大反攻の兆し

 

序、輸送

 

滅ぼしたイドラジールの領地、南西部にある魔王軍の前線指揮所。

そこへ、北極から厳重に包装護衛された荷物が運び込まれていた。荷物は小型の鯨ほどもある大きな鉱石の塊である。水晶を中心とした青紫色の鉱石であり、所々が鋭くとがっているため、輸送している人員はずっと苦労しているようだった。

輸送の指揮を執ったのは、魔王軍九将の一。後発軍の将軍である、バラムンクである。

バラムンクはサソリに似た姿をした補充兵であり、闇に紛れて相手を奇襲することを得意としている。最も後に出来た後発組将軍のため戦闘能力は高いが、非常に寡黙なため、誰も友人がいない。

つまり、魔王軍の影を代表するような存在だ。

そんなバラムンクが、わざわざ輸送のために付き添ったほどの荷物である。しかも、北極から運び出されたという。

ヨーツレットは、一部始終を見届けた後、荷物運搬の書類に判を押すように言うバラムンクを複眼で見つめた。

サソリに似ていると言っても、その体躯は大型の鯨ほどもある。更にはさみは四つあり、毒針と一緒に尾の節には短い触手と目が一つずつついている。真っ正面から戦ったら、ヨーツレットでも苦戦するほどの兵だ。

印を押しながら、ヨーツレットは聞く。

「バラムンク将軍、輸送時に何か問題は」

「無し。 我はただ、魔王様の命令を実施するのみ」

「直接の命令だったのか」

「そうだ。 魔王様は、戦況に余裕がある内に、この塊を運ぶようにと仰せになられた」

魔王は基本的に、何かある場合必ずヨーツレットに相談する。軍を動かすときも、各軍団長を招聘して、オープンな状態で決議を採る。

だが、私兵的な部隊も持っているという噂はあった。多分それを統括しているのがバラムンクだとも。

勿論、それが味方である魔物に牙をむくわけでは無い。実際問題、穏健派の魔物にも、魔王は自ら出向いて粘り強く説得するような方なのだ。どんなに過激な連中でも、辛抱強く粘り強く話し合い、そして協力を勝ち取ってきた。それが、ヨーツレットの敬愛する魔王だ。

だが、不安もある。

バラムンクを見ていると、特にそれを強く感じてしまう。

基本的に汚れ役は全て補充兵にさせることで、元来の魔物達が堂々と戦えるように魔王は計らってくれている。それは分かっている。

だが、魔王の薄暗い思念も何処かで感じてしまうのだ。いずれそれが、大きな災いを呼ぶような気がしてならない。

今、魔王軍は魔王のワンマン組織だ。そして、魔物達は無意識のうちに、魔王に頼り切っている。補充兵であるヨーツレットが言うのも何だが、このままではいけない。魔王には、人間のこととなると憎悪が思考に影響を与える欠点がある。だから、いずれ魔王も失敗をしかねない。その時には、部下達が支える体制が必要なのだ。

だが、今はそれが無い。

そう、冷静にヨーツレットは分析していた。

「では、我は行く」

「どこへだ」

「前線に調査へ。 貴様ら正規軍を苦しめている双子がいるらしいな。 出来ればその姿を確認しておく」

「……」

クライネスも、同じ任務に就いているはずだが。しかし、今の時点では成果が上がっていないとも言う。

不安を感じたヨーツレットは、魔王へ面会を申し込む。この荷物についても、知らせておかなければならないからだ。

魔王の部屋の前は、エルフの護衛戦士達が固めていた。今丁度魔王がミカンをほしがっているらしく、一番若い、まだ童女というべき年の戦士が、いそいそとかごに詰めたミカンを持ってくるところであった。

おかっぱに髪を切りそろえているその戦士は、確かキャロルといったか。

「ヨーツレット元帥?」

「陛下に面会だ」

「今、陛下はうたた寝されております。 おミカンを食べてからではいけませんか」

「……火急では無いが、それなりに急ぐ」

分かりましたといってから、多少不満げにキャロルは魔王を起こしてくれた。

魔王は杖をつきながら部屋から出てくる。傅くヨーツレットを見て、眠そうに目をしばしばさせた。

「どうしたのかな、元帥。 儂はさっきまで、ちょっとお空を散歩しておったのだぞ」

「飛翔能力ですか!? 陛下にそのような能力が! これは、戦略的な活用が可能かも知れませんな」

「いや、夢の中の話じゃ。 そりゃあ気持ちよくて、魂が抜けそうだったのう」

「魂が!? い、いけません、陛下に何かあったら、我らは」

我に返る。

まだ寝ぼけている魔王のペースについつい乗せられてしまった。

この方は、時々楽しそうに夢のことを話すのだ。戦略家としての本能にそれが攪拌されてしまった。

気を取り直して、咳払いする。喉は無いから、音だけである。

「あー、ごほんごほん。 それはともかく、陛下に荷物が来ました。 北極から急ぎの様子です。 大きな鉱石のようですが」

「本当か。 おお、それは是非見に行かなくてはな。 以前から用意している、玉座の間の裏の空間は、掃除してあるかのう」

「問題なく、手抜かり無く」

「それでは、そこへ運んでくれるか?」

直ちにと応えると、エルフの戦士達の中から手伝えそうなのを何人かつれて外に。目がすっかり覚めたらしく、魔王は杖をついて、玉座の間の方へ歩き出した。エルフの戦士達が、魔王が迷子にならないようにせわしなく周囲を固める。

魔王はやはり此処でも方向音痴なので、放っておくとあらぬ方へいってしまいそうになるのだ。

エルフ達の一人が、怪訝そうに聞いてくる。北極に何か残していると、彼らも知らなかったのだろう。

「北極から、荷物が?」

「うむ、バラムンクが運んできてな」

「あのバラムンク将軍が、荷物のためにおん自ら動かれたのですか」

「そうだ」

バラムンクの名前を聞いてエルフ戦士も不安になったらしい。それだけ、バラムンクの存在は、影働きとして皆に認知されているのだ。

外では、もうバラムンクが引き上げていた。北に向かったのだろう。今、北ではグリルアーノと交代したメラクスが指揮を執り、小国に対して攻撃をしているはずだ。十中八九、そこへ様子を見に行ったのだ。

予想外に手こずっているようだが、被害がそれほど多く出ているわけでもないし、見に行くことも無いとヨーツレットは判断していた。プライドの高いメラクスだが、目付役の師団長はかなりの数がいる。無茶は出来ないはずだ。

護衛の補充兵に囲まれて、ぽつんと存在している荷車。

まず覆いを取る。

エルフの戦士が、あっと息を呑むのが分かった。

鉱石の中には、膝を抱えて目を閉じている、魔物の女の子の姿があった。

人間に似ているが、背中に翼がある。手足には少量だが鱗もあるようだ。耳の後ろには、ぴんと髪の毛状の器官が跳ねている。

着衣は無し。顔立ちは、絶世の美女というほどでは無いが、それなりに整っていた。

「この子供は? 見たことが無い種族のようですが……」

「分からんが、とにかく運ぼう。 陛下は、玉座の間の裏に、これを運ぶように仰せであった」

エルフ達が、重力軽減の術式を掛ける。軽くなったところを、革手袋をした補充兵達が持ち上げた。慎重に運ばせる。

入り口が少し狭く感じる。

「落とさないように気をつけよ。 重力軽減の術式を、もう少し強く掛けてくれ」

「分かりました」

入り口を四苦八苦して通す。通路に入ると、ドラゴンも通れるようにしてあるのだから、かなり広い。

玉座の間に入る。

玉座には、既に魔王が腰掛けていた。指揮をして奥へ運ぶ様子を、目を細めて見つめている。よほど楽しみだったのだろう。

この女の子は、魔王の縁者だったのだろうか。或いは、古い古い時代、魔王が若き頃に愛した相手だったのか。その割には幼すぎるようにも見えるし、そもそも魔物と人間の恋は成立しようが無い。

一方的な、暴力的な陵辱はあっただろうが。

エルフ族は混血可能だが、それでも人間と愛情が通じていたような例はあまりないと聞いている。ましてやこの姿である。少なくとも、人間の間で、この娘が受け入れられたとはとても思えない。

魔王の過去を、ヨーツレットはあまり知らない。ふと思い出した名前がある。アニア。

アニアールという師団長がいるが、どうもそれと若干の関係があるらしい人物。魔王が以前そういう大事な存在がいたと、教えてくれた。

だとすれば、この厳重な運搬も理解できる。

「丁寧に運べ」

敢えて補充兵に、そう命令する。

魔王はずっと目を細めて、運搬の様子を見つめていた。

奥の間には、壁にくぼみが作ってある。この結晶体を最初から納めるつもりだったのだろう。

くぼみに結晶が納まると、固定の術式を掛ける。何重にも掛ける。

安定しているのは分かった上で、である。それくらいしておかないと、きっと魔王は安心しないだろう。

作業が終わる。エルフ達は元々体力が無い。ずっと術の使い通しで、汗をだらだら流していた。

「大義だった。 皆、魔王様のためによくやってくれた」

「陛下のためなら、これくらい何でもありません」

魔王が部屋に入ってくる。

元々、大型のドラゴンであるカルローネ将軍も入れるほど巨大な部屋だ。大きな結晶を入れても、あまりあるほどの空間がある。

魔王という、人間の老人に見える小さな存在が入っても、いかほどの事もない。

「おお、ついにここに来たか。 寒き土地から、ようやく出ることが出来たな」

「私達は、席を外します」

「うむ、少し二人きりにしてくれ」

意味を察したヨーツレットも、その場から離れる。

やはり、恋人だったのだろうかと、少し思った。

 

恋人だとでも、思ったのだろうか。

魔王はアニアに歩み寄りながら、目を細めた。何百年もずっと一緒にいたのに、今更であるが。

しかし、愛しい孫娘の姿は、封印結晶の中で変わっていなかった。

当然のことだが、既に命は無い。血がつながった相手でもない。

ただ、幸せに生きて欲しかった、ただそれだけの存在だった。しかし、人間の社会は。ずっと犯罪も犯さず、義務も守り続け、家族を養い、生活も規則正しく続けていた魔王に、何一つ報いなかった。

小さな幸せ一つ、余さず奪っていった。

自分に対するものは我慢できた。元々魔王は温厚なだけが取り柄だとか言われ、搾取される対象にあったからだ。真面目に若い頃から働いて小さな財産を作ったが、子孫は誰も彼もがそれを奪うことだけを考えていた。だから慣れていた。

だが、許せなかった。

宝石のような、小さな笑顔を散らしたことだけは。

あのときに魔王は知ったのだ。人間という生物には、存在する意義が無いのだと。その社会は、滅ぼすためだけに存在しているのだと。

多分ヨーツレットは気づかなかったのだろう。

アニアの後頭部に、致命傷がある事に。

「さて、アニアよ。 そなたのためにも、今年はそうさな、三千万を目標に人間共を殺戮し、その社会を蹂躙してやるとしよう。 何、気に病むことは無い。 心優しいそなたの全てを「見かけが人間では無い」という理由だけで否定し、その全てを奪った連中など、儂がこの世から滅ぼし尽くしてくれるわ」

口調は柔らかい。

いつも魔物達に向ける慈悲の声と、同じである。

だが決定的に違っていた。

自分でも自覚している。アニアの事を思うと、憎悪で全身が熱くなる。あれから数百年経った、今でも、である。

「そなたを人間共が殴った分だけ、国を滅ぼす。 そなたに人間共が罵声を浴びせた分だけ、容赦なく殺す。 そなたを人間共が虐待した分だけ、奴らの全てを否定する。 それだけが、儂の生き甲斐であるからのう」

くつくつと、魔王は笑った。

そして、玉座の間に戻る。暗い感情は、既にだいぶ静まっていた。待っていた護衛達に、魔王は言う。

「少し疲れた。 おミカンを貰えるかのう。 冷えているととても嬉しい」

「ただちにお持ちいたします。 しかし、おなかが冷えてしまいますので、冷やしミカンは一つだけにいたします」

「うむ、いつもすまぬ」

自室に戻る。

安楽椅子に揺られながら、一旦アニアの事は思考から外す。憎悪にたぎるばかりでは、冷静な思考は出来ないからである。

効率よく人間を滅ぼすためには。憎悪だけでは無く、常に冷静に頭を回転させなければならなかった。

 

1、野生の目覚め

 

黒い影が、かってイドラジールと呼ばれていた土地の北部森林を駆け回っていた。

しばらくはそれを追いかけていた補充兵もいたのだが、やがて見失い、完全に足を止める。合流し始める補充兵を、木の上から影は見つめていた。

プラムである。

この近辺は、小規模だが森もある。

ジャドが言った双子と合流する前に、集団戦を少しは学んでおくのも悪くないと考えていた。だから、プラムは少数の敵を見つけては、喧嘩を売って、わざと逃げ回っていたのである。

ジャドに言って、研究所を出たとき。

プラムはお金をもらった。だがそのお金は、結局使わなかった。

素足で走るのも、悪くなくなっていた。町から離れると、後はひたすら走った。おなかも空かなくなっていたし、眠らなくても大丈夫になっていたからだ。いや、眠ろうと思えば眠れるのだが、昔に比べるとむちゃくちゃが出来るようになっていた。

