蠅の魔王、降臨

 

序、目覚めると

 

中沼優子が眠気というトンネルを抜けると、其処は一面真っ青だった。

雲一つ無い美しい空だ。どちらかと言えば幼児体型の体を伸ばして、大きく欠伸をする。何か妙だと、すぐに気付いた。

昨日、普通に友人達と馬鹿騒ぎして、自室でこてんと寝こけた。それから朝まで起きることもなく、幸せな夢を見ていたはずなのだ。

それが、何故空が見える。自室にも窓はあるが、きちんとカーテンは閉めていた。ゆっくり手を動かすと、がらがらと音がした。工事現場か何かで、重機が瓦礫をどかすかのような音だ。

徐々に、意識がはっきりしてくる。

体を起こしてみる。そして、ようやく事態に気付く。

「ゆーこ! ゆーこ!」

「おはよー、かな。 何かなこれは」

既に事態を把握していた優子は、視線を下にずらして、発見した。人形のようなサイズになってしまった、隣の部屋の住人で、親友でもあるかなを。かなは優子よりもかなり背が高くて、大人っぽい雰囲気の子なのに、どうしたことか。国民的人気を誇るお人形のようだ。

いや、違う。かなが縮んだのではない。

優子が巨大化したのである。

自分の手足を見回す。パステルブルーのパジャマは着たままだ。巨大化してしまった理由は分からない。しかし状況を整理すると、どうやら眠っている間に学生寮を押しのけて巨大化して、辺りを瓦礫の山とかしてしまったようだ。大きく伸びをしながら、自分の短い足を改めて見た。足の甲のサイズを、転がっていたドアと比べる。それから順次暗算をして、自分が今どれくらいのサイズであるかを計測する。

結論。現在の身長は、約四十メートルという所だ。

元の背丈が一メートル50弱だったから、それから計算すると約27倍。等倍に大きくなったとすると、体重は27の三乗で約20000倍。元の体重が40キロ程度だったから、少なく見積もって800トン、多くても1000トンという所か。

鏡が無いかとと思って、ゆっくり立ち上がる。パジャマが破けていないのは幸運だった。流石にブッ飛んだ所があることを自覚している優子でも、素っ裸で巨大化することだけは避けたい。頭を掻きながら、辺りを見回す。体から落ちた瓦礫が、どすんがらんと物騒な音を下で立てた。

「ゆーこー! どーしたのー?」

「まずは髪の毛をととのえたいなーと思って。 近くに大きな鏡無いかなー」

「それよりもー! 背中背中ー!」

「ふえ? 背中ー?」

違和感は、確かにあった。そして、触ってみると、それは確かに存在していた。

羽だ。

鳥類の翼のような、美しい羽毛に飾られたものでないことは、触ったことで分かる。堅い上に、とてもシャープだ。自分の意思で、かなり好き勝手に動かすことが出来る。脇の下から見ると、何か模様が刻まれていた。

それは、髑髏であった。

四枚羽のうち、大きい方の対にしゃれこうべのマークとクロスした腕の骨。これは、見たことがある意匠だ。ひょっとすると。いや、間違いない。羽の形状を吟味する。そして、確信した。

これは昆虫、しかも蠅類の羽だ。二対四枚ある時点で厳密には蠅とは少し違っているが、しかしこの特徴、思い当たる節がある。

もう一度座り直す。かなが不思議そうに、優子を見上げた。

「どうしたのー?」

「かなー。 私さ」

周囲を見回す。どうやら、避難はとっくの昔に終わっているらしい。寮の外側には、遠巻きにバリケードが出来ている。自衛隊のヘリらしいのも、飛び交っている。まあ、当然だ。このような怪奇現象が起こったのだから。かながどうして入ってきているのかは、よく分からないが。

兎に角、早めに結論は出さなければならない。もし弱腰になったら、即座に実験動物扱いだろう。もちろんそれは嫌だ。

なぜなら、今や優子は。

「どーやら、ほんとに蠅の王になっちゃったみたい」

 

ベルゼバブ。以前中沼優子は、その存在に夢の中で語りかけられたことがある。

元々、彼女が通う桜坂高校は、その無難な名前と裏腹に、将来政府を背負って立つ超エリートの育成を行うために設立された学校だ。優子自身も、かなり食に関する面倒くさい悪癖があるにもかかわらず、その知能を買われて、半ば強制的に通わされている。変わり者ばかりが揃うこの学校でも、群を抜く変人として、優子は知られていた。

かなは優子の友人だ。幼児体型の優子とは正反対に背が高く、大人っぽい顔立ちで、力も強い。その彼女が、自分よりも小さいのは、不思議だ。

「蠅の王?」

「そ。 キリスト教で、七つの大罪が一つ、暴食を司る地獄の魔王。 魔界でナンバーツーの地位を持ち、その力は名高いサタンさえも凌ぐとかいうベルゼバブ。 聞いたこと無い?」

「ええと、どっかで聞いたことがあるようなないような」

特色から言って間違いない。前に、一度蠅の王の声は聞いたことがあったし、別に違和感は無い。

頭を抱えたのは、境遇に苦しんだからではない。今後の戦略を練るためだ。それに、早めに体をどれくらい動かせるのか、しっかり把握しておかないとならないだろう。

恐ろしくシャープに、優子の頭は回っていた。この異能の天才ばかりが集められた桜坂高校に入る前、食欲が体を支配していた頃。目に着くあらゆる動植物を食べるために思惑を巡らせていた頃のように、頭脳がめまぐるしく動いている。

かなに気付いたらしく、自衛隊員がぱらぱらと群がってきた。かなに対して、すぐ離れるようにとか、何とかいっている。隊長らしい一人が、スピーカーを向けてきた。

「あー、あー。 中沼優子君だな。 聞こえているか」

「あー、はいはい。 聞こえてますよー」

周囲がざわつく。無理もない。コミュニケーションが取れるとは思ってもいなかったのだろう。貧乏人の子供を食用にしようとかほざいた何処ぞの鬼畜神父が記したガリバー旅行記では、小人の国に漂着した主人公がいきなり地面に縛り付けられていたが、それをされていないだけマシだとも言える。いや、今頃自衛隊が動き出しているだろうし、ミサイル網が自分を捕らえ始めているだろう事を考えると、もっと状況は悪いか。

責任感の強そうな自衛隊の人達が、かなを無理矢理連れて行く。顔を近づけると、優子は出来るだけ声のトーンを落としながら言った。

「悪いけど、ちょっと離れていてくれます?」

「な、何故だ!」

「やだなあ、体をどれくらい動かせるのか、しっかり把握したいからに決まってるじゃないですか。 多分マッハ超えますから、下手に近くにいると、ソニックブームで木っ端微塵になりますよ」

反論は待たない。そのまま、再び立ち上がる。

飛び方は、本能が既に知っている。尻の辺りに着いた瓦礫を払い落とす。自衛官達が、待避、待避と叫んでいた。芸がないことである。災害救助では優れた実力を発揮する彼らも、怪獣が本当に出現したら、映画のように役立たずになってしまうらしい。怪獣映画での彼らのやられっぷりはあまりにも有名だが、これに関してはノンフィクションと言う訳だ。

拳を握ったり開いたりして、大体の感触を確認。正直周囲を飛んでいるヘリなどどうなっても良いのが本音なのだが、しかしいきなり政府に敵対行動を取るのも問題だろう。危ないから離れるようにと、ちょっと大声で周囲に警告。大あわてで飛び去るヘリを確認してから、ぐっと体をかがめた。

そして、跳躍した。

 

1、蠅の王、現る

 

政権交代したばかりだというのに、早くも無能さを嘲笑されている総理大臣がたたき起こされたのは、朝六時の事である。マスコミを掌握していることを良いことに、朝令暮改支離滅裂な言動ばかりを繰り返し、歩くATM等と嘲笑われている彼も、一応緊急事態には仕事をしなくてはいけないのである。例え、実権を握っている人間が、他にいるとしても。

若い愛人をベットに侍らせていた総理大臣が、けたたましく鳴り響く警報に、緊急回線が収められている特別製の携帯を取る。

「何事かね」

「一大事です」

そう叫んだのは、防衛省の統合参謀長であった。不機嫌さを隠そうともしない総理大臣に、彼は丁寧に、状況を説明していく。最初に話を聞き終えた総理が発したのは、何とも無責任な言葉であった。

「正気かね、君は」

「そうでなければ、こんな朝に緊急回線を使いません。 すぐに出仕してください。 運転手に、場所は指示してあります」

総理大臣は、横で気持ちよさそうに寝転けている愛人を一瞥すると、着替えて外に出た。もちろん此処は官邸ではない。しかしながら、専用車が既に外で待機していた。三十分ほどで、対策本部に到着。途中呼び出しがあったが、敢えて無視。不機嫌さを隠さない総理は、早速奥へ通された。周囲は、既に帯銃した自衛官達が固めていた。

鬱陶しげに、統合参謀長の敬礼に総理大臣は応える。秘書官が、二人分の茶を用意してくるよりも早く、参謀長はノートPCからライブ映像をスクリーンに投影した。

「これが、三十分前の映像です」

「何だねこれは」

其処に映っていたのは、瓦礫の山の中に座り込む高校生くらいの娘であった。ちょっと発育が遅れているようだが、一応出る所は僅かながら出ている。髪の毛はぼさぼさで、寝ぼけ眼を指で擦っており、ブルーのパジャマを着込んで素足でいるような状況である。実に健康的な肌色をした指が、目に優しい。

それにしても、妙な映像である。

しばしそれを見ていた総理だが、やがてあっと呟く。言われていたのに、ようやく気付いたのである。

娘が、異常に大きいことに。

周囲の瓦礫は、とても特撮だとは思えないリアルさだ。映像をよく見ると、遠巻きに包囲を開始している自衛隊も見える。絶世の美女とはとても言えない、どちらかといえば子供らしいかわいらしさを持つ娘だが、しかし此処まで大きいと却って不気味だ。それに背中には、なにやら半透明の羽が生えていて、髑髏のマークが染め抜かれているではないか。

「計測の結果、身長は40.5メートル。 体重は推定で990トンから1030トンかと思われます」

「これは何の冗談かね」

「これは、冗談でも何でもなく、実際の映像です。 しかもこの生徒は、桜坂高校の生徒で、極めて知能が高く、非常に危険な性質も持ち合わせています」

「桜坂高校? ああ、未来の科学者とかを育てるとか言う、あれかね。 この手の怪奇現象は、普通の高校生と自称する連中に起こるのが一般ではないのかね」

いちいち反応が一テンポ遅れる上に、的外れなことをほざく総理に、参謀長は少しずつ苛立ちを覚えながらも、笑顔でそれをかみ殺している様子であった。茶がようやく出てきたので、総理大臣が啜ると、参謀長が映像を進める。

「そして、今がその場の映像です」

「何もないではないか」

「違います。 よく見てください」

目を凝らすと、確かに娘がいないだけではなく、別の違いもある。

そう。瓦礫の山が、綺麗に消し飛んでいるのだ。

「先ほど緊急連絡を入れた時に、娘が直上に飛び上がり、そのまま空へ飛び立ちました」

「ばかばかしい。 光の国の巨人かね」

「そして、防空網を完全に突破し、現在はマッハ30を超えています! 既に成層圏を越えて、衛星高度まで上がっているはずです!」

もう反論もばかばかしくなったらしく、参謀長が半ば金切り声で言うと、流石に総理も事態を悟ったのだった。

 

これぞ、快感!

中沼優子は、己がありとあらゆる束縛から解かれたことを悟り、狂喜していた。

「ひゃあああっほおおおおおおおおおおおおおおっ!」

直上に跳躍してから、一気に加速。空気を蹴散らして、予告通り音速を突破。突破の瞬間、全てを突き抜くような感触が、全身を駆け抜けた。

快感のあまり、優子は絶叫していた。まだまだ速くなる。対流圏を抜け、衛星高度に達し、そしていつの間にか、地球が蒼く見える地点まで来ていた。

其処で加速を中止して、止まる。軽く計算してみて、最大速度はマッハ30を超えていることが分かった。舌なめずりしたのは、まるで寒くないからだ。体の周囲を特殊なフィールドが覆っている。そうでなければ、さっき大気圏内を突破する前の段階で、体が粉々になっていただろう。

羽は蠅のそれのように、小刻みに動き続けて、姿勢制御をしている。もちろん無重力な上空気もない空間でそれをしているのだ。空気に反応しているのではない。優子の考えでは、空間そのものに干渉しているのだろう。その証拠に、飛ぶ時に手を横に広げていたが、衝撃波で体が木っ端微塵になるようなこともなかった。本来なら、人間の形状でマッハ30等出したら、飛んでいるだけで体がばらばらになる。それなのに、体に負担が出た様子さえ無かった。

飛行能力については、よく分かった。後は、他の能力も、おいおい試していかなければならない。今後、生き残るためにも。

其処で宙返りしてから、拳を繰り出し、蹴りを放ってみる。数度やってみたが、手応えは充分。これは、地球人類の文明などものともしないレベルだ。原水爆を喰らうと危ないかも知れないが、余程油断しない限り、そのまま逃げることが出来る。加速も、これが限界ではない。時間を掛ければ更に速度を上げることが可能であった。その気になれば、別の星にまで行けるかも知れない。

問題は、欲求だ。

性欲に関しては、元々優子はそれほど多くなかった。これはあまり気にしなくてもよさそうである。好きな男もいなかったし、これから作ろうとも思っていなかった。それに性欲はその気になれば自分で解消できる。変人だった優子は、好きな男子もいなかったし、逆に好かれてもいなかった。少女漫画に出てくるようなマシュマロのような恋に憧れるようなこともなかったし、好きな俳優もアイドルもいない。

問題は、他の欲求だ。

最大の懸念は睡眠欲と食欲である。寝る時は宇宙空間で寝ればいいとして、食欲はどうするべきか。元々優子はかなりの食いしん坊だった。しかもその対象は多岐にわたっており、見たことのある動物の肉は大概口にしている。政府の機関に「保護」されてからはその傾向に拍車が掛かり、象やジラフの肉でさえ口にしたことがあった。人肉でさえ怪我した時に自分の腕を囓ってみて、味わった経験があるほどだ。しかも、この形状から見るに、今の優子は蠅の王。暴食の魔王である。食欲が相当に増えている可能性も低くはない。

更に食欲には排泄欲もつきまとう。睡眠欲と排泄欲は、大きな隙を生む危険な存在だ。しかし、今までの思考があまりぶれていない以上、人格的には変動していない。人格は記憶によって造り出されることを考えれば、今までの欲求も丸ごととは行かなくても、残っていると考えるのが自然だ。

腕組みして、あぐらを掻いて。考え込む。

宇宙空間の浮遊に任せていると、地球がいつの間にか頭の上に来ていた。人工衛星や、スペースデブリが見える。スペースデブリは凍り付いて、綺麗にきらきら輝いていた。あれが元は宇宙船の屑パーツだったり、もっとばっちいものであったりした事を考えると、面白いものである。

髪の毛が凍る気配はない。

それだけではない。さっき体を少し動かしてみて分かったが、この機動力なら、アニメに出てくるスーパーロボットとも、互角以上に戦えるだろう。人間の脳みそならとっくにミックスジュースになっているようなGが掛かったというのに、体内に負担が生じた様子さえもない。

ふわりと、立ち上がる。素足のままだが、此方もあまり冷たいと感じなかった。少し爪が伸びてきていることは気になったが、逆に言えば。この状態で、それくらいしか気になることがない。

顔を叩くと、優子は大体まとまった思惑を、もう一度練り直す。

まず最初にすることは、示威行動だ。人間という生物は現金で、ごく一部を除き、勝ち目のない相手に喧嘩を売るようなことはない。超音速で米国あたりを飛び回って国土をズタズタに破壊し尽くしてもいいが、それだと恨みを散々買う。それに、米軍の軍事力が世界の均衡を保っているのだ。ソニックブームでそれを破壊し尽くすと、後が色々と面倒だろう。

ならば、方法は一つしかない。

まずは、着地だ。日本に向けて、加速する。マッハ10を超えたかなと思った辺りで、加速を停止。そのままの速度で、地面に向けて突っ込む。地面にマッハ10で突き刺さっても死なない自信はあったが、多分大惨事になるから止めておく。

