血に染まる巨艦
序、魔術
石造りの重厚な大ホールには、今日も学生達が集っていた。階段状になっている席には、彼方此方の街、場合によっては別の大陸から来た学生までもが鈴なりになっている。
南の大陸、キルレーシュ大陸。その最北端にある、海岸の街。アンクレットワーム。エル教会関連の学校でも、最大級のものがある事で知られる場所である。そのままずばりエル教会大学と呼ばれるこの学校には、教授だけで百三十人が所属しており、エル教会の将来の幹部達を育てる重要な場所となっていた。
そこに、老いた教授が一人現れる。
生徒達が、一気に緊張した。基本的に服装はまちまちだが、それでも表情には一様に同じく緊張が走った。
この大学の支配者とも言われる教授、アーネン大司教の登場である。
アーネンは既に六十を超えているが、異常なまでに精力的で、常に愛人か私娼を五人以上囲っているとさえ言われている。浮気もしないような奴は男の甲斐性がないと常日頃から放言して止まない人物で、エル教会の規範を鼻で笑っている、文字通りの悪僧である。俗物そのものであり、自宅は酒と金品でまみれているとさえ言われている男だ。
性格もひねくれていて、腐敗している事で有名なエル教会の坊主達からさえ、堕落坊主として忌み嫌われるほどの人物だ。とにかく欲望が非常に直接的に表に出ているので、他者と対立しやすいのである。
しかしながらその回復術の技と知識は超一級であり、なおかつエル教会最上層部にコネがあるため、誰も文句が言えない。
そう、風評は一致していた。
実際、曲がったかぎ鼻と狷介そうな視線は、他人を一切寄せ付けない拒絶の光に満ちている。学生達をその場で叱責することも珍しくなく、怒ると攻撃術をぶっ放す事さえあるという。
それらの風評から、とにかくいやがられ、恐れられる男だった。
もっとも、真相は微妙なところだが。
若干曲がった足を引きずりながら、アーネンは教壇に立つと、狷介そうな視線を学生達に向ける。
「では、今日の授業を始める。 七番席の学生、起立せよ」
「は、はい」
不幸な生け贄は、そばかすが多い、まだ幼さが顔に残る学生であった。一応僧衣を着てきているのだが、すぐに周囲に染まって私服で来るようになるだろう。この大学に来ている学生は、エル教会の幹部や優れた医療術士を目指して来ているのであって、信仰心など備えていないことが多いのだ。
それらの様子をじっと別の場所から見ている男が一人いた。しかも、含み笑いしながらである。
「やれやれ、かわいそうに」
「フローネス様、また覗きですか」
「そうだ。 これがなかなか止められなくてな」
くつくつと、男は今度こそ声に出して笑った。
質感がないほどに痩せた男は、安楽椅子を揺らしながら、授業の様子を見つめていた。それを呆れたように見ているのは、妙齢の女性である。使用人の格好をしている、かなり美しい顔立ちの女性だ。
たどたどしく回復術の展開理論を述べていた学生は、老教授に一喝され、這々の体で教室から出て行った。気むずかしそうに教授は学生達を見回している。彼にしてみれば、許せない事なのだ。
昨日教えたことを、完璧に覚えてきていないということ自体が。
彼は典型的な天才だ。門地も無い中から、その努力だけでのし上がった苦労人でもある。だからこそに、彼は理解できない。弱者がどのように考えるか。
だからこそに、理解しようともしない。ねたみややっかみが、如何に強い力を持っているかも。
故に、敵では無い。
「一つくらい術式が違っていても、発動はするのになあ。 ああいう所が、誤解されるところだというのに」
「ご趣味が悪いですよ」
「たわけ、これが私の仕事だ」
そもそもが、フローネスという名前自体が、元々のものではないのである。複数ある偽名の一つに過ぎず、特に思い入れもない。
逆に言えば、今行っている覗きこそ、フローネスにとって唯一「本当」だといえる趣味であり、やらなければならないことでもあった。これこそ、フローネスにとっては魂の形と言っても良い。
アーネンは明らかにしらけている学生達に、学業の重要性について説教を始めていた。目を血走らせ、唾を飛ばせて、教授は喚いている。
本当のところは。
この男は寡黙に己の全てを捧げてエル教会の教義を守り続けている、真面目な男なのだ。ただし社会的な順応性が著しく低く、周囲に生じた誤解を一切解こうとしない。愛人など抱えたこともなく、五年前に先立たれた妻以外に女も知らない。勿論浮気云々の寝言は周囲の連中が想像から作り出した繰り言である。毎日欠かさず教義について暗唱して、記憶の欠損がないか確認しているような人物だ。
そんな真面目な、今時珍しいほど堅物のエル教会教徒なのである。というよりも、彼より真面目なエル教会幹部など存在しないだろう。
だが、場の空気が、彼を俗物として、周囲に認識させている。恐怖の支配者として、周りからおそれさせている。
真実は、人間社会によって蔓延する「空気」によって、簡単にその形を変えてしまうのである。
だから、フローネスにとっては、それが面白くてならない。横から見ていると、真実と、周囲から作られている虚像と、そのギャップがあまりにも激しすぎるからだ。そしていつの間にか、横から見ているだけでは満足できなくなった。
最初、監視の術式以外にろくな取り柄がなかったフローネスが、徐々に力をつけていったのは、それが理由である。今ではエル教会を裏側から取り仕切る存在の一人にして、この南の大陸で、もっとも影響力を持つ存在と化していた。
最も、その過程は決して楽なものではなかったのだが。
アーネンと一緒に、学生達が術式の知識を、基礎から暗唱させられている。
「術式は、呪文詠唱と、印と、発動の鍵となる言葉から成り立つ。 これは攻撃系の魔術も、回復魔術も同じ事だ。 このいずれか一つが欠けても発動はしない」
同じ事を、学生達が復唱させられる。
ホールは一種異様な雰囲気に包まれていた。それが、外から見ているフローネスには面白くてたまらない。
当事者ではないからだ。
必死に、未来の人材を育成しようとして、空回りを続けているアーネン。将来の権力と財力を得るためだけに、ここに来ている学生達。それぞれの思惑がかみ合わない以上、熱意が空回りし、それが真実とは別の何かおぞましいものを生み出すのは、ある意味では当然のことともいえた。
そのおぞましい軋みこそ、フローネスの大好物だ。
しばらくアーネンの狂態を堪能した後、映像を切り替える。エル教会の幹部会議を、今度はのぞき見ることとなった。
ここのところ、エル教会は魔王の攻撃に晒されて、大きな打撃を受けている。具体的には、幹部がかなりの数死んでいる。
そのため、幹部会議は上手く運用されていない。新しく教皇になった人物は、まだまだかなり若い。更に言えば、他の幹部達も、経験が足りない連中が多い。
文字通り狒々のようだった旧幹部達に比べて熱意はあるが、致命的に不足している経験が、彼らの動きを鈍くしている。こちらでも、空回りが続いている。それもまた、舌なめずりしたくなるほどに、見ていて面白い。
「エンドレンの戦況は好転しないか」
「海上の守りが分厚く、なかなか難しいようです。 突破さえ出来れば、一気にフォルドワードまでなだれ込めるのですが」
「何をしているのだ」
「現地のエル教会資本をつぎ込んで、かって海軍が所有していた兵器工廠は押さえ、軍艦を作らせています。 しかし、敵はとにかく粘り強く抵抗してくるので、なかなか前線を抜けないようです」
死者は既に三十万を軽く超えていると、まだ若い大司教が言う。
だが、教皇はそれに心を動かされた様子がなかった。
「まだ、たった三十万だろう。 魔物の領地を餌にちらつかせてやっているというのに、なんという無能共だ」
「ある港に落ちたホシが、原因の一つのようです。 雲霞のように集まっていた兵士達の中には、それで不安を覚えるような者も多く」
「下らん迷信に動かされるような愚物共が。 何か、適当な迷信で打ち消せないのか」
「一度広まった迷信を打ち消すのは難しゅうございます。 先人が、異端審問や聖戦という仕組みを考え出したのも、迷信を担い手ごと消すためですし」
相も変わらず下劣な会話である。血が入れ替わったところで、エル教会の内部腐敗は、何ら代わっていない。
元々、何世代にもわたって甘い汁を吸い続けた連中である。民衆の間に道徳として根付いたエル教会の教義は、膨大な利益をも約束した。わずかずつの布施でも、ちりが積もればそれこそ巨山と化すのである。
膨大な富に晒されると、人間はどうしてもおかしくなる。
そしておかしくなるのは人間個人よりも、まず組織なのだ。そして組織が完全に腐敗すると、人間はそこに所属するだけで腐敗の汚毒を浴びるようになる。
このエンドレンでの騒ぎも、フローネスと、後複数の黒幕が後押ししているだけであって、元々エル教会の連中が考え出したことではない。それなのに、実施できなければ身の破滅だとでもいうように踊り狂う連中が、滑稽でならなかった。
もっとも、対魔王の広域戦略として、必要な駒である事は事実である。だから、それに気づかせてはならないのだ。
「兵力を逐次投入するから駄目なのだと、どうして気づけないのだろうな、此奴らは」
「元々、戦争の専門家ではないから、ではありませんか」
「ふん。 確かにそうだな」
そろそろ、それならば。フローネスとしても、切り札の一つを切るべきであろうか。
魔王の力は確かに脅威だ。今のところフローネスの周囲に危険は及んでいないが、いずれ何かしらのラッキーパンチがヒットする可能性は否定できない。既に年老いてはいるが、まだまだフローネスは生きたい。生きて、この人間共が奏でる不協和音を見て、嗤いたいのである。
「エル教会に、シオン会を動かすように促すか」
「あの戦闘集団ですか」
「そうだ」
シオン会。
エル教会の中でも、特に凶猛な戦闘集団である。組織が大きくなってくると、必ず荒事専門の連中が出てくるが、シオン会は典型的なそれだった。僧の中でも戦いが得意な者、殺しが好きな者、或いは実践的な術式の使い手など、戦闘向けの連中を選りすぐって作った組織である。
しかもその母体が母体なので、規模も戦闘能力も、並の国家の軍隊と同じか、それ以上ほどもある。
普段は表には出てこないのだが、異端審問の裏で暗躍したり、聖戦の舵取りをしたりと、裏の仕事を殆ど一手に引き受けている連中である。アーネンのような「良識派」の僧は、蛇蝎のごとく嫌っている殺戮集団。それがシオン会だ。
今回のエンドレンにおける聖戦では、まだ彼らは動いていない。
元軍人も多いシオン会が数百万の軍勢に紛れ込むと、一気に戦況が代わる可能性が高い。試してみる価値は大いにあるだろう。今の時点でも、負けてはいないのである。勝ってもいないが。
そして、この方面の戦況が悪化すると、魔王軍は一気に劣勢になる。
そうなれば、後はちょっとキタルレア方面の戦線を押し込んでやれば、前線崩壊に直結することだろう。
「ミコト、次の手を実行に移せ」
呼びかけると、女はすっと表情を消し、その場から消えた。
監視の魔術を切り替えると、フローネスは再び、趣味の覗きに移った。
1、浮かび上がるもの
ジャドが研究所に赴くと、狂科学者ジェイムズは、けたけたと笑い転げていた。
さては成功例が出たのかと思ったが、見た感じ机の上には、失敗作らしい人間の残骸があるだけだ。
血の臭いが濃い。狂気と同じくらい、部屋に漂っている。ぶちまけられた臓物はねじれ、汚物が周囲に飛び散っていた。
だが、確かにジェイムズは笑っている。何か大きな成果があったのだろう。
「どうした、ジェイムズ」
「おお、我が友。 みよ、この結果を」
「失敗に見えるが」
「使ったものが違うのだ」
眉をひそめるジャドに、ジェイムズは言う。
標本として保管してあった、ゴブリンの死体を使ったというのである。
今まで使っていたのは、希釈した魔族と竜族の血であった。だが、ゴブリンを使っても、同じような結果になるというのか。
ジェイムズは、ぴたりと笑うのを止めた。
「これで、はっきりした」
「何がだ」
「魔物の種類はどうでもいいのだ。 ただ、その血を人間に入れると、異変が始まる」
多くは、死ぬ。
だがほんの一部は、異形と化しながらも、力を得るのである。
たとえば、ジャドのようにだ。
「友よ。 今、御前には、温めていた仮説を披露しよう」
「嫌な予感がするな」
ジェイムズの弟子達が肉塊を片付けていく中、席に着く。
辺りの血の臭いは、濃くなるばかりであった。
「前々からおかしいと思っていたことがある。 魔物どもは、どうして人間とどこかしら似通っている」
「どういえば、不思議だな」
「ドラゴンのように根本的に人間とは異なっている種族もいるが、それでも二足二手で、人間と共通した要素もある。 オーガやトロール、ゴブリンやコボルト、オークなどに至っては、亜人と言われるほどに似ている」
徐々に、嫌な予感が加速していく。
それはすぐに、現実のものとなった。
