覆し得ぬもの

 

序、開幕

 

その戦いは、最初とても静かに幕を開けた。

ヨーツレットから降り立った魔王は、老人らしいゆっくりした歩みで、立ち尽くしている聖主に近づいていく。

距離が四十歩を切ったところで、魔王の右手がわずかに挙がる。

それに応じて、聖主が左手を挙げた。

両者の中間点にいた、融合不死者兵が、瞬時に蒸発。

だが、それ以上の破壊も殺戮も起こらなかった。ヨーツレットは四方八方から飛びかかってくる融合不死者兵と激しくぶつかり合いながら、その光景を見やった。何が起きたのかは、すぐには理解できなかった。

だが、何事も無かったかのように歩き出す魔王と、立ち尽くしたまま動かない聖主を見て、気付く。

何もしていないように見えて、既に激烈なる死闘が開始されていることを。

「総員、魔王陛下と聖主の間には絶対に入るな!」

「承知!」

足で敵を一匹串刺しにし、床にたたきつける。だが、ちょっとやそっと切り刻んだくらいでは死なない。燃やさなければ、すぐにでも立ち上がってくる。

量産型オーバーサンでの斬撃は、著しく効果的だ。能力がどうにか互角の師団長達が頑張っていられるのも、量産型オーバーサンを手渡した個体が奮戦しているからである。ヨーツレットが飛びかかってきた一匹をはじき返しつつ、残像を残して退く。今までいた地点を、一匹が一刀両断に切り裂いていた。

敵の数は七倍以上。厳しい戦いだ。

だが、統制が取れていない。如何に強力な連中といえども、それならばどうにか勝機は見えてくる。

魔王はゆっくり聖主に向けて歩いて行く。

その間の空間が、時々スパークを起こしているのが分かった。何か強力な術式をぶつけ、中和し合っているのだろう。見かけは地味だが、その激烈さは、恐らく当人達にしか分からないに違いない。

足を一本切断される。

味方の損害も増えてきた。ヨーツレットの体にも、徐々に傷が増えてくる。

オーバーサンの威力を最小にして、辺りを薙ぎ払った。それでもものすごい閃光と、爆圧で体が浮きかける。

瞬時に数匹が消滅したが、まだまだ敵は数が圧倒的に多い。

「ヨーツレット元帥!」

「弱音を吐くな! 戦いはこれからだ!」

魔王と聖主が、ついに十歩まで距離を詰める。

不意に、その間で。まるで壁でも出来たかのように、巨大な炎が吹き上がった。そして、何の前触れも無く消える。

互角の力で、押し合っているのだ。

「やれやれ、簡単には勝てそうにないのう」

「いや、私はもう既に勝ちつつある」

「ふん、それはどうじゃろうな」

魔王が更に一歩。

今度は稲妻が、丁度二人の間で爆発的に広がった。魔王を背中から切ろうとしていた融合不死者兵が、その余波に巻き込まれて消し炭になる。

流石に魔王と聖主の戦いに巻き込まれると、あの頑強きわまりない融合不死者兵でも、ひとたまりも無いか。

円陣を組んで戦っていた味方も、徐々に輪を内側へ縮めている。敵の攻勢が激しくて、怪我人をかばいきれなくもなりつつあるのだ。ヨーツレットが一匹、また一匹と潰して行っているが、それでもどうにか敵の攻勢を防ぐのが精一杯である。兵力が違いすぎる。それに、戦いつつ理解しはじめたが、融合不死者兵どもにはどうやら知性がある。ある程度は知性に基づき、戦術的な判断をしている様子だ。

苦戦が、徐々にひどくなっていく。

魔王が、踏み込んだ。

繰り出したのは、拳では無い。軽く右手を相手に向けていたが、その時何かとてつもない術式を打ち込んだのだろう。

だが、聖主は柔らかく下がるだけで、それを中和した様子だ。

逆に、聖主が反撃に出る。

不意に天井近くまで浮き上がると、無造作に自身の三倍はありそうな火球を作り出して、撃ち放ったのである。

魔王がはじき返し、壁に激突。壁が赤熱し、ものすごい煙が上がった。

地味だが激しい攻防が続いている。いつの間にか天井近くまで浮き上がった魔王が、何度か見えない打撃を繰り出した。それを全て聖主が捌くが、そのたびに壁や床に亀裂が走る。

徐々に、攻防が早くなっていく。

どちらも、互いの力がどれくらいか、正確に把握できはじめているのだろう。

ヨーツレットが見たところ、どちらもさほど力に差は無いように思える。そうなると、今の状況は不利だ。

飛びついてきた一匹を振り払うと、尾をふるってなぎ倒す。壁にたたきつけた奴を焼き尽くして、更にもう一匹を串刺しにした。

だが、また足を一本へし折られる。

舌打ち。

頑強、早い、そして強い。また一名、師団長がもろに爪の振り下ろしを食らって盛大に血を吹き上げた。ヨーツレットは怪我をした師団長をかばいながら戦っているが、既に戦える兵力は半減している。

敵もかなり数を減らしているが、このままだと最終的に残るのは、敵の方だ。

そうなると、魔王は勝てなくなる。

如何に一瞬で蒸発させられる相手とは言え、攻撃自体は十分に通用するはずだ。そして、相手が聖主である以上、一瞬の油断が命取りになる。

聖主が床にたたきつけられる。魔王が火球を連射するが、しかしまるで台車か何かにでも乗っているかのように聖主は横滑りして移動し、その全てを避けた。徐々にこの巨大な部屋が暑くなってくる。

「元帥、そろそろ限界です!」

「やむを得ん。 私の蜷局の内側に隠れろ」

負傷者を引っ担ぎ、師団長達がヨーツレットの蜷局の中に飛び込んでくる。

同時に、半数ほどの融合不死者兵が、一斉に飛びかかってきた。

体に負担が掛かるから、一回しか使えない。ヨーツレットは己の体を激しく回転させつつ、周囲に熱量の塊をまき散らすようにして、オーバーサンを最低出力で撃ち出す。

飛びかかってきた十体以上の融合不死者兵が、瞬時に蒸発。

だが、連続でオーバーサンを放った事で、ヨーツレットの体も限界まで赤熱している。呼吸を整えながら、体勢を立て直す。

まだ、周囲には三十を超える敵兵が健在だ。

それに対して、味方はもはや動ける師団長は四名のみ。戦闘能力は、もう無いに等しかった。

万策尽きたか。

だが、勿論このまま、無策で敗れるわけにはいかない。

「私自身が盾になる。 お前達は、内側からのオーバーサンで、確実に敵を葬っていけ」

「し、しかしそれでは元帥が」

「私は構わない」

ヨーツレットはそもそもが補充兵だ。今までも、体の半分を失うような怪我は、何度も受けてきた。

だが、それが故に分かる。

融合不死者兵どもに全身を切り裂かれるよりも先に、全滅させられると。

魔王と聖主は、更に戦闘を加速させていた。

連射される青い火球が、中途で互いを相殺し合っている。だが、ヨーツレットは見て取る。魔王を、徐々に聖主が押しはじめているように思えた。理由は分からないが、このままだと、かなりまずい。

ヨーツレットが加勢できれば良いのだが、さすがは聖主だ。惜しみない兵力投入で、確実に此方の力を奪ってきた。だが、此処からは根比べだ。今まで苦境を味わい続けてきた魔王軍の底力を見せてやる。

瞬く間に、全身に鋭い痛みが走る。

敵の猛攻が始まったのだ。致命的なものだけは避けつつ、味方に敵を斬らせる。量産型オーバーサンでの一撃は効果覿面だが、それでも瞬殺とは行かない。中には首を飛ばされても、なおも動く奴もいた。

死闘の中、見える。

魔王が、勝負に出た。

 

およそ四千。

この短い時間の間に、繰り広げた駆け引きだ。魔王の眼前には、全身に膨大な魔力を纏った聖主が浮かんでいる。

駆け引きに関しては、此方が上だ。

だが、聖主はやたらと頑丈である。今まで奴の防御をかいくぐり、本体まで届く攻撃を何度かしているのだが。そのいずれもが、効果を示していない。否、効果はある。だが、どうも効きが悪い。

更に、解析も上手く行かない。奴の全身を覆っているのは、魔力だけでは無い。

何か、得体が知れない力を感じる。

「ふむ、気付いたか」

「どうやら、従来の寄生型ナノマシンに頼らぬ力を開発したようじゃのう」

「その通り。 私が世界に敷く新しいルール、福音だ」

「相変わらず、思い上がった名前じゃな」

無言で、飛んできた火球をはじく。右、左、下、三発をはじいた後、不意に上昇。天井近くで、更にもう一発を迎撃。火球が爆裂して、熱の網を作り出す。それを突き破りながら、突貫。煙の糸を引きつつ、聖主の間近に。

そのまま、掌底を繰り出す。

瞬間、聖主が手のひらで受けた。わずかに手のひら同士が触れた瞬間に、膨大な力が爆発する。

互いに壁にたたきつけられ、クレーターを作った。

瞬時に壁から離れる。聖主も殆ど同じだ。

だが、元の力が同じでも、聖主は何かもう一つの力を、自分に上乗せしている。このままだと、やがてじり貧になっていくことだろう。

だから、勝負に出る。

わずかに互いが離れた瞬間に、己の内在魔力を一気に高め上げる。それを見た聖主は、全力で受ける態勢を取ろうとした。

だが、その瞬間。

先の煙幕で姿が消えたとき、放って置いた小さな誘導式の魔力弾を、聖主の背中にぶつけてやる。

完全にノーガードの背中に炸裂した魔力弾は、わずかに聖主をひるませることには成功した。その時を、魔王は逃さない。

己を一個の破壊兵器も同然の存在と化し、灼熱の塊となって、聖主に突貫を仕掛ける。

こんな奇襲、二度と通用しない。

聖主がはじめて、顔に焦りを浮かべた。

 

1、裏切りの果てに

 

融合不死者兵に自分を乗せた台車を押させながら、フローネスは全身に冷や汗を掻く思いをしていた。実際には既に汗腺など涙腺同様に全滅しているのに。

フローネスは、知っていた。

今、味方に、それもかなり近い身内に、裏切り者がいると。

今回、このデウスエクスマキナの出現箇所を、勇者も魔王も、あまりにも早くかぎつけた。それはおかしいことだと分かっていた。実際、魔王だって聖主の居場所をそれほど正確に察知できるわけでは無いのだ。優秀なスタッフがいくらいるとしても、そもそも微弱な揺れが続いた程度で、それを此処までの精度でかぎつけることは不可能だっただろう。

誰かが、入れ知恵をしたのである。

しかも、その候補の筆頭が、恐らく自分である事も、フローネスは知っていた。

勿論、フローネスは裏切り者では無い。自分の生きることが出来る未来は、聖主とともにしか存在しない事を、知っているからだ。だから、絶対に裏切る気は無いし、そんなことは出来ない。

だが、端から見て、一番怪しいのは、間違いなくフローネスになるだろう。

大きな揺れ。

この巨大な要塞が揺れるような衝撃が、内部であったという事だ。魔王と聖主の死闘が、佳境に入ったという事だろう。聖主は必ず勝てると言っていたが、そういうときに疑ってしまうのが、フローネスの性だった。

コントロールルームに到着。

無数の端末が並んでいて、壁には巨大なモニタ群。見たことが無いほどに高度な文明の産物だ。

光の槌の時も驚かされたが、人類や、それと戦った銀河連邦は本当に凄い文明を作ったのだと感心させられる。だが、今は、その感動も完全に何処か忘却の果てだった。追い詰められると、フローネスは周りが見えなくなる傾向がある。

スタッフが、無言で作業を続けている。多分この中に裏切り者がいる。何を考えているかは分からないが、とにかく敵に情報を売った奴が混じっているのだ。フローネスは、もはや完全に混じり合ってしまった無数の人体を蠕動させながら、歩む。

連れてきた融合不死者兵達は、無言で守備配置についた。いつ敵が来てもおかしくない状態だ。

指揮シートに着いた。

幾つかのモニタが死んでいる。死闘の影響だろうか。外を映し出しているのはまだ生きていた。

ガルフは、勇者と激烈な死闘を繰り広げている。到達者になっている勇者相手に、彼処まで戦えるのは尋常では無い。ヨーツレットと戦ったときよりも、更に腕を上げているかも知れない。

