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明かされる真実
序、アニーアルス崩壊
キタンの援軍が近づいているという報告はあった。だが、それ以上に敵の進撃が早すぎる。
既にオリブ領はどうなったのかも予想がつかない。
王弟の元には、絶望的な連絡ばかりが届いていた。
「カリス砦、キタ砦、共に連絡途絶！」
「敵は総司令官ヨーツレットが直接出てきているという話もあります。 兵力は最低でも十万以上！」
この兵力報告も、どんどんふくれあがっている。最初は五千程度という話だったのだが、今では十万という数字が飛び交うようになっていた。
多分、前線がパニックになっているからだろう。
司令官や、将軍級の人間が、皆殺しにされたのだから無理も無い。今までアニーアルスは、魔王軍に対して、地味な立場で邪魔をし続けた。
しかし、ここまでの進撃の早さはどうしたことか。味方の前線は決して油断はしていなかったはずなのに。
「退却の状況は」
「可能な限り、民間人の避難を急がせてはいます。 しかし、なにぶん敵の進撃が早すぎまして」
「そうか」
ここは、謁見の間。辺りには血の気を失った文官達が、多数立ち尽くすばかりだった。
まさか、夜が明けない内に、アニーアルスが崩壊することになるとは、誰もが思っていなかったのだろう。
八万五千の軍を有し、その全てが精鋭。近年は武器の近代化にも力を入れ、経済力も高まってきていた。
どこにも侮られない程度の力を有していた、この国が。
思えば、マーケットが殺されたときに、既に戦略を切り替えるべきだったのかも知れない。
夜が明けない内に、この国は滅ぶだろう。
今、王弟が出来ることは、一つしか無かった。
「軍主力を西ケルテルに逃がせ。 まだ、三万程度は残っているはずだ。 西ケルテルの義勇軍は、数だけの軍隊だ。 アニーアルスの精鋭が加われば、中核として活躍できるはず」
「は、はい」
「急げ。 財宝や金銀は放置。 民間人も、可能な限り西ケルテルに移動させるのだ」
出来る数は、限られているだろう。
だが、これが人類のために、唯一出来ることでもある。それにしても、まさか本気を出した魔王軍が、これほどの力を持っていたとは。
文官達も、一緒に避難させた。西ケルテルまでは、さほど遠くない。この要塞化されている首都で、できる限り時を稼ぐ。
城を出て、見張り台を見た。
煙が上がっていた。敵が見えたという報告だ。
既に、前線は完全に突破された。夜明けまで、まだ一刻ほど時間がある。
その一刻で、敵に可能な限りの損害を与えなければならない。
「防御術式を、全開に」
「分かりました」
ここに残った近衛兵団五千が、敵を食い止めるべく動き始める。
街そのものが要塞だ。如何に魔王軍が強力な防御術式突破手段を持っていたとしても、簡単には抜かせない。
城の尖塔に上がる。
そして見た。
報告にあった巨獣だ。だが、突貫のためか、かなり傷ついている。そして巨獣の上に乗っているのは、巨大なムカデ。とはいっても、巨獣に比べると、ミミズのようにしか見えないが。
あれが、ヨーツレット。
相手にとって、不足は無い。
防御術式が、厚みを増していく。既に首都から民は逃がした。皆着の身着のままだったが、生きてさえいれば何とかなる事だってある。
何か、とんでもない閃光が打ち込まれた。
ヨーツレットが口から放った事だけは分かったが、それだけだ。防御術式が、瞬時に削り取られる。そして、巨獣が突貫してきた。一撃目。どうにか耐え抜く。だが、巨体をふるわせて、もう一撃巨獣が浴びせてきて。
それで、防御術式は、崩壊した。
城壁より巨大な獣が、積み木でも崩すかのように突入してくる。
城壁の上から矢を放っていた兵士達が、まるで人形のように蹴散らされた。要塞化しているとは言え、敵はあの巨大さだ。どうにもならない。
「儀式魔術、準備できました！」
「全火力を集中！ あの巨獣だけを狙え！」
即座に命令が実行に移される。
巨獣に極太の稲妻が降り注ぎ、続いて巨大な火の玉が天からたたきつけられた。氷の矢が無数の飛び突き刺さり、地面から突き出た石の杭がその体を貫く。
アニーアルスの総力を挙げた攻撃だ。
流石に悲鳴を上げた巨獣が、蹈鞴を踏んで下がる。
魔術を込めた矢と、大砲での砲撃が、その身に降り注いだ。
爆炎の中、巨獣は暴れ狂う。城壁を砕き、要塞化している街を踏みにじる。だが、もう一度、一斉射撃が浴びせられ、それがとどめとなった。
動きを止める巨獣。
だが、町中から悲鳴が轟きはじめる。巨獣が開けた穴から、敵の最精鋭が侵入してきたのだ。
ヨーツレットも大暴れしているようだ。
王弟は剣を抜いた。国に伝わる宝である。
尖塔を降りながら、最後まで側に残っていた親衛隊兵士に聞く。
「オリブにいた銀髪の双子達は、生き延びているだろうか」
「分かりません。 ただ、最初にオリブに侵攻してきた巨獣は二体だったという話もあります故」
「そう、だな」
負けたにしても、只では負けなかった。それで十分ではないか。
城内では、既に負けが確定した中、決死の覚悟を決めた兵士達が待っていた。最後まで残っていた文官達も、退避させる。逃げられるかは分からないが。
城の扉が、切り刻まれる。
飛び込んできたのは、子供のような姿をした魔物だった。手には光る剣を持っている。手練れの近衛兵達が押さえ込みに掛かるが、まるで膾のように切り刻まれた。歴戦の勇士達が、手も足も出ない。
だが、それでも、一人が体を犠牲にして押さえ込む。
その兵士ごと、周り中の兵士が、敵を串刺しにした。
敵は、それ一体では終わらない。雑魚が、わっとなだれ込んできた。周囲が激戦になる。そして、歴戦の兵士達も、ばたばた倒れていく。
無言で立ち尽くしている王弟。
既に、兄は。
夜の間に死んだ。魔王の力の影響を受けたのだろう。アニーアルス王家は、滅ぶかも知れない。一族には、これと言った人材もいないからだ。調べると、一族のかなり末端まで死んでいた様子だ。全ては調べきっていないが、アニーアルス王家の血は、絶えている可能性が高い。
だが、それでも。最後まで、国のために戦う。民を逃がすために、そして人類の勝利のために。
王弟は、剣を振るう。
城門が、外から押し破られた。
入ってきたのは、巨大なムカデである。無傷では無いらしい。この乱戦の中、勝利を急いだのだろうか。
「劣勢の中の戦い、見事であった。 だが、死んで貰うぞ」
「貴様がヨーツレットか」
ムカデは応えない。だが、戦士として、名乗りを上げたのは分かった。
これでも王弟は戦士だ。そして少し前、ジェイムズの口車に乗って、闇の福音を体に入れた。
人間の形は崩れなかったが、それ以来体調が悪い。死ななかっただけマシだと思うのだが、どうも長くは無いように思える。
ムカデが、動く。
歴戦の戦士達が、触手で、ムカデの鋭い足で、瞬く間に薙ぎ払われていく。反撃も飛ぶ。だが、動きが根本的に速い。何よりも頑丈だ。矢が刺さる。剣が突き刺さる。だが、乱戦の中、ムカデの動きは鈍らない。
首を飛ばされても、剣を突き出す騎士。刺さる。何本か、投擲された槍も刺さった。
だが、それらがムカデの体から、触手で抜き払われたとき。
既に、決死の覚悟で残っていた勇士達は、一人も生き残っていなかった。
剣を構え直す。
敵も、あまりにも圧倒的なムカデの強さに、動きを止めているようだった。
「私が」
「いや、受けて立つ」
ムカデが、自身の前に出ようとした子供みたいな姿をした者を、制止。ムカデは、どうやら王弟である自分と、一騎打ちをするつもりのようだった。
高潔な戦士であることが分かる。
せめての救いは、最後の相手が、そんな奴だったことだろうか。
走る。
一戦士に戻り、雄叫びを上げながら。
体が軽い。
触手が飛んでくる。肩当てを飛ばされつつも、切り払う。踏み込み、一撃。
剣は、ムカデの装甲に食い込んだ。
だが、そこまでだった。
無数に振り下ろされる触手で、視界がまっ暗に染まる。
不意に、周囲に、今まで死んだはずの者達が現れていた。マーケットもいる。歴戦を重ねた宿将達もいた。
そうか、死んだのだ。
ジェラスは、王弟は。この国を支え続けてきた重責が消えたことを悟って、静かな笑みを浮かべていた。
アニーアルスを完全制圧したヨーツレットは、被害を報告させる。
ベヒモスは喪失。更に、師団長をシュトルムの他二名失った。激戦の中での死闘で、どうしても被害は拡大したのだ。
五千の兵も、六百ほど減っている。損害は一割を超えていた。アシュラとラピッドスワローにも若干の被害が出ていた。
アニーアルス軍は、奇襲を受けながらも、魔王を含む魔王軍最精鋭の攻撃に、ここまで耐え抜いたのだとも言える。更に、かなりの数の兵と民が逃亡に成功した様子だった。そして、それを追撃する余剰戦力は無かった。
回復術を掛けさせながら、周囲に指示を出す。
「残党狩りは任せる。 国境の部隊をすぐに移動させ、防衛体制を整えよ」
「は。 直ちに」
「かなり厳しい戦いだったな」
既に国境に潜行させた部隊から、キタン軍が撤退した連絡は受けている。
だが、それも今は一時的に引いたと言うだけだ。此方の戦力が疲弊していることに気付いたら、思い切った大軍で攻勢に出てくるかも知れない。
戦略上の目標は達成できた。
だが、想定以上に、被害は大きかった。今まで五月蠅い動きを見せていたアニーアルスをつぶせたのだから良いとするべきなのだろうか。
「無理をなさらずに、我らに任せていただければ良かったのに」
「いや、最後に倒されたレッケンも、疲弊があったとは言え弱い師団長では無かっただろう。 これ以上部下を失うわけにはいかなかった」
「そうですか」
「陛下に勝利の報を送れ。 後は国境の整備と、ローラー作戦に数日が掛かるだろうな」
銀髪の勇者のことが気になる。
奴らはどこへ消えた。死んだのでは無いことは確かだ。
ただ、いずれにしても、これで敵の戦線はアニーアルスという中間点を失った。かなりの北まで、キタン軍を直接相手にすれば良くなる。それにこの精鋭部隊は、想定以上に動きが良い。
ダメージを補強したら、今度はキタン軍の駐屯地を叩く手もある。
少し休むようにと言われて、それもそうだと思った。一旦敵の城から出ると、まだ燃えている敵の城下町に。
人間の死体が点々としていて、回収に来た魔物達が引きずっていく。すぐにユニコーンの輸送部隊が到着するだろう。
ただ、今回の戦役で得た敵兵の死体は五万程度である。民間人の死体も同じくらい手に入れているはずだが、まだまだ足りない。
キタン軍を潰せれば、かなりの死体を得られるのだろうが。まあ、奇襲作戦は何度も成功しないだろう。二度か三度、敵の兵力を効果的に削れれば御の字だと、ヨーツレットは判断していた。
見渡しが良い場所で、丸まって休む。
傷はとりあえず回復術で塞いだ。だが、良い腕の戦士が多かった。ちょっと殺すのはもったいなかったかも知れない。
少しの間寝ると、もう昼になっていた。
状況を確認する。国境の部隊は移動を完了させた。逃げ遅れた敵の捕獲も成功しつつある。まとめた捕虜は、全部ソド領に送って、それから処置を考える。制圧した南部諸国に回しても良い。ソド領で監視するのも良いだろう。パルムキュアに任せるだけだ。
ただ、とらえた捕虜が案外少ないという。三十万程度はとらえたようなのだが、後は此方の追撃を巧みに逃れたらしい。この辺りは、戦慣れしたアニーアルスという国が如何に厄介だったかをうかがわせる。
城の中での掃討戦も、既に終了。侍女や文官まで抵抗したらしいが、それも全ては片付いた。
魔術で生存反応を探っているが、とらえた連中以外は皆殺しになっている。後は、各地で同じように生存反応を探り、潜伏している連中をかり出せば良い。
もう、ヨーツレットがいなくても、ここは大丈夫だろう。
元々ヨーツレットは総司令官であって、前線で戦う一戦士では無い。今回は久々に一戦士として自分を活用したが、それも本来はあり得ない事なのだ。だから、ここまでだ。
「では、私は一旦北に移動する。 キタンが動くとすれば、恐らく私がいない手薄を突いてくるだろうからだ」
「分かりました」
「師団長達七名については、追って指示を出す。 それと、テレポート部隊を呼んで、ベヒモスの死体を早めに回収するように」
後、王弟の死体は、解析に回す。
恐らく奴は人間を止めていた。だから魔王の三千殺しに抵抗できた。
