頭足類の端

 

序、陸上進出出来なかった者

 

頭足類。

現在でも食用としてよく利用される、海の中で一定のニッチを締めている種族である。

ダイオウイカやミズダコなどの巨大な品種もいるにはいるが、ダイオウイカは大きいだけでそれほど強力な捕食者ではないし。ミズダコも待ち伏せ型の捕食者としてはそれなり強いが、海で覇権を握れるほどでは無い。

非常に巨大化するケースもある頭足類だが、弱点もある。

その最大のものがサイズと関係無く、明らかにマイナスになっている寿命である。

巨大に成長する頭足類でも寿命は極めて短い事が判明しており。

かといって進化が速いという事も無い。

また、古くから、頭足類は様々な形で海の中に生きてきた。

アンモナイトと言えば誰でも知っているだろうが。

4億年以上の昔の海は。

最強最大の頭足類が支配していた時代だったのである。

通称直角貝。

文字通り、三角錐の殻を持った頭足類で。大型種になると十メートルを超える個体も存在していた。

5億年前のカンブリア紀には、最大でも二メートル程度にしかならない生物しかいなかったのに。

様々な生物が出現して変化を繰り返した結果。

それほどに巨大な頭足類が出現するに至ったのである。

まさにカンブリア大爆発の余波によるもので。

様々な生物が実験的に登場し。

カオスの中で好き勝手に進化した結果。

巨大化するもの。

複雑化するもの。

様々な生物が、出現していったという事だ。

また頭足類は高い知能を持つことでも知られていて。

蟹を瓶に入れて与えると。瓶の蓋を開けて捕食することが知られている。

頭足類に関しては、最大の謎もある。

どうして地上進出しなかったのか。

これである。

頭足類は、今までの進化の歴史上、地上進出する機会が幾度もあった。それにも関わらず、ずっと地上進出をしてこなかった。

もしも地球の歴史がそのまま進展していた場合。

ほ乳類はいずれ滅び。

今度は頭足類の時代が来るのでは無いか、などという推察も出ているが。

これはあくまで推察に過ぎず。

現時点では、頭足類にそのような進化の兆しは無いし。

新種も当然確認されていない。

また過去の歴史を見ても。

地上進出を図ろうとした頭足類の化石は、残ってはいないようだった。

理由は分かっていない。

どうして頭足類は地上を目指さなかったのか。

海が楽園だったから、だろうか。

しかし、直角貝の時代を抜けると。

頭足類が無敵の時代は終焉を告げる。

その時代は確かに頭足類は最強だったかも知れない。

実際、現在のダイオウイカなどとは比較にもならない高い戦闘力と体格を誇った最大級の頭足類は、海の中での絶対王者だっただろう。

後の時代の海の最強捕食者。

ダンクルオステウスや更に巨大なモササウルスなどと戦わせたら流石に分が悪かっただろうが。

それでも海の中では覇権を握り。

更に地上でのニッチ掌握を画策してもおかしくは無かった筈。

どうしてそうしなかったのか。

私、春風世良は、論文を読んでいる。

最近発見された未知の化石の分析結果なのだが。

どうやら、浅瀬で生活していて。

陸上に半適応しようとしていた頭足類なのではないか、というものであった。

もしそれが本当なら、非常に興味深い。

今度のアップデートで、取り入れてみたい所である。

化石の出所は3億6千年前ほど。

丁度両生類が出現し。

魚類から変化した彼らが、地上への進出を図り始めた時代である。

この時代は巨大節足動物の全盛期でもあり。

むしろ脊椎動物は後発組だったのだが。

それはともかくとして。

もし頭足類がこの時代、地上進出を狙っていたのだとすれば。それはそれで、とても面白い事だと思う。

早速学者に論文を確認する。

アクセスして話をしてみると。

学者は三十代のあまり実績がない人物で。

今回の論文は、発見された化石に対して、大胆な自説を述べたもの、であるようだった。

他にも幾つか論文は出しているようだが。

いずれも論調がアクロバティックというか飛躍的というか。

ともあれ、変わった学者のようだった。

実績がない事が不安になったが。

話してみると、論文の内容はアクロバティックではあるものの。

きちんと論理的に話は出来ている。

というか、今の時代。

適性がない仕事に就く者は殆どいない。

学者としての適性を引き出せているから、学者になっているのであって。

そも学者になっている時点で、適正があるとは言える。

話し合いをした後、会社に論文を持ち込む。

会議になるが。

当然のことながら、議論は荒れた。

「これは大型アップデートに踏み切るのは危険ですニャー」

「同意ですのだ」

「いっそのこと、マイナーアップデートで終わらせてみては」

「他に意見は」

特に上がらない。

AIにジャッジさせるが。やはりあまり肯定的な意見は出なかった。

確かに頭足類は、地上進出をしなかったのが不思議な種族ではある。コレについては動かしようが無い事実だ。

ともあれ、面白い論文ではあるが。

裏付けが無い限り、これはアップデートには踏み切るのは危険。

しかしながら、そもそも頭足類が地上進出しなかった謎、という点は確かに存在している。

そこで私は提案する。

「それならば、いっそif世界として作って見るのはどうですの」

「しかしながら、それをやるとまた世界を一から作るはめに……」

「確かに厳しいですわね」

今の時代。

会社員は奴隷では無い。

工数を圧縮し。予算を圧縮し。サービス残業と評して給金を払わず。あげく海外から研修生と称して奴隷を輸入する。

そんな事をしていた時代もあったらしいが。

今では文字通り過去の悪しき例として、絶対に真似しないように徹底的に叩き込まれるし。

もしも同じ事をやった場合、経営権の永久剥奪もある。勿論重い罰則つきで、だ。

当然そういう状況だから、社員達に無理を言って確証もない仕事をさせる訳にはいかないし。

専門家の発言を無視もできない。

そもそも社長の適性には複数が存在していて。

それらを全てクリアしないと、社長にはなれない、というのもある。

私の場合はたまたま全てをクリアしていた。

それだけのことなのだ。

「頭足類と言えば、直角貝についてですが、こんな論文を見つけてきています」

「ふむ」

提示されたのは、別の学者の論文だ。

海の覇者だった直角貝だが、最近ではいわゆる待ち伏せ型の捕食者だったのでは無いか、という説が大きくなってきており。

理由としては、最大種では10メートルを超える巨体で、殻を背負って泳ぐのが難しかったからではないか、というものだ。

烏賊が実際に泳いでいるのを見れば分かるが。

いわゆるひれを使ってかなり繊細に海の中を泳いでいる。

漏斗を使ったジェットは、戦闘機で言うアフターバーナーのようなもので、緊急脱出装置に近く。

魚がひれで泳ぐように。

体の横についているひれを上手に使い、海の中を繊細に泳ぐのが烏賊なのである。

とはいっても、現存する古い頭足類であるオウムガイは、ひれに相当する部分を持っていないが。

漏斗を使ってゆっくり泳ぐことが出来る。

このオウムガイは、直角貝に近い種族ではないかと言われていて。

この事を考えると、直角貝も俊敏に泳ぐことは出来なかったのではないか、というのは確かに妥当な説だ。

とはいっても、直角貝も巨大種だけだったわけではない。

エンドセラスやカメロケラスと言った巨大種は有名だが。そのエンドセラスにしても、小型の個体も見つかっており。頭足類が成長が兎に角早い種族である事を加味しても、どいつもこいつも巨大だったわけではなく。

小型だった時代には、海を泳いでいた可能性も高い。

で、論文だが。

皆が唸る。

どうやら海岸近くまで、直角貝の一種が進出していたのでは無いか、というものなのである。

これは少しばかり面白いかも知れない。

現在でも、頭足類は釣り上げると、短い時間なら普通に大気中で生活する事が出来る。実際つり上げた後、海に自力で逃げ込む姿も見受けられる。蛸などは器用に触手を動かして、上手に海に逃げ込む。

直角貝はどちらかと言えば烏賊に近い姿をしているが。

性質的には蛸に近く、海底深くに潜み、獲物を待っていたのでは無いかと言う説が主流だが。

もしもこれが海岸近くまで進出して。

原始的な魚や、他の機敏に泳ぐ頭足類を捕食していたのだとすれば。

或いは、地上に出ようと目論んだ種がいてもおかしくない。

今回論文で言及されている直角貝は小型種だが。

まあ陸上の重力の存在。

更に当時の酸素濃度を考えると。

海中で無ければそもそも自重で潰れるような大型種が陸上に上がるというのも不自然な話だ。

そもそも両生類にしても。

陸上に上がる時は、非常な苦労をしながら、千万年単位で時間を掛けて陸に上がっていったのだ。

節足動物や植物が先に陸上に進出したのは兎に角小回りがきくからであって。

大型種の直角貝が陸上に進出出来たかというと考えにくい。

最初期の両生類は大型で凶暴な種族も多かったが。

それはあくまで生物種としてのニッチを満たしていたから。

頭足類の巨大種は、現存している種を見ると、活発に動ける獰猛な捕食者としてカウントできるのはアメリカオオアカイカくらいで。ミズダコは海底に潜んで近付いた獲物を捕食するタイプだし。有名なダイオウイカやダイオウホオヅキイカは動きそのものが速くない。