ただし、それには例の福音の影響もあるのだろう。

フローネスには、まだ福音を与えられていない。それも、聖主がフローネスを疑っている、良い証拠に思えていた。

どうすれば、裏切り者をあぶり出せるだろう。

コントロールルームを、あてもなくぶらつく。働いているスタッフの中に、びくびくしているものや、挙動不審な奴は見かけない。

そうなると、ガルフか。

いや、彼奴は見たところ、フローネスとは意見が合わないが、裏切りをするとは思えない。人間を観察することを趣味としてきたフローネスだから、何となくそれは分かるのである。

少しずつ、落ち着いてきた。

もしも裏切るとしたら、聖主の理想を理解できない輩だろう。今までのエル教会の思想を盲信しているような奴か、或いは聖主主導による新世界に疑問を持っている者。つまり、頭が古い者が、何かしらの形で裏切りを働いているのかも知れない。

その裏切りも、露骨な情報漏洩では無く、無意識での行動や、何かしらの弾みで知られるようなものだったらどうなるだろう。

余計に厄介だ。

此処には選ばれたスタッフしかいないが、全員が闇の福音で、人間の原型をとどめないほど崩れている、というわけでもない。症状が薄い者の中には人間の形や、欲望を残している者もいる。

デウスエクスマキナ発進前に、酒場によって、その時何かヒントになるような言葉を漏らしてしまったり。或いは一時的に帰宅したとき、寝言で何か漠然とした情報を呟いてしまったり。そういった事であったら、追跡は不可能だ。

そうなると、余計にフローネスの立場は悪くなる。

端末から、情報を拾い上げる。

このデウスエクスマキナを見て、それから他者に接触した可能性があるスタッフを洗い出していく。

十五名が該当した。

この中に、外に情報を流した者がいる可能性が高い。中にはフローネスとガルフも混じっていたので、十三名か。

さて、どうするか。

そう思って、振り返ろうとした瞬間。

ずぶりと、嫌な音がした。

肉塊になってしまった全身が、急速に猛毒に冒されていくのが分かる。声が出せない。はさみで、体を押さえつけられるのが分かった。

後ろの方についている目を開けて、見る。

どういうことだ。

そこにいたのは、魔王軍の軍団長が一。以前侵入してきたのを見たことがある。バラムンクと呼ばれていた輩だ。

おかしいのは、融合不死者兵達が、バラムンクを阻止していないと言うことだ。

「な、な……!」

「どういうわけか分からないが、不死者兵共は攻撃してこない。 他のスタッフも、私達を見て、見ぬふりをしている」

「……っ!」

まさか。

スタッフの一人と、視線が合った。だが、見てさえもいないのが明白だった。

どういうことだ。此奴らは、既にまともな意識さえ有していないというのか。言われたままに仕事をこなしているだけだというのか。

だとすると、今進めていた思考は、完全に見当違いも良いところだったのだろうか。

針が抜かれる。とんでもない強烈な毒素が、全身をむしばんでいる。声も出せない。バラムンクは無言でメインコンソールに針を突き刺して、他にも主要な機器を滅茶苦茶に破壊しはじめた。

それを、黙って誰も彼もが見ている。

床で溶けて広がっていく自分の体。フローネスは、気付く。

まさか、此奴ら全てが、聖主に反旗を翻していたのでは無いか。もしそうだとすると、そんなことが出来る統率力を持つ奴は。

やはり、只一人しかいない。

彼奴、とんでもない食わせ物だ。彼奴が裏切るはずが無いと、何処かで思ってしまっていたのは、完全にミスだった。

だが、フローネスにも意地がある。

おかしな話だ。聖主を利用しようという気持ちは確かにあるのに。明確な造反をはじめた同輩を見ると、どうしてか忠義心が刺激される。

確かに毒物は今のフローネスに対しても致命的だ。だが、既にフローネスは、人知が及ばない力を手に入れつつある。それはなにも、爆発的な魔力とか、常識外の腕力に限らない。

溶けながら、フローネスは体の再構成をはじめる。

そろそろ、この溶け合った人体の集積という異形にも飽き始めていたのだ。だから、自身をカスタマイズする。今までは、頑丈でメンテナンスが容易なこの体を気に入っていた部分もあった。

だが、此処まで壊された以上、出来るだけ気分を変えたいという事情もある。

「敵の動きは」

「発射シークエンスが停止したようです。 徐々にエネルギーも低下中」

「ならば、一度引き上げましょうか」

護衛らしい二名の魔物と一緒に、バラムンクがかさかさとこの場を去る。結構臆病な奴だ。かなりびくびくしながら、作業をしていたのだろう。

多分彼奴は諜報担当の魔物なのだろう。臆病な性格は、仕事に適しているのだとも判断できる。それに、フローネスも自覚はある。臆病である事は。だから、それでバラムンクを蔑む事はしなかった。

もしもバラムンクを馬鹿にする事があったら、この部屋を破壊したことで、満足した程度であるからだろう。

排水溝に、滑り込む。

完全にスライム状になった体をゆっくり動かして、フローネスは急ぐ。コントロールルームは破壊されたが、主砲を発射する方法はもう一つある。

手動である。

かなり煩雑な手段が必要になるが、それでもやり方は頭に叩き込んである。このデウスエクスマキナを再起動したときに、マニュアルも発掘した。聖主が解読したそれを、完璧に記憶するまで少し時間が掛かったが、それでも今は知識が武器になる。

下水道を這いずりながら、徐々に形を整えていく。

その過程で、妙な違和感が全身を包み始めていた。毒は既に体に影響を与えていないはずなのだが、どうしたのだろう。

「よう、フローネス」

不意に、頭の中に、声が響いてきた。

思わず悲鳴を上げそうになる。もう声帯は無いが、あったら押さえるのに苦労していただろう。

声の主は、間違いなくガルフだ。

勇者とまともに戦っているはずなのに、どういうことか。

周囲を探査する。ガルフはいない。

どうして、此処が分かった。というよりも、テレパシーは術式としてもかなり高度で、全く居場所が分からない相手とはほぼつながらないものなのである。つまり奴は、今のフローネスの居場所を、完璧に把握していることになる。

下手をすると、この状態もか。

下水道に足音。

気付くと、ガルフだった。手には、ツゥーハンデッドソードではない。巨大なトマホークを持っていた。

「き、貴様、どうして」

「さあ、どうしてだろうなあ。 外で戦っている愚直な俺が、こんな所にいるわけが無いもんなあ」

くつくつと、ガルフは笑う。

野生の獣のような雰囲気があるいつものガルフとは違う。

ここにいる此奴は、間違いなくガルフなのに、まるでフローネスのような、強欲で俗物な、人間そのものの気配だった。

「お、お前、何者だ」

「おかしいとは思わなかったのか」

「何だと」

「そうか、思っていなかったのか。 まあいい。 いずれにしても、デウスエクスマキナの主砲は撃たせねえよ」

魔王と聖主を共倒れにさせる気かと叫ぶと、ガルフはそうだと臆面も無く応えた。

これは、どういうことなのだ。

此奴は一体、何がどうなっているのか。

気がつくと、ガルフのトマホークが、フローネスの溶けきった体に振り下ろされていた。溶けているから、何も通じないはずなのに。

どうしてか、全身を耐えがたい激痛が疾走していた。

 

魔王の渾身の一撃は、確かに聖主の頭を吹き飛ばした。壁にたたきつけられた聖主は、血の糸を引きながら、ずるりと床に落ちる。

呼吸を整えながら、魔王も着地。

おかしい。

気配が消えていない。

聖主の首から、無数の触手が伸び、塊、そして頭を再構成していく。即座に火球を叩き込むが、頭も無い状態で動いた聖主の手が、火球を防ぎきった。

爆発。煙幕を切り払うようにして、何事も無かったと言わんばかりの聖主が姿を見せる。これは、どういうことなのか。

「さすがは歴戦の猛者。 見事だ」

「どういうことなのかのう。 それも福音とやらの力か?」

「そうなるな」

「やれやれ、ならば今度は全身を粉みじんにせねばならぬか。 厄介じゃのう」

聖主の力には、さほど衰えが見えない。

それに対して、今の魔王は渾身の一撃に力を費やしたこともある。かなり疲弊がひどくなっていた。

だが、逃げるわけにはいかない。

ヨーツレットが、後ろで文字通り体を張って、敵の動きを食い止めてくれている。バラムンクも、どうやら主砲の発射を食い止めてくれたらしい。

だが、此処で撤退すれば、聖主は何をしでかすか分からない。

此処で、どうしても聖主は倒しておかなければならないのだ。

「さて、これで勝負あったと思うが、どうかな」

「いやいや、この程度ではまだ分からぬぞ」

「最後まで諦めぬのは立派だ。 これで愚かな思想に固執していなければ、私が作る新世界の仕組みの一つとして、生かしておいてやってもよかったであろうに」

「愚かなのは貴様の方じゃ。 貴様は結局の所、他者と絆を作ろうとは考えぬのじゃ」

聖主は薄く笑った。

恐らく、自分でもそれに気付いて、少しおかしくなったのかも知れない。互いに矛盾を抱えていることくらいは分かっている。

だが、子供向けの劇画でもあるまいし、心理戦だけでは勝負はつかない。実戦で勝敗を決めるのは、やはり最終的には戦略も含めた総合力だ。

再び、ぶつかり合う。

今の一撃は、大きな力を消費さえしたが、必ずしも無意味では無かった。魔王には、少しずつ聖主の持つ福音とやらの正体が見え始めたからである。

だが、力を消費したことに変わりは無いし、何よりまずいのは、そろそろタイムリミットの足音が聞こえはじめたという事だ。

前線からヨーツレットが離れすぎると、只でさえ能力が高いキタンのハーレンは気付く可能性がある。

もしも勇猛なハーレンの騎馬隊が不死兵と一緒に前線になだれ込んできたら、ヨーツレット無しで支えるのは不可能だろう。

激しい攻防の中、魔王は決める。

己の命に代えても、此処で聖主を屠ると。

魔王が聖主に勝っているのは、戦闘経験と戦術のさえだ。魔王も到達者になるまでは戦闘経験は無いに等しかったが、その後が大きい。殆ど身一つで人間と渡り合い続け、戦術を磨きに磨いた。フォルドワードで戦っていた頃は、前線で指揮を執ったこともあったし、勿論三千殺しで殺しきれなかった強敵と直接刃を交えたりもした。そして、そのいずれでも、必ず勝ってきた。

そういう意味で、頭を使いすぎる聖主よりも、単純な戦闘ではかなりの優位に立っていると言える。

ただし、聖主には福音という大きな切り札に加えて、様々な隠し弾がある。更に、どういうわけか、元の魔力もかなり強い。戦術では勝てる自信はあるのだが、戦略で優位を作り上げられると、逆転が難しい事は魔王も熟知している。

ただし、相手が個々人である事が、此処では救いになる。

無言での駆け引きが、更に加速する。

互いに、防御をくぐり抜けて、至近で炸裂する攻撃が増えてきた。聖主はその中でも、余裕を崩さない。

やはり、福音というものが何か、はっきり分かった。

その発想にだけは敬意を表する。だが、聖主は、魔王にとって滅ぼすべき存在であり、それ以上でも以下でも無い。

チャンスは一度。

聖主が、特大の攻撃に出た瞬間だ。

 

1、双つの意思

 

うなりを上げて迫る巨大な剣が、イミナの盾に撃ち当たる。魔王の攻撃さえ防ぎ抜いた盾なのに、どうしてかものすごい負荷が掛かっていた。はじきあい、後ろに飛んだガルフが、地面を蹴ってとんぼを切った。

残像を、レオンの横殴りの一撃が切り裂く。

宙に浮いたままのガルフに、プラムが躍りかかった。だが、ガルフは翼でもあるかのような機動を見せ、不意に地面に向け加速。レオンの頭を蹴って着地し、プラムは斬撃さえ出来ずに振り返り、石を蹴って牽制にするのがやっとだった。

その石も、軽く頭を動かすだけで避けつつ、更にシルンが放った雷撃を、剣で切り上げることで吹き飛ばす。

強い。

イミナが見た中でも、魔王に次ぐほどの実力だ。イミナが眉をひそめたのは、その動きよりも、異常な勘のさえだ。どうしてか、殆ど此方の動きを読んでいるかのように、さっきから立ち回っている。

歴戦のアニーアルス騎士達が、割っては入れないほどの動きであるのは確かである。しかし、どうもおかしい。到達者であるシルンの攻撃までもを、さっきから完璧に防ぎ抜いているのだ。