研究サンプルと言うよりも、他の死体と混ぜて考えるのは危険すぎる。更に、アニーアルスには、ちょっと気になる情報もあった。
どうやらここに、闇の福音を研究していた人間が潜伏していたらしいのである。
捕虜の何名から、そういう情報が出始めているらしかった。
いずれにしても、アニーアルス攻略戦そのものは成功した。人間側の戦線に、これで大きなくさびを打ち込むことが出来る。
それに、戦略面でのグラの意外な有能さにも驚いた。確かに師団長などの最精鋭だけで構成した部隊は、かなりコストパフォーマンス良く敵に打撃を与えることが出来る。
グラはいやがるだろうが、今後は積極的に会議などにも参加させよう。
そう、ヨーツレットは決めていた。
１、星の海での出来事
一面の星の海。
イミナは、シルンについて歩きながら、異様な光景に心を乱されっぱなしであった。空では無く、足下が星の海になっているというのは、異常すぎる。
更に、エル教会のボスがこの先にいるというのに、シルンはそれさえ知っているようだった。何が起こっているのか、流石に理解の範疇を超えている。
「シルン、どういうことだ。 分からない事が多すぎる」
「同感だ。 ここは一体何だ」
「光の槌。 この世界を監視するために作られて、人類が繁栄した時のために隠された道具の中だよ」
「道具？ これ、お城より大きいんじゃ無いの？」
プラムが辺りを見回す。
床が星の海仕様というだけではない。壁は遙か向こうに見えるし、天井だってとんでもなく高い。
アニーアルスの城は当然として、下手な村ならこの部屋だけに入りそうな規模である。
「どうして、そんなことが分かるかも知りたい」
「それは、お姉」
「そろそろ聖主様のお部屋になります。 ご静粛に」
フローネスが、会話を遮った。多少不快だが、今はこの肉塊に従うしか無い。
今いる此処が、奴のホームグラウンドである事は理解できる。逆らうのは、あまりにもリスクが大きすぎる行為だ。
それに、聖主とやらが、どれくらい力を持っているかもよく分からない。何より敵対的な相手かも、まだ未知数の状態だ。
シルンはどうして、何もかもを知っているような顔をしている。
本当に知っているのだろうか。
レオンが、腕組みをしている。歩きながら、ずっと考えている様子だ。多分イミナと、同じ事を考えていたのだろう。
天罰について、少し前に話をした。
特定の知識を得ると、死んでしまうと言うあれだ。レオンの叔父がそうして死んで、シルンが興味を持った。
魔王軍がアニーアルスに攻め込んできて、その時にシルンが大変なことを知ったと泣いていたことは覚えている。だが、それとこれとは別問題だ。
レオンの叔父が集めていた本に、この光の槌とやらが記述されていたのだろうか。そうとは思えない。
何か、とんでもない事が、一足飛びに起きたのでは無いか。そうとしか思えないのだ。
シルンが言っていた、魔術はどうしてもおかしな現象だと言うことについても、気になる。
フローネスが触手を伸ばして、空間の一点に触れる。
いきなり、周囲の光景が切り替わった。後ろにいた何名かのアニーアルス軍騎士達が、驚いて声を上げていた。
「これは……」
「宮殿か！？」
周囲は、星の海から、宮殿のような場所に切り替わっていた。
テレポートの術式だろうか。それにしては、あまりにも今の光景変化は劇的だったし、触られている気配も無かった。
これは、似ている。
ヨーツレットの前から飛ばされたときと。
「テレポートの一種か」
「まあ似たようなものですよ。 此方で聖主がお待ちです」
床は大理石のような素材で、踏むと軽い音がする。模様はとても美しいが、ふと気付く。一定ごとに、同じ模様の石が並んでいるのだ。
自然石の模様は、それこそ千差万別。このような、同じ模様が彼方此方に走るというような現象は、発生するはずが無い。
なんだか、おかしな宮殿だ。
壁や柱の素材も、あまりにも均一すぎて気味が悪い。
階段を上がる。その先には、扉があった。フローネスが此方に向けて開く。中には、エル教会の高位僧が、かなりの数控えている様子だ。
そして、玉座には。
口ひげを蓄えた、威厳のある中年男性が座っていた。目には強い光があるが、今まで見たどんな坊主よりも僧職らしい高潔な雰囲気があった。エル教会の汚職坊主共とは、完全に空気が違っている。
「聖主、つれて参りました」
「ご苦労」
フローネスが下がる。
驚くべき事に、左右に並んでいる坊主共も、人間とは気配が違った。顔が崩れていたり、人間では無くなりかけているものも散見される。フローネスほど極端な異形になっている者は、あまりいないようだが。
聖主とやらが、喋りはじめる。声は良く制御されていて、奢りも見下す雰囲気も無かった。
少なくとも、邪悪な存在では無いらしいと、イミナは思った。だがそれが故に、厄介なのかも知れないが。
「銀髪の双子だな。 そなたらの活躍については、調べた。 私が封印から解放される前から、派手に魔王軍を相手に戦っていたようだな」
「それが何か」
「お姉……」
シルンが、冷や汗を掻いているのが見えた。
それほどの存在か。確かに、かなり強い、いやとんでもなく凄まじい力を感じる。あの魔王と同等、だろうか。
「私は、そなた達を高く評価している。 今後、新たに作る新世界の礎になってほしいと願うほどにだ」
「礎？」
「そうだ。 今、ようやく人類は、己が万物の霊長であるという妄想から解放されようとしている。 魔王軍の、対等以上の存在の出現によってだ」
そして、戦線は膠着もしていると、聖主は言う。
これは、理想的な状況だとも。
「現在、世界に必要ないのは魔王だけだ。 魔王さえ葬っておけば、世界には史上初めてと言っても良い、平穏が訪れるだろう」
「意味がよく分からない」
「言葉通りの意味だ。 そしてそれは、地上に王道楽土が出現するという意味でもある」
聖主が手を振ると、空中に地図が出現した。
魔術の一種だろうか。
それが、キタルレア大陸だという事は一目でわかった。
「青い点が魔王軍、赤い点が人類だ。 見ての通り、実力は完全に伯仲。 既に双方身動きが取れない事態が到来している」
「なんだか、貴方が事態を操作したとでも言うような雰囲気だな」
「その通りだが」
「何……」
瞬時に殺意が沸騰しそうになる。
この状況を、操作していただと。一体何様のつもりか。
だが、エル教会を背後から動かしている存在となれば、それくらいのことは出来ても不思議では無い。
「ふむ、ひょっとして銀髪の勇者よ。 まだそなたは、仲間に打ち明けていないのか」
「ええ。 時間が無かったから」
「そうか、ならば全てはその後だな。 一旦退出せよ。 部屋と時間を与えるから、ついでに休憩も取ると良い」
険悪な空気を感じ取ったか、聖主は一旦下がるようにと言った。イミナも、そうするべきだと思った。イミナ以上に顔を強ばらせているレオンの肘を取ると、一緒に外に出る。プラムが一瞬だけ、物欲しそうな顔をした。
シルンに聖主は、皆に説明するようにとも言った。シルンが頷く。つまり、シルンはこの状況を理解していると言うことか。
訳が分からないまま、一度退出する。近くの小部屋を貰って、そこに全員ではいる。小部屋と言っても、アニーアルスの謁見の間くらいの広さはあったが。ただ、部屋の作り自体は、ごく普通の石造りに見える。家具類などの調度品も、アニーアルスなどにある水準のものだった。
壁際に背中を預ける。
シルンが、並んで座った。
騎士達も疲れているようだ。少し休むように言って、代わりに見張りをする態勢を作る。だが、見張りをしながらでも、聞かなければならない。
「シルン、どういうことだ」
「あの人、聖主は到達者だよ。 魔王と、わたしと同じ」
「魔王とお前が同じだと？」
「うん」
シルンは自分が言った言葉に、何ら嫌悪を感じていないようだった。それが余計にいらだちを加速させる。
だが、血を分けた双子の妹だ。何か訳があるのだと、理解はしている。だから、感情を落ち着けることが出来た。
レオンが挙手した。
「分からない事が多すぎる。 一つずつ、整理しよう。 そもそも、銀髪の勇者。 貴方に何が起きた。 到達者とは、何だ」
「ええとね。 わたし達の体の中には、簡単に説明すると、血に混じってとても小さな生き物がいるの。 寄生型情報伝達ナノマシンっていうんだけど。 これをとても濃くしたものが、闇の福音と呼ばれてるものだよ。 魔物の血にも、かなり高い濃度で、同じものが含まれてる」
「小さな、生き物だと」
「そう。 わたし達のずっとずっと昔の先祖達が、この星、ううん、この世界に来たときに、行われた処置なの」
訳が分からない話だが、順番にシルンは進めていった。
「まず、最初の話。 この世界には、異世界で罪を犯した、それもとにかく凶悪犯罪を犯した者ばかりが集められたんだ」
聖主は知っている。
この世界が、どのようにして成り立ったか。
地球人類が宇宙に進出して、１０世紀が経過した頃。恒星間航行を獲得した人類は、無差別に版図を広げ、片っ端から資源を喰いあさっていた。新しい拡大の時代。無作為に領土を広げても良い、何もかも好き勝手に出来る時代だった。
大いなる好機が、地球人類を酔わせた。
アメリカンドリームという言葉がかって存在したが、その比では無かった。巧くすれば、一人で一星系を手にすることも可能な時代が来たのである。
熱狂した地球人類は、もはや国家という統制さえも失い、片っ端から開発と進出をはじめたのである。
知的生命体との接触も、当然行われた。
その全てが、人類による侵略という形で、だが。
大好機時代と呼ばれたこの時。モラルを捨てれば捨てるほど、稼ぐことが出来た。それが、人類から理性を奪い去ったのだ。
そろそろ良い頃合いだろうと思った聖主は、その場にいるエル教会幹部達に、その時のことを語って聞かせた。
「人類にとって、自分と違う姿の生物は、知的生命体と言うに値せず。 姿が人間に似ていればいるほど、その存在価値を認めるという風潮が起こり、それが無数の虐殺と略奪を産んだ」
諳んじる聖主は、皆を見回す。人類の罪を、知らしめる必要があったからだ。
見かけが気持ちが悪い。
そんな理由で、皆殺しにされた知的生命体がどれだけ存在したか。制圧した星の知的生命体は良くて奴隷にされ、悪ければ食料にされた。資源は根こそぎ奪い去られ、技術も全て略奪された。
前例はあった。大航海時代と呼ばれた頃、地球人類が行った蛮行である。行った側が歴史的勝者であるため、長らく弾劾されなかった悪しき歴史だ。そればかりか、機会あれば同じ事をしようと考えている者達さえ多かった史実である。
そして、その歴史から、人類は全く学ぶことが出来なかった。むしろ悪い意味で、そのうまみを覚えていた。
地球人類は、大航海時代に行ったことを、宇宙で拡大再生産したのである。
勿論、地球人は至上の存在だという思想は、この時代にも健在だった。だから、他の知的生命体に何をしても良いと、誰もが考えていた。マスコミは宇宙人の残虐さをひたすらアピールした。当然、侵略でもうけている連中の差し金だった。この時代のマスコミは、既にスポンサーが投げ与える金に群がる蟻と化していた。自浄作用は、圧倒的多数の暴虐に押しつぶされ、働くことは一切無かった。働いたとしても、大きくなる前に潰され、闇に葬られた。
金儲けになる。それを知った瞬間、人間は社会レベルで理性を喪失するのだ。
海賊は歴史上最も残虐な賊の一種だが。それは宇宙に出ても、全く変わりが無かった。むしろ、誰も彼もが海賊になってしまうような、最低のモラルが、この時代には満ちていた。そうすればそうするほど、成功し、豊かになったという実績が、更にモラルを地面にたたきつける結果を生んだ。
だが、この暴虐も、いつまでも見過ごされていたわけでは無い。
無秩序に拡大する地球人類に、待ったを掛けた存在がいたのである。
それが、銀河連邦。銀河系に存在する知的生命体達で構成された、大規模な連合国家であった。
銀河連邦の呼びかけで、強力な軍が編成された。
そして、無秩序に拡大を続ける地球人類に警告が行われた。あなた方が行っているのは、残虐な略奪と虐殺である。直ちに無秩序な拡大を停止し、奴隷化した知的種族を解放せよと。
だが、歴史上最大のバブル経済に沸く地球が、そのような提案を受け入れるはずも無かった。
利権は、常に人権に優先される。それが地球の歴史で、繰り返されてきたことだ。
