孤独の中の双子

 

序、戦禍

 

目を覚ます。

イミナは周囲を見回して、まず最初に妹の安否を確認した。シルンは毛布にくるまって、静かに寝息を立てている。

それだけで、一安心だ。

ジャドはやはり現れない。既に死んだことを想定して行動しなければならないだろう。シルンは、きっと認めたがらないだろうが。そういうときにも、冷静かつ合理的に動かなければならないのが、イミナの仕事だった。

昔から、そうだ。

シルンは誰でも信じた。明るく無邪気で、いつもまぶしい笑顔を浮かべていた。

だから、イミナがいなければならなかった。

輝きを、曇らせないためにも。

毛布をのけて、外に出る。岩山の小さな穴で、しばらく寝泊まりしていたのだ。だが、この様子だと。

外に出ると、霧雨が降っていた。周囲はかなり滑る。この状態で戦闘になると、面倒な事になるだろう。

此処は、キタルレア大陸。イドラジール王国。

その東部辺境である。

大陸北部における最大軍事国家だったイドラジールも、わずか半月でその版図の半分を失っていた。特にここ三日は、魔王軍の勢力拡大が著しい。魔王が、最前線に出てきたのでは無いかとイミナは分析していた。二十万を超える大軍勢が、殆ど無駄なく暴れ回っているのが、その根拠だ。

シルンが起き出してくる。

目をこすりながら、危なっかしい足取りで、穴から出てきた。

此処は岩山の中腹と言うこともあり、敵からは発見されにくい。だからといって、無防備な状態で出てくることはあまり感心できない。

「ふあー。 お姉、おはよう」

「シルン」

「はあい、わかってまふ。 顔、洗ってきます」

大あくびをしながら、岩山の奥に戻っていく。霧雨を浴びながら、イミナは今後どうするかを考えていた。

この国は、落ちる。多分もう七日は持たないだろう。当初こそ防御施設を活用して必死の防戦をしていたイドラジールだが、国王ら主要な権力者が一夜にして全滅し、以降は敗退に敗退を重ねていた。

北の大陸で、幾つかの国が同じようにして滅んだ。その再現が、ここ東の大陸でも行われている。

勿論、イミナも指をくわえてみているわけでは無い。

入り組んだ地形を利用して敵に機動戦を挑んでいるイミナだが、それも限界が近い。下手をすると、逃れられなくなるだろう。

顔を洗ったシルンが着替えて出てきた。プラチナブロンドは、あまり手入れも出来ていないのに、つやが出ている。イミナも双子だから、同じようにつやもあるのかも知れないが。あまり興味が無い。

「お姉、もう此処出るの?」

「昨晩だけで、三回斥候が来た。 やり過ごしたが、四回目は見つかるだろう。 荷物をまとめろ」

「はいはい。 それにしても、この国ももう駄目なのかなあ」

「此処が落ちると、人間側は著しく不利になる。 だが、現状では、もう周辺の国々も、これ以上援軍を出せはしないだろうな」

坂を転がり落ちるようにして、状況は悪化している。

しかし、それでも。イミナはやらなければならなかった。

「師団長を狙う」

「冗談でしょ? あんなでっかいの、やっつけられないよ」

「それでも倒す」

一つ、観察していて分かったことがある。

魔王の軍勢は、末端は意思を持っていない。下になればなるほど、知性も理性も与えられていないからだ。

その上、雑魚はどうも一つ一つが生命という感じがしないのである。そう説明すると、シルンも頷く。

「うん、それは私も思ってた」

「動く死体というのとは少し違うが、どうもおかしい。 或いは、何かしらの手段で作成している人工的な存在なのかも知れない」

勿論、既に数年戦っていると、例外は何度もみている。

巨大なドラゴンが軍勢の指揮をしている姿も見た。

だが、いずれにしても。はっきりしているのは、魔王の軍勢の末端は、意思も知能も薄弱だと言うことだ。

人間の軍勢でもそれは同じだが、しかし魔王軍の場合はそれが更に徹底している。

「そういえば、多分小隊長をしているあの大きいの、倒すと敵の動きがぴたって止まるの、何度かみたよね。 確かに師団長が死んだら、軍がそのまま瓦解するかも」

「その通りだ。 冴えているな」

「えへー。 で、お姉。 実際問題、どうするの?」

師団長というのは、あくまで二人で名前をつけた個体である。

最近この辺に展開しているのは、多分背丈だけでもシルンの五倍以上はありそうな奴で、巨大な椰子の木のような格好をしている。根のような触手を動かして移動し、幹状の部分には放射状に巨大な目がたくさんついていた。

此奴が多分ボスなのだろう事は、その猛烈な警備からも明らかである。周囲を常時千以上の敵が固めていて、とてもではないが接近することさえ出来ない。

ただし、他にも大きいのがいる。最近の敵の動きの激しさから考えると、此奴以外の師団長が今近辺にいる可能性も高い。

だが、敵の性質を考えると、巨大な相手を葬ることには大きな意味が出てくる。

「でも、敵の軍勢はざっと二十万はいるでしょう? この辺だけでも、師団長が一人や二人だとは思えないよ」

「その通りだ。 だが、人間に思わぬ反撃能力があると分かれば、連中の行動も慎重にならざるを得ない。 慎重になれば、よその国へ逃げ出せる民だって増える。 そうすれば、技術力も持ち出せるし、魔物に対する有効策だって編み出せる可能性が出てくる」

一番有効なのは、人間の軍勢と連携することだ。それはイミナも分かっている。

だが、どうも国家というものに関しては、未だに根強い不信感がある。多分、出自に関係しているからだろう。

いつも底抜けに陽気で脳天気なシルンも、コレに関してだけは口をつぐむのだった。

「敵は地位が上がるほど強くなるみたいだし、私の術、効くかなあ」

「試すだけ試す。 もしも倒せなくとも、一矢を報いることが出来ると、敵に示せるだけで充分だ」

目を細めたのは、敵の斥候が見えたからだ。

そろそろ、こちらにも本格的な部隊を派遣してくるだろう。この険しい地形だから、百や二百の敵なら恐るるに足りない。

だが、連隊規模以上の敵が来てしまった場合は、手に負えない。そして兵力が潤沢な敵は、それくらい平然とやってのけるだろう。

「それにしても、どうして此処まで徹底的なんだろう。 いろいろ伝承を調べてみたけれど、魔物って人間よりずっと理性的な種族だって話だったよね」

「だが、それだけに、人間の行動が腹に据えかねていたのだろう。 多くの種族が絶滅寸前まで追いやられて、北極に閉じ込められた。 何か悪いことがあると全部魔物のせいにしていた時期もあったらしいし、エルフ族なんかはとらえられたらそれこそあらゆる暴虐にさらされたらしいからな」

今でこそ、被害者に転落しているが。

かっては人間が、これと同じ事を相手にしていたのだ。完全に自業自得だといえるのだろう。

イミナはそう冷酷に判断していた。

生き残るためには、戦わなければならない。だが、別に人間に肩入れしているつもりなど、ない。

「斥候を叩く?」

「いや、一度下がって好機を狙う。 少し東に谷がある。 そこで待ち伏せよう」

「分かった。 そこなら、多少の軍勢なら引き受けられるものね」

ジャドがいれば、少しはましになるのだが。

そう思いながら、イミナは数日を過ごした岩穴を後にした。

 

1、混沌

 

研究所に降りたジャドは、濃厚な血の臭いに眉をひそめていた。もう人間の顔は存在していないのに、不思議な事に筋肉が動きを覚えているのだ。

闇の中に、目を慣らしていく。

かちゃかちゃと音がしていた。こちらに気づいた化け物が声を上げる。

「やあ盟友。 何をしに来たね」

「進捗を確認しに来た」

本当だったら、ずっと此処に張り付いていたいくらいなのである。一秒でも早く、成果を完成させて、双子の助けになりたい。

魔王に対する憎しみは、はっきり言ってない。

人間が滅びようと、知ったことでは無い。

だが双子は、きっと最後まで魔王にあらがう路を選ぶだろう。だから、ジャドもそうする。そのためには、この研究所での成果を確認しなければならない。

闇の中から、ジェイムズの異相が浮かび上がる。

白衣は、血まみれだった。両手には血みどろのメス。メスには内蔵の切れ端らしいものまで引っかかっていた。

側にある長机の上には、もう原型が分からないほど解体された人体が転がされている。内蔵も、どれがどれだか分からない。二つに切り分けられた眼球は、子供だったら夢に見そうなほど生々しい血の臭いを周囲に放っていた。

「良い趣味だな」

「ききききき、一度はまると、なかなか止められなくてねえ」

ジェイムズの目には、心底からの愉悦が宿っている。さすがは人食い。魔物に全ての悪を押しつけてきた人類だが。その人類こそが邪悪の根源であると、よく示している事例である。

机の側に歩み寄る。

人間の死骸は、彼方此方が変異していた。ジャドが持ち込んだあれを、投与したのだろう。

「進捗は?」

「んー、なかなかすすまんね。 これも若くて健康な死刑囚だったのに、投与したらすぐに変異が始まって、ばたんきゅうだ。 死んでから解剖してみると、ほら見なよ。 内臓類が、滅茶苦茶になってる。 これじゃあ死ぬわけだよねえ」

けたけたと、ジェイムズが笑った。

それにしても、まさにこの研究所は、悪徳の巣であった。

今はもはや勝つために手段を選んではいられない。それは分かっている。だが、この研究所の悪徳の原因の一つに自分があると思うと、少し罪悪感を感じてしまう。

「次の被検体を」

ジェイムズが命じると、死刑囚が連れてこられた。屈強な大男であろうかと思ったら、まだ若々しい青年だ。

此処に連れてこられているのはだいたい凶悪犯だろうが、彼は違う。この魔窟においても、目は涼やかで、死も恐れているようには見えなかった。そればかりか、まだ若いのに、達観した雰囲気さえある。粗末な囚人服と洗っていない髪にも関わらず、威厳はいささかも衰えていないように見えた。

「検体、服を脱いでそのテーブルの上に」

「断る」

青年ははっきり謝絶した。まあ、血だらけのテーブルの上に転がれと言われて、はいそうですかと従うわけも無い。ジェイムズはそれ以上会話する気も無いようで、部下達を見回した。

「押さえつけて、麻酔薬」

「止めろ! 離せっ!」

屈強な、多分理性のかけらもなさそうな大男が、二人がかりで青年を押さえつけた。この青年が、一体何をしたのか、ジャドには気になった。

しばらく暴れていたが、針を突き刺されるとすぐに青年はおとなしくなる。

注射という技術だ。針はポインタの役割を果たしており、刺した先に液体を転送する事が出来る。針はとても小さいが、側にある大きな硝子瓶と連動していて一つの道具であり、まだまだ大きな国家医療機関で無いと見受けることが出来ない。画期的な新技術で、開発されたのは西の大陸で、だという。

青年の服をはぎ取ると、大男が乱暴にテーブルにのせる。

機械的に、ジェイムズが青年のデータを取っていった。身長、体重、筋肉の付き方などを調べた後、体の彼方此方に触って内臓の状態を見ていく。ジェイムズによると、彼くらい死体に触り慣れると、生きていても触るだけで内臓の状態が分かるようになるのだそうだ。

はっきりいってついて行けないが、双子のためには、この人食い科学者の知識が必要なのである。

「ふうむ、これは上物だ。 何の死刑囚だ」

「思想犯です。 エル教の教会で、若くして司祭にまで上り詰めたそうですが、教会の腐敗をただすとかなんとかで、上層部に逆らったとかで」

「馬鹿な奴だ。 教会など、ずっと昔から悪徳の巣だ。 あんな所に行っても、救いなど得られぬと五歳の子供でも知っているわ」

けたけたとジェイムズが笑い、闇の血を取り出す。

ジャドは見ていられないと思ったので、一旦その場を後にした。外には、人体を無造作に詰め込んだ樽が無数に転がされている。大量の血は下水に流されるままにされ、腐臭が辺りに漂っている。

魔物がこの有様を見たら、人間と俺たちを一緒にするなと怒り出すのでは無いかとさえ、ジャドは思った。少なくとも連中は、同胞で殺し合いはしないだろう。

勿論、これを見ていながら止めないジャドも、同類である。

しばらく休もうと思って、自室に。寝台に転がると、用意されている果実を食った。マンゴとか言う実だ。そういえば、シルンが好きだった。シルンは無事にやっているだろうか。イミナが一緒にいるのだから、大丈夫に決まっている。そう自分に言い聞かせて、イミナの事を思い出す。