これらの知識は、私も含めて全員が催眠学習できちんと身につけている。

当たり前の話で。

専門家なのだ。

学習が非常に簡単になっている今の時代。

業務に必要な学習は、催眠学習で済ませるのは当たり前だし。

そのための費用を会社が負担するのも当たり前だ。

「地上近くまで直角貝が進出していたとして、陸上に上がれたとは思いますか?」

「こればかりは専門家に聞くべきですわ」

「確かに……」

「例の学者は、この論文を読んでいるのでしょうか」

一応確認する。

こういうフットワークは、今の時代はとても軽い。

確認した所、読んでいないという答えが返ってきたので、そのまま論文について教える。学者なんだから、当然勉強するものだ。

すぐに自習して、答えを返してくるだろう。

今回は、アップデートはいずれにしても見送りだ。

そういう説がある、というだけでは。

どうにもならないし。

そもそも化石の研究が進まない限りは、どうにもならない。

化石の分析技術は、昔に比べて比較にならないほど進歩はしているけれども。

それでもまだまだ分からない事や。

新発見は幾らでも存在している。

私は会議を終える。

色々会議をしたが、今の時代はAIによる補助もあり、これだけやっても三十分掛かっていない。

疲労もその分小さいので。

伸びをしてあくびをすると。

私は今月の収支について確認。

この間のダンクルオステウスの大規模アップデートを終えた後、一時的に収益は爆増したが。

その後はしばらくいつも通りの収支が続いている。

社員達はバグ取りに専念して貰っているし。

私は宣伝に忙しい。

そんな中、久々に来た商機かと思ったのだが。

先走った行動は、自爆を招くだけだ。

社員達の生活を背負っている以上。

賭に出るのは有りかも知れないが。

無謀な賭に出るのはアウトである。

基本的に勝算がある勝負しかしてはならない。

それは政治家にしてもそうだし。

経営者にしてもそうだ。

古くから、自棄になって無謀な行動を起こす者は指導者には向いていないし。指導者になってもいけない。

そういった適性を持たないものが指導者になれば。

多くの不幸をまき散らすだけである。

一旦頭足類の事は置いて置いて。

私は我が動物園、エンシェントの今月の売りをどうするかを考え始める。

ダンクルオステウスで海の中をアピールしたし。

今度は陸上が良いかなあと思う。

恐竜は宣伝しなくても人気があるし。前に気合いを入れて作ったティラノサウルスとトリケラトプス(色々な変転を経て、結局呼び方はトリケラトプスで落ち着いた)との戦いのがあるから、それをSNSに適当に放流しておけばいい。

とはいっても、うちみたいな総合仮想動物園だけではなく、ニッチな層を狙い撃っている場所もあるわけで。

そういう所に、いきなり顧客を持って行かれる事もある。

情報を収集し。

ライバルになりそうな企業は全てチェックする。

ネットにアクセスしてチェックをするので簡単だけれども。

しかし見逃すのも簡単なので。

サポートAIの補助は欠かせない。

地球上に存在している実際の動物の繁殖を行っている方の動物園も確認。

其方も相応の人気はあるが。

いずれにしても、現時点で利益競合の恐れは無い。

現在の社会は非常に安定している上。

この社会に大きな変革を望む者もいないから(いたとしてもごく少数で、大した力もない)。

いずれにしても、突発的な大不況の恐れは無い。

しばしチェックを済ませた後。

先に計算させておいた収支を確認。

昔はこういった収支確認は人力でやっていて。会計に関しては専門職さえあったらしいが。

今は公平に動くAIが全自動で行う。

納税関係もやってくれるので極めて便利だ。

不正する余地もないので。

これが普及するのは、利便性という点から民。

不正防止という点から官。

両方の点から導入が進められ。

今では使っていない会社は存在しない。どんな小さな会社でもそれは同じである。

収支は黒字。

充分な収益は上がっている。

頷くと、今日の業務を切り上げる。

あくびをしながら、ロボット数機に、髪の毛を洗わせたりセットさせたりする。

縦ロールというものは、仕上げるのは簡単だ。だが髪をきちんと洗っていないと、とたんに色々面倒な事になる。もし自分で手間暇掛けるかと思うと、相当な時間の浪費を覚悟しなければならないだろう。

仕上がった後、鏡で自分を見て。

オホホホホと笑って見る。

うん、まあ充分だろう。

社長の威厳は保てているはずだ。

さて、此処からである。

次の商機に関して、どうなるか。今の時点では、あの頭足類の学者の論文は、まだアップデートには判断が速いと私は考えた。

しかしながら、商機というのはいつも流動的なものだ。

さて、これからどうなるか。

私は眠る前に面白い論文がないかチェックし。

SNSで宣伝がきちんと行われていて、炎上などしていないかもチェックしてから。

ごくごく健康的に休む事にした。

 

1、浅瀬の攻防

 

人間は脊椎動物だ。

だが、脊椎動物だけが地上の支配者というわけではないし。脊椎動物が進化の頂点にいるわけではない。

魚類から両生類が出現し。

やがて爬虫類という究極的な完成モデルが出現してから。

ようやく脊椎動物は地上で勝負できる土俵に立った、と言える。

それまでは植物と無脊椎動物が地上の覇者であった。

無脊椎動物は、脊椎動物とは体の構造が違いすぎるため、嫌悪する人間も多いのが事実だが。

かといって有害かというとそうでもないし。

そもそも生物の七割は昆虫である事から考えても。

無脊椎動物の方が、脊椎動物よりも繁栄している、という見方もある。

流石に地上進出を先に果たした先輩ではないわけだ。

その地上に進出した無脊椎動物の中に。

頭足類が含まれなかったのは生物界の謎の中の謎だが。

いずれにしても、現時点では、何もする事は出来ない。

実際に頭足類は地上に進出しなかった。

進出した種類はあるいはいたかも知れない。

だがいずれにしても化石は残っていないし。

化石が残っていないと言う事は、それほど発展もしなかったし。

繁栄もしなかったのだろう。

多くの場合、生物が繁栄できないケースは。

上手く環境内でのニッチに入り込めなかった場合。

環境そのものを自分が都合の良いものに変えてしまうケースは、例えば地球を酸素の惑星にした藍藻類などや。

地球を自分に都合が良い星へ改造していった人類などのケースがあるが。

そういう意味では、頭足類は非常に優れた生物ではあるが。

その一方で、環境を自分に都合良く変える程のパワーは無かった。

それも事実だったのだろう。

事実巨大直角貝達は、魚類の発展と共に滅びていった。

アンモナイトのように、更に発展して海で増えていった種族も存在するが。

いずれにしても陸上進出は出来なかったのも事実である。

メールが来る。

この間の、陸上進出した頭足類かも知れないと言う論文の科学者である。

まだ若いだけあってフットワークが軽い。

更に研究を進めたらしく。

また論文を送ってきたらしかった。

どうやら膨大な化石を調査した結果、面白い事が分かったと言う。

どれどれ。

呟きながら、論文に目を通す。

なるほど、これは確かに中々に面白い論文だ。

この間の論文では、どうしても物的証拠が足りなかった。それ故に、見送りが決定したのだが。

今回は採用しても良いかも知れない。

いずれにしても商機は逃してはならない。

私は社長なのだから。

まず論文について此方でも精査する。

今まで出ている頭足類の論文について徹底的に調査するが。

内容的におかしな所は見当たらない。

他の科学者にも連絡を取ってみたが。

むしろ高評価だ。

勿論複数のAIにチェックもさせる。

幾つか辛口の評価もあった。

我田引水的。

そのものずばりの評価である。

確かに私もそう思うが、今回は無数の物的証拠を使って、その我田引水の掘りを埋めてきている。

結論に関しては強引な部分がある事も否めないが。

陸上進出を目論み。

結局果たせなかった頭足類がいた。

それについては、否定出来ないかも知れないと、思わせるには充分な出来の論文だと私も思う。

一旦会議に掛ける。

この間の論文と比べると。

社員達の反応も悪くない。

ただこれ一種だけでアップデートを掛けるのはあまり良い手では無いと言う意見も、ずばり上がった。

それについては。

私も同意見だ。

「地上にシダ植物が繁茂し、両生類が地上に進出する前に、既に無脊椎動物たちは地上で繁栄を極めていたのは事実ですニャー。 しかしながら、頭足類がそれと競り合っていたとしたら、面白い話ではありますニャー。 ですが……」

「分かっていますわ。 この論文にある頭足類は超小型の直角貝の子孫。 動きも機敏とは言えず、陸上に上がれば当時の大型節足動物のエジキ、水中では魚たちの格好の餌だったでしょう」

