三千殺しの魔王

 

序、戦いが終わった大地

 

フォルドワードに凱旋したヨーツレットの主力部隊二十万は、魔物達から熱烈な歓迎を受けていた。

百匹のクラーケンを使ってピストン輸送したにもかかわらず、ひと月まるまる費やした輸送作戦ではあったが。代わりにキタルレアに入ったカルローネ麾下のアリアンロッド副軍団がほぼ同規模であった事や、冷静な指揮で知られるサンワームの同数の軍団が移ることも決まっていたので、特に混乱は無かった。

クラーケンは戦時下以来の大規模輸送作戦で、流石に稼働率がかなり厳しい状態ではあったが。それでも、さほど問題なく動いてはいた。

最後に港で、ヨーツレットは親衛部隊とともに、最後尾の部隊とともにきたカルローネを出迎える。

カルローネはクラーケンに乗っている部下を護衛するようにして、上空を旋回し続けていた。多分クラーケンの負担を減らす意味もあったのだろう。

海中にはグラウコス麾下のオケアノス四匹が護衛を常時していたが、それでも人間の奇襲が無いとは限らない。

闘争本能が削り取られたとはいっても。まだ、利権目当てに攻めこんでこないとは限らないのだ。

やがてヨーツレットを見つけたカルローネは、港の一角に着陸する。

膨大な物資が積まれているその広場だが、エンシェントドラゴンが着陸すると、手狭に見えてしまった。

ヨーツレットも、親衛部隊をつれてその場に出向く。

カルローネは背中に乗せていたシュラ師団長を降ろしながら、にこにこと笑顔をヨーツレットに向けてきた。

「カルローネ軍団長、お久しぶりですな」

「ヨーツレット元帥も。 しかし、あの会議で決まったこと、本当に良かったのでしょうかのう」

「そうですなあ。 魔物の中には不安視する者も多い。 だからこそ、私が側について監視するのです」

「頼みますぞ。 この老骨、戦争はそこそこに粘り強く出来ても、陰謀やら策略やらは苦手ですからなあ」

からからと笑いあう。

既に、北部戦線にアリアンロッドは到達しており、ヨーツレットからの防衛引き継ぎも済ませている。

サンワームが布陣すれば、防衛計画はほぼ完了だ。最も前線に出るわけでは無く、その後方の拠点に、広く兵力を散らせることになるが。敵がもし総攻撃を掛けてきた場合、柔らかく受け止めてから反撃するための兵力配置である。

何匹かいるベヒモスは、全て残してきた。クラーケンで運ぶのも骨だし、持ち帰る意味もあまりないからである。

「グリルアーノ軍団長は存分に働けておりますかな」

「一時期の凶猛さが嘘のように、丁寧に働いていますぞ。 彼は恐らく、次代の我が軍の柱石になれるでしょう」

「かかか、そのように本人の前で言ってはなりませんぞ」

「分かっております」

軽く話をした後、別れる。

ヨーツレットは今回、テレポート部隊を使わず、クラーケンに乗って本土に戻る。これは艦隊の護衛と視察を兼ねての行動だ。

側に控えている師団長に聞いてみる。

「エンドレンの状況は」

「何名かの顔役が中心になって、軍人の帰農と兵力の分散を進めている様子です。 軍縮政策を前面に出して、今後の混乱を回避するつもりでしょう」

「エル教会はどう動いている」

「全面的に支援をしています。 そうそう、エンドレンでどうしてあれほどの物資が後方から投入され続けたか、理由がようやく分かりましたよ」

エル教会を今支配しているのは、勇者シルンだ。聖主の後釜に納まったことで、腐敗していたエル教会は、更に改革が進んでいる。聖主の幹部達もシルンには素直に従う姿勢を見せており、更に今後は改革が進むだろう。

その過程で、出てきた情報というわけだ。

「元々エンドレンにあった幾つかの国家では、軍政を敷く過程で、膨大な兵糧を民から徴収し、蓄えていたそうです。 地下の冷えた空間に穀物を埋めて保存するという方法を使っていたらしく、それで膨大な兵糧を用意できたのだとか」

「なるほど、軍事国家の遺産を、そういう形で活用していたか」

「各地の軍事工場も、エル教会、具体的にはシオン会が全て押さえていたそうです」

「手強かった訳だな。 だが、しばらくは、それも心配しなくても良いが」

海の色が変わってくる。

まだまだ荒野だらけのキタルレアの近海は、流出した土が海に混じっていて、かなり色が汚い。

だが沖合に出ると、海は濃い蒼になるので、気にならなくなる。底が見えないほど深いのだから当然か。

クラーケンの艦隊は対艦魚鱗陣を組んだまま、フォルドワードに向かっている。これが今回の行軍としては最後のピストン輸送だ。ヨーツレットの親衛師団およそ一万五千が乗っており、これが沈められたら大変なことになる。

周囲の海域は警戒を厳重にしており、空はラピッドスワローがかなりの数飛んでいる。ガルガンチュア級戦艦に襲われても、耐えきることが出来るだろう。

「しばらく私は休む。 医師達が五月蠅いのでな」

「分かりました。 油断無く警戒は続けます」

「うむ……」

フォルドワードについたら、やることは多い。

新しく魔王になる事が決まったイミナは相当なやり手で、軍事国家だった魔王軍を、魔王国にするべく様々な人事を断行している。

グラが大臣の一人に任命された他、今まで後方で地道な内政をしていたり、補給物資の整理運搬に関わっていた人員が次々抜擢されていた。だが、これには反発も当然多い様子だ。

今まで軍人だけが占めていた地位が、文官に侵食されるのだから当然だろう。

だが、国として魔王軍が生まれ変わるには仕方が無い事だ。今までは人間に取られた領地を取り返すことだけ考えていれば良かった。だが、今後はそうも行かなくなってくる。

それに。

次の大戦が起こったとき、地力で競り負ける事態だけは避けなければならない。以前の戦いの二の舞を演じないためにも、国力を充実させ、魔物の人口を増やし、何より補充兵の生産技術を高める必要がある。

そのためには、軍事のことだけ考えていては駄目だ。

目が覚めると、夜になっていた。

夜の海は静かである。北の方を、鯨が泳いでいるのが見えた。艦隊に興味を持っているらしく、遠巻きに此方を見ている。

だが、別にそれだけなら何ら意味も無い。むしろ魔物達の中には、珍しそうにそれを見ている者も多かった。

だからというわけでは無いが、ヨーツレットもすぐに気付く。

海上に少数の影。人魚達による偵察部隊だ。手を振っているのが見えた。

クラーケンの側に泳いできた人魚部隊の長に、首を伸ばして語りかける。クラーケンの船縁から話しかけるには、ヨーツレットのような長い体は便利だ。

「何か問題が生じたか」

「はい。 人間が攻めてきたとかでは無くて、台風が近づいています。 強行突破も出来るとは思いますが、安全を考えるのなら、北上して髑髏島に退避した方がよろしいかと」

「ふむ」

すぐに参謀を呼び、意見を出させる。

この状態で、無理をして犠牲を出す意味は全く無い。多少行軍が遅れたとしても、確実にフォルドワードに戦力を届ける方が、優先度が高い。

「よし、すぐに進路を変えろ。 停泊して台風をやり過ごす。 テレポートが使える者は、魔王城に到着が遅れることを報告せよ」

「私が行って参ります」

伝令役のエルフ兵士が、すぐにテレポートを使って姿を消した。

艦隊は緩慢に北上。中規模の島である髑髏島に上陸すると、一旦兵士達を下ろした。台風はかなり規模が大きいらしく、遠くからも巨大な雲の塊が、威圧感たっぷりに空を覆っているのが見えた。

風が強くなってくる。

クラーケンは二枚貝のように蓋を閉じることが出来るとは言え、それでも転覆してしまえば大きな被害が出ることは避けられない。急いで島に兵士達を下ろす。一万五千というとかなりの数だが、それでも髑髏島は身を隠す場所も結構多く、多少の余裕を持って兵士達が避難することが出来た。

伝令のエルフ兵士が戻ってくる。

「魔王陛下は、行軍計画の変更を承認なさいました。 台風をやり過ごし、被害が出ないよう慎重に行軍するように、との事です」

「うむ。 では兵士達に休憩を取らせよ」

今回の行軍では、足が遅いヘカトンケイレスやアシュラは連れてきていない。フォルドワードで生産すれば良いだけのことだからだ。

風雨が少しずつ強くなってくる。

人魚達も、台風を逃れるべく、それぞれ独自の行動をしているはずである。ヨーツレットは、激しい雷雨になった夜半頃から、兵士達に安全の確保を更に徹底するように指示。波打ち際には、自分が直接出て、小型の魔物が流されないよう厳重に注意した。

台風はかなり足が遅いようで、翌朝になってもまだ風雨が残っていたが。昼を過ぎると、急にからっと晴れた。雲も嘘のように流れ去り、海も静かになる。

沖の方から来たのは、人魚達の部隊である。

「ヨーツレット元帥! ご無事でしたか!」

「うむ。 連絡が早くて助かったぞ」

「そんな。 当然のことをしたまでです」

何だか照れている人魚。

おかしなものだと思いながら、ヨーツレットは出航を命じる。

それにしても、台風を避けて停泊しながら、ヨーツレットは思った。まだまだ自然の力は人間に比べて、魔物に比べても圧倒的だ。

だが、今はそれで良いような気がする。

魔物も人間も、自然の力を超えるようなものを手にするには早い。聖主がどのような暴走をたどったかは、魔王に直接聞いた。やはり、強すぎる力は、手にしたものを狂わせてしまうものなのだ。

一騎当千と言っても良い性能を与えられたヨーツレットでさえ、それは感じる。

出航した艦隊が、沖に出て、西に向かう。

海上で、ヨーツレットは、兵士を一人も失わずに良かったと思った。だが、それはあくまで思考の片隅。

これから魔王軍はどうするべきなのだろうと、より強く考えていた。

 

1、引退

 

魔王が引退する。

その情報は、瞬く間に魔王領を駆け巡った。

半数はショックと共にだが、残り半数はああやはりという声も大きかった。というのも、既に魔王軍では、人間への戦意を魔王が失っていることが知られていたからである。どういう経緯か、魔王の死んだ孫娘がよみがえったらしいと言う話も、広く伝聞されていた。

人間に対して復讐したいという魔物も数を減らしてきている。主戦派の魔物達でさえ、戦いはもう良いという声を上げるようになっていた。そして、それに疑念を抱く魔物は、殆どいなかった。

おかしなものだなと、イミナは思う。

人間は集団心理に流される生物だ。それは人間から派生した魔物でも同じであるらしい。個々は復讐心を蓄え込んで、人間と接するのは絶対に嫌だろうに。それでも、周囲がもう戦争は嫌だとなり始めると、影響を受ける。

今、イミナは、新しい魔王としての引き継ぎを受けているところだ。

魔王から、三千殺しの能力についても譲渡された。今後はこれを抑止力として、人間側に見せびらかしつつ、外交をしていかなければならない。

当の先代魔王はと言うと、北極に赴き、地下に残っている魔物達を説得しているところだ。環境厳しい北極からフォルドワードへ移住するように、先代魔王は粘り強く交渉を続けている。

マリアもその側で、手伝いをしているそうだ。

比較的魔王の世代交代は上手く行ったが、まだ問題は山積している。

「魔王陛下」

玉座のすぐ側に、気配が現れる。

クライネスだ。

「如何したか」

「幹部会議の招集時間です。 ヨーツレット元帥が到着なさいましたので」

「そうか。 すぐにはじめるように手配せよ」

「分かりました」

情報通信球が持ってこられる。

まだ、イミナは人間の形をしている。だが、それもいつまで持つか。既に服の下は、人間とはとても言えないような有様になっている。

だが、それでも。

イミナを人間と見なして、警戒する魔物は大勢いる。先代魔王のように、大量虐殺を迷うことなくこなさないと、彼らの信望は得られないのかも知れない。まあ、それはおいおい考える事にする。

九将と、それにグラ、パルムキュア、他にも幹部達が出そろう。アリアンロッドやサンワームも、忙しい中会議に参加してくれた。

「それでは、会議を始める。 グラ内務大臣、最初の議題は」

「は。 今後の補充兵の生産計画についてですが、状況が落ち着いた現在、これ以上の兵力増強は控え、インフラ整備を行うべきかと愚考します」

「まさしく愚考だな」

噛みついたのはグリルアーノである。黙って言わせておく。

グリルアーノは、別にグラを嫌っているわけではない。統治をやりやすくするため、敢えて数少ない主戦派の魔物達の信望が集まるように行動してくれている。

グラも、それを理解しているからか、何も言わない。

「ヨーツレット元帥の意見は」

「現在、前線に展開している人間の軍勢はさほど多くないとはいえ、今だ当方の戦力を凌いでいるのは事実です。 しばらくは旧型の補充兵を新型に変え、旧型をインフラ整備に回す形を維持していくのが良いかと思いますが」

「インフラ整備用の補充兵を作った方が効率的だと思いますがね」

反対意見を出してきたのは、グラから少し遅れて大臣になったポッドフォールだ。

ポッドフォールはトレント族と呼ばれる植物系の魔物であり、見た目はまんま木である。ただ彼の一族は動きが非常に遅いこともあって生き残りが数名しかおらず、しかも皆若い個体ばかり。

