水辺の卵
序、実は柔らかいもの
鶏卵のイメージが強いから、だろうか。
卵は硬い物、と錯覚されがちだ。
勿論堅い卵を産む生物はいる。
鳥類はあらかたがそうだし。
鮫の仲間の中にも、卵を産み付けるものには、非常に頑強な卵を産むタイプのものがいる。
恐竜も頑丈な卵を産んだという説があるし。
昆虫の中にも、頑強極まりない卵を産む品種は幾らか存在している。
他にも何種類か強固な殻を持つ卵を産む生物は存在していた。
だが、爬虫類までは。
産む卵は決して頑丈では無かったのが事実だ。
飼育してみると分かるが。
蜥蜴などの卵は、水分が必要で。
更に殻も柔らかく。
外敵から身を守ることなどとてもではないが出来たものではない。
これらの卵を守る習性を持った生物もいるが。
意外にも、かなり知能が高い生物でも、卵を放ったらかしにするケースは散見されるのである。
恐竜の卵の化石は残っているが。
それ以前の生物。
恐竜の更に前に栄えたほ乳類型爬虫類はどうだったかよく分からないし。
更に更に前に栄えた大型両生類に至っては、まったく分からないというのが素直な所だろう。
さて、問題は此処からだ。
私の所に、論文の情報が来た。
イクチオステガについてである。
有名な大型両生類で。
魚から両生類に進化し。
水陸両用の生活を可能にし始めた時代の生物である。
まだ完全な両生類ではない。
だが、川での水陸両用というニッチを掌握した両生類は。
有名なイクチオステガを例に出すまでも無くどんどん巨大化を果たしていき。
最終的には現存するワニなどと同等の体格や。
高い運動能力を持つに至った。
彼らは脊椎動物という利点を生かし。
無脊椎動物では再現不可能だった巨体を陸上にて再現した。
水中では、無脊椎動物でも巨体を再現出来る。
浮力があるからだ。
だが陸に上がると、無脊椎動物にはどうしても限界が出てきてしまう。
その限界を超えられたのも、強力な内骨格が存在したからで。
外骨格では構造上、更には呼吸の仕様上不可能だった巨大化が可能だったのである。
勿論これは、比べている相手が節足動物だから、というのもある。
いずれ頭足類が地上に適応した場合。
象にみまごう巨大種が出る、なんていう説もある。
しかしそれでも、どちらにしても限界がある。
海中にいる最大巨大種。
実は現時点で発見されている、歴史上最大の生物であるシロナガスクジラでさえ、陸上には適応できない。
陸に上げると自重で潰れてしまうのだ。
シロナガスクジラは脊椎動物であり。
脊椎動物の頑丈な肉体構造であっても。
水中であっても。
限界はある、という話である。
いずれにしても。
今まで存在し得なかったニッチを強奪した脊椎動物については。以降の繁栄は誰もが知るものだが。
その一方で、イクチオステガの卵がいかなるものだったかはよく分かっていない。
恐らく現存するカエルのようにゲル状であっただろうと推察されてはいるが。
それ以上の事は分からない、というのが実情である。
さて、これについての論文が。
今回来た。
ゲル状の卵なんか、余程の事でも無い限り化石で残るはずがないのだが。
今回は、どうやらその余程の事が起きたらしい。
条件が相当に整わないと。
こういった化石化は起こらないのだが。
その条件が整ったのだ。
具体的には土砂崩れである。
川際で生活していたイクチオステガが産卵したところ。
雨か何かで緩んでいた地盤が崩れて、一気に土砂崩れがその場を襲った。
イクチオステガの化石が確認されているので、それについては間違いが無い。
そしてどうやら。
その化石の中に混じっていたのが、卵らしいのだ。
体内に残ったままの、産む寸前だった卵。
これについての論文だった。
面白い内容である。
私は早速目を通す。
内容としては、まあ大体予想はつくが、ゲル状だっただろうとしか思えない。
現存する両生類全てがそもそも、水が無ければ死ぬ卵しか産めない。爬虫類の多くだってそうだ。
爬虫類の卵は乾燥に強いとか昔の学校では教えたようだが。
それはあくまで「両生類に比べて」であって。
実際には水分が無いと死ぬ。
両生類は更に極端で。
水の中で産まないと死ぬ。
巨大化するイクチオステガだ。まあこの時代の両生類には、更に巨大化する品種がどんどん生まれて行くのだが。
幼生から生体へ変化していく生態を持っていたとして。
やはり卵はゲル状だった筈だ。
所が、である。
かなり変わった形の卵を産んだのでは無いか、という説が、論文には述べられていた。
「大型両生類は、或いはいずれ陸上に上がった爬虫類が産むような、しっかりした殻を持った卵を産んでいたかも知れない」
「ほう……」
論文の結論を見て、私は思わず唸っていた。
両生類は幼体から成体に姿を変える。
これは誰もが知っているとは思うが。
この当時の。
爬虫類に進化しかけていた両生類がそうだとは限らない。
後の時代に生き残った両生類については、現状は大型種、例えばオオサンショウウオなどでもゲル状の卵を産むけれど。
それ以上に。
いや、段違いのサイズの大型肉食両生類だったら、どうだったのか。
運良く卵を持ったまま化石になった個体が見つかったらしく。
しかも保存状態が極めて良好だったため。
今回の論文が出たそうである。
それによると。
なんと原始的ながら殻を既に形成しており。
どうやら土の中に卵を産み付けたのでは無いか、という仮説が記載されていた。
現在の鰐に似た生態だ。
論文を書いたのは、イクチオステガを一とする大型両生類の権威とされている人物で、現在六十を少し超えているが、現役である。
昔、論文や証拠をねつ造した学者が実在したこともあり。
現在学者は研究を必ず立ち会いの下で行う事になっている。
不正は疑わなくても大丈夫だろう。
問題は、内容で。
どんなに他の監視がついていても。
我田引水な論文を書く学者は出てくる。
実際問題、学会でも。
現在でも、発表の度に「作文」を読み上げる学者はいるらしく。
そういうときには困り果てた他の学者は、むしろ開き直って昼寝したり、休憩したりするという。
漫画なんかでよくある、異端の説を発表して学会を追放される、というような事は。
少なくとも現在ではない。
ただ流石に毎回妄想作文を発表している学者に対しては。
信頼は失われていく様子だが。
ともあれ、今回の論文については、複数方面から既に検証が出ていて、面白いという話もある。
確かに後期の陸上に上がりかけていた大型両生類が、爬虫類に近い卵を産んでいた可能性は否定出来ないし。
もしそれが本当だったとすると。
想像以上に陸上適応が進んでいた事になる。
確かに大発見だし。
動物園でアップデートをする価値はある。
すぐに会議に掛ける。
会議に出た重役達は特に反対もせず。
話を粛々と聞いて。
意見を出してきた。
「問題はそれをどう「見せる」かですニャー」
「現状、「イクチオステガに関しては」ゲル状卵で問題ないですわ。 もっと後期の両生類……論文ではプリオノスクスも扱っていますが、これが適切ですわね」
「確かにプリオノスクスほどの大型両生類であれば、幼生から生態になるのは大変だったでしょう。 むしろ最初から親と同じ姿をしていた方が自然ですのだ」
プリオノスクス。
現在発見されている最大の両生類である。
全長は九メートル。
体はワニに似ており。
その中でも魚食性のガビアルに似ている。
大型の両生類は他にも発見されてはいるのだが。
イクチオステガに至っては二メートルに届かず。
他の大型両生類も、最大でも五メートル程度である事から、このプリオノスクスの圧倒的なサイズがよく分かるというものである。
ただ、他の大型両生類は、特に後期の者になると。
殆ど水の中と陸上を分け隔て無く移動し。
高い運動性能を持ち。
陸上に既に上がっていた獲物を、かっさらって水中に引きずり込む、というアグレッシブな生態を持っていた様子で。
はっきりいって、「両生類だから弱々しそう」とか思っていると。
その獰猛さに泡を食うことになるだろう。
サイズから言っても、ライオンなんかより余程危険な生物である。
私の動物園、エンシェントでも大型種は展示していたが。
今回はその中でも、プリオノスクスに的を絞ってアップデートをしたい。
この意見を出すと。
すぐに賛成意見が出た。
「大型両生類は、その後の時代のディメトロドンに代表されるほ乳類型爬虫類に比べて地味な印象があって、客足が微妙でしたニャー。 今回のアップデートで、多くの客を呼べるようにしたいですニャー」
「同意です」
「それにしても、このタイミングでの発見。 最近は化石の解析がより進んで好ましい事ですのだ」
わいわいと興奮した声が聞こえる。
基本的にエンシェントのスタッフは私と同じ古代生物好き。
誰もがこういう話題は喜ぶ。
勿論「一般人」には古代生物に興味を持たないどころか。
自分達の先祖である事ですら考えず。
「爬虫類」は気持ち悪い。
「両生類」は気持ち悪い。
だから見かけ次第殺して良い、とか考える輩もいる事は重々承知している。
今の時代は、そもそも動物と人間は切り離されており。
この手のエセ潔癖症の阿呆どもが、ごく当たり前に生活している動物たちを脅かすことは無くなった。
また密猟は重罪になっており。
自称マニアに売るために、営巣地などを荒らす行為に関しては、実刑と膨大な罰金が掛かるため、まったく割に合わない状態にはなっている。
とはいっても、故にそもそも客としてカウントできない状態になるのは。
それはそれとして問題だ。
しっかり古代の生物について知ってもらい。
