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おたまじゃくしのしっぽ


こちらのページでは、私が参加してきた音楽活動, 見に行ったコンサートの様子をお話します。

                          

2000.11.12〜2001.1.3
絶対音感の話
喉の話
東儀秀樹コンサート
合唱の話
レクイエムの話

絶対音感のお話。
「絶対音感」という本がある。(1998年出版、最相葉月 著 小学館)
私がこの本を手に取ったのは、自分には絶対音感がないから。
さすがに慣れた音、A(ハ調のラ、オーケストラのチューニング音)、B(ハ調のシのフラット、ブラスバンドのチューニング音)、
C(ハ調のド)は、だいたい頭に浮かぶ。簡単なメロディラインなら聞き取れる。
だが、初めて見る楽譜に臨時記号(シャープやフラット)がたくさんついてくると、歌えなくなるし、
ましてや初めて聞くメロディを楽譜に書く、なんて事は苦手中の苦手。
中学時代にブラスバンドでパーカッションを担当していたせいか、
私の耳はメロディの音程よりも、リズムを優先して聴き取ろうとしている。



なのに世の中には、聞いた音すべて何の音だかあてられる人間、同じAの音でも、
ピッチ(周波数)の高い低いも聞き分けられる人間・・・・絶対音感がある人間がいるのだ。
敏感な人になると、
鳥のさえずり、虫の声まで、ドレミなどの音となって聞こえてくると言う。(気持ち悪いかも)
ここまで極端でなくとも、日本人には絶対音感がある人の割合が、海外に比べ、多いのだそうで。
戦時中、敵機の種類を音で聞き分けられるように、耳の訓練の一環として、聴音の訓練をしたとか。
生まれつき、というより、けっこう訓練で絶対音感がつくらしい。
この本が出版された後、そっくり同じ装丁で、訓練用のCDが発売されていた。(おいおい・・)


自分にないものだから、半分やっかみみたいになるが、絶対音感は便利な反面、やっかいなものでもあるらしい。
すこし前まではA(ラ)は440Hzでのチューニングが一般的だったが、最近では教育楽器でも442Hzである。
A=440Hzで訓練した人にとっては、442Hzでの演奏は非常に戸惑うらしい。

私などは、歌を聴く時は歌詞を優先して聴いている気がするが、、
ある人は歌を聴いても歌詞で聴こえず、音階で聴こえてくるのだそうで。
それって、歌詞で感動するって事がないのでは。

楽譜の読み方では、固定ド読み(何調の曲でもすべて楽譜はCならド、Aならラと読む)、
移動ド読み(その調の主音をドと読み替える。ヘ長調ならファがド)がある。
固定ド読みではメロディラインがつかみにくいという事で、歌の練習では移動ド読みを推奨される。
器楽では固定ド読み、あたりまえだけど。
(→と、書きましたところ、移調楽器ex.クラリネット等では移動ド読み
の方が良い、とのご指摘。もっともです。これは小学校の教育現場にあるような楽器と思ってください。)

絶対音感がある人には、移動ド読みは至難のワザなのだ。
もっとも最近の学校現場では読譜指導をする時間がなく、なあなあになっているけど。

和音の世界である合唱を勉強するのに、絶対音感は必要ない、ガンコな絶対音感の人は合唱には向かないと言う。
美しいハーモニーを作ろうとすると、平均率(12の音の間隔を均等にしたもの)ではなくて、純正調となり、
調性(ハ長調とか、ヘ長調とか)が変わると、音と音の間隔が、たとえば‘ド’と‘ミ’の間で、変わる。

平均率で絶対音感を持つ人は、まわりとハーモニーを作ろうという意識に乏しいと言う。

邦楽、箏(おこと)なんかを演奏するときも、じゃまなだけだと言う。(専門家が言うのだから、間違いないか。)
箏は、和音で調弦するので、曲の調によって隣同士の弦の音の間隔が変わってしまう。
つまり、コンサートでは演奏する曲の調性の数だけ、箏を何面でも用意しなければならないので、大変だ。
尺八は音と音の間が1音半、というくらい、ピッチが定まりにくい楽器だが、
絶対音感がある人が聴くと、耐えられないかもしれない。
(もっとも、最近のオーケストラと共演するような現代音楽に取り組むような奏者になると、
邦楽家といえども、絶対音感はあると便利とか。)