「私が思うに、魔物はな。 元々、先祖が人間と同じなのだ」
「……何!?」
「どうして、全く異なるゴブリンとドラゴンの血から、同じ結果がもたらされる。 それは、どこかしら共通した要素が血の中にあるから、ではないのかな」
そして、犬や猫に実験をしても、効果は現れないというのだ。
昔、コボルトは犬から進化したという説があったという。しかしながら、それもこれで覆された、ということなのだろうか。
「しかし、仮説だろう」
「そうだ、我が友よ。 しかし否定する要素もない。 私はこれから、この仮説を証明するために、実験を繰り返すとしよう」
けたけたとジェイムズは笑う。
ジャドは首を振ると、一旦研究所を出た。
それにしても、魔物と人間の先祖が同じとは。胸くその悪い話だと一瞬思ったが、考えて見ればそういう考え方こそが、今の悲劇の源流なのではないのか。
何もかも、わからなくなってきた。
もしもジェイムズの仮説が正しいのなら、人間は同類と延々殺し合ってきたことになる。場合によっては、肉さえも喰らいながら。
ただ、血を入れることでこうも異形になるのは何故なのだろう。魔物は、血を入れた人間が変化したなれの果てなのだろうか。それにしては、種族として成立しているのが不思議ではある。
わからない。
ただ、今ジャドがすることは。双子が少しでも有利になるように、新しい戦力を作ることだけ、であった。
やっと休息が取れると、シルンが大きくため息をついたのは、与えられた部屋のことである。
山越えをしてアニーアルス王国にアルカイナン王の首を持ち帰ると、にわかにイミナの周囲が忙しくなった。
確かに密偵を生きたまま連れ帰り、記憶を保存したままの蜜蝋漬けの首を持ち帰ったことが、大きく評価されたのである。
密偵は早速東側の大国の使者とやらに引き渡されたが、どこまで本当かは知れたものではない。或いはエル教会の使者かも知れない。いずれにしても、ろくな結果ではなかった。多分この戦いで、アルカイナン王はずっと東側の国家や、エル教会にもてあそばれていたのだ。英明な王だったようだが、それ以上に狡猾な連中にとっては、手駒に過ぎなかったと言うことなのだろう。
虫ずが走る。
ベットに転がったシルンは、天井を見つめる。悲しそうだった。
「王様、残酷な人だったらしいけど、助けてあげたかったね」
「そう、だな」
シルンは誰にでも優しい。イミナだったら、絶対に考えないようなことも、時々口にする。
レオンは外でずっと折衝のために駆け回っていて、今はいない。
プラムは退屈だといって、ずっと城の中庭で、イミナが教えたとおりに体術の訓練をしている。
だから二人きりだ。
イミナは壁に背中を預けると、体の状態を確認する。戦闘に備えて鍛え抜いている体は、筋肉質ではないが、常にフルパワーを発揮できる戦士の肉体である。
「いつまで、こんな戦い続くんだろう」
「魔王がいる限りは続くだろうな」
「でも、魔王がいなくなったら、きっと魔物は皆殺しにされちゃうんじゃないのかな」
「そうだな」
言うまでも無い話だが、人間の独善性は類を見ない。
イミナだって、そもそも人と魔物の争いは、人間側から一方的に侵略を仕掛けたことが原因だと知っている。
だが、それでも多くの人間は、魔物を憎悪や恨みから、殺戮することを是としている。
もしも魔物と和解する道を探そうなどと言ったら、殺されかねない。それが人間社会の現実なのだ。
今回の戦いだって、魔物にだけ非を押しつけるわけにはいかない。
今魔物達がやっているようなジェノサイド作戦を、最初に実施したのは人間なのだ。それも、とてつもない規模で、である。
「ねえ、お姉。 もしも魔物側が、私達と和解したいって言ってきたらどうする?」
「あり得ない」
「あり得なくても、もしもそうなったら」
「そうなっても、戦うしかないだろうな」
そうしなければ、今度は人間側に殺されるからだ。
今回アニーアルスのバックアップを受けるようになったが、逆に言えば既にイミナとシルン、レオンとプラムは、人間ではないとカミングアウトせざるを得なかったも同然なのである。
当然のことながら、利用価値がある間は重宝されるだろう。
だが、利用価値が無くなれば、どうなるか。
今は、考えていないが。
もしも首尾良く魔王を倒してしまったら、今度は人間からどう身を守るか、考えなければならなくなるだろう。
イミナはそこまで考えて、常に動いている。
師匠は生きる術を色々と教えてくれた。シルンには魔術の技を。イミナには、武技と、そして狡猾な知性を。
ドアがノックされる。気配は知らないが、人数は一人で殺気もない。
「どうぞ」
「失礼する」
入ってきたのは、見たこともない男だった。
格好は文官のようだが、この国の文官は年寄りばかりだというのに、とても若い。それに、無意識で警戒を意識させる雰囲気を持っていた。
「貴殿らが、銀髪の双子だな」
「それがどうかしたか」
「お姉? ええと、あの、何か御用ですか?」
ベットから身を起こしたシルンが、友好的な笑顔を浮かべて応じる。だが、男は能面のような表情のまま、じっとイミナとシルンを見ていた。
「貴殿らに会いたいという人が来ている。 是非会ってやって欲しい」
「どのような人ですか」
「フォルドワード大陸の、王族の生き残りだ」
殆ど勘だが。
それは嘘だと、直感的にイミナは感じた。だが、会ってみるというのは吝かでは無い。
挙手する。勿論、安全策のためだ。多少の暗殺者くらいなら返り討ちにする自信はあるし、毒物だってあまり効かなくなってきている。ただ、それでも、安全策を常に練るのが、イミナの仕事である。
「今、単独では動けない状況が続いている。護衛の騎士を伴いたいが、構わないか」
「構わない」
即座の返答。或いは、此処の国とも関わりがある人間か。まあ、此処まで入ってきているのだから、それもそうだろう。
外に出ると、うさんくさそうに女騎士アマンダが、若い男を見ていた。いざとなれば、即座に斬り伏せる体勢にあるのがわかる。
「騎士アマンダ、護衛に来て欲しい」
「わかった」
アマンダが、一緒にいた騎士に、出かける旨を告げる。
それはあっさり受理された。やはり、この国にある程度コネクションがあって、それを使って来ているのだろう。
一旦城から出ると、郊外の酒場に。喧噪を見てシルンは目を輝かせたが、脇をこづいて静かにさせる。
「えー。 お姉、飲みたいよ」
「おまえの酒好きは知っているが、今は駄目だ」
「何だか、ちょっと最近お姉ぴりぴりしてるね」
「そう、だな」
まあ、当然の話である。実際問題、この大陸中を巻き込んでいる巨大な陰謀のただ中にいるも同然なのだ。今後、どんな方向から、殺意が飛んでくるか知れたものではないのである。
何があっても、イミナはシルンを守る。
喧噪を通り過ぎて、奥の部屋に。重要な客用の部屋というのはどこの酒場にもあるらしいのだが、此処のは何というか、牢屋めいていた。若い男は何も名乗らず、部屋に入るように促す。アマンダが中を覗いてから、顎をしゃくった。
「大丈夫です。 どうぞ」
「では」
先に入る。
中には、やたらしっかりした雰囲気の、妙齢の女性がいた。確かにフォルドワード出身らしい雰囲気がある。何というか、微妙な顔の造作などに、それが感じられるのである。
だが、フォルドワードはかって奴隷の輸出を産業の一つにしていた。フォルドワード出身の人間は、下級階層を中心にいくらでも存在している。それを考えると、不思議な事ではない。
「貴方たちの噂は聞いている。 私はユキナ。 対魔王軍義勇軍のリーダーをしている」
「イミナだ。 こちらはシルン」
軽く挨拶を交わすと、座るように促された。
一目見てわかったが、やはり嘘だ。この人物、良く外見を取り繕っているが、元王族ではない。どこがそうだという根拠はないのだが、イミナの勘は良く当たるのだ。
多分、魔術と同じような概念からもたらされる直感だろう。
対魔王軍義勇軍という名には、聞き覚えがある。有能なリーダーとともに、魔王軍を相手に転戦しているという集団だ。規模も千人を超えて、並の旅団くらいの戦闘能力は有しているという。
そうなると、王族出身ではないとしても、このユキナという女性には十分な利用価値があるといえる。
勿論シルンはこういうことを言うと怒るだろうが、人間と接している以上、利害関係で相手をはかる癖を身につけておかないと大けがをする。
師匠は狡猾な頭脳については教えてくれたが、何処か理想論的なところがあった。だから、こういうやり方や考え方は、自分で身につけた。
魔王軍について、色々と話をする。
ある程度話が進んだところで、不意にユキナが切り出した。
「やはり、あの話は本当なのか? 魔王は、自分に気に入らない相手を、好きなように処分できるとか言う」
「十中八九、間違いなく」
「ならば、貴方たちは何故生きている」
ユキナも、イミナとシルンが地形を利用して魔王軍と戦い、一度に数百の敵を屠ったこともある事は知っているという。
これを知っていると言うことは、なかなかに優れた諜報網を持っていると言うことだ。侮れない相手である。
「話して良い物かはわからないのだが、我らには回避策がある。 といっても、望んで手に入れたものではないが」
「是非、それを教えて貰えないだろうか」
「どうしてだ。 現在、貴方たちの規模程度で、魔王がその力を振るうとは思えないが」
現在、魔王軍は東西からの猛攻に晒され、守勢に回っている。
多分、それを指揮している黒幕に直接攻撃を繰り返しているはずで、足下の小石に注意を払う余裕などは無いはずである。
言い方は悪いが、義勇軍の兵員一千など、魔王がその気になれば一瞬で壊滅してしまう。その程度の相手に、魔王が今注意を払うとは思えない。
だが、それを指摘しても、ユキナの意見は代わらない。
「戦況は、刻一刻と変わる。 もっと大胆な攻勢に出たいのだ」
「……だが、覚悟がいるぞ」
「承知の上だ」
「お姉、やめようよ。 この人まで、不幸にする事はないよ」
シルンが眉尻を下げて服の裾を引っ張る。
だが、正直な話。城の中にまで入れるこの女である。ある程度の影響力を持っていると見て間違いない。
この情報は、拡散するかどうかが、もろに諸刃の剣になる。悩ましいところではあった。
だが、試してみるのも悪くない。
「簡単な話だ。 人間を止めれば良い」
「人間を、止める?」
「そうだ。 ほぼ確実だが、魔王の力は人間にしか作用していない。 我々はエル教会の人体実験に巻き込まれてな。 半分人間ではないのだ」
しばらく黙り込んだユキナは、頷く。
どうやら、覚悟を決めたようだった。
「なるほど、やはりそうだったのか」
「参考になっただろうか」
「ありがたい話を聞かせてもらった。 いずれ、共闘することもあるだろう」
立ち上がったユキナは、部屋を出て行く。
しばらくその後ろ姿を見つめていたイミナは、シルンの抗議に辟易した。
「もう、どうして教えちゃうの!? あの綺麗な女の人、私達みたいになったらかわいそうだよ!」
「だが、魔王軍と戦うには、この力は必要だ」
「それでも!」
「わかったわかった。 もうしない」
シルンは涙をぬぐいながら抗議する。
そうされると、イミナは弱かった。適当に謝りながら、酒場を後にする。
確かに、ほのかな罪悪感が残っていた。
ユキナは双子との接見を終えると、すぐに部下達と合流した。
現在義勇兵は、各地を廻って戦力を整えている状況である。しかしながら、おそらく構成員の誰もが知っていただろう。
このままでは、なすすべもないと。
実際魔王が本腰を入れてきたら、千名程度の組織など、それこそ瞬く間に崩壊してしまう。以前ユキナが遭遇した、あの理不尽きわまりないあの魔王の力によって、である。
それだけは、どんな手を使ってでも避けなければならない。
誰もが怯えているのだ。どうせ勝てないだろうと。
だから、兵の質も以前とは比べて、著しく低い。現時点で脱走者だけは出していないが、それも時間の問題だ。
だが、せめて主君だけでも、死なない体制が出来たら。
更に言えば、である。
「もしも国々をまとめるとしたら」
「えっ?」
思わず口に出してしまった。側に控えていたハールが声を上げたので、一瞥だけして馬車に乗り込む。
椅子に背中を預けながら、ユキナは思うのである。
魔王を本気で倒すつもりなら、今のままでは無理だ。エル教会は利用する相手にしても、主体的な存在にしてはいけない。連中はただでさえ肥大しすぎて、これ以上大きくなったら魔王以上の世界の災いとなる。
だから、誰かが国々をまとめる総司令官とならなければならない。
最初、あの双子がそうならないかと思った。だが、あれは一目でわかったが、個人の勇者であって、国政を見ることが出来る存在ではない。いうならば、兵士達の武に関する象徴とはなり得るが、それ以外は無理だ。
だったら、誰かが。
魔王の力を受けても死なない体を手に入れて、それを武器にして戦っていくしかないのである。
もしも自分しかいないのなら、ユキナがなるしかない。
