迫り来る巨獣

 

序、洞窟の奥底で

 

第六巣穴。魔王軍にとって、今や随一といって良い補充兵の生産拠点である。ゴブリンの中でも、おそらく史上空前の出世をしている男であるグラが、ここの管理者だった。

もうここに来て二年以上が経過しているが、グラは問題を起こしつつも、いずれも的確にさばき続けていた。当初は反発する魔物も多かったが、今や誰もがグラが管理者である事を認めている。

だが、当のグラは。まだ、自分が管理者である事に、さほどの適正を見いだしてはいなかった。向いているとも思っていないし、出来ているとも感じていない。自信が無いわけではない。何処かで、自分を低く見ているのかも知れない。

ヨーツレット元帥に、一度言われたことがある。もっと自信を持つようにと。

だが、どうも上手く行かなかった。

今日も早朝から仕事だ。この間回されてきたマリアは、今日はカーラに押しつけている。よく働くので、心配は無いだろう。側についている連隊長のカーネルも、今の時点では何ら問題なしと、太鼓判を押してきていた。

書類を整理し終えると、仕事場に。今日も届けられる死体を帳簿につけ、倉庫に送る。その過程で、幾つかの書類にも決裁をしていく。

そんな朝のひととき。グラは届いた書状を見て、またかと呟いていた。

師団長の作成命令である。今回もだいたいのことはシャルルミニューネに任せることになるのだが、あの気むずかしい老婆はまた文句をたらたらいうに決まっていた。だが、それでも責任者だから、やらなければならない。

グラは働きながら思うのだ。

責任者というのは、文字通り管理しているものに責任を持っている。部下の使い方や、物資の管理、それに結果にも。勘違いしている愚か者は、部下の失敗を部下の責任だと言うことがある。それは違う。

部下に失敗させた、責任者に問題があるのだ。

部下が明らかに向いていないのなら、教育するなり、配置を換えなければならない。

使いこなせていないのなら、使いこなさなければならない。

物流が滞っているのなら、情報の伝達が上手く行っていないのなら。それらは全て、責任者に問題があるのだ。

だからグラは、誰ともよく話すようにしていた。苦手な相手だっている。だが、それでも。任された以上は、面倒を見なければならなかった。

だが、それにはストレスが溜まる。

愉快な弟分であるキバと酒を飲んでいるときは、優しい気分にもなれる。キバの隣で眠っているカーラの笑顔を見た時も。

ため息をつくと、シャルルミニューネがいる洞窟に向かう。後は一度サポート役であるマロンに任せた。

今度、更にこの巣穴を増設するという話が来ている。二つある溶体炉を三つにするというのである。

そうなれば、ここには師団長級の補充兵を護衛に置く必要が出てくる。今まで以上に、切実に、である。

山が既に緑に覆われはじめている今、ここが魔王軍にとって最も重要な戦略拠点という血なまぐさい場所になるのは、また皮肉な話であった。カーラが作り上げた森が燃やされないと良いのだがと、歩きながら思う。

洞窟を一人降りていく。この洞窟も、毎日補充兵が行き来しているせいか、随分歩きやすくなっていた。

一番奥に、シャルルミニューネはいる。

新しく誕生した補充兵の様子を見ていたマインドフレイヤ族の老婆は、グラの足音を聞いて、露骨に舌打ちしながら振り返った。

「何かね、司令官殿」

「忙しいところすまない。 師団長をまた作って欲しいと言うことだ」

「設計図よこしな。 ……今度は二体かい。 ふん」

設計図を引ったくると、後はしっしっと手を振って追い払いに掛かる。

この辺りも、本来は許されないところなのかも知れないが。しかしこの老婆は、今まで補充兵を的確に仕上げてきている。ならば、これで良いのだ。口を開けば不平ばかりだが、仕事をしてくれればそれで良い。

外に出て、仕事に戻る。夕方くらいまで運ばれてくる荷車をさばき続けた。最後に、部隊長が来たのでもてなす。少し前に、マロンに言って隊長をもてなすための小屋を用意させたのである。

最近、ヨーツレット元帥に輸送隊の隊長達に、かなり評判が良いとか言われた。来る隊長達を、皆もてなしているからだろう。今回の隊長はオークの年老いた男だったのだが、茶を出したら感激していた。

「儂ももう少し若ければ、戦場に出るのだがなあ」

「貴方は充分役に立っています。 兵站を支えることがどれだけ重要か、幸いにも魔王軍の司令官達はみな理解していますから」

相手が年長者という事もあって、グラは丁寧に応じる。

噂によると、昔オークとゴブリンはさほど仲が良くなかったそうである。だが今では、互いに敬意を払って存在することが出来ている。マロンに言って茶菓子を出させる。フォルドワードで作られた蜂蜜入りの焼き菓子だ。

「これは甘い。 幸せな時間をありがとう」

「何、貴方のような方達が、前線を支えているのです。 これからも気弱にならず、是非長生きしてくださいませ」

「うむ、うむ」

ユニコーン型補充兵に跨がり、空になった荷車を引いていく隊長を見送る。

だいたい、これで今日の作業は終わりだ。明日はまず師団長の誕生に立ち会ってから、また荷車の荷物を捌くことになる。

肩を叩きながら、宿舎に。途中、カーラを肩に載せて歩いてくるキバと合流。

「あにき! 今日は、カーラが、スモモの木をうえただ! これは来年くらいに食べられるんだって!」

「そうか、スモモか」

「おれ、ジャムがいい!」

「そうだな。 マロンに言って作らせよう」

大喜びするキバに応じながら、宿舎に戻る。

ここ数日、兵の生産がかなり多くなっていたからか、疲れた様子の魔物が散見された。マリアの奴はどうしているかと思い視線を動かすと、いた。リザードマンの料理人の補佐を、上手にやっている。

最近配属されてきた鳥の魔物、ロードランナーの隣に座る。数が回復してきたらしく、かなり多く見かけるようになってきている。卵や肉がまずくて、人間にとって「殺す価値も無い」事が、彼らの絶滅を防いだ理由だとか。下劣な人間の理屈に吐き気がするが、とにかく絶滅を免れた事は良いことだ。

「グラ司令官どの。 これは、光栄であります」

「大げさにしなくても構わない。 俺は食事に来ただけだ」

「いや、非力な種族ながら、ここまで出世為されたグラ司令官を、自分は尊敬しておりますが故!」

大げさな奴である。ちょっと辟易した。

マリアが食事を運んできた。ちょっと野菜を増やして欲しいと料理人に言っていたのだが、ちゃんと希望を叶えてくれている。

寡黙だが、今のリザードマンの料理人は良い腕をしているし、記憶力も良い。多分、料理を作ることが心の底から好きなのだろう。

そろそろ、マリアには別の仕事もさせてみて、様子を見ようとグラは思った。

マリアを働かせることが目的なのでは無い。危険では無いか、見極めることが重要なのだから。

 

1、メラクス軍団南下

 

メラクスは、何名かのテレポートを使える師団長に手伝って貰って、キタルレアの大地を一年以上ぶりに踏んでいた。

この間の敗戦で、クライネスと配置換えになったのである。

現在、フォルドワードは長期的な防衛計画の立案が必要な状態になっている。実戦で力を発揮するメラクスよりも、クライネスが必要だという理由もあった。それに何より、クライネスは前々から思っていたのだが、前線に立たせるには向かない。後方で戦略級の仕事をすると適正を発揮するのだから、最初からそうしていれば良いのである。

誰もが知っている。

クライネスは頭が良いこと。魔王への絶対的な忠誠心を持っていること。そして、前線には立たせてはいけないことをだ。奴は誰にも嫌われているが、それは多分仕方が無い事でもある。

メラクスも、クライネスは嫌いだ。どういうわけか、生理的に好かないのである。ただし、近づくことを嫌だとか、仕事が出来無いだとか、そんな風には思っていない。多分、皆がそうだろう。

周囲を見回す。

相変わらず、キタルレアは荒野が多い。

フォルドワードではエルフ型補充兵の増産が行われており、既に四百名を越えている。彼女らの積極的な植林により、砂漠化していた地域までも緑化が進み始めている。森が無くて苦しんでいた種族も、魔王に感謝の言葉を述べるべく、フォルドワードで建設中の魔王城に足を運んでいるくらいだ。もっとも魔王はキタルレアの仮設魔王城に張り付きっぱなしなので、情報通信球を使って話すことになるのだが。

エルフ型補充兵だけでは無い。民間の魔物達の努力も実を結びはじめ、人間に蹂躙され尽くしたフォルドワードは、緑と豊穣を取り戻しつつある。キタルレアも、いずれはそうしたいものだ。

まずは直接魔王に挨拶をしようと思い、メラクスは歩き出した。

クラーケンを使って、五万の兵が此方に輸送されてくる。それに加えて、これから一月ほどで生産する兵力、それに今まで再編成中だったクライネスの軍団を併せて、新メラクス軍団が作られる。

そのことも、報告しようと思い、メラクスは側近だけを連れて黙々と歩いた。

途中、空を行き交うラピッドスワローを何度も見かけた。戦略爆撃型と言われているタイプもいる。

運んで貰おうかと言い出した部下もいたが、今は軍を再編成中だし、急ぐことも無い。それに、必要があれば情報通信球を持っているのだから、そちらに連絡してくることだろう。

一週間以上掛けて街道を行く。

これだけは、人間が作ったものをそのまま残してある。ただし、街道の左右は、特に土地が荒れ果てていたが。

途中、噂の第六巣穴が見えた。

かなり緑化が進んでいる。水源以外は、今フォルドワードにいるエルフ型補充兵の原型となったカーラとか言う個体が緑化したと言うから、たいしたものだ。もう山の大半は緑化できているのでは無いか。

ちょっとした観光を楽しみながら、更に一週間。時々防御施設を通りがかったので、司令官に会っていく。綱紀が緩んでいるようなことも無く、アシュラ型などの新型魔物も、配置は着実に進んでいる様子だ。

仮設魔王城に到着し、城壁をくぐる。体の左側は殆ど補充兵の技術で作った新しい体に変えてしまった事もあり、歩くときは最初とにかく苦労したが。今は平気である。

城壁の内側は鬱蒼とした森が広がっている。確か温泉もあるとか言う話で、後で入るのが楽しみだった。

長い階段を上って、仮設魔王城に。

魔王の前に直接跪くのも、久しぶりだ。

「おお、メラクス軍団長。 大義であったのう」

「陛下こそ、ご壮健にて何よりです」

メラクスはカルローネと並んで、魔王軍でも最も年を取っている。だが、今だ意気はいささかも衰えていない。

魔族の数少ない生き残りであり、歴戦の闘将でもあるメラクスである。今後は、クライネスを相手にして調子に乗っていた人間を、蹂躙し尽くしてやる心意気であった。

しばらく軽く雑談をする。やはり魔王もここの温泉はお気に入りらしく、メラクスが入る事をしきりに勧めてくれた。古傷に良いというので、メラクスも楽しみになった。

ひとしきり笑った後、メラクスは本題に入る。

「して、私はどこへ向かいましょう」

「うむ、まずは状況を話そう。 今キタンの軍勢が本格的に動き出した様子でのう。 ヨーツレット元帥が、東に主力を向けておる。 敵は七十万という所じゃろう」

「ヨーツレット元帥の軍勢は」

「今規模を拡大して二十三万という所じゃな」

それならば、撃退は可能だろう。

かってならともかく、今はアシュラ型という強力な殲滅特化の補充兵がいる。瞬時に数千の軍勢を蹴散らすこの兵種に加えて、遠距離までの偵察と鉄壁の防御を誇るラピッドスワローを活用すれば、五倍や六倍の相手くらいならどうにかなる。

「フォルドワード本土から連れてきた戦力五万を併せて、メラクス軍団長には十五万の正式軍団を準備しておる。 二週間ほどしたら編成が終わるから、動いて貰えるか」

「ヨーツレット元帥の支援でしょうか」

「いや、南部諸国を潰して貰いたい」

なるほど。敵の主力に対しては防御を固め、敵の弱点を粉砕するというわけだ。

少し前に、クライネスが南部諸国の軍勢にたたきのめされて、かなり手ひどい敗北をしたと聞いている。確かに魔王としても、南部諸国にいる勇者とユキナとか言う女を、放置できなくなったと考えても不思議では無い。

「分かりました。 フォルドワードから連れてきた我が精鋭と共に、敵をひねり潰してご覧に入れます」

「勇者は手強いぞ」

「二度、後れを取ることはありませぬ。 ご安心を」

メラクスは感謝していた。

以前勇者には煮え湯を飲まされたことがある。今回はリベンジの好機だ。

 

温泉に入って、一度体を温める。森の中の静かな温泉は、非常に湯質が良く、体の芯まで温まるようだった。

一緒に入った師団長達も、皆からだがふにゃふにゃになってふやけている。事実、とても素晴らしい温泉であった。

「良い湯ですなあ」

「うむ。 そういえば、二名ほど師団長が追加されると言うことだが」

「今、件の第六巣穴から連絡が来ました。 無事に配属されるようです」

ミミズのような姿をした師団長サンワームに頷くと、メラクスは目をつぶって、しばし湯の温かい快感に身を浸す。

湯から上がった後、部下達を集めて会議を開く。旅団長級以上は全員出席となる会議である。

場所は、仮設魔王城の城下にある、小さな小屋を利用することとした。もっとも、師団長達が利用することを想定しているため、人間から見れば見上げるような大きさだが。

メラクスは今回に任務に当たって、魔王から武具を貰った。メラクスの全身ほどもある巨大な斧であり、しかも刃が不思議な事についていない。戦闘時は柄にあるボタンを押すと、光り輝く刃が出現する仕様で、それが敵にぶつかると爆発する。ドラゴンファングと呼ばれる、秘宝の一つであるそうだ。

