闇夜を這いずるもの

 

1、闇夜に現れしもの

 

例え地獄でも、此処まで酷い事は起こらないのではないか。

もはやあまりにも超常的すぎるおぞましき宴を目の当たりにしたクララは、そう考えるだけで精一杯であった。脳の理解力など、とっくの昔に限界を超えている。逃げなければならないのに、足は竦み、腰は抜け、へたり込んでいる木の陰から身動き一つ出来なかった。

闇夜に浮かび上がるその巨体は。まるで、魔を体現したがごとき姿。

聖書に出てくる天使達でさえ、きっとこんな化け物を見たら、神に助力を求めて逃げ散ってしまうことだろう。

全体的には、巨大な円筒形に近い。そのやや上部には、二抱えもありそうな正円形の巨大な眼球が、ぎょろりと辺りを睥睨している。星明かりに照らされるその体は赤黒く汚らしい粘液に覆われ、三十を超える鮹を思わせるおぞましき触手が、辺りの空間を陵辱しまさぐり返すように蠢いていた。

悲鳴など、出る訳もない。失神しないようにするだけで、精一杯だった。

触手の一本には、クララよりも大きい狼が、まるで子犬のように捕らえられている。もがいている狼は、そのままぽいと捨てられた。冗談のように孤を描いて遠くまで飛んでいった狼は、遙か彼方のライン川に、どぼんと素敵な音を立てて墜落する。同時に、クララを襲おうとしていた狼の群れは、一斉に尻尾を巻き、悲鳴を上げながら逃げ散っていった。

巨大な眼球が、クララを見据える。ああ。終わったと、クララは思った。

何で、何でこんな目に会うのだろう。

冬の感謝祭に備えて、村が忙しく動き回っている時に、疫病が流行りだした。だから、村の果てに住むお婆さんの言うとおり、薬草を集めて回っていた。確かに唯一神教の思想とは外れる教えを信じるお婆さんを手伝った。だが、疫病を鎮めるためだ。祈ったって、あの恐ろしい病気が治まる訳がないことは、誰よりもクララが知っていた。十年前、五歳だった頃に、疫病に感染して唯一生き残ったクララだからこそ、皆を助けたいと思ったのだ。だから昼夜を問わずに走り回って、特効薬の薬草を集めていたのに。

神は。それが罪だというのか。

最初は狼。そして、今度はこのまがまがしさを体現したかのような、巨大な怪物だ。

ぐっと、唇をかみしめる。

身動きできなくても、抱きしめているバスケットだけは絶対に手放さない。特効薬の薬草が、やっと人数分集まったのだ。

ずじゅると、おぞましい音がした。

気付く。怪物が、進んできたのだと。絶息しそうになりながらも、クララは叫ぶ。

「こ、来ないで、来ないでーっ!」

怪物は動きを止めない。

その巨大なおぞましき体の頂点に、巨大な円筒形の口が開くのが見えた。ぎざぎざの歯が並んでおり、ぬらぬらとおぞましき粘液に濡れている。漏らしそうになった。化け物が、あれに、あの地獄の入り口にこれからクララを放り込んで、ディナーにしようとしているのは、明白すぎる程だった。

せめて、バスケットだけでも隠さないと。

これだけ薬草を集めておけば、みんな助かる。隣のユラ坊やも、鍛冶屋のシュタイナさんも、肉屋のアンおばさんも。お婆さんが、特効薬を調合してくれる。後ろに隠せば大丈夫か。怪物は、きっと肉にしか興味を見せないはず。必死ににじり下がろうとするクララの前に、触手がぬらりと降りてきた。

先端部分は無数の微細な突起が生えており、指のように蠢いている。粘液が垂れてくるのを感じて、クララは悲鳴を上げようとしたが、出来なかった。もう、精神が、とっくに限界点を越えている。

そして。

非情にも触手は、クララの手から、バスケットを強奪した。

ああ、神様。そんなにも、信仰を破ったことは罪だというのですか。それならば疫病から、皆を救ってくださればいいものを。どうして人を試し、痛めつけるようなことばかりをするのですか。

クララは祈りを欠かしたことはない。それなのに、一度だって神は報いてくれたためしがない。クララだけではない。敬虔な信者だった祖父だって、母だって。苦しい生活から、一度だけでも抜けたことがあったのか。

