二つの瞳

 

1、宴の準備

 

退屈だったので、るうは小さく欠伸した。周りには誰もいない。ぼんやりしていても仕方がないので、音楽でも作ってみようと思った。

腰掛けてから、とんとんと、辺りを叩く。

一定のリズムが産まれて、少し気持ちよくなってきた。そのまま、辺りを色々と叩いてみる。場所によって、違うリズムが産まれるのが心地よい。しばらく辺りを叩いていると、気配があった。

「何やってるんだ、るう」

「あ、タンちゃん」

いつの間にか側にいたタンが、長い黒毛を掻き上げた。大人っぽい動作が身についているが、中身がとても子供っぽいことを、るうは良く知っている。だが、其処が可愛いのだ。

「見て見て。 場所によって、違う音が鳴るの。 面白いよ」

「また、そんな子供っぽい事して」

「えー?」

「それよりも、シフは?」

タンと喧嘩友達のシフは、ここのところ彼方此方を飛び回っているらしくて、なかなかるうの前には姿を見せない。一番気が合う友達だから、なかなか会えないのは寂しいことだ。

妹のイアも、最近は忙しくて一緒に遊べない。だから、一人遊びの開発には、余念がないのだ。

るうは年を経ても、あまり変わらないと言われる。でも、其処が安心できるとも。

そう言われるとるうも嬉しい。

「いないよー。 また何処かでお仕事じゃないのかな」

「そうか。 彼奴も私達に連絡くらい寄こせばいいのにな」

「タンちゃん、寂しい?」

「馬鹿を言うな! ……いや、そうかも知れないな」

みんなで連んでいた時には、タンはいつもからかわれる対象だった。自分だけ大人っぽいふりをしていながら、つつくと簡単に襤褸が出るからである。もっとも、それが虐めに発展するようなことは殆ど無く、あくまで気心知れた友達同士のなれ合いだった。

リーダーシップを取っていたシフは、最近は一人で行動することが多い。逆に少し離れた所で皆を見ていたアーモの方が、積極的にべたべたしてくる位だ。

「あー、るうちゃん。 タンちゃんもいる」

もの凄く嬉しそうに、そのアーモが来た。おっとり優しいアーモは、肩から大荷物をぶら下げている。

「アーモちゃん、なあに、それ」

「みんなで食べようと思って、晩ご飯取ってきたの。 でも、シフちゃんはいないのね」

本当に残念そうに、眉を下げて辺りを見回すアーモ。悪意がない、優しいその様子を見て、るうもちょっと気の毒になってきた。

タンが咳払いをして、三人で円座を組む。アーモが大荷物を降ろした。被せていた覆いを取ると、中身が見えた。

「大変だったのよ、これ取るの」

「わあ、おっきいlashlaoidufohだー。 美味しそうだねー」

「こんなに大きいのははじめて見るな。 食べきれるのか」

「だから、シフちゃんがいると嬉しかったのだけれど。 シフちゃん、いっぱい食べるじゃない」

食べきれなければ腐らせてしまう。それはもったいない。お仕事が一段落してから、後輩のルーゼとは会う機が減ってしまい、少し多めに食べ物を作ってしまう事が何度かあった。

「どうにかして呼べないか」

「じゃあ、私が探してくるよ」

るうが立ち上がると、二人が見上げてきた。ざっと見た所、lashlaoidufohは充分な量がある。同じように最近は会う機会がなかなか無いモデウ先生も、見つけたら声を掛けてきたい所だった。

埃を払うと、ひらひらと二人に手を振る。

「じゃ、行ってくるね」

「るうちゃん、気をつけてね」

「ほーい」

さて、何処を探すか。

るうは宛もなく、世界を歩き始めた。

 

2、海山のできごと

 

しばらく歩いていると、海に出た。時々目の前がちかちかしたけど、あまり気にはならなかった。

てふてふと海岸を歩く。時々意識せずに砂の山を崩してしまった。がらがら、ざざざと凄い音。はふうとため息をついて、腰掛ける。

やっぱり簡単には見つからない。ぼんやりと遠くを見つめると、水平線の向こうから、誰かが泳ぎ来た。

波を蹴立てて来るのは、特徴的な二本の束。

ルーゼだ。

「あー、ルーゼちゃん」

「るう先輩!」

海から飛び出したルーゼは、ぶるぶるっと体を振るって海水をとばした。ばちゃり、ばちゃりと凄い水音がする。

布を取りだして水を拭いて上げようとしたが、取り上げられてしまった。世話を焼かれることを、この子はとても嫌がるのだ。スキンシップはもっとさせてくれない。ごしごしと頭を拭きながら、しっかり者の後輩は言う。

