東西の死闘

 

序、激戦開始

 

偵察を行っていた部隊が、ついに接敵した。それを聞いたグリルアーノは、まだドラゴンとしては若いが、それでも魔物としては図抜けた巨体で武者震いした。

遠くに見える無数の明かり。

まだ夜明けだが、敵は構わず進んできている。今まで制圧した海路を巡回するだけだったから、血に飢えているのだろう。

既に、総力戦の準備は告げてある。

展開しているクラーケンの艦隊は、この日に備えて、ガルガンチュア級との戦闘についても想定して、装備を一新している。また、小型の艦艇とも言える、百体ほど補充兵を乗せられる小型クラーケンも、既に周囲に配備が完了していた。

夜霧を切り払うようにして、敵が姿を見せた。

水平線、その全てが敵で埋め尽くされている。

話には聞いていたが、圧倒的な威容だ。朝日が上がり始め、その凄まじい数が日の下に晒され始めると、更に威圧感は強くなってきた。

「敵数、算定不能」

「ガルガンチュア級は」

「それが、姿が見えません。 大型艦だけで、二百を越えています」

「大型艦だけで二百……」

グリルアーノの艦隊にいるクラーケンは四十ほどである。

今回は小型クラーケンの量産が間に合ったため、前回よりも多くの海上戦力を展開することには成功している。

だがそれにしても、この圧倒的な兵力差はどうだ。

「他の艦隊は」

「メラクス艦隊は、少し前に接敵した模様」

「戦況は」

「既に激烈なる死闘の中にあり、他に気を回す余裕は無いと言うことです」

さもありなん。

レイレリアの航空部隊がどれだけ敵を削ってくれるかが、これからは勝負になる。実際、誰の艦隊が抜かれても、一気に戦況は壊滅へ傾くのだ。

程なく、敵が、ついに砲門を開いた。

まるで滝のような砲火が降り注いでくる。何しろ、算定不能なほどの敵だ。このとんでもない火力も当然だと言えた。

海が沸騰するかのようである。

「もう少し引きつけろ」

「前衛の防御術式が保ちません!」

「小型艦に展開している連隊長級に、防御術式を張らせろ。 迫撃型の攻撃術式、準備!」

「準備完了しました!」

もう少し。

もう少しだと言い聞かせながら、敵が近づくのを待つ。

数に物を言わせて押し込んでくる敵艦隊の先頭が、ついに射程距離内に入った。

「攻撃開始! 一匹たりとて、フォルドワードの台地を踏ませるな!」

「おおっ!」

絶叫が上がる。

味方の反撃が開始される。集中砲火を浴びた敵の大型艦が、虹色の魔術の光に包まれ、爆発四散した。

だが、味方の残骸を踏みにじるようにして、次々敵艦が姿を見せる。

一隻や二隻潰した程度では、文字通りらちがあかなかった。味方の小型クラーケンや大型クラーケンの防御術式も、文字通り滝のような火力を浴びて、次々貫通され始める。被弾したクラーケンは後方に下げつつ、無事だった者を前に出す。

ふと海面を見て、グリルアーノは絶句していた。

海面が、湯だち始めているのだ。

あまりにも凄まじい火力が集中されている結果である。

空軍が来た。

レイレリアの軍団は、この膠着状態の間に随分数を増した。だが、それでもこの戦線に姿を見せたのは二個師団分という所か。

高空からの乱射により、敵艦に被害が出始める。

だが、味方の被害も小さくない。ついに撃沈されるクラーケンも出始めていた。

そしてこの海のコンディションである。水中から敵艦に攻撃する補充兵も、さぞや動きにくいだろう。

「ガルガンチュア級は」

「まだ姿を見せません」

「何……」

何か、嫌な予感がする。

いずれにしても、水平線の果てまで敵の軍勢で埋め尽くされているような状況だ。此方も、他を支援する余裕など無い。

そろそろ、クラーケンと敵艦の距離がゼロになる。

それに伴って、砲火の応酬も激烈を極め始めた。先頭にいるクラーケンが、火を噴きながら沈んでいく。

敵艦が横倒しになり、真っ二つに割けた。その横腹を食い破るようにして、新しい敵艦が姿を見せる。

あまりにも大量にまき散らされた煙と有毒なガスのため、視界が曇り始めていた。

グリルアーノは咳き込む。人間にとって、これはおそらく有利な環境だ。其処まで計算しているかはわからないが、味方にとって不利に働く。

案の定、純正の魔物には、咳き込んでいる者も多かった。

「左翼が押されています!」

「予備部隊を投入! 押し返せ!」

「右翼に、敵の大型艦多数!」

「旗艦を向けろ! 援護に廻る!」

敵の行動は統一されていないと思ったが、実際には違う。かなりの精度で、戦術的な行動を取ってくる。

まだ若いグリルアーノには、対応しきれない。

敵の大型艦が沈んでいく。クラーケンが敵の小型艦に組み付き、一息にへし折った。だが、次々に姿を見せる敵は、戦意が全く衰えない。

そろそろ、肉眼でも敵の姿が見えるようになってきた。

息を呑む。

欲望に塗りつぶされ、殺意で上書きされた顔は、とても今生の生物だとは思えなかった。邪悪で俗悪で、まるで殺戮の権化だ。

聞こえてくる。

殺せ、殺せ、殺せ、殺せ。

人間達が叫びながら、突撃を繰り返してくる。

味方の疲弊は、徐々に、だが確実に増え始めていた。

「メラクス軍団長から通信です!」

「つなげ!」

通信を行う情報球に、メラクスの姿が出る。

グリルアーノは、息を呑んでいた。周囲が炎に包まれている。

「メラクスどの!?」

「敵は私の戦線に、全ガルガンチュア級を投入してきた。 対応はどうにかしているが、他の敵艦も凄まじい数で、とてもさばき切れん。 今、二隻目を沈めたが、既にかなり押し込まれている状況だ」

「すぐに援軍を」

「いや、他の戦線も、とても援軍どころでは無いことはわかっている。 だから、一旦戦線を下げて、海岸線で勝負を決める」

なるほど、こういうことだったのか。

確かにガルガンチュア級が姿を見せないわけである。狡猾だが、しかし賢いやり方だ。しかも、此方の戦線に手を抜いているというわけでも無い。実際、援軍など、出しようが無い状態だ。

敵の尋常では無い物量に、改めて寒気を覚える。

こんな兵力で、延々と殺しあいを続けていたという人間共の意味不明さにも、戦慄を覚えていた。もっと建設的な使い道が、いくらでもあるだろうにと感じてしまう。もっとも、それは魔物の考え方なのだろう。人間の場合は、戦力があればそれを使って殺し合いをするのが正しいのだろうなと、グリルアーノは思った。

相容れない正義だ。

「海岸線にある此方の88インチ砲の火力で、灰にするというわけですか」

「そう上手く行けば良いのだがな。 上陸を許すにしても、後続だけは断たなければならんだろう」

「わかりました。 メラクスどの、ご武運を祈ります」

通信が切れる。

これは、ますますこの戦線で負けるわけにはいかなくなった。

「敵の増援は、まだまだ現れるか」

「というよりも、今交戦している相手が、敵の中軍なのか前衛なのかもわからない有様です。 海流の関係から、大軍勢が戦線以外を突破してくる事はないとは思うのですが」

副官の旅団長が、申し訳なさそうに言う。

これは、今日死ぬ覚悟を決めなければ行けないかも知れない。そう、グリルアーノは感じていた。

 

二つに割れた味方の陣を、敵軍が我が物顔に押し通っていく。

ついに前線を突破したと、そう思ったのだろう。

メラクスは、旗艦クラーケンの損傷を確認させる。88インチ砲は緩和用の新兵器でどうにか防いだが、他の弾はそうもいかない。とにかく、数があまりにも圧倒的すぎるのだ。

空軍による支援でも、敵を減らし切れなかった。

十三匹の大型クラーケンが大破もしくは撃沈され、味方の損害は正直洒落にならない段階にまで進んでいる。

何とか秩序を保ったまま、軍を二つに分け、敵を通したまでが精一杯だとも言えた。

「敵は我先に、最短距離の陸地を目指しています」

「味方の準備は」

「既に整っています。 敵が射程距離に入った瞬間、一斉攻撃を行うことが可能です」

「……」

敵の軍勢は、途切れる事を知らない。

推定数一千万とか言われていたが、その全部が戦場に出てきていると言うことなのだろうか。

時々砲撃してくるのを反撃で潰しながら、味方の再編成を急がせる。

メラクスが信頼している師団長に分断されたもう一方は任せてある。だが、時々人間側の魔術によるものか、通信が乱れる。

「敵の軍勢の最後尾は、まだ見えないか」

「数があまりにも……」

「なんたることだ」

メラクスは呻く。これでは、ただ堤防を決壊させて、途方も無い敵の大軍勢をただ通しただけなのでは無いのか。

絶望に押しつぶされ掛ける心を支える。

ある程度、敵が通ったのを見計らう。少なくとも、ガルガンチュア級は十隻以上が通り過ぎた。

「此処が正念場だ! 一旦敵に攻勢を掛け、分断する! そして陸上の防衛部隊と敵を挟み撃ちにして、一気に屠るのだ!」

「おおっ!」

絶叫が上がる。

分断されたもう一隊と通信し、タイミングを合わせ、メラクスは麾下の軍勢に総攻撃を命じた。

海中に潜んでいる部隊や、空にいる軍勢も、それを受けて一斉攻撃に出る。

特にレイレリア自身が主力を率いて援軍に来たこともあり、味方は勢いに乗った。

 

1、西海の死闘

 

海岸に布陣していたカルローネは、林立する88インチ砲陣地の少し上空を舞っていた。既に敵の途方も無い大軍勢が迫っているのは、肉眼で確認している。メラクスは善戦したが、流石に十隻を超えるガルガンチュア級の猛攻には、どうしようも無かった。

88インチ砲は林に偽装し、その内部に隠してある。敵に発見された場合も、防御術式で多少なら防ぐことが可能だ。

敵が、見えた。

水平線を埋め尽くして迫る大艦隊。ざっと見ただけでも、そのとてつもない威容が、押しつぶすかのように迫ってくる。

「まだ引きつけよ」

水際殲滅という言葉もある。敵が上陸し始めた辺りを狙って、叩くのが定石だ。

相手の砲弾の加速が落ちる辺りに、防御用の術式も仕掛けてある。この近辺だけで、堅固な防御陣が七つ、合計六十万ほどの補充兵が控えている。今まで敵の攻撃に備えて、せっせと数をそろえてきたのだ。簡単に負けはしない。

敵の先頭部隊が、上陸を開始した。

驚くべき事に、四角い船の前が開いて、其処から無数の兵隊が沸いてくる。それだけではない。

どういう原理で動いているのか、四角い箱のような戦闘兵器も見える。多分鉄で周囲を覆っている。なるほど、此方の攻撃が激烈であることを、最初から見越しているという事だ。

「このままでは、海岸線に橋頭堡を作られます!」

「まだじゃ。 此処は根比べぞ」

敵が、物資を続々と海岸に降ろし始める。

馬防柵のもっと頑丈そうなものや、設置式の大型大砲も見える。

ふと、思う。

欲得尽くで迫り来る人間の大軍勢だが、その必死な様子を見ると、どうして殺戮と暴力にしか熱意を向けられないのか、疑問を感じてしまう。

確かに、今の人間は強い。

一方的と言えるほどだ。人間の天敵と言える魔王が味方にいながら、魔物側はどうにか戦線を維持するのがやっとだという現状を考えると。明らかに人間のほうが、魔物よりも遙かに力では優れている。

それなのに、どうしてその力を建設的に使えないのだろう。

「ガルガンチュア級が来ました! そろそろ射程圏内に入ります!」

「よし……。 一隻だけか。 他は」

「沖に停泊している様子です」

「残念だが、そろそろ、潮時じゃな」

カルローネは、ガルガンチュア級が88インチ砲の射程に入るのを確認してから、吠えた。

「よし、総攻撃開始! 敵の橋頭堡を吹き飛ばせい」

隠していた88インチ砲が、一斉に火を噴いた。

 