今回の戦争でも、後方でインフラ整備のことだけを考えて行動していた。

まだ若いと言っても、植物系の魔物。既に七百年以上生きており、それ故に大変博識だ。しかし北極で暮らしていたため背はあまり高くない。喋るのも、幾つかの枝を振動させて、音を出す形である。

だが、博識である故にか、ポッドフォールは九将と仲があまり良くない。

彼こそ、グラ以上に、反感を買いやすい立場にいると言える。ずっと後方での任務しかしていなかったのに、前線で命を張ってきた自分たちと互角の立場とは何事だ。そう言いたい九将の気持ちはよく分かる。

だが、其処は我慢して貰わなければならない。

「私は戦争のことはよく分かりませんが、少なくとも、フォルドワードだけでもインフラをしっかり整備しなければならないのは事実です。 今は国力が低すぎて、人間とまともにやり合っても勝ち目がありません。 インフラをしっかり整え、人材を集め、力を蓄えておかないと。 もしも次人間が攻めてきた場合、ひとたまりも無く滅ぼされてしまうでしょう。 また北極に戻りたいのですか」

「嫌に決まっている。 だからこそ、軍備を整えなければならないのだ」

グリルアーノが激高する。

咳払いの音。カルローネだった。

「まあまあ、双方共に落ち着くのじゃ。 それでは、こうしてはどうじゃろう。 新型の導入とインフラ整備用の開発を平行して行い、様子を見ながらその比率を調整する」

「しかしそれでは、中途半端になりません?」

グラウコスの冷静な指摘が入る。

カルローネにこんな事を言えるのも、古株のグラウコスだからであろう。メラクスはと言うと、ずっと腕組みして状況を見守っていた。

「中途半端にならないように、調整を細かくしていくしかないじゃろうのう」

「グラ殿、調整をして貰えるか」

「分かりました」

グラに話を振って、これは此処まで。

次の議論に入る。

 

一通り議題を消化し終える。書類仕事に入ろうかと思った所で、エルフの護衛兵が来た。

彼女らは随分魔王になついていたという話だが。イミナにはまだ警戒心が強く働いているようだ。

魔王には祖父のように接していたらしいが、イミナには完全に距離を保っている。敬礼もかなり堅かった。

「魔王陛下、ミズガルア軍団長からです」

「どうした」

渡された手紙を見る。

ミズガルアは、研究部門を一手に引き受けたが、同時にジェイムズの面倒も見る役目を背負うこととなった。

これがかなり厄介らしい。

ジェイムズは弟子達と一緒に魔王領に来たのだが、早速実験台が欲しい実験がしたいとだだをこね、ミズガルアだけでは無くマインドフレイヤ族達まで憤慨させているという。無理もない事だ。ジェイムズにとって、周囲が魔物だらけの此処は、文字通り天国に等しいだろう。

生体実験をしたいとかほざいているから、止めて欲しい。そう手紙には短く記されていた。さっきの会議で言わなかったのは、そこで問題にするほどのことでも無いと考えていたからだ。

だが、それも放置しておけば、いずれ大事になる。

イミナはジェイムズにも情報通信球を渡している。早速呼び出す。

ジェイムズは上機嫌だった。最近は異形化が進んできており、側頭部に幾つか目玉が生じていたが、本人は気にもしていない。

「ひゃはははは、どうしたかね、新魔王陛下」

「生体実験は禁止。 以上だ」

「ああ、その件ね。 分かっておるわい。 言ってみただけだよ」

流石に頭に来たが、此奴はそういう奴だ。今更怒っても仕方が無い。

頭を掻きながら、イミナは一応説教しておく。

「貴様が余計なことをすると、せっかくの今の状態が崩れる事もありうる。 私が魔王軍の幹部達から反発されずにいるのも、先代時代ではどうにもならなかったことを確実に解決しているからだ。 貴様の悪行は、貴様だけでは無くて、ジャドにも迷惑を掛ける事になる」

「分かっておるわい。 意外と御前さん、結婚して子供が出来たら口うるさくなりそうだなあ」

「その可能性はない。 私は子供をもう作れない。 寿命もないがな」

「わかっとる。 言ってみただけだよ」

釘は刺した。

一応監視は増やすように言っておく。

書類仕事を一通り済ませて、秘書官に次の仕事についての予定を聞く。各地の軍基地について、住民と摩擦が起こり始めているという。

戦略的に重要な土地が軍基地になっているのだが、こういった場所には豊かな土があったり、植林の際重要な場所であったりするものなのである。

オーク族の農民達は、軍基地から流れ出す有害物質をどうにかして欲しいと言ってきている。土地が痩せてしまうらしい。

だがその基地は研究所も兼ねていて、有毒物質の処理は難しいという事情もあった。

だが、今まではそうでも、今後は対処しなければならない。

基地の司令官と、農民達の代表から、それぞれ会って話を聞く。エルフの兵士のテレポートで現地に直接出向いて、視察もした。

結果、多少の整備を行えば、双方が納得する解決を行えることが分かる。今までは、そんなことに割くマンパワーも無かったし、農民達も戦時中だからと我慢していたのである。早速余っている補充兵を出して、作業をさせる。汚染物質は一旦槽に蓄えて、そこで魔術的な処理をして、無害化してから捨てる体勢を、一週間ほどでイミナは整えさせた。農民達に、イミナは語り聞かせる。

「既に汚染された土の処理に関しては、ミズガルアに調べさせる。 これ以上の汚染が出ないようにするから、我慢して欲しい」

「いえ、とんでもねえことでごぜえやす」

老いたオークの村長は、ゴブリンやコボルト達と頭を下げてくれた。

軍基地の司令官も、礼を言ってくれた。

「正直な話、魔王様の指示が無ければ、此処まで思い切った補充兵の動員は出来なかったでしょう。 感謝しております」

「指導者として、当然のことをしたまでだ」

基地を離れると、すぐに次の仕事に掛かる。

とてつもないハードスケジュールだが、面白くて仕方が無い。元々イミナは勇者という存在の暗黒面を担ってきた。シルンは腕は立つし魔術の腕に関して人類で右に出る者はいなかったが、残念ながら政治的な策略とこれ以上無いほどに無縁だった。

だから、イミナが守らなければならなかった。

いかなる手を使ってでも、シルンを守ってきた。ジャドと示し合わせて、暗殺をしたことも何度かある。

今は次期教皇確実のレオンが側についている上、何より魔王という最大級の抑止力が働いている。シルンを傷つける者はいない。

ただ、シルンを守ること以外にも、やはりイミナは、闇に手を染めることが何処かで楽しかったのかも知れない。

今、合理的に、あまりにも合理的すぎない範囲内で国をまとめていく作業が、イミナには楽しい。

これも、恐らくそれとは無関係ではあるまい。

一旦魔王城に戻る。月に何度か仮設魔王城に行くが、今は此処が魔王軍の拠点だ。

あちらは、先代魔王の隠居城と化していた。今はマリアと一緒に、彼処で静かに過ごしている。側には護衛のヴラド師団長もいるし、身の安全は考慮しなくても大丈夫だろう。意欲を失った上引退を表明した先代魔王に、いずれにしても政治的価値は無い。

書類を全て片付けてしまうと、むしろ手持ちぶさたになる。

しばらく考え込んだ後、エルフの護衛に命じた。

「ミカンを持ってきて欲しい」

「え?」

「聞こえなかったか? ミカンだ」

「直ちに」

まだ埃っぽい玉座の間で、イミナはミカンを食べる。魔王がこれ以上も無いほどに好んでいた果実だが、別にまずくもうまくも無い。

此処で取れるミカンはかなり品質が良いようだが、それでも普通の域を超えない。少なくとも、味で感銘を受けることは無かった。

だが、部下達には、違う意味を持つ行動である。

「またミカンを持ってきてくれ」

「あの、魔王陛下……」

「何というか、これを食べていると落ち着くな」

エルフの護衛達は少し嬉しそうにしている。

先代とイミナは違わない。それを見せておくことで、無用の心配は取り去っておく必要があるのだった。

 

仮設魔王城の一角。

小さな小屋で、既に先代になった魔王は、マリアと、その中に住んでいるアニアと一緒に暮らしていた。最近はかなり人格の切り替えが上手になってきていて、その気になれば即座に変えられるようだ。北極に行くことも多いが、そうしていない日は、だいたいここにいる。引退領としてはちょっと広めのこの仮設魔王城は、どのみち人間との戦いで最も長く定座にした場所である。

先代魔王は、ミカンを食べなくなっていた。

ぼんやりと、空を見上げる日が続く。思えばミカンをあれほど食べていたのは、多分糖分が必要だったからだろう。

今は皆のために、無い知恵を絞る必要も無い。

逆に言えば、今まではそれだけ無理を重ねていたのである。

「おじいちゃん」

「どうした、アニア」

「お料理出来たよ」

ひなたぼっこをしながら安楽椅子に揺られていた先代魔王は、孫娘の声に緩慢に振り返った。

アニアが、昼飯を作ったらしい。

最近は少しずつ腕が上がってきていて、以前のような酷い味では無くなってきている。マリアが教えてはいるようだが、それでも進歩はゆっくりだ。

今日は魔王城から送られてきたパンと、アニアが作ったスープである。スープは野菜を中心としているが、今日城で潰した山羊の肉も少し入っている。森の中で育てるには山羊は的確で、エルフ達がたまに肉を提供してくれるのだ。

「うむ、だいぶ美味しくなってきたのう」

「本当? 嬉しいな」

「もう少し肉が軟らかいと、儂には最高じゃのう」

まだ、先代魔王の弱った顎には少し肉が固い。肉を軟らかくする方法はいくつかあるだろうし、マリアに教えて貰いながら、覚えていけば良い。

柔らかい日差しの中、がさがさと草をかき分ける音。

城壁近くのこの小屋は、温泉とも近い。その代わり執務を行う玉座の間とはだいぶ離れているので、結構草深いのである。

草をかき分けて現れたのは、ヴラドだった。

何度も何度も失敗して、それでも忠義と地道な努力で、先代魔王の護衛を続けた師団長。バジリスクという生き残りが殆どいない種族の代表である彼は、その石化能力で他者を傷つけないように、いつも目を細めている。

「魔王陛下」

「もう儂は魔王では無い。 ただの爺じゃよ」

「いえ。 今でも私にとっては、貴方だけが魔王にございます。 イミナ殿は有能な指導者ではありますし、我ら魔物の長としては申し分ない技量を有していますが。 忠義を捧げるのは貴方だけです」

ヴラドがバスケットを下ろす。

今日の仕送りだ。エルフ族が収穫した、森の幸である。キノコから果実まで、様々に揃っている。

中には、調理が難しいものもあった。

「マリアよ、これの調理は可能か?」

「ちょっと、私には」

そういってつまみ上げたのは、リム虫という大きな甲虫である。花粉を食べる手のひら大の甲虫で、調理するととても美味しい。

ただし、非常にグロテスクな上に、調理にこつがいるのが難点だが。

「ヴラド師団長、済まないが森に住むエルフを呼んできて貰えるか」

「それが、今は補充兵しかいない状態です。 この収穫が終わったところで、テレポートの要員として呼ばれてしまって」

「ふうむ、それは困ったのう」

「それならば、料理人を呼んで参ります。 リザードマンの料理人が厨房にいますので」

だが、誇り高いリザードマンは、仕事中に厨房を離れたりしないだろう。ヴラドが頭を下げるのも悲しいことだ。

「マリア、行ってきて、教わってきなさい」

「分かりました。 ヴラド師団長、おじいちゃんをお願いします」

「何が来ても守り抜いて見せます」

「大げさじゃのう」

暖かい日差しの中、つい眠ってしまう。

毎日遅くまで働いていたのが、嘘のようだ。聖主によって闘争本能を削られる形で洗脳されたと聞いたときは、怒りも沸いた。

だが、今はそれで良かったかも知れないと、安楽椅子に揺られながら思う。

ずっと悲しんでいたアニアも、もう悲しんでいない。

それに、アニアの亡骸も、ようやく埋葬することが出来た。あの亡骸を見て、どれだけ先代魔王が苦しんできたか。

守れなかった。

救えなかった。

自分を責め続けた先代魔王は、ついに人間を許すことが出来なかった。自分を許せなかったから、かも知れない。

気がつくと、夕方になっていた。

到達者だから、もう寿命は気にしなくても良い。側に控えてくれていたヴラドに、安楽椅子から降りながら言う。

「ちと、儂と机上遊戯でもするか」

「お受けいたしましょう」

盤を並べて、駒を並べる。

頭を使わないと、完全に呆けてしまいそうな平和な世界。人類は、もう先代魔王にとってはどうでも良い存在だ。

あれだけ徹底的に殺したのだから、連中も充分償ったと言える。

連中の憎悪も、聖主の洗脳によってかき消えてしまった。ならば、もう戦う理由も無い。それなのに、どうしてだろう。

頭を使うとは言え、机上の遊戯とは言え。先代魔王は戦っている。

「ふむ、流石にお強いですな」

バジリスクは人間より遙かに大きい。当然前足も相当なサイズだ。だが、それでも器用に指先を使い、駒を動かしてくるヴラド。

先代魔王は、じっくり陣形を整えながら聞いてみる。

「儂が魔王に向いていないことは、そなたも知っているだろうに」

「政治家としても、軍人としても、貴方が二流である事は分かっています。 貴方が持つ三千殺しも、今や人類にとっては必殺の武器では無くなった。 そういうことですか」

「そうじゃ。 今の儂は戦う意欲もなくした、ただの爺にすぎん。 それなのに、どうして従ってくれる?」

「不快な話ですが、我々は人間と先祖を同じくしているそうですね」

ヴラドが、不意に話を変えながら、駒を進めてくる。陣に切り込んできた。

柔らかく攻勢を受け流すが、流石に若々しい攻めだ。実戦でヴラドは名将とは言いがたく、攻めは巧くなかったし、守りだって一流では無かった。だが粘り強く細かい指揮で、何度も苦境を凌いだ。