一度も、笑顔を見たことは無い。

だが、ジャドにとって、誰よりも大事な相手だった。

目を閉じても、眠くならない。脳がもはや、眠りという行動を必要としないのである。適当にぼんやりしているだけで、疲弊は回復してしまう。

ジェイムズがばたばたと来た。

ドアを開けて、喰人鬼を迎え入れてやる。痩身の異常者は、目をぎらぎらと輝かせていた。

「成功したぞ、盟友」

「さっきの青年か」

「そうだ。 きききき、これは良い意味での進歩だ。 いずれ量産し、仕組みを解明することも出来るだろう!」

そういえば。

ジャドを人間ではない存在にした北の大陸の研究者どもも、こんな風にして喜んでいたか。

あれは、まだ魔王軍による攻撃が本格化する前の出来事であったはず。

随分昔の事のようにも思えてくる。

「問題は予後だな」

「そうだ。 ちょっと見て欲しい」

研究所へ、一緒に歩く。ジェイムズはあまりにも機嫌が良いらしく、時々スキップをしながら歩いていた。

地下通路を抜けると、無数の牢屋があり、多くの罪人が入れられていた。どれも死刑囚ばかりだという。いずれも強面ばかりだが、中にはどうして死刑になったのかよく分からないようなものも多数いた。

一番奥。

粗末な服をかぶせるように着せられて、さっきの青年が転がされていた。

両腕には鎖がつけられており、足も同じく。相当な激痛に苛まれているようで、うめき声が牢の外からも聞こえた。

「この鎖だと、破られるぞ。 倍に増やせ」

「何、そうか。 よし、鎖を増やせ。 後は餌に塩を入れるなよ。 元気をなくして、暴れないようにするのだ」

ジェイムズの助手達が、頷いて作業を始める。

悪徳の極みだ。

そして、それに手を貸している自分は何なのだろうと、ジャドは思った。

 

数日すると、青年に変化が現れてきた。

かっての研究所でもそうだったが、血を入れられて変異しなかった場合、だいたいの場合能力が強化される。

ジャドの場合は、体を変異させる能力が身についた。もっともその代償として、元の姿には戻れなくなったが。

この青年の場合は、魔力が上昇しているようだった。相当な術式を使えるようになるのかも知れない。だが、この淡い光は。

「おまえ達に、神罰を」

「神罰? ばかが。 そんな物があるなら、教会の老狒々どもが、真っ先に餌食になっていると思わんか? 酒に女、子供の売買、場所によっては薬物の密売までやっておるからなあ」

「黙れ!」

青年は、噛みつきそうだった。視線が熱を帯びており、ジェイムズはけたけたと笑いながらも、余裕を崩さない。青年の側には屈強なジェイムズの弟子が控えていて、いざというときはすぐにでも気絶させられるように、長い棒を手にしていた。

ジャドが進み出る。

噛みつきそうな青年の側で腰をかがめると、フードを取ってみせる。

青年が、見る間に蒼白になるのが分かった。

「き、貴様、は」

「俺はジャド。 北の大陸で、このような姿にされた」

今ではもう気にしていない。ジャドをこのような姿にした連中は、もう一人も生きていないからだ。恨む相手もいない、というのが正しい。

その代わり、人間を信用することも二度と無いだろう。

「おまえもじきにこうなる。 化け物になり果てても、神の加護がまだあると思うか」

「神は、そのようなことを」

「おまえが信じるエル教では、神は万能にて全知なのだろう? ならば当然おまえの苦しみも知っているはずだ。 教会の腐敗も見ているはずだ。 どうして、俺やこの男に天罰とやらをくださない。 腐敗しきった教会のクソ坊主どもを、どうして放置している」

それはと、若者は言葉を詰まらせる。

多分、自分のことよりも。ジャドの姿を見て、あまりにも凄まじい人間の悪徳を、身近で実感してしまったからだろう。

「さて、予後を見てから、解剖を……」

「まて、ジェイムズ」

「んン?」

「これは実戦投入しよう。 魔王軍との戦いで、活躍が見込める」

ジェイムズがぴたりと動きを止め、じっとジャドを見る。だが、意見は変えない。

此奴のおもちゃにするには、ちともったいない逸材だと思ったからだ。

「私をモルモットにするつもりか、外道」

「残念だが、今はもうそんなことを言っている時期では無いんだよ。 はっきりいうが、このまま手をこまねいてみていると、人類は滅びる。 西から、得体の知れない軍勢が攻め寄せていることはおまえも知っているだろう。 エル教会では、悪魔の軍勢だとか言っているようだが、それはある意味正しい」

北の大陸は、既にそれによって滅ぼされていることを告げると、青年はぐっと言葉を飲み込んだ。

魔王軍は、人間に決定的な敵意を抱いている。とにかく人間は完璧なまでに駆除しないと気が済まないらしい。その偏執的なまでの殺戮ぶりは、今まで人間が専売特許としていたものだ。

エル教が言うような、人間を見守る神などいない。

もしいたら、そんな殺戮を見逃すはずが無い。というよりも、人間同士の戦争だって、起こりはしないだろう。

「これは化け物の力だが、同時に魔物共に対抗できる力でもある。 おまえにも、それは宿り始めている」

「……それで、私にどうしろというのだ」

「今、西で転戦している双子の女戦士がいる。 姉はイミナ。 妹はシルン。 どちらも、私が知る、最高の戦士だ。 彼らを助けろ。 おまえのような戦士が増えれば、きっと戦況も好転する」

「少し、考えさせて欲しい」

うつむいた青年を残して、牢の前を離れる。

何だか、ものすごくジェイムズは機嫌が悪くなっていた。

「ジャド、盟友よ。 あれはとても面白そうなおもちゃだ。 是非解体して、中を調べたいのだが」

「駄目だ。 人類が負けたら、おまえも無事ではすまないぞ」

「ひひひひ、その時は魔王軍に鞍替えするさ」

「魔王軍は、人間を絶対にゆるさんだろう。 それはおまえも同じ事だ」

反論を待たず、一旦研究所を出た。

外に出ると、町の酒場に向かう。勿論顔はフードで隠したままだ。念のため護衛も伴う。

ジェイムズはどうやっているのか、部下の意思をほぼ完全に奪っているらしい。目に感情の光が無い護衛は、元はそれなりの武人であったらしい。今では、抜け殻も同然の、生きた人形だが。

酒場で、マスターにチップを渡す。

初老のマスターはうさんくさげにジェイムズを見た後、ため息をついた。

「御前さん、何者だ。 こんな大金毎回持ち込んで」

「情報だけをよこせ」

「へいへい。 西の方のイドラジールだが、国王はじめとした主要な権力者が、一晩で謎の死を遂げたらしい。 それからはどうにか防戦していた軍も混乱し、物量の前に押される一方だそうだ」

「やはりな。 そうなったか」

北の大陸と同じだ。北の大陸にも、強国はいくつもあった。だが、その指導者層が片っ端から死んで、混乱している内に物量に飲まれてしまった。

戦略を立て直す必要がある。

呟くと、酒場を出る。

イドラジールは思ったよりも頑張ったが、それでももう持ちこたえられないだろう。大陸西部に残った最後の強国も、これで終わりだ。そうなると、戦線を大陸中央部に下げて、そこで反撃に出ることを考えなければならないだろう。

大陸中央部は、現在無数の遊牧国家が存在し、互いに血で血を洗う抗争を繰り返している。何百年に一回か巨大な国家が成長するのだが、今はその気配も無い。

だが、それが良いかも知れない。

魔王軍は基本的に、一国家を集中して潰して行く、という戦略をとる。領土境界もはっきりしない大陸中央部に踏み込んだら、泥沼の戦いに陥る可能性も、決して低くは無かった。

その間に、こちらは体制を立て直せる。

問題は、この国以外の人類が、魔王軍と戦える状態に無い、という事である。人間は組織を構成して初めて力を発揮できる生物で、今はその組織がどれもこれも腐敗しきっている。

何かしらの旗印がいる。

それは残念ながら、ジャドの信じる双子では無理だ。人間が大好きな王子様とか王女様とか、そういうのでなければならないだろう。そんな連中がどれだけ腐敗を積み重ねてきたかも考えようとせず、滑稽な崇拝を重ねる人間。

はっきりいって、ジャドは嫌いだ。

だが、それでも。双子は人間のために戦おうとしているし、生き残るためにはそうすることしかない。

だから、全知全能を振り絞って、勝利のための布石を重ねるのだ。

ジャドは西の空を見た。

一刻も早く。其処へ駆けつけたいのに。駆けつけられない自分が、悪心に身を染めていることが。

少し、悲しかった。

 

2、光と影

 

魔王軍において、伝令は補充兵では無く、基本的に通常の魔物が努めている。これは特に下級の補充兵は機械的に動くだけなので、戦場で何度も齟齬を生じたからだ。多少の損害を覚悟の上で、現在は連絡将校を戦術判断能力のある魔物が努めることにより、戦場での運用を円滑にしている。

その伝令が。

魔王の城に、飛び込んできた。血相を変えているのは、非常事態である事を意味していた。

魔王は自室でミカンを食べながらその様子を見ていた。暖炉の前には幾つかの情報魔術が展開されており、城の周囲を見ることが出来るのだ。もっとも、まだ死角が幾つかあるので、見張りは常時うろついているが。

「やれやれ、しんどいのう」

安楽椅子から魔王が身を起こすのを見て、警備のエルフ兵達が即座に駆けつけてきた。

「陛下、如何なさいました」

「伝令が来たようじゃてなあ。 謁見の間に行くぞ」

「分かりました。 転ばないようにお気をつけください」

「うむ」

謁見の間までは、それなりに距離がある。既に今は夕刻と言うこともあり、廊下には点々と魔法の炎が灯されていた。熱量を伴わない炎は緑色で、目に優しい光を周囲に放っている。

壁や天井に張り付いていた補充兵の見張りが、魔王を一瞥だけする。

警備は万全と、呟きながら魔王は廊下を歩いた。周囲を経過しているエルフ族の戦士達が、耳元に。

「陛下、いっそ取り次ぎを行いましょうか」

「ならぬ。 命がけで来た伝令に、それでは失礼に当たる」

「なるほど。 お流石にございます」

柔らかい口調でエルフの好意を謝絶。

実際、現在の仕事は三千殺しくらいしか無いのである。それなのに、前線で命を張っている兵士達が、悲しむようなことがあってはならない。魔王にとって、人間は敵。そして魔物達は、支えるべきものだ。

謁見の間に行くと、伝令の魔物が手当を受けていた。

いわゆる魔族の中の、最下層の戦士である。といっても、魔族自体が二百程度しか生き残っていないので、下層も上層も無い。禿頭の人間成人男子にコウモリの翼のような羽が生えている姿に見える彼は、深々と這いつくばった。

「伝令にございます、陛下」

「うむ」

「ここから東のA44地点の峡谷で、人間の強力な戦士がこちらに攻撃を仕掛けてきています。 既に数百の補充兵が倒されているようでして」

敵は狭隘な地形を利用して、かなり巧みに戦術を駆使してきているという。

補充兵は基本的に頭が悪いので、これに抗するすべを持たない。今も連隊が四つほど誘い込まれ、特に先頭にある連隊はかなりの打撃を受けている、ということであった。

「この地点を抜かれますと、敵残存勢力の国境突破と、非戦闘員の脱出を許すことになります」

「ふむ、それは面倒な事じゃのう。 軍団長は誰かいるか」

「此処にグリルアーノめがおりまする」

凶猛な竜族の若者が名乗りを上げた。

今日は、もはや三千殺しは使えない。早朝に使ったばかりだからだ。

故に、実働戦力を用いて対処するしか無い。軍団長は元帥であるヨーツレットをはじめとして殆ど出払っている。名乗りを上げたのが、血の気の多いグリルアーノだというのが、少し不安だ。

「グリルアーノ将軍、任せても大丈夫か」

「人間の戦士如き、こざかしく戦ったところでなんでもありません。 即座にひねり潰してご覧に入れましょう」

「危ない、危ない。 そなたはまだ若い竜族では無いか。 よし、こうするか。 儂も出ることにしよう」

流石に周囲が色めきだつ。

慌てた様子で、グリルアーノはその長い首を垂れた。

「危険にございます、陛下。 此処は若輩ものではありますが、不肖グリルアーノめにお任せを」

「しかしのう。 そなたを今失うわけにはいかん。 血の気が多いそなたの事じゃ、人間を見かけたら、真っ先に炎の息で焼きに行くじゃろう? 罠にはまったら、大変なことになるぞ」

実際問題、竜族は人間と正面から戦って負けることは殆ど無かった。代わりに、人間の狡猾なる罠によって命を落とすことが大半だった。グリルアーノも、それを理解しているはずだ。

それなのに、この若い竜は、戦意を優先しようとする。

竜族は生殖能力を失う頃くらいまでは、血気盛んで戦闘意欲も強い。カルローネがこの場にいたら、また違う判断をするだろうし、人間を見ても冷静な対応をすることだろう。少なくとも。

