頂点対伝説の三鳥
序、最強の友人
人心経済ともに豊かなガラル地方。ポケットモンスター、略してポケモンと呼ばれる不思議な存在達と共存するこの地方では。1年ちょっと前に大きな事件があった。
ガラルの誇り。無敵のチャンプ。
他地方のチャンプと比べても見劣りしない最強の中の最強。世界最強のポケモントレーナーの一人。
そうとまで呼ばれた男、ダンデが敗北。
10歳の新チャンプが登場したのである。
チャンプであった間、ずっと公式試合では無敵を誇ったダンデの敗北は地方の内外に大きな衝撃を与えた。
ダンデがチャンプになったのも同じく10歳だった時の事。
これは、ガラルを問わず。
この世界で大人と見なされる年。
大人になって、すぐにチャンプになった天才が。同じく、大人になって、即座に上り詰めてきた天才に敗れる。
こんなドラマチックな事件はそうそう無い。
更には、他の地方では政情不安や社会不安で暴れる連中がどうしてもいるのだが。
ガラルは、ダンデがそれらの全てを昔に片付けてしまったという噂があり。
今ではあらゆる意味で穏やかで安定した地方になっている。
ただ、それでも。
どうしても、何か問題が起きるときは起きるのだ。
ポケモンジムという施設がある。地方の各地に存在し。18の「タイプ」に分けられる様々なポケモンを扱うエキスパートが構えるものである。
その施設の長をジムリーダーという。
スパイクタウンには「悪」タイプのジムが存在しており。
マリィは11にしてそのジムのリーダーを務めている俊英である。
あのダンデを倒した新チャンプユウリとは同い年で何度か対戦した仲であり。他に数人いる同年代のトレーナー共々、「新しい時代の星」と呼ばれているマリィは。
そり込みの入った黒髪をツインテールにしているという攻めに攻めた髪型で、しかもレザー系のトゲトゲした服装を普段は好んで着ている。その上表情筋が死んでいるとさえ言われる無表情のため、周囲から誤解され易いが。至って良識的である。
そんなマリィがくしゃみをする。普段と違って厚着であるのに。
今立っているのは、ガラル南部の高山地方。その駅の前。
天候が無茶苦茶で。
強力なポケモンが多数存在する事で有名な地方だ。
ガラルは中央部にワイルドエリアという、強力なポケモンが多数棲息する地域が存在するのだが。
其所以上の魔境とさえ言われていて。
現在でも人口は極端に少ない。
ただし人口が少ない分獰猛なポケモンによる被害もあまりないため。
基本的にレンジャーはあまり多く無く。
またその代わりにインフラも貧弱で、此処に通じている駅は一つしか無いのだった。
駅でしばらく待っていると。
来る。
同年代の珍しい友人。
現チャンプユウリが。
プラチナブロンドの一目で育ちが良いと分かる女の子で。なんとダンデの隣の家の娘さんだという。ダンデから推薦状を貰ってガラルのチャンピオンリーグに挑戦し。そしてそのままダンデを倒して新チャンプに就任した生きた伝説。
海外に遠征することも多く、各地で悪の組織をしばき倒しているらしく、時々マリィもぞっとするような表情を浮かべることもある。修羅の人生を送っている11歳である。マリィと同じ年で。同じポケモントレーナーなのに。立っている位置が違いすぎる。
人殺しを当たり前のようにする組織とやりあい。
その全てを叩き潰し。
各地のチャンプとの親善試合でも負け知らず。
そして帰ってくる度にワイルドになり、生傷が増えている。
そんな実際の所はあまり気が強くないマリィとは中身が正反対のワイルドガールが、現チャンプユウリだ。
もう10歳を過ぎているから成人扱いではあるのだが。
実質上、ガラルの最大戦力であり。
様々な事件でも、頼りにされていると聞いている。
今回マリィが来たのは、そんなユウリがひょっとしたら困るかも知れないと言う事件。
つまり伝説級のポケモンが出たらしい、という話があったからである。
本当はダンデや他のベテランが来れば良かったのだが。皆忙しい。
其所で、たまたま余裕があったマリィに白羽の矢が立ったというわけだ。
満面の笑顔で可愛く手を振って来るユウリ。だが、顔にはまだ十字傷が消えずに残っている。
この間海外の大きな悪の組織をぶっ潰したとき、二百を超えるポケモンに飽和攻撃を食らったらしく、それで受けた傷らしい。消えつつあるにはあるが。育ちの良さと共存する圧倒的な「暴」を見ると。この子が無敵の現チャンプであり。そして戦鬼であると思い知らされるのだった。
「マリィ、おはよー!」
「おはよう。 寒くない?」
「このくらい平気平気」
長袖半ズボンのユウリは、コートを肩に掛けていたが。なんとマリィに譲ってくれる。
周囲は雪が降っている。
流石に足下だけは結構大きめの靴で固め。手はグローブをしていたが。これは体の末端は凍傷になりやすいから、らしい。以前寒い所で、足も腕も露出した状態でけろっとしているのを見て度肝を抜かれ。聞いてみて、そう答えられた。今でも同じである様子だ。今日の上着は気分で長袖だそうである。別に半袖でも平気だとか。
マリィはセーターまで着てなお寒いのに、これが鍛え方の差か。
時々ワイルドエリアに籠もって修行しているという話だが。
その時も、その辺に生えている草とか果物とか平然と口に入れているという。
あまり育ちが良いとは言えないマリィでもとても真似が出来ないワイルドさである。
勿論それで腹をこわす事も無い。
多分ユウリは、文明がなくても生きていけると思う。
ポケモントレーナーとしてのマリィから見て、同時代にこの子が出てきてしまったことが、最大の不幸とも言えるが。
マリィにとっては数少ない同年代の友達でもあるので。
あらゆる意味で、複雑な気持ちを抱く相手だった。
ひょいと側に手持ちのポケモンを出すユウリ。滅茶苦茶鍛えられたツンベアーである。これは大型の熊に似たポケモンだが。寒冷地で有名な此奴を出す事で、雑魚ポケモンが無駄に突っかかって来るのを防ぐために出したのだろう。一目で強いと分かる個体だが、多分これでも本命の戦力ではあるまい。
だいたい、ユウリの場合。不意を突かれても、だいたいの相手はポケモン含め素手で制圧出来る。人間の場合、相手が銃で武装していようがナイフを持っていようが関係無い。反応速度が違いすぎるのだ。そもそも象を一撃気絶させるポケモンだろうが容易に素手で制圧するユウリだ。素人のナイフなんか意味を成さない。
あくまで手間を減らすための行為である。
それを知っているマリィは、笑顔を引きつらせるしかなかった。
「それで、これからどこにいくんね」
「ええとね、この地方の最南端」
「雪がすごそう」
「それがね、その辺りは暖かいんだよ」
そうなのか。
マリィもスパイクタウン周辺は土地勘があるが、ガラルの隅々まで知っているわけでは無い。
ジムリーダーの仕事は、担当地区の最大戦力として、有事に活動する事でもある。
だからマリィも危なめの仕事はした事があるし。
戦力が足りない場合は、招集されて戦う事もある。
何も華々しくスタジアムで戦うだけがジムリーダーの仕事では無い。
チャンピオンに推薦状さえ持てば誰もが挑戦できるチャンピオンリーグの時には、挑戦者の査定でとても忙しくなるし。
またプロリーグが開催されるときも試合に出なければならないが。
それ以上に、そもそも有事の最大戦力としての仕事が最優先で。
そういう場合、試合は当然後回しだ。
ガラルは人心経済ともに豊かで。
滅多にジムリーダーが必要とされるような、大きな荒事は起きない。
他の治安が悪い地方では、ジムリーダーが悪の組織に荷担していたり。ジムリーダー自身が悪の組織の総帥だったりするそうだが。
ガラルでは、ダンデがチャンプになった時以降。
殆どそういうタチが悪いジムリーダーの話は聞かない。
マリィの兄。
先代悪タイプジムのリーダーだったネズも、見かけは子供が泣きそうな姿をしているが。
実際には穏やかでごく良識的な人物である。
悪タイプのジムでさえそれなのだ。ガラルが如何に平和だという話でもある。
自転車で行くかと聞かれたので、首を横に振る。マリィも移動手段としては自転車を使う事が多いが。
流石にこの豪雪の中を、平然とチャリで飛ばすようなユウリと同じ真似は出来ない。
後ろに乗せてあげようかと言われたが。
顔が真っ赤になって火が出るかと思った。
首をブンブン横に振るマリィを見て。
ユウリは何故かにこやかな笑みを浮かべていたが。
恥ずかしがるのを見て楽しむのは趣味が悪いと思う。
時々ユウリはこういう行動を取るので、色々と一緒にいると心臓に悪かったりするのだが。
まあともかくだ。
言われた通り、南に行くとする。
足首まで雪が積もっているような場所だが。
最近この辺りに何度も出かけているユウリの話では、今日は雪が穏やかな方なのだという。
というか、少し前に何か事件があったらしく。
あからさまに前よりも雪が穏やかになっているそうだ。
これでいつもよりマシなのかと閉口するが。
特に歩きづらそうにもせず。
ユウリはひょいひょい行くので、ついていくのが大変だった。
「マリィ、大丈夫? ポケモンに乗る?」
「平気」
「そう。 でも無理はしないでね」
「……そういう気を遣われるとくやしか」
マリィの気持ちを察したか。
以降は、何もユウリは言わない。
このプラチナブロンドのおない年の女の子が。無敵と思えたチャンプダンデを下して。現在では新しい伝説になっている。
伝説になって一年経って、挑戦より難しいとさえ言われるチャンプ防衛戦をユウリが圧勝した今も時々信じられないけれど。
それでも、こうやって普段から何事にも泰然としている様子を見ると。
それもあながち嘘では無いのだと思えてくる。
やがて村が見えてきて。ほっとした。
「前に来たときは、あの村で色々あったんだよねえ」
「色々て?」
「ええとね、前に短い間チャンプしていた人、ピオニーさんって知ってる?」
「ああ、知ってるけん」
それはそうだ。
ダンデの前には、長く伝説が不在だった。中には黒い噂が絶えないチャンプも珍しく無かった。
ダンデのずっと前に、18年に達する無敗記録を作ったマスタードという凄いチャンプがいたのだけれど。
その頃のガラルはまだこんなに豊かでは無く。
悪い人もたくさんいたし。
他の地方のように、悪の組織も存在していたそうだ。
マスタードは何度かある理由で顔を合わせた。
その頃の話は聞かなかったし。聞かない方が良いとも思ったので。敢えて聞いてはいないが。
噂によると、マスタードは当時のポケモンリーグ委員長に八百長試合を持ちかけられたらしく。
それで引退を決意したそうである。
以降は長期チャンピオン不在、悪の組織も跋扈するガラル闇の時代が始まったが。
その時代でも何もチャンプ全員が臑に傷ある者ではなく。
普通にまともなチャンプも何人かはいたらしい。
そんな中の一人。
はがねタイプポケモンの使い手であるピオニーは、確か一年だか二年だか。短時間だけ、チャンプになった経験を持っている人である。
今は引退して隠棲していると聞いているが。
マリィも、ユウリと知り合ったチャンピオンリーグに参加する際に、散々過去のチャンプについては調べ、研究した。