それでも失敗が続いたのは、相手が悪かったからだ。

「貴方には、恩義がある。 地獄も同然の北極の地下から、皆を救い出してくれたのは、間違いなく貴方だ。 今でも北極に出かけては、残ったわずかな魔物達を救い出してくれている。 そんなところが、多分「人間的に」好きなんでしょう。 私は」

「そうか。 軍人としての責務を全うする以上にか」

「ええ。 私は軍人としては無能でしたから」

攻めきったところを、反撃に出る。

やがて、僅差で先代魔王が勝った。そろそろ、夕暮れになる。器用に前足二本で遊戯台を掴むと、ヴラドがしまいに掛かる。

「手など抜けませんね。 全力でもまだ勝てません」

「何、これだけ巧くなったのなら、儂を抜くのなどすぐじゃて」

からからと笑う。ヴラドは先代魔王に毛皮のマントを掛けてくれた。

小屋の中に入ると、暖炉に当たる。まだマリアは戻ってこない。伝令に控えている補充兵に声を掛けて、様子を見に行かせると、どうやら悪戦苦闘している様子だった。

リザードマンは職人気質の者が多く、中途半端な状態では返してくれないのだろう。戻ってきた補充兵によると、そんな料理を先代陛下に食べさせるくらいなら腹を切ると大まじめに言っているそうで、マリアは涙目になっているそうだ。

「儂は大丈夫だから、そろそろ戻るとええ」

「私も仕事はありませんから。 話し相手になってくださると助かります」

「やれやれ、人間を滅ぼすための最前線だった此処が、こうも暇になるとはのう」

羽音がした。

凄い風圧が、小屋の外で草を散らしているのが分かる。この荒々しい飛び方は、グリルアーノだろう。

案の定、姿を見せたのは、若き暴竜だった。

とはいっても、すっかり性格が落ち着いている今、暴竜と呼ぶのは気の毒かも知れないが。

「陛下はおられますか」

「グリルアーノ軍団長」

「おお。 丁度良いところに。 少し前に取れた山の幸を持って参りましたぞ」

グリルアーノが、口に咥えていた大猪を、どさりと落とす。

彼が監督しているキタルレア南部戦線付近は、かってのソド領から見て南に位置する辺りだ。あの辺りにはまとまった森など無く、山は殆どが禿げてしまっており、生体系は壊滅していたはずだが。

多分それを見越してだろうか。

グリルアーノはからからと笑った。

「まだ、はげ山のままです。 グラ大臣の所の、何でしたっけ。 そうそう、カーラとかいうエルフ型補充兵が指揮をして植林をはじめてますが、それでも追いついていませんしね」

「ならばこの猪はどうしたのじゃ」

「ソド領まで北上して、途中で取って参りました。 あの辺りはパルムキュアが人間共を使って植林をしておりましてな。 それに森も幾らか残っていて、猪もいるのです」

「そうか」

戦争が終わって二年になる。

パルムキュアが頑張って植林を続ければ、生体系の回復もかなり早いだろう。それにしても、パルムキュアが管理しているソド自治区を、まだソド領と呼ぶのは、グリルアーノくらいだろうか。

「パルムキュア師団長は、突然の訪問を怒らなかったかのう」

「陛下、もう師団長では無く、侯爵です」

「おお、そうじゃった」

侯爵は人間が言う貴族の地位だが、これはパルムキュアだけが持っている。というのも、ソド自治区を管理するのに、人間が分かり易い地位を持っていた方が良いと、魔王が考えたからだそうだ。

先代魔王としては、この辺りの発想は思いもつかない。

実際には侯爵と言いながら、王としての権限はだいたい持っている。唯一持っていないのは軍事権で、これがパルムキュアの独立を防ぐために必要とされていた。

軍事を統括しているのは、サンワーム副軍団長である。彼の率いる副軍団の内、四個師団およそ六万がソド自治領を防衛している。副軍団第二支軍と呼ばれるこの戦力は、予備兵力としてソド出身の人間も含んでおり、魔王軍としては制式に、人間としての軍人を含んだ初の部隊となっている。

なお、この部隊は女王ユキナの提案で、師団長の一人が人間である。

かってメラクスと戦って生き残ったという逸話がある、グラント帝国のジャンヌという女がそうだ。

この辺りの人事については、大胆すぎて先代魔王としては驚くばかりだ。

だが、もしもソドの人間が反乱を起こしても充分に押さえ込める体勢が作られており、目だった善政が敷かれていることもあって、反乱の気配は無いと言う。

「色々気に入らないところはありますが、今の魔王がやり手なのは事実でして。 悔しいですが、政治的には確実に陛下よりは上だと思います」

「何、悔しくは無いて。 そうでなければ、儂もあの娘に地位を譲ったりはせんよ」

「……」

グリルアーノは複雑そうだ。

彼が一番最後まで、新魔王には反対したのである。直接刃を交えたことがあるヨーツレットでさえ反対はしなかったのに、だ。

今でも、グリルアーノはこうして、先代魔王の所に差し入れを持ってくる。

魔王はそれを咎めることは無いようだが、あまり頻繁すぎると、グリルアーノ自身の立場が悪くなるかも知れない。

マリアが戻ってきた。疲れ切っていたようだが、グリルアーノを見ると笑みを浮かべる。ミトンを付けた手には、ほかほかの鍋があった。

「グリルアーノ軍団長」

「アニア王女、ご機嫌麗しゅうございます」

「あの子は今寝ています。 いつも差し入れありがとうございます」

「ふん……。 貴様に用は無い」

相変わらず、マリアには態度が冷たい。だが、マリアは気にしていない様子だ。

グリルアーノには、この鍋は小さすぎる。かといって人間に変化する術などグリルアーノは使えない。

適当に二三挨拶をすると、若竜は風も荒々しく、自身の管轄地へ飛び去っていった。

「忙しい方ですね」

「それよりも、良い香りじゃのう」

「ようやくできを認めて貰いました。 肩が凝って大変でしたが」

「そうかそうか。 さあ、食事にしよう。 ヴラド師団長も食べていってくれ」

皆で鍋を囲む。

やがて、夜も更けて、就寝の時間が来る。

ゆっくり、周囲の時間は流れている。

「儂はこんな老後に憧れていたのかも知れぬのう」

「随分遠回りを為されましたな」

「否。 儂が人間だった頃、周囲は地獄そのものじゃった。 肉親という連中でさえ、儂の財産を虎視眈々と狙い、如何にして奪い取るかばかり考えていた。 アニアが殺されたのも、儂がこつこつと作った財産を相続させるのでは無いかと、奴らが考えたからじゃった」

今だからこそ言うが。

最初期の補充兵であるゴブリン、オーク、コボルトの各型は、先代魔王の肉親だった連中をベースに作った。死んだ後も永遠に苦しみ続けろというのが、先代魔王の意思だった。人間を殺すのは人間如きで充分というのも、先代魔王の含みだった。

今では、もうそれもどうでも良い。

億を超える人間が死んだのだし、先代魔王にとっても、既に復讐は完遂されたのだとも言える。

鍋が空になった。

確かにリザードマンの料理人に仕込まれただけあって美味しかった。肉も軟らかかったし、味付けも申し分なかった。

「さて、儂はそろそろ寝るとしよう。 明日は早朝から、山を歩くとしようか」

「お供いたします」

先代魔王のたった一つの願いは、アニアと静かな老後を過ごすことだった。

若干思い描いていたものとは違ったが。今は、それが充分にかなえられていると言えた。

三千殺しの能力についても、既に今の魔王に渡してある。

既に先代魔王は、「三千殺しの魔王」では無くなっていた。

 

2、緩やかなる進歩

 

西ケルテルがまた一つ、南部諸国の小国を併合した。兵を進めたのでは無く、請われて統合したのである。それに伴い、国の名前をケルテル連合国と変えることとなった。

グラント帝国が軍を引いてから、混乱が加速したからである。そもそも南部諸国は既にどの国も政治的な求心力を失っていた。

これで聖主による洗脳が行われる前だったら、目も当てられないカオスが生じていたことだろう。西ケルテルの軍事力を当てにして無数の派閥が争いを開始して、秩序が完全崩壊していたことは疑いが無い。

しかし、聖主による洗脳のせいか、各地で混乱は起こっていたが、それが即座に武力衝突に発展することは無かった。

ユキナは一つずつ、南部諸国の東側にあった国を併合開始する。キタンとグラント帝国の大軍勢の中間にあって独立を保ち続け、アニーアルスの精鋭を併合した西ケルテルの軍事力は精鋭で、何より抵抗する者が殆どいなかったので、併合はスムーズに進んだ。支配を共用するのでは無く、可能な限り現地の名士を登用して、更に文官を派遣することで、混乱を押さえた。問題が起こしそうな人物は一旦拘束してから調査し、場合によっては投獄、刑罰を加えた。

主力になっていた元アニーアルス軍三万余は、殆ど休む暇も無く、一年以上各地を駆け回った。グラント帝国が悪辣なやり方で旧支配者層を追い払ったり殺したりしていたので、各地は殆ど無政府状態だった。

ユキナがシルンやイミナと一緒に育て上げた軍勢も、それに次ぐほど忙しかった。

一番忙しかったのはなんと言ってもユキナで、ほぼ二年間、全く休む暇が無かった。休憩は食事と風呂と寝るだけ。その風呂も、毎日はいる事が出来るとは限らず、数日に一回程度になる事も珍しくなかった。

当然食事には、疲労回復のために甘いものが増えたが。

それでも、人間を止めていたから、耐えられたのだろうと思う。

やっと落ち着いてきたのが、和平が成立して、一年半を過ぎた頃。皮肉なことだが、各地で民心を落ち着かせるために一番活躍してくれたのは、軍人では無くエル教会の司祭達だった。

多分シルンが手助けするように、指示を出してくれたのだろう。

或いは教皇になったというレオンが手を貸してくれたのかも知れない。

どちらにしても、併合はスムーズに進んでいき、一年が過ぎた頃には西ケルテルの版図は三倍を超え、二年後には五倍に達しようとしていた。

そして、国をケルテル連合国としたのである。

首都は変えていないが、今後名前を変える予定はある。いずれにしても、魔王軍の侵攻に備え、首都を移動する予定は無い。南部諸国連合の内、後グラント帝国との緩衝地帯にある幾つかの国が併合に応じていないが、それを併合してしまえばいったんは終了である。少しは休む暇も出来るだろう。

安定すると、調子に乗って穴蔵から出てくる旧支配者層の者達もいる。

そういった連中は、当然国の支配権を返せとかいってくる場合もある。そういう連中に対応するためにも、早めに国としての体制を整え、民心を掌握しておく必要があるのだった。

併合を受け入れた国から帰還。

ユキナは久しぶりに居城に戻り、風呂に入って埃と汗を流した。まだユキナの体は人間の部分が多いが、既に人間では無くなり始めている部分もある。生理がかなり不定期になってきていて、近々止まるのでは無いかと感じる。まだ二十代なのに、である。

それだけではない。

ジェイムズの話を聞いたが、奴は魔王領に去る頃には、もはや人間とはとても思えない姿になっていたという。

体中に目が出来口が出来、おぞましい臓器が手にも足にも生え始めていたそうだ。

ユキナも、そうなってもおかしくない。

更に言えば、キタンのハーレン王である。彼は魔王軍との和平がなってすぐに他界したのだが、遺体はとても他者に見せられる代物では無かったと聞いている。完全に崩れてしまって、肉塊も同然だったそうだ。

不老不死になれば、まだ良いのかも知れない。

ユキナはどうなるか、まだ分からない。異形とかして生き続けるのか、無理が出て命を落とすのか。

或いは、そもそも魔物にならないのか。

この生理不順も、不規則な生活で無理をしているから、かも知れない。何もかもを悲観する事もない。

執務室に出て、すぐに書類の整理に掛かる。

上がって来た陳状の中には、くだらないものから、非常に重要なものまで、雑多な内容が含まれていた。

クドラクや他の参謀にも担当はさせているが、こういう辺りは、まだケルテルが軍事国家である良い証拠である。

今後は文官達の地位も拡大して、作業がしやすいようにしていかなければならなかった。

「少し寝る。 何かあったら起こせ」

「はい」

侍女達に言うと、寝室へ。

疲労の蓄積が尋常では無いので、寝台に倒れ込むとその時点で意識が飛んでしまう。起きた頃には、だいぶ疲労が回復はしているが、どう考えても健康的な行動では無い。

あくびをしながら、背伸びをする。

ユキナは今やカリスマだ。

誰もが知っている。ユキナがハウスメイドから成り上がりながら、常に魔王軍との先頭の最前線に立ち、南部諸国の民を守り続け、グラント帝国やキタンとも渡り合って独立を維持したことを。

