ささやかなる接触

 

序、潜入

 

アニーアルス軍による、魔王領潜入作戦が開始された。

二百の戦力を幾つかに分けて、山越えを開始。夜の内に動き、星の明かりを頼りに進む。そして夜が白み始める前に、それぞれが身を隠せる場所に潜み、次の夜を待つ。

厳しい行軍だ。

場合によっては、逃げ帰ることも想定しなければならない。そのための合図をする銅鑼は、小隊長以上には配備されている。一度プラムがならしそうになったので、慌ててレオンが止めていた。

野宿が主体になるが、イミナにとっては、これくらいの事は朝飯前である。シルンであっても、それは同じ事だ。

厳しい環境だが、生まれてこの方楽な生活などしたことが無い。むしろこっちの方が普通である。

山越えを開始して、二日目。そろそろ、魔王軍の勢力範囲内に入る。先頭を進んでいるイミナは、まだ敵影を確認していない。既に一つ目の山は越えたが、これはさほど大きなものでもない。だが、この山辺りから、一日で越えるのは困難になってくる。

洞窟を見つけたので、マーカーを残して、後続を誘導。

入ってみると、かなり大きな鍾乳洞だ。コウモリが飛び交っており、入り口付近はかなり汚い。

だが、コウモリがいないあたりもあって、その辺りでは清潔な地面を見ることが出来た。

此処は拠点として申し分ない。コウモリも、いざというときは食料に出来る。

後続が追いついてきた。

夜の間に、二百名全員がである。流石に精鋭部隊。この程度の行軍など、慣れっこなのだろう。脱落者どころか、まだまだ全員の顔に余裕がうかがえた。

洞窟に入らなくても、入り口付近では身を充分余裕を持って隠すことが出来る。後退して兵士を休ませながら、マーケット将軍が空を見上げる。

「やはり、魔王軍は空からの監視をしているのか」

「そうですね。 特に近年は、空で姿を見かけます」

「厄介だな」

空は、まだ人間が到達していない地域である。

だからこそに、そこに住まう生物に、人間はあこがれと同時に敵意を抱く。ドラゴンが駆逐された理由も、空を自由に舞う姿が原因だという説さえあるそうだ。

音は最小限に。皆、持ち込んでいる保存食を食べる。

プラムはどこで見つけてきたのか、大きな岩蜥蜴を頭から囓っていた。バリバリという咀嚼音が聞こえてくる。人間の食事音とは思えないが、人間では無いのだし無理も無い。案の定兵士の中には、度肝を抜かれている者もいるようだ。

レオンが頭を振る。

「あの子の悪食は、どうにかしなければならないな」

「兵士達が怖がるか」

「そうだ。 立場が悪くなるかも知れん」

此処で言う立場とは、プラム自身のことだ。

不思議な話だが、レオンはプラムをきちんと一人前の人間として扱っている。きまじめなこの男らしい、誠実な態度だ。

それがわかっているからか、プラムもレオンを信頼している様子が、時々うかがえる。

昼を殆ど無言で、交代して休憩しながら過ごす。だが、イミナはシルンと一緒に、周囲を偵察して回っていた。

魔術的な罠が、既に散見され始めていたからだ。

洞窟の入り口近くでも、シルンが足を止めた。非常に発見しにくい岩の影に配置されていた。

休憩場所に使用と忍び込むと発動する、非常に考えられた罠だ。

「此処にもある。 下手に近づくと、アラームが鳴るね」

「近づかないように、マーキングをしておくか」

取り出した袋には顔料が入っていて、夜でも判別可能である。それを辺りに振りかけておく。

事前に、マーキングの方法については告知してある。これで味方が近づくことは無くなるだろう。経験の浅いドジな兵士だったらわからないが、今一緒に来ているのは戦乱の地で鍛え抜かれた精鋭揃いである。そんなドジは踏まないだろう。

彼方此方を見て回る。

やはり既に魔王軍の勢力圏だからか、罠の数も増えている。この様子だと、巡回する敵部隊と遭遇戦になる可能性もあった。あまりおおっぴらに姿をさらすのは、避けた方が良いだろう。

これは夜間でも同じ事だ。

しばらく辺りを見て回り、七つの罠を潰した。

一旦洞窟に戻り、休憩する。兵士達も何組かの偵察部隊を作り、周囲を警戒してくれていた。

夜になってから、また動き出す。

峠を越えると、まだ向こうには山脈が連なっている。かなり険しい地域だが、今までの情報を総合する限り、此処が一番手薄なのだ。ただし、そろそろ危険が大きくなってくるだろう。

やはり、早朝に空に敵影が見え始めた。

山を急いで下り、斜面の影に見つけた洞窟に分散して隠れる。空を巡回する敵兵の数はそれなりに多く、下手に動けばすぐに見つかってしまうのが明らかである。

それだけではない。

夜の内に辺りを歩き回って確認したが、やはり足跡がある。この辺りは、敵の部隊が偵察しに来ているのだ。勿論敵の領地内だし、当然だろう。

既に罠の数は相当に多くなっている。シルンが通った場所以外は進まないようにと、兵士達には念を押さなければならなかった。

一週間がかりで、三つの山を越える。

どうにか、此処までは敵との遭遇は避けた。

しかし、ここからが本番だ。

旧イドラジール領は、東に西に転戦したから知っているが、荒れ地と枯れ果てた畑の跡地ばかりである。

森や林は数が少なく、あったとしても遮蔽物がほとんどない。

イドラジールが、富国強兵策を推し進めた結果である。農業は増産に増産を繰り返し、その結果土地は栄養を食い尽くされて荒れ果てた。今、そうやって痛めつけた土地は、魔王軍の手に落ちている。

魔王軍は畑を作ってはいない様子で、土地は荒れ果てたままだ。というよりも、それでむしろ良いのかも知れない。

見ると、以前より緑が回復している様子が見て取れる。森も、多少は繁茂している様子だ。

一旦目的地の西の平地に降り立った。

ここから東へ移動し、目的地を伺うことになる。つまり、数日がかりで遮蔽物が殆ど無い敵の領地を移動しなければならない。

大変に厄介な行軍だが、他に手が無い。

平野に降りたとき、適当な森が見つかっただけでも、幸運だったかも知れない。

二百の兵士達が分散して森の中で野営するのを見ながら、マーケット将軍は言う。

「どうにか、此処までは来られたな」

「帰りはどうなるかわかりません」

「わかっとる。 とにかく、まずはここからだ」

以外に前向きに、マーケットは言った。俗物そのものの容姿をした脂ぎったおっさんだが、中身は前向きでしっかりした考えの持ち主だというのが面白い。

既に、空には敵影がひっきりなしに見える。

確かに地上部隊を行軍させるよりも、空から監視させた方が都合が良い。それに、以前侵入したときに比べて、明らかに数が増えていた。

敵兵は増えているのだ。

しかも、効率を上げてきている。

これは、今後更に厳しいことになる。それを、イミナは確信していた。

 

クライネスは、新しく編成した部隊を順番に見ていった。

現在、ヨーツレットの機動部隊は、規模を維持するだけで良くなっている。エンドレンの海上戦線が問題だが、そちらに関しては足りていないのがクラーケンで、ついでに言えば敵も進軍を止めてくれている。

空軍の生産を心持ち増やしながら、二線級の部隊や、ちまちまと新型をかき集めて、少しずつ部隊を編成したのだ。

今、三個師団が稼働可能な状態にある。

そして、六個師団が編成中。もう六個師団は、計画段階だ。

十五個師団をもって一軍団とし、これを使ってキタルレア南部の国々を一気に蹂躙する。勿論三千殺しを活用しての電撃戦になるだろう。攻略後は、海岸線にこの部隊を配置し、新たに増設した巣穴で兵士を増産、ヨーツレット配下の軍を倍に増強し、大陸中央部に攻め込む。

キタルレアを落とせば、エンドレンでの戦闘に全力投球できる。

そうなれば、一気に現状の不利を打開することも可能だ。

故に、クライネスは、新しく編成している部隊については、気を遣っていた。

仮設魔王城の麓の平野で、クライネスは部隊を臨検する。側では魔王が、もくもくとミカンを食べていた。

「ふうむ、クライネス将軍。 この状況で、既に三個師団を編成するとは見事じゃのう」

「お褒めにあずかり光栄にございます。 ただし、やはり戦闘能力が若干見劣りしますので、今後再編成を重ねながら、実戦に耐える部隊にいたします」

「うむ、うむ」

魔王は機嫌良さそうに頷いてくれるので、クライネスはとても気分が良かった。

一通りの陣形を組ませ、行軍をさせる。流石に殆どが補充兵という事もあって、一糸乱れぬ動きを見せる。

問題は上級士官だ。

純正の魔物は、今殆ど数が無い。しかも彼らの中で、師団長を出来るような実力者は、更に数が限られる。

しかしながら師団長級の補充兵は、クラーケンと同じくらい作るのに手間暇が掛かる。仮設魔王城に隣接した巣穴はまだ稼働できておらず、中の溶体炉がやっと出来たくらいの状況だ。

今編成している部隊は、半数が指揮官不足に陥っており、今後はそれが最大の課題になる。

更に言えば、エンドレンの戦況が悪化した場合、真っ先にここから士官が引き抜かれることにもなるのだ。

まだまだ問題はある。師団長級がミズガルア将軍の設計によって作られていることだ。彼女は大変に気まぐれで仕事にむらが多く、出来たとしても適正がこちらに向いているとは限らない。ついでに言えば独創的な多くの人材を生み出しては来たのだが、その一方で暴走も実に多いのだ。

だから、信頼性には著しく欠ける。

ヨーツレットに使えそうな士官を回して欲しいと頼んではいるのだが、手段を選ばない傾向があるクライネスの言うことを、あの高潔な武人が聞くとは思えなかった。聞いたとしても、そう簡単にはいかないだろう。

つまりは、運頼みの要素が、多すぎるのだ。

三つの師団を整列させた後、編成中の六師団を動かす。

やはり指揮官不足が響く。動きはかなりぎこちなかった。魔王は無言で笑顔のまま、腰の上でミカンを口にしている。

むしろそれがいたたまれなくて、クライネスは深々と頭を下げた。

「見苦しいものをお見せしました」

「何、編成中の部隊では仕方が無いからのう。 気にするでないぞ。 そなたはよくやっておる」

「過分なお言葉、汗顔の極みにございます」

「それよりも、エンドレンの戦況が気になるのう」

魔王はいざというときは、いつでも自分がそちらに出るとも言ってくれている。しかしながら、魔王にもしもの事があったら、魔物達の未来は断たれてしまう。

以前、特攻作戦的なものをクライネスは立てたことがあった。だがそれは、一度だけと決めて実施した。

二度、似たようなことはしない。人間側も最近はこちらの分析を進めているのがはっきりしている以上、危険すぎるからだ。

「人間共は、こちらが退いた分だけ進みましたが、それ以降動きがありませぬ」

「ガルガンチュア級と言ったか、それの戦線投入を大々的に行うつもりなのじゃろうて」

「ご明察にございます。 そのために、時間を空けているのでしょう」

「気になるのは、連中が糧食をどうしているかだ。 特に今の時点では、数百万の軍勢が飢えてもいないのだろう?」

それもまた、謎の一つである。

エル教会が如何に莫大な資本をもっているとはいえ、本当にこればかりはどうなっているのかよく分からない。

勿論バラムンクに時々話を聞いたりもしているのだが、あのサソリは不敵に微笑むばかりである。多分何も知らないのであろう。

「もしも裏が掴めれば、敵の糧食を断てるのでしょうが。 難しい所です」

「調査を続けてくれれば良い。 さて、儂は少し休むとするかのう」

「陛下をご案内いたせ」

エルフの戦士達に指示して、魔王の輿を運ばせる。

輿の上で、魔王は既に少しうつらうつらとしているようだ。こんな所を襲われでもしたら、取り返しがつかないことになる。

軍を整列させると、クライネスは考え込む。

幾つかの小規模国家なら、三個師団の戦力で充分に蹂躙できる。問題はその後に、維持が出来ないと言うことなのだ。

むしろいっそ、軍によって手当たり次第に敵国を荒らし、人間の数を減らすことだけに注力してみてはどうだろうか。

今思いついたことなのだが、意外な名案にも思える。だが、その場合、人間の反撃も今より更に激しいものとなるだろう。

いずれにしても、実行に移すのは先のことだ。この六個師団がきちんと軍として動くようになり、残りの計画中の部隊をしっかり編成し終えたら、動く。

人間の死体はいくらでもあるが、それも戦いが激しい中、いつまで保全できるかはわからない。新しい死体も、適宜手に入れていった方が良いのだ。

軍を一旦戻させると、クライネスは控えていた副官のシャロンに書類を渡す。

ヨーツレットの側にいるライカと同じ、人間に似た姿の補充兵である。性格は硬質で、全く笑顔の一つも作らない。非常にいつも気むずかしそうな顔をしているので、周りからも怖がられているようだ。しかもそれを全く気にしないので、余計に誤解が増えている。

