最強の恐怖

 

序、戦いの後に

 

魔王と呼ばれる謎の存在を討伐して、勇者が王都に帰還したのは一月ほど前の事である。

勇者は既に名声などはいらないと発言しており、更には田舎に引きこもる意思も見せた。

王室は王女との婚姻をさせたがったようだが。

そもそも王国の軍勢が束になってもかなわなかった魔王とその配下達を、単独で倒して来た勇者である。

もしイヤと言われたら、その場で王国が傾きかねない。

少なくとも、もう勇者は田舎に行きたいと言っているのだし。

更に権力も名誉もいらないといっている。

何より王女は豚のように太っていて、とてもではないが見目麗しくは無く。それで性格が良いのなら兎も角。甘やかされて育った非常に性根も卑しい女だった。

誰もが勇者の気持ちは分かったのだろう。

何より王室からして見れば、魔王に変わる最大の脅威が勝手に退場してくれるのであれば。言う事は無かったのだ。

かくして勇者は王室の持ちかけた取引を全てことわり。

その代わり牢獄か何かのような辺境。

蛮族どころか、魔王の配下達さえ興味を示さなかった枯れ果てた最果ての土地に旅だったのだった。

御者さえおらず。

痩せた馬一頭と供に。

一応生活出来るだけの物資は用意されたが。

そもそも供もなく魔王を倒して来た勇者だ。

その生活能力は充分すぎるほどなのである。

必要などないのだった。

魔法も色々使える存在である。

規格外である。

故に、人間の「心配り」などいらなかったし。

相手が機嫌を損ねれば、今度は王国が蹂躙されることも分かりきっていたから。王族にとっても、勇者は腫れ物でしかなく。

多くの物語でそうであるように。

勇者は全てが終わると。

一人何処かに旅立ち。

姿を消したのだった。

こうして王族はほっとして。

王都の民も皆ほっとしていた。

誰もが知っていたのだ。

勇者の戦闘力が、魔王を倒したほどのものであれば。世界最強を謳われた王国の軍勢が手も足も出なかった魔王が死んだ今。

何処の誰にも勇者を止めることなど出来ないと。

ましてや善政を敷いていたわけでも無い王国である。

勇者がその気になれば簡単に体制は転覆する。

それだけじゃあない。

何よりも、勇者自身に問題があることを、多くの民は既に知っていた。

勝手に人の家に入ってものをあさる。

どんな時間でも押しかけてきてものを強引に売りつけたり買い取ったりしていく。

挙げ句の果てにどんなところでも大立ち回りを始める。

勇者が行った先には何もかもが残らず。

雑草さえ生えないという噂は。

誰もが知っている、そして真実だった。

かくして勇者は王都を去り。

人間達は突然現れ突然消えた魔王と勇者が。

どちらもいなくなった事に安心したのだった。

 