その時名前は出てきたので覚えている。
とにかく粘り強く戦うチャンプで、最後の一体になってから粘り勝ったケースも何度もあるらしく。
在位期間は短かったが。
それなりに印象に残るチャンプだったそうだ。
「そのピオニーさんと短時間、この村である事件を解決していたことがあったんだ」
「ダンデさんとじゃなくて、ピオニーさんと?」
「元々ピオニーさん、まああんまり口にはしたくないんだけれど。 ちょっとした理由で、ポケモンリーグからは距離を置いていたらしいんだよね」
ユウリは口が堅い。
口にしたくないと言ったら、多分言う事は無いだろう。
マリィが頷くと。
その「理由」には触れずに、ユウリは話を続ける。
「難しい年頃の娘さんと一緒に三人で民宿借りてね。 うちはお父さんいないから、ちょっと楽しかったかな」
「はあ、そんなもんなんね」
「うんうん。 まあその事は後にして。 とりあえず一旦村で休憩して、其所からは自転車でいこう。 この辺から雪も薄くなってくるし」
そういえば。
確かに言われた通り、さっきは足首まで来ていた雪が、もう足跡がちょっと残る程度にまで減っている。
気温も露骨に暖かくなってきていた。
さっきは喋る度に息が白くて。
口元を寒いから覆わなければならない事もあったのだけれども。
今はそんな事もない。
そしてこんな僻地だ。
ユウリがしばらく借りているらしいのだが。
その三人で泊まったという民宿は、空いていた。中の事はユウリも知り尽くしているらしく。
もう自分の家のように、すらすらと動けている。
料理をすると言い出したので、慌ててマリィが自分でやると言った。
ユウリは料理下手ではないのだが。
具材がワイルドすぎて怖いのだ。
その辺で拾った骨とか平気でカレーに入れてくるので、前に具材を知って真っ青になった事がある。
おなかは壊さなかったけれど。
以降、ユウリが料理をすると言い出したときは、殆ど反射的にマリィが代わるようにしていた。
笑みのままこっちを見ているユウリ。
マリィも兄に花嫁修業だとか言われて、料理はそれなりに嗜んだ。
10歳から大人と見なされる現在の世界では、マリィもその気になれば結婚は出来る。流石に10歳で結婚する人は殆どいないのが現実だが、五年六年と過ぎればそれも話は別になる。
ましてやマリィはジムリーダー。
結婚相手としてはこれ以上もないほどの優良物件である。
格闘ジムのジムリーダーである、何歳か年上のサイトウさんや。水ジムのジムリーダーである現役モデルのルリナさんは。殆ど毎回こういう話題を振られるらしく。
面倒なので、サイトウさんに至っては父親に協力して貰い。彼氏がいると装っているらしい。
マリィも今はともかく。
数年後は、そういう事をしなければならないかも知れない。
だとすると面倒だなあと今から思うばかりだ。
やがて料理が仕上がった。
カレーばかりユウリはいつも食べるので、あり合わせの材料からちゃんとした料理を四品ほど作る。
そして良い所の育ちであるにも関わらず。
ユウリは何を出されても文句一つ言わずに笑顔で食べる。
まあ作る側としては見ていて気持ちが良いのだけれども。
それはそれとして、凄い食欲だなと。マリィは自分の倍以上の速度で、四倍は食べているユウリを見るのだった。
これで一切合切太るどころか、場合によっては足りないと言い出すのだから。普段からどれだけ動いているのか。
年を取ってから太らないか心配である。
まあこの子は生涯現役だろうし。
太る事は無さそうだけれど。
ともかく食事を終えると、一休み。
マリィから見たユウリは、何から何まで規格外。あの伝説のチャンプを下した新しい伝説というのも頷ける。
身体能力の時点で異次元。
相手の何手も先を読みながら、即座に行動を取る行動力も頭脳も。
あからさまに殺意のあるポケモン相手にもまるで動じない胆力も。
ただそれでも人間だ。限界はある。
一眠りするというので、見送る。
奥にはベッドが四つ。
多分ファミリー向けの民宿なのだろう。
数としては妥当だなと、マリィは思った。
1、遭遇!ガラル三鳥!
一休みしてから、そのまま村を出る。ユウリが言う通り、本当に雪がなくなり。下草が生えている比較的豊かな土壌の土地に出た。
ただポケモンが非常に多い。
ワイルドエリアで普通に見かけるようなものから。
図鑑でしか見た事がないような奴まで、本当に色々だ。
あまり広い土地ではないはずだが、この数。
ひょっとするとだが。
或いは何かしら理由があるのかも知れない。
自転車で行くとユウリは言ったのだが。マリィは流石にこのポケモンだらけの中、上手に避けながら自転車で行く自信は無いと答え。それならばとユウリも歩くことにしてくれた。
ユウリはこの辺り、相手にあわせてくれるので優しい。
マリィもモルペコを出す。
ずっと昔からの相棒。
このモルペコと一緒に、チャンピオンリーグまで勝ち上がった。
チャンピオンリーグでユウリとぶつかり、手も足も出なかったけれども。それはそれだ。
今は悪タイプのジムリーダーとして、相棒のモルペコと一緒にジムを守っている。
幼い頃からの相棒であるモルペコは、直立した鼠のような姿をしたポケモンだが。感情によって大きく姿を変える事で知られており。
その特性を利用して、トリッキーな戦い方を得意としている。
マリィのモルペコはこの特性に加えて、色々な戦い方を叩き込んでいるため、可変性が非常に高い。
近距離での密着戦から、高機動を生かしての遠距離戦まで何でも出来る。
ジムリーダーが鍛えたポケモンだ。
いわゆる廃人がやるような、同条件を無理に整えての試合なら中途半端になってしまうだろうが。
実戦だったら生半可な相手には遅れを取らない仕上がりである。
側にモルペコがいてくれれば、これだけの数のポケモン。それも見るからに強いのが多い中でも。
マリィは平然としている風を装える。
ユウリはというと、ずかずか歩いていて、怖れるどころか何一つ普段と変わらない。
まあユウリの場合は、ワイルドエリアでもこんな感じだ。
そのうち拳で地割れくらい作りそうだと思うし。
この間は、アームレスリングの賭け試合に飛び入り参加して、筋肉ムキムキの大男をあっさりねじ伏せまくるのを見てしまった。勿論優勝である。みていないフリをしたが。その後、悪夢にうなされたのは秘密である。
「それで、南って」
「この辺からならそろそろ見えるかなー」
「?」
「地形が複雑だから気を付けてね。 私も最初来たとき、ここ結構迷ったんだ」
開けたのっぱらなのに。
そう思ったマリィだが、すぐにその考えが間違っている事に気付く。
複雑な起伏。
入り組んだ道。
畑だったらしい場所や、昔は人が住んでいたらしい石壁の後。碑文のようなものもある。学者にとっては垂涎ではなかろうか。ただここに来るには、今まで来た状況から考えて、ジムリーダークラスの護衛がいるけれど。
学者の中にも、そんな護衛をほいほい雇える者はそう多くは無いだろう。
というか、此処を自転車で行くつもりだったのか。
人外じみた身体能力の持ち主だと言うことは分かっていたし。ユウリの自転車がその身体能力に合わせて、スポンサーが作った事も知っている。
ガラルのチャンプにはスポンサーがつく。
ダンデがいつも羽織っていたマントに、スポンサーのロゴがゴテゴテついていたのは有名だが。
ユウリは持ち物で、スポンサーアピールをしているようだ。
自転車の他には靴や手袋なんかが、どれだけ使っても壊れないアピールで有名らしいのだが。
ユウリが実際にあり得ない所を自転車で走り回っていたりするのは、マスコミが時々特集していたりするので。
まあ宣伝にはなっているのだろう。
ともかく、坂だったりいきなり沼があったりの複雑な地形を、ユウリを見失わないように必死に行く。
時々ユウリは左右を見回しながら呟く。
「やっぱり暖かくなってるなー。 王様頑張ってるんだなー」
「王様?」
「ああ、何でも無いよ。 守秘義務」
「……」
そっか。
まあ此処にユウリがしばらく派遣されていたというのは聞いている。何か大きな事があったのだろう。
守秘義務なら仕方が無い。
まあ話してくれれば嬉しいけれども。
マリィもジムリーダーとして、今は大人と同じで。大人同様の仕事もしている。
守秘義務の重要性は理解しているつもりだし。
追求するつもりはなかった。
「この辺り」とユウリが言った範囲はかなり広くて。
結構へとへとになりながら、グダグダの平野地帯を抜けると。やがて、ユウリがあれあれと指を指す。
其所には、巨大な木が鎮座していた。
凄まじい木だ。
あんな大きな木、見た事がない。
ガラルで言うと大都市には大きな建物が幾つもある。とても大きなビルもある。
だがあの木は、小さなビルなんかよりもずっと大きい。
流石に大規模ビルに比べると見劣りするけれども、それでも吃驚するほど大きい木だった。
はあと、思わず溜息が漏れてしまう。
桜色に染まった葉と。此処からも見える大きな実。
そして、何だろう。
木の周囲は、丸い。
不自然なほど丸い、湖に囲まれているのだった。木の辺りだけが、盛り上がっているような感触である。
「凄い木……」
「あの木の辺りで、ちょっと変なのが目撃されていてね」
「変なの?」
「この辺りは、変なポケモンの宝庫なんだよ。 中には余所の地方では、幻とか伝説とか呼ばれる品種もいるの。 で、あの木には三鳥が来てるらしいんだよ」
絶句するマリィ。
三鳥。ポケモンに関わって、その名を知らない者はいない。
炎、氷、雷をそれぞれ極めているという三体の鳥ポケモン。いずれもその力はポケモンの中でも上位に食い込むもので、生半可なトレーナーが御せる相手では無いという。
炎を扱うファイヤー。氷を扱うフリーザー。雷を扱うサンダー。
あまりにもそのままの名前だが。それはそれぞれを極めているからこそ、つけられている名前である。
そんな大物が出るのか、あの木は。
「それと、あの湖ねー。 ちょっと不思議だと思わない?」
「い、いや、不思議というか、頭がこんがらがって大変やし」
「深呼吸」
いや、そんな事を言われても。
むっと口をつぐんだ後。何度か深呼吸して、そして何とか頭を整理する。
ユウリは確か何体か手持ちに伝説と伝説に近い実力のポケモンを持っている筈だが。それでも、あまりにも平然と出てくる言葉に、驚きを禁じ得ない。
「むかーしガラルに星が落ちたって話、聞いた事がない?」
「ええと、神話だっけ」
「アレって本当の事だと思うんだよね」
まさかとは言えない。
マリィも色々とチャンピオンシップの前後に色々ごたごたがあり。凄まじい巨大なポケモンの目撃報告や。ユウリが何かを倒して鎮めたらしいと言う話は聞いている。更にユウリの手元にいる二体の伝説ポケモン。
それらを考えると。
ユウリが嘘を言うとも思えない。
そもそもユウリが嘘をつくのを、マリィはあまり見た事がない。
「星ってさ、落ちるとああいう丸いくぼんだ地形を作るんだって。 更に言うと、真ん中は衝撃の反動で反り返って、あんな風に膨らむらしいんだよね」
「……でも、あの湖、相当大きいよ。 どんな星が落ちてきたの?」
