人と魔の狭間で
序、人でも無く魔でもなく
マリアは、ソド領を出たところで、ヨーツレットの親衛師団に引き渡された。
村を出るとき、視線が痛かった。マリアをもう別の何かのように見ているのが確実だったからだ。
子供達は大人の行動を不思議がっているようだったが、それも気休めに過ぎない。隠そうにも翼は背中で大きな存在感を主張していたし、大人達の視線にははっきりとした拒絶が籠もっていた。
あのジェイムズという男の薬で、自分はもう人では無くなったのだ。
だが、魔物達からも、不思議な存在を見るように、自分を観察しているのが分かった。どうやら、魔物の世界でもそう簡単では無いらしい。何かあったらすぐに引き裂いてやるとでもいうような雰囲気を放っている魔物も、少なくは無かった。
とても自分が中途半端な状態である事は、マリアにはよく分かった。
今まで誠実に生きてきて築いたものも、全て失ったと考えて間違いないだろう。何もかも、一から作り直さなければならない。
心の方は、別に変わっていない。
人間を食べたいだとか、性欲が押さえられないとか、そんなことは無い。今までと同じである。
姿が変わっただけで手のひらを返した村人達には思うところもあったが、それは前から同じだ。そういった所も含め、人間だとマリアは思っている。だから、気にはしなかった。
国境まで護送される。
最近かなり増えている難民の一団と、何度もすれ違った。ソド領で行われている善政を目当てにした連中だ。中にはソド領で一仕事しようというような、無法者の集団もかなりいるらしいと、噂には聞いていた。
だが。今、南部諸国では、多くの民が土地を捨てて離散している。空白地は魔王軍によって占領されているらしく、そういった場所の再開発に難民は振り分けられているようだ。
それに機械的に管理され、監視もされている魔王領で、盗賊達が暴れられる余地は無いだろう。武器も持ち込んだ端から取り上げられているらしいし、もめ事もすぐに解決しているのだから。
盗賊は、案外ここで、真人間になる好機かも知れない。
だがしかし、それはあくまで家畜としての好機だ。このままではいけないと、マリアは思う。
「マリア司祭、ですな」
巨大な触手だらけの魔物が、魔物達を従えて現れる。
口調は慇懃だが、触手についている無数の目は、容赦なくマリアを観察している様子がうかがえた。
「私はセッター連隊長。 親衛師団で機動連隊の一つを率いています」
「ご丁寧にありがとうございます。 マリアです」
「安全の確認もありますので、いきなり貴方の希望を叶えるわけにはいきません。 魔王陛下に会いたいというのは特に、ね」
既に、魔王に一度会いたいという話はしてある。
だが、まあこれが当然の反応だろう。人間の国だったら門前払いされるのが落ちで、むしろとても誠実に対応して貰っていると言える。
歩きながら話す。相手は触手を無数に動かしてかなり不気味だったが、歩調を合わせてゆっくり動いてくれているようだった。
よく見ると、全体的にはなまこに似ている。だが、そのほかの生物の特徴も、多数取り込んでいるようではあった。
人間に似た魔物もかなりいる。だがそれらは、いずれもが三パターンくらいしか姿形が無い様子だ。ゴブリン型とかコボルト型とか言われているのを聞いたが、いずれもゴブリンやコボルトには似ていない。
案内されたのは、軍陣地の一角であった。
人間の軍の陣地と比べると、随分大規模である。多分大形の魔物が通れるように配慮をしているからだろう。
天幕は、大小かなりの種類がある様子だ。
いつ魔王に会えるか、などという話をする気は無い。まずはここにいる彼らの信頼を得なければならないだろう。
それに、出来れば魔物達の目的も知っておきたい。
ソド領で安心している民が鏖殺される事態だけは避けなければならなかった。
小さな天幕に案内された。とはいっても、セッター連隊長には、かなり狭そうだったが。小さな席を与えられる。かなり古びているのは、おそらくこのサイズに適した魔物がいないからだろう。人間からの鹵獲品に違いなかった。
「まず、貴方はどうして魔王陛下と話をしたいのですか」
「私は人間と魔物の、この悲しい戦いを終わらせたいからです。 いろいろな情報を総合するに、魔王陛下はおそらく人間では話を聞いてくれないでしょう。 ですから、魔物になる必要がありました」
「ほう。 責任感がおありになる」
「……」
揶揄を込めてそう言われたのは、マリアにもよく分かった。
魔物達は人間を徹底的に敵視している。一緒に移動して、それがよく分かった。ソド領でとても効率的な善政を敷いているのも、人間を思いやっているのでは無い。それが管理するには効率が良いからだ。
それは家畜に対する接し方である。つまり、いずれは鏖殺の危険を孕んでいるのだ。
「それで、具体的にどう戦争を止めさせると」
「人間側の侵攻が無くなれば、戦争をしなくても良いという約束をしていただきたいのです。 その約束をしていただければ、今度は人間側の指導者に、同じ約束を取り付けさせます」
難しいことは分かっている。
だが魔物になった今、寿命については気にしなくても良いはずだ。いや、これが魔物という状態なのかはあまりよく分からないのだが、体そのものに活力がみなぎっていること自体は確かなのである。
多分、翼を使えば、空を飛ぶことも難しくは無いはずだ。
「なるほど、壮大な思想をお持ちですな」
「難しいことは分かっています。 特に人間側の指導者は、簡単には説得できないだろう事も」
「魔王陛下は、長年虐げられた魔物達の理想郷を作ろうとしておられる。 それには人間が邪魔だと思っている魔物達もまた多いのです」
はじめて、セッターがかなり強い言葉で否定に掛かってきた。
だが、この者を説得できないようでは、魔王だって説得は出来ないだろう。だが、セッターから、話を切り上げてきた。
「とりあえず、ここで議論することに意味はありますまい。 貴方には、まず元人間だった者が、魔物と暮らせるかを確認させていただきたく」
「どのように、でしょうか」
「ここからずっと西に行ったところに、第六巣穴というところがあります。 其処では、人間が受け入れられないような現実もあるし、生で暮らしている魔物達もいる。 そこで見たものを受け止めて、なおも今の言葉を言えるというのであれば。 魔王陛下も、或いは話を聞いてくださるかもしれませんな」
天幕の外に、巨大な鳥のような魔物が姿を見せる。
全体的に非常にたくましい体格をしていて、特に足が太い。猛禽も足は太いことが多いが、非常に極端だ。
顔立ちはそれでいて、猛禽と言うよりはツバメのそれに近い。不思議な魔物である。
確かラピッドスワローとか言うはずだ。
「そいつが案内します。 飛べるようですから、ついていってください」
「分かりました。 色々とご丁寧に、ありがとうございました」
「何、これくらいはたやすいものですよ」
セッターが入り口からどく。丁寧に礼をすると、マリアは決める。
まずは少しずつ、積み上げていこうと。
1、侵食
魔王軍はまたしても、無血でキタルレア南部の広域を占領した。ついに三回目である。
南部諸国で、ユキナがまとめている地域以外の政情不安が激しくなってきた結果である。多くの難民がアニーアルスやソド領に流れ込み、庇護を願った。その結果無人化して放棄される土地が多く出たのである。
魔王軍は兵力を投入しながら防衛体制を整える。
難民を使って防衛施設を建設させるほか、新しく生産した防衛用の部隊を投入して、守りを固めた。同時にソド領の防御についても、かなり変える必要があった。
ヨーツレットはそれらの指揮を執りながら、全体的な状況について、整理していた。
まず現在の親衛師団だが、戦力は二十万を越えた。これに編成中のクライネスの軍団が八万、更に各地の守備部隊が合計して十二万というところである。ただし守備部隊は旧型の補充兵だったり、さらには戦傷で動きが鈍くなっている者達が大半だ。
フォルドワードの軍団は、百二十万を少し前に越えたという。
守備部隊に加え、各軍団がそれぞれ十五万の定数に達したからだ。今後は中核になるカルローネの軍団を増強していくほか、人間から鹵獲した武器を研究、生産して、配備していく方向で兵力の差を埋めていく。
人間側はどうなっているかというと。
まずフォルドワードに対して直接の脅威になっているエンドレンだが、かなりの混沌が続いている様子だ。
エル教会が介入したことで沈静化に向かっているようだが、それでもかなり混乱が激しく、まだ此方への侵攻作戦どころでは無いだろう、というのがバラムンクの報告である。
あの激戦から、ほぼ一年。
まだ、戦端は開かれていない。
キタルレアはというと、あまり良い状況とは言いがたい。
まず南部諸国だが、今回の難民流出で、相当に権力者達も危機感を煽られたらしい。ユキナを中心とした体制ができあがりつつあり、その兵力も増大の一途をたどっているようだ。
まだ経験は浅いが、既に兵力は六万を越えているともいう。更に今後は増えることが確実で、アニーアルスからの支援があると侮れない兵力になる。
問題なのは、ソド領とその周辺が、敵中に突出した状態だ、という事だ。合計五万ほどの守備部隊がここに釘付けにされており、戦時では足りなくなる事が明白である。早めに南部諸国を落とせば、この守備戦力不足も解消は出来る。
一方で東に目を向けると、キタンは既にいつでも戦闘が出来る状態にある。アニーアルスも同様だ。
キタン軍は総力戦体制で七十万の兵を動員できるほか、アニーアルスも既に八万まで兵力を拡大している様子だ。
これにグラント帝国をはじめとする東側の大国が援軍を加えると、百五十万に達するのでは無いかと、試算は出ている。しかも、これは最低限の数値だ。
更に不気味な動きをしているのが、南の大陸である。
魔王陛下が謎の攻撃を受けて退却してきたことからも分かるように、エル教会は何かしらのとんでもない存在を目覚めさせた可能性がある。現在ある程度安心は出来るフォルドワードの守りに対して、キタルレアは更に戦力を増強する必要があると言える。
一通りの情報を大まかにまとめると、以上のようになる。
エンドレンでの敵の脅威は、若干弱まってはいる。だが、どこもかしこも敵だらけで、下手に攻勢に出るのはかなり難しい状態にある。特にキタンは、ヨーツレットが親衛師団を動かせば、すぐに攻め込んでくるだろう。
アシュラ型補充兵の破壊力に絶対的な自信を持っているクライネスほど、ヨーツレットは楽観的にはなれない。人間も様々な新兵器を開発してきている可能性が高く、その性能次第では一気に此方の防衛ラインを突破される可能性もあるからだ。
軍地図を睨み、今後の戦略を考える。
一番良いのは、ユキナの軍を叩くことだ。地図上で、クライネスの五万を南下させる。そして、ユキナが編成中の義勇軍とぶつけてみた。
何度かシミュレーションしてみたが、勝てる。
更にユキナの軍を叩き潰しておけば、一気に南部諸国を制圧下におけるだろう。戦線を縮小することも可能だ。
だが、そうなると、ソドに動揺が走る可能性が出てきた。
ヨーツレットとしては、いっそのこと南部諸国を戦わずに制圧下におけないかと考えはじめている。しかし、それにはもう少しばかり時間が掛かる。
魔王陛下への説得も大変だし、何よりも魔物達の猜疑心も日に日に強くなっている今、簡単にはいかない。
天幕を出て、ヨーツレットは気づく。
クライネスが来ていたのか。
「ヨーツレット元帥」
「クライネス軍団長、どうした」
「はい。 それが人間から魔物に変じた者が現れたので」
「話だけは知っている。 敵対している相手には銀髪の双子やその取り巻き、それに倒したモゴル王テジンなどが今までにもいたな。 だが、此方の懐に直接飛び込んでくる奴は初めてだ」
魔王に会いたいとか抜かしているその女は、マリアと言うらしい。
かなりの力は感じるが、攻撃に用いるようなものではないし、魔術の知識も無いようだから、しばらく様子を見てから魔王に判断するように頼むという。
「まだ資料は見ていないが、どのような奴なのだ」
「それが、人間には非常に珍しい、節制と自制を守り抜いて生きてきた女のようです」
「ほう」
「今回の戦争に胸を痛めて、魔王陛下に直訴するつもりであるとか。 まあ、魔物の要素が入ったとは言え、元は人間です。 どこまで信用できるかは分かりませんが」
マリアが人間であったとき、クライネスは少し接したのだそうだ。
村を守るために、クライネスに直訴してきたという。嘘をついている様子は無かったのだが、しかしどうも信頼は仕切れないとクライネスはぼやいた。
その時から、この戦争を終わらせたいというようなことは口にしていたという。
「愚かな。 人間がその性質を変えぬ限り、この戦いは終わらぬでは無いか」
「全くの同感です。 しかしマリアという女、好戦的なのは人間のごく一部だとか抜かしておりまして」
「論ずるには値せぬ」
人間という生物は、そもそもそのままでは駄目だとヨーツレットは思っている。
過剰すぎる独善性をどうにか押さえなければ、人間が他の知的生命体と共存することは絶対に不可能だ。
それは何も特定個体に限った話では無い。
だから、今ヨーツレットは苦慮しているのだ。
とにかく、一年経ってもまだ拮抗状態が続いているのは僥倖とも言える。今は無理に力押しをせず、無血で占領地を増やすのが良いか。或いは一撃して、キタルレアの南部を一気に制圧するのが良いか、考え時だ。
とりあえず、そのマリアというのに遭う必要は無い。それにグラはかなり切れるし、マリアという女を正確に見極めてくれもするだろう。