「どうした、それで終わりか?」

「シルン、待て」

特大の攻撃を準備しようとし始めたシルンを制止。

どうもガルフの様子が変だ。時間稼ぎをしているにしては、動きが妙だ。定距離を保ったまま、観察。

そして、気付く。

ガルフは常に、此方が動いてから、反応している。

それだけではない。攻撃に出てきたときも、誰かしらが動いた機先を制するようにして、動いているのだ。

妙なことはそれだけでは無い。

ガルフから見れば漬け物石に等しいだろうアニーアルスの騎士達が側でユキナを守っている。ユキナは腕組みして平然と戦いを見ているが、ガルフにしてみれば斬ることは難しくないはずだ。

何しろ、到達者であるシルンの攻撃を防ぎ抜くほどなのである。本来だったら、弱いところから順番に叩いていき、戦況を有利にしていくところだろう。

少なくとも、イミナはそうする。

そして、ガルフというあの男は、雰囲気からして生粋の武人と言うに等しいはず。ならば、戦場ではロマンよりも現実を重視するはず。それなのに、全く弱点に対して、攻撃しようとしてこない。

やはり、時間稼ぎでは無い。

そう、イミナは看破した。

多分ユキナもそれは同じだったのだろう。

「ガルフとやら。 貴様、何故此方に攻撃してこない」

「どういう意味かな、女王陛下」

「そのままの意味だ。 勇者の攻撃さえ防ぎ抜くそのさえが我々に振るわれたら、ひとたまりも無かろうに。 どうして、たたける所からたたかない」

「……ふうん、思ったよりは切れるようだな」

ガルフが指を鳴らす。

同時に、その場にいた全員が、あっと声を漏らしていた。

巨大要塞から飛び降りてきた人影がある。それは、そっくりそのまま、手にしている武器までも同じ。ガルフだったのである。

ただ、雰囲気が少し違う。

あくまで武人として真っ向から戦おうとしていたガルフと違い、現れた奴はどうも卑劣な光を目に宿している。此奴はどういうことか。双子だとは思えない。双子と言うよりも、当人のように思えた。

更に、物陰から一人。

ガルフが、合計三人。この様子では、もっといるかも知れない。

「クローニング?」

「ちょっと違う」

分からない単語をシルンが言い、ガルフは白い歯を見せてそれを否定した。今まで此方全員を相手にあれだけ戦っていたガルフが、いきなり三人も現れたのを見て、アニーアルス騎士達も流石に度肝を抜かれたようだが。

逆に、イミナは落ち着いた。手品の種がはっきりしたからである。

「なるほど、複数の思考を束ねて、加速していたのか」

「そういうことだ」

「それで、貴様の目的は。 この状態で手札を晒すことに、何の意味がある」

「何、そろそろ頃合いだと思ってな。 此奴は聖主に忠義を尽くそうと思ってるみたいだが、「俺たち」の総意がそれを否だと判断したんだよ」

最初から戦っていたガルフが、驚きに目を見張り、苦渋に顔を歪ませる。この様子だと、最初のガルフが意図していたことと、後から現れたのは違うことを考えていたらしい。二番目に現れたガルフが、最初からいた奴の肩を叩いた。

そういえば、おかしいと思っていたのだ。

此奴は聖主の配下でも、相当な高位にいたはず。それが、まさか自ら単独で此方を出迎えに来た。戦いが当然想定されるのに、である。

イミナだったら、部下を大勢連れて出てくる。

それをしなかった理由は、ただ一つ。

死んだところで、痛くもかゆくも無かったからだ。

不意に、後から現れたガルフ二人が、最初のガルフを後ろから串刺しにした。白目を剥いたガルフが、崩れ落ちる。

凄惨な光景に声も出ない様子のシルンをかばうようにして、前に出たイミナは。此奴らが、交渉を望んでいることを悟っていた。

「何を望む」

「分かってるんだろう? 俺たちは、聖主の退陣を望んでいる。 恩がある相手だからな、殺そうとまでは思わないが」

「主君を裏切るつもりか」

「おいおい、最初に裏切ったのはあっちだぜ」

それは、少しばかり意味が分からない言葉だ。

だが、すぐに合点がいく。

「俺たちにとって、聖主がやろうとしていることは、非常に都合が悪くてな。 それを阻止してくれるんなら、あんたらに協力してやる」

「それは、自分の血肉を切り捨ててまででも、やらなければならないことなのか」

「そういうことだ」

今までずっと黙っていた方が、重苦しい声で言う。

同じ顔、声でも、雰囲気が違う。軽口を叩いていた方とは、別物のような威圧感もあった。

シルンは、戦闘態勢を解かない。

だが、イミナは妹の肩を叩いた。このままでは、どうせ突破口は見いだせないのである。

「話を聞こう、シルン」

「いいの?」

「ああ。 どのみち、このままでは敵の本丸には到達できないからな」

ユキナは腕組みして、ずっとやりとりを見つめていた。

顎をしゃくる無口な方。ついてこいと言う意味らしい。

巨大な要塞の足下には、中に入るためのタラップがたくさんあった。其処から這い上がり、円形をした不思議な扉から中に。

中はかなり誇りっぽく、それに無駄に広いように思えた。以前入った光の槌とは、全く周囲から受ける印象が違う。前者は、学者が見たら目を輝かせて辺りを探し回るに違いない。

だが、この巨大な要塞は、ただ埃っぽいだけだ。或いは、ただの洞窟の中だと勘違いしてしまうかも知れない。

大きな岩が無造作に転がされている。床も土で舗装されていて、何かが通った跡がたくさん残されていた。無骨な壁が無ければ、外だと言っても違和感が無いほどである。壁には意匠も何も無く、ただ実用一点張りで、殆ど手入れもされていないのが見て取れた。

この要塞、相当に急いで起動させたらしい。

シルンを見るが、首を横に振る。正体がよく分からないらしい。魔王だったら分かるのかも知れないが、いずれにしてもはっきりしているのは、これは戦闘目的に作られた建造物では無いという事だ。

逆に言えば、これは恐らく、平和的な目的や、もっと直球で建築的な意図で作られた可能性が高い。それを恐るべき兵器に改装してしまうとは。結局の所、超越したところで、人間は人間なのだと、イミナは思う。

今確認できている到達者で最年長の聖主でさえこれだ。魔王だって、それは同じなのだと、イミナは確信できる。

途中、ガルフが何名か合流してくる。いずれも無表情だったり、或いはけらけら笑っていたり、性格が違う様子だった。

リーダーシップを取っているのは、さっきの無口な奴だ。何度か道を曲がる。騎士達はずっと後ろで、剣に手を掛けたままだった。この状況である。何が起きても、おかしくないのだから当然だ。

薄暗い部屋に出た。

ガルフが照明、と叫ぶと、それだけで明かりが点る。どういう仕組みかよく分からないが、優れた技術によるものだろう。

辺りには、硝子瓶が無数に並んでいた。一つ一つが、熊を入れられるほどに大きい。

そしてその中には。

老若男女関係なしに、無数の人体が浮かんでいたのである。

いずれもが死んでいるのは、一目で見て取れた。中には頭が丸ごと損傷しているものもあった。

服を着ていない死体も多い。水死体も同然の、非常に無惨なものも少なくない。

「これは……」

「不死者兵の実験をするために、集められた死体だよ。 俺もこの中から蘇生したのさ」

「死体ばかり、こんなに集めたのか」

「具体的には二十万ほどな。 ただ、此処にあるのはどれもこれも、歴史的に大きな業績を果たしたり、それの親になった死体ばかりだ。 勿論、集めたときは灰だったり髪の毛だけだったりしたんだがな」

それを、此処までそれぞれ再生したというのか。

ユキナがふむと呟いた。

「兵士を作るためにしては手が込んでいるな。 どういうことだ」

「さすがは女王陛下。 本当にあんた、元ハウスメイドか?」

「揶揄はいい。 応えろ」

「ふん、まあいいだろう。 聖主も今は魔王との戦闘で全力をつぎ込んでるからな。 聞こえることも無いだろう」

聖主は、この世界のルールを上書きしようとしている。

そのためには、寄生型ナノマシンによって作られている疑似アカシックレコードと、それによる情報ネットワーク以上のものが必要になってくる。

聖主が実験的に、ガルフでためし、そして自分自身でも試した力。

それが、福音と呼ばれるものだ。

「福音か。  お前達が使っている闇の福音とは違うものなのか」

「詳しいな。 正確には、闇の福音は寄生型ナノマシンの凝縮体で、その効果を更に強力にしたものだ。 だから制御が難しいし、効く相手も限られる。 つまり、世界のルールを一歩も出ていない。 だがこの福音は違う。 ちと難しくなるが、世界のルールってのはその世界の主体になる存在が観測する事である程度変化するってものがあってな。 世界全部に影響が出るほど大きなものじゃないらしいが、惑星や星系なんかには、影響がしっかり出るらしい」

つまり、この死体の山には、それぞれ意識が宿っていると言うことか。

ガルフがそうだと頷いた。

つまり、これらの死体には、闇の福音を投与することで、擬似的な意識が与えられている。世界の歴史を動かしてきた人間による意識を束ねて、それを観測に用いているのだ。当然、それは摂理を曲げるまでの力に変貌しつつある。

だが、不完全だとも、ガルフは言う。

「この世界の主役は既に人間だけでは無く、魔物でもあるからか」

「さえてるな。 だが、聖主が勝ったら、多分魔物の死体でも、こんな風な意識プールを作り始めるだろうよ」

「今でさえ、超常的すぎる力を手にしているのに、それで何をするつもりか」

「世界平和と、人類の進化」

ガルフの答えは、完結を極めていた。

顔を見合わせる騎士達。それはとても良いものに思えるからだろう。だが、イミナには、だいたいからくりが読めていた。

「この情報ネットワークを利用して、人間を広域に洗脳でもするつもりか」

「洗脳では無いが、似たような要素はあるな」

やはり、そうか。そして、このガルフの人数からして、イミナはだいたい聖主がやろうとしていることを、精確に把握できていた。

聖主は、人間を進化させるのに、かなり強制的な手段を使うつもりだ。

つまり、意識レベルで、人間という種族を丸ごと乗っ取るつもりなのだろう。それから、人間の意識を弄る。道徳心を高めたり、凶暴性を減らしたりといった事を実施して、人間という生物を意識の段階から変えると言うことか。

それは、恐らく間違ったことだとは言えまい。

聖主は元々、全ての弱者のためにエル教会を作った、この世でもっとも聖人に近い存在だ。それがこれだけの長い時を費やして得た結論である。安易に感情論で反対するのは無意味だ。

「ガルフと言ったな。 その過程で、聖主はどれだけ人を殺すつもりだ」

「具体的には聞いていないが、キタルレアの人間は全て消すつもりかも知れないな。 火薬庫になっているこの大陸は、聖主の未来図には邪魔だろう。 フォルドワードは魔物の領地、エンドレンと南の大陸は人間のもの、そういう構図で安定した勢力図を作った方が、聖主にとっては管理がしやすいはずだ。 キタルレアは、丸ごと聖主が作る未来のために吹き飛ばす可能性も否定できないなあ」

「ならば、聖主を討ち果たすしかあるまい」

「陛下!」

騎士達が、やっと迷いが晴れた様子で、歓喜の声を上げる。

流石だ。聖主の、一見すると全ての利益になる理論に対する問題を冷静に導き出し、部下達の士気もしっかり上げた。

彼女ほど、今やキタルレアの王に相応しい存在はいないだろう。

だが、この福音ネットワークを潰すのも、もったいない話だ。イミナとしては、作ったからには、建設的に利用したいとも思う。

「ガルフとやら、聖主を倒す具体的な方法は」

「今から、それを説明する」

ガルフは、どうして裏切るかの理由は話さなかった。

だが、多分彼はこのネットワークに組み込まれてしまい、以降は生体コンピューターにされてしまう運命だったのだろう。

生体コンピューター。

何だそれは。

聞いたことも無い単語が、頭に浮かんできた。

頭を振ると、イミナは戦いに向けて、意識を集中した。今は雑念を抱いている時では無い。

 

