ブラームス「ドイツレクイエム」顛末記
楽譜
指揮者&合唱指揮のサイン(はあと)

合唱をやっている人間が、一度は歌いたいドイツレクイエム。
あこがれの曲に取り組める日がついに来た!!
四月から練習を始め、3つの別の舞台をこなし、歌えない所がほとんど無くなってきた12月、
合唱指揮者の「ブラームスは暗譜!!」の指令がぁぁ!!。
暗譜が大の苦手なワタシ、まっつぁお・・・。
おまけにホームグラウンドの合唱団の定演も目前。
これはブラームスのドイツレクイエム全7曲を暗譜するために費やした涙の日々の記録である(T_T)。

以下はワタシのWEB日記「まぜこぜ日記」から、ドイツレクイエムについての記述。
歌詞対訳は、
CDに添付されていたもの,十数年前の金沢大学合唱団の団員さんが作った資料
(どちらも日本聖書協会による口語訳)
OEK合唱団団員のN氏からいただいたもの
をまぜこぜにして書いています。



♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪
今週、夜まともに家にいる日が全然ないではないか!
今晩は以前チケットを買ったオペレッタのガラコンサート。
明日はクミアイの会議からOEK合唱団の練習へハシゴ。
あさってはもうリハーサルではないかっ!んで、次は本番・・・・。
考えただけで疲れる。自分のせいだけど。        (2001 1・10)




かなり現実逃避をしていた頃。一週間、まるまる楽譜を開けない事も。
打開策として、とにかく、好きな曲から覚えようとあがいていた。


ブラームスの暗譜が出来ない・・・・(滝涙)。       (2001 2・7)


結構努力はしているのに(ネットの自粛してまで)、
ドイツレクイエムの歌詞が覚えられないのはなぜなんだろ。

その1 ドイツ語だから?
ワタシはドイツ語を取らなかった。
教養部1年のころは音楽教室に入るなんて、ちっとも思っていなかったし、
家に兄のフランス語の辞書があったので、フランス語を取った。
合唱をやり始めてから、ドイツ語とつきあいだした。
さすがにこのごろは単語を見れば、だいたいこんな発音と(だって、語彙も限られてくるし)、見当がつく。
でも、やっぱり英語の方がはるかに覚えやすい。頭の中で日本語と置き換えようとしているせいだろうなあ。

その2 楽譜をおぼえるのが既に苦手
だいたいピアノ弾いていても暗譜は苦手だったよーな。
集中力&音感がないのだと思う。(なさけな〜)

楽譜を覚えると言えば、必ず頭に浮かぶ先輩がいる。
中高の吹奏楽部で1年上のA先輩は、1度楽譜を見ればだいたい覚えていた。
(まるで北島マヤのような人!男だけど)
彼は弱視というハンデを背負っていた。
チューバの楽譜を目の前10センチ以内にくっつけて見ていた。
(チューバは主に伴奏にまわる楽器なので、かえって覚えにくいと思うのだけど。)
同じクラスだったサックスの先輩は、一番前の席にふたりで並んでいたけど、
一度たりとも黒板を写すのを手伝った事はなかったそうだ。
授業もほとんど耳で聞いて覚えていたのだろう。
自分にとても厳しく、後輩にもほどほど厳しく、でも友情には厚かった先輩だった。

それでワタシは・・・・練習するしかない。
OEK合唱団のメーリングリストに「本番までに覚えられなくてひどかったら、来年度はオーディション受けない」
などと書いてしまった手前、練習するしかないのだ。   (2001 2・10)



このへんから、受験生のごとく、書いて覚えようとする・・・。
いつも日記を見に来てくださる方達を巻き添えにして。
長ったらしい日記を読ませてすんませんでしたm(_ _)m。


【もっとドイツレクイエムの詞と自分なりに向かい合うシリーズ】
(つーか、ここに来る人にドイツレクイエムを押しつけるコーナー)
2曲目はむちゃくちゃ暗い。指揮者は葬送行進曲だと言う。

「人はみな草のごとく その栄華はみな 草の花ににている 草は枯れ 花は散る」

あれ、なんだか昔覚えた平家物語の出だしみたい?
浄土真宗のお坊さんで聖書にもくわしいN氏によれば、
「諦念」つまり、あきらめるのではなく、あるがままを受け入れている状態なのだそうで。
真宗の根付いた土地に生まれ育ったワタシは、白骨の章を連想する。
だけど、その後に続くやさしいメロディも詞もとっても好きなのだ。

So seid nun geduldig,liben Bruder,bis auf die Zukunft des Herrn
Siehe.ein Ackermann wartet Auf die konstliche Frucht der Erde
und ist geduldig daruber,bis er empfahe
den Morgenregen und Abendregen.

