人形使いの静かな日

 

序、魔法使いにて人形使い

 

アリス=マーガトロイドは金髪の寡黙な女である。

幻想郷と呼ばれるこの隠れ里に住んでいる存在であり。そもそも人間ですらもはやない。

アリスは人間が魔法や様々な呪法の結果、寿命を超越した。つまり魔法使いと呼ばれる一種の妖怪である。

魔法を使う人間を魔法使いと呼ぶ事もあるが。それとは別。種族としての魔法使いなのだ。

此処はそんな妖怪が存在しうる秘境幻想郷。

人間は妖怪を怖れ。

妖怪は人間を脅かし。

人間は勇気をふるって妖怪を退治する。

比較的人間に友好的な妖怪もいるが。そんな中でも、元人間であり。魔法を使って人間を止めた存在であるアリス=マーガトロイドには謎が多い。

何処にでもアリスはいる。

ある時は幻想郷にて人間達が暮らしている人里に。

ある時は妖怪達が最も多い峻険な妖怪の山に。

場合によっては、強大な勢力を構築している妖怪勢力の本拠に。

どこにでも姿を現す。

寡黙で多数の人形を同時に魔法で操作するこの女は。

謎が多く。

名前と、人形を使って戦闘をすること。人間には友好的で、住処である幻想郷屈指の危険地帯「魔法の森」に迷い込んだ人間を保護することも珍しく無いこと。

そして同じく魔法の森に住んでいる、まだ人間を止めていない魔法使い霧雨魔理沙とは犬猿の仲であるとされていて。時々苛烈に戦う事。

それくらいしか、分かっていない。

そんなアリスが、黙々と作業をしている。

本人は少しだけ手指を動かしているだけだが。

周囲にいる十を超えるアリスの膝下ほどしか背丈が無い人形が動き。

それぞれが別の作業をして。

見る間に荷物を積み込んでいた。

魔法の森の特産物である。

いずれもが、危険すぎて人間には取りに行かせられないものばかり。

魔法の森には危険な妖怪が多数住んでおり。

そもそも地形も安定していない。

闇が満ちていて。

いにしえの時代にいたような、それこそ闇そのものの妖怪もまだ姿を見せる事がある。

そんな場所だ。

此処では生命力があまりにも暴走するため、特産品として様々な植物や茸などが採れるのだが。

アリスが採取してきたそれらを、今荷車に積んでいた。

この物資は、注文されて集めているのだが。

少し前から、明らかに物資の注文量が多くなっている。

寡黙なアリスが無言のまま作業をしていると。

側に降り立ったのは、大柄な男性の妖怪だった。

頭に角が生えている。

幻想郷では、妖怪は人間の女の子の姿を取るのがスタンダードだ。

男性の姿をしている妖怪は。幻想郷に来たばかりのものか。

或いは幻想郷の管理者階級である「賢者」の手下であったり、人間に姿を見せる事がない妖怪であったり。

いずれにしても、表に出る妖怪では無い。

物資の引き渡しを行う。

いずれもが魔法の媒体に使ったり。

或いは呪術の材料になる危険物ばかり。

一部は食べ物にもなる。

明細をチェックしていた青黒い肌の恐らく鬼であろう妖怪は。

全てが満たされているのを確認して、頷いていた。

「いつも助かる。 次の注文は此方だ」

「……」

無言で頷くアリス。

妖怪は礼をすると、そのまま消える。

賢者の能力。空間操作。通称スキマによって移動したのだろう。

人形達を急かすように指を動かすと。

一列に並んで、アリスの膝下までしか無い人形が動き出す。

鉄面皮で表情がなく、人形より人形のようだと言われるアリスよりも。人形達の方が余程愛嬌がある。

アリスは素性を周囲に明かさない。

だから、親しい者ですら、アリスの過去は知らない。

アリス自身も、教えるつもりもなかった。

自宅に戻る。

この自宅も、クラフトが得意なアリスは何度も作り、気分で引っ越している。

家に戻ると、無言で人形達を操作して、茶を淹れさせる。

収入を自分で確認しながら、魔道書をめくる。

まだまだアリスは魔法使いとしては未熟。

いつも勉強が必要だ。

問題は魔道書を持っていると、手癖が悪い童が悪さをしに来る事で。

魔道書を持っている事は、あまりおおっぴらにはしない。

しばらく集中して本を読んでいると。

ベルが鳴らされた。

自分の縄張り内部に、何かが入り込んだ。

それを知らせるベルだ。

顔を上げると、無言で人形を展開。相手の正体を確認する。この縄張りも、対応可能な距離を単に縄張りにしているだけ。

別に入られたからと言って、怒る事はない。

相手は珍しい妖怪だった。

家から出ると、無表情のアリスを見て、相手は腰が引けたようだが。

それでも、生唾を飲み込んで、話をしてくる。

「アリス=マーガトロイド?」

「そうよ」

「……頼みがあるんだが、受けて貰えないだろうか」

「内容次第よ」

相手は妖怪としては小物も小物。

しかもここ最近、妖怪の山の事実上の支配権を確立しつつある守矢神社に屈服させられた存在。

河童の一派、山童である。

その上、山童の中でもかなり下っ端だろう。

そもそも妖怪の山から出てくる事自体が珍しい連中だが。

アリスにものを頼みに来るなんて、それはまた珍しい話である。

立ち話も何だから、家に入って貰う。

ブルーカラーの制服に身を包んだ山童だが。これは山童河童全員が共通してそうしている。

河童は青い制服。山童は緑色の制服にしていることが多く。

そもそも渡りをする妖怪である河童は、頻繁に山童であったり河童であったりし。

最近まで山童だったものが、河童になったり。

その逆もしかりである。

ただ、妖怪の山の中では。山童は基本的には遊んでいながらも、河童の商品を売ることが多く。

同じように河童は、人間相手の商売と。売るための製品を作ることが多い様子だ。

ある程度の仕事分けはしている様子で。

それが故に。

河童としての気分では無いときなどには、案外その時の雰囲気で山童になったりするのかも知れない。

どちらにしても、河童伝承の元になった山の民。サンカの民は、山と川を季節によって行き来する生活をしていて。

それが河童と山童の関係につながっている。

河童の源流は何もサンカの民だけではないのだが。

その源流に大きく絡んでいるのがサンカの民である事は間違いが無い。

外の世界では、確か既にサンカの民の文化はなくなっているはず。

それを考えると、幻想郷において河童が生き延びているのは。

ある意味、幸運なことなのかも知れない。

人形に囲まれて不安そうな、まだ若い山童は。

人形が茶を出してきたので、びくりと背筋を伸ばした。

そんなに警戒しなくても別に取って食いやしない。

無言で用件を言い出すのを待つ。

それが却って威圧を与えているようなので。

無表情のままではありながらも。

アリスは内心辟易した。

「そ、その。 商品を取引してほしいんだ」

「どうして私に?」

「その、人形を作るんだろう」

「……」

まあその通りだが。

別に外の世界で言うビスクドールやらの鑑賞用を作っている訳では無い。

アリスの目的は、最終的には自我を持って自立行動する人形を作ること。

外の世界の人間の言う、自律思考型ロボットという奴だ。

現時点ではそれは作る事が出来ていない。

アリスの持つ倉庫は魔法で内部空間を拡張しているのだが。

其所には大小様々な人形が納められている。

とても小さなものから。

中には巨大なものまで。

いずれも失敗作だったり、作りかけだったり。

共通しているのは。全てが実用と言う事。

何かしらの仕事をしたり。

或いは自我を持たせるための実験体であったり。

全ての人形に作った意味があり。

全てに思い入れがある。

故に、安易な気持ちで人形を作るつもりは無いし。

素材だって、自分で選ぶ。

山童が震えながら出してきたのは、カタログである。

軽く目を通すが。

ざっと見た感じでは、心を動かされる商品は無い。

外の世界の人形に別に興味は無いのである。

単なるドールオーナーでは無い。

アリスは魔法の人形のスペシャリストで。

しかも自分でクラフトする事に興味があるのだ。

「コレでは駄目ね」

「な、何だったら良いんだよ。 どれも綺麗にしてあるんだ。 きょ、興味くらい持ってくれよう」

「どうしてそんなに怯えているのかしら」

「だって此処、怖くて……」

完全に萎縮している山童。

少し前に河童もろとも守矢に屈服してから。

此奴らはどうも覇気がない。

昔はそれこそ三下ヤクザそのままのテキ屋業をしていたし。

人間にも妖怪にも悪さばかりしていた。

たまに目に余る場合は仕置きをされることもあった。

だが、根本的にぶちのめされて守矢の麾下に入り。

技術から何から全て取りあげられた今となっては。

こんなに弱気になってしまうものなのか。

アリスはまだ若い魔法使いだから、妖怪の山を守矢が支配する前。鬼が支配していた頃の事は、それほど鮮明な記憶が無い。

その頃も河童や山童は鬼が出てくると酷く怯えていたような記憶があるが。

ただ、今目の前にいる山童ほど、酷く心を折られてはいなかった。

ぶん殴るだけで許していたから、だろうか。

守矢はまず河童や山童の心をへし折ってから支配した。

精神生命体である妖怪には、それは色々致命的だったのだろう。

「私の人形はね。 部品を全て手作りして、一人ずつ丁寧に仕上げているものなの。 誰かが作った子に魔法を掛けてハイ出来上がり、という品では無いのよ。 そうでなければ、苛烈な戦闘で使い物にならないわ」

