深海で散る火花

 

序、海中回帰

 

私の所に論文が届く。

新しい論文が出ると、大体現物が届くように頼んでいるのだけれども。その一つである。大半の論文は私に関係無いケースもあるが。

商機に絡んでくるものもある。

だから私も真剣に目を通す。

唸ったのは。

ちょっと面白いと思わされる論文だったから、である。

魚竜と呼ばれる存在がいる。

いわゆるシーサーペントなどの、伝承に出てくる怪物の話では無い。

恐竜が陸上で全盛期を誇った時代。

海にいた爬虫類である。

勘違いされやすいが。

恐竜とは違う種族である。

魚竜という海中に住んでいた爬虫類であって。

恐竜ではない。

これは同じく、海中にて栄えた首長竜も同じで。

恐竜とは違う系統の爬虫類である。

魚竜は収斂進化から海豚に似たものから、遙かに巨大なものまで様々な種類がいたが。環境の激変によって衰退。

やがて首長竜に取って代わられる事になる。

なお此方も勘違いされやすいのだが。

恐竜とは近縁ではあるものの、翼竜も恐竜ではない。

この辺りは、恐竜好きなら誰でも知っていることである。

恐竜の栄えた時代だからと行って。

何々竜と呼ばれている生物が。

悉く恐竜かというと、それは違うのである。

さて、今回はそんな魚竜の論文だ。

魚竜は、首長竜に頂点捕食者の座を奪われはしたが。

主流となっていたのが、環境の激変が原因だった、という説である。

魚竜はかなり体が洗練されていて。

いわゆる卵胎生であった事が分かっている。

卵を腹の中で孵し、産むタイプで。

これはについては別に魚類などでも存在しているので、珍しい生態ではない。胎生に近いが、それよりも若干原始的、くらいに考えればいい。

また収斂進化で海豚に似たように。

機動性も高く。

ただし、エサが頭足類の一種にかなり依存していた傾向が強く。

その頭足類、ベレムナイト類が環境の激変によって絶滅した結果、衰退したというのが今までの主流の説だった。

なお衰退はしたが。

絶滅はもう少し後。

流石に恐竜と運命を共にした訳では無いが。

9000万年前程まで生き延びている。

その頃にはすっかり首長竜にニッチを奪われていたが。

それでも存在そのものはしていたのだ。

恐竜はエンシェントでも扱っているし。

むしろ人気コンテンツで。

海中にいた恐竜では無い爬虫類、魚竜や首長竜も相応に人気がある。だから年に何度も会議を行うし。

基礎知識はしっかりあるのだが。

今回の論文に目を通していくと、どうもいつも見かける論文とは毛色が違っている。

魚竜衰退の原因は。

ベレムナイトの激減では無い、というのである。

まずベレムナイトとは何か。

これは頭足類の一種であり、アンモナイトの近縁種である。

古くに栄えた直角貝に形状は似ており。

三角錐の芯を持った烏賊のような生物、と考えれば分かり易い。体内の殻が現在の烏賊などを食べると出てくる、あの軟骨のようなものへとつながっている。

要するに現在の烏賊の近縁種である。

数メートルに達する大型種も存在したが。

この時代もそうだが、既に頭足類は海のニッチを占めることは出来ていても、頂点捕食者の座からは陥落して久しく。

このベレムナイトも例外では無かった。

要するに、更に強力な捕食者がいた。

それだけのことである。

魚竜とはそれだけ強烈な存在であり。

圧倒的な実力者だった、ということである。

ベレムナイトは魚類と生態系にニッチの奪い合いを続けてはいたが。

それはそれとして。

より強力な魚竜にはまったく抵抗できず。

エサとして、パクパク食われていた、というのが実情である。

実際ベレムナイトの化石には、魚竜に食われた形跡が大量に残っており。

魚竜の腹の中からベレムナイトの化石が多数発見されているケースさえ存在している。これらの例からも、魚竜にとってベレムナイトが重要なエサであった事は間違いない。しかしながら、ベレムナイトは相応に優れたモデルの生物であり。魚竜に食い尽くされるほど弱くも無く。