この世界は本当にろくでもない。ハウスメイドをやっていた頃から、世界が好きだと思ったことなどただの一度だってない。
だが、それでも。あの無慈悲すぎる大虐殺を見た時に、ユキナは決めた。魔王を倒さなければならないと。
心の内に燃え上がる、あのときの光景に対する怒り。それが、ユキナを突き動かしていた。
ユキナは東へ向かうように、部下達に指示。実は、先の話、心当たりがあるのだ。
以前、ボルドーがエル教会の使者に聞かされたというのだ。現在東の大国、グラント帝国で、おぞましい人体実験が実行に移されていると。
双子の側にいる何名かは、その実験によって作られた存在ではないかという話さえもあるのだと。
ならば、その真偽を確かめに行く必要がある。
馬車は、東へ進む。
人間でなくなることは、さほど怖くない。ユキナが怖いのは、あの理不尽な力で、瞬時に命を奪われること。
ただ、それだけだった。
ただ、ユキナは。自分が思うように、生きたいだけだった。
2、空白の時間
ぽっかり大穴があいた港からは、潮が引くように元軍人や山師が引き上げていった。
エンドレン大陸の女教師レンメルは、ぼんやりとひどい被害を受けた港を見つめていた。一部では天罰だという声もあるようだが。もしもそれが本当だったとしたら、神とやらは絶対に許さない。
うろついていた破落戸達がいなくなったから、治安は途端に良くなった。
その代わり、お金も食料も、一切手に入らなくなった。たちが悪い連中が、引き上げるときに持って行ってしまったからである。倉庫の類は殆どが襲われて、物資は殆ど残らなかったのだ。
幸い、何とか少人数が生活できるだけの物資は、学校の倉庫に隠してあった。だがそれも、食べればいずれ無くなる。
だが、学校の周囲は、荒れ果てて畑も作れそうにない。
元々エンドレンは科学技術で発展した大陸であり、空気も土も汚れきっている。腰をかがめて触ってみると、土はまるでタールのように黒ずんでいる。これでは、野菜を作っても、とても食べられそうになかった。
かといって、海に出ようにも、もう船の一艘も残っていない。
学校にはすっかり心が壊れてしまった校長先生と、わずかな大人、それに残りは子供達ばかりである。
レンメルが、どうにかしなければならなかった。
当てもなく、港を歩き回る。
時々、船の残骸を見かけた。頑丈な軍船らしく、あれほどの凄まじい「ホシ」の爆発に巻き込まれても、原形を残している。しかし中は人間の焼け焦げた死体が一杯で、覗く気にはなれない。未だ、気が遠くなりそうな異臭が漂ってくる上に、蠅がたくさん飛んでいて凄まじいまでに不潔だ。しかも山師共は、そんな死体さえかき分けて、金目の物をみんな持って行く有様だった。
港はすっかり変形していて、船から流れ出た燃料や腐汁で、色まで変わってしまっている有様だ。茶色い海がこぽこぽと泡を立てている。覗いてみても、魚などおらず、気味の悪い生物がたくさん群れているだけだった。
とても食べられそうにない。
漁師の舟も、無事だったものはあらかた逃げてしまった。
既にこの港は、死につつある。綺麗になるまで、多分何年、いや十何年もかかるかも知れない。
それでも、戦いは止まないというのか。
悩みどころだ。
治安が良くなったが、物資がない此処に残るか。或いは、治安が悪いことを覚悟した上で、よそに移るか。
もう完全におかしくなってしまっている校長をはじめとして、他の教師は全く頼りにならない。しかしながら、ここにいる限り子供達に危険が及ぶことはないだろう。問題は食糧だ。
どうにかして、自給自足の体制を整えなければならない。
海が駄目なら川という手もあるのだが、この近辺には大型の河口がなく、魚を捕るのは難しい。それだけではない。仮に近くに川があったとしても、相当に汚染されているのは確実だ。
やはり船を使って海に出るか、汚染されているのを覚悟の上で畑仕事をするか、どちらかしかないだろう。
港をくまなく歩き回ってみたが、使えそうな船はない。
幸い、ホシが落ちて吹き飛んだ外側の堤防辺りは、汚染がさほどひどくない。ただし海の荒れ方が凄まじく、落ちたら一巻の終わりだ。防波堤の辺りには複雑な形をした岩が無数に積み上げられており、逆巻いた波が恐ろしい音を立てながらその間を流れていた。
この辺りにも、点々と死体がある。
それを処理する気にもなれない。本当だったら埋葬するか焼却するか、どちらかをしなければならないのだろうが。
かにが少しいる。人間の死体を食べて、肥え太ってはいた。
あれを食べるくらいたくましくないと、生き残れないのかも知れない。ぼんやりと、レンメルは、岩場を這い回るかにを見つめていた。
「レンメル先生?」
名前を呼ばれて振り返ると、一番年下の女の子がいた。
メイという名前で、くしゃくしゃの赤毛が目立つジャガイモのような女の子である。将来はどうなるかわからないが、その外見がコンプレックスになっていて、ジャガイモと呼ばれると泣き出す。
いわゆるみそっかすの上に、最近破落戸に暗がりに連れ込まれかけてからは外にも出ないようになって、随分細くなってしまっていた。
だから、外に出てきていることは好ましい。
だが、此処は少し危ない。
「どうしたの、メイちゃん」
「あのね、先生達が呼んでた」
だったら、よりによってメイに伝言を頼まなくても良いだろうに。
メイは確かに術式の才能があるらしく、妙に勘が働くところがある。だから人を呼ばせるときには重宝しているらしいのだが、今は彼女にとって大変に難しい時期なのだ。
しかし、考えて見れば、腫れ物扱いしていても、メイにはあまり良いことだとはいえないだろう。
学校に戻る。
学校の周囲は柵で覆われていて、入り口は一カ所しかない。歩哨のようにそこを見張ってくれていた軍人崩れが、レンメルを一瞥だけした。ぺこりと頭を下げるが、返事はない。
何人かの軍人崩れがいてくれて、前は随分心強かった。だが、彼らは今教師達と対立している。
恩知らずにも、教師達は治安が良くなった今、軍人崩れ達を荷物扱いしているのだ。
レンメルは敬意を払って接していたが、他の教師達が台無しにしている。多分、レンメルの事も、良くは思われていないのだろう。
ホシが落ちた影響で、一部崩れかけている学舎に入る。天井の一部はひびが入っていて、雨が降ると水漏れする。補修しようにも、そんな資材も技術も無いのが現状だ。
子供達は奥の教室で遊んでいた。メイもそちらに行かせる。
入り口近くの教室で、他の教師達は待っていた。すっかり視線が定まらず、虚空を見つめてぶつぶつ呟いている校長も、そこに混じっていた。
「来たかね、レンメル君」
「はい」
「何をふらついていた」
「食料を探そうと。 今のままでは、いずれ尽きますから」
鼻を鳴らしたのは、年配の中年男性教師だ。校長がこんな事になってからは、リーダーを気取って大変に傲慢な態度を取るようになっていた。
かといって、彼に反発するような人間も他にはいない。明らかに無気力になっている大人達は、子供にとって良くない見本の代表だった。
「それで、何用ですか」
「うむ、実は我々は、此処を離れようと思っている」
さらりと、男性教師は言う。
曰く、ここにいても将来的な展望はない。それならば、治安は悪くとも、まだよその街に移った方が良い、というのである。
別にそれ自体は意見の一つであるだろう。だが、問題が一つある。
「子供達はどうするのですか?」
「今はそれどころじゃないだろう。 我々が生きるので精一杯な時期だ。 子供達には、子供達で、身を立ててもらうしかない」
「……」
やはり、そう来たか。
何人かの教師達は、まだ自覚があると思っていた。だがこの様子では、それも過去の話と見て良いだろう。
もう此奴らは、教師とはいえない。
「どうぞご自由に。 私は此処に残りますので」
「そうか。 食料は持って行くぞ」
「はあ?」
「はあじゃない。 我らだって、生きるのに必死だからな」
ふざけるなと絶叫しかけて、止める。
子供達も、あのホシが落ちるのを見て、心に大きな傷を受けている。今は、あまり大人同士で争うところを見せたくない。
「子供達の分は残していってください」
「知らないよ、そんなことは」
教師と名乗っていた男はせせら笑う。子供のことなどどうでも良いという本音が、既に顔中ににじみ出ていた。
レンメルの中から、怒りがせり上がってくる。
「貴方たち、それでも教師ですか」
「君にそんなことを言われたくないなあ」
失笑が返ってきた。
だが、その失笑が凍り付くまで、そう時間は掛からなかった。
軍人崩れ達が、ぞろぞろと部屋に入ってきたからだ。
戦場が嫌で逃げ出したり、心に傷を受けて軍人を続けられなくなった男達。だが、寡黙にこの学校を守り続けてきた男達は、レンメルを無言で守るようにして、教師達をにらみつけていた。
「な、何だね、君達は!」
「此処を出て行くのなら勝手にしろ。 だが食料は子供達の生命線だ。 手をつけようとするならば、殺すぞ」
「ふ、ふざけ……」
軍人崩れとはいえ、人殺しの訓練を受けた人間の視線である。その上彼らはそれぞれ手に武器を持っている。現役を離れているとはいえども、教師が抵抗できるものではなかった。
レンメルは大きく嘆息する。
どうやら、彼らのことを見誤っていたようだった。
負け犬のように、尻尾を巻いて教師達は出て行った。後には、心が壊れてしまった校長と、レンメルと、軍人崩れ達だけが残った。校長は虚空を見つめたまま、ずっと心あらずといった様子で、何か呟いている。
或いは、幸せだった過去のことを思いだしているのかも知れない。
「ごめんなさい、貴方たちのことを誤解していたようです」
「気にするな」
レンメルは子供達の部屋に行く。
十人弱の子供達は、皆無邪気に遊んでいた。
この子達に、こんな過酷な現実を未来として与えてはいけない。一旦教室に戻ると、外に戻ろうとしていた軍人崩れ達を引き留める。
「待ってください」
「どうした」
「これから、どうしても食糧が不足します。 保存食だけでは、子供のためにも良くありません。 働くにしても、仕事も、何よりも物資も無い状態です」
「ならばどうする」
「土はあんな状態ですけれど、それでもどうにかして農業を始めましょう。 それに当座は、海に出る事も考えた方が良さそうです」
男達は顔を見合わせる。
最年長らしい、左腕がない男、ヴァルツが言う。
「漁船は素人に手が出せるものじゃない。 あんた泳いだ事もないだろう」
「でも、このままでは餓死するだけです」
「しゃあねえな……」
右手だけで頭をかきながら、ヴァルツは無精髭だらけの顔をゆがめた。
この人は元水兵だったそうだ。海戦で砲撃にやられて腕を吹き飛ばされ、戦線を離れたのだという。
「わかった。 船さえあれば、俺が皆にやり方を教える。 ガキ共も連れてこい。 一人ずつ、順番に操船と漁を教えてやる。 ガキ共も、いつまでもガキじゃあない。 自立する方法を教えてやれば、しっかり育ちもする」
「助かります」
「それまでは保存食でどうにかしのぐか。 いや、それじゃあ体にも良くないな。 ランジット、何か良い案はないか」
「この辺だと、南に少し歩いて砂浜まで行けば貝が取れる」
そう言ったのは、背が低いランジットである。彼は戦傷で武器が握れなくなり、戦場を離れた。体は回復しているのだが、精神的なものらしい。
元々レンジャー部隊の隊員であったらしく、サバイバル技術に関してはお手のものだということだ。
ただ、フラッシュバックが時々来るらしく、それでいつも一人でいる。
「貝か、すぐに火を通さないと危ないな」
「その辺はぬかりなく処理する。 子供らのためにも取ってくれば良いんだな」
「そうしてくれ」
ランジットは他の何人かをつれて、学校を出て行った。
後は、船か。
それに、農業を始める準備もしておいた方が良いだろう。
何だか、少しだけ気が晴れた。相談はしてみるものである。
子供達の未来のためにも、レンメルは頑張る。このまま、何もかもを失ってたまるものかと、声に出さず誓った。
カーラの育てていた木が、大きくなってきた。
既にキバの背丈をだいぶ超えている。元々育つのがとても早い植物だという事もある。この木を中心にして、植林を進めていくのだという。
根元をカーラが掘り返して、根の様子を確認している。グラが見てもさっぱりわからないが、エルフ族の要素を持つカーラには、本能的に理解できるのだろう。優しく土を埋め直すカーラだが、その目には相変わらず感情らしいものは宿っていない。
「カーラ、植林は順調か?」
振り返ったカーラは、キバがぶきっちょに編んだ麦わら帽子を被っている。そろそろ暑くなってくる時期だと言うこともあり、ドワーフの職人に作り方を聞いて編んだものなのだ。
カーラはしばらくグラを見つめていたが、首を横に振る。
多分、まだ気に入らない部分があるのだろう。
仕事場に戻る。
この間、ハン国の軍勢を退けてから、生産はだいぶ混乱した。数日間はまたかなり多めの生産を行って、運び込まれてくる死体も増えた。それが過ぎると、再びまた緩やかなシフトに戻った。