不思議とこのタイプの補充兵は、どれもこれもうり二つなのに、性格は全くというほど違う。

「これをヨーツレット元帥に」

「わかりました」

「っと、待て」

「まだ何か」

シャロンは、無表情のまま振り向いた。人形でも、もう少しは表情を作りそうなものである。

咳払いすると、クライネスは付け加える。

「今後大事な布石となる作戦だと、ヨーツレット元帥には念を押せ」

「わかりました。 そのようにいたします」

ガラス玉のような瞳。感情は作ったはずなのに、活動を停止しているかのようである。

クライネスは部下が行くのを見届けると、嘆息した。何だか、とても疲れたような気がした。

 

1、邪悪なるもの

 

一月以上掛けて、ユキナは大陸の東端まで到達していた。

実のところ、部下達は大喜びである。誰もがなすすべ無く部隊が壊滅したあの事件以来、怯えきっていたからだ。いつ魔王の邪悪な力が、皆の背中を突き刺すかも知れないと。ユキナも、怯えていなかったとなると嘘になる。

だが、それでも自己を律してきた。

大陸の東には、安定した大国が多い。大陸中央部の草原地帯に割拠する騎馬民族国家とも渡り合ってきた強国群である。西のエンドレン大陸のような修羅な世界とはまた違う、壮絶な国家間の競争を経てきた国々。

それが、キタルレア大陸東端に存在する国家だ。

その一つ、グラント帝国に入ったのは、あの双子から会って丁度四十日目の事である。既に暑かった気候は、涼しくなりつつあった。

側にいるボルドーがエル教会のコネをフルに使って、どうにか入国できるようにしてくれた。だがそれは、おそらくコネが効いたのでは無い。

ユキナが何をするつもりか、エル教会が悟ったからだろう。

ユキナは人間を止める気でいる。そして、魔王と戦うための力を手に入れようと考えている。

それをエル教会は利益になると判断したのである。

周囲は誰も止めない。当然だろう。

ユキナは今のところ、「どうしてか」指揮をしている、元ハウスメイドの小娘に過ぎない。王族などでは無いことは、義勇軍の参加者殆どが知っているはずだ。元々担ぎ上げた相手が、不思議な指導力を発して周囲を引っ張っているから、別に文句も無く動いている、というだけの話である。

誰もユキナ本人に対して忠義なんか誓っていないし、その身がどうなろうと知ったことでは無いとも思っているのだ。そう、ユキナは周囲の連中を分析している。

グラントに入ると、流石に気候は安定して、周囲の自然も美しく保たれていた。

ユキナはいつの間にか、何もかも合理的に考えるようになっていた。元々奴隷としてこの大陸に売り飛ばされたときから、他人には何一つ期待していなかった。今でも期待していない。

今しているのは、如何にして自分の生を謳歌するか。

そして、未来を選ぶかだ。

そのためには、他人は必要ない。全部自分で考えるべきだと、ユキナは思っていた。

幾つかの街を経て、王都に。

分厚い城壁は圧倒的だ。しかも一つ抜けても、まだ幾つか山脈のように連なっている。世界一強固な都だと自画自賛しているそうだが、確かにこの分厚い連なる城壁を見ると、そう自負したくなる気持ちもわかる。

だが、イドラジールがこの国に劣っていたわけでは無い。何度か見る機会があったが、防備にしても装備にしても、相当優れた国だった。当然この国も、無策なまま魔物の攻撃を受けたら、ひとたまりも無いだろう。

兵士達の様子を見る。随分余裕がうかがえる。

魔物のことなど、対岸の火事だと考えているのだろう。呆れた話である。

大陸の西では、今も脱出するすべを持たない貧民達が、魔物の恐怖に怯えているのだ。大陸が既に一つ落とされている現在、安全な場所など存在しないというのに。まるで、別の世界のことのように現実感が無いに違いなかった。

大きめの宿に泊まる。部屋は二階。そこそこに広い部屋で、しかも個室で使って良いという。

ハウスメイドをしていた頃の習性で、部屋を見回して、どう掃除をするか考えてしまった。寝台は広く、ゆっくり眠ることが出来そうだ。最近は野宿にすっかり慣れてしまったので、逆に落ち着かないかも知れないが。

部屋に隣接して、洗面もある。顔を洗って、体を拭いて、人心地がついた。

野外でも人間は生きていける。

だが、こうやって屋内だと、より快適だ。だがその快適さを得たが故に、人間は傲慢になったのかも知れない。

窓から外を見る。

もう夜だというのに、街は全く眠ろうとしない。明かりは煌々と空を照らし、世界に人間だけが文明を築いているとでも言うような雰囲気であった。

何だか、いたたまれなくなって、窓を閉じる。

宿泊費は全てボルドーが工面した。兵士達は分散して街に宿を取る。当然、夜の街に出かけていく兵士達も多いようだった。

まあ、リフレッシュとしては良いことだ。

ただ、そのまま戻ってこない兵士は多いかも知れないと、ユキナは思った。

自室でしばらくくつろいだ後、ボルドーに呼び出される。一階にある客間で、話があるという。

護衛の兵士達を伴って、一階に。

そこには、フードで顔を隠した男がいた。口元しか見えないのだが、どうも老人らしい。

「貴方が、ユキナ王女かね」

「貴殿は」

「スーリー司祭」

ボルドーの口からその名前が上るのを、何度か聞いたことがある。

確か資金面で義勇軍に協力している人物である。ということは、エル教会と義勇軍の間にあるパイプの役割を果たしている男と言うことだ。

居住まいを正して、向かい合って座る。椅子は妙に柔らかくて、快適だった。中に綿でも詰めているのかも知れない。

「人間を止めるためにここに来たと聞いたが、本気か」

「ああ」

「ふん、小娘が。 本当は何をもくろんでいる」

老人の口から、下劣な口調で猜疑が飛び出した。

別に、驚くでも無い。ユキナにしてみれば、こういう輩と接していると言うことくらいは周知だ。

「魔王の力については既に聞いているだろう」

「邪魔者を殺せるというあれか。 ふん、どこまで本当かは知らんがな」

「私は実際に間近で見た。 それに対抗するための力がいる」

茶が出た。

発酵させた茶葉を使ったものだ。香りがとても良い。

茶を淹れたのは、純情そうな頬の赤い少女だった。このホテルのメイドの用だが、だとすると気の毒な話である。

激務で老けるのが早いし、金持ちや変態貴族に性的なおもちゃにされて捨てられてしまうこともある。メイドなど、ろくな仕事では無い。

「まあいい。 義勇軍をどうしておまえが統率できているか、我らとしても興味があったところだ。 そんなおまえが自ら危険に飛び込んで力を得たいというのであれば、何も言うまい。 好きにしろ」

「感謝する」

「此処を訪ねろ。 既に話はつけてある」

そう言って、スーリーは地図を出してきた。そしてユキナの顔を一瞥だけすると、身を翻して去って行った。既に老いているが、足下はしっかりしている。良い物を飲み食いしているからだろう。

坊主の寿命が長いのは、単によい生活をしているからだ。

「ボルドー、明日この施設に向かうぞ」

「よろしいのですか」

「構わない。 先送りにしたところで、結果が変わるとも思えないからな」

ボルドーは不安そうに、何度も額の汗をぬぐった。小心な男である。だが、考えて見れば、あの双子があれだけ忌避していた行為である。高いリスクを伴うのは、当然のことだった。

しかし、このままだと使い捨てにされて殺される。これは高い確率では無く、確実に、だろうとユキナは見ていた。

そもそも義勇軍というのが、エル教会が実験的に作った組織に過ぎないはずだ。実験と言うことは、目的がある。目的を果たしてしまえば、実験など続ける意義も意味も無いのである。

まだ、この命はエル教会をはじめとする黒幕達の手のひらにのっている。

そこから逃げるためには、どうしても賭は必要なのだ。

解散して、自室に。ベットに潜り込んで、柔らかい感触を楽しんだ。そのままぼんやりしていると、すぐに寝付いてしまった。

朝日が差し込んできて気づく。

朝になれば、どうしても目が覚めてしまう体になっている。それは健康的なことかも知れない。

身繕いしてから、外に。

既に主なメンバーは、客間に揃っていた。

「半分くらいは逃げたか?」

「いえ、一人も欠けておりません」

最近参加した若い戦士が言う。頬に大きな傷がある、良い体格をした戦士である。彼のいた国は、魔王に滅ぼされたのだとか聞いている。

ユキナは驚いて、思わず顔を上げていた。

騎士崩れの中年男性が敬礼する。

「陛下の覚悟、皆が感動しております。 最後まで、どこまででもついて行く所存であります」

「……」

何だか、茶番でも見せられているような気分だ。

だが、此奴らが、こんな場面で嘘をつくとは思えない。いつのまにか、作りものの主従は、本物の忠誠で結びついていたというのか。

頭を振る。

だとすると、ユキナは勘違いしていたのかも知れない。

兵士達が逃げないように、女王然として振る舞っていたが。これからは、本物の女王として振る舞うべきだろうか。

血筋など関係ない。

どんな王家だって、元をたどればただの人では無いか。

兵士達の顔を何度見ても、嘘は見つけられない。何より、この状況で、一人も逃げずにいることが、その証明では無いか。

どうやらユキナは、勘違いしていた。それを認めなければならない。

それならば、今こそ。嘘の主従ごっこを、本物にしなければならないときだ。

「皆の忠誠、感謝する」

「陛下の御ために!」

騎士が声を張り上げる。不思議と、倦怠感は消え失せていた。

 

研究所が騒がしい。ジャドはしばらくふて寝していたが、どうせ睡眠など必要ないのだし、起き出して様子を見に行った。

慌ただしく走り回っているジェイムズの助手達。

ジェイムズはというと、上機嫌でスキップしながら、臓物の臭いが漂う研究所をうろうろしていた。

成功したのか、あれは。

「おお、我が友よ!」

案の定、ジェイムズはジャドを見るやいなや、満面の笑みで飛びかかってきた。ひょいと避けながら、抱擁を避ける。

骨張った手をわきわきとしながら、ジェイムズは地面にダイブして、顔面から激突。しばらく立ち上がれず、踏まれたゴキブリのようにもがいていた。

「どうした、ジェイムズ」

「ひひひひひ、成功だ」

「ほう」

「しかも今回は、質の低い死刑囚では無くて、此処の話を聞いて来たとか言う質が高い実験体だったからなあ。 楽しかったぞ!」

ふて寝している間に、そんなことがあったとは。

しかしながら、その実験体とやらの姿は無い。ジェイムズは鼻を押さえながら立ち上がる。

「そいつはもう行ってしまったよ。 人間では無くなることだけが目当てだったらしくてなあ」

「……どんな奴だ、そいつは」

「何でも魔王軍と戦うレジスタンスのリーダーだそうだ。 凛とした雰囲気の女だったよ」

「そう、か」

女に興味が無さそうなジェイムズがそこまで言うのだから、さぞやいい女だったのだろう。といっても、ジャドはイミナ以外の女には興味が無いが。

それに、魔王軍と戦うレジスタンスが、それだけの力を得たのなら、双子のためになる。必ずしも、悲観することでは無かった。

ジェイムズが、奥へ来るように言う。

奥は非常に暗い石造りの迷宮になっている。研究所の一部は刑務所だった場所も兼ねているが、この辺りは更に古い時代の遺跡だという。

何でも、噂によると。

古代の刑務所の跡地なのだという。その一部を、改装したり増築したりして使っているのが此処なのだ。もっとも、それは最近までわかっていなかったそうだ。ジェイムズの助手が彼方此方いじっている内に見つけたのだという。

深い縦穴を降りていく。

ジェイムズは細い体だが、案外健脚で、するするとはしごを伝っていく。ジャドもそれに続く。

護衛は、必要ないだろう。

地下迷宮とはいえ、生物の気配は無い。

カンテラで周囲を照らす。石造りの、無骨な迷宮だ。壁には飾りも模様も無い。

所々に鉄格子。

中には朽ち果てたどくろやミイラが無造作にうち捨てられていた。小さな虫さえも見かけない所からすると、ずっと外界から完全に遮断されていたのだろう。

「こんな所に来て、何をするつもりだ」

「いやあ、おまえだけには見せておきたかったのだ、我が友よ」

「何をだ」

「見ればわかる」

慣れた様子で、ジェイムズはさくさくと歩いて行く。複雑な構造をしているのに、何十回も来たのだろう。カンテラが無くても歩けるほどだ。

階段を何回か下りて、更に深部に。奥の方に行くと、漏水が川のようになっていた。それを歩いて越えて、更に奥。石造りだった迷宮が、いつの間にか鍾乳洞のようになっていた。