その結果きちんとした自分達の先祖について理解してもらう。
それが重要なのだと。
私は思っていた。
会議でジャッジを掛ける。
難航することもある会議だが。
今回はすんなり通った。
AIもアップデートに賛成である。
ただしCMはしっかり作り込むことが前提、という念押しも入ったが。
まあその辺りは私がやるだけだ。
「それではみなさん。 それぞれの持ち場についてくださいまし」
「分かりました!」
会議が解散し。
アバターが仮想空間から消える。
私は自分の部屋に戻ると。
大きく伸びをして。
プリオノスクスの画像を前後左右から見回す。
こうしてみると、殆どワニだ。
これが両生類だと言っても、信じない人間は珍しくも無いだろう。
人間、興味が無い分野に対しては、存在しないと考える者も多い。
これだけ催眠学習が発展して。
知識はきちんと取り入れられるようになった時代でも、である。
要するに人間は元からどうしようも無い阿呆であり。
今奇蹟に奇蹟が重なって、この世界で平穏が実現しているに過ぎない。
実際、面白半分エンシェントに来て。
気持ち悪いだの何だの難癖をつけて、金を払わず逃げようとする悪質客も実在する。
まあ何回か見かけたが、そういうのは今時問答無用で通報、お縄に出来るので問題はない。此方で対処する必要はなく、警察の仕事だ。
ため息をつくと。
生態系のニッチに入り込んだ生物が、収斂進化で驚くほど似ることの奇蹟に思いを馳せつつ。
このワニにそっくりな両生類が。
どのように時代を生きたのか。
CMの内容について考えて行く。
自分で動画を作るツールが最初に広まった頃は。
それこそ職人芸と呼ばれる技術と、膨大な時間が必要になったと言われているが。
今の時代は、技術も時間も必要ない。
その代わりセンスがいる。
そのセンスについてはきっちり磨いているので。
私はCMを黙々と造り。
送り出す。
その一方で、今まで作ったCMなどに関する意見にも軽く目を通し。
明らかにミスがある場面については修正を掛けておく。
作った人間としては。
それくらいはやるのがマナーというものだからだ。
肩を叩きながら、しばらく思考誘導で動画を作っていく。
両生類、か。
水から陸に脊椎動物が上がる経緯となった存在であるのに。
今一重要視されていない。
生物学者は勿論その存在の偉大さを理解しているが。
そうでない人間はただ気持ち悪いとか考える。
デフォルメして可愛らしくデザインするケースはあるが。
どうしてありのままを愛せないのだろう。
人間とはどうしようもないな。
そう思いながら。
私は黙々とCMを作る。
価値は人それぞれ。
とはいっても。
漸くこの時代まで来ても。
自分と違う価値観を持つ人間を馬鹿にしている者は散見されるし。
自分の価値観で美しくない生物は殺して良いと考える人間は多数いる。
美しいとか美しくないとか関係無く。
生物は存在するそれだけで重要な意味があるというのに。
それを理解出来る人は。
多分今後も、当面は主流にはならないだろう。
古き時代。
ユートピアという言葉は、存在し得ないという意味さえ持った。
今の時代は。
ユートピアに最も近いとも言える。
だが、それを持ってしてさえして。
人間の愚かさ加減は変わらない。
限度を超えた人間の愚かさを押さえ込める有能な法と、不正を許さないシステム。更には奇跡的な性能のAIが揃って、やっとこの時代が来たとも言えるのに。
私は一つため息をつくと。
CMを黙々と造り続けた。
1、陸に上がった魚の末裔
生物の陸上進出が始まったのは、酸素が地球中に充分に満ち。地上に植物が繁茂して、其処に新しい可能性が出現したからである。
藍藻類などを中心とした、酸素をばらまく生物の出現により。
億年単位での文字通りのテラフォーミングが行われ。
その結果、地上は楽園とは言い難いものの。
それでも多くの可能性が生まれる場所になった。
最初に進出したのは無脊椎動物だったが。
無脊椎動物には、大きくなれる限界、というどうしようもない壁が存在していた。
最初陸上において頂点捕食者だったのも無脊椎動物だったが。
しかしながら、その時代は永遠には続かなかった。
脊椎動物が陸上に進出したからである。
外骨格で体を支える、或いは体を軟体で保つ無脊椎動物に対して。
脊椎動物は内骨格によって巨大な体を自在に実現し。
その結果、遙かに巨大な肉体を持って、事前に進出していた無脊椎動物たちを圧倒。ニッチを蹂躙し、奪い取っていった。
少なくとも、上位捕食者としてのニッチは。
脊椎動物が独占することになった。
これに対して、無脊椎動物は柔軟に対応。
生態系の下位のニッチを奪うことにより。
繁栄の方向性のシフトを変えた。
元々無脊椎動物は、海中なら兎も角、陸上では大型化するには向いていない。
ならば小型化し多数の種類に分かれることにより。
その繁栄の方向性を変えれば良い。
勿論そう考えて行動したわけでは無い。
だが現在、節足動物、特に昆虫が凄まじい繁栄をしている事を考えると。
この戦略は正しかったのである。
ただ、いずれにしても。
脊椎動物は陸上進出後。
上位捕食者としての地位を。
一度も無脊椎動物に譲っていない。
圧倒的な体格差から来る力の差。
それはどうあっても覆せないほどの力の差を、どうしても生み出したのである。
そういうものだ。
そしてその第一歩こそ両生類。
両生類が地上進出を果たし。
爬虫類が産み出されなければ。
今人間は存在していない。
どちらにしても、脊椎動物が陸上進出を果たせたのは。
両生類という偉大なる生物が。
陸上への道を切り開いたから、である。
さて、現在まで使用されてきたプリオノスクスのモデルを再確認する。
大型の肉体を持っているが。
この体型だと、ガビアル科の鰐。
詰まるところ、魚食性だったことは想像に難くない。
体長で言うともっと小さな両生類もいたが。
がっしりした体格を持ち、アグレッシブに地上の生物を襲った品種も存在していたので。
このプリオノスクスは、それほど「獰猛」ではなかったと推察される。
勿論下手に手を出したりしたら噛まれるだろうが。
別に人間が陸にいるのを見ても、襲いかかって食おうとはしてこないだろう。
両生類全盛期の時代には。
それをやろうとする両生類が大勢いて。
ガタイから言ってもライオンや熊より更に危険だった。
実際に現行のモデルを動かしてみるが。
水中では素早く動くものの。
陸上に上がると、ワニ同様それほどアグレッシブでは無い。
とはいっても、ワニもその気になればかなりのスピードで動き回る事が出来るし、パワーも人間が対抗できる存在では無い。
このプリオノスクスも、同じだったことは想像に難くない。
まず現在のワニをベースに。
論文同様産んだ卵を埋め。
地熱で温め。
そして孵った子供を、しばらくの間保護する描写を入れて見る。
もしも卵がゲル状ではなく。
爬虫類のように既に殻を持っていたのだとすれば。
収斂進化により、これくらいの事はしていてもおかしくは無いからだ。
またこの時代は酸素濃度が現在よりも濃かったことが判明しており。
かなり暑かったかも知れない。
もしそうだとすると、卵を狙う捕食者の動きも活発だっただろう。
ならばむしろ埋めてしまった方が。
安全性は高かったはずだ。
幾つかのモデルを弄りながら。
まず川辺の適当な場所にコロニーをプリオノスクスが造り。
穴を掘って産卵。
そして土をかぶせた後。
しばらくじっと卵を守る苦行を行う様子を描写する。
ワニも種類にもよるのだが。
こうやって卵をしっかり守る品種は存在している。
ざっと仕上げたところで。
論文を書いた学者に連絡を取る。
既に契約は済ませているが。
途中で意見を聞くのは、作り手として当然のことだ。
私の作ったプリオノスクスの産卵の様子を見て、学者は喜んでいたが。
その後、ぴたりと止まった。
どうやらこの学者。
考え込むと、動きを止める癖があるらしい。
接触は勿論仮想空間で行っているが。
それでも止まると言う事は。
色々と覆しがたい癖なのだろう。
まあ別にどうでも良い。
気むずかしい人間のために、コミュニケーションを補助するためのAIも現在では普通に開発されているし。
コミュニケーション時に相手に不愉快だと判断される表現などはぼかす機能なども搭載されている。
言語といういい加減なツールでコミュニケーションを取るようになってから、人類はずっと苦労を続けて来たが。
今の時代は流石にそれもない。
「これは現在のワニをモデルケースにしているようだが……私の考えとは少し違うかも知れない」
「具体的にお願いいたしますわ」
「結論から言うと、この時代の酸素濃度は高い。 更に平均気温も」
「ふむ……」
つまり、だ。
卵を埋めてしまうと、蒸し焼きになってしまう、と言う事か。
確認すると、頷かれた。
「そうなると、地上に作った巣に産んだ卵を守っていた、と考えるべきでしょうか」
「恐らくは。 論文で埋めた可能性について言及したのに申し訳ない。 少し此方でも論文を見直す。 ただそうなると、ある程度の水分が必要になる」
「土の中であればそれは解決する問題なのですけれども……」
「流石にこの時代の生物が、雌雄でつがいになって、共同で子育てをしたとは考えにくいし、説としては大胆すぎる。 可能性があるとしたら、巣に何かしらの方法で、水分を常に供給したか……」
しかしながら、だ。
かなり地上進出に近付いていたとは言え、プリオノスクスは両生類である。
まだまだその肌は乾燥に完全適応したわけではない。
