修羅の休息

 

序、死闘の先に

 

魔王は玉座についたまま、報告を受ける。

キタルレア大陸北部から北西部、エンドレン大陸北部からフォルドワード大陸南部にかけて続いていた魔物と人類軍の戦闘状態が、ついに小康状態を迎えていた。

理由は簡単である。双方共に、とても戦闘が続行出来ないほどの損害を受けたからだ。

人間側はこの戦いを、第一次ラグナロク会戦と呼んでいるらしい。語源がよく分からない言葉で、破滅の時、というような意味であるそうだ。確かにそれも頷ける。

魔王軍は機動部隊の殆どが失われ、戦闘に参加した軍団長達は総司令官のヨーツレット元帥も含めて全員が重傷を負った。特に意識不明になっているのは、エンシェントドラゴンのカルローネ軍団長である。まだ生死の境をさまよっている古代竜は、今だ回復の兆しを見せていない。

比較的怪我が軽い若竜グリルアーノでさえ、翼を一つ失ったのである。フォルドワード守備部隊は、補充兵を加えて再建すると言うよりも、一から組織を作り直している状態であった。

悲惨なのは、キタルレアに展開していたヨーツレットの親衛軍団と、クライネスの遊撃軍団も同じである。

各地に守備兵として振り分けられたクライネス軍団はまだましであった。最精鋭を集めていたヨーツレットの軍団は、大陸中央部に覇を唱えたモゴル軍の精鋭部隊との戦闘で消耗しきり、さらなる連戦で組織としての形を喪失した。

人間側の損害も悲惨である。

王を失ったモゴル国は、無能な跡継ぎ達の内紛によって既に四分五裂しているという。其処にキタン国とキョド国がつけ込み、血みどろの抗争が開始されているそうだ。しかもキョド国は、どうも同胞であるはずの南部諸国にも侵略の手を伸ばしているらしく、例の銀髪の双子がそれに対する抵抗運動を支持しているそうだ。

「以上が、大まかな状況にございます」

「混沌であるのう」

「御意」

報告を終えたクライネスが、一礼した。

魔王はミカンに手を伸ばす。クラーケンは殆どが行動不能になり、生き残りも負傷がひどいという。

勿論、今はどの巣穴もフル稼働で兵士を生産しているが、とにかく守備兵さえ足りない状況が続いている。しばらくは、奪われた土地を奪い返すどころでは無い。自衛のために、戦力を蓄えなければならなかった。

キタルレアはまだましである。各地の守備部隊は健在であるからだ。

エンドレンは悲惨の一言である。軍団長達が稼働できない状態であり、わずかに動ける師団長達が、魔王の指示を得ながら、軍の再編成を行っている状況であった。

人間側も、合計して二百五十万を超える死者を出したことがわかっている。三百万に達しているかも知れないという。

だが、そんな数は、エンドレンだけでも億を超えている人間にとっては、些細な損害に過ぎないはずだ。

いずれ、遠からず、また攻めてくる。

その時に備えるために、一刻も早い軍の再建が必要だろう。

「いっそ、儂は一旦フォルドワードに戻るか」

「それも手でございましょう。 此方は私がどうにかいたします」

「いや、よく考えてみれば、それはまずいかのう」

クライネスが誠実である事は魔王もよく知っている。

だが、クライネスは残念ながら、致命的なまでに人望が無い。部下達がサボタージュを起こすことはほぼ間違いの無いところであった。

「そなたが指揮を執るのには向いていないことは自覚しておろう」

「はい。 しかし、此処は他に人材もおりません」

「ならば、ヨーツレットが復帰するまで、しばらくは儂が此処で直接指揮を執るしかなかろうのう」

難儀なことだと、魔王は呟いた。

クライネスは残念そうにしていたが、魔王の言うことには忠実な男だ。特に不満も無いらしく、唯々諾々と従った。

それからは、しばらく書類の処理に専念した。

各地の巣穴はフルスピードで補充兵を生産しているが、そもそも軍の組織が壊滅してしまった状況である。今までのように兵を補充する、というのではない。軍をまず作らなければならないのだ。

師団長級をまず優先して生産し、旅団長、連隊長と生産。そしてそれから歩兵に移る。人間だったら逆のパターンもありそうだが、補充兵の場合師団長の能力が傑出しているので、これでいい。

それから、負傷して使い物にならなくなった補充兵を分ける。

しばらくは生き残ったクラーケンに乗せて、海上で死体の回収が主任務になるものや、潰してまた新しい補充兵にするもの、後方に回してインフラ整備を行わせるものなどに、分別していく。

これらの書類整理は、今回負傷しなかった軍団長、ミズガルアにやらせている。手がたくさんあるミズガルアは、こういう仕事も苦手では無い。魔王が見る限り、今までミス決済はしていなかった。

それから、エンドレン大陸の状況についても、報告を受けた。

これに関しては、バラムンクが部下を使って、報告書をまとめて送ってきたので、それに目を通す。

それによると、面白いことが幾つか書かれていた。

「ほう……これは面白い事じゃのう」

「如何なさいましたか」

「人間共がエンドレンに引き上げた後、かなり混沌が深まっているらしいぞ」

「混沌、でありますか」

そう、混沌である。小首をかしげるクライネスに、魔王はかいつまんで説明する。

人間は今、二派に割れているという。

一派はすぐに軍事力を整え直し、またフォルドワードに侵攻しようという勢力。ただし、この間の死闘で、エンドレンの軍事戦力は二割を喪失した。もっとも好戦的な連中でさえ、すぐに侵攻できるとは思っていないようだ。

もう一方は、穏健派とでも言うべき連中。

彼らは戦争そのものにうんざりした者達の集まりであるらしい。

「これは意外ですな。 人間は種族のレベルで戦争が大好きだと認識していたのですが」

「儂もそれは認識が同じであったが。 だが、人間の歴史の何カ所かで、平穏が訪れたことは確かにあったのじゃよ」

その多くの場合は、物資が不足したり、マンパワーを消費し尽くして、戦争が出来なくなった事が原因である。

だが、一部では集団ヒステリーを起こした連中が、戦争を止めさせたような例もあったようだ。

まあ、魔王にしてみればどうでも良いことだ。

人間の歴史は、必ず魔王が終わらせるのだ。平穏派だろうが好戦派だろうが、いずれ必ず皆殺しにするのである。

連中に、この大地に生きる資格など無い。

共存も不可能である。

「いずれにしても、これは時間稼ぎに使えましょう」

「そうさな。 人間同士の争いを煽らせるように、バラムンクに伝達しておくことにしようかのう」

肩を叩く。

護衛のエルフ戦士達が、肩をもんでくれた。書類を一通り書き終えると、一旦休憩にする。

今日はミカンでは無く、ライスを焼いて固めたお菓子が出てきた。お菓子と言っても甘いものではなく、少し塩辛い。また、魔王にあわせて、堅さも控えめにしている様子だ。

料理を持ってきたのは、リザードマンの料理人だ。

意外にもリザードマンは料理人として大変に優秀である。格闘技の才能と料理の才能は近しいらしく、近接戦闘が得意な彼らは、料理に関しても卓越したものがあるらしい。

魔王はしばらく暖炉に当たりながら、美味しいお菓子に舌鼓を打った。

「ふむふむ、なかなかに美味いのう」

「我らの料理人が、工夫して作成してみました。 お口に合うようでしたら、フォルドワードでも流通させます」

「味にバリエーションが欲しいかも知れぬの」

「わかりました。 様々な味を工夫してみます」

尻尾を立てて一礼したリザードマンの料理人が下がる。

少し仮眠を取り、それから起きる。書類は、まだまだ山積している。

一部はクライネスやミズガルアに処理させることにして、夜半過ぎまで、魔王は仕事に打ち込んだ。

仮眠を取り、食事をしてから、また仕事。気がつくと夜が明けている。

再びエルフの戦士達に肩をもんでもらう。

「ふう、生き返るのう」

「そろそろお休みください、陛下」

「何、もう少しじゃ。 だから、頑張るぞ」

書類はだいぶ減ってきたが、まだ次々と新しいものが増え続けている。

優先度が高いものを見ると、ミズガルアからのものだった。当座の軍事編成計画である。それにそって巣穴での生産量を決めている。

まず、キタルレアではヨーツレットの軍団を集中して再建する。ここ数日で、師団長を集中生産して、一応指揮系統の最上層は整った。彼らへは今仕事を割り振っており、これから動いてもらう事となる。

後は兵士だ。

騎馬軍団に手を焼かされた経験も含め、高速機動が行える歩兵部隊を新設する。

設計については、ミズガルアに任せることとする。だが、今回も試運転を念入りにしなければ危ないだろう。

一方で、エンドレンでは、生産と平行して、人間からの鹵獲兵器の解析を進める。

88インチ砲については、だいぶ研究が進んできた。しかし、そのほかにも、エンドレンの人間が使っている先進的な武器は数多い。連中は年がら年中殺しあいをすることで兵器の開発を競争してきた。そのためか、武器の技術進歩は異常なほどだ。

それらを調べ、弱点を解析して、使えるようなら此方でも生産できるようにする。

そうすれば、補充兵だけでは無く、他の兵器なども、戦力として計上できるかも知れない。

幾つかの件については、即決で判を押した。

だが、幾つかについては、計画を練り直すように書類を差し戻す。殆どの部分は同意できるのだが、そうでも無い部分も散見されるからだ。

昼が過ぎ、夕刻になった頃、やっと少し長めの仮眠を取ることが出来た。

少し休んだ後、再び仕事に戻る。

魔王がしっかり働くことで、部下の負担も軽減できる。だから、今ががんばりどころであった。

書類の山が、ようやく減ってきた。

優先度が低い書類にも、着手できるようになる。

ミカンを出してもらう。幾つか食べながら、書類を処理。次の日の朝には、どうにか蓄積していた書類が全て片付いた。

「ふうむ、終わったか。 流石に疲れたのう」

「お疲れ様です、陛下」

「何、皆の苦労に比べればこの程度。 それよりも、クライネスはどうしている」

「少し前に、ヨーツレット元帥の見舞いに行った模様です」

他者とのコミュニケーションを苦手としているクライネスだが、結構気配りをしているところがある。

それが、魔王にはほほえましかった。

 

1、救いがたき業

 

其処は、戦場とはまた違う形の地獄だった。

圧倒的な暴力によって、略奪が行われた後。動かせるものは全て奪い尽くされ、老人以外の人間は全て連れ去られていた。

南部諸国の一つ、キル連合。

四つの小国が合わさった形式を取っている国家であり、「宗主王」と呼ばれる人物が国家元首をしている。とはいっても、規模といい人口と言い、小国の域を出ない弱小地方政権だ。

そのキル連合を、撤退中のキョド王国軍が通り過ぎた結果である。

もう少しで、軍勢に追いつく。

藁葺きの屋根には、火を掛けられた跡がある。逃げ出してきたところを、女子供をとらえたのだろう。

点々としているのは、衰弱した人間の死体。

奴隷として歩かされ、食事もろくに与えられず、疲弊死したのは一目でわかった。

「これが、人間のやることか!」

怒りにまかせて、レオンが吠えた。

だが、正直な話、イミナには見飽きた光景であった。この程度のこと、フォルドワードでは日常的に行われていた。

負けた国は、根こそぎ奴隷にされるのである。

だから、どこも勝つために必死になった。富国強兵を行い、軍事兵器を増産し、そして互いに何も得られなくなるまで殺し合った。

此処でも、それが行われた、それだけのことだ。

人間のやることに思えない、というレオンの言葉は、イミナには滑稽に聞こえた。

これこそが、人間の行動の結果では無いか。

「お姉、急ごう」

「ああ、そうだな」

シルンにせかされて、急ぐ。

借りてきた駿馬も、かなり疲弊している。プラムは歩行でついてきていて、疲労している様子も見えなかった。

東へ行く。

見えてきたのは、軍の最後尾である。

シルンを見て、最初はうさんくさそうにしていた兵士達が、ぱっと目を輝かせた。

「勇者殿!」

「すぐに行軍を停止しなさい!」

「えっ!?」

「今すぐに!」

鋭くシルンが叱責すると、兵士達は不可解そうにしながらも従った。

見回す。

これは、軍と呼べる代物では無いかも知れない。

兵士は何分の一かしかいない。

他は殆ど、縛られたり手かせをつけられたりした民だ。いずれもが肌が黒く、南方民である事が一目瞭然である。

下劣な行動だが、どの国でもやっていることだ。

ただ、レオンには刺激の強い光景であったかも知れない。

そういえば、行軍が急に遅くなったのは、何でだろう。

流石に彼らを解放しろと言っても、それは指揮官の命令が無い限り出来ないはずだ。だから、事前にシルンには言ってある。シルンは予定通りに、兵士達に威圧的な目を光らせた。

「キョド王はどこにいますか」

「中軍です。 此処からだと、四刻ほど馬を走らせれば追いつけるはずです」

「わかった。 それでは、王から新しい命令があるまで、待機せよ」

兵士達は顔を見合わせている。

とにかく、この場にいる民を解放してもどうにもならない。まずは王に謁見しなければならないところだ。

キョドの兵士達にも、魔王の姿を確認してきた勇者のことは知れ渡っている。というよりも、イミナとシルンのことは、さんざん国家レベルで宣伝塔として持ち上げたらしいので、当然だろう。

