未確認な飛行物体

 

1、UFO好きの変態大学生

 

世界には、今だ多くの謎が存在している。

重力の正体に始まり、宇宙の広さ、深海の生物など、身近なものに加え。オカルトも、必ずしも存在を完全に否定されたとは謂いがたい。

なぜなら、人の心そのものに、解明されていない要素が多々存在しているからだ。

見えるものには、人の心によるフィルターが掛かってくる。

時には、理論や公式にさえも。

色だって、本当に同じように、他人に見えていると言えるのだろうか。

世界は、人の数だけ、存在しているのではないのだろうか。

そう、部長である敷石は言う。

此処は私立の三流大学、安代総合大の、UFO研究会部室。

薄汚れたホワイトボードに色々と書き殴り、熱弁を振るう敷石は、多分自分の話を誰も聞いていないことを、悟ってはいるのだろう。

持論を語っている、そのことそのものに酔っているのだ。

「かくして、UFOの存在は、古くは聖書にさえ記述がさかのぼる! それが宇宙人の乗り物だなどという理屈は成立しないが、しかし、空に何かがいるのは確かなのだ!」

しらけきった聴衆に向けて、ホワイトボードをばんばん叩く敷石。

あくびが出そうだが、我慢だ。どうせこの光景も、今年が最後なのだから。せめて、最後まで敷石には、好きなようにやらせてあげたい。

幼なじみの腐れ縁だ。

あくびをかみ殺しているのを、見られないようにするのも、だいぶ上達した。

サークルの説明会が終わると、新入生は誰も残らなかった。

無理もない話である。

今、UFOはホットな話題ではない。

オカルトにしても他にホットなものはいくらでもある。オカルト趣味の学生は減ってはいないようすだが、それでも今わざわざUFO研究会に来てくれる学生は、殆どいないと言って良い。

しかも来たところで、過ごしやすい幽霊部員としての活動を望む者ばかりだ。

敷石の熱弁を最初に見せられて、殆どの新入部員は消えてしまう。残るのも、幽霊部員をする気満々の、図太い連中ばかりである。

例外は、近所でずっとお姉ちゃんとして敷石を慕ってきた私と、隣にぼんやり立っている黒野くらいだろう。

黒野は本当に何を考えているのか分からない奴で、敷石がどんな無茶なことを言い出しても無言で従い、どこにでもついていく。私がいやがってついていかないような、遠距離の「観測スポット」であっても、である。

この影みたいな女が、実は三流大学とはいえずっとトップの成績を取り続け、しかも既に一流企業に内定を決めているというのだから、おかしな話だ。どう面接でコミュニケーションを取ったのか、謎で仕方が無い。ちなみに二位は敷石で、このツートップは三年間変わっていない。

「全くもってけしからん!」

敷石が怒る。

ただし、敷石の場合、怒ってもヒステリーは起こさない。それが、この腐れ縁が長続きしている原因かも知れない。

実際問題、小学校に上がった頃などは、周囲の女子が怒るとヒステリーを起こすので、驚いたものである。

沸点そのものは決して高くない敷石なのだが、随分とさっぱりしている。変な趣味に首まで浸かり、普段から薄汚れた白衣を着用して歩き回り、変人ぶりを周囲にアピールしていなければ、さぞやもてたことだろう。

何しろ、ルックス自体は、非常に整っているからだ。背も高いし、スポーツも出来る。

この大学の残念美人と言えば、敷石の名前が真っ先に挙がる。そんな存在なのである。

「今時の新入生は、未知への興味が無いのか! そんなことだから、ブラック企業でこき使われるんだ!」

論理が飛躍しすぎているが、敷石の中では筋が通っているのだろう。よく分からないのだが。

昔は、明らかによく分からない理屈を言う敷石がかっこうよく見えて仕方が無かった。

今ではある程度判断力がついてきたからか、それ相応に見える。

黙々と後片付けをする私と黒野。

結局、今年もこの三人だけで、UFO研究会を回すことになりそうだった。

 

私の幼なじみ、敷石長谷美のオカルト趣味は、UFOという一つにだけ特化している。

一つ年上の敷石は幼い頃からガキ大将で、年上の男子よりもある意味パワフルで、周囲を仕切っていた。

小学校の頃は、学校でボスをしていた。四年生の頃に六年の男子を実力でたたきのめしてボス格に納まり、後は学校をずっと仕切っていたものである。どういう理由かは知らない。私の知らないところで武術でもやっていたのか、或いは喧嘩の才能が桁違いだったのかも知れない。かなり大柄な男子六年生だったのだが、以降は敷石を見ると顔を引きつらせて逃げ去るようになっていた。よほど怖い目に遭わされたのだろう。

幼い頃は大変おとなしかったらしい私にとっては姉も同然の存在で、泥まみれになって平然と遊ぶ敷石に引っ張り回されて、近所中をかけずり回ったものである。敷石はおてんばと言うよりもじゃじゃ馬で、中学になっても高校になっても、根本的な性質に変化はまるで見られなかった。

それに比べて、私は。

中学くらいから女を自覚して、徐々に敷石に疑問を持つようになっていったものである。面と向かって逆らうことはしなかったが、やはり疑念は年々膨らんでいった。ある一線で気付くことは出来た。敷石はやっぱり、世間的な基準で言えばおかしいのだと。

今では精神的な束縛のようなものは、一切受けていない。

敷石が、そんな私をどう思っているかは、正直よく分からない。

ただ分かっているのは。彼女の周囲の人間関係が長続きしない中、不思議と私だけはあまり距離を置いていないこと、だ。

敷石のUFO談義は小学校の頃からだったように思う。

切っ掛けはなんであったか分からない。

分かっているのは、物心ついた頃には、敷石のUFO談義に、私は振り回されていたという事だ。

或いは、今も、かも知れない。

大学では別のサークルに入るつもりだった。

そろそろ敷石の下から自立したかったからである。

だが、いろいろな事件があって、さんざんな目にあって。結局その時助けてくれたのは敷石だった。

その恩を踏みにじるわけにも行かず。

結局、このサークルに参加して、無駄に時間が過ぎてしまった。

テニスサークルやらダイビングサークルやらで楽しそうに過ごしている他の同級生達から、どうしてあんな変人サークルに参加しているのかと、時々聞かれる事もある。

だが、腐れ縁としか、答える方法は存在しなかった。

基本的に、サークルの活動時間が終わると、文字通り影のように消えてしまう黒野は、全く経歴さえも分からず、会話も数えるほどしかしてない。

それなのに、どうしてか敷石とはあうんの呼吸で意思疎通が出来ているのだから、不思議な話だ。

サークルの勧誘が終わると、気だるい三年目が来る。

四年目はサークルの勧誘も禁止されているから、実質今年で気だるいサークル勧誘は終了だ。私が部長になった時には、サークルの勧誘などする気は無いからである。

そもそも。勧誘して、人が来るわけがない。

元々女子大の場合、オカルト趣味もファンタジー系に偏る傾向が強い。黒魔術や占星術のサークルは各地の大学にたまにある。

だが、ガチのオカルトではなく、いずれもファッション的な「おまじない」の域を超えていないのだ。

多分、男子のようなオカルトに対するマニアックさが、普通の女子には備わっていないからだろう。中には変わり者もいるが、サークルが出来るほど密集することは滅多にない、というだけの事である。

或いは、共学校で、男子を仕切ってマニアックなオカルトサークルを運営している女子もいるかもしれないが。それは、私の知る所じゃない。

もっとも。もしもこの学校が共学でも、敷石はUFOをガチで探求するサークルを作ってはいただろうが。

季節は、春。

授業を幾つか受けて、昼休み。

学食で美味しくないカツカレーを食べていると、隣に敷石が座ってきた。男子が座っていたはずなのだが。恐れおののくように席を立ち、学食を去って行く。

何だろう。

今でも敷石は、この大学を仕切っているのだろうか。そういえば、そんな噂を、聞いたことがあるような無いような。

「にっちょ、今日の午後、暇?」

「暇じゃありません」

「そうか、暇か。 じゃあ、六時に学校の裏の駐車場に集合な」

「暇、じゃ、ありま、せんっ!」

わざと区切っていっても、こうなってはおしまいだ。

敷石はある意味どこぞの国民的漫画に登場する殺人的音痴のデブのような所があるので、逆らってどうなるわけでもない。

まあ、敷石は車を持っている。バイトして買ったらしい中古の軽だが、エンタープライズ号などと名前を付けて楽しそうに乗り回しているので、何も言わない。勿論免許は持っているが、既に知っている限り七件のこすりかすりをやっているので、車体の彼方此方が不自然にへこんでいる。