勇者はぼんやりと馬に跨がり、旅をしていた。

旅の最中に確保した小さな家。

それが勇者の求めたもの。

この馬と一緒に。

まず最初に、勇者がやったのは。辺境に偵察に来ていた魔王軍の部隊を単独で蹴散らしたこと。

それで名を挙げ。

更には王国の軍勢を蹴散らし意気上がっていた魔王の軍をねじ伏せる事で。

半ば独立行動権を得た。

最初の場所。

それが小さな家。

ちなみに誰かが住んでいたらしいが。もう魔王軍によって殺されて、既に廃墟になっている。

勇者自身も四十絡みの男で。

見かけからして良いわけでもなく。

ただ圧倒的に強かったため、昔から。そう、勇者と呼ばれる前から家族からさえ腫れ物として扱われていた。

その家族もみんな死んだが。

別に何とも思わない。

元々腫れ物だった人間だ。

周囲がどれだけ醜いか。生身の人間がどれだけおぞましいかは、客観的に見て良く知っている。

だから勇者になってからは、魔王軍から奪った鎧を着込んで。己の素の姿を周囲に見せないようにしたし。

何よりも、周囲に見せる気も無かった。

最強の勇者には誰も逆らわなかったから。

敢えて嫌われるようなこともした。

復讐したかったし。

何よりも、どうせ魔王を倒したら用済みになる事も分かっていた。

だいたい王族の一員に加わるなんて冗談じゃあない。

王族が魔王より最悪な連中の集まりである事や。

善政なんてここ百年聞いた事もないことなんて。

政治に疎い勇者でさえ知っていた。

あくびをする。

ああ、面倒だなと勇者は思う。

今も鎧兜で姿を隠している勇者だが。このあくびが気付かれないという事もある。

一つだけ、魔王軍と戦うようになってから、勇者が困ったことがある。

それは、暇がなくなったという事だ。

魔王軍は愚かでは無かった。

勇者という存在があまりにも圧倒的に強い事を悟ると。無人兵器の群れを差し向け。更には間断無い攻撃をひたすらに繰り返すようになった。

どんな人間でも。

肉体や精神がどれだけ超越的でも。

食わなければ、休まなければ死ぬ。

それを知っていたのである。

だから、勇者はひたすらに攻めの姿勢を続けなければならず。休むときは強引に敵に大打撃を与えて、再編成している間に眠るしかなかった。

最初はそれで良かったのだが。

既に勇者は四十絡みの男だ。

今では、すっかり何かがおかしくなり。

思うように眠れなくなっていた。

魔王を倒した時には、実はあくびをしていた。

魔王と勇者の戦闘力の差はそれほど圧倒的で。

魔王が死ぬと、その配下達はただひたすらに惑い、最初沸いてきた奈落と呼ばれる大穴に逃げていったが。

追わなかった。

追う余力が無かったのだ。

実は、魔王を倒して勇者が最初にしたのは。誰もいなくなった魔王の城で。魔王の屍と一緒に気絶していることだった。

もう眠れなくなった勇者は。

ずっと力尽きては気絶すると言うことを繰り返していて。

その時も、そうやって眠っていたのだった。

顔を上げる。

小さな家が見えてきた。

それなりの生活手段は、魔法で整える事が出来る。

勇者は昔から魔法が使えた。

力も強かった。

戦闘能力という点では、最強だったのだ。周囲にいる誰もが勇者にかなわなかった。ただし、誰も勇者に近寄らなかった。

顔が気持ち悪いとか色々言われたが。

多分最大の理由は、周囲に媚を売らなかったことが原因だと思う。

勇者自身周囲がどうでも良かったから。

或いは魔王が現れなければ、勇者はそのまま腫れ物として一生を送っていたかも知れない。

それが最初に戻っただけ。

だから、それで良かった。

痩せ馬を厩舎に入れる。その前に厩舎を掃除しなければならなかったが。魔王を屠ったほどの魔法の腕前だ。

簡単である。

家の中も魔法で掃除。

中は死体の跡とか、滅茶苦茶になった家具とかでぐちゃぐちゃだったが。

それも魔法であっと言う間に整理する事が出来た。

魔王を倒せる程の存在である。

人間の軍隊が束になってもどうにもならなかった魔王の軍でさえ。勇者の前にはそれこそ赤子同然だったのだ。

これくらいは余技に過ぎない。

家の中に、魔法で作ったベッドやら何やらを整え。厩舎で痩せ馬が草を食べ始めるのを見ると。

ようやく家の中に入って、静かに過ごすことが出来る。

兜を取る。

一人になった。

ずっと前からそうだったように。

そして、勇者は知らなかった。

これからが、本当の地獄だと言う事を。

 

1、呪いでは無い悪夢

 

世間では良く言われることがある。

眠れないならどうすれば良いか。

体を動かせ。

温めた牛の乳を飲め。

筋肉をほぐせ。

何も考えるな。

それらの全てが、勇者には無意味だった。実の所、魔王を倒してから王都に滞在している間、医術師の所に足を運んだこともあったのだが。

薬を飲めとしか言われず。

薬を渡されただけ。

それも悉くきかなかった。

ぼんやり勇者は天井を眺める。

布団に入るが。

何一つ眠気が来ない。しかし、眠ろうとしないときに限って、体に限界が来てばたんと気絶する。

これは魔王と戦っていたときと同じだなと思う。

そして体調は激烈に悪い。

王都を離れて正解だった。

魔王を倒した後だって、一目散に魔王の部下達が逃げ散らなければ、そのまま殺されていた可能性が高い。

もう少し王都にいたら、きっとこれに気付かれて。

確実に殺されていただろう。

あくびをする。

だが、眠れる訳では無い。

灯りなどつけてはいない。

光など見ていない。

ちなみに自分に眠りの魔法を掛けてみたが、効かなかった。それもそうだ。魔王軍との戦いで、嫌と言うほど魔法は浴びた。魔法に対する耐性はついてしまっている。回復の魔法も同じ。

回復の魔法でなんとかなるんだったら。

こんなに苦労はしていない。

朝まで布団の中でもがき苦しんで。

そして朝になってから、外に出る。

厩舎にいる馬は、エサが良いのか随分体つきが良くなっていた。痩せ馬を寄越せと言ったのに。これはただ手入れが悪かっただけなのだろう。それともエサがいいのか。その辺の地面に魔法を掛けて、生やした草なのだが。