ジャドは今頃どうしているのだろうと、イミナは少し不安になった。勇者という名前の汚点になる以上、消されていてもおかしくは無いのだ。

馬を走らせ、部隊を見つけるたびに停止命令を出す。シルンの言うことにはだいたいの兵士達が従ったが、命令を拒否する指揮官もいた。急がなくてはならない。こうしている間にも、行軍させられている者達は死んでいくのだ。

程なく、中軍に。

そこで、止まっている理由がわかった。

ユキナという女が率いる義勇軍が、路を塞いでいる。キョドの軍勢とにらみ合い、一触即発の雰囲気だった。

シルンが馬を寄せ、空に向けて術式を一発ぶっ放す。

中空で爆発が発生し、思わず首をすくめ、伏せた兵士達が、しんと静まりかえった。

「何事か、これは」

「これは、勇者殿」

その声には、揶揄が籠もっていた。キョドの上級指揮官らしい、髭面で目が細い男が来る。

イミナは馬を下りると、シルンと男のやりとりを見つめた。

「王に謁見したい」

「どのようなご用件で」

「おまえに話す必要は無い」

「これはこれは高圧的だ。 魔王の城に侵入されたという事ですが、その程度の事で調子に……」

瞬時に動いたプラムが、男の顎を蹴り上げていた。

放物線を描いて飛んだ男が、地面で蛙のように跳ねる。身動きも出来ないほど体を地面にたたきつけた男の喉に、プラムが刃を突きつけていた。

「五月蠅い。 さっさと王の所に通せ」

「プラム、目回してるから」

「えー? わかりました−」

男は失神して、小便を垂れ流していた。無様な姿である。プラムはもっと殴りたかったのか、頬を膨らませてその上からどいた。

レオンが不機嫌そうにその様子を見ていた。

代わりの奴が来る。もうちょっと若そうで、少しは話が通じそうだった。だが、あまり好意的では無い。

「この騒ぎは貴方が企画したものですか、勇者どの」

「そのようなことを、おまえに言う理由は無い。 王は」

「貴方が英雄である事は知っているし、魔王との戦いで大きな戦果を上げていることだって皆理解している。 だが、流石に礼は守っていただきたい」

それでも、若い男は、王の所に案内してくれた。

キョド王は四十代後半という所か。かなり太っていて、馬上で肉を囓っていた。脂ぎった目には欲望が充ち満ちており、体中に豪奢な装飾をつけている。

キョド王、ボクトツ。

語源がよく分からない言葉で、英雄を意味しているという。

だが、モゴルのテジン王に比べると、英雄的では無い。むしろ何というか。黒幕的というか、悪徳的な印象を受ける人物だった。

「おお、そなたが最近評判の勇者殿か」

「ボクトツ王。 お目にかかれて光栄です」

「それで、何用かな」

「今は全ての国が協力して魔王に当たらなければいけない時。 それが、このような行動で、恨みと憎悪を買うようなやり口は賛成できません。 自国の富国強兵がそれほどにお大事ですか」

鼻でボクトツ王が嗤う。

謂うまでも無い、というようなことか。

「何かと思えばそのようなことか。 もはや自治を保てる力も無いような国々の住民共を奴隷化して何が悪い。 虐殺して財産を押収するよりは、よほど人道的な行為だと思うがなあ」

「今、魔王軍は致命傷を受け、再侵攻の力を失っています。 南部諸国の民を強奪拉致しなくても、再組織の時間はあります」

「このような低脳どもに、そのような能力など無いわ。 余が導いてやった方が幸せというものだろう」

進み出そうになるレオンを、イミナが止める。

不意に、馬蹄の音。

馬を寄せてきたのは、ユキナだった。

この間の会戦では、ユキナは義勇兵達を募って、戦闘に参加していたらしい。それが故に、この事態には思うところがあるのだろう。

「何だ、流民の長。 おまえなど呼んではおらん。 つまみ出せ!」

「つまみ出されるのは貴方の方ですよ、ボクトツ王」

「何……!」

周囲から、一斉にときの声が上がる。

南部諸国の民達が、いつの間にか拘束を解かれていた。こうなってしまうと、数が数だ。元々たいした精鋭でも無いキョドの軍勢に、抵抗する術は無い。

見る間に、ボクトツ王の顔が、憎悪に歪んでいった。

「勇者とやら、貴様ら……!」

「武装解除しなさい! さもなければ殲滅する!」

ユキナの声が凛と響き渡る。おそらく周囲には、数十万を超える拘束民がいるだろう。身動きが取れない状態で、騎馬兵など役に立たない。

渋々武器を捨てる騎兵達。口を振るわせながら、ボクトツ王は言う。

「契約を、無視するつもりか、勇者!」

「契約?」

「東側の大国どもは、今回の戦の見返りとして、南部諸国の制圧権をよこした! 儂はそれを行使したに過ぎん! それを無視するというのなら、次の戦闘で儂は貴様らなどには一切荷担せん!」

捨て台詞を残し、ボクトツ王は側近達に守られて、東に逃げていった。

貧民達が歓声を上げている。だが、うち捨てられた物資は、皆が好き勝手に奪い合っているようだった。

無言でその様子を見ているユキナに、イミナは嘆息する。

「それで、これからどうするのですか、女王陛下」

「今回の件で痛感したことがある。 南部諸国は、統一政権が必要だ。 それに関しては、貴方たちに助けを請おうとは思わない」

世話になったと言い残すと、ユキナは側近達を引き連れて、難民達を説得し、帰還させるために作業を開始した。

シルンが馬上で嘆息する。

「ねえ、これって、フォルドワードと同じ展開じゃ無いの?」

「どういうことだ」

「北の大陸では、結局最後までどこの国も連合を組むことが無かった。 利害関係が複雑に絡みすぎていて、しかも長年殺し合いを続けてきたからな。 其処を魔王軍に各個撃破されたのだ」

このキタルレアでも、最初はその展開だった。

イドラジールが滅びた辺りから各国も本腰を入れ始めたが、それまではひどい有様だった。

小国を点々としながら戦っていた頃は、本当に絶望しか感じなかった。一カ所で多少戦況を改善しても、全体ではどうにもならなかったからだ。

「難民達が動き出し始めましたな」

「まず彼らを故郷に帰して、それからか。 南部諸国はもう崩壊だな。 そういえば、クドラク参謀は」

「ユキナどのと行動を共にしているとか。 かの女傑も、周囲に戦闘の専門家がいなかったようですし、励みになる事でしょう」

レオンが、去りゆく難民達を見つめた。

これで終わりとは思えない。ユキナが南部諸国をまとめ上げることが出来たとしても、東のキョドが黙っていまい。必ずや横やりを入れるはずである。今回、数十万に達する奴隷を手に入れて、一気に国を豊かにする話が、全てフイになったのだ。その恨みはさぞや大きい事だろう。

テジン王が戦死したこともあるし、大陸中央部は荒れる。

魔王軍が戦力を立て直すまで、最低でも一年はかかるだろうと推察はされている。損害の大きさから言って、軍組織が維持できなくなっているはずだからだ。

だが、一年程度で、此方も体勢を整え直せるのだろうか。

それが、不安でならなかった。

 

アニーアルスの新領土は、オリブと名付けられた。しかも直轄地扱いである。

レオンに話を聞くと、神話の古い逸話で、人類の先祖が新しい大地を始めて見つけたとき、鳩がオリブと呼ばれる植物の枝を咥えていたのだそうだ。不思議な事に、オリブという植物がどういうものなのかは、今に伝わっていないのだという。

そのオリブは、急ピッチで植民と防衛体制の強化が進んでいた。

ざっと見回すが、南部諸国から流入してきた民がかなり見受けられる。彼らはおそらく、防衛体制の強化でつぎ込まれる労働資金を目当てにしているのだろう。危険よりも今生きる金、というわけだ。

魔王軍が残した城塞も、壊すのでは無くそのまま利用するべく、作業か行われている。指揮を執っているマーケットの元に、シルンと一緒に、イミナは出向いた。

マーケットは、早速渋い顔をした。

「やってくれたな、銀髪の双子」

「キョド王ですか」

「そうだ。 銀髪の双子が、約束の履行を違えたと言って、激烈な抗議文を王弟殿下に送りつけてきたらしい。 現在、我が国は単独で魔王軍と戦える力を備えていないし、その上キョドに背後を脅かされたら大変なことになる」

それだけ説明した後、マーケットは一度言葉を切り、そして言い直す。

「だが、よくやってくれたと個人的には思う」

「どういうことですか?」

「私も武人だが、奴隷として敗戦国や弱小国の民を拉致するようなやり口は好まない、ということだ。 変わった考えだと思われることも多いようだが、親子を無理矢理引きはがしたり、人間をものとして売買するのはどうも虫が好かん」

驚いた。

俗悪な中年男性そのものの姿をしているこの男が、こんなに倫理的に立派な考えをしていたとは。

レオンは嘆息すると、十字を切る仕草をした。

「貴方を見誤っていた。 許していただきたい」

「何、この見かけで誤解されるのは慣れているからな」

からからとマーケットは笑う。そして、四人を奥へ案内してくれた。

急ピッチで作られる城塞だが、内部は意外にしっかりしている。調度品ももう運び込まれているし、仕掛けの類が無いか、念入りに調べられてもいるようだ。

城壁の上から、周囲を見回す。

荒野が広がっている。この辺りもイドラジール時代、潅漑で土地が痛めつけられたのだろう。

「偵察の部隊の話によると、魔王軍は機動部隊さえもう残っていないらしく、防衛に全力を注いでいるそうだ。 間違っても、越境してくることは無いだろう」

「それでも、油断はしない方がよろしいかと」

「わかっている」

マーケット将軍は作られる砦を一瞥すると、一旦城壁の下に降りていった。

プラムはというと、一人でその辺をぶらぶらしている。レオンが何かしないか心配だとつぶやき、探しに行った。

二人だけで、城壁の上に残った。

「ねえ、お姉。 驚いたね」

「ああ。 まあ、希にはあんな人間もいるさ。 師匠だって、その例外の一人だったんだろう」

「そうだね」

まだ、城下に街が出来るまでは時間が掛かる。

それだけでは無い。そもそも、城下に街が出来るかどうかという問題の方が大きそうである。

城を作る人夫達向けに、兵士としての募集を掲げた木札が立てられていた。そうなると、アニーアルスも東側の資金援護を受けて、兵を増員するのだろうか。確かに五万五千では、本国とこの新しい土地を守りきれないだろう。

人夫を見ていると、どうも遊牧民らしいのも目だった。これはモゴル軍の元兵士で、原隊に復帰するのが嫌になった連中かも知れない。

遊牧民が帰農する例は実際にあるという。ならば、あながちその想像は外れていないはずだ。

「此処におられましたか」

振り返ると、城の騎士だった。

イミナには兵士達の訓練を、シルンには防御魔術を掛けて欲しいのだという。出来ることがあるのは良いことだ。

頷くと、イミナはまず今できることをするべく、城の中庭に向かった。

 

キル連合の東端。南部諸国としてはかなり東に位置する此処で、ユキナはずっと奮闘を続けていた。

既に頼れる者どころか、統治機構さえまともに機能していない状態である。しかも、もたついていると、キョド辺りが報復のために攻め込んでくる可能性さえあった。

まずは、指揮系統を作るところから始めなければならなかった。

ユキナもここしばらく転戦を続け、組織の運営についても随分勉強した。それが役に立っているとは言え、此処まで規模が大きいと、完璧とは言いがたい。軍にいたり政治家をしていた者達を抜粋。更に同じ国出身の者達に集まってもらい、グループを編成。それで、どうにか秩序らしいものが出来た。

南部諸国は既に滅茶苦茶である。国が崩壊している場所も多く、軍隊が解散状態だったり、政治が機能していない場所もあった。

難民達の内、まず家がわかっている者は帰す作業から始めた。義勇軍の中には、南部諸国の地理や方言に多少なりと通じている者もいる。二千を超える規模まで拡大しているのだから、まあこれくらいは当然だ。

それにしても、数十万の難民である。最初のニ週間ほどは、それだけで殆ど時間が過ぎてしまった。食料の調達や排泄物の処理も大変で、協力的な姿勢を見せている国々に、何度も頭を下げて廻らなければならなかった。

殆ど不眠不休の苦労の末、多くの民を故郷に帰していく。

途中、治安が崩壊している地域も多かった。そういった場所へ行くときは、元軍人などで簡単な武装護衛部隊を作り、それでも足りない場合は義勇兵の中から護衛を出した。キョドが取り上げていた物資の中から、持ち主が明らかなものは返したが。しかしながら、他人のものを自分のものだと偽って奪おうとする者が続出した。

睡眠不足で倒れる部下も頻出。

ユキナ自身も、人間を以前止めたからどうにかなっている部分が大きい。睡眠は殆どいらないし、食事もあまり口にしなくても大丈夫である。だが、それでも疲弊は溜まる。時々侍女に肩をもんでもらった。もっとも、侍女と言っても、ハウスメイドをしていた経験のある、アマンネーという普通の娘だが。

アマンネ−は非常に珍しい、奥手で引っ込み思案な娘である。肩の辺りで切りそろえている真っ黒な髪がとても美しいので、言い寄る男はかなり多い。本人が嫌だとはっきり言えないせいで、随分怖い目にも遭ってきたようだ。

今はユキナが側に置いているので、あまり怖い目に遭うことも無くなったようだが。しかし、もう少し思ったことをはっきり言うようにと言っても、なかなか直らない。元々とても臆病なのかも知れない。