ちなみに色は緑。

環境色で、目に優しいからだそうだ。

車の助手席には、黒野が既に待っていた。黙々と読んでいるのは、黒い装丁の文庫本である。

以前どんな本を読んでいるのか聞いたら、思い出したくないような恐ろしいタイトルを告げられたので、それ以来本について聞くのは私の中でタブーと化している。

無言で、後ろに乗る。

助手席には、出来れば乗りたくないからだ。

「今日って、どこに連れて行かれるか、聞いてる?」

「知らない」

「でしょうね」

「でも、楽しそうだから。 私、楽しそうな所、大好きよ」

くすくすと笑う黒野。

本当だったら可愛いだろうに、不気味で恐ろしいだけである。

ほどなく敷石も合流して、車を出す。

ちなみに出かけるときでも、よれよれの白衣のままだ。しかしこんな状態で、ロクに化粧もしていないにもかかわらず、モデル級の顔の作りなのでむしろ道行く人が振り返るくらいである。髪は短く切り込んでいるが、それが少年ぽくて却って美形としての造りを引き立てている。

世間ではやれコミュニケーションがどうのといっているが、そんなもんは見かけが全てだとよく分かる。

昔、浮気者のイケメンと一途な不細工だったらどちらを選ぶか、というような「究極の選択」があったが。そんなもの、実際は九割がイケメンを選ぶに決まっている。もちろん、一途なイケメンが、誰もが理想とする姿だろう。

そんなことだから、誰も結婚できなくなることくらい、私にも分かっている。人間は基本、揃いも揃ってバカなのだ。

勿論そのバカには、私も含まれている。

一応都内の学校だから、高速へのアクセスは抜群だ。首都高を使わなくても、少し走ればすぐに東名に出る。

そして、敷石が「ちょっと出かける」と言いだした場合。

その「ちょっと」が、二日や三日ではないことくらい、私はとうの昔に、体に刻み込まれていた。今までに二度や三度ではなかったからである。

一番酷かったのは、中学二年の時。

あの頃は、まだ敷石をお姉ちゃんと呼んで一緒にくっついて歩いていた。ちいちゃくて可愛かったらしい私は、周囲からひよことか呼ばれていたらしい。今では黒歴史である。

その日は、お姉ちゃんが遠くに行くと謂ったので、喜んでついていった。

で、気がつけば。知らない島にいた。

UFOが少し前に目撃されたとか言っていたが。フェリーを三隻も乗り継いで、四国に属するのか或いは本州なのかも分からない島に到着。私以外にも被害者が三人いたのだが、どや顔の敷石以外は全員地獄に来てしまったかのような顔色になっていた。ちなみに男子も二人いたが、本気でこれから死刑台に乗せられるかのような表情だった。

真っ暗闇の中で、ヤブ蚊とか恐ろしい鳴き声とかの中。一人だけ嬉しそうに空に向けてカメラを向けまくっている敷石の笑顔と歓声だけが、ほとんど無人の島にこだましていたものだ。

あの時の怖さと言ったら無かった。

不安で心細くて。一緒にいた男子も震え上がってしまっていて、誰にも頼れないのがわかりきっていた。

家に帰ったとき、思わず自分の部屋で泣き出してしまったくらいである。

しかも敷石は「男だったら私を嫁に出している」と広言されるくらい両親に謎の信頼を得ているので。それで両親が何か言うことは無かったのだった。

それからも色々と悪夢のようなことがあった。

大学一年の時は、エリア51に行くと言われて、その日のうちにいきなり連れて行かれた。しかも海外に、である。パスポートは、ずっと昔の奴を引っ張り出された。

出来たばかりの彼氏とのデートも当然強制キャンセル。

そして辿り着いたのは、延々と金網が続く謎の砂漠だった。しかもやたらめったら堪能な英語で、スムーズに現地のアメリカ人と会話している敷石のとても幸せそうな笑顔が、腹立たしくてならなかった。

そういえばあの時、おぼろげに思い出せる内容からして、現地のUFOマニアと楽しく話し込んでいたのかも知れない。

敷石は確かに賢い。

なんでこんな三流大学に入っているのか分からないのだが、とにかく実際問題、教授達も頭が上がらないと聞いている。

だが、最大級のバカでもある。

ご機嫌そうに鼻歌しながら、車を東名に乗せる敷石。

どんどん家が後方に遠ざかっていく。これでは恐らく、買っておいたチキンの炒め物は、帰ってきたらアウトだろう。

「今度は、どこに行くの?」

「んー、そうだねえ」

「決めて無かった!? まさか、嘘ですよね!?」

「なーに大きな声だしてるの。 ほい」

がくんと、車が凄く揺れた。頭を座席に打ち付けそうになる。

真っ青になって固まる私の横を、乱暴な運転のセダンが通り過ぎていった。

「ありゃあ事故るな。 というか、そろそろかな……」

こういう時、不思議と敷石の言葉通りになりやすい。

事実少しすると、追い越していった車が、路肩に哀れな姿で停まっていた。どうやら、トラックと衝突したらしい。

隣をするりと走り抜けるとき、敷石はご満悦な表情だった。

「アハハハハー! 馬鹿な奴ー!」

人類でも最大級に馬鹿な奴の運転する車が、ご機嫌な様子で東名を驀進していることは秘密である。

ほどなく、黒野と敷石が謎の話を始める。

「ところで、何が目的なの?」

「きょうはちょっくら高い山に登って、其処から望遠カメラでUFOを探してみようと思ってる」

「ちょっ……」

いきなり正気ではない発言が飛び出したので、意識が消えそうになった。

冗談じゃない。

此処が高速じゃなければ、ドアを開けて外に脱出しているくらいである。そんな悪夢みたいな作戦に、つきあわされたらたまらない。きっと死ぬ。

「富士山はどう?」

「今の時期の富士山に素登りだと、あたしは大丈夫でもにっちょが死ぬかなあ。 黒野は大丈夫?」

「大丈夫じゃないかもしれない。 でも。 エネルギーは足りないけど、勇気で補えばいい」

「そっか、勇気か! それいいな!」

震え上がっている私を置き去りにして、謎の理論で会話を進める二人。

八甲田山を思い出して、本当に涙が出そうになる。しかもこの二人の場合、八甲田山に放り出しても笑いながら生還しそうなのだ。

それにしても相も変わらずの息の合いッぷりである。出来れば合わないでいて欲しいのだが。

いきなり何らまえぶれもなく、誰にも相談さえせず高速を降りる敷石。

がくんと車体が揺れたので、思わず心臓が飛び出しそうになった。

「ひいっ!」

「相変わらず恐がりだなあ。 別に八岐大蛇の背中に登るわけでもないんだし、何をびびってるの?」

「なんで私も登ること確定なの!?」

「そりゃああれだよ。 UFOを見られたら、喜びを分かち合いたいから」

頭がフリーズしそうになる。

そのまま車は、何処かも知らない路を走り出す。これはひょっとして、星明かりで山を適当に見て、上れそうな路を上がっているとか、そういうオチか。

しかも敷石の場合、それで目的地についてしまうのだ。とんでもない強運というか、野性的なカンというか。

本気でドアから脱出しようかと思い始めたとき、気付く。

既に、路からは、ガードレールが消失していた。

山道に入ったという事だ。日本は山国だとは言え、いくら何でも早すぎる。高速で飛び降りるより、生存率が低そうだ。

グオンと凄い音を立てて、エンター何とか号が謎の加速をする。ぐねぐね曲がっている山のヘアピンカーブで、である。

思わず座席に懐く私を気にもしないで、敷石は本当に楽しそうに、ロズウェル事件の事を語っていた。

上機嫌の敷石は、どうやら、私を生かして帰す気がさらさら無いようだった。

 

2、空を飛ぶもの

 

