〜突き刺さる棘〜
        美内すずえ「孔雀色のカナリア」
ワクワクするようなSF、しっとりとしたラブストーリー、感動の大作・・・、
いろんな作品が心の引き出しにしまわれているのだけど、中には、まるで
棘を刺すようにチクチクした痛みを伴って思い出される作品がいくつかある。
たとえば、
手塚治虫の‘ザ・クレーター’より「生贄」
古代マヤ文明の時代、一人の生贄となる少女が祭壇で、まさに首を
落とされようとしている時、少女は神に懇願する。
「普通の女として生きて、幸せを味わってから死にたい」と。
彼女は現代の日本に記憶を失って現れ、少年と出会い、結婚し、
苦労しながらも幸せをつかみ・・・・、彼女の首は切り下ろされたー。
読んだのは小学生の頃だったが、最近読み直してみたら、結構正確に覚えていた。
それでも彼女は幸せだったと言えるのだろうかと、
ちくんとした痛みを感じながら、ふとした時に思い出されるのだ。


そして、
美内すずえの「孔雀色のカナリア」
1973(S48)の作品で、長編「はるかなる風と光」と平行して描かれた、3部作だ。
17歳の孤児亜紀子は、自分の双子の妹優子(富豪の養女となっている)を殺し、
自分(亜紀子)が自殺したと見せかける事で妹(優子)と入れ替わる。
完全犯罪達成のために妹どころか、その2人の友人までも事故死と見せかけ、殺してしまう。
(その完全犯罪の仕掛けがすごかった。とても17歳とは思えない!)
記憶を失ったフリをして家族を騙すものの、次第に「優子」でいる事に疲れ、本音が出てくる。
彼女の本音を引き出したのが、自分と同じ孤独の中にいる冬海 京。
疑い出したのは、本物の優子が心を許した大月昭彦。
そして、犯罪を暴き出したのが、皮肉な事に亜紀子の唯一の味方だった、紅村雨月。
追いつめられた亜紀子は、‘優子’としての生活(それに倦んでいるのに)を守るために、
自分の出生の事情を知る元看護婦を手にかけ、その事でアシがついてしまう。

‘カナリア’は冒頭で紅村雨月が亜紀子に聞かせる寓話である。
カナリアは鳥の王になるために孔雀を殺し、その羽をまとう。
首尾よく王になったものの、正体がばれないかと鳴けもせずに暮らすが、
ある日、自分をほめる言葉に、ついたからかに歌ってしまい、鳥たちに殺されてしまう。
カナリアは亜紀子そのものの寓意となる。


友人から借りて読んだのは中3だったが、実を言うと最後の3部を読んではいなかった。
なぜなら、連載されたのは月刊セブンティーンの12〜2月号で、この時期ばかりは
さすがにみんな、受験勉強をしないわけにはいかなかったので。
でも、美内すずえの他の作品を読むごとに、この話の続きが気になって仕方なかった。
自分達とそうも変わらない17歳の少女に、そんなおそろしい犯罪が出来るものだろうかと。
何より、「孔雀色のカナリア」の亜紀子が美内すずえの他の作品のヒロイン達と、
例えば、「はるかなる風と光」のエマなどとは、大きく性格が違っていた為だと思う。

加えて‘昨今の17歳達’。(普通の17歳のみなさん、ごめんなさい)
すっかりオバサンになってしまい、あの頃の気持ちでは読めないではあろうが、
書店で見つけた文庫本、「おおーっ!」とばかり飛びついたのだ。


美内すずえの作品で記憶があるのはどの作品からだろうかと、作品リストを見てみる。
ストーリーは全然覚えていないが、
「赤い女神」(1970)
少し筋書きに記憶があった同じ年の
「燃える虹」
翌年の「ひばり鳴く朝」「13月の悲劇」(1971)からけっこうストーリーを覚えている。
この頃の私は、いわゆる‘少女マンガ’が苦手で、しっとりしたラブストーリーなんぞ、
いつもとばして読んで、最後にヒマつぶしに見ていた。
これは私が男ばかり3人の後から予定外に生まれてきた末っ子で、家にあるのは
少年サンデー(赤塚マンガが好き!)と科学図鑑ばかりだったせいだと思う。
いとこの家では週刊マーガレットがあったので、時々見せてもらったが、
あまり心に残る作品がない。(あえて言うなら西谷祥子が好きだった。)
そんな中で美内すずえの作品が好きだったのは、別冊マーガレットの中にあって、
スケールの大きい冒険物が多く、全然少女マンガらしくなかったためだろう。