「……部品の方が良いのか。 何か部品がいるなら、作って来る」

「作れるのかしら」

「どんなのが必要なのか、見せて欲しい」

アリスは茶を飲みながら、人形に部品を持って来させる。

そうして見せられた部品を見て、山童は絶句する。

膨大な数の細かい細かいパーツ。

体内を骨格として支えるものも多いし。

体を内側外側から強化するものだってある。

中には純粋な魔法媒体としての部品だってあるし。

眼球や球体関節などの部品にしても、いずれもが魔法を掛けて動かす事を前提にしている。

触って良いかと聞いてくるので。

手袋を渡す。

おそるおそる部品を触っていた山童は、泣きそうな顔をした。

「これは、再現するのにお金がとても掛かる……」

「当然でしょう。 この子達を一人作るのに、どれだけ私が時間を掛けているか分かっているのかしら」

「……」

「今日は帰りなさい」

いずれにしても。

この心が折れている山童では、商売の相手にはならないだろう。

背中を丸めて、すごすごと帰って行く山童。

あの様子だと、守矢に相当こっぴどく心を折られたのだろう。

元々妖怪の山でも相当な問題集団だったと聞いている。

守矢麾下にならなければ、博麗の巫女が動いて殲滅される案件をこの間やった結果だと聞いてはいるのだが。

アリスはどうもおかしいと思っている。

彼奴らは鬼がいなくなってからずっと悪さをしていた。

守矢はその悪さの全てをいっぺんに暴き。

河童も山童も、叩き潰す事に何ら問題の無い大義名分を作ったのでは無いのか。

だとすれば全ての説明がつく。

狡猾な守矢だ。

以降は制御出来るように河童と山童を、時間を掛けて躾けていくつもりなのだろう。

今までの鬼とは違う。

暴力では無く、締め上げていくようなやり方で。

嘆息すると。

アリスは人形達に掃除をさせる。

山童の座っていた椅子も磨きなおさせた。

これはアリスが神経質なのではない。

人形作りの時に、精密な作業が必要になるからで。

家の中は常に清潔に保っておく必要があるのだ。

何ならアリス自身はずぼらな所すらある。

人形作りでは性格が変わる。

それだけである。

その日は、もう客が来ることは無かったのだが。

それにしても、山童が山を下りてきて、しかも魔法の森までものを売りに来るとは。

妖怪の山で、何か起きているのかも知れない。

人里の方でも、最近好景気だとかで騒がしい。

アリスは時々人里に出向いては、人形の性能実験も兼ねて、人形劇を披露したりするのだが。

その時見物客が、金払いが良くなっているのである。

別に金なんかあまり興味は無い。

そもそも人形は材料から加工まで全部自分でやっているし。

妖怪「魔法使い」となると、実は睡眠も食事も厳密には必要がない。

単に習慣として人間時代の行動を続けているだけのことであって。

その気になれば、眠らないでずっと人形作りをする事だって可能だ。

更に言えば、アリスは自分で作った人形を他人に譲るつもりは無い。

一度それで魔理沙と大げんかしたっけ。

一つくらいくれても良いじゃないかとか、魔理沙は言ったが。

アリスからして見れば、それは内臓やら手指やらをくれてやるようなものだ。

そんなこと。

絶対に許すわけにはいかない。

掃除が終わると、アリスはまた黙々と魔道書を読む。

人形作りは奥が深いが。

それにしても、まだまだアリスの腕が未熟なこともあって、改良点がいくらでもある。

今日は幾つかの改良を試してみたい。

何体かの人形を呼び集めると、順番に分解していく。

体内の部品に魔法を掛け直し。

組み立て直す。

そして動かすと。

動きに、微妙な差異が出ていた。

基本的に言葉を流ちょうに喋る人形は今のところアリスの所にはいないが。

その気になれば、作る事は出来るかもしれない。

今の時点でそのつもりは無いが。

いずれは、作るのもありだろう。

頷くと、最初の人形同様に、他の人形も全て改良していき。

全ての改良が終わった頃には、夕方を過ぎ。

夜になっていた。

夕食を人形達に用意させる。

勿論、回収の過程で人形の部品が無くなっているような事も無い。

食事を終えると、後は静かに眠るだけだ。

アリスは必要がなければ一日中でも喋らない。

寝言も言わないと、何処かで聞いた事がある。

一応他の者の家に泊まったことはあるのだが。

その時に聞かされた事だ。

とはいっても、他人の言う事を何でも無言で聞くつもりは一切無い。

時々アリスは、自分でも驚くほど好戦的になる。

人形作りを邪魔されたり。

虫の居所が悪いときは特にそうだ。

アリスは自分だけのものであり。

他人に身を売り渡すつもりは一切無い。

そんな不思議な、寡黙な魔法使いだった。

 

1、動く金

 

家の警備を、警備用の人形達に任せ。アリスはふらりと魔法の森を出る。

魔法の森を出る時は、徒歩では無く空を飛んで行くことが多い。空中戦を想定した多数の人形が、そういうときはアリスを護衛する。

空を行く理由は簡単。

魔法の森が、地元の者でも迷うほど複雑だからである。

いっそ空から行く方が早いのだ。

とはいっても、そうするとまた別の問題が生じる。

帰る時が大変なのである。

ここまでの不便を犯しながら、何で魔法の森に住んでいるかというと。

此処でしか取れない、魔法に使うのに適した素材が山ほどあるからだ。

行き来や出入りは不便だが。

魔法使いをやっている分には、此処以外に住むことは考えられないのである。

魔法の森の外に降り立つと、目を細める。

人里の方で、妖怪の気配がいつもより多い。

それに何だか空気がぴりついている。

何か問題でもあったのか。

無言で人里の方に行く。

アリスは友好的な妖怪として人里では認知されている。アリスに命を救われて、窮地を脱することが出来た人間も多い。

元人間と言う事もあって。

他の妖怪ほど、人里からは忌避されてはいない。

人里は大きな中心街と、彼方此方に分散した小集落にて構成されるが。

中心街は壁と門で守られており。

その門の所で、人間に変装した山童が、リヤカーの検査を受けていた。

「なんでこんなに検査が五月蠅いんだよう!」

「お前達、今までやってきたことを忘れたのか」

「でも、人間に有用なものだって色々作っただろ!」

「ああ、それもそうだな。 だがそれを帳消しにするくらい色々やってきてもいるよな」

やはり弱気だ。

昔だったら、山童なんてそれこそ、こそこそ人里に入り込んでは。悪さをするなら好き勝手にやっていた。

というか、そもそも人里に入り込んで色々悪さをするのはむしろ河童なのだが。

歩いて行くと、揉めている様子が見えてくる。

山童は三人。

人間は六人。

その人間の中に、人里の自警団を最近まとめている藤原妹紅がいる。

モンペを履いた銀髪の女だ。

凄まじい使い手で、幻想郷の人間の中では恐らく管理者である博麗の巫女に次ぐ実力者だろう。

戦闘力は圧倒的で、天狗の群れを意にも介さないと聞いている。

河童や山童からして見れば、圧を掛けられればそれだけで小便をちびって逃げ散るレベルの相手である。

無言で近付くと、妹紅はまた面倒なのが来たという視線を向けてくる。

美人なのに、とことん愛想が無い。

そういえば、アリスも愛想がないとか言われたっけ。

その点ではお互い様か。

「何だアリス=マーガトロイド」

「騒がしいから様子を見に来たのだけれど、何をしているのかしら」

「此奴らの持ち物検査をしている。 こんなにたくさん訳が分からんものを持ち込もうとしていたからな」

「今までは、検問に引っ掛かっていたかしら?」

半分皮肉だが。

勿論妹紅もそれは理解している。

「今までは此奴らに好き放題通られていたな。 だが態勢が変わったんでな」

「へえ……」

「賃金を出すから、手伝ってくれないか。 こいつらが危ないものを持ち込もうとしていないか」

「……いいわよ。 どうせ時間はあるし」

人形を展開して、早速河童のリヤカーに積んである道具類を運び出していく。

アリス自身は手を動かしているだけだが。

実際には魔法を駆使して、人形達を働かせている。

動かす人形の数が少ないこと。

更には戦闘時ほど忙しくない事もあって。

汗を掻くほどでもない。

しばしして、荷物を並び終えると。

魔法が掛かっていないか確認し始める。

妹紅は妖術や呪術の専門家だが。

アリスはそれとは専門が違う。

色々な方向から調べた後、妹紅は一つ一つにラベルを貼っていく。

そのラベル事に、山童に質問をしていき。

全てに納得がいく答えが得られるまで、山童を詰めていた。

たっぷり二刻ほども掛かっただろうか。

へとへとになった山童が、リヤカーに積んだがらくたの群れを、人里の隅に運んでいく。

山童と河童で共同利用している倉庫があるのだ。

人里の隅だから黙認されている。

勿論危険物がある可能性もあるという事で、人里の隅に配置されているのだが。

ため息をつく妹紅。

「何があったの」

「何って。 態勢が変わったんだよ。 人里に流れ込む金も流出する金も増やすことに決まったらしい。 それで妖怪が人間に変装して商売していく頻度が増えた。 その過程で、ヤバイものを人里に持ち込む輩も増えてな」