対等の相手と見なして、自分から戦いに行くなどと言う行動を。魔王としては、見逃すわけにはいかなかった。

だから、自分より何十倍も大きな存在を見上げながら、ゆっくり諭す。

「良いか、グリルアーノ将軍。 そなたは人間などと言う害虫以下の存在とまともに戦おうとしてはならぬ。 竜族の未来のためにも、本来は北の大陸で一族の繁栄に尽くさなければならぬであろうに」

「しかし、陛下」

「出撃を止めはせぬ。 しかし、人間を見ても安易に仕掛けはせぬこと」

「わかり、ました」

頭を垂れたグリルアーノに頷くと、魔王は手を叩く。

軍団長は出払っていても、何名かの師団長はいる。彼らをつければ大丈夫だろう。これだけ釘を刺したのだから。

「何名か、グリルアーノ将軍に同行せよ」

「此処の守りが薄くなりますが、大丈夫ですか」

「かまわぬ。 何にしても、十万以上の兵士が攻め込んでこなければ恐るるに足りぬし、既に敵にそんな動員能力は無い。 君たちは、ドラゴン族の未来を担うグリルアーノ将軍をいさめ、何かあったときは名誉ある撤退を進言するのだぞ」

「了解いたしました。 それでは、行って参ります」

この戦力なら、大丈夫だろう。

魔王は長い白い髭をしごきながら、空に舞い上がるグリルアーノと、地上を進軍する三つの師団を見つめた。

 

イミナは、最初現れた偵察部隊の前に躍り出ると、相手の一部が逃げ出すのを承知で、拳で蹴りで殺傷した。

何しろ岩山だらけの、入り組んだ狭隘な地形である。一人一人を叩き潰すのにはさほど苦労しなかった。最後の拳が、小隊長である大きい奴を仕留めるのと、増援部隊が出てくるのはほぼ同時。最初の三十名小隊とは違う。どう見ても、一個連隊規模の相手だった。どれもが槍や剣を持ち、無言で迫ってくる。

岩山の上から、シルンの援護砲撃が開始される。

格闘戦の専門家であるイミナと対照的に、シルンは術式の専門家だ。人間が使える次元のものより、一つ上の術式を自在に操ることが出来る。特に遠距離砲撃系の術式に関しては、人類の歴史上に出てくる英雄達でさえ舌を巻くはずだ。

どちらも、才能や努力で身につけたものではない。

幼い頃の事は良く覚えていないが。その頃、何かしらの手段で、人間が二人に力を移植したのだ。

研究所は全壊し、師匠に引き取られて。生き方や、技の数々を教わった。

至近で、連続してシルンの爆撃が炸裂する。飛び退いて、炎に焼き尽くされる敵の部隊を見つめた。だが、味方の屍を踏み越えて、焼けた石を蹴散らして、敵は次々と迫ってくる。どうやら、強行突破に切り替えたらしい。爆音に驚いて、山羊が逃げていくのが見えた。

良い傾向だ。

このまま敵を引きずり込み、師団長を引っ張り出す。それが出来なくても、千以上の兵士を殲滅できれば、全体的には焼け石に水でも、個人で挙げられる戦果としてはまず最高レベルのものとなるはずだ。

突き出された槍をいなしながら相手の顔面を砕く。剣を抜いて振りかぶった相手の腹を蹴り、内蔵を潰しながら吹き飛ばした。

大量の鮮血を浴びながら、イミナは戦機をはかる。程なく、来る。

敵に背を向けて、走る。

矢が飛んでくるが、元々狭い地形だ。ジグザグに走るだけで、まず当たらない。遮蔽物が多すぎるのだ。この辺りの土地は不自然に痩せているが、それでも枯れ木や岩が彼方此方にごろごろしている。矢など、それらに阻まれて落ちてしまう。

唸り声が聞こえた。

別の小隊長が出てきている。生きた人形も同じ補充兵達とは違い、連中には知性がある。下がり、時々追いついてきた奴を蹴り殺しながら、イミナは下がる。シルンも最初の打ち合わせ通り、下がりながら砲撃を続けた。

四半刻ほど、激しい戦いを続けた頃だろうか。

既に、死屍累々の中、イミナは暴れ回っていた。敵は戦列を伸ばしきり、この岩山の中に充満していた。シルンの砲撃はほぼ最高の効率で敵を倒し続けており、イミナは下がりながら先頭の少数を機械的に処理するだけで良かった。

もしも、大物が来れば、上にいるシルンが知らせてくる。

巨大な斧を振りかぶった大きい奴が、突進してきた。呼吸を整えると、意識を集中。あれを受けたら、流石に死ぬ。

だが。

振り下ろされた斧を、残像を残しながら回避。その柄を押さえ込みながら踏み、跳躍。そして。相手のこめかみを両手で掴みながら、眉間の急所に膝蹴りを叩き込んだ。小隊長補充兵の両耳から鮮血が吹き出し、真後ろに倒れる。

着地。

敵の動きが一瞬鈍る。その隙に、更に後退した。鏡を使って、シルンと光通信する。

「まだ、敵の大物は出てこないか」

「向こうに、少し広いところあるでしょ? 其処に連隊長はいるみたいだけど」

「連隊長、か」

鏡をしまうと、イミナは呟く。

通称、連隊長。人間の倍くらいある小隊長よりも、更に大きい。通称巨人。

北の大陸で初めて遭遇したときには、こんなのをどうすれば倒せるのだろうと、本気で不安になったほどである。背丈は小さい個体でも人間の四倍。体格も非常に優れていて、まるで岩山が歩いてくるかのような威圧感がある。その上、全身の分厚い皮膚は頑丈であり、ボウガンの矢くらいなら平然とはじき返す。

更に恐ろしいことに、此奴は人間の言葉くらいなら、理解する知能を持っているのだ。

人間に近い姿の奴はむしろ珍しく、手が六本ある奴とか、触手の塊になっている奴とか、いろいろなバリエーションがある。今までに十七回遭遇したが、倒す機会があったのは二度だけ。

そのうち一度では、師匠が相打ちになった。人間としては、非常識に強い人だったのだが。

「倒せそうか」

「無理。 ものすごい堅そうな魔術結界を張ってる。 とてもじゃないけれど、この距離から、しかも短時間詠唱の術式じゃ、破れそうに無い」

シルンが呻く。人間離れした実力を持っていた師匠でも、相打ちがせいぜいという有様だったのである。

今のイミナとシルンなら、総力での戦闘を挑めば、倒せる。倒せることは、既に証明されている。その時は、全力での戦いを挑んで、かろうじて勝ったという状況だった。その時よりだいぶ腕が上がっている今なら、もう少し楽に倒せるはず。

だが、今の戦略的目標は違う。

「効かないことを分かった上で、攻撃。 その後下がる」

「大丈夫かな、そんな挑発して」

「いいから試す」

「分かったよ。 危ないから、気をつけてね」

また、敵兵がぞろぞろ押し寄せてきた。

峡谷まで下がったら、作戦を始動する。上手く行けば、一気に二千以上の敵兵を片付けることが出来るはずだ。

槍を構えた補充兵が突入してくる。狭い岩場に陣取ると、イミナは拳を構えた。狭いから、いっぺんには来られないのが救いだが、しかし。

敵は戦術を変えてきた。

イミナが出ると、さっと後退する。そして、代わりに前に出てきた弓兵が、矢を放つ。かなり近いから、威力も凄まじい。かろうじてはじくが、今度は槍兵が前に出てきた。槍兵の顎を空に向けて殴り挙げる。吹っ飛んだ敵兵だが、既に弓兵が、次の矢を充填していた。

かなり効率よく、こちらの体力を削り取る策に出たか。

下がりながら、敵の波状攻撃を防ぐ。シルンの大威力長距離砲撃が、発動するまでまだしばらく掛かる。矢がかすめた。岩に突き刺さる。

見ると、小隊長が、大きな弓矢を構えていた。斜め上からの狙撃か。

槍が、腹をかすめる。舌打ちしたイミナは、当て身を浴びせて補充兵を一人担ぎ上げると、放り投げた。

矢を放とうとしていた補充兵が、もろにそれを喰らって吹っ飛ぶ。

突貫。槍を構えている敵兵をなぎ倒しながら進み、頭を低くして飛んできた矢を避ける。ものすごい巨大な弓から放たれたため、矢は地面に深々と突き刺さった。勿論、喰らったら即死だ。

イミナのような戦闘スタイルを取る場合、一発でも被弾したらもう終わりと考えるほか無い。他にも支援してくれる味方がいれば話は違うのだが。ジャドがいない今、それも期待できない。

小隊長に迫る。矢を構えていた小隊長が、矢を放つ。目を閉じ、見開く。

至近。

真横にそれ、矢を交わす。

そして踏み込むと同時に、体を旋回させ、両足を払った。ぼきりと両足が折れる音。呻いて倒れる小隊長の頭上から、膝蹴りを叩き込んだ。

敵は。

矢を大量に浴びせてきた。回避するが、避けきれない。

肩に、股に、矢が突き刺さる。呻いたイミナは、無理に股の矢を抜く。鏃は抜けた。突っかかってきた槍が、脇腹を割いた。そろそろ限界だ。

肩の矢を抜きながら、イミナは敵兵の顔を掴み、腹に膝蹴りを叩き込む。

次の瞬間、空を極太の魔術による光が駆け抜けていた。

「遅いぞ」

肩の矢も、どうにか鏃は抜けてくれた。そのまま身を翻し、全力で逃げる。

敵は追ってくる。シルンも、岩山の上で、身を翻すのが見えた。

坂道に掛かる。時々とって返して敵を蹴り落としながら、走る。補充兵は食事もいらず、疲れもないと聞いていたが。こうやって走ってくるのを見ると、それも嘘ではなさそうだと思える。

また、矢が飛んでくる。

だが、上にいるため、迎撃がしやすい。はじき返しながら、峠に。そして、そこからは一気に駆け抜けた。

前に広がっているのは、昼なお暗い谷である。

まるで巨大な生物の口のように、闇を湛えている。この辺りは土に養分があるせいか、木も草もきちんと生えていて、むしろ走りやすい。道の跡もあったが、もう使われてはいない。

敵が坂を滑り降りてくる。なりふり構わず、谷に逃げ込んだ。

さあ、ついてこい。

槍が繰り出されて、脇をかすめる。意外なほど、至近まで接近されていたのだ。疲弊している証拠である。槍を受け流しつつ、肘を後ろの補充兵の顔面に叩き込む。さっきの道に比べてかなり広いせいか、敵兵の数と勢いも増していた。

だが。

イミナも肉眼で確認する。補充兵達に混じって、連隊長が崖を滑り降りてきている。師団長はどうか。どうにか誘い出せないだろうか。

だが、そろそろ限界だろうと、イミナも判断した。

「シルン、今だ! 退路を塞げ!」

「分かった!」

大威力の砲撃が、谷の入り口にある大岩を直撃する。

崩落を起こした谷の入り口が、多数の補充兵を巻き込みながら、その退路を塞いでいた。

 

狭隘な地形に誘い込まれたあげく、先鋒がまとめて谷に閉じ込められたという報告を受けたグリルアーノは、連れてきた師団長達に鼻を鳴らしていた。

この方面の指揮をしていたのは、師団長の一人であるヴラドである。後発組では無い師団長で、バジリスクと呼ばれる魔物だ。頭に鶏冠がある大きな蜥蜴であり、猛毒と、見るだけで相手を石にする能力を持っている。知能も人間程度にはある。

元々非常に数が少ない魔物だったのだが、今では彼を含めて七体しか存在していない。残りは全てがフォルドワードで子孫を増やすことに専念していて、実のところ彼もそうするべきだという声が上がっていた。

しかし、同じような状況にあるグリルアーノである。彼のことは常にかばってきたのだし、前線に出たいという気持ちも留意してきた。しかし、その結果がこの失態である。あまり、掛ける言葉が見つからなかった。

「軍団長、申し訳ありませぬ」

「謝罪は良い。 それに、同じ状況なら、俺も似たような判断をしていた可能性が高いだろう」

「……」

うなだれるヴラド。

実際問題、他の連隊長達や、何よりヴラドを支えるべき旅団長がしっかりしていなかったという事もある。二人いる参謀格の旅団長はどちらも後発組であり、ヴラド以上にうなだれていた。

「とにかくだ。 今はどうするべきだ」

「まずは谷に増援を送るべきかと。 現在、谷を塞いでいる大岩を必死に除去している最中ですが、このままだと閉じ込められた千余が全滅する可能性が高いです。 航空部隊を支援に回すべきかと愚考します」

「まて、それは賛成できない」

旅団長の意見に、反対したのは。連れてきた師団長の一人であるアニアールだ。陰険な奴だが、頭は良い。ヨーツレットが目を掛けているのも、あながちひいきではないという事だ。