キバなどはこの緩急について行けず、すっかりへばってしまっている。
グラも疲れが溜まっていて、仕事をしていて時々うつらうつらとしてしまう事があった。
帳簿を操作していると、クライネスが、至近に現れる。
「仕事は順調かね」
「はい」
「あっちはどうかね」
「カーラはまだ不満があるようです」
カーラという名前を聞いて、クライネスが触手をざわざわと動かした。
ウニのような姿をしているこの知将が、実は結構感情を表に出しやすいことを、最近グラは感づいた。そして、触手のこのざわめきは、多分不快感を示すものだ。
「まあいい。 だが、見たところ、狭い空間に限定してだが、植林は出来るようだな」
「はい。 時間と労力、それに物資さえあれば」
「……そろそろ、時期か」
嫌な予感がした。
そして、それは的中する。
「あのエルフ型補充兵を増産する。 今戦況が非常に交錯しているのは、君も知っているだろう」
「はい。 だから、まだ後かと思っていたのですが」
「だからこそだ。 仮説魔王城の周囲の植林を進め、それを順次拡大することで、この大陸でも食料を生産できるようにする。 生産するエルフ型は、大小二百ほどを想定している」
カーラが二百か。
確かにそれなら、一年も掛ければ仮説魔王城の周囲に、緑を取り戻すことが出来るかも知れない。
「あれはプロトタイプだ。 データも取れたし、処分してしまっても良いのだが」
「お待ちください」
「何かね」
「この巣穴の周辺を全て植林させましょう。 テストケースとしてはもってこいだと思いますし、地盤も安定し、食料も自給できるようになります」
さらさらと、好き勝手なことを自分の舌が並べ立てたことに、グラ自身が驚いていた。
クライネスはじっと停止したまま、グラを見つめる。
「……情が移ったのかな、グラ君」
「否定はしません。 しかし、元々コストパフォーマンスが良い補充兵ですし、カーラは皆に好かれています。 長い年月を掛けて植林をすれば、きっとこの山も美しくよみがえるでしょうし、殺す理由はあまり見当たりません」
「そうか」
クライネスは不快感を最後まで隠さないようだったが、それでも認めてはくれた。
或いは、此処を任せようと考えているグラと対立するのを避けたのかも知れない。クライネスが手段を選ばないやり口で、他の九将から嫌われている事を、グラは知っている。きっと少しでも他者との関係を太くしようと思っているのだろう。
クライネスが消えて、大きくため息。
奴が怒っていたら、カーラはこの場で殺されていたかも知れない。多分次のエルフ補充兵は、もっと性能が良いのを作るのだろう。つまり、カーラは用済みという事だ。
「あにきー!」
どてどてと走ってくるキバ。
クライネスが今直接話してきたことよりも大事だとは思えないが、聞いておいて損は無いだろう。
「どうした」
「あにき、おれ、すげえこと聞いた!」
「何が凄いんだ」
「あにきが、この巣穴のぼすになるってはなしだ! みんな、あにきのことはみとめてるし、多分きまりだって!」
自分のことのように、キバはきゃっきゃっと声を上げて喜んでいた。
無邪気に弟分が喜んでいるのを見て、グラは目を細めたが。
だが、弟分ほど、素直には喜べなかった。みんなとキバは言ったが、絶対にそれは違うはずだ。
グラよりも前から此処で働いていた奴だって何名もいるし、彼らのことをまとめろと言われて、出来るかは難しい。
特にオーガのマジェスが反対するかも知れない。今までは比較的に良好な関係を作ってきたが、今後一気に態度が変わる可能性もある。
まあ、人間ではあるまいし、あまり陰湿なことはしてこないだろう。
ただ、武力による勝負を挑まれた場合、グラではどうにも出来ないのも事実だ。
対策については、どうにか考えておかなければならなかった。
翌日。
早朝から、既に周囲の異変は始まっていた。
リザードマンの料理人モルドーが、宿舎のダイニングに現れたグラに、鋭い視線を向けてきたのである。
「グラ、おまえさん、巣穴のボスに内定したそうだな」
「ああ。 まだ実感がない」
「おまえなら適任だろうと、俺は思う。 だが、当然反対派も出る。 巣穴をまとめるようになってからが、正念場だぞ」
そう、釘を刺された。それから、いつもより少し大盛りに、卵を溶いて焼いたものを出してくれた。
朝食を済ませてから、職場に出る。
今日は朝からユニコーンが多い。この間の会戦で、死体が十万ほど入ったからだろう。そういえば、輸送している補充兵も面子が代わっている。多分この間の会戦で大きな傷を受けて、戦闘には出られなくなった者をこちらに回しているのだ。
補充兵は、基本的に動かなくなるまで使い潰される。
戦闘で活躍して、それで負傷すると、輸送部隊に回される。
輸送部隊は案外激務である。ずっと歩き回り、場合によっては人間の軍から攻撃を受ける。指揮をしているのは純正の魔物が多いが、殆どの構成員は補充兵だ。
此処でも使い物にならなくなると、今度はインフラ周りに回される。
水路を整備したり、ゴミを処理したり。
そして完全に動かなくなると、死体として判断。また潰して、再利用することになるのだ。
もっとも、上級の補充兵に関しては、そんなこともない。再生能力を備えていたり、耐久力が高かったりするからだ。ただしエンドレンの会戦では、連隊長級以上の補充兵が何体も倒され、師団長まで屠られているという。それを考えると、今後はこの巣穴も忙しくなるのだろうか。
黙々と、作業を片付ける。
陽が頂点に達した頃には、一段落ついた。水を飲んで、仕事場の隅に腰を下ろしながら休憩する。
ふと見ると、カーラが木に何か塗っていた。
かなり背が高くなってきた木だが、しかし枝が無秩序に伸びてもいた。今日は木に何か塗りつつ、その枝をある程度処分しているようだ。
まだ、植林の範囲を広げて良いとは言わない方が良いだろう。
視線をそらして、ぼんやり空を見る。帳簿をつけるのはかなり頭を使うので、反動で何も考えられなくなるのだ。
しばらくそうしていてから、昼飯にする。
昼寝をすると、急に荷車が来たとき対応できないので、ぼんやりしてから食べることで疲弊を緩和しているのだ。
下の方で、何か物音。
今日はクライネスがいるから、グラが見に行くこともないだろう。何かあったら、キバが教えてくれるはずだ。
それでも、一応何かあったときのために、倉庫に向かう。
場合によっては武具が必要になるから、取り出すのだ。
倉庫は、仕事場から少し下った所にある。狭い道が続いているのだが、その脇に入ったところに穴が開いていて、そこに納まっている。普段は木の板が戸になっていて、鍵も掛かっている。
適当に槍を何本か取り出して、巣穴に入る。
奥へ下っていくと、また音がした。怒号や悲鳴は聞こえない。戦闘が行われている雰囲気ではない。
だが、何か嫌な予感がする。
キバがいる辺りに向かってみる。また大きな音がした。
開けたところに出る。
血を流して倒れているのは、オーガのマジェスだ。問題は、その隣。
クライネスが触手を伸ばして、戦闘態勢に入っている。彼の視線の先には、どうやらまだ試作段階らしい補充兵がいた。
とにかくでかい。オーガの倍ほども背丈がある。
全体的にはちょっと丸みを帯びていて、足も非常に短い。その代わり腕は四本あって、地面につくほど長い。
頭部は、胸の中央に着いていた。
かなり奇妙な姿をしている。状況を見る限り、十中八九暴走して、制御不能になっているのだろう。
補充兵が、雄叫びを上げる。
だが同時に、クライネスが術式を発動。絶叫しながら、補充兵が突如現れた火柱に焼かれていく。
しばらくもがいていたが、炭の塊になった補充兵は、膝から崩れ、倒れ伏した。
「マジェス君、無事かね」
「ひどい目に遭いましたが、何とか」
「他にけが人は」
「キバの奴は隠れてたから大丈夫でしょう。 臆病な奴だが、今はそれが幸いしましたな」
他にも、けが人は数名出ているらしい。
顔を出すと、クライネスは触手を心なしかさわさわさせていた。
「グラ君、そうか。 騒ぎに気づいて、武器を持ってきてくれたのか」
「無駄になってしまったようですが」
「いや、構わない。 実はもう一つ巣穴を増産する計画を立てていてね。 この間の会戦で使い物にならなくなった補充兵を中心にして、仮設魔王城の隣に作るつもりなのだ」
ただ、その巣穴は、生産よりもむしろ実験用の補充兵生産施設になるという。
つまり、こういう暴走しそうな奴は、そっちで引き受けると言うことだろう。この巣穴は、安全が保証された奴だけを生産すると言うことだ。
「それにしても、この補充兵は」
「まだ名前もないタイプで、成功すればアシュラ型とでも名付けようと思っていた。 次期中級指揮官型として、理性と知性も与える予定だったのだが」
「そう、ですか」
「連隊長級以上は、今オーダーメイドで作成している。 それが大きな負担になっていてね。 今の連隊長級を旅団長に格上げして、連隊長と大隊長をこれに切り替えようと考えているらしいのだが」
つまり、クライネスが設計しているわけではないという話は、本当だと言うことだ。
そういえば、魔王軍九将の内、最後の一人についてもグラは知らない。補充兵らしいと言うことは聞いているのだが、そいつが多分設計から構築まで心がけているのだろうか。
しかし、暴走の噂が絶えないという事実からして、あまり腕は良くなさそうだなと、グラは内心で思った。
臆病そうに出てきたキバが、小心に頭をマジェスに下げている。マジェスが言ったとおり、多分隠れて震えていたのだろう。
此奴は本当に臆病だ。
だが、それが故に命を拾いもした。
グラに気づくと、キバはおいおい泣き出す。
「こわかったよー、あにき!」
「わかったわかった。 ほら、泣いているとカーラに笑われるぞ」
「それはいやだ!」
無理にでも泣き止むところが面白い。
そして、案外ぴたりと泣き止むのを見て、マジェスが瞠目した。
「グラ、おまえ、凄いな」
「元から此奴は結構我慢強いところがあるんだ」
「始めて知った。 ……そうか、選ばれるわけだな」
マジェスは一旦宿舎に降りていく。
周囲を見回すが、結構派手に補充兵が暴れた跡が残っていた。そして、丸焼きになった死体を見る。
凄まじい苦悶の表情が残っていた。
上級の補充兵には感情や知性がある。此奴にもあったのだとすると、さぞや苦しかったことだろう。
「……」
どうしてか、悲しいことだなと、グラは思った。
3、続く激戦
カルローネは、味方の被害の報告を旗艦クラーケンの上で受けていた。
小舟で接舷してきた師団長達は、それぞれの状況を報告してくる。いずれも、聞き逃してはならない事ばかりだ。
「今日の被害は補充兵千七百、クラーケン一中破。 クラーケン四小破になります」
「攻めてきた敵も、本腰ではなかったからなあ。 それで、敵の被害は」
「大砲ばかり撃ちかけてくる戦いをしていたので、ほぼ無いようです。 数隻は撃沈しましたが、具体的な被害はわかりません」
「あまり、良くない傾向だな」
どういうわけか、敵に補給が入っているのが確認できるのだ。
更に言えば、不思議な事に、敵に秩序が生じているのがわかる。少し前まで猛烈な攻撃を繰り返すばかりだったのが、妙に体制が整ってきているのである。
今は一進一退の小康状態だが、どうもまずい。何か、嫌な予感がする。
「他の部隊の様子は」
「今のところ、抜かれた航路はありません。 グラウコス艦隊も、敵を押し戻しています」
「そうか、それならば、此処が正念場じゃい」
雄叫びをカルローネが上げたので、師団長達が身をすくませる。
此処で、気合いを入れ直さなければ、まずい気がした。
「敵が大攻勢を掛けてくる可能性がある。 明日からも油断はするな!」
「はい! カルローネ軍団長!」
「よし、各自解散。 夜間は今まで敵が動かなかったとはいえ、油断せず索敵するように」
カルローネは師団長達を散らせると、自身は翼を広げて、空に舞い上がった。
辺りを旋回しつつ、索敵に入る。人間はまだ空を飛ぶ技術を持っていないが、過去の大魔術師には、空を飛ぶ者もいたという。もっとも、飛びながらの戦闘を行える輩は、更に数が限られたようだが。
星空の下、海はどこまでも広がっている。
既に一族の守護者となり、子を残すことも出来ない年になったカルローネである。体が大きくなるにつれて、年々飛ぶのが難しくなりつつある。ある一線を越えると、魔術の助けがあっても飛べなくなり、そして穴に引きこもることになる。
そうなってしまうと、もう人間には抵抗できなくなる。
更に言えば、人間は空にいる相手を撃ち落とすことも結構巧みに行ってみせる。実際、狩りでは鳥やコウモリを様々な方法で巧みに落としているという。
優れた視力を駆使して、海を見張る。
少し遠出をしてみようかと、高度を上げた。かなり冷えてくるが、高くなればなるほど視界は広がる。
だから、それにも気づいた。
遠く。
人間の艦隊が見える。連中が停泊している位置だ。だから当然なのだが、異変が二つ起こっていた。