壁にたたきつけられた魔王は、思わず呻く。

頑強な要塞の内壁を何枚もぶち抜いて、魔王は瓦礫の下敷きになった。だが、これはダメージも含めて、全て計算ずくだ。

聖主が、矢をつがえるような動作に入る。

その背中に、白い翼が見えた。

「見せてやろう。 到達した私が、さらなる高みに登り、この世界の神となる瞬間を」

弓矢が具現化する。白い、とてつもなく美しい巨大な弓。翼をかたどった意匠は、名工の手によるものとしか思えない。

だが、魔王にとっては、どうでもいい。

これは、恐らく最初で最後の好機。

これを外してしまえば、魔王にもはや勝ち目は無いと言える。

ヨーツレットは、まだ頑張ってくれている。敵も徐々に減らしている。あちらに加勢に行くためにも、今、此処で。

魔王が、聖主を屠らなければならなかった。

あの矢は、ほぼ間違いなく追尾機能を有している。それだけではない。魔王に当たれば、致命傷になる力も持っているだろう。

だが、それが。

今は、逆に狙い時になる。

時間が、スローモーションで流れていく。聖主の手が、大きく大きく見える。白い魔力が集中していく、その指先も。

まばゆい光が集まっていく中、魔王は動く。

瓦礫をはねのける。

吹き飛ぶ瓦礫の中、魔王はまっすぐ、聖主に向けて飛んだ。聖主は全く焦ること無く、冷静に迎撃を行う。

膨大な火力が解放された。

視界が、真っ白に染まる。だが、魔王はそのまま、臆すること無く前進。此処だ。此処こそが、勝機。

魔王が、前に手を突き出す。

手に集めていたのは、魔王の魔力の全て。そして、至近距離から、それが解放されれば、どうなるか。

丁度、空間が、聖主と魔王の間で、切断されたかのようにさえ見えた。

吹き飛んだ膨大なエネルギーが、上下に強烈な熱のジェットを作り出したのである。聖主はそのまま、退避に掛かろうとするが、させない。

だが、この時。

魔王にとって、幸運が来た。聖主の動きが、一瞬停止したのである。

聖主が、顔中に焦りを浮かべた。魔王を見失ったからだろう。そしてその時既に、魔王は聖主の真後ろに、回り込んでいた。

「終わりじゃ。 まあ、惜しかったかのう」

断末魔など、上げさせはしない。

残る火力の殆ど全てを、瞬間的に叩き込んだ。聖主の肉体が、膨大な熱量の中、蒸発する。

これで、再生さえ不可能だ。

着地。

周囲を見回す。これは、予想以上にひどい有様だった。良くヨーツレットを巻き込まなかったものである。

辺りで無事なものは存在していない。壁には何か得体が知れないほどの力が炸裂した跡がそこら中に残り、床はクレーターだらけ。クレバスのように走っているのは、今魔王と聖主の最終攻撃がぶつかり合った結果だろう。

辺りに、聖主の姿は無い。攻撃してくる様子も無い。

勝ったのか。

否。確かに聖主は倒したが、完全勝利とは言いがたい。

聖主の気配がある。だが、それは非常に微弱になっている。存在そのものが消滅したのでは無いのだろう。何かしらの形で、肉体を全て失った今も、存在していると言うことだ。厄介な奴である。

いずれにしても、はっきりしていることがある。聖主は既に、魔王に対する干渉能力を失った。訳の分からない超兵器も、これで打ち止めだ。奴が反撃に出るとしても、当分先。その時は、魔王も力を蓄え直して、互角以上の勝負が出来るはずだ。

それにしても最後の一瞬での動き停止。アレは恐らく、部下の造反による結果だろう。福音とやらの性質を考えると、あり得ぬ事では無い。聖主は、結局部下を作る事は出来ても、その心を掴むことは出来なかったらしい。或いは、支配が徹底していなかったのかも知れなかった。

ヨーツレットと交戦していた融合不死者兵達が、撤退していく。

ヨーツレットは満身創痍だったが、生き残っていた。精鋭師団長の部隊も、かなり倒されていたが、全滅はしていない。

「元帥、ご苦労であったのう」

「陛下こそ、戦勝おめでとうございます」

「儂のことは良い。 すぐに前線に戻り、兵士達を督戦するのじゃ。 儂は外に出て、護衛部隊と合流し、それから戻ることにするかのう」

「この巨大な要塞はどうなさいますか。 放置するには危険すぎると思うのですが」

長い時間を掛けて、解体していくしか無いだろう。

それにしても、勝率は恐らく三割を超えなかったはずだ。魔王が練り上げてきた戦術の技量をもってしても、である。

だが、最後の瞬間の造反が、聖主の命運を決めた。

やはり、人間は救いがたい。人間を滅ぼし、この世界を理想郷にしなければならないだろう。

利害関係で恩義ある相手を売る生物である以上、人間と手を結ぶことは、今後選択肢に含めることが出来ない。

まず情報通信球を使い、安全圏まで退避させていたエルフの護衛部隊を呼ぶ。そして、まずはヨーツレットを戦地に転送させた。

ひどい怪我をしているが、命に別状は無い。数十体の融合不死者兵に攻撃を受け続けたのだから、当然だろう。

魔王の体の方は、どうか。

ヨーツレットには言っていないが、かなり状態が悪い。聖主との死闘は、正直勝てたこと自体が奇跡だったようなものだ。最後の決着でも、ほぼ力を使い果たした。すぐに戻って体力回復に努めないと、かなり危ない。

「陛下」

「どうしたのじゃ、バーラット師団長」

最後まで立っていた人間型師団長が、心配そうに言うので、腰をかがめて笑みを浮かべる。

人間型の師団長は、アニアの再現のために作り出した存在だが。だからといって、他の魔物と差別はしない。

「おけがを、なされているのですか」

「あれだけの戦いだったのじゃ。 無理も無いことじゃよ」

「それならば、一刻も早くお戻りください」

「否、否。 まずは皆の安全が先じゃ。 儂はこれでもかなり無理が利くからのう、最後で大丈夫」

エルフの戦士達が、中々戻ってこない。

不意に、頭の中に情報が流れ込んできた。これは稚拙だが、テレパシーの一種だろうか。

「貴方が魔王か」

「誰かな」

「西ケルテル女王、ユキナ。 話をしたい」

「人間と話すことは無いと言いたいところじゃが、どうやら人間では無いようじゃのう」

師団長達が周囲を固める中、魔王は情報通信を続ける。テレパシーでは無いが、これはひょっとして、銀河連邦や地球人が残したウルトラテクノロジーの一つか。

だとすると、面倒な事だ。聖主がいなくなった後、無秩序にウルトラテクノロジーがばらまかれると、かなり厄介なことになる。

確かに聖主は追い払った。

だが、魔王軍の状況は、全く改善していない。

「聖主が、この大陸を丸ごと消す計画を立てていたことは、知っているだろうか」

「知らぬが、やりかねんのう」

「我々としては、和平を望んでいる。 一度、話をしたいのだが」

「愚かしい提案よ。 和平などあり得ぬと、そなたらが一番よく知っているのでは無いのかな」

本当にあほらしい提案だ。時間の無駄だと感じて、魔王は通信を切ろうと思った。

西ケルテルのユキナと言えば、ハウスメイドから担ぎ出されはしたが、その後は何もかも実力で成し遂げた女傑と言って良い人物だったはずだ。人間にしておくのは惜しい奴と、たまに思うくらいだった。

義勇軍との交戦では、此方も被害を出したことが何度かある。今はアニーアルスの兵力を吸収して、かなり強力な部隊を有しているとも、報告を受けていた。

それなのに、本人と話してみればがっかりである。所詮は人間だったと言うことか。

だが、ユキナは、思っても見ない切り口から話を進めてきた。

「今の聖主の停止、此方が仕組んだと言ったら」

「……」

「お前は人間をあらゆる意味で毛嫌いしていると聞いている。 確かに今回聖主を止めたのは、その側近の裏切りが原因になっている。 だが、止める決断をしたのは私だ。 その私の話を聞かないのは、人間らしい行動である「忘恩」とか「不誠実」とかに当たるのではないのか」

これは面白い理論を使うものである。

目を細める。

殺してやろうかと思ったが、居場所を特定できない。多分この要塞の中は、各区画の機密性が著しく高いのだろう。そうなってくると、福音が大きな力を発揮できる環境だと言うことだ。

「良いだろう。 続けよ」

「聖主が亡き今、此方は大規模攻勢に足並みを揃えられない。 そうなれば、各個撃破の可能性が出てくる。 私はこれから各国首脳に働きかけ、一旦兵を引くようにまとめてみようと思う」

「それで」

「其方も、これ以上の侵攻を控えて欲しい。 領土を返せとは言わないが、それでひとまずは納まるはずだ」

何が納まるだ。

鼻で笑いたくなったが、一旦考え直す。

現時点で、此方も手詰まりなのは確かなのだ。今後の事を考えると、何かしら手を打っておいた方が良い。

妙な違和感が生じたが、頭を振って追い払う。合理的な判断をするべきだと、今は歴戦の勘が告げていた。

「ふむ……ならば、条件がある」

「何か」

「一つに、交渉は儂ではなくヨーツレット元帥に任せる。 儂はこう見えても人間が大嫌いでのう。 正直、元人間でも、自分を人間だと思っている輩と接するのは虫ずが走るほどなのじゃよ。 何度この場で御前さんを殺してやろうと思ったか分からん」

ユキナはしばらく考えていたが、条件を受け入れた。

まあ、此処までは良い。

もう一つの条件は、危険の排除だ。

「このうすらでかい要塞は、此方で貰い受ける。 それがもう一つの条件じゃよ」

「このようなもの、此方でも使い道は無い。 勝手にするが良い」

「そうかそうか。 ならば後のことは追ってヨーツレット元帥に伝えさせる。 会合の場などは、勝手にそちらで設定するが良い。 儂は知らぬ」

通信を切る。

やれやれ、面倒な事だ。

そう思いながら、魔王は一旦帰還するべく、準備を整えていった。

やはり、何処かがおかしいような気もしたが、何がおかしいのか、どうしても理解できなかった。

 

まさか、ガルフがあのような行動に出るとは思わなかった。

だが、聖主にとっては、それでも実は致命傷にはなっていなかった。というよりも、福音システムを動かしはじめたときに、既に想定していた事態だった。ガルフは気付いていないようだが、既にバックドアも仕掛けてある。

デウスエクスマキナの一室。

そこで、聖主は新しい肉体を確認していた。硝子シリンダーの培養液に浮かぶ人体。無数の人体の情報を抽出し、それから構成した、究極の肉。

いずれ、乗り換えようと思っていた、新しい体だ。

以前の聖主は男だったが、今度の体は女である。

あまり知られていないが、人間は女の方が体が安定している。たとえば、病死する確率は男児の方が高い。後に頑強になるのは男だが、全体的に見ると安定度は女の方が高いのである。

実は、これが女の方がこの世界で魔術師の数が多い原因である。寄生型ナノマシンは安定した体の女の方が馴染みやすいのである。ただ、到達者として完成した聖主と魔王はどちらも男で、その後に勇者がやっと女として初めての到達者になった。その辺りは、確率のいたずらを感じてしまう。

聖主は今、福音ネットワークの情報として存在している。

そこで、ガルフの一体を、まず乗っ取る。

勿論、当人も気付かない内にだ。高度な情報機器でも、似たような犯罪がかって存在していたらしい。それを思うと、福音システムは、形式こそ違えど、以前あったインターネットに近い代物なのかも知れない。

より高度だが。ただし、この惑星上限定で、福音システムのバックアップと、更にもう一つ条件が必要になってくる辺りは、改善が必要である。

乗っ取ったガルフを動かして、この部屋に通じる通路に来させる。既に当人は正しくものを認識できておらず、何をしているかも分かっていない。

勇者の姉が、群れから離れるガルフに気付いた。だが、他のガルフにも、既にバックドアは仕込み済みだ。別の個体から、当たり障りの無い説明をさせる。納得がいっているようには見えなかったが、時間は充分に稼ぐことが出来た。

まだ、福音は安定しきっているとはいえない。

部屋に、ガルフが入った。そのまま機器類を操作させる。そして、プラグを、ガルフの頭に突き刺す。勿論即死だ。

だが、そのプラグは、情報を脳から直接取り出すことが出来る。

倒れて痙攣しているガルフから、情報を吸い出し、新しい肉体に移す。脳が情報を書き換えられるまで、少し時間が掛かる。生理反応や他の部分も合わせて調整する。

これが駄目でも、スペアは何カ所にも用意してある。

何も準備をせずに敵陣に攻め込むほど、聖主は大胆では無い。石橋を叩いて渡るのが、その信条だ。

肉体が目覚める。

意識を、徐々に肉体にシンクロさせる。

培養液を除去。硝子ケースを開けて、外に出る。最初は歩くのもおぼつかないが、すぐになれる。

何しろ、聖主はあらゆる情報を得られる存在。到達者なのだから。

ただし、今は肉体とのシンクロや、福音システムの不完全さから、魔王と戦うには力が足りない。しばらくは身を潜めなければならないだろう。

そして、魔王がこれを、デウスエクスマキナを持ち帰るのは許すが。許せない事に対しては、手を打っておく必要がある。

指を鳴らす。

同時に、福音システムが、デウスエクスマキナの中から、丸ごと消えた。

緊急脱出装置である。二週間以上掛けて錬った術式を使って、部屋ごと転送したのだ。これを実現するためには、少なからぬ犠牲を払ったが、最終的な勝利のためには必要なことである。