海中で生態系のニッチを占めながら。

繁栄を謳歌していた。

性質も攻撃的で。

同格のサイズの相手には、積極的に襲いかかる捕食者でもあった。

当時の海では、頂点捕食者が強大すぎただけである。

では、何故そんな優れた生物であるベレムナイトが破滅したのか。

現在主流になっているのが。

いわゆる大絶滅、である。

地球の歴史上何度か起きている大絶滅。

恐竜が破滅した6500万年前のものが有名だが。

それを含めて、五回の大規模絶滅が発生しており。それらはビッグファイブと呼ばれている。

爬虫類の中でも、単弓類と呼ばれたグループが、最初に陸上で繁栄したのだが。

これが破滅したのも、この大規模絶滅によるもので。

恐竜はこれによって生じたニッチの間隙を埋める形で発展した。

この大規模絶滅は大規模な景気となり。

件のベレムナイトも一気に発展を始めたのだが。

しかし結局謎の大絶滅によって。

魚竜を巻き込んで壊滅的な打撃を受ける事になる。

長らくその理由は、「海の酸素濃度が極端に低下した」のが原因と言われていた。

理由は幾つか挙げられているらしいが。

この時代は、地球規模で酸素濃度が下がっていたことに疑いはないらしく。

地上でも相当な酸素濃度の低下が、問題になっていたという。

しかしながら、どうして酸素濃度がそれほどに低下したのか。

そもベレムナイトは、一度大絶滅を生き延びたほどの適応能力を持つ生物であって。

この辺りは、伊達に海のくせ者、頭足類の一種ではない。

魚竜にしてもそんなベレムナイトをカモにしていた程の存在。

たかがエサの一種類がいなくなったくらいで、揃いも揃って絶滅するほど脆弱だっただろうか。

エサをベレムナイトに相当なレベルで依存していたのならまだ分かるが。

ベレムナイトは俊敏な生物で。

それより鈍重な生物は幾らでもいたはずだ。

そうなってくると分からなくなってくる。

論文の主旨はこうだ。

魚竜が致命打を受けたのは、ベレムナイトの激減が原因である事は間違いないが。

しかしながらその衰退が決定的になったのは。

従来主要となっていた説である、海中の酸素不足による生態系の瓦解では無い。

海の栄養が減り。

激減したプランクトンと。

それによってあらゆる生物が激減したことにより、頂点捕食者である魚竜がダメージを受けたのは事実だが。

それでも生き延びた種は存在しているし。

魚竜は非常に優秀なハンターであり。

ニッチは大型種から小型種まで、様々な範囲でカバーしていた。

つまり魚竜という種族に何かが起きた可能性が極めて高い。

大型種の絶滅だけならば兎も角。

小型種に関しては、絶滅はむしろ躍進の好機。

仕切り直しを行い。

また生物としての繁栄を、再度見せてもおかしくは無かった。

だが、魚竜の後継になったのは首長竜で。

その性能は魚竜より高く。

更に獰猛な捕食者だった事を考えると。

やはり魚竜の絶滅には。

何かもう一つ何かしらの大きな原因があったのでは無いか。

それがその論文の主旨だった。

そして論文のメインは。

新しく発見された化石から、分析を進めていた。

化石というのは、基本的に大量に既に発見済みのものを。

後から少しずつ解析していくものなのである。

現在も未解析の化石は大量に残っており。

これらをAI制御の監視システムと共同して。

科学者が少しずつ解析しながら、新発見をしているのが現在の状況だ。

これによると。

最後に残った魚竜の一群らしき化石に。

共通した特徴が見つかったという。

骨が不自然に曲がっているのだ。

化石は必ずしも、天寿を全うできた生物がなるものではない。

土砂崩れに押し潰されたり。

もっと巨大な生物に補食されたり。

そういった理由で化石になるケースは珍しくも無い。

だから別に不自然に曲がっていてもおかしくないと思うのだが。

論文ではそこに着目した。

曲がっている骨の、傾向が似通っている、というのである。

つまりこれは、遺伝疾患か。

もしくは病気によるものではないか、というのだ。

すぐに鵜呑みに出来る説では無い。

実際、恐竜の滅亡に関しても。

今まで無数の説が出てきている。

恐竜より速く滅亡した魚竜に関しても。

不思議な説が出てきてもおかしくは無い。

論文に最後まで目を通してから。

私はふむと唸った。

論文では、魚竜は頭が良い生物であったため。

種の衰退を避ける為に。

回遊する残り少ないエサを求めて。

海を彷徨う内に、いつしか一箇所に集まるようになっていた。

それが致命的な結果を招いた。

個体数の減少が、種の衰退を加速させた以上に。

近親交配を加速させ。

それによって更に種の弱体化を加速させたのだ。

同じような遺伝子疾患が多く出ている程に。

当時の魚類は近親交配によって己を弱体化させてしまっており。

海の状態が回復したときには。

本来の性能を回復出来ず。

そのまま、新参の首長竜にニッチを奪い取られ。

やがて滅亡していくことになった。

そう論文は締めくくっていた。

傍証が少ないので、これを鵜呑みには出来ないが。

さてどうするか。

海豚に姿が似ている魚竜だが。

サイズは様々。

鯨よりも更に大きい種類も存在していたし。

何より非常に素早く狡猾なハンターであったことも判明している。

古代生物としては、インパクトのある姿をしている(どれもこれもが「首長」なわけではないが)首長竜よりもどうしても人気は劣るが。

それでも魚竜を見に来る熱心なファンがいるのも事実だ。

てこ入れのためにエンシェントにアップデートを入れるとして。

このくらい話題をどうするか。

まず、シミュレーションに掛ける。

魚竜が回遊する性質を持っていたとして。

数少ないエサが集まる場所へ、大勢が来るとする。

その結果、血が濃くなり。

環境回復後に、復帰出来なくなった。

この説は正しいか。

幸いエンシェントには、非常に優れた環境再現機能がある。

今まで四苦八苦しながら作り上げてきたエンシェントそのものだ。

開発機が自宅にもつながっているので。

これからパラメータを弄くり。

言われた通りの状況を作り出してみる。

その結果。

私は更に小首を捻ることになった。

まず魚竜がその優れた回遊能力を生かして、数少ない残りのエサを追う。これについてはただしい。

現在海の頂点捕食者はいわゆる歯鯨、強いていうならシャチだが。

魚竜は歯鯨にそうは劣らぬ優秀な性能を持つ捕食者で。

それくらいはしてもおかしくはない。

問題はその後だ。

魚竜の交配については色々な説があるが。

確かに残り少ない魚竜が全部集まったら、近親交配が発生して種として弱体化はする。

だが、生物は一定数を切ると。

近親交配で、一気に絶滅へ向かうものなのである。

これについては最初からそうだ。

中には自分を複製して増やす事によって、繁殖する生物もいるが。

この場合、同じ遺伝子の生物が膨大に存在する、と言う事になりやすく。

何かしらの要因でその遺伝子に致命的な事態が発生すると。

雪崩を打つように滅亡に至る。

個人的には、この遺伝子弱体化説はノーを唱えたい。

もう一つ上げられている説。

病気は無いのだろうか。

一旦学者に連絡。

エンシェントでのシミュレーション結果も添えて。

意見を確認。

学者からの返信は少し遅れたが。

しかし、以外に几帳面な返事がきた。

「名高いエンシェントの社長春風どのに意見をいただけるとは光栄です。 エンシェントはフットワークが軽く、新しい説をどんどん積極的に取り入れている場所と言う事で、学者としてではなく古代生物ファンとして常に尊敬していますよ」

「ありがとうございます。 それで、この論文についてですが」

「はい。 今回は遺伝子疾患説を取りあげましたが、遺伝子はそもそも残らないものなのです」

それについては、そうだ。

遺伝子は壊れやすいもので。

シベリアの氷の下に閉じ込められていたマンモスの死骸などからは、遺伝子が見つかってもいるが。

例えば琥珀に閉じ込められた古代の昆虫の遺伝子などは。

結局取り出すことに現在でも成功していない。

そういうものなのである。

故に、似たような骨の異常を見て。

遺伝子疾患によるもの、と断じるのは結論が早すぎる。

学者も素直にそれを認めた。

「開発機での実験データも興味深く拝見しました。 これから論文について、更に詰めていこうと思います」

「有難うございます。 もしも興味深い研究が出てきたら、是非論文にしてくださいまし」

「分かりました」

メールでのやりとりを終える。

さて、これでコネは作った。

魚竜に関しては。

これを切り札に。

客足を切り開いていきたい。

私としても商機なのだ。

もしもそれが正しいのなら。

是非とも、売り上げにつなげたいのである。

ただ、私は嘘で儲けるつもりは無い。

その時点での最新の学説を反映し。

それが少なくとも理にかなっていることを確認してから。

エンシェントに反映。

それで、客に古代の生物について興味を持って貰い。

それぞれ楽しんで貰う。

エンシェントをそういう場所にしたいのだ。

社長としての私と。

古代生物好きの私。

どちらも両立したいし。

何よりも、私は。

商売をさせてくれている古代生物に、誠意を持って接したいのである。魚竜だろうがアンモナイトだろうがベレムナイトだろうが、それは同じ事である。

一応会議も招集。

魚竜の滅亡についての論文が出たこと。

近いうちに、魚竜についてのアップデートを行う可能性があること。

それを告げておく。

それだけの会議なので、ごく短く終わる。ざっと五分ほどだ。殆ど朝礼のような感覚である。

ただ、こうして周知しておく事で。

今後どんな仕事が来るのか、プログラマー達も備えることが出来る。

そして彼らも分かっている筈だ。

これがまだまだ試験段階の話で。

私がGOサインを出すには至っていないと。

事実、論文がおかしいと突っ返した訳で。

もっと精度が上がらない限り。

エンシェントにこの説を導入することは出来ない。

会議を終えると。

私は大あくびをした。

最近色々大きなアップデートがあって。

それで疲れが溜まっているのだ。恐竜関係のアップデートがそれで。年末にどっと新説が出てくるので。それへの対応でいつも四苦八苦するのである。

とにかく疲れを取るべくカプセルに入り。

誰も起こすなモードにして、思う存分眠る事にする。

体の調子が少し悪いようで、カプセルが自動で何か治療を始めていたが、まあ気にしない事にする。

少なくとも今の時代。

この年で、致命的な病気にかかり。

それで命を落とすことは無い。

遺伝病を一として。殆どの病気は対応方法が確立されているし。

そもそも普段から皆が健康診断を常時受けているのに等しいため、癌なども早期発見が容易だからである。

夢を見る。

魚竜が、恨めしそうに此方を見ている。

そんなものを使いやがって。

彼らは、私が使っているこのカプセルを見て。

自分達も欲しかったと嘆いていた。

 

1、致命的な病

 

病気は古い時代。

地球時代には特に。

人間では抗えないものの一つだった。

コレラやインフルエンザ、ペストなど。

地球の人類の何割かを削り取った凶悪な病気は、事実として存在した。

現在はあらゆる病気に対応出来るようになった人類だが。

それでもまったく未知の病気が出てきた場合。

対応出来るまでには、死者が出ることもある。

とはいっても、コールドスリープが完成した今の時代。

どうしてもまずい場合は、まずコールドスリープし。

病気の原因をAIも総動員して調べ。

治療方法を確立してから、回復させる。

そういう手法が現実となっている。

SFなどでは古くからあった技術だが。今では別にSFでもなんでもなく、実際に使われるようになっているものである。

実を言うと。

私も先天性の病気が一つあったのだが。

今の年までにとっくに回復していて。

既にまったく健常者と変わらず動けるようになっている。

もしも地球時代に私が生まれていたら。

多分一生車いす生活だっただろう。

現在の人類は。

それくらいのことは出来るようになっているのである。

夢を思い出す。

魚竜達の恨みがましい声。

気持ちは分かるが、太陽系全土にまで拡がった人類が、やっと病気を克服したくらいなのである。

例えばエイズを克服する能力を持っているあのワニでさえ。

病死するときは病死する。

生物には限界があり。

免疫機能が高い生物でさえカモにする病気がある。

人間が強い動物なのではなく。

人間を守ってきたのは科学技術と知識である。

弱肉強食などと言う言葉は。

人間などと言う生物は、所詮どんな天才だろうが、ライフルで撃たれれば即死する程度の生物であることを忘れた寝言であり。

実際古代生物を散々調べてきた私は。

弱肉強食などと言うのは寝言で。

実際には適者生存だということ。

そしてその適者は、必ずしも「健康な肉体を持った知能が高い個体」ではないことも良く知っていた。

ちょっとふらつくので、治療履歴を見る。

疲労から来る風邪。

現在では完治しているが。

体力が落ちているので、無理は控えるように。

そんな事がAIから告げられた。

AIが嘘をつく理由も無いので、信用して良いだろう。SF小説に出てくる、人間に反逆するAIじゃあるまいし。今流通しているAIは、いわゆる三原則を一として、人間に反抗できないよう徹底的に管理されている。ならば問題は無い。

そう思ったが、ぼんやりとしながら、まずはデスクに向かう。

さっと調べて、メールを確認すると。

例の魚竜の論文を書いた学者から、メールが来ていた。

開発機でシミュレーションした例のデータを向こうでも解析してみたらしい。

その結果。

どうやら学者も、病気によるものではないかという結論に傾きつつあると言う。

しかもその理由が面白い。

「この時代、低酸素の状態が続きました。 そして海中には、低酸素状態を好む細菌が、押しのけられるようにして存在しています」

「いわゆる熱水噴出口ですの」

「その通りです」

学者は話が通じてやりやすいと思っているようだった。

熱水噴出口。

場合によっては数百度に達する高熱の水を噴きだし続けている、海中の灼熱地獄温泉。その正体は、海底にある火口などである。

この熱水噴出口は、低酸素状態、超高温などの状況から。

古代の特質を残した細菌などが生存しやすく。

また周囲には、その独特の環境を目当てにした、独自の生態系が作られている事が多い。恐らくは、1億年前だろうが、2億年前だろうが、それは同じだっただろう。

「この時代、海中の酸素濃度が低下した隙を突いて、彼らが大繁殖した可能性を否定出来ません」

「傍証が欲しい所ですわ」

「これから化石などを念入りに調査するところです。 もしも熱水噴出口にいる細菌が、完全に未知の病気をもたらしたとしたら……絶滅の原因としては、夢が出てくると思いませんか」

