイズ方法について。
アクセス前に丁寧なチュートリアルが入るため。
設定をオススメプランからカスタマイズする客がいるだろう事は想像がつく。
強力な銃を持ちだし。
相手を無抵抗モードにして。
撃ち殺して遊ぶような客もいた。
まあ個人でアクセスしている分には勝手にすれば良い。
実際アノマロカリスの時にも。
食べて見た、という学者がいたのだから。
此方としても、色々客のリテラシーやモラルの低さは散々見てきているので。
どうでも良いと思って気にしないことにしている。
その一方で。
私と同じように、翼竜に乗ってその生活を楽しんだ客もいたようだ。
羽毛が生えている翼竜は、多少姿は違うが、鳥と同じような感触だ。
恒温動物だから体も温かい。
今回のメイン展示になっているケツアルコアトルスのサイズからしても、人間くらいなら背中に乗せて飛ぶ事が出来る。
故に、恐竜に乗って飛んでみたい、という人は。
それを実施できる。
私はそうしてみたかったからやってみたが。
同じようにした人もいたのか。
なお、樹上に作った巣に生まれた卵や。
雛を子育てする様子については。
殆ど何も分かっていないので。
定説に沿った描写しかしていない。
まあ流石に陸上に巣を作ることは無かっただろう。
翼竜に自衛能力は少ないからだ。
崖、岩山などの肉食恐竜が入りづらい場所。
そういった所に巣を作っただろう事は。
敢えて言わなくても分かる。
ケツアルコアトルスが、四つ足の姿勢でもキリン並みのガタイであったとしても。
当時はキリン程度の戦闘力では肉食恐竜にとってはおやつにすぎなかった事を考えれば。そうするのが妥当だ。
全てのオススメプランを試している客も少数いた。
だが、こういう客に限って、何もアンケートに答えてもくれない。
せめて意見を参考にしたいのだが。
それもかなわないのが色々と厳しい。
ただ、一つ分かるのは。
今回は、害悪客が幅を利かせていない。
そういう事だった。
しばらく休んでから。
前回の件を分析する。
私も社長だ。
仕事には向き合わなければならない。
適性を買われて社長をしているのだ。
適性を全て引き出せる時代に。
そうしているのである。
社員を食わせて行く義務もある。
ストレスを軽減するシステムも整っている。
嫌ではあるが。
助けを借りてでも。
分析はしなければならない。
心療内科に行くほどでも無いだろう。
少なくとも、体の状態を常に監視しているAIから警告は受けていない。
まず、AIに客観的意見を聞く。
そうすると、幾つかの答えが返ってきた。
「今までは、社長の熱意を笑いものにする層が、一定数いたのだと思います」
「熱意を?」
「人間は地球にいた時代からそうですが、自分に理解出来ないものを馬鹿にして、笑いものにする傾向がある生物です。 古代にこういう生物がいた、という事は理解出来ても、造形が気持ち悪いと思えば、その時点で興味を無くしますし、何をしてもいいと考えるようにもなります。 残念ながら平均的な人間からしてそうです。 社長は、そんな「気持ちが悪くて理解出来ない生物を好む変な奴」として、害悪客に認識されたのでしょう」
「……ふむ」
そういえば。
昔は、趣味にまで干渉し。
お前の趣味はおかしいから変えろと、頭ごなしに言う人間が実在していたという話を聞く。
実際に多数の証拠も存在している。
確かに多くの人間が趣味として共有するものもあったが。
それに無理矢理あわせなければならない事は、文字通りの苦行であっただろう。
そして今でも。
その残滓は残っている、と言う事だ。
害悪客の発生という形で。
アンモナイトの時は、それが現れたという事である。