「サンワームよ。 そなたは南部諸国の守りをどう見る」

「定石としては、ソド領からの南下が無難でありましょう。 敵を東西に別ければ、その戦力を二分できます」

「その場合、敵の必死の抵抗も予想されますが」

「その通りだ。 だが、一気に敵の主力部隊を引きずり出せる、とも言える」

問題は、キタンおよびアニーアルスである。

アニーアルスは現在、オリブ領に四万程度の精鋭を常駐させているという。これがかなり厄介だ。というのも、件の勇者は基本的にここにいるらしいからである。

ヨーツレット元帥や守備の部隊に任せるという手もあるが、どちらにしても高度な連携が必要になるのは間違いない。

「一番恐れるべきは、ソド領に敵が攻め込むことです。 現在五万五千の守備隊が、独立部隊として駐屯してはいますが。 しかしながら、アニーアルスが総力を挙げて攻め込んできた場合、防ぎきれるかどうか」

「アニーアルスの兵力だけなら問題は無いが、面倒なのは勇者だな」

「御意。 もう一人軍団長がいれば良いのですが、流石にフォルドワードの守りをこれ以上手薄にするわけにも行きますまい」

ぱたぱたと、会議場に駆け込んできた影がある。しかも、建物に入ると同時に、顔面からすっころんだ。

メラクスにつけられている副官である。他と同じ顔をした人間型の補充兵で、モナカという。

かなりドジな性格で、いつもばたばた走り回って顔面から地面にこけるので、師団長達はそれを見ていつも頭を抱えていた。しかもしくしく泣くので、始末が悪い。ただし、事務能力はそれなりにある。まあ、能力がそういう設計なのだろう。

咳払いしたメラクスに、鼻を押さえながらモナカは言う。

「すみまぜん、軍団長。 今、配属になった師団長が来ましたぁ」

「ああ、そうか」

「ごめんなざい、ころんでじまって。 わたし、わたし、ドジで、それで」

「分かった分かった。 良いから、師団長達を案内してきなさい」

何度もこくこく頷くと、モナカが出て行く。大きく嘆息したのはサンワームである。

ミミズのような姿をしたサンワームの、体の後ろ半分は一度無くなった。88インチ砲の砲弾で、文字通り吹き飛ばされたのだ。メラクス同様、今は新しく作られた体をつけている状態である。

サンワームは前回の戦いも生き延びた歴戦の師団長であるが故、新参者ばかりの今の魔王軍について、時々愚痴をこぼすことがあった。

だが、前回の死闘はそれだけ凄まじかったのである。むしろ愚痴をこぼすのでは無く、新しい者達を導いていかなければならないともメラクスは思う。

「前の副官殿は随分しっかりしていたのに。 魔王陛下が派遣してくれた副官だし、事務仕事は悪くは無いから文句は言えませんが」

「仕方が無い。 あの戦いを生き残れた者は、そう多くなかった」

「そう、ですな」

「とにかく今は、兵の材料を得るためにも、後方の安全を確保するためにも、南部の弱小国群を粉砕する。 その過程で、こざかしいユキナとか言う女王もとらえてくれよう」

師団長達が頷く。

勝ちどきを上げて、会議を締めた。

ここからは、まず侵攻軍を整備して、新しい師団長も引見しなければならない。軍団長としての腕の見せ所だ。

そういえば、不思議な事に。

第六巣穴では、女性人格の補充兵師団長ばかりが作られるという。

闘将アリアンロッドみたいなのが来てくれれば良いのだが、カルローネの所にいるシュラみたいに、能力は高くても子供みたいのが来てしまうと外れかも知れない。今回は編成に一月は掛かると見ているが、その間に師団長に訓練も施さなければならないのが、メラクスの憂鬱の原因であった。

城外に出る。

兵力が着実に集結しつつある。仮設魔王城には二万の常備兵がいて、巣穴も作られているが、其処からもある程度兵が出されるようだ。

さて、師団長は。

振り返ったメラクスの所に、ぱたぱたと駆けてくる。あれは、シュラと殆ど同じ顔だ。という事は、二体目の人間型師団長か。アニアという、魔王が大事にしているあの人間の子供の死体と、うり二つである。

「おはようございますっ! メラクス軍団長! 師団長アリゲータ、着任しましたっ!」

野性的な笑みを浮かべて、びしっと敬礼する子供。

背中にある翼は白鳥のように真っ白だが、後ろからはワニそのものの尻尾がはえている。魔力は相当に強い様子で、かなりの高位攻撃術を使いこなせるだろう。女性人格だが栗色の髪の毛はショートに切ってばさばさにしており、ぶかぶかのダークグレーの軍服を着ているのが、滑稽だった。

「ふむ、そうか。 鼻の絆創膏はなんだね」

「はいっ! 来る途中、訓練をしていたら、勢い余って!」

「……そうか、分かった。 もう一名は」

なんだかどっと疲れた。このタイプは一匹も同じ性格がいないらしいのだが、こんなやかましいのが出来るとは。流石にちょっとだけ、メラクスもがっかりした。これは、物静かなのが来るよりも面倒くさい。

しかし、そう思ったのは、まさに一瞬だけだった。

向こうの方の木陰に向けて、アリゲータが手を振る。凄く元気に。

「おーい! カイマン! こっちこっち!」

木陰に隠れているのは、アレも人間型師団長か。

まさか、恥ずかしがって出てこないのか。メラクスは、あまりのことに目の前が真っ暗になるのを感じた。

「カイマン! メラクス軍団長に挨拶しろよ!」

「アリゲータちゃん、恥ずかしいよぉ。 大きな声、出さないで」

「何はずかしがってんだよ! 今日から着任だっていってたじゃねーか」

「だって、だってー。 心の準備がー。 あっ、だめ、引っ張らないで」

呆然として立ち尽くしているメラクス。サンワームがぼそりとこぼした。

「あの、あれが新しい師団長ですか」

「そうらしいな」

「今日は、帰ってふて寝してもよろしいでしょうか」

「駄目だ。 俺だって、ふて寝したいくらいだ」

引っ張られて来るカイマンとやら。顔は同じなのに、表情が違うだけでこうも変わってくるものなのか。

こっちは羽が真っ黒で、髪の毛はピンクブロンド。非常に長く伸ばしていて、腰くらいまである。こっちもぶかぶかの軍服が滑稽であった。

不思議な事に魔力はあまり強くない。

まさか、こっちは近接戦闘タイプか。そういえば、腰からぶら下げているのは剣にも見える。最近生産が始まったオーバーサンの近接戦闘量産型の第一号機が新型の師団長に配備されると聞いていたが。よりにもよって、此奴にか。

戦う前に出鼻をくじかれたメラクスは、しばらく天を仰いだが。

現実は、変わることが無かった。

「あ、あの、カイマンです。 師団長です。 そ、その。 よろしくお願いします」

「あー、そうだな。 此方こそ頼むぞ」

力はあるかも知れないが。

だが、此奴らの面倒を見なければならないかと思うと、メラクスはげっそりしてしまった。

魔族として長い間生きてきたが。今日ほど疲れる日は他に無かったかも知れない。

 

一個師団辺り百五十の配備が決まったアシュラ型は、連日続々と来る。空を舞っているラピッドスワローの数も、数百にすぐ達した。

戦略爆撃型ラピッドスワローも欲しかったのだが、これについてはヨーツレット元帥のところでまず試運転するという。七十万に達するキタン軍が東の国境に集結していると言うこともあり、無理は言えない。すぐに交戦開始というわけにはいかないようだが。

師団長だけでは無く、旅団長や連隊長にも、メラクスは面接を行った。新旧様々なタイプがいて、戦歴もかなり差がある。ただし、新型だから経験が浅いという法則は、既に通じなくなっている。

この間ミズガルアに聞いたのだが、最近記憶を移植する技術がほぼ完成したらしいのである。

このため、ゴブリン型やオーク型、コボルト型などの雑兵にも、経験を積んだ補充兵の記憶と技術が移植されている。師団長級も同じ事である。このため、全軍の戦力が、相当に底上げされている。

実際問題、カイマンの剣舞を見たが、腰の据わり方といい剣の振るい方といい、達人の動きを見ているようであった。アリゲータの方はというと、広域攻撃型の術式を得意としているようで、様々な知識を豊富に持っていた。

性格はあれだが、昔の師団長級より明らかに強い。

まだ軍団長には及ばないにしても、今後進歩が続いていくと、メラクスやカルローネに匹敵する戦闘力の師団長が出てくるかも知れなかった。

カイマンは非常に恥ずかしがり屋で、訓練も一人で黙々としている事が多い。軍服に関しては、モナカが寸を直したようだ。

「指揮能力については、どうかな」

「知識はあるようですが……」

サンワームがぼやく。

確かに、軍令などについてはよく知っている。だがこればかりは、実戦に出してみないとどうにもならない。

頭が良いだけでは、戦争には勝てないのだ。クライネスなど、その見本のような存在である。戦争で物を言うのは、どうにもこうにも、才能なのである。

ヨーツレット元帥などはその点理想的な存在なのだが。流石に元帥の知識を移植するわけにも行かないのだろう。するとしても、もっと後期のタイプからだろうか。

とりあえず、師団ずつに編成して、兵を動かさせる。

基本的な軍事行動は出来るようだ。七名の師団長は、皆がそれぞれ、メラクスが満足する動きを見せていた。

兵が八万ほど揃ったところで、二つに軍を別けて演習を行う。

さほど、師団長達に指揮能力面での差は無い。懸念していたカイマンとアリゲータも、そこそこ見られる指揮をしていた。

モナカが来て、敬礼した。勿論、メラクスの側でこけることを忘れない。

「メラクス軍団長。 ミズガルア軍団長が、試作型の補充兵を回してくるそうですー」

「試作型か。 あいつの試作型は、いつも何かしら問題を起こすな」

「今回はそれなりに実験を重ねているそうです。 あいたたた、ごめんなさいサンワーム師団長」

「転ばないようにな」

尻尾でモナカを支えて立たせてやるサンワーム。結構紳士的な奴である事を、メラクスは知っている。愚痴っぽいのは、歴戦で心がすり切れているからかも知れない。

現在、海上で最終調整に入っているオケアノス型は、クラーケン型とは違って純粋な戦闘だけを目的としている補充兵であり、輸送の機能はついていない。一体でガルガンチュア級戦艦を相手に出来るという事だが、はてさて、どうか。

ざっと報告書を見る。

魔術が得意な魔物が、数体がかりで運んでくると言うから、相当な大形補充兵らしい。説明書も、その時に届けるそうだ。

「名前はベヒモスか」

「ベヒモス?」

「古代に伝わる、巨大な生物だそうだ。 カバをモデルにしているとか、していないとか」

「カバですか」

暖かい地方に住む、凶暴な草食獣。水陸両用であり、野生の生物としては象に迫る戦闘力を持つ存在である。一見穏やかそうに見えるが、縄張りに入った相手を容赦なく攻撃する上に、パワーも凄まじい。

勿論戦闘力が高い魔物には脅威にならないが、それをモデルとした古代の生物となると、かなり大きいのだろう。

ものすごい地響きが轟く。

どうやら、来たらしかった。

城壁の側に、大きな土煙が上がっている。ふらふらになっている様子のエルフ達が、何名か見えた。

もとより体力が無いエルフである。さぞや骨であっただろう。歩み寄りながら、声を掛ける。

「大変であったな」

「メラクス軍団長、此方がベヒモスになります。 説明書をどうぞ」

「うむ、確かに受け取った」

十名以上のエルフが、テレポートの術式を使って、このデカブツを運んできたらしい。それにしても、これは。

見上げる。クラーケン以上の巨体だ。

全体的にはずんぐりとしていて、まるで大海に浮かぶ島のようである。足はずんぐりしていて、数えてみると二十三対。背中は平らになっていて、多くの兵士をそのまま輸送できそうだった。

前に回り込んでみると、蜥蜴のような、或いはサンショウウオに似た顔があった。口は大きく、ずらりと凄い牙が並んでいる。目は放射状に、五十以上を確認できる。息をしているが、それだけで凄い風が来る。風は、とても生臭かった。

「ふむふむ、攻撃能力は備えていませんが、非常に頑丈なので、歩くだけで敵を蹴散らすことが出来ます、か。 生半可な攻撃は通用しません。 88インチ砲にも耐え抜きます、だと。 ふうむ」

「なるほど、人間の城や砦を、この巨体で蹂躙できそうですな」

「うむ。 問題は山越えだな」

南部諸国に入るには、山脈を越えなければならない。

ソド領を通るとしてもそれは同じ事だ。ソド領に五万以上もの軍勢を常駐させているのは、それだけ援軍が遅れるからなのである。

「そうなると、これを使うとしても、行軍にはテレポート部隊か、或いはラピッドスワローによる空輸が必須になるな」

「それが、空輸は上手く行きそうにありません。 此方を見てください」

「む、これは」

サンワームに言われ、後ろに回り込んで驚いた。どうやらこの化け物、人間が遺棄した揚陸艦を改造したものらしい。後ろはまんま揚陸艦になっていた。流石にそうなると、テレポートで運ぶしか無いだろう。輸送重量が大きいラピッドスワローでも、これを運ぶのは無理だ。