旧体勢が殆ど崩壊していることもあって、ユキナを見下せる貴族や王族がいなくなっている事も、そのカリスマを後押ししているだろう。

だからこそに、こういうだらしない姿を見せられない。

ユキナに夫を、という声はある。

子孫を残して、早めに政権を安定させて欲しいと言うのだろう。だがそもそも子供が作れるか分からないし、作ったところで何が生まれるか知れたものではない。

そういう覚悟をしてユキナは人間を止めた。

だから、いずれ養子を取ろうと思っている。夫は必要ない。

身支度をしてから、寝室を出る。執務は少し寝ていた間に、また山と溜まっていた。これでもかなり減ってきた方である。一時期は、書類に目を通している暇さえも無かったのだ。

「カーレン王国が、併合の打診を受け入れたか」

「はい。 しかしカーレンには銅鉱山があり、グラント帝国が渋っているという話も出ています」

「だったらくれてやれ。 銅鉱山はグラント帝国にくれてやる。 その代わり、カーレンの民は此方で引き受ける」

「よろしいのですか」

別に構わない。

以前聞かされたが、この世界は資源の塊だ。実際問題、どこを掘り返しても膨大な資源がわんさか出てくる。銅鉱山などと言っても、比較的よく銅が取れる、という位であって、別に国家存続に必要不可欠な存在でも無い。

それよりも、今は民の安寧が先だ。

畑ももっともっと増やさなければならない。

南部諸国は、魔王軍との戦いで、最も激しい戦場になった。民は多く死に、それ以上の数が故郷を追われるか、或いは魔王軍に降伏した。

結果、逃れてきた民は、ケルテルや他の土地に移住せざるを得ない。彼らを養うためのインフラは、まだ整いきっていないのだ。

まずは食料。

次に住居。そして仕事。

膨大な金が必要になる。幸いながら、資源自体はどこでも有り余っているから、それだけが救いか。

カーレンの併合には、クドラクを折衝に当たらせる。恐らく二ヶ月くらいで併合は完了するだろう。次に、人材の育成だ。軍人は有り余っているから、その中から文官に転職できそうな者を見繕ったり、或いは民間から抜擢する必要がある。

学校などを、再建する事も必要だ。

最終的に、ケルテルの領土は元の七倍くらいになるはずだ。当然現在の政治機構では統治はとても無理である。

早めに人材を育成し、或いは民間から抜擢しなくてはならない。ユキナ一人では、広大な領地を治めるのはまず無理だ。そもそも命令が届かない。

そして、各地に執政官を派遣した後は、監視役も必要になってくる。

「ユキナ陛下」

顔を上げると、執務室に、騎士達が揃っていた。アニーアルスから逃れてきた者達が殆どである。

皆が集まって、どうしたというのか。

しかも、接近されるまで気づけなかった。よほど疲れているという事である。

「少しお休みなさいませ。 クドラク軍師が心配しておりました」

「私が休めば、それだけ民の苦しみが増える」

「今は安定しはじめています。 むしろ、陛下に今倒れられたら、ケルテルは空中分解してしまうでしょう」

「……そうだな」

文官達も、続けて諫めに来た。

どうやら相当ユキナの状態は悪いらしい。鏡を見ると、目の下にくまができていた。

なるほど、納得がいく話だ。

「栄養価の高い食事を。 食べたら寝る。 できる限り、私の睡眠を妨げないように、皆で処理をしてくれ」

疲労は判断をミスさせる原因になる。

ユキナは部下達のいさめを聞いて、さっさと休むことにした。

 

数日後、キタンから使者が来た。

ハーレン王が死んだ後、その末っ子であるリアーレが跡を継ぎ、王になったのだが。どうも上手に統治が出来ていないらしい。

内乱がどうのこうのという話では無い。以前だったらほぼ確実に国が分裂するような状態であっても、今はそうはならないからだ。

幾つかの決済に、アドバイスが欲しいと言う内容だった。しかも、内密にである。

「キタンには人材がいないのか」

「否、ユキナ陛下がそれだけ優れた指導者という事にございましょう」

「さて、それはどうだか」

此方の出方を試しているのか、或いは能力を測っているのかも知れない。

ハーレンは一代で勢力を築き上げた男であり、その子らに人材はいないと聞いたことがあった。リアーレも良くも悪くも凡人だったはずで、一見すると内容はおかしくないようにも思える。

だが、戦争が無くなっても、人の世の闇が消えるわけでは無い。

書類を読み進めて、決済に大まじめに返答を書く。そして、最後に付け加えた。

よその国の王族に相談するなど言語道断。信頼出来る部下を作り、その者達と協議することで決済するようにと。

厳しい返答だが、これで良い。

しばらくして、謝罪の書状が来た。何だかユキナはどっと疲れた気がした。

「グラント帝国はどうなっている」

「カルカレオス皇帝が王妃を制式に迎えたそうです。 王妃となったのは貴族では無く、献身的に彼を支え続けた侍女だとか」

「そうか」

そういえば、側に影のように付き従っていた侍女がいた。見た感じ、相当な武芸の使い手のようだったが。

だが、恐らくカルカレオス皇帝は、ハーレンやユキナと同じだ。子供を作れるかはかなり微妙な線だろう。或いはユキナと同じく、養子を取る道を選ばされる事になるのかも知れない。

周辺の国は、状況が様々だ。

キタンは厳しいことになるだろう。ハーレンを失ったことは大きい。キタンは英明な王に支えられていた部分があるからだ。ただし、今までと違って、簡単に国家は分裂しない。あまり無体な失敗をせず、腐敗を蓄積させなければ大丈夫だろう。

少し多めに休憩を取るようになったからか、判断もスムーズに行く。

後問題になっているのは、魔王軍との交渉だ。

相手側の窓口になっているのはイソギンチャクのような姿をしたパルムキュアで、侯爵の地位を持っているが、これは交渉と統治をやりやすいように新魔王が設定したのだという。

新魔王。

その正体を知る数少ない一人であるユキナは、あまり彼女のことを思うと、気楽にはいられない。

「ソドに派遣している外交隊は」

「少し前に帰還しました。 今、城に向かっていると言う事です」

「そうか」

今回の要求は、帰還を望んでいる人間の返還である。

とはいっても、元からソドにいる民は、魔王軍の統治を快く受け入れている節がある。南部諸国の西側に住んでいた者達が、ターゲットだ。

正確には、帰還と言うよりも移住に近いかも知れない。

だが、魔王軍はどういうわけか、人間そのものを確保しておきたいらしく、移住を中々認めてはくれないが。

使者に送ったのは、中年の男性である。髭を蓄えた、威厳のある文官だ。

玉座の間で報告を受ける。

報告を受ける最中、既に相手の顔色から、結果が芳しくないのは明らかだった。

「パルムキュア侯爵は、此方の要求を拒否しました。 これが親書になります」

「見せよ」

渡された親書に目を通す。

パルムキュアはイソギンチャクの化け物みたいな姿をしているが、触手を使って器用に文字を書く。

そして、その字は丸っこくてとてもかわいらしいのである。不思議な事に。

「残念ながら、陛下の要求には応じられません。 悪しからず」

大まかな文章の内容はそれだけである。

だが、その過程が中々に凄い。パルムキュアは非常に懇切丁寧に、要求に応えられないことを謝っていた。見ていて気の毒になるほどに、である。

「ふむ、理由については聞き出せたか」

「いえ。 ただ、妙な噂は聞きました」

「妙?」

「はい。 ソドの民に聞いたのですが、魔王軍は進駐してくると、墓を片っ端から暴いて、死体を北へ運んでいったというのです。 それからも死者が出ると、必ず役人が来て、死体を持って行ってしまうのだとか。 魔王軍の統治はいずれも素晴らしいし税も安いが、それだけは不安だと声が上がっているようでした」

腕組みして考え込む。

そういえば、おかしな事がある。

以前魔王軍は、侵攻した土地の人間を皆殺しにしていた。ソド攻略の辺りからジェノサイド戦略を取りやめたとは聞いていたが。

その代わり、今ある死体を必要とするようになった、という事なのだろうか。

もしもそうだとすると、目的は何か。

「他に何か分かったことは」

「兵の配置は、かなり内陸よりになっているようです。 前線から此方も兵を引いていることを、パルムキュア侯爵も把握しているようでした」

「そうだな、それくらいはしていてもおかしくない」

「魔王軍はいずれ魔王国になるが、その時貴国とは良き関係を作りたいと、パルムキュア侯爵は締めくくっていました」

何が良き関係だと、周囲では怨嗟の声も漏れる。

実際、逃げ遅れて魔王領に取り残されている人間はいくらでもいるのである。ただ、今まで見た感触だと、彼らはむしろ善政に保護されている可能性が高い。ただし、それはいずれ死体として資源活用するから、大事に扱う、という程度の気がしてきた。

もしそうなると、魔王軍はいずれ、領内の人間をジェノサイドしかねない。

家畜を殺すのは、飼い主の権利だからだ。

謁見が終わった後、ユキナは執務室に戻りつつ、側近の一人に聞く。

「ジェイムズと、連絡が取れるか」

「取れるかと」

一つ、ジェイムズを向こうに行かせる際、現在の魔王イミナと密約をかわした。

内部で連絡が取れる外交官を一人置くと。

それがジェイムズである。

ただし、連絡については、イミナが立ち会うという約束もしてある。

これは早めにはっきりさせておきたい。

 

ジェイムズとの連絡は、その夜の内に取れた。

イミナの側にいるジェイムズは、文字通り不死の怪物のようだった。既に人間では完全に無くなっている。

頭髪は全て抜け落ち、頭皮も溶けていて、頭蓋骨がむき出しになっている。その頭蓋骨にも幾つか目が生じていて、体ももう四肢の原型をとどめていない様子だ。ただし、妙に元気で、ユキナに対してけらけら笑った。

「如何なさいましたかなあ、陛下」

「差し支えなければ教えて欲しい。 魔王軍はどうして死体を欲している」

「そんなもん、補充兵の材料だからに決まっておりましょう。 うけけけけけ」

「他言無用に」

イミナが、ぴしりと言う。

今、イミナは三千殺しの改良を進めているという。もしもユキナが周囲に漏らした場合、三千殺しで条件設定し、即座に消すとも冷徹な発言をした。

ジェイムズを下がらせると、イミナは言う。昔のよしみからか、今でもイミナは、敬語でユキナに接してくる。

「聞いての通りです、陛下。 魔王軍にとって、人間の死体は貴重な軍事的資源であり、今後もインフラ整備用などに補充兵を作る場合、必須の存在になってきます」

「ソド領で、死体を暴いたのはそのせいか」

「そうです。 今後も善政を敷きつつ、しかし死んだ人間がいれば回収を進めていくでしょう。 人間にとって魔物が単なる資源だったように、魔物にとっても今や人間は資源になりつつあります。 お互い様ですね」

おぞましい話だ。

補充兵という正式名称は、ヨーツレットらと聖主を討つために集まったときに聞かされた。魔王軍の今まで見たことも無いような魔物の兵士は、殆どが補充兵だとも。

それで、何となく合点がいく。

ジェノサイド戦略は、兵士を増やすためだったのだ。勿論人間を殺し尽くして魔物の領地を広げる意味もあったのだろう。情け容赦ないといえばそうだが、魔物側には人間側と違って、領土欲や資源欲以外の、きちんとした理由があったわけだ。

しかし、どうして途中から戦略を切り替えた。

それを聞くと、しばらく腕組みした後、イミナは言う。

「他言無用に」

「分かっている」

「最初、戦略を切り替えることを考えたのはヨーツレット元帥らしいです。 理由は、どうもこのまま戦っても、人間を絶滅させるのは無理だと判断したから、というものらしいですね」

「……なるほど」

合点がいく。

共同作戦を採ったときも、魔物側は決して人間に心を許していなかった。親人間派と聞いていたヨーツレットでさえ、である。

つまりそれは、やむなく共同戦線を取った、という事であったのだ。

実際問題、足並みが揃っていなかったにもかかわらず、人間側の戦力は魔物を明らかに凌いでいた。魔物側の戦線は明らかに伸びきっていて、アニーアルスの陥落が彼らにとって最後のがんばりだっただろう。

魔王がいてさえ、それに変わりは無かった。戦いが続いていれば、キタルレアは数年以内に、人間の手に奪回されていたことは疑いない。そうなれば勢いづいた人間は、フォルドワードにも殺到していただろう。

聖主が現れたタイミングが良すぎることなど、多少気になることはある。

だが、それも納得できる偶然の範囲である。

「それでは、人間を此方に引き渡せないな」

「実験的に、犯罪者や少数の例外を其方に引き渡す、という事は可能ですが」

「否、それはいい。 状況が分かれば、此方にも手の打ちようがある。 ただし、分かっていると思うが、領内の人間も数を増せば抵抗する力を身につける。 善政を止めた途端に一斉蜂起する可能性も高いぞ」

「分かっています。 此方は人間と違って寿命も長いので、善政のノウハウはそれぞれしっかり蓄積させておきます」

他にも幾つか話をした後、通信を切る。

それにしても、これは思ったよりも根が深い。民の返還を求めるなど、夢物語だろう。今まで人間は、利権と欲望が命じるまま、魔物に対する侵略を行った。

その報いかも知れない。

いずれにしても、幾つか手は打っておく必要がある。

鈴を鳴らして侍女を呼んだ。

「およびでしょうか」

「幹部を招集。 会議を行う」

「かしこまりました」

まず第一に、魔王軍が態度を変えた場合のマニュアルを、今のうちに作っておく必要がある。

イミナがソドや他の魔王領に囲っている人間を皆殺しにしようとするとは思えないが、そういう動きが出てきた場合、敵の前線を打ち抜いて、救出作戦を実行しなければならない。

