転機の訪れ
序、呪い
エル教会上層部の下に、魔王の居場所と姿が届けられたのは、既に南の大陸が冬になった時期であった。
ここ一年ほどで、エル教会の首脳部はめまぐるしく人員を変動させた。というよりも、原因不明の突然死があまりにも頻繁に起こるのでそうせざるを得なかったのである。現在人間が支配している三つの大陸全てに影響力を持ち、大国並みの財力と人員を有しているエル教会とは言え、これは大きな痛手であった。
だからこそに、この映像を手に入れたときに、彼らは切り札を使うことにした。
煽ったのは、勿論それをよそからにやにやしつつ見守っていたフローネスであったが。
以前水晶球で見た時と、また青い顔を集めて話し合っている面子は違っている。誰が誰だかはハッキリしているが、流石に覚えるのが面倒くさくなってきていた。頭の悪いエル教会上層部も、既に気づいているようだ。魔王による何らかの攻撃で、片っ端からエル教会上層部と関係者が殺されていると。
「それでは、千殺呪言を用いよう」
「あの恐ろしい術をか」
まだ若い教皇が言うと、側近の大司教が恐れるように身を退いた。
他の幹部達も、皆同様が隠せない様子だった。武闘派の代表である、シオン会からの派遣僧だけは黙りを決め込んでいる。
「魔王は老人のようだ。 他の魔物共が耐えられても、此奴の直撃を受ければ、ひとたまりもあるまい」
「しかしこの術式は、その土地そのものを汚染する恐ろしいものだぞ」
「何、歴史上何度も使って来た術式では無いか」
へらへらと、教皇は笑う。
千殺呪言。
遠隔地から、居場所と顔がわかっている相手に対して、ピンポイントで広域汚染型の呪いを放出する術式である。
効果範囲は四千歩四方にもおよび、その範囲内にいる生物は死滅する。更に言うと、今までエル教会は邪魔な魔物や、時には人間にもこれを用いてきた。そして、決まってこう言うのである。
「なあに、千年間は誰も入れない土地になってしまおうと構いはせん。 全て魔物のせいにしてしまえば良いのだ」
「確かにそれでごまかせるかも知れんが……」
「魔王さえ殺してしまえば、魔物の軍勢など烏合の衆に過ぎん。 エンドレンにいる使い捨ての駒共を一気に突撃させて、蹴散らしてしまえば良い。 犠牲などなんぼ出ようと、勝てば良いのだ」
けらけらと教皇は笑っている。
度しがたい外道だが、それが故に面白い。
茶を飲みながら、連中が千殺呪言の発動を決定するのを見終える。
確か、少し前には西の大陸で、エル教会に反発するレジスタンスに対して用いられたはずだ。地域ごと、エル教会の信者も多い場所ごと消し飛ばし、それを全て潜伏していた魔物の仕業だとかいうことにしたはず。
実に、救いがたい。
面白すぎて、茶菓子が止まらなかった。これだからこそ、人間を観察するのは止められないのだ。
幾つかの映像を切り替える。その一つで、フローネスは目をとめた。
「む?」
思わず声に出してしまう。
さっき、会議に参加していたシオン会の男だ。壮年のひげ面で、いかにも人殺しが好きそうな目をしている男だった。エル教会本部のある施設の廊下で、フードを被った人物と話し込んでいる。
相手が男か女かはわからない。
「出来るだけ、早めにクラード修道院から離れるように、部下達に伝えよ」
「クラード修道院?」
「千殺呪言が毎度行われてきた場所だ。 説明は後だ。 急げ」
二つの影が離れる。
腕組みして、思わず考え込んでしまった。
今、シオン会はガルガンチュア級戦艦の製造を行い、大規模攻撃の準備をしているはずである。
勿論その助けとなる千殺呪言の発動は、歓迎すべき事の筈だ。
それなのに、どうして部下を離れさせようとしている。これがよく分からない。
クラード修道院に映像を切り替える。
この修道院は、表向きは恵まれない孤児を引き取り、育てるという名目の施設だ。
だがその実体は、子供を使った人体実験を行う施設であり、ここから生きて出た子供など一人もいないのである。
千殺呪言は、子供にありとあらゆる恐怖と苦痛、絶望を与え、その闇に染まった魂を用いて敵を討つ術式である。
聖職者が行って良い技では無いが、その絶大な効果が故に、エル教会は今まで「大義のために」「多数のために」と言いつくろいながら歴史の要所要所で使用してきた。エル教会の最暗部であるシオン会が、それに反対する意味がわからない。
それとも、もしかして。
手を叩く。
側近にしている、ミコトが現れる。いつもは茶目っ気のある家政婦に見えるが、実際には凄腕の諜報員だ。
使い捨てにされ掛かっているところを、フローネスが拾った。それ以降はフローネスの右腕兼愛人として重宝している。
「如何なさいましたか」
「クラード修道院に、監視員を派遣。 二人で良い。 できるだけ、使えない奴をだ」
「わかりました」
意味を聞かず、すぐにミコトは消えた。
知っているのかも知れない。何か災厄が起こるとき、実験用に監視員を使うことを。勿論今回もそれに例外は無い。
さて、もしも千殺呪言が通じなかったらどうなるだろう。
さぞや見物だろうと、フローネスはくつくつと笑った。
大量の土砂が運ばれてくる。
城壁によって仮設魔王城を覆う作業が開始されたのである。
本来であれば、魔王城の裾野は全てエルフ族用に森を作る計画であったのだ。だが、この間の人間による襲撃により、システム面での不備があることがはっきりした。そこで、いっそのこと城壁で全部周囲を囲ってしまおうという案が出て、採用されたのだ。現在行っている植林は、一旦城壁の内側だけに限定する。それだけでも、結構な面積を確保できるからだ。
外側は、今の時点ではまずい。というのも、今回の潜入作戦で、人間は森や遮蔽物を巧みに使って身を隠し、此処まで来たことがわかっているからである。だから、城壁の周辺は、敢えて遮蔽物が無い荒野とする。
この城壁は、ただの城壁では無い。
魔術に対する防御を五重にもしかけ、出入りできるのは入り口だけとする。更に側面に関しても工夫を凝らし、いかなる人間の悪知恵でも、簡単には突破できぬようにした。そして兵員の配備も倍増させることが決定している。
一万の守兵をこの城壁に配置する。シフトについても、既にヨーツレットが考え抜いた形式で行うことにしていた。
テラスからそれを眺める魔王。
作業を行っているのは補充兵ばかりである。ミカンを口にして、作業の進捗が滞りない事を確認し、頷く。
「うむ、うむ。 順調なようだのう」
「陛下、そろそろ中に。 お風邪を召します」
「心配するな。 そこまで儂の体は柔ではないでな」
心配性なエルフ族の護衛にからからと笑いながらも、杖をついて奥に。
安楽椅子に座ると、暖かくてその場で眠ってしまいそうである。だが、今日に限っては、そうでは無かった。
エルフ族達をもしのぐ勘、第六感が、全力で警告を発したからである。
「陛下?」
「全員、すぐにこの部屋から出るようにのう」
「は、はい!」
ゆったりとした口調の中に、圧倒的な闇を感じ取った護衛達は、慌てて魔王の私室を出る。
それを見届けると、魔王は印を切った。詠唱は、この程度の相手であれば、必要も無い。
魔王が誰だかわかっていない敵手に、苦笑を漏らす。
「やれやれ、よりにもよって儂のまねごとか。 それも同胞の子供を陵辱し尽くして、その恐怖と絶望を糧に呪術を行うとは、愚かな輩よ」
来た。
凄まじい呪いの波動が、遠くから飛び来る。
だが、魔王が術式を発動すると、それはそっくりそのまま、完全に相手に返った。他愛も無いほどに、たやすいことだった。
これでも魔王は、世間一般では認められてはいなかったが、かって世界最高の魔術師の一人だった。随一の知識と術式の技を、人間だったあの忌まわしい頃には既に手に入れていたのである。
その上、人間を止めてから数百年がかりで、敵を滅ぼすための研究を行っていたのだ。
当然、人間がどういう術式を使ってくるかくらい、完璧に把握している。エル教会の戦術戦略的な手札についてはともかく、呪術や魔術に関する持ち札については、全て頭の中に納めてもいた。
護衛達が戻ってくる。
「へ、陛下! 今の、凄まじい呪力は!?」
「なあに、人間共の下らぬ呪術じゃ。 そっくりそのまま跳ね返してやったわ」
「そっくりそのまま、ですか?」
「覚えておくと良い。 呪術というものはのう、失敗するとそのまま跳ね返るものなのじゃよ」
くつくつと笑う。
残虐非道な呪術を行った身の程知らず共は、おそらく数千歩四方にわたって壊滅した事だろう。
呪術が反射されたことにさえ、気づかなかったに違いない。一瞬で消し炭だ。
いずれにしても、これでもう魔王に呪術を仕掛けようなどと言う阿呆は現れない事だろう。
悪知恵と邪悪さでは、魔王は人間には及ばない。
だが魔術や呪術の知識に関して、魔王は人間など歯牙にも掛けはしないのだ。その習熟に関しても、である。
「さて、新しいおミカンを貰えるかのう」
「た、対策はなさらないのですか?」
「蚊はどれだけ叩いても根絶できまい? そういうものじゃよ」
からからと、心配する部下達に、魔王は笑った。
フローネスは瞠目していた。
失敗することも想定はしていたのだ。だが、まさかクラード修道院が、その周囲の街ごと一瞬で木っ端みじんに焼き尽くされるとは、思っても見なかった。
困惑するフローネス。今回の戦では、想定外がいくつも起きてきた。だが、これはちょっと予想の範疇を超えすぎていた。
魔王の力が優れていることはわかっていた。しかし戦略戦術に関しては無知であろう事も、理解はしていた。だから故に、何処かで魔王を侮りきっていたのかも知れない。
ミコトが来る。
「死者は十万に達するかと思われます。 修道院のあったキラテニアの街は全滅。 周辺の四つの村でも、死者が多数出ています」
「エル教会必殺の呪術であったのだが」
「おそらくは、呪詛返しでありましょう」
説明が為される。
呪術というものは、基本的に失敗すると反射されるのだという。人を呪うときは遺書を書けというのは、それが故の格言なのだ。
それはフローネスも知っていた。だが、儀式魔術にも匹敵するこの大呪術が、場合によっては都市ごと相手を滅ぼすための秘儀が、まさか個人相手に呪詛返しされるなどと、どうして想像できただろう。
「信じられん。 魔王を魔術でしのぐのは、不可能だと考えた方が良さそうだな」
「はい。 そのようです」
「そうなると、魔王を暗殺するのは難しいか。 もはや直接精鋭を送り込むことも、これからは出来まい」
腕組みする。
魔王さえ暗殺してしまえば、魔王軍が簡単に瓦解するのはわかっていた。今回の件が成功していれば、一発で勝負がついていたのだ。
だが、これでは戦略を若干練り直す必要が出てくる。
エンドレンにいる戦力を、出し惜しみせずに、一気にたたきつける他あるまい。ただし、それには現在建造中のガルガンチュア級が、全て就航することが絶対条件だ。
「エル教会の阿呆共は?」
「蜂の巣をつついたような大騒ぎです。 ご覧になりますか」
「そうだな。 面白そうだ」
元々、もはや経験も識見も足りないような無能どもである。さぞや今回の件はショックだろう。
失敗したことでかなり頭には来たが、無能な阿呆どもが右往左往している様子を見れば、多少は溜飲が下がる。
映像の術式を起動。
そしてしばらくは、フローネスは映像に見入って舌なめずりしていた。
1、南下する軍勢
アニーアルスに戻ったイミナは、王弟に報告を求められて、単身王宮に上がっていた。
勇者としてシルンが持ち上げられていることは良い気分である。だが、王弟はどうやら、イミナがシルンの参謀で頭脳である事に気づいているらしい節がある。もっとも、イミナは単独ではたいしたことは出来ない。
実際に戦うのはシルンと考えてもらった方が良さそうであるのだが。
王弟の私室に通される。護衛の騎士と一緒に、話を聞く。
見回すが、非常に質素な部屋だ。レオンは以前に入れてもらったことがあり、その時に内装が質素だと言ってはいたのだが。元々貴族出身も同然のレオンのことだから、言葉半分にしか聞いていなかった。
しかし、これほどに質素だとは。
内装は殆ど無い。家具類も、デスクと書棚くらいである。ベットも粗末で、殆ど簡易寝台のレベルだった。
目につくのは書類の山で、それも適宜処理されているのが見て取れる。この部屋には、無駄は一切無い。国民の血税を浪費している様子はうかがえない。
