再びの混戦
序、エンドレンの確執
レンメルは丘に上がると、それを一望した。
およそ二十万の兵士が、其処に集まっている。戦いが終わった後、職が無くなった軍人達や、ならず者や山師。いずれもが、一昨年にフォルドワードに攻め込んで、生還した者達である。
圧倒的な大軍勢だが。
問題は、それだけではない。これの五十倍に達する軍が、エンドレンの北岸に集結しつつあるという事だ。
合計戦力、一千百七十五万。
ガルガンチュア級戦艦だけでも、百三十隻。しかも、既に戦える状態は、整っていた。
丘から見下ろす下にいる軍勢が殺気立っているのが分かる。村の者達には、何があるか分からないから、絶対に外に出ないようにとは告げてある。
魔術部隊も、あの軍の中に入る。
以前のように、高空からの攻撃に対して、数を武器にして防御をするだけが能では無いと、示すためだ。
足音に気付いて、振り返る。
近づいてきたのは、シオン会の幹部の一人、ハーネットだった。
「士気が上がっているようですなあ」
「……おかげさまで」
既に、エンドレンはエル教会の掌握下にある。
元々、以前から魔王軍との戦いを煽っていたのはエル教会だった。しかし、聖主という者が現れてから、戦いは止んだ。
そして、腐敗を撤廃したエル教会によって、エンドレンは再生するかと思われたのである。
それなのに、どうしてだろう。いつのまにか、また皆の間で、戦争の機運が高まっていった。恐らく、地味に畑を耕し、商売をして生きていくというのが、嫌だと思った者が多くなってきたのだろうか。それとも、別の理由だろうか。
魔術による諍いも増えてきた。
レンメルが守っていた村でも、同様の問題が徐々に大きくなっていった。畑仕事は嫌だという若者も多くなり、対立は徐々に深刻化していった。
やがて、エル教会の坊主がまた来た。
そして言う。全体で、また戦争の気運が高まっていると。
元軍人達も、戦争に行けるのなら鬱憤が晴らせる。それだけではない。かって軍人階級だけの特権だった戦争に、今や魔術を使える普通の人間も参加できる。
フォルドワードを奪えば、いくらでも資源が手に入る。土地も何も奪い放題。そう聞いて、目の色を変えていく周囲の大人達。このままだと、クーデターが起こり、そのまま村の首脳部が追い出される可能性さえもあった。
レンメルは危なくて外を歩くことさえ出来なくなった。
軍人崩れの者達が、周囲を固めてくれていた。だが、それでも常時危険はつきまとった。そんな情勢下、ついに致命的な事態が発生する。過激派が、子供達を誘拐する計画を立てたのである。
それは間一髪で阻止して、首謀者はとらえた。
だが、もはや、主要な村の構成メンバーは、過激派に同情しているのが丸わかりだった。処刑という決断が出来なかったのは、もしそうすれば、彼らが一斉に蜂起しかねなかったからである。結局犯人は追放したが、悪いことをしたと思っていないのは一目瞭然だった。
一体、何が起こっているのか。レンメルも、よく分からなくなりつつあった。元はただの女教師なのだ。逃げ出したいとも思った。だが自分のために、子供達のために残ってくれた軍人崩れ達や、何より子供達の事を考えると、見捨てて逃げるわけにはいかなかった。
絶望のただ中にいたレンメルの所に、シオン会の坊主が来た。
そして、今回の提案をしてきたのである。
もう、レンメルには選択肢が無かった。
だが、この軍勢の整備ぶりや、準備の周到さを見ていて思う。戦争が終わって、誰もが喜んでいたのは、本当は嘘だったのでは無いのか。
皆が望んでいたのは、軍人が特権階級では無くなること。更に言えば、自分や家族が戦争で死なないこと。
本当は、誰も彼も、戦争そのものは大好きなのでは無いのか。
自分が勝者側に立ちたいと思っているだけで、殺しも略奪も大好きなのでは無いか。
そうだとすると、自分がむしろ異常なのでは無いのか。レンメルは、そう感じてしまうのである。
「本当に、実際に戦う事はないんですね」
「ええ、そちらは問題なく。 戦えば、致命的な損害を受けることくらい、魔物達も理解しています。 小競り合いが発生するかも知れませんが、それは押さえられるように、工夫もしています」
「もう一度聞きますが。 我々の行動は、敵を引きつけるためだけのものだと言うことで、よろしいですね」
「そうなります」
敬語を使っているのは、実質此奴がこの軍を指揮しているからだ。
一方で、向こうも名目上の指揮官であるレンメルに、そこそこ丁寧に応じている。何だか妙な会話だった。
エンドレンの北岸の彼方此方で、こんな光景が広がっているのだろう。
魔物共は、どう思っているのだろうか。
ひょっとして、だが。魔物と言うべき存在は、人間のほうではないのだろうかと、レンメルは思ってしまった。
一度、丘から降りる。
村の若者も、多くがフォルドワード攻撃部隊に加わった。本当に戦いにはならないと言われても、安心は出来ない。
実際、戦争が行われたとき、港町は一度壊滅したのである。
あれは間違いなく、敵の攻撃だったはずだ。あのときの悲惨な光景は、今でも目に焼き付いている。
もしまたあんな悲劇が起こったらと思う。
一度村に戻る。シオン会の坊主が、まだ訓練を見るという。海辺に展開している軍勢について、今のところは心配していない。前の戦いの時は、まるでならず者の集団だったが、今回は違う。かなり高度に統率され、略奪も暴行もしてない。
もっともそれは、エル教会が後方から無尽蔵に物資を輸送しているから、なのだろう。或いは、もっと別の理由があるのかも知れないが、それはレンメルの知るところでは無い。軍事についての知識も無い。ある程度知識を付けておかないと、いざというときには困るだろう。
学校に入る。
空気がぴりぴりしていた。興奮した若者達が、殴り合いをしたり喧嘩をしたりしているので、子供は外に出せない。それに、軍人崩れの者達を、軽蔑する風潮もできはじめていた。
今まで、誰がこの村を守ってきたのか。
それを、すっかり忘れてしまったかのようだ。どこまで恥知らずで恩知らずなのだろうと、レンメルは忸怩たる思いを抱えてしまう。
「先生」
「何?」
振り返ると、軍人崩れの者達だった。
皆、不安そうにしている。村にもう居場所が無いのではと、彼らは思っているのだ。
「今日も、学校に石を投げ込まれた。 子供が怪我をするところだった」
「まだそんなことをする奴が残っていたの」
「軍基地から戻ってきた若者は、皆興奮してる。 成り上がるんだって言ってな」
戦場の現実を知り、それで逃げてきた皆は、心苦しそうだった。
ましてや魔物との戦いは、人間との戦争とは違う。完全な殲滅だ。敵もそれを理解しているから、あらゆる手で此方を皆殺しに来るだろう。
どうしたら良いのだろう。
そう、レンメルは苦悩するばかりだった。
1、神の悪意
ヨーツレットが魔王城に帰宅すると、既にささやかな宴の準備は整っていた。
マリアの中にアニアの意識がある事がはっきりしたのだ。魔王にしてみれば、望外の出来事であっただろう。周囲の者達が計画して、この宴を行うことにしたのである。
だが、肝心なところで、躓きが起こっていると、ヨーツレットを出迎えたヴラドが言う。
「躓き?」
「どうやらマリアが、魔王に会いたくないと言っているそうなのです」
「何」
「しかも、それが本人の意思では無く、アニア様の意思だとか。」
これは、困った。まさか、それを直接魔王の耳に入れるわけには行かないだろう。
まずは、説得するほか無い。
アリアンロッドは、マリアを救出するとすぐにフォルドワードに戻ってしまった。この辺の切り替えの早さは闘将と言われる歴戦の猛者が故だが、今回は徒になったかも知れない。
話を聞く限り、アリアンロッドはマリアと一番しっかりコミュニケーションをとっていたようだから、だ。
アニアの意識が中にいると言っても、主導権を握っているのは元人間のマリアなのだ。嘘を言っていたとしても、それを見抜くことは出来ない。魔王だったら或いは見抜けるかもしれないが、万一のことがあってはならない。
アリアンロッドと連絡を取るよう指示を出すと、ヨーツレットはマリアがいる小屋に向かう。魔王の本殿では無く、何重かある城壁の一角に、離宮のような形で作られている小屋だ。さほど大きくは無いが、ヨーツレットも入る事は出来る程度に調整されている。
小屋の外では、エルフの戦士達が困惑した顔を見合わせていた。
「ヨーツレット元帥」
「マリアの様子は」
「はい。 食事も口にしません。 弱っている様子はないのですが……」
「私が話をしてみよう」
入り口を開けて貰い、中に。
人間の小屋風に、家具を納めてある。マリアは椅子に座って、じっと目を閉じていた。
不思議だ。以前見た時とは、全く別の落ち着きが備わっている。
「ヨーツレット元帥ですか」
「見ての通りだ。 だだをこねていると聞いて、様子を見に来た」
「強引に連れ出そうと思えば、出来るのに?」
「今や貴方の中にいるアニア様は、我らにとっては王女に等しい存在だ。 無碍に扱うという選択肢は無い」
マリアが、顔を上げた。
気圧されることは無いが、やはり視線に強い力がある。以前とはまるで別人のように、落ち着きを得ていた。
何があった、というのは野暮か。
マリアは、急速に成長しつつある。内部にいるアニアの影響かどうかは、ヨーツレットには分からない。
「ならば、王族の言葉と言うことで、話を聞いていただけますか」
「内容にもよる。 我ら魔王軍は、今まで魔王陛下の慈悲あるお言葉と志によって動いてきた集団だ。 魔王陛下はエゴで事を進めることは無かったし、常に暖かいお言葉と優しい行動で皆を励まされてきた。 貴方が王族になったとして、だからといって急に横暴をされては、魔王軍は成り立たなくなる」
ヨーツレットは、魔王軍がカリスマによって成り立つ組織である事を熟知している。魔王の代わりはどこにもいないのだ。
だからこそ、全力で魔王を守らなければならない。
それが、どんな内容であろうとも、だ。
「……魔王は、私の言葉を聞いてはくれないでしょう」
「人間を皆殺しにするな、とでも言う気か」
「貴方にも分かっているはずです。 そんなことは、現実的でもないし、ただ今後の悲劇を重ねるだけだと」
「現実的では無い事は同意する」
少し前に、バラムンクから報告があって驚いた。
エンドレンは混乱下にあったにも関わらず、人間が減っていない。むしろ増えている。
それだけではない。
既に北部海岸線には、二十万ごとを単位とした軍団が、五十ないし六十、戦備を整えているというのだ。
キタルレアでも、状況の厳しさに変わりは無い。
グラント帝国もキタン王国も、それぞれますます軍備を増強し、前線に兵を集めている。その数は既に二百五十万を超え、此方の兵力を数段上回る規模にふくれあがっていた。しかも未確認だが、敵の後方にさらなる大規模援軍の姿があるという。
人間の底力は尋常では無い。
むしろ、人間の力を内紛をさせて削ぐしか無いだろうと、ヨーツレットは考えている。それだけではない。フォルドワードはどうにか壊滅させることが出来たが、それ以来人間の抵抗が著しく激しくなっている。
もしもキタルレアを落としたら、更に人間の攻撃は激しくなるのでは無いのか。そう思えてきているのだ。
一種の敗北主義では無いかと、ヨーツレットは感じる。
だが、現実的に見て、人間の抹殺が難しいことも事実ではあるのだ。
「魔王にとって、人間の絶滅は復讐、でしょうか」
「理由の一つではあるな」
「ならば、私の中にアニアちゃんがよみがえったのならば、復讐を取りやめると、全軍に宣言できますか」
それは無理だ。
人間に恨みを抱いている魔物は多い。と言うか、ほぼ全てがそうだと言っても良い。
魔物達にとって、人間は不倶戴天の存在だ。純正の魔物を、ソド領や南部諸国に行かせないのも、それが理由である。
それに、魔王はどうやら、アニアの事はきっかけに過ぎないと考えている。魔王にとって、人間はこの世界を食い荒らす害虫に過ぎない。害虫は除かなければならないと、誰が言おうと説を曲げないだろう。
魔王はとても優しいお方だが。
