幾筋かの影

 

序、闇に浮かび上がる者

 

広大な平原に展開された野戦陣にて働き続けるヨーツレットの下に、複数の情報が届く。

ここしばらくは、ろくに休憩も出来ていない。だが、此処を乗り切りさえすれば。必ずや活路は開けると考えて、魔王軍の元帥は、孤独に寡黙にがんばり続けていた。

複数の伝令がかわりばんこに野戦陣に来ては、報告をしていく。

それだけではない。魔王からの通信や、或いは術式による通信も、それらに加わることが多かった。

「なるほど、ハン王国の騎兵は、更に数を増しているか」

「はい。 幻影の城の近くには、必ず集まってきます。 そろそろ狙撃の許可を」

「ふむ……」

ハン王国は、今までの連中とは違う。それはヨーツレットの結論であった。駆け引きの老獪さにしても、騎兵の練度にしても、いずれもが非常に厄介である。三千殺しでハン王国の上層部を皆殺しにしても、脅威度が減るかどうか、確信が持てない。

嫌な予感がひしひしとする。キタルレア大陸中央部には、このレベルの騎馬民族国家が、ごろごろしているのではないかと思えてしまうのだ。

「良し、明日判明している騎兵を残らず仕留めろ。 外れに引っかかっている連中も、残さずだ」

「わかりました」

何名かの師団長が、打ち合わせのために消えていく。

入れ替わりに、別の伝令が来た。こちらは、西側の戦況について、か。

「メラクス軍団長の艦隊は、どうにか人間軍を押し返すことに成功。 大きな被害は出しましたが、かろうじて膠着状態に持ち込みました。 他の軍団に関しても、戦況はほぼ同じです」

「そうか、朗報だな」

クラーケンの生産も進めているが、やはり巣穴に掛かる負担が大きい。また、クラーケンのような超大型補充兵を作ると、他の補充兵を生産できなくもなる。どうにか戦況を五分にしたとは言え、楽観視は出来ない。

「人間側の侵攻は止まりそうか」

「それが何とも。 どこから食料が出ているのかよく分かりませんが、やはり兵糧には不自由していない様子です」

「エル教会が支援しているにしても、おかしな話だな」

人間の政治の仕組みは、ヨーツレットにはよく分からない。

今まで蓄えて来た食料が、国家崩壊によってエル教会にでも押さえられたのか。それならば、膨大な軍勢を支える兵站も構築可能だ。

だが、本当にそれだけなのだろうか。どうも嫌な予感が消えないのである。

幾つかの指示を出した後、伝令を下がらせる。

舌打ちしたヨーツレットは、振り返らずに言う。

「バラムンクか。 どうした」

「人間側に、また大きな動きがあった」

「何だと」

「どうやら我らの進軍が停止した原因が、エンドレンでの戦闘にあると気づかれたようだな。 ハン王国の連中がやたら強気になっているのも、それが理由らしい」

さあどうすると、他人事のようにバラムンクは言う。

ヨーツレットはかちかちと顎を鳴らす。人間で言うと、嘆息するような行動である。長い首を伸ばして、バラムンクに振り返る。

今は夜だ。だからサソリに似ているバラムンクは、どうしてか力を増しているかのようにさえ思えた。それはヨーツレットも同じ筈だが、不思議な充実を見ていて感じるのである。

「どうするもなにもない。 適切な敵国を三千殺しで壊滅させつつ、機動軍を動かして敵の浸透を阻むしかない」

「この長大な国境線をか」

「エンドレンの戦線が一段落すれば、どうにかなる」

正確には少し違う。どうにかなるではない。どうにかしなければならない、だが。

現在過負荷が掛かっている生産を、少し抑える措置を執る。今後は長期戦になる。巣穴で働いているのは補充兵ばかりではなく、実際に生きている魔物もかなり多い。彼らは食べなければ生きていけないし、睡眠も必要とする。

少し前に近場の巣穴を視察したが、魔物達は疲れ切っていた。休ませないと、いずれ大きな事故が起こるだろう。

その分の苦労は、睡眠が必要ないヨーツレットが肩代わりすれば良いのである。

「ふん、せいぜい頑張るが良い」

「お前はどうするつもりだ」

「俺は俺で、自分なりに魔王様の役に立つさ。 俺でないと出来ないような仕事はいくらでもある」

闇に溶けるようにして、バラムンクは消える。

ヨーツレットはしばらく消えた方を見ていたが、気分を切り替えると、処理しなければならない現実に対処し始めた。

 

1、偽りの安定

 

ゴブリンの青年グラは、ようやく休憩時間が増えると聞いて、全身の脱力を感じた。

連日運ばれてくる死体の山を帳簿につけている内に、一体どれくらいの日時が過ぎていたのか。疲弊が溜まっている魔物も多い。弟分の、トロールのキバも最近は目がうつろになってきていて、倉庫での整理をしながら居眠りをしている有様だった。食事だけはきちんと出るが、それを食べる時間もあまり取れない。

早朝、巣穴で働いている皆を前に、クライネスが会議を開いた。休憩時間の増加は、そこで説明された件である。

皆を見回しながら、クライネスが言う。

「西の海上で、味方がどうにか敵を押し戻し、膠着状態になった。 一旦過負荷が掛かっていた生産のペースを落として、皆に休憩してもらおうと思っている」

「ほんとうか! クライネス将軍!」

「ああ、本当だ。 今までよくやってくれた」

「あにき、おれうれしい!」

キバが非常に嬉しそうに言ったので、疲れ切った皆がくすくすと笑った。だが、嘲弄ではない。愛くるしい言動に対する好意的な笑みであった。

まずは体力がない魔物から、順番に休む。グラは自分の肩をもみながら職場に戻る。まだ少し、片付けなければならない帳簿があるからだ。

死んだような目をして宿舎に向かっている同僚達。ゴブリン族は小柄な見かけに反して結構体力があるので、後回しだ。ユニコーンが運んでくる死体を調べながら、グラはもう少しだと自分に言い聞かせる。

程なく、届く死体が途切れた。ようやくこれで一休みできそうだ。

咳払い。振り返ると、クライネスだった。気配を全く感じなかった。

「グラ君、君は非常に良くやってくれているな」

「ありがとうございます」

「いや、礼を言うのは私の方だ。 君の帳簿は正確で、殆どミスもない。 おそらく二三ヶ月後には兵力の供給が安定して、次の国を潰しにかかれるだろうが、その時は君の功績を評価して、この巣穴の全てを任せても良いと思っている」

瞬きをしてしまった。

これは存外の言葉だ。

夢でも見ているのかと思って、思わず頬をつねってしまった。だがしっかり痛い。どうやら現実であるらしい。

「丁度ユニコーンも途切れたようだな。 丁度私の方でも、貯蔵場所へ輸送を遅らせるように手配したところだから、しばらくは休んでも大丈夫だろう。 まだ少しの間は夜勤もしてもらうが、それからは日勤に戻ってもらっていい」

「そう、ですか」

「良くやってくれたな。 君の活躍は、魔王様にも直接話しておくこととする」

クライネスが、巣穴に戻っていく。

しばらくぼんやりとグラは帳簿を見つめていた。戦功をたてたわけではないのに、抜擢された。他の魔物達はなんと思うだろう。あまり、良い結果にはならないような気がした。キバは喜んでくれるだろうが、他の魔物達とは関係に亀裂が出来てしまうかも知れない。それはそれで、悲しいことであった。

宿舎に戻る。

一足先に戻っていたキバが、寝台でそれは幸せそうに眠っていた。

隣では、膝を抱えてカーラが丸まっている。最近構ってやれていない。もっとも、感情がないようだし、そんなことは気にしてもいないだろうが。

カーラがグラに気づくと立ち上がる。

靴は平気だが、服がぼろぼろだった。そろそろ新しいのを見繕ってやらなければならないだろう。

ドワーフの職人が来るまで、まだ少し間がある。

「ちょっと待ってろ。 適当な服がないか、見てくる」

服の端を、小さな手で掴まれる。

一緒に行く、というのだろう。見ると、かなり作業に慣れてきたからか、或いは土を耕す段階は終わったからか、細かい傷はほぼ無くなっていた。このままごつごつの硬い手になってしまうよりは、今の方が良いような気もする。

一緒に倉庫に。宿舎の一階の廊下一番奥は、倉庫になっている。空き部屋を一つまるまる倉庫にしているのだ。

岩にめり込むようにして作られているこの宿舎の奥は、そのまんま岩部屋である。床も壁も岩であり、それを荒く削っただけだ。故に、おかれている物資も、それぞれが雑多に並べられている。

奥の方を探していると、どうやら死体から剥がしたらしい子供服が幾らか見つかった。たまに、服を剥がさないまま運ばれてくる死体があるのだ。そういった死体の持ち物は、研究用として取っておかれる。

此処にあるのも、そんな研究用だ。

だが、一つか二つくらいは、帳簿に書いておけば持って行っても大丈夫である。以前、クライネスにそう説明されている。

「何色が良い」

じっとカーラはこっちを見るばかりだ。幾つか見せるが、どれにも反応がない。

緑色っぽいのを出すと、ちょっと心なしか、服を掴む手に力が入ったようだった。まあ、これが妥当か。エルフ族は森と共に生きる民だ。補充兵として作られたカーラだが、エルフ族の特性や本能を受け継いでいるとすると、緑を好んでも不思議ではない。

桶に水を張って、洗濯する。洗うと、やっぱり血が流れ出てきた。これの持ち主は苦しみ恐怖の中で死んだのだろう。まだ子供だったというのに、さぞや怖かったに違いない。

目を閉じる。

人間を殲滅するまで、戦いは終わらないのだろうか。戦況が膠着したと言っていたが、全戦線でそうなれば、或いは戦いは止むのか。

そうはならないだろう。今後地位が上がってくると、人間の殲滅に関与する機会も増えてくるはずだ。そうなれば、抵抗力のない老人や子供の殺戮に対しても、直接手を貸すも同然だ。

人間は嫌いだ。だが、やはりどうもそういった虐殺には、心が痛む。

服を室内に干す。

外はちょっと曇っていて、雨が降りそうだったからだ。

「乾いたら着ても良いぞ」

カーラは頷く。多分感情は一切無いだろうが。しかし、膝を抱えてちょこんとすわると、じっと干されている服を見つめていた。

流石に疲れたので、グラもその場で横になる。

寝ようと思うまでもなく、そのままあっという間に意識が落ちた。どうやら、自分が思っている以上に、疲れているらしかった。

 

夢の中だとわかっているのに。

落ちていることに気づいて、グラは流石に慌てた。

闇の中で、ひたすら落ちている。周囲から聞こえるのは、呪詛の声だ。

おのれ、魔物ども。

魔物の分際で、良くも人間を殺したな。

必ず復讐してやる。神の敵め。おまえ達を今度こそ皆殺しにして、この世から消し去ってやる。

随分勝手な呪詛だ。人間が魔物の土地を如何に悪辣に残虐に侵略してきたか、グラは知っている。だから、そんな呪詛は怖くない。身勝手で、手前味噌で、独善的な代物だからだ。

罪悪感を覚えるのは、弱者に対する暴虐に対してだ。こんな呪詛には、恐怖も後ろめたさもない。

目が覚める。

随分寝汗をかいていた。魔術で動く円形の時間測定器を見ると、予定睡眠時間ぴったりである。やはり、相当に疲れが溜まっていたらしい。補充兵に接しているからだろうか。あんな変な夢を見たのは。

もしも人間がああいう奴らばかりだったら、グラには怖くも何ともない。

問題は、人間がそんな薄っぺらで、カスのような連中ばかりではおそらく無い、という事だろうか。

起き出して、外に。

休日はまだ流石に貰えない。宿舎から出ると、体を伸ばして体操をした。少し筋肉が温まったところで、仕事着に着替える。朝食はいつも通りに出されていた。

今日の仕事を確認する。

ざっと見たところ、かなり魔物達の仕事量は緩和されている。疲れているからか、部屋で寝こけている魔物もかなり多いようだ。鶏の卵を油で炒め、この辺りの野草の中で少し苦みがあるが栄養も強い根菜を混ぜ合わせたものを口にする。卵の質が、少し上がっているようだった。

「もしかすると、輸送が後回しにされていたのが、回復したか」

「ああ、そうらしいな」

リザードマンの料理人が、言葉少なく返してくる。

今はシフトが相当乱れているため、彼はかなり仕事にムラがあるらしい。というよりも、彼さえもが料理をせずに、別の仕事に回されていたような有様なのである。如何に殺人的な忙しさだったかが、よく分かる。

食事を終えると、外に。

既に早朝から、カーラは植林をしているようだった。

幾つかの木の苗が見える。いずれも成長が早い品種であり、森の基幹となる植物だという。日の当たる角度を調節しながら、今は枝にはさみを入れているらしい。そして落とした葉は発酵させ、肥料にしているようだ。

土には既にミミズや小型の虫も入れているという。

また、土の周囲には盛り土も作り、水が逃れにくいような工夫をしてもいるようだ。エルフ族の森に対する知恵には、感心させられる。盛り土には、簡単な魔術が掛かった棒が、たくさん柵状に刺してあった。魔術はカーラが使ったのか、そうでは無いのか、よく分からなかった。