「んー、多分だけれど。 ああ、これも守秘義務か。 でも、あの碑文の内容とか、伝説とか照らし合わせると、色々分かるんだよね。 それと……多分三鳥が彼処に来る理由もだけれど」
促されたので。
一緒に、崖のような坂を下る。
自転車ではとても無理だが。
このくらいの坂なら、まあ何とか自力でいける。
走って降りる。
湖はかなり大きくて、上から見るより間近で見た方が迫力は凄かった。そして、木の大きさもである。
橋が架かっている。
朽ちかけているが、石造りの橋だ。この辺り、昔人は住んでいたのだろうし。きっとそういう人が掛けたのだろう。
ユウリが大丈夫と言って、ずんずん橋を進んでいくので。マリィは息が止まりそうになったが。
こんな所に置いていかれるのも更にイヤなので、慌てて後を追う。
何しろ周囲には肉食恐竜を思わせるガチゴラスをはじめとした巨大で凶暴なポケモンがウヨウヨいるのだ。
ユウリからは離れたくない。
橋を渡っているとき、これが崩れたらと思ったけれど。
流石にそれはなかった。
幸いにも、と言うべきか。
橋を渡り終えているユウリが、手を振って急ぐように促してくる。冗談じゃあない。マリィはこれでもある程度は普通なのだから、手心がほしい。
怖いのを我慢して何とか橋を渡り終え。
そして、其所で完全にフリーズした。
ユウリの方が先に気付いていて、見上げている。
その先には。
三つの影があった。
一つは青紫をした鳥。優雅に、翼さえ動かさず、空を舞っている。
一つは、赤黒く燃える一目で獰猛だと分かる巨大な猛禽。荒々しく空を舞っている。
そしてもう一つは、とげとげしい黄色の鳥。飛ぶ事も出来そうだが、それより発達した足が走る事を得意とする鳥だと告げている。
あれは。
図鑑のとは違う。だがポケモンは、地方によって姿を変える事が多いと聞いている。と言う事は、アレがガラルの三鳥か。
三鳥は、即座に争い始める。
青紫の鳥、恐らくフリーザーが目から光線を放つと。それを回避したファイヤーが、赤黒い炎を吐き出す。なんというまがまがしさか。
更に、空中に躍り上がったサンダーが、ファイヤーに後ろから躍りかかるが。それを獰猛に避けるファイヤー。
地面に着地したサンダーを、フリーザーの光線が襲うが。残像を作りステップしてかわして見せる。そして、突貫したファイヤーを、なんと三分身したフリーザーが、優雅にあしらって見せた。
激烈な死闘は。
それぞれ、この木を巡って争っていることは、即座に分かった。
だが、その死闘は唐突に終わる。
ユウリが、咳払いをしたからである。
咳払いの声に、反応する三鳥。
そして、ユウリを見ると。
一斉に凄まじい声を上げた。
少し後ろから見ていたマリィが、思わず耳を塞ぐほどの、凄まじい声だった。怒りと言うよりも、恐怖だと感じたが、それは間違っていなかった。
三鳥がそれぞれ、一目散に逃げ出す。
ユウリは何も動じることなく。
スマホロトムを。ロトムというポケモンを憑依させた通信器具を取りだすと、何処かに連絡し出す。
「予想通り現れました。 別方向に逃げ出したので、一匹ずつ捕獲します」
通信は短い。
そしてユウリは、それぞれの鳥が逃げていく後ろ姿を、カメラで撮るように手で四角をつくって見送るのだった。
「フリーザーはガラル南部の山の方、サンダーはこれは本島のワイルドエリアかな。 ファイヤーはヨロイ島か……。 山の方はフリーザーより明らかに強い王様いるし、ヨロイ島はマスタードさんもいるから大丈夫だとして、人と接触する可能性があるサンダーが一番危ないね」
「ちょ、ちょっとユウリ?」
「マリィ、此処まで連れてきて御免ねえ。 二つほどお願いがあるんだけれど」
「な、なんね!?」
嫌な予感しかしない。
モルペコはさっきからぶるぶる震えてマリィにしがみついたままである。真顔のユウリは、マリィも凍り付きそうな笑顔に切り替えてきた。
逃がさないぞ。
そういう意思を感じる。
「まず最初に、あの三匹しばき倒して捕まえるから、見届け人よろしく。 チャンプになった今でも、伝説級を持ったり捕獲するのって色々手続きが面倒でねー。 ジムリーダークラスのトレーナーの立ち会いがいるんだよ。 だからマリィに来て貰ったの」
そういえば。
ジムリーダーになった後受けた研修で、そんな話を聞いたことがある。
でもそもそも自分には縁がない話だろうと思って、すっかり忘れていた。
そうだ、その可能性があったのか。
となると、下手をするとだが。人外であるユウリと伝説級の死闘に巻き込まれる可能性があるという事か。
何年か前。まだマリィが本当に幼い頃。
ガラルの中心都市の一つ、エンジンシティに。ワイルドエリアから千を超えるポケモンが押し寄せ。当時のトレーナー達が総出で追い返したが、多くの死者が出た凄惨な事故があったという。
その時チャンプだったダンデは、手持ちを多数失いながら、伝説級に遜色がない実力のポケモンを捕獲したと言うが。
世界的に見てもトップクラスのトレーナーであるらしいダンデでさえ、伝説級を相手にすると、そんな損害を覚悟しなければならないという事だ。まあ伝説級と一口に言っても、実力はピンキリだという話もあるのだが。
足下から、震えが這い上がってくる。
「も、もう一つは……」
「あ、ちょっと待っててね」
腕まくりをするユウリ。
さっきの三鳥の戦いを見て、周囲から逃げ出したポケモン達が。此方をこわごわ伺っていたのが、また逃げ隠れる。
腕まくり。
そんなのユウリがするの、初めて見た。
木のすぐ側に歩み寄るユウリは。
何か怪しい動きを始める。
サイトウさんがやっているガラル空手の、戦う前にやる奴。「気を練る」だったか。それに似ている気がするが。
まあ何だかともかく、ユウリから凄いプレッシャーを感じる。見ているだけで力が抜けそうである。
やがてユウリは胸の前でパンと小気味よい音で両手を合わせると。
踏み込み、木に両手をついていた。
「……はあっ!」
その声は、とても同じ年の女の子が出したものとはマリィには思えず、全身がびりびりと震えるようだった。
モルペコがもう少し大きかったら、抱き合って震えていたかも知れない。
めきめき、ごごごと凄い音がする。
な、何が起きているのか。
湖が震えている。湖の水が、バシャバシャと跳ねている。
地面もだ。まるで怖れるように震えている。
地震が起きているのか。
そんな筈は。完全にフリーズしたまま、ただ呆然とユウリを見ているしか無いマリィと違って。周囲の野生のポケモン達は、ガチゴラスなどの大物も含めてもう隠れるどころでは無く、一目散に我先により遠くへと逃げ出している。
ヤバイ。この場にいると殺される。何かとんでもないのがとんでもないことをしている。
野生の勘でそう察知しているのだ。
そして、ユウリが気合い一閃。
どんと、衝撃波が周囲に迸っていた。大木が、揺れるのが分かった。
「せいっ!」
同時に、人間ほどもある木の実がマリィの目の前に落ちてくる。どしゃとか凄い音がした。
更に、ユウリの上に、通常の十倍くらいあるリスのポケモンヨクバリスが落ちてきたが。即応したユウリが片手を振るうだけで吹っ飛び、湖の向こうまで石切りならぬリス切りしながら飛んで行った。ついでに着弾点で爆発していた。死んでいないといいなとしか思えない。
色々起こりすぎてマリィはその場で失神しそうになった。おしっこをちびらなかっただけでも褒めてほしいくらいである。
ユウリが笑顔のままこっちに歩いて来ると、背筋が伸びる思いをした。
友人であるユウリの。
全力の「暴」を、始めて見た気がする。
ユウリが人間離れしている事は分かりきっていたが、それでも此処まで凄まじいとは思っていなかった。
伝説に残るようなポケモントレーナーは、それぞれ人間離れしたエピソードをたくさん持っているらしいが。
此処までとは。
多分カントー地方で伝説に残る「彼」とか、今いたらこんな感じなんだろうなとマリィは思い。
笑顔のまま間近で止まったユウリに、引きつったぎこちない笑みしか返せなかった。
泣きそうである。
「ふー、ちょっと汗掻いちゃった。 流石にあの木を動かすと疲れるね」
「木……動かした……」
「うん。 彼方此方の地方で仕事を受けているうちに気の使い方とか知ってる人に教わってねー。 練り上げた気で筋力を瞬間的に上げたんだよ」
「そ、そうなんかー」
意味がよく分からないし、何よりも今でもまだ恐怖で震えが止まらない。
健康的に輝きそうな汗を、取りだしたタオルで拭うユウリだが。別にそれほど消耗している様子も無い。
冗談抜きに、ちょっと運動しただけ、という雰囲気だ。
「二つ目のお願いなんだけれど、その木の実、マグノリア博士とソニアさんの所に持っていって、検証して貰ってくれる? その後でワイルドエリアに来てね。 私は先に、ワイルドエリアでサンダーが悪さしないように見張らないといけないから。 後、ヨロイ島とさっきの村にも連絡入れとかないと。 やる事が多くて忙しいや。 今はともかく、昔は小さな村がポケモンに潰される事は時々あったらしいから、気を付けないと」
飄々と言うと、ユウリはそのまま何か呼ぶ。
やがて来たのはガラル名物の空輸タクシーだ。それもご丁寧に二つ。大きな鳥のポケモンであるアーマーガアが運ぶこのタクシーは、ガラルの名物となっている。
その間にマリィは、さっきの木の方をおそるおそる見てみたが。
なんと木と地面の間に隙間が出来ていた。
もう一度木の大きさを見て。マリィは改めて、友人の恐ろしさを思い知るのだった。
このユウリに、チャンピオンリーグに挑戦中、毎回因縁をつけて喧嘩を売っていたらしい現フェアリージムのジムリーダービートは。良く無事だったなと思う。
本当に、ガチゴラスを挑発するキャタピーみたいな事をしていたのだろうから。
マリィはともかく人形のように歩くと。
ユウリが出してきたビニールシートに、何体かのポケモンを出して落ちてきた木の実を包む。
先にユウリはワイルドエリアに。
まあ、サンダーほどのポケモンが相手となると、ユウリが出ないと駄目か。
ガラル地方のサンダーがどれくらい原種と戦闘力が異なるのかは分からないけれども。
それでも、あの走り回る様子からして、かなり縄張りを広くとる筈だ。
ユウリ曰く人口が少ないこのガラル最南端の、しかも雪山に行ったらしいフリーザーや。あのマスタードがいるヨロイ島に行ったファイヤーはまあ後回しで良いと言う判断も間違っていないと思う。
空輸タクシーに、人間以上の重さは確実にある巨大な実を積み込むと、タクシーの運転手は流石に眉をひそめた。
「チャンプから特別料金は貰ってるが、何だねこの木の実は。 それとあの木は」
「しらんね」
「あんた悪タイプのジムリーダーのマリィだろう。 あんたほどの人間でもかね」
「……」
黙り込んだのを、肯定だと判断したのだろう。
これ以上聞くとまずいと判断してくれたのか。タクシーの運転手は、アーマーガアに指示を出して、出発してくれた。
実際には、怖くて考えたくも無かったのが事実だし。
このおっそろしい木の実をガラルでも有名なマグノリア博士とその助手をしているソニア(ちょっとだけマリィも面識がある)に引き渡して。
そうだ。