そう。

陸上に上がった節足動物は。

現在存在する昆虫たちとは、比較にならないほど大きかった。

理由についてはよく分かっていない。いろいろな説がある。

少なくとも、現在の節足動物では、体の構造上此処までは大きくなれないのである。当時は何か決定的に違う環境的理由があったのだろう。

高い酸素濃度が理由という説もあるが、それにも限界がある。やはり環境でのニッチを掌握したから、というのが大きそうだが、今後新説が出るかも知れない。

いずれにしても、昆虫のスペックを此処で見てみよう。

甲虫などでもそうだが。

基本的に歩く。

甲殻で身を守る。

飛ぶ。

この全てをこなす。

昆虫には不完全変態と完全変態、その中間をする種族があり。基本的に不完全変態をする種の方が古い。

不完全変態とは親と子の姿が同じタイプの昆虫で。

例を挙げるならゴキブリ、バッタ、カマキリ、シロアリなどである。

その中間は、子と親の姿が違うが、リスクを伴って一瞬で変態するタイプ。

蝉や蜻蛉が例としてあげられる。

そして完全変態は、親と子の姿が決定的に違い。特に子が蛆虫型のもの。

蟻や多くの甲虫類などが例としてあげられる。

共通しているのは、いずれも走攻守が揃った万能選手で。

生態系のニッチを非常に上手に埋めている。

現在でこそ生態系の最下層を占める存在ではあるが。

逆に生態系の最下層で圧倒的なニッチを獲得しており。

大繁栄している、という事である。

無脊椎動物の完成型、といっても良いほどで。

浅瀬に限定すれば、海の中にさえ住む種すらいる。

頭足類では、対抗するには分が悪い相手だ。

脊椎動物の基礎にて完成形と言われている爬虫類でさえ、此処までの完成度は持っていない。

勿論無脊椎動物には、蝸牛やナメクジなどの地上に適応した貝類、蜘蛛などの昆虫とは違う節足動物、百足やヤスデなどの多足類など大勢がいるが。

いずれにしても、昆虫ほどの圧倒的繁栄は遂げられていない。

はっきりしているのは地上は脊椎動物の世界ではないし。

脊椎動物が圧倒的進化の頂点にいる訳でもない。

ほ乳類も放置しておけばいずれ滅びるという説もあるほどで。

未来予想図の中には、霊長類もほ乳類も滅び去り。地球にそれからやっと頭足類が進出してくる、というものさえある。

実はifの未来を扱った仮想動物園も存在しているのだが。

そこでは地上に進出を果たした多数の頭足類についての展示をしている。

いずれもが、地上で失われたニッチを埋めるために多様な進化をしており。

今まで地上進出出来なかった鬱憤を晴らすかのように、多種多様な姿を取ることに成功していた。

もっとも、あくまでそれは未来予想図。

うちでやるのはあり得る未来では無い。

あった可能性が高い過去だ。

「提案がありますよん」

「どうぞ」

普段は無口な、リスのアバターを使っている社員が喋る。

普通は何も喋らないだけあって。

喋るときは、何かとんでもない事を言うことも多い。

そのため。皆が注目した。

「普段は大型を展示することに注力するエンシェントですよん。 しかし今回は、小型の展示に注力し、その中に地上進出を争った頭足類を混ぜてみる、というのはどうですよん」

「小型の展示に注力……ふむ、続けるのですわ」

「わかりましたですよん」

すっと、データが表示される。

それはミクロの世界。

超小型生物たちも、巨大化すれば、迫力ある存在になる。

これは仮想動物園ならではの強み。

そういえば、以前筆石と呼ばれる古代生物の展示に関してアップデートを掛けた時。同じ手を使ったか。

筆石は殆ど動かない種族なので、展示で客を呼ぶのには苦労したが。

今回はそれよりは楽かも知れない。

「なるほど、ミクロの世界から、無脊椎動物の苛烈な陸上進出への道を描いてみると」

「コレは面白いですにゃー」

「しかしながら、こういう無脊椎動物を拡大すると、気持ち悪がる人も出るのでは……」

巨大昆虫なんて、見ただけで失神する。

そういう人も確かにいる。

それは困りものだ。

何度も言っているが、無脊椎動物でもっとも繁栄しているのは昆虫である。海中を除けば、だが。

当然仁義無き地上進出への争いについては、節足動物も大量に出現するわけで。

それらを苦手とする人も多いだろう。

とはいっても、残酷な捕食シーンが嫌だという入園者もいるくらいだ。

今更どうこうも言っていられないか。

AIにジャッジさせる。

かなり肯定的な評価が返ってくる。

確かに地上進出を果たせなかった頭足類だけでは、アップデートに関してはパンチが弱いかも知れない。

だが、仁義無き地上進出への過程に頭足類。

それも小型の種類が加わっていた、という展示にすれば。

むしろ客足を呼べるかも知れない。

では、AIによるジャッジも出たことだし、その方向で進める。

私は科学者と契約を締結。

論文の代金も払わなければならないし。

色々やらなければならない。

科学者は喜んでいたが。

私としては、まあ儲からないにしても、トイトイくらいは確保したいと思っているところで。

今回は面白い企画だが。

客を引っ張り寄せられるかというと、五分五分だろうなと。

社長らしい、冷静な判断をしていた。

 