涙がこぼれていた。

もう、誰も祈る相手がいないクララは。

自分に触手が巻き付き、空に持ち上げられるのを感じて、今度こそ意識を失った。

 

2、襲撃

 

森は黒い海だ。

狼や熊などの危険な獣が跋扈し、更に犯罪者が逃げ込む場所でもある。だから、其処は魔女や悪魔の巣窟だとされてきた。

だから其処へクララが行ったまま帰らないと聞いて、皮職人のゲイツは全身が総毛立つのを感じた。

おりしも村は疫病騒ぎで大混乱に陥っている。その上、クララの行方不明。教会から派遣されているでっぷり太った司祭は神に祈祷するとほざいて教会に閉じこもっていて、まるで頼りにならない。かといって、村はずれの、異教の神ハッグを信じる老婆とつきあいがあるクララを助けてくれる村人など、いるとは思えなかった。

クララは十五になったばかりで、丁度嫁入り前の大事な時機だ。森に逃げ込んでいるような凶悪な犯罪者が、その柔らかい肢体を見逃すはずもない。愛娘の柔らかに流れる赤い髪の毛が、凶刃と暴虐で血に染まることを考えて、ゲイツは絶叫しそうになった。

妻を亡くしてから、四苦八苦して育ててきた娘である。ようやく嫁の入り手も見つかって、安心していた所だったのに。どうしてこのような災厄が降って湧いてくるのか。

悩んだ末、ゲイツは革細工を作るためのナイフを何本か見繕い、村の門に。流石に明かりが周囲を照らしており、派遣されている兵士達が仏頂面で立ちつくしていた。どんな小さな村でも外壁くらいはある。クララはどこからか抜け道を見つけて出入りしているらしく、それを知らぬゲイツは正面から出るしかなかった。

兵士達はゲイツを見ると、露骨に非好意的な視線を向けてくる。

「皮職人のゲイツか」

「娘を捜しに行く。 外に出して欲しい」

「駄目だ。 許可できない。 ただでさえ、魔女だか狼男だか悪魔だかが彷徨いてるって、司祭様が仰っているのに、出て行った方が悪い」

「一旦戻れ。 夜は兎に角許可できない。 朝になってから、もう一度来い」

兵士達の無機的な応えに、ゲイツの額に青筋が浮かび上がる。

気がついた時には、兵士の一人を殴り倒していた。

「巫山戯るな! 貴様ら、娘が死にかけた時も、同じ事が言えるかっ! ただ一人の、たった一人の娘なんだぞ!」

「貴様っ! 乱心したか!」

剣を抜いた兵士が、斬りかかろうとしてきて、動きを止める。

城門が。

妙な音と共に、軋んだからである。しかも、尋常な軋み方ではない。重装騎兵のランスチャージにも耐えられるという門が、まるで何かに押しのけられているかのように、無惨に軋んでいる。

ゲイツに殴られて鼻血を出していた兵士も、這いずるようにして後ずさる。櫓にいる兵士が、訳がわからないことを叫んできた。

「ひ、が、ああああ、ひいいいっ!」

「何だ! 何が外にいる!」

「ひーっ! 神よ、神よーっ!」

櫓から転げ落ちそうな兵士を嘲笑うように、門が外側から砕け散った。まるで子供の遊具のように、分厚い門の左半分がすっとび、回転しながら井戸の側に突き刺さった。そして、それは。

星明かりの下に、あまりにも禍々しすぎる姿を見せつけたのである。

兵士達の顎が、全員同時に外れた。ついでに腰も抜ける。

海が近くにあるから、似たものは見たことがある。イソギンチャク。それに鮹。悪魔の魚を、それぞれ足して二で割ったような、巨大な生物は。星明かりを背に、巨大すぎる眼球で、周囲を睥睨したのだった。

蠢く触手が、おぞましき粘液に濡れている。しかもそれは、自分より小さな門を邪魔だと言わんばかりに、今押し広げつつあった。ぼろぼろとパンくずのように崩れてくる外壁の石。

「ひ、ひ、ひぎゃああああああああっ!」

兵士達のリーダーが、無様な悲鳴を上げた。村人達が何事かと飛び出してきて、次の瞬間に逃げ出す。その場で腰を抜かし、神に祈り始めるものも出た。立ちつくすゲイツは、見る。