同じようにして適当に野菜を作ったり。

或いは遠くにいる動物を重力の魔法で引き寄せて食べたりしているが。

眠れない、という事以外体は全く大丈夫だ。

内臓とかは駄目になっていたりするのかも知れないけれど。いずれにしても、動けなくなるようなことはない。

厩舎の掃除が終わり。

後は馬を厩舎に戻す。

この痩せ馬……いや元痩せ馬か。勇者のことは好いてはいないようだが、厩舎をとても綺麗にしてくれることは気に入っている様子である。馬が神経質な動物である事は勇者も知っている。

だからこそに、馬さえも自分を嫌っていることを知っていた。

魔王なんか。

倒すんじゃ無かったな。

そう思わず呟く。

何となく、魔王は倒してやった。

少しは人間は感謝するかと思った。

ずっと腫れ物扱いだったのだ。

無駄に有り余った力を使って、魔王を倒してやれば。心から感謝する奴は誰かいるかとも思った。

だがそんな奴はただの一人だっていなかった。

襲われている所を助けた奴だっていたし。

食われそうになっているのを救ってやった奴だっていたが。

その後に来たのは嫌悪と恐怖だけ。

まあ最初から距離は置くように接していたが。

結局勇者の物語なんてのは幻想だと言う事が自分でやってみてよく分かった。

人間は自分から見て違う存在には感謝なんて絶対しないし。

気持ち悪いと一度でも思ったら相手の価値を最低まで見下す。

そして考えを変えることは無い。

それがよく分かったから、一ヶ月で王都を離れた。

まあ王族や権力者共の考えも、魔法で見透かしていたから、というのもあるが。どっちにしてもこの小さなあばら屋の方が良い。

問題は孤独は好きだが。

この眠れないのはどうか、と言う事だ。

食事を魔法で適当に作る。

いちいち料理なんてしない。

魔王軍とやり合っていたときも、全自動で料理を作る魔法を展開して、それで腹を満たしていた。

料理なんか作ってる暇は無かったからだ。

作った所で、出来たところを襲撃されれば台無しである。

ありあまる力があるのだから。

それを使えば良いだけのことだ。

作業をある程度済ませた後、丸太に座って食事を取って自室に戻る。

そこで、バタンと意識が落ちた。

気がつくと、数刻は経過していただろう。

舌打ちすると、もう昼飯の時間だと思った。

結局、眠れているのはこの気絶している限界状態の時だけ。

それは実質眠っていないのと同じだ。

元々腫れ物扱い。

人類を救うという行為をしても感謝一つされない。

挙げ句の果てに不眠か。

反吐が出る。

こうなったら、新しく魔王にでもなってやろうかなとさえ勇者は思うが。

だが、そもそも魔王にどうやってなるのかも分からない。

それに、暗殺者でも送り込んできたのならともかく。

今の時点で人間達は勇者を遠巻きにして見るだけで。

それ以上の事はしてきていない。

やられたら徹底的にやり返すが。

やられないのに何かする主義は持っていなかった。

また、適当に作業をする。

洗濯でも何でも、魔法で片付けてしまえば良い。

これらの魔法で他人を助けたこともあったが。

それで感謝の言葉を言われた事はあったっけ。

いや、一度もなかった。

気味悪がられることはあったし、暴言を吐かれることもあった。

魔法を使って、色々他人の知らない事を知ったこともあったが。

嘘つき呼ばわりはされた。

なお、真実だと分かった後も、謝罪なんぞ受けた事もない。

まあそういう生物に接しているのだなと勇者は思ったから、後は特に何も考えることは無かった。

夜はあっと言う間に来る。

中年になると、時間が過ぎるのも早いのだ。

魔法でメシを食って、それで布団に入るが。どんなにあくびがでても眠れる事はない。むしろ目が冴える程だ。

何でもその気になったら出来る。

王都を一夜で滅ぼす事だってその気になれば可能だし。

時間を掛ければ人間だって滅ぼせるだろう。

だが、この体に対する不自由さは何だ。

反吐が出る。

外に出て、遠くの山を魔法で吹き飛ばす。

どうせ何も住んでいない山だ。

山を吹き飛ばした後、魔王軍の幹部だかから奪い取った剣を振り回して体を動かす。その後温めた牛の乳を飲む。

だが、その全てが効果を示さない。

体を限界まで痛めつけても眠れないのだ。

昔、体を少しでも動かせば治るとかほざきよった阿呆がいたが。

其奴のことは死ねば良いと思う。

もっとも、魔王軍が殺してしまったので。

もうこの世にはいないのだが。

しばらく暴れ回った後、眠ろうとするが。

やっぱり眠れない。

やはり、気絶するまで、その日も眠る事は出来なかった。

 