フォルドワード海岸にて、激烈なる死闘が開始されたことを、レイレリアは伝令から聞いて知った。

空軍も、既に無敵では無い。

人間は今までの海上戦で、空軍に手を焼かされた経験からか、高空攻撃を行う手段を開発してきている。まだ完成形にはほど遠いが、今までとは戦況が段違いに悪かった。

火力を集中して敵艦を落とす一方、落とされる味方も少なくない。

レイレリアにも、何発か直撃弾が来た。はじき返したが、それでも無傷ではいられなかった。

「いったあ……! ちょっと、女の子の肌に何してくれるのよ!」

「レイレリア軍団長!」

「どうしたの!」

側に来たのは、大型の蛇と鳥を足したような魔物であるコアトル族の師団長、ボーネスである。

空軍は師団長があまりいない軍団であり、特に純正の魔物は彼しかいない。他にもいる魔物は、だいたい知能が低めで、軍勢を指揮するには向いていない者ばかりなのだ。

「メラクス軍団長のクラーケンに、敵の火力が集中しています! 勇猛なメラクス軍団長とは言え、武勇には限界が!」

「ちょっと、それを早く知らせなさいよ!」

「今私の所にも伝令が来たのです!」

「総員、メラクス軍団長を支援っ! いい、敵を蹴散らすんだからねっ!」

レイレリアは魔力を集中して、特大の火球を作り出す。

そして、それを破裂させ、炎の雨を敵に降らせた。雨と言っても、一粒がそれぞれ人間大もあり、直撃すれば鉄板でも穴が開くほどの火力である。

小型艦が真っ二つにへし折れ、中型艦が火を噴く。大型艦が何カ所かに大きな損傷を受け、人間が脱出しているのが見えた。他に船はいくらでもあるのである。敵が困っている様子は、無い。

それでも、火力を集中していけば、敵の被害も大きくなる。

しかし、敵も当然反撃を激しくしてくる。

直撃。

レイレリアの防御術式が悲鳴を上げた。大砲の弾が、防御術式に真っ向からぶつかってきたのだ。

炸裂弾の衝撃波を殺しきれず、炎がレイレリアの全身を舐め尽くす。

幾つか目が焼き潰された。

悲鳴も上がらない。再生を急ぐが、しかし。反撃している余裕は無くなった。

「レイレリア軍団長!」

「見ないで! 再生は出来るから!」

「ははっ! 私が指揮を引き継ぎます!」

ほどなく、メラクスが分断されていた味方艦隊と合流したと、ボーネスが知らせてくる。

徐々に視力が戻ってきた。相変わらず、敵の凄まじい数は減る気配も無い。敵を分断したと言うよりも、大乱戦に持ち込んだというのが正しいようだ。

メラクスは大暴れしているようで、次々に敵の艦に乗り込んでは、白兵戦で敵を蹴散らしている様子だ。

そして、今回からクラーケンには、敵の艦を操作する補充兵を専門に乗せている。メラクスが制圧した船は、それら補充兵が操作を受け継ぎ、クラーケンが運んでいくような負担を極力減らしていた。

接近戦に持ち込めれば、此方のものだ。

だが、残念ながら数が違いすぎる。接近戦で優位を確保できたとしても、なおも全体の戦況は著しく不利だと言わざるを得ない。

少しずつ再生に力を注ぐ。

魔力も回復してきた。というよりも、この戦場で放出されている殺意や敵意、悪意が異常すぎる密度なのだ。

海の様子もおかしい。あまりにも膨大な砲弾が炸裂したからか、明らかに温度が変わってしまっている。

というよりも、人間は、こんな会戦を今まで飽きるほど繰り返してきたのだろう。

狂っていると、レイレリアは思った。

「全軍に通達! 魔力の回復が非常に早い! 休息時間を減らして、攻撃に注力!」

「し、しかし、それでは体がもちませんが!」

「構わないっ! みんな無理してるんだもん! 私達だけ、空で高みの見物って訳にはいかないわよ!」

レイレリアは早速、充填された魔力で、最大級の術式をぶっ放す。

敵の大型艦が、レイレリアが放った巨大な火球の直撃を受け、中央部から融解して爆発、四散した。

歓声が上がる。

「味方への誤爆に気をつけて! この戦いは、我が空軍が最強の名を得る好機よっ!」

「レイレリア軍団長のために!」

喋ることが出来る航空師団の魔物達が、一斉に唱和した。

 

メラクスの部隊から、大きな損害を出しつつも、敵の分断に成功したとカルローネの陣地に連絡があった。

88インチ砲が咆哮し、敵陣に猛打を浴びせている。だが、それでも。

敵陣は次々と作られ、増援が沸くように上陸してくる。一体どれだけの数が敵に入るのか、想像も出来ない。

「敵上陸部隊の前衛、まもなく防御陣地に接触!」

「押し返し、叩き潰せ!」

此方も、この時に備えて、軍勢をひたすらに強化してきたのだ。

だが、敵は先進的な武器で武装し、何より数が多い。否、あまりにも多すぎる。

カルローネが、敵の先頭を進んでくる鉄の箱にブレスを叩き込む。吹き飛び、四散する。だが、鉄の箱は次々に姿を見せた。歩兵も多い。

補充兵が、野戦陣から飛び出し、躍りかかった。

一進一退の攻防が開始される。ガルガンチュア級に、88インチ砲が直撃。だが、撃沈には至らない。後方に下がり、別のガルガンチュア級が前に出てきた。歯がみするカルローネに、その新しい艦が旋回しながら、88インチ砲の猛射を浴びせてくる。

空中で、砲弾が爆発。

そして、その下に、火花が降り注いだ。

火花が地面に接触すると同時に、派手な爆発を巻き起こす。無数の補充兵がそれに巻き込まれる。

敵は、前回の戦いで、当然学習してきている。様々な弾種を使い分けてきていた。

「くそっ! 炸裂弾か!」

「敵ガルガンチュア級艦、更に接近! 三隻同時です!」

「先頭の艦に火力を集中! 生かして返すな!」

味方の88インチ砲が吹き飛ぶ。同時に、敵艦に三発の直撃弾。

今度こそ、火を噴きながら、敵のガルガンチュア級が轟沈した。だが、歓声が上がる前に、敵の新手二隻が、巧みな猛攻を仕掛けてくる。

味方陣地に設置されている砲が、次々吹き飛ばされた。敵艦にも損害を与えるが、しかし敵は数が圧倒的に多い。無数に停泊している中型艦、小型艦の火力も、決して侮れるものでは無かった。

絶望的な戦況。

不意に、敵の動きが鈍る。

見ると、編成しておいた機動師団が、敵陸軍の横腹に果敢な突撃を仕掛けていた。そのまま敵を突破し、一気に抜ける。

砲撃陣地への圧力が弱まる。

後方から、援軍が来た。十万ほどの戦力で、魔術に関する強力な補充兵を多数要している部隊だ。

これで、一息つけるか。

「陸軍に対しては、押し返すだけでいい。 敵の海上戦力に集中攻撃を」

「グリルアーノ軍団長より通信です!」

何だと呟きながら、カルローネは副官が恭しく差し出した情報球をのぞき込む。

カルローネが見えた。負傷している。右の翼が、根元から消し飛んでいた。

「グリルアーノ軍団長、そちらの戦況は」

「良いわけが無かろう。 上陸を許した敵軍を、防ぐのが精一杯じゃて。 そちらは?」

「どうにか、敵を防ぎきった。 敵は一時後退。 しかし味方も一割を失い、二割以上が稼働不能だ」

思わずため息が漏れてしまう。今日一日だけでこれか。

メラクスからも通信が来た。レイレリアの師団と協力して、どうにか敵の中枢に大きな打撃を与えたという。だが、グリルアーノの軍団よりも、更に被害が大きいようだ。

グラウコスからも通信。此方は、海中の部隊が雷撃を繰り返し、どうにか戦線を膠着状態に持ち込んでいるという。此処に関しては、どうにか一息という所だろう。

ヨーツレット元帥も、今頃キタルレアで四十万以上の敵の猛攻を防いでいるはずだ。

この野戦陣地を抜かれると、フォルドワードの内地になだれ込まれてしまう。そうなったら、非戦闘員が多く敵の魔手に掛かることになる。

それだけは、絶対に許してはいけなかった。

「敵が後退を開始します! 追撃の許可を!」

「たわけ! 敵の橋頭堡を砲撃で完全に潰せ! それだけでいい!」

「わかりました! 火力を集中します!」

血の気が多い味方をたしなめながら、カルローネは冷静に戦況を観察する。

エンシェントドラゴンと呼ばれるほど年を重ねたカルローネでも、人間の邪悪なまでに洗練された戦争に関する技術には舌を巻く。今も敵は実に効率よく後退し、被害を最小限に抑えつつ、船に陸上戦部隊を収容していった。

そして、メラクスの部隊から連絡が来る。

敵が前後から攻勢に出たという。一旦敵を通して、合流させる。そして、メラクスの軍団も、再度敵に立ちふさがるようにして、再合流を果たした。

陽が落ちる。

味方の被害が、程なく明らかになってきた。

大型クラーケン、中破17、大破10。撃破16。

大破以上のクラーケンは、海上に放置されている敵の艦を回収しながら後退。それには味方の負傷兵を乗せる。

師団長級も、六名戦死していた。その中には純正の魔物も二名含まれていた。

軍団長の内、レイレリア、グリルアーノは負傷。グリルアーノの翼は、魔術によっても数ヶ月は回復できないという。

夜の内に補充兵を出して、敵の橋頭堡の物資を回収。

いずれもを、ミズガルアのいる巣穴に回す。

敵の戦艦の内、使えそうなものは、専門の補充兵に操縦させて、海岸線に並べて移動砲撃陣地としている。今回鹵獲した分も合わせると、多少の時間は稼げそうだ。だが、まだ敵の技術には未解析の要素も多く、おいそれとは使えないのがネックか。

陸上の部隊から、海軍へ兵力を補給。

だが、戦線は更に下げなければならなかった。

「敵の損害は」

「かなりの数にはなるでしょうが、しかし何しろ元の兵力が桁違いです。 このまま連日攻撃されると、おそらく押し切られるかと」

「今、味方のこの戦線における戦力は百六十万を超えておる。 どうにか出来ぬか」

「難しゅうございます。 それに今回の会戦で、味方の被害は七万を超えました。 再び百五十万代に戻ったかと」

カルローネは呻いていた。

砲撃陣地は、今回の会戦でかなりのダメージを受けている。勿論補修の手を回してはいるが、明日また敵が攻撃を開始したら、防ぎきれるかわからない。

かといって、魔王は今、キタルレアの戦線維持で手一杯だろう。以前のように、魔王の超魔力で敵の後方拠点を叩く、などという事は難しい。というよりも、ほぼ無理だとカルローネは結論していた。

しかし、以前試している以上、夜襲が成功するとも思えない。

そうこうするうちに、敵を偵察していた航空部隊から連絡が来た。

「敵は幾つかの艦隊に別れて、行動を開始しました。 朝を待ってまた攻撃に移る模様です」

「そうか、来るか」

「しかも、どうやら昨日戦った部隊は休み、別の気鋭を蓄えた連中が攻め寄せてくるようなのです」

つまり、それだけ敵に戦力的な余裕があると言うことだ。

当然、損傷した戦艦などは後方に下げて修理し、新品を繰り出してくることだろう。

此方は予備戦力など存在しない。疲弊した戦力をどうにかやりくりして、敵の猛攻をしのぐしか無い。

不意に通信が来た。

ミズガルアであった。

頭部だけは人間に近いなまこのような姿をしているこの変わり者を、カルローネは嫌っていない。好いてもいないが。

「カルローネ将軍、ご無事ですか?」

「おお、何とかな」

「随分クラーケンが倒されたようですね。 陸上部隊から補充しているようですが、間に合いそうですか」

「後何日かなら支えられるだろう。 しかし、人間側のあの凄まじい戦力をどうにかしないと、最終的には押し切られるだろうな」

これは、別に意地でも何でも無い。単なる規定の未来である。

クライネスでもヨーツレットでも、それはわかっているだろう。今味方の巣穴は全力で補充兵を生産しているだろうが、兵力差は埋めようが無い。人間も、此方が補充兵を作っている間に、新しい兵器を作り出しているからだ。

今は、被害も敵の方が大きい。

だが、いずれ数の差が露骨にものを言い始める。エンドレンの人間共は、キタルレアの連中に比べると魔術に関する知識は劣るようだが、その分機械文明が異常発達している。差は、事実上無い。数が多い分、此方の方が遙かに厄介だ。

「それならば、思い切った作戦に出るのが良いかと思います」

「たとえば、別働隊を組織して、敵の背後を強襲するとか、かの」

「わかっておられますか。 やっぱりこれが一番効果がありそうですよね」

にこにこするミズガルアに、考えておくと言いかけて、ふとひらめいた。

そうだ。

敵を、最大限に混乱させる方法があるでは無いか。

敵を全滅させる、などと言うことは不可能だ。とにかく数が多すぎる。だが、撤退に追い込むには、いい手がある。

「すぐにヨーツレット元帥と、クライネス軍団長、他の軍団長ともつないでくれ」

「わかりました」

秘書官が、通信の術式を準備し始める。

此方には、まだ手札があった。

 

かって味方だった者もいれば、敵だった連中もいる。

シオン会から派遣されているガルガンチュア級戦艦ジャガーノートの艦長、バルムウェルは、艦橋を行き交う部下達を見てそう思った。

バルムウェルは他の艦長と同じく、エンドレンの軍人だった。若い頃から戦場を往来し、敵を殺す事で生計を立てた。どうやら殺しの才覚があったらしく、三十そこそこで士官になり、四十を超えた頃には将校になった。五十代になる頃には将軍も夢では無かったのだが。

