真実への門

 

序、混戦

 

キタン王ハーレンの元へ、グラント帝国からの物資が届く。大陸北側からの海運ルートをたどって到達した軍需物資が主な内容である。他には、食料などが主な内容だ。

これらの代わりに、ハーレンもキタンで取れる物資をグラント帝国へ輸送している。主な内容は制圧した国で取れた鉱物や、何より馬や羊であった。特に持久力に優れ長距離を走ることが可能な馬は、向こうではかなり喜ばれる。

直接引見に携わる訳ではないが、近場まで来ていたハーレンは、部下から引き渡しについて問題ない旨の連絡を受けた。

かってだったら考えられない話である。エル教会の斡旋で対魔王の広域共同戦線が作られ、その結果こういう貿易に近い形の物資交換も実現した。かってだったら、互いに血で血を洗う抗争で奪い合っていた物資が、無血で引き渡し合っているのだから面白い。

幹部達と一緒に、物資を見に行く。

港から運ばれてきた物資は潤沢で、帝国の国力が如何に強大かを示している。

グラント帝国は、上層部が混沌としているのに、不思議と社会は上手く廻っている。貴族の腐敗はひどい様子だが、一方で無能というわけでもないらしい。貴族同士が陰険な争いを繰り返している状態が、不思議な緊張を作り出しているようで、それが全体的な強さにつながっているのかも知れなかった。

この国を駄目にするには、豊かにするのが一番だろうとハーレンは思う。

要は、別の貴族のものをほしがらなくても大丈夫なくらい貴族が金持ちになれば良いのである。そうすればあっという間に腐敗から堕落へ貴族は転落し、そして国は崩壊の一途をたどることだろう。

そうして滅亡へ向かった国も、過去存在している。

そしてそれは、何も画期的な技術などで、国が豊かになる必要は無い。法だの圧政だので、富の均衡を崩してやれば良いのである。今、帝国で反乱が起こらないのは、国民が圧政に晒されていても、生活が出来ているからだ。これ以上民から搾り取れば、あっという間に帝国は瓦解するだろう。

輿の中から物資を引見し、幹部達とどう配布するかなどを軽く合議する。貧しい地域などに食料を配り、また前線の部隊に戦略物資を配置。それらの配分を決めた頃に、伝令兵が来た。

「ジンセン将軍からの伝令です」

「どうした」

「また、南部諸国で、グラント帝国軍が負けたようです。 死者は二万を超えた模様」

「小競り合いが続くな」

二万の死者が出たというのに、小競り合いという意識になってしまっている。何処か感覚が麻痺しているのは、ハーレンも同じであるらしい。

「それで、前線はどうなっている」

「魔王軍はグラント帝国の攻勢をはねのけると、再び後退して、前線の維持強化に努めている様子です」

「そうだろうな。 それで」

「ただ、未確認情報ですが、グラント帝国のカッファー中将が戦死したため、テスラ中将が指揮を引き継いだ可能性があるとか。 軍の配置や動きに、変化が見られるそうです」

テスラか。

陰険な老人で、貴族の間でも煙たがられているという噂の人物だ。そしてこれはまだ未確認なのだが、どうも皇帝直属の火消し屋である可能性があるとか。かなりの高齢にもかかわらず、相当な肉弾戦をこなすという情報もある。

カッファーは部下をゴミ同然に思っていたらしく、かなり恨みを買っていたとも言う。まあ、グラント帝国の貴族は多かれ少なかれそんな感じだが、特にカッファーの冷酷さは際立っていたとかで、ハーレンも何度か悪評を聞いたことがあった。

いずれにしても、カッファーの排除には、グラント帝国の闇が関わっている。あまり手を出さない方が良いだろう。

ただでさえヨーツレットをどう押さえ込むかという段階で、これ以上内部に火種を抱えたくないからだ。

「如何なさいますか」

「此方は状況堅守」

「よろしいので」

「今は下手に動かない方が良い」

少なくとも、内乱の可能性まで抱えはじめたグラント帝国に関わらない方が良い。他にも三つ、東には強力な国があり、今進軍中である。そいつらを中心に味方にして、いざというときに対処すれば良いだけだ。

「後は融合死人兵の量産と配備だな」

ハーレンは呟くと、もう一度、軍の配置について、確認することとした。

 

1、魔物の土地

 

アリアンロッドにつれられて、マリアはキタルレア西端の港から、クラーケンにのった。キタルレアを離れること自体初めてだが、このような形でとは。運命とは、予想できないものである。

巨大な貝と蛸を組み合わせたような化け物は、海の上をすいすいと進み、非常に快適だった。むしろ大型帆船よりも快適かも知れない。

クラーケンは触手のパワーで、大海原を進んでいる。今いる位置の確認などは、魔術でやっている様子だ。波が来ても揺れることは少なく、最悪の場合は殻を閉じて乗員を守ることも出来るらしい。

船酔いすることもなく、マリアは黙々と下働きを続けた。

見ると、人間に似た魔物もいる。だがそういう魔物は、一様に口をきくことが出来ない様子だった。判断力も限定的で、出来る作業も限られているらしい。

ただ、クラーケンは元が生き物だということもあるのだろう。仕事は、噂に聞く船乗りほどは忙しくない様子である。

師団長だというアリアンロッドは、いつも厳しい表情を崩さず、鎧も髪型も乱れていると謂うことが無かった。ぴしっとした格好が、その威厳の一端になっているのは事実である。笑顔を浮かべるところは想像できない。

魔物の中でも女傑と言われ、数々の戦いで生き残ってきた英雄だという。華奢なイメージのあるエルフ族の中では、異例の存在なのかも知れない。

海の上で、夜を迎えて、次の朝が来て。

やがて、フォルドワードが見えてきた。だが、すぐには上陸しない。沿岸を迂回して、港まで行くのだという。

クラーケンの上からフォルドワード大陸の陸地を見ると、緑が目立つ。人間の土地の場合、畑や田にしてしまうような土地も、緑のままにしている様子だ。人間が見たら無駄だとか言うのだろうか。たとえば、マリアが知る村人達だったら、切り倒して薪を作るか、畑にすると言い出すのは間違いないだろう。

こういう所でも、魔物と人間は考えが違う。

海の上で何かが跳ねた。人魚族だ。手に槍を持っている女性が、手を振って船上の触手の塊みたいな魔物と何か情報をやりとりしている。甲板にあたるだろう表面にモップがけをしながら、マリアはそれとなく聞いてみた。

「何を話しているんですか」

「ああ、偵察した所異常なしだとよ。 エンドレンの連中は、あれ以来攻めてこねえからなあ。 楽と言えば楽だな。 まあ向こうも軍船を出して偵察はしてるらしいけどよ、今のところ領海内には入ってこないし、こっちも手出しはしねえ」

牧歌的な空気だ。

だが一年前、ここはこの世界で最も激しい戦が行われたのだという。それだけは、話している内容を聞いて把握した。確かに崖などを見ると、砲撃の跡などが生々しく残っている。砂浜には、多分船を撤去したらしい不自然なくぼみなどもあった。

フォルドワードはキタルレアやエンドレンに比べると少し小さいが、環境はかなり厳しく、それが故に人間が侵攻するのも遅れたらしい。それで、最後まで魔物が生き残っていたそうだ。

最も今では、フォルドワードでは人間の方が絶滅させられているが。

やっと上陸したのは三日目のこと。小さな港で食糧を補給する。

犬のような顔をしたコボルト族が働いていて、荷物を運んでいた。マリアが姿を見せると、露骨に警戒する姿もあった。特に子供達は、土まんじゅうのような家に逃げ込んで、絶対に出てこなかった。

食料などが入っている木箱を運ぶ。中は木の実が多く、リンゴもあった。かなり美味しそうである。

人間が魔物を恐れているのではない。

魔物が、むしろ人間を恐れているのだと、こういうとき思い知らされる。魔王の力がなければ、とっくに魔物は北極で絶滅していたか、生き延びていたとしてもごくわずかな数だけだったのだろう。

再び西に進み、二日でやっとそこそこの規模の港に着いた。

といっても、どう見ても軍港である。巨大なミミズのようなものが、物資を運んでいるのが見えた。鳥のような魔物もいて、物資だけではなく、他の魔物も運んでいる様子だ。

かなりの数の魔物が行き交っている。

アリアンロッドが、部隊を集結させる。そして命令を伝えた。

「物資を搬送して、そのまま北上する。 途中で四つの街を廻り、キタルレアから搬送してきた物資を供給。 最終的には次の配属地点であるカマル要塞で、貴君らと別れることになる」

「名高いアリアンロッド師団長の指揮を受けて、光栄であります!」

姿も背丈も不揃いな魔物達が、アリアンロッドに銘々に敬意を示しているのは、ちょっと滑稽だった。

ユニコーンという輸送用の補充兵がたくさん来て、それに荷車を連結する。このユニコーンたちも、材料はあの人間の死体なのかと思うと、ちょっと心が曇る。

本当の怪物って、何なのだろうと、マリアは思う。

街道を歩く。

街道は殆ど、人間が作ったものを整備し、流用している様子だ。場合によっては輸送のために他の手段も使うようだが、今はふさがっているらしい。

途中、野営所で止まる。あと二日かかると聞いたが、疲れは溜まっていない。

虫も一杯いたが、なんだか不思議と気にならない。背中に羽が出来たせいで仰向けには寝られなくなったので、うつぶせに寝るのだが。もう二日に一度くらい寝れば充分なので、今日は起きていることにした。

いろいろな姿の魔物がいるが、心がある事は接していて分かった。第六巣穴で接していた魔物達もそうだったが、ここでも同じだ。

触手まみれの球体状の魔物は、結構シャイなところがあって、特に自分の目の周囲を見られるのがいやらしい。しかもかなり平和的な性格で、戦争がなくなればいいと、常に口にしていた。

エルフ達もそれぞれ性格が違って、好きな木や植物で不思議な派閥があるらしい。ただし人間とは違い、その派閥が致命的な争いを始めることはなく、棲み分けに使う程度だそうだ。

アリアンロッドの側に控えている老ドワーフは、ずっと無言でいた。戦士として最後の時をこの豪傑の側で過ごしたいと考えているらしいと聞いた。マリアにはよく分からない世界だが、しかし誇りのあり方の一つだと思う。

喋ることが出来ない魔物達にも、個性がある。カーラと接してそれは知っていたのだが、他の魔物もそうだった。時々退屈そうにしていたり、切なそうに空を見たり。きっと、心の中には、感情の残骸があるのだ。

木を背中に座り、考え込む。

この世界は、確実に狂ってきている。魔王のやり方が間違っているのだとは、思えなくなってきていた。何か、もっと違うところから、根本的に世界そのものが狂ってしまっているのだ。

でも、何が狂っているのか、それが分からない。

人間が悪いという単純な答えは導き出したくない。マリアが接してきた人間も、皆感情があり、それぞれの生活を精一杯にしていた。村のために小さな幸せを考え、些細なことで悩み、生きるために悪いこともした。

一体何故、こんな風に世界は歪んでしまっているのだろう。

人間が滅びて、世界が魔物だけになっても、平和になるとは思えない。或いはなるのかも知れないが、認めたくない。

気付くと、側でアリアンロッドが、小麦のパンを差し出していた。

パンを受け取ると、隣にアリアンロッドが座る。

「お前は、人間を止めたと聞いている。 どうしてだ」

「この戦争を、止めたかったからです。 それには、人間のままでは駄目だと思いました」

「……それで、戦争は止められそうなのか」

意外なことを言われた。

この辺りは、かなり森が広がっている。しかし、荒野のままになっている土地も数多い。植林が追いつかないのだそうである。

「分かったのは、魔物が戦争をいやがっても、人間が戦争を止めそうにないという事です」

「つまり、人間を滅ぼすしかないという事か」

「其処までは、考えたくありません。 ただ、人間が利権という化け物を抱えている上に、その……」

「補充兵の問題だな」

頷く。

魔物の中にも、補充兵の生産過程を快く思っていない者はいると、アリアンロッドは話してくれた。驚くべき事に、グラもその中にはいるのだそうだ。

グラはゴブリンだが、そのイメージを完全に覆す存在だった。非常に落ち着いていて知性的で、緻密な理論で全てを丁寧に処理していた。あんな大きな施設を任されているのも分かる。

厳しいところもあったが、悪い印象はない。そうか、あのグラもそうだったのかと、少し元気が沸いたくらいだ。もっとも、グラはマリアのことを、ずっと警戒して心に壁を作っていた様子だったが。

「貴方はどうなのですか」

「私にとっては、補充兵は只の力だ。 それに人間が今まで魔物にしたことを考えれば、これくらいは当然だろう」

「……」

「私からしてみれば、一族が住む森に、人間が近づかなければそれでいい。 だが、我らが人間にとって価値のある存在である以上、どうやっても人間はいずれ信じられないような数で押しかけてくるだろう。 だったら、徹底的に討ち滅ぼすしかない。 今まで、エルフ族は人間を避けて、山奥や原生林の奥で暮らしてきた。 だがどれだけ身を潜めても、欲の皮を突っ張った人間は、必ず我らを探し出し、蹂躙した。 ここにいてもそれは同じだろうと、私は思っている」

人間が変わることは、多分無い。

それに、今のアリアンロッドの言葉は、むしろちょっとした希望に思えた。魔物の考えは、人間に比べると案外平和的だ。ひょっとすると、人間の指導者さえ説得できれば、或いは。

「だが、戦争は止まらないだろう」

「え?」

「魔王様は人間の根絶を明言なされているからな。 魔物の中にも、魔王様の言葉であれば、絶対服従という者も多い。 私も、魔王様がそう命じるのならと思ってしまう所は、確かにある」

「魔王……」

魔王を、説得できないだろうか。

直接会うことが出来れば。少しでも、話をしてみたい。魔物とはコミュニケーションが成立するのである。

多分人間が好きそうな、利権とか利害とかでは、魔王は説得できない。そんな話をしたら、怒り出す。

だが、魔物が平和を望んでいるという形で、話を進めれば。

「魔王には、どうすれば会えますか」

「陛下と何を話すつもりか」

「今、人間も、決して戦争を望んではいません。 少なくとも、末端で暮らしている大勢の民に関してはそうです」

「仮にそうだとしても、人間共の指導者はどうだ。 連中は利権のためなら、数万単位で同胞であるはずの人間を殺す事をまるでためらわぬ化け物だ。 仮に連中を説得できたとしても、その背後にいるエル教会はどうする」