敷石は、どうしてこんなにも、UFOだけにこだわっているのだろう。

昔から私はあまり頭が良くなかったし、敷石が垂れ流すオカルト知識なんか、全く頭に入らなかった。

或いは、昔は敷石は好きだったが。オカルトは昔から嫌いだったか、興味が無かったのかも知れない。

ただ、意外なことに。

敷石は、UFOを宇宙人の乗り物だとは、考えていない様子らしいのだ。

正確には、可能性の一つ、くらいにしかカウントしていないらしい。

最近の研究で、恒星には惑星が当たり前のようにくっついていて、周囲を回っているという事が分かってきた。

それでも、一番近い恒星でも数光年は離れている。光の速さで何年もかかる距離。

現在の人類の科学力では、其処へ行くのは夢物語。

正確には、人類の科学力では、其処へ行く「現実的な方法を考えつかない」というのが正しいらしい。

その結果、UFO=宇宙人の乗り物という風潮は、薄れつつある。

昔は、太陽系の他の惑星にも、生物がいるという説が、まことしやかにささやかれていた時代があった。

今では灼熱地獄だと知られている金星や、殺菌作用のある土が満ちている火星などはその格好のターゲットだったほどである。

今でも、エウロパやガニメデなどには原始的な生命が存在する可能性が示唆されているとは、私も知っている。

殆どは敷石からの受け売りに過ぎないのだが。

とにかく、人と呼べるほどの知性を蓄えた存在が、地球にUFOで何らかの目的を持って来るという話そのものが、リアリティを失いつつあるのだ。

資源だったら別に他の星を狙えば良いのだし、わざわざ遠くまで来るメリットが感じ取れない。

勿論、UFOが宇宙人の乗り物だという可能性は否定できない。そうも敷石は言っていた。

人間でさえ、これだけ価値観が分岐するのである。よその星の存在であれば、どんな価値観を持っていてもおかしくない。

山のてっぺんに着く。

デートスポットにするには、少し寒すぎる。星空はとても綺麗で、文字通り満天を覆っているが、息が凍るほどに寒い。

鼻歌交じりに、寒さなんかものともせずに、敷石がカメラの設営をはじめる。

しかも一個ではない。

「手伝ってー?」

嫌だが、手伝うしかない。

散々やらされて、やり方は既に覚えてしまっている。此処で手伝わないと、多分生きて帰るちいさな可能性まで潰されてしまう。

合計四台のカメラを設置して、更にそれをノートPCと繋ぎはじめる敷石。

これで擬似的な全方位カメラの完成だ。更に二台を追加したいとかこの間言っていたが、まだ出来ていないと言うことはお金が足りていないらしい。

いずれのカメラも、市販されているものをかなり弄っている。元々頭が良い敷石が、無駄な方向にそれを発揮して、作り上げたシステムだ。これは常に車に積まれていて、いつでも取り出せるのである。

手際よく作業を手伝っていた黒野。

彼女は影のように存在感がないし、喋ると怖いだけだが、それは人形みたいに表情がないからだ。造作は整っているし、黒髪はそれなりに綺麗なのに。

やはりコミュニケーションは見かけが重要なのだろう。

ノートPCの側で、敷石がたき火をはじめる。

凍らないようにするためだ。人間が火に当たるためではない。

時々レンズの様子も確認する。高級なレンズだから滅多に曇ることはないが、場合によっては調整が必要になってくる。

これらの知識は、未開の地も含めて、さんざん引っ張り回されて覚えた事だ。

一度などは、アフリカにUFOを撮影に行くと言い出して(しかも外務省が、渡航許可を出していないような超危険国)、必死に止めたことさえあった。

敷石は多分、アフガンだろうがイラクだろうが生還してくるだろう。

私は死ぬ。

以上。説明は終わりである。

「にっちょさ、UFOは何だと思う?」

「知らないですっ!」

息が真っ白だ。

全身ががたがた震えて仕方が無い。たき火に当たろうとすると変な話を振られることになるし、もう最悪だ。

「何度も教えたのになー」

「西谷さん、UFOは「未知の存在」よ」

嬉しそうに、黒野が教えてくれる。ただし、嬉しそうなのは口調だけ。顔は全く無表情のままだ。

そんなことは言われずとも分かっている。

散々、敷石に言われたからだ。不満だから、敢えておきまりの答えを返さなかっただけである。

文字通り、未確認飛行物。それがUFO。

同じような存在として、未確認生物というのもいる。それはUMA。ただし此方は単に発見されていない生物を指すため、リアリティがあるものからそうではないものまであって、千差万別。オカピやゴリラもかってはUMAだった。いる確率が極小のものから、まず間違いなくいるとされているものまで、数はたくさんだ。

UFOは、その一つとさえ解き明かされていない。

今まで、無数の目撃例があったにも関わらず、だ。

勿論、その中には単に彗星だったり、或いは飛行機だったり、ライトが雲間に反射されたりしたものも多数存在した。

ただし、そういった正体が判明してしまうと、即座にUFOではなくなる。

そういった意味で、永遠の未知。それこそが、UFOなのだ。

つまり、ロマンである。

「実際問題、大多数の偽物、勘違いの中で、訳が分からないものは確かに確認はされているんだよねえ。 目撃談も含めると、もっと多数。 その全てが偽物とは、断じることは出来ていないのが真実なんだ」

始まった。

それは分かるが、語りはじめると敷石はヤバイ。目がきらっきらして、何時間でも語り続ける。

寒かろうが暑かろうが、彼女には関係ない。

多分砂漠の中だろうが、南極だろうが、同じようなことをするに違いなかった。

そして、多分誰も分かっていないので、私が告げる。

ここからが、真の地獄なのだ。

延々と興味の無い話をされるくらいなら、まだいい。カメラの整備や状態の確認などを、ずっとずっとさせられるのである。

「にっちょ、つらそうだけど、どうせ大学生活なんて無駄の塊なんだから、十時間くらい我慢しろっての。 この方が遙かに有意義だよ−?」

「そういえばいっち、もう就職決めたんだよね」

「国家一種余裕でした」

「わー。 すてきー」

無表情のまま、棒読みで、白々しく拍手をする黒野。

殺意がわいてくるが、我慢だ我慢。理不尽すぎる此奴らのスペックに腹を立てていたら、人生やっていけない。

そうか、国家一種をあっさり受かりやがったかと思うと、ため息しか出ない。

実際にこの国を牛耳っているのは官僚だと聞いているが、つまりそれは、この化け物女が、国の上層をこれから動かすという事だ。

最悪極まりない。

「はい、右二番と、左三番」

満面の笑顔で、布を渡される。

カメラのレンズをふけというのだ。このバケモン女はカメラの癖を完璧に知り尽くしていて、どれくらいのタイミングで結露するかとか、ほぼ確実に言い当てる。

実際見に行ってみると、少し曇っていた。メンテを黙々と行う。

しばらく放っておけば温度が馴染むから、結露とかはなくなる。後は機器類が止まることさえ避ければ。

UFO話を延々と聞かされるだけの十時間を耐えるだけになる。

それはそれでとても悲しい事だが、どうせ写りもしないUFOを取るために酷い思いをしなくてすむのなら、少しはマシかも知れない。

「帰りたいよう」

膝を抱えてぼやく。

出来たばかりの彼は、さっきメールを寄越してきた。別れるそうである。

これで、敷石のせいで、六人目の彼に振られた。

 

気がつくと、少し寝ていたらしい。

相変わらず元気で、なにやらうねうね変な踊りを踊っている敷石と、無表情で棒読みのまま拍手している黒野が見える。

たき火が消えかけていたので、薪を足す。

此奴らは平気かも知れないが、私は死ぬ。それはいやだ。

それにしても何という謎の体力か。こんな環境でも平然としているどころか、むしろ元気になっているように見えてならない。

「おおっ! にっちょ、起きたか!」

「……ちょっ!」

ぐっと腕を捕まれて、無理矢理立たされる。

血が引くかと思った。さっきまで寝ていたのを、いきなり引きずり起こさないで欲しい。私はあなた方のような謎の生命体ではなく、人間なのだぞ。

「仮に、UFOがプラズマ飛翔体だとする! はっきりいって何の根拠もない説だがな」

「雷が飛び回るだけの現象を、真っ昼間の青空で見られると思います?」

「その場合、これが最も意味が無い行動だ!」

そのまま、変な踊りを一緒に踊らされる。

大学生にもなって、一体何をさせられているというのか。泣きたい。というよりも、死にたい。

彼氏を作る端から逃げられるこの悪循環は、やっぱりこの日常から来ているとしか思えない。

足を踏んでやろうと思ったが、パワーが違いすぎる。頭一つ分違う背丈に加えて、腕力も運動神経もまるで桁違いだからだ。それだけではなく、身体の制御も、全く次元が違っている。