体が弱っているのを感じる。

体力が落ちているのだ。

魔法は出来る。

剣は振るえる。

だが、それ以上に、何もかもやろうという気になれないのである。そういえば、この眠れなくなる症状。

自覚したのは魔王軍とやりあっている頃か。

前から寝付きは良くなかったのだが。

ずっと魔王軍と不眠不休でやりあっている内に、完全に体が壊れたような印象がある。

どんな超人でも、人間である以上弱点はある、と言う事か。

魔王軍の方が、人間よりもその辺は敏感で。

兎に角休ませないようにと、勇者を攻め立ててきたっけ。

鼻で笑う。

魔王軍の方が、勇者のことを分かっていたのかも知れない。

人間はむしろ。

愚かな生物なのでは無いかと、勇者は思った。

いずれにしても、人間に殺されるのはイヤだなと思って、自分の体内に自爆用の魔法も仕込んでおく。

最悪の場合は自爆して、周囲数千歩を消し飛ばす。

今、人間で勇者の次に魔法を使える奴の魔法の射程が確か五百歩ほど。人間の軍の武器の射程もそのくらい。

つまり、死んだら其奴らも確実に巻き込めるわけで。

それは気分が良い。

まあ、この状況で勇者を殺しに来るのは人間くらいである。獣は相手の強さに敏感だから、この近辺には絶対に近寄らない。

また変な時間に眠ったせいか、非常に機嫌が悪い。

異性はいらない。

昔から、ろくでもない姿ばかり見てきた。見かけが見目麗しい奴が、ド汚い罵声を啜り合っているのを見て、完全に失望したというのもある。

魔法が使えると分かるのだ。人間の思考が。

だから関わり合いになりたくもない。

別に性欲の発散なんて難しくも無いし。

子孫だっていらない。

一人で生きて、一人で死にたい。そう思って魔法で周囲を操作して、自分に都合の良い環境を整えている。

馬だって実はいらない。

遠出するつもりなら魔法で飛んで行けば良いだけのことだ。

だが、馬の世話くらいしないと体が鈍るとでも思ったのか。

今も、それは良く分からない。

日常の作業をこなすと、ベッドに横になる。

気絶できれば良い方。

最悪の場合、また一切眠れないまま次の日を迎えることになる。

そしてこれは別に体力があるから、ではない。

単に眠れないだけで。

眠れないことによって、どんどん体がおかしくなっていくのは目に見えて分かるのである。

薬も効かない。

ため息をつくと、外に出て、あてもなくふらついた。

何も、見えてこない。

眠れる。

ただそれだけの事が、これだけ貴重だったのかと。

今更になって勇者は思い知らされていた。

そして眠れないと言うことが、どれだけ不幸なのか。周囲は知らないと言うことも。

まあ昔の自分もそれは知らなかった。

何でも、見てみないと分からないものなのだなとも思う。もっとも、人間の中身は嫌と言うほど見たから、もう見たくは無いが。

壁に背中を預けて、戦っていた頃のようにして見るが。

それでも眠れない。

心技体と良く言う。

武器を振るったり、戦ったりするときの心得だ。

戦闘力だけは異常に高い勇者だ。

精神力も肉体能力も備えている。技だって、それこそ王都の軍隊の達人全員を集めてもかなわない。

だが、それでも。

心を無にしても。

絶対に眠らせないと体が言うかのように。思うようには、絶対に眠る事が出来なかった。

 

2、限界が近づく

 