マリアは、今でも自分がエル教会の人間だと思っている。もう体は人間ではなくなってしまっても変わりは無い。

しかし、そういった指導者達は、人間と言えるのだろうかとも、思えはじめていた。

怪物は、心がまず怪物なのではないのかと感じるのだ。

「人間の社会を、変えるしかありません」

「出来るものか、そんなことが」

「……何年掛けてでも、やります。 やらなければならないのです」

このままでは、もっと恐ろしい破滅が待っている。

魔物と人間が徹底的に殺し合った末、この世界の全てが食い尽くされ、終わる。そんな結末だけは、絶対に避けなければならない。

たとえ、そう思っている人間がマリアしかいなくても。

「魔王と、話がしたいです」

あきれ顔のアリアンロッドに、マリアはもう一度、己の希望を伝えた。

 

魔王軍の基地に到着して、アリアンロッドのつれていた部隊は解散となった。アリアンロッド自身は、護衛だという老ドワーフと一緒に、マリアを連れて南下を開始した。街道を丁度逆に進むようにして、南に。

幾つかの基地を経て、海が見える前線基地に到着。

魔王に合わせてくれるという話について、アリアンロッドは応えてくれていない。しばらくは雑用をしなければならないかと、マリアは思った。実際、信用を得なければ、話をする機会など作ってくれようはずもない。

辺りには信じられないほど巨大な大砲が並んでいる。噂に聞く88インチ砲だろうか。いずれもが、人間から鹵獲したとか言う話だが、その割には数が多い。既に、技術を再現できているのかも知れない。

アリアンロッドの師団が、ここにいる。そう説明を受けた。

辺りには、砲撃から身を守るためらしい土盛りや、見張り小屋、それに物見櫓などが点在している。かなり強力な魔術も掛かっているようだ。

魔術については、力が強い魔物がメンテナンスを行っているらしい。アリアンロッドが、作業を見せてくれながら言う。地面に魔法円がかかれ、其処に何名かの魔物が魔力を注ぎ込んでいた。

「出来るか」

「やってみます」

魔術に細工をしたりするほどの知識はない。魔力だけは溢れるほど備わっているようだから、それを単純に流し込む。

周囲の魔物達が、おおと声を上げた。

マリアが思っているよりも、自分の魔力は強くなっているらしい。予定の半分ほどの時間で、魔法陣への力の充填が終わる。

その後、防御魔術の状態を、アリアンロッド自身がチェック。状態は問題ないと言われて、マリアはちょっと疲れてため息をついた。

魔物のために働いているのではない。これは、世界のためだ。

殺すための魔術に力を注いでいるのではない。守るための魔術に力を注いだのだ。それは、決して恥ずかしい事ではないはずだ。

そう自分に言い聞かせて作業をしたが、だがやはり罪悪感に似た感情はあった。

エル教会の教えに背く行為ではないのかという自問自答にも。マリアは、答えを出すことが出来なかった。

魔王に会って話を聞くためには、少しずつ積み上げていくしかない。

それに、今まであった魔物は。エル教会の上層に巣くっている怪物のような欲の権化達に比べると、よほど好感が持てる者達ばかりだったではないか。

「次の魔法陣、行けるか」

アリアンロッドに言われて、マリアは頷く。

複雑な思いを抱きながら、マリアは自分に出来る仕事を、黙々と続けた。

 

2、光の定座にて

 

フローネスの前にある玉座には、エル=セントが腰を落ち着けている。

周囲にいる、死人化した幹部達も、そうで無い者達も、皆彼の話を聞いていた。至上の存在の、聖なる言として。

ここは光の槌の玉座の間。聖上と呼ばれるエル=セントは、ここで時々、幹部達に重要な話をする。今日もそれに変わりは無かった。

「まず、人間の社会を変革しなければならぬ」

「人間の社会を、ですか」

「そうだ。 私はエル教会を作ったときから、既に教典に書いていたはずだ。 隣人を愛し、全てを慈しめと。 それがいつの間にか、人間を至上とする思想にと、すり替わってしまった」

私の思想は、愛を基とするものだと、エル=セントは言う。

「しかし、実際問題、現在の社会は複雑化していて、聖上の思想を無理に実現しても、失敗する可能性が高いかと」

「各国の思想も、様々に分化しております。 現在のエル教会の思想には問題がありますが、相対的多数の人間を納得させる思想というのもまた、構築が無理だと感じます」

「うむ。 その通りだ」

事実から反論を述べる部下達に、エル=セントはにこりと笑みを浮かべた。

ここにいるのは、光の槌を起動させた際に皆殺しにした聖太陽都の要人のなれの果てだけではない。後から下級司祭などから抜擢した、優秀な学僧も多く混じっている。エル=セントは彼らに活発に議論をさせ、今のエル教会があるべき姿に関して、多く話させていた。

それが、今までの教皇とは根本的に違うところだ。

「当時私が書いた聖典を、絶対の規範としようとするからおかしくもなる。 だが最初に私が皆に示した思想であればどうか」

「愛による協調、ですか」

「そうだ」

「まず一つ関門がございます」

そう言って挙手したのは、アーネン大司教であった。

ずっと大学で講師をしていた人物で、コネ作りには興味が無く、変人扱いされて周囲から孤立していた人物である。フローネスがおもしろがって観察していた学僧の一人だ。

コミュニケーション能力は欠如しているが、その博識は当代一。それが故に、ずっと現行のエル教会に不満をこぼしていたことでも知られている。今は能力によって抜擢され、エル=セントの側で様々な具体的意見を述べるようになっていた。

「魔王軍の存在がそれです。 恐らく、愛の思想を魔王軍は由としないでしょう。 理解も出来ないかと」

「別に、理解させる必要は無い」

「何故でしょうか」

「私の言う愛というものは、即座に理解させるものでも、肉体で示すものでも無いからだ」

愛とは許しだと、エル=セントは言う。

つまりだ。魔王軍が存在することを許せば良いと、聖上は言うのだ。

周囲の僧侶達が顔を見合わせる。アーネンも、困惑を隠せないようだ。

「つまり、どういうことでしょうか」

「魔物も、既にこれだけ長引いた戦役に辟易している。 その状態を、今後も我らで維持していけば良い」

「い、今ひとつ分かりません」

「世界の安定のために、魔王軍という敵を存在させていけば良いと言うことだ。 人間にとって適切な脅威は、以前から必要だと思っていた」

現在でも、人間の全戦力を投入すれば、魔王軍を滅ぼすことはさほど難しくないと、エル=セントは言う。まあ、確かにその通りである。元々の数が違いすぎる上に、進化の速度も比較にならない。

魔王軍は必死に新しい戦力を繰り出してきているが、人間の進歩の速度は更にその上を行く。今、エンドレンで整備した戦力が北上を開始したら、フォルドワードの敵は支えきれないと試算が出ている。

だが、前年度の死闘で、魔王軍は恐怖の象徴ともなった。あの戦役から逃れて帰ってきた軍人達は、誰もが魔王軍の強さを身にしみさせている。

一方で、戦争を望む勢力も多い。

魔王軍に土地を奪われた国や、ビジネスチャンスとして現在の状況を捉えている連中である。

こういう連中は、随時前線に出させて、魔王軍そのものによって処分させる。つまり、生け贄にすると言うことだ。

「なるほど。 合理的ではありますな」

「世界をまとめるには、相手を認めること。 それこそが愛の世界だ。 だがここで、問題になる存在がいる」

「魔王、でありましょう」

「その通りだ。 魔王軍の中で、奴は人間にとって有害すぎる存在だ。 逆に言えば、魔王だけが私の考える愛の世界には必要が無い。 言い換えれば、現在の魔王ではない魔王であれば、大歓迎だが」

故に、残念ながら、排除しなければならない。

そう、聖主は言った。

だが、問題はここからだ。フローネスは、其処から現実的にものを考えるように、思考が整備されている。

「魔王を排除するとしても、どうやっていたしましょう。 そもそもこの光の槌は、決められた衛星軌道の上しか移動できない、という事でしたが」

「魔王の居場所を掴み、光の鉄槌を浴びせるには、それなりの準備が必要かと愚考いたします」

「うむ。 案がある者は」

シオン会から抜擢された者が挙手した。何名か、歴戦の将軍や、或いは参謀などが、ここに招かれている。

いずれもが、既に闇の福音を、体に入れていた。

フローネスの前で、戦略、戦術の両面から、魔王を確実に光の槌の射程におびき出す作戦などが提案されていく。

だが、いずれも聖主は納得していない様子である。或いは、聖主には、既に何かしらの秘策があるのかも知れない。

一時、休憩が入れられる。

ばらばらと散る幹部達。一人、フローネスは聖主の前に残っていた。

「どうした、休憩はせぬのか」

「少し前から、質問したかったことがございまして」

「申してみよ」

「貴方はどうして、封印されていたのですか。 貴方ほどの能力であれば、腐敗したエル教会の幹部達などに遅れは取らない筈ですが」

苦笑するエル=セント。

フローネスの質問が、よほどおかしかったのだろう。或いは、何かしらの過去にでも通じている事なのか。

「私の話を、しておこうか」

「よろしいのですか」

ゆっくり、聖主は話し始める。己が、どのように生を受け、そしてエル教会を設立するに至ったのかを。

 

伝承によると、エル=セントは処女懐胎した母から生まれたとされている。この母の名前はマリアだとかいう説が一般的だ。

だが、その話は大嘘だと、エル=セントは言った。

「やはり、伝説に過ぎませんか」

「私は最初から、そのような話はしていないのだがな。 むしろ私は卑しい生まれだと話したはずだが」

確かに、古い聖典にはそういう言葉があった事を、フローネスは記憶している。今では禁書とされているものだ。

フローネスもあまり良い地位の生まれではない。怪物になってしまった今も、昔の苦い思い出は体に焼き付いている。当時は他人の弱みを握るためにどんなことでもしたし、苦学だってした。その過程で、禁書を読む機会があったのだ。

エル=セントが話してくれる。彼の父はごく普通の靴屋であり、母はその妻。ごく普通に結婚し、普通にエル=セントを授かったそうだ。

つまり、開祖の生まれについては、その宗教的神秘性を演出するために、後に付け加えられたのである。ついでに開祖の言葉も、その時抹殺されたというわけだ。

エル教会は、開祖を封じ込めてからどうもおかしくなった。権力と金を指向する集団になり、それによって世界を覆い尽くしもした。それにはたくさんの悲劇と影が、やはり伴っていた。

「私の生まれは南の大陸だが、当時は全くというほど発展から取り残された地域でな」

「全ての技術を集めている今からは、想像もつきませんが……」

「事実だ。 聖太陽都も、私が復興するまでは、ただの遺跡に過ぎなかった。 エル教会が支配していたあの巨大な都は、私が復興した遺跡に、勝手に後の時代のエル教会幹部が住み着いたものだ」

脱線した話を、エル=セントは戻す。

彼が生まれた時代、故郷になる地域は絶望的な状態にあった。

何代か無能な王が浪費を重ねた結果、地域は疲弊に疲弊した。しかも民の不満を誤魔化すため、外征を繰り返し、しかもその全てに失敗した。

街が餓死者で溢れ、仕事もなく、絶望の中誰もが自棄に暮らしていた。

隣国からの侵攻があったのは、エル=セントが八歳の時。疲弊しきっていた国は、瞬く間に蹂躙され、隣国によって無能な王族は皆殺しにされた。

少しはましな時代が来るかと、民は期待していた。幼いエル=セントにも、それが分かるほどだったという。

だが、そんなものは来なかった。

そもそも、土地の疲弊があまりにも凄まじかったのだという。隣国の王はこの状況を見て、決断を迫られた。国を民に捨てさせるか、しばらくは税を更に上げて、一気に復興させるか。

平穏時なら、後者の選択もあっただろう。

だが、戦乱の時代、それは考えられないことだった。

民は殆ど強制的に、貧しい土地を捨てさせられ、新しい土地に移された。多少は豊かな土地だったが、その後は富国強兵策が敷かれ、非常に厳しい管理の下、民は決められた仕事をこなすことだけを求められた。

年々不満が高まり、小さな反乱も続発。

民が疲弊しきり、不満が既に抑えられない頃に、エル=セントは成人した。

「なんだか、聖典とは随分違いますね。 暴虐な王によって平和な国が侵略され、民は無理に連行されたとされていますが」

「良くも其処まで私の語ったことがゆがめられているなと、感心するばかりだ」

「そう、ですな」

後の、エル教会の戦略から見れば、開祖の聖人化は絶対だったのだろう。

土着の小規模宗教と違い、エル教会は特定のモデルになる神を持たない。必然的に開祖をその地位に据えるしかなく、生臭い話は全てカットして、完全無欠の聖なる存在にする必要があった。

故に、歴史までもがゆがめられていった。

荒れた生活を、エル=セントの両親は送ったという。反乱勢力がいつテロを起こすかも分からないし、女子供は危なくて外など歩けなかった。ちょっと油断すると、すぐに浚われて、奴隷として売り払われてしまうからだ。

父も母も、三十を過ぎた頃には、老人のように老け込んでしまっていた。子供も何人かいたが、エル=セント以外は皆子供のうちに死ぬか、浚われてしまったらしい。国に訴え出ても、とても手が回らないのが現状だった。

混乱の中、エル=セントは偶然からある一冊の本を手に入れる。まだ読み書きも出来ない青年にとって、それは神が書いた知恵の結晶にさえ思えた。周囲から話を聞きながら、必死に読み書きを覚えた。