それでも、優秀な部下のクローンをたくさん作って、その脳を並列稼働させてテレポートさせるというのは、若干時間も掛かったし、手間も要した。

部下の暴走によって失敗したのなら。今度は、それを補う工夫をすれば良い。

聖主は用意しておいた聖衣を着込み、術式で髪を乾かす。

炎のように、赤く長い髪を。

鏡に自分を映す。

妖艶な女の姿が、其処にあった。どうやら妖艶というのは、生物としての完成形に近いから、自然に生じる資質であるらしい。

まあ、これも良い。到達者になった時点で、既に元の性別など、意味が無いものと鳴っているからだ。

どのみちこのデウスエクスマキナは、まだまだ活用できる。

魔王は知らない。これが、どういう処置を施しても、結局は聖主のためにしかならない道具である事を。

「さて、次の手に移るか」

呟くと、聖主はその場から消えた。

何事も、最初から無かったように。

 

2、つかの間の平和

 

回復の術式が使える魔物達に体を癒やさせ、さらに補充兵の技術による肉体補填を行わせていたヨーツレットは、魔王が言ったとおり人間が和平交渉に出てきたと聞いて、思わず仰天して起きかけるところだった。といっても、ムカデの姿をしているヨーツレットだから、蜷局を解除しようとしただけだが。

「いけません、ヨーツレット元帥!」

「しかし、私が陛下から指名されていることだ。 それに、人間共に弱みを見せるわけにもいかん」

この時のために、グラが精鋭師団長の増産計画を作ってくれていたが、それでも今回の戦いでの被害は小さくない。

連れて行った師団長達は多くが戦死し、残りも負傷している。無理がたたってバラムンクは軍病院送りになり、スライム型補充兵達が今では前線で情報収集にいそしんでいる有様だ。

無理がたたったのは、メラクスも同じである。今は絶対安静と言われて、病院のベットで腐っているという。

とにかく、情報通信球を持ってこさせる。秘書官の人間型補充兵が差し出した情報通信球には、ソド領のパルムキュアが映っていた。どうやら、ソド領を経由して、人間が情報を持ってきたらしい。

使者は、グラント帝国とキタンの連盟だ。グラント帝国と同盟している、キタルレアの東側三強国も名を連ねている。

これは、どういうことか。

あの戦いが終わってから、まだ一月ほどしか立っていない。魔王は確かにそういう話をしていたが、それでも早すぎるような気がする。

魔王が言っていたとおり、人間は聖主を見限りはじめていて、落としどころを探していたのだろうか。

だが、まだ油断するには早すぎる。聖主の超兵器が無くとも、人間側の戦力はあまりにも圧倒的なのだ。

西ケルテルに巨大要塞を回収する条件は付けさせたが、それもいつ終わるか分からない。何しろベヒモス三体で引っ張っても動かないのである。てこところの原理をつかって少しずつ進めてはいるが、それでもまだ一月は掛かると試算が出ていた。自領に引き込んだところで、頑丈すぎて解体できるかが全く分からない。ミズガルアの話によると、発破などで細かくするのさえ難しいのでは無いか、という事であった。

中で魔王と聖主が全力でぶつかり合っても壊れなかったのだ。確かに、何があっても分解できそうに無い。至近距離からオーバーサンをぶっ放しても、少し表面が削られるだけでは無いのか。

パルムキュアと通信をつなぐ。

既にソド領でも、色々と準備が進められているようだった。此方はヨーツレットがずっと前線に張り付いて、キタン軍の動きを監視していた状態である。連携して動かないと、色々と危ない。

「交渉は私に任されている。 各国の王と同席する機会を作ると、返答してくれ」

「分かりました。 しかし、そのおけがで大丈夫ですか」

「この程度の怪我、88インチ砲の至近弾を喰らったときに比べれば何でも無い。 それに皆をかばって、陛下の勝利に貢献できた傷だ」

「元帥、其処まで仰るのであれば。 すぐに人間側の代表者が、交渉のテーブルに着くように手配いたします」

内気なパルムキュアに任せて大丈夫かと一瞬不安になったが、考えて見ればソド領で海千山千の人間を相手に奮闘しているのだ。多分大丈夫だろう。

ただ、人間に傾倒するようではまずい。

ヨーツレットも、人間を管理するべきだとは思っているが、仲良く出来るとは思っていない。釘を刺すべきかと一瞬考えたが、そういえばソド領は任せっきりで、ずっと監査に入っていないことに気がついた。

忙しかったからとはいえ、間抜けな話である。

「グラが良いか」

魔王軍の中で、多分一番知性という点でバランスが取れているのは、彼奴だろう。知識に関しては微妙だが、とにかく良い意味での賢さを感じる。部下だけでは無く、第六巣穴による輸送隊の隊長達からの評判も良いし、あのクライネスも内心では認めているらしいところが素晴らしい。

内部監査をさせるべきだと、ヨーツレットは思った。

「第六巣穴につないでくれ」

「分かりました。 直ちに」

まだ、キタン軍は撤退の動きを見せない。

和平がなってからというのだろう。いずれにしても、此方もまだ臨戦態勢を解くわけにはいかなかった。

 

話を終えると、グラは腕組みして考え込んだ。

マロンが急にソド領への出張の話を持ってきたのは驚いた。確かに今は第六巣穴における仕事上の負担もそれほど大きくない。

ただ、人間と接するのは、少し嫌だ。

今、此処を守っている師団長はウロボロスだけだ。護衛を付けて貰うとして、連隊長級一名だけで足りるだろうか。

またマロンが情報通信球を来た。追加で連絡という訳か。ヨーツレット元帥は優秀だが、時々うっかりをやらかすことを、グラは知っている。まあ、誰でも完璧というのはあり得ないが、元帥の場合はうっかりがちょっと多いのだ。

だが、情報通信球に映ったのは、パルムキュア師団長だった。会議では良く顔を合わせるが、喋った経験はさほど多くない。

イソギンチャクによく似た内気な師団長は、グラが行くことになって驚いているらしかった。

「グラさんが、此方に来られるんですか?」

「危険を除くためだろう。 ヨーツレット元帥の懸念も、分かんでもない」

「確かにそうですが、そうなると護衛の人員手配とかが色々と煩雑ですね」

迎えは三日後に来る。

勿論、一日で監査をするわけでは無い。まず書類を見せて貰って、それから現地を視察、そして出来れば人間側の使者と交渉している様子を側で見たい。一週間以上は、此処を留守にする事になるだろう。

幾つか、思いついたことをパルムキュアに告げていく。

イソギンチャクは、うねうねと体を揺らしていた。

「ええとですね、確かに理にはかなっていると思います。 ただし、それだけ色々されるとなると、やっぱり二チームくらいの護衛班が必要だと思います。 こっちは知性のある魔物を護衛するためで、もう手一杯なんです。 後、案内する人間型が必要かも知れないです」

「それならば、ヨーツレット元帥に申請するしか無いな」

丁度良くは無いのだが、この間聖主の要塞に突入作戦を敢行した師団長部隊が、現在再編成中だ。

四名が戦死したと言うが、もう二名は動けるという話である。彼らを回して貰えれば、かなり動きやすくなるだろう。普通の人間では、何をやってもまず最近の戦闘タイプ師団長には勝てない。

今回の話はざっと聞いたが、魔王軍の内情を探ろうとして人間の組織が絶対に動いているはずだ。聖主が死んだとしても、人間側がまだまだ優位にある事に違いは無いのである。当然、魔王軍を隙あれば滅ぼそう、その領土を奪おうとしている国はまだまだあるはずだ。

マロンと相談して、幾つかの手配を進める。

それにしても、あまりにも急すぎる。せめて一ヶ月前に話が分かっていれば、準備を色々と進めていたのだが。

結局徹夜になった。

翌朝、早朝に一通りの処置が終わった。夜にもしっかり働いている各部署の魔物がいて助かった。

パルムキュアに監査のスケジュールをだし、ヨーツレットにも護衛の派遣を了承させた。師団長部隊は再編成中と言うことで、手持ちぶさたの二名を貸し出してくれたのは読み通りだったが、その代わり余計なことも言われた。

今回、パルムキュアがしっかり仕事を出来ているか、裏から探ってきて欲しい、というのだ。

監査の目的では無いかと思ったのだが、ヨーツレットはパルムキュアが必要以上に人間に入れ込んでいないか、それを確認したいそうなのだ。そんなのは自分で確かめろと言いたいし、何より密告みたいで気分が悪い。だが、前線から離れられないヨーツレットの苦悩も分かる。

それに何より、部下を平等に愛している魔王を苦悩させたくないと思って、グラを指名してきたのだろう。グラも魔王は思うところはあれど尊敬している。だから、腰を上げざるを得ない。

「不在の間、此処を頼む。 何かあったら、シャルルミニューネか、ウロボロスに相談するように」

「分かりました」

「キバとカーラには好きなようにさせておくように。 俺がいない間、何か欲しいものがあるって言い出したら、適当になだめておいてくれるか」

「あの二名が、そのようなわがままを言っているのを見たことがありませんが」

同感だ。心配しすぎかも知れない。

後の作業を任せて、仮眠は取る。

どうせ今日、日中に輸送部隊は来ないのだ。

しばらく眠ってから、起き出す。まだ日は高い。寝床から這い出して、目をこすりながら遅い食事を取る。リザードマンの料理人は、無言で料理を出してくれた。あまり良く思っていないのは、一目でわかったが。

体を大事にしろとでも言うのだろう。

分かってはいるが、今回はあまりにも急な話だったのだ。ヨーツレット元帥も、忙しすぎて頭が回っていなかったのだろうと、自分で納得する。うっかりなのは分かっているが、それだと頭に来るからだ。

まあ、総合的に見て、ヨーツレットは尊敬できる男である。このことだけで、相手の全てを否定するような小さい奴にはなりたくない。だから、無言で次の作業に入る。

職場に出て、書類に目を通す。

あまり変化は無い。グラが寝ている間、マロンが色々と適宜処理してくれた。それでも、幾つか気になる点はあったので、修正を加える。流石にマロンらしく、誤字脱字、誤決済は無かった。

キバの足音がした。だが、こっちに近づいているのでは無い。

見ると、近くで収穫をしていた。肩にカーラを乗せ、何か木の実をもいでいる。無言でカーラは指をさしたり頷いたりしていて、それでコミュニケーションはしっかり成り立っていた。

キバは頭が悪いと思われがちだが、最近そうでは無いかも知れないと、グラは思い始めている。カーラの意思をしっかり理解するのは、相当に大変だからだ。しかしながら、見ていて頭が悪いと思えるのも事実。最近まで、グラもそう思っていた。

無作為に収穫していた木の実を、キバが麓へ持っていく。料理人の所へ運んで、皆に振る舞うのだろう。冷気の術式が使える魔物もいるので、後でとても冷えた美味しい果実が楽しめるはずだ。

ちょっと楽しみになった。

働いている魔物達も、楽しみになるだろう。キバが足音が大きいので、側を通れば魔物達は皆振り返る。士気を挙げるためにも、キバはあれでいい。少なくとも、頭は良くても邪悪で冷酷な存在よりも、ずっとずっとましだ。

仕事が終わった。比較的暇な時間が来たので、他の魔物の仕事を視察して廻る。ウロボロスは、相変わらず一番高い木に巻き付いて、遠くを見つめていた。眠っているのかと思ったが、側によるとしっかり反応する。

「師団長殿、ど、どうした、のかのう」

「ウロボロスどのこそどうしたのか。 ろれつが回っていないようだが」

「いやはや、もう年のようでなあ。 戦傷もあって、最近しんどくてたまらん。 いっそ体を再構成して欲しいほどなのじゃあ」

「分かった。 申請しておこう」

補充兵だからこそ出来る荒技に、そういうものがある。能力の底上げとして行っている熟練兵の記憶移植があるが、それに近い。

ただし、簡単にできることではないし、申請もすぐに通るわけでは無い。何より、それを簡単にできていたら、純正の魔物達の士気に関わる。

他にも、緩んでいるところが無かったり、さぼっているものがいないか、みて回った。一通り作業が終わったのは夕刻である。

明日から、出立だ。

しばらくは戻れない可能性もあるから、しばらくこの第六巣穴の雰囲気を楽しんでおこう。そう、グラは思った。

 

3、和平の席へ

 