「どうしたんですか、こんなところで」

「うん。 アーモちゃんが、おっきなlashlaoidufohを取ってきたの。 みんなで食べようと思って、探してたんだ」

「この時期に、そんなに大きなlashlaoidufohが?」

「ルーゼちゃんも食べに来ない? みんなで食べれば美味しいよ?」

少し考え込んでから、ルーゼは海を見た。

「私は、ちょっとお仕事がありますので」

「あー、そっか。 そうだよね」

「でも、もう少しで終わりそうなので、行きます。 イアはそちらにいないんですか?」

「イアも忙しいんだよー。 何だっけ、この間海で起こった事件。 その関係で、お仕事が増えちゃってるらしくて」

ルーゼがしらけた目で見た。

そういえば、ルーゼもイアのお仕事の手伝いをしてるのだった。担当している場所は違うが。

「今、まさに私がそれを手伝ってるんですけど」

「ごめん、そうだったね」

「全く、幾つになってもボケボケなんだから」

「わ、ルーゼちゃん怒った! 可愛い!」

嬉しくなって、ぎゅうと抱きしめると、思い切り嫌がられた。さっとハグから逃れると、ルーゼは頬を膨らませた。

「るう先輩っ! やめてください! すぐ抱きつかないでください!」

「ごめんごめん。 あんまりにもルーゼちゃん可愛いから、つい」

「もう。 とにかく、お仕事が終わったら行きますから、私の分、とっておいてくださいね」

また海に飛び込むと、ルーゼはすぐばちゃばちゃと泳いでいってしまった。るうの所まで、激しい波が押し寄せる。波打ち際で、それは砕けて飛び散った。

ルーゼがあの様子では、イアも難しそうである。

でも、せっかくあの美味しいlashlaoidufohがあるのだし、みんなに食べさせてあげたい。そう思って、思い出した。

そういえば、シフを探しに、出ていたのだった。

すぐにlashlaoidufohが腐ってしまう訳ではないが、あまりのんびりもしていられないだろう。

再び、るうはてふてふと歩き始めた。

 

海から離れて、今度は山に向かってみた。山と行っても、この辺りはそれほど高いものもない。

前にタンちゃんに教えて貰ったが、火星にはオリンポスというとんでもなく高いお山があるという。でも、今度暇な時にでも、みんなで遊びに行きたいといったら、タンちゃんに怒られた。

さっきはチカチカが少し面倒だったが、それもない。空は赤く染まっていて、それがるうを急がせた。

木が一杯生えている山を登る。傾斜がきつくて、時々転びそうになったが、それでも迷うような要素はないし、安心して歩ける。ご機嫌になってきたので、鼻歌を奏でてしまった。

歌はるうと共にある。

だから、山歩きも楽しくなった。るんるんな気分と共に、てふてふと歩く。いつの間にか、空は真っ青になっていた。

ふと気付くと、山の頂上で何か音がしていた。手をかざしてみると、それは良く知っている人の声だった。

子供達を集めて、授業をしているらしい。

何だか、懐かしい光景だ。昔は、自分もあの中にいた。

「はい、授業は此処まで。 明日は少し東の平地で授業を行いますから、みなさん来てくださいね」

「はーい」

子供達がぱたぱたと散っていく。散り際に、るうを見て、あたまを下げていく者もいた。そういえば、自分は有名になってしまったのだと思って、ちょっとこそばゆかった。

授業をしていたのは、モデウ先生だった。相変わらず知的な美人だが、ちょっと一皮剥くと子供っぽいは怒ると怖いわ甘いものが好きだわで、典型的なガッカリ美人である。でも、だからるうは先生が好きなのだった。完璧すぎる先生だったら、るう達を認めてくれることも、育ててくれることもなかっただろう。

手を振って、ぱたぱた駆け寄る。先生はとっくに気付いていたようで、大輪の花のような笑顔で返してくれた。

「先生、お久しぶりでーす」

「るうちゃん、久し振りね。 どうしたの、こんな所まで」

「それが、シフちゃんを探してたんですけど、なかなかみつからなくって」

「妙に騒がしいと思ったら、るうちゃんが走り回ってたからなのね。 シフちゃんなら、確か岬の方で見掛けたけど。 でも、どうしたの?」

そういえば、lashlaoidufohは先生の大好物だった。今知らせたら、シフを連れて行く前に、全部食べられてしまうかも知れない。ちょっと逡巡したが、でも先生は生徒を悲しませるようなことは、しないだろう。多分、だが。