「魔王陛下は」
「戻ってきてから、時々フォルドワードに渡っております」
「ほう」
「オーバーサン一つではおそらく足りないだろうと仰っておりまして」
魔王は、何かを知っている。
今回、クライネスは命からがら魔王と一緒に逃げ帰ってきたが、その時に敵の正体を悟ったのかも知れない。
いずれにしても、魔王は確か単独ではテレポートできないはず。クライネスか、或いは誰か師団長以上の魔物を伴っていることだろう。
多分魔王自身に危険は無い。
だが、どうも気になる。それほど強大な相手なら、出来るだけ早めに知らせて欲しいものだ。
既存の戦術では対抗できないような相手であれば、なおさら早めに対策を練る必要があるのだから。
「アシュラ型について、改良を進められるか」
「ミズガルアの話によると、現在クラーケンの後継型であるオケアノスを生産する準備に入っていると言うことです。 おそらくは、その後になるかと」
「オケアノスか」
今まで、海上では敵のガルガンチュア級戦艦と、圧倒的な物量に押されっぱなしであった。
今までの補充兵とは比較にならない火力を持つアシュラ型が生産されるようにはなったが、それでもまだ不安は残る。オケアノスについては設計図を見せて貰ったが、確かにこれが就航すれば海上戦はかなり有利になる。
「後は陸上戦用に決戦兵器が欲しい所だが」
「欲を掻いてはいけません。 一つずつ、確実に進めていきましょう」
「それもそうだな」
クライネスが礼をして、一旦場を離れる。
ヨーツレットは部下達に指示を出しながら考えていた。
他の軍団長達にも、まだヨーツレットの考えを話していない者がいる。特に説得が面倒くさそうなカルローネや、メラクスなどがそうだ。
だが、そろそろ考えを話しておかないとならない時期が来ている。
魔王も、説得しなければならない。
敵が得体の知れない兵器を繰り出してきた以上、人間の底力が洒落にならない事は確実となった。今までのようにローラー作戦をしていくだけでは勝てない。最終的に人間を皆殺しにするにしても、人間側の弱点を的確に突いていくようでなければならない。
魔王は、今までそれを納得してくれなかった。
だが、どうにかして、納得させなければならなかった。
飛行訓練から帰ってきたカルローネは、大形の体躯を持つ部下達に体を拭かせる。
既に補充兵の技術で作らせた義足はかなりなじんできており、歩いても痛みは感じない。それだけではない。
カルローネの背には、以前よりも二回り大きな翼がついている。
これも補充兵の技術で作ったものなのだが、以前に比べて遙かにスピードが出る。エンシェントドラゴンであるカルローネは、生まれもっての翼に当然愛着は持っていた。だが、今は戦を最優先にして考えなければならない時期である。
それを思えば、むしろこの翼はとてもありがたい。ただ、元々のカルローネの体色と違い、青なので、ちょっと目立つのが玉に瑕だが。
シュラが来た。献身的な介護もあり、人間に似ているこの小さな補充兵の師団長を、カルローネは気に入りはじめていた。
「カルローネ軍団長、痛いところはありませんか」
「大丈夫じゃ。 痛くはない」
「無理はなさらないでください」
「そうもいくまい。 人間がまた、いつ攻めてくるか分からぬでのう」
あの戦いは、本当に敵を追い払えたことが奇跡のように思える。海を埋め尽くす大軍団を見た時は、本当に背筋に寒気が走ったものだ。
あの戦いから一年が過ぎて、どうにか軍勢の数は回復できた。質についても、以前より向上している自信はある。
だが。それでも。
敵を追い払えると、断言できないのが悔しい。
着地したついでに、野戦陣地を歩いてみて廻る。88インチ砲が林立する陣地には、勿論他の小型砲も据え付けられている。弾の備蓄も、それなりにあった。
以前の戦闘で使い物にならなくなった兵士を後方に回し、インフラ整備の他に、資源確保作業も行わせている。鉱山は既に幾つか発見されており、それらから弾丸の確保はどうにか出来そうだった。
陣地を歩いて見回っていると、メラクスが来る。
部下も連れておらず、単独だった。
「カルローネ老」
「メラクス軍団長、義手と義足は」
「うむ、絶好調だ」
メラクスは、前回の戦いで、体を半分吹き飛ばされた。その代わりと言っては何だが、体の左半分ほどが補充兵の技術で補われている。このため、左腕と左足が、非常に筋肉的に見える。
体色も違うが、それはそれで妙な威圧感につながっていた。
「防衛陣地は、ほぼ整っているようですな」
「うむ。 しかし前回の圧倒的な大軍を考えると、これでも安心は出来ぬのう」
「海上に出ているグリルアーノ軍団長とレイレリア軍団長からは、敵影は無いと聞いています。 噂に聞くオケアノスの就航が間に合えば、もう少しは安心できるのでしょうが」
軍団長の圧倒的な武力であっても、敵の物量は抑えきれない。それは前回の戦闘で、証明されてしまっている。
海を埋め尽くすあの大軍団を、どう足止めすれば良いのか。
野戦陣地は既に考え抜かれた配置で、魔術による砲と、人間が作り上げた大砲を多数並べている。
「儂らは、陛下を除くと最古参の者達。 どうにか儂らが犠牲になることで、若者を守りたいのう」
「縁起でも無いことを仰せになりますな」
「うむ。 だがどうもなあ、最近は気弱になっていかんのじゃ」
「カルローネ老はまだまだ我が軍の柱石として必要な存在です。 あまりそう、弱気な発言はなさいますな」
メラクスはそれだけ言うと、部下に呼ばれて行ってしまった。自軍の訓練を見るらしい。
カルローネの軍団も、これからほぼ倍に増強することが決定している。最新鋭のアシュラ型も配置してくれるようなのでありがたいが、しかしそれでさえ、まだまだ不安が多く残る。
しかし、人間は殲滅しなければならない。
エンドレンの足並みが揃わないうちに、此方から攻撃を掛けてはどうかという意見も、部下達からは上がっていた。
だが、カルローネは、その意見自体には否定的だった。今は混乱している敵だが、攻め込めばまとまってしまうように思えてならないのだ。そうなれば、数でも組織力でも劣る此方が不利になる。
せめてキタルレアを落としてからなら、勝ち目はあるかも知れないが。
状態を確認していた医療班の補充兵が、カルローネを見上げて言う。
「カルローネ軍団長、もう足の状態は問題ありません。 既に体とも充分なじんでいるようですので、後は翼だけです」
「おう、おう。 そうか」
「翼に関しても、もう少し調整すれば大丈夫になりそうです。 退院できますよ」
「それはありがたいな」
病院に向けて歩き出す。
軍病院の寝床は、そろそろうんざりしていた頃だ。野戦陣地で寝ていた方が、まだ気が楽である。
シュラが、何か情報通信球で話をしているのが見えた。
「えっ、それは本当ですか。 はい、はい。 分かりました。 カルローネ軍団長にもお伝えします」
「どうした」
「はい。 グラ様の第六巣穴で、人間から魔物に変じた方の様子を見ることになったようなんです。 クライネス軍団長が、情報を展開しておくように、ということでした」
「ふむ、噂に聞く銀髪の双子のような奴輩であるかな」
どちらにしても、かなりデリケートな問題だ。
既に人間では無いのなら、殲滅の対象にはならない。かといって、相手が自分を人間だと思っている場合、大規模なテロなどの引き金になる可能性もある。
メラクスは確か、以前銀髪の双子にかなり手ひどい目にあわされているはずで、良い気分はしないだろう。
だが、どうも妙な噂を耳にするのである。
魔物というのは、そもそも人間から変じた存在では無いか、というものだ。もしそうなると、その魔物に変じた人間とやらは、純正の魔物と何ら変わりが無い存在と言うことになってしまう。
もしも、である。
そういった存在がどんどん増えていくと、今度は魔物同士の戦いになってしまうのでは無いかと思うのだ。
ただでさえ、人間だけを敵にしている状態でもかなり厳しいというのに。魔物同士が相打つことになりでもしたら、勝ち目は完全に消失する。カルローネは陰謀の類はあまり得意では無い。何か良い案があるのだろうかと、不安になった。
病院に着いた。
シュラが心配そうに、カルローネの顔をのぞき込んでくる。といっても大きさが違うので、見上げるような感じではあるが。
「カルローネ軍団長、ごめんなさい。 なんだか心配を掛けてしまったようです」
「気にするな。 それよりも、だ。 そなたはむしろどう思う」
「私、あまり難しいことはよく分かりません。 みんなが幸せになれればいいなって、いつも思います」
あの戦いの後に作られた補充兵だから、まだシュラは実戦を知らない。それがとてもカルローネには悲しく思えた。
ソド領で統治をしているパルムキュアの所に、急報が来る。
どうやら東アイダルス王国が崩壊したという。
東西に別れているアイダルス王国は、キタン領と境を接している小国であり、それぞれ人口は三十万程度と、非常に小ぶりである。
近年は政情悪化が懸念されていたらしく、しかも閉鎖的な国風を貫いていたため、ユキナの連合政策にも乗らなかったそうだ。
そんな状態で国民の離散と難民化が続いていた。多くの民はアニーアルスに逃れたようだが、とうとうこの時が来てしまったか。クーデターにより政府が完全に崩壊した後、指導力が不足した元軍首脳部によって独裁政権が続いていたようなのだが、それが一斉蜂起によって破綻。既に秩序が失われているという。
かなりソド領からは離れているので、軍を進駐させるというわけにはいかない。だが、このままだと、南部諸国の混乱が更に加速するのは目に見えていた。
すぐに連隊長級以上の幹部を招集する。
少し悩んだ後、人間の政務チームについても、招集することにした。人間の政治については、人間が一番よく知っているだろうからだ。
ラズとナイトレーはすぐにやってきた。ラズは話を聞くと、地図上に指を走らせながら、いきなり面倒な事を言い出す。
「東アイダルスが崩壊するのは、時間の問題でした。 これにより、近々西アイダルスをはじめとする、この一帯の国が一気に崩れるとみて良いでしょう」
「そうなると、どうなりますか」
「キタンが進駐してくるでしょう。 アニーアルスの軍勢は、其処までやる兵力が無いはずですから」
そうなると、キタンの前線基地が、以前よりもかなり接近してくる、という事だ。
今まで南部諸国と緊張状態にあったから、キタンの騎馬隊到着についてはタイムラグがあると考えて良かった。しかしラズの話通りになると、非常に面倒くさい事になる。
「しかし政情不安の国々に足を突っ込むことになる。 キタン王がそのようなことを是とするだろうか」
「キタン軍は七十万という空前の規模にふくれあがっている。 兵はむしろ余っているほどで、領土を殆ど無血で得られるとなれば、嬉々として進軍してくるだろう」
「なるほど」
部下がラズの言葉に納得している様子を見て、パルムキュアは無い頭を抱えてしまった。
確かにパンはパン屋である。
だが、このままだと、魔物の対人間戦略は、人間に頼りっきりになってしまう。
最終的にここソド領の目的を考えると、それは好ましくないだろう。
そして誰にもこれは言っていないのだが、どうもラズは此方の目的を洞察している節がある。
或いは人間との戦いに必要なピースとして自分を設定することで、鏖殺を防ぐための安全弁にしているのでは無いかと思えてくるのだ。
面倒な事に、ラズは有能なので、排除も出来ない。
更に言えば、内気なパルムキュアは、なかなか部下達にも、そういうことは打ち明けられなかった。
「そうなると、今後の戦略は」
「おそらくは、ですが。 このことにより、南部諸国はユキナ女王を中心に、更に結束を固めることでしょう。 兵の数、質は更に増大するとみて間違いありません。 ただし、南部諸国の東側、この辺りの国々に関しては、動揺が広がること確実とみてよろしいかと」
「なるほど」
「しかし、今の守備兵力では、無秩序に領地を広げるのはまずい。 更に五千ほどを追加申請して、守備陣地なども配置を考え直さなければならないな」
ああでもないこうでもないと話をするラズとナイトレー、それに部下達。
咳払いすると、パルムキュアは方針をまとめさせた。
「今後、また無血占領できそうな土地は出てきますか」
「おそらく、この辺りが」
ラズが指さしたのは、西ケルテル連邦全域だった。
この小国は、かなり混乱が続いていて、既に国としての体を為していない。確かに今回の一件がとどめになる可能性は大きいとみて良いだろう。
確かに、理にはかなっている。
だが、それが故に危険だとも言える。実際問題、いつの間にかラズはソド領の経営には無くてならない存在になってしまっており、魔物達もこの見かけで差別されて左遷された男に、かなり信頼をおいている。
「分かりました。 追加で五千ほどの守備兵を増員するよう手配します」
「よろしくお願いいたします」
「それでは、一旦会議を解散します」
わらわらと、会議室を皆が出て行く。大きさが違うので、ラズとナイトレーの他にも何名かいる人間は、踏まれないように苦労していた。
ナイトレーが残っている。
「パルムキュアどの」
「何でしょうか」
「既に多くの難民が流れ込んでいることで、ソド領の人口は五十万を超えています。 今後は我々の中からも、もう少し守備兵を募っていただけるとありがたく」
「考えておきます」
少し、それについては保留だ。
というのも、ソド領の兵士達が、魔物の戦術を的確に分析しているのを、パルムキュアは知っているからだ。