さっきとは随分違う地点の上空に来ていた。誤差を修正。東京ドームの上空が良いだろう。昨日の新聞で、今日は半進ティーゲルズと読得許陣タイタンズの対戦があると書いてあった。今年は珍しく両者で首位を争っていて、しかも休日でデイゲームだから、結構な人数が集まっているはずだ。

雲を蹴散らし快調に飛ぶ。予想では、もう総理大臣が対策本部を立ち上げているはずだ。頃合い的にも丁度いい。雲を突っ切ると、徐々に地表が見えてきた。徐々に減速。F2らしい戦闘機が飛んできたが、相手にしない。流石にいきなりミサイルを撃ってくる事もなかった。

優子を見て、人間どもが騒ぎ始めているのが分かった。東京ドームの上にゆっくり減速して、停止。とんぼを切ってみせる。見る間にヘリが集まってきた。

髪の毛は、宇宙空間で梳かしてきた。廃衛星で良さそうな鏡を備えているのが幾つかあったので、それを使ったのだ。手櫛に近いが、何とか格好はついたと思う。パジャマなのが残念だが。

大きく息を吸い込むと、宣言する。

「はーい。 人間のみなさーん。 わたし、中沼優子っていいまーす。 今朝から魔王ベルゼバブになりましたー! ということで、よろしく頼むぞ人間ども!」

何とも脳天気な宣言である。

そして、もちろんこのままでは終わらせない。わざわざこんな演出をしているのも、目的あってのことだ。

戦争も危機感も知らないガキどもが、わいのわいのと騒いでいるのが見えた。こっちを見て、バッカじゃないのとか、アホかとか、特撮だろうとかほざいている。笑顔のまま、近くのビルの屋上にある、高架水槽室をむんずと掴む。そして握りつぶした。

大量の水が、人間どもに降り注ぐ。悲鳴を上げて逃げ散る人間ども。高笑いをしながら、優子は自分にも水がちょっぴり掛かってしまったので、失敗だったかと思った。

「うわははははは! 人間ども! これは特撮でもお遊びでも冗談でもない! その証拠をこれから見せてやろう! これから十五分後、伊豆半島の東四キロ、その成層圏を刮目して……あ、サングラスを掛けて見つめているが良い! 魔王の御技の凄まじさ、とくと見せつけてくれよう!」

唖然としている人間どもを尻目に、そのまま上空へ加速。どうやら厚木基地から出撃してきたらしいF15の編隊が見えたからだ。相手にするのも面倒くさいし、今はそうしない方が良い。

F15は名戦闘機だが、しかしマッハ10を軽く超える優子に追いつける訳がない。しかも直上への飛行である。優子は見せつけるようにマッハ20を超え、更に31に達する。慌てて追いすがろうとしてくるF15の一機へ、不意に速度を落としてとんぼを切り、後ろに回り込んだ。コックピットにべろべろばあをしてやると、度肝を抜かれた様子でパイロットが何か叫んでいた。そのまま離れて、更に上空へ。ミサイルが三つ飛んできた。舌打ちすると、わざと減速。ミサイルを掴んで、その半ばにかぶりついた。

がり。ぐしゃ。ばりばり。

断末魔の火を噴いていたAIM-120C空対空ミサイルを食べ終えると、残りの二つは手刀でたたき落とす。かっと口を開いて、優子はわざと獰猛な笑顔を作った。

「わはははは、ごちそうありがとう!」

流石に胆を冷やしたらしいF15が逃げ出す。高笑いをして、そのまま成層圏へ。目分量で大体の距離を測りながら、素早く計算。さっき割り出した地点へ移動。この辺りは航空機の飛行量も少ないから、多分大丈夫だろう。

それでも、しっかり周囲は見回した。

両手を鋭い音とともに併せる。背中にある二対の翼が、振動音を立て始めた。ゆっくり目を開いてから、孤をかくようにして手を回す。

どうして出来るかは知らない。

だが、出来るかどうかは試しておきたい。

魔法とか、そういうものであろう事は分かっている。最新科学を学んでいた自分がこんなものを使うのは、ある意味とてもおかしな事だが。

しかし、使えると言うことは、既存の科学的な法則に当てはまっているという事だ。是非とも使いこなし、その後には解析しておきたいものだ。

エネルギー充填完了。

威力は推定50メガトン。原水爆の開発競争を米ロがしていたころに作られた最強の水素爆弾、ツァーリ・ボンバ程度に抑えておく。もっと大きな威力も出せるが、此処では敢えて其処までにしておくのだ。

「我が名は暴食の魔王、地獄の支配者ベルゼバブ。 砂漠の神の系譜に連なり、邪悪の根源を成す破壊の権化。 我が眷属どもよ、地獄より現れ、全てを焼き尽くせ!」

詠唱が終了すると、優子の全身が淡く輝き始める。放出されているのは、恐らく放射能だろう。

「極炎、一閃!」

親指と人差し指で、小さな三角形を作り、其処からため込んだエネルギーを放出する。

次の瞬間、伊豆半島近海の上空に。第二の太陽が出現していた。

 

2、お食事開始

 

蒼白になった総理大臣の前で、絶望的な報告が並べ立てられている。自称「蠅の魔王」、公称「N1」と米軍との交戦記録は、全て冷静にデータへ収められていた。

奴は、どうやら閃光を放ってから衛星軌道まで飛んでいった様子なのだが、何の安心ももたらしはしない。小さな欠伸をしながら、最近秘書官になったばかりの伊集院美鶴は、空虚な会議を見つめていた。

彼女は中沼優子と同じ、桜坂高校の出身者である。七歳年上である彼女は、最初期のメンバーで、政府内でも将来の地位が約束された俊英だ。テクノクラートとしての活躍が要求されているのだが、今は秘書官で済ませている。すらりと背が高く、無機的な美しさの持ち主だが、それが故に却って近寄りがたいらしく、あまり浮いた話はない。

それにしても。後輩ながら頼もしい奴だと、美鶴は思った。

F15から発射されたミサイルを嬉々として食いちぎる顔のアップなどは、何かの冗談かとしか思えない代物だった。しかし、冗談ではない。世界史上に残る名機であるF15が、何も出来ずに逃げ散った様子こそ、真実の厳しさを示していただろう。

参謀長が真っ青な顔で言う。総理大臣は、もはや言葉もなかった。

「機動力、加速力、制圧能力、そして防御力。 いずれも現在の技術力で太刀打ちできる相手ではありません。 しかも位置、時刻を予告して放ったと思われるこの閃光の破壊力は、ツァーリ・ボンバにも匹敵すると推定されています」

「な、なんだねそれは」

「冷戦時代に作られた、史上最強の水爆です! ちなみに破壊力は50メガトン! 広島型原爆の3300倍です! いいですか、我々の領空に、今! マッハ30を超える速度で飛び回り、好き勝手に水爆並みの威力を誇る制圧射撃を行える上に、宇宙空間にまで出られる怪物がいるのです! 奴は、調査済みのデータを吟味する限り、既存の防衛網などものともしません! その気になれば、行きたい所へ、場合によっては宇宙から好きなように現れるでしょう! それこそ、今此処に来てもおかしくないのです!」

椅子からずり落ちそうな総理大臣。他の高級官僚達も、辺りで蒼い顔を並べていた。こんな時に、肝心の自衛隊が、何も出来ない敵わないと宣言しているのだ。

「し、しかし、どうしろというのだね」

「軍事力ではかなわないと、申し上げております。 つまり、どうするかを考えるのは、貴方の仕事です」

「わ、私の仕事なのかね」

会話が通じるとは思えないのだろうか。美鶴は、その余地があると考えているのだが。総理大臣は、内務大臣に首を向けた。美鶴は舌打ちする。あまりにも愚鈍。これが、今この国を支配している者達の実情だというのか。

「や、やつ、いや彼女の素性ははっきりしているのだね。 両親はどうしている」

「残念ながら、疎遠な関係であったようです。 元々桜坂高校にいるような生徒は、頭は非常に良い分性格的に破綻しているものが多く」

「そうか、あわよくば人質にと考えたのだが」

「友人は抑えてありますが、彼女らは口を揃えて、優子はとても楽しそうだが、怒らせると怖いと言っています。 下手なことはしない方が良いでしょう」

それはそうだと、美鶴は心中で呟いた。

何しろ、奴は宣言している。十五分後に、伊豆半島から四キロ東の成層圏と。そして、全く予告通りの位置で、しかも時間で、あの閃光を炸裂させた。しかも途中、F15と交戦しながら、である。並の時間空間把握能力ではない。悪巧みをするとして、それが成功する可能性は極めて低い。

多分、この場に集っているフ抜けた似非古狸どもの誰よりも、賢いだろう。

「マスコミは抑えたかね」

「問題ありません。 しかし、既にネットに情報や映像が流出し始めておりまして」

「さっさとブラフの情報で攪乱しろ! 何をしている!」

「しかし、あまりにも目撃人数が多すぎます! 動画投稿サイト等でも、その姿が写された画像が、消しても消してもアップロードされる状況でして」

狡猾な奴である。その辺りは、全て計算尽くだったと言うことだろう。派手なデモンストレーションも含めて、だ。

美鶴の見たところ、奴は交渉の下準備をしている。そうでなければ、米軍でもさっさと蹂躙して、己の戦闘能力を示しているはずだ。マッハ三十で大気圏内を飛び回る奴である。それこそ、地表近くを適当に飛び回るだけで、あっという間に辺りは壊滅だ。

だが、それを奴はしていない。人類を殲滅する理由がないのか、或いは。

何か、既存の権力機構に、用意させるつもりなのか。少なくとも、今まで奴は死者を一人も出していないのだ。これは慎重に、此方との間合いを計っていることを意味している。それに対して、此方はこの体たらく。多分、次も先手を取られるだろう。

此処は国会議事堂の一室。地下シェルターのようになっている部分で、外部の人間には知らされていない。核シェルターも兼ねており、日本で一番安全な場所の一つだ。もっとも、ツァーリ・ボンバの直撃を受けて、耐えられるかどうかは不安だが。

「米国はどのように動いておる」

「各地の基地にスクランブルをかけているようです。 第七艦隊は、もう動き始めているとか」

おろおろするばかりの総理大臣の周囲で、緊迫した情報交換が続いている。ただ、それだけ。何の策もない、誰からもでない。やれやれ、どうしようもない連中だ。そう美鶴が呟いた時。

不意に、部屋の照明が落ちた。

一瞬で回復するが、何かあったのは確実であった。総理が金切り声を上げる。

「何事だ!」

「国会議事堂上空に、巨大な飛行物体! 間違いありません、奴、N1……!」

続いてきたのは、衝撃であった。その場にいた老人達が全員体勢を崩す中、美鶴だけは平然と立ちつくしていた。

 

わざと時速三百キロくらいの、ゼロまで減速しない状態で国会議事堂の天辺に着地した優子は、手応えににんまりしていた。自衛隊が周囲を固めているが、何しろ大勢の議員がいる国会議事堂である。大火力の武器で、優子を撃つ訳にも行かない。

「あー、あー。 本日は晴天なり、本日は晴天なり。 はろーん、みなさーん。 魔王ベルゼバブでーす。 すぐにぶっ殺すつもりはありませんから、怯えなくても大丈夫ですよー。 私は、まず交渉に来ましたー!」

あまりにも物騒なその宣言に、悲鳴を上げて逃げまどう人間ども。怪獣がとても気分良さそうに街を破壊する気分が、優子には分かったような気がする。これは確かに快感である。

責任感の強そうな警官が、頭の悪そうな議員を必死に誘導している。そんな中、歩兵銃を構えた自衛官達が、包囲網を敷き始める。流石に良い動きだ。戦車と歩兵戦闘車が現れる。優子がここに来ることを予想して、事前に準備していたのだろう。

程なく、自衛隊は包囲陣を完了した。優子が思っていたよりも、だいぶ早かった。

「よ、要求は何だー!」

舌なめずりをする優子を見て、自衛官達が怯えるのが分かった。メガホンを構えている、陸将らしい人物も、目の奥に恐怖を湛えていた。

何とも楽しい一瞬だ。

国会議事堂の特徴的なシルエットに、まるで巨大なヤモリが貼り付いたような光景であろう。優子の水色パジャマが、滑稽さ以上に、不気味さを演出する事は間違いなかった。生唾を飲み込む人間どもに、優子は言った。

「まず、総理大臣を出して貰おっかな。 対策本部を、此処に作っていることは分かってるよ。 断ったら、この場で例のドカンをやるから、そのつもりで。 そうだなー、三十分以内に出てきて貰うよー」

「ふ、ふ、巫山戯るなっ!」

「巫山戯る? は。 何で50メガトン程度に威力を抑えたか分かりますかー? わはははは、おまいらの低脳な頭にも、爆発力を分かり易くするためだッ! ツァーリ・ボンバってネットでも何でも良いから調べてみろ! その衝撃波が地球を三周した事をすぐに知ることが出来るだろう! それが此処でぶっ放された時、どうなるか少しは考えてみるんだな!」

考えなくても分かる。

東京は瞬時に灰だ。

だから、わざわざ50メガトンに抑えたのである。分かり易い範囲内で、絶望的な破壊を引き起こすために。

恐竜を滅ぼしたと一説では言われる、6500万年前に地球に衝突した直径十キロ級の隕石は、1億メガトンに達する爆発力を誇ったという。それに比べると50メガトンは何とも卑小な破壊力にも思えるが、人類最大級のメトロポリス東京を壊滅に追い込むには充分だ。

慌ただしく動き回る自衛官達。ふと、ぎゃあぎゃあ騒いでいる女議員が目に着いた。優子を指さして、ひたすら罵っている。命知らずと言うよりも、頭がおかしい印象があった。

テレビで見たことがある。現与党が昔から、鉄砲玉代わりに使っている奴だ。ヒステリックな言動が目立つ人物で、国会で金切り声を上げている醜態が目立った。今では与党であるという事も忘れて、政策の失敗を野党に擦り付ける言動が目立っており、優子はいつもテレビで笑わせて貰っていた。

少なくとも、臆病ではないらしいことは分かった。本物の阿呆である事は、確実だが。

失笑した優子は、指を一つ鳴らす。今の日本の風潮など、優子には関係ない。侮辱には相応の礼をする。

同時に、炎が、女議員を包んだ。「ぼん」とか「ぼっ」とか、とてもコミカルな音がする。

死なない程度にこんがり焼けた女議員が、けほりと煙を吐いた。もちろん頭はアフロである。周囲の自衛官達さえも失笑しかける中、それでも騒ごうとした女議員は、優子がすっと笑顔を消し、指をもう一つ鳴らそうとするのをみて押し黙った。無言で、救急を担当しているらしい自衛官達が運んでいく。

「私は、侮辱には返礼をするからね。 騒ぐのは勝手だけど、いつまでも火力を抑えられると思わないことだね」

「わ、分かった、善処するから、落ち着きたまえ」

「落ち着いても良いけど、総理マダー?」

「すぐ呼ぶ! だから、あまり興奮しないように! な?」

必死な様子の陸将がちょっと気の毒だったので、優子は敢えて欠伸をして見せた。

そこで、やっと総理大臣が出てきた。恐らくは、「高度に政治的な問題」とやらが片付いたのだろう。ものは良いようだ。本当に高度に政治的な問題ならともかく、此奴らにとっては利害関係や身の保証の調整がそう形容されるものなのだから。周囲をSPらしい黒服で固めた総理大臣は、震える声を優子に向けて吐き出した。

「え、ええと、中沼優子君! 私が総理大臣だ! よ、要求は何かね!」

阿呆な奴である。交渉のやり方が分かっていない。まあ、別にそれは良い。優子としても、やりやすいことこの上ない。まさか、名前を突き止めたことで、心理的な圧迫を出来るとでも思っているのだろうか。

「まず第一に、食料。 そうだなー。 コンビニ弁当を40トンほど用意して欲しいんだけど」

ぽかんと口を開けた総理大臣。指を鳴らして、付け加える。

「あ、もちろんビニールとかが着いたままのおにぎりはいやだよ。 ちゃんとほぐす人が欲しいな」

「す、すぐ手配しよう。 それで、他の要求は何かね」

「あー、おかしも食べたいな。 スイーツがいいや。 銀座のお店のケーキなんていわないよ。 卵と小麦粉から作ったフツーのプリンを5トンくらい用意してくれる? バケツプリンならぬ、トラックの荷台プリン、一度食べてみたかったんだよ!」