だから兄弟達よ 主の来臨の時まで堪え忍びなさい
見よ、農夫は地の尊い実りを
前の雨と後の雨とがあるまで 堪え忍んで 待っている

この後また最初に戻り、次に心躍るメロディが続いて終わる。
変化に富んでいて、2曲目は歌っていて楽しい。
でも、何で朝の雨Morgenregenと夕べの雨Abendregenが、
前の雨と後の雨になるのだろ?
単に日本語訳した人か、それとも独訳したルターの間違いだったのかな?
練習のたびに気になってしまう。

ところで、ネットでウームラウトをどうしたら出せるのだろう。
前にもBachのカンタータの詞で表記しようとして断念したのだけど。
これがないとなんだかドイツ語らしくなくて、変。        (2001 2・11)



【またまたおしつけブラームス】
3番は苦手かも。はっと気がついたら、ちっとも覚えていなかった。
リズムがあわせにくい、2番に続いてまたもや暗い、何より歌詞が重い。

Herr,lehre doch mich,das ein Ende mit mir haben muss,
und mein Leben ein Ziel hat,und ich davon muss.

主よ、わが終わりと、わが日の数のどれほどであるかを
わたしに知らせ、わが命のいかにはかないかを知らせて下さい。

この曲とは離れた意味でとっていると思うけど、
この歌詞はこわい。
ここ数年、自分と近い歳の、近しい人を何人も亡くしている。
病床にあった方もいるのだが、それもほんの1週間程度、
みんなほとんど突然といっていいほどの死だった。
自分の残された日はあとどれだけなのだろう。
もし、明日までなどと言われたらほんと、困る。
不良主婦だし、ろくでもない教師だし、歌もヘタだし、
子供もちゃんとしつけてないし・・
「子供が出来たら、こんな事を話してあげたい、伝えてあげたい」
などと願っていた事をすっかり忘れている。
思い残す事が多すぎる。
何より、自分がとても卑怯な人間なのではないかという思い。
小学校時代のいじめられ経験から、人との関係を作る時、
「嫌われるのはイヤ」と「一人だと気楽だし平気」という相反する思いが、
私を楽な方、あいまいな方へとやってしまう。これだけは何とかしていきたい。
人はみんな分かり合えるとは思わないけど、努力は必要だ。

3番の終わりは信仰の強さを ずっとD音(レ)の通奏低音の上に乗っかって歌い上げる事で表現している。
(手法としてかなり変わったフーガなのだそうで)

Der Gerechten Seelen sind in Gottes Hand
und keine Qual ruhret sie an.

正しい者の魂は神の御手にあって、
いかなる責め苦も彼らに届く事はない            (2001 2.12)




こうやって書いた文は、テキストを見なくとも、口から出るようになった。
ところが、歌うとなると、別なんだなあ、これが。


【またまたこりずにブラームス、やっぱり書くと覚えられる?
一曲目に戻ろう。合唱団のN氏から歌詞解説をメールでおくっていただいた。
(ハンパでない解説!!さすがお坊さん!ちゃんと勉強します・・ね。)

Seling sind,die da leid tragen,denn sie sollen getrostet werden.
幸いなるかな、悲しめる人々は。その人たちはなぐさめられるからである。

Die mit Tranen saen,werden mit Freuden ernten.
涙とともに種を蒔く人は、喜びと共に刈り入れる。

Sie gehen hin und weinen und tragen sdlen Samen
und kommen mit Freuden und bringen ire Garben.
彼は出かけて行き、涙を流し、しかも優れた種を運んで、
そして、喜びとともにやって来る。その種から実った藁束を抱えて。