ろくに抵抗も出来ず、回されるように踊らされる。

「い、意味が無いことを、なんでしているんですか!?」

「意味がある事をしていても、出てこないからだ! UFOが!」

「だから意味が無いことをして、なおかつ遊んで過ごしているわけ」

「あ、遊んでるって言った! 遊んでるって!」

泣きそうになりながら、黒野の言葉に突っ込みを入れる。

にやにやしているかと思えば、黒野は完全に無表情だ。ただそれが、ひたすらに怖い。

ほどなく、多分敷石が飽きたからだろう。

手を放してくれた。

全力で無理矢理踊らされたので、息が切れる。へたり込んでしまう。

なんで私は、いきなり冬に、知りもしない山の上で、怪しい踊りを踊らされているのだろう。

しかも遊び半分で。

酷すぎる。

神がいるとしたら、呪ってやりたいほどだ。

「で、何か写りましたか?」

「ばっちり」

黒野が見せたのは、目をぐるぐるに回して踊らされる私の姿だった。ご丁寧に携帯で撮っていたらしい。

取ろうとするが、黒野も案外運動神経がよく、私の手をさっとかわす。

「もう! 此処に何しに来たんですかっ!」

「それはそうと、あれ」

指さされた先には、日の出。

UFOは全く関係ない。頭を抱えて、その場で突っ伏しそうになっていた。このままだと私は、一生此奴のオモチャにされるかも知れない。

 

実は、まだ地獄は続くのである。

一旦帰宅してからは、ビデオの検証に入るのだ。しかも疑似全方位撮影をしているから、これの確認作業の繁雑さは、並大抵ではない。

勿論三人で分担するのだが、これだけで数時間は軽く消し飛ぶ。

しかも、である。

敷石が持っている実家の倉庫のスペースには、こういう風に録画した映像が山と残されていて、それらと並べてビデオを格納しなければならない。最近はDVDになったからだいぶ負担は軽減されたのだが。

ぐったりしている私を乗せて、エンター何とか号が驀進する。東名高速を。もうどうにでもしてとぼやきたい。

当然のように敷石と黒野は元気満々である。

「UFO写らなかった」

「まあ、可能性は高くないからな」

「高くないのに、こんな苦行をさせたんですかっ!」

「にっちょ、このくらいで苦労とか言ってたら、嫁舅戦争に勝てないぞー?」

何だか訳が分からない理屈で強引にねじ伏せられる。

もう疲れ果てて反論する元気もないので、後部座席でぐったりしていると、とんでもない事を二人が言い出した。

「まだ体力もありあまってるし、この後はどうしようっかな」

「この近くの海に、楽しい撮影ポイントがあるの。 場所は……」

「待って! せめてお風呂に入らせて!」

「何をデリケートな。 二日や三日くらい風呂に入らなくても死にはしないぞ」

謎の人外生物と普通の女子大生を一緒にするな!

絶叫する私を完全に無視して、また高速を降りる車。もう涙も涸れ果てた。ぼんやりと遠くを見つめていると、あかね色に染まる海が見えてきた。

夜明けだからだ。

夜明けだというのに、UFOを撮影するためにかけずり回っている。しかも、半ば強制的に。

彼氏が一緒ならいいのだが、さっきふられてしまった。

げっそりする私を完全に無視して、楽しそうに敷石がハンドルを切った。

防波堤の上の長い道に、車を停めたらしい。

ご機嫌な様子で降りた敷石が、またカメラをセットしはじめた。気がつくと、外に。引っ張り出されたと言うよりも、まるでハムスターをケージから取り出すみたいに、軽々と連れ出されたらしい。

力が違いすぎるので、逆らうことも出来ない。

「よーし、設営だ」

「あの、眠いです」

「まずカメラを此処と此処。 落としたらぶっ殺すぞ?」

ハートマークまで付けて言う敷石だが、落としたら本当に何をされるか分からないので、しぶしぶカメラを設置する。

堤防の上に何台かのカメラを置く。

風が少し強いので、立て方を工夫しないと危ない。

結局、それから眠ることも出来ずに、周囲の人達の奇異の視線に晒されながら、夕方まで撮影を頑張ることになった。しかもその後、雑務をえんえんをこなした。

どうにか自宅に辿り着いたのは翌日の昼。

それから丸二日眠ったのは、過労からである。当然、授業も幾つか強制的にさぼらされることとなってしまった。流石に敷石も、こういうときは叩き起こしにはこない。それが最後の良心なのか、写真のチェックに夢中なのかは分からないが。

起きて最初にすることは、風呂に入ること。

そして身繕いをして、大学に出ること。

ルーズリーフがやたら重く感じる。

授業に出ると、既に噂になっていたらしい。席に着くと、早速隣に座った同級生に言われる。

「にっちょ、あんた、また「宇宙船」に乗ってたの?」

「乗ってません」

「でも、そのせいで田尻君にふられたんでしょ?」

それは本当だ。

比較的性格が良い、それほど悪くない物件だったのだが。しかし、こんな形でデートをすっぽかせば、それは怒るだろう。

宇宙船に乗るというのは、言うまでも無いが。敷石の車に乗せられて、UFOの撮影に行くことだ。色々改造がされている軽と言う事もあって、宇宙船とか揶揄されているのである。

実は、最初の内は、面白半分にあの地獄の強行軍につきあったものが何名かいたのだ。アホとしかいいようがない。

勿論、結果は言うまでも無い。全員が地獄を見て、それで今では語りぐさになってしまっている。

基本的に男は、隣にある大学から見繕うのが普通という風潮のこの学校で(私もそうしている)あるから、男子も結構入り込んできている。学食なんかは、三割が男子だというくらいだ。しかしその誰もが、敷石には近づかない。

それだけでも、どれだけ強烈な噂が飛び交っているか、明らかだ。

「よくあの宇宙人につきあうね。 幼なじみだから?」

「そうです」

正確には、腐れ縁と言うべきかも知れないが。

皆が敷石のことを宇宙人と言っている。普通の人間の認識ではそうだろう。勿論その呼び方には、やっかみもある。

国家一種に敷石が受かったという話は、もう結構広がっていた。

ああなるほどという声が半分。

残りは、嫉妬から来る憎悪である。

既に、私がいきなり放課後に敷石に拉致られて、山の上とか海岸とかで地獄を見てきたことも広まっていた。

敷石本人がどや顔で話したらしかった。

「もう縁切ったら?」

それは何度も考えた。

だがそうするには、敷石は私の弱みを握りすぎている。知らない場所で変な話を拡散でもされたら、たまったものではない。

昔は私はとにかく気が弱くて、クラスでもいじめのターゲットになっていた。

そんなとき、リアルファイトでいじめっ子を半殺しにしたあげく、弱みを握って恫喝し、いじめを強引に止めさせたのは敷石だった。大人に対しても一歩も引かず、逆に数分の話し合いで黙らせて戻ってきた。

噂によるとその親がやっていた軽犯罪の証拠を、ネットにアップすると言い出したらしい。その証拠を見せられた親は即座に黙ったそうである。

それからというもの、いじめはなくなったが。

同時に、近づいてくる人もいなくなった。

別にさっぱり嬉しくない過去の話である。

ただし、とはいっても、あまり嬉しくないが、一応暴力的ないじめを力尽くで止めてくれたのは事実だ。

子供の頃から、敷石は化け物じみていた。

今でも、結局敷石の影響力から抜けることは出来ないでいる。

「気が進まないの?」

「じゃあさ、先を越してみたら?」

「え……」

「UFOとかってのを、写真に撮ってみれば良いじゃん。 あの宇宙人も、撮影には一度も成功してないんでしょ?」

そういったのは、クラス一のパー女である。今月に入ってから既に彼氏を四回変えたとか言う噂がある。しかも、近くの産婦人科の常連だとか。

またが緩いアホだが、以外に鋭いことを言う。

確かに言われて見ればその通りだ。

敷石は頭が良い。これは悔しかろうが頭に来ようが、変わらない事実だ。

だから、UFO狂であっても、自分がまだ本物を撮れていないことを知っている。躍起になってUFOを追っているのも、本物を今だ見たことが無いから、である。

敷石は何度も自分が言っているように、好奇心の塊だ。彼女が一番知りたがっているのは、人間の手が届かない存在。

つまり、未確認、未発見の物体。

その中でも、原理さえよく分からない、未知の飛行物体。それこそが、UFOだから、敷石ははまっている。

確かにこのままずるずる敷石の保護下で、好き勝手されたまま生活するのも問題である。結局の所、敷石の影響を脱することが出来ないのは、私自身にも原因があるのだから。

「それ、面白そうだね」

「でも、UFOって、どうやって写真に撮るの? その辺を飛んでるの、見たこと無いんだけれど」

また別のアホ女が面白い事を言った。

そのくらいのことはわかりきっている。

疲れが溜まった肩を自分で叩くと、授業が終わるのを見計らって、教室を出る。

確かにその手があった。

そろそろ、敷石の下から出るときだと思っていたのである。本気でUFOを撮影するつもりなら、手はある。

あまり使いたくない禁じ手の一種だが。

それでも、やってみる価値はあった。

 