ソド領に入る。国境付近にテレポートして、すぐにパルムキュアと護衛の出迎えを受けた。国境の砦は、まだ魔物しかいない。この辺りは厳重な警備が敷かれていて、魔王軍の領土に人間が入らないよう、重々の監視が行われていた。

グラは最初に、フードのついたローブを渡されて、それを着るように言われた。普段の仕事着が良いのだが、これについては安全対策も兼ねているのだという。ローブには守りの魔術も掛かっているとか。出迎えに来たパルムキュアは、ことさらにそれを強調した。

「今、此処にはどこの国のどんな組織が紛れ込んでいるか分からない状態です。 要人は絶対の用心を欠かしてはなりません」

「分かっている」

ローブを着込み、兎耳の人間型師団長と、亀に似た姿の師団長に挟まれて、街に出る。人間の街らしく、城壁に囲まれた内側にそれはあるのだが、既に半分ほど城壁は崩されて、より外側に再構成されている様子だった。馬車に乗って、その中から外をうかがう形で、街を見ることが出来た。

街はかなりの速度で広がっているらしい。大通りの左右には、新しい家古い家が雑多に並んでいた。そして、無秩序に敷かれたござの上で、様々なものが売られている。

人間が経済活動をしているのは初めて見たが、かなり活気がある。相当な量の物資が取引され、中には違法のものもあるようだ。

「取り締まらなくても良いのか」

「最初はそうしていたのですが、今はあまり大規模で無ければ黙認しています。 ガス抜きになりますので」

「……そうか」

後で実態を調査しておこうと、グラは思った。

パルムキュアは、人間達に恐れられているようだった。パルムキュアの馬車が来ると、さっと姿を隠すものもいる。特に親は、子供を連れて隠れてしまうようだ。

「確か師団長は、相当に善政を敷いているのでは無かったか」

「ああ、あれは仕方がありません。 人間にとっては、容姿が全てですから。 特に私は人間から見て恐ろしい姿らしくて、人肉を常食にしているとか噂もあるらしいです」

「そうか。 それでも怒らないのか」

「辛抱強くやっていくしかありません。 一応、私の姿を恐れない人間もいるようですので」

何だか妙な話である。

だが、それでパルムキュアは反乱を起こされることも無く、ソド領をしっかり統治しているのだから、文句を言う必要は無い。

城に入った。

人間の文官がかなりの数いる。それだけではない。人間の軍人も、結構いるようだった。パルムキュアは彼らに話しかけられ、時々応じている。少なくとも、パルムキュアと直接接している連中は偏見を持っていないのかと思ったが、やはり何処かで恐れているところが見て取れた。

それで良い。下手に親しくなると、舐められる可能性もある。

他にも、仕事を色々と見せて貰う。書類の決裁は、専門の役人がやっている様子だ。魔物と人間が混在だが、警備態勢はそれなりにしっかりしている。外の警備については、人間の兵士もかなりの数がいた。士気は低いのだろうと思ったら、かなりしっかりと警備を行っている様子である。

「人間の兵士は、どうやって統率している」

「主に志願してきた兵士を使っています。 此処は前の王が非常にいい加減で無責任な人物だったらしく、それが追い風にもなっているようです」

「しかし、反乱の危険は無いのか」

「それも想定して、補充兵も要所に置いています。 師団長級が本気になったら普通の人間では歯が立たないことも兵士達は知っているので、抑止力としてはきちんと働いています」

そうパルムキュアは言うが、何しろ数が数だ。

ソド領にいる人間は、とっくに数百万に達しているはずである。南部諸国の西半分を制圧したとき、住んでいた人間の多くは東に逃れるか、そのままとらえられた。そして、多くがソド領に移住した。

管理をしやすくするためだったのだが、しかし。もしも人間が一斉蜂起したら、どうなるのか。不安は尽きない。

他にも、幾つかのシステムを見せて貰う。

軍事施設については、自分よりも師団長達が見た方が良いだろうと思い、グラは時間を取った。大通りに出て、砦に向けて歩く。軍用道路はかなり整備されていて、この大通りが戦時には軍が行き交う主要道になるのだ。

兎耳の人間型は、しばらく耳をひょこひょこ動かしていたが、いきなり袖を引いた。何かあったのかと、グラは緊張に体を強ばらせた。

「グラ管理官」

「何か気付いたか」

「あれ、食べたいです」

兎耳の人間型師団長が露天で売っているにんじんを指さしたので、グラは思わずその場でつんのめりそうになった。

説教するのも問題だと思ったので、補充兵に買いに行かせる。パルムキュアが術式で解析して、毒物その他は無い事を確認。呆れているパルムキュアをよそに、兎耳は満面の笑顔でにんじんにかぶりついた。

人間型が全て違う性格で設計されていることは知っていたが、これは何というか。

こういう個体もいると言うことで、納得する。自分を納得させる。そして、一旦砦に着いた後、一通り書類をまとめた。

その後、パルムキュアをはじめとする、ソド領の幹部達に集まって貰う。人間以外の魔物達だけ限定での会議である。

皆を見回して、監査を終えたグラは言う。

「まず最初に、統治のシステムは隙が無いと感じた。 皆の努力が、今までの成果が、実った感触だ」

「ありがとうございます」

「ただし、それは平時の話だ。 もしも此処に大規模なテロ組織などが入り込んできたとき、対処は可能なのか」

パルムキュア達が、ひそひそと話し始める。

少し、グラは待った。

「現時点では、軍人以外には護身用の武器しか許可しておりません。 その軍人も、強力な武器は完全な管理下に置いています」

「つまり、民間に武器は出回っていないのだな」

「以前、領内で熊や虎などの猛獣が出たことがありまして、その対処のために動いたことがあります。 その時以来、武器が無ければ対処できないような存在がいる場所には、必ず補充兵を常駐させています。 民を安心させるには苦労しましたが、今では比較的法としては受け入れられているように思います」

自信満々に連隊長級の補充兵が言うが、グラはどうも納得できなかった。

最初にパルムキュア自身も説明してくれたが。今、此処には各国の諜報組織が、かなり入り込んでいるはずだ。勿論国境はしっかり固めているから、忍び込んでくる奴はおらず、殆どは難民に偽装して入り込んできているのだろう。

だが、その荷物を、本当に検査し切れているのか。

人間の悪知恵は類を見ない。それに、技量次第では、小型のナイフでも殺傷力はかなり高い。

それだけではない。強力な魔術は、そのまま破壊兵器にもなり得る。潜んでいるテロリストが、強い術士を有していないと、どうして断言できよう。

「分かった、それについては保留する。 具体的には内偵のための部隊を派遣して貰うから、その結果次第だ。 次に、和平会談についてだが」

「現在、国境の砦で使者をやりとりさせて、進めています。 それによると、国境の野戦陣で会談を持つという運びになりそうです」

「なるほど、砦の外でか」

「万全の注意を払います。 ヨーツレット元帥ですから、万が一という事態は、ないとは思いますが」

それについては同感だ。というよりも、多少のうっかり程度で、ヨーツレットを暗殺できるものではない。それに、ヨーツレットを暗殺できたとしても、万を超える軍勢が壊滅するくらいの覚悟は必要で、しかも他の魔王軍九将は健在である。

確かに北の戦線は厳しくなるかも知れないが、魔王がいれば巻き返しは可能なはず。

また、国境砦の外であれば、もしも敵が罠に掛けようとした場合でも対処がしやすい。勿論それは敵にとっても同じ事で、妥当な会談場所だと言えるだろう。

他にも幾らかのやりとりをするが、さすがはパルムキュアである。元々とても賢いことで知られていたが、殆ど隙は無かった。

問題は、いくつかある疑念。どうしても嫌な予感を払拭できないのである。

「その野戦陣を視察したいのだが」

「現在、双方で構築を進めています。 足場などが並んでいて危険ですが」

「それでも見たい」

「分かりました。 事故などが無いように注意しますが、気をつけてください」

おっとりしたしゃべり方のパルムキュアに頷くと、グラは一旦会議室を出た。

与えられた寝室に入る。外は師団長の、亀のような姿をした奴がついた。名前はターレツとかいう筈だが、とにかく無口で、全く喋らない。動きは亀にしてはかなり早く、実際に聖主と魔王の最終決戦でもかなりの活躍をしたという。

部屋に入ると、情報通信球を起動。ヨーツレットに中間報告をする。

しばらく無言で聞いていたヨーツレットは、見たところまだ傷が癒えていない。生半可な相手に遅れは取らないだろうとはいっても、若干不安になった。

「なるほど、不安が残るか」

「はい。 元帥の体調も含めて、ですが」

「相変わらず気配りが細かいな」

「私を褒める前に、監査の結果を考える限り、もう一工夫安全を高めた方が良いように思えます」

グラが見たところ、確かにパルムキュアは良く「統治」を行っている。多分今まで監察をしたもの全員がそう思っただろう。

人間には慕われていないが、しっかり善政を敷いて、その成果物を税として適量収穫している。魔物だから人間のように私腹を肥やそうとは考えないし、癒着して影の権力を作りもしない。

だが、その一方で。

今日見てはっきりしたが、パルムキュアの統治は、人間との妥協によって成り立っている。

「妥協か。 グラ管理官としては、それのどこに問題を感じる」

「統治には良いでしょう。 平時にも何ら問題なく動くと思います。 しかし、一度乱が起こったら、収拾がつかなくなるかと」

「なるほどな」

たとえば、武器管理の甘さがその一つとして考えられる。

もしも人間が蜂起した場合、魔王領から鎮圧軍が駆けつけてくるまで、ソド領は五万程度の兵で数百万の人間を押さえなければならない。ソド領だけでは無く、南部諸国全体で考えると更にその数倍だ。

実際、今までは強権を振るわず、民の生活を保障することで、反乱は抑えてきた、というパルムキュアの説明もあった。

だが、それは平時にこそ役に立つが、もしも今回変事になり、なおかつ反乱でも起こった暁には。恐らく、かなり致命的な事態が想定される。

魔王によると、聖主はまだ死んでいない可能性があるという。グラはそれを出立前に聞いたのだが、もしそれが本当だった場合、念には念を入れすぎても良いくらいだろう。

しばらく考え込んでいたヨーツレットは、頷いた。

「分かった。 もう少し監査を詳細に行って欲しい」

「徹底的に、という事ですか」

「そうだ。 ただし、パルムキュア達の反発を買わないように、細心の注意も払って欲しい」

「分かりました。 こんな困難な土地を長年納めたパルムキュア師団長は、確かにすぐれた実績を上げています。 ソド領にとって、これ以上の適格者は存在しないでしょうし、彼女の名誉を傷つけないよう配慮します」

通信を切る。

これは困難な仕事だと、改めてグラは思った。

 

翌日から、グラは護衛を伴って、野戦陣を見学に出かけた。

今まで見たことが無いほど多くの敵兵が、作業をしている。かなり秩序だってはいるが、それでも疲弊していて、しかも不平不満が噴出寸前の様子である。兎耳の師団長が、ひっきりなしに耳を動かしているのは、情報収集のためだろう。

ソド領から来ている魔物の他は、グラント帝国の兵士が多い様子だ。一部、他の東側強国の兵士も混じっているらしい。

「悪意がそこら中にあります。 グラ管理官、気をつけてください」

「ああ」

「あ、ゴブリンだ!」

若い敵兵が素っ頓狂な声を上げた。グラのことらしい。

さっと補充兵達が壁を作り、興味津々だった様子の兵士達を遮る。ゴブリンは彼らにとって、与しやすい魔物だという認識なのだろうか。

「どけよ、木偶人形。 ゴブリンの一匹くらいいいだろ?」

「売り飛ばせば良い金になるんだよ。 そうしたらテメーらも分け前くれてやるからよ」

げたげたと笑う兵士達。

グラは呆れた連中だと思っていたが、不意に咳払いが上から聞こえてきた。

兵士達が押し黙る。

巨躯の師団長、ギルムスが、兵士達を見下ろしていた。手には人間数人分はありそうな、巨大な棍棒がある。

ギルムスは補充兵だが、話によるとアシュラ型のプロトタイプとして作られたらしい。似たような存在は見たことがあるが、アシュラのプロトタイプで完成している師団長と会うのは初めてである。腕は四本、全身は真っ赤で、顔はどんなオーガを合わせたよりも恐ろしい。反り返った牙や、燃えるような視線を放つ目、ざんばらの髪の毛といい、人間を恐れさせる要素が充ち満ちている。

「そのお方は確かにお前達が馬鹿にしているゴブリンだが、長年の苦労を重ねて出世した存在だ。 長年苦労し続け、やっと地位を掴んだものを俺は尊敬する。 グラどのを馬鹿にするものは、俺がゆるさん」