美内すずえのヒロイン達は、どの作品も前向きで明るく、どんな悲惨な境遇でもへこたれない。
自分の力で運命を切り開いて行く少女達ばかりで、オトコはあくまでサブに徹する。
「はるかなる風と光」(1973〜74)はそれまでの美内マンガの集大成なのだと思う。
そんなヒロイン達と亜紀子はなんという違い!!
「美内すずえがこんなの描くのー?!」と、当時はびっくりしてしまったのだ。


いや、違わない。今読み返してみると、やはり彼女は美内マンガのヒロインだ。
「幸せになるのだ、自分の運命は自分で切り開くのだ!」という美内ヒロイン型エネルギーが、
亜紀子の場合、負の方向につっぱしったのだ。
この点、「昨今のすぐキレて犯罪を犯す17歳」とはたいした違いなのだ。
(いや、何も亜紀子が偉いってワケじゃあないんですが)
彼女は母と二人でも、暴力を受けるは顔にケロイドを作るは、幸せとは言えない生活だった。
(文庫の解説の石子順氏は、「亜紀子は本当の母と生活できた喜びに思い至らない」
と書いているが、それはないでしょ〜が。亜紀子は母と離れて育った方が、
少なくとも殺人を犯すような人間にはならなかっただろう。)
その母が死んで、親戚に引き取られてそこでこき使われる。
そこから飛び出すのは仕方ないとしても、双子の妹優子を殺して取って替わろうと
綿密な計画を立てていくのだ。(資金ぐりも大変だぞ。)
‘幸せ’を求めるためとは言え、並大抵のエネルギーではない。

ところが物語の終盤、未遂に終わるものの、もう一人を殺そうとした彼女の計画は、
あまりに行き当たりばったりだ。(人を殺しに行くのに、高校の制服着たままで行くか?)
これは、冬海京の登場で、自分にとって幸せは何か、と迷いが出てきて、
完全犯罪を計画するエネルギーが無くなってきたせいだろうか。
(いや、単に美内マンガによくあるツメの甘さかもしれないけどね^^;)

かくして亜紀子は、自分を逮捕しに近づいてくるパトカーのサイレンを
冬海京の胸の中で聞いて、物語の幕を閉じる。
それがようやく彼女が辿り着いたつかの間の幸せだったのだ。


ツメが甘いなどと、そら恐ろしい事を書いたが、かわいさあまって・・と思っていただきたい。
彼女がいよいよ捕まると覚悟を決めた時のモノローグ、
「幕はおりてはいない たとえ残されたのがわずかな時間でも・・わたしは優子よ 最後まで」。
そうじゃないでしょ、あなたは亜紀子だ。
だから冬海京とともにわずかな時間を過ごそうとしたのだ。
そのひととき、亜紀子として幸せだったのだ。


何だかタイトルからかけ離れて、‘幸せって何だ’話になってしまったなあ・・・(遠い目)




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   「ザ クレーター」手塚治虫
一話完結の短編集。
古くは「トワイライトゾーン」(わかる方、いる?アメリカのドラマシリーズです。^^;)、
新しいところで「週刊ストーリーランド」風のお話がてんこもり。
図書館で借りて読みました。
金沢市立図書館さま、手塚治虫を置いてくれてありがとう!!m(_ _)m


   「はるかなる風と光」(1973〜74)

南の島キング島でイギリス人と現地の女性との間に生まれた混血の娘エマが、
イギリスに渡り、様々な偏見にさらされる。父の破産で、修道院に入って苦労する。
やがてナポレンと出会い、故郷のために出来る事を見いだし、生まれた島に帰る。
その間、命のキケンにさらされる冒険がてんこもり。(ライオンとも戦っちゃう)
キング島に戻り、島の発展のためにつくすが、今度はイギリス軍との大立ち回り。
せっかく開拓したココア農園がめちゃくちゃになるが、
いつも助けてくれた幼なじみのアドルフと結ばれ、ハッピーエンド。

当時わくわくしながら読んだものだ。
だが、これにもつっこむぞ。
アドルフに愛の告白をする場面での2人の会話。
「これからはずっとおれのそばにいるんだ」
「はい アドルフ」
「どこにでもついてきてほしい」
「はい アドルフ」
ちがうだろ〜が!!
「君について行こう」だ!向井万起男さん(向井千秋さんの夫)の著書のように。
たとえ20数年前の作品にしても、アレでは話の筋からはずれると思うのだ。



出典        白泉社文庫 美内すずえ傑作選10   孔雀色のカナリア
                             
12,13 はるかなる風と光
          もひとつついでに            9        燃える虹
   

     
これはマンガではないけど面白いので
           講談社    向井万起男著       君について行こう
                                 女房が宇宙を飛んだ
               ヘレン・ケラーの故郷、タスカンピアに行くお話、好きだなあ。