デュマ家の人々



2002年11月、ふと目にした新聞記事。

・・・・‘三銃士’の作者であるアレクサンドル・デュマの遺灰が、生後200年死後132年を経て、
フランスの偉人達が眠るパンテオンに再埋葬された。デュマは植民地出身者の子孫であり、差別
によりパンテオンに埋葬されていなかったが、シラク大統領の計らいにより・・・
(あ、適当です)

と、シラク大統領と棺を担ぐ兵士の写真とともに。

「はあ?」と、疑問符がアタマをかけめぐった。
デュマが‘三銃士’の作者である事は知っていた。
ついでにその息子であるデュマ・フィスが‘椿姫’の作者である事も。
その頃‘三銃士’の主人公ダルタニャンその後のお話である‘二人のガスコン’を読んでいる最中だった。
・・・‘デュマ’については、何も知らなかったのだ。
植民地出身の子孫であるなら、当時どのように教育を受けてきたのだろうか?とか。

    デュマの埋葬を伝えるニュース(動画付き)

デュマがこれまでパンテオンに埋葬されなかった点について、確かに差別もあったようだが、
「生まれ故郷のヴィレル・コトレに埋葬してほしい」との本人の遺志と、何より彼の地の人々のデュマを
誇りに思う強い気持ちがあった事をこのHPで知り、何だかほっとしたのでありました。

ではでは、アレクサンドル・デュマに関する3つの作品から、年代順に行ってみよう!




黒い悪魔
文藝春秋 2003年初版


文豪アレクサンドル・デュマ(1802ー1870)の父の物語。

カリブ海のコーヒー農場の奴隷女を母に、農場主であるフランス貴族を父に、奴隷として育ちながらも、
敵に‘黒い悪魔’と恐れられたアレクサンドル・デュマ将軍の栄光と失意の生涯を描く。

そう、この親子は同じ名前。
お父さんの正式な名は、トマ・アレクサンドル・ドゥ・ダヴィ(1762ー1806)
一旦は奴隷として売り渡されたものの、父であるラ・パイユトリ侯爵に買い戻されて渡仏し、
貴族の息子として教育を受ける。
だが、正式に認知された息子というわけでなく、ダメ親父の結婚とともに独立を余儀なくされ、
アレクサンドル・デュマの名で入隊するのだ。
‘デュマ’は母親の姓。
しかも、カリブ海の奴隷に貼られた蔑称。
白人になれない、でも奴隷にはならない彼の開き直り。

見た目もはっきり黒人との混血児である彼が、ナゼに‘将軍’まで出世できたのか?
彼のずぬけた体格,闘争心,そして‘フランス革命’という時代だ。
彼が入隊したのは1789年、7月14日にはかのバスティーユ襲撃がおこっている。
治安維持のために派遣された村ヴィレル・コトレで、彼は生き方を変えた。
手込めにしようとした宿屋の娘マリー・ルイーズから言われた言葉に。

これからは貴族も平民もない時代が来るのに
「それでも自分を恥じるんなら、それは現実から逃げているということだわ。」

・・・後に、彼女,マリー・ルイーズ・エリザベート・ラブーレはデュマの妻となり、
   ヴィレル・コトレは彼の終焉の地となる。

彼にとって、フランス革命の理念、特に人権宣言「人間は生まれながらに自由であり、
権利において平等である。社会的な差別は、共同の利益に基づく場合にしか認められない。」は、
希望の灯となり、筋金入りの共和主義者となる。
当時タダの二等兵だったデュマは、彼の生き方を変えたマリー・ルイーズを妻に迎えるべく、
‘将軍’を目指して奮闘努力する。
革命の余波を恐れてフランスに攻め込もうとする諸国から祖国を守る守護神に、
敵からは‘黒い悪魔’と恐れられるようになるのだ。

