〜つながっていく心〜
       
玄奘西域記   

                       
                      諏訪 緑 プチフラワー連載(1991〜1994)

むかし、TVで「悟空の大冒険」を放映していた。
三蔵法師の取経の旅のボディガードたる悟空,八戒,沙悟浄たちの、
当時としてはか〜な〜り〜珍しいドタバタギャク満載のアニメ。
三蔵法師はのっぺり&のっぽ&飄々としたキャラだったように思う。
いつも乗っているお馬さんとセットで、騒がしい登場人物中の癒し系キャラ。
それがワタシにとっての三蔵法師だった。
(夏目雅子三蔵のドラマ『西遊記』は見てませ〜ん。)

ところがところが、同じ人物であるハズの『玄奘西域記』の玄奘は、悟空だった!
(作品中はゴリラのような取経僧といわれている・・・インドにはゴリラはおらんだろが。
仏教だなんてお香臭い・・・なんて言うなかれ。文体は『陰陽師』よろしくポップな現代風、
れっきとした少女マンガなのだ。
三つのキーワードでつづる『玄奘西域記』レポート、行ってみよう!


PFコミックス 「玄奘西域記」第1巻

             玄奘(596?〜664)
中国の僧。
インドの仏典を求めて国禁を犯し、長安を出発。ゴビ砂漠とタクラマカン砂漠を横断し、
バクトリア,パンジャープ地方を経てガンジス流域まで旅した。帰路も陸路を利用。
帰国後、皇帝太宗の庇護のもとで19年あまりもの翻訳作業に入る。
また、勅命により、「大唐西域記」を表す。
経,律,論を修めたことに対する敬称を‘三蔵’と言うが、‘三蔵法師’と言えば玄奘を
指す固有名詞のようになってしまった。  Otera入門123(こちらにくわしいです。)


第1巻裏表紙


キーワード1〜つながっていく心〜

実際の玄奘は28歳(諸説アリ)で長安を出立するが、コミックスでは兄長捷(ちょうしょう)の
西天取経の摩咄(まとつ 通訳)兼護衛の少年として描かれている。

少女マンガなのだから、むくつけき男が主人公じゃ、読者がついていかない・・・か。
十数年にも及ぶ命がけの旅を続けた実在の玄奘は、1に体力2に気力、3・4が無くて
5に知力のたくましい男性だったに違いない。
そこで作者諏訪 緑は、玄奘を‘悟空’にしちゃったのだろう。
のほほんとしながらもすべてを見通す「三蔵キャラ」は兄長捷だ。

10歳で父を亡くし、13歳で僧になる試験を受け、兄長捷の方針で語学と武術を学び、
インドへの取経の旅に出る兄とともに長安を出奔。
途中父とも師匠とも言うべき長捷を病で喪い、(18歳と書いてある・・10歳以上サバ読み過ぎ)
彼の遺志を継ぎナーランダ大学で学び、多くの経典を唐に持ち帰る。

体が弱い兄を守る者は自分、自分を守る者は自分。
仏教徒に対する迫害にも、山賊にも、暑さにも寒さにも、冷病(マラリア)にも滅法強い!

だが、常に彼は悩んでいる。
‘僧’でありながら僧でない中途半端な自分を。(物語の最後まで、彼は頭をまるめない)
西天取経なぞ、人々の幸せのために何の意味があるのかを。
発祥地インドでの仏教の荒廃の様を。
宗教は人にとって、社会にとってホントに必要なのかを。

強靱だがしなやかな精神を持った玄奘は、成長し迷いを乗り越えていく。
旅で出会った人々・・・高昌国王麹文泰(きくぶんたい),サマルカンド国王,
薄幸の少女イスカンデルクーリ,シンハラの王族シギリア・・・
(女っ気のないこの作品の中の花。この二人のエピソードにはけっこう泣ける)
敵であり援助者であった、天竺統一国王ハルシャ,ナーランダ大学正法蔵(シーラバトラ)・・・
そして息子に取経の願いを託して死んだ母、彼女の望みを弟に伝えた兄。
彼らの心が、願いが玄奘に旅を続けさせるのだ。

じゃ、八戒は?沙悟浄はいるのか?


第2巻裏表紙

キーワード2〜マイトレーヤ・カルナー〜
当然八戒&沙悟浄もいる・・・ずいぶんイメージは違うけど。

突厥王葉護可汗(ヤブクハーン)の末息子ハザク
美形,黒いちぢれ髪、ロングブーツ,琴の弾き語り・・・
そう、彼は現代に産まれればロックミュージシャン(ヘビメタ系?)。
カシミールから略奪されてきたバラモンの娘を母に持ち、兄弟達から疎まれて育つ。
ハザクもまた突厥でありながら突厥人でないハンパ者。
自分の‘居場所’が無く、子分達を引き連れ、僧院を略奪して回っていた。

突厥のオマケであるハザク,兄長捷のオマケである玄奘・・・
出会いでは激しく反発しあった二人だったが、旅を通して生涯の友となる。
玄奘が心の奥にしまいこんだ想いをさらけ出してしまうのもハザク、
兄を喪い、自分を失った玄奘を取経に立ち向かわせたのもハザク。
そして玄奘は、父の暗殺による突厥の混乱から逃亡の日々を送るハザクのために、
天竺の仏教の運命までもかけたハルシャ王との大勝負に出る。
彼らは‘マイトレーヤ・カルナー’友と友に苦しみ、理解し共感する慈悲心(ミトラ)
で結ばれた友となるのだ。
彼らの別れのセリフはぐっとくる。
唐からも突厥からも放り出されたら、また一緒に旅をしよう・・と。
そう、この物語は三蔵法師の物語ではなく、『オトコの友情の物語』なのだ。
「玄奘西域記」は、決して少女マンガを踏み外してはいないのだ。