「……そうですわね」

興奮している学者を適当にあしらうと。

私は一旦メールを切る。

熱水噴出口か。

ブラックスモーカーともホワイトスモーカーとも言われるこれら固定の火山噴出口は。

深海にある事が多く。

深海の強烈な水圧が故に押さえ込まれているが。

本来は爆発的な熱量を放出していてもおかしくない。

数百℃の熱量を常時放出し。

その熱水の中には、未知の細菌も多数いる。

それらは、その熱水の中でしか普段は生きられないが。

だからといって、「弱い」かどうかとなると。そうとは言い切れない。

例えば、離島に隔離されている生物が弱いかというと。

決してそんな事はない。

離島から持ち出された生物が。

人間が飽きて手放した途端。

周囲の生態系に害を為すケースはいくらでもある。

日本に限定しても、葛、本土ダヌキ、金魚など。余所の生態系に持ち出した途端。現地を滅茶苦茶にした生物は幾らでもいるのだ。

もしも、極限の隔離地帯とも言える熱水噴出口に、そんな危険な細菌がいて。

海中の低酸素状態を良い事に解き放たれ。

そして病気の原因となったのだとしたら。

私としても。

あまり笑い話ではすまされないと思う。

魚竜にして見れば。勿論訳が分からなかっただろう。

勿論動物の世界では。

基本的に病気にかかったら終わりだ。

免疫機能は備えているが。

それでも、その免疫機能を貫通された場合は、死ぬしか無い。それが厳しい現実なのである。

その一方で。

一見弱そうな個体が、他の個体が持っていない病気への対応能力を持っているケースがある。

多様性が必要なのはこれが理由で。

こういった一見追いやられるしか無い生物が持っている形質が。

その生物を救う事は普通にある。

魚竜の場合は。

もしも病気説が正しかったとすると。

ただでさえ色々と弱り果てていたところに。

追い打ちのように未知の病気が襲いかかり。

草でもなぎ倒すように滅ぼしていった。

それが真相ではないのだろうか。

そう私は思う。

一度会議に掛けておく。

魚竜の新説と言う事で、既に皆は集まって、精神的な態勢を整えていた。

恐竜ではないし。

同じ恐竜では無い海中大型爬虫類、首長竜と比べても人気が劣る魚竜ではあるけれど。それが故に、アップデートには工数が掛かる。

また人気が無いという事は。

それが商機につながると言う事も意味している。

人間はどういう理由か海豚が大好きだが。

魚竜は海豚に似ているので。

或いは人気が出る可能性もある。

しかも魚竜はとっくに滅びている生物なので。

人気が出たところで、一部の自称マニアが呆れかえるような行動に出ることもないのが強い。

「低酸素状態に応じて、熱水噴出口などの無酸素状態で活動する細菌が病原菌となり、弱っていた魚竜にとどめを刺した、ですかニャー」

「そういう事ですわ。 現時点では、一応それなりに根拠のある説になっておりますわよ」

「……ちょっと安直ですのだ」

「傍証が欲しいとは此方も思っておりますわ」

アバターが皆考え込む。

AIが補助してくれた。

「いわゆるビッグファイブなどの大絶滅の際に、大深度地下などから上がって来た生物が、生態系復旧の手助けになるケースについては、今まで複数の論文が出ております。 それらを傍証として提示できないでしょうか」

「明確な証拠が出ていないのに、それは厳しいですわ。 何より検証は学者の仕事。 此方でやるのはその説が正しいかのシミュレーションですのよ」

「それは分かっていますが」

「他に意見は」

しばしの沈黙。

私は嘆息すると。

今後アップデートがあるかも知れないので。

各自備えるようにもう一つ念押しすると。

会議を終えた。

AIによるジャッジの前段階だ。

そも魚竜をメインに据えた展示をするとして。

大絶滅する魚竜が、最後に病気でばたばた死んでいく様子を描写して。それが客足につながるかどうか。

魚竜の大絶滅に迫る、というテーマでCMを作るとしても。

魚竜って何。

首長竜と違うの。

恐竜の一種。

そういった意見が飛び出してくることも、考慮しなければならない。

そもそも魚竜は恐竜では無いという話から始めなければならないわけで。その辺り、色々と大変だ。

ピーコックランディングを見に行くが。

魚竜は殆ど話題になっていなかった。

今回、あまり話題になるような話では無いらしい。

それならば。度肝を抜く事が出来るかも知れない。

ただ、私は。

いつも好きかって言ってくれるピーコックランディングの科学者達の鼻を明かすよりも。

社長として、社員を食わせて行かなければならない。

その立場を優先しなければならないので。

今は頭の片隅においておくこととする。

さて、学者の方だが。

今、多分魚竜の変形化石を徹底的に調べているはずだ。DNAは残らなくても、未知の細菌の化石くらいは残る可能性がある。

いずれにしても、変な病気が流行ったのなら。

その傍証を出してくれれば、それだけでもかまわない。

此方としては、それをベースに。

大型アップデートをする。

どんな古代生物にも。

それ相応の魅力がある。

たとえば史上最大のヤスデであるアースロプレウラだって。

嫌う人はいるかも知れないが。

節足動物史上最大の存在として、未だに記録は破られていないという意味で、非常に凄い生物でもある。

エンシェントでも当然展示しているが。

どうやって今後ピックアップするか。

まだ上手く行っていないので。

案が出てこないか、待っているところでもある。

魚竜にしても同じ事。

魅力のある古代生物なのに。

古代生物好きに好かれているかというと、そうでもない。

そんなもったいない状況は。

出来れば解消したい。

それが私の本音だ。

さて。

私が今のうちに出来る事は、全てやっておかなければならない。

化石の分析は専門家がやること。

そして私に出来るのは。

CMを事前に作る事だ。

海で大繁栄するベレムナイト。

それが一気に大衰退する。

ベレムナイトの姿は、現在の烏賊と殆ど変わらない。現在のものよりも、頑強な「芯」を持っていただけ。

文字通り強力な生物がしのぎを削る海で生きていた優秀なハンターだった彼らも。

海中の無酸素状態と言う異常事態の到来により。

プランクトンが減り。

小型の生物が減ったことで。

エサを失い。

一気に衰退していった。

そして、ベレムナイトを主食にしていた魚竜も大きな打撃を受けた。

だが魚竜は、回遊するパワーを持ち。彼方此方の海を回るアグレッシブな行動力をも持っていた。

彼らは探す。

楽園を。

エサは何もベレムナイトばかりではない。

海がおかしくなったからといって。

広大な海だ。

暮らせる場所はきっとある。

そう信じ、海を回る彼らは。

ふと、気付く。

おかしな病気が身を蝕んでいる事を。

陸上から、海中に適応し治した彼らだ。海中の病気には高い免疫能力を持っている。体外の病気なら治る。

だが、一匹。

また一匹と。

仲間が次々と倒れていく。

白い腹を海面に晒し、浮かんでいく仲間を見て、おおと嘆きの声が上がる。

エサは、かろうじて見つかる。

繁殖のために必要な数も、海の彼方此方から集まった。

だが、この病気は。

一体何だ。

他の生物も、次々倒れている。

このままでは、我々は滅ぶしか無い。

何か、何か対策を。

ふと気付くと。

異常に首が長い、同じくらいの巨体の生物が。

此方を覗いていた。

彼らは言う。

次は。

俺たちの番だと。

ジュラ紀末の出来事である。

ふむ、良い感じのプロットだ。後はコレを少しずつ形にして行けば良い。

いずれにしても、病気によって衰退していた魚竜にとどめが刺された、という事には代わりは無い。

実際にはわずかな魚竜がジュラ紀を越えて白亜紀初期まで棲息していたのだが。メインストリートは首長竜に強奪されている。一応頂点捕食者に君臨した魚竜もわずかにいたが、それも頂点捕食者としての首長竜とはバッティングしないように棲息していたようだ。

この点については変わらないので。

CMに大幅な変更は必要ないだろう。

すぐにCMを作り始める。

それにしても流線型の美しいボディ。

収斂進化によって、海豚に似た魚竜の美しさが際立つ。

コレは確かに、海中で頂点捕食者になるわけだ。

現在のシャチがこの時代の海に行っても、通じるかどうか。同格以上の捕食者が、幾らでもいた時代である。

精々中堅所。

その程度が関の山ではあるまいか。

しかも卵胎生で子供を産み。

その子供を保護して群れで過ごしていた可能性もある、高い知能を持った魚竜である。

少なくともシャチにとっては、大きな脅威になっただろう。

もっと古い時代の生物。

ダンクルオステウスや直角貝になると。

生物としての欠陥が目立つようになるため。

シャチの敵ではなかったとは思う。

しかしながら、魚竜くらいになってくると。

戦闘力ではシャチを上回る種が幾らでもいたはず。

この辺りから考えても。

弱肉強食という言葉が如何に虚しいかは。

文字通りの意味でも明らかなのである。

何種類かの魚竜をメインで扱っていくが。

やはりイクチオサウルスがいいだろう。

あまりにも有名なこの魚竜は。

その代表のような存在でもある。

あまり大型の魚竜ではないが。

後の時代には、更なる巨大種が幾らでも存在している。

ジュラ紀末の最盛期の魚竜を幾つか見繕う。

そして動かしながら、ふと思う。

彼らの末路が今想定した通りだったとして。生き残った魚竜達は、どうして巻き返しがならなかった。

実は首長竜も、いずれ同じようにして滅び。

そのニッチを今度はモササウルス類が埋める事になる。

このモササウルス類は、魚竜、首長竜を更に越える戦闘特化のスペックと巨体を持ち、その破壊力は尋常では無かった。現在のホオジロザメなど、モササウルス類の小型種程度の大きさしかないと言えば、その凄まじさがよく分かるだろう。