王族というと、もっと湯水のように資財を浪費して、それをむしろ誇る連中だと思っていたのだが。これは完全に予想外である。王弟の性格は何度か会って把握してはいたのに、これはイミナらしくも無い失敗であった。
王弟の評価を、イミナは頭の中で、何段階か上げていた。
「まずは座ってくれるかな」
「はい」
「このたびはご苦労であったな。 我が軍も精鋭を消耗したが、しかし魔王の姿を見ることが出来たのは大きい。 それにしても、まさか枯れ木のような老人であったとは。 魔物達の王だから、凄まじい巨体を持つおぞましき怪物だとばかり思い込んでいた」
「私も、映像を見て驚きました」
魔物に知性があることはわかっていた。
だが、まさか首魁が人間に近い姿をしているとは、予想外であった。
それにしても、人間に近い姿をしている首魁なのに、どうして側近は怪物で固めているのだろうか。それがよく分からない。
魔物達が、魔王を絶対の存在として崇拝していることも、逆にわからなくなってきていた。魔物にしてみれば、人間など姿を見るのも嫌な存在では無いだろうかと、思っていたからだ。
だが、現実は。イミナの予想を、いろいろな意味で裏切っていた。
「君は、これからどうするべきだと思うかね」
「人間が魔物に勝っているのは数です。 これを利用して戦うしかありますまい」
「ふむ……」
「東側の諸国、更に南側の諸国とも連携をして、一気に攻め込めば、充分に勝機はあるかと思います。 ただでさえ魔王軍は現在エンドレン大陸の戦線にかかりっきりという話でありますし、全面攻勢には対処が難しいかと思います」
実際問題、まだまだ人間には充分以上に勝機があると、イミナは考えている。ただし、油断すると危ないとも。
そもそも北のフォルドワード大陸が落ちた時点で、各国が本気で対処に掛かっていれば、此処までの事態にはならなかったのである。それが政治的利権の調整に手間取っている内に、あのおぞましいエル教会に主導権を握られ、そして挙げ句の果てに現状である。各国首脳の無能さ加減には、ほとほと呆れる。
次に魔王軍が侵攻するとしたら、弱小国家が群立しているキタルレア南西部だろうとイミナは予想している。アルカイナン王による侵攻作戦の際に捨て石に使われた国家も多く、魔王軍が進撃を開始したらひとたまりも無いだろう事は容易に予想できた。
「ふむ、なるほど。 私の見解と一致するな」
「一刻も早く、各国の首脳を説得してください。 エンドレンの戦線が膠着している今、魔王軍はいつ反撃に出るかわからない状態です。 連携が遅れると、一気に大陸南西部が蹂躙される可能性も。 そうなると、味方の勝率は更に下がります」
「わかっている。 ただ、既に各国には、魔王の能力が知れ渡り始めていてな」
魔王軍にとって都合が悪い相手は、原因不明の死を遂げる。
確かに身動きが取りづらくなる可能性は高い。だが、それを恐れていては、まさに魔王の思うつぼだ。
我が身かわいさに躊躇している内に、どの国も魔王軍に蹂躙されたのである。そしてこの大陸でも、同じ事が起ころうとしている。
大陸中央部の騎馬民族国家群は、おおむね魔王に対する攻撃の意思を示しているという。問題は大陸南部の小国家群だ。
基本的に大陸南部には小国が多い。これは土地が貧しく、地形が険しく、人の行き来がしづらいのが主な原因である。
その上、魔王による謎の攻撃の噂は、既にこの辺りの首脳部にも広がっている。特にアルカイナン王の攻撃時に、囮として使われた国々は首脳部が全滅している状態であり、身動きが取れないのだという。
「今、大陸東の大国が、手を組んで海路から魔王軍を攻撃する計画を立てている」
「海路から、ですか」
「そうだ。 エンドレン戦線が膠着している隙を突く。 かなり厳しい航路になるだろうが、一気に敵の本拠地を攻撃できるだろう」
それは奇襲としては素晴らしい。
だが、エンドレン戦線は元々人類側が押し気味だという話である。当然のことながら、魔王軍も上陸された際の対策くらいはしていることだろう。それを考えると、あまり楽観視も出来ない。
部屋に騎士が飛び込んできた。マーケット将軍の配下として活躍している人物だ。
「ご注進です!」
「如何したか」
「たった今、リュシリール王国から救援要請が来ました! 国境付近に放っていた密偵が、魔王軍の集結を確認した模様! 数は最低でも十万に達する様子です!」
「最低でも、十万、だと」
リュシリールは確か大陸南部の小国家の一つで、山脈に張り付くような細長い領土を持つ。
アニーアルスとしても、街道交通に重要な存在だからか、同盟を結んでいるはずである。もっとも、十万以上の魔王軍をどうにか出来るとは、とても思えないが。
「現在、南部諸国が援軍を出す動きに入っていますが、何しろ相手の数が数です」
「その上、兵力を多く出せそうな国は、この間のアルカイナン王による攻撃の際に、根こそぎ潰されている、か」
「御意」
「しかも敵の防衛戦力である機動部隊は、確か今我が国の近くにいたな。 そうなると、敵はこの短期間に攻撃用の軍団を編成した、ということになろうな」
騎士の表情と、落ち着き払った王弟の様子が著しい差異を作り出している。
イミナは悟る。
この男、既にこの事態を予想していたか。シルンには悪いが、どちらかと言えば王弟は、イミナと同類に当たる人間であったらしい。
もっとも、間に合わないからと言って、見捨てるのは早計だ。
リュシリールの領土は東西に長く、此処が陥落すると防衛が一気に難しくなる。更に言えば、ここから直進して南下されると、電撃的に大陸を南北に突破される可能性がある。そうなると、大陸南西部の国家群は完全に孤立し、文字通り皆殺しの憂き目に遭うことだろう。
「座視も出来んな」
「私が行きましょう」
「いいのか」
「貴方が面と向かって動けば、魔王の力の餌食になりましょうから。 ただし、精鋭を貸していただきたく」
勿論兵の指揮をするのはマーケットなり他の将軍なり、軍指揮官達だ。
だが、シルンは既に国内外に勇者として知られ始めている。イミナが言うのも何だが、シルンが出れば兵の士気は格段に上がる。
問題は、南部の諸国がどれだけの兵を出せるかだ。
そして出せたとしても、烏合の衆である事を覚悟しなければならないだろう。
魔王軍の主力を為している人形のような連中は、殆ど補給も休息も必要としない。決戦を挑み、突破されれば一気に大陸南部は蹂躙されると見て良いだろう。
更にもう一つ問題がある。
「守る場合にしても、そもそも横に長い国が、どこを主体に守らなければならないか、ですね」
「それに関しては、私が軍事顧問を派遣する。 君達が活躍できる最善のポイントを指定してくれるはずだ」
「……期待しています」
どうやら、王弟と意見が一致したらしい。
部屋を出ると、シルンを探す。中庭をちらりと見るが、プラムしかいない。プラムは剣を振り回して、かかしを野菜のように切り倒していた。
訓練用に使うかかしは頑丈に作られていることが多いのだが、適切な長さの武器の性能を最大限発揮するという能力の前には、野菜も同様なのだろう。レオンはと思ったが、奴は確か今日出かけているはずだ。
イミナとシルンのために、コネクションをこの国の重役達と必死に作ってくれているのだ。責めるわけにも行かない。
一緒にシルンが出かけていると面倒だが、そんなことも無いだろう。双子だからかどうかはわからないが、何となくこの城の中にいるとわかるのである。
案の定、妹は城の一角にある、図書室に籠もっていた。
「あ、お姉。 どうしたの」
「戦だ。 今度は南部諸国の一つ、リュシリールに侵攻してきた魔王軍を撃退する」
「!」
「敵の戦力は一個軍団らしい。 そうなると、まあ十五万という所だろうな。 こちらは王弟殿の話によると、五千程度の援軍は出せそうだが。 南部諸国の軍をかき集めても、どうにか対抗できるか否か、というところだろうな」
情けない話だが、今回は撤退戦になるのでは無いのかと、イミナはにらんでいる。
五千の兵はまず中核部隊として考えても良いだろうが、敵は何しろ十五万である。その上、補給も必要とせず、疲れも感じない連中だ。
「軍勢と真っ向から戦って、どうにかなる?」
「厳しいな。 長引けば長引くほど、魔王の力で指揮官が殺されていくことだろう」
「劣勢な軍勢で、出来るだけの短時間で、敵に撤退を意識させるくらいの打撃を与えなければならないの? あのタフな魔物達を相手に?」
「そうなる。 しかも我らは、その中核となって動かなければならんな」
悪条件が重なる。
だが、これも仕方が無い事だ。他に出来る奴がそもそもいないし、指をくわえて見ていれば南部の国々は滅びてしまう。
きっと師匠は、そんなことになれば、二人を許しはしないだろう。
「まず最初に、あの六本腕に対抗する手段を考えておかないと危ないな」
「うん。 ちょっと聞いたんだけど、今凄い数で敵の中に増えてるんだって。 弓矢の威力も凄くて、騎兵を馬ごと串刺しにするって話だよ」
「そうなると、次期主力歩兵なのかも知れんな」
多分王弟が声を掛けてくれたのだろう。
プラムとレオンが来た。二人にも軽く話をする。プラムは話を聞くと、不満そうに頬を膨らませた。
「なんだか、またひもじい思いしそう」
「我慢しろ。 イミナ殿、話によると、もう魔王軍は集結を開始しているとか。 出来るだけ早く出立しよう」
「ああ、わかっている」
中庭に出ると、マーケット将軍が部下達を勢揃いさせていた。
今回もコンビを組むことになるらしい。マーケット将軍はイミナを見ると、にこにこの笑みを浮かべて歩み寄ってきた。
「おお、銀髪の乙女に銀髪の勇者どの」
「なんだか気恥ずかしい呼び方ですね」
「良いって事だ。 実際貴殿らに勝てる騎士も兵もおらんし、何よりこの間魔王の姿を確認する大戦果も、貴殿らがいなければ成し遂げられんかったからなあ」
そういって、ばんばん肩を叩かれる。
しかし、イミナに小声でマーケットは語りかけてきていた。
「今回も色々と頼むぞ。 勇者殿は戦う事しかできんようだし、実質はあんたが銀髪の双子の主翼だ」
「……シルンが無事であるように、努力はするつもりですが」
というよりも、イミナはそれにしか興味が無い。
戦わなければ、どのみち生き残ることは出来ないのだ。シルンが無事で済むのなら、どんなことでもする。
極論すれば、人間を滅ぼすことでシルンが無事ならば。手を血に染めることも厭いはしない。
勿論あの世で師匠は怒るだろうし、それはとても心苦しいことだが。しかし、イミナにとって大事なのは何よりシルンなのだ。
軍勢は五千五百。この国の軍は総力戦で四万八千程度という話だから、かなりの兵力だ。しかもアニーアルスの軍勢とは表だって明かさないため、旗印や鎧の意匠を微妙に変えてある。
軍勢は荷駄などもあるし、すぐには現地に到着できない。
だから今回も、精鋭で先に現地に向かうことになった。先発隊は五百ほど。マーケット将軍が直接率いる。レオンとプラム、シルンとイミナもこれに加わることになる。
五百の内、騎兵は百三十ほどだ。
つまりまず百三十が先行し、三百七十の歩兵が後詰めとしてはいる。その後、残りが来て、本隊として行動するわけだ。
「兵力の逐次投入にならないでしょうか」
「そうならんように、百三十の騎兵は精鋭を選りすぐっている。 まず状況をこの部隊で確認し、それから適宜後続に指示を飛ばす形になる」
「なるほど、了解しました」
勿論、レオンとプラムにも馬が与えられる。というよりも、プラムはレオンの後ろに乗せてもらう形になった。
プラムが単独でのろうとすると、馬が怖がったためである。
早朝には、第一先発隊の準備が整った。食事だけ済ませると、すぐに出立する。流石に良く訓練された騎馬隊だけあり、動きは鋭かった。
山脈の裾野にある道は、既に情報が伝わっているらしく、厳戒態勢が取られている状態であった。其処を、怒濤のごとく進撃する。
馬が潰れない程度に走り、馬のことだけを考えて休息し、それからまたひたすらに走った。
先行していた偵察隊らしき連中が時々戻ってきては合流した。
マーケット将軍がそれについて、時々教えてくれる。
「敵の軍勢は、貴殿の言うとおりだいたい十五万程度だそうだ。 既にいつ侵攻してきてもおかしくない状況だそうだぞ」
「味方は?」