「まずこの狭隘な地形にひしめいている味方をどうにかするべきだ。 このままだと、もしも敵が更に罠を仕掛けていた場合、対応できなくなる」

「具体的には」

「この辺りの地形から考えるに、谷のこちら側から味方を回す。 少し時間は掛かるが、これで敵を逆に挟撃することが出来る。 更に、谷の入り口を塞いでいる土砂については、師団長の攻撃術で粉砕する」

なるほど、搦め手と正面突破を同時にはかるという訳か。

グリルアーノは、自分があまり賢くないことを理解はしている。だから反発したいのをぐっとこらえて、言うように言わせていた。

「搦め手は、是非私に」

ヴラドが決意を秘めた目で言う。グリルアーノは、それを無視することが出来なかった。

だが、ヴラドを死なせるわけにも行かない。だから、常識的な命令を下すしかなかった。歯がゆい事である。

「分かった。 旅団長二人は、残りの全戦力でヴラド師団長を護衛せよ」

「軍団長は、此処で状況を見守りください。 我らと違い、貴方は補充が効きませんが故に」

「好きにしろ」

それにしても、この迷路のような地形で、良くも戦おうと思うものだ。

此処に引きずり込まれた味方の醜態よりも、敵の狡猾な策略に、グリルアーノはむしろ怒りを覚えていた。

 

シルンの砲撃が、次々に崖の岩を崩し、敵の頭上に降らせる。

イミナは敵が逃げるのを阻止するだけで良かった。こういうとき、むしろ恐怖を知らない補充兵は無能になる。連隊長が慌てているのが、遠目にも見えた。岩が降ってきているのに、補充兵達は逃げようとしないで、ぼうっと次の指示を待っているのである。

勿論、指示など出させない。

判断能力を持つ指揮官を次々に潰すことで、先手を打つ。

辺りは崩れてきた岩で、足の踏み場も無いほどだ。無数の死体の中、必死に抵抗を続けようとする敵は、シルンの砲撃が打ち砕く。

やがて、業を煮やしたか。

連隊長が、前に出てきた。

見た目は、イソギンチャクに似ている。筒状の体に、虫のような無数の足。上部には触手が最低でも三十以上はついており、その真ん中に大きな目があった。淡く紫色に輝いているのは、強力な魔術による防御障壁を展開しているからだ。シルンの砲撃を受けたにも関わらず、殆どダメージは無い。

大変に面倒な相手だ。

だが、此奴を此処で倒しておけば。この近辺の守りは、少なからず混乱する。当然兵の配置も増えるはずで、他の戦場での戦況も俄然有利になる。

何よりも。

師匠が相打ちにまでなった連隊長を、制限時間が厳しいこの状況で倒せれば。命がけで自分たちを逃がしてくれた師匠への手向けになる。

「随分好き勝手をしてくれたな」

「ほう、人語を解するか」

「貴様らは何者か。 ただの人間では無いように見受けるが。 まあ良い。 これだけの事をしでかした相手を、見逃すわけには行かぬ」

触手を、連隊長が広げる。

その全てが微細な振動をしているのが見えた。術式の多重詠唱か。

基本的に、術というのは、詠唱を行うことで自然に干渉し、法則をゆがめて発動させる。これに関しては、どれほど高度な術式にしても同じ事だ。

詠唱は意味を持つ言葉を連ねることによって実施するが、人間は当然一人が一つの詠唱しか実施できない。

これに対し、魔王軍の上級士官や将校には、いるのだ。複数の詠唱を同時並行にこなすことが出来る怪物が。

それは、時に術式の発動時間を短くし、或いは複数の術式を、同時に展開することにつながる。いずれにしても、人間ではどうにも出来ない。

シルンの砲撃。

光の束が、連隊長を直撃する。だが、金属同士が全速力でぶつかるようなものすごい音と共に、はじき返される。

だが、爆発が生じ、辺りを煙幕が覆う。その隙に、イミナは拳を固めて、敵との距離をゼロにしていた。

無数の触手が蠢く中、突貫したイミナは。拳に全体重を込める。

そして、相手の体の中央にある目玉に、閃光と共に叩き込んでいた。

一瞬、相手が早い。

防御術の光が、拳と目玉の間に生じる。多重詠唱の一部を、防御に切り替えてきたか。激しいぶつかり合いは、拮抗を生じさせる。火花が散る中、拳は徐々に巨体に向けて食い込んでいくが、引いたのはイミナが先だった。

飛び退く。その体があった箇所を、触手がまとめて薙ぎ払った。

「名乗れ。 私は魔王軍第七軍団第四師団第十三連隊隊長、パルカス」

「やはり連隊長か。 私はイミナ。 向こうにいるのがシルンだ」

「覚えておこう。 貴様らが死ぬまでの間だが!」

巨大なイソギンチャクのような体を傾けて、天に向けてパルカスが吠え猛る。

しかし今の台詞を聞く限り、敵は相当に高度な組織化をしている。一番上のは「軍団」と言っていたが、空恐ろしい。

連隊の上に旅団と師団、それに軍団があるとすると。

これの更に三段階は上の敵がいると言うことだ。師団長は見たことがあるが、まだ実戦はこなしていない。手強いことは分かっていたのだが。しかしこの連隊長の実力を見た今となっては、どれほどの力の持ち主なのか、想像できなかった。

結果として、現有の戦力で師団長を仕留めるのは不可能だと、イミナは冷静に分析する。

触手の先に、光がともる。

シルンが仕掛けた。大威力の術式を、長距離から砲撃する。魔法の白い光が、極太の槍となって、パルカスの体を直撃する。だが、その分厚いシールドを貫通できない。敵はかなりの距離をずり下がり、足を何本かへし折られながらも耐え抜く。

巨大な熱の帯が、地面に残っている。

「かああっ!」

煙幕を切り破り、触手が伸びてきた。

そして、四方八方に、お返しとばかりに光の矢を投擲した。しかもそれは、着弾点で激しく爆発した。

煙幕に遮られているから、命中精度は低い。だが、こう四方八方に放たれると、ラッキーパンチを警戒して簡単には近寄れない。光。シルンか。

ゼロ距離での、砲撃を試したいと言っている。

確かに、今の距離での砲撃で、もう少しという所まで行った。試してみる価値はある。以前戦った連隊長より、此奴は明らかに強い。しかも時間が無いことを考えると、試す価値はある。一か八かだ。

爆発をかいくぐり、突貫。

敵が、煙を切り破った。しかも、真上にである。足に損傷を受けながらも、無理矢理に跳躍したらしい。

空中で半回転して真下を向く巨大イソギンチャク。その目が、自分をとらえていることを、イミナは知った上で走る。

「見つけたぞ!」

だが、イソギンチャクの言葉は、おそらくイミナを指してのものではない。

無数の触手が鞭のようにしなりつつ、多重詠唱を開始。また四方八方への爆撃をするつもりか。

目を閉じて、集中。

イミナも、術式が使えないわけでは無い。しかしながら芸が無いので、使えるのはたった一つだけだが。

その一つは、しかし。

徹底的に磨き抜いている。

全ての魔力を、右拳に集中していく。詠唱開始。それは人間の言葉では無い。むしろ、風の音に近い。

口笛のように、音を出す。音階が全て違っているその全てに、魔術的な意味が込められている。敵の術が完成するのが分かった。第二の太陽のように、空に舞い上がったパルカスが、光を放つ。

「喰らえ!」

辺りが、破壊に包まれる。その中、イミナは目を見開いた。

確認。パルカスが、触手を広げて、術式を放っている。無数の爆発の槍が、辺りを薙ぎ払っていた。

もうすぐ、シルンにまで届いてしまう。

だが、させない。

跳躍。まっすぐ。気づいたパルカスが、触手をまとめて、極太の光の槍を放ってくる。繰り出す右拳。

術式に名前はつけていない。

ただ、北の大陸に済む大虎が吠えるような迫力があることから、シルンはこう読んでいた。

王虎閃。何だか、気恥ずかしい呼び方である。だが、大好きな妹のつけたあだ名だから、変える気はしなかった。

ぶつかり合う光と、全力を集中した拳。

この拳は、相手の魔力を中和して、術式の発動を防ぐ効果がある。自分の魔力以上の効力は持たないが、これだけを磨き抜いているのである。そうそうに破れることは無い。

激しいぶつかり合いの中、躍り出るシルン。振りかぶった杖には、既に完成した術式の光が宿っている。

杖の先端が、空にいる巨大イソギンチャクに向く。

距離は、十歩も離れていないだろう。

流石に目をむいたパルカスが、絶叫した。

「お、おおおおおおあああああああああっ!」

「もらった!」

激しくはじき合うイミナと術式の光の中。陽光を遮ったシルンが、自分の術式を放つ。この瞬間に、パルカスが切り返す。数本の触手を振り分けて、シルンの術式を迎撃に掛かる。

その凄まじい執念は、確かに素晴らしい。

だが。

「いっけえええええええっ!」

シルンが放った、巨大な光の槍が、最後のパルカスの反撃を打ち砕き、その巨大な目玉ごと、全身を貫いていた。

丸ごと全身が燃え上がるのが見える。

もはや声にならない絶叫を挙げながら、パルカスが地面にたたきつけられる。ガード。同時に、爆発。

シルンが着地する。

肩を揺らして息をしている妹は。さっきの無差別爆撃で、少なからず傷ついていたようだった。

地面には、クレーターが出来ている。パルカスは、跡形も残っていなかった。

他の補充兵は、こちらには見向きもせず、退路を作ろうと岩をどけ続けている。あいつらの消耗を防ぐために、必死に立ちはだかってきたか。多分、今まで見た多くの人間の戦士よりも、勇猛で強い心を持っていたのだろう。だが、此処は戦場だ。戦士の意など、汲んでやる余裕は無い。

残りも、できる限り殲滅する。そう決め、イミナが拳を固めて立ち上がる。

だが、その時。

巨大な殺気が、大量に接近していることに気づく。

これは、さっきの比では無い。

複数の師団長が接近しているとみた。追いつかれたらおしまいだ。軍団長もいるかも知れない。

呼吸を整えながら、シルンが慌ただしく言う。

「お姉、引こう」

「悔しいが、そうするしかなさそうだ」

もとより、力も使い果たしてしまっている状態だ。休息を入れないと、連戦はかなり厳しい。

師団長を倒すどころか、連隊長を倒すのがやっとだった。自分の弱さに、忸怩たるものさえ覚える。

だが、これが現実だ。生き残るためには、現実を見て、よりよい選択肢を取捨選択していかなければならない。

意地を張るにしても、張るべきところが違う。こんなところで死んだら犬死にだ。

「敵の注意を引きつけ、一個連隊を壊滅させただけで充分な戦果だ。 行くぞ」

「うん。 敵の追撃軍の出鼻は叩く?」

「必要ない」

包囲される前に、脱出しないと危ない。

幸いにも、知能が高いとはいえない補充兵達は、命令に固執してこちらには見向きもしなかった。

何だかむなしいなと、イミナは思った。

パルカスは、あんな連中のために命を張ったのだろうか。だが考えて見れば、多くの場合、イミナだってシルンだって、同じ行動をしていたはずだ。

戦いだからか。

そう、逃げながらイミナは結論した。

 

3、集い始める反抗勢力

 

イドラジール王国の軍勢は、既に支離滅裂になっている。

ユキナはおよそ数百の「義勇軍」の中で、それを聞いた。

周囲を忙しく走りまわり、情報を集めているのは明らかに素人では無い連中で、義勇軍とやらが実際には巨大な組織のバックを持つ存在だと、一目瞭然であった。

一応ユキナは「魔王の軍勢と勇敢に戦う亡国の王女」という設定にされている。ばかばかしい話だが、まあそれはいい。問題はもっと根本的な所にある。

既に、イドラジールはすぐ側である。この人数で向かっても、二十万とか五十万とか言われる魔王軍を相手に、どこまで立ち回れるのか、甚だ疑問であった。

素人であるユキナでさえ分かることである。当然、隠してはいるが専門家であろう周囲の連中は、とっくに知っていることに違いない。

だが、疑念は口にしない。

出来るだけ口数は少なくして、泰然と構えているようにと、ユキナは言われている。

良い物が食べられるし、どうせ死ぬなら自分で選ぶと決めた道だ。今は、言われたとおり、威厳とやらをつくる事に尽力していた。

今は馬車の窓を開けて、遠くを見つめていた。野営中の兵士達が、こちらを見ていることを想定しての行動である。

馬車の側に歩み寄ってくるのは、この集団を実質上率いている男である。ユキナを「見いだした」青年軍人、ハールの上司に当たる。偉そうな口ひげを蓄えた、見るからに強そうな武人だ。