とはいえ、いくらかあれば便利な絶対音感。
新しい楽譜が配られるたびに、取りにくい音の跳躍に出くわすたびに、つくづく思う。

とにかく私には絶対音感はないのだ。
臨時記号だらけの曲の譜読みは、鍵盤楽器の力を借りなくては出来ない。
楽譜を前に、途方に暮れる事はしょっちゅうだ。
特に三善 晃の作品は、やたら途中で転調&移調するは、ムズカシイ和音ばかりだは、移動ド読み泣かせだ。
私はもうカンペキな移動ドなのだ。(ヘ長調の曲を固定ドで歌っていると、いつの間にか移動ドになっている。)
最初の譜読みの段階で移動ドで歌う事をさっさとあきらめて、ラララで歌うか、
手間暇ぶっとばして歌詞を付けての練習に入っている。
ところが、ピアノで何度も弾いても、メロディラインが全然頭に入ってこない曲が多いのだ、これが。
自分や曲を恨んでも仕方ない、何度も何度も、頭にしみこむまで練習するしかない。
特に単独のパートの音のみ聴いていても覚えられない時は、他のパートの音をいっしょに弾いて、
和音の中で自分の音を覚えている。また、そうすると、けっこう気持ちよく歌えるようになる。


みんなのハーモニーの中から自分の音を見いだしていくって、いかにも「合唱」って感じがしてかっこいいが、
それにも落とし穴があったりする・・・。
練習中、他の音をたよりに自分の音を取る事に慣れていると、本番で思わぬ失敗をする。
まず、会場が違うと、あてにするべき仲間の声が聞こえない場合がある。
同じ会場でも、反響板のあるなし、あったとしてもその角度、それに対する立ち位置でずいぶん変わる。
お客さんの入り具合でも変わる。(満席だと音が返ってこない)
私は「蝶々夫人」の本番の舞台で、ボーゼンとなりかけた。

舞台で悔いなく、思いっきり歌いたければ、それこそソロを歌うくらいの気持ちでいなければならない。
「私がルールブックだ!」並に、「私が音程よ!」くらいの自信が欲しい。
ムリだって・・・(T_T)。

♪♪♪♪♪♪

ほんと言うと、この本の中で一番興味深かったのは、
「天才少女 五島みどり」のその後の物語である。
13年前に出版された、
五島節(彼女のママ)著「雨の歌」(ワニブックス)では、
娘の天分を信じて二人ぼっちで渡米し、苦労もあったが成功するまでを描いている。
いまいち自己実現がないままに、まわりに勧められるまま結婚し、
夫と心を通わせられない事から、娘をバイオリニストにする事が生き甲斐になる母。
私はこの本を「すごいな〜」、というより、何だか「痛々しいなあ」という思いで読んだ。
世界の名だたるオーケストラと共演すらまでに成長したみどりだが、ふっつりと話題がとぎれた時期がある。
それが再び五島みどりの名を聞いたのは、彼女ば世界中の子供たちに音楽を聴かせるために作った財団の話題だった。
この10年の間を補う話が、「絶対音感」の最終章で語られている。

娘を生き甲斐にしてきた母と、母が絶対的な存在だった娘との、母子分離のお話だ。
ちょうど「雨の歌」が出版された頃から、イロイロ大変な事続きだったようだ。
ジュリアードの退学、母のまわりの大反対を押し切っての再婚。
みどりは自立への不安で拒食症にもなったと報じられている。

彼女が立ち直っていったのは、「みどり教育財団」での活動、そして弟、龍の存在、
なにより、母のひとりの女性としての自立なのではないか、と思う。
かつての天才少女が花開くのは、ホントはこれからなのだ。


みどり教育財団のコンサートは金沢で開かれているが、一般向けコンサートはなかった。
そんなわけで、まだナマの彼女は見た事がない。(残念!)
なんだか本の紹介のページみたいになったなぁ〜。
                                                          (1/3/01)




喉のお話。
初めて本格的な合唱曲
(ブリテン 3声のミサ・ブレーブス、キャロルの祭典*)を歌ったのは、教育学部2回生、音楽科研究室で。
ワタシは小学校教員養成課程だったが、中学の副免取得のために、あれこれ迷ってから、まあちょっとだけピアノ弾けるし、
と、音楽科研究室に入った。そこでの合唱の授業のためのパート分け・・・。
「もうちょっと、高い所も出そうだけど、あんたは喉弱そうだからアルトかメゾね。」
なんでちょっと声出したくらいでそんな事わかんのよー!と、合唱担当のM助教授の決定がとっても心外だった。
いや、M先生の言葉は正しかった。
今じゃ、メゾソプラノどころか、床下一枚わって、
テナーパートのお手伝い*を言い渡される始末。
と言ってアルトの深い声も出ない、なんとも中途半端は声質にしかなれなかったワタシ(涙)。