地球人類は警告をあざ笑う。同盟加盟国の安全を守るため、銀河連邦の軍隊は、海賊を撃退、撃沈した。
地球側は、銀河連邦が主権を脅かす邪悪な国家だと宣伝。軍を編成した。地球側が行っていた犯罪行為は全て隠蔽され、銀河連邦がでっち上げた事だとされた。
戦争が、始まった。
「当初、人口は銀河連邦が加盟国全て合わせて地球の二十五倍、生産力もほぼ同じ開きがあったらしいよ。 でもね、地球人は、殺し合いで文明を発達させてきた存在。 物量で押そうとする銀河連邦は、戦争になれた地球人に反撃を受けて、何度も大きな負けをしたんだって。 でも、地球人も物量ではどうしても劣ったから、攻めきることが出来なかった」
銀河系でも、最も殺し合いに長けた種族と、平和的に文明を発達させてきた者達では、どうしても戦争になれば力の差があった。単独では殆ど勝負にならず、物量で対抗するほか無かった。
幸いにもと言うべきだろうか。銀河連邦は優れた技術を有していて、それでどうにか膠着状態にまで持ち込むことが出来たという。ただし、それは泥沼の戦争の始まりでもあった。
戦争は一進一退。前線は際限なく拡大し、物資も人的資源も、湯水のように浪費されていった。
いつの間にか、バブル経済がはじけていた。
「世界はあまりにも違いすぎるが、似ているな」
「うん……」
シルンが、イミナの指摘に頷く。
多分、それがろくでもない意味を秘めているだろう事は、イミナも気付いてはいた。だが、黙って話を聞く。
地球側の戦死者が十五億を超えた辺りで、ついに停戦をするべきだという話が持ち上がる。その頃には、銀河連邦側の戦死者は、三百億を超えていた。
ようやく、血なまぐさい戦争に停止の動きが訪れはじめた。だが、それは戦争に疲弊したからでは無い。利権が割に合わなかったからである。
別に、人権などの問題では無い。地球人が利権のために人権を黙殺するのは、歴史上常に起こってきた唾棄すべき現実だ。戦争による被害がうなぎ登りに増えたことで、反戦活動が活発化。さらには、今まで黙殺されてきたマスコミの嘘ばかりの報道についても、やっと追求する声が出始めた。これも、利権が割に合わなくなって出てきたことであり、良心だとか正義感だとかが働いた結果では無い。
このままでは、次の選挙で負ける。
そう考えた地球側の首脳は、ようやく停戦を考えはじめた。泥沼の前線では資源も不足しはじめ、圧倒的な物量を誇る銀河連邦にいずれは押し切られるという試算も出たのが決め手となった。
地球時代と違い、核兵器でさえ戦略的抑止力にならないのが、宇宙時代の戦争である。恒星間弾道弾は開発されていたが、それは銀河連邦も所有していて、使えば報復を受けるのは確実だった。
銀河連邦と、交渉のテーブルが持たれた。銀河連邦も、ようやく地球人類が平和を模索してくれたかと、安堵したという。
だが、交渉は簡単には進まなかった。
シルンの話が一旦止まる。イミナは、咳払いしてから、皆を見回した。
「分からない単語がかなり多いが、大まかな状況は分かった。 つまり凄い技術を持っていたところで、我らの先祖は、我らと馬鹿さ加減においてそれほど差が無い存在だったのだな」
「過去形じゃ無いよ。 現在も地球人類は存在してる。 凄い文明も。 でも、きっと心と頭の中身は、この戦争をしていた頃と変わりが無いだろうね」
「なんたることだ」
レオンが壁を叩く。
悔しそうに顔を歪ませている。痛々しいほどだった。元々レオンは顔立ちが端正だから、壮絶な雰囲気である。
僧職は、結局の所人を信じる存在だ。レオンは流石に、既に人間は万物の霊長だなどとは考えていなかっただろう。
だが此処まで醜悪で下劣な歴史が繰り広げられていたなど、想像も出来なかったに違いない。
シルンが話を再開する。
この世界が、出来た経緯について、である。
銀河連邦は、最初地球人類と接触しない平和を提案した。
宇宙には、ヴォイドと呼ばれる、星が殆ど存在しない空隙がある。これは銀河系などの星が密集している地域にも、ある程度は存在しているものなのだ。
資源的価値が無いこのヴォイドを境に、両勢力は互いに拡大を停止して、相手への侵入をもくろむ勢力を排除する。
要するに、出来れば地球人類とは関わり合いになりたくないから、何も無い空間を壁にする。それが、銀河連邦側の主張であった。
これに対して、地球人類は反発した。出来れば相手と国境線を接し、交易を行いたいと言い出したのである。
勿論、将来を見越しての事である。銀河連邦と境を接していれば、体勢を立て直した後攻め込みやすいし、人間を送り込んで内部で様々な行動を起こさせることも出来る。経済活動をすれば、相手から資源を吸い上げたり、情報をリークさせることも出来るだろう。
戦争をして、多くの犠牲者を出して。
地球人がまず考えるのは報復だ。戦術戦略的な反省は行うが、それで全てである。これは歴史上、どこの国でも同じ事だ。
国家や社会は、良心や誠実などとは関係ないところで動いている。
しばらく平行線の意見が続いた結果、地球人類の中で穏健派で知られる人物が、提案をした。
それならば、白紙の状態から地球人類が、精神的に進歩できる存在か試してみようでは無いかと。
人権団体の長が言い出したその意見は、瞬く間に銀河連邦側の同意を得た。一見すると正しい意見にも思えたので、地球側の首脳もしぶしぶそれを受け入れることになった。
プロジェクト・フロンティアの開始である。
ヴォイド地帯にある数少ない恒星系が、実験の舞台に選ばれた。
元々不安定だった恒星を安定化し、更に生命が生息するのに相応しい場所に、周辺から資源小惑星をかき集めて、惑星を作り上げた。長い戦争による技術革新により発達したウルトラテクノロジーが、それを可能にした。
惑星の環境を整えるまで、一年。
そして、実験が開始された。
「最初は、様々な人間の情報からクローン体を作り、それで実験が行われる予定であったらしい」
「クローン体、とは何でしょうか」
「優れた技術により、同じ人間を作る事をクローンと思えば良い。 それによって作られた人間だ」
エル＝セントの配下達が、顔を見合わせる。多分ぴんと来ないからだろう。
いずれにしても、それは実行されなかった。
人権団体が、それは倫理的ではないと噛みついたからである。代わりに行われることになったのは、各地の刑務所などにとらえられている、死刑、もしくは無期、さらには今後刑期を満了できる見込みの無い人間を、集めてこの実験に用いることだった。
これは、銀河連邦側の提案で行われた。
「銀河連邦の者達は、地球人類を根本から信用していなかった。 精神的に進歩できるというのなら、札付きの犯罪者達を用いろと」
「ふむ……」
「そうして集められたのが、宇宙中の凶悪犯罪者だ。 その中には、無差別虐殺を行った海賊や、連中を開拓者などと持ち上げていたマスコミの者達も混じっていたのは、歴史の皮肉と謂うほか無いな」
更に、もう一種類の実験が行われた。
環境によって、地球人類は変わるという意見が出たからである。
そこで、寄生型ナノマシンによる環境改変計画が、実施されることになった。
実験に投入される人間には、ことごとく寄生型ナノマシンが投与された。これはチャンスを与えるためである。
人間と外見は異なるが、より優秀な種族になるか。
ごく一部が、それを選択した。
そして、実験が始まった。
膨大な資源による豊かな環境。豊かであれば、人間は心に余裕を持ち、残虐行為に手を染めないのではないのかと意見が出たからだ。
様々な外見の「人間」が存在することによる、選択肢の実現。
人間は、人間しか知的生物がいない環境で育ったから、非常に独善的で邪悪な生命体になったのだという意見が出たからだ。
だが。
その結果は。
「結果は、皆が知っての通りだがな」
「……なるほど。 地球人類は、どこへ行っても、どんな環境で育っても、同じだったという結論に行き着いたという事ですか」
「そうだ。 自分と違う姿をした魔物と融和することも無く、豊かな資源を皆で公平に分け合うこともせず、むしろ利権の餌食にした」
それだけではない。
エル教会の思想が、どれだけゆがめられたか。それだけでも、人類とはどういう存在か、はかるに充分だと銀河連邦は思ったのだろう。
この実験場は放棄され、地球人類との勢力圏の間に巨大な空白地帯を作るという条件で、和平が成立した。
この星のことは、「人権上の配慮」から、地球人類側の歴史から完全に抹殺されることになった。
今でも、地球人類は空白地帯の向こうで、文明を維持していることだろう。ただし、銀河連邦がいる限り、積極的に領土拡大も出来ないだろうから、以前ほどその勢力は隆盛を極めてはいないだろうが。
フローネスが挙手する。
まだ、疑念があるのだろう。当然のことだ。
「なるほど、この世界が、愚かな先祖達によって作られた呪われた楽園である事は分かりました。 しかし、到達者とは、一体何なのでしょう」
「全ての存在の体に入っている、寄生型ナノマシンの話はしたな」
「はい」
「この寄生型ナノマシンは、人間の情報を互いに共有していて、人間が知らぬところで巨大なネットワークを作っている。 ある程度、極端な情報を得た人間は、そのネットワークにアクセスできるようになっているのだ」
それは、人間の無意識下に作られた、巨大な情報データバンクと言うに相応しい存在である。
当然その情報には、この星に来たばかりの頃の人類のものもある。そればかりか実験の推進に関わったチームの知識や、中には彼らが用いていたコンピュータのデータバンクまでもが入っている。
その結果、それは擬似的なアカシックレコードとして機能しているのだ。
この星にのみ働く、限定的なものだが。
進化を促すために作られたナノマシンであるから、これには他にも様々な福次効果がある。魔物を作り出すために、作られた遺伝子変換機能。これは現在かなり弱まっているが、それでも濃くなれば遺伝子や肉体を変質させ、人間を魔物へと変えることも可能だ。
つまり、闇の福音による人間の魔物化、さらには魔物の血を体に入れることに寄る人外化は、これに相当する。
それだけではない。
自然に対しても、このナノマシンは散布されている。
つまりである。ナノマシンを操作することにより、魔術は展開されているのだ。
真っ青になったアーネンが挙手する。その手が震えていた。
「それでは、今まで我らが研究してきた魔術の概念は」
「全ては間違いだったという事だ。 ナノマシンを如何に効率よく操作するかで、大気中に散布されているナノマシンを用いて、超常的な現象を発生させているだけの事だ。 いうならば、世界そのものに寄生している力を、操作しているようなものだな」
「……！」
魔力という概念も、これと同じである。
体内にあるナノマシンとの感応力が如何に強いかが、「魔力が強い」という事になる。
実際には魔術など存在していない。この星にある特殊すぎる環境が、そう錯覚させているだけなのだ。
だからこそに、賢いものは気付く。どうしても、魔術の概念に矛盾がある事に。
そして、アカシックレコードとの感応力が限界を超えたとき、悲劇は起こる。
現実に耐えられない者は、その場で果ててしまう。
しかし、耐えきった者は。エル＝セントのように、或いは魔王のように、そして銀髪の勇者のように。
疑似アカシックレコードへの、高い干渉能力を得るのだ。
「アーネン、そなたの研究は決して無駄では無い。 大きな資料的価値があるし、その努力と誠実な研究姿勢を私は大いに評価している。 魔術に関する考え方だけは間違っていたが、それは仕方が無い事だ」
「し、しかし聖主！ 私は」
「少し隣室で休め。 そなたには、今後も働いて貰わなければならぬでな」
他の司教に伴われ、アーネンが退出する。老人の目には、涙が浮かんでいたようだった。
無理も無い話だ。アーネンと言えば、エル教会でも屈指の学僧である。政治的な手腕でのし上がったような連中では無く、地道な研究と着実な努力で学僧として最高位に上り詰め、それが故に聖主に見いだされたほどの男だ。そんな男が、長年続けてきた研究が、茶番だったと知らされたのである。人生をかけていたことが無駄だと分かって、平静を保てる者がどれだけいるだろうか。
フローネスはしばしアーネンを見送っていたが、また挙手する。
まだ、知りたいことはあった。
「聖主。 そうなると、あと二つほど分からない事があります」