「ふうん……」

アリスから見ても、近年賢者が動きを活発化させていることは明らかだ。

そうなると。

昨日来た山童も、新規顧客の開拓のつもりだったのだろう。

河童や山童がこんな事をしているという事は。

或いは天狗も近々何か始めるかも知れない。

天狗は今、もっとも追い詰められている組織の一つである。

守矢に圧迫され。

賢者と博麗の巫女が監査という名目で再編成しているが。

もしもこの再編成が無かったら、とっくに守矢に叩き潰されているという話もある。

だとすれば、裕福なはずもなく。

何か商売を始めるとしたら、天狗もだろう。

他の雑多な妖怪達も同じかも知れない。

人里の空気がぴりついているのも道理とは言えた。

「私は通っても良いのかしら」

「ああ、好きにしてくれ。 あんたはそもそも人里で悪さをした事は無いし、タチが悪い妖怪が出たときは退治に協力もしてくれる。 腕も保証できる」

「……」

昔、アリスは妹紅と交戦した事がある。

その時はかなりの大人数で妹紅とぶつかったのだが。

ギリギリ、競り勝った。

逆に言うと、アリス一人ではとてもではないが妹紅には勝てっこない。

妹紅の正体はアリスも知らない。

ただ、アリスよりも。

見かけよりもずっと年を取っているアリスが小娘に見える程。年上なのは確かなようだが。

門を人形達を連れて素通りするアリスを見て、恨めしそうにするでもなく。

黙々と、死んだ目で山童達が作業をしている。

リアカーから荷物を降ろし、倉庫に格納している。

里の端の方は、重要な作物を育てている田畑があったり。

或いは命綱になるため池があったりするが。

それらからは、河童と山童の倉庫は距離が置かれている。

まあ昔は、妖怪が軽率に人間を殺している時代があった。

今は妖怪が人間を殺すことは滅多に無いが。

それでも、こうして危険を排除する方向で動いてはいるのだろう。

街の中心部に出向く。

外で言う明治時代くらいの文明のまま固定されている隠れ里。

外がどうなっているかはよく分からないが。

外から入ってきた奴の話は聞いている。

あらゆる全てが違いすぎるという。

その代わり、精神文明の爛熟も凄まじく。

人々の心の貧しさも尋常では無い、と言う事だった。

人里の人間は、生活に不自由していない。

感染症で一斉に大勢が倒れて死んで行くようなことも無いし。

病気が簡単に致命傷になる事もない。

妖怪だって、人里の人間には恐れられてはいるが。

妖怪の側も、そもそも自分の存在を担保してくれる人里の人間に気を遣って威を示している。

持ちつ持たれつなのだ。

その上で、これだけ穏やかなのだから。

此処は上手く行っている場所、と言う事なのだろう。

それにしても、だ。

やはり人里に金が流れ込んでいるのは事実のようだ。

かなり混乱が見られる。

やたら稼いでいる人間もいるようだが。

その一方で、金が入りすぎてその扱いが分からなくなっている者もいるようである。

金、か。

アリスだって金は使う。

魔法の森では手に入らない品はあるし。

それを手に入れるには、基本的に手に入る場所で、金を使うしか無いからだ。

大概のものは魔法の森で調達は出来るのだが。

外から流れ着いたものが集まる「無縁塚」で、ほしいものがあった場合。

抑えられれば良いが。

他の者が先に抑えていたら。

金を払うしか無い。

ましてや近年、賢者達が「定価」という概念を幻想郷に持ち込んだ結果。金については皆非常に扱いがぴりぴりしている。

定価から外れた商品を売り買いして自警団に締め上げられる人間は多いようである。

妖怪の方も必死だ。賢者が声を掛けて集まった大物妖怪が定価の制定に関わった結果、小物妖怪達が必死に定価について勉強している様子も見られる。小物妖怪は、大物妖怪の怖さを良く知っているからである。特に鬼の大物が定価の設定に関わっているため。鬼に支配されていた期間が長く、故に逆らえない河童や山童、それに天狗は四肢をもがれたに等しい状態だとも聞く。

これは、当面大変だな。

そう思って、新聞を買っておく。

その定価が書かれた新聞だ。

アリスの人形劇については、端の方にあった。

大道芸の類での、集金の方法について。

かなり細かく書かれている。

不満があるなら申請すること、ともあった。

別に小銭を稼ぐよりも、そもそも人形の性能を試験するために人形劇をやっているのである。

金よりもそっちの方が重要だから、別にどうでも良い。

広場の方に行く。

アリスの顔を見かけると、手を振って来る人もいる。

アリスよりも人形の方が笑顔で手を振り返す。

アリスが鉄面皮なのは人里でも知られているようで。

怖がって泣く子供も昔はいたが。

最近は概ね受け入れられているようだ。

笑顔なんか作らなくても、代わりに人形が作ってくれる。

それで充分だからだ。

新聞を見て、確認。

看板を立てて、人形劇をやる事を告知。

人形に看板を任せて、その間軽く茶にでもする。

団子を軽く食べて時間を潰しつつ、新聞を見る。

さっき定価を調べるために買ったもの以外に。

最近の情報を知るために、もう一つ別種の新聞を買っておいたのだ。

目立ったニュースは無い。

或いは、人里には流す必要がないと賢者が判断しているのかも知れない。しばらく寡黙にニュースを見ていると。

人形に袖を引かれた。

金を払って団子屋を出る。

団子屋は、人入りがかなり多いようで。働いている店員もかなり忙しそうにしていた。

アリスのことは知っている様子だが。

かまってくることも無い。

本当に動く金が大きくなり。

人里が活性化しているんだな。

そう、アリスは思った。

 

人形達を使って、劇をする。

喋るのは全部アリスがやる。声色を変えるのは難しく無い。一人で何役もやるが、そもそもアリスは鉄面皮。

喋る際に一切表情を変えない。

それもあって、黒子役のアリスが気にならない人も多いらしく。

人形劇に没頭できる人は多いようだ。

人形劇の内容は、悪い妖怪が出て、それを人形達が力を合わせて退治する、というオーソドックスなもの。

妖怪退治が非常に大変な事は分かっているだろうが。

あえて妖怪役の人形は、とても恐ろしく作る。

妖怪に対する畏れを忘れさせてはならない。

それはアリスもよく分かっている。

子供が泣くくらい怖くデザインした妖怪を、とても丁寧に動かすので。

泣き出す子供もいたが。

大人はむしろ、それで感心しているようだった。

妖怪に平然と近付いてしまうようでは困る。

人里でも受け入れられている妖怪はいるが。

基本的に長い時間を掛けて受け入れられた「例外」か。

それとも人間の姿をしているかのどちらかだ。

やがて人形達が苦労の末に邪悪な妖怪を倒して、劇は終わり。

人形達と一緒に礼をすると、拍手が巻き起こった。

銭を入れて貰うが、銭に関しては指定の額だけを入れて貰う。

いずれも駄菓子にもならない程の額だが。

今日は相当な人数が集まっていたので、そこそこの稼ぎになった。

それに稼ぐのが目的じゃ無い。

人がいなくなってから。問題点をメモしておく。

見ていた人間達は気がつかなかったかも知れないが。

アリスは動かしていて、不満な点が複数あったのだ。

どうしても完璧にはいかない。

それを思い知らされて、あまり良い気分はしなかった。だが、人形に不快感をぶつけるつもりもない。

そのまま帰る。

もう夕方だが、関係無い。

そういえば、わずかに使われている電灯が、こんな時間からもうつけられている。

人里での電気は貴重で。

使うと金も相応に掛かるから、あまり使う人は前はいなかったのだが。

金が流れ込んだ分。

経済が活性化し。

電気を使う事に、金を惜しまなくなったと言う事か。

とはいっても、全部の家で電気がついているようだと、弱い妖怪は大変だろう。

人間が怖れるのは闇だ。

雰囲気である。

人間を脅かすには、人間のテリトリでは無い闇が一番。

電気は。特に電灯はその雰囲気をぶちこわしにする。

弱い妖怪にとっては、これが致命的になるのだ。

少し気になったので、人里を出た後上空に上がる。

アリスも魔法使いである。空を飛ぶことは造作も無い。空を飛ぶのに媒体も必要としない。

上空から見ると案の定だ。

前よりも、更に人里が明るくなっている。

これは弱い妖怪にとっては死活問題ではないのだろうか。

前も、灯りが強すぎて人間を驚かせられないと嘆いている弱い妖怪はたくさん見て来たのだが。

人間の畏怖を得られないと、弱い妖怪は最悪消滅する。

人間を畏怖させることは妖怪にとっての税金であると同時に。

命綱でもあるのだ。

幻想郷の外に出れば、もはや弱い妖怪は消滅してしまう。

それを殆どの妖怪は知っている。

だからこそに。

これは恐怖では無かろうか。

腕組みをした後、アリスは一度家に戻る。

明日、少し出かける事にする。

これを賢者が主導でやっているのであれば、何を目論んでいるのか。

賢者と渡りを確実につけられる奴が知り合いに一人いる。

其奴の所に、出向く必要があるとアリスは思った。

別に妖怪の事を心配している訳では無い。

アリスも心地よいのだ。

この幻想郷という場所が。

だからこそ、壊れて貰っては困る。

それだけの。

理由だった。

 

2、まばゆい灯りと儚い闇

 