それには単独では無理だ。キタンやグラント帝国とも連携が必要になってくる。当然、敵の前線を破るだけの実力を持った精鋭も準備しなければならないだろう。

そして、決めておくべき事は、もう一つある。

こちら側としても、軽挙妄動を押さえなければならない。魔王軍にもどうしようもない事情があるのだから、それに応じた動きを必要とする。

イミナには、人間の死体以外の資源を開発して貰うべく働きかけ、実現させなければならない。

いずれこれはどうやったってばれる。その時、反発しない人間などいないだろうから。

世界には、平和が来た。

だが、魔物と人間が本当の意味で和解できる日は、まだまだ遠いと言える。その遠い日に向けて、ユキナは努力を続けていかなければならなかった。

民は、ユキナにとって導くべきもの。

そして、好き勝手をさせてはならないものでもあった。

 

3、それぞれの行き先

 

エンドレンに戻ったレンメルは、何から片付ければ良いのかと思い、ちょっと憂鬱だった。

目にした激しい戦いは、正直忘れられそうに無い。

古びた教会の中で、神域の戦いが繰り広げられ、そして聖主が敗れた。おごり高ぶった神の代行者を気取る男は、自分が人間である事を思い知りながら消えていった。体は女だったようだが、見ていてどうしてか男だと分かったのだった。

問題は、その後だ。

エンドレンにテレポート部隊の手を借りて戻ってから、いくつもこなさなければならない事があることに思い当たってしまったのである。

海を見る。

あの先には、フォルドワードがある。

エンドレンは、元々戦乱の大地だった。大国が激しくしのぎを削り、軍事力を高めあい、負けた側は略奪の対象となって、全てを奪われる世界だった。

魔王によってその秩序が崩壊した。それから、様々な苦難があった。近くの港が、恐らく魔王本人によって消し飛ばされたこともある。

そして今では、群小の集落が、各地で独立している状況だ。元軍人達は帰農するか、或いは各地で警備員にでもなるか、選択しなければならない。

彼らは様々なものを失った。

かっては軍人達は特権階級だった。戦争に負ければ全てを失うという状況が、そうさせたのだ。

それなのに、今では軍人である事を殆どのものが捨てなければならない。特権階級がそうでなくなるばあい、当然生活水準を落とすことになる。不満が出るのは当然だ。逆に、特権階級では無かった者達から見れば、ざまあ見ろと没落を思う。

結果、放っておくと、対立は嫌でも深まっていく。

戦争そのものが世界から消えつつある今も、不安や不満はある。軍人達をどうするか、彼らにどう身を立てて貰うか、考えなければならない。

フォルドワードへの大規模侵攻も、エル教会が裏で暗躍していたとはいえ、軍人達にとっては必要なことであったのだ。此処で土地を地位を手に入れておかなければ、かって得たものを全て失う事になったのだから。

勿論、それは今は論外になっている。

「レンメル殿」

振り返ると、長老達だった。

今、少しずつだが、近隣の小規模勢力の顔役達が集まり、合議をするようになってきている。

レンメルも顔役なので、当然豪儀には参加しなければならない。近隣では、一番若い顔役の一人だ。

「またこんな所に来ていたのか。 合議をすると言っておいただろうに」

「分かりました。 すぐに行きます」

一緒に、近くの小屋に出向く。

かってこの辺りが軍事大国だった頃、金持ちなのは軍人と、軍需産業の関係者達だった。

彼らが没落した結果、一時期は酷い混乱が続いた。大きな建物は殆どが根こそぎ略奪に会い、或いは火を掛けられ、残っているものはわずかである。今レンメルが管理している村も、現在の形になるまでは、随分苦労が大きかった。

この近辺には、少なくともこの人数が入れる屋敷は無い。

今使用している小屋は、前に軍が作った一種の拠点で、偵察を行う兵士達の休憩所を兼ねていた。それが今では、近所の顔役達の集会場である。世の中は何がどうなるか分からないと言うが。十年前、この拠点が集会所に変わると思っている存在がいたら、それは聖主や魔王でさえも無く、神かなにかだろう。

「キノの村で、元軍人達が仕事が無いと言って怠けている。 彼らをどうにかしないと、村人達が皆反感を募らせることになるだろう」

「家を建てたり、畑を作らせては」

「畑の方は余っている。 というよりも、農民達が元軍人に、畑を触らせたがらない」

「なるほど、あり得ることですね」

農民達にしてみれば、やっと軍人の支配が終わって、戦乱の中荒れ果てた土を必死に耕して、死ぬ思いで作った畑なのだ。

それを何が悲しくて、元軍人に触らせなければならないのか。そう思うだろう。

それに元軍人達だって、元々搾取していた相手に頭を下げて、技術を教えてくれなどとは、中々言えない。

エンドレンに存在したどの軍事国家でもそうだが、軍人は一種の貴族とかしていた。彼らにしてみれば、農民や職人などは、如何に効率よく働かせ、搾取するか。そのためだけに存在している装置であり、人間では無かった。

それが、急に立場が逆転したのである。どう接したら良いのかさえ分からないだろう。

ただ、働かなければ喰うことが出来ない。

それだけは、誰もがしっかり把握している。だから、意欲は低くても、働かせる事は可能だった。

「誰か、連中を引き取ってくれないか。 三十人くらい」

「うちの村は無理だな。 軍人嫌いばっかりだし、何より無駄飯ぐらいを雇う金もないし、何より食料も無い」

「うちもだ。 まだ丸焼けにされた畑も家も再建できてねえ。 しかもやったのは、魔王軍に負けて帰ってきた軍人達だ。 ああ、山師だったかな、まあどうでもいい。 連中が火を付けたんだ」

口々に、嫌悪感がまき散らされる。

しばらく腕組みして話を聞いていたレンメルは、やがて地図上の一点を指さした。

「此処で、工事の話がありましたね」

「ああ、川を塞いでいる岩を取り除く奴な」

「岩を砕くの自体は、私がやります。 その他の作業は、彼らにやって貰いましょう」

レンメルが指さしたのは、幾つかの村に用水を提供している川である。大陸内地から流れてきているものではなく、近くの山から降ってきている細い川だ。

この川なのだが、少し前に落石で途中の流れが滅茶苦茶になり、用水の取得が大変に難しくなっている。

しばらく前から岩を取り除く話はあったのだが、なんだかんだで立ち消えになっていた。レンメルも忙しく、手を出す暇は無かった。

平和になったからと言って、レンメルが身につけた魔術の力は無くなったわけでは無い。むしろこういうとき、積極的に使うべきものだ。

「そうだな、名案だ」

「その代わり、彼らにつかえるようになった用水の沿岸に畑用の土地を与えてください」

「な……」

「それでも働かないようなら、私が彼らを引き受けます。 それで良いですか?」

村長達は、苦虫をかみつぶしたような顔をしている。

彼らの本音はこうだ。

役立たずを追い出したい。正確には、役立たずである元軍人達を、村からたたき出したい。

だがそんなことをすれば、彼らは混乱が酷かったときのように、山賊化したりするだけである。

だからこそ集まって、誰かに役立たずを押しつけたかった。それが彼らの本音だったのである。

しかし、レンメルが解決策を示したので、本音を飲み込まざるを得なくなった。

誰が見てもレンメルが正しいのが、彼らの不快感を更に刺激しただろう。人間は妙な生き物で、正論で論破されたときが一番不快感が募るものなのだ。

「分かった。 確かに、それが良さそうだ」

「悪くない案だ。 さすがは知恵者レンメル殿」

「いいえ。 それでは、工事の日取りは此方で決めておきます。 そうそう、元軍人達を説得するのは、其方でやってください」

キノ村長は、非常に不快そうに一瞬顔をゆがめたが、分かったと言った。

それで会合は解散になる。

外では、軍人崩れの何人かが待っていた。

元軍人と彼らが違う点は、一つ。エンドレンが大国同士で仁義なき争いをしていた頃、脱走したのが軍人崩れ達だ。彼らは皆、血で血を洗ったり、占領地で民を捕縛して奴隷にして売り払ったりする生活に耐えきれなくなったり。或いは戦傷で軍人としてはやっていけなくなった者達だ。

そういう経緯だから、最後まで軍人をしていた元軍人達とは非常に仲が悪い。

「レンメル先生、帰りか」

「ええ。 川を見に行きましょう。 元軍人達に手伝って貰って、工事をすることに決めました」

「へいへい」

川を見に行くと、落石で酷い有様だった。川の流れは寸断されていて、彼方此方に沼を作ってしまっている。

落石を砕くにしても、計算して順番に壊していかないと、一気に流水が麓を襲いかねない。一日や二日では出来ないだろう。

地図を軍人崩れの皆が作ってくれる。

流石にこの辺りは、元プロだっただけはある。

「先生、人数はどれくらいを予定してるんですか」

「五十人くらいですか」

「それなら一週間は見ておかないと駄目でしょうな」

「分かりました。 計画を後で皆で練りましょう」

皆に先生と言われているが、それはレンメルが元学校の教師だったからだ。そういえば、あれから時も経った。そろそろ子供達の中には、若者と言って良い年になってきている者もいる。

学校に、幼い子を産み捨てていく女も、たまにいた。

レンメルはどうにかして、学校としての業務を捨てたくないと思っていた。しかしレンメルの知識では、教えられる科目に限界がある。かといって、この近辺で、もうまともに教師をやれそうなのは、レンメルくらいしかいなかった。

村長としてよりも。教える者として、レンメルはありたかった。

しばらく川を見て廻り、それから帰宅する。キノの村の連中が、こっちを見ているのに気付いたので、黙礼。

やはり、話は聞いていたのだろう。かなり不快感が強いようだった。

かってだったら、これが諍いに発展したかも知れない。

だが今は、そうはならない。だがそれでも、絶対は無いだろう。早めに解決に向けて動かなければならなかった。

学校に戻ったのは、日が暮れてから。

油はどうにか胡麻科の植物から生成できるようになったので、明かりには困っていない。子供達は既に寝てしまっている。レンメルも、学業に割ける時間が、減りつつあった。かといって、レンメル以外に、この村をまとめられる人間がいないのも事実だ。

変な話だが、この村を守って最前線で戦い続けた事が、レンメルを誰もが認める指導者としての地位に安定させている。

確かに一番大事な時期、集落が出来るのにも、山賊や盗賊と化した元軍人から村を守り続けたのもレンメルだが。エル教会がエンドレンをまとめ上げた頃には、特に若者から煙たがられていた。

それなのに、また平和が訪れると、レンメルに指導者としての役割を押しつけてしまうというのも、おかしな話である。

しかし、レンメルがいなければ、この村はまとまらないのも事実。不幸になる人間も、大勢出るだろう。

嫌だと思う反面、責任を放棄も出来ない。

自分で肩をもみながら、レンメルは仕事を続ける。そして、ふと思う。

遠くへ来てしまったなあと。

責任感の欠片も無く、子供を見捨てて逃げていった同僚達は、今頃何をしているのだろう。のたれ死んだり、各地で帰農したりしているのだろうか。幸せにやっているとは、思えない。

かといって残って責任感のために仕事を続けたレンメルはどうか。

今は、幸せなのだろうか。

子供達を守れたことは確かだ。だが、自分はどうなのか。

鏡を見る。

何だか、随分老け込んでしまったような気がした。

 

尖塔の上に座り込んでいるのはプラムである。まるで獲物を狙う猛禽のように、手をかざして遠くを見ている。

レオンは少しためらった後、声を掛けた。

「プラム!」

「ん。 今降りる」

尖塔は天を突くように高い。

常人であれば、あれがプラムである事さえ認識できないだろう。レオンはしばらく無言でプラムを見ていたが、やがて面倒くさそうに降りてきたので安心した。

教皇になったのは、必然の成り行き。

周囲を固めている護衛は、いずれもシオン会の精鋭である。そして、その護衛の頂点に立っているのがプラムだった。プラムの実力は人間ではもう追いつけないレベルであるし、当然の話だろう。

此処は、南の大陸。

かって聖太陽都があった場所に再建が始まっているエル教会本部だ。資材も人員も有り余っているから、建設作業は進んでいる。

シルンを迎えるためにも、この教会は早く作らなければならない。だが、問題も多い。各地で徴募した人足は動きが鈍く、腕力もキタルレアの人間に比べてずっと弱かった。特権階級に浸りきってきた人間が如何に弱体化するのか、レオンは毎日見る羽目になった。

結果として、現在は主要部分の基礎が、やっとできはじめたところである。

毎日の仕事は、側にある小さな教会で行っている。朝の拝礼をした後は、ずっと書類仕事だ。シオン会やエル教会の各地教会から持ってこられる案件に、今のところレオンは全て目を通していた。

隣でプラムが大あくびを遠慮無くしている。

つまり、安全と言う事だ。

「プラム」

「おなかすいたー。 外で何か食べてくる」

「出来るだけ早く戻れ」

無言で頷くと、眠そうな目をこすりながら、プラムは外に歩いて行く。レオンのことを思ってくれるのは嬉しいが、相変わらず興味が無いことには全く関心を見せてくれない。少しでもやる気を見せれば、シオン会の護衛部隊も引き締まるだろうに。

書類を持ってこさせる。

教皇の玉座についてみて、先代聖主エル=セントがしてくれたことが相当に大きかったことを、レオンは今更に思い知らされていた。

かって、腐敗の極みにあったエル教会を、強引とは言え徹底的に改革。門閥貴族状態になっていた大司教達の内、能力が無い者を引退か左遷、渋る場合は死刑にして、人員をそっくり入れ替えた。