誰よりも頑固で、その意思は鋼鉄のように強靱だ。ずっと一緒に戦い、その心を見てきたヨーツレットだからこそ、ある意味意固地で硬直してしまっている魔王の悲しみは理解できている。
「無理、なんでしょうね。 分かっています」
「だから、陛下に会いたくないと。 それはお前の意思では無いのか」
「アニアちゃんは、昔のおじいちゃんがいいって言っています。 ずっと」
「陛下は恐らく、人間に対する憎悪を除いてしまえば、昔と人格的には変わっていないはずだ。 きっと昔と同じように接してくれるはずだが」
マリアは首を横に振る。
多分、違うという意味だろう。
外に気配。一旦出ると、バラムンクがいた。ここに来ると言うことは、何かあったというのか。
「どうした」
「ヨーツレット元帥、ちょっとばかりまずいことが起こったようです」
「何だ」
「敵が一斉に進撃を開始しました。 すぐに、前線に指揮官が展開するようにと、魔王陛下の指示が出ておりますよ」
最悪だ。
そして今のタイミングでの総攻撃。何かある。というよりも、ほぼ確実に、聖主の手によるものだろう。
「一度魔王城に出てから、テレポート部隊の力を借りる」
「よろしいのですか」
「こういうときは、まず状況判断だ」
登城する。
城壁の間を縫うようにして作られている階段を、せわしなく足を動かして進む。やがて、城門をくぐった。バラムンクは、何故かついてきていた。
魔王は、何名かの参謀と、戦図に見入っていた。ヨーツレットが来ると、顔を上げる。
「おお、元帥か」
「丁度居合わせまして」
「そうかそうか。 それでは、状況をもう一度説明してくれるか」
「分かりました」
アニアール師団長が、説明をはじめる。
そういえば此奴も、アニアの名前を持つ師団長だった。何処かにアニアの要素が入っている実験作なのかも知れない。
図を見ると、敵の進撃している様子がよく分かる。
今まで停滞していたキタン軍が、後方から膨大な数の死人兵を繰り出してきている。融合死人兵だけでおよそ三万、もっと多い可能性もあるという。
更に、敵兵七十万も、既に行動を開始していた。前線を挑発するように、兵を出してきている。
南はというと、グラント帝国が大胆に兵を進めているのが分かった。
此方も百万以上の前軍と、残りを集めた後軍に別れて進軍を開始している様子だ。そうなると、皇帝が或いは後軍にいるのかも知れない。
「メラクス軍団長は」
「まだ義足が間に合っていませんが、前線に出るつもりのようです」
「無茶をする……」
フォルドワードでも、状況は風雲急を告げているという。
グラウコスからの報告によると、敵の軍団が出航を開始。海上を埋め尽くす大軍団が、国境に迫っていると言うことだ。
今回敵は二十万ごとに兵をわけ、その単位ごとに運用を行っているという。
しかも編制は以前のように雑多では無く、かなり考え込まれていることが一目で分かるそうだ。戦艦に張られている防御術式も、以前とはまるで別物のように分厚いという。
此方だって、相当に備えている。
だが、しかし。
今回は支えきれないかも知れないと、ヨーツレットは一瞬考えてしまった。すぐに考え直す。
あちらにいるのは、百戦錬磨のカルローネだ。後方には、戦闘に出しては使い物にならないが、作戦を考えさせれば立派に仕事が出来るクライネスがいる。
激しい戦いになるだろうが、支えきれる。
そう自分に言い聞かせて、ヨーツレットは頭を上げた。
「陛下、それでは私も前線に出向きます」
「うむ。 他の指揮官にも、告げてある事があるのじゃが」
「何でしょうか」
「これは確実に罠じゃて。 絶対に、此方から手を出さないようにするのじゃぞ」
魔王は玉座に座ると、おミカンをと言う。
すぐに運ばれてきたミカンを剥いて食べ始める魔王にもう一礼すると、ヨーツレットは小首をかしげながら、前線に戻った。
だが、その言葉は、実際に現場を見て、すぐに正しかったと分かることとなる。
グラント帝国は、貴族によって運営されている国である。実際は貴族合議制とでも言うべき制度の国で、皇帝はお飾り程度の存在に過ぎない。ただし、お飾りではあっても、存在しなければ困る。
戦争の時は、旗印になる。
政争の時は、抑止力になる。
様々な教訓の末、大貴族達は皇帝が必要な存在であり、「最低限の敬意」は常に払うようにと心がけてきた。
その結果、歴代の皇帝はおおむね幸福に人生を送っていった。もっとも、貴族達とさんざんやり合った末に、怪死を遂げた人物もいる。近年では、先代皇帝が、魔王に対抗する手段を作り出そうとして、結局魔王に殺された。
そして、今。
皇帝の座についているのは、まだ年若い人物である。国民には顔を全く見せないので、女では無いのかとか、或いは人間では無いのかとか、好き勝手な噂が一人歩きしている。
その皇帝は、今。
分厚い守りに囲まれた、指揮車両。地上戦艦120インチ自走砲の司令室にいた。玉座なども設置された、そこそこに豪華なつくりである。
周囲には、宮廷の女官達や、宦官など、皇帝を直に知る人間ばかりである。兵士は特別に忠誠度が高い近衛達だった。
「陛下、状況報告が届きました」
「見せよ」
声は高い。
近衛兵は玉座につく若々しい人物にそれを手渡すと、そそくさとその場を後にした。元の造作が美しいが故に、見たくないのだろう。
額にある、第三の目を。
魔王による鏖殺を避けるために、現在の皇帝、カルカレオスはジェイムズに協力を依頼した皇族達により、無理矢理改造された。闇の福音とやらを体に投与され、人外にとなり果てたのだ。
その結果がこれだ。
額だけでは無い。後宮でカルカレオスに抱かれた女は、更におぞましいものを見ることになるのだ。
全身に、既に六十を超える目がある。
そしてそれは、今も増え続けていた。
戦図を見る限り、前線は予定通りに動いている。テスラが来たと、女官が耳打ちしてきた。
小柄な女だ。美人では無いが、カルカレオスの異形を怖がらなかったので、側に置いている。自分はもう多分子供をなせないかも知れないと思うが、それでも人間であった頃の名残か、たまに性欲が突き上げてくる。
でも、それでも良いかも知れない。
即位する前、カルカレオスは自分が皇族だなどと知らなかった。
貧しい地方領主の、しかも妾腹の一人だった。兄弟姉妹からは人間扱いされず、苦しい日々を送っていた。
何だか最もらしい家系図を見せられて、宮廷に連れてこられて。
そして、人間では無くなった。
自分は不幸なのでは無いのかと、時々思うことがある。
だが、あのまま暗い部屋に押し込まれて、最低限の食事と生活だけを保障されているよりも、今の方がまだマシだ。
にこにこしながら、テスラが来た。吸血鬼のような爺だと思っているが、口には出さない。
「陛下、前線の将兵は、予定通りに動いております」
「左様か」
「はい。 これから敵との距離を保ちつつ、突出と後退を繰り返させます」
「そのように」
頭を下げると、テスラは出て行った。奴を乗せた馬車が、前線に向かうのを見る。鼻を鳴らしたのは、見え透いていると思ったからだろうか。
もう少し、本格的に演技をしなければならないかも知れない。
キタン王とは、既に話がついているのだから。
「後は、ヨーツレットとやらを、どうやって説得するかだな……」
「陛下」
咳払いが聞こえた。
どうやら、口に出してしまっていたらしい。この女、見かけは地味だが、しっかり仕事は出来るし頭も働く。
だから重宝していた。
「すまぬ。 気をつける」
あまりにも凄まじい味方の大軍勢が故に。
全周型のモニタがついている司令室であるのに、敵の気配はみじんも感じることが出来なかった。
キタン王ハーレンは専用の輿に乗り、兵士達から身を隠したまま、前線に出ていた。カルカレオス皇帝とは比較にならないほど異形がひどいので、既に部下達に姿は見せられない。それでも、ハーレンの陣頭指揮を望む部下は多いので、出てこざるを得ないという事情もある。
敵は動かない。だが、ヨーツレットが来ているのは、ほぼ確実である。不死者兵達の進軍は一度停止させ、また開始させている。
こうすることにより、敵に心理的圧迫感を与える。そして、何より、いつ全面攻撃に出るか分からない此方を見て、敵司令官は此処に釘付けになる。
これが人間の司令官だったら、適当に責任を部下に押しつけて、後方でぬくぬくとしているかも知れない。
魔王軍は、違う。
それを知っているが故に、効果が高い作戦であった。
「誰かある」
「ははっ。 マイダット、此処に」
「マイダット、デウスエクスマキナとやらはどうなっている」
「聖主からの連絡がありません。 動いているとしても、或いは我らに知らせる気はないのでは」
可能性はある。
マイダットは美男とは言いがたいし、頭も良くないのだが、人の言うことは良く聞く。それが故に、側に置いていることが多くなった。
今の言葉も、自分で考えたものではないだろう。マイダットには参謀候補を何名か付けているのだが、そいつらが考えたに違いない。
だが、マイダットは、基本的に部下の功績を横取りしたりしない。
それが、ハーレンが気に入っている理由だ。今までだましあいだらけの世界で生きてきたからか、こういう愚直な男に興味がわく。実際、素行などを洗わせてもいるのだが、不快感を煽られるようなことは一度も無かった。
「そのまま作戦行動を続けろ。 多分フォルドワードでも、同じ事が行われはじめているのだろう」
「はっ! 分かりました!」
とにかく此方は大軍だ。
それに、言われていないが。ハーレンは、敵に隙があるようなら、本気で攻め潰そうとさえ考えていた。
敵の気を引いてくれればそれで良いと、聖主は言った。
だが信用できない。
既に様々なつてから知っている。聖主は場合によっては、キタルレアを丸ごと吹き飛ばすような選択肢を用意していたという。まだ皆が生きていると言うことは、多分勇者なり、或いは魔王軍がそのもくろみを粉砕してくれたと言うことなのだろう。
魔王軍が。
聖主による虐殺を食い止めてくれたのだ。
これほど皮肉で腹立たしい事が他にあろうか。
既にグラント帝国とは情報を密にやりとりしている。敵地に潜入した密偵も、必死にコンタクトを取れる魔物を探している状態だった。
まだ画期的な成功は実現していないが。しかし、成果は上がり始めている。
魔物の中にも、戦いを倦む者が出始めているのだ。
「敵の空軍、出てきました」
「対空砲を準備しつつ後退」
「すぐに後退させます」
合図が送られ、前線の部隊が下がりはじめる。
聖主が、魔王軍の幹部をあらかた前線に分散させ、魔王をピンポイントで潰すつもりなのは目に見えている。多分デウスエクスマキナとかいうのをそれに用いるのだろう。
話によると、今まで聖主が使った兵器のどれよりも圧倒的に強力だとか言うことだが、だからなんだ。
此方は、これ以上無為な被害を出したくないのである。
魔王軍の領地も、この分だと奪わせる気が無いのではないかと思えてくる。聖主は魔王軍を滅ぼすのでは無く、別の目的で動いている可能性が高いと、ハーレンは分析を済ませていたが。
実際に前線の様子を見ると、それが正しいとほぼ確信することが出来た。
「敵が後退します!」
「その分前進。 敵の反転攻勢に注意しろ」
「分かりました!」
敵の空軍が下がると同時に、また兵を進める。
敵の要塞は、距離を慎重に測っているようだった。融合不死者兵による投擲攻撃で、相当な打撃を受けたのだから当然だろう。
やがて、日が暮れた。
敵の偵察がかなり出てきているが、相手にしない。空軍だけは、入り込まれないように、対空砲で威嚇する。
真夜中になっても、敵は動き続けていた。
それに対してハーレンは、味方を三交代で休憩させる。分かっているからだ。敵は出たくても、出られないと。
意図的に続けられる千日手。
泥沼から、まだ抜けられない。
膠着する戦線をあざ笑うようにして、海を割って巨大な建造物が現れる。
それはまるで小さな島ほどもある鉄の塊であり、無数の無限軌道によって動いていた。巨大な砲塔が多数背中にも横にもついており、そして正面には、三角錐の恐るべき掘削装置がついているのだった。
その巨大さたるや、掘削装置だけでも、小さめの山を削り倒せそうなほどである。
