ガラスのKISS



                

「・・・梅の谷でも携帯が使えるようになったってか・・」

「ふふっ、さすがに梅の木の月影先生のお墓の所までは届きにくいですけど。」

「少しは楽器が使えるようになったかい?」

「東儀秀喜さんに言わせれば、笙が一番音が出しやすいって・・・で、なんとか様にはなってるって言われた。」

「じゃあ、いいCDジャケットが撮れそうだな。」

「表が紅天女の衣装を着たあたし、裏が洋服の東儀さんですって。」

「彼に改めて梅の里を見せてほしい、と依頼されて、これは丁度いい、と思ったんだ。」

「映画化されるって、本当なんですね〜。東儀さんも出るかも、っておっしゃっていたわ。」

「ああ、音楽担当だけじゃなく、精霊の一人に、という事で交渉中だ。」

「わー、なんか似合いそう〜!」





「・・地方公演、もうあともう少しだな。」

「はい、ちゃんと舞台に立てて、ほんとによかったって、思ってます。
  ・・・・・・・福岡の千秋楽の紫のバラの花束、ありがとうございました・・・久しぶりで・・・涙がでちゃった・・・」

「・・・・マヤ、君は!」

「ずっと前から知っていました・・・本当に・・・ありがとうございました・・・」

「・・・マヤ・・・オレが・・・君を愛している・・って言ったら、受け入れてくれるだろうか・・・」

「は、速水さん・・そ、それって、もう言ってるんですか?」

「ああ、マヤ・・・愛している・・」

「・・・もう・・・電話なんて、ズルいです!今度会った時に、もう一度言ってください!」





「今週末には退院するんだ」

「え〜、もう直ったんですか?」

「いや、固定をはずしていくらか身軽になっただけだ。しばらくはリハビリに通わなくてはならないそうだ。」

「・・そうなんだ・・・」








「速水さん・・・速水さん、ちょっと聞いてます?退院指導、明日の10時にありますからね!」

琴子の声に、速水はハッとしたようだった。

「ああ、わかったわかった・・・10時だね・・会議は入れないでおこう」
「そんなもん退院してからたーっぷりしてください。それから禁煙外来のカウンセリングも続けてありますから。」
「き、禁煙カウンセリング?知らんぞ!!」
「あら、水城さんのたっての依頼です。せっかく2ヶ月以上続いたんだから、この際すばっとやめちゃいましょ!」

いつの間にこいつらは・・・!
琴子と水城にいいように扱われたこの2ヶ月あまりをうらめしく思う。

「2ヶ月か・・・長かったなあ・・。」
「よかったですね、まだまだ普通に生活するのには不便ですけど、気分が違いますよ。」
「・・・ああ・・」
気のない返事だった。

「・・速水さん、あんまり嬉しそうじゃないですね・・・そんなにここにいたいですか?ここっていくらだか知ってます?」
「1日20万だろ?そんなもん、会社の経費で落とせる。」
「あとがつかえているんです!・・・・それとも何か心残りでも?あー!わかった〜!!
「な、何が?!おい、琴子ちゃん、君は何がわかったと言うんだ?!」
「言ーわない!じゃ、食器、下げますね〜!リハビリ、あとで迎えに来ま〜す。」
昼食のワゴンを引いて、琴子は出ていった。

「退院したら、また仕事漬けになるだけ・・・・か。・・・心残りねえ・・・」
マヤ、と心の中でつぶやいてみる。
今度会った時に・・・って、いつふたりきりで会えるというのか。





北島マヤは紫のバラの花束をかかえたまま、20分も外をうろうろしていた。
さすがにもうマスコミらしきの姿も見えないが、速水に会う勇気が出ない。

「今度会った時に言って・・・なんて言っちゃって・・・・
これじゃまるで愛の告白をしてもらうために行くみたいじゃない・・」

さすがに守衛がマヤの事を気にしだしたようだ。
「やだ・・・でも今日行かなきゃもうチャンスが・・・・」

わっ!
いきなり背中をどつかれて振り向くと、この間の看護婦・・・入江琴子の笑顔があった。
「・・・!入江さん?!・・・わー、すんごく大きいおなか!」
「こんな所で何オリの中のクマしてるの?上から見てて面白かったわよ。さ、行こ!」


マヤが琴子に連れられて行った先は、またまた更衣室だった。
「・・・あの・・また着替えるんですか?もうマスコミもいないって聞いたけど・・」
「まあそうなんだけどー、速水さんの心残り、叶えてあげましょ!」
「・・・・・え?」
「あたしも速水さんが退院したら産休だしー、すっきりとお休みに入りたくってさ。」
『・・・・看護婦の格好をするのが?』
白衣に着替えながら、マヤの頭の中を疑問符がとびまわる。