末端の優秀な司祭を多く抜擢したほか、闇としてエル教会の影に君臨していたシオン会も改革。ガルフがいなくなったとは言え、充分に引き継ぎが可能な状態で、レオンが接したときには残っていた。

この組織は、あまりにも巨大になりすぎた。

だから、尋常では無い規模で膿も溜まっていた。それを根こそぎ処理してくれたのは。紛れもなく先代聖主なのだ。

それには多くの犠牲が出たし、血も流れた。

だが、レオンが着任したときには、既に体勢が定まっていた。レオン自身が粛正をする必要性は無く、新しく聖主になることを宣言したシルンに、誰もがおとなしく従ったのである。

調べてみて、一つ興味深い事が分かった。

聖主の側近として仕えていた大司教からの情報だ。話によると、先代聖主は既に自分が負けた場合の処置を済ませていたのだという。

組織の引き継ぎと、その運営体制について。

レオンが教皇になったのは、彼らの嘆願があったから、という理由もある。皮肉な話だ。完全に打ち倒した後も、先代聖主はその存在感を示しているのだから。

あの男は、一体何だったのだろう。

神では無かった。人間だった。

だが、通常の人間と言うには、既に無理がある存在だった。到達者だから、というのではない。

やはりあの男こそ、歴史上何人もいない聖人だったのでは無いか。そう、レオンには思えてくるのだ。

どれほど最後に思い上がった行動をしていたとしても、これだけの準備を済ませて、最後の戦いに望むことがどれだけ大変か、言うまでも無い。

「教皇猊下」

「どうした」

「キタルレアのグラント帝国から使者が来ています」

「すぐに通せ。 失礼がないようにせよ」

かっては横柄に応対したと聞いている。だが、そのような悪しき慣例を見習う必要など無い。

使者は、驚くべき事に。テスラだった。

「これはお久しぶりですな。 以前とは立場が逆になってしまいましたが」

「昔語りよりも、まずは要件を述べていただきたく」

「これは失礼。 カルカレオス陛下から、此方の書状を預かってございます」

手紙を見ると、結構深刻な話であった。

グラント帝国では、長年続いた貴族合議制の中の悪しき部分を改革しようという動きが出始めているという。

その一つが、属州制の撤廃。

制圧した国を属州として、民を奴隷同然に扱うこの制度は、腐敗の末にすっかり悪しきものとなり果てていた。

かっては制圧下の国に文明をもたらし、生活を向上させる意味があった。だが今では農奴と奴隷兵士の供給を目的とした人身売買が横行し、民の怨嗟の的になっている。あきれ果てたことに、シオン会はこれを利用して、人体実験用の子供を獲得していたらしい。

イミナやシルンは、或いはキタルレアのグラント帝国属州出身者だったのかも知れない。フォルドワードに一部の奴隷が搬送されて、そこで人体実験が行われていた、らしいからだ。

「なるほどな。 改革をしたいが、カルカレオス陛下では門閥貴族を押さえきれないと」

「左様。 是非力をお貸しいただきたく」

「わかった。 エル教会は、グラント帝国属州の民に贖いきれない罪がある。 協力することで、彼らの悲しみを少しでも和らげることが出来るのなら、喜んで手を貸そう」

勿論、これだけが目的では無い事は分かっている。

テスラが出て行くと、執務室に。一旦文官達を外に出すと、プラムが代わりに入ってくる。腰にぶら下げているオーバーサンに手を掛けていたところを見ると、危険がそれなりにあると言う事だ。

「あのおじいちゃん、生きてたんだね」

「まだご壮健だ。 後二十年は生きそうだ」

「ふん。 あの人だいっきらい」

「其処まで露骨に敵意を示すのは珍しいな」

恐らく、生理的に好まないのだろう。

プラムもエル教会による邪悪な行動の結果、ジェイムズの毒牙に掛かって、人ならぬものとなり果てた。

だが、プラムはそれ自体を恨んだ様子は無い。

だが、レオンは知っている。レオンの前でも見せる。ひょうひょうとしているプラムも、時々激しい敵意を他人にむけることを。

理由は、まだレオンもよく分からない。

プラムは決戦が終わって二年経っても、人間の形のままである。風呂に入れている尼僧達の話によると、魔物化している様子も無いそうだ。レオンも、魔物化は進行していない。しかしプラムもレオンも、あれから全く年を取っていなかった。

プラムがレオンを好きらしいことは知っている。

だが、プラムは恐らく永遠に子供を産めるようにはならないだろう。ある意味不老不死は達成できているわけだが、それは悲しいことでもある。

「で、どうするの?」

「テスラは私も嫌いだが、彼が持ってきた話は受ける」

「そうじゃない。 彼奴、何か悪いことをしに来たんでしょ」

「そうだな」

手を叩いて、文官達と、シオン会のものを呼ぶ。

勿論、表沙汰には出来ない仕事をさせるためだ。

かって、こういった事はレオンにとって嫌悪の対象だった。絶対に許せないとも思っていた。

だが、実際に権力を得てみると、分かることもある。人間の世界は、きれい事では動かないのである。

特に国の利権が絡んでくると、その傾向は非常に強くなる。

場合によっては人間の命を奪わなければならないことも多い。これが先代聖主によって世界規模の洗脳が行われる前は、もっと過酷で苛烈だったことを思うと、レオンは悲しくてならないのだ。

だが、それでも。

今は大勢の幸せと命を守るために、やっておかなければならない事がある。

「テスラが乗ってきた船を探れ。 恐らく軍事の専門家か諜報員がいるはずだ」

「どういうことでしょうか」

「南の大陸の軍備を見に来たと考えて良い。 場合によっては侵攻するつもりかも知れないな。 悪質な場合は牽制のために何名か消せ」

世界から戦争は消えたが、殺人事件までがなくなったわけではない。

人間の闘争心は大幅に削り取られたが、無くなってはいないのだ。

戦争は利権から生じる。今は利権が良くても、殆どの人間の闘争心の消失によって、戦争は起こらなくなった。

だが、一部には、まだ大きな欲望を秘めていたり、野心を燃やしているものもいる。テスラもその一人だろう。

エル教会の情報網を通じて、レオンの下には様々なデータが入ってきている。世界から戦争は無くなったとはいえ、まだ小競り合いレベルでの争いは生じている。それが、現実というものだ。

何年かに一度は、戦争も起きるのでは無いか。

そう分析している識者もいた。実際、戦争は利権によって生じてくる。利権の争いも闘争心の減退によって減っては来ているが、それでも零では無いからだ。

「それと、発掘した古代兵器は」

「目録も出来ていますが」

「警備を増やせ。 奪われるなよ」

すぐに皆が動き出す。

古代兵器は、もっとも分かり易い力だ。レオンは使うつもりは無いが、ある事を示しておけば、抑止力として機能する。

それで充分である。

逆に言えば、だからこそに。他のものに渡すわけにはいかないのだ。

ばらばらと出て行くシオン会の幹部達を見送った後、レオンは言う。

「プラム」

「なあに?」

「幻滅したか、私に」

「んーん」

プラムは変わらない。

人間を止めても全く変わらなかったレオンは、権力を得てから、変わった事を自覚しているのに。

羨ましい限りだった。

「私をこれからも、手伝って欲しい」

「レオンは変わってないよ。 でも、変わったときには、斬ってあげるね」

「頼む」

情けない話であるが。

プラムがそうしてくれるというのは、とても嬉しい話だった。今や近接戦闘に関しては恐らく軍団長よりも上、到達者を除けば世界最強の存在であるプラムが本気になったら、阻止することは難しい。

つまり、レオンにとって、この上ない戒めになるのだった。

 

最初ヨーツレットが戻ってきたとうきうきしていたレイレリアは、少しすると見て分かるほどに消沈していた。

海の近く、岬の側である。部下達から離れて、一人で浮いているレイレリアを見つけたメラクスは、ゆっくり歩み寄っていった。

メラクスは義足の状態を確認しながら、ゆっくりリハビリを進めている。医師の話によると、今までの無理がたたって、体の中はガタガタだという。元々メラクスは魔族として相当な高齢だった。回復まで、どうしても時間が掛かってしまう。その上体は既に半分を取り替えているも同然の状態なのである。

メラクスが歩いてきたのを見て、レイレリアは気付く。

「レイレリア軍団長」

「何よっ!」

レイレリアは、機嫌が悪い。メラクスに対しての態度が、全てを物語っているとも言える。

苦笑したメラクスは、最後の挨拶回りに来たと告げて、驚かれた。

「え? ど、どういうことですか!?」

「もう体にガタが来ていることが明らかだからな。 多分アリアンロッドに地位を譲ることになるだろう」

「で、でも」

「良いんだ。 俺は戦争しか出来ない芸が無い爺だからな。 こんな体になったんだ、引退しなければならんさ」

少しずつ、魔物も数を回復しつつある。

ただ、今すぐは引退できない。アリアンロッドの後継者になれる人材が、まだ純粋な魔物の中に存在しないからだ。

補充兵の中に、優れた師団長は多い。

だが、純粋な魔物となると話は別だ。人事のバランスを考えると、まだメラクスは引退できない。

とりわけ、生き残っている数少ない魔族達の情けない有様を思うと、引退を決意した今も、すぐには無理だと思わされるのである。

少し歩こうと言うと、レイレリアは歩けないけどと突っ込みを入れてから、ふわふわ浮いてついてきた。

「ヨーツレット元帥のことか。 機嫌が悪い原因は」

「そうよ! いや、そうです」

「彼奴もこっちに戻ってきてから、軍政から民政への切り替えに忙しいからなあ。 構って貰えなくて悔しいか」

「そ、そそ、そんなわけないじゃないっ!」

激高したレイレリアは、風船状の体を回転させてぷんぷんしていたが、しばらくして落ち着く。

気性が荒い此奴も、以前ほどでは無い。

こればかりは、世界中を洗脳するという暴挙に出た聖主に感謝しなければならないだろうか。

「分かってるの、彼奴が私の事なんて、眼中に無いって」

「補充兵は子孫を残せない。 それなのにどうして恋愛沙汰にそうもこだわる」

「だって、好きなものは好きなんだもの」

つらそうに、レイレリアは言った。

この風船状の体に触手が生え、一杯目がついているという異形中の異形の軍団長に、どうして先代魔王はこんな乙女チックな心を与えたのか。それがメラクスにはよく分からない。だが、見ていて面白いのは事実だった。

それに、グラウコスが単為生殖で子供を最近産んだことも、レイレリアには刺激になっているのかも知れない。一人しかいなかったスキュラ族は、これで二人になった。三人になるにはまだしばらく時間が掛かるだろうが。

「魔王陛下に子供を作ってくれと頼んだらどうだ」

「えっ!?」

「血はつながっていなくても、子供がいたら何か刺激になるかも知れん。 どうせ生物的には子孫を残せないのだ。 補充兵として新しい子供を貰っても、損はあるまい」

「……」

冗談のつもりで言ったのだが、結構本気にしているので、ちょっとメラクスは驚いた。

そういえば、カルローネも、シュラが側で世話をするようになってから随分と物腰が柔らかくなった。

まるで子供のようなレイレリアも、育てるべき子供が出来れば、変わるかも知れない。

 

リハビリを続けている内に、サンワームから連絡が来た。

そして、内容を聞いている内に、思わず吹き出していた。

「レイレリア軍団長が、本当に魔王陛下に子供を要求した!?」

「どうやら本当のようです。 私も可愛い子供が欲しいとか言い出したらしくて。 グラウコス軍団長の子供を見に行って、何か感化されたようです」

サンワームは素直にそれを信じているようなので、メラクスにも責任の一端がある事は黙っておくことにする。

それにしても、グラウコスの子供は、まんま小さくしたグラウコスだったはず。単為生殖をする種族なのだから当然ともいえるが、どこが可愛かったのかはよく分からない。レイレリアも中身は女性人格だし、子供を見て何か感じるところがあったのだろう。

「それで、早速グラ大臣が第六巣穴で子供扱いの師団長を作ったらしいのですが」

「何があった」

「それが、ムカデ型が良いとか言い出したらしくて、魔王陛下に却下されたそうです」

「さもありなん」

レイレリアの良いところは、アホだがしっかり真面目に仕事をするし、士気も高い所だ。そういう願望が透けて見える事をしてやると、きっと道を踏み外す。

「それで、結局人間型に落ち着いたとか。 将来は空軍に出られるように、飛行能力を持つタイプだそうです」

「子供が欲しいとか言っていたのに、完成型の師団長を渡したのか?」

「ええと、最近開発された成長要素のある師団長で、最初は普通の師団長よりもずっと幼いそうでして。 レイレリア軍団長も最初はごねていたそうですが、今は何だか気に入ったようで、かわいがっているそうです」

「そうか、良かったな」

何だか聞かない方が良いことを聞いてしまった。メラクスは杖をつきながら、クライネスの陣に歩く。

クライネスはと言うと、この間の聖主との戦いにおけるデータ分析を続けているらしい。メラクスも引退する前に、できる限りの後進へ引き継ぎを済ませたい。メラクスのデータは、有用だ。

陣に入り、敬礼をする警備兵に鷹揚に応えながら、奥へ進む。

殆どの部下は、グリルアーノに連れて行かれてしまったし、古参の部下はもう生きていない者達ばかり。唯一いるサンワームは、副軍団長として重要な地位にあり、メラクスの側にはもういない。