外壁を越え、高々と天に向け差し出されているその触手に、愛娘が捕らえられていることを。

星明かりだから見えにくいが、間違いない。あれはクララだ。やはり疫病を治そうと、健気な勇気を総動員して、森へ行っていたのだ。

「クララーっ!」

同時に、恐怖心が消し飛んだ。両手に、革細工用の刃物を引き抜くと、そのまま突進していく。

そして、全体重を掛けて、怪物に体当たりしつつ、刃を突き刺した。

必死の突撃であったが、そのままはじき返されてしまう。怪物は、巨大な目を回転させて、人間にはとても聞き取れない言葉で咆吼した。

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「おのれえええええっ! 化けものめ! 娘を離せーっ!」

叫ぶゲイツの視界の隅で、太った豚のような司祭が、悲鳴を上げて逃げていくのが見えた。頼りには最初からしていなかったが、予想以上の役立たずだ。だが、それは自分も同じである。

ついに、押し広げられた門周辺の外壁が半ば砕け、ぼろぼろと石材が落ちてくる。兵士達は転がるように逃げ、勇気を見せる物など一人も居ない。東に住む蛮族とも戦えるとか吹いていた男も、同じだった。

ゲイツは、それでも心を保っていた。

勇気は潰えなかった。

外壁を砕き、進んでくる怪物の触手に捕らえられている娘が。その怪物の上部に、円筒形の、地獄の入り口そのものの口の近くで揺れているのを見て。愛娘が死に行こうとしているのを見て。ゲイツは躊躇できるほど、臆病者ではなかった。

側に、兵士が捨てて逃げた槍が転がっている。

見れば、革細工用の刃物は、粘液に塗れて、腐食し始めている。この刃物はもう駄目だ。悔しいが、捨てるしかない。

使い慣れた刃物を捨てると、ゲイツは槍を手に取る。神には、祈らない。どうせ助けてくれないことなど、目に見えているからだ。

飛び退く。

それは、跳躍のための、助走距離を確保するため。

そして怪物の目が、ゲイツを見た瞬間。

皮職人は、跳躍し、槍を渾身の力で投擲していた。

狙うは、あの巨大な目。

星明かりの下。願いがこもった槍は、さながら一筋の流星のように飛ぶ。そして、狙い外さず。

眼球の、しかも瞳孔に突き刺さったのである。

一瞬、世界が凍結したかと思った。

怪物が、再び咆吼する。槍が揺れ、抜けて落ちてきた。穂先はグズグズに腐って溶けてしまっている。

一度では駄目か。もう一度。

そう思った、次の瞬間。怪物が。今まで其処にいた巨大な姿が。

溶けるように消え、そして後には、意識を失ったクララと、薬草が山と詰まったバスケットだけが残されていた。

しばし呆然としていたゲイツだが、闇の中から歩いてきた老婆を見て、我を取り戻す。村はずれに住む、昔の信仰を捨てていない魔女。クララとつきあいがある、腰の曲がった、猿のような老女だ。

「何だ、何があったのかね」

「ばあさん……」

「おや、クララが薬草を集めてくれたのかい。 これで疫病も治まるだろうよ。 で、この有様は? 巨人でも出たのかね」

「……よくわからんが、俺が退治したらしい」

疲れ果てたゲイツは、気を失ったまま倒れている娘に歩み寄る。

粘液まみれになって倒れていた娘は。幸い、傷一つ無いようだった。

 

幕間、星の海にて

 

惑星E667の衛生軌道上に停泊していた外宇宙探査船カドラケルアルテミルの船尾にて、転送されてきた物質が実体化する。船長であるイオリは、髪を掻き上げながら、回収ミッションに移った。

すらりと伸びた肢体を伸ばし、コントロールボードに指を走らせる。光が明滅し、スクリプトが起動。複雑な処理を経て、作業工程が開始される。

円筒形の転送装置の中に実体化してきた生体アーマーに、幾つかのチューブが伸びる。神経剥離剤が注入され、内部のアクターとの切断が行われた。一瞬で神経はアクターと剥離されるので、痛みもない。親和剤、分離剤が続けて投入され、意識の分化が行われる。やがて、ぐったりとゲル状になって広がった生体アーマーの上部投入口から、操縦者であるリニーが姿を見せる。