「それが、アーモちゃんが、おっきなlashlaoidufohを取ってきたんですよお。 それで、みんなで食べられないかなあって」

「それホント? 私も行って良い?」

露骨に先生の目の色が変わる。

これだ。だからいやだったのだ。

前もアーモちゃんが用意してくれた洞窟で、みんなで合宿をすると言ったら、無理矢理ついてきた。その上美味しいお肉もたっぷり食べられてしまった。

まあ、その辺も含めて、良い先生だ。それに一杯お世話になったし、あまり邪険にも出来ない。

「いいですけど、ルーゼちゃんも(きっと)来ますし、みんなたべちゃったら悲しいですよぉ」

「そんな事しないわよ、子供じゃないんだから。 じゃ、先に行ってるわね」

言い残した次の瞬間には、もう先生はいなかった。

びゅっと凄い風が吹き付けてきて、ああ先生は走っていったのだなと、今更にるうは思い知らされた。

失敗だったかなと思ったが、山頂から見る光景は美しくて、思わず心が躍る。

鼻歌を奏でながら、また山を行く。岬は、ここからちょっと北に行った辺りにある。辺りを見回すと、山には鬱蒼と木々が生えており、美しい。世界は美に満ちている。自分が歩くと、鳥たちが逃げ散るのも、また面白かった。

岬へ行こう。

山を下りると、るうはそう思った。

 

3、岬の一幕

 

海の方でお仕事をしているイアが見えた。

岬を目指して、てくてく歩いている時だ。

以前、るうは驚いたことがある。兄弟姉妹は決して仲がよいものではない、という事実を聞かされた時だ。

イアとるうはとても仲がよい姉妹として周囲で噂になっていたとも聞いて、それで二重に驚かされもした。

仲がとても良いことが、普通だった。るうはイアのためだったら何だってしたし、イアもるうの欠点を補うようにいつも尽くしてくれた。イアの喜びはるうにとっても幸せだったし、イアだってるうの笑顔を見るととても嬉しそうにしてくれていた。だから、普通は仲が良くないと聞いて、最初は信じられなかった。

信じられるようになったのは、友達の家におじゃまさせて貰うようになってからだ。特に兄妹は、ある一定の年齢を経ると、非常に仲が険悪になることが多いようで、それにも驚かされた。

変であることは、別に気にしない。

だが、不思議だなと思った。

やたらしっかりしている妹と、ボケボケの姉。真面目で頑張り屋の妹と、マイペース全開の姉。

結局有名になってしまった現在も、二人の絆に代わりはない。あんまり会えなくなってしまった今も、イアが大事なことに代わりはなかった。

だから、せっかく見つけたのだから。イアも今回の楽しい宴に加えたい。

「イーアー!」

それが故に、手を振って呼んでみる。

風がごうっと鳴って、海が一瞬逆巻いた。

すぐにイアは気付いてくれた。ざぶりざぶりと、泳いでこっちに来る。

半身を海から出して、イアが満面の笑顔を作る。この表情も、親しい人にしか見せないとこの間ルーゼに聞いて、ずいぶんと驚いたものだ。いつもにこにこしているとばかり思ったから。

「お姉ちゃん! どうして此処に?」

「えへへー。 アーモちゃんが、美味しいlashlaoidufohとって来てくれたんだ。 イアも一緒に食べない?」

「あ、それなら私が料理しようか?」

「ホント? 丸焼きもいいかなって思ってたんだけど、そうしてくれるとすっごく嬉しいな」

イアは料理上手だ。丸焼きだの串焼きだのと言う原始的な調理しかできないるうとは違って、本格的なのを手軽にやってくれる。腕前も相当なもので、誰もがイアの食べる料理には舌鼓を打つのだ。

「lashlaoidufohは何分割するの?」

「えっとねー。 私でしょ、タンちゃんでしょ、アーモちゃん。 それとさっき海でルーゼちゃんに声掛けて、それでお山でモデウ先生にも会ったんだった。 ひょっとしたらシフちゃんも見つけられるかも知れない」

「わ、そんなに。 楽しい晩餐になりそうだね」

「うん!」

これは、とても晩餐が楽しみになった。

どうせlashlaoidufohは世界的な観点からは食べきれないほどにあるのだ。もし足りなくなれば、また取ってくればいい。しかし見かけよりもずっと食べるルーゼや、油断すると人の分まで食べてしまうモデウの事を考えると、あまりうかうかもしていられなくなった。