やはり人間は侮れない。いつか何かあったとき、牙を剥いてくる可能性も高い。
自身も会議室を出ると、屋上に。
内気なパルムキュアは、大勢の中でいるのが苦手だ。屋上は孤独になれる。だから心地が良い。
空は澄み渡っている。大きな影が幾つか飛んでいるが、いずれもがラピッドスワローだ。何か異変があればすぐに知らせてくる。
だが、魔物達は。
それが故に、油断しきってしまっているのではないだろうか。
半月後、五千の増援が送られてきた。
アシュラ型を含む強力な防衛部隊である。五千や六千の騎馬隊なら、苦も無く蹴散らせると、すごく嬉しそうな顔でクライネス軍団長は言っていた。ウニのような姿をしているクライネスだが、イソギンチャクのような姿をしているパルムキュアでも、何となく嬉しそうにしているかそうでは無いかはわかるのだ。
人間達もクライネスが嬉しそうにしていることは何となく察しているようで、ラズが小声で話しかけてきた。
「クライネス軍団長は、なにやらとても機嫌が良さそうですな」
「あの方は変わり者ですから」
「変わり者というのはともかくとして、何を喜んでいるのかは知りたいところです。 我らとしても、良き関係を作っていきたいですからな」
この男。
見かけで左遷されたというのは事実なのだろうが、ふと思う。
こういう所がいやがられたのでは無いのだろうかと。まあ、見かけが良ければ、多少はアレでも人間社会では受け入れられる様子だから、運が無かったこともあるのだろう。
鎧を着込んだまま、ナイトレーが来る。連隊長が何名か一緒にいた。
既に街の人間達も魔物には慣れっこのようであり、中にはアシュラ型を指さしている子供の姿もあった。
石を投げたりしなければ、何もしないことを知っているのだろう。石を投げても、まあ多少吠えたりして脅かすくらいだ。
「着任した新戦力ですが、なかなか強力な編成のようですな」
「はい。 さっそく各地に配備して、西ケルテルの状況次第では進軍させます」
「それなのですが、妙な情報が入ってきています」
言い出したのは、ナイトレーの隣にいる連隊長だ。姿は海洋生物であるウミウシに似ているが、両側からは鹿のものににた足がたくさんはえている。体の上部には触手が一杯ついていて、それらの尖端にはどれも目がついていた。
「先ほど潜行偵察を行っていたラピッドスワロー達によりますと、どこぞかの軍勢が侵攻してきている様子です」
「どこの軍でしょうか」
「調査中です。 数はおよそ一万八千」
一万八千というと、かなりの数だ。魔王軍の一個師団にほぼ相当するだけでは無く、多分イドラジールなどのキタルレア国家の大半における二個師団に匹敵する。
現在大混乱中の南部諸国連合に、それだけの兵力を出す余裕は無いだろう。ユキナの軍勢も、多分ソド領の西にいるはずで、これだけの兵力を即座に出せるとは考えにくい。
そうなると、キタンの戦力か。
クライネスには話をする。クライネスは一度飛び上がると、凄く嬉しそうに言った。
「よし、よい実戦のデータが取れそうだ」
「敵と交戦するのですか」
「そうだ。 動かせる部隊はどれほどいる」
「防衛用の部隊が大半です。 機動軍はさほど質が高くないのが六千程度。 今回連れてきていただいた部隊を併せても、野戦用の軍勢は一万に達しません」
「充分だ。 アシュラ型の火力で踏みにじってくれよう」
クライネスは自信満々である。
何か、とてつもなく嫌な予感がしたパルムキュアは、スキップしそうな勢いで出て行ったクライネスを見送ると、周囲の副官に指示を出す。
「すぐにヨーツレット元帥に連絡を取ってください」
「分かりました」
意気揚々と出陣したクライネスは、自分が一個師団半数程度の軍しかつれていないにもかかわらず、ご機嫌だった。
アシュラ型の訓練は今までにさんざんやってきた。その破壊力は論理的に証明されているのだが、しかし実戦で敵を粉砕するのは初めてである。だから、クライネスはとても機嫌良く、戦場に向かった。
ソド領から東に向かい、一日ほど進軍すると、件の西ケルテルの領内に入る。さほど広くも無い国である。あまり足が速くないアシュラ型でも、展開は難しくなかった。
頭が良いが故に、クライネスは自分の知識を遣いたがる傾向がある。今回もそれは変わっていない。
だが、それを理解した上で、クライネスは戦いに赴いていた。
この間、魔王を天空より狙撃した光の柱については気になる。エル教会が、とんでもない存在をよみがえらせたことについても、魔王からはある程度聞いている。
だが、ここで人間の軍勢を完膚無きまでに踏みにじっておけば。
必ず、後々で有利になってくる。
一万程度の軍勢だが、アシュラ型は六十だけ。ヘカトンケイレスが四百五十、後は雑多な補充兵だ。他にもバージョンアップされているゴブリン型、コボルト型、オーク型も含まれていた。
これらは、優秀な戦歴を上げた補充兵の記憶を移植したものだ。元の能力がかなり上がっているのに加え、優れた戦闘経験が皆に行き渡っている。補充兵だからこそ出来る荒技である。
また、アシュラ型も六十で相当な活躍が期待出来る。普通の敵兵一万八千だったら、アウトレンジ砲撃で一方的に叩き潰すことが可能だろう。
敵兵を視認したラピッドスワローが戻ってきた。
情報を共有。
どうやら、敵はキタン兵であるらしかった。
「敵の内騎兵は一万ほど。 残りは歩兵のようです」
「随分とバランスが悪い兵力分布だな。 何かの罠か」
「周囲に伏兵はおりません。 特殊な装備品を持っているようなことも無く、敵兵の練度もさほど高くは無い様子です」
「ふむ……」
ラピッドスワローを広域に展開させる。
さっきまでの高揚感が、クライネスの中では既に消えていた。何かしらの罠がある事を、察知したからである。
それにしても、キタン兵が通るのを、良く南部諸国の連中が許したものだ。キョドによる殺戮がまだ記憶に残っているだろうに。
もっとも、それは魔王軍も同じだが。
「布陣。 敵の出方を見る」
「仕掛けないのですか」
「どうも様子がおかしい。 あんな程度の兵力で出てきたのには必ず理由があるはずだ」
副官に応えると、クライネスは自身を浮き上がらせ、少しでも早く戦況を把握できるようにした。
敵は前進を続けている。
アシュラ型が臨戦態勢に入った。ヘカトンケイレスも、それぞれが強弓を手にし、矢を番えはじめる。
敵はまるで、何も警戒していないように、アシュラ型の砲撃範囲に入った。
だが、まだ攻撃は命じさせない。敵が逃げようとしてもどうにもならない位置になるまで、引きつける。
敵が見えてきた。
騎兵が先頭に立ち、その後方に歩兵がいるかと思ったのだが、違う。歩兵が先頭で方陣を組み、その背後に騎馬隊がいる。
弾よけのつもりだろうか。
そんなもの、役には立たないと知らないのだから、当然だと思う心もある。
だがしかし、妙な違和感がどんどん強くなっていくのも確かだった。
「アシュラ型、攻撃準備。 狙いは騎馬隊」
「敵の歩兵は放置するのですか」
「いつでも鏖殺できる」
「了解しました。 アシュラ! 各部隊、攻撃を準備せよ!」
アシュラの巨体が、砲になっている腕を持ち上げるのが見えた。クライネスは無言のまま、射撃の準備を終える虎の子の補充兵を見つめる。
それにしてもあの歩兵は、どこから出てきたのだろう。キタンが歩兵の部隊を育成しているとはまだ聞いていない。もしそうなら、バラムンクの失態だ。
「よし、放て!」
「攻撃開始!」
一斉に、アシュラ型が攻撃を開始。
中空に打ち込まれた火球が炸裂し、炎の雨となって敵軍に降り注ぐ。後方から近づいていた騎馬隊の上空で炸裂したこともあり、その殲滅力は圧倒的だった。地面に降り注いだ炎の雨はその場その場で炸裂し、騎兵を吹き飛ばす。
第一射だけで、敵を千以上は倒した。更に第二射が敵に降り注ぐ。爆音。轟音。
敵が吹き飛んでいるのが視認できた。
だが。
敵は前進を止めない。
それどころか、動揺している気配さえ無かった。
「なんだアレは。 薬か何かで、判断力を奪っているのか」
「攻撃を中止いたしますか」
「いや、続けよ」
「敵歩兵接近!」
「ヘカトンケイレス、射撃開始! 横列陣を維持したまま、敵を射すくめろ!」
歩兵もまた同じだった。ヘカトンケイレスから放たれる猛射を浴びながらも、まるで恐れる様子も無く向かってくる。
一方的な戦いの筈なのに。どうしてか、妙な違和感がせり上がってくるのを止められない。一万八千と言えば相当な戦力の筈だ。それなのに、これはどういうことなのだろう。
敵は、これだけの兵力を、原野にうち捨てるつもりなのか。
敵兵は相当に消耗しつつも、味方の陣の至近まで迫っていた。その時には、もう異常さは明確だった。
敵兵は傷ついているのに、平然と歩いてくる。
ある者は片腕を失い、別の者は頭を半分吹き飛ばされている。にもかかわらず、全く恐れる様子も無く歩いてくるのだ。そして、クライネスは敵兵を直接目の当たりにして、愕然とした。
此奴らは、生きていない。
腐臭を放つ死体だ。
「全軍、総力で攻撃! 敵は生きた死体だ! 徹底的に叩き潰し、動かなくなるまで鏖殺せよ!」
攻撃が、更に苛烈さを増す。
一旦アシュラ型は後方に下がり、後は補充兵達が肉弾戦を開始した。しかしながら、クライネスが洞察したとおり、敵は倒しても倒しても起き上がってくる。連隊長級の補充兵が、恐怖に上擦った声を上げた。
「て、敵、引きません!」
「生きていないのだから当然だ! 容赦せずに叩き潰せ!」
見れば、アシュラ型が吹き飛ばした騎兵も、それぞれ立ち上がって迫ってくる。至近まで来た敵が、剣を振るい、槍を突き出し、矢を放ってくる。さほどの打撃力は無いが、しかし、である。
此方も似たようなものではないかと、クライネスは考え掛けた。だが、思考力も無ければ、恐怖も感じない化け物とは違う。そう言い聞かせる。
同じく人間の死体を材料にしているとは言え、向こうとは違って細胞を利用しているだけだ。
異常な耐久力を誇る死体の兵士共は、叩いても叩いても向かってくる。コボルトやゴブリンは、接近戦を挑まれて、次々に行動不能にされていた。ヘカトンケイレスもまとわりついてくる無数の敵に辟易している様子だ。
「油を掛けて焼き払え!」
ラピッドスワローが、敵の上空に飛び立つ。
そして、油壺を落としはじめた。攻城戦で用いるためのものだが、まさか野戦で使うことになるとは。
ばらまかれた大量の油に着火。
だが、敵は炭になってもなお、うめき声を上げながら襲いかかってくる。
元々の数は敵が多い。こうなると、不利は免れない。両手両足をもいでも、まだ動いて襲いかかってくるのだ。尋常なことでは無かった。
「え、援軍を要請しろ!」
パニックを起こした旅団長が、叫んでいるのが聞こえた。
キタン王ハーレンは、専用の輿を部下達に担がせ、戦況を見ていた。
戦場からはかなり離れている。というよりも、今いるのは別に治安が崩壊などしていない東ケルテルだ。かなり政情不安にはなっているが、それでも統治機構は生きている。距離は戦場とは十万歩以上離れていた。にもかかわらず、ハーレンはその場にいるように、戦況を把握できたのだった。
エル教会から供出された、神眼と呼ばれる道具によって、である。
「敵、不死兵に恐れをなしはじめています。 徐々に陣が崩れはじめました」
「であるか」
部下に素っ気なく応える。
それにしてもおぞましい技術だ。
エル教会から供出された技術は、ハーレンを異形に変えたものとは違っていて、どうも死体なら何でも蘇生して動くようにするものらしい。古代にはネクロマンシーと呼ばれる術式があったらしいのだが、それに近いものだそうだ。
ただし、ハーレンが異形に変わったものとは違い、死体には理性が無い。知性も与えられていない。
簡単な反射行動を繰り返すだけである。
今回の場合は、それを組み合わせて、戦闘を行えるかの実験だ。実験は上手く行っている。
魔王軍にも、被害が出始めている様子だ。
「ハーレン陛下」
「どうした」
側で、黒毛の馬に乗っている老臣ジンセンが苦言を呈してきた。
先々代の時代から、キタンに仕えている闘将である。両手足は無事だが、手指は何本か失っており、体中は傷だらけ。誰もが敬意を込めて、彼を傷だらけのジンセンと呼んでいる。
「このような戦いは、誇れるものではありませぬ」
「だが、死者は出無いであろう」
「そうではありませぬ。 これを見た我が国の民は、どう思うでしょう。 使うのであれば、場所をお選びください」
全くその通りだ。
勿論その辺りは、ハーレンも考えてはある。大々的に主力として用いるつもりは無い。
更に言えば、此奴らは汎用性が予想以上に高い。行軍中に実験させたが、生きている人間には手出ししないし、更に水の中を歩いて渡ることも平然とこなした。動きはあまり速くないが、パワーそのものは生前より上がっているくらいである。
死体に掛けた、闇の福音とやらの効果は絶大である。
「案ずるな。 余も今はそなたに背負われていた子供では無い。 きちんと遣いどころくらいはわきまえておる」
「ならばよろしいのですが」
魔王軍はなりふり構わぬ猛攻を浴びせ、どうにか一万八千の軍を焼き尽くした様子だ。映像が全て途切れた。
だが、やはり動揺は小さくないらしい。
神経質なまでに死体を集めて、徹底的に焼き払っている。まあ、当然だろう。
あの作戦には、さらなる福次効果もある。魔王軍は今まで人間の死体を集めている事は分かっていた。
エル教会からの通達で、それが魔王軍の兵士を作るためだと言うことが、最近判明したのだが。
あのようになった死体では、魔王軍の兵士を作ることはとても出来ないだろう。