魔術が得意なエルフ族ならば、それも無理はないか。

もっとも、カーラは、本物のエルフではないが。

山を登り終え、仕事場に。帳簿に目を通す。

あれから結局ユニコーンは来なかったらしい。やはり、ある程度生産量をクールダウンさせる戦略は、本格的に動き始めていると言うことなのだろう。仕事が始まる前に、準備を一通り済ませる。顔も洗って、さっぱりした。

帳簿を整理していると、ユニコーンが来た。

今日、最初の仕事だ。自分の顔をなで回して意識を切り替えると、仕事に向かう。

ユニコーンを引いてきていたのは、見たこともない奴だった。多分補充兵だろう。オーガほども背丈がある人型なのだが、頭が三つ、腕が六つも生えている。背丈だけならオーガも互角だろうが、凄まじいのはその筋肉だ。腕も足も、まるで丸太のような筋肉が、隙無く体を守っている。

新型の補充兵だろうか。

そうなると、多分これは試運転なのだろう。

荷車から死体を降ろし、巣穴から着た連中に引き渡す。数をチェックし終えると、待っていたように六本腕は戻っていった。判断力も、それなりに備えているらしい。終始無言だったが。

「ありゃあへカトンケイレスだな」

死体を受け取りに来ていた、オーガ族のマジェスが言う。

彼は巣穴の奥の方で働いている。新型の補充兵についても、いろいろと知っているだろう。

「へカトンケイレス?」

「ああ、次期主力歩兵だって話だ。 今のオーク型、ゴブリン型、コボルト型の各補充兵を、徐々にあれに入れ替えていくらしい。 今は実戦配備に向けて、最後の調整中だそうだ」

「へえ……」

確かにとても強そうな補充兵である。

現在のオーク型をはじめとする最下級戦闘補充兵は、数がそろえやすいが非常に弱い。耐久力は高いししぶといが、融通が利かない部分も多い。小隊長であるトロール型やオーガ型は、命令で忙しく、なかなか自分が前線に出られないほどだ。

マジェスによると、今後分隊長代わりとして、小隊に三体ずつあれを配置するのだという。戦闘力はトロール型やオーガ型を遙かにしのぎ、戦闘面でも活躍が見込めるのだそうである。ただし、問題もあるそうだ。

「問題、か」

「そうだ。 第一に、頭が三つもあるからな。 それぞれを切り落とされても致命傷にはならないらしいんだが、やはり行動はかなり鈍る。 弱点が増えるのと同じだな」

「他には」

「これは噂だが、試作の段階で何度か暴走事故を起こしているらしい」

それは厄介だ。

クラーケンが初期にかなり大規模な暴走事故を起こしたことは、グラでも聞いたことがある。

今だ数が回復しない魔物を補うのが補充兵だ。暴走事故を起こして、本来の魔物を殺しでもしたら、洒落にならない。

もう半月ほど、試運転を実施し、それから調整の後に実戦投入するそうである。かなり急な気もするが、実はこれでも引き延ばししているのだそうだ。

マジェスが巣穴に戻っていく。

次のユニコーンが来るまで、少し時間がある。帳簿をチェックしながら、今の話を思い出す。

そんな無理なスケジュールで実戦投入を行わなければならないと言うことは、それだけ切羽詰まっている、ということだ。

まだまだ、前線は危機的状態なのかも知れなかった。

 

アニーアルス王国。

古くから中立国として知られた、堅固な城塞国家である。具体的にはアニーィ、アールスと発音するのが正しい。最初のニを少し切り、その後ろのアを心持ち伸ばす。元々アニーィ王国とアールス公爵領という貴族領が合併することで誕生したと言うことだ。

大陸北部の強豪軍事国家、イドラジールがかって騎馬民族に対する備えとして作り上げたこの小国は、規模には相応しくない堅固な要塞を有し、百戦錬磨の騎士を多く抱えている、有力な軍事国家である。歴史もそれなりに古く、母体となっているアーニィ王国から数えて百三十年に達するという。

その伝聞が、噂だけではないことを、イミナは歩きながら見て取る。街の構造一つをとっても違うのである。

今まで来た城塞都市とは、根本的に作りが違う。内側からは外側を見通すことが出来るが、外側からはいずれもが迷路に等しい。狭い道に、入り組んだ作り。家々までもが、火災に強い石造りを徹底していて、防火用の泥まで塗っている。

井戸も彼方此方に掘られていて、そればかりか地下には氷室が用意され、水が蓄えられているようだ。

城壁も分厚く堅固で、まるで蛇のようにうねりくねり、容易に弱点を見いだせないようにしてある。張られている防御魔術も、尋常ではない堅固さのようだ。

住民達にも、戦いの心得がある者が目立つ。

此処は、平和呆けした西の国々とは違う。

小さいとはいえ、本物の戦士達が作り上げた。武の国であった。

一応案内されつつ道は覚えた。もっとも、この国の兵士達の練度を見る限り、有事の場合逃げられる可能性は決して高くないだろう。レオンに顎をしゃくる。

「プラムが迷子にならないように見張っていろ」

「わかった」

プラムはレオンに手を引かれながら、興味津々という様子で周囲を見ている。

非常に戦闘向けの能力を持っているとはいえ、所詮は子供だ。堅固で質実剛健な要塞的な街が、物珍しくて仕方が無いらしい。

そういえば、エル教会がない。

どんな街でも絶対に見られる施設なのだが、シンボルとなっている光をモデルとしたものが屋根に飾られている家屋が見当たらない。或いは、この町では、エル教会はさほど力を持っていないのかも知れない。

城が見えてきた。

殆ど宮殿らしさがない、戦闘での利便性だけを考慮したものだ。尖塔は見張りのために作られているのがよく分かるし、分厚い壁を実現するためか、背丈もあまり高くない。外側から見て、中身がどうなっているのか、全くわからない作りでもある。

全体的には、石で作った土まんじゅうと言った風情だ。円を基本としているのは、それが衝撃を逃がす構造だからだろう。

城の中に入る。

豪奢な絨毯などは殆ど無く、廊下も曲がりくねっている。

徹頭徹尾、戦闘のことしか考えていない作りだ。廊下の彼方此方には隠し扉らしいものやのぞき穴があり、この様子だとトラップもあるかも知れない。

案内の兵士に通されたのは、天井が低い小さな部屋だ。

中はひんやりしていて、小さなテーブルと、椅子が並べられている以外は何もない。侍従らしい女性が、さっと飲み物を並べていくと、出て行った。

飲み物はこの辺りでは高級品となる、柑橘類を搾ったものであるらしい。口にしてみたシルンが、無邪気にのたまう。

「お姉、美味しいよこれ」

「そうだな」

失礼がないように、もらっておくとする。口に入れてみたが、睡眠薬の類は入っていないようだ。ある程度の毒物は、口に入れてみるとわかるようになっている。

レオンはしばらく辺りをうろうろしていたが、やがて戻ってきて着席した。

「やたらに強固な作りだな。 部屋に立てこもって戦えるぞ」

「しかし、おそらく奇襲できる通路や入り口も作られているだろうな」

「お姉、心配しすぎだよ」

シルンは笑うが、イミナは笑顔を返さなかった。多分この考えは間違っていないだろうから、だ。

しばらくプラムはコップを物珍しそうに見ていたが、ごくごくと中身を飲み干す。

「んー、美味しいけど、肉の方がいいや」

「プラムちゃん、肉が好きだね」

「うん。 大好き」

「まあ、蜥蜴を生で食べる所は、私も驚かされたな」

レオンが若干引き気味に言う。

この娘の野性的な言動は、道中でも変わらなかった。引率役の兵士が、驚いていたくらいである。

何で肉をやたら好んで食うのかはよく分からない。ただ睡眠は殆ど必要としていないようだし、レオンや自分よりも、或いは人間ではなくなるのが早いのかも知れなかった。

しばらく、応接室で待たされる。

不意に入ってきたのは、革製らしい胸鎧を着けている若い女性だった。マントを着流している。

かなりの腕前だなと、イミナは一目で見抜いた。多分その辺の男性騎士よりも、よっぽど腕が立つはずだ。

「王がお待ちだ。 来て欲しい」

「わかりました」

シルンが応えて、立ち上がる。プラムも促されて、一緒に部屋を出た。

イミナは無言で背後に警戒しながらついていく。騎士は短髪に切りそろえていて、どちらかと言えば顔は整っているのに、女らしさはあまりない。表情も険しく、戦に人生を捧げた感が強い。

戦乱が続く地域だと、魔術が使えることが、社会進出の条件となることが多い。剣一本でこの女性が騎士としてのし上がったのだとすれば、相当な腕前だと言うことだろう。しかも此処の兵士達の水準から考えるとなおさらだ。

「驚かないのだな」

「貴女の腕前は一目でわかった。 質実剛健なこの国の雰囲気から言っても、あり得ない事ではない」

「そうか。 そういう相手には久しぶりに会う」

多少表情を崩してくれる。イミナが認めていることを、すぐに悟ってくれたのだろう。最初はコネで成り上がったり、或いは国上層の愛人かと思ったのだが、この様子では違いそうだ。

当然、自分の腕前に自信も持っているのだろう。

「ところで、貴女は」

「この国の騎士をしているアマンダだ。 お見知りおきを」

「イミナだ」

こちらには、名乗れる肩書きは特にない。

もしも魔物と戦うことを専門とする者を勇者と呼ぶならば、シルンがそれに相応しい。ただし、歴史上存在していた勇者達の事を考えると、妹をそう呼ぶ気には、とてもなれないイミナであった。

レオン、シルン、プラムの順番に、歩きながら挨拶する。

アマンダは挨拶が終わると、話してくれる。

「貴殿らの噂は聞いている。 魔王軍に対して、効果的な打撃を少数で挙げ続けているそうだな」

「いや、さほどでもない。 数百程度の打撃は何度も与えているが、相手の数が多すぎて、焼け石に水だ」

「それでも充分だ。 あのイドラジールが手も足も出ずに破れた軍を相手に戦える貴殿らの力を、この国で発揮できれば、敵を食い止められる可能性も高い。 もっとも、東側の大国群と、大陸中央の遊牧民達が、一緒に戦ってくれれば、の話だが」

曲がりくねっていた通路を抜ける。

床に赤い絨毯が敷かれ始めた。

「絨毯だ」

「この辺りから、国賓用の通路と合流する。 貴殿らが案内されたのは、国賓用の通路ではないのだ」

「まあ、そうだろうな」

「残念だが、そこまでの待遇はこの国でも出来ないのだ。 許して欲しい」

アマンダが、通路の奥の戸を開ける。

巨大な謁見の間などはない。左右に強そうな騎士を侍らせた中年男性が、縦長の部屋の奥に鎮座していた。銀色の髪を短く刈り込んだ精悍そうな人物で、武人としても相当なものだと見て取れる。正式な服装らしいのだが、礼服ではなく鎧である。剣もどちらかと言えば実用的なものを帯びていた。

テーブルには魔術が掛かっているのが見て取れる。暗殺を防ぐために、何らかの措置をしているのだろう。

「騎士アマンダ、賓客をお連れしました」

「うむ、下がって良い」

「ははっ」

きびきびした動作で敬礼すると、騎士アマンダは退出する。

机にある幾つかの席に座るよう、中年男性の右隣にいる騎士が促してきた。どちらも巨大な類人猿のようにごつい体つきをしている。

軽く観察する。

そして、結論した。

「貴方は王ではありませんね」

「ほう? どうしてそう思うのかね」

「我々が魔王軍を相手に戦っていると確信がまだ出来ていないだろうに、いきなり王が会うのは大胆すぎるというのが理由の一つ。 もう一つは、貴方に、この国の至尊を示す鷹の紋章が見当たらないからです」

「お姉?」

指摘すると、中年男性はくつくつと笑った。

目には強い光がある。相当な修羅場をくぐってきている相手だと、イミナは看破した。まあ、大陸中央の騎馬民族と、年中小競り合いを繰り返しているのだから当然か。

「いかにも私は王ではない。 正確には王の弟だ」

「ジェラス様、よろしいのですか」

「構わん。 兄は今病の床に伏せっていてな。 代わりに君らを見極めるようにと言われて出てきたわけだが。 相当な修羅場をくぐっているのは一目でわかる。 どうやら偽物や山師の類ではなさそうだな」

ジェラスはそう言うと、指を鳴らす。

侍従らしい女性達が、料理を運んできた。軽く晩餐にしようというのだろう。

一応テーブルマナーの類は身につけている。この大陸で西側諸国と呼ばれる白色人種の国は、フォルドワードにもエンドレンにも広がっており、そこで通じるマナーは結構世界のどこでも対応可能だ。

料理は鶏肉を中心としたもので、結構贅沢に香辛料が使われている。ナイフで切り分けて口に入れてみるが、毒の類は入っていない。無邪気に嬉しそうに食べているシルンに、喋るように促した。