苛立ちの余り、勇者は周囲を歩く。家の外をぐるぐると見て回る。

馬は脳天気に草を食っているが。わざわざ馬を引っ張り出すまでもない。

目は血走っているし。

こうして歩いている時も、いつ気絶するか分からない。

そうなったら、家も馬も、全部巻き込んでドカンだ。

そう思うと、ちょっと危機感がない馬が面白くはあった。

石を蹴飛ばすと、星まで飛んで行く勢いである。

勇者とは無意味に力だけ強い者。

用が済めば消される者。

どんな物語でもそれは同じだ。

魔王と対になる存在だから。勇者は役割が終わればいなくなる。そしてその事を誰もが有り難いと思う。

いなくなってくれて助かった、と。

元々勇者自身、あまり自分が褒められた存在では無い事くらいは分かっているが。人間が更にろくでもない事はイヤでも分かった。

ぼんやりと歩き回っている。

このまま地面に倒れ込んだら死ねるだろうか。

そんな風に思う。

残念ながら死ねない。

一度だけ、魔王軍が寝ているときの勇者への奇襲……正確には気絶しているときだが。ともかく成功させた事がある。

その時、高威力の爆発系魔法で勇者を飽和攻撃しようとしたのだが。

気絶していた勇者が一瞬早く目覚め。

魔法で障壁を本能的に展開したせいで、作戦は最終的に失敗に終わった。

今思うと。

あの時やられてやっていれば良かったのではないかとさえ思う。

大きくため息をつく。

そういえば。

ため息をつくのが気にくわないと言われた事があったっけ。それを言った奴も、魔王軍のデカイ魔物に食われて死んだが。

ぶっちゃけどうでもいい。

みんな死ねば良いとさえ思うのだ。

今更誰がどうなろうとどうでも良いというのが本音だった。

しばらく歩き回ってから帰宅。

ベッドで横になるも、眠れる訳がなかった。

嘆息すると。

髭を剃って、部屋を清潔にして。他にも色々な事を試してみる。

だが一切合切効果がない。

睡眠障害に悩む者は、激務をしている者に多いらしい。

だから一度意識を飛ばして調べて見たのだが。

誰も彼もが。

「暖かい乳を飲めば眠れる」だの、「体を動かせば眠れる」だの言われているらしく。重度の眠れないという状態に対して、世間という奴は何の理解もないようだった。

くだらないなあ。

呆れ果てて、またあくびを一つ。

あくびが出ているのに眠れない。

思考を閉じても眠れない。

そのくせ、掃除をしているときとか。大事な作業をしているときに、気絶するようにして眠気が襲ってくる。

本当にままならない体だ。

こんな事になるのなら。

命なんて、魔王軍にでもくれてやれば良かった。

魔王軍は会話が通じる連中ではなくて。

基本的に目的もよく分からなかった。

人間を殺すことしか考えておらず。何回か意思疎通を図ったが、魔王ですらそもそも会話が成立しなかった。

これは勇者だけの問題では無い。

人間側も、最初の方は何とか会話をと考えていたようだが。

結局どんな「交渉上手」やら「弁舌の達人」やらが向かっても無駄だった。

それを考えると。

やはり、負けて殺されてやった方が楽だったのかも知れない。

いつの間にか気絶していて。

また目覚めていた。

嘆息すると、大きく息を吸って吐く。

気絶して、一刻か、一刻半くらいか。いずれにしても、疲れなど一切合切取れて等いない。

まあそれもそうだろう。

こんな状態で疲れが取れるわけがないし。そもそも体が限界に近付いてしまっているのだと分かる。

だからこそに、もうどうしようもない。

剣を取りだす。

魔法で強化して、数多の魔物の首を刎ねた。恐らくこの世で、一番多くの敵を殺した剣だろう。

これで自分の首を刎ねるのは出来るだろうか。

簡単だ。

しばらく剣を握ってじっと見つめるが。

やがて、放り出してため息をついた。

死にたいと考える事が増えてきている。

だが、実際にやろうと思うと、面倒くさいという気持ちが先に出てきてしまう。そうして剣を放り投げてしまう。

首を自分で刎ねる。

心臓を貫く。

どちらも簡単だ。

この剣の切れ味。その気になれば、山をも貫くほどなのである。それこそ一瞬で自分なんて殺せる。

それなのに、どうして出来ないのか。

意気地がないからか。

そう言われても、昔から何とも思わなかった。

周囲の人間は、自分で見えるものは絶対だと思っていたし。自分は絶対に正しいと常に考えていた。

だから何を言おうと全く心に響かなかった。

これはどの人間でも同じで。

聖者とか賢者とか言われているような輩だってそうだった。

ちなみに勇者が王都を出るとき。

子供でさえほっとしていたのを覚えている。

それはそうだろう。

魔王を殺して、魔王軍を奈落の果てに追い払った事など、誰一人恩になど感じていなかったが。

そもそも誰かに助けられて恩を感じる者など一握り。

誰かに義理を通そうとする者など更に少ない。

まあそれもそうだ。

義だの恩だの口にすると子供だと笑い飛ばすのが人間という生物。人間の頭を覗いた勇者だから良く知っている。

意気地がない、か。

そうなのだろうか。

改めて、自分はどうなのか。自分の主観から考えてみる。

魔王軍を殲滅し。

魔王を倒し。

体まで壊して人類を救った勇者が意気地無しだったのだとしたら。

頭に来たから、恩知らずの人間を皆殺しにしようとか思わず。

さっさと王都を離れたのが意気地無しの考えなのだとしたら。

この世に意気地がある者などいないのではないか。

そういう結論に至る。

勇者自身はつまらん人間である自覚があるが。

面白い人間なんて、これもまた見た事がない。実際面白そうに振る舞っている奴はいるが。

そんな奴ほど空っぽだ。

くだらん。

出た結論はそれだけだった。

もう一度あくびが出る。

眠れるかな、と思ったけれど、結論は非情だ。

眠る事など、出来はしなかった。

 