しかし、やはり生物は見当たらない。

ジェイムズが足を止める。

そこだけは、生活臭があった。ジェイムズの秘密研究所らしいなと、ジャドは見回して判断した。

テーブルが置かれており、床には魔法陣。壁には書棚があり、手垢だらけの本が多数置かれている。

ジェイムズのプライベートスペースの割には綺麗に整理されているが、やはり臓物の臭いは此処でもした。

「此処で、何をしていた」

「まずはこれを見ろ、我が友よ」

「それは?」

ごそごそとやっていたジェイムズが、棚の間から出してきたのは、硝子のシリンダに詰め込まれた何かよく分からないものだった。

胎児か何かと思ったが、見ると違う。

もう死んでいるようなのだが、人間の赤ん坊とは全く違う異形だった。

「これはな、死んだ女死刑囚の腹の中にあった胎児に、魔物の血を入れてみた結果だ」

「……貴様」

「良いから話を聞け。 そうしたら、死んでいたはずの胎児が、ある程度まで異形に変化した。 つまりだ、この血は、生物に働きかけているんじゃ無い。 生物の体に働きかけているのだ」

具体的には、死んだ直後の胎児にしか意味は無かったそうだ。死んでから時間が経った胎児には、効果が無かったらしい。

人倫に外れる実験だが、今更という気もする。ジャドもそれを見て見ぬふりをしている時点で、同罪なのだから。

「それで、結論は?」

「今までの情報を総合するとこうだ。 ある程度の信念や意思力がある奴は、魔物の血を入れても死ににくい。 女子供も、比較的成功率が高い。 そしてここに来て、新しい情報が出てきた。 どうやら、魔物の血は、体そのものを変化させているらしい、ということだ」

ひひひひひと、ジェイムズが笑った。

腰を下ろすと、意外にも茶を出してくれる。普通の茶だった。この男にしては、気が利きすぎるほどである。

意外にも、茶はきちんと淹れられている。むしろ達者なほどだ。向かい合って茶を飲み終えて、それからジェイムズは話し始めた。

「どうやら魔物は、例外なくこの不可思議な成分を体内にもっている。 今まで魔物を喰った人間はいくらでもいるが、不思議と異形化したという話は聞かない。 血を浴びても、だ」

「ふむ、そう言われると、おかしな話だな」

「そこで、実験してみた。 これは取り寄せた魔物の死体を粉末状にして、水に溶いたものだ。 これに熱を加えてみた」

「そうすると、何か起きたのか」

「無害になった」

けたけたと、ジェイムズは笑った。

結論に、ようやくジェイムズは入る。

「つまり、魔物どもの体の中には、生きたなにかがいるのだ。 そいつが、体を変化させている要因なのさ」

「生きた何か、か」

「それが目に見えない存在なのか、或いはとんでもなく小さくて認識できないのかはよく分からん。 濾したり拡大したりはしてみたが、全く判別がつかなかったからなあ。 魔力反応は普通に血そのものに備わっているから、よく分からんしな」

「おまえの発想には、いつも驚かされる」

ジェイムズの理屈を総合すると、その何者かは生きていて、人間が古くに魔物と分化するのに役立った、という事なのだろう。

魔物は総じて能力が高い。知性も高いし、体力もある。

コボルトやゴブリンという小型種もいるが、彼らは人間に腕力で劣っても、適応力が優れていたりする。

ただし、総じて繁殖力が低い。それが、人間に揃って後れを取る原因となってきた。

しかし、この無理のある生物による強制進化という過程をたどったのだとしたら、それも頷ける話なのかも知れない。

皮肉な話である。

今までの話が正しければ、魔物は進化した人類の未来の姿だ。

それが旧来の人類の、残虐な精神と異常繁殖力に押され、一方的に駆逐されたのである。魔物の中には、むしろ高潔な精神をもっている者も多いと聞いたことがある。実際に、魔物側から戦争で手を出した例は無いと言う話だ。ドラゴンでさえ、縄張りに入らなければ人間に害を為すようなことは無く、そもそも人間のいる土地に押しかけて縄張りを作るようなことも無かったらしいのである。

つまり、野蛮が文明を一方的に駆逐したことになる。

おかしな話である。共存を図ろうとすればいくらでも出来たはずなのに。そして、既に共存などは、絶対に無理な状況になりつつある。

人間が決定的な敗北をして、魔物側に慈悲を願っても、流石にもう許してはくれないだろう。過去の残虐行為がひどすぎるからだ。

「我らは、やってはいけないことをしたのではないか、ジェイムズよ」

「人間の歴史など、そんなものだ」

「おまえはそう単純に割り切ることが出来て良いな。 俺は人間を勝たせるか、どうにか滅亡を避けさせなければならん」

「ひゃはははは、妬けるな。 双子の銀髪の娘らが羨ましくてならん」

気持ちの悪いことをジェイムズが言うが、まあ天然の発言だから仕方が無い。

茶も無くなったし、その場から去る。やはり帰り道も、ジェイムズは全く迷うことが無かった。

頭はおかしいが、この男の人生のようだと、ジャドは思った。

少し羨ましいと思ったのは、自分でも不思議であったが。

 

2、緩急の時

 

フォルドワード大陸の南端。入り組んだリアス式の海岸に、魔王軍の巣穴、つまり補充兵生産施設の一つがある。

戦線が押されればもろに敵の攻撃範囲に入る場所なのだが、管理者である魔王軍九将の一、ミズガルア将軍はここから離れようとはしなかった。

クラーケンの重要な生産施設だからである。

今日も被害を補填するべく、一日一匹のペースで、クラーケンが生産されている。生産されたクラーケンはチェックを済ませると、一旦潜水し、別の巣穴の近くまで泳いでいって浮上する。

そこで編成された部隊を搭載して、定められた地点まで向かうのだ。

そういう理由だから、巣穴の入り口は海上にあるが、海底にも出口は作られている。巨大な洞窟は海の上と底をつないでおり、必然的に施設の多くは海底洞窟の中にあるのだった。

だから、湿っぽい。

ミズガルアは、なまこのような体をうんせうんせと動かしながら、研究施設のチェックを続ける。幾つかある設備の内、一つを除く全てが、クラーケンの生産にかかりっきりになっていた。

とにかくクラーケンはハイコストな補充兵で、これを作るとなると、他の補充兵はほとんど生産できなくなってしまうと言う欠点がある。更に言うと、人間側が最近どんどん高火力の兵器を繰り出してくるようになったため、従来のクラーケンでは力不足では無いかという声も上がり始めていた。

そこで、今二つのことを進めようとしている。

一番奥の研究室まではいると、やっと湿気から解放された。辺りは魔術の光で満ちていて、とても神秘的な雰囲気である。部屋の中央には大きな机があり、魔術を行う道具が雑然と並べられている。

触手でそれらをかき分けて、取り出すのは設計図。クラーケンのものだ。

ミズガルアは設計図を触手で顔の近くまでもってくる。

感覚器官をもっと増やしてくれれば良かったのにと思うが、魔王は何か理由があって、なまこに似た体の上に、人間の雌の子供ににた頭部を乗せるという構造を作ったのだろう。九将の内、補充兵である五名を作ったのは魔王なのである。だから、何も文句は言わない。

ただし、触手を複数使い、長細い体の上に地図をもってこなければならないのは、とても面倒くさい。

「うーん、私としては、これがベストだと思うんですけれどねえ」

器用に触手で眼鏡を直しながら、まず一つの案。クラーケンの防御力向上について考えていた。

確かに敵が88インチ砲などという怪物兵器を持ち出してきた今、クラーケンの防御術式では耐えられなくなってきている。だから、せめて一撃で貫通されて撃沈されるという事態だけは避けなければならない。

しかも、クラーケンが本来展開している防御術式に加えて、二枚の防御術式を連隊長が展開し、それでもなお貫通されたという例もあるようだ。

幸いにも、鹵獲してきた敵艦に、88インチ砲の砲弾があった。解析については実施中だが、どうやら防御力を現状のまま上げても、防ぐのは難しそうなのである。

だから、悩ましい。

不意に映像。魔王だった。

「ミズガルア将軍、作業は進んでおるかな」

「陛下、おはようございます」

長細い体なので、ぺこりと一礼するのも一苦労である。触手を使って、体の後ろの方を持ち上げなければならないのだ。

本当に不便な体である。

「88インチ砲とやらの解析が進んでいるときいたのじゃが」

「はい。 この砲弾なのですが、二つの構造を有しています」

「ほう」

「砲弾の外側に、全て貫通を促進する術式が掛かっているのです」

つまり、巨大な砲弾は、重さだけでは無く術式でも、相手の守りを突破することに特化している、ということだ。

そもそもこの兵器は、人間の要塞を攻略するために作られたのだという。勿論対戦艦戦も想定していただろう。

分厚い鉄の塊を貫通し、その内側に至らなければならない。だから、極限まで貫通の性能を上げているというわけだ。

「なるほど。 それは厄介じゃのう」

「計算上、現在の四倍の防御術式でも貫通してきます。 更に問題なのは、次です」

砲弾の中には、爆薬がたっぷり入っているのだが。それには爆発力を増強する術式と一緒に、時限式の発火術式が入っているというのだ。

つまり、この砲弾は、発射する際に、着弾までの時間を正確に把握して、自分から爆発するのである。

衝撃で爆発したりしなくてもよいので、火力を極限まで引き上げられるというわけだ。ただし、運用にはデリケートさが求められる。

「対応策はあるのかのう」

「中途迎撃が一つ。 ただし、貫通の術式が掛かっている推進力の高い巨大砲弾ですから、簡単に迎撃はできないでしょうが。 真下や真上から打ち落とす手もありますが、神業を求められます」

「他には」

「術式のジャミングという手もありますが、相手が砲弾を発射するタイミングを完璧に見切らないと難しいかと。 現在の技術では、多分不可能です」

もう一つ、案がある。

これが一番現実的だが、どうも気が進まないのである。魔王は腕組みして考えていたが、やがて静かに言う。

「まだ案があるのじゃろう」

「はい。 気は進まないのですが」

「どのようなものか」

「はい。 砲弾の速度を遅らせれば良いんです。 具体的には、こういうものを使います」

設計図を見せる。

それは、要するに噴霧型の粘着材だ。砲弾に詰めて発射すると、蜘蛛の巣状に広がる。

蜘蛛の巣と強度もほぼ同じである。

たかが蜘蛛の巣と思うのは素人だ。大きさ次第では、蜘蛛の巣は凄まじい強度を見せるのである。

この砲弾では、太さも大きさも、桁違いの蜘蛛の巣を作ることが出来る。相手に向けてこれを事前に何発かぶっ放してやると、それだけで敵砲弾は速度を落とすことになる。

「なるほど、速度が落ちると、精密な爆発術が却って災いするわけじゃな」

「ご明察です。 でも、問題があるんですよ」

「問題とは」

「これ、後始末が大変なんです。 海に落ちるんでしょうけれど、その後なかなか分解されなくて、生態系にも悪影響を及ぼします」

魔王はそれを聞くと、心底困った顔を見せた。

ミズガルアも知っている。魔王は、人間を心底から嫌い抜いている。だからこそに、人間と同じ次元の愚行を犯すことを、徹底的にいやがるのだ。

気持ちはわかる。

だが、人間は88インチ砲を今後量産して攻めてくるだろう。射程距離も速射力も、何より破壊力も尋常では無い。対抗するには、空軍を大量生産でもするしか無い。

勿論、空軍の増産は進めている。

だが、人間の数はあまりにも圧倒的だ。88インチ砲の対処に手間取っている内に、敵の二割でも上陸されたら、前線は一気に蹴散らされる可能性も高い。

今わかっているだけでも、海上および補給地点の港近辺に展開している人間は、三百万を軽く超えている。更にその倍以上の人数が控えていることも、確実視されている。

人的資源の損耗など、人間は気にしていない。

気にしなくても良いからだ。

「出来るだけ、早く欠点を解消するように。 もしもどうしても欠点が解消できない場合は、儂が何とかしよう」

「陛下が、ですか」

「うむ。 何か方法を考えておくとする」

通信が切れた。

ミズガルアは大きくため息をついた。魔王にはこれ以上あまり負担を掛けたくないのである。

超粘着弾の素材は毒性が強く、代替物は簡単に生産できない。蜘蛛の粘液を研究して作り出したは良いのだが、それを合成する過程でどうしても毒物が出てしまうのである。ミズガルアの得意分野は生物学で、毒物などの薬学はちょっと専門外と言うこともある。今回の88インチ砲についてだって、ミズガルアだけではわからなかったのだ。

ミズガルアの下には、頭脳班とも呼べる特殊なチームが配備されている。88インチ砲の解析は、主に彼らの手柄である。

この専属チームはマインドフレイヤと呼ばれる魔物の一団が中心となっていて、頭脳面ばかり特化した補充兵の集団も多い。

いずれも、魔物の中でも特に異形な者達だった。

その中の一人。マインドフレイヤ族の長である、ブロクローロが眼鏡を直しながら歩いてきた。

マインドフレイヤ族は頭部が蛸のようになっている一族である。体は人間に近いのだが、全身に鱗が生えている。人間の間では脳みそを好んで喰うとか言う噂が広がっていたようだが、実際は魚介類を愛する平和的な種族である。

見かけの異様さと、妙に頭が回ることが警戒され、殆ど抵抗も出来ずに殺し尽くされた点では他の魔物達とも似ている。マインドフレイヤ族は北極に追いやられた後、他の魔物達のために、防寒剤や栄養剤を開発し続け、魔王にもそれが評価されていた。