博麗神社。

幻想郷の東端に存在し、人里からは歩いて半刻ほど掛かる。

博麗大結界を守護する最重要戦略拠点ではあるが、人里の人間はあまり寄りつかない。

そのためか、人間相手の催しものをする事もある。

しかしながら妖怪からの自衛能力を持つ人間には簡単にたどり着ける場所だが。

自衛能力が無かったり、体力が無かったりする人間には、文字通り命がけで赴く場所である。

故に稼ぎは芳しくない様子だ。

もっとも、人里にとっては守りの要。生活費も生活物資も支給されているので。貧乏だと此処に住む者が嘆いても、実体はそこまででもない。

此処には、幻想郷の人間代表であり。人間としては間違いなく最強の博麗の巫女、博麗霊夢が住み着いていて。

それを面白がった強豪妖怪が時々遊びに行くので。

強豪妖怪と正面から出くわすのを避ける為にも。

ますます人足は遠のく傾向があった。

アリスは黙々と、護衛の人形を連れて博麗神社に赴く。

霊夢は古い知り合いである。

仲は別に良いとは想っていない。

霊夢と交流がある人妖は多いのだが。

霊夢自身が、人間関係に恐ろしい程淡白なのだ。

何があったのかはアリスにも分からないが。

基本的に来る者は拒まない。

その代わり去る者も追わない。

霊夢にとっての友人と言えるのは、魔法の森に住んでいる霧雨魔理沙くらいであり。

アリスは「知り合い」であって「友人」ではない。

少なくとも霊夢は、友人を挙げろと言ったら。

アリスの名前を出す事はないだろう。そうアリスは思っている。

博麗神社に降り立つ。

ちょこちょこ歩く人形達を引き連れて、鳥居の端を通ると。

まずは賽銭箱に小銭を入れ。

鈴を鳴らし、手を合わせる。

そういえば、此処の主神は何なのか。

霊夢も知らないのだったか。

ため息をつくと、霊夢を探す。

気配はあるからいる筈だが。

探していると、見つけた。

奥で、正座させた妖精三人に、説教をしているところだった。妖精達は三人とも、頭にコブを作っている。

この近くに住んでいる光の三妖精と呼ばれる悪戯妖精達だ。

妖精にしてはそこそこ力が強いが、所詮妖精。

自然の力の権化であるが、最低限の力しか持っていない妖精は。大きくても人間の子供くらいの背丈しか無い。

この光の三妖精は、人間の子供くらいの背丈があり。さらに固有の能力まで持っているかなり強い妖精だが。

それでも霊夢と戦ったら、デコピン一発で肉体が爆発四散である。

もっとも妖精は肉体を破損してもすぐに元に戻るので。

懲りずにすぐ悪戯をするのだろうが。

幻想郷にて、ある意味もっとも死ににくい種族が妖精なのだ。

「ほら、いきなさい。 次に同じ事やったら、地面に埋めて首をのこぎりで切りおとすわよ」

「ひいっ!」

三妖精が互いに抱き合って震える。

博麗の巫女ならやりかねないと思ったのだろう。

アリスとしては、まあ冗談だろうと思うが。

博麗の巫女は本心をあまり見せないし。

戦闘時は非常に言動が苛烈になるので、何とも言えない。

逃げ散っていく三妖精を見送ると。

霊夢はやっと振り返った。

「珍しいわね、あんたが一人で来るなんて」

「少し聞きたいことがあってね」

「立ち話も何だし上がりなさい。 何かお土産は?」

「これでどうかしら」

昨日、帰り際に買ってきたものがある。

団子だ。

博麗の巫女も団子は嫌いじゃ無い様子で、よく食べているのを見かける。まあ不機嫌にはならないだろうと思ったが。

案の定、悪い顔はしなかった。

家に上がる。

茶は淹れてくれたが。

霊夢はどうも興味が無い事にはとことんやる気が出ない様子で。

茶の味は殆ど向上していない。

茶葉は悪くない。

博麗の巫女は人里にとっての生命線なので、生活物資や資金は支給されている。つまり茶の淹れ方が悪い。

アリスはそれでも無言で茶を飲み干す。

団子をむっしゃむっしゃと成長期の男子よりも凄い勢いで食べている霊夢。

まあその分動くのだから当然だろうか。

やがて綺麗に団子を平らげる霊夢。

これだけ食べっぷりが良いと、作る方も本望だろうなとアリスは思った。

「それで、何かしらね」

「人里のことだけれども。 混乱しているようね」

「……」

「灯りもまぶしすぎる。 これだと弱い妖怪達の生活に支障が出るわよ」

素直にアリスはありのままの事を言う。

霊夢は一応立場的には妖怪の敵だ。

だが幻想郷の仕組みの管理者でもある。

人を喰らうまでやった妖怪は許さないが。

人を脅かし、威を示す妖怪については、やり過ぎなければ黙認はしている。

更に霊夢の仕事は、人間との共存を大まじめに掲げる命蓮寺が出現してから減っている。

外の世界の惨状を、霊夢は知っている筈だ。

妖怪を全て駆除するだけなら簡単。

霊夢が管理している博麗大結界を壊してしまえば良い。

博麗大結界は反転の性質を持っており。

外で妖怪や神々への信仰や畏怖が薄れれば薄れるほど。幻想郷では強くなる傾向がある。

これがあるからこそ、人里の人間の分もあわせて妖怪は人間の畏怖を得て生きていける。

逆に博麗大結界が無くなれば。

現役で信仰がある神々や、未だに伝承が強く残る大妖怪以外の妖怪は全滅。

幻想郷はただの隠れ里になり。

人間は、外の世界の人間と、徐々に混じっていくだけだろう。

だが、それでいいのか。

此処幻想郷は、そういった外では生きていけない存在を受け入れる最後の理想郷ではないのか。

アリスは此処が好きだ。

危険もあるが。

別にそれもスパイスの一つ。

このままだと、外と同じになる。

その危惧はあった。

霊夢はじっとアリスを見ていたが。

やがて頭を掻く。

「此方でも色々考えていてね」

「それがあの無意味な経済拡大策?」

「……もう少し長い目で見て頂戴」

「長い目、ね」

外の世界にエジソンという男がいた。アリスも知っている、この世界に住まう怪異の最大の怨敵だ。

そいつが電球を発明してから。

怪異というものは、世界中からあっと言う間に駆逐されていったと聞く。

元々怪異に対する根源的な恐怖は、世界から失われつつあった時期だ。

電球は致命的な打撃になった。

今、人里に電球が普及しつつある。

これは恐らく、ロクな結果を生まない。

霊夢は考えがあると言う事だが。

本当に、それは上手く行くのだろうか。

今の時点では、上手く行っているようには見えない。

アリスは、茶を一気に飲み干した。

博麗神社を後にする。

霊夢は今回の件について知っている。

たまに貧乏神社と揶揄されるのを嫌がってか、色々と金儲けに手を出して失敗しているから。金に一応の執着はあるのだろうが。

今回の幻想郷全体に来ている経済拡大の波に対しては、あまり興味を見せていない。

アリスは別に幻想郷にいる人妖の中でもそこまで強い方では無いし。

賢者に目をつけられている訳でも無い。

逆に言えば。

それが故にある程度は自由に動けるし。

逆に叩き潰されても自己責任になる。

考えどころだ。

弱い妖怪達が死んでも良いとまで冷酷には考えられないが。

妖怪達を守ろうとも思わない。

自分に被害が来なければいい。

最終的には、そういうドライな考えには行き着くのだが。

それはそれとして、やはり自衛のために情報は集めておかなければならないだろう。

魔法の森に到着。

自宅に降りると同時に。

犬猿の仲である霧雨魔理沙が、箒に乗って何処かに飛んで行くのを見た。

飛ぶのに魔法だけで充分なアリスと違い。

魔理沙は箒という媒体を使わなければ飛ぶ事が出来ない。

空を飛ぶ人間は幻想郷に珍しく無いが。

魔理沙はそういう意味では、まだまだ実力がだいぶ低い、という事である。

本人は努力を必死に重ねているが。

それでもやはり才能の差や、何より年齢が大きい。

まだ魔理沙は十代前半。

生き急ぐことなんかないのだが。

魔理沙を見送ると、アリスは自宅に。

家の中は文字通り、塵一つ無く片付けられている。

人形達が自動で片付けた結果だ。

満足して頷く。

こういう掃除なども、人形の性能試験を兼ねているからだ。

充分に性能は満たせていると言える。

全ての人形を並ばせて、魔法で検査。

不具合が出ていないか、一人ずつ調べていく。

魔法とからくりを組み合わせた精密な者達だ。

毎日丁寧なメンテナンスが必要になる。

また精密なだけでは無く。

戦闘でも。それも妖怪を相手にした戦闘も想定しなければならないから、可能な限り頑強である必要もある。

繊細では駄目だ。

ちょっとやそっとでは壊れないくらいのタフネスが必要なのである。

だから毎日データを収拾し。

色々に改良を重ねて。

少しずつ人形のアップグレードを行う。

一人、少し不調な子がいたのでバラす。

全身をばらした後、内部を丁寧に清掃し。組み立て直す。

幾つか動かして見て、問題は無い事を確認。

まだまだ繊細だな。

そう思って、アリスは嘆息した。

メンテナンスが終わったので、人形達をそれぞれの持ち場に戻す。

そして一人になった後、考え込んだ。

博麗の巫女は今回の件、ズブズブに賢者と一緒に動いている。

昔はそこまで仲が良かったようには見えなかったのだが。

最近の博麗の巫女は、どうも幻想郷全域の事を考えて動いている節があり。

管理者としての仕事を以前よりも積極的に行っているようである。

幻想郷が変わってきているのは分かっている。

やりたい放題だった天狗や河童は勢力を落とし。

地道に活動を続けていた守矢や命蓮寺が躍進している。

勢力に属していない野良の妖怪の立場は相対的に低くなってきていて。

それぞれが四苦八苦しながら、幻想郷でどうやって生きていくか模索している状況の様子だ。

アリスだって例外では無い。

魔法使いという、人間を止めてしまった存在である以上。

もしも今後幻想郷のバランスが崩れたら。

それこそ何が起きるか分からない。

何故、経済規模を上げる。

それをやはりしっかり確認しておきたい。

霊夢はああだったが。

アリスは独自に動くとするか。

魔法でセキュリティを掛けて。

後は眠る事にする。

博麗の巫女の反応を見て、分かった事が幾つもあるし。

それで今日は満足するべきだ。

不老不死になっているアリスには、時間はそれこそいくらでもある。

ならば、気にする必要はない。

時間が有限な人間とは違う。

ただ、それでもいつの間にかついて行けない状態になられていると困る。

アリスはあくびをすると。

人間の時代からの習慣であり。

今はもう、本来は必要としない睡眠に入るのだった。

 