更に、闇の福音の効果はこれだけではない。それについては、いずれおいおいと実験していけば良い。いずれにしても、人類にとって、今後の反撃の兆しになる戦いであった。
「敵の損害はおよそ八百三十。 一割に達していません」
「そうか」
「しかし、見たところ負傷者の数はかなり甚大です。 損害の中には、不死兵に取りすがられた旅団長もあったようです」
「上々。 引き上げるぞ」
西ケルテルは、貴様らにくれてやる。
ただし、それはかなり高くつくがな。ほくそ笑みながら、ハーレンはその場を後にした。
体を粉みじんにして、なおかつ焼き尽くさない限り動きを止めない敵兵に、連隊長級以上の知性がある補充兵は、誰もが戦慄していた。純正の魔物は今回参戦していないのが救いか。
参戦していたら、多分パニックを起こしていただろう。
生焼けになっている死体は、まだ動いている。念入りに焼き払わせながら、クライネスは指示を出す。
「穴を掘って、死体を埋めよ」
「しかし、そうなると田畑として活用は出来ませんが」
「やむを得ぬ。 死体を埋めた後、育つのが早い植物を植えて、すぐに森にしてしまうのだ」
こういう場合は、何でも養分にしてしまう植物のたくましさに頼るしか無い。
何とも情けない話だが、クライネスも恐怖を未だに抑えることが出来なかった。何しろ、まるで恐れを知らず向かってくる敵兵に、旅団長までも戦死したのだから。
全体の被害はさほど多くは無い。
だが、このタイプの敵兵は、一体でも討ち漏らすと大変なことになる。
「クライネス軍団長」
「どうした」
「ヨーツレット元帥からの連絡です。 何があったのか、すぐに知らせるように、との事です」
「そんなことはこっちが知りたい!」
兵士達は皆パニックを起こしていて、サンプルを取得するどころでは無かった。
だが、部下に当たり散らしていても仕方が無い。恐縮している様子の副官の前にある情報通信球をのぞき込む。
ヨーツレットが、怖い顔をしていた。元帥はムカデのような姿だが、何となく表情はクライネスにも分かるのだ。
「クライネス軍団長、荒れているな」
「ははっ。 すみません」
「話は聞いた。 敵が不死者の軍勢を繰り出してきたと」
「はい。 既に始末はしましたが、一割近い被害が出ました」
それだけではない。
もしも人間共が今の戦闘を何らかの形で監視していたとなると、アシュラ型やラピッドスワローの戦闘データまで取られたことになる。
何という無様な失態だと、クライネスは自責していた。
「こ、この失態、言い訳のしようがありませぬ」
「何もそう卑下するな。 此方も、良いデータが取れたと思って諦めよ」
「は、はい。 しかし」
「炭になってしまっていても、ミズガルアなら、ある程度のデータは取れるかも知れぬから、サンプルは幾らか取っておくように。 それと、今の会戦で戦った戦力は、全て西ケルテルの守備に回せ。 更に五千ほど、守備兵をそちらに回す」
ありがたい話ではあるが、しかし。生産した補充兵を、更に此方に回してしまって、本土の守備は大丈夫なのだろうか。少し不安になった。
それだけではない。
あの不死兵、おぞましいまでの耐久力だった。今まで人間が相手である事を前提にして戦っていたが、それも改める必要がある。
特に、各地の守備拠点が、対策の必要がある。油などを備蓄しなければならない他、大火力の術式を備えた連隊長級以上の補充兵か、アシュラ型が必ず配備されないと危険だろう。
コボルト型やゴブリン型、それにオーク型の補充兵は、人間と性能面で大差が無い。不死兵を相手にするには、少し厳しい。
この戦いは小規模だったが、予想以上に様々な面で高くついた。先にこの強敵のことを知ることが出来たという利点を考えれば、むしろ良かったのかも知れないが。しかし、今後の事を考えると、どれだけのコストを消耗するのか、末恐ろしい気もする。
「クライネス軍団長、如何なさいますか」
「人間の補給部隊に、防御拠点の資材を運ばせるように。 私は仮設魔王城に一旦戻り、エルフ型の補充兵を二十ほど借りてくる。 その間、各旅団長は拠点の構築。 場所は事前に定めていた場所と、西ケルテル首都だ」
「分かりました。 直ちに取りかかります」
部下達が散って、作業に掛かる。
クライネスは荷車に積み込まれている炭化した死体を見て憂鬱になった。既に無害化しているが、一部はまだ動いている。一体これは、どういう存在なのだ。不死者とか、そういう次元を一つ越えている。
もしも、これを人間が本格的に投入してきたら。
ぞくりと、寒気が走るのを感じた。
西ケルテルに潜入していたイミナは、戦況をだいたい全て視認した。側で腕組みしていたマーケットが、頭を振る。
「キタン王は、英明なる名君だと聞いていたのだが。 これでは魔王軍よりも更にたちが悪いな」
「ひゃはははは、そうかなあ」
ジェイムズが気味の悪い笑い声を上げた。
思わず剣に手を掛けるマーケットを完全に無視して、狂科学者は、戦いの後を顎でしゃくる。
「さきほど魔王軍が投入した新型の火力は、既存の騎馬隊では勝負にならんほどのものだった。 あのモゴルのテジン王でも、アレを投入されていたらどうにもならなかっただろうな。 それを、死体なんて言う肥料以外の何の役にもたたんものを使い捨てることだけで、暴いたのだ。 当然キタン王は、次の戦いに向けて戦略的な準備を錬ることが出来るだろう」
「貴様には心が無いのか、外道」
「人間だろうが何だろうが、死ねば肉に帰るだけよ」
けたけたとジェイムズは笑う。
今にもジェイムズを斬りそうな顔をしていたマーケットを、シルンが止めた。
「止めて、マーケット将軍。 ねえ、お姉。 それでどうする?」
「今、魔王軍はかなりの打撃を受けている。 増援が来るまで、かなり時間があるだろうな。 見たところ、拠点の構築に入ったようだ。 ここで攻撃を仕掛ければ、打撃が期待できる」
今回、イミナはただ偵察に来たのでは無い。
アニーアルスの指示を受け、六万まで増えたユキナ軍と共に、魔王軍の出鼻をくじくために出てきたのだ。
レオンが咳払いする。
「攻撃を仕掛けるのか、イミナ殿」
「今晩だ。 空を舞っているあの大きな鳥の魔物、おそらく暗視機能がついていない」
敵を疲労のピークでたたく。それが基本だ。
そして今回の西ケルテルでの状況には、早くからユキナは目をつけており、領内に特務部隊をかなりの数潜ませている。
国境線には一万五千の機動部隊が待機済みだ。これについては、敵にまだ掴まれていない筈である。
勿論、多少減っているとは言え、敵を殲滅できるとは思っていない。無血で占領地を増やせると思っているところに、煮え湯を浴びせるくらいで良い。
そうなれば、アニーアルスと魔王領に向かっている難民の群れのベクトルを、変えることが出来るだろう。
「あの大きい奴、私が最初に殺る」
プラムが、生のままの蜥蜴の下半身を囓りながら言う。
イミナは、無言で頷いた。
「私は一度戻る」
これを直接報告するためだろう。マーケットはジェイムズを一瞥だけすると、部下達をつれて引き上げていった。
2、西ケルテル夜襲戦
クライネスが戻ってきたとき、エルフ型の補充兵十五名がその体の彼方此方にくっついていた。二十名を申請したのだが、フォルドワードでの緑化活動に出払っている個体が多く、魔王自身も渋い顔で言ったのだ。
戦地の近くに投入するのは危険だと。
そこで、十五名に減らされた。非常に不機嫌なクライネスは、ちょっといつもよりも声を荒げながら部下を呼ぶ。
「誰か! 誰かいないか!」
「ここに」
闇より浮かび上がるように現れたのは、ホヤのような姿をしたモットツ旅団長である。最近旅団長に昇進した古株で、ずっとヨーツレットの親衛師団にいた。寡黙だが戦闘力は高いと言うことで、ヨーツレットが太鼓判を押してくれた部下である。
クライネスの軍団は前年度の会戦で完全に壊滅してから何度も再編成された。副官についていた人間型の補充兵までもが、新しいのが来たり戻ったり、最終的に別の部署に飛ばされたくらいである。
しばらくはヨーツレットの親衛軍団からはじき出されたようなものばかりが配属されてきていたのだが、このモットツは新しい軍団の中核にという事で、ヨーツレットが供給してくれた最精鋭だ。先の不死者との死闘でも、冷静な指揮を終始執り続け、結果殆ど被害は出さなかった。
「状況は」
「良くありませんな」
「何」
「奇襲の気配があります。 此方は先ほどの戦闘で、数以上の消耗が激しい。 最低でも今晩は、今進めている防御拠点の構築は一旦控えて、守りを固める方が良いでしょう」
かなりいらだちが募ったが、しかし此奴はヨーツレットの麾下で激戦に次ぐ激戦を生き残ってきた、生え抜きの中の生え抜きである。当然戦略眼も備えているし、クライネスもいらだちを飲み込んで頷くことにした。
最近知ったのだが、どうもクライネスは、考えていることが周囲に分かりがちなのだそうだ。周囲に嫌われる要因も、それが一つになっているに違いない。
元々クライネスは、自分の知性に自信を持っている。それは理性と組み合わさって、はじめて意味をなしてくることも知っている。
だから、ここはぐっとこらえ、専門家の意見を入れることにした。
「分かった。 そうなると、防御陣を組む方が良いな」
「はい。 警戒は私の部隊がいたしますので」
「任せる。 夜間哨戒用のナイトラピッドスワローも飛び立たせた方が良さそうだな」
「ご随意に」
必要なことだけ言うと、モットツは精鋭の部下だけを連れて闇の中に消えた。
既に夕暮れが辺りを覆い、闇へと変わりつつある。モットツにとっては、まさに独壇場と言える戦場だ。
クライネスは本陣に出向くと、ぞろぞろとついてきているエルフ型補充兵達に今更ながら気づいた。
魔王の言葉は、正しかったのだ。
勿論第六感によるものだろうが、仕えている主君の力に、改めて恐れ入るクライネスであった。
「お前達は、本陣でおとなしくしていろ。 今晩は敵の奇襲の恐れがある」
エルフ型補充兵達は喋らない。ただ、戦争は嫌だなと、彼女らの顔には書かれていた。それに一度カーラと今呼ばれている原型のエルフ型補充兵に乱雑な争いをしたからか。その記憶を受け継いでいるエルフ型補充兵達は、皆クライネスのことが嫌いな様子であった。
また嫌われている事に気がついて、クライネスはちょっと残念な気分になった。
敵の大形鳥形魔物が、空を飛んでいる。
既に星が出ているのに、である。
イミナは読みが外れたことに気づいた。夜間を苦手とする鳥は、基本的に闇の中を飛ばない。
先鋒およそ二千と共に先行していたイミナは、すぐに伝令に振り返る。この少し先は平原になっていて、軍勢が見つからず進軍するのは不可能だ。
「ユキナ女王に連絡。 進軍を一度停止」
「分かりました」
伝令がばたばたと後ろに下がる。それなりに経験を積んだはずの兵士だが、どうも動きが悪い。
シルンが耳打ちしてきた。
「お姉、宛て外れた?」
「そうだな。 あの大きな鳥は、或いは昼とは別の奴かも知れないが、それを予想はしきれていなかった」
シルンに、イミナは嘘をつかない。
大きくため息をつくシルン。既に作戦は発動してしまっているのだ。最悪なのは、ユキナが数だけ集めた軍勢だと言うことである。
訓練は時々請われて見たのだが、経験が決定的に足りない。こういう軍勢は、実戦になって不意でも突かれると、蟻の行列よりも脆く崩壊したりする。
クドラクが来た。最近はユキナにずっと張り付いているアニーアルスの軍師は、年老いているにもかかわらず、妙につやつやしていた。
「銀髪の乙女よ。 敵が隙を見せていないという事でしたが」
「見ての通りです」
「ふむ……」
クドラクは歴戦の軍師である。即座に見抜いたはずだ。このまま仕掛けても、損害が出るだけだと。
「それならば、堂々と姿を見せるのもありですな」
「どういうことか」
不審げにレオンが言う。プラムはというと、会話に加わる気が無いらしく、近くの大岩を真っ二つに切って、石の下に美味しそうなのがいないか探している所だった。最近食欲が増して仕方が無いらしい。
イミナには、だいたいクドラクの目的が読めた。
「なるほど、どのみち敵は疲弊している。 休ませない事で、更に疲弊を誘うつもりですか」
「その通り。 銀髪の勇者よ、異存は?」
「いいえ」
シルンも、反対意見は無い様子だ。
そのまま、続けてきた本隊と合流。堂々と姿を見せながら進軍する。
空を舞っている巨大な鳥の魔物が、明らかに飛行高度を変えた。此方の動きを見ているのは間違いない。
「術式準備」
「了解」
周囲に指示を飛ばす。
あの鳥については、まだどれだけ出来るか見ていない。シルンも術式を唱えはじめた。一斉射撃で落とせないようなら、シルンが介入する。
多分、此方の意図を察したのだろう。鳥が一声無くと、高度を上げはじめた。
クドラクが軍配を振り下ろす。
同時に、無数の火線が空に向けて躍り上がった。炸裂する魔力の光に照らされながらも、悠々と鳥は高度を上げていく。
「堅いな」
「任せて」
シルンが杖を斜め上に向け、そして術式をぶっ放す。
極太の閃光が虚空を蹂躙。数百の敵を一撃で屠ったこともあるシルンの術式だ。これならば。
だが。
鳥の前に出現した淡い光のシールドが、術式と激しくぶつかり合う。
鳥が後退しているのが見えた。だが、閃光が納まったとき。
多少は傷ついたようだが、撃墜には至らなかった鳥が、悠々と自陣に帰還していくのが見えた。
「何……っ!」
レオンが呻く。
魔王軍の空からの攻撃に泣かされ続けた結果、対空戦闘の訓練は既に各国で常識的に導入されている。そういう意味では、術者を育成しているユキナの義勇軍は、むしろ進んでいる方だと言える。