「既に六万程度が合流しているそうだが、何しろ烏合の衆だ。 実戦になったら、どれだけ役立つかはわからんな」
「しかもそれを広い領地に分散して配置しなければならない、と」
「そういうことだ。 今回は我が軍の参謀長殿が参戦する予定だが、既にさじを投げかけているそうだ。 状況が劣悪すぎる」
気持ちはわからないでも無い。
だが、この戦闘で負けたら、人類は一気に押し込まれる可能性が高い。勿論、敵もそれを想定して、一番守りにくい場所を責める気でいるのだろう。
今までは、敵の防衛戦線の広さを利用して、潜入作戦を展開できた。
だが、南部の諸国が陥落した場合、それも過去の話になる。魔王軍は戦線を縮小できることが出来るからだ。
丸二日ほど、殆ど馬の上で戦略のことだけを考えて移動し続けた。それが終了したとき、やっとリュシリールに到達した。
侵攻作戦が開始されてから、ずっとクライネスは不機嫌だった。
ヨーツレットと議論を繰り返し、やっとの事で侵攻軍の戦力を確保した、そこまでは良かったのだ。
だが、その代わり、ヨーツレットに随分多くの要求を呑まされた。特に一番大きかったのが、侵攻作戦が失敗した場合、しばらく攻撃のことは考えない、という内容であった。
ヨーツレットは、こうも言った。
今は守勢に回るべきで、人間側の攻勢に耐える時期である、と。
人間側の軍勢は、特にエンドレンではあまりにも常識外の数であるが故に、そう何年も展開できるわけがない。
だから今は敵の攻勢終末点を待ち、それから反撃に出るという。
脳天気な考えだと、クライネスは思う。ヨーツレットは人間が如何に恐ろしい動物かわかっていない。
食料が無ければ、同類を平然と殺して喰らう種族である。多少兵糧が足りないくらいで、連中が動きを止めるとはとても思えないのだ。
更に言えば、軍団の兵士達にも不満がある。数だけは確保したが、質は予想通りの代物だった。
最新型の歩兵であるヘカトンケイレスに至っては、ヨーツレットの部隊の半数に満たないほどしかいない。確かに南部の弱国だったらこれでも充分にねじり伏せることが出来るだろうが、大陸中央の騎馬民族や、東の大国群が介入してこないとも限らないのである。もしもそれらの軍勢を同時に引き受けることになったら、支えきれるのか、自信はあまり無かった。
更に更に。
山脈の頂点から、クライネスは忌々しく思いつつ、リュシリール王国を見た。
長い領土、攻め易く守りにくい地形。五万程度であれば、援軍が入っていても関係ない。一息に蹴散らすことが出来るだろう。
だが、敵にいるというあの銀髪の双子。
連中がいる以上、クライネスも慎重に動かざるを得なかった。
陣屋に入ると、副官を呼んで、会議を行うことを告げる。すぐに外に出て行った副官に、付け加えた。
「進撃計画を前倒しする。 明後日の予定だったが、明日からだ」
「わかりました」
一礼すると、副官は天幕を出て行った。
ほどなく、七名いる師団長達が揃った。普通は純正の魔物が半分は入るのだが、この軍団では二名しかいない。しかも二名とも、この戦いが終わったら、一旦予備役に入る事を考えている者達だ。どちらも戦傷がひどく、戦線に立てなくなってきているからである。
カブトガニに似た姿をしている師団長、モルアイがまず挙手した。勿論補充兵であり、挙手といっても尻尾を立てたのだが。
「今回の作戦は、人間の数を可能な限り減らすことが目的と聞きましたが」
「その通りだ」
クライネスは説明する。
今回の作戦では、領土の確保よりも、人間の間引きが最大の目的である。エンドレンでの苦戦も、とにかく人間の数があまりにも多すぎることが原因だ。
ヨーツレットは今はまず守勢に徹するべきだなどと考えているようだが、クライネスの考えは違う。
人間は繁殖力が異常すぎる。今守勢に回ると、じりじりとそのまま押し込まれ、やがては滅亡に追い込まれるのが確実だ。
竜族でさえ、そうだったのである。
ドラゴンたちは全盛期にはそれなりの数がいて、その気になれば人間の小国くらい簡単に滅ぼせる実力があった。だが、彼らは縄張りに入り込んでくる人間を撃退することにしか、以前は興味を示さなかった。
だから各個撃破されてしまったのだ。
ドラゴンを説得しようとしていた魔物達にも、クライネスと同じ論法を用いた者はいた。だが、ドラゴンたちは、いずれ人間も息切れして攻撃を諦めるだろうという理屈を貫き、結果止まない猛攻に屈してしまったのだ。
「だから、今回は領土の安定をはからない。 一国を壊滅したら次、更に次と、人間をひたすらに駆除して廻る」
「なるほど……」
「まるで人間が我らにしてきた大量虐殺のようですなあ」
若干皮肉めいた言葉が上がった。純正の魔物である師団長の一人、シュピーゲルである。シュピーゲルはイビルアイ族の長老のような存在であり、今回の戦いが終わったら引退するよう魔王に説得されている。
実際、数を著しく減らしているイビルアイ族は、長老でさえ繁殖に参加しなければならないような状況だ。魚のように体外受精する形式だからあまり年齢は関係ないとはいえ、真っ先に前線から下がるようにと言われ続けてきた種族なのである。
「その通りだ。 人間にどうして我らが負けたのかを考えれば、彼らが持つ異常な独善性と残虐性に対応しきれなかったのだと結論できる。 だから今度は、彼ら流のやり方を取り入れて報復する番だ」
「そう、さな。 確かに一理はある」
「領地を保全しようと思わなければ、確かに十五万の軍勢でも、一気に大陸の南部を蹂躙できる。 厳しい行軍にはなるが、皆抜かるでないぞ」
「あのう。 よろしいでしょうか」
弱々しい声。
この中で一番新参の師団長である、パルムキュアである。
奴にはあまり良い印象が無い。というのも、飼い犬に手を噛まれたような、苦い思い出があるからだ。
此奴は六番巣穴、つまり最近グラが管理しはじめた巣穴から生産された師団長なのである。
グラはクライネスが推薦したにもかかわらず、クライネスに不利な意見を具申するという行動を行った。あいつは切れるし信念もある優秀な奴だと言うことはわかっていた。だが、心情としては、気分が良いわけも無い。
しかも、師団長の生成まで上手くこなしたのである。失敗するのでは無いかと期待していたところだったが、二重の意味で不快な目に遭ってしまった。
だから、必然的にパルムキュアにもあまり良い印象が無い。
パルムキュアは巨大なイソギンチャクといった姿の師団長で、無数にある節足で前後左右に移動できる。容姿と裏腹に性格はとても内気で、いつもとても申し訳なさそうに発言する。
それがまた、クライネスのいらだちを刺激するのだ。
だが、人間では無いのだから、それで扱いを他と変えるようなことはしない。そんなことをしたら、好き嫌いで人事を左右し、好みによって相手を殺戮する人間と同じになってしまうからだ。
「何か、パルムキュア師団長」
「あ、あの、これはあくまで一般論なんですけど。 もしも敵の中に突出したところで、退路を断たれたらどうしましょう。 私達補充兵は使い捨ての駒として使ってもらって構わないのですけど、純正の方々は」
「そのようなことにならないよう、行軍計画は練ったはずだが」
「……そう、ですよね。 すみません」
そもそもこの戦い、人間もおそらく最初の打撃に備えようと、リュシリールとかいう国に戦力を集中してくるはずだ。それさえ蹴散らしてしまえば、後は鎧柚一触に薙ぎ払うことが出来るだろう。
南部の国々は弱小国ばかりで、軍事的にも政治的にもまとまっていない。敵にとって、最初の一戦だけが、こちらを食い止める最後の機会なのだ。
問題は、その一戦だけだ。
会議が終わると、クライネスはもう一度敵国を見つめた。当然、人間はこちらの動きを掴んできているはずだ。
双子も出てくるだろう。
魔王による三千殺しが通用しない以上、かならず連中は殺さなければならない。クライネスが、手ずから、である。
無数の触手を蠢かせ、クライネスは、敵方が取ってくる対抗策について、もう一度考え始めていた。
質素な砦の城壁の上。大国の城塞と比べると冗談のように質素だが、ざっと見た限りでは、一通りの防衛設備は整っている。特に物見櫓は頑強で、よく考えられた配置に並べられていた。
城壁の上からは、リュシリールに、続々と南部諸国の援軍が集まってくるのが見えた。数は予想よりもだいぶ多い。八万をちょっと越えるくらいだろう。更に三万くらいの軍勢が、遅れて集まろうとしているという。他にも集結してきている軍勢は幾らかいる。
問題は、それを七つの拠点に分散しなければならない、ということだ。
元々横に長い国である。防衛拠点も数が多く、それぞれに兵を配置しないと一気に国が分断される可能性さえある。元々のこの国の軍勢はそこそこに精強な様子だが、集まってくる援軍の中には、惰弱きわまりない連中や、訓練さえろくに出来ていない雑兵も混じっていた。
イミナが見たところ、状況はかなり厳しい。
国のほぼ中央に位置する此処には、現時点では一万二千の兵を配置する予定だとか。守備の設備は万全に整ってはいるが、もう三万はほしい所だと、イミナは思った。
五千の兵が到着するのは明後日だ。それまでに敵が待ってくれるとは思えない。少なくとも数日は一万二千でどうにかしなければならないだろう。
更に言えば、指揮官達が皆殺しにされる可能性もある事を考えると、この状態から敵に勝たなければならない。しかも一日か二日でだ。
「イミナ殿」
「私は此処ですが」
呼び声に応え、城壁の下に降りる。城壁の内側は入り組んでいるが、何カ所かに広間がある。勿論内側からは包囲挟撃出来、外から攻める場合は分断される作りなのである。
元々此処はイドラジールと長年戦い続けた武の国である。小さいし人口も多くは無いが、平和呆けはしていない。
歩み寄ってくるのは、まだ若々しい将軍だ。隣には、頭がはげ上がった老人がいる。
若い方はリュシリールの王族であるパレットである。
一応の実戦経験を積んではいるようだが、まだひよっこである。というよりも、熟練した将軍達は以前アルカイナン王が捨て石にしたときに皆殺しの目に遭ったらしい。老人はというと、アニーアルスから派遣された参謀だ。クドラクという名前であり、その陰湿な作戦指揮から吸血鬼と呼ばれている。
「クドラクどのから作戦会議の打診がありましたので、参加していただきたく。 まもなく鐘がなりますので、その時に」
「わかりました。 妹とレオンを連れて行きます」
「よろしくお願いいたします」
腰が低い相手だ。というよりも、わかっているのだろう。
自分が経験もろくに無い若造で、しかもイミナの機嫌を損ねたら命どころか何もかもが滅びる可能性があると。
それがわかっているだけ、まだましである。あくまで、王族の中では、という前書きがつくが。
プラムが何か探して物欲しそうにうろついている。レオンが慌てて駆け寄っていった。
「どうした」
「おなか空いた。 蜥蜴か蛇いないかなー」
「おまえは只でさえ此処では目を引く。 目立つような真似は止せ」
「だって、美味しいんだもーん」
レオンは冷や汗を掻いていたが、プラムはどこ吹く風である。
実際問題、プラムがその気になったら、レオンでは手に負えない。というよりも、普通の人間だったら誰でも勝てないような気さえする。
元々殺傷力の高い特殊能力だった上に、イミナが体術を教えた結果、凄まじい破壊力を発揮できるようになった。この間の潜入作戦でも六手の巨人を斬り伏せたというし、本気でやり合ったらイミナでも危ない可能性がある。
だが、レオンは大人として、責任感を強く持っていた。そしてプラムも、多分何処かでそれを知っているのだろう。ある程度は言うことを聞く。
「良いから止せ。 シルンやイミナにも迷惑が掛かる」
「それはそうだけど。 じゃあ、レオンさん。 何か食べさせて? お肉」
「兵士達は皆干し肉で我慢しているんだぞ」
「わかってるよ、もう。 だから動物探してたのに」
空を鳥が舞っているが、それには目もくれない。
プラムの弱点として、遠距離の相手には手も足も出ないというものがある。今後はプラムを如何に接近させるかが、重要になってくるかも知れない。
不思議な事に、プラムは別に食欲を満たすために食べているわけでは無いらしい。食事が出ないとわかっているときは、何日でも平気で我慢するという。その辺り、ある程度「わがままが通るとき」がわかっているのだろう。