長時間地上に貼り付いていたら。
本人が死んでしまっただろう。
土に埋めた卵を、水の中から、或いは余裕がある場合は自分で。守り続けるのであれば現実的だが。
水をある程度供給できる場所に巣を作るとなると。
水際以外にはあり得ない。
湿地帯に巣を作った可能性もあるが。
湿地帯は衛生面で問題がある。
ワニは強烈な免疫機能を持つことで有名で、地球時代に猛威を振るったエイズですら無効化する。
プリオノスクスは収斂進化でガビアルに似ているが。
其処まで発展した免疫機構を持っていただろうか。
卵を湿地帯に放置したら。
流石に孵る可能性もかなり落ちたのではあるまいか。
大型動物の宿命だが。
基本的に産む卵は多くは無いし。
生態サイクルも長い。
数年単位で妊娠する動物もいる。鯨などがその例だ。
プリオノスクスにしても、年に何度も産卵していたとは考えにくく。
水中で無敵を誇っただろう事は確実だとしても。
その繁殖力が最強だったかは疑わしい。
そんなところまで最強だったら。
多分生態系のバランスを盛大に壊して、瞬く間に自身も絶滅してしまっただろう。
「すまない、持ち帰らせて貰えないか」
「分かりましたわ」
「此方の方でも、徹底的に研究を進めてみる。 故に其方でも、CMを色々その間調整していてほしい」
頷くと仮想空間からログアウトする。
それはそうとして。
ちょっと困った。
変わり者がいる事は分かってはいたが。
まさかこんな風に話をちゃぶ台返ししてくるとは思わなかった。
確かに堅い卵を産む可能性が高かった、と言う事については私も異論はないのだけれども。
その先はまだ分からないのだから。
柔軟に対応してくれると思ったのだが。
どうやら相当に凝り性らしい。
多分これから、自前の量子コンピュータをフル活用し、当時の環境を再現して、徹夜で研究するのだろう。
時間圧縮空間でそれをやるのだろうが。
それにしても、相当な凝り性だ。
私もその辺りは同類なので、相手をどうこう言うつもりは無いが。
かといって、CMの作成に大きな影響を出すのは事実である。
腕組みしてうなる。
穴に埋めて、地熱で孵す。
そも論文にその可能性が示唆されていたし、良いアイデアだと思ったのだけれども。
専門家に土壇場でノーを出されてしまうと、そうも行かないか。
しばらく頭をくしゃくしゃしていると。
ロボットが来て、髪型を整え直してくれる。
むくれて回る椅子をくるくるしていると。
しばしして、AIが提案してきた。
「今回は卵に関するアップデートが問題になっているようですし、現行の両生類との比較をして見てはどうでしょう」
「CMの方向性を変えろと」
「いずれにしても、あの様子ではすぐに結論は出てこないかと思います。 更にどうあっても専門家には勝てません」
「……」
餅は餅屋。
当たり前の話だ。
私も学者より頭が良いなどとうぬぼれるつもりは無い。
私と同年代で、古代生物の研究をしている学者もいるし。
100歳越えても現役の学者だっている。
今はそういう時代だ。
そして適性があるからこそ学者をやっているのであって(たまにおかしい人もいるにはいるが)。
そういった専門家をないがしろにするつもりは無い。
薬好きの医者嫌いだとか。
医者を信用しないだとか。
そういう愚かしいカルトを広めたあげくに、多くの悲惨な死人を出した例は、今では必ず催眠学習で習う。
専門家は今の時代、専門家であるべくして専門家になっているのであって。
学者がNOと言ったのなら。
まずその意見を聞くべきである。
それについては私も納得。
実際自分の適性と、作ってきたCMの出来にも自信があるから。他人に仕事にけちをつけられるのは非常に腹が立つ。
しばし考え込んでから。
私は素直に忠告に従うことにした。
まず現世の両生類か。
両生類はなんだかんだで多くの絶滅の時代を乗り越え。
恐竜でさえ滅んだ中。
未だに生き延びている、相応に強靱な品種である。
一時期ツボカビ病という強烈な伝染病でかなりの数が命を落とすいたましい事件があったが。
それも乗り越え。
今では個体数も安定している。
それはつまるところ。
両生類という生物が、相応の高い完成度を持っている、と言う事だ。
現在の両生類について、色々なデータを持ってくる。
エンシェントでも、両生類のデータは豊富にあるので。
今回はその中から、幾つかの事例を持ってくる。
両生類と言えば、蛙の卵がやっぱり目立つかも知れないが。
蛙と一口に言っても。
実に様々な方法で卵を守るのである。
樹上生の生活をする蛙も実在しているし。
中には背中に卵を直接植え付け。
肉を盛り上げて守る、という変わった生態を持つ蛙もいる。
まあ口の中にて卵を守り。
孵った稚魚を口から放流する、という魚が実在するくらいである。
恐竜より古い歴史を持つ両生類だ。
それくらいのワザマエを見せてくれても不思議では無いだろう。
それらの例を幾つか紹介しながら。
古代の両生類について説明する動画に移っていく。
彼らはどうやって地上に適応していったのか。
魚から、徐々に陸上に本格適応する品種へと変わっていき。
陸上で動けるようになる。
だがまだ水からは完全には離れられない。
肌は水分が必要だ。
しかしながら、もう少し。
後一歩で、地上に上がれる。
地上に上がれば、既に無脊椎動物が築いた楽園があるが。
ガタイの圧倒的な差がある。
ニッチを奪い取るのは難しい話では無い。
其処に待っているのは。
新しい可能性の世界だ。
川には多くの栄養が溢れ。
地上の豊かさは、川にいるだけで分かる。
それならば、おお。
陸上を目指せば。
更なる楽園が、其処に開けているでは無いか。
さあ体を大きくしろ。
手足を発達させろ。
乾燥に対しての耐性を得ろ。
海水はもう考えなくて良い。
真水で生きる事だけを考え、体をどんどん巨大化させろ。陸上でデカイ顔をしている無脊椎動物を、蹂躙する時が来たのだ。
卵も変えなければならない。
小型の内はゲル状で良かったが。
陸上に今後上がるとなると。覇権を握るには、柔らかい卵では駄目だ。ある程度は乾燥に耐えられなくても良い。
頑強な卵を。
CMでは、大型化していく両生類。
逞しくなっていく両生類を描きつつも。
卵については、徐々に柔らかいものから、硬い物へと変化する様々な過程を描いていく。
それと同時に。
現行の両生類の様々な卵について描写していく。
大型化していく両生類が。
これらの卵について、似たような方法で守っていた可能性についても描いていく。
やがて、ついに陸上に産んでも問題ない卵が出現する。
それは水分をある程度は必要とするが。
少なくとも水の中に入れておかないと即時で滅亡するようなものではない。
おお、これでついに陸上への道が開けた。
歓喜する両生類たちは。
ついに陸上へ、その巨大な体を引きずりつつ、突撃していった。
やがて彼らからほ乳類型爬虫類が発生し。
後の爬虫類になり。
そして恐竜、鳥類、ほ乳類などが出現して行く嚆矢となるのだ。
途中。
プリオノスクスの卵については、描写が現時点では出来ないので、CMとしては未完成だが。
それでも、乾燥に強い卵について描写出来るのは大きい。
この辺りは、そも論文に書かれているのだ。
気にしなくても良いだろう。
CMを順番に仕上げていく。
今回はかなり壮大なCMになるが。
そもそも、陸上に脊椎動物が上がれたのは、両生類のおかげである。
人間は両生類を侮りすぎている。
これくらいの偉業を達成した生物として、描写するのは当たり前の話であって。
そもそも蛙は気持ちが悪いとか言っている方がおかしいのである。
何を好こうが個人の自由だが。
少なくとも人類は両生類による地上進出が無ければ現在に存在などしていない。
そういう意味もあって。
無意味に貶めるのは完全に間違っている、といえる。
CMを編集しつつ。
細かい部分を修正していく。
やがて、SNSに流すのに充分な出来のものが仕上がる。
その辺りでちょっと休憩。
少しココアを飲んで温まってから。
プログラマー達の様子を確認。
現時点では、堅い卵を産むように、プリオノスクスの調整は出来たという話だけれども。それ以上は手を出せないので、今はシミュレーションに徹しているという。
まあそうだろう。
私もCMを作れなくて困っているのだ。
向こうの苦悩もよく分かる。
しばらくはそのままでと指示を伝えた後。
私は一旦会議を開き。
現状のCMについて見せる。
壮大なCMだという話が聞けるが。
基本的に反対意見は出なかった。
AIのジャッジでも反対は出なかったが。
苦言は出た。
「ちょっと大げさすぎる気がします。 生物史において両生類が重要な役割を果たしたのは事実ですが、これだと壮大すぎて、アップデートの内容に釣り合わないような」
「ふむ……」
少しばかり壮大さを抑えるか。
頷くと、調整を入れることを明言。
後は進捗を聞いて。
会議を切り上げた。
CMについては、それから幾らか修正を入れて。ちょっと壮大すぎた部分を押さえ込む。そして最終稿が出来てから。
SNSへと流した。
エンシェントは繁盛している。
更なるアップデートを重ねることにより。
どんどん進化もしていく。
それを印象づけるためにも。
新しいCMを流し。
最新の学説を仮想空間内で実現していることをアピールし。
エンシェントは更に進化していることを、見せつけなければならない。
さて、CMをSNSに放流。
近々アップデートとも、併せて併記。
同時に、現在もエンシェントでは、古代生物に触れあうことが出来る事を明記。
勿論有料だが。