やがて、半年ほどで読み書きをマスターした。エル教会で古代語と呼ばれる、現在世界で使われている言葉の原型となった、古い言葉である。

そして本の内容を、はじめて知ることになった。

それは、バイブルと呼ばれる、古い古い時代に作られた、思想の本であったらしい。今では、誰も顧みない、死んだ思想を記したものだった。

「バイブル、ですか。 聞いたことがありませんが」

「私もお前に封印を解かれてから、その本が世界中から丁寧に抹殺されたことを知ったからな。 まあ、その本がどういう存在かも、今は知っているが。 それはともかくとして、バイブル自体は独善的な思想と、暴力的な神による世界の支配が歌われた本で、私はあまり興味を持てなかった。 だが、こういう思想もあるのだと、感心させられたよ」

それが、エル教会の原型となった。

偶然だろうか。その書物で神を示す言葉であるエルと、聖なると言う意味を持つセントが、名前であった事は。

当時は、本を読むと言うこと自体が貴重だった。

だから、偶然からとはいえ手に入れた本を短い時間で苦学したエル=セントに、両親はようやく目を向けてくれた。或いは、唯一残っている子供だと言うことも、原因になっていたのかも知れない。

なけなしのお金をはたいて、本を買ってくれるようになったという。

当時、本を作る技術はあまりなかった。だが、どこからか出回っていた本が、少数存在していたという。

出所が分からない本もあったが、とにかく手に入れられる本は皆読みあさった。借りることが出来た本も、全て読んで頭に入れていった。誰かが本を持っていたら、頼み込んで読ませて貰った。

本を読む機会自体が貴重だったからか、読んだ本の内容は、絶対に忘れなかった。

やがて両親は枯れ木のように死に、靴屋を継ぐことになった。

貧しいが、それでも靴屋はそれなりに収入があった。というのも、この近辺は荒れ地が多く、靴は必須の存在だったからである。国からも、靴を買うことが義務づけられていたほどだった。ただし、その収入は、殆ど税金として取られてしまう。貧民はいつまでも貧民のまま。それが民の心をすさませる理由だと、エル=セントは気付いたのだった。

民の力を集めなければならない。

しかし、暴力による反乱は、結局同じような国家を生み出すだけだとも、気付いていた。だから、民の力を結集する、何か別の組織が必要になる。

やがて、エル=セントは天啓を得た。

側にいる人間を分け隔て無く愛するという思想をもって、横に並んだ組織を作り上げれば良い。

神の前では平等という思想を広めていけば、貴族や王族でさえ、勝手な特権意識で民を苦しめることに、罪悪感を感じるようになる。

エル教会の、発足であった。

 

腕組みを出来たのなら。

フローネスはそうして、思わず唸っていただろう。

少し前までの、改革をするまでのエル教会は、まさにその特権意識で民から搾取するための組織であったからだ。

世界に爆発的にエル教会が広まっていったのは、民だけではなく、全ての人間を愛の元に平等とする思想が希望を与えたからだ。だが、悪い意味で賢い奴は気付くのである。そうやってまとめ上げた人間こそ、まさに搾取に最も適していると。

貧民だけではない。貴族や王族からも搾取が可能になるとも、誰かが気付いたのだろう。いつのまにか、高潔な理想の下で作られた思想団体は、最悪の搾取団体へと成り代わってしまっていたのだ。

人間の欲望という化け物が、組織そのものを乗っ取ってしまったといっても良い。

「爆発的に広まった思想に、国は恐怖した。 当然弾圧をと言う動きもあったようだが、あまりにもエル教会の民が多すぎるから、手を出せない状態だった。 私は先頭に立ち、理不尽な税制の撤廃や、腐敗の改善、それに続く戦争の停止などを実現していった」

「なるほど」

「私を国王にと言う声まで上がったようだが、拒否した。 だが、それがまずかったのだろうな」

エル=セントの下には、膨大な本が届くようになっていた。

あらゆる思想、あらゆる知識を得て、全ての民の幸福をとエル=セントは考えていたからだ。寄進という形で送り込まれた本もあったし、組織の財産を使って買われた本もあった。

それらの全てを読み、各国の制度などのまずい部分についても、的確に理解できるようになった。

一部の人間だけが甘い汁を吸える制度を糾弾し、民のために金が下りるようにと、尽力していった。

だが。

既にその時気付いていたのだろう。エル教会の幹部には、そうやって巨大化した組織の力を使えば、何でもかんでも出来るのだと。

今になって、フローネスも思う。

確かに、当時エル=セントの思想はあまりにも革新的だった。恐らく何かしらの理由で、世界から思想団体が排除された後、はじめて作られたものなのではないかとさえ思えてくる。

だがそれが故に、思想団体が持つ危険な部分も、それで喚起されてしまったのだろう。

「私に、聖主としての力が宿った直後くらいだろう。 世界でも有数の魔術師達が、エル教会の幹部によって集められた」

「貴方を、封印するために、ですか」

「そうだ。 どうやら私が既に様々な意味で人間を超越していることは、幹部達も分かっていたらしい。 まあ、百三十年は生きていたから、当然であろうな」

エル教会の聖典では、聖主は三百年生きた後天に召されたとか書かれている。倍以上、ある意味誇張されていたわけだ。

計画に、エル=セントは気付いていた。

だが、その頃、限界を感じてもいた。やはり組織の力を利用して、好き勝手なことをする人間が出始めていたのである。腐敗商人や汚職貴族と結託して裏で薬物を販売したり、中には人身売買に荷担する輩までいた。

そういった連中はその都度厳しく罰したが、むしろそれ事態に組織の中で不満が持ち上がりはじめたのである。

稼げる立場にいるのに、どうして稼いだら行けないのだと。

聖主の頭は古いと、批判する声までも上がり始めていた。

だから、いっそのこと、それならば後任の者達にしばらく任せてみるのも手ではないかと、エル=セントは思った。人間には恥の概念もあるし、組織には自浄機能だってある。エル=セントという絶対者に甘えているから、どうしてもおかしくなるのではないかと思い始めていたのだ。

それが、結果としては大きな間違いであったのだが。

「なるほど、封印されたのは、わざとだったのですか」

「実のところ、私という存在に甘えきっている連中が腐敗を助長しているという側面もあったからな。 しばらく私も前線から離れることで、組織が活性化するのであればと思ったのだ。 だが、私は見誤っていた。 人間の欲望は文字通り底なしで、金のためならば他人から搾取することなど何とも思わない連中がいくらでもいる事を、信じたくなかったのかも知れん」

聖主は封印された。そして、対外的には死んだことになった。

神として祭り上げられて、その存在の人間の部分は、完全に抹消された。

やがて、エル教会は世界全土に広まる。そして、人類の独善性を更に助長する、最悪の思想的な道具へとなり果てていくのである。あまたの犯罪にも関わることになった。人身売買も薬物の密売も、半ば公然と行われるようになった。高位僧の地位は世襲されるようになり、そればかりか教皇などと言う、皇帝に近い地位までもが創設された。挙げ句の果てに、人体実験によって、生体兵器の開発までもが始まってしまった。

フローネスは、今でさえ人間を完全に止めてしまっているが、なんだか今の話を聞いて納得できた。

エル=セントは民だけではなく、人間全てを救いたいと考えた。そのために、民の小さな力を結集できる組織を作り出した。だが、それが欲望という人間の中に巣くう巨大な怪物に飲み込まれるのに、さほど時間は掛からなかったと言うことだ。

「私の誤算は、たとえ子供だろうが、人間は己のための欲望を発展させようと考える事を、忘れていたことだ。 貧民を救うのは良いが、救った貧民が今度は搾取する側に廻るなどという醜悪な循環を、誰かが止めなければならなかったのだ」

「それで、この光の槌を起動させたのですか」

「これは一歩に過ぎん。 最終的には、魔物と人間の対立も含めた世界によって、愛による支配を完全化しなければならない」

なんだか、聖主の孤独が、ようやくフローネスには理解できた気がする。

この存在をよみがえらせたのは、最初傀儡化して、世界を自分のものに出来ると思ったからである。だが、多分聖主はそれさえも既に洞察しているはずだ。或いはあの結界さえ、自力で突破できたかも知れない。

様々な暗躍についても、合点がいった。

この男は、既にフローネス同様、人間を信用していない。

それが故に。利害は完璧に一致したとも言えた。

「貴方の御心のままに。 私は、どこまでも貴方の部下としてついていきます」

「活躍に期待しているぞ」

フローネスは、聖主の前から退出する。

そして、彼の命令で集めた、無数の肉塊を入れている牢の前に来た。

そこには、闇の福音を投与した結果、既に原型が人間どころか何の生物かもわからないような存在に成り果てた者達を入れている。それだけではない。しばらくは理性や原形を保っていたが、何らかの理由で人間の理性や形を保てなくなったり、強すぎる感情の結果精神崩壊を起こした存在が入っていた。

檻というよりも、ガラスの飼育ケースに等しい。

中でうごめいているのは、元人間というよりも、実験生物だった。

その中には、この間フローネスが回収してきたカッファーも入れられている。だが、無数に折り重なり混ざり合った肉塊は、もはやどれがどれだか見当もつかなかった。もっともそれは、フローネスも同じなのだが。

「愛による世界、か」

いびつだと、思えるかも知れない。

だが人間の世界は、元々業と欲に満ちあふれている。それをどうにかするほどの愛情となると、やはり狂気を孕んでいるのが妥当という所だろう。

フローネスはエル=セントに嘘は言っていない。

少し前まで、様子を見て、器が小さいようならその地位を奪おうとさえ考えていた事もあった。

だが、今ではその考えは捨てている。実際問題、エル=セントと自身の利害は一致しているし、仕える主君としても妥当だと思えるからだ。それに、フローネスを一切評価しなかった連中と違い、きちんとその頭脳も行動力も認めてくれている。単純な意味での上司としても、以前のエル教会首脳などとは、比較にさえならない。

「コロシタイ」

硝子ケースの中から、呪詛の声がする。それも一つや二つではない。無数に折り重なるように、である。

人間のなれの果てが、其処にあった。

そしてこれは、皮肉にも愛の世界の基礎となる存在でもある。もはや憎悪しか残していない肉塊が、愛の世界の基だと思うと、滑稽であった。

「憎め。 もっとだ」

呟く。

此奴らの憎しみは極めて理不尽なものばかりだ。カッファーにしてみても、どう考えても客観的に見れば、その憎しみは身勝手きわまりない。だが、外見で相手の全てを決めつけて、場合によっては殺すのが普通の人間だ。つまり理不尽で身勝手な姿こそ、むき出しの人間だとも言える。

同情の余地はない。利用することにも、なんら罪悪感は感じない。

硝子ケースの前を離れると、フローネスはもはや原形をとどめていない体を引きずりながら、監視室へ行く。

其処では、光の槌の優れた技術で、今まで闇の福音を投与した人間を、追加監視しているのだ。

そして、適当な状態になったものを、フローネスは回収して廻る。

モニターを監視していた者が振り向く。闇の福音を投与した結果、顔は既に溶けくずれて、体中に無数の眼球が浮かび上がっていた。だが周囲も皆似たようなものだから、誰も気にしていない。

「フローネス大司教。 如何なさいましたか」

「収穫できそうな奴はいるか」

「はい。 二名ほど。 この様子だと、聖主が切り札として用いようとしている憎悪砲のエネルギーも、数ヶ月以内に溜まるかと思われますが」

「他の大司教共には黙っておけ」

魔王を倒すためには、人間の手でなければならない。それが、エル=セントが言う愛の世界の完成となるがゆえに。

いくつかある抹殺手段の中で、それが選択された。

そして、もう一つ。

近いうちに、誰か適当な大司教が西ケルテルに派遣されることになるだろう。銀髪の双子も、魔王抹殺には重要な要素となるはずだからだ。

「安定した世界の到来は近いぞ」

「はい。 この姿になったとき、最初は悲しみもしましたが。 今は多数の安定のためと思えば、何でもありません」

頷きあうと、フローネスは収穫に赴く。

今、かって監視することだけが趣味であった男は。充実していた。

 

3、ふくれあがる疑念

 

カッファー戦死の報告は、すぐに西ケルテルにも届いていた。

イミナは一旦アニーアルスに戻ろうかとさえ思っている。現在、状況は妙なほどに安定しつつあり、もしも魔王を倒すのであれば、より近い場所にあるオリブ領にいた方が確実だとさえ思えるからだ。

与えられている部屋から出て、廊下を歩く。

一時期は多忙が故に死にそうな顔をしていた文官達も、今は比較的落ち着いていた。だが忙しい事に変わりは無いらしく、殺気だって走り回っている姿も時々見かける。あまりにも必死であるが故に。少し滑稽にも見えた。

テラスに出る。

既に訓練は軌道に乗っており、熟練兵が新兵を鍛える仕組みができあがっていた。もう、イミナが手を出す必要は無いだろう。

ふくれあがる義勇軍の規模は、既に七万を超えている。だが次々到着するグラント帝国軍は既に七十万に達しており、規模で言えばキタン軍に匹敵するほどのものとなっていた。まだ、全く足りていない。

だが、今の時点で、これだけの規模が確保できれば、侮られるほど貧弱でもないと言える。西ケルテル王都の整備も進み、難民にも家が徐々に行き渡りはじめていた。治安も回復しつつあるのが見て取れる。

しかもグラント帝国軍でカッファーの指揮を引き継いだテスラ中将は、前線の堅守だけを命じているらしく、今のところ衝突は一切起こっていなかった。魔王軍との戦いがないというだけで、民の安心感は計り知れない。

だが、それが逆に。

自分の立場を危うくすることを、イミナは知っていた。

それに、続々押し寄せるグラント帝国軍が、南部諸国を好き勝手に蹂躙し、基地を作るためと称して民を追い払っていることも伝わってきている。既に彼らの脳内では、南部諸国は属州も同然なのだろう。

いずれ、このままでは、人間同士での致命的な諍いが発生しかねなかった。それが自然な状態なのかも知れないが、強大な敵を前にしても今だ本能のままに動く人間は、やはりどうかしているともイミナには思えた。

少し前から、ユキナは演習に出ている。新しく加えた軍の力量を見るだけではなく。全体的に鍛え上げるためだ。義勇軍に入った兵士達も、土木工事ばかりだとストレスも溜まるだろうし、良い機会である。

