闇の矛対光の槌
序、開戦
ベヒモスの上にて、ヨーツレットはその光景を見る。
時は夜明け。
かって、人間共がオリブ領と呼んでいた土地にそそり立つ黒の塔。闇の矛。その全体に、むせかえるような密度の力が集まっている。時々スパークを繰り返しているのは、発射の瞬間を今か今かと待っているかのようだ。
ついに、闇の矛にエネルギーが充填されたのである。
その報告を聞いていたヨーツレットは、アニーアルス全体に張り巡らせていた、魔王が直に作った防御術式を解除させる。
此処からは、高度な技術は使っているが、行うことと言えば殴り合いも同じ。極めて原始的な戦闘である。
それに勝った方が、全てを得るのだ。
人間側の指導者である聖主を、これからこの闇の矛で打ち落とす。それは既に、ヨーツレットも聞いている。
そして聖主も、この闇の矛だけを、全力で狙ってくる。
作戦は、既に聞かされている。かなりトリッキーな内容にはなるが、どうにか実行は可能だろう。
狙いについても、既についている。
虚空にしか見えないが、その遙か先に、敵はいるはずだ。様々な情報が、敵の存在を教えてくれている。
ヨーツレットも、本当は此処にいなくて良い。だが、魔王軍の命運を握る戦いに、総司令官が出向かない訳にはいかない。
「闇の矛、射撃開始!」
「射撃、開始します!」
情報通信球から、闇の矛内部にいる特別チームに指示が出される。
次の瞬間。
夜明けの朱が、消えた気がした。
ものすごい音。辺りを薙ぎ払うような、空気の爆発。空に向けて、一直線に伸びる紅の閃光。
思わず地に伏せた周囲の者達を見て、ヨーツレットは呟く。
「これは、もはや兵器の域を超えているぞ……」
出力、破壊力、いずれもオーバーサンの比では無い。まさに、魔王が使う最終兵器と呼ぶに相応しいまがまがしさであった。
光の槌の防御シールドに、直撃した。
闇の矛は、超大型のレールキャノンである。レールキャノンとは、磁力のレールを使って弾丸を加速して撃ち出す形式の武器だ。闇の矛と呼ばれているものは、元々地球軍艦隊の制式大形戦艦に搭載されていた主砲であり、撃ち出す弾丸の速度は宇宙空間では光速の七十%に達する。だが、地上で発射するときは、大気の摩擦などの兼ね合いで、音速の60倍が限界だそうだ。
だが、それでも。
弾丸は瞬時に空気を摩擦にてプラズマ化し、大気圏を貫いて、そして光の槌のシールドを直撃していた。
何とか言う会戦で破壊され、宇宙を漂っていた戦艦の主砲を、この星を作った連中が地上に落とした。それが闇の矛。一度完膚無きまでに壊れたのに、まるで怨念の塊のように、ほぼ無傷である光の槌に牙を剥く。
一撃は防ぎ抜く。
だが、光の槌は、大きく揺動した。
「敵、エネルギーほぼ消耗無し! 五%以内! 即座に第二射来ます!」
「憎悪砲、発射準備」
聖主が声を低く絞り出す。不安そうに傅いている周囲の者達が顔を見合わせる中、聖主だけがただひたすらに落ち着き払っていた。
敵の第二射。
直撃。
シールドの一部が破損。激しくシールドに打ち当たり、はじかれた敵弾が、爆発しながら飛び散っていった。
今度はお返しとばかりに、憎悪砲が打ち込まれる。
光の槌は、全体的には三角錐をしている衛星軌道兵器だ。その下部に憎悪砲は設置されている。
そもそもこれは、この星中の人間の憎悪を収集して、隕石などの外敵脅威に対して放つために設計されていた。それを多少弄って、とらえた生物の憎悪を吸収することでエネルギーとするようになっている。
だから構造はさほど大仰では無く、主砲と呼ぶほど目立つ構造物でも無かった。
ただし、その出力は凄まじい。
それは紫色をした、極太の光線だった。圧倒的な熱量を秘めており、空気をプラズマ化しながら、アニーアルスに向けて無音で伸びる。
敵が張った防御術式に直撃。数秒の競り合いの末、食い破る。
地上に巨大なキノコ雲が現出するのが見えると、部下達がおおと声を上げる。だが、エル=セントは顎を撫でながら命じる。
「第二射、用意」
「今の様子では、とても耐えられたとは思えませんが……」
「用意」
「分かりました」
分かっていない。
魔王も到達者だ。何かしらの戦略的な目的があって、やっているに決まっている。
光の槌が張っているエネルギーフィールドは、地球軍の宇宙戦艦の主砲にさえ耐え抜く強度だ。闇の矛は、そもそもかなりつぎはぎしている上に、元々エネルギー源が喪失している。恐らく核融合でエネルギーを補っているのだろうが、それでも一撃や二撃で、埒があく訳が無い。
だが、それでも魔王は挑んできた。何か勝算があるのだろう。
それでも、聖主は上を行く。エル=セントは、魔王より遙かに先に、到達者になったのだ。
それくらいはこなせなければならない。
「敵影確認! 第三射、来ます!」
「実体弾迎撃!」
迎撃指令を出す。シールドの負荷が大きくなってきたからだ。
だが、直撃寸前に、弾が自動的に爆ぜ割れた。
熱で溶けやすい弾頭を使っていたのか。或いは、何かしら別の細工がしてあったというのか。
シールドを乱打する、無数の熱塊。
負荷が見る間に上がっていく中、エル=セントは、第二射を撃たせた。
再び、極太のエネルギービームが、存在確率を操作するために地上に突き刺さる。
爆発。
「敵の様子は」
「確認中です」
「これは、敵、健在です!」
オペレーターから、驚愕の声と共に報告があった。分析をさせる。
フローネスが来た。
「聖上、いざと言うこともございます。 脱出の準備を」
「不要」
元々、この光の槌は、ちょっとやそっとで撃墜されるような柔な存在では無い。
更に言えば、元々の戦力は此方が上。冷静さを失ったら、その時点で敵につけ込む隙を与える事になるだろう。
聖主は。
エル=セントは、此処でどっしりと構えていなければならないのだ。
「闇の矛上空に、強力な力場があります。 恐らく、この力場が、敵を破壊から守っているのだと思われます」
「如何なさいますか」
「力場のダメージは」
「何とも。 打ち込んで、確認してみますか」
更にもう一射。シールドの負荷が、三十%を超えた。そろそろ、黙っているわけにも行かない頃合いである。
「力場そのものを狙って、射撃」
「分かりました。 ターゲット修正。 射撃!」
再び、光の槌から、紫の死の手が伸びた。
その凄まじい光景は、西ケルテルからも見えた。
夜明けの空を切り裂く、二条の光。地上から伸びた光と、空から落ちてくる光が、何度となく爆発と轟音を巻き起こした。
まさに天変地異である。
アニーアルスには、今生きた人間はいない。それだけが救いだが。あんな攻撃を受けたら、国一つが消し飛ぶのでは無いのか。
報告を聞いて起き出したユキナは、テラスでその光景を目の当たりにした。光線を直接目で見たら、視力を失いそうな凄まじさだ。陽を直に見る比では無い。
「国境の守備隊に連絡。 被害を報告させよ」
「直ちに!」
伝令が走る。
寝間着の上からマントを羽織ると、ユキナはすぐに謁見室に出た。部下達が、ばたばたと集まりはじめていた。
「城下の見回りをはじめよ。 この機に、暴れ出す賊がいるやもしれん。 兵士達には落ち着いた行動をさせて、民の不安を和らげるのだ」
「分かりました。 直ちに」
「クドラク、何か手は」
「念のためではありますが、国境近くにいる者達に、避難命令を出すべきかと」
それもそうだ。だがあの凄まじい戦いを見た後で、そのようなものが役に立つのだろうかと、不安に感じてしまう。
だが、民はもっと不安なはずだ。
「分かった、すぐに対応せよ」
「それにしても、これはまるで伝承にある、神と魔の戦いですな」
「声が大きい」
騎士の一人が言いかけて、たしなめられた。
此処で言う伝承とは、エル教会の聖典では無い。民間に広がっている様々な物語のことだ。
エル教会が力を持っている今、他の思想は邪教でしか無い。今、エル教会と事を起こすことは得策では無いのである。
エル教会において、魔物は神にとってはただの狩りの獲物に過ぎない。民間伝承などになると、神と互角の力を有する魔物の話が出てくるが、そういう伝承は既に駆逐されてしまった。
それでも、たとえ話くらいには、残っているのである。
ユキナは自らも、着替えると城下に出た。不安そうにしている民は、一様に撃ち込まれ撃ち返される光を見つめている。音も凄いが、時々びゅっと凄い風が吹いてくる。あれでは、戦場はもはや原形をとどめていないのでは無いか。
また、空から光が降ってきた。
どちらが魔王なのかは分からない。ただ分かるのは、どっちが勝ったとしても、多分もうアニーアルスの地に人は住めない、という事だ。
銀髪の双子が来た。
「お呼びですか」
「あれを見て欲しい。 状況がどうなっているのか、理解できるか」
姉の方は黙っている。しかし、妹の方は、一目で顔色を変えた。
何故か、状況が分かるらしい。
少し前から、銀髪の妹の方が、様子がおかしいことは知っていた。一緒に生還したアニーアルスの騎士達からも話は聞いている。この世界の根幹に関わることを知ってしまったらしいと説明を受けていたが、どうやら嘘では無い。
「魔王と聖主が、戦っています。 今のところ、魔王が有利みたいです」
「何……」
「加勢できることは」
「此処まで距離が離れていると、もう無理です」
まあ、近くにいても、何も出来そうに無いが。
ユキナは避難を急がせることにした。巻き込まれたら、一瞬で万単位での死者が出ることだろう。
爆発が巻き起こったのが分かった。
そろそろ、陽が昇りはじめている。にもかかわらず、世界を崩壊させかねないような戦いは、終わる気配も無かった。
1、天魔の戦い
闇の矛は、着実に光の槌の防備を削り取っている。だが、そろそろ闇の矛の上空に展開していた防御術式に、聖主は気付いたはずだった。
魔王はアニーアルス上空で、ラピッドスワローからつり下げられた籠に乗っている。そして一月掛けて準備した防御術式を順番にオンオフしていく事で、光の槌から降り注ぐ攻撃を、その都度防御していたのだ。
術式は全て使い捨てだが、一度だけなら敵の攻撃に耐え抜ける。
そして如何に強力な砲撃といえど、中途で炸裂させてしまえば、意外に地面へのダメージはさほど無いのである。
だが、それも敵はそろそろ対応してくる。
魔王が顔を上げたのは、敵が戦術を切り替えてきたからだ。
籠には、情報通信球を手にしたエルフの護衛兵が数名乗っている。ヨーツレットとの連絡役だ。
「ヨーツレット元帥に連絡」
「ただちに」
飛び来る無数のミサイル。これで防御術式をこじ開けて、直接主砲を打ち込んでくるつもりだろう。
判断としては間違っていない。
だが、それは既に、予想していた攻撃だ。
聖主は世界を理想的な形にすることだけ考えてきた到達者である。それに対して、魔王は常に実践することで、世界を変えてきた。
戦闘経験に差が出るのは当然の事だ。同じ力の持ち主であっても、やはり得意不得意はどうしても出てくる。
「陛下、お呼びですか」
「作戦をシフトUに移行」
「直ちに」
魔王の横を、無数のミサイルが通り過ぎていく。一つ一つが、それぞれ小型の核分裂を起こす強力なミサイルだ。
しかも数が多い。使い捨ての防御術式で防いでいることを見抜いての攻撃だったのだろうが、それならば相手にしなければ良いだけのことである。
ミサイルが、ことごとく地面に着弾する。
だが、その時には。
既に、闇の矛は。地面には存在していなかった。
魔王自身も、テレポートする。ラピッドスワローと側にいるエルフの戦士は、魔王自身が空気の泡の術式で包み込むことによって、守った。
否。
空気の泡で包んでいるのは、ラピッドスワローだけでは無い。
宇宙空間に転移した、闇の矛と、動力部である核融合炉もだ。
敵が、何も無い地面に向けて、主砲を発射するのが間近で見えた。動力炉ごと、此方が至近に転移したことには、気付いていない。
「闇の矛、発射」
放たれる闇の矛からの一撃。宇宙空間だから、地上と威力は比べものにもならない。
一撃で敵のシールドを貫通し、そして敵の中枢を貫通する。
爆発。
光の槌が崩壊するのを見て、魔王は胸をなで下ろしていた。
だが、聖主の気配は消えていない。
光の槌は、本当に破壊されたのか。それは、正直なところ、分からなかった。
「一度戻る事にするかのう」
「闇の矛はどういたしますか」