新採4年目から現在まで、ワタシは小学校の音楽の担当教諭をしている。
その最初の年、ワタシは初めて声が出なくなった。
前年までの熊が出そうな山あいの学校での、たった7人の子たちとのつきあいから、
多いクラスで40数名、12クラスの音楽の授業をする事になったため、まともに喉を痛めたのだ。

それから毎年九月、少し涼しくなったあたりから喉の調子が悪くなり出す。三学期に入って忙しい二月あたりもつらい。
その二月に演奏会があって、喉の痛さにたまりかねて耳鼻科に通って吸入&飲み薬を続けた事がある。
「しゃべらないのが一番なんですけどねぇ」なんてお医者さんに言われても仕方ない、ひたすら信じて薬を飲み続けた。
ところがだ、今度は胃腸(ワタシの鉄の胃腸が!)の具合が悪くなってきた。粘膜が薬にやられたのだ。
薬はやめて演奏会前日まで口パク、本番だけ、根性で声を出した。
またある年の事、朝起きて痰に血が混じっていた。あ、悪い病気じゃないんですけどね。
あわてて朝のうちに耳鼻科へ。喉に直接つける薬がしみるしみる。
もうこれは職業病なのだ。そして、歳を重ねるごとに(事実だから仕方ない)、調子が悪い日が多くなっていく・・・。


そこでワタシなりの喉を決定的に痛めないための対策ー。

・どならない。
地声で一回どなる方が、一時間歌っているより喉に悪い。
やんちゃを通り越して態度が悪い昨今のワルガキがいた日にゃ、静かになるのを待ってどならないでいる事は、
かなりの忍耐が必要だけどね。
つらい時には、全体に向かってしゃべらなくてもいい授業を工夫する。

・歌う声で話す。
あっ、これはもう性格に合わないっ!

・酒
「酒は喉に悪いって事はないよ。飲んで騒ぐのが悪いんだよ。」
と、M先生はのたまった。けだし、名言。
飲み会の会場としては、狭い居酒屋はヤバイ。まわりがうるさいと、ついつい大声になっていく。

・カラオケ
か〜な〜り〜良くない。どうしても逃げられない時はなるべく頭声で歌える曲を選ぶ。
「ワインレッドの心」を由紀さおり風に歌うとかね。(古い例ですんません。)
でも、ホントはJUDY&MARRYのYukiみたいな声にもあこがれるんだなぁ・・・HystericBlueも歌ってみたいんだなあ・・。

・うがい
「しないよりはマシでしょう。」
とお医者さんは言う。少なくとも風邪は防げるかもしれない。

・のどあめ&トローチ
今年は11月に声帯のあたりが痛い感じがして耳鼻科へ行った。声帯は赤くなっている程度で、
今の所は処方してもらったトローチでなんとか悪化をくい止めている。

・体を十分休める
ネットなんかやってちゃどうしょうもないね>自分(^^;
週のなかばにはお休みの日までをカウントダウンしてしまうワタシ。

♪♪♪♪♪♪
とってもありがたい事にグリーンウッドの定演は冬休み明けだが、OEK合唱団の方は・・・想像しただけでつらい。
出来る対策総動員で乗り切らねば。


*ワタシは‘キリエ’と言えばブリテンの小ミサ、ソプラノ→メゾ→アルトと入っていくこの曲を条件反射のように頭に浮かべる。
毎回教会コンサートで中高生のどこかの団体が歌う。素直な声の少年少女が歌うと様になる曲なんですがねぇ・・。
歌った時すでに老けすぎていた・・・。

*テナーは輝かしい響きを持った声質だが、一歩誤ると硬い響きになるので、アルトを加える事で、響きをやわらかくする。
普段アルトにはもらえないようなメロディを歌えるので、このお手伝いはイヤじゃない。
        
                                                                    (12/19/00)




東儀秀樹のコンサートに行ってきました。(11/16石川厚生年金会館)彼のライブは今年の2月に続き2回目です。
初めて東儀秀樹を聴いたのは昨年の秋、CD「FromASIA」正直、「??何?」。そりゃ篳篥の音はよくよく知ってましたけどね。
シンセサイザーと一緒に・・?(ワタシはシンセサイザーの音をずっと聴いているのがちょっとツライんだなあ