ピンク色の髪の毛を持つ小柄なリニーは、早速ロボットアームが渡した絞りで顔を拭く。粘液塗れなのだから仕方がない。生体アーマーの感覚器官には、なにやら攻撃によって付けられたらしい傷が穿たれていた。

「お疲れ様、リニー」

「ふいー、つかれたよー」

ぶるぶるっと、リニーが顔を振って水分を飛ばす。ロボットアームが半裸の彼女を惑星探査用の生体アーマーから引っ張り出して、床に下ろす。キタニア星系産の姫苺がプリントされたインナーしか身につけていない妹に、用意してきたタオルを肩から掛けてあげる。

ぱちぱちと何度か、リニーは大きな瞳で瞬きした。青いイオリと同じ空色の瞳が、辺りを見回して、視覚の確認をする。髪の毛の色は正反対なのに、瞳の色だけは同じだ。姉妹なのだから。

「早めにシャワー浴びてきなさい」

「うん。 そうさせて貰うね、お姉ちゃん」

ぺたぺた歩いていくリニーを、眼を細めて見送る。イオリにとって、銀河連邦で最年少の生体アーマーアクターに選ばれた、自慢の妹だ。自身も十代半ばの未成熟体で外宇宙探査船の船長に選ばれた身ではあるが、妹の天才的素質を思うと、先が楽しみで仕方がない。

触手が七本あるサポートロボットのガルムが、反重力飛行で僅かに床から浮き上がったまま、イオリの側に来た。円形のガルムは、如何なる任務にも対応できる万能サポートロボットだ。

「今回も文明接触は失敗ですか」

「この星は本当にわからないわ。 私達と知性体の姿が殆ど同じなのに、髪の毛の色だとか、肌の色だとか、本当に些細なことで差別し合い憎み合っているみたいなの。 かといって、サンプルを捕獲したり、知的生命体同士での接触は禁止されているものね」

「収斂進化のサンプルとしては的確なのに、こうも難しいとは。 どうしてこの星の生命体は、こうまで攻撃的なのでしょう」

「さあ、何ででしょうね。 いずれにしても、せっかちな接触はこの星の知性体のためにはならないわ。 じっくりやっていくしかないのだけれど」

バスローブに着替えたリニーが戻ってきた。十代前半の健康的な肌は、水を弾いて輝いている。妹ながら、その場でハグしたいほどのかわいらしさだ。

「おねーちゃん、疲れたー」

「少し寝てきなさい」

「うん……」

「ガルム、送ってあげなさい」

流石に疲れた様子の妹を一度休憩カプセルで休ませてから、会議に移る。その前に、イオリは書類の整理や、データの分析をしなければならない。色々している内に時間は飛ぶように過ぎていき、少し仮眠を取ると、もう規定時間に達していた。

肩を叩く。まだ十代半ばなのに、ちょっと情けない。

会議室へ。空調が完備されていて、湿度も気温も母性の快適指数に会わせてある。中央にある円卓には既にジュースが並べられ、サポートロボット達が来ていた。この船には、イオリ、リニー姉妹しか人間は乗っていないのである。技術が進み、探査船の事故による損耗を減らすために、今では何処でも行われていることだ。

会議には、リニーも出て貰う。今回の失敗を、確認するためである。

立体スクリーンに、生体アーマーが記録した情報が立体データとして投影される。

最初、大型の肉食生物に襲われていた知的生命体を、リニーが助けた。大型生物も出来るだけ殺さないように、である。そうしたら嫌がられた。

可愛らしくリニーが小首を傾げ、ぷにぷにの手で頬杖をする。いちいち動作が可愛らしすぎるので、そのまま見ていても飽きない。逆に老けすぎていると揶揄されるイオリとは、何もかもが対照的だ。

「どうして助けてあげたのに、嫌がったんだろ。 荷物まで持って上げたのに」

「弱いと、見たのではないのでしょうか」

「あ、それはあるかも。 この星の知的生命体、何だか相手を暴力で制圧するのが大好きみたいなんだよね。 つまり、圧倒的な暴力でねじ伏せた相手としか、交渉する気がないのだとか」