訳がわからないうちに国が崩壊して、呆然としている内に、何もかもが終わってしまった。

同じように呆然としている軍人達は多かった。戦争をしようにも相手がおらず、山賊や軍閥になろうとする連中はばたばた謎の突然死を遂げたからである。

やがて、どこの国の軍人達も、魔王とやらへの憎しみを共通して抱くようになった。どこからともなく、これが魔王の仕業だという噂が流れてきたからである。大混乱する社会の中で、やがてエル教会が、全てを勝手にまとめていった。

司教やらの大物が、それを行ったのでは無い。末端での活動をしている司祭達が、責任感から民に団結を説いたのだ。その後ろには大きな権力の影がちらついてもいたが、言っていることは間違っていなかったし、何より誰もが手持ちぶさただった。

民のために働くのも良いかと思い始めた頃。

シオン会が、バルムウェルの前に現れたのだった。

シオン会にスカウトされてからは、黙々と戦い続けてきた。元々寡黙な性格だったバルムウェルは、その一方で軍人である事に誇りも持っていたし、無論野心だって備えていた。だから、何もかもを台無しにした魔王は許せなかった。奴を討伐することで何かを得られるのなら、欲しいとも思った。

極端な実力主義が取られていた彼の故国では、地位はつかみ取るものだとされていた。敵からの物資略奪も、止められてはいなかった。戦争には負ける方が悪いのである。そういう考えだから、殺しあいは加速したし、徹底的にもなった。

国が無くなってしまっても、それに変わりは無い。

だから部下達は、皆欲望に目をぎらつかせている。敵からは奪って良いのである。ましてや、相手が魔物の場合は、それこそどんな暴虐でも許される。

人間は暴力が大好きだ。

特に、自分より立場が弱い相手に対する暴力は。

だから、部下達は皆血に飢えている。殺して、嬲って、奪い尽くして。それをこれから実践できるからだ。

夜霧が出てきた。

海を埋め尽くす大艦隊といえど、流石に衝突ばかりしていたら身が持たない。一定間隔を保つように指示を出し、それから、敵の奇襲に備えるようにも付け加えた。前回の大海戦では、敵の奇襲に手を焼かされたという。

魔物如きに知恵比べで後れを取るようでは、人間の恥だ。

「バルムウェル提督」

「如何したか」

「三時方向に、艦影多数。 味方の艦船だとは思われるのですが、どうも動きが妙です」

艦橋には、周囲の全方向を映し出す術式が掛けられている。だが、この夜霧である。相手の姿は曖昧だ。

バルムウェルは、油断しない。名将と言われた人間が、ちょっとした油断から命を落とした例を、いくつも知っているからだ。

「所属を確認しろ」

「直ちに」

これほどの大軍勢だが、エル教会の司祭達の苦労により、当然ナンバリングがされている。それを管理しているのはシオン会であり、魔王の能力を警戒して、会のメンバー全員が情報を共有している。

だから、それらの艦艇が、敵に鹵獲されたものだという事は即座にわかった。そして、この状態で、そんな艦艇がいるというのには、たった一つしか理由があり得ない。

「近づけるな! 停船しないようなら攻撃せよ!」

「直ちに!」

部下達が走り回り、88インチ砲の照準が不審艇に向けられる。他の艦船も、即座に戦闘態勢を整えた。

山師も多いが、殆どは軍人崩れなのだ。戦場の空気や、油断が死につながることくらいは皆が熟知している。

緊張の中、不可解な艦艇は、ぴたりと止まった。

「全艦、防御シールド準備。 爆発物などを準備している可能性がある」

「備えさせます!」

腕組みしたまま、バルムウェルは慎重に行動させる。

数名の部下が、船に乗り込んで、不審船に向かった。しばらくしてから、反応が返ってくる。

「船の中は無人です」

「となると、遠隔走査型の術式か」

「おそらくは」

「わかった、戻ってこい。 船は鹵獲して、後で持ち帰……」

巨艦が、揺動したのは。その瞬間だった。

何かの攻撃を受けたのだと、即座に理解する。側にあった手すりにつかまり、バルムウェルは叫んだ。

「全軍、戦闘態勢! 何が起こったか調べろ!」

「右舷損傷! 外壁大破! 海水が流れ込んできます!」

「隔壁を塞げ!」

「対応不能!」

そうなると、船を捨てるしか無い。

一隊何が起こったとつぶやき、そしてはたと気づく。

あの船は、囮か。

アレを使って此方の目を引きつけ、海中か、或いは空から、大威力の攻撃を叩き込んできた、というところだろうか。

続けて、周囲の大型艦、中型艦で、一斉に爆発が巻き起こった。

「してやられたか……」

バルムウェルは、その攻撃が砲撃によるものだと見て取る。

どうやら、本命の敵戦力が、近づいているらしかった。

 

水面から顔を出したマーマン族の戦士が叫んだ。

「グラウコス軍団長から伝令です!」

「うむ」

「われ、奇襲に成功せり! 敵旗艦ガルガンチュア級に致命打を与え、周辺の艦船に打撃を与えることに成功!」

「良し! おおおおおっ!」

グリルアーノは、まだ痛む左の肩を気にしながらも、思わず後ろ足だけで立ち上がって雄叫びを上げていた。

周囲から、歓声が巻き起こる。

同時に三カ所で、同じような光景が現出しているはずだ。

普通に夜襲をしても失敗する。それは、既にわかりきっていた。

だから、敢えてわかりきったおとりを使って敵の注意を引きつけ、その隙に本命の戦力を接近させ、攻撃を行う。

奇襲戦力を率いることを提案してくれたのは、グラウコスだった。そして今、グリルアーノは、片方の翼を失った借りを返す絶好の好機に直面していた。

「全クラーケン、敵に突撃! 支援鹵獲艦隊も、攻撃を開始せよ!」

「了解! グリルアーノ艦隊、攻撃開始!」

夜襲をするには、少し時間も早い。夜霧もある。

だが、そういう「軍学の基本」に外れるからこそ、今の攻撃には意味がある。

また、今回の攻撃には、今まで鹵獲した他の敵戦艦も全て参加させている。これらには魔術でマーカーをつけ、魔王軍ならば一目で味方と判別できるようにも工夫していた。

攻撃を仕掛けたのは、敵の後方。

司令部があるかはわからない。だが、後方を襲撃した、ということに意味がある。一晩中掛けて此処まで辿り着いたのである。攻撃が効果を結ばなければ、今までの戦闘での犠牲に意味が無くなってくる。

突撃を、開始した。

グラウコスの支援もある。敵が混乱しているのが、見て取れた。

クラーケンの一匹が、対88インチ砲の緩和弾を中空に打ち出す。同時に、敵の88インチ砲が咆哮し、空中で中途炸裂した。

沈み掛けているというのに、敵ガルガンチュア級は戦意旺盛だ。

突撃を開始した味方部隊が、敵に肉弾戦を挑む。クラーケンは無数の触手を振りかざして敵艦に覆い被さり、補充兵が怒濤のように乗り込んで制圧した。敵の応射も当然凄まじい。

だが、それでも。味方に勢いがあった。

一気に敵陣を切り裂いていく。

手当たり次第に攻撃をぶっ放しながら、分厚い敵陣の中枢に到着。グラウコスの支援で混乱している敵を、更に遅れて攻撃開始したレイレリアが叩く。空からの爆撃もあって、敵の混乱は更に加速した。

敵のガルガンチュア級が沈んでいくのが見えた。

これなら、かなりの打撃を与えられたはずだ。

混乱の中、敵陣を突破。

遅れてついてきた鹵獲戦艦部隊も、かなりの損害を出しつつ、充分な戦果を上げた様子であった。

敵は追撃してこない。

正面から全面攻撃を仕掛けたメラクスはどうなっただろうか。この状況なら、まさか敗死するようなことは無いはずだが。

大きく敵を迂回するようにして、味方陣地に戻る。

メラクスは、無事だった。

だが、驚くべき報告が、グリルアーノを打ちのめす。クラーケンを寄せてきたメラクスが、蒼白な顔で言う。

「勝利は勝利だが、驚くべき報告が入った」

「どうしたのですか」

「……敵に、増援だ。 今まで戦っていたのは、増援の規模から見て、敵の半数ほどに過ぎなかったらしい。 更に、今打撃を与えた敵部隊も、まだまだ過半どころか殆どが戦闘可能な状態だ」

絶句。

奇襲は成功したが、しかし味方の被害は更に増えている状態である。其処へ、敵は更に倍にふくれあがるというのか。

何という数の暴虐。ぎりぎりと歯がみするグリルアーノは、思わず運命を呪っていた。

「ただし、当然敵も再編成をするだろうから、此方にも対応の時間はある」

「こ、心が折れそうです」

「しっかりしろ。 俺たち軍団長がしっかりしていなければ、部下は戦えん」

メラクスに叱咤されて、その通りだと思う。

だが、今は、少し一人になりたかった。

 

2、騎馬軍団

 

キタン国の騎馬軍十二万を、ヨーツレットは山上から捕捉していた。

モゴルの二十万、キョドの八万五千も、既に動きを開始している。このうち、魔王の三千殺しを既にキョドに対しては発動しているのだが、不可解なことに動きが止まったという報告は無い。

或いは、人間も、何かしらの対策を練ってきているのかも知れない。

だが、全く動きが止まらないというのは、不可解きわまりない。

モゴルの進路には、押さえの五万が既に動いている。クライネス軍団の部隊だ。勿論規模から言って、正面からの戦闘では勝負にならないので、地形を利用して相手を押さえ込むことだけが任務となっている。といっても、クライネス自身は、わずかな直営とともに魔王のそばにいた。

また、キョドの方はというと、魔王自身が押さえに向かってくれている。

今回は、それだけ戦況が厳しいと言うことだ。

いずれにしても、一刻も早く。ヨーツレットの十五万をもって、キタンの軍勢を屠らなければならなかった。

仮設魔王城にはヴラドがいるし、魔王自身もとてつもない使い手だ。だから心配はしていないのだが。

それでも、総司令官である以上、不安は常に抱えていなければならなかった。

「ヨーツレット元帥?」

「何でも無い。 一気に敵を殲滅するぞ」

大陸中央の騎馬軍団は呪術にも優れており、単純な戦闘力も非常に高い。だから、敵より二割増しの兵力だと言っても、安心は出来ない。全力をもって、一気に叩き潰す他には無い。

触覚をぴんと張り上げる。

全軍が攻撃の姿勢を整えた。

敵が、まだ前進してくる。

そして、距離が一定まで詰まった瞬間。ヨーツレットは、触覚を振り下ろしていた。

攻撃開始の合図だ。

坂道を滑り降りるようにして、全軍が動き出す。敵も恐れる様子は無い。機動力を武器にする騎馬隊らしく、果敢に正面から攻め込んでくる。膨大な矢が放たれた。その全てに、強力な貫通の呪術が掛かっている。

左右に広がるヨーツレットの軍勢。

中央には、ヘカトンケイレスの部隊がいる。以前よりも、更に配備数は増えている。実際に、実戦での有効性が確認されたからだ。

ヘカトンケイレスとの射撃戦を避けたか、敵騎馬隊もさっと散開し、一旦包囲から逃れた。そして旋回しながら合流し、着実に此方へ矢を浴びせてくる。

ヨーツレットは鶴翼の陣を維持したまま、ゆっくり前進。そして、敵の動きに、法則性がある事に気づいた。

「なるほど、ヘカトンケイレスから一定距離を保っているな」

「どういうことですか」

「ヘカトンケイレスは火力が大きいが、その代わり動きが鈍い。 だから、正面からの殴り合いを避けるほかにも、此方の動きの基準としているのだろう」

此処で、ヘカトンケイレスの部隊を放置して他の軍勢で機動戦を挑んだりするのは愚策だ。

というのも、孤立した瞬間、おそらく敵はヘカトンケイレスに攻撃を集中してくるだろうからだ。その手には乗らない。

「特務部隊、出撃準備。 他の部隊は、ヘカトンケイレスを中心に、魚鱗に再編成」

戦いが長引くことは、決して此方にとっては不利にはならない。

というのも、夜が明ければ再び三千殺しを発動できるからだ。次はモゴルの軍勢にも、三千殺しを発動させれば良い。

ただ、どうも嫌な予感がする。

当然、人間も対策は考えてきているはずだ。何よりも、キョドの軍勢が動きを止めていない事が気になる。

特務部隊が出そろった。

「よし、敵を味方歩兵部隊と挟撃する! 総員、我に続け!」

歓声が上がった。

この特務部隊は、ヨーツレットを中心として、連隊長級以上の、しかも機動力に優れた補充兵だけをそろえた戦力だ。

騎馬隊に対抗するに弓が有効なことはわかっている。当然飛び道具になっている魔術も、である。

だから、機動力が低いヘカトンケイレスの力を生かすために、こういう部隊を編成したのである。

敵騎馬隊は縦列のまま、此方の軍の戦力を削るように、矢を放ち続けている。その先頭を押さえ込むように、ヨーツレットは最精鋭をつれて躍りかかった。

 