その後は、サンダーとユウリの戦いに立ち会わなければならないのか。下手をすると、ファイヤーやフリーザーとも。
失神しそうになるが、我慢する。
もうジムリーダーなのだ。
ちょっとやそっとの事で恥ずかしがったり怖がったりしていては駄目だ。もう立派な大人として振る舞わなければならないのだ。
そう言って、マリィは自分を奮い立たせる。
ジムリーダーは、地域最強のポケモントレーナーだ。
ポケモンを使って悪さをする人を捕まえることもあるし。
人々を襲う凶暴なポケモンと戦う事だってある。
相手が伝説級だって同じ事である。
場合によっては、マリィが盾になって、人々を逃がさなければならないのだ。その覚悟を忘れてどうする。
しかし、さっき怖かったのは事実である。
じっと手を見る。
マリィが百人いても、あの木を揺らすのは無理だろうと思う。
やっぱり体の方ももっと鍛えないと駄目か。
トップクラスのポケモントレーナーは、体の方も強い事が多いとも聞く。今度、真剣にサイトウに相談して、ガラル空手について勉強するか。
タクシーがやがて山を越え。
そして、マグノリア博士の家が見えてきたのは夕方過ぎだった。
ヘリポートがあるので、其所に降りる。
何しろガラルにおける権威の一人である。
家は相応に大きい。
人心経済ともに豊かなガラル地方では。研究者に相応のお金が支払われている。マグノリア博士も、研究に相応しい立派な待遇を受けているのだ。
マグノリア博士は優しそうな年老いた女性で、いつかこういうお婆さんになりたいものだとマリィも思う。
ソニアはまだ若くて色々と頼りないけれど。
もう何年かすると、マリィもこのくらいの大人っぽい女性になりたいと思うものだ。
ソニアは、ダンデと同期の幼なじみで。ダンデやドラゴンジムの現ジムリーダーであるキバナと一緒に旅をしていたという噂があると言う。
昔はポケモントレーナーだったけれど挫折した。
それは、何となくだけれども、理由は分かる。それを責める事は出来ない。
マリィだって、何度折れそうになったか分からない。
ただ、マリィは今後も折れずにいたい。勿論、ソニアを見下すつもりもない。ポケモントレーナーとしてではなく、学術の方に進む立派な道を見つけられた人なのだから。
木の実を引き渡すと、もうユウリから連絡は行っていたらしく、マグノリア博士はさっそくポケモンの手を借りて研究室に木の実を運び込んでいく。
後は、マリィに出来る事はない。
もう遅いので泊まって行きなさいと、ソニアに言われて。
首を縦に振ることしか出来なかった。
もうユウリはワイルドエリアでサンダーの監視を始めているだろうけれど。
人には人の領分があると、マリィは自分を納得させるしかなかった。
2、爆走!雷光対チャンプ
ワイルドエリアに到着。空輸タクシーだとひとっ飛びだ。
空の王者とも言われるアーマーガアは、基本的に天敵と呼べるポケモンがおらず。圧倒的に頑強なことや、何より性質が比較的温厚で人に慣れやすいこともあり。タクシーを運ぶにはうってつけの存在である。
ワイルドエリアか。
ユウリの修行につきあって、何回か泊まり込みで来た事があるが。
そのいずれでも生きた心地がしなかった。
大木を動かすほどの衝撃的光景は見なかったが。
それでも、何度も生唾を飲み込んでしまったり、フリーズするような光景は目にした。
ユウリの手持ちのポケモンはみんな優しい子ばかりだったが。
一匹だけ血のような色をしたマホイップだけは、どういう個体なのか異常な殺気を感じたし。
そういうポケモンでもユウリは平然と受け入れている。
トレーナーとしての器なのだろう。
キャンプがあって、ユウリが手を振っている。
此処はナックルシティの手前。ナックルシティはエンジンシティやシュートシティと並ぶ、ガラルの中心都市の一つである。
此処は余所の地方でならチャンプをやれると言われる実力者、ドラゴンタイプジムリーダーのキバナさんが守りを固めている要所中の要所。
エンジンシティにはガラルのトレーナーでは大御所の一人であるカブさんがいて、守りを固めている事からも。
此処の戦略的重要性がよく分かる。
此処を潰されると、ガラルは南北に別たれてしまう。エンジンシティもそれは同じで。実力者が守りにつくのは当たり前の話だった。
どちらかといえば、古い時代。
蒸気と石炭で全てが動いていた時代の名残が強く残っているエンジンシティとくらべ。
ナックルシティは近代的な建物に混じって、古い時代のお城が残っていて、そこが丸ごとジムになっていたりと。
古きと新しきが混ざり合う場所になっている。
その入り口に、ユウリは平然と立っていて。
手練れらしいレンジャーが、何人か緊張した様子で、ナックルシティの入り口を固めていた。
レンジャーはワイルドエリアでの管理をしたり、事故などを防ぐ専門家のトレーナー。いずれもが手練れである。ワイルドエリアではかなりの数を見かけるが、危険地帯では必ずと言う程見張りをしている。これほどの人数が集まっているのは珍しい事だ。
「マリィ、ここだよここー!」
「そ、そんな大声出さなくても聞こえんね」
「恥ずかしか?」
マリィの訛りを真似されて。顔から火が出そうになる。
ユウリも悪気がないのは分かっている。マリィも気が抜けるとすぐに訛りが出るのも分かっている。
レンジャー達は聞かないフリをしていてくれて助かる。
レンジャーの一人。
ベテランらしい、相当に技量が高そうな人が聞いてくる。こういう人は以前の事故もあってかなりの人員強化と教育を受けていて、非常に強いそうだ。
「チャンプ、加勢はしないでよろしいのですか」
「うん、大丈夫。 むしろ入り口をがっちり固めていてね。 私に何かあった場合、入り口がお留守になって、ナックルシティにサンダーが乱入なんて事態だけは避けなきゃいけないから」
「……分かりました」
「大丈夫、あの程度の相手なら負けないよ。 もっとヤバイのと何度も戦って来たんだから」
軽く体を動かして、筋肉を温め始めるユウリ。
そして、ぽんとマリィは双眼鏡を渡された。凄く高そうな、ごっつい双眼鏡だ。多分ユウリが買ったのか。スポンサーが渡してきた道具の一つか。どっちにしても凄い高級品だろう。
指で示される方を双眼鏡で見る。
いた。
サンダーだ。
図鑑に載っているのとだいぶ姿が違うが、仮にも三鳥。強さは健在のようである。
今もその実力を遺憾なく発揮して、普通よりもだいぶ大きいバンギラスを仕留めて、その死骸を貪り喰っている。
ポケモンの世界にも、食物連鎖は存在している。
そしてあの鳥は、かなり強いポケモンであるバンギラスをものともせずに倒し。喰らうだけの位置にいるという事だ。
ぞくりとした。
マリィだったら、手持ちで総力戦を挑んで倒せるかどうかという所だが。
ユウリは平然としている。
「昨日確認したけれど、もうワイルドエリアを我が物顔に歩き回ってるね。 何らかの理由で三匹……三羽かな。 ともに行動を開始したみたいだけれど。 その一羽が来ているワイルドエリアには既にダンデさんにも話を通して進入禁止の通達を出してあるんだ」
「そんなに彼方此方彷徨き回ってるの?」
「多分まずはポケモンの実力を調べて、次は人間というところでしょ。 他の地方の三鳥も、都合の良い住処を見つけたら容赦なくその場にいるポケモンや人間を排除して住み着くらしいしね」
当然ナックルシティにも発電所がある。
もしもサンダーが、原種と同じように電気を好むのであれば。
ナックルシティやエンジンシティに乱入してきてもおかしくない。
そうなっては多くの犠牲が出るし。
遅いのだ。
キバナやカブならサンダーを倒せるかも知れないが。倒す間に、多くの犠牲が出ては意味がないのである。
古くからポケモンと人間は、必ずしもいつも良い関係を構築してきたわけでは無いと、昔トレーナーとしての免許を取るときに習った。
昔は戦争の道具として当たり前のように扱ってきたし。
地方によっては今でも食用にポケモンを乱獲するケースがある。
ポケモンバトルにしても、人間とポケモンの心が通じ合っているとか、本当なのかはよく分からない。
マリィはきちんと世話をするようにしているが。
他のトレーナー。特に治安が悪い地方のトレーナーがそうなのかは、甚だ怪しいと言わざるを得ないだろう。
また、伝説のポケモンがみんな理性的で話が通じる奴とは限らない。獰猛さで知られるのもいる。
そういうものだ。
自転車を出すユウリ。
嫌な予感がする。
「マリィは其所で立ち会いよろしく」
「ええと、立ち会いって……見ているだけで良いの?」
「自転車で私についてきて側で見る?」
「い、いや、いやここでいいですここがいいです」
ブンブン首を横に振るマリィと。
にっこり笑顔を浮かべるユウリ。
この自転車が、結構良い自動車と同じくらいの値段である事を、マリィは知っている。スポンサーのロゴはついていないが、その方が格好いいとユウリが言ったかららしい。自転車の色は白で、赤や白系の服を好み銀髪であるユウリとの対比が強烈だ。とはいっても、強烈なのであって、おしゃれかというとよく分からない。マリィも一応おしゃれには興味があるので、たまにもっとあった色があるのではないかと思う。
銀髪のユウリは服の彼方此方に赤と白を入れる事を好む。自転車もその延長線なのだろう。
ヘルメットとプロテクターをつけるが。
あの大木を揺らしていた様子からして、そんなものいらないような気がする。
そして、やっと右手を挙げると。
ユウリは皆を見回した。
「じゃ、行ってきます。 レンジャーの皆さんは此処の死守をお願いします。 マリィは立ち会いをよろしくね」
どういうつもりなのだろう。
目の前で繰り広げられている光景が良く理解出来ずに、こくこくと頷いていたマリィは。一応念のため、護身用にモルペコをモンスターボールから出す。
それと、殆ど同時だった。
自転車に乗ったユウリが。
そのままとんでも無い初速で爆走を開始したのである。
ワイルドエリアは起伏に富んでいて、様々なポケモンがいる。危険なのもそうでないのも。
時々ジムリーダークラスのトレーナーが修業に来る事からも分かるように。
そんなレベルのトレーナーの相手になる大物がいる、と言う事だ。
どんと、凄い音がする。ユウリが更に加速したのである。
自転車の人間による最高時速は確か時速二百キロ代で、条件が整うと三百キロを超えるとマリィは聞いた事がある。
何でも長く続く坂。世界でもごく一部にしかないような地形を使って行う競技らしいのだが。
ユウリがそれに手を出したら、軽く世界記録を更新するのでは無いのか。
モルペコが隣でフリーズしている。
マリィも怖くて人形みたいな動きでユウリに視線を戻した。
まるで放たれた矢のように、獲物を貪るサンダーに突貫していくユウリ。サンダーも気付く。
双眼鏡を覗くと、血まみれの嘴を獲物から引き抜いたサンダーは、二秒ほど驀進してくるユウリを見て固まった後、文字通り跳び上がった。
漫画みたいな跳び上がり方だった。
そうしている間も、ユウリは全力で突貫していく。
多分満面の笑みを浮かべている事だろう。
完全に恐怖に駆られたサンダーが、此方も凄まじい加速で走り出す。勿論逃げの一手である。