翌日は、アリスは一日ずっと研究をして過ごした。

アリスが戦闘に使う人形は何体もいるのだが。いずれもがそれぞれ、別の用途を有している。

一つの人形が一つだけの事しか出来ない、と言う事はない。

ランスを持った人形は、相手に物理的に突貫して岩くらいなら砕く事が出来るし。

ランスの先端から、魔法の矢を放つ事も出来る。

また人形達は数体集まると、いわゆるファランクスを形成し。

大威力の攻撃を防ぎ抜く盾となる事も出来る。

ただし一つの人形に機能を盛り込みすぎると。

脆くなってしまう。

あまりにも多機能を盛り込むと、特化型に性能が劣るようになる。

これは道具や兵器全般に言える事なのだが。

アリスにとって命の次に大事な人形にとっても同じ事だ。

動かして見て、試運転。

それぞれの動きを的確に出来るか確認した後、調整をどうするべきか頭を巡らせる。

魔道書を読んで知識を今でも増やしているが。

増やした知識を即座に活用出来る訳でも無い。

腕組みして考え込んだ後。

出来そうな改良を、数体の人形に施す。

いずれも時間が掛かるが。

改良をした後人形を動かして見ると、数%性能は向上した。

だが所詮は数%である。

まだまだ全然足りない。

アリスの幻想郷における戦闘力という観点での位置は、中の上から上の下、くらいだろう。

各勢力で長や腹心をしているような妖怪には歯が立たないが。

木っ端妖怪なら問題にならない程度の腕前は持っている。

スペルカードルールであれば、勝機はあるのだが。

アリスは元々其所までスペルカードルールが得意ではないし、好きなわけではない。

昔は本当に殺し合いをしていたし。

それに生き残ってきたから今も此処にいる。

人間を止める前は、逆に言えばただの人間だった訳で。

魔法が使えるとは言え、妖怪によっては本当に殺しに来たし。

殺さなければ殺される事だって多かった。

その頃の感覚はまだ抜けていない。

人間でいえば、もう何世代も前の話なのに。

いずれにしてもアリスは、もっと腕を磨いていかないといけない立場だ。

ただでさえ、魔法の森は安全とはとても言えない場所なのだから。

研究を済ませて、気分転換に外に出る。

人形達と一緒に魔法の森を歩き。

良さそうな魔法の媒体が無いか探して回る。

この過程で魔理沙とかち合って喧嘩になる事も多いのだが。

さっき家の中から、窓ごしに魔理沙が飛んで行くのを見た。

流石にまだ戻って来てはいないだろう。

薬草を摘んで籠に入れていく。

多少のんびりした日だが。

たまにはこう言う日もいい。

足りない薬草だけを集める。

集めた薬草には魔法を掛けて、長時間保存出来るように調整する。

そうやって加工した薬草は普通よりも高く売れる。

妖怪も、賢者も高く買ってくれる。

だが今集めているのは、自分で使うためのものだ。

一通り穴場を巡って家に戻ろうとするが。

人形達が戦闘態勢を取ったので、何かが来た事に気付く。

アリスは籠を下ろして人形の一人に預けると、人形達を操作する態勢に入る。場合によっては逃げる必要もある。

姿を見せたのは。

人間に化けた、狐だった。

狐の妖怪は、幻想郷ではそれほど存在感が大きくは無い。一応賢者の腹心が九尾の狐なのだが。他の強豪妖怪に比べるとどうしても目立たない。

種族としての狐の妖怪はアリスの知る範囲では以下のようなものがいる。

大物妖怪に行使されているものが幾らか。

この行使されている狐の妖怪には、危険な呪法で産み出された「管狐」が多く。あまり油断は出来ない。

妖怪の山に住んでいる、妖怪狐たちが幾らか。

人間に化ける程度の能力を持ち、化かし合いならなかなかの能力を持っているが。

以前からたびたび脳筋気味な博麗の巫女をおちょくっているため、たまにアリスから見ても危ないなと思わされる事がある。

博麗の巫女は怒ったら相手に容赦しない。

特に妖怪に舐められるのは、博麗の巫女という管理者にとっては致命的だ。

間引かれなければいいのだが、と思ってしまう。

「誰かしら?」

「大天狗の使いの管狐にございます。 アリス=マーガトロイド様にございますね」

「……」

大天狗が管狐を行使しているのは知っている。

天狗に行使される管狐の全てがそうかは分からない。管狐を行使している高位の妖怪もいるという話だから、全ての管狐が天狗の麾下にいるわけではないだろう。

「取引をいたしたく。 金であれば払います」

「別にかまわないけれど、貴方たち今目をつけられているんでしょう。 問題がある取引じゃ無いでしょうね」

「まさか。 貴方が腕の良い人形師だと言う事で、我々の作った出来損ないの人形に命を吹き込んでいただきたいと思いまして」

「命を吹き込むことは出来ないけれど、ある程度の指示を聞く人形には出来るわ」

新聞を取りだして、ざっと見る。

この手の魔力を付与する魔法を、エンチャントと言うが。

勿論定価の概念が作られたとき。

エンチャントの技術についても、商売で使う時の但し書き、価格設定が設けられている。幻想郷ならではだろう。

魔法使いが相応の数いる場所だから、なり立つ話である。

まあいい。仕事は受けてもいいかと思ったが。相手が出してきたものを見て、アリスは一瞬で不快になった。アリスが周囲に展開している、アリスの膝下から背丈半分くらいの人形達に似ている。それでいながら微妙に違っている。こんなものを何に使うつもりか。

しばし黙り込んでしまうが。

狐はうっすらと性格の悪い笑みを浮かべるばかり。

まあ良いだろう。

今下手な事をすれば、天狗は粛正程度ではすまない目に会う。天狗の長である天魔が交代させられるかも知れない。其所までの覚悟があるのなら、やってやろう。

人形を受け取る。

確かに出来はイマイチだが。

これは恐らく、河童が作ったものと見て良い。

見かけはアリスの周囲を守っている人形に似ているが。

使われている技術は、からくりの要素が強く。また動力は魔力では無く妖力だ。しばらく確認した後、一日預かることを伝える。

管狐は慇懃に礼をすると、妖怪の山に戻っていった。

管狐は、使い手に富をもたらすが。やがて十倍にも富の代償としての不幸をもたらすという、邪悪な呪法だ。

そんな邪悪な存在だから、呪法としての管狐だけではなく。妖怪としての管狐も性格が極めて悪い事が多い。

あれも本当に主君に従っているのやら。

ただ、妖怪としては大した実力は持っていないので。

最悪狩ってしまうだけである。

管狐は害獣として名高い。

妖怪の中でも特に忌み嫌われる存在であり。

アリスが狩っても、別に問題視する者は使役者くらいしかいないだろう。

無言で去って行った管狐を見送ると。

受け取った人形を持って家に戻る。

分解して中身を確認してみるが。

やはりこれは河童が作ったもので間違いない。

だが、前は河童の作るものは、あらゆる全てが我流によって構成されていたのだが。

これは何というか、技術に統一感がある。

部品なども丁寧に規格が揃えられているし。

量産する事も出来そうな感触だ。

少しだけ感心した。

守矢に潰されてからというもの。河童も山童も、すっかり萎縮していたと思ったのだが。こんな風に、努力もしていたのか。

中身を更に丁寧に確認していく。

技術的には正直な所、最初に思った以上に優れてはいるがそれでもアリスが鼻で笑うレベルを超えていない。

だが一つだけ、おかしなモノがある。

動力のコアになっている何かの石だ。

妖力が籠もっているが、恐らくこれは河童では無く天狗由来……或いは更なる異質の技術だろう。

かなり強い妖力を感じる。

正体は分からない。

魔道書を幾つか見てみるが、どうも類似のものは見つからなかった。

ふむと、鼻を鳴らす。

作業時は沈黙よりも更に寡黙になるアリスだが。

興味を惹かれたのだ。

守矢に屈服した河童。

賢者と博麗の巫女に監査を入れられ、徹底的に縛られている天狗。

或いは何かしらの別の勢力。

複数の勢力が絡んでいるのは確実で。

あれだけ堂々と管狐が来たという事は、賢者も博麗の巫女も分かっている上での行動だ、という事になる。

いずれにしても、仕組みは分かった。

人形を完成させる。

一晩がかりの作業になるが。

別に其所まで疲れることも無い。

本来は睡眠も必要ないし。

なんなら食事だって、今は嗜好のためだけにとっているのだから。

人形を動くように仕込んだ後、実験を幾つかしておく。

出力が高いので、充分に動くが。

ちょっと脆いかと感じた。

河童は個人個人が勝手に技術を創造物に詰め込む悪癖があるが。

統一感がだいぶ出て来ているとはいっても、この人形もそれは同じ。

あれもこれもと機能を詰め込んだのが丸わかりで。

はっきりいって、強度を担保できる自信は無い。

そこで、幾つかの機能はオミットし。強度を上げる。

重点となる、単独で稼働する機能に集中したものに仕上げる。

明け方には完成。

実験も全て済ませ。

今アリスが使っている人形達の、六割程度の性能が出ることを確認。

コアの出力を考えると、もっと性能は出せそうなのだが。

そもそも人形の造りがちぐはぐなので。

まあこれが精一杯だ。

長持ちさせるなら、これ以上の性能を引き出さない方が良い。

外に出ると、朝日がまぶしい。

魔法の森の中とは言え、たまに木々の間を縫って朝日が抜けてくることはある。

手で陽光を遮っていると。

人形達が警戒する。

昨日の管狐だった。

「流石ですねアリスさん。 もう完成させたようで何よりです」

「この子をどうするつもり?」

「商売が成立したら、もうそれは我々がどう扱おうと好きにして良いものの筈ですが」

「人形遣いとして、悪事に自分の手がけた人形を使わせる訳にはいかない。 幾つか細工を仕込んである。 悪用しようとした場合、自壊するようにしてあるわ」

管狐は。

全く笑みを崩さない。

此奴は、非常に危険な管狐だとアリスは悟った。

大天狗は複数いる。その中には、古い古い時代から呪術の研究をし、様々な呪術を編み出したという伝承がある者もいる。

そういった規模の伝承持ちとなってくると、古くにこの国にいた有名な修験者などが妖怪としてのモデルになっているのだろう。

力を失っている今の天狗達ではあるが。

それでも搦め手で、色々な事は出来る、と言う事だ。

「ご心配なく。 その人形は、オモチャとなるだけです」

「……くわしく」

「害の無い遊びに使うオモチャとして活用するだけですよ。 不当に人形に傷をつけたり、或いは他の者を傷つけさせるようなことはしません。 自壊機能が働くことはおそらく無いでしょう」

まあいい。

自壊機能については本当だ。

だから、別に困る事はない。

それに天狗は今、これ以上立場を悪くするわけにはいかない。

アリスが博麗の巫女に今回の事を話すのは確定で知っているだろうし。

如何に管狐でも、主君を潰されてしまえば駆除されるだけだ。

人形は売る。

ちゃんと、指定通りの定価が支払われた。

自我がある人形はまだアリスも作れない。

だが、人型だ。

エンチャントを施しただけとはいえ。それでも人型には、何とも言えない思い入れが宿る。

アリスは多数の人形を扱う事からも分かるように、それが特に強い。

だから、高確率で悪用される人形について、あまり良い気分はしなかった。

それにだ。

急に活発化し始めた経済。

賢者も確実に絡んでいる今回の事態。

どうもおかしいとアリスは感じた。

今の管狐も、或いはそうではないのだろうか。

しばし無言で飛んで行った管狐を見送ると。

アリスは少し寝る事にした。

別に必要はないとはいえ、仕事を徹夜でやった後だ。丸一日くらい眠ってもばちは当たらない。

それに仕事は今入っていない。

人形のメンテナンスにも、それほど急ぐものはない。

家に入ると、布団に潜り込み。目を閉じて、眠る事にする。

もうその気になれば代謝も止められる身だ。

風呂に入る必要すらない。

ただ、それでも人間だった頃の習慣はある。

完全な人外になってしまわないためにも。

たまに、人間の習慣は、しっかり取らなければならないとも感じていた。

 

3、蠱毒の先駆け

 