モゴル軍二十万に加わったアニーアルス軍三万は、既に進軍を停止していた。

というのも、モゴル軍が山越えをしようとした矢先、山頂に陣取っている五万余を発見したからである。

敵は今までに無い警戒態勢を整えていた、ということだ。まあ、今までさんざん敵の領土に侵入し、攪乱作戦を繰り返してきたのだから当然だろう。

モゴルの王は、大陸中央平原の主とも言われている。テジン=ハンという男だ。ハンというのは盟主というような意味であり、テジンとは襲名する名前であるらしい。そのため、本名は意外と知られていない。

徒歩で軍についてくることになったイミナは、あまりその顔を見る機会が無かったのだが。

山の途中で立ち往生することになって、やっと軍議が開かれ、その顔を見ることが出来た。

テジン=ハンは大柄な男で、ずっと軍議の間黙り込んでいた。或いは影武者なのかも知れない。あり得る話である。

しかし、妙な気配を感じるのだ。どうも、人間では無いような気がする。

まさかとは思うが。

ユキナに、ジャドの話をしたのが、もうこんな所まで影響を及ぼしているというのだろうか。

「敵は極めて堅固な要塞に寄っています。 無視して迂回する場合、かなりの時間的なロスをする事になりますし、力攻めしても被害はかなり大きくなります」

「押し通るべし。 このようなところで手間取っている訳にはいかぬ」

「そもそも敵の軍勢は、守備部隊が中心。 迂回して進み、もし追撃してくるようなら反転迎撃するべし」

いろいろな意見が出されている。

しかし、迂回するにしても。あの堅固な魔王城を一日や二日で落とせるとは思えないのである。

騎馬軍団は補給も各兵士達が持っている物資でせいぜいのようだし、魔王による遠隔殺戮の恐怖もある。この寡黙な大男は、それらをどうクリアするのか、興味はあった。

やがて、大男が膝を打つ。

イミナの隣にいるマーケット将軍は、会議の間ずっと黙って様子を見ていた。歴戦の彼でさえ、テジンが膝を打つと背筋を心持ち伸ばした。

「押さえを置いて、残りで北上する」

「ははっ! ハンの仰せのままに!」

今まで混乱していた会議が、一瞬で終了した。その手際を見て、目を剥いたのはレオンであった。シルンは意外に静かに、様子を見つめていた。

天幕を出る。

マーケットは王弟に報告するために、陣に戻る。

シルンは、今の会議のことで話があると言いだした。だからプラムはレオンに預けたまま、二人で天幕の裏に移った。

空は既に真っ暗。山はまるで暗黒の壁だ。この山を無理に越えるとなると、押さえには五万、或いは七万くらいは置く必要があるだろう。そうなってくると、味方の軍勢は十六万くらいに目減りすることになる。

魔王城を包囲しているところに、敵の機動軍十五万の攻撃を受けると、かなり厄介かも知れない。

問題は、キョド国の別働隊だ。おそらくキタンの騎馬隊は敵機動軍と今頃正面決戦している頃だろうし、それがどれくらいの時期、どれくらいの軍勢で魔王領になだれ込むかで、結果は全く違ってくるだろう。

それに、東側諸国の別働隊がどれくらいの時期で、魔王領北に上陸するのかも気になるところである。

「どうした、何の話だ」

「ねえ、お姉。 わたし達、此処に残らない?」

「どうした、急に」

シルンの表情は大まじめである。

そしてこの双子の妹は、絶対にイミナには隠し事をしない。

「いやーな予感がする」

「しかし、魔王を討ち取る好機だぞ」

「多分わたし達がいても、足手まといにしかならないよ」

それは確かに、あり得る。

此処で言う足手まといとは、戦力の話では無い。機動力の問題だ。

騎兵を中心としたモゴル軍は、戦闘でも機動力を武器に戦う。その時、基本歩行であるイミナとシルン、それにレオンとプラムは、どうしても孤立してしまう。

城攻めでは役に立てるかも知れないが、それもどこまで出来るか。

「しかし、予感は馬鹿に出来ん。 プラムは」

「あの子も、行きたくないって言ってる」

それならば、鉄板だろう。

運命論を信じるわけでは無い。だが、魔術師にとって直感はかなり大きなものなのだ。実際に、その直感で危機回避をするのを、何度もイミナは目撃している。

味方の陣へ。

モゴル王を止めることは難しいだろう。だからマーケット将軍と王弟を説得して、三万の軍勢は此処にとどめるべきだ。

しかも今までの偵察の結果から、ここにいる部隊が、南部諸国を蹂躙しまくった連中だと言うことはわかっている。リベンジマッチの好機だ。

陣に入る。

口論の声が聞こえた。騎士達が、残るか進むかで話をしているらしい。

「此処を支える奴がいないと、退路が無くなるだろう!」

「ふざけんな! 魔王を討ち取る機会が無くなるだろ!」

「騎兵はそもそも守りに向かない! 俺たちが此処に残るべきなんだよ!」

「臆したか、腑抜け!」

口論が徐々に加熱しているのがわかった。

プラムが、いつの間にか近くの木の上にいた。多分天幕で別れた後、其処に登っていたのだろう。

木の上にいるプラムは、木の実を適当にもいでは囓っていた。あれはかなり渋い果実の筈なのだが。

「プラム、どうした」

「うん。 レオンさんにも話したけど、残った方が良いと思いますよ」

「それは、我々も同意見だ」

イミナの発言が、周囲に沈黙を呼ぶ。

口論していた騎士達も、皆驚きの表情でイミナを見た。咳払いしたのはレオンである。

「銀髪の乙女、どうしてそう思う」

「詳しくは殿下に話してからだ」

周囲のひそひそ声。失敗したかと思った。

実際、不安を煽ったのは間違いなかったからだ。

天幕に入ると、マーケットが王弟と話し込んでいた。王弟は腕組みして、目を閉じて話を聞いている。

「殿下、やはり此処は、アニーアルスのためにも、少しでも領土を獲得できる方向に動くべきです」

「殿下」

「おお、銀髪の双子。 そなたらからも、殿下を説得して欲しい」

シルンは眉尻を下げた。

それだけで、マーケットは状況を理解したらしい。口をつぐんでしまう。王弟は目を開けると、頷いた。

「残った方が良い、そういうことかね」

「はい。 魔術師であるシルンが、妙な胸騒ぎを感じています。 勘が鋭いプラムも」

「……それだけが根拠か」

「それに、この軍勢の編成だと、騎馬兵中心のモゴル軍との連携は難しいかと。 攻城兵器は渡してしまうとして、兵種から考えても、此処に残る意義は大きいかと思われます」

アニーアルスは、小さな国だ。

ずっとかって存在した大陸西の強国達によって、大陸中央の騎馬民族に対する押さえの地位を強いられてきた。武の国として発展はしてきたが、土地は貧しいし、何よりも国土は狭く人口が少ない。

五万五千の総兵力という時点で、既にこの国の実力がはっきりわかるほどだ。

だから、マーケットの意思も分かる。此処で大きな手柄を立てておけば、魔王を倒したとき、多くの土地を得られるかも知れない。

そして土地を得られれば、それだけ豊かな未来が得られるかも知れないのだ。

実際、戦争をするのは殆どの場合それが理由だ。正義だの悪だので戦争をする阿呆は存在しない。

「マーケット、各将に通達」

「ははっ」

「我らは、此処に残る」

 

キタン軍は柔軟に、ヨーツレットの突撃をさばき続けた。

流石に修羅の世界である大陸中央部で、モゴル国と長年渡り合い続けただけのことはある。以前戦ったアルカイナン王の軍勢に、勝るとも劣らない練度だ。

だが、ヨーツレットおよび百名ほどの最精鋭は、全く疲れていない。

それに対して、何度も激しいぶつかり合いを続ける敵は、徐々に疲弊が蓄積し始めているのがわかった。

「そろそろ、仕掛け時だな」

防御術式で矢をはじきながら、ヨーツレットは呟く。

順調に戦闘が推移している。敵の騎馬隊は動きが遅くなりつつあり、此方は逆に着実に敵を叩き落とし始めていた。

ヨーツレットはオーバーサンを用意しようかと思ったが、しかし何処かで気に掛かる。

当然今回の同時攻撃において、此奴らは真っ正面からヨーツレットの迎撃を受けることを想定していたはずだ。

その割には、どうも動きが鈍いような気がしてならない。いや、それは錯覚では無いだろう。

何かを企んでいるとして、何を仕掛けてくるつもりか。

不意に、敵が一丸となり、全力でぶつかってきた。

百体の最精鋭が此方も一丸となり、全力で防御術式を展開する。凄まじい突撃を、真っ正面から受け止めに掛かる。

同時に勝機と見た主力も、突撃を開始。

一気に挟んで押しつぶそうかと、動いた時。ヨーツレットは敵の狙いに気づいた。

不意に、敵がぱっと散る。そして、後は脇目もふらず、自領へと引き上げていった。その背後に、オーバーサンでの一撃を叩き込んでやる。千騎ほどが吹っ飛んだようだが、しかし主力は無事に逃げ去った。

「しまった……」

「如何なさいましたか、元帥」

「今、我らがどこにいると思う」

そう言われて、部下達もようやく気づいたようだった。

此処は大陸中央部の平原、しかもかなり東へ食い込んだ地点だ。つまり敵の目的は、元々機動力に欠ける此方の戦力を、仮設魔王城から引きはがすことだったのである。

ほぼ丸一日の死闘で、味方の被害は奇跡的にさほど出ていないが、しかしそれでも相当に引っ張り回された。

しかも、である。

キタン軍もほぼ無傷で引いた以上、いつまた再侵攻を仕掛けてくるかわからない。その時に備えて、防衛戦力はある程度用意しておかないと危険だ。

その上、これが作戦行動によるものだとすると、このまま全速力で西に向かうのは大変に危険だ。

少し考え込んだ後、ヨーツレットは言う。

「周辺の守備部隊に、警戒命令を。 いざというときはナザ要塞に、四万五千で籠もれ」

「はは。 直ちに」

「それだけだと少し足りないな。 ラフォス師団長、貴殿はナザに残り、敵が再侵攻を仕掛けてきたときに対応せよ。 わかっているとは思うが、守勢に徹して、隙を見せても反撃しようとは思うな」

「承知いたしました」

クワガタムシを巨大化させたような姿をしているラフォスは、深々と頷いた。勿論麾下の精鋭補充兵だ。

しかし、それで二万を失うのは少し痛い。

移動しながら、各地の拠点に指示を出し、クライネスが再編成中だった部隊を集める。合計して二万五千ほどを集めて、負傷兵を代わりにそちらの守備に残した。移動しながら再編成を済ませ、更にヨーツレットは指示を飛ばす。

程なく、魔王が情報を求めて、通信してきた。

高速で移動しながら、隣を同じ速度で走る補充兵の作り出した通信球に写った魔王と、ヨーツレットは忙しい受け答えをした。

「元帥、報告は聞いた。 厄介なことになっておるようだのう」

「はい。 ただ、敵は陛下がその地点にいることを知りませぬ。 それが好機になるかと思います」

「なるほど、そういうことか」

今、魔王は魔王領の南西にある、インドラジット要塞に身を置いている。

ここは、情報をかき集めた結果、キョド軍が義勇兵と共に侵攻してくると予想された地点だ。要塞はさほど堅固では無いが、一応二万の兵が常駐している。そして何より、短時間で人間の街を廃墟に出来る火力を誇る魔王がいる事で、兵士達の士気は嫌が応にも高まっていた。

問題は魔王の安全だが、今回はクライネスが直接護衛として側に控えている。それならば、最悪の場合空間転移で逃げる手もある。

エルフの護衛戦士達もここに入っているし、簡単に侵攻することは出来ないだろう。

敵はヨーツレットの部隊を連戦で疲弊させ、葬り去るつもりだ。

だが、これからヨーツレットが主力であるモゴル軍を倒せば、むしろ戦況は逆転する。此処からは、魔王軍の底力を見せつけることになるだろう。

「だが、元帥。 どうも引っかかるのう」

「三千殺しが通じなかったことですか?」

「いや、通じはした。 つまり、三千が死んだのは確認したのじゃがのう。 キョドの軍勢は、最初から囮であったのやもしれん」

「そうなると、まだ人間には隠し札があると」

あり得る話だ。

夜通しの進軍で、どうにかヨーツレットは仮設魔王城から二日の距離まで戻った。モゴル軍が山を突破し、仮設魔王城に対して攻城戦を仕掛けるにしても、まだ時間が掛かるはず。