「ええと、ジェラス殿下、でよろしいでしょうか」

「うむ」

「私達のことは、どこで聞きましたか?」

「この国に亡命してきた兵士や騎士達の情報を集めた結果、君達の事が浮上してきただけの事だ。 我らとしても、圧倒的大軍でイドラジールを壊滅させた魔王軍については、独自に調査を続けている。 対抗手段が見当たらないので、苦慮していた矢先でな」

意外にまともそうな権力者だ。

さっきの話を聞く限り、実質的に今この国を牛耳っているのはこのジェラスだろう。見た所四十半ばというところで、男として脂がのっている時期である。左右の騎士達の様子を見る限り、人望も篤いようだ。

レオンが何度か、手づかみで食べようとするプラムをたしなめる。プラムは見かけよりもずっと学習能力が高く、シルンがやっているのを見て、瞬く間にテーブルマナーをものとした。

棒状の武器を使いこなす能力と聞いているが、長柄でなければ、棒状のは何でも使えるのかも知れない。ナイフやフォークなどの食器も、それに該当するのだろう。

「君達は、フォルドワードから来たのか」

「はい。 フォルドワードが全滅する少し前に、キタルレアに逃れてきました。 向こうでは師匠と一緒に魔王軍と戦っていたのですが、物量には抵抗しようがなく」

「フォルドワードは有名な片袖王に始まり、高名な武人を多数有する国が多かったとか聞いている。 それでも、魔王軍には勝てなかったのか」

「おそらくは知っているかも知れませんが」

シルンは、言葉を切ってから。慎重に、選ぶように言う。

これは、まだこちら側の王族には告げていない。

「どうやら魔王軍の邪魔になる人間は、不可解な死を遂げてしまうようなのです」

「ほう?」

「理由はわかりませんが、おそらくは魔王か、或いはその上級幹部かに、そんな能力を持つ者がいるのではないかと、姉は予想しています」

シルンが説明してくれたので、イミナは無言で頷いた。

魔王軍と戦って随分時間が経つ。向こうの手の内も、少しずつわかり始めている。

連中は人間ほど高度な戦略戦術を使うわけではないが、その代わり物量の投入には遠慮が無いし、こちらを侮ることもしない。

「何かの術か呪いか?」

「いえ、わかりません。 しかし、非常に厳重な魔術防御に守られていた人物が、即死するのを見たことがあります。 術にしても呪いにしても、尋常な代物ではないのは確実です」

「そのようなものがあるのか」

「今のところ回避策は見つかっていません。 本格的に魔王軍との交戦が始まった場合、殿下がその力によって死を遂げる可能性は、極めて高いと思われます」

遠慮無くシルンが言う横で、イミナは周囲の反応を観察していた。

思ったほど驚いていない。

さては、ある程度事前に解析は済んでいたか。

「そうか、そちらでも、やはりそこまでは掴んでいたか」

「殿下?」

「我らでも、密偵を放ち、文官に分析させて、その不可解な死の発生までは掴んでいるのだ。 事実イドラジールがもろくも壊滅したのは、指揮系統や権力層が異常な速度で崩壊したからで、その裏には謎の大量死があった事がわかっている。 勿論イドラジールの王も、暗殺に備えて相当な防備を敷いていた。 だがそれでも、あっさり謎の力の餌食にされてしまった」

シルンは驚いていた。イミナは無言で、出された料理をほおばっていた。

この王、かなり賢い。

そういえば、街を歩いているときに、ハン国が魔王軍に対して喧嘩を売っているという話を小耳に挟んだ。まさかとは思うが、或いは。

まあ、予想的観測を主においても仕方が無い。今は妹と、ジェラスの会話を観察することで、少しでも状況の改善を図りたかった。

「私がわからないのは、君達の事なのだ」

「え?」

「どうして魔王なり魔王軍の幹部なりが使っている、邪魔者を消す力に、君達は倒されていない。 それを懸念している者が多くてな」

なるほど。つまり、敵と通じているかも知れない、というわけだ。

人間は嘘つきで狡猾だ。確かに密偵の中には、それくらいのことをして敵に取り入ろうとする者がいるかも知れない。

そして、そういう手合いを、王弟は長いこと相手にしてきた、ということなのだろう。

もっとも、ジェラス自身は、まだこちらを致命的なレベルで疑っているわけではないようだが。

レオンが小首をひねるシルンに代わって発言する。

「殿下。 これは仮説に過ぎないのですが、我々は揃って、エル教会やその息が掛かった者達が行ったおぞましい人体実験の犠牲者です。 それが原因の一つでは無いかと思います」

「人体実験?」

「お見せするのが一番早いでしょう」

レオンが眼帯を取る。

その下にある目はすっかり変質していた。

レオンは空色の瞳の持ち主だが、眼帯の下にある瞳は真っ赤である。それも、充血しているのではない。非常に不自然な赤であり、しかも意思とは全く関係なく動いている様子がよく分かる。

レオンは、実は症状が軽い方である。

イミナは既に人間にあるべき欲求が、おおかた消滅してしまっている。多分内臓やら何やらの体内組織が、滅茶苦茶になっているのだろう。ただ、殆ど飲まず食わずでも動き回れるのは、利点だともいえたが。

これはシルンにも言っていないのだが、既に生理も消滅している。多分子供を産むことも出来ないだろう。シルンはまだ生理があるようだが。逆に言えば、だからこそ。妹を何があっても守ろうとしているのかも知れない。

「なるほど、そういうことか」

「エル教会は、幾つかの属国で生体兵器の開発を行っていました。 言い方は悪いですが、多分我々はもう人間とは似て非なる存在なのでしょう。 だからこそに、魔王の恐るべき力を逃れているのかも知れません」

「ふむ、君達の戦果を考えると、魔王軍にとっては大変面倒くさい相手である事は間違いないところだ。 謎の死の餌食になっていない所を見ると、どうやらその説に関してもあながち間違っていないようだな」

腕組みして、ジェラスは考え込む。

今までと、若干様子が違う。多分これに関しては知らなかったのだろう。

少し休憩を取りたいと言われた。さっと食事を済ませると、応接室まで戻る。応接室と言っても、半分軟禁と考えて良いだろう。

こちらの正体と知識、能力を見極めるまでは、解放する気はないという事だ。勿論生かすか殺すかも、まだ判断していないと見て良い。

「あの料理美味しかったね、お姉」

「ああ、そうだな」

実際には、殆ど味もわからなかった。だが、シルンが満面の笑顔なのだから、多分そうなのだろう。

肉料理が多かったので、プラムは満足そうだった。

部屋に戻ると、隅っこにころんとプラムが転がる。眠るのかと思ったのだが、半目のまま、ぼんやりしているようだ。多分イミナと同じく、睡眠があまり必要ではなくなっているのだ。

それを横目で見ながら、レオンが言う。

「見苦しいものをみせた。 済まない」

「レオンさん、気にしなくて良いよ。 私達だって、いつそうなるかわからないんだから」

「そうだな」

イミナが受けたのを見て、レオンは微笑した。

それにしても、レオンのさっきの言葉。もう人間ではないから、魔王の何かしらの攻撃が効いていないのかも知れない。これは、大きな盲点だった。

術式には、発動に制限が掛かるものが多くある。これは、強力な術式になればなるほど、傾向が強くなってくる。

魔王の能力は、明らかに居場所や具体的な相手の姿などがわからなくても発動している。そうなると、人間が相手の場合しか発動できなくても不思議ではない。術に関しては、師匠に話を聞いて知識があったはずなのだが、すっかり失念していた。

一生の不覚と言うよりも、やはり視点を変えるのは重要だなとイミナは内心で呟く。レオンはただヒールタンクとして活動してくれれば良いかと思っていたのだが、考えは改めなければならないだろう。勿論プラムに関しても、それは同じだ。

一刻ほど待たされた。

途中、シルンがトイレに行きたいと言うと、あっさり受け入れられた。帰ってきたシルンは、すっきりした顔をしていた。

「狭かったけど、綺麗なトイレだったよ」

「しっかり掃除が行き届いているというのは、体制が上手く機能している証拠だ。 あの王弟、隅々までよく目が届いているようだな」

無能な王だと、召使いも主君を侮る。仕事はいい加減になる事が多い。流石に主君の生活空間だけは綺麗にするが、それ以外はおざなりという状況も作られやすいのだ。

今、シルンが利用したのは、国賓用のトイレではない。

さっきイミナが見てきたが、平均的な来客用のものだ。だからこそ、王弟が如何に慕われているか、よく分かる。

再び、王弟に呼ばれた。

 

2、迫り来る騎馬隊

 

偵察部隊が、息せき切って戻ってくる。

敵の偵察部隊をあらかた片付けた、翌日のことである。ヨーツレットが何事かと鎌首をもたげると、既に相当な混乱が生じているようだった。

「何事か!」

「ハン国の軍勢、一斉に動き出しました! 総兵力は最低でも十万に達すると思われます!」

十万か。こちらは十五万だが、相手は機動力を駆使した騎馬隊が全戦力という非常に面倒な編成である。

その上、更に良くない情報も飛び込んできた。

「南部の諸国、ハン国に協力して出兵し始めています! 判明しているだけで七つの国が、合計十二万の兵を出す模様です!」

「魔王陛下に連絡し、三千殺しの発動を」

即座に、ヨーツレットは決断した。

西の海では今でも凄まじい海軍同士の死闘が繰り広げられており、小康状態とはいえ油断は出来ない状況が続いている。此処で防御のために三千殺しを用いるのは、かなりの賭となる。

部下の一人が、魔術で魔王と通信をつなげる。映像に映り込んだ魔王は、ミカンを剥いているところだった。

「急な連絡と言うことは、また何か起こったのかのう」

「はい。 ハン国が総力を挙げて攻め込んで参りました。 兵力は騎馬隊ばかり十万以上も。 それだけではなく、南部の諸国が最低でも十二万の兵力を送り込もうとしている様子です」

「ふむ……」

この時点で、敵の兵力は五割増しだ。

魔王軍の中でも最精鋭が揃うヨーツレットの部隊は、倍くらいまでの相手なら蹴散らせる自信があるが、それも相手の居場所がわかっているなら、である。

偵察部隊が右往左往しているのは、ハン国主力騎馬隊の動きがあまりにも速いからだ。下手をすると、三千殺しの発動条件次第では、敵の王を抹殺するのに失敗するかも知れない。

「ヨーツレット元帥、どう見る」

「私の見るところ、南部諸国は囮でしょう。 かといって、放置するわけにはいきますまい」

「なるほど、そちらに三千殺しを使え、ということか」

「はい。 敵の主力騎馬隊は、私と、私の精鋭部隊で必ずや撃滅してご覧に入れます」

頷くと、魔王は通信を切った。

これで、敵の兵力は十万に目減りしたと見て良い。しかし、どうも嫌な予感がするのである。

「まずは敵騎馬隊の目的地を探れ。 航空部隊を出し、敵の移動経路を割り出すのだ」

「やはり敵の狙いは魔王陛下、でしょうか」

「その可能性も高い。 仮設魔王城には一万の増援。 二つの巣穴にはそれぞれ一万五千を配置」

これで、それぞれの拠点が叩かれても、駆けつけるまでは充分に保たせることが出来る。仮設魔王城に一万なのは、元々守りが極めて堅いからだ。更に、そこには股肱の一人であるヴラドを配置する。

現在ヨーツレットは魔王城の至近に布陣している。つまり、巣穴への陽動攻撃があり、引きはがされたとしても、それに耐えうる布陣だと言うことだ。それでも、もしも足下を掬われたときにも備えられるように、手を打っておくのである。

「ここからは、敵の狙いがどこにあるか、正確に見極める必要がある」

部下達を見回し、ヨーツレットは言い聞かせる。

ここからは、机上遊戯で言う詰めに入る。一手でも間違えれば、大けがをすることになるだろう。

 

アルカイナン王から、冷酷な作戦について聞かされたとき、思わずユキナは息を呑んでいた。

高速で移動する騎馬隊を、小高い丘の上から見つめながら、ユキナはその言葉を思い出す。

パオの中で開かれた作戦会議で、アルカイナン二世は言った。

「魔王は、正確には魔王軍は、だが。 今までの情報を総合する限り、邪魔者を何らかの方法で始末している。 術式だか呪いだかはわからないがな」

「それは、我々も何となくはつかめています」

というよりも、間近で直接見た。

ユキナをお飾りとして祭り上げた義勇軍の壊滅は、その魔術なり呪いなりによるものだったからだ。

ユキナ自身が助かったのも、お飾りで無害だと判断されたからだ。

「そして魔王の軍勢は、一つの国ずつ潰すように行動している。 充分に多面作戦が取れる規模があるというのに、だ」

「どういうことでしょうか」

「流石にわからぬか。 一度に始末できる人数に限界がある、ということだ。 しかも、おそらくは一日に一度しか発動できぬ。 もしも何度も発動できるのであれば、一気に世界中の人間を殺し尽くせば良いのだからな」