魔法の森の入り口で、ばったり魔理沙と出くわす。

霧雨魔理沙は魔女は魔女でもアリスとはだいぶ差がある。魔理沙はまだ不老不死の術を体得しておらず。

年齢は十代前半。

魔法使いとしてはひよっこもひよっこ。

だが色々と縁のある相手だ。

西洋の魔女そのものの格好をしている魔理沙は何時からか、アリスのことを毛嫌いするようになった。

だが、アリスは別にそれを嫌がっていない。

魔理沙は元々人里の大富豪の家のお嬢である。

それが十代にもならないうちから人里を飛び出し。

こんな危険な魔法の森に住んでいる。

当然死ぬ思いも何度もして来た。

最初の頃、アリスは随分と魔理沙に慕われたのだが。

最近は、アリスは魔理沙とはたまに共闘するか、それ以外はスペルカードルールで喧嘩する相手に落ち着いている。

恐らくは、反抗期がやっとやってきたのだろうと思っているので。

別にアリスは昔の事を持ち出す気は無い。

人間としては、正常な心の働き方だからだ。

ただ、盗み癖は何とかさせたい。

魔理沙は盗み癖があって、それが周囲でも問題視されている。

いずれ碌な事にならないと思うのだが。

アリスにはどう魔理沙を諭せば良いのか、分からなかった。

「アリス……!」

「何かしら」

無言で、ミニ八卦炉を取りだす魔理沙。

彼女が戦闘時に使うマジックアイテムだ。

魔理沙がこの森で暮らし始めた頃から持っている大事な品である。

大事な品があるのなら。

大事なものを取られた相手の気持ちも分かりそうなものなのだが。

魔理沙がこの森で暮らす事に関与した人妖は何名かいる。アリスもその一人である。

だから、魔理沙がミニ八卦炉を大事そうにしているのを見ると。

魔理沙の手癖の悪さは、何とか出来ないか考えてしまうのである。

この幻想郷で生きて行くには、強かさは必要だ。

だがそれでも、ものには限度があるのだから。

無言でにらみ合う。

しばらくして、ミニ八卦炉を降ろしたのは魔理沙だった。

「やめとく。 今日はそんな気分じゃ無い」

「何か調査中?」

「人里も妖怪の山もおかしい。 これは異変の前兆だぜ」

「……」

異変、か。

時々幻想郷で引き起こされる大規模問題。

本当に幻想郷を崩壊させかねない大規模なものから。

賢者が公認の上で、茶番として行われるものまで様々である。

アリスが見た所、確かに異変の兆候はある。

あの経済規模の妙な拡大もその一端だろう。

だが、今回の異変は、恐らくそれほど危険なものではないと見ている。

ただ、不安なのだ。

幻想郷は、正直な話儚い場所だ。

外で現役で信仰を受けている神々には監視され。

住んでいる妖怪は、他に行く場所もない。

人里の人間だって、五百年前に幻想郷が出来た頃には、もう妖怪退治屋としての仕事がなくなっていたから。今ここに住んでいる。

明治時代に博麗大結界が作られ、本格的に外との出入りが出来なくなった後も。

どちらにしても、幻想郷が「秘境」であり「隠れ里」であることには代わらないのだ。

「何かしら無いか」

「さあね。 確かに人里は妙に好景気のようだけれど」

「妖怪の山もだ。 河童共が、守矢にこき使われて、みんな死んだ目してやがった」

「そう。 それは自業自得ね」

河童の悪辣なテキ屋ぶりや、三下ヤクザのような行動はアリスも直接目にしている。

今まであんな連中を放置しておいたのがおかしいのであって。

今仕置きを受けているのであれば、それは自業自得である。

擁護の余地はない。

魔理沙はそれを聞くと、むっとする。

「お前、相変わらず冷酷だな……」

「人間を盟友と呼びながら、昔は隙あらば溺死させて尻子玉を抜いて殺し、少し前までは屋台で詐欺同然の商売をして稼いでいた連中に掛ける情けなんて無いわ」

「そこまでいうなよ。 全部事実だけどよ」

「それで、今日も調査に出るの?」

魔理沙はしばらく口をつぐんでいたが、頷く。

そうとだけ返すと、アリスは森の出口に向け歩く。

魔理沙も一緒についてくる。

魔理沙は背がかなり低い。

成長期にきっちり食べられなかったからだ。

裕福な家の子なのに、しっかり食べられなかったと言う事だけでも。魔理沙がどういう環境にいたのかよく分かるが。

それは口にしない。

知り合った最初の頃の魔理沙はアリスを見上げながらついてきて、随分と無邪気に笑顔を向けてくれたものなのだが。

本当の殺し合いを経験するうちに、魔理沙は短時間で変わった。

例外的な事例になるが、成長できる人間は変わるものだ。少なくとも変われる者はいるし。そういう一部の例外は魔理沙のように良くも悪くも変わる。

二人とも無言で魔法の森の出口まで歩いたが。

やがて魔理沙が、箒に跨がった。

「私は妖怪の山に行ってくる。 最近は領空侵入時の手続きだの何だので面倒だけどな」

「今回も異変に首を突っ込むの?」

「そうだ。 霊夢に負けていられないからな」

「……そうね」

霊夢に何て勝てっこないのに。

それでも必死に食いついていっている魔理沙の姿は、それは尊いものなのだと思う。

元々霊夢は術よりも体術が得意で、スペルカードルールで戦っている時は本来の力の一割も出せていない。

だが霊夢は魔理沙を戦友として認めている様子で。

利害で一致して異変を解決しに行く場合がある守矢の巫女の早苗や紅魔館のメイド、或いは冥界の庭師などと違い。

背中を預けてともに戦う仲間と思っているようだ。

だからだろう。

魔理沙自身もそれで救われている。

本来魔理沙はもっと焼け鉢な人生を送っていてもおかしくないのだ。

魔理沙が行くと、アリスは無言で人里に向かう。

もう少し、調べておきたいことがある。

賢者も霊夢も今回はグルだ。

異変が起きるとしたら、多分全部事情を知っている上で動くだろう。

魔理沙はそれを恐らく気付いていない。

魔法使いとしては勘が鈍い方だからだ。その分頭の回転は速いのだが。

人里に出向くと、やはりいつもよりかなり騒がしい。

人里の外側で、人里を伺っている小物の妖怪数人を確認。

いずれも人間の姿に化けているが。

怖くて近寄れないようだった。

「何をしているの、貴方たち」

「うわ、魔法使い! 退治しないで!」

「何もしてないよう!」

「退治なんてしないわよ」

アリスは無表情だからか、妖怪にまで怖がられている。まあ、それは別にどうでも良いことである。

こわごわと降りてきた妖怪達に話を聞くと。

やはり人里が朝から晩まで騒がしくて、怖くて近づけないらしい。

夜も電気がどんどん使われていて。

まぶしくて、とてもではないが怖くて入れないそうだ。

溜息が漏れる。

賢者は何をやっているんだか。

霊夢は心配ないと言っていたが。

もしも異変を目論んでいるとなると。

この様子では、アリスも巻き込まれる可能性があるかも知れない。

「少し人里から離れていなさい」

「でも、人間を脅かせない……」

「こんな情けない姿見られたら、それこそ消滅しかねないわよ」

「うう……分かった……」

妖怪達を散らせる。

いずれにしても、少しばかりまずい。

魔理沙は山に出かけていったが。

アリスは別の方面から調査をして行った方が良いだろう。

霊夢はもう何が起きるか分かっていると思って良い。

ならば、アリスはどうするべきか。

しばし考えて、決める。

人里に入ると、宿を取る。

アリスが宿に来たのを見て、宿の主は驚いたが。

別にアリスは人里で嫌われても忌避されているわけでもない。

だから別に問題は無い。

さて、そろそろだろう。

何か問題が起きるとしたら。

そのまま人形達には警戒態勢に入らせて、自分は横になって眠る。

せっかく金まで払って宿を借りたのである。

せいぜい、何もしなくても良い日を楽しませて貰う。

宿を取ったのには理由がある。

恐らくだが。

揺り戻しが来る筈だ。

その時に、問題が起きないように。

しっかり見張っておかなければならない。

 