移動要塞デウスエクスマキナ。
核攻撃にも耐え抜くシールドシステムを搭載し、そもそも惑星掘削システムとして作られたこれこそが、聖主エル=セントの切り札であった。背中や横についている大砲は、後から付けたデコレーション程度の武装に過ぎない。
地殻を粉砕し、資源衛星を粉々にする目的で作られたビーム掘削システムが、文字通りの暴力的破壊力を持って、これから魔王を屠るのだ。
これの前には、たとえ到達者であってもひとたまりも無い。実際シミュレーションを何度かしてみたが、魔王との交戦で相手に勝てる確率は九割八分を超えた。しかも、逃がさないようにする工夫もしっかりしてある。
既に、駒は予定通りの配置についている。
今までの作戦行動で得られたデータは完璧だ。そして、今回の作戦についても、である。
最大の懸念は移動速度が遅いことだが、それは問題ない。
今回浮上したのも、情報にずれが出ていないか確認するためだ。すぐに情報を採取したので、また海の中に潜る。
そして沈んだ後、海底を掘って地中に逃れた。
「魔王軍に動き無し。 此方は捕捉されていません」
「当然だ」
このデウスエクスマキナだが、元は銀河連邦の技術陣によって持ち込まれたものであり、この星を作るために資源衛星を砕く目的で使われた。使用後、地球軍が放棄されていたものを接収。中を調べ尽くした後、不要と判断して捨てたらしい。
捨てるとき、未来に役立つかも知れないと考え、地中深く彼らはこのビームドリルを埋めた。
エル=セントは、この大がかりなドリルが埋められている位置まで分かっていた。だから、掘り出したのだ。
もっとも、掘り出した当初は、まともに動く状態では無かったが。
目的地点まで、後半月ほどかかる。
人間共は効率よく交代で部隊を運用しながら、敵を前線に引きつけている。それで良い。
問題は勇者とその一味だが、既に対策は済んでいる。いずれにしても、邪魔をしようにも出来ない。
デウスエクスマキナを止められるとしたら、魔王軍と人間が総力を挙げて全軍を投入、その半分以上を失う覚悟で攻撃を繰り返した場合だけだろう。
魔王軍は、やるかも知れない。
人間に、そんなことは出来ない。今まで人間の宿業を見続けたエル=セントだから、それはよく知っていた。
デウスエクスマキナは巨大な移動要塞だが、内部に乗っている人数は意外にも限られている。
現在親衛隊の長のようなことをしているガルフと、権力を保持しようとしているフローネスを二大巨頭に、後は横並びである。融合不死者兵もあるが、それは自動機動兵士としての存在であり、スタッフとしてカウントはしづらい。純粋なスタッフという点では、幹部やオペレーターなどを入れても、二百名を超えない程度である。
中型の宇宙戦艦ほども大きさがあるこの陸上要塞は、意外な少人数で動かされているのだ。というよりも、元々軍事兵器として利用されることが想定されていない。だから鈍重だし、簡単に動かせる。
げに恐ろしいのは、こんなものでも兵器として活用してしまう、人間という種そのものだろう。ただし、それを利用している身としては、慎まなければならないとも、エル=セントは思う。
玉座の前で、ガルフが跪いた。
「聖上」
「何か」
「もしもこの作戦が失敗したら、どうなさいますか」
「その場合は、私自らが魔王を葬る」
それは最終手段だが、手としては当然カウントしておかなければならないことだ。可能性があるとすれば、勇者の介入だが。
奴は今、此方の策によって動きを封じている。恐らく、出てくる事はないだろう。出てきたとしたら、それは。
本人よりも、側についているあの頭が良い姉の差し金、という事になる。
「分かりました。 最悪の事態に備えておきます」
「うむ。 頼りにしているぞ」
「もとより、第二の生を与えて貰った身にございます。 粉骨砕身、仕えさせていただきます」
ガルフが部屋を出て行く。
玉座の間と言っても、元々がボーリング用の宇宙艦だ。そこそこに広い部屋を改装はしているのだが、全体的に無骨な作りである。立体映像で誤魔化そうとか、そういった工夫さえ無い。
天井にはパイプの類が走っているし、壁にはレバーやスイッチがある。いずれも生きた機構ではないが、この世界の支配者のいる部屋には相応しく無いとも言えた。もっとも、これは魔王を葬ったら、封印してしまうが。
人間はまだ宇宙に出るには早すぎるからだ。
後は福音の散布だが、これについては既にフローネスに任せてある。奴はこういう作業については大変に有能だ。しくじることも無いだろう。
実際、エンドレン大陸の人間を、欲得と好戦性でまとめ上げた策略などは、感心したほどである。
フローネスは、人間の心の操り方をよく知っている。ただし、本人にはその手腕が無い。実際にそれを実行に移したのはガルフだった。大まかな戦略を立てるのは得意だが、本人に実行能力が無いという点では、魔王軍にいるクライネスに似ているかも知れない。
しばらく、思索をして過ごす。
元々資源衛星を砕くためのビームドリルだ。この星の地盤など、ものともしない。殆ど無音のまま、地中を抵抗なく進んでいく。
「そろそろ敵領土に侵入します」
「そうか」
勿論、迎撃など、ない。
2、緑の沃野は
第六巣穴に立ち寄った輸送隊の隊長から、グラは聞いた。
マリアが救出されたこと、それに敵が前線に大兵力を集めている事を、である。
当然知っていた。一応これでも、魔王軍の幹部なのだ。だが、輸送隊の隊長からそんな話が出てくると言うことは、相当事態がのっぴきならないことを示している。それくらいの判断は出来る。
元々補充兵作成の重要な資源である人間の死体が著しく減っている状況である。今、増産を掛ける訳にはいかない。敵の動きを見ながら、だ。
こういう点で後手に回ってしまっているのが腹立たしい。
輸送隊の隊長に菓子と茶を振る舞って送り届ける。今日運ばれてきた死体はかなり量が少なかった。様子を見ながら補充兵にするが、師団長級に生産は絞った方が良いかも知れない。
今は数を作るより質だ。
職場に戻って考え込んでいると、分かり易い足音。もう終業時間だから、別にしかることも無い。
「あにきー!」
「どうした」
「すげえものが見られるぞ! 来てくれ!」
興奮したキバが、目を輝かせている。マロンにこの場を任せると、言われたまま、岩山の一番高い場所についていった。
そして、確かにこれは凄いと感心した。
ここのところ、カーラが頑張っているのは知っていた。だが、ついに山全体が緑で覆われているでは無いか。
まだ、木が生えている場所は全てでは無い。雑草が岩の間から生えているだけの場所も存在している。
だが、人間がはげ山にしてしまった此処は、ついに復活したのだ。
これはそろそろ、鹿などの草食動物も導入するべきだろう。最初は兎と狐の方が良いかも知れない。
ただ、それは専門家であるカーラが決めることだが。
「これは素晴らしい」
「だろ! らいねんはすももとか、いろんなきのみがとれるって、カーラいってた!」
「来年には平和になるといいのだがな」
「マリアもかえってきたってきいた! みんなでまたここでたのしくくらいたい!」
キバが満面の笑みで言うので、グラは少し困った。
今やマリアは魔王軍で言えば王女も同然の存在だ。向こうはキバやカーラの事を良く思っていたとしても、それはそれ。ある程度立場とけじめを考えなければならないだろう。ただ、遊びに来る、くらいならいいかもしれない。
ただし、それも平和になったらだ。今のマリアは、いつ人間に襲撃されるか分からない存在である。どこに行くにも、分厚く周囲を護衛が固めているだろうし、ゆっくりすることは出来ないだろう。
「それにしても、どうしてこんなに早く終わった」
「みんなが手伝ってくれただ!」
「なるほど、合点がいった」
魔物達も、鬱屈が溜まっていることは知っていた。最近は出来る作業も限られていたし、何より閉塞感があった。
カーラが楽しそうにやっている植林を見て、心が動いた、という事だろう。
いずれにしても、もう少しでこの山の植林は終わる。それが済んだら、今度は山裾に広がっている荒野の緑化だ。
放っておいても緑は広がるだろうが、無秩序に広げるよりも、ある程度秩序を持って動かした方が良い。
いずれにしても、これは大きな成果だ。フォルドワードでは人海戦術で緑化が進んでいるようだが、単独で此処まで出来るとは。
カーラを迎えに行くというので、そのままキバを行かせる。
グラ自身は、一度職場に戻り、状況の整理に入る。情報通信球を使って話を聞いておく。やはり、前線はかなり厳しい様子だ。人間が繰り出してきている兵力が、ちょっと尋常では無い。
特に危ないように思えるのが、メラクス軍団長が守っている、南部戦線だろう。
ちょっと考えた後に、ヨーツレット元帥と連絡を取る。
案の定、ヨーツレットは機嫌が悪かった。元帥は、圧倒的な大軍勢を前にして、神経をとがらせているようだ。無理も無い事である。
「グラか、何か名案か」
「今の時点では、情報を集めている所です。 何か早めの対処が出来るのであれば、したいと思いまして」
「気が利くな。 今の時点では、にらみ合いが続いている。 此方でもフォルドワードでも、だ」
「解せませんね」
グラに言わせれば、それはおかしい。
人間はビジネスチャンスを求めて攻め込んでくるのだ。それなのに、戦意が制御されて、どうしてそのままで留まっていられる。
十中八九、何かの罠だろう。問題は、それが何の罠と言うことだ。
「此方からも、攻撃は仕掛けないようにと、陛下に言われている」
「賢明なご判断だと思います。 ただ、何の罠かは分かっているのでしょうか」
「いや、分析中だ」
それから二言三言話して、通信を切った。
何か嫌な予感がする。
話を聞く限り、聖主という人物は、先の先まで見越した行動を行う男だ。どうして前線で、これだけ派手な作戦をさせている。陽動なのだろうとは思うが、それが何を目的にしているのか。
ふと、嫌な予感が、閃きに直結した。
或いは、狙っているのは、魔王では無いのか。
しかし、それがどう魔王を狙うことになるのかが分からない。クライネスに連絡してみる。
嫌だが、仕方が無い事だ。
案の定、前線で備えていたらしいクライネスは、無茶苦茶に不機嫌そうだった。ウニのような姿をした魔王軍随一の知将は、触手をうねらせて、言葉だけは丁寧に応じてくる。だが触手の動きが乱暴で、機嫌が悪いのは一目でわかった。
敬語で喋っているのも、嫌みのつもりなのかも知れない。形式的には、グラは今、内政方面とは言え軍団長に次ぐほどの位置にあるのだ。
「何でしょうか、グラどの」
「クライネス軍団長。 今回の敵の行動がまるごと陽動だとして、もしも魔王陛下を狙っているとしたら、どういう作戦が考えられるでしょうか」
「……ふむ」
クライネスが、触手の動きを止めた。
人間型の師団長が、クライネスの側に、盆に載せたおミカンを置く。
はじめてクライネスがものを食べるのを、グラは見た。触手の一つが蛇みたいに口を開けて、おミカンにかぶりついた。そのまま丸呑みにする。食事が少なくてすむ補充兵だから、あの程度の小食でへいきなのだろう。或いは、単なる嗜好の一種として、食事を楽しんでいるのかも知れない。
「もしあるとしたら、精鋭を使ってのピンポイント攻撃。 これに限るのではありませんか」
「そういえば、マリアをさらったとき、奴らが使ったのが精鋭を投入しての強襲でしたね」
「同じ手は通用しません。 魔王城は常時強力な防御結界に守られていて、生半可な攻撃ではびくともしませんから」
自信満々にクライネスは言うが、グラは不安でしょうがない。
実際問題、今までも各将の努力でどうにかなってきた部分がある。いつも聖主に先手を取られ、相手のいいようにされてきたのでは無かったか。
「防御結界を、簡単に破る方法はありませんか」
「何故其処まで」
「魔王陛下の御為です。 不安があったら、少しでも除いておきたいのです」
「……そうですね。 前回の聖主との戦いでは、とてつもない威力の超兵器が、惜しみなく投入されたと聞いています。 それらの火力であれば、あるいは。 しかし、聖主には、光の槌を失って以来動きがありません。 そのようなものがあるとは思えません」