まず一つが、数がとんでもなく増えている。
昨日も相当な数で攻めてきたが、倍以上になっているようにも思えた。連日あれだけ死人を出しているというのに、まだこんな余力が残っていたというのか。
もう一つ。
とんでもなくでかいのがいる。
クラーケンでも対処が難しい大型が敵にいるのは見て知っていたが、更にそれよりも二回りは大きい。しかも、とてつもなくでかい大砲を何門か積んでいた。あんなものをぶっ放されたら、クラーケンに備え付けている防御術式でも防ぎきれない可能性が高い。
非常に危険だ。
一旦距離を取り、味方の艦隊に戻る。
そして、旗艦に着地すると、すぐに伝令を呼んだ。
「味方の全艦隊に通達。 明日、敵は今までに無い兵力で攻め込んでくる。 とんでもなく大きな船もいる」
「とんでもなく大きな船、ですか」
「そうだ。 前線を突破できないから、業を煮やしたんだろう」
いくら何でも、無限に食料があるとは思えない。敵が工夫のない突進ばかりをしてくるわけがないと、何処かで気づくべきだったのだ。
情報通信系の術式を使って、他の艦隊とも連絡を取る。
レイレリアは、仰天したようだった。
「ちょっと、見せてもらったけど! カルローネ将軍、あれ本当っ!?」
「本当だ。 今回のは、本腰を入れていかないと危ないぞ」
「う、うん。 でも、どうしよう」
「それを考えるのが御前さんの仕事じゃ」
通信を切る。
続いて、グラウコスとも話す。
元々水軍を統括していたグラウコスは、連日の激しい水中戦でかなり疲弊していたようだった。
スキュラと呼ばれる魔物である彼女は、気だるそうに言う。
「人間共、良くも飽きないものね。 呆れるわ」
「連中にとって、儂らは殺して良い相手だからなあ。 さぞや血に飢えているのであろうて」
「不快きわまりないわね」
「全くだ」
スキュラ族は、人間に「容姿が気持ち悪い」という理由で大量虐殺された。
領地を奪われるでもなく、肉が美味だからでもない。人間の美的感覚から見て外れるという理由で、一族を大量に殺されたのである。
元々スキュラ族は単一生殖をするとてもおとなしい種族であったそうだが、人間による無茶で残虐な侵略で見る間に数を減らし、生き残りは必死に戦う術を身につけた。だが、それも北極に逃れ得たのはグラウコスだけである事からもわかるように、役に立ったとは言いがたかった。
ドラゴン族も似たようなものだ。
最初は、人間はドラゴンの強さを畏怖していたとも聞く。だが、その繁殖力がとても低いことを知るや、数を武器に徹底的に攻撃してきた。
目障りだった。
ドラゴンが絶滅させられそうになっているのは、それが理由だ。
人間は独善の塊である。自分の美的感覚に沿わないという理由で種族を滅ぼすことに、何ら通弊を感じない。自分たちの生活圏に、邪魔な存在がいるという理由だけで、相手を皆殺しにすることに躊躇を覚えない。
だからカルローネは連中が大嫌いだ。
「それで、どうするの」
「御前さん達の戦線がどうなっているかはわからぬか」
「今調査中だけど、こっちも数が相当に増えているようね」
「正面からの決戦は避けた方が良いな」
今、ようやく兵力の増強に関して、目処が立ち始めた状況だ。クラーケンも潰される以上の数をどうにか生産できるようになってきている。
しかし、此処で一気に人間が大攻勢に出てくると、その優位もフイになる。
「でも、此処で逃げると、フォルドワードに上陸されてしまうわよ」
「うむ、悩ましいところだ」
勿論、敵を海路から外れるような場所に誘導するようなこともやっている。いるのだが、エンドレンの航海技術はこちらの予想以上に進んでいるようで、思った以上に成果にはつながらなかった。
今度は、クライネスから通信がつながる。
「現在状況を確認中ですが、カルローネ軍団長、貴方が見た船は本当に敵超大型船よりも二回りほど大きかったのですね」
「ああ、そうだが」
「これではありませんか」
クライネスが、立体映像を出してくる。
カルローネが呻く。レイレリアが、興奮したか、くるくる回転した。
「やだ、何これ! まがまがしい!」
「なんだこれは」
「これはエル教会が、エンドレンのかって存在した軍事国家、キュベレア合衆国に売りつけようとしていたものです。 通称ガルガンチュア級戦艦。 この等級の戦艦は未だ存在しておらず、これを使ってキュベレアは一気に海上で他国に攻勢に出る予定だったようです」
設計図から起こされたという立体映像は、確かにカルローネが見たものに酷似していた。
今は、これをどうやって情報入手したか聞いている場合ではない。
弱点、それに此奴が複数いる場合の対処法について、確認しておかなければならない。
「弱点はわかるか」
「難しい所ですね。 此奴が積んでいる88インチ砲というものが厄介でして、計算上クラーケンの防御術式でももちません。 多分、一撃で貫通されるかと思います」
「一撃、か」
メラクスが絶望を声に含ませる。
クライネスが言うには、インチというのは古い時代の単位の一つで、人間の手指を基準にしているのだという。この大砲は、口径では無く砲弾に、長さ88インチのものを用いているそうだ。
いずれにしても、桁違いにもほどがありすぎる、冗談のような怪物砲である。
だが、カルローネは。最年長の存在として、此処で弱気を見せるわけにはいかなかった。
「何か手はないか」
「可能性があるとすれば、上空からの強襲です。 人間は未だ高空戦力を手に入れていませんから、人間同士の戦闘を想定したこの艦では、上空からの攻撃には対応しきれないはずです」
「……」
「人間から鹵獲した超大型艦を使って、特攻作戦を行いましょう」
不意に、場に割り込んできた声。
映り込んできたのは、なまこのような姿をした超大型の補充兵である。全体的にはなまこににているが、体の左右には三十を超える触手が生えていて、その先端部分は妙なことに人間の手に似ている。
そして、なまこの上に、冗談のように人間のに似た頭部がついていた。しかも、眼鏡を掛けた雌の子供である。
カルローネは気づく。
魔王が大事にしていることで有名な死骸、アニアに似ているのだ。何処かに面影がある。
同時に悟る。此奴が、補充兵を設計し、魔王軍の科学技術を一手に引き受けているという噂の、九将最後の一将だろう。
しゃべり方はとてもゆっくりしていて、丁寧だがきびきびしているクライネスよりもずっと聞きやすい。
「無線で動かす方法について、既に見当がつきました。 これに爆薬を積み、敵の近くまで送ってどかんとやれば、隙が作れます」
「なるほど、その隙に上空から火力を集中する、か」
「はい。 やるなら夜明けが良いでしょう」
「夜襲としては、当然の時間だよね。 でも、本当に大丈夫? 近づくところを撃たれたら、木っ端みじんじゃないの?」
当然のレイレリアの疑念に、なまこはにこにことほほえむ。
一部分だけ人間というのが違和感があるが、まあ全体は似ても似つかないし、まあ良いだろう。
「とりあえず、やってみましょうよ」
随分楽天的に、九将最後の存在は言った。
シオン会は、エル教会の暗部である。
元々、南の大陸で発生したエル教会は、その人間を至高とする思想で瞬く間に世界全土に広まり、その発展に大きく貢献してきた。だが初期の武力を持たないエル教会では、どうしても様々な国家に対して、切ることが出来るカードが限られていたのだ。
対立する宗教を潰す必要もあり、いつしか人脈だけでは、エル教会は満足しなくなっていた。
そこで、実戦経験者や、軍人崩れを集めて、暗部ともいえる組織が作り出された。
シオン会の始まりである。
やがてシオン会には、軍人だけではなく、科学知識のある者や、暗殺者なども集まり、エル教会の闇を全て担う組織へと変貌していった。
超大型戦艦ガルガンチュアを設計したのも、それに今乗り込んでいるのも。
シオン会の面々であった。
いつまでも魔物共の防御線を突破できないエンドレン大陸の無能共にいらだちを隠せないエル教会上層部の指示で、ついにシオン会が動いたのである。このガルガンチュア級は既に量産が開始されており、エル教会が押さえたエンドレン大陸南部の工廠で、四隻が製造に入っている。
今回は、実戦試験だ。
更に、ガルガンチュア級が作成される段階で作られたプロトタイプの艦船も、全てが戦場に投入されている。その数六隻。いずれもがガルガンチュアには劣るものの、超大型戦艦よりも攻防共に勝る、怪物のような船である。
シオン会の特徴として、リーダーがおらず、いずれもがエル教会上層の支持で別個に動くというものがある。
故に、既に判明している魔王の力にも、対応弾力性が高かった。
シオン会の構成員の一人、アレクサンデル。三十代半ばの、ほおひげを蓄えた大男である。屈強な姿からもわかるように、軍人崩れだ。
かって存在していた強国、キュベレア合衆国で若くして少将にまで上り詰めた男であり、祖国の崩壊に伴ってシオン会に移動した。
祖国を滅ぼした魔王を徹底的に憎んでいるアレクサンデルは、喜んでガルガンチュアの操船をかってでた。何しろ、戦う機会もなく、祖国を滅ぼした魔王を、蛇蝎のごとく嫌っていたからである。
だから、その配下の魔物共を殺戮できると聞いて、喜び勇んでこの船に乗ったのだ。
しかも、この巨艦は、実にアレクサンデル好みだった。殺戮と破壊に特化したこの船の構造は、そればかり考えて生きてきた男に、まるで生涯の座艦のような印象を与えたのである。
全長は、実に人間を寝かせて、四百人ほども並べることが出来るほど。
88インチ砲が前方に二門、後方にも一門。そのほかにも大小の大砲は数え切れない。小規模だが、対空砲火と、陸上攻撃用の速射曲射砲も備えている。魔術による操艦を行うため、乗員は二百名ほどと非常に少ないが、それが故に内部は広々とした空間を保っていた。
文字通り、史上最強の戦艦である。小規模な要塞であれば、この戦艦一隻でたたきつぶせるほどだ。
アレクサンデルは、艦橋を出た。この巨艦の心臓部ともいえる艦橋は、中央の若干後ろにある。分厚い鉄の壁で守られていて、この艦が誇る88インチ砲の直撃にも耐えうる作りだ。
これで、敵国を蹂躙したかったのに。
その威容を仰ぎ見て、アレクサンデルは嘆息する。
この大陸では、勝った国は敗戦国から何もかも略奪して良いという不文律があった。だから戦争が始まると、どっちも必死になった。負けた側の国民は全て奴隷にされるし、物資もことごとく略奪されるからだ。
勿論、奴隷蜂起で滅びた国も多かった。だが、それでも。勝った国の国民は、勝ったと言うだけで遊んで暮らせる環境が得られたのだ。
だから、その甘い蜜を求めて、戦争が繰り返し行われた。
アレクサンデルも、最初に人を殺したのは十四歳の時だ。使い物にならなくなった奴隷を使った。軍学校の教育である。幹部候補生は、奴隷を授業で殺して、人殺しを忌避しなくなる。
最初は吐くような奴もいる。だが、すぐに皆慣れる。
アレクサンデルも、人を殺す前は、純真な少年だったような記憶がある。だが、実際に殺した老人の首から大量の鮮血が吹き出しているのを見て、今までの純心など消し飛んでしまった。
性風俗に行って、その晩は精魂尽き果てるまで欲求を発散した。それからは、殺しと、略奪が、楽しみでならなくなった。
戦場に出てからは、思う存分に暴れた。暴れる事が出来る戦場は、大好きだった。
だから、それを奪った魔王を、アレクサンデルは絶対に許さない。必ずや八つ裂きにして、この世界を人間だけの楽園、硝煙の臭いが満ちる理想郷に戻すのだ。
夜が、白み始めている。
外道であれど、元軍人である。基本的な軍事知識は有しているし、何よりも勘が働く。年がら年中戦争をしていたエンドレンで、少壮にして少将まで上り詰めたのは伊達ではないのだ。
「警戒を怠るな。 この時間帯が一番危険だ」
「わかりました」
警笛が鳴らされる。
周囲の、軍人崩れや山師が満載されている艦船も、警戒を始めようとした、その瞬間だった。
突如流星雨がごとく、無数の火球が周囲に降り注いだのである。
ガルガンチュアの分厚い防御術式はそれに耐え抜いたが、そうではない艦船も多かった。そういう船は見る間に火だるまになり、絶叫しながら水兵どもが海に飛び込んでいく。舌打ちしたアレクサンデルは、叫んだ。
「対空迎撃戦、用意!」
「前方に敵影!」
急いで艦橋に戻る。
鉄の壁に周りを囲まれた艦橋は、広さにして四十歩四方ほど。広い空間には、照明が幾つかぶら下げられ、また周囲の状況を確認する術式によって複数の映像が浮かび上がっている。
前面に至っては壁全体に映像の術式が掛けられており、周囲の様子を手に取るように見回すことが出来るのだ。
第二射が来た。
複数の味方艦船が火を噴きながら沈んでいく。だが、こちらも対応が間に合い、被害を受ける艦はさっきより少なかった。
どうも、攻撃は前方にいる敵艦隊から行われたらしい。曲射弾の一種だなと、アレクサンデルは冷静に分析した。