義勇軍の規模も、作業と並行して拡大する。

東側の諸国が、もしキョドと連携していた場合、エル教会からの支援も途切れるかも知れないと少し心配したのだが。どうやら、しばらくは資金面では問題が無さそうだった。しかし、各国で蓄えている食料だって、無限では無い。

義勇兵に割り振った難民は、訓練をすぐに始めさせる。

今、南部諸国には、統一政権と、自衛のための戦力が必要だ。

一緒にいてくれているクドラクの見立てによると、歩兵十五万、騎兵五万が最低のラインだという。今、各国で動かせる兵力は、戦乱の疲弊により、合計してその三分の一程度に過ぎない。

義勇軍だけで、規模を十万まで拡大する。それが当初の目標であった。

民を故郷に帰しながら、順番に一つずつ作業を進めていく。

クドラクの提案で、荒れ地に兵士を派遣し、畑作業をさせる。屯田というらしいのだが、確かに体を鍛えられる上に、食料も得られる。

生育が早い野芋を畑に植えさせて、当座の状態をしのぐ。

同時に、まだ機能している政府組織の首脳部に手紙を出して、寄り合いの場を作らなければならなかった。

作業を開始して、一月ほどで。

どうにか、返すべき民はだいたいを戻すことが出来た。

しかし、もはや帰る場所さえも無いような者や、どこから来たのかよく分からないような幼子については、此処で面倒を見るほか無い。実際、両親を略奪の合間に殺されたり、直面した恐怖のあまり記憶喪失になっているような若い娘もいるのである。

彼らにも、当然働いてもらう。

子供達には畑作業の手伝いを。女性にはインフラ周りの作業について。

年老いた者達には、知識を持ち寄ってもらう。その中から、使えそうなものがあれば順次採用していく。

一月半が過ぎた頃、キル連合から苦情の使者が来た。

今、ユキナが陣取っている地域は、無人の荒野である。だが、人数は数万に達している。

このままだと、国の主権が脅かされるというのである。

滑稽な話だ。

現在、キル連合はキョドの徹底的な略奪によって、国家を維持できる状態に無い。ユキナ麾下の二千(訓練中の兵を含めると八千ほど)がいなければ、治安が瞬く間に崩壊し、山賊夜盗が跋扈する無法地帯になるだろう。

使者が来たとき、丁度ユキナは普段使っている馬車から降りて、馬上から指揮をしている所だった。側には何名か腕利きが控えている。その中で、明らかに戦の心得が無いアマンネ−とボルドーの姿だけが浮いていた。クドラクはというと、軍の訓練を見るべく、お出かけ中である。

「そのように思うのであれば、宗主王自ら来られるが良い。 心ゆくまで話し合うとしようではないか」

「そ、そんな! 宗主王を呼びつけるおつもりか」

「そもそも、この国がこのような有様になり、しかも防げなかったのは一体誰の行動が故か。 安易にキョドのような無法国を通過させ、その兵士達に好き勝手をさせたが結果であろう」

そうせざるを得なかったことは、ユキナもわかっている。だが、此処は敢えてそう言う。

現在、キル連合の保有戦力は五千程度。しかも、その殆どが実戦経験の無い素人兵士ばかりだ。

もしも戦争になれば、確実に勝てる。それを理解した上で、ユキナは言っている。

「近々、南部諸国の王達を集めて、会議を行うつもりだ。 すぐに来ることが出来ずとも、不平があるならば、その時にでも申し出ると良いだろう」

「わ、わかりました。 王にお伝えします」

「其処にある芋を持っていけ。 最初に収穫されたものだ」

荷車には新しい芋が山積みになっている。

収穫が早い野芋は味さえ劣るが、とにかくたくさん取れる上、荒れ地にも強い。何より、栄養価も悪くない。

育て方のこつは、老人達が知っていた。それを取り入れたところ、かなりの豊作となったのである。

これからは、他の作物も植える。

そして、疲弊が激しい畑には休作作物を植え、土の回復を図る。この知恵も、老人達から受けたものだ。

尻尾を巻いて逃げ帰る使者の背中を見て、ボルドーが深く嘆息した。

「これは乱暴なことを」

「これでいい。 余を暗殺にでも来れば、叩き潰す口実が出来る」

「南部諸国を、武力で制圧するおつもりですか」

「魔王が再度攻め寄せる事があるとすれば、一年以降の後だという話であったな。 最短だとすると、もう十ヶ月程度しか無い。 話し合いでどうにか出来ないようなら、多少強引にでも、力攻めをするしかあるまい」

しかも、キョド辺りの介入を防ぐためには、速攻で戦を終えなければならない。

魔物では無く、人間相手の戦い。

義勇軍として集まった者達の中には、当然疑念を感じる者もいるだろう。

だが、それでも。今此処で手を汚さなければ、勝ちの目は見えてこないのだ。

部下を交代で休ませながら、ユキナは作業を続ける。

そして、時々。思い出したかのように、わずかに仮眠を取った。

 

2、小さな森と……

 

凄まじい損害が出たが、どうにか戦いだけは終わった。

それを聞いて、グラはあまり他の魔物には言えないが、心底ほっとした。勿論この平和が恒久的なものでは無いことくらいはわかっているのだが、それでもしばらく平穏と言うだけで、心が温かくなる。

彼が任されている巣穴は、無事に増設工事が終了。少し前から、二つめの溶体炉が稼働し、補充兵の生産力がほぼ倍増した。此処と同じように、生産力強化に他の二つの巣穴が成功し、山ほど確保した死体をつぎ込んで、今せっせと補充兵の生産をしているところである。

毎日、ひっきりなしに死体が送られてくる。

どれもこれもがひどく痛んでいる事が多く、戦闘の激烈さがうかがえた。

夕刻になって、やっと運ばれてくる死体が途切れる。額の汗をぬぐうと、グラは弟分のキバでも誘って、久しぶりに酒でも飲もうかと思った。

キバはさっき植林をしている補充兵カーラの所に向かうのを見たから、山の中腹だろう。既に暗くなり始めていて、カーラの姿は見えない。

「マロン、俺はそろそろ上がる。 何かあったら呼びに来てくれ」

「はい」

作業の補助をしている補充兵マロンに告げると、グラは坂道を下る。

かっては岩だらけで、雑草の一本も生えていなかった山なのだが。カーラが植林を始めた影響か、ぽつぽつと雑草が見られるようになり始めていた。植林が完成すれば、雨が降っても、土砂が流出する事もなくなるだろう。

坂道の途中には、城壁が増やされている。

連隊長級の補充兵二名が護衛に当たるだけだったが、通常戦力の歩兵も千名ほどが護衛についている。これは、此処で巣穴を増設するために使った者達だ。クライネスに申請して、そのまま護衛として残してもらったのである。

現在、増設工事の結果、この巣穴がキタルレア大陸で最大の生産拠点だ。此処を失うわけにはいかないから、これだけ護衛を増やすことを許してくれたのだろう。現在軍が再建途上だというのに、ちょっと申し訳ないが。何かの間違いで奇襲を受けたときの対策のためにも、必要な守備兵力ではあった。

坂道の途中から、脇道に逸れる。

上に上がると、土の感触が露骨に柔らかくなった。虫が鳴いているのが聞こえる。

夕暮れの中、カーラは何か苗を地面に植え込んでいた。その側では、キバがかごに土を入れて、辺りに運んでいるようだった。

「あにき! どうしたんだ」

「仕事が一段落したから、様子を見に来た。 順調か」

「ああ! カーラ、また新しい木を植えるって!」

どうもキバはカーラの意図がくみ取れるらしい。カーラは喋ることが出来るようには作られていないのだが、それでも意思を理解できるのはたいしたものだ。

黙々と苗を弄っていたカーラは、辺りを見回し始める。

そして、グラを見ると、小首をかしげた。

「何か手伝えることがあるか」

沈黙。

カーラは無言で指さす。

この岩山にも、水源がある。小さなものだが、雨が降ると一応川にはなる。

だが山の規模がせせこましいこともあって、水源としてはあまり安定していない。カーラが指さしていたのは、その水源だった。

「あにき、カーラ、あの辺り植林したいって言ってる」

「水源を壊さないか」

「んーん、おれにはよくわかんねえ! でも、カーラは植林したいんだって!」

無邪気な顔で馬鹿丸出しの発言をするキバだが、不快感は無い。

まあ、それも良いだろう。どうせ機能していない水源なのだ。

「わかった。 好きにしろ。 ただし、物資は今までと同じだから、やりくりは自分でするんだぞ」

言い残すと、後は雑作業を手伝う。

土はかなり深くまで柔らかくなり始めている。落ちた葉は最初細かく刻んで土に埋めていたのだが、最近はミミズや小さな虫などが勝手に分解してくれるようだ。雑草が無数に生えているが、カーラは気にしている様子が無い。多分必要な雑草なのだろう。

しかし、カーラが世話している一帯を離れてしまうと、乾いた岩と石が転がるばかりになってしまう。

土が死んでいるのだ。

かって、この山も緑豊かな場所であったらしい。だが、人間が無計画に伐採を進めた結果、このような姿になってしまった。この辺りにあったイドラジールという国は、富国強兵のために潅漑を進め、それがこのような結果を招いたという。

人間との戦争は、今止まっている。

もしも恒久的に戦争を止めることが出来るとしても、人間とわかり合えない部分は多そうだと、こういう光景を見ていてグラは思う。

作業が終わる。

キバとカーラと一緒に、宿舎に戻った。カーラは自分で身の回りのことが出来るので、その辺は気にしなくてよい。

最近は、近くの川から水も引いている。魔術による湯沸かし装置を使って、風呂も出来た。一応性別ごとに入れる風呂は分けてあるが、代謝物が多い魔物の入った後は、風呂がかなり汚れることが多い。

補充兵にシフトで掃除をさせているのだが、汚れが取り切れているとは言いがたかった。

キバと一緒に食堂に出て、果実酒を飲む。仕事後には酒をたまに飲んで良いことにしていて、ある程度蓄えてある。今飲んでいるのは、ミカンを発酵させて作った、少し甘めのものだ。時々来るドワーフの職人は、軟弱すぎて飲めたものでは無いと言う。だが、グラには嫌いでは無い味だ。

キバは大きな図体をしているのにアルコールにはてんで弱いので、これくらい弱い酒で無いと楽しめないらしい。数杯飲んだだけで、キバはもう陽気にけらけら笑った。

「あにき、いつかカーラが作ったりんごでお酒を造りたい!」

「そうだな。 でも、酒なんか造れるのか」

「ゼンネックのおじさんが、材料さえあればつくってくれるっていってた!」

ゼンネックとは、ドワーフの職人と連れだったり交代だったりで来る魔物の職人だ。種族としてはリザードマンに当たり、此処で料理人をしている男とはいとこに当たるらしい。ただしずっと年上だが。

ゼンネックは職人としても腕が良いが、食にもこだわりが深いらしい。まあ、酒くらいは造る技術があるかも知れない。

カーラが風呂から上がってきた。緑色の髪も、汚れていた手足も綺麗になっている。

先に休んでおくように言うと、無言で頷いて部屋に戻った。グラはそれを見送ると、ちょっと不安になった。

「今、カーラの管理は俺に任されている。 だが、クライネス将軍がサンプルとして回収するとか言い出したらどうにもならん」

「クライネスしょうぐん、いいやつだ! たぶんそんなざんこくなことしない!」

「だといいがな」

酒を飲み干すと、グラはもう寝るようにキバに促す。

そして自身は、食堂でちょっと事務仕事を片付けてから、寝ることにした。

一時期は徹夜でシフトを回していたのだが、今は多少落ち着いている。故に、静かに食堂で飲む酒は、若干心地が良かった。

 

翌朝は、早くから目が覚めた。

外に出ると、山にもやが掛かっている。岩がしっとりと濡れていて、寒さを倍加させると同時に、植物には良い環境の筈だ。

戦争が終わってから一月半が過ぎており、周囲の殺気だった様子も若干和らいでいる事もある。

体を動かして目を覚ました後、キバを起こす。

昨日酒を飲んでいたこともあり、案の定キバは寝こけていた。戸を開けなくても、キバの部屋から幸せそうないびきが聞こえてくる。

声だけ聞いていると、とても恐ろしそうな魔物に思えてくるのが面白い。

「キバ、起きろ。 朝飯だぞ」

がばりと、布団をのけて起きる音。

まあ、実際に起きてくるまではしばし時間が掛かる。部屋から最初に出てきたのはカーラだった。

カーラは眠っていた様子も無い。机の上には、何か一杯書き散らした紙が並べられている。喋ることは出来なくても、読み書きくらいは出来るかも知れない。

「あにきー。 ねむいよー」

「飯を食ってる間に、目くらいは覚める」

「うん……」

カーラから少し遅れて、キバも部屋から出てきた。

三人で食堂に行く。既に魔物達で、食堂はごった返していた。オーガのマジェスが、隣に座ってくる。

「聞いたぜ、リンゴを植えたんだって?」

「カーラがな。 だが、収穫はずっと先だぞ」

「わかってるよ。 だが楽しみだな」

朝は卵焼きと、それに眠気を覚ます効果がある暖かい茶、それに奥の竈で焼いたパンが幾らか出てきた。これにベーコンを加えるほか、魔物によってサラダがでたり生肉が追加されたりする。

少し前から、巣穴の一角で牧場を作るという話が出始めている。今までは、家畜の類はフォルドワードから肉を輸入していたのだが、この間の戦争時それが大変に滞った。それが故に、今のうちに、キタルレアでもある程度の自給が出来る体制を作ろうという話が持ち上がってきているのだ。