もしも、あったとしたら。
しかし、そうなると、もう一つ妙なことが浮かぶ。どうしてその超兵器とやらを、最初から投入しなかったのだろう。
グラが司令官だったら、最初から全戦力を投入して、全力で叩き潰すようにする。戦争に勝つつもりなら、それが一番正しいやり方なのだ。
ましてや、今や人間は、聖主のコントロールによって足並みが揃っている。各自が好き勝手に行動していた一昨年とは状況が全く違うはずだ。それなのに、どうして魔王軍に対して、全面攻勢を仕掛けてこない。
魔王を狙っているとしたら、狙いは一体何だ。
ひょっとして。勝つことが、目的では無いのか。
困惑するグラは、弟分の声を聞いた。クルミが採れたと、大喜びしている。他の魔物達も、和んでいるようだ。
料理人に、クルミを使って何か作って貰おうと、グラは腰を上げる。
一旦休憩して、それから先のことを考えよう。そう思った。
一旦西ケルテルに戻ったイミナは、膨大な本に目を通し続けていた。幸いにも、シルンが集めさせた本が山のようにある。
シルンの話を総合すると、一定以上の知識を得ると、到達者とやらになるのが、この世界のルールであるらしい。それならば、双子の妹であるシルンがなれたのだ。イミナになれない筈がない。
頭がくらくらするほど大量の本を、日夜読み進める。鍛錬も怠らないようにしているので、余計忙しい。
南へ行く準備もして貰っている。聖主を倒す選択肢は、作っておいたほうがいいからだ。だが、魔王を倒す準備もしなければならない。以前聖主に貰った武具類を使いこなせるように鍛えておくのと、南の情報を入手する作業は、平行で行わなければならなかった。
小耳に、キタンとグラント帝国が大規模な動員を掛けたと挟んだ。
論ずるに値しないと一蹴。
理由は簡単である。
「それは陽動だな」
「陽動だと」
「そうだ。 魔王を殺す事が、聖主の目的だ。 それは今まで、聖主のやり口を見ていて、理解できたと思う」
話しに来たレオンに、本を読みながら説明する。
そういえば、師匠もこんな風に、本を読みながら、纏わり付くシルンの相手をしている事が多かった。
あれはそれだけ頭が良かったのか、或いは別のものがあったのか。
少しずつ、人間の領域から外れつつあるイミナは、それを無理なくこなせるようになってきていた。
「多分魔王軍の将軍達を、前線に釘付けにするのが目的だろう」
「孤立した魔王を、何かしらの方法で叩くと」
「そうなるな」
ここから先は、シルンに聞いた方が早いだろう。レオンは頷くと、イミナの部屋を後にした。イミナもすぐにその後を追う。
情報が欲しい。
情報と言えばジャドだが、どうしても見つけられない。ただし、幾つか分かっていることはある。
どうやらジャドも、今は西ケルテルにいるらしい。あのジェイムズと一緒に、だ。
だが、シルンが血眼になって探しているのだが、会おうとしてくれない。多分後ろめたいのだろう。
ジャドの気持ちは、分からないでも無い。
暗殺者から足を洗えたのを、あんなに嬉しそうにしていた。きっと、暗殺者以上の悪徳に身を浸している今の自分を見せたくないのだ。
それが、勝つためだと言っても。
ユキナの所に出向く。彼女は出陣の準備をしている様子だった。グラント帝国に、出兵を要請されたか。
「ユキナ陛下?」
「銀髪の乙女か。 西に軍を進めて欲しいと要請があってな。 忙しいところすまないが、出て貰えないか」
「分かった」
「即答か」
勿論それには理由がある。
西と言えばソド領である。キタンとグラント帝国が大規模動員を掛けている以上、ソド領もかなり面倒な事になっているはずだ。
それをアニーアルスの精鋭も含めた西ケルテルの義勇軍が叩けば、労せず大きな利益を獲得することが出来る。
勿論、敵は分かっている。
だから、何かしらのアクションを起こすはずだ。内容次第では、敵がどれくらい聖主の手を理解しているか、それに対する手を打っているか、判断できる。
もしも反撃してくる様子なら、敵は聖主の策を理解していない。多分、魔王軍は早晩滅ぶだろう。
だが、堅守する姿勢を見せるのなら。
日頃から常備兵として活動している二万を主軸に出陣する。裏庭でぼんやりしていたシルンも、プラムが引きずってきた。
二万に、徐々に各地の部隊が合流して規模がふくれあがっていく。現在西ケルテルの軍は十万ちょっとの正規兵があるが、これだけ急な出陣だと、現地に到着してもせいぜい三万程度しか集まらないだろう。
だが、最初に出した二万は、アニーアルスの精鋭を中核とした、この国の最強部隊だ。他とは完全に格が違う戦闘力を有し、逆に言えばこれを叩かれてしまうと戦いは終わるも同然である。
シルンは、じっと北西を見つめていた。
何となく分かる。魔王の城がある辺りだ。以前潜入した時と、方角が変わっていない。ふと、それで気付く。
ざっと見るだけで其処まで理解できてしまっている。感覚が、やはり人間を超え始めている。
イミナも妹に少し遅れたが、どうやら到達者とやらになろうしているようだった。だが、まだまだだ。戻ったら、更に知識を取り入れる必要がある。貪欲なまでに体が知識を求めている。
前線に到着。
いくつかある出城の一つに入る。此処はかって西ケルテル最西端で、ソドをはじめとする小国に睨みをきかせていた場所だ。魔術による防御なども既に再構成され、多少の攻撃なら耐え抜けるように改装されている。
だが、それでも、巨獣に踏み込まれたら、瞬く間に蹴散らされてしまうだろう。柵も防壁も、積み木のように崩されてしまうに違いない。
それを分かった上で、ユキナは出城に入った。
城の周辺で、二万の精鋭が陣を組む。西ケルテルは小国だし、兵士達は寄せ集めに過ぎないが。それでも、この二万だけは、かってのアニーアルスの兵に勝るとも劣らない実力を有している。
会議が行われる。出て欲しいと言われたので、イミナも列席した。
幹部達が席に着くのを見計らうと、ユキナは咳払いし、予想通りの言葉を口にした。
「早速だが、この出兵では、戦わないことが目的となる」
「陛下、戦わないことが目的と仰せですか」
「そうだ」
「我ら、アニーアルスから逃れはしましたが、あの無念を一日とて忘れたことはありません! たとえ天突く巨人だろうと、恐るべき力を持つ魔物だろうと、恐れる事はありません!」
若い騎士が、血涙を流しそうな表情で言う。
無理も無い話だ。アニーアルス壊滅の日は、イミナだって良く覚えている。イミナにとって大事な存在はシルンだけなので、正直な話さほど今では胸も痛まないのだが。しかし、シルンはあのときの事をとてもつらそうに時々思い出しているし、悲しんでいる姿を見るとこたえる。
「落ち着け。 この大規模侵攻は、聖主の主導で行われている。 そして、その目的自体が、敵を前線に引きつけると言うだけのことだというのだ」
「敵を前線に引きつけるだけが目的、ですと」
「そうだ。 そして魔王を孤立させる」
魔王が前線の何処かに出てきたらどうするのだろうと一瞬だけイミナは考えたが、杞憂だ。これだけの大規模攻勢で、しかも全戦線で一斉にである。そうなると、魔王はいずれかの前線に注力するわけにはいかず、居城で各将との折衝に努めなければならないだろう。つまり、出兵するだけで、戦略的な価値を満たせるというわけだ。
「戦うべき時はある。 その時のために、貴殿らの命は温存せよ」
「しかし陛下、これほど敵を近くにして、戦わず見ているだけでいろというのですか」
「勿論、敵が仕掛けてきたら応戦しても良い」
とはいうが、現状で敵が仕掛けてくる可能性は低い。だいたい仕掛けてくるとすれば、巨獣などを動員しての、超大規模なものとなるだろう。
そうなれば如何に精鋭といえど、二万やそこらでは手に負えない。此処にイミナ達がいると言っても、支えるのは難しいだろう。
極小とはいえど、その可能性がある以上、ユキナは細心の注意を払わなければならない立場にある。
咳払いしたのは、クドラクだった。
「おほんおほん。 今、此処に味方戦力を集中しています。 明後日までに五万、更に四日で西ケルテルの全軍が此処に集まる手はずが出来ています」
「それまでは、耐えろと」
「それからもです。 それまでは、そもそも戦える状態ではありません」
ぴしゃりと言い切るクドラク。
血の気の多い騎士達は不満そうだが、我慢して貰うしか無い。今戦っても、文字通りの玉砕をするだけだ。
シルンが挙手する。イミナが口出ししようとしたが、しっと素早く指を口に当てられた。自分で、何か確認したいのだろう。
「現在の西ケルテル全軍というと、十万くらいですか」
「私が把握している限りでは、十万六千と少しです」
「十万六千……」
質問をしたシルンが考え込む。多分、確認したかったのは、兵力では無いはずだ。
十万と言えば大軍と言って良いが、その中には難民同然のものや、戦闘経験が全くない兵士も含まれているのだ。
しかも、グラント帝国は西ケルテルが必要以上に膨張するのを防ぐため、物資の搬送に手心を加えている。これ以上画期的な戦力を用意することは難しいだろう。つまり、この用意された十万で、どうにかせざるを得ないわけだ。
本来なら、前線で待機しているだけの簡単な任務である。
だが、此方以上に、魔王軍はぴりぴりしているはずだ。ちょっとしたことで、全面衝突につながりかねない。シルンは多分、西ケルテルの兵力規模から、何かを読み取りたかったはずだ。
だが、クドラクは、それを察してくれなかった。この老人も、かっての神域に達するかと思われた軍師ぶりに陰りが見えてきたか。だが、人は老いていくものなのだ。仕方が無い部分はある。
わずかに流れる、気まずい沈黙。
次に挙手したのは、レオンだった。恐らく、シルンがそわそわしているのを、察してくれたのだろう。
レオンはシルンのことを考えてくれているので、結構ありがたい所がある。勿論、イミナの次にだが。
イミナよりシルンを愛している人間なんぞ、この世にいない。生まれるやいなや売り飛ばしてくれた両親など、勿論相手になどならない。
「偵察をしてきたいのですが」
「分かった。 手練れを何名か連れて行って欲しい」
「それでは、私が同行します」
最初に不平を述べた若い騎士が立ち上がった。
多分、ユキナは最初からそのつもりだったのだろう。この男は、以前聖主にテレポートさせられたときに巻き込まれた騎士達とは別人だが、確か友人だったはずだ。聖主に聞かされた話も、当然耳に入れているはずである。
それならば、むしろ話が早いかも知れない。
会議を切り上げて、すぐに出る。
若い騎士は、何かあったらすぐに戦うべく、態勢を整えていた。死を恐れていないのは一目で分かる。
目立ちすぎると魔王に殺されると知っているにもかかわらず、それでも戦うつもりなのだろう。
実際アニーアルスは、魔王の能力で首脳部を壊滅させられ、それで滅びたも同然だ。だが、末端の兵士達は不屈の闘志で戦い抜き、多くの民を逃がし、敵の侵攻をかなり遅らせることにも成功した。
血の気は多いかも知れないが、それを責める気にはならないし、ましてや咎めようとは思わない。
騎士六名を伴って、前線に出る。陣を出ると、すぐに敵の陣地が見えた。国境線に長い柵を作り、所々に物見櫓があった。
人間とはかなり姿が違うが、それでも彼らは元人間である。純正の魔物であっても、そうでなくてもだ。それを知ったときは驚いたが、戦う事そのものに支障は無い。魔王軍が師匠を殺したことは事実なのだから。
ざっと、攻撃範囲に入らない場所を歩きながら、敵陣を見る。
隙が無い。どこも油断無く警戒していて、兵もかなり多いのが見て取れる。ソド領の守備隊の内、殆どが出てきているのかも知れない。確か五万くらいはいるはずだが、そうなると十万全てが揃っても、うかつに攻勢には出られないだろう。
敵もかなりぴりぴりしているのが分かる。不意に、シルンが、西を見つめながら咳払いした。
「ええと、マルツさん、だよね」
「はい、勇者殿」
「マルツさんは、聖主から話された、この世界の真実については聞いてる?」