実際彼らの尽力が無ければ、地獄のような北極地下の環境で、生き残れなかった魔物は数多くいただろう。

「ミズガルア様、陛下はなんと」

「毒性を弱めるようにと言うことです。 はあ、困ったなあ」

「やれやれ、綺麗な戦争などあり得ないのはわかりきっているのに。 陛下は人間のまねごとを、徹底的に嫌いますからな」

「その割に、日用品は人間の頃に愛用していたものを使っているし、ミカンは人間の頃から好物だったそうですし。 まあ、どんな偉大な存在にも欠点はあるってことですねー」

面白い話だが、ミズガルアとその配下の間では、こういう会話が普通に成立する。

魔王に心酔している武闘派と違って、後方任務班の一部では、魔王に対する苦言がまま聞かれるのだ。

いわゆる穏健派ほど激しくは無いが、それは確実にある。

魔王の人間に対する嫌悪感は、戦略を一部狭めている。もっとも、魔王の圧倒的な三千殺しの能力があってこそ、魔物達は此処まで勢力を回復できたのだ。それを認めていない者は一人もいない。

「とにかく、毒性を緩和するか、中和する方法をこちらでも考えて見ます」

「手が足りないと思いますけど、よろしくお願いしますよぉ」

「わかっております」

水かきのある手をひらひらと振りながら、ブロクローロは戻っていく。触手を伸ばして、ベルを鳴らす。

別の作業をしている班を呼ぶためだ。

すぐに駆けつけてきたのは、補充兵であるグラキオレアス技術連隊長だ。巨大な脳みその四方八方に目がついていて、それを柔らかいゼラチン状の体が覆い、三十対ほどある節足で歩くという異形の姿である。

頭脳活動に特化しているため、戦闘能力は殆ど無い。術式に関する知識はあるが、殆どは非戦闘用のものばかりという徹底ぶりだ。

頭脳班では、彼の存在に敬意を表して、長老とさえ呼んでいる。

「はいはい、如何なさいましたかな」

「グラキオレアスさん、クラーケンの改良についてですが、何か名案はありますか」

「そうですなあ。 ちょっとこれを見ていただけますかな」

一対だけある触手で器用に設計図を広げてみせるグラキオレアス。

その内容を見て、流石にミズガルアも驚いた。

「クラーケンに、88インチ砲を!?」

「一門だけですが」

「しかし、これでも敵ガルガンチュア級の装甲を破るのは難しそうですが」

「何、その辺りは算段がついております。 ただ、やはり一撃で沈黙させる、というわけにはいかないでしょうな」

今回、人間はおそらく相当数のガルガンチュア級をそろえて攻勢に出てくるだろうと、グラキオレアスは言う。

つまり、それだけの時間があると言うことだ。最低でも三ヶ月は、こちらに準備の猶予があると言うことである。

「幸いにも、人間側の技術進歩はどうも停止しているようです。 大国同士で火がつくような富国強兵策をしていた状態から、エル教会による一極支配に移行したからなのでしょうな」

「追いつく余地はあると?」

「すぐには無理でしょうが、数年後には相手の尻尾が見えてくることでしょう。 後は魔王様に、余計な負担が掛からないように、皆で気を遣っていくだけです」

 

グリルアーノは、目だって不機嫌になっていた。部下達もこの若い暴竜から、出来るだけ離れるようにしていたくらいである。

勿論、不機嫌だからといって部下に当たり散らすようなことは無い。

人間では無いのだから。

「あの無様で邪悪な兵器を、此処に並べるだと!?」

「既に海上の戦線は、かなり押し込まれています。 もしも敵が本気で侵入してきた場合、水際殲滅をするためには防衛火力が必須です」

「こちらの陸上兵力は既に百三十万に達している。 それでも足りないというか」

映像の向こうのクライネスは、諭すように言う。それが、余計にグリルアーノの神経を逆なでする。

わかってはいる。相手がまともなことを言っていると。

だが、どうしても、生理的に受け付けないのだ。

「敵の兵力は、海上兵力だけで三百万を軽く超えています。 後方には、更にその倍以上の兵力が控えていること確実です」

「なんだその異常な数は」

「いいですか、大陸一つの軍属だった人間が、欲望と殺意のまま、ほとんど全て此処に押し寄せてきているのです。 しかもそいつらは、長年の血で血を洗う抗争で鍛えに鍛え抜かれた連中で、相手を殺す事など何とも思っていません。 略奪は当たり前のことで、特に魔物に対しては、殺せば奪えば功徳になるなどと考えています」

唾棄すべき連中だ。

だが、それでも実在する敵なのである。今は相手を罵るよりも、それを防ぐことを考えなければならない。

わかっているが、グリルアーノはまだ若い。感情を上手に制御できない。

部下に当たり散らすような最低限の一線は越えていないが、それでもいらだちで体を壊しそうだった。

「ああもうわかった! 好きにしてくれ!」

「恩に着ます」

映像が切れる。

既に、陣屋には、88インチ砲とか言うのが並べられ始めている。拿捕した人間のものを、そっくりまねしたのだ。勿論向こうのほど完璧な代物ではないようだが。

話によると、概念的にはあった兵器なのだそうだ。ただ、向こうがずっと早く開発していた。それだけだという。

いずれにしても、破壊力は大きいとしても、汚らわしい人間の兵器など、見るのも嫌だった。

ついと目を背けてふてくされるグリルアーノ。側に寄ってくるのは、エルフ族の師団長、アリアンロッドだ。

線が細いエルフ族の女性としては例外的に勇猛果敢で知られていて、全身には無数の傷がある。何でも幼い頃に人間に性奴隷にされて、怖気が走るような虐待の数々を加えられた過去があるという。

隙を見て人間を殺して逃げてきて、北極まで自力で辿り着いたという武勇伝の持ち主だ。やっぱりエルフ族なので肉弾戦闘能力はたいしたことが無いが、術式に関しての知識は軍団長達も一目置いている。

ただし、時々一人になりたいと言って、物陰でじっとしている事がある。過去のトラウマに苦しめられているらしい。まあ、そのように精神に傷を負っている魔物は珍しくも無いので、誰も咎めない。

「グリルアーノ軍団長」

「如何したか、アリアンロッドどの」

「あの無様な鉄の大木は、参謀長殿の計らいか」

「そうだ。 人間を水際で食い止めるには必要だと言ってな」

破壊力はまだ再現できていないらしいのだが、それでも設置するだけでも意味があるという。

くさくさする話だというと、アリアンロッドは腕組みした。

「敵の数は凄まじいという。 やむを得ぬのかも知れん」

「ほう? 俺よりも貴方の方が、よほど人間を憎んでいると見たが」

長命なエルフ族は、見かけと姿が一致しない。

アリアンロッドはグリルアーノよりだいぶ年上だ。だからかなり偉そうなしゃべり方をするが、二人でいるときは許される。流石に皆が前にいるときは、敬語を使ってもらうのだが。

「私は何も、人間を皆殺しにしたいとは思っていない」

「これは驚いた」

「ただ、森で静かに暮らしたいだけだ。 だが現状、人間を徹底的に叩き潰さなければ、我らに未来は無い。 私が味わったような地獄を、幼い同胞達に味あわせたくは無いのだ」

やはり年上である。随分しっかりとものを考えている。グリルアーノは感心してしまった。

そのためには、人間の兵器を開発し、配備することも仕方が無いだろうと、アリアンロッドは締めくくる。

確かにそう言われれば、そうなのかも知れない。クライネスに言われると反発を覚えるのに、尊敬しているアリアンロッドに言われると確かにそうだと思えるのだから、不思議な話である。

「わかった。 配備を進めよう。 不快だが」

「不快なのは私も同じだ。 早く人間をどうにかして、森で静かに暮らしたい」

アリアンロッドは苦笑しながら腰の剣に手をやる。

彼女は文字通り人間のためにその生を滅茶苦茶にされた典型例だ。両親も家族も、目の前でなぶり殺しにされたという話だし、その言葉には重みがある。

グリルアーノは頷くと、作業を急ぐように、補充兵達に指示した。

 

アリアンロッドはグリルアーノの側から離れると、近くの台地に上る。

周囲には緑がある。軍事陣地が張られている側には、野草がたくましく繁茂し始めていた。

人間がいなくなってから、フォルドワード大陸も、だいぶ緑化が進んできている。ただしそれは草原が増えてきた、という段階に過ぎない。エルフ族の年老いた生き残り達が植林を進めているが、まだほんのわずかしか森は再生していない。森を再生させるのは、大変なことなのだ。

木だけ植えれば良いというものではない。生態系を維持し、土を作り、災害にも強い作りにしなければならない。

エルフ族は何代も掛けて、そうやって森を育ててきたのだ。

人間はそんな森を、「農地にするには邪魔」という理由で片っ端から伐採し、更には火を掛けて焼き払っていった。

キタルレアでは実験的にエルフ族型の補充兵を使って森を再生しているとか言う話で、その技術が早くこちらにも来て欲しいと、アリアンロッドは思っていた。実際問題、補充兵を使おうがどうしようが、森が再生されれば異論は無いのだ。

映像が眼前に出現する。クライネスだった。

「首尾良くグリルアーノ将軍を説得できましたかな」

「ああ。 どうにかなった」

「貴方の言うことなら聞くだろうと事前に言ったとおりでしたでしょう。 あのお方は武勇には優れているが、まだ精神的に幼い。 どうしても私の言うことでは聞きづらいでしょうから」

「そういうやり方をしているから、貴殿は嫌われるのだ」

アリアンロッドも、クライネスは嫌いだ。

だが、此奴の言うことが正論である事や、論理的に正しいことは認めている。だから嫌いだが、それでも従っているのだ。

「手厳しいですな」

「……一人にして欲しい」

「わかりました」

通信が切れ、映像が消える。

大きくため息をついたアリアンロッドは、銀糸のような髪を掻き上げた。

魔物の中で、ドワーフ族とエルフ族は、人間にもっとも近縁である。人間から見て醜いという理由で徹底的に駆除された種族もいるが、その一方で人間から見て美しいという理由で徹底的に狩られた種族もいる。

エルフ族はその典型である。

今でも忘れない。貴族の邸宅に飾られていた、エルフ女性の剥製を。裸にされた剥製の目には、感情も無いガラス玉が入れられていた。貴族はそれを見て美しいだ素晴らし意だと褒めそやしていたが。

あのとき、アリアンロッドは人間とエルフの共存が絶対にあり得ない事を悟ったのである。

森で静かに暮らしたいという気持ちはある。

だが、今はとにかく人間と戦わなければならないとも思っている。そうしなければ、平穏どころか、命さえ守れないのだから。

グリルアーノを説得したときに言ったことは本当だ。

一族の未来のためにも、人間の侵攻は退けなければならないのである。

一度陣地に戻る。

補充兵の連隊長達が集合していた。

「今日分の作業、滞りなく終了いたしました」

「ご苦労。 前倒しで明日分の作業も、多少進めておけ」

「わかりました。 直ちに」

連隊長達が散ると、旅団長三名が残った。

補充兵は二名。一名はドワーフ族の老戦士である。優れた格闘戦闘能力の持ち主だが、二千の兵を指揮する立場としては、流石に体の衰えが見え始めている。

しかし彼の場合、長年連れ添った妻を人間に惨殺されたという経緯があり、軍を退く気は無いようだ。

「純正の魔物達はどうしている」

「順番に休憩を取っておる。 だが、皆戦意は高い」

ドワーフの老戦士であるテツが言う。衰えたりとはいえ、全身と殆ど同じサイズのバトルアックスを振り回すパワーは並大抵ものではない。

最も彼の場合は、妻が死んでから、復讐のために体を鍛えに鍛え上げ、全身を凶器も同然の強度にしているのだが。

「いつ人間が攻め寄せてくるかわからん。 海上の部隊が簡単に負けるとは思わないが、それでも休める内に休んでおけ。 適当に気晴らしもするように指示しておくといい」

「それは構わんが、御前さんも同じでは無いのか、アリアンロッド」

「そう、だな」

そう言われると、図星である。

ドワーフ族とエルフ族は、寿命が倍近く違う。人間に比べて長命なドワーフ族でも、まだ若いアリアンロッドより若い位なのである。

だから、年の功と言うにはちょっと語弊があるかも知れない。

だが、痛み入る言葉だった。

「わかった。 適当に私も休んでおく」

皆に解散するように指示を出すと、アリアンロッドはこの辺りで唯一ともいえる大木の元へ向かった。

特に有益な実をつけるわけでは無いのだが、保水力の高い森のためには無くてはならぬ木だ。その根元に腰を下ろすと、アリアンロッドは目を閉じる。

ひとときの、安らぎだった。

 

3、魔王の下へ

 