ブラームスはお母さんを亡くした深い悲しみの中から、この曲を生み出しました。
そしてこの曲は悲しみの淵にたたずむ人々に、呼びかけているようです。


悲しみを知ると、ほかの人の悲しみにも気づきます。
悲しい時に感じたやさしさは、同じ悲しみを背負う人に分ける事ができます。
自分は・・・う〜ん、う〜ん、
そうだな、不妊でツライ思いをする人の気持ち、すっごくわかります。
いやな思いをいっぱいしたし、逆にまわりの人達のやさしさに助けられたし。
(少々親しくなった人でも、家族の事は聞きません。
相手がお話してくださるまでは。たとえ無関心に思われても。)
いじめられる子の気持ちもよくわかる。これは過剰に反応しては職業上、よくないけど。
体験していない事に対しては・・・ひたすら相手の気持ちを想像する(思いやる?)しかないのだけど。
またまた少々ハズれましたが、自分にかえって思わなければ、
タダの鵜呑みでしょうし。

ドイツレクイエムは一般に言うレクイエムの通常文ではありません。
ブラームスがルターのテキストから独自に選んだもので、レクイエムという言葉は一度も出てきません。
初めて聴いた時、二節目のDie mit Tranen・・・の、全パートのかけ合いになる所が、
まるで人々が呼びかけ合っているようで、本当に美しいと思いました。 (2001 2.13)




【いそいでブラームス】
2曲目の‘先の雨と後の雨’問題は、N氏の解説を見る限り、どうも日本語訳の方が正しいみたい。
パレスチナの1年に2度ある雨期の事を言っているらしい。
でも、Morgenregen und Abendregen って、とっても語感が美しいよね。

では4曲目。
万軍の主よ、あなたの住まいはいかに愛すべきものであろううか
私の心は、主の前庭を、切に切に願っている
生き生きと私に働きかけて下さる神様の元で、私の身も心も喜びに溢れている
あなたの家に住み、いつまでもあなたを誉め讃える者たちに幸いあれ

重苦しかった3曲目までと打って変わり、美しく流れる3拍子。
言葉がわからずとも、これを聴いた人はほっとするに違いない。
指揮者の高関氏は初めての練習で、「これはイイ曲です」なんて、ポロっと言ったもんだ。
別に他がよくないという意味ではなく、ほっとすると言いたかったのだろう。
彼は他の曲は結構ゆっくりと、どっしりとした曲に仕上げたいようだが、
この曲はぎゃくに、さらりと速いテンポで流している。
もっと安らぎたいのだけど、まあ、他とのバランスもあるし・・・。

神の家の中で、つまり信仰の中で幸せを感じている歌なのだろう。
5曲目で‘母のような神の愛’を歌い、6曲目で「この世に定住の地はない」と続いている。

4曲目では最後の言葉
die loben dich immerdar.
をかけ合いで歌うところが大好きだ。



東京出張。お供はブラームスの楽譜・・・。

帰りの列車はひたすらブラームスの楽譜を読む。・・・やばい。 (2001 2.17)


この日はなんとスキー場まで楽譜を持っていく。

【完結出来なくなりそうなので、終曲の7番】

Selig sind die Toten,die in dem Herren sterben von nun an.
Ja,der Geist spricht,das sie ruhen von ihrer Arbeit,
denn ihre Werke Folgen ihnen nach.

今から主のもとで死を迎える死者は幸せである。
確かに、精霊も言っている。死者達は労苦から解放されて安らぐ。
なぜならば、彼らの行ったことは無駄にはならず、
必ず報われるからである。

この文はもう空で言える。
解説読んで、意味もなんとなくつかめるような気がする。

なのになあ、歌になると、この曲が一番覚えにくい。
たったこれだけの文をのばしたり縮めたり、一回言ったり二回言ったり、
上げたり下げたり・・ゆっくり歌うのでどこがどこだかわからない。

一時間歌い続けてさらにこの曲約10分、体力の限界に挑むようなもんだ。
死は単なる死ではない。死んで、そして生きる・・・。
なのに、合唱団がこの曲でぶったおれたらしゃれにもならない。 (2001 2.18)