結局6500年前の大絶滅を乗り越えることは出来なかったが。

モササウルス類の戦闘力を前にすれば、シャチなど子供も同然。

私は、考え込んでしまう。

これは、本当に。

正しい描写をしようとしているのだろうか、と。

 

学者からメールが届く。

CMを悩みながら作っている私は。

変な方向転換しないだろうなとぼやきながら、メールを開いて内容を確認する。

どうやら傍証が見つかったらしい。

実は妙な骨の変化が見られた魚竜の化石は、一種類では無い、というのである。

近親交配による種の弱体化が起きたとして。

その場合、それぞれ違う生態的な問題点が出るはず。

同じような変化が出ていると言う事は。

魚竜に特化して刺さる何かの病気が流行った可能性が高い、というのである。

やはりその病気は。

海底噴出口からまき散らされ。

海の無酸素状態に乗じて広まった。

細菌の可能性が高い。

また、その細菌そのものではないが。

体組織が不自然に壊れている魚竜の化石も見つけたという。

何かに捕食された形跡はなく。

病気の進行で、体が原形を残さないほど壊れたのでは無いか、と言う話であった。

見せてもらったが。

化石の段階で、骨が悲惨なほど変形している。

これはもしも当時の魚竜達が本当に病気でとどめを刺されたのだとしたら。

さぞや恐怖したことだろう。

人間の間でも、こんな体が壊れる病気にかかったら。

まず助からないだろうし。

伝承などに残って。

妖怪やら悪魔やらの仕業にされるかも知れない。

恐ろしい話だ。

「分かりました。 どうやら無酸素状態の海で魚竜にとどめを刺したのは、病気と言う事で間違いなさそうですね」

「一部の魚竜は生き残りましたが、それは恐らく海が健全化するまで耐え抜いたと言うよりも、耐性を獲得できた集団でしょう」

「……そうでしょうね」

或いは、その病気がそも感染しなかったのかも知れない。

今となっては、其処までは分からない。

いずれにしても、この「病気」によって大半の魚竜が壊滅した事は間違いない。

そして。

大規模アップデートに移ることも可能だ。

さっそく学者と契約し。

幾つかの点で確認をする。

AI主導で契約をするので。

不正は行いようがない。

また此方が不正を行った場合も。

AIがきちんと指摘をしてくれるので、なんら問題は無い。

契約も終わり。

料金も払ったので。

ここからが勝負だ。

CMもおおかた出来ている。

まず会議で披露するが。

これが意外に難航した。

今までのCM以上に暗い、というのである。

「最後に希望を入れてみてはどうですニャー」

そのものずばり言われる。

魚竜は壊滅したが。

全滅したわけでは無い。

実際白亜紀の初期まで生き延びている。首長竜に押されてはいたが。

更に言えば、魚竜は恐竜よりも少し早く発生した生物でもある。

生存した歴史がそれだけ長いのだ。

当然ながら、相応に進歩した生物なのであって。

その破滅にも、歴史を感じられるものがほしい。そういう意見も出た。

AIにジャッジさせるが。

その意見が妥当と言われる。

ならば、仕方が無いか。

プロットを修正することを約束。すぐに会議を終了した。

複数AIによるジャッジシステムは、客観的な判断を行うために必須で。昔は地獄のように長引いた会議を、速攻で終わらせるために非常に重要になっている。AIの言いなりになるのではく、意見対立した場合、客観的な最善手を示してくれるというのが大きいのである。

データプールの量が人間の比では無い上。

客観的で優秀と言う事を誰もが分かっているので。

文句の言いようが無い。

コレが導入されてから。

「会社内での力関係」だとか、「コネ」だとかで会議が勝手に動き。

ありもしないものが決議され。

その結果会社が傾き。

そんな事になりながら、問題を起こした人間は何の責任も取らない。

そういう愚かしい事態……昔は頻発していた愚かしい状況は起きなくなった。

人類にとっての、電球以来の大発明だという話すらあり。

それを私も認めているので。

不満を内心は抱えるが。

まあ仕方が無いなと思いながら、対応はするしか無い。

とりあえず、プロットを見直す。

CMを作るのが私である以上。

私には責任がある。

そして客観的に見て問題があると言われた以上。

手直しをする必要もあった。

これが趣味で作っている創作だったら、そんな事を言われる筋合いは無いし、好き勝手にやって良かったのだろうが。

私の作っているCMには、社員達の給料が掛かっている。

そういうわけには行かない。

それが事実なのだから。

 

2、深淵の病気

 

二日掛けてプロットを調整。

新しいCMに仕上げた。

この辺りは、私も散々っぱらCMを作ってきていない。

動画作成の手間は、昔に比べると極めて簡単だし。時間が足りない場合は、サーバに意識接続して、加速空間で作れば良い。

勿論負担は大きいが、私はまだ13で充分な健康体だ。

これで病気になったりして。

体を壊したことは無いし。

何より負担が出てきている場合はすぐにAIから警告されて、適切に治療も行われるので。

問題になった事も無い。

淡々と作業を進めて。

CMを修正した。

そして更に四日掛けて、ブラッシュアップを掛け。

CMを完成させると。

今度は会議で一発で通した。

さて、SNSだが。

魚竜に関する話は、あまり出ていない。

魚竜そのものが、首長竜に比べてマイナーだと言う事もあるだろう。どっちも恐竜では無いし、一度は海の覇者になったと言う共通点もある。更に言うと海の覇者であった期間は魚竜の方が長かったのだが。それなのに、プレシオサウルスなどのインパクトのある姿からか、どうしても首長竜の方が人気があるし。現在不自然に人気のある生物である海豚に似ている魚竜はどうしても人気が劣る。

海豚などとは比較にもならないほど長い期間繁栄し、そればかりか海を支配した生物だというのに。

この辺りは悲しい話だが。

人間には客観性など無いと言う良い証明だろう。

まあ何を好もうがそれは人の自由なので。

これ以上文句を言うつもりは無いが。

くだんのピーコックランディングも見に行く。

其方では。

多少魚竜の話題が出ていた。

「魚竜の大絶滅の原因が、ベレムナイトの壊滅ではなく、細菌性の病気だという説が出てきているそうだ」

「確かに魚竜は「ベレムナイトを食べやすい」体をしている生物ではあるが、ベレムナイトだけを食べていた訳でも無い。 当時は魚類も豊富にいたはずで、遊泳力が高い魚竜があっさり首長竜に覇権を渡したのは妙ではある」

「その通りだ。 実際魚竜は優れた生物モデルで、海の無酸素状態が解消した後は、再びニッチを独占できる潜在力を持っていた。 それが首長竜に取って代わられたのには、理由があると考えるのが自然だろう」

「その理由が病気だと」

どうやら、例の論文も引き合いに出されているらしい。

無酸素状態を機に。

熱水噴出口からあふれ出た深淵の病気。

酸素によって駆逐されたはずの古い時代の細菌達。

それらが病気となって。

魚竜達に襲いかかった。

論文に関しては、賛否両論だったが。

幾つか気になる言説も見つける。

「なるほど、複数種への共通した骨の異常。 確かに近親交配による弱体化だけでは説明がつかないな」

「病気の可能性が高い、と言うのは分かる。 ただしあくまで可能性だな……」

「細菌も見つかっているようだが、具体的にどのような病気になったのだろう」

「さあ。 ただこの骨の異常では、恐らくエサの捕食は困難になっただろう。 ひょっとすると、ベレムナイト云々関係無く、エサがそもそも足りなくなった上に、この病気がというこの新説、大当たりかもしれないな」