実際、訓練の際には、兵士を三四人まとめて相手している。名はヴェンツェルという。

「陛下」

「何か」

「先鋒が、面白いものを持ち帰って参りました」

興味津々に身を乗り出すようなことがあってはならない。あくまで優雅に、ゆっくりと動け。

そう言い聞かされていたユキナは。ドレスの裾をつまむと、腰の剣の感触を確かめながら立ち上がった。

それが、目に入る。

死体だった。

切り刻まれている。白目をむいていて、ぽかんと口を開けていた。既に腐り始めているらしく、死臭がした。

身なりは普通の兵士というところである。中肉中背、特徴を感じない中年男性だ。中年男性の一兵卒などいくらでもいる。

悲鳴を上げることも無く、ユキナはじろりとヴェンツェルを見た。

「これが?」

「魔王軍の構成要員にございます。 死体を初めて入手できました」

ヴェンツェルは嬉しそうにほくそ笑む。この男が、本当に戦い、というよりも血が好きなことを、ユキナは知っていた。女よりも、である。

ユキナの周囲にいた男は、どいつもこいつも女の事しか考えていないような連中ばかりであった。それも、愛しているのは女では無く、女の体であった。

だがこの男は、悪い意味で違う。

軍人という天職を得ていなかったら、連続殺人鬼になっていたかも知れない。勿論高潔な武人や軍人もいるのだろうが、この男は少なくとも違っていた。それを、冷静にユキナは見極めていた。

「調べてみたところ、これは殆ど人間と変わりません。 ただし、決定的に違う点がございます」

「というと」

「意思を持たない、というよりも。 生物としての意思を、そもそももっていないようなのです」

詳しく説明を求めると、ヴェンツェルは実に嬉しそうに語った。

どんな生物も、三つの欲求に従って生きている。喰うこと、増えること、休むこと、である。

喰うことに関しては簡単だ。己の好む食物を、的確に入手できれば良い。

増えることに関しては、人間でもその本能から逃れることは出来ない。

そして休むこと。これが無ければ、どんな屈強な人間でも、いつかは死んでしまう事だろう。

だが、これらの死骸には、おかしな点が多々あるのだそうだ。

「たとえばこの魔王兵とでも呼びますか、此奴らの腹の中は空にございました」

「何も食べていないと?」

「というよりも、食物を消化する胃袋が存在しません。 食べる以外の方法で、動力を得ているとしか思えません」

更にと、ヴェンツェルは死体の下腹部の鎧を剥いで見せた。

其処には男性器は存在せず、つるりとした下腹部だけが存在していた。陰毛も無く、そればかりか排泄穴さえ存在していない。

「休むに関しても、此奴らは必要としない可能性が高いと、結論されております。 事実、数日間にわたって軍を追撃し、疲れた兵士を次々と倒したという記録も」

「分かった。 それで、何が言いたい」

「つまり此奴らは、人間のような姿をしてはいますが、根本的に違う存在で、生物と呼ぶには無理があると言うことです。 勿論既存の魔物とも、根本的に違っていると断言して間違いないでしょう」

腕組みしたハールが、呻いた。

「指令。 そうなると、どのような戦術を練れば良いのでしょう」

「一つ考えられるのは、此奴らが恐怖を知らず、痛みも無いと言うのを逆利用する、という事か。 ただ、此奴らの指揮をしている大きな個体は、どうも独自の判断能力を有しているらしい節がある。 それもある程度考慮しないと、足下をすくわれような」

「分かった。 死骸を下げよ」

「は。 陛下の仰せのままに」

少なくとも、気持ち悪いというそぶりは見せなかった。そう思う。

だが、やはり。馬車の中に引っ込むと、全身に震えが来た。ヴェンツェルはまるで遠慮が無い。頭がおかしいという点では、敵に劣っていない。

おそらく、敵に勝つために編成された部隊であるという点で、間違ってはいないし、嘘もついてはいないのだろう。だが、一体何だろう。この違和感は。イドラジールの近辺で軍を編成し、魔王軍への抵抗活動を開始するという話は聞いている。実際それだけの資金はあるようだし、戦場から撤退してきた兵士達を集めれば、すぐに数千の戦力は編成できるだろうとも聞いている。

だが、大陸北西部の強国、イドラジールが手も足も出ない難敵である。寄せ集めの数千で、どう戦うというのか。

一つ、懸念がある。

敵の情報を得るための、捨て駒にされているのでは無いか、というものである。

馬車はいわゆるチャリオットを改良したもので、屋根と壁がつけられている。窓さえ閉じれば一応の機密性は保たれるものだ。侍女という名の女兵士が中の掃除とかをするので、小物入れでさえ中に入れているものは筒抜けになっていると判断して良いだろうが、疲れたときなどは中でくつろぐことだけは出来た。だが、それもあまり時間的には多くない。

馬車の側面が叩かれる。

窓を開けると、ハールだった。

「陛下」

「如何したか」

「先ほどの死体の分析結果を、周辺各国へ展開いたします。 これで、多少は情報の拡散が出来、今後の戦況が有利になりましょう」

「そうか、分かった」

良いようにせよと、適当にあしらい、再び窓を閉じる。

しばらくすると、野営を終了し、西に進むという話が来た。もう少し敵に接近し、出来れば直接軽く交戦したいというのは、少し前の戦略会議で提出された事だ。一応許可はしたが、実際には許可させられたと言うべきか。

所詮お飾りである。

一糸乱れぬ行軍を開始する。侍女である女兵士が馬車に乗り込んできた。

「交戦が想定されます。 鎧をお召しください」

「分かった」

メアリという女兵士は、大陸南部か、或いは南の大陸の出身なのだろう。肌が真っ黒で、顔つきからしてこの辺りの女とは違っている。筋肉もものすごく、顔にも愛嬌のかけらも無い。名前も偽名だろう。

鎧を着せてもらう。

豪奢なものではあるが、それは表面だけだ。薄い板金を使った白い鎧であり、肩と胸を重点的に守る丸っこい作りである。長くなってきた髪は、後ろで束ねる。化粧は軽くだけした。

実際には、敵兵の一人も倒せはしないだろう。

剣の事はハールに習っている。やっと取り落とさない程度にはなってきたが、敵兵の一人にも及ばないことは自分が一番よく分かっている。だが、堂々としているだけで、兵士達は落ち着くという。

決めたのだ。

貴族に嬲られて死ぬくらいなら。自分で死に方を決めるのだと。

窓を開ける。そろそろ国境だと声が掛かった。

かって、イドラジールは強力な軍事力で国内をまとめ上げ、周辺諸国の盟主としてにらみをきかせていた存在だったという。

だが、国境にさしかかると、廃村が目に入った。

略奪され尽くして、跡形も無い。白骨化した死体も、点々としているようだった。今は夏だから、腐敗も早いのだろう。既に蠅も集っていない。家だったらしい板葺きの家屋も、傾いていた。壁には大きな穴が開いている。

「これは?」

「敗走する軍が、暴徒化して襲撃したようです。 こういった村は至る所にあります」

「愚かな。 こういうときだからこそ、協力し合わなければならないでしょうに」

「村の側にも原因があります。 魔王の軍勢を恐れるあまり、逃げ込むのを拒否したようでして。 激怒した軍が、徹底的に報復したようです」

どちらも愚かすぎる。

近くに、枯れ果てた森があった。その中に入り、野営を行う。斥候が放たれた。

敵戦力は、少なく見積もっても二十万。下手をすると三十万を超えるという話もある。こちらは数百。訓練を受けた軍千二百に匹敵する戦力だとか聞かされているが、それでも勝負になるはずも無い。

斥候が戻ってきた。

「敵の小隊が、斥候に来ています。 数は三つ。 近辺にあるイドラジールの抵抗勢力との交戦を想定してか、武装はかなりしっかりしています」

「不意を突けそうか」

「一撃離脱であれば。 ただし、逃せば周辺にいる五千以上の敵が、一気に集まってくるでしょう」

不敵な笑いを、ヴェンツェルが浮かべた。

敵は一小隊三十が三つ。つまり九十。局地戦であれば、こちらの戦力が大幅に上回っているといえる。

ハールに習っている戦略理論によると、戦闘は兵力の集中と、各個撃破だという。

今なら、各個撃破が可能だろう。

「陛下、ご命令を」

「進撃して、敵をたたきなさい。 ただし、絶対に一人足りとて生かして返さないように」

「承知!」

馬に跨がると、ヴェンツェルは凶暴な笑みを浮かべた。

そのまま、音も無く軍は動き出す。義勇軍などと言っているが、軍の精鋭部隊が中核になっているのは間違いない。おぞましいほど、生物的な息吹が感じられない。誰も彼もが、相手を殺すための訓練を受け、それだけしか頭に無い。

森を抜ける。

夕闇に混じって、軍が駆ける。馬車から降りたユキナは、それについて行くのが精一杯だった。

程なく、敵が見えた。

起伏のある地形を利用して、一気に接近する。中に、人間の倍くらい背丈がある、とんでもなくでかいのがいる。

「あれは?」

「小隊長と言われる敵兵です。 非常に頑強で、手強い相手です」

此処に隠れているようにと言われたが、頭を横に振る。生き方も死に方も、自分で選ぶと決めているからだ。

兵士達が殺気をたぎらせる中、敵部隊は軽く散開して、周囲を伺っている。

ヴェンツェルが右手を軽く持ち上げ、下げた。

わっと、手のひらが閉じるように。全軍が一気に敵へ襲いかかった。

まるで包み込むようだった。最初にボウガンから矢が放たれ、敵兵の頭を次々に打ち抜く。槍の兵士達が声も無く躍りかかり、突き伏せる。地面に倒した敵は表情も無くもがいていたが、最後に襲いかかった兵士達が、首を叩き落とすと動かなくなった。

大きな奴が、巨大な剣を抜いて、吠える。

だが、ヴェンツェルが身の丈ほどもある巨大な剣を振りかぶり、馬に跨がったまま躍りかかった。

駆け寄りざまに、一合。振り下ろされた剛剣と、振り上げられた剣が、ぶつかり合う。

巨大な小隊長の剣からすると、ヴェンツェルの剣もそこそこ大きな剣程度にしか見えない。だが、一合ぶつかり合ったことで、隙が出来た。

その隙に、四方八方から放たれたボウガンの矢が、小隊長を射すくめる。その中には、明らかに間接部や、首に潜り込んだものもあった。身動きが鈍る。即死しないのは、やはりこの巨大なヒトガタが、人間では無いからか。

「おらあっ!」

動きが鈍った小隊長の腹を、反転したヴェンツェルの剣が横に薙ぐ。大量の黒い血が飛び散り、ぐらりと姿勢を崩す巨体。

小隊長が倒れたとき。

既に周囲の殲滅戦も、決着がついていた。

味方に死者は無し。完勝である。剣を抜いてはいたが、ユキナが出る暇さえも無かった。しかも兵士達は手際よく、死体を幾つか回収し、なおかつ使えそうな矢を死骸から引き抜いている。

「あんな化け物でも、倒せるのだな」

「戦術さえ間違わなければ。 しかし、敵の指揮官は、上級になればなるほど大きく手強くなるようです。 そうなってくると、攻城兵器や、強力な術、さらには大人数が必要になってくるでしょう」

「……」

ヴェンツェルは明らかに、そんな敵の到来を待ち望んでいる。

ついて行けないとユキナは思ったが、それでもやらなければならない。出立の準備は、すぐに整った。

「他の二小隊の様子は」

「動き無し。 こちらには気づいていません」

「よし、各個に殲滅する」

激しく返り血を浴びているヴェンツェルは、嬉しそうに破顔した。そのまま、懐から取り出した布で、顔をぬぐう。

どちらが化け物か分からない。

そのまま軍は無音で移動。次の小隊も、犠牲無く殲滅した。偵察が主体だからか、敵の装備はどうしてか貧弱で、それに随分と戦いやすいようにも思えた。

だが、敵の一体一体は手強いはずだ。死体を運んでいる兵士を横目に、ハールに聞いてみる。

「どういうことだろう。 随分あっさり勝てるな」

「おそらくは、敵の特性の問題でしょう」

「詳しく頼む」

「つまり、敵は人間に比べて、柔軟性が足りません。 多分指示を出しているのは小隊長なのでしょうが、それが混乱してしまうと、もう個別に戦うことしか出来なくなってしまうのでしょう」