敵の警戒が、目に見えて厳しくなってきた。

目的地が近づいたというのもあるだろうが、こちらの潜入を察知したのかも知れない。どちらにしても、そろそろ動くときかも知れなかった。

地図を見る。

現在、魔王軍の根拠地と思われる城塞から、半日ほどの距離まで来ている。

この辺りは幾つか町や村があったはずなのだが、痕跡も無く完膚無きまでに破壊されていた。

それに怒りを覚える兵士達も多いようである。

「魔王軍め、好き勝手やりおって!」

兵士達を代表するように呟いたのは、マーケット将軍である。気持ちはわからないでも無い。

だが、魔物も、きっと同じ事を考えているのだろうなと、イミナは内心で思った。

悪意のスパイラルだ。

人間が始めた侵略は、巡り巡ってこの戦いを招いた。

決まっているのは、いつも弱者が犠牲になり、凶暴な暴力の犠牲になると言うこと、だろうか。

軍勢が移動していく。

岩陰に分散して隠れているイミナは、思わず口笛を吹いていた。

数はおそらく十万を超えている。人間のどのような精鋭でも、此処までの動きは出来ないだろうと思えるほど、見事で無駄の無い行軍である。

「旗指物の類は無いのか」

「わからん。 魔物は我らとは別の方法で、部隊を判別しているのだろう」

「旗指物は無いが、率いている奴はわかるぞ。 見ろ、あの大きい奴だ」

マーケット将軍が、兵士達に教えている。巨大なムカデのような奴がいる。

あれが、ハン王国の騎馬隊八千と正面から交戦したという戦士だろう。魔王軍でも、重鎮を担う兵であろう事はほぼ間違いないところだ。

イミナも見るのは初めてだが、全身にぞくぞく震えが来る。

戦ったら勝てないと、見るだけでわかる。今の戦力では、仕掛けるだけ犬死にだ。

軍勢は東へ進んでいった。もっとも、あの様子だと戦略的な移動だ。何処かの国に仕掛けるというようなことは無いだろう。

軍をやり過ごしてから、更に西へ。

殆ど夜しか動くことが出来ず、更に動ける場所も範囲も限られる。毎日排泄物の処理も大変だった。

兵士達の頬はこけ、鬼相が顔に浮かび始めている。

それに対してプラムは元気で、レオンが呆れるほど彼方此方で蛇だ蜥蜴だを捕まえてきては、さも美味しそうに食べていた。

夜が来る。

まだ、目的地は見えない。隣であくびをしたシルンが、空を見る。

「此処に、本当に魔王がいるのかなあ、お姉」

「この警戒を見ろ。 いるとみて間違いない」

「うん……」

魔王の顔を見て戻るだけでも、充分な意味がある。

昼の内に、無理をしてでも寝ておく。食べなければならない兵士達は、空腹を押し殺すのに相当苦労しているようだった。

翌日、ついに山の麓に達する。

不思議な光景が、其処には広がっていた。

岩山はとげとげしいまでに厳しいのだが、麓の台地は広く柔らかく耕されているのである。其処では耳のとがった美しい容姿の子供と女性が、百人以上は働いていた。しかも黙々と、である。誰もが粗末な服を着ていて、見かけは驚くほど似通っていた。

エルフ族だと、誰かが呟く。

だが違うと、イミナは判断した。

「アレは違う」

「同感だね。 あれはきっとエルフ族じゃ無くて、敵の主力になっている兵士達と同じ存在だよ」

「そうなると、あれか。 感情が無い肉人形」

「そうだと思う。 でも、見て。 あれ、軍事活動をしているようには思えない」

シルンと話しながら、イミナは腕組みをする。植林では無いのかと思ったのだ。

耕された地面には、多くの植物が植えられているのがわかった。耕した外側には柵や盛り土があり、水路も作られている。

皆黙々と働いているので、気味が悪い。

しかし、どうしてかわからないが。どの個体も、自分が何をすれば良いのか、わかっているようだった。

兵士達に、あれはエルフ族では無いと告げておく。

というのも、エルフ族は人間社会では天文学的な値打ちがつくからだ。如何に精鋭といえども、大金に目がくらむ可能性は否定できない。兵士達は残念そうにしていたが、此処には奴隷を略奪に来たのでは無い。

というよりも、そんなことを言っているから、魔物達は人間に対して絶対的な敵意を抱き続けるのだろう。

夕刻を待って、主要な面子を集める。

まだ、エルフもどき達は働き続けていた。

「あれは一体何をしているのだ」

開口一番に、あぐらをかいたままマーケット将軍が言う。非常に不愉快そうだった。

「我らの土地を奪って、畑仕事のまねごとだと?」

「いや、あれは植林だ」

レオンがマーケットの言葉に異を唱える。博識な青年僧は、具体的な例を幾つか挙げていき、最終的に植林だと結論して見せた。

イミナはどちらかと言えば直感型なので、相手を納得させるのは難しいことがある。レオンの論理的な説明は、とてもありがたかった。

「植林……だと。 何でそんな無意味なことをする」

「それはわからん。 だが、過度な畑作が、この辺りを荒れ地に変えてしまったのは事実だ」

「ふざけるな。 土地があれば、それを活用して富国強兵を行うのは当然のことだ」

マーケット将軍は優秀な軍人だが、やはり思考方法はそういう所に行き着いてしまうか。

イミナも、それが間違っているとは思わない。

だが、魔王軍は別の理論で動いている、ということなのだ。

そして今では、それも間違っているとは、思えなくなりつつあった。

「ちょっと、マーケット将軍、落ち着いてください」

「わかっている。 だが、逃げてくる民達の悲惨な有様を見ただろう。 彼らのことを思うと、好き勝手している奴らは許せん」

そうだそうだと、同意の声が上がる。いずれもマーケット将軍の部下達だった。

戦術、戦略に関してはいずれも論理的で理性的な人なのに。不意に近視眼的で感情的になるのは不思議だ。これも人間の性という奴だろう。

イミナは、それを幼い頃に、何処かに置き忘れてしまった。

エル教会の生体実験によって、人外の存在にされたことも関係はしているだろう。だが、それ以外の要因も大きいように思える。

師匠は、こんな時にどう言うだろうか。

「今は、まず魔王の姿を確認することが先決だ」

「……それはそうだが」

「雑念は作戦の成功率を下げるぞ。 今は一人でも多く生きて帰るために、私情を捨てるべきでは無いのか」

レオンも言ってくれたので、流石に兵士達も黙り込んだ。

勿論、不満は押し殺したままで、だろうが。

地図を広げる。作戦の最終確認に入る。兵士達を前に、イミナは説明した。

「私とシルンが、ここから侵入する。 勿論狙いは陽動だ」

今回は、主戦力二人が陽動を行う。そして、二百人の兵士達が、分隊単位に別れて行動する。

勿論陽動をしているシルンとイミナも、隙があれば魔王の姿を確認に行く。

「あのムカデはいないことがはっきりしているが、魔王軍の幹部は他にもいる可能性が高い。 それを見たら、姿を確認しておくだけで、交戦は避けるように」

「わかっている。 今回は、敵地に潜入して、生きて帰ること自体が目的だからだ。 一体で数千の軍を相手にする化け物なんぞ、相手にしている暇は無い」

「その通りだ」

冷静さを取り戻し始めたマーケット将軍が、率先して言ってくれる。こういうとき、英雄的行動に走ろうとする連中がいると、作戦の遂行率が著しく下がるのだ。如何に精鋭が揃うアニーアルスの兵士達といえども、そうやって気を引き締めないといけないのである。基礎の確認は、どんな作戦でも重要なことだ。

その後、各部隊の行動路と、作戦終了後の合流地点、日時を決める。もしも遅れた場合は、置いていく。

こういう作戦だから、仕方が無い事である。

「かなり厳しい作戦任務になる。 だが、此処で魔王の姿を確認できれば、今後の戦況は必ず有利になる」

「イエッサ!」

兵士達が、マーケット将軍に応じた。

頷くと、イミナは手甲をつける。

「では、我らが最初に出る。 後は作戦通りに」

シルンは作戦会議中、ついに一言も喋らなかった。作戦会議に加わるつもりが無い様子のプラムとは、また別の意味があると、イミナは悟っていた。

 

夜の山を登る。

険しい岩山だが、所々不意に視界が開けるところがあって、冷や冷やさせられた。

当然、魔物も巡回している。多くは命無き人形のようだが、時々明らかに違う連中も含まれていた。

会話の声が聞こえる。

「魔王陛下、今日も彼方此方を見て回って来られたらしいぜ」

「大変だな。 クライネスの野郎が引っ張り回してるんじゃねえだろうな」

「奴は俺も好かん。 だが、陛下が自主的にやっていることだと思うがな」

話をしているのは、槍を持っている歩哨達だ。片方は丸っこい姿をしていて、全身に無数の目がついている。もう片方は、非常に小柄な人型だ。確かドワーフという筈である。

ドワーフは髭が生えていて、全身が非常にたくましい筋肉で覆われている。人間と混血も可能だという噂の魔物だ。非常に良い工芸の腕をもっているとかで、職人ギルドに目の敵にされ、徹底的に殲滅されたという。

話の内容を聞くと、人間と全く変わりが無い。

上司の愚痴を言い、尊敬する相手の心配をして、自分の意見を述べている。

「お姉、何だか人間と代わらないね」

「エル教会の教義と言うよりも、そもそも魔物の全てを略奪していいという、社会の規範がおかしいのかも知れないな」

「え……」

「前から思っていたことだ。 他の誰にも言うなよ」

シルンのことを、危険にさらしたくは無い。

歩哨達の注意が逸れた隙に、さっと奥へ移る。

空には星が瞬いているが、時々何かが飛び交っている。見張りの戦力だろう。まだ、陽動を開始するのは早い。表の方で火を焚くよりも、敵の内部で爆発を巻き起こす方が、ずっと大きな混乱を作り出せる。

奥へ。城壁が見えてきた。流石に守りが堅い。

城壁は魔術による防御が分厚く掛けられていて、隙間無く城塞の周りを覆っているようだ。しかも同じような防壁が、何重にも連なっているのが見える。

当然、下手に触れば、即座に気づかれるだろう。

出入りする入り口はあるが、歩哨が常時見張っている。しかも四体で見張り、見張り台からも何名かが周囲に視線を投げかけているようだ。シフトもかなり細かく組んでいるようで、集中力が途切れないように工夫もしている。手強い相手である。

「ごまかせそうか」

「少し時間ちょうだい」

イミナは無言で頷くと、岩に背中を預けた。

敵の歩哨の動きを観察する。殆どは命無き人形のようだが、それが故に逆に隙が無い。しかも目に見えている敵に加えて、隠れて監視している連中の存在が厄介だ。銃座を全て見切るのは。かなり難しいだろう。

荷物が搬入される事があれば、それに紛れて潜り込むのだが。

「しばらく掛かりそうか」

「うん。 ものすごく高度な術式だよ。 作った魔物は、本当にこの奥にあるものを守りたかったんだろうね」

「そうか」

師匠が天才だと言ったイミナでそれだ。人間の誰でも、簡単に突破できたりはしないだろう。

すぐ至近を、何かがかすめたので、流石にイミナもひやりとした。

見ると、大きな羽毛だ。空を鳥のような巨大な魔物が飛び交っている。鳴き声を上げているのは、多分情報共有のためだろう。歩哨の一人が、空に向けて何か叫ぶと、鳥は何処か別の方へ飛んでいった。

意思の疎通が取れている証拠である。

「出来た。 でも、ここからは多分無理。 ずっと山の奥の方に、抜けられそうなところがある」

「マーキング。 移動」

「わかった」

シルンと一緒に、岩の影を這うようにして進む。

後続の部隊は、おのおの予定の位置に陣取っているはずだ。少し予定が遅れているので、危険を考えて、作業を前倒しに進めたい。

結果としては、休憩を削るしか無くなる。

人間だったら致命的な事になりかねないが、イミナもシルンも、既に純粋な意味での人間とは違う体である。多少の無理は利く。

無言でイミナの意思を察してくれたようで、シルンも休憩を削って、作業に取りかかってくれた。

 

城壁と岩が一体化しているような場所があった。

まるで衝立のような岩壁だが、どうにか上れる。ただし、こんな危険な場所でも、まず魔術的なトラップのことを考えて、シルンを行かせなければならないのが歯がゆい。

岩を這うようにして登りながら、イミナは下でシルンが落ちてきたときに備えた。シルンが時々、上からサインを送ってくる。

「やっぱり結構罠がある。 気をつけて」

「ああ」

何度か休憩を入れながら、岩壁を上る。

もたもたしていると、夜が明けてしまう。数日がかりのミッションとはいえ、時間が無制限にあるわけでは無い。それを考えると、焦りが胸の奥からせり上がってくる。

やっと、城壁の上まで出た。

だが、当然のことながら、歩哨も多数徘徊している。特にこの辺りは、警戒が密のようだ。

半刻ほど掛けて、監視システムを確認。

やはり、此処が穴になっていると、敵も気づいているのだろう。特に警戒が厳しい様子だ。少し後退して、シルンと話す。

「少し右側にずれて、そこから上がろう」

「でも、とっかかりがないよ」

「それはどうにかするしか無い」

城壁は、みれば煉瓦のような焼いた土で出来ている。勿論魔術による防壁が掛かっているので、相当な防御力がある。

だが、隙間が多くあることも意味している。

ナイフを隙間に差し込んで、足場にする。勿論強度には限界があるし、ナイフの数も限られているが、これしか無い。

二刻ほど掛けて、足場を作りながらそろり、そろりと進む。

二百歩分ほど右側にそれる。ナイフには限界があるから、出っ張りがある部分はそれを活用した。

そこから上がる。

警戒が薄い。

まるで薄氷を踏むような侵入口だ。

「よし、シルン」

「うん」

城壁を乗り越えた。そのまま、壁を這うようにして降りる。

城壁の内側は、思ったよりも警戒が薄い。

だが、それでも何名か一組で、要所要所を警備していた。殆どは物言わぬ連中だが、たまに知性がありそうな魔物が混じっている。

連隊長と以前名乗っていたのと、同格らしいのもちらほら見えた。

いずれも、交戦は出来るだけ避けたい。今は、目的の場所を目指さなければならない。

 

