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痩せる決意をつけたい
格闘記録
私のデブ時代と今

 「第四章 努力!! 」


毎度のことであるが更新を予告しておきながら、とうとう盆休み(私の休みはご同輩諸氏よりも少し遅い) まで完成が伸びてしまったことをお詫び申し上げたい。最近はインターネット人口も激増したし、そのスキルも著しく成長しているようだ。私のホームページも古臭いつくりに感じる今日この頃であるが、何しろそれを学ぶ時間も脳みその対応能力も足りないようである。しばらくは旧態としたこのつくりで我慢していただきたい。
それにしても機械ものの進化は恐ろしく早い。先日友人がYAHOO BBを導入したとの事、早速私のサイトを見たりしてネットサーフィンしてみたのだが、その動作の速さには唖然としてしまった。恐ろしく速い。
言葉ではなんとなくわかっていたのだが、いざ体験すると自分の時代遅れぶりには辟易してしまう。私同様の機械オンチ諸氏にも、ぜひプロードバンドの導入をオススメしたい。もっともすでにほとんどの人がブロードバンドなのだろうが。。。設定が簡単なのにも驚いてしまった次第。やろうと思わないだけなのだ。減量については辛口な私も、この点においては反省するしか術がない。真に恥ずかしいことだ。。。
ダイエットと同様に気がついていても実行に移さないと知らない間に遠くへ離されてしまうもののようだ。

”時間”とはとても大切なものだ。だが減量とプロードバンドや機械の進化の違いは、知らない間に他人が環境進化を作ってくれるとは限らないことだ。ご同輩諸氏のダイエットはプロードバンドの進化のように進んでいったであろうか。私がこのサイトを書き始めた時に学生だった人が今は社会に出ており、”大衆に埋もれる一人の太目さん”だった人が、”街を歩けば視線を引き付け放題”な人に変わっていった。”美人、イケメン製造サイト”でありたいと常々思っている私には、過ぎて行った時間もとても貴重なものであった。芸能界へ向かって行こうとする人からボクサーを目指している人まで、本当にいろいろな人とお話をさせてもらったことは、今、中年に片足を突っ込んでしまおうとしている私にとっても後悔のない時間である。
本当のことは何も確証はない。芸能人を目指していると言われればそう思うし、ボクサーを目指していると言われればそう信じるしかない。だが真実がどうであれ、私のような取るに足らぬ輩の言葉で、人の心が動いたことに大変な幸福感と使命感を感じている。
新しい携帯電話を使いこなすのに随分と時間を費やす私が、インターネットという新しい世界で見知らぬ人と会話が出来るようになったのは奇跡に近い。

ある日突然”2年前に初めてサイトを見ました”というメールがやってくる。そこには結果だけしか書いてない。言葉少なく、返事も必要ないという。だがその短い文章の中にはその2年間の苦悩と達成感の思いが凝縮されている。悔しい思いをした時に私のサイトを見てくれていた事は想像に難くないし、その時間の重さと葛藤は察して余りある。達成感を伴う時間の経過は、どこに悔いがあろうか。そして、この2年間のあなたの時間はどのように変化していたのだろうか?進化していったか、それとも否か。時間をどのように使ってきたか。
”今も太っているヨ。。。” 
そんな人がいるのも想像に難くない。そして今あなたがマウスの反対側の手に持っているものは何だろう。。。チョコレートかスナック菓子か。。。?でないことを祈る。
そのような人達の二年間はなんだったのか。
悔いがないのなら、この文字を読んでいる必然性もない。少しでも悔いがあるのなら、この先を読んでいただく必要があるということになってしまう。。。
あなたはいかがだろうか?!

相変わらずメールテロも多い。そのようなことが出来る人は優秀な頭脳の持ち主であると存ずる。だが毎日のように私宛てにそれをすることに充実感があるのだろうか?
大切な時間である。その頭脳をもっと有効に使っていただきたい。その根気は大したものだが、尊敬は決して出来るものではない。。。
ブロードバンドの進化は大切な時間をより貴重にしてくれるものだ。しかしそれは機械的な世界の話であり技術の世界の話である。しかしウイルステロという分子も、より多く生み出した。時間をどのように使おうがご同輩諸氏の自由であるが、あなたの時間は良い方向に前進していったかを、テロリスト諸氏も含めどうかご再考いただきたい。

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街中を見回すと、最近はお腹を出して歩く人が大変多いことに気づく。我々中年の域に達してきた人間にも、お腹を引き締めることはステータスのような風潮になってきた感がある。
私が少年の頃は女性がお腹を出して歩くのは”冷やすからダメ”が常識であった。それは女性がデ-トで外出した時に排便する事がタブーのような風潮とも並行していたような気がする。かつての日本人はデートのような大切な時に排便することは”失敗”を意味していた。デートのみならず、子供時代から校内でトイレで”大”をすることは自動的に”負け組み”入りしてしまうという心理があった。変な精神文化である。現代の若者はそのあたりの事情も少し違うらしい。冷えたらトイレに行けば良いし、それで軽蔑するような異性とは付き合いたくないのだ。
そのこと自体は、我々オヤジの世代も素直に見直す必要がある。会議中にトイレに行くことはタブーだが、道端にツバを吐くことは自由らしい。汚い話で大変恐縮だが、この”お腹出し主義”から波及しているカルチャーの変化は確かに我々親世代も受け入れる必要があるのだ。
最近の若い世代を批判するばかりではいけない。トイレ弱者主義は終わったのだ。
出すことは我慢出来ても、食べることは我慢しない。人に受けた食事の招待を断ることを良しとしない文化、これが日本人の文化だ。ついでにこちらの文化も変化しても良いと思うのだが。。。減量をしているのに付き合いは断れない。。。おかしな話である。成人病なら殺されるに近い状態ともいえるかもしれない。ぜひ、こんなパカバカしい文化も改善するべきだと思う。
話が逸れたが、今はアミノ酸で”ボコ”お腹が合言葉のようだ。
だが人に見せられるようなお腹は毎日アミノ酸をコンビニで買って飲むだけでは成し得ない。単純なことだが、私の友人知人も必死になって飲んでいる。その前にトンコツラーメンを食べていては意味がないと思うのだが、人は皆努力が嫌いだ。
大抵の人がマジックを望み、何もしなくてもお腹の形が変わることを望んでいる。
アミノサプリは確かに効力のあるものだと思う。マッチョマンを目指す人達も本格的なアミノ酸を使用しているのだそうだ。
だが努力をしない人にはあまり助けてくれないのは全ての物の道理である。会社しかり、国家しかり、恋愛しかり。。。である。トンコツをやめればアミノ酸はもっと有効なのだ。