「わ、分かった! それも手配しよう!」

揉み手さえ始めている総理大臣。優子はとりあえず、第一段階をクリアと判断した。だが、ここからが勝負所である。隙を見せないようにしながら、食糧を確保していかなければならない。

それに、総理大臣はアレでも、その周囲までそうとは限らない。油断すると、今度は足下を掬われる可能性もある。あまり悠長に構えてはいられなかった。

 

既に、情報は抑えきれなくなっていた。国会議事堂にヤモリのように貼り付いた巨大な怪人の姿は、マスコミが如何に報道しなくとも、全国に筒抜けになり始めていた。既に記者クラブに所属していないため身が軽い週刊誌は騒ぎ始めている。号外を配る誌も出始めていた。

美鶴は素早く要求のコンビニ弁当を手配しながら、放心している総理大臣に、今後の事を聞く。

「手配は終了しました。 今後はどうするのですか」

「ど、どうするって君。 私の方が聞きたいよ」

これが総理大臣の言葉なのだから、あきれかえるばかりだ。歎息一つ。米軍は既に情報収集に取りかかっていて、厚木基地からは電子戦機も飛び立っているという。それなのに日本政府は、先手を取ることも出来ず、怪人中沼優子の要求を、ただコメツキムシのように頷いて聞くばかりだ。

このまま放っておくと、事態は更に悪化するだろう。しっかり中沼優子と交渉して、その目的を探り出しておかないと、致命的な事態を招きかねない。

輸送用のトラックに満載された作りたてのコンビニ弁当が、続々と到着。無言で自衛官達がおにぎりを剥いたり弁当の中身を出したりして、大皿にぶちまけていく。

牛乳が大量にパックから出されて、ボウルでかき混ぜられ始めていた。憮然として、一流のシェフ達が大雑把すぎる作業に没頭していた。皆で魔王を怒らせないようにプリンを作っているのだ。

「こんな大雑把で、不愉快なスイーツ作りは初めてだ」

ぼやいたのは、超一流ホテルで働き、フランスでのコック留学経験もある、壮年の男性パティシエだった。彼はシートを引いたトラックの荷台に他のパティシエ達と群がって、材料を全身でかき混ぜ続けていた。

最初は小さなプリンをたくさん作ろうという案も出たのだが、時間が掛かりすぎる。結局は相手の提案通り、トラックの荷台を利用して、超大掛かりなプリンを作ることになった。シェフとしては、かなり屈辱的な事であったらしいが、美鶴としては給金を増やして我慢して貰うしかないと考えていた。

中沼優子は、なにやら遠くを見つめている。ひょっとすると、作戦行動中の米軍機を見張っているのかも知れない。

ビニールシートを貼ったトラックの荷台にぶちまけられた大量のコンビニ弁当。怪人はトラックをミニカーのように掴むと、その荷台を口に持っていって、ざざっと音を立てて傾けた。凄まじい光景である。見る間に荷台に開けられた弁当が、彼女の口に消えていく。ミサイルを喰らう怪物である。消化できないとはとても思えない。

もしゃりもしゃりと、健康的に食べる魔王。あの様子では、人間を喰うことも可能だろう。その気を起こさないようにしていかなければならないのだが。

「うーん、美味しくないなあ。 分かってはいたけど」

ちょっと乱暴に、トラックが国会議事堂の中庭に置かれた。自分で言っておいて、その結論は何だ。ちょっと頭に来た。

「総理。 マスコミを抑えておくにも限界がありましょう。 その他にも、今後の対策を、早めに決めておいた方が良いかと思います」

「ああ、そうだな。 分かっているとも」

「ならば一刻も早く。 この国の未来は、貴方の双肩に掛かっているのです」

尻をひっぱたいて、動くように促す。

総理がSP達に連れられて、官邸に引き上げていくのを見届けると、美鶴は公用車を一台手配した。総理とは別の所に向かうのだ。

既に立ち上げられている対策チームだが、今のところ食料の手配しかしていない。其処の状況を、今の内に確認しておく必要があった。

 

5トン用意させたプリンをぺろりと平らげる。体重が1000トン弱として、大体40トンも食べれば満足するだろうと考えていたのだが。少し考えが甘かったらしい。優子は、まだまだ己の中から食欲がわき上がってくるのを感じていた。

やはり、暴食の魔王なのだ。この程度の食料で、満足するはずがなかった。

背中の髑髏を刻んだ羽が、機嫌よさげにぶんぶんと音を立て続けている。害虫の代表である蠅の羽であっても、拡大すると案外美しいものである。機嫌が良くなってきたので、替え歌を口ずさむ。

「ぶんぶんぶーん、蠅が飛ぶー」

「飛んでは駄目だー! 頼むから止めてくれー!」

悲痛な声が飛んでくる。下の方で、優子を見張っていた議員だった。可哀想に、胃薬をさっきから何度も口にしている。

本当だったら街を襲って、人間を手当たり次第に喰らっている所なのかも知れない。しかし優子は、「平和的かつ穏便に」ことを済ませるつもりだった。それに、人肉は、あまり美味しくない。

「おーい。 そこの陸将さん」

びくりと首をすくめたのは、責任感からか或いは命令からか。此処に残って、「プリン作るぞ大作戦」を指揮していた陸将だった。こわごわ顔を優子に向けてくるので、出来るだけ凶暴な笑顔を向けてやる。

「うん。 鬘(かつら)の陸将さん。 貴方ね」

「な、何で分かった!」

「そりゃあ魔王だもの。 蠅の魔王は、暴食の魔王ー。 七つの大罪の一つだから、無敵ー♪」

自分でも意味が分からない歌詞を呟きながら、優子は追加注文を、思わず頭を抑えた気の毒な鬘の陸将さんにした。

「追加。 後コンビニ弁当30トン。 今のメーカーのは美味しくないから、別のメーカーのに変えて」

「わ、分かった。 すぐに総理大臣を呼び出すから、そちらと交渉して欲しい」

「そんな必要はないよ。 私が、追加で注文してるって伝えてごらん。 すぐにオッケーがでるから」

そう。総理大臣は別に問題ではない。

面倒くさいのは、もっと別の相手だ。

確か桜坂高校の卒業生は、既に科学界だけではなく、政界や財界に食い込み始めていると聞く。彼らが出てくると厄介である。早めに総理を始めとする首脳陣に、かなわないという先入観と敗北感を叩き込んでおく必要があるのだ。

ただ、飴と鞭という言葉もある。

このまま国会議事堂に居座り続けても、あまりにも不憫である。国家機能が麻痺するようなことはないが、面目をこれ以上潰すこともないだろう。要求は聞いてくれたのだから、此方からもある程度譲歩する必要はあった。

「あ、そうだ。 注文聞いてくれたら、浅間山に移動してあげるよー。 流石に議事堂に居座られ続けると、いろいろやりづらいでしょ。 まあ、浅間山でも、東京は充分攻撃射程圏だけどね」

「分かった、それも伝えておく」

多分陸将は、しっかり見ていたのだろう。優子はせっせとご飯を食べているが、自分を侮辱した相手以外には手を出していないことを。手を出しても、冗談で済む範囲でしか、してないことを。

予想通り、すぐにコンビニのトラックが手配されてきた。見ると、国会議事堂の外には、マスコミが集まり始めている。記者クラブに所属しているような連中ではなく、場末の週刊誌の者達が目立つ様子だ。現在の政権はマスコミとの癒着が非常に強く、主要な所は大体飼い慣らしている。気骨ある記者ももちろんいるのだろうが、それは所詮少数派。殆どは、政府と通じている上層部に逆らえないという訳だ。

カメラを構えているのがいたので、にかっと笑って手を振ってやる。度肝を抜かれた様子で唖然としていたその記者は、しかしシャッターを切った。まだ若い男だが、無精髭だらけである。すぐに自衛官達が追い払いに掛かる。だが、マスコミだけではなく、野次馬も増え始めている。

この様子だと、ネットは既に大騒ぎだろう。日本政府が優子の給仕と化している間に、主要な大国はあらかた対策を練り始めているに違いない。アメリカあたりは、日本に核ミサイルを叩き込む準備を開始しているかも知れなかった。

追加のコンビニ弁当が、再び開けられ始める。自衛官達も慣れてきていて、だいぶ作業が速くなっていた。ふと見ると、外国人の記者らしいのもいる。

そろそろ潮時か。トラックを掴んで中身を口にかっ込みながら、優子はそう考えていた。

 

3、まだまだ食前酒

 

美鶴は情報を整理しながら、蠅の魔王が採るだろう次の一手を考えていた。

沈黙しているのは日本の大マスコミのみ。世界中では、既に蠅の魔王出現のニュースが、火を噴くような勢いで飛び交っていた。

キリスト教圏では、既に原理主義団体が、ヒステリックな声明を挙げ始めていた。本気で日本に向かって蠅の魔王を攻撃しようという武装集団もいたし、神に祈りを捧げて邪悪な魔王を撃退しようという者達もいた。バチカンでは、魔王撃退のためにローマ法王が聖職者達に祈りを捧げるようにと、声明を自ら出していた。

もちろん、動いていたのは宗教関係者だけではない。米軍も、既に対策に乗り出している。第七艦隊が、もちろん核武装して動き出しているのは、日本政府も掴んでいた。伊集院美鶴はそれらのデータを逐一総理大臣に伝えてはいたが。腰が重い彼は、官僚達とああでもないこうでもないと話し合うばかりで、未だに具体的な対策を立てられずにいた。

そして、現在の与党に資金援助を受け続けてきた大マスコミも、不可思議な沈黙を続けていた。

そうこうする内に、N1にまた先手を取られる。浅間山に移動してやると言われたのだ。もちろん総理は飛びついた。

そして、東京上空を堂々と飛び去るN1は、東京市民の多くに目撃されることとなったのである。

安心している様子の総理に。あんぐり口を開けて自分を見送る民衆に、笑顔で手を振っているN1の姿を見せてやりたい所であった。だが、止めたのは。それが何の意味もない行為だと知っていたからかも知れない。

しかも、である。

伊豆半島上空で奴が見せた閃光の攻撃射程を見る限り、浅間山からでも、充分に首都圏を殲滅可能なのである。一瞬で、だ。度肝を抜かれた様子の観光客を尻目に、山頂に座り込んで欠伸をしているN1。どうやら、政府の対応が鈍いので退屈している様子だ。腰が重い総理を思って、美鶴は何度も歎息した。今の内に、打つべき手など幾らでもあるだろうに。

美鶴の携帯が鳴る。米国の大新聞で記者をしている、ジョンソンからだった。奴はマイペースで、しかし切れ味鋭い記事を書く、油断ならない相手だ。

「ハーイ、美鶴」

「何。 今、忙しいんだけれど」

「OH、機嫌が予想通り悪いな。 日本政府の対応がやたら遅いけど、それが原因かい?」

「切るわよ?」

高笑い。もちろん、美鶴も、相手の意図は分かっていた。

わざわざ電話を掛けてきたと言うことは、何か情報を交換しようと言うのだろう。時間的にも足りないし、何より相手のペースに巻き込まれないために、先を促したのだ。

「実は、ナイス情報を持ってきた。 それと交換に、ベルゼバブの情報をちっとでいいからくれないか。 あんたの国の新聞記者とも接触はしてみたんだが、どいつもこいつも役に立たなくてな」

「内容次第ね」

「オッケー、いつもながらクールだ」

多分この男、もう日本に来ているのだろう。米国の新聞としても、蠅の魔王は見逃せない重要な存在であろうから、精鋭を派遣して当然だ。多少もったいぶりながらも、ジョンソンは言う。

「実はな、既に米国は特殊部隊を動かしていて、蠅の魔王との接触を図っている。 このままだと、先を越されるぜ」

「……なるほど、ね」

具体的な部隊名と、所属基地、人員の数までジョンソンは教えてくれた。流石に国際的に影響力を持つ大新聞社の精鋭記者である。大した情報網だ。さっとメモしながら、素早く美鶴は思惑を巡らせる。

もちろん、日本にも非公式の特殊部隊はいる。ただ、高度に政治的な問題にもなるし、何より蠅の魔王を刺激することにもなる。手は打つだろうが、銃撃戦にまでは到らないだろう。

美鶴の様子を電話越しに悟ったか、軽口をジョンソンが叩いてくる。

「日本政府はまだ対応が後手後手なんだろ? 中国もロシアも動き出してるし、EUも内部で調整を始めてるって話だ。 このままだと、奴にいいように振り回され続けるんじゃねえのか?」

「一つ、良いことを教えて上げましょう。 あの蠅の魔王、私の知人よ。 あの子頭がとても良くてね、何処の国が接触しても、多分結果は同じだと思うけれど」

ハハハと遠慮無くジョンソンは笑ったが、美鶴の反応にぴたりと黙り込んだ。多分冗談ではないことに気付いたのだろう。

「有益な情報有難う。 あの子、手強いわよ」

「ああ、分かってる。 無茶はしないさ」

電話は切れた。美鶴は総理をテレビ電話で呼び出すと、今の二点を伝える。一応、不眠不休で会議をしているらしい総理は、相当に疲弊していた。

「それで、私に何をしろというのかね」

「しっかりしてください。 貴方がこの国の、最高権力者でしょう」

電話を切ると、今度は参謀長に。どうやら、浅間山の周辺を、厳重に固める必要がありそうだった。

 

30トンの追加食料を口に入れて、流石に腹八分目になった優子は、ごろんとなって目を閉じていた。しかし、眠気はあまりない。ただし、皆無という訳でもない。多分生活サイクルがかなり大雑把かつ長期的になってきているのだろう。睡眠は、数日に一回で大丈夫かも知れない。

仮に睡眠が必要となったとしても、眠るために月あたりまで行けば隙もなくなる。核攻撃を喰らったら流石に面白くないので、油断だけはしないようにしなければならない。

問題は生理がどうなっているかだが。蠅の魔王化する一週間前くらいに来ていたし、この生活サイクルから考えても、まだ心配しなくても大丈夫だろう。

目をつぶったまま、色々と細かい部分での作戦調整をしていく。巨大化したことで、優子は力を得た。もちろんこのまま実験動物扱いされるのもしゃくだし、好き勝手にやらせて貰うつもりでいる。そのためには、今後も慎重に動く必要がある。食料を簡単に確保するためには、人類の文明は残しておいた方が良い。それを考えると、なおさら慎重な行動が重要となってくる。

本当は服くらい欲しいのだが(着替えは宇宙空間ででもすればいい)、要求しない。自分の欲求を冷静に見極めるためだ。娯楽に属するような事は後回しである。

食欲は80トン弱食べた所で、一旦収まった。後は睡眠欲と排泄欲がどうなるのかを、冷静に見ておく必要がある。考えてみると、小用さえももよおしては来ない。既に昼過ぎだというのに、このあたりもかなりサイクルが大雑把になってきていると判断して良いのだろう。

他にも、勘は恐ろしく鋭くなっている。浅間山を包囲している一個師団くらいの自衛隊が、しっかり90式戦車を並べて、緊張しながら此方の様子を伺っているのが分かる。マッハ30を超える速度で大気圏内を飛び回る相手を包囲しなければならないのだから、彼らも仕事とはいえ大変である。そのほかにも、半径3キロくらいなら、細かい人員の動きも把握できていた。

既に観光客達は浅間山から完全に追い出され、フェンスと鉄条網さえ張られていた。このあたりの迅速さは、警察と同じく、彼らが有能であることを示していただろう。

政府が人質を取るような下策を採ってくる可能性も優子は考慮していた。だが、両親のことは前から何とも思っていないし、かなやおけいなら、自分でどうにか出来るだろう。出来なければ、諦めて貰うしかない。優子も、流石に其処までは面倒を見きれないからだ。

小さく欠伸をする。自衛隊のフェンス側で、どっかの雑誌記者が押し問答をしていた。フェンスはぐるりと山を囲んでいて、数メートルおきに自衛官が配置されているのだ。流石にこの状況、記者に入り込む隙はない。良く聞くと、日本語ではない言葉も混じっている。海外からの取材陣だろう。