「ええ。 貴方たちと一緒に飛ばされたカルキノスは、私の友人ですから。 信じがたい話ではありますが」
その話を聞いて、戦いたくないと言って、剣を捨ててしまった騎士もいるとか。あまり避難は出来ない話である。実際問題、偉大なと思っていた先祖達が、罪人、それも最悪の者達の集まりだったと聞いて、平静でいられるものの方が少ないだろう。
だがそれは、この若い騎士にとっては、枷にならないようだった。
「私の先祖は、そもそも罪人でしたから」
「え?」
「アニーアルスに流れてくる前は、盗賊だったそうです。 各地で非道の限りを尽くして、多くの命を奪ったとか。 当時のアニーアルス王は先祖を討伐はしましたが、その子らまでを殺しはしませんでした。 それに恩を感じたのが、私の先祖です。 本来だったら、一族皆殺しにされてもおかしくは無かったのに、一部とは言え罪を許していただいたのですから」
それ以来、マルツの一族はアニーアルスに対する絶対の忠義を誓っているのだそうだ。元々アニーアルスは、狭間とも言うべき場所にあった国だ。キタルレア中央部に割拠していた騎馬民族の侵攻を抑えるために、イドラジールがおいた防波堤としての国。それがアニーアルスであり、そのためには様々なあぶれものやはぐれものが集められた。
当然、マルツのような先祖を持つ男も、他にいるのだろう。
それらをしっかり統率していたアニーアルスの王族はたいしたものである。西はイドラジールの圧力があり、油断すると東から騎馬民族が攻め込んでくると言う重圧が、そこまで有能な王族を育て上げたのだろうか。
だが、その王族も、既に滅びてしまった。
「銀髪の乙女、貴方が冷酷にものを考えられることは、私も理解しています。 だから、私が感情のまま、全体の不利益になりそうなことをしたら、止めて欲しい。 そう思って、貴方の側に敢えています」
「そうか、分かった。 そうさせて貰う」
「申し訳ない話です。 本来騎士であれば、守るべき民のため国のため、命を賭けるべきなのですが」
「いや、貴方の気持ちは分からないでも無い。 いざというときは、貴方の誇りに敬意を表して、遠慮無く対処させて貰う」
頭を下げられると、イミナも思うところがそれなりにある。
敵陣から少し離れる。
味方側に、小高い丘がある。其処に上がって、敵陣を一望。
手をかざして見ていたシルンが、首を横に振った。
「おかしいなあ」
「どうしたの?」
不思議そうにプラムが聞く。最近は、人前でトカゲや蛇を捕まえて囓らなくなってきた。レオンにさんざん口うるさく言われたからだろう。
プラムがレオンのことを好きなのは見ていて分かる。好きな相手の言うことには逆らえないものだ。ただ、レオンはプラムのことに興味が無いようだし、あまり報われる行動だとは思えないのだが。
「魔王軍も、多分戦うなって言われてるんだろうと思う」
「どうしてそう思うの?」
「うーん、なんて言うのかな。 勘?」
「普通の人間なら勘などでは動けないが、到達者のお前が言うと、色々と拘束力を持ってくるな」
到達者は、この世界の情報にアクセスする力を持っているという。
ならば、シルンが言うことは間違っていないはずだ。この方面の敵だけという可能性もあるが、しかし実際問題、魔王が聖主のもくろみを看破していたら、動くなと部下には伝えるだろう。
しばらく、敵陣の動きを観察する。
空に大きな敵影。以前シルンの砲撃を防ぎ抜いた鳥の魔物だ。抱えているのは、高い攻撃力を持つ巨人の魔物である。近づいてきたら、いつでも掃射する態勢を整えている、というわけだ。
射程に入ってしまうと、色々面倒だ。
「もう少し下がろう。 敵陣の真上にアレが来ると、此処は射程圏内に入る。 斥候にも伝えた方がいいだろうな」
「分かりました」
マルツも、少しは冷静なところがあると分かってほっとした。
若干の距離を下がって、林の中に入る。そろそろ暗くなってきた。夜になると、敵の空軍は動きを止める。それを見計らって、また前線に出るべきだろう。
敵の空軍は、陣の上を旋回するだけで、それ以上は出てこなかった。
不思議な消極的戦闘が続いている。一度本陣に戻る。偵察部隊が戻ってくるが、小競り合いさえ起きていなかった。
本陣の天幕では、陣図を前に、ユキナとクドラクが話し合っていた。さっき出て行くときに比べて、陣図がかなり精密になっている。偵察部隊が頑張っている良い証拠だ。
「敵は蝸牛のように、陣に閉じこもったままです」
「分かった。 だが、油断はするな」
「はっ!」
偵察部隊をまとめている将軍が、敬礼して出て行く。彼もアニーアルスの生き残りの一人だ。まだ若い将軍である。
手腕のある老巧な人物は、魔王軍のアニーアルス侵攻の際、皆命を落としてしまった。
「ユキナ陛下」
「報告を聞かせて欲しい」
「目新しいものは何も。 ただ、シルンが言うには、敵に戦意は感じられないそうです」
「そうか。 ならば奇襲については考えなくても良さそうだな」
それでも、万一には備えさせると言って、ユキナは手配を幾つかした。
マルツは伝令に出たいと買って出て、手紙を受け取ると南へ向かう。馬に跨がって去って行った彼は、此処に戦場は無いと判断したのかも知れない。
一通り報告が終わった後、シルンを誘って外に出る。
二人きりで、幾つか話しておきたいことがあった。
「お姉、どうしたの」
「今回の戦役は大規模なものになる。 本来だったら聖主を狙って南に行くつもりだったが、この分だとそれは無駄になりそうだな」
「ううん、今回の作戦、失敗すると思う」
シルンが、そう断言した。
どうしてそう思うと聞くと、シルンは頭を掻きながら言う。ちょっと自信が無さそうだが、それでも考えはまとまっているのだと、長年のつきあいだから分かる。
「ええとね、魔王にはどうも聖主が取る手が読めているように思えるから、かな」
「先手をついに魔王が取ったという事か」
「うん。 でも、聖主も馬鹿じゃ無い。 失敗したとしても、全滅、敗走とはならない気がする」
確かに一度接触した感触としては、聖主はあらゆる布石の末に戦う存在に思えた。或いは一度や二度の失敗も、最終的な勝利につなげているのかも知れないと思うほどである。だが、魔王も何度も何度も先手を取らせはしないだろう。
問題は、此処からどうするかだ。
不意に、闇の中から浮き上がる気配。
シルンが、息を呑むのが分かった。
ジャドだ。
「ジャド! 今まで、どうしてたの!」
「ずっと姿を隠していて済まなかった。 だが、どうしても、二人の耳に入れておきたいことがあった」
ジャドは、もう人間の形をしていなかった。
フォルドワードで転戦していたときも、体が崩れていたが。フードで隠していても分かる。もうジャドには、顔と言えるような場所も、手足と呼ぶべき部位も存在していない様子である。
だが、それでも仲間だ。ずっと苦楽を共にして来た。
他の人間の誰が認めなくても、ジャドはシルンとイミナの家族である。
「あまり、見ないでくれないか。 今の俺は、特に二人には見られたくない」
「姿よりも、罪悪感か」
「そうだ。 俺が何をしてきたかは、知っていると思う。 二人の勝利のためならば、どんなことでもすると決めた。 だから、このような形になったのだと思う。 自業自得だと言えるが、だが二人には見せたくなかった」
血を吐くような独白。
闇に溶けるような気配になってしまったジャドは、言う。
「聖主を捕捉した。 どうするかは、判断を任せる」
3、影の意地
双子に全てを告げて、ジャドはもう思い残すことは無いと思った。だから、シルンが止めるのを振り切って、闇に消えた。
これでいい。これでいいんだ。
愛しい双子よ。
貴方たちの幸福だけが、自分の生き甲斐。ジャドにしか出来ないことは、全て双子のためだけに捧げる。
幼い頃、彼女らと、その師に救われてから、そうずっと誓ってきたのだから。
ずっと、ずっと昔の事。
幼い頃のジャドには、そもそも名前すら存在しなかった。
フォルドワードの小国で生まれたジャドは、物心ついた頃には、エル教会の施設にいた。其処は薄暗い地下空間で、多くの子供達が集められており、毎日得体が知れない薬を飲まされては、その情報を取られる場所だった。
それが闇の福音だったのだと、後で知った。
最低限の会話に必要な知識だけは教えられた。だが、それ以外は、何も与えられなかった。服さえも無かった。服というものの存在は、後で知った。糞便も当然垂れ流しで、食事も全部手づかみだった。それでも、どうしてかその食事が、とてもひどいものだと言うことだけは分かったのだった。
やがて、体に変化が現れ始めた。そうすると、名前を貰った。ジャドという名前を。それが影という意味のコードネームだと知ったときには、既に取り返しがつかない状態になっていたらしい。当時は、そんなことなど知らなかったが。
地下の空間から出て、最初に見たものは、無数の人骨の山。
自分と一緒にいた子供達の末路らしかった。骨を無造作に処理しているエル教会の研究員達は、奴隷の子供なんかどれだけ殺しても胸が痛まないとか、合法的に買った奴隷なんだからどうしても良いとか、好き勝手なことをほざいていた。
此奴らを、必ず殺してやる。
幼心に、最初に燃え上がったのはその一念であった。
外に出された。
ぎこちなく服を着て、空を見上げて。まぶしいと思った。そして同時に決めていた。この光を与えたことを、此奴らに後悔させてやると。だが、その意思はまだ隠していた。闇雲に戦っても勝てないと本能的に知っていたからである。
こういった狡猾さが、ジャドを生き延びさせたのかも知れない。
身体能力などのデータが取られた後、ジャドに師がついた。エル教会の中でも武闘派として知られるシオン会の、更にその闇。暗殺を司る部隊の中の一人らしいと何処かで小耳に挟んだ。その噂は、侮蔑に満ちていた。。要は暗殺兵器としてジャドを育て上げ、シオン会の駒として使うか、或いは何処かの国に売り飛ばすつもりだそうだ。ここにいる連中は、皆クズだった。
師は、思えばジャドにとって最初の先生となった人物は。何も感情が見えない長身の男であった。体は異常に痩せていて、文字通り骨と皮だけに見えた。目には光が無く、見えているのかさえ怪しかったが、どんな音でも正確に聞き分ける非常に優れた耳を持っている様子で、驚かされた。この骨のような男の下に、ジャドだけでは無く、素質があるらしい子供達が、何名か集められていた。
男はただ機械として、ジャドや他の子供達を淡々と育て上げた。殺し方、潜み方、力の蓄え方。
それは、野生の猛獣が、子供に狩のやり方を教えるのと、同じだったかも知れない。
コミュニケーションというものは、一切存在しなかった。今でも結局一人が落ち着くのは、その時の影響から、かも知れない。
子供達はどんどん減っていった。見込み無しとして殺されたのか、或いは既に一人前と判断されて売られたのか、それさえも分からなかった。新しい子供達も、時々入ってきたが、ジャドと関わることは殆ど無かった。
ただ、殺しの方法だけが巧くなっていった。
ある日、転機が来た。
師が、こう言ったのだ。この施設にいるエル教会の研究員を、皆殺しにして見せろと。ナイフを一本だけ渡された。
ジャドは聞き返す。
いいのですかと。
師はこの時、はじめて感情を見せた。光が存在しないらしい目から、涙をこぼしていた。
「俺は、闇の中でずっと生きてきた。 だが、俺と同じように子供を育てて、はじめて情というものが生まれたらしい。 こんな事は間違っている。 シオン会の連中は金儲けしか考えていない事も知っているのに、思えばどうしてこのような悪逆に手を貸していたのか。 暗殺しか知らない俺が言うのもおかしな話だが、最後に一つだけ、子供にやりたいのだ」
「何を、ですか」
「俺が生涯得られなかったもの。 自由だ」
後で知る。
最初の師は、この時。既に体が限界に来ていて、死を待つばかりだったのだと。
暗殺の指示も、それくらい出来なければ、今後エル教会の、シオン会の追っ手から、逃れることなど出来ないと分かっていたから、らしい。
最後まで暗殺者だったのだ。感情が芽生えるかどうかは話が別として。