曲射弾というのは、弧を描いて飛ぶ弾丸である。主に遮蔽物を飛び越えて敵に攻撃するために用いる。もっとも、様々な戦術的用途があり、今回はこちらを混乱させるのが意図だったのだろう。
周囲の情報を確認し、罠はないとアレクサンデルは判断。指揮を行う台座の上に立った彼は、久しぶりの戦場に、全身を高揚させた。
このうっとうしい法衣ではなく、軍服を着て此処に立ちたかった。そう思いながら。
「こざかしい! 全艦突撃! 敵を蹴散らせ!」
「待ってください、至近に敵の反応! う、上です!」
突撃を開始した味方艦隊をあざ笑うように。
ガルガンチュアの防御術式が、悲鳴を上げながら、砕け散っていた。
映像術式に一杯に映り込んだのは、全身が陽のように真っ赤な、巨大なドラゴンである。それが、防御術式に、ゼロ距離から全力での火球を叩き込んできたのだ。
そうか、今の攻撃は。
上からの攻撃から、目をそらすためだったのか。
更に、前方から、味方のものらしい大型艦が一隻来る。
この程度で慌てるほど、アレクサンデルは柔ではない。このガルガンチュア、防御術式を抜かれた程度ではびくともしない。
「対空砲火! 防御術式再稼働急げ!」
対応を指示しながら、アレクサンデルはおかしいと気づく。敵に鹵獲された艦は幾つかあったが、乗組員が生きているとは思えないからだ。
罠だ。
そう叫ぼうとしたときには、遅かった。
味方艦隊が接触しようとした瞬間。
不審な大型艦が、大爆発を起こしたのである。
突貫させた無人大型艦が爆発を起こし、敵数隻を巻き込んだ。見かけ以上に派手な噴煙が、敵を混乱させる。
海上戦で火は致命的だ。
海の上では、逃げる場所がどこにもないからである。更に武装した状態で海に落ちると、まず助からないと言うこともある。
カルローネは、ガルガンチュアという敵の超大型艦に至近距離から炎を浴びせた。それに併せ、味方の艦隊が突撃を開始する。白み始めた空の下、奇襲からの大乱戦が始まりつつあった。
クラーケンは小型船や中型船を体当たりで蹴散らしながら、まっしぐらに敵大型船に飛びつく。そうすると乗せていた補充兵が敵に原始的な肉弾戦を仕掛けるのだ。激しい術式による砲撃が飛び交うが、連隊長以上の補充兵を傷つけられる人間の戦士はほとんどおらず、一度接舷さえすれば制圧はさほど難しくなかった。制圧した船はそのまま後方に下がらせ、鹵獲品とし、クラーケンはすぐに次の獲物に向かう。
勿論、人間もやられてばかりでは無い。中型船、小型船からも激烈な砲火がクラーケンに浴びせかけられ、防御術式が悲鳴を上げる。勿論貫通弾も出た。激しい戦いの中、次々と補充兵が倒れていく。純正の魔物も、全員が生きては帰れないだろう。
空中からは、航空戦力が爆撃を開始する。
最近はレイレリア以外にも、各軍団に小規模ながら航空戦力が配備されるようになった。特に風船のような回転しつつ攻撃するタイプは火力が大きく、非常に戦術的な価値が高い。カルローネも一度実戦投入してからは、必ず活用するようにしていた。それだけ使えるのである。
激しい乱戦は、混乱の中味方優位に進みつつある。
だが。
ガルガンチュアを包むほどの炎を浴びせてやったカルローネは、思わず呻いていた。
これほど高熱のブレスを浴びせてやったのに。しかも至近から、だというのに。全く手加減無しの全力であったのに。
敵艦は多少表面が赤くなったくらいで、びくともしていないのである。
88インチ砲とかいうのが旋回する。大砲のような砲塔の基部が旋回するように出来ているのだ。円形の砲座から生えている、とんでもなく巨大な砲の威力は、想像するに恐ろしい。まるで大木のような太さと長さをもつ、鉄の巨砲。その先には、味方クラーケンがいて、今まさに敵大型艦に組み付いているところであった。
まさか。
「貴様!」
カルローネの絶叫を、砲撃音がかき消した。
なんとガルガンチュアは、砲撃で味方ごとクラーケンを打ち抜いたのである。クラーケンの分厚い表皮も、この凄まじい砲撃にはなすすべがない。とっさに連隊長が数体がかりで防御術を展開したようだが、それもまとめて貫通された。
爆炎が上がる。
勿論、大型船は一撃で全滅だ。爆発で、乗っていた人間は全部即死したようだった。本当に砲撃による爆発なのかと、カルローネは唖然とし疑ったほどだ。クラーケンに乗っていた補充兵も、炎を纏って踊るようにしていたが、まもなく動かなくなる。わずかな上級士官だけが、炎の中もがくようにして逃れ、慌てて寄ってきたクラーケンに乗り移って逃れたようだった。
「おのれ外道っ! 味方ごと撃つか!」
更に88インチ砲が旋回しようとしたので、その大砲に直接ブレスを浴びせる。だが。いかなる生物をも焼き尽くす炎の息も、砲塔を多少赤くするのが精一杯だった。船の上に乗ると、翼を広げて、無作為に揺らす。転覆させようとしたのだが、しかし船の大きさがあまりにも極端すぎる。
ガルガンチュアの上に乗ると、エンシェントドラゴンであるカルローネも、まるで岩場でひなたぼっこする小さな蜥蜴のようだった。
船の構造物に片っ端からブレスを浴びせてやるが、殆ど効果が見られない。その間も小型砲がひっきりなしに火を噴き、カルローネの体を少しずつ傷つけていく。豆鉄砲など痛くはないが、しかしこう数が多いと、急所に当たるものも出てくる可能性がある。
カルローネは絶望する。これでは、せっかくの奇襲が、この化け物船一艘のために、失敗してしまうだろう。
再び88インチ砲が咆哮。今度は敵の中型船を貫通しつつ、クラーケンを打ち抜いてきた。直撃。爆炎が吹き上がる。思わずカルローネは目を閉じていた。クラーケンに乗っていた補充兵は殆ど助からない。それだけではない。今の砲撃で貫かれた中型船は、瞬時に全滅していた。
鬼畜が。
そう、カルローネは呟く。人間は役に立たないと見るや、味方でさえもあのようにして殺すのか。
そういえば、人身売買は人間の世界では日常的に行われているとか聞いている。おぞましい話である。
「カルローネ軍団長!」
大乱戦の中、クラーケンが数匹寄ってくる。複数ある88インチ砲が動こうとしたので、カルローネは組み付くようにして止めた。その間に勇敢に突進してきたクラーケンが一気に、ついにガルガンチュアに組み付いた。
補充兵がわらわらと乗ってくる。
連隊長、師団長もその中には混じっていた。師団長はカルローネ麾下の第三師団を指揮しているベテランである。彼は補充兵としてはかなり古参で、大きなカマキリとバッタを足したような姿である。しかし頭部はどちらかと言えば蜘蛛に似ている。
「加勢いたします、カルローネ軍団長」
「助かる。 このデカブツを退治するに、まずはこの砲の動きをどうにかせんと、味方の被害が増えるばかりじゃて!」
「わかりました。 補充兵達を組み付かせて、力尽くで止めます」
「頼む!」
わらわらと、補充兵が88インチ砲に群がっていく。88インチ砲も、無数の補充兵が群がって組み付くと、流石に動きが止まる。別のクラーケンが、接舷してきた。
こっちには師団長はいない。代わりに何名かの連隊長が乗っていた。
「敵船への侵入口を探します!」
「多分無駄じゃ! 内側から閉ざされとるじゃろうて!」
「それならば、周辺の敵を駆逐して、牽引することを考えてください」
不意に映像がカルローネの眼前に出てくる。クライネスだった。
反吐が出る。そんなことをしている内に、どれだけの被害が出るか。
「この敵の大軍勢に突っ込んでいるだけでも、激しい肉弾戦で被害が秒ごとに増えておるんだぞ! 何を寝言を!」
「しかしこれを沈める術は無いはずです。 ならば持って帰ってしまいましょう。 これを放っておいて撤退戦をしようとすれば、もっと被害は増えますよ」
「ぐう……!」
確かに正論だ。
映像術式を切断すると、カルローネは吠える。
「他のクラーケンを周囲に! このデカブツを持って帰って、自陣内でゆっくり料理するぞ!」
「正気ですか!?」
「やるしかない!」
確かに、此奴から離れた瞬間、88インチ砲が咆哮し、味方を木っ端みじんにするだろう。それだったら動きを封じている今のまま、引っ張っていった方が良い。
悔しいが、クライネスの言うとおりだ。
「味方の火力を全開にして、周囲の敵艦を掃討! そのまま、敵の追撃を振り切る!」
「わかりました! 直ちに!」
通信の術式が飛び交う中、ガルガンチュアを押さえ込む。
88インチ砲を力尽くで押さえ込んでも、まだ敵には無数の火器がある。所々で、自動稼働している小型火器と、補充兵の肉弾戦が続いていた。小さな火器であれば、カルローネがブレスを浴びせてやれば、木っ端みじんに砕けるようだ。だが、88インチ砲はいかんともしがたい。
敵の反撃で、クラーケンが沈むのが見えた。砲火を集中され、大型船の体当たりを浴びたのだ。
今回の戦いで、味方は二十七匹のクラーケンを突入させた。
そのうち既に五匹が撃沈され、他も大きな被害を出している。クラーケン四匹がかりで、出力を全開にして逃げようとするガルガンチュアを引っ張る。こちらのパワーがどうにか勝り、何とか引っ張っていくことが出来た。師団長が、四方八方に攻撃術式を放っている。炎の塊が敵の中型船を直撃。火だるまにするのをカルローネは見た。
だが、その燃えさかる味方船を邪魔だと言わんばかりに、敵の新手が押しのけて迫ってくる。
敵の数は圧倒的だ。徐々に引き始めるクラーケンは、どれも猛烈な火力に傷ついていた。もとより正面から戦える数では無いのである。
「航空部隊の支援火力を集中し、追撃部隊の先頭を叩け!」
「直ちに!」
大乱戦の中から、味方が離脱し始める。
追いすがろうとする敵の先頭に火力を集中して退けながら、後は機雷の術式をばらまきながら、後退を重ねた。
機雷が、彼方此方で爆発する。
爆発の術式が、接触と同時に発動するように組んだものだ。下等なものだと時限式なのだが、師団長や連隊長が使うと接触式に切り替えられる。カルローネはというと、右に左に砲身を動かそうとする88インチ砲を押さえ込むのに精一杯だった。こんな大木のような大砲を鉄で作るとは、人間の技術は侮れない。
どうにか、敵中を抜ける。
辺りは海の上だというのに、火の海だ。人間は十万くらいは多分死んだだろう。味方の被害も、相当に多い。
かろうじて勝ちか。
しかし、クラーケン数体がかりとはいえ、とにかくこのガルガンチュアという船、出力が凄まじい。引っ張るだけでも一苦労なのに、抵抗されると更にその疲弊が増す。カルローネも88インチ砲にしがみついたまま、どうにか相手の動きを封じるだけで精一杯だった。
朝日が昇る。
他の部隊も、これに近いサイズの戦艦と交戦していると連絡があった。やはり被害は小さくないようだ。
味方の惨状を見て、カルローネは呟いていた。
「これは、戦線を下げねば守りきれぬのう」
「しかしこれ以上下げると、突破された場合一気にフォルドワードの海岸線にまで到達されてしまいます」
「やむをえん。 今、ようやくフォルドワードに配備された陸軍が百万を超えたと聞いている。 彼らと連携しながら対応するしかないな」
元々、カルローネも専門は陸軍だ。こうやって水上での戦いを続けては来ているが、どうも不慣れな観があって仕方が無い。
わらわらと乗り込んできた味方が、ガルガンチュアを拘束すべく、術式を次々に掛けていく。これでどうにかなるかと、思った矢先だった。
「ガルガンチュア内部から、収束魔力反応! 出力、極めて大!」
警告の声が上がった。
完全に捕まった。
アレクサンデルは腕組みして、対応を考え始めた。だが、外に出られそうな場所は全て敵に押さえられ、88インチ砲をはじめとした火器は皆封じられてしまっている。
これは、まずい。
だが、不思議と恐怖は無い。戦った上での負けだったからかも知れない。
通信が来た。エンドレンにて指揮を執っている、シオン会からだ。
「こちらガルガンチュア」
「ガルガンチュア、敵に鹵獲されることは避けよ。 コード4を実行すべし」
「了解」
周囲が、一気に青ざめるのがわかった。
コード4。それは自爆することを指示するものである。
ガルガンチュア艦は元々エル教会の中でも秘中の秘として建造された。あらゆる意味での最先端の技術が投入されており、これが解析された場合、エル教会の受けるダメージは計り知れない。
既に戦闘データは味方に送ってある。
これを量産すれば、人類の勝ちは確定だ。あの巨大なクラーケンをも一撃で屠る88インチ砲を大型艦に搭載するだけでも、勝負は見えてくる。
だから、アレクサンデルはどうでも良かった。己の未来など。
思えば、たくさん殺した。
戦場でも如何に効率よく他人を殺すかに血道を上げ続けた。だから、まだ男盛りの年齢にして、熾烈な競争が続く中少将にまで上り詰めた。殺すのは楽しくて仕方が無かった。
そしてこの最後の戦場でも、敵をたくさん殺した。
最後を勝利で飾れなかったのは残念だが、これも運命だろう。戦った上での死だ。むしろ満足な結果では無いか。
艦橋から、船底に降りる。