純正の魔物達もいる。一旦休憩を行わせる。

そして、周囲に放っていた伝令達を戻して、情報を整理した。

「キタン軍は、ナザ要塞東方二万歩ほどの距離にて再集結。 隙さえあれば、また此方を伺う構えを取っております」

「ラフォス師団長は」

「周辺の出城や要塞と連絡を取りつつ、最大限の警戒を続けている模様です」

「それで良い」

ラフォスは直属の師団を率いているだけあって、戦術眼も優れているし、戦略判断能力もある。

敵のおとりに引っかかる様なことは無いだろう。その戦線は守勢で構わない。

さて、次はモゴル軍だ。

「モゴルはどうなった」

「既に山越えを果たした模様です」

「何……」

「此方の防衛線の押さえにおよそ四万の兵を残し、およそ二十万弱が行軍中。昼前には、仮設魔王城の周辺に展開する可能性が高いと思われます」

舐めてくれたものである。五万の守兵を、四万程度で抑えられるとでも言うのか。

状況をもう少し細かく確認。

守兵は当然激しい戦いを始めているようで、敵を押し始めているという。勿論勝っても深追いはしないように、釘を刺す使者を出しておく。

問題は主力のモゴル軍だ。連中が仮設魔王城をおとなしく包囲してくれていれば良いのだが、巣穴などを狙ってこられると大変に面倒である。

その場合は、テレポートを使える術者に、ヨーツレットだけでも飛ばしてもらうしか手が無いだろう。

ヨーツレットなら、巣穴の防備と連携すれば、味方が追いついてくるまでは耐えられる。否、命に代えても耐えなければならない。

「よし、このまま進軍を続ける。 モゴル軍を捕捉し、殲滅する!」

エンドレンでの戦況が気になる。

本当だったらそちらに向かいたいくらいなのだが、魔王が最前線にいる以上、ヨーツレットもかの方を守るために全力を尽くす義務がある。

殆ど徹夜だが、それくらいなら大丈夫だ。問題は部下達の方である。疲弊が激しいのはわかっている。それに対して、敵は休養が充分なはずだ。

流石にヨーツレットも、二十万の軍勢を正面から相手して勝つ自信は無い。

つまり、短時間で、勝負をつけるほか無かった。

 

テジンは魔王の城を一瞥だけする。後は目もくれなかった。

さまざまな方法で情報収集した結果、敵の軍勢のうち、機動力を有しているのは二十万程度だということがわかっている。そのうち五万ほどはキョドの軍勢がひきつけているから、これから十五万程度の敵を葬れば勝ちだ。

あんな城は、ほうっておいても落ちる。

魔王がどれだけの怪物だろうが、後は二十万の軍勢で押しつぶすだけであった。

テジンの軍勢は四十万に達するが、今回はあえて特殊な編成で、半数だけを率いてきている。その上、側近は一人もつれてきていない。そのため、軍への指揮はテジンだけが行う形式をとっていた。この場合は、テジンが戦死すると軍はまったく身動きがとれなくなるので危険性が高いが、しかし。

勝つための手段は、いくつも練ってあった。

テジンは少し前に、医師に宣告されていた。

肺に、病がある。あなたの寿命は、後一年と半分ほどである、と。

それから、ずっと悶々と悩み続けていたといってもよい。魔王軍が侵攻してきても、撃退できる自信はあった。だが、残念なことに、家督を継ぐべき息子たちは誰もが器を備えておらず、特に彼らを束ねなければならない末っ子は、癇癪もちで、家臣たちの間では著しく評判が悪かった。

テジンは、もっと長く生きなければならなかった。

そのため、受けたのだ。東側の大国から持ち込まれた話を。

結果として、テジンは人間をやめた。成功率は百分の一という話だったが、人体改造とやらはうまくいった。

これで、テジンは。魔王の不可解な力によって、何もできずに殺されることはなくなったのである。

ただ最近、ちょっと嗜好が変化してきている。女がまったくほしくなくなったのもそのひとつだろうか。遊牧の民は女性に対して農耕民よりも手厚い扱いをするが、だからこそに妻にそっぽを向かれることで、改めてテジンは自分の嗜好が変わってしまったことに気づいたのだ。

性的な話だけではない。

食事でも、前より塩味が濃いほうが好みになった。いや、そんな表現は生易しすぎる。料理人たちも首をかしげている。テジンが食べているものは、とても食べられたものではないと。

いずれもが、人間をやめた影響だろう。

肺のほうは問題ないと、医師が告げてきている。だから後は、魔王を倒してやつの領地を併合し、そしてだめな息子たちでも統治できるように準備を整えて、それからやっと引退できるのだった。

魑魅魍魎がうごめく大陸中央の地獄絵図を勝ち上がってきたテジンである。魔王軍が単独では強くとも、戦略戦術では人間に及ばないことを理解していた。今回は敵の最精鋭が相手とはいえ、疲弊している状態である。必ず、勝てる。

部下達も、テジンに対する信頼は絶対だ。

唯一不安なのは、後方の状態だが。アニーアルスの連中を監視するために、一万の兵も残してある。敵の守備兵が攻勢に出るかも知れないが、それでもテジンが勝つまでの間くらいは、持ちこたえることが出来るだろう。

さて、敵はどう出るか。

東へ進む。

これは、退路を断たれた場合の事も考えてのことだ。

アルカイナンの若造は、退路を断たれたことで部下達が動揺し、無惨な最期を遂げたと聞いている。

だから、最初から、全力で敵を粉砕する。退路についても、きちんと敵が想像している以上の数を、用意しておく。

戦いは、始まる前に勝ち負けが決まっている。

大きな会戦だけで二十以上、小規模な小競り合いも含めると五百を超える戦歴を誇るテジンだからこそ、それを熟知していた。

無数にはなっていた偵察兵が戻ってくる。

「敵、見当たりません!」

「ほう?」

まっすぐ西進してくるかと思ったら、違うか。

一旦停止して、やや北上する。その辺りに敵の拠点がある事はわかっている。もしも敵に此方の動きが掴めているのなら、必ず阻止するための行動を取るはずだ。さて、どう出るか。

此方の偵察兵は、馬を使っているだけでは無い。

携帯式の狼煙を打ち上げる装置を使って、高速での情報伝達を可能にしている。そのため、偵察兵を周囲に派遣している状態だと、事実上隙が無い。

テジンは腕組みして、馬上で周囲を見つめていた。

荒涼たる野。

魔王軍が制圧した地域では、森が出来たり、野原が緑化されたりしていると聞いている。そうなると、この辺りはまだそういった作業が行われていないのだろう。

農耕が、大地からの搾取だと、テジンは知っている。

かといって、遊牧はある程度条件が整わないと実行できない弱みがある。それを考慮すると、一長一短である。いずれにしても、大地に対して、人間は優しくないという点では共通しているが。

そういえば、銀髪の双子とやらは中途拠点の監視に残った。

あいつらは相当に勘が鋭いと聞いている。油断は、しない方が良いだろう。

不意に。

テジンの周囲にいた兵士達が、ばたばたと落馬した。数は数千に達するだろう。いずれもが歴戦を重ねてきた精鋭ばかりだ。

だが、指揮官は百人単位に極めてまばらにしている。これだけで、戦況が動くことは無い。それに、テジンは馬上にて健在だった。

「来るぞ! 偵察兵、周囲を密に警戒!」

「敵を発見しました!」

「どこだ」

さっと、周囲に緊張が走る。テジン自身も、ずっと愛用してきた大弓を手にしていた。

偵察兵が馬を寄せてくる。

そして、西を指さした。

「あちらから、敵およそ十五万! まっすぐこちらに向かってきます!」

「ほう……」

いつの間にか、回り込んでいたのか。

まっすぐ東から来たのなら、魔王の城を伺うふりを見せつつ、敵を攪乱して振り回してやろうと思っていた。

だがこれだと、相手によってこちらが分断された形になる。

しかしながら、テジンの戦力はいずれもが騎馬隊だ。口の端をつり上げると、テジンは突撃の指示を出していた。

 

ヨーツレットは、大きく迂回することで、敵の背後に回り込むことに成功していた。

だが、敵は全く動じている様子が無い。

即座に反転すると陣形を整え直し、真っ向から突撃を仕掛けてきたのである。

これは、面白い。

もっとひねった卑劣な作戦を採ってくるかと思っていた。数の差を武器に、正面から挑んでくるなら、むしろやりやすい、

「全軍、総力戦! 敵と正面からぶつかり合うぞ!」

「おおっ!」

膨大な数の矢が飛んでくる。それを力尽くで、防御術式で受け止めながら、一丸となって前進。

敵のくさび形陣形が、ぱっと開く。

時間が切り取られたかのような鮮やかさだった。

突撃を行った此方をあざ笑うかのように、敵は陣を広げ、此方の周りを回転しながら矢を叩き込んでくる。

ヨーツレットは即応。精鋭百騎とともに、陣を飛び出した。

此方の周囲を回転している敵の頭の前に躍り出ると、オーバーサンでの一撃を叩き込む。敵は散開するが、それでも圧倒的な熱量が、確実に動きを止めた。

わずかな混乱。

つけ込んだ味方が、矢を叩き込む。

敵の兵が、次々落馬した。

味方陣地が、方陣へと再編するのを横目に、ヨーツレットは敵に果敢な突撃を実施。少しでも、正面から力攻めを挑んでくると思った方が間違いだった。所詮は人間と言うことだ。

矢が飛んでくる。

敵は陣をめまぐるしく切り替え、ヨーツレットが近づくとヨーツレットに、一撃離脱すると今度は方陣に狙いを切り替えて、膨大な矢を浴びせてくる。流石に最精鋭を集めている百騎でも、これだけの矢は捌ききれない。

味方に、無数の矢が突き刺さる。

流石に、大陸中央の覇者という訳か。味方には疲弊が殆ど無いというのを強みにしていくか、或いは。

不意に、敵がくさび形陣形を再編する。

そして、いきなり味方の方陣へ、全力で突撃してきた。

凄まじいぶつかり合いが行われるが、何しろ不意である。防御術式が、ぶち砕かれるのが見えた。

ヨーツレットは、無言で大威力の術式を、密集した敵陣に叩き込む。それに習った最精鋭が、連続して火球を浴びせるが、煙が晴れたときには、もう敵は散開して再集結を果たしていた。

味方方陣に、かなりの被害が出ている。特に前衛になっていた第四師団は、ほぼ完全に蹂躙されていた。

「キニーラ師団長戦死!」

「……やってくれるな」

ヨーツレットは怒りに身を震わせながらも、次の手に打って出る。

 

戦術の腕比べは、まずまずだった、モゴルの騎兵達はそれなりの損害を出しつつも、敵にそれ以上の損害を確実に与えていた。

当然である。テジンが鍛えに鍛えたのだから。

人間の理屈に、弱者は悪というものがある。大陸中央部ではその傾向が特に強い。負ければ奴隷にされるし、妻も娘も奪われる。勝ったものは、何をしても良いのだ。

だから魔王軍が、人間を片っ端から殺していると聞いても、大事な奴隷を無駄にしている、と位しか感じない。実際問題、大量虐殺など日常的に行われているからだ。むしろ魔物は負けたから大量虐殺されただけで、それは弱いという結果が生んだ、自業自得の末路だとさえ、テジンは思っている。

もしもそれを魔物が由としないのであれば、人間と永久に理解し合うことは無いだろう、とも。

「敵が新しい動きに出ました」

テジンはほうと呟いていた。

古くさい金床戦法もどきから、今度はどうするつもりか。見ると、方陣を細かく分割し始めている。

これは、どういうことか。

まさか、此方の指揮系統が、テジンから一本化されていることに気づいたとでもいうのだろうか。

もしそうなら面白いのだが、さっきまでの動きを見ている分、敵の司令官は真っ向からの戦術勝負にこだわる青臭い若造だ。其処まで知恵が回るとは思えない。だが、侮ると死を呼ぶこともテジンは知っている。

注意深く見ていると、敵の陣の一つが、急に膨大な魔力を放ち始めた。

これは、儀式魔術か。

あっと思ったときには、味方陣地に巨大な稲妻が炸裂していた。百騎以上の騎兵が、瞬時に黒焦げと化していた。

吹っ飛ぶ死体を見て、テジンは呻く。なるほど、そういうことか。

「敵は確実に此方に打撃を与えるために、強みを生かす戦術に出たか」

「如何なさいますか」

「ふん、これでようやくまともに立ち会えるという所だ」

正直、今までは敵の無能さに退屈きわまりなかった。

ここからが、本番であろう。

 