「サンプルを取って分析が出来ない以上、迂遠な結論しか出ないけれど。 本当にそれで正しいのかしら」

ああでもないこうでもないと、サポートロボット達と意見を交わす。

母星周期で三千六十年前に制定された非文化惑星接触法により、有知性生物飛行機械を開発し得ていない文明レベルE以下の星とは、接触の定義が非情に厳しく設定されている。様々な不幸な事故が過去に起こったからである。中には文明が崩壊してしまった星もあり、それらの悲劇は探査船クルーなら必須科目として学ぶ。イオリも悲劇については良く知っているから、法を遵守する方向でしか動けない。

「いっそ、生体アーマー無しで接触してみるのはどうでしょうか」

「却下。 だって、髪の毛の色にしても肌の色にしても、全然違うんだよ。 あの文明の攻撃性、今までの資料でも見てるでしょ? 言葉だけ取り繕っても、多分すぐ攻撃されちゃうよ。 自殺行為だよ」

「私も同感よ。 私のリ……げふんげふん。 クルーを危険にさらす訳にはいきません」

文明の利器の提示、その星とは違う思想の持ち込みは絶対厳禁である。生体アーマー無しで降り立つとなると、相当な重装備をしていかないと、危なくて仕方がない。ステルス機能を用いて、採取だけだったら出来るだろうが、それでは文明接触にはつながらない。

「しかし、弱いから攻撃されたとなると。 此処で、保護した知性体を集落に届けに行ったのは、失敗だったのでしょうか」

「ぐちゃっと潰して、強いぞーって示さなきゃいけなかったのかな」

「それも法違反。 分かっていて言ってる?」

机上のボタンを押すと、リニーの頭上から金だらいが落下し、直撃した。痛がっている様子も実に可愛らしい。笑みを押し殺すのに苦労した。

「お、おねえちゃん、痛い……」

「反省した?」

「ひっ! は、はい! 反省しました!」

「ならば良し!」

面白い妹の反応を楽しみながら、イオリは映像を進める。結局、この星の知性体と接触がもてそうな方法は、思い浮かばなかった。

会議の締めとなって、リニーが挙手する。

「お姉ちゃん、やっぱり、凄く強そうな格好でいかないと、交渉できないんじゃないのかな」

「例えば?」

「クラスSSの生体アーマー使うとか」

過激な提案にも思えるが、実際それくらいしか、もう手はないかも知れない。

暴力に立脚する文明は、確かに存在する。

まあ、駄目なら別の手を使うだけのことだ。

「クラスSSとなると、注入ナノマシンによる制御プログラムサポートだけでは難しいわね。 貴方たちも、一緒に行って、違法にならないように気を配ってくれる?」

「わかりました」

サポートロボット達も、転送室にわらわらと向かう。

これで駄目なら、戦略を根本的に考え直す必要があるだろう。

ちょっぴり、イオリは憂鬱だった。

 

3、破壊神降臨

 

馬車に揺られ、クララは空を見つめる。最初は馬車の先頭で御者と並んでいたのだが、今では暇すぎるので、藁が満載されたように見える荷台の後ろに腰掛けてぼんやりしていた。がたごとと揺れる馬車の荷台表面に積まれた大量の藁が、枯れ草独特の匂いを立てている中、クララはその草の特徴を頭の中で反芻していた。

クララが遭遇した、悪夢のような事件からしばらくが過ぎた。

父は悪魔を倒した聖人扱いされ、国から訳がわからない金額の報酬金を渡されて、その代わり司祭の醜態を周囲に晒さないようにと、監視を付けられて過ごしている。クララの持ってきた薬草でどうにか疫病は収束した。だが、疫病も全部悪魔の仕業で、父が聖なる奇跡で打ち払ったことにされてしまった。お婆さんは失笑していたが、クララにもその気持ちがよくわかった。

教会の下劣なやり口を目の当たりにしたクララは、婚約を破棄。町外れのお婆さんからその技術の全てを受け継ぐと、薬草学の権威と影で呼ばれるようになった。今日も隣街へ出かける予定である。教会が頼りにならないと知っている領主から、流行しつつある疫病をどうにかして欲しいと頼まれたのである。