言われるままに、施設にいた研究員どもを皆殺しにした。復讐とはこのようなものなのかと、殺して殺して殺しまくりながら思った。
地下に降りてみると、既に子供達は一人も生きていなかった。
研究が何かしらの形で破綻したらしく、「殺処分」したらしかった。
そして地上に出ると、師は既に息絶えていた。汚い字で書かれた手紙が残されていた。指示だった。
以降、自分の意思以外での暗殺は禁じると。
その時、ジャドは、はじめて泣いた。
それから、フォルドワードの闇の中を流れた。魔王軍の侵攻が始まったのは、その前後か。幼い頃の時間は曖昧で、良く覚えていないことも多かった。食事を得るのは難しくなかった。隙を見て奪うことなど、暗殺に比べれば、どれだけ簡単だっただろう。
やがて、双子と巡り会う。
その頃の双子は、師匠と呼ぶ女に連れられていた。双子は同年代に思えたが、今になって考えると、それはどうだったのか。
双子も、エル教会の実験により、人ならぬ身とされた存在だ。ジャドもそう。
肉体の見かけの年齢など、既に当てにならなかったかも知れない。
巡り会ったきっかけは、血なまぐさいものだった。魔王軍の小部隊と彼女らが交戦しているのを見かけたのだ。
多勢に無勢であり、多分勝てないだろうと思って、遠くから見ていた。
だが、勝った。しかも、かなり圧倒的だった。特に師匠と呼ばれている女は、本当に人間か疑わしいほどに強かった。
興味をもってつけ回している内に、師匠という女に組み伏せられた。まさか、気配を察知されるとは思わなかったので、驚いた。逃げようにも、全く隙が無かった。
「お前は、エル教会に改造された子供か?」
「そうだ」
「暗殺でも命じられたか」
「暗殺は禁じられた」
そう答えると、師匠と呼ばれている女は、そうかと呟いて話してくれた。
双子も紹介された。
姉の方は冷酷な雰囲気で、非常に冷たい気配が心地よかった。妹の方は笑顔がまぶしくて、とても人なつっこかった。
同じような境遇の子供がいるのだと、その時はじめて知った。それからだ。各地を一緒に転戦しはじめたのは。
第二の師匠は、非常に強かった。
魔術の腕も近接戦闘のわざも、いずれもとてつもない実力だった。人類としては、世界屈指の使い手であったかも知れない。
美人と言えばそうだともいえたし、人並みと言えばそうだとも思えた。目は細くて、顔立ちはどうもフォルドワードの人間とは少し違っているように思えた。南の大陸から来たのかも知れないと思ったが、その辺りのことを師匠は話してくれなかった。
食事の仕方は、此処ではじめて教わった。食器の使い方も知らなかったので、双子に言われて最初はちょっと驚いた。
コミュニケーションのこつについても教えてくれた。それについては今でも身についていないが、ただ会話だけはそれである程度出来るようにはなった。
何より師匠は優しかった。優しいと言うことが、これほど暖かい気分になるものなのだと、ジャドは知らなかった。
名前も呼んでくれた。
与えられただけの名前なのに、それがいつしか、誇りになっていた。
だが、平穏なときは、長くは続かなかった。
不死身で無敵に思えた師匠が、圧倒的な大軍に囲まれて、双子とジャドを逃がすためにおとりになった。そして、敵の連隊長らしい強者と相打ちになった。その時、遠くから全てをジャドは見ていた。
第二の、師匠の死。
後には、双子だけが残った。
闇の中を、ジャドは駆ける。今回、聖主を捕捉できたのは、ジェイムズのおかげだ。結局ジャドだけでは、どうにもならなかっただろう。
ジェイムズがユキナから与えられている山中の施設に戻る。小さな砦を改装したもので、外から見ても分からない位置にある。見張りをしていたジェイムズの弟子達には、姿も見せない。するりと、施設の中に滑り込んだ。
石造りの砦の中を、音も無く歩く。
如何に双子といえども、もうジャドを捕捉は出来ない。今やジャドは、影の存在。気配を察知するのは、誰にも不可能だ。
これで、双子に会うのは最後だと決めていた。
だから、ジャドを見たジェイムズが、満面の笑みで迎えてくれるのを見て、ちょっと安心した。
「おお、我が心の友よ!」
「助かった。 双子は喜んでいた」
「なあに、我が人生の友が喜ぶのであれば、おやすい御用だ」
ジェイムズも、闇の福音を投与した影響か、顔が崩れ始めて、更に容姿が人間離れしている。だが、それを本人は全く気にしていない。
最近は睡眠も食事もいらなくなってきて、大変研究者として効率的に動けると、むしろ喜んでいるくらいだ。
一番奥の部屋で、ジェイムズは鹵獲した魔王軍の兵士の死体を調べていた。その側にあるのは、最近キタン軍が使用しはじめたという、融合不死者兵のサンプルか。
ジェイムズは、どんどん知識の方も人間離れしはじめている。今回、地面の揺れを測定して、それから地下を聖主か、或いはそれが操る何かが進んでいると判断した辺りも、ちょっと非常識なほどに頭が働いている。
もっとも、その情報を持ち込んだのはジャドなのだが。ジャド自身も、そのデータはグラント帝国の研究員から入手した。
いずれもが、一つでも欠けていたら成り立たない話だ。不思議な事に、グラント帝国の方でも、そのデータはあまり重視していなかったらしいのに、どうしてかジャドの手に密偵を通じて渡った。
ちょっとできすぎている気がする。
「なあ、ジェイムズ」
「どうした」
「今回の件、少しおかしいとは思わないか」
「思うも何も、おかしいとも」
やはりそうか。
ジェイムズはケラケラ笑いながら言う。
この男は、信用できる。少なくとも、ジャドに対して嘘は言わない。ジャドにとって不利益な事もしない。
それが、変人であるこの男の、友情の形なのだと、ジャドは知っていた。
「グラント帝国も、それにキタンも、多分聖主を見限ったな。 わざと情報をお前さんに流したのも、その一端だろうて」
「俺に政治的な話は分からない部分もあるが、そう感じるな」
「いや、お前さんは分かってる方だよ。 むしろ今の私が分かりすぎているだけで、それが異常なんだがな」
自分が天才だと臆面も無く言うこの男が、少なくとも今回は、聖主の居場所を察知する立役者になった。
考えて見れば、此奴はエル教会に誘われれば、嬉々として人体実験に参加していたかも知れない。かってのジャドが、絶対に許さないと思った連中と、同種の要素を確実に秘めている男だ。
だが不思議な事に、今は殺そうとは思わない。
或いは、どんな外道にも、それなりに人の心があって。ジェイムズが友と呼んでくる事を、ジャドは嫌に思っていないのだろうか。
だとすると、人間の世界は闇に満ちていて血みどろであっても、多少の光はその中に潜んでいるのかも知れない。
最初の師が、そうであったように。
「さて、双子のお手並みを拝見といこうか、我が友よ」
頷く。それについては、全く異存が無い。そして信じてもいる事だった。
聖主が何をもくろんでいるかは分からない。だが、ジャドは思うのだ。魔王は倒さなければならない相手である。同時に、聖主も人類にとって、有益な存在だとは、とても思えない。
どうせ世界をどうにかする存在が出てくるのだったら。
それは、双子であってほしいと。
ジャドがいなくなってから、ずっとシルンは泣いていた。
しばらく、そのままにさせておく。
イミナは知っている。
シルンが、ジャドを家族だと思っていることを。それはイミナも同じだ。双子にとって家族と言えるのは、亡くなった師匠と、ジャドだけだと今でも思っている。
しばらくすると、シルンは落ち着いた。少なくとも表面上は。多分気付いているのだ。ジャドがもう帰ってこないことを。
恐らく今後も、ジャドはあまり会いに来ることは無いだろう。暗殺者として育てられたあの男は、だが心の奥底に優しさを持っていた。暗殺者としては致命的な欠陥であり、それが彼を苦しめ続けてもいる。
それを悪いことだとは思わない。むしろシルンは美点だと思っているはずだ。イミナも、ジャドは嫌いでは無い。
自分たちのために、あらゆる闇に手を染めてくれていることが、分かっているからだ。
さて、此処からどうするか。
「落ち着いたか」
「うん。 それで、これからどうするか、だよね」
「そうだ。 魔王は倒さなければならない。 だが、聖主も放置は出来ないな」
何度かの実例で、聖主が必要に応じていくらでも犠牲を出すつもりである事は分かっている。
イミナには、別にそれで良い。
だが、シルンは由としない。
この世界で、シルンだけがいればいいと思っているイミナにしてみれば、困る。聖主は根本的に、イミナには相容れない存在なのだ。
この大陸そのものを根こそぎ犠牲にしても聖主は構わないと思っている節がある。その証拠に、アニーアルスの決戦では、とてつもない破壊力の戦略兵器を惜しむことも無く投入してきた。
その上、前回の戦いでは、明らかに聖主は、魔王とシルンを共倒れにする事を狙ってきていた。
今回、聖主は何も言ってきていない。
つまり、此方を利用せずとも勝つ自信があるか、或いは既に此方が手助けをしないと読んでいるのか。
或いは、別の理由か。
「魔王は、説得に応じないかな」
「無理だな」
「もう一度、しっかり話したいな。 あのおじいさん、悪い人じゃ無いよ」
「あれを人と呼ぶか」
全世界の全ての人間が、魔王を人とは認めないだろう。
それが、今の世界の構図だ。
だが、魔王は、それに魔物達も、人の一種なのである。それは以前聖主の話を聞いて、知ることが出来た。
聖主が言っている意味は、ある意味で正しい。
問題は手段の過程で相容れないと言うことだ。また何かとんでもない事をやらかす前に、どうにかしなければならない。
「魔王と話しても相容れないのなら、聖主ともう一度話そう」
「対話で解決が出来ると思うか」
「何度でも、粘り強く話していくしか無いよ。 魔王だって、多分人間を絶滅させるのは無理だって、心の奥底で分かってきてるはずだよ」
「……そうだな」
だが、魔王が人間を滅ぼすことを諦めたら、多分魔王は存在し得なくなる。
何となくだが、分かるのだ。イミナも、唯一の妹シルンのために、あらゆる事をすると決めているが故に。
そうなったとき、魔王軍はどうなるのか。
優秀な将軍達がいくらいても、瓦解してしまうのでは無いか。
それについては、実は対応策をこの間思いついた。だが、それを実施するには、まだ時間が掛かる。
聖主が次に現れる位置は、だいたい見当がついている。
問題は、それが魔王軍との国境線地帯で、しかも此処からかなり離れているという点だ。全力で急がなければ、間に合わないだろう。
一度、皆の所に戻る。ユキナが慌ただしく、何か準備をしていた。周囲の将軍達も殺気だって動き回っている。
「丁度いいところに来たな」
「何があったのですか」
「敵軍が動く気配を見せている。 北の出城から連絡があった。 敵の規模は五千ほどだが」
シルンがすぐに物見櫓に上がる。
五千というと、旅団二つ以上の規模だ。敵も思い切った兵力を出してきたものである。出城を一つ落とされると、一気に国境を後退させなければならなくなる可能性がある。挟撃される危険さえ生じる。
「それで、そちらはどうした」
「聖主の動向を掴めたようだ」
「何……」
「これから、奴を捕捉する。 戦うかどうするかは、シルンに決めさせる」
戦うと明確な言葉を口にしたことで、周囲にどよめきが走った。
恐らくここにいる連中は、漠然と聖主が危険な存在だとは理解している。だが、エル教会の強力な後ろ盾もあるし、なにより聖主と言えば神にも等しい存在と認識されているほどの男だ。
戦えば、何が起こるか分からない。
「クドラク、どう思う」
「そうですな。 もしも聖主がいなくなったら、これからの世界はどうなりますか」
「まずは話をしてからだ。 その上で戦わなければならなくなったら、シルンに代わりをさせる」
「え……」
シルン自身が驚声を上げた。
流石にそれは想定していなかったのだろう。だが、聖主と同じ到達者である。それくらいの覚悟は決めて貰わなければならない。
少し前に決めたことだ。
イミナも、もう少しで到達者になれそうな気配がある。だが、まだ力が足りない。そして、イミナが到達者になった暁には。