「しばらくは此処に放置する」
此処は衛星軌道上だ。速度と重力のバランスも釣り合っているから、地上に落ちてくることも無い。
しばらく放置しておいて、邪魔になるようなら更に遠くにテレポートさせるか、恒星の中にでも放り込んでしまえば良い。勿論、位置把握も容易だから、再び使うことも問題ない。
ただ、動力の核融合炉だけが面倒だ。制御機構が少し古いので、いざというときはこの星の軌道を外して、かなり遠くへ飛ばしてしまわないと行けなくなる。もっとも、それも考慮した上での作戦だった。そして、成功した。今は制御機構も問題なく動いているので、特に何もしなくて良い。
勝ったにもかかわらず、ヨーツレットは不安そうだった。
彼は正統な軍人だ。こういう超常的すぎる戦いを間近で見て、それを論理的に組み立てるのは難しいのだろう。魔王にとって、部下は皆可愛い。だから、少しでも不安は取り除いてやりたかった。
「大勝利、なのでしょうか」
「いや、光の槌は破壊したが、聖主は死んでおらんのう」
「あの爆発で、ですか」
「爆発に巻き込まれたかどうかも分からんからの。 まあ、とにかく今は、闇の矛の中にいるスタッフもろとも地上に帰還するぞ」
一度、凱旋して、全てはそれからだ。ヨーツレットの不安を解消するためにも、次の作戦について説明しておく必要がある。
聖主の出方も見ておきたい。光の槌が破壊された今、奴らの最大戦力は失われたが、それでもまだ油断は出来なかった。
爆発の中から、姿を見せるのは、二回りほど小さな光の槌である。
外装をパージすることで、最も重要なコア部分を守ったのだ。もっともそのために、武装の半分以上を切り捨てることになったが。
ステルスモードに移行して、一度衛星軌道上を後退する。闇の矛の射程から逃れたところで、聖主は呻いた。だが、あまり悔しくは無かった。
この程度の負けは、想定の内に入っていたからである。
実際、光の槌の主要部分はたいしたダメージも受けていない。憎悪砲そのものも無事なのだ。
「ふむ、負けたか。 今回は魔王の方が一枚上手だったな」
「戦術面では素人だと言うことでしたが、まさかあれほど大胆な攻撃を仕掛けてくるとは……。 想定外です」
シオン会出身の戦僧が悔しそうに言う。
僧と言っても、彼はエンドレンの元軍人で、屈強な禿頭の大男だ。見かけと違って緻密な頭脳の持ち主で、意外に信仰心も厚い。
だから、エル=セントがスカウトしたのである。
ただ、優れた軍人と言っても、いやむしろだからこそ、あまりにも世界の常識から外れた兵器が出てくると思考が停止してしまう。彼の指揮は見事だったが、それでも負けは負けだ。
安全圏に入ったところで、軽く反省会を行う。フローネスが資料を出してきた。敵は、此方の先手先手を打っていることが、それで鮮明になる。
驚くほどに鮮やかな手際だ。
「恐らく、思考を行える外部装置を作って、それに計算をずっとさせていたのだろう」
具体的な心当たりがある。だが、それについては、もう心配が無い。
加えて、今はそれよりも、やるべき事があった。
「デブリを可能な限り回収。 その後、一旦地上に降りる」
「分かりました」
恐らく、魔王も此方が死んだとは思っていないだろう。
これからが、戦闘第二幕の開始だ。
メラクスの元には、あまり良くない報告が、連続して届いていた。
グラント帝国と、東側の大国三つは、既に完全に兵力集結を終えた。偵察によると、戦力は百五十万を超えている。此方の機動軍の十倍である。その上、あの120インチ砲は、確認できただけでも百三十門以上いるようだった。
オケアノスを海上に配備して、通商を破壊してみようかとも思ったのだが、敵の海軍が多すぎる。エンドレンの軍勢ほどでは無いが、敵は有り余る軍勢を用意して、輸送部隊をがっちり固めていた。
悔しいが、敵は戦略的に極めて有能だ。恐らくテスラという将だと言うことは分かっている。陰険で知られる男らしいのだが、しかし老練でもある。
だが、味方も前線に守備部隊を隙無く配置しており、敵が攻めてきても簡単には破れないようにはしている。
膠着状態の中、ようやく良い報告が届いた。
前線で、メラクスは物見櫓に登って、敵陣を見ていた。120インチ砲の射程外だが、人間は常に新しい武器を作り出している。油断はしていない。周囲は常に強力な防御術式で固めていた。
其処に、サンワームが這い上がってきた。
「吉報です。 旧アニーアルス上空で行われた魔王様と敵首魁との戦闘ですが、魔王様の勝利に終わった模様です」
「ほう。 それは確かにめでたいな」
だが、それで敵が崩れてくれるかどうか。
グラント帝国は、皇帝が親征してきている。どこにいるかは分からないが、それはほぼ確実だ。つまり指揮系統の中枢は前線にあるわけで、ちょっとやそっとの攻撃で崩すことは出来ないだろう。
居場所さえ把握できれば、ヨーツレット元帥がこの間アニーアルスを潰したように、ピンポイントでの攻撃でたたけるかも知れない。だが、それも夢物語だ。敵の前線の分厚い布陣を見ていると、とても奇襲を掛ける隙など存在しなかった。
もう一個軍団いれば話は別になってくるのだが。しかし、フォルドワードの状況を見る限り、一個軍団を此方に回す余裕など、とても存在はしないだろう。
油断はしないようにと、周囲に指示。
敵に乱れも見えない以上、攻撃を仕掛けても意味が無い。魔王が敵の首魁に勝ったというのはとてもめでたいが、それ以上に冷静に戦況を読めるのが、今のメラクスだ。
その日は結局それ以上の動きは敵にも味方にも無く、メラクスは適当に視察と事務作業を終えて、一旦休むことにした。
補充兵と違い、純正の魔物であるメラクスには睡眠が必要なのだ。
一眠りして、起き出したとき。
次の報告が来ていた。叩き起こすほどでは無いと判断したのだろう。目をこすりながら、報告に来ていたモナカから書類を受け取る。
カイマンとアリゲータはどうしているだろうと、ふと思った。別に死地に向かわせた訳でもないのに。
「ほう、陛下が自ら前線に出られると」
「はい。 敵の首魁が乗っていた光の槌に打撃を与えたことで、高空からの攻撃の恐れは無くなりました。 そこで、陛下自身が前線に出られることで、戦況を崩すご予定だそうです」
腕組みする。
そうなると、やはり西ケルテルか。しかし、彼処は銀髪の双子が生還したこともあり、リスクが高いとメラクスは考えている。
もしもそうなら、止めたい所だ。
叩くとしたらグラント帝国軍の中枢だろう。キタンは騎馬軍団で主力が構成されていることもあって機動力が高い。魔王が攻撃しても、柔軟に受けきれる可能性があり、下手をすると焦土作戦に持ち込まれて、一度や二度の勝利をひっくり返される。
しかしメラクスのいる前線は、そうはいかない。
大軍だけあってグラント帝国軍の布陣は堅固だが、もしも魔王の助力で強引に突破できれば、画期的な大勝利につながる。
しかし、それもまた危険だ。
如何に魔王の力があるとは言え、あの120インチ砲もまた脅威である。あれが直撃しても、一度や二度なら魔王は防げるだろうが。狙撃が集中した場合、どこまで耐えられるのか。
あまり、楽観視は出来なかった。
寝台から起き出すと、朝の食事にする。たくさんフルーツが用意されていたので、無言で囓った。
果肉の甘みと果汁の旨みを堪能しながら、めまぐるしく戦略を練る。
魔王の存在は、単独で五万の兵力に匹敵する。しかし残念ながら、魔王は一人しかいないので、投入できる戦場は一つしか無い。
魔王は戦術面では、さほど知識が無いと、以前から自分でも発言している。それならば、メラクスが欠点を率先して補っていかなければならないだろう。
前線からの報告に、一通り目を通す。
敵に動きは無い。増援が来ることはあっても、減ることは多分無いだろう。
西ケルテルのデータにも目を通す。敵の戦力が充実していく様子が、目に見えて分かる。アニーアルスの残党を加えて、兵力は十万をとっくに超えている。侮りがたい軍事力が、再びユキナの下には揃いつつある。
やはり、リスクを冒しても、此処を叩くべきなのか。
悩むメラクスだが、続いて魔王からの指示が来た。しかも、情報通信球を使って、である。
魔王自身が通信に出たので、メラクスは思わず背筋を伸ばしていた。
「メラクス軍団長、達者かのう」
「はっ!」
「うむうむ。 それで、早速じゃが、儂がそちらに行こうと思う。 叩く相手は、グラント帝国の主力部隊じゃて」
やはり、そう来たか。
だがそうなると、こちらも万全の態勢を整えないとならない。120インチ砲の直撃を受けて魔王が戦死、などと言うことになれば、取り返しがつかないからだ。
「ご判断に間違いは無いかと思われます。 しかし、前線のどこを崩しましょうか」
「今の時点では決めておらぬのう。 とりあえず、三日後にはそちらに到着するから、それまでに作戦を練っておいて貰えるか」
「分かりました。 この身命に変えまして」
通信が切れる。
興奮と、不安が、ない交ぜになってメラクスの全身を包んでいた。
作戦の、全面委託。
部下として、これほど名誉なことは無い。しかも魔王自身が出て、敵をたたくための、一大作戦で、である。
ただ、メラクスを重要視しているわけでは無く、特別視していないことも、分かってはいる。この作戦の次はキタンを叩きに出るのだろうし、それを考慮すれば、むしろ露払いと言っても良いのかも知れない。
此処でグラント帝国を潰せば、戦況は一気に有利になる。
膠着していた戦線を突破し、殆ど無人も同然の敵領土を蹂躙するもよし、キタンを南と西から挟み撃ちにするもよし。いずれにしても、この停滞した戦況を、完全に打開することが可能だ。
すぐに師団長達を招集する。サンワームの意見だけを聞いても良いのだが、他の部下達にもきちんと話は聞いておきたい。
部下達に連絡が行く。集結は三日後となった。
メラクスは久々に酒に手を伸ばし、ほろ酔いになるまで飲んだ。果実で作った甘い酒で、とてものどごしが良い。アルコールも弱く、かなりの量を飲まないと酔わない。だが、これは前祝いだ。
ご機嫌な一晩が過ぎて、前線に視察に出る。
そこで、ふと気付く。
「どういうことだ?」
「如何なさいましたか」
「敵の配置が換わっている。 今までは、俺の居場所を掴み次第、120インチ砲で狙撃できるように陣形を整えていた。 それなのに、どうしてかは分からないが、120インチ砲が下がっている。 しかも、前線からかなり後ろにだ」
「本当ですね」
北にいるヨーツレットにも連絡してみる。
すぐに、返事がきた。
「メラクス軍団長、そちらもか」
「元帥の方でも異変が?」
「ああ、敵の切り札である融合不死者兵が、かなり戦列を下げている。 敵陣の奥にまで後退している」
「意図が読めませんな」
警戒する方が良いだろう。
歴戦で勘を積み重ねてきたメラクスは、即座に心身を切り替える。浮ついていた気持ちは、既に何処かに放り捨てていた。
意図が読めない。或いは縦深陣を作って、此方を泥沼の消耗戦に引きずり込むつもりなのだろうか。
しかしそれは、あまり意味が無い。敵は攻勢に出られるだけの充分な戦力を有している。それに対して、此方の戦力は、守勢がやっとという程度だ。
此方が攻撃に出るとは、予想しづらいはずである。何故敵は、わざわざ兵力を後退させるような真似をしている。しかも、キタンとグラント帝国が示し合わせるかのように、同時に、である。
何か連中の本国で発生したのか。
一度、前線から少し後退したところにある指揮用の要塞施設に戻る。部下達に情報収集を命じさせ、モナカにも声を掛けた。
「今、バラムンク軍団長は」
「丁度仮説魔王城に戻っているはずですが」
「すぐに情報通信球をつなげ」
「分かりました」
ぱたぱたと走っていったモナカが、情報通信球を取ってくる。つないだ先のバラムンクは、不機嫌そうだった。
珍しいことである。普段滅多に他人をおちょくる以外の感情を見せない此奴が、露骨に不機嫌そうにしているのだ。巨大なサソリのはさみを持ち上げたり下ろしたり、尻尾を揺らしたり。機嫌が悪くて、それが体に表れているのが丸わかりである。
「如何なさいましたか、メラクス軍団長」
「敵の動きがおかしい。 何か話は聞いていないか」
「残念ながら、今エンドレンから戻ってきた所ですので。 部下達には、これから連絡を取るところです」
