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痩せる決意をつけたい
格闘記録
私のデブ時代と今

パート3 「その壁を乗り越えろ!!」


第三章の告知を予告しておきながら、ついぞ年の瀬近くのアップになってしまった事を深くお詫び申し上げたいと思う。

弁解するようであるが、それには理由があった。

私の人生の師であり、今の私の存在に多大な影響を与えてくださった方が鬼道に入られた。しばらくの間は喪に付していたいと思いアップロードを控えさせていただいた次第である。

ダイエットで苦しんだ人間が自分一人だけではないように、自分に関わった人の死の悲しみを味わうのも私一人だけではない。私も甘い人間である。
人には壁を超えなくてはならない瞬間があり、それによって人生も、そしてその価値観も変えなくてはならない時がある。
それはダイエットも同じことであり、乗り越えたことで何か大きなことを得ることが出来るのではないだろうか。
冗談として使うべき言葉ではないかもしれないが、そうでなければ亡くなった人も、贅肉も報われない。

このように文章にすると一過的なものに過ぎないように感じられるかもしれないが、私の心の中では大きな大きな損失であった。
ダイエットに苦しむ諸氏には大変申し訳ないと思うが、どうか第三章のアップの遅れに対してのご理解を賜りたい。

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”テロリスト”、最近この言葉をよく耳にする。私のような節操のない文章を書く輩には、電子メールやハッキング技術を使ったテロリストが毎日のように奇襲をかけてくる。
「この人にはデブに対する憎しみしか感じられない」と批判している太め啓発サイトさえあるのだ。
なんと言われようと構わないが私はそのような人達を憎んでいるわけではないので、勝手に逆恨みをし奇襲をかけられるのはテロ以外に他ならない、困ったものである。
ここは太っている人を非難するサイトではないのだ。

他人に、やらなくてはいけないないことを「早くやらないとダメだ」と指摘されると頭にくることがある。
”わかってるよ、そんなこと。。。”という自分への焦りの心境からくるものだが、私は彼らのところへわざわざ出向いて「痩せろ」と煽ってこのサイトを見せているわけではないのだから、サイト冒頭に書いてあるように、嫌悪感があるなら読まなければ良いことではないだろうか。
太った人達を憎んでいたらこのようにサイトを作る理由がないし、かつての自分まで憎たらしくなってしまう。痩せたことを自慢したいわけでもないし、憎しみの為に連日メールを返すほど暇人ではないつもりだ。
太っていることを良しとしている人ならば、何故ゆえこのサイトを訪れる必要があるのだろうか。世の中にはもっと違う分野の楽しいサイトが存在するのに。。。

結局は自分自身のどこかで太っていることを良しとしていないのではないかと想像する。
そうであれば、ウイルスよりも悩みを告白されるメールを送られたら良いと思うが、いかがだろうか。
おっと、これはまたテロリストを増やす発言をしてしまったかも知れないが。。。

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「貴殿のホームページを笑いながら楽しく拝見させてもらいました。私も太ってはおりますが、その事自体は気にはなりません。しかしかながら成人病に悩まされている部分があるので、医師の言葉と重なる部分に納得いたしました。」

このようなメールを頂いた。前述した私の恩師の死のこともあり、デブ云々という以前に中年ご同輩諸氏には健康に十分ご留意頂きたいと思う。

私の恩師は亡くなる何ケ月も前から食事が出来ない状態になっていた。毎日食べ過ぎて止まらない人たちの悩みを聞き、そして励ましてきた私の前で、恩師は食べることも出来ず見る見ると痩せ細っていった。
なんという皮肉なことであろうか。私には恩師に対して何ひとつ言葉をかける術を知らなかった。「もりもりと食べる若者を見るのは気持ち良いことだ」とかつて何度も私に食事をご馳走してくれた師の言葉が今でも忘れられないし、何も恩返しの出来ない自分を強く責める言葉となった。

大変申し訳ないことだが、その師の姿を見た時、しばらくダイエットの悩みのメールを頂いたもののお返しする事が出来なくなってしまった。
「食ってる場合じゃない」
正直そんな心境であった。
メールを頂いた方には何んの責任もないし、逆にせっかくメールをくれたのに大変申し訳ないことをしてしまったと思う。しかしメールを返す心境になれなかった。勿論、このサイトの続編を書くことも出来ない状態であった。ダイエットをやめてしまった人を非難出来る状態ではなかった程、自分自身がその弱さにたじろいでいたのだ。