なるほど。強いが、融通は利かないと言うことか。

更に、三つ目の小隊を殲滅に向かおうとするヴェンツェルだが。しかし、斥候が戻ってくると、顔色が変わる。

「何……!?」

「おそらく規模は連隊。 まっすぐこちらに向かっています」

「まずい。 撤退だ」

敵に察知されたのだろう。兵士達は即座に敵の死体をうち捨て、後退に掛かる。

馬車まではかなり距離がある。ヴェンツェルが、ひょいとユキナをつまみ上げて、馬の後ろに乗せた。

「しゃべらないように。 舌を噛みますぞ」

大きな背中だ。だが、岩のようで、頼もしいとは思えなかった。本当に、戦いをするためだけに鍛え上げた体である。

迫り来る敵、連隊規模というと、最低でも四百という所だろう。

三十名の小隊であれば簡単に勝てるとしても、連隊が相手になると相当な死闘になる。勝てない可能性も出てくる。

だから、引く。

闇雲に戦うのが、この部隊の目的では無い、ということだ。

「国境線を越えれば、敵の追撃はとまる」

兵士達にそれだけ言うと、馬を走らせるヴェンツェル。いつになったら敵がとまるのか分からないが、無音でただひたすらに駆ける。

いつの間にか、真夜中になっていた。

星の下で、森に逃げ込む。兵士達に脱落者は無し。というよりも、息を乱している兵士自体が、それほど多くなかった。とんでもない精鋭部隊なのだと、ユキナは馬から下りながら思った。

森の中から、敵を見る。

闇の中に、こんもりと群衆がいる。武装しているが、どうしてか不思議と存在感が無い。あれが敵兵なのだと言われても、小首をかしげてしまう。

だが、事実なのだ。

しばらく敵兵は陣形を維持していたが、やがてヴェンツェルの言葉通り、潮のように退き始めた。

胸をなで下ろしたいところだが、兵士達の前では毅然としているようにと言われている。無表情のまま、馬車に乗った。

「敵の対応能力は分かった。 罠を仕掛けて来る可能性もありうる。 油断しないように」

「は。 陛下」

何を考えているのか、殊勝に頭を下げるヴェンツェル。

誰も、信用は出来ない。

馬車の中で外からの視線や気配を締め切ると、やっと脱力できた。ぐったりしたが、伊達にハウスメイドで長年鍛えてきていない。まだ、即座に意識を失うほどでも無い。

ぼんやりと壁に背中を預けて、思う。

さっきの戦いは、凄まじかった。戦いと言うよりも、殆ど狩りか何かのようだった。

だが、物語の中にあるような勇壮な戦いなんて、実際には殆ど無いのでは無いかと、あれを見た後は感じてしまう。

本当に、殺すか、殺されるか。

それは狩りに近いものなのかも知れない。

嘆息して、しばし目を閉じる。このまま眠ってしまおうかと思ったが、流石にそれは止めた方が良いだろう。

気を引き締め直すと、馬車から出る。

「今晩は一旦後退し、途中にあった小川で休息としよう。 兵士達にも兵糧を取らせるように」

「了解しました」

馬車が動き出す。

敵兵の追撃に備えながら、国境線から更に後退。

まだ、夜は長い。

 

小川と言うこともあり、水は豊富だった。馬車の中に桶を持ち込み、軽く髪を洗い、水で濡らした布で体を拭く。

流石に風呂は贅沢だと思ったが、兵士達はかわりばんこで川に入っているようだった。全裸になって和気藹々と楽しんでいるようである。

女性兵士に手伝ってもらって、鎧を着直す。

「陛下。 昨晩の戦果を、後方に送って解析させます。 小隊長の死骸については、特に貴重なものとして喜ばれるでしょう」

「そうか。 分かった」

誰が喜ぶのか。そう問いただしたかったが、もう止めた。やはり、自分の知らないところで事が動いているのが分かってしまう。後はせいぜいお飾りに甘んじないように、意地を見せるしか無いのか。

ふと、兵士達の喧噪がとまる。

誰か来たらしかった。敵かと思ったが、その割には剣呑な空気が無い。

話し声が聞こえる。身なりをただすと、外に出てみた。

「何事か」

「……」

視線の先には、顔を半分布のようなもので隠した、エル教会の司祭がいた。まだ若い男である。

エル教会の司祭に良い印象は無い。

貴族の屋敷で働いていた頃にも、時々宗教的な行事で姿を見かけることはあった。だがきんきらきんに飾り立てた法衣を来て、効きもしそうにない祈りやら呪文やらを唱えている姿は、茶番にしか見えなかった。

連中が裏で人身売買や薬物の密売をしていることくらい、子供でも知っていた。神がいないと言うことも、当然幼い内に知ることとなる。神に身を捧げたはずの人間が、そんなことをしても、天罰一つ受けないのだから。

当然、天国なんてものはないだろうと、ユキナは思っていた。

若い男はユキナから視線をそらす。非常に自他に厳しい雰囲気だった。手にしているメイスも、かなり大きい。先端部分の棘付き鉄球は、まともに受けたら頭が砕けそうだった。兜をしていても致命傷だろう。

そのまま、男は西へ歩き去って行った。少し行くだけで、イドラジールの領土だが、誰も止めなかった。

「何者ですか、あれは」

「我々義勇軍の協力組織が派遣してきた人員のようです。 銀髪の、双子の女戦士を見かけなかったかと聞かれました」

「双子の女戦士?」

「少し前から、噂になっています。 イドラジールで魔王軍を相手にゲリラ戦をしている有能な戦士がいるそうです。 魔王軍にかなりの被害を与えてはいるようですが、何しろ強いと言っても二人だけという現状で、何が出来るかというと」

数の暴力の前には、無力と言うことだ。

既にイドラジール軍が掃討され始めている今、その双子とやらの命運も見えているというのが事実だろう。

偵察に行っていた兵士が戻ってきた。三十人くらい、薄汚れた兵士を連れている。

「あの者達は」

「イドラジールの敗残兵です。 訓練した後、我が部隊の一員として働いてもらいます」

「……」

なるほど、それでこの辺りでとどまっていたか。戦力の強化が目的だったというわけだ。それに、イドラジールの兵士となれば、化け物との交戦経験もある。貴重な戦力として計上できる。

早速手慣れた様子の二十人ほどが、薄汚れた兵士達を森の方に連れて行った。すぐに適性を見て、訓練を始めるつもりなのだろう。

その日は、夕刻まで国境近くで待機した。

百人以上の敗残兵を味方に加えたようだが。しかし、それでどうにかなるとは、とてもユキナには思えなかった。

 

4、もう一つの義勇兵

 

グラは、シャベルを担いで歩いていた。今日も、整理の作業が待っている。誰も命じないし、自主的にやっていることだが。大事な日課だった。

ゴブリンという種族がある。

人間にはいわゆる魔物の一種として考えられている存在だ。人間の六割から七割ほどしか背丈がなく、小鬼とも呼ばれる。小型の集落を作って過ごす社会性の強い知的種族であり、既に人間との生存競争に敗れて故郷では全滅してしまった。

北極で、ゴブリンのグラは生まれた。

ゴブリンは希少種族になっており、同胞は殆どいなかった。魔王が現れたのはまだグラの幼い頃だが、その時には両親は過酷な環境で老衰しきっていた。

凍えるような寒さの地下洞窟で、身を寄せ合って、人間の恐怖におびえながら、必死に生きてきた。

だがそれも終わるのだと、両親は涙を流していた。そして、程なく死んだ。

死体は数少ない仲間と一緒に、地下の一番奥に埋葬した。其処は人間に追われた者達が、共同で墓地にしている場所だった。

兄弟姉妹もいない。

普通ゴブリンは相当に多くの子を産むらしいのだが、この洞窟では食料にも限界があり、栄養状態の悪さから殆ど生まれなかったらしい。それでも何人か兄弟はいたらしいのだが、皆大きくなる前に死んでしまった。

地下の一番奥。

グラは、いつものように、墓地を見回した。

蛍草の光に照らされた墓地の広大なこと。無数の墓。いろいろな種族が、その下に眠っている。

かっては敵対していた種族もいる。

だが、此処では、敵対も何も無かった。協力しなければ、生きてはいけなかったからである。

魔王の手で、フォルドワード大陸が陥落して。

皆、大喜びで過酷な北極洞窟を出て行った。わずかな人数だけが、墓守として北極の洞窟に残った。

この洞窟にも、先住民はいる。元々過酷な環境で暮らすことになれた者達であり、雪男と呼ばれている。毛むくじゃらの白い塊で、グラの三倍くらい背丈がある。全体的には、いわゆるヒトガタの生物だ。

その雪男の一人。墓場を管理しているキーニが、声を掛けてくる。皿のような大きな目を持った、気の良い奴だ。

「グラどん。 もう、墓の手入れはいいよ。 俺たちがやっておく」

「俺には、居場所が無い」

そう、言い返す。

グラは、とびきりに集団行動が苦手だった。数少ないゴブリン達の中でも、コミュニティのようなものもあった。誰もが協力し合わなければならないと知っていたから、互いを尊重し合っていた。

だが、グラは、どうもそれが苦手だったのだ。尊重されるのも、尊重するのもいやだった。

だから、敢えて残った。

他のゴブリン達は、皆フォルドワードに出て、地上の生活を満喫しているという。ゴブリンの数はあまりにも減ってしまったから、まずは集落を作って、数を増やさなければならない。今の時点では他の種族との摩擦も一切考えなくて良い。魔王が指示してくる物資の生産をしながら、復興作業にいそしむ毎日だ。或いは、義勇軍として、魔王軍に入った者も、少しはいるかも知れない。魔王軍の主力となっている補充兵ゴブリンと、本物のゴブリンはまるで別物で、運用も違うだろうが。それでも彼らは、きっと生き生きしているのだろう。

吐き気がする。

集団行動なんて、大嫌いだ。

「外に行っても、迷惑を掛けるだけだ。 俺は此処で良い」

「そんなこといわないで、外に出た方がええよ。 グラどんは、この環境じゃ長生きは出来ないだろ? 外だと生きるための支援だってしてくれるみたいだし、ゆっくり生きて、いろいろ考えなよ」

頭が悪い癖に、意外に正論を言うキーニ。

確かに、この環境はゴブリンにはあまりにも厳しすぎる。外の倍くらいの速度で老け込むとさえ言われている。

大きく嘆息すると、シャベルをキーニに預けた。

確かに、迷いはあったのだ。

「分かった。 墓参りには時々来る。 荒らされてたら怒るからな」

「へいきへいき。 此処に残った連中は、死肉をあさったりもしないから、安心して大丈夫だよ」

「……」

微妙な送り出しの言葉を聞いたグラは、あまり気は進まなかったが。別れることになる友に、手渡す。

両親が後生大事に持っていたゴブリン金貨。

ゴブリンがずっと昔に栄えていた頃、小さな国家を作っていたことがあったらしい。その頃発行された金貨である。純度は非常に低く、特に人間に見つかると確実に鋳つぶされてしまうので、殆ど残っていない稀少品だ。

工芸品としても、さほど価値があるものではない。ドワーフの職人が一瞥して、簡単に作れるといったほどである。

だが、両親にとっては、宝ものだった。

「やる。 俺の両親の宝だった。 だから、墓を守ってくれる御前にやる」

「グラどん」

「確かに、命は有限だもんな。 自分で使い道を考えた方が、親父もお袋も喜ぶよな」

墓を、もう一度見た。

両親は死ぬ前には、もう骨と皮だけしか残っていないほどに老いさらばえていた。だが、最後に残った息子のグラの顔を見て、嬉しそうに死んでいった。

血を残すことが出来たと。

グラは、その血を受け継いだ。だから、有意義に使わなければならない。

洞窟を出る。キーニは、最後まで見送ってくれた。

北極は極寒の地で、しかも今はもう秋だ。夜になると少し出歩いただけで死ねるほどに環境が厳しい。

だが、それは過去の話だ。

今は魔王が作った青いボール状の大気調整装置とやらが点々と置かれていて、洞窟から港までは安定した環境が実現されている。わずかな補充兵が、仏頂面で周囲を警備していた。

港まで、四刻ほどかかる。

途中に時々ある看板を見ながら、黙々とポケットに手を突っ込んで歩いた。分厚い毛がわを着込み、サスペンダーのズボンをはいて、ただひたすら歩く。ゴブリンのトレードマークである三角帽子さえ、両親の遺品だ。先がとがった靴も、同じく。

フォルドワード大陸では、まず身の回りの品から生産しなければならないだろう。またあのクソ忌々しい集団生活をしなければならないかと思うと、吐き気がする。

港に出た。

かなり疲れた。港には流石に魔物が残っている。

マーマンの年老いた戦士が近寄ってきた。

いわゆる魚の下半身を持つマーメイドと違い、マーマンは全身がまんべんなく魚と混じった人間に近い姿をしている。えらでも呼吸が出来るとかで、相当な深海まで潜れるそうである。