「ケッ! 何だよ!」

「行こうぜ、つまんねえ。 売り飛ばせば美味い酒が飲めると思ったのによ」

兵士達が散っていく。

ギルムス師団長が、グラを見下ろして大きく嘆息した。

「グラ管理官、視察は結構ですが、こんな所に出てくる貴方にも問題があります。 人間がどのような存在かは知っているでしょう。 連中は場合によっては、同胞を強姦したり売り飛ばして平然としているのですよ。 彼らにとって、魔物など金儲けの道具に過ぎないのです。 与しやすそうな貴方など、真っ先に餌食ですよ」

「ああ。 だからこそ、ヨーツレット元帥の為にも、この場を私がしっかり視察しなければならん。 迷惑を掛けるが、許して欲しい」

「ならば、私が側につきましょう。 ただしその間、この近辺の工事が遅れます。 それはご了承ください」

「そうか、手が足りないのだな」

ギルムスは無言で頷き、グラを手のひらに載せ、肩に移した。ギルムスの頭の上に、ひょいひょいと兎耳が飛び上がる。流石に戦闘タイプの師団長。たいした身体能力だ。

そのまま、陣をみて回る。

ふと、キバの肩の上に座っているカーラは、こんな気分なのだろうかと思った。ギルムスはキバより遙かに大きいが、気持ち的には似ているかも知れない。そうなると、カーラがキバになつく理由も、何となく分かる。

肩車というわけでは無いが、この高さは少し怖いのと同時に、周囲が良く見渡せる。有り体に言えば気持ちが良い。周囲の光景も見やすいし、風も心地よい。

カーラとコミュニケーションが取れないのが残念だ。もっと早くに知りたかった。

人間の兵士達は現金で、ギルムスが見張っているとさぼらない。元々補充兵のゴブリンやオーク、コボルトは、思考力が低いから作業をさぼることも無い。結果、この男は自身が働くよりも、見張る方が仕事を効率よく進められる。

人間側の指揮官はと言うと、兵士達を見張っているだけで、最初から動こうとしていなかった。狡猾そうな老人であり、目には猜疑と嘘の光があった。

「テスラ中将です。 メラクス軍団長を苦しめ続けた、優秀な敵です」

「そうか、あの人物が」

「陰謀戦の達人でもあります。 油断しないように」

ギルムスに詳しいなと言うと、以前その策に引っかかって死にかけたのだと答えが返ってきた。

なるほど、納得できる理由である。

夕刻まで、辺りを念入りにみて回った。

それから、自軍の本陣に引き上げる。ギルムスをはじめとする、工事の責任者達が集まっていた。

当然のことながら、この時間は互いにそれぞれ別れる。人間も、夜闇の中で魔物と行動はしたくないのだろう。

点呼をして、いなくなった者がない事を確認してから、報告を行わせる。本陣には大きな机が置かれていて、図が載せられている。工事の進捗図も、立て板に掛けられた図に書かれていた。

「今のところ、工事に問題はありません。 物資も届いていますし、人間側も妨害はしてきていません」

そう言ったのは、額から触覚が生えている人間型師団長のセーブルだ。基本的に人間に近い姿だが、背中には蛾の羽が生えている。戦闘タイプだが、此処で指揮をしていると苦労はそれなりにあるそうだ。

何しろ、ゴブリンのグラをいきなり売り飛ばそうとするような兵士達である。女の魔物なんかみたら、幼児だろうが老婆だろうがいきなり物陰に連れ込もうとしてもおかしくない。

そういう兵士を何度かまとめて放り投げた所、襲ってくる奴はいなくなったそうだが。

「野戦陣の構造については」

「ヨーツレット元帥に許可は得ています」

「……なるほど」

丁度二つの円形が重なり合うような陣になっている。東側が人間の陣、西側が此方だ。そして、重なった円の部分に会談席を設ける、というわけだ。

どちらも不測の事態に対応しやすいというわけである。

味方陣も敵陣も、双方の兵士が建築に協力している。それぞれ一万程度の兵士が入る事が出来る規模であり、既にだいたいが完成していた。

専門家に話を振るが、見た感触で問題は無いという。

そうなると、やはり会議の場で、何かがある可能性について、排除しておけば大丈夫か。

「会議自体は、どう行う」

「キタンからハーレン王、グラント帝国からカルカレオス皇帝、それに西ケルテルのユキナ女王が来る予定です。 後、エンドレンの代表者については、まだ決まっていないようですが、テレポート術者の力を借りて来るそうです」

「もしも何かがあるとすれば、その護衛達による行動を警戒するべきだな」

西ケルテルのユキナが来るとなると、勇者とその姉が最大の警戒対象だと考えて間違いないだろう。

それに、問題は他にもある。

もしも要人が暗殺されなかったとしても、テロが起こってしまえば全てがご破算になる。隙を見せないように、二重三重の警戒が必要になる。いずれにしても、茶番のような気もするのだが。

しかし、今魔王軍はかなり状況が悪い。人間側が少なくとも連携を乱さないと、恐らく勝ち目は無いだろう。負けるとも思わないが、戦いが終わった後には文字通りの焦土が全てを覆っているはずだ。

それを考えると、向こうから和平を提案してきた今が好機。更に言えば、筋金入りの人間嫌いの魔王が、今回は和平に応じるべきだと思ってくれたのだ。たとえ提案者が人間ではないとしても、である。

幾つか、細かい対応について話しておく。

「問題は、ヨーツレット元帥を殺そうと、人間が全ての軍勢をたたきつけてきた場合ですが」

「その時は対応しきれないな。 護衛の師団長を二名か三名つけておかないと、勇者を押さえるだけで手一杯になる」

「私が対応しましょう」

不意に、至近から声。

立ち上がって振り返ると、バラムンク軍団長だった。人間の死体を挟んでいる。多分その辺で狩った密偵だろう。

「バラムンク軍団長」

「いざというときには、私がヨーツレット元帥の盾となる。 それで文句はないでしょう」

「どういうおつもりですか」

「陛下に頼まれたのですよ。 今、動ける軍団長は私しかいない」

嫌みたっぷりに、バラムンクはグラに返してくる。

だが、これで駒が揃ったのは事実。不意に、此処にピンポイントで現れたバラムンクには若干の不安も感じるが、確かに諜報戦のスペシャリストであるバラムンクが守りについてくれれば、心強い。

それにしても、何だかできすぎている気がする。腕組みして、ギルムスが言う。

「解せん」

「どうした」

「何だか、あまりにも上手に話が進みすぎている。 確かに皆は戦乱に疲れ、平和を望んでいたが。 此処まで急激に話が進展すると、何かタチが悪い化生か何かに騙されているのでは無いかと思えてくる」

他の師団長達も、不安そうに顔を見合わせる。

パルムキュアは、きっとこの事態を喜んでいるだろう。ずっと待っていた平和が来るし、ソド領も安定する。彼女にしてみれば、万々歳な筈だ。しかしながら、ここにいる多くの者が、状況を不安視している。だが、グラも師団長達と同じ意見だ。

今の時点で、「具体的に」問題になる場所は無い。

しかし、会談では重々に注意して欲しい。それが、最終的にグラが、ヨーツレットに報告した内容となった。

 

視察と監査を終えて、第六巣穴に戻る。

何だかあら探しばかりしたようで、とても疲れた。パルムキュアは良くやっているし、ソド領の管理システムも悪くないことは分かっている。それなのに、漠然とした不安に駆られて、偏執的な調査ばかりした気がした。

何だか、自分自身が人間になったかのようで、気分が悪い。寝台でごろんとしていると、ドアが下品にノックされる。

キバだ。間違いない。

「キバか」

「あにき! おいしいのもってきた!」

この声を聞くと和む。

ベットの上で身を起こし、中に入るように言う。キバが満面の笑みで入ってきた。手にしている皿には、スモモの蜂蜜漬けが入っている。

蜂蜜という事は、既に森に導入されていると言うことか。花粉を媒介するために入れるとは聞いていたが、蜂蜜が取れるほどに増えたというのは良いことである。

一つ二つ口にする。

甘く仕上がっていた。疲労に溶けそうだった脳に染み渡る。

「カーラが、きっとあにきがよろこぶっていってた! あにきつかれてるから、甘いのがいいって!」

「ああ、カーラは俺のことをよく見ているな」

「おれもだ! おれもそれにさんせいした!」

「ありがとう」

人間と関わった時間は、徒労ばかりを産んだ気がする。

だから今、グラは心を許せる家族と、しばらくのんびりと時間を過ごそうと決めたのだった。

 

4、陰謀の席

 

騎馬軍団の護衛を受けながら、キタルレア中央部を南下するキタン軍。西ケルテルに到着した軍勢の規模は二万五千を超えており、ハーレン王の周辺は精鋭部隊が分厚く固めていた。

いずれもが巨大血族とでも言うべき、遊牧の民からなる騎兵である。

そもそもがキタルレア中央に割拠した騎馬民族は。その勇敢さと強力な組織力で、魔王軍が登場するまでは、キタルレアの台風の目であった者達だ。モゴルが潰され、キョドが滅ぼされ、今はキタンがその勢力の殆どをとりまとめている。

ユキナが早速ハーレンを出迎えに行くのを見送ったイミナは、部屋の奥に座り込んでいるガルフを一瞥した。多数いるガルフの中で、奴は監視役だ。無口で、何も普段は喋らない。侍女達も気味悪がっているようだ。

奴が持ち込んだ計画は、今の時点では上手く行っている。だが、何処かがおかしい気がするのだ。

確か聖主は、この世界の統治をもくろんでいたはず。

どうしたわけか、奴が死んでからというもの、あの魔王さえもが態度を軟化させて、いきなり世界が平和に向けて動き始めている。魔王が現在何を考えているかはさっぱり分からないが、奴は以前遭遇したときには確か、人間との和平はあり得ないと主張していた。

それなのに、どうして急に、和平に向けて動き出したのか。

シルンが、城下に行っている。だから、レオンを先に探すことにした。レオンはと言うと、先に到着しているグラント帝国の皇帝カルカレオスの歓待に出向いている。かってテスラとの折衝をしていた人脈を用いている様子だが、こんな状況だというのにご苦労な話である。

戻ってきたレオンを、一階の廊下で見つけた。歩きながら、額をぬぐっている。いい男が台無しである。

レオンは最近知ったのだが、城の侍女達に人気が大変にあるらしい。眼帯をしているとはいえ、その甘いマスクが原因だろう。だがレオンは元々自分にも他人にも厳しい男で、高貴なるものの義務とか言う寝言を本気で守ろうとしていた。女に興味があるとは思えない。

「レオン、戻ったか」

「イミナ殿、何か起きたのか」

「ああ。 ハーレン王が到着した。 今女王陛下が出迎えに行っている所だ」

「そうか、これでしばらくは寝る暇も無くなるな」

裏で連携していたとはいえ、グラント帝国とキタンでは水と油である。兵士達は非常に仲が悪く、町中で顔でも合わせたら喧嘩を始めかねない。かといって、下手な場所に駐屯させたら、近くの街や村を襲って、蝗が驚くぐらいの略奪を行いかねない。

一応、事前に駐屯予定地は決めている。だが、それに向こうが従ってくれる保証など、欠片も無い。

だから折衝になれているレオンが動かなければならない。ユキナも勇者の側近であるレオンについては認めていて、今までの実績も考慮して好きに動く事を許してくれていた。今回も、それを活用する。

歩きながら、話す。

イミナはもう少しで到達者になれそうな感触がある。今は一瞬が惜しい。

「今回は少し様子がおかしい」

「しかし、敵が和平に乗ったのは大きな進歩だと思うが」

「そうではない。 敵は戦略的に、戦闘が継続できる状態では無かった。 それに、話しかけたのは人間では無かったのも大きい。 問題は、その後の、此方の陣営のあまりの対応の良さだ」

「確かに、解せんところがあるな」

キタン王も皇帝も、ひょっとするとこうなることを知っていたのでは無いのか、そんな気がするのだ。

そういえば、聖主の居場所についての情報についても、おかしな点があった。あれはガルフが手配させたのかと思っていたのだが、どうも違うような気がするのだ。しかし、人間側が独力で、あんな情報を入手できるだろうか。