そうだよなあとマリィも思う。
マリィでも逃げる。
ポケモンには速度自慢が多いが、ユウリがなんと引き離され始める。だが、サンダーはいきなり加速したのだ。其所が、最初から全てコントロールしているユウリとは違う。元々地力も違うだろうし。こういう所は大きく戦いで響いてくる。
サンダーの方は体力の負担が大きいだろうなと、マリィは思ったが。
敢えて口にはしない。
そして、この場所なら。
多少速度が劣っても、ユウリにアドバンテージがある。
というのも、ユウリはこのワイルドエリアを文字通り知り尽くしている。
今では信じられないが、チャンプになった直後辺りには、スランプになった事があるらしい。
どうしてダンデに勝てたのか分からなくなり。
色々な仕事を受ける片手間に、凄まじい修行を繰り返したそうだ。
そうして今では悩みをふっきり。
ああして笑顔でサンダーを追いかけ回している訳だが。
マリィにはちょっとついて行けない世界である。
湖の角、コーナーのようになっている場所を回るユウリとサンダー。
凄まじいドリフトを掛けてコーナーのギリギリを攻めるユウリ。地形を完璧に把握しているので、クラッシュしない所を知っているのだ。
其所で一気に無駄のある走りをしていたサンダーがユウリに距離を詰められる。いつの間にか至近にまで迫られていたサンダーが、それに気付いてまた跳び上がった。なんだか悲鳴っぽいのが聞こえた気がする。
気持ちは分かるが、同情は出来ない。
彼奴を放っておいたら、どんな被害が出ていたか分からないのだから。
更に無理をして加速するサンダー。ユウリは草むらを上手に回避しながら、殆ど速度を落とさずに距離を維持。
最初から持久戦で追い詰めるつもりか。
レンジャーにも何人か双眼鏡を覗いている人がいる。
「流石にあのダンデさんを破った新星だな。 伝説のポケモンを自転車で追いかけ回してやがる」
「それも普通だったら逃げずに迎撃してくるよなああの凶暴さだったら。 あの凶暴な鳥ポケモンが逃げの一手を打つって事は、そういうことだよな……」
ぞくりとしたようで、無駄話をしていた二人が言葉を失う。
マリィも気付かない方が幸せだったのにと思ったが。
敢えて其所は指摘しなかった。
そのまま、ユウリが更に加速。
やはり無理な体力消耗が祟ったか、サンダーの速度が落ち始める。丁度マリィから見て、右から左に向け走るような形になり。
ついにユウリがサンダーに併走する。
そして、双眼鏡ごしに見えた。
ユウリが並んで走っているサンダーにウインクした。
また跳び上がり、必死に逃げるサンダーだが。もうユウリからは逃げられない。
思わず恐怖で双眼鏡を取り落とすマリィ。双眼鏡を慌ててキャッチするモルペコ。
しばらく呼吸をするのを忘れていた。
震える手で双眼鏡を受け取りながら(モルペコもブルブル震えていた)、思い出す。
そういえば、昔笑顔は威嚇の手段であって。
これから相手をブッ殺すという意味だったとか。
今なら、それが分かる気がする。
震える手で、再び双眼鏡を覗き込む。
ついに決着か。
サンダーがエンジンシティの近くにある大きな壁の際に追い詰められ、振り返った先で、ユウリが自転車からひらりと舞い降りる所だった。
ポケモンを出すユウリ。
ザシアンという、犬のような姿をしたポケモンだ。剣を口に咥えていて、とにかくとんでもなく強い。
詳細は知らないが、ユウリが持つ伝説ポケモンの一体だ。
なるほど、情け容赦なく全力で行くと言う事か。
全く息が上がっていないユウリに対して、サンダーはもう息も絶え絶え。足もブルブル震えている。
それに対して、ユウリが今モンスターボールから出したザシアンは、当然の事ながらコンディション万全、全力状態である。それもユウリが世話をしているだろうから、殆ど完璧に動けるはずだ。
それどころか、ザシアンが必要かさえ怪しいとマリィは思う。
サンダーはもう威嚇する余裕も無い様子で。
必死に左右を見回し。
そして、逃げ場もなく。
逃げる手段もないことを悟ったらしい。
こてんと横になった。
「あ、おなかだした……」
「マリィジムリーダー、どういうことですか?」
「ええと、降参と言う事です。 野生の動物にとって、ポケモンもそうですが。 勝ち目がない相手に無意味な抵抗をせず降参するという意思を示す場合、ああやっておなかを出すんですよ。 それなりに知能がある動物ほどやります」
相手がユウリではないので、必死に標準語で喋るマリィ。
もう一度双眼鏡を覗くと。丁度ユウリが、モンスターボールを放り投げて、サンダーを捕獲するところだった。
相手が悪すぎたな。
マリィはむしろ、これから血の雨を降らせかねなかったガラル三鳥の一角、サンダーに対して同情していた。
勿論無傷、疲労した様子も無くユウリが自転車で戻ってくる。ちゃりんちゃりんとベルを慣らすので、口元が引きつった。
まるでお買い物にでも行ってきました、という雰囲気である。
ユウリの時代は最低でも十数年は続くとマスタードが言っていたのを覚えている。確かにそれはそうだろう。
勝てる気がしない。
ユウリがナックルシティの入り口に戻ってくる。そして、ヘルメットやプロテクターを外し始める。
それと殆ど同時に、自転車の会社の技師らしいのが、ナックルシティの入り口まで来ていた。
頭が半分はげ上がったセールスマンと一緒だ。
ユウリにへこへこ頭を下げるセールスマン。
ユウリも笑顔のまま、自転車を会社の技師に渡している。
何やら交渉していたが。
サンダーを追うユウリをCMにして良いか、という内容らしい。
ユウリは笑顔のまま、後で見せろと言っていた。
要するに内容次第では駄目と言う事だ。
それにしても専門の技師がメンテをするのか。まああんな風に毎度使っているのだとすると。
激しく走り込んだ後は、万全に整備をしなければならないだろう。
それについてはよく分かる。
そもそもガラルのチャンプは、ダンデを例に出すまでも無く、スポンサーと色々関係が深い。
ユウリが乗り回している自転車は売り上げも好調だそうで。
そういう意味では、自転車のメーカーはユウリに頭が上がらないのだろう。
ましてや十数年はユウリの時代が続くと言われているのだ。
力関係は完全にユウリの方が上だ。
自転車の技師達が行くと、ユウリがひょいとモンスターボールを放り投げる。
出てきたのは、サンダーだ。
サンダーはユウリに怯えきっていて、出すやいなや指示に従う。
「お手」
意味はわかっているらしく、足をユウリの手に乗せるサンダー。なんというか、伝説の三鳥がいたましい姿である。
後は伏せとか色々やらされたあと。
サンダーはユウリのモンスターボールに戻る。
これは、主君に逆らう気は起きないだろう。
たまに扱いが酷いトレーナーの元からはポケモンが逃げ出すこともあるらしいと聞いているが。
あのサンダーは、絶対的な恐怖と上下関係を叩き込まれてしまった。
もはや逃げ出すなどと言うのは。
絶対に選択肢に登らないだろう。
「さて、と」
肩に手を置いて、腕をぐるぐると回すユウリ。
多分ちょっと肩が凝ったくらいの意味だろうか。
そしてスマホロトムを取りだすと、連絡を始める。連絡先の一つは、マスタードのようだった。
「分かりました。 では其方から行きますね」
通話を切る。
そして、ユウリは笑顔のまま。
マリィを見るのだった。
「マリィ、今度はヨロイ島に同行よろしく」
「ええと、立ち会いいう……」
「うん」
「わ、分かった……」
周囲のレンジャー達全員が同情の視線をマリィに向けたが。
そんなものは、何の意味もない。
同情するくらいなら助けてほしい。
マリィはそうは言えなかったし。半分涙目のまま。表情筋が死んでいる顔で、頷くしかなかった。
3、爆撃!炎の妖鳥!
ヨロイ島。
昔、18年間の無敗記録という、ダンデをも超える記録を作った元チャンプ。マスタードが個人所有している島である。正確には島と言うよりも、群島というのが近いだろうか。以前何度か足を運んだことがあるが、マスタードは全く実力が衰えておらず。門下生と一緒に揉んで貰ったものだ。
ガラル本島の東にあるこの群島は、凶暴なポケモンがわんさか棲息しており。
特に海には、サメハダーをはじめとする危険なポケモンが山のようにいる。このため、どんなに綺麗な海でも海水浴はおすすめ出来ない場所だ。
そんなところに降り立ったユウリとマリィ。まず顔を見せるのは、マスタードの道場である。
マスタードは、相変わらずの好々爺である。
戦闘になると空気が変わるのだが。
普段はとても優しいお爺さんだ。
なお娘のような年の若々しい奥さんと。
孫のような年の息子さんがいる。
息子さんはポケモンバトルには興味が無いようだが、発明が好きな様子で。色々作っては天才天才と両親に褒められている様子だ。
マリィは兄貴が。ネズがいてくれたからあまり寂しくはなかった。
ユウリは時々お父さんがいないことをぽろっと零したりする。
少し変わっていても、お父さんとお母さんが揃っている家は、ちょっと羨ましいなと思う事もある。
軽く挨拶をした後。
マスタードが、一緒に外に出て。スマホロトムを操作して、空中に地図を出していた。
「ほいこれこれ。 これがヨロイ島の地図だよん」
「ファイヤーはどんな感じで飛んでいますか?」
「丁度此処からこういう風に飛んでいるね。 わしはもう引退した身で、伝説ポケモンに手を出す事は好ましくない。 若い者がやるべき事だね。 だから今日は頼むよ」
見ると、道場の結構近い場所を飛んでいる。
しかも、マスタードの話によると。
ファイヤーは見かけた生物を手当たり次第に襲っている様子だ。ヨロイ島の彼方此方には、黒焦げにされて食われたポケモンが点々としているという。
危険だから、今は弟子達も全員道場に避難させているという。
「分かりました。 対応します、師匠」
「うんうん、よろしくね」
ユウリがびしっと頭を下げる。
前にも見たが、ユウリはスランプになっている頃、マスタードと話して気づきを得たことがあるらしく。マスタードに対してはとても態度が丁寧だ。
普段飄々としているマスタードは、見ていて反応が分かれる人物の見本だと思うのだが。少なくともユウリは嫌いではないらしい。
いずれにしても、サンダーをあああっさり下したユウリである。
それに、木を奪い合っているとき。ファイヤーはユウリを見て即座に逃げの一手を選んだ。
海岸を歩く。
確かに、点々と黒焦げになったポケモンが散らばっている。食い荒らし方も残虐で、ファイヤーが狩りと言うよりもむしろ殺しを好んでいる様子が分かった。
とはいっても、不意に現れたと言う事だし、ずっと眠っていたのかも知れない。
だとすると、腹が減っていて、こう食い荒らしているのかもしれないし。
何とも言えなかった。
ポケモンの事情は分からない。
人間の理屈でポケモンを計るのは、好ましい行動では無い。
善意でやった行動が、ポケモンにはただ苦しかったり、イヤだったりすることも珍しくはない。
人語を解するポケモンは時々いて。
そういうポケモンに通訳して貰うと、そういう事が分かったりするそうだ。