しばらくは、凄まじいパワーをもてあましていたと言っても良い。

とにかく走って跳んで、己のパワーに歓喜の声を上げた。

森の中で、熊に真正面から遭遇しても、何とも思わなかった。落ちている木の枝で首を切り落として、肉を生のまま食べた。おなかは空いていなかったのだが、そうすると強くなれる気がした。

自分の体の重さより、食べたかも知れない。

気がつくと、熊は骨になっていた。内臓や、その中身まで食べてしまったらしい。多分、糞便になりかけていた消化物までも。

でも、何も感じなかった。

走りながら、髪の毛を少し切った。服はすり切れてぼろぼろになってしまったので、見かけた狼をぶち殺して、皮を剥いだ。剥いだばかりの皮はくさかったので、掴んだまま走って乾かした。

そうして数日すると、嫌な臭いも消えた。だから、胸を覆う分だけを作った。後はぱんつも欲しかったので、これだけはお金を出して買った。町の洋服屋は、狼の皮を胸に巻いて、後はぼろぼろで、しかも血まみれのプラムを見て仰天したようだが、金貨をもらえば文句はないようだった。

町の外にさっさと出ると、平原に座り込んで、ぱんつの構造をしっかり見て確認。

それから、森に入って、適当に動物を探した。不幸なイノシシを見つけたので、その場でぶっ殺して、皮を剥いだ。

ひたすら合理的に頭が働く。

そして、走り回っている内に、どう体を動かせば良いのかも、わかり始めていた。

昔は人形が大好きな、おとなしい子供だったような気がする。

だが、何もかもが壊され殺され侵されたあの日。プラムの心は、致命的な次元でぶっ壊れたのだ。

棒状の、剣くらいの長さの道具を上手に使いこなせる理由もよく分からない。

だが、とにかく出来ることは、完璧に使いこなすべきだった。

どこまでも続く平原に入った。剥いだ皮でぱんつも新しく作って、はいた。買ったのと履き心地も、作れば作るほど変わらなくなった。自分で服を作ると、何だか楽しかった。後は靴だが、これはどうしても構造が理解できなかったので、足に皮をぐるぐるまいて代用した。もっとも、もう靴はいらないように思えたが。

体を洗うときは、素っ裸になって川に飛び込んで、泳ぎ回った。

その後は手近な岩に転がって天日に体を干して、自分で作った服を纏った。不思議と、服は全然汚れなかった。

走り回るのがとても楽しい。

力を振るうのも、その次ぐらいに面白い。

西へ西へ、ひたすら走った。

途中、見かけた人間以外の生き物は、全部殺して食べた。肉は生のまま。内蔵も全部、中身さえも余さずに。

骨さえも、小さな物はかみ砕いた。

髪が伸びるのが早くなっていたので、途中で何度か切った。散切りにしているのに、どうしてか妙につやが出ているのが分かった。途中で、後ろで一つに束ねた。その方が邪魔にならないと分かったからだ。

程なく、イドラジールの旧領に入った。どうしてか分からないが、魔物の領域に入ったのだと、肌で理解したのだった。

それから、今に至る。

双子はどこにいるのだろうと思って、今は探している所だ。

木の上から見ていたが、補充兵達は戻っていった。何だか張り合いが無い。見つけてくれたら、遊んであげたのに。

今手にしているのは、さびだらけの剣である。

上手に使えるようになったと言っても、それは一撃だけのこと。この剣も、振るえば一匹は斬れるだろうが、多分二回目には壊れる。それが、持っただけで不思議と理解できてしまうのだ。

上手に扱えるからこそ、限界が見えてしまう。

この剣だって、戦場だったらしい場所に放置されていたものである。物陰に落ちていたので、多分補充兵も気づかなかったのだろう。血の臭いはしたが、鎧も剣も、死体の一部さえも、辺りには残っていなかったのに。

イドラジールに入ってから、町や村も見たが、徹底的に破壊されていた。人間の痕跡を残すことさえもが嫌なようだった。

これは多分、見つかったら殺されるだろうなと思った。

それなのに、ある程度の戦闘経験を積んだ方が良いと、本能で分かった。だから小隊規模の敵を見つけては、ちょっかいを出していたのだが。

森の奥へ進む。

影から、方角は読める。北へ北へ。国境を抜けるべく、急ぐ。

急停止したのは、気づいたからである。

前に、とんでもないのがいる。

もし戦ったら、確実に死ぬ。本能で分かる。できる限り急いで距離を取った方がいい。

すぐに引き返す。背後から感じる脅威は、いささかも減らない。頭の中で、警鐘が鳴っているかのようだ。急いで逃げないと、死ぬ。

森から飛び出す。

さっき、からかった連中がいた。

振り向いた奴の正面から剣をたたきつける。体の半ばまで潜り込み、大量の鮮血をぶちまける。更に半回転しつつ、もう一人の首をはね飛ばす。

予想通り、さびた剣は折れた。

跳躍して、最初に切り倒した一人の持っていた剣を掴み、奪う。だが、その隙に。

他は一斉に槍を繰り出してきた。

数本が、体をかすめた。剣を奪うことは出来たが、全身に鋭い痛みが走る。飛び退いて避けるが、更に敵は包囲の輪を詰めてくる。

殺るしかない。

後ろに回り込んだ奴が、無言で斬りかかってくる。かすめたそれが、髪の毛を数本散らした。振り向きざまに首をはね飛ばし、跳躍。一瞬遅れていたら、槍に串刺しにされていた。

森へは、行けない。

森の向こうには、とんでもないのがいる。迂回しないと、殺される。

繰り出された槍。跳ぶ。槍を踏みながら、相手の首をはね、血を浴びながら前に。もう一人。槍が脇をかすめた。血がしぶく。

気にせず、真っ向から斬り下げる。

残った数人が、まとめて四方八方から槍を突き出してくる。一本目は体を低くしてかわし、二本目は斬り飛ばし、三本目は避けきれない。ふくらはぎに鋭い痛み。叫びながら、体を旋回させ、周囲の敵をまとめて斬った。

敵が全て倒れるのと、自分が倒れるのは同時だった。

何カ所刺されたか。凄く痛い。

それに、足。穂先が、もろにふくらはぎを貫いていた。引き抜く。激痛が、稲妻のように駆け抜けた。

しばらくは走れないだろう。

それに、此処でもたついていると、どんどん他の敵が集まってくる。それは、まずい。

敵から奪った剣は、ある程度使えそうだが。やっぱり後何人か斬ったら、折れてしまうだろう。

それに、斬ってみて、始めて分かった。

此奴らは人間にそっくりだ。だが、微妙に違っている。叫ばないし、何より感情もないようだ。侵略してきているという軍勢は、一体何者なのだろう。双子は、一体何と戦っているのだろう。

「痛いよ……」

呟きながら、足の傷に布を巻く。そして、強く縛った。こうするべきだと、本能的に分かっていたからだ。

そのまま、剣を腰にくくりつけると、槍を一本奪って、それを杖代わりに歩く。どうしてか、槍はどう使うのか、全然分からなかった。

川は無いのか。そう思って、少し来た道を戻る。

小さな森が見えてきた。確か、昨日休んだ森だ。此処なら、多少は休めるかも知れない。

急いで、森に逃げ込んだ。

木陰に潜り込むと、呼吸を整える。動物を相手にしての実戦とは、根本的に違った。武器の恐ろしいこと。何より、命を捨てることを何とも思っていない相手が、こうも怖いとは。

体中に出来た傷が痛い。

だが、痛みは少しずつ和らぎ始めていた。木の実が確かあった。辺りを見回して、小さなスモモの木を見つける。実はまだ多少青いが、もいで口に入れた。あまり美味しくない。そのまま、むさぼり喰う。

手当たり次第に実を口に運んで、べたべたになりながら全部食べた。

そういえば、お父さんとお母さんが、スモモを買ってきてくれたことがあった。お姉ちゃんと一緒に食べた。

みんな優しかったのに。何であんなひどい殺され方をしなければならなかったのだろう。でも、今自分も、いろいろとひどい殺し方をした。

斬るときは、何だか楽しくもあった。

あんな風に、家族を殺した奴らも、喜んでいたのだろうか。

イタンシンモンとか言っていた。それをやった奴は、絶対に許さない。生きるためには、今は双子と合流することだが。一段落したら、イタンシンモンだとかをやった奴は、全部殺してやる。

木に背中を預けて、目を閉じる。

しばらく、ぼんやりとしていた。眠ろうと思ったが、どうも落ちるところまではいかない。

目を開ける。

ふと気づくと、だいぶ傷の痛みが和らいでいた。

 

近くに小川を見つけた。

裸になると、そのまま飛び込んで、汚れを洗い流す。水の中で魚を見つけたので、手づかみで捕まえた。

焼かずに、そのままかじって食べる。

虫がわくのでは無いかと一瞬思ったが、どうしてか大丈夫だと本能で分かる。胃袋とかの作りが、人間の時とは根本的に違ってしまっているのかも知れない。或いは、体の内部構造そのものも。

傷を見る。

殆どがふさがっていた。

足の傷だけはまだ完治はしていない。

自ら上がると、ぶるぶると犬のように体をふるって、水滴をはじいた。しばらく真っ裸で立ったまま、陽光を浴びて体を乾かす。

傷の治りが異常に早いが、これも人間を止めたのが原因なのだろう。

体が乾いたところで、自分で作った服を着直す。あまりここに長くいるとまずいと、本能が告げている。殺した敵の小部隊は、もう発見されているはずだ。

つまり、捜索の部隊が来る可能性が高い。

それを本能で察していたプラムは、足を引きずりながら、北上した。森に紛れて北上するが、やがて不意に森が途切れて、はげ山になる。

足跡がものすごい数ついていた。この山を、考えられないくらいの数の何者かが通っていったのだろう。人間の物とはとても思えない足跡もたくさんあるから、多分敵の行軍跡だ。

双子は、こんな数の相手と戦っているのか。

ちょっと興味がわいた。どんなに強いのだろうと思ったからだ。

自分が決してまだまだ強くないことを、プラムはよく知っている。さっきも十人程度の相手にあれだけの怪我をしてしまったのである。動物だって、先制攻撃でぶっ殺しているから勝っているが、奇襲を受けたらそれなりに怪我をしているだろう。

一旦森に戻ると、身を隠しながら、できる限り北上した。

その判断が間違っていなかったことは、すぐに分かった。空に何か得体が知れないものが見え始めたからである。

鳥では無い。

姿は人間に似ているが、何処かが決定的に違っていた。手は針のようにとがっているし、翼も背中から生えている。しばらく木陰から見ていたが、その得体が知れないのは、何匹かで死角を補いながら、旋回し続けていた。

見つかったら、きっと凄い数の敵を呼ばれる。

そうなったら、すぐに捕まってしまうだろう。

息を殺して、プラムは這い進む。辺りの森はもうかなりまばらになってきていて、敵の目を誤魔化すのは相当に難しくなっていた。

木陰に隠れると、プラムはじっと待つ。

夜を待った方が良いと、本能的に悟ったからだ。時々見かける兎やリスを捕まえて、首を折ってそのまま囓った。小さい動物は、骨ごと食べるように習慣がつき始めていた。血も内蔵の中身も全て食べてしまう。

それなのに、不思議と自分は糞便を殆どしなくなっていた。多分、これも他と同じく、体の構造が、人間とは違ってきているからだろう。

食欲はあまりない。

だが、食べるとそれだけ力がつくことが、何となく分かった。

夜になった。

出来るだけ体を低くして、山を疾駆する。自分で作った、皮を足に巻き付けただけの靴が、随分鋭い岩から足の裏を守ってくれた。ものすごい数の敵が前方にいることは、何となく分かった。

だが、前方へひたすら進んだ。

そっちに、双子がいる。どうしてか、それが分かったからだ。

夜の内に、山を幾つか越えて、その途中に洞窟を見つけた。のぞき込んでみると、誰もいないし、出口も複数ある。隠れるには丁度良かった。

夜明けの前に、その洞窟を中心に、その辺りを走り回った。

辺りが白み始める頃には、案の定空を変なのが警戒し始めたので、洞窟に潜って、次の夜を待つことにした。

 

イドラジールの留守部隊を担当することになったカルローネは、警戒のために辺りを飛び回っていた。

国境線を越えて、中で暴れているのがいる。

そう情報が入ってきたからだ。

今までも、特殊部隊の類がそうした行動を取ってきたことが何度かあった。そのたびに捕捉撃滅はしてきたが、毎回それが出来るとは限らない。

現在生きている竜族の中でも最大級の大きさを持つカルローネは、既に竜族としては老年期に入っている。ある程度年を取った竜族は兵隊蟻のような存在になる。生殖能力を喪失する代わりに、際限なく体が大きくなり、身体能力が上がっていくのだ。

人間という最大の敵に対する、効率の良い種族防衛の方法であるから、そうなっているのだろう。

文字通り、護国の鬼と言うわけだ。

翼をはためかせ、巨体を浮かせたカルローネは、自分のことを心配はしていない。

入り込んだ奴が、何らかの偶然で魔王の居場所を発見してしまい、それを人間の社会に情報として持ち帰ってしまうことを恐れていた。

そうなると、事故が起こるかも知れない。

あの魔王が人間に対して不覚を取るとは思えないが、それでも念には念だ。竜族の歴史でも、最強だろうと思われた竜が、あまりにもあっさりと人間の罠によって殺されてしまった例がいくつもある。