異常は夕方辺りから始まった。

電気がつかない。

そういう声が上がり始める。

今の季節は、夕方にはもう真っ暗になりはじめる。電灯が使えないと、生活が出来なくなる者もいる。

多くは火を使った灯りを使うが。

火は扱いが危険な上に灯りとしてはとてもか細い。

提灯などに火を入れてぶら下げることで、歓楽街を明るくするケースもあるが。

歓楽街にまで入り込んでくる妖怪は、基本的に大物ばかり。

ちょっとやそっとの灯りなんか問題にしない。

勿論博麗大結界が無くなれば著しい弱体化をするが。

それでも、一部の神格持ちの大妖怪は平気だ。

案の定騒ぎになりはじめる。

そういう事か。

アリスは宿の窓から外を見る。

人々が怯えきっている。

星空の下、妖怪が多数、空を舞っているのが見える。

もの凄い数だ。灯りが弱いから、星の光はより妖怪の群れのまがまがしさを強調するように輝いている。

妖怪は人里上空には入ってきていない。

だが、あの数は尋常じゃあ無い。

よく見る。

なるほど、山の妖怪を総動員しているんだな。

そうアリスは判断。

賢者も博麗の巫女も動かない訳だ。

自警団は動いているが。

自警団を束ねている藤原妹紅は、一番人が集まっている歓楽街に出向くと、声を張り上げていた。

「人里に入ってきたら妖怪は自警団で何とかする! 今日はもう切り上げて、皆それぞれの家に戻れ! 巻き込まれても知らんぞ!」

「ひいっ!」

今日ばかりは、どんな酒飲みでも帰るしか無い。

皆急いで家に戻っていく。

自警団員が避難誘導し。

人里の端の方にある家に住んでいる者を送っていったり。

或いは迷子になって泣いている子供を連れて行ったりしていた。

昔だったら、こういう混乱に紛れて、実際に子供をさらう妖怪がいただろうが。

今はそれもいない。

妖怪が人を食う事が殆ど事故になった今は。

むしろ人間の犯罪者の方が、弱者にとっては危険だ。

博麗の巫女が来る。

それを見て、多くの人が安心したようだった。

博麗の巫女は冷酷な目で空を見上げていたが。

これが出来レースだからだろう。

恐らく、経済を活性化させることと、この事はまた別の問題だが。

一度良い機会だと思ったのかも知れない。

人里には、電球くらいしかないが。

それでも電気が如何に強力な人間の味方か。

これでそれぞれが思い知ることになるだろう。

妖怪は怖い。

妖怪退治屋は兎も角。

人里に暮らす万くらいの人間がそう思えば。

幻想郷にいる妖怪達は、それぞれ威を示す事が出来るのである。

自警団は昔と違って、良い動きをしている。

人里の外に出かけていた人間を、しっかり保護して戻って来ているチームもいる様子だ。

アリスを見つけたのか。

霊夢が来て、軽く話をしていく。

「結界を張ったから外には聞こえない」

「そう。 はっきり言うけれど、これが対策の一つ?」

「そういうことよ。 電気を普及させたのは良いけれど、人間が妖怪を侮るようになっては困る。 私に取ってもね」

「……」

博麗の巫女は人間の味方だ。

妖怪退治をする。

ただし、幻想郷のルールを破った妖怪を、だ。

今街の外で恐怖を見せつけている妖怪達は、幻想郷のルールを破ってはいない。

何しろ、ただ人里の外で飛んで回っているだけである。

人を襲うどころか、妖怪の領域で、ただ遊んでいるだけだ。

街の中に入り込んで人間を襲ったら、それは即座に霊夢に頭をかち割られる案件だけれども。

いずれにしてもぶったるんで、好景気に浮かれている人間達に活を入れるには、丁度良い案件だろう。

「それで、この好景気も、これにあわせた布石?」

「それについては違うわ」

「……そう」

「魔理沙もそろそろ気付いているくらいだから、貴方も分かっているでしょう。 もうすぐ異変が起きるわ。 妖怪の山でね」

霊夢が言うなら、そうなのだろう。

今回の異変は、コントロールの範囲内の茶番としての異変。

本当に大きな異変では、制御不能であったり。更には幻想郷が滅びの危機に瀕する事もあるけれど。

今回のは、また何か大きな問題が起きて、博麗の巫女をはじめとする人間が妖怪を打ち払って解決したという。

幻想郷のルールを履行するための異変だ。

ならば、アリスには用は無いか。

もしも用がある場合は、声が掛かるだろう。

「それが終わった頃には、幻想郷は少し豊かになって、皆の生活にも心にも余裕が出来ている筈よ」

「だといいのだけれど」

「そうね」

霊夢は苦笑すると、後は任せると頷いて、その場を離れていった。

ばたばた足音がして。

血相を変えた宿の主が来る。

「アリスさん! あんなに妖怪がたくさんいると、博麗の巫女でも追い払えないかもしれない! 宿を守ってくれないか!」

「分かったわ。 善処しましょう」

「ありがとう、助かる」

「大きな貸し借りを作るのはいやだから、宿賃はそのままでいいわ」

人形達と一緒に外に出る。

人里の外の空では、本当に多種多様な妖怪がけらけら笑いながら飛んでいる。人形を多数展開。

周囲を守る態勢に入る。

おおと、宿の者達が声を上げる。

アリスが人形劇をしてくれる事は知っているのだろうが。

その人形達が、空に布陣し。戦闘態勢を取るのを見るのは、初めてなのだろう。

それは力無きものには、とても頼もしい光景。

勿論、災禍が去った後には、良く思われないかも知れないが。

どうせ頻繁に利用する宿でも無いし。

アリスが魔法使いである事は知られている。

別に今更気にする事もない。

博麗の巫女が飛んでいくのが見える。

命蓮寺の関係者も、人里を守るべく動き始めたようだ。

一応ポーズだけだが。

そうすると、妖怪達はわっと逃げる。

本当に逃げ遅れると、博麗の巫女に叩き落とされるからだ。

今はそこまではしないが。

昔は、博麗の巫女は妖怪を見つけ次第片っ端からぶちのめして、持ち物を奪うような事をしていた。

妖怪に対しての恐怖であれと、己を定義していたからだろう。

その頃のことを覚えている妖怪も多い。

博麗の巫女が出ると、わっと逃げ散る妖怪をみて。

人里の者達は、感謝しているようだった。

勝手なものだ。

商売をしている者の中には、相手が人間に変装している妖怪である事を、承知でやっている者だっている。

近年は、特に友好的な妖怪が人間の格好をしているのなら。

人里に入り込んでも、咎められないケースも多い。

事故は起きるが。

人型を取る妖怪では無くて、現象としての妖怪が人を殺す場合と。

そうでない場合は違う事が、周知されているのだ。

それなのに、今回の騒動では。

圧倒的な、人間には勝てない存在が大量に空を舞っていると言う事で。

人里の人間は、今まで少しずつ改善していた人間と妖怪との関係を。忘れてしまったようだった。

妖怪の中の幾らか、要領が悪いのが霊夢に叩き落とされて。

朝方に、狂騒はやっと終わった。

うんざりした様子で戻って来た霊夢に、人里の者達は頭を下げる。

霊夢は疲れたから寝ると言い残して、博麗神社に戻っていく。

アリスもそのまま宿に戻り。

宿賃を払うと、家に戻ることにした。

まだ自警団は休めない様子で、かなり疲れているようだが。

既に状況は落ち着いたと判断したのだろう。

交代で休みに入っているようである。

異変の下準備、か。

霊夢も積極的に荷担して、茶番としての異変を起こすようになって来た。

これが良い事なのかどうかはよく分からない。

前も異変を起こして、半ば自作自演で解決したことはあった。

その時の異変には、アリスも解決に参加したからよく覚えている。

いずれにしても、霊夢は変わりつつある。

いつまでも子供は子供じゃ無い。

短時間で急激に変わった魔理沙ほどではないが。

霊夢の変化も相当だ。

人間を止めてしまったアリスには、羨ましい話である。

どうしても、人間を止めた以上。

此処まで劇的には変われないのだから。

家に着く。

眠る必要はないのだが。

習慣だ。

人形達を周囲に展開すると。疲れたこともあるからか。風呂に入って、すぐに眠る事にした。

食事は取らなかった。

別に起きてからでもかまわないだろう。

横になって、考える。

経済規模を上げて。

仮にみんなが豊かになって。

幻想郷の仕組みももっと落ち着いて。

その先に何があるのだろう。

幻想郷の外では、精神文明の荒廃が著しいと、前に賢者が嘆いているのを見た事がある。

事実その通りなのだろう。

外から来た守矢の巫女は、絶対に帰りたいと口にしないし。聞かれない限り、外の話は絶対にしない。

あれは外で余程の目にあっている。

守矢の巫女は相当な富裕層の人間だった事は確実で。

それが思い出したくも無いと思うと言うことは。

それは余程だった、と言う事だ。

目を閉じる。

勿論賢者は色々考えて、幻想郷に変化をもたらそうとしているのだろうが。

経済的に豊かにすることだけでは駄目なこともよく分かっているはずだ。

だが賢者ははっきりいって其所まで有能じゃ無い。

何度か話してみて、それはよく分かっている。

不安は尽きない。

目を閉じて、思考も閉じた。

アリスに出来る事はそれほど多く無い。

今は、ただ。

休んで、少しでも力を蓄え。

回復をしておくべきだと思った。

 

別に用事もないので、それから数日は人里には出向かなかった。魔法の研究と、人形の整備を行う。

分厚い魔道書を読んで知識を増やし。

自分でも実践して、使えるか確認する。

魔法の習得は地味な作業だ。

この森に来たばかりの幼い魔理沙に、最初に魔法の手ほどきをした時に。

それは徹底的に仕込んだ。

魔法を始めて使えたとき、本当に嬉しそうに無邪気な笑顔を浮かべていた魔理沙。

今の手癖が悪い、アリスと犬猿の仲になっている魔理沙とは。

まるで別の存在のようである。

ただそれも成長の一つだと考えているから。

別にアリスは気にしない。

メモを取りながら、地道に魔法の実験を続けていると。

珍しい事に、博麗の巫女が直接来た。

「アリス。 聞きたいことがあるのだけれど」

「何かしら」

「管狐に人形を売ったそうね」

「オモチャをね」

詳しく、と視線で促される。

博麗の巫女は黙っていればそこそこに可愛いのに。実体は暴力と脳筋思考の権化である。

少なくとも昔はそうだった。

賢者と連携して、幻想郷を頭も使って守る事を覚え始めている今はどうなのかは分からないが。

変わり始めているとは言え。

やはり思考が脳筋よりなのは事実である。

今も、場合によってはアリスの頭をかち割るつもりだろう。

もう人間を止めているアリスである。

頭をかち割られたくらいでは、即座の死を迎えるわけでは無いが。

それでも、痛いのは嫌である。

空中に映像を展開。

魔法によるものだ。

取引の一部始終と、売った人形の性能などを見せる。

口で説明するよりも、こうした方が分かりやすいことを、アリスは知っている。

外ではプレゼンとかいうらしいが。

まあどうでもいい。

何回か霊夢は質問してきたが。

その時に答えるだけで良い。

「要するに殺傷力はなく、武装もつけていないと」

「そういう事よ。 武装はあったけれども、万が一を考えて使用不能にしておいたわ」

「……ならばいいわ」

「管狐を使役しているのは大天狗の一人のようだけれど。 天狗がこんなものを欲しがってどうするつもりなのかしらね。 私の人形が大した事がないとか、そういう巫山戯た記事を作るためとも思えないけれど」