だから、城の中に武官は少なく、若干閑散としていた。メイド達はこれ幸いにと城の掃除をしているが、イミナにはあまり関係が無いことだ。

シルンの様子を見に行く。ここのところ、妹は賢者達を集めて話を聞くことは止めていた。その代わり、集めた知識を整理して、ずっと考え込んでいる様子だ。何か気になる事があるようなのだが、イミナにはよく分からない。レオンに聞いても、シルンが考えている事は高度すぎて、理解できないと言うことだった。

最近シルンは一階に部屋を移した。本当は上層階にいて欲しいと言われていたのだが、一階にわざわざ変えたのである。本を運び込むのに不便だから、というのが理由であるらしい。

その言葉通りと言うべきか。シルンの部屋に入ると、壁際に本がうずたかく積み上げられていた。いずれもが、魔術に関する専門書ばかりだ。手書きのものらしい、資料集も散見される。ちょっとした図書館が作れるほどの量である。この部屋はそれなりに広いのに、本で埋め尽くされそうだ。

だが、シルンはまだ満足している様子がない。もっともっと本を読みたいのであろう。

今、シルンは間違いなく、人間側についている世界最高の術者である。魔王を除けば、世界で考えても間違いなくトップクラスに入るだろう。

だが、そのシルンが、分からない魔術があるのか。

或いは、魔術自体が分からないのか。

机に向かって頬杖をつき、考え込んでいるシルン。周囲の空気は、戦闘状態も同然に張り詰めていた。何か真剣に考えているのである。

普段おちゃらけている妹だが、実際には優れた魔術の使い手である事からも分かるように、頭はとても良い。ただ、イミナが戦略戦術に特化しているのと違い、魔術の解析に特化している。普段とのギャップは大きいし他の人間も見ることがない姿だが。イミナは、妹が誰よりも努力家である事を、よく知っていた。

才能があって努力をしているから、魔王軍の軍団長を退けられるほど力がついたのである。才能だけで怠けているような奴では、多分其処まで到達できなかっただろう。

後ろで咳払いすると、妹は慌てて振り返った。

「あ、お姉。 どうしたの」

「考えはまとまったか」

「うん。 ちょっと聞いてくれる?」

「私は知っての通り、魔術の専門家ではないぞ」

だから都合が良いと、シルンは不可思議なことを言った。まあ、酸いも甘いも知り尽くした双子同士だ。その間でしか、話得ないことも確かにある。イミナはシルンを全面的に信用しているし、シルンだってそうだ。

向かいに座る。

辺りは本だらけで、紙魚の臭いがした。妹は一カ所に腰を落ち着けると、だいたいこんな部屋を作る。そうして全部読み込んだ後、全く惜しまずに他の者に譲ってしまう。

アニーアルスのオリブ領でも、こんな部屋がある。今度アニーアルスに戻るとき、多分シルンは全部蔵書を国にでも寄付して、新しく集め始めるだろう。どこでもやっていたことだ。

「ねえ、お姉。 師匠にも前聞いたことがあるんだけど、魔術って何だろ」

「世界最高の術者であるお前が、そんなことを聞くのか。 しかも素人の私にか」

「んー、そうなんだけど」

「それで、何が疑問になっている」

シルンは、小首をかしげながらも言う。

「いろいろな呪術とか、魔術とか覚えたでしょ。 それの全てを一応理解したつもりでああるんだけどね。 で、どうしてもおかしな事に気付いたの」

「何だ、おかしな事って」

「理論が、根本的に間違ってる。 いろいろな系統の術式が、様々な説を唱えてはいるけど、どれもおかしいんだ。 それなのに、どうしてか術は発動する。 どんなに矛盾していても、だよ」

魔術は、本来あり得ない力を呼び起こすものだと、師匠が言っていた記憶は、確かにある。だが、理論が根本的に間違っているというのは、中々独創的な着眼点だ。

しかし、それならば。

魔術は確かに、どうして発動しているのかがよく分からない。魔物達も魔術をばんばん使っているし、なにより魔王が発動している人間を任意に殺す術そのものがその存在証明にもなる。

エンドレンのような軍事技術が発展した大陸でも、魔術がなければクリアできなかった問題はいくらでもあると聞いている。

魔術は存在しているのだ。

「ならば、今までの理論が間違っているとして、魔術が何かを知りたいのか」

「そうじゃないの。 いろんな方向から確認している理論があるんだけど、多分どれもこれも、説って点ではあらゆる問題をクリアは出来ているの。 でも、それらの問題をクリアした統一理論を作ってみても、更に魔術の発動には矛盾が生じるの」

「よく分からないな」

「……だよね。 魔術って、本当はあり得ないものなんじゃないかなってわたし、思い始めてるんだ。 お姉、わたし達が使ってる魔術って、本当にどうして発動してるんだろう」

そう言って、シルンは明かりを生み出す簡単な術を使ってみせる。

その明かりは神々しいばかりで、世界の法則のゆがみをそのまま示しているかのようだった。

あり得ないはずのものが、あり得ている。

もしそうだとすると、この世界の根本には、何かとんでもないものが潜んでいるのではないのだろうか。

そもそも、存在しない世界を、無理矢理作り出したのだとか。

不意に、おかしな事に気付く。

そういえば、師匠が言っていたことがあった。まだ幼い頃に言われたので、あまり気にはしていなかったが。どうも今になって、気になってくる。

「シルン、師匠が封鎖領域って話をしていたのを覚えているか」

「ええと、触れてはいけない知識、だっけ」

「そうだ。 ある程度以上の力をつけた存在が、触れてはいけない知識に触れると、どうしてか死んでしまう場合があるとか言っていたな。 しかし、妙だと思わないか」

「うん。 知識って言っても、所詮は情報だもん。 どうして情報に触れることが、致命的な事になるんだろう」

だが、実際にそれで死んだ人間もいるそうだ。

エル教会は、それを神罰と称しているということだが、信用できない。神とやらは存在しないだろうと、イミナは思っている。

もしいたら、エル教会の腐敗坊主共をどうして許しておく。どうして魔王と人間の殺戮戦争を止めようとしない。

つまり、もっと別の理由で、そういうことが起きているという話になる。

おかしいのは、それだけではない。

この世界に対する疑念は、どんどん考えはじめると生じてくる。

たとえばイミナとシルン、それにレオンやプラム、ジャドもだが。魔物の要素を体に入れることで超人化した。食事は殆ど必要ないし、睡眠だって同じである。ユキナもそうだし、噂によるとキタン王ハーレンもそうらしい。

だが、それはどういうことなのだろう。

動けばおなかがすくのは当たり前のことだ。どうして当たり前の現象が起こらない。魔術的にカバーしているのではないかと思ったが、イミナにはそんな適正がそもそも存在していない。

この間、戦場で保護したジャンヌという女性から話を聞いた。魔物も、同じようなことを話していたという。

それだけではない。魔物は人肉を好まないと聞いた。あれだけ人間を殺して廻ったのは、食料を得るためではないとこれではっきりしたことになる。そうなると、一体あの魔物達のパワーはどこから来ている。同じ意味で、シルンの魔力は、どこからこれほどに溢れているのだろうか。

「魔物からも話が聞ければ早いが、難しいだろうな」

「うん。 人間と魔物が和解することは、今の時点ではあり得ない。 しかも忍び込んだひとたちの話を総合しても、あまり人間と違いすぎて、そもそもの接点が見つからないという事も聞くね」

ドアをノックする音。

入ってきたのは、レオンだった。かなり疲労が溜まっているらしく、自分の肩を叩いている。

「どうした、銀髪の双子」

「レオンこそ、どうした。 疲労が溜まっているようだが」

「どうもこうもない。 ジャンヌという娘のこと、義勇軍の誰かがグラント帝国に密告したらしくてな」

まあ、義勇軍は寄せ集めである。そういうこともあるだろう。盗賊崩れや破落戸もかなり混じっているという話だし、街では事件も結構起こっている。

ただし、状況はイミナが思ったよりも、ずっと複雑だった。

「どうやらジャンヌという娘、彼女の出身属州ではカリスマであったらしくてな、グラント帝国の属州出身兵の間で動揺が広がっているそうだ。 それを納めるために、テスラ中将がジャンヌを殺そうとしている様子で、それにユキナ女王が反発している」

「乱暴な対応だね」

「全くだな。 元々グラント帝国は、力によって君臨している国だが、今はもう属州の方が人間の数が多い。 このままだと、遠からず無理が来て、崩壊していたかも知れないな」

ただし、今は魔王軍という強力な敵がいる。崩壊されては困る。

グラント帝国は元々、貴族の寄り合いという要素が強い国である。皇帝という共通の主君がいるのは、貴族にとって都合が良いからだ。

逆に言えば、貴族達の利害が一致しなくなれば、簡単に空中分解する国だという事でもある。

更に言えば、民の不満も大きい。

今回の件はあくまで表面化した一端に過ぎない。この間の会戦でも、属州出身の兵士達はおとりにされたり盾にされたり、さんざんな扱いを受けているのを目にした。まあ、あれでは、いずれ革命は起きていただろう。

レオンは促されて、イミナの斜め右前に座った。四角の机を、三方向から囲む形になる。

「それで、どうなりそうなの」

「どうもこうも、テスラ中将は今回の件で、ユキナ女王に大幅に譲歩させようとする魂胆が見え見えだ。 今、義勇軍の存在があるから、グラント帝国は南部諸国を併合できていないと言える。 だが、或いは併合をユキナ女王の口から強制的に認めさせようという動きを水面下で進めている」

「……それで、併合した後は属州化と」

「そうなるな」

つまり、強制的に民を兵士にして、粗末な武器を持たせ、弾よけとして使うつもり、というわけだ。

南部諸国は政情不安で、既に国の形を為していない場所も多い。ユキナの義勇軍に身を寄せるのは、少しでも志がある兵士達ばかりである。それ以外の者達も、責めることは出来ないだろう。

ため息が漏れてしまう。

「今、グラント帝国の高官達に話をつけているところだ。 だが、それぞれ強欲すぎて、要求が大きすぎる。 交渉を進めているが、義勇軍は今回の件、下手をするとかなり大きな譲歩を強いられるかも知れん」

「キタン側に、支援を切り替えられないの」

「キタンは物資自体は豊富だが、武器については比較的原始的だ。 術者は此方で賄わなければならないし、即戦力になる武器については、グラント帝国に頼るしかない」

「八方ふさがりだな」

勿論、テスラとしても、ユキナに無理難題を言うつもりで、わざと事を荒立てているのだろう。

グラント帝国を中心とした東側の連合軍は、百万を遙かに超える戦力を現状でも有していると言う。

ここで南部諸国の民達を兵士に仕立て上げ、兵力を更に水増しし、戦闘での勝率を更に上げるつもりと言うわけだ。

テスラという老人、陰険きわまりないが、確かに司令官としての素質はある。ただし、通った後は全てが焼け野原という類だが。

「それで、私を呼んだ理由は」

顔を見合わせると、シルンに促す。

話を聞き終えると、レオンは腕組みして、考え込んだ。

「実は、私も幼い頃に聞いたことがある。 神罰で死んだという人物についてだ」

「へえ?」

「神については、私は、今はいると思っている。 ただし、エル教会の上層とは違うと考えてはいるが。 一時期私は信仰を捨てようかとさえ思ったが、今はまた別の考えで、神について思いを巡らせている。 まあ、ここでは関係の無い話だが」

まあ、その辺りは考えの相違だ。

きまじめなレオンは、今は現実的に民をどう救うかで苦悩している。神の存在について議論しても、不毛なだけだ。イミナはそれを知っているから、敢えて其処には触れないことにする。

「確かに腐敗坊主どもを野放しにしている神が、情報程度で人を殺すというのはおかしな話だ。 しかし、神罰と呼ばれる現象が存在するのは事実なのだ。 何しろ、死んだのは私にとって大叔父に当たる人物だったからな」

「具体的に、どんな本を読んでいたかは分かるか」

「まて、今思い出す」

レオンの記憶力は頼りになる。あれだけの人間とコネクションを作り、毎日双子の立場をよくするために働いてくれるのだから当然だ。レオンこそ、情報というものを皆の中で一番効率よく使いこなしている存在だとも思える。

しばらく眼帯に指を当てて考え込んでいたレオンは、程なく頷いた。

「思い出した。 本のタイトル自体は分からないが、大叔父の蔵書自体は、未だに保存されていたはずだ」

「え?」

「アニーアルスだ。 大叔父は一族から存在を抹殺されたが、蔵書そのものは数が多くて金になると言うことで、アニーアルスに売り飛ばされたはず。 確か、アニーアルスの貴族がまとめて買い取ってくれたとかで、一族が下卑びた利権の分配について話し合っていたな」

「そうか、ありがとう」

一旦、そこで話を打ち切る。

魔術についての疑念は、一旦後だ。ここからは、今どうやって、生き残るかを考えて行かなければならない。

「レオン、アニーアルスに一度戻ろうと思う」

「どういうことだ」

「ここの情勢は安定している。 人間の内部はガタガタだが、戦力は、少なくとも敵が攻勢に出られることは無い。 敵に押し返される可能性はないし、この混乱だと、逆に味方が勢力を盛り返す事もないだろう。 むしろアニーアルスにいれば、北のキタンと、南の義勇軍の両方に、短時間で向かえる」

「……そう、だな」

ついでにジャンヌも連れて行ってしまえば良い。

既にキタルレア全域に名が知られている勇者の行動である。グラント帝国でも、簡単に手出しは出来ない。

ましてやアニーアルスは、八万の兵力を有す上に、その全てが精鋭だ。義勇軍とは根本的な戦闘力が違う。その上、キタンともつながりがあり、もし本気で敵に回した場合、最悪の事態を招く可能性が高い。グラント帝国も、側面に潜在敵性勢力として義勇軍を抱えるだけではなく、アニーアルスまで敵に回す勇気はないだろう。今安定している戦線が、一気に崩壊する可能性さえあるからだ。