恐ろしいことを言いながら、からからと王は笑う。

確かにその通りだ。能力に制限がなければ、そのようにすれば確かに一夜で人間を全滅できるのである。

そして、魔王軍はあらゆる話を総合する限り、人間の殲滅しか考えていない。講和する気など、最初から無いのだとしか思えない行動が多いのだ。

流石に分析能力が違うと、ユキナは感心した。だが同時に、背筋に寒気も感じていた。この男は、人間とはもはや違う領域に、一歩踏み出しているとしか思えなかった。何がそうさせたのかはわからない。

凄いとは感じたが、こうなりたいとは思わなかった。

騎馬隊はまるで一つの生き物のように、北上していく。と思ったら、今度は西進し始めた。

やがて見えなくなった騎馬隊を見送ると、ユキナは手綱を引く。

「ゆくぞ。 一旦皆と合流する」

「戦いを見ないのですか」

「この有様では、追っても無駄だ。 それならば、一旦戦場から離れて、状況を見極める方が良い」

そしてもう一つ。一旦戦場を離れた方が良いと思った理由がある。

今移動していった騎馬隊は一万三千ほど。本隊は別にいる。

更に加えて言うと、どうもあの冷酷な王が、自身で軍勢を率いているとは思えないのである。

あの主力決戦用の軍勢は、王の性格から言って、まさかとは思うが囮なのではないか。考えすぎだと思うが、その可能性を否定できない。

自軍の大半をさえ、囮として捨てかねない男なのである。

一旦山を下りて、義勇軍の皆と合流。数は五百弱にまで回復していた。あの魔王の攻撃から生き残った者達は、アニーアルスを根拠地に、新しく組織を作り上げ始めている。最近はついにアニーアルスの事実上の支配者、ジェラス大公爵とも接触することに成功していた。

会議を行おうとしていたところ、アニーアルスから急いで駆けつけた伝令が、注進してくる。

「女王陛下、アニーアルスの駐屯部隊から、緊急の連絡です」

「如何したか」

「ははっ。 実は、魔王軍と戦い続けているという例の双子と、ついにジェラス様が接触為された様子です」

その双子のことは、ユキナも聞いたことがある。

俄然興味を覚える。

「よし、此処のことは一旦置いて、アニーアルスに向かう」

「よろしいのですか」

「どのみち、あの冷酷なアルカイナン王の事だ。 戦いに勝てば、我らを用済みと判断する可能性も高い。 その時に備えて、安全な場所に身を置いておいた方が良い」

北の大陸には興味が無いと言っていたが、それもどうだかわからない。接していてわかったが、アルカイナンの欲望は底なしだ。

魔王領を制圧したら、北の大陸にそのまま軍勢を率いて乗り込みかねない。そんな印象さえ受ける人物だった。

約束などと言うのは、人間社会において、信用と共にある程度のものにしか過ぎない。

あの冷酷な王が、約束など守るようには、ユキナには思えなかった。

 

騎馬隊は、凄まじい速度で進軍してきていた。

四つに分かれたと思うと、すぐに一つに合流する。合流したかと思うと、また幾つかに分裂する。

複雑すぎて、動きを把握できない。

馬が潰れるのではないかと一瞬思ったが、どうもそうでも無いらしい。よほど持久力のある品種を育てているか、或いは作り出したのか。どちらにしても、疲れたり潰れたりする様子はなかった。休息も交代で行っているようで、しかも小刻みなので、とても全てを把握できない。

「敵、まもなく国境を越えます」

「魔王様は」

「既に能力を発動なさいました。 こちらに攻撃を仕掛けようとしていた南の諸国の軍勢は、王と主な司令官を失い、右往左往しております。 とてもこちらまで進軍する余力は無いでしょう」

「ふむ……」

ハン王国のアルカイナン二世は、非常に冷酷な男だと聞いている。

元々血で血を洗う大陸中央部の争乱の中、若くして頭角を現してきている人物である。冷酷でなければやっていけないのだろうと言うことくらいはわかるが、やはりこの様子から言って、複数の同盟国を囮として使い捨てたか。

或いは。

「さては三千殺しの制限に気づいたか」

「可能性はあります。 今までに、毎日使っているのですから」

参謀の旅団長が言う。

ヨーツレットは、ゆらゆらと鎌首をもたげた。頭を使うときのポーズだ。

多分、今の旅団長の言うとおりだ。既に三千殺しの制限に気づいている可能性は高い。どこまで正確に把握されているかはわからないが。

不意に、敵が停止したという連絡が入る。

どうやら、ヨーツレットの読み通りのようだった。

「やはりな。 一日に三千殺しが出来る限界に気づいているな」

「如何なさいますか」

「敵は休憩してから、何処かに全力をたたきつけてくるはずだ。 我が軍はそれに対応して動く」

受け身になってしまうのは不快だが、正直な話その方が良い。

というのも、今の時点で既に受け身になっているからだ。此処で焦って動くと、更にどつぼにはまる可能性が高い。

油断無く旋回する偵察部隊が、次々と情報を伝えてくる。

「敵の数、十万一千から十万三千の間。 現在、七つに分かれて休息中」

「うむ」

「アルカイナン王、発見できません。 騎馬兵に紛れているものと思われます」

「……」

不意に、何か嫌な予感がした。

ヨーツレットの予感は当たる。確かに人間の手口として、木を隠すなら森の中という手法は良く用いられるという。

だが、他の国をいくつも囮として使い捨てるようなアルカイナンである。そんなリスクの「高い」方法を許容するだろうか。

或いは、主力部隊でさえ、囮として使うつもりなのではないのか。

「偵察部隊の二割を、周辺に展開。 奇襲に備えよ」

「は。 しかし、ハン国の兵力はだいたい十万程度と調べがついておりますが。 練度から言っても、あの十万がおよそ全軍である事に、違いはないかと」

「それはわかっている」

わかっているからこそ、危険なのだ。

敵は三千殺しの能力を理解した上で攻撃作戦を実行してきている。何かとんでもない隠し弾があるとしても不思議ではない。

魔王を守らなければならないのが、ヨーツレットの仕事だ。

だが同時にする事がある。数は少ないとはいえ、キタルレアにも既に土地やインフラの整備のために来ている文官達や民間の魔物がいる。彼らのことも、命をかけてでも守らなければならない。

それが、軍人の役目だ。

「敵、動き始めました」

偵察兵からの報告が来る。

全軍に、一気に緊張が走った。

 

仮設魔王城は、刃のように研ぎ澄まされた空気に包まれていた。

ヨーツレットが派遣した守備部隊が、何があっても対応できるように、油断無く周囲を固めている。玉座の間には、ヨーツレットも信頼しているヴラド師団長が、バジリスクらしい半眼で周囲を見回す姿があった。

こんな時ばかりは、魔王も安楽椅子に座っておミカンという訳にはいかない。

玉座につき、偵察兵達の報告と、エルフの戦士達が展開している情報術式を見比べながら、状況の動きに気を配っていた。

「ハン国の軍勢、進軍開始! こ、これは!」

「如何したか」

「敵、ヨーツレット元帥の主力部隊に、まっすぐ向かっていきます! どうやら、ヨーツレット元帥が狙いのようです!」

「何だとっ!」

思わず目を全て開こうとするヴラド。

彼はバジリスクという種族である。その視線には相手を殺したり石にしたりする恐るべき力が宿っているため、常に半眼にすることで力を押さえているのだ。反面身体能力や、他魔術の力はさほど高いとはいえない。知能も言葉を操れる程度には存在しているが、狡猾すぎる人間にはやはり及ばないところがある。

「ヴラド師団長、落ち着くのじゃ。 現在、ヨーツレット元帥の下には、儂の部下の中でも最精鋭が揃っておる。 数も敵より多いし、簡単に負けることはあり得ぬからのう」

「は、失礼いたしました」

だから、魔王がたしなめる。根が真面目な男である。たしなめてやると、すぐに冷静さを取り戻した。

それにしても、ヨーツレット自身が狙いとは。

玉座の間の空間が歪み、姿を見せるのはクライネスである。どうやら状況を聞きつけたらしい。当然この男のことである。対応策くらいは考えてきたのだろう。

「遅れて申し訳ありません、陛下」

「クライネス将軍、聞いているかも知れぬが、ヨーツレット元帥が敵の主力と全面衝突を始めた。 どう思うかのう」

「罠です。 明らかに」

「ほほう」

知恵多き参謀長は断言する。ウニのような姿をしたクライネスは、無数の触手と、その先端部にある目を動かしながら続ける。

頭脳をフル回転させているとき、クライネスはこんな挙動を取る。

「あの狡猾なアルカイナンの事です。 主力部隊を罠として使い捨てるくらいのことは、平気でやりかねません」

「しかし、そうなると、本命は何じゃろう」

「……おそらくは、ヨーツレット元帥でしょう」

思わず魔王は、目をぱちくりとさせていた。ヴラド師団長も、ほぼ同じ反応を見せている。

罠だと断言したばかりなのに。

「わかりやすく説明してくれるかの。 この老体のぼけかけた脳には、ちょっと意味がわからなかったようじゃ」

「ははは、ご謙遜を。 具体的に説明させていただきますと、こういうことにございます」

からからと笑った後、クライネスは説明を始める。

徐々に、ヴラドの顔がこわばっていくのがわかった。あまりにも、おぞましい作戦であったからだ。

エルフの戦士を呼んで、小声で。

「おミカンを貰えるかの」

「良いのですか? 作戦中ですが」

「これが作戦なのじゃ」

「わ、わかりました」

すぐにミカンが持ってこられる。不安そうにしている周囲。

だが、平然と魔王は、ミカンを剥いて食べ始めた。

それを見た周囲の不安が、若干和らぎ始める。魔王がミカンを食べているというのは、この城における日常風景だ。

「陛下?」

「ヴラド師団長、ほれ、そなたもどうじゃ。 今はなかなかフォルドワードから物資が届かないから、貴重なおミカンなのだぞ」

「い、いただきましょう」

冷や汗をかきながらも、ヴラドはエルフの戦士が持ってきたミカンを一つ、皮も剥かずに食べてしまった。

実はヴラドらバジリスク族は、草食性の傾向が強い。イグアナという大型の蜥蜴と同系統種である事が影響しているらしい。勿論肉も食べることが出来るが、そういう意味でエルフ族とはとても親和性が高いようだ。

場の空気が、若干和む。

「さて、クライネス将軍」

「はい」

「ヨーツレット元帥に、頃合いを見計らって、連絡をいれて貰えるかのう」

「陛下の御心のままに」

深々と、クライネスは頭を下げた。正確には、ウニのような体を前傾させた。

 

ヨーツレットは驚愕した。

騎馬軍団、およそ十万。崖を駆け下りるようにして山を下り、一騎も脱落することなく、まっすぐこちらに向かってくるのである。

地響きが凄まじい。

まるで、地震が起こっているかのようだ。無数の馬蹄が醸し出す大地の不協和音が、辺りを蹂躙し、そして近づいてくる。

これは、どういうことだ。

まさか、主力決戦を堂々と挑むつもりであったとでも言うのか。

もしもそうならヨーツレットは多少人間を見直していただろうが、残念ながらそんなことがあり得ない事は重々承知している。十万と言えば小さな国を余裕で滅ぼせる大戦力である。人間がそんな戦力を、何ら利もなく使うわけがない。

「丸ごとアレ全てを、陽動部隊として使うつもりだな」

即座にそう判断。

元々ヨーツレットが率いている部隊は機動力の高い親衛部隊である。人間の騎馬隊になら、同数で引けを取るものではない。

敵は長細い陣形を維持したまま、まっすぐこちらに向かってきた。そして、こちらの鋭鋒を避けるかのように、わずかに曲がる。

そしてすれ違いながら、膨大な矢を叩き込んできた。

ヨーツレットは軍を進ませる。

矢の雨は気にしない。防御の術式を展開させて防ぎながら、まずは相手の疲弊を待つ。こちらの攻撃を避けようと動き出したら、その時は一気に追撃を仕掛けて後ろから叩き潰してやる。

勿論、可能な限り早く殲滅する。おそらくは今眼前にいるのとは別の部隊が、魔王を狙ってくるはずだからだ。

蛇のように蠢く巨大な敵の陣形。時々すれ違うようにして、膨大な矢を浴びせてくる。鏃には強力な貫通の術式が掛かっているようで、張らせている防御の術式も、徐々に負荷が大きくなってきた。

ヨーツレットは慌てない。騎馬隊との交戦経験は初めてでは無いからだ。フォルドワードでも、寒さに強く改良された強固な騎馬隊と、何度も激しい立ち回りを演じた。それは部下達も同じである。

こちらは軟体生物のようにゆっくり柔らかく敵の攻撃を受け止めつつ、少しずつ反撃で敵の足をそいでいけば良い。

敵の矢の雨が、一瞬止んだ隙に、ヨーツレットは指示を出す。

「よし、敵先頭部分に、火力を集中せよ」

「こ、これは! 元帥!」

指示を出した、その矢先である。

いきなり敵が加速し、攻撃しようと防御術式が消えたところに突進してきたのである。

見る間に防御隊形を踏みにじられた。下級の補充兵は、文字通り馬蹄に掛けられ、蹴散らされる。大型の補充兵にも、強烈な矢が集中し、彼方此方で痛烈な被害が出る。

敵は、体勢を立て直す前に、陣を突き抜けて合流する。

この程度で、戦を知ったと思うなと、言っているかのようだった。

「やってくれるな……」

「元帥、如何なさいますか」

「ここからは根比べだ。 簡単な戦いにはならない事を、思い知らせてやる」

ヨーツレットの中で、軍人としての意地が、音もなく燃え上がっていた。

 