わかっているから、たちが悪いのだとも言えるが。
「変わった子ですね」
「既に聞いているかも知れませんが、かなり特殊な境遇の子です。 心が壊れている代わりに強くなっていると思ってください」
「……話は聞いています。 勝つために此処までしなければならないのかと思うと、心が痛みます」
銅鑼が鳴る。どうやら、作戦会議を行う時間らしい。
既に兵士達の振り分けについては、担当の文官が行っている。更に前線から近い街や村からは、避難が始まっていた。
アニーアルスに誘導しているらしいのだが、この国が落ちた場合、追撃がほぼ確実に掛かるだろう。急がないと危険だ。
城の一番奥に案内される。
意外にも地下だ。最後には穴鼠を決め込むわけだ。しかも、脱出用の地下道が彼方此方に掘られているようである。
何名かの指揮官が集まっていた。
装備も年齢も、性別さえもまばらだ。一番若い者は、イミナと同年代に見えた。首からどくろのネックレスをぶら下げている、生々しい色香を湛えた女である。多分魔術師だろう。
優れた魔術師が、国の上層にいる事はままある。小さな国になると、なおさらだ。
音頭を取るのは、クドラクである。ここにいる人間の中で、一番戦闘を熟知しているのだから当然だ。
「早速ですが、会議を始めさせていただきます。 まず状況ですが」
ランプの薄明かりの下、地図が広げられる。
地図で見ると、改めて東西に長細い領土である事がよく分かる。点々としている防衛拠点は、どこもが貫かれるとまずい地点ばかりである。
敵は十五万。それが殺到してくるとなると、一万そこそこで支えなければならない事になる。果たして何日持つだろうか。敵には航空戦力や、常識外の破壊力を持つ術式を使う上級士官もいる。
勿論、絶望的な相手というわけでも無い。数さえそろえれば、対抗するのは決して難しくは無いのだ。
実際問題、アルカイナン王はほぼ同数で、魔王軍の最精鋭と良い勝負をしたという話である。
「見ての通り、まず敵の行動予測点が絞れない状態が、著しい不利を作り出しています」
「囮か何かでおびき寄せることは出来ないのか」
「難しいでしょう。 そもそも今回の敵の目的は、おそらくできる限り多くの人間を殺す事でしょうから。 まず、こちらの組織的抵抗を踏みにじってから、無辜の民を蹂躙しに来るはずです」
「なんたる卑劣な」
声が上がり、それに賛意が続く。しかしながら、まるで人間のようだなと、イミナは内心で皮肉を込めて呟いていた。
魔物の中にも、人間の残虐さを真似することで、その力を得ようと考えている奴がいるのだろう。
かって、人間が魔物にしてきた事が、今そっくりそのまま返ってきている状況というわけだ。
シルンが挙手した。
「あの、私を使えば囮になりませんか」
「無理でしょうな。 短絡的に攻めてくるよりも、こちらの組織的戦闘力を奪ってから、じっくり潰そうと考えるのが自然です」
「むー。 それは困る……」
腕組みして小首をかしげる妹は、とてもかわいらしい。実際人間の将軍どもの中には、見ほれている奴もいるようだ。
今度はレオンが挙手した。
「現時点で、集まりそうな戦力は」
「合計で十三万五千という所でしょう。 ただし、両日中に到着するのは、せいぜいそのうち十万という所でしょうが」
「十万を七分割か……」
勿論、そのまま七分割するのは芸が無い話だ。元々練度がとても低い兵なのである。不死身同然の魔物の軍勢とぶつけでもしたら、その場で蹂躙されるのが落ちだ。
勿論、この場にいる全員がそれを理解している。プラムでさえ、である。
「遊牧騎馬民族達に、援軍を要請できないだろうか」
「連中に借りを作るのか。 高くつくぞ」
「それにこの国が此処まで弱体化したのは、あのアルカイナンのせいだ。 連中と二度と手など組むものか」
援軍についての話が一蹴される。
乾いた音がした。ざわついていた将軍達が気づくと、クドラクが膝を打っていた。視線が、一点に集中する。
「喧嘩は後でなさいませ。 具体的な話を続けますぞ」
「う、うむ」
さすがは老巧の将。それなりに修羅場をくぐってきている連中を、一言で黙らせた。人心掌握術を良く心得ているとも言える。
クドラクは乾ききった指を、地図の上に走らせていく。
「防衛線を維持するのは今回の戦いにおける絶対条件ですが、しかし敵の去就が決まった後も、それを堅持することはありません」
「敵に別働隊がいる可能性は」
「それはあり得ないでしょう。 むしろ敵は今回、相当無理をして侵攻軍を繰り出してきていると分析できます」
クドラクは言う。
エンドレン大陸北海上での戦況が入ってきているのだが、魔王軍とエンドレンの旧軍人、山師などで構成された混成軍は、現在膠着状態だという。しかし、その内容が問題なのだ。
「エンドレンは元々軍事国家が多い大陸でしたが、支配者層が皆殺しにされたため、軍組織が丸ごとエル教会の手に落ちました。 その結果、おそらく全土では一千万近い軍勢が、攻撃の準備を待っています」
「い、一千万!?」
「百万以上の兵力を持つ国家だけでも六つ存在していたのです。 それくらいは想定の範囲内です」
エンドレンでは数に物を言わせた作戦が展開されているとは聞いていたが、シルンも驚いた。
その数では、魔王軍が総力を挙げても、撃退できない訳である。
雲霞のごとしというのよりもなおも凄まじい。昆虫でさえ、それほどの数を一度に投入することは希なのでは無いかとさえ思えてくる。
「つまり、魔王軍はその無茶な軍勢に対する守りを削ってまで、今回攻め込んできていると言うことか」
「その通り。 魔王軍も、此処で人間に対して、ある程度反撃しておきたいのでしょう」
お互いに、紙一重の攻防が続いているものだと、イミナは思った。
こちらの戦線では人類側が一気に大量の死者を出し、土地を失陥する可能性に怯えている。
それなのに、エンドレンでは逆に、海を埋め尽くすほどの数で押し寄せようとしている人間達に、魔物が戦々恐々としているわけだ。
「そんなに軍勢がいるのなら、一部でもこちらに分けて欲しいものだ」
ぼそりと将軍の一人が呟く。
だが、クドラクは否と言う。
「数こそ多いですが、軍紀も何も無く、略奪と殺戮しか考えていない軍勢らしいと報告も受けています。 キタルレアにそんな軍勢を入れたら、混乱がひどくなるだけでしょう」
「むむ……」
「それで、どうやって敵を迎え撃つ」
やっと此処で、マーケットが発言した。
当然この場で、最も強力な将軍が彼である。兵力だけならもっと多い将軍もいるのだが、戦歴にしても指揮手腕にしても、拮抗する者は一人もいない。五千の兵がどうにか間に合えば、更にマーケットの強権は拡大するだろう。
クドラクは咳払いして、皆を見回した。
「まず、此処と此処に、精鋭を配置します」
「まて、どういうことか」
クドラクが指し示したのは、リュシリールの東端と西端にある要塞である。どちらも、一番敵の突破の可能性が低いと見られていた上、他の拠点へ派兵するにしても時間が掛かりすぎる。
もしも中央にあるこの砦が攻撃された場合、とても支えきれないだろう。
「この砦の守りはどうするのか」
「勇者殿に一任いたします」
「え? 私?」
「そう、ですね。 それしか無いでしょう」
シルンの言葉を封じるように、イミナが応じた。
そうだ。それしかない。
此処に敵の注意を引きつけ、両側から挟撃する。退路を断ち、包囲殲滅に持ち込むことが出来れば。
この砦の周辺は、幸いにも地形が険しく、大軍が動きづらい。
もしもイミナとシルンが、レオンとプラムも加えた上でだが、少人数で守りきれる可能性があるとすると、此処くらいしか無い。
もっとも、その後の挟撃が成功しなければ、大軍に包囲されて押しつぶされるだけだが。
「他に手はありません。 これで行きましょう」
「待ってください」
シルンが挙手した。
「おそらく敵は、この地点に最精鋭を配置し、こちらの注意を引きつけようとするだろうな」
クライネスが、地図上の一点を触手で指さす。
既に全軍は出動可能な体勢にある。いつでも敵軍に向けて、雪崩を打つようにして進撃開始可能だ。
「あのう、つまり其処に銀髪の双子もいると」
「間違いない。 というよりも、敵には他に手が無い」
そこで、それを逆手に取ると、クライネスは言った。
まずクライネス麾下の一万八千を、敵の中核にぶつける。この戦力は、航空戦力、さらにはヘカトンケイレスをヨーツレットの親衛師団並の配備率に入れている精鋭部隊だ。寄せ集めの他の師団とは違う。
この軍勢を、数を偽装して敵にぶつける。
「数を偽装する、ですか」
「手はいくらでもある。 そうすると、おそらく敵はこうやって、反撃に出る」
幾つかの砦から、クライネスは導線を伸ばした。
部下達が瞠目する。気づくと、味方は完全に包囲されているからだ。
「これは巧みな……」
「やはり人間は侮れませぬのう」
そう呟いたのは、百年鳥と呼ばれる大型の魔物である。いわゆるロック鳥と近縁の種類で、全身が若い頃は真っ赤なのが特徴だ。
しかし師団長になっている彼ローギュウスは既に年老いており、体は桃色に色あせている。数少ない一族を導くためにも後方に下がって欲しいと魔王に再三言われているのだが、老骨を最後に役立てたいと言って、今回の戦役に出てきている。
「そこで我らは、伏兵としてローギュウスどのの三万をこの位置に、キーニットの一万を此処に……」
机上遊戯で終局に持って行くように、クライネスは部隊を配置していった。
クライネスの部隊に危険は生じる。だが、この配置であれば、万が一の状況にも十分に対応できる。
ただ、問題は伏兵を起こすタイミングだ。
失敗すれば、敵に逃げられる可能性もある。
しかし、その場合は、改めて敵を各個撃破すれば良い。
「此処で敢えてハイリスクな作戦を採るつもりはない。 確実に敵を粉砕するためにも、敢えて敵の罠に乗ってやるが、万全の準備を整えてからだ」
「もしも危険があるとすれば、それはどういう場合でしょうか」
「そうだな。 この地点に、敵が大戦力の伏兵を置いていた場合だろう」
クライネスが指さしたのは、敵がおそらく銀髪の双子を配置してくるだろう砦の、少し後方の山だ。
パルムキュアが、おずおずと挙手する。触手でだが。
「あの、それでしたら。 私の配置を此処に換えていただきませんか。 万が一の場合は、後詰めとして頑張り……ます」
「貴殿は左翼の敵を撃滅するのが仕事だが」
「まあまあ、クライネス軍団長。 それはこの老骨が頑張るでな」
「……わかった、良いだろう」
古参であるローギュウスの言葉は、流石にクライネスも立てなければならない。
そもそもこの老鳥は、温厚な性格で兵士達にも慕われている。鷲のように精悍な姿をしていて、若い頃はそれなりに獰猛だったらしいのだが、今はすっかり爪も丸くなってしまっている様子だ。
他の軍団などにも友人が多いこの老鳥の機嫌を損ねるのは、クライネスとしても得策では無いのだ。
もっとも、こういう考えが廻るから、他の軍団長から、クライネスは毛嫌いされているのだろうが。
「よし、全軍、進撃を開始する」
多少は変更もあったが、それは仕方の無いことだ。
夜闇に乗じ、十五万の軍勢が動き出していた。
2、蹂躙
魔王軍が動き始めたことは、既にイミナの耳にも入っていた。
城壁の上に。
決死の覚悟で此処に残った兵士達が緊張して見つめる先には、数万に達すると思われる敵勢がひしめいていた。
城壁の防御魔術もどれだけ保つかわからない。
「ものすごい軍勢ですね」
「そうですね」
パレットが他人事のように言ったので、さらりと応じた。物見櫓にいたレオンが、こっちに来る。
プラムはというと、さっきから城壁の上で、じっと敵陣を見つめていた。
「なんだか数を多めに見せてるみたい」
「そうなのか」
「うん。 やっぱりシルンさんの勘が当たったんじゃない?」
「……」
会議の最後に、不意にシルンは発言したのだ。
多分、それは敵も読んでいるのでは無いかと。
元々ハイリスクな戦いだ。投機的な賭に出る必要がある勝負である。だから、兵の配置については、手心を加えている。
マーケットとクドラクは既に別の地点にいる。この砦で、最低でも一日半は、敵を押さえなければならなかった。
敵が包囲を完成する。恐ろしいほどの早さでの布陣である。敵将が有能である事が、これだけでも明らかだった。