「気丈であるな。 申してみよ」
「一つは、この光の槌です。 これは一体、何なのでしょうか」
「この実験が開始される際に、幾つかの道具が人類に将来的に渡るよう隠蔽された。 いずれ優れた技術にまで到達した人類が、地球人類の国家と合流できるように、という意図からだ」
つまりこれは、人類から実験に送り出される者達に、与えられた天恵というわけだ。
何とも物騒な天恵だが。
同じようなものは、各地にあるという。
或いは技術が進まなければ手に取れないようになっていたり、使いこなせなければ自滅するようになっていたり。
なるほど、そうなると、時々聖主が口にしている魔王軍側の最終兵器も、そういうものなのだろう。
合点がいった。
フローネスは、もう一つの、最後の質問を口にしてみる。
「ええと、それでは、今魔王軍の主力を為している補充兵とは、何なのでしょうか」
「それは、私も分からんが、仮説はある」
「？」
「この世界に大量に散布された寄生型ナノマシンは、人間に対して最大の親和性を持つように調整されている。 つまり、人間を材料にして、寄生型ナノマシンに特定の形を持たせているのではないのだろうかな」
なるほど、つまりは。
人間の肉を粘土代わりにして、兵隊細工を作っているも同じと言うことか。
しかしそうなると、人間の死体を連中に渡すのは好ましくない。今までも魔王軍に人間の死体が渡らないように工夫はしてきたが、なるほど。今後は不死兵の生産拡大を行い、更にその戦略を進めていく必要があるだろう。
他にも、幾つか質問が出る。
だが、聖主はそれらを全て丁寧に捌いていった。やがて質問が出なくなると、聖主は玉座から立ち上がる。
「私は、この世界を愛にて満たそうと思っている。 その創設からが、罪人に満ち、その歴史もが闇であるこの星を、今こそ変えよう。 人間が、独力で変わることは無い事を、諸君は知っていると思う。 だから、私が新しい法により、人間を愛の世界の住人にしようでは無いか。 そうすることで、ようやく人類は、この闇の星の、血塗られた運命から逃れることが出来るだろう！」
エル教会の坊主達が立ち上がり、祈りを捧げる。
既に、そんなことが出来なくなっているフローネスも、それに習った。
これでいい。
エル＝セントとは利害が一致している。はっきりいって、全てを知った今だからこそ、フローネスは言える。
人間は、どうやったって元のままだ。
エル＝セントが言う愛は確かに壮大だが、結局の所人間という野獣以下の怪物を、制御するための手段に過ぎない。である以上、必ず無理は出る。
その時、無理を是正するのがフローネスだ。
そうすることにより、フローネスはエル＝セントのナンバーツーとして、この世界での影の実権を握ることになるだろう。
思考を中断する。
聖主は、ある程度思考が読めることが分かっている。油断するとかなり危険だ。
「フローネスよ」
「はい、聖上」
「銀髪の勇者を此処に。 そろそろ、仲間に話をし終えている頃だろう」
レオンは真っ青になり、吐きそうな顔をしていた。
プラムは殆ど話を理解できなかったようだが、それでもあまり良い気分はしないようだった。無理も無い。
後ろにいる騎士達も、困惑しきって顔を見合わせている。
自分たちが、世界でも最悪の犯罪者達の子孫であり、しかも偉大だと信じていた先祖達が、自分たちに与えられたチャンスをことごとく踏みにじってきたなどと。おぞましすぎる真実を告げられて、平静を保つ方が難しいだろう。
ましてやアニーアルスは、武門の家として、常に歴史の中戦いの矢面に立っていた国家だ。そこで精鋭中の精鋭である騎士が、己の誇りを粉みじんにされるようなことを言われて、心を保てるわけが無い。
イミナは大きく嘆息する。
イミナにしてみれば、妹さえ守り切れれば良い。だが、今の話を聞く限り、既に魔王はいざとなれば逃げ切れるというような相手ではなくなっている。
擬似的に、全ての知識を得ることが出来るも同然の相手だ。
ただし、妹もそれが出来るようになっている。これははっきり言って、更にまずい事態だとも言える。
魔王との戦いは避けられないし、下手な行動を取れば聖主も敵に回すことになるだろうからだ。
魔王は強い。多分さっき話に出た到達者という存在の中でも、相当に力が強い筈だ。ヨーツレットもとんでもなく強かったが、更にその上を行くことは間違いない。
シルンは、じっとイミナを見ていた。
「お姉、大丈夫？」
「ああ。 理解が追いつかないが、何とかな」
「レオンも、プラムも？」
レオンは真っ青な顔をそらして、頷いただけだ。
生真面目なこの男である。万物の霊長どころか、まさか人間という存在が此処までのものだとは、考えたくなかったのだろう。
最悪を、常に想定せよ。
イミナとシルンの師匠の言葉だ。そうしてきたから今まで生き延びることが出来たとは言え、これはあんまりだ。
師匠は、これを知ったらどう言うのだろう。
ドアがノックされる。騎士が出ようとしたが、手で制止して、イミナが出た。
現れたのは、フローネスだった。どういうわけか、妙に楽しそうである。何か聖主に効かされたのかも知れない。
「そろそろ、よろしいでしょうか」
「ああ、良いだろう」
「銀髪の乙女？」
「待ったところでどうにもならん。 話だけでも、聞いておくべきだ」
レオンが止めようとしたが、イミナは首を横に振る。実際問題、此処に立てこもっても、事態を改善する見込みは無い。
むしろ、こういう場合は相手の出方を見るべきである。それが、歴戦を妹とくぐり抜けてきた、イミナの結論であった。
さっきの部屋に行く。玉座についた聖主は、相も変わらずの威厳を保ったまま待っていた。
進み出たシルン。
イミナは少し後ろで、妹のすることを見守る。いざというときは、即座に飛び出せる態勢で、である。
「わたしに何をさせるつもりですか、聖主」
「魔王のみを屠って欲しい。 そのための膳立ては、此方で行おう」
「見返りは」
「安全と平穏な残りの人生」
嫌な交渉のやり方だ。
イミナとシルンが、それを望んでいると、多分この男は知っている。洞察力では、恐らく無いだろう。
経験からだ。
イミナとシルン、レオンやプラムと違い、この男は恐らく自力で人間では無い存在にまで上り詰めた。話を聞く限り、魔王もそれは同じだろう。
だからこそに分かるのだ。人間の社会で、人間では無い存在が、生きてはいけないという事を。
聖主は、既に己を神格化することに成功している。その上、このような、人間では無い存在が安住の地に出来るような場所まで手にしている。
だがシルンは違う。
この間の、ヨーツレットとの戦闘で、シルンは相当に魔力が上がっていた。だが、それでも人間全てを敵に回したら勝てないだろう。最終的には、イミナが卑劣な手を使ってでも、シルンを生きられるように様々な政治的工作をしていくしかない。
さっき、シルンが話してくれた史実は、イミナにはさほどショックでも無かった。
人間はそんな程度の生物だと、昔から知っていたからである。
「さきほど、勢力の均衡が重要だという話をしていましたね。 魔王と、魔王軍と和解する事は出来ないのですか」
「魔王軍との和解は視野に入れている」
そうなると、聖主とやらは、既に魔王軍に何らかのくさびを打ち込んでいるのか。
その可能性は否定できない。
「だが、魔王との和解は不可能だ。 魔王にとって、人間は滅ぼす対象だからだ。 そしてそれは魔王のアイデンティティとなってもいる。 魔王と人間が和解する事は、あり得ないだろう」
「……お姉、どう思う？」
「膳立てがあるのなら、同意するべき、だろうな」
「銀髪の乙女！」
レオンが声を絞り出す。血を吐くような叫びだった。
後ろで、生真面目な男が、ぎりぎりと歯を噛んでいるのが分かった。無念は、痛いほどに、イミナにも分かった。
だが、此処は敢えて同調はしない。
「よし、それでは西ケルテルに一度お前達を転送しよう。 後の指示は、追って出すこととする」
「まだ話は……」
「レオン！」
イミナが、ではない。シルンが、レオンに釘を刺した。
口をつぐむレオン。プラムが、そっとその腕に身を寄せるのが見えた。
光の槌の廊下を歩きながら、レオンはずっと青ざめていた。シルンも、あまり今は喋りたくない様子だ。
イミナが、隣に来ても。レオンからは、話そうとはしなかった。
「今は我慢しろ」
「しかし」
「向こうが此方を利用しようとしていることは分かっている。 だがな、馬鹿正直に魔王を倒したとして、その後シルンはどうなる」
この間の戦いで、シルンの放った術式は、魔王の展開した防御術式と相打ちになった。つまり、それだけの力がついていると言うことだ。到達者とやらの実力は、伊達ではないという事である。
今までと違う。
既にシルンは、勇者と呼ぶに全く遜色ない実力を身につけているのだ。既に戦術兵器では無く、戦略レベルでの活躍が期待できる存在である。魔王と、同じに。
ヨーツレットなどの強力な魔物をどうにかして引き離すことが出来れば、魔王を倒すことは決して夢では無くなっている。
だが、その一方で。大まじめに魔王を討ってしまえば、元々人間側が有利だった戦況が、一気に変化することになるだろう。
魔王軍は多分、数年も保たずに滅びる。
そしてその後に待っているのは。
シルンが今度は滅ぼされる。そのようなことは、火を見るよりも明らかだった。
「そんなことは、私がどうにかする」
「不可能だ。 ただでさえ、お前はエル教会と今や袂を分かっているも同然の状態では無いか」
「しかし、このような邪悪を、見過ごせというのか！」
「気持ちは分かるが、我慢しろ」
人間が邪悪なのは、今に始まったことでは無い。レオン自身が、何よりもその犠牲者では無いか。
だが、レオンは首を横に振る。
「銀髪の勇者は、少なくとも私が見た中では、最も邪悪では無い存在だ。 それを、これでは利用しているも同じでは無いか」
「私だって、気分は良くない」
行き止まりに来た。先を歩いていたフローネスが空中で触手を動かすと、扉が出現する。
中に入ると、また星の海の床が広がっていた。
「それでは、地上に戻って貰いますが、何か質問は」
「戦況はどうなっている」
「アニーアルスは陥落。 王弟は戦死した模様です」
「……そうか」
あの状態のまま、戦況が推移したのなら、仕方が無い事だ。
シルンが声を詰まらせて、泣き始めた。あれだけ長い間世話になったからか、当然思い入れも深かったのだろう。
「かなりの人数が西ケルテルに逃れもした様子です。 あなた方が導くことで、復讐戦をやりやすくなるでしょう」
「そうだな」
乗せられる気は無い。
今後の指示については、追ってすると言われたので、ただ頷いた。
気がつくと。星の海ではなく、地上に出ていた。
まだシルンは泣いていた。肩を叩いて、側に座る。自分は、まるで涙が流れない。イミナは、この程度の事で泣くには、既に心が渇ききっていた。
ただ、痛むことは痛む。シルンが泣いていると言うことだけが、その理由であったが。
「まずは敗残処理をする。 つらいようなら、しばらく休んでいろ。 まずは、西ケルテルの王城に向かい、ユキナ女王と合流しよう」
「うん……」
目をこすりながらも、シルンは立ち上がる。
妹は純粋すぎる。
好ましいと思うと同時に、この様子では、今後生きていけないと、イミナはちょっと憂鬱になるのだった。
辺りを見回す。
見覚えがある地形だ。
どうやら、西ケルテルの北、アニーアルスの国境近くに飛ばされたようだった。
２、拡大
難民の群れに交じって、露骨に様相がおかしい男がいた。フードを被ったその男の周囲には、筋骨たくましい弟子達が無数にいて、それぞれ大荷物を背負っている。
男の名は、ジェイムズ。
少し前、銀髪の双子がオリブ領に来てから、ジェイムズは住処を西ケルテル近くの山中に移していた。ジャドも、それに従った。
ジャドがどうして銀髪の双子を避けたのか、ジェイムズにはよく分からない。優れた成果を上げているし、胸を張って会えば良いと思うのに。だが、ジャドは、合わせる顔が無いと言う風情だった。
いずれにしても、その後すぐに、魔王軍の侵攻があった。
王弟に貰った研究所にいたら、多分ジェイムズは死んでいただろう。ジャドも運命を共にしていたに違いない。
遠めがねで見たが、巨獣にジェイムズの研究所は、文字通り一瞬で踏みにじられていたからだ。あれでは、どんな武勇の持ち主が護衛についていたところで、どうにもならなかっただろう。