そういえばユウリの持ってるあの血のような色のマホイップ。
人間の言葉を喋る事は出来ないが、文字を書いたり人間の言葉を正確に理解することは出来たっけ。
身近にもいるな。
マリィはそう思いながら、ユウリについていく。
「この辺が良いかな……」
ユウリが呟いて足を止めたのは、道場の比較的近くの丘。ちょっとした坂になっていて、その向こうに湿地帯が拡がっている。
前に来たときはわんさかポケモンがいたのだが。
今はファイヤーという凶暴な無差別殺戮者が現れたからか。姿を全く見かけない。
しばらく周囲を手をかざして見回した後。
ユウリは棒立ちしているマリィに言う。
「此処で待ち伏せるよ。 マリィはそっち。 私は此処に隠れる」
「マスタードさんが、ファイヤーが巡回するっていってたけん。 それで?」
「そういうこと。 気配を消して、ファイヤーに気付かれないようにするか、それともエサを使うか……まあ気配を消して不意打ちで充分かな」
物騒な事を言い出すユウリ。
気配の消し方なんか知らない。
困惑するマリィだが。ユウリはそれを先読みしたように言う。
「気配を消すのは私だけやれば良いから大丈夫だよ。 周囲には小さな気配がたくさんあるけれど、ファイヤーを怖れて隠れてるんだろうね」
「そうねん?」
「そうそう。 じゃ、隠れて隠れて」
ユウリが側にある倒木を見る。
とんでもなく嫌な予感がしたが、口にしない。怖くて口に出来ないというのが正解だが。
「んー、適度にしめっていて丁度良いね。 これでいいかな」
何がいいのか分からないけれど。
兎も角隠れる。
珍しいポケモンを捕獲するために、ずっと隠れて粘ることはやった事がある。マリィもチャンピオンリーグに参加するとき、手持ちを揃えるために。或いはジムリーダーに就任するときに。
ジムリーダーになった後にも。
それぞれ、戦略に沿って必要なポケモンを揃えるために。
ワイルドエリアや、他にもポケモンが見つかる場所に足を運んだ。
場合によっては丸一日隠れて、獲物を狙った日もある。
そういう日は、家に戻ると兄貴のネズが無言で暖かいココアを淹れてくれたりして。
普段はパンクロックで見るからにいかれている格好の兄貴が、どういう人なのか分かるのだった。
念のため、最悪の事態に備えてモルペコも出しておく。
ファイヤーの炎は、有名なドラゴンに似たポケモン、リザードンのそれと同格かそれ以上とみて間違いないだろう。
リザードンはダンデの切り札にもなっている強力なポケモン。
その火力は、何度も試合で見たが。
凄まじいの一言だ。
伝説のポケモンともなれば、それに近い実力を持っているのは当然と判断するべきで。とにかく最悪の場合、守りを展開出来るポケモンがいないとまずい。
ユウリならどうにか出来るかもしれないが。
マリィはあんなパワーを持ち合わせていない。
しばし、待つ。
三時間くらい経過した頃だろうか。
空に、赤黒い点が見え始める。
優雅に翼を羽ばたかせ、近付いてくるそれは。
あの木で見た、ファイヤーに間違いなかった。
原種は神々しい姿にすら見える事があるらしいのだが。ガラルのファイヤーは赤黒く、兎に角恐ろしさが際立っている。顔立ちも凄まじい凶悪さで、確かに獲物を食い散らかしそうである。
強さもびりびり感じる。
というよりも、殺気を全く惜しまず放っているのだろう。
怖れる者がいないからだ。
少なくとも、ファイヤーは此処にユウリがいる事に気付けていない。
だから、ああも殺気をダダ漏れに飛んでいるのだろう。
息を殺したまま潜む。
立ち会いということだから、これでいい。
ほどなく、頃合いとみたか。
ユウリがひょいとモンスターボールを放り投げる。出てきたのは、雪原で見たツンベアーである。そのツンベアーに、ユウリは複雑なハンドサインで指示を出す。
頷いたツンベアーが、さっきの倒木を抱えると。
丁度ファイヤーの死角になっている角度から、完璧な速度、勢いで投げ込んでいた。
これには、流石に残虐な炎の使者を気取っている悪魔の鳥もひとたまりもない。
突如飛んできた倒木。
自分以上に残虐な一撃。倒木をモロに腹に喰らい、体勢を思いっきり崩して墜落する。
ひっと思わずマリィは声が漏れたが。
真の残虐ショーはこれからなのだと思い出して、更に寒気が全身を駆け上がっていた。
ユウリが悠々とモンスターボールにツンベアーを戻すと。
いきなり投擲攻撃を食らって撃墜され、地面で七転八倒しているファイヤーに近付いていく。
ファイヤーはあの走り回るサンダーと違って、飛ぶ事に特化している姿をみるからにしている。
そして鳥と言う生物は。
飛ぶために、色々な体の部分を犠牲にしているのだ。
これはトレーナーの免許を取るときにならった。
鳥の体は屈強に見えるが実はとても繊細で。猛禽などでも翼が折れたりすると取り返しがつかない。
鳥は強く賢い生物であり、空、陸、水中全てにいける世界でも珍しい存在の一つでもある一方。
飛ぶために体を極限まで軽くしているため、色々無理をしているとも。
また恒温動物でもあり、体温を保つために大量のエサが必要な点も弱点で。
機敏な動きと空を飛べる利点はあるものの。
必ずしも無敵でも最強でもない、ということだった。
そんな鳥のポケモンである。
如何に伝説級とは言え。
あんな倒木の一撃をもらったら、それは七転八倒だろう。ユウリが見下ろしている事に気付くと、ファイヤーが悲鳴を上げて、必死に跳び上がろうとするが。
その尻尾を、ユウリが踏んづけた。
「だめ、逃がさない」
悪魔は、其所にいた。
マリィの所からは見えないが、ユウリは多分満面の笑みを浮かべていることだろう。
ファイヤーが破れかぶれになったか、凄まじいなんかよく分からないものをぶっ放してくる。
精神攻撃か何かか。
マリィは腕で顔を覆ったが、猛烈な倦怠感を覚えて、思わず膝をつく。
恐らくこれで獲物を弱らせ。
炎で焼いて。
バラバラに引き裂いて食べるのだろう。
吐きそうになって、でも耐える。
エスパータイプをはじめとして、精神攻撃を得意とするポケモンは別に珍しくもない。トレーナーを狙って来る野生のエスパーポケモンだっている。だから、訓練くらいは受けている。特に格闘タイプのトレーナーは、どういうわけか超能力には耐性が弱くなるらしく。特に念入りに訓練を積むらしい。ジムリーダークラスになると、専門の耐性訓練まで受けるそうだ。マリィは必ずしも格闘タイプにはあまり造詣がないが、それでもなお、膝に来る強烈な精神攻撃の類だった。
ユウリは。
微動だにしない。
むしろ、今のが勘に障ったのか、その場で微動だにせず、しかし何かしたらしい。
ファイヤーの尻尾を中心に、地面にひびが入る。ドカンとか音がした。
何だアレ。
勿論、ファイヤーは髑髏マークが空中に浮かびそうな悲鳴を上げていた。
また、さっきのをぶっ放してきたが。マリィはそれを察知していたので。今度は正面から耐える。こういうのは、直撃の瞬間に意識を集中することで何とか軽減できる。
周囲で隠れていた弱めのポケモンがばたばた倒れているようだが。
この程度でどうにかなるようだったら、ジムリーダーなんてやれない。
ユウリがモンスターボールを取りだす。
彼女のエースであるポケモン。
精悍なサッカー少年と兎を足した姿を思わせる、エースバーンだ。
エースバーンは出るや否や、殆ど即座にファイヤーの背中に蹴りの一撃を叩き込む。
更に踏みつける。
全身が燃え上がっているファイヤーだが、エースバーンは平然としている。炎タイプのポケモンだから、生半可な炎なんて意にも介さない。そういえばユウリは、どうして踏んでいて平気なのだろう。
いずれにしても、これが致命打になった。
ユウリのエースバーンはガラルの公式試合で一度も負けを経験していない。
その実力は伝説級に迫るという話もある。
ファイヤーもそれを察知したのだろう。
がくがく震え、口から泡を吐き出しながら、抵抗の意思を無くしたようだった。
「最初からそうすれば良かったのに。 それとも眠らせてからぼっこぼこにしてあげれば良かった?」
ユウリがそう言うと、びくりとファイヤーは震える。
言葉は通じているとみていい。
いずれにしても、これはもうこのファイヤー、ユウリに逆らう事は出来ないだろう。もはやその姿は、絶対的強者に踏まれている哀れなげぼく以上でも以下でも無かった。
モンスターボールを放って捕獲するユウリ。
勿論、抵抗はせず。
ファイヤーは捕獲された。
色々突っ込みたいところはあるのだが。マリィはさっきのモロに喰らった精神攻撃でだいぶ調子が悪い。
そのままへたり込んでしまう。
いつの間にかユウリに見下ろされていて。
恐怖が背筋を這い上がった。
「大丈夫?」
「だ、大丈夫けん……」
「そう。 まったく性格が悪いなああの子。 まだ炎でも吐いてくれば面白かったのに、周りごと巻き込んで攻撃してくるんだもん。 本当に迷惑なんだから」
ぷんすかしている様子のユウリ。
怒るのはそこなのか。
そして炎を吐かれても大丈夫なのか。
多分、大丈夫なのだろう。
それと、あの燃えているファイヤーの尻尾を踏んづけていた靴はどうなっているのだろう。
色々怖くて聞けなかった。
流石にお嫁さんだっこをする事はなく、ユウリはマリィをひょいと背負うと、近くにあるマスタードの道場へ。ユウリの体格は殆どマリィと同じくらいなのに。マリィを背負っても何も苦にしている様子は無い。
其所のベッドを借りる。
マスタードの若い奥さんであるミツバさんが、マリィの手当をしてくれる。症状についても、すぐに理解したようだった。
適切な看護をしてくれたので、比較的すぐに体調は良くなった。
それにしても、至近距離で喰らわなくて良かった。
喰らったら多分、その場で動けなくなっていただろう。
ファイヤーにとっても、あの技。内容は分からないけれど、多分初見殺しとして自信がある技だった筈だ。だから、速攻で逃げを決めた相手(ユウリ)に勝てないとみるや全力で叩き込んだ。
更に言えば、ユウリは恐らくだが、ファイヤーに敢えて何かやらせるつもりだったとみていい。
その技を敢えて喰らってみせることで。
しかも効かない事を見せる事で。
相手の心をへし折るつもりだった、というわけだ。
そういえばサンダーの時も。敢えて相手の得意な「走る」で勝負して。サンダーの心をへし折って捕まえていた。
ファイヤーの時も同じだった、と言う訳か。
ベッドで横になりながら、それらの事を理解していく。
ユウリは怖いな。
そう思う。
元々扱うポケモンが強いと言う事もユウリの実力の一つだが。ユウリの最大の恐ろしさは、心理分析の巧みさにあると試合の実況を見ていて聞いたことがある。
この辺りは他のトレーナーに聞いてみないと何とも言えないのだが。
確かにユウリは次に何を出してくるのか分かっているような雰囲気があるし。
基本的に全て想定内、という感じで動いている。
勿論最初はそうでは無かったはずだ。
誰だって最初はバケモノじゃない。
だけれども、マリィとユウリが初対戦した頃には、既にかなりの力の差があったように思えるし。
最近やっているどんなトレーナーも勝ち上がれば参加できるガラルスターリーグでは、ユウリとマリィは組んで戦う事があるが。その時も、マリィが何をするかユウリは読んでいる節がある。