それはどこの動物園も同じだ。
さて反応はどうか。
SNSでは、早速反応があった。
「この間の頭足類の奴、切り口が面白かったんだが。 今回もまた妙な切り口から攻めてくるな」
「プリオノスクスは確かに面白い品種だが、陸上適応した卵にスポットライト当てるのか……そういえば食べられる?」
「確か出来る筈。 ただ中身が出来てるのをゆでたりしたら最悪だぞ」
「その辺りは設定でどうにでもできるだろ」
何という反応か。
やっぱり壮大な内容にした方が良かったんじゃ無いのかと思ったが、それは敢えて黙って口にしない。
他の反応も見る。
「昔ってこんなデカイ両生類がいたのか」
「確かに節足動物のニッチを奪えるわけだよな。 殆ど猛獣じゃん」
「猛獣だよ。 この時期の両生類の中には、水中から襲いかかって獲物を水に引きずり込むような奴もいたし。 このプリオノスクスにしても、魚食性とは言え殆どワニだぜ」
「ひええ、おっそろしいなあ。 ライオンより怖いんじゃねーか?」
うーむ、やはり反応がずれている。
というか、ライオンなんて、今までに存在した肉食生物の中では別に強い方でも何でも無い。
肉食恐竜と比べたら子猫も良い所だし。
何しろ、現在のサバンナでさえ、別に最強の生物でもなんでもない。
サバンナにおける肉食獣としては最強かも知れないが、それも肉食獣限定。群れのライオンでさえ戦闘力という点ではトップには遠い。
アフリカ象やカバ、サイ辺りが相手になると。
群れのライオンがまとめて蹴散らされて終わりだ。キリンでさえ負ける事がある。
百獣の王という言葉が一人歩きしているのがライオンの現実で。
古代生物には、ライオンなど歯牙にも掛けない肉食獣が幾らでもいた、というのが事実である。
「地上進出には堅い卵が必要だとは思ったが、これは思い切ったアップデートに出たな」
「新しい論文が出たんだろうな。 エンシェントはそういうののアップデートが非常に盛んだし」
「それにしても、こんな地味な内容で、良く客寄せしようって気になるな。 それについては感心するよ」
「無駄に壮大なCMだが、楽しそうだが見に行こうとは思う」
うーむ。
悪目立ちしている意見を見てしまっているだけなのかも知れないが。
それにしてもちょっと個人的には腕組みしてむくれてしまう。
まあいい。
CMというのは目立ってなんぼのものだ。
そのまま流しておいて、様子を見ればそれで良い。
ちょっと私が思ったのとは反応が違うが。
別にそれで良い。
あくびをすると、少し疲れが溜まっていることを自覚。
ロボットにマッサージをさせた後少し休む事にする。
そして、目が覚めたとき。学者からメールが来ていた。
2、堅い卵と柔らかい卵
学者から連絡が来たので、仮想空間で会う。
話を聞いてみると。
どうやら学者なりに結論が出たようだった。
「結論から言うと、確定ではないが、プリオノスクスは恐らく卵を埋めなかったと思う」
「やはり当時の気候の問題ですの?」
「そういう事になる」
まあそうだろうな。
私は頷くと。続きを促した。
「恐らくプリオノスクスは、卵を水際で産み、それを監視しながら過ごしたはずだ。 或いは浸透圧を利用して、尾を水に垂らし水分を補給しながら、巣を守ったかも知れない」
「巣に魚などが入り込む可能性は」
「虫などに食い荒らされる可能性はあったかも知れないが、多分かなり細かくケアした筈だ。 どの動物でもそうだが、巣を守っているときのプリオノスクスはかなり獰猛だっただろうね」
古い時代のものは劣っている。
そんな考えは間違いだ。
例えば劫火に焼き滅ぼされた南米の文明は、インドの文明同様0を発明していた。これは他に類を見ない快挙である。
人類の最悪の部分を煮詰めたような残虐さを誇る侵入者に徹底的に蹂躙されたからと言って。
その文明が劣っていた、などと言うことは無い。
種族にしても同様。
古い時代の生物だったからと言って。
その体の仕組みが劣っていたり。
欠陥があった、と考えるのは間違いだ。
環境のニッチに入り込むための工夫を全力で凝らしていた、と考えるのが普通であって。
巨大化した両生類は。
水陸両用の大型生物というニッチを埋めるために、様々な変化を体にしていたのは疑いない。
生態もしかり。
生物は万年単位で変化していく存在だ。
プリオノスクスは当然卵を本能で守っていただろうが。
そのやり方が、「人間から見て賢い」かどうかは別問題。
当時の気候などで考えると。
ベストのやり方だったのは事実だろう。
打ち合わせの末に。
幾つか言質を取る。
その後、会議に話を持ち込んだ。
既に幾つか案をプログラム班もシミュレーションしていたらしく。
比較的近い案もあったそうだ。
「水際に巣を作るとなると、いっそのこと穴を掘って埋めるよりもかなり難易度は高くなるかと思います」
「当時は酸素濃度などの条件も異なるし、この辺りが妥当ですニャー」
シミュレーションにあれこれ手を入れ。
最終的には。
学者が言ったとおりのものが出来上がった。
プリオノスクスが半ば水に浸かりながら、体で覆うようにして守る巣。
変温動物は燃費が基本的に良いけれども。
卵が生まれるまで下手すると数ヶ月、何も食べる事は出来なかったかも知れない。
なおこういった巣を守る動物が。
オスの場合。
メスの場合。
両方の場合。
様々な例がある。
流石に今回の研究では、プリオノスクスの雌雄どちらが巣を守ったかまでは分からなかった。
その分からない部分については。
敢えて描写しない。
説明を求められた場合は。
研究がまだ進んでいないので学会でも分かっていませんと返答するようにプログラムを組んでいる。
あくまでエンシェントは最新の学説を反映する場所であって。
どうしても仕方がない場所以外は。
できる限り学者の言ったとおりに作っているのである。
巣については、一種のくぼみのような感触で。
わずかにだけ水がしみこむようになっている。
水が入りすぎると、一緒に魚なども入ってくるし。
水がなさ過ぎると、卵が乾燥しすぎて駄目になってしまう。
大柄なプリオノスクスには、かなりこの細かい巣を作るのは大変だったのではなかろうかとも思ったが。
考えて見れば、非常に考え抜かれた巣を蟻なども作る。
環境適応の過程で。
複雑な巣を作る技術を身につけたところで、何ら不思議では無いだろう。
ジャッジに掛け。
AIもOKを出す。
後はシミュレーションをして見て。
それで問題が出なければ完成へ向けて進むだけ、という事である。
私はこの巣の予想図をベースに。
新しいCMの作成に移る。
前のCMは無駄に壮大だとか馬鹿にされていたが。
実際にはかなり価値があるアップデートだと言う事を思い知らせてやりたい。
リベンジに私は燃えていたが。
だが、こういうときこそ。
冷静に作業を進める事が寛容だ。
仮想空間からログアウトすると。
私は黙々とCM作成に移る。
巣作り。
陸上への適応。
この二つはきっても切り離せなかった。
卵の変化。
水の中に漠然と産んで、幼生体から変化したものが、その内親になる。
そういった生態から。
多少の水分があれば。
陸上で産んでも問題はなく。
また、生まれた時から親と同じ姿を持ち。
活動可能。
奇しくもだが。
それは先に地上進出していた節足動物と、真逆の変化だった。
昆虫類に顕著だが。
元々親と子がそっくりの不完全変態と。
親と子が全く違う姿の完全変態。
後者ほど、後に出てきた昆虫だ。
それに対して脊椎動物は。
両生類の段階で。
完全変態に近かったのに。
爬虫類になった頃には。
不完全変態に近い成長を辿るようになった。
この辺りは何故なのか。
それについては分からないが。
いずれにしても、地上に出るには。
「乾燥」への適応が絶対だった。
体を水から一定時間出せる、では足りない。
水を飲めば生きていける。
それくらいの状況にしなければ、とても環境適応できたとは言えない。
プリオノスクス達は。
地上という新しいニッチを奪えるユートピアを目指して。
己をどんどん変革させていく。
その過程で、己がどうやって成長するか。
卵をどう乾燥に強くするか。
そういったことまで、変化させていった。
全ては陸上進出を果たすため。
そして豊富な資源を誇る陸上で反映し。
更には陸上に存在しない大型生物というニッチを強奪するためだ。
産み出される卵は。
既にゲル状では無い。
陸上で生活する事を意識した、かなりしっかりした殻を持ったものだ。
そして水際に産み落とされる際には。
巣を作り。
水の一部を取り込めるようにもする。
そうすることで卵の過度の乾燥を防ぎ。
更に親が子が産まれるまで守る事が出来る。
当時の頂点捕食者による保護である。
そのガードは、文字通り最強であっただろう。文字通り産み捨てても大丈夫な頑強な卵ではないからこそ。
親が側で守る必要があった。
多少食われても平気なほど産むわけではないからこそ。
親が側で見ていなければならなかった。
いずれにしても、プリオノスクスは成功した。
他の大型両生類たちも、似たような戦略を採ったのだろう。
やがて原始的な爬虫類が出現し。
爆発的に巨大化しながら、水辺から内陸へと侵攻を開始。
無脊椎動物に制圧されていたニッチを、その圧倒的な巨体で侵略していったのである。
流石に酸素に地球が覆われたときほどのダイナミックな変化ではなかっただろうが。
それでも頂点捕食者の交代という大事件は。
地球の歴史に残るものであっただろう。
勿論爬虫類の中には、後の時代に、逆に海へと生活の場を移した者もいる。