SNSに流すCMを作り始める。

地上へ。

まだ誰もいない地上へ進め。

そういう煽り文句だ。

節足動物は、海中にも古くから棲息していた。

例えばウミサソリ。

蠍と言っても毒針を持っている訳では無く、形状が近いというだけだが。歴史上存在した節足動物の中では、最大のヤスデであるアースロプレウラと並んでの最大種である。

中には全長二メートルを超える品種もいた。

これら節足動物が先陣を切る。

勿論植物や細菌などはもっと先に進出していたわけだが。

それはそれだ。

動物たちが地上へ進出するとき。

最初に足を踏み出したのは。

脊椎動物ではない。

無脊椎動物たちだったのである。

其処にニッチは存在しなかった。

故に、出陣した者勝ちだった。

競争は苛烈を極めたことだろう。

当然のことながら、互いに押しのけあい。節足動物特有の変化速度を利用して、どんどんあらゆるニッチを作り上げ、奪い取り合った。

その過程には。

想像を超えるカオスがあった事は間違いない。

地上進出を狙うのは節足動物たちだけではない。地上進出は、他の無脊椎動物も狙っていた。その中には貝類もいた。

元々貝類は海岸線付近でも生活する者が多く。

故に適応も早かったのだろう。

いわゆる蝸牛やナメクジを例に出すまでも無く。

節足動物に負けてなるものかと、貝類もせっせと地上への進出を行い、昆虫ほどではないにしても、必死にニッチの確保を狙った。

他にも陸上進出を狙った無脊椎動物はいたが。

いずれもが、節足動物の圧倒的な対応力には勝てず。一定のニッチを占めるに留まった。

その中で、出遅れたのが。

海の中で繁栄していたはずの、頭足類である。

当時の海では、頭足類であるアンモナイトが発展していて。

魚と激烈な戦いを繰り広げていた。

いわゆるニッチの奪い合いである。

魚の一部は川に押しやられ。

やがてこの川に押しやられた種類の一部が、両生類へと変化していくわけだが。

だが頭足類も。

川に、或いは浅瀬に。

可能性を見いださなかったのだろうか。

それもまたおかしな話で。

今回のアップデートへとつながっていく。

古くに誕生し。

現在に至るまで存在している頭足類と言っても。その全てが繁栄してきたわけではない。直角貝は現に滅んだ。

そんな直角貝の生き残りが。

陸上近くまで追いやられ。

そして小型化しながら命脈を保ち。

陸上進出を激しく争う無脊椎動物たちの中で、揉まれていたとしたら。

この場合、どうCMでアピールするべきか。

私は色々悩んだ末に。

これは脅威に挑み、最終的に敗れていった姿をアピールするべきかなと思った。

少し考えてから。

まずは敵の脅威について描写する。

生体サイクルが短く。

どんどん体を変化させていく節足動物。

進化というよりも、変化が正しい。

何しろ、変わりゆく環境に対して、己の姿を変化させて対応していくのだから。

この変化の速度は尋常ではなく。

細菌ほどではないにしても。

昆虫の変化速度は圧倒的である。

様々な強みを生かしながら、それでも対抗していく他の無脊椎動物たち。

勿論海に戻る者もいる。

そんな中で、もはや後がない小型の直角貝。

元々海底に潜んで獲物を狙っていた種族だ。どうにか浅瀬に入り込み、此処から起死回生を狙うことは出来ないか。

じっと空を見る。

酸素に満ちた空。

海とは比べものにならない、烈火の如き激しい争いが繰り広げられている過酷なる土地。

大繁栄している節足動物にしても、互いに喰らいあい、環境に如何に適応するかで、仁義無き争いを繰り広げている修羅の大地。

そこへ上がろうとする直角貝は。

早速獲物を狙いに来た、当時ではもはや対抗できない相手とかしていた節足動物に襲われる。

頑強な装甲。

空を飛ぶ。

顎も強い。

何より環境適応が速すぎる。

あらゆる点で自分を凌駕している相手だ。

だが、貝類のように、地上適応を限定条件下とはいえ、果たしている種族だって存在しているのだ。

何しろ頭足類だ。

海の中で一時期覇王となり。

今でも海の中で魚と激しく覇者の座を争っている種族なのだ。

直角貝は衰退して滅亡の危機にあるが。

地上に適応できれば、あるいは活路が開けるかも知れない。

勿論最後の直角貝の生き残り達が、そんな風に考えたかは分からない。ただ、頭足類は想像以上に知能が高い。

本能も動物には高いレベルで備わっている。

駄目なら場所を変えて適応する。

それくらいの事は、行っても不思議では無い。

それを人間の目線でやれば。

最後の賭として。

陸上進出を果たしてみる。

そういう行動に出る直角貝を描写してみても、それはそれで面白いはずだ。

この方向で行く。

まず細かくストーリーを作っていく。

最初は巨大直角貝達。

エンドセラスが良いだろう。

海の覇者として過ごしていた彼らだが。

やがて魚類の発展により。

覇者の座を追われた。

悠々と海を泳ぐダンクルオステウス。

時代は変わったのだ。

小型化にシフトして、生き残りを図る。

頭足類は柔軟に変化し。

環境内でのニッチに対応し。

そして変化を続ける魚類との激戦を繰り広げていく。

この間の描写を、ドラマチックに仕上げていく。

直角貝が深海へと沈んでいき。

生き残りも魚たちに食われてしまう。

アンモナイトになった頭足類は、激しい争いを魚類と繰り広げるが。

そうなれなかった直角貝は。

同類の頭足類からさえ追われ。

当時は殆ど魚も頭足類もいなかった陸上近くの浅瀬へ追い込まれていった。

敗走に次ぐ敗走。

悲しい夕焼けの中、陸上近くへ達したわずかな直角貝達。

だが彼らが見たのは。

地上を奪うべく。

水際で死闘を繰り広げている無脊椎動物たちの姿だった。

駄目だ。

退路などない。

後方は更に激しい修羅場。

より環境適応したアンモナイト達と魚類が、血で血を洗う抗争を繰り広げている地獄の戦場。

彼処にもう場所は無い。

ならば行くのは。

この先にある更なる地獄のみ。

さあ足を踏み出そう。

彼処に生きる場所は無いかも知れない。

だが可能性は後方に戻るよりはまだある。

アンモナイトに似た姿へ変わった同胞、オウムガイとは違う道を辿ったのだ。

今更同じような事をしても、ニッチを既に独占されてしまっている。

ならばやる事は。

一つしか無いのだ。

悲壮な覚悟の末に。

最後の直角貝が、仁義無き戦いが行われている地上進出へ向けて動き出す。

CMのストーリーラインはこれで決まった。

描写に関してはちくちくと入れて行くが。

いずれにしても、論文でも仮説の要素が強い上に。

そもそも陸上適応した直角貝が、どのような姿になるかは想像できない。

浅瀬や岩場を行き来しながら、小型の魚類などを捕らえて生きる生物になるのか。

それとももっとアグレッシブに地上に適応して、蝸牛などのニッチを奪うのか。

いずれにしても、機動力にしても装甲にしても上回っている節足動物には勝ち目がない。同じニッチは占められない。

例えば、脊椎動物のように。

より巨大な体を持つことが出来れば、節足動物のニッチを強奪することも可能になる事だろう。

だが、そもそも直角貝は地上進出をするところからしなければならないわけで。

結果としてそれも成功しなかったのだ。

腕組みして考え込む。

悲壮感を出すのはいい。

希望を描写して、結果を知っている人間に悲劇性を強調するのもまた良いだろう。

だが描写に嘘が入りすぎると。

今時知っていて当たり前の人々には。

しらける。

勿論無知な層も面白半分に興味を持って見に来るかも知れないし。そういう層にとっては良いだろう。

だが教育が行き渡っている今の時代。

それを期待するのは浅はかすぎる。

考えた後、大まかなストーリーラインは変えない。

ただ。浅瀬から、一対の目で。

地上を見つめる小さな直角貝の姿で、CMを終えることにする。

その地上は苛烈な争いが繰り広げられる修羅の土地で。

これから其処へ行かなければ生き残れないという悲壮感も描写する。

とはいっても、悲壮は悲壮だが。

ニッチの奪い合いで、万年単位とは言っても、生物種が滅びていくのは歴史上に何度も起きていたことだ。

ラン藻による酸素濃度上昇による環境激変だったり。

人類のエゴによる環境の無差別破壊だったり。

そういった特殊な例を除くと。

ニッチの奪い合いは、生物界で緩やかに行われ。

如何に環境に適したニッチをその生物が奪うかで、命運さえ決まっていったのが現実だ。

そしてそんな事は今更誰でも分かっている。

昔はヴィーガンやらいう集団がいたらしいが。

今は既にカルトとして認識されており。

動物愛護団体を称していたカルトも。

同じくカルトとしか認識されていない。

人間は既に動物と己を切り離した。

動物とは違う。

だからこそに文明的な生活を送っている。

もしも動物もやっているのだから人間もやっていいと言うのなら。

そもそも親を殺して食糧にしたり。

腹が減ったから生まれてきたばかりの自分の子供を殺して食ったりと言った、動物がやっている事を普通にやっても良い事になる。

少し考え込む。

お涙頂戴路線は避けた方が良いか。

しかしながら、私の社長としての実績が告げている。

これは、悲壮感を出した方が良い成果が出ると。

もう少し考えた後。

私は、本格的にCMを作り始めていた。

 

2、地上へ上がれなかった者

 