もう一つの計画を、実行に移したい。
「それは、神への大逆に等しいな。 箝口令」
「分かりました。 誰も外には漏らしません」
ユキナが即座に部下達にそう命じた。此処で動いている将軍達は、アニーアルスから来た連中も含めて、もうユキナの子飼いだ。忠誠心も問題ないし、外に情報が出ることも無いだろう。
だが、ユキナ自身がどう動くか。
イミナには、だいたいそれが分かっていた。
「クドラク、此処を任せても良いか」
「巨獣が出てこなければ、支える自信はございます」
「よし。 皆もクドラクの言うことを良く聞いて、国境を守り抜け。 私は銀髪の双子に同行する」
そう来るだろうと思った。
すぐに馬が用意される。ユキナもいつのまにか、乗馬を達者にこなせるようになったらしい。伝令も出す。先に替え馬を用意させるためだ。馬を乗り換えながら、全力で北上することになる。
アニーアルスと、西ケルテルの国境近く。
其処が、聖主が現れる場所だ。
継ぎ馬で行けば、どうにか間に合うだろう。もはや一刻が惜しい。
護衛を何名かの騎士が申し出てきた。同行して貰う。
レオンは馬に乗る。プラムは、レオンの後ろに乗せて貰っていた。
「駆けるぞ」
ユキナが号令を取る。
この人が、元はただの奴隷同然のハウスメイドだったと、今は誰が信じるだろうか。
それだけのカリスマが、今や女王には備わっていた。
4、巨大要塞の中で
魔王は、どうしても聖主の居場所が掴めなかった。気配すらも感じないのである。
以前に同じ事があったとき、奴は光の槌に乗り込んでいた。ナノマシンが無い衛星高度にいたから、気配を掴むことが出来なかったのである。だから、それについては良いのだが。
光の槌を失ったにもかかわらず、聖主の気配さえ感じないというのは、一体どういうことなのか。
歩き回って考える。
これだけ大胆な陽動に出てきているのである。キタルレアとエンドレンを合わせて、千万程度の兵力が動いているはずで、戦闘をせずとも兵糧などで相当な損失になっているはず。
つまり、聖主にとって、必殺の攻撃を行う事前準備の筈なのだ。
だが、バラムンクも何も掴めていないと連絡をよこすばかりである。勿論、今までも詳細な居場所は掴めなかった。だが光の槌に奴がいた時を除いて、気配だけは感じ取ることが出来たのだ。
何を、聖主は行ったのか。
いろいろな可能性を想定してみる。やはり、何処かの閉鎖空間にいると考えるのが自然だろう。
超長距離からの砲撃が可能な、戦略兵器だろうか。
たとえば水爆を搭載したICBM。だが、それは魔王に対しては必殺の兵器にはならない。発射したらすぐに分かるし、術式で中途粉砕も可能だからだ。
そうなると、実体が無いエネルギー系の兵器か。
しかし、以前調査したとき、衛星軌道上にはもうそんな兵器は無いはずだ。もっと遠くから射撃してくる兵器だろうか。たとえば、衛星の上とか、別の惑星とか。
それも多分あり得ない。そこまでの設備は、衛星軌道上には無いはずだ。
古典的な兵器として、レーザーを反射して衛星軌道上から放つというものがある。だがこれなどは、かなり強力な鏡が必要になってくるため、設置すると地上から丸見えになってしまう。
偽装しようにも出来るものではない。
しかし、多分魔術では防ぎきれないほどの大威力兵器だろうと言うことは推察できるのである。一体敵は、何をしてくるつもりなのか。
ヨーツレットから通信が入った。
魔王が珍しく眉間にしわを寄せているのを見て、忠良な元帥は驚いたようだった。
「如何なさいましたか」
「それがのう。 聖主の気配が、完全に消えよったわ」
「陛下に感じ取ることが出来ないとなると、密閉空間に潜んでいるか、或いはこの世界から離れた、などでしょうか」
「恐らく前者じゃろうな。 それで、元帥、どうしたのじゃ」
ヨーツレットは佇まいをただすと、報告してくる。
前線に集まってくる敵の兵力は、増える一方。キタンでは、主力の騎兵七十万に加えて、不死兵が三十万以上確認されているらしい。その中にあの強力な融合不死者兵が、相当数混じっているのだとか。
敵に今のところ、前線を突破しようと動く気配は無い。
だがもしも進んできた場合、ヨーツレットは前線から離れられなくなる。あらゆる戦術を駆使して敵を撃退するべく動かなければ、瞬く間に兵力で劣る魔王軍は蹂躙されてしまうだろう。
既に魔王軍も、前線に各地の守備兵まで割いて兵力を集めている状態だ。
「メラクス軍団長も、前線から戻る事が不可能な状態です。 聖主のもくろみは、まだ看破できませんか」
「おそらくは、何かしらの大威力兵器か術式で、儂を屠るつもりじゃろう。 だが、その手段がどうにも分からぬ」
「姿も感じ取れないとなると、なおさらですか」
「そうじゃな。 とりあえず、何か分かったらすぐに知らせるでな」
通信を切る。
混乱はまだ続いている。仮設魔王城の守兵は流石に削られていないが、特にソド領では、不穏な空気が漂いはじめているという。正確には、ヨーツレットが押さえさせた南部諸国連合の旧地にいる人間共が、である。
今回、人間が相当な大軍勢を率いているから、それに応じて蠢動しているのかと思いきや、違うらしい。
何でも、統治に出ている補充兵と、接触しようとしている連中が出始めている、というのだ。
此方と和平でもはかろうとしているのか、或いは魔物の習性を探ろうとしているのか。いずれにしても、警戒を強めなければならないだろう。
特にパルムキュアなどの、根が善良な者達には注意を促さないと危ない。少し油断するだけで、人間はするりと心の隙間に滑り込んでくる。他者を騙して生活の糧にするような人間もいるのだ。純真な魔物は、人間と接触するべきでは無い。
玉座につくと、おミカンを持ってこさせる。
こういうときは気分転換だ。しばらく無言でミカンを口に入れていると、不意に気配が玉座の間に実体化した。
テレポートをするとき、ここにはなるべく直接来ないようにと、地位に関係なく取り決めてある。つまり、よほどのことが起こったというわけだ。
現れたのは、バラムンクであった。
しかも、全身が傷だらけである。
「陛下、重大な事態が発生しました。 しかも複数です」
「どうしたのじゃ」
「それが、まずはこれをご覧ください」
情報通信球に、それが映し出される。
グラント帝国の諜報部隊らしい。なにやら地面に突き刺して、計測している様子だ。かなり進んだ道具のようだが、どうやって手に入れた。
「連中が調べた結果を、横取りして参りました。 それによると、微弱な揺れが、徐々に北上しているとの事にございます」
「微弱な揺れ……」
まさか。
聖主の存在を感じ取れなくなった理由はこれか。
そうだ、宇宙空間だけでは無い。空気が全く存在せず、寄生型ナノマシンが存在し得ない場所は、他にもあった。
魔王がアクセスしている疑似アカシックレコードは、この世界に満ちている寄生型ナノマシンが作り出しているものだ。聖主はそれを逆手にとって来たこととなる。
地中を進む戦略兵器。そんなものが、あるか。
検索してみるが、どうも思い当たるものがない。しかし、新たに切り札になるような戦略兵器を作る技術は、流石に聖主にも無いはずだ。
だとすると、一体これは何だろう。
情報を調べてみる。確かに不自然な揺れが、徐々に北上してきている。あまりにも微弱な揺れなので何ら疑問には感じなかったのだが、普段は揺れないような地域まで確実に揺れているでは無いか。
少なくとも、地中に何者かがいるのは確実だ。
「他の情報は、何じゃろう」
「銀髪の双子が、おそらくはその揺れの到達地点に向けて北上しています。 途中、何度か斥候の小部隊とぶつかりましたが、蹴散らされた模様です」
「そうか。 そなたもやられたのか」
「私はちょっと違う理由です。 ただ、勇者の方は、以前よりも更に力を付けているように見受けられます」
今度戦ったら、勝てないかも知れないという訳か。
バラムンクは意図的に不快な存在として自分を見せることで、諜報をやりやすくしている。魔王はそれを知っているから、何も言わなかった。周囲の護衛の兵士達は、みな今の一言に相当頭に来ている様子だったが。
「無理をしてはならんぞ」
「分かっております。 しかし、他の軍団長は動ける状態にありません。 師団長による精鋭部隊と、私だけが陛下をお守りできるかと」
「そうじゃな。 しかし、今回はまだ動けぬ」
「何か問題が発生したのですか」
問題はある。
一つはここ仮設魔王城が、考えられる限り最も守りが堅いと言うことだ。ヴラド師団長が率いる精鋭がしっかり周辺を警備しており、魔術による防御も常識外のレベルに達している。
ICBMでも直撃すれば話は別だが、それ以外の攻撃なら大概は無効化できるだろう。
もう一つの問題は、マリアの中にいるアニアの存在だ。
敵はマリアの体に発信器か何かを埋め込んだ可能性がある。今のところ魔王には検知できないが、或いは探知機の類では無く、聖主がマリアの魔力波動のパターンを把握しているかも知れない。
聖主が保有している強化型の融合不死者兵は相当な実力だ。魔王がマリアの側で即応できる状態で無ければ、さらわれる可能性がある。
同じ失敗を、繰り返すわけにはいかない。
師団長の精鋭部隊による護衛も考えたが、その場合は魔王が丸腰で動かなければならなくなる。せめてヨーツレット元帥が側にいれば心強いのだが、この戦況では、それも期待は出来ないだろう。
いざというときは、マリアの中にいあるアニアより、全体を優先しなければならない。だが、部下達はそうは思わないだろう。彼らは魔王のことのためなら、それこそ身命を惜しまない盲目的なところがある。再びさらわれたら、それを基点として、魔王軍の守備が全体的に崩れる可能性がある。アニア自身のことを決して好いてはいないのに、魔王のためにあらんとするため、救うために身命を賭しかねないからだ。
敵は陽動で大兵力を動かしていると言っても、隙があれば攻め込んでくるだろう。諜報部隊を率いているバラムンク以外の軍団長を動かすのは致命的だ。
もしも、やるなら。
聖主の居場所を確実に確かめ、先手を打って屠るくらいの覚悟が必要になる。
勇者と交戦するのはもってのほかだ。その隙に、聖主が有する戦略兵器を叩き込まれでもしたら、どうにもならないだろう。
「勇者が何を目的に動いているか、じゃのう」
「探りを入れますか」
「あまり時間は無いが、出来るか」
「お任せを」
バラムンクが、傷だらけの体にむち打って、再びかき消える。大きく魔王はため息をついた。
どうしてあのような傷を受けているのかは分からないが、あの後ろめたそうな様子からして、さぞ苦労してきたのだろう。
此処で踏ん張らなければ、部下のがんばりにこたえられない。
魔王は周囲の護衛兵達を呼び集めると、指示を出した。
「床に魔法陣を書いてくれるかのう。 魔力を増幅するタイプの奴じゃ」
バラムンクは、戦闘の結果傷ついたのでは無い。
以前もやった失敗を、急いでいるあまりやってしまったのだ。つまりは、テレポートの失敗である。
テレポートはそもそも空間を移動するという無理をするため、位置エネルギーがそのまま残るという危険な側面がある。熟練者はそれを緩和できるのだが、バラムンクは距離ばかりを伸ばすことを重視して、安全性の向上を怠ってきた。
そのため、今でも焦ったり急いだりすると、時々やらかしてしまう。
魔王はいい意味で勘違いしてくれたようだが、凄く恥ずかしかった上に、後ろめたかった。何しろ、単にテレポートに失敗して、地面に高速で激突しただけだったのだから。補充兵の頑丈な体があるとは言え、こんな事ばかりしていると、やがて体が壊れてしまうことだろう。
だからこそに、その恥ずかしさを払拭するためにも。勇者を捕捉して、その目的を割り出さなければならない。
短距離テレポートを繰り返して、割り出した聖主が現れる地点に急ぐ。
この先の国境近くだ。多分勇者も、部下を連れて向かっているはず。鉢合う可能性は高いが、今はそんなことは言っていられない。魔王は奮起して、頑張ってくれていることだろう。
がっかりさせてはならない。