それは、爬虫類という生物種が、それだけ優れたモデリングを持っていたから、であり。
そもそもその優れたモデリングは。
両生類が四苦八苦して陸に上がろうとしたときに、培われた可能性が高いという事でもある。
卵は。
その四苦八苦と。
偉大なる創意工夫の。
一つの結実点だ。
巣を作る両生類。
CMでは、その生物の世界における転換期について、描写する。
今回は巣さえしっかり形になればすぐ作れるように調整していたこともあるので。
前ほど時間は掛からず。
会議に掛けて、特に反対意見も出なかった。
というか、前回のCMが。
無駄に壮大すぎると馬鹿にされていたのを、AIも情報収集していたらしく。
どうしてこれがそれほど壮大な話なのかと。
しっかり説明したこのCMについては、相応にAI側からも評価が悪くなかった。
私はやっとまともに評価されたかと思ったが。
まあそれでも。
SNSでは、冷ややかな反応を覚悟しなければならないだろう。
そういうものだ。
昔ほど酷くはないにしても。
どうしても感覚的に人間は理解出来ない存在を脊椎反射で否定する傾向がある。
昔はそれこそ、多数派が、「自分に分からないものを言っている奴はバカ」「だから迫害して良い」「迫害される方が悪い」という思想の元、暴力も勿論伴った迫害を平然と行い、自己を正当化さえしていたと聞いているが。
今は流石にそこまで愚かでは無い。
正確には、愚かではないように、サポートされる。
最新の学説は誰でも簡単に覚えられる。
カルトは摘発される。
そうなっただけだ。
それでも、まだどうにもならない部分があるのだから。
人類が進化の頂点にいるとか。
万物の霊長だとか言う寝言に関しては。
聞いているだけでアホくさという言葉しか出てこないのだ。
ともあれ、そんなもの相手でも。
商売をして行かなければならないのが、会社の辛い所である。
いっそ、評価システムか何かを作って。
それが金だけ落としてくれればどれだけ楽かわかったものではないが。
しかしながらどうしても生きた存在を相手にしなければならないのが厳しい所で。
社長になった以上。
それは覚悟しなければならない。
CMの細かい調整を行う。
そして四日ほど掛けて、丁寧にブラッシュアップをした後。
最後の仕上げに入り。
そしてSNSへと放流した。
陸上生活への活路。
それには、幾つか必要なものがあった。
陸上生活でのニッチを独占していた無脊椎動物に対抗できる巨体。
無脊椎動物も変温動物である。当時には、脊椎動物にも恒温動物は存在しなかった。故に、土俵は同じ。
だからこそ、圧倒的な巨体で。
なおかつ素早く動ける内骨格は有利に働く。
だが内骨格には問題が一つあった。
乾燥に弱いという事である。
今でこそ、乾燥に強い肉体を手に入れている脊椎動物だが。
魚類から両生類に変化した段階では。
まだ脊椎動物は、確固たる強固な皮膚を持っていなかった。
卵も同様。
どちらも陸上適応するためには。
改良を自分で施さなければならないものだった。
故に地上というニッチを奪いに行くため。
両生類たちは、何万、いや何百万何千万という年月を掛けて。
己を改造していった。
体を巨大に頑強に。
皮膚を乾燥に適応できるように。
そして卵も。
ある程度の乾燥に耐えられるように。
勿論まだ完全では無い。
だがそれでも。
陸上への本格適応を果たすためには。
どちらも必要だった。
乾燥に対応する事は、両生類の時点である程度出来ていた。
そもそも陸上に短時間いられる、時点で。
ある程度の乾燥への対応は出来ていたとも言える。
しかし卵は。
産卵時期だけ川に戻らなければならない。
いや、川の側で無ければ、そもそも生活出来ない。
それでは生物として、陸上の覇者を気取ることは出来ない。
内陸まで植物は進出し、
土地の保水力を高め。
更にはそれを目的とした節足動物は大繁栄をしている。だが、その繁栄には穴がある。更なる巨大捕食動物が、上に君臨できるという穴が。
さあ。
この卵を見よ。
希望の卵だ。
巣に守られた卵は。
既に我々が、卵として知る。
殻を持っていた。
SNSに放流されると。
CMの反響は早速あった。
というか、エンシェントのCMは相応に凝っているという評判だけは、昔からそれなりにあったらしい。
私が一人で作っているという事も。
知られてはいるようだった。
まあ「作成」は私だけでやっているが。
科学的考察などは、本職の学者に頼んでいる。
クレジットにはきちんと協力を仰いだ学者の名前も載せているのだが。
その辺りは、反応が私自身にもよく分からない。
「前のは無駄に壮大だと思ったが、今回のは壮大さの理由がよく分かるな」
「考えてみれば節足動物は外殻を変えるだけだから、陸上への適応はむしろしやすいんだよなあ。 卵に関しても、かなり頑丈なのを最初から産むようにしているし。 体が複雑な脊椎動物が陸上適応するには、確かに幾つものハードルが高すぎた、と言えるのも事実なんだろうな」
「何だか無駄に壮大だとか言って悪かった気がするよ」
「今回はちょっと見に行こうと思う」
あれ。
思ったよりずっと反応が良い。
というか、今回も無駄に壮大なCM乙とか罵声が飛んでくるものかと思ったのだが。
そんな事もなかった。
実際問題、収斂進化でワニと殆ど変わらない姿にまでなっていたのだ。
両生類が作り出したニッチを、後に爬虫類がよりすぐれた生態……乾燥にも強いし、卵もより乾燥に強いという条件で引き継いだ、とも言える。
両生類は逆に小型化することでニッチの一部を占め。
また水分を少量得れば良いという所までまとめることによって。
内陸への進出も成功させた。
川がなくても繁殖できる種類まで誕生したのは。
恐らくこの時の。
陸上進出を目指したときの。
四苦八苦が関係しているのだろう。
CMの再生数が伸びる。
卵を守るプリオノスクスの献身的な様子が。
やがて陸上進出への大いなる野心へとつながっていると知ると。
それが話題を呼び。
元々エンシェントのCMが面白いという評判もあって。
拡散され始めた。
その結果、幾つもの好意的評価が、著名人から寄せられた。
両生類研究の権威は何名かいるが。
その中の一人がCMを絶賛。
是非エンシェントに見に行きたいと自身のアカウントで発信したのは、CMを流し始めてから三日目の事だ。
それに続いて、著名なクリエイターが評価してくれる。
「単純にアートとして素晴らしい。 野心的なCMだ」
そう言ってくれると嬉しいが。
アートとして評価されるとは思わなかった。
他にも、問い合わせが来る。
誰がこのCMを作っているのか、というものもあった。
企業から、である。
私が一人で作っているとクレジットしているのに。
そうメールで返答しているのだが。
昔、合同ペンネームで作品を作ると言う事をやっていた会社が存在していたらしく。
そういったものではないのか、という問い合わせだった。
違うとだけ返答しておく。
個人HPの黎明期でさえ、タグを自力で使いこなして。HPを作った小学生はいたと聞いている。
余程環境に恵まれていたのだろうが。
それでも生半可な努力で出来る事では無かっただろう。
今は支援ツールが非常に恵まれていて。
しかも催眠学習で簡単に使い方を仕込んでくれる。
人間の脳はフル活用出来るようになっているのだ。
昔と違って。
ツールにしても、マニュアルまで完全に私の脳内に入っている。
別にいわゆる電脳か何てしなくても、それくらいのスペックを引き出せるようになっている。
それが今の時代なのである。
SNSでの評判が更に拡大していく。
「デカイワニが卵を産むってだけでこんなに話題になってるかと思ったら、これワニじゃ無くて蛙なのか」
「里が疑われる発言するなよ。 ちったあ催眠学習で知識ぐらい仕入れろ。 これは古代の両生類だよ」
「そう言われると腹立つが、確かに調べて見ると本当に両生類なんだな。 いま生きてる奴だと、たしかオオサンショウウオが最大だっけ? あれは二メートル行かないんだよな確か」
「オオサンショウウオと比べるとその巨大さは圧倒的だな。 生物的なニッチという意味でも全く違う」
川における頂点捕食者。
そういう意味で、まったくプリオノスクスの存在はオオサンショウウオとは違う。
そもそもオオサンショウウオも、住んでいる「川の中では」頂点捕食者かも知れないのだが。
住んでいるのが川の上流であり。
川は浅い。
つまるところ、熊などの更に凶悪な捕食者は幾らでもいる。
川の中に潜んで生活する事が基本であって。
「頂点捕食者」というには無理がありすぎる。
プリオノスクスは、水陸両用で頂点捕食者だった存在であり。
魚食性とはいえ、その巨体に逆らえる存在はいなかったのだ。
「ちょっと面白そうだと思った。 見に行くわ」
「派手な動物ばっかり見に行くのも飽きてたしなー。 こういう生物の進化における重要な点にいる生物を見に行くのも、悪くないなと俺も思う」
「親子連れで行くのには適していますか?」
「今時親子連れか、すごいな。 親がある程度残酷機能とかカスタマイズして、子供をログインさせるのが基本かな」
まあ複数人同時ログインというのは推奨していない。犯罪につながるからだ。
だが、親子連れで来園したいというなら。
私としても、サポートをしたい。
滅多に会話に加わる事はないのだけれども。
公式から軽く触れる。
「複数人での同時アクセスは推奨しておりません。 ただ、親御さんがまだ判断能力に欠ける子供に対して、適切に設定を変更する機能については、此方でプランを幾つか用意しております。 プランの変更を行っても、来園料金については変わりませんので、ご安心ください」