海水と淡水はまったく違う。

魚でも、海と川を行き来する品種がいるが。

それも汽水域で体を慣らし。

川へ、或いは海へと向かうのである。

淡水魚は海水では生きられないし。

海水魚も淡水では生きられない。

そういうものだ。

ましてや水中から地上に上がる時には。

どれほどの苦労を有しただろう。

結局の所、体を全て作り替えるくらいの苦労は必要になったはずだ。

例えば。

現在水生昆虫とされている昆虫は多数存在しているが。

これは基本的に空気を蓄えて、水中を狩り場としている昆虫であって。

水中で呼吸を出来るようにはなっていない(ただし幼虫時代には完全に水中生活を行える種もいる)。

つまるところ、水中を主な生活の場にしているだけで。

実際の生活の場は陸上なのだ。

同じようなケースとして、一時的に水から上がる事が出来る魚類のウナギなどもいるが。

これもあくまで一時的に自ら出られるだけで。

本来の生活の場は水中である。

水陸両用の生物、例えば古代生物である肺魚なども存在しているが。

これらは生物としては汎用性が高い反面。

やはり特化したニッチに入り込む事が出来ず。

結局の所、わずかなニッチに食い込むことだけで今まで生き延びている種族に過ぎない。例外なのだ。

結論としては、生物は基本的に、何かに特化した方が強い。

水生昆虫にしても、実際には空を飛ぶことが出来るなど、本来は陸上で生活する存在なのである。

蜻蛉などは、幼虫時代は水中で。

成虫時代は陸上で。

それぞれにニッチに特化した生活をする生物と化しており。

その存在は完成度が高いと同時に。

非常にいびつで、ある意味危うくもある。

実際環境の激変にはとても弱いし。

相当な無理をして、体を作っているとも言える。

体を変化させやすい昆虫でさえこれだ。

これが脊椎動物や、もっと複雑な体構造を持つ生物だったらどうなるか。

頭足類は陸上進出を果たせなかったが。

理由はその辺りにあるのかも知れない。

私はCMを造りながら。

慎重にその辺りの事情を描写していく。

化石が残っていないだけで。

陸上に一部進出出来た頭足類は実在しているかも知れない。

だが、それが現在に残っていない事を考えると。

結局頭足類は今までに、激烈な戦場である地上の環境に食い込むことは出来なかった。

今回得た論文を元に、それを考察し直しても。

結果は変わらない。

事実、プログラマー達も苦戦しているようで。

貰ったデータを元に、小型の陸上適応を果たしそうになった直角貝の子孫を作ろうとしているものの。

完成品までは、中々こぎ着けない、というのが事実のようだった。

私は少し休むと。

気分転換のために、音楽を掛ける。

地球時代に作られた音楽の中でも。

私はデスメタルがお気に入りだ。

もっとも自分でデスメタルしようとは思わないが。

何というか、非常に野性的な所が良い。

他の人はデスメタルに政治的な思想を感じ取るかも知れないし。

実際作り手もそうだったのかも知れないが。

私は単に野性を感じるために聞いているし。

更に言うと、今の時代音漏れなんて事は起きない。

個々の生活スペースはしっかり区切られているため。

心配する必要はないのだ。

しばしデスメタルを聞いた後。

作ったCMに大幅に手を入れつつ。

眠るまで作業を続ける。

本当に、この論文は正しいのか。

興味深くはあるが。

しかし、地上進出を狙った頭足類が今までいなかった、と言う方がおかしいと言えばおかしいのである。

生物学者が口を揃えて、どうして頭足類が地上進出を果たさなかったのか分からない、と言っている程で。

もしも地上進出を果たしていたら。

地球の生物史は大きく変わっていたこと間違いない。

そういう意味では可能性のある話であり。

地球人が手を触れなくなった環境、という意味では。

未来に、実際に地球で起こりえることかも知れないのだから。

さて。

リテイクを入れて妥協無く作り込んでいくが。

学者から連絡が来た。

予想図、と言う奴である。

海から浅瀬の岩場へ。

岩場から陸上へ。

徐々に適応していく姿が書かれていたが。

直角貝特有の貝がどんどん退化し。

やがて邪魔にしかならないそれは形だけになって、わずかに痕跡を残すのみ、という事になった。

これについては以前論文で見たのだが。

学者が出してきた予想図は。

私の想像を超えていた。

兎に角色が極めて地味なのである。

現実の蛸や烏賊を知っている人ならば、彼らが高い隠密性能を有していることを知っているかも知れないが。

この陸上進出を目論んだ直角貝の子孫は。

文字通り岩に擬態し。

天敵から身を隠しながら。

細々と生きていた。

それが、見た目からすぐに分かってしまう。

まあ、それはそうだろう。

元々衰退に衰退を重ねていた、頭足類の中でも既に命脈を絶たれようとしていた種族なのである。

少なくとも地上進出を目論んだ種族の中では後発組で。

あらゆるニッチが他の生物に奪われている状況だった。

これを覆すには、無脊椎動物が陸上では再現不可能だった巨体、というアドバンテージを可能にする脊椎動物の陸上進出が必要になってくるのだが。

いずれにしても、陸に上がるとき。

頭足類がもしも選んだとしたら。

それは小型で。

地味で。

他の生物の興味を惹かない、小さくて目立たない姿だっただろう。

だがそれにしても。

これをアップデートの主役にするにはかなり難しい。

かといって、契約している以上。

あまり酷い嘘も書けない。

学者の予想図をまずプログラマー達に廻し。

更にシミュレーションをさせてみる。

元々可能性は高くは無いのだが。

案の定、これくらいしか、陸上進出を果たしかけた頭足類には可能性がない、という答えが返ってきた。

まあそうだろう。

私も頷くと。

むしろ地味さを生かして。

この地味さを体現したような頭足類が、四苦八苦して陸上進出を果たす様子を、CMの主軸に変えようと、頭を切り換えた。

CMの途中まではいい。

だが其処からだ。

今までの姿では、簡単に捕食者に見つかってしまう。

アンモナイトのように繁栄し魚類と渡り合っていた種族とは、また状況が変わっているのだ。

それならば。隠密能力を磨け。

姿を岩場に擬態させ。

あらゆる獲物を狙う外敵から身を隠せ。

そして陸上進出のニッチを探せ。

ニッチにさえ滑り込めば、或いは生き延びる道が出てくる。

既に海の中に居場所は無い。

あらゆる可能性を試し。

今まで弱くてどうにもならなかった存在もフル活用し。

とにかく地上で生き延びられる道を。

そうこうするうちに、自慢の防御壁である直角貝の部分はどんどん退化していき、なくなり。

更には色合いも地味な者が生き延び子孫を造り。

どんどん小型化し。

その力も弱くなっていった。

海の覇者だった先祖とは、とても似ても似つかない姿になりつつも。

浅瀬に何とか忍び。

そして貼り付いて生きていく事に成功した頭足類たち。

だが、浅瀬には浅瀬で。

既に特化し適応した生物たちが多数いて。

その中には、強力で大型に進化を遂げた捕食者も多数いた。

海から陸への進出期だ。

今の時代は浅瀬に節足動物はあまり多く無いが。

この当時は巨大で強力なのが幾らでもいた。

頭足類たちは、半端で小さく、弱かったから。

彼らの絶好のエジキになった。

それでも耐え抜け。

地上に進出さえ出来れば。

多くのニッチが苛烈な争いの中にある。

それらに滑り込めば。

また直角貝の時代を作れるかも知れない。

追われる時代は終わり。

自分達の世界を造り出せるかも知れないのだ。

最後に、地上に奇跡的に進出出来た、変異体とでも言うべき個体が。

巨大な節足動物の捕食者に遭遇。

容赦なく食われる一瞬を映し出して。

CMを終える。

悲しいラストだが。

実際に地上進出は出来なかったのだ。

これでもまだ優しい解釈かも知れない。

実際には浅瀬から脱することさえ出来ず。

既に先達としてニッチを独占していた者達に、容赦なく狩られた可能性だってあるのだから。

自分で肩を叩くと。

私は細かい部分を修正。

第一弾CMを会議に掛ける。

会議での意見は。

兎に角暗い、だった。

「もう少し希望が欲しいですのだ」

「同意ですニャー」

「しかしながら、実際問題滅んだのも事実です」

「難しいのはそこですのよ」

ティラノサウルスのアバターを使っている私は。

思念誘導で、幾つかの可能性について、既に報告が上がっているシミュレーション結果を提示する。

実際出てくるのは。

そもそも水から上がる事さえ出来なかったのでは無いか。

もしくは浅瀬でじっと身を潜めていて、プランクトン食をしていたのではないか。

動く事さえ放棄し。

イソギンチャクのような生態で。

一生を岩に貼り付いて過ごしたのでは無いのか。

そんなシミュレーションさえあった。

ぼやく一人。

「直角貝と言えば、魚類が現れる前までは海の覇者だったのに……」

古代の生物を愛する人間としては。

その発言は痛いほどよく分かる。

実際問題、直角貝の子孫達が滅びたとは言え。

その末路がこの姿では。

しかしながら、それはあくまで人間の思考回路では、だ。

直角貝はどう考えたのか。

彼らも頭足類だ。

知能は相応にあったはず。

頭足類は無脊椎動物でも随一という程知能が高い生物であるのだし。

或いは生物史上。

始めて知恵を絞って、地上進出を画策した可能性はある。

それは人類が。

衛星軌道上に宇宙飛行士を送り出すよりも。

遙かに困難な行程だっただろう。

その困難さを考えれば。

これくらいの暗さは、仕方が無いのではあるまいか。

自己弁護のようになってしまったが。

それを述べると。

周囲は黙り込む。

仕方が無いので、AIにジャッジを頼む。

複数のAIは、同じ結論を出した。

滅びの美学を前面に押し出すならあり。CMの方向性も工夫する必要がある、と。

ならばそれで良いだろう。

私は結論を出した。

「CMについてはいつも通り私が担当いたしますわ。 皆はアップデートの続行を」

「分かりました」

会議が終わる。

通常空間に意識を戻すと。

私は嘆息すると。

既に組んであったマクロを利用し。

SNSにCMを流し始めていた。

 

「エンシェントで今度は地上進出に失敗した頭足類の展示をやるらしいぜ」

「ああ、あの暗いCMな」

「全盛期の直角貝は確かに既に実装されていて見られるけどさ、衰退期の直角貝なんて見ても楽しいか?」

「まあ実際華やかな話ばっかり展示しても仕方が無いとは思うが……」

否定意見が飛び交っている。

そうなることは分かっていたので、私は流したCMについて後悔はしていない。

そもそもエンシェントは、通常の仮想動物園として、常に一定の客足があるのだ。

恐竜時代が一番人気があるが。

やはりこの間アップデートしたダンクルオステウスや。

最盛期の直角貝など。

超巨大生物には、それぞれにファンがいて。

熱心に見に来てくれる人もいる。

だがそれらの人に共通しているのは。

生物の最盛期を見に来る、と言う事だ。

地上の覇者だった生物たち。

その圧倒的な力は他の追随を許さず。敵となるのは同族くらい。

だが生態系の頂点捕食者ほど脆い。

それについても、エンシェントでは。

つまり私の動物園では、常に描写を続けて来ているし。

繁栄と衰退は表裏一体だという事も、常にアップデートで描写し続けてきた。

だがそれでは満足しない人もいる。

それについては事実だ。

私も諦めてはいる。

だが直角貝は色々と研究が枯れている分野で。

むしろ今回のように、最後の生き残りが地上進出を狙っていた、などという観点のアップデートについては。

むしろ挑戦的な試みとして、見に来て欲しいという気持ちはある。

古代生物好きとしては。

なおさらである。

肯定的な意見は無いのか。

調べて見ると、見受けられることは見受けられた。

「確かに頭足類は陸上進出を果たしていないのが不思議なくらいの生物だ。 古い時代から存在し続け、海の覇者となった時代も幾つもある。 こういった、失敗例であっても、それについて触れてみるのは悪い試みでは無いかも知れない」

「暗い話だが、暗黒期の人類を見ているようで俺は好きだな」

「ちょっと可哀想だけれども、最後まで頑張ったことは感動する」

「実際はどうだったのかは分からないけれど、学者の論文を元にエンシェントはアップデートを組んでいるって話を聞いている。 綿密な打ち合わせの上で作っているんだろうし、いい加減な内容ではないだろう」