運が良かったのである。
とにかく、今は難民に混じって、西ケルテルに向かっているところであった。
魔王軍の追撃は、当然ある。
アニーアルスの残存戦力が、魔王軍と戦っているようだが。逃げ切れない難民は、降伏するようにと言う通達も出ているという。まあ、ジェイムズは、降伏などする気は無い。そんなことをしたら、自由な研究が出来なくなるからである。
「ジェイムズ」
「どうした、我が盟友よ」
「かなりの距離を歩いたが、大丈夫か」
「ひゃはははは、なあにこれくらい。 人間を止めてから、すこぶるからだが軽くてなあ」
嘘は言っていない。
既にジェイムズの体は、人間では無くなっている。身体能力も、それに伴って多少は上昇しているようだ。
また、疲れを覚えなくなったのはとても嬉しい。食事も最小限で済んでいるし、睡眠もしかり。
かってはお世辞にも肉体派では無かったジェイムズだが。今では、周囲に群れている難民達より、むしろ健脚なくらいだった。
ただ、それでも歴戦の武人より強いなどということは無い。ジェイムズは人間を止めて、頭脳の方でより強みを得た印象であった。
国境を越えたらしい。
魔王軍の気配が無くなった。元々さほどの大軍では無かったらしく、追撃も限定的だったという事だろう。
「どうやら今回、魔王軍は最精鋭を最小限だけ投入していたらしいなあ」
「その様子だな」
「アニーアルスは、キタルレアでも屈指の精鋭を抱えていたのに、このざまか。 どうやら私が一肌脱がなければならんか」
けたけたと、ジェイムズは笑う。
義勇軍の姿が見えた。どうやら、難民を収容に来たらしい。
南下すると、難民のキャンプが散見された。とりあえず此処に収容して、後はそれぞれ食料を配ったりして、用意してある住居などに案内しているようだ。
西ケルテルの人口は凄まじい勢いでふくれあがっていることだろう。南部諸国の敗残兵や難民がこぞって集まっているだけではない。今回はアニーアルスの民と敗残兵が此処に加わることになる。
アニーアルスの精鋭も、全滅したわけでは無い。多分王弟がかなりの数を逃がしているはずで、三万くらいは生き残っているだろう。かっての敵であるキタンや、残虐さをむき出しにしているグラント帝国に流れる兵は少ないだろうから、一気に義勇軍の戦力は強化されることになるだろう。
ただ、歴戦の将軍達が、ことごとく魔王に殺されているだろう事は痛い。それがどう軍の統合に響くかは、ジェイムズには分からなかった。専門家では無いからだ。
「あれは？」
義勇軍と交渉している女の姿が見えた。
どうやらかなり腕の良い魔術師らしいが、兵士のような姿をしている。騎士が周囲で、女を守っている様子だ。
「見覚えがあるか、我が友よ」
「ああ。 あれは確か、この間アニーアルスに亡命してきたばかりのジャンヌだな」
「ああ、彼奴か！」
ジェイムズは思わず手を打っていた。
確か、グラント帝国の師団長だった女だ。あまり詳しい話は聞いていないが、属領の兵士達と一緒に捨て駒にされたあげく、「敵前逃亡した」とかいう理由でグラント帝国に引き渡すよう義勇軍に要求があったとか。
如何に現実が醜悪かを示す生き証人のような女だ。
その後、公的には死んだとされていたはずである。
それにしても、また義勇軍に戻ることになるとは。皮肉な話だ。
あの女も逃げ延びていたのだと思うと、少し興味深い。
ジャドに促されて、一旦難民キャンプに。異様な風体のジェイムズ達を見て、流石に難民は皆驚いたようだった。どうどうと大きなテントに入り込むと、ジェイムズはどっかと腰を下ろし、弟子達にも休むように促す。文句を言いたそうな者もいたが、ジェイムズの異様な風体と、何よりつれている屈強な弟子達を見て、誰もが二の足を踏む。
ジェイムズは、資料をチェックしはじめる。
だいたいの資料と研究成果は持ち出せた。ただ、死刑囚とかを使った実体サンプルは、だいたい駄目になってしまったのが惜しい。
今更取りに戻るわけにも行かない。こればかりは、頭の中にあるデータを再利用するしか無いだろう。
まあ、無くしたオモチャは、新しく作れば良い。
そう前向きに考えて、ジェイムズは手で顔を仰いだ。
「時に我が友よ、お前の大好きな銀髪の双子だが、どうしているのだろうなあ」
「あの二人なら生きている」
「ほう？」
「何となく分かる」
そう信じたいのだろうかと一瞬ジェイムズは思ったが、どうも様子がおかしい。或いはジャドは、相手のことを感じ取っているのかも知れない。
そういえば、ジャドは人間をやめた時期から考えると、ある意味では大先輩だ。それくらいの特殊能力は、備えていてもおかしくなかった。
一通り資料をチェックすると、ジェイムズは大あくびをした。
流石に疲れた。
「まあいい。 私は少し寝るぞ」
「それがいい。 しばらくは魔王軍も勢力拡大を考えないだろう。 今回のことで奴らの領土はかなり広がったが、それは少ない兵士を配置換えしなければならないことも意味しているからな。 更に西ケルテルにまで侵攻してくる余裕は無いだろう」
あまり戦略には詳しくないジェイムズだが。
それには、全面的に同意だった。
食事も睡眠もあまり必要ないとは言え、それでも全く、というわけではない。疲れも溜まっていたし、横になるとすぐに眠ってしまった。
目が覚めると、ジェイムズは弟子達と一緒に、難民キャンプを出た。
難民キャンプを出ても、周囲はやはり難民だらけだ。多分アニーアルスを脱出できた民は百万を超えているはずで、まあ当然の結果である。ただ、行き先は少しずつ分化しているようだ。
この辺りは国境近い。実際、アニーアルスから逃れてきた難民も、此処でとどまろうという者は殆どいない。だいたいは西ケルテル王都に向かうか、更に南か東へと行こうとしている様子だ。
ユキナは動揺を抑えるためか、それぞれの情報を伝達させているようである。
東は非常に危険だという話が、既に入ってきていた。グラント帝国は難民を使い捨ての駒くらいにしか考えていない。実際属州の民はそういう扱いを受けているし、何よりジャンヌという生き証人がいる。
かといって、南はどうか。
政情不安で治安も崩壊している。こっちもだいたいはグラント帝国が今押さえている。治安の回復は一応行ってはいるが、それは暴力沙汰などの取り締まりをしている程度であり、言うならば暴動を力尽くで抑えているに過ぎない。
現状で軽く百万を超える大軍勢の圧倒的な力でそれを為しているだけだ。
南部諸国は、既に国家としての形を為していない。皮肉な話だが、「完全な無秩序よりマシ」という程度の状態にしているのは、圧倒的な暴力。グラント帝国の軍隊の存在なのだった。
しかしながら、西ケルテルは最前線である。
ユキナは正直な話、ジェイムズが見た中で最も優秀な指導者の一人である。だが、それが故に、魔王軍との戦闘の最前線にいる。
西ケルテルの民は、常に魔王軍とグラント帝国の間に挟まれるようなものだ。
行くも進むも地獄である。だから、誰もが恐怖の中にいるのが分かった。
手を掴まれる。ジャドだった。
「実験をする気か」
「うむ。 我が友よ、どうして止める」
「今は止せ。 不安になっている人間は、判断力を落とす。 其処につけ込むのは、看過できん」
「相変わらずお前は真面目だなあ」
ジェイムズも、ジャドが精神の安全弁になっている事は理解している。だから、素直に友の忠告に従うことにした。
一度テントに戻る。
弟子達は、車座になって何かを話し込んでいた。ジェイムズが来ると、顔を上げる。
「どうした、お前達」
「マスター。 俺たち、出来れば西ケルテルがいい」
「ほう」
何ら主体性を見せてこなかった此奴らが、面白いことを言い出すものである。
むしろ面白いと思って、ジェイムズは好きに言わせる。
「グラント帝国は気にくわない」
「マスターの命令なら従うが、どうせなら西ケルテルが良い」
「どうしてだ」
「まだこっちの方が、楽しそうだ」
さすがは我が弟子と、ジェイムズは思わず歓喜の声を上げていた。
そうだ、どのみちこの世界は地獄だ。エル教会が言う地獄などどこにも存在はしない。むしろこの世こそが地獄と言うに相応しい。
それならば、地獄の獄卒にこづき回されるよりも。
むしろ地獄の獄卒になって、亡者共を好き勝手にもてあそぶ方が楽しいでは無いか。
ジェイムズはけらけらとしばらく笑っていたが、頷く。
「よし、ではユキナ陛下に、私を売り込みに行くとするか。 知らぬ仲でもないしなあ」
「お前はたくましいな」
「なあに、どのみち社会なんぞくだらんものだからなあ。 それなら好き勝手にオモチャにするのが面白いと言うだけよ」
倫理など、何の役にも立たない。
為政者にとっては都合が良いかも知れないが、弱者にとってはただの重しだ。むしろ死ぬまでこき使うために存在していると言っても良い。ずっと昔からそれを知っているジェイムズは、ただ、生きることを楽しんでいた。
ユキナは殆ど寝る暇も無い中、領地を駆け回っていた。馬上で寝ることさえあるほどだ。一時期、西ケルテルを建国した直後に匹敵する忙しさであった。
難民と現地民は、どうしても衝突する。何しろ百万を超える難民である。彼方此方の難民キャンプから、適宜住める場所に振り分けてはいるが、西ケルテルの土地も一度無人化したとは言え無限では無い。食料なども確保しなければならない。今の時点ではキタンからかなり兵糧を確保できていて、その多くを民に回せているが、勿論これには条件がある。
対魔王軍の最前線として、防波堤兼敵の新戦術の見極めをするという事だ。
西ケルテルは、魔王軍と今までアニーアルスの次くらいに激しく戦ってきた。負け戦も多かったが、侵攻軍を撃退したこともある。だからキタンは、此方に期待している。勿論グラント帝国も、それは同じだ。
魔王軍は魔王軍で、とらえた民をソド領や他の南部諸国に送っているという報告があった。皆殺しという訳では無いらしく、それだけは安心できた。
もめ事を解決して、戻る途中。馬上で、ユキナは気配に気付いて顔を上げた。
見かけた顔が近づいてくる。側近が顔を強ばらせるが、制止。怪しい奴だが、計算は出来る相手だ。
「やあやあ女王陛下！」
「狂科学者か」
「ジェェエエイムズと、お呼びください！ 陛下！」
わざとらしい慇懃な礼。
此奴のおかげで、ユキナは魔王による鏖殺を逃れていると言っても良い。だが、感謝する気は無い。
此奴は己の欲望のままに、ユキナで知的好奇心を試しただけだ。ギブアンドテイクと言っても良いだろう。
幸い、ユキナは人間の形を保っているが。中身はもう人間とは違っている。それは、既に自覚している。
「それで、何用か」
「いやあ、アニーアルスが無くなって、研究する場所も燃えてしまいましてねえ。 で、です。 私をお雇いください。 役に立ちますよ」
「……」
此奴は化け物だが、確かに有能だ。実際問題、雇っておけば魔王によって定期的に幹部や人材を皆殺しにされることを避けられるかも知れない。
だが、それは人畜にもとる行為だ。
しかし、グラント帝国にでもいかれたら、さらなる悲劇が待っている。
殺すか。
だが、此奴の力は必要だ。
今は、いかなる邪悪な力でも、勝つためには必要な時代である。そして、邪悪な力だからこそ、しっかり使いこなさなければ危険きわまりない。
「分かった。 良いだろう」
「さあああすが陛下！」
「ただし、私の指示には従って貰う。 無秩序な人体実験などはさせない」
連れて行くように、部下達に指示。
勝手なことはさせない。ある程度自由にさせた方が成果が出せる相手だと言うことは分かっているが、その上で敢えて、である。
ジェイムズがいなくなると、ユキナは一旦城に戻ることにした。
各地に密偵を出している。アニーアルスが一晩で陥落したことは、大きな衝撃となっている。どちらかと言えば守勢に回っていた魔王軍が、これほど大胆な攻勢に出てくるとは、想定外であった。
そして、今の義勇軍が、アニーアルス軍よりも力があるかと聞かれれば、答えはノーだ。敵の使った戦術は、最精鋭の集中運用という芸が無いものだが、それでも今の時点では防ぐ手立てが存在しない。
城に着く。
既に士官を申し出ている旧アニーアルス軍の中から、精鋭を選抜している。アニーアルスを逃れてきた兵士は三万程度だが、すぐに使い物になりそうなのは一万という所か。残りは負傷がひどかったり精神に傷を受けていて、すぐには戦えそうに無い。