だが、人類でも屈指の術者であるシルンの砲撃でも落ちてこないとは。とんでもない硬度の防御術式だ。
こうなると、敵の地上部隊に配置されている大形の魔物も、相当な強さである事が予想される。一筋縄ではいかないだろう。
「下手な攻撃は控えた方が良いな」
「同感だ」
レオンに応えると、イミナは後方に伝令を出す。ユキナからも、すぐに攻撃を控えるようにと言う通達が全軍に出された。
これは、予想以上に、簡単な話では無くなってきている。
陣を張るのを見回る。
殆ど同時に、キタンのハーレン王から連絡が来た。
あの巨人のような異形の補充兵の攻撃能力に関して、詳細な情報だ。やはりとんでもない殲滅力を持つ存在らしい。
予想される攻撃範囲から少し離れて、陣を組ませる。
慎重になりすぎるほどで今は良いはずだ。
イミナは、シルンに陣の周囲にトラップを仕掛けて貰いながら、レオンに言う。
「この戦いでは、我々の存在が意味をなしてくる」
「どういうことか、イミナどの」
「魔物は、ゲリラ戦で打撃を与え続けた我らを警戒している。 はっきり言って虚名に近い部分もあるが、それを最大限利用する」
魔王の居城に潜入して、生還したことさえあるほどなのだ。
だから、生還能力に関しては自信もある。だから、虚名と生還力を利用して、今回は敵の足下を引っかき回す。
「危険は承知の上か」
「ああ。 もしもこのままぶつかりでもしたら、こんな経験も無い新兵の部隊、ひとたまりも無く敵に蹂躙されるだけだ。 それならば、勝率を我らで少しでも上げる」
朝になった。
魔物達は一睡もしていない。補充兵も臨戦態勢を続ければ消耗もする。あまり好ましい状態とは言えない。
敵の冷静な行動には、むしろクライネスは腹立たしく感じてしまった。
夜襲でも仕掛けてくれば鎧柚一触に蹴散らしてやったのだが、敵は此方の疲弊を誘うべく、嫌がらせの進軍を続け、そして今は堂々と陣を張って此方の出方を見ている。既に防御施設の構築どころでは無い状況だ。
更に言えば、貴重なソド領の防御戦力の二割以上が、ここに釘付けになってしまっている状態である。
人間側にしてみれば、魔王軍のあまり多くない兵力を釘付けにしておくだけで良い状態だ。ソド領では手がいくらあっても足りないくらいなのである。流れ込んでくる難民の中には、密偵もいるし、山賊崩れなどのたちが悪いのも混じっている。
ウニに似た体をわきわきと動かしているクライネスに、戻ってきたモットツが言う。
「敵兵の質はあまり高くありませんが、銀髪の双子が来ていますな」
「何!」
「下手に仕掛けると、アニーアルスの介入を招く可能性があります」
「そうだな。 しばらくは身動きが取れないか」
昨日のうちに、増援は依頼した。
負傷している補充兵を含めると、兵力が七割くらいに目減りしているからである。一割弱の損害を出すと、それだけの兵士が動けなくなるものなのだ。負傷している補充兵も手当はしたが、早く後方に下げた方が、より効率よく回復させられる。
完全に泥沼に足を突っ込むことになったクライネスは、決断を迫られていた。
「ユキナの軍勢をアニーアルスの介入覚悟で叩くか、戦線の拡大を避けて撤退するか、二つに一つだな」
「ご明察にございます」
「しかし、ここの領地は今まで無血占領したものに比べてかなり広い。 ここを落とせば、南部諸国を東西に分断できる可能性が一気に高くなる。 ここを放棄するのは、何とも惜しい」
ここ一年、魔王軍は殆ど領土を拡大できていない。
人間の抵抗がそれだけ激しかったからという理由もあるが、それ以上に味方の力が拡大には足りていない、というのが実情なのだ。
それに対して人間は一年で軍備を更に整理している。
魔王は三千殺しでせっせと有能な人材を殺しているが、それでも足りないほどだ。
魔王の三千殺しに関しても、そろそろ違う使い方をする必要があると、クライネスは考えはじめている。実際問題、今までと同じやり方を繰り返していても、大きな効果は上げられないだろう。
「いっそ、巣穴をソド領に作るか。 ソド領の人口から考えて、小規模ながら兵力をある程度は確保できると思うのだが」
「いや、それはまずいかと思われます」
「どうしてだ」
「人間はどうも自分たちの死体に対して何かしらのこだわりがあるように思えます。 それを利用して補充兵が作成されていると知れば、蜂起を起こしかねません。 人間の多くいる場所に巣穴を作ると、やはり情報が漏れる確率も上がるかと」
それは面倒だ。
人間の反乱軍の鎮圧など簡単だが、ヨーツレットがへそを曲げることになる。これ以上軍内部で孤立するのは避けたい。
とりあえず、撤退を判断するにしても、今は増援を待つことにする。部下達にもそう命じて、警戒を一層強くさせた。
アシュラ型の強力な砲撃能力があるとは言え、追撃されるのはやはり不利だ。しかもここは膝元では無く、新しく領地にしようと出てきた場所で、地の利が無い。攻撃をされると、いろいろに不利である。
ましてや、敵にはあの銀髪の双子がいるのだ。
「モットツ旅団長。 一度エルフ型の補充兵を戻してくる。 テレポートで戻ってくるまで、指揮を任せたい」
「分かりました。 死守します」
「頼むぞ」
人間にとって森は切り開くものでしかないようだが、魔物にとっては違う。
今、ここで補充兵とはいえ、この者達を無駄に消耗するわけにはいかなかった。
少数であれば、敵陣の近くまで忍び寄るのは、さほど難しくなかった。ただ、問題はジェイムズがついてきていることだ。陣にまで来ていたジェイムズは、威力偵察と撹乱を、是非間近で見たいとか言い出したのである。
レオンが絶対反対だと叫んだのだが、ジェイムズは弟子数人と一緒に、結局ついてきてしまった。筋骨隆々を通り越して、もはや怪物じみているジェイムズの弟子達は戦闘能力的にも人間離れしているようだし、まあ身を守ることくらいは出来るだろう。
「お姉、魔術のトラップは無いよ。 敵は多分、一度敷いた陣地から後退して、慌てて作り直してる」
「そうか」
「どうでもいいけど、凄い焦げた臭いだね」
プラムが、顔をしかめた。生肉が大好きなプラムは、焦げた臭いに時々忌避を示す。
辺りには、凄まじい戦闘の跡が残っている。人間の炭化した死体らしいものが点々としていて、戦いの激しさを雄弁に物語っていた。
しかも、である。
魔王軍は人間の死体を集める傾向がある。どういうわけかは分からないが、魔王軍が制圧した地域には、骨一本落ちていないことが多いのだ。
「むごい光景だ」
「だが、色々と妙だな」
レオンに、イミナは死体を拾い上げながら応える。
炭化した腕は、執拗なまでに破壊されている。魔王軍が人間の死体を、むしろ大事そうに集めている所さえイミナは見たことがある。これはまるで、恐怖に駆られて徹底的に焼き尽くしたかのようだ。違和感がわき上がるばかりだ。
「そもそもだ。 英明で知られるキタン王ハーレンは、どうして軍を使い捨てにした?」
「そういえば不可解だな」
「これは面白い」
深刻な話をしている横で、ジェイムズが弟子に、死体を集めさせている。
炭化している死体が殆どなのだが、中には生焼けのものもあった。多分全部焼き尽くすつもりで攻撃したのだろうが、それでも何かしらの理由で激戦になって、焼き尽くせなかったものが出たという事か。
「お姉、見て」
地面までもが、黒く焦げているのをシルンが見つけた。
焦げている周囲は、一度溶けて硝子化した形跡がある。ヒステリックなほどに攻撃を加えたという事だ。
これほどの攻撃をしなければならないほど、キタンの軍勢は魔王軍を追い詰めたのだろうか。
それはどうも違う気がする。
「もう少し近づいてみよう。 ジェイムズ、頭を下げろ」
「ひゃはははは、了解」
闇に紛れて、敵陣に近づく。
斥候はいない。殆どは陣に引きこもっていて、空を鳥の魔物が巡回しているくらいだ。この人数であれば、茂みや岩陰、木立を利用してやり過ごすことが出来る。
その間にも、ジェイムズはサンプルだと言って、炭化した死体を拾い集めていた。
「シルン、どうだ」
「お姉、流石にこの辺りは術式でアラームが掛かってる。 解除は難しいよ」
「分かった。 ここから偵察する」
敵陣をのぞき込む。
原始的な馬防柵で陣を囲い込み、幾つかの物見櫓が建っている。巨大な魔物がゆっくり歩いて巡回しているのが見えた。腕が砲のようになっている。
「ほほー。 何とも独創的な! 戦闘のみに特化し、生物としての形状を捨てているとしか思えぬあの体! どうやって生きているのだ! 持ち帰りたい! 持ち帰って調べたい! 解剖したいぞおおおおお!」
「黙れ化け物」
レオンが目を子供みたいに輝かせるジェイムズの脇をこづいた。
陣の周囲を、ゆっくりみて回る。身を隠せる場所は案外に多い。
この少人数だと、闇は味方だ。
「敵の戦力は七千から八千というところだな。 何処かに仕掛けられそうな場所は無いか」
「隙なら、いくつもある」
イミナはレオンに応えながら、また一つ攻め込めそうな場所を見つけた。
だが。
隙を見つけて、敵に打撃を与えるのは簡単でも、其処から生きて戻るのは難しいと結論するほか無いような場所しか無い。
本隊による支援攻撃をするにしても、敵の底力はかなり強いとみた方が良い。
一通り陣をみて回った後、一旦撤退する。ジェイムズは陣に入りたいとかほざいたが、虱だらけの白衣の襟首を掴んで、引きずって帰った。
本陣に赴くと、ユキナが作戦会議をしていた。
麾下の将軍には、かなり新参の顔が見える。難民による魔王領への人材流出という想定外の事態に慌てた各国が、増援という形で派遣したのは間違いないだろう。だがどいつもこいつも、大規模な会戦の経験が無さそうな、青びょうたんばかりだった。
南部諸国の主要構成員である黒色人種は、身体能力が非常に優れている。だが、実戦で鍛えた人間とではやはり比較できない。元が優れていても、実戦をしたことが無い人間が、いきなり相手を殺せるかと言えば、かなり難しい。
狩猟民だったらまだ良いのだが、南部諸国は肥沃な土地に恵まれていて、殆どが農耕民だ。
「銀髪の双子よ、戻ってきたか」
「はい。 敵の状態を見てきました」
シルンには、既にどう言えば良いのかを説明してある。
こういうときに喋るのは、勇者であるシルンの仕事だ。誰をも引きつける輝きがあるシルンが牽引すべき事で、影を持つイミナは側で控えていれば良い。
もっともシルンは頭が結構良いので、基本的にアドリブも効く。よほどのことが無ければ、襤褸は出さないが。
「なるほど、さすがは勇者殿。 敵陣を目の当たりに出来るかのように精密ですな」
「これなら、夜襲を仕掛ければ勝てるのでは」
「いや、かなり難しいでしょう」
水を差すシルン。シルンは歴戦の猛者であり、凄まじい数の修羅場をくぐり抜けてきていることを、この場の誰もが知っている。
ユキナが咳払いした。誰もが黙り込む。
この女性は、もう完全に組織の長としてのカリスマと威厳を身につけていた。
「今は敵の戦力が揃っていない事もあり、絶好の好機に思える。 それにこの土地を失陥すれば、かなり今後の展開が厳しくなる。 もしも魔王軍が南下して海岸線に達した場合、十三個の国が敵中に孤立することになる。 今でさえソド領で善政を敷いているらしい魔王軍だが、そうなれば一年以上前に剥き出しにしていた牙を、再び民に振り下ろすことだろう」
「分かっています」
「夜襲を強行するとは言わないが、何か成功させるための策は無いか。 魔王軍の勢力拡大は、ここでどうしても防いでおきたい」
周囲を見回すが、良い意見を持つ者はいない様子だ。
クドラクでさえ、難しい顔をして腕組みをしている。他の将軍達が時々意見を述べたが、いずれも実戦経験が不足した者の戯れ言に過ぎなかった。
不意に慌ただしい足音が近づいてくる。
伝令が本陣に駆け込んできたのは、その時だった。まだ若い兵は、慌ただしくユキナに跪くと、手紙を差し出してくる。
「ユキナ陛下!」
「如何したか」
「此方を。 ハーレン王からの書状にございます」
その場で手紙を開封するユキナ。見たところ、誰かに耳打ちして話をする様子も無い。
つまりユキナは、今やこの義勇軍の事を、完全に取り仕切っていると言うことだ。誰かの傀儡になっているのなら、ここで意見でも聞いているところだからである。
腕組みして、考え込む女王を見つめる。今やユキナは、かっての揶揄を込めた周囲に嘲笑されていた「女王」では無く。完全な意味で、女王と呼んで差し支えない存在になっていた。
「紙と筆を」
「直ちに」
ユキナが指示を出すと、兵士が動く。
将軍達はまだ腰が据わっていない雰囲気だが、兵士達は既に、ユキナに絶対の忠誠を誓っているのが見て取れた。彼らはユキナが死ねと言えば、大喜びで命を差し出すことだろう。
手紙をしたためたユキナは、伝令に手渡す。一連の動作は非常に落ち着いていて、安心して見ていられた。
元はハウスメイドだというこの娘は、もう完全にどこの王族にも引けを取らない威厳と貫禄を身につけていた。
「これをハーレン王に」
「分かりました」
「皆の者、ハーレン王から提案があった。 無人化した西ケルテルの半分をよこせというものだ。 見返りに、一万の援軍を出すという」
「援軍が到着するのはいつでしょうか」
すぐにでも、だという。
何か嫌な予感がする。弾避けに使われるような気がしてならない。
だが、それでも。一万の援軍は、現在の状況では大変に魅力的だ。