レオンは双子がつけた跡をたどりながら、闇の中を進んでいた。

側には今回わざわざ王弟が用意してくれた名剣を腰につけたプラムがついてきている。プラムも周囲が気配に満ちていることは理解していて、かなり口数が少なくなっていた。

それと、マーケット将軍と、騎士三名。

いずれもが、騎士団の中で屈指の使い手ばかりだという。

このチームが、今回の本命。状況に応じて、魔王を確認しなければいけない任務を得ている者達だ。

「わかってはいるが、速いな」

「でも、怖いね」

プラムが怖いと言っているのは、双子のことでは無い。奥へ進めば進むほど、敵の密度が増してくることについてだ。

双子が騒ぎを起こしたら、出来るだけ中心部に迅速に進まなければならない。

そして、魔王の姿を確認したら、出来るだけ速く帰る。

いずれも出来るだけ、の域を得ない。そもそも相手の根拠地の地図も無い状態での潜入作戦なのだから。

「この城壁を上るのか」

「先行チームが、幾つか通ったようです。 マーケット将軍、気をつけてください」

「なんの。 これでも若い頃は、戦場で剣一本で立身したのだ」

その体型でかとレオンは内心思ったが、しかし有能で無ければアニーアルスで出世するのは不可能である。

若い頃は、今とは別の、精悍な体型の武人だったのかも知れない。

実際、マーケットは過酷な行軍でも、一度も音を上げていない。確かにかって優れた武人だったのかも知れないと思える部分はある。

そして、城壁を上がる際も、マーケットはその体型からは想像も出来ないほど、身軽に動いて見せた。

レオンの方が、少し遅れたくらいである。

「まだまだだな、若き僧」

「……」

レオンも人間だった頃とは比較にならぬほど身体能力は上がっているはずなのだが、これが長年の鍛錬の差か。

手を掴んで引っ張り上げてもらう。握力もかなり凄い。戦闘では、相当にばかでかい剣を振り回すと言うことだが、これなら納得できる。

城壁の上を急いでわたり、奥へ。

二つ目の城壁の影に隠れる。

プラムが壁を触りながら呟いた。

「斬れそうだよ、これ」

「本当か」

「うん。 剣も駄目になるけど」

そう言って、プラムはマーケットが背中につるしている大剣を見る。

いわゆるバスタードソードである。あまりにも重量があるので、あまり戦闘では使い手が少ない剣だ。

ちょっと長すぎて使えないのでは無いのかと、レオンは心配した。

「ははは、私の剣を使いたいのか」

「うん」

「正直な子だ。 だがこれは、私が二十年戦場で頑張り続けて、やっと王からもらった大事な剣なのだ」

「……そう」

ついと、プラムが視線を背ける。

機嫌を損ねたわけでは無く、興味を失った様子だ。多分大事な剣だと聞いて、取っては駄目だと思ったのだろう。

そういう意味で、プラムはとても素直で正直である。

「だが、いざというときは頼む。 この城壁を崩せば、相当に敵を混乱させられる」

「その剣、壊れるよ」

「かまわん。 勝利のためだったらな」

プラムの頭を、マーケットはがしがしと撫でた。

この辺り、歴戦を重ねた武人だと言うことが実感できる。見かけは脂ぎったおじさんで、頭もかなり禿げてきていることをレオンは知っている。だが、この人の場合、見かけと能力は一致していないのだ。

多くの人間は、そうは思わないだろうが。

そろそろ、全てのチームが所定の位置につく頃だ。双子が動くと同時に、作戦を開始する。

作戦決行は、夜明けの少し前。

人間と言わず魔物と言わず、一番疲労が溜まっている時間帯である。一番動きが鈍くなる時間でもある。

星の位置から、時間を確認。

エル教会がシンボルにしている聖赤星が、かなり低くなってきている。この季節であの位置だと、あと四半刻で予定の時間だ。

ぎゅっと錫杖を握り込む。

「緊張しとるのか」

「申し訳ない」

「気にするな。 私も初陣の後は、げーげー吐いて、二三日何も喰えんかった」

マーケットが意外な話をしてくれる。他の騎士達は、周囲を無表情のまま見張っていた。

魔物の数は少ない。

やはり、疲弊が溜まっている時間だからだろう。シフトにも、露骨な隙が見え始めていた。

「貴方のような武人でもか」

「私は臆病だったから生き残れたのさ。 勇敢な奴なんか、戦場では真っ先に死ぬ」

「そうなのか」

「実力と運を備えた勇敢な奴が目立つから、そう見えるだけだ。 実際には、臆病な奴の方が、生き残れる可能性は高い」

そう言われれば、確かに真理なのかも知れない。

実際、過去の英雄が非常に臆病だったという文献は散見される。臆病は慎重につながるし、それはミスの軽減にもなる。

実際に、こうやって生き残ってきている人の言葉だ。信じてみる価値はあるのだろう。

「そろそろ時間だな」

マーケットが、剣に手を掛ける。

轟音が、敵地の奥にて轟いていた。

「行くぞ!」

物陰から飛び出す。

最初に剣を抜いたのはプラムである。双子によって鍛え上げられたプラムは、凄まじい勢いで目についた敵兵に飛びかかると、頭頂から股下まで一気に切り裂いた。

流石王にもらった名剣である。いや、それ以上にプラムの能力の凄まじさか。棒状の武器を完璧に扱い、その潜在能力を全開で発揮する。高い身体能力が加わった今、プラムの実力は並の騎士では手も足も出ないほどにまで昇華していた。

更に体を旋回させて、二人、三人、瞬時に切り裂く。

彼女に追いついた騎士二人が、切り漏らしを始末したときには、既に戦いは終わっていた。一個分隊を始末するのに、ほんの瞬き四つほどの時間しか掛かっていない。急いで敵兵を物陰に引っ張り込むと、移動する。

周囲では、騒ぎが始まっている。

また、出会い頭に敵兵に出くわす。今度は腕が六本ある巨大な奴だ。頭も三つもある。

プラムが躍りかかる。だが、敏捷な動きで、腕六本は、振るわれた一撃をするりとかわしてみせる。腕が一本消し飛んだが、代わりに残り五本の腕から、槍が剣が稲妻のように、プラムに襲いかかった。

無言で騎士の一人が、剣を投げる。

頭の一つにそれが突き刺さるのと、プラムが剣を振り上げるのは同時。

剣が中途から数本、まとめて消し飛んだ。切り飛ばされたのだ。プラムの剣の腕は、手にしている名剣もあわせて、其処まで増しているか。

だが、敵も黙ってはいない。

そのまま体を半旋回させ、プラムに巨体からの回し蹴りを叩き込む。切り上げた勢いのまま跳躍していたプラムは避けきれず、ガードしながら吹き飛ばされた。

躍りかかった騎士二人と、マーケットが、一気に敵を切り裂く。バスタードソードが首を叩き潰し、もう一人の若い騎士は袈裟に切りつけた。その刃は、最後の頭の、顎の辺りから首を深々と切り裂いていた。

頭三つが潰れたからか。

巨人はその場でどうと倒れた。ひくひくと痙攣していたが、すぐに動かなくなる。

プラムは。

壁にたたきつけられて呻いている。すぐに回復の術式を展開。詠唱を終えて、レオンが手をかざす。

淡い光が、プラムの体を包む。同時に診療。骨は折れていないが、かなり打ち身がある。人間だったら身動きできないだろう。

だが、プラムは身を起こそうとした。

「平気だよ、まだやれる」

「少し掛かる」

そのまま寝かせて、治療を続ける。

治療が終わったときは、周囲の騒ぎは更に大きくなっていた。騎士三人とマーケットが、四人がかりで巨体を物陰に引っ張り込んでいる。だが、痕跡まではとても消せそうに無かった。

「これで雑兵か? 攻撃術士がいないと、とてもではないが対処できんぞ」

「大丈夫。 プラムが何とかします」

「しかしなあ」

コツは覚えたと、プラムは言う。

だが、そう楽観視は出来ないと、レオンは思った。

急いで奥へ。途中、また何度か敵に遭遇した。そのたびに戦わなければならなかった。

 

シルンが仕掛けた時限式の爆発術が炸裂すると、流石に周囲は大騒ぎになった。そしてその時には、岩山の上に陣取ったシルンは、術式の詠唱を完了していた。

わらわらと、敵兵が出てくる。

その上から、広域攻撃系の爆発術を、容赦なくシルンがぶっ放す。

光の帯が敵の頭上に降り注ぎ、炸裂。辺りは阿鼻叫喚の地獄と化した。

イミナは無言でそれを見つめている。敵の上級士官が出てきてからが勝負だからだ。シルンは二発目の詠唱を続けながら、眉をひそめる。

混乱し、こちらを探し求める敵の様子が、人間とまるで代わらないのを、再確認してしまったからだろう。

ずっと魔物と戦ってきたから、知っていることだ。

エル教会が如何に嘘八百をばらまいているか。

「負傷者を奥に! 敵の姿を探せ!」

責任感のある声が聞こえる。

見ると、鞠のような体に、巨大な一つ目を持ち、たくさんの触手をはやした奴が指揮を執っている。

多分連隊長か、それ以上の奴だ。

混乱する周囲を、必死に指揮する連隊長らしき敵に、シルンが術式の狙いをつける。3、3、1。イミナが数えた。

0と同時に、シルンが貫通型の攻撃術式を放つ。

光の巨大な矢が、敵に躍りかかる。振り返った敵がシールドを張るが、一瞬こちらが速い。

貫通。

体の中心を貫かれた敵は、大量の鮮血をばらまきながら吹き飛ぶ。そして、地面で触手をのたうち回らせていたが、程なく動かなくなった。

「無差別虐殺、だね」

シルンがぼやくが、今は応対しない。

敵の頭上に、更に広域攻撃用の術式を二発降らせる。充分に混乱を煽った後で、次の狙いは家屋らしいものだ。

「燃焼用の術式」

「うん」

シルンが詠唱を開始した。

爆発では無く、燃焼を引き起こす術式だ。初歩の魔術にもある、火を熾したりするのにも使ったりするものを、戦闘用まで強化した内容となる。

そろそろ敵がこちらの位置に気づく。これをぶっ放した後、移動すべきだろう。

そう思った瞬間に、イミナは本能的に動いていた。

跳躍し、蹴りを叩き込む。

直撃。

顔面の中央に入った蹴りは、敵の体をへし折っていた。翼をもつ、両手が槍のようになっている奴が、無言のまま落ちている。

敵の航空戦力だ。

思ったよりも、出てくるのが速い。

無言で詠唱を続けるシルン。イミナが止めろと言っていないからだ。司令塔としてのイミナの能力に、絶対の信頼をしてくれているのである。

また敵の飛ぶ奴が来る。

風船みたいなのは来ない。だが、それの護衛についている奴が集まってきた。多分感覚をリンクしているのだろう。

燃焼の術式を発動。

建物が、一気に燃え上がった。敵の混乱が、更に加速するのがわかった。これで充分である。

「よし、撤退開始する」

「わかった」

シルンが、杖を振るう。そうすることで、魔力の残滓を振り払うのだ。

岩山の影から滑り降りる。勿論、敵に見えるようにすることで、さらなる注意をこちらに引きつけるのである。

案の定、敵の雑兵が集まってきた。

出会い頭に、敵兵の顔面に膝蹴りを叩き込み、首をへし折る。更にシルンを先に行かせつつ、追撃してきた一人目の槍をかわしながら、無造作に前蹴り。後ろにいる奴と衝突して蹈鞴を踏む所を、放っておいて飛び退く。

敵が集まってくる。

さて、味方はどうしている。きちんと予定通りに行動できているか。

そう考えつつも、同時に集まってくる敵の戦力を分析する。シルンも前を走りながら、術式の詠唱を続けていた。

シルンが振り返る瞬間、イミナは横っ飛びに逃れる。

今まで自分がいた空間を、超高熱の魔力が蹂躙する。追撃してきていた魔物をまとめて薙ぎ払う灼熱の殺意が納まったとき、周囲の殺気は更にふくれあがっていた。走る。転びでもしたら、即座に死が待っている。