複数に別れた陣が、時間差で儀式魔術を敵に発動する。

その結果、無限連鎖めいた術式の嵐が、敵を襲うことになる。

これこそが、この間クライネスが提案した、連鎖式爆撃陣である。確かに見たところ、効果が大きい。

突撃に出ようとした敵陣の先頭百騎ほどが、突如降り注いだ雷撃に吹き飛ぶ。

敵の戦意は旺盛だが、片っ端から浴びせられる大威力の術式に、かなり閉口している様子だ。

そしてもし撤退に移るつもりであれば、もう一枚のカードを切るつもりである。

不意に、敵が散開した。

その瞬間、ヨーツレットと最精鋭が突撃を開始。目についた騎兵に、ついに追いついた。

巨体を武器に、薙ぎ払う。吹っ飛んだ騎兵が地面にたたきつけられ、馬ごと潰れるのが見えた。

だが、一部隊を殲滅している間に、敵が既に方陣を組み、味方に突撃しているのが見えた。

即座に味方が対応。

儀式魔術を準備していない部隊が、盾となって突撃を防ぐ。

猛烈な突撃と、渾身の防御陣地がぶつかり合う。防御術式が砕けるのと、密集した敵に儀式魔術が炸裂するのは同時。敵の突撃は止まらず、味方の陣地が一つ蹂躙されたが、敵の被害も小さくない。

また、敵が散開しようとする所に、追いついたヨーツレットが攻撃を仕掛ける。

凄まじい消耗戦になってきたが、こういう戦いは根負けした方が最終的には破れる。それなりに戦場で経験を積んできたヨーツレットは、それを知っていた。

敵将は、どこにいる。

少し前から、銀髪の双子に関するデータが集まり始めている。それによると、連中はほぼ間違いなく、人間を止めている。

もしも、この指揮を執っている奴が、人間を止めているとすれば。

乱戦になれば、どうしても目立つはずだ。

そろそろ、オーバーサンのチャージが終了する。密集した敵に叩き込めば、かなりの打撃が期待できる。

ヨーツレットは、単身躍り出る。勿論、勝負に出るための行動だ。

案の定、敵が一気に此方に集中指向してきた。

もう少し、引きつける。

この勝負所だからこそ、敵の姿が見えてくるはずだ。

既に敵は一割半近い損害を出している。ヨーツレットの軍団も、一割を少し超えているだろう。

戦闘継続できる限界は、両者ともとっくに超えているのだ。

後は、これという決め手があれば、一気に傾く。

 

巨大なムカデが、単身躍り出てきた。

知っている。あれは、敵の総司令官。更に言えば、強力な砲を装備しているのを、確認済みだ。魔力で動かしているのか違うのかはよく分からないが、少し前の会戦でも、キタン軍の千騎以上を瞬時に吹き飛ばしたという。

つまり、最終攻撃を誘ってきている。

馬鹿がと、テジンは呟いていた。

此処で勝機が来た。このムカデ、武人を気取っているのだろうが、戦場ではそんなものは役に立たない。

騎士の誇りなど、騎兵による弓矢の長距離狙撃の前には無意味千万。実際、今まで騎馬民族は、騎士の誇りとやらに負けたことが一度も無い。遠くから矢をいかけ、倒れたところを蹂躙するだけだ。

突出したムカデに、無数の矢を浴びせかける。

ムカデの防御結界を、矢が突破した。奴が無念の咆哮を上げた。もう一押しだ、そう思った瞬間、真横から圧力。

いつの間にか、ムカデと別れた敵の最精鋭が、真横から突撃を仕掛けてきていたのだ。

一気に近衛が崩される。テジンは馬首を返して、再編成に掛かろうとしたが。

その目と鼻の先を、膨大な光の矢が貫いていた。

爆発。

吹っ飛ぶ味方が、冗談のような高さを弓なりに飛んでいった。

これが、奴の切り札か。

全身を矢だらけにした奴が、此方をにらみつけている。大量の体液がこぼれているようだが、闘志は衰えていないらしい。

愚かしい奴だと、テジンは吐き捨てる。

戦いは、まず勝たなければ意味が無い。勝つためなら家族だろうが友人だろうが切り捨てる。それだけの覚悟が無ければ勝てないし、生き残ることだって出来ないのである。

そもそも殺し合いに信念だの勇気だのは不要。

如何に効率よく敵を殺戮し、その抵抗力を奪うかが重要なのだ。

味方が崩れかけているが、叱咤。最精鋭を押さえ込みにかかる。そして、あの巨大なムカデは。

いない。

嫌な予感がしたテジンは、不意に向きを変えて、高速で敵の歩兵部隊へと突っ込む。

至近。後ろ。

地面を吹き飛ばして、ムカデが姿を見せた。逃げ遅れた味方の騎兵が、奴の鋭いキバをまともに受けて、襤褸ぞうきんのように蹴散らされる。

これで、終わりだ。

テジンが、指揮剣を振り下ろした。

弱っているムカデに、体勢を立て直しつつある騎兵達が殺到する。手に件を弓矢を持ち、奴へ向けて殺気を叩きつける。

だが、周囲は大乱戦だ。

ムカデに接触する好機が、一体どれだけあるか。

至近。六本腕の巨大な敵が放った矢が、味方の騎兵の頭を貫通した。ばかでかい鏃が頭を砕き、首から上が吹っ飛んだ。

大量の鮮血を浴びながらも、テジンは馬を繰る。

テジンの馬は、数十万頭から選び抜いた駿馬中の駿馬だ。速力は、魔物にも負けない。

指示を出そうとした矢先、またしても至近の騎兵が、六本腕の敵が放った矢に吹き飛ばされる。

二度連続。

周りを見回して、愕然とした。

いつの間にか、孤立しているのはテジンの方では無いか。

そうか、ムカデを遠巻きに追い詰める指揮を執っている内に、敵にテジンの居場所を捕捉されていたのだ。

呻く。

至近に、巨大な落雷。儀式魔術によるものだ。

一気に近衛の戦力が削り取られていく。

だが、こうなれば、根比べだ。

「総員、ムカデに突撃しろ! 奴は弱っている! とどめを刺せ!」

だが。

不意に敵が陣形を変え、ムカデを守りに掛かる。

もはや、指示を変える暇も余裕も無い。

騎馬隊全軍が、待ち構える敵の軍勢に、真っ正面から攻めかかっていた。

 

夕刻。

激烈なる決戦に決着がついた。

モゴル軍は敗走。

最後のきっかけになったのは、ヨーツレットの触手の一本の先にぶら下がっているテジンの死だ。

大乱戦の中、ヨーツレットは最後まで、発見したテジンから目をそらさなかった。

そして、隙を見て、触手を伸ばして貫いたのである。

感触が少しおかしい。人肉にしては堅すぎる。

放り捨てると、ヨーツレットはかろうじて生き残っていた副官に命じた。

「それを持ち帰って解析しろ。 多分人間では無い。 銀髪の双子を倒す助けになるだろう」

「わかりました」

「生き残りは」

アニアール師団長が、しばらく言いにくそうにした後、言う。

「味方の損害は四万五千を超えました。 壊滅です」

「敵は」

「この戦場に遺棄された死体は十万弱。 此方も壊滅、と言いたいところですが」

モゴル軍の総兵力は四十万に達するという報告がある。流石に即座に同規模の軍勢を出すとはいかないだろうが、しかしまだ余力があると言うことだ。

他の戦場は、どうなっているだろうか。

キョドを押さえている魔王とクライネスから連絡が来る。

あちらは、二十万に達する大軍勢に攻撃を受け、支援どころでは無いという。呻いたヨーツレット。

人間は、南部諸国の恨みを晴らすという題目で、大攻勢に出ているらしい。

「一カ所ずつ、片付けていくしかあるまいな」

「仰せの通りで」

「まず、彼方此方の防御拠点に行き、戦力を補填しよう。 巣穴からも、最優先で兵力を回してもらう必要がある」

だが。

エンドレンの戦況が芳しいわけも無く、此方ばかりを優先するわけにもいかない。

とりあえず、今は出来ることを、するべきであった。

 

3、南北奇襲

 

アニーアルス軍に動揺が走る。

監視役につけられていたモゴル軍一万が、勝手に撤退を開始したのである。何かあったのは、火を見るよりも明らかだった。

内容も、だいたいはわかる。

モゴル軍が、敗退したのだろう。

ただし、敵もぴたりと攻勢を止めている。一進一退の激しい戦いが続いていたのだが、それもこうぴたりと止まってしまうと、ある意味気味が悪かった。

敵から一旦距離を取る。

山脈の中央から下山して、麓の平原に布陣。街道は静まりかえっていて、既に住民達にとって、此処が交通の大動脈では無い事を告げていた。

軍議を行うことになり、イミナはシルンと一緒に出席を求められる。レオンはプラムと一緒に留守番であった。

天幕に入ると、アニーアルス軍の最高幹部だけが揃っていた。その中に一人、遊牧民らしい四角い顔の男が一人混ざっている。目が細く、筋肉質なので、一目で見分けがつく。監視役の軍は引き上げたかと思ったのだが、何か理由があって、一人だけ将軍が常駐するのだろうか。

いずれにしても、現在アニーアルス軍は、モゴル軍と連携して行動しなければ、話にならない状態である。仕方の無い事ではあった。

「揃ったな。 それでは軍議を始める」

王弟が、書類を配らせる。

ざっとそれに目を通すと、案の定だった。

モゴル軍が負けた。しかも、テジン王は戦死だという。

しかしながら、敵の主力となっている精鋭機動部隊にも致命的な打撃を与えた。敵の損害は三割を超えており、すぐには軍として活動出来ないだろう、とも。

ならば、此処は好機だとも言える。

「選択肢としては、一気に押し通るか、味方と合流するか、だが」

「我が軍は三万。 単独では、魔王を倒せるかは微妙なところでしょう」

マーケット将軍が、まず慎重論を口にする。

この男が見かけと違って歴戦の闘将であることは、誰もが知っている。だから、その意見には、皆が重きを置く。

「そうだな。 しかし、味方と合流すると言っても、どうするのか。 キョド軍は現在義勇兵を無秩序に吸収して二十万に達していると聞く。 其処に合流しても、邪魔になるのでは無いのか」

「キタン軍は一度引いたと聞いているが、そちらに合流するという手もある。 こっちなら、戦線も本国に近いし、補給も受けやすい」

「しかし、未確認情報だが、キョド軍が交戦している敵部隊に、魔王がいるという話がある」

何名かの将軍が立ち上がった。

発言したのは、南部諸国の軍勢をクドラクと一緒にまとめていた若い将軍だ。クドラクは今西部戦線でキョド軍と一緒に戦っているが、その下でずっと戦術指揮を見てきた男である。

だから、情報も比較的新しいし、人脈もある。

「確かか、それは」

「いえ、未確認情報ではあります。 ただ、五万程度の敵に、二十万を超えるキョド軍が常識外に苦戦しているのは事実です。 儀式魔術と考えてもちと桁外れの術式が連続して飛来しているそうで、まだ城壁にも到達できないとか」

「……」

イミナとしては。

そちらに参戦したい。しかしながら、全体の戦況を考えると、今は東、そして東側諸国の軍勢が上陸しようとしている北部海岸地帯こそが戦略上の要衝だ。

魔王のいる場所に、参戦できればとは思う。

だが、数だけで質は劣る味方が、敵を押さえている内に、敵の勢力内部を侵食できれば。モゴル軍は負けたようだが、キタン軍はほぼ無傷のままだし、一気に敵の勢力を削り取ることが出来るだろう。

「お姉、これって魔王を倒す好機じゃ無いの?」

「数だけで押し切れると思うか?」

「うーん、どうだろう」

そもそも、である。

キョド軍は数を武器にした時間稼ぎが主任務だったはずだ。それが情報が本当だったとしたら、魔王のいる部隊とぶつかっていることになる。

以前潜入した魔王の城はがら空きと言うことだろうが、しかし魔王の拠点を潰したところで、それがどうなるという話もある。実際、其処しか拠点が無いとは、考えにくいのである。

此処は、長期的な勝ちを考えるべきでは無いのだろうか。

「銀髪の乙女、どう思う」

話を振られた。

咳払いすると、イミナは周囲を見回した。やはり、かなり視線が集まっている。

「私としては、此処は敢えて勇気ある後退をするべきかと思います」

「なるほど、キタン軍と合流せよと」

「はい。 南部の戦線は数だけを頼りにしていて、主力のキョド軍も八万五千程度と若干劣勢です。 それ以外の兵は、殆ど訓練も受けていない、素人同然の連中。 これでは、加勢しても魔王を倒せるかは微妙でしょう。 むしろ、魔王がもしもそちらに引きつけられているのなら、東側に戻って、少しでも敵の領土をむしるべきかと思います」

「……なるほどな」

王弟が頷く。

今度はマーケットが聞いて来た。ただしシルンにだが。

「銀髪の勇者よ、貴方はどう思う」

「はい、わたしもお姉に賛成です。 敵の機動部隊も壊滅したと言うことですが、モゴル軍が全滅的な打撃を受けたのも事実。 それなら、我々単独で戦うよりも、精鋭が揃ったキタン軍と合流した方が、まだ戦況が良くなるはずです」