カーラもそれは歓迎しているらしい。というのはキバの談だ。まあ、家畜がいれば、良い肥料になる、糞尿や血や皮が得られる。植林のことだけを考えて作られたカーラにしてみれば、歓迎すべき事だろう。

奥では黙々とリザードマンの料理人が調理をしている。食事を必要とする純正の魔物はさほど多くないから、料理人は一名で足りるのが常だった。

「そいつも、本当に飽きずに頑張ってくれてるなあ」

「マジェスどん、そいつじゃねえ。 カーラだ」

「あん? ああ、そうだったな。 実際がんばりを見てると、補充兵だなんて言ってられねえな。 俺もカーラに負けねえようにしねえとな」

食事を済ませると、マジェスは先に職場に向かった。カーラも、キバと連れだって職場に行く。

グラは一番最後に、ゆっくり食堂を出た。

坂を上がり、城壁を幾つか抜けて、仕事場に。

既に職場に出ていたマロンから、今日の予定について聞く。そしてざっと目を通しておいた。

「また、師団長を作るのか」

「はい。 クライネス軍団長からの指示です」

となると、補充兵の生産量が、今日はぐっと落ちることになる。それだけではない。補充兵の中でも、師団長の戦闘力はずば抜けている。暴走が怖いので、しっかり立ち会わないと危険だった。

「連隊長の二名には声を掛けたか」

「はい。 二名とも、立ち会ってくれるそうです」

マロンは先に手を回してくれていた。必要なことしか喋らない奴だが、こういうときは気が利いていて助かる。

師団長は、既に作成が大詰めに入っている。今回は増設した方の巣穴で作成するらしかった。

洞窟を使って、地下に降りる。

地下では技術士官が作業に当たっていた。彼らは昼夜も無く動いているので、他の魔物達から不気味がられている。クライネスがここに来られなくなってから、派遣されてきた者達なので、此処での作業歴が浅いという事も原因としてあった。

マインドフレイヤというらしい、蛸みたいな頭をした魔物が、グラに気づいて振り返る。気むずかしい奴なので、ちょっと扱いにはグラも苦労していた。

「これは管理者殿」

「シャルルミニューネどの。 師団長の作成は順調か」

「はい、はい。 それはもう」

口調と裏腹に、相当苛立っているのをグラは見て取った。此奴はどうやらマインドフレイヤとしては老婆に当たるらしいのだが、非常に気が短い。しかも不意にキレるので、他の魔物達からは距離を置かれていた。

しかし、話によると、マインドフレイヤ族は殆どが温厚な性格をしているとも言う。だから、何か事情があるのかも知れない。

「作業時は、必ず声を掛けてくれ。 連隊長級の二名と一緒に、俺も立ち会う」

「不要だと言いたいところですが、仕事なのでしょう」

「そうだ。 貴方の仕事を疑っているわけでは無いから、受け入れて欲しい」

「はいはい、わかっております」

会話を拒否する雰囲気に、むしろマロンの方が心配そうだった。感情の無いはずの補充兵なのに。

或いは、グラにも、補充兵のわずかな心がわかるようになってきたのかも知れない。

洞窟を上がる。途中、蓄積した死体を運ぶ荷車にすれ違った。死体の手が地面を撫でていたので、丁寧に扱うように指示。運んでいた補充兵が、無言で死体を積み直す。

こういう作業がとても非道だと言うことはわかっている。だから、最低限でも死体の尊厳は守りたいと、グラは思い始めていた。

「マロン、今日は重点的にシャルルミニューネどのの様子を見てきて欲しい」

「わかりました」

「もしも何故か聞かれたら、俺が心配していた、では無くて、見回りを今日は重点的にしていると応えろ」

「わかりました」

マロンの返事からは、再び感情が消えていた。

そのまま、仕事場に出た。

補充兵ユニコーンが、死体をたくさん運んできているのが見えた。今日もたくさん仕事を処理しなければならない。

肩を叩いて、帳簿に向かう。

最近は、死体の処理場がパンクする寸前と言うことも無い様子だ。しかも戦争が一時的にでも終わった結果、流通経路がある程度回復したという。多分その結果、却って運ばれてくる死体が増えているのだろう。

輸送部隊の指揮官と目が合った。豚が直立したような姿をしている種族、オークのよく太った男だ。滑稽な鎧兜を鯱張って着けているが、戦場では役に立ちそうも無い。

殆どのオークは、フォルドワードで繁殖と畑仕事をしているというから、或いは一番若い世代かも知れない。

今後の仕事のためにも、コネはつくっておいた方が良い。そう思ったグラは、声を掛けた。

「話を聞きたいのだが、良いか」

「ん? ああ」

若い男が近づいてきたので、マロンに茶を淹れさせる。茶菓子も出すと、男の表情が若干緩んだ。

側で見ると、連隊長の勲章をつけている。多分純正の魔物だから、用意してもらった地位なのだろう。グラもゴブリンだから前線には出せないと言われ、此処の仕事になった。この男も、多分それは同じなのだと思うと、親近感も沸いた。

「これはすまねえ」

「疲れただろう。 遠慮無く食べてくれ」

「ありがてえ。 おお、甘くって、うめえなあ」

がつがつと、むさぼるように男は食べ始める。そうすると、口も軽くなった。食事の時に口が軽くなるのは、どの種族も同じなのだ。

男によると、今の大量の死体は、主にフォルドワードから運ばれてきているのだという。毎日クラーケンに山積されて、こっちに輸送されているそうだ。つまり、この部隊は港と巣穴をピストン輸送している、ということになる。

確かに、あちらの戦線の方が、戦闘の規模が段違いに大きかったとは聞いている。

他にも、色々と男は話してくれた。

男の名前はフォッグと言うそうだ。霧を意味していて、戦場で死なないようにと、両親につけられたとか。なんだか両親の事を思うと、気の毒になる。

「巣穴の一つを、ゴブリンが任されてるっていう話は聞いてた。 すんげえなあ」

「俺も驚いている。 今でも信じられないくらいだ」

「いや、あんさんしっかりしてるよ。 確かに巣穴を一つ任されるわけだ」

マロンが新しい茶菓子を焼いてきた。

フォッグの話によると、輸送部隊は保ちが悪い食べ物を与えられないそうで、あまり美味しくないベーコンや焼き菓子を、移動しながら食べることも多いのだという。だから港に寄ったときなどに、クラーケンを待っているときに食べる美味しいものが唯一の楽しみなのだとか。

「だから、こんなうめえもん貰ったら、色々感謝しなけりゃなんねえ」

「いや、此方こそ、いろいろ聞かせて貰ってありがたい。 次から、輸送部隊が来たときは、美味しい茶菓子を用意しておく」

「本当か? いやー、毎日毎日死体とにらめっこで、気が滅入ってたからなあ。 ちょっとでも楽しみが出来ると嬉しいべよ」

時間が来たので、フォッグは空になった荷台を、ユニコーンを促して引っ張っていった。

なるほど、面白い話を聞くことが出来た。あまり会話は得意では無いのだが、こういう方法なら他者と打ち解けることが出来る。

「マロン、今後は輸送部隊の長が来たら、茶と菓子を用意してやってくれ」

「わかりました」

肩を叩いて、次の仕事に備える。

まだまだ、今日は大量の死体が運ばれてくるはずだ。

 

仕事が一段落した頃、マロンから声が掛かった。

地下で、そろそろ師団長が完成する頃だという。これは、立ち会わないと危険だ。それに、責任者として、立ち会う義務もある。

連隊長の二名は、既に第二巣穴の入り口に来ていた。何で入らないのかと聞いてみると、苦笑いらしきものを浮かべる。連隊長級は、ある程度感情がわかりやすい。高度な作戦行動をする事からも、心が作られているからだ。

「あの老婆、気性が荒くてな。 どうもそばには寄りがたいのだ」

「まあ、そういうわけで、グラ殿が来るまで待っておりました」

妙なところで、グラは頼られているらしい。嬉しいことは嬉しいが、ちょっとげんなりする。

巣穴の責任者としては正しい姿なのだろうが、どうも複雑である。

他にもヘカトンケイレス二体を用意していた。マロンと連隊長二名と、更に護衛のヘカトンケイレスと一緒に、巣穴の奥に。溶体炉の側を通って、奥に入ると、巨大な卵形の空間の中で、今ぱんぱんにふくれた人工胎盤が蠕動しているところだった。

だが、人工胎盤はあまり大きくない。

振り返ったシャルルミニューネは、不機嫌そうに触手を動かした。

「おや、早かったねえ。 お揃いで」

「順調ですかな」

「ああさ。 もうすぐ出てきますよ、とね」

不思議な話だが。

グラのところでは、既に数体の師団長を作ったのだが、いずれもが女性人格ばかりだった。最初のパルムキュアはとても内気だったし、今度のも面倒くさいのでは無いと良いのだがと、グラはちょっと心配した。

少し前に聞いたのだが、設計と師団長の性格が違うことは、珍しくないのだという。

魔王が直接手がけたものは流石に想定通りの性格になる事が多いようなのだが、あの噂に悪名高いミズガルア軍団長が手がけると、時にとんでもない性格のが生まれてくる。

設計図を見せて貰って、噴いた。

これを、本当に作るのか。師団長級は、基本的にこれとはかけ離れた姿のものが多いと聞いていたのだが。

「今回のは、魔王様の直接指示でね」

「ええっ!?」

「本当ですか」

「ああ。 直前までは喋るなって言われてたから、黙ってたんだよ」

護衛の連隊長達が驚く中、シャルルミニューネは触手をざわめかせる。

現在、まんべんなく各方面に補充兵が不足しているという。ミズガルアに任せっきりのことも多い魔王だが、今回は重要地点に配置する補充兵については、設計しているのだそうだ。

それを早く言って欲しかった。

「それならば、クライネス軍団長に立ち会って欲しかった」

「何でも、クライネス軍団長は、最初立ち会いを申し出たそうだよ。 だが魔王様が、別に其処まではしなくて良いとか指示したとかでね」

「責任重大だな」

「だから、ごちゃごちゃ五月蠅いのは嫌だったんだよ」

いつも気むずかしいからよく分からないのだが、普段以上に今回はぴりぴりしていたらしい。

マロンが袖を引いた。

「グラ様、そろそろです」

「そうか」

ずるりと、巨大なイチジクの実のような胎盤が大きく音を立てて動いた。

そして粘液と一緒に、完成された師団長をはき出す。

とても小さい。

布を出すと、シャルルミニョーネが、師団長の体を拭きだした。指を鳴らして、警戒態勢をヘカトンケイレスに取らせる。小さくても、師団長だ。その気になれば千人の人間をなぎ払えるほどの力を持っている。

師団長が、顔を上げる。

裸の、人間の子供に見えた。

マロンに似ている。人間と違う場所も幾らかある。背中からは十本強の触手が生えていて、先端部分には手に似た器官がついている。生殖器の類は見当たらないが、体格からして多分ベースになっているのはメスだろう。補充兵には本来食事もいらないし、生殖能力も与えられていない。

しばらく虚ろな目をしていた子供は、グラをじっと見ていた。耳の形状も、人間とはだいぶ違っている。そして、何より。額に、縦に裂けた第三の目が存在していた。

粘液を拭き取り終わると、体の色も変わってくる。どちらかと青黒い色に安定し始めた。ある種の蛙のように、模様が浮き上がっている。

徐々に、目に感情が宿り始める。

不意に師団長は陰部と胸を押さえるようにしてしゃがみ込んだ。グラは傍らのマロンに命じる。

「多分服が欲しいんだな。 背中が開いている奴は」

「小さな魔物向けの服がありますので、はさみを入れれば」

「すぐにやってくれ。 とりあえず、当座は他の布で、体を覆ってやってくれるか」

「ふん、妙なところで気が利くね」

機嫌悪そうに、シャルルミニョーネが言う。

マロンがすぐに服を持ってきた。どうやらグラの新しいものらしい。まあ、体格的にはだいたい同じか。別にお金は足りているし、服にこだわりも無い。それを堂々と持ってくるマロンもマロンだが、グラが気にしないでいる事に気づいているのかも知れない。

しかし、師団長をまじまじと見る。触手やら第三の目やらという要素はあるが、此処まで人間に近いのは初めて見た。マロンらも人間に似ているが、やはりベースは同じだろう。

魔王が直接作ったと言うことは。

やはり、当然ある程度の意図があっての事なのだろう。

「此処、どこですか?」

とても丁寧な口調で、服の袖に手を通した子供が言う。師団長だから、爆発的な魔力は感じるが、どうも弱々しい。声は、やはり。マロンに少し似ていた。もう少し可憐な雰囲気があるが。

或いは後方支援や、術式での防御などを前提とした設計なのかも知れない。

「魔王軍第六巣穴、第二巣穴だ。 名前は」

「シュラ……です」

「そうか、シュラ師団長。 俺はグラだ」

補充兵は、調整が終わるとすぐに出発する。特に師団長級は即座に配備されることが多くて、巣穴には半日といない。

この様子では、クライネスが直接迎えに来るかも知れない。そう思っていたが、予想は外れた。

外に出ると、既に夜になっていた。シュラは何かに怖がっているのか、グラの影について歩いていた。こんな頼りない師団長は初めてである。まるで、見かけ通りの年齢のようだ。

マロンも幼い容姿だが、このシュラはもっと幼く見える。意図的な設定だとすると、どうしてなのだろう。魔王が直接作ったのだとすると、当然何かしらの意図があるはずだ。まあ、詮索は野暮というものだろう。