そしてもう一人の八戒&沙悟浄が、学僧プラジュニャーカラ
彼は大衆から離れ、哲学になってしまった仏教を大衆にのなかに引き戻すために、
ありとあらゆる努力をおしまない。
人を引き寄せるためには祈祷師だって魔術師だってやってのけるレゲエ野郎。
(医者だってやってのける、カユイところに手が届く便利なヤツ。)
玄奘とは方法は違えど、衰退する一方の天竺の仏教のために全力をつくすのだ。
仏教の教えを守るため、玄奘は彼から気力だけでない、知恵を学ぶ。

ありゃ、どちらが八戒で沙悟浄なのか?



キーワード3〜深沙神〜

ハザクとプラジュニャーカラ、どちらが八戒で沙悟浄か、は言えない。
沙悟浄のモデルと言われる者が出演しているのだ。

・・玄奘の母は出産の苦しみのなかで、深沙神(しんじゃしん)の夢を見る。
取経僧を食らうという深沙神は、『将来この子(玄奘)は取経をやりとげるが、
この子のかわりにお前のもうひとりの息子を食う』と予言するのだ。
『一人で行かせなさい』という母の遺言を破り、長捷は何も告げずに、二人で出立する。

・・高昌国王の行うマニ教の秘儀で、玄奘は取経僧を食う深沙神の幻を見る。
麹文泰は、占いで『玄奘という僧が西天取経をやり遂げる』と告げる。

・・死の床につく兄の側で、玄奘は深沙神の夢を見る。

・・兄の遺志を継ぎ、ナーランダ大学に赴いた玄奘に、学長シーラバトラは
『深沙神が、取経僧がやってくると3年前に予言した』と告げる。
そして、兄と同じ冷病(マラリア)に罹り、もうろうとした意識のなかで深沙神と対決する。
死んでも、『取経僧の心は棄てない』と。


深沙神は、玄奘三蔵法師と関わりの深い護法守護神だそうで。
また、毘沙門天の化身であるというお話も。
5日間1滴も水を得られなかった時、夢に現れて玄奘を救った、彼の守り神なのだ。
砂漠で死んだ者達の怨念が生んだ神というお話もある。
「西遊記」の沙悟浄は、深沙神がモデルであるとか
(どうりで、マンガの絵はカッパのようにアタマの上がつるつるてんだ。)
この作品では、仏教の衰退を憂える弱い心が生んだ恐怖のカタチ、として描かれる。

が、玄奘のはじめ、多くの人々の意識のなかに現れた深沙神は、結果として
玄奘に強い決意を抱かせ、取経をやりとげさせるのだ。

物語の最後で、深沙神は人々の心を繋ぐマイトレーヤ(弥勒菩薩)へと姿を変えるのだ。



オ・マ・ケ

潮ビジュアル文庫「ブッタ」第12巻「・・・だからあなたが誰か苦しんでいる人のことを憐れんだ時、
同じように別の人がきっとあなたについて憐れんでくれている
はずです。あなたが誰かを助けたら、別の人が今度はあなた
を助けてくれましょう。・・・それは誰も彼も生きとし生ける者が
つながっているからだ・・・


これは手塚治虫『ブッタ』最終巻で、ブッタが‘慈悲’について
語る所。(文庫12巻第7部3章「アジャセ王の微笑」)
ずいぶん前に買った全集だが、これについて語る時が来よう
とは思いもせなんだ(笑)。
仏教はカースト制度への反発から興った宗教。仏教徒でなく
とも人として読んでおきたい作品だ。

私の居住地はかつての真宗王国ではあるが(‘百姓の持ちたる国’領土でございます)
現代に生きる者は年配者以外は、心の中には真宗は住まわせてはいない、
と思っていた。が、幼少のみぎりから生活習慣の中にいると、真宗的なものが結構抜け
きらずにしみついているものだ。
歴史モノがもともと好きなのだが、宗教モノも私は嫌いでないらしい。
「玄奘西域記」を楽しんで、時にはナミダしながら読んでしまった。

そして、私が夢中になって読んでいるのを横で見ていた娘も、全部読み切った。
私のシュミの本はなかなか読まない娘なので、ちょっとびっくり。
さらに、ゴールデン・ウィーク中、実家に持っていったところ、私のすぐ上の兄がビール
飲みながら一晩で読み切る。
おまけにかなりの老眼の母も、「字が小さくて読みにくい」とこぼしながら読み始めた。
(目が疲れてさすがに1巻で頓挫)

オマケに娘は、私が読み直していた手塚治虫の『ブッタ』まで、全部読み切った。
ま、本人は「私は宗教なんてキライ」なんて言っていますが。
ヘンな新興宗教に捕らわれないためには、こんな時期にキリスト教だろーが
仏教だろーが、イロイロ読んでおくほうがいいかも知れない。



諏訪 緑の作品は今回初めて読みました。
いつもながらさにゃお様、ありがとうございましたぁ!
‘日本一のマンガを探せ!’では、正倉院の五弦の琵琶にまつわる話
「うつほ草紙」が紹介されていました。こ・こちらも読みたい!