「手強そうだ」
不思議と、あまり高揚感は無い。
真剣勝負を控えているからだろうなと、イミナは思った。
敵の城は妙に静かだった。
クライネスは舌打ちする。ほぼ間違いなく、これはパルムキュアの予想が当たっただろうと思ったからだ。
悔しいが、あれは意外と使える。そう思ったからには、人間ではあるまいし、きちんと活用する義務があった。ここで人間だったら、好き嫌いで人事や運用に手心を加えているところだ。
いずれにしても、まずは初手を打つ。
「総員攻撃開始。 敵の防御術式を食い破れ」
「攻撃開始!」
副官が叫ぶと、一万八千の軍勢がいっせいに動き出す。
詠唱を開始する術式部隊。航空戦力は、魔力を高め、一斉砲撃の態勢に入る。もちろん前衛の歩兵部隊も油断はしていない。
まず、弓隊が射撃を開始した。
無数の矢が、城壁に降り注ぐ。豪雨のような音がとどろき、クライネスはウニのような体をちょっと縮めていた。
もともとクライネスは戦闘を想定もしているとはいえ、前線で戦うタイプではない。こういう凄まじいまでの戦闘音を間近で感じると、怖いとまではいかなくても、戦慄はしてしまう。
激しい矢の乱打だが、案外敵の防御術式は持ちこたえる。矢を放っている中には、ヘカトンケイレスの部隊も混じっているのだが。
続けて、術式がぶっ放される。
無数の火球が打ち放たれ、城壁を直撃した。防御術式の負荷が高まっているのが見えた。もう少しかなと、クライネスが考えたときである。
後方で、騒ぎが起こった。
「来たな」
別にあわてるでもなく、そうクライネスはつぶやいていた。
夜闇にまぎれ、イミナはシルンと一緒に城の外に出ていた。
地下道を使ったのである。脱出用のものであったが、しかし頑丈な上に長大で、しかも外に出た地点が抜群に良かった。奇襲を行うにはもってこいである。
イミナがまずシルンを引っ張り上げる。続けてレオン。最後にプラムを穴から引きずり上げた。
猛攻が、城に対して加えられている。
だが、火力が見た目よりずっと小さいことに、イミナは気づいていた。
「やはり兵力を偽装しているな。 実際には一万八千という所か」
「それでも標準的な人類国家での二個師団分ですよ。 あ、魔王軍ではこれが一師団扱いでしたっけ?」
自力で上がって来たパレットがにへらと笑う。彼の周囲を、ついてきた近衛兵が固めていた。
今回は攻撃では無く、攪乱が目的である。
だから、本気で戦うような真似はしない。ただ、時限式の爆発術式をばらまいて帰るだけである。
だが、それだけでは芸が無い。
術式を、闇に紛れて仕掛けていく。凄まじい集中砲火に、城壁の防御術式も、そろそろ限界が近そうだ。
七カ所に、時限式の術式を仕掛け終えた。
頷くと、シルンは最大威力での術式を放つべく、詠唱を開始した。
闇の中、周囲で蠢く音。
これだけの魔力が集まっているのである。補充兵が反応するのは当然のことであった。
「シルン殿を守れ!」
パレットが叫ぶのと、周囲から一斉に敵が飛びかかってくるのは同時。
イミナは飛び出すと、剣を振りあげて迫ってきた補充兵の顎を蹴り砕いた。さらに、斜め後ろから斬りかかってきた相手の腕を掴むと、脳天から落ちるようにして投げ飛ばす。体を半回転させると、味方の兵士に槍を突き出そうとしていた敵兵の頭を蹴り砕く。着地。体を低くして旋回し、数体の敵に足払いを掛けた。
プラムが猛然と突貫する。王弟からもらい受けた名剣を右に左に振り回し、敵兵を片っ端から膾のように切り裂く。シルンはもう少し掛かるから、時間を稼ぐ必要がある。
矢の音。
レオンが飛び出し、錫杖をふるって矢を叩き落とした。
少しは体が動くようになってきている。結構なことである。
そろそろ、時限式の術式が爆発する頃だ。三、二、一。
カウント終了。
だが、爆発は起こらなかった。
舌打ちする。多分、罠に掛かったのはこちらだ。今のはおそらく、術式が無効化された結果である。
「退け!」
イミナが叫び、兵士達が我先に退却していく。レオンは錫杖を振り回し、敵を牽制しながら、プラムに呼びかけた。
「追撃してくる敵の頭を叩くんだ!」
「え? 何?」
困惑した声を上げながらも、一閃二閃、プラムの剣が咆哮する。剣が駆け抜けるたびに敵が輪切りになり胴から二つになり、次々と倒れ伏していく。だが、それでも限界がある。
殺到してくる敵を見て、プラムは舌打ち。
シルンが、この時ようやく術を発動した。
杖の先から、極太の閃光がほとばしり、敵数十を瞬時に焼き尽くした。閃光が通った後は地面が焼け焦げ、原形を残さない敵の骸が散らばっている状態だ。
唖然としている敵を蹴り倒すと、イミナは皆を穴へと戻るよう指示。
戦死者はあまり出なかったが、そもそもこちらの方が、数は遙かに劣っているのである。戦力の無駄遣いは出来なかった。
穴に逃げ込んで、蓋を閉ざす。
何重にも偽装の術式が駆けてはあるが、念には念だ。更に上から、シルンの術式をかけて、ガードを固めた。
外の音が消える。
代わりに、うめき声が聞こえてきた。負傷した味方の声だ。
「完全に出方を読まれたな」
「うん。 危なかったね。 怪我は大丈夫?」
「私は平気だ」
イミナはそう言って流したが、右腕を矢が貫いていた。鏃はどうにか抜けたが、しばらく握力が半減するだろう。パレットは一つ大きな刀傷をもらっていた。袈裟に斬られた様子である。鎧を完全に通ってはいないようだが、肩口から腹に掛けて浅い傷を受けた様子だ。プラムも槍傷が背中に一つ。だが、見事に気にもしていなかった。
他の兵士達にも、負傷者は多い。レオンがある程度穴の入り口から離れたところで、皆の手当を始める。
水滴の音がする。元々此処はかなり寒い。水滴など浴びていたら、ほぼ間違いなく風邪を引くだろう。
応急処置を済ませると、レオンは急ぐように言った。同胞に肩を貸して、歩き始める兵士達の姿を見て、イミナも腰を上げる。
入り口を見つけられたときに備え、地下道は迷宮化している。だから、帰りも多少緊張した。
一旦城まで戻る。外では、敵が攻撃を再開していた。どうやら投石機まで持ち出しているらしく、時々大岩が飛んできていた。
大岩がぶつかると、防御術式に虹色の波が広がり、大きな音がする。地獄から響くような、恐ろしい音が。
「これは、防御術式も、長くは保たないな」
「そうだね、お姉。 いっそ私が外で守りを固めようか?」
「いや、今は作戦通りに動こう」
シルンが防御術式に魔力を注ぎ込めば、更に対応できる時間が増える可能性もある。しかし、シルンの魔力を浪費することにもつながる。
既に最初の奇襲が失敗している状況だ。これ以上、無為に戦力を失うわけにはいかない。だが、此処で守勢に回ると、敵につけいる隙を見せてしまう。長時間守りきることが目的であるが故に、逆に此処で守るわけにはいかないのだ。
「シルン、あの投石機だ。 殺れるか」
「ん、単独じゃ無理」
「ならば、城内の連中にも手伝ってもらうか」
即座に双子は動き出した。最終的な勝利のために、今は攻める。
クライネスは無言で戦況を見つめていた。
多分敵が出鼻をくじく目的で、奇襲を仕掛けてくるだろう事はわかっていた。だから部隊後方に、対奇襲用の特殊部隊を幾つか埋伏させていたのだ。
作戦は見事に図に当たった。とはいっても、こんなのは小手調べだ。向こうも負けたとか、大げさに思っていないだろう。つまり、次に敵が使ってくる手を予想して、冷静に対応しなければならない。
不意に、敵の防御術式が途絶えた。
そして、極太の魔力光が、戦場を貫く。おそらくはあの勇者による一撃だろう。光の束は、最前列にいる味方投石機を直撃した。
だが、それだけでは投石機は壊れない。
もとから重要な戦略物資である。側には連隊長級の補充兵が付き従っており、魔力による障壁を張っているからだ。
だが、次の瞬間。
城の内側から飛来した巨石が、光の束とぶつかり合って消耗した投石機を、文字通り粉砕していた。
もうもうと煙が上がるのが、朝日に映えて何処か美しい。
唖然としている連隊長級の姿が、遠くから見ると何処かで滑稽だった。
「敵の防御術式、復活します!」
「投石機の守りを強化しろ」
「直ちに!」
副官が前線に呼びかける。
投石機の隣で、連隊長級がせっせと術式を唱え始める。さて、まさか同じ手を敵は使ってこないだろう。
そうなると、どうするつもりか。
不意に、また防御術式が途切れた。
そして城壁の内側から飛来した大岩が、補充兵が密集した地点を直撃、数十体を一気に吹き飛ばした。
まあ、こう来るだろうなと思いながら、クライネスは叫ぶ。
「今だ、敵の勝ち逃げを許すな! 攻撃せよ!」
一斉に矢が敵城に向けて飛び、空を切り裂き蝗のような数で襲いかかる。
防御術式の負荷が、見る間に高まっていく。既に前線では、城壁に登るための攻城塔や、長いはしごを準備し始めていた。
だが、その攻城塔の一つに、巨大な風穴があく。煙を上げながら横倒しになる攻城塔は、多くの補充兵を巻き込んでいた。
「第七攻城塔大破! 被害多数!」
「うろたえるな。 狙撃した地点を割り出し、敵を潰せ」
「了解!」
兵士達が散る。
これで、一勝一敗と言うところか。なかなかやってくれる。
だが、そもそも相手は少数でこちらを苦しめ続けた銀髪の双子を含む軍勢だ。これくらいの損害は最初から想定の内である。
硝子が砕けるような音がして、敵の防御術式が砕け飛んだ。これで、まずは第一段階は終わった。
既に攻城戦開始から四刻が経過し、朝が来ている。
まだまだ小手調べである。城壁に群がる味方を見つめながら、クライネスは次に敵が打ってくる手について、考え続けていた。
ついに、防御術式が破られた。
だいたい予想通りの時間である。そして、次に敵が打ってきた手についても、であった。
航空戦力である風船のような魔物が、一斉に攻撃を仕掛けてくる。要塞化している城が、見る間に爆発に彩られた。
物見櫓の一つが、基部から砕かれ、傾く。
パレットが声まで蒼白になっていた。
「あの頑丈な物見櫓が……」
「お姉、大丈夫かな」
「あの空にいる魔物は、斉射一発で防御術式を砕いた実績もある。 今回は数が少ないとはいえ、あれくらいは最初から想定済みだ」
とはいえ、座視してみているわけにも行かない。
城壁を乗り越えた敵兵が、城の中に満ち始める。それが二千を超えた頃、レオンが来た。
「そろそろ良い頃だろう」
「ああ。 出るぞ」
立ち上がると、兵士達が一斉にそれに習った。
此処は本丸である。地下道で彼方此方につながり、それは味方だけが知っている。それを利用して、反撃に出る。
敵が城の中に満ちるのを待ったのは、大威力の術式による反撃や、航空部隊による火力集中を避けるためだ。密着戦に持ち込むことで、敵の優位を消すのである。
城の彼方此方で、戦線が接触した。
イミナはプラムと一緒に、最前線を目指す。
狙うのは、敵の大物士官である。戦うような真似はしない。奇襲を仕掛けて、一刀両断にするのだ。
シルンはというと、術式による遠隔会話を維持している。
今回は普段と真逆で、シルンが囮になり、イミナがプラムを守りながら敵を一息に斬り伏せるのだ。
「お姉、敵の師団長らしいのを見つけたよ」
「位置は」
「ええとね、城に入ってきたところ。 東の第七ブロック」
「ならば、第八ブロックで待ち伏せる。 大威力の術式を浴びせる準備をしてくれ」
ラジャと、信頼する妹は返してきた。
プラムは何度か愛剣の状態を確認している。防御術式ごと、敵を斬り伏せるためだろう。
既に味方の特殊部隊が、敵に捨て身の奇襲を繰り返しているはずだ。魔物を相手の肉弾戦である。当然、被害も小さいはずが無い。だから、一秒であっても、無駄にしてはならない。
ひときわ大きな爆発音。
内側にある扉の一つに、敵が到達して、術による爆破を試みているのだろう。
ぱらぱらと、地下道の天井から埃が落ちてきた。
「生き埋めになったら、助からないですね」
「その場合は諦めろ」
脳天気なプラムの言葉に、冷静に返答する。実際、戦場での死因は、そういった想定外の出来事によるものが殆どなのだ。
どうしても勝てない敵と出くわしてしまった、というような状況は、むしろ少数の事例に入る。戦場での死は、殆どが予想も出来なければ回避も無理というような、理不尽なものなのである。
地下通路を抜ける。
第八ブロックと名付けていた、袋小路の井戸に出た。