「じゃあ、急いでシフちゃん探してこないと」

「頑張ってね、お姉ちゃん」

ぱたぱたと手を振り合うと、その場から離れる。

イアは海を泳いで、すぐに見えなくなった。やっぱり海を行く方が、ずっと早い様子だ。それはそうだろう。ルーゼと違って、元々海こそがイアのホームグラウンドなのだから。ただ、あんまりにも泳ぐのが早すぎて、ざぶんざぶんと凄い波がるうの足下にまで来たので、ちょっとびっくりだ。

あの様子なら、きっとしっかりもののイアが、食いしん坊のモデウを掣肘してくれるだろう。何だかんだで気が弱いタンは、こう言う時には頼りにならないから、妹の存在は実にありがたい。

てふてふと、荒れる海を後ろに、岬へ行く。

多分、入れ違いにはならないはずだった。

 

岬に、シフはいた。

筒状の大きな石に背中を預けて、岬から足をぶらぶらさせていた。ぼんやりした様子だったので、びっくりさせてやろうと抜き足差し足で近付いたが、至近でくるりと振り返られる。

「なんだ、るうか」

「シーフーちゃん!」

むぎゅうと抱きつく。昔はあんまりしなかったのだが、モデウ先生の所を卒業した辺りから、たまにやるようになった。でもあまりうれしがってくれないので、ごくごくたまにやるくらいである。

抵抗を感じたので、離れる。

ハグする癖は決して他者に喜ばれないのだと、以前タンに言われたことがあった。それ以来、気をつけるようにしているのだ。

シフはちょっと悲しそうだった。お仕事が上手く行っていないという話は聞いている。そういえば、シフの仕事上の立場は一番難しい所にあると、るうは聞いたことがある。それを考えると、仕方がないことなのかも知れない。

しかも、手伝える内容ではない。モデウ先生の所にいた時みたいに、みんなで一緒にという訳にはいかないのだ。

「どうしたんだ。 最近は仕事も少し手が空いてるって聞いてるぞ」

「うん。 ちょっと張り切りすぎて、全部終わっちゃって」

「相変わらず何かに填ったら一直線だなあるうは。 アーモやタンも仕事大体片付いちゃったって聞いてるけど、それ、ホントか?」

「うん。 だから時々一緒に遊んでるよ」

あっちゃーと、頭をかき回すシフ。ワイルドな動作だが、あんまり人前では見せない。それに、不意にとても繊細な表情を見せてくれることもある。

「私はまだまだだなー。 どうも上手に出来なくって、へこんでたとこ」

「シフちゃん、じゃあ気分転換しようよ」

「それで呼びに来たのか?」

「みんないるよ。 とってもおっきなlashlaoidufohを、アーモちゃんが取ってきてくれたの。 だから、みんなで晩餐しよ」

にへらと笑ってみせると、シフはちょっとだけ表情を緩めてくれた。

元々運動神経は悪くないし、社交的な要素も大きいのだ。るうが手を貸すまでもなくひょいと立ち上がる。すると、筒状の石が煽りを受けて崩れてしまった。元に戻そうかと思ったが、粉々過ぎて無理だった。

「あー、壊れちゃったね」

「もう何百年も使ってないものだから、別にいいだろ。 さ、行こうぜ」

「うん!」

向こうには、みんなが待ってる。

そう思うと、心が躍る。

みんなで色々遊んだのも、随分昔の話だ。晩餐でさえ、最近はなかなか機会がなかったのだ。

タンと一番仲が良かったシフも、最近はあまり会っていないのだと、凄く寂しそうに言った。これではいけないと、るうは思った。早くみんなお仕事を終わらせて、のんびり暮らしたいものである。

「そういえばタンの奴、相変わらず黒いの長くしてるのか?」

「そうだよー。 綺麗だよー」

「手入れが面倒だし、何だかなあ。 私はずっとこれでいいや」

「えー? シフちゃんも、ちょっと手入れすれば、すっごく綺麗になると思うよ」

ああだこうだ言いながら、海の脇を通って、山を抜ける。既に星が瞬き、そして太陽が昇ってきていた。

思ったよりシフは早く見つかった。この経過時間ならlashlaoidufohが腐ることはないだろうが、あまり待たせてしまうとみんなに悪い。ちょっと急いで行こうかといったが、シフは首を横に振った。