グリルアーノのような若者は、まだ人間を侮っている。

人間のような危険な相手は、徹底的に滅ぼさないと安心できない。今は勝っている、くらいに考えて、攻勢を容赦なく強めていかないといけないと、カルローネは考えていた。

この辺りの思考は、魔王と全く同じである。

だから、穏健派と呼ばれる魔物達は、カルローネと話して驚くことが多い様子である。確かにカルローネは部下達にも口調柔らかく接しているし、慎重な用兵を常に心がけてもいる。

だが、それが「穏健的」行動に結びつくとは限らないのだ。

補充兵の分隊が殲滅されていた地点を中心に辺りを飛び回ったが、あまり成果は無い。

一旦司令部を兼ねている魔王軍前線指揮所に戻る。つまり仮魔王城である。

他の軍団長も来ていた。今日は海軍を統べているグラウコスまでいる。何か行事があったかと思ったが、話を聞いてみると特に何も無く、偶然だと言うことであった。

というよりも、ここのところ魔王の機嫌がいつもより更に良い。魔王が大好きな魔物達は、皆無意識に足を運ぶようになっている、というところなのだろうか。

カルローネも、魔王のことは好きだ。

早く戦いを終わらせて、後は茶飲み友達としてのんびり一緒に過ごしたい、とさえ考えている。

だから、それには、仕事を出来るだけ効率的にこなさなければならなかった。

カルローネは魔王に軽く挨拶を済ませると、玉座の間から少し離れている軍司令部に行く。仮設魔王城の中はある程度広く作られているが、それでもカルローネくらい大きいと、彼方此方で頭がつかえそうになる。

司令部は、妙に忙しそうだった。ヨーツレットもいて、部下にせわしなく指示を出していた。

「カルローネ将軍」

「ヨーツレット元帥、何かあったのかな」

「ええ。 実は正体不明の相手に、アンネリッテに攻め込んだ部隊が苦戦しておりましてな」

ヨーツレットはカルローネに対して言動が丁寧だ。魔王軍の将軍の中でも、最も年かさの存在だから、ということもあるだろう。

幾つか、情報を見せてもらう。

十五万に達するアンネリッテ攻略軍は、既に国土の殆どを制圧しつつある。だが、首都である港町に進駐した部隊が、毎晩訳の分からない攻撃で、大きな被害を出しているというのだ。

「魔王様に注進はしたのですかな」

「ぬかりなく」

「三千殺しは?」

使ったが、はじかれたというのだ。

つまり、以前からの噂が現実となった、ということになる。

魔王軍に逆らう謎の双子がいる。そしてそいつらには、魔王の必殺能力である、三千殺しが通用していない。

いろいろな仮説があったが、今回双子が邪魔をしているとなると、ある一つが浮かび上がってくる。

「つまり、裏切り者の仕業と言うことか」

「いいや、その線は低いでしょう」

北極の地獄を経験している者ほど、人間への憎悪は深い。何しろ一族の殆どを殺し尽くされて、もはや死を待つばかりの土地で、貧しい生活を長年にわたって強いられたのである。

それほどの状況で、なおも人間を憎まず。雲霞のごとき魔王軍をわざわざ迎撃に掛かるような魔物が、存在するだろうか。

人間に近い姿の魔物が、人間の世界に潜伏していたという可能性も考えたことがある。

だが、それも考えにくい。

魔物の中で、人間に近い姿を取ることが出来るものは何種かいる。だがそういう魔物ほど、人間の激しい攻撃にさらされ、絶滅した。特に有名なのは吸血鬼だ。吸血鬼に至っては、人間に見つかったらどのような目に遭うか。吐き気がするほどおぞましい拷問の果てに消されてしまうのである。

だいたい、日中活動できない吸血鬼が、双子の筈が無い。元々吸血鬼は人間と混血出来ない上に、双子は日中に平気で活動しているところが何度も目撃されているから、である。

「そうなると、人間側が、三千殺しを防ぐ方法を開発した、ということだろうか」

「いや、その線も可能性は低いでしょう」

もしそうだったら、もっと人類側は大胆な反撃に出てきているはずである。

今のところ魔王軍に対して、効果的な反撃をしている人間の国家はあまり無い。というのも、時々三千殺しで、そういった国家の首脳部を根こそぎ消しているからだ。

人間はエゴに満ちた生物だ。

もしも対抗策が考えられたのなら、まず国家首脳部がそれを独占するだろうと結論されている。

「ふむ、だとすると、偶然に対抗策を身につけた連中が暴れている、という事か」

「おそらくは。 そしてその対抗策というのは、十中八九魔物の力を得るという事でありましょうな」

「愚かな。 そのようなことをすれば、いずれ人間に道具扱いされ、消されてしまうであろうにな」

「だが、少なくとも短期的には、我らの邪魔になっているのも事実です」

魔物の力を得る、などと言っても、簡単な話では無い。

三千殺しをはじくほどになると、おそらくは魔物と同化する、位のことはしなければならないはずで、徐々に姿も心も人間では無くなっていく。

やがて人前に姿をさらせないほど、人間とはかけ離れた存在になる。

魔王をもしも倒したとしても、人間がそのような存在を、英雄として認めるわけが無く。同胞とするわけもない。

待っているのは、破滅だけだ。

「やはり、説得が有効かも知れぬが」

「今は、その双子と、コミュニケーションを如何に取るかが重要になりつつありますからな。 そもそも何を求めているのか、何故我が軍と戦うのか。 それさえ分かれば、むしろ味方に引き込むことさえ出来ましょう」

「……ううむ」

どうも、カルローネには嫌な予感がする。

長い年月生きてくると、人間は揃ってゴミクズという考えには、同意できなくなってくる。

たまにいるのである。

周囲のカスのような人間とは全く別種の、輝くような心を持った輩が。

たとえば、そういうごく例外の人間に育てられた、生物兵器のような存在だったとしたら。

対処は、大変に面倒くさい事となるだろう。

人間はどんなことでも同胞にする。奴隷と呼ばれる連中が、文字通り生きた道具として扱われているのを、カルローネは何度も見てきた。同胞に対して、致死率が九割を超えるおぞましい実験をすることも、人間は嬉々として行う。

今、イドラジールで暴れているのも、そういう連中の作り出した、しかし人間に味方をすることをいとわない存在だったとしたら。

「カルローネ将軍。 そういえば、この近辺でも、最近潜り込んできたネズミがいるとか」

「三千殺しを使うまでもあるまいて。 近いうちに、儂が片付けておく」

「お気をつけください。 人間は、狡猾な存在でありますが故。  貴方が如何に正々堂々戦おうが、知ったことでは無いと、卑劣な罠を使うことを厭わないでしょう」

「分かっているつもりだ」

幾つかの情報を得た後、カルローネは魔王に軽く挨拶する。

上機嫌である魔王にも、やはり念を押された。人間などを相手に、軽挙妄動しないようにと。

分かってはいる。

だが、何処かで、疑念も感じ始めていた。

 

進むのが難しくなり始めていた。

森の中でさえも、かなりの数の敵がうろつくようになり、見張りも相当に増えてきた。下手に外に出ると、すぐに見つかってしまうのが明白だった。

プラムは悟る。

ちょっと暴れすぎたのかも知れないと。

魔王軍の対応能力がこれほどだとは思っていなかった。双子と合流する前に、このままでは殺されてしまう。

だが、ジャドは言っていた。

西に行けば、死ぬと。

死んでたまるかと思う。このままでいても、どうせ死ぬ。もう人間には受け入れられない体だと言うことくらいは分かっている。

あのイタンシンモンだとかいうのに、家族全員を殺されたその日から、プラムに人間世界における居場所は無くなった。もはや残っている居場所は、同じように人間を止めた存在の側だけしかない。

そしてそこにいるには、戦うしか無いのだ。

夜になると、少し警戒が和らいだ。山の中に入り込んで、洞窟を幾つか見繕いながら進む。

岩山ばかりで、木も草も殆ど無い。空からの死角になる場所を選んで這うようにして、少しずつ進んだ。

東へ西へ右往左往しながら、それでも少しずつ北へ進む。

やがて、ある程度東に出た頃だろうか。

空気が露骨に変わった。

多分、魔王軍の勢力範囲を出てしまったのだろう。しかし、それでは本末転倒だった。

今の状態だと、人間に見つかっても、どうせ死が待っているのだ。そう考えると、どこにいても同じだった。

岩の影で、大きくため息をつく。

一体私は、どこへ行けば良いのだろう。

この世に、人間の力が及ばない土地は、もう魔王軍の支配する場所しか存在していない。海の底とか火山とか、それ以外にもあるかも知れないが、そんなところではプラムだって生きてはいけない。

人間では無く、人間の社会に捨てられたプラムは、今後どうなるのだろう。

漠然とした不安は、プラムの中で徐々に大きくなりつつあった。

 

2、暗闇の思い出

 

無人になったアンネリッテは、イミナにとって絶好の地形だった。

敵が進撃してくる前に首都の様子を確認した。港町と言うこともあり、水はけを重視して地下には縦横無尽に水路が走っていた。これはまさに天然の地下要塞である。半日がかりで地図を作りながら、地下に拠点を構築。

大威力の爆発系の術式を叩き込まれても、簡単には貫通されないように、工夫も凝らした。

地下水路は複層になっている。これは、かってこの土地にあった国家が、土地を埋め立てながら港を作り上げた、かららしい。放棄されてはいたが、実は地下水路の一部は、王城にもつながっているのを確認した。

多分、逃げたアンネリッテの王族も、此処までは把握していなかったのではあるまいか。

最深部は流石に浸水していた。面白いのは、暗いことを良いことに、深海魚が水路に見られた事である。かなり大型の魚もいて、人間が作った構造物での生活を満喫していた。何だか、意図しないところで、人間の文明の恩恵を受けている存在がいると分かって、ちょっと興味深かった。

ある程度調べたところで、地上に戻る。

レオンとシルンは、敵の観察を続けていた。話をすりあわせる。

敵は相当に慎重らしく、港町に入る前に、周辺の村や小さな町を片っ端から攻略し、足場を固めているらしい。指揮官が誰かは分からないが、その慎重さが却って徒になる事も、イミナが教えてやるつもりである。

ただし、やりすぎると脱出する時間が無くなる。

綱渡りの戦いになるが、此処で時間を稼ぐことは、決して無意味では無いはずだ。

港町を囲む、十万を軽く超える大軍勢は、今のところ動きを見せない。城壁の上から、敵の圧倒的存在感を確認しつつ、レオンが言う。

「一つ聞いておきたいが、良いだろうか」

「何か」

「ジャドに、貴方たちの素性をあまり詳しく聞いていない。 女性の過去を詮索するのは失礼だとは思うが、そろそろ話して貰えないか。 勿論、自分たちに都合が良い範囲でかまわない」

シルンが口を開き掛けるが、イミナは制止した。

少し考える。

レオンがエル教の司祭であり、改革に失敗してはめられ、処刑された事は既に何度かの話で把握した。そういった暗い過去を、レオンは包み隠さず話してくれている。

レオンは人類のために戦うことを、由としている。どれほど人間社会においてマイナスの扱いを受けたとしても、それに変わりは無い。これは妹と同じだ。

だが、イミナは必ずしもそうでは無い。

そして、それが今後、軋轢を生む可能性がある。話は慎重にしていかなければならないだろう。

「イミナどの、今後のためだ。 私としても、貴方たちを信用したい。 そのためには、ある程度互いを知ることが重要だ」

「お姉、レオンさん信じられるよ」

「……。 そう、だな」

シルンは開けっぴろげで裏表が無いが、しかし嘘はある程度見抜ける。嘘を見抜いた上で明るく接することも出来るのが、この妹のすごみだ。

そして、信じられるとこの妹が言う相手はあまり数が多くない。

城壁の影。

徐々に夕闇に閉ざされ、暗くなっていく世界。

動きを見せない敵を確認しながら、イミナは言葉を選んで、話し始めた。

「フォルドワード大陸に、十数年前、一つの国家が存在していた。 キドラ聖連国。 エル教会とも関係が深い国だ」

「聞いたことがある。 だが、良い噂はない。 腐敗したエル教会の、暗部を代表するような部分が集まった国だったと聞いている」

レオンは熱心なエル教会の信者だが、しかし狂信者では無い。客観的な分析が出来る男だと、最近分かってきた。

それをしっかり確認してから、イミナは過去に触れ始めた。

「ああ。 その首都は、背徳の都と言われていた。 私達双子は、そこで生を受けた」

 

物心ついた頃には、自分たちに未来が無いことを、イミナは知っていた。

そこは、孤児院とか呼ばれていた。エル教会の人間が管理していたようだが、幼いから記憶にはもやが掛かっている。

分かっているのは、十人ほどの子供がいて、常に入れ替わり続けていた、という事である。

いなくなった子供は、皆引き取り手が見つかったとかいう話だったが。誰も信じていなかった。

子供達は狭い石造りの部屋で雑魚寝して、日々を過ごしていた。毎日外に出ては、奉仕と称して石を運んだり、草むしりをしたり。毎日、朝早くから、日が沈むまでしっかり仕事をさせられた。

それでいて、食物は腐りかかったパンが少しだけ。

大きな子供は、皆此処がおかしいと言った。だが、いつもおっかない目つきの大人が見張っているので、逃げることは容易ではなかった。激しく入れ替わる子供達が、どこに最終的に連れて行かれるのか、誰も知らなかった。