この馬車も、乗り合いや農民の私有物ではなく、その領主が派遣してきた護衛が乗っているのだ。素朴な農民に見える御者は、実は騎士であり、何度かの戦役で功績を立てた古強者だという。だがあまりにも寡黙すぎるので、一緒に馬車に乗っていて退屈きわまりなかった。だから荷台の後ろに移ったのだ。

暇なので、藁の下に隠してきた薬草のことを、頭の中で反芻する。この近辺で流行する疫病には、大体対処できるようにしてきた。流石に死神の病と言われる黒死病は自信がないが、それ以外ならどうにか出来るだろう。

それにしても、あの化け物は、一体何だったのだろう。

五年も前に遭遇したあれは、結局クララを貪り食うこともなく、とても効いたとは思えない父の攻撃であっさり逃げ帰った。死んだとはとても思えないし、父自身が倒せたとは信じられないと言っていたくらいである。それに、バスケットまで無事だった。あれはひょっとして、クララを狼から助けてくれた上に、村まで届けてくれたのでは無かったのか。

短く刈り込んだ赤毛をかき回す。長く伸ばしていると目立ちやすいので、わざと切っているのだ。肌も白くしないで、良く焼くようにしている。

あまりにもおぞましく禍々しい姿であったから、クララは混乱していたが、化け物は特に酷いこともしなかった。事件の後、お婆さんに言われたものである。見かけだけで相手を判断していると、酷い目に会うと。事実お婆さんと縁が出来たのも、幼い頃怪我をして泣いている所を、助けて貰ったからだった。

それ以来色々思う所あって、わざと容姿は地味にしている。そしてその結果、自由な人生を送れるようにもなっていた。

がくんと、ひときわ大きく馬車が揺れる。

森の間の小さな街道から、比較的大きく太い、石で整備された軍用道路に入ったのである。馬車の轍が続いていた土が剥き出しの路よりも、此処からは断然早い。揺れも最初だけで、後はぐっと快適になった。

時々すれ違う乗り合い馬車や、或いは馬に乗った商人が、フードを被ったクララに時々視線を向けてくる。やがて、立派な城壁を持つ、大きな街についた。城壁の高さと言い分厚さと言い、村とはまるで違う。ランスチャージどころか、ドラゴンが体当たりしても平気そうだ。ドラゴンがいたら、の話になるが。

何処の街もそうだが、基本的に独立国と同じだ。様々な権力階層はあるが、小さな国家単位で佇立しているのが普通である。この街も例外ではなく、そればかりか比較的栄えている方だった。

領主の屋敷は街の真ん中にある。街路には汚物が充満していて、毛深い豚がきいきい奇声を上げながら走り回っていた。どんな街でも見られる光景で、蠅の数も多い。主要街路から外れた後は、護衛の寡黙な騎士について、歩く。裏道にはいると、濃厚な悪意と腐臭が、より強くなっていた。

こういった不清潔な環境こそ、疫病が流行る元だと、お婆さんは時々言っていた。確かに経験則で、それは正しいのだとわかる。ばしゃりと音がしたのは、窓から汚物がぶちまけられたのだ。すぐに豚が数頭来て、新鮮な御馳走を貪り食い始めた。

手足を真っ黒に汚した子供達が走り回っている。もちろん細かい傷がびっしりで、いつ疫病になってもおかしくは無さそうである。嘆息するクララに、護衛が初めて声を掛けてきた。

「もうすぐだ」

「ええ。 裏口からはいるの?」

「すまん。 本当は国賓として遇さなければならんのに。 隣の国で、お前が疫病を一月で収束させたことは知っている。 だが、教会を敵に回すことは、我らとしても避けたいのだ」