魔法で察知したので、無言で出向く。

大洪水が起きる。

山の木を切りすぎたせいで、山が崩れやすくなっていて。

山頂にある湖が決壊しそうになっていたのである。

不機嫌そうにしている勇者を見て。

誰もが恐れおののき、距離を取る。道を空ける。子供が目の前で転んだが、母親さえ助けようとしなかった。

ごめんなさいと怯えきってほざく子供。

悪いなんて思っていないのに不愉快な輩だ。

ひょいと飛び越えると、そのまま無言で山に進む。途中にあった街をそうやって抜けると。

その途中の人間の思考は、全て魔法で読んだ。

全てがことごとくくだらなかった。

黙々と歩いて行き。

やがて誰もいない所に出ると、魔法で上空に文字を書く。

これから鉄砲水が起きる。

防いでやるから、山には近寄らないように。山にいるものはさっさと逃げるように。

山にいる人間が逃げ出すのが見えた。

鉄砲水を怖れているのでは無い。

単に勇者が何かを始めるのを察知して。

それを怖れただけだ。

勿論それは妄想でも推察でもない。

魔法で具体的に思考を読んでの結論である。

散々魔王軍と戦い、敵を倒してきたが。この思考を読む魔法は本当に役立った。抵抗力の強い魔物でさえ思考は読むことが出来たのだ。

人間程度。

思考は読めないはずもない。

やがて、山が大崩れした。

人間のせいだ。

そのまま地面に手を突くと、全てを計算しつくし。

土を盛り上がらせ、水を防ぐための壁を作る。それも長大な、頑強なものをである。

どっと土砂が流れ崩れてくる。

放置しておけば街は直撃を受けて、万人単位で人が死んだだろう。

だが、勇者が作り出した即席の壁が、土砂を防ぎ切った。

湖がすっかり山ごとくだけ。

そこに新しく移った。

勇者の言う通りの事態が起きたが。

それを見て感謝する者など誰もおらず。恐怖のまま、使者が王都に出ているのが分かった。どうせ領主がなんか適当に報告しているのだろう。

家にそのまま戻る。

そういえば、今回馬で来なかったなと思い出したが。

別にどうでも良い。

馬に乗って此処まで来る必要も感じなかったし。

何よりも、馬が此方を嫌っているのも知っていたからだ。

家に戻る。

そして、厩舎の世話をする。

エサは充分だったが。

馬は潔癖で、厩舎が汚れると機嫌が悪くなる。厩舎を清潔にしてやるが。養っている恩も忘れて、不遜に唸るのだった。

それこそどうでもいい。

人間と同じで。

恩知らずに接するのは慣れている。

メシを喰った後、そのまま横になるが。

これだけの事をしても眠れない。

結局の所、何をしても眠れないのでは無いかと言う結論になる。くつくつと、自嘲の笑いが漏れていた。

もうこれは駄目だな。

勇者は結論する。

そして、決めた。

奈落に出向こうと。

 

3、用済みの勇者

 

鎧兜のまま外出。馬は餓死させるのも何だから厩舎から解き放った。もうどうでもいい。馬も此方の事はどうでも良いようで、自由を貰ったと知るや、勝手に去って行った。

荒野でどうやって生きていくつもりなのやら。

失笑しながら行く。

いつも魔法で青草を育ててやっていた。

此処から数千歩四方はロクな草も生えていない。

不愉快な主人から解放されて気分が良いという様子の馬だったが。

のたれ死ぬと良いだろう。

ああ、そういう事か。

のたれ死ぬ方が、勇者の側にいるよりはマシと言う事か。

なら勝手に自死しろ。

そう思いつつ、歩く。

やがて、砦が見えてきた。

魔王軍に蹂躙された経験から、王国が作った砦だ。勇者のことは知っているらしく。近付いていくだけで扉を開けて。兵士達は整列して、恐怖の表情を向けたまま直立不動の姿勢を保っていた。