上に乗って、中に入ってみる。

生物的な機構は、中には存在しない。鉄の箱の外枠だけが、其処にはあった。どうやってこの構造を実現しているかは、よく分からない。分かるのは、ミズガルアの発想が変態的だと言うことくらいか。

「ざっと一千ほど、兵を乗せられるかと」

「そうなると、我らのような戦闘目的の兵士を乗せるよりも、行軍に時間が掛かる部隊や、輸送物資を載せるのが良いか。 これは一匹だけか」

「説明書にはありませんか」

「ないな」

いずれにしても、これは人間に対して、圧倒的な心理的圧迫感を与えることが出来るだろう。

ただし、ヨーツレットに事前に言われている。

今回の戦闘では、殲滅をするなと。それは魔王にも言われていた。

今、ソド領がかなり重要な役割を果たしているらしい。最終的に人間を皆殺しにするにしても、今はそれを悟らせない方が良いのだとか。そうなると、やはり東西分断をするほか無くなるだろう。

ベヒモスに関しては、山間部を移動させるほか無さそうだった。

 

訓練が終了したとき、丁度おあつらえ向きに、キタン軍が布陣を終えたとヨーツレットから連絡があった。

十五万の兵は、一個軍団として、すぐに動けるようになっている。ちょっと不安が残るカイマンとアリゲータは、直営の師団に振り分けた。これならば、目が届く位置に置くことが出来る。遊撃に老練のサンワームを起き、他の師団は左右両翼に振り分ける。

一個師団ずつ、分解して軍勢を南下させる。

義勇軍とやらの戦力は七万を少し超える程度だという話である。ならば、問題は一つも無い。

人間側が不死の軍勢を使い始めたという報告もあるが、それでも充分に踏みにじることが可能だ。

ベヒーモスの輸送にエルフの戦士達を使いたいと魔王に申し出て、それは入れられた。ソド領を経由することになるから、万が一があってはいけない。戦士達には、腕利きの連隊長を、二名もつけることとした。

大げさなくらいだが、エルフが人間にどのような目に遭わされてきたかを考えれば、これくらいは当然である。

最も最初に、サンワームの師団がソド領最南端に集結。伏兵したまま後続を待つ。

ソド領には多くの密偵が入り込んでいると聞いている。当然のことながら、ユキナももう気づいていることだろう。

アニーアルスの軍勢が南下してくると面倒だ。動きが分かっていれば対処は可能だが、それでも出来れば勇者が来る前に、ユキナの本隊を叩くか、或いはいっそ合流させてしまいたい。

メラクスがサンワームと合流したとき。

既に、戦略は練り上がっていた。

ベヒモスも、少し遅れて到着する。アリゲータの影に隠れて、カイマンがこわごわベヒモスを見上げた。

あんな凄い牙があるのに、食べるのはなんと土である。黙々と地面をぱくぱくしているベヒモス。

「敵の様子は」

「ユキナの軍勢、およそ十万。 南部のカザリ平原に布陣しています」

「思ったよりもかなり多いな。 七万と聞いていたが、四割増しか」

「はい。 一個軍団の南下と聞いて、泡を食って兵力を供出した国が多かったようです」

特にソドの南にある三つの小国は、総力戦規模での戦力を出してきているようだ。勿論、西ケルテルでクライネスを破ったことも、この兵力の基盤だろう。

「アニーアルス軍は」

「まだ到着しておりません。 ラピッドスワローによると、およそ二万が出撃した様子ではあります」

「横やりは入れられないか」

「西ケルテルはユキナが要塞化しており、かなり難しいかと。 其処を通ってくるようですので」

考え込むメラクス。

情報通信球を使って、ヨーツレットにも相談しておく。他の軍団長も、ついでだから呼び出した。

「ちょっと、大丈夫ですか? 勇者って、クライネスをぼっこぼこにするくらい強くなってるんでしょ?」

心配そうに言うのはレイレリアだ。気だるげにグラウコスがたしなめる。

「レイレリア軍団長」

「あ、ごめんなさい。 でも、メラクス軍団長が負けるとかは思っていないです」

「分かっている」

「この子なりに心配しているのよ、メラクス軍団長。 許してあげて」

許すも何も、確かにその通りだ。考え込んだヨーツレットが、意見を述べてくる。

「いっそ、その二万が合流するのを待ってみてはどうか」

「やはり奇襲を受けるよりはそれがましですか」

「押さえるために、何かしらの工夫は必要になるだろうが。 私がそちらに行ければ良いのだが。 クライネス、どう思う」

「図を見る限り、戦略に問題はありません」

幾つか、クライネスが戦術的な話をする。どれも理にかなっていて、メラクスは満足して頷いた。

やっぱり此奴は、後ろにいて役に立つのだ。

「クライネス軍団長。 貴殿の恥は、私が雪辱しておく」

胸の前で、拳を併せる。

両側の拳は、既に由来が違う存在になってしまったが。しかし、それでも。メラクスは、戦う。

彼の後ろには。北極からやっと脱出し、ようやく穏やかな気候と環境を手に入れた、哀れな同胞達がいるのだから。

「ベヒモスから物資を下ろせ。 敵アニーアルス軍が到着し次第、一戦で決着をつける!」

メラクスの咆哮に、周囲から歓声が上がった。

 

2、蹂躙の巨獣

 

敵が動き出した。数は十五万。

推定される敵の一個軍団である。これほどの規模の敵が動き出すのは、一年ぶり以上になるのでは無いだろうか。

ユキナは一万の精鋭を中心に、四万五千ずつ両翼に兵力を割り振って、いわゆる魚鱗陣を敷いていた。アニーアルスのマーケット将軍が率いてきた二万は、オリブ領から来ているらしい。

かなり雑多な人種が目立つ。だが、精鋭である事は間違いなかった。

今回、キタンは動けない。魔王軍に対して、かなり広い戦線でにらみ合いに入っているからだ。独力で敵を退けなければならないが、大丈夫。どうにかなる。

後方にある国々の民は、既に避難を開始させている。出来るだけ東に逃げるように促してはあるが、いざというときは、軍を盾にしてでも守らなければならない。

それが、支配者のつとめだ。

馬車の中から、此方に迫りつつある敵の軍勢を見据える。

六本腕がかなりの数いる。その少し後ろに、手が砲になっている大きいのがちらほら見えた。空には頑丈な鳥の魔物が多数旋回していた。

敵が、二千歩ほどの距離を置き、止まる。

「敵軍、錐陣を敷いています。 中央突破を狙ってくるものと思われます!」

「作戦通りにいく」

まず敵を突出させる。精鋭で敵の突撃を受け止めつつ、左右を伸ばして包囲。戦闘が佳境に入ったところで、アニーアルス軍には敵の横腹を突かせ、敗走に追い込む。

敵の布陣は重厚だが。おそらくこれで勝てるだろう。

アクシデントにはアドリブで対応するしか無い。それが戦場だからである。

敵が動き始める。

兵士達が、恐怖の声を上げた。ユキナも、思わず絶句していた。

とんでもない巨大な怪物が進み出てきたのだ。巨大なサンショウウオに似ていて、その背中から船のような構造物が見える。その大きさと来たら、砦が直接歩いてきているかのようである。

しかも巨獣の背には、あの砲を持った魔物が鈴なりではないか。

敵が進んでくるたびに、地面が揺れる。そして、兵士達の動揺が静まる前に。敵が、攻撃を開始した。

空が真っ赤に染まるかと思えるほどの火球。

凄まじい斉射が、味方陣地に降り注いでいた。

 

「まずは火力で薙ぎ払え!」

旗艦に定めたベヒモスの上で、四十匹のアシュラ型に掃射を命じたメラクスは、ものすごい光景だと思った。

敵の前衛を薙ぎ払いながら進む味方は、まだ敵の矢の間合いに入っていない。だが一方的なアウトレンジ攻撃で、なすすべ無く敵陣は焼き払われていく。確かにこれは、戦争のやり方を一変させる存在だ。

だが、火力はあっても持久力が無いのが、アシュラ型の欠点である。

猛射の末、アシュラ型がチャージに入る。その隙を縫って、敵が突撃を仕掛けてきた。

「ほう。 最初は此方の鋭鋒をうけとめてから包囲する気だったようだが、柔軟に作戦を変えてきおったか。 多少は出来るようだな」

だが、関係ない。

「蹂躙せよ、ベヒモス!」

ベヒモスが進み始める。矢も術も、この巨体の前には塵芥に等しい。一歩進むごとに地響きが起こる。

敵兵に、動揺が走った。

今まで、これほどのとんでもない存在を見たことが無かったのだろう。海上では巨大な戦艦を浮かべる人間だが、まさか砦が歩いてくるような怪物は未見であったらしい。

露骨に敵兵の士気が落ちる中、確実にベヒモスは進む。矢など、通用する筈も無い。

至近に迫った敵。だが、ベヒモスが足を地面に振り下ろすだけで、地震が起こる。悲鳴を上げて、ついに敵兵が逃げ惑いはじめた。崩れる敵。関係ないとでも言うように、巨大なサンショウウオに似たベヒモスが進む。

もはや、巨人が蟻を蹂躙するも同じ光景だ。

右から、凄い術が飛んできた。極太の、光の矢。だが、手を振ってアシュラ型を遮蔽物に隠す。

直撃。

巨体の右に、爆炎の花が咲く。だが、煙が上がるだけで、ベヒモスはかゆそうにさえしていなかった。

今の長距離砲撃、多分勇者だろう。

これではっきりした。

オーバーサンでもなければ、ベヒモスは止められない。つまり、魔王軍で言えば、ヨーツレットが出てこなければ、この歩く城はどうにも出来ないと言うことだ。敵にヨーツレットがいない限り、この突撃を止めることは不可能である。少なくとも、現時点では。

ならば、それを最大限に利用する。

敵陣に、ベヒモスが突入。馬防柵も見張り台も、そのまま踏みつぶして進む。逃げ惑う敵兵を、左右から進む味方が、片っ端から薙ぎ払った。アニーアルス軍はどうにか介入しようとしているようだが、サンワームともう二名の師団長が押さえ込んでいる。三倍の兵力差に、どうにも出来ずにいる。

敵の本陣に突入。

「味方の損耗は」

「ほぼありません。 一方的な展開です」

「このまま、ベヒモスの左右を守る形で両翼を前進させよ」

前の方に、敵の後方拠点らしい城がある。ちょっと脅かしてやるかと、メラクスは思った。

 

とんでもない化け物だ。

大砲による砲撃も全く聞いていない。皮膚が分厚すぎるのか、魔力による防壁が凄まじいのか分からないが、とにかくどうにも出来ない。

進んでくるだけ。その先には、味方のカガリ城がある。物資を蓄えており、敵に渡すわけにはいかない戦略拠点だ。

ユキナは雪崩を打つ味方を必死に叱咤しながらも、下がった。下がるしか無い。

あの巨大な化け物を、止める術が無いのだ。

両翼からの圧迫も凄まじい。

敵の右側には、人間の子供みたいな、羽をはやした魔物が先頭に立っている。手には光を放つ剣を持っていて、残像を残しながら此方の兵士を片っ端から薙ぎ払っていた。鎧柚一触などという状態でさえない。文字通り、手も足も出ない。強すぎる。

左側にも子供みたいなのがいる。こっちはひっきりなしに大威力の術式をぶつけて、此方の組織戦闘力を奪ってくる。敵は四万程度が進んできているだけなのに、味方は押し返せない。

敵が進むだけ、下がるしか無い。

「儀式魔術を!」

「直ちに!」

伝令が飛ぶ。後方に控えていた魔術部隊が、準備を開始。左右の敵に戦力を集中。もうあのでかいのは、動きを止められないと思って諦めるしか無い。カガリ城にも伝令を送り、可能な限りの物資を運び出させる。

あれを、如何に城壁とは言え、防げるとはとても思えない。

アニーアルス軍は。

三倍の敵兵に押さえ込まれ、手も足も出ていない。徐々に両軍の距離は開いていく。敵は四万が此方に進んできており、六万がアニーアルス軍を押さえている。そして五万は遊撃として、悠然と本隊の後ろにいて進んできていた。

「儀式魔法、準備が整いました!」

「狙いはあの怪物だ! 頭を狙え!」

「分かりました!」

十名以上の魔術師による、長時間詠唱からの攻撃術が発動。

空に浮かび上がった巨大な黒雲が、見る間にふくれあがっていく。そして、雷撃の束が、巨獣にたたきつけられた。

閃光が走り、爆音が続く。

ユキナは見る。

巨獣の背中を守るように、光の盾が出現するのを。あれは、おそらく巨獣の背中に鈴なりになっている魔物が展開したものだ。

なるほど、巨獣は進ませるだけにして、他はしっかり周囲でサポートしているという訳か。単に破壊力に頼っていない、敵の優れた戦術的技量がよく分かる。クライネスとはものが違うと考えるべき相手である。

「城は!」

「物資は可能な限り運び出していますが、全ては無理です!」

「やむを得ん。 城に油を掛けておけ。 あの巨獣が入り込み次第、火をつける!」

落とし穴でも掘れれば良いのだが、残念ながらそんな時間的余裕は無い。それにしても、魔王軍の力を甘く見ていた。半分以下の敵に、こうまで一方的な蹂躙を許すとは。

勝った事による油断が、ユキナもむしばんでいたのは、確実だった。

敵の巨獣が、ついに城に接触。兵士達が、火を放って逃げる。瞬時に炎を上げる城に、巨獣は何のためらいも無く踏み込んだ。

巨体が、その重みが、あまりにも桁違いすぎる。

城が、炎を上げながら、ただ押しつぶされた。考えて見れば、勇者の砲撃でさえ通じなかった相手である。多少の炎くらい、まるで通用しないのは、想定の範囲内ではないか。巨大なサンショウウオのような巨体が、まるで積み木の城でも蹴散らすかのように、カガリ城を踏みにじった。