バラムンクはひねくれている事を自覚はしている。だが、魔王に対する忠誠は、他のどの軍団長にも負けていないつもりだ。魔王のためなら、それこそどんなことでも出来る。なんだかんだで仲が良い魔王軍の幹部達の間ではあり得ない事だが、味方の暗殺が必要なら、躊躇無く手を染めただろう。
真っ向勝負の武人が多い魔王軍で、自分が異質なことも分かっている。
以前聞かされた、この世界の成り立ちの事を思うと、バラムンクはむしろ魔物よりも、人間に近い精神構造をしているのだろう。
だが、それが故に。魔王をバラムンクは尊敬しているし、身命を賭しても忠義を尽くしたいと思っている。
丘が見えてきた。
少しずつ、揺れが大きくなってきた。何か、とんでもないものが、地中から出てくる。最初、見つけたのは、勇者達だった。先に捕捉することに成功したバラムンクは、闇に溶けるように身を伏せながら、相手の様子をうかがった。
今では、到達者である勇者に、バラムンク単独では勝機が薄いという事情もある。ヨーツレットだったらどうだか分からないが、元々戦闘向きでは無い上に、傷だらけの今は、特に対処が難しいだろう。
馬を繋ぎで乗ってきたらしい勇者達は、素早く飛び降りると、地中からせり上がってくるそれを見上げる。
土を蹴散らし、らせん状に回転する禍々しい光の円錐。否、それはほんの先頭部分に過ぎない。辺りの地盤自体が、持ち上げられるかのような、とんでもない巨大さ。地中に一体どれほどの存在が沈んでいるのか、見当もつかない。
しかもその禍々しい何者かは、熱で溶けた土を纏わり付かせながら、全容を徐々に明らかにしていく。
これが、聖主の切り札か。
勇者が、何か叫んでいる。
聖主を呼んでいるようだ。話がしたいと、声が聞こえる。今更、話すことなど無いように思えるのだが、必死な様子は、嘘をついているようには見えなかった。だが、バラムンクはめざとくその側にいる、姉の方を見やる。
アレは違う。
妹とは、根本的に違う目で、聖主が繰り出してきた戦略兵器を見ている。多分彼奴は、バラムンクと同類だ。つまり、合理主義者。聖主が説得に応じなければ、力尽くで、と考えているのだろう。
戦略兵器が、全貌を見せる。
ベヒモスよりも、更に数倍はでかい。まるで動く島のようなサイズだ。その一角から、ツゥハンデッドソードを担いだ禿頭の男が現れる。かなりの大男だが、戦略兵器のあまりの巨大さから見れば、芥子粒のようだ。
彼奴は、確か。
以前ヨーツレットと五分に戦った敵の幹部だ。シオン会を現在統率している奴だろう。個人的な武勇も凄まじいが、それ以上に短時間でエンドレンをまとめたり、部下の掌握技術も尋常では無い。
しかも、どう見ても既に人間を止めている。
魔王の三千殺しは、既に陳腐化している能力に思えている。敵の精鋭を無力化する位のことは出来るし、現に今もやっている。グラント帝国の精鋭、キタンの精鋭、毎日三千ずつ不可解な怪死を遂げていて、それで敵が編制を変えているのは確認されているのだ。だが、それでも三千に過ぎない。
敵の繁殖力を考えると、厳しい。その上、彼奴のように、寄生型ナノマシンで半魔物化している奴が現れ、敵の上層を独占しはじめた今、魔王は別の手段で戦わなければならないのかも知れなかった。
話が始まる。
男はガルフと呼ばれた。無感動に顎をしゃくると、ガルフは言う。
「聖主は、お前達との会話を望んではおられぬ」
「ならば、何故姿を見せた」
「敵対行動をされると面倒だからだ。 もしも邪魔をするつもりなら、此処で俺が食い止める。 その間に、魔王は滅びる」
聞き捨てならない事を、今ガルフが言った。
そうか、あの戦略兵器を此処まで運んできた目的は、必殺の破壊力を持たせるためか。魔王は多分、仮設魔王城にいる者達を守るために、あれを防ごうとする。自分一人が逃げると言うことを、由としないだろう。
円錐が、回転をはじめる。
まるで山が丸ごと廻っているかのようだ。
禍々しいエネルギーが集中していくのが分かる。まずい。これは、どうにかして、食い止めなければ。
勇者が叫ぶ。
「もう、戦うのは止めて! これ以上は、どっちのためにもならない!」
「何を言うか。 今少しで、世界平和を実現できるのだ。 人間という生物がある限り、どんな英雄が現れようと、どんな聖人が現出しようと、夢物語だった世界平和が到来しようとしている。 聖主ならば、それをなせる。 俺は武人だが、その巨大な夢に賭けてみたい。 そのためには、少々の犠牲はやむを得ない」
「貴方たちは、その少々の犠牲に、この大陸の人間全てを含めているのか」
落ち着いた声が割って入る。見覚えがある。
西ケルテルの女王。義勇軍を率いて魔王軍に逆らい続けた、ユキナだ。必死に頭を回転させる。
今のうちに、敵の戦略兵器に乗り込むか。それとも、いっそ魔王を此処に呼んでしまうか。
あの巨大な戦略兵器は、直に仮設魔王城に何かしらのエネルギーをぶっ放すつもりだろう。それならば、魔王を此処に呼び寄せてしまえば、むしろ安全になる可能性が高い。いや、しかしそれは。
敵にとって魔王をおびき寄せるというのが目的だった場合、取り返しがつかないことにもなる。
しかし、此処には聖主がいる。確実に。
めまぐるしく廻る思考。
情報通信球を取り出す。何にしても、まずは魔王に知らせることだ。
「陛下っ!」
「おお、どうしたのじゃ」
「聖主を捕捉! 私のすぐ側にいます。 しかし、直接おいでになるには危険が……」
「どれ、確認してみよう」
魔王の声は落ち着いていて、危急時とは思えなかった。
だが、それがむしろバラムンクには救いになる。ユキナが、ガルフに対して、何か叫んでいる。
お前が、お前達が、この大陸の人間を全て贄にしようというのなら。私は断じてそれを認めないと。
たとえ国家百年の、いやそれさえも凌駕する人類の未来が掛かっているとしても。
ユキナは、譲る気が無い。
生まれて始めて、バラムンクはその姿勢に共感を持つことが出来た。人間に共感を持つのは、初めての経験だ。
ガルフが、剣を構える。
「そうは言うがな、俺も譲れねえ。 ……俺は獣のように生きて、シオン会で闇の中の闇に生きて、それで死んだ。 戦えるっていう点では楽しかったが、何だか空虚な人生だったよ。 だが、新しい生を得て、はじめて目標が出来た。 これは俺個人のわがままでもある。 あんたが誰であろうと、ここはとおさねえよ」
「どうやら、面白いことになっているようじゃのう」
バラムンクのすぐ側に、魔王がテレポートしてきた。
エルフの戦士達の護衛部隊と一緒だ。テレポートを使ったのは彼女たちだろう。それに師団長による精鋭部隊も少し遅れてテレポートしてくる。
魔王が目を細めて、見やる。
円錐状の戦略兵器の尖端に集まる、巨大なエネルギーを。
「なるほど、狙いは儂では無くて、マリアか」
「どういう、ことです」
「儂に確実に当てる工夫じゃよ。 つまり、マリアを狙ってぶっ放せば、儂は確実にその身を守りに入ると言うことじゃて。 しかも見たところ、ホーミングの機能までついているようじゃ」
「卑劣な……」
不意に、至近から声。
ヨーツレットだ。
前線はどうしたのか。それとも、バラムンクが思っている以上に、皆は準備を進めていたのだろうか。
「総力が揃ったのう」
「しかし、これでは前線が」
「分かっている。 だから、半刻以内に、考えられる限りの最精鋭で聖主を潰す。 全てはそれからだ」
既に、ガルフは交戦を始めていた。
都合が良い。
「あのエネルギーはどうしましょう」
「まだ放たれるまでには時間がある。 バラムンク軍団長、師団長を二名付ける。 コントロールルームを潰せば発射を止められるはずじゃ。 任せても、構わぬかな」
「命に代えましても」
テレポートが行われる。
戦略兵器の中へ。最初、かなり強烈な抵抗があった。テレポートを防ぐための何かしらの工夫が為されているのかも知れない。
だが、魔王自身が手を貸しているのだ。
一瞬の抵抗の後、上下が逆転するような感覚が襲ってくる。中に入ったのだと、分かった。
辺りは無骨な作りで、配管や石の壁がむき出しになっている。
転がっているのは、小山ほどもある巨石ばかりだ。一体これは、何の目的で作られた兵器なのか。
「なるほど、これは盲点じゃったわ」
魔王は、正体を悟ったらしい。
そして、バラムンクに、どちらに向かえばいいか、指示してくれた。兎耳の人間型師団長と、亀に似た師団長が付き従った。
玉座の間で、エル=セントはふむと呟いていた。
魔王がこれほど素早く察知してくるとは思わなかった。だが、それも計算の内だ。最悪の場合、自らの手で魔王を倒すことも、想定の範囲に入れていた。
それに、発射されるパルスエネルギーカノンは、小型の星を粉砕するための兵器である。テレポートで逃れようが、マリアは確実に死ぬ。魔王はそれを知っているから、発射となれば守りに戻らざるを得ない。
魔王がどう考えているかは問題では無い。
その部下達が、マリアを、正確にはその中にいるアニアの意識を守るために、大勢命を投げだそうとする。
それが故に、魔王は動かざるを得ないのだ。
「せ、聖上!」
「案ずるな。 そなたはコントロールルームの指揮を執れ。 憎悪充填型融合不死者兵を三十体付ける。 すぐに向かえ」
「は……」
フローネスが、姿を消した。怯えきっていたが、あれだけの戦力を付けてやれば、そうそう遅れは取らないだろう。更に、そちらにはもう一つ、切り札も隠してある。
さて、聖主は。
立ち上がる。客を出迎えなければならないからだ。
指を鳴らすと、辺りに無数の気配が出現した。憎悪充填型融合不死者兵。七十体。しかもガルフが作らせたものに、更に聖主自らが改良を施している。一体一体が、魔王軍の師団長に匹敵する戦闘能力を有し、再生能力と高い思考力までも備えている怪物である。
魔王を迎え撃つための準備は、他にもいくらでもある。
何しろ、到達者同士の戦いだ。どれだけ備えたとしても、しすぎると言うことはない。
部屋の中央に、テレポートの気配。
出現する、ヨーツレットと、それに十体弱の師団長。そして、ヨーツレットに跨がっているのは、小柄な老人だ。
あれこそが、魔王。
どんな姿をしているかも、既に知ってはいた。
「まさか、これほど早く対応するとは思わなかった。 歓迎するぞ、魔王」
「そなたもな。 此処まで儂を欺くとは、さすがは神の代行者よ。 いや、神その者を気取っているのかのう」
「何を言うか。 我らは所詮この星の上でのみの超越者に過ぎぬ」
不思議と、憎しみは沸いてこない。
魔王だけを殺せば、それで勝ちという甘い条件が、聖主に余裕を作り出しているのか。否、おそらくは人間として残っている部分が、魔王を嫌っていないのが原因だろう。
「勇者は我らの和解を望んでいるようだが、それは出来ぬ。 理由は分かろう」
「儂にとって人間は駆除すべき害虫。 そなたにとって、人間と魔物を並列させて支配することが、その目的、だからかのう」
「並列して支配というのもおかしな言い方だ。 まあ良い。 そろそろ、無駄なおしゃべりは止めるとしようか。 外でガルフが頑張ってくれているが、いつまでもつかは分からぬ。 勇者にまで乱入されると、勝率が少し下がる」
「勝てる気でいるとは、面白い奴じゃて。 元帥、周りの雑魚どもは任せる。 儂は、この思い上がった神気取りの独裁者を始末する」
周囲に、殺気が満ちていく。
魔王が、その身に、圧倒的な魔力を満たしはじめた。聖主は頷くと、どうやら本気を出して戦えそうだと思った。
この玉座の間は、到達者が戦っても壊れないくらい頑丈に作ってある。此処で魔王を滅ぼした後、充分にデウスエクスマキナの稼働が可能なほどだ。
「さて、技の限りを尽くして競おうか。 現実を正しき認識できぬ呆け老人。 今日は出し惜しみはなしだ。 勿論勝てるつもりではいるが、あまりにも簡単に終わってくれるなよ、魔王」
「いうのう、勘違いしきった主権国家の総統」
魔王と、聖主が、同時に指を鳴らす。
瞬時にその場は、超常的な戦闘の、そして殺戮の坩堝と化した。
(続)
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