後で使者を飛ばすのだろうが。

早く行って欲しいと、全員が同じ思考を保っているのが分かる。

勇者は此処で気絶でもしないかと自分で思っているのだが。

それこそ、周囲はどうでも良いようだった。

まあ、それはそうだろう。

人間にとっては主観が全てなのだから。

やがて砦を一つ過ぎて。街道もなくなる。

この辺りで散々魔物を殺したなあ。

そう思いつつ、歩いていると。いつの間にか立ったまま気絶していた。二刻ほどだろうか。

勿論疲れなど取れないし。

苛立ちも収まることなど無い。

立ったまま気絶しても、そのまま倒れる事もなければ。勿論倒れて首を折ることだって無い。

本気で苛立ちが募ってきたので剣に手を掛けるが、止める。

奈落を見に行く。

それだけが目的なのだから。

特に何をしようと思って出てきたのでは無い。

魔王軍が奈落という大穴に撤退したことは知っている。

魔王を失って、統率を失い。それでも奈落へと逃げ込んでいったことは分かっている。全て魔法の探知範囲で分かっていたことだ。

ならば奈落とは何なのか。

近付いて試したい。

そう思ったのだ。

しばらく歩いていると、出城が見えてきた。

最悪の場合の捨て石。

また魔王軍が現れたら、狼煙を上げて。死ぬためだけにいる人間達が籠もっている場所である。

ある意味刑務所のような扱いになっているらしく。

此処にいる兵士達は士気も何もあったものではないそうだ。

此処に配属されることを恐怖だと感じている者も多いらしい。

まあ思考を読んで知ったのだが。

それこそどうでもいい。

勇者は魔王の城に一人で乗り込んだし。

魔王軍幹部を相手にして全部斬り倒した。

魔王だって殺した。

それに比べれば。敵の前哨基地を見張るくらい何だ。

そもそも勇者に誰か一人でも同行を申し出たか。

タダの一人でさえ、そんな奴はいなかった。

それが、人間という生物の現実だ。

黙々と歩いて行くと。

出城の兵士が勇者に気付く。

別に出城があるだけで、奈落に近いから側を通るだけだ。

恐怖のまま立ち尽くしている兵士達は無視。

そのまま奈落に向けて歩いて行く。

誰も声を掛けて来る者はおらず。

勿論遮ろうとする者だっていなかった。まあいたとしても、そのまま押し通るだけだったが。

もう辺りは見渡す限りの荒野。

何一つ生えていない。

事切れた魔物のものらしい骨はたまに見かけるが、それくらいだ。

しばらく歩く。

そのうち、見えてきたものがある。

穴だ。

これが、奈落。

魔王軍を追い払ったときに、一度出向いて以来か。

ぼんやりと、近付く。

奈落に落ちて死ぬならそれはそれで別にどうでも良い。

もしも新しい魔王にと魔物達が傅くならそれを受けるのも面白そうだ。

何かしらの理由で死ねるならそれもまた良い。

あの砦や出城は巻き込まれるかも知れないが、それこそどうでも良いことである。他人が勇者をどうでも良いと思っているのと同じ事。勇者にとっても他人などそれこそどうでも良い。

そもそも。

相手が此方の尊厳を全否定しているのに。

どうして此方が相手を阿らなければならない。

相手が社会で此方が個でもそれは同じ事。

社会がそれほど偉いか。

個に対して絶対の尊厳を持っているのか。

人間という生物の思考を、魔法を通じて勇者はずっと読んできた。その結果論ずるに値せずと判断した。

人間という生物を知っているか知らないかで言えば、知っている。

人間の思考の深淵まで。数百万人分見ている。

それは恐らく、どんな人間よりも、人間を知っている事になる。その上での判断がこれである。

文句があるなら、もっと多くの人間の思考を深淵まで読んでから言え。

それが勇者に言えることだ。

さて、奈落の縁についた。

本当に穴だ。

この奥は、どうなっているのだろう。

魔法を使って探知してみるが。

兎に角深く深くひたすら深い事しか分からない。

これでも、此処から王都の様子を探るくらいの事は出来る勇者なのに。それでも深淵が分からない。

この穴は、どれだけ深いのか。

側に座ると、考え込む。

魔物はどうして此処から出てきて、そして此処に帰って行った。

此処は一体何なのか。

少しだけ、興味が湧いた。

家をそのまま、すぐ側に転移させる。

厩は残したまま。

しばらく此処で暮らしてみるか。

そう勇者は。

何となく、思ったのだった。

どうせ死ぬのも生きるのも同じ。

それなら、恐らく最も死に近いこの場所で過ごしてみるのもまた一興である。それが、勇者の出した結論だった。

 

4、終わりの時

 