奴の足が無造作に前に出るだけで崩れる石積み。何ら意味をなさない堀。塔が、それこそおもちゃのように押し倒される。粉砕される石積みが大量の粉塵を巻き上げ、崩れ落ちる塔が地震のような揺れに変わる。

味方の士気が、決定的に打ち砕かれたのは。この時かも知れない。

兵士達が、悲鳴を上げながら逃げ惑うのが見えた。勝てない。誰もがそう感じているのは明らかであった。

「後退だ。 一旦下がって、体勢を立て直す」

更に進み始める四万の敵を見て、ユキナはそう指示することしか出来なかった。

しかも、ここで四万の本隊の後ろにいた五万が動き出す。後退しはじめる味方の横っ腹を、想像を絶する早さで突いたのである。

混乱が敗走に変わるまで、わずかの時間しか掛からなかった。

 

夕刻。どうにかアニーアルス軍と、ユキナは合流を果たした。

十万の軍勢の内、一日の会戦で二万を失っていた。意外に巨獣によって踏みにじられた数は多くない。殆どは最後の局面で追撃を受け、それでたたきのめされた分であった。

完敗である。

アニーアルス軍はさほど被害を出してはいなかったが。それでも、三倍の敵に追いすがられ、ことごとく戦術行動を邪魔され、決して楽観できる状態では無かった。

将軍も二人戦死した。

義勇軍がこれほどの打撃を受けたのは、最初に魔王の能力を喰らったとき位である。以前の防衛戦でも、大きな打撃こそ受けたが、これほど一方的な展開にはならなかったのである。

マーケットが来た。沈鬱な表情をしている。

「女王陛下、このような敗戦になるとは」

「魔王軍の底力を侮っていた。 だが、次は負けぬ」

「あのデカブツをどうやって止める」

「まず最初に思いつくのは、奴を穴に落とす事だ。 重量が大きい分、穴に落ちてしまえば身動きが取れなくなるはずだ」

常識的な策ではあるが、効果は大きい。他にもいくつか策は思いつく。

もう一つ、奴の周囲にいる随伴歩兵をどうにかしなければならない。早い話、巨獣だけなら別にここまでの被害を出すことは無かっただろう。その左右を固めて、ゆっくりだが確実な進撃を補佐した随伴歩兵が、今回はとにかく厄介だったのだ。

「無事な戦力はどれくらい残っていますかな」

「四万五千から八千の間という所だろう」

「此方は一万八千という所です」

「負傷者だからといって、下げるわけにも行かないな。 軽傷者は、後方の村や町に、避難を促すために動いて貰おう。 マーケット将軍、客将の貴方にも、それを頼んでしまって良いだろうか」

頷くと、マーケットは負傷兵をまとめるべく、若い騎士を呼んだ。

その瞬間である。

ばたりと、その場にマーケットは倒れる。本陣の彼方此方で悲鳴が上がっているのが分かった。

魔王の能力だ。

レオンが蒼白になって飛び込んでくる。周囲の将軍と話しているのが聞こえる。

「やられた。 アニーアルスの司令部が、一気に全滅させられた」

「マーケット将軍……」

慄然と、ユキナは呟く。

平凡な中年男性のような容姿ながら、勇者と常に共にあり、ずっと戦ってきた驍将。戦術指揮も戦略判断も優れていた名将の、あまりにもあっけない最後だった。

アニーアルスは強力になりすぎたのだ。確かに、そろそろ魔王による制裁を受けてもおかしくは無い時期だった。

イミナとシルンが、プラムと一緒に来る。

「司令部が全滅しては、もうどうにもなるまい。 アニーアルス軍は、我が軍の負傷兵と共に、民間人の避難を誘導してくれ」

「わたし達は残る。 あの怪物を、放置できない」

「頼む。 キタン軍が手を貸してくれれば、少しは状況もましになるのだが」

「それについても、伝令を出しておく」

この間の戦場になった西ケルテルの東には、キタン軍の兵が駐屯している。数千と小規模だが、きな臭い噂が絶えない。

あの戦場で見た、異様な死体の事を考えると、キタン軍が何か道に外れるおぞましい行為に手を染めたのはほぼ確実である。嫌な話だが、それにさえ頼らなければ、今のユキナは終わりなのだ。

問題は、最悪の事態が生じた場合。

つまり、あの怪物が、大陸南端の海岸にまで達してしまった場合だ。

南部諸国は、東西に分断されることになる。

混乱がひどい東側は、丸ごとキタンに飲み込まれかねないし、西側は魔王軍への降伏を選びかねない。

そうなったら、敵は一気に戦線を縮小できる。幾つかの守備部隊を再編成して前線を強化できるだけでは無く、更に機動軍を増やすことが可能だろう。人類全体にとっては、さほどの脅威にはならないかも知れない。

だが、キタルレア南部に暮らしている者達に、それがどれほどの絶望となるか。

なんとしても、あの怪物を止めなければならなかった。

「クドラクは」

「儂は無事です」

蒼白なまま、アニーアルスから提供された軍師は挙手する。だが、知恵の泉のようなこの老人でも。流石にこの事態には、打開策が思い浮かばないようだった。

「何か手は」

「ヒドラム川を防衛線にしましょう。 この川はかなり深く、あの巨体が通れるような橋も今は架かっておりません。 敵が架橋工事をするのならば、そこで打撃を与えることも可能です」

「そうだな。 その途中にある拠点には、全て伝令を出せ。 物資を西ケルテルの要塞に運ばせろ。 民の避難も急がせるのだ」

今晩は、おそらく寝るどころでは無い。

敵の十五万には、今日の会戦で、ほぼ損害が無かったのだから。

 

到着した輸送部隊に、取得した二万余の死体を輸送させる。メラクスは完勝に満足していた。

ソド領の人間共に衝撃を与えないように、山間部を通さなければならないのが面倒だが、最近としてはかなりの収穫だ。

だが、この先に進軍しても、民間人の死体はあまり得られそうに無い。ユキナが避難を進めさせているのは、ラピッドスワローが偵察して確認しているからだ。

ヨーツレットから連絡が来る。周囲の様子を油断無く偵察させながら、メラクスはモナカが持ってきた情報通信球をのぞき込む。

ヨーツレットは、自分が勝ったように上機嫌だった。

以前は年長の軍団長に敬語を使っていたヨーツレットだが、最近はメラクスとカルローネで相談して、上からの言葉遣いにするように頼んでいる。ヨーツレットも快くそれを承諾してくれていた。

「メラクス軍団長、見事な勝利だった。 久しぶりに胸がすく思いだ」

「何の。 このまま、一気に南部諸国を東西に分断して見せましょう」

「うむ、流石だ。 ミズガルアが提供したベヒモスの調子は」

巨大とは言え、補充兵である。クラーケン同様、餌は必要としない。土を食べているのも、一種の反射行動からだ。

今はぼんやりと遠くを見つめて、時々口を開けていた。なんだかユーモラスで、これだけ敵陣を踏みにじった怪物だとは思えない。

「確かに圧倒的に強いですが、過信は禁物ですな」

「ほう」

「この重量だと、落とし穴などに填められると厄介です。 随伴歩兵で周囲を固めて、はじめて戦力を発揮できる存在だと言えます。 明日からは渡河作戦もありますし、簡単にはいかないでしょう」

今回は気持ちよく勝てたが、敵の質が低かった上に、ベヒモスのインパクトが大きかったという事も理由として挙げられる。

思った以上に働いた新米師団長二名の事もあるが、それは戦力に計上していない。まあ、役には立った、程度にしかメラクスは考えていなかった。

「なるほど、さすがはメラクス軍団長。 このまま、キタルレア南部を東西に分断できることを信じているぞ」

「必ずや。 ところで、そちらの戦況は」

「敵七十万が、かなり頻繁に位置を変えている。 布陣しているアシュラ型の射程ぎりぎりを、挑発的にうろついて、こちらの攻撃を誘っている雰囲気だ。 乗ってやらないがな」

ヨーツレットはからからと笑った。

そもそも東側の戦線は、山脈がある分守りに非常に有利だ。逆に言うと、メラクスが南部諸国を陥落させれば、キタンに二正面作戦を強いることが出来る。出来るだけ早くその体制に持ち込めば、東側の大国群が慌てたときには、充分な迎撃態勢を整える事が可能である。

「ご武運を」

「お互いに」

通信が切られる。

肩を掴んで、何度か回した。義手の調子はすこぶるいい。不格好だが、既に生来の腕以上に馴染んでいた。

「師団長以上を集めてくれ。 これから会議を行う」

「は、はい!」

モナカがばたばた走っていって、案の定顔から転んだ。

このベヒモスの欠点は、夜では危なくて動かせないことだ。一気に敵を蹂躙するには、昼しか無い。

この南には人間がヒドラムと呼ぶ川があり、其処を上手く超えることが出来るかが、今後の作戦を実施するための焦点となる。

既に偵察部隊が報告してきているが、人間はヒドラムに縦深陣を敷いて明日再度決戦を挑んでくるつもりだ。

師団長達が集結する。七名いる師団長の内、子供ら二人は眠そうだった。露骨に大あくびをしているアリゲータをたしなめているカイマンも、時々小さな手で目をこすっていた。

何というか。確かに戦闘力は立派だ。カイマンは近接戦闘の技量がマスタークラスと言ってもいいすぎでは無いし、アリゲータの豊富な術式には驚かされた。

だが、子供では無いか。

魔王のことは尊敬しているが、この人間型を作る場合の奇妙な行動については、分からない事が多い。どうしてあの死体の子供と同じ顔のばかりをつくるのか。その割には性格がどれもこれも違っているのは何故なのか。

ヨーツレットは知っているかもしれない。だが、聞く気にはなれなかった。

「サンワーム、渡河作戦に関して、何か不安はあるか」

「いえ。 元々ヒドラムは中州が多い川で、渡河そのものは難しくありません。 ただ、上流をせき止められて、一気に水を流されると厄介かと」

「いわゆる嚢沙之計だな。 上流の様子は」

「ラピッドスワローの偵察によると、今の時点では異常ありません。 おそらくは、民を巻き込むことを避けたのかと思われます」

なるほど。ユキナという女、人間にしては高潔な存在らしい。

ただし、それもいつ気が変わるかは分からない。明日の早朝から攻撃を仕掛けて、さっさと渡河作戦を成功させるのが良いだろう。

「先鋒はサンワーム。 第二陣にカイマンがつけ」

「はっ。 お任せを」

「……」

恥ずかしそうにもじもじするカイマン。思わずため息が出たが、まあ良いだろう。

「アリゲータはベヒモスの周辺護衛。 特に落とし穴には気をつけよ」

「分かりましたぁ!」

半分寝ていたアリゲータだが、呼ばれると元気よく返事した。

他の師団長達は、後方の安全確保と遊撃である。ベヒモスに搭載するアシュラ型で、遠距離から河岸の敵を狙い撃ちに出来る。縦深陣を敷いていても、かなりの戦力を削ることが出来るだろう。

後は、勇者がどう出るか、である。

西ケルテルの小競り合いが、どんどん大きな規模の戦闘に変わりつつある。

敵だけでは無く、味方も多くの犠牲が出ることは、ほぼ確実であった。

 

3、川の戦い

 

河岸に、朝霧が立ちこめる。

偵察の兵士達が戻ってきて、ユキナの前に跪いた。

「敵、動き出しました。 数、およそ六万! まっすぐヒドラムを渡ってくる模様です!」

「だいたい予想通りだな」

クドラクは応えない。頭上の陣に何度か視線を落としていたが、やがて駒を動かした。

最初、ユキナは川をせき止め、一気に堤防を切るべきだという意見に心を傾けかけた。だが、それは下流の民を苦しめる作戦でもある。かといって、何か良案があるかと言われると、難しい所だ。

だから、クドラクの作戦に飛びついてしまった観がある。

だが、クドラクも、作戦の成功はかなり難しいと言っていた。ここでの戦闘が、事実上南部諸国が分断されるかされないかの瀬戸際になるだろう。

敵の前衛二万が、ヒドラムに達したと報告が入る。

敵兵は中州の間に、人海戦術で砂利を詰めた土嚢を放り込みはじめている。川を歩いてわたれるほどの深さにすると、中州へ前進。後続の部隊が同じようにして、砂利で川を浅くしていく。中州をわたるようにして、敵がどんどん前進してくる。行動は極めて効率的で、見ていて感心するほどだった。

味方は仕掛けず、それを静かに見守る。兵士達の中には、露骨に怯えている者もいる。あの巨獣がいつ現れるか分からないのだから当然だ。

程なく。

地面に、小刻みに揺れが走り始める。

奴が来たのだと、すぐに分かった。

橋を架けなかったのも、これが故だろう。

霧の中から、とてつもない巨体が浮かび上がる。当然その背には、昨日あの遠距離攻撃で一方的に此方を薙ぎ払ってきた巨人の魔物達も鈴なりになっているはずだ。伏兵には、口に布を含ませ、静かにさせる。