肯定的な意見もこのようにあった。

だが決して多くは無いのも事実だ。

しばし考え込んだ後。

更にCMに関して、てこ入れをする。

頭足類の歴史について。

地上進出を果たせなかったのはどうしてなのか。

地上進出を目論んだが失敗した種族の末路は。

頭足類は海の中でも古参で、今でも大きなニッチを占めている種族。

是非その歴史の闇の部分を見に来て欲しい。

そう宣伝を入れる。

私はいわゆるアルファユーザーではないが。

SNSでは、エンシェントは人気があるため。

発言には相応の注目が集まる。

古代生物好きは少なくないし。

恐竜に関する充実した展示から、エンシェントの固定ファンになってくれた人も多い。

そういう人は。

私のSNSでの宣伝や発言に、注目してくれているようだ。

今回も、何回かてこ入れをして。

客を呼ぶ下準備をして行く。

会社なのだ。

儲けるのは前提。

だが、それ以上に。

私は好きで経営をしたい。

勿論適性があるから社長をしている、というのが一番大きいのだが。

それと同時に。

私は好きをそれと両立させたいのである。

必ずしも手応えがあるとは感じなかったが。

それでも一定の黒字があれば良い。

エンシェントには実績があると客にアピールしていく必要がある。

駄目な場合も。

この展示がマイナスになる事は無い。

動物園にも人気がない動物はいるだろうが。

それは繁殖のために必要な存在でもあるので。

見向きもされないからと言って、展示をしないわけにもいかない。

それと同じ事だ。

SNSでの作業を終えると。

私は少し休む。

またメールが来る。

プログラマーからだった。

「完成型が出来たので、見に来て欲しいのですが」

「分かりましたわ」

少し疲れが溜まっているが。

決済に関しては、そうも言っていられない。

すぐに確認のため、エンシェントに入り。

テスト段階の空間に入る。

今回は小さな生物を展示の目玉にするだけあって。

カメラを拡大する機能をつける。

それにしても、磯での波の迫力よ。

空の色が、酸素濃度の違いから、今とは違うという事もあるが。

何より自分が小さくなることによって。

その空の迫力が何倍にも増す。

そして、実物が見えた。

岩場に貼り付き。

目さえ閉じて、完全に波打ち際で岩と一体化しているそれは。

昔、海の王者として。

暴虐の限りをつくした直角貝の子孫とは、とても思えない程に地味だった。

いると指定されないと分からないほどである。

エサもプランクトン。

たまに波が来たときに。

適当なサイズのプランクトンが来ると、小さな触手を動かして、すぐに口に運ぶ。

潮が引いていくと、ゆっくり移動し。

潮だまりに移って、その中で魚に狙われないように気を付けながら、プランクトンを補食していた。

動く時もゆっくりゆっくり。

兎に角狙われないように。

それだけを心がけている。

全く動かない事を選んだイソギンチャク(まあ、移動時には泳いだりもするのだが)と、これではあまり変わらない。

確かにCMで地味という声が上がる訳である。

また、魚はこの時代、既にかなり進化していて、動きも速い。

海の王者だったダンクルオステウスは既に亡く。

鮫がそのニッチに取って代わっている。

あれほどの大型魚類はもう殆どいないけれど。

掌に収まるくらいのサイズしかないこの最後の直角貝達にとっては。

致命的な相手だ。

ぐっと海中から躍り上がった、人間大の魚が。

一気に小さな直角貝に食いつくと。

岩場から食い千切って、海の中に消えていく。

他にも側に貼り付いていた直角貝達は。

助けに行くことなど出来る筈も無く。

自分が殺されなくて良かったと。

震えながら、その様子を見ているだけだった。

なまじ知能があるだけに。

その恐怖はひとしおだろう。

潮が満ち引きする度に。

直角貝達は、捕食者の歓心を買わないように恐怖を押し殺しながら移動する。

今度は大型の節足動物が来た。

当時は海辺にも大型節足動物が多数いて。

その凶暴さは、魚と大して変わらなかった。

今回姿を見せたのは、大型の百足に似た品種である。

百足は現在でも、最大種で40センチを越えるものがいるが。

この時代の百足は、それが子供に見える程の巨大種がゴロゴロいた。

彼らは本能のまま動くが。

だからといって脅威度が低いわけでは無い。

獰猛な顎が擬態している直角貝に容赦なく突き刺さり。

岩から引きはがし、ムシャムシャと食い千切っていく。

嗅覚が発達しているのか。

擬態しても無駄だ。

それを悟った直角貝達は海の中に逃げるが。

そもそも海から地上に出た節足動物である。

海の中に多少もぐるくらいは平気だし。

下手をすると、魚ですら捕食する。

勿論逃がすつもりは無い。

数匹が容赦なく貪り喰われ。

やがて満足した大型百足は、その場を去って行った。

此処は彼らのエサ場なのだ。

恐怖に震えてまた波打ち際に戻る。

水中も陸上も、

とてもこの最後の直角貝達にとっては、楽園などでは無い。覇者だった時代は既に過去。今はこうして身を寄せ合い。

恐怖に耐えながら生きていくしかない。

一連の様子を見た後。

私は思った。

やはり暗い、と。

それは分かっているが。

かといって、今回の展示の目玉はこれだ。

暗いのは承知の上で、やらなければならない。

しばし考えた後。

プログラマーに指示。

「波打ち際の迫力は申し分なし。 ただサイズを変えるとは言え、これでは最後の直角貝が目立ちませんわね」

「最大限目立つようにしてこれです。 論文によると、岩場に穴を掘って、其処に隠れていた可能性さえあるとか……」

「地上進出が聞いて呆れますわ」

「それもそうですが……」

確かに、そうやって少しずつ波打ち際から、やがて地上へと、活動範囲を増やしていくしかない。

それは私も分かっている。

頭足類は汎用性が高い種族だが。

衰退した直角貝の末孫だ。

此処まで弱体化しているのも、また仕方が無い事なのだろう。

しかし、これでは。

客が来て満足するかはかなり疑わしい。

少し考えるので。其方でも考えて欲しいと指示。

分かりましたと返答だけ受け取って。

また仮想空間から意識を戻す。

さてどうするか。

このままだと、この展示は上手く行かない。

上手く行かなくても、ちょっとやそっとの赤字くらいは別にかまわない。エンシェントには豊富なコンテンツがあって。

それらが充実していれば、かまわないのだから。

今までに蓄えた黒字は、一年や二年で消し飛ぶほどヤワではないし。

私だって長期的な融資が必要だと言う事くらいは分かっている。

だからこそに。

ちょっとはそれでも、少しでも黒字にすることを考えなければならない。

大体、陸上進出を本気で狙った頭足類がもしいたとしたのなら。

これくらい展示では攻めないと駄目だろう。

AIを展開。

幾つかの意見を聞く。

大型化してはどうか、という意見。

迷彩についてもっと見せ場を作ってはどうか、という意見。

獰猛な捕食者から、巧みに逃げる様子を見せてはどうか、という意見。

様々なものが上がってくる。

だがどれもぴんと来ない。

だがその中の一つが。

唯一私の心に刺さった。

これか。

起死回生の一手とも言える。

頷くと、私は。

その意見をログに取り。早速会議に回す事にした。

 

3、覇者の末孫が意地

 