霊夢はしばらく黙っていたが。

周囲で仕事をしている人形を一瞥した上で言う。

「その心配はないわ。 天狗の新聞の質が変わったことは、貴方も知っているでしょ」

「そうね。 前よりはマシになったわね」

「いずれにしても悪用はされないから大丈夫。 今、異変の最終調整をしている所だから」

「あまり無体なことや非道なことは避けなさい」

アリスの言葉に、霊夢はしらけた目を向けてくる。

そんな事を言われるのは驚きだとでも言うのだろうか。

霊夢が異変の解決時には、非常に凶暴化する事は周知の事実であり。

間近でアリスもその様子は見ている。

ただの通りすがりを半殺しにしたり。

場合によっては人間が相手でも容赦しない。

だから戦鬼と言われるのだが。

本人は、それをどう思っているのか。

アリスは不安でならない。

今は妖怪に対する決戦戦力として、人里でも支援しているが。

もしも何かしら変な風にバランスが崩れたら。

霊夢がどう動くかは、あまり考えたくはないのである。

ただでさえ、霊夢は誤解され易い性格だし。

何よりも普段の生活はいい加減で、脳筋な分足下を掬われる事も多いのだから。

「いずれにしても、貴方に迷惑は掛けないわよ。 ただ、妙なものを見る事になるかも知れないけれど」

「?」

「いずれにしても今回の異変に貴方を巻き込みはしないわ。 それは心配しないで頂戴」

飛び去る霊夢。

人形を売った事だけを確認しに来たのか。

だとすると、異変そのものの準備とやらは、それなりに広範囲に行っているという訳だ。

面倒な話だ。

疲れがまだ抜けきっていないから。適当に魔法の実験をこなした後、家に戻る。

それから、読書しながら考える。

少し前に、六道輪廻で知られる畜生道がらみのごたごたがあった。

その時の異変は突発的なものであったが。

霊夢ら幻想郷の精鋭が出向いて、無事に解決した、と聞かされている。

本当かどうかはともかくとして、問題の根本的解決は出来たのだろう。

ならばアリスに言う事は無い。

人形のメンテナンスに取りかかる。

調子が悪い何体かを調整し、ついでにアップグレードも掛ける。

管狐に売った人形は、性能をデチューンしたいわゆるモンキーモデルであり。

霊夢に言った通り、戦闘能力も有していない。

あれをどう使うかは自由だが。

オモチャ以上にはならない筈だ。どう使った所で。

妖怪の山ぐるみで何かが動いているとしても。

大した悪事には使えないし。

何よりもアリスがエンチャント時に仕込んだ魔法的なブラックボックスもある。

河童にも天狗にも、量産したり再現したりは出来ない筈。

だから、大丈夫の筈だ。

自分に言い聞かせるようにして、作業を終わらせる。

疲れもあるからか、作業はどうしてもミスが多くなり。

全てを終わらせたとき。

人形達が、不安そうにアリスを見上げていた。

自我は与えていないが。

それでも、アリスの不調を察知するくらいの事は出来るようにしてある。

アリスは随分笑顔を浮かべる事を忘れていたが。

少しだけ、こう言うときは嬉しくなった。

「大丈夫よ。 持ち場に戻りなさい」

声を掛けた後、休む事にする。

いっそ数日眠るか。

代謝もないんだから、別にそうしても問題ない。

幾ら魔法の森と言っても、アリスの縄張りは妖怪達も知っている筈。無闇に侵略して、反撃を受けようとは思わないだろう。

その辺りの妖怪に舐められない程度の実力はある。

だから、適当に休む。

疲れがまだ取れない。

悩みが晴れないから、だろうか。

ぼんやりしていると、やがて本当に瞼が重くなってきて。

そして、眠りに落ちていた。

ふと顔を上げる。

夢だな。

それは分かっている。

だが、あまり気分がいい夢では無かった。

妖怪の山が燃えている。

それだけじゃない。

他の妖怪の組織の拠点が、あらかた燃え上がっている。

空には多数の妖怪が飛び交い、激しい殺し合いをしているようだった。

守矢と、他の勢力全て。

幻想郷の覇権を巡っての戦争が始まったのだ。

周囲は死屍累々。

傷つき苦しんでいる妖怪が、地面でもがいている。山の妖怪も、そうでないのもたくさんいる。

見知った顔も多い。

「おい……」

森の奥から出て来たのは魔理沙だ。

手酷く怪我をしている。

異変解決に首を突っ込んで、怪我をすることはよくあったのだが。

今回のは、それとはちょっと様子が違う。

歩み寄ろうとすると、ミニ八卦炉を向けてくる。

大きく息をつきながら、魔理沙は言う。

「見つけたからにはゆるさねえ。 ブッ殺してやる」

「穏やかじゃないわね」

「お前が売った人形が量産されて、それが守矢に丸ごと奪取されてパワーバランスが一気に崩れたんだよ。 今や人里にまで戦禍が及んでる。 全部お前のせいだ」

「そう。 なら撃ちなさい」

上等だ。

そう叫ぶ魔理沙だが。

どうみても魔力はすっからかん。

戦える状態じゃ無い。

手当をすると言っても、近寄るなと吠えられた。

どうやら。完全に関係が破綻したらしい。

嘆息する。

勿論夢だと言う事は分かっている。

だが、これほど気分が良くない夢を見るのは、久々かも知れない。

「撃ちなさい。 かまわない」

「……っ」

魔理沙は立っているのもやっとという様子だったが。

糸が切れたように、地面に倒れ臥す。

背中に何かの爪だか角だかが突き刺さっていた。

激しい出血をしている。

すぐに手当を、人形達に命じようとするが。

其所で気付いた。

人形達も。

アリスの大事な人形達も。

みんな、壊されてしまっていた。

誰に。

降り立ってくるのは博麗の巫女だ。

彼女は恐ろしい程冷酷な目で、動かなくなった魔理沙を一瞥すると。アリスに大弊を向けてきた。

顔を覆ってしまう。いくら何でも、これは夢でも酷すぎる。

この状況、言い訳不能だろう。

「殺しなさい」

何もかも、どうでも良くなった。

良い覚悟だと言うと。

霊夢はアリスに、大弊を。多くの妖怪の頭をかち割り血を啜ってきた武器を、降り下ろしてきた。

 

4、出来る事はない

 

嫌な夢だった。

目が覚めると、アリスは頭を振る。

夢は目が覚めると忘れてしまう事も多いが。あれだけ強烈な内容だと、そうもいかない。勿論ただの夢である。

魔法使いの場合、勘や夢が大きな意味を持ってくることが多いのだが。

今のは違う。

単にここ最近起きた事が原因で、記憶の整理として見ただけの夢だ。

アリスが想像する最悪の未来。

それが夢となって、アリスの心の中に現れた。

それだけの事である。

くみ置きの水を使って顔を洗うと、外に出る。

人形達を呼び集めて、調整を実施。

特に壊れている人形はいない。

この人形達が、みんな失われたら。

悲しいだろう。

アリスにとって、この半分生きている人形は、自分の研究の集大成であると同時に。自分の家族である。

前に魔理沙に研究用に一人くらいくれてもいいだろと言われたとき。

本気で怒ったことがある。

その時以来、魔理沙は同じ事は言わなくなった。

多分アリスと犬猿の仲であっても。

その言葉は、本当の意味で関係改善が不可能になるものだと、悟ったからかも知れない。

魔理沙は霊夢ほど脳筋では無い。

手癖は悪いが、計算は出来る。

いずれにしても、家族である人形達を失うのは嫌だ。

人形達に指示を出し直して、家の中で考える。

だが、思索が進まない。

研究もだ。

気分転換に外に出ることにする。

護衛の人形を連れて魔法の森を出る。

今日は、魔理沙と出くわすことは無かった。

魔理沙と出くわしていたら、とても気まずかっただろう。

だから、これは運が良かった。

人里に出向くと、守矢の巫女が来ていた。

説明をしている。

「この間の大規模停電は、皆さんが一度に電気を使いすぎたのが原因です。 電気には使える容量があり……」

嘘だなと、アリスは見抜く。

電気には使える容量があるというのはアリスも知っている。

以前守矢の巫女に聞かされたからだ。

だがあの停電は、あまりにもタイミングが完璧だった。

山の妖怪達は、明らかにアレが起きる事を知っていた。

全ては出来レースだ。

本当に人里の人間は、幻想郷の運営には関与できないんだな。

そうアリスは再確認させられ。

内心うんざりした。

それが悪いとは思わない。

外の世界の人間達の醜悪さは分かっている。色々な情報を集約する限り、それは間違いが無い。

しかしながら、此処まで人里の人間が、幻想郷の運営に関与できないのも。

それはそれで問題だと思う。

此処は弱い妖怪や零落した神々の、最後の秘境だと言う事は分かっている。

だがそれでも限度があるだろう。

そしてはっきり分かったが。

守矢の巫女は、もう完全に腹芸を覚えている。

人間を騙す事に全く罪悪感を覚えていない。

勿論騙す理由が理由だから、だろうが。

それでもはっきりしているのは。

守矢の巫女は、あっち側の存在、ということだ。

どんどん成長している上に、半分は神である。

人間として加齢することもないだろう。

逆に、どれだけ桁外れに強いと言っても、博麗の巫女は人間。

寿命を超越するようなことも今後はあるまい。

現時点では霊夢の方が、守矢の巫女である早苗より強い。

だが加齢は容赦なく力を奪う。

いずれ力の差は逆転する。

ましてや今の霊夢は肉体的にも精神的にも全盛期だ。

衰え始めると、後はあっという間だろう。

アリスは、その残酷な事実を良く知っていた。

アリスの冷たい視線に気付いたか。

人里の人々に話をしていた早苗は、一瞬だけ視線を向けてきたが。別にそれで演説を中断するわけでも無い。

だいたい、今回の件。

自警団の動きもやたら良かった。

自警団の方でも、知っていたのでは無いのか。

確かに気が緩んでいる人里の人間に活を入れるには丁度良いかも知れないが。

何もかもが、信用できなくなって来始めているのを、アリスは感じた。

広場に出向く。

人形劇をやろうかと思ったが。

アリスを見ても、あまり人は集まってこない。

別に金を取るのが目的では無いから、それでもいい。

人形劇を始める。

少しだけ来てくれた客は、お金を入れて行ってくれたが。

明確に壁が出来た気がする。

いや、元々こうだったのが。

引き締められた、というべきか。

命蓮寺のように、人里に強力なコネがある集団や。その後ろ盾がついている妖怪は別に大丈夫だろう。

だが、それ以外の妖怪には。

今後、あまり良くない時代が来るのかも知れない。

人形劇を終えると、アリスは人里を離れる。

しばらく人里に出向くのは止めよう。

そうアリスは思いながら。

人間が本来入れる場所じゃ無い、妖怪の住まう魔境。

魔法の森の奥へと、姿を消した。

 

(終)