外に飛び出し、背中を見せていた六本腕補充兵の、背骨の真ん中に、進みながらの突きを叩き込む。
振り向こうとした六本腕だが、今のは内蔵も背骨もへし折るように力を収束した一撃だ。そのまま白目を剥き、前のめりに倒れ伏す六本腕。周囲が一斉にざわついた。
プラムが遅れて飛び出してくると、前後左右に敵を斬り伏せ始める。勿論武器で受けようとしたり、鎧や盾で防ごうとする魔物も多かったが、殆どが一刀両断である。彼女の能力は、そういうものだからだ。
無音で進みながら、イミナは次の獲物に躍りかかる。
プラムはとにかく攻撃に長けているが、守りがおざなりだ。だから、狡猾そうなのを順番に潰して行く。
弓を構えていた補充兵は、頭を蹴り砕かれて、横転して動かなくなる。そのまま体勢を低くして矢をかわし、低い弾道から至近の敵の顎を蹴り砕く。そいつの体を踏みつけて跳躍し、空にいた風船のような奴に、真下からの打撃を叩き込んだ。
風船が、爆ぜ割れて、大量の血と肉片がぶち撒かれた。
壁を蹴って勢いを殺し、着地。
風船を殺したのは、イミナが始めてかも知れない。高空からの攻撃で猛威を振るってきた奴だが、案の定打撃には極めてもろいことがよく分かった。イミナが攻撃に気をたっぷり込めていたこともあったのだろうが、それにしてももろい。
敵が殺到してくる。
狭い地形を利用して、プラムが縦横無尽に斬り伏せている。
剣を放り捨てたかと思うと、次を抜く。最初に抜いていた数打ちは、もう刃がのこぎりのようになっていた。
イミナも着地すると、術式を唱えようとしていた不定形の奴に、低い弾道から浴びせ蹴りを食わせた。頭が破裂した不定形の奴が、壁にたたきつけられて動かなくなる。
敵が、雪崩を打って退いた。
代わりに前に出てくるのは、鎧を着た大男だ。兜で顔を隠しているが、人間では無いのは一目でわかる。体のプロポーションがおかしいし、全身から放っているオーラが人間とは違うからだ。
大男が斧を構える。長い柄がついている、、ハルバードと言われる武器だ。
当然殺傷力が高い武器で、油断できる相手ではない。
風がなる。
本能的に飛び退いていなければ、真っ二つにされていた。
残像さえ残して、斧が地面を割り砕いていた。地面の亀裂が、壁にまで走る。プラムが躍りかかるが、凄まじい勢いではじき飛ばされた。
見ると、男の腹から、触手が生えている。
これに叩かれ、吹き飛んだのか。
さすがは魔物、何でもありだ。
「おまえが、銀髪の双子か」
「見ての通り一人だが」
「そうか」
斧を構えたまま、歩み寄ってくる。プラムは水を浴びた犬のように頭を振り、立ち上がろうとしていた。
手助け無用である。
手を抜ける相手ではないし、戦いながら誰かを守る余裕も無い。
こっちに来ようとするプラムを、手で制した。
頷くと、プラムは体勢を低くしたまま、他の敵に躍りかかる。こちらはというと、まるで何かの円が空間を削ったかのように、周囲が静かだ。
ゆっくり、立ち位置を入れ替える。
此奴が師団長だとすると、もう少しだ。だが、それが間に合ったにしても、直撃を入れるためには、位置を変えなければならない。
「イミナだ」
「魔王軍クライネス軍団第四師団副師団長、カラス」
「副師団長、だと」
「そうだ。 師団長を補佐している」
しまった。これは失敗したかも知れないと、イミナは内心で呟く。師団長だと思って仕掛けてみたのに、その副将とは。
だが、師団長の副将なら、充分な高級士官である。旅団長と比べても格は決して劣らないだろう。
殺す価値はある。
構えを取る。上段から、手を回すようにして右側に移る。カラスは斧を構えたまま、わずかずつ向きを変えて、こちらへ視線を外さない。
永遠とも思える膠着。
プラムが斬り伏せた補充兵の首が、二人の間に飛んで来て、それが開戦の火ぶたを斬った。
イミナが踏み込む。斧が振り下ろされるが、瞬時に横にずれつつ、斧の横腹を強打。そのまま、滑るようにカラスとの間を詰める。
触手。腹から三本、飛び出す。
跳躍、飛び越えつつ、回転し、踵を相手の頭頂に落とす。
激しい激突。
はじきあう。人間なら即死する一撃だが、流石に魔物だ。わずかに体が揺らいだだけで、びくともしない。
だが、プライドを傷つけられたらしく、今度はカラスが前に出た。斜め横のとても避けづらい斬撃が降ってくる。
身を低くしつつ、全力で横っ飛び。
一瞬前に首があった地点を、斧が通り抜けていた。舌打ちしつつ、全力でバックステップ。回転しながら、斧の石突きが、今度は肩があった地点を通り過ぎていた。旋回してのトリッキーな打撃だ。
回転しつつ、カラスが間を詰めてくる。刹那の交錯。
水平に、体を両断せんと飛来した斧を、踏み、そして跳ぶ。前に。
兜に、膝蹴りを全力で叩き込む。人間だったら、顔がスイカのように砕けている一撃だ。だが、カラスは耐え抜く。
斧が一閃。刃は避けたが、柄が当たった。
壁にたたきつけられる。至近。風。左に。
避けるのが遅れていたら、城壁の上で左右に切り分けられていただろう。
足下を払う。
大きいだけあって重いが、それでも巨体が揺らぐ。だが、触手が鋭く伸びて、体を支える。
その隙に、飛び退くようにして逃れつつ、地面を蹴って跳躍。壁を蹴り、更に高く。空中で、一回転。
首筋の後ろに、隕石のように膝を叩き込む。
カラスが、流石に悶絶する。だが、一瞬で意識を取り戻すと、体当たりを仕掛けてきた。もろに喰らったイミナが、地面にたたきつけられ、バウンドする。
カラスが、歩み寄ってくる。
流石に強い。だが、これで勝負あった。
カラスの上半身が消え失せ、周囲からどよめきが上がった。
流石に下半身だけになっては、頑丈な此奴もひとたまりも無い。それでも、しばらくもがくように触手は辺りをしばしまさぐっていたが、それもすぐ動かなくなった。
シルンによる長距離砲撃の結果である。
時間、場所を指定し、更にイミナに注意を集中させることで、効果を決定的なものとしたのだ。
プラムが戻ってくる。流石に敵の数が多すぎる。
煙幕を地面にたたきつけると、プラムの襟首を掴んで、井戸に飛び込む。念のために入り口を塞いで、奥へ走った。
「シルン、そちらは」
「無事に撤退中」
「そうか。 次の獲物になりそうな奴は」
「ええとね、待って。 A4地点に、旅団長、かな。 少し強そうなのがいるよ」
ならば、そちらに向かうだけだ。
今の戦闘でも決して無傷では無い。体力の消耗もかなり激しかった。
だが、ここからは根比べだ。どれだけ敵を振り回し、消耗させることが出来るかが、勝負に直接影響してくる。
クライネスの下に、カラス第四副師団長戦死の報告が入った。
流石に唖然とする。
敵が大威力の火器を備えているような戦闘ならともかく、こんな小規模な局地戦で、上級の補充兵が命を落とすとは、あり得ない事だった。千人程度の人間なら相手に出来る戦力を有しているのに、である。
だが、事実は事実だ。
「何かしらの罠に掛かったか」
「おそらくは」
「上級士官に通達だ。 城の中での作戦行動は出来るだけ慎むように。 補充兵による徹底的な殲滅と制圧を急がせよ」
「了解いたしました」
伝令が飛び去る。
既に城に突入してから二刻が経過しているというのに、苦戦が続いている。城の周囲にも、一万以上が残って分厚く堅陣を維持しているが、それでも不安は残った。
更に、凶報が入る。
「ヨンクレーツ旅団長、戦死!」
「何っ!?」
「おそらくは銀髪の双子によるものです! 敵の待ち伏せに遭いました!」
カラスにしてもヨンクレーツにしても、どちらも武勇自慢の連中だ。それを罠に掛けた上、伏兵したとはいえ、まさか兵器に寄ってでは無く、人間が肉弾戦で仕留めるとは。
否。
どうもこの双子は、純粋な人間とは言いがたいと言うし、或いは今後最大の脅威になるかも知れない。
「一旦制圧地点から兵士達を下げよ」
「わかりました」
「全術者に通達。 この敵地点を、完膚無きまでに破壊する。 徹底的に焼き尽くすのだ」
敵兵が引き潮のように後退していく。
だがそれを見て、喜んだのは兵士達だけだ。イミナは特に、眉をひそめていた。
これは、何かある。
「増援が来たのでは無いでしょうか」
「いや、それはあり得ません」
パレットに返す。
そして、作戦行動中の味方に、本丸に戻るよう指示。
地下にある本丸には、けが人が増え始めた。元々生半可な攻撃では落ちないような城ではあるが、それでも厳しい戦況である。多少の怪我くらいでは、戦ってもらわないといけなくなりつつある。
レオンが戻ってくる。血相を変えて、小走りで来た。
「イミナどの」
「どうした」
「敵が……」
城全体が揺動したのは、その時だった。
物見櫓にいた兵士が戻ってくる。
「伝令です!」
「如何したか」
「敵が城壁を粉砕しています! 城壁を、根こそぎ破壊するつもりのようです!」
思わず腰を浮かしかけたところに、もう一撃術式が来る。
これは、儀式魔術によるものか。
「なるほど、地形による攪乱作戦に苦戦するのを避けるための策だな」
「お姉、どうする? 流石に更地にされると、かなり厳しいよ」
「しばらくは本丸で耐えるしか無いだろうな」
また、一つ激しい揺れが来る。
天井の埃が降ってきた。レオンは動揺する兵士達を落ち着かせるべく、治療に戻る。プラムはというと、良さそうな数打ち剣を物色して廻っていた。
一刻半ほどで、一番外側にあった城壁が全て崩された。
物見櫓も、順次崩されていると報告が入る。パレットが拳を固めて震えた。
「先祖が苦労して作り上げたこの城は、国を守ってきてくれたのに」
「それならば、戦が終わった後に作り直しましょう」
「……其処まで、割り切ることは出来ません」
パレットが悔しそうに歯がみしながら、奥へ。個室と呼べるような場所は無いが、しばらく隅っこで一人になりたいのだろう。
日が沈む頃には。
本丸と、その外の城壁を除いて、城は全て崩され、埋め立てられてしまった。当然抜け穴など、原型が残っているわけも無い。
物見櫓の兵士が戻ってくる。
「外は全て敵です。 総攻撃の機会を待っている様子です」
「地下道は?」
そちらを見に行っていた兵士達も、まもなく戻ってきた。
地下道は案の定、壊滅状態だ。逃れるための穴も幾つかがふさがってしまっている。まだ生きている穴もあるのだが、いつ崩落してもおかしくないという。
「重傷者を先に穴から外に。 穴が崩れる前に逃がせ」
「わかりました」
「穴の内、崩れそうなものを何名かで補修。 補修できそうなものに関しては、支えろ」
「直ちに」
兵士達がすぐに走り去る。
それと入れ替わりに、レオンが来た。
「イミナどの、まだ作戦時間まで時間がある。 このままではこの拠点は陥落するぞ」
「何とかするしか無い」
「一番怖いのは、此処を押さえたまま、敵が後方を無視して進撃をすることだ。 この状態だと、もう敵を押さえられない」
「あまり大きな声で言うな」
実際その通りだ。
そして今までの偵察の結果から、敵がどちらかと言えば機動戦中心の編成である事もわかっている。
一旦南部諸国の戦闘継続能力を粉砕して、後に堂々と本命の占領継続部隊が来るつもりなのかも知れない。
いずれにしても、このままではじり貧だ。そして、敵がさらなる一手を打ってくる。
敵を完全に包囲したことを報告してきた伝令に、クライネスは満足げに頷いた。
ただし、味方も完全に有利な体勢、というわけではない。
猛烈な火力の展開により、術式部隊の消耗が大きい。中には、しばらくは術が使えないほど疲弊している者もいた。
包囲を形成している補充兵も、それなりに消耗している。最初に大物士官が二人も倒されたことが、その要因だ。混乱が被害の拡大を生み、それが精鋭であるこの直属師団にも傷をつけることになってしまった。
堀も埋め立てた。
敵が潜めそうなものは全て排除した。
後は、圧倒的な火力で焼き尽くすだけだ。命令を下そうとして、ふと思いとどまる。
更に、クライネスの判断に水を差すかのように、挙手した者がいる。といっても、触手で、だが。
「あ、あのう」
その不快な声に、忌々しいと思いながらも、クライネスは振り返っていた。
3、鳴動
激しい音が響き始めた。
兵士達が首をすくめるのがわかる。おそらく、本丸に敵が術式で攻撃を開始したのだろう。
イミナは腕組みして壁際に座り込み、時間の経過を待つ。