回復系の術が使える者達を総動員しているが、民間人のけが人も多い。すぐには兵力としては計算できないのがもどかしい。
それでも、既に義勇軍は規模十万を超えた。元からいる熟練兵と合わせると、魔王軍と互角に戦えそうな戦力は三万以上になっている。それで、今は充分だと満足するべきなのかも知れない。
熟練兵を中心に、兵士達の訓練は進めている。
今、急ピッチで進めているのは、敵が繰り出してきた巨獣の対策だ。アニーアルスも、巨獣を使っての奇襲で大きな被害を受けて、陥落につながったという。今までの撃破報告をまとめ、早急に対策を練らなければならない。
そのためには、交戦経験がある兵士達に、意見を徴募しなければならなかった。
会議室に入る。アニーアルスを逃れてきた生き残りの騎士達が何名か集められている。いずれもがベテランで、難民を守りながら逃れてきた者達ばかりだ。
精鋭も多くはアニーアルス王都での死闘で、王弟と運命を共にしたという話である。彼らの無念が、ユキナには痛いほど伝わってきた。
「早速だが」
「陛下、お疲れの様子ですが、大丈夫ですか」
「時間が今は一秒でも惜しい。 私は疲れには強い。 心配せず、それぞれの意見を出して欲しい」
いきなり心配されてしまった。
だが、実際疲弊に強いと言っても、限界がある。騎士達は顔を見合わせると、それぞれ意見を出してくる。
「巨獣の脅威は、恐るべきものです。 今まで有効に機能してきた城壁や要塞が、まるで用を為しません」
「防御術式も、巨獣の突進を受けると、そう何度もは耐えられないのが実情です。 どんなに優秀な術者が張っても、同じ事でしょう」
「ただ、これは生き残りに聞いた話だが。 前回の奇襲では、あまりにも簡単に前線が蹂躙されている。 魔王が出てきていた可能性が高いのでは無いか」
挙手したのは、一番年かさの騎士だ。かなり老けているが、それでも相当な使い手であることが、一目で分かる。
若い騎士が咳払いする。
「しかし、トリスタン殿。 次も魔王が出てくる可能性は考慮しなければなりません」
「それは全面的に同意する。 ただ。防御術式そのものは、有効だと言うことを、私は主張したい」
「ふむ……」
意見がかわされる。
今までの戦術を応用展開するべきと考えているものと、奇策で足下を掬おうという意見に二手に分かれた。
此処にいるのは、ユキナが生まれる前から戦場を走り回っていたような、ベテラン中のベテランから、才能を買われて抜擢された男まで、いずれにしても戦闘のプロフェッショナルばかりである。
だが、それでも意見は割れる。
つまり、巨獣相手の戦闘経験が蓄積していないと言うことだ。こういうときにこそ、分析が必要になってくる。
倒した巨獣は、今のところ確保できていない。今まで数体を倒しているのだが、その全てが敵に回収されている。出来るだけ早く回収して、此方で分析できれば。対策が立てられるのだが。
その場合は悔しいがあのジェイムズに解析させることになるだろう。
実際の所、巨獣は攻防共に優れているが、一番厄介なのは固定されているものに対する圧倒的な制圧力だ。陣地や城塞などがこれに当たる。しかも最初に義勇軍が壊滅させられた奴と違い、最近出てきたタイプはかなり移動速度が上がってきている。少し小さくなったようだが、それでも重さそのものが脅威であるのに、動きまで速くなっているのは大変に面倒だ。
相当な火力を集中すれば、倒せることも分かっている。
だが巨獣の周囲には敵の高位術者も配備されていることが多いようで、とにかく防御術式が堅い。今までの撃破報告でも、いずれもが倒すまでに相当な被害を受けていた。グラント帝国の１２０インチ砲などでの斉射で、比較的楽に倒せはしているようなのだが。それでも、数千の兵士が犠牲になっている。
しかし、悲観材料ばかりでは無い。
多分、敵も巨獣の製造には相当なコストを払っているはずだ。あれが生物なのかはよく分からないが、膨大な物資を費やしているのは間違いない。
そのコストに見合わないと敵に判断させれば、巨獣はどうにか出来もする。つまり、あれを防ぐには、それだけの大きな意味があるのだ。
鐘が叩き鳴らされる。
敵襲かと、騎士達がばたばたと外に出て行った。だが、ユキナは冷静に鐘の内容を聞いていた。
外に出ると、クドラクが待っていた。既に旧アニーアルスの高官では、殆ど唯一の生き残りとなった義勇軍軍師は、落涙していた。
「陛下！」
「銀髪の双子が、戻ったのだな」
「はい。 今、斥候から知らせがありました」
どうやら、全てが破滅に向かっているわけでは無いらしい。
アニーアルスの壊滅で、不安を覚えている民はかなりいた。だが、勇者を使って喧伝することで、かなりの不安を和らげることが出来るはずである。
ユキナは幾らかの計算をすると同時に、しかし、本心から安心している自分にも気付いて、少し驚いていた。
どうやら、あの双子に依存しているのは、自分も同じらしかった。
３、サタンの囁き
グラは仕事が終わると、何度も貰ったマニュアルに目を通した。
第六巣穴に移設されたサタン。最古の補充兵であり、魔王のブレインである存在。無数の脳みそを結合させて、液体で満たされたケースの中に放り込んだような、不気味なるもの。
生体コンピュータと言われても、よく分からない。とにかく、考える事を専任している道具なのだと、それで自身は納得した。
そして、考える事を、普通の魔物よりも何十倍も出来る、という事にも。
「あにき、少しねた方がいいぞ。 カーラもしんぱいしてる」
「ん？ ああ、そうだな」
いつの間にか、心配そうなキバが後ろに立っていた。咳払いすると、休むことにする。
マリアがキタルレアに行ってしまってから、カーラは寂しそうにしていると、キバは時々嘆いていた。グラには、未だに良くカーラの表情は読めないのだが、それは確かにあるかも知れない。
「分かった。 もうすぐ寝る」
「あにきがそういうならあんしんだ！ おれ、さきにねてくる！」
「そうだな。 そうしてくれ」
陽気な弟分が明るい表情を取り戻したのに、グラは安心する。
いや、気付く。安心している自分にだ。
自分にとって、この弟分は大事な存在だ。種族が違っても、家族である事に間違いは無い。
肩をもんで、一眠り。
まだ朝も早い内に起き出すと、外で軽く体操する。キバはまだ自室で、凄く気持ちよさそうに寝ていた。
山の上の方で、じっと遠くを見ている者がいる。木に絡みついている大きな蛇。彼こそが、配備された師団長ウロボロスだ。てっきり人間型が配備されるかと思っていたのだが、少し型が古い者が送られてきた。
ウロボロスはキタルレアで転戦を繰り返してきた師団長で、膨大な戦闘経験は他の新米師団長にかなり移植されている。その代わり、当のウロボロスは既に戦闘が厳しいほどに心身ともに傷ついていて、今回は隠居に近い措置だったという。
ただし、それでも師団長。敵の小規模な軍勢くらいなら一蹴できる実力を持っているし、何より睡眠も食事も殆ど必要ない上に、かなり遠くまで索敵できる。いざというときには、敵の奇襲部隊を食い止めるくらい、余裕を持ってやってみせるだろう。
いずれ、もう一名の師団長を配備してくれるという。それまで、待つだけだった。
仕事場に出る。まだ少し肌寒い。
周囲は既にすっかりの緑だ。カーラが植林の方向性を変えたのである。今まで低木林だったのを、かなり育つ木を中心に植え始めている。仕事場の周囲は、成長が早い木が、既に陽光を遮るほどだった。
人間にとっては邪魔かもしれない緑だが、グラにはむしろ心地よい。
「ウロボロスどの」
「おお、グラどのか。 今日も朝早いなあ」
「何、皆を導くには、必要な努力ですよ」
ウロボロスは、寡黙だと周囲に思われているが、違う。
目は凄く良いのだが、耳が殆ど聞こえていない。否、少し違う。どうやら、あまり他の者の言葉が理解できていない様子なのだ。
多分歴戦で心が疲弊しきった結果なのだろう。
だから、早朝にちょっと会話が出来る位だ。でも、グラにとっては尊敬すべき老勇者である。連隊長達も、敬意を払って行動してくれていた。
マロンが来る。今日は、マロンよりも先に来た。
ウロボロスと違って、マロンは本当に寡黙だ。必要なことしか喋らない。
「おはようございます」
「ああ。 何か今日は特殊な行事があるか」
「いいえ。 午後から、時間を作れると思います」
「それは良かった」
スケジュール管理は、マロンに任せてしまっている。マロンは殆ど私心が入らないから、こういう作業には誰よりも適している。
体操をして、体をほぐす。
と言っても、メインの仕事である運ばれて来る死体の確認と帳簿付けは、最近めっきり量が減っている。昼過ぎには終わってしまうほどだ。
しかも、死体は質が悪いものが増えてきている。骨だけのものもかなりあった。
アニーアルスを陥落させてから、一月ほど。
完全な膠着状態に、打開の兆しは見えない。敵も味方も動きを止めてしまっており、なおかつ画期的な戦果が期待できる状態には無いからだ。
多分、他の巣穴も退屈していることだろう。
だから、その時間を、グラは有意義に活用するつもりだった。
日が昇りはじめると、食事を済ませたキバが、カーラを職場まで送っていくのが見えた。山に小川を通してからは、最近の職場は山裾になっている。岩山の全体的な緑化は、完成に近づいていた。
山の緑化が終わったら、今度は裾野一帯を緑化して貰おうと、グラは思っている。軍用道路だけは残して、他は全部緑にしてしまってもいい。時間は掛かるだろうが、カーラならそれが出来るだろう。
仕事が始まる。
黙々と、こなす。昼過ぎからは時間があるとは言え、夕刻からは、新しい師団長を作るのに立ち会わなければならない。また難しい立ち会いらしく、他は暇そうなのに、シャルルミニューネだけがぴりぴりしていた。
だから、無制限に時間があるわけでも無い。
効率的に、確実に、仕事を処理しなければならない。これが、かなり神経をすり減らす。
昼が来て、ようやく一段落。今日の運び込みは終わった。やはり、南部諸国で墓などから集めてきた状態が悪い死体ばかりだった。これでも補充兵は普通に作れるのだから面白い。
昼飯をさっさと平らげると、溶体炉があるのとは別の洞窟に。
サタンがある穴だ。中はかなり整備されているが、配置された直後とは違って、今は見張りの兵などは殆どいない。設置に関わったエルフ族の兵士達は皆引き上げてしまったし、今は無口な下級の補充兵達が、黙々と監視に当たっていた。
グラがサタンの元に出向くと、シャルルミニューネがいた。今、席を外して大丈夫なのか聞きたくなったが、まあ専門家のすることだ。門外漢のグラは黙っておくことにする。ボスの仕事の一つは、部下のやることを見守る事なのだ。
「おや、どうしたね」
「それは此方の台詞だが」
「あたしの方は、此奴に聞きたいことがあってね」
サタンの台座を、シャルルミニューネがちょっと乱暴に蹴った。かなりデリケートな機械だと聞いているので、ちょっと不安になった。
サタンは、相変わらず硝子容器の中で、ぼこぼこと泡を立てている。巨大な機械と接続されているが、「考える部分」だけでは無い。満たされている液体を製造する部分も、かなり大きい。まだ、あまり此奴とは会話できていないので、今日はじっくり色々試してみようと思っていたのだが。師団長を作成することに関わっているのなら、優先度はシャルルミニューネの方が上だ。
「解決には時間が掛かりそうか」
「もう終わったよ。 ふん、今日も忙しくなりそうだ」
嗚呼面倒くさいと言いながら、マインドフレイヤ族の老婆は洞窟を出て行った。とりあえず、用件が済んでいるのなら、もう良い。
それに、最近シャルルミニューネは、グラをボスとして認めてくれている。上からの言葉で良いと言い出したのはシャルルミニューネの方だ。そういう点からも、ありがたいとは思わなければならなかった。
マニュアルを出すと、早速作業に取りかかる。
ボタンを押すと、コンソールというものがせり上がってくる。そしてしばらく文字が流れ、それからふいに声がした。慌てて耳に当てる道具を被る。やっぱり慣れていないと、マニュアルで見ていても巧く操作できない。
「初めまして。 生態情報、認証します」
「ええとだな、グラだ。 今日は幾つか質問があって来た」
「生態情報、認証できました」
微妙に会話が成立していないので、マニュアルを見直す。