艦橋は高い位置に作られているが、通路は狭く、外を移動する方がむしろ早い。だがこの間の場合は、その機密性が故に、内部にもきちんと全ての場所に通じる通路が作られている。
そわそわしている部下を見て、一喝した。
「戦った上での死だ! 光栄に思え!」
それでも、部下共は青ざめていた。
さんざん殺したのだ。最後は殺されるのが普通では無いか。エル教会では、魔物は好き勝手に殺して良いという思想を喧伝しているが、前々からそれには何処か疑念を抱いていた。
殺したのだから、殺されるのは当然だ。
まして相手は獣では無い。知性を持つ生物なのだから。
はしごを下りて、船底につく。背中に灼熱。
刺されたのだと気づく。怯えきった部下の一人が、アレクサンデルの背中にナイフを突き刺したのだ。
振り向く。
まだ若い男だった。痩せていて、目は落ちくぼんでいる。
「その若さでシオン会に入ったと言うことは、ろくでもない人生を送ってきたようだな」
「あ、ああ、し、死にたく、死にたくない」
「心配するな。 すぐに終わる」
そういって、アレクサンデルはその若い男の首を小脇に挟み込むと、一息にへし折った。
船底の一角。
紫色の水晶がある。自分の背中から流れた血をべっとりと手に塗りつけると、紫色の水晶に。
意識が薄れてきたが、大丈夫だ。最後までは見届けられる。
真っ赤に染まった水晶は、まがまがしい輝きを放ち始めた。
「消滅せよ」
全てが、吹き飛ぶのがわかった。
アレクサンデルは、血と硝煙と殺戮にまみれた人生の幕を、自分で下ろすことが出来て、満足だと感じた。
退避を進め、どうにか脱出は成功。クラーケンからその凄まじい光景をカルローネを見ることになった。
船の中央部が、爆ぜ割れた。
巨大な火柱が上がり、どれだけ苛烈な攻撃を浴びせてもどうにもならなかった装甲版が、内側から吹き飛んだ。
その炎はせり上がるようにして、船体を全て包んでいき、罅が広がっていく。真っ赤な罅が広がる様は、火山の噴火のようだった。
それが臨界点に達したとき、船に寿命が来た。
あの巨大なガルガンチュアが、真ん中から真っ二つに割れたのである。
そして、それぞれが轟音と水しぶきを上げながら、海中に没していった。
敵に大損害を与えたし、何よりガルガンチュアを沈めることにも成功した。だが、味方は三割を喪失し、すぐに戦闘が実施できる状態では無い。
集結していた敵の大艦隊もしばらくは身動きが取れないだろう事が救いか。
旗艦に降りると、カルローネは補充兵達に体の手入れをさせる。傷ついた鱗がかなり多い。回復には相当な時間が掛かるだろう。
「傷ついたクラーケンの補修を急げ」
「はい。 しかし、戦闘続行可能なクラーケンは半数ほどです。 他は一度戻して、根本的に修復するしかありません」
「やむを得まい」
残念だが、最初から大きな被害が出ることはわかっていた。
徐々に、他の部隊の情報も入ってくる。
メラクスの艦隊は、敵超大型艦の鹵獲に成功。ただし、やはり自爆されたらしく、残骸を引きずっている、という状況のようだ。
グラウコス、レイレリアは敵と引き分けた。といっても、互いに大損害を出して、どうにか押し返した、というところである様子である。彼女らは超大型艦を苦心の末撃沈したようだが、その代わり味方の被害はかなり大きかったらしい。ガルガンチュアでは無い分防御力は低くて、どうにか撃沈できたのだとか。
しかし、それにしても、多数いる大型艦とは防御力でも比較にならなかっただろうし、苦労が忍ばれる。
カルローネは通信を開いて、皆と話す。
メラクスは包帯を体中に巻いていた。最後の敵の自爆に巻き込まれたらしい。魔族の屈強な体も、傷つくと痛々しい。
「メラクス将軍、ひどい傷だな」
「カルローネ老、鱗を多く失ったようですな」
「何、かすり傷じゃ」
くすりと笑うと、レイレリアを見る。
レイレリアは、元々空中戦を専門に作られた補充兵である。風船のような体も、円形の姿も、全方位を見ることが出来る構造も、それを想定している。
火力もかなり大きいという話は聞いていた。
今回の戦いでは、レイレリア自身が敵超大型艦を撃沈するための致命打を放ったらしいのだが、それにしてもかなり低空まで下がらなければいけなかった様子だ。
というのも、対空砲火で、風船状の体の彼方此方が破れているのが見えたからだ。
レイレリアは当然師団長級以上の防御術式で身を守っていたはずで、彼女が身を置いた激戦の凄まじさがうかがわれる。
グラウコスはというと、水流を滅茶苦茶にして、立ち往生をさせて撃沈したという。こちらはというと、敵の対潜水攻撃能力のなさを利用した様子で、あまり怪我もしていなかった。
だが、皆の被害を集計すると、既に戦線を維持するのは難しいという状況がはっきりした。
敵も二三日は動けないだろうが、その間にこの損害を補填するのは無理だろう。
「これは、やはり戦線を下げるしか無さそうだのう」
「陛下に頼んで、三千殺しで時間を稼いでもらうしかありますまい」
「グリルアーノ将軍の予備部隊を呼んで、戦線を維持するという手もありますが……」
カルローネに賛同するメラクスに、グラウコスは言う。
しかし、レイレリアが冷静に反駁した。
「無理よ、だってグリルアーノ将軍の予備部隊は、現在編成中だもん」
「確かに解体して配分するにしても、それでもまだ少し足りぬか……」
「敵の超大型艦は全滅させることが出来ましたが、かなり高くつきましたな。 それに、これで本当に敵の超大型艦の弾が尽きたとも思えませんし」
「……そうか、確かにあれを量産してこられたら、手に負えんな」
既に曳航して後方に下げさせている鹵獲品も、プロトタイプであるし、どこまで参考に出来るかはわからない。
クライネスが、映像をつないできた。
全員の一致した見解を告げると、冷酷な参謀長は以外にもあっさりとそれに同意した。拍子抜けである。
「仕方がありません。 戦線は下げるしか無さそうですね」
「……どういうつもりか」
「いえ、戦略的に考えて、皆さんの言う通りかと。 それに、皆さんは最高の仕事をしたと、私も思います」
ただ、もう少し水際での戦闘については待って欲しいと、クライネスは言う。
奴の話では、最後の九将によって、少数の補充兵で鹵獲した敵の船舶を動かす手はずがもう少しで整うという。
それで、クラーケンの代わりをかなり補充できるというのだ。
そこにグリルアーノの戦力を加えれば、戦線を下げてある程度の兵力を合流させたところに、反撃する力を蓄えることが出来るという。
「更に、今生産しているヘカトンケイレスの数が揃えば、攻勢に出る機会も作れます」
「攻勢、か」
「主にキタルレアで、ですが。 少し五月蠅い動きをしている南の小国群を叩き潰しておいて、大陸南西部を統一し、一気に戦線そのものを縮小してしまおうと考えています」
「誰がその任務を担うのか。 ヨーツレット元帥では、守勢に回るので精一杯だろうに」
私が出ると、クライネスは言った。
カルローネは鼻を鳴らす。
此奴はあくまで頭でっかちの参謀である。それに、今エンドレン戦線で少しでも兵力が必要な状況で、予備の軍団なんぞ編成している余裕があるというのか。
「ご心配なく。 そちらにこれからヘカトンケイレスを回します。 その破壊力について目にすれば、きっと安心なされるでしょう」
無言で、皆は顔を見回せた。
どうもクライネスは信用できない。
通信を一旦切ると、クライネスは嘆息した。
前線で戦うことが主任務の軍団長達と、自分とでは、どうしても意見が合わないことはよく分かっている。
だが、これが仕事だ。
憎まれることも仕事の一つだとわかっている。しかし、それでも。どうにかして打ち解けたいと思っていた。
通信をつなぐ。
通称、最後の九将。ミズガルアとの通信である。
「あれ、クライネス将軍?」
「ミズガルア将軍、例のものは?」
「今、最後の試運転中ですよぉ」
「暴走の危険性は無いでしょうね」
それだけが不安だ。
此奴の作る補充兵は、最初動かしたとき暴走する確率が極めて高いのである。だからクライネスがしっかり試運転を監督し、それでも暴走して被害が出る事がある。いわゆる天然無罪な性格をしているから憎めないが、それでも釘を刺さなければならないのがクライネスの立場である。
今回のは、何度かの試運転で、暴走が無いことは確認した。だが、それでも不安は残る。
「大丈夫、新しい機能を入れているわけではありませんから」
「だと良いのですが。 それよりも、鹵獲した船には、88インチ砲が搭載されていますので、早めに解析してください。 出来ればコピーを」
「別に良いですが、大艦巨砲主義ですね。 多分小さい砲をたくさん作るのがローコストで良いと思いますよー」
脳天気なミズガルアに、ちょっといらついたが、出来るだけ温和な口調で返す。
常に冷静である事が、クライネスの仕事なのだ。
「少なくとも、88インチ砲を防ぐ手段だけは考えておいてください。 軍団長を守りきれなければ、どんな戦略も意味が無い。 それに、参戦してくれている魔物達も、出来るだけ生きて返すのが我々の仕事です」
「わかっていますよぉ。 それじゃ」
ぷつりと、回線が向こうから切られた。
大きく嘆息すると、クライネスはヨーツレットと今度は回線をつなぐ。
大変に忙しいし、魔力の消耗も激しい。だが、これがクライネスの仕事なのだ。
ヨーツレットは、前線の防衛戦力について、苦心しているようだった。どうにか機動軍の十五万という規模は回復し、今は前線の防衛戦力を充実させている。少し前から補充を重ねていて、既に各地の砦や城塞に、合計で八万ほどの兵力を補給した。
殆どは機動軍から払い下げた部隊である。
今、量産中のヘカトンケイレスを、次々に最下級補充兵であるゴブリン、コボルト、オークと入れ替えている。余った分と、苦心して数を確保している戦力をあわせて、来月半ばほどには十五万の軍団を編成出来ると算段が出来ている。
そして、南部の幾つかの小国家を蹂躙しながら補充兵の材料を集め、もう一つ巣穴を作れば。
来年初頭には、この膠着状態を打開できるのだ。
敵はまだ、足並みが揃いきっていない。
攻めきるのは。今だった。
4、魔王の居場所
レオンが、連れ帰ってきた密偵から、興味深い情報を引き出していた。
正確には、おそらくエル教会が情報をリークして良いと言ったのだろう。いずれにしても、イミナにとっては非常に有益な情報に間違いなかった。
魔王のいるらしき拠点の、正確な座標である。
旧イドラジール領の南部。山岳地帯の一角に、やたら強固な要塞があるという。以前の戦役でも、アルカイナン王はそこに一軍を派遣して包囲させたらしい。不思議な事に、その一軍だけはほぼ無傷のまま生還できたのだそうだ。
現在、既にハン国は存在しない。アルカイナン王の死と共に、一応跡取りは立ったようなのだが、即座に周辺の強国が軍を派遣して領土を併呑してしまったようだ。戦闘らしい戦闘も起こらなかったらしく、死者も殆どで無かったという。
そんな不思議な経緯と共に、イミナの元へ、座標の情報は届けられた。
「どうする。 信頼出来る筋からだが」
「やはり、生還者の情報か」
「そうだ」
レオンは言う。
与えられた部屋で向かい合って座ったまま、イミナとレオンは話を続ける。
幸いなことに、今シルンは城の中庭で、プラムと一緒に訓練をしている。多少暗い話をしても何ら問題は無い。
「魔王という存在は、やはりいるのだろうな」
「どうした、何を今更」
「いや、主体性の無い魔王という虚像と戦っていたという事だけは避けたいのだ。 出来れば、姿も見て戻りたいと思っている」
訳のわからない能力が振るわれるという事は確かだ。それによって、魔王軍にあらがう人間は、大勢が毎日殺されている。
そして、どうやら魔物達には、統率している強力な存在がいるらしい。
最近噂になっているのは、巨大なムカデのような怪物だ。知能が高く、人間の言葉を話すという報告もあるそうだ。
或いはこの存在が魔王では無いかという説もあるが、どうも違うようにイミナには思える。少なくともイミナが魔王軍の参謀だったら、前線に出ることを許可しない。体を張ってても止めるだろう。
これらを総合すると、どうやら魔物を統率する魔王がいて、それが人間を大量に遠隔地から殺傷できる能力を持っている、という話ができあがる。だがそれぞれの仮説や情報の横線は弱く、いずれかが独立している可能性も高い。
たとえば、魔王はいるかも知れないが、人間を大量に殺しているのは、術者のエキスパート集団であったりする可能性も否定できないのだ。
一度、魔王の近くまで潜入して、その姿を確認さえ出来れば。
今までの仮説を多く消し、そして今後の戦略も立てやすくなってくるだろう。もしも魔王が人間を大量に殺す能力も持っている場合、話は簡単になる。
魔王さえ殺せば、一気に戦況は有利になるのだから。
地図を広げる。座標を確認。
要害の地だ。敵の防備も相当に堅いだろう。単独で侵入するのは、かなり難しい。特に航空戦力が敵にいる現状、何らかの囮作戦でも使わない限り、肉薄は出来ないかも知れない。