海は地球の七割を占め。

その広大さは想像を絶する。

その一方で海の内豊かなのは表層から近い部分だけで。深海は海の砂漠と呼ばれるほどの不毛の土地だ。

勿論深海にも多数の生物は存在している。

最も深い場所であるマリアナ海溝でさえ生物が存在しているのが確認されているほどなのである。

とはいえ、やはり生物的に暮らしやすい場所かというと、それは否。

結局の所、生物が地上。

植物が繁茂し。

豊富な栄養を簡単に得られる場所を目指したのは必然とも言える。

最初は環境適応に失敗し、或いはニッチを奪われた者の逃避だったかも知れない。

だがやがて彼らは知ったのだ。

地上こそ、更なる楽園だと。

そして頭足類は。

それに気付くのが遅かった。

或いは、海で繁栄しすぎたから、かも知れない。

いずれにしても、陸を目指した頭足類はごく一部。

ましてや能力を失った覇王の末裔では、どうしようもなかった。

比較的環境が安定している海中と。

陸上とでは。

その環境の厳しさが、文字通り桁外れだったのだから。

陸上の生物が、以降は進化の最前線を担っていく。

その事実からも。

生物の歴史が如何に残酷で過酷かは、よく分かる。

だが私は。

だからこそ古代生物たちが好きなのだ。

人類が繰り広げてきた戦争以上の絶滅戦を生き抜き。

ニッチの中で居場所を確保してきた彼らが。

そして彼らの意思は今も子孫達に引き継がれている。

完全に絶滅した者もいる。

だが環境の一翼になり。

そして現在の環境の遠因にもなっている。

それは間違いない。

いて無駄な生物なんて存在しなかった。

人間とは違う。

少なくとも、太陽系にて理想文明を築く前。

破壊しか知らなかった人間とは決定的に違う。

人類文明と比べれば。

まだ古代の生物たちの方が、遙かにマシな存在だったとも言える。

私は今の文明には満足しているが。

地球時代の文明には軽蔑しかしていない。

人類は奇蹟がなければ、この状態を作り上げる事など出来なかった。

それはすなわち、人類が無能だった証。

無駄だらけの社会。

声ばかり大きくて媚を売るのが上手い者だけが出世する故腐るのが速い文明。

そんな事だから、資源ばかり浪費して。

地球を道連れに滅亡する寸前まで行ったのだ。

私は過去の生物たちは尊敬するが。

先人達は尊敬していない。

何かの干渉でもあったのではないか、という説もあるが。

それをあながち疑えないのが、今のこの世界だからだ。

朝起きて、歯を磨いて。

顔を洗って。

食事を終えた後。

私が指示した通りの状況になった、最後の直角貝達の様子を見に行く。

思ったよりもかなり良い。

これをベースにCMを作っていくべきだろう。

私は幾つかの資料をとると。

早速持ち帰り、データの編集を開始した。

SNSにCMを流す前に告知をする。

頭足類について、である。

勿論今の時代だ。

昔と違って、頭足類がどうして地上進出しなかったのか、不思議なくらい優れた生物種である事を知っている人は多い。

節足動物以上に嫌悪感を示す者も多いようだが。

それはあくまで姿が異質なため。

別に頭足類に悪意は無いし。

人間に対して敵対的な訳でも無い。

単に見た目が気持ち悪いから。

そんな理由で頭足類を悪者のように描写し。

ましてや悪魔の魚などと呼ぶという行為は。

許されて良いはずもない。

私はSNSにて。

頭足類の魅力と。

現在繁栄している頭足類の主流から外れてしまった、悲しい者達について説明を行っていく。

勿論知られている事も多いが。

それでも、今回の展示が。

生物史上如何に重要な事件だったのか。

知るべきであるとも思うのだ。

反応は相応にある。

揶揄の声もあった。

昔SNSと言えばスラムだった時代もあった。情報化時代のスラムであり、詐欺師と嘘が横行する、文字通りのアンダーストリート。

だが今のSNSには巡回botもいるし。

あまり酷い言動は自動でブロックされ。

そのブロックも誰もが公平だと納得するものとなっている。

こういう優れたシステムを作り上げられたのが奇蹟なのだ。

だから、私は。

努力を続ける。

CMの編集も終わったので。

第二弾を流す。

今度は、捕食者から逃げながら、どうにか新天地を目指そうとする頭足類についての描写だ。

浅瀬にしがみつく直角貝の最後の子孫達。

既に言われても分からないほど、直角貝の面影は失われ。

だが彼らは、思った以上に逞しく生きている。

海の中は恐ろしい魚たちのテリトリーだ。

だが、直角貝達は己の臭いを隠し。

最大限に迷彩を施すことで。

その脅威から、完全では無いにしても逃れる。

地上は巨大化した節足動物たちがしのぎを削る文字通りの魔境。

巨大な百足だけでは無い。

空を飛ぶ蜻蛉も海には来る。

その蜻蛉のサイズたるや、今の時代の猛禽並み。

現在の蜻蛉ほどの速度は出せなかったが。

それでも戦闘能力の高さは比較にもならない。

それらからも必死に身を隠し。

小さなプランクトンを食べながら、耐える。

いつか、地上を動き回れる仲間が現れるまで。

今のままでは、細々としたニッチの中でしか生きられない。

だが頭足類特有の迷彩能力と。

高い可変性を上手く生かすことが出来れば。

地上で繁栄するのは不可能ではないかも知れない。

どんな生物も、環境に応じて体を変化させながら、生きてきたのだ。

そして環境が変化する度に。

弱者に好機が訪れた。

環境が変化すると、頂点捕食者には試練の時代が来る。

ほぼ間違いなく、頂点捕食者は何もできずに滅びの時代を迎えることになる。

だが、それ故に。

環境のニッチが空き。

其処に乗じる隙が出来てくるのだ。

ましてや地上は魔境に等しい状態。

何か変化があるのを待ち。

それに乗じる。

或いは、適性がある仲間が生まれ始めるかも知れない。

滅亡寸前まで追い込まれているのは事実だが。

それでも其処から滅亡に落ちるだけかは、分からないのだから。

虎視眈々と、弱者として生きながら、起死回生を狙う。

その直角貝の子孫達の姿を。

CMには丁寧に盛り込んでいく。

残念ながら。

願いは叶わなかった。

もしも願いが叶っていたら。

陸上進出した頭足類は出ていただろう。

だが、膨大な可能性がある中で。

彼らが地上進出していた可能性は。

否定出来ないのである。

最後の時まで、諦めない。

最後の直角貝達は。

既に名前の由来となっている三角錐の殻すら失ったが。

それでも最後の瞬間まで、諦めず。浅瀬で数万年、耐え続けた。

 

異常すぎる大量絶滅の時代を除くと、基本的にどんな生物も万年単位で種としての命脈を保つのが普通である。

それは無数の化石からも証明されているし。

この論文が正しかったとすれば。

地上進出へ後一歩の所まで行った、この直角貝の子孫達だってそうだっただろう。

捕食者に食い尽くされたのではなく。

多分競合するプランクトン捕食者。

現在でも波打ち際に多数棲息している色々な者達。

それらとの競合に敗れていった、というのが事実だろう。

とはいっても、それら競合対象は。

基本的に毒などで身を守るか。

或いは強固な殻などで武装するかで。

捕食者に、簡単に殺されないように、その身を頑強に守る事に特化した。

そうなると、或いは。

むしろ強力な殻で武装し。

殆ど身動きせず。

触手を伸ばして、小さな獲物を狙って浅瀬で生きる。

そういう生き方をすれば。

或いはチャンスを狙えたかも知れない。

昆虫のような、走攻守揃った万能選手をいきなり目指すのは無理があった。

そして、多分だが。

私が思うに。最後の直角貝達は、イソギンチャクのような生態に落ち着き。

そのまま、地上進出への可能性を持つ変化をなせなかった。

それが真相のように思える。

学者と何回か話をしたのだが。

相手もその意見については、まったく否定しなかった。

多分学者本人も。

地上進出まで後一歩、という所までは行ったところまでは認めていても。

其処から先が果てしなく厳しい事は分かっているだろうし。

専門家ではない私でもわかる程度の事だ。

浪漫を優先させることはあっても。

現実が厳しい事は重々承知していただろう。

現在の学者は。

適性のあるなしは自分でも理解している。

故に学者も分かっていた筈だ。

後一歩が。

如何に厳しかったか、と言う事は。

ともあれ、CMの調整は終わった。

展示を見るときには、サイズを可変化出来るようにし。

波打ち際で、如何様にも最後の直角貝を見られるようにする。

迷彩で敵から姿を隠し。

移動についても周囲を確認して見られないようにし。

上手く潮の満ち引きに併せて移動し。

海中のプランクトンや魚の稚魚などを触手で捕らえ捕食する。

触手には毒があったかも知れないが。

いずれにしても、大した毒では無い。

当時の巨大化した節足動物たちの前には、文字通り龍車の前の蟷螂の斧であっただろうし。

そもそも頑強な殻には通らなかっただろうから。

あくまで毒は餌をとるためのもの。

敵から身を守るためには、存在を察知させない。

その方が遙かに重要だった筈である。

それらもCMに盛り込み。

調整を重ね。

会議にて意見を募り。

最終的に、SNSにてオンエアした。

やはり何というか。

賛否両論の答えが返ってくる。

「やはり暗いな今度の話。 確かに全盛期の直角貝は普通にエンシェントで見られるけれどよ、此処まで小さくて衰退した直角貝なんて、良く展示する気になったよなあ」

「アップデートだって工数掛かってるだろ? 無駄はないって考えてるのかな。 彼処の社長、相当なやり手だって聞いているのに、呆けたか?」

「いや、まだ十代前半だって話だ。 適性で社長になってるタイプだし、老害になるには速すぎる」

「うーむ、そうなるとなあ。 ちょっとどうしてこういう展示を、敢えてピックアップしてくるか分からんなあ」

言いたい放題だが。

マーケティングをしている以上。

聞いた方が良い。

それに人気があるコンテンツに関しては、そもそも一通り揃えているのである。

白亜紀ジュラ紀などの恐竜全盛期については、専門のプログラマーが毎日微調整を加えているし。

毎日多くの客が見に来ている。

そんな中で。

人気が無いからと言って、斜陽をコンテンツとして盛り込まないのは。

それはそれとして、問題だと思う。

売れないから作らない。

そんな事をやっていれば、いずれ生活必需品がいつの間にか周囲から消えている。そんな事さえ起こる。

幸い、人間は愚かなままだが。

今の時代は、その愚かさを補助するシステムが潤沢に整っている。

私も、社長として皆に食わせて行かなければならない立場だが。

それを免罪符に。

愚行に手を染めるつもりはなかった。

さて。

肯定的な意見も、SNSには見受けられる。

「そういえば蛸ってある程度陸上に上げても、すぐに海中に逃げるようなそぶりを見せるんだよなあ。 あれって浅瀬にいるような品種に限らず、陸上でのある程度の活動の記憶がDNAに刻まれてるんじゃね?」

「そんなオカルト言われても困るが、確かに水中に戻ろうと的確な動きを見せるのは事実だよな。 水際で生活していた品種が、昔いたことは否定出来ないし。 或いは限定的に水から上がった品種がいたかも知れない。 もっとも、あくまで限定的だっただろうけどな」

「そういう意味では、確かに面白い展示かも知れない。 俺は見に行く」

結構論理的に良い事を突いてくれている。

個人的には嬉しいが。

はてさて、上手く行くか。

なおプログラマーからは、大体出来上がっている旨は告げられている。

CMに関しても、これ以上手を入れる必要は無さそうだ。

ただ、ダンクルオステウスのような花形のCMと違って。

やはり再生数はかなり伸び悩んでいるようだが。

流石にあれと比べるのは気の毒すぎるが。

個人的には、もう少し可能性を追求した生物について、親近感を持って欲しいなとは思う。

何しろ人間そのものが。

奇跡的な確率で、星の海に上がれた種族なのだから。

いずれにしても、準備は着々と進み。

そして公開の当日が来た。

会計を司っているAIからは。

SNSなどの状況を見る限り、あまり大幅な黒字は期待出来ない、という返答が既に出ている。

それは分かっているが。

まあ仕方が無いと判断するべきで。

私もそれ自体は覚悟している。

そしてこういったニッチに沿ったコンテンツも提供する事で。

よりエンシェントの完成度も増すのだと考えれば。

決して投資は無駄にはならない筈だ。

「個人的には好きだな。 目が横になってる所とか、色々生理的に受け付けない所はあるかも知れないけれど、深海から浅瀬まで追われて来た種族だろ。 その最期を見るってのは、何だか浪漫がある」

「俺も行くつもりだ。 直角貝って言うとやっぱり海の覇者のイメージがあるし、衰退した直角貝の子孫が、こんな事をしていた仮説があるんだったら、面白いし見てみたいもんな」

そういった意見もある。

展示開始の前日まで。

緩やかとは言え、CMの再生数は伸び続け。

そして、あまり希望的な光は無い中。

当日の展示が始まった。

 