騎馬隊、中央後ろ。

普通の騎兵に偽装している大物がいた。ハン国国王、アルカイナン二世である。まだ若いが、百戦を重ねた闘将であり、冷徹な戦場の理論で考える戦士であった。

魔物どもには、馬に相当する機動戦力がない。

それを見て取ったアルカイナンは、早速重装歩兵の陣を蹂躙するときに使う戦術を用いてみた。

予想通り、敵は崩れた。だが復帰が早い。もろい敵ならこれを繰り返すだけで潰走状態に追い込めるのだが、一瞬で陣を立て直した。それなりの被害を出させたとはいえ、全く応えていないのは一目でわかった。

「思ったよりも出来るではないか」

「敵兵は恐怖を感じていないようです。 幾つか見た標本から考えても、そもそも感情が存在しないのかと」

「ならば逆に好都合だ」

所詮は物量と、一日に一度しか発動できない能力だよりの軍勢と侮っていたアルカイナンであるが、まだその認識は崩していない。

敵が恐怖を感じていないとすれば、それは必要な感情が欠落していると言うことだ。恐怖は一見すると持っていて損をする感情のように見えるが、実際には違っている。恐怖は危険を察知するのに必要なものであり、制御さえすれば役に立つものなのである。

幼い頃から感情の制御を徹底的に叩き込まれたアルカイナンは、それを身をもって知っている。

それこそ弱肉強食、血で血を洗い、親兄弟で殺し合う環境にて生き残ってきたのである。

利用できるものはどんなものでも利用する。それがアルカイナンの、育ちながら身に刻みつけた生存哲学であった。

「火矢を用意せよ」

「直ちに」

さっと全軍が装備を入れ替える。

恐怖がないのなら、火に対する反応も遅くなる。延焼するものが無いように一見思えるが、敵陣に使われている素材が燃料になる。柵も天幕も、である。意外と、陣屋には燃えるものが多いのだ。

移動しながら、再び仕掛ける。

しかし、今度は驚愕したのは、アルカイナンの方だった。

不意に敵陣から、二千ほどの戦力が飛び出してきたのである。しかもそれは、いずれもが巨大な体格に六本の腕を持ち、屈強きわまりない筋肉で全身を覆っていた。見るからに鈍そうだが、違う。

そいつらは手に弓矢を持っており、一斉に撃ち放ってきた。

とんでもない強弓である。騎兵が、串刺しにされて馬上から吹っ飛ぶのが見えた。馬に突き刺さると、矢が首の向こう側まで抜ける。しかも腕が六本である。当たれば即死の矢が、地面に平行に、なおかつ殆どひっきりなしに飛んでくるのを見て、騎兵達が流石に慌てる。

普通、矢は弓なりに放つものだ。しかし今敵から出てきた連中は、水平に矢を放ち、しかもこの遠距離から確実に命中させてくる。

たまらず、散開する騎馬隊。

だが、見る間に矢が彼らを打ち落としていった。矢の音は凄まじく、空気を切り裂くかのようである。生まれたときから弓馬に親しんできたアルカイナンでも、此処までの威容を見るのは初めてだった。

「機動しながら火力を集中! あのデカブツを撃ち殺せ!」

アルカイナンが指示を出すと、すぐに部下達が動き出す。だが、その時。

本能が、とっさの危険を告げてくる。

左。

まるで津波のように、敵の主力が押し出してくるのが見えた。

「王!」

「なるほど、あちらに注意を引きつけて、本命をたたきつけてくるという訳か」

どっと、騎馬隊が押し崩れる。

だが、アルカイナンが指揮剣を振るう。見る間に陣形が立て直される。痛烈な全面攻撃を受け流すと、再び騎馬隊は隊形を整えた。

 

新規投入した補充兵、ヘカトンケイレスの猛射によって敵を引きつけ、側面から主力で強襲する。

一撃で敵の側面は粉砕したが、流石に戦慣れしている。すぐに体勢を立て直すと、するりと手の中からウナギが逃げるようにして、敵は左右に分散する。

そのまま機動力を駆使して、大量の矢を放ちながら一旦距離を取りに掛かった。追撃を戒めると、ヨーツレットは呻く。

なかなかに、良く戦う。

手段を選ばないところは気に入らないが、それでも今まで交戦した敵軍の中では屈指の手応えを感じる。

つくづく惜しいと思う。これで手段を選ばぬ外道でなければ、少しは快く戦えるというものなのだが。

「ヘカトンケイレスの部隊は牽制になる。 今後は積極的に活用しろ」

「わかりました」

「敵、左翼に回り込んできます!」

凄まじい旋回で左翼に回り込んだ敵が、機動射撃を浴びせてくる。矢の数はもはや空を覆うほどで、凶悪な音と共に殺戮の驟雨となって降りかかってきた。そのまま左翼に対応を任せ、まずヘカトンケイレスを自軍に合流。そして、対応を続けながら、敵の機動が止まるのを待つ。

騎馬隊は凄まじい練度で、まるで動きが鈍ると言うことがない。猛射で、味方の防御術式の負担も増えていく。当然、彼方此方で貫通もされ、打撃も少なからず与えられた。

不意に、敵が動きを変える。

錐状に陣形を切り替えると、猛烈な突撃を仕掛けてきたのである。

防御術式同士が、互いの相互干渉で打ち砕かれる。凄まじい音響の中、魔力のはじけ飛ぶ様子が、ヨーツレットには見えた。

「押し返せ!」

雄叫びがとどろき渡る。

敵は陣に切り込んでくると、四方八方に火矢を乱射してきた。陣の構造物に引火して燃え始めるところから見て、油を使っているか、或いは特殊な術式をかけてあるか。燃え上がる炎の中、逃げようともせず、火に巻かれてしまう補充兵が目立つ。舌打ちしたヨーツレットは、自ら陣頭指揮に出ようとした。

そこで、不意に魔王からの通信が入る。

流石にこの戦闘中である。困惑しながらも、ヨーツレットは通信を傍受した。

至近、眼前に、魔王の顔が浮かび上がる。

「おお、無事であったか」

「戦闘中でありますれば、武運があると言うことでしょう」

「そうではないのだ。 状況を分析したところ、どうも敵の狙いはヨーツレット元帥自身のようでのう」

突如、とんでもないことを告げられる。

だが、確かに言われてみれば、思い当たる節がある。敵はヨーツレットの率いる主力に対して、さっきから執拗な攻撃を仕掛けてきている。打撃をある程度与えて離脱、という雰囲気はない。

或いは。

既にキタルレアにいる編成された戦力は、この機動軍だけだと見抜いているとでもいうのだろうか。

もしもそうだとすると、確かにヨーツレットを叩く意味は生じてくる。

今、キタルレアは軍団長でさえ殆ど出払っている有様だ。唯一いるクライネスも、自分の軍団はフォルドワードに戻して、そこで防衛線の構築をやらせている状態である。バラムンクはどこにいるか魔王しかわからないし、確かに此処でヨーツレットが死ぬことには大きな意味がある。

今、魔王が映像をよこしてくる寸前。

ヨーツレットは、自身が前衛に立って、敵をたたこうと思っていた。だが、考えを改める。

最初から敵がヨーツレットを狙っているのだとすると、出ない方が却って良い。

「ありがとうございます、陛下」

「うむ、うむ。 忘れてはならぬぞ。 そなたは孤独ではないのだ」

「心します」

映像を切る。

敵を、今はまず押し返す。そうすれば、自力の差が出てくる。

実際、敵の持っている矢も無限ではない。馬にも体力の限界が存在する。何よりも、長時間戦闘を続ければ、どうしても集中力が切れてくる。

不意に敵が下がる。

浸食された陣を組み直して、敵が下がった分前進。進みながら、敵の後尾に矢を浴びせかけた。

敵は陣を分散して逃れるが、かなりの数が落馬する。凄まじい乱戦の中、勿論敵の反撃も凄まじい。さっきの突撃で受けた打撃についても、深刻だと報告が来ている。

だが、味方は勝ちつつある。

激しい戦いは、既に一時間以上続いている。そろそろ、敵にも疲れが見えてくる頃であろう。

「伝令です!」

「どうした」

「仮設魔王城に敵襲! 数はおよそ一万三千!」

にわかに、周囲がどよめきに包まれる。

だが、ヨーツレットは慌てない。敵が一万三千なら、充分に撃退可能だ。

「放っておけ! 魔王陛下なら、一万三千程度の敵に後れを取りはしない! 今は眼前の敵軍を殲滅する!」

さて、そろそろか。

敵は既に五千から六千を喪失。こちらは五千五百から六千五百という所だろう。

今までは致命傷にならない範囲で戦闘を行ってきたが、ここからは違う。一気に勝負を決めさせてもらう。

「儀式魔術の準備をせよ」

儀式魔術。

生け贄を捧げたり、或いは複数の術者が詠唱を行うことで威力を高める術式のことである。

火力は通常の術式と比較にならないが、とにかく時間が掛かるので、実戦には全く向いていない。だが、ヨーツレットには。今、儀式魔術を使う意味が、ハッキリ見えていた。此処で、勝ちに行く。

「師団長は儀式魔術に全員が参加。 此処で敵にとどめを刺す!」

周囲から、雄叫びが上がった。

勝てる。全員が、認識を等しくしたのである。

 

突撃による凄まじい打撃に、魔王の軍勢は耐え抜いた。大きな敵を何匹も潰したのだが、それでも敵の司令官は出てこなかった。

あのオオムカデのような気色が悪い奴が、この軍勢の司令官だとアルカイナンは確信していた。だからこそに、己の確信が外れたことにおののく。それ以上に、激しい怒りを感じる。

おのれ。

呻きながらも、冷静に頭は回る。

地獄の戦場を駆け抜けてきた彼である。負け戦の経験は一度ならずあるし、死に片足を踏み込んだことは両手の指で数え切れない。だから、冷静な状態に頭を引き戻すまで、さほど時間は掛からなかった。

一旦距離を取り、味方の再編成をさせながら、敵に一撃離脱を繰り返す。

側に控えていた術者が悲鳴を上げたのは、その時だった。

「敵陣から、考えられない規模の魔力が放出されています!」

「儀式魔術か?」

「間違いありません」

「ならばこけおどしだ! 気にするな!」

とはいうものの。

今までの戦術指揮を見る限り、敵に問題は生じていない。揺さぶりのために別働隊に仕掛けさせた敵中枢への陽動攻撃にも、まるで動じる様子がなかった。

ならば、自棄になったという可能性は考えにくい。

何かしらの戦術的意図があって、本来実戦向きでは無い儀式魔術を使おうとしていることは、間違いない。

撤退か。前進か。

まだ、味方には充分な戦闘力がある。敵は動きを止めて、儀式魔術に集中しており、今ならつけいる隙だってある。

だが、勘がアルカイナンを押しとどめた。何かがまずい。

「全員、撤退! 一時敵と距離を取る!」

叫んだアルカイナンが馬首を返す。

退路は幾つか確保してあるが、そこまで撤退すれば問題は無い。今回は敵を仕留め損ねたが、能力についていろいろ掴めたものはあった。次は、負けない。確実に仕留めてみせる。

勝算はある。それなのに、アルカイナンの胸の内では、恐怖の警鐘が大きくなるばかりであった。

見た。

退路の一つ。クリューラ峠の上に、見る間に黒雲が広がっていくのを。

そしてその下に、極太の稲妻が投擲されるのを。

それだけではない。他の退路も、皆同じだ。凄まじい大きさの黒雲から、稲妻が立て続けに投擲されている。崖が崩れ、山が塞がれていく。

これは。退路が、もはや意味をなしていないのは、一目瞭然だ。

味方に動揺が走る。

アルカイナンは、絶叫していた。こうなれば、もはや敵陣を殲滅するしかない。他に退路はあるが、遠すぎる上に、味方が壊滅するのはほぼ確実だ。

「転身! 退路がないなら、敵を皆殺しにするまでだ!」

 

敵が、全軍一つとなって、突撃してくる。

表情には鬼気迫るものがあった。まあ、当然だろう。

ヨーツレットは戦いの間、伝令が送ってきた情報から分析を進めていたのだ。そして、退路については、既に分析が完了していた。

複数の脳を持っている強みである。幾つかの思考を並列で進めることが出来るので、こういう離れ業も可能だ。魔王も話によると思考の並列化が可能だそうだが、それを参考に作ってくれた力なのかも知れない。

「ヘカトンケイレス隊、前に」

「全ヘカトンケイレス、前に出します!」

「射撃開始!」

銅鑼が叩き鳴らされた。

ヘカトンケイレス達が、六本ある腕を使い、とてつもなく巨大な弓を引く。そして、水平に飛ぶ雨がごとく、敵陣に矢を放ち始めた。

みるみる敵の騎兵が目減りしていく。当然のことだ。この圧倒的な火力に、正面から飛び込めばそうなる。さっき突撃が成功したのは、機動力を駆使してこちらを振り回している状態だったからだ。