王弟は、それについても好意的に受け取ってくれたようだった。

だが、反対意見も多い。

特に若い将軍は、魔王を倒す絶好の好機だと言うことを、何度となく主張していた。それも、わからないわけではない。

実際、イミナも心が動くのである。

フォルドワードで戦っていたとき、師匠と過ごす時間は、わずかな安らぎだった。

エル教会のろくでもない生体実験施設で育ったシルンとイミナが、始めて得られた安息の時だった、と言っても良い。

それを結果的に奪った魔王を、イミナは許しはしない。

しかし、ふと気づく。

この間の、侵攻軍との戦闘で見た、凄まじい数の死体。

あの戦争の結末を、これ以上も無いほど示している結果を見て。何処かで、戦いを避けようとしている自分がいるのでは無いかと。

それは、ないと思いたい。

思いたいのだが、時々夢には見るのである。シルンはもっとひどいようで、時々うなされているのを確認している。

二刻ほども、会議が続いた。

だが、王弟は結論した。

「此処は、一端引く。 キタン軍と合流、もしくは連携して、魔王軍の拠点を一つでも陥落させる」

「ははっ!」

「勝負に出たい気持ちは理解できる。 だが、魔王は強大な存在だ。 確実に勝ちに行くのが一番良い。 ましてや我らは、勇者殿の同行があるとは言え小勢だ。 此処は、投機的な賭に出るべきでは無い」

理路整然とした王弟の言葉に、若い将軍達も黙らざるを得なかった。

そう決まると、後は早かった。

全軍が動き出す。西には、何の未練も無いかのように。南部諸国を見捨てるわけでは無い。どっちにしても、敵の機動部隊が壊滅した以上、勝てなくても、負けることは多分無いだろう。

兵士達の顔には、安堵が目だった。

やはり、誰もが魔王と戦うことに、不安を感じていたのだろう。シルンが、隣で馬に跨がったまま、少し残念そうに言った。

「戦いたかったなあ」

「押さえろ。 今は、敵に対して攻勢に出て、ある程度の勝ちを得たという結果だけで良い」

「……うん」

軍は、東へ移動。数日掛けて、モゴル軍の敗残兵を吸収しながら、帰路をたどった。

 

クライネスは、舌を巻いていた。

魔王の凄まじい魔術が、城壁にすがりつこうとする敵兵をまとめて薙ぎ払う。攻城兵器から飛来する大岩や矢を、クライネスが防ぐだけで良かった。殆どの部隊は温存したまま、敵だけが消耗していく。

更に、普段のおっとりした様子はどこへやら。魔王は城壁に仁王立ちし、さながら力の権化であるかのように、眼下の軍勢に魔術を放ちまくっていた。魔力が切れる雰囲気は、全くない。

護衛のエルフ戦士達も防御術式を展開しているから、クライネスの出番さえ無いかも知れない。

「敵の第七波、後退を開始しました」

「ふむ、ならば少し休むとしようか」

魔王は城壁の上に持ってこさせた安楽椅子に座ると、ミカンを一つ手に取る。そして、思い出したようにクライネスに言う。

「食べるかのう、クライネス将軍」

「いえ、陛下だけでお楽しみください」

「そうか」

目を細めると、魔王はゆっくりミカンの皮を剥いて、一房ずつ食べ始めた。

ゆったりした空気が流れる。

さっきまで、城壁の下に群がる敵兵を惨殺しまくっていた人物と同一とは、とても思えなかった。

城門を開けた補充兵が、転がっている人間の死体を拾い集め始める。

七回の攻撃で、人間側は一万近い損害を出している。敵の総数は二十万以上だが、そろそろ無視できぬだろう。

しかし、この要塞は、狭隘な岩山の間に作られており、多数の兵は一度に近づけない。勿論魔王の圧倒的な強さもあるのだが、その地形的不利が、此処まで一方的な状況を作り出していたとも言える。

しかもこの辺りの地形は極めて険しく、此処を通らなければ魔王領には行けないのである。

南の山脈は、何カ所かこういう場所がある。

戦略上の要所として、クライネスも以前から守りを固めてきた。そして、今それが意味を持っていた。

「陛下、後はお任せください。 敵は慎重な用兵に転じることでしょう」

「ふむ、それならば、むしろ此処は儂にまかせい。 クライネス将軍は、三万ほど守兵を率いて、ヨーツレット元帥に加勢するのじゃ」

「え……?」

魔王がこういう指示を出してくるのは珍しい。

いつもは、特に作戦指揮に関しては、部下の采配に口を挟まない方なのだ。

「どうも嫌な予感がする。 ヨーツレット元帥の直営軍団が壊滅した事で、多分キタン軍とアニーアルス軍辺りが、東からの侵入を試みるじゃろう」

「それは、守備戦力だけでどうにか出来ると試算が出ています。 残念ながら、多少の土地は放棄することになりますが」

「いや、それ以外にも、どうも脅威が迫っているとしか思えん。 北に、何かあるやも知れん」

北。

北は、そういえば、守りが手薄だ。あの辺りは人間の痕跡を完全に消した後は放置していて、防衛線も薄い。

そういえば、今回は非常に大規模な攻勢であったのに、東側の諸国は軍勢を派遣してこなかった。

まさか。

「わかりました。 陛下、此処はお任せいたします。 すぐに巣穴からの補充兵を回しますので、しばらくお耐えください」

「案ずるな。 この状況であれば、十年でも二十年でも支えてみせるわ」

くつくつと、魔王は笑った。

しかも、キョド軍の貧弱な兵糧では、そう長くは戦線を維持できないという事がわかりきっている。

クライネスも、魔王が直に戦うところはあまり見たことが無かった。だが、至近で見て、確信できた。

魔王は単独で五万の兵に匹敵する。

十万以上の敵に同時に襲われなければ、まず負けることは無いだろう。

こういう防御陣地であれば、更に多くの敵を、余裕を持って捌くことも出来るはずだ。

クライネスは、自軍を率いて北に移動を開始した。北部の海岸線の守りをチェックしつつ、ヨーツレットと合流するためである。

途中、伝令を多数放つ。

程なく、驚くべき情報が入ってきた。

息せき切って戻ってきた伝令が、ご注進と絶叫。

「旧アンネリッテ北方海岸に、謎の艦隊出現! 兵士達を次々に下ろしています!」

「どこの軍か」

「わかりません! 少なくとも、遊牧民ではありません!」

「そうなると、間違いない。 東側諸国の艦隊だな」

大変に危険な状況であった。魔王に指摘されていなかったら、この近くにある巣穴の一つを、直撃されていた可能性が高い。

情報が続々と入ってくる。

魔王ともなると、その桁外れの魔力からくみ出される勘は、尋常では無いのだとクライネスは再確認していた。

敵の数は七万以上と報告を受けたとき、クライネスは部下達を見回す。

「全軍、隠密行動! 敵を逆に奇襲する!」

「しかし、敵は最低でも七万! 此方の倍以上です!」

「ヨーツレット元帥の部隊にも連絡する。 共同して、左右から叩く」

現在、ヨーツレットの軍で、稼働できるのはせいぜい二万から三万という所だろう。十五万の兵が、三割の損害を出したのだ。好意的に見ても、それが限界である。

クライネスの軍と併せれば、どうにか五万から六万。そして奇襲の有利を加味すれば、何とか勝ち目が見える。

薄氷を踏むような戦いだ。

だが、此処で勝たなければ、そもそも全てが終わる。この東側諸国の奇襲部隊を撃退すれば、キタルレアの戦線はどうにか膠着状態に持ち込めるだろう。

あくまで、キタルレアだけは、だが。

程なく、ヨーツレットと連絡が取れる。

ヨーツレットはモゴルとの死闘で大打撃を受けていた。全身は傷だらけで、相当に深いものもあるようだった。

無数の、呪術によって強化された矢を浴びたのだから無理は無い。副官の話によると、オーバーサンはどうにか使えるが、前線ではしばらく戦えないという。魔術によって治癒力を高めるべく、特殊な布が体中に張られているのは、少し痛々しかった。

ヨーツレットは部隊を再編成しつつ、北上している最中だった。魔王を単独で残してきたというと、流石に不快そうに触覚を揺らしたが、今は反目している場合では無い。

「なるほど、わかった。 ならば、東西から挟み撃ちにしよう」

「敵の戦力はそれでも我が軍よりも多いのですが、勝ち目はありますか」

「あると思って話を回してきたのだろう?」

ヨーツレットの発言は、若干の不快感にまみれていた。

苦笑すると、闇の中を這い進むようにして、クライネスは三万の軍勢と共に北上。半日ほど掛けて、敵の側にまで到達した。

敵は、アンネリッテの旧首都に、陣を作り始めていた。このまま放置すると、堅固な防御陣地を作られ、大変に面倒な事になっていただろう。ヨーツレットの軍も程なく到着。数は二万七千と、クライネスの予想より若干多かった。

すぐに士官を使って、情報球で話をする。

「キタン軍への備えは大丈夫ですか」

「キタン軍はな。 アニーアルス軍が、北上を開始。 防衛線を下げて対応している」

「おのれ、人間共……」

「まだ未開拓の荒野だった地域だし、その辺りは山脈も低く元々守りにくかった。 軍を整え直したら、いつでも再奪回できる」

それにと、ヨーツレットが良いことを教えてくれた。

「それに、キョドの軍勢は撤退を開始したらしい」

「それは、本当ですか」

「ああ。 兵糧が切れたようだな。 元々短期決戦用に兵糧が少なかったキョド軍は、行軍途中で略奪の限りを尽くしていたらしい。 義勇軍というのも名ばかりで、見かけた人間は老若男女問わずに拉致して、武器を持たせて軍に加えていたようだな」

「ははは、乾いた笑いしか出ませんな」

それでは、確かに魔王が一方的に敵をなぎ払えるわけだ。

その上、不利となったら、四散してしまうだろう。

「キョド軍は、大混乱でしょうな」

「そうだな、攻撃どころではもうないだろう。 八万五千の主力部隊も、攻城戦で打撃を受けているようだし、後は東へまっすぐ帰還するだけだな」

「ならば、南部諸国に逆侵攻を掛けては」

「この戦いが終わったら、あの方面の守備軍を集めて、そうするのも良いだろう。 とにかく、今は目の前の敵を撃破する」

攻撃のタイミングについて、幾つか話をした。

早めに敵をたたいておかないと、キタン軍の侵攻が気になる。この方面の敵さえたたいておけば、クライネスの軍とヨーツレット軍を合流させた部隊で、充分にキタン軍の再侵攻を防ぐことが出来る。アニーアルス軍については、元から此方の防御陣地を抜けるほどの数がいないし(モゴル軍残党が加勢したとしてもだ)、他の軍との連携が無い限り、無視しても構わない。

明日になったら、エンドレンの戦線の状況を確認しなくてはならないが、一応簡易の報告は受けている。苦戦はしているが、前線を突破まではされていない。クライネスかヨーツレットが、或いは魔王が最前線に向かい、どうにか支える必要があるだろう。

忍び寄るクライネス軍とヨーツレット軍が、敵を東西から挟み込んだ。

海の向こうから、太陽が顔を出す。

美しい光が、海に色彩を作り出していく。

クライネスが、部下に突撃の指示を出した。

敵は野戦陣地を作っているが、理想的な夜襲だ。鐘が叩き鳴らされるのが見えた。すぐに対応しようとする敵を、ヘカトンケイレスの矢がまとめて薙ぎ払う。下級の補充兵が、各々の武器を手に、無言で敵陣に殴り込み、乱戦が始まった。

程なく、ヨーツレットの軍勢が、海に近い側から突入を開始。

閃光がほとばしったのは、多分オーバーサンの力を解放したのだろう。

敵陣の一部が、文字通り消し飛ぶのが見えた。

だが、敵の反撃も開始される。

海上にいる敵の艦隊が、砲撃を開始。ヨーツレットの陣地に、爆発の花が何度となく咲いた。

クライネスは敵陣に味方を押し込みながら、指揮を執る。敵を艦船と分断して、なおかつ敵将を屠れば。

敵陣に乗り込んだヘカトンケイレスが、大暴れしているのが見えた。

だが、異変が起こる。

その巨体が、不意に溶けてしまったのだ。まるでお湯を掛けられた氷のようだった。

これは。敵は、補充兵に対する、新しい戦術を開発したのかも知れない。

「攻撃を集中! あと、敵を何匹か捕獲せよ! 戦後に尋問する!」

大乱戦が続く。

ヨーツレット軍は、陣から逃げ出してくる敵を押さえつつ、海上の艦隊と交戦を開始した。敵艦が一隻、横腹から火を噴き、沈んでいく。どうにか接舷した艦には、乗り切れないほどの兵士が飛び込んで行くのが見えた。