3、UFOの真実

 

敷石が今日、部室にいることを確認。黒野も一緒にいる。

無理な外出を要求しないとき、この二人は大体一緒にいる。何をしているのかはよく分からない。

半分くらいは、撮影したデータの確認だ。或いは媒体の整理や整頓。

かってビデオテープに記録したデータをHDDに入れ直したり、或いは再確認したり。十倍速で六画面ぐらいを同時に確認している二人の様子は世紀末的で、ある意味不気味なので、近づきたくない。

私は、知っている。

実際に、UFOはいる。

何も、敷石の受け売りでは無い。

高校くらいからだろうか

敷石に対する反発が決定的になった頃から、どうやら本物らしいのをたまに見るようになったのである。

敷石には告げたことがないが、あの動き、どうみてもヘリや飛行機ではない。

しかも面白い事に、大体敷石が見ていないときや、いないときに、それは空を飛んでいるのだ。

ただし、それが飛行物体かどうかは、よく分からない。写真に撮ろうとした事も、今までは、なかった。

正直な話、オカルトは大嫌いだ。

敷石の土俵の上での話だから。

だが、考えて見れば。相手の土俵の上で相手を越えてこそ、はじめて意味が出てくるようにも思える。

そう言う意味では、あのパー女が言ったことも、確かに的を得てはいる。

関わり合いにはなりたくないが、それでも。

最後の一回、土俵に上がるのだと思えば、我慢できる。

カメラは持って来た。

もしも撮るつもりなら、近場に良いポイントもある。

そして、これも敷石には言っていないのだが。

あの飛んでいる奴は、どうも敷石を監視しているように思えてならないのである。

だから、もしも撮るとすれば、この学校の上空が一番望ましいだろう。面白い事に、色々と周到な準備をしている敷石なのに、不思議と身の回りにはたまに隙がある。

屋上に出る。

教え込まれたから、カメラの扱いはそれなりに出来る。就職するなら新聞記者、と考えた時期さえあったほどだ。

大学の屋上ともなると、発情期のカップルが入り込んだりもするが、此処では一応それはない。

罰則が相当厳しい上に、監視カメラがあって、リアルタイムで見張られているからだ。

写真を撮るのにも許可がいる。

勿論、事前に許可は申請してある。

ただし、申請したのは、敷石だが。

なんでこういう謎のコネを発揮できるのかはよく分からないが。前から不思議だったのだが、一度敷石がネゴをしているところを、見たことが無いのである。面白いのは、敷石だからか、枕営業の話は出たことが無いという事くらいだろう。

あれだけの美貌なのに。妙な話である。

その辺も含めて、私にとっては謎だった。

そういえば、謎という言葉を多用するようになったのも、確か敷石が原因だったような気がする。

詳しい経緯は、覚えていないが。

この辺りも含めて、いずれ敷石の影響を、排除する必要がありそうだ。

屋上から、セッティングできそうな場所を確認。

しばらくカメラを置く方角を吟味する。撮影許可を得てはあるのだから、あまり時間を気にする事も無い。どうせ今日の残りは教養課程で、単位としても微少だ。取らなくても、特に問題は無いし、一回くらいさぼっても何ら習得に影響は出ない。

無言で黙々とカメラの微調整をする。

ノートPCと接続して、状況をリアルタイムで確認するほど暇ではない。

今、部室で好き勝手な作業をしている敷石と黒野を確認できればそれでいい。携帯からメールを送ってみると、すぐに返事が来た。

背筋に寒気が走った。

「こそこそなにやってんの?」

彼奴は、背中どころか、異次元に別の目でもあるのか。

すぐに何もしてないとメールを返信。

即座に、五秒もしないうちに再返信があった。

「ひょっとして、私がいない間に、UFO撮ろうとかしてる?」

「ひっ……」

その場にへたり込んでしまう。

此処まで勘が鋭いと、完全に化け物だ。

カメラはオートで動かしてあるから、ずっと側にいなくてもいい。盗まれるのだけが怖いから、屋上に誰も入ってこないことだけ確認できればそれでよいのだが。

膝が震えて、歩けない。

敷石の化け物じみた勘は、昔から身にしみて知っている筈だった。

鬼ごっこの時は、それこそ遊びが成立しないほどに。みんな即座に見つけられてしまうので、鬼を敷石にしないようにと言う暗黙のルールが出来たくらいである。それくらい、ブッ飛んでいた。

だが、此処まで来ると、監視カメラでも付けられているのではないかと勘ぐってしまう。

「今からそっちに行くねー」

またメールが入る。

しかも、黒野から続けて、である。

「どうせC棟の屋上でしょ」

歯の根が合わない。

化け物がもう一人、迫り来ている!

これは、下手なゾンビ映画より怖い。慌てて屋上を見回したのは、隠れる場所がないか、探したのだ。

あるわけがない。

悪事に使えないように、そういう造りにしてあるのだ。

「もう一階に着いたよー」

「逃がすか」

立て続けにメールが来る。

怖くて泣きそうだ。カメラを必死にしまおうとした瞬間。

目の前に、何かがいるのに気付いた。

 

どこをどう走って逃げたのか、よく分からない。

黒野にも敷石にも出くわさなかった事だけは覚えている。自宅のアパートは逃げ込んでも絶対に捕まるので、近くのビジネスホテルに逃げ込んだ。

カメラを回収できたのは、奇跡に等しい。

さっきから、まだメールが来ている。

「上手に逃げたね」

「よーし、お姉ちゃん張り切って探しちゃうぞー。 見つけたら逆さづりの刑か、カラオケ耐久二十時間な! 選ぶのは私だけど!」

冗談じゃない。

敷石とカラオケに行くと、本気で二十時間は耐久で歌わされるのだ。しかも疲れてくると強制デュエットモードに突入し、酒をしこたま飲まされて、気がつくと翌日は二日酔いで身動き撮れなくなる。

逆さづりの刑というのは、文字通りの意味ではなく、編集作業をやらされる事だ。元のデータを保存したまま、HDDにしまわされる。この際、圧縮や編集などの煩わしい作業は、どうしても人力でやらなければならない。きついので、逆さづりと呼んでいるのである。

なんで隠れてUFO撮影しようとしただけでこれなのか。

それに、なんで私は、童女をつれて走り回ったりしているのだ。

ベットに腰掛けて足をぶらぶらさせているのは、明らかに地球人ではない童女だった。やたら整った造りの顔立ちといい、すべすべの桃色お肌といい、現実の子供とは離れすぎている。

それだけじゃなくて、なんと額から触覚が生えているのだ。

「あの、落ち着きましたか?」

「他人事かっ! 半分はあんたのせいです!」

絶叫した私に、謎童女は小首をかしげる。

そう。

光って空を飛んでいたあげく、私の前に舞い降りてきたのが、この童女だった。

よく見ると、瞳は銀色。

しかも素足で走り回って、怪我一つしていない。そればかりか、うっすら発光さえしているのである。

明らかに地球人ではないが、もう突っ込む気も失せた。

「貴方は、監視対象シキイシの妹さんですか?」

「いいえ、違います!」

「血はつながっていない妹さん?」

「ち、が、い、ます!」

敢えて強調して言うが、謎童女は納得しない。

こうしている今も、ドアの外に敷石か黒野が来ているかも知れない怖さがあるのに。窓を見たら、ああ、窓に窓に!となりかねないのに。

黒野だったら、窓に逆さに張り付いていても何ら不思議では無い。実際問題、そうしている光景を前に見た事があったのだ。あの時の恐怖は、忘れられるものではない。

無言でブラインドを下ろす。

今、そんな光景を見たら、耐えられないだろう。

「貴方はそもそも誰なんですか!」

「わたしですか? 監視員です」

「なんの! どこの!」

「簡単に言うと、シキイシは今後、歴史的に大きな意味を持つ人物です。 わたしみたいな下っ端が監視するのは、それでも彼女が歴史貢献度的には下から二番目のEランクに属するから、なんですけれど」