「珍しくべた褒めじゃ無いか。 論文を書いた本人じゃ無いだろうな」

けらけらと嗤いあっている。

私はまあこんなものかと思うと。

数百に達する提携SNSにCMを流した。

海の覇者魚竜。

恐竜よりも早く現れ。

海の支配者となった優秀なるハンター。

だが、その運命は。

ジュラ紀の末期に。

突如急転する。

当時歴史上最強の海洋生物モデルだった魚竜は。

海の酸素濃度が激減するという恐怖の異変に襲われたのだ。

この異変では、同じく優れた生物モデルであった頭足類も大ダメージを受け。

特に今の烏賊と殆ど変わらない性能を持つベレムナイトが、生物として致命的なダメージを受けた。

魚竜の主要なエサの一つはベレムナイトで。

大小様々な、現在の烏賊とほぼ変わらぬ姿をしたベレムナイト達が。

現在のダイオウイカのような大型種も含めて。

魚竜に情け容赦なく捕食されていた。

そのベレムナイトの壊滅により。

魚竜も壊滅したと、それまでは言われていた。

だが魚竜は。

高い回遊能力と知性。

優れた種の保存能力を有する、海の歴史でも屈指の優秀なハンターだ。

長い時代覇権を握り続けた事からもその優れた能力は明か。

ベレムナイトだけを食べていたわけでもなく。

他の餌を食べることも出来れば。

エサがいる場所に移動する能力もあった。

そんな彼らにとどめを刺したのが。

未知の病気だった。

おお。

それは深淵から這い上がってくる。

海底の熱水噴出口から。

海の酸素が激減したことを良い事に。

現れ出でたるいにしえの邪神。

酸素が無い時代から、殆ど姿を変えていないその細菌は。

古いが故に。

新しい生物にとっては、逆に未知の存在だった。

その細菌達は、それこそ異星から来た邪神のように魚竜達を襲うと。

彼らのような優れた生物でもどうしようもない、おぞましい病気にて蹂躙していった。

どれだけ優れた生物でも。

骨格がグチャグチャにされてはどうしようもない。

ばたばたと倒れていく魚竜達。

海の覇者も、病気には勝てない。

ようやく海に酸素が戻った頃には。

魚竜の生き残りはわずかになっていた。

海に新たに現れた有能な捕食者、首長竜。

そしてモササウルス類。

彼らの戦闘力は魚竜以上で。

恐らく歴史上最強の海洋生物。

呆然と彼らを見上げる魚類は、それでも必死に立て直しを図る。

簡単に滅びてたまるか。

此方は未知の病気にさえ耐え抜いたのだ。

今度は。

更なる強大な捕食者相手にも渡り合ってやる。

魚竜は泳ぎ始める。

あまりにも圧倒的なる新しい時代の覇者に、勝負を挑むために。

此処でCM終了。

会議では、絶賛されたが。

はたしてSNSではどうか。

エンシェントの新しいCMと言う事で。

相応に客はついた。

すぐに意見を集め。

内容を確認する。

「魚竜って、海豚もどきのアレだろ。 こんなに海で長い間繁栄していたのか」

「恐竜より前に出現したって、中々凄いな。 個人的にはこんなのと渡り合ってた鮫とか、ずっとしぶとく生き抜いて今まで平然と海で一定のニッチを占めている頭足類も凄いと思うけど」

「それよりも、海が無酸素状態になるって、どんな状況だよ」

「色々説はあるが、海底火山の大規模噴火とかが原因だとか。 いずれにしても、この時代のベレムナイトは全盛期で、直角貝みたいに海の頂点にいたわけじゃあないが、それでも海の生態系のニッチの多くを掌握していた。 それが壊滅というわけだから、相当な事件だっただろうな」

ベレムナイトについても話題になる。

ベレムナイトの姿は、現在のコウイカなどと殆ど変わらない。

それについても、驚きの声が上がっていた。

「要するに骨がある烏賊、みたいな認識で良いのか」

「ほぼそれであっている。 今でも烏賊の中に、あのプラスティックみたいなやつあるだろ? あれが名残だよ」

「はー、なるほどな……」

「生物としてはほぼ完成形、ってわけだ。 それが滅びれば、それは頂点捕食者も致命傷を受けるよな……」

CMを揶揄する声はほぼ無いか。

だが、耳にさわりの良い言葉だけ聞いていても仕方が無い。

問題点を指摘する意見も、しっかり耳に入れておきたい。

「これだけの高い回遊力をもった海の覇者が壊滅したのが、エサ不足よりむしろ病気ってのは面白い話だが……」

「立て直しがどうして出来なかったのかは気になるな」

「ああ。 この様子だと、海の生態系そのものが壊滅した筈だろ。 またニッチを奪い返せなかったのか」

「一部では頂点捕食者に返り咲いた魚竜もいたらしい。 だが何しろ、白亜紀の海は、あの首長竜とモササウルス類の支配した魔界のような状況だ。 一度衰退した魚竜では、厳しかったんだろうな」

首長竜とモササウルス類についての画像も出る。

特にモササウルス類は。

恐らく「モササウルス類が出現するまでの歴史上」ではなく「地球の歴史上」最強の海の支配者だ。

此奴らの前には、シャチなど子供も同然。

それまでの時代にいた、直角貝やダンクルオステウスも。

もしも同時代に競合していたら。

それこそゴミクズのように蹴散らされてしまっただろう。

種としての寿命はそれほど長くなかったが。

それでも圧倒的に強いと言うことが彼らの特徴で。

もしも白亜紀末の大絶滅……いわゆるビッグファイブの一つを彼らが乗り切ることが出来ていたら。

海棲ほ乳類の。

つまり鯨類の時代は来なかった。

それについては。断言しても良いほどだ。

いずれにしても、魚竜に起きた事件は、それほど大きなものだった。

魚竜は上手くすれば。

現在まで生存し。

海を牛耳っていてもおかしくない生物だったのだ。

頭足類と同格か、それに近い優れた生物。

それが滅びたことの意味が分かるCMになっていればいいのだが。

SNSを見る限り、充分に興味を惹くことが出来たようだ。

プロットを作り直し。

更には徹底的に調整し。

駄目出しを乗り越えて完成させたのである。

これが笑いものにされていたら。

私もあまり良い気分はしなかったが。

きちんと興味を惹くことは出来たのは事実なので、今はそれで溜飲を下げておく事にする。

さて、ピーコックランディングはどうか。

様子を見に行くと。

早速エンシェントの新しいCMについて、議論がされていた。

向こうもエンシェントについては刺激をくれると面白がっているようで。

酷評はしつつも。

無視はしていない。

興味の反対は無関心だ。

つまり専門職も興味を持ってくれているという事で。

フットワークが軽いエンシェントは。

それなりに注目されている、という事である。

「これは中々ドラマティックな仕上がりだな」

「歴史を繰り返したら、同じ結果にはならないだろう。 魚竜が手放したニッチに、首長竜とモササウルス類がこう素早く潜り込まなければ、魚竜が再び天下を取り返していた可能性が高い。 現に頭足類は、ベレムナイトを失いながらも、再び海で一定のニッチを取り返すことに成功している」

「それをいうなら魚類もだがな」

「まあ病気による衰退説は面白い。 だが、流石に熱水噴出口から出現した嫌気性細菌が原因というのは、飛躍しすぎている気もするな」

酷評は入るが。

相応に評判は良い様子だ。

私は頷くと。

プログラム班に確認。

シミュレーションの進捗を聞く。

現時点で、問題は起きないらしい。

確かに骨格に異常を生じさせるような病気も、再現出来たそうだ。

酸素の檻に隔離されていた細菌が。

こんな形で牙を剥くなんて。

恐ろしいといえば恐ろしい。

人間だって、いつ同じ運命を辿ってもおかしくない。

実際人類に致命打を与えかけた病気は幾つも存在しているのだから。

これだけ科学技術が進歩した現在でも。

油断だけはしてはいけないだろう。

「わずかな魚竜が生き残った後、海が正常化し、ニッチの空白を首長竜とモササウルス類が埋めていく様子もしっかり確認されました。 ちょっとパラメーターを弄ると、やはり魚竜が再度ニッチを掌握したり、また魚竜がジュラ紀末に滅びるケースもあります」