「敵は戦意を無くしている。 追い立てつつ、敵艦に攻撃を集中……」

閃光。

気づくと、周囲の補充兵達が倒れていた。クライネスの副官も、姿が見えない。肉片らしいものが散乱しているところを見ると、木っ端みじんになってしまったのだろう。

敵艦からの砲撃が、直撃したのだ。

クライネスは、自身の防御魔術でどうにか防ぐことが出来た。だが、これでは。司令部は壊滅だ。

「おのれ……!」

戦いは、有利に進んでいる。

だがこれは、とても美しくない展開だ。そもそもかなり厳しい戦況になるのは見えていたが、それでも不快すぎる。

クライネスは中空に浮き上がると、混乱する敵陣に、片っ端から火球を叩き込み始めた。死ね、死ね死ね人間共。

一撃ごとにクライネスは叫び、敵を殺戮した。

敵艦からの砲撃も激烈を極め、どうにか生き残ったヨーツレット軍とクライネス軍は、更に目減りすることになった。

 

昼少し前に、決着がついた。

七万ほど上陸していた敵は、五万以上を討ち取った。海上の敵艦も、二割以下に減り、這々の体で逃げ帰っていった。

全滅させたいところだったが、流石に無理であった。あれだけの乱戦の中で、それでも船に辿り着いて逃げていった敵も多かったのだ。

しかし、味方の損害も、とても無視できるものではなかった。

一万を超えていたのである。

主に、海上に停泊していた、大型艦船からの砲撃による被害だった。敵は乱戦になるや、敵味方の区別無く無差別射撃を開始したのである。それが結果的に、此方の損害を大きくする結果につながった。

開戦前は、合計して二十万に達したクライネスの軍団と、ヨーツレットの直営師団だったが。

既に合計して二万程度しか、稼働可能な戦力は残っていなかった。

ヨーツレットの所に行く。

愕然とした。ヨーツレットも、砲撃の直撃を受けていた。体の真ん中辺りに大きな穴が開いており、今複数の魔族が必死に回復術を掛けている。

ヨーツレット自身は耐久力が高い補充兵だが、それでもこれは。一月以上は安静にしていかなければならないだろう。

「クライネスか」

「元帥……」

「二発目のオーバーサンを叩き込んでやろうとした矢先だった。 どうにか誘爆を押さえるので精一杯だった」

「今は、お休み為されませい」

そうとしか言えない。

クライネスとヨーツレットは反目することも多いが、このような姿を見てしまうと疲弊がどっと出てくる。嫌いなわけでは無い。いや、嫌いなところは確かにある。だが、嫌いだからと言って、憎んでいるわけでは無い。

むしろ、他者と上手く接することが出来ないクライネスは、反目している相手の無惨な姿を見てしまうと、つらく感じてしまう。

そういえば、自分も砲弾の直撃を受けたのだ。

調べてみると、防御術式で防ぎはしたが、かなりの触手が焼き切れてしまっていた。

生き残った幹部を集める。

また一名師団長が戦死していた。

「エンドレンの戦況は」

「今、ようやく連絡が入りました」

「どうなったのだ」

「どうにか、敵を食い止めました」

おおと、周囲から声が上がる。

胸をなで下ろすという奴だった。しかし、凶報はあった。

「参戦した軍団長は全員が負傷。 特にカルローネ将軍は、意識不明の重体です」

「何……」

「十七波にわたる敵の攻撃を防ぎ続け、どうにか敵に壊滅的な打撃を与えました。 しかし味方も全滅に近い打撃を受けたのです。 最後の敵攻撃で、カルローネ師団長は、ガルガンチュア級に立ち向かわれ、その過程で別のガルガンチュア級から砲撃を受けてしまいました」

カルローネが組み付いていたガルガンチュア級も爆沈したそうだが、カルローネも翼を一枚もぎ千切られ、内蔵がはみ出すほどのダメージを受けたという。

今、医療班が治療に当たっているが、かりに助かっても、すぐには意識が戻りそうに無いと言うことであった。

「エンドレン戦線での敵の損害はおよそ二百二十万。 ガルガンチュア級は八隻を撃沈しました。 一方味方は二百万余が参戦し、そのうちの百七万を失いました」

「半数を、失ったか」

残り半分いるなどと言うのは素人である。

一割が死ぬと敗北とよく言われるのは、その三倍の軽傷者と、同数の重傷者が出るからだ。軍の組織が維持できなくなるのである。二割、三割と戦死した場合、殆どの生存者が手傷を負っていることになる。

ましてや、半数が死んだなどと言う事態では。

壊滅を通り越して全滅だ。

補充兵をそろえるにしても、相当な時間が掛かるだろう。軍団長達が全員負傷したというのも、頷ける話だ。

今は、とにかく。キタンの再侵入を防ぎつつ、アニーアルス軍に牽制を行わなければならない。

「巣穴から生産されたばかりの補充兵も集めて、対キタンの前線に送れ。 我らは南下して、アニーアルス軍の進撃に備える」

「わかりました。 直ちに」

「これは、エンドレンの人間共も、数年は動けんな」

それだけが、救いか。

クライネスもしばらくは療養しなければならない。残っている軍団長はミズガルアとバラムンクだが、どちらも軍を率いるような存在では無い。

まずは軍団長が怪我を癒やすこと。

そして、壊滅した東西の軍団を再建すること。この二つが急務だ。

人間も、軍組織を立て直すのに必死だろう。更にモゴルは王も戦死したから、大陸中央部はしばらく混乱が続くはず。

キタンとキョド辺りが争い始めれば、かなり時間を稼げる。

東側の諸国が介入してくる事が不安だが、連中は海を大きく迂回しないと、此方には来られない。即座の侵攻は、不安視しなくても大丈夫だろう。

残った部隊を率いて、クライネスは南下。

やがて、敵に睨みをきかせる位置に布陣を済ませると、魔王に連絡を入れた。

どこから話さなければならないか。

味方の壮絶な被害を思い、クライネスは思わず嘆息していた。

 

4、地獄絵図

 

グリルアーノは、ゆっくりと歩きながら、周囲の惨状を目に焼き付けていた。

地獄とやらがあったとしても、此処まででは無いと思える。

フォルドワードにまで上陸した敵を、十度以上撃退した。そのたびに、敵味方はばたばたと倒れていった。

途中で海軍は稼働できなくなり、生き残った兵は全て陸に揚げた。後はグラウコスにクラーケンを任せ、敵の後方、側面での攪乱を指揮してもらった。

陸上部隊は、延々と繰り出される敵の波状攻撃を、必死に防ぎ続けた。

メラクスが最初に砲弾の直撃を受けた。体の半分が吹き飛ぶ悲惨さだった。左腕と左足を失ったメラクスは、強靱な精神力で生きながらえているが、当分動けないだろう。補充兵の技術を使い、生きている義手と義足を作る予定だそうである。

続いて、レイレリアが落ちた。

最前線で頑張り続けたレイレリアだったが、対空砲火が激烈さを増して行く中で傷が増えていった。

88インチ砲の直撃が入ったのを、グリルアーノも見た。

どうにか軍団長のずば抜けた実力で耐え抜いたが、煙を上げながら自陣に落ちるレイレリアを見て、嗚呼もう駄目だとグリルアーノさえ思った。

レイレリアは、何度か意識を取り戻しては気絶することを繰り返している。

命には、別状無いと言うのが救いだ。

グラウコスも、海上で負傷したらしい。

戦後、戻ってきたグラウコスは、触手を殆ど失っていた。生き残ったクラーケンは、わずか十二匹。しかもそのうち九匹は、使い物にならないほど消耗していた。如何に激戦が凄まじかったか、それだけでよく分かった。

そして、カルローネも落ちて。

最後は、グリルアーノが、延々と攻め寄せる敵を迎え撃ち続けたのである。

喉は完全に焼け付いてしまっていて、しばらくブレスが使えそうに無い。

海岸線から、二千歩程度まで侵入を許した。防御陣地も二つ抜かれた。だが、その後ろにある街にだけは、絶対に入れさせなかった。

既に掃討戦も終了している。

どうにか動ける味方は十万程度。既に一軍団にも満たない規模だ。他は生きているのが不思議なのも含めて、あらかた後方に回すしか無い。

一度、フォルドワード常駐軍は解散だ。

生き残りを集めて中核にし、一度軍組織を再編成するしか無いだろう。

ふと、気づく。

まだ幼い顔立ちの人間の兵士が死んでいた。

強要されて、戦場に立ったのだろうか。或いは、燃えるような野心で来たのだろうか。手には火を噴く槍を持っている。目はかっと見開いて、何処かわからない場所を見つめ続けていた。

「死体を集め始めます。 補充兵にしますので」

「……そうだな」

副官に、グリルアーノは返す。

人間のメスの姿をした副官は、一礼だけすると、ぱたぱたと走り去っていった。

天を仰いで、グリルアーノは一つ吠えていた。

死んでいった味方への、鎮魂の咆哮だった。

 

アニーアルス軍は魔王軍の領土に侵入。低めの山を越えて、盆地一つ、およそ二万五千歩四方を制圧した。その向こうは険しい山地で、此処にはとても踏み込めない。

魔王軍が放棄したらしい砦を二つ制圧。其処に常備兵を置くと、どうにか一息つくことが出来た。

だが、此処に王弟を滞在させるわけにはいかない。

明らかに、次に魔王軍が反抗を開始する際には、此処が基点となる。マーケット将軍が残ると言い出し、そしてイミナにも言った。

「銀髪の双子よ、それにレオン殿とプラム嬢。 此処に残って欲しい」

「次に戦いが起こるとき、真っ先に敵が押し寄せるから、ですね」

「そうだ」

城壁の上を、二人で歩く。

随分幅が広い。石造りだが、相当な重量にも耐えられる作りだ。魔物が作った砦なのだから、当然だろう。

この砦を中心に、十ほどの出城がある。此処をアニーアルスの新しい領地として、発展させなければならない義務も、マーケットにはあるのだった。

「わかりました。 私は賛成です。 シルンとも相談します」

「頼む。 貴方たちがいるといないでは、兵士達の士気が露骨に違うのだ」

苦笑すると、イミナは城壁を降りる。

内側も開放的な作りになっているが、政務を行うようには出来ていない。もしも城下町を作るのだとすると、かなり不便だろう。

シルンが、辺りを見回しながら歩いていた。

「あ、お姉」

「どうした」

「なんだか不思議な作りだね。 見ていて飽きないよ。 こんなに豪快なのに、ホラ見て、石組みがとても細かいんだ」

「……」

きめ細かく作られた城。

此処を作ったものにも、意匠を愛する心がある良い証拠だ。

今回、キタルレアの戦線だけで、三十万人以上が死んだそうである。魔王軍も壊滅的な打撃を受けた。

おかしな話だが。

これで、しばらくは互いに侵攻どころでは無くなる。妙な形で、平和が来るかも知れない。

魔王は倒さなければならない。それはわかりきっているのに。

どうしてか、それで安心している自分に気づいて、イミナは慄然としてしまった。シルンならともかく、自分が今までの戦いに倦んでいたとは。

師匠が見たら、どう言うだろう。

人間らしくなったねとでも言ってくれるか。或いは、しゃんとしろとでも叱責されるのか。

死者は、黙して語らない。

レオンが来た。血相を変えて、此方を探している。

何かあったらしい。

「ああ、其処か。 イミナ殿、シルン殿!」

「どうした」

「一大事だ」

魔王軍かと聞いたら、首を横に振る若僧。

そして、しばらく辺りを見回した後、言う。

「キョド軍が撤退する途上にある村や町から、徹底的な略奪を働いている。 物資だけでは無く、人間もだ。 逆らう相手は皆殺しにしているらしい」

「何っ!」

「元々連中は、今回の戦闘で陽動を努める代わりに、南部諸国の人間をことごとく奴隷にするつもりだったのかも知れん。 遊牧民は人間をもの扱いすると聞いていたが、これほどとは」

「それは違うな」

人間をもの扱いしているのは、エル教会も同じだ。

いや、向こうは信仰のベールで身を隠している分、もっとたちが悪いかも知れない。

いずれにしても、放置は出来ない。

だが、人間同士で争うことにでもなったら、本末転倒だ。

「王弟殿下に相談してみる?」

「元々キョドは、今回の戦いで、南部諸国を好きにして良いとでもモゴルと盟約を結んでいたのかも知れない。 いや、この様子だと、或いは東部諸国か」

「そんな……」

「もしそうなると、王弟殿下でもどうにでも出来ないだろうな。 どうにか出来るとすれば……」

勇者。

遊牧民の間でも、既にその武名は雷鳴のごとく鳴り響いているという。

つまり、シルンが兵士達の前に、演出たっぷりに姿を見せれば。或いは、下劣な蛮行を止めるかも知れない。

「レオン、何か策を考えてくれ。 プラムも連れて行こう」

「しかし、此処を離れて大丈夫なのか」

「しばらく魔王軍は侵攻どころでは無い。 此処を離れても、少しくらいの間なら平気だ」

これに関しては、絶対と断言できる。

元々魔王軍は慎重な用兵をする。今までの戦歴を見る限り、それは明らかである。だからこそに、今は。

人間同士で相争う事態を、避けなければならない。

騎士達に言って、馬を借りる。

目指すは、南。

キョド軍の先頭であった。

 

(続)