「有難うございます。 設定変更は個人レベルで出来るんですね」
「エンシェントでは最新の学説に基づいた生物たちの世界を再現していますが、それには当然流血などが伴います。 どうしても残酷な描写が苦手、ある種の動物が苦手、という人のために、来園時に対応出来るようにオプション設定は個人レベルで出来るようになっています。 ただし今は催眠学習で子供でも知識を簡単に仕入れられる時代。 あくまでお子さんはお子さんとして、一人の人間として扱ってあげてください」
「分かりました。 丁寧に有難うございます」
やりとりに関しても、AIにサポートして貰いながら打ち込む。
公式のSNSによる発信が、企業に大きなマイナスの影響を与えることは昔はよくあった。
火消し屋という商売が存在したくらいで。
しかしそんな火消しも上手く行った試しが無いのが実情だ。
故にそもそもまずいものは発信しない。
それが当たり前。
AIのサポートは、SNSによる初期からの炎上事例を全て網羅しており。
それらが何故問題になったのかを全て分析済みである。
故にサポートは任せてしまって問題ない。
今回のやりとりについても、客は納得したし。
見ていた他の者達も。
公式が珍しく宣伝以外の事を呟いているとか。
色々言い合っていた。
「そういえばエンシェントの社長、まだ13だって聞いたぜ」
「マジか。 いわゆる適性ありのタイプだな。 て、13でこれ全部作ってるのかよ」
「適性全振りのタイプだろ。 写真見たけど、頭悪そうだったし」
「あー。 この写真は、ちょっと」
何。
何故私への個人攻撃にいきなり移行する。
しかも私がHPに乗せている写真がネタになっているではないか。
これだからSNSは。
思わず瞬間沸騰しそうになったが。
AIに止められる。
「こういうときは何も発言しないのが鉄則です」
「ぐぬぬ……」
「しばらくSNSから離れましょう。 既に公式CMの配信は終わっていますので、以降は問題は無いかと思います。 問題発言や個人攻撃の度が過ぎたものは、SNSを巡回しているbotが対処いたしますので」
「分かっていますわ!」
AIを罵倒すると。
一仕事終わったので、寝ることにする。
今の時代。
子供でも社会進出は当たり前だ。
更に言うと。
新陳代謝が優れている子供のまま、体を固定して生活する人もいるくらいである。
いわゆる肉体の全盛期のまま。
生活するために。
普通に生きても140年生きられ。
その気になれば意識を量子コンピュータに写し、クローンに移し替えて更に生き長らえられる時代。
見かけが子供だろうが何だろうが。
侮られる覚えは無い。
むくれて布団に入っていると。
通知が来た。
CMを見た人間がメールを送ってきたらしい。
何だよと思いながら確認すると。
両生類学者の一人だった。
「興味深いCMを有難う。 一つ指摘させて欲しい」
「はい。 是非ご教授願いますわ」
「最新の学説を使っているのは評価できるが、まだまだ生物の世界にはミッシングリンクが多い。 このCMの内容だと、誤解される可能性もあるかも知れない」
「……」
流石に閉口する。
確かに仮説は簡単にひっくり返るのが古代生物の世界だ。
だが、そんな事を言い出したら、何も作れなくなる。
「エンシェントは最新の学説に基づいて、世界観を構築している仮想動物園ですの。 流石に完全確定した説ばかり取り入れるというわけにも行きませんし、ミッシングリンクがあるからといって、一切合切描写しないわけには……」
「ああ、其処までは言っていないよ。 まだ少し大げさすぎるかなと個人的に思っただけだ。 気にしないでくれたまえ」
「……」
メールでのやりとりが終わる。
色々ストレスがたまる。
あーわーと叫んだ後。
風呂に入って、しばらくぼんやりする。
何も考えない。
たまにはそういう時間も必要だ。
私は今。
そういう時間に、自分をずぶずぶに怠けさせようと思った。
どいつもこいつも好き勝手なことを言いやがって。
今でこそストレス軽減は簡単だが。
昔の人間は、不完全な言語とかいうコミュニケーションツールのせいで、散々な目に会っていただろう。
風呂から上がったあとは、さっさと寝る。
ストレス最大軽減モードにした睡眠カプセルに入ると。
後は何も考えず。
緊急時以外は起こさないように設定して。
久しぶりに。
思う存分、最大限まで眠る事にした。
3、社長は辛いよ
エンシェントのアップデートが終わり。
新しいプリオノスクスの展示が始まってから、すぐに客が殺到した。
大型両生類は古代生物ではどちらかと言えばマニアックな部類に入る事からも。
実際に見てみるのは、面白いと感じたのかも知れない。
巣を作るプリオノスクスは、人間が近付くと威嚇する。
何しろ十メートル近い巨体だ。
魚食性とは言え。
その圧倒的な巨体は、それだけで脅威になる。
勿論攻撃モードをオフにする事も出来るので。
その場合は間近からプリオノスクスを観察できる。
水面に浮かんでいるプリオノスクスに乗ることも。
卵を守っているプリオノスクスの目の前から卵を盗むことも出来る。
まあ個人個人でログインしているのだし。
何をしようと勝手だ。
中には盗んだ卵をゆでて食べ始める輩もいた。
こういう連中もいるので、味はきちんと設定してある。
今回はあまり美味しくないように、敢えて設定してある。
当然である。
社長の責務として。
客のログは確認しなければならない。
勿論全てでは無いが。
ざっとどんな行動をしているのか、AIがまとめてくるので、それに目を通す。
大体の客は礼儀正しくきちんと観察して行くが。
やはり問題行動を起こしている客も多い。
一方、専門家なのか。
プリオノスクスを徹底的に見て回り。
頷いたり、小首をかしげたりしている者も目立った。
或いは前に、あの頭に来るメールを送ってきた人かも知れない。
だとしても、追い出す権限は私には無い。
「概ね好評のようです。 ただこの時期の高い酸素濃度と高温多湿環境については、それぞれが入ってすぐに調整するケースが目立つようですね」
「せっかくですし、高温多湿を楽しめば良いのに」
「それもそうですが……」
「現在の人類は、恵まれすぎるほど恵まれているのですわ。 たまには過酷な環境に行くのも乙ですのよ」
とはいってもだ。
この時代の酸素濃度は、現在の人類が直に接したら危険な域に達している。
その辺りは。此方も分かった上で手心を加えているが。
それはそれである。
「チートコードを使用している客を確認」
「珍しいですわね。 即座に通報」
「通報済みです。 警察が即座に逮捕しました」
「……」
チートの内容については。
どうやら気持ち悪いからと言う理由で、全データを消そうとする悪質なものだった。
はっきりって非常に不愉快極まりない。
そこまでするとなると、完全に逮捕案件だ。
此方としては関わり合いになる必要もない。
裁判も全自動で今時は行われるので。
いちいち私が顔を出す必要もないだろう。
警察からメール。
逮捕した相手だが、どうやらカルトにはまっている連中らしく。
いわゆる宗教の原理主義者であるらしい。
エンシェントで表現されているのは全部嘘で。
神の造りたもうた世界を侮辱するものであるという思想の元。
データを消す「聖戦」を実行しようとしたのだとか。
ぶっちゃけどうでもいい。
カルトにまともにつきあっていたら、それこそ正気がどれだけあっても足りたものではない。
こんな時代にもカルトは存在するが。
自分の内部だけで完結していて欲しい。
仲間を求めたり。
他人に思想を押しつけられては困る。
すぐに記憶から消し去り。
ログを確認。
犯罪をやる奴は流石にいない。
SNSの方での評判を確認するが。
此方はそこそこだった。
「やっぱり動きは鈍いが、何しろ過渡期の生物だもんな。 でも細かい所まで良く作り上げられていたぜ」
「見た目まんまワニだもんな。 捕食シーンは凝ってた」
「卵見たか?」
「みた。 確かになんか変わった巣だったな。 学者と相談しながら、あれをちまちま作ったと思うと、別の意味で感心するよ」
「そうだよなあ……」
まーたこういう意見か。
少し苛立ったが。
肯定的な意見もある。
「個人的には、発表されたばかりの学説に真摯に向き合って、過渡期の生物の生態を大まじめに考えて再現している時点で好感が持てた。 勿論分かっていない部分についてはかなり誤魔化しているんだろうが、それでも見に行く価値は充分にあった」
「それな。 俺も実は古代生物好きとしては、エンシェントの姿勢は今後も見習いたいと思ってる。 適性が無いからスタッフにはなれないが、客としては応援するよ」
「子供と一緒に行きましたが、子供も充分満足していました。 ありがとうございます」
これらの意見は聞いていて嬉しいが。
まあそういう意見にばかり甘えていてもいけないだろう。
社長としては。
どれくらいの黒字が出たかも確認しなければならない。
そういうものなのだ。
企業というものは。
全体的にチェックしているが。
アクセス数はアップデート初日から高水準を維持。
プリオノスクスを見に来た人も多いが。
やはりそういうのも一切無視して、恐竜だけを見ていく客もいる。
プリオノスクスに関するアクセス数も見るが。
跳ね上がってはいるが。
SNSでの盛り上がりほどではない。
恐らく収支では黒字になるだろうが。
ちょっとだけプリオノスクスを見て。
すぐに恐竜に行く客も多いようだった。
こんなものだ。