一種のテレパスかとも思ったが。
超能力の類ではないのだろう。
ユウリが来た。
大丈夫か聞かれたので、頷く。
何となくだが、ユウリの強さの秘密が分かってきた気がする。怖がっているだけでは駄目だ。
ユウリの時代は十数年は続くとはいうけれど。
それでも、その間何もしないというのはいくら何でも性にあわない。
どうすれば勝てるのかを考えたい。
それがポケモントレーナーであり。
何より地域最強のトレーナーであるジムリーダーとしてのプライドだ。
「ユウリ、幾つか聞かしてほしいけん」
「なあに?」
「靴はどうなってるの?」
「ああ、これ工場とかで使う対熱用の靴。 他の地方だと、足下の熱が凄い場所とかあるから、作ってもらったんだ。 場合によっては火山地帯とかにも出向くしね」
なるほど、だからファイヤーを直接踏んでも大丈夫だったのか。
怖いから考えたくない、では駄目だ。
しっかり分析しなければならない。そして教えてくれるなら、聞いて研究しなければならない。
「あの、何もしないで地面に罅入れたのは?」
「発勁って技だよ。 超能力じゃなくて、簡単に説明すると動かないまま地面に衝撃を与える技。 ガラル空手にはないけれど、他の地方に伝わってる格闘技にあってね。 海外の地方でポケモンの稽古をつけた代わりに教えて貰ったの。 こういうことがあるから、海外遠征は毎回とても楽しみなんだよね」
「……そうなんね。 貪欲だね」
「まだまだもっと強くなりたいもーん」
ユウリは笑顔だ。
まだ強くなりたいのか。
でも、此処で怖れていては、先には進めない。
少しでも、今回側でユウリを観察できる機会を得たのだから。自分の力にしたい。
そう、勇気をマリィはふるう。
「炎吐かれたらどうするつもりだった?」
「んー、一喝して弾き飛ばしたかな。 全力で気合いを入れて吐いてきた炎だったら流石に危なかったかも知れないけれど、破れかぶれで吐いてきた炎なんて一喝で消し飛ばすだけだね」
「……そ、そう。 それであの何か気持ち悪くなる技はどう耐えたんね」
「鍛え方が違うだけだよ。 あんな程度なら効かない」
そっかあ。
気が遠くなりそうな答えが色々飛んでくるが。それでも気持ちで負けていては駄目だ。
目が死んでいるだろうなと思いながらも、何とかユウリの強さの秘密を吸収していこうと誓うマリィ。
だが、心が折れそうである。
少し休んだら、またガラル南部に出向く。
今度はフリーザーを片付ける。
そうユウリは言う。
マスタードは、はははと笑った。
「それでユウリちゃん。 三鳥はどうするのん?」
「私はもう伝説級を充分に持っているので、研究施設に預けます。 マグノリア博士の所ですね。 他地方だとオーキド博士という有名人がいるんですが」
「オーキドさんか。 わしちゃんも一度だけあったことがあるよ。 まあ世界的ポケモンの権威だからね。 あえて嬉しかったなあ」
「私も一度だけ会いました。 いつまでも元気そうで、私にも良く接してくれました」
オーキド博士か。
ポケモントレーナーの免許を取るとき、教科書に出てくるような有名人だ。そうか、二人とも会ったことがあるのか。
まずは、そういうマリィにも出来る所からやっていくべきなのかな。
そう、マリィは。人外じみている友人の恐ろしさを思いながら。考えるのだった。
4、冷徹!雪を舞う氷の鳥!
民宿に夕方に到着。
軽く、ユウリに追加説明を受ける。
「このガラル南部は、ある事件のおかげで伝説級が散々集まって来ていてね。 殆どはもう捕まえたんだけれど、今もまだ残ってるのがいるの。 それで時間を掛けてちまちま捕まえてたんだよね」
「あの三鳥も?」
「あの子らは起きてくるのが遅かったのかな。 いずれにしても捕獲済みの伝説ポケモン達は、今は殆どマグノリア博士の研究所で見てもらってるところ。 それで問題が無いと判断したら、ダンデさんに預かって貰うかな。 三鳥みたいに性格が悪い子はほとんどいなかったから、扱いは難しく無いと思う」
ダンデは現在でもポケモントレーナーをしている。チャンプを降りてから、むしろ生き生きとしている程だという声もある。
現在は主に後進の育成や、ガラルでの治安維持。ガラルを如何に経済的に盛り上げていくかという事を考えていて。
ガラルを此処まで豊かにした立役者、前ポケモンリーグの委員長ローズの代役を完璧に務めている。
ローズは何か問題を起こしたらしく、現在は刑務所にいるらしいが。
何度かあったことはあるが、悪い印象は一度も受けない人だったし。
ダンデがチャンプになり。
ローズが委員長になってから、ガラルが劇的に暮らしやすい穏やかで豊かな地方になったのも事実なのだ。
何かしてしまったのだとしても。
恐らく悪意ではなかったのだろうとマリィは思っている。
そしてダンデにしても。
その政策を基本的につぐと明言している。
そんなダンデである。
伝説級のポケモンを多数預かっても、悪いようには使わないはずだ。
「明日は朝一番に出るから、早めに休んでおいて」
「うん」
ユウリはそう言うと、シャワーを浴びに行く。
さっきファイヤーを殆ど自力で捕まえたようなものなのに、タフな子である。
あれくらいタフでないと、伝説のチャンプを破り。新しい伝説にはなれない、ということなのだろう。
それにアレでも一時期スランプになったと聞いている。
そうなると、どれだけ強くても、限界があるという事か。
だったら、それを突くしか無いのかな。
マリィは、あんまり良い子とは言えないことを思った。
ユウリは烏の行水で、風呂は結構すぐに出てくる。マリィも民宿のお風呂を長く使う気にはなれなかったし、何よりユウリが料理を始めたら大変なので。すぐに風呂を出て、食事を作り始める。
夕食に何品か作るが。
聞かされて絶句する。
「明日は四時起きね」
「四時!?」
「うん。 だから早めに」
「そんなに早くどうすんね」
流石にマリィも四時には起きない。だいたいいつも六時から七時くらいである。
四時はいくら何でも厳しいなと思ったが。
確かに八時くらいに寝れば、それなりに時間は確保出来るか。
夕食をぱっくぱくむっしゃむしゃと食べるユウリ。
あれだけ動くんだから、それはたくさん食べるだろう。食べた分全部動いているんだし。
マリィは自分の何倍も食べているユウリに、ちょっと不安になって聞く。
「四時ってまだお日様も出てないけん。 どうすっか」
「フリーザーを一番長く放置していたからね。 出来るだけ捕まえる時間を長く取りたいんだよ」
「……」
「一番人間に被害が出ない場所に向かったフリーザーだけれど、三鳥の中で一番残忍そうに見えたからね。 ファイヤーは単純に凶暴なだけだったけれど、フリーザーはなんというか、楽しんで殺しそうな雰囲気だった」
凶暴か−。
その凶暴なのを殆ど実力で制圧していたユウリのことを思うと、マリィは思わず食事の手が止まってしまうのだが。
いずれにしても、意図は分かった。
寒さ対策はするようにとも言われたので頷く。
ユウリはまあ鍛えているから大丈夫なのだろうと考えて、それで納得する。鍛えている。そう、あのファイヤーの精神攻撃を至近距離で二発も貰って平然としていたのだから、まあ大丈夫なんだろう。限界はあるのだとしても。
食事の後はすぐに眠る。
今日は途中で軽く横になった事もあって、少し眠りづらかったが。
意外にお行儀良く隣のベッドですやすや寝ているユウリを見ると。まあマリィもこう言うときだけはユウリも人間ぽいなと思うのだった。
「うふふ美味しそうガチゴラス……」
ユウリが寝言でとんでも無い事を言うので。
一瞬で可愛いところもあるとか考えていたのが消し飛んだが。
逆に怖くなって、布団にくるまってさっさと寝る事にする。
明日は四時。
せめて、ユウリについていかないと。
今後、ガラルスターリーグで争うこともあるだろう。
ずっと負け続けというのはやっぱり悔しい。
少しでも追いつく努力はしたい。
例え、相手が今はどんなに遠くても、である。
翌朝。
四時に目覚まし時計に叩き起こされる。流石にこんなに早く起きるのは珍しいというか初の経験なので、マリィも良く体が動かない。
それに対してユウリはぴたりと目を覚ますと、その場でいつもと変わらない様子で動き始める。
頭を振ると、着替えをもたもた始めるが。
或いはユウリは、それも計算に入れていたのかも知れない。
朝ご飯は、昨日の残りを食べる。
ユウリが晩ご飯を食べるときに、その話をしていたのだ。
冷蔵庫を空っぽにしていく。
これは、この民宿を長期で借りているとは言え、次に来るのはいつか分からないから、というのがあるかららしい。
シャワーは浴びるな。
そう言われる。
寝起きにシャワーを浴びる習慣のある人もいるけれど。これから行くのは雪山だ。出来れば避けた方が良いそうである。
その辺の理屈はよく分からないのだが。
いずれにしても、体温を急激に上下させず、雪山用の衣装に身を包んだ方が良いのだろう。
マリィは用意してきたもこもこのジャケットを被るが。ユウリに幾つか言われて、特にフードをがっちり被る。ゴーグルもつけた。
「基本的に末端が一番危ないんだよ。 指先とか耳とか。 雪山だと、凍傷で最悪腐り落ちちゃうからね」
「ヤケに詳しいね」
「そりゃ他地方でも散々雪山行ってるもん」
「……」
それはそうか。
経験値が違うと言うわけだ。
ある地方では、悪の組織が雪山に要塞を作っていたらしく、其所を攻めたらしい。
下手に攻めると雪崩が起きてしまうので、静かな中サイレントキリングをしていき。全員を沈めたそうである。
物騒な単語が飛び出すので、マリィは引きつったが。ユウリは慣れた様子で手袋を嵌め。今日はコートを被り。更に耳にはイヤホン。足下も、長ズボンをはいていた。
なるほど。前はすぐに雪がなくなることを知っていたから、ラフな格好だったのか。
今回は本格的に雪山攻めをするから、それなりの格好をするというわけか。
そのまま、暖かい中でしばらく慣らす。
服の中に熱を貯めるのだという。
「そろそろいいかな……」
ユウリがそう呟いたのは、予定通りの五時だ。マリィを見て、更にユウリはマスクもくれた。
殆ど露出する所がなくなったが。
外に出てみて、ユウリに促されて雪山を見て納得である。
あんなところ、いつもの格好で行ったら死ぬ。
自転車で行くかと言われたので、首を横に振った。他地方ではポケモンに乗る事もあるらしいのだが。ガラルではあまり見られない風習だ。
仕方が無いと言うと、最短距離を行くとユウリは言う。
そのまま、ついていく。
村から出ると、すぐに雪は消えるが。
やはりこの辺りは、気候が色々とおかしい。
天気も変わりやすく、さっきまで晴れていたのに、今は雪がうっすら降っている。ワイルドエリアも天候が代わりやすいのだけれども。此処はそれ以上だ。
やがて、唐突に雪山に入っていた。
此処が雪山なのだと分かったときには、もう膝くらいまで雪に埋まる場所に来ていた。
ぞっとする。
これは、本当に土地勘がないと危ない場所だ。
駅があったが、ユウリやジムリーダーのマリィだったから無言で通してくれたのであって。