坂道を歩く。シュラが話しかけてくる。当然、作られるときに、ある程度の知識は与えられているのだ。

「グラさんは、ゴブリン、ですか」

「そうだ」

「なんだか情報と違います。 しっかりしているし、みんなにも頼られています」

「俺には過分なことだとも思っている。 だが、責任を受けたからには、それを果たさなければならないとも感じている。 だから、頑張っている」

小首をかしげるシュラ。不安そうに、触手がわきわきと動き続けていた。

この様子では、暴走の危険は無さそうである。早めに連隊長を持ち場に戻させる。ヘカトンケイレスだけは、最後までついてきてもらう事にした。

職場に戻ると、グラは仰天した。

エルフの戦士達を護衛に、魔王が直接来ていたのである。魔王は周囲を見回すと、慌てて跪いたグラを見つけた。ヘカトンケイレス達までが、傅く。

「おお、そなたが確か此処の管理者かのう」

「はい。 グラと申します、魔王陛下」

「うむ、うむ。 そなたの評判は聞いておる。 見れば丁寧に管理されているし、見事かつ天晴れじゃ」

魔王が本当に嬉しそうに目を細めるので、グラは感動して、恐縮してしまった。

多分こういう所が、魔王への忠誠心を刺激するのだろう。補充兵達は、性格こそ様々だが、魔王を悪く言うところは聞いたことが無い。

ただし、グラ自身には、色々と思うところもある。

「陛下、シュラにございます。 師団長として、生を受けました」

シュラが自己紹介をすると、魔王は不意に静かになった。

品定めするようにシュラを見つめていたが。やがて、その瞳に、露骨な失望が宿るのを、グラは見逃さなかった。

「うむ、それでは、引き取らせて貰うか。 配置先は既に決まっているでな。 心配せずとも大丈夫じゃ」

「ありがたき幸せにございます」

「城に戻る。 準備をしてくれぬか」

「わかりました。 直ちに」

エルフ達が、空間転移の術式を準備し始める。

魔法陣が広場に書かれ、魔力が集約していった。魔王はグラに他にも幾つか声を掛けてくれたが、どうしてか耳に入らなかった。

すぐに、魔王は空間転移の術式に包まれ、護衛のエルフ達と、今作られたばかりのシュラと一緒に消えた。

沈黙。

その場にいたヘカトンケイレス達を持ち場に戻す。

グラだけになった。

「……」

なんだか、不意に冷めたような気がした。

魔王への敬愛が薄れたというようなことでは無い。そうではなくて、もっと根本的なところで、何かの勘違いに気づいてしまったような感覚である。

仕事への意欲は無くなっていない。

魔王が認めてくれたことで、今後は出世も出来そうだという感触もある。

だが、何だろう。この空白感は。

「あにきー!」

キバの声に振り返る。

陽気な弟分は、悩みなど何一つ無いかのように、手を振っていた。

何か良いことがあったのだろう。

それが、カーラがまた何か果物の苗を植えたのだと言うことは、見ていてわかったのだった。

 

3、エンドレンの混沌

 

エンドレン大陸に、結局魔王軍の前線を突破できなかった軍勢が続々と帰還し始めていた。

傷ついた船も多い。それにしても、見ているとものすごい数だ。

海岸で、帰還しつつある軍を見つめている者が一人。

エンドレンで孤児達に学問を教えている女教師、レンメルであった。

これから大変なことになる。そう感じていたのは、きっとレンメルだけでは無いだろう。軍人崩れで、孤児院で用心棒をしている男達も、海岸に集まってきていた。

「これは、負けたな」

「完敗と言うよりも、戻ってきたと言うことは、前線を突破できなかったんだろう。 痛み分けだな。 双方壊滅、継戦能力喪失」

「負けると、軍は悲惨だ」

片足の無い男が言う。

軍人は、戦乱の時代はもてはやされる。強くなければそもそも生き残れないからだ。男女に関係なくもてる。稼ぎが良く、あらゆる場所で活躍できる失職知らずの魔術師がもてるのと同じ理屈だ。

だが、戦争が終わると、軍人は仕事が無くなる。

それが、負け戦だった場合は更に悲惨だ。敵国の奴隷になる場合もあるし、軍が敵に吸収された場合、捨て石弾避けにもされる。

そして、今回のように、遠征から負けて帰った場合。

物資を使い果たした上に、何も得られなかったという、負債だけが残るのだ。

「彼らはどうするの」

「さてな。 既にこの大陸の国家は壊滅状態だ。 エル教会様も、どこまでまとめられることやら」

「そもそも連中の欲望を刺激して、意思に方向性を持たせて動かしていたからな。 それが折れたとなると、補填が出来るのやら」

船の殆どは東へ西へ、大きな街のある方に散っていく。

近くで見ると、やはり傷ついている船舶が多い。大砲が折れているものや、全体が穴だらけになっているもの。焼き尽くされて、なおもまだかろうじて動いているようなものも散見された。

「しばらくは治安が最悪になるな」

レンメルは、唇を噛んだ。

学校に戻る。

辺りには、かなり畑が多くなってきていた。発育が早い芋類を中心に植え、子供達の食料をどうにか自給できるようにはなりつつある。だが、こんなもの、軍人崩れに見せたら瞬く間に丸坊主にされてしまうだろう。

子供達も同様だ。

しばらく前線で殺し合いばかりしていた連中、特に男の兵士は野獣も同然だ。見つかったら何をされるかわからない。

不思議と、レンメルは自分がどうこうされるという事に恐怖はあまり感じていなかった。

皆を集める。兵隊崩れの男達は十人程度。皆軍で一応の訓練を受けているし、それなりの武器も持っている。

だが、それでも。守りきるのは難しいだろう。

「ヴァルツのじいさまよ、どうする」

「そうさな。 まあ、こんな何も無い田舎まで、兵隊がそう大勢押しかけてくるとは思えねえが。 だが、やっぱり小隊規模の夜盗に襲撃されることは想定しないとアブねえな」

「子供には、一人が常時つくか。 畑仕事も、訓練していざというときにはすぐ逃げられるようにおしえこまねえといかん」

男達が話し合いをしている。

レンメルは、彼らに見せた。

手のひらを中空に向け、術式を唱える。全身の力が吸い上げられるような感覚の後、手のひらの上には光の弾が出現していた。

握り込むと、はじける。きゅっと、小さな音がして、空気が圧搾された。

殺傷力がある術では無い。しかしながら、威力を上げれば閃光弾として使える。光を生み出す術式の一種だ。

「魔術か。 どこで習った」

「少し前に、行商人が。 なんだか知らないけれど、格安で魔術書をばらまいている連中がいるらしいのよ」

「格安で、魔術書を!?」

「そう。 見せて貰って、使って見たら、本当に発動した。 試してみたけれど、だいたいの術式は、本当に使えるみたいよ」

殺傷力のある魔術も、記載されていた。

勿論大変に怪しい話だ。

そもそも、このエンドレンでは、大国間での抗争が続くうちに、機械文明の方が発展を極めた。誰にでも使える機械は、使える人間を選ぶ魔術を凌駕する価値があると考えられ、若干機械技師の方が社会的に地位が上になっていった。それに伴い魔術師は、一応必要とはされていたものの衰退するか他の大陸へ移行し、技術の格差がどんどんよその大陸と開いていったのである。

国家という国家が壊滅する前、エンドレンで魔術師と言えば、国家が大枚をはたいて軍事目的で雇っている連中が殆どだった。彼らの技術は、あくまで科学技術の添え物として使われており、主体となるのはやはり鉄と火薬だった。

超巨大戦艦も、陸を走る鉄の車も、恐ろしい武器の数々も。いずれもがまず科学技術があり、それを支えるものとして魔術があるのだ。

だから、こうも簡単に魔術が流出するのはおかしい。元々魔術の重要性はこの国では、少なくとも民間レベルでは薄れているし、何より需要が無かったからだ。国家機密としては知られることがあっても、民間人が入手できる技術では無いのである。

しかも、実際に使えている以上、これが本物である事は間違いの無いことだ。

「どういうことだ」

「わかっているのは、子供達にも扱える力という事よ。 戦闘経験の無い人間や、或いは老人にもね」

「なんだか嫌な予感がするな」

「軍人達が持っている武器には、生半可な道具では対抗できない。 だから、魔術で不意を突けば」

軍人崩れ達が、顔を見合わせる。

実際、レンメルには、これしか悲劇の回避策が思い当たらなかった。

 

闇の中を這いずる巨大な影。

魔王軍軍団長、バラムンクである。

エンドレンは大国同士の富国強兵策が行き着くところまで行った結果、常識外の軍事力と、自然の疲弊を生んだ場所である。自然の疲弊はキタルレアの比では無く、此方では化学薬品や魔術で無理矢理植物を育てないと、そもそも殆どの土地で作物が取れない状態になっている。

もっとも、一部ではちゃんと作物も育つし、狩も出来る。

バラムンクが身を隠せる場所も存在していた。

情報収集を任務としているバラムンクは、時に魔王にさえ知らせず行動する。彼が受けている現在の任務は、エンドレンの攪乱。

この間のエンドレン戦線で、魔王軍の大半が行動不能になるほどの損害を受けて、彼が出した結論は一つ。人間同士を争わせる事、である。

それには、軍人が圧倒的な力を持っている状況を崩すのが良い。

そこで、フォルドワードで入手した魔術書を魔王に見て貰い、普通の人間でも使えるような術式ばかりを集めた本を作成した。全部で、十万冊以上。

作業には、反戦を掲げる人間の組織を利用したほか、配下の補充兵も活用した。そして、丁度軍隊が戻ってきた所を見計らい、ばらまいたのである。

山の上に登ったバラムンクは、人間には聞こえない音を出す。

犬がいぶかしんで吠えていたが、気にしない。

ほどなく。

闇の中からわき上がるようにして、複数の影が姿を見せた。

「バラムンク軍団長、お呼びでございますか」

「うむ……」

姿を見せたのは、真っ黒い影。

スライムと呼ばれる種族である。不定形で、半透明で、擬態と潜入の専門家だ。

元々肉食性の強い植物の一種だと人間に考えられていた魔物である。だが実際には、一部には知性を持つ者が存在している。どうしてそうなっているかは、バラムンクも知っているが。これは魔物達の間でも、秘中の秘だ。

「魔術書の拡散については、どうなっている」

「は。 既に都会を中心に、八万冊がばらまかれました。 各地で戻ってきた軍人達が、狼藉を働き始めているようなのですが、それに対抗するべく魔術を発動する人間が多数出ており、争乱が広がりつつあります」

「エル教会は」

「エル教会は制御できておりません。 ただでさえ前の戦いで、「正義は必ず勝つ」などと喧伝しておりましたから。 流石に軍人達も、あの結果を見ては黙っていられなかったのでしょう」

元々、国家どころでは無い状況だ。

後は魔王が時々、まとまり始めた組織などを三千殺しで潰して行けば良い。

以前はエル教会が宗教という手を使って、軍事力をまとめ上げた。だが今回は、軍人と、反戦勢力が、以前とは違って拮抗した力を持つことになる。今はまだ軍人の方が力があるが、彼らがまとまる前に、魔術書を更に大量にばらまけばどうなるか。

「魔術書を増刷しろ。 ただし、大がかりな在庫を持つ組織が出来ないように、流通は監視しろ」

「は。 場合によっては、流通ルートを潰します」

「そうしろ」

スライム達が、闇に溶けて消えた。

彼らは普段地中に潜み、場合によって液状化した体を個体に変えて人間を貫く。一見強力そうに思えるが、形態変化を何度も短時間で行うことは出来ないし、何より弱点は極端に火に弱いことで、実際にはそうたいした戦闘力は無い。

しかし、この大陸では。

既に、魔物に対抗する正確な知識など、失われている。

しかも今移動していたスライム達は、各自が連隊長級の司令塔だ。直接前に出ることは無い。

バラムンクが与えられている、スライム型の補充兵が、実際には作戦行動を担当するのである。

部下達が消えたところで、バラムンクは魔王に通信。

丁度ミカンを食べていた魔王が出た。

「おお、バラムンク軍団長か」

「陛下、ご機嫌麗しゅう」

「うむ、うむ。 それでどうしたのじゃ」

「作戦行動が無事に進展中です。 エンドレンは、エル教会が手綱を握る前に、軍人達と他の民との対立が正面化するでしょう。 これから更に魔術書を増刷して、ばらまくこととします」

頷いていた魔王。深々と礼をすると、通信を切った。

バラムンクは、他の軍団長達とは違う。魔王が人間に対して有利な知識を豊富に与えて作ったからだ。

こういった泥臭い作戦を指揮するために、である。

以前はエル教会の手綱がしっかりしていて、手を出す隙が無かった。幾つか切り札になる情報は握っていたが、それ以上でも以下でも無かった。

だが、今は違う。

エル教会は、今度の大決戦で弱体化した。全体としての人員は非常に多いことに変わりはないので、底力はいまだ大きい。だが、態勢が明らかに揺らいでいる。延々と繰り返し続けた三千殺しでの処理が、ようやく意味を持ってきたのだろう。体勢を立て直す前に、今度は陰謀攻勢に出るべきなのだ。