丁寧に、訳が分からないことを言う謎童女。

触覚を掴んで引っ張り上げると、ぱたぱた手を振った。

「い、いたいです! やめてください! ひどいです!」

「なにこの触覚」

「触覚です! アホ毛じゃありません!」

「額から生えてるんだから、見れば分かります! なんで触覚なんか生えてるかって聞いてるんです!」

触覚を離すと、涙目になってこっちを見る謎童女。

それにしても、高校の頃から見かけるようになったのは、此奴だったのか。そもそもそうだとすると、どうして私の前に現れたのか。

アレは明らかに、敷石を避けていた。

それに確か、アホ毛というのはサブカル系の用語の筈。なんでそんなものを知っているのか。

私は少なくとも、最初はぴんとこなかったのだが。

よく見ると涙目になっている様子は非常にかわいらしい。これでも私は女だから、子供には愛情もそれなりに沸く。

ただし、敷石が露骨に関連しているとなると、話は別だ。

「で、貴方は何者? 未来人? 宇宙人?」

「こんなに地球人に似ている宇宙人が、都合良くいると思いますか?」

「思わないよ」

環境が同じだと、生物は収斂進化というもので、姿が似通ってくると聞いたことは確かにある。

実例としては、海豚と魚竜なんかが挙げられる。確かに図鑑で見た事があるが、どっちもそっくりだった。

だが、それにしてもこれは、似すぎだろう。

指は両手足共に五本ずつ。目や髪の色が独特で、触覚が生えている以外は、人間とあまり変わりが無い。

そうなると、此奴は地球人か。

「じゃあ未来人?」

「それも少し違います。 未来の技術力があるなら、こんなへまはしませんっ」

そういや此奴、私が捕まえたとき、ぎょっとした様子だった。

素足だし、服装もヒラヒラだし。

しかし、現代の地球人だとも思えない。

「じゃあ何だっての?」

「いたいいたい! 児童虐待は止めてください!」

「自分で児童言うな! 全部話したら止めてあげます!」

「もう、触覚は引っ張らないでください! 髪を引っ張られるのと同じくらい痛いんですから!」

涙目で、額をちっちゃなぷにぷにの手で押さえる謎童女。

普通だったら可愛いが、やっぱり今はそうとは考えられない。

「じゃあ何者!?」

「此処とは少し違う歴史をたどっている、別の地球から来た者です」

触覚を引っ張られるのはもういやらしく。童女はついにゲロった。

 

童女の話によると、UFOと呼ばれているものの幾らかは、大体彼女と同じ存在なのだという。

ロズウェル事件のものは別だとか、何故か余計な情報を付け加えたが。まあ、それについては、どうでもいい。

少なくとも、今はもっと大事なことを知らなくてはならない。

そもそも、どうして異世界が、この地球を監視しているのか。

「歴史の相互関与があるからです」

「相互関与?」

「簡単に言うと、此方の世界で起こる出来事は、次元の皮を隔てたこっちの世界にも、影響を及ぼすんです。 歴史で、妙だと思った事はありませんか? 不意に世界のトップに躍り出た西欧文明とか、いきなり躍進したナチスドイツとか。 不自然極まりないものが幾つかあるでしょう?」

難しい言葉を使って講釈を垂れはじめる童女。

何だかムカついたので触覚を引っ張ってやろうかと思ったが、額を抑えて涙目になられると、ちょっと気も引ける。

「そんな陰謀論を垂れ流されてもなあ」

「わたしの世界の影響です。 わたしの世界でも、人類は戦争さえこの世界ほど酷くはないですが、起こっていますから。 逆に、この世界の影響を、わたしの世界でも、受けています」

だから、世界にプラスの影響を与える人間の監視を行うプロジェクトが始まったのだという。

いわゆる超能力を持つ人間を集めて、特殊な処理を実行。

額に生えている触覚は、超能力を強化するためのブースト装置で、脳に直結しているのだそうだ。

目玉みたいなものか。そう私は自己補完した。

童女の話によると、こいつの世界の人類は、比較的平和な性格をしているという。年がら年中殺し合いをしているこっちの世界の人間と比べるとだいぶおとなしいし、殺し合いの規模もさほど大きくないそうだ。

一時期はやった、宇宙人は進化した人類の理想型だ、というような思想は。或いは此奴らにアブダクションされた人間が、話を聞かされて抱いたのかも知れない。

「で、あの傲慢敷石が、何のプラスの影響を与えるって? そもそも、なんでそんなことがわかる?」

「それは、時間に若干のずれがあるからです。 わたし達の世界の方が、少し未来なんです」

「……へー?」

「シキイシは、これからいくつもの歴史的発明をします。 彼女の能力はとても高く、特にIT分野で革命的な機器類をいくつも造り出します。 彼女の能力の高さについては、貴方も身にしみているのではありませんか?」

言われるまでも無いが、やはりむかつく。

触覚に手を伸ばそうとする。反射的に庇われる。

ちょいイラ。

「私に話しちゃって、大丈夫なの?」

「平気です。 貴方は歴史影響度がとても低く、話しても誰も信用……いたいいたいっ!」

「悪かったですね! ん?」

「ひどいです! 触覚はデリケートなんです!」

とうとう目をこすって泣き出した子供を見て、流石に罪悪感がわいてきた。

ため息をつくと、何だか何もかもがあほらしくなってきた。

「他に、UFOの正体って、思い当たる節はありませんか?」

「ええと……どうしてわたしに?」

「だって、真相に近いでしょうし」

「……わたし達とは違う次元から来ている人達もいるって聞いています。 上層部が相互に協定を結んでいるらしいですが、わたしみたいな駆け出しのひよっこはあまり詳しくは知らされていません。 ただ、利害が競合した場合は、話し合いをすることがあるみたいです」

以外に泥臭い世界だ。

まあ、未来人だろうが異次元だろうが、地球人である以上クズは確定と言うわけだ。なんだかほほえましい。

「他は? 宇宙人は来ていないの?」

「その定義だと、異星人という意味ですか?」

「何、異次元じゃ人間は他の星に進出してるって事?」

「私のいる世界だと、まだ火星にテラフォーミングが始まったところですけれど。 噂によると、異次元によってはαケンタウリまで到達している人類もいるとか……」

話が微妙に脱線したので、触覚に手を伸ばすと、慌てて謎童女が言う。

「わ、わたしが知る限りは、異星の知的生命体は来ていないはずです」

「どうして分かるの?」

「確か地球の文明技術力が、異星人の連合国家で言う要観察レベルを既に凌いでいるとかで、太陽系の外側に無人監視衛星を配置して侵入を防いでいるとか。 五十年くらい前までは、偵察用のドローンを派遣しているとか言う話もあったらしいのですが……」

さすがはエージェントだ。難しい言葉を、童女のくせにすらすらつかいやがる。

私は触覚に伸ばした手を引っ込めた。

「意外に、異星人って理性的?」

「というか、地球人が凶暴すぎるだけなのかと……」

「一理ありますね。 他のUFOの正体候補については聞かせて貰えます? プラズマ飛翔体とかはどうなの?」

「えっ!? そんな説が、いまだに信じられてるんですか? あれは確か、プラズマが大好きな変人が唱えた珍説の類だって聞いていましたけれど」

面白い返答だったので、噴き出しそうになる。

それにしてもこの童女、あの敷石を見張っているにしては図太さがない。私ごときにあっさり捕まるようではなおさらだ。

「プラズマは嘘ですか。 それじゃあ、派生物として、いわゆるクリッターって奴は?」

「……っ」

口をつぐむ童女。

クリッターというのは、一時期噂されたUFOの正体の一つだ。

生態系ピラミッドにおけるニッチで考えると、空にもう一種類くらい、捕食性の生命体がいてもおかしくない、というものがある。

そこで一部で出てきたのが、プラズマで出来た、空を飛ぶ生命体がいるのではないか、というものである。

宇宙空間から撮影した地球に、訳が分からない物体が多数写っていたこともあり、この説はそれなりにうさん臭いながらも、比較的広範囲で受け入れられている。

もちろんプラズマで出来ている生物、などというのは説の一つでしか無い。

ただし、自然界で、生態系のニッチを巡る競争は想像以上に激しいというのも、事実だ。世界には無数の鳥がいるが、アレは全部違うニッチをそれぞれで埋めているのである。生存競争を甘く見てはいけない。