敵の狙いは読めている、などと殊勝なことは言わない。今回の敵将はとにかく頭が切れるようで、策を仕掛けても殆ど乗ってこない。慎重と言うよりも、こちらの手をある程度想定している感触だ。
このままだと危ないかも知れない、とも思う。
また一つ、どすんと大きな揺れが来た。視線を感じる。
目を開けてそちらを見る。シルンがのぞき込んでいた。
「疲れた?」
「ああ」
「回復の術式、かけようか」
「おまえがか」
指摘すると、ぷうと頬を膨らませるシルン。
シルンは師匠に教わった術式をあらかた覚え込んでいったが、回復系の術式だけは適正が低かった。
今までにも何度か失敗したことがあり、兵士達に回復術を使っているのを見ると、冷や冷やしてしまう。
もっとも、イミナの場合は、多少からだが爆発に巻き込まれたくらいでは死なない。だから、いざというときには、妹の好きにさせてやりたかった。
「ねえ、これだと、本当に保たないよ」
「外の敵は二万弱。 それに対して、こちらは千八百程度だ。 だから、此処は焦らず、挑発にも乗らず、黙ってみているべきだ」
「もう、知らないよ」
「信じろ」
そう言うと、シルンは少し悩んだ末に、頷いた。
実際には、イミナにもこれと言った良策は無い。だが、此処でシルンが消沈していると、「勇者」が負けを認めていると兵士達にも思わせることになる。
此処での目的は、あくまで時間稼ぎ。
そのためには、士気を出来るだけ高く保たなければならないのだ。
レオンが来た。
「軽傷の人間は、あらかた回復させた」
「殆ど不眠不休だろう。 大丈夫か」
「何とかなる」
レオンも、近接戦闘の技量はまだまだ微妙だが、回復術に関しては完全に背中を預けられる存在になってきている。
問題は、もしも此処が手強いと敵が判断した場合だ。
とにかく、あと少し、持ちこたえなければならない。
伝令が来た。
「正門、突破されます」
「術式で本丸を潰すのでは無く、正面突破に出たか」
「両方を同時に試すつもりのようです!」
プラムが立ち上がり、剣を指先ではじいた。
「じゃ、スパスパ斬ってくる」
はらわたが煮えそうだと思いながらも、クライネスは攻城戦の指揮を執る。包囲は完璧。攻城塔が何度も破城槌を敵の正門にたたきつけている。非常に頑丈だが、そろそろ罅が入ってきているし、突破できるだろう。
パルムキュアは、忌々しくもこう言った。
「もしも敵が此処に我が軍主力を引きつけるのが目的だった場合、当然こちらの策も読んでいると考えるべきだと思います」
「何故、今更そのようなことを言う」
「それは、ええと」
「言ってみよ」
しばらくためらった後、童女のようにもじもじして、パルムキュアは言った。
「あの、さっきまでの激烈な抵抗が嘘みたいですから。 きっと、敵には兵力を温存したまま、こちらの攻撃をしのがなければならない理由があるんだと思います」
「ふむ……」
その理由を、幾つか考えて。
そして、想定される可能性は、三つにまで絞られた。
不意に、後ろに気配。振り返ると、バラムンクである。忌々しいサソリのような姿をした軍団長は、はさみをかちかちと鳴らした。
「どうした、魔王軍きっての知将が苦戦しているようではないか」
「これは高度な戦略戦の結果です。 敵は相当に切れますから」
「例の双子か」
「そうですとも。 だからこれだけの戦力をつぎ込んで、潰しに来ているのです。 連中をおびき出すために、わざわざ開けっぴろげに準備して見せたのも、こんな守りにくい国にわざわざ攻め込んだのも、それが理由ですよ」
敵は乗ってきた。
否、乗らざるを得ない状況を作ったのだとも言える。
城門が、不意に内側から開いた。
そして、大威力の術式が、内側からぶっ放される。攻城塔が吹き飛び、破城槌が粉々になった。
兵士達も相当数が倒れた。
だが、これも想定済みだ。敵が城門を閉じる前に、内部に魔術による攻撃を連続して叩き込む。
扉が閉まる前に、敵兵もかなりが倒れるのが見えた。
時間稼ぎをしたつもりだろうが、こちらはそれを想定の上で、戦力を削ったのだ。すぐに次の攻城塔を用意させる。
「消極的な戦い方だな」
「知的と言ってもらいましょう」
敵の正門は、そろそろ砕ける。
中になだれ込んでしまえば、後は数と数の勝負だ。敵の戦力は多くても二千を超えないだろう。如何に双子が絶倫の武勇を振るおうが、万を超えるこちらには手も足も出ないのである。
たとえば、敵にヨーツレットがいても勝てる。
現状の戦力差は、そういうものであった。
「それで、何をしに来たのですか、バラムンク軍団長」
「そう邪険にするな。 良い情報をもってきてやったのだがな」
「ほう?」
「どうやらエンドレンの方で、面白い動きがあるそうだ。 反戦を掲げる人間が出てきはじめているようでな」
反戦。
つまりあれか、魔物との戦争をやめて、平穏に生きようとでも言うのか。
今更、何をほざくとクライネスは思う。
最初から、少しでもそう考える人間がいたなら、此処まで事態はこじれなかった。あまり詳しく事情は知らないが、魔王があれほどまでに人間に対しては頑ななのも、それが原因の一端になっているはずだ。
魔物の中には、戦争を終わらせたいと考えている者達もいる。
だが、人間側にその動きが無いから、実現は不可能だと結論せざるを得なかった。
「魔王様には、知らせたのですか」
「当然だ。 それを活用して、敵を分断する策を練ろと仰せであった」
「……そう、か」
人間がどうなろうと、魔王の考えに変わりは無い、か。
頷くと、クライネスは作戦の指揮に戻る。そろそろ、予想通りであれば。後方に奇襲がある頃だ。
正門が砕けた。
怒濤のごとく、魔物がなだれ込んでくる。
しかし、狭い通路である。一気に蹂躙される、というわけではない。特に通路に陣取ったプラムは、両手に剣を持って、縦横無尽に敵を斬り伏せ、死体の山を作った。
それでも、数が違いすぎる。
プラムと入れ替わりに前に出たイミナが、敵の頭を蹴り砕きながら、指示を出す。
「シルン、時間は」
「もう少し!」
「よし、皆もう少しだ、耐えろ!」
応、と絶叫が上がる。
既に兵士達は、完全に覚悟を決めているようだった。仮に作戦が上手く行っても、援軍が即座に来るわけでも無い。
むしろ怒り狂った敵兵に、この城が蹂躙される可能性も、決して低くは無いのである。
イミナはそれを予想した上で、シルンを生かす算段を考えてもいた。だが、それでも、兵士達には最後まで士気を保ってもらわなければ困るのだ。
六本腕が、味方の兵士を薙ぎ払っているのが見えた。
プラムが突貫する。六本腕が、それぞれの手にある武器を振り下ろす。
その内の二本が、半ばから折れ砕けた。
同時に、プラムが左手に持っていた剣も、である。
だが、六本腕の胴に斜めに線が走り、巨体がずり落ちる。そして、通路を塞ぐようにして、倒れた。
さて、そろそろ時間だ。
敵の士気は旺盛で、退くことを知らない。味方の被害は一秒ごとに増えていく。
パレットの悲鳴が聞こえた。振り返ると、若き王族は、槍で突かれていた。
パレットを突き刺した敵兵を、味方兵士達がよってたかって串刺しにする。倒れ伏した若者を、別の兵士が奥に引きずっていった。
レオンが、一瞬注意が逸れたイミナの後ろに、錫杖を振り下ろす。
頭を砕かれた敵の雑兵が、前のめりに倒れていた。
「そろそろ限界だ。 もう味方の損害は、継戦可能な割合を超えている」
「あと少し、我らだけででも、時間を作るぞ」
通路の左右に、さっと分かれる。
シルンの大威力魔術が、通路を蹂躙。その過程状にいた魔物を、片っ端から薙ぎ払った。
焼き払われた敵陣だが、すぐに新手が来る。感情が無い肉人形だという事もあるだろうが、士気は全く衰えない。
「後方に奇襲!」
クライネスの陣に、その声が轟いた。予想通りである。
既にいつの間にかバラムンクは消えている。クライネスは、作戦行動を開始させる。
「敵の奇襲を受け止めよ! 狼煙を!」
「直ちに!」
狼煙が上がる。
これで、虎ばさみが閉じるようにして、敵を味方の全軍が包み込む。殺到してきた敵の主力は、大混乱の末、網に掛かった兎も同然の状態になるだろう。
さて、問題はそれから、だが。
伝令が来る。
「敵の数、およそ二千!」
「何……!?」
「後続の敵兵、見当たりません!」
闇の中、ユキナは馬上で作戦指揮を執っていた。
味方が敵陣に奇襲を仕掛けたとき、妙に敵の対応が早いのを、ユキナはしっかり見て取っていた。
間違いない。
クドラクの言っていっていた通り、連中はこちらの作戦を察知していたのだ。
敵陣から、一度ならず狼煙が上がる。もしも此処でユキナが数万の軍勢を率いていたら、一気に包囲殲滅させてしまっただろう。
だが、ユキナの軍勢は少数だ。だから、網の目も抜けられる。
作戦通りに動きつつある敵軍が、迫る。
その隙間を抜けるようにして、二千の義勇軍は逃げた。闇の中、ひたすらに走る。脱落したら死ぬとわかりきっているから、皆表情は必死だ。
敵陣が閉じる。
同時に、その外側に、今度こそ本命である、味方の全主力部隊が、気配を現していた。
後方を完全に突かれた敵は、大混乱に陥った。
「陛下!」
「うむ、今こそが反撃の時だ! 積年の恨みを晴らせ!」
「おおっ!」
兵士達が絶叫する。
そもそも、今回の件に参戦が決まったのはほんの少し前の事である。魔王軍と再度戦うために西に進んでいるとき、アニーアルスからこの話を打診されたのだ。
最初は危険性を理由に、参戦すべきでは無いと主張する部下も多かった。だが、以前ほんの少しだけ顔を合わせた双子が参戦していること、更に東側が総力を挙げて裏側から支援していることを知ったユキナは、参戦を決めた。
あの双子は、必ず今後の戦乱で中心になる。
魔王を倒すのなら、あの二人の側にいるのが一番良い。
そう、ユキナは思っていた。
混乱の中、二千の義勇軍は突入する。殆ど素人同然の味方兵士も多い中、義勇軍は元軍人だったり騎士だったりする連中を中心として、可能な限りの力を振るい、暴れ回った。
ユキナは戦闘用に装甲を分厚くしている馬車の中で、指示を飛ばす。
今は、押して押して押しまくるだけだ。
矢が馬車に突き刺さる。鏃が飛び出して、ユキナの顔の至近で止まった。だが、気にせず、ユキナは突撃を指示し続けた。
クライネスは、思わず指揮剣を地面にたたきつけて折り砕いていた。
まさか、これほど鮮やかに裏を掻かれるとは。
人間が策略に長けた生物だとは、熟知していたはずなのに。それなのに、何処かで油断してしまっていたのかも知れない。
だが、まだ負けたわけでは無い。
「パルムキュア将軍は!」
「は、はいっ! ここにいます!」
相変わらず自信が無さそうな声。
側に控えていたパルムキュアを一瞥すると、クライネスは言う。
「今からくず共を叩き潰してくる! 貴殿は此処で、二千ほどの兵力で敵を封じ込めていて欲しい」
「敵の主力と、総力戦を行うつもりですか」
「そうだ」
「危険です。 もしもう一部隊敵が有していた場合、この城に加勢されると、一気に戦況が崩される可能性があります」
はと、我に返る。
確かにそうだ。此処に押さえを残して、敵をたたきに行くとする。
その場合、後方から更に一部隊の敵が現れると、対処の仕様が無くなる。混乱は極致に達し、銀髪の双子を取り逃がすどころか、負けることになるだろう。
不快な奴だが、有能だ。
グラのことを思い出して、舌打ちする。あいつも不快だが、とにかく有能だ。推薦したことについては、今でも後悔していない。魔王軍のためには、確実になるからだ。
「わかった。 此処に精鋭部隊の全てを残していく。 銀髪の双子については、押さえるだけで良い」
「わ、わかりました。 後方はお任せください」
「五百は私に続け! 後方のゴミ共を、まとめて地獄に叩き落としに行くぞ!」
おおと、部下達が歓喜の声を上げる。
元々、クライネスが率いているこの軍団は、機動力を重視していると言えば聞こえは良いが、実質上は残りカスだ。
敵の弱点を突くとは言え、この戦力で苦戦しない方がおかしいのである。世の中はそんなに甘く出来ていない。
それに、人間を何処かで侮っていたクライネスの過失でもある。
クライネスは己の強大な魔力で、空中に体を持ち上げる。部下達が前進を開始。
大混乱する戦場に入り込むと、クライネスは人間と見るや、片っ端からその術式で焼き払い始めた。