「ところが、社長が今回は極めて静かな対応をしました。 熱意を笑いものにしようとしていた者達は肩すかしをくらいました。 もしもこれが、過密状態での生活を強いる昔の学校などであれば、或いは、暴力を含む虐めなどに発展したのかも知れません。 しかしながら現在では、犯罪行為はリスクが高すぎる上に、人間は基本的に個体同士が直接接触しませんし、個人でわざわざ他人をおちょくって楽しむ「悪い意味での」勇気を持つものも限られます。 自分が正しいから相手をバカにして良いという「正義」は個人を助けません」
「それで一気にSNSでの反応も冷静になったと」
「はい。 そう分析出来ます」
「……分かりましたわ」
なるほど。
AIらしい冷静な分析だ。
人間を知り尽くしているからこそ出来る分析だとも言える。
元々AIに私が求めているのは客観。
だからこれでいい。
人間ではないAIだからこそ。
膨大なデータを基にして。
こういった判断をする事が出来るのである。
だから時に頭に来ることを言われても。
それを受け入れる度量が必要になる。
「分かりましたわ。 それで、するべき対応は」
「しばらくは熱意を見せるのを控えた方が良いでしょう。 この間アンモナイトの際に大量発生した害悪客は、社長の「空回り」を楽しんでいた連中に過ぎません。 社長を人間だと思わず、滑稽な動物の一種だとして楽しんでいたような者達です。 今回のように冷静な対応をして冷や水をぶっかければ、自然と真実に気づけます。 今の時代は、催眠教育によって最低限の理性は身につけられるようになっていますので」
「要するに私を道化として見て楽しんでいたと」
「そういう事になります」
「ふむ……」
なるほど。
合点がいった。
地球時代のマスコミでは。
マスコミ関係者が、客より自分が偉いと勘違いし。
呼びつけた客を珍獣のように扱って笑いものにする、素人弄りという悪逆極まりない殿様商売が存在していたという話もある。
恐らくそれと同じ感覚。
面白い動物を見るように、害悪客は私を見ていたのだろう。
ならば、それに乗ってやる事はない。
冷静に対応すれば、客がまともになるのなら。
それに越したことは無いだろう。
熱意を込めれば相手は此方を馬鹿にする行為をヒートアップさせる。
ならば足下を掬えば良い。
確かにAIの結論は正しいのだろう。
分かった。
私は古代生物が好きだ。
その好きをCMに込めてきた。
だがそれが空回りだと思えるのなら。
これからは控えるだけだ。
以降、CMには必要な要素だけを込めるようにしよう。
今回の事件でよく分かったが。
人間は加害者である時は極めて無自覚だ。
被害者である時には傲慢な独善にも陥るのと同じ。
結局の所人間はどっちにしてもカスだ。
だったら私は。
人間と直接接触しなくても良いこの時代を利用して。
この時代ならではの生き方をすれば良い。
伸びをすると。
今回の黒字をまとめる。
また社員達にボーナスを出せる。
それだけで充分。
次回からは、今までCMに込めていた熱意を、別方向に展開すれば良い。
そうすれば、害悪客も減るだろう。
はっきり分かったのは。
好きは人間同士で共有できない、と言う事だ。
それならば、私は。
最初から共有しない。
結論としては冷たいかも知れないが。
それで良い。
少なくとも、事業的には成功に終わったのだ。
私は、これ以上、それについてコメントする気は無かった。
4、熱量の変化
翼竜のアップデートが終わってから数日。
ある程度客足が落ち着いたところで。
仮想空間のカフェに出向く。
ユカリさんがいるかと思ったのだが。
いた。
IDで本人と確認。
並んで同じメニューを頼む。
向こうもそろそろ来る頃だと思っていたと、比較的友好的に話しかけてきた。
その後、とりとめのない話題をする。
お互いに分かっている。
こんなコンテンツを利用していると言う事は。
お互いストレスがたまる仕事をしている、と言う事だ。
ユカリさんにあまり詳しい事は聞かない。
向こうも聞いてこないからだ。
ただ、何となく勘で分かるのだが。
恐らく私とユカリさんは。
似たような仕事をしていると見て良い。
或いは実は社員かも知れないし。