 ところがライブ聴きに行って、すっかりファンになってしまいました。
‘天の音’笙、‘天と地と繋ぐ音’龍笛、‘地の声,人の声’篳篥それぞれの音、東儀秀樹の舞。
スーツに着替えてのオリジナル曲の演奏。それから、「生きていくぼくたちへ」のピアノ弾き語りのかっこいいこと!!
この日一番心に残ったのは、
東儀雅美(妹さん)が吹いた龍笛の音。清冽で、心にビンビン響いてくる。
でも、ずっと聴いていると何だか篳篥の音の方がやさしい。
「そうか、龍笛はソプラノ、篳篥はアルトの音なんだ」と、ワタシは勝手に決めつけている。
 その後CDは三枚に増え、ついにビデオまで購入してしまった(すでにミーハーと化している)。

 そして、今回の
「The Sounds of Silence。 開演三分前に会場に駆け込む。観客は圧倒的に中年以上の女性が多い。
舞台には円柱とスクリーンに中世ヨーロッパの教会らしき映像。ベルギー室内管弦楽団‘イ・ファアミンギ’の演奏とともに、
修道女の衣装を着た女性達がゆっくり歩いて入ってくる・・・と、そのまま出ていってしまった。
「??」次のグループも、その又次も・・・。
「ああ、これは演奏会というより、ミュージカルの舞台みたいなものなんだ。」‘修道女達’はコーラス隊であり、ダンサーででもあった。
観客はどこで拍手していいか戸惑っている様子。ワタシは終演まで拍手しない事に決め込む。
ようやく東儀秀樹が笙を携え登場。なんと、いつもの装束で。ヨーロッパ風の雰囲気には、あえて融合させてはいない。
(笙は千何百年も昔からの楽器ですが、単独で演奏されると、とてつもなく現代風な音色でもあります。
SF映画のBGMにだって使えるくらい。)

 後でパンフレットを読むと、‘修道女達’の演奏とダンスは「西欧史上最初の女性作曲家」である
ヒルデガルト・フォン・ビンゲン
(1098〜1179 独)の作品だとか。ワタシは初めてこの名を知った。^^;)
(やっぱり早く会場に着いて、パンフ読んで予習しとかなくっちゃ・・・反省)
彼女の肩書きはさらに、修道女であり、思想家、博物学者、医者、心理学者・・政治にも影響力を持ったというスーパーウーマン。
アカペラの(曲によっては通奏低音付き)メロディがのびやかで美しい。CDが出ているそうだが、楽譜があれば歌ってみたいと思う。
 ビンゲンをはじめとする中世ヨーロッパの精神世界に、東儀秀樹は‘ハーメルンの笛吹’のコンセプトで登場しているのだとか。
以前から知っている「聖家族」「緑の誘い」等、ストリングスの伴奏でとっても耳になじみやすく、それだけで贅沢な気分だった。

 一時間四十五分(休憩なし)の舞台が、サティのジムノペディ一番で終演。わずか三分ほどの間に東儀秀樹は衣装替え、
スーツで登場。スーツの内ポケットをおもむろに探し回って篳篥を取り出す。(ちょっとおちゃめ)
アンコールにソロで「ふるさと」を演奏。

***
 翌日の職場にて。
    「自分の映像が映ってるスクリーンの前で演奏してるのが、何と言おうか・・
ナルシスティックな感じ!なんよ。」
    「そーそ、そのナルシスティック、最近それが鼻に付いてねぇ。」
    「そーゆーのがたまらなく好き、って人もおるんだろうね。」
    「私ね、東儀秀樹って、あの人に・・・
平幹二郎に似とると思う。きっと歳とったらあんなのになるわ!」
    「・・・・」  (ワタシが言ったんじゃないからね!!)
                 東儀秀樹の公式サイト http://www.toshiba-emi.co.jp/togi
東儀秀樹が描いた絵や写真、雑誌に連載されたエッセイも読めます。たまに覗きにいってま〜す。
(11/20/00)


合唱団やってます。しかも2つかけもちで。
ホームグラウンドは、
金沢グリーンウッドハーモニー、小編成の混声合唱団です。
(常時団員募集!問い合わせしてね!)私はアルトです。
 設立17年目、職業的には「ゆりかご(に入る前)から墓場(に入った後も)まで」カバー可能、
年齢は高校生から大学生を持つ親まで。
でもどんどん平均年齢が上がっていくので、どうか若い人、もっと入団してくれないかなあ。
あ、もちろん熟年世代もOKですっ。(あわてて付け足す。(^^;)現在演奏会二ヶ月前なので、
練習参加人数は普段の三倍に増殖しております。
 レパートリーはBachなどの宗教曲, 三善晃, 林 光, 新実徳英&谷川雁作品集, 時々「島唄」なんかを歌ったり・・。
演奏の機会は毎年のカトリック教会でのクリスマスコンサート(他団体と共催), 県合唱連盟の合唱フェスティバル出場,
それから 思い出したように開催する不定期な定期演奏会(?!)。2001 1.13に実に三年ぶりの定演を開催いたします。