「ふむ、それで他に問題は起きていますの?」

「いえ、特には」

「それでは続けてくださいまし」

今回は順調だ。

さて、このまま順調に続けば良いのだが。

いつもいつも、何かトラブルが起きるのが常だ。

何が起きても対応出来るように、備えておくのが社長である。

ホンモノのプロは。

ミスのリカバリが出来る存在のことを言う。

私も適性を見込まれて社長になっているとは言え。

リカバリが出来るのがプロだという自覚はあるのだから。

これについては、常日頃から、きちんと備えている。

SNSのチェックも怠らない。

また、CM第二弾の作成も進める。

魚竜の絶滅の時代を体感しよう。

壊滅的な事態に遭遇し、それでも再起を図る魚竜達。

古代の海で起きた、大規模な事件。

覇王が席を追われたのは。

弱いからでも。

エサが無いからでもなく。

抗いようが無い、恐怖の病気が原因だった。

それでも魚竜は立ち向かった。

その勇気を体感しよう。

第二弾のCMは、そんな感じで良いだろう。

見せ場としては、病気で倒れていく同胞の中。

必死に潜り込めるニッチを探して。

多様性の中、生き残りを図る魚竜の姿。

魚竜は大型種の中には、プランクトン食に移行した者もいる。現在の鯨程度の多様性は有していた種族である。

それをしっかり見せ。

滅亡に近い打撃を受けたときには。

むしろ日陰者に近い位置にいた存在こそが。

新しいニッチに滑り込む可能性がある。

その描写もしっかりしていく。

それぞ生命の神秘。

弱肉強食という言葉では、現せない真実。

暴力が全てを支配するのがこの世では無い。

適切なニッチに。適切に入り込めるのが。

この世で生き残る条件。

暴力はその一つに過ぎない。

二つ目のCMは、すんなり出来る。

まあ一つ目が難産で。

そもそもジュラ紀白亜紀で人気がある陸上(理由は恐竜である)とは違う、海中にスポットを当てると言う事で。

様々に苦労したこともあるだろう。

故にむしろすっきり簡単に二つ目のCMが出来たと言う事もある。

会議もすんなり通った。

ただ、進捗の方が厳しい。

「CMの提供は、少し遅らせて欲しいですニャー」

プログラム班から、工数が足りないと言われる。

私もそれについては頷く。

今はブラック企業がやりたい放題の搾取を世界中で繰り返していた時代ではない。

工数が足りない状況で無理に仕事をすれば。

それが致命的なミスにつながる事くらい、私も知っている。

そもそも過熱しすぎていたビジネススピードも、現在では落ち着いている。

工数が足りなければ、オンエアを延長すれば良いし。

それを許容できるくらい、現在の客はまともになっている。

そういうものだ。

公開タイミングが先送りされたら、それだけブランドイメージに傷がつく。

そんな理屈で、社員が使い潰されていた時代もあったらしいが。

今はもうそんな事もないのである。

「分かりましたわ。 納得がいくものを仕上げてくださいまし。 ただし詰まった場合は、専門家と相談し、AIに判断を仰ぐように」

「分かりました」

会議を終えると。

私は少し時間が出来たなと思った。

この出来た時間を利用して。

CMの調整を可能な限りやっておく。

創作物というものは。

作り手がどれだけ頑張っても。

おかしな所は出てしまう。

いわゆるダブルチェックやクロスチェックの概念があるのも。人間はどうしてもミスをする生物だからで。

ミスはそれこそ、アインシュタインレベルの天才でもする。

実際、CMに細かいミスを幾つか見つけたので修正。

なおCMの本体は我が社のサーバにあるので。

大本を修正すれば。

SNSからアクセスする画像は、一括修正される。

まあ誰も気にしないレベルのミスだが。

修正できるのなら。

修正しておくのが吉というものだ。

そうして四日が過ぎる。

再び会議を行うと。

珍しく、プログラム班が手こずっていた。

私も社長だが。

最新のプログラムについては、催眠学習で習得している。

当たり前の話で。

トップが現場の知識を持っていなくて。

会社が回るはずが無い。

社長がふんぞり返って椅子に座っていれば会社が回った時代も存在はしていたらしいのだが。

そんなものは人類文明の恥の時代だ。

「具体的に上手く行かないのはどこですの?」

「魚竜が病気に感染する経路です」

「熱水噴出口から細菌が出たとして、それが海を通って普通に魚竜に感染したのでは」

「いえ、流石に細菌も、栄養が存在しなければ生きていけません。 プランクトンの死骸などをエサにしながら繁殖したとして……それが魚竜にピンポイントで感染するまではよく分かりません」

なるほど、それで手こずっていたのか。

私は嘆息すると。

言い渡す。

「其処はこだわるべき場所ではありませんわ」

「かまわないのですか」

「かまいませんわ。 重要なのは、病気によって魚竜にとどめが刺されたという事実であって、現在は其処までしか分かっていないのだから、それ以上を追求する理由はありませんでしてよ」

「……分かりました」

残りのバグは、二日で修正する予定だという。

慌てなくて良いので、三日以内に修正するように指示。

修正できなければ、それはまた報告するように、とも。

会議を引き上げると。

参加だけしていた、今回の魚竜の破滅についての論文を書いた学者が言う。

「社長というのも大変ですな」

「ええ。 適正がなければなれませんし、なるのに資格も必要ですし。 教育料や資格試験の代金が基本的にただなのは嬉しいですけれども」

「それについては分かります」

催眠学習が実用化した事で。

学習に掛けられていたコストは、事実上ゼロになった。

少なくとも、学習によって人間の能力を底上げすることが簡単になり。

メリットの方が遙かに大きくなった。

人間のパフォーマンスをフルに発揮できると言う事が。

これほど社会を円滑に動かす。

催眠学習は、それを実現して見せた。

既得権益の持ち主は、「愚民」が賢くなることに反発もしたらしいが。

ただ同然で出来る催眠学習が広まると。

一気に「愚民」は社会から姿を消し。

既得権益は引きずり下ろされた。

その過程で血も流れたが。

それが人類が宇宙に出る前でよかった、と私は思う。

人類が宇宙に出てからは、催眠学習で人類はフルスペックを発揮できるようになり。

社会も何もかもがスムーズに動くようになり。

今は歴史上。

もっとも人類が理想的とも言える文明を構築している。

少なくとも、巨大な貧富の格差があるまま人類が宇宙に出ていたら。

人類はどんな害虫よりもタチが悪い災厄そのものになっていただろう。

私だって。

一体どうなっていたことか。

こんな才能を発掘する事も無く。

ただボンクラとして生き。

或いは、もっと悲惨な事になっていたかも知れない。

学者が話したいようなので。

軽く話を聞く。

まあ、メールでだが。

「魚竜の研究は私の専門分野でしてね。 今回の論文には、学者としての生命を賭けているつもりでした」

「大げさな。 今はあらゆる分野の研究に補助金が出ますし、何より催眠学習で知識の習得も用意ではありませんの」

「貴方だって、エンシェントに命を賭けているでしょう」

「流石にそれは大げさですけれども……」

大事である事は確かだ。

学者は少し間を置いてから言う。

学者としては、自分で誇れる実績が無く。

ずっと寂しい思いをしてきたという。

ああ、それでか。

今回エンシェントから声が掛かったとき。

随分と嬉しそうだった。

エンシェントは学者達の間からは、フットワークが軽いアップデートが売りの古代生物動物園くらいにしか思われていない筈。

それが彼処まで嬉しそうだったと言うことは。

何か理由があるのだろうとは思っていたが。

「今回、やっと納得がいく研究が出来たかと思います」

気持ちは分かる。

私もエンシェントを立ち上げたとき。

凄く嬉しかった。

資本は最初融資を受け。

しばらくは、借金の返済で手一杯だった。

勿論、現在借金の返済については、様々な法整備がされていて。返済が出来なくてもすぐに社会的に死ぬわけではない。

それでも、社員を食わせて行くためにも。

何より優秀な社員をつなぎ止めるためにも。

そして古代生物好きが仕事を楽しくやれるようにするためにも。

エンシェントは絶対に維持しなければならないと私は思っていた。

今は楽しみながら経営できているが。

この学者の気持ちは良く分かる。

「ご安心くださいまし。 しっかり納得がいくものに仕上げて見せますわ」

「お願いします」

メールの向こうで、学者が頭を下げたようだった。

とはいっても、学者自身と直接はあっていない。

今の時代、人間同士が直接会う事は殆ど無い。

所帯を持っているのは変わり者だし。

子供の頃からロボットに教育される方が普通だ。

言語によるコミュニケーションとかいう不完全なものが多くの人間を苦しめ続けた歴史的事実が存在し。

それを解消するには。

人間が一人ずつ。

独立した空間で。

補助を受けながら、最大限の能力を発揮する。

現在の仕組みが必須だったのである。

そして、はっきり分かったことは。

実際に他人と接触なんぞしなくても。

人間は生きていけるし。

他人のこともよく分かる、と言う事だ。

地面で無ければ人間は生きていけないなどというのは大嘘。

事実こうして。

私は宇宙で生きている。

私が作っている動物園も仮想空間だが。

其処では多くの人が娯楽を楽しむ事が出来。

そしてそれで誰も不幸にならない。

直接人間と接触することが、人間にとって幸福か不幸か。

それは宇宙時代になってから。

はっきり結論が出た気がする。

今の時代をディストピアだと批判する空気もあると聞いているが。

言語によるコミュニケーションが才能に依存し。

それによって実力を発揮できない人間が多数出ていた時代と。

催眠学習で常にフルスペックを発揮でき。

人間の爆発的増殖も抑えられ。

様々なサポートシステムによって円滑にコミュニケーションも行えている今の時代は。

どちらが不幸かなど。

私には言うまでも無いと思う。

今回の魚竜の研究だって。

昔だったら、酔狂者がいなければ、こんな形で大勢の人の目に触れること何て無かっただろう。

あの学者も。

或いは死んだ後に、研究が表に出ていたかも知れない。

その場合あの学者は。

きっと無念を噛みしめながら死んで行っただろうし。

その無念は想像を絶するものだっただろう。

嘆息すると、私は開発機経由で、プログラム構築の進展を確認。

最後のバグ取りに手間取っているが。

三日で多分どうにかなりそうだ。

後は少し休むとしよう。

二つ目のCMは、予定通り、三日後。

プログラムが一段落してから。

その後は。

いつものように大規模アップデートを告知し。

ビジネスの時間だ。

 

3、昔の海豚と今の海豚

 

海豚と鯨には、大きさ以外に差は無い。

主に歯鯨類と髭鯨類に別れるが。

肉食の歯鯨と。

プランクトンや小魚を主食とする髭鯨と分類すれば分かり易い。

そして髭鯨類が基本的に大型である。

つまり知的で理性的だと思われている海豚は。

歯鯨。

積極的に獲物を襲い捕食する、獰猛な捕食者、と言うわけだ。

なおシャチも当然歯鯨の仲間で。

海豚とはサイズが違うだけ。

要するに海豚が巨大化すれば、海のギャングとして、現在の海で最強を気取っているシャチのような獰猛な生物になった、という事である。

これらの海棲ほ乳類は。

白亜紀末のビッグファイブ……大量絶滅によって生じた生態系のニッチの間隙に乗じて出現したが。

出現当時は、モササウルス類や首長竜の大型個体のような、獰猛で巨大な個体も存在していた。

それが現在のように落ち着いたのは。

海の環境が、それに相応しい状況だから、である。

結局の所、環境に応じて最適化するのが生物だ。

強さはあまり関係が無い。

勿論その状況に応じて強ければそれに越したことは無いが。

単純な戦闘力が高い生物が適応力も高いかというと。

残念ながらそれはノーである。

魚竜は、卵胎生という子供を安全に産む事が出来る進化した肉体と。

優れた回遊力。

高い知性と。

何より高度な機動力によって。

海の覇王に躍り出た。

大きさも様々で。

髭鯨のようなプランクトン食をする者から。獰猛に小型の魚竜を襲い喰らう大型種まで。様々な存在がいた。

公開日になると。

魚竜に馴染みが無い人も。

今回は大勢が訪れていた。

全盛期。

衰退期。

滅亡期。

今回はプランとして、その三つを用意している。

全盛期では、頂点捕食者を独占した魚竜の様子が楽しめる。オススメプランでは人間に対する攻撃モードをカットした魚竜と、素潜りで一緒に泳げる。仮想空間だから潰しが利くし。