最初に、登録されている情報で認証をするとある。要は、関所を通るときに札を見せるようなものだそうだ。頷きながら、順番に作業を進めていく。
不意にコンソールに顔が写った。禿頭の、老人の顔だ。特徴から言って、多分エルフ族だろう。
「グラ管理官、今日のご質問は」
「……質問して良いのか」
それ自体が、質問として取られたらしい。少し時間をおいて、サタンが応える。
質問に答えるために、自分はいますと。
グラ自身が考え込んでしまう。マニュアルで見て知っていたが、やはり相当に融通が利かない。かといって、魔物では無理な緻密で論理的な計算が出来るらしいので、我慢するしか無い。此処からは、下手なことは言えない。多分魔王が何かしらの計算を今もさせているはずで、負担が大きくなりすぎるようなことはあまりさせてはならないだろう。
決めてきた質問を、一つずつしてみる。
「現在のこの第六巣穴だが、緑化が終わるにはどれくらい掛かりそうだ」
「……お待ちください」
少し計算した後、サタンは後半年と言った。
これはだいたいグラの計算と合う。半年したら、裾野の緑化に当たらせる予定だから、それは別に良い。
少しずつ、質問を変えていく。
「皆が気晴らしになる方法は無いか。 第六巣穴は娯楽が少ない」
「ストレスの発散法であれば、遊戯やスポーツが効果的です」
「なるほど」
確かに、体を動かしたり、皆で笑ったりするのは良い。
ただし、スポーツは近場にやるところが無い。荒野を整備するにしても、ちょっとそれでは本末転倒だ。
しかし遊戯の場合、勝ち負けによるリスク設定が難しい。あまりやり過ぎると、それで財産を失うものまで出てくるだろう。
それならば、ささやかな規模で実施すれば良いと、サタンは言う。
「たとえば、このようなプランは如何でしょうか。 日なり月なり、定期的なタイミングで、遊戯に参加する権利を券などで配布します。 その券そのものを質草にし、それ以上の遊戯をすることは禁止、というような内容であれば、破産者は出ません」
「やけに詳しいな」
「私の中には、人間社会で蓄積された情報がデータベースとして眠っています。 他にも様々なプランを提示できますが」
「頼む」
幾つか、提示させる。
ストレスを発散するには、過激なものほど良い。人間は娯楽で同胞を殺し合わせたりするらしいが、魔物は基本的に其処まではしない。だから、それぞれが楽しめて、なおかつ喧嘩にならないようなものだけを幾つか厳選させた。
とりあえず、今日はこれくらいで良い。一旦引き上げる。
補充兵の内、警備だけをしている連中を回せば、さほど時間も掛けずにある程度の遊戯施設は作れるだろう。やるとしたら後腐れが無い平等なものにした方が良いし、出来れば建設的な作業につながる方が好ましい。カードなどを使う遊戯は駄目だ。喧嘩になりやすいし、巧い奴はイカサマも出来る。出来れば皆が後腐れ無く軽く出来る、単純だが楽しいものが良いだろう。
ただ、勿論こんな事を聞きたかった訳では無い。
グラは最終的に、サタンに聞きたいことがある。それは、この戦争が、どうしたら終わるか、という事だ。
人間を滅ぼすというのが、どうも現実的では無い事は、グラにも分かっている。
かといって、このままの膠着は、魔王軍にとって著しく不利だ。魔王軍も様々な新兵器を開発してはいるが、このままでは補充兵の材料が頭打ちだし、何より戦争に関しては人間の方が進歩も早い。
しかし、人間側も、状況が膠着すれば、勝手に殺し合いをはじめるだろう。今まで、ずっと人間はそうしてきたのだから。
とにかく、今回は巣穴に娯楽を持ち込む方法だけを考えられれば良い。
そう頭を切り換えて、グラは一度洞穴を出た。
マロンを呼んで、娯楽について話す。設計するほどのものではない。今回提案されたのは、誰もが笑って楽しめるものだ。
「彼処にあるスモモの木が、食べられる実をつけるまでに後何日かかるか。 収穫については、カーラに判断させる。 ずばり当てたものには、何か報償を出す」
「面白い考えですが、報償についてはどうしますか」
「食べ物が良いだろう。 その場で美味しく食べられる程度のものでよい」
「それならば、少し珍しい果実として、パインアップルというのが制圧した南部諸国から上納されはじめている様子です。 毒性などはないらしいので、それを使ってはどうでしょうか」
子供だましの遊戯だが、これでも娯楽が無い此処には貴重だ。
翌日から、早速実施することにした。
意外に遊戯は盛り上がった。当てたのは最近配置されたオークのクロサムであり、パインアップルの大きな実をその場で割り、うまいうまいと平らげた。ちょっと酸っぱいところが、好みにあったらしい。それに、カーラが非常に誠実な仕事をしていることは誰もが知っていたので、誰も結果に異議を唱えなかった。
クロサムは輸送部隊の隊長を体力的に続けられなくなり、此方に来た。弱り切っていて、右足が既に殆ど動かない状態であるから、巣穴の奥の方で毎日帳簿ばかりつけている。だからか、今回の娯楽に勝った事は、とても嬉しかったらしい。
「ありがとうよ、グラどの。 またこんな事をやってくれるか」
「分かりました。 来月も開催しますから、ふるって参加してください」
自分で形にするより、相談するとよりまとめやすい。それは、今回の件でよく分かった。
再び時間を作って、サタンの所に行く。
前回よりは、上手に操作することが出来た。
少しずつ、クリティカルな話をしようとグラは思っている。だから、今回も比較的当たり障りの無い質問をした。
「此処の食堂はとても美味しいのだが、やはり食事のバリエーションが少ない。 山の幸が取れるようになるまで、まだ少し時間が掛かる。 輸送は定期的に行われているが、まだ種類はさほど確保できていない。 何か妙案は無いか」
「料理人の工夫次第ではないでしょうか」
「料理人は、考える限り最高の腕前だ」
「それならば、材料自体に工夫をするという手があります」
意外に面白い話を聞かされた。いずれも、人間の文明の知恵だという。
たとえば果実でも、生のままだけではなく、干したり簡単な加工をするだけで、随分味が変わってくるのだという。それは料理の下ごしらえとか言うレベルでは無く、もっと根本的な段階で、材料としての質がそもそも変わるそうだ。
こういう点は、人間の文化についてはたいしたものだとグラは思った。どうして戦争ばかりするのか、理解できない。
ふと、マリアの事を思い出す。
彼奴は、人間がみんな戦争を望んでいるわけでは無いとか言っていた。こういう文化を見ると、確かにそれは感じる。
魔物だって、戦争を望んでいるわけでは無い。だが、今は人間が攻めてくる事が、そもそもの問題になっている。彼らにとって、魔物の領地や資源はビジネスチャンスの素材。である以上、戦争は止まない。
人間にとって、金は命より大事なのだ。
幾つか、材料について上げると、実際に出すべき工夫について告げてくる。
頷きながらメモを取り、食堂でリザードマンの料理人に提案。彼はしばらく考え込んでいた。
「何か気に入らないことはあるのか」
「いや、どんな材料でも、皆に合わせて美味しく料理はしてみせる。 だが、そんなことまで気を配る必要が、あんたにあるのか」
「俺はこれでも此処を任されている。 だが、俺自身が、全てを動かしているわけではなく、巣穴を稼働させているのは魔物達皆だ。 俺に出来ることは限られている。 だから、皆が全力で働けるように導いて行くのが仕事だ」
「そうか。 ならば甘えさせて貰う。 俺も正直な話、材料のバリエーションが少ないとは思っていた」
リザードマンの表情は分からないが、少し雰囲気が柔らかくなったのを感じた。
情報通信球を使い、ヨーツレットに話をしてみる。本土に、そういった技術を持つ職人はいないのかと。
ヨーツレットは触手を揺らしていたが、応えてくれた。
「ふむ、やはり其処からお前を移動させるのはもったいないな」
「どういうことでしょうか」
「こういう些細なことでも、お前の考え方が伝わってきて好ましい。 魔王軍の文官に、これといったものがいないことはお前も知っているだろう。 文官の元締めになる者を抜擢しようという話が出ていてな。 お前が第一候補だ」
思わず、呻く。
そのような器では無いと言おうと思ったが、しかし夢はグラにもある。
グラの力量を其処までと認めてくれたのなら。
しかし、第六巣穴を放置もしたくない。
「いずれにしても、まだ先の話だ。 それで、そういった職人についてだが、本土ではちらほら覚えがある。 キタルレアに出たい者がいるかどうか、調べておく」
「ありがとうございます」
「お前は私が見た限り、理想的な上司だ。 第六巣穴がお前の物だと錯覚せず、皆のために自分の力を尽くしている。 お前のような奴が、文官のトップに立てば。 きっと魔王陛下も、安心してくれるだろう。 後は器の問題だが、それは補佐役の補充兵を作れば済むことだ」
過分な言葉に、答えも無い。
一通り仕事を済ませると、グラは少し嬉しくて、酒を久しぶりに楽しむことにした。
だが、すぐに後悔することになった。
時間が出来た。
アニーアルスからの死体も途絶えた。兵士を五万、民間人の巻き添えがほぼ同数という程度だったらしいから、無理も無い話だ。ただし、これで多少の予備兵力の蓄積くらいは出来る。
輸送部隊は、死体では無くて物資の輸送に戻った。最前線に運ぶ物資を満載して、第六巣穴を通り過ぎていく部隊も多い。
後は、前線に向けて予定通りに補充兵を送り出すだけだ。師団長を作る割合が増えてきているが、それも理由はだいたい想像がつく。
今度狙うのは、恐らく西ケルテルだろう。
ただし、キタンやグラント帝国は警戒を強めているはず。西ケルテルも警戒しているだろうし、アニーアルスのように一日でつぶせるかとなると、かなり疑問が残る。
今、此処が余裕があるというのは、良いことなのだ。三つも溶体炉を抱えている、魔王軍最大の生産拠点。此処が忙しく稼働していると言うことは、それだけ魔王軍が劣勢であるか、戦闘が活発に行われていると言うことを意味するからだ。
サタンに話を聞きに行く。
ここしばらく、ずっと細かい質問をして、それに満足する返事を得ていた。今回は、いよいよ聞いてみるつもりだ。
平穏を作るには、どうすれば良いのか。
少し、緊張した。途中、キバがカーラを肩車して、何か楽しそうに話しているのが見えた。
此処が、戦場になる可能性もある。
それだけは、嫌だ。陽気なキバを戦わせたくない。カーラが敵兵の剣に切られる姿を見たくない。
それがわがままだと言うことは知っている。だが、家族を失いたくないというのは、グラの本音なのだ。
サタンを起動。
質問を聞かれてから、グラは生唾を飲み込んだ。魔王に対する反逆だろうかと思って、心が痛んだのだ。
魔王のことは尊敬している。だが、戦争をこのまま続けるつもりなのも分かっている。そして、魔王に対する批判意見は、魔王軍ではタブーだ。魔物達の穏健派でさえ、魔王を批判する事はなかった。戦争という政策そのものを批判する事はあったが。
「グラ様、質問を」
「せ……」
不安で、辺りを見回した。
だが、質問の内容については、どうせ記録に残るのだ。今更、後には引けない。
「戦争を終わらせる方法は？」
「現状で戦争を終わらせる方法は、一つです」
「何だ」
「魔王の排除」
予想の最悪を超える答えが、いきなり提示された。
サタンはあくまで淡々と、むしろ平然と言う。
「今、拮抗した戦況を崩す方法はありません。 人間側の首魁が何者かは分かりませんが、どうやらそれを理解している様子。 となれば、今は双方共に民力休養の時期。 むしろ魔王軍にとっては、制圧地域の整備と、人肉に頼らない補充兵の生産技術の開発が急務になります。 しかし、魔王軍の首脳で唯一、人間への永続的攻撃を主張する存在が一名います。 それこそが、魔王」
「よ、よせ」
「今は、無理に攻撃を仕掛けた方が、負ける状況です。 このまま魔王が一旦民力の休養を口に出せば、状況は楽になります。 絶滅寸前の魔物も多く前線に出ている現状を、少し変えることも出来るでしょう」
「止めろと言っている！」
そんなことは、とっくに分かっていた。
だが、サタンが今口にしたのは、まさに口にしてはならない事。此奴は結局の所、優秀でも機械だったのだなと、グラは絶望した。
だが、此奴の言うことが、正論である事も、痛いほど分かるのである。