時々、何か変な薬を飲まされた。

その後は、体調が必ず悪くなる。シルンはいつも熱を出していたが、弱みを見せるとまずいと知っていたイミナは、そんなときはシルンの分も働いた。

パンも、半分はシルンに分けていた気がする。

そういう経緯だから、イミナもシルンも、正確な自分の年齢は知らないのだった。

夏も冬も、いつでも厳しい労働が続いた。逃げる機会を、いつしか伺うようになっていた。

一度、逃げようとした子供がいた。年上の男の子だった。

川の近くで働いていたとき。流れが激しい川に、監視の大人の目を盗んで、飛び込んだのである。

逃げ切れるかも知れない。そう思ったのは、一瞬だった。

監視の大人が、短く言葉を唱えると、その手に光が宿った。そして、川を泳いで逃げようとしている子供に、容赦なく術式を放ったのである。

川面が爆発に吹き飛び、子供がばらばらになるのが分かった。

自分に抱きついて震えているシルンの頭を撫でながら、イミナは悟る。ここにいたら、いずれあの子と同じ運命をたどったであろうと。

此処まで話すと、レオンはむっと黙り込んだ。

「子供を売り飛ばす孤児院は、決して珍しい存在では無い。 慈愛の心を持って民草を救うと標榜するエル教会だが、腐敗が進行しすぎて、もはやどうにもならないところまで落ちてしまっている。 愚かな同胞を改革できなかった私も、その同類というわけだ。 許して欲しい」

「レオンさんは悪くないよ」

「……」

シルンの慰めに、レオンは微笑した。

イミナは少しそれを見て嫉妬心を刺激されたが、それ以上は何も言わない。

それに、この話の肝は、これまでではない。ここから、だったからだ。

「だが、いくら何でも脱走者をそのように過激な手段で処分するとは……。 下郎にもほどがある」

「奴らには理由があったのだ」

「理由、だと」

「そうだ。 我々が定期的に飲まされていた薬だ。 それが、やがて事件に発展した」

確か、夏の暑い盛りだったはずである。

みんな、これから仕事と言うことで、石造りの、二十歩四方ほどの狭い部屋に集められて、食事にしていた。といっても小さなパンだけである。持っていても大きな子に取られてしまうので、配られたらすぐに食べてしまうのだ。だから、食事の時間というのは、実質存在しなかった。

で、石の部屋で点呼させられていたときに、それが起きた。

小さな窓から、日光が差し込んでいた。自分の背丈の倍も高い所からだったから、届きそうに無い窓だった。

少し年下の男の子が、急に全身がだるいと言い出した。だるいくらいで仕事を休ませてくれるはずも無く、監視者は鞭を持ってやってきた。

そして、熱を出して唸っている子供に、容赦の無い打擲を加え始めた。

鞭の打撃は凄まじい。文字通り皮を割いて肉を切り裂く。

悲鳴を上げて子供はうずくまる。ぼろを着せられていた子供は、見る間に血まみれになっていった。鞭を振るっている大人の、実に楽しそうな顔。イミナは絶対に、一生忘れないだろう。

粗末な服を着た子供達は、皆震えてみているばかりだった。その頃にはシルンもイミナも、一度ならず脱走を図って殺される子供を見ていたからである。

だが、次の瞬間。

体を丸めて、しなる皮鞭から身を守っていた子供に、激烈な変化が生じたのである。

多分、それは触手だったのだろう。

不意に伸びたそれが、鞭を半ばから斬り飛ばした。そして唖然としていた、今まで子供に絶対的暴力をもって君臨していた監督者の首が、吹き飛んでいた。

子供が、まるで人形みたいな動きで立ち上がる。鮮血をまき散らしていた首無し死体は、それに替わるようにして床に倒れ込んだ。ぴくぴく痙攣する死体の首の辺りから、赤い池が広がっていく。

子供は。

もう、子供では無くなっていた。

両目からはだらだらと鮮血が流れ落ちていて、全身の肌も崩れ始めていた。シルンが悲鳴を上げそうになる口を、必死に押さえる。

本能的に、イミナは悟ったのだ。

注意を引いたら、その場で殺されると。

子供の体が、一瞬ごとに子供では無くなっていった。肌が裂け、内側からぬるぬるした紫色の体が現れてくる。目玉が潰れる音がした。内側から飛び出した破裂した目玉の残骸が、大量の血を引きながら床に転がった。子供の口の中には、無数の牙が生え始め、唸り声が、辺りを蹂躙した。

触手が、殺戮をばらまき始める。

最初に餌食になったのは、いつも子供をいじめていた大きな男の子だった。真っ二つにされて、左右に分かたれた。

悲鳴を上げて逃げ回る子供も、次々振り回される触手で切り刻まれ、引きちぎられた。ぶら下げられた子供が、壁にたたきつけられてトマトのように潰れる。大量の鮮血を浴びながらも、必死に幼き日のイミナは、シルンを抱きかかえて、隅っこで震えていた。

大人達が来た。

子供に魔術を浴びせる。容赦なく火を雷を、手から放つ。

だが、子供は体が爆ぜ割れても平気だった。むしろその触手が、根源だったのかも知れない。

大人達が、次々切り刻まれて、潰されて。だが、子供の体も、次々たたきつけられる術式に、ついに火だるまになり、ふらふらと数歩歩いたが、倒れ込んだ。

だが、倒れた死体からは、更に複数の触手が現れる。

悲鳴と怒号が工作する中、イミナは好機とみた。化け物も、大人達も、イミナとシルンには一切注意を向けていなかったからだ。

シルンの手を引いて、部屋を飛び出す。

入れ違いに飛び込んできた大人が何か叫んでいたが、気にしなかった。

そのまま、孤児院を飛び出した。

外のことはそれなりに知っていた。だが、知らないところに逃げた方が助かる確率は高いと思った。

鈍色の空の下、走った。

町を飛び出して、森の中に。そして、後はひたすら、森の奥へ奥へと逃げた。

何度も転びそうになったシルンだが。

だが、それでもついてきた。

逃避行は、まる二日続いた。

 

わなわなと震えているレオン。

多分、気づいたのだろう。飲まされていた薬が、異常な結果をもたらしたのだと言うことに。

そして、その意味と理由も。

「つまり、人体実験を行い、生物兵器を作ろうとしていたというわけか」

「そうだ。 その国で、エル教会の人間は神も同然の権力を得ていた。 有用な兵器を売りさばくためなら、十把一絡げの孤児なんぞ、何百殺そうと何とも思っていなかったんだろう」

「許せん。 腐敗がひどい国だとは聞いていたが!」

「もう、存在しないよ。 それに国自体が腐っていたって、住んでいる人たちみんながそうじゃないよ」

シルンが、レオンをたしなめた。

その国は、知っている。魔王軍に押しつぶされるようにして、住民ごと皆殺しにされた。シルンは悲しんだが、イミナは内心ざまあ見ろと思った。だが、シルンが悲しむから、それ以上は言わなかった。

シルンは優しい。あれほどの目に遭わされても、なおも相手のことを思いやれる。だから、守ろうとも思う。

城壁の影から、向こうを伺う。敵に、まだ動きは無い。

手甲の様子を確認しながら、話を進めた。

「森の中で木の実とかを食べながら、当てもなくさまよった。 数日すると、今までいたのとは別の町に出たが、な」

そこはそこで、また違う地獄であった。

城壁に囲まれたその町は、内部が非常にぎらぎらしていた。前にいた町は石造りで、見かけはとても静かで落ち着いた雰囲気だったのだが。

その町は、木で作られた家屋が中心で、夜も明々とたいまつが照らされ、けばけばしく着飾った男女が、無数に横行していた。

道も無数に、その町に通じているようだった。

「後から知ったが、そこはキドラでも有数の歓楽街でな。そこで、私達は二年ほど暮らした」

 

勿論、生活は最底辺だった。

夜陰に乗じて、下水道から町に潜り込んだ。闇から見ると、町が綺麗なだけでは無いと、すぐに分かった。

少し裏通りに入れば、けばけばしい明かりの裏にある、醜悪な人間の姿を、すぐに見ることが出来た。

あちらこちらにぶちまけられている吐瀉物。

明らかに堅気では無い連中と、体を売ることで生計を立てている女達。

子供には、事実上二つの選択肢しか無い。

体を売るか、心を売るか。

今なら世界中のどこの歓楽街でもそうだと知ってはいるが、当時は絶望の更に絶望に、叩き込まれたような気がした。周囲の子供達は、他の子供を仲間とか友人だとかは思っていなかった。

隙を見せれば奪われる。

だから、シルンと一緒に、いつもイミナはゴミ箱をあさった。

唯一良かったのは、ゴミ箱に捨てられている残飯の質が良いことである。腹がどうしても空いているときは、下水道から外に出て、森で木の実なんかをあさった。それで、どうにか空腹による脱力だけは避けることが出来た。

そして、しばらく他の子供達ときりきりしたやりとりをしている内に、気づいたことがある。

妙に、自身の身体能力が高いのだ。

あの忌まわしい孤児院で、他の子供と比べて、決してイミナは強い方じゃ無かった。年上の男の子なんかに目をつけられると、シルンを守るので精一杯だった。逃げ足だって、本気で追いかけられたらどうにもならなかった。

しかし、本当の意味での修羅場で生きている筈の、この町の子供達は。どうしてか、とても貧弱に見えた。

実際、少し年上の男の子と喧嘩しても、全く負ける要素がなかった。実際に喧嘩してみて、凄く嬉しくなったことを良く覚えている。何しろ、これでイミナは、シルンを守れると思ったからである。

今までは守る守ると思っても、強大な暴力の前にはなすすべが無かった。逃げることしか出来なかった。いつも悔しい思いをしていた。だが、これからは違う。そう思うと、何だか気が楽になっていた。

この時は、子供だったから、思い当たらなかった。あの、怪物になってしまった子供と、同じ運命が待っているかも知れないことには。

身体能力、或いは魔力の急激な上昇。もしくは、特殊な能力の習得。

これに関してはシルンも同じだった。

おとなしいシルンだったが、木の実を取られそうになり、男の子を突き飛ばした事があった。

二つくらい年上の男の子だったのに。

簡単にすっころんで、慌てて逃げていった。

その時からか。臆病だったばかりのシルンが、明るく笑うようになり始めたのは。

多分、自分に自信がついたから、かも知れない。

不思議な話ではあるが、そうなるとシルンの隠されていた輝きが、表に出るようになり始めた。ただイミナに守られるだけの子供ではなくなりつつあった。

年下の子供には、森への行き方や、木の実の取り方、猛獣の避け方なんかを教えてやるようになった。

年上の子供であっても、喧嘩していたら割って入ったり、説得して暴力を止めさせたりした。

大人が相手の場合は、しっかり避けたり、身を隠したりする方法も身につけていった。

イミナは、完全に妹が自分の手を離れたと思った。とても嬉しかった反面、なんだかがっかりした。

だが、不安なことも起こり始めていた。

大人が、シルンに目をつけるようになり始めたのである。どうも将来の美貌の片鱗が現れ始めていたらしい。

実際、変質者めいた目で、シルンを見る大人も現れ始めていた。いくらだと、直接聞いてくる大人が現れるまで、そう時間は掛からなかった。

だが、それでもシルンは、自分の身が危険にさらされているとは、気づいていなかったらしい。

周囲の子供達への接し方からして、不思議な話だが。シルンは生来的に、他人の善意を信じているらしかった。

何度か、危ない目に実際遭った。お金をくれると言う大人に、シルンは何度もついていきそうになった。そのたびにイミナが飛び込んで、大人を突き飛ばして一緒に逃げた。シルンはどうも危機を感じていなかったらしく、イミナに抗議することもあった。

だが、大人に買われた子供が性病になり、心身ともにぼろぼろになるのを実際に見てからは、流石に考えも変わったようだった。そして、同世代の女の子は、多かれ少なかれ、そういう目に遭うことが少なくなかった。

最悪なのは、国から派遣されたという、孤児院の管理者である司祭が時々姿を見せたことである。そこで何が行われているか、イミナはよく知っていた。だから、生きた心地がしなかった。シルンは、人望を得ていた。だから他の子供達にも、孤児院で何が行われているかは話して、悲劇を出来るだけ避けた。

やがて、二人とも、同時期に生理が来た。

このようなスラムでは、それは夫を得ないと生活できないことを意味している。そうで無くても、犯罪組織に捕まって、売春させられてしまう時期である。これまでに無い絶望が、イミナを襲った。もう駄目かも知れないと考えた。

そんなとき、師に出会った。

 

敵が動き始めた。偵察部隊は時々空を旋回していたのだが、まだ生きている術式を作動させて、ジャミングを掛けていた。

術式に関しては、シルンが専門家だ。王城に侵入したとき、中枢の制御装置が生きているのを見つけて、再起動させることに成功した。勿論、十万を超える敵を前にして、そんなものは気休めに過ぎない。