しかし、今はそれもない。

膨大な兵力を消耗しながらも、敵の戦意は衰えない。突撃してくる敵の大軍勢。距離が縮まってくる。

だが、その時には。

味方も陣形を大きく変えていた。

さながら、狩猟用の罠が閉じるかのような光景が現出した。

左右に分かれていた両翼が、一気に敵を左右から包み込んだのである。こうなれば、騎馬隊の機動力には、何ら意味も無い。

「押しつぶせ!」

後はただ、見ているだけで良かった。

元々、機動力を持ち味にしている騎馬隊である。こうなってしまえば、実力は四半減と言っても良い。

馬から引きずり下ろされた騎兵が、補充兵に寄ってよってたかってなぶり殺しにされる。大型の補充兵はそのまま馬を叩き潰し、騎兵のもろい抵抗を踏みにじっていく。

元から疲弊が溜まり、集中力を失い、更に機動力まで殺された騎兵に、もはや抵抗するすべはなかった。

勝敗は決した。

もはや戦闘ではなく、一方的な虐殺になる。戦闘の前半部分はほぼ互角の立ち回りだったが、今はもう違う。

味方に損害はほぼ出ていない。敵は全滅が確定だ。

側に控えていた副官が言う。

「我が軍の勝ちですね」

「ああ、それは確定だな。 ただし、アルカイナンの首は必ず挙げよ。 これほどの敵手、生かしておいてはどんな災いに発展するかわからぬ」

「わかりました。 あ! 敵の一部が、包囲を突破しました。 数は三千ほどです」

「追撃隊を出せ。 一人も生かして帰すな」

おそらくその逃げ出した兵士達の中にアルカイナンがいる。

部下を見捨てて逃げるくらいは平然とやる男だ。武人の心とか、部下を思いやる心とか、そんなものは持っていないだろう。

その割に、どうして部下達がアルカイナンを慕っているのかよく分からない。

しばらく憮然としていたヨーツレットは、命じる。

「敵を二三匹、生かして私の前に引きずってこい」

「は。 構いませんが、人間と会話するのはあまり褒められたことではないかと思いますが」

「命令だ」

「は。 仰せのままに」

殲滅戦は容赦なく続き、夕刻まで実施された。そして、捕捉した敵は全て殺した。

十万の人間が、地上から数時間で消えたのである。

逃げ出した三千はちりぢりばらばらに去ったが、それも九割方は殲滅したという。ただ、アルカイナンの顔を知っている部下がいないことに気づいて、ヨーツレットはちょっとげんなりした。

皆殺しになっていなくても、この様子では再起は不可能だろう。

既に主力の十万は失っている上に、南の諸国からも相当な恨みを買ったはずだ。逃げる途中に暗殺される可能性もある。

そう理論を重ねてみても。どうしてか、ヨーツレットは安心しきれなかった。

 

夜になってから、様々な報告をヨーツレットは受けた。

殺した人間の数は十万千百十六。追撃部隊が拾ってきた分もこれには含まれている。

また、仮設魔王城に攻め寄せた人間の軍勢は、短時間で引き上げたという。揺さぶりを掛けるためだけに来た連中だったのだろう。国境線に配置されていた部隊から報告がなかったことから、アルカイナンの主力から分岐した兵が、隠密で起動していたのであろう事は、ヨーツレットにも想像がつく。

味方の被害も、最終的に八千を少し超えた。一割を越えることは無かったが、相当に甚大である。当然負傷者も多いし、使い物にならなくなる補充兵もかなり出る。

「被害の補填をすぐに行うように」

「わかりました。 明後日までの生産される補充兵を、全て補填に回します。 負傷したものは、後方任務の補充兵と交代させる手はずを取ります」

「ん」

フォルドワードに輸送している部隊は、まだまだ余剰が多数ある。今生産している分を二日か三日くらいこちらに回しても、特に問題は発生しない。

それにしても、ヘカトンケイレスは凄まじい活躍だった。最後の乱戦でも、騎兵を相手に頭上から拳を振り下ろして、一方的に相手を殺戮していた。兜ごと頭を握りつぶすことも出来るようである。

数体を失いはしたが、そのいずれもが集中攻撃を受けてのことであったらしい。人間に対して、ここぞというところで切り札に出来る補充兵だ。

いろいろと処理を終えると、ようやく部下がとらえた人間と接見する時間が出来た。

とらえておいた人間は、どちらも大けがをしていた。放っておけば死ぬだろう。勿論、生かしておく理由はない。

一人はまだ若い。後ろ手に縛り上げられた騎兵はヨーツレットを見ると、露骨におびえた。

何か言う。翻訳の術式を掛けさせて、脳内で音声を再生してみる。

化け物めと言っているのがわかった。

「退屈な反応だな」

「しゃ、喋った!」

「喋るのは人間の特権だとでも思ったか? おまえ達の文学には、愛は人間だけにあるだとか、心は人間だけにあるだとか、好き勝手なことが書いてあるらしいが、その延長の思考方法かな」

からからとヨーツレットは笑い、人間の頭上に鋭い足先を向けた。その気になれば、これで槍のように相手を貫ける。

魔王の言うとおり、此奴らに価値など無いと、ちょっと喋っただけでよく分かる。だから、情報だけ引き出せればそれで良い。

「もう一匹いることを忘れるな。 私はそいつに話を聞いても良いのだ。 余計なことを喋ったらその場でおまえを殺す」

「……」

「まずおまえ達は、どうしてアルカイナン二世に従った」

「それは、俺たちの村が、アルカイナン王の支配下にあるから」

明快な理由だ。そして、人間らしくもある。

これに関しては、人間を責めるわけにはいかないだろう。実際問題、魔物だって今は生き方を選んではいられないのだ。適正を見極めて、それに相応しい部署に割り振るようなことはしているが、誰もが自分の好きな仕事をしているわけではない。

後方任務をしている魔物には戦場に出たい者も多いようだし、その逆もしかり。生き方を選ぶというのは、とても幸せなことなのだ。

「それが死につながるとしてもか。 もう一つ質問がある。 戦の終盤、勝敗の帰趨が決した後、どうして逃げなかった」

「そ、それは、そう厳しく訓練されてきたから」

「なるほどな。 人間は訓練次第で代わる、か」

これは面白い。

要するに此奴らが同族に非道の限りを尽くすのも、魔物から領地を空気を吸うように奪ってきたのも、自らの欲望のために全てを蹂躙してきたのも、全て訓練がなせる技、という事だ。

正確には環境が、なのだろうが。

しかしながら、もしもそうなら。環境次第で、人間は魔物と共存が可能なのではないのだろうか。

そもそも、ヨーツレットが魔王に聞かされた話によると。

この世界の南極近くに人間が、北極近くに魔物の先祖達が最初に生まれ、そしてキタルレアとエンドレンでほぼ同時に接触したという。

最初に接触したとき、人間は魔物に敬意を持って接し、領土を侵そうとはしなかったそうだ。南の大陸まで進出した魔物もいたが、人間の領地を奪わないように、慎重に行動したという。

しかし、年月が流れ、人間の方が魔物よりも遙かに狡猾で繁殖力が高いことがはっきりすると、人間は途端に態度を変えた。

つまり、「人間の方が強い」という環境が、人間を傲慢にしたともいえる。

逆に言えば、人間の方が強くない環境にすれば、連中はおとなしくなるはずだ。

クライネスは人間の様々な文学には、それとは逆の事が書かれているとか言っていたが。実際にこう訓練され躾されているのを見ると、事実がどこにあるかははっきり見えてくる。それで、充分だ。

元々人間は、自分で作った社会規範である道徳を守りもしない生物だ。如何に体面を誤魔化しても、何ら意味が無い。

「ふむ、なるほどな。 もう良い、死ね」

ヨーツレットは若者を無造作に頭から肛門まで串刺しにすると、放り捨てた。もう一人は興味も無かったので、そのまま押しつぶした。

死体を持って行かせる。血だらけになった足を拭きながら、ヨーツレットは側に控えている副官に聞いてみる。

「今の話、興味深いと思わなかったか」

「いえ、特には。 人間の戯れ言などに、興味は感じません」

「そうか」

つれない部下に苦笑すると、ヨーツレットは少し休むと言い残して、丸くなった。

まだ、処理しなければならない案件が多数ある。起きたら、急いで片付けなければならなかった。

 

3、空白地と争い

 

アルカイナン王は行方不明。ハン国の軍勢は全滅状態。生き残ることが出来たのは、わずか一割ほど。

その情報がイミナの元に届いたとき、既に混乱は始まっていた。

しばらくイミナは、シルンと一緒に、小さな個室を与えられていた。といっても軟禁されているわけではなく、ひっきりなしに訪れる武官や魔術師に、魔王軍との戦闘について聞かれていたのである。

敵の具体的な数、戦術、編成、それに練度や戦闘能力。

それらをイミナとシルン以上に知る者などいない。一方で、レオンは毎日彼方此方を走り回り、様々な人脈を作ろうと躍起になっているようだった。これはいざというときのための防御策だろう。

一方、プラムは毎日退屈そうにしている。最初は肉料理がふんだんに出たので機嫌が良かったが、ここ数日は明らかに暇をもてあましていた。武技を見せてもらうが、プラムのは訓練が出来るようなものではない。棒でも何でも、適正な長さなら最強の刃物として機能してしまうのだ。しかも、達人級の練度で振るわれるのである。

結果としてイミナが教えたのは、元の体術を向上させるすべであった。身体能力が上がったとはいえ、戦闘の素人なのだ。しっかり技を覚えておくことに損は無かった。

そして、そろそろ本格的な訓練を始めようと思ったその矢先である。

城塞らしく、丁度真ん中に水よけの中庭が存在している。兵士達もかなりの数が訓練に利用しているその一角を借りて、素手での訓練をしようと思った所に。アニーアルスから借りている本を抱えたまま、血相を変えたシルンが飛び込んできた。

「お姉! プラムちゃん! 大変だよ!」

「どうした」

「ハン国が負けたみたい! 殆ど全滅だって!」

中庭に、ざわめきが走る。

失言に気づいて口をつぐむシルンの頭を軽くこづくと、自室に。プラムはせっかく体が動かせる機会がフイになったのに気づいてむくれた。

「むー。 たいくつ−!」

「教えた型は覚えているか」

「うん」

「それを各自百ずつ。 やっていれば気が紛れる」

そう言うと、プラムは退屈よりもその方が良いと思ったか、中庭に戻っていった。

根が真面目な子である。しっかり実行することは疑いない。そして、その分上達する。そういう年頃だからだ。

プラムがいなくなるのを見計らってから、シルンは小言を言う。

「ああいうことを言うと、我らの立場も悪くなる。 気をつけろ」

「うん、ごめん」

「わかれば良い」

社交的なのに、シルンは時々こういういわゆる「空気が読めない」行動をする事がある。そして人間が、それを一番嫌うことを、イミナはよく知っている。

妙な話で、真実よりもその場の雰囲気を好むのだ。人間は。

本を机に置くと、シルンは話し始める。先ほどの詳しい話を、である。

「ハン国が魔王軍に戦いを挑むって話は聞いているよね」

「ああ」

「一日で壊滅しちゃったみたいだね。 元々アルカイナン王って人はとても残酷だったらしいけど、悲しいね」

「……」

残念そうにシルンが肩を落とす。

北の大陸では、何度も見てきた光景だ。あのエドワード片袖王も、同じようにして滅びた気がする。

勇敢だろうが、高潔だろうが、戦いは殺しあいだ。戦えば死ぬ。死ねば、この世ではもう何も残らないのだ。影響力は残ることがあるが、本人が生き返るわけではないのである。残念な話だが。

レオンが部屋に入ってきた。ドアのノックも忘れていた。きまじめな男らしく、それに気づいて赤面していた。

「すまない。 急いでいた」

「どうした」

「その様子だと、ハン国の敗退は知っているようだな」

「今、シルンに聞かされた」

レオンはため息をつくと、与えられている椅子に腰を下ろす。

まだ若いこの青年僧は、シルンよりも出は遅かったが、より詳しい情報を握っていた。急造だが、作り上げた人脈が故だろう。

「魔王軍は動いていない」

「えっ?」

「領内に侵入したハン国の軍勢は壊滅させたが、それ以降は動きを見せていないようなのだ。 これはどういうことだ」

不思議な話である。確か片袖王の時は、軍を壊滅させたら即座に兵をその国に侵攻させたはずだったが。

ハン国は遊牧民の国家であり、働き盛りの男は全て軍人になるという特徴がある。今回の会戦で、若い男は殆ど死んだはずだ。たとえアルカイナン王が生きていたとしても、二年や三年では再起できないだろう。