「いいよ、私のせいでるうもあっちこっち歩き回ったんだろ? 怒られるのは私だけだから、気にしないでゆっくり行こうぜ」

「ええ? でも、怒られちゃってもいいの?」

「私達が急いでいったら、その辺りめちゃめちゃになっちゃうだろ? そうしたらるうやタンのせっかく終わった仕事も台無しじゃん。 その方が悪いって」

それからは、話を変えられてしまった。

この辺りの優しい心配りが、シフを示しているようにるうは思える。

昔はそれに気付けなかった。

今は気付いている。だから、シフを見る目も、随分変わっていた。

「そういえば、シフちゃんってまた綺麗になった?」

「何だよ、藪から棒に。 褒めても何も出ないぞ」

「ええー? 本音だったのにぃ」

きゃっきゃっと会話を楽しみながら、戻る。

みんなが待っている、あの場所へ。

 

4、晩餐

 

みんな待っていた。小走りで行こうとして、すっころびそうになる所をシフに支えて貰う。

確かに、幾つになってもどじは抜けなかった。

「おーっす! みんな元気かー?」

「遅いぞ、シフ。 もう待ちくたびれた」

ちょっと不愉快そうにタンが言って、ついと顔を背けた。lashlaoidufohを目の前にしてお預けを喰わされたのだから、機嫌が悪くなるのも当然か。タンが皆の中で特に老成しているように見えて、実は一番大人げないことを、この場の誰もが知っている。

アーモがもう一つ、lashlaoidufohを担いできた。とても生きが良くて、ぴくぴく動いている。満面の笑みを浮かべるアーモが、ずしんとlashlaoidufohを下ろす。昔から変わらず、とても力持ちだ。

「わ、また大物だね」

「るう先輩、私も取ってきたんですけど」

ぶうとルーゼが頬を膨らませて不満げに言う。確かにるうの側には、アーモの取ってきたのの半分くらいしかないlashlaoidufohがごてりと置かれていた。

砥石で包丁を器用に研いでいたイアが、料理をすると言うと、タンが青ざめて顔を背けた。甘いのは好きだが、生々しい料理は苦手だといつも言っているのだ。逆に、一見すると料理に一番縁が無さそうなシフが前に出る。実は彼女が相当に家庭料理を得意としていることを、るうは知っている。

「お、私も手伝うぞ」

「本当ですか? それじゃあ下ごしらえをお願いします」

イアがにこりとルーゼに微笑む。それは手伝えと言う無言の意思表示。二本の束をぴょこんと逆立てたルーゼは、渋々という雰囲気で立ち上がった。

「私も手伝うー?」

「先輩達はそこでゆっくりしていてください」

「ええ? 何で?」

「話がややこしくなりますから」

厨房に入るべからずと言われた雰囲気である。ちょっとへこんだるうがいじいじと地面を指先で掘り返していると、タンがひっと悲鳴を上げて、耳を塞いだ。どちゃり、ぐちゃりと料理の音がし始める。

モデウはにこにこと楽しそうに料理する三人の後ろ姿を見ていた。

「モデウ先生、どうしたんですか?」

「いやー、三人並んでると、絵になるじゃない。 彼処にタンちゃんが並んでたら、色々遊んで楽しめるのになーと思って」

「ひいっ!」

手をわきわきとさせるモデウを見て、真っ青になるタン。相変わらず、いつまで経っても臆病が抜けない。どじっ子が抜けないるうと、この辺りは良い勝負だ。

「アーモちゃん、あんな大きいの、よく見つけたね」

「ちょっと危ない所まで行ってきたの。 でも、このくらいならへっちゃらよ」

「私達の担当するお仕事なら、もうだいたい終わってるのに」

「いいの。 みんなが楽しそうにしてるのが、私の幸せだから」

アーモは相変わらず綺麗に笑った。シフもそうだが、随分綺麗になって、羨ましい限りだ。いつまでも子供なるうとは偉い違いである。

やがて、じゅうじゅうと肉が焼ける匂いがし始めた。

最初の皿が出てくる。

lashlaoidufohの触手を姿焼きにしたものだ。

つづいて、手羽先の香味焼き。内臓類をふんだんに使ったスープも続いた。甘い調味料を使った、一種のデザートも出てくる。

イアはすごく張り切って、次々に料理を作ってくれる。巨大なlashlaoidufohの目玉が姿焼きになって出てくると、嬉しそうにモデウ先生が言う。

「コラーゲンだわ。 お肌ぴちぴち!」

「先生、まだ若いのに、気にしなくて良いと思いますけど」

「何言ってるの。 油断すると、あっという間にしわしわになっちゃうわよ」

タンの苦言に、恐ろしいカウンター。るうは思わず自分の頬を撫で撫でしてしまった。

最終的に、十品が辺りに並んだ。どれも美味しそうな料理ばかりだった。

「いっただっきまーす!」

みなで声を合わせて、晩餐を始める。

どれもこれも、とても美味しい料理だった。

 