何だか、最近体だけでは無く、心も疲れる。

武人として生きてきた。敵は倒し、味方を守り、必死に戦ってきた。

だが、それに何か意味はあったのだろうかと、不意に寂寥感を覚えることがあるのだ。味方を大勢しなせ、それ以上に敵を殺してきた。

人間の侵略から、皆を守り抜いた。

だが、今後人間の大規模侵略が可能性としてほぼあり得なくなった今、メラクスが存在する意味はあるのだろうか。

クライネスの本陣に着いた。

喧々諤々の議論が聞こえる。内容は少しだけしか耳に入ってこないが、多分兵器の配分についてだろう。

天幕に入ると、其処には意外なものがいた。

グラである。クライネスと議論をしているのは、今は大臣となり、完全にクライネスと同格になった、第六巣穴のグラだった。控えているのは確かマロンとか言う秘書官の筈である。

無口なマロンは、黙々と仕事をこなすようで、グラがずっと重宝して側に置いている。メラクスに一礼してきたので、鷹揚に返す。

咳払いしたのはクライネスである。

「どういたしました、メラクス軍団長」

「外まで議論が聞こえてきたぞ。 少し落ち着け」

「……」

むっとして、クライネスが黙り込む。

おおかた前線に配備されている兵器の扱いについて、グラがクライネスに異議を出したのだろう。

グラは居住まいを正すと、メラクスに対して言う。

「まだ我が軍の前線基地は、充分な兵備がされているとは言いがたい状態です」

「そうだな。 俺もそれは感じる」

クライネスは戦略を練らせると、誰もが認める優秀な存在である。戦術面ではどうしようもないが、それは仕方が無い事だ。

後方に完全に廻るようになってから、口うるさくなってきたが、それは別に我慢すれば良い。本人としても鬱屈があるだろうし、それくらい我慢してやる気にはメラクスもなっていた。

「私も、兵器の配備が不要だとは言っていません」

対して、グラが続ける。

グラは大臣になってから二年後、第六巣穴に制式に住居を構え、妻を迎えた。同じゴブリン族である。

ただしちょっと嫉妬深いところがあり、マロンが秘書官として申し分ない仕事をしているのを見て、自分も役に立ちたいと猛勉強しているそうだ。向上心溢れる良い妻だとも言えるが、秘書官に嫉妬してどうするのか。

結婚してグラは何か変わったかというと、特にこれといったものは見られない。グラは結婚前から十二分に落ち着いていたし、大物を相手にしても物怖じせずに意見を言う男だった。今でもその良さに変わりは無い。

ただ、グラの周囲の者達は、もっとグラと話したいと愚痴をこぼすことがあるとか、メラクスは聞いている。

「現在、人間は軍縮を行っており、各地で兵器が無駄になっていると聞いています。 我が軍で足りないのなら、それらを入手できないでしょうか、と言っているのです」

「どのような罠を仕掛けてくるか分からないというのにか」

「それには、注意していくしか無いでしょう。 まず中間地点のようなところで検査を行って、しばらく放置して危険が無い事を確認し、それから配備していく形で良いと思いますが」

「そのような迂遠なことでどうする!」

話を聞いている内に、だいたい両者のすれ違いの構図が見えてきた。

クライネスは、自力で人間のもの以上の兵器を生産したいのである。それで、人間側が軍縮で手放した兵器類をどんどん取り入れるべきだというグラの意見に反発している。一方でグラは、現実的に物事を見ている。誰が作ろうが、兵器は兵器。どうせ此方で改造解析するのだし、そもそも今配備されている兵器だって、以前の戦いで人間から鹵獲したものが殆どでは無いか。

どちらの主張にも一理ある。

クライネスの意見にも正当性は高い。いずれ人間が攻めてきたとき、連中と互角の技術力を有していなければ、対抗できなくなるからである。以前の戦いで、数の暴力と技術力によって攻めてきた人間により、魔王軍はさんざんな苦戦を強いられた。その苦戦のさなかにいたメラクスは、その辺りの主張がよく分かる。

一方でグラの言う事も正しい。

現状で、人間より技術力がどうしても劣るのは事実なのだ。それならばせっかくの機会なのだから、人間の知識を積極的に取り入れて、未来のための力にすれば良い。クライネスの考えは長期的な戦略に基づいているが、それは飽くまでロマン的なものであって、今は現実的な兵力を蓄えるのが先だ、というわけだ。

喧嘩になった理由は、それだけではないだろう。

「私から言わせると、そのような状況で、予算はこれ以上出せません。 今でも、軍事開発費の予算がどれだけ国庫を圧迫しているか、しらないクライネス軍団長ではありますまい。 せっかくインフラを整備して、国を強くしようとしているこの時期に、その流れを停滞させてどうするのですか」

「敵が攻めてきたら、インフラの整備もあったものではあるまい! 現在敵が攻めてくる可能性が低いと言っても、此方が隙を見せたら、いつ攻めこんでくるか!」

「その場合は、皆が力を合わせれば返り討ちに出来るはずです。 新しい魔王陛下は、こう言ってはなんですが、戦略戦術共に専門家の域に達しています。 それに、我が軍は軍縮をしたわけではありません。 最終的には負ける可能性もありますが、そう易々とは行かないと敵に思い知らせることも出来ましょう」

「もういい」

二人の議論を、メラクスが遮った。

多分グラの本当の狙いは、時間を稼ぐことだ。

今、魔王軍には、補充兵の材料である人間の死体の補給の宛てが無い。今とっくに千万に達している南部諸国で押さえた人間が、日々自然死して死体を提供はしてくれているが、それではもしも戦時になった場合足りないのだ。実際問題、戦争の終盤では、味方が深刻な補給物資不足に陥っていた。

恐らくグラは、魔王国が人間とまともに渡り合えるようになるには、補充兵の資源確保が上手く行くようになる事が絶対条件だ、と考えているのだろう。

「で、俺の要件だが、良いか」

「あ、はい。 何でしょう」

「グラ大臣もいるのだから丁度良いな。 俺の下に、優秀な純粋な魔物を派遣して欲しい」

「後継者作りですか」

グラは流石だ。ずばりと核心を突いてくる。

メラクスは杖をつきながら頷いた。

「俺もまだ引退する気は無いが、そろそろ後継者を作って安心はしておきたい。 今、魔王軍は純粋な魔物に関して深刻な人材不足だって事は分かってる。 だから、いっそ若い奴を俺が直接育てておきたい」

「分かりました。 誰か適当なものを見繕います」

「種族は問わないが、出来るだけ長生きの奴がいい。 頼むぞ」

クライネスが見送る。

だが、本陣を出ると、すぐにまたグラと喧嘩を始めたようだった。呆れるほど仲が悪い奴らだが、仕事はきちんとするのだし、これで良いだろう。

メラクスの仕事は、多分もうすぐ終わる。

その時のために、新しいものに引き継ぎを済ませなければならない。残ったときは、あまり多くないのかも知れなかった。

 

4、末の光

 

シルンが教会に姿を見せた。ふらりと姿を消したときと、全く同じ姿のままである。聖主が人間達の前に姿を見せるのは、七年ぶり。

既に、魔王軍と人類が停戦してから、三十年が経過していた。

勇者シルンの名前は神格化されており、同時に今では聖主の地位にも就いているため、その存在はエル教会にとっては絶対のものだ。だが、ひれ伏して案内をするという兵士達に、シルンは苦笑いした。

「いいよ、そんなにしなくても。 レオンは?」

「教皇猊下であれば、奥の聖堂で祈りを捧げておられます」

「分かった。 それじゃあ、待ってるから、適当に来てね」

シルンはそう言うと、側の石に腰掛けて、リンゴを囓りはじめる。

ちょっとこれは意地悪だったかも知れない。寄生型ナノマシンのネットワークから情報を得て、今拝礼の最中だと言う事くらいは知っていたからだ。

最初に姿を見せたのはプラムである。

ほんの少しだけ、背が伸びたかも知れない。顔つきは相変わらずだが、若干目つきが鋭くなっている。腰にぶら下げているオーバーサン二本だけは、前のままだった。

幸いにも、なのだろうか。

プラムは結局、この姿のまま人間を止めることになった。嗜好が変化する、以外のマイナス要因が無かったのは、果たして良かったのか悪かったのか。年を全く取らないことは、人間では無いと周囲に教えるようなものなので、普段はフード付きのローブで顔を隠している。そのため、プラムをレオンが飼っている魔術師だと勘違いしている者までいるのだそうだ。

「お帰りなさい、シルンさん」

「ただいま。 プラム、ちょっと背が伸びた?」

「三十年でほんのちょっとだけ。 やっぱりもう、子供は永遠に作れそうにないや」

自嘲気味の笑みを浮かべるプラム。

並んで座ると、最近の出来事について聞いておく。

エル教会は巨大な組織だけあって、ちょっと油断するとすぐに末端で腐敗が始まるという。レオンがしっかり引き締めているから致命的な事態にはならない。ただし、シオン会は大忙しだそうだ。

「何だか、最近は人間を斬ってばかり。 腐敗坊主の粛正でね。 粛正と言うよりもほとんど暗殺だから、手応えが無くてつまらない」

「そっか」

「レオンがそのたびに泣くから、嫌なんだよね。 ね、もっと根本的に、人間をどうにか出来ないの?」

「そう簡単にはね。 前の聖主の失敗を間近で見てるでしょ? 厖大なシミュレーションを繰り返して、それでも念には念を入れて動くくらいじゃないと」

人間の出生率については、そろそろ弄ろうと、シルンは思っている。人間の圧倒的な繁殖力に関しては、明らかな生物的欠陥だ。増えすぎるのである。

まして今や、世界中で平和が実現している。どこの国でも、この調子で増えられると、資源を食い尽くしてしまう。

そうなると、今度は利権では無く人口圧力で、戦争が始まる。

それは恐らく、今までの戦争に勝るとも劣らない、残虐きわまりないものになるだろう。何しろ喰うためなのである。敵を皆殺しにして、その食料を奪っていかなければならないのだから。

ただ、出生率を削りすぎると、今度は弱体化しすぎる可能性がある。

そのシミュレーションを、今福音を使って行っているところだ。既に六百万回ほど実験を繰り返して、だいたいベストの数値をはじき出すことには成功していた。

近々、数年以来には出生率の調整は行うつもりだ。

レオンが来た。

少し老け込んだか。顔の造作は変わっていないのだが、やはり心労が重なったから、だろう。

「勇者殿。 よく来てくれた」

「レオン、疲れてる?」

「ああ。 積もる話もあるだろう。 此方に」

迎賓館に案内される。護衛がつくと思ったのだが、プラム一人で充分と言う事か、誰もついてこなかった。

迎賓館には、すでにごちそうが用意されていた。

寄生型ナノマシンのネットワークにアクセスして調べてみると、なるほど。客の到来を予想して、下ごしらえまではいつもしてあるらしい。それを魔術で保存処理して、実際に客が来たら仕上げているようだ。

いわゆる山海の珍味ではなく、高価で無くとも美味しい料理ばかりが並んでいる。

これは、レオンの指示なのだろう。高くて珍しいものではなくて、美味しくてもてなせるものを客に出すことで、誠意を示しているというわけだ。

レオンはシルンとイミナと一緒に、野山を駆けまわった。その過程で野宿もしたし、必死に地獄から逃れようと生きる難民達とも接した。それに、彼方此方の国で、シルンとイミナの立場をよくするために、外交関連でずっと走り回っていた。それらの経験が、現実的な判断能力と、質実剛健な精神を養ったのだと言える。

迎賓館の巨大なテーブルでは無く、比較的小さな部屋で食事にする。

本当はもうシルンは食事を必要としていないのだが、それでももてなしはありがたく受ける。

「今度はしばらく此方にいられるのか、勇者殿」

「いや、すぐに福音の所に戻るよ。 人口圧力が心配になってきてるから」

「そうか。 確かに各国での人口増加が目立ちはじめている。 早めに手を打たないと危険だな」

「生きたトカゲ無いの? ごちそうじゃ無いじゃん」

深刻な話をしている横で、プラムが不満そうにぼやく。

そういえばプラムは、現在副軍団長になっているパラディアと今でも仲良くしているらしい。魔王軍と人間は、ケルテル連合を仲介にして、実験的に交流を持ち始めている。レオンはその最前線に身を置いているため、ソドに時々会いに行くそうだ。パラディアも殆ど背は伸びておらず、嗜好も合う上、力も殆ど同じなので、非常に気が合うらしい。

「お姉は?」

「三千殺しの発動は今の所確認していない。 魔王軍は軍備拡張を一旦停止して、今ではインフラの整備と種族の数回復に力を入れているようだ」

「そっか……」

イミナは、三千殺しの能力を手に入れている。これは既に確認済みだ。

何度かだけ、その発動も確認されている。

今、イミナが手にしている三千殺しは、かってよりも更に強力らしい。以前と違って、魔物や、魔物化している人間も殺せる対象に含んでいるようだ。

一番最近の発動は十年ほど前。キタンの将軍と、その配下が単独での魔王領侵攻をもくろんだことがあった。それに対して発動した三千殺しは、闇の福音を使って魔物化していた将軍も含めて、主だった連中を全滅させている。