いや、違う。自衛官達の目をそちらに向けておいて、別の行動をしている数名がいる。やたら手慣れている様子から言って、一介の記者だとはとても思えない。そうなると、正体も見えてくる。

さて、そろそろ動き時か。

胡座をかいて体を起こすと、自衛官達が一気に緊張したのが分かった。ヘリが顔の近くに近付いてくる。この形状から言って、自衛隊で採用されているヒューイコブラだろう。黒光りしているヘリに、陽光が反射して美しい。もちろん実戦装備だが、今の優子にはカトンボに等しい。

コブラ側面のドアは開いている。其処から半身を乗り出している誰かが、スピーカーで、声を掛けてきた。

「自衛隊第一師団所属の、中川一佐であります! このたび、貴方との交渉を任されました! 何かあったら、遠慮無く私に言っていただけますか」

「お勤めご苦労様。 でも、もうちょっと離れた方が良いよー。 頭を掻く時とか、うっかりぶつけちゃうかも知れないからね」

無言でコブラが距離を取る。スピーカーから飛んでくる声は少し小さくなったが、聞き取るには充分だ。

「しばらくご飯はいいよー。 ごめんねえ、こっちも実験動物にされる訳にはいかないからさ。 今後もある程度、舐められないように強硬手段は執らせて貰うからねー」

「はあ、それで他に要求はありませんか?」

眼を細める。どうやら日本政府も気付いたらしい。自衛隊の隙を突いて、独自の接触を採ろうという連中が現れる可能性に。米軍の特殊部隊か、中共のスパイか、或いは。どちらにしても、わざと陳腐な交渉を仕掛けてくることで、優子の監視をリアルタイムで行おうという事なのだろう。優子自身が、独自の行動を取ろうとするのも、防ごうと言うに違いない。

「ど、どうしました?」

「いや、お仕事大変だなと思って。 今は何もいらないし。 あ、そうだ」

わざと、明後日の方向を見る。多分、ぎくりとしたかも知れない。

記者達が自衛官達の耳目を集めているうちに、フェンスの内側に潜り込んだ数名がいたのだ。鉄条網を乗り越えて、血だらけになりながら、である。手際は恐ろしく良かったから、多分米軍の精鋭だろう。

「そろそろ、別の国にもおじゃまさせていただくかも知れないから、そのつもりでね」

「ちょ、ちょっと、おやめください!」

「だってコンビニ弁当、まずいんだもーん。 もっとも、今の私ってちょっと大きすぎるから、殆どの食べ物が流動食同然だろうけど」

「松阪牛でも懐石料理でも何でも用意しますから、無体なことはどうかおやめください」

血を吐きそうな悲痛な様子で、一佐が言った。声からしてまだ若いから、エリートなのだろう。しかし何とも気弱そうで、多分エリートの中では面倒くさい仕事ばかり押しつけられているような雰囲気である。

もちろんそれは雰囲気だけだろう。一佐という肩書きからも、若くしてそれなりの地盤を持ち、政治闘争の手腕もあることが分かる。その雰囲気が、優子の同情を飼うのかも知れないと、国は判断したと言う所か。

悪いが、狙いが見え見えだ。

「いらないいらない。 あれって確かに美味しいけど。 あ、そうだ。 牛かー」

「牛を用意します。 すぐに用意しますから」

「いや、別にいい」

にやりと優子は笑みを浮かべる。

もちろん、牛の肩肉だのバラ肉だのは必要ない。もちろん食べるなら一頭まるまるだ。しかし、日本でそれを用意させるよりも、面白そうな所がある。目的も一致する。

人間という生き物は、基本的に欲望の塊だ。それが集まっているのが国家であり、故に一度弱腰になれば何をされるか明白。そう、優子は理解している。だから、押さえつける方向で動かなければならない。勝ち目がないと判断すれば、どの国も大人しくなる。

そのためには、まだまだ布石がいる。寝ながら、それについては充分に吟味した。

そろそろ、動き時だ。

パジャマの土埃を払って立ち上がる。自衛官達が一気に緊張するのが分かった。必死にまとわりついてくるコブラに、優子は手を払うような動作をした。

「邪魔。 今から飛ぶから、離れた方が良いよ」

「後生ですから、おやめください!」

「いやだね」

ぐっと膝をかがめると、流石にコブラが離れる。羽が鋭く振動音を立て始め、周囲の空間が揺らぐ。

そして、優子は跳躍した。

 

「浅間山から、N1が飛び立ちました」

メインモニターには、その言葉通りの光景が映っていた。オペレーターが、見て分かることを僅かに遅れて言うと、美鶴は思わずため息が漏れた。予想通り、先手を取られたからだ。

此処は対策本部の奥にある、オペレーションルームである。政府が抑えている小さなビルの地下なのだが、何年か前から強力なスパコンが運び込まれ、重要な事件が起こるとオペレーションルームとして活躍する。閣僚級の要人も時々見に来るのだが、正直言って邪魔なだけだった。

総理大臣が、先ほどから三十分に一回くらい電話をしてくる。ノイローゼになりかけているのだ。今もまた、電話が掛かってくる。状況を悟ったからではない。不安に駆られたからだろう。

「い、伊集院君! 状況はどうなっているのかね!」

「それは此方が伺いたいです。 官僚達の説得は出来ましたか? 具体的な対策や、情報発表のタイミングについては決定しましたか?」

「い、いや、それがまだなんだ」

「そうですか。 此方は動きがありました。 N1が空に飛び立ち、直上に加速、大気圏外に消えました」

またか、と総理が呟く。自衛隊の撤収手配は此方でしておくと言うと、力ない様子で総理は電話口に頷いた。

「そのまま、地球を離れてくれると良いのだが」

「排泄や睡眠のために、一旦大気圏外に出た可能性はあります。 ただし、すぐに戻ってくるでしょう」

「何とかならないのかね。 君の後輩なのだろう」

「何とかするのが貴方の仕事です、総理大臣。 与党を罵っていれば票が入ったのは、もう過去の話です。 今は貴方が具体的な策を練り、実行しなければならないのです。 しっかりしてください」

ぐうの音も出ない様子で、総理は会議に戻ることを告げて、電話を切った。オペレーションルームに、警告音が響き渡る。オペレーター達が情報を集め、処理し、そして一人が蒼白になって美鶴に振り向いた。

「N1再出現! こ、これは! 太平洋沖、米軍第七艦隊の直上です!」

「デモンストレーションだな。 世界最強の第七艦隊をおちょくって、力を見せつけるつもりだろう」

「すぐ米国に警告しますか?」

「それが良いな。 もっとも、総理がちゃんと動けるかが問題だが」

役に立たないのを承知で総理に連絡しておく。そうこうする内に、N1は第七艦隊からの攻撃をものともせずに突破。スクランブルを受けて発進してきたF22の編隊と接触した。その後しばし情報が途切れたが、どうやらまた大気圏外に逃れたらしい。日本から離れると観測も難しくなるし、情報の精度も落ちてくる。一概にオペレーター達を責める訳にもいかないだろう。

それにしても、タチが悪い怪獣である。例の放射能で巨大化した怪物は、火力は圧倒的でも機動力に関しては大したことがなかった。しかし此奴は、火力を直接振るうことはないが、見せつけることは平気でやるし、しかも機動力が異常だ。しかもそれを、計算し尽くした上でフルに活用している。

蠅の魔王と名乗っているようだが、あながち嘘でもないらしい。確かに魔王というのが実在したら、これくらいの能力は持っているかも知れない。

「N1出現」

「今度は何処だ」

「そ、それが。 アメリカ、ホワイトハウス上空です!」

なるほど、賢い手だ。

美鶴は腕組みすると、今まで温めておいた案を動かすべく、総理に再び電話を掛けた。

 

アメリカ自慢の第七艦隊とF22の戦隊を苦もなく突破した優子は、大気圏外で流石に冷や汗を掻いていた。火力はかなり高密度だったし、自衛隊と違ってまるで遠慮がない。ミサイルも多分百発以上は飛んできたはずだ。それらを避けつつ、大気圏外に逃げるのは一苦労だった。途中、第七艦隊旗艦のブルーリッジに軽くチョップをして、船体を揺らしてやったが、多分死者は出ていないだろう。

突破の途中で海にも潜ったが、水中でも問題はない。ただし、幾つか限界という点で分かってきた事もある。

ミサイルが二回至近で爆発したが、その時飛行に支障が出た。体そのものに打撃は受けなかったのだが、飛行軌道がずらされた。これは或いは、空間に干渉して空を飛んでいる事が原因かも知れない。蚊に刺されたほども痛くはなかったが、核ミサイルの直撃があれば、どんな影響があるか知れたものではない。今後は、更に慎重な行動が求められるだろう。

北米大陸を見下ろす。

第七艦隊を挑発的かつ無傷で突破し、F22の戦隊を振り回したことで、アメリカは混乱しているはずだ。今の内に、手を打っておく。

そう言えば、視力もあまり高くはない。機動力や防御能力、火力に関しては現在の科学文明ではどうにもならない次元にまで高まっていることを理解しているが、宇宙空間からホワイトハウスは発見できないことを考えると、限界はあると言うことだ。東京ドームに出る時も、着地地点を見誤った。

さて、行くか。伸びをする。パジャマが焦げてもいないしボタンが取れてもいないことを確認すると、優子は重力に身を任せ、北米大陸へ一気に降下した。

音速を突破して、空気ごと雲を蹴散らす。これでも一般知識があるから、ホワイトハウスのある程度の位置なら分かっている。それでも、目分量での調整では、結構ずれた。ワシントンには到着したが、思いっきりビル街の辺りに出てしまったのである。

舌打ちして、速度を音速以下に保ちながら、優子はホワイトハウスを探す。見つけた。見つけたは良いが、ヘリが群がってきた。世界最強の名も高いアパッチだ。見事に訓練されていて、丁寧に距離を保ちつつ、此方の動きを伺っている。ワシントンの市民達は既に優子に気付いていて、指さしながらなにやら大声で喚き合っていた。

「Freeze!」

ヘリから的外れな警告が飛んできたので、不意に直上に上がり、とんぼ返りしておちょくって見せる。力学的にとてもあり得ない動きで、無理にそれを追おうとしたヘリの一機は失速して墜落しかけた。必死に体勢を立て直そうとするアパッチを尻目に、優子は加速。ホワイトハウス近辺で、ついに追撃を断念したアパッチが離れ、代わりに歩兵が銃を構えてわらわら出てくる。

無理に着地したら、死人が出るから止めておく。代わりに、ホワイトハウスの白い巨体の上に、ちょこんと着陸した。それでも、減速が足りなかったから、ホワイトハウスのガラスは何枚か派手に割れた。流石に頑丈な建物で、土台はびくともしなかった。

兵隊が適度に出てきた頃を見計らう。

「こんちわー、資本主義者どもー。 魔王ベルゼバブでーす」

片手を揚げて、優子は英語で宣言した。真っ青になった兵士達が発砲しようとするが、指揮官らしい男が必死に止める。

当然だ。彼らにも伝わっているのだろう。

伊豆諸島の上空で起こった50メガトン級の爆発と、第七艦隊を無傷で突破した優子の戦闘能力は。

だから、此処まで派手に登場して見せた。防空網を嘲笑うように、ワシントンの直上から、である。

人間は基本的に、頭上からの攻撃には無力だ。文明レベルでもそれは同じで、だからこそにICBMは究極的な抑止兵器として世界中に普及した。そして今、ICBMと同等以上の能力を手に入れた優子も、人間文明の弱点を的確に突くことで、恫喝を進めようとしている。

食料を、得るために。

身の安全は、ついでだ。

スピーカーを持った、えらそうに勲章を付けた将軍らしい人物が出てきた。真っ青になった兵士達が、M16ライフルを構えて、優子を狙っている。銃口の数は100を軽く超えるだろうが、別に気にもならない。

「何が目的だ、蠅の魔王!」

「食料」

即答すると、流石に将軍はぽかんとした様子で、スピーカーを下げた。ホワイトハウス勤務だけあり、生真面目そうな兵士達も、同じようにぽかんとしている。

「私の火力はもう知ってるよね。 私もあまり無駄に人間殺したくはないんだよね。 だから、飯寄こせ」

「ふ、ふふ、巫山戯るなっ!」

「とりあえず狂牛病じゃない牛を十頭、生きたままで。 後、そうだなあ。 工業用の鉄筋を、20トンくらい持ってきてくれる?」

「日本ならともかく、この国で恫喝が……」

動物的に、優子が手で耳の辺りを掻く。そういえば、体から殆ど老廃物も出ていない。風呂に入りたいとも、今のところ思わなかった。こればかりはどうにかして工夫しないといけないが、欲求がないのだししばらくは大丈夫だろう。

ホワイトハウスの屋上にあった鉄柵をむしり取って、それで爪の間を掃除しながら、優子は独り言のように呟く。もちろん相手を恫喝しているのだから、目など遭わせず、巫山戯きった態度で、である。

「ワシントンの中心で、50メガトンの水爆が爆発したらどうなるだろうね? ホワイトハウスが消し飛ぶだけじゃ済まないよ? 君の判断は求めてないんだけどなー。 大統領呼んできたら?」

「おのれ、暴食の魔王!」

「おー、信仰が深いのかな、詳しいこと知ってるじゃない。 じゃ、私が本気で食物目当てで来てるのも分かるよね。 なーに、あんたたち世界中の食い物を片っ端から食い漁ってるんだから、牛の十頭くらい何でもないでしょ。 さっさと運んできてよねー」

そう言いつつも、優子は既に次の手を考えている。

何故、わざわざホワイトハウスにしたのか。

それは、今日ここに、大統領がいることを知っていたからだ。

 

ホワイトハウスには無論無数の地下通路や核シェルターがあり、いざというときには其処へ避難する方式が確立されている。特に核シェルターに関しては、極秘に製造されたその深さが600メートルにも達しており、水爆の直撃にも耐える作りである。もちろん、歴代大統領を始めとして、ごく一部の人間しかしらない専用のエレベーターなどを使って赴くのだ。

「大統領、蠅の魔王と名乗るものは、ツァーリ・ボンバにも匹敵する火力を展開可能であると報告が来ています。 すぐに核シェルターに避難し、其処で危急時に相応しい指揮をお取りください」

大統領は、SPに促されたが、首を横に振った。あまり有能ではないと世間的に思われている彼だが、壮年の顔には決意を湛えている。少なくとも、責任感に関しては、とても強い男だった。

「確かに国家の緊急事態だ。 だが、避難する訳にはいかないな。 私が此処で陣頭指揮を執ろう」

「大統領閣下!」

「その代わり、いざというときに備えて権力は分散しておく。 副大統領には、地方都市へ疎開して、対策本部を立てるように連絡を。 更に閣僚達も、ワシントンから避難させて、居場所を分散させるように。 議会も、地方都市を選んで、開催可能な状況にしておいてくれ」

そう。責任感はとても強いのだ。

複雑な家庭に生まれ、非常に混雑した政治状況下で大統領に押し上げられた彼は。己の能力が大統領に届かないかも知れないことは、就任前から悟っていた。しかし、連日の精勤と、責任感のある行動で、それをカバーするように心がけていた。世界的な状況は悪くなる一方で、それを止めることは出来なかったが。少なくとも、恥じることの無いようにしようと、大統領は常に考えていた。

蠅の魔王についても、既に持ち前の責任感で、情報を精力的に集めていた。だから、此処に乗り込んでくることについては可能性を考慮していた。既に秘書官達には対策案を考案させてもいた。

「あらゆる準備をしておいてくれ。 場合によっては、ホワイトハウスを核攻撃する必要が生じてくるかも知れない。 軍基地にも、その旨を伝えるように。 合図があったら、即座にワシントンの住民を避難させる準備も進めるように」