ついに、敵の先鋒が渡河に成功。

野戦陣を構築するかと思ったら、しない。第二陣が来るのを、待っている様子だ。

おそらくは第一陣は機動軍のまま様子を見て、第二陣が野戦陣を構築する腹づもりなのだろう。

これも、ほぼ予想通りである。

「もう少しだ。 まだ待て」

今日は、精鋭としての活躍が期待できるアニーアルスの軍は、一部を除いて後方に下がっている。司令部が全滅したのだから当然だ。殆どは民の避難を急いでくれているはずで、それだけでもありがたい。

銀髪の双子は側で控えてくれている。昨日は引き離されて敵主力になすすべが無かった。だが、今日は。

第二陣の先鋒が、渡河を終える。

そして、野戦陣を作り始めたところで、ユキナは立ち上がった。

「総員、攻撃開始!」

「突撃! 敵を押し返せ!」

将軍達が一斉に吠える。傷ついた者も多い中、兵士達が歓声を上げて、敵の第一陣に襲いかかった。

野戦陣を構築中の第二陣を守ろうとする敵第一陣に対して、入り乱れての乱戦に持ち込む。それで敵の遠距離砲撃を防ぐ。

勿論、強力な敵と真正面からぶつかり合うわけだから、損害も計り知れない。だが、それは承知の上だ。

今日は運が良いことに、朝霧が出ている。ヒドラムで朝霧が出る事は珍しいと言うことで、これだけは強運だったと言える。奇襲はやりやすいし、いざというときには撤退も出来る。

前衛が、敵とぶつかり合う。

激しい戦いが、繰り広げられているのが分かった。

 

サンワームの師団が、敵と交戦を開始したと聞いて、メラクスは予定通りだなと呟いた。

当然渡河作戦に対して、敵は伏兵を使っての水際殲滅を試みてくるはず。だから、熟練した指揮官であるサンワームに守りを任せたのだ。

問題は第二陣だが。

カイマンには期待していない。その麾下には熟練した旅団長をつけている。見たところ、野戦陣の構築も、かなりスムーズに行われている様子だ。

「ベヒモス、前進開始!」

「ベヒモス、前進します!」

巨獣が動き出す。まずは野戦陣の中まで進ませる。

サンショウウオに似た巨体は、無数にある足を動かして、川の中にゆっくりと体を入れていった。砂利に体が沈み込むが、それでも充分の様子だ。

昨日のうちにミズガルアに直接聞いたのだが、此奴は浮かばない。船が中に入っているにもかかわらず、である。

当然落とし穴は致命傷になる。単独で動かすわけにはいかない存在だ。

「第一陣、乱戦に巻き込まれています!」

「サンワームなら耐え抜くだろう」

心配はしていない。

元々サンワームはメラクスの配下だった訳では無いのだが、去年の死闘を生き残った熟練の師団長だ。

あのとき、海を埋め尽くして押し寄せた敵と戦い、泥沼の死闘を制して生き残った歴戦の勇士である。

最近の師団長は、カイマンやアリゲータを見るまでも無く、かなり高度な戦闘経験を最初から与えられているようではあるが。それでも、サンワームのように実際に修羅場をくぐってきた者はすごみが違う。

サンワームの指揮は、全く心配がいらない。むしろ第二陣の方が、そわそわしているように見えた。

「野戦陣、構築七割!」

「少し遅いな」

「師団長が前に出ているようですので」

「……そうか」

それでだ。旅団長達が野戦陣の構築をしているのは良いのだが、カイマンが前線で大暴れしているのだろう。

だから、兵士達も、どちらを優先して良いのか分からない、というわけだ。

あとで拳骨をくれてやろうと思いながら、メラクスはベヒモスを進ませる。

後方の兵站を担当させる予定の四万は、少し離れた後方にいる。奇襲を防がせる意味もある。

残り五万は、現在別方向から行動中だ。

さて、敵はどう出てくるか。

ユキナの下には、クドラクとか言う優秀な軍師がいると聞いている。そうなると、川をせき止めて水計で此方を押し流そうとしなかったとしても、何かしらの策を弄してくる可能性が高い。

最初の中州に到達。

随伴歩兵が、周囲を念入りに確認している。落とし穴の類は無い。

ベヒモスを再び前進させた。

対岸についてからが勝負だ。

 

光る剣を振り回して、味方の兵士を片っ端から薙ぎ払っている敵将がいると、イミナは昨日聞いた。

敵の師団長かも知れない。

魔王軍の主力を構成している相手は一種の生物兵器だろうという分析は既に出来ている。雑兵までもが以前より手強くなってきているし、当然どんどん強い相手が出てきてもおかしくは無い。

霧の中、乱戦の音が響いている。シルンがぼやいた。

「お姉、作戦、上手く行くかな」

「やってみるしかない」

プラムが、うずうずしているようだ。

子供に見える相手同士という事もある。それに、プラムは戦闘技量自体が能力に通じている珍しいタイプだ。

光の剣を振るう相手と聞いて、意識せざるを得ないのだろう。

敵の巨獣が、二つの目の中州に達したと報告が来る。

同時に、伝令が来た。

「銀髪の勇者、銀髪の乙女! 作戦行動を開始してください!」

「よし、行くぞ」

精鋭が、動き出した。

前方は大乱戦である。真っ正面から、強力な相手に肉弾戦をしている事もあり、かなりの損害が出ているようだ。

だが敵のアウトレンジ砲撃をまともに食らうよりはましだ。

前衛に出る。敵は非常に堅い陣を組んでいて、乱戦に持ち込んではいても、敵の司令部がどこにあるかは見当もつかない。

それだけに、師団長が前に出てきているというのは、不自然きわまりなかった。

或いは、強くても経験が浅いのかも知れない。

味方が無謀な突撃を繰り返しているのが見える。ユキナ自身の育てた精鋭も混じっているようだが、戦況は決して良くない。

もう少し、時間を稼がなければならない。

「シルン、準備は」

「もう少し」

「良し……」

既に、シルンは詠唱を開始している。無造作に、敵の六本腕に向かって歩く。此方に気付いた六本腕が、唸り声を上げた。

周囲は大乱戦である。味方は既に陣も何も無い状態だが、敵はあまり多くない兵力を十全に活用して、重厚な布陣をしていた。縦深陣を敷いていたはずの此方の方が、既におびき寄せられて、殲滅されているようにさえ見える。

もう少し、敵陣に切り込んでおきたい。

眼前にいる六本腕は、二本の腕を使って巨大な鉄棒を振り回して、残りの腕に牽制用の小さな剣を手にしている。小さいと言っても人間が使うグレートソードくらいはある大物だが。

六本腕はかなりの数の矢を既に受けているようだが、痛みがそもそも無いのか、動きが鈍っている様子は無い。

右から、不意に別の六本腕が仕掛けてくる。巨大なのこぎり状の剣を二本の腕で操り、残りはサブウェポンにしているタイプだ。見ると、他の六本腕も、だいたい大型の武器を一本に、残りをサブウェポンにしている。

クライネスの軍団とは、こういった所でも違いが見えて少し面白い。

前のは、プラムに任せる。鉄棒を持った相手にはリベンジしたいだろうし、任せてしまって問題ない。

鼻先至近を、振り下ろされた剛剣がかすめる。風圧だけで、顔を吹き飛ばされそうな勢いだ。

更に、振り下ろした剣が地面を直撃する寸前に止まる。そして、抉りあげるように切り上げてきた。巨体なのに、繊細さと豪快さを兼ね備えた剣術を使う。しかもこんなでかい剣で、だ。今度こそ飛び退かざるを得ない。機動力が比較的低い六本腕だが、いつもながら簡単には勝たせて貰えない。

戦況を見ながら、周囲のけが人を直しているレオンと、詠唱中のシルンには近づけさせない。シルンを狙った矢を叩き落としつつ、踏み込む。六本腕が、剛剣を振り下ろしてくる。右にワンステップしてかわしつつ、剣の横腹に手を添えて軌道をそらし、間合いに入り込んだ。左右から、挟み込むように、牽制用の剣が飛んでくる。跳躍。

真上に出て、だが六本腕が、剣を串刺しにするように突きだしてきた。

体を貫く寸前、剣を掴む。

そして、体をしならせて、敵の首をへし折った。

殆ど曲芸も同然である。周囲の味方兵士達が、歓声を上げるのが分かった。だが、あまり何度も使いたくは無い。

着地。敵が倒れ伏す。

前にいた六本腕は、鉄棒をプラムに真っ二つにされて、数歩下がっていた。しかし、前に出ようとしたプラムが、慌てて蹈鞴を踏む。今下がったのはフェイントで、上下左右から牽制用の剣が飛んでくるのが見えたからだ。

踏み込んだら、瞬時に切り刻まれていただろう。

地面を叩く四本の剣の上を飛び越えたプラムが、敵と交錯する。

敵が四つに切り分けられて倒れるのと、プラムが呻いて片膝を突くのは同時であった。流石に六本腕である。簡単には勝たせてくれない。

シルンが、魔術をぶっ放す。

敵陣に、光の光球が無数に降り注ぎ、爆発を巻き起こした。敵がわずかにひるみ、逆に味方が攻勢に出る。

もう少し押し込んでから、シルンの術式を使って、作戦行動に入る。

槍をそろえて、敵兵が押し出してきた。整然たる槍衾が、味方を浮き足立たせる。どう見ても、敵の方が明らかに技量にしても戦闘経験にしても優れている。これをひっくり返すには、兵力の差か、或いは指揮官の力量差が必要になってくる。

だが、どちらも足りない。

アニーアルス軍が健在ならまだ良い勝負に持ち込めたのだが、司令部が壊滅してしまっている以上、無いものはねだれない。マーケットのあまりにもあっさりした最後を思い浮かべて、イミナは慄然とした思いをぬぐえない。

側に落ちていた敵兵の死骸を、槍をそろえて突っ込んでくる敵の列に投げつける。

わずかに崩れる敵の列に、イミナは飛び込むと、動きが遅れた敵兵の槍を掴み、顎を蹴り砕いた。そして左右の敵を回し蹴りで吹き飛ばし、突破口を作る。

徐々に、この戦場だけは、味方が有利になり始めていた。

 

中州をまた一つ越える。戦況をベヒモスの上で見ていたメラクスは、腕組みしていた。

勇者と以前交戦したとき、随分こざかしい戦い方をする奴らだと思った。術式の展開能力は優れていたし、何よりとても狡猾だった。

籠城した敵に随分手を焼かされ、味方に被害を出したことは、昨日のことのように覚えている。エンドレンから押し寄せた敵の大群と不毛すぎる消耗戦をしていた時とは違った意味で、悔しいと思ったものである。

だが今の連中は、妙に猪突猛進に戦っているように見えた。

多分罠だろう。

「カイマンに伝令を出して下がらせろ。 勇者とぶつかり合うことを避けるように説得しろ」

「何度か伝令は出しているのですが……」

「なんだと。 ならば、言うことを聞かなければ、私がじきじきに拳骨をくれてやると告げろ」

「拳骨、ですか?」

呆れたようにロードランナー族の伝令が聞き返してきたが、腕組みしたまま応答しない。

ベヒモスの尻尾はタラップ状になっていて、其処から降りることが出来る。全戦に出て行ったロードランナー。見ていると、どうやら効果があったらしい。カイマンと、その周囲の最精鋭が、野戦陣の構築をしている味方の援護に戻ったようだ。

「野戦陣、構築までわずかです」

「周囲の状態、確認完了! 落とし穴をはじめとして、罠はありません!」

「よし、進め」

ベヒモスが進み始める。

随伴歩兵達は良い仕事をしている。現時点で、侵攻に不安は無い。

川の中に、ベヒモスが入る。水はさほど多くも無く、砂利をたくさん放り込んだことによって流れも安定している。敵の反撃も、今の時点では勇者がいる地点を除けば軽微だ。サンワームの指揮は非常に安心できる。敵の兵力がもっと多くても、余裕を持って耐え抜くだろう。

「勇者がいる地点、押し込まれはじめています」

「サンワームは」

「司令部を少し下げました。 野戦陣の防御施設を用いて迎え撃つ様子です」

「それでいい」

さて、ベヒモス自体はおとりだ。敵が此奴を目的にして、何かしらの戦略を立てていることは分かっている。

というよりも、そうせざるを得ない方向に追い込んだ。

伊達にエンドレンから迫り来る圧倒的大軍と戦い続けた訳では無い。嫌と言うほど指揮手腕には習熟した。そうしなければ生き残れなかったし、何より多くの部下を失いつつ、泥沼の消耗戦を経験してきたからだ。

アリゲータを先に進ませる。サンワームを援護させるためだ。そして、アリゲータの指揮する部隊が渡河を終えてから、ベヒモスを川に入れた。

直後、強烈な魔力が、川の向こう岸で立ち上るのを感じた。

「よし、来たな……」

さて、どう来る。メラクスは、周囲に防御術を準備させながら、相手の出方を見る。

 

四ヶ所で、同時に儀式魔術の青い燐光が立ち上る。そして、詠唱を終えたシルンが、顔を上げた。

じゃらんと音を立てたのは、最近また増えたシルンのアクセサリである。ユキナがくれたものも、中に幾つか混じっている。

敵を組み伏せ、叩き潰し続けたイミナも、そろそろ傷が増えてきている。敵師団長は後ろに下がってしまったようだし、だが敵兵の重厚な布陣は、ますます重みと深みを増しているように思えた。

プラムが無言で、六本腕に剣を振るう。上半身と下半身が泣き別れになった巨体が倒れ伏す。だが、六本腕はまるで恐れる様子も無く、次々に前進してくる。一体一体が相当に強いのだから、たまったものではない。