 それともう一つ、地元のプロオケ, オーケストラアンサンブル金沢との共演のためにつくられた
オーケストラアンサンブル金沢合唱団(以下OEK合唱団)。
こちらは毎年三月頃のオーディションで団員募集です。
宗教曲が多いので、ビブラートがかからない素直な声が要求されるようです。
 こちらも8年目、設立から参加しています。 
 2年目にはハイドンの「四季」での東京公演で、かのサントリーホールの舞台に。ここ3年は「魔笛」「蝶々夫人」「椿姫」等の
オペラにも参加してしまいました。
 
 どちらもズルズルと抜けられなくなってしまいました。
(いや、自分がやめようと思えばやめられるんですけどね。麻薬みたいなもの?笑)
普段の練習に参加し続ける事も仕事を持つ身にはつらいのですが、演奏会前の練習がさらにしんどい。
なのに舞台での快感が忘れられなくなるんですよねえ。
自分の元気と家庭の事情が許す限り続けられたらな、と思っています。
 
(11/12/00)


レクイエムをもう三曲、舞台で歌いました。
G・フォーレ(1845〜1924), M・デュルフレ(1902〜1986), W・A・モーツァルト(1756〜1791)です。

OEK合唱団に参加しようと思ったワケは、‘あこがれのフォーレのレクイエム’が歌いたかったから。
若い頃(って、今も若いつ・も・り)に兄の所有物のLPで聴いたのが初めて。
特に3曲目の「サンクトゥス」が好き。コーラスがすてき、ヴァイオリンのソロが美しい、オルガンがかっこいい!!
おやっ、と思ったのは、確か朗読劇「この子たちの夏
(広島, 長崎で原爆で子どもを失った親達の手記を女優さん達が朗読する。)の、最後の場面。

「生きよう、生き抜こう!」という子どもたちのたくさんの声が「サンクトゥス」に乗って聞こえてくる。(違ってたらすんません。)

改めて聴き直してみて、レクイエムは‘死者のためのミサ曲’なのだけど、生き残った者達へのなぐさめなんだなって、
実感できる選曲だと感じました。

(もっとも、フォーレは自分の作品を‘死への子守歌’と言っているようですが。)

そんなわけで、初めて楽譜をもらって即、好きな「サンクトゥス」を開いてみて・・・
「サァー」と顔が青くなる。難しいのではなく、
歌うところが・・無い!!
この曲はほとんどソプラノと男声で歌われる・・・そして私は‘アルト’なのでありました。
ソプラノは天の声天使の声、そしてアルトは地の声人の苦しみを表す声、なのです。(どうせ・・ううっ。)

いろいろ思い出はあるけど、ゲネプロでの事。

一曲目が始まって、歌いながらヴァイオリンの方をなにげなく見ていると(コラ、集中せんかい!!>自分)、
いつまでたってもかまえる様子がない。
ついに一曲目、ヴァイオリンは一度も弾かなかったのだ。
学生時代はオケに参加していて、「ヴァイオリンがまったく登場しない曲なんて
ない」という観念があったので、
び〜っくりしてしまった。
改めて今解説を読むと、フォーレは当初、ヴァイオリンパートは「サンクトゥス」のソロ以外使ってなかったようで、
後々この曲は「成長」を続けていって、現在のような演奏の形になったようです。(勉強になりました、はい。)


2001年は4曲目、J・ブラームスの「ドイツ レクイエム」
これまでの3曲がラテン語だったのに対し、この曲はドイツ語。
別にドイツ語はいいんですけどね・・・とにかく長い!休む所がない(一曲全部ソリストが歌う場面が無い)!
本番、途中でぶったおれないかマジで心配しております。

練習中の会話; 「6番なんでこんなに長いの〜?」
           「6番やし。」
           「終わりそうなとこ、なんべんもなぁい?」
           「6番やし。」                       
     でもやっぱり「ドイツ レクイエム」が歌いたい私たち、なのよね

この曲も一曲目はヴァイオリンパートが入りません。そのため、とおってもあったかい、やさしい音です。
コーラスも「この曲だけは霧の中からきこえてくるような声でね」と言われております。
クラッシックが苦手な方も、一曲目だけでも聴かれるといいと思います。
(11/12/00)