こういう仕事は、ヨーツレットはおろか、クライネスにだって出来ない。

だからこそに。バラムンクは、己の闇からにじみ出すような強さそのものに対して、誇りを持っていた。

周囲に理解されないことなど、最初からわかっている。

だからこそに、バラムンクは仕事に没頭する。クライネスのように、コミュニケーションを無理に試みて、更に溝を広げるような無様はしない。ただ仕事に没頭することで、己という存在を確立し、なおかつ魔王に認められたかった。

一旦山を下り、朽ち果てた森の中に。

夜闇の中では、こんな枯れ果てた木々でも、充分な目くらましになる。じっと街を見ていると、また魔術による事件が起こったようだ。爆発が巻き起こり、怒号と悲鳴が交差していた。

この大陸では、軍が全てだった。

野心のある奴は軍に入ったし、全てが軍を基準に動いていた。

だからそれを崩してやれば、こうなる。

争乱を、舌なめずりしながら見つめ、バラムンクは思う。

我ら魔物の恨み、多少なりと味わうと良い、と。

 

レンメルは、入手した魔術書を解析して、まず子供達に簡単な魔術から教えていった。

魔術は才能が全ての学問だ。だが、これに載せられている魔術は、初歩も初歩、殆どが才能関係為しに発動できるようなものばかりだった。それでありながら、実用性が高いものばかりが記載されている。

何かがおかしいとは、レンメルも思った。

たとえば、記事の文字は、フォルドワード語の綴りが時々出てくる。

殆どエンドレン語と差異が無いから読み飛ばすことは可能だが、忘れたように、思い出したかのように、不意に挿入されるのである。それを思うと、これを書いていた奴が何者なのか、少し気になってくる。

フォルドワードが完全に魔物の手に落ちてから、それほどの時は経っていない。だから、フォルドワードからエンドレンに逃げてきた者だって大勢いる。

それに、時々だが。

思い出したかのように、非常に難しい記述が出てくるのだ。

載せられている魔術も、殆どの場合ブラックボックス化されている。使ったときに疲弊を感じない魔術さえもあった。

そういえば、噂で聞いただけだが。

魔力を使うのでは無くて、空間に満ちている力を使う魔術が、ずっと昔にあったとか言う。

それなのではないのだろうか。

もしそうだとすると、これを書いた奴は、初歩しか知らないように見えて、実はとんでもない大魔術師だという可能性も考えられた。

子供達の組織化は、軍人崩れ達がやってくれている。

そのほかにも、レンメルはやっておくことがいくらでもあった。

まず、周辺で暮らしている連中との連携である。

統治機構が壊滅して、国家が何が何だかわからないうちに無くなってしまってからも、この近辺から人がいなくなったわけでは無い。

港に星が落ちてからも、まだ多くの人間が住んでいる。ただし、まばらに、点々と、だが。

そういった家々を、今日もレンメルは廻っていた。

一番金を持っている家を、最初に廻る。呼び鈴を鳴らすと、不機嫌そうな、恰幅の良い中年男性が出てきた。左腕に凄い傷がある。退役軍人なのだ。

男性は、出てくるとき銃を持っていた。物騒で仕方が無いからだ。

「何だ、また学者先生か」

「今日は、話をしにきました」

「今日も、だろ? この辺りで連携して、何かあったときに備えるってなあ……」

頭を掻きながら、面倒くさそうに男性は応じる。

今、レンメルがやろうとしていることは三つ。

住民の武装化。これは戦闘能力の無い女子供などに魔術を教え、戦闘スキルを持つ元軍人達にも協力を仰ぐ、というものである。

夜盗化するような連中は、基本的に弱者を狙う。

こっぴどく撃退して、手強いという評判が流れれば、それでもう近づこうとはしなくなるものだ。

もう一つは戦闘訓練の徹底。

実用的な魔術を覚えても、戦闘経験が無ければ役に立たない。この国で魔術が廃れたのは、鉄と機械の技術に劣ると、文明そのものが判断したからだ。

本職の軍人は確かに圧倒的に強い。相手を殺すための訓練を徹底的にこなしているし、武器の使い方にも習熟している。魔術を覚えたくらいでは、どうにもならない事も多いのだ。

そして最後の一つ。

これが難しいのだ。

「それに、誰もが怖がってるんだよ。 組織化なんかしたら、またバタバタって死ぬんじゃ無いかってな」

「……」

丁度、国が無くなって、混乱が始まった時期だった。

近くの軍基地が、そのまま軍閥化したことがあったのだ。ところが、数日で其処は不意に静かになった。

覗きに行くと、胸をかきむしるようにして事切れた死骸が、ごろごろしていた。

行商人の話によると、国中でそういった出来事があったのだという。国を作ろうとする連中も、中途で殆ど同じ目にあったのだそうだ。

フォルドワードの戦線から帰ってきた連中は、魔王の力だといっているとか。

他の筋からも、同じような話は聞いている。

確かに、人知を越えた力が働いているとしか思えない事象だった。

「何か妙案はあんのかい?」

「縦に一本化された組織を作ろうとするから駄目なんでしょう。 横に一本化された自治体を作りましょう」

それが、レンメルの結論だ。

勿論、重要事の結論や、もめ事の解決などに、力は必要になってくる。そういった者に関しては、ある程度組織化されたものが必要になる。

だが、全体としては個々を重んじる形で、権力を分散する。

そうすることで、魔王に寄るかはわからないが、降りかかる恐ろしい災いを避けることも可能になるかも知れない。

腕組みして考えていた男は、嘆息する。

「わかったよ。 隣の町が、軍人崩れどもに襲われて、多数の死者を出したって話は聞いてるしな」

「犬を増やして、警戒を強めましょう。 後は罠や柵を作って、防備も固めないと」

「あんた、ほんとにガキ共の教師か?」

苦笑しながらも、男性は協力の姿勢を見せてくれた。

それから、点々としている家々を廻る。そして、少しずつ協力する体制を取り付けていった。

全ての作業が終わったときには、一月ほどが過ぎていた。

ゆっくりとだが。

確実に、レンメルは、周囲に帯する防衛能力を、根付かせつつあった。

 

4、再編成の過程で

 

カルローネが目を覚ますと、其処はどうやら医療施設らしかった。

記憶をたどる。

そういえば、敵ガルガンチュア級に組み付いて、主砲を無理矢理此方の陣地からそらしたところまでは覚えている。その後凄い閃光が走った。あれは、ひょっとして。敵が味方ごと、此方を砲撃したのでは無いのか。

起き上がろうとして、凄い痛み。

見ると、腹から右前足に掛けて、有機的な肉塊が覆っている。これは確か、ミズガルアが試験中の再生細胞か。エンシェントドラゴンであるカルローネにあうほどの細胞塊を開発する技術が、実用化されたのかと思うと、ちょっと面白かった。

周囲をちょこまか動き回っている補充兵共は、とっくにカルローネの目覚めに気づいている様子で、ばたばたし始めていた。

「やあカルローネどの。 お目覚めでありますか」

「メラクス軍団長」

視線を動かして、メラクスを発見。

絶句した。体の半分が無くなっている。正確には、かって手足があった場所に、金属製の鎧のようなものをつけている。よく見るとそれは金属では無く、硬質化した皮膚なのだとわかった。

そういえば、この男も激戦の中で、名誉の負傷をしたのだ。

「お互い生きていると言うことは、戦いには勝ったのかのう」

「いや、引き分けに終わりましたな。 味方の損害は百万を超え、敵の損害はその二倍を超えたそうな。 いずれにしても、軍組織は一度解散。 現在、再建中です」

「そうか。 かろうじて守りきれはしたが、大きな被害を出したのう」

「参戦した軍団長は、全員が負傷。 カルローネどのと俺が一番の重傷ですな。 レイレリアも、こんな感じでしてなあ。 あまり見ないで欲しいと、会うたびにぷりぷりしております」

多少、空気が和んだ。

痛みはあまりないのだが、これは身動きできそうに無い。

そういえば、部下達はどうなったか。師団長級の戦死がかなり相次いでいたが、純正の魔物の士官は生き残れたのか。

ぬたり、ぬたりと足音。

見れば、部下の中でも参謀格だった、バールガルス師団長だ。補充兵の師団長だが、思考が柔軟なので気に入っていた。蛸と烏賊とヤドカリを足したような姿をしていて、動きそのものは鈍重だが、防御系の魔術に関してはカルローネでも目を見張る力を持っている。

実際、此奴の活躍で、どれだけ味方が助かったかわからなかった。

「カルローネ軍団長。 お目覚めのようで、なによりです」

「うむ。 味方の状況を知らせよ」

「それが、稼働可能な師団長は私のみ。 生存者は……」

並べられていく名前の後ろには、いずれも戦線復帰不能という文字が並んでいた。

カルローネは、わかってはいたことだと、心を落ち着かせる。

魔王は、戦争前にいったのだ。この戦いは、補充兵だけで何とかすると。

だが、彼らは応えた。魔王だけに負担を掛けるわけにはいかないと。我らも、未来のために戦いたいのだと。

戦死者も多い。

その中にも、純正の魔物が、多く含まれていた。

大きなため息が漏れる。皆、同意の上で戦ったのだ。だが、それが故の結果でもあった。兵力が、あまりにも違いすぎた。戦術指揮も、優れた魔術も、個々の能力の高さも。圧倒的な物量と火力の前には、なすすべが無かった。

追い返せただけでも、奇跡に等しかったかも知れない。

「そうか。 司令部は壊滅だな」

「現在、一つずつ軍団を再建する作業が行われています。 とりあえず、残存勢力をまとめてフォルドワードの海上と海岸線の守備をしているグリルアーノ軍団に最優先で戦力を補給して、それから後の部隊を補強する計画のようです」

「そうか、あの若者も、立派になったものよのう」

「再編中の軍団からも、稼働可能な部隊はあらかた回しています。 もっとも、当面は人間も攻めてくることは無いでしょうが」

今だ、人間が海岸に遺棄した兵器は始末できていないという。その中に残されていた死体はだいたい回収したようだが、海中にはまだかなり残っているようで、腐乱した死体を時々水中の補充兵や、人魚部隊が持ち帰ってくる。勿論、溶体炉に放り込んで、補充兵の材料だ。

そういえばあの溶体炉、生きた人間を放り込んでも分解できないそうである。どういう理屈なのかはよく分からないが。

「ならば、巣穴は未だにフル稼働か」

「はい。 キタルレアの方はそろそろ落ち着くようですが、此方ははっきりいって、当分再建どころではありませんので。 働いている者達は気の毒ですね」

「そうじゃな……」

寝るように言われたので、休む。

体がとにかく休息を要求しているのがわかる。栄養は体を覆っている巨大な細胞の塊から供給されているようだが、腹は減った。

周囲の補充兵が、魔術を展開しているのがわかる。

多分栄養を補給すると同時に、空腹感を消す術だろう。それくらい自分でも出来ると言おうとして、失敗。

今は、それさえ、体が許してはくれそうになかった。

 

内臓が飛び出すほどの傷を受けていたと聞いて、カルローネは憮然とした。海に落ちたカルローネは、感染症を起こす寸前だったという。治療が間に合って、どうにか死は免れたが、回復用の細胞を取り払ったら驚くだろうと医師をしている魔物はいった。

少しずつ、この広大な医療施設から魔物が減っていく。補充兵はむしろ調整するだけで良い様子なので、簡単らしい。それに動かなくなった下等な補充兵は、そのまま潰して溶体炉行きだ。

戦闘終了から二ヶ月ほど。

ようやく、体を覆っていた回復用の細胞が取り払われ始めた。

だが、鱗までは回復できていない。皮膚の上に、これからは補充兵の技術で作った疑似甲殻細胞を植え付けることで誤魔化すのだそうだ。

痛みは無い。疲弊も、少しずつ小さくなってきている。だが、失われたものの事を考えると、どうしても心は痛んだ。

バールガルスが来た。

触手が背中から生えた、人間みたいのをつれている。額に目があるし、人間ではないだろうが。

良く秘書官として使われているアレかと思ったが、それにしては妙に魔力が大きい。それに、これは見覚えがある。

魔王が大事にしている、アリアだかアニアだかという子供の死体。面影が似ていた。

「シュラです。 このたび、師団長を承りました。 よろしくお願いいたします」

「ふむ、こっちにもようやく補充が来たか」

「グリルアーノ軍団は、ようやく定数に達しました。 それから、海上守備の要となるグラウコス軍団の補充を中心に、他の部隊へも配置が決まった部隊が続々と回され始めています」

「それは良いことだ」

とはいっても、定数ではとても足りていない。

カルローネ、メラクス、レイレリア、グリルアーノ、それにグラウコスの五名がそれぞれ定数の軍団を率いるとして、その総数は75万程度。前回はその倍以上の守備兵力を動員していながら、半数を失った。残りも殆ど身動きできないほどの損害を受けていた。

つまり、今後はさらなる軍団の増強が必要になる、ということだ。

死んだ補充兵も、分解し直してまた新しいのにすれば、ある程度は数が稼げるだろう。だがそれにしても、作ることが出来る数には限界もある。

そうなると、現在いる軍団長を大軍団長とかに格上げして、軍団をその麾下に複数納める形式を取るのが自然か。

クライネスやヨーツレットは、多分キタルレアから離れられない。かといって、諜報専門のバラムンクや、研究専門のミズガルアに、軍勢を率いて戦えというのも酷だろう。しばらくは、この形式でいくのが一番である。

幸いにもというべきか。

補充兵の性能はどんどん上がっている。いずれ、軍団長を任せることが出来る補充兵を、更に作ることも出来るだろう。ヨーツレット並の奴も、前線に出ることが出来る日が来るかも知れない。