だが、少なくとも偵察の目はごまかせる。それはとても大きかった。

しかしながら、数万の敵が動き始めるのを見て、そのジャミングもついに意味をなさなくなった。

この国の他の地域は、全て陥落した。そう考えて間違いないだろう。

「予定通りに動くぞ」

「分かった」

「いいか、犬死にだけはするな」

レオンに言い聞かせると、シルンを促して、城壁を降りる。

城壁の内側には、何カ所かとても急勾配の階段がついている。城壁が陥落したときに、敵兵が簡単に降りられないようにするためであろう。

ただし、潮風でかなり石は痛んでいた。

城壁の内側には、すぐ側まで家々が迫っている。無計画に都市を拡大させた結果である。大きさも屋根の色もまちまちで、とにかく雑然とした印象を受ける。王城の近辺もそれは同じであった。

貴族の邸宅も、たまに見かける。

だが、それも他と同じくカオスである。

防御術式に、負荷が掛かり始めた。敵の攻撃が開始されたのだろう。

シルンが懐から、小さな石を取り出す。術式の制御装置である。結構貴重なものの筈だが、完全に放置されていた。

よほど急いで城の人間は逃げ出したのだろう。国宝らしきもの以外は、全てが持ち出されていなかった。

予定通りに、術式の規模を、急激に縮小。その後、爆発的に拡大させる。

大きめの家の側に隠れた。そして、シルンが、予定通りに操作を行った。

不意に、抵抗がなくなり、敵がいぶかしむ。進んできた敵兵は、不幸そのものの結果を味わうことになった。

急激に拡大した防御術式が、崩壊しながら、爆発的な風圧を彼らにたたきつけたのである。

文字通り、魔物数百匹が消し飛んだ。

その中には、慎重に進んできていたらしい連隊長らしい魔物も含まれていた。

こんな無理をすれば、防御術式が保つわけがない。シルンの手の中で、過負荷を起こした術式制御装置が、煙を上げながら消失していく。だが、緒戦でいきなり大打撃を出したあげく、不意の攻撃を受けたのである。

敵の司令官が、動きを止めない訳が無い。

案の定、敵が一旦停止するのが、気配から分かった。

次に動くのは、多分二刻か三刻後。今度は城壁の方へ走る。仕掛けるのは、城門で、だ。

城門の内側に、レオンと共同して魔法陣を書く。シルンは複雑な印を組みながら、術式を展開。

罠を、作り上げていった。

罠が、しばしして完成する。

城門の内側一杯に書かれた、巨大な魔法陣は、淡く赤く輝いていた。

ある意味幻想的だが、一種おぞましくもある。

「敵が来たよ!」

一刻ほどで、敵が動き出した。シルンが叫ぶのを聞いて、それを悟る。

かなり強い敵ばかりを厳選して、偵察に出してきたらしい。遅れて敵の接近を、イミナも悟った。

魔力に劣るイミナは、探知力でもシルンには一歩劣る。

だから、頭の方で、それを補ってきた。

「敵将は慎重なだけでは無いな。 読みが外れたか」

「お姉、どうする?」

「問題ない。 予定を繰り上げて、一旦地下水道に逃げ込むぞ」

「分かった!」

レオンは無言で城壁を見上げていたが、促して一緒に走る。

防御術式は崩壊したが、まだジャミングは生きている。この時点では、まだ敵に、こちらの姿は見せていないはずだ。

民家の一つの床下から、地下水道に。

程なくして。

上で、巨大な爆発音がした。

ただ、魔力を暴走だけさせる魔法陣。そこに、シルンが大量の魔力を注ぎ込むだけの術式を展開した。

魔方陣があるうちはまだいい。

しかし、城門を開けると、魔法陣は当然二つにちぎれる。

そうなると、行き場が無くなった魔力は、その場で爆発するのである。

多数の気配が消えるのが分かった。最初の防御術式の暴走同様、敵を軽く数百は巻き込んだだろう。

「緒戦は上手く行ったな」

「ああ。 敵の出鼻を二度砕いた。 勿論偵察部隊をまた派遣してくるだろうから、そこからが勝負だ」

敵が動かなかった間、町中に罠を仕掛けた。ただ話をしながら、何もせずに待っていたわけでは無い。

歴戦に歴戦を重ねたイミナとシルンである。シルンはまだ頭が若干おめでたいところもあるが、そんなのはイミナが補ってやれば良い。シルンの価値は別の所にあるのであって、欠点などを主体に相手を判断するのは愚者の行動である。

レオンの出番はまだ先だ。回復の術式は、これから意味を持ってくる。

ここからが、本番だ。

 

翌日の夜から、偵察部隊が消えた防御術式をまだ恐れるようにして、小部隊ずつ侵入してきた。

まずはそのまま素通りさせる。

敵の数は、一個中隊規模である。だが、此処では仕掛けない。

「仕掛けないのか」

「指揮をしている奴は、多分師団長だ。 仕掛けたところで、成果は望めない」

レオンに返答する。

中隊だが、指揮官は非常に巨大な眼球に、無数の触手をつけたような存在だった。眼球だけでも、中規模の家屋くらいの大きさがある。

連隊長とは威圧感とも迫力ともに桁違いである。

以前、巨人と呼んでいた指揮官個体が、軍団、師団、旅団、それに連隊と言った軍単位がある事を口にしていた。

流石に軍団長が此処に出てくることは無いだろうから、多分間違いなく師団長。

魔術はつかえなくても、イミナには防御術式の淡い光が見える。あの巨大な目玉の周囲を覆っている術式は、この町を守っていた術式と同等くらいの強さがある。

つまり、攻城兵器か何かで一斉攻撃でもしない限り、貫通できない。至近距離からシルンが最大威力の術式をぶっ放せば、或いは。

だが、現在はその機会も無い。そんなことをやっている間に援軍を呼ばれ、袋だたきにされるのが落ちである。

敵の部隊が、次々と入ってくる。

「いいのか、敵が増えているが」

「まずは、この町を制圧したと思わせる。 そうすると、必ず隙が出来る。 そこを叩く」

ゲリラ戦の基本である。

魔物の中で、人間に似ている連中は、補充兵と呼ばれている。これは、以前喋る魔物の会話を盗み聞いて知った。

長い間戦っているから、そういう機会もあったのだ。

名前通り、どうも補充兵は魔王が数少ない魔物達の戦力を補うために作り出したらしい、という事も知っている。だからだろう。下級になればなるほど、知能も無く、単純行動を繰り返す。

昔、人間の術者が作り出したゾンビと呼ばれる生きた死体が、大きな社会問題になったらしい。それに近い存在かも知れない。ただ、師団長や連隊長にも補充兵がいるし、そいつらはとても知能が高い。多分ゾンビとは一線を画する、ずっと高度な技術で作られているのだろう。

レオンにそれらを説明しながら、敵が町を制圧して行くのをじっと観察する。

今の時点では、仕掛ける隙が無い。

戦術判断能力がある小隊長以上を細かく配置し、なおかつ片っ端から家屋を壊させている。

こちらの奇襲を警戒している証拠だ。

連中は、もう人間がいないことを知らないのである。措置としては当然だろう。

だが。此処で、もう一つ布石を打っておく。

「シルン、術式発動」

「分かった!」

耳を塞ぐ。

同時に、補充兵達が破壊していた家屋の一つが、派手に吹き飛んだ。勿論工作に当たっていた補充兵達もろとも、である。

凄まじい破壊は爆炎も巻き起こし、周囲で活動していた補充兵ももろに巻き込んだ。

多分、二十体以上は巻き込んだはずだ。

これで、敵はますます慎重に活動しなければならなくなる。神経をすり減らし、なおかつ配置にむらが出てくるのを待って、そこを叩く。

美味くすれば。地下に敵を誘い込み、各個撃破も可能かも知れなかった。

 

腕組みしてむっすりしているメラクスに、師団長ラドルアーレンが、恭しく頭を下げた。

突入部隊の指揮を執っていた師団長である。

彼はイビルアイ族の姿をもしているが、とにかく巨大だ。巨大な眼球に、無数の触手がついているという姿をしている。姿と裏腹に非常に繊細な性格であり、今回の突入部隊の指揮を任されるに至った。

本当は軍団長であるメラクスが直に出向こうとしたのだが、参謀達に揃って止められたのである。

「申し訳ありません。 制圧の課程で、敵の攻撃に遭いました」

「それで、敵の数は?」

「分かりません。 目下調査中です」

おろおろと触手をすりあわせるラドルアーレン。

此奴は腕は確かなのだが、非常に臆病である。それが、メラクスにいつも不快感を刺激させる。

師団長くらいになってくると、補充兵はみな確固たる知性と個性を持っている。それが故に、ということもあるのだろう。こういう臆病なのもいるのである。動作はまるでもじもじする幼児のようだ。

最も此奴は、まだ作られて間が無い新型らしい。知能は高いが、精神面は本当に幼児なのかも知れない。

「何だか、不快だな。 いわゆるハラスメント攻撃という奴か。 参謀、敵の数は」

「最低でも数百。 それも、優秀な特殊部隊かと」

「捨て置けんな。 魔王様に、三千殺し発動の依頼を」

「分かりました。 直ちに」

伝令が飛ばされる。

メラクスは、基本的に不要なことは一切喋らないようにしている。それが軍団長に必要な威厳を作ると考えているからだ。

魔族として永く生きてきて、人間との交戦経験も一番豊富である。だからこそ、どうも違和感を感じるのである。

或いは、今噂の双子が、ごく少数の人員で工作をしているのでは無いか。そんな気がしてならない。

翌日。

意外な報告が来た。

「魔王様からの伝言です」

「ん」

「三千殺しを発動したが、はじかれた。 その国に人間はもはやいない」

「何っ!?」

思わず声を上げると、伝令が首をすくめた。

伝令に罪は無いので、不快感を隠しながら下がらせる。まさか魔王が嘘をつくはずも無い。

そうなると、ほぼ間違いない。例の双子と、その協力者だ。

しかし三千殺しがはじかれるというのは、どういうことか。

「もはやかまわぬ。 外から魔術で一斉攻撃を加えて、港を更地にせよ」

「直ちに取りかかります」

 

凄まじい轟音が響き始める。地下水道まで、その振動が直に伝わり来ていた。

多分しびれを切らした敵司令官が、町をそのまま灰にするべく行動を開始させたのだろう。

だが、これぞ好機だ。

イミナはシルンとレオンを促して、地下水道から港の外に出る。一旦船着き場下の水面下に出て、そこから泳いで海岸線に。

そして、敵の注意が向いているのを確認したまま、砂浜に上陸した。

まんまと、包囲を脱出するのに成功したのである。

後は地下水道に仕掛けておいた、大威力術式が、時間差で爆発するのを遠目に見ているだけで良い。

「恐ろしいほどに戦い慣れているな」

「このくらいは初歩だ。 師匠から、まだ未熟と言われるだろう」

レオンに返すと、ぶるぶると体を震わせて海水をはじく。近くの森に入り込むと、着替えた。

先に、此処に物資の一部を隠しておいたのだ。

油紙で包んだ衣服は一応他にも用意はしていたが、単なる気まぐれである。レオンは別のところで着替えてもらった。

着替えを済ませると、毛布にくるまる。火は熾せない。発見されたら、全てが水の泡だからだ。

「さて、ここからどうするか、だが」

「一日おきに術式が作動するように、七つ仕掛けた。 全部爆発するまで、魔物達は必死にこちらを探すことだろう。 つまり、それだけ時間を稼ぐことが出来る」

充分に、時間稼ぎは果たせたことになる。

問題は、こちらの手の内をある程度見せた、ということだ。今後の事を考えると、必ずしも良い結果ばかりでは無い。

「シルン、一つ東の国は?」

「ん、まだ魔物は手を伸ばしていないみたいだよ」

「よし、一旦そこへ移動だ。 そして国境地帯に罠を仕掛けて、敵の行動を見張ろう」

腰を上げる。

砂浜には、人間と魔物の戦いをあざ笑うように。ずっと波が押し寄せ続けていた。

それにしても凄まじい爆音だ。

魔物の港町への攻撃は、まだ続いていた。あの様子だと、明日には城も含めて、一切合切が灰になっているだろう。

「おぞましいまでに、偏執的だな」

レオンの言葉に、イミナは、同感だと小さく頷いていた。もっとも、人間よりはまださっぱりしているような気がしたが。

師匠に会ってからの話も、ぼつぼつしてやろう。

そう、防砂林の中を歩きながら思った。

 

3、植林の行く先

 

巣穴。

魔王軍の主力である、補充兵を人間の死体から生産する施設である。岩山に穿たれた洞窟の中でそれは行われており、周辺は幾重にも張り巡らされた城壁によって要塞化されている。

ゴブリン族の青年グラはその巣穴で働き続けていた。そして、仕事ぶりを信頼されて、試験的にカーラという補充兵を預けられたのである。

エルフ族の特性を持った補充兵であるカーラが、グラの目の前で土いじりを始めてから、一週間ほどが経過した。

その間、黙々とカーラは作業を続けていた。グラの弟分であるトロールのキバが甲斐甲斐しく世話をしているが、感謝をしているようにはとても見えない。感情無き肉の人形は、グラが起きた頃にはもう出かける支度をしていて、今では放っておいても時間を適切に使って土いじりをしている。

すっかり耕し終わった土には、緑の点が無数に出始めていた。

休作植物が、芽を出し始めたのである。

主に荒れ地に生えて、土壌のダメージを回復させる植物を、こう呼ぶ。非常にたくましい生命力を持っており、場合によっては石畳の隙間からも顔を見せるほどである。塩だらけになった汚染された土でも、それは同じ。