一通り食事が終わったるうは、みんなで歌おうと提案した。

歌うと言っても、かつてこの土地を支配していた人間のようにやるのではない。それぞれが得意な方法で、音を奏でるのだ。

るうは例外的に歌う。意味がある歌詞を。

歌いながらに、音楽を奏でるので、それはそれで大変だった。

昔、モデウ先生の所にいた頃、音楽は皆を結びつける最初の手段だった。接点がないみなを、音楽が結びつけてくれたのだ。

人間の文明について、るうはあまり良く思っていない所も多い。仕事をしていると、特にそれは感じてしまう。

だが、音楽だけは、大好きだった。

「よーし、久し振りにやってみるか!」

シフが、六対ある翼を大きく拡げる。

傲慢を司る者、ルシファー。金星の使者であり、今やこの世界で一番とも言われる使い手だ。

人間の文明の内、傲慢を司る要素を収集、管理している。

トーガを纏った巨大な人間と言ったその姿から伸びる翼をそれぞれ叩くことによって、別の音を出す。単純だが、奥深く力強い旋律を得意とする。

翼はそれぞれがかつての基準で四百メートルほどもある。傾け方で、音を調整出来るのも魅力だ。

ただ性格にとてもムラが大きいので、この手の管理収集作業は苦手らしく、今も一番手こずっているのだった。荒事は得意なのにと、いつもぼやいているのが、るうから見ればとても可愛らしい。

「あまり突っ走るなよ。 リズムの調整が大変なんだからな」

渋々と言った様子で立ち上がるのは、タン。そして、ぎざぎざがついた尻尾に、首の後ろから背中に掛けて生えている長い黒い無数の触手を絡ませる。ぎざぎざと触手を使って、無限とも言える旋律を造り出すのだ。

彼女こそは、憤怒を司る者、サタン。

人間の文明の中で、憤怒を司る要素を集め、管理している。その性質と正反対の要素だが、しかし逆にそれが故に、客観的に管理がしやすいようだ。

黒き蛇とも言われるその姿は、あまり人間には似ていない。むしろかつての文明が造り出した想像の生物、ドラゴンに似ている。とても臆病なドラゴンが、憤怒を司っているのだから、それはそれで面白い。

いそいそと、無言で準備をするのはアーモ。

強欲を司る者、アーモンである。

かつて存在した人間の文明は、強欲という要素そのものによって成り立っていたと言っても良い。だからアーモの仕事は多岐にわたったが、それでも精力的な作業で、さっさと終了させてしまったのがもの凄い。

その姿は巨大な狼と梟の集合体で、尾は蛇に似ている。

その蛇の尻尾を巧みに震動させることで、多数音が重なり合った不思議な優しい旋律を、彼女は造り出すことが出来るのだ。かつては生存していたガラガラヘビと呼ばれる品種の蛇が使う技を、何十倍にも高度に洗練したものだと言えるだろう。

「るう先輩、腕は衰えていないでしょうね」

「大丈夫だよね、お姉ちゃん」

口々に立ち上がる、イアとルーゼ。

るうの妹、嫉妬を司る者、リヴァイアサン。かつて人間が文明の中で造り出した、嫉妬の要素を収集管理している。人間の文明で嫉妬と言えば途轍もなく巨大な要素を秘めているが、しかし元々彼女の実力は七人の中でもずば抜けていて、真っ先に作業が終わってしまった。

今は海に出ては、其処で拠点を造ろうとしているlashlaoidufohを叩きつぶす毎日である。ただそれも張り切りすぎて、最近は活動拠点を拡げ、世界中の海を支配下に置いているため、なかなか会うことが出来ない。今回会うことが出来たのは偶然で、それが故にとても嬉しい。

イアは無数の手足が生えた巨大なウナギに似た姿をしていて、全身は赤黒く、滑らかな粘液に覆われている。手足が多いだけに器用で、しかも背びれを揺らして音を立てることが出来る。口の側から生えている四十対に達する触手を利して、背中で旋律を奏でることも可能だ。様々な可能性を秘めている、本人のようにとてもオールマイティな音楽選手である。