今迄は中年社会でお腹を出すときは宴の席の”腹踊り”くらいであった。これは逆に出ているほうが面白いし、都合も良い。それを都合よく”腹が据わっている”としているフシもあった。今やそんな悠長なことをしている時代ではないし、会社内の太鼓持ちは無用の長物と化している。
中年社会でもお腹意識が高まっているのだから、若年層には”標準意識”であるに違いない。若い男女にとってお腹を露出来ないことは踏み絵に等しいボーダーラインなのだろう。
私とて周囲のオヤジ連中がみんなお腹を出し始めたら、真剣にファッションを見直すに違いない。若い女性であればお友達同士で遊びに行くたびに劣等感を憶えるに違いないだろう。
”世相標準”の大好きな日本人には、耐え難い状態だろう。だが”出っ腹”が世相標準になる日は、この国には世紀でもまたがない限り来ないであろう。世界的な飢饉がやってきて、食べる物がほとんどない時代が来ればこのサイトの読者諸氏は英雄になる可能性もある。その日まであなたは待っていられるか?その前に生きていられるか?ある人が言っていた。地球は公共の資源であり、器である。と。100年もすればほとんどの地球のメンバーは入れ替わってしまう。だから次に使う人達のために大切に残せと。正に正論。生きている内は自分に悔いのないように生きたいものである。

中年の域に達してくると今迄ほとんど見もしなかった高校や中学の卒業アルバムを開くことがある。今ではデジカメや携帯電話にまでカメラがついていて、撮りなおしなど何度でも出来る。しかし卒業アルバムはその姿がどうであれ、全員がきちんと映っていれば個人の写真なんてそうは何度も撮ってはくれない。そして、それは一生残る。やがて子がその姿を見るし、同級生もその姿を何度も何年も見ることになる。毎日携帯電話で、写真を撮りたい時に撮っている今の若者にはこの瞬間の大切さがわかるものだろうか?
私の卒業した中学校は当時一学年で15クラスもあった。とても一人一人の写真など載せられなかった。屋上で撮影されたそれは風で顔を隠された人も多かった。その被害者の一人であったのが私だ。当時はクラスで一番背の高かった私なので、当然後ろのほうに並ばされた。全てのクラスで前のほうで撮影した人達はきちんと顔が映っている。同級生は私の顔を思い出せるのだろうか?
あなたが今思春期なら、このことは憶えておいたほうがいい。昔は撮影の日に休むと別枠でまるで心霊写真のように上にほうに合成された。情けないが、目立つ。それもひとつの方法だが、その時はそんなことまで考えて生きていなかった。一生残る写真、卒業写真や婚礼写真、成人式。悔いのない姿でいたいものだ。今の写真の品質なら、ひ孫の世代までくっきりとその姿は残るはずだ。それどころか、記念写真の類は全てDVDのようなものになってしまうのだろう。地球のメンバーから外れても、次の世代もあなたのその姿をくっきりと見るに違いない。
「ひいオバアチャンって若いころデブだったの?」
死んだ後でも聞きたくない言葉のひとつだ。生きている内に改善出来るなら、するべきだと思う。

写真も携帯のメモリーも、貴重な地球資源の一つである。紙や電力を消費しているのだ。太って撮れている写真を消してしまつたり、捨ててしまう人達も多いと思う。大切な資源は次世代の地球メンバーのためにも有効に使おうではないか。頑張って減量してしまえば、太っている頃の写真は努力の証拠として残る。そして肥満になってしまった子孫達に”遺伝ではない、頑張れ!”というメッセージを残してあげることが出来る。

話が飛躍し過ぎたようだが、要は悔いのない暮らしをしてもらいたいということだ。時間の経つのはとても早い。
いつの時代も”今の若者は素晴らしい”と褒められることなどなかった。それが歴史だ。私が十代の頃は史上最低の若者世代と呼ばれた。稀に深夜のN○K送を見ていると1970年代や80年代の画像を流している時がある。
どう見ても今の若者のほうが体型的には洗練されている。暴力や性犯罪はいつの時代でも象徴的に取り上げられるが、今に始まったことではない。
大人はもっと多くの正しい道を青少年に教えることはもっともだが、我々大人達自身も、改めなくてはならないところがとても多くなってきたような気がする。まさしく、こんなことを書くのは私が中年な証である。
いつでも中年は十代が懐かしく、そして今の十代が羨ましいのだ。
悔いのない青春を送ったと言い切れる人間などあまりいない。だからこそ、十代の人達には悔いのない生活をしていただきたい。それは減量だけではない。
全くもって、言ってることがオヤジだ。
だが、悟った時にはもう制服は着れない。時間は菓子や食べ物と取引すべきものではないのだ。
 
 

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