「そうなれば決まりだな。 レオンは後始末もあるだろうし、後から来てくれるか」

「分かった。 話をまとめてからそちらに向かう」

「頼りにしている」

立ち上がると、イミナはシルンと一緒に、二階に向かう。二階の一番奥、長い廊下の突き当たりの部屋。

厳重に警備されている其処に、ジャンヌがかくまわれているのだ。

義勇軍の中でも、ジャンヌの評価は半々である。戦場から逃げ出したのではないかと厳しい意見を言う者もいるが、この義勇軍に参加している兵士は烏合の衆であり、ユキナのカリスマと訓練でやっと軍としての体裁を保っている状態だ。

だが、そんな烏合の衆であるが故に、力によって名を上げた銀髪の双子は強烈な抑止力になる。

兵士達は、シルンには敬意を払い、イミナを恐れる。

それでいい。二人が揃えば、基本的に心理的な威圧効果がある。それが効果的に、無駄な争いを避けるもとになるのだ。

部屋は牢も同然で、軟禁状態だ。ただし、これは外部からの問題から、ジャンヌを守るという意味もある。部屋に入ると、ジャンヌは膝を抱えて座っていた。心の傷が、まだ回復していないのだから無理もない。

「大丈夫か」

「何でしょうか」

「アニーアルスに行こうと思う。 ついてきて欲しい」

まだ、これはユキナには話していない。だが、本人の了承を取っておく位は悪くないだろう。

顔を上げるジャンヌ。

端正な顔立ちだ。絶世の美貌という訳ではないが、見ていて安心できる整い方をしている。

カリスマとして兵士達の信望を集めていたが、この容姿がそれに関係していたのは、間違いの無いことだろう。魔術に関してかなり優れた力を持っていて、それが兵士達の信望を集めたという話だが。魔術師として優れている者などいくらでもいる。それに、シルンほどの腕前ならともかく、聞いている限りジャンヌの実力はそれほどではないはずである。

「私をどうするつもりなのでしょうか」

「簡単に説明すると、今ユキナ女王が、貴殿のせいで危機に陥っている。 グラント帝国軍は、敵前逃亡した貴殿をユキナ女王がかくまっているという難癖をつけてきていてな」

「敵前逃亡……」

「そこで、公的に貴殿には死んで貰う。 つまり、別人になって、アニーアルスに来て貰うと言うことだ」

ぐっと唇を噛むジャンヌ。

無理もない話だ。グラント帝国で、属州の扱いがいかなるものかは、この様子からしても分かる。

無理に引っ張り出された上に、おとりにされ、あげく敵前逃亡などとは。この娘でなくても怒る。

「そのような理由で、ユキナ陛下に迷惑は掛けられません」

「ついてくるのだな」

「はい。 しかし、いずれテスラは私が討ちます」

「……好きにするといい」

ジャンヌは隠し弾にもなる。

いずれグラント帝国と対立が生じた場合、ジャンヌを使って属州の兵士達を扇動することも可能だ。

そういう意味もあって、ここでジャンヌを連れて行く意味は、大いにある。

後は、ユキナに許可を貰えば問題ない。

ジャンヌの部屋を後にして、自室に戻ると。ぼそりとシルンが呟いた。

「なんだか、勝っても何のためだか分からなくなりそうだね」

「そうだな。 だから、そういうことについて、お前は考えなくていい」

「うん。 でも、お姉も無理しないでね。 なんだか汚いことばかりしてて、心配だよ」

「お前に汚れがつかないようにするのが、私の仕事だ」

どのみち、イミナとシルンは、レオンやプラムもそうだが、人間だけの世界では生きてはいけない。

人間が魔物を駆逐し皆殺しにしていったように、魔物が滅びたら今度はイミナとシルンが迫害される。

その時に備えて。あらゆる手を、今のうちに打っておかなければならなかった。

翌日、ユキナの許可は出た。

ユキナは、ほとほと人間社会の闇と業の深さに、あきれ果てている様子だった。ジャンヌ一人を生け贄にしてグラント帝国を勝ち誇らせるというのも、馬鹿馬鹿しい事だと思っていたのだろう。

「王弟殿に、よろしく頼む」

ただ、それだけを。イミナは言われた。

 

3、停滞が産むもの

 

完全に膠着した。

南からの報告を聞いたヨーツレットは、そう思った。

海路も利用して、膨大な軍需物資を運び込んだグラント帝国は、他の三国と連携して、前線に兵力を集めている。既に八十万を超えている兵力は、更に増える見込みだという。最低でも後三十万、下手をするとその倍以上が、南の前線に集結する予想だと、いつもの馬鹿にしたような言い方で、バラムンクは言った。

もっとも、それだけの兵力である。よほど巧みに連携しなければ、上手く運用は出来ないだろう。

去年、エンドレンの大軍勢をからくもしのげたのには、人間側のまとまりのなさが理由として挙げられる。軍の形を為していない数だけの兵力だったから、どうにかしのぎきることが出来たとも言える。

現在、メラクスが率いている軍勢は、機動軍十五万、防衛部隊がほぼ同数といった規模である。戦線を縮小したり兵力を移動させたりして、どうにかかき集めた戦力だ。そろそろ備蓄していた死体が不足してきたこともあり、これ以上画期的な戦力増加は出来ないだろう。敵に圧倒的な勝利でもしない限りは。

フォルドワードにいる兵力も、動かすことは出来ない。

エンドレンが既にまとまりつつあるという情報があるからだ。下手に兵力をキタルレアに移動させると、去年以上の戦力差で、フォルドワードは戦わなければならなくなるだろう。

砦から出て、岩山から平野を見下ろす。

東に布陣しているキタン軍。数は五万ほど。ただし、前線に広く散っている軍勢は、合計七十万。

更に、キタンが作り上げている不死者の軍勢が数を増しつつあるという報告も受けている。

とても攻勢に出るどころでは無い。

あれにはオーバーサンが効果的である事は分かっている。だが、オーバーサンは量産化が始まったとは言え、近距離用遠距離用ともにグレードダウンモデルが少数しかない。唯一の改良型は、グリルアーノの装備品だから、フォルドワードに配備されている有様だ。敵の戦力から考えて、とてもでは無いが楽観は無理だ。

かといって、人間側にも不安材料がある事は分かっている。

部下が情報通信球を持ってきた。どうやら魔王からの連絡らしい。何か進展があったという事だろうか。

「陛下、如何なさいましたか」

「うむ。 ヨーツレット元帥、これから幹部会議をひらくでのう」

「急ですね」

「ちいと気になることが出てきたのじゃ。 そちらは問題ないか」

問題は、今の時点では無い。

幾つかの前線で、不死兵との小競り合いは時々起きているが、今の時点では迎撃も可能である。ヨーツレットの機動軍は今二十三万で、守備兵を併せると三十万を超える。まだ幾らかその気になれば兵力を増やすことも出来るが、アニーアルスへの備えもあるし、これ以上兵を割くのは危ないだろう。

「問題ありません。 御意のままに」

「では、半刻後じゃて。 頼むぞ」

通信を切られる。それにしても、この急な連絡、一体何が起こったのだろうか。

念のために、ラピッドスワローを空港から発進させて、周囲の偵察を重点的に行わせる。ヨーツレットが会議中に敵の奇襲を受けることだけは、どうしても避けたかった。

敵軍に動き無し。そう連絡が来たときほっとしたのは何故だろう。

ヨーツレットは、合理主義者を自称している。それなのに、戦いが怖くなりつつあるのだろうか。

そんなことはないと思いたい。だが、メラクスからの報告を受けたり、或いはソド領でのパルムキュアの話を聞く限り、人間はやはり異常だと思うのである。それが、いつのまにか、恐怖につながりはじめているのかも知れない。

会議は、予定通り始まった。

魔王軍九将に加え、パルムキュアにグラ、それにアリアンロッドの姿も見える。グラは第六巣穴の司令官として、既に幹部の一員に見なされている。アリアンロッドは、カルローネ麾下の副軍団長として、この間内定した。これから補充兵の技術を集めて、もう一名の副軍団長を作る予定だという。もとの補充兵師団長を変えるのか、新しく作るのかまでは、ヨーツレットも分からないが。

「では、会議を始めます」

司会はグラだ。

クライネスは面白く無さそうだが、緊張しつつも一生懸命司会を進めようとしているのが分かって、ヨーツレットには好印象である。

「現在、キタルレアの前線は南北で拮抗しています。 南部戦線には敵の膨大な兵力が集中していますが、まとまりがなく、恐らく画期的な攻勢には出られません。 北は精鋭が多く、しかし兵力差がさほど無いので、此方も恐らく正面攻撃での勝負は決まることがないでしょう」

「というわけじゃ。 しかしながら、おかしいと思わぬか、皆」

「どうも意図的に人間が兵力分布を停滞へと振っているとしか思えません」

クライネスが最初に発言する。ヨーツレットも、それについては確かに思い当たる節があった。

たとえば、最近はメラクスの守るキタルレア南部戦線に、敵の攻撃が集中していた。だが、それもたいした規模ではなく、軽く撃退される度に引き上げて、此方の戦力をはかっていたとしか思えないのである。

勿論、こんな事を各個に出来るはずがない。

「その通り。 恐らく、狙いは儂が前線に出ることじゃろうて」

「魔王陛下をおびき寄せるための策だと?」

「全面的には同意しかねます」

アリアンロッドが挙手して発言した。太鼓を持とうとしたクライネスが、ちょっとむっとする。

カルローネがそれを見て、フォローを入れた。

「アリアンロッド師団長、どういうことかのう」

「魔王陛下だけを狙っているのではなく、もっと広域での戦略が裏にあるのではないかと思えるのです。 エル教会は陛下が言う光の槌なる戦略兵器の起動にも成功しているようですし、人間による世界の完全支配がやはり目的だとすると、もっと様々な悪辣なるもくろみが裏にあるのでは」

「よく分からんが、他にも色々汚い手を使ってくるかも知れない、ということか」

一対の槍にも見える新型のオーバーサン改をぶら下げているグリルアーノが言うと、無数の触手をわきわきとさせて、レイレリアが発言。グラウコスが、それに追加する。

「でも、その場合どうしたらいいの?」

「そうねえ。 人間は戦争に対して種族そのもので取り組んでいる生物だし、何を考えているか分からないけれど、備えるべき点は多そうだわ」

「困りましたねえ。 今のところ、画期的な新兵器を作る宛てはありません。 ラピッドスワローを多く出して、偵察を厳重にしてくださいとしか、此方では言いようがありませんが」

わざとゆっくり、語尾が伸びたりしないように、ミズガルアが慎重に言う。ちょっとほほえましかった。

しばらく考え込んでいたパルムキュアが、ああでもないこうでもないと話し合う皆の中で、おずおずと触手を上げた。イソギンチャクに似た内気な師団長は、ソド領の管理者として、人間ともっとも直に接している存在である。

だから、自然と耳目も集まった。

「ええと、最近とらえた密偵から尋問して、色々分かったことがあります」

「何かのう、パルムキュア師団長」

「へ、陛下! そ、その。 あの……」

魔王に直接質問されて、見る間に体色を蒼から赤へ変化させるパルムキュア。ちょっと可愛い反応である。

イソギンチャクからみれば、特に可愛く思えるのかも知れない。

「そ、そのですね。 どうも人間は、魔物の根絶を諦めた節があるんです」

「……なんだと?」

「そ、その……」

「あー、ごほんごほん。 続けてくれるか」

グリルアーノの声に怯えるパルムキュアに、ヨーツレットは助け船を出す。ただでさえ内気なのに、この数の耳目を浴びて、普通でいられるわけもない。

パルムキュアは頭も良いし、冷静な指揮手腕を発揮できる良い師団長だ。ちょっと心が弱いのが玉に瑕だが、そんなのは周囲で補ってやれば良い。

「ええと、少し前まで人間の密偵は、どうも陛下の居場所を執拗に探り出そうとしていた節があるんです。 そのために、弱めの魔物を拉致しようとしたり。 それで、秘書の人間型が狙われたりもしていました」

「なるほどな」

「しかし、今はどうも、魔物の考え方や、どういう生態を持っているかに注意が移行しているようなんです。 これは思うに、人間が魔物という存在をようやく認めて、どうすればコミュニケーションを取れるか、はかろうとしているような気がします」

もしそうだとすれば、長きにわたった人間と魔物の争いに、ようやく節目が来たことになる。

エル教会の改革の、良い傾向であるとすれば、結構な話だ。

だが、どうもきな臭い。

ヨーツレットは、人間を管理する必要があるとは感じている。だが、人間と和解が出来るとは最初から思っていない。そのような媚態を見せているとして、目的は何なのかが、最初に気になる。

「今更そのようなことをしだしても遅い。 それに人間は世界にとって有害な存在でしかない。 最終的には、必ずや滅ぼさねばならぬ」

「それに関しては陛下に全面的に同意いたしますが、どうも妙ですね」

「ふむ……」

場が少し混乱してきた。ヨーツレットは一旦休憩を周囲に入れるように言う。

会議を行っていると言っても、情報通信球の向こうはそれぞれ違う場所だ。大陸さえ違う。

カルローネの所に、シュラが少し写った。カルローネに茶を出しているらしい。

と言っても、人間の子供サイズのシュラが、普通の茶をドラゴンであるカルローネに淹れるのでは意味が無い。魔力で巨大な湯沸かし器を傾け、ドラゴンに相応しい巨大な容器に、茶を注いでいるようだ。

「ふう、落ち着くのう」

「シュラは茶を淹れるのが巧くなったのかの」

「陛下、いつも重宝しております」

「それは何よりじゃて。 今度儂も茶を淹れて貰うとしよう」

和やかな会話が行われている。レイレリアはグラウコスと、なにやら女の子っぽい会話をしていたが、内容がよく分からないので、ヨーツレットの頭にはあまり残らなかった。グリルアーノはひたすらミズガルアとバラムンクに、魔王に貰った新型のオーバーサンを自慢している。まあ、前線で苦闘し続けたグリルアーノである。これくらいの役得は当然であろう。