此方がどれだけ苦労して作ろうが、客は知った事では無い。
こんなものか、で済ませて。
どれだけそれが重要な歴史的変革にあったものかという事を、考えもしない場合も珍しくはない。
だが、それでも客は客で。
きちんと金も落ちている。
これ以上、私は。
文句を言ってはいけない。
ぼんやりしていると。
またメールが来た。
プログラム班からだった。
「メンテナンスを入れたいですニャー」
「ちょっと、当日に不具合ですの!?」
「いや、プログラム関係ではなくて、量子コンピュータの方に問題が起きているようですニャー」
無言で黙る。
そうか、それならば仕方が無いか。
この手のマシントラブルは、もうどうしようもない事故のようなものだからだ。
少し重くなるが。
エンシェントのシステムを、普段の冗長化構成から切り離して、単独にする。
まあ重くなると言っても、人間には感知できない程度だ。
すぐにハード屋を呼び。
修理に掛かって貰う。
こればかりは遠隔では出来ない。
機械部分そのものを交換するのは、流石に全自動化とはいかないのだ。
勿論原因さえ特定出来れば、遠隔で操作もできるケースがあるが。
部品を届けたり。
或いは専門的な作業をする場合。
本職が現地に行く必要がある場合もある。
幸いながら、だいたいの場合はリモートでロボットを動かして対応出来るため、ハード屋も即応はしてくれる。
手続きは此方ですれば良いが。
書類作成などはAIが全部やってくれるので。
私の手間はそれほど大きくない。
手続きはすぐに終わり。
ハード屋の診断も終わった。
メールで連絡が来る。
問題を起こしているのは電源部分らしく。
今すぐに落ちる、と言うほどではないようだが。
少なくとも取り替えは必要なようだった。
料金を確認して、まあ問題ないだろうと判断。
すぐに対応して貰う。
サーバを無数に並べていた時代と違い。
今は高性能のサーバが少数あれば対応出来る時代になっている。
内部では冗長化構成を行っているが。
その一方で、本体の交換は相応に金も掛かる。
エンシェントの方も監視。
一応現時点でメンテナンスには気付かれていないが。
まあこのままなら大丈夫だろう。しばらくはAIに全て任せる。
チートなどを使用した場合は、即座に通報するシステムも完備しているから、問題は無い筈。
それでも万一があるから。
私はログを監視して、客の不審が上がっていないかを、確認しなければならないのだが。
しばしして。
ハード屋から、電源の交換完了の連絡が来る。
リモートで現地の作業ロボットを操作し。
電源を変えたらしい。
交換部品については、幸い近くに在庫があったらしく。
すぐにサーバ本体がある人工衛星に届ける事ができたようだった。
即座に料金を払い。
冗長化構成を復活。
すぐにサーバの問題が無いかを此方で診断。
診断は0.7秒程度で終わり。
システムのオールグリーンを確認。
その間、客からクレームの類は上がらなかった。
ほっと一息、だが。
同時にこんなタイミングで、どうしてこんな事件が起きるのか、不安にも思ってしまう。よりによって大事な商機だというのに。
今時、ハードの故障なんて滅多に起きない。
ハードの高額化が進むと同時に、耐用年数も上がっているからだ。
勿論ハード屋の仕事があるように。
壊れるときは壊れる。
だが、それでも、何も今に壊れなくても。
私はむくれたが。
仕方が無い。
とりあえず、監視に戻る。
客に異常事態を気付かれなかったのは良いことだったし。
何よりも、今は堅い卵を産む事で、陸上進出を図る両生類、というものを楽しんで欲しかったからだ。
トラブルはあったものの。
翌日には、大まかな黒字とその推移が出た。
いずれもAIが集計したもので。
不正の入りようがない。
勿論赤字が出た場合は容赦なく申告もしてくるので。
私としては、大助かりである。
失敗は失敗として。
きちんと記憶しておかなければならない。
失敗は許されない、などとみみっちいプライドにしがみついているようだと。機会だって損失する。
古くから良く言われる通り。
プロというのは、ミスをリカバリできる人間の事だ。
ミスは起きるものであって。
起きてしまった場合、どう対応するかで、実力がよく分かるのである。
私もそれは社長になる時に受けた研修で、過去の事例を山ほど見せられて。
それで思い知らされている。確かに優秀な社長ほど、社運が傾くような事態が起きたときに、強い粘り腰を見せている。
少なくとも優秀な社会人というのは。
媚を上手に売ったり、儀式化された「礼儀」やら「マナー」やらを身につけている人間では無い。
むしろそういう人間は社会を弱体化させる。
「舐められたら終わり」。
そんな風に考える時点で末期的であり。
能力と関係無く運営される社会が構築されている証拠である。
欠点がある人間をどうしても人間は舐める。
人材が欠点以上の長所を生かせる社会こそ健全と言え。
そして今の時代は。
運良くその時代になっている。
過去、そんな時代は殆ど存在し得ず。
どんな英傑でも、完全にそれをなしえなかった。
本当に今の時代に生きている人間は運が良いのだ。
私は会議を開くと。
勿論包み隠さずに、今回のアップデートが成功だったこと。
収益の一部をボーナスに回す事を告げる。
社員に利益を還元してこその会社だ。
ただし、甘やかしすぎもしない。
黒字が出なかった場合は、その旨もきちんと告知し。駄目だった理由も容赦なく告げる。そういう場合はボーナスも出ない。
ただ、私が利益を独占していないし。
会社の金に手をつけていないことも分かっているようなので。
社員達は、それで文句を言うことは無かった。
労働環境にもきちんと目を配っているし。
「ボーナスは有り難いですのだ。 そろそろ新しい個人用小型宇宙船が欲しかったですのだ」
「あれ、あんた前も買ってなかった?」
「何しろ田舎なもので、個人用の足が必須ですのだ」
そういえば。
この人は、確か年老いた両親と暮らしているはず。
何でも特殊な遺伝子を持っているとかで。
本人が知らないところで、子供が数人いるらしい。勿論誰かしらと関係したという訳では無く。
遺伝子を欲しがった人が、金で遺伝子を買って。国が認可の上で他の遺伝子と組み合わせて子供を作ったのである。
そういうわけで、ある程度お金はあるらしいが。
自分を育ててくれた(今時珍しい話だが)両親の面倒も見ているらしく。
それで相応に金が掛かっているらしい。
今もプログラマーとして現役でばりばり働いていて。ボーナスに一喜一憂しているのはそれが理由だとか。
「あー、いいですか?」
「何ですの?」
挙手されるので、応える。
何か問題かと思ったのだが。
どうやらそうらしい。
SNSの様子を見せてくれる。
私が知らないSNSだ。機械的に数万のSNSに情報を流しているのだが。それでも使用しているものの名前などは全て記憶している。
知らないという事は。
余程マニアックなSNSか。
かといって、昔のようなアンダーウェブとかダークウェーブなどというものは、現在は存在していない。
昔はハッカーなどがやりたい放題に情報交換をしていたり。
犯罪に使われることがザラだった。
子供ですら、学校で一種のダークウェブを使用し。
誰かを虐めるための段取りとか、悪口大会とか、平気でそういう事をしていた。
現在は法整備が進められ。
個人の権利保護と。
ダークウェブは完全に切り離された。
個人の権利は保護されると同時に。
ダークウェブの類は完全に撲滅され。
現在は既に存在していないし。新しく誰かが作ろうとしても速攻で潰される。ネットに関しても、現在は法規制がきっちり敷かれているのだ。
「社長、これは「ピーッコックランディング」というSNSです。 登録会員は数百名という小型のSNSで、恐らくこの場の誰も知らないかと思います」
「たかが登録数百人のSNSでは知らないのも当然ですわ」
「はい。 これを見てください」
「む……」
かなり専門的な議論が為されている。
勿論このSNSも開かれたネットにあるのだが。
ひょっとして書き込んでいるのは、いずれも本職の学者か。
エンシェントについても触れられている。
「新進気鋭の古代生物仮想動物園。 同種の動物園は何種類かあるが、新説を取り込むフットワークの軽さは類を見ない。 その一方でかなり独自の解釈をする傾向があり、専門家の間では賛否両論」
「今回は両生類の地上進出を題材として扱っているが、客層がまばらなため、その価値を理解していない者も多いようだ。 もっと客層を絞るか、更に分かり易い題材を選べば良いと思うのでは」
「実際に見に行ったが、独特の解釈をしている。 少なくとも主流になっている説を取り入れつつ、新説が出た場合大胆にそれにマッチするようにアップデートを行っている様子だ。 両立させるのは大変だろう。 双方に媚態を尽くしているとも言えるが」
「クオリティそのものは高いが、作り手にはこれといった古代生物に対するビジョンがないようにも思える」
一方的に色々言われていて、どっかんと来そうになったが、我慢である。
そういえば最近。
時々変なメールが来るようになったが、此処が起点か。
ここに来ている奴らが何者なのかはよく分からないが。
流石に万を軽く超えるSNSである。
その全てを把握するなんて不可能だ。
巡回botはきちんと義務づけられたものが流されているようだが。
それでもかなり過激な論調で議論がされている。
他の仮想動物園もクソミソに貶されているので。
必ずしもエンシェントだけが悪く言われている訳では無いようだが。