それなのに、魔王軍は即座に動いていないという。この様子だと、何度も事実確認したのだろうし、まず信じて良さそうだ。

ドアがノックされた。プラムである。

「イミナさん、シルンさん!」

「入って良いぞ」

レオンがちょっと憮然とする中、プラムが入ってくる。訓練していたところを、無理矢理連れてこられたという風情である。

女騎士アマンダも一緒だった。

「その様子では、既に話は聞いているようだな。 全員で来て欲しい。 これから、作戦会議を行う」

そのまま、会議室に案内される。

会議室は、城塞の一番奥にあった。地下ではなく、二階である。構造的に強くするために、平屋に近い構造になっているのだが。一部は二階建てになっていて、そこに作られているのだ。

この部屋ばかりは、国賓を呼ぶことがあるためか、赤い絨毯が敷き詰められた豪華なものとなっている。シルンは絨毯を踏むことをちょっとためらっていたが、イミナは堂々と前に進み出た。

ジェラスは既に最上座に座っていて、重鎮らしい人物もちらほら見える。殆どは屈強な武人ばかりであったが、ぽつぽつと痩せた老人が混じっていた。

多分、前線を退いた軍人達だろう。

この国では、文官は、年老いた軍人が努めることが多いという。国の性質上、どうしても若者は軍人に取られがちで、しかも強さで出世が決まるが故、であるらしい。

そういう場合、老人になると太ることが多いらしいのだが、しかし痩せた人ばかりだというのは。質実剛健の気風だけではなく、多分全体的な食料が少なめなのだろうと、イミナは分析した。

末席をもらったので、四人並んで座る。王弟は、大方の席が埋まった辺りで、喋り始める。

威厳のある声だ。以前殆ど対面で接したときとは、迫力が違う。それが、場での厳粛な雰囲気作りに、一役買っていた。

「皆も聞き及んでの通り、ハン国が魔王軍に敗北した。 何故これほど早く情報が入ってきたかというと、我らもアルカイナン王に誘われていたからだ」

「殿下、それはいかなる事でしょうか」

「あまりに急な話だったので、御前達には相談できなかった。 すまなかったな」

そう腰を低くして言われると、立場上何も言えないらしく、文官達は押し黙る。

ジェラス王弟の話によると、ハン国は幾つかの国を巻き込んだ広域戦略を実施していたそうなのだ。

そして、その影響は、既に出ている。

「既に連絡が入っているのだが、南にある幾つかの国が、出兵しようとして王と主要な武官をことごとく失うという事態に陥っている。 ほぼ間違いなく魔王軍の仕業と見て良いだろう」

「例の、逆らう相手を殺すという力ですか」

「そうだ。 アルカイナン王はそれを見抜いていた。 だから、魔王はまず増援になり得る敵を皆たたいて、アルカイナン王との直接対決の場を作ったのだろう」

「しかし、それならばアルカイナン王を倒せば良かったのではないのでしょうか」

発言したのは、騎士団長だ。

現在三十代半ばの人物で、武芸と言い指揮手腕と言い、この国の騎士団長の名を辱めない男である。残念ながら軍司令官とは犬猿の仲のようだが、それでも危急時には、きちんと協力できるようだ。

いかにもといった四角い風情の大男である騎士団長だが、そんな大男の視線を受けても、王は動じない。

「理由はわからないが、アルカイナン王を後回しにする必要があったのだとも考えられるな」

「どんな理由でしょうか、それは」

「流石にそこまではわからん。 密偵が今は情報を集めている所だが、納得のいく答えは出ていないようだな」

イミナには、何となく理由がわかった。

というのも、魔王軍は基本的に、「移動中の」軍勢には攻撃を仕掛けていないような気がするのだ。

或いは、高速で移動中の相手には、敵を殺す力を発動できないのかも知れない。

幾つか難しい話を、王弟は騎士団長としていたが、それもすぐに終わる。不意に、イミナに話が振られた。

「銀髪の乙女」

「はい」

イミナは、少し前からジェラスに銀髪の乙女と呼ばれるようになっていた。シルンは銀髪の勇者である。

妙な話だが、それがしっくり来るので、受け入れていた。最初は恥ずかしかったが、騎士は大陸を問わず二つ名をつけることを最高の友情の証としていると聞いたことがある。ジェラスは王族だが、この国の性質から言って騎士にも近い。だから、受け入れたのかも知れない。

「貴殿らには、一つやって欲しいことがある」

「何でしょうか」

「アルカイナン王が、今国境線近くまで逃げてきている。 だが、魔王軍の張っている防衛線に阻まれて、脱出できないようだ」

なるほど、それは一刻を争う。しかし、それがよく分かったものだ。

疑問にすぐ気づいたのだろう。ジェラスは種明かしをしてくれた。

「実は今回の作戦には、東側の大国が幾つかバックアップに入っている。 私はその中間地点の役割を任されていてな。 勿論、アルカイナン王の周囲には、東側諸国の密偵や、監視員が何名かついていた」

壊滅的な大敗とはいえ、全員が同じ戦場にいたわけではない。

その中の何人かは戦場から離れて観察を行っており、結果として命を拾いもした、という話だ。

その命拾いした連中が、繋ぎ狼煙や魔術を使って、状況を知らせてきたというのである。

今回の作戦では、敵が守勢に入っている事がハッキリした。それだけではない。敵はかなりの戦力を、別方面に裂いており、守りそのものが相当に手薄になっているという。それならば、納得も行く。

「敵の根拠地らしき場所もはっきりした。 今回の戦役は、多くの人間が死ぬことになったが、しかし意味自体は大いにあった」

アルカイナン王は非常に狡猾な男で、東側諸国だけではなく、南側の諸国も利用していたという。さきの話にあった南側諸国の壊滅は、それが結えというわけだ。

今、南側の諸国は、例の魔王の攻撃により大混乱に陥っているそうだ。だが、それでも。

今まで誰も出来なかったか、出来たとしても限定的だった事を、成し遂げたのである。非道なやり口ではあるが。

これは反撃の大きな糸口だ。まねしようとは思えないが。

「騎士団の精鋭もつける。 銀髪の双子よ、是非とも頼むぞ」

「……」

「わかりました。 すぐに現地に向かいます」

不満そうなシルンを促して、イミナは立ち上がる。

そして、会議室を、レオンとプラムを伴って出た。

外に出ると、流石に我慢しきれなくなったらしい。シルンが口をとがらせて、ぶーぶー文句を言い始める。

「お姉、ひどいよ今回の話。 一体何人を犠牲にしたんだろう」

「合理的に冷徹に考えていくと、アルカイナン王の行動は間違っていない。 ただし、人道からは反しているがな。 それはあのジェラス殿下も同じ事だ」

「ねえ、人の集団って、法と道によって成り立つんだよね。 どんなにそれが腐っていたとしても。 師匠はそう言っていたよね」

その通りだ。

それが成り立たなくなったとき、国は瓦解する。

こればかりは、イミナも師匠の言うことを信じている。師匠は厳しいようで夢想家な要素があったが、このことについては真理を直撃していたとも思っている。

曲がりくねった廊下を歩きながら、イミナは不満をぶちまける。

廊下は無骨な石造りで、殆ど絵画や花瓶もない。芸術は殆ど存在しない空間であり、雰囲気そのものが武であった。

それなのに。

此処も、同じだと言うことが、妹を苛立たせているのだろう。人間の集団ある所、どうしても下劣な陰謀が表に出てくる。

「ジェラス殿下って、凄く器が大きい人だって思ってた。 それなのに、こんなに多くの人たちを苦しめる方法でしか、勝つことを考えられないのかな」

「代案はあるのか?」

「……」

「私も、これ以上の案は思いつかん。 ただ、褒められたやり方ではないとも思うが、そもそも戦にきれい事はない」

イミナがそう言うと、シルンは黙る。

レオンは何か言いたそうだったが、最後まで何も喋らなかった。プラムはというと、話は理解できていたようだが、とにかく退屈そうだった。

中庭に出ると、既に選抜された騎士団精鋭が待っていた。若い騎士が多いが、率いているのは中年の男性だ。全身を分厚い筋肉で隙無く覆っており、いかにも偉そうな口ひげを蓄えている。

剣の腕前は、見た瞬間に相当なものだと判別できた。

「青竜騎士団副長、ゴルドスだ。 貴殿らと隠密作戦に参加させてもらう。 この者達は、我が配下の精鋭だ」

「よろしく」

二十人ほどの騎士達が、音をそろえて敬礼してきた。

頷くと、イミナはすぐに出発する旨を皆に告げた。

 

流石に国境線では、魔王軍が相当に厳しい警備をしていた。おそらくは内側に向けてのものが主体なのだろうが、外側に対してもそれなりに備えている。

まず、見晴らしが良い場所は、昼には絶対に越えられなかった。というのも、敵の航空戦力らしいのが、小隊単位で見張っていたからである。以前イドラジール最後の砦を一瞬で粉砕したのと同じ奴だ。もしも堂々と姿を見せようものなら、空からの攻撃で吹き飛ばされてしまうだろう。地上部隊の増援も、即座に駆けつけてくることが疑いない。

従って、遮蔽物の多い場所を、夜に移動するしかない。

丸二日掛けて山を越える。アルカイナン王が負けたのが、およそ五日前だという話だから、これで一週間だ。

これだけ派手に負けたのである。如何に部下達を洗脳に近いほどに従えていたアルカイナン二世とはいえ、恨みを買わないわけがない。多分未だに逃げられずにいるのは、それを恐れている部分もあるのだろう。

魔王も、この一週間ほど、何もしていない訳がない。

あれだけの戦力を動員できるのである。受けた被害くらいは補填しているだろうし、当然先回りして手を幾つか打っているはずだ。それがどんな形で表に出てくるか、まだわからない部分が大きい。

ジェラス殿下も、そういう意味では。いつ殺されてもおかしくない状況であった。

騎士達はプレートメイルを着てきている訳ではない。殆どは山野での戦闘を想定してか、軽装の皮鎧だ。しかも隠密を意識してか、緑色のマントや、迷彩模様の布などを、各自で用意してきている。

しかも、機動力はさすが歴戦の騎士である。いずれの騎士も、文句一つ言わずに、かなり過酷な山道をついてくる。脱落者は一人も出ないし、音を上げる者さえ一人たりといなかった。

元々騎馬民族を相手に、鍛えに鍛えられた騎士達だと聞いている。実際にその動きを見ると、話が嘘ではないことがよく分かる。

朝日が見えてきた。

山をようやく越えて、降り始めたところだ。原野に出ると、多少は身を隠す木々がある。其処まで行けば、小休止できるだろう。小雨も降り始めていて、空は暗い。あまり気持ちよい気候ではないが、隠密機動には言うことがない状況だ。

ただ、シルンがさっきから展開している探索術式によると、近くに幾つか敵の偵察部隊がいる。大物はいないようだが、脅威度は高い。

プラムは最初文句を言うこともあったが、最近は野性的な要素も強く、こういう隠密行動自体が本能的に好きになっているらしい。そればかりか岩場で蜥蜴とか蛇とかを捕まえては、騎士団員達を瞠目させていた。しかもそれを生で平然と食べるものだから、剛胆な騎士達も怖がっているようだった。

レオンはというと、寡黙に周囲の世話を焼いている。

孤児院での活動経験があるらしく、プラムが女の子らしく振る舞うように、いろいろと無言で教えているのがほほえましい。この男、エル教会が腐りきっていなかったら、誰にも愛され慕われる名孤児院長になっていたのかも知れなかった。堅物である事に変わりは無かったのだろうが。

「急ぐぞ」

朝日が、高くなってきた。同時に、小雨が止んだ。

世界に色彩が増えてくる。加速度的に発見される危険性が増す。

小走りで、近くの林に。巡回している敵の部隊は、まだこちらには気づいていない。ただ、魔術的な罠が設置されている可能性がある。シルンがそれに備えるためにも、イミナと一緒に先頭を行かなければならなかった。

全員を生きて帰すなどと断言は出来ない。

だが、できる限りはそうしたい。

まず、林にシルンが駆け込んだ。術式を展開して、眉をひそめる。

「待って、お姉。 やっぱりトラップがある」

「解除かごまかしは出来るか」

「出来る。 少し待って」

小声で会話しながら、遅れている騎士を手で制する。

身を低くしたまま、全員がぴたりと動きを止めた。流石に訓練が行き届いている。

プラムの頭を、レオンが掴んで下げさせるのが見えた。流石にレオンである。戦闘能力は高くても、まだ気が回らないプラムを、きちんと補助している。

シルンが印を組み替えながら、術式を詠唱。イミナは周囲を警戒していたが、どうやら嫌な予感が的中しそうだった。

空に、ふわふわ浮く肉の風船みたいのが見える。

しかも、こっちに近づきつつあった。例の航空戦力だ。

「敵接近。 気配を消せ」

後続の騎士達に、ハンドサインを送った。辺りがしんと静まりかえる。騎士達は緑のマントを被ることで、己の存在を消した。

丈の低い草である。どれだけごまかせるかはわからない。もしも魔物に見つかった場合、駐屯軍が急行してくると見て良いだろう。

そうなれば、いくら何でもおしまいだ。

狭隘な地形ならともかく、此処は見晴らしが良い場所である。包囲されてしまえば、もうどうにもならない。

シルンが顔を上げた。術が失敗したか。

いや、違った。

「術、完成したよ。 早く林の中に」

「今は動けない」

「私が囮に」

レオンがハンドサインを送ってくるが、首を横に振る。

頭が良いレオンだが、こういった隠密機動の経験は致命的に不足している。もしもやるならイミナだ。だが、イミナでも、この状況では、動かない方が良いと思う。

風船状の魔物は、徐々に数を増やしながら、若干北に逸れ始める。隊列を組んで移動しているのだと、見て取れた。

どうやら偵察ではなく、国境線に配備される部隊らしい。安心したのもつかの間、シルンが耳元にささやきかけてくる。

「お姉、術式を解析したけど、どうも三刻か四刻くらいで、自動的に更新が掛かるみたいなの」

「つまり、長居は出来ないと言うことか」

「そう。 王様がどうやって隠れているかはわからないけど、早く見つけないと危ないよ」

シルンの話によると、術の更新はここからではなく、遠隔地から行われているという。つまり、更新を阻止することはかなり難しいと言うことだ。更新が上手く行かなければ、自動的に警報が送られるようにもなっているという。