後輩のルーゼは、すなわち暴食を司る者、ベールゼバブル。

かつての人間文明の中で、食が果たしていた要素を、ことごとく司っている。彼女も最近は殆ど仕事が終わってしまっているので、もっぱら最近はイアのお手伝いが主流だ。

姿はかつていた生物だと、蠅に近い。ずんぐりとしたフォルムだが、しかし飛行に特化していて、翼に書かれている髑髏のマークが心憎いかっちょよさだ。背中から伸びている二対の黒い長い触手は、感情に反応して動くのでとても可愛らしい。

硬質の翼をすりあわせて、無数の旋律を作り上げる音楽巧者である彼女は、多分音楽に関する経歴がモデウ先生を除くと一番長い。それだけに音楽に対するこだわりも並ではなく、連み始めた頃は、それが原因で他の皆と対立することも少なくなかった。でも、今では嫌々と言いながらも、仲間との絆を大事にしてくれている。

手を叩いて、皆を注目させるモデウ先生。

「はい、じゃあみんな、準備はいい?」

「いつでも!」

六人の声が、綺麗に揃った。

姦淫を司る者、アースモデウス。巨大なる蛇に跨り、六本の腕を保ち、頭部は四つで前後左右を同時に見、それぞれの口からトーンの異なる声で歌うことが出来るという音楽の申し子だ。顔には一つにつき三つずつの目があり、腹部には縦に大きく避けた口がある。食事はもっぱらこの口から行い、かなり大きなlashlaoidufohもぺろりと平らげてしまう。

モデウ先生は、とても偉大だ。

かつての人間文明に必要だった「七つの大罪」の内、最も原初的にて強力な一つであった姦淫を調査し、文明の記録として次代に引き継ぐことを悪魔元老員に提案した、「始まりの一つ」と呼ばれる存在。そして、音楽に関してもるう達全員の師である。かつて美貌と性愛を司る者であったからか、今でも美にこだわる姿勢は貪欲であり、時々るうも大人の女はこういうものなのかと思わされてしまう。

「るうちゃん、行ける?」

「行きます!」

立ち上がる。

そして、るう。怠惰を司る者、ベルフェゴール。

人間という生物はあまのじゃくそのもので、如何に怠惰に過ごすかを追求するために、全力で様々な技術を開発したという、不思議な側面を持っていた。

怠惰こそが、人間の文明を発展させた原動力の一つと言っても良い。だから、それを開発することは。とても重要なのだ。

悪魔は完成体の生物だ。

地球を支配していても、いずれ終焉が来る。人間は発展の可能性がある生物だ。次こそ、未来を作れるかも知れない。

悪魔とlashlaoidufohが支配している現在の地球に、もしも人間を新しく根付かせることが出来る時が来たら、発展のための最重要要素として、引き継がなければならない。るうが纏め上げた、怠惰への執念を。

かつての文明と同じではいけないだろうが、進歩できる生物であるのなら、きっとそれを教訓にして、よりよい未来を造ることが出来るだろう。

るうは全体的なシルエットこそ人間に似ているが、上背は七百メートル。八本ある腕はそれぞれ蜘蛛に似ているもの、齧歯類を思わせるもの、人間のものに近いなど、様々な形態をしている。

背中から伸びている六本の柔軟な触手は、大好きな相手をハグするのに最適だ。頭部から腹部に掛けて四百五十の目が放射状についており、其処から特殊な波長を発生させることにより、hfpoahgipaassjdfoiqwagと自分で呼んでいる独特の音楽を奏でることが出来るのだ。

シフが、最初に羽を叩き始める。

力強い殴打音を、リズムキープのタンが、綺麗に押さえ込み始めた。その旋律に、アーモの柔らかい音が包み込む。

るうは、その中に、中心となる旋律を置き、全体の音楽の核に。

そして、イアとルーゼが、それを左右から柔らかく支えた。

足りない所を、モデウ先生が、丁寧に補ってくれる。

凄い。

全く、皆の絆は衰えていない。

技術面では問題が大きいかも知れない。しかし、心がこれほどまでに一つになった演奏は。人間の造り出した無数の音楽を聴いて生きたるうも、なかなか味わったことがなかった。

徐々に高まり行く音楽は、大地を揺らし、海を逆巻かせる。空を蹂躙し、雲を切り裂き、闇の中にまで染み渡っていく。

そこへ、メインヴォーカルのるうが、サブヴォーカルのタンとともに、オリジナルの楽曲を混ぜあげる。

声そのものが一種の楽器だと言われているるうのハイトーンヴォイスが、よく押さえ込まれたタンの色っぽく美しい声と混ざり合うと、できあがるのは甘いお菓子を思わせる不思議な曲だ。