戦争を止めるべきだというマリアに、グラは何処か期待していたのではないのか。だから、アリアンロッドに預けて、魔物の現実を見て貰おうとしたのでは無いか。
魔王を説得できるのでは無いかと、何処かで期待していたのでは無いのだろうか。
グラも、うすうすは分かっている。
魔王が、何かしらの強烈な出来事によって、人間に対する絶対的なまでの憎悪を抱いていることは。それが恐らく、恋人か、或いは子供か、孫か、いずれかが悲惨な末路を遂げた結果であろう事も。
言われていなくても、だいたいは察しがつく。同じ顔しか設計しようとしない、人間型の補充兵を見ていれば。
「質問はこれで終わりだ」
「分かりました」
サタンはあっさり引いた。
大きく嘆息すると、グラは洞窟を出る。マロンがかご一杯に収穫を抱えて、道を降りていくのが見えた。その先に、大喜びして歩調が軽いキバの背中と、手をつないでいるカーラが見えた。キバがはしゃいでいたのは、何か木の実がたくさん採れたかららしいなと、グラはぼんやり思った。
余計なことを知ってしまったグラに対して、弟分はなんと無邪気で楽しそうなことか。
だが、知ってしまったからには、トスアップをしなければならないだろう。
マロンが戻ってくると、グラはすぐに情報通信球で、魔王に直接つないで欲しいと指示。小首をかしげながらも、マロンは指示を実行してくれた。
最初に出たのは、エルフの護衛兵だ。サタンを此処に運ぶときに、テレポートを使った者である。
「これはグラ管理官。 魔王陛下に火急の用と聞きましたが」
「ああ。 今、陛下に直接話したい」
「……分かりました。 つなぎます」
自分が、軍団長に次ぐ地位にあるのだと、こういうときに実感する。嬉しいと思う反面、何処か悲しいとも思った。
門前払いされていれば、魔王に知られずに済んだかも知れないのに。
魔王が出る。穏やかな表情の魔王は、グラの話を聞くと、ミカンを食べる手を止めた。
「そうか、サタンがそんなことを」
「申し訳ありません」
「いや、皆が戦争に倦んでいることは、儂も知っておった。 だから、そなたはそれほど、自分を責めずとも良い。 もちろん、罪には問わぬ。 機械に命令しただけで、何ら実害はないからのう」
「陛下……」
頭を下げるグラに、魔王は言う。
「それに、サタンは知らぬ切り札が、少し前に完成した」
「え……」
「サタンに計算させていたのは、その切り札の基幹部分の一つ。 それだけではどうやっても全容が解明できないように工夫していたからのう。 来月には、両軍の均衡は崩れる事じゃろう。 我が軍有利という形にの」
魔王は静かに笑った。
グラは、背筋に寒気が走るのを感じる。魔王が、心の底から本気で、人間に対しては滅ぼすことしか考えていないことを、改めて悟ったからである。
「案ずるな。 この星から、必ずや諸悪の根源である害虫共は排除する。 その後には王道楽土が訪れるだろう」
「……はい」
本当にそうなのだろうか。
通信を切った後、グラは今まで以上に深い悩みにとらわれていた。
魔王のことは、まだ尊敬している。だが、やろうとしていることには、どうしても無理があるとしか思えないのである。
その日から、グラはサタンの元に足を運ぶのを止めた。
そして、酒の量が増えたのだった。
４、決戦準備
ミズガルアが一時的にとはいえキタルレアに来たと聞いて、ヨーツレットは驚いた。あの引きこもり軍団長は、ずっとフォルドワードで兵器開発にいそしんでいた。まさか、戦闘の可能性があるキタルレアに来るとは思っていなかったからである。
ただし、来たとしたら、任務には心当たりがある。
陥落させたアニーアルスの一角に、それは設置されはじめていた。
巨大な塔のように見えるそれは、黒光りしていて、陽光を反射して禍々しい存在感を周囲に見せつけている。
知っている。
これこそが、闇の矛だ。
そして、その矛の機関部には、巨大な機械が据え付けられている。動力部分であるらしい。よく分からないが、物質の根源となるものを融合させて、力を出す機械であるらしい。
非常に危険だと言うことで、純正の魔物は近くへの立ち入りが禁止されている。ヨーツレットも限定的な時間しか、入る事を許されなかった。
厳重な護衛の中、ミズガルアがいた。無数の触手と、その先についている手を動かして、熱心に作業をしている。ヨーツレットが近づくと、なまこに似た体を持つミズガルアは、振り返らずに言う。
「おやー？ 元帥ですか？ 久しぶりですねー」
「分かるか」
「鏡に映ってますから」
コンソールとか言う機械画面に、ひっきりなしに無数の字が浮かんでは流れて行っている。ミズガルアが何をしているのかはよく分からない。だが、かなり複雑な作業である事は確かだ。
「闇の矛は、撃てそうなのか」
「一発だけなら、すぐにでも」
「そうか」
「陛下の話だと、それじゃあ駄目みたいですけどねぇ」
ぽんと、小気味よい音と共に、ボタンが押される。
同時に、周囲の機械が、一斉に動き出した。
面妖な光景である。だが、人間が作った機械兵器を引見するとき、内部はどれもこれもが奇怪でおかしかった。
特にこれだけが、変と言うことも無いか。
「はい、調整終わりました。 後は少し時間をかければ、チャージが終わりますよぉ」
「そうか。 それで我が軍は勝てるのか」
「陛下に聞いてください。 私は、ただの、技術屋ですから」
うんせうんせと、ミズガルアが歩き出す。毎度思うのだが、魔王がミズガルアを自ら設計したとき、どうしてこんな重い体にわざわざしたのだろうか。
だが、ミズガルアが魔王軍きっての技術屋である事は間違いの無いところである。何か理由があるのだろう。
外に出ると、闇の矛は、禍々しい光を増しているようにも見えた。
ミズガルアをテレポート部隊が送っていくのを見届けると、ヨーツレットは自陣に戻る。今、アニーアルスには二万ほどの戦力が入って、守備の体制を整えている。ベヒモスも二匹が入っており、多少の攻撃であれば容易に跳ね返すことが可能だ。
しかし、西ケルテルに関しては、攻撃態勢が整っていない。
少し前から師団長を中心に構成した特務攻撃部隊を編成してはいるのだが、敵はキタンとグラント帝国と連携の体制を見せ、下手にヨーツレットが前線を離れたら、一気に攻め込む態勢を作っているらしいのだ。
その上キタンは前線に強靱な融合不死者兵を並べてきており、その数は既に五万を軽く超えている。
グラント帝国は１２０インチ自走砲の砲列を並べてきており、皇帝が姿を見せてからは、その数は１００を超えていた。
いずれもが、全戦線で連携しないと、押し返すのは難しい戦力だ。西ケルテルに奇襲を仕掛けるにしても、恐らく半日以内に敵を殲滅しないと、全戦線が危機に陥ると考えて良い状態だ。
その上、である。
アニーアルスを落としたとき消えた銀髪の双子とそのほか数名が、西ケルテルに生還したという。そうなると、今度は簡単にはいかないだろう。生存者がいる上に、人間にとっての最強の精鋭である銀髪の双子がいる。そして、今回連中は、ヨーツレットが侵攻戦で使った戦術を目の当たりにしている。
当然、対策を練っていると見ていい。
辺りの守備を確認した後、仮設魔王城に戻る。テレポート部隊まで使ったのは、魔王に直接闇の矛について聞こうと思ったからだ。
魔王は、難しい顔をして、玉座で考え込んでいた。珍しいことである。
「陛下、ヨーツレット、参上いたしました」
「うむ、元帥。 闇の矛は」
「既に動力部分は完成した模様です。 ミズガルアによると、チャージをもう実施しはじめているとか」
「そうか。 ならば開始できるかのう」
魔王が立ち上がる。
護衛の兵士達をつれて、テラスに出た。魔王を守るようにして、ヨーツレットもその後に続いた。
魔王は、空を見上げる。
雲が流れ、青く、どこまでも広がる空。
「元帥は、あの先に何があると思う」
「良くは分かりませんが、或いは別の世界でしょうか」
「その通りじゃて。 ただし、此処より腐っている、ろくでもない世界じゃがのう」
くつくつと、魔王が笑う。
魔王は、知っていると言うことだ。その世界を。
「闇の矛はのう、その世界から来たものじゃよ。 経緯は分からんが、異世界の戦争で破壊された船に搭載されていた武器のなれの果てじゃて。 ただし、色々と余計な手を加えられておるがのう」
「手を、加えられた、ですか」
「そうじゃよ。 この世界を、こんな形にした神々とでも言うべき傲慢な連中にの」
風がながれる。
ヨーツレットは、この時確信した。いよいよ、決戦の時が近づいているのだと。
「さて、チャージが終わるまで、闇の矛をなんとしてでも守り抜いて欲しい」
「分かりました。 この命に代えて」
「どうやら、完成したようだな」
聖主が呟く。
光の槌の情報収集室から上がって来たデータを見て。
フローネスにはただの黒い塔にしか見えなかったのだが、これが噂に聞く、闇の矛であるらしい。
「憎悪砲は」
「まもなく発射が可能です」
「丁度良い。 発射が可能になり次第、アニーアルスそのものを、この世界から消去せよ」
「御意」
慇懃に礼をすると、フローネスは不定形の体を引きずって、聖主の前から退出した。
憎悪砲は、既に充分なエネルギーを蓄えている。
概念はよく分からないのだが、聖主が言うところによると、「世界を観測する力」を利用して、「確率を変動させる」事により、対象を破壊する兵器だそうである。憎悪という強い感情によってそれを実施することが味噌なのだそうだが、何度聞いても理解は出来なかった。
でも、それでいい。
理解できなくても、敵を殺せれば、兵器としては合格だ。
オペレーションルームに入る。
既に、部下達は、準備を終えていた。
「憎悪砲は」
「二日後に、発射可能です」
「発射後の、再チャージにはどれだけ掛かる」
「およそ三日という所でしょう」
勝ったと、フローネスは呟く。
魔王の敗因は、手にした武器がポンコツだった事だ。此方はエル教会によって保存されていた光の槌は状態が良く、機構さえ整備すればすぐに使えた。搭載している武器類も豊富であり、憎悪砲が使えなくても、他にいくらでも攻撃手段はある。
闇の矛を潰しておけば、後は予定通り、魔王を銀髪の双子を使って殺せば良い。
そうすれば、聖主が言う、愛に満たされた世界がやってくる。
その世界で、フローネスは聖主の右腕として権勢をふるう。もしも人間の形が残っていたら、小便を漏らすほどに、フローネスは興奮した。
今までの、影の支配者では無い。
本当の意味で、人間共も、そればかりか魔物さえも、生殺与奪の権利を握った支配者だ。聖主は一度追われたことからも分かるように、実務能力に欠ける。理想を実現するための実務者が必ず必要になる。
フローネスこそが、その実務者として。世界を握るのだ。
そうなれば、いかなる事もやりたい放題だ。
聖主のことを馬鹿にしているわけでは無い。聖主のことは、今では崇拝している。だが、実際に世界を動かすには、相応しい存在が必要であり、それがフローネスだというだけである。
野心が煮えたぎる。
此処で、失敗するわけにはいかない。
万全を期すように、部下達に指示。そして、オペレーションルームを出ようとした瞬間、警告の声が飛んできた。
「旧アニーアルスに、巨大な反応あり！ 闇の矛ではありません！」
「何だと」
「これは恐らく、防御術式です！」
データが提示された。それを見て、思わず呻く。
今まで、見たことが無いほどに強力な防御術式だ。これは、一体何だ。魔王が直接展開したにしても、強力すぎる。
「憎悪砲の出力を上げるしかあるまい」
「しかしそうなると、下手をするとキタルレア大陸全土が消し飛びます」
「何とかして、威力をピンポイントに絞れ。 調整するのだ」
「一月は掛かりますが……」
フローネスは、目の前が真っ暗になるのを感じた。既に体中に目があるのに、こんな感覚を覚えるとは、予想外である。
そうだ、魔王も到達者なのだ。ならば、此方の状態を把握できていてもおかしくない。
もう少し、準備を早めるべきだった。痛恨の事態である。
敵も、闇の矛を発射するまで、一月ほど掛かると計算が出ている。勝負はかなりきわどくなるだろう。
一旦聖主の元に戻る。
己の野望が、崩れる音がする。フローネスは、焦りの中で、確かにその音を聞いていた。
（続）
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