空から、魔物の姿が消える。

騎士達を手招きして、林の中に逃げ込ませた。

これで、ようやく一息がつけた。レオンが大きく嘆息した。

「厳しいな」

「つまんない。 戦いたいよ」

「王を救出してからなら、いくらでも戦わせてやる。 もっとも、嫌になるくらい戦わなければならなくなるだろうがな」

ぼやくプラムを軽く脅かすと、イミナはここからの行動プランについて考え始めた。

 

一週間ほど前の戦いは、既に過去の案件として片付けられていた。

純正の魔物にも死者は出たが、この規模の戦いであるし、仕方の無いことだ。仮設魔王城を守ったヴラドは、以前の敗戦の経験を生かしてしっかりした守備を敷いており、攻め寄せた軍勢にも全く隙を見せなかった。

魔王としては、まず満足できる結果であった。

ただ一つを除いて、だが。

経過をレポートにして、ヨーツレットが提出してきた。

魔王は丁寧に目を通していたが、最後の方に、看過できない部分が一つあった。

すぐにエルフの戦士達を呼び、術式をヨーツレットにつなげる。まだ戦いが終わって一週間ほどである。部隊の編成や、守備隊の配置などで忙しいところだが、これは早めに話をつけておかなければならない。

エルフ達が術を唱えると、安楽椅子に座ってミカンを食べている魔王の前に、円形のレンズのようなゆがみが生じる。それが徐々に映像と音声を伴っていく。ヨーツレットが、映像術式に気づいて、こちらを向く。

今回も勝利を重ねた魔王軍常勝の原動力である元帥が、ムカデそのものの頭をぺこりと下げた。

「陛下、如何なさいましたか」

「うむ、ヨーツレット元帥。 貴殿の提出してきたこのレポートなのだが」

「最後の部分でありましょうか」

「そうじゃ」

最後、ヨーツレットは章を一つ割いて、わざわざ余計かつ不愉快きわまりない一文を載せているのだ。

すなわち、人間との共存の可能性、などというものである。

ヨーツレットの言い分はこうだ。

人間の歴史を調べてみたところ、人間という生物は環境によってその性質を大きく変える。独裁政権が立った場合、多くの場合独裁政権が強権を振るっている間は基本的に人間は唯々諾々と従い、体制にほころびが生じたときに暴れ出す。

つまり、相手が弱ったと見ると、調子づくと言うことだ。

どんな腐敗した社会体制でもそれは同じで、相手が弱らない限り、少なくとも種族としての人間は抵抗しようとしないのである。

これは一例だが、人間はこれに限らず、種族として基本的に強い相手には逆らわない傾向にある。

この性質を利用すれば、人間を滅ぼさずとも、共存は可能になる可能性が高い。

それが、ヨーツレットの主張であった。

「ふむ、つまり、ヨーツレット元帥は人間と共存が可能だと」

「はい。 要は、人間に対して、我らが決定的な優位に立てば良いのです。 そうすれば、強い者には逆らわない傾向がある人間は、我らに対して抵抗しようとは思わなくなるでしょう。 一部の勇気ある者は違うでしょうが、そんな連中は人間が自分で勝手に排除してくれます。 なぜなら、人間はそういう生物でありますが故に。 そうなれば、人間の技術力や数が増えすぎないように気を配りさえすれば、安全になるかと思います。 共存といって良い状況に出来るでしょう」

「残念ながら、それは無いのう。 それに如何に元帥といえど、もしもこれ以上ふざけたことを言うようなら、儂も流石に許さぬぞ」

ヨーツレットが、息を呑むのがわかった。

多分、魔王が普段と全く違う気配を纏っているからだろう。周囲のエルフ族の戦士達も、瞠目しているようだった。

「このレポートの一文は、見なかったことにしておく。 だから、後は普段通りに励むようにの」

「わ、わかりました」

「うむ、それではいつも通りの活躍を期待しておるぞ。 そなた達は、儂の宝じゃて」

「ありがたき幸せにございます」

通信を切る。

エルフの戦士達が、困惑した視線を向け合っているのがわかる。これほど露骨に魔王が負の心を見せたのはそう例がないからだろう。

ヨーツレットは人間をあまりに知らない。

人間であった魔王は、逆に知りすぎるほど知っている。だから、人間はそう単純ではないことを、良く理解している。

確かに人間は強い者には逆らわない傾向がある生物だ。

だが、その代わり。

強い者には際限なくこびへつらい、甘い汁を吸うことを喜びとする連中でもあるのだ。そんな連中と接しているだけで、魔物は腐敗するだろう。

共存など、あり得ないのだ。

それに、もう一つ、人間とは共存があり得ない理由がある。これに関しては、魔物の誰にも話すわけにはいかない。魔王が胸の内にしまったまま、最後の時まで隠していれば良いだけのことだ。

「陛下、新しいおミカンをお持ちしました」

「おお、そうか。 すまぬのう。 フォルドワードからの輸送は、まだ満足に行っておらぬであろうに」

「そんな、陛下がお喜びになるのでしたら、このくらい」

多分雰囲気が戻って安心したからだろう。ミカンを差し出したエルフの戦士は、魔王の笑顔に柔らかく反応していた。

玉座の間に移る。これから、執務をこなしておかなければならない。休憩ばかりしていては、部下の士気も鈍る。

丁度、影もなく音もなく、バラムンクが来て跪いていた。

「陛下、ご報告がございます」

「どうしたのかな」

「どうやら先の戦役の主犯であるアルカイナン二世でありますが、会戦での死体を調べたところ、生存している模様です。 可能性はおそらく七割を超えるかと思います。 対処なさった方がよろしいかと」

「……そうか」

奴は非常に厄介だ。この仮設魔王城の位置を的確に割り出しただけではなく、現在の魔王軍が窮地にある事を掴んでもいた。少ない情報からそれだけの推察をして見せたのである。生かしておくには危険すぎる存在だ。

正直な話、人類の国家が根こそぎ兵力を動員してきたら、まだまだ現状の魔王軍では勝てない。

フォルドワードに主力が移動中と言うこともあるのだが、数が違いすぎるのだ。人間は現在、判明しているだけでも三億を超える数を誇っている。実際には三割から四割以上多いのではないかとさえ言われている。

それに対し、魔王軍は軍勢にしても補充兵頼りで、純正の魔物などほぼいないも同じなのである。

無為に戦線を広げず、各個撃破に徹しているのもそのためだ。

「良かろう。 三千殺しを使って消しておくとするかのう」

「明察、痛み入ります」

「居場所はわかっているのかな」

「いえ、まだ掴めておりません」

バラムンクは嘘をつかない。陰湿な性格から嫌われている事は知っているが、それは影働きが故にである。

故に、魔王も信頼していた。

「それならば、多少条件は限定的になるが、試してみるとするかの。 一週間前に、西の大地でヨーツレット元帥と戦った軍勢およびその関係者、影響力が大きい順に上から三千人、死ね」

ぱちんと指を鳴らす。

同時に、三千の死を、魔王は感じ取っていた。

 

アルカイナン二世は、洞窟に隠れていた。

木々を渡り歩くようにして隠密行を続けていたイミナは、二日目にそれをようやく見つけ出すことが出来た。

勿論、闇雲に探したわけではない。国境線から歩いて二刻ほどある場所にある所に、適当な林を見つけると、そこを拠点にしてシルンに魔術で探させたのである。小さな小川が流れ込んでいるそこは、とても静かで、探査系の術式も掛かっておらず、絶好の休息所だった。

林にベースキャンプを作った。ここに来ているだけあり、騎士達には医療の心得がある者も多く、レオンと一緒にそこでけが人がいた場合に備えた拠点を作ってもらった。

まずは穴を掘り、その上に天幕を張る。側にある小川からは、水をいつでも引けるようにした。持ち込んだ医療器具類をそこに置くと、簡易治療所の完成である。擬装用の緑色をした天幕を張って、その下に道具類を隠すことも忘れない。回復術の専門家であるレオンが指揮をしたが、むしろこういう施設の実地建築は、騎士達の方が得意だった。ごつい外見のゴルドスは手先が器用で、イミナが感心するほどてきぱきと野営地を作ってくれた。

事前に予備知識を得ていたから出来ていたことだが、アルカイナンの側の術者が、マーカーになる術を展開してくれていた。ただし、隠れている場所が山裾で、なおかつかなり奥まっており、そこまで辿り着くのに苦労した。

というよりも、洞窟がなかなか発見できなかった。丁度大岩の影に隠れるような場所で、上からは見つからないような、隙間のような場所だったのである。発見したのはプラムだった。

偶然の産物である。プラムが蛇を捕まえようとして、それが逃げ込もうとした先に、洞窟があったのである。

発見は出来たが。

状況は、簡単ではなかった。

アルカイナン王の他に生きているのは十名弱である。いずれもが弱り切り、怯えきっていた。早速持ってきた物資を分け与えて、落ち着かせる。

そして、気づく。

アルカイナンの胸には、短剣が深々と突き刺さっていることに。

多分寝ているときに刺されて、即死したのだろう。苦悶は、顔に殆ど残っていなかった。

イミナもしばし憮然とした。予想していたことではあったが、聞かずにはいられなかった。

「誰だ、刺したのは」

「私だ」

挙手したのは。

騎馬民族らしい、中年男性だった。細面で、目も細い。ただし、全身は分厚い筋肉で隙間無く覆っている。

民族が違うからだろうか。あまり見分けがつかない。他の戦士達も、皆同じような顔をしていた。

思わず沸騰しそうになるシルンを、手で制する。

「貴方は密偵か」

「そうだ。 既に王を殺す事は決まっていた」

「ええっ! どういうことっ!?」

「イミナ、良いから。 今はまず生存者を連れて行くぞ」

それを告げると、密偵は王の首を、無造作に切り落とす。もう死んでから時が経っているからか、血はあまり出なかった。

他の兵士達は、それを見て何ら関心が無いようだった。

或いは此奴ら、揃いも揃って全員が密偵だったのかも知れない。

岩陰から全員を出す。息は苦労したが、帰りはそうでもなかった。外で見張っていたプラムがくんくんと辺りの臭いを嗅ぐ。

「血の臭いがひどいよ」

「気にしなくて良い」

「そう? で、どの人が王様?」

「もう死んだ。 それは忘れていろ」

小首をかしげるプラム。

もう馬は手放してしまったらしく、そこからは徒歩で移動した。何人か歩けないほど衰弱していたので、一緒に来た騎士団の人に背負ってもらった。勿論イミナとシルンも、一人ずつ背負った。

一回の往復で、生存者を全員救出。夕刻から深夜に掛けて行動したこともあり、かなり体力は消耗したが、どうにか敵に発見されることだけは避けた。

レオンは、既にこの事態を、予測していたらしかった。王が死んでいて、しかも首を密偵が持ち帰っていることを告げると。全員の治癒を一通り済ませて、後は医療班に任せながら、話してくれた。

「おぞましい話だが、記憶を司る脳から、知識を抽出する術式というものがあるそうだ」

「エル教会の秘儀?」

「そうだ。 近年では、情報を聞き出すための拷問がエル教会では必要なくなったのも、この術式の発達が進んだかららしい。 今ではエル教会で拷問と言えば、見せしめだったり、やっている人間が楽しむためのものなのだ。 もっとも、エル教会以外では、そうでもないようだがな」

首を持っている密偵は、周囲に警戒し続けている。特にシルンに対しては。

もしもシルンに手出ししたらその場でぶち殺す。

「じゃあ、あいつは」

「この戦役には東側の大国が多く関与しているという。 そうなると、当然世界最大の資産を持つエル教会も絡んでいると見て間違いないだろう」

「本当に怖いのは、魔物なんかじゃないな」

「その通りだ」

レオンに頷くと、その場を離れる。

林の縁に出て、上がりつつある朝日を見つめた。怪我をどうにかしたら、二日ほど掛けて魔王領を脱出する。

それで、おそらく戦況は多少なりと好転するはずである。

だが、それは。

さらなる怪物を、喜ばせるだけ。そんな風に、イミナは思い始めていた。

 

(続)