「ひとりで部屋に戻れって・・・いったい何なんだ」
ブツクサいいながら、リハビリから戻った速水は部屋のロックを解除した。

「あれ、琴子ちゃん、何だ 、ここにいたの?」
・・・・中にいた看護婦のシルエットがやけにスマートだ。

「マヤ・・・!」
あ、ひさしぶりです!お元気そうで何よりです!
うわずった声でマヤが叫ぶ。
「えっと・・入江さんが・・・速水さんの心残りを叶えてあげましょ、って・・・」
こ、心残りだって〜!!おい!琴子ちゃん、そこにいるんだろ!何勘違いしてるんだ!」

「北島さん!忘れ物〜!!」
紫のバラの花束が投げ入れられ、すぽん、と、マヤの腕の中に花束がおさまった。
「・・・・・」
「あのっ・・・た、退院おめでとうございます!」
真っ赤になって、マヤが花束を差し出してくる。
速水もぎこちなく受け取った。

「・・・まあ、いいか」
なんだか自然に顔がほころんでくるのが、自分でわかる。
「え?」
「外、出ようか。ここの庭、木がずいぶんあってけっこう涼しい。」
「・・・はい・・」


速水さん、ちょっと・・

廊下に出たとたん、声をひそめた琴子にひっぱられた。
「お散歩だったら、いい所、教えますよ。」
「・・・どこだって?」
「いつものお散歩コースの、おっきいケヤキの木がある所あるでしょ。その先で左におれるんです。
そしたら、ちょっと目立たないところにベンチあるんだけど・・・」
「な、何?」
「そこ、ナース達の伝説の勝負スポットなんですよ。」
「・・・・!」
「誰かいる時は、みんな避けるんですよ。じゃ、いってらしゃい!」





初めて車椅子で散歩に出た頃は、日陰でもずいぶん暑く、
だが、散歩に出る時が、唯一夏という季節を感じられるひとときだった。

自分で歩いて出歩けられるようになり、こうしてマヤと並んで歩いていて、
頬をなでる涼しい風に、確実に季節が進んでいる事を感じられる。

車椅子の患者とすれ違って道をよけた時、右肩がマヤの頭に触れた。
「あ、痛くなかったですか?」
「いや、大丈夫。リハビリしているくらいだから。」
と、マヤにそっと右手を差し出した。
「君の手くらいは握れるよ。」
マヤの手が、おずおずと差し出した手に触れてきた。

彼女の熱を感じながらそのまま歩き続けた。

マヤの方を見下ろすと、ちょっと困ったような顔をしてうつむきながら付いてくる。



ちょっと迷ったが、勝負スポットとやらに着いた。

なるほど、あまり人も通らない、静かな所だった。
まだまだきつい日差しも、木もれ陽になって、肌をちょん、と触れるだけだ。

光線が、自分の心を縛っていた最後のひとまきの鎖を砕いたような気がした。
並んで座りながら、なんだか速水はおかしくなってきた。

せっかく担当看護婦の琴子ちゃんが作ってくれた機会だ。素直にのってみたっていいか・・・。


「・・・なんか、速水さん、とっても楽しそう。」
「はは・・・・そうだな、ここでの最後の散歩に君と来る事が出来て、ね。」
また顔を赤らめてうつむいた。
手は離しそびれて繋いだままだった。

「・・・リハビリ、大変ですか?」
「うーん・・・・・やたら熱心な療法士がいてな・・・けっこう厳しい。」
「鬼社長も真っ青ですか?」
ちょっと笑顔で見上げてくる。
「ああ・・・琴子ちゃんに『彼女をお姫様抱っこしたかったら、うんと頑張らなくっちゃ』なんて言われてるし。」

・・・繋がった視線が離れなかった。

「・・・マヤ、愛している・・」

「・・・私も・・・ずっと前から速水さんのこと、好きでした。」


顔を近づけると、マヤはそっと目を閉じた。
体を捻って、マヤの唇にそっと触れようとした時、肩に痛みが走った。

イタタ!
だ、大丈夫ですか?

肝心な時に!
この先まだまだ長そうだ、とため息をつくと、唇にあたたかいものが一瞬触れていった。
びっくりして目をあけると、目の前にマヤの真っ赤な顔があった。

「・・もう一度・・してくれるか・・」
・・・・はい

今度はさっきより、長く口づけてきた。
『怪我の功名?・・・ちょっと違うか』
まあ、ふたりともこうやって無事だったし、約束もなんとか果たせた事だし。

自分の遅れてようやくやって来た青春時代を楽しむのも悪くない、
と、唇と手でマヤのぬくもりを感じながら思った。



「生きているということ
 いま生きているということ
  それはのどがかわくということ
   木もれ陽がまぶしいということ
    ふっとあるメロディを思い出すということ
     くしゃみをすること
      あなたと手をつなぐこと

・・・・生きているということ
     いま生きているということ
      鳥がはばたくということ
        海はとどろくということ
          かたつむりははうということ
           人は愛するということ
             あなたの手のぬくみ
              いのちということ」
                                    谷川 俊太郎   「生きる」より


今歌っているこの歌が、アタマの中をぐるぐる回っている状態で書きました。
人は、まず手をつなぐ事から心もつながっていくのかな・・・と。
・・・・しまった!琴子の出産まで行き着かなかった・・・・で、次回ちょっとだけエピローグ。