逆に言えば、ニッチが空いているのは、確かに謎だと言える。

「い、いや」

多分、私が目の色を変えたのに気付いたのだろう。

涙目になって触覚を抑える童女。

「言わないと、引っこ抜く」

「や、やめてください。 こ、殺さないで」

「もう一度言うけど、引っこ抜くよ?」

「分かりました! いいますいいます! だからもう、いじめないで」

くすんくすん泣き出す童女を見るとやはり罪悪感は沸くが。

あの敷石の鼻を明かしてやりたいという気分は、やはりまだ何処かにあるのだった。

メールを見る限り、敷石は学校周辺を這い回って探しているようだ。黒野もいつどこから現れるか分からない。

事は、一刻を争う。

「確かに、プラズマで構成はされていないですけれど、そういう生命体はいます。 UFOとして確認される正体の一つとなっています」

「本当っ!?」

「で、でも、彼らはとても平和的な種族なんです。 わたしの世界でも、発見されてからは研究が進んで、彼らを虐めたりしないように条約が締結されたくらいで。 こ、この世界で正体がばれたりしたら、どんな悲惨な目に遭わされるか」

「個人的に、そんなことはどうでも良いのです」

真っ青になる童女の頭を掴んで、顔を寄せる。

「写真だけ撮れれば良いから。 どこに行けば写真撮れる?」

「で、でもシキイシの能力を考えると、それを見せるわけには……」

「若干ピンぼけでも良いの。 正体が割れない程度の写真が撮りたいの。 以上、オッケー? 触覚引き抜くよ?」

ぱたぱた弱々しく手を振って暴れようとする童女だが、これでも敷石に散々鍛えられているのだ。

それにしてもこの童女、身を守る術くらいはもっていないのだろうか。

「ほ、本当に善処はしてくれるんですね?」

「うん。 何とかする」

本当に、がっかりした様子で、童女はため息をついた。

 

ビジネスホテルを出ると、すぐにタクシーをとった。

童女には帽子をひっかぶせて、いつも持ち歩いているサングラスを付けさせた。これで、異次元人とばれることはないだろう。

童女が言ったとおりの座標に、車を出してもらう。

「あんなところ、行っても何も無いよ?」

怪訝そうにタクシーの運ちゃんは言うが、良いからと言って出してもらう。

待ち時間、生きた心地がしなかった。来ている敷石からのメールを見る限り、まだ此方には気付いていない様子だが。

しかし、ダミーの可能性もある。

敷石はおもしろがると、電話を敢えて掛けてこずに、メールだけ送ってきてプレッシャーを浴びせることがある。

それが今は救いだ。

電話を切るとなると、相手の動向も掴みにくくなる。

普段は一方的に遊ばれるだけだが、今日は違う。下克上を果たさせてもらうのだ。

童女の手を握ったままなのは、逃げられないようにするためだ。もっともこの子、動きは鈍いし要領も悪いから、目を離した隙に逃げる、というような器用なまねは出来そうにないが。

「西谷さんは、どうしてこんな事をするんですか?」

おずおずと、卑屈に責めるような視線を向けてくる童女。

名前を知っていたか。

にっちょといつも呼ばれているが、それは西谷陽子を縮めたものだ。私はそれで敷石に呼ばれ続け、今でもクラスメイトのあだ名はそれで固定してしまっている。

当然嫌だが、いくら何でも大人になってまで、続くことはないだろう。

会社などで、こう呼ばれることはないと信じたい。

「逆に聞くけど、そもそもなんであんたは、私の前に降りてきたの?」

「それは、西谷さんも監視の対象だからです。 シキイシは貴方をとても大事に思っていますから、何かしらの犯罪に利用される可能性もあります。 わたし達の仕事は見張るだけで、荒事は別のチームが担当していますけれど。 貴方のおかしな動きにも、気を配るようにと言われていますから」

正気かどうか、確認するのが目的だったと、あまり楽しくないことを童女はほざいた。

おもわずこめかみをぐりぐりしてやりたくなったが、勘弁してやる。

実際問題、可愛い子なのだ。

さんざん泣かせた手前で勝手な話だが、本音を言えばあまり虐待はしたくない。実際問題、あまり言動に悪意も感じない。

不快な事実を散々口にしてくれたから、触覚を引っ張ってやったが。

「それで、クリッターって、結局何者なの?」

「地上での生存競争に敗れて、成層圏に逃れた生物の一種です。 もともと超大型の単細胞生物、くらいの存在だったらしいんですが。 単細胞生物は大型化すればするほど不利になるらしくて」

そういえば、細菌などの構造が単純な生物の強みは、進化の速さだと聞いたことがある。

彼らは単独での存在はそれこそゴミに等しいが、文字通り人海戦術で進化を続け、強みを貪欲に取り入れ、そして生存競争で生き残ってきた。

よくしたり顔で進化論は間違いだとかほざく阿呆がいるが、それはあり得ない。

細菌や昆虫などを見ていると、耐性などの得方が、露骨に進化そのものを示しているからだ。

構造が複雑な生物ほど、進化は遅い。

ただそれだけである。

「やがて、一部の生物が、体の密度を大変薄くして、空に行くことをはじめました。 空でちいさな虫や、飛来した植物の種などを食べることで、生態を維持できるようになった種族が出てきたんです。 それが、いわゆるクリッターです」

「動きはどうしてあんなに速いの?」

「それは錯覚です」

「はあ?」

童女が言うには、クリッターが素早く見えるのは、全部錯覚だという。

殆どの場合気流に引きずられているだけだ、というのだ。

「飛行機などが飛ぶと、巻き込むように気流が出来るんです。 船の周囲の海流が、全部スクリューに向かうのと同じです」

「じゃあ飛行機を追っていたりとかというような光景は」

クリッターという存在がそもそも提唱されたのは、UFOの挙動に、そのようなものがあったからである。

乗り物と言うよりは生き物に近いと誰かが言い出して、その結果クリッターと呼ばれる説が出てきた。

実際問題、空の生態系のニッチに穴が空いている、という事実もあった。

「光って見えるのは?」

「ルシフェラーゼによる効果です」

「ああ、そういうことですか」

ルシフェラーゼというのは、蛍なんかが生成する発光物質だ。別に神秘的なものでもなんでもない。

蛍だけではなく、多くの生物が体内で生成している物質に過ぎない。

ようするに、単にヒラヒラした巨大単細胞生物で、餌は飛んできた植物の種とか、ちいさな虫とか。しかも、ただルシフェラーゼで光っているだけ、という。

何とも夢のない話である。

しかも、面白い事を、童女は言う。

「彼らは争いを基本的に避ける傾向があります。 自分と同じ質量か、それ以上の存在には、絶対に近づきません。 それどころか、六割くらい小さくても、相手を避ける傾向があるようです」

「でも、ぺらぺらなんでしょ?」

「そうです。 とても軽いんです。 だから、下手をすると鳥にさえ近づきません。 気流を上手に操って逃げるんです。 彼らはとても臆病で、平和的で。 地上に居場所がなくて、空でやっと漂っているだけの、気の毒な生き物なんです」

だから、できるだけそっとしてあげたいと、童女はまとめた。資源活用する事も出来ないので、平和的に見守る事に決まったという側面もあるのだと、悲しそうに言う。

指定されたポイントまで、そう時間は掛からない。

タクシーが到着するまで、三十分。

其処は東京の郊外。奥多摩。

世界最大のメガロポリス東京に存在する、飲める水があると言う奇跡のような田舎だ。

その奥多摩にある、ちいさな山に上がる。

山登りは慣れているとは言え、路も無いような所だ。枯れ草と枯れ木の中を上がっていくのは、骨が折れた。

「彼らは臆病ですから、人の気配を感じると、すぐに逃げてしまいます。 保護観察をするのも、大変なんです」

「で、あんたは、人が見てないから浮いてるというわけですか?」

「だ、だって素足で此処を歩くのは大変で……」

触角を抑える童女。

どうやら相当に懲りたらしかった。

手を放したら速攻で逃げられると思うので、絶対に話さない。それにしてもちっちゃくて可愛い手だ。

子供を溺愛する親の気持ちが、何となく分かるような気がする。その結果、子供を駄目にしてしまうわけだが。

山の頂上は、もう少し。

持ってきたカメラは、デジカメだ。というのも、動画撮影したいからである。

動画はごまかしがしづらく、編集してもすぐにばれる。単体の写真だとごまかしが利く場合も多いので、こういうときは動画が一番良い。

敷石が擬似的な全周カメラを作ってフルタイム撮影するのも、それが理由だ。

木の陰で、童女が足を止める。というか、浮いているので、体を止めるというのが正しいか。

「この先が、群生地です」

「ん」

足を止めると、童女の頭を掴んで、側に引き寄せる。

もちろん逃がさないようにするためだ。動画を撮れなかったら、こめかみぐりぐりの刑に処す。

この辺りは携帯の圏外で、既にメールも届かなくなっていた。

多分敷石も、此方を追跡できなくなっているはずだ。

空を見る。

確かに、何かいた。

ちかちかと瞬きながら、空を漂っている。

時々、飛行機では無理な動きをしている。あれはなるほど、気流に身を任せているから、なのか。

「基本的に、繁殖期しか光りません。 それ以外はとても存在感が薄いので、飛行機などにぶつかっても、誰も気付かず破けてしまうのです。 しかも破けた後はすぐに溶けて消えてしまうので、誰にも発見されません」