「思ったより、ずっと数が多いね! お姉」

「一万程度の兵はいると思っていた。 だが、多分倍はいるな」

「急ごう!」

追いすがってきたのは、六本腕の巨大な敵である。頭が三つもある。

巨大な腕を振り回して、頭上から殴りかかってきた。丸太のような太さだ。

皮一枚の差で避けながら、懐に潜り込む。六発、連続で拳撃を叩き込んだ。だが、びくともしない。

相手が拳を固めて、振り下ろしてくる。下がる。だが、敵にはもう四本の腕があったのだ。

豪腕が一閃した。

ガードするが、間に合わない。凄まじい距離を吹っ飛ばされる。

地面で受け身を取るが、三度バウンドし、岩にたたきつけられた。全身の骨が悲鳴を上げるのがわかった。

だが、その隙に、シルンが詠唱を終えている。

渾身の一撃を繰り出した巨体に、敵の軍を薙ぎ払った大威力術式が、直撃した。

腹に大穴を開け、後ろに倒れる巨体が見えた。

立ち上がろうとして、二度失敗する。

人間だったら、挽肉になっていただろう。凄まじいパワーだ。アレは多分雑兵だろうが、強い。呼吸を整えながら、全身のダメージを確認していく。骨は、何とか無事だ。だが、出血と肉離れがひどかった。

立ち上がるが、さっきより走るのは遅くなるだろう。

回復を待っている時間は無い。更に敵は追いすがってくるからだ。

「お姉、大丈夫!?」

「良いから走れ」

敵は、更に集まってきている。

 

大暴れする双子のおかげで、露骨に手薄になった城を走る。

時々爆発音がした。レオンは凄いと思うよりも、むしろ不安になった。敵は完全に頭に来ているだろうし、何よりあの大暴れぶりである。敵よりも先に味方が恐怖を感じそうでは無いか。

予定地点に到着。

どうにか良い場所を確保できた。

場所としては、全てを見回せる地点になる。城内部と言うよりも、その裏手だ。岩山の一番高い地点に近く、ただし足場が極めて悪い。此処に陣地を設置して敵を狙い撃ちというわけにはいかない。

その代わり、もしも状況を見て魔王が出てきたら、確実に気づかれず視認できる。

プラムが、剣についた血を落としていた。流石に名剣である。あれだけ斬って斬って斬り伏せたというのに、曲がるどころか刃こぼれ一つ無い。

だが、プラムは渋い顔だった。

「んー、やっぱり限界があるかも」

「刃こぼれ一つ無いでは無いか」

「そう見えるけど、結構ダメージ受けてます。 帰りも同じ調子で斬ったら、多分中途からぼきりと思う」

鞘に、プラムが剣を収めた。

まだ、敵は出てこない。所々で爆炎が上がっているが、魔王とやらはよほど剛毅なのか。

騎士の一人が、そんな中。小首をかしげた。

「何だろう、あれ」

「何か見つけたのか」

「見てください、彼処です」

城壁の内側。最奥の辺り。

宮殿とはとてもいえないが、粗末な城塞のようなものがある。

其処も今は星明かりだけでは無く、明々と炎によって照らされているのだが、そこでなにやら無言で事態を見つめている人影があるのだ。

全く身動きしないそれの周囲を、細い人影が固めている。多分エルフ族だろう。

人影は、老人のように見えた。

「場違いだと思いませんか。 あのエルフ族は、護衛のようにも思えます」

「確かに。 これ以上は近づかない方が良いな」

「そのようですね」

エルフ族は、優れた魔術の使い手が揃っている。魔術に関しては生来的な素質を持ち、しかも非常に長生きだからだ。

当然透視や遠視もこなすはずで、下手に隠れていても、距離次第では簡単に見つかってしまうだろう。

老人は輿に乗せられていて、ミカンを食べている。

時々周囲に指示を出していて、子供らしいエルフ族がそのたびに使い走りしているようだった。

まさか。

あれが、魔王か。

「人間の老人のように見える。 本当にあれが……」

「状況から考えて、魔王の可能性が高いな」

「あのような弱々しい姿が、ですか」

「そうだ」

レオンが言い切る。

確かに、状況証拠は揃っている。プラムは無言で、じっと老人を見つめていた。

映像を形に残す術式を展開。

術式が完了すると同時に、星の高さを見る。撤退の時間だ。

後は、とにかく生きて戻ることだけである。あれが魔王である確率は、おそらく七割前後だと、レオンは見た。

そうなると、今後は作戦を立てやすくなる。今の映像だけでも、分析してみれば、様々なことがわかるはずだ。

首が七つある竜とか、天をつくような大男とか、そんな姿を想像していた。だが、ああいう姿であるのも、思えば不思議では無い。

人間の世界でも、寝台から起き上がれないような老人が王であることは珍しくない。しかし、そうなると、あの老人が魔王軍に敵対する人間を、瞬時に皆殺しにする恐ろしい術を使っているというのか。

そうでないとすると、やはり術のスペシャリストが多数側に控えているのだとしか思えない。

続々と、潜入していた部隊が撤退してくる。

殆どはあまり奥まで行かなかったこともあり、無事だった。だがやはり、帰ってこない部隊も幾つかあった。遅れて戻ってくる部隊もあったが、六つの部隊が、時間になってもついに戻らなかった。

あれだけの混乱である。有力な魔物に遭遇していてもおかしくない。むしろ、それだけの犠牲で済んだのだと、喜ぶべきだったのかも知れない。そのほかにも、一名、二名が欠けている部隊は数多くあった。

合計で、損害は五十名を超えていた。

双子は。

レオンは、胃が裂けそうな思いで待った。

 

城壁を乗り越えて、飛び降りて。

イミナは気づく。腕も足も、相当に傷が増えている。血が止まらない場所もある。

あの六本腕と、四回交戦した。一回目ほどの無様は晒さなかったが、いずれも楽には勝てなかった。

戦うたびに傷も増えたし、疲弊も溜まっている。シルンも、そろそろ魔力が危険域まで達しているはずだ。

事前に仕掛けておいた時限式の爆発術式を使って、敵を攪乱はしていた。だが、それにも限界がある。

闇を走る。

後方には、雲霞の如き数の敵が感じられた。

「お姉、そろそろ、限界かも」

「奇遇だな、私もだ」

「師匠の時も、こんなだったね」

「ああ、そうだな」

走りながら、呟く。シルンと同じ事を考えていたのが、むしろ心地よかった。悲壮感が、少しずつ薄らいでいく。

フォルドワードで、あのおぞましい歓楽街で。

自分たちを拾ってくれた人がいた。その人は、あらゆる技能で常人を遙かに超える実力を持つ、超人といえるような人だった。性格には大いに難があったが、それでも尊敬すべき大人だった。

あの人が死んだときのことは、今でも鮮明に思い出せる。

だが、どうしてだろう。

とても悲しい出来事だったはずなのに。イミナは、少しだけ嬉しかったのだ。シルンが、師匠を本気で慕っているのが、わかっていたからかも知れない。

イミナも、師匠を慕ってはいた。

だが、シルンのそれとは違うことが、わかるのだ。双子だから。双子なのに。それが、嫌でならなかった。

無数の矢音。

ジグザグに走るが、幾つかの矢が体をかすめ、傷を作る。

振り返り、直撃コースにあるものは叩き落とす。

全身に悪寒が走った。あの六本腕が、後ろにいる。あのパワーである。矢を放ったら、いかなる破壊力を生み出すか。

だが、戻って戦う力は、もう残っていない。

時限式の術式が、後方で炸裂する。注意が逸れる。残る力を全て振り絞り、走る。シルンももう、無駄口を叩く余力は無いようだった。

ついに、城を抜ける。

背中に、矢が突き刺さった。六本腕の放った奴では無さそうだが、とにかく矢は矢だ。

急所は外れた。だが、シルンを守って刺さった矢ならいい。そう思い、走る。鏃が背中に埋まっているのが、鮮明にわかった。痛いと言うよりも、気持ちが悪い。負傷はさんざんしてきたが、これは今までで一番深い傷かも知れない。

戦闘時は、あまり痛みを感じないことが多い。この体になってからは、なおさらだ。

だが、戦闘が終わって落ち着いてくると、痛みがぶり返してくる。この体になってからも、それに変わりは無い。

今更痛みに悲鳴を上げるような無様はしないが。

それでも、楽に終わりそうには無いなと、イミナは思った。

森に、逃げ込む。

だが。そこで休むわけにはいかない。

今、当然他の潜入チームも敵と交戦しているはずで、彼らを少しでも逃がすためには、行動を続けなければならないのだ。

一旦、地面に腹ばいになる。シルンが、既に気づいていた矢の処理に当たってくれる。

「毒が塗ってある」

「構わん」

人間だったら死ぬだろう。

だが、イミナは動けなくなる程度で済む。回復系の術式が苦手なシルンでも、毒の中和くらいは出来る。

背中を踏みながら、一気にシルンが矢を引き抜く。

背骨がきしむくらいの痛みが走るが、それで済む。上手に鏃は抜けたようだった。

処理をしてくれる。シルンの手が、てきぱきと包帯を巻く。腹の辺りがすーすーするのは、服を破いたからだ。

イミナの仕事は、打たれ弱いシルンを守ること。

格闘術で敵を殺す事では無い。術式を唱えている間完全に無防備になっているシルンを守り抜くことこそが、イミナの仕事。勿論戦略戦術を考えることもあるが、大砲であるシルンがフルパワーで活動できる場を整えることこそが、最重要なのだ。

これが上手に機能すれば、格上の相手にだって勝てる。

血を失いすぎたか。呼吸を整えながら、相手の様子をうかがう。やはり、相当数の追撃部隊が出てきている様子だ。空にもかなりの敵影が見える。

そろそろ、夜が明ける。

昼になってしまうと、もう魔物の視界から闇は身を守ってくれなくなる。そうなってくると、生存率も著しく下がる。

シルンが彼方此方に、時限式の爆発術を仕掛ける。

イミナは木に背中を預けたまま、じっとそれを見ていた。休む意味もあるが、万が一誤爆しないように、場所を覚えておかなければならないのだ。

陽が高くなってくる。

勿論、魔物も森に入り込んできた。百名単位で構成された部隊である。小隊三つで、中隊の規模を為している。

この小さな森だけであれだけ出てくると言うことは、他の部隊にも相当な追撃が掛かっていると見て良いだろう。

「まだまだ、頑張らなきゃだね」

「ああ。 あの部隊くらいは片付けるぞ」

「らじゃ!」

立ち上がる。

まだ全身の脱力感がひどいが、どうにか戦える。ただし、正面切って大物を相手にするのはちょっと厳しい。

地形を使って誤魔化しながら、相手を攪乱していくしか無い。

ちょっと姑息だが、これも戦いの一つだ。シルンと頷きあうと、イミナは昼なお暗い森の中、飛び出した。

 

魔王は、燃え上がる仮設魔王城を黙然と見つめていた。

既に警備担当のヴラドが、魔王の前に傅いている。敵が仕掛けていった時限式の術式はほぼ処理が完了したようだが、まだ損害は把握し切れていないし、侵入した敵の規模も確認できていない。

「申し訳ございません、陛下」

「悲しむでないぞ。 そなたは良くやってくれた。 敵が儂に近づくことも出来なかったのは、冷静な指揮の賜では無いか」

「……」

ヴラドは声を殺して泣いているようだ。魔王は、それが痛ましくてならなかった。

まさか人間がこれほど大胆な行動に出るとは思わなかったのは、魔王軍の誰もが同じであったのだろう。周囲の幹部達も慄然としていた。

「逃げた敵の追撃は」

「今実行していますが、難しいでしょう。 しかし西の情勢が厳しい現在、貴重な三千殺しの能力をこの程度に割くのも忍びがたく」

「ふむ……」

確かにその通りだ。

現在、エル教会の幹部を片っ端から三千殺しで殺しながら、エンドレン大陸での激突に備えている状況である。毎日戦略的に三千殺しを発動せざるを得ない状況であり、それを考えると確かにこの程度のことでの使用はためらわれる。

だが。

考えて見れば、この潜入は危険だ。例の双子も当然噛んでいたのだろうが、いくら何でも手際が良すぎる。

人間の狡猾さを侮っていたことなのだと、魔王は即座に結論できる。

だが、部下達はどうか。

「やはり、国境守備が甘かったのでは無いのか」

「しかし、割ける兵力には限界がある。 敵の主力部隊はヨーツレット元帥が撃退してくれるとはいえ、国境の警備を増やすのは難しい」

「今までも拠点の兵力を増やすのが限度だったのだ。 もしも内部に敵が目を持っていた場合、対処は無理……」

咳払いすると、議論していた部下達が静まりかえる。

魔王は、普段はこういう議論には異論を入れない。部下達の思うとおりに話をさせたいからである。

だからこそ、こういうときに鶴の一声を発揮できるのだ。

「皆も知っての通り、儂は人間という生物の邪悪さを良く心得ておる。 これは内通者の仕業では無く、連中が今まで同胞同士でさんざん殺し合い、磨き抜いた謀略の技に基づく結果じゃろう」