だが、眼前のマーマンは既に相当に衰えているようで、居残り役としての仕事しか出来そうに無かった。水に落ちたら溺れそうだ。

「おや、今頃洞窟から出てきたのかね」

「墓守よりも、有意義に生きろって友に言われたのさ」

「ほ、ほ、ほ。 そうさな。 墓の下にいるあんたの大事な者たちも、きっと同じ事をいうだろう」

意外としっかりしたしゃべり方をする老人だ。

船は明日の早朝に出るという。港といっても、リアス式の海岸に、ぽつんと幾つか建物があるだけである。一時期は粗末な船に魔物達を満載し、勝利の凱歌とともに勇んで南へ皆が行ったそうだが。今はもう、すっかりそのピークも過ぎている。たまに墓参りに来る者が出るくらいらしい。

建物は木製だが、土で外を固めている。多分寒気を防ぐための工夫だろう。

家の中にはいろりがあって、鍋がかけられていた。じっくり煮込まれた魚の香りがかぐわしい。

「喰うかね」

「金は無いが」

「何、魔王様の補助金が出るから、問題ない。 あんたもフォルドワードについたら、一時金を渡されて、あれやこれや聞かれるだろう。 自分で何をしたいかは決めているのかね」

碗に鍋の中身をすくって入れてくれる。

熱々の鍋は、確かに美味しい。しばらく無言で海草と魚の鍋をほおばる。魚は綺麗に骨が取り除かれていて、いちいち出さずにも美味しく食べることが出来た。

「俺は、自分の運命を、自分で切り開きたいな」

「抽象的だのう」

「軍に入りたい」

まだ、人間との戦いは続いているという。

別に英雄になりたいわけでも無い。だが、純正の魔物は、基本的に数が圧倒的に少ない。軍に入るとそれなりの地位が用意されるという。

陰気なコミュニティの中で、陰気な決まりの中で結婚し、子供を育てる義務を受けるくらいなら。

ある程度出世して、それから子孫を残す道を選びたい。

それが、グラの本音だった。

「軍か。 実際の戦いは補充兵がやるとはいえ、みんな周りはやる気があるからなあ」

老人の話によると、軍に入るとみんな目の色が変わるという。

復讐を目的にしている者、栄達を願う者。いずれもが、楽をさせない。皆が必死に働いて、魔王の勝利のためにと叫びながら前線に突入するそうだ。

見てきたような口ぶりだが、と聞き返すと、実際に見てきたのだと老人は言った。

「彼処は地獄だ。 泣き叫ぶ子供を殺したり、赤子を守ろうとする女を引き裂いたりしなければならん。 皆の人間に復讐したい気持ちはよく分かるが、わしにはちょっと無理だった」

「……地獄、か」

「そうだ。 人間に同情する気はさらさらないが、な。 だが、思うにわしは、ただ故郷に帰って、静かに暮らしたかったんだろう。 わしの故郷は見てきたが、もう跡形も無かったし、そうなると今はただ、此処で墓守の港を守って、帰ってくる奴と行く奴をもてなすくらいしか残っておらん」

鍋の下で、炭がはじけた。

鍋を食べ終えると、いろりをそのままに、貸してもらった毛布に潜り込む。

朝が来たら起こしてくれるという。マーマンの老人は、グラが眠りにつくと、外に出て行った。

興味はあったが、疲れの方が強く、すぐに眠り込んでしまう。

目が覚めると、日の光が戸の隙間から差し込んでいた。荷物をまとめて、外に。

船が来ていた。

人間の使っている帆船を奪ったものだろう。ただし、動力は船の前にいる巨大な二枚貝の怪物だ。クラーケンとか言ったか。巨大な触手が、冬の海の上で蠢いている。あれでは、人間の船など一瞬でばらばらにしてしまうだろう。

「魔王様の三千殺しって力も凄いが、補充兵を作る能力はより凄い。 人間は、遠からずこの世界から滅びるだろうな」

「さあ、どうだろう」

いつの間にか、隣に老人がいた。

船からは、降りる者ばかりだった。乗る者はグラだけだった。降りてくる者達も、年寄りだったり、疲れ果てている様子の者が目だった。

 

船で、北極島からフォルドワード大陸へ三日。

かってこの海は、人間の漁師達が我が物顔に行き交っていたそうだが、今はそれも無い。流氷が多数漂流する中、時々大型の魔物が泳いでいるのが見えた。

鯨もいる。

鯨はのびのびと泳いでいた。人間がいなくなって、恐れる存在が無くなったからだ。元から魔物と動物は良くやってきた。家畜化する場合もあったが、人間よりは距離を上手に取れていたらしいと、グラも聞いている。

船はさほど揺れることも無く、大陸に到着した。

大陸側の港も、さほど大きいとはいえなかった。老人に言われたとおりに、まずは魔王軍の文治庁に顔を出す。港の奥にある大きな岩山であり、中腹の洞窟の中に何名かの文官がいるのだ。

港で、ゴブリン族を見かけた。随分明るい雰囲気である。洞窟の中では、陰鬱きわまりなかったのだが。

花を売っているようだ。多分墓に供えるものなのだろう。

港の建物も、北極側と同じく、土で防寒対策をしていた。だから、家と言うよりも、土盛りに見える。時々家から出てくるのは、老いた魔物ばかりだった。

やはり、墓守なのだ。

どれだけの魔物が、北極の地下で果てていったのだろう。

ここにいる老いた魔物達は、皆疲れ果てて、やっと得られた平和の中でも、過去の中でしか生きられない存在だ。

生存競争の結果だと、強い魔物は言うかも知れない。人間の殆どはそれに同意するだろう。

だが、グラは、そんな考えには同調できなかった。

荷物も、殆ど無い。文治庁に入ると、流石に若い魔物達が多かった。書類を整理していたのは、ラミアという女の魔物だ。蛇の下半身を持ち、上半身は人間に似ている。肌は浅黒い。

砂漠に生息していた種族であるらしい。今はゴブリン同様故郷を追われて、ほんのわずかしかいない。出る前に港で老人に聞いたのだが、元々戦闘向けの種族では無いようで、こういう所で働いている数の方が多いそうだ。

軍に入ると言うと、ラミアは鼻で笑った。グラマラスな上半身の肢体は動きが無いが、巨大な蛇の下半身は、あざ笑うようにするすると動いている。

「今時北極から出てくるとはね。 もう、ゴブリン族は貴方しか残っていなかったのじゃないかしら」

「ああ、そうだが」

「決断が遅いと、軍では苦労するわよ。 補助要員がいるとは言っても、魔王様の作った補充兵は、基本的に下になればなるほど頭が悪くなるから。 人間も最近じゃ抵抗が激しくなってきているし、死ぬ可能性も……」

「かまわない」

ラミアはじっとグラを見つめた後、書類をしたためてくれた。

そして、金貨の袋をくれる。魔王軍によって鋳造されたものらしい。

「はい、一時金。 治安は心配しなくて良いけれど、無駄遣いはしないように。 軍本部があるのは仮設魔王城よ。 ここからだと、地龍便か、或いは飛鳥便が早いわね」

「詳しく教えてくれ」

呆れたようにラミアはこちらを見た。

多分最後発という事もあって、グラは非常に珍しい部類に入るのだろう。

地龍便というのは、超大型のミミズ型補充兵を使ったものだという。かなりの速度で地上を移動することが出来、二日ほどで仮設魔王城まで進めるそうだ。

飛鳥便は、魔物の中では最も知能が低いロック鳥によるものである。

ロック鳥は翼を広げると大きな家ほどもある巨大な魔物であり、ドラゴンと違ってちょっと頭が悪い。ただし輸送では充分な力を発揮してくれるために、今では人員輸送要員として活躍しているという。

ただ、どちらも数が少ない。

今後は馬車便を作るか、或いは現在実験中の航空部隊のお下がりを使って航空輸送を行うか、文治庁で検討中だという。

「大陸を縦断する移動手段となると、なかなか難しくてね。 ドラゴンのような大型の魔物は前線で必要とされているし、他の皆も、今はとにかく復興で大忙しよ」

「あんたは?」

「私は働くのが好きだから」

チケットの買い方を聞くと、洞窟を出た。

港を出て、外を歩く。地龍便を使うことにしたが、次の便が来るまで半日ほどかかる。だから、北極の地下では無い空間を、見て回ることにした。海は三日で満喫したから、もういい。

世界は広いなと、グラは思う。

空はどうしてこうも澄み切って、どこまでも続いているのだろう。

土は柔らかくて、草が生えていて。不思議な香りもする。そして何より、どこまで行っても壁が無い。

空気も、とても吸っていて気持ちが良いではないか。

船に乗っているとき、星空の美しさには感動した。だが、北極では無い場所は、どこもこのように美しいのか。

どうして人間は、これを魔物と分け合おうとしなかったのだろう。そんなに独占したかったのか。

ゴブリンの歴史は、人間との戦いの歴史だ。

人間はゴブリンを徹底的に嫌って、姿を見れば迫害しようと考えるばかりだった。だから争いごとが起こった。力でも組織力でも人間にはかなわないゴブリンは、他の種族と連携して立ち向かったが。

勝てるものではなかった。

虫が飛んできた。見たことが無い虫で、不思議だ。

遠くで、畑を耕している魔物が見える。オークだろうか。近づいてみると、確かにオークだった。特徴からして、中年男性だ。

驚いたことに、太って腹が出ている。他に働いているオークもいる。地平の果てまで畑が続いていて、作物も取り入れの時を迎えているようだ。

北極の地下では、オークはみながりがりに痩せていた。豚に似ている顔は、骨と筋ばかりが目だって、痛々しかった。

だが、此処では。みなつやつやと太って、とても充実しているように見えた。

「おや、ゴブリンのが何の用かね」

「北極の地下から出てきて、珍しかったから見に来た」

「今頃地下から来たのか。 それはまたずいぶんなのんびり屋さんだ」

オークは知能がさほど高くないが、とても気が良い奴らである。まだ時間はあるから、いろいろ教えてもらった。

農民は良いぞと、オークは言う。働いただけ結果が出るし、作った食べ物は美味しいという。

しかも今は発展が軌道に乗り始めていて、作れば作るだけみんなが喜んでくれるそうだ。美味しい野菜の場合は、もっと喜んでくれるのだという。

「軍なんかやめて、農民になれや。 みんな喜んでくれるぞ」

「それも考えたが、今は人間に勝たないといけないと俺は思う。 それに、ある程度名誉が欲しいとも思う」

「そうかあ。 そう考えるんなら、おらには何もいえねえがな。 そうだ、これさ喰え」

赤い果実をもらった。畑には、果樹園もあるそうだ。

リンゴというそうである。

「中に芯があるから、それだけは食べられねえ。 でも、他は全部食える」

「ありがとう。 道中、大事に食うよ」

オークに見送られて、土龍便の駅に行く。太ったオークは子供もいるそうだが、昔のように数を考え無しに増やすことはしないそうである。なんでも性欲抑制剤が配られているそうで、ある程度飲むことが義務づけられているそうだ。

何だか、農民も良いなと一瞬だけ思った。だが、もう決めたことだ。決めたのだから、翻さない。

駅に到着した。

駅にはちらほらと魔物の姿があった。一番大きいのは、バジリスクと呼ばれる鶏冠のあるオオトカゲだ。全身は毒々しい紫色で、目は半開きにしている。目から相手を石にする力を発するからだ。更にものすごく強い毒をもっているという。

どうもメスらしく、腹がふくれている。卵を産む日が近いのかも知れない。

駅は粗末な屋根がついているだけのものであり、そしてその前に、延々と柔らかく耕された土の帯が見える。巨大なミミズによる移動便という事だから、ミミズが掘り返しやすいようになっているのだろう。

駅員らしい魔物が来た。老いたコボルトだ。

コボルトはゴブリンよりも更に小さな種族であり、顔は犬に似ている。このコボルトは相当に年が行っているのだろう。体中の毛が禿げかけていて、なおかつ腰が曲がっている。

「えー、まもなくミニョコン13が参ります。 土が飛びますので、土帯から少し離れてください。 巻き込まれると危険です」

「駅員さん、少し遅れてるんじゃ無いの? どういうことよ」

「補充兵ですので、ある程度の遅れは緩和できますが、しかしなにぶん機械ではありませんので。 お許しください」

腰が低いコボルトに、ぷんぷんバジリスクは怒っていた。

バジリスクが、こっちを見る。ちょっと緊張した。

「あら、ゴブリンの若い方に会うなんて珍しいわ。 お墓参りかしら」

「いえ、今北極から出たところだ」

「まああ、そうでしたの。 早くお嫁さんを作って、子孫を残さないと駄目よ。 今は、どの種族も大変なんだから」

「はあ、まあ」

凄まじい地響き。

どうやら、来たらしい。

体をくねらせて、何か来る。巨大なそれは、ミミズと言うよりも、土の波に見えた。その背中に、やたら頑丈そうなかごが乗っている。かごにはスプリングがついているらしく、揺れはだいぶ緩和されているようだ。