ついにマリー・ルイーズとめでたく結婚し、夢をかなえる事が出来たのだが、
革命の推移とともに彼の立場は揺れ動いていく。
恐怖政治、ロベスピエールの失脚、ナポレオンの台頭・・・持ち上げられ,閑職に追いやられの繰り返し。
「決して奴隷にはならない」とするデュマがあがく様は、読んでいて辛い。
(しかし、ナポレオンをコケにする場面はなぜだか気分がいい・・・そのために晩年苦労するのだが)
エジプト遠征でナポレオンとの対立が繕えなくなり、帰国する際にナポリ王国に捕まって二年に及ぶ
捕虜生活を送る。その間、ヒ素を飲まされてカラダを壊し、二度と戦えなくなるのだ。

‘黒い悪魔’の晩年は、戦死するよりみじめだったかもしれない。
だが、彼は同じ名を継いだ息子のために、残された日々を‘戦い’続ける。
それは後のお話・・・へと続く。


三銃士にまつわる作品




三銃士
アレクサンドル・デュマ (1844新聞連載)
生島遼一訳 岩波文庫


「三銃士」のお話は、ちゃんと知ってるようで実は全然わかっていなかった事を、佐藤賢一の
「二人のガスコン」を読んでわかった(・・って、へんな日本語)。
そんなわけで、ちゃんと原作を読んでおこうと決心。が、いざ本を探すとなると、このような‘不朽の名作’は
かえってそのへんの本屋さんでは無いのだ。何軒かまわってようやく大きめの本屋さんでGET。
(・・・買ってからずいぶんたってだらだらと読み続け、読み終えたのは一年前・・・汗)

・・・・舞台は17世紀初め、ルイ13世治下のフランス。勇気と才覚を武器に出世の道を切り開こうと、
パリにやってきた青年ダルタニャンが、到着早々であったのは、三人の近衛銃士・・・沈着冷静なアトス,
人の好い豪傑のポルトス,そして詩人はだで聖職者志望のアラミスだった・・・・

って、文庫本の表紙の紹介文そのままです。
むちゃくちゃ乱暴に要約すれば、
ルイ13世の奥様のアンヌ王妃の浮気の証拠を消そうと奮闘努力するお話
それに不世出の政治家(世界史の教科書にも出てくる)リシュリュー枢機官や、‘悪女’ミレディーや、
イギリスとの危ない情勢やら主人公の恋愛模様やらがからんで来る。
これでもかこれでもかの冒険続きで、なかなか面白うございます。
これを新聞連載で読んでいたフランスの読者達は、「つ、次ぎはどーなるの?!」状態だったことでしょう。
何度か映画化もされ、日本ではアニメ化され、デュマの最高傑作は今でも世界中の人々を魅了しています。
(日本でも熱心なファンが多いようで、WEB上にファンサイトもあります)

ダルタニャンや三銃士達には、ちゃんと実在のモデルが存在したそうで、クールチルス・ド・サンドラの
‘ダルタニャン回想録’が下敷きだそうですが、‘三銃士’は本物が活躍した時代をさかのぼらせてあり、
何より読者=‘市民’が感情移入しやすいよう、人物像を‘人間くさく’してあるようです。
(ダルタニャンには恋するボナシュー夫人がいるというのに、ミレディーとやっちゃうんだよぅ)

さて、田舎からパリに出てきたダルタニャンは、早々に銃士隊々長のトレヴィル殿の屋敷でぶつかったアトス
と果たし合いをするハメに陥ります。が、ナゼだか見とがめた枢機官の護衛士と果たし合いをする流れに・・。


ここで、いきなり‘黒い悪魔’に話を戻します(爆)。

入隊したデュマ親父、いきなり同室者とケンカをおっぱじめる・・・おやおや?