当然、プラムやレオンも、イミナがその気になれば、何ら苦労せず地上から消すことが出来るだろう。

「ずっと勇者殿がここにいられる日が来れば良いのだが」

「難しいね。 今になって、先代聖主が暴走した理由が、よく分かるようになってきたの」

人は、業が深すぎる。

生物の範囲を逸脱してしまっている。

それはいけないと分かっているのに、手を出しそうになるのだ。福音を使えば、だいたいの調整は出来る。それが誘惑となって、心に手を伸ばしてくる。

先代聖主は、その誘惑に、あらがえなかった。

その結果、下手をすると人類を滅ぼしかねない、天罰という究極の生体破壊兵器を作り上げてしまった。

二の轍を踏んではならないという戒めが無ければ、なんど福音に、命令を出してしまいそうになったか。

食事が終わる。

幾つか、難しい相談をレオンにされた。それに対して、寄生型ナノマシンのネットワークから情報を検索して、応えておく。

世界は平和になった。

だが、それでも。

まだ、人間をそのまま放置は出来ない。悲しい話であったが。

「レオンは、変わらないでね」

「分かっている。 貴方をどのような手段を用いてでも守るとかって誓った。 結局私が守られる立場になってしまっているが、それでも誓いは消えていない。 貴方たち双子を、裏切ることは無い」

シルンは頷くと、その場を後にする。

福音に手を加える前に、姉に会いたかったからだ。後、ジャドにも。

 

やっと仕事が終わった。

グラはマロンだけを従えて、第六巣穴の山道を降りる。これから魔王イミナの所に赴いて、結果を報告しなければならない。最近は自宅で事務仕事をする事も多くなっていて、それだけが救いであったが、

ゴブリン族は人間より寿命が短い。

既にグラは老人になっていた。八人の子供と、二十五人の孫に囲まれて、だが安寧な老後という訳にはいかなかった。

当然のように年を取らない補充兵達の中で、自分だけが年を取っている。

後継者と思って育てている部下も何名かいるが、今だ隠居は出来ない。年々動かなくなる体と、制御が利かなくなりつつある心が、懸念材料だった。

メラクスが少し前に完全に引退した。それも、不安を煽る一つの懸念になっている。跡を継いだのは人魚族のメロウという女性将軍である。普段から桶に水を張って、その中で生活している。移動するときは、部下に桶を担がせてするのだ。

おっとりした性格で、メラクスの真逆ともいって良い後継者だが。部下達の心を掴むのが上手で、今では誰もが軍団長として認めている。実際、演習などでの兵士の動きは、見事の一言に尽きた。戦術指揮能力だけではなく、魔術の力量も相当なもののようだ。

後継者に恵まれて、羨ましいと本気でグラは思う。

「あにきー!」

どすどすと、品が無い足音。

ゴブリン族よりずっと寿命が長いトロール族だから、弟分のキバは若々しい。振り返ると、久しぶりに微笑がこぼれる。

「どうした、何か良いことがあったか」

「カーラがきた! なんかいっぱい、ごちそうもってるってはなしだ!」

「そうか。 じゃあ俺が戻ってから、みんなで食べようか」

「それがいい! あにき、いつかえってくる!?」

魔王との会談、幹部会議をすませ、それからソド自治領の視察。テレポート部隊に手伝って貰うとしても、帰りは深夜だ。

マロンを見るが、首を横に振る。今日は無理、という事である。

「すまんが、明日になるな」

「そっかあ」

露骨に眉毛をハの字にする気の良い弟分。

大臣になった今も、弟分のためならどんなことでもする気である。何とか、明日は時間を作っておきたい。

マロンも、その当たりの意思は汲んでくれる。

「分かりました。 明日の昼くらいから、時間を作っておきます」

「すまんな」

グラは気付いている。

寿命はもう、そう長くない。

先代魔王に抜擢されて、ヨーツレットをはじめとする幹部達にも評価されて、今の地位について。

まず、満足できる生を送った。

これが、最後になるかも知れない。医師達には、もうどんなに長くても五年は生きられないだろうと言われているのだ。長年働き続けた結果、内臓もダメージが大きく、幾つか持病と言えるものも持ってしまっている。妻は少し前に他界した。ゴブリン族でも子だくさんの範疇に入ったし、それだけ体のダメージが大きかったのだろう。

最後まで、妻はマロンが嫌いだった。

マロンに対して、妻は直接なじったことさえある。グラがマロンを性的な対象とみなしていない事は明らかだったのだが、それでも納得できなかったのだろう。泥棒猫とまで叫んで、ものを投げつけようとしたので、キバが止めた。代わりにキバが、クリームたっぷりのパイを顔面に投げつけられたのだが。

これはあの世があったら、向こうでも嫉妬されて、ヒステリーを起こされるかも知れないなと、グラは思った。

山の麓で、テレポート部隊が待っていた。

かってはエルフの戦士ばかりだったが、今は補充兵も多い。今日待ってくれていたのは、人間型師団長の中でも数少ない、後天的にテレポートを身につけた一人だ。レイレリアの子であるカリンである。

容姿は他の人間型師団長とあまり変わらないが、背中に薄い昆虫を思わせる羽が生えている。成長要素を取り入れた珍しい補充兵で、今ではすっかり大人になっている。だから、他の人間型補充兵より大人っぽく、人間の基準で言えば美しい。

「グラ大臣、お待ちしておりました」

「すまんな。 早速陛下の所へ行きたいが、いいか」

「分かりました」

艶然とほほえむカリン。

噂によると、レイレリアより大人っぽいとか、こっちが親じゃ無いかとか、散々言われているそうである。

前よりだいぶ穏やかになったとは言え、まだレイレリアは子供っぽいし、仕方が無いのかも知れない。

今、イミナは仮設魔王城に来ている。

先代魔王の事実上の隠居城であるここに来るのは、よほどの用があるからだろう。

キバをがっかりさせないためにも、出来るだけ早く会議を終わらせたい。そう、グラは思った。

帰って、家族と呼べる者達と、一緒に食事をする。

長い間魔王軍の中枢にいて。

グラが得た結論は、それだった。

その考え方が良いのか悪いのか、分からない。一つはっきりしているのは、帰るべき場所があって、大事にしたい。

北極で暮らし続けていたら、それは得られなかった。

それだけだった。

 

エピローグ、ヒトの行き先

 

会議を終えると、イミナは知らせを受けた。

シルンが連絡をしてきているという。自室に戻ったイミナは、控えていたジャドに、テレパシーを使って連絡する。

かっては魔術など使えなかったが、到達者になって三十年。今やあらゆる術式は自由自在である。

その中には、テレパシーもあればテレポートもある。攻撃、防御、回復、飛行、なんでもござれだ。先代魔王がかって得意とした、三千殺しも含まれていた。

戦争の際には乱用されていたこの術式は、人間に対する抑止力として、はじめて最大の効果を発揮できる。

そのためには、使いどころを吟味しなくてはならない。そして、それがイミナには出来る。

先代魔王は、カリスマには優れていた。或いは、起業家としても優秀だった。

だが、戦略戦術に関しては、素人の域を超えていなかった。ヨーツレットに軍事の全権を与えていたことなどからも、それは明らかだ。もっと彼が三千殺しを上手に使っていたら、或いは人類は負けていたかも知れない。

連絡を終えて、外に。

既に、妹と直接会える機会は殆ど無くなっている。レオンやプラムに至っては、外交の機会にごくまれに、くらいだ。

ユキナはまだ精力的に頑張っているが、そろそろ限界が近いだろう。彼女の場合、人間の姿を保ってはいるが、寿命が延びる結果は得られなかった。既に老婆のようになってしまっており、先は長くないと言われている。

闇の福音は、あまりにも体に入れるには、リスクが大きい。

イミナだって、それは同じだ。

人間だった頃の姿が懐かしい。

鏡に、自分を映してみる。

縦に裂けた額の第三の目が、存在感を発揮している。背中には翼があり、禍々しく赤く、そして全身からは複数の触手が伸びていた。

外観だけでこれだ。

体の内部は更に凄まじい有様になっていて、もし病気になった場合、治療は不可能だろうと医師が告げてきている。顔だけはかっての面影があるが、服を脱いで見せたら、もうかってイミナが人間だったと信じる者はいないだろう。

これが、力を得た結果だ。

恐らく、闇の福音を入れて上手く行ったのは、シルンだけ。

だがそれでいい。妹さえ無事であれば、イミナは満足なのだから。

部下達が、情報通信球を二つ持ってくる。

一つはレオン、もう一つはプラムに渡したものだ。そして、自分が持っているものは、シルンとの連絡用である。

運ばれてきたのは、ジャド。

硝子の球体に入れられている。既に完全に肉の塊になっており、かろうじて自我がある、程度に過ぎない。体中にある目が周囲をじっと見ているが、側にいるイミナを認識できているくらいしか分からない。瀕死の病人と言っても差し支えない状況だ。

ずっと影からイミナとシルンを守り続けてきた彼は、それこそどんなことでもやった。恐らくこれは、報いだろうと、意識がある内には何度も言っていた。

本人が納得しているのなら、それでいい。後は、せめて静かに眠らせてあげたい。そう、イミナは思っている。

皆が、情報通信球につないでくる。

いつぶりだろう。全員が通信を介してとはいえ、この場に集まるのは。

「お姉、久しぶりだね」

「元気にやっているか」

「うん……」

知っている。

シルンは、イミナの異形化した体を見て、自分の苦しみも引き受けたのだと思ってしまっていると。

もしそうならシルンは嬉しいのだが、これは完全に運が悪かっただけだ。

「福音に働きかけると決めたそうだな」

「出生率をちょっとコントロールするよ。 このままだと、人が増えすぎる」

「それが賢明だな。 レオン、混乱を避けるように手は打っているか」

「問題ない。 エル教会はもとより勇者殿の行動を全力でバックアップする」

それではまずい。

レオンがシルンに惚れていることは知っているが、忠臣なら諫められなければ駄目だ。いつも言っているのだが、レオンも年を取ってきたのかも知れない。老け込んでいるように見えるのは、苦労から、だけではないのだろう。

後で、軽く説教しておかないとならないだろう。生真面目すぎるから、レオンは若干まだ心配なところがある。プラムのいい加減さを少しは見習うべきかも知れない。

プラムがため息をつく。

「何だか、窮屈になったね。 どうして滅多に会えなくなったんだろう」

「そういうものだ。 互いに殺し合いをしなければならないよりは、ずっとマシだ」

「おれ、は」

ジャドが、言葉を発する。正確には、テレパシーだが。

もう自我も曖昧になっているが、たまに喋ることがある。既に生かされている、という悲惨な状況だが、それでも死は望んでいないようだ。

ジャドは見たいのだという。

自分が愛したシルンとイミナが、平穏に生きている様子を。それだけで、満足なのだそうだ。

「こういう場があるだけで、うれ、しい」

「そうか、ありがとう。 今後もこういう場を作れるように努力するよ」

ジャドのたくさんある目が、閉じていった。

眠ったのだ。もう、起きている時間さえ、ジャドは少なくなっている。

彼は犠牲者の一人だ。

この戦いは、小さな命を、人類の暴力的な思想が踏みにじることから始まった。そして、あらゆる弱い者が踏みにじられた。

だが、弱者が踏みにじられるのは、人間がほぼ世界の全てを支配していたときの方が、酷かったような気がする。

あらゆる暴虐の結果、人類は福音と聖主の登場によって、その絶対性を失った。だが、これから人類が適切な早さで進歩していけるか。他の種族との友好を築けるようになるかは、まだ分からない。

人はそれほど愚かでは無いと反論する者もいるかも知れない。

だが、宇宙に出てからの人類の歴史が、証拠になっている。

まだ、人類は。

いうならば、強大な殺戮兵器を手にしてしまった原始人と、何ら変わらないのだ。

少し油断すれば、シルンとイミナが争う状況が来てしまうかも知れない。

人間はその過剰な好戦性を失ったが、魔物だって聖人君主の集まりというわけでは無い。まだ、気を抜くのは、早すぎる。

「ヒトが宇宙に出るに相応しい精神を手に入れるまで、後どれくらい掛かるのだろう」

「お姉、それは分からないよ。 先代聖主のやり方は間違っていたって今でも思うけど、結局わたし達、苦しい方の道を選んだのは事実だと思うもん」

そう、結局、行き着く先はそれだろう。

近況を皆で話し合って、雑談して。夜明け頃に解散する。

これだけの時間を作れただけで、奇跡に近い。次に集まれるのは、いつになるのだろう。

人類が進化したときには、きっともっと会える時間が作れるはずだ。

だがその時には、ジャドは確実にいないだろうし、イミナはもう人間だった事が信じられないほどの姿になっているのは疑いない。

外に出る。

翼を広げて、空に。

高く高く飛び上がり、魔王領を、いやこの星を見下ろす。

時々全て破壊したくなるこの世界を、今後も維持していかなければならない。

それが、シルンを守るための絶対条件。

だから、イミナは魔王として、あり続ける。

ふと、時々隠居した先代魔王が羨ましくなることもある。だが、あんな生き方は、イミナには許されない。

笑う。

自分の愛が歪んでいることは、よく分かっている。

だがそれが自分だと言う事も。

鬱屈を晴らすように、自分の異形を見せつけるように。

魔王イミナは、明け方の空を飛び続けた。

かって地球では、魔王であるとされる星が、明け方に姿を見せたとか聞いている。それを思わせる、魔力の輝きを纏いながら。

人間を自在に殺せる生きた災厄、三千殺しの魔王此処にあり。

そう、眼下の者達に告げるように。

 

(暗黒寄生ファンタジーU三千殺しの魔王、完)