「ははっ!」

「陛下が仰るのであれば!」

部下達が、互いを疑い合うという最悪の結果だけは避けたい。

だから、魔王は自分の影響力を、此処で行使することとした。何度か咳払いしたのは、ちょっと喉が渇いたからだ。

おミカンが欲しいと思ったが、少し我慢する。

「儂は、皆が人間などと通じないことをよく知っておるぞ。 皆は儂の財産であり、大事な存在じゃ。 だから、皆も皆を信頼せよ。 今回の件は、誰かの能力が不足していたことでは無く、システムに隙間があった事が原因じゃ。 それを埋めるように、今後は努力をしていこう」

「陛下の仰せのままに!」

ヴラドを筆頭に、部下達が傅いた。

頷くと、魔王はクライネスを呼び出す。エルフの戦士達が術式で、通信をつないだ。

「陛下、ご無事でありますか」

「儂が人間如き世界の害虫に後れを取ると思うのかのう。 これは心外じゃ」

「ははっ! その通りにございます!」

「うむ、それではクライネス将軍は、ヴラド師団長や守兵の皆と話し合い、二度と敵の潜入が発生しないようなシステムを構築するのじゃ」

ウニのような姿をした魔王軍の知恵袋は、深々と礼をして、通信を切った。

次はヨーツレットだ。

演習中だったヨーツレットは、作戦行動を一旦中断して、こちらに急行していたらしい。忙しく足を動かし、体をくねらせている様子が、映像からもわかった。

「陛下、ご無事ですか」

「うむ。 演習を切り上げる必要は無いぞ。 こちらは充分こちらで対処可能じゃからのう」

「それでも、一個師団の増援はお許しを。 万が一のことが陛下の聖体にございましたら、我らは破滅にございます」

「大げさじゃのう」

からからと魔王は笑う。ヨーツレットは足を止めると、部下の一師団をこちらに派遣する手配をし始めた様子だ。

映像の向こうからそれを確認しつつ、魔王はヨーツレットに指示する。

「今回の一件は、誰かの能力が不足していたことでは無く、人間の狡猾さを儂が見誤っていた事にある。 故に、まず人間がつけいる隙の無いシステムを、クライネス将軍と構築するのじゃ」

「ははっ。 仰せのままに。 しかし、ヴラドはこのままだとつろうございましょう」

「ふむ……」

そういえば、ヴラドは子供が生まれたばかりなのに、まだこちらにいっぱなしである。

ヨーツレットの部隊の一員として、誇りある仕事をしていると言うことが、彼の自由を奪ってもいる。しかし、此処で解任させたら、彼の今まで作ってきたものは、音を立てて崩壊してしまうだろう。

それは避けたい。

部下の全てが、魔王にとって宝だからだ。

「ヴラド師団長」

「はい」

「そなたには、三ヶ月の育児休暇を与えよう。 今回の件はつらかったであろうし、故郷で妻と過ごして英気を養え。 それから、現職に復帰してもらいたい」

「陛下が、仰せでありますれば」

疲弊しきった様子で、ヴラドがうなだれる。

組織として、ある程度の懲罰は必要であるというヨーツレットの意図は、魔王にもわかった。だから、此処はヴラドの顔も立て、人材も失わない方向で事を進める。

テレポートの術式を使える上級士官はいる。彼らにやらせれば、クラーケンを使わずともヴラドをフォルドワードに戻すことは可能だ。

映像を切る。

流石に少し疲れた。玉座で魔王は身じろぎすると、部下達を皆退出させる。

後始末については、この城にいる部隊だけでどうにか出来るだろう。ヨーツレット配下の軍勢も一師団がこちらに入る事になっているし、それで充分だ。

自室に戻ると、暖炉で暖まりながら、おミカンを口にする。

やはり、これが一番だ。

「この、ゆったりとした時間を保つためにも。 一秒でも早く人間を処理しなければならぬのう」

呟くと、魔王はもう一つ、おミカンを剥き始めていた。

 

凄まじい追撃戦の果て、どうにか国境を抜けて合流。

兵は四割を失っていた。むしろ四割程度の損害で、良く済んだものだと、レオンは思った。

プラムは気むずかしそうに、もらった名剣を眺め回している。逃げる途中、城から出た後も十を超える敵を遭遇戦で斬った。徐々に味方の部隊と合流しながら戦い、下がりつつ逃げ、その結果である。

まだ、双子は合流してこない。

彼女らが敵の注意をそらしてくれなければ、被害は更に倍増えていただろう。

野戦陣の隅で、マーケット将軍が部下に命じている。

「この水晶球を王弟殿下に。 最重要機密。 たとえ相手が王族であっても見せてはならん」

「わかりました。 命に代えても届けまする」

まだ疲弊が残っているだろうに、その若い騎士は陣地に残してきた馬に跨がると、即座にアニーアルスめがけて走り去った。

魔王軍が大規模な報復攻撃を仕掛けてくる可能性もある。それを考えると、あまりもたついていられないのが現状だった。

マーケット将軍も、追撃の過程で、幾つか怪我をしていた。ようやくこの野戦陣で本格的な手当が出来る。手足を失うような重傷を負った兵士も、幾らか見受けられた。

「ねえ、レオンさん」

「どうした、プラム」

「お姉ちゃん達は無事かな」

「そうだな。 無事だと信じよう」

既にエル教会への信仰は捨てたレオンだが、回復術は問題なく行使できる。だから、今は思っている。

神はエル教会だけにあるものではないと。

もっとも、今はその神に対する信仰さえが、揺らぐのを自覚し始めているが。

兵士達を順番に治療して廻る。流石に失った手足までは回復できない。汗をぬぐいつつ、治療術を掛け、回復を続ける。

それが一段落した頃。

山の方に、人影が見えた。

「お姉ちゃんだ!」

おおと、周囲から声が上がる。

二人ともぼろぼろだ。さぞや凄まじい戦いを繰り広げてきたのだろう。しかも逃げるのに精一杯だったに違いない。

だがそれでも、奮戦に奮戦を重ねた。

死んだ人間は、もはや仕方が無い。だが此処で生きている者達は、皆双子の奮戦によって、命を拾ったのだ。

兵士達が歓声を上げていた。

勇者、勇者という声も聞こえる。それが歴史的に見て、どういう存在だったかレオンは知っているが、敢えて水は差さない。

兵士達にとって、命を救ってくれたも同然の双子に、最高の賛辞を送っていることだけは確実だったからだ。

「私は今、勇者の誕生に立ち会っているのだろうか。 感動だ」

いつの間にかレオンに並んでいたマーケット将軍が、感動の涙を流していた。

レオンは、泣けなかった。

今は良くとも。もしも戦いが終わったら。その時どうなるか、今からでもうっすらと理解できたからだ。

周囲の熱狂の中。

レオンは一人、取り残されたかのようだった。

双子が陣に戻ってくる。

ついに、魔王軍に対する反撃の糸口が得られたというのに。双子の名声が決定的になった事が確実だというのに。

レオンの心は、晴れなかった。

 

4、再侵攻開始までの壁

 

文字通り、休む暇も無い作業が続いていた。

クライネスとヨーツレットは映像術式を使って絶え間なく話しながら、状況の整備を続けている。それを受けて走り回る部下達。

仮設魔王城の周囲は、分厚い城壁をもう一重作ることで決まった。岩山に一体化している構造だったから、隙が出来たのだ。今度のは岩山とは全く別構造にして、城の周りを完全に囲む。

物資については心配ない。

労働力についても、実戦を離れた補充兵を使う。

それらの話を、無言で帳簿をつけながらグラは聞いていた。仕事場は代わっていない。面倒だから、此処を巣穴の中心地点としてしまった。

巣穴を一つ任されると言うことになり、幹部会にも出るように言われたからである。勿論意見を述べる権利もある。

秘書もつけられた。

以前受け付けで見たことがあったが、人間に似た姿でありながら、知性を持っている補充兵である。最近生産されたらしく、護衛の能力も有しているそうだ。名前はマロンという。とにかく無口で、非常に影が薄い。歩いていて足音もしないので、いつの間にか背後にいることが良くあった。

人間は嫌いだ。だから苦手意識もある。

全く喋らないこともあって、マロンとは接しづらい。ただし、秘書としては有能で、仕事はきちんとしてくれる。

それにしても、以前受付で見た奴と全く顔が同じだ。それでいながら陽気だった奴とは性格が真逆で、気味が悪い。

意見を言いたいときには、そいつに話しかければ、映像の術式をつないでくれる。

隣で、退屈そうにキバがあくびをした。

「なあ、あにき。 おれ、おひるねしたい」

「倉庫の仕事は終わったか」

「おわったよ。 マロンがてつだってくれた」

「そうか。 礼は言ったか」

満面の笑みで、うんと応えられたので、苦笑した。この弟分は、とにかく邪気が全くない。

「じゃあ、カーラを手伝ってやれ」

「あ、そうか! あにき、おれいってくる!」

「ああ」

どすどすと嬉しそうに音を立てて、キバが走り去る。グラは頭をかきながら、後ろで突っ立っているマロンを一瞥だけした。

映像の向こうでは、クライネスとヨーツレットが、喧々がくがくの議論を続けていた。

「補充兵の生産は、限界です。 現状の安定を利用して、此処は新しく創設する侵攻部隊に兵力を回すしかありません」

「ふざけるな、クライネス。 今は守勢の時だ」

「いいえ、今こそが反撃の時です。 そもそも敵に潜入されたのも、仮設魔王城が前線に近すぎるのが原因です。 此処はキタルレア南部の弱小国家群を一気に踏みにじり、敵の勢力圏を削り取りましょう」

「寄せ集めの部隊と、歴戦とは言いがたい指揮官でか。 バージョンは上がっているようだが、あの不思議ちゃんの作った補充兵だぞ。 暴発が恐ろしいがな」

不思議ちゃんというのが誰かはわからないが、多分噂に聞く九将最後の一だろう。グラも端くれとはいえ幹部になってきたので、その辺の話は耳にするようになってきた。

意見を述べる者はいないようだ。当然である。

魔王軍の頭脳と呼ばれる軍団長と、常勝を支えてきた元帥の会話である。割り込むのは流石に失礼に当たる。

話が途切れた。どっちも疲れたようであった。

グラは道を一瞥する。ユニコーンが来る気配は無い。今日はもう、死体は運ばれてこないようだ。

「マロン、映像」

「わかりました」

声はとてもかわいらしい。無口だが、別に低い声とか威圧感があるとか、そういうことも無いのである。

つくづく、不思議な奴である。

「第六巣穴を任されたグラです。 意見を述べてもよろしいでしょうか」

「おう、君か。 何かな」

ヨーツレットもグラを知っていたらしい。反応にちょっと驚いたが、まあそれはいい。

現状の巣穴から見て、確かに増産は難しい。それよりも、問題が一つある。

「仮設魔王城の襲撃で危機感を煽られました。 少数の兵による攻撃で、巣穴が一つでも落とされたら、おそらく大変なことになるかと」

「ううむ、確かにあり得ぬ話では無い、な」

「今、この巣穴は敵の前線から離れてはいます。 しかし、護衛用にそれなりの戦力を配置しても欲しいのです」

ヨーツレットは長い体を揺らして考え込んでいたが、やがて頷く。

「わかった。 一理ある。 今度君のところで生産する連隊長級を二名、巣穴に配置していい。 他の巣穴も同等の処置を執ろう」

「連隊長級を二名も!?」

「今までの守りが薄すぎたのだ」

クライネスが不満そうに黙る。否定できないからだろう。

グラはため息をつくと、ちょっとクライネスに悪かったかなと思った。今の意見は間違っていなかったはずだが、引き立ててくれたのはクライネスなのだ。彼にしてみれば、一刻も早く侵攻部隊を再設したいところであっただろうに。

「わかりました。 それならば一案を」

「何だ」

「第六巣穴では、次に師団長級を作ってください。 それで手を打ちます」

師団長級。まさかそう来たか。

魔王軍の中核になる補充兵であり、ものによっては軍団長に匹敵する力を持っている。雑魚ばかり生産していた此処では、初の製造になるだろう。

なるほど、クライネスの意趣返しというわけだ。グラがこれをきちんとこなせなければ、更迭降格もあり得るという事になるか。

だが、これは好機でもある。

師団長を作れる巣穴が一つでも増えるのは、魔王軍全体にとっても利益になる。

地位を失う恐怖は、グラには無い。元々分相応と思ってはいないからだ。

「わかりました。 直ちに」

「……」

複雑そうに、クライネスは映像を切る。会議もそのまま流れた。

山の向こうを見ると、カーラがキバと一緒に植林をしている。緑が少しずつ広がっているのがわかった。

カーラの同型は頑張っているのだろうか。

グラはそれが不意に心配になった。

いずれにしても、わかっているのは。

近々魔王軍による大規模反撃が開始される、そのことだけであった。

 

(続)