普通の観光客だったら、きっと色々注意されたんだろう。或いは村から先には行くなと言われていたのかも知れない。
ユウリはマリィの様子を見て、ロープをつける。
何だか犬みたいだなと思ったが、この様子だと吹雪いてきかねない。そうなったら、確かに生命線が絶対に必要だ。吹雪の中で孤立なんて、考えたくも無い。
ユウリが足を止める。
見ると、かなり大きなポケモン。多分モスノウだろう。美しい蛾の姿をしたポケモンだが、ガラル本土で見かけるのよりずっと大きい。それが凍らされた挙げ句に、残忍に半分食い千切られていた。
他にも似たような死体が点々としている。
「こりゃ王様怒るな……。 早く倒さないと、王様が出てきて伝説同士のぶつかり合いになるよ。 そうなったらどんな天変地異になるか」
「その王様ってなんなん?」
「前にここに来たとき知り合った存在だよ」
「へ、へえ……」
やはり聞かない方が良さそうだ。ユウリもこれ以上は話してくれそうにない。
ポケモンは明らかに彼方此方に隠れている。
震え上がっているのは、寒さから、だけではあるまい。
此処に来ている奴は、ファイヤー以上の残虐な性格の持ち主だというのは、確かにマリィにも分かった。
別に必要もないのに殺して回っている。
悪い人みたいだ。
ポケモンにも色々いるのは分かっているけれど。これは、なんというか酷い。自然の摂理の範囲を明らかに超えている。
やがて、ユウリが身を隠すように指示。
見つけたのだ。
それは、前見た通りの青紫の鳥。翼も動かさず宙に浮いている。そして、顔は仮面のようでもある。丁度今仕留めたらしいポケモンを嬲っていた。凍らせた後、食べるでも無く割って殺している。死体もちょっとだけ囓って、それでおしまい。
フリーザーという存在は、他の地方にもいると聞いている。だがガラルの個体は、残虐極まりない様子だ。
「さーて、どうやって捕まえるかな……」
ユウリが呟く。
すっと浮き上がるフリーザー。何のために翼があるのかはよく分からない。
すっと、此方を見るフリーザー。
マリィに気付いたのか。
殆ど間髪入れずに目から光線を放ってきて、雪原を切り裂くようにして光が迸っていた。
ぞっとする。氷の列が出来ている。
ぱちんと音がする。マリィに此処にいてと言うと、ユウリがロープを外したのだ。そして雪の中にもかかわらず、剽悍に躍り出る。
目から第二射の光を放つフリーザーだが。
ユウリは着弾点を知っていたように避け、至近まで接近。
フリーザーが、分裂する。
前は三分身だったが、十分身くらいになっている。
ヤバイと思ったのだろう。
残忍なだけに、自分以上の危険な相手の実力を察知するのにも長けているという訳か。全力で分身をして、相手がミスをした瞬間逃げるか、総攻撃を掛けるか。そういうところか。
ユウリが大岩を担ぎ上げる。
思わず生唾を飲み込んでしまった。
自分と同じくらいある岩を、文字通り持ち上げた。フリーザーも、流石に呆然として一瞬固まる。
ユウリはそのまま振り向き様に、大岩を投擲。
分身が一個、消し飛んでいた。
ははは、ひっかかったひっかかった。そう言わんばかりに、フリーザー達がけたけた笑い出す。
そして、岩が遠くでドカンとか音を立てて着弾していたときには。ユウリはモンスターボールを放り、ハンドサインを出していた。
モンスターーボールから出てきたのはマホイップ。ユウリが時々ワイルドエリアなどで使う、恐ろしい程冷たい目をした、血のような色をしたマホイップだ。エースの一角らしいが、試合で使っているのは見た事がない。マリィも最初にその目を見た時はぞっとした。愛くるしい人型のホイップクリームのような姿をしたポケモンのマホイップなのに。こんなに闇に濁った目をするなんて、知らなかったからだ。
そのマホイップが、何の躊躇も無く小さな手を握りこむ。
同時に、けたけた笑っていたフリーザーではなく。
そう、マリィの後ろに音も無くいたフリーザーが、全身を握りこまれたように、動かなくなった。
ぞっとして振り返って、それで気付いたのである。
恐らくマホイップが展開しているのは、サイコキネシスだろうが。フリーザーが必死になって外そうとして外せていない。マホイップはフェアリータイプのポケモンであり、エスパータイプではない。要するに専門の技ではないのに、どんな出力だ。
ユウリは悠々とフリーザーに向け歩いて行く。マリィの隣を通り過ぎるとき、表情が無になっているのが見えた。おしっこをちびりそうになった。途中、枯れ木を一本、雑草でも引き抜くように引っこ抜いていくユウリ。勿論片手でだ。
「マリィちゃんに気付いてこっちを見た時点で、何をするつもりかは分かってたんだよね……。 ちょっとお仕置きが必要かなー」
「! !! ー!!」
慌てて暴れようとするフリーザー。だがぴくりとも出来ない。既にたくさんいた分身は全部消えていた。つまり、そんな余裕も無いくらい締め上げられていると言う事だ。
ユウリが何の容赦も無く、跳躍して枯れ木を降り下ろす。
フリーザーの頭を直撃。
雪山に叩き込まれたフリーザーは、すかした様子で飛んでいた時の余裕も無く。更にもはやあの規格外マホイップのサイコキネシスに抵抗するパワーも残っていないようで。ユウリが放り投げたモンスターボールに抵抗できず吸い込まれたのだった。
「さーて、お仕事完了、と」
今の一撃で、ぐしゃとかめしゃとか音がした。
マリィは強くなろうと誓ったのに、怖くて膝が震えて何もできない。暖かい格好の筈なのに。
ユウリがスマホロトムで連絡を始める。
「ユウリです。 三鳥、捕獲完了しました。 はい。 夕方にはマグノリア博士の所に届けます。 特にガラル南部雪山周囲の生態系がかなり荒らされているので、レンジャーを派遣して調査をお願いします」
通話を切る。
ユウリがこっちを見た。
にこりと笑うが。頬の辺りには、多分フリーザーの返り血らしいのがとんでいた。ごしごし擦って拭うが。余計怖い。
「さ、帰ろうかマリィ。 見届け本当にありがとう。 後は書類仕事がある筈だからよろしくね」
こくこく頷くことしか出来ない。
駄目だ。
まだ勝てない。
絶望が、マリィの心を黒く侵食していたのだった。
5、いずれ先には
スパイクタウンの悪ジムに戻ったのは夜になってから。
ここ一年で、開発から立ち後れていたスパイクタウンは、色々ダンデが手を回してくれたらしい。
インフラが整備されて、前よりかなりマシになって来ている。他の街から、余剰エネルギーも回して貰っていて、電気なども使いやすくなった。
以前は、住んでいる人達がまともでなければ、きっと悪い人達の巣窟になっていただろうほど貧しかったのだけれど。
今はそこそこ、皆が他のガラルの都市と同じく、まともな生活が出来るようになっている。
兄貴のネズが無言でココアを淹れてくれる。
疲れ切っているマリィを見て、何があったのかは察したらしい。
「大変だったね。 ココア淹れたよ」
「有難う兄貴」
「あのユウリちゃんと一緒に行くの大変だっただろう。 俺が行く事も考えたんだが、ちょっと色々と仕事が入っていてね」
「兄貴も最近忙しいもんね」
机に突っ伏していたマリィだが。
ココアを貰って、漸く人心地つく。
普通のココアでは無くて、少し砂糖を多めに入れているらしいと聞いたのだけれども。そういうブレンドの仕方はまだ聞いていない。
花嫁修業だと言えば教えてくれるかも知れないが。
なんというか、マリィはおにいちゃん子で。
まだ今のうちは、このココアは兄貴に淹れてほしいのである。
まだ今は。
もう何年もしたら、そんな事は言っていられなくなるのだから。
ココアを飲み終えると。
スマホロトムに連絡が来る。ダンデからだった。
「マリィくん、大変だったね。 今回の必要書類は既に其方に届いているはずだから、出来るだけ急いで出して欲しい。 伝説のポケモンの処理となると、地方を挙げて色々しなくてはいけないんだ」
「分かりました。 出来るだけすぐに取りかかります」
「声に疲れが出ているね。 明日仕上げてくれれば大丈夫だから、今日はもう休むと良いだろう」
「お心遣いありがとうございます」
ダンデに礼を言う。そして、兄貴が書類を持って来ていてくれた。
明日で良いとダンデは言っていたが。
今日中に仕上げてしまう。
こればっかりは筆跡などの問題もあって、自分で書かなければならない。
字は綺麗な方が良い。
そう兄貴に言われて、昔から文字の練習はしていたから、それほど困る事はない。ユウリからげぼくと化した三鳥の写真はさっき送って貰ったので、
後はそれをスマホロトムから印刷し、貼り付ければ終わりだ。
更に、ジムリーダーに就任したときに貰ったハンコをぺたん。
このハンコは金庫に入れている。
チャンピオンリーグなどの、一杯使うタイミングもあるが。このハンコに関しては、本当に大事なものなのだ。
今マリィはチャンピオンリーグの時には、挑戦者の査定をしなければならない立場にある。悪タイプジムは挑戦者が最初の方に行く草ジムや水ジムほど人はこないが。それでも忙しい時には忙しい。ましてやマリィはジムリーダーとしていつ仕事をしなければいけないか分からない身だ。
ハンコは、それ以外の時や。
大事な仕事の時以外は、金庫に入れる癖をつけていた。
書類が仕上がって。
ジムリーダー専用のポストがあるので、其所に入れておく。後は委員会直属の専門の護衛がついた配達員が取りに来て、書類をダンデの所に送ってくれる。
全てが片付くと、精魂が抜けたように机に再び突っ伏す。
「お風呂に入って寝てしまいなさい」
「うん……」
「力の差を実感したかい?」
「あの子はスペシャルやけん。 でも、いつか……」
目を擦る。
相手がスペシャルだと言う事は分かっている。
どんだけ鍛えても、マリィがユウリと同じ事が出来るとはとても思えない。
それでも、食らいつきたい。
食らいつきたいのだ。
これでも十一でジムリーダーをやっているのだ。才能がない筈が無い。同世代には、同じ年でマリィと良い勝負が出来るのが他に二人もいる。ユウリは更に別格だが、それでも。普通の年だったら。
いや、ダンデには勝てないか。
言われたまま風呂に入り、後は死んだように眠った。
散々怖い目にあったけれど。
今はそれ以上に、力の差を痛感してそれがただマリィには悔しい。
ユウリは余裕を持って三鳥に対応していたが。
マリィだったら手持ちを全力で出して、半分以上死なせる覚悟で戦わなければならなかっただろう。
目が覚める。
モルペコが側にいて、すりすりと身を寄せてくる。
頭を撫でる。
幼い頃から、ずっと心の支えになってくれた相棒だ。
マリィの気持ちも分かってくれているのだろう。
ずっと昔は泣き虫で、人と話すのも怖かった。
だが、相棒がいてくれたから。
決めた。
もっと強くなろう。
マリィは身を起こすと、スマホロトムから、メールをサイトウに入れる。
まずは体を少しでも鍛えることからだ。
何かしない限り。
絶対に差は埋まることがないのだから。
(終)
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