会議が再開される。

その間に、ヨーツレットも秘書に、体を拭かせてリフレッシュを入れていた。もっとも人間型とヨーツレットは大きさが違いすぎるので、かなりの重労働であるようだが。

しばらく黙っていたメラクスが、不意に発言する。

「時に、陛下。 陛下は、前線におびき出されたとします。 それで、人間に陛下を葬る策はあるのでしょうか」

「人間に儂が後れを取る場合か」

「はい。 その条件をしっかり見極めておけば、我らとしても安心です。 むしろ人間の裏を掻いたり、罠に填める事も出来るかと」

メラクスは、キタルレア南部戦線を任せてから、急速にしっかりしてきている。

ヨーツレットは感心してしまった。年長者と謂うだけでは無い。歴戦で鍛えに鍛え抜かれて、更にまだ成長できるというのはたいしたものだ。

魔王はしばらく考え込んでいたが、やがて言う。

「二つ、可能性はあるのう」

「二つ、ですか」

「一つは光の槌からの攻撃。 実際問題、以前も南の大陸でかなり危ない目に遭った」

ただし、これには対抗手段が用意されていると、魔王は言う。既に建設中の闇の矛だろうなと、ヨーツレットは思った。

闇の矛は、現在ヨーツレットのいる陣営の側で、八割方完成している。もう少ししたら起動できるだろう。ナントカレールキャノンというそうだが、まあ原理については理解できなくても問題あるまい。ヨーツレットは技術者ではないのだ。

「もう一つは、儂に匹敵する存在からの攻撃か」

「陛下に匹敵、ですか」

「今成長中の銀髪の双子は、この間クライネス軍団長を退けたほどじゃ。 もしも儂が孤立して、彼奴らの攻撃を受けると、多少は面倒じゃの」

「万全の注意を払います」

深々と頭を下げるメラクスだが、魔王の表情を見ている限り、懸念事項はそれではないらしい。

「勇者については、皆でどうにかできるじゃろう。 それは信頼しているのだがのう、もう一匹、厄介なのがおる」

「陛下に対抗できる人間が、まだいると」

「うむ。 少し前から、強い波動を感じる。 儂が魔王とすれば、そいつは聖主とでも言うべきだろう存在じゃて。 十中八九、エル教会を背後から操っているのは、そいつじゃろうな」

聖主。一応、エル教会の聖典については、知識がある。それにも言及されている存在だ。

独善的で見るに堪えない聖典だが、一応知識のデータベースとしては活用できる。それによると、世界を見守る存在で、古代では唯一神と呼ばれていた存在と同一だそうである。そもそもエルというのは、その存在を示す言葉なのだそうだ。

「よし、バラムンク軍団長。 エル教会の坊主を、何匹か捕まえて来て欲しい。 出来れば司教以上がいい」

「尋問するのですかな?」

「そうだ。 考えて見れば、エル教会の連中が、急速に改革されたのも気になってはいたのだ。 そろそろしっかり背後関係を洗う時期だろう」

「うむ、流石にヨーツレット元帥じゃ」

全て任せると魔王が宣言して、会議はお開きになった。順番に軍団長が、情報通信球から姿を消していく。

グラが、最後に残った。

「ヨーツレット元帥、提案があるのですが」

「何か」

「補充兵の師団長は近年小型で戦闘力が高く、知能もかなり高いです。 今後は軍の指揮だけではなく、ここぞと言うときに投入する最精鋭として、ある程度生産しておくのも悪くないような気がします」

「ふむ、設計時間面のコストは確かに掛かるが、いま減りつつある材料はそれでかなりカバーすることが出来るな。 それに、陛下の周囲をエルフの戦士達だけに守らせるのも、前々から少し不安だった」

魔術に長けたエルフ族は、しかし頑強さに著しく欠ける。魔王が魔術的な作業をするときには非常にサポートとして有用だ。だが、実際に人間共に攻撃された場合、盾になれるかというと、かなり怪しいところがある。

同じ人間型なら、屈強な男にでもすれば良いのに。だが、魔王はアニアの要素を持つ、女の子供の人間型しか作らない。ただ、戦闘力自体は最近相当向上してきているし、盾としては充分だろう。

「分かった。 上申しておく」

「ありがとうございます」

グラからの通信が切れた。

今の会議の結果に伴って、幾つか戦略に変更が出てきた。最悪の場合、魔王に前線に出て貰って、一軍を蹂躙して欲しいとさえ思っていたのだ。

だが、其処を敵に突かれると、確かに面白くない。

そして、敵が今、それを誘導しようとさえしている可能性に思い当たった現状、よほどのことでは、魔王を前線には出せなくなっていた。

だが、それ以上に、停滞にリスクがあると、ヨーツレットには思えた。

思考を整理する必要がある。そう、ヨーツレットは結論していた。

「少し休む。 襲撃があれば起こせ」

「はい」

部下達に告げると、ヨーツレットはぐるりと長い体を丸めた。

ムカデの形をしているからか、こうしているととても落ち着く。しばらく丸まって、ヨーツレットは何もかも忘れて休んだ。

 

一晩休んで、前線を見回る。

キタン軍は相変わらず動き無し。テレポートを使える術者に協力して貰い、南のアニーアルス国境を見に行く。

敵の防衛体制は完璧に近い。経験を積んだ将軍達が兵士達を統率し、隙は全くない。

整備された八万の精鋭は侮りがたい。攻撃を行うにしても、簡単につぶせる相手ではない。

三千殺しの能力は、最近敵の優秀な人材をつぶすことに特化して用いている様子だ。だが、そろそろこの辺りで、アニーアルスに対する殲滅も考えなければならないかも知れなかった。

もしもやるとすれば。

さっきグラが提案してきた精鋭部隊と、軍、それにヨーツレット自身が出ての戦いになるだろう。

ただ、軍はキタンに隙を見せることになるから、あまり多くは動員できない。やるなら大規模な戦略を練るか、よほど考え抜かれた作戦を用いなければならないだろう。

情報通信球を使って、クライネスを呼び出す。

そして、聞いてみた。

「クライネス軍団長。 師団長十名を準備するのに、どれだけ時間が掛かる。 最新鋭の補充兵で、だ。 更に守備部隊から兵力五千、更にアシュラ型三十、ラピッドスワロー同数」

「何をなさるつもりですか」

「アニーアルスを潰す。 一晩でだ」

「その戦力だけでは無理だと……まさか魔王陛下と、貴方も加わると言うことですか」

そういうことになる。師団長も、勇者を押さえるために使うための戦力だ。アニーアルス軍は、奇襲を掛けて、アシュラとラピッドスワローの戦力で潰す。ヨーツレットと、それに魔王。更に師団長十名。それも、バリバリの最新鋭の、戦闘タイプ。これに、五千の兵力。

勿論、時間を掛けるとキタンが介入してくる。

だが、どちらにしても面倒な戦力であるアニーアルスを、今潰しておく意味はある。アニーアルスを完全に押さえておけば、義勇軍のいる西ケルテルを西からだけではなく、北からも圧迫できる。

「賛成できません。 危険すぎます」

「それでもやらなければならない。 一晩で成功させれば、魔王様が懸念していた危険材料の内一つを潰すことも出来る。 もう一つの懸念材料である奴も、一晩では流石に出撃は出来ないだろう」

「……ベヒモス二匹を加えるのであれば」

「よし、そんなところか」

少し考え込んだ後、クライネスは言う。

「条件としては、これは完全に独立性の高い作戦になります。 第六巣穴だけでなく、全ての巣穴に割り込みで生産を掛ける事になりますが、その負担は大丈夫ですか」

「何とかする。 小競り合いは避け、兵力の消耗は出来るだけ押さえ、更に部隊の移動を遅らせる」

「分かりました。 もう一つの条件として、魔王陛下の安全を、絶対に死守しなければなりません。 仮設魔王城にいるヴラド師団長と、エルフの戦士達にも、護衛として前線に出てもらう事になります」

それも話をつけると、ヨーツレットは言う。

だが、クライネスは、まだ難色を示した。

「確かに、戦略上の停滞打破に、小さな点の突破が効果的な事は分かります。 しかし、この戦いはリスクが大きすぎる。 貴方や魔王陛下が亡くなられでもしたら、我が軍は致命傷を受けます」

「分かっている」

「ならば、何故」

「人間側もかなり無茶な動員をしているとは言え、連中にはまだまだ資源の備蓄がある」

敢えて、停滞の危険性については触れない。しかし、嘘も言わない。此方の備蓄は、徐々に減り始めている。

人間の死体は、定期的に得られるようにはなった。だが、それも今までの戦役で蓄えた分量に比べると微々たるものだ。

現時点で八万の兵力を蓄えているアニーアルスには、およそ百五十万の民がいると推定されている。敵兵は皆殺しにするとして、鹵獲した人間も南部諸国の制圧地域に送って生活させれば、死人が出る数は一気に増える。

自給自足が可能になるのは、人間の管理数が五千万を超えたらと推察されている。百五十万だとその三%だが、それでもかなり目標達成は近くなる。

しかし、抵抗が相当に激しくなるのも予想される。

だが、勇者が今、アニーアルスにいると情報が入っている。今が、好機なのだ。

魔王陛下は勇者よりも聖主を警戒していたが、ヨーツレットは勇者の方が危険なように思えてならないのである。

しばらく考え込んだ後、クライネスは結論した。

「分かりました。 兵力は、一月程度で用意できます。 ただし、それは巣穴にかなり負担を掛けますので、二ヶ月で」

「分かった。 それでいい」

「作戦については、私が考えます。 その後、陛下と相談した上で、作戦発動を決めましょう」

通信を切った。やはりクライネスは後方に置いておくと、良い仕事をする。風に当たろうと、砦の屋上に上がる。無数の足があると、壁を這い上がるのも簡単だ。砦は石造りだから、夜にはよく冷えている。

とぐろを巻いて、尖塔に掴まった。夜風が心地よい。

星空がどこまでも広がっている。会議をしていると、時間の感覚がなくなるのが良くない。呼吸を落ち着かせて、全身に新鮮な空気を取り入れる。

しばらくヨーツレットは風に当たりながら、考えを整理した。

先日の会議で確信したのだが、クライネスも言ったとおり、この停滞は人間側によって意図的に作り出されている。皆その意図を洞察しようとしていたが、一つ忘れていた事がある。

それは、恐らく長期的には、著しくまずいという事だ。人間が、此方に有利になるようなことを、わざわざするわけがないのである。

停滞は、実はヨーツレットも望んでいた。

人間を絶滅させるのは無理だろうと考えているからだ。ただし別に人間に入れ込んでいる訳ではない。だからこそに、戦うときも全力を尽くす。

人間の戦略が停滞ならば、「その停滞は」崩さなければならない。ただでさえ此方は不利なのだ。どうにかして、敵の先手だけは避けなければならないだろう。そして、此方に有利な停滞を作り出さなければならない。

ついでに、この機会に面倒な銀髪の双子も葬る。連中は魔王軍に対して、被害をあまりにも強いすぎた。この辺りで、しっかり葬っておかなければならない。ヨーツレットと魔王、それに最新鋭の師団長十名、アシュラ型とラピッドスワローがそれぞれ三十に、五千の兵とベヒモス二匹。何度か頭の中で模擬戦をやってみる。敵の戦力は八万に、銀髪の双子、その仲間二人。ただし、奇襲。

模擬戦を十二回実施。勝利条件は、ターゲットの皆殺しと、キタンが介入するまでの敵軍殲滅、領地制圧。勝率は八割を超えた。今の時点で八割だから、クライネスが作戦を練り上げれば更に上がる。

これならば、恐らくどうにかなるだろう。

後は、細かい突入作戦を、二ヶ月間でどこまで熟成するか。

尖塔に掴まったまま、ヨーツレットは考える。効率的で、味方の被害が、出来るだけ出ないようにする策を。

そして最終的に勝利するには、どうすれば良いかを。

 

4、死闘アニーアルス

 

アニーアルス北の国境にあるカサド砦は、二千の兵が常駐する国境警備の要である。丁度オリブ領とアニーアルス本領の中間地点にあり、非常に堅固に作られ、防御術式も類を見ないほどに強力だった。堀は深く、城壁も高い。尖塔も幾つか立てられ、繋ぎ狼煙の備えもある。

兵士達も油断しないようにと言われ、毎日鍛錬と訓練を欠かさずにいたのだが。

それでも、この暴力的な戦力の前には、どうにも出来なかっただろう。

秋風が吹き始めた、夜のことであった。

突如、砦全体が揺動する。

兵士達が飛び起き、城壁に出ようとする。だが、その時には、既に遅かった。

城壁を半ば乗り越え、ベヒモスが乗り込む。悲鳴を上げる兵士達を、ベヒモスの背中にいるアシュラ型の放ったゼロ距離での砲撃が薙ぎ払った。

尖塔が煙を上げながら倒れ、逃げ遅れを押しつぶす。城門が開けられ、兵士達が逃げようとするが、空から降り注いだ火球は、一人も逃さなかった。ラピッドスワローが抱えたアシュラ型による砲撃である。

殲滅終了まで、四半刻。

ベヒモスの背中に乗っていたヨーツレットは、隣にいる魔王に言う。魔王の周囲には、護衛のエルフ戦士達と、側での警護に復帰したヴラド師団長の姿があった。

「流石にございます。 あの堅固な防御術式を、殆ど一瞬で抜かれるとは」

「なあに、軽い事じゃて。 皆の負担が減ったというのは、何よりじゃ」

「御意。 それでは、作戦通りに」

堅固な防御を誇るアニーアルス。

その領土が、瞬く間に侵食されていく。

二匹のベヒモスが、進撃を開始。五千の兵士が、闇に紛れて動き始めた。

 

オリブ領の領都城で、イミナはずっと本を読んでいるシルンの部屋の前に座り込んでいた。

妹が、レオンの叔父の蔵書とやらを読みふけり始めてから二日。特に、その手記が発見されてから、妹は俄然本にかじりついた。今ではすっかり部屋の中で、飲まず食わずでの知識吸収を続けている。