何より魚竜の活動範囲は、海面スレスレから深海まで幅広い。

そして前回、アノマロカリスの時に導入した素潜りプランがかなり好評だった事もあって。

今回も導入した。

衰退期では、ベレムナイトが壊滅し。

海が無酸素状態に陥り。

病気に倒れていく魚竜達の様子が楽しめる。

楽しむというのも不謹慎な話だが。

少なくとも、魚竜達が必死の工夫を凝らし。

生きていく様子を、側で見る事が出来る。

回遊しながらエサを探し。

必死に病気に抗う。

結果として魚竜達は群れを造り。

情報交換しながら、エサ場を探して海を彷徨う。

だが、群れを作った事が災いし。

海底の熱水噴出口から現れた恐怖の病気が、蔓延する結果を生んでしまった。

この熱水噴出口についても。

このツアーでは、側で見られるようにする。

素潜りでもかまわないが。

この時ばかりは、潜水艦を使うプランもオススメする。

というのも、熱水噴出口付近は普通では考えられない形状の生物が多数棲息しているため。

生理的に受け付けない人もいるからである。

そして最後の滅亡期。

かろうじて衰退期を生き延びた魚竜達だが。

ニッチを取り返すより先に。

一気にニッチを奪い取られた。

より凶暴で巨大な、首長竜とモササウルス類に。

歴史上最強の捕食者達を前に。

魚竜は善戦したが。

衰退が響いて、どうしても海全域での頂点捕食者の座を取り返すことは出来なかった。

アップデート当日から。

今回は豊富なプランがある事を売りにしていた事もあり。

客足は良かった。

一方古代生物の中では、首長竜やモササウルスに押されてあまり人気が無い魚竜という事で。

二の足を踏む客も少なくなかった。

そういう客は。

先に見に行った者待ち、というのが実情だった。

故に。

最初に見に行った人間が満足できるものを作る。

そういう事を心がけなければならない。

商売の鉄則である。

古くから今に至るまで。

口コミというのは案外重要なのだ。

幸い、古い時代と違い。

動物を虐待するわけでも。

プログラムを組む人間を虐待するわけでもなく。

動物園は運営されている。

古い時代の水族館では、毎日大量の魚が死んだとか言う話を聞くが。

何しろ仮想空間動物園だし。

そもそも今は生存していない古代生物の動物園だと言う事もあって。そのような心配はしなくても良い。

さて、評判はどうか。

SNSを見に行く。

最初は賛否両論だ。

「魚竜見てきた。 そういう存在がいるって話は聞いていたが、本当に海豚そっくりだな」

「あれで爬虫類だってんだから凄いな。 いわゆる収斂進化って奴だろ。 それに動きが滑らかで、あれ今の地球でも生きていけるぞ多分」

「大型種は鯨並みだな。 生態も似てる」

「でも、あれなら水族館に海豚見に行った方がよくね? 海豚と違って、微妙に可愛くないし」

また好き勝手な事を言っている客がいて、私は真顔になる。

海豚が可愛いと言うのは人間の勝手な理屈であるし。

海豚が人間をどう思っているかなど、向こうにしか分からない。

動物と人間は思考回路が異なる。

人間同士でさえ、厳密には思考回路が異なっているし。

そもそも完全な意味での意思疎通など出来てはいない。

可愛いデザインにしろ。

現状だと気持ち悪い。

そういうクレームは実際に来たことがある。

勿論現在、クレームには「相応に対応する」事が出来るので。

完全に無視させていただいたが。

昔だったら、それでいちいち頭を悩ませなければならなかったのだろう。難儀な時代もあったものだ。

「ベレムナイトもいたが、今の烏賊と変わらないな。 喰腕がないくらい、って話だが……」

「体の中に頑丈な骨があるくらいだな」

「それにベレムナイトでかい。 あの時代の海、とてもじゃないけれど危なくて泳ぐ事なんて出来なかっただろうな」

「ああ。 ベレムナイトの動き活発で俊敏で、何より獰猛だしな。 大きさに関しても、アメリカオオアカイカが可愛く見えてくるレベルだったし」

意外に博識な客もいるか。

現在、もっとも「人食い烏賊」のイメージに近いアメリカオオアカイカだが。

ジュラ紀にいても、魚竜にカモとして狩られただけだろう。

もっと大きなベレムナイトが幾らでもいて。

それらベレムナイトは獰猛な捕食者だったのだ。

動きにしても、現有の烏賊にまるで劣らず。

大きな殻を背負っていて、それが枷になっていた直角貝に比べると、俊敏さという強みも得ていた。

ただ、逆にそれが故に。

逃げる以外に身を守る術が限られ。

更に強力な魚竜からは、カモとして狩られるしかなかった訳だが。

SNSを見ていく。

繁栄期の魚竜と違って。

衰退期の魚竜は、展示についてのお勧めが細かく。

それが既に批判の対象になっていた。

「全部一通り見てきたが、何というか暗い……」

「海がすっかすかなんだよ。 本当に何もいない」

「海が無酸素状態に近くなったとか言う話だが、こんな時代をよくもまあ生き残れたなとしか言いようが無い」

「プランクトンから死滅したし、魚も相当な打撃を受けたらしいからな。 ベレムナイトも壊滅。 魚竜にしても、この時代は何とか生き残れても、次の時代で巻き返せなかったってのも分かる気がする」