周囲の兵士達も、疲労がひどくなりつつある。それも、生き残っている兵士に限った話だ。疲れ切った兵士は、真っ先に敵の槍先に駆けられていく。

バタバタと倒れていく兵士達を見て、流石にイミナも汗をぬぐった。既に三桁に達する敵の首を蹴り折った。人間では無いのだとしても、これ以上の体への傷と疲弊は、戦闘続行を不可能とする。

「そろそろ、限界だぞ」

「……」

シルンは無言で頷いた。後ろに殺気。剣を振り上げた敵。間に合わない。レオンが振り下ろしたモーニングスターが、兜ごと敵の頭を粉砕した。

呼吸を整えながら、周囲を見る。

かなり敵陣深くまで切り込んだが、その分反撃も激烈だ。他の部隊は、当然のようについてこられていない。

大きく円を描くようにして、シルンが印を切る。詠唱完了。

儀式魔術を準備している他の部隊も、おおかたいけたはずだ。

朝霧の中から、巨体が浮かび上がってくる。それは徐々に大きく、はっきりと見えるようになってきた。

「お姉!」

「全員、耳を塞げ!」

シルンが、杖を天に向ける。

空に、巨大な三角形が二つ出現し、重なり合って魔法円を作り出す。瞬時に朝霧が吸い上げられていき、音が、消えた。

四方から立ち上った青い燐光が、一直線に魔法円に吸い込まれる。そして帯電していく魔法円から、戦慄するほどの魔力が放出されはじめた。

敵が、慌てて防御の術式を展開しはじめる。呆然と空を見つめる敵兵もいた。敵兵にも心があるのだ。それが分かるようで、ちょっとほほえましい。

不意に。

世界から、色彩が消えた。

およそ、神々が投擲したとしか思えない雷が、巨獣の至近の川に炸裂したのは、その瞬間のことだった。

砂利が、大量に吹き上がる。

それだけ雷撃の破壊力が凄まじかったという事だ。

続いて、衝撃波が。暴力的な音と共に、戦場を蹂躙した。シルンが習得した禁術の一つを、儀式魔法四つで更に増強した、まさしく神の雷槌。

巨獣が。

今まで、どんな攻撃をうけてもびくともしなかった、サンショウウオのような巨体が。動きを止めたのが分かった。

 

メラクスは、腕組みしたまま、見事と呟いていた。

なるほど、川に雷を落とす事を選んだのか。実際、ベヒモスは全身を雷撃で焼き尽くされた。その周囲にいた数百の護衛兵も、これでは全滅だ。

だが。

メラクスの周囲にいた四名の旅団長が、黒焦げになったベヒモスの背中の上。つまり、兵士達が搭載されている箇所だけは、術式で守り抜いた。

「ブレイレン師団長に合図を送れ!」

「直ちに!」

信号弾が打ち上げられる。

敵が、このベヒモスを止めることで精一杯だと言うことは分かっていた。倒せるかどうかはまだ話が別であったが、そうせざるを得ない状況に追い込んだからだ。

そして、今。

力尽きた敵を、打つべきだった。

空に無数の影。

ラピッドスワロー。しかもその爪には、アシュラ型を掴んでいる。クライネスが破れた西ケルテルの戦闘で、撤退時にラピッドスワローがアシュラ型を掴んで撤退したと聞いたとき、思いついた戦術運用だ。

今や空から、アシュラ型が獰猛な砲撃で、敵を一方的にたたきつぶせる時代が来たのである。勿論あまり長時間は飛べないので、何度か空輸を繰り返すことになるが。

更に。

遙か下流を渡河した味方の遊撃部隊が姿を見せる。

数は、およそ五万。

同時にサンワームも、カイマンとアリゲータと連動して、一気に反転攻勢を開始した。

川に降りると、メラクスは歩きながら、戦況を見やる。

一気に、今までの守勢が嘘のような、小気味の良い攻勢に、味方は移っていた。

味方の旅団長が、川に突っ伏したまま動かないベヒモスの巨体を見上げて呟く。

「ベヒモスがまさか倒されるとは……」

「想定内だ」

「そうだったのですか」

「元々あのミズガルア軍団長が作ったばかりの補充兵だぞ。 大きな欠点がある事は想定されたし、なにより一つの兵器だけで、一カ所の戦況が代わることはあっても、戦場全体が動くことは無いわ」

魔王軍を苦しめたあのガルガンチュア級戦艦でさえ、それは同じだ。あれは無数の護衛艦に守られているからこそ、88インチ砲の移動砲台という獰猛な存在価値を発揮できるのである。

アシュラ型が、空中からの砲撃を開始。

敵陣に炎の花が咲き始めた。流石に抵抗を断念して撤退を開始する敵軍。その後方を遮断すべく、ブレイレンらが指揮する五万が、陣を伸ばしている。

その陣の横腹に、一万ほどの敵が突っ込んだ。

アニーアルスの残存兵力だろう。

陣を伸ばしている状態で、横からの奇襲である。流石に突破まではされないが、進撃速度は鈍った。

まあ、こんな所だろう。全て作戦通りに行くとは、此方も思っていない。想定外は戦場では常に発生する。だから、リカバーを如何に上手に出来るかが、指揮官の質を決めるとも言える。

川を歩いて渡りながら、細かく指示を出す。

「アニーアルス軍に対して、攻勢に出ようとするな。 一万程度を牽制に出し、敵の動きを封じるだけでいい」

「分かりました」

「今はユキナ軍に攻撃を集中して、徹底的に蹂躙しろ。 ただし、深追いはするな。 その代わり、逃げ遅れた敵は容赦するな。 皆殺しにするのだ」

完全に退路を断つ必要は無い。南への道はふさぎつつ、西ケルテルに逃げられるようにすればいい。

そうすることで、敵は本拠地に戻ろうと我先に逃げはじめる。つまり、有利な体勢で、背後を徹底的にたたけると言うことだ。

ついに秩序を失い逃げはじめる敵の軍勢を、アシュラ型の砲撃が空から焼き尽くす。爆発の中、逃げ惑う敵兵に、追いすがった味方が、槍で次々突き倒していく。

河岸に上がったメラクスは、モナカに手足を拭かせた。

そして、サンワームの陣はどこだと呟いた。

「サンワーム師団長は、野戦陣で待機しています。 勇者の大威力術式で、先鋒に被害がかなり出ていたため、再編作業をしているようです」

「追撃はカイマンがやっているのか」

「その様子です」

危ないなとメラクスは呟く。まだできかけの野戦陣の中を歩き、朝霧で湿った顔を何度かぬぐった。

時々、敵からでかい砲撃が飛んでくる。しんがりになった勇者が、大暴れしているのだろう。どうにか奴は仕留めておきたいが、深追いは危険だ。部下にも戒めてはある。

アニーアルス軍も撤退を開始するのを見て、メラクスは大きく嘆息した。

敵の六割以上は討ち果たした。文字通りの全滅状態である敵を見て、メラクスは判断。これで充分だろう。

「追撃中止の信号弾を打ち上げよ」

「ただちに」

まだ経験が浅いカイマンに、これ以上追撃をさせるのはリスクが大きすぎる。

どうせ、ユキナの義勇軍を討ち果たした後は、東側諸国とキタンの大軍勢を相手にしなければならないのだ。

こんなところで、無為な被害を出すことだけは避けなければならなかった。

わずかな被害で、完勝したのだ。これ以上何を望む。

戦略的にも戦的にも。今回の戦は、魔王軍の完勝だった。

 

敵が追撃を中止したのを見て、最後尾で戦い続けていたイミナは、思わず地面に崩れ伏してしまった。

隣では、プラムが完全に意識を失っている。多分、緊張の糸が切れてしまったからだろう。

完敗だ。

当初、この戦闘が開始された段階で、ユキナの軍は十万を超えていた。

だが、現在おそらく戦力にカウントできる数は二万に達しない。生き残りの全員は負傷しており、戦死は五万を越えるだろう。アニーアルス軍も相当な被害を出しているはずである。

義勇軍は壊滅だ。

敵の一個軍団が本気で潰しに来たのだから、当然の結果とも言える。それに敵将はクライネスとはものが違った。情報からするとメラクスのはずだが、以前戦ったときとはまるで用兵手腕が別である。

対エンドレンの戦闘で、さぞや地獄を見てきたのだろう。

成長するのは人間だけでは無いということだ。

おいおいと、生き残った兵士が集まってくる。額に汗しながら、レオンが回復術で、応急処置をしていた。

「お姉、大丈夫」

「シルン、矢」

「うん」

シルンの肩には、矢が突き刺さっていた。それだけではない。体にも何カ所か、矢が刺さった跡がある。

それだけ追撃が凄まじかったという事だ。イミナも、妹を守りきれなかった。

生き残った兵士達が、西ケルテルに敗走していくのを見ながら、しんがりに残った最精鋭はアニーアルス軍と合流。司令部が壊滅した状態でも、何名かの騎士達が指揮を執り、作戦行動は行った。だが、マーケットが生きていたら、もっと的確に動けただろう。

アニーアルスの若い騎士が来た。彼も、鎧の彼方此方から矢をはやしていた。

「民間人の避難は、まだ義勇軍が続けています。 しかし、魔王軍に降伏して、命脈を保とうという民も多く」

「そうか。 仕方が無い事だ」

彼処まで圧倒的な敗北を見せられれば、当然のことだろう。ましてやソド領での善政は、南部諸国全域で知られているほどなのだ。

魔王軍は一度合流すると、南下を開始した。兵站を断とうにも、後方にも充分な護衛戦力をつけており、とてもではないが攻撃は仕掛けられない。

南部諸国は、東西に分断される。

もはや戦力が残っていない幾つかの国を制圧した魔王軍は、まず東西に分断した南部諸国の西側に降伏勧告を出すか、蹂躙するだろう。それにあらがう術は、もう残されていない。

ユキナの馬車が来た。

ハリネズミのようになっていた。ドアを開けると、クドラクとユキナが出てきた。

負傷はしていなかったが、顔色は蒼白だった。

「完敗だ」

「敵の巨獣はどうにか倒すことが出来、全滅は避けました。 これからは、兵力の再編を進めていくしかありません」

「……」

ユキナは西ケルテルという根拠地は得たが、その代償としてはあまりにも大きい。

戦場で、魔王軍が死体を集めているのが見えた。殆どは、人間の死体ばかりだった。敵の損害は一割どころか、その四半分にも達していないだろう。魔王軍がどうして死体を集めているのかは、まだよく分からない。ソド領でも同じ事をしていて、善政の影になっているそうだが。理由は、見当がつかなかった。

「後は我々が敗残兵を収容します。 ユキナ陛下、先にお戻りください」

「分かった。 すまない」

馬車に乗り込むと、ユキナは意気消沈して姿を消した。

まだ義勇軍が数千の規模だったとき、魔王による能力の展開で、一夜にして軍を壊滅させられたことがあるという。ユキナはその時から、魔王を徹底的に憎んでいるそうだ。

今回は、真正面からの勝負で組み伏せられた形になる。

これがどういう結果を生むのか、イミナには分からなかった。

レオンが来る。

「他の奴を優先してくれ」

「生きているものには、術を掛けた。 助かるものは、後送させている」

「そうか」

魔王軍の徹底的な殲滅を見る限り、多分まだ生きている兵士は少ないだろう。

だが、敵が追撃を中止した今、助けられる可能性はある。勿論、敵の斥候に見つかる前に、或いは怪我が致死に達する前に、どうにかしなければならない。

回復術を掛けたからと言って、怪我がすぐに全快するわけでも無い。

傷口を何カ所か縛る。

まだ、体が鉛のように重い。空から降り注いだあの爆撃は、未だに思い出すだけで寒気がする。

南部諸国は捨て石にされている。である以上、支援は期待できない。

ユキナは孤独な戦いを続けているが、それでもいつまでもつか。それが、分からなかった。

馬車が不意に戻ってくる。ボルドーという、ユキナの側近も伴っていた。

「気が変わった。 魔王軍の進軍先にある国々に向かう」

「陛下」

「まだ避難を誘導している者達がいるはずだ。 彼らが一番不安に苦しんでいる所なのに、指揮官である私がのうのうと後方にいられるか」

「……」

うつむいたクドラクの肩を叩く。

シルンが、イミナに頷いた。

「分かりました。 西ケルテルで、避難民受け入れの準備をします。 けが人と指揮系統の再編も、お任せください」

「すまん、頼むぞ勇者どの。 貴殿らがいるだけで、どれだけ兵士が勇気づけられるかわからん」

ユキナは、ぼろぼろの馬車を酷使して。

それでも、魔王軍を追うようにして、南へと向かった。シルンが行くべきなのかとも一瞬思ったが、今西ケルテルに支柱が無いと、多分南部諸国そのものが空中分解する。どちらかはいなければならないのだ。

ユキナが南に行くことを選ぶのなら。

銀髪の勇者と呼ばれるシルンが、西ケルテルにいなければならなかった。

 

戦いの一部始終を、全てエル=セントは見ていた。

義勇軍は良く戦った。最新鋭の武装を配備してやったわけでもないのに、魔王軍の正式一個軍団を相手に、彼処まで戦えたのは立派だと言える。敗退したが避難の時間は稼いだし、まだ諦めてもいない様子だ。

玉座にて、聖主と呼ばれる存在は、顎をさする。

控えているフローネスが、身じろぎした。

「聖主よ、何事にございますか」

「エル教会の再編はどうなっておる」

「エンドレンでの再編作業はほぼ終了いたしました。 汚職僧の排除はほぼ完了し、軍人階級と庶民階級の融和策も動き始めています。 キタルレアでは、兵器の配備が着実に進み始め、キタン軍は既に決戦の準備を整えたようです」