どうやら、違和感の正体を掴めそうだと、妹が言っている。

だから、イミナは邪魔を防ぐ。できる限り、どんな報告でも、ここでシャットアウトしたかった。

大股で、血相を変えたレオンが来る。

深夜で、きまじめなレオンが女子の部屋に来るというのは、ただ事ではない。

「大変だ。 どうも魔王軍が、圧倒的大軍で侵攻してきたらしい。 既に前線は噛み破られた。 狼煙も断続的で、何が起こっているか分からない様子だ」

「尋常ではないな」

「それだけではない」

各地の守将が、突然死を遂げているという。混乱が加速しており、周囲が殺気立っている。イミナは立ち上がると、妹が籠もっている部屋の戸を叩いた。

「シルン、起きているか」

戸が開く。

妹は、蒼白だった。何か分かったのだろう。

「お姉、とんでもないこと、わかっちゃったよ……」

「後だ。 アニーアルスに、魔王軍が本気で侵攻してきた。 既に魔王の能力も行使されて、首脳部は壊滅状態だ」

行けるかと聞くと、シルンは頷く。気丈なシルンが何度も涙をこすっているのを見て、レオンは随分動揺している様子だ。咳払いして、落ち着かせる。

「まずは、この城の戦力を把握。 ラゼロ将軍は駄目か」

「ああ。 さっき、ベッドで亡くなっているのを発見した」

「生き残っている高官は」

「騎士が何名かいるくらいだ。 将官クラスは駄目だな」

「では、一番経験を積んでいる騎士に、指揮を執って貰おう」

考えて見れば、アニーアルスは今まで派手に暴れすぎた。この間の会戦でも魔王の能力で派遣軍の首脳が壊滅させられ、マーケット将軍が命を落としたが。その時から、この危険を察知するべきだったのかも知れない。

「まず非戦闘員を逃がす。 最悪の事態に備えて、西ケルテルとの国境まで下げさせろ」

「分かった。 それも騎士の誰かにやってもらおう」

「ジャンヌは首都か」

「ああ。 今尋問中だ」

助ける術は、無いかも知れない。いずれにしても、各地の軍を集めて、敵の主力軍を横撃する。夜間の奇襲だから、多分兵力そのものはたいしたことが無いはず。しかし、この短時間での戦果。

ひょっとすると、魔王が直々に出てきているのか。

シルンがこんな状態で、魔王を倒せるだろうか。いや、それをどうにかするのが、イミナの仕事だ。

騎士達と合流。まずは兵をまとめて、敵を横撃するべきだと伝える。口ひげを豊富に蓄えた五十前の騎士は、確かにそれが正しいだろうと言う。

しかし、勇敢な戦士であるこの騎士も、指揮官としては玄人では無い。どれだけ兵士達をまとめられるかというと、かなり疑問が残る。

避難誘導をする騎士は、一番若い男だ。他の城にも、伝令を出して貰う。狼煙も上げたが、どこまで機能するか。

「敵の位置は見当もつかないか」

「混乱がひどい。 だが、オリブ領では無く、どうも本国に攻め込んでいるような印象がある」

「ならば好都合だ」

オリブ領には三万の兵力がいる。混乱の中動かせるのが一万だとしても、敵に対して追撃をかけることができれば、勝機がある。

プラムは。周囲を見回すと、部屋に入ってきたところだった。ヒラヒラの服から、動きやすい皮鎧に着替えている。慌てて出てきたらしく、乱暴に剣を何本か背負っていた。手には、二本まとめて、以前貰った国宝の名剣がある。

「どうしたんですか?」

「敵の夜襲だ。 可能な限り、急いで出る」

準備が整うまで、一刻。もどかしい空気が、流れていく。

 

夜襲を成功させ、国境を完全に蹂躙したヨーツレットは、全戦力をまとめて、まずオリブ領へと侵攻を開始した。

オリブ領に勇者がいる事が確実だったからである。

ベヒモスの力と、アシュラ型の火力を駆使して、可能な限り迅速に敵の出城を抜く。敵がまだ混乱している今だからこそ、態勢が整う前に叩き潰さなければならない。二つ目の城を抜いた。守兵は皆殺し。非戦闘員もいたようだが、これも同じく。戦場になり得る場所にいる方がこの場合は悪い。

村や町は放っておく。勿論狼煙を上げたりと面倒だろうが、此方の兵力を過大に報告させる役には立つし、情報も混乱させられる。何より、殺している時間が惜しい。完全に無視して、進撃を続けた。

小さな影が、ベヒモスに飛び乗ってきた。

今回のために作られた十名の師団長の一。高速機動戦だけを視野において作られた、人間型の師団長。シュトルムだ。

見かけはごくシンプルで、人間の子供そのものである。ただし、肌の色が若干青みがかっている。髪の毛はかなり伸ばしていて、腰の辺りで縛っていた。リボンが赤色だが、これは赤が好きだかららしい。

基本的におとなしい性格だが、戦闘を前提として構成されているためか、戦いには適性が高い。

「報告です。 どうやら王弟は生存の模様」

「予想は出来ていたが、人間を止めているな」

「はい。 他の将軍や指揮官は、あらかた死んでいるようです」

「ならば、組織的な行動は遅れる。 勇者を屠るぞ」

魔王は、後ろでおミカンを食べ始めている。今のところ、魔王の仕事は、敵城の結界を抜く以外には無い。勇者が出てきてからが本番だ。ヨーツレットと師団長十名がかりで、勇者を潰す。

まだ、夜明けまではかなり時間がある。このベヒモスは、更に改良を進めたタイプで、動きも速くなっている。最悪の事態を想定した場合でも、勇者との遭遇戦を、夜明けまでには確実に実施できるだろう。

ラピッドスワローから連絡。

勇者がいるというオリブ領都城から、敵出撃。規模は一万二千。

「意外に冷静だな。 いや、流石と言うべきか」

「大丈夫かの、ヨーツレット元帥」

「何、一万二千程度なら、私一人でも蹴散らして見せます。 ましてや此方には師団長十名と、アシュラ三十がいます。 兵力も精鋭を選りすぐり、五千を動員しているのです」

問題は、勇者が交戦を諦めて西ケルテルに逃げ込んだ場合だが。その場合でも、アニーアルスを陥落させること事態で、状況を大きく変えることが出来ると試算は出来ている。危険は今の時点では少ない。

ただし、エル教会の動きが速いことも予想される。その時に備えて、魔王を逃がすために、エルフの戦士達に来て貰っているのだ。彼女らのテレポートを使えば、魔王を仮設魔王城まで転送できる。

大丈夫だと、自分に言い聞かせる。今回の作戦は、一見すると危険は多い。だが、それ以上に、入念に準備をしているのだ。

「敵、視認!」

「歓迎してやれ。 アシュラ型、砲撃開始!」

夜闇に、凄まじい爆炎が吹き上がる。

敵陣に灼熱の花が咲き、兵士が吹き飛ぶのが見えた。だが、流石にアニーアルスの精鋭。この状態でも臆せず、突っ込んでくる。

アシュラ型の砲撃が止むと、突入してくる敵の姿が見えた。

指揮は、ヴラドに任せる。自身はベヒモスの頭の上にまで出た。

「ベヒモス前進。 師団長、攻撃準備」

「勇者は」

「まだ視認できません」

無言で、敵を見つめる。

ベヒモスの巨大な足が、敵を踏みつぶしていく。魔術部隊が反撃をしてくるが、魔王が片手間に張った防御術式は文字通り鉄壁で、まるで刃が立たない。大砲も多数並べて撃ち込んでくるが、結果は同じである。

流石に、単独で五万の敵兵に匹敵する戦力。

敵はそれでも旺盛な戦意を発揮して、ベヒモスに群がってくる。強烈な術式も、次々飛んできた。

多分、勇者は味方に術式を破らせて、でかいのを叩き込んでくるはず。

だがその瞬間、奴の居場所も明らかになるのだ。

「ベヒモスの二匹目を動かせ」

ヴラドが指示を出すのが聞こえた。

今まで少し遅れて、二匹目のベヒモスを動かしていた。それがここで生きてくる。一気に前進したベヒモスが、無防備な敵の側面から突撃する。強烈な蹂躙を浴びて、敵が流石に陣を崩した。

さて、どう出る。

一匹目のベヒモスと違い、師団長も魔王も乗ってはいないが、その代わり身軽で動きが速い。敵陣を突破。そこで足を止めて、振り返りつつ尻尾で敵兵を薙ぎ払う。巨大だから、尻尾の一撃も凄まじい。

箒で、ちりを払っているかのような光景だ。

「敵陣、打撃甚大のようです。 一部は潰走をはじめています」

「……勇者は」

動きが見えない。もう逃げたとは思えない。今までの戦いで、勇者が負け戦に巻き込まれたことは何度もあった。

そのたびに奴らは最後尾で、此方の追撃を阻み続けていた。

今回だけ、一人で逃げ出したとは思えない。必ず、何かを仕掛けてくるはずだ。

「魔力反応大! 儀式魔術と思われます!」

「どこから来る」

「敵城です!」

まあ、ここからなら位置的にも近い。遠隔の攻撃魔術を飛ばしてくる可能性は、確かに想定できる。

敵側面から突撃したベヒモスが振り返り、再び敵陣に突入した。蹂躙は強烈で、敵は防ぐどころかぶつかる事さえ出来ず、蹴散らされていく。何度か繰り返すだけで、敵陣を完全に破壊できそうである。

だが、それでも敵の抵抗は凄まじい。ベヒモスにも強烈な術式がさんざん放たれ、辟易している様子だ。

何か気になる。魔王は常識的な対応を開始した。ベヒモスにかけている防御術式を、更に分厚くしたのである。

敵の儀式魔術が発動。

分厚い雷の束が、ベヒモスの頭を直撃。

だが、魔王が軽々と跳ね返した。当の本人は、平然とおミカンを食べているほどである。圧倒的だ。

「後方より敵! 数、およそ一万五千!」

「如何なさいますか」

「そのまま前進。 もう一匹のベヒモスは、敵の城に突っ込ませろ」

「分かりました」

後方の敵と前方の敵を同時に相手にするなど、愚の骨頂である。まず前方の敵を壊滅させてから、後方を叩く。

文字通り、押しつぶすようにして、前方に攻撃を集中。必死に抵抗を続ける敵を、力に任せて押しつぶした。

まだ、オーバーサンを使うまでもない。

充填を完了したアシュラ型の再砲撃が、とどめとなった。敵陣が文字通り吹っ飛び、組織的抵抗能力が消滅する。ベヒモスが押し込むと、もう周囲には死体しか残っていなかった。

もう一匹が、敵の城に頭突きをかける。防御術式が粉砕され、ベヒモスの巨体が積み木のように敵の城を蹴散らした。

さて、ここまでされて、まだ勇者は出てこないか。伝令が、どうも敵の民間人らしいのが南に逃げていると告げてくる。放っておけと指示。ただし、国境には一応連絡させて、降伏勧告を受け入れ、武装解除を受け入れなければとらえるようにと告げる。まあ、西ケルテルの国境付近に逃げる奴は追い切れないかも知れない。それは仕方が無い。ただ、地形の複雑さから言って、多分国境守備隊が進撃してくる頃には、殆どの民間人を取り押さえられるだろう。

城が、崩壊していく。

さて、後方の敵は。振り返ったベヒモスの横面を張り倒すように、極太の閃光が直撃していた。

 

蹂躙。

圧倒的な破壊力による、一方的な殺戮だった。おとりを買って出てくれた部隊は、殆ど一瞬で巨獣に踏みにじられてしまった。

民間人を逃がすための時間稼ぎとしては、これ以上も無いほど良くやってくれたと言える。命を捨てて、彼らはそれを全うしてくれたのだ。あの中年の騎士も、多分もう生きていないだろう。イミナは無言で彼らに敬意を表した。

シルンは。既に詠唱を終えている。

だが、レオンが難色を示す。

「さっき、儀式魔術でも通用しなかった相手だぞ。 どうにか出来るのか」

「出来るんじゃ無くて、するの」

印を切り終えた。

シルンは、全身に、今までに無いほどの強大な燐光を纏わり付かせている。何かを知ってしまったという話だが、それが故だろうか。魔力が溢れるかのようだ。

杖を、シルンが構え直す。

そして、魔力の塊を、巨獣に向けてぶっ放した。

まるで空気さえも、邪魔だと言わんばかりに、超高密度の白光が敵に向けて打ち込まれる。凄まじい熱がばらまかれ、イミナも思わず顔をかばっていた。

閃光が、巨獣を守っていた防御術式とぶつかり合う。

数瞬の均衡。

だが、それも、長くは続かない。

地面が溶ける。空気が熱を帯びて、辺りに破壊をまき散らす。これほどの高密度の熱、見るのは初めてだ。

やがて、巨獣が悲鳴を上げて、防御術式が粉々に砕けた。巨獣がはじかれたように、数歩下がる。

既に、シルンの術式は、88インチ砲の火力を超えていた。

「やった!」

歓喜の声が上がる。

シルンは、驚くべき事に、殆ど消耗しているようには見えなかった。イミナはすぐにその意味を悟る。

「違う。 これからが、本番だよ」

巨獣が、呻きながら後ずさる。

だが、敵はひるんでいるようには見えない。

そして、強力な気配が多数、此方に接近してくるのが分かった。

「数は十、いや十一」

「決戦を、挑んできたな」

どの気配も、非常に強いことが遠くからでも分かる。しかもそのうちの一匹は、時々見かけたあの巨大ムカデだ。

情報からすると、奴は魔王軍の総司令官、ヨーツレット元帥であるという。それならば、確かに強いはずである。

兵士達が、騎士達がざっと前に出る。

だが、敵も今まで巨獣の後ろに控えていた軍が直接出てくる。更に、空から無慈悲なまでの強烈な火力が降り注いできた。

一万五千と味方は数だけは多い。これは、後方から来た援軍、再編成が済んだ戦力などをまとめた数だ。だが、今回に限っては、敵の質が高すぎる。

敵十体ほどの先鋒と、味方の先陣が接触。

肉塊が、吹っ飛ぶのが見えた。精鋭であるアニーアルス軍なのに、勝負さえさせて貰えない。残像を残しながら暴れ狂う敵に、味方の兵士達がばたばたと切り倒されているのが見える。