「……急ぎましょう」

街の中央部には、もう一枚城壁がある。東西に一箇所ずつ入り口があるのだが、裏口は東。西の大門とは比較にならない規模で、兵士の数も少なかった。

あまり好意的ではない視線を浴びながら、城にはいる。

既に、別口で運び込まれていた薬草が、中庭に積まれていた。

フードを脱ぐと、まずは井戸水を所望。湧かして、手足をを洗う。そして口元を薬草で煮沸した臭い布で覆い、病人達が収容されている別棟へ。

病人は、ざっと百人。衛生的とは言えない環境で、雑多に冷たい石床に転がされていた。医師達もいるが、手に負えない様子である。

ざっと見る。大体病状は特定できた。

「翠紋病ね。 感染力は強いけど、比較的致死率は低い。 この段階なら、どうにか出来そうだわ」

「ハッグの薬師め……!」

不快そうに、医師が呟く。一瞥だけすると、クララは何人か若い兵士を呼んで、薬草の調合を始めた。

それからは、長丁場になった。体力については自信があるが、一刻一秒を争うこういう状況では、それでも無理がどうしても出てくる。

何度か仮眠を取りながら、治療を続ける。

三日三晩掛けて治療を施すと、すぐに効果が出始めた。重篤患者も回復に向かい、どうにか死者は出さずに済みそうである。安堵すると、どっと疲れが出た。此処で倒れる訳にはいかないのに。

問題はその後で、この病気は潜伏期間があると言うことだ。この街が特に際だっているようなことはないのだが、エウロピアの平均的な都市が、そもそも不清潔すぎるのである。熱が下がり始めた患者を診終え、一休みしようと思った所に、領主が来た。

白い髭を蓄えた、温厚な長身の老人である。かっては勇敢な騎士だったらしいのだが、それよりも心優しいそぶりが目立つ人物だ。クララを手遅れになる前に呼んだことからも、体面よりも民のことを重視する良き領主なのだとわかる。

「クララ殿、民を救ってくれて礼を言う。 本当なら、国を挙げてそなたに報いるべきなのだろうが、教会が監視している現状、それは出来ぬ。 すまぬな」

「何、慣れてますから」

煮沸した湯で手を洗う。

この地の文明では、入浴の習慣さえない。入浴や沐浴をもう少し多めにするようにするだけで、全然疫病への感染率は変わってくるのである。お婆さんは見掛けと違って非常にきれい好きだったが、その理由も彼方此方で現物を見てきた今となってはよくわかる。

「街に上水と下水を引けないんですか? 全然違ってきますよ」

「いにしえのローマの街のようだな。 見る間に疫病を収束させたそなたの言うことだから、信じられるのかも知れないが。 しかし、貧しいこの国にそんなものを引くとなると、相当な税を民に課さねばならなくなる。 少しずつ工事をするとなると、十年、二十年という時と、膨大な人命を浪費することになろう」

「それでも、疫病の脅威が去り、物運が盛んになると思えば」

「そうだな。 そなたの奇跡の技を見た跡だと、考える必要が出てくるのかも知れん」

どすんと、遠くから凄い音がしたのは、その時だった。

兵士達が、ばらばらと駆けてくる。その中には、あの騎士もいた。

「領主様。 西の方角に、何かとんでもないものが現れました」

「何だ、それは」

「見ていただくのが一番かと思います。 薬師殿も、来てくれ」

もう一つ、どすんと凄い音。

いやな予感を覚えた。同時に懐かしい感覚。気配を、肌が感じるのだ。

中庭を抜けて、城壁の上に階段で上がる。

そして、見た。

「何と! あれは何だ!」

隣で領主が絶望を声に含ませた。

今日は満月だ。だから煌々と月明かりが照らす下、それは我が物顔に森を歩き、街へと迫ろうとしていた。

形状は蜥蜴に似ている。首が長く伸び、七本もある事を除けば、だが。

足は六対、十二本。全体的に赤黒く、背中からは巨大な背びれが飛び出していて、まさに終焉の使者そのものの威容を、周囲に見せつけていた。

首は一本一本が、余裕で城壁を乗り越え、禍々しい顔は一口で十人以上はぺろりと平らげてしまいそうである。絶望の声を兵士達があげる中、クララは城壁を駆け下り、走り出していた。

多分、あれは。

間違いない。あんな超常的で、あまりにも度が外れている生物は。あの時見た、怪物の同類だ。

もしそうなら。

考えが間違っていないのなら。

混乱は街に広がり始めている。それを押しのけて進もうとすると、手を取られた。護衛の騎士だった。

「何処に行く。 死ぬ気か」

「丁度良かった。 護衛してくれる?」

「意味がわからん。 どういう事か」

「あれはきっと、以前私が見た怪物の同類よ」

夜空を引き裂かんばかりの咆吼を、怪物があげた。

 