「書き込みはおすすめ出来ません」
空気を読まずAIが釘を刺してきたので、分かっていると怒鳴り返す。
咳払い。
AIに罪は無いし。
今は会議の場だ。
「お怒りはごもっともですが、社長。 此処では過激な議論がされてはいますが、かなり高度な専門職も参加している様子です。 今後、無視はできないかと……」
「そんな事は分かっていますわ。 ただ、誰だって頭に来るときはある……それだけのことですのよ」
「はあ、分かります」
「時にこれを何処で見つけましたの?」
たれ込みがあったという。
社員達も独自のネットワークをそれぞれで構築しているわけで。
プログラマー同士での互助会やら。
古代生物好きのサークルやら。
そういうものを作っているそうだ。
同人誌即売会というものも現在まで続いていて。
流石に紙媒体の同人誌は殆どなくなったものの。
今でもその手のイベントはあり。
参加する人間はいて、かなりマニアックな情報交換がなされるという。
そんな場所の一つで。
情報交換した先で、このSNSを発見したのだとか。
たくさんのSNSがある今の時代でも。
本当に知る人ぞ知る、SNSである。
「いずれにしても、教えてくれたことには感謝しますわ。 以降此方できっちりマークいたします」
「了解しました。 その、社長……」
「ジャッジ」
AIがジャッジを入れる。
他の社員は、私がブチ切れてるのに気付いてか、何も言わなかった。
AIがジャッジを入れ。
黒字に対するボーナスが適性だと判断したので。会議は終わった。
私は仮想空間からログアウトすると。
はあと大きくため息をついた。
不愉快。極まりない。
とはいっても、正論を相手が言ってるのなら、飲み込まなければならないのも事実というものだ。
どれだけ毒舌であっても。
それが正論なら、きちんと受け入れる。
その程度の事も出来なかったから。
地球時代の人類は、人材も無駄に浪費していたし。
社会のリソースも食い潰していた。
まあ私も社長としての適性はあるけれど。
それでもまだ肉体的には子供だ。
故に感情の制御はそこまで完璧に出来る訳でもない。
しばし頭を振って。
AIが指示するとおりに、顔を洗い。
更に冷たいドリンクを一気飲みしてから。
ようやく落ち着きを取り戻した。
ロボットにマッサージをさせながら、AIに相談する。
「さて、あのSNS、どうしてくれようか、ですわね」
「参考程度に留めるので充分かと思います。 あまりにも専門家向けになりすぎると、一般客が来なくなるのは、昔から娯楽におけるジレンマです」
「その通りですけれども、エンシェントでは最新の学説をフットワーク軽く取り入れるというのが売りですのよ」
「確かにその通りですけれども、ものには限度がありますので」
まあその通りではある。
AIと喧嘩する人間もいるらしいとは聞いている。
基本的にAIは最善手しか口にしないため。
正論しか口に出来ないと、不満を述べるそうだ。
だが、私は。
不満は感じても。
正論ならば受け入れなければならないと思っているため、言うままにさせておく。
しばし考え込んでから。
最近たまに来るようになったずばり本質を突いてくるメールについて考える。
「あの最近時々来る頭に来るメール、さっきのSNSの参加者のものではなくて?」
「可能性はある、としか言えません」
「……そうですわね」
その通りだ。
もういい。
これ以上この件でストレスを溜めても仕方が無い。
エンシェントのログを確認。
プリオノスクスを見に来る客は、口コミもあってか、相応にいる様子で。
それは安心した。
客のモラルについては、別にかまわない。
犯罪をしなければどうでもいい。
実際に動物に危害を加えるわけではないのだから。
あくびが出た。
ほどよくマッサージで、体がほぐされたと言う事だ。
風呂に入って更に汗を流すと。
今日はもう眠る事にする。
リラクゼーション用に見繕った穏やかな音楽を流しながら。
さっさと眠る。
とりあえず今は。
もうこれ以上。仕事のことは、考えたくは無かった。
今回は成功した。それだけで充分である。
そして、今後の事を考えると。新しい論文を探す作業に、シフトしなければならない。
頭を切り換えるためにも。一つの事に捕らわれ続ける事は、あまり賢いことだとは言えなかった。
4、風の向く先
プリオノスクスへのアクセスが一段落した頃。
エンシェントへのアクセスもまた一段落した。
一定のラインで安定しているため。
会社としてはごくごく優良な状態だと言える。
実際、時々入る査察も。
うちの会社に関しては、特に文句も言うこと無く、引き揚げて行く。
福利厚生もしっかりしているし。
社員に対する保護も手篤い。
査察に入るAIも、AIを管理する人間も。
これだけやってくれれば文句は無いと、いつも笑顔でにっこりして帰って行くほどである。
金も社員に還元しているのだ。
地球時代の腐りきった財閥やら金持ちやらとは違う。
もはや奴らが存在する場所は宇宙にはない。
そして私は。
そんな世界に生きている事を、喜ばしいと思っている。
社長という、管理者側の人間でありながら。
さて、今日はたまには他の仮想動物園に出かけてみよう。
そう思って、幾つかの仮想動物園にアクセスする。
比較的新しい時代に絶滅した動物にスポットを当てている仮想動物園では。
ドードーに触れあおうコーナーや。
アメリカリョコウバトの編隊を見ようコーナーが盛況だ。
ステラーカイギュウに乗ることも出来るし。
潜水艦でメガロドンと併走して泳ぐことも出来る。
なるほど、少数の生物に特化して。
客へのアピールを分かり易くしているわけだ。
うち見たく、古代生物は大体何でも見られる、という場所だと。
逆に多すぎて、客が困惑するケースもあると。
ならば、此方でも案内のチラシなどで工夫を入れる必要があるだろう。
なお個人単位でアクセスするのはうちと同じだが。
基本的にクオリティはうちほど高くは無い。
というか、エンシェントほど好きかって出来る仮想動物園が珍しい、という事を。此処でも確認できた。
中々面白かった事は事実だが。
何度も遊びに来ると飽きるだろう。
人なつっこいドードーと遊んで。
彼らが残忍な人間に容赦なく殺し尽くされたことを思うと。
胸が痛む。
こんな穏やかで平和な生物を殺戮し尽くしたのだし。
当然いつか報いを受けて当然だろう。
アメリカリョコウバトにしてもそうだ。
必須の食糧だったならともかく。
面白がって殺戮を繰り返し。
最後に残った群れさえ。
「楽しいスポーツハンティング」で皆殺しにしたのが人類である。
別にそれをやった連中のモラルが腐っていたのではなく。
ただ人間という生物のモラルが腐っているだけ。
本当にただ群れを成して飛んでいるアメリカリョコウバトを見ると。
胸が詰まる。
近年絶滅した動物は。
殆どの場合人間のせいで滅んでいる。
それを考えると。
本当は、人類は宇宙になど出してはいけなかったのでは無いかとさえ思う。
今の時代が奇蹟なのだ。
もしもこんな。
ドードーを殺戮し。
アメリカリョコウバトを面白半分に虐殺したメンタリティのまま宇宙に出ていたら。人類は宇宙最悪の有害生物と化していただろう。
動物園からログアウト。
別の動物編に入る。
今度は未来の動物を扱った仮想動物園だ。
主にこんな進化を遂げる生物が予測される、というもので。
基本的に予想に沿っているため。
やりたい放題が出来るのが売りである。
数十メートルに巨大化した頭足類や。
陸上進出した頭足類。
頭足類祭の未来があると思えば。
まったく未知の脊椎動物が出現し、ほ乳類に取って代わる、というものもあった。
複数のifが体験出来るその動物園では。
未来に出現しうる動物を、環境ごと作っており。
ある意味うちと似ている。
社長はかなりの動物好きらしく。
所々で、社長の所感が入っている看板が見受けられるが。
これに関してはあまり個人的には感銘を受けなかった。
単に自己主張が激しいなあと思っただけ。
個人的には、SNSで宣伝をするつもりはあるが。
此処まで動物園内で自己アピールをしようという気にはなれない。
それにしても、最大限まで巨大化した頭足類は。
バハマのブルーホールに出現すると言われていたUMA、ルスカを思わせる。
勿論実在などする筈もない生物だが。
もしも未来に環境が整えば。
似たような生物が出現するのかも知れない。
何しろ未来の動物なのだから。
何が出てきても不思議では無いだろう。
なお地球の海は後数億年で蒸発するという説もあるらしいが。
まあそれはあくまで一説。
その時までもし人類が命脈を保っていたら。
地球に水を戻す方法を、何か考えついているだろう。
さて、最後にUMA専門の仮想動物園に入る。
既に存在が否定されたものから。
まだよく分かっていないものまで。
複数種類のUMAを楽しめる。
ビッグフッドやネッシーなどの大御所から。
さっき名前を挙げたルスカやミニョコンなどの超大物まで。
まあ此方は、実在しないことを半分楽しみながら作っている様子で。
とてもエンタメしているなあと、見ながら思う。
一方で、UMAといっても単に標本が採取できていないだけで、実在は確実な生物もいる。
深海に住むミズヒキイカなどはその例で。
そういったまだ標本を確保できていないだけのUMAについては、真面目に展示をしているようだった。
参考になった。
良い気分転換にもなった。
私は充分に休日を満喫すると。
このままのスタイルを変えること無く。
次のアップデートに備えようと、気持ちを新たにしたのだった。
(続)
|