展示開始当日。

やはり恐竜や、他の花形古代生物を見に来る客は多かった。

エンシェントと言えば迫力のある仮想空間での、恐竜などを間近で好きに出来る事、である。

恐竜狩りだって出来るし。

恐竜に狩られる事も出来る。

本当だったらあり得ないが。

恐竜の背中に乗せて貰って、移動する事も出来る。

間近でエサを巡って争う、肉食恐竜同士の戦いを見る事も出来る。本来だったらまず命は無いだろうが。

さて、最後の直角貝は。

展示を確認すると。

かなりの数が来ている。

以外にも、初日だけでも相応数が来ている様子だ。

ログもある程度確認する。

「空の色が面白いな。 酸素濃度が今と違うし、何より虫がでけー」

「後の時代に脊椎動物が占めたニッチを、当時は節足動物が制圧してたからな。 まあ体に無理があるし、天下は長続きしなかったんだが」

「それにしても、こんな魔境に上がろうとしてたのか、この小さいのが」

「貝類とか、明らかに地上に上がっても苦労するだけな生物でさえ、地上進出を果たしている品種はいるからな。 まあ上がれても無理はないんじゃないか」

そんな声が聞こえる。

視点を小さく見て。

迷彩を巧みに使いこなし。

捕食者から逃れ。

ゆっくりゆっくり動く事で。

命を保つ。

そんな生活をしている最後の直角貝に関しても。

相応にログは流れていた。

「随分可愛い蛸だな」

「蛸とは頭足類でもかなり品種が違うぜ。 後毒があったかも知れない、って設定を取り入れてるみたいだな。 ヒョウモンダコみたいなやばい品種ではないだろうけれど、それでも有毒だろうぜ」

「対餌用の毒だろ? しかもエサもプランクトン。 強毒性ではないと思うけどな」

「まああまりにも過剰な毒を持つに至った生物もいるしな」

仮想空間とは言え。

かなり残忍な仕打ちをしているユーザーもいる。

勿論仮想空間だ。

データを勝手に改ざんしたりしない限りは、何をしようと自由。

また、此方が想定したとおりに。

自分を小型化して。

精密な最後の直角貝の生態を、確認している人達もいる様子だった。

あくまで少数だったが。

ログを見る限りは。

思ったよりは来ている。

ただ前回の大型アップデート。

ダンクルオステウスの時ほどの評価は得られないだろう。

ふと、変なログがある事に気付いた。

ハッキングの類では無い。

管理者に向けての言葉のようだ。

「随分地味で弱々しいが、頭足類は小型でもパワーがある種族だ。 陸上に上がれなかった理由も、これでは弱い」

「……」

「出来ればもっと説得力を出して欲しかった。 見ていてつまらなくはなかったが」

そんな事は、学者に言って欲しい。

しかしながら、その説を採用した私にも責任はあるか。

それにしてもこのログ、何者だろう。

まあ管理者とはいえ、客の個人情報を特定は出来ない。

そんなモラルハザードの時代は終わっている。

明確な犯罪行為をしている訳では無く。

企業利益を損じる無体なクレームでも無いのだから。

介入する理由は無い。

他の意見は。

見ていると、仮想空間の浅瀬に、浮き輪やらを持ち込んで遊んでいる者もいるようだ。

本来だったらかなりの危険行為だが。

仮想空間である。

動物の攻撃モードをカットできるし。

遊んでいてもおそわれる事はない。

更に言えば、好みでは無い生物を表示しないようにカスタマイズする事さえ此処では出来る。

やりたいなら勝手にやれば良いが。

しかしながら、ちょっと苛立つ。

磯遊びがしたいなら、そういう仮想空間施設でやればいいものを。

此処はあくまでエンシェントだ。

まだ苛立っても、他の客に迷惑行為をしているわけではない。

此方の想定した楽しみ方をしていないからと言って。

迷惑を掛けていない以上、客は客だ。

私は受け入れなければならない。

釣りをしている奴もいる。

しかも、抵抗しない設定にした大型節足動物をエサにして釣っている。まあ、基本的に一人でログインするのが前提となっているのが仮想動物園だ。

何をしようと勝手だが。

中には、最後の直角貝を岩から引きはがしてエサにしている奴までいて。

見ていてイライラさせられた。

モラルが腐った客ばかりでは無く。

少数が悪目立ちしているだけ、と言う事は私にもよくよく分かっている。

だが、展示の主旨を理解もせず。

ちょっと操作すれば見られる解説も無視して好き勝手する。

個人的には。

あまり気分は良くなかった。

とりあえず適当な所で切り上げる。

客足は。

調べて見ると、思ったよりは良かった。

黒字は確保できそうだ。

だが、それ以上でも以下でもなかった。

まあ、今回は、面白い研究を、そのままアップデート出来た。

それで良しとするべきだろう。

私は頷くと、さっきまで見ていた、蛮行の数々は忘れる事にした。これでは、人類が滅ぶのは必然と言われていたのも、納得できる。

あくびを小さくすると。

私は最後の直角貝達は、人間を見たらどう思うのだろうと、漠然と考えていた。

 

4、暗い海の底へ

 

全盛期の直角貝の展示が、またアクセスが増えている。

そういう報告が、朝あった。

どうやら直角貝の末路に関する展示を見た後で。

全盛期をまた見たい。

そういう欲求が生まれたらしい。

私はあくびをしながら、深海展示コーナーを確認する。

全長10メートルを越える直角貝も当時には存在していた。文字通りの頂点捕食者であり。

当時の海における最強最大の捕食者だった。

多数の今見ると信じられない姿の頭足類が当時は存在していて。

それらも直角貝のエサに過ぎなかった。

直角貝といっても様々なサイズがおり。

最大種にとって小型種はエサだったし。

場合によってはサイズ差のある同一種でも、共食いになる事はあった。

この辺りは生物の宿命だ。

鮫などは普通に今でも行っている。

目を擦りながらログを確認すると。

どうやら最盛期の直角貝を見に行っている者達は。

最後の直角貝を見に来た客と同じようである。

客のIDが一致している。

マナーの悪い客もいたが。

彼らも面白がって様子を見に来ているようだった。

勿論深海での展示は。

様々な補助機能をつけて行う事になる。

潜水艦での鑑賞。

水中での自動移動可能。

視点だけでの鑑賞。

或いは直角貝になりきって動く。

様々な機能があるが。

今回は、全盛期の直角貝を、よそから見る、という行動を選んでいる客が多い様子だった。

どういうことだろう。

ちょっと調べて見ると、会話が拾える。

「下手な鮫映画の鮫よりでかいぜ。 クッソ強そうだ」

「当時最強だしなあ。 これがどうしてあんなに弱い生物になっちまったんだか」

「いくら何でもなあ。 嘘だとしか思えない」

「此奴なんて、この貸し出されている潜水艦よりデカイ。 それなのに、末路はあんななのか……」

いずれも、ショックを受けている。

それは全盛期の直角貝とは比べる方が可哀想だ。いくら何でも力に差がありすぎるのだから。

だが、私は思うのだ。

あの展示を見て。

その後全盛期を見に来て。

何か思うところがあったのなら、それはそれで良かったのでは無いのだろうかと。

客達はそれぞれ好き勝手なことをしている。

勿論時代が違う生物を持ち込んだり、出現させたりすることは出来ない。

最強時代の直角貝にエサやりは出来るが。

用意されているのは、同時代の生物だ。

当然のことだが。

10メートルを超える生物である。

その補食シーンは迫力満点である。

プランクトンを細々と食べていた、最後の生き残りとは根本的に状況が違うともいえるし。

何より畏怖を産み出すには充分だったのだろう。

怖い。

素直にそう言い残すと。

帰って行く客も多かった。

当たり前だ。

巨大生物が獲物を貪り喰う様子が、怖くない筈も無い。

かといって、小さな生き物が、小さな生き物を喰らう様子だって。

それはそれで残酷なのだが。

単によく見えていないだけで。

世界は残酷と不条理に満ちている。

大きくなれば見えやすくなるかも知れないけれど。

そんなものは、サイズが変わったって、何処の世界でも起きている当たり前の事だ。

まあ、それでもだ。

滅び行く運命の中。

新しい可能性に賭けた存在がいたこと。

それに気付いてくれたのなら。

それだけで充分だとも言える。

少なくとも、せっかくの新しい展示を馬鹿にするような行動をしていた客は、IDを見る限り、わざわざ全盛期の直角貝を見に来てはいなかったようだし。

それはもう、害悪客として割切るしか無い。

メールが来ている。

例の学者からだった。

かなり良い出来で、興奮したと喜んでいるが。

そうかとしか応えられない。

いずれにしても、今後もエンシェントはアップデートを重ねていくことになる。

それは何も花形と呼べるような生物だけでは無いし。

その時代の支配者だった存在だけでもない。

かならずしも世界を変えた存在でもなければ。

見かけが格好いい動物ばかりでもない。

エンシェントは仮想動物園で。

古代の生物を、現在の学説に沿って展示する場所。

タイムマシンが出来るまでは。

此処が事実上一種のタイムマシンになる。

それならば。私は。

このタイムマシンの機能を充実させるべく。

更には客として社員を食わせて行くべく。

より頑張って行かなければならない。

それだけのことだ。

適当にお礼のメールを返すと。

疲れたし、今日は寝ることにする。

花形の動物をアップデートするときは、客も来るし、評判も良い。

だが、常にそうとは限らないのが厳しい所だ。

磯で寂しく余生を送りつつも。

可能性に賭けた直角貝達を思うと。

私はその境遇を笑い飛ばすことは出来ないし、馬鹿にすることだって出来ない。

今日は仕事も少ない。

手早く今日分の仕事を片付けると。

私は早めに休む事にした。

明日が暇だとは限らない。

少し色々と疲れたし。

休みは取っておきたかった。

 

(続)