「またエンドレンに行っていたのか」
忙しい事だなと続けようとしたが、失敗する。
バラムンクが、とんでもない事を言い出したからである。
「エンドレンで、闇の福音が広がりはじめていましてね。 しかも、エル教会による地道な活動の結果、また大陸がまとまりつつあります」
「何だと」
「工場などでも増産が開始されている様子です。 ガルガンチュア級戦艦や、更にそれ以上の戦力を持つ兵器が作られはじめているとか」
それは、まずい。
オケアノスはかなり強力だが、それでも敵のでたらめな物量を考えると、楽観視は出来ない。
ましてやエンドレンの軍勢が一つにまとまると、今度は魔術による戦力が敵にも備わっている事になる。
それだけではない。
グラント帝国は、エンドレンと関係が極めて深い。120インチ砲に始まって、その技術はエンドレンからかなりの部分を継承しているし、何より今後の展開次第では、エンドレンの大艦隊が、キタルレア大陸の西海岸に殺到するという可能性さえある。
そうすれば、袋だたきにされるのは、此方の方だ。
まさか、それすらも見込んでいるというのか。
可能性はある。人間はろくでもない生物だが、戦争に関する技量は悔しいが此方よりもずっと上だ。
「すぐにヨーツレット元帥にもそれを知らせてくれ」
「そのつもりですよ」
「頼むぞ」
通信を切る。
これは、魔王の力を利用して敵を屠るにしても、できる限り短期間でやらないと危ないだろう。
そうなると、どうにかしてグラント帝国の軍勢の中枢を見極める必要が生じてくる。魔王が如何に強いといっても、それでも敵の方が総合力が上という事実に変わりは無いのである。
それに、聖主とやらの事も気になる。
会議室に移る。要塞の最深部に、石造りの無骨な部屋がある。かなり広く、天井も高い。幹部が集まっているところに攻撃を受けて全滅、などという事態を避けるために、防御術式が何重にも掛けられている堅固な場所だ。
上座に着く。長いテーブルには、大小様々な椅子が用意され、並べられている。カイマンとアリゲータ用には、人間が座るような小さなものが。異形だったり大きかったりするものには、椅子では無く敷物が用意されている。
配下達がだいたい集まった。サンワームがナンバーツーの席について、師団長が揃う。師団長が全員で会議を行うのは、カッファーが攻撃を仕掛けてきたとき以来である。それだけ、戦線が安定していたのだ。良きにつれ悪きにつれ、だが。
軽く社交辞令をした後、モナカが現在の戦況についての資料を配る。
あまりまどろっこしいのは好きでは無いので、メラクスは皆を見回しながら、本題に入った。
「魔王陛下が、このたび前線に出てくださることとなった」
「それは素晴らしい」
「皆の士気も上がりますね」
「だが、悪い報告もある。 エンドレンがほぼまとまり、いつ兵を出してきてもおかしくない状態だそうだ。 それだけではない。 敵の布陣が、少し前から露骨におかしくなってきている。 今まで出よう出ようという雰囲気だったのが、急に陣を後退させ、此方の攻撃を誘うかのようだ」
サンワームが、じっと戦力配置図に顔を近づけていた。ミミズによく似た此奴だが、光も音も何ら苦も無く感じ取ることが出来る。
文字通りメラクスの右腕であるサンワームは、非常に頼りになる。実は、カルローネの下に作られる二名の副軍団長の一名に選ばれるのでは無いかという話まで上がっていた。その時のことも考えて、早めに此方の戦線では勝負をつけなければならないだろう。
「罠です」
「サンワーム師団長?」
「この布陣は、明らかに魔王陛下の攻撃を受けたときに、被害を最小限にする想定かと思われます。 どういう手段かは分かりませんが、敵は陛下を仕留める策を準備していると見るべきかと」
「やはりそうか」
不安はあった。
だが、サンワームにそう指摘されると、はっきりした形になる。サンワームはこういうとき、しっかり指摘してくれるので、メラクスにはありがたい。優秀だが、その分引き抜かれたときの打撃は計り知れないだろう。
カイマンとアリゲータを見ていて思うのだが、戦闘力面で優れた師団長は、補充兵でいくらでも作り出せる。しかし、知略という面ではどうしても無理が生じてきている。元々、知性派の補充兵は変わり者揃いだ。クライネスは不向きな前線勤務にずっとこだわっていたし、ミズガルアは引きこもりも同然である。師団長で同じような連中を作ろうとしても、難しいのかも知れない。
「して、どうする。 陛下が来てくださるのに、何もせず退却というのはあり得ぬ事だろう」
「はい。 敵の罠を逆用する方法を考えなければならないかと」
「どのような手がある」
「考えられるのは、おとりです」
魔王が出撃していると、敵に錯覚させるのがそれになる。敵が引っかかったところで本物の魔王に出て貰えば良いのである。
おとりは危険が伴うが、幻術でも何でも手はある。師団長の一名が、ソド領で警備などに使っている人間の兵士を動員してはどうかと提案してきたが、却下。そんなことをしたら、パルムキュアがそっぽを向く。ソド領の安定のためにパルムキュアは相当な苦労をしているらしいので、それをむげにしてはならない。
「だいたい、それでは人間共と同じだ。 いくら何でも、それは好ましくない」
「その通りですね。 失礼しました」
「他に案は」
特に出てこない。子供師団長は二名とも退屈そうにしている。まあ、此奴らは最初から意見など期待していない。戦場で活躍してくれればそれで良い。
幻術を使うという事で、作戦は決まった。
勿論敵も優れた術者がいる事は想定しておかなければならない。魔王の安全を確保するためにも、二重三重で、安全策は講じなければならなかった。
二日間で七回の会議を行い、それで作戦を詰めていった。
満足行く作戦が出来るまでかなり喧々諤々の議論が繰り広げられた。冷静なサンワームと他の師団長が対立する一幕もあったが、メラクスは止めなかった。せっかくだから、この際に本音をぶつけ合った方が良いからである。
結局、メラクスが作戦を採用して、会議は終了。
真夜中まで掛かったが、どうにか決着はした。
魔王が到着した朝には、既に軍は動き始めていた。
魔王が跨がるベヒモスが前線に姿を見せる。
とはいっても、ベヒモスは巨大すぎる。その背中の一角に、魔王が座する場所が置かれている、という程度の方が正しい。魔王の周囲はエルフの護衛達が固めていて、最悪の場合は彼女らがテレポートで魔王を逃がす。
それだけではない。
今回の作戦では、安全策が用いられることになった。
ベヒモスの背中には、前回アニーアルス攻略戦で使われたのと同様、師団長十名による精鋭部隊が待機しているのだ。
今回の全面攻撃で、圧倒的なグラント帝国の軍勢をどこまで崩せるかが勝負になる。少なくとも、単独で守れる程度にまで敵の兵力を削っておかないと、最悪の事態が到来した場合対処できないだろう。
皇帝を討ち取ることが出来れば、言うことは無い。
だが、其処までは期待していない。魔王の圧倒的戦力を生かして、敵を全面潰走にまで追い込めれば、それで充分だ。
敵陣を見やる。
それにしても、堅固だ。まともに正面からぶつかっても、とても勝ち目は無いだろう。
グラント帝国軍の同盟国三つも、既に兵力を展開している様子だ。そちらも、かなり優秀な将軍を配置しているらしく、隙が無い。
だが乱戦になれば、どうしても隙は見えてくる。
敵も、当然こちらが攻撃に傾いたことは見抜いているはずだ。手ぐすね引いて、こちらが出てくるのを待ち構えていることだろう。
張り詰めていく空気。
此処は、これから戦場になる。
伝令が来た。イビルアイ族の戦士だ。
「ご注進です」
「どうした」
「北に動きがあります。 西ケルテルの軍勢およそ五万、国境に集結し、ソド領をうかがっている模様です」
「面倒だな」
勿論、ソド領の守備兵なら、十分に対応できるはずだ。国境線にはアシュラによる堅固な防衛網もある。たとえ敵側に勇者がいても、圧倒的な火力で薙ぎ払い、近づかせはしないだろう。
ラピッドスワローによる爆撃部隊も待機しているはず。アニーアルス軍を加えて質が上がっているとは言え、対処が出来ない相手ではない。
だが、それでも。
たとえば、この戦場に乱入してきたりされると、かなり厄介だ。
グラント帝国軍の指揮を執っているテスラが、多分その辺は考えているのだろう。面倒な手を打ってくるものである。
「捨て置けないな。 勇者が出てきた場合の備えが欲しいが」
「ヨーツレット元帥に連絡は行きました。 恐らく、元帥が師団長部隊の第二陣を手配してくれるはずです」
「そういえばもう一組、十名の師団長部隊を作るのだったな」
まだ八名くらいしかいないはずだが、それでも一斉に掛かれば充分に勇者を仕留められるはずだ。
念のため、攻撃に加えようと思っていた守備部隊の内、一万を西ケルテル軍への備えにする。勿論野戦軍では無く、中途の防衛設備に配置するのだ。戦場に乱入されて背後でも突かれたら面倒だから、しっかり手は打っておく。
作戦を微調整。
多分、勝てるはずだ。だが、まだ嫌な予感が消えない。
狼煙が打ち上げられる。
同時に、幻術の展開が開始された。
敵陣に、魔王の幻影が現れる。ものすごい勢いで飛びながら、潰すべき場所をうかがうかのように。
さて、どう出る。
ふと、気付く。
前線が、焼け野原になっていた。自分はどうなった。メラクスは、立ち上がろうとして、失敗した。
左足が、無くなっていた。
絶叫。周囲は死屍累々の有様である。ベヒモスが、体を半壊させ、横転していた。魔王は。無事か。
部下達は。
助け起こされる。
カイマンとアリゲータだ。
「メラクス軍団長!」
「へ、陛下は」
「ご無事です。 陛下がシールドを展開したようで、それで全滅を免れました」
「何が、起こっ……」
気付く。
敵陣も、等しく焼け野原になっている。
味方も、かなりの範囲が焼き払われていた。これは、何が、何が起こったのか。
サンワームを呼ぶ。返事は無い。
「損害は……」
「一万を超えています。 爆風の範囲にいた味方は、殆ど全滅です」
「何たることだ」
「敵も、十万以上が死んだみたいですよっ! とにかく此処は危険ですから、はやく逃げましょうよぉ!」
口々に言う子供ら。
一体、何が起きた。分からない。サンワームは、どうした。
担架が運ばれてきた。担架を担いでいる味方兵士も、ひどく怪我をしている様子だった。無事だった陣へ運ばれる。血だらけのサンワームが、先に運び込まれていた。
辺りはまるで野戦病院だ。これでは、フォルドワードの、地獄の戦場のようではないか。
運ばれた先で、やっと見つけた。
「サンワーム!」
「ご無事、でしたか」
「何、こんな傷は慣れっこだ。 それより、何が起こった」
「まだ詳しくは分かりません。 ただ、陛下が言っているのを聞きました。 聖主の、反撃だと」
そうか、それでか。
敵の損害も大きかったようだが、味方の被害も一割近い。これでは、作戦は中止するほか無いだろう。
怪我の手当が開始される。
まず魔術で止血。それから、以前義手を作ったように、補充兵の技術で作った肉塊で傷を覆う。
傷を回復した後、義足をつけることになる。
体の半分を一度は失ったのだ。今更これくらいで動揺はしない。しかし、無いはずの足が疼く。
無事だった師団長が、代わる代わる見舞いに来た。
攻撃用に展開していた味方は、防御用に再び振り分け直す。医師としてついているマインドフレイヤ族のテロンが口うるさく文句を言う中、どうにか時間を作って、部隊の再編成を終えた。
メラクス直下の親衛部隊が、殆ど全滅してしまったのは痛い。この補充だけで、足りなくなっている人間の死体をかなり使うのでは無いのか。
敵は後退したらしい。前線を見てきた師団長が、首を横に振った。
「ものすごい有様です。 死体は殆どばらばらか、炭化してしまっています。 聖主とやらの攻撃は、凄まじすぎます」
「それもそうだが、部下を平気で巻き込んで、まとめて薙ぎ払うとは。 人間はどこまでいっても人間なのだな」
「とりあえず、死体は集めて後方に搬送させます。 それでも、被害の補填にはかなり時間が掛かるでしょうが……」
「勇敢な戦士も、多く死んだ。 しかし、陛下が無事で良かったと思うべきなのか」
そう思えない。