無言で敬礼した将軍が、執務デスクを出て行った。数名のSPを連れて、大統領は大胆にも、蠅の魔王と名乗る巨人がいる屋上へ向かう。

途中、階段を踏み外しかけたのは、緊張が成せるが故か。

SPは誰も笑わなかった。

屋上に出る。おうと、思わず声を漏らしていた。屋上でカエルのように手足を曲げて窮屈そうに座っていた蠅の魔王が、すぐに大統領に気付いて、にっこり笑う。若々しい日本人らしく、ジュニアハイスクールの生徒くらいにしか見えない。ハイスクールの生徒だとは、信じがたい容姿だ。

すっと片手を揚げて、蠅の魔王は脳天気な挨拶を口にする。

「はろろーん、大統領閣下ぁー。 蠅の魔王にて七つの大罪暴食の権化、ベルゼバブでーす」

「米国大統領だ。 私と交渉をしたいという事だが」

周囲のSP達は、いざというときにはすぐにでも発砲できるように構えている。もちろん、捨て身で大統領を逃がす準備を整えながら、である。

それにしても驚いたのは、流ちょうな英語を操っていることだ。一般的な日本人はとても英語が苦手だと聞いていたのだが。

「うん。 要求は一つ。 ご飯頂戴」

「ご飯、だと?」

「そう。 私ね、食欲があらゆる欲求に優先するの。 で、一番ご飯が有り余ってるこの国に来た訳」

「そんな事のために、これほどの騒ぎを起こしたというのか」

大統領の声が低くなる。流石に鋭い怒りが、体の中で駆けめぐった。日本政府に食料ばかり要求しているという報告は聞いていたが、まさか本当に食料のためだけに、アメリカを恫喝に掛かるとは思ってもいなかった。

小首を傾げると、蠅の魔王は、雰囲気を崩さずに言う。

「そう言う考えだからさ、アメリカ人の食生活だと25億人くらいしか人類を養えないんじゃない?」

「何だと!?」

「私ね、人間の時はどっちかというと小柄だったけど、今はこの体格だしね。 体重は大体1000トンくらいかな。 元から大食いだったけど、今は暴食の魔王になっちゃってるからね。 だから、80トンから100トンくらいは食料がいる訳。 それだけの食料を平和的に得るために、他に方法があるなら、言ってみてよ?」

「方法が既に平和的ではない! 君のやっていることは滅茶苦茶だ!」

大統領が、SPに無言で袖を引かれた。あまり熱くならないようにと、必死の警告を受けているのだ。SPの一人はイヤホンをしているが、ネゴシエイトの専門家とリアルタイムで状況を接続、話を聞いているのである。

咳払いをした大統領に、眼を細めた魔王は不敵に言う。

「ネゴシエイトの専門家に意見を聞いているんでしょ? 熱くなるのはあまりよろしくないよー? デモンストレーションが重要だった古代国家ならともかく、此処は世界でも最先端の、アメリカ合衆国なんだから」

「……つ、続けたまえ」

「お、話が分かるね。 ま、私も実験動物になるのは嫌だし、かといって人類相手に戦争する気もないからね。 だから、圧倒的な力を見せつけてねじ伏せて、食料を出させるのが一番都合が良い。 そーゆーこと。 あんだーすたん?」

元々エリート校の出身者で変わり者だという報告も受けてはいた。だが、この先手先手を打ってくる話術、確かにただ者ではない。年頃の小娘だと聞いていたから少し強気に出てみたが、相手はそれも見越していた感じだ。ネゴシエートの専門家を呼んでいたことにも、気付かれていた。

素早く思惑を巡らせる大統領は、影が出来たのに気付いた。思わずのけぞったのは、至近に顔を近づけられていたからだ。

「そーゆーことで。 私には死活問題なの。 じゃ、要求の内容はさっき私に話し掛けてきた将軍に伝えてあるから。 二時間以内に頼むね」

「ディスクン中将です」

SPが耳打ちしてきたので、内容を聞くようにハンドサインを出す。大統領は、咳払いを二つして、心を落ち着けようとしたが、相手はそれを許してはくれなかった。

「ああ、そうだ。 分かってると思うけど、下手に毒物とか仕込もうとしたら、ワシントンを消し飛ばすから、そのつもりでね」

「いくら何でも、恫喝が過ぎるぞ!」

「それはどうだろ。 私は世界を相手に一人でやりくりしようとしてるの。 確かに現在の文明じゃ刃が立たないくらいのステータスはあるつもりだけれど、これくらいじゃないと、とても交渉なんてできないもーん。 同じ立場で、下手に出たりびくびくしてたりしているところを想像してごらんよ。 あっという間に捕まって、あらゆる実験の餌食にされるだろうね」

確かに正論である。人種の坩堝と言われる米国の大統領だからこそに、その言葉の重みが分かるのだとも言えた。

こめかみが引きつるのを感じながらも、大統領はSPと魔王に一旦休むことを告げて、執務デスクに戻る。決死の覚悟をして来ているネゴシエーターが、既に待機していた。軽く握手してから、ソファに座らせる。ネゴシエーターは頭のはげ上がった、老境に入っている白人男性だった。弛んだ頬が、ブルドッグを思わせる顔である。警察にも信頼されている、ネゴシエーションの専門家だ。

「来て貰って早速だが、とても手強い相手だ。 何か、交渉を有利に進める方法はないか」

「そうですな。 データを見せて貰いましたが、相手の判断次第では、相当な犠牲を覚悟しなければならないでしょう。 あの娘は頭が良い上に、基本的に他人を信用していない様子です。 家族や友人を人質に取るというような手も、恐らくは効果を示さないでしょう。 かといって、ブランドものや甘味で気を引けるとも思えません」

日本では、5トンのプリンを注文した魔王が、それを一息に平らげたという情報も入ってきていた。甘みは好きらしいのだが、それをやるから出て行けと言っても、聞く相手ではないだろう。

女の子はお菓子が主食だということわざが、日本にはあるらしいと、最近大統領は聞いた。しかしホワイトハウスに飛んできたとんでもない女の子は、お菓子も食べるが肉食でもあるのだ。

「今は、要求のものを手配するしかありません。 何かあった時のために、民衆の避難を急いだ方が良いでしょう」

「今、世界は非常に危ういバランスの上に成り立っている。 最強のアメリカの存在が、経済的にも軍事的にも抑止力となっているのだ。 この構造が崩れれば、世界は一気に混沌に陥る」

「大統領閣下、恐らくあの蠅の魔王も、それを計算しているのでしょう。 恫喝に屈するのは確かに屈辱的ですが、しかしです。 米国が、ことごとく水爆で吹き飛ばされるよりは、ずっとマシなはずです。 貴方が守るのは、何よりこの国の民なのですから」

「やむを、得ないか」

毒物の検討もしておいた方が良いでしょうと、ネゴシエーターは言った。無味無臭の睡眠薬などを喰わせれば、或いは魔王を無力化して捕らえることが出来るかも知れない。ガリバー旅行記ではないが、さしもの巨人も、眠っている間に縛り上げられれば、手も足も出せないだろう。

SPが部屋に飛び込んできた。国中の宗教団体が、様々な声明を出してきているという。中には魔王を退治してやるから、ホワイトハウスに迎え入れろと言うような、血の気の多い連中もいるようだった。

副大統領に彼らの対処を任せると、大統領は目前の破滅を避けるために、渋々手を打つこととした。近場にある農場へ連絡して、生きたままの成牛を納品するように、そしてしっかり狂牛病の検査をするようにと部下達に命令したのである。

 

檻が着いたトラックの荷台に乗せられたシャロレー種の雄牛たちが、悲痛な声を挙げている。悟っているのだろう。ホワイトハウスに乗っかっている優子が、これから自分たちを食べるつもりなのだと。もっとも、肉牛である彼らは、遅かれ早かれ喰われる運命であったのだが。

茶色い模様が食欲をそそる。肉牛は大きいもので1トンを軽く超える、とても食べ応えのある動物だ。優子も美味しそうな牛どもを見て、舌なめずりをしてしまった。

「あれは一体何だね。 ジャパニーズアニメから出てきたのか?」

「魔王とか名乗っているらしいんだが、正体については正直俺達が聞きたい。 トラックは後で返しておくから、早く帰ってくれ」

度肝を抜かれた様子のトラックの運転手が、兵士達と会話していた。良く肥えた典型的なアメリカ農場の気がよさそうなおっちゃん達である。ハリウッド映画で、主人公に車を強奪されたり、ゾンビどもにくい殺されたりしそうな雰囲気が全身から漂っている。何度も優子の方を振り返りながら、運転手達がホワイトハウスの外に案内されていく。優子が手を振ると、引きつった顔で手を振り返してきた。

優子は鉄骨が届くのを待つ。どうせ食べるなら、豪快に行きたいからだ。

続いて、鉄骨も来る。要求の物資がひと通り届くと、優子は周囲の人間が恐れる行動に出た。自分の力をある程度試してみたいという理由もあった。

鉄骨をまとめて掴むと、ぎゅっと握りつぶす。そして掌に熱を集めて、ぎゅ、ぎゅっと握りこみながら、上下にしごいたのである。見る間に熱で溶接された鉄骨が、一本の杭になっていく。

火花が飛び散っている中、兵士達が十字を切っているのが見えた。神は無力。優子はせせら笑うと、指先で器用に先端部を尖らせた。真っ赤に赤熱している鉄杭を持っているにもかかわらず、掌は全く熱くない。この分だと、溶岩のプールで泳いでも、何とも無いだろう。

戦車が何台か砲列を並べている辺りを指さして、優子は言う。

「危ないよー。 少し離れて」

「何をする気だ!」

「バーベキュー」

櫛が大体綺麗に尖ったのを見届けると、優子はひょいとホワイトハウスの屋上から降りた。ずしんと、地面が大きく揺れる。1000トンに達する体重だから当然だろう。窓ガラスがまた何枚か割れたようだ。本来だったら、もっと筋骨隆々のさいころのような体型になっていなければ、自重で潰れてしまっている筈だ。それがこの体型を維持できているのだから、幸運だと思わなければならないのだろう。

片膝を立てて、戦車が引っ込んだ辺りに座り込む。鼻歌交じりに、指を鳴らして、巨大な火柱を出現させると、兵士達がびくっとして一斉にM16を向けてきた。別に気にもならない。右手をかざして炎を調節しながら、変な歌を歌う。

中沼優子作詞作曲、美味しい米国産牛。

「きみの名前は、美味しいビーフ。 脳みそ! 小腸! レバー! 肛門! 何でも食べられるー、とてもー、美味しいビーフー。 国によって、輸出する部位が違うのは、君と僕のー、秘密だぞー。 ビバ国家的力関係! 狂牛病を蹴散らせべいべー、美味しいビーフー」

優子は歌があまり上手な方ではない。兵士達は唖然とした様子で、突如始まった巨人リサイタルを見つめていた。

炎の調節が大体終わったところで、トラックに手を伸ばす。モーモー悲痛な泣き声を上げながら、逃げようと檻の中で暴れる牛の一頭を、ひょいと掴んだ。一トン体重があるかも知れないが、何しろ優子はその1000倍である。例えるなら、人間が小型の蝙蝠を掴むようなものである。

「美味しいビーフー。 だから食べる! ばりばりぐちゃぐちゃばきばきごくん!」

まだ赤熱している部分もある杭に、おもむろに牛を突き刺す。口から、尻に抜けるようにだ。悲鳴を上げていた牛は、たちまち絶命して、動かなくなった。大量の血が、杭に伝う。兵士達が蒼白になり、口を押さえて吐き気をこらえるものも出ていた。そのまま、二頭、三頭、串に刺していく。見る間に牛の串焼きの、準備が完了する。

「お、おのれ魔王め!」

「いつも貴方たちがやってることでしょ? 一日ハンバーガーがどれだけ生産されて消費されてるか、知らない訳じゃないよね? それとも皮剥いで、ばらばらにして喰った方が好みかな?」

また一頭串刺しにする。モーモー悲痛な泣き声が、トラックから聞こえ来ていた。トラックの荷台で逃げようと暴れる牛たちだが、柵は頑丈で、彼らの悲痛な願いが叶うことはなかった。

そして、火にビーフをかざす。

程なく、肉が焼ける香ばしい香りが、辺りにも漂い始めた。

「それにしても意外な反応。 牛は馬鹿だから虐殺してもいいけど、鯨は賢いから殺しちゃいけないって、貴方たちの台詞だったような気がしたけど」

「お、おのれ悪魔め! 退け!」

信心深そうな兵士が、十字架を取り出して、優子にかざした。

無視して、牛肉を頬張り始めると、兵士は絶望した様子で十字架を見つめた。

やがて優子は追加として、肉牛40頭を要求し、平らげた。

 

4、そして来るはメインディッシュ

 

ホワイトハウスに残った大統領の前に、政府の高官が続々と詰めかけていた。一度ホワイトハウスから飛び立った魔王は、三十分もしない内に帰ってきて、また肉牛十頭を要求したのである。既にマスコミは抑えられなくなっており、ニューヨークポストもワシントンウィークも、主要紙は皆こぞって魔王のことを書き立てていた。

兎に角血の気が多い幕僚参謀長は、額に青筋を浮かべて大統領に詰め寄る。窓からは、その魔王が、横にごろんとなって、鼻歌を口ずさんでいるのが見えた。

「何であのような無様な怪物に屈したのですか!」

「奴は50メガトンに達する爆発を起こすことが出来る。 一度怒らせたら、ワシントンは木っ端微塵に消し飛ぶぞ」

「ならば、起こす前に殺してしまえばいいではないですか」

「無茶を言うな。 奴が第七艦隊の攻撃に耐え抜き、ホワイトハウスに飛来したことは、君も知っているだろう。 少々の攻撃が通じる訳がない。 今、対策を協議している所だ」

部屋に走り込んできたのは、技術士官だった。何名か、特殊部隊出身の、毒物の専門家を連れている。

「駄目です。 効果ありません」

「そうか」

大きく歎息した大統領は、万策尽きたことを悟った。

先ほど魔王に喰わせた肉牛は、もちろんそのまま渡したのではない。遅効性の致死毒を始めとするあらゆる毒素を、カプセルに包んで事前に飲ませていたのである。魔王の体重が千トンに達することや、人間よりも遙かに体力があることを想定して、遅効性の強烈な奴ばかり厳選していたのだが。まるで意味を成さなかったらしい。

「魔王が紙を要求しています。 四トンほど」

「くれてやれ」

「は。 すぐに手配します」

もう内容を吟味するのもアホらしくなっていた大統領は、投げやりに秘書官へ告げる。参謀長はまだ何か言おうとしたが、大統領はそれを遮ると、部下達を連れて魔王の所に出た。

まるで東洋の宗教に出てくる聖人画のように、魔王は横になってくつろいでいた。戦車の砲列は相変わらずその巨体を狙っているのだが、気にもならないと言うことだろう。流石に大統領が来たことに気付くと、魔王は小さく欠伸しながら、体を起こす。

「あ、大統領。 ビーフ美味しかったよー」

「そうか、それは何よりだ」

「あの味付けよかったねえ。 致死毒に催眠毒に麻痺毒に神経毒? あはははははははははははは。 暴食の魔王に、んなものが効くと思ったあ?」

「やってみなければ分からないと思ったから試してみたまでだ」

紙が大量にトラックに乗せて運ばれてくる。ロールのままの白い紙だが、魔王はそのまま引っ張り出して、ティッシュペーパーのように丸め、ぺっと何かを吐き出した。その様子を見せないのは、一応女の子だから、という所か。丸めて捨てる。幾ら大きくても、紙は軽い。ふわりと地面に落ちた。

「ごちそうさま。 毒物だけ返すよ」

「……」

「ついでにペナルティ。 ワシントン吹き飛ばすって言ったけど、それはやめとく。 その代わりに、もうちょっと面白いことをしてあげようかな」

「殺すなら私だけにしろ。 国民や家族は関係ない!」

「そんな野暮なことはしないっての。 もっと楽しいことをさせて貰うよ」

にやりと魔王は、まさに悪魔的な笑みを浮かべる。

発育が遅いように見えても、女は女。魔性を秘めているのは、間違いないようだった。

「私を倒したいって言ってる宗教団体の連中を、まとめて呼んでくれる? ついでにテレビ局も」

「な、何を、何をするつもりだ!?」

「決まってるでしょ? 全国にリサイタル。 あー、カメラマンに見せかけた特殊部隊員って可能性もあるか。 じゃ、呼ぶ場所を変えてもらおーかな」

魔王が立ち上がったので、SP達が一斉に銃を構え、大統領に下がるように頷く。まるで気にしない様子で、魔王は屈伸運動など始めていた。背中の、髑髏が染め抜かれた気味が悪い羽が、小刻みに震動し始めている。