最高潮に達する音楽の中で、るうは思っていた。

ああ、やっぱり。

みんなで奏でる音楽は、最高だと。

こんな風に、みんなで楽しく音楽をしていれば、人間も滅ばなかったのかも知れないなと。

僅かに生き残った人間は、もはや数百人。かつて数十億にも達した彼らが団結していれば、lashlaoidufohに此処まで一方的な蹂躙を許すことも、守るために大地の底から悪魔達が出てこなければならなくなる事もなかっただろう。

海の一部、それに成層圏の向こうは、まだまだlashlaoidufohが巨大な勢力を築いている。少なくとも、かつて天使と呼ばれていたlashlaoidufohどもを太陽系から追い払うまでは、るう達は安心できない。火星に遊びに行くなど、もってのほかだ。

二、二、一。

とても力強いシフの打音で、音楽が終わってしまった。

皆、心地よく汗を掻いていて、とても目映い笑顔だった。

「もう一曲、行こうか!」

シフが言う。

反対する者は、誰もいなかった。

 

終、時の果て

 

山ほどもある巨大な悪魔達が、見上げた先でなにやら音楽を奏であげている。

それは荒々しく、おぞましく。激しく、人間の感性からすると不快でさえあるのに。でも、どうしてか、不思議と安心できる。

手を引かれた。ぼろぼろの人形を右手で抱えた、妹のルナだった。といっても、血はつながっていない。この「ラスト・シェルター」に逃げ込む時に、側にいたと言うだけの間柄だ。でも、かな子はルナを妹だと思っているし、ルナも姉としてかな子を慕ってくれる。それで、充分だった。

「お姉ちゃん、どうしたの?」

「何でもない」

ルナの頭を撫でると、もう一度悪魔達を見る。

もはや数百人しか生きていない人間の一人、夷綱かな子は、あの雑多で、でも心が通い合った悪魔達の音楽が大好きだった。

彼女らが人間を守っていることは分かっている。lashlaoidufohから逃げ回るしかなかった日常だったのに、今ではこの小さなシェルターの中で、のんびり暮らすことが出来ているからだ。年配の大人の中には、いつもシェルターの側に居座っている八本腕のベルフェゴールを怖がる者もいるようだが。そのたくさんある目が、慈愛に満ちて人間を見守っていることを、かな子は知っていた。それに前、万を超えるlashlaoidufohの攻撃から、身を挺してシェルターを守ってくれたこともあった。

三曲目が終わると、悪魔達のどんちゃん騒ぎは終わる。

七匹も、あんな巨大な悪魔、多分大魔王と呼ばれる者達が集まって、何をするかと思ったら。長老達は胆を冷やしたようだが、結局晩餐と音楽を楽しむだけだった。

不思議だ。

かつて人間は、何かに追い立てられるように、互いの身を削りながら狂騒をしていたという。それは対立と破滅を加速し、気がついた時にはどうにもならない状態になっていた。

lashlaoidufohが攻めてこなくても、人類は滅んでいただろうと、古老達が呟いているのを、聞いたことがある。かな子も全く同感だ。

あんな風に、楽しく音楽で、皆が心を通わせていたら。

狂騒などない世界で、ゆっくり生きていられたら。人類は幸せだったのかも知れない。

だが、それはもう過去の話。

この時の終末点では、悔やんでも悔やみきれない事だった。

ルナもじっと山のようにそびえる悪魔達を見つめていた。様々な汚染物質の影響で、髪の毛は白に近いプラチナブロンド。瞳は緑色に染まってしまっている。かな子も似たようなものだ。だが、どうにか生きている。

「不思議な音楽だね」

「うん。 でも、優しい旋律だった」

人間は、こんな荒れ果てた世界でも、生きていかなければならない。

時々悪魔が、文明の残り香らしいものを運んできて、シェルターの側に無造作に置いていく。生活だけは、それでどうにか出来る。後は少しずつ数を増やして、この終わってしまった世界を、新しく始めなければならない。

あの、悪魔達の音楽は。

その旗手となりうるのだろうか。

「お姉ちゃん、お芋、掘ろう」

「そうだね、行こうか」

見れば、悪魔達も散り散りに去っていくようだ。

かな子はその様子を見送ると、一礼して、畑に向かった。

今日を生きるために。

 

(終)