本番は金曜日、仕事で喉に負担がかかる頃。
とにかく、本番の日まで無理せず、最悪でも本番だけ声が出るように調整する。

ちょっと喉が痛い。
6年生を送る会モードに入って、学年合同の練習で140人相手にすると、
無意識に声が大きくなる。
金曜日、あと4日、喉を持たせなければ。ここで声が出なくなったら4月からの練習が・・・・。
明日から本番まで毎晩練習、最後の追い込みで完全に暗譜できるんだろうか。

【明日はもう書く気力がないかも・・・】
6曲目は一番レクイエムらしい曲。
モ−ツアルトだったら、ディエス・イレ(怒りの日)とそれに続くトゥバ・ミルム(不思議なラッパの音)。
フォーレやデュリュフレならリベラ・メ(われを解放したまえ)。ラッパの響きとともに起こる最後の審判。

Denn es wird die Posaune shallen,
und die Toten werden auferstehen uverweslich,
und wir werden verwandert werden.
Dann wird erfullet werden das Wort,das geschrieben steht:
Der Tod ist verschlungen in den Sieg.
Tod,wo ist dein Stachel?Holle,wo ist dein Sieg?

なぜならば、最後の審判のラッパが鳴り響き、死者(キリスト)が
朽ち果てることなく復活し、我々が変えられるからだ。
その時次のように書かれてある言葉が成就する。
死は勝利に呑み込まれてしまった。死よ、お前の棘はどこにあるのか?
地獄よ、お前の勝利はどこにあるのか?

Herr,du bit wurdig,zu nehmen Preis und Ehre und Kraft,
・・・・・
主よあなたは賞賛と名誉と力を受けるにふさわしい。
なぜなら、あなたが万物を創造なさったのであり、あなたの意志によって
万物は存在し、創造されたからである。

この終わりそうでなかなか終わらない歌、声のありったけを出す歌、
ベストコンディションで歌えた事、何回あるだろうか。      (2201 2.19)



今日は初めてのオケ&ソリスト合わせ。なんだかちょっとウキウキする。
声がかき消されがちだが、まだまだ我慢。本番までは喉を温存しなければ。
楽譜はもってイイ事になったので、もう涙が出るほどウレシイ。
もちろん指揮はしっかり見ているけど、出るタイミングの不安がないのは、気持ちの上でとっても助かる。
(つーか、ドイツ語のdirなんだかdieなんだか、dasなんだかdesなんだか、覚え切らなくて〜。)
高関 健氏の指揮はわかりやすくて、それも安心だし。    (2001 2.21)




アンサンブル金沢の練習場では、本番前にオケと合唱と合わせるのは不可能なので、
いつも3・4日前から広い場所におひっこしをする。
今回大手町(間違っても、くれぐれも、ずぇったい、東京の大手町のような所を想像しないで下さい。)
の読売新聞会館。
ここは駐車場が遠くて不便なので、バスより速い自転車で行く。
昨日は雨降る中、カッパを着ていったが、今日は星降る夜で助かった。
練習後に合唱指揮からダメ出しがあったので、終わったのは9時半。
アマチュアはギリギリまでやれば伸びるので、本番の直前まで練習がある。

今回の定演は、合唱指揮大谷 研二氏によるプレトーク付き。
ドイツレクイエムの聞き所を、早くに会場に来てくださった方に解説する。
5曲目のソプラノ・ソロを、受けねらいで彼がちょっと歌う。米良 美一ばりのカウンターテノールっす。
(調子よければ)

ソリストは、ソプラノ:豊田 喜代美氏、バリトン:小松 英典氏。
どちらもすばらしい声だけど、私たちは後ろからでしか聞けないのが残念。

ワタシのCDは、ソプラノ:キャスリーン・バトル、バリトン:ホーカン・ハーゲゴール、指揮:ジェームズ・レヴァン。
キャスリーン・バトルと言えば、かつて、サントリーのCMで、「オン・ブラ・マイフ」を歌って日本で脚光を集めた人。
そのCMの録音の指揮をしたのが、アンサンブル金沢に縁のある榊原 栄氏。
おととしの練習の時に、「ある種の霊感を感じるような演奏で、指揮していて震えがきた」
みたいなニュアンスの事を話されていた。
CDの5曲目のソロは、なんつーか、ピュアな感じである。