だが、カーラは何が気に入らないのか、土の一部を掘り返したり、水を多めに掛けてみたり。毎日、それこそ赤ん坊を世話する母親のように、甲斐甲斐しく与えられた猫の額ほどの土地の手入れを続けていた。

荷車に乗って、今日も人間の死体が大量に運ばれてくる。

一時期ほどでは無いが、まだかなりの量だ。イドラジールで得た死体を、一旦格納していた場所からこちらに輸送してきているらしい。帳簿をつけながら、だがグラは思うのだ。

既に、魔王軍は充分な実力を得ているのではないかと。

人間に対して魔物達が一方的に蹂躙されていたのは、その繁殖力の差と、冷酷非情な人間の頭脳にどうしても対応できなかったからだ。

しかし今は、その人間そのものを材料にして、忠実な補充兵を大量生産することが出来るようになった。人間に対して、拮抗している以上の力を手に入れているともいえる。

以降は人間の動向に注意しながら、適切な処理を行っていけば。或いは、人間との共存も可能なのでは無いのか。そう、思ってしまう。

だが、特に上層部は、そうは思っていないようである。

時々他の魔物とも話すのだが、軍上層は人間に対する異常な憎悪で満ちているという。前線に出た魔物の中には、大地が血に染まるような凄まじい殺戮を目にして、軍を離れた者までいるという。

北極で会った老魔を思い出す。

彼だけでは無かったのだろう。あまりにも人間の醜悪な部分をなぞったような、今の魔王軍のやり方に疑念を抱いている者は。

ユニコーンが荷車を引いて戻っていく。

帳簿をつけ終えて、一息。

ふと気づくと、周囲の空間が歪んでいた。空間転移の術式を使うときの兆候だ。

やがて、少し後ろの空間が、キュッと鋭い音を立てる。放電。そして、最初からそこにいたように。

ウニに似た異形の触手の塊、クライネス将軍が出現していた。

「クライネス将軍」

「グラ君、君のレポートを見せてもらったよ」

二日前。カーラの状況について、レポートを提出した。ただしこれは自主的な行動であり、クライネスには求められていなかった。

グラは、補充兵であるカーラに名前をつけたことや、作業についての熱心さ、的確な行動などと一緒に、ドワーフの職人に頼んで、靴を作ってもらったことなども書いた。荒れ地で働くには、それが適切だとも。

ちょっと不安ではあったが、隠しておくことも無いと思ったので、全て書いた。だが、今は若干後悔している。

クライネスがわざわざ出てきたというのは、悪い予感しか想起させなかった。

「君のレポートは実に興味深い。 簡潔な中に、君たちの優しさが込められている。 補充兵に靴を与えるなど」

「しかし、書いたとおり、それが合理的ですので」

あの切り立った岩山に、小さな足が傷つくのを見たくなかったというのもある。

しかしながら。補充兵の再生能力がどれくらいかは分からないが、元がエルフなら、頑丈なはずも無い。靴くらいは与えておいても、作業に支障は無いはずだ。

それは、言い切れる。言い返せる。

「うむ、言われてみて、私も気づいたのだ。 そして、実際見る限り、植林は着実に進んでいるようだね」

「まだ、土作りの段階ですが」

「それで充分だ」

クライネスは上機嫌だが、それが余計にグラの不安をあおった。

ふと気づくと、物陰に隠れるような格好をして、キバがこちらを見ていた。キバはクライネスに心酔しているが、だが不安そうである。

あいつは阿呆だが、勘は結構鋭いところがある。何か、嫌な予感がしたのかも知れない。

「いずれあの補充兵は量産して、植林に役立てる。 その時に、つかえることが証明できればそれでいいのだから」

「量産、ですか」

「そうだ。 その時に、君の取ったデータは、大いに役立つだろう」

他にも、幾つか細かい部分の指摘を受けた。そして話が終わると、クライネスは現れたときのように、空間の裂け目に消えていった。

今日も地下で、おぞましい実験をしているのだろうか。

元々クライネスは、戦略面での担当をしているという話である。補充兵を設計したりしている大本は、別にいると聞いたことがある。

そうなると、どうして補充兵にあれほどこだわるのかが、よく分からない。

それにクライネスは後発組だ。補充兵というのなら、彼も同じ筈なのだが。

「あにきー!」

「どうした、キバ」

「カーラはしごとしてるか? おれ、心配になったから、みにきたんだ」

「大丈夫だ、見ろ」

仕事場には屋根が着いているが、それから出て広間に入ると、見える。

山の間にある、小さな土地で、カーラが土いじりをしている。今日は腰をかがめて、土の状態を確認しているようだ。

緑もそろそろ、肉眼でハッキリこの位置から見えるようになり始めていた。赤茶けた土の中で、違和感が浮いているかのようである。だが、まがまがしくは無く、むしろ優しい空気さえある。

「よかったあ」

「何をそんなに心配しているんだ」

「だって、カーラちっちゃいし、よわいし。 でも、クライネス将軍、カーラにやさしくない」

心底悲しそうに、キバはそう言った。

この気が良い頭の悪い巨漢は、いつもこんな調子である。多分名前を拝借した妹の事でも、カーラに重ね合わせているのだろう。

それに、クライネスに対する感謝を素直にもしている。板挟みの感情が、弟分を苦しめていることを、容易にグラは察することが出来ていた。

「なあ、あにき。 クライネス将軍、どうしてあんなにかわいいカーラにやさしくないんだろう」

「さあな。 クライネス将軍も、補充兵である事に変わりは無いと思うんだがな」

「将軍、いつもはとてもやさしい。 おれにも、ほかのみんなにも、とってもやさしいんだ。 だから、おれは、カーラにもやさしくしてほしい。 でも、きっとクライネス将軍は、カーラのこと、いじめると思う」

ユニコーンが来た。しかし空荷である。

荷物を確認するが、奪われた形跡は無い。ただ。書状が一枚だけ入っていた。

「備蓄がそろそろ尽きる、か」

「なんだ、あにき。 どうしたんだ?」

「ああ、そろそろこのユニコーンがいる場所に蓄えている死体がなくなるそうだ。 もっとも、地下にはまだまだ大量に死体があるし、他の備蓄場所もあるからな。 問題は無いが」

そもそも、溶体炉で溶かした分の死体も、補充兵に大部分は変えていないという話である。

あまり補給に関しては、気にしなくても良いだろう。書類で、クライネスに状況をトスアップするだけでよい。

「そろそろ戻れ。 俺は書類の整理をしたあと、カーラの様子を見てくる」

「あにき、分かった! あにきがいてくれるならあんしんだ」

「そうかい」

信頼してくれるのは嬉しいが、クライネス将軍がカーラを殺そうとしたとき、多分グラは守りきれないだろう。

力に差がありすぎる。

所詮グラは戦闘向きでは無いゴブリン族。それに対して、クライネスはそれこそ敵の一軍を相手にすることを想定している最強の補充兵の一人だ。ヨーツレットには流石に勝てないだろうが、それでもグラなどでは逆立ちしても対抗できる相手ではない。しかも武力だけでは無い。政治力でも、何より知性でも、とても勝ち目が無い。

無邪気に、グラを信じてくれているキバのことは裏切りたくないが。

やはり、何処かに、破滅は待っているような気がしてならなかった。

書類の整理が終わったところで、傘を持って山道を下る。幾つかの城壁を抜けて、カーラが働いている所に。

険しい岩山を這うようにして上がって、辿り着くと。カーラは土をつまんでは、臭いを嗅いでいた。多分土の品質を確認しているのだろう。

「カーラ」

名前を呼ぶと、振り返る。

決して知能は劣悪では無い証拠だ。膝を抱えるようにして作業をしていたカーラは、相変わらず瞳に何の感情も宿っていない。

「仕事は順調か」

聞いてみると、土だらけの指を、カーラは向ける。

その先には、順調に生育している緑の苗があった。もっとも、本来植えるはずの木では無いのだが。

「順調か。 まだしばらく掛かりそうか」

エルフに似た肉人形は頷く。

側に腰を下ろすと、水筒代わりにしている瓢箪から、水を呷った。無言で立ち上がったカーラが、桶を手に坂を下りていく。白くて細い手足には、細かい傷が無数に浮き上がり始めていた。この坂を何度も往復しているからだろう。

手伝おうかと腰を浮かし掛けたが、駄目だと思い出す。

ちょっと忸怩たるものを感じてしまう。

坂を一旦下りる。城壁のすぐ側に、魔術でくみ上げている井戸がある。この辺りの水は、人間が使いすぎたせいで、水路が滅茶苦茶になっているという。魔物は最小限の数しかいないので、どうにか出来る部分もあるのだが。

バーを上げ下げして、カーラが水くみをしていた。魔術によって筒が青く光り、吸い上げられた水が上げ下げのたびに桶へ流し込まれる。十二三度も棒が往復した頃だろうか。水はまだ八割ほどだが、カーラは桶を抱えて歩き出した。

 

夜。

宿舎に戻ったグラは、自室の隅で丸まって静かにしているカーラを見て、ちょっと憂鬱になった。

補充兵は睡眠を必要としない。栄養もだ。

どうやって動いているのかはよく分からないが、ああやってじっとしていると自然と回復するらしい。

戦闘目的の補充兵になってくると、休息さえも必要が無い様子だ。実際補充兵ゴブリンやオーク、コボルトを見ていると、延々と進軍して、疲れる様子も無い。ただし、回復力は、等級が下がるほど落ちるようだが。

声を掛けると反応するが、翌日の業務に差し支える。

だから、グラは、カーラには声を掛けない。風呂には入るように言っておいたが、それも烏の行水で済ませたようだった。

ドアを叩く音。この大きな音からして、キバだろう。

キバは満面の笑顔で、ミカンを一杯抱えていた。

「フォルドワードで、農場がすこしずつおおきくなってるらしいだ。 あにき、そこからおくられてきたんだって!」

「大きな実だな」

「ああ! 北極の地下じゃ、しなびたのしかみたことなかった!」

嬉しそうに実をむいて、無邪気に食べ始めるキバ。

トロールは雑食である。人間は、人肉を好んで喰うとか喧伝していたようだが、それは間違っている。実際のトロールは森で生活していることからも分かるように、むしろ植物喰の傾向が強い。

ただし、勿論肉も食う。

「なあ、あにき。 この辺りの荒れ地が、みんな森になったら、戦争おわるのかなあ」

「戦争が終わる、か」

「そうだよ。 おれたち、もうそとにでられたし、みんなしあわせになれたらいいなあ」

「難しい、だろうな」

魔王軍の上層部が、それを望まない。更に言えば、人間はもっとそれを望まない。

加えて言えば、人間と共存するなら、相手と拮抗するか、それ以上の力が必要だ。人間という生物の傲慢かつ残虐な特性を考える限り、絶対条件である。

「俺たちは、自分に出来ることをしていこう」

「おう。 おれ、あたまわるいけど、がんばる」

「そうだな」

「戦争終わったら、カーラとあにきと、森でごはんたべてえ。 こう、ひざしが差し込んでくる静かなもりでよ、みんなでおみかんたべるんだ」

手振りを交えて言う陽気な弟分に、グラはほほえみがこぼれた。

此奴は、羨ましい奴だ。

そのまま、部屋で雑魚寝する。巨体の割に、案外キバのいびきは五月蠅くない。明日が、同じように来れば良いと、グラは思った。

 

うたた寝していた魔王が目を覚ます。

緊急連絡が来たことに気づいたからだ。

安楽椅子の側には、魔王にしか感知できない魔力を発するランプが置いてある。それが少し前から、凄まじい勢いで明滅している。

ランプに触れて、明滅を停止させる。

頭の中に、直接声が来た。バラムンクからの通信である。

バラムンクは口数が少ないが、精神波で魔王と会話するときだけ、声が一オクターブ高くなる。何だかよく分からないが、まあ素の自分を見せている、ということなのだろう。

「夜分恐れ入ります、陛下」

「どうかしたか」

「はい。 すぐにヨーツレット元帥を始め、手近な幹部を招集してください。 ゆゆしき事態が発生いたしました」

緩慢に安楽椅子から身を起こした魔王は、外に。見張りをしていたエルフ戦士達が驚いたようだった。

前日三交代で回しているエルフの戦士達の警護だが、今日も隙が無い。すぐに反応が見られた。

「陛下?」

「すぐにヨーツレット元帥を。 他の幹部は」

「今はグラウコス将軍が帰ろうとしていたのですが、呼び止めますか」

「うむ、急いで欲しい」

杖をつきながら、謁見の間に。

バラムンクは、魔王軍の影だ。正面切っての戦闘を得意としている他の九将達とは違って、裏側から状況を見極め、対応策を的確に打ち出していく。また、どちらかと言えば真面目な武人だったり、復讐鬼だったりする連中と違って、黙々と影からの仕事を出来る。

そういう存在として、設計したのである。

だから、アニアの輸送も任せたし、現在も緊急事態だという話を聞いて、即座に幹部会を招集した。

道すがら、話を聞く。

確かに、何だとと呟きたくなる内容であった。

すぐに、幹部達も集まり始める。ヨーツレットを筆頭に、グラウコスとグリルアーノ、それにレイレリアもいる。四名しかいないが、他は戦地にいたり、フォルドワードで指揮をしているから、仕方が無いことである。