「この位置だと、遠隔視の術式でも厳しいな」
「山の陰になっているからな。 それに、相手の大物士官に出くわすと、かなり生還率が厳しくなる」
「ムカデのような奴は、一匹で八千の騎馬軍団と渡り合ったと聞いている。 確かにそいつが魔王軍の幹部だとすると、今の私達では戦えない」
勿論、力はつけてきている。
シルンはこの城にある実用的な魔術書を片っ端から読み進めているし、イミナは様々な武術の達人を紹介してもらい、組み手をして技を見せてもらった。師匠は様々な技を知っていたが、それでもやはり限界がある。こういう場所で実戦に優れた技を知る達人を集めると、新しい発見が多い。
プラムは人間を止めた時点でかなり身体能力が上がっていた様子だが、ここしばらくの基礎体術訓練で、相当に強くなっている。ただし、肉をたくさん食べたくて仕方が無い様子でもあるが。
レオンは、元々ヒールタンク兼参謀だ。あまり武術には期待していないが、それでも独学で、魔術の訓練をしてくれていたようである。シルンが相当に腕が上がっていると太鼓判を押してくれていた。
だが、それでも、八千の騎馬隊を真っ正面から突破するような相手と、まともに戦うのは厳しいだろう。
「ムカデのような奴が魔王だった場合はどうする」
「むしろ話が簡単だ」
「そう、か? いや、確かにそうだな」
魔王としては、あまりにも軽率。もしもそいつが大量殺人能力を持っていたりしたら、それこそカモがネギを背負って来るようなものである。
適当におびき出し、十万ぐらいの軍勢で袋だたきにするだけで事足りる。下手をすると、一つの国だけで始末できるだろう。
だが、そんな奴が、フォルドワードを壊滅させ、エンドレン大陸の全軍勢とまともに渡り合い、キタルレアを浸食し続けているとは思えない。現在侵攻は止まっているが、それでもまず間違いなく、噂に上がるムカデのような奴が魔王と言うことは無いだろう。
「とにかく、情報を得るためにも、危険を承知で潜入作戦を実施しよう」
「わかった。 それが良さそうだな」
合意に達したところで立ち上がる。
レオンは一旦外に出て、何処かに出かけていった。多分今回の件で、協力を各方面に仰ぎに行くのだろう。
イミナは、シルンとプラムを説得しなければならない。
まだ、魔王を倒した後のことは考えなくていい。
中庭に出ると、プラムが逆立ちしたまま、てふてふと歩いていた。体がたくましくなったようには見えないが、確実にバランスは良くなってきている。多分、筋肉の作りとかが、人間とはもう違うのだ。それはイミナにもいえる。以前イミナは、頭二つ分大きい、筋肉の塊のような海兵を相手に、腕相撲で圧勝したことがある。しかし体は今でもその時でも細いままである。
シルンは地面に魔法陣を書いて、なにやら呟いていた。右手には、見慣れない魔術書があり、開きながら歩いている。多分、術式の実験だろう。
「あ、イミナさん」
「プラム、しっ」
静かにするように言う。
シルンは魔術が好きだ。光り物の次くらいに、である。勉強すればするほど、身になるのが好きらしい。イミナはというと、術の才能が無いらしく、詠唱しても殆どまともな術にならないので、諦めている。今では体術を使うことで、シルンの役に立つことが生き甲斐だ。
「光よ」
最後の一節をシルンが唱え終わると同時に、光の弾が立ち上る。
攻撃系の術式では無いらしい。多分遠隔操作をするためのものだろう。シルンの額には汗が薄く浮かんでいた。
指を鳴らすと同時に、光の弾が消える。
「ふう、何とかなりそう」
「どういう術式だ」
「あ、お姉。 通信の術式だよ。 結構古い本に、断片的に載せられてたんだけど、どうにか復元できた」
現時点では、秘儀と呼ばれるような特殊な伝わり方をしている術式を除くと、音声を相手に伝えるのが精一杯というのが現実だ。
だがシルンによると、この術式ならば映像も相手に送ることが出来るという。
ただし、現時点ではまだ術式は未完成な部分も多く、安定して使えるようにするには、更に解析を進めなければならないのだと、シルンは残念そうに言った。
戦略的に見て、かなり使える術式だ。伝令を飛ばさなくても良くなるし、適切に味方に情報を伝えることが出来る。
周囲で騎士達がどよめいている。シルンのこの桁違いの術式構築能力を見るのは初めてだからだろう。
魔術師の域を超えている力だ。
その代わり、人間ではないのだが。
「騎士団長に後で術式の構成を教えておけ」
「あ、そうだね。 これが使えれば、戦況は少しは有利になるよね」
「術式の検証と再構成は騎士団にでも任せれば良い。 それよりも、これから魔王の本拠に向かうぞ」
きょとんとしたシルンだったが。
だが、すぐに意味を悟ったらしく、表情を引き締めた。
「場所が、わかったの」
「ああ」
「うん。 じゃあ、行かなきゃだね」
仮設魔王城には、刻一刻新しい情報が届けられている。
殆どは戦闘に関する話ばかりだ。
自室で安楽椅子に揺られながら、魔王は話を聞く。ミカンを剥く手にも、心なしか力がこもった。
「人間側は、こちらが後退した分は前進しましたが、それ以降動きを止めて、戦力の増強を行っている模様です」
「ふむ、それは厄介じゃのう」
魔王が応じると、クライネスは深刻そうに言う。
「ガルガンチュア級戦艦による戦果を見て、増産を本格的に開始したのでしょう。 それに対して、こちらの戦力は半減。 味方が体制を整えるまでに、敵が動きを止めてくれていると良いのですが」
「皆に負担を掛けてしまうが、補充兵を増産するしかないのかな」
「ご明察にございます」
許可を出す。巣穴で働いている魔物達には、更に苦労を掛けることになる。
クライネスはキタルレア南部の攻略計画を出してきたが、もしも実施するとなると、軍団長無しでの戦闘を行わなければならなくなる可能性も高い。今後、ヨーツレット以外の軍団長は、皆エンドレンでの戦線維持にかかりっきりになる可能性が高かった。
人間は、予想以上にしぶとい。
本格的な反撃が開始されてからは、膠着状態がやっとだ。だからこそ、それを打破するためにも、皆がある程度無理を重ねなければならなかった。
玉座の間に出る。
護衛のエルフ戦士達に、そろそろ話して良いかと思ったあの件を告げた。
「おお、そうじゃ。 この城の周りに、そろそろ植林を開始するぞ」
「本当ですか!?」
「しかし陛下、今エンドレンの戦況は大変なことになっていると聞いています。 そんな余裕はあるのですか」
「あるのではない。 作るのだ」
魔物達に、この城の周囲を緑で包むという成果を見せれば、安心させる事にもつながる。
何より、北でも遅々として植林が進まない地域は存在しているのだ。そういった場所に、実績を届けることも出来るだろう。
玉座につく。
何故か、妙にアニアの事が気になる。後で顔を見に行ってやろうと思いながら、魔王は幾つかの書類を整理に掛かった。
一通り仕事が終わると、夕刻になっていた。
城の外に出る。
人間がむさぼり尽くした大地は、相変わらず枯れ果てている。緑はかけらも無い。
こんな土地に、命をよみがえらせるのは、本当に大変だ。
だが、別の巣穴で、既に補充兵に寄る植林実験は成功しているという。勿論時間は掛かるだろうが、不可能では無いのだ。
不可能は無い。そう思うと、多少気は楽になった。
「陛下、お風邪をひいたら大変です」
「今は暖かいし、大丈夫じゃよ」
気遣うエルフの戦士に柔らかく返すと、魔王は思う。
一刻も早く、人間を駆逐しなければならないと。
二日後。
アニーアルスから、イミナは出立した。
途中までは、大陸を西に延びる街道を使う。元々魔王軍の勢力圏は大陸を横断している山脈に沿って北にあり、それ自体を防壁にしているからだ。つまり、街道はまだ人類の勢力圏として生きている。関所をやたら多く見かけるのも、それが故だ。いろいろな国が、街道が国境線だと判断し、主力部隊を展開しているのだ。新しく砦を作ろうとしたり、関所を城塞にしようとしている国も見かける。
逆に言えば。大陸の北西部を隔離するこの山脈の向こう側に、既に人間は一人も生きていないという事も意味しているのだが。
今回は、四人だけの作戦では無い。
四人は馬車に乗って移動することになったが、騎士の一個小隊と、兵士二百名がこれに同行していた。
いずれも鍛え抜かれた精鋭である。特に騎士は、いずれもがアルカイナン王救出作戦に同道した面々であった。
馬車は外から中が見えないようになっている豪華なもので、イミナ達四人と、今回の作戦指揮官であるマーケット将軍が乗れるようになっている。四十代のマーケット将軍はおなかの肉が目立ち始めた年頃の、偉そうな髭を蓄えた見るからに俗物な人物だが、見かけと裏腹に優秀な指揮官だという。
実際話してみて、確かに優秀だとイミナは感じた。
まあ、人間は見かけで相手の価値を九割方判断する生物だし、この人も苦労してきたのだろう。
「なるほど、陽動作戦で敵を引きつける、か」
「そうです。 今回の目的は、魔王を仕留めることではありません。 その姿を確認し、今後の対策を練るためです」
敬語なのは、相手が王弟ジュラスが信頼する指揮官だからだ。実際に敬愛しているわけでは無い。
シルンは話には加わってこない。かり出した魔術書を読む方に、注意が向いているようだ。実際話がまとまれば、すぐに作戦を把握するし、別に気にしていない。
レオンはというと、プラムをつれて外にいる。歩きながら他の指揮官や副騎士団長と話をして、関係の接着剤になろうと努力をしているようだ。話が得意なわけでもないし、人当たりが良いわけでも無いのに、大変そうである。
人なつっこくて誰にも好かれるシルンとは違い、レオンはコミュニケーションに苦労するタイプだ。それなのにこうして積極的に話をして廻っているのは、コネの重要性を理解しているからなのだろう。
実際、よく知りもしない相手のために、殆どの人間は体を張ろうとは思わない。欲望が絡めば話は別だが。
「そうなると、作戦ごとに何部隊かに別れることになるな」
「編成はお任せします。 地図を見る限り、ここから主力が侵入する必要があるでしょう」
「ならば、陽動部隊はこの辺りから、敵に攻撃を仕掛ける必要があるな」
「ご明察」
流石に理解が早い。歴戦の指揮官であるのは、伊達では無い。
「予備の機動戦力を確保するとして、後は退路だが」
「プラムとレオンを残します。 いざというときには、私達だけの方が動きやすいですから」
「それは助かるな」
レオンはまだまだ戦闘面では頼りないものの、回復術の力量は既に兵士達にも一目置かれている。
ちょん切れた腕や指くらいなら、再びくっつけることが可能なほどだ。
プラムも、既に並の補充兵程度なら歯牙にも掛けないほどに力をつけてきている。撤退戦の時は、役に立てるだろう。
数日掛けて、目的地に着く。
途中の関所は、ジュラス王弟の書状を見せると、全て素通りできたようだった。
そういえば、アルカイナン王の軍勢も、関所を好き勝手に通っていたという話を何処かで聞いた。或いは南部の諸国は、既に裏側で対魔王の同盟を結んでいるのかも知れない。
「ここからは徒歩だ」
現地の協力者に物資を預けて、山を見上げる。
さほど険しい山では無い。本格的に険しい場所は大陸の背骨と言われていて、夏でも雪で真っ白になっているという。
この辺りの山は、複層に連なっていることで、行軍を困難にはしている。だが逆に見晴らしが良く身を隠す場所も無いので、防壁にはもってこいだ。
事実街道に沿って点々と繋ぎ狼煙があり、異変の際にはすぐに連絡が行くようになっている。
「夜まで休息。 行軍は陽が落ちてからだ」
二百人の兵士達に指示を出すと、すぐにマーケット将軍は天幕を張る。自身で積極的に動く辺り、見かけとは全く真逆な性格なのだとよく分かる。
イミナも、シルンと協力して天幕を張った。レオンは兵士達に教わりながら、天幕の張り方を四苦八苦しながら学んでいるようだった。プラムはというと、荷物運びは手伝ってくれるが、それだけだ。
どうやら、棒状のもの以外には、興味も無い様子である。その気になれば外で平然と寝られる事もあって、天幕や建物そのものに、根本的に興味が不足しているのだろう。
陣地は、程なく完成する。
わずかな時だけだが。静寂が、辺りを包んだ。
「此処に、何人生きて戻ってこられるかな」
「我々の働き次第だ」
「うん」
シルンの言葉を弱気と取ったイミナは、軽く妹の頭をこづく。
そして、夜まで寝て過ごすことにした。眠りは殆ど必要ないが、やっぱり横になって目を閉じていると、リフレッシュの効果が馬鹿に出来ないのである。
目を閉じて、となりでシルンの気配を感じていると心地よい。
世界には、元々二人しかいなかった。
そして、今二人に戻った。
これでいい。
これでいいんだ。
イミナはそう自分に言い聞かせ、これから始まる厳しい戦いに備えたのだった。
(続)
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