ユキナの軍勢は六万などと言っても、殆どは守備部隊として各地に振り分けられており、機動軍はこれで精一杯である。勿論南部諸国も今必死に軍の立て直しをしているだろうが、難民の大量発生で経済が滅茶苦茶になっており、どこもまともな軍は存在しないはずだ。
それを考えると、確かに一万の軍が加わってくれれば、一気に有利になる。
更に言えば、この西ケルテルをユキナが取得することが重要なのでは無い。魔王軍の勢力拡大を防ぐことが重要なのだ。
腕組みをして考え込んでいるユキナを邪魔する将は一人もいない。クドラクでさえ、おもしろ半分と言った風情ではありながら、黙って様子を見つめていた。
「よし、条件を呑もう」
「陛下!」
「どのみちキタンにとってここは飛び地になる。 後で金品なり食料なりで買い戻せば良いことだ」
「しかし、遊牧民を恐れる領民は未だ多く。 陛下の信望がこれでは低下しかねません!」
嘆きの声を上げたのは、老いた将軍の一人だった。
南部諸国から派遣された一人だろう。血を吐くような声だった。多分キョドに国土を蹂躙された国の出身に違いなかった。
南部諸国の民にしてみれば、確かにキタンもキョドも同じだ。遊牧の民と言うだけで、恐怖の対象になる。
だが、ここは。歯を食いしばって、恐怖には耐えて貰わなければならない。
「済まないが、ここは耐えて欲しい」
「陛下……」
「今重要なのは、ここで魔王軍を押し返すことだ。 どのみち遊牧の民も、東側の大国群も、南部諸国のことなどは捨て駒程度にしか考えていない。 ここを守るのは、我らの血と汗なのだ」
それを言うならユキナもだが。
しかし彼女は、白色人種とは思えないほど肌が良く焼けている。つまり、それだけ日々激しい勉学と実戦をしてきた、という事だ。訓練でも時々一緒に動いているのを見かけるが、もう普通の兵士よりずっと激しく戦う事が出来るようだった。
まあ、人間を止めているのだから当然か。むしろ彼女の場合は、人間を止める前から、それだけのことが出来ていた、とも言える。
「魔王の能力は、気に入らない人間を殺す事。 ここに来ている時点で、既に死ぬ事は覚悟していると思う。 皆、歯を食いしばれ。 そして勝利のために、全てを捨てる覚悟をするのだ」
おおと、将軍達が声を上げた。
老将も、悔しそうではあったが、うなだれて決定を受け入れた。
闇の中、一万五千の軍勢が、動き出していた。
クライネスが戻ってくると、既に事態は風雲急を告げていた。
東から、およそ一万の軍勢が接近してくる。闇夜の中でも、夜間哨戒用のラピッドスワローがそれを捕捉していた。
「一万だと。 我が軍に仕掛けるには、随分と小勢だな」
「はい。 しかし、先の死人兵の事もございます」
「分かっている」
モットツは、クライネスが戻る前に、既に迎撃の準備を整えてくれていた。アシュラ型の砲口は、とうに迫り来る一万の姿をとらえている。
アシュラ型は夜間での戦闘も想定しており、夜目も利く。
「敵はキタン軍のようです」
「まだ控えている戦力がいたか」
「地の利は敵にございます」
「分かってはいるが」
これほどまでに、地の利を押さえられていることを不快に思ったことは無い。
攻め込む前に、西ケルテルの難民から聴取はして、地図は作ってあったのだ。だが、多分キタンはその更に外側に兵を潜ませていたのだろう。
まだ、援軍の到着までは時間が掛かる。
ここは、クライネスがなんとしてでも耐えなければならなかった。
「全軍、総力戦準備!」
「直ちに!」
「非戦闘員は、後方に! ここを維持できる保証は無い! パルムキュアに連絡し、可能な限りの増援を回して貰え!」
相手がアニーアルスだったら、オリブ領辺りを圧迫して、撤退を促すことが出来るのだが。
しかし今回、相手はキタンだ。しかも連中の本隊七十万には、この軍勢は含まれていない可能性もある。
モットツが戻ってきた。
「敵の軍勢を発見しました」
「ユキナの義勇軍か」
「はい。 南に布陣し、攻撃の機会をうかがっております」
「ただでさえ厄介なのに、おのれ……!」
当然のことながら、キタン軍がユキナ軍と連携して攻撃してくる可能性は、想定に入れてはいる。
だが、このタイミングでの攻撃は、実に腹立たしい。
「防御陣を活用し、敵を食い止める。 アシュラ型、敵の兵種を見極めるために、鼻先に攻撃を叩き込め! 人間だったらひるむはずだ!」
「ただちに。 アシュラ型、砲撃準備!」
野戦陣地の中では、アシュラ型は一団高い位置に台座を作り、その上に載せられている。周囲を砲撃するのに、それが都合が良いからだ。
なお、連隊長級がだいたいその前について、防御術を展開する準備をしてもいる。これはアシュラ型を防御戦で運用する際に、何回かの試行錯誤の末に作り出したフォーメーションである。
アシュラ型の、砲のようになっている両手に光が集まっていく。
やがて、敵に向けて、殲滅の炎が打ち出された。放物線を描いて敵陣に飛んだ数十の火の玉が中空で炸裂、炎の雨となって降り注ぐ。
爆発。
敵は、どうしている。
「敵軍は!」
「ナイトラピッドスワローから連絡! 敵、進軍を停止せず!」
「そうなると不死兵だな。 モットツ!」
「ここに」
冷静な指揮を執るモットツに、死人兵の相手は任せてしまっても大丈夫だろう。
問題は勇者がいるユキナの軍だ。
「そなたは二千を率いて、防御戦に専念せよ。 私は五千を率いて、ユキナの軍を蹴散らしてくる」
「五千で大丈夫ですか」
「何とかなる。 その間に残りの者達は、非戦闘員を退避させよ。 増援が来れば、一気に潜んでいるのも含めて、全ての敵を蹴散らしてくれるわ」
クライネスは術式で浮き上がる。
南から接近中のユキナ軍は、一気に行軍速度を上げていた。戦闘が開始されたのを見て、タイムラグを利用して攻め込んでくるつもりだろう。
悪いが、そうはさせない。
最初に、がつんと圧力が来た。
夜襲を仕掛けようとして、逆に敵に機先を制されたのは明らかだった。混乱している兵士達。
前衛が崩れるのが分かった。
「うろたえるな! 敵は前面に廻ったキタン軍とも交戦中だ! 兵力は少ない!」
シルンが叫ぶ。
同時に、兵士達の混乱がぴたりと納まる。
勇者に対する兵士達の信頼は厚い。頷くと、イミナはレオンに言う。
「プラムと一緒に私が突っ込む。 支援を頼む」
「分かった。 無理はするな」
突如、巨大な牛のような魔物が、角をふるって兵士達を蹴散らしつつ、突貫してきた。連隊長級にしては知性が感じられない。或いは新型の量産タイプか。
シルンが無言で術式をぶっ放し、顔面に直撃させる。
竿立ちになった牛の至近に迫ったプラムが、通り抜けざまに両足を一閃。寸断。更に跳躍したイミナが、無言で牛の首を蹴り折った。
地面に激突した牛が、何度か痙攣して動かなくなる。
この手応え、生物のものだ。或いは家畜として飼われていた牛かも知れない。超大型の、見たことも無い品種だが。
「流石だ!」
「続けっ!」
兵士達が俄然やる気を取り戻し、闇の中で原始的な肉弾戦が開始される。
新兵は、その気にさせると力を発揮できるものだ。そして、訓練の成果も発揮できる。急激に膨張したユキナの軍は、訓練だけはある程度出来ている。後は、適切な実戦さえ組めば。
最前線に、イミナが躍り出る。プラムも続いた。
無数の魔物が、槍をそろえて躍りかかってくる。多く見かける人間に近いタイプだ。だが、いつも見るのとは動きが違う。槍さばきも、此方の間合いの見切りも、だ。
兵士達が次々餌食になる中、イミナは舌打ちした。
同じような顔ばかりだから、ひょっとして何かの術で作った存在かと思っていたのだが。そうなると、術がバージョンアップすれば優秀になるのかも知れない。或いは、もっと違う理由でだろうか。
シルンが術式をぶっ放し、閃光が辺りを蹂躙する。爆発。
敵陣に穴が空く。周囲の損害は既に無視できないが、敵も押せ押せと前に出てくる状態だ。下がるわけにはいかない。
大きい奴が来た。六本腕だ。此奴も、以前よりぐっと動きが良くなっている。全ての手にある武器を振り回して、中を幸いに新兵を薙ぎ払っていた。
プラムが懐に飛び込む。振り下ろされる剣を、真下から真っ二つに切り裂いた。だが、真横から振られた鉄棒をガードしつつも斬り切れず、吹っ飛ばされて転がる。だが、その決定的な隙にイミナは飛び込み、相手の顔面に飛び膝を叩き込んだ。
呻いて数歩下がる六本腕を、シルンの術式が吹き飛ばす。
闇の中で、死闘が続く。戦線がどんどん拡大していく。
敵の数はだいたい五千くらいだろうと、イミナは冷静に判断した。連隊長級を沈めれば、随分ここでの戦闘は有利になるはずだ。
敵に比べて味方は三倍。クドラクが指揮をしているし、冷静になれば勝てるはず。問題は兵士達が殆ど新兵だと言うことだが。
プラムをレオンが抱き起こしている。流石にあの鉄棒の直撃は痛烈だったか。
「プラム、しっかりしろ! イミナ殿、意識が無い! 後方に下げる!」
「分かった!」
六本腕がまた現れる。兵士達は初の戦闘で血を浴びて興奮状態にあり、見境為しに魔物と戦っていた。
こんな夜中では、騎馬隊は活躍できないだろう。
味方の弓隊が来た。
「一旦後退! 訓練通りにやれ!」
彼方此方で小隊長が叫ぶ。混乱しながらも新兵達が緩慢に下がり、弓隊が一斉に敵に矢を浴びせた。
闇の中で、六本腕の体中に矢が突き刺さる。だが、その程度で止まってはくれない。敵の一般兵はバタバタ倒れていくが、それでも致命傷になる事は少ない様子で、立ち上がってくる敵兵も多い。
槍を繰り出してきた敵兵の首を小脇に抱えてへし折る。更に投げ飛ばして、別の兵士を横転させた。味方兵士が群がり、よってたかって槍で突き刺していた。
味方は、徐々に押し込まれているようだ。ここの戦線はイミナとシルンが大暴れして互角に保っているが、地力の差が大きいのだから仕方が無いか。しかし、三倍の兵力がいて押し込まれるのも、情けない話だ。
「お姉、大きいの行くよ! 六本腕押さえられる!?」
「問題ない!」
気を利かせたつもりの小隊長が叫ぶ。
「勇者どのが大きな術を放つ! 絶対に詠唱中守り切れ!」
当然のごとく、シルンに敵兵が殺到しはじめた。イミナは舌打ちすると、まず六本腕を叩き潰すべく、突貫した。
悠々と進んでいた六本腕が、イミナを見据える。
そしてその豪腕にそれぞれ手にしている槍、剣、斧、それに槌を、暴風のごとく振り回しはじめた。
倒れている敵兵の死体を担ぎ上げると、放り投げる。
見る間に細切れになる死体だが、六本腕の頭に、死体の残骸が降りかかる。解体したところは見たことが無かったが、量産型の敵兵の中にも、一応内蔵があるのだと知ってちょっと不思議だった。
顔に絡みついた腸を取ろうとしている六本腕の頭上から、イミナが踵落としを叩き込む。悲鳴を上げてのけぞる奴の腹に、着地したイミナは全身をバネにして突貫、双掌打を、気合いと共に叩き込んだ。
六本腕の背骨が折れるのが分かった。
貧弱な足で、それでも少し立っていた六本腕も、ついに後ろに倒れ伏す。
後ろは。
シルンに殺到する敵兵を、どうにか新兵達が食い止めている。更に前方に二体の六本腕。以前とは編成が違うらしく、相当数の六本腕がいた。
シルンの詠唱はまだか。
アニーアルスから提供された魔術書を片っ端から読んで、シルンは相当な数の術式を、この一年で身につけた。中には集団殲滅用の禁術と呼ばれるものも多くある。ジェイムズが使っているような、生命の禁忌に触れるようなものだけではなく、制御の難しさが度を超していて、常人が使ったらまず間違いなくバックファイヤを起こすような術式の事である。
多分それらの一つだろう。
シルンの周囲に放出されている魔力量は凄まじい。びりびりと、離れた方が良いと本能が警告してくる。
力は誰にでも平等だ。
ただ、破壊と殺戮だけをもたらす。
目についた敵の首を蹴り折り、顔面を裏拳で砕き、突き出された槍を紙一重で交わしながら膝を叩き込む。そろそろか。
シルンが、詠唱を完了。
杖を空に向けた。
聞き取れない音が発せられる。どうやら術式の発動までも、別の術式で補っているらしい。
直後、空から無数の稲妻が、敵陣に降り注いでいた。
瞬時に黒焦げになる六本腕。爆発が無数に巻き起こり、敵兵が吹っ飛んでいるのが見えた。
前の敵陣が崩れる。
一気に、味方が攻勢に出た。
雪崩を打って後退しはじめる敵兵。呼吸を整えながら、シルンの側に歩み寄る。
「無事か」
「うん」
片手を取って、立たせる。
乱戦の中、どうにかシルンは敵兵による攻撃を受けなかったらしい。だが、周囲には、シルンを守って死んでいった名も無い兵士の亡骸が、点々と散らばっていた。
「少し様子を見て、また前線に出よう」
「分かった」
「プラムをまず迎えに行くか」
ひどい打撃を受けていたが、死んではいないだろう。
ただ、すぐに立ち上がれるとは、思えなかった。
3、後遺症
前衛に敵の使った大威力の術が炸裂し、思わずクライネスは呻いていた。儀式魔術レベルの大形術式だ。だが、アレを放った奴は一人だと、魔力の流れから見て理解できていた。
しばらくクライネスはウニのような全身から、敵陣を魔力探査していた。司令官自らが偵察をしているも同然で、だからこそ戦況も細かく把握できていたのだ。
あの術を放ったのは、勇者の奴だ。ここまで力をつけていたとは。
前線から伝令が来た。
「味方、押されています! ヘカトンケイレス、既に損失十三! 被害もそろそろ五%を越えます!」
「モットツは!」
「火力に物を言わせて、死人兵を殲滅中! まだ増援には来られないかと!」
地上に降りたクライネスは、周囲の者達に言う。
「私自ら、前線に出る」
「危険です! 貴方は魔王軍九将の一! こんな小規模会戦で、命を散らしてはなりません!」