熱水噴出口廻りは。

資料が少ないが。

あまり見に行く客はいなかったようだ。

そもそも生物がいないし。

海底火山といっても深海にあるため。

別に水の中で派手に爆発しているわけでも無く。

煙がモクモクしていて。

海水がお湯になっているだけだ。

そしてそんな状態でも。

古代の、酸素が無い状態でも生き延びられる細菌達は。

虎視眈々と好機を狙っていた。

彼らにとっては。

無酸素状態になった海こそ。

可能性の海だったのだ。

ただし、酸素を作り出す生物の底力は、彼らが嫌気性細菌の想像を超えるものだった、というだけで。

自然現象により海が無酸素状態になっても。

やがて酸素が再び満ち。

嫌気系細菌は、また海底の熱水噴出口や地下にまで追いやられた。

酸素はあるだけで。

嫌気系の生物にとっては。

文字通り猛毒になるのだ。

この辺り、ラン藻を一とする光合成を行う生物が。

億年単位で地球を改造した結果とも言える。

それでもなお嫌気系細菌は生き延びていたのだが。

酸素というものは。

それだけ強烈な毒物、という事である。

この時代、衰退しながらも必死に生き延びた魚竜達を見て。

客が感動してくれなかったのは少し悲しい。

だが、それでも。

相応に客は来て。

エサは無く。

病気に苦しみながらも。

必死に生きる魚竜達を見てくれはした。

そして最後は滅亡期。

かろうじてジュラ紀末を生き延びた魚竜達ではあるのだけれど。

その先に待っていたのは、地上から進出してきた、更なる凶暴なる生物たちだった。

此方の展示は、それなりに評判が良かった。

何しろ、海のモササウルスと言えば。

古代生物好きの中でも知名度が高く。

人気のある頂点捕食者である。

実際には更に巨大な捕食者も存在しており。

当時の海が、文字通り怪物だらけの魔境だったことがよく分かる。

現在の海でも、大型の鯨は存在しているが。

この時代に生きた捕食者達の凶暴性と戦闘力を前にすれば。

文字通り霞んでしまう。

魚竜はそれでも頑張った。

一度無酸素状態になった海で。

生態系が再構築される中。

魔改造された巨大捕食者達に混じって。

頑張ってどうにか生き延び。

9000万年前くらいまでは、しのぎを削る事が出来た。

だが、一度転落した玉座には。

もはや舞い戻ることはかなわなかった。

生物の変化は、環境適応能力を試される。

戦闘力が求められるわけではない。

魚竜は生物として非常に優れたモデルではあったのだけれども。環境の適応能力は、やはり衰退したときに打撃を受けたのだろう。

それによって、最盛期の力を取り戻すことはついにかなわず。

海でのニッチを取り返すことは出来なかった。

この様子を見られるように、お勧めのコースを幾つか作ったのだが。

客はみんなモササウルスやプレシオサウルスを見に行き。

衰退していく魚竜の観察には行かないという、頭を抱えたくなる問題が起きてもいた。

衰退期の生物が。

どうやって、絶滅に抗っていくか。

それを徹底的に凝って作っているのに。

まあ客というのはそういうもので。

いちいち怒っても仕方が無い。

「モササウルス凄いな−! これ、今の海にいたら、とてもスキューバなんてできないよな」

「鮫なんか此奴の前にはカスだろ」

「まあ、鮫は今も頂点捕食者じゃないからな……」

「シャチのおやつだしな」

魚竜は。

この時代まで生き延びた魚竜は。

少しは話題に上げてくれ。

ぼやきたくなるが。

エンシェント関連のアップデートが来ると。

それなりに客は来るし。

SNSも盛り上がる。

此方が見て欲しい展示よりも。

人気のあるものを見に行く客が出るのは、どうしても仕方が無い事であって。

それをいちいち怒るのも、大人げのない話ではある。

私は社長として。

客の傾向をチェックしなければならないので。

それは悲しいが。

AIが告げてくる。

「魚竜そのものの評判はそれほどよくありませんが、客足は黒字ラインを充分に越えています。 今回も社員にボーナスを出す事が出来るでしょう」

「どうして気合いを入れて作った展示を、客は見向きもしないんでしょうね」

「客は気まぐれなものなので、それはいちいち怒っても仕方が無いかと思われますが」

「ああそうですの」

AIに切れても仕方が無いし。

何より事実を告げているだけだ。

AIが便利なのは兎に角客観的に物を見られるからで。

どうしても主観的に見てしまう人間の欠点を補えるからだ。

分かっている。

だから今後も使う。

かといって、頭に来るか来ないかは、また話が別であり。

私はむくれる他ない。

とにかく、数日で新しい展示に関する売り上げは一段落。

お勧めのプランを幾らか組んだが。

それらよりも。

やはり、恐竜や、海の暴君たるモササウルスの展示に、相当数の客が入っていたことが印象的だった。

やはり恐竜には勝てないのか。

モササウルスには勝てないのか。

同時代に人気者の古代生物がいると。

どう頑張っても、客は其方に流れてしまうのか。

そう思うととても悲しいが。

だがそうだとしても。

古代生物の展示について、気合いを入れて作っていくのがポリシーだし。

今までも似たような事は何度もあった。

白亜紀とジュラ紀。

つまり恐竜の時代の展示に関しては。

もうそういうものだと思って諦めるしか無いのかも知れない。

客はそもそも。

恐竜にしか興味が無い。

そう判断して。

恐竜しか見に来ない客が大半だとしても。

我慢して堪える。

そうするしか、ないと割切るしか無い。

溜息が零れる。

私は久々に、カフェにアクセス。

茶やコーヒーなどは自宅で幾らでも飲める時代だ。それも、昔はプロが淹れていたような品質のものが。

現在のカフェは。

仮想空間内に作られ。

独自の雰囲気を楽しむものとなっている。

地上には現役のカフェもあるにはあるが。

ごく限られた客しかいかないようだ。

適当に紅茶を頼んでぼんやりしていると。たまに同じカフェに来ているユーザーとばったり。

とはいっても互いにアバターを使っているので。

本当に相手がホンモノかは、IDを見るまでは確認できないのだが。

IDを見て、相手がホンモノである事を確認。

隣の席に座って、軽く話をする。

なお相手は、私がエンシェントの社長だと知らない。ハルさんとだけ呼ばれている。

「ハルさん、お久しぶり。 カフェに来たって事は、余程ストレスがたまってるって事?」

「まあそんなところですわ」

此方はティラノサウルスのアバターを使っているが。

相手はトリケラトプスのアバターを使っている。

本来だったら一緒にいられる相手では無い。

ティラノサウルスの主食は。

トリケラトプスだったのだ。

ティラノサウルスの全盛期は、トリケラトプスの全盛期でもあり。

特にトリケラトプスは環境のニッチを圧倒的な適応力で独占し。

草食恐竜の大半がトリケラトプスという時代まで実在したほどである。

これをエサとして、大繁殖したのがティラノサウルスで。

両者は生物という観点で見れば、文字通り不倶戴天の敵である。

もっとも、アバターとして使っているだけで、両者共に人間。

今はそのような、古き時代のしがらみは、もはや関係無いのだが。

「大変だねハルさん。 私なんて鈍くさいから、お仕事は殆どAIに選んで貰って、一人で黙々とやってるくらいだよ。 生活も自給自足を静かにしているくらいだし」

「それも生き方の一つですわ」

今の時代の、いわゆる貧困層は。

政府から支給された家で、支給されたロボットに世話を受けながら。

それぞれが、AIが探してきた適性にあった仕事を、自宅でこなして過ごしている。

生活がそれでも出来ない例外はいるが。

一番貧しい人でも、きちんと家を持って、普通に生活が出来るのが現在である。

故に変な思想にでもはまりでもしない限り。

反社会的活動などには手を染めない。

充分に満足できる生活をしているからである。

また、人間同士がほぼ実際に会わなくなった結果。

過密状態はなくなり。

昔は根絶不可能とまで言われていた虐めや、対人犯罪などは、既に過去の言葉となっている。

貧富の格差についても縮まり。

昔は1パーセントの人間が富の過半を独占、何て巫山戯た状態が実在していたのだが。

今私はどちらかと言えば裕福な方だが。

話をしているユカリさんとは、多分資産額は五倍程度しか離れていないだろう。

そういうものだ。

もっとも、ユカリさんが資産を誤魔化して、実際には金持ちである事を隠している可能性もあるが。

カフェでそういう話をしても仕方が無い。

またAIのサポートがついていて。

こういうカフェでは、個人情報が特定されるようなワードが発せられかけた場合は、即座にブロックが掛かるようにもなっている。

「ハルさんはやっぱり忙しいの? 殆ど見かけないけれど」

「此処にはストレス発散のために来ますわ。 どうしてもカプセルで無理矢理、ばかりだと、気分転換になりませんし」

「まあ、あれは味気ないですものね」

「……」

味気ない、か。

カフェも殆ど気分で来るようなものだが。

ストレスを発散するための工夫は随所に凝らされている。

他のアバターとは一切関わらない設定にする事も出来るし。

流れる音楽も、自分好みに設定できる。

そういう意味では、エンシェントに近いかも知れない。

エンシェントも、個別アクセスをするから、自由にカスタマイズ出来る古代生物動物園なので。

強みに関しては。

ほぼ同じと言える。

「何があったかは分からないけれど、ハルさんは裕福みたいだし、たまにしかここに来ないって事は心にも余裕があるって事だし。 まあ元気出して」

「そうですわね。 ありがとうございます、ですわ」

適当にユカリさんに礼を言うと。

カフェからログアウトする。

嘆息すると。

ロボットに肩を揉ませた。

肩は凝っていないようですがとAIが冷静に突っ込みを入れてくるが。

こういうのは気分の問題だ。

さて、気分転換もしたし。

肩を揉ませながら、またSNSを見る。

ピーコックランディングは、魚竜についてはかなり好意的な意見を寄せてくれてはいる。これはいつもと逆の現象だ。

普段はSNSの方が楽しんでくれて。

ピーコックランディングでは酷評されるものだが。

今回に限っては現象が逆である。

つまり、それは。

今回は、学者好みの内容だった、と言う事なのだろう。

客商売は難しい。

それがまた一つよく分かった、というだけでも。今回は良しとするべきか。

ぼんやりとしながら、思う。

魚竜達の生き様は。

人には届かなかった。

結局の所。

人は努力が大嫌いで。

苦境を生き抜く姿も。

あまり喜ぶ事はないのだろうと。

目を細める。

或いは人には。そもそも。厳密には心と呼べるものも、最初から無いのかも知れないのかもしれないと、私は思った。

勿論、私も含めて。

 

4、会社を回す

 

結果は兎も角。

興行的には、今回の大型アップデートは成功に終わった。

魚竜に関するコンテンツはあまりアクセスが無かったけれど。

全体的にはアクセスが増えた。

魚竜が苛烈な淘汰を乗り越えて。

新しく構築された環境に適応するべく、その死力を尽くした。

それは立派だと思うのだが。

どうも殆どの人間には、その立派さは届かなかったらしい。

個人的には悲しくも思うが。

もうそれについては、これ以上気にしても仕方が無い、と思うしかないのだろう。

社員達も、私の不機嫌は悟っている様子だが。

私も社員に当たり散らすほど馬鹿じゃ無い。

ボーナスはきちんと出すし。

それで良いともきちんと区切りはつけている。

適正がある。

そうきちんと判明しているのだから。

その適性を使う。

適性を放り出して、社長にあらざる行為をするのは阿呆だ。

私は阿呆になるつもりは無い。

会議で、今回のアップデートについて聞かれたが。

私はノーコメントを貫いた。

社員達もそれで分かったらしく。

以降は何も言わなかった。

こういうこともある。

だけれども、客とはそもそもこういうものだし。

いちいち腹を立てても仕方が無い。

次の商機を探すべく。

論文を私はチェックすると宣言して。

それで終わり。

以上である。

私はそのまま会議をログアウト。

しばらく自宅でむくれていたが。

メールが届く。

魚竜の論文を出した科学者からだった。

「魚竜そのものの評判はあまり良くなかったようですが、エンシェントでとても誠実な対応をしてくれた事に感謝します。 有難うございました」

「此方こそ、力及ばず済みませんでしたわ」

「いえ。 それでは」

メールでのやりとりは短かったが。

感謝という概念を持っている人間もいたか。

ふうと嘆息すると。

私はロボットに指示して。

適当に髪の毛をセットさせなおした。

気分を変えた後は。

高笑いして。

多少意気を高める。

私もこの格好をしているからには、誇り高くあらねばならないだろう。

この失敗を糧に。

次は儲けつつ。

きちんと古代生物の魅力を伝える展示にする。

私は適性を見込まれて社長になったのだ。

それならば、その責務を果たす。

それだけだ。

 

(続)