なんだか、魔王が来ることを、敵は見越していた気がする。更に言えば、此方がどう動くか、グラント帝国軍がどう対応するかさえも、である。
もしそうなら、此方は聖主とやらの手のひらの上で、好き勝手に踊らされただけだというのだろうか。不快きわまりない話であった。
魔王が見舞いに来た。
恐縮なのだが、今の話をするべきか、少し悩む。
「おお、メラクス軍団長」
「陛下、ご無事で何よりです」
「うむ。 すまなかったな、敵が此処までするとは見抜けなかった儂の責任じゃ」
「いえ、そのような」
こういう所が、メラクスが魔王に忠義を尽くしたくなるゆえんだ。
確かに魔王にも責任はあるかも知れない。だが、それを痛感して、しっかり形で示してくれる。
それで充分だった。
「これから儂は、もう一度聖主を潰すべく、作戦行動に入る。 軍団長は負傷している所済まないが、前線の守りを固めてくれるか」
「分かりました。 身命に変えて」
「うむ。 それでは第二戦の開始じゃて」
魔王が、部下達を連れて行く。エルフの戦士のメンツが変わっているのに、メラクスは気付いた。
あんな爆発を至近で受けたのである。戦場の恐怖で、心が壊れてしまったりしたのかも知れない。護衛の師団長達は負傷しただけで死者は無しと聞いて、メラクスは安心した。不幸中の幸いだろう。
しばらくは、前線の立て直しだ。
エンドレンが攻め寄せてきてもおかしくない中、出来ることは限られている。
メラクスは、フォルドワードに戻ったかのようだと思いながら、ぼんやりと野戦病院の天井を見つめていた。
2、繰り広げられる死闘
闇の矛が、再び回収された。テレポート部隊は何度も魔王の指示の元、衛星高度と地上を往復し、闇の矛の再設置を行ったのだった。
焼け野原になった旧アニーアルスに、闇の矛は再び据え付けられた。そして、魔王は宣言する。
此処に、しばらくの間、居を移すと。
護衛についているヴラドが、流石に苦言を呈した。ヨーツレットも来ていたのだが、見守るだけである。ヴラドと同意見だからだ。
「賛成できません。 陛下が亡くなられでもしたら、魔王軍は滅びに直行することになります」
「じゃが、敵が儂を殺すためなら、手段を選ばないことは今回の件ではっきりした。 敵が儂をおびき出すために無差別攻撃で非戦闘員を虐殺するという可能性さえある。 しかも、ヨーツレット元帥が監視対象にしている人間も、当然その対象になるじゃろうな」
魔王の言葉は切実である。
実際問題、今回の聖主の攻撃で、十万以上の人間が死んだことが分かっている。文字通り滅茶苦茶だ。
だが、ヨーツレットは思う。
それさえも、敵の布石の一つなのでは無いかと。
此方に、聖主が手段を選ばない存在だと思わせるために。わざと無茶な攻撃を仕掛けたのでは無いか。そんな気がするのだ。
勿論、勘で作戦を動かすわけにはいかない。しっかりした根拠が必要になる。
「陛下、私も反対です」
「ふむ、元帥もか」
「確かに敵は卑劣で残虐ですが、そのような輩と同じ台に陛下が上る必要はないかと思います」
「じゃが、奴を倒せるのは儂だけじゃろう」
残念だが、それも事実なのだ。
そして、魔王が、自分がいる事を示すことで、敵の動きも制限される。
だが、もしもだが。
それさえも、敵の予想の範疇であったらどうするのか。それが不安でならない。
「それにもう一つ気になるのは、勇者の存在です。 奴はどうやったかは分かりませんが、西ケルテルに復帰したらしく、この位置にいると思わぬ横やりが入る可能性も否定できません」
「それは、ヨーツレット元帥に対処を頼むほか無いのう」
「分かりました。 必ず防ぎ止めます」
対策を全面的に任せてくれるのならやりやすい。
メラクスが担当していた戦線で、幸いにも師団長達で構成した精鋭部隊は無事だった。更に、予備の部隊も即座に動ける。彼らに加えてヨーツレットが戦えば、多分西ケルテルの軍勢に銀髪の双子が加わっても、押さえ込めるだろう。
更に、グラント帝国軍は今後退して再編成の最中である。キタンだけを相手に考えれば良く、多少前線には余裕があると言える。
かといって、魔王の身辺警護をおろそかにするわけにはいかない。
「編成中の師団長部隊の内、五名を陛下の警護に回します。 ヴラド師団長、彼らの指揮を頼むぞ」
「分かりました」
ヴラドは以前魔王城に銀髪の双子の侵入を許して以来、隙の無い警護を続けている。仮に何かあったとしても、命に代えて魔王を守ることだろう。
忠義、能力、いずれも信頼出来る戦士だ。バジリスクという種族特性もなかなかに素晴らしい。視線で相手を石化するという強力な能力は、簡単に防ぎ得るものでは無いからだ。
問題は、魔王による聖主討伐作戦が、どういうものになるか、だ。
前回と同じ作戦は、通用しないと見て良いだろう。
「して、陛下、いかなる作戦で聖主に立ち向かうつもりでありましょうか」
「確実に仕留めるために、今回は儂自ら出向くつもりじゃて」
「な……」
「何、大丈夫じゃ。 頼もしい精鋭が周囲を固めてくれるでのう。 ヨーツレット元帥は、横やりだけを防いでくれ」
確かに、聖主という存在は、三千殺しを使って積極的に人間の殲滅に着手していた魔王と違い、策略で人間を裏から動かしていた者に見える。
だからこそ、一対一での勝負には、魔王に分があると思える。
だがしかし、ヨーツレットは思う。そんな奴だからこそ、戦うときは最大限に警戒しなければならないのだとも。
「陛下、その役目は、不肖ヨーツレットにお任せください」
「元帥が?」
「このヨーツレットには、陛下よりいただきし秘宝、神剣オーバーサンあり。 更に十名の師団長にて周囲を固めれば、生半可な相手に遅れは取りませぬ。 陛下を直接危険にさらすわけにはまいりません。 代わりに、この魔王軍最高司令官ヨーツレットが、敵地に赴きましょう」
「嬉しい申し出じゃ。 だが、ならぬ」
「聖主はそれほどに強力だと言うことですか」
ヨーツレットの懸念は当たる。
基本的に、魔王は今まで、部下を信用して作戦を実施してきた存在だ。それなのに、今回は前線に自ら出ると言っている。
だから、ヨーツレットも、本当はその意味が分かっていた。
「そうじゃ。 単純な魔力だけでいえば、儂よりも上かもしれぬのう」
「ならば、せめて私をお連れください」
「ふむ……」
勇者の押さえ込みは、作戦さえ授けておけば出来るはずだ。それに、魔王の護衛として五名の師団長を一緒に連れても行く。
最悪の事態、たとえば聖主と勇者が一緒に待ち構えているというような状況でも、力を発揮できる。
「分かった。 元帥の儂を守らんとする気持ち、心に届いたぞ」
「ありがたき幸せ」
「ヴラド師団長。 西ケルテルからの、勇者の攻撃に備えて欲しい。 そなたならやれるはずじゃ。 出来るかのう」
「お任せください。 身命にとしても、必ずや」
ヴラドが代理なら安心できる。
士気能力よりも、ヴラドの強みは実直な性格と粘り強い士気だ。挫折を経験したことがある戦士だから、苦境に立ち向かう方法を知っているのである。
ヴラドには、アシュラ千、ラピッドスワロー同数を預ける。ベヒモス二匹も。そして、作戦も授けた。
「ヴラド師団長は、この戦力を敵国境で見せびらかして欲しい」
「なるほど、示威行動ですか」
「そうだ。 銀髪の双子がいないようなら、まとめて西ケルテルを焼き払うと敵に無言の威圧を加えるのだ。 銀髪の双子は、どうやらそれなりに戦士としての魂を人間としては珍しく有しているようだが、それでも他の人間共が戦場に赴くよう強制するかも知れぬからな。 もし銀髪の双子が此方に来たら、戻らなければ西ケルテルを焼き払うと脅してはみる。 そなたの布陣が、必ずや抑止力になる」
「分かりました。 銀髪の双子が現れた場合も、お任せください。 必ずや防ぎ抜いて見せます」
兵八千も、ヴラドの指揮下に入れた。いずれも守備部隊から選抜した精鋭であるが、機動軍としては若干実力が心許ない。
ただし、最悪の場合は、ラピッドスワローとアシュラによる爆撃だけで片がつくだろう。あくまで予備兵力である。それに、細々した動きが出来る兵士達がいる方が、戦争では柔軟な運用が可能だ。
「それで、陛下。 いかようにして、聖主の元に乗り込みますか」
「闇の矛をおとりに使い、光の槌の位置を確認する。 その後は、儂が道をこじ開け、テレポートで乗り込む」
「なるほど。 分かりました、必ずや道は私が切り開きます」
ヨーツレットは、決意する。
この戦いで、全てを終わらせると。
「と、魔王は考えるであろうな」
聖主は、作戦図を示す。
今回の目的は、魔王を殺す事では無い。闇の矛を破壊することだ。作戦に微妙な修正が加えてあるが、それは思った以上に魔王が優れた戦術を見せたからである。
柔軟な作戦の変更は、常に必要だ。
そしてヨーツレットがいる以上、魔王は此方の意図を読む可能性もある。それも考慮しなければならない。
最初に、シオン会出身の者が挙手した。
「魔王を、勇者か、もしくは聖主自らが迎え撃つという案は、停止するのですか」
「停止はしない。 今はその時期ではないという事だ」
「しかし、この光の槌を、使い捨てるというのでしょうか」
「別に構いはせぬ」
まだ、これは誰にも言ってはいないが。
戦略級の兵器は、まだまだ南の大陸にいくつも眠っている。魔王がやっと組み立てた闇の矛など、エル教会が今までの歴史で人海戦術を使って集めてきた秘宝の数々にようやく比肩する一つ、程度に過ぎない。
集めるのを指示したのはエル=セントではないが、それだけは評価できる。まあ、世界平和のためなどではなく、野心のため、であったのだろうが。さらに、それをろくに解析もせず死蔵していたのだから、無能さにはあきれかえってしまう。
それに、愛の世界を実現してからでも、宇宙に旅立つのは遅くない。
まだまだ、人類はエル=セントが導かなければならない。この星から出るには、未成熟すぎるからだ。もしも早すぎる段階で宇宙に出せば、大航海時代の悪夢を再現した地球人類と全く同じ事を繰り返すだろう。
秘宝の数々は、人類の未来を信じた者達からの贈り物である。だから、その最小限だけを使って、魔王に勝利するのだ。
今回の作戦では、魔王にダメージを与えられれば良い、くらいにエル=セントは考えている。
闇の矛を潰すことは大前提だが、光の槌は捨て駒で構わない。実際問題、まだ他にあるからだ。更に強力な、移動式の戦略兵器が。
「それでは、此処に貯蔵した資材の数々は」
「すぐにバルマンカルに移動せよ」
「分かりました。 直ちに取りかかります」
バルマンカル。南の大陸の最南端に存在する大きな都市である。シオン会の本部が置かれており、人口は三十万とかなり大きい。
ただし、気候が厳しいこともあり、南の大陸としてはそれほど栄えていない都市の一つとなる。人口が多いのは、エル教会にとって重要な場所だからだ。つまり、民間人よりも、エル教会の関係者、それもどちらかと言えば軍事技術よりの、ばかりが揃っている所となる。
光の槌はステルスモードを保ったまま、衛星軌道上を移動。
魔王が挑戦を受けて立つ姿勢を見せているが、すぐに攻撃は仕掛けない。むしろ、多少焦らせて戦意をそぐ。
こういった細かい部分での駆け引きに関して、魔王は気の毒なほど貧弱だ。恐らく、人間だった頃も、コミュニケーション能力はさほど高くは無かったのだろう。
実は、エル=セントは、魔王のことはさほど憎んでいない。真実を知って、それでも人間を愛そうとしたのは、エル=セントだけだった。ただそれだけだ。
ただし、憎んでいるいないに関係無しに、魔王は殺さなければならない。それが、愛の世界のためであった。
そのためには、多少の犠牲には、目をつぶらなければならない。
すぐに物資、情報の移送が開始される。指揮を執ったのはフローネスだが、非常に実務能力は高い。人間だった頃よりも、恐らくかなり底上げされているのだろう。本人は気付いていないようだが、性格の変質も多分発生している。それが、無数に人間が融合した結果なのだ。
玉座について、指示を出しているだけで今は良い。
だが、フローネスの中には、野心がある。恐らく、エル=セントが支配した世界で、実務を全て請け負うことにより、事実上の世界の支配者になろうという魂胆なのだろう。それはほほえましい考えだが、いずれ何かしらの方法で掣肘を加えなければならない。