「この戦は、見かけ以上に重要な局面を左右する! ここが人間どもの手に渡るか、我らが陥落させるかで、まるで状況が変わってくる! 良いか、絶対に引くな!」
それに、クライネスには、今前線に出るべきだという判断もあった。
あれだけの大規模術式を唱えた後である。勇者は絶対後方に下がったはずだ。調子に乗った敵兵にがつんと一撃大きいのを喰らわせてやれば、かならず出鼻をくじくことが出来る。
此方の方が数が少ない上、二正面作戦を強いられているのだ。ここで片側だけでも打撃を与えておかなければ、負ける。
そして負けた場合、数が少ない上に追撃を受けることになるのだ。全滅的な打撃は免れ得ない。
旅団長二名を伴い、クライネスは前線に躍り出た。
そして、無数にある触手から魔術を放ち、片っ端から敵兵を薙ぎ払う。強力な部隊が出てきたことに敵も気づいたか、戦力を集中してくる。だが、それが却って思うつぼだ。密度を増した敵に、クライネスが放つ爆発系の術式は、より効果を増す。
徐々に、押し戻しはじめた。
勇者はやはり後方に下がっている。もう一押しで、敵は崩れる。
だが、旅団長の一名が、更に進もうとするクライネスの前に立ちふさがった。
「既に戦局は戻りました。 戦術指揮にお戻りください」
「何を言うか、後一押しでは無いか」
「勇者とぶつかり合った場合、勝てるかどうか保証は出来ません。 奴はさっき見たところ、単独で儀式魔術に匹敵する術式を放ってきたのでありましょう。 直撃を受けたら、如何に魔王陛下につぐ魔力を持つ貴方でも危ないのではありませんか」
「……っ」
確かにその通りだ。
前衛の敵は潰走をはじめている。味方はここで、一度引いて体勢を立て直すべきである。
クライネスは戦場では凡庸だと、周囲に言われていることを知っている。確かに後方で戦略級の頭脳活動をしているときはすぐに分かるようなことが、戦場では部下にたしなめられてようやく理解できる、というようなことが多い。
一度、敵は引き始めたのだ。あんな新兵だらけの軍勢で、しかも夜間である。まともな戦術行動など出来るわけが無い。
ならばここは此方も引いて、体勢を立て直すべきだ。時間を稼げば、味方には増援の宛てもあるし、なによりモットツが敵の死人兵を蹴散らしてくれるはず。アシュラ型の火力を加えれば、敵を一気に粉砕できる。
「よし、二千歩後退。 陣形を立て直……」
「左翼に敵襲! 数、およそ三千!」
「何っ!」
どっと、味方が崩れるのが分かった。
ユキナ自身が率いている三千は、おとりとしている一万二千とはまるで違っていた。どうにかレオンの回復術で戦えるようになったプラムと合流したイミナは、馬に乗って本隊である精鋭三千に混じったのだ。シルンも、イミナに掴まって、馬の後ろに跨がっていた。
実戦経験者を中心に、鍛えに鍛え抜いた義勇軍中核。動きは鋭く、キタンやモゴルの精鋭にも劣らない。ユキナ自身も先鋒にいて、左右に側近を侍らせて、総力での指揮体勢に入っていた。
「今だ! 敵を打ち崩せ!」
勝ちどきが上がる。
闇の中、敵陣に突進する兵士達。弓兵も練度が違う。六本腕がハリネズミのようになって、崩れ落ちるのが見えた。
大形の魔物がいる。多分旅団長だろう。
投石機が咆哮し、遠心力を利用して巨石をたたきつける。一撃目は防ぎきった旅団長級だが、二発目、三発目は不可能だった。
更に、激しく叩き鳴らされる銅鑼。
引いてきた本隊が、再攻撃を開始する。
その横に、強烈な一撃が入ったのが、闇の中見えた。無数の火線が集中して、一万二千の中核に巨大な爆発が次々巻き起こる。
敵にも、最精鋭がいたのか。
「構うな! 前方にいる敵を、一気に押しつぶせ!」
「敵指揮官を発見!」
「見たことがある。 以前南部諸国に侵攻してきた奴だな」
イミナは拳を固めると、馬を飛び降りた。プラムもそれに続く。
魔王軍のムカデのような奴ほどでは無いが、相当な実力を感じる。ウニのようなおぞましい姿をしていて、無数の触手を蠢かせ、周囲に破壊的な威力の術式を放っている様子だ。
既に後方は大乱戦である。前方も、味方が押し込んでいるとは言え、予断を許さない状況だ。
「ここで、決着をつける!」
「お姉、三十拍!」
「任せろっ!」
イミナが突貫する。既に、奴を守る護衛はいない。最精鋭の兵士達が躍りかかり、或いは叩き潰されながらも道を作る。
その道を、イミナは駆ける。少し遅れて、プラムが続く。
「名を聞こうか、銀髪の双子!」
「私はイミナ。 妹はシルン!」
「覚えておく! 私の名は魔王軍九将の一、クライネス!」
「名乗り、受け取った! 尋常に勝負っ!」
敵将が、無数の雷撃を投擲してくる。爆発。辺りを爆煙が覆う。イミナは跳躍。敵兵の頭を蹴り砕きながら、高々空に舞い上がる。
周囲に浮かび上がる、無数の黒い塊。炸裂。
地面にたたきつけられる。全身に激しい痛み。
敵将が触手をたわませ、中空に躍り上がった。残像を、今の隙に間合いを侵略していたプラムが切り裂く。
数本の触手を両断したようだが、プラムの斬撃も、届かなかった。
「させるかっ!」
ホヤのような、大きな奴が躍り込んでくる。旅団長だろうか。
「軍団長、ここは撤退を!」
「逃がすか!」
あと少しなのだ。だが、ホヤのような奴は、全身をたわませて、イミナの渾身の拳を体で受け止めた。
闇の中、閃光が辺りに飛び散る。跳ね起きたプラムが、アニーアルスから提供されている名刀で、一刀両断、ホヤを切り伏せる。絶望の絶叫を上げながら、おそらく歴戦であろう旅団長は、全身から鮮血を吹き出した。
だがその犠牲が敵にとって生きる。
怒りの声を上げながらも、クライネスが更に空高く舞い上がる。それだけの時間が、今稼がれたのだ。
そして、その触手には、おそらく直径にして人間の背丈の三倍はあろうかという魔力の塊が宿っていた。
同時に、シルンの詠唱が終わる。
杖の先が、クライネスに向く。
遮るものは、何も無い。
「勝負だ、勇者ぁあああああああっ!」
無言で、シルンが術式をぶっ放した。
ユキナの馬車からも、その光景は見えた。
空に向けて、極太の光の柱が立ち上る。
魔王軍の指揮官からも、紫の巨大な魔力球が撃ち放たれる。
拮抗。
誰もが固唾を呑んで見守る中、数秒の沈黙が破れる。
下から放たれた光が、上から飛来した球を、貫通。そして敵将を飲み込み、空に立ち上った。
爆発。
兵士達が、歓声を上げた。
朝明けが、空の縁に見え始めていた。
爆発の中で、全身を焼かれながらも。
クライネスは、テレポートの術式を思いとどまり、味方の中に落ちた。乱戦の中で激しい消耗をした味方が、全身をずたずたにされたクライネスを、受け止めていた。
アシュラ型が最後衛に残り、火球を乱射しながら撤退を支援する。足が遅いアシュラ型は、しかし力が尽きればそれまでだ。
追いすがってきた敵兵が、よってたかって八つ裂きにしてしまう。
「くっ、おのれ! おのれ!」
「モットツ旅団長は、不死兵を殲滅すると同時に、二つのことを言い残されました。 一つは貴方を必ずソド領まで生きて戻すように。 そして、この領地でこれ以上損害を出す前に、撤退するようにと」
クライネスは。
そう言ったのが、モットツと一緒に激戦を生き抜いた連隊長の部下である事に気づいた。ヤドカリに似ているそいつの殻の上に載せられて、討ち減らされた味方と一緒に逃げながら、クライネスは気づく。
モットツは。戦死した。激戦に次ぐ激戦を生き残ってきた勇者が。ヨーツレットが、戦術での判断が苦手なクライネスを補助するためにつけてくれた、宝とも言える戦士であったのに。
絶叫する。
負けた。
負けたのは、自分にだ。
アシュラ型が時間稼ぎをしてくれた。数匹はラピッドスワローが抱えて離脱したが、半数以上は敵の数に飲み込まれ、全滅した。
生き残った兵力は、五千に達しない。侵攻作戦に用いた半数以上の戦力を一晩で喪失してしまった。しかも、今までとは状況が違う。
完全に、負けたのだ。
自分への怒りで、焼け付きそうだった。どうしてこうも自分は、戦場に出てしまうと駄目になるのか。
考えることしか能が無く、前線に出るとお荷物になってしまうのか。
誰にでも嫌われるのは、こういう口だけのところが原因では無いのか。
「貴方は、魔王陛下が作り出した最強の将の一。 必ず生きて、雪辱を。 それが陛下への報恩となりましょう」
もはや、応えることも出来なかった。
部下に、クライネスは心の底から、申し訳ないと思っていた。
ユキナの義勇軍は、一割弱の損害を出しながらも、確かに勝った。今まで魔王軍をどうにか追い返すことは出来た事があったが、正面から敵を敗走させたのは初めてである。だが、それが故に。今後は魔王軍が本腰を入れて対策をしてくることも予想された。
西ケルテルから敵が撤退したのは確認したが、元々ここは民がみんな逃げ出して、政情不安の結果崩壊した土地だ。無人化するほどの状態であり、街も村も徹底的な略奪の結果、物資は何も残っていない。
首都のあった場所の惨状を見終えたユキナは、王宮に入った。辺りは略奪され尽くされて、建物そのものしか残っていなかった。まあ、無能な権力者によって崩壊したも同然だから、仕方が無い事だろう。内部はそれなりに広大だったが、埃っぽいだけであった。
ユキナは馬車に積んで持ってきてあった玉座につくと、幕僚達を見回して言う。謁見の間の外、遠くから、イミナはそれを見ていた。
「まずはここを要塞化して、魔王軍との戦闘最前線とする」
「もはや誰もいないこの場所を、ですか」
「ここは一度無人化したのだ。 だから一から再開発できる。 勿論戻ってくる民に関しても、期待できるだろう」
混乱の末、西ケルテルの支配者層は全滅してしまっていたというのも大きい。ここをユキナにとっての初領地にしても、文句を言う者は出てこないだろう。
イミナはレオンの脇をこづいて、この場を後にする。シルンは最初から倉庫の方に行っていた。合流するが、金目のものは残っていないという。シルンは良いアクセサリがあったら持っていって良いとユキナに言われていたらしい。凄くがっかりしていた。
無人の城の中は、兵士達が所在なげにうろつき廻るばかりで、文官も殆どいない。ユキナの側近をしている何名かが、何も無い状況に嘆きの声を上げていた。
「まさか、ここまでひどい略奪に会っているとは」
そうぼやいているのは、いつもユキナの側にいる冴えない中年の男性である。確か名前はボルドーであったか。
ボルドーはシルンとイミナを見ると、深々と頭を下げてきた。多分頭を下げ慣れているのだろう。
「銀髪の双子、今回の戦いでは、お世話になりました」
「我らは、一度アニーアルスに戻る」
「分かりました。 今回の戦いで、兵士達は相当精強に鍛えられたかと思います。 更に義勇兵も集まってくるでしょうし、守ることは難しくないでしょう」
それはどうだろうと、イミナは思ったが、今は戦勝気分に水を差しても仕方が無い。
それにしても、壁に掛かっていた絵画や家具までも無くなっている。無法地帯になったときに見られる人間の本性とはおぞましいものである。
レオンは義勇軍のお偉いさんと話をしていた。多分ここでも人脈を作ってくれているのだろう。
軽く声を掛けてから、プラムを探す。
「ねえ、お姉。 これって本当に勝ったって言えるのかな」
「戦略的にはな。 それも結構大きな勝ちだ」
「誰もいない土地を取っただけなのに? そんなことのために魔物もわたし達も、何で殺し合いなんてしてるんだろう」
シルンが大きくため息をつく。
今回の戦闘で死んだ人数は二千人に達していない。魔物は数千を失っているはずだが、それでも向こうの被害も大きいとは言えない。
ただ、またたくさんの焼死体が出ていたのは気になる。キタン軍は、また大勢の兵を使い捨てにしたのだろうか。その割には、死んでいた連中の所属部隊の兵士が逃げ出した形跡が無いのもおかしかった。
プラムは外で蛇を捕まえて、頭から囓っていた。
それをにやにや見ているジェイムズ。その後ろでは、ジェイムズの弟子達が、荷車に大量のサンプルを積み込んでいた。多分荷車数台分になるだろう。馬車にひかせて、先にオリブ領に王弟が作った研究所に運ぶらしい。
「帰るぞ」
「もう少しサンプルを集めたいのだが」
「勝手にしろ」
「ひひひひひ、そうさせてもらう」
気味悪がられようが、いやがられようが、知ったことでは無いと言う風情のジェイムズが。何処か、イミナには羨ましかった。
ただ、誰もいないだけの土地を奪い合って、それに競り勝った。
シルンが言うように、それを誇らなければならない今が、とても馬鹿馬鹿しく感じた。
4、闇の中の光
息を呑むマリアの前で、グラは言う。
邪魔をするなら、そこにいないでくれと。
朝から、荷車に乗せられて、次々と運ばれてくる大量の人間の死体。運んでくる魔物は、殆どが体の一部が欠損していたり、大きな怪我をしている者達ばかりだった。その人間の死体を、岩山の奥にある洞窟に収納していく。
淡々と帳簿をつけていくグラ。時々混じっている、服を剥がれた子供の死体を見て、マリアは思わず目の前が真っ暗になるのを感じた。
「こ、これは。 何をしているんですか」
「良い気分じゃ無いだろうが、こうしないと俺たちは勝てないんでな」
グラの声には、感情を押し殺したような要素が混じっている。ゴブリンというと醜悪で好色な子鬼と言うイメージがあったのだが。このグラという若いゴブリンは、何十年も地獄を見てきた武人のような、達観と落ち着きがあった。それはむしろいびつにさえ感じてしまう。
夕刻、やっと荷車が止まる。