だいたい予定通りだ。

エル=セントは、魔物を絶滅させようとは考えていない。今彼が考えている構想には、魔物が必要だからだ。

魔王だけが、死ねば良い。

そのためには、幾つかの石を、注意深く動かしていく必要がある。

最大の障害は、おそらく魔王も知っているだろう闇の矛だ。それだけをどうにか出来れば、後は。この光の槌によって、魔王を屠ることが出来るだろう。

「キタンには、まだ開戦を待つように伝えよ」

「よろしいのですか」

「魔王軍のメラクス軍団を、南部諸国に釘付けにさせる。 そのためには、まだキタンとヨーツレットの親衛軍団が正面決戦をするのは早い」

「そうなると、いよいよ動かしますか。 グラント帝国を」

頷く。

これから、エル=セントは戦闘の規模を縮小する方向で動いていく。そのためには、むしろ兵を大規模に動かす必要性も生じてくる。

魔王軍も人間も、全力で殺し合えばどうなるか、一年前の戦で思い知っている。それが今、エル=セントには追い風になっていた。

彼の定座である光の槌には、様々に運用上の障害がある。

魔王は既に闇の矛を発見しているはずだ。当然動かす方法も知っているだろう。もう少しで、その条件が揃うはずで、それまでにはどうにかしておきたい駒がいくつかある。

だが。

必ずや成し遂げられるはずだと、エル=セントは信じていた。

 

4、分断

 

ソド領の南部にあった国三つを瞬く間に蹂躙したメラクスの軍団は、ついにキタルレアの南端に達した。途中、敵の抵抗は殆ど無かった。小規模な砦などが幾つかあったが、それもことごとく蹂躙する形で突破した。責任感を持って持ち場を守ろうとした軍人も少数はいたが、殆どは逃げ散るばかりだった。

こんな連中が相手である以上、メラクスは負けない。

思うに、責任感がある奴の殆どは、ユキナの義勇軍に加わっていたという事なのだろう。

蹂躙はしたが、抵抗したもの以外は殺さないようにと言われていたので、降伏は受け入れた。ソド領から来ている専門の部隊が武装解除を行い、ソド領と同じように管理をはじめる。

小国とは言え、三つである。ただし、大半の人間が国を捨てて逃げ出していた様子で、降伏した人間は三十万程度だった。王族もちゃっかり逃げ出していて、あきれ果ててものも言えなかった。

続けて、ここから西側にある南部諸国の人間達に降伏勧告を出す。

交渉は、ソド領にいるパルムキュアに任せる。内気な奴だが、人間とは接し慣れているし、多分問題は無いだろう。

ここ二年以上、あまり拡大することが無かった魔王領が。ここで一気に拡大した。しばらく落とす事が出来なかった南部諸国の内、西半分をわずか半月で陥落させることに成功したのである。

まさに大戦果であった。

勿論、勇者がいたとは言え、他の相手が二線級だったからこそ出来た事であるのは、メラクスが一番良く理解している。

それに、東側からキタン軍が攻め込んでくる可能性もあるし、海上から敵が来る可能性もある。幾つか防御拠点を早めに作り、兵を配備しなければならない。補給の拠点や、連絡経路も構築しなければならないなど、仕事は多かった。

小高い岡の上にあがる。砂浜を一望でき、南部諸国の東も見ることが出来る。平地が続いているため、かなり遠くまで見渡すことが可能な、監視には絶好の地形だ。こういった場所がいくつかある。

いずれにも見張り台を作っておこうと、メラクスは思った。

更に繋ぎ狼煙の要領で、防御施設を幾つか作る。ここから西にある国を全て落としてしまえば、魔王軍の全体的な規模拡大に加え、守備兵を大幅に配置転換させて、守りを重厚にすることが可能だ。

人間に対して、わずかに優位になった。それは間違いないところである。

風が草を揺らす。作物のできが悪いからか、この辺りには畑も少ない。

「メラクス軍団長ー!」

ぽてぽて駆けてきたモナカが、すっころぶ。同時に書類を辺りにぶちまけた。ため息をつくと、メラクスは涙目で書類を拾う副官に言う。

「お前はもう少しおちつかんか」

「ごめんなさいー。 でも、急ぎで連絡しろって、ミズガルア軍団長が」

「……つなげ」

メラクスは頭を掻きながら、情報通信球を懐から取りだしたモナカの前に立つ。映像が実体化すると、其処には不機嫌そうなミズガルアが写っていた。

複数のテレポート使いによって、ベヒモスはミズガルアに返した。まあ、怒るだろうとは思ってはいた。

「メラクス軍団長っ! どうしてこんな頑丈な子が壊されてるんですかっ! あーもう!」

「銀髪の勇者の奴だ」

「……本当ですか」

「ああ。 川に入ったところを雷撃でな」

なまこによく似た姿をしているミズガルアは、体の横から無数に触手が生えており、それらの尖端には人間の手に似た器官がついている。そしてなまこの上にちょこんと乗っている人間の頭は、モナカや他の人間型補充兵にそっくりだ。

その頭を触手二本の先にある手で抱え、残りの触手で床をばたんばたん悔しそうに叩いていたミズガルアは、不意に考え込む姿勢に入る。

「メラクス軍団長」

「何だ」

「わざと、壊しましたねー?」

「勇者の戦力を正確に計る必要があったからな。 ベヒモスに敵の攻撃が最大限集中するようには仕向けた」

沈黙。

怖がってそわそわするモナカを無視するように、ミズガルアは眼鏡を触手の先についている手で直す。

「私が作る補充兵が、いつも何かしらの失敗を抱えていて、実際に動かしてみると不具合が出る事が多いから、ですか?」

「そうだ。 それもある。 だが、如何に強大でも、補充兵一名で敵軍を蹂躙するのは不可能だと、俺は言いたくてな」

比較的親しい相手には、メラクスは俺と言う一人称を使う。ミズガルアはずっとフォルドワードで一緒に戦った仲と言うこともあるし、最近は自然とこの一人称が出るようにはなっていた。

複数の触手で腕組みするミズガルア。とはいっても、端から見ると、無数の触手が変な風に絡まっているようにしか見えないが。

「分かりましたー。 ベヒモスについては、今回の戦歴から、改良を加えます」

「あまりでかすぎても、此方としても扱いづらい。 作るのにコストも掛かるんでは無いのか? 適切な大きさの奴を、適切な数作れば良いと俺は思うぞ」

「分かりました。 そうします」

通信が切れた。

露骨に嘆息するモナカの頭に、毛だらけの手でチョップを浴びせる。

涙目で此方を見る副官に、メラクスは言うのだった。

「しゃっきりせい。 あの子供らはどうしている」

「ええと、今は制圧した村なんかを廻って、使える死体を集めて搬送する部隊の護衛をしています」

「そうか。 それならばいいのだがな」

敵が、いつ攻めてくるか分からない状態である。放置しておくわけにはいかない。

メラクスの本音から言えば、師団長として作られたとはいえ、いきなり前線には入れたくなかった。訓練の際に能力は見ていたし、人事は適切だったから従ったが。実際に戦場で動かしてみると、かなり危ない部分もあったのだ。

今は大規模な会戦を二回、勝ち戦とは言え経験したから、ある程度は安心は出来る。だが今後の事を考えると、もう少し何かしらの形で経験を積ませておきたかった。

やるべき事は、それだけではない。

出来るだけ早めに防御拠点を構築し、攻撃に対応できるようにしなければならない。ラピッドスワローも常時飛ばして、敵地の監視をさせる必要があるだろう。勇者の砲撃にも耐え抜くくらい堅いようだから、滅多なことで落ちることはあるまい。

一旦司令部まで戻る。

今回の戦役で、最後に陥落させたブラルド王国の城が、現在は司令部になっている。だがこの国は、港を中心に栄えた小国であり、周辺をまとめるには規模にしても位置にしても好ましくない。

途中通った街は半無人状態だが、残った連中もいる。しかしながらパルムキュアが派遣してきた部下達が既に人間を上手に管理しはじめているので、メラクスとしては口を出す必要も無かった。

確かに、現時点では、人間を全部敵に回していたら勝つのは難しい。それはヨーツレットに言われるまでも無く、エンドレンの一千万とも言われる途方も無い軍勢と戦い続けたメラクスはよく知っている。

比較的開放的な石造りの家が目立つ街だ。いずれ壊すにしても、今は要塞としても活用できる。ここを上手に使えば、一月や二月時間を稼ぐことくらいは出来ただろうにと、メラクスは人間の愚かしさにため息が漏れる。だが一方で、さっさと大半の人間が逃げ出しているしたたかさも認めてはいた。

司令部に入る。城までもが開放的な作りで、外から風が吹き込んでいる。壁が少ないからちょっと防御面は問題だが、城下は要塞として使えるし、逆に言えばカスタマイズをしやすいという事でもある。

奥ではサンワームがとぐろを巻いて、部下達に指示を出していた。前は謁見の魔だったらしいのだが、玉座は撤去され、代わりに大きな机が置いてある。机の上には軍図が広げられていた。

「メラクス軍団長。 お帰りなさいませ」

「この地点、それにこことここ、見張りを作れるか」

「分かりました。 手配します」

軽く報告を受ける。今の時点で、人間に抵抗の動きは見られないという。西側の諸国に派遣した使者達も、おおむね良い返事を持ち帰ってきているそうだ。

だが、例外もある。

「徹底抗戦の姿勢を見せている小国がいくつかありますが、今まで国境の防衛に使っていた部隊だけで押しつぶせるでしょう」

「カイマンとアリゲータを連れて行け。 万が一のことがあると困る」

「両師団は併せて四万を越えますが、よろしいのですか」

「今は子供に経験を積ませる必要がある。 能力的には悪くないのだから、後は経験さえつめば、二名ともちゃんとした指揮官に成長するだろう」

判断自体は、熟練した旅団長を何名かつけてあるから、そいつらのやることに従うよう、言い聞かせておけばいい。

他に幾つか話をした後、今まで国境を守っていた部隊の再編の話になる。ヨーツレットの指示により、アシュラ型は更に増員することが決まっている。これを防御火力の中心に据え、他はだいたい二線級の部隊で良い。

今までの国境にも、規模を縮小するとは言え、幾らかの部隊は残すそうである。まあ、それが無難だろう。国境だけに守備隊を置いていても、突破されたときに手も足も出せなくなる。

「人間はソド領辺りにまとめてしまった方が良いのでは無いのか」

「それが、そうもいきません。 連中はどうも住んでいる場所にこだわる性質があるらしく、それが不満を呼ぶことにつながりかねないと言うことですので」

「殆ど逃げ出したというのにか」

「厄介なことに、戻ってくるためにはどんな手でも使うことでしょう。 パルムキュア殿の話によると、ここでも善政を敷いてみせれば、平和的に解決できる場合もあるという事なのですが」

何が善政だ。吐き気がする。

人間が嫌いなことに変わりは無い。その悪辣な強さを認めはじめているメラクスも、下劣さはどうしても好きにはなれなかった。

「俺はいずれにしても、キタン軍の来襲に備えて、軍団と迎撃態勢を整備する。 後方のことはおまえに一任するから、パルムキュアと相談して行動するように」

「分かりました」

「やれやれ、肩が凝るな。 魔王陛下に戦勝の報告に行きたいが、しばらくは暇が出来そうにも無い」

ぼやいたメラクスは、自分の肩をもみながら、司令部を出て行った。

 

船がまた一隻出航していく。難民を満載している船の行き先は、西ケルテルだ。海岸から川を遡行して、西ケルテル内の街にまで行く。

港には難民が大勢いて、船は何隻あっても足りなかった。

貧しい国に、大勢の人間が集中している。早く手を打たないと、餓死者も出始めるだろう。ユキナは額の汗を時々ぬぐいながら指揮を続ける。文字通り、寝る暇も無かった。

ここは、インネライス王国。魔王軍に降伏したブラルド王国の西にある。つまり、魔王軍の手で孤立した、南部諸国西側の国の一つである。逃げ出してきた民がごった返していて、既に国王も姿をくらませている。

ユキナは、難民を逃がしながら、この国に来た。退路は既に無いかと思って諦めていたのだが。海という退路があるとボルドーに言われて、船を集めては難民を逃がし続けていた。

逃げられそうにも無い民には、降伏を選ぶという選択肢しか無い。

だから、逃げられそうな道を作ることが、ユキナの仕事だった。

連れてきた義勇軍には、この国出身の者もいる。軍船までも総動員しては、難民を逃がし続ける。海を使って、大きく敵の領土を迂回して、西ケルテルへ向かわせるのは大変だが、他に方法も無い。

ピストン輸送で、既に十万を超える民が脱出を果たしていた。だが、その数倍の人間が、まだ脱出できていない。

既に魔王軍は動き出している。幾つかの国が降伏を受諾して、それらを制圧に掛かったのだ。後半月もしない内に、魔王軍は来るだろう。

船が来た。大型の軍船だが、今は民間人を輸送するためだけに、その巨体を活用していた。

「急いで乗り込め」

「陛下、そろそろ貴方も脱出を」

「私は最後でいい」

ボルドーの言葉を即座に拒絶。

千名ほどの難民を乗せて、船が出航していく。西ケルテルまでは順調にいけば二日ほどで到達できる。また次の船が来る。今度は西から来た。インネランスの西側にある国にも、脱出船の確保に向かった部下が何名かいたのだ。放棄された船を、拾ってきたという事なのだろう。