シルンが詠唱を開始。敵を止めなければならない。

だが、イミナは。そこで敢えて、シルンを止めた。

「シルン、今はあの巨獣を直接狙う」

「どういうこと」

「恐らく、魔王がいるのはあっちだ。 魔王を倒せば」

「……っ」

味方は阿鼻叫喚だ。たった十一匹の敵に、一万五千が壊滅しようとしている。信じがたい話だが、こんな事があるというのか。

敵は恐らく、軍の中から最精鋭中の最精鋭を集めてきたのだろう。むしろ一瞬で壊滅させられないだけ、アニーアルス軍の練度が高いと言うべきか。

味方を見捨てるのでは無い。

死んでいった皆のためにも、魔王を討つのだ。

シルンの詠唱が終わる。打ち込まれる、無数の光の槍。

だが、敵の防御術式も展開が早い。即座に展開された光の盾が、ことごとく降り注ぐ槍をはじき返した。

「シルン」

担ぐ。

そして、走り始める。奴の防御術式は、シルンの術式とほぼ能力が同じとみた。それならば、至近距離からぶっ放せば、あの巨獣にそのまま乗り込めると言うことだ。

レオンとプラム、それに何名かの騎士が、左右を守って走り始める。シルンは詠唱を再び開始。

敵兵。

激しい乱戦の中、此方を塞ごうとしてくる。

躍り出たプラムが切り捨てる。追いついてきた味方も加勢する。

芋をもむような戦いの中、イミナの体に、何本か槍がかすめた。シルンだけは傷つけさせない。

跳躍。敵の頭を蹴り折る。

プラムが、突破口を開いてくれた。

敵の後方に抜ける。だが、敵の最精鋭らしい連中も気付いて、向きを変えて追いかけて来る。立ちふさがる兵士達は、たちまち斬り伏せられた。

巨獣の足下まで、来た。尻尾から上れる。巨獣はさっきの二撃に怯えたか、或いは他の理由か、動きを止めている。

行ける。

 

味方をおとりに使うとは。

まあ、その辺りも含めて人間だ。ヨーツレットは、オーバーサンの出力を全開にする。狙いは、立ちふさがる人間共。

師団長達が、さっと左右に散開した。

無数の矢が飛んでくる。攻撃術も。見上げた戦意だが、ここで負けるわけにはいかないのだ。

「吠えろ神剣!」

全身が熱くなる。オーバーサンの火力が、完全解放される。

「オーバーサン、バーストッ!」

まばゆい閃光が、全てをかき消していく。

爆発。

もうもうたる煙の中、暁の星が見え始めた。

まだだ。オリブ領を後一刻以内に落とし、反転する。そしてキタンの援軍が来る前に、アニーアルス本土も落とす。

あれほどの爆発を至近で浴びたというのに、敵の戦意は衰えない。何名かの師団長が、猛烈な反撃で矢を浴びて、動きが鈍ってきている。シュトルムはまだ量産型のオーバーサンをふるって戦っているが、そろそろ体力的に限界が近いか。

数が違いすぎるのだ。だから、どれだけ圧倒的な力があっても、どうしても最終的には押し切られる。

勇者は。

見えた。尻尾を登りはじめている。魔王が、勇者の方を見た。

走る。シュトルムが、ヨーツレットの足の一本に掴まった。小さな体に、矢を受けている。多分速度を落として、詠唱をしてくれていたのだ。

「予定通りに!」

「頼むぞ!」

テレポート、発動。

そして、魔王軍元帥は。

勇者の前に、テレポートを果たしていた。

後方では、師団長達が戦っている。この日のために選抜され、作り上げられた最精鋭。戦いには、必ず勝てる。だが、ヨーツレットがいなければ、犠牲者も出るだろう。

それを承知で、シュトルムはここに飛ばしてくれた。自分がせっかく授かった命を、捨てる覚悟さえして。

敵が、足を止めた。

ヨーツレットの後方には魔王がいる。ここから先、一歩も通しはしない。

銀髪の双子は、姉が妹を担いで走っていたらしい。騎士何名かと、剣術の達人らしい子供、眼帯をつけたエル教会の僧侶もいる。

どうやらこれが、銀髪の双子一味と見て良さそうだ。

だから、最大限の礼儀を持って、ヨーツレットは話しかけた。これから全力で殺す相手でもあるのだし、それくらいはしてやるべきだろう。

「お初にお目に掛かる。 私は魔王軍元帥ヨーツレット。 栄えある九将の筆頭にて、魔王陛下の懐刀だ」

「喋った……大きなムカデさん……」

「これから死ぬまでの間、覚えておけ。 全力で相手をさせて貰う」

妹の方、多分こっちが勇者だろう。呆然と、ヨーツレットを見上げて喋る。

姉の方は、多分妹を近接戦闘から護衛するタイプだ。構えをとりながら、ゆっくり進み出る。

「勝てそうか」

「む、難しいよ。 凄く強い! こんな強そうな相手、魔王以外には今まで見たことが無いくらい!」

「私も同じ見立てだ」

話し合うことなど、無い。今ここで、勝負をつけなければならないからだ。

巨大なタラップになっているベヒモスの尾の上で、間合いを計り合う。脇を通しなどはしない。

触手を伸ばし、体を広げる。

相手も、何かあったら即座に動けるように、心身を整え終えている。

爆発音。戦場から、ここまで響いてきた。

均衡が、崩れる。

最初に仕掛けてきたのは、銀髪の双子の、姉の方だった。

 

先手必勝。

相手の顔面に、跳躍と同時に蹴りを叩き込む。しかし驚くほど柔軟に動いた触手が、束になって盾として前を塞ぐ。

蹴りの反動を利用して飛び離れつつ、続いて敵に斬りかかったプラムを眼下に見た。

プラムが、敵の触手を斬り伏せる。

ムカデは、だが、足を一本振り上げた。それも切り落とそうとするプラム。だが、真横から、死角から伸びた触手が、一瞬早い。

吹き飛ぶ。

レオンが手を伸ばし、掴む。

一緒に転がって、尾から落ちるのを避けた。着地。

ムカデが、動く。残像が残るほど早い。触手が無数に、シルンがいた場所を貫く。否、イミナが介入して、触手を蹴り上げて、そらす。

跳ね起きたプラムが斬りかかる。相手の胴。

だが、ムカデは再び残像を残し、斬撃をかわす。最初から何もいなかったように、虚空を抉る剣。

強い。

反応速度、移動速度、完全に人間の限界を超えている。

魔王によって強者が片っ端から消されたのは事実としても、此奴はそういった強者が生きていたとしても、手に負えなかったのでは無いのか。

ムカデの足が一閃。必死に避けたプラムだが、今度は触手が真上から叩き潰しに掛かる。しなやかに動く触手を、一瞬早くイミナが蹴り上げた。

だが。イミナの至近に、大顎を開いたムカデの顔。完璧な間合い。あまりにも膨大な戦闘経験があるが故に、却って分かる。

ムカデの声が、した。

「死ね」

シルンが、小型の攻撃術を、一瞬、ほんの瞬きの早さで発動。ムカデの複眼に閃光弾が当たる。

わずかに動きが鈍る。

残像を残して飛び上がる。大顎が、イミナのいたところを切り裂いた。残像が真っ二つになる。

敵の触手を空中で蹴って、地面に飛ぶ。前にそのまま行こうとしたら、背中に大穴を開けてやる。ムカデは、蛇よりも柔軟に体をしならせる。拳を叩き込み、巨獣の尾に大きなへこみが出来る。

それだけの威力を、今やイミナの拳は秘めている。後ろにいる、この国の精鋭であるはずの騎士達が、全く場に割り込めないほどに。

だが、ムカデは今だ、一発も触手以外には受けていない。

立ち上がる。呼吸が、乱れはじめる。

全力で、多分今人間で最も優れた使い手が。否、「人間に味方している」使い手が四人揃っているのに、どうにもならない。

此奴を倒すには、数で圧倒するしか無い。超長距離から大威力攻撃を叩き込んだり、周囲から犠牲を問わずに攻撃を打ち込んだり。そういったやり方で、人間らしい戦い方でしか、倒せない。

だが、その数が、今は無い。

人間にとっての、最大にして最強の武器が、この場に限っては封じられてしまっている。

「ムカデさん」

「戦場で問答は無用!」

静かに、怒りを蓄えた声だ。

イミナも、同感である。シルンは何を考えている。だが、それは今はどうでも良い。イミナは、必死に思惑を巡らせる。この場をくぐるには、どうしたら良い。

此奴を倒さなければ、多分魔王には届かない。

だが、此奴は多分倒せない。そうなると逃げるか。しかし逃がしてくれるとも、思えなかった。

「お姉、構えといて。 話したいことがある」

「何を言っている」

「良いから! ムカデさんも聞いて!」

凛と、妹の声が辺りに響いた。

「わたし、今日は本当は魔王と直接会って、話がしたかったの」

「何だと」

「そう思うようになったのは、今朝、真実に到達しちゃってからだけど」

意味が分からない。ムカデも、多分同じ心境では無いだろうか。

あの神罰がどうのという奴のことをシルンは言っているのだろうが、それがどうして魔王と話をする事につながる。

混乱しているのはムカデも同じようだった。

「戯れ言で惑わすつもりか」

「ならば、杖を捨てようか?」

「シルン!」

「お姉も聞いて! わたし達みんな、とんでもない間違いをしてる! この戦いほど、意味が無い戦いは無いんだよ! 一刻も早く止めないと!」

その時。

不意に空間が切り取られたように。

何かが、決定的に、その場から欠けた。

 

ヨーツレットの目の前で、空から光の柱が突き刺さった。

ベヒモスの尻尾の一部ごと、人間共が消えて無くなった。死んだ、のだろうか。少なくとも連中がいたベヒモスの尾の辺りは、綺麗に切り取られている。

テレポートの一種にも見える。何処かに転送したか、逃げたか。

それにしても、気になることを言っていた。あの銀髪の人間、真実に到達したとか。その結果、何かの間違いで戦っているとか。

無言で、ヨーツレットは。殲滅が済みつつある戦場を見やる。

この様子なら、オリブ領は陥落だ。更にアニーアルス本国も、キタンの軍勢が出てくる前には、大半を落とせるだろう。

「味方の被害は」

「師団長が一名戦死しました。 シュトルムどのです。 師団長の重傷者も何名か出ています」

「……そうか。 テレポートの隙を突かれたな」

「はい。 ただし、敵は追い散らしました。 大半は叩き潰し、残りも逃げています」

なんだか、どっと疲れた。

魔王の所に行く。魔王は珍しく、難しい表情だった。

「陛下、勇者はこの地から消えました。 逃げたのか、死んだのかまでは分かりませんが」

「真実に到達したと聞こえたのう」

「はあ、まあ。 しかし、時間稼ぎの戯れ言という可能性も」

魔王はおミカンを食べる手まで止めている。エルフの戦士達も、困惑した様子で顔を見合わせていた。

腕組みしていた魔王は、ヨーツレットに言う。

「儂は引き上げる。 アニーアルスの陥落については、元帥に任せる」

「は。 キタン軍が介入してくる前に、王弟の首を上げます」

「うむ、その意気じゃて。 それにしても、先の空間転送介入……光の槌はほぼ完成していると見える。 此方も闇の矛の完成を急がなければならぬのう」

なんだか、ヨーツレットには意味が分からない事が続いている。魔王の独り言からすると、ひょっとして今のは、エル教会の仕業だとでも言うのか。

それとも、これが真実だとでも言うのだろうか。

いずれにしても、アニーアルスへの奇襲と壊滅作戦は成功している。成功しつつある。

これで均衡が崩れれば良い。そう、自分に言い聞かせる。

「よし、オリブ領の制圧は後続の国境守備隊に任せる。 ベヒモスは残りの部隊と共に、アニーアルス軍主力を殲滅する!」

ヨーツレットは、残る一匹のベヒモスを主力に、アニーアルスを潰す作戦を、軌道に乗せた。

 

5、光の槌

 

気がつくと、其処は星の海だった。

足下は真っ暗で、所々が光っている。夜空が足下にあるようだと、イミナは思った。

側で伸びているシルンを揺り起こす。

レオンやプラムもいる。プラムは触手を二度喰らったが、生きてはいた。ただし、やはり戦闘後はひどく傷むらしい。何度か眉をひそめていた。

他にも、後ろに続いていた騎士が、何名かいた。いずれもが、この場所に見覚えが無い様子だった。

「なんだここは。 面妖な」

レオンが呟き、立ち上がる。プラムを立たせてやる事も忘れない。プラムはおなかが痛いのか、完全に無言だった。

辺りは異様に空気が澄んでいて、気味が悪いほど音が無い。或いは死後の世界だろうかと思ったが、違う。

足音が、近づいてきた。

それも、人間のものではない足音が。

「何者か!」

「命の恩人に、その誰何は無いでしょう」

闇の中から、浮かび上がるようにして。無数の腐敗した人体が融合したかのような、気色の悪い塊が現れる。

その中の一つ。老いた男の頭があり、それが喋った様子だ。

魔物か。

だが、敵意が無い。そもそも魔物なら、シルンを生かしておく理由が無い。

「貴様は」

「私はエル教会のフローネスと申します。 今、あなた方が死ぬと、私の主君が少々困るのでねえ。 こういう措置を執らせていただきました。 もっとも、そのせいで憎悪砲発射までのカウントがだいぶ伸びてしまいましたが」

背筋に寒気が走る。

エル教会は、世にもおぞましい生体実験をしていた。これが、その成果だとでも言うのか。

シルンは無言でフローネスを見つめていたが、やがてイミナの手を引いた。

「お姉、行こう」

「何か心当たりがあるのか」

「この人、エル教会って言ったよね。 ならこの空間、多分「光の槌」の中じゃないかな」

「ほう、これはご明察……」

頭を掻いたのは、自分だけ意味不明の出来事から取り残されているように思えたからだ。

妹に、一体何があった。

真実への到達とは、何のことを意味している。

少なくとも、シルンは頭がおかしくなったわけでは無い。それだけは、一緒にずっといたイミナは、よく知っていた。

「聖主も、ここにいるの?」

「おりますが、それをどこで?」

「真実に到達したから、知っているってだけ」

フローネスが、にやりと笑う。

少なくとも、ついていけば、これ以上無知を嘆くことは無くなるだろう。

途方に暮れている他の者達を、イミナは促し。妹と、フローネスなる怪物についで、星の海にも思える黒い不思議な床を歩き始めた。

 

(続)