「止めろ! 何処へ飛ぶつもりだ!」

「ワシントンウィークの本社ビル。 くけけけけ、飛んでくる時に、場所は確認したからね。 あ、宗教団体の連中は、そっちへ集めておいて。 それと分かってると思うけど、そっちに移っても、ワシントン全体を消し飛ばすのはちょー簡単だから」

慌てて連絡を取ろうとするSP達よりも早く、魔王の体は空に舞い上がっていた。

 

報道ヘリが、その冗談のような巨体を捕らえた数秒後には。ワシントンウィークの本社ビル屋上は、優子の蹂躙する所となっていた。

流石にコンクリのビルである。多少窮屈ではあったが、乗った瞬間倒壊するようなことはない。ただ、カエルのように身を縮めなければならず、それに思ったよりもずっと小さかった。フェンスがぐしゃりと歪んで、震動している羽にぶつかり、千切れて吹っ飛んだ。隣のビルの外壁に突き刺さる。

日本のマスコミが、尊厳を売り飛ばす代わりに多大な利益を得たのと対照的に。欧米のマスコミは弾圧と反発の歴史を乗り越えてきたが故に成熟していて、逆にそれが故に発行部数やそれに伴う売り上げはずっと小さいと聞いていた。どうもそれは事実であるらしい。欧米のものを何でもありがたがる風潮は笑止千万だが、こういう点だけは、修羅場をくぐって育ち上がってきた強みとして、取り入れるべきなのだろう。

ばらばらと、屋上に上がってきたのは、各地の戦場も報道してきたようなカメラマン達だ。流石に動きが速い。挨拶は先にするべきだと思って、優子は右手を挙げた。

「はろー、えぶりばーでぃ。 さっきホワイトハウスから飛んできた、魔王ベルゼバブでーす」

「き、君が噂の魔王か」

「そうでっす。 あ、名刺は結構。 受け取っても、しまう場所がないからさ」

すぐにカメラの砲列が準備されて、フラッシュが焚かれ始める。流石に戦場をくぐり抜けてきた強者ばかりだ。カメラマンの中にも、そのまま軍人になれそうな、或いは軍人から転向したような、強者が多く混じっていた。

優子の睨んだとおり、既に魔王としての情報は、各国マスコミ(日本を除く)が喉から手が出るほど欲しいものであったようだ。ベテランらしい、頭がはげ上がってピンク色の肌をした中年男性が、ネクタイをびっちりしめて、良く作られた笑顔を向けてくる。仲がよいテレビ局のアナウンサーらしい。屋上に降り立ってから、ものの十分でやってきた。

「それでは、報道特別番組を行います。 皆様も、日本を震撼させ、第七艦隊を突破し、そしてホワイトハウスに乗り込んできたという蠅の魔王については既に周知である事でしょう。 政府がひた隠しにしてきたその彼女が、今ワシントンウィーク本社に乗り込んできているのです。 そ、それでは、魔王さん。 コメントをどうぞ」

「はろーん、全世界のみなさーん。 私が魔王ベルゼバブでーす。 今はアメリカにおじゃましてますが、そのうち中国、ロシア、フランス、ドイツ、イギリス、それにアフリカや中東圏の各国にもおじゃまさせて貰うので、その時はたっぷりご飯を略奪強奪大暴食させて貰いますねー」

もちろん、これは衛星放送だ。

今頃大統領は椅子になついて蒼白になっていることだろう。もちろん新聞社に手を回すことも出来るだろうが、権力機構と戦ってきた欧米の大マスコミである。ある程度の対応策くらい備えているはずだ。

それを見越して、今優子は、毒物のお礼と称する嫌がらせをやっている。いずれやろうと思っていた衛星放送でのお披露目である。今回、早めにその機会があったのは、幸いであった。というよりも、計画通り事が進んで、満足しているというのが正しい。

「それでは、インタビューをさせていただきたいと思います。 あ、貴方は、本当に地獄からやってきた、七つの大罪の一つ、暴食を司る存在なのですか?」

「地獄からと言うとちょっと語弊がありますねえ。 ただ、暴食を司る存在であることは確かなようですよー」

「そ、そうですか。 それで、何故この時期に地球へ。 そもそも貴方は、日本人であったという話もあるようですが」

「ほう、よく調べているじゃないですかー。 私は確かに元日本人でしたが、今はもう違います。 というか、肌の色だの髪の形状だの、場合によってはイデオロギーだので差別をしあう貴方たち人間が、このサイズになった存在を、同族と認めるという話は、とんと聞いたことがないですけど」

自分についてさらりと述べると、もう一つの質問については敢えて無視する。そして、指を鳴らすと、優子の頭上に、折れ砕かれた十字架の姿をした炎が顕現した。うめきをあげたカメラマンを敢えて無視して、優子は顔を近づける。

「で。 わざわざ此処に来た理由ですが、デモンストレーションを行うためでっす」

「デモンストレーション、ですと?」

「そう。 今、私を倒すとか、倒せるとか、ほざいているキリスト教系宗教団体の皆さんがたんまりいるでしょう。 相手になってさしあげますよ。 うふふふふふ。 此処で待っていますから、いらっしゃい。 十字架でも聖水でも聖遺物でもなんでもござれなのです。 ロケットランチャーでもAKでもいいのですよー。 あ、時間が許すのであれば、ローマ法王を呼んできても良いですよん」

生唾を飲み込んで、アナウンサーがカメラマンに目配せする。カメラが一旦アナウンサーに焦点を向け直そうとするが、優子が指を鳴らすと、カメラは強引に向け直された。検証中だった優子の能力の一つ。一種のサイコキネシスだ。笑顔を消すと、低い声で、ちょっと恫喝する。

「インタビュー中に、勝手にカメラを外すんじゃねえっての。 私が50メガトン級の爆発を起こせることを忘れたか? 私の機嫌損ねたら、ワシントンは木っ端微塵に消し飛ぶし、核シェルターなんぞ役にたたんからそう思え。 更に私の飛行速度はマッハ30以上だぞ。 何処へ逃げても無駄だから、そのつもりでね。 まったく、日本のよりはマシみたいだけど、これだからマスコミは」

「し、失礼いたしました。 一旦休憩を挟みたいのですが、よろしいでしょうか」

「どうぞどうぞ。 15分だけね。 代わりのアナウンサーを用意するなり、宗教団体のみなさんを受け入れる準備をするなり、好き勝手に使いなされ。 ただしあまり待たせたら、ビルごと押しつぶすからそのつもりで」

ばたばたと、スタッフの一部がビルに戻っていく。恐らく、優子を簡単に御せないことを理解してくれたのだろう。これでいい。優子は今、人類そのものを相手にしているのだ。舐められたら、その瞬間におしまいだと考えてもいい。

良くある、異形が心優しい一部の人間に匿われて逃げまどうような作品は、優子から言わせれば人間の傲慢をそのまま映像化したものだと思う。気の毒で愚かでひ弱な異形を、人間が自分だけは持ち合わせている慈悲によって救ってやっているというわけだ。アホらしい話である。

新人らしい、ちょっと頭が悪そうな女の子が話し掛けてきた。アメリカでは立場が弱かったり頭の悪かったりする女性は非常に嫌われる傾向があると聞いているから、多分アナウンサーとして大成することはないだろう。

「あ、あのう」

「なに?」

「それって、パジャマですよね。 可愛らしいなあと思って見てました。 日本のメーカー製ですか?」

「ん? ああ、そうだよー。 起きたら魔王になっててね。 幸い着衣は一緒に巨大化してくれてて良かったよ。 そうじゃなきゃ、流石に恥ずかしくて、人前に出られなかったからね」

最初、慌てて引っ張り戻そうとしていた先輩のアナウンサーが、固唾を呑んで見守っている。優子が右手を挙げて、会話をさせろと彼を制止したからである。むしろこれくらい緩い子の方が、話していて新鮮だ。

「そうですよね。 裸でお外だと、恥ずかしいですよね」

「まして私は幼児体型。 ちょっと人様には見せられない裸だもの」

「そうなんですか? でも小学生にしては発育が良いような気がします」

「私、高校生」

ぽかんとしていた彼女は、くすくすと笑い出した。頭は悪そうだが、日本では考えられないような乳のサイズであるし、立派に大人の体をしている。ちょっとむかついたのは秘密である。そんな事で怒るほど、優子は子供ではない。

「私、ジェニファー=サウズランドと言います」

「よろしく、ジェニファーさん。 何というか、アナウンサーに向いていないなあ。 自分でも分かってるんでしょ?」

「ええ、私見ての通り頭があまり良くないですから、この国でアナウンサーをやるのは、難しいだろうと言われてます。 でも、私の夢なんです。 だから、毎日怒られながらも、続けてます」

「アメリカンドリームだねえ。 ウチの国の高校生達にも、見習わせたい前向きな姿勢だよ」

からからと笑う。そのうち、ぞろぞろと政府が手配したらしいエクソシストやら司祭やらが集まってきた。かなり怪しげな輩から、バチカンから認可を受けているエクソシストまで、千差万別のようだ。彼らはみな目をぎらつかせていて、鼻の穴を膨らませていた。政府から、優子を倒せたら目が飛び出るような報酬を支払うことを約束されているのだろう。

「さて、と。 ちょっくらサイキックバトルとかをやらなきゃいけないから、下がっててくれるかな」

「あ、はい。 頑張ってください。 ええと、そうじゃないのかな? ううんと」

「いや、応援してくれてありがと」

「貴方の力なら、この国どころか、世界をもっと暴力的に蹂躙することも出来ていたと思うんです。 私、貴方がそんなに悪い人じゃないって、信じています」

ジェニファーが、先輩に引っ張られて、屋上を後にする。まあ、後でこっぴどく怒られるだろうが。しかしおもしろがってカメラマンの一人が回し続けていたので、その映像が流出すると楽しそうである。

第一陣として、四十人くらいの退魔士が勢揃いした。さっきのアナウンサーが現れ、また番組が再開される。アナウンサーが、計算し尽くした笑顔で、退魔士達を紹介していく。皆、それなりに知られていて、「実績」がある者達のようだ。

「そ、それでは魔王さん、一対一で戦いますか? それとも」

「全員掛かりでどうぞ。 てか、まだまだ後が使えてるでしょ? 最初の十分はあんまり非礼なことをしない限りなにも反撃しないから、好きなように攻撃してごらん? ほら、どぞどぞ。 かもんべいべー」

「これは凄まじい自信です。 あらゆる攻撃を受け流し反撃してみせる、トッププロレスラーのようです!」

アナウンサー魂に火がついたのか、おじさんがちょっと興奮してまくし立てた。優子も面白くなってきたので、砂時計を用意させると、音高く指を鳴らしてみせる。興奮した退魔士どもが、一斉に雄叫びを上げて殺到してきた。

「悪魔よ、退け!」

「天使ミカエルの名において申し渡す! 悪魔よ、地獄へ帰るがいい!」

「滅びよ、悪魔!」

十字架を掲げたり、聖水を巻いたりと、ぎゃあぎゃあ騒ぎ出す。もちろん蚊に刺されたほども効かない。優子に向けて、両手を突き出した、乞食のような風体の男が一番マシだった。どうやら本物のサイキッカーらしく、全身に圧力が掛かってくる。眼を細めて、押し返す。反撃はしないと言ってあるから、壁を作って浸透を阻むだけにとどめる。

声をからして叫んでいた退魔士どもだが、優子が平然として欠伸までしているのを見て、流石に顔色が悪くなってきた。聖餅を投げつけてきた奴もいた。ひょいと空中で受け止めると、口に入れて飲み込む。蒼白になった奴は、後ずさり、逃げ腰になる。汚い布を取り出してきた男がいた。

「父と子と聖霊の御名において、退け悪魔!」

「おー? それは聖套布? 偶然とはいえ、結構綺麗に浮き上がってるねー」

こ汚い布には、確かにキリスト教の開祖らしい人物のシルエットが浮き上がっていた。にこにこ笑顔を崩さない優子を見て、布を拡げた神父は真っ青になって、尻餅をつく。サイキッカーらしい男も力尽きたか、大きく息を肩でつきながら、ビルの屋上でへたり込んでしまった。

丁度十分が経過した。

優子は指を鳴らす。同時に、十字架が、聖水の瓶が、汚い布が、一片に火を噴いて消し飛んだ。聖書が火を噴きながら、焼き尽くされて灰になっていく。己のよりどころを打ち砕かれた退魔士達が、金切り声を上げた。

「ひ、ひいいっ!」

「まだやり合いたい人はいる?」

悲鳴を上げて、屋上の出口に殺到していく退魔士達。悔しそうに此方を見つめていた乞食のような男性が、両脇をテレビ局スタッフに抱えられて去っていくと、優子は自ら砂時計を逆さにした。

「つかえてるから、次。 何百人でも、何千人でもどうぞー? ちょうどご飯を食べるのにも飽きてたからね。 いっくらでも相手になってあげるよ」

「ま、まさに圧倒的です! 十字架が、聖水が、まるで効果を示しません! 現世に降臨した魔王、その実力は、筋金入りのようです!」

次は、八十人が同時に呼ばれた。優子は同じように、十分は何もしないことを宣言。そうすることで、却って己の実力を周囲に示すことが出来るという、計算に基づいた行動だった。

 

テレビには、恐怖に駆られて逃げまどう退魔士達の姿が映し出されていた。後半になるとやり方が粗っぽくなってきていて、ロケットランチャーを実際に打ち込む奴までもが出始めている。マシンガンを乱射する奴もいたが。魔王の皮膚(或いはその体を守っている不可視の防御)を貫くことは、とても出来ない様子であった。

しかも、あらゆる攻撃を魔王が容認することで。却って魔王の凄まじさを、見せつけることになってしまっていた。恐ろしい奴である。全てが計算尽くだという訳なのだろう。自棄になって、肉弾戦を挑もうとする宗教家もいた。だがひょいとつまみ上げられて、ビルの外にぶら下げられて失神。屋上に戻されると、ワシントンウィークのスタッフ達が運んでいった。

苦虫をかみつぶしている大統領の元に、報告が来る。技術班のリーダーからだ。既にワシントンウィーク本社ビルの周囲には特殊部隊が展開しており、あらゆる計器を使ってデータ計測をしていた。

「効いている様子がありません。 相手が本当に蠅の魔王ベルゼバブであれば、効果があると思われる攻撃も、多分に含まれてはいるのですが」

「だが、これでしばらくは時間が稼げる」

「は、はあ」

「言動の分析を進めておけ。 どうやらあの娘、頭はよいが、かなり素直な面もあるらしい。 交渉に関しても、かなりストレートに要求を伝えてきている節があるし、上手く行けば、被害を最小限に食い止められるかも知れない」

こうやって、少しでも冷静に考えられる時点で、大統領は自分がある程度落ち着きを取り戻して来たことに気付いていた。技術士官も少し安心したようで、もう少しデータを集めてみると言って、部屋を出て行った。

テレビの中では、バチカンからわざわざ来たというエクソシスト達が、数十人がかりで魔王に対して聖なる言葉を投げかけていた。魔王はにこにこしているばかりで、苦しむ様子もない。聖水をかけたり、十字を切ったりもしているのに、まるで効果が上がっていないのは、見ていて気の毒であった。十分が経ち、彼らの大事な商売道具をまとめて焼き尽くされ、或いは粉々に打ち砕かれて。絶望とともに、エクソシスト達は這々の体で退場していった。

果てはイスラムや仏教、他の宗教からも、悪魔退治の専門家とやらが押しかけてきていて、魔王に対して果敢に挑んでいるのだが。誰も彼もが、己のよりどころを十分後には焼き尽くされて、悲鳴を上げて逃げ散っていく。魔王もちょっと退屈してきたらしく、テレビカメラに向かって、欠伸をしたりしていた。