これで、多少は脱出が早くなる。

かき集めた物資も、いつまでもはもたない。ボルドーが義勇軍の拠点から集めてきた物資と一緒に、民を脱出させていく。

「二刻ほど寝る。 何かあったら起こせ」

「分かりました」

馬車の中で、そのまま横になる。

しばらく、湯浴みどころか着替えもしていない。半分女を捨てている状況だが、それどころではない。難民も殆ど皆同じような状態だし、ユキナだけが好き勝手は出来ない。

身の回りの世話をさせている者達は、みな西ケルテルに残してきている。今回は激戦が予想されたのだから当然だ。爪を切ったり、髪を整えたりは、片手間でも出来る。だから、ユキナが久しぶりに自分自身でやっていた。

二刻で本当に目が覚めた。

また新しい船が来ている。これで、多少は脱出が早くなるだろう。

まだまだ、港には多くの難民がごった返している。皆、ユキナを頼ってきた者達ばかりである。

利己的な連中も多い。

だが、それでも、今のユキナは、彼らを救うことを考えなければならなかった。

元はユキナだってハウスメイドだったのである。しかもフォルドワードから奴隷として売り飛ばされて、此方に来たのだ。

だから、底辺の生活についてはよく知っている。底辺の生活で、心が鈍磨して、すり切れていくことも。

だから、彼らの下劣さを怒る前に。まず救おうと思う。

ボルドーが戻ってきた。忠実なこの男も、そろそろ限界か。額に汗がびっしりと浮かんでいる。

「二つ先の国まで、魔王軍が来ました。 降伏した国の管理に入ったようです」

「そうか」

「残念ですが、全員は脱出させられないかと思います。 このままのペースだと、数万人がどうしても残ってしまいます」

「五万を西に移動させよ」

きょとんとするボルドー。

魔王軍は当然、ここを知っているはずだ。つまり、わずかだけでも時間稼ぎが出来る。

「船を急がせることは出来るか」

「今、西ケルテルでクドラクどのが、キタンに船の提供を要求しているようです。 南部諸国はどこも頼りにならないので……」

「仕方が無い。 井戸の中で勢力争いをしていた蛙の目の前に、いきなりオオサンショウウオが現れたのだ」

キタンの船が間に合えば、どうにか脱出はさせられるはずだ。

まだ、ユキナは諦めていなかった。

緩慢にだが、難民達が移動をはじめる。キタン王ハーレンは冷酷だが、計算はきちんと出来る男の筈。今回の難民達が脱出するのに手を貸せば、それだけの恩を売ることが出来る。

そうなれば、キョドとは違って、キタンは信頼出来ると、南部諸国の民は思うはずである。

水平線の向こう。

百隻を超える船が姿を見せたのは、その日の夕刻のことであった。

歓声が爆発する。百隻はいずれも軍艦だったが、掲げている旗は若干予想とは違っていた。

キタンでは無い。

ボルドーが、移動しようとしていた難民達を戻しはじめる。ユキナの顔が強ばっているのを見て、忠実なボルドーは小首をかしげた。

「如何なさいました」

「あの旗を見よ」

「あれは……」

「グラント帝国の海軍だ。 キタン軍もいるが、十隻もいない」

今頃になって、グラント帝国が本格的な海軍を派遣してくるとは、どういうことだろうか。

帝国海軍が曳航している大形の輸送船には、一気に二千以上の民を乗せることが出来た。魔王軍が来るまで、どうにかこれで間に合う。軍船にも難民を乗せ、その場を離れる。西ケルテルはかなり窮屈になりそうだとユキナは思いながら、最後の一人が船に乗るまで、指揮を続けた。

 

メラクス軍団がブラルドに到達してから一月。南部諸国連合の西側半分は、完全に魔王軍の制圧下に入った。

軍が姿を見せるやいなや、降伏した国が七つ。降伏以前に、既に国の形が消失しており、魔王軍がただ進駐しただけの国が三つ。そのほかの国は形だけ戦った後、なし崩しに降伏した。

ユキナの義勇軍が抵抗を見せるかと思ったのだが、連中は根拠地を西ケルテルに移しており、事前に物資もそちらに大半を移動していたらしい。抵抗は殆ど無かった。

しかし、脱出した難民も相当数がいた。海から脱出したらしいと聞いて、メラクスは腕組みして考え込む。しかもその脱出には、グラント帝国の海軍が力を貸したという。脱出の後半になってラピッドスワローがその姿を見つけたのだが、艦の数は百隻を越えていたとか。

当然のことだが、海岸線にも防衛ラインは作る予定があった。

だが、これは。予定よりも強固なものを作らないと、危ないかも知れない。エンドレンの優れた技術で作られた戦艦ほどでは無いにしても、百隻の艦が輸送してくる敵戦力は、侮れるものではない。勿論、海軍の配備も今後は必要になってくるだろう。

メラクスは司令部をソド領の南にある旧ハイゼン公国に移した。ここからなら、ソド領への敵の攻撃も、さらには南へ敵が上陸した場合にも備えることが出来る。ハイゼン公国にはキドランと呼ばれる大きな山があり、その中腹にメラクスは司令部を作らせた。何のことは無い山なのだが、人間の間ではたたりがあるとか言う噂があるとかで、開発の手がはいっておらず、緑が深い。それがメラクスには心地よかったのである。

元々、この大陸を支配していた帝国によって、街道は縦横に走っている。

それを整備させるだけで、物資の移動は充分に出来た。まだ二月以上、兵の再配置には時間が掛かる。だが、見たところ、後最低でも三個師団程度の戦力を追加しなければならないだろう。海岸の防衛線だけではない。人間の監視や、各地に派遣する野戦軍などを考慮すると、五個師団あればベストだ。

しかし、そんな兵力をすぐに用意することは出来ない。

しばらくは、メラクスが自分の軍団を動かして、南部諸国を保ちつつ、東に備えなければならないだろう。

キドラン山の中腹に、緑を傷つけないように、注意深く幾つか砦を作る。

石造りだが、中は広く、湿っていて、薄暗い。メラクスには快適な環境であった。これで温泉があれば良いのだが、それは仮設魔王城に出向いたときにでも楽しめば良い。

司令部の奥に、玉座を作らせた。

メラクスには少し窮屈だが、魔王が来た時用のものだ。こぢんまりとしている玉座だが、光が入るようにも工夫している。椅子も、上品すぎず質素すぎず、メラクスはできを見て満足した。

作ったのはドワーフの職人である。仮設魔王城の玉座も手がけた男で、顔中あばただらけで気むずかしく、しかも寡黙。何拍子も揃った面倒な奴である。だが腕は確かで、これならいつ魔王が来ても恥ずかしくはないとメラクスは椅子を撫でながら思った。

「メラクス軍団長」

「何か」

モナカかと思ったが、違う。首から情報通信球をぶら下げているのは、ロードランナーの伝令兵だ。

魔王からの通信だと聞いて、ちょっと驚いた。

玉座が見えるように注意深く情報通信球を置いてから、術式を起動する。魔王の姿が、情報通信球に映り込んだので、背筋が思わず伸びる。

元人間であっても、メラクスにとって魔王は絶対。

北極に追い込まれて苦しい生活をした記憶は、メラクスやカルローネのような古参ほど強い。仲間がばたばた死んでいき、絶望の中過ごしていた事が、メラクスの力と、人間への憎悪になっている。

そして、魔王に対する絶対的忠誠にもつながっているのだ。

「メラクス軍団長、無事で何よりじゃて。 それに見事な勝利、儂は鼻が高いぞ」

「ははっ! 陛下のご威光のたまものにございます!」

「それで、早速そなたに任せたい仕事がある」

この地方の司令官だったら嬉しいが、流石にそれは欲を張りすぎだろう。魔王が出してきたのは、地図だった。

南部諸国の一角、海岸線の近くらしい。今ある司令部から、二日ほどでたどり着ける。

「その場所に、何が」

「今、集めている幾つかの道具があってのう。 この地図の場所に、おそらく虫も寄りつかないような異常な環境があるはずじゃて。 補充兵を使って、其処にこんな形のものがないか、探させるのじゃ」

「分かりました」

魔王が示したのは、形容しがたい形状のものであった。さほど大きくは無い様子なのだが、見た目が生物的でもないし、かといって自然物だとはとても思えない。

図も見せてくれる。

全体的には四角い。しかし建築物には思えないし、かといって意味がある形状だとはとても見えない。一体何なのだろう。

「これは、何なのですか」

「簡単に説明すると、とても力が出る道具じゃて」

「力が出る、ですか? 我々が力強くなると言うことなのでしょうか」

「そうではないそうではない。 簡単に説明すると、人間に勝つために必要な武器があるのじゃ。 それの部品は今だいたい集まっているが、この間南部諸国を制圧したときに、質が良いのを探知出来てのう。 組み込めば、武器の完成に大きく近づく、という訳なのじゃ」

なるほど、それは興味深い。

メラクスとしても、魔王が切り札として準備するような武器が完成する場には、是非立ち会いたいと思う。

「分かりました。 身命に変えても発見いたします」

「何、其処までかしこまらなくても良いぞ。 それに、絶対に補充兵を使って探すのじゃ」

「分かっております」

毒性が強いのか、或いは何か特殊な仕様があるのか。

よく分からないが、言うことを聞くほか無い。メラクスは老獪な司令官であると同時に、魔王への忠誠が誰よりも篤い自信もある。

魔王がメラクスを信じて頼むというのだ。絶対に成し遂げなければならなかった。

まずは、位置を確定する必要があるだろう。

すぐにメラクスは、ラピッドスワローを手配させた。

 

5、マリアの苦悩

 

物陰に飛び込むと、マリアは何度も嘔吐した。分かってはいた。分かっていたというのに、現実を見てしまうとどうしても理性が受け付けなかった。

魔王軍は、人間の死体を炉のようなものに放り込んで、どろどろに溶かしている。そしてそれを材料に、多くの兵士を作っているのだ。

そして、時々いる奇っ怪な形状の兵士や士官も、そうやって誕生しているのである。

なるほど、近年始祖が分からない魔物が大量発生した訳である。

しばらく第六巣穴で働いて、グラに呼ばれた。多分、グラは現実を知ったときの反応を見たかったのだろう。

後ろでは、じっと連隊長だというカーネルが見ている。

それなのに。胃の中が空になっても、まだ嘔吐が止まらなかった。

むせて咳き込んで、しばらく荒い呼吸の中、定まらない視線で地面と自分が吐いた酸っぱい唾液を見つめる。

あの大量の死体は。

魔王軍にとっての、文字通りの生命線だったわけだ。

このような残虐な行動をしている理由については、よく分かる。グラが言っていた通りだ。こうしないと、人間には対抗できない。

いずれ、魔物達は滅ぼされる運命だった。

それを打開するには、これが一番現実的で、そして数の少なさを補えるものだった、という事なのだろう。

腕を掴まれた。

グラである。ゴブリンの表情はよく分からないが、あまり喜んでいるようには見えない。

「落ち着いたら、宿舎の俺の部屋に来い。 話がある」

殺されるのだろうか。

可能性は低くない。だったら、逃げ出さなければならないかも知れない。だが、逃げ切れるだろうか。

しばらくここで働いてみて、補充兵の能力の高さは身にしみた。アシュラ型に狙われでもしたら、まず生き残る可能性はゼロだ。

呼吸を落ち着けようとするが、上手く行かない。カーネルはずっと無言のまま、後ろで見つめていた。

立とうにも、腰が抜けてしまっている。

しばらく地面で無様にもがいて、泥だらけになりながらも、どうにか立ち上がった。

罪悪感で、押しつぶされそうだ。

それに、絶望感もひどい。

魔物と人間の仲を取り持つことが、どれほど困難かは分かっていたつもりだった。だが、魔物がしている事は、人間にとっては絶対に許せない事である。そして人間がしてきたことも、魔物にとっては絶対に許してはならないことなのだ。

どちらもが、決定的に相手にとってしてはならない事をしてしまった。それが、今の事態を生んでいる。

更に言えば、仮に魔物が人間を材料に兵士を作ることを止めたら。その時は、人間が魔物を滅ぼすだけだ。

そのようなこと、魔物が受け入れるわけが無い。

かといって、人間が魔物と戦うのを止めるだろうか。一時的には止めるかも知れない。だが、それも長くは保たないだろう。

不思議そうに、側で膝を抱えてカーラがマリアを見つめていた。

キバはいない。

「ごめんなさい。 ちょっと、一人にしてください」

カーラは頷くと、どこからに行ってしまう。何も喋ることが出来ないと分かっているのに、どうしてだろう。

何か、叱咤でもして欲しかったのだろうか。

辺りの光景が歪んで見える。それほど、精神的なショックが強かった。歩きながら、宿舎を目指す。

殺すのなら、出来れば一瞬で。そう思った。

グラの部屋まで、どう歩いたか全く覚えていない。

部屋に入ると、グラはマロンに筆記をさせながら、執務をしていた。一緒にカーネルも入ってくる。

「どうだ、現実を見た気分は」

此方を見もせずに、グラが言う。

応える言葉も無い。

うなだれるマリアに、グラは続けた。

「もうしばらく、ここで働いてみろ」

分からない。魔王の側に行けば、どうにかなるとも思えない。

グラは、少なくとも労働力としては、マリアを認めてくれているらしい。ぼんやりとした頭で、それだけが分かった。

頷いた、ような気がする。

マリアは与えられている小さな部屋に戻ると、ベットに倒れ込む。

世界がぐるぐると廻っているような、そんな気がした。

 

(続)