体を壊して退役したアレクサンドル・デュマは、幼い息子に‘かっこいい親父’の姿を残すべく心を砕きます。
経済的にかなり苦しかったにもかかわらず体面を保ち、息子の相手をし、混血児である事を卑下せず、誇り
を持って生きていけるように。
彼の死後は、部下だった男が父親の軍での武勇伝を幼い息子に伝えます。
‘しょっぱなからの果たし合い’の他にも、ギロチンにかけられる寸前のロベスピエールを救出しようとした
エピソードなど、‘三銃士’を意識したお話が散りばめられている。

黒い悪魔’アレクサンドル・デュマが生きた証は、息子である文豪アレクサンドル・デュマが、
小説の形で表現した・・・。

佐藤賢一は、これが一番言いたかったのでしょう。

さて、「椿姫」を書いたデュマ・フィス(小デュマ)は、文豪アレクサンドル・デュマの私生児だそうで。
ここまで来ると、‘黒い悪魔’のDNAはだいぶ弱ってきてます。
ただ、オヤジの‘女たらし’なところだけは、十分継いでいるようです。




二人のガスコン
講談社 2001年初版 全3巻


佐藤賢一は「‘二人のガスコン’を書くために小説家になった」そうである。
ならば、ファンを称する者としては読まねばなるまい。
・・・後になって思った。先に‘三銃士’を読んでおくんだった。



‘ガスコン’とは、フランスのガスコーニュ地方の出身者の事。
精悍な鉤鼻,頑丈そうな顎の筋肉,そして熱い気持ち。
‘三銃士’のヒーロー,ダルタニャンと、そしてもうひとりフランス文学のヒーロー,シラノ・ド・ベルジュラック

かつてのヒーローも、ともに‘中年’になってしまった。
ルイ13世が崩御し、少年王ルイ14世が統治,国母アンヌ・ドードリシュが摂政を努める世となっていた。
ダルタニャン達王付き銃士隊の不倶戴天の敵リシュリュー枢機卿も今は亡く、
代わってイタリア人であるマザラン枢機卿の天下となっていた。

ダルタニャンが活躍した王付き銃士隊も枢機卿付き銃士隊もとうに解散。
彼が‘父’とも慕ったトレヴィル隊長は左遷,ライバルだったカヴォワ隊長は前線で戦死。
かつての無邪気な‘冒険野郎’ダルタニャンは、なんとマザランの密偵、つまり‘犬’になりさがっている。
対するシラノは‘無双’を貫くも、本は売れず、書いても出版もおぼつかない有様。
愛するロクサーヌに告白も出来ず、なんとも中途半端に生きている。
その彼らにマザランが依頼したのは、カヴォワ隊長の娘マリー・ドゥ・カヴォワの監視だった・・・。


佐藤賢一の作品では、‘若さ’は滑稽な悲劇だ。(ヴェルチンジェトリスクを見よ!)
本当に輝くのは、‘若さ’を失った中年ヒーローなのだ。
私が「王妃の離婚」に惹かれたのは、まさにこれだ。
この作品は二人の‘もう若くはない’ガスコンが、ルイ14世の出生をめぐる闇に挑む。
それは「三銃士」とはまたひと味もふた味も違った冒険だ。

冒険に参加するのは彼らの他に、シラノの親友で弁護士のアンリ・ル・ブレ(情報収集担当)、
「カルチェ・ラタン」に登場したクルパン家のお坊ちゃま、新聞記者のピエール・クルパン(同じく情報収集)。
マリー・ドゥ・カヴォワは、かつてダルタニャンが愛し、助けられなかったボナシュー夫人に似ている。
その彼女が、「父の死の理由を調べて」と依頼してくる。
これはもう、乗らないワケにはいかない。
もうひとつ、デュマの名作から‘鉄仮面’までも登場する。
(設定は‘仮面の男’とは全然違いますので、念のため)
誰が味方なんだか、善なんだか悪なんだかワケがわからない。
・・・読み進めるうちに、いかにもアヤシイ天下の策謀家マザランが、実にカッコよく見えてくるのだ。

・・・物語は、シラノとダルタニャンが再び自分らしく生きる道を見いだし、別れていくまでを描いている。
‘ガスコン’は‘ガスコーニュ生まれ’の者、では、無い。
エスプリの赴くままに、熱い気持ちで生きていく者を言うのだ。