「あんた、おなかに子供がいるのだろう? あんなのに乗って大丈夫か?」

「あら、あのくらいは平気よ。 今夫が東の大陸で戦っているの。 こんな事で死ぬような柔な子なんて産めないわ。 それに、乗ってみると意外と快適なのよ」

ほほほとバジリスクが笑う。

駅の前についた巨大ミミズが、地面の中を旋回して、かごが駅の前で止まった。

見ると、鎧のような表皮を纏った、黒光りした巨大なミミズだ。頭の上には、御者の役割をするらしい魔物がいた。見ると左腕が無い魔族である。多分戦闘には耐えないと判断して、此処で仕事をしているのだろう。

どうやって制御をしているのか気になったが、見るとミミズの頭に幾つか釘のような鉄塊が植え込んである。これを押したり引いたりして命令を出すようだ。まあ、補充兵だし、これくらいは大丈夫と言うことか。

「すみません、遅れました。 お乗りください」

「全く、本当だわ」

ぷんぷん怒りながら、器用に体を伸ばして、バジリスクが最初に上がる。ミミズの横にはタラップがついていて、かごへ乗りやすいようになっていた。

かごといっても、殆ど鉄の車のような有様である。側面の大きな引き扉を開けて中に入ると、中は意外に広い。天井もついていて、多分移動時に雨などが降ったときの対策なのだろう。

そして、床にはふかふかのクッションが備えてある。なるほど、これならおなかをぶつけることは無いか。

椅子もあるので、そちらに座る。

椅子の背に手を掛けて、バジリスクが話しかけてくる。

「そういえば、どこまで行くの? ゴブリンさん」

「グラだ」

「あらそう。 私はカノンノールよ」

「そうか。 俺は仮設の魔王城まで行き、そこで軍属になるつもりだ」

そう言うと、少し前に自分たちもそうしたのだと、懐かしそうにカノンノールは言う。

ミミズが動き出す。動く前に大きな音を立てて、警笛が鳴り響いた。柔らかい土の帯の周囲には、駅周辺以外では軽く柵が植え込まれているらしい。まあ、住民の密度も低いし、事故も起こりにくいだろう。

ミミズが進み始めた。揺れは思ったより小さい。仕込まれているバネが非常に優秀なのだろう。

それからほぼ丸一日。

カノンノールから、仮設魔王城と、手続きなどについて聞きながら過ごした。

 

多分夫がいないので、よほど退屈しているのだろう。

カノンノールからいろいろ話を聞いて、道中はあまり寝る暇も無かった。それに、窓から見える光景はどれも新鮮だった。

人間の痕跡を根こそぎにしたという話だったが、一応文明については一部残していたらしい。

川の側には水車小屋があり、穀物をひくべく廻っている。風車もある。勿論、農業に使っているのだろう。

軍事施設も、たまに見かけた。

狼煙台という奴だ。

大陸中央部だから、あまり警戒は厳しくないのだろう。だがいざというときに備えて、仮設魔王城にすぐ情報が行くようになっているのは素晴らしい。軍の組織自体は、しっかり出来ているらしかった。

「でも、あまりにも良く出来すぎているのが問題だって、夫が言っていたわ」

「どういうことだ」

「要するに、軍政って奴から抜けられないらしいの。 文治省も、まだ軍の下部組織扱いで、本当の意味での文官が足りないらしいの」

それも、知能を高くした補充兵で補っているらしい。

文官を軍人がやっているのである。確かに、あまり良くない事なのだろうなと、グラも思った。

「いっそのこと貴方、文官になったら? 元々軍人志望だって言うことだけど、前線ってとっても怖いらしいわよ」

「分かっている。 そうか、文官も足りていないのか」

怖いというのは除外だ。そんなことはわかりきっているし、今更止めるわけにも行かない。

だが、文官が足りないというのは、少し興味があった。

話していると、時間はすぐに過ぎる。警笛が鳴った。まもなく、駅と言うことだろう。

カノンノールは仮設魔王城の南にある、新居がある町まで行くと言うことだった。此処で別れる。

「いろいろとありがとう。 ためになった」

「なあに、いいのよ。 文官になっても、軍人になっても、夫のヴラドにあったら手伝ってあげてね」

ぱたぱたと尻尾を振って見送ってくれるカノンノール。多少うるさかったが、とても気の良い奴だった。

駅は、北極近くのものとはまるで別だった。

軟らかい土の帯が続いているのは同じだが、駅の大きさがまるで違っている。ミミズも数匹が行き交っているようだ。

そして、遠くに見えるが、仮設の魔王城だろう。

何だかドワーフ族が張り切りすぎて、建造に数百年も掛かる城を作り始めてしまったという話は聞いた。確かにとてつもなく壮大だ。

城という存在を、極限まで巨大化したかのように見える。それも、所によっては壮麗で、一部は豪壮で、またある場所は醜悪で。どこから見てもまるで飽きが来ない。いろんな魔物の好みを反映しているのだろう。

電車賃を払って、町に出る。

ある程度の数の魔物が行き交っていた。子供が黄色い声を上げて走り回っている。仲が悪いゴブリンとエルフの子供が一緒に遊んでいるのも、多分数が少なすぎて、地下洞窟で一緒にやってきた良き伝統を継承しているからだろう。

何だか汚い衣服を着ていることが恥ずかしくなるほど、町はこぎれいだった。作られたばかりの町だという事もあるのかも知れない。

家は北極近くと違って、木で作られていて、屋根は板葺きだ。壁には土も塗られていない。

寒さがこの辺では、さほど厳しくないのだろう。

家の大きさは非常にまちまちである。住んでいる魔物に合わせて、大きさを変えているのだ。

服屋に入り、新しい服を仕立てる。

両親も、このままの格好で魔王城に行ったら、きっと喜ばないだろう。服は洗濯した後、繕い直せば良い。

幸いにも、一時金はたくさんもらっている。

服を入れる鞄類ももらった。新しい服を見繕った後、体を洗おうと思い、話に聞いていた銭湯に行く。温泉から水を引いていて、暖かい湯で体を洗えると言うことで、楽しみだった。

洞窟では、水自体が貴重品だったのだ。

確かに銭湯はあった。巨大な湯船にはたっぷりと湯が入っており、大小様々な魔物が浸かっていた。

最初入ってみると、少し熱すぎるようにも思ったが。慣れると気持ちよい。

側に金貨の袋は置いているから、多分問題は無いだろう。

旅の疲れを洗い流すつもりで、しばし湯を楽しむ。

充分に汚れを落とした後、仕立てたばかりの服を着込む。伝統的なゴブリンの服だ。どこに出ても恥ずかしくは無いはず。両親はきっと喜んでくれるだろう。息子の晴れ舞台なのだから。

銭湯を出て、そのまま魔王城に、まっすぐ向かった。

入り口は大きな跳ね橋が架かっていて、流石にかなり強そうな魔物が結構行き交っている。サンドワームと呼ばれる巨大な芋虫が、うぞうぞと橋を蛇行しながら渡っていた。知能はあまり高くないらしいので、近づかないようにする。

これほど魔物に詳しくなったも、狭い地下空間で、互いに助け合いながら生活したからだ。

しかし、グラの子孫の代になると、どうなのだろう。

魔王が健在の内は大丈夫だ。土地もいくらでもあるし、増加抑制策も採られている。魔物は長生きな者も多い。

だが、人間よりも世代交代が短い連中もいる。

そういう者達が、いずれ対立し始めるのでは無いのか。

城の中に入る。

工具を使う音が、彼方此方で響いていた。城を主に作っているのはドワーフの職人達だが、荷物運びなどは補充兵がやっているらしい。邪魔にならないように、見て回る。

壁は出来ていないし、天井も穴だらけ。

多分、とんでもない長期計画に基づいて城を作っているのだろうというのは分かる。だが、これでは確かに魔王は住めないだろう。立て看板がある。受付はこちらとか、書いてあった。

城の奥も入り口も、等しく出来ていない。

床はゴミがたくさん散乱していて、とにかく埃っぽい。ヨーツレット元帥が問題視したという話は聞いているが、確かにこれは納得できる。

「此処か?」

奥の方。

城の中に、仮あつらえの小屋が出来ていた。変な話だが、多分謁見の間らしい巨大な空間に、ぽつんと掘っ立て小屋が置かれているのである。周りを魔物が何名か、ウロウロしていた。

小屋を覗いてみる。

どうやら当たりらしい。退屈そうに、机についているのは、多分知能が高い補充兵だろう。見たことが無い魔物だし、そう判断するしか無い。

全体的には人間に似ているが、頭には牛に似た角が左右に生えていて、背中にはコウモリに似た翼がある。性別はメスらしく、法衣らしい赤い色の服の胸の辺りに、大きな膨らみが一対あった。魔族かと思ったのだが、肌の色が白っぽいし、牙もないから多分違う。だから補充兵だろうと判断したのだが、そこで気づく。

確か、補充兵は人間型から離れるほど、知能が上がる傾向にあるはずだ。あの大ミミズのような例外はあるのだろうが、これもその一つなのだろうか。歩み寄ると、面倒くさそうに魔物だか補充兵だかは顔を上げる。

「お客?」

「北極から出てきた」

「ああ、こんな時期に。 しばらく作業やってないから、大丈夫かな」

声は随分幼い。その割にぶっきらぼうで、ちょっとグラはむっとした。こっちは晴れ舞台だと思ってきているのに。

「それで、志望は?」

「軍人」

「軍人、と。 ゴブリン族だよね、あんた。 そうなると、前線でバリバリ戦うんじゃ無くて、後方任務が主体になると思うけど、大丈夫?」

砕けた口調だ。こんなのが受付をしていると言うことは、多分山は越えたから、ということだ。

まあ、魔王が出撃してから十年も経っているのだ。当然と言うべきなのだろうか。

「軍人が無理なら、文官でも良い」

「! 本当? いやー、出来ればそうしてくれると助かるなあ」

「どういうことだ」

「いや、今って軍政っしょ? だから文官やりたがる人がいなくてね。 やりたがる人もだいたいじじばばでさ、若い軍人と揉めることが多いんだわ」

だから、出来れば文官になってくれると嬉しいなあと、にへらにへらと笑いながら女は言う。

何だか不快な奴だ。だが、言うことは筋が通ってはいる。

「志望は軍人で。 それが通らなかったら文官で」

「じゃさ、特性が無かったら文官、という形でも大丈夫?」

「それでかまわない」

「はい、じゃあこれを持って、西塔の軍本部受付ね。 じゃ、よろしく」

何だかグラが軍人としてはやっていけないと言うことを前提で話を進めているようで、ちょっと気分が悪かった。

西塔へはどう行けば良いかと思い、周囲を見回す。

埃っぽくて、辿り着くまで苦労しそうだった。

 

手続きが終わったのは、夕刻。

町に出て宿を取ると、やっと転がって寝ることが出来た。

軍の方の受付も、全く同じ姿の奴がやっていた。その割に口調などが馬鹿丁寧だったので、構えていたら拍子抜けした。

軍に入ったからには、これから徹底的に鍛えることになるのだろう。

人間と戦う機会も出てくるはずだ。

港であった老人の言葉を思い出す。わしには無理だった、と。

魔王には、一度だけあった事がある。人間の老人によく似た好々爺であり、とても優しい印象を受けた。

だが、人間への憎悪は凄まじく、殲滅以外の対応策をとらないとも、後から聞いた。

殲滅、か。

女子供も皆殺し、というのでは、人間と同じでは無いのだろうか。

寝台の上で、グラは転がる。

ゆっくり生活できるのも、多分今日が最後だ。明日からはまず士官としての勉強を受けるか、或いは適正の試験をするのか。その後はひたすらに武技の訓練だろう。それは別にかまわない。

人間に勝つという結果が得られれば良い。

だが、その結果が殲滅になるのかと思うと、ちょっと胸が痛んだ。人間にも女子供や弱者はいるだろう。それも容赦なく殺すというのでは、敵の悪いところをまねしているだけにも思える。

だが、考えて見れば。

そんな甘いことを言っていたから、魔王が現れるまで、魔物は人間に勝てなかったのかも知れない。

眠れなかった。

翌朝、早くに通知が来た。

軍としては採用。ただし、前線勤務では無く、しばらくは適性試験をしながら、文官との折衝をしてもらう。

主な勤務地はキタルレア大陸。そこで補給を担当する。

なるほど、これが落としどころという訳か。

別にそれでもかまわない。補給は軍でも重要な任務だと聞いている。グラとしては、望むところだ。

寝台から身を起こすと、荷物をまとめる。

そして顔を叩いて、気合いを入れ直した。

さあ、これから戦いの日々が始まる。

前線で戦うのとは違って地味なものになるだろうが、それでも軍属だ。それに、あの受付が言っていたように、多分これからは文官との折衝が重要になってくると言う話では無いか。

出世の機会は、充分にある。

宿を出ると、グラは空を見た。

まだ、未来は広がっている。

 

(続)