まっすぐ進んでいく。勿論人間側も、クライネスに攻撃を集中してきた。
だが、それで却って敵の動きがわかる。防御術式の負荷が徐々に高まってきた。敵の集中攻撃を受けているのだから当然だ。
無数の矢が飛んできては、防御術式を打ち据える。クライネスは、此処で殺されても良いと思った。
戦況は、決して良いとは言えない。
しかし、今はまだ、負けてもいなかった。
「全軍、総力戦だ! 今は侵攻のことよりも、周囲にいる敵を皆殺しにすることを考えろ!」
クライネスが絶叫すると、部下達が歓声を上げる。
最初に従ってくれたのは、モルアイだった。カブトガニに似ている補充兵の師団長である彼は、最前線で人間を蹴散らしていたが、更にその突進を加速させる。
円形をしている彼は体高が低いため、突入するとその破壊力は抜群である。人間の矢を無数に浴びながらも、文字通り破壊の暴風となって最前線で吹き荒れる。
だが、人間側も黙っていない。
破城槌が出てくる。それだけではない。無数の攻撃魔術が、モルアイの全身に集中していく。
闇の中、ひときわ大きい炎の術が、モルアイの体を貫いた。
全身から炎を吹き上げながらも、モルアイは前進を続ける。その体に、無数の破城槌が突き刺さってもだ。
その死骸を乗り越えて、補充兵達が人間に躍りかかる。
敵陣の一カ所に、くさびが打ち込まれた。
「後方より伝令! 敵伏兵が、敵城の背後にいた模様! 数、およそ一万三千!」
「……戻ったら、パルムキュアを昇進させなければなりませんね」
呟くと、クライネスは、命をかけてモルアイが作ってくれた穴を切り開きに掛かる。
しかし、人間も包囲を崩さない。闇の中、更に圧力を高めてきた。持っている物資を、根こそぎ使い尽くすつもりかも知れない。
大量の火矢が浴びせられる。
騎兵が突入してくる。
徹底的に、迎え撃つ。
早朝。
ようやく戦いが終わった。城から出たイミナは、あまりの光景に目を細めていた。手で妹が前に出ないように制する。
「見ない方が良い」
「……見る」
「そうか」
シルンが前に出る。
そして、絶句した。
死体の山。
両軍とも、壊滅状態になるまで殺し合ったのだ。
既に損害については、報告を受けている。敵の被害は三万五千。味方の被害は六万を越えているという。
戦争では、一割の被害が出ると壊滅判定をする。敵はおよそ二割強、味方に至っては五割以上の損害だ。
損害に関してはこちらの方が遙かに多い。
だが、敵はそもそも、機動戦を行う編成で出てきたのであって、この国を占領する目的だった訳では無い。
ただし、この損害では、南部の諸国は、単独で魔王軍の侵攻を食い止められないだろう。再建には十年以上の時が必要だ。
点々と死体が散らばっている、のではない。
激突が行われた城の北は、文字通りの屍山血河である。人間もそうで無い者も、ありとあらゆる者が息絶えていた。
敵の師団長らしい大きいのも、二体死体が確認されているという。
一方、味方の将軍も、参戦した十二人の内七名が戦死していた。マーケットとクドラクは生き延びたが。
「敵が、撤退を開始しました!」
「我らの勝利だ!」
兵士達が死体の山の中で歓声を上げる。
確かに、戦略的には勝利だ。今回は敵を押し返すだけで良かったのだから。それだけではない。戦力的にも打撃を与えた。敵はしばらく侵攻作戦どころでは無いだろう。
だが、この死体の山を前に、どうして勝利など気取ることが出来る。
ユキナの率いる義勇軍が来た。本人の容姿は変わっていないが、イミナにはわかった。この娘、人間を止めてしまっている。
「銀髪の双子よ」
「ユキナどの」
「今回の勝利は苦いものであったが、それでも貴方たちがいなければ、とても得られはしなかっただろう」
勝利、これが。
シルンが拳を固めてうつむくのがわかった。だが、イミナは表情を変えずに、義勇軍の長をしている自称女王に応じる。
「貴方の勇猛な作戦指揮と、的確な奇襲も、勝利に貢献しました。 さすがは祖先の勇名を辱めない猛者にございます」
「……ありがとう」
皮肉にも、ユキナはさらりと応じるだけだった。
パレットはどうしただろう。続いた激戦で、後方を見る暇は無かった。遅れて城から出てきたレオンに聞いてみる。
レオンは、首を横に振った。
「早朝、この国を頼むと言って、神の下に召されたよ」
「そうか」
「これが、会戦の結果か。 この世に現出した地獄では無いか。 このような有様が、日常的に今後は行われるというのか」
レオンは、イミナ以上にショックを受けているようだった。
一方で、プラムは平然としている。
体よりも精神に、先に異常をきたし始めているのかも知れない。
いずれにしても、この戦いはもう終わりだ。敵は撤退したが、追撃する余裕などあるわけもない。
敵も、この打撃には相当懲りたことだろう。すぐに兵をまた出してくるとは思えない。
これだけの犠牲で、南部の諸国はつかの間の平穏を得たのだ。いつまで続くかは、知れたものではないが。
マーケットが来る。
上機嫌だった。
「あれだけの敵の猛攻を支えるとは、さすがだな。 銀髪の双子」
「お姉……」
シルンは言いたいことがいくらでもあるのだろう。だが、此処は敢えて黙らせる。
イミナが黙れとサインを出すと、シルンは言うことを聞く。これは、ずっと昔からの関係だ。
シルンもわかっているのだ。イミナが、シルンのことだけを考えて行動していることは。そして、イミナも、シルンのことは信頼しきっている。
双子と言うよりも、きっと魂の奥底でつながった半身だから、というのが正しいのだろうか。
「クドラクが此処に残って、兵士達の再編成を行う。 中核になる人間が必要だが、それはあのユキナ陛下にでもなってもらうさ」
「貴方は?」
「五千の兵を配備し終わったら、君達と戻ることになるな。 五千の兵士達も、状況が落ち着いたら、順次帰還させる」
マーケットは多分、平静ではいられないシルンに気づいているはずだ。だから、話も早々に切り上げて戻っていった。
イミナは、振り向く。
やっぱり、シルンは声を押し殺して泣いていた。
「こうなることはわかっていたのに。 わかりきってたのに。 今まで、さんざん戦って、大勢殺してきたのにね。 何で今更涙が出るんだろう」
「そうだな。 おまえが人間だからだろう」
「違うよ、そんなの」
「……そうかも知れないな」
敵の反撃は、凄まじかったと聞いている。あれだけ不利な体勢からも、戦況を五分に持ち直し、なおかつ撤退作戦を成功させたのだから。
敵将も凄い。頭に血が上ること無く、冷静にかつ猛々しく乱戦を指揮し、こちらを敗走寸前にまで追い込んだそうである。
だが、どちらも有能であったが故に。
この地獄が、この世に出現してしまった。
これから、地元の住民達が戻ってきて最初にすることは、死体から武具をかっぱぐ事だ。鎧や剣を引きはがし、使えそうなら衣服も。洗濯して売り飛ばせば、良い金になるのである。
どこの戦場でも行われていることだ。
「行こう、シルン」
「うん」
イミナは妹の肩に手を置くと、此処を離れることにする。
もう此処で、イミナに出来ることは無かった。
4、後処理と……
ヨーツレットは敗報を聞くと、最初にやはりなと呟いていた。
今回、クライネスは双子を討ち取ると息巻いていたが、しかし敵にわざと情報をダダ漏れにしたのはやり過ぎだった。
敵には多大な被害を出した。南部の諸国は壊滅的な打撃を受け、軍の再建も早々には出来ないという話である。それに対して、味方は一軍団を失っただけ、ではある。
だが、軍をつぶせても、人間を大勢殺せたわけでは無い。
前戦を突破できていれば、南部の諸国というもの自体が、この世から消えていた事を考えると。
やはり、戦略的には敗北というほか無かった。
映像が出現する。魔王だった。
「ヨーツレット元帥、今、時間は問題ないかのう」
「ははっ。 陛下の御ためであれば」
「そのようにかしこまらなくても良い。 今回はクライネス将軍の作戦が失敗してしまい、残念であったのう」
「敵味方ともに、最善を尽くし合った結果だと聞いております。 それならば、武運が拙かった、ということにございましょう」
不意に魔王の表情が不機嫌に塗りつぶされたので、ヨーツレットはしまったと思った。
人間を対等な存在として見なすような発言をすると、魔王は不快感を結構露骨に見せる。
「申し訳ありません。 付け加えれば、人間の奸計が、クライネス将軍の知恵をしのいだという悲劇的な事項もあるかと」
「ふうむ、まあ良いか。 それよりも、じゃ。 人間共がこの間送り込んできた呪撃で、面白いことが解析できたのだ」
「といいますると」
「あれをやらかしたのはエル教会だとわかってはいたがのう。 どうやらエル教会の背後に何かがおるようじゃて。 先にそのダニを退治せねばなるまい」
なるほど、エル教会の動きがおかしいと思ったら、二重構造だった、というわけか。
それならば、如何にエル教会の連中を駆除して廻っても、きりが無かったわけである。
「明日、早速三千殺しで、ダニ共を駆除する予定じゃ」
「しかし、不安も残ります」
「ほう?」
「既にエンドレンでの人間共は、多少のことで進撃を止めそうにないように思えるのです」
魔王の以前の反応を思い出す。だから、言葉を慎重に選ぶ。
「人間側に、内通者を募れないでしょうか。 あくまで、利用する目的で、ですが」
「……ヨーツレット元帥」
「戦略上の選択肢の話です。 エンドレンでの状況と、キタルレアが今直面し始めている状況を考えるに、人間の思考のベクトルを一方向に向けるのは危険だと感じます。 敵を内部分裂させれば、効果は絶大に思えるのです」
実際、人間共がとうとう一枚岩にならなかったフォルドワード大陸は、比較的簡単に陥落したのである。
魔王はしばらく腕組みしていたが、静かに、諭すように言った。
「元帥。 近いうちに、人間という生物がどのような存在か、そなたにも見せておく必要がありそうじゃのう」
「それは、いかなる意味でしょうか」
「時間を作って、仮設魔王城に顔を出すように」
何か、嫌な予感がする。
だが、ヨーツレットの中で、魔王への信頼は、揺らぐことが無かった。
フローネスが、口を開けたまま、床で事切れていた。
長年エル教会を好き勝手に操作し続けた怪物の、あまりにもあっけない最後である。朝、ミコトが見に来たところで、この事態が発生していた。
「ふん……気づいたか」
ミコトの頭上から声がする。
ミコト自身は、放心したように、フローネスの死骸を見つめていた。
「流石に魔王も馬鹿では無いか」
「それはどうだろうねえ。 人間を力尽くで駆除するよりも、こうやって操作した方が効率的だって言うのにね」
声が途切れると同時に、ミコト自身もぱたりと倒れる。
フローネスの死骸に、折り重なるようにして。
辺りは、死屍累々たる有様である。皆、フローネスの部下として活動していた者達だった。老若男女関係為しに、皆殺しである。
だが、その中で、異常事態が発生し始めていた。
死骸から流れ出たのは、血液。それが、一カ所に、いや複数箇所に集まっていく。
そして、フローネスが、何事も無かったかのように、体を起こした。
「ミコト、起きろ」
「はい、フローネス様」
「どうやら魔王の攻撃だな。 また組織を作り直さなければならないなあ」
白く濁った目で、フローネスはけたけたと笑った。
ミコトもそれを受け、艶然とほほえむ。
「まずは如何為さいますか」
「そろそろ、良いだろう。 キタルレアの為政者共に、人間では無くなる方法を公開してやれ」
「成功率は、今だ百分の一に満ちませんが」
「かまわん。 あれが、体の中に入ること自体に、意味がある」
礼をすると、ミコトは部屋を出て行った。命令を伝達し、新しい組織を整備するために。
そろそろ、計画を次の段階へ移すべきか。フローネスは、そう考えると、鈴を鳴らした。
現れたのは、シオン会の幹部達であった。
「如何なさいましたか」
「ガルガンチュア級戦艦の建造状況は」
「あと二月ほどで、十四隻が就航いたします」
「よし。 それを一斉に投入して、エンドレン戦線の敵を粉砕する。 今のうちに、作戦案を練り直しておけ」
御意と呟くように言うと、シオン会の幹部達も下がる。
彼らの肌からは、一様に腐臭がし始めていた。
(続)
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