「シュラ師団長。 貴殿は何が得意だ」

「はい。 回復と、防御です」

「そうか、それならば、前線にはうってつけだな」

「頑張ります」

ぺこんと、触手ごとシュラが頭を下げた。少し臆病なようだが、魔力の量は桁違いな様子だし、多分役立つだろう。

高い防御力は、味方の損害を減らす。

同じくして、回復の術式が得意であれば、即座に前線に復帰出来る味方も増えることになる。

こういった手合いは、案外戦闘向けの能力なのだ。

バールガルスに話を振る。シュラというこの小娘には、前線で敵を防ぐ役だけをさせようと、カルローネは考えていた。知能活動用に参謀格の師団長を二名か三名、他に攻撃を担当する師団を一つか二つ欲しい。

「今、儂の軍団の戦力は」

「明日一万三千が編成されるので、これで三万になります」

「どうにか二個師団という所じゃのう」

「その通りで。 ただし、編成される部隊にはヘカトンケイレスの比率が多く、以前より戦闘力は格段に高くなります」

それは重畳。だが、まだまだ、予定からはかなり遠い。

そういえば、人間側から鹵獲した兵器を使いこなし、なおかつ増産できれば、戦力はかなり増やせるかも知れないという話だ。だがそれは、自然に大きな負担を掛けることだとも言う。

エンドレンさえ、どうにか出来れば。

キタルレアの騎馬民族も手強いようだが、あと二つか三つ軍団をつぎ込めば、踏みにじることも出来るはずだ。

キタルレアを落とせば、補充兵の材料ももっと大量に手に入る。平和呆けした南の大陸に、直接侵攻する事だって可能になるだろう。

エンドレンのあの滅茶苦茶な大軍勢を見た後でも、まだ闘志は萎えていない。

今まで、我慢し続けた。

撤退して、逃げて、追われて、そしてとうとう北極に。

寒さの中、次々に死んでいく同胞達の姿は、絶対に忘れない。死んでも、忘れてはならない。

カルローネは、既に竜としては子孫を残す段階に無い。子孫を守る段階に入っている。

だからこそ、無茶も出来る。

「まずは、儂が動けるようにならないといかんな」

「後一月もあれば、動けるようになると医師から聞きました」

「そうか」

回復の術は、体に負担も掛ける。

竜族には、厳密な意味での寿命は無い。だが、いずれ内蔵が体を支えられなくなり、些細な病気が致命傷になる。

成長し続ける生物といっても、それは全てがバランス良く、では無いのだ。

だから、一気に回復とはいかない。これは魔族や他の魔物も同じである。魔術も、万能では無いのだ。

「では、それまでに兵力を十万まで増やしたいな」

「他の軍団も、現在増強中です。 幸い、キタルレアで新しい巣穴がかなりの生産力を見せておりまして、そこで作った補充兵をどんどん周囲に回せているようです。 このシュラ師団長も、その一名でして」

「それはあのグラというゴブリンが取り仕切っているという巣穴か」

「ご明察にございます」

それなら、聞いたことがあるし、納得でもある。

ゴブリンは下等な魔物などと言う考えは間違えだ。彼らは戦闘力を捨てる代わりに、小回りのきく体と頭脳を手に入れた。

実際問題、人間を相手に一番善戦した種族だとも言える。

勿論、あくまで比較の話。殆ど鎧柚一触に蹴散らされてしまったのに変わりは無いのだが。

「あの若者、頑張っているようだのう。 シュラ師団長、どんな印象を受けた」

「物静かだけど、優しいお兄ちゃんでした」

「そうか、それは何よりだ」

人間では無いとわかっているから、少しはにかみながら言うシュラを見ると、ちょっとほほえましくて目を細めてしまう。

子供に好かれると言うことは、それなりに心が汚れていないと言うことだ。

グラという男、今度会っておこう。そうカルローネは決めた。

 

再生細胞が、全て取られた。

腹の辺りは、鱗が全て取れてしまっていた。なるほど、内蔵がはみ出すわけである。これでは、補充兵の技術がなかったら、それに救出が遅れていたら、確実に死んでいただろう。

最強の魔物の一角であるエンシェントドラゴンでも、命である。それはとてももろいものなのだ。

シュラが配属されてから、半月が経過。

更に、補充兵が派遣されてきた。カマキリと蜘蛛とバッタを足して三で割ったような補充兵バームと、巨大な目玉が中央にあり、大量の触手で動き回る補充兵クロッカスである。どちらも師団長級の補充兵だ。

これに加えて、一万の補充兵が補給された。二個師団強の戦力が整ったことになる。

シュラが最近は病床の世話を焼いてくれるので、多少は助かる。空腹を緩和する術は、以前よりずっと楽になった。シュラが自分で改良してくれているらしい。

医師が来て、歩くリハビリをするといった。しかし、注意事項もあるという。

「翼の再生には、更に時間が掛かります。 飛ぼうとは思わないでください」

「わかっておる」

まずは、一歩。

突然、凄い衝撃が来たように思えた。それが体重なのだと気づいて、カルローネは言葉を失った。

体がこんなに重かったのかと、愕然となった。体が衰えていると言うよりも、再生した腕がまだか弱いというのが正しいらしい。

医師が言うには、前足はどちらもとても使える状態では無かったらしい。それ以上は聞く気にならなかった。

側で、シュラが何か術式を唱え始める。

聞いたことも無い術式だ。だが、術式が発動すると、不意に体が楽になった。

「それは」

「重量を軽減し、骨格を強化して、負担を軽減してみました。 いずれ、術式の効果を弱めていくつもりです」

「ふむ……」

甘やかすだけでは無い、この発想。

これは、本当にカルローネのことを考えての行動だと理解できる。だが、補充兵にはできすぎだとも思えた。

そういえば、この人間に似たタイプは、魔王が直接設計しているとも聞いている。師団長は初めてのようだが、理由はどうしてなのだろう。

何歩か歩いて、それで今日のリハビリは終了となる。

それから、軍団長としての仕事に移った。今までは師団長達に分担させていた作業を、これからは自分で見る。デスクワークだけであれば、寝ていても作業自体は可能だ。だから、もう周囲に負担を掛けるような事はしない。

溜まった書類を、一つずつ決済する。

筆を動かす術式程度なら、もう使用して問題なしと言われている。大量にある決裁書類だが、さっさと片付けていく。

六刻ほど働いたところで、医師の休止命令が来た。

それ以上働くと、傷に障るとか言う。そう言われてしまえば、休むほか無い。難儀な話である。

とはいっても、生物として極限に近いドラゴンは、食事があまり必要ないのと同様、睡眠もさほど必要では無い。あまりにも退屈で寝てばかりいる者もかってはいたようだが、それは過去の話。今は基本的に、寝ずに働くのが普通である。

だが、それも健康体での話だと、医師はぶうぶう文句を垂れた。

言われたまま寝る。

少しでも回復を早めたいのは、カルローネも同じだからだ。

起きたのは真夜中だった。流石にこの時間に仕事というわけにもいかない。しばらくぼんやりしていたが、気づく。

術式を使って、カルローネの体の状態をチェックしているシュラが、此方を見つめていた。

「すみません、カルローネ軍団長。 起こしてしまいましたか」

「何、問題はないて」

「良かった」

花が咲くような笑顔を浮かべる。

なんだか、この子供はどうしてこんなに必死なのか。見ていて不憫にさえなってきた。

「どうせ朝まで仕事できんし、儂も回復に向かっている。 貴殿も早く休むといいじゃろう」

「はい……」

「どうした、働き足りないか」

「いいえ、そうではなくて、私、いらないのかなと思いまして」

いらないというようなことは無い。

能力的には充分だし、何より今魔王軍は、猫の手でも借りたい状態だ。シュラのように特技持ちは、今後もっとあっちこっちで引っ張りだこになる。戦場でも、充分に活躍して貰わなければならないだろう。

だが、多分この子供がいっているのは、そういうことでは無い。

「何を悩んでいるかはわからんが、儂はそなたを有能な部下だと考えている。 師団長として軍を率いるようになったら、その心配りを部下達にも向けてやってくれると嬉しいのう」

「わかりました。 それで、私が必要とされるなら」

人間の外見年齢はよく分からないが、見るとまだ幼い子供にしか思えない。

それで親に必要とされなかったら、それはさぞや寂しいことだろう。

カルローネらドラゴン族は、殆ど生まれたときから独立できるだけの能力と知能を持っている。魔族も同様だ。

だが、多くの生物はそうでは無いことを、カルローネは既に知っていた。

この子供は随分大人びた言動をしているが、やはりその奥底には、子供らしい感情が潜んでいるのかも知れない。

だとすると、魔王も酷なことをするなと、カルローネは思った。

 

翌朝。

早くからリハビリのために、周囲を動き回った。医師に止められるまで、しっかりきっちり歩き回る。

足の回復は、かなり早いという。

翼の回復は、まだまだ時間が掛かるそうだ。メラクスのように、機械的な体を外部につけるとなると、ちょっと憂鬱ではあった。

リハビリを終えてから、寝台に横になる。どっさり溜まっている書類を決裁しながら、バールガルスに聞いてみる。

「キタルレアはどうなっている」

「そうですね。 入ってきた情報によると、かなり混沌としているようです」

「ほう」

「今、南部諸国同盟が、一つになろうという動きがあるらしくて。 それが面白くないキョドが、横やりを入れているとか。 今後継者問題でガタガタになっているモゴルをキタンが侵略しているらしくて、キョドは背後に敵がおらず、かなり陰険な嫌がらせを繰り返しているようです。 軍事侵攻も、時々やっているとか」

鼻を鳴らしたカルローネは、人間の馬鹿さ加減に失笑していた。

この時期に、戦力を互いに削り合うような阿呆ども。やはり救いがたい生物である。

「ところが、昨日辺りから、状況が大きく変わっているようでしてー」

不意に声が割り込んできた。

見ると、情報通信に使う、立体映像球だ。ミズガルアである。

「カルローネ軍団長、私が作った再生細胞はどうでしたかー?」

「うむ、順調だ」

「そうですかそうですか。 回復したら、アンケートつくっておいたので、是非応えてくださいねー」

ちょっと流石に鼻白む。

不謹慎なようにも思えたし、いきなり話が脱線したら面白くは無い。

「で、状況が変化したとは」

「それがですねえ。 キョドの騎馬軍団が、二万だか三万だかで、南部諸国の一つの小さな国を蹂躙して、見せしめに住民を徹底的にぶっ殺して廻ったらしいんですよ。 もう老若男女関係為しに、徹底的に。 女は子供だろうが老人だろうが全部強姦して、生きている人間は全ぶ奴隷にしてかっさらったとか」

「まあ、人間が良くやることだな」

「はい、それでですねー。 それに泡を食った南部諸国の一つが、魔王陛下に降伏しようとか言い出しているとか」

「……」

沈黙。

しばらく、言葉も無かった。

「はあっ!? それは本当のことなのか!?」

「大マジらしいですよ−。 それで、ヨーツレット元帥が、負傷した体で前線に出てきているとか」

なんだか、訳がわからないことになってきている。

人間が国家ぐるみで魔物に降伏するなど、多分歴史上初めてのことでは無いのか。それとも何か、キョドのボクトツ王は、魔王陛下よりも南部諸国の連中にとって恐ろしい存在だというのか。魔物が攻略した国は、人間を皆殺しにして回っている。それに比べれば、少しは奴隷にしているキョドの方がまだましのように思えるのだが。

人間の価値基準はよく分からないというのが、カルローネの本音だった。

いずれにしても、嫌な予感がする。

「現状、降伏した奴らを皆殺しにしたら、却って窮鼠の反抗を呼びそうだのう」

「皆殺しにせよと一事だけ陛下は仰ったそうですけどー、ヨーツレット元帥がそれは戦略的に好ましくないと説得したとか」

「ふむ……」

やはり、どうもろくでもないことに発展しそうな気がしてならない。

もう少し、細かいデータが欲しい。

書類を処理しながら、カルローネはそう思った。

 

5、混乱の引き金

 

魔王と、軽く話し合った。

即刻皆殺しにすべきだと魔王はヨーツレットに言った。だが、ヨーツレットは、魔王の過剰な憎悪が、長期的な戦略に支障をきたすことを知っている。

ましてや、これは。ヨーツレットが考える軟着陸には、絶好の機会だ。

はっきり言って、これまでの戦闘を考える限り、人間を皆殺しにするのは相当に難しい。今はエル教会の動きが鈍っているが、体勢を相手が立て直したら危険だ。いずれ補充兵に対応する決定的な対抗策も生み出してくるだろうし、何しろ人間は凄まじい速度で増える。フォルドワードを完全に制圧できたのも、今思えばできすぎなくらいだったのだ。

このまま人間と真っ向からの勝負を続けていれば。

いずれ、数で押し切られる。

それならば、人間を管理する方向で動いた方が良い。最終的には緩衝地帯をもうけ、人間と魔物が関わらない方向でそれぞれの協会を守って生きていけば良いのだ。それがヨーツレットの結論であった。