更に言えば、聖主が死んでいないと、シルンは言っていた。

戦う力は失っているらしいが、それでも奴が生きているとなると、どんな形で、なのか。それが気になる。

そしてもう一つ気になることがある。

「福音システムが、忽然と消えたのは何故だ」

「そういえば、おかしな話だな。 多分大規模なテレポート系の術式を使ったのだろうが、それにしてもタイミングが妙だった」

「その上、聖主は死んでいないと聞いている。 奴は一度会っただけだが、相当な策士だと私は見る。 とにかく、何があってもおかしくない。 レオンの方でも備えてくれ」

「分かった。 貴方がそういうなら、最大限の警戒をするべきだな」

軽く打ち合わせてから、別れる。

ガルフは城の中に常駐の一名だけを残して、他は各地で動いているらしい。聖主側の勢力はしばらく沈黙を続けていて、特にシオン会は完全に動きを止めているそうだ。ガルフ自身は、恐らく聖主を裏切った後のことを、しっかり考えていたのだろう。聖主の幹部については、動きが分からない。権力闘争を開始しているようなことも無く、全員の足取りが掴めないそうだ。

これもまた、気になるところだ。

自室に戻る。

思わず足を止めたのは。真っ青になって立ち尽くしている侍女に気付いたからだ。

「どうした!」

「ぎ、銀髪の乙女様! あの、禿頭の人が!」

思わず部屋に駆け込む。

中には、血みどろの死体が転がっていた。頭部を切断されたガルフの亡骸だった。

おかしい。

此奴は、シルンとイミナを同時に相手にして、互角に近い戦いを見せた奴だ。一体一体がそれだけの戦闘力を有していたはずなのに。

こんな事が出来るのは、一体誰だ。

振り返る。

ガルフがもう一人。指を鳴らすと、死体がかき消えた。あまりにも超常的な現象を見た侍女が、その場で卒倒する。倒れる彼女を抱き留めると、床に横たえながら、イミナはガルフをにらみつけた。

「どういうことだ」

「俺にも分からん。 だが、どういうわけか、仲間がどんどん彼方此方で削られているようでな」

「聖主の手によるものなのか」

「それがおかしな事に、倒している者を誰も見ていないのだ。 だいたいは二人一組でいるときか、まず奇襲を受けない場所で殺されている。 もしも聖主の仕業だったら、気配か何かで分かるはずなのだが」

しかし、此奴を殺せるのは聖主ぐらいのような気がする。シルンだって、不意を突いてやっとという所だろう。

しかも、である。ガルフは聖主が生きていると聞いてから、誰にも分身をどこに派遣しているか話していない。イミナだって知らないくらいなのだ。その居場所を精確に把握して、しかも暗殺しているとなると、並大抵の相手ではない。やはり犯人は魔王か聖主か、どちらかだとしか思えない。

「残存戦力は」

「既に半分て所だな。 一旦俺は身を隠す。 福音システムはつながらないから、もしも居場所を察知できているとしたら、寄生型ナノマシンが原因だろう。 だから、密閉空間に入るか、地下に潜るとするよ」

「分かった。 だが、逃げたところで、いずれ殺されるのでは無いのか」

「それなりに努力はする」

裏切りを行った男の末路と言えば確かにそうなのだが、何だかおかしな話だった。

聖主は相当に弱っているという話だったはず。シルンも気配を微弱にしか感じられないと言っていた。

福音システムが何処かで完成したとしても、どうやってガルフを殺しているのか。

それに、ガルフから断片的に話を聞いたところでは、福音システムは限定的な存在で、使うには幾つかの条件が必要だという話である。それをどうやってクリアしているのかも気になる。

ガルフはいずれにしても、去った。あの様子では生き残れる可能性は高くないような気がするのだが、それでも本人がそう考えて行動したことだ。第一、元死人であるガルフである。

生存意識自体が、希薄なのかも知れない。

シルンが戻ってきた。新しいアクセサリを仕入れてきたらしく、若干気が晴れたようだった。

「お姉、どうしたの」

「ああ、部屋で話そう」

「うん。 せっかく平和が来ようってしてるのに、どうしてこんなに不安ばっかり募るんだろう」

「状況が不自然だからだ。 今までも、魔王軍はどこかで落としどころを探していたとしてもおかしくは無かった。 だが、人間側の足並みの揃い方は、いくら何でも妙だ」

それに、魔王本人の態度軟化も不自然すぎる。やはり、この会議は、何か陰謀の上になっていてもおかしくない。

エンドレンから代表者が来た。何名か有力者らしい人物がいる。その中には、まだかなり若い女性もいた。

テレポートという危険を伴う手段出来たからか、護衛も最小限しかいない様子だ。此方で提供しないといけないだろう。

文官に、エンドレンの代表者が来たと、ユキナに伝えるように指示。文官達も頷くと、すぐに歓待の準備に入った。

後は南の大陸の代表だが。彼処は実質エル教会の支配地だ。今どうなっているのか、よく分からない。

教皇は既に聖主の傀儡になっていただろうし、腐敗坊主はあらかた粛正されているはず。しかし、エル教会の本部と言うことで、今でも相当に強力な兵器を有していてもおかしくない。

決しておざなりには出来ない相手だ。

だが、不審をよそに、あっさり代表者は来た。教皇の名代という名目で、大司教が何名か、である。

いずれも、代表としては格的に問題が無い。これで、会議の準備は整ったことになる。

そして、長引けば長引くほど、テロの危険性が高くなる。会議を行うのであれば、出来るだけ早く済ませなければならないだろう。

さて、どこまで上手く行くか。

部屋で、シルンと不測の事態が起きた場合について話あう。既にガルフの失踪という、ある意味最大の不測の事態が起きているのである。これ以上何が起きても不思議では無い。あらゆるパターンについて、シルンと意見を出し合った。

気がつくと真夜中になっていた。

いざというときは、プラムにも力を借りたい。あの子の近接戦闘能力は、非常に頼りになる。レオンにも、周囲に目を配って欲しい。席の位置や配置など、きっと人脈から最良のものを割り出してくれるだろう。

夜中に、ユキナが戻ってきた。

西ケルテルの幹部と一緒に呼ばれる。会議室は、真夜中だというのに、疲れ切った顔の者達が集まり、異様な雰囲気を作り出していた。

「会議は明後日に行われることが決まった」

「おお、いよいよですな」

「……」

やはり不満そうにしている者はいる。特にアニーアルス出身の騎士達は、あまりこの状況を由とはしていないようだ。

だが、聖主があのような存在だった以上、人間には体勢を立て直す時間が必要である。魔王軍も今はダメージが大きいはずで、双方共に今回の和平は利害が一致している。此処は、確かに一旦兵を引いておくべきだ。

イミナだって、今回の件は戦略の練り直しが必要になるので、思うところはある。

だが、早めに福音システムを見つけて、そしてシルンを聖主の代わりにするには。戦争に関わって時間を潰している場合では無い。一旦安定した状況を作った方が、イミナにとっても都合が良いのである。

「現場の警備は、二元化する。 魔王軍はヨーツレット元帥が直接指揮を執るそうだ」

「ヨーツレット元帥というと」

「魔王軍の最高司令官。 あの巨大なムカデのような魔物だ」

「なるほど、そうなりますか」

そして、人間側の警備指揮は、ユキナが直接執る。もっとも会議の最中は、クドラクに委任することになるだろう。

よくキタンやグラント帝国が納得したものだと、イミナは思ったが。ユキナがその疑問に、先に応えてくれた。

「この話は、グラント帝国から出た。 更に、キタンもすぐに同意した」

「なんと。 それは物わかりが良くて助かりますな」

「そうだろうか」

イミナが呟くが、誰の耳にも入らない。

やはり、様子がおかしい。何だかとんとん拍子に事が進みすぎている。大事故が現場で起こらなければ良いのだが。

その後は、細かい打ち合わせに移る。不満たらたらの騎士達は、一旦会議が中断すると、外で鬱屈をはき出し合っていた。なんで魔王軍なんかを護衛しなければならない、連中を排除すればすむのではないか、そんなことを言っている。

だが、滅ぼされたのはアニーアルスだけでは無い。イドラジールは丸ごとだし、北の大陸フォルドワードに至っては根こそぎだ。彼らだけが不幸なわけでは無い。

それに魔物達にしてみれば、かってそうやって同胞を根こそぎにされた過去がある。人間は憎んでも憎みきれないだろう。

それなのに。

どうしてか、パズルが完成するように、和平が上手く行こうとしている。

良いことの筈なのに。

違和感は、大きくなっていく一方だった。

 

既に、福音は稼働を開始している。

小高い丘の上から、魔王軍と人間側の和平締結の様子を見下ろしながら、聖主エル=セントは満足していた。

福音とは、歴史の観察者たる偉人達の観測によって、この世界の法則そのものを書き換えるシステムだ。発動するには幾つかの条件があり、その一つがナノマシンの散布である。勿論現在、ナノマシンを製造する技術は無いので、元から散布されている寄生型ナノマシンの仕組みを書き換えたのである。それが、最初福音によって行ったことであった。

この改良型の性質については、計画をある程度教えていたガルフやフローネスにさえ、実は知らせていなかった。

改良型ナノマシンは、人間が持っている過剰な好戦性を削ぐ。そして、此処で言う人間は、進化した存在である魔物でも例外では無い。聖主の読み通り、人間の好戦性を四割も割けば、その時点で利権を天秤に掛けてもおつりが来た。更に、先に進めていた裏工作もあって、一気に聖主の読み通りに事態は進展していた。

直接的な戦闘では何度も後れを取ったが、しかし計画自体は既に完成していたのである。戦術で負けても戦略で勝てば良い。それが戦いだ。

ただし、これを行うには、どうしても福音の影響下にあるナノマシンを、直接散布する必要があった。

人間の領土は、エル教会の者達を使えば良い。

問題は魔王領だ。

そこで今回、デウスエクスマキナを使ったのである。魔王を戦いによって殺せなくても、要は最悪の場合、デウスエクスマキナを魔王領まで運び込みさえすれば、それで良かったのだ。

違和感を感じていたところで、既に福音の影響は、魔王にさえ及んでいる。というよりも、一番強烈な影響を受けたのが魔王だ。最も濃い福音の中で、聖主と戦ったのだから。奴自身も、今までだったら絶対飲まない和平案を、「合理的だから」受け入れた。本来だったら、絶対あり得ない思考だ。

既に魔王は死んだと言える。

デウスエクスマキナに乗り込んできた時点で、内部での戦闘に勝とうが負けようが、魔王は終わっていたのだ。

そして、福音の影響は徐々にこの世界全てを覆い尽くしつつある。後はフォルドワードまで福音が達すれば終わりだ。それも、大気の流れからすれば、そう先の未来では無い。

更に、である。

裏切ったガルフについても、既に対策は済んでいる。後は、未だに違和感を感じている一部の連中について、対策を施せば終わりだ。

見たところ、イミナはまだ違和感を感じているようだ。そして、一人の違和感は他に伝染する。

福音ネットワークを掌握している聖主には、そういう異物の存在が手に取るように分かる。他にも魔王軍のグラなどは、見張るべき存在だ。対策については、じっくり施していけば良い。

戦略的にも、既に魔王軍は人間に対して戦える状態では無い。ましてや攻勢に出るのは絶対に不可能だ。

人間側も、そろそろ兵士の不満が大きくなっている。一度兵士達を引かせなければ、国の状態がガタガタになる。

聖主の策は、基本的に何重にも練り上げられた緻密なものだ。

仮に一度や二度負けたところで、揺らぐものではないのである。

一度、その場を離れる。

デウスエクスマキナについては、どのみち破壊は不可能だ。後は寝ているだけでも計画を全て実施できるのだが、その前にやっておくことがある。

後方で、歓声が上がっていた。

和平が成立した。何事も無く。ヨーツレットが提案した案に人間側の代表者達が調印して、兵を引くことが決まったのだ。

ソド領はそのまま。ソド領の人間を解放するよう求める声もあったようだが、それについては結論を先送りすることで決まった。いずれにしても、人間側も調査が出来ていたのだろう。ソド領では、むしろ他の人間の国よりも、効果的な善政が敷かれていると。

近くの街のエル教会に。

既に、幹部の何名かが集まっていた。

「聖上。 計画の成就、おめでとうございます」

「うむ」

「此方が、ジェイムズとやらの居場所について調査した書類にございます」

たかが知れているとは言え、現在最も優秀な人間側科学者、ジェイムズ。闇の福音についても、相当な所まで研究を進めていることが分かっている。イミナが到達者になるのは仕方が無いにしても、ジェイムズは正直な話、これ以上成長されると面倒だ。

それに、もうジェイムズは、人間側にとっても用済みの筈。

「よし、消せ。 理想の社会を作り上げるためには、奴は不要だ」

最後の一手とも言える命令を、聖主は下していた。

 

(続)