別の仮想動物園、或いは現在は人間が直接足を運ばなくなった地球上にある実際の動物園の園長かも知れない。
相手の実際の性別も分からないし。
何よりも、本当に何を考えているかも知らない。
だから仲は良いけれど。
腹の内は明かさない。
とはいっても、地球時代。
人間が直接会っていた頃から、それは同じだっただろう。
仲良く見える人間が内心どう思っているか。
そんなものは、当人にしか分からない。
今は人間の間に距離がある時代だ。
だからむしろ。
人間と接するのは、やりやすいとも言える。
しばらくユカリさんと話した後。
カフェをログアウトする。
そして、論文に目を通す作業に戻る。
恐竜関係のアップデートには関わらない。
専門のスタッフがやるからだ。
あればかりは仕方が無い。
年がら年中新説が出るし。
いちいち関わっていられない。
会議で正当性を議論して。
問題無さそうなら更新を承認する。
それだけだ。
有名すぎる。
人気がありすぎると。
逆にそれに掛ける労力は減る。
そういうものである。
ココアを飲んでいると。
メールが届いた。
翼竜の論文を書いた学者からだった。
「ホバーを使ってのオススメコースを堪能してみたよ。 分からない所は上手に隠しつつ打ち合わせ通りにやってくれた事にはとても感謝している」
「此方こそ興味深い説を有難うございます、ですわ」
「うむ。 それにしても、翼竜が実際にどういう動物だったのかは、私にも結局良く分からない。 今後新しい説が出たら、積極的に紹介しようと思う」
「ありがとうございます」
こういった学者の信頼を得るのは大事だ。
私は素直に礼を言うと。
メールでのやりとりを終える。
さて、次は何を展示するか。
何も古代生物はジュラ紀と白亜紀だけにいるわけではない。
個人的には古細菌辺りをやってみたいとも思う。
仮想空間へのアクセスだ。
スケールを変えてアクセスする事も出来るので。
古細菌の観察ツアーなども出来る。
実際問題、古細菌クラスになってくると、他の生物とは比較にならない年数地球を支配していたので。
もしもツアーを組めたら。
さぞ面白い事になると思う。
論文を漁る。
だが、古細菌ともなると、流石に化石が少なすぎる。
あまり新しいものも。
面白そうなものもなかった。
気分転換に外に出る。
クレープにするかと思ったが。
今日は気分じゃない。
パンケーキにするか。
そう思って、別の店に出向く。
一時期、訳が分からない量のクリームを乗せるパンケーキが流行った、という歴史があるらしいが。
今はそれもなく。
適切な量のクリームが乗ったパンケーキに落ち着いている。
ベルトウェイに乗って移動するが。
すれ違う人間はごく少数。
すれ違っても、此方に興味を見せもしないし。
連れているロボット同士も何も干渉しない。
むしろ接触しかけた場合は。
ロボットが補助して。
接触を避けてくれる。
これら補助用のロボットの戦闘力は少なくともヒグマ程度なら即殺出来るくらいのものであって。
対テロ用のシールドまで備えている。
現在。
通り魔という犯罪は起きない。
当たり前の話で。
通り魔しようがないからだ。
未遂で逮捕される事もあるが。
そもそも犯罪に至る前に治療が施されることが殆どなので。
問題発生に至る事さえまずない。
パンケーキ屋についた。
適当に頼むと、そこそこのサイズの良く焼けたパンケーキが出てくる。
外食産業は、昔は人間をすり潰しながら回していたらしいが。
今はそんな事もない。
適当にパンケーキを食べていると。
携帯端末にメールが来る。
確認すると、社員からだった。
「面白い論文を発見しました。 送っておきますので、後で確認してください」
頷くと、適当に返事だけして、後は食事に集中する。
客とは距離を置け。
私は今回。
それを学んだ気がした。
(続)
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