「おのれ、馬鹿にしおって!」

ホワイトハウスの中庭に、続々と運び込まれてくる食料を見て、副大統領がテレビ回線の向こうで毒づいた。一日に一回、魔王はホワイトハウスに戻ってきては、食事にする。事前の予告通り、80トン近い食料を、ぺろりと平らげていくのだ。およそ8万人の食料である。国家規模からすれば大した量ではないが、屈辱的な光景であった。既に一週間続くトラックでの食料搬送は、ワシントンの風物詩となりつつあった。

ネットでは、意外と魔王が暴力的ではないとか、キュートであるとか言う書き込みが始まっており、政府の威信低下は明らかだった。リアルタイムで続けられている報道特別番組も、視聴率は80%を超えており、明らかに全世界へ、宗教家達の醜態を晒す一役をかっていた。この辺りも、計算尽くだと言うことなのだろう。

「大統領、そろそろ奴を地獄へ送り返す方針を練りましょう」

「これだけの食料を、我が国だけで負担することはない! 奴は日本人だったとか聞いている! 日本政府に、資金を出させてはどうか!」

テレビ会議の向こうで、ぎゃあぎゃあと閣僚達がやかましい。つい先日、魔王に第七艦隊が突破されたことを忘れてしまっているかのような、血の気の多さだ。下手に仕掛ければ、米軍が壊滅どころか、この国が消滅することを、完全に失念してしまっている。

彼らをなだめると、大統領は一つの決意を固めた。

「慌てるな。 もしやるとしたら、世界が一致して動かないと、無理だろう」

「世界を一致団結、ですと?」

「そうだ。 如何に奴と言っても、水爆の直撃を受けてはひとたまりも無いだろう。 一発で倒せなくても、数十発を集中運用すれば、勝機は見えてくる」

ネクタイを締め直すと、大統領は自分に言い聞かせるかのように、何度か頷いた。結局、恫喝さえしてきたが、自分からは暴力を振るわなかった魔王のことを考えると、少し気の毒には思えてきていたのだ。

奴の言うことにも、確かに一理はあった。だが、この星で、人間と魔王が共存することは出来ない。

だから、倒さなければならないのだ。

「しかし、ワシントンをこの世から消すつもりですか!」

「違う。 奴が、別の国に移動する所を狙う。 今までの行動パターンから言って、防空網をくぐり抜けるためにも、一旦大気圏外に出る。 逆に言えば、其処を狙えば、放射能は気にしなくても良くなる」

「ぎ、技術的に、可能なのでしょうか」

「難しい所だが、不可能ではないようだ」

そういって、大統領が回線をつないだ。テレビの一つに写り込んだのは。同じく被害者である、日本の技術者だった。まだ若い女である。

「伊集院美鶴です。 よろしく」

「よろしく、ミズ美鶴。 日本側としても、協力してくれると言うことだが」

「結局暴力的手段での解決をしなければならないのは心苦しいですが、こうなってしまってはやむを得ないでしょう。 あの魔王の気が変わって、人間を食料にし出すようになったら、世界の秩序は崩壊しますから」

「うむ、そうだな」

本当にそうだろうか。大統領は自問自答する。しかし、彼の悩みは、テレビの向こうにいる美鶴も恐らくは悟っているだろう。もしも恐慌的手段に出るのなら、魔王はとっくにその手を使っていたはずなのだ。

魔王なりの方法で人類と共存しようとしていた。今までは、それに間違いはなかったのかも知れない。

「そこで、具体的な方法だが、どうするのかね」

「彼女は、大味な食事に、そろそろ飽き出す頃です。 そこで、次に向かう国を、指定するように、巧く誘導して欲しいのですが」

「何とか、やってみよう」

 

1万人ほど片付けた頃だろうか。優子に挑もうという宗教家達は明らかに減りつつあり、退屈になり始めていた。100人ほどをまとめて相手し終えると、ぴたりと挑戦者が絶えた。三交代で実況をしていたアナウンサーにも疲れが見え始めており、小休止を入れたいという申し出が来たので、優子も鷹揚に頷く。

途中小休止を何度か入れはしたものの、一週間ほとんどぶっ通しで遊んだ。だが、眠くもならないし疲れもしない。排泄の欲求も、一度もなかった。食べたビーフやご飯は、体内で完璧に吸収されてしまっているという事なのだろう。まあ、あれだけの凄まじい火力だ。取り込んだ栄養を完璧に活用くらいしていないと、追いつかないのだろう。

アメリカ政府が、次の手をそろそろ打ってくる頃と、優子は睨んでいた。もしも次の手があるとしたら、核攻撃しかない。タイミングとしては、ワシントンを離れた所を狙ってくるだろう。恐らくは、余所の国へ向かう所を、水爆を搭載したICBMの集中運用で潰しに掛かってくるに違いない。

此処が、正念場だ。

「ハーイ、ベルゼバブ」

「ああ、ジェニファーさん。 化粧直してきたの?」

「ええ、連日徹夜続きで、ちょっと大変だったから。 新聞が売れて売れて、もう殆ど不眠不休の状態よ」

暢気に声を掛けてきたのはジェニファーだった。この子は気の毒にも、こんな風に親しく話し掛けたりしたら、政府に利用されかねないと分かっていないのだろう。残念だが、全くこの仕事には向いていないと断言できる。

軽く気分転換に話してみる。年は何歳か向こうが上の筈だが、話していると同年代の女の子と話しているかのようである。散々いじくり回していた同級生の事を思い出す。何というか、もの凄く無防備だ。

日本では、コンビニでやたらめったら凝ったお菓子を売っているとか、気取ってスイーツとか言っているとか教えてあげると、ジェニファーは大笑いした。代わりに、アメリカの色々な風俗について教えて貰う。そのほかにも、日本で有名な漫画の大阪弁を使うキャラクターが、翻訳された時には南部訛りにされていたとか、楽しい話を幾つも聞けた。

そろそろ、休憩時間も終了である。ディレクターが咳払いして、じろりとジェニファーを睨む。後ろ髪を引かれる様子で、ジェニファーがきびすを返し、それで不意に悲しげな顔で振り返った。

「ねえ、ベルゼバブ。 こんな乱暴な事、もうやめたら?」

「そうだねえ。 そうしたいのはやまやまなんだけど。 一度人間相手に弱腰になったら、あっという間に実験動物だもの」

「そんな。 そんな人ばかりじゃ無いわよ」

「少なくとも、生物としての人間はそうだよ。 一人一人には良い奴もいると思うけれど、全体で見るととても信用できない」

ジェニファーがとても悲しそうな顔をしたので、優子も眉根が下がる。何だか気の毒な子である。将来散々だまされて、色々な相手にお金をむしり取られそうな雰囲気だ。

最悪の場合、地球を一旦離れるという手もある。宇宙空間でもへっちゃらなのは実証済みだし、ミサイルを食えるほどなのだ。小惑星を囓っていれば、数百年は生きていけることだろう。

ふとビルの下を見ると、此方に好意的なプラカードを掲げているものが見えた。一概に敵意ばかり向けてきている訳ではないらしい。二番目にインタビューをしてきた、四角い顎をした黒人のアナウンサーがパイプ椅子に腰掛けて汗を拭いていたので、顔を近づけて聞いてみる。

「ねーねー。 世界各国で、私をどう呼んでるの?」

「やはり敵意が強い傾向がありますね。 貴方は何しろ、とても高圧的ですから」

「ははは、そうだろうね」

「少しずつ接し方が分かってきました。 貴方は敬意さえ払えば冗談も通じるし、きついことを多少言っても平気なようだ。 だから、敢えて言わせて貰いたい。 やはり、貴方のやり方は、間違っていると思う」

優子は別に腹が立たなかった。むしろ面と向かってこれだけ言えるこのアナウンサーに、敬意さえ覚えた。

「ふうん、それで?」

「貴方の狙いは、自分のシンパを作ることなのか? それとも、このまま人類から、搾取し続ける事なのか?」

地獄へ帰れ、魔王。そんな声が聞こえたので、振り返りもせずに指を鳴らす。ぼんといい音がして、発言者がアフロになった。

「少なくとも、シンパを作る事じゃあないかな」

「貴方はとても賢い。 日本もアメリカも、貴方に振り回されどうしだ。 そして今、宗教家達も、貴方の膝下に屈しようとしている。 しかし、貴方の孤独は、もっともっと深くなっていくのだろう」

「それは心配いらないよ」

「どうしてだ」

いつの間にか、カメラがずっと此方を捕らえていた。魔王の本音を採ることが出来たから、なのだろう。

「私は元々猟奇的な食欲の持ち主でね。 周囲は愚か、家族さえも気味悪がってた。 たまたま頭が良かったから政府にスカウトされて、マッドサイエンティストの卵として、色々なことを教え込まれたし。 同じ穴の狢たちとも仲良くなれたけれど。 結局、私はずっと一人だった。 これまでもそうだし、これからもね。 孤独には慣れてる。 むしろ、私には、孤独が普通の状態なの」

「……」

絶句したアナウンサーから視線を逸らす。そろそろ、流石に次の連中が集まってきた頃だろう。CMも、いい加減終わった頃合いだ。

肩を掴んで、腕を回す。今までは使い物にならない連中ばかりが相手だったが、今度は少し骨のある奴が混じっているかも知れない。少しは、この退屈をいやしてくれる相手がいることを、どこかで優子は期待していた。

 

5、食後にはデザート

 

魔王がホワイトハウスの中庭で、頬杖をついて、うつらうつらとしていた。その眼前には、巨大な鉄串と、舐めたように綺麗な巨大鉄板。さっきまで其処には、膨大な量のピラフが乗っかっていた。一流のシェフ達が腕を振るって作った80トンのピラフが、冗談のように魔王の胃へ消えたのである。それでいて全く太る様子がないのだから、ある意味とても羨ましいとも言えた。

自室からそれを見つめる大統領は、いよいよ時が来たことを悟った。確実に、ベルゼバブは油断し始めている。もしくは、気がゆるみ始めている。此処を突かない手は、無い。既に各地の軍基地にはスクランブルを掛けている。第七艦隊も、先の雪辱を晴らすべく、総力を挙げて戦う準備を終えていた。

しかしながら、魔王はまだ飛び立とうという気配を見せていない。

今まで栄養士達を呼び集め、敢えて味付けを工夫して来た。今後恐らくロシアか中国へ行くだろう魔王を、意図的にロシアへ向かわせるためである。アラスカ上空で、魔王を撃墜する。水爆を搭載したICBM150基が、既にいつでも発射できる態勢にあった。その火力は合計して軽く4000メガトンを超えている。もちろん、非公式に建造されたICBMも多くあった。

魔王の飛行速度はマッハ30を超える。ICBMも速度的にはマッハ20を軽くオーバーするが、そのままでは計算的に当たらない。此処で工夫が必要になってくる。つまり、飽和攻撃だ。対応しきれないほどの数を四方八方から浴びせることで、防御能力の限界を超えさせる。かってロシア軍が、圧倒的な戦略的防御武装をしていた米軍の艦隊を打ち砕くために構想していた戦術である。

この飽和攻撃に対応すべくイージス艦が構想され、建造された訳なのだが。流石に魔王も、イージス艦と同等の能力は備えていないはずだ。150基のICBMを全方位から集中運用すれば、倒すことが出来る。正確には、倒せる可能性が、唯一生じてくる。

ただし、それにはもう一つだけ条件がある。

一瞬で良いから、魔王の動きを、止めることだ。マッハ30で不規則に動き続ける状態では、飽和攻撃の焦点に据えることはまず不可能である。その工夫については、ミズ美鶴が提供してくれた。えげつないが、巧い工夫であった。

カメラには、とうとう眠り始めた魔王の様子が写っていた。といっても、周囲で人間が何か動きを見せたら、即座に目を覚ますだろう。今までにも、三回、そう言うことがあった。接近する特殊部隊が、指を鳴らされただけで、全員アフロにされたのである。命に別状はなかったが、コメディ番組に出演したかのようなその姿は、滑稽きわまりなく。大統領も、苦笑をこらえるに苦労した。

「それにしても、あどけない寝顔ですな」

「そうだな。 眠っている時は、魔王ですら安らかだと言うことなのだろう」

テレビ局でのいきさつは、既に大統領も聞いている。彼女が途轍もない孤独の中に、幼い頃からいたことは、同情に値すると思う。しかしながら、それが故に世界が蹂躙されても良いという理屈は生じない。

「数日以内に、魔王は飛び立つだろうと計算されている。 辛いものがほしくなるように、味付けの工夫を続けるんだ」

「分かりました。 しかし、魔王がアラスカに向かわなかったら」

「その時は、飛来先と意見を合わせて、飽和攻撃の焦点を併せる工夫をしていく。 兎に角、我らにはそれしか対抗手段がない。 どうにか大気圏外で、奴の動きを止めることさえ出来れば」

今までは無策だったが、今はどうにか世界の各国と調整がついている。最後までぐずっていた中国と印度も、非公式の調整を続けた結果、数日前に協力に合意した。魔王が飛来したら、何処の国も対応手段が無く、国威を踏みにじられるのだ。それを考えれば、協力をせざるを得ないのである。

こっくりこっくりしている魔王の後頭部を眺めながら、大統領は側に控えている秘書官に話し掛けた。

「そういえば、魔王と自然に友人関係になったという、ワシントンウィークの女性職員がいたな」

「はい。 ジェニファー=サウズランド。 21歳独身。 社員としての評価は下の下のようですが、職場の空気を和ませる、潤滑油として作用しているので、首にはならずに済んでいるとか」

「そうか。 もしも魔王を滅ぼすことが出来たら、その功労者の一人だ。 ある程度、便宜を図ってやれ」

「承知いたしました」

汚れた仕事。それを実感する瞬間であるが。

最後まで人間でいようと、大統領は思った。

 

寝こけていた事に気付いて、優子は目を擦った。実のところ、眠っていても、ある程度周囲に警戒ができている。すぐに飛び起きることも、飛び立つことも可能だ。それを検証済みだから、場合によっては水爆を打ち込まれない状況でも、こくりこくりと眠っていた訳だが。

座り直して、大きく伸びをする。どうやら、少し弛んでいるらしい。或いは、疲れが溜まっているのかも知れない。寒いとか熱いとか、そう言うことは全く感じないので、そろそろ大気圏外に一度出て、思いっきり眠るべきなのかも知れなかった。

それにしても、地味だが巧い手を取るものだと、優子は思った。とっくの昔に、気付いていた。食事の味付けを工夫して、辛いものを食べたくなるように誘導している事に。ロシア辺りにとばせて、アラスカ上空ででも飽和攻撃を仕掛けてくるつもりなのだろう。数日動きを見せなかったのは、各国と調整して、ICBMの供出をさせる体勢を整えていたからに間違いない。

ただし、其処まで動きを進めていると言うことは、何かしらの手段で優子の動きを止める方法を見つけたと言うことになる。おおかた桜坂高校出身者の先輩が、誰か入れ知恵でもしたのだろう。

此処までは、優子も読んだ。問題は、その先の手だ。

「ヘーイ、ベルゼバブ」

「ん?」

特殊部隊員の一人が、足下まで近付いてきていた。最近、好意的な表情を見せる奴が何人か見え始めている。普通の食事をしたり、眠ったりしている所を見て、人間味を感じているのかも知れない。

小説の手法だが、自分の境遇と離れている存在に感情移入させる手段として、食事や性行為が良く用いられる。これは同じ次元にある存在だと、行動を通して示す方法であり、効果的だ。このため、超人的な英雄などを扱う戦記物では、必然的にその二つが盛り込まれる事が多くなる。

事実は小説より奇なりと良く言うが。小説の手法は、現実でも意味を成してくると言う訳だ。

「今日もテレビ局に遊びに行くのか、魔王ガール」

「そうだね。 そうしても良いけど、そろそろ飽きてきたかな。 手応えのある奴がいないんだもの」

「ハハハ、ローマ法王でも連れてこないと、あんたには勝てそうにないな」

「連れてくればいいよ。 ローマ法王でも聖人でも、何でもどうぞ」

ローマ法王は、出てこないだろう。理由は簡単である。祈って優子が倒れなければ、キリスト教世界に致命的な激震が走るからだ。

キリスト教が教えを拡げた過程で、多く作られた逸話がある。神の加護を受けた聖人が、地元の神々を悪魔呼ばわりして調伏するものだ。キリスト教に限らず一神教は、他の宗教の存在を基本的に認めない。他は全て醜い悪魔であり、神の前に必ずやひれ伏す存在なのである。