絶対者は、複数いらない。
物資の運び出しは、まもなく終わった。
「聖上、作業、終わりましてございまする」
「うむ。 それでは、アニーアルス上空へ移動せよ」
「決戦にございますね」
「そうだ」
魔王側の作戦は、読めている。
闇の矛を用いて、テレポートによって光の槌内部に直接乗り込んでくるつもりだろう。テレポートを妨害する装置も当然光の槌は搭載しているが、魔王の力で無効化する気なのは間違いない。
ただ、内部は乱戦になる。
シオン会の最高幹部である、ガルフ=シオンが挙手。
禿頭の大男で、シオン会を二十年前まで統治していた人物だ。死体に闇の福音を入れて蘇生させ、今は使っている。
現在の最高幹部よりも能力が高いので、少し前に拾ったのである。現時点では、頭脳と言い忠誠度と言い、申し分ない戦闘面での配下である。
「この機に試したいのですが、よろしいでしょうか」
「融合不死者兵か」
「いいえ。 その改良型、憎悪充填型融合不死者兵にございます」
「ほう」
その名前を、此処で出してきたか。フローネスが不機嫌そうなのは、彼が技術をキタンに流した融合不死者兵を、短時間で凌いだからだろうか。
部下同士の確執は構わない。適度に存在すれば、むしろ競争心につながる。
「よし、三十体の使用を許可する。 他の者達は、作戦通りアニーアルス到着前に退去するように」
「聖上のために!」
一斉に部下達が、最上位の礼を捧げてきた。
エル=セントは此処に残る。
残らなければ、魔王は即座に作戦に気付くだろうからだ。
今までも、多少の犠牲を払ってきている。そして、エル=セントは、その犠牲に自分をカウントすることを恐れない。
愛の世界が出来たら、すぐに引退しても良いと考えているほどなのだ。
さあ、魔王よ。
釣り針は用意した。攻め込んでくるが良い。
そう、軌道上を移動する兵器の中で、エル=セントは呟いた。
攻撃は唐突で、なおかつ容赦が無かった。
降り注いだ膨大な力が、中空で爆裂する。ヨーツレットは闇の矛の真下で、殆ど至近からそれを見ることになった。
凄まじい。
南に展開しているヴラドも、当然これを見ているはずだ。虹色の爆煙が晴れると、中空にぽっかり穴が空いているようにさえ見えた。雲が蹴散らされたのだ。あまりの破壊力と衝撃波に。
やはり、聖主はまだ生きていた。光の槌も。
「反撃を開始せよ」
「反撃開始! 速射三連!」
闇の矛に詰めているスタッフが動き出す。
そして、虚空に向け、三連続で光の束が発射された。実体を打ち出しているらしいのだが、空気が燃えてああ見えるのだという。恐ろしい兵器だ。
手応えがあったと、ヨーツレットが思うより早く。
側にいた魔王が、中空に手を突き出していた。長時間詠唱していた術式が、完成したのだろう。
「よし、穴が空いたぞ!」
「テレポート部隊!」
「行けます!」
三十名以上のエルフ戦士と補充兵を中心とした戦力が、周囲で輪を作っていた。既に詠唱は完了済み。魔王が思ったとおりの地点に、転送が行える。
突入するのは、魔王とヨーツレット、それに師団長五名のみ。師団長の内二名にテレポート能力があり、最悪の場合は魔王を逃がす。
術式が、発動。
空間を、転移する。
全身を引き裂かれるような痛み。流石に超大テレポートである。大陸間を渡るほどの距離では無いが、非常に緻密な計算を必要とする分、リスクも大きい。
不意に、周囲が星の海になった。
転送失敗を一瞬疑ったが、周囲には空気がある。よく見れば、何かの建造物の中なのだと分かる。
此処が、光の槌の内部。つまり、目的地だ。
着地。結構衝撃が大きい。魔王は。無事に腰を打たずに、柔らかく着地している。多分魔術で衝撃を緩和したのだろう。
師団長達も、おいおい着地する。
「何があるか分かりません。 陛下、警戒を」
「うむ、大丈夫じゃ」
「私の背中にお乗りください」
「これは、最強の乗騎じゃのう。 元帥、足は任せるぞ」
師団長達も、周囲を固める。
人間型が二、動物の形状を持っているのが三。何名が生きて帰れるかは分からない。だが、此処で決着をつけるのだ。
皆、命としてはいびつかも知れない。
だが、補充兵であるのはヨーツレットも同じ。此処で魔王を守り抜いて、世界が平穏になるのなら。
進み始める。床も天井も、罠の巣だと思って間違いない。扉が見えた。体当たりでそのまま叩き破る。瓦礫を、魔王が防御術式ではねのけるのが見えた。
狭い通路に出る。前から出てくるのは、無数の光の線。それが壁を塞ぐようにして進んでくる。
「ほう、対人レーザーか」
「如何いたしますか」
「壁も床も吹き飛ばすのじゃ」
「承知!」
前に出た、ヤモリに似た師団長と、人間型だが山羊のような角と下半身を持つ二名が、術式を炸裂させる。
通路が瞬時に滅茶苦茶に崩壊し、辺りは瓦礫の山と化した。星の海のように見えていた床も天井も、消えて無くなる。
進む。
不意に爆発。だが、一瞬早く前に出た、カミツキガメに似た師団長が、防御術式を展開、防ぎ抜く。
魔王が手を振ると、更に壁が激しく破壊される。師団長の一名、兎に似た耳をはやしている人間型が、不安そうに魔王を仰ぎ見た。
「此処は外に空気が無いと聞きます。 派手に壊しても大丈夫ですか」
「何、この程度は大丈夫じゃて。 心配するでないぞ」
次々にトラップが出る。レーザーとやらが来たり、訳の分からないガスが吹き出したりもした。
だが、どれもこれも、師団長達が片っ端から食い破った。ヨーツレットが手を出す必要さえ無いくらいである。
壁を爆砕して、進む。
不意に広い場所に出た。周囲を見回すヨーツレットは、すぐに異臭に気付く。
「死臭ですな。 しかも人間の」
「となると、噂の不死者兵じゃろうな」
「ほぼ間違いなく。 手強いですので、お気をつけください」
辺りはいつの間にか、星の海では無くなっている。石の床に壁、それも古い時代の神殿のようなデザインだ。
趣味が悪い。
多分この奥に、聖主とやらは控えているはずだ。
足音。
ぬちゃり、どちゃりと、重々しく、引きずるような。
師団長達が、それぞれ死角をカバーするように展開する。ヨーツレットは首をもたげて、周囲を確認した。
兎人間型の師団長が、最初に気付く。
「来ました!」
「此方からも!」
空間の外側、全ての壁が開き、そいつらは姿を見せた。
全身が赤黒く、筋肉がむき出しである。多分十体以上の人間の死体を融合させて作り出したのだろうが、何かが以前戦った融合不死者兵とは違う。
形が、人間である。只ひたすらでかい。全身が異形だが、どうしてか人間だと分かる姿だ。
勿論、今までの特徴も備えていると見て良いだろう。熱にも強いし、再生能力も高い。だが、オーバーサンが効果的かも知れない。
兎人間型と、山羊人間型が、同時に量産型オーバーサンを抜く。
光の剣が、ちりちりと空気を発熱させて音を出した。
魔王が防御術式を分厚くするのが分かった。それを見て、師団長達が前に出るのを控える。
強敵だと、理解したのである。
残像を残して、一匹がかき消える。至近。振り下ろした拳が、防御術式とぶつかり合い、苛烈な火花を散らした。
動きが、想像以上に速い。
これは、元の人間など、比較にもならない。
「なっ!」
「これは手強いな。 各々、油断するな!」
叫ぶと同時に、敵およそ三十が、一斉に飛びかかってくる。それぞれが残像を残すほど動きが速い。パワーも人間とは桁違いだ。
入り乱れての死闘が、開始された。
腕組みして戦況を見ているガルフは、時々含み笑いを漏らしていた。
魔王と、その一の配下と、精鋭を相手に、三十程度の数でありながら、彼自慢の憎悪充填融合不死者兵は善戦している。現時点では拮抗していると言っても良いほどだ。
蛙に似た敵が、酸を連続してはきかける。
だが、それをまともに浴びても、平然と不死者兵は立ち上がる。痛みなど感じていないのだ。
「見事な動きだな」
「恐縮です」
フローネスは、ガルフの方を見ようともしない。よほど腹が立っているのだろう。
それでいい。悔しいと思い、次の手を考えれば良い。そうすれば、さらなる技を編み出せるだろう。
「だが、このままだと競り負けるな」
「最初からその予定にございます」
「ふむ、ある程度消耗させるだけで良いという考えか」
「私も、いきなりの実戦投入で効果を上げると考えるほど夢想家ではありません」
この辺りが、エル=セントがガルフを好む理由である。
経歴は調べてある。
シオン会は基本的に、エル教会の軍事力を担ってきた組織だ。外部からの人材も多く招いているのは、どうしても実戦での能力が必要になってくるからである。
ガルフはエンドレンの出身だ。
エンドレンでも、特に激しい戦いが繰り返し行われた中央部谷渓地帯。複雑な地形の中に、資源地帯が豊富にある此処は、いくつもの大国が死体を積み重ね、それでも飽き足らずに奪い合った呪われた土地である。
この土地に生まれたガルフは、幼い頃から殺し合いだけを見て育ってきた。
村がどこの国に所属しているかは、毎年変わった。略奪、暴行、あらゆる残虐な現実が、ガルフの教師となって、その人格を育てていった。
やがて軍人となったガルフは鬼神と呼ばれるほどの活躍を見せ、敵の死体で戦場を埋め尽くした。近代兵器がはびこりつつある戦場で、これほど暴れ狂った男は他にいなかったかも知れない。
だが、それが彼の敵を増やした。
気付けば、ガルフは味方に後ろから撃たれていたという。
シオン会のエージェントが拾ったときには、ガルフは瀕死だった。優れた技術での治療と、何より厳重な魔術による医療が効果を現して、十年ほどでガルフは健全な肉体を取り戻した。
それからも、ガルフの人生は変わらなかった。
シオン会で、ひたすら殺しに殺し、ただ敵の死体を積み重ねて。やがてシオン会の長になった。
鬼のガルフと呼ばれ、恐れられた彼は。神をも恐れぬエル教会上層でさえ警戒し、怒らせないように細心の注意を払っていたという。
闇の福音でよみがえらせた時、エル=セントは良い拾いものをしたと思った。
実際、死んでから闇の福音で蘇生する例は殆ど無い。此処で言う例とは、前の人格を持ったまま、である。
スペックだけ再現できれば良いと思っていたエル=セントにとっては、大きな僥倖であったと言える。
愛の世界を作るのには、様々なタイプの人材が必要だからだ。
ヨーツレットが、一人目を燃やし尽くした。更にもう一人。
どれだけ強くなっても、流石にヨーツレットには及ばないか。魔王も味方に死者が出ないように、工夫しながら魔術を展開している。
「さて、そろそろデータ収集は良いか」
「はい。 これだけ取れれば、充分にございます。 そして逃げようにも、憎悪充填融合不死者兵は、そんな隙を作りません」
「よし、フローネス。 特攻作戦に移行せよ」
「分かりました」
がくんと、巨大な光の槌が揺れる。フローネスが手元にあるコンソールを操作した瞬間だ。
バーニアの一つが、全力で姿勢を崩すように動き始めたのである。
エル=セントの手に、ガルフとフローネスが掴まる。
ガルフは良い作戦を立てた。もっとも、そのまま敵を倒せるとまでは、エル=セントは思っていない。
突入先は闇の矛。今はそれだけで充分だ。さらには、逃れられないように、磁場も張り巡らせた。
そして、テレポートして、その場を逃れた。
魔王は殺せるか分からないが。
確実に、闇の矛は潰すことが出来る。
それにしても気付いているのだろうか。
闇の矛の動力炉は、核融合炉。それを破壊すれば、どういうことになるのか。
エル=セントは。術式を発動しながら、捨て石にしても良いと判断した、キタルレアを一瞬だけ見下ろした。
敵が、突入してくる。
闇の矛に詰めているスタッフは、それに気付いて愕然とした。
魔王に言われている。この闇の矛、動力炉は極めて危険な代物だと。
だから、前回の戦いでは、最終段階で衛星軌道に飛ばしたのだ。負け戦が確定した場合も、そうするように言われていた。というよりも、そうなるように魔王が術式を仕込んでいたらしい。
打ち落とせるか。無理。といよりも、あの中には魔王がいる。そんなことは、絶対に出来ない。
魔王はきっと脱出してくれる。
だが、此方は。どうなる。
「テレポート部隊! 闇の矛を、空に逃がせるか!?」