4、コミュニケーションの形

 

これなら大丈夫だろう。

この惑星の基準で五周期ほど掛けて船内の設備で生産したランクSSの生体アーマー、七つ首の赤龍。これに跨り、星に降臨したリニーは、サポートロボット達の支援を受けながら、愛すべき強そうな乗騎を傲然と進ませていた。

この星の知的生命体は、どうして排他的かつ暴力的なのかよくわからないが、それなら向こうの理屈に合わせるだけである。無数に生えている低木を出来るだけ踏みつぶさないようにしながら、適当に目を付けた集落へ進む。ぎゃあぎゃあ知的生命体が騒いでいるのが見えた。

まるで玩具のような防御施設に、無数の知的生命体が群がっている。きっと挨拶しに来てくれたのだと、リニーは思った。

やはり、凄く強そうな生体アーマーで来たのは正解だったのだ。

嬉しくなってきたリニーは、テンションが上がる。

「よーし、挨拶しちゃうぞー!」

「火炎にしますか? それとも稲妻にしましょうか」

「まずは音波で!」

サポートロボット達の支援思念に応じて、念じる。

首の一つが鎌首をもたげて、空を裂くような咆吼を発した。

悲鳴を上げて、腰を抜かす知的生命体どもが見える。ちょっと予想と違う反応に、がっかりした。

「あれ? 何だかまた嫌がってるみたいだね」

「音波は苦手なのかも知れません。 周波数を変えてみましょうか」

「いやー、どうせなら違うアプローチで行こうよ。 じゃあ火で! よーし、花火打ち上げちゃうんだから!」

三つの首が、同時に動き出す。そして体内の生体原子炉を稼働させ、一気に300メガトンの火力を有するエネルギー球を造り出した。

あの防御施設の上空で爆発させれば、きっと知的生命体は喜んでくれるだろう。何しろ、暴力と差別をこよなく愛する種族なのだから。

ふと気付くと、逃げまどう知的生命体の中で、此方に来るのが二匹。

ちょっと緊張した。また攻撃を受けるかと思ったからだ。これだけの強さを見せつけていれば、多分平気だとは思うのだが。露骨な敵意から攻撃を受けた場合、法によって引き返さなければならないのである。

この星での調査、知的生命体との接触は困難を極めていた。今回で実に八度目の降臨であり、今までの全てが失敗していた。非常に攻撃性の強い文明だと言うことは分かっていたが、それでもものには限度がある。これに失敗したら、専門家ともっと本格的な艦隊を呼んで、接触を図ることになるだろう。

この星は将来、重要な航路の中継地点となりうる。

だからこそに、今の内に質が悪い星間国家の干渉を受けないように、保護状態を作り上げなければならない。その先兵として来ているリニー達の責務は重い。逆に言えば、だからこそやりがいのある仕事であった。

知的生命体二匹は、足下でとまる。一匹は棒状の武器を手にしているが、もう一匹はじっと此方を見上げていた。

「攻撃をしてくる様子はありません」

「あれ? データ照合してみて。 ひょっとするとあっちの赤い髪、以前私が助けたやつかも」

「データ照合開始。 ……一致率、91%。 遺伝子一致率100%。 同一個体です」

「わ、ひょっとすると、凄い偶然! 随分成長しているみたいだけど。 五周期くらいで、あんなに変わるものなんだね」

喜んだ拍子に、首の一つが天に向けて炎を噴き出した。

だが、足下まで来ている赤い髪のは動じない。手を広げて、何か喋ってきている。

翻訳装置が稼働し、意識に直接語りかけてきた。

「貴方の目的は何!? 前に私を捕まえた化け物と、同じ世界の住人なんでしょ!」

「おおっ!」

「向こうからコンタクトを取ってきた!」

「やったよお姉ちゃん!」

やんややんやの喚声が上がる中。

リニーは言葉を選んで、コミュニケーションを開始した。

音声を、今使ってきた言語に会わせて、なおかつ知的生命体が聞き取れるはずの周波数で発する。

「はじめまして、ちきゅうのみなさん! わたしはゆうこうてきなうちゅうじんです!」

知的生命体が、少しずつ集まってくる。白い髭のも、背が高いのもいた。

リニーはもう一度、同じ言葉を発した。

 

(終)