他のレクイエムやミサ曲は、ソリストだけの曲があり、その間合唱団は、体や喉を休める事が出来る。
それなのに、それなのにブラームスは、ソロだけの曲を作ってくれなかった。

Ich will euch trosten,wie einen seine Mutter trostet.
母が慰めるように、私はあなた達を慰める。

たったこれだけ歌うのに合唱団がいる。

あくまで主人公は合唱団にしてくれたのはいいんですけどね、やっぱ、しんどいよ〜。
5曲目くらい、「よし、ソロに任せた!」って、言いたいよ。    (2001 2.22)



そして、本番(2/23)を迎える・・。

おわっちまった・・・真っ白い灰になっちまった・・・
けど、今から宿題(注 持ち帰りの仕事)しなくちゃ。

手に持った楽譜とイスに助けられ、何とか7曲歌いきる。
3曲目の終わりと5曲目の終わりに、指揮者は合唱団を座らせてくれた。
ほんの30〜40秒くらいだけど、それだけでずいぶん楽になった。
これがなかったら、4・5人ぶったおれていただろう。お客さん達も静かに待ってくださった。
次の曲が聴きたい、歌いたいという気持ちになってから始まる、っていうのもなかなかいい感じだと思った。

1週間仕事に疲れての演奏会だったが、「本番目指して喉を温存作戦」は、
みごと成功、恐怖の7曲目の最後の seligまでしっかり声が出た。
真後ろで歌っているS氏は同じ合唱団で、とてもソフトなテノールだが、
3曲目あたりから、フォルテで高音を歌う所で声がひっくり返り始め、音程がアンコントロールになってきた。
(負けなかったけど。)
後の打ち上げで、「ごめんね、後ろから変な声出して」と言われる。
彼はお医者さんで、木・金と外来で耳が遠くなったお年寄りに対応する事が多いのだそうで、
喉も体もすっかり疲れていたのだ。
4日前の練習からゲネプロまできれいに声が出ていたのに・・・。

7曲目の最初のソプラノの超きれいで超難しいソリは、本番みごとだった。
その箇所は、もう合唱指揮や他のパート全員、「音楽の神様」に祈るような気持ちで聴いているのだ。
「魔笛」の最後の合唱で、演出の方にに「ホールのあのへんにいる(!)音楽の神様に、歌を捧げて下さい。」
と言われたっけ。
私たちは、ドイツレクイエムは「音楽の神様」に捧げたのだと思っている。
(少々のミスは今後に生かしますので、どーか目をつぶって下さいませ。)

アンサンブル金沢は、時々世界の有名楽団から奏者を招いているのだが、
今回コントラバスの客演奏者は元ウィーン・フィルで、打ち上げの時に彼のドイツレクイエムの思い出を伝え聞いた。
1946年終戦後に行われた演奏会で、彼は20才で合唱団で参加、その時の指揮者は、
かのヘルベルト・フォン・カラヤンだったとか。
本当は彼は指揮者になりたかったのだが、あまりにカラヤンがすばらしかったので、進む道を変えちゃったそうだ。
ふむぅ・・・。

♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪

地元新聞のコンサート講評欄より
「・・・オーケストラ・アンサンブル金沢の大きな節目となる第百回定期を任された高関 健は、
まぎれもなく明快な実力者である。ブラームスの『悲劇的序曲』と『ドイツレクイエッム』を一分の隙もなく堂々と
構築して重責を果たしたのは、まことに見事だ。
・・・序曲では力みがとれずに音色が硬くなった。
『レクイエム』に進んで、本来のものになっていったのは幸いである。
・・・・・OEK合唱団も、清純な響きにこだわったソプラノが印象的。中低声部も熱演だ。
テノールが完熟すると
一層うまみが増すだろう。・・・・」


体調管理が難しい時期に、自分としては、出来る限りの事はやったつもり。
結局、暗譜は完全にはできなかったのですが、歌っている時、「これでいいんだ!」みたいな自信が持てました。
とにかくテノールは「完熟する」以前に、13人しかいなかった・・・・。
なんせワタシがテノールのお手伝いするくらいだし。
練習も、忙しい方が多くて、なかなかメンバーそろわない事が多かったようです。
来年度のメンバーにテノールがたくさん加わる事を強く願う次第です。
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