「此処で下手に皆殺しにすると、人間側を窮鼠の反抗に駆り立てかねません。 むしろ此処は、私ヨーツレットめにお任せいただきませんでしょうか」

「どうするつもりなのか」

「色々と試してみたいことがございます」

魔王は、ヨーツレットを信頼してくれている。

しばしの沈黙の後、長年の信頼が勝ったようだった。

「ふむ、わかった。 好きにせよ。 しかし時期が来たら処分するようにのう。 それと、罠には重々警戒するのじゃぞ」

「ははっ」

ヨーツレットは頭を下げ、謁見の間を出た。

ヨーツレットの機動部隊は、どうにか定数に達した。だが、それも各地の守備隊から引き抜いたりした戦力も多く、まだ精鋭と言うにはかなり心許ない。クライネスの軍団に至っては、生き残りを各地の守備隊に再編したり、ヨーツレットの部隊に混ぜたりで、再建どころか完全解体されたままだ。

ヨーツレット自身も、どうにか動けるという程度の状態である。戦闘などもってのほかと、医師には言われている。補充兵だから融通が利く、というレベルの負傷では無かったのだ。

補充兵で無ければ、確実に死んでいた、と医師は怒っていた。

オーバーサンも、使用しない方が良いと言うことであった。

外に出ると、中核として編成している第一師団が待っていた。戦力は一万八千。

師団長は、今まで仮設魔王城の守備を大過なく務めてくれたヴラドである。今はグラの管理している第六巣穴で生産された師団長が代わりに守備隊長となり、以前とは比較にならない兵力が仮設魔王城を警備しているので、ヴラドを活用できるようになった。

「ヨーツレット元帥、話は聞きました。 無条件降伏したとか言う、ソド国へ向かうのですか?」

「うむ、そうするつもりだ」

無条件降伏と言うよりも、どうにかしてキョドの凶刃から守って欲しいというのが、彼らの本音だろう。

まだ戦力としては心許ないが、キョドの軍勢をぶっつぶすくらいは出来る。

その後、ヴラドの部隊を、ソド国に駐屯させる。問題は統治機構をどうするかだが、実はこれについては、以前から考えていたので、案ができあがっている。

病床で寝ている間、時間はいくらでもあった。

双方向で考えられるヨーツレットは、それを最大限に生かして、幾つか来るべき時に備えていたのである。

「戦闘は、我々で行います。 元帥はできるだけ動かず、指揮だけしてください」

「難儀な話だな」

「交戦が予想されるキョドの軍勢は最大でも五万。 まだ此方が動けないだろうと思っているようで、油断しきっています。 私と、アニアール師団長、それにパルムキュア師団長の部隊だけで、たたきつぶせるでしょう」

パルムキュア師団長は、クライネスの軍団から此方に来た。経歴の浅い師団長だが、実力はあのクライネスが渋々ながら認めている。ただ、ちょっとおどおどした態度が玉に瑕だ。

クライネスの軍団でも活躍をしていたようだが、此方でも再編成に手腕を発揮している。今回は戦闘ぶりが見られるかと思うと、楽しみである。

敢えて三千殺しは使わなくて良いと、魔王には告げてある。というか、キョドのボクトツ王は、生かしておいた方が使える。ああいうクズがトップに座っている方が、人間の国は扱いやすいのだ。

数日間、南下を続けた。

医師はその間、ヨーツレットにずっと戦闘になっても周囲に任せるようにと言っていた。実際、歩くのでさえまだ止めた方が良いのだそうである。確かに、腹の穴はふさがりきっていない。回復細胞が蠢いているのをぶら下げながら、夜道を歩き続けるヨーツレットなのだった。

国境を越える。

機動軍が動くのは、三ヶ月ぶり以上だ。

その間、南部諸国はまとまりつつあったのに、人間が勝手に台無しにした。もしも大陸中央をキタン辺りがまとめ、南部諸国が一丸になって協力して攻め込んできたら、かなり危ないとヨーツレットは思っていたのだが。

これで、それもご破算だ。

しかも、南部諸国側も黙ってはいない。

義勇軍を編成したユキナという女を中心に、今急速にまとまりつつある。キョドの軍勢は奴の防衛線に阻まれてはじき返され、これ以上の侵入が出来ずにいるという。もっとも、そうなる前に、数十万は民間人を中心に殺したようだが。

ソド国の近くを通り過ぎる。一応機動軍の半数を連れてきているが、まあヴラドの言葉通り、三個師団だけで片がつくだろう。

いずれにしても、機動力を備えたキョド軍を潰しておくことに、損は無い。王は阿呆でも、麾下の将軍には、この大陸で最も過酷な修羅場である中央草原地帯での死闘をくぐり抜けてきた猛者が揃っているのだ。

そいつらを叩き潰しておけば、必ず今後の戦が有利になる。

夜通しの進軍。通り抜けた場所は、殆ど死体の山だった。一部の兵を分けて、死体を回収させ、後送させる。せっかくの材料である。うち捨ててしまうのはもったいない。

国境を越えてから、二日目。

ついに、キョド軍を捕捉した。伝令が戻ってきて、ヨーツレットに告げる。

「キョド軍、およそ三万五千、麓の盆地に展開。 徹底的な略奪と殺戮を行っている模様です」

「ほう。 ボクトツの阿呆は」

「おそらくはいるかと」

ヨーツレットも暗視の術式を使って、岡の上から盆地を眺めやる。

狂騒が夜闇の中、繰り広げられていた。悲鳴がひっきりなしに響いている。兵士達は略奪と強姦に夢中の様子だ。

これは、実に簡単に勝てる。

「アニアール、退路を塞げ。 パルムキュア、ヴラドと共に攻撃。 残りの師団は、討ち漏らしを片付けよ」

「敵軍以外の連中はどうしますか」

「捨て置け。 ああ、死体は回収しろ。 そうそう、ボクトツの阿呆は殺すな。 わざと逃がしてやれ。 ただし、奴一匹だけだ」

指示を出した後、ヨーツレットは直営と共に、戦況をもっとも良く観察できる場所へ移動。

副官が心配そうに言った。

「大丈夫でしょうか。 モゴル軍との戦闘を考えると、そう簡単にはいかないように思えるのですが」

「人間は性欲過剰な生物でな、欲望をむき出しにしているときは他のことが頭に入らないのだ。 見ていろ」

勿論、これは受け売りでは無い。

あの大会戦の後、ヨーツレットも思うところがあり、様々な術式を使って、人間の頭脳から記憶を吸収したのだ。どうせ溶体炉に放り込むのだから、それくらいはしても良いはずだと思っての行動だった。

それで、多少は人間の事がわかってきた。

勿論、これには以前から温めていた、人間管理の布石としての勉強の意味もあった。

三つの師団が配置につく。

まず、仕掛けたのはヴラドの師団だった。坂を駆け下り、盆地で無差別殺戮と強姦に酔いしれているキョド軍に躍りかかる。

何が起こったかもわからないうちに、突き伏せられる兵士多数。わっと逃げ散ろうとする先には、パルムキュアが既に布陣していた。

無数の攻撃魔術が降り注ぎ、馬ごと敵兵を消し飛ばす。馬が竿立ちになって兵士を振り落とした。また別の馬は、主人の背骨を踏み折った。

自身も強姦に酔いしれていたボクトツは、裸同然の格好で逃げ出す。ヨーツレットは、その様子を映像に記録させた。

「無様な。 あれが王の姿か」

「あのような者が、陛下と同じ王を名乗るなど、許せません」

「そう、だな」

確かに、魔王が言うことは、大筋では間違っていないのである。

だが、その邪悪をも利用するというしたたかさが、魔物には必要だと、ヨーツレットは考え始めていた。

ヴラドの軍だけでも、充分だったかも知れない。

逃げ惑う敵兵は瞬く間に数を減らし、四刻もした頃には、戦場で動く者はいなくなっていた。

ボクトツが、兵士の馬を奪って、裸同然の格好で逃げ、その過程で日頃の側近まで見捨てている光景は、ばっちり部下に記録させた。

面白そうなので、この虐殺の記録と一緒に、人間の世界にばらまいてやろうとヨーツレットは思った。

 

寄せ集めとは言え、六万の軍勢を用意して出撃していたユキナは、その光景に愕然としていた。

徹底的な略奪と殺戮の跡。

だが、死体は一つも残っていない。わずかな生き残りは、口をそろえて証言した。

魔物が、キョドの悪魔どもを、皆殺しにしたのだと。

その後で、戦場に遺棄された死体を、ことごとく持ち去ったのだそうだ。

専用の馬車から降りたユキナは、ボルドーに言う。

「どう思う」

「はい。 よく分かりませんが、魔王軍に降伏したというソド国の事が関係しているのかも知れません」

状況を見ていたクドラクが戻ってきた。

アニーアルスの老軍師は、流石に年が響いてか、移動にはロバを使っている。ゆっくり歩くので、具合が良いらしい。

「侵攻してきていたキョドの機動部隊は三万五千という話ですが、この様子だと全滅ですな」

「キョド国の兵力は、十五万と聞いている。 三万五千を失うと、しばらくは軍の再編成に掛かりっきりだろうな」

「そうなるでしょう。 その間に、モゴルの切り崩しをしているキタンが、更に力をつけることになるでしょうなあ」

くつくつと、楽しそうにクドラクは笑った。

元々客将のこの男は、何が楽しいのか、ユキナについてきている。戻らないのかと一度聞いたことがあるのだが、どうやら王弟公認の行動であるらしい。

「どうするべきだと思う」

「生き残りの証言からして、魔王軍が殺戮に荷担していないのは明白。 どういう意図かはわかりませんが、今までと違って、南部諸国の民間人を殺すために出撃している訳では無さそうです」

「ならば、交戦は避けよと」

「はい。 敵もまだ前回の会戦での傷は癒えていないでしょうが、それは此方も同じ事ですでな。 こんな寄せ集めでは、戦ってはとても勝ち目はありませんし」

六万とは言っても。

殆どは、小国が今回の事件に泡を食って、慌てて出してきた部隊ばかりだ。

今ユキナが育てている精鋭は一万にまだ届いていないし、クリアしなければならない問題はいくらでもある。

実際、キョドの軍勢も、狭い道を利用した防衛線を使って押し返すのがやっとだったのだ。

「わかった。 負傷者を救出して、撤退する。 軍は順次解散して、故郷へ帰らせよ」

「ご英断にございます」

多少茶化したように、クドラクが言った。

そのまま戻る。その過程で、ハールを呼んだ。

密偵をしながら各地を走り回っている色男は、馬車に馬を寄せてくる。そういえば、人間を止めた影響からか。

色男を見ても、心が動くことが全くなくなっていた。

「お呼びですか」

「ソドに潜入。 状況を探れ」

「わかりました。 直ちに」

機械的な会話を済ませると、ユキナは椅子に深く腰掛けて、腕組みした。

魔王軍は再建中とはいえ、三万程度の機動軍なら瞬時に粉砕できることがこれではっきりした。

既に三ヶ月が経過している。後九ヶ月以内には、南部諸国の足並みをそろえ、戦える状況を整えなければならない。その時、魔王軍が侵攻してきたとすると。その軍勢は、以前とは比較にならないほど精強になっている可能性もあった。

それに、まさか魔王軍に無条件降伏を申し出る国が出るとは。

これが今後どんな影響を周辺に及ぼすか、まだ未知数である。

いずれにしても、対応を急がなければならない。

ユキナは馬車を急がせるように、御者に命じたのだった。

 

来たには来たが、あまりなす事もなく戻らなければならなかった。

レオンが小首をひねっている。イミナも、訳がわからない。

いろいろな事がいっぺんに起こりすぎて、流石にイミナも混乱していた。イミナでさえそうだから、隣にいるシルンやレオンはなおさらだろう。プラムはどうでも良い様子だが。

今回、王弟やマーケットに断って、こっそりユキナに加勢しに来ていたイミナは、移動の途中でキョド王ボクトツの非道の数々を聞いた。

状況から言って、戦うべきだと思い、敵の駐屯地を目指して東に進んでいた所だったのだ。

しかし、戦地に辿り着いてみれば。

唖然としているユキナの義勇軍が、戦後処理を済ませているところだった。攻め込んできていたキョドの軍は全滅。這々の体で、ボクトツ王は逃げ帰ったのだという。しかも、である。

虐殺を繰り返すキョド軍を粉砕したのは、魔王軍だというでは無いか。

訳がわからない。

魔王軍を見直す、ということだけは無い。連中は今まで、民間人どころか、人間と見るや片っ端から殺していたからだ。連中が占領した国は、無人となった。つまり、人間は皆殺しにする集団だった。

それなのに、どうして今回だけ、こんな事をしている。

しかも、どういうわけか、キョド軍の行軍路にあった無数の死体も、根こそぎ回収していったらしいとか、ユキナから聞いた。

更に、である。

ソド国が、魔王軍に無条件降伏したという話も聞いた。そんなことをすればなすすべ無く皆殺しにされるような気がするのだが、驚くべき事に、魔王軍は丁重に扱っているというでは無いか。

何が、一体起こっているのだ。

「ねえ、お姉」

「混乱しているのは私も同じだ」

「ん、違う。 見てあれ」

シルンに言われて振り返ると、朝日の中、北上していく魔王軍の部隊があった。

本来だったら姿を隠さなければならないはずなのに。どうしてか、あまりにも堂々と行軍しているからか、そのまま立ち尽くしてしまった。

もしあの中に敵の指揮官がいるのなら、問いただしてみたい。一体どういう意図で、このようなことをしたのか。

キョドの連中は皆殺しにされて当然ではあった。

だが、魔王軍も今までは、見かけた人間は片っ端から殺していたのだ。何が起こったのだろう。

「仕掛ける?」

「……今は、止めておこう」

イミナは、そう決めると。

情報を集めるためにも、ソドに寄ってから帰ろうと、進路を若干東に修正したのだった。

 

(続)