「無理です! 何か、不思議な力が邪魔をしています! 自動転送術も働いていません!」
「何たることだ……」
スタッフの長であるフォックス師団長は、呻いていた。古参の彼だからこそ、此処は任されていたのに。
決断をしなければならない。
此処から逃げるか、それとも。
命を犠牲にしてでも、大破壊を食い止めるか。
元々フォックスは、ヨーツレットにその狡猾さを評価されていた。グリルアーノの下で戦い続けて、瀕死の重傷を去年受けた。死んだと当時は思われていたのだが、かろうじて生きていたことが分かったとき、誰もが喜んだ。ただし脳以外の体の殆どを取り替えなければならなかったのだが。
その代わり、色々と利点も得た。身体能力は跳ね上がったし、多くの師団長達の経験も移植して貰った。
だが、それでも変わらなかったことはいくつもある。
彼は、逃げることで、生き延びてきた。ウェアウルフと呼ばれる種族は、特に人間に重点的に狩られてきた。逃げが習性になっていなければ、今まで生きることが出来なかった。だからこそに。こういうときは、逃げるべきなのだとも考える。
だが、それでも。
「動力炉だけ……」
「えっ?」
「動力炉だけなら、飛ばせるか。 如何に強力な中和魔術でも、お前達が力を合わせれば!」
「おそらくは」
エルフの戦士達も、覚悟を決める。
我らは人間では無い。だから、責任を放棄して逃げたりもしない。狡猾でも、卑劣でも、其処だけは譲らない。
人間とは同じにならない。それが、魔物としての、最低限の誇りだ。
「多分死ぬ。 だが、良いか皆」
「はい!」
皆、覚悟を決める。
スタッフは、動力炉の停止に向けて、必死に動き出す。動力炉停止。
光の槌が、見えるほどの距離まで近づいてきた。外の転送班は。既に、詠唱完了。これならば、行けるか。
凄まじい熱を放っている光の槌。
どうしてかは分からない。あまりにも凄い早さだろうか。真っ赤になっている。アレが当たったら、痛いだろうなと思った。
「第一から第七回路、切断完了!」
「動力炉、完全停止!」
「良し!」
この瞬間、闇の矛は死んだ。動力炉の完全停止と回路の切断は、空間ごと最上級の魔術で行ったからだ。もしも使うとなれば、また一から作り直さなければならない。後は、爆発さえ防げば。
不意に、外に姿を見せる人影。降り立ったそいつを見て、フォックスは呻く。
そんな馬鹿な。
前線は、何をしていた。あのヴラドが、精鋭師団長の部隊がやられたのか。
あれは、我が軍の怨敵。
銀髪の双子だ。
手を、空に向けてかざす双子妹。唖然としている魔物達。
「防いでみせる。 お姉、手伝って」
「分かった」
まさか、こんな事が。
どうしてだか分からない。だが、今はやるべき事を、やるだけだ。
双子の姉の方が、カメラの方を見て、叫ぶ。
「魔物の将軍、一度だけ言う。 出来るだけ遠くに動力炉を飛ばせ」
「言われなくても実施中だ!」
見る間に近づいてくる光の槌。
テレポートが間に合う。動力炉が、空の彼方に消え去った。力を使い果たしたエルフ達が崩れ伏す。
空に、巨大な光の円環が作り出された。
まるで、陽を覆い隠すような。ラウンドシールドにも見えるそれは、まさに神の盾。
魔王は、脱出してくれるか。
ヨーツレット元帥がついているのなら。
今は、信じることしかできない。
わずかな時だけを置いて。
空に、光の花が出現していた。
それは西ケルテルからも、ソド領からも見ることが出来た。
空に生じた第二の太陽は、さほど時間を掛けずに、消えていった。
ヨーツレットが転移を終えて最初に見たのは、にらみ合う銀髪の双子と、フォックス師団長の姿だった。
途中から、状況がおかしくなったのは分かった。
だから、襲いかかる敵の攻撃を文字通り体を盾にして防ぎながら、師団長達にはテレポートの詠唱を優先させたのだ。そのため、どうにかテレポートには成功したものの、ヨーツレットは満身創痍であった。
空の光の花が消えていく。
そして、銀髪の双子が、視線を向けてくる。
「ヨーツレットさん?」
「私の部下達を、まさかお前が守ったのか」
「……」
「どういうことだ。 話して貰おうか」
それは、人間という種族そのものに対する反逆になるのでは無いのか。
人間が一枚岩などでは無い事は知っている。だが、まさか人間にとって希望の星であるはずの銀髪の双子が、そんなことをするとは思わなかった。
姉の方が言う。
「お前は、何も魔王から聞いていないのか」
「何のことだ」
「よい、ヨーツレット元帥。 儂が話す」
背中から声。
魔王だ。
ヨーツレットが命を賭けて守り抜いた主君は、羽が舞い降りるようにして、地面に柔らかく降り立っていた。
魔王はしばし銀髪の双子を見つめていたが、鼻を鳴らす。
「まあよいじゃろう。 人間だったらどんな理由があっても、この場で木っ端みじんにしているところじゃが、そなたらは人間では無いし、今回だけは見逃してやろう。 儂の大事な部下達を救ってくれたからのう」
「魔王! 貴方は……」
「だが話すことなど何一つ無い。 さっさとどこへなりと消えるが良い」
ヨーツレットは、魔王と銀髪の双子の間に立ちふさがる。
魔王がそう言うのであれば、命令は絶対だ。だが、何処か釈然としないものも感じる。
諦めたように頭を振ると、銀髪の双子は南へと消える。
その背を討とうと言う者は、いなかった。
魔王は心底残念そうに、闇の矛を見上げる。動力炉が無い事は、ヨーツレットにも分かった。
「やれやれ、闇の矛も、これではただの大きな構造物になり果ててしまったのう。 多分これが狙いだったのだとすると、また敵の方が一枚上手であったか」
「申し訳ありません、陛下」
「いや、そなたの判断は全て正しかった。 フォックス師団長、良くやったぞ」
恐縮して身を縮めるフォックス。
ふくれあがった疑念が、禍根に変わる前に。ヨーツレットは、聞いておかなければならないと思った。
しかし流石に、今は疲弊がひどい。
人間側が繰り出してきた新型の不死者兵の戦闘力は、とんでもないものであった。サンプルは持ち帰っていないが、今後は全体的な能力の底上げを何とか図る必要が生じてくるだろう。
「一度仮設魔王城まで戻る。 此処まで人間が手段を選ばないとはのう」
「どういうことでしょうか」
「恐らく聖主は、場合によってはこの大陸を、住んでいる民ごと見捨てる気だったのじゃろう。 大義のためには多少の犠牲は仕方無しと言ってな」
それは、想像を絶する話であった。
だが、今はもはや、驚くにも心の燃料が不足しきっていた。
「陛下」
「うむ?」
「話していただきたいのです。 一体、聖主とは何者であるのか」
「そうじゃのう。 まあ、そろそろ良いじゃろう。 仮設魔王城に帰還したら、他の軍団長ともホットラインをつないでくれ。 そこで話すとしよう」
旧アニーアルスの西国境まで出ると、ヴラドの部隊が待っていた。
これで、どうにか一息つける。
魔王は、自分たちを裏切らない。ヨーツレットは、それは信じている。だが、出来れば、隠していることがあるのなら。
全て打ち明けて欲しいとも思っていた。
3、残る禍根
イミナの部屋に、慌ただしくシルンが飛び込んできて、そしてすぐに北に向かうと言ったのが四日前の事。
グラント帝国と魔王軍が、原因不明の爆発で大損害を出した翌日だった。
ユキナに色々と尋問されていた時だったから、非常に慌ただしかった。ユキナは出立を止めなかったが、その代わり戻ってきたら全てを話すようにも言った。
ユキナも知りたいのだ。それは、イミナにも分かる。
イミナ自身がそもそも、今は無力感を覚えていた。到達者とやらになった妹の実力が、明らかに段違いになっている事を、良く理解していたからである。
このままでは、足手まといにさえなりかねない。
今は、まだシルンはイミナを頼りにしてくれている。それは双子だから分かる。だが、このままだと、側にいるだけになる。
それで良いのか。良いわけが無い。
だが、今は悩んでいる暇さえもが惜しい。
すぐに北の国境に向かった。
分厚い警備が敷かれていた。バジリスクらしい師団長が、睨みをきかせているのが見えた。
突破は、通常だったら不可能だっただろう。
戦うつもりだったら、この場で丸焼きされていたに違いない。
だが、シルンの力は、既に常識を遙かに超えるものとなっていた。
まるで何かが見えているかのように、シルンは敵の警備の穴を見つけた。バジリスクが敷いてた陣からはかなり迂回して、一旦西に進み、敵の領地に潜り込んだのだ。ソド領を経由して、魔王軍が使っているらしい人間の兵士達が警備している地域を抜ける。そして、其処を通って、アニーアルスに侵入。
全く隙の無い警備陣を強いていたバジリスクには悪いが、そのまま通して貰った。多分シルンには、敵がどのように配置されていたのか、完全に見えていたのだろう。
アニーアルスは、銀髪の双子を早くから支援してくれた国だ。思い入れも深い。落とされてからどうなったのか、不安は感じていた。
だが、予想は最悪の形で的中した。
其処にあったのは。
もはや何も残らない、焼け野原だった。
村も無い。城も無い。砦だって、無かった。
愕然としたが、イミナはすぐに気付いた。この破壊跡は異常だと。そして、北で繰り返されていた、聖主と魔王の戦いの結果なのだと。
あのとき、光の槌に入ったとき。
地底にこれがあるとは思えなかった。そうなると、空から攻撃して、地上を躊躇無く焼き払ったのは、間違いなく聖主だ。
此処が魔王の領地となっていたからだろうか。
だとしても、あまりにもやり方がおかしい。ひょっとして聖主は、自分が望む世界を作るためなら、人間をどれだけ犠牲にしても良いと考えているのでは無いか。
まだ、到達者がどうの、過去の真実がどうのと言う話は、イミナもぴんと来ないところがある。
だが、これを見ていて思う。
聖主にも、シルンは任せておけないと。
闇の矛を発見。そして、落ちてくる光の槌も。
シルンが言うまま光の槌を防ぐべく、周囲の露払いだけして。それで、イミナの仕事は終わった。
何となく分かった。
これを防がなかったら、下手をすると大陸ごと消し飛んでいたのかも知れないと。
魔王も、シルンの話を聞こうとはしなかった。
魔王の声は、イミナが見たところ、拒絶に満ちていた。魔王がどういう経緯で到達者とやらになったかは分からないが、聖主と魔王を見て、はっきりしたことがある。
「シルン」
「うん? どうしたの、お姉」
「はっきりさせておくが、魔王にも聖主にも期待は出来ない。 これは理解できているな」
「……っ」
レオンが、思わず呻く。
分かってはいた。だが、口に出されるとつらいのだろう。
彼はエル教会の人間だ。如何に上層部の腐敗を嘆いていたとはいえ、神格化された存在である聖主が信頼出来ない期待できないと言われれば。
心のよりどころを否定される事は、強い人間ほどつらいことだ。
「お姉、どうする気?」
「到達者とやらにはどうすればなれる」
「ならないほうが、絶対に良いよ……」
「それでもいい。 教えろ」
既に国境は越えたはずだ。多分魔王が、今回の分を考慮して、多少警備を薄くしてくれていたのだろう。
シルンが振り返る。
あのとき聞いた話に寄れば、魔物は人間と同種の存在だ。寄生型ナノマシンとやらで心と体を変化させているが、根本的には人間と一緒だと思える。
だから、最初は聖主のやり方に乗ろうと思った。
だが、奴は、極論すればこれ以上無いほど「人間」であった。それが故に、今回シルンが言うには、下手をすれば大陸ごと吹き飛びかねないような事をした、ということなのだろう。
勝つためには手段を選ばない。
いかなる手段を用いても、敵を殺す。
そして、己の思想を絶対化するためには、どのような無理でも平然と通す。
人間の指導者や支配者達が、歴史上延々と繰り返してきたことでは無いか。
聖主は、連中より器がずっと大きいかも知れない。だが、それでも、人間と同種である事に変わりは無い。
かといって、魔王はもっと駄目だ。
そしてシルンは、中立であるが故に軸が無い。あの中空に出現させた光の盾を見ても、既に実力は魔王と互角と見ても良いかも知れない。
だが、それでも。
シルンが勝っても、聖主の手のひらの上で踊らされるだけだ。
それなら、もう一人。
到達者がいれば。
そして、それは自分以外にはあり得ない。
「レオン、どう思う? プラムは?」