気絶していて。

そして目が覚める。

わっと、逃げ散っていく人間の気配が分かった。

床について、いつの間にか気絶していて。それをずっと監視している様子はあった。そして、今目が覚めたら。

暗殺しようと忍び寄っていた人間達が、逃げていくところだった。

まあそうだろうな。

そう勇者は思う。

奈落の側に移動した。

それを、王都側は何か余計な勘違いをしたのだろう。

どうせ何を言っても聞かなかっただろうし。

どうでもいい。

そして暗殺者を送り込まれたと言う事は。此方も黙っている意味などなかった。

魔法を練り上げる。

魔王さえ殺した魔法だ。

そして、ぶっ放す。

一瞬にして、極太の閃光が王都に向け伸びる。

途中で、出城も砦も暗殺者も、全て蒸発させ。

極大の熱量は、全てを融解させながら。王都を一瞬にして爆発四散させた。

王都にいた王族全部と王国の駐留軍、それに加えて民草。数十万の人間が全て死んだが、それこそどうでもいい。

追い出した挙げ句。

何だか変だから殺そうとした。

だったら、こっちも気にくわないから殺しても良いはずである。

これまで、此方からは手を出さなかった。

それなのに、手を出してきたのだ。

だったら反撃する権利くらいあろう。

あくびをしながら起きだすと。

大量の気配が、奈落から沸いてくるのが分かった。

魔物達だ。

魔物達に殺されるのも良いだろう。

だが、そう思っていた勇者の粗末な家は。見る間に盛り上がっていき。奈落を覆い被さり。

そして全てを塞いだ。

おお。

その巨大さ雄大さは、まさに魔王城のごとし。

そして魔王城のあった所には、新しく奈落が出来たのだった。

いつの間にか玉座についていた。

ベッドが玉座に変わっていた。

もう、どうでも良いことだが。

勇者に出来ない事は基本的にない。だから、身の回りで何が起ころうと、驚くことなどないのである。

やがて、特に強力な魔物達がひれ伏す。

どうでもいいので、好きにさせておいた。

「新たなる魔王様。 ご下知を」

「くだらぬ。 時に聞かせよ」

「はい。 我等に分かる事であれば」

「前の魔王とは何者であったのか」

くつくつと、魔物は笑う。

そして、言うのだ。

「既におわかりなのでありましょう。 魔王とは、人間がそう呼ぶだけのもの。 実際にはこの星による、人間という害虫を駆除するための機構にございます。 前回は、魔法というテクノロジーを乱用し、自分達以外の全てに害を為す人間を滅ぼすためにあの魔王が作り出されました。 今回は貴方という明確な人間の敵が出現したことにより、この星はあなた様を選んだのでございます」

「馬鹿馬鹿しい話だな。 俺はただ眠れないからこの場に移動しただけだったのに、人間共は勝手にそれを勘違いして仕掛けて来た。 俺は反撃した。 そうしたら俺は人間の敵という訳か」

「人間というのは元々そういう生き物にございます。 魔王様、貴方が幼き頃から知っているように」

「くだらん」

吐き捨てる魔王に。

魔物達は下知をという。

別にどうでもいい。

だから、命じた。

「専守防衛を。 俺はただ眠りだけがほしい」

「あなた様が眠れないのは、中枢神経が壊れているが故にございます。 それを解決するには、規則正しい生活を行い、時間を掛けるしかございません。 人間共が言っているような安眠法は、貴方のような重度の睡眠障害者には効果がございません」

「ならばどうすればいい」

「人間を止めればよろしいでしょう。 貴方にはその力がある筈です」

そうか、それもそうだ。

人間の姿である事に、何一つ尊い事など最初から無かったのだ。

即座に鎧を吹き飛ばすと。

魔法によって、勇者は。人間の姿を捨て。人間の全てを捨て。魔王へと成り代わった。

そして、そうなったところで、

別に思考回路は変わらなかった。

人間も勇者も魔王も同じなのだと。元勇者は、それで悟った。

「俺……いや余はこれより眠る事にする。 そなたらは適当に振るまうがいい。 ただし余の眠りを妨げうる存在が現れし時は呼ぶが良い」

「ははっ。 それではこれより人間を滅ぼすべく、この星の力たる我等、存分に暴れまする」

「好きにせよ」

玉座でそのまま、既に人間の形を失った魔王は眠りにつく。

さて、勇者は現れるのだろうか。

勿論、何故魔王が新しく現れたかなど、人間共が知る事さえないだろう。

それで良いのだと思う。

仮に新しい勇者が現れて、魔王を倒したとしても、同じ事がまた起きるだけだ。

それはそれで面白い。

何よりも永遠の眠りを得られるのであれば。

それは何よりの幸せでは無いか。

人間を止めたことで。

元勇者はぐっすりと眠る事が出来る様になった。

最初からこうすれば良かった。

そうも思った。

そして人間が如何に病気に対して無知で。無知な事に対して冷酷であるのか。

新しい魔王は嘲笑っていた。

 

(終)