「カルローネ将軍は」

「海軍の護衛を兼ねて、フォルドワードに向かっているところです」

「そうか、やれやれ。 丁度良かった、かも知れぬの」

玉座に腰を下ろすと、魔王は術式を発動。

映像を展開する術式が、球状の力場を作り出す。幹部達の視線が集まる中、驚くべき光景がそこには映し出されていた。

船だ。

それも十隻や二十隻では無い。見えているだけでもおよそ数百隻。

しかも、この光景は、一つや二つの港では無いと言う。その上、現在も船は増え続けているというのだ。

「一体何が!? そこそも此処は」

「エンドレン大陸、北部じゃの」

「エンドレンというと、西の大陸ですな。 三千殺しの間断無い発動によって、小規模国家すら存在しないという状況になっているはずですが、それがどうしてこのような」

「まだ、そこまでは分かっておらん。 一つ分かっているのは、人間共の艦船が万に達するという事だけじゃ」

万に達する艦。

息を呑む幹部達。確かに人間の数は、現在でも圧倒的である。しかし、いくら何でも、この数はなんとしたことか。

そして、無数にそれに群がっている人間。

あまりにも多すぎる。しかもかなりの大きさの船ばかりだ。軍船も多数見える。これに全て人間が満載されて迫ってきたら、軽く数百万に達するはずである。最悪の場合、桁が更にもう一つ増えるかも知れない。戦闘員ばかりでは無いにしても、数百万の相手を押し返せる戦力は、あるのか。

挙手したのは、グラウコスである。

「現在の全戦力を向けて、迎撃しないとならないかと。 特にクラーケンは、全てを迎撃に使用しなければならないでしょう」

「それは当然だが、問題は現有の航路全てから、この大艦隊が一斉に迫ってきた場合の対応策だ」

ヨーツレットが冷静に返す。

そもそも、これほどの状況になるまで、誰もどうして気づかなかったのか。

今まで人間に勝つことが出来てきたのは、その圧倒的な数を国家という単位で各個撃破してきたからだ。フォルドワードを陥落させることが出来たのでさえ、その戦略を丁寧に実施したから、である。

だが、それを今、逆手に取られつつある。

一体この現象は何だ。集団ヒステリーか。いや、どうもそれとは違う気がする。何というか、方向性が感じられるのである。

「妙だ。 人間の国家以外の組織で、これほどの行動的ベクトルを作り出せるものがあるのか」

「どういう意味?」

「レイレリア将軍、つまりこういうことだ。 矛盾だらけとはいえ、人間は国家という単位で、生物としての戦略を設定して生きている。 だが、今エンドレン大陸は、三千殺しの間断無い発動によって、それが無くなっている。 しかし、この状況は、明らかに何かしらの大型組織によるバックアップで行われている。 しかもそれは国家にも、大型の権力にも起因していない」

起因していたら、三千殺しに引っかかっているはずだと、ヨーツレットが説明。レイレリアはゆっくり廻っていた。あまり頭が良くないこの娘は、理解するのに苦労している、という事なのだ。

咳払いした魔王に、視線が集まる。

「いずれにしても、放置は出来ん。 迎撃の具体案をすぐに」

「分かりました。 グラウコス将軍、それにレイレリア将軍を中心に、敵の海上戦力の浸透を防ぎます。 しかし、国は崩壊しましたが、敵の軍備まで崩壊しているわけではありません。 見るとどの船も武装しているようですし、当然軍経験者も多く船には乗っているでしょう」

しかも、叩けばつぶせる中核が無い。

「なんてこった。 まるでネズミ退治じゃないか」

グリルアーノがぼやく。無論それは、簡単なこと、という意味では無い。

たとえば、クラーケンで一体辺り十隻の船を沈めるとする。だが、敵の艦船は万を超える。クラーケンはそれほどの数が無い。百分の一にも達しないだろう。

空軍も総動員するとして、敵の海上戦力をどれだけそげるか。

更に、最悪の事態も、想定しなければならないかも知れない。

「水際での殲滅に失敗した場合、最悪防衛線を後退させなければならないやも知れませんな」

「おのれ、やっと人間共を追いだしたというのに! フォルドワードに再上陸させてたまるものか!」

グリルアーノが、感情的に吠え猛った。魔王は首を横に振る。

「今は、とにかく冷静に対応を、な。 グリルアーノ将軍。 怒ったところで、何も解決はせぬからのう」

「は、はい、陛下」

「すぐに、対応に掛かるように。 今回はかなり危険な状態でな。 事は一刻を争うぞ」

さっと、幹部達が四方に散った。

さて、ここからだ。何に対して、三千殺しを発動するべきか。魔王は自室に戻りながら、思惑を巡らせる。

どうもきな臭い。人間が自主的に、このような行動を始めるとはとても思えないのだ。

人間の昔話とかでは、強大な悪に、自主的に民衆が立ち上がって対抗したりする。

そんなものは妄想だ。

実際には、コアになる人物が現れて、それにアジテートされた周囲が「その気になり」、様々な行動を行う。

だから、三千殺しによって、コアになり得る輩を潰してきた。それも、念入りかつ徹底的にだ。

だから今は、エンドレンには盗賊団のようなものさえも存在しない。どのような形でさえ、一定の権力を得ているものは、皆殺しにしてきたからである。

だから、しばらく考えて、結論できた。

おそらくは、別の大陸から、三千殺しに引っかからない形で、干渉してきている人間がいるとみて良いだろう。

自室に戻ると、バラムンクを呼び出す。

待機していたバラムンク。どうやら、クラーケンに乗って、エンドレン大陸の北方にいるらしかった。

「お呼びですか、陛下」

「うむ。 結論が出たのだが、どうもやはりエンドレンに何かしら別大陸の人間が干渉して、今回の糸を引いていると見て良さそうだのう」

「なるほど」

「軍を率いている九将には、対応するべく指示を出した。 そなたは今回の件の糸を引いている輩を割り出し、糸を断ち切るのだ」

御意と言葉短く答えると、バラムンクは通信を切る。

さて、次はクライネスだ。

今回は作戦立案もそうだが、兵力の補充について、重視しなければならなそうである。さっきグラウコスが言ったとおり、あらゆる航路で人間が押しかけてきた場合、水際殲滅が上手く行かない可能性が極めて高い。

クラーケンは人間の艦船に比べて大きなアドバンテージを持っているが、それも相手に比べて数が拮抗している場合、である。今回のように、滅茶苦茶な数で攻め寄せられたら、押し切られる可能性が高い。

しかも、エンドレンは元々戦争に関しては優れた文明を持っていた大陸だ。その技術と文明自体は、失われていないのである。

クライネスは、呼び出しに少し遅れて出た。

「陛下、ゆゆしき事態でありますな」

「うむ。 対応策は」

「今回の件ですが、おそらくはエル教会が背後におりましょう」

「ほう?」

いきなり、知恵多き参謀長は敵の正体を特定してきた。

最初からそれを言ってくれれば、話は早かったのだが。しかしこの男のことである。或いは、敢えて魔王と直接話す機会を作ったのか。

「何、単純な計算です。 全ての大陸に等しく影響力を持つ超巨大宗教。 宗派は幾つかあるながら、結局の所その影響力は、法王の下に集っている。 そして連中には、「前科」があります」

「なるほど、あの事件か。 確かにあり得る話であるのう」

「御意。 エル教会は、国家とは異なる形で、世界を支配しようともくろむ集団の一つです。 丁度良い機会でありますし、そろそろ潰しておくのも一興かと」

元々、近年のエル教会は、「同胞」であり「導くべき民」とやらを、道具としか考えていない。

今回の件も、大陸一つの住民を、まとめて捨て駒にするも同然である。武装難民を、丸ごと魔王軍と正面からぶつけようというのだから。

この辺り、人間の事を、魔王はどうしても理解できない。

というよりも、かって人間であった事が、恥ずかしくさえ感じる。

「よし、今日の三千殺しは、エル教会に対して発動するか」

「それがよろしゅうございます」

通信を切ると、魔王は指を鳴らす。

指定は、エル教会なる人間の組織に所属している存在で、魔王軍にとって大きな害を為すもの上から三千人、であった。

 

周辺が慌ただしくなった。

ユニコーンで運ばれてくる死体が、急に増えたのである。今まで同じペースで運んできていた備蓄を、いきなり増やした様子である。人間の国家攻略が上手く行っているとは聞いていないから、生産量を増やすための措置だろう。

それだけではない。

今まで東へ向かっていた、生産後の補充兵が。

ことごとく、西へ向かい始めたのである。

何かあったと、戦略の専門家では無いグラにも一目で分かった。

オークのゼンドを見かけたので、話しかけてみる。ちょっと殺気立っていて、苛立っているようだった。

「グラ、おまえ話は聞いていないのか」

「どういうことだ」

「エンドレン大陸の人間共が、一気に攻め込んでくるつもりらしい。 しかも、数百万って数になるかも知れないそうだ」

「数百万、だと」

ちょっと想像が出来ない。

現在魔王軍は、フォルドワードにいる留守部隊と、このキタルレアに展開している部隊を併せ、なおかつ待機中の部隊を加えても、百万に達しないという。しかもその殆どは補充兵で、純粋な魔物達の数は更にそれよりずっとずっと少ない。

勿論、魔物だからと言って補充兵より強いわけでは無い。数倍程度の兵力差はひっくり返せるとも思う。だが、楽観ばかりは出来ない。人間だって、無力では無い。

魔術の類いを使う奴はかなりいるし、攻城兵器や、対竜族に作り出された恐ろしい武器類だってたくさん存在している。

伝説に出てくるような勇者が現れなくても、人間はそれなりの力を持っているのだ。ましてや、それが数百万という数になれば。

「ちょっと俺は急ぐから、また後でな」

「ああ。 気をつけろよ」

軽く会話して、別れる。

それにしても、数百万か。フォルドワードにそんな数がなだれ込んできたら、また過去の歴史が繰り返されることになる。

基本的に人間は、他の種族を蹂躙するためだけの存在だと考えている。

今回も或いは、フォルドワードは「無人の土地」であり、自由に奪ってよい場所だとでも思っているのかも知れない。

不快すぎる、傲慢な考えだ。

相手との力が拮抗しないと、とてもでは無いが人間との講和は出来ない。そう考えたグラは間違っていなかったことになる。

それにしても、今までおとなしかったエンドレンが、どうして急に、こんな事になったのか。

「あにきー!」

どたどたとキバが来る。書類にペンを走らせながら、グラは顔を上げずに応じた。

「どうした」

「あにき、大変だ! さっきクライネス将軍からきいたんだけど、魔王さまが来るらしいぞ! ここに、しかも今日だ!」

「それは大変だな」

他人事のように言いながらも、グラは緊張に身を堅くした。魔物達にとって生ける伝説である魔王は、グラも思うところはありながらも尊敬している。失礼が無いようにしなければならない。

確かに、もしも人間が数百万規模で押し寄せてくるとなると、補充兵を大増産しなければならないだろう。或いは、今までの戦略を見直して、陸軍では無く海軍や空軍を大幅増強しなければならないか。当然のことながら、前線司令部に近いこの巣穴は、視察の対象となるはずだ。

材料は、ある。まだ五十万や六十万くらいは余裕を持って作れるはずだ。人間が有効な抵抗手段を見つけないうちに、それだけ殺したのだから。

だが、増産となると、上手く行くのだろうか。

簡単にできるなら、巣穴を複数作ることも無いはずだ。以前クライネスに、補充兵を作る仕組みを他の魔物達と一緒に習ったが、あんな複雑そうな機構、簡単にたくさん作れるとは思えない。

実際もしもそうならば、もっと巣穴は増やせているはずだ。

おそらく師団規模の補充兵が、こちらに向かってきているのが見えた。多分魔王の護衛だろう。整然と行軍している上に、下級の補充兵だけでは無く、連隊長級以上の強そうなのがかなりの数混じっていた。

確か、ヨーツレットが編成した、親衛部隊というのがいると聞いている。あの強力そうな編成から言って、まず間違いなくそれだろう。

移動速度もすごい。気がつくと、先鋒は既に巣穴の入り口近辺に到着していた。そして本隊が到着した頃には、グラのいる辺りには、すっかり武装した補充兵達が展開し、周囲に油断無く目を配っていた。

命令で動く下級の連中ばかりでは無い。

いかにも強そうな奴輩ばかりである。戦術判断力がある上級の補充兵がまず現場を見て、それから下級の連中が数を武器に周囲を固める。普段とあべこべだが、これは多分魔王の身の安全を完璧に守るためなのだろうか。

流石に直立不動し、敬礼して待つ。

カーラはというと、こんな状況にも関わらず、黙々と土いじりを続けていた。

魔王が姿を見せる。

優しそうな、人間の老翁に見える存在。だが、巣穴で行われているおぞましい補充兵の作成工程を知るグラとしては、素直に相手の容姿をとらえることが出来なかった。あの優しそうな老人の内部には、灼熱のように煮えたぎった人間への憎悪が詰まっているのだ。