グラはその間、輸送隊の隊長らしい魔物を接待したり、殆ど休むこと無く働き続けていた。人間に近い姿をした副官が、側で支え続けている。彼女が魔物である事は雰囲気で分かったが、はて。どうしてか、同じ顔の魔物を、随分たくさん見たような気がしてならない。
「あのたくさんの亡骸を、どうしているんですか」
「喋ったら、あんたにも覚悟を決めて貰わないとな」
「どういうことです」
「俺が見たところ、あんたはまだ人間だ。 体は魔物になってるかも知れないが。 もしもここで破壊活動でもされたら、非常に面倒な事になる」
より強い監視をつけなければならないと、グラは言っているのだ。
マリアの側には、常時連隊長という強力な魔物がついている。この第六巣穴に来る道中も、ずっとついていた。
当然、マリアがおかしな動きを見せれば、即座に殺すというのだろう。
「手持ちぶさたでいるのも何だろう。 マロン、カーラの所にマリアどのを連れて行ってやれ」
「分かりました」
ずっと無言でいた彼女に連れられて、一旦岩山の中腹まで降りる。
その辺りまで来ると、周囲は緑に覆われていて、新芽の臭いがした。岩だらけでごつごつしていた土も、心なしか粒子が細かくなっている。
岩山にはささやかだが小川も流れていて、川虫の類もいる様子だ。魚は、とても小さい種類が、岩陰を沿うようにして、ささやかに泳いでいる。
小鳥がさえずっているのが見えた。
毎日無数の死体が運び込まれている岩山なのに。不思議な光景である。
「穏やかな光景ですね」
「おかしな事を仰る」
「え?」
マロンと呼ばれた、マリアより少し年下に見える魔物は、必要最低限しか喋らない。だから、思わず聞き返しはしたが、それが重要な意味を持っていることはよく分かった。
道を外れて、獣道を上る。
既に夕暮れになりつつあるのだが。たき火の類は無い。こんな所を平然と歩いていて、大丈夫なのだろうか。
坂を上り終えると、大きな木があった。大きいが、どっしりとした感じは無い。意外と樹齢は若いのかも知れない。
その周囲の土を四つん這いになって掘り返している子供を見つけた。何を遊んでいるのだろうと思ったのだが。耳がとがっているのに気づいて、驚いた。
エルフ族か。噂には聞いている。
魔物の中で、人間と混血出来る数少ない品種。とても美しい姿をしているという。
顔を上げた子供が振り返る。
「カーラ様は言葉を使えません。 しかし言葉は通じていますから、ご安心を」
「言葉を、使えない? 喋ることが出来ないのですか」
「カーラ様は、ここ二年ほどで、この山の植林を進めて来た責任者です。 他のエルフ型補充兵の、基礎となった方でもあります」
手伝うようにと言い残すと、マロンはその場を去って行った。多分グラの手伝いに戻るのだろう。
じっと無言でたたずんでいる連隊長の視線を感じながらも、マリアは腰を落として、カーラという子供、もう童女という雰囲気の幼い相手と視線を合わせた。
「私はマリアと言います。 カーラさん、何を手伝えばよろしいですか」
返事は無い。
だが、カーラは無言で、何かの鉢植えを持ち出すと、遠くを指さした。土を掘り返した跡がある。
植えろと言うことなのだろう。
見れば、かなりの数の鉢植えがある。この辺りとは土の質も違うようだし、或いは別の所から、運んできたのかも知れなかった。
魔物が精力的に植林をしていることを、マリアは知っている。ここに来る道中でも、森に埋もれそうになった街や、草原に変わりつつある荒野を何度も見た。畑だった場所も、草原や林に変わりつつあるようだ。
ここでも、魔物は岩山を緑化しようとしている。
マリアには、まだ理由がよく分からなかった。
だが、この子供がこれほどの範囲を緑化したというのは、とても凄いことだと言うことは、良く理解できた。
小川の支流が、何カ所か来ている。それもあってか、とても辺りの土はとてもみずみずしい。
鉢植えの植物は花も咲いておらず、マリアには雑草にしか見えなかったが。それでも、専門家の指示には従うべきだと思ったので、せっせと作業にいそしんだ。
日が暮れると、キバという大きな魔物が、カーラを迎えに来た。トロールという品種らしいのだが、凶暴で恐ろしいという雰囲気よりも、愛くるしい間抜けさを感じてしまう。
キバはカーラと意思疎通が出来るようで、とても嬉しそうに喋り掛けたり、肩に載せて辺りをのし歩いたりしている。カーラも悪い気分はしないようで、無表情のままだが、キバを信頼している様子が傍目からもよく分かった。
グラに比べると、キバはとても頭が悪いのが一目瞭然だった。というよりも、無防備で無警戒である。
しかし、この善良な魔物に根掘り葉掘り聞くのは、とても罪悪感を感じてしまう。確かに何もかも聞き出せるだろうが、それではエル教会の上層部と同じだ。
マリアはずっと節制を基として生きてきた。
エル教会の開祖は、こういったらしい。隣人を愛せよ。物資が余っていたら分け与えよ。憎しみを抱くな。憎しみの連鎖を裁ち切り、愛のつながりに変えよ。
それがいつの間にか、人間を独善的に褒め称える教えに変わってしまった。
開祖が残した聖なる書を見ても、人間を絶対正義としてその行動を全肯定する現在の解釈が全面的には正しいとは思えないのだ。だから、マリアはずっと節制を元にして生きてきた。
エル教会の司祭は、その気になればどんな不正でも思いのままだ。布施を強要することだって出来るし、マリアの立場なら美少年を周囲に多数侍らせることだって出来ただろう。だが、そんなことは絶対にしなかった。
今だって。人間を止めてしまったからといって、過去の心が無くなったわけでは無い。司祭様と慕ってくれた村人達が、姿が変わった瞬間に手のひらを返したことはショックではあったが。今でも、彼らへの愛情は消えていない。
「マリアどん、カーラがおねむだ。 そろそろ帰るだよ」
「分かりました。 私がカーラさんを背負いましょうか」
「だめだあ。 カーラが起きたら泣くだ。 だからおれがカーラを背負う!」
ずしんずしんと歩き出すキバ。
カーラも心からキバを信頼している様子が分かって、マリアは目を細めた。トロールとエルフが仲むつまじくしているのはとても不思議な光景だ。ふと思う。これこそ、エル教会の最初の理想だったのでは無いのだろうかと。
数日が過ぎて、グラに言われて彼方此方の手伝いをして廻った。
今日は朝からリザードマンの料理人の手伝いをして、料理を作った。ここは巣穴と呼ばれているそうで、魔王軍の重要拠点の一つである。それが故か、働いているのは純正の魔物ばかりだそうである。兵士になっているのは殆どが補充兵と呼ばれる者達だと、仕事をしながら聞いた。
そういえば、どこからともなく数千の兵士が、毎日のように行軍してここを去って行く。何となくだが。仕掛けに、マリアは見当がつき始めていた。もしそれが本当なら、魔物と人間の間の壁は高い。
だが、それでも絶対にやり遂げなければならない。
魔物は見て分かったが、話も出来るし感情もある。マリアのことを嫌っている魔物も多いが、理性的に行動してもくれている。
魔王と話がしたいと、今も思う。体が人間では無くなっている今なら、きっと話に応じてくれるはずだ。勿論粘り強く努力しなければならないだろうが、それでも可能性はゼロでは無い。
そう信じて、今は頑張る。
食堂だが、魔物によって出すメニューが全く違う。植物しか受け付けないものや、豚や牛を料理しないと駄目な者もいる。
蛸のような頭をした魔物が来た。リザードマンの料理人が、見事な手さばきで魚を捌いて、細かく切り分ける。
「シャルルミニョーネのばあさんは気が短い。 滅多に外にも出てこないから、気をつけろよ」
「はい」
皿に大盛りにされて、シャルルミニョーネと呼ばれた魔物の所に行く。
机の上で知恵の輪を弄っていた蛸頭の魔物は、マリアに気づくと、瞳孔が無い眼球を此方に向けてきた。
「何だ、人間型に近い奴がいるね。 あんたは」
「マリアと言います」
「ふん、腐れエル教会の聖女みたいな名前だね。 さっさと飯をよこしな」
皿を引ったくられる。人間への敵意がむき出しだった。
笑顔を保ったまま、厨房に戻る。
嫌われるのは当然だ。ずっと戦争をしているのだから、魔物の側にも被害が多数出ているのである。だいたい、魔物達は十数年前まで、北極にまで押し込まれていたと聞いている。人間を好む魔物など、いるわけが無い。当然の話だ。
まだまだ、道は遠い。
だが、会話は出来るし、意思も疎通できる。それならば、諦めずに頑張るべきであった。
「次だ。 マジェスは気は短いが良い奴だ。 だが怒ると怖いから、気をつけろ」
「はい」
肉料理を運んでいく。筋骨隆々とした、大柄な魔物の所に行く。
口から牙がはみ出している、見るからに恐ろしげな魔物だ。怖くは無いと言ったら嘘になるが、それでも笑顔は崩さなかった。
「あんたが、新しく来たマリアって魔物か。 種族は」
「後天的に魔物になりました。 だから、よく分かりません」
「ふうん、そうか。 まあ、魔物ならいいか」
淡泊に応じると、マジェスは肉料理にがっつきはじめた。
次。
リザードマンの料理人は、文句の一つも言わず。次々に料理を仕上げていった。
魔王の下に、情報球が運ばれてくる。
これは情報を記録することが出来る高度なタイプで、最近ミズガルアが開発したものだ。負傷して療養中のクライネスに、戦況を報告させるのにも用いた。
最初に情報球に写ったのは、ヨーツレットだった。
「陛下、お時間よろしいでしょうか」
「うむ、なんじゃの」
「例の、人間から変じた魔物マリアについて、第六巣穴のグラから報告がありました」
「そうか。 聞かせてくれ」
魔王は烏賊の燻製をしゃぶりながら応じる。最近はこれが癖になっていた。
安楽椅子で暖かい暖炉にあたりながら、おミカンや烏賊をゆっくりしゃぶる。何とも贅沢なひとときである。今は玉座だが、周囲のエルフの護衛兵達は、皆魔王に気を遣ってくれるので、とても嬉しいし心地よかった。
グラが映り込む。
「一週間ほど観察を続けましたが、マリアという者、信頼しても良いかと思います」
「根拠について聞かせて貰えるか」
ヨーツレットの声も入り込んでいる。他には何名かの師団長も、会議には参加している様子だ。シュラの姿も見える。
「まずわざと俺の義弟のキバと接触させました。 キバはとても気が良いトロールで、悪く言えば頭が良くありません。 その気になれば、すぐにキバからあらゆる事を聞き出せるだろうに、あの女はそれを知った上で、そうしようとはしませんでした」
「影で聞き出している可能性は」
「キバは俺に何でも話してくれますし、嘘は絶対つきません。 頭は悪いかも知れませんが、この点に関して俺はキバを信頼しています。 その信頼は、天地がひっくり返ろうと絶対です」
「そうか、なるほどな」
グラは誠実な仕事で、とても皆に信頼されている。ヨーツレットはグラの話を聞くたびに、良い言葉しか口にしないほどである。
魔王もそれは同じだ。何度か接したが、グラは有能な以上に誠実で、それで高位を任せられる男だった。軍向きでは無いが、今後はもっと高位を任せても良いとさえ思っている。
「他の仕事も順番にさせていますが、嫌われても粘り強く対応し、決して嫌な顔は見せません。 仕事ぶりも勤勉で誠実。 他の人間とは違うと思って間違いないでしょう。 しばらくは連隊長であるカーネルを監視のため側につけますが、二ヶ月ほどでまた情報をトスアップします」
「分かった。 そのまま監視を続けてくれ」
「了解しました」
通信が切れたらしい。会議の映像も、それで終わった。
ヨーツレットが再び映り込む。
「この者、魔王陛下との謁見を望んでいるそうにございます。 人間ではありませんし、一度会ってみてはどうでしょうか」
「ヨーツレット元帥。 そなたは儂に過酷な要求をするのう」
「御意」
「まあ良いじゃろう。 人間は論ずるに値せぬ存在だが、人間ではない以上、言葉を交わすことくらいは構わぬ」
魔王としても、元人間なのである。
マリアという者が、何を考えているかは分からない。だが、人間が病的に信仰している自種族への独善性を捨てた存在なのなら。しかも、自分からそれを実施したのなら。話をする価値くらいはあるだろう。
烏賊を食べ尽くしてしまった。おミカンを運んできて貰う。
「ふー、暖かくなってきたのう。 だがまだ少し寒いか」
「温泉にお入りになられますか」
「おお、そうじゃのう。 そうするか」
腰を上げた魔王は、城下に広がる森を見つめる。
この世界が、本来あるべき姿になれば。今の荒野だらけ砂漠だらけ荒れ地だらけの世界では無くなる。
人間という最も邪悪な存在はこの世から消え、楽園が訪れるだろう。
そのためには。
おそらく、目覚めたであろう聖主を屠らなければならない。
奴とは、人間に対する考え方で、絶対に相容れないからだ。
魔王は全てを知った者。これは比喩では無い。人間を越えてから数百年、魔王は様々な方法で、あらゆる情報を取得した。そして、世界の記憶と呼ばれるものにさえ接触を行うことに成功した。
そして「知った」からこそ、今の魔王がある。
エルフの護衛達に転ばないようにと言われながら、麓へ歩く。静かな森の中を歩いていると、熊や鹿までもが、魔王を見て傅く。この心地よい空間が、魔王の手によって作られたことを、動物までもが知っているからだ。
温泉に浸かる。
静かに暖かい湯を楽しみながら、魔王は呟く。
「光の鉄槌を聖主が繰り出した以上、闇の矛を目覚めさせる必要が生じたようだな」
(続)
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