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痩せる決意をつけたい
格闘記録
私のデブ時代と今

私の格闘記録

「そういうオマエはどうなんだよ?」と言う方のために私の記録を書いておく。私とて今まで自分が書いて警告してきた事が全て当てはまる、だらしなく考えの甘い一人のデブだった。自分にも当てはまる事だからこそ、皆さんに書いている。全くこのサイトは私の反省文みたいなものなのだ。

私はかつてはごく普通の体型だった。だからこそ、余計に始末が悪い。「その内戻るさ」が自分を大デブに変えてしまったのだ。62キロだった体重を約倍にしてしまった。1年以上かけてじっくり作ったフォアグラ状態。きっかけや理由は言うまでもない、「食べ過ぎ」だ。その前に実はある大きな病気をして50キロ近くまで痩せてしまった。その反動としか言いようがないのだか、そう言えるのはせいせいぜい70キロまで。その後は自分が単に「美食」によってしまっただけだ。身長約180センチの私が50キロになった時は「死」すら予感した。しかし、健康になり、度を越えて太り始め、倍の100キロの数字を見た時は、これまた「死」を予感した。しかし不思議なもの、食べられず点滴だけで過ごし50キロだった時は「死を」間近に見たが、太った時に感じた「死」はかなり遠くに見えてしまった。それが私の体重増加に拍車をかけ、ついには120という、力士並みの数字を見てしまったのだ。50から120になるのには、2年とかかっていない。どれだけ体に負担がかかっていたかは、後でたっぷりと知る事になる。

人間は良い時の自分のままで居たいものである。120キロになった私でも、恋愛感はスマートな時のままなのだ。若かりし、そして健康だった私はそれなりに女性との縁だってあった。「媚びない」を売りにしていた古いタイプの私には、太ったからといって女性感が変わるワケがなかった。心は痩せたままなのだ。 

しかし、女性が私を見る目は180度変わっている。今では誰も相手にしてくれない程の大デブなのに、瞬間的にそれを忘れてしまう。
「今度メシでも食いに行こうよ」かつてはこれでOKだったセリフも、「ちゃんこ鍋?」「焼肉?」との答え。そうではない、メシに行こうはデートのコールサインなのだ。しかしデブが言うと「おいしいものを一緒食べよう!ボクがおごるから、ついでに何人か連れて」になってしまうのだ。実質的に食べ物を食べるだけという発想だ。あんまりだが、相手はそうとしか取っていない。しかも、「二人っきり」とは絶対発想しない所がポイントだ。「デート」ではなく、「食べに行くイベント」なのだ。

こういう事が何度も続いて、ようやくいつでも瞬間的に「大デブ」を把握するようになる。そのストレスをを解消するために私は良く「ジョージベンソン」など聞いて、スコッチグラスを片手に薄明かりで歌ったりしていた。気分はかなりダンディだ。しかし私の部屋の大きな鏡がそんな私を一瞬して現実に呼び覚ます。ダンディなデブだったはずの私は、ヘッドホンをつけた相撲とり以外の何者でもなく、ホロ酔いで上気したそのホホにはたっぷりの肉、そして目は高木ブーのように垂れ下がり腹は新弟子の相撲取りのようにゆるい。そんな時に限って最高の歌が流れるタイミングになってるのがデブの情け無い所。これで付いてくる女性がいたら、まさしく見てみたいものだ。120という体重は、ダイエットするにはあまりにも儚い数値であり、愛車のコルベットスティングレーのウインドフィルムは一生剥がせない事を悟らせた。自分を鏡に写した時に出る「あぁ、カッコ悪いなオレ」のため息すら羨ましく感じる「人間じやねェな」のため息である。この時点で私は、全くダイエットする気などなかったし、出来るとも思ってはいなかった。

かかりつけの医師は私の変化を深刻に捉える一人だった。「ちよっとマズイね、糖尿病、肝脂肪だね」。
この医師は私が50キロだった時のミイラのような姿を見ている。「いくらなんでも心臓に負担がかかる」そりゃそうだ。当の本人が一番良く知っている。「入院しないとダメだよ」今度は太り過ぎで入院か、しかし私には入院している余裕はない。これでも一応経営者のはしくれだ。医師には「せめて80キロにしなさい」とクギを何度もさされた。しかし当の私は「100キロ切ればいいや」と真剣に考えていた。モノの尺度は完全に変わってしまっていたのだ。50キロのミイラだった時に、点滴をつけながら絶望感と共に見た病院のトイレの鏡に、今は対極の淵の絶望感にいる私が写っている。
「サヨナラ、あの頃のオレ」などと変にロマンチックになった所で、デブには全く似合わないセリフなのだ。
 

こんなだらしない大デブだったある日、不覚にも私はある女性に恋をしてしまった。そしてこの事が又再び大きな人生の転換ポイントになるのだった。
 
 


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