ベルゼバブもその一つだ。元々、偉大な砂漠の神格であったバアルが、一神教によってユダヤ教の時代から貶められて、幾つかに別れた結果誕生した悪魔である。幾つかに分かたれた状態で、地獄でも屈指の実力者だというのだから、バアルがユダヤにとってどれだけ脅威となる神格であったのか、よく分かるというものだ。しかしそれでも、神が人間を試すために生かしてやっている存在、という設定にされている。一神教における神は、それほどに強大な存在なのだ。

ローマ法王は、一神教の「強い」「唯一絶対」というお題目を守るために。敢えて出てくることが出来ない。優子としても、わざわざ捻り潰しに行く気はない。何よりも、あまり面白そうではないからだ。

さて、大統領がどのような手を打ってきたか。もう少し吟味しても良いのだが、敢えて動こうと思ったのは、退屈になってきたからだ。負けるというのであれば、別にそれでも構わない。

「そろそろ、ロシアにでも行こうかな」

「何だ、アメリカの飯は口にあわねえか? キュートな魔王」

「いや、美味しいと思うけど、流石に飽きてきたかな。 野性的で楽しいんだけど、ちょっと大味なのが多いからね」

「HAHAHA、違いねえ」

兵士達が笑う。最初の頃の、恐怖に満ちた目が、少しずつ代わり始めている。ホワイトハウスの周囲には、罵声をあげる群衆が最初は多かったのだが、最近はむしろ好意的なプラカードも目立つようになってきていた。

「でも、ロシアの料理も、脂っこいイメージがあるけどなあ」

「ま、それも一興。 ちょっと辛いのが食べてみたいから、ね」

すっと立ち上がる。兵士達は、優子が飛ぶ気なのを悟って、さっと離れる。ソニックブームに巻き込まれて、粉みじんにはなりたくないのだ。上空には、何もいない。ちらりと振り返ると、大統領がじっと此方を見ていた。緊張した面持ちだ。

間違いない。仕掛けてくるつもりだろう。

受けて立つ。そう思い、優子は空へ向けて飛翔した。

 

「N1、ホワイトハウス中庭から飛び立ちました!」

美鶴が顔を上げると、ロケットよりも更に高速で、空へと飛んでいく魔王の姿がモニターに映し出されていた。

いよいよだ。ミッションスタートである。

「打ち上げておいた姫桜に信号を」

「はい。 ミッションS、スタートします」

美鶴の顔は緊張している。恐らくは、世界の何処の国でも、首脳達が冷や冷やしていることだろう。

彼女の冗談のような作戦が失敗したら。

世界中の国で、威信が踏みにじられるのだ。

 

加速。加速加速加速。

多段ロケット式でもないのに、羽を動かすだけで、見る間に優子は加速していく。口の中で、秒数を計算。大気圏外に出るまでの時間で、速度を計測していく。

結果。今回は、マッハ40に到達していた。

ま暗き静かな衛星高度に出る。急激に強くなった訳ではないようだが、排泄をせず完璧に栄養吸収を行った結果、ある程度力は伸びているようだ。後は火力を試してみたい所だが、その機会はどうせすぐに来る。

挑発に乗ってやるべく、北米大陸を、北上。更にカナダを越えた辺りから、西へと向かう。アラスカを経由して、ロシアに向かうのだ。仕掛けてくるとしたら、そろそろだが。無計画な飽和攻撃というような、芸のない行動ではあるまい。下手をすれば、一日で地球の主要都市は消えて無くなるのだ。確実に勝てるという確信が合ってこそ、始めて仕掛けてくるはず。

そして、その内容を、やはり優子はすぐに知ることになった。

宇宙空間に、無数に浮かんでいる物体。それは、デブリ。だが、普通のデブリではない。わなわなと震える。そうだ。優子には、一つだけ苦手なものがあったのだ。

「そ、そ、そういうことか!」

日本産らしい人工衛星から漏れ出すようにして、大量に漂うそれは。

そう。優子が唯一苦手な食べ物。

一本食べれば、他を食べる気にもならない。究極の高カロリースナック。「お腹がすいたら食べる」とあるチョコバーであった。しかもレシピはそのまま、大きさを一つ50センチほどに変えている雰囲気である。

わなわなと震えはするが、しかし。食べ物とあれば、食べずにはいられないのが優子の性だ。一気に羽を振るわせて、己の口に人工衛星ごと吸入する。どこかのツンデレ気味な美食評論家のような台詞を、呟いていた。

「全く、下品な、やり方だ!」

むしゃむしゃ。ばりばり。

人工衛星を囓っていた優子は、四方八方から殺到するICBMに気付く。どうやら、年貢の納め時という奴らしかった。残った最後の一片を口に入れて噛み砕き、飲み下しながら。優子は両手を左右に拡げて、呪文の詠唱を開始した。

 

「上空を見る時はサングラスを! 上空を見る時はサングラスを掛けて、直視しないようにしてください!」

美鶴の指示で、日本中で同一内容の放送が流されている。守る人間がどれだけいるかは分からないが、きちんと放送はしたのだ。責任を負う事はない。

そう。いち早く中沼優子の膨大なデータを調べ上げ、その弱点をピックアップしたのは、美鶴だった。

最初はそのチョコレート菓子が弱点だと言うことは分からなかった。だが数日間の徹夜により、念入りな調査を行って、はじき出した結論がそれだった。

N1は、元々異常なまでに食にこだわるタイプの人間だ。その異様なこだわりが、高い知能と、それに基づく歪みに起因するのは間違いない。山で見かけた動植物をあらかた喰らってみたり、街のレストランではメニューを全て制覇してみたりと、その食への探求心は異常なほどである。

それを美鶴は、信念だと考えた。一種の信念によって、行動にバイアスを掛ける方法は、天才が時々用いる手法である。恐らく無意識であろうが、N1は食に対する、恐らくは見た食物をことごとく食べきると言う異常な信念によって、己の天才的知能を支えてきたのだ。

其処から調査を調べていって、辿り着いたのが。

彼女が唯一苦手としているという、チョコレート菓子だった。

食べることは食べるのだという。しかし、食べた後は露骨に機嫌が悪くなると言う報告もあった。

様々な類推の結果、美鶴はついに読み切った。つまり、ちょっと食べただけで強引に食欲を解消されてしまうので、苦手としているのだ。これを大量に用意して喰わせれば、少なくともしばらく弱体化はさせることが出来るし、足止めも出来る。様々な物証から立証された美鶴の説は、世界を救う切っ掛けとなった。

そして予想通り、見事N1は動きを止め、各国が連携しての撃滅作戦が開始されたのである。アメリカ大統領だけ説得できれば、後は簡単だった。

ベルゼバブは、ある意味巨大隕石よりも面倒な存在だった。だからこそに、各国は歴史上始めて、一致しての殲滅作戦に着手した。国威を落とされたくないから。そんな理由でも、人類は団結しうるのだった。

「ICBM第一波、目標到達まで10、9,8」

モニターには、発射されたICBMが、恐ろしい速度で撃墜されていく様子が映っている。流石はベルゼバブ。本気での迎撃火力を展開すれば、これほどの高精度な砲火を実現できるという訳だ。イージス艦の機能は備えていないだろうと美鶴は見込んでいたが、いやはや、それに勝るとも劣らないかも知れない。

「第一波、全滅! つづいて第二波到着します! 第三波、各国軍事基地から射出開始!」

「今までの迎撃能力から判断して、第四波の十五発目から、効力射になります!」

「推定される炸裂時威力は1800メガトン!」

最初の方のICBMは、空玉が多く混じっている。途中から本命を混ぜ込んでいて、その火力は徐々に上がるように仕組んでいるのである。映像が出た。近くを通りがかる人工衛星からのものだ。

頭上に無数の火球を出現させたN1が、それを流星群のように降らせて、ICBMを撃退している。流石に表情には余裕がない。動きも鈍い。間違いなく、あれだけの「お腹がすいたら食べるチョコバー」を食べたからだ。どんな毒薬でも平然としていたN1がチョコバーによって死に瀕しようとしているのだ。冗談のような話だが、美鶴の前では現実として展開している。

映像が途切れた。ついに、迎撃火力の網を、ICBMが突破。

水爆が炸裂したのだ。

 

次々と爆発する水爆の中で、優子は目を閉じると、ゆっくり左右に手を開いた。灼熱と膨大な放射能が、自分を侵食していくのが分かる。だが、魔王たる存在が、この程度で滅びる訳にはいかない。

人間どもはよくやったと言うべきかも知れない。だから、この場は一旦引く。だが、必ずや、帰るべく努力をしなければならないだろう。

爆発が連鎖していく。解放された火力は既に1000メガトンを越えているだろう。米ロが総力を挙げているだけのことはある。イギリスやフランス、印度や中国からも飛来しているICBMもあるようだった。

術式が完成した。

恒星並みの熱の中で、優子は静かに微笑んだ。

 

ホワイトハウスの大統領執務室には、主要な国家幹部が、テレビ会議を使ってあらかた集まっていた。隣には技術士官達が詰めていて、状況の分析を続けている。執務室に設置された主要モニタには、攻撃の状況が事細かに表示されていた。

全てのICBMが予定通り爆発する。しばし緊張の時が流れたが、しかし。近くを通りがかった人工衛星が、ついに捕らえる。ぐったりした様子で、宇宙空間に浮かんでいるベルゼバブの姿を。

喚声があがった。アメリカ大統領も、自身の執務室で、リクライニングシートに倒れ込むようにして座っていた。

「やりましたな」

「抑止兵器として作られ、人類を破滅に追い込むしか取り柄がないと思われていたICBMを、このような形で活用できるとは思わなかったな」

「……大統領。 妙な電波を受信しています。 これは、全世界に発信されているようです。 回線はあらゆるテレビのチャンネルに合わされています! 極めて強力です!」

其処へ、技術士官が、冷や水を浴びせる。

いやな予感を覚えた大統領が、すぐにテレビを付けさせる。アップで映ったのは、煤だらけになって焦げ焦げになっている、ベルゼバブだった。げふうと煙を吐き出すその姿は滑稽であったが。しかし、人間の形はしっかり保っている上に、背中の羽も四枚のうち三枚までも残っていた。

「やるな、人間ども。 見ての通り、私はICBMで焦げ焦げ魔王コント風味になってしまったぞ」

「何を……!」

激高しかけた副大統領を、大統領が手で制止する。咳き込みながら、ベルゼバブは続きを口にした。

「膨大な熱と放射能を浴びて、流石に私も体を再構築する時間が必要かな。 でも、覚えておくがいいぞ人間ども。 私はしばらく地球からある程度距離を置いた地点に潜伏するけど、それは完全体になるための準備だと言うことをね。 ICBMが放出した放射能と熱は全部喰らった! これから蛹になって、更にパワーアップしてやる!」

蒼白になった副大統領が、口をつぐむ。はったりだと、誰かが叫ぶ。しかし、あれだけのICBMの直撃を受けて、ちょっと髪がちりちりに焦げたくらいで原型を失わない相手である。確かに、何が起こっても不思議ではない。

「そして私が完全体となって帰ってきた時、地球上でもっとも豊富なタンパク源を、全て喰らってやろう。 わははははははは、覚悟しているがいい!」

「ICBMの追加は」

「すぐには発射できません! 一線級で使えるものは、全て撃ち出してしまいました!」

力ない様子で、ベルゼバブが地球から離れていく。衛星軌道上よりも離れられると、ICBMを届かせることはとても難しい。出来たとしても、ピンポイントでの爆撃はとても無理だろう。姿を見つけることさえ一苦労だ。

「奴が完全体になるまで、一体何年かかるのだろう」

大統領が呟くと、技術士官が力なく首を振った。

これから人類は、更に強力になった魔王の襲来に、怯え続けることとなるだろう。今回でさえ、150発に達するICBMを叩き込んで、ようやく撃退することが出来たほどの相手だ。

大統領は頷くと、決意に満ちた表情で顔を上げた。

「世界政府の樹立を、急ぐべきかもしれない。 国連に通達するぞ。 これは、人間が未だに足並みを揃えていない現状の世界が変わるべき機会だろう」

「茨の道になるかと思われます。 現状の世界をまとめるとなると、かなり荒っぽい手段も必要になるでしょう」

「仕方のないことだ。 あの魔王が、次に喰らおうとするのは、人間だとしか思えん」

誰かが言わなければならない言葉を大統領が吐き捨てると、場は重い沈黙に満たされた。

 

がばりと自室で身を起こした中沼優子は、大きく伸びをして、それから頭をかき回した。どうやら、また楽しい、とてもリアルな夢を見たらしい。それにしても楽しい夢であった。魔王になる夢は今までも何回か見たことがあったのだが、此処までやりたい放題に暴虐を尽くしたのは初めてである。ただ、最後はちょっと飽きてしまったので、早めに切り上げて正解だった。ように思う。

目覚まし時計が鳴り出したので、叩いて止める。隣の部屋にいるかなが、ドアをノックしてくれた。今日の寝覚めは最高だ。部屋に入ってきたかなが、あまりにも優子の機嫌が良いので、小首を傾げた。

「また良い夢を見たの?」

「うん! 素晴らしい夢だったよー! 学校に行ったら、おけいといっくーにも話してあげないとね!」

親友の名前と、級友の名前をあげると、優子はにんまりと微笑んだ。今日も、桜坂高校での、楽しい一日が始まりそうだった。

 

終、魔王再臨

 

防空網が、奴の姿を捕らえた時には、既に遅かった。

時は22世紀初頭。魔王の再来を予想した人類は、世界政府の設立にどうにか成功。様々な内紛を抱えつつも、来る魔王に備えて、様々な準備を進めてきた。対宇宙用のICBMの配備に始まり、月に前線基地を作り、最悪の場合は魔王の攻撃にも耐えられるように地下シェルターも完備した。各地に、司令基地も分散させた。

しかし、魔王はそれらの努力を嘲笑うような勢いで、攻め寄せてきたのである。

カメラにでかでかと映し出されたのは、あの魔王そのものの姿。相変わらず水色のパジャマを着ているし、羽は四枚。あまり姿は変わっていないのだが、しかし。

額に、大きく「Z」と書かれていた。

無数のICBMが襲いかかるが、魔王は蛇行飛行を続け、平然とそれらをくぐり抜ける。世界政府大統領のいるオペレータールームで、悲鳴に近い声が上がった。

「魔王、マッハ130を超えています! とても捕らえられません! ICBM第一波、ソニックブームを受けて全滅! 第二波、目標ロスト! 魔王、大気圏内に突入してきます!」

「最終兵器を準備しろ!」

そう。対魔王用決戦兵器も、人類は用意していたのだ。

それは、前回の戦いで決戦の決め手となった菓子。「おなかがすいたら食べるチョコバー」であった。しかもサイズは何と30メートル。この日のために、材料を大量に冷凍保存し、ストックし続けたのである。人類を救うための、決戦兵器として。

これをぶつけてやれば、魔王の動きは鈍くなる。問題は、魔王が何処に出るか、だが。

「魔王、大気圏内に突入してきました! こ、これは! 南極海に飛び込んだ模様です!」

「南極海、だと!?」

誰もが予想しない場所であった。

そして、結果も、誰もが予想しないものとなった。

 

南極オキアミ。実に7億5000万トンものバイオマスを誇る、地球上で最も豊富なタンパク資源である。形状は海老に似ていて、全長は二センチ程まで成長。六年ほど生きる、最大級のプランクトンの一つだ。

海中に突入した魔王ベルゼバブZこと中沼優子は、大きく口を開けると、どういう技を使ったか、オキアミだけを一気に吸い込み始めた。やがて、数十トンのオキアミを丸ごと喰らった優子は、むしゃむしゃと口を動かしながら、水中にもかかわらず、不敵に嘯くのであった。

「オキアミは誰にもやらん。 この素晴らしい資源は私だけのものだ」

額の文字が怪しく輝く。水面近くで、強力すぎる競合者に恐れを成した鯨たちが、超音波で会話し合っていた。奴は危険だ、と。

南極の海は、魔王の手に落ちた。

 

(終)