「念入りですね」

「そう進化しないと、身を守れなかったんです」

食べても美味しくない。

そもそも食べに行くメリットがない。

大きいものは数十メートルにもなるが、しかしそれはただ大きいだけ。風に揺られてさまよいながら、空に飛ばされてきたちいさな植物の種や虫を食べて身をつなぐ哀れな生物。

これが、本当にUFOの正体だというのか。

動画には、とった。

比較的不鮮明だが、これなら充分だろう。再生してみるが、明らかに飛行機ではない動きをしている所が写っている。

「もういいですか? わたしも、シキイシの監視に戻らなければならないんですけれど……」

「最後に、あんたの名前、教えてくれます? あんただけ私のこと知ってるって、不公平だと思うから」

「ええと……」

少し口ごもった後、童女は言う。

「黒野遙香です」

手を放してやると、黒野遙香は。

光になって、空に消えた。

なるほど、そうだったのか。

 

山を下りる。

敷石の側に黒野がずっといる理由が、何となく分かった。あの人間離れした存在についても。

あれもきっと、別次元からの監視要員だったのだろう。

名前は少し違う。確か敷石の側にいる黒野は、幸子という名前だったはずだ。

だがそれにしては、あまりにも名前が似すぎている。

まあ、次元が違えば、名前は違って当然だ。

或いは、戦闘向けの要員なのかも知れなかった。

何だか悪いことをしたなと、触覚を掴んだ感触を思い出しながら、ぼやく。あの子供は、昔の私そっくりだった。

弱々しくて主体性がない。

それは今も同じか。

自嘲して、駅まで歩く。県内に入り、携帯電話が復活する。どっとメールが来るかと思ったが、一通だけ。

開いてみて、背筋が凍った。

「見つけた」

とだけ、書かれていたのだ。

メールの日時は、ついさっきだ。

ひょいと後ろからハグされる。暴れようにも、逃れられない。

「はい、捕獲完了ー」

「は、離して、離してください!」

「私に隠れて、何の楽しいことをしていたのかな? これかな?」

ひょいとデジカメを取り上げられる。

ポケットの奥の方に入れていたのに。瞬時に場所を特定されるなんて。やっぱり此奴は化け物だ。

「おおっ!」

敷石が私を捕獲したまま動画を見て、歓声を上げる。

だが、それが、落胆にすぐ変わった。

「なーんだ、クリッターじゃん」

石化する私。

こいつは、クリッターを写真に納めたことがあったのか。

知らなかった。いや、そんなはずはない。

というか、監視エージェント、何をしてる。敷石はクリッターを知っているじゃないか。

「クリッター、見たことが無いって、言ってなかった、っけ……」

「あるよ? 写真にはとれてないけど。 少なくとも、私には未知の存在じゃないかな」

脱力しそうになる。

というか、なんで黙っていたのか。

「でも、これよく撮れてるね。 黒野、どう思う?」

「ステキ。 でも表には出さない方が良い」

「同意かな−、それは。 でも私を出し抜くのは百年早いよ、うふふのふ」

完全に魂が抜けた私の頭を、わしわしと撫でる敷石。

この苦労は何だったのだろう。えもいわれぬ疲労感が全身を陵辱していた。

そのまま、なんと行きに乗って来たタクシーに乗って戻る。

タクシーの運ちゃんは、まるで異次元人でも見るような目で、こっちを見ていた。黒野が多分異次元人だから、間違ってはいないのだろうが。

「何が貴方にとってはUFOなの……?」

「そりゃ、勿論未知の存在。 宇宙人の乗り物も含まれるよ」

それを聞いて、絶望しそうになる。

異次元から来た童女、黒野遙香は確か言っていた。宇宙人は来ていないと。しかも、クリッターの群生地を知っていたことからも、その言葉には信憑性がある。

この化け物を出し抜くのは、一生無理だというのか。

「よし、帰りなんか食べていこう。 散々手間掛けさせてくれたから、にっちょのおごりね」

もう、どうにでもしてくれ。

私は呟く。

世の中には絶望が満ちている。

或いは、この世は最初から、全て理不尽の塊なのかも知れなかった。

 

4、飛来物

 

私、黒野遙香は、手を振ってそれを出迎える。

上司である赤井の乗った船だ。

自分の次元世界では、仕事をカジュアルな服装でする事が普通だ。それに加えて、飛翔プラズマを使って空を飛ぶには、出来るだけ軽装な方が好ましい。ワンピに素足という軽装を使っているのは、それが理由なのだ。

船と言っても、見かけはこの世界の自動車そのもの。

船から下りてきた赤井は、この世界の中年男性に偽装していた。

「監視対象シキイシの様子は?」

「問題はありません。 姉がしっかり見張っていますから」

「そうかね」

説明しながら、レポートを提出する。

此処は奥多摩の山奥。周囲に人はいない。車がいるのはある意味不自然だが、今人間の注意をそらすフィールドを張っているから、多分気付かれない。

「今回、ご指定通りかまを掛けてみましたけれど、恐らくシキイシは知っています。 宇宙人の一部が、この星に飛来していることを」

「経過は見せてもらった。 しかし、痛い思いをしただろう」

「本当に痛かったです。 ニシヤってあの子、シキイシとの関係で鬱屈しているからでしょうけど、本当に手加減しないんですもの」

童女に偽装しているのは、その方が攻撃を受けにくいから。

特に、女性と接する場合は、なおさらだ。一方相手が男子の場合は、筋肉ムキムキの大男に偽装することが多い。

ちなみに、ニシヤに言ったことは、九割九分本当である。嘘は一カ所だけ。宇宙人は、この星にまだ来ている。

来ているのは、この星が銀河連邦に参加する段階を見極めるため。

凶暴すぎる地球人が、もう少し自己制御できるようになったら。

元々、彼らの基準で、連邦参加の水準を、既に地球人は満たしている。問題はその残虐かつ好戦的すぎる性格なのだ。

「これからも監視を続けてくれ。 いいかい、この次元の人類と接するときの鉄則は、相手が嘘をついていることを前提に。 こっちも、嘘を悟らされないように、真実に隠す」

「分かりました。 それでは、仕事に戻ります」

「気をつけてくれ。 MIBなんて連中も暗躍していると聞いている。 危ないとおもったら、すぐに防衛装置を使うんだよ」

言い残すと、上司はすぐに戻っていった。

船が消えると同時に、フィールドも解除される。

ため息をつくと、私は誰も見ていないことを確認してから、プラズマ体を纏って空へ舞い上がった。

未知のものには、誰もが惹かれる。

だが、それを知ってしまったとき、幸せになれるとは限らない。

ニシヤは、きっと今頃知ってしまったはずだ。シキイシが、思っているよりずっと、UFOに身近だったのだと。

それを知ったとき、彼女の希望は、粉々に砕けてしまったのではあるまいか。

だから、知らせたくなかったのだが。

空を舞っていると、時々同じように監視をしている人員と出会う。手を振って別れると、しばらくは空を飛ぶ楽しみを満喫することとする。

私の世界だって、楽園じゃない。

ろくでもない悪はたくさんいるし、この世界に対して悲しい悪事を働いてきた事実だってある。

それでも、今は見守らなければならない。

自分の世界のためにも。

ふと気付く。

監視対象のニシヤのランクが上がっている。いわゆる最低ランクで、シキイシより一ランク下だが、れっきとした監視対象に違いない。今までは何となく監視する「付属監視対象」だったのが、れっきとした監視対象に昇格したのだ。

あれが、何か変化をもたらす要因になったのかも知れない。人は成長する。悲しみの中で、ニシヤは何かを見つけられたのだろう。

次に会ったときは、また触覚を引っ張られるのだろうか。

対策をしておきたい。

そう、私は思った。

 

(終)