輿に乗せられた魔王は、周囲を巡回しつつ、魔物達に声を掛けて廻っていた。グラの所にも来る。

「おお、作業ご苦労だのう」

「ははっ!」

「そなた達皆が、儂の宝であり、守るべき存在だ。 無理はせず、無為に命を散らさぬようにな」

頭を下げる。

魔王は、少なくとも魔物達には本物の慈愛を注いでいる。今の言葉で、それははっきり確信できた。だが、それはやはり偏ってしまっているのだろう。

緊張しているキバにも、魔王は優しく声を掛けていた。

そして、巣穴の中に入っていく。クライネスが入り口付近で出迎えて、中で技術的な話をしているようだった。

緊張する。

「魔王様、優しそうだな、あにき」

「ああ。 しばらく静かにしていろ」

「わかった。 あにきが言うなら」

それきり、本当にキバは黙った。しばらく気まずい空気が流れる。

魔王が巣穴から出てきた。相変わらず柔らかい雰囲気だが、一緒にいるクライネスは、どうしてかぴりぴりしているようだった。

 

夕刻。

魔王が帰って、潮が引くように護衛の部隊もいなくなってから、グラは宿舎で飲みながら巣穴の中で働いている同僚に話を聞くことになった。

いつも巣穴で溶体炉に死体を投げ込んでいるオーガのマジェスである。同じように仕事をしているオーガの一名だ。

オーガ族は巨体を誇る魔物で、人間型としては巨人と呼ばれる絶滅種の次くらいに体が大きい。全身が赤黒かったりと警告色になっている事が多く、見るからに強そうな姿もあって、人間に徹底的に駆除されてしまった。

喰人鬼などと略されるとおり悪食であるが、別に人間ばかり好んで食べるようなわけもない。むしろ話を聞いてみると、人間はまずくて嫌いだそうである。天井に張り付くという特殊能力も持っているが、あまり使いたがらない。

同じような大型人型種であるトロールともあまり仲が良くない種族だったのだが、今では魔王の庇護下、ある程度仲良くしている。ただ、マジェス自身は、キバとはあまり仲が良くない。とろくてイライラする、というのが理由だそうだ。

それで、そのマジェスと、夕食を一緒にする事になったので、話を聞いてみたのである。大きな酒瓶にブドウから作った酒を傾けてやると、マジェスは話し始める。

「魔王様、かなり無理な増産計画を出していた。 これから穴掘って、生産設備を増設する」

「間に合うのか」

「間に合わせるしか無い。 このままだと、フォルドワードに人間がまたなだれ込んでくる」

「それは悪夢だな」

頷きあう。

魔物にとって、人間との戦いとは、それすなわち人間に追われる歴史だった。戦えど戦えど押し寄せる人間に、ドラゴンや魔族でさえどうにもならなかった。数の暴力。それ以上に、繁殖力の暴力と言っても良い。

それが組織力を武器に、どれだけ撃退しても攻め寄せてきた。

いずれの種族もいつしか住処を追われた。そうしている内に人間の文明はどんどん進歩し、恐ろしい魔術や武器が次々登場し、ついには正面から戦っても勝てなくなってしまった。

そうなると、後は無惨だった。北極まで追い込まれるのにも、さほど時間は掛からなかった。

多分、人間がフォルドワードまでまた攻め込んでくるとなると、どの魔物も過剰反応を示すだろう。せっかく平和な生活を取り戻しつつあるのに、というわけだ。

元々、フォルドワードは魔物だけの土地だったのに、人間が押しかけてきた。一方的に攻め込んできて、土地を奪い、蹂躙した。

だから、グラとしても、人間を追い出すことには、反対しない。

流石に絶滅させることは賛成しかねるが。

「おまえの弟分、ちょっと力仕事、してもらう」

「指示ならば仕方があるまい」

「ああ。 補充兵だけだと、手が足りない」

まずは横穴を掘るところから始めるという。

まあ、どちらにしても増産をすると言うことだ。今一日1500ほどの補充兵を作れる此処だが、もう一つある巣穴と連携すれば、三千強の補充兵を一日に生産することが出来る。

しかし、数百万という敵の数を考えると、焼け石に水とも思える。

本当に大丈夫なのだろうか。

「それにしても、分からない。 人間はどうして俺たちを皆殺しにしようとする」

「さてな。 魔王様は、今それを人間にやり返しているんだろうが、どっちにしてもちょっと理解できないな」

「前に聞いたんだが」

理解できる理屈では無いがと、前置きしてから、マジェスはぐっと酒を飲み干した。

マジェスの話によると、人間の宗教では、この世界の土地は全て神が人間に与えたものなのだそうだ。

魔物はそこへ勝手に住み着き、人間の発展を邪魔している存在なのだという。

だから、殺してもいい。

魔物の土地を奪ってもいい。むしろ神の敵である魔物を殺す事は、功徳になる。

それが、人間の理屈だそうである。

エル教会の理屈なのかと一瞬思ったが、そういえば人間が信仰している幾つかの宗教でも、だいたい同じ考えがあるのだとか聞いたことがある。多少バリエーションに差異はあれど、人間の宗教は基本的に同じものかも知れない。

人間にとって、都合が良いという意味で。

だからこそ、思想として浸透したのだろう。

「ひどい話だ。 俺たちは静かに暮らしたいだけなのに」

「同感だ」

「はっきり言って、勢力さえ安定すれば、戦争は終わって欲しいと俺は思ってる」

マジェスが、内心を吐露した。

グラも、それには同感だった。

鈴が鳴らされる。緊急招集の合図だ。酒をさっと飲み干すと、宿舎の外に出る。カーラの面倒を見ていたらしいキバも、遅れて出てきた。

外に、魔物達が並ぶ。クライネスが出てきていた。

「諸君らには、非常に申し訳ないのだが、明日から忙しくなる」

まあ、予想はついていた。

本当に申し訳なさそうに、クライネスは無数の触手を垂れた。

「聞いての通り、人間の予期せぬ大攻勢が始まる可能性が高く、しかもそれはフォルドワードを直撃してくる。 この大陸にいる部隊の内、十五万ほどは留守居役として残し、ヨーツレット元帥が率いて機動戦を行う。 残りの九将は、現在存在している残り四十四万ほどを率いて、急ぎフォルドワードに帰還する」

此処の警備も、大幅に減らすという。

十五万の機動部隊を率いるヨーツレットには、魔王直属の親衛部隊もつくという。まあ、今まで押さえた版図を守りきるくらいなら出来るだろうと、クライネスは言う。本当にそうだろうか。

現在キタルレア大陸の内、魔王軍が押さえているのは西部、中央部北部程度であり、せいぜい四割弱という所だ。

無秩序に勢力を広げたわけでは無いから兵力は守りに振り分けやすいが、それでも一斉に周辺国から反撃に出られるとかなりまずいかも知れない。

此処も、当然敵に攻め込まれる可能性が出てくるだろう。

「フォルドワードには正規軍が十七万、予備役兵が十万ほどいる。 諸君らには連日補充兵の生産を行ってもらい、この数を少しでも増やす。 敵の数は現時点で、最低でも三百五十万を超えることが分かっている。 下手をすると、この二倍、更に増える可能性さえあるそうだ」

数を聞かされると、そのとんでもない物量が嫌と言うほど分かる。

補充兵だけでは足りない。

しかし、現有の魔物を加えたところで、焼け石に水だ。更に補充兵を増産していくしか無い。

挙手したのは、オークのゼンドである。

「それにしても、そんな兵力がどこから出てきたのです」

「元々エンドレンの国家群は崩壊したとはいえ、軍隊までが消えて無くなったわけでは無い。 紛争が起こりようも無い状態になっていたから、そもそも漠然と軍人が無数に存在するという不安定な状況であったようだ。 そこに、一定の方向性を与えた者がいる可能性がある」

「何者ですか」

「おそらくは、エル教会だ」

来たかと、グラは思った。

だが、エル教会が如何に巨大組織とはいえ、人間の作ったものだ。潰すことは、不可能では無いのではとも思う。

「当然、今潰すべく努力が行われているが、どうも難しい。 とにかく敵は、強力な武装を持った難民と思って良い。 たとえるなら、キタルレアで魔物の大虐殺を行った、「聖軍」のような、だ」

全員の表情に、一気に緊張が走った。

誰もがそれは知っている。

今から六百年ほど前。人間の中に、魔物の土地を奪って豊かな生活をしようという思想が広まった。

国家がそれを煽った事で、運動には火がついた。何しろ奪った土地は、たとえ貧民であっても自由にしてよいというのだから。まさに一攫千金の好機であった。

農民までもが武装し、まるで洪水のように魔物達の土地に押し寄せた。

そして、凄まじい虐殺が繰り広げられた。魔物達も必死に抵抗したが、あまりの数に、とても対抗出来なかった。大地は血に染まり、何十種類もの魔物が絶滅した。奮戦した竜族も、実に九割が人間の海に飲み込まれ、殺された。

この時武装民となって移動した人間の数、およそ三百三十万。膨大な土地が、一気に人間の手に落ちた事件。魔物の歴史で言う、「殺戮の四年」である。この事件の裏でエル教会が糸を引いていたことは、よく知られている。

それが再現される。

しかも、魔物の数は当時と比較にもならない。代わりに補充兵がいるが、それでも敵の数があまりにも多すぎる。

「分かりました。 それで我々は、何をすれば」

「補充兵の生産は、極限のペースで行う。 貴方たちは生産設備の点検と補強、それに生産した補充兵の整理と輸送を、全力で行っていただく。 とりあえず、現在の在庫をことごとく消耗しきる勢いで作業を進める」

「あの……」

おそるおそる、キバが挙手する。

周囲の視線が集まる中、気弱なグラの弟分は、もじもじしながら言った。

「その、カーラは」

「……正直、これから総力戦が始まる中、植林に目を向ける余裕は無い。 かといって、潰して肥料にするのも意味が無いし、芸が無い。 君とグラで、時間が空いているときにでもレポートをつけていてくれ。 ただし、軍務優先だ」

「わ、分かりました!」

嬉しそうにするキバから、クライネスが視線を外すのを、グラは敏感に見抜いた。

今はそれどころでは無い。冷徹な参謀長は、そう言ったも同然だった。こういう所が、この参謀長が嫌われるゆえんだ。

周囲と和を保とうとしている反面、にじみ出る冷徹さがそれを台無しにしている。とても賢いのだろうが、どうも他者との関係には疎い。不思議な存在だった。

「すまないが、明日からは睡眠時間さえも削ることになると思う。 しかしこの攻勢を押し返しさえすれば、一気に戦況はこちら有利に傾くはずだ。 皆、頑張って欲しい!」

クライネスはそう声を張り上げた。

だが、それは何処かむなしく響くばかりだった。

 

5、邪悪の更に先

 

薄暗い部屋である。

石の床には、赤い塗料で書かれた巨大な魔方陣。淡く光を放つそれの上には椅子が一つ置かれ、ローブを着た人影が頬杖をついていた。

男。若くは無いが、老人でも無い。

部屋に、気配が現れる。跪くそれが、報告を始めた。

「エル教会は予想通り、聖軍の発動に掛かりました。 動員兵力はおそらく一千万を超えます」

「兵力、か。 兵站も無い武装難民の群れとはいえ、殺しあいがしたくてうずうずしている連中だ。 さぞや凶暴に暴れ回ってくれることだろうな」

「御意」

ローブの人影が、くつくつと笑う。

その体はとても細い。椅子の上で揺らしている体は、質感さえ伴っていないように見えた。

報告は続く。

「更に、エル教会の上級幹部が、大量死を遂げました。 法王を筆頭に、分かっているだけでも千六十七人。 各地の支部は大混乱に陥っています」

「どうやら間違いなさそうだな」

「はい。 まず間違いなく、魔王の力かと」

これは実験も兼ねていた。

この南の大陸まで、魔王の力が及ぶかどうか。そして、それは証明された。そして、魔王の力の解析も、進みつつある。

そして、この男。影の黒幕は、エル教会に最低限の干渉しかせず、これだけの事を引き起こしていた。異相の天才。

実際に動いているエル教会の幹部など、いくらでも代わりがいる。魔物など、所詮は力しか能の無い阿呆どもだ。地獄の権力闘争で磨きに磨き抜かれた人間の悪知恵に、かなうはずも無い。

「すぐにエル教会に手配し、代わりの人材をたてろ。 そして、こうも言ってやれ。 聖軍による聖戦で、魔王を滅ぼせば、仇を取ることも出来るとな」

「ははっ。 承知しました」

「後は、この二つか」

男は指を鳴らした。闇の中、浮かび上がるのは、机上遊戯の白い駒二つ。一つは双頭の竜。

もう一つは、仮面をつけた女王。

「ジェイムズに研究を急がせよ。 双子の竜と、女王の接触も急げ」

「分かりました。 直ちに手配します」

「それにしても魅惑的な力だ。 是非手に入れたい」

既に、男には、魔王の使っている力の正体がつかめている。

もしもそれを手に入れることが出来たら。歴史上初になる、本当の意味での世界の支配者が誕生することになるだろう。

それは、まさに野望の成就。

夢の実現と言って良かった。

そのためには、聖軍による聖戦で、人間が数百万死のうが知ったことでは無い。主体性も無く人生設計も無く、ただだらだらと命じられるままに生きているようなくず共など、どれだけ死のうが何の痛痒も感じない。

人間の命に平等など無い。

ゴミの命など、どれだけ浪費しても、なんら罪悪感など感じない。

それが、男の本音であった。

部下が消えると、男は指を鳴らす。

魔方陣が、強い力を放ち始めた。

「さて、次の段階へ移行する準備を進めるか」

くつくつと、男は笑う。

人の世界の生み出した、最も深い闇に属する男が、今歴史を好き勝手に動かそうとしていた。

 

(続)