「考える時間が欲しい。 この世には神などいないと思い知らされていたつもりだったが、最近の出来事はあまりにもつらい。 私に決断を求めるのなら、少し時間をくれまいか」
「私は、静かに暮らせれば何でも良いかな。 蜥蜴とか蛇とか、おいしいのを毎日ぱくぱく出来れば、それでいいよ」
プラムらしい考えだ。
味方の前線が見えてきた。あまりにも超常的な戦いを目撃したからだろう。兵士達は落ち着かないようで、ずっと北の空を見つめていた。
シルンが敬礼すると、兵士達が敬礼を帰してくる。
「何が、起こったのか、教えて貰えませんか。 皆不安に思っています」
「後で、陛下から公表します」
「そうですか……」
まさに神魔の戦いと言うに相応しい光景であったのだ。どちらが勝ったのか、誰がどうなったのか、知りたいのは当然だろう。
「お姉、これって地獄だよ。 殆どの人たちが、この状態になったらみんな死んじゃってるのは、現実に耐えられないから、なんだよ」
「分かっている。 それでも、今の私には必要だ」
「知らないよ……」
「お前の姉を信じろ」
イミナには、この世で必要な人間はシルンだけ。
シルンを守れるのであれば、どんな姿にでもなる。
たとえば。
魔王。
だが、それは口にしない。シルンは、きっと分かってくれるはずだ。双子なのだから。
今まで、イミナの愛情を受け入れてくれた存在なのだから。
「帰ってから、もう一度話そう。 レオンも疲れてるみたいだし」
「ああ、それで異存ない」
西ケルテルの首都が見えてくる。
兵士達が走り回っているのは、混乱を押さえるためだろう。ユキナは、こんな時もきちんと王としての責務を果たしている。
立派なことだと、イミナは思った。
仮設魔王城に戻った。待っていたヴラドは、銀髪の双子が魔王の所に通ったという事を聞いて、愕然としていた。
しかし、魔力を追跡してみたところ、ヴラドが固めていたアニーアルス南部国境からは通っていないことが判明した。むしろヨーツレットが指示していなかった、西の国境から迂回して入ってきたという。
流石に、そんなことが出来るとは思っていなかった。ソド領の地形は以前と随分違っているし、旧イドラジールもしかり。そこを正確に索敵されず抜けてきたと言うことは、もはや此方の常識を越える能力を有していると言う良い証明だ。
それならば、ヴラドを責めるわけには行かない。
「しかし、ヨーツレット元帥」
「良いのだ。 今回はむしろ私の責任になる」
「申し訳……ありません」
「気にするな。 それに、今回は結果が良かった」
勇者が何をもくろんでいるかは分からないが、少なくとも魔王を殺す事では無い事は、何となく分かる。
情報通信球が準備される。
メラクスはまだ野戦病院で寝かされている状態だ。他にアリアンロッドが参加する。どうやら、カルローネの副軍団長になる事は、周囲にも伝達が始まっているらしい。
レイレリアが最初に通信球に映った。
風船のような姿をした軍団長は、随分おかんむりのようだった。
「ちょっとヨーツレット! どういうことよ! 魔王様が聖主と決戦したって言うのに、何で私を呼ばないのよ!」
「公式の場だぞ」
「ん……っ! 誤魔化さないで、話して!」
「後でな」
レイレリアはかなり戦闘力が高いが、はっきりいって光の槌での戦闘には向いていないだろう。あの中での戦闘は、狭い空間で、ひたすら激しい戦いが続くシビアなものだった。精神的にタフさが足りないレイレリアでは、ちょっとした罠に掛かって命を落としてしまったかも知れない。
続けて、グラウコスが映る。
少し前から、グラウコスは単為生殖で子孫を作ろうとしている。スキュラ族は単独で子を作る種族であり、妊娠や出産の負担も小さい。今、グラウコスしか生き残りがいないスキュラ族だから、仕方が無い事だ。
その上海上戦力は、オケアノスの実用化によって余裕が出てきている。以前のように、海上で常にグラウコスが暴れ続けなくても大丈夫だろう。
「何をじゃれているの、レイレリア」
「だって! 私のラピッドスワロー達が活躍しているのは聞いてるけど、私自身は暇なんだもん!」
「貴方が暇だというのは良いことなのよ。 しばらくは英気を養っておきなさい」
その通りだ。良いことを言う。
航空軍が忙しいというのは、それだけ敵の攻勢が著しいと言うことなのだから。
ただし、それもいつまで続くかは分からない。
エンドレンの状況が悪いと、少し前にバラムンクに聞いた。である以上、またエンドレンからいつあの雲霞が如き大軍勢が攻めてくるか、知れたものでは無いからだ。
カルローネが映る。
老ドラゴンは、少し雰囲気が丸くなったように見える。シュラを孫のようにかわいがっているからだろうか。
「元帥、久しぶりじゃのう」
「元気そうで何よりですな。 それよりも、そちらの状況は」
「うむ、麾下の軍団の編制は完了した。 機動軍が合計百五万、守備部隊が八十五万、予備が五十五万。 充分な戦力が揃ったぞ。 更に人間から鹵獲した兵器を自動で動かす目処もついた。 今回は、前回のように陸上にまで近づけさせん」
「新兵器もあるしな」
グリルアーノも映った。
そろそろ、新しく魔王から貰ったオーバーサン改良型を見せびらかすのにも飽きてきたらしい。
雰囲気も落ち着いていた。
ミズガルアとクライネス、それにバラムンクも揃う。
これで魔王軍九将が一堂に会した。更にグラとパルムキュアも情報通信球に姿を見せた。後何名かの歴戦の師団長が現れる。メラクスの所のサンワームもいた。メラクスもろとも負傷しているというのに、ご苦労なことである。
一通り揃ったところで、魔王が姿を見せた。そこで、ぴたりと雑談が止まる。
「さて、良い機会じゃて。 これから、この世界の全てについて、皆に話しておくとしよう」
玉座から、魔王が周囲を見回す。
空気が、変わるのが分かった。
キタン王ハーレンの元に、一連の戦闘に関する報告が入ったのは、どうやら魔王と聖主がアニーアルスで戦ったらしいと言う事件が終わって後、一月以上が過ぎてからだった。しかも、グラント帝国からの密使によって、である。
エル教会は答えようとしないわ、魔術師達は理解不能と解析を投げ出すわで、困り果てていた所だったのである。グラント帝国はある程度真相を知っているらしく、それで使者を出していたのだが。
とにかく、密使が来たのは良かった。
早速報告をまとめさせて、目を通す。
既に人間の形をしていないハーレンだが、書類を見る作業自体は、昔と変わっていない。ざっと見終えた後、唸る。
「なるほど、そういうことであったか」
「如何なさいましたか」
「あまり良くない方向に、事態が動いている様子だな」
グラント帝国でも、掴んでいることはあまり多くない。
だがどういうルートからか、情報が流れてきているらしい。聖主は、下手をするとキタルレアが消し飛ぶような作戦を用いたらしいと。
そういえば一夜にしてアニーアルスが焼け野原と化した、という話はハーレンも聞いている。ハーレンの方でも存在を掴んでいる聖主は、あるいは人類全体の幸福のためであれば、その何割かを平然と切り捨てるような男なのかも知れなかった。
しかも、それが比喩では無く、実際に行いかねない力を持っている。
聖主とやらが凄まじい力を有していることは、ハーレンでも掴んでいる。エル教会をあっというまに改革し、恐るべき技術の数々を提供した。そして、魔王の切り札である闇の矛とか言う武器を無効化したという話さえある。
だが、その力を、人間にふるうことを厭わないとしたら。
非常に厄介だ。場合によっては、聖主こそが人間の敵であると言えるのかも知れない。
実はこの判断は、グラント帝国の皇帝もしているらしい。だからこそ、ハーレンに密使を出してきたのだろう。
報告を受けていたのは、ここしばらくとどまっているパオの中でだが。ハーレンは周囲に指示を出して、すぐに移動するように命じた。
今まで、魔王による鏖殺を避けるために、ハーレンは移動してきた。部下の将軍達も、いずれも前線にはとどまらないように命じてきてある。
だが、今後は、或いは聖主による鏖殺も避けることを念頭に置かなければならない可能性もある。
それだけではない。
翌日、移動する輿の上から、ハーレンは諜報組織の面々を引見した。
「貴様らに、一つ最重要任務を申し渡す」
「王のお望みとあらば」
「そうか。 ならば南部諸国に潜入している連中と協力して、魔王軍の幹部と接触する機会を作れ」
「それは……」
難しいことは分かっている。
今までも、何度となくやろうとしてきた事だ。
ソド領を制圧してから、魔王軍はどうしてか人間への虐殺を停止した。とらえた人間を南部諸国に送り、そこで善政と言ってよい治世のもと管理している。それ以降、魔王軍と接触を持とうと試みている国は少なくない。
ハーレンも、部下に何度も命じてきた。
だが、いずれもが上手く行かない。魔物の中で、人間とコミュニケーションがとれる存在はさほど多くなく、前線にいる者達は殆ど喋る機能さえ与えられていない連中ばかりなのだ。南部諸国でも、それは同じだと報告が出ている。
しかし、人間と会話が出来るような魔物達は、常に分厚い護衛の内側にいる。人間に近い姿をした魔物も最近は確認されはじめており、そういう連中の中には戦闘力が低いものもいるようなのだが。
連中を拉致したり接触したりする試みは、今までことごとく失敗していた。
「今まで何度となく試みましたが、非常に難しゅうございます」
「今回は今までとは違う」
「と申されますと」
「詳しくは説明できないが、できる限り早く、魔王軍と連絡を取る必要がある。 組織の全力を挙げて、魔王軍の編制なども調べ上げろ。 知性がある連中には、戦争をいやがるものもいるはずだ。 そういった連中を狙い、突破口を開け」
密偵達は、至上命令と聞いて、本腰を入れる気になった様子だった。
此処に控えているのは、密偵の中でもそれぞれ一組織を押さえているような連中ばかりである。
これで、数百の密偵が動く。
とにかく、聖主が全く信用できないと分かった以上、此方でも独自に動くしか無い。おそらくは、グラント帝国でも同じ動きを開始しているはずだ。
ただ、グラント帝国の場合は、内部の派閥が非常に入り組んでいる。しばらくは、共闘を考えない方が良いだろう。
皇帝はまだ若く、老臣達をまとめる力は持たない。それに、今実権を握っているテスラは、文字通り妖怪のような人物だ。何をもくろんでいてもおかしくない輩である。
「昔から世の中は百鬼夜行も同然であったが……」
呟く。
そして、思った。
今は更に混沌が加速して、更に闇が深まっていると。
4、ささやかな覚醒
少し前に会議が行われてから、アリアンロッドは前にも増して無口になった。
マリアはアリアンロッドが無口な人物である事はよく知っていた。女子にしては珍しいほど物静かだが、落ち着いた雰囲気とも少し違うとは感じていたので、どうしてなのだろうと前々から考えていた。
だが、ここしばらくは、黙々と仕事をこなすばかりで、必要なこと以外は一切喋らなくなってしまった。
多分、何かあったのだろう。
よほどひどい命令が出たのか。否、それは考えにくい。
この間の会議は、魔王が直接出るほどのものだったと聞いている。そして、他の魔物達から聞く限り、魔王は人望(というのもおかしな話だが)非常に篤く、他と対立しがちな魔物でさえ、魔王には絶対の信頼と忠誠を捧げているという。
マリアは、豊富な魔術を使って、今も防御術式のメンテナンスと構築に関わっている。それが一段落して。アリアンロッドに作業の進捗を報告しなければならない時を見計らい、聞いてみることにした。
「アリアンロッド師団長」
「どうかしたか」
「何かあったのですか。 貴方らしくも無く、沈み込んでいるように見受けられます」
アリアンロッドは、すぐには反応しなかった。
寡黙な彼女が、実は様々な事を考えている事を、マリアは知っている。恐らく、アリアンロッドの心を理解できる者が、周囲にはいなかったのだろうか。
この軍には、魔物の女性は意外に少ない。補充兵は結構いるのだが、身体能力に差が無い割には、あまり女性は多くない。
多分、種族としてどの魔物も危険な状態だから、補充兵に前線を任せ、特に女性は後方で大事にされているのだろう。前線に出てきている魔物は、よほど覚悟を決めた者達ばかり。アリアンロッドの考えている事を理解しようとする者が少ないのは、仕方が無いのかも知れない。