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私は恩師の死によって「もっと強くなれ」としかられたような気がしている。

私にメールをくれる人たちの中に「あなたは強い人だ」という人がいる。しかし決して強くなどはないのだ。人の死に涙し、メールを書くことも出来なくなる。

”俺は強いから何事にも動じない”と断言できる人間が世の中にどれ位いるだろうか。
皆、何がしらの悩みや憂いを持って生きていると思う。
ダイエットをする人たちは意思が弱いという言葉を良く使う。
私は意志が弱いからとする人は”弱い”のではなく、そのことに依存してしまっているだけだと思う。
強いから痩せていくのではない。誰でも自分の弱い部分対しては気弱になるものだ。だが、自分に対しての障害となる壁を自ら乗り越えようとし、それを克服した時にそれは「成長」という言葉になって返ってくるのではないだろうか。
弱いからこそ、成長しなくてはならないのではないか。自分自身にも大いに言い聞かせたい。

私の師に対する悲しみは、時とともに風化していくだろう。人の死とは儚いものだ。
だが、ダイエットは時とともに風化などはしない。毎日対面しなくてはならない憂いなのだ。そして、自ら決着をつけなくてはならないものではなかろうか。風化しているのは、あなたたちの「痩せたいけど食べ過ぎちゃう」毎日と「明日こそ」という言葉だけなのだ。

私は生意気だが、若輩である。その若輩の私でさえ、様々な人達の幸、不幸を耳にし、又目の当たりにしてきた。
世の中にはたくさんの快楽や喜びの他にたくさんの不幸が存在するようだ。特に不幸は自力で解決出来ないようなものもたくさんある。それは”運命”と呼ぶしかないものさえもある。

知り合いの資産家は誰もが羨む豪邸に住んでいる。フェラーリなどという贅沢な欧州車に乗り回し、銀座のクラブではVIP扱いである。だが、彼の細君(奥様)は何年も病院から出てこない。いつ知らされるとも知れぬ最悪の知らせの電話に毎日恐怖しながら生活をしている。
何も知らぬ人々は彼を「恵まれた人生」と羨む。しかし子もなく妻は病院のベットで寝たきりの彼が、実はファミリーワゴン車で出かける幸せに憧れているとは誰も想像はしないだろう。
彼も又、昔恩師にカツ丼やスキヤキをご馳走してもらった一人である。
その彼が恩師を見舞った時涙ながらに私にこうつぶやいた。「金があるといわれる奴は、結局は金では買えないものばかり失うようになってんだ」
果たしてこの男は幸せだろうか。。。
自力で解決出来ない悩みを持つ、他人からは「強者」と呼ばれる悲しい男である。

個人的な話をしてしまい恐縮であり、余計なお世話であるかもしれぬが、減量は特殊な事情でなければ自力で解決できる。
あなたたちが持っている色々な悩みのうち、自力で解決可能なことのひとつではあるまいか。それ故に「明日から」になってしまうのだ。

その恩恵を自分自身が最大に受け、大きな幸せのひとつとして享受出来るものなのに。。。

大切な時間を風化させてしまわないように決意すべきではなかろうか。風化させるべきは、食べ過ぎて太っていた頃の自分自身なのだと思う。

これを見ている全ての方たちにも多くの悩みや憂いがあるはずだ。そのひとつひとつが一時も早く解決されることを心から願いたい。
だが、ダイエットは自力で(何度も言うが特別な事情の人は別)努力して解決してもらいたい。これから減量の他にも様々な出来事があたなを迷わすことだろう。そのような憂いに打ち勝つ勇気を持つためにも、ダイエットの成功で「成長」をしてくれればと思う次第だ。

年末時期の忙しさも重なり、支離滅裂な自分の報告に終始してしまったような文章で大変恐縮している。
本章はこのページだけで終わらせて頂きたい。

少々時間的余裕の出来る年末年始に、次章を書き上げたいと思う次第です。
宴の多い時節の折り、食べ過ぎ飲みすぎと、決意の年越しだけは避けて頂きたいと心から願いたい。
又、美しくそして逞しく変身された姿の写真を送ってくれた方たちのご努力と謝意のメールに対して心から御礼と祝辞を申し上げる。

”おめでとう、良くがんばりました”

全ての方々に幸せが訪れますよう。