マリアは、フォルドワードで魔物と接してはっきり悟った。
魔物は人間と変わらない。
極端に邪悪な者がいない点が人間とは違うが、心もあれば感情もある。
やはり、説得するべきは人間なのでは無いかと、マリアは感じ始めている。魔王としっかり話が出来れば、何かが得られるのでは無いかとも。
「細かい所を、よく見ているな」
「ありがとうございます」
「あまりにもおぞましい世界の現実を知ってしまった。 それだけのことだ」
それ以上は、話してくれなかった。
数日して、妙な噂を聞いた。せかせかと働いていると、魔物達が無防備に話をしているのを、時々耳にするのである。
魔物は人間に比べて裏表が無いので、こういう所から情報が漏洩しやすい。
「お前の所の軍団長もか」
「そっちもなのか。 みんなして様子がおかしいと思ったら、この間魔王様からよっぽどろくでもない事聞かされたんだな」
「なんだか、同情しちまうな。 レイレリア軍団長って、ヨーツレット元帥が好きなのが見え見えじゃねえか。 ずーっと引き離されてるのに、また悩みの種が増えるんじゃ、つらいだろうな」
話をしているのは、イビルアイ族と、オーク族の若者同士だった。ドワーフの戦士が咳払いをしたので、彼らは慌てて視線をそらす。
マリアは無言で掃除を続けていたが、別に聞き耳は立てていない。魔物達が無防備すぎるのである。ドワーフの戦士がいなくなると、若者達はまた噂話をはじめる。さっきより多少声は落としていたが。
「グリルアーノ軍団長ってば、少し前まであの例の武器貰ってご機嫌だっただろ?」
「あれか。 あのオーバーサンの改良型って奴な」
「そうそう。 それがさ、例の会議から戻ってから、ずーっとへこんでて、何も喋ろうとしないんだってよ。 本当に、一体何があったんだろ」
「また大きな戦争になるのかな。 キタルレアだとずっと戦いっぱなしだとか聞いてるけど、エンドレンから軍が攻めてきたら、フォルドワードもまた戦場になるぜ。 ちょっとしんどいよなあ」
少し前から、マリアは魔物の老若の区別がつくようになった。それに、話している内容からも、かなり二名は若い。おそらくは、そろそろ一昨年のことになろうとしている前回の大会戦は未経験の新兵なのだろう。
今まで、いろいろな戦士から話を聞く限り、グリルアーノは戦争を恐れるタイプでは無い。若々しく荒々しく、分かり易く単純な性格だ。
アリアンロッドの事もそうだが、こうも上層部の魔物達がおかしな状態になっているのは何故なのだろう。
掃除を終えて、宿舎に戻る。今日の作業は一段落である。
魔術に関する仕事が認められて、少しずつマリアの周辺環境は改善してきている。宿舎自体も、上級士官のものほどではないが、以前の土まんじゅうのようなものではなくなっていた。
煉瓦を積んで作ったもののようなのだが、人間の家に比べるとかなり背が高い。内部も広く取られていて、その代わり家具類が少なかった。窓もあるのだが、南向きである。いざというときに、敵を視認できるようにするためだろう。屋根は三角形をしていて、雪を下ろすための形なのだと推測できる。
外観は土色をしているのだが、多分それは敵に発見されにくくするためだろう。気が滅入るほど実用を重視した宿舎だが、慣れればどうと言うことも無い。むしろ、人間の兵士に比べれば、ずっと良い生活の筈だ。
ぼんやりと、天井を見つめる。
アリアンロッドはいずれ副軍団長になると言うし、このままでいればいずれ魔王と直接会う機会も出てくるだろう。焦ることは無い。
だが、思うのだ。
世界の情勢は、どうも加速度的に悪くなってきているのでは無いかと。
焦りが体をむしばむ。
寝台に転がっても、中々寝付けない。既に陽はとっくに落ちている。娯楽が少ない魔物達の世界では、任務が無い場合、帰れば飲むか寝るだけだ。現に、周囲の宿舎では、既に寝ている気配があった。
どうすれば、世界を救えるのだろう。
戦争を止められるのだろう。
ずっとそれを模索してきた。アリアンロッドに聞いて、図書館も見せて貰った。役に立ちそうな本も色々読んでみたし、賢者と呼ばれる年老いた魔物にも会って話を聞いた。
参考になる話は、あまりなかった。
勿論、人間の指導者と話すときのための準備だ。魔王とは、誠意を込めて話し合うしか無いと思っている。
だが、やはり不安が大きい。次から次へと溢れてくる。
しばらく、寝返りを繰り返していたが、眠れない。外に出ると、月がまん丸だった。
あてもなく、歩き回る。
ふと、気付く。
空にもやのようなものが見える。
危険なものとは思えない。魔力は感じなかった。しかも、かなりの低空である。
近づいてみる。
たばこでも誰かが吸っていたのかと思ったが、どうも様子がおかしい。まるで生き物のように、脈付いているではないか。
そういう魔物かも知れないと思って、話しかけてみる。
「こんばんは。 良い月夜ですね」
返事は無い。
だが、此方に相手が気付いたのは分かった。
もやが、徐々に形を取っていく。
雑音のような、小さな音。それが、悲鳴なのだと気付いて、マリアは息を呑んだ。
回復の術を詠唱。
膨大な魔力が、全身を巡る。このもやのような存在が何者かと言うよりも、まずは助けられるなら助けたいとマリアは思った。
詠唱を完了。
そして目を開けると。
そこには何もいなかった。どうしたのだろうと思って、辺りを見回す。
だが、何もいない。
もやも、綺麗に消えて失せていた。
小首をかしげる。何かが死んだ気配は無い。何処かに行ってしまったのだろうか。
しかし、それではつじつまが合わない。確かに回復の術は発動したのだ。
歩いて宿舎に戻る。
釈然としない気持ちを抱えたまま、寝台に潜り込もうとしたとき、不意にまた声が聞こえた。
「助けて」
「誰……?」
「私じゃない。 お爺さまを助けて」
やはり、声がする。
しかも、どこからするか分からない。さっきのもやかと思ったが、明かりをつけても、宿舎の中に異常は無かった。
そして、それきり声は聞こえなくなった。
違和感だけが、その場に残った。
おミカンを剥いて口に運んでいた魔王は、ぴたりと手を止めた。
気付いたのだ。
あまりにも懐かしい気配が、少しずつ形を取り始めていることに。
やっと上手く行ったのかと思ったが、それにしては幾つかおかしな点がある。魔王は、今まであらゆる手を打ってきた。
寄生型ナノマシンによる情報ネットワークは、ある意味擬似的なアカシックレコードである。だからその中に、あるかも知れないと思って探しもした。ぼんやりしているときは、だいたいそうしてきたのだ。
だが、見つからなかった。
死んだ存在の意識がしっかりした形を持ったまま残るというのは、よほどのことなのである。だいたいの場合は、ナノマシンの情報ネットワークの中に埋没してしまう。そして拡散し、なんだか分からなくなってしまうものなのだ。
鈴を鳴らす。
気配を感じたのは、フォルドワードからだ。
すぐにヴラドが来た。この間のことは気に病まないように、魔王からも言い聞かせてある。既に勤務態度はいつも通りに戻っていた。
「お呼びでしょうか」
「おお、ヴラド師団長。 実はの、フォルドワードに調査の手を派遣してほしいのじゃが、かまわぬかのう」
「陛下の御心のままに。 して、何を調査すれば」
「うむ。 アニアと名乗る者が生まれていないか、調べて欲しい」
わずかにヴラドは身じろぎした。
アニアの事はヨーツレットにしか話していない。この間世界の真相を皆に告げたときも、別に話す理由は無いので、アニアの事は話題にはしなかった。
「分かりました。 すぐに分かるかと思います」
「頼もしい事じゃて」
ヴラドは通り一辺倒の調査をすると、魔王は見た。
実際には、そう簡単にはいかないだろうとも思う。どうも様子がおかしいから、である。
意識が誕生した、つまり子供として生まれたという感じでは無い。ずっと拡散して眠っていたのが、不意に目覚めたという感触なのだ。
理由はどうしてか、さっぱり分からない。
今、この星で到達者である魔王に分からない事などない。しかし、個々の現象に関しては、実際に調査してみないと理由が判別できないものもある。
今回の件は、まさにその事例の一つだった。
ヴラドが戻ると、おミカンを食べ終える。フォルドワードで魔物達が丹精を込めて作り上げたおミカンは、とても美味しい。
「目覚めたのなら、そう名乗ってくれればよいのじゃがのう」
魔王には、魔物達のために世界から人間を駆逐する事の他に、もう一つ目的がある。
そのために、執拗にアニアの要素がある補充兵を作り続けてきた。
それは、アニアをよみがえらせて、静かな生活を送らせてやること。
あのような死を迎えたアニア。
ただ平穏に年を取って、平穏に生活して。そして、天寿を全うする。それだけの事を、人間の世界は許さなかった。
ただ、自分たちと姿が違う。それだけの理由で。
同じ人間だったのに。
あのときの事を思うと、今でも全身が焼け付きそうなほどの怒りを感じる。
だから、準備をしてきた。しかし、アニアの魂とも言える意識は、どこにも見つからなかった。
新しく宿ることも無かった。
それなのに、どうして目覚めたのだろう。
目覚めたこと自体はとても嬉しい。後は、ただ一刻も早く確保して、平穏な余生を送らせてやりたい。
それが、魔王の望みだった。
南の大陸に戻った聖主エル=セントは、予定通り光の槌を凌ぐ、最終的決戦兵器の起動を急いでいた。
銀髪の勇者が、この間妙な動きをしたことも、計算の内に入っている。奴は顔を合わせたときから、此方の思い通りには動かないことが予想できていた。
言葉だけでは、だが。
これから、奴によって魔王を殺させる。
そのために、わざわざ一つ面倒な手を打ったのだ。
これまで、聖主は殆ど自分では動かず、殆ど部下にまかせっきりだった。大局的な戦略を指示するだけだった。
それには、大きな理由があった。
光の槌は使い捨てたが、玉座を含むコアユニットはその前に転送した。今も聖主が座っている玉座がそれだ。
鈴を鳴らす。
すぐにフローネスとガルフが、跪いた。
「聖上、如何なさいましたか」
「うむ、これから特殊な任務を与える。 フローネスは、キタルレアにて、人間達の大規模攻勢を煽り、実行させよ」
「このタイミングで、ですか」
「そうだ。 要は魔王軍を釘付けにすれば良い。 ガルフはエンドレンのエル教会関係者に指示。 軍事力を北岸に集めるように見せかけよ」
見せかけるだけで良いのですかと聞かれたので、そうだと答える。
ガルフには、もう一つ任務がある。
「この間実戦投入した、憎悪充填融合不死者兵は」
「現在増産中です。 稼働可能なものとしては、五十体がスタンバイしております」
「よし。 それを用いて、フォルドワードから魔物を一匹さらえ」
「魔物、にございますか」
映像を出す。
エル教会の僧衣を被った女の魔物。
名前はマリア。
魔王のアキレス腱だ。
魔王が執着している、アニアという子供のことは、既に解析が出来ている。ずっと集中して実行していたのは、アカシックレコードから魔王本人の経歴を洗い出すこと。勿論魔王は邪魔をしてきたが、奴は魔王軍の運営にも力を注いでいたから、どうしても意識が散漫になる。
そこを突いた。
そしてアニアの事を調べ上げた後は、その意識をかき集めた。魔王は諦めていたが、別に砂漠で特定の色をした砂を集めることは不可能では無い。人間にはとうてい無理な根気が必要だが、今はそれが出来る。
面白いことに、アニアの意識は、魔王が一生懸命作った人間型の魔物には宿らなかった。人間として生まれ、魔王軍と人間との平和を願っている女の中に再生した。
後は、此奴を確保して、それを魔王に告げるだけ。
そして魔王本人をおびき寄せたところで、銀髪の勇者に殺させれば良い。
勿論勇者に拒否権は無い。拒否するようなら、西ケルテルごと消す。元々、キタルレアは、愛の世界を作るための礎石と考えている。犠牲は厭わないつもりだ。
ガルフとフローネスが消えた後、聖主は作